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200213_他者の創作をなぞる
(展評:Aokid、加藤立、小林エリカ「遠い時間、近い時間」@AL)
「時間を想像する」というテーマの第12回恵比寿映像祭に関連してALで開催された本展は、各々の作家(作品)において時間の流れを想起させるとともに、各々の時間軸が時折交差するような3人展である。小林エリカ、加藤立、Aokidという異なるジャンルで表現活動を行なう三者の視点がゆるやかに重なりあうような展示空間であった。
小林エリカは、アンネ・フランクが隠れ家で書き遺した日記と、自身の父親が同じ戦争の前後に書き残した日記から着想を得たというエピソード(『親愛なるキティーたちへ』)とともに、アンネのポートレートをドローイングとして描いていく過程をおさめた映像作品《68年の後に彼女のポートレートを描こうとする》を展示する。ここで小林が試みていることは、日記を書くという直接���にアンネと同期するような行為ではなく、第三者が撮ったアンネのポートレートを上書きするという、対象への間接的な接近である。これは、アンネ自身や、アンネを取り巻く人々に限らず、アンネにまつわる史実を一度であれ見聞きし、彼女に思いを馳せた数多くの鑑賞者にさえ近づきうる行為だと考えられる。遠い時間を生きたアンネを史実の中に留めておくのではなく、ドローイングを通して焼き直しすることで現在の物語として鑑賞者の中で息を吹き返す。
加藤立は、小林エリカの小説『空爆の日に会いましょう』を読みながら、そのテキストが流れるデジタルサイネージを背負って街を徘徊するという映像作品《I am a library》を展示する。また、《ある種の絵画は壁にはかけられない》は、受付に呼びかけると在廊する加藤自身のベストの中からモディリアーニの《おさげ髪の少女》を模した油画が現れる(展示場所に設置されたデスクライトで照らされる、キャプションは手渡し)という作品である。ハンドアウトの中で加藤が「アートというのは、実は、アーティストがつくってきたのではなく、鑑賞者がつくってきた、のではないでしょうか。」と指摘するように、アーティストと鑑賞者が関わるその状況自体が作品になっていると言える。ここで、加藤は「小林のテキストを書き直す/モディリアーニの油画を描き直す」過程を見せるわけではなく、「背負う/服の中に隠す」という間接的なやり方で対象に接近しようとする。
Aokidは、地球を様々な角度から眺めたかのような連作の絵画《us》を展示する。折り曲げられ、丸められ、跳ね返る軌跡を描くように壁に掛けられた断片的な絵画群は、描いた作者の身体の躍動を想起させる。ダンサーとしても活躍するAokidは地球というモチーフと戯れた作者の身体が現前するような作品を通して、時空間が伸縮して遠くと近くを軽やかに行き来するような歪んだ空間をつくりだす。小林や加藤とは違い、直接的に他者の創作を扱っておらず、Aokid自身のスタジオと称したテントの中に加藤の作品が紛れているという微かな関係があるのみだ。あるいは、壁に跳ね返る軌道を描くように展示された《us》は、加藤の《ある種の絵画は壁にはかけられない》というタイトルと呼応しているということもできるかもしれない。
本展では、三者ともに他者の創作やその蓄積としての歴史のようなものを、自分の身体を介して咀嚼しようと試みている。しかし、誰も咀嚼する対象と同じメディウムを使って創作を行なわない。再演する(シミュレーション)わけではないけれど、「タイトルと展示形式」といったように異なる位相��共通するものが見られる。この対象との距離が、三者の視点(ここに鑑賞者の視点を加えても良いかもしれない)がゆるやかに重なりあうような展示空間を生み出しているのである。
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200212_都市と戯れる
(展評:中島晴矢「東京を鼻から吸って踊れ」@gallery αM)
東京計画2019シリーズの最後に位置付けられたこの展覧会には、シリーズの名前にふさわしく丹下健三の「東京計画1960」をモチーフとして扱った《Tokyo Sniff》や、建設中の新国立競技場の前でひたすら走る《Shuttle RUN for 2021》など、東京という都市を表すオブジェクトを直接的に扱った作品が展示されている。また、森鴎外の同名の小説からの引用である《普請中》や、ハイレッド・センターのパロディの《TOKYO CLEAN UP AND DANCE!》など、過去の文学・芸術作品のオマージュである作品もいくつか見られる(ハンドアウトに掲載された、多数の参考文献が明示された作家本人のテキストから元ネタをたどることができる)。このように、既存のイメージを引っ張ってきた上で現代の文脈の中に位置付ける(知的な営みとして対象と戯れる)タイプの作品が本展には多いと、まず思った。
