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引っ越しの段取りを決める
2022年2月に入り、いよいよ引っ越しの段取りをリアルに考え始めました。まずは、とりあえず、某引っ越しの業者さんに見積もりしてもらいました。
相談室のおもちゃや教材がそこそこの量あるため、10tのトラックで運ぶことになるそうで、しかも3月���は繁忙期であることもあり、千葉から岡山までの引っ越し料金は想定外の金額でありました。かつて上京した時の引っ越し料金より少し多いくらいだろうと思っ��いましたが、とんでもなかったです。移住を考える方は、引っ越し料金のことを軽く見てはいけませんね。業者さんに頼むとそれなりに料金がかかるのは有り得ることだと思っておりましたが、まさかここまでとは思っていませんでした。しかも、さらにピアノもあるのですが、そこの引っ越し業者さんではピアノを運んでくれないそうなので、別にピアノ運送屋さんにも頼まなくてはなりません。もう、びっくりする金額になるのです。
そんなわけで、これはもう、前々から選択肢として持っていた、レンタカーのトラックを借りて、自分で長距離運転して引っ越しする路線で考えてみなきゃなりません。知り合いの人が、そうやって引っ越したというのを聞いたことがあったのです。なんといっても、それはとてもDiYな引っ越しになるわけですから、何気に「わかばカルチャー」の趣旨にぴったりではないですか!
一番近所のレンタカーのホームページを見てみたら、2tトラックがあったので、その荷室の大きさをチェックし、自分の引っ越し荷物はその何杯分だろうか?…と思考実験(?)しました。その結果、引っ越し業者さんの10tトラックなんてあり得ない話に思えてくるのでした。あれは、かなり盛っていますよ。せいぜい2tトラック2杯分くらいのものではないかと。どう考えてもそんなもんだろうと、自分で見積もりました。要するに、トラックで千葉と岡山を2往復しないといけないということです。
相談室を2月末まで営業することは決まっていました。それで、最終的な退去を3月末と設定するとして、2月中に相談室以外の荷物をまとめて、引っ越し第一便を決行しておけば、3月末までに引っ越しを全て完了できそうだと安心感が広がるし、一つ目の締め切りを2月中に作って、荷造りを本気にさせるように自分を追い込むこともできる…と考えました。
それというのも、退去日を決めたとして、それまでに引っ越しが完了するかどうかがなにより心配であったのです。さて、うまくできるのでしょうか。
とりあえず、なにがなんでも始めなければなりません。もうすでに引っ越し先の家を借りていることを生かして、2月と3月と2回に分けて引っ越し荷物を運ぶ段取りでいくことにし、レンタカーの2tトラック48時間を2回分、予約したのでした。
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2022年ブン太くんカレンダーを作成しました。
確定申告の時期は忙しくなることを見越し、最終的に相談室を退去するのは3月末と決めていたのでした。そんなわけで、2022年の1月半ばになりまして、ようやく相談室以外の引っ越し作業に取り掛かり始めました。相談室は2月末いっぱいで閉室、3月に入ってから引っ越し作業を始める段取りでありました。
そんな最中、1月25日、あのブン太くんカレンダーを今年も作らねば…と奮起しました。今回はどこかで配布する予定もないので、カレンダーを使うのは私とブン太くんのご家族だけになります。そこで、デザイン云々より使い易いように…と、日付の下にスケジュールを書き込める仕様を採用してみました。絵と文は前年と同じで、そこのところは手を抜いております...。
いずれは、ブン太くんが大人になるのを待ち、どこかのマルシェで販売するのが夢なのであります。


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2021年末、新居に入居しました。
2021年12月29日、不動産屋さんが新居の鍵を渡してくれるそうで、いよいよ入居となりました。2月末までは、まだ千葉での相談室の営業を続け、4月から本格的に新居へ入居の予定でしたが、賃貸契約をしたらもう家賃発生まで長くは待ってもらえませんので、年末年始の休日を利用して入居に漕ぎつけました。
後の新生わかばルームになる新居はこちら。

入居となれば、もう新居に寝泊まりできますので、ごくごく一部の引っ越し荷物をマイカーに積んでの旅となりました。ささやかではございますが、実質上の引っ越し第一便です。一番大きな荷物は、大工道具を入れた桐ダンスでありました!この桐ダンスは、9月までアトリエに置いていたもので、埼玉から千葉を経由して岡山にやって来たことになります。倉庫に格納です。

