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2025/05/28
海外に居る友人が来月帰国することが決まった。ものすごく長い一年だった。去年は三年くらいあった。ふら〜っと阿佐ヶ谷に飲みに行けたのが嘘みたいだ。
最後に会った夜は寂しくて終電をちゃんと逃し、家まで二駅歩いて帰った。わたしは元来記憶の薄い人間で���お酒を飲むとさらに薄くなるのに、友人との夜はなぜかどれも鮮明に覚えている。バイト先の制服姿の友人も、家に招き入れてくれたときのパスタの味も、恋でしおしおになった日にお互いあんま聴かないChara流して小声で歌いあったのも、全く知らないバーに流れ着いて朝帰りした夜も、とにかくいろんな夜があって、あとはたいてい電話とかしていて、わたしたちはよく喋り、よく笑い、よく泣いていた。友人が海外に行ってからも電話はしていて、遠い街にいてもおんなじような話ばっかりで、わたしたちの生活は常に変わり続けていたのに、関係性だけは全く変わらなかったのが本当に嬉しかった。
人に優しくあるために背負った傷が透けて見える、ほんのちょっと嘘っぽい笑顔の友人、たまに緩まる瞬間があって、でもキリッとサラッとして頭の回転がはやくて、憧れているし抱きしめたいとも思う。おたがいの精神性に形があるのなら、彼女はみんなを導くかたちで、わたしは受け入れるかたちだから、それもまた丁度いいなと思う。
最近は、友人が帰国してからしたい事をお互いにあげ続けている。これ何ヶ月かかるの、というくらい溜まってきたけれど、たぶんまだまだ、帰国するまでも、してからも、増えていく。善友でも悪友でも戦友でもある彼女とわたしは、やらないと死ねないことがまだいっぱいある。
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自由律俳句
寒空静かに鳴く給湯器
初詣の味は甘酒のざらざら
やけに綺麗な夜空しかない
性悪説信じる人の優しさは愛だ
記憶の中に家のかたちだけない
都会の星と同じ数の街灯
コロッケが人気だよと皮肉屋な肉屋
花壇整地されて立つ白いポール
午前三時私の吐息lo-fiな音楽
ビール片手に春風と踊る
あなたのため持ち歩くウェットティッシュ
桃色の頬膨らまし君がいちばん春である
教会通りはオザケンの真似して笑う道
寝たら忘れるくらいの思い出でいい
天邪鬼だから瀕死でも笑える
ペアグラス割れたけど事足りた
泣いてないよ雨粒が付いただけ
助手席は音楽係ね速くて爽やかなやつを
天使は死んでひとのこころ��得たの
未成熟なまま荷物だけが増えてゆく
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自由律俳句
高揚した頬もう眺める術もない
越冬きみの髪絡まったままのセーター
逆光で神様みたいな背中
枯れるまで隣り合う花でいたい
同じ轍を踏み軋む霜の音
抱きしめて空港行きのバスで
壊れかけなきみ壊すためのキス
今食べたら苺味の唇
歌いながら茹でこぼした菜花
歩き癖染みついて歪む靴下
寝息に変わる刹那を見分ける
同じ名字いらないからここに居て
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大人になるとみんな、痛くないふりと、じゅくじゅくする前に未然にストレスを発散するすべみたいなものを蓄えていくのかなと思う わたしはそれにはまだ不健全で、たりないものがおおすぎる
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2025/01/18
「温かいうちに食べてね」
よくよく眠ったあと、遅めの昼食を食べにねぎしへ行った。
麦ご飯が美味しくておかわりして、二杯も食べた。油の乗った味の濃い肉は食べていて楽しい、どれも脳天につき刺さるような味で、ご飯をかき込んでしまうので茶碗は直ぐ空になる。一日の始まりに完璧なごはん。満腹を幸せに思うのはありふれているかもしれないけど、精神の落ち着きの証拠なので、わたしはとても嬉しい。
幼少期から虚弱だった為、ご飯を食べるのが得意ではなかった。食べれども減らない給食は怖かった。気持ちを塞ぐとご飯が食べられなくて、一日にベーグル一個と牛乳みたいな日がよくあった。高校のお弁当は幼稚園児が食べるくらいの大きさで、それでも、甘い玉子焼きは楽しみだった。人との食事も苦手だったから、誰も来ない棟の廊下の隅で一人食べていたし、小腹が空いた時は、休み時間ごとにマスクの隙間からビスコを一枚ずつ食べた。