次に、個々の作品について考えると、まず表題作とも言える《Tokyo Sniff》は、中島晴矢本人が(何かしらの粉を固めてできた)都庁のミニチュアを砕き、その粉を丹下健三の「東京計画1960」のマスタープランが印刷されたシートの上に広げて、あたかもドラッグかのように鼻から吸引するという行為を繰り返すさまが映像としておさめられている。誰にも侵されない個人の領域の中でひたすら内省的な行為に没頭する様子と、それが都市的なスケールを伴う巨大な計画��の上でなされているという、ギャグのようなギャップが面白い。また、《TOKYO CLEAN UP AND DANCE!》は、1964年の東京オリンピックを目前に控えた東京・銀座を舞台に行なわれたハイレッド・センターの《首都圏清掃整理促進運動》のパロディである。真夜中に白衣姿の集団が(東京オリンピック2020を想起させつつ)国立代々木競技場やコープオリンピアの前で踊るように(かつ黙々と)清掃を行なう。彼らの行為は、かつてのハイレッド・センターの作品と同様に、オリンピックに備えて慌ただしく外面だけをキレイにしようとする都市計画へのアイロニーである[*1]。
これらの作品は、東京という都市を生きる個人と、それを下支え(するはずである)都市計画や制度というスケールの異なる存在を(緩やかにつなぐのではなく半ば乱暴に)同時に扱うことにより、個人的なものと公共的なもののギクシャクした関係を戯画的に表現しているのではないかと思った。例えば、《Tokyo Sniff》では都庁や「東京計画1960」のマスタープランと戯れる中島晴矢という一個人の身体を媒介として、巨大なスケールの計画に対する個人の滑稽なまでの無力さが感じられる。ここで、個人の領域の中に閉じこもる中島はどうあがいても都市に対して直接的な変化を及ぼすことは叶わない。また《TOKYO CLEAN UP AND DANCE!》では、元ネタであるハイレッド・センターが白昼堂々街に繰り出したのに対して、中島らはほとんど誰も歩いていない真夜中の街でコソコソと掃除をしてすぐにその場から立ち去ってしまう。形の上では、いわゆるトップダウン的で表層的な都市計画や、それによってできてしまった無機質な都市に対するカウンターというアプローチを取ってはいるものの、ハイレッド・センターなど60年代の日本で活動した「ハプニング」と呼ばれるアーティストたちとは違い、都市に直接介入して見慣れた街を異化しようという意図は感じられない(これはあくまで「ハプニング」と括られる作品群の特徴の一つに過ぎないけれど)。鑑賞者としてはややもどかしく感じられるが、どちらの作品においても中島は都市に直接介入するのではなく、ときに粉を吸いすぎて咳き込むなど空回りをしつつも滑稽なまでに行為を遂行することを通して、個人的なものと公共的なものが健全な関係を取り結ぶことができない(ギ���シャクしている)という、現代の東京のある一断面を描いていると考えられる。そして、トップダウン的で表層的な都市計画に対して、建築家やランドスケープデザイナーなどのように小さな計画者として抗おうとするのではなく、都市を「漂流」する遊戯者の視点から、個人的なものと公共的なものの対立を攪拌しようとしている。
[*1] 赤瀬川原平, 『東京ミキサー計画』, 1994, ちくま文庫 : p.250-251
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200211_ただわからないこと
(展評:目[mé]「非常にはっきりとわからない」@千葉市美術館)
この展覧会において「作品」と呼べるものは、美術館の中で起きている現象そのもののことであった。そのため、ここでは鑑賞体験を時間軸に沿って述べていくものとする。