後にメインの相談室となる部屋はこちらです。

年末でしたが、阿智神社にご挨拶のお参りをしました。おみくじは大吉で、��い兆しでございました!あまりにそのままのことが書いてありました。

途中に宿泊を挟まず、ぶっ通しで千葉から岡山までの距離を走るのはこれが人生初めてでした。28日の夜に出発、29日のお昼には岡山駅前で不動産屋さんと待ち合わせになっていましたので、時間に追われての走行でした。
安全運転で、眠くなったらすぐ仮眠…と心がけて進みましたが、行きは以外にもあまり眠くならず、到着目前の姫路あたりで渋滞に遭い、そこで初めて眠気を感じたくらいでした。一転して、2022年1月2日の帰り道は眠くて、仮眠の連続でありました。終盤、天気が良くて、富士山をきれいに拝めました。これは良い一年のスタートとなった気がいたしました。

というわけで、無事に往復いたしまして、意外とできるもんだなあ…と味を占め、この時点では予期せぬことでしたが、この後、長距離運転人生が待っているのでありました…。それは追々書いてまいります。
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某先生と不思議なお別れ
2021年12月11日のことです。言語聴覚士の小児分野のご著書多数のパイオニアの先生が、突然、午後3時ころ電話をかけてこられて、「今、わかばルームのマンションの1階まで来ている」「このまま、場所だけ確認して帰ってもいいけど、もし仕事中でなかったら寄って行ってもいいかしら?」と、おっしゃるんですよ。いいタイミングでちょっとの空き時間中だったので、どうぞ…となりました。大先生は部屋の入り口に入ったところから歩を進めようとせずに部屋を見渡し、奥山に会えるのはもうこれが最後じゃないかと思って…とおっしゃいました。そして、業界の現状や今後のご抱負を語られ「まだ頑張るわ」と決意表明されるのでした。さらに畳みかけるかのように、なぜか不思議なお菓子を置いていかれました。たまたま偶然、帰り際に行き違いでやって来た遠藤ブン太君と握手しておられました。
なんだか不思議に満ちていて、今でも思い出せる出来事です。最後に、あの相談室の部屋もうれしかったのではないだろうかと思うのです。

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2021年11月、移転先、決定まで。
��局、内見させていただいた空き家物件の中から新居は見つかりませんでした。しかし、この時期を逃すと再び緊急事態宣言になるかもしれず、次に新居探しに来られるのはいつになるのか分からない気がするのでした。そして、脳出血の後遺症の残る母の世話ができないままになってしまうことが心配でありました。後になってみると、そんなに大変な状況にはならなくて、焦る必要など全然なかったわけですが、その時点の私には先が読めておらず、今、どうにかせねばという思いを強くしていくのでありました。
かねてからの空き家問題に注目していた空き家志向が、実際にたくさん内見をするうちにだんだん変化し、ましてや焦りがあったからでもあるのですが、不動産屋さんの物件でもなんとかなるのではないか?と考えが変わってきました。なにせ、そもそも「わかばカルチャー」などと標榜しておりますくらいで、「ピアノと音楽制作OKで相談室もOKで木工もOK」という盛りだくさんな条件で新居を探しておりましたが、それはちょっと条件を下げてみることにしました。すると、ふと、作陽音大の近くなら楽器可の物件が珍しくないことに気付いたのです。最低限、楽器可で事務所可のアパート物件を見つければ、音楽制作ができて当面はオンラインの相談業務はできるではないかと希望が湧いてきたのです。そちらに新居を構えて、リアルの相談業務は実家で徐々に始めて、木工も実家で道具の仕立てくらいを続けるつもりで、そうしながら改めて腰を据えてすべての元々の条件を叶えられる空き家物件が出てくるのを待つ…という作戦に切り替えることにしました。
そんなわけで、そのままいくつも不動産屋さんに電話で問い合わせするうちに、滞在していたお試し住宅の利用期間が終了し、2021年11月4日にいったん千葉の自宅に戻ることになりました。それでも、また緊急事態宣言になる前に…と、不動産屋さんへの問い合わせを焦りながら続けていくと、ショックなことに、楽器可の音大生向け物件で事務所も可のものは皆無らしいことが分かってきました。でもそうやってwebで不動産屋さんの物件を探すうちに、戸建てで当初思っていた広さはないけれど、楽器可で事務所可の物件を2つ発見したのでした。これならリアルの相談業務もできそうです。それはつまり、千葉でそれまでやってきた形態とあまり変わらないということです。
これは、今逃すともう無いぞ…と思い、11月11日に日帰りで岡山まで行って内見を強行、2つ物件を見て、午後の倉敷の物件を即決するに至ったのでありました。千葉の相談室よりも部屋は一回り小さい感じでしたが、臨床ができない広さではなく、ガレージで木工の作業も出来そうで、元々の条件が一応はすべて叶う形にはなったのです。狭いけれど駐車場付き、駅からもなんとか歩けるくらいの距離ですので、千葉での相談室の延長線上をやっていくにはもうこれ以上は無いだろうと感じたのでありました。外観はできるだけきれいにしていてもどことなく古いわけですが、内装は新しくなっており、いくらか直さなくてはいけない部分もありましたが、それについて不動産屋さんに聞くと、ある程度はセルフリノベも可とのことでしたので、これもまた希望通りのDiYな経験をこの戸建てで若干ですが積めそうなのでありました。
そんなわけで、この家が、現在のわかばルームとなったのでありました。
写真は、岡山駅、新幹線です。