成長期の食欲不振が由来して、わたしの骨格はずっと小さいままになった。身長は平均ほどまで伸びたけれど、身体自体は大きくならない。直ぐにばてるし、胃は小さく、今もよく食べれなくなる。身体が強かったらもっと人生は易しかったかもしれないと、最近になって思う。食べれなくなったとき、さめざめ浮かび上がる肋骨に、一人暮らしのもの悲しさを感じる。
だからこそ、ご飯をお代わりして食べれる日のことを、わたしはとっても良い日と思う。そんなに食べれるほど元気で、美味しいと感じられる気持ちを心��持っていて、多分その瞬間、ニコニコしている。小さい頃なら、日記帳に金色のシールを貼るような日だ。
日が暮れて夜、親しいひとの営む飲み屋へ赴いた。その人の子供が店に居て、海苔巻きを頬張っていた。食べたかったからお願いしたの、と、顔より大きい海苔巻きを齧るその姿は眩しく、わたしも食べたいな、と思って、言い淀んだ。愛おしいひとのために作る、愛おしいごはん。その人の記憶と血肉に刻まれる食べ物。羨ましいけれど、もうそんな歳でもない。半径数メートルほどの範囲で護られる、かけがえのない子供へ贈る栄養を、過去わたしも毎日貰っていたのだと思い返せば、その光景はより愛おしいものになる。あの頃もっと食べていれば。大切だと思えていれば。食べたくて、戻りたくて、戻れなくて、もどかしい。
要約すると、誰かのご飯が食べたいけれど、なかなか難しいし、自分の為にご飯を食べに行ったり作ったりするしかないね、のおはなし。明日は何を食べて、なにをして、どんな風に生きるのだろう。生きていけるように、ご飯を食べれますように。
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2025/01/10
「海へ行く方法」
元気だったのも束の���、鬱入りしてしまえば、何もかもが心底どうでもよくなる。誰も気にしてくれなくていい。自分の姿かたち、思想、表情、歩んできた道のり、全てパーっと投げ出して、あしたは海にでも行きたいな。そんな気分だった。だけど近場には綺麗な海なんてもちろん存在せず、わたしの周りにあるのは「住み易い」という言葉がぴったりの街と、それを包むぬるめの寒さだけだった。静かすぎる海へ行き、自分の苦悩なんてちっぽけだ、と思うこともできないのだ。
地元にいたころ、悩みすぎてしまったらとにかく夜の海へ向かい、補導されるかな、なんてドキドキを胸に抱えながら船着場を眺めていた。本当になにもなくて、暗闇にぽつ、ぽつ、とイカ釣り船が光っていて、ものすごく綺麗だった。いつも、磯の匂いがわたしを出迎えてくれた。大きな美術館のすごい絵よりも、ディズニーランドのパレードよりも、わたしにとっては綺麗で大切な光景だ、と思った。
鎌倉は好きだけれど、鎌倉の海はかわいくて綺麗だから、わたしのこの気持ちにはきっと寄り添えない。富山や石川とかの日本海側も気になるが、そこまで足を運ぶ勇気と胆力は無い。わたしのうみ、どこに行けばあるんだろう。地元に帰ればあるけれど、数日前に帰省したばかりで、そんな頻繁には帰れないから、どうすれば、どうすれば。
とりあえず、今は空想をしよう。生活の中でいちばん苦手な、眠る前の暗い天井を眺めながら。
何処か一箇所しか繋ぐことのできない、インチキなどこでもドアを手に入れて、わたしは地元の海へと繋ぐ。そこは真っ暗で見渡す限りの漁港、人の気配は無い。月明かりと、入り組んだ三陸海岸の埠頭のひかりが端の方に見える。イカ釣り船、帆を立てる柱と柱のあいだを、集魚灯が繋いでイルミネーションみたいになる。その船を、ただ眺める。綺麗だなと思う。一隻、二隻、すれ違いながら、濃紺の海へ消えていく。だんだんと船のかたちが消えて、視界には光だけが残る。
そのころわたしの心音はやっと静かになって、岸壁で眠る休船中の船に自分の姿を重ねる。心から眠る準備ができたころ、どこでもドアを開けて、わたしはいつもの布団で眠る。瞼のなかでイカ釣り船の残影が、ぽつ、ぽつ、と浮かんではまた、消えてゆく。
こうしてわたしは海へ行こうと思う。きっと忘れてしまうから、日記としてここへ置いておく。
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カブトムシの匂い 駆け引きしてマンションに入っていくひとたちのドアが開く音 夕立明けの湿ったぬるい風 全部今日にある