前情報として与えられていたのは「非常にはっきりとわからない」というタイトルと、千葉市美術館がリニューアル工事に入る直前の展示であるということ、そしてバックヤードとおぼしき場所に集まる人たちが映されたチラシだけであった。この数少ない手がかりを念頭において千葉市美術館を訪れると、美術館の周りが工事現場の囲いで覆われており、立ち入り禁止かのような状態で、大工のような作業員の人たちが喫煙所で休憩している様子が目に入った。ここで、この展覧会は、工事現場の状態を巧妙に生かした仕掛けがあるのだろうと身構えた。エントランスから中に入り、ブルーシートが敷かれ工事途中の状態の受付を通って、エレベーターで展示階(7、8階)に向かう。すると、展示の設営をしている人たちがいて、ところどころに静止してそれを見ているだけの人が紛れている。工事中という設定の上で、展示の企画に際して集められた人たちが展示の設営というパフォーマンスをしており、その状況自体が作品になっているのだと気付いた。これは、物理的な作品を展示するのではなく、そこで起こっている現象を作品として提示するというタイプの作品である。観客が美術館の部屋に入る際に警備員が"This is Propaganda/you know/you know"という歌詞の歌を歌うというティノ・セーガルの《This is Propaganda》などを連想した。7階、8階と順に回り「これだけか」と早合点して、ミュージアムショップに寄ろうと再び7階に戻った時にある違和感に気付いた。7階と8階の2つのフロアで実は同じことが行なわれていたのである。おそらく同じ演者たちが上階と下階を交互に行ったり来たりしながら順番に設営(というパフォーマンス)が進行していく。2つのフロアで置かれている展示品や敷かれているブルーシートの位置も一致している。これには驚いた。
この展示を見ていたのはある平日の昼頃の1時間半ほどで、その間に2つのフロアを数回往復した。ちょうどその後に用事があり、昼過ぎには美術館を後にすることになったのだが、当然のことながら自分が帰っても展示の中の世界では設営(あるいは別の何かしらの作業)が続いているはずである。「2つのフロアで実は同じことが行なわれている」という発見をすることができたけれども、もう少し長く居続ければ、さらに違うことが起きていたのかもしれない。あるいは、会期中、日を追うごとに展示が変化していくということも考えられる。このように、この展覧会の鑑賞者には(会期中ずっと鑑賞し続けるという選択を除けば)全貌を把握したと言い切ることができないという絶対的な限界性がある。この展覧会に関して、SNS等で「ネタバレ厳禁」というような文句が出回っていたが、そもそもネタバレをしたとして、それが全貌を暴露できているとも限らないのである。この原理的に「わからない」状態を経て、もはや事実を知ることがそれほど重要ではないと思った。それよりも、わずか美術館内の2つのフロアだけで「わからない」の壮大なループに迷い込むような仕掛けが構築されていることについてこそ考えるべきである。
インターネットで調べればほとんどのことがすぐにわかってしまう今の時代に、原理的に全貌が「わからない」状態をつくることで、文字通り「わからない」こと自体を展示する。「非常にはっきりとわからない」というタイトルは、ただ「わからない」ということだけが非常にはっきりしているということだと思った。
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200210_それは本当に必要か
(展評:増田信吾+大坪克亘「それは本当に必要か。」@ギャラリー間)
建築展において一次的な作品(建築物)は美術館の外のどこか遠い土地に建っているため、作品自体を展示することはできない。そのため、作品評や作家評とは異なり、展覧会評では建築物およびその鑑賞体験に直接言及できないという困難がつきまとう。しかし、例えば過去のギャラリー間のいくつかの展示を思い返すと、建築物それ自体を展示できない代わりに、建築家の設計に対する姿勢がメタレベルで展示形式に反映されているものも見られる。2018年の藤村龍至「ちのかたち」展では、自身が「超線形設計プロセス」と名付けた設計過程の多くの模型群が所狭しと会場に並べられ、論理的なプロセスの果てに変態的な造形が生み出されるという藤村のユニークさが表現されていた。また2019年の中山英之「, and then」展は、中山の設計した建築物やその生活者をモチーフにした映画が上映される映画館とそのロビーという設定の展示(ロビーには模型やドローイングなどが並ぶ)で、中山が建築設計を通して思考してきた概念が映像という別のメディウムによって新たな輝きを見せていた。このように、建築展においては建築物とは違うメディウムを用いて展示という形で再構成せざるを得ないという前提のもと、展示形式に込められた作家の意図と、そこから見える作家の建築設計に対する態度について考えてみる。