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2021年の10月末から11月初めにかけて、一週間くらい、空き家探しの旅に出ました。
「空き家再生だー!」って人たちに、 「子育て相談室ができて、音楽やってよくて、木工できるような空き家、広島や岡山あたりにありますかね?」 と聞くと、 「ありますよぉ」「いくらでもあるでしょ」「あるに決まってんでしょ」 って、上から目線で言われるんですけど、、、
はっきり言って、「ないっっ!!!!」です。
いやいや、なんでも良ければありますよ。でも、その空き家に住んだあとのことを考えると、なんでも良いというわけにはいきませんよね。ちょっと自分で店や事務所を構えたことがある人なら、慎重に考えると思うのです。ビジネスじゃなくてただ住むにしても、下手すると負の遺産を背負ってしまうかもしれないのです。ああいう気安く、「どこにでもいくらでも空き家がある」とか言うのは、よろしくないと痛感しましたよ。
「どんな空き家でも直せばいい」っていうのも、そうじゃなくて、駐車場が無いとか、前の道路が狭いとか、庭が無いとか、駅やバス停が遠いとか、建物以外の要素でこれは借りられないってなることがあるんですよ。それがよく分かりました。不動産屋さんなどに問い合わせると、不動産屋さんでもどうにかしようと頑張っているんだけど、近隣に駐車場がなく、まわりの農家に駐車場用地の交渉しても承諾もらえなくて、借り手が付かない…という空き家物件もあるようでした。むしろ、地域ぐるみでいつの間にか物件を借りにくくしているってことなのでしょうか。
私の書くこれは、不動産や建築あたりのプロの方々の目にも触れるかもしれませんから、素人の感想を綴るのは畏れ多いのですが、書いてみたい気がするので書いてみますと、今回やってみて、なにより空き家の貸し手と借り手の意識の差がでかいんだな…って思いました。やはり借り手がお客さんになるのでしょうけれど、そもそもそのことを借り手自身も忘れているような(笑)。それで、市���に空き家を供給しようっていうことなら、それなりに顧客のニーズにそわなきゃ売れるわけがないのに、借り手の視線からすると、貸し手がなんか読み間違えている気がしないでもなかったです。というか、運良ければ誰か借りるんじゃない?って感じなんでしょうか。
いろんな人がいるとは思うのですが、空き家を探そうとするのでしたら、ほどほど内装や外装を自分でいじって…くらいが最も借り手としては都合の良いところなのでしょうけれど、見させてもらう物件すべてが、こりゃどんだけ補修しなきゃならんのだ?…というのか、ほぼ補修箇所がなさそうだけと、大家さんの意向としては、いじらないでそのまま住めって感じ(なのに家財を置きっぱなしにする一部屋は使うなとか)…っていうのかに、大きく二分されて、その間がありません!!
それで、しょうがないから、地元の不動産屋の物件を当たり始めるとですね、空き家バンクの物件と家賃の相場が変わらないのに、補修済みできれいな見栄えしていて、こりゃこれでいいじゃないかということに気付いてしまい、空き家バンクなんてもう知らない…と、なってしまいます…。
空き家バンクの安い物件でも、補修の資材を買うのに月々いくらかかるのかしら?…それでもし、この地で生活成り立たなかったらどうなるのだろう?…と考え始めると、それはもうハードル高すぎるのです。あの提示してある賃貸料は大幅に値切ること前提なのかもしれませんが、それにしてもよほどロケーションとかしっくりこなければ交渉する気も起きないですよね。
