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”side entrance” / 通用口
Why did I forget about this coolest social networking site? I'm home.
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Recently,I’ve created music. Creating music with loops is much like the process of making GIF animations. However, it can be dragged into a world that is even more abstract than the visuals.
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As a part of collaboration with ROM, I will be running a Q&A week with a giveaway when I use the Ask me Anything widget in Stories on Instagram, starting today!
Participants will have a chance to win a signed copy of my art book Decade.

Please read the rules of the giveaway here.
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“独裁”すらもできぬまま
私も一応、メディアの世界で衣食している人間なので、他メディアの人などに会えば「小川さん、最近何か面白いネタはありませんかね?」などと聞かれる。雑誌の編集者ともなれば、そうやってほうぼうに聞いて回るのが仕事みたいなところはあるので、自分などにもそういった声があいさつ代わりにかけられるのも当然のことだ。 それで先般発行した季刊『宗教問題』誌2024年冬季号に、私は曹洞宗、真宗大谷派、そして浄土宗という、3つの伝統仏教教団に関する騒動の記事を載せた。いずれも結構、珍妙なスキャンダルである。 曹洞宗に関しては、東京都港区の一等地にある教団本部ビルに移転計画が持ち上がっていたところ、そこにかなり不明瞭な形で外部の金融機関たる大和証券が食い込んできて、恐らく曹洞宗を手玉にとっての土地ころがしでも考えていたのではないかという疑惑が持ち上がったのである。幸い、この曹洞宗と大和証券の契約は一度リセットされはしたのだが、一体だれがどういう形でこういう座組を考え出したのだという謎は残っていて、ある種の責任問題に発展して宗門は今でも紛糾中だ。一応、『宗教問題』誌的にはある程度のシナリオは読み解いていて、「株などの投資が大好き」という世評がある曹洞宗の宗務総長(事務方トップ)に「宗教法人への食い込み方がすごい」という評判のある、業界ではかなり有名な大和証券のやり手営業マンが近づき、ようするに曹洞宗側をハメて落とそうとした話だったのではないかと、私のほうなどでは考えている。 浄土宗では先の宗議会(宗門の予算や方針を決める会議)で、教団としての規則改訂を審議したところ、本規程が否決されたのに補助規程だけ可決するといった、別に宗教どうこう関係なく、およそ「議会」というものではありえない椿事が発生。あきらかに事務方のミスであるとともに、そもそも議員が、自分たちが何の議案を審議しているのか、まともに考えていないのではないかという状況が露呈した。宗教法人の規則は(浄土宗のような教団組織の場合)文部科学大臣の認証をうけねばならないもので、この3月の年度内に何とか状況を改善しないと、筋の通らない規則を抱えた宗教法人が放置される状況になり、ようするに国のほうから問題視される恐れもある案件なのだが、取材してみても何か浄土宗には危機感がない。 真宗大谷派の話はかなり滑稽で、その業務上の関係から大谷派の教団組織とやりとりのあったらしい、「大谷」という名字を���った損保ジャパンの社員が、いつしか大谷派の教義的象徴である「門首」職を世襲で務める、開祖・親鸞の子孫「大谷家」の一族であると吹聴して回るようになり(当然ながら名字が「大谷」というだけで、何の関係もないのだが)、いろいろな場所で「本願寺当主」などと名乗って講演活動をしたり、美術展の審査員などをして回っていたという事実が発覚した話を記事にしている。これについては大谷派はもらい事故同然ではあるのだが、この「謎の大谷氏」の言動は相当ずさんで、ちょっと調べればすぐ騙りの詐欺師と気付くようなものだった。これを受け入れて金など払うほうも何かがおかしく、大谷派は毅然と対応して抗議の一つもするべきと思うのだが、何を怖がっているのか、一切抗議などはしないという。 さて、それがここ数カ月くらいに、私などが見聞きした「宗教界の面白い話」だったのだが、正直言ってどれもこれも、「悪の野望によって動かされた大事件」というよりも、「情けなくてしょぼい話」なのである。野心あるお坊さんが、剛腕で巨悪をなそうとしたというより、単にどれもこれも、宗教界側の不手際、見識のなさ、決断心に欠ける態度などにより引き起こされた、本当に「どうしようもない話」なのである。一般メディアの方々も、これではちょっと扱いに困るようなところがあるらしく、話しても苦笑しながらどこかへ消えて行かれた。 思えば私も宗教界の周辺居住者となってから20年近い月日が流れたわけであるが、昔の宗教界には、――それこそ池田大作などを筆頭にして――よくも悪くも「デカい人」がいた。彼らはまったくの野心ある悪人で、壮大な悪の構図を描いて、本当にいろいろ悪どいことをしていた。私などは、本当にいいのか悪いのか、そんな宗教者たちの最後の光跡を見ることができた世代だった。しかし、最近の宗教界で起こる事件というのは、本当にそんなものではなくなった。その多くは、そんな地位に就く力量もないような人が、何かの間違いで重い肩書だけを付けてしまい、地位にあった能力を発揮することもできずに、おかしな失敗をしてしまうような話ばかりだ。これは実は伝統宗教、新宗教の別を問わない。昔の宗教界には「悪の独裁者」みたいな人が本当にいたりしたのだが、いまでは「独裁」をやる器量のある人すら失われてしまった。 それは別に、「悪人」に限った話でもない。ここ数日も人と話していたのだが、本当に宗教界には人がいなくなった。昔であれば、高田好胤や今東光、寺内大吉などといった、「普通の人でも知っているお坊さん」がいたものなのだが、いまそういう人は本当にいなくなった。もっとも、今は政界でも経済界でも「大人物がいなくなった」と言われる時代なので、別にそれは宗教界に限った話ではないのかもしれないのだが。 しかし、能力のない人が失敗して、自分で転ぶだけならば自業自得なのだが、ここ最近になってそれこそ大和証券だの損保ジャパンだの、そういう「おかしな体たらくになった宗教界」に目を付けたハイエナたちが、怪しげな底意をもって宗教界を食い物にしようとしている事例が出てきているのではないか、などと、ここ最近の「宗教界の面白い話」を見て、私は感じてもしまったのである。 宗教心、教義といったものは、野に一人でも真剣にそれを奉じて生きている人がいれば、永遠不滅である。しかし、「寺」「教団」などといったものは、本当に内側がダメになるとあっさり立ち行かなくなるものなのかもなあと、ここ最近の「宗教界で起こる事件」の性質を見ながら、私はひそかに思う。まあ、そうしたものが本当に、守るに値するものなのかどうかも、わからなくなっている時勢なのですが。
2025年2月18日
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李洙任著『大学が壊す若者の未来 学生の権利のため大学と戦った龍谷大教授の仰天裁判闘争記』刊行のご案内