増田大坪「それは本当に必要か。」展は、大きく3つのパートに分かれている。部分を詳細に表現した模型群と、周辺敷地も含めて表現した模型群と、実際の建築物の写真展示である(それぞれ、3階、4階、B1階に展示されている)。 まず3階を訪れると部分詳細模型がフロアに点々と置かれており、窓や基礎や軒とい��た建築のエレメント(部分)のレベルの発想や、慣習を見直すような細かな気付きが設計の端緒になっていることがうかがえる。例えば、《Valextra 伊勢丹新宿店ポップアップストア》の金色で楕円形の斜め材の部分模型は、傾斜をつけても摩擦で耐えられる角度の平面をディスプレイにするというマテリアルのレベルの発想が全体計画を考えるきっかけになったことを示している。 次に4階を訪れると周辺環境も含まれた敷地模型(3階の部分模型と対応)があり、建築設計において建てられる場所の性質を汲んでいること、(内装設計のみの作品であっても)周辺環境に対する構え方を意識して設計していることがうかがえる。また、性質の異なる場所がぶつかる境界にこそ読み取るべき条件が存在するということも示している。 最後にB1階のショールームに展示されている建築写真群は、(模型が抽象性を担保していたのに対して)実際に建てられた建築物の具体的な素材感の読み取りや、鑑賞体験に近い全体構成の読み取りを可能にし、3階と4階に分けられて展示されたスケールの異なる模型群が、それぞれの作品ごとにつながり、具体的な像を結んでいくように感じた。そしてエレメントのレベルの発想と周辺環境への応答が地続きであること(逆もまた然り)が明らかになった。
本展を訪れるまで、雑誌などで見た増田大坪の作品の印象としては、エレメントのレベルの最小限の手付きで空間の見え方を大きく変えてしまう(変態的なまでの)斬新な発想が見られるということだ。しかし、本展で展示されていたスケールの異なる模型群や建築写真群を目にし、あくまでプラクティカルな態度で条件に応えることで設計しているということに気づいた。普通なら見逃してしまいそうな条件を抽出していることや、その条件への対応が慣習を超えるほどの正攻法であることが、結果的に斬新な発想(と見なされ評価されること)につながっているのだ。「自分たちの思い描いたものをかたちづくるための設計はしていない」というステートメント文の一節にも納得する。
「それは本当に必要か。」と問い続けるプラクティカルで正直な態度は、逆説的にユニークな美学を生み出している。これはシンプルでありながら全体を通して強い印象をもたらす展示構成にも通底するものである。このような態度は建築設計における固定観念をずらしながら、様々なレベルでユニークな方法論を確立するであろう。
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200118_別の文法/価値基準
先週、スタッフとして関わっているアートプロジェクトの参加者たちと飲んでいる時に、「ハイアートが好きなのに、なんで市民活動(地域の芸術祭)に関わっているの?」と聞かれて、考え込んでしまった。これに関してはまだ上手く答えられないのだけれど、こういうことを聞かれるというのはつまり、ハイアートと地域アートの間には明確に線引きがされている(という認識が広がっている)ということだと思う。もっと広く捉えるとライフスタイル全般に関して、地方への(文化的なクラスターからの)関心の高まりを一回経由した上で、なお都会的なものと地方的なものの間に分断があると考えられる。この辺りについて考えてみる。
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地方への関心の高まりに関しては「地方創生」という標語など色々な要因が考えられるけれど、その兆候が表れてからイメージを広く伝播させたという点では、ライフスタイル誌の影響が大きいと思う。メディア文化史研究者の阿部純さんが指摘するように、『ku:nel』などのライフスタイル誌が「雑多な日常風景を均整の取れた風景として写し取る暮らし語り文法」を広め、その手法が地方での暮らしを紹介する際に(地域の情報を扱った雑誌などで)頻繁に用いられてきた [*1] 。このことは「地方とはていねいな暮らしをするところだ」という認識を広めたと考えられるが、あくまで都会の論理として押し付けられたイメージにすぎないのではないかとも思う。
さのかずやさんも「『ていねいな暮らし』がもたらす、都会と地方、身体と精神の分断について」[*2] というエッセイの中で、このことについて触れている。
地方産品が都市文脈で消費されていること、「地方でていねいな暮らし」というイメージがいまだに支持されていること、というふたつの流れによって、都市と地方の断絶が進んでいるのではないだろうか、と考えている。(中略)「活発に暮らす場としての都市」「穏やかに暮らす場としての地方」という区切りはもうやめにしたい。(『田舎の未来』, さのかずや, 2019, タバブックス : p.121-124)