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生きていることにかなしみとうれしさを毎日半分づつ感じる 水道は無料で出てこないしご飯は自分でみつけないといけない 狩りをして生きていたころの人類は本当にすごい ご飯を食べるために外に出ようと思っても、足の震えるような軟弱さ、もう許してしまいたいと思う 弱くなってしまうほど心を放置した応報だから それでも頑張らないとどうにもならないのが人生なので、幾つか仕事を探しても、怪しいものばかり面接に通るし、ほんのり途方に暮れる
田舎育ち/上京してからは大人に囲まれて生きてきたわたしの周囲は、しっかりとした人生計画の中にいる人か、なにかに熱中している人のほぼ2択で、適当な元クラスメイトなんて存在せず、同い年の友人は東京から誰もいなくなった 同世代らしい言葉で何の気なしに話せるのって尊い事だったんだと、遠くなってから気づいてしまう
みんなちゃんとしててすごいから、わたしにとってその眺望はわりと荷が重く 目を逸らしてしまいたくなる 尊敬しているから、余計に
それでも周囲の人たちと何かを共にしている時、たとえば電話とか、お酒とか、散歩とか、幸せで、わたしの中のとっても大切なパーツだった 関わりを介して自分の姿形が透けて見えるから、こころの形がわかるから、それが嬉しいのだ 外に出なくなったらおわりだ、と思って、週末は出かける ちゃんと化粧をする 食べたいものを食べる
お風呂場の空調だけ響くこの部屋にいると、あらためて置いてけぼりのひとりぼっちな気がしてこわくなったから、とりあえずいまの気持ちを整理した 明日はなにをするのかな、何かしたって言えるようになりたい、笑ったり出来るかしら 神様みたいな何かが手をのばして導いてくれたらいいのに、そんなことはありえないので わたしはわたしで道を開いていくしかない
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最近観た映画のこと
記憶は、積み重ねた本みたいに頭の端の方へ追いやられて、時々なだれみたいに崩れる。五感のどれかを皮切りに呼び起こされた過去は、モワモワと頭の中をいっぱいにして、涙が流れそうになって、ちょっとよしてくれ、と堰き止めたくなる事すらある。
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濱口竜介監督の「偶然と想像」を観た。
少し前に「悪は存在しない」を観ていたこともあり、再上映しているのを見つけてひとりで向かった。以前から勧められることが多く、期待値も高かったが、結果、震えるほどよかった。
オムニバス形式で描かれた三作を、覚えている範囲で記そうと思う。
1.「魔法(よりもっと不確か)」
車中での会話劇が本当に良く、いつまでも観ていたかった。恋の始まりだけに宿る夢見心地な感覚、人生の感情の中でも特別に良いものだと思う。語りながらの恍惚とした表情が素敵で、対して、聞いている側が体を揺らしながら適当に相槌を打つのとか、窓の外を眺めている感じとか、堪らなかった。「魔法」という言葉の甘美な危うさを最大限に扱えるのは、恋ならではで、良かった。
中盤、迫られている男性の格好悪さ、元彼女との会話の中、心の真ん中に触れられて腰砕けになるシーンが本当に良くて開眼した。こんな時にこんな声色になってしまう男の子、わかる、そんな態度をしてしまう女の子の意地悪さ、わかる。
三作の中で、自分の肌感覚に最も近い作品で、いろいろなことを思い出し、すごく変な顔をしながら見た。恥ずかしいような、居心地の悪いような、それでいて赦される感じは、映画体験としても類稀な感覚で、気がつくとポロポロ泣いていた。終盤の長回しと、顔を覆うシーンはキュートで、あの腑に落ちなさ、舌打ちしたくなる感じ、素晴らしかった。古川琴音演じる「芽衣子」が大好き。幸あれ、とおもう。
2.「扉は開けたままで」
主人公の既婚女性と同級生の年下男性、大学の教授、の三人からなる話。個人的に一番苦手だ、最悪だ、辞めてくれ‥と感じてしまう年下男性の演技(最悪で最高)に、初手で掴まれる。顔が可愛く、身体が綺麗で、上から目線で来られても断りきれないような、あの感じ。誰も居なかったらうわあ、と声を出していた。