あれは一般的に、多分、トイレは水洗になっていて、雨漏りなくて、給湯器がついていて、あとはご自由に改装どうぞってやれば、借り手はばんばん着くと思うんですけどね、それは借り手の都合ですけど。
貸す側も、どこのやつか分からんのがセルフリノベだとか言って、うちの実家をどんなにされるか分からん…と恐ろしいと思うのですよ。借り手も「素人なりにこの程度キレイには作れます」って実積を見せなきゃ、人のモノをいじるのは畏れ多いと思うのですよ。あ、買い取れば関係無いわけですけれど、この地でやっていけるのか分からないのに、タダで手に入ったとしても空き家を抱えるのはリスキーじゃないですか。
とある物件の例ですけれど、それは外観からしてとても良さそうだったのですけれど、前の借り主が家の中で犬を飼う…などということをやっていたそうで、なんか、大黒柱に犬をつないでいた形跡があって、その周りの畳が掘られていて、なんか一面が濡れているんですよ。大黒柱も。なんで濡れているかは想像つくと思います。この家の家主さんはとても几帳面に家事をされる方で、家の管理も几帳面だったと近隣の方々が証言しておられ���ほどでしたが、その家を貸した相手がいけなかった…。というか、こういう家の価値を分からない人の方が世の中多いのでしょう。古い家だからどうなってもいいでしょってなるのですかね。ものの価値が分からない…というか、感じないって罪だなあと思いますが、でもそういう感じなさは自分のことですから自分にも返ってきますね。
なんか、これは貸し手と借り手の意識のギャップを埋めて、お互いの要求を擦り合わせる役目の人がいればいいんだなあと、そこを一番思ったわけですが、当然、そういう営みをやっている地域もあるのかもしれません。そうそう、不動産屋さんがいてくれると、貸主と直接交渉するより安心感あるなって、今回つくづく感じました。でも、あれ賃料二万円以上にどうしてもなるのですけれど、空き家と言えばO円があるものなんだと考えてしまうようになっているから、なんとなく空き家バンクを頼りにしてしまうのです。でも実際、空き家バンクを見ても二万円以下の物件って表向きにはあまり出ていませんから、もう手っ取り早く生活や仕事を始めたかったら、不動産屋さんのリノベ済みの物件借りますよ…という発想になってしまいます。補修のことを考えると、むしろそっちの方が安いじゃないですか。
とまあ、やってみて分かったところはそんなもんでして、僕自身がどうするかですけど、とりあえず、一週間くらいの現地入りで、転居先を空き家バンクで見つけるのは不可能だということが分かりました。
全部で8軒の空き家を見させていただく段取りをして臨んだのですが(役所絡みだから山のように書類書いて、メール送信したんですよ)、実際に見たのは6軒でした。なんでも「ゆるい」ことが売りの地域だそうで…。こっちは旅費と時間かけて来ているんすけどねー、怒らない怒らない。
んで、一ヶ所、どうかなぁという物件はありましたが、それセルフリノベしていたら、いつになったらお客さん呼べるんだ?…どころか、いつになったらまともに住めるんだ?ってなることに気付き、私はそこで慎重になるのでした。
こんなの、補修の費用や期間を考えたら、なにが「0円で空き家を手に入れて」じゃ!と、空き家再生なんて話はハリボテじゃ、あれでメリットが生じる条件って限られているんだわ…となって、それじゃあ…と不動産屋さんの物件をインターネットで探し始めるのでありました。やはり母のことがあるので、完璧な条件ではなくとも、どうにかしてこちらに移住しないといけない、今回を逃したらいつになるか分からない…というあせりがありました。