この分断は都会のせいだけではないと思う。地元(茨城県日立市)に帰るたびに、都会の論理としての「地方でていねいな暮らし」のイメージを逆輸入したかのようなお店が年々増えているなと感じるのもそういうことで、昔から通っているお店が急に個性を失ってしまったような感じがして少し寂しい。
さのさんは「地方で(ていねいな暮らし文脈でなく)クリエイティブに暮らすことの価値」が認められるべきだとも言っていて [*3] 、極論もとから地方で面白いことをしていたり良いお店をやっていたりという人はそのままやり続ければよくて、後はそれを広く伝える都会の側の人のリテラシーとマナーにかかっているなと思う。
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冒頭の話題に戻ると、あくまでハイアートと地域アートを地続きのものとして考えるべきだと言いたいわけではない。あいちトリエンナーレ2019のことを扱った論考「ボイコットをボイコットする」で椹木野衣さんが指摘しているように、本来は作品を通して政治的な諸問題を提示する場としても機能していた(都市で開催される)「トリエンナーレ」と、大地の芸術祭に端を発した観光資源としての可能性を開こうとする「芸術祭」は混同すべきものではなく、現在では前者が後者の論理に飲み込まれることで色々な齟齬が起きていると言える [*4] 。だから、トリエンナーレ(=ハイアート)と芸術祭(=地域アート)はそれぞれ別の論理で動くべきで、それを強引に架橋したいと思っているわけではない。しかし、この線引きを共有したうえで、引かれた線の両側を行ったり来たりするフットワークの軽さを持って、棲み分けやディスコミュニケーションという意味での対立構造を攪拌しようとするような活動に敬意を示したいとも思う。
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そういった意味で、福住廉さんの『今日の限界芸術』を読んで考えさせられることが多かった。この本では、鶴見俊輔氏が定義した「限界芸術」の概念を援用して、創作活動をおこなう素人の作品や、既存の美術の文脈では取り上げられないような作品・活動にスポットライトを当てている。なかには、福岡市中心街の路上で見られる謎のハリガミマンガ「サンパクガン」など作者の顔が見えない作品(作品かどうかすら分からない)についての分析もある。これらに共通するのは「美術館」という制度の中では展示されない作品だということで、それゆえ福住さんも自身のことを「いろもん美術評論家」と名乗った上で、ある種の権威からは距離を置いたところで批評するというスタンスを取っている。そして、そもそも「作品」という定義が成り立つ根拠は美術館に展示するという制度自体にある以上、「路上の表現活動は「作品」であるわけがないのだから、クオリティという基準によって評価することは、本末転倒なのだ」[*5] と言い、既存の美術の文脈とは異なる価値基準を生み出すべきだと投げかけている。
このような態度は全体を通して見られ、平易な言葉遣いひとつとっても、どうやって美術批評の文法から脱却した上で批評するのかといったような気概が感じられる。冒頭の話題に引き寄せて考えると、ハイアートと地域アートは別の論理で動くべきだと認めた以上、いかにしてハイアートの文法から脱却した上で地域アートを(ただ礼賛するだけではなくて)批評の俎上に載せるのか、模索していくべきだと思う。その点、福住さんの批評活動は、地域アートに固有の価値基準を考えるためのヒントを与えてくれるものであり、ひいてはハイアートに対する問題提起をおこない対立構造を攪拌するような性質のものだと考えられる。
冒頭の質問に対する答えは、今すぐに用意できるものではないけれど、おそらくこのあたりに糸口があると思う。引き続き考えていきたい。
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註釈
[*1] 阿部純, 2019, 「暮らし」『現代思想43のキーワード』, 青土社 : p.217-221
[*2] さのかずや, 2019, 「『ていねいな暮らし』がもたらす、都会と地方、身体と精神の分断について」『田舎の未来』, タバブックス : p.119-129
[*3] 同上 : p.125
[*4] 椹木野衣, 2020, 「ボイコットをボイコットする」『新潮 2020年1月号』, 新潮社 : p.192-198