このほど宗教問題社より、龍谷大学名誉教授・李洙任氏の著書『大学が壊す若者の未来 学生の権利のため大学と戦った龍谷大教授の仰天裁判闘争記』を刊行しました。 龍谷大学と言えば、言わずと知れた浄土真宗本願寺派の宗門校ですが、この大学で2016年ごろから、学生がゼミ(少人数制演習授業)の受講を希望しながら、学校側の対応不備などで受講できないまま卒業を強いられるという問題が多発。これは関西圏のメディアでは「龍谷大学“未ゼミ生”問題」として、割合と報道もされていた事案でした。 当時、龍谷大教授だった李洙任氏は、この同大の状況は学生の学ぶ権利を侵害するものだとして、現職教員の立場で大学側と裁判闘争に入ります。本書はその李氏自身が著した裁判闘争の記録なのですが、その過程で差別、パワハラ、無責任体質などなどの、龍谷大学のおかしな状況が次々に明らかになり、まさに李氏の戦いの記録は「仰天裁判闘争記」としか言いようのない流れとなっていきます。李氏の訴えは最終的に裁判所からは認められなかったのですが、龍谷大とはどういう体質の大学であるのかを示す、得難い戦いの記録となっていることは間違いありません。 また李氏が本書のなかで同時に指摘するのが、浄土真宗本願寺派の高僧たちが大学理事会に当て職的に居座り、ほぼ大学運営に何の関与もしていないこと、すなわちそれが、龍谷大という大学の“無責任体質”を生んでいるのではないかということで、その李氏の矛先は、李氏が龍谷大と裁判をしていた際の大学理事長だった、石上智康・本願寺派総長の態度にも向きます。言うまでもなく石上氏とは、現在の本願寺派を揺るがしている「新しい領解文」問題の最大の責任者の一人とみられている人物ですが、李氏がその領解文問題にも言及しながら、本願寺派・龍谷大の無責任体制を問うているところは、本書の読みどころの一つです。 ともあれ、少子高齢化の進行するなか、日本の学校経営が難しくなっているのは周知のこと。本書はその中でも特に、宗門校というものの今後の在り方に関し、「未ゼミ生問題」を入口としながらも、それだけにとどまらない提言をする一冊です。ご関心のある皆様方のご購読をお願いします。
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Reflection on Winter
Here, I will share some of my works along with my trivial writings.
As this is a format where long texts are interspersed with "Unrelated" works, I hope it can be appreciated as such.
Please forgive the incomplete translation.
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Since I was a child, I have been dominated by an insatiable desire for someone to listen to me and understand me.
Because of this, controlling my emotions has always been difficult, and creating serene Animations became the only way to suppress those feelings.
Through painting, I found work and gained a sense of self-worth, and I finally reached a point where I could remain calm enough to read books. (Come to think of it, it was Tumblr over a decade ago that appreciated my pixel art and built a bridge to my present!!)
However, at some point, I forgot who it was I wanted to understand me and why it mattered in the first place.
As I poured my thoughts into words and delved deeper into reflection, I realized that philosophy and reading could help me in this pursuit of being understood.
However, by the time I reached that realization, I had also acquired an unsettling awareness that language dulls the visual senses.
In fact, it imparted a slight sense of symbolism to my artwork, while dulling its intuitive qualities.
This conflict likely explains why my art oscillates between symbolic representation and intuitive visual expression.
It has grown more pronounced this year. It also explains why I’ve found myself engaging in this sort of self-reflection more often than ever before.
My works exist in a complementary relationship with my self-reflection.
However, this is by no means a teleological approach—it is rooted in intrinsic impulses.
I simply, purely, and genuinely enjoy things like Gas stations on winter nights, side entrances of public facilities, rural port towns, or the colors of 100-yen lighters. That’s all there is to it, and that’s why I paint.
Please don’t worry. Unlike in the past, I would never even consider taking my own life.
I’m too curious about what I’ll paint next. I love my art.
For that reason, I ask for your understanding regarding my extremely poor productivity and my reliance on your support.
Dear friends, thank you for your continued support, and I look forward to the next year together.
P.S.
If you'd like to support my work and activities, please consider becoming my $1 patron.v
Thanks.
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