写真は、泊まっていたお試し住宅の窓です。
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現実に移住を考え始めた経緯
「わかばカルチャー」の過去コンテンツで言えば、フローリングの捨て張りの板を寸法通りに切り終わったほんの数日後に、広島の実家の母が脳出血となり、救急車で病院に運ばれたのです。2019年9月のことです。その日、相談業務ですっきり解決できたことがあり、「今日は、良い仕事ができた」と心地よい気分に浸り始めていた…その夜、不意に病院から電話がかかってきました。翌日、福山の病院まで来てくれ…と。その頃の私は、アトリエが見つかり、フローリングといい、仕事といい、いろんな種を蒔いたことがこのまま充実して実ってくる気配を感じる時期でありました。人生、いきなり何が起こるか、分かりません。
私は次男なのですが、家族で他に動ける人がおらず、それからしばらく、ほぼ隔週で千葉の自宅と広島の実家を往復する生活を送ることとなりました。併せて、さいたまのアトリエも時々換気をせねばとやってきておりましたから、三拠点生活となっていました。でも、ひょっとしたらこのまま、せっかく見つけたさいたまのアトリエを手放さなければならない事態に陥るかもしれず、フローリングの作業をストップし、エアコン設置もためらうのでありました。しかし、2020年1月に母は退院となりました。とりあえずアトリエは存続となったのです。
しかし、母には、なんとか日常生活を送れる程度ではありましたが、後遺症が残り、いろいろ不便なことや転倒することもあるようでしたから、私は母の退院後も頻度を減らしつつ千葉と広島を行ったり来たりの生活を続けて、しばらく様子を見よう…ぐらいに思っていました。ところが、ちょうどそのタイミングでコロナ禍が始まりました。県境を越えてはいけない…ということになってしまい、母の様子を見���行けなくなりました。それが予想だにせず長い間続き、当時にしてみれば、これがいつまで続くのかもよく分からず、これではあまりに母を放っておき過ぎになってしまい、まずいだろう…ということで、実家に自分は引っ越さねばならないだろうか…と、悩み始めるのでした。一方で、実家に戻ることになるのだったら、残された短い期間だけでも、今のうちにできることはやっておこう…と考え、2020年の夏にはアトリエにエアコンを設置、熱中症にならない環境にしておいて、フローリングの作業を再開しました。エアコン使用もフローリングした部屋での木工作業もあと1年間くらいのことになるかもしれないけれど、そうなったらそうなったで仕方ないだろう…という気分でした。
次第に、悩み事は現実味を帯び、「子育て相談」で母子の関係をどうの…と言っておきながら、自分の親のことは放っておくなんてことになるなら、それはセラピストとしての自分を保っておけなくなることを予感するのでありました。そもそもが、「わかばカルチャー」でも移住や空き家やリノベーションのことなどをチラチラと書いてきましたが、いずれ首都圏を離れて移住することもずっと前から考えてはいたわけです。ただ、私が一番移住したかったのは金沢でしたし、相談の仕事で請け負っております皆さんのことを投げ出すなんてしたくありませんでしたから、移住なんてまだまだずっと先のことだと思っていました。ちょうど2019年の春になって、さいたまにアトリエを借りることができたばかりでしたし。そんなステージができたことで、いよいよ自分が木工を習いに行ったことが、ものづくりのリアリティを親子で味わおうという「わかばラボ」の構想に繋がっていきそうな段階でありましたから、実家に戻ることはまったくの予定になかった想定外の事態でありました。
しかし、緊急事態宣言が長引くにつれ、これはますます、自分は実家に帰らねばならないだろうという義務を強く感じるようになってきました。2020年9月にGoToトラベルで実家の墓掃除には帰れる…となった時は、福山のホテル宿泊でしたが、県外から来た人が実家に入ると訪問リハビリの人やヘルパーさんがしばらく来られなくなるという規定があるそうで、実家には帰ってくれるなとなってしまいました。もうこれは、引っ越すしかないように思えました。ただ、自分の相談室ができるスペースが必要ということと、やはり自分が感染症にかかったときのことを考えて、実家とは別邸を構えた方が良いだろうと判断しました。そうなってくると、いよいよかねてから抱いている空き家をリノベーションして住むという構想を実現することも考えるのでありました。2021年秋に移住という見通しで、その5月には岡山県の複数の自治体の移住促進の方とリモートで相談を始めました。空き家バンクを中心に、空き家探しをせねば…となるのですが、緊急事態宣言が解除となりそうでならないままが続き、ついに現地での内見が叶わず、秋の移住は断念となりました。しかし、いよいよその秋になり緊急事態宣言が解除となり、でもまたすぐ再び緊急事態宣言になるかもしれない恐れも十分あったので、そのようやくできたチャンスの合間を逃さず住居探しをせねば…と、10月末から11月初めにかけて岡山県西部から福山市までの空き家を見て回る旅に出ることにしました。