[*5] 福住廉, 2008, 「alternative realities ストリート・アマチュア・クリティカル」『今日の限界芸術』, BankART 1929 : p.122
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200116_仮設的な親密圏
この間、吉祥寺に新しくできた「古書防破堤」という古本屋のオープン記念トークに行ってきた(佐々木敦さん、片上平二郎さん、店主・堤雄一さん)。おもに書店業界の現状とか本屋カルチャーの変遷の話が多くて面白く聞いていたのだけれど、その中でも少人数イベントを企画するオルタナティブスペースとしての本屋を維持していくことが大事という話が印象に残った。これは大学が教育の場として機能不全に陥っているという話の流れで、本屋で純粋な読書会をやっていきたいと片上さんが言い、企画を提案したりもしていた。会場にいる人たちも、佐々木さんと片上さんの知り合いが多かったようで、皆大きく頷いていた。
このように、制度としての場所が与えられていなくても自分たちのためのオルタナティブな場所をつくっていくこと、あるいはDiY精神を持ってその場その場で仮設的に親密圏をつくっていくこと [*1] が大事で、それを継続している団体はほんとうに貴重だと思う。以前活動していた創作グループでやろうとしていたこともこういうことで、できたことできなかったこと色々あるけれど、血気盛んな人たちの受け皿にはなっていたと思う。またどこかでそういうことを力まない感じでやりたいな。(前もこういうこと書いていたな...。→ 191227 )
[*1] カルチュラル・スタディーズ研究でおなじみの毛利嘉孝さんの『はじめてのDiY』(2008, ブルース・インターアクションズ)という隠れた名著がある。この本では「素人の乱」とかスクォッティングの事例とかを紹介しながら「DiY」の思想について解説していて、お金がなくても仮設的なものであっても自分たちのための親密圏をつくろう!と声高にうたわれていて、熱くなる。誰でも読めるような分かりやすい文章で書かれていて、安っぽいサブカル本みたいな見た目をしているのも良い。
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200108_制作コンプレックス
制作コンプレックスゆえに(?)、こういう制作(プロセス)論のようなものにすごく惹かれる。(メタに逃げるな、と言われそうだけれど。)
上妻世海──建築における予測不可能性は建築物そのものに存在しているわけではなく、制作過程に現れるものですね。図式的に言えば、外在的に見えるものではなく内在的過程のなかで感得されていくものです。例えば書く前の僕は完成した原稿を知りません。書くこととは知っていることを文字に写像することではなく、知らないことにたどり着く方法なのです。それは、岡﨑乾二郎+松浦寿夫『絵画の準備を!』(朝日出版社、2005)を引用すると、「マティスが樹を描こうとして制作を持続させるなかで、まったく別のものを描いてしまっているように」と言ってもよいかもしれません。しかし、最初に完成のイメージがまったくないわけではありません。書き始める前からある種の予感、あるいは直感とともに進むべき方向性を掴んでいます。しかし、それは陶冶されることで別のかたちとして僕の前に現れるのです。パウル・クレー(画家、1879-1940)は『造形思考』(新潮社、1973/原著=1956)のなかでこのことを「造形の起源から、手段の陶冶を経て、形成へ」と端的に述べています。(「建築の制作論的転回〈後編〉」, 能作文徳+川島範久+上妻世海, 2019, 10+1 website)
上妻世海さんの『制作へ』も勿論そうだし、千葉雅也さんの『勉強の哲学』と『メイキング・オブ・勉強の哲学』、穂村弘さんの対談集『どうして書くの?』とか、制作(プロセス)論に勇気付けられてきた。
ところで、以前から制作(あるいは表現)と羞恥との関係について興味があって、昔つくった恥ずかしい創作物をクリティークし合う「表現と羞恥」というイベントを企画したりとか模索しているんだけれど、いずれテキストとしてまとめたいな。
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200107_テープ起こし
3年ほど前からいくつかの編集プロダクションでアルバイトをしてきた。その仕事の中心はインタビューやトークショーの音源を聞いて文章として書き出す、いわゆる「テープ起こし」の作業だ。何事もゼロからイチをつくるのが苦手で、小さい頃から作文など自由な文章を書こうとするとかなり悩んでしまう性分なのだけれど、テープ起こしはあくまで他人の言葉をベースにして分かりやすく言い換えたり体裁を整えたりする作業なので、あたかも自分でスラスラ文章を書けているみたいな感覚がして楽しい。