中盤からが本当に良い。教授の作品を朗読する女性の、可愛らしく、ほんのりいやらしいのに間が抜けてて、利己的なのに、自ら搾取されに行く、みたいな、本当になんとも言えない光景。これも、ずっと聴いていたいと思った。女性として生きてたくさん傷ついてしまった人の、まろやかな輝き。哀愁と言ってしまえばそうだけれど、それで言い表したくない、描かれていない過去の事を想う。欲求を満たす事の奔放さを教授に肯定されたときの、溢れるような言葉と表情が素晴らしかった。
思うのだけれど、がんじがらめだ、と感じた時にそれを解いてくれる異性は、どこか他と違う角度で生きてくれた人だ、とわたしは思う。そうして解いてもらったことの、ひとつやふたつを胸の奥に思い出しながら鑑賞した。わたしにとってそれは、父親や、仕事で出会った大人の人や、好きになった人だった。そんな出会い、これからもありますように。
3.「もう一度」
舞台が地元の近くということもあり、グッと前のめりで観ることができた最後の物語。仙台駅。出会いの発端となる駅のエスカレーター、長くてゆっくりだよね、ペデストリアンデッキ、結構見渡し良いよね、欅並木の通りは良いよね、意外と徒歩で住宅街に着くんだよね、みたいなあるあるで、初っ端から胸いっぱいになった。
同窓会に参加するため東京から来た女性と、仙台に住む地元の女性の邂逅についての話だが、実際に観てほしい、と一等思った作品だった。語るのが勿体無い、というか、観たときの感動がもの凄いから。
ただただ、自分の中にもあるノスタルジーが呼び起こされて、うわわわ、と胸いっぱいになった。わたしにも起きてほしい、こんな事。人生のはなむけみたいなラストシーンは、もう号泣で、何回でも見返したい。素晴らしくヘンテコで、人間で、濁りのない愛情で、それはとてもとても良かった。
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生きていて今までの忘れていた記憶を、端から端まで引っ張り出してくれた、そんな作品だ。
映画って大好きなのに、時間が過ぎるほどに忘れてしまう。でも、この映画のことは思い出す気がする。これからの人生で、新たな出会いや経験があった時、わたしの身体に記憶として刻まれたこの映画の一粒ずつが、またもう一度、二度、胸騒ぎとなって、語りかけてくれると信じている。
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ものすごく悲しいことがあって、そのあと友達が迎え入れてくれたからなんとか心を保てて帰宅したのに、思い出してまたひそひそ泣いている 女なんて得するだろとどれだけ思われていたとしても、わたしは一生をかけて対抗したい、女を人と見てくれない奴はクソ、さいあく、たのしく暮らしているはずなのに、例えば道で、飲食店で、赤の他人なのに、見定めるみたいな目線を送ってくるひとの心地悪さ、もう苦しいくらい知っている、それは、わたしが知らないふりして我慢しているだけで、我慢しなくて良いのならもうとうに発狂している
対で関わってくれる異性の尊さ、それを信じたい気持ち、それをしてくれないと虚しくなる気持ちが、あって、だから信じられる人としか関らないし、それ以外信じたくないし、そうじゃない奴はみんないなくなって下さい、と思っている ただ、難しいのは話した所で本質は分かり合えない事 友人でも恋人でもそうでない異性でも
気持ち悪い経験は、ただ生きてるだけでも週何回の単位で起きる 外に出て買い物に行っただけでも起こる 嘘みたいだけど本当にそうだから それに対してわたしは暴言だって吐けるし、侮辱もできる それを出来るだけしないように過ごしている、そんなの悲しいから そんな人達のせいで自分の言葉を消耗するのは嫌だから
またひそひそ泣いてこれはわたしのせいでわたしは結局一人で生きていくただの人間で、じゃあ泣いてるのしょうがないっすね頑張ってくださいってなるならもう全部辞めます本当に。女なんて苦行だし悪夢 守られたいとか思わないけれど、こんな侮辱の世界で生きなきゃいけないのなら、どう考えても割に合わないし生きたくないし、泣いてる時間が本質です 知らない土地に一人で暮らして、不審者だらけで、頼れるひとも相談出来るひとも居なくて、ずっと舐められ続けたらそりゃ、何をするのも精一杯になる 泣いたらまた弱いと思われる 弱々しい女なんて思われないようにする努力は��難しいです 言動から身なりまで、こんなに努力したのにまだしなきゃいけないの? もうさよなら 過呼吸も涙も慣れたから 抱きしめないならほっといて
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