写真は、2020年10月、柿が落ちているアトリエの庭です。
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アトリエ「わかばラボ」、退去
2021年9月22日、砥ぎ場、最後の終了状態。ここは本当に良い場所でした。

9月28日、いよいよ退去の作業をするためにやって来た夜、近所の風景。もう見慣れた風景がなぜかきれいに見えました。

9月29日、最後の銭湯。冨美の湯さん、お世話になりました。

最後の晩餐。

さて、9月30日、最後の日。荷物を空に。

最後の荷物。


とてもさみしく、「さよなら」となりました…が、それは実は「一旦さよなら」になるのです…!
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桐の箱、完成
もう4~5年前に始めて、ここまでひっぱった桐の箱を完成させてからでないと、さいたまのアトリエを退去するわけにはいかない気分でありました。
…と、その前に、仕立て鉋にしようと温存していた新品の鉋を使えるようにするところから始めようかと。
2021年8月26日に、刃を砥ぎ終えました。

9月16日に下端調整。

そんなわけで、試しに端材を削ってみましたら、木の表面のツルツル度合いが向こうに庭木の緑が映るくらいになりまして!

いやー、これはちょっとうれしかったです。
でも、やはり、アトリエに来る途中の金物屋さんでちょいと見つけた鉋では、桐の箱の表面を仕上げで削ってみてもイマイチで、悩んだ末、外面だけにはペーパーをかけることにしたのでした、、もっと高価な仕上げ鉋が欲しいものです、、、 そんなわけで、本組です。

こちらは、フタの取っ手をひっつけております。取っ手はケヤキの耳付きです。

そして、9月22日にアトリエにやってきまして、ハタガネを外しましたよ。それでは、完成品をご覧ください!!








そして、9月23日。朝、起きたら、作業台の上に置いておいた桐の箱が朝日で光っていました。思わぬ美しさに感激です。

うれしくもうまくできたところと、今後の反省点も残しましたが、なんといっても、作業を通じてとても思い出深い時間を過ごすことができました。4~5年間に渡って夢に見た完成品を眼前にし、思い入れを最高潮に感じるものですが、悩ましくも、木を削っているときにこそ、自分は生きていたのだなあと、その時の感触が全て夢になってしまった、そんな虚しさも感じるのでした。これが、このアトリエ最後の作品となってしまう寂しさもあるのでした。
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そろそろアトリエ退去
その後のことをきちんと記録整理しておかねばなりません。 2021年、首都圏在住中最後のソロピアノライヴの翌週の9月15日、私はアトリエにいました。昼過ぎに到着して、お弁当タイムの記念撮影です。 ここでの時間は、いつも、本当に良い時間でした。

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みんなが知っている曲で、正面から弾くとこんな感じに弾きたいという一応の到達点ですね。最後のソロピアノライブの前日の一人ゲネプロ録音です。
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Locria 2021年1月14日
ライブでの演奏。オリジナルということにはなりますが、ほぼ即興です。フリーリズムのモードチューンというところでしょうか。訳の分からない曲ばかりで、恐れ入ります。
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Greensleeves 2020年11月10日
翌日の第一回ソロピアノのライブ前夜の自宅での一人ゲネプロの演奏です。みんなが知っているトラディショナルな曲をどう弾くかをさんざん悩んだ結末であります。
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2021年のソロピアノ残り
その後、ものすごく取り込んでおりまして、記録を残しておりませんでした。
遡りまして、まずは、ソロピアノのライブをした記念です。
2021年5月12日。

2021年7月21日。

そして最後、2021年9月9日。

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ブン太くんのほのぼの絵日記カレンダー原画展 開催
私の相談室「わかばルーム」に、いつの間にか「わかば組」というものが発生していることに気付きました。そこで…
「 ブン太くんのほのぼの絵日記カレンダー 原画展」
「わかば組」所属の遠藤ブン太くんと制作したカレンダーの原画と文を知る人ぞ知る老舗ライブハウス店内に展示させていただくこととなりました。
場所:ライブハウス「高円寺グッドマン」http://koenjigoodman.web.fc2.com/
開催日時:2021年5月中は高円寺グッドマンのどのライブに来られても、もれなく作品をご覧いただけますが、ライブはないけれど無料開放デーというものがございまして、以下のスケジュールで、その名の通り、無料で開放しております。
5/5(水)午後0時(正午)から午後3時(ブン太くん在廊)
5/20(木)午後2時から午後6時
先着10名様に、2021年の「ブン太くんのほのぼの絵日記カレンダー」をプレゼントいたします!!
よろしくお願いいたします。
プレゼントのブン太くん作カレンダー。わかば組ハンドメイドです。

グッドマンの5月のライブスケジュールのパンフレットの表紙を遠藤ブン太くんが描かせていただきました。お店で配布されております。


���内展示の様子です。

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