テープ起こしといえば、伊藤亜紗さん[*1]のプロフィールにはいつもこのように書かれている。
趣味はテープ起こし。インタビュー時には気づかなかった声の肌理や感情の動きが伝わってきてゾクゾクします。(『どもる体』, 伊藤亜紗, 2018, 医学書院 : p.256)
また、あるインタビューでも、テープ起こしについて話されている。
会話しているときには気づかなかったズレや、汲み取れなかったニュアンスを聞き取っていく。その過程で、自分のなかですごい認識のイノヴェイションが起きている感覚があるんですね。微妙に「声」が震えることもあったり、癖がでたり…。体というのは100パーセントはコントロールできないものですよね。それをじっくり観察するということは、ちょっとエロティックな感覚さえ抱きます。( WIRED Audi INNOVATION AWARD 2017 #28 伊藤亜紗「昆虫、変身、メタファー。ひとの“違い”をよりよく見つめるために。」, 2017, WIRED.jp)
ここで、「インタビュー時には気づかなかった声の肌理や感情の動きが伝わってきてゾクゾク」することや、「自分のなかですごい認識のイノヴェイションが起きている感覚」があることは、伝わってくる情報が声だけに制限されている(チューニングされている)からだと思う。直接話を聞いていると身振り手振りや顔の表情など視覚的な情報が多いため、音声よりもイメージとして相手の言いたいことを受け取っている。しかし、テープ起こしを通して改めて音声だけに絞って相手の言いたいことを抽出しようと試みると、音声だけでもかなり情報量が多く、一字一句正確に書き起こしてもそれだけでは伝え切ることができないほどのニュアンスの塊のようなものがある。それをできるだけなくさないように文章化するのはとても難しいけれど、文章という形式に変換してしまう以上、その形式として理解しやすい形に変換する必要がある。
逆に、文章という形式なのに、音声の生々しい手触りが残っているような文章を読むとゾクゾクする。例えば、岡田利規さんの『わたしたちに許された特別な時間の終わり』[*2]は小説なのに(ちゃんと小説という形式になっていて、喋り言葉そのままではないのに)、喋り言葉のニュアンスがある。戯曲バージョン(チェルフィッチュの『三月の5日間』[*3])に見られるような今どきの若者の喋り言葉をそのまま書き起こしたようなセリフも、回想しているかのように場面・状況を喋っていく語りも、地の文として一緒くたに書かれていて、どちらもいまいち要領を得ないような喋り方をしていて、生々しい。このような「キチンと喋らない」文について、岡田さんはこのように話している。
あのキチンと喋らない台詞、要領を得ない台詞���書くきっかけのひとつが、テープ起こしのアルバイトをやっていた経験にあるのは明らかです。(中略)このテープ起こしが、ものすごく面倒くさいのですが、それと同じくらい面白い。というのも、一字一字、全部忠実に文字に起こしても、何を言ってるのか全然分からないんですね。でも、言葉ではっきりとは言っていないのに、話全体からは、その人が何を言おうとしているのかは分かる。そのことにビックリした経験は大きい。(中略)世の中の人が会話している、あの要領を得ない喋り方を再現し、その要領を得ないものの中に含まれていることを表現するのが、僕のやりたいと思っていることのひとつです。(「『超リアル日本語』を操る劇作家・岡田利規の冒険」, 2005, Performing Arts Network Japan)
なるほどな、と妙に納得した。
最後に、好きなインタビュー本は?と聞かれたら、重松清さんが憧れの表現者9人へのインタビューをまとめた『この人たちについての14万字ちょっと』[*4]をあげようと思う。厳密に言うとこの本は、インタビューともルポルタージュとも評論ともつかないような形式でまとめてある。例えば、取材している会話の途中に重松さんが相手に対して抱いている印象や昔の思い出話などが入れ込んである。すると読んでいるうちにインタビューしている相手の発言であっても重松さんの言葉のように感じるし、そもそもインタビュー記事って、文章にまとめる書き手の言葉で翻訳されたものだよなという当たり前のことに気づかされる。こういう生々しい文章を読むとゾクゾクするし気持ちがいい。それでは、この本の「あとがき」から引用して終わろうと思う。
ずっとお目にかかりたくて、ようやく初対面が叶ったひとがいる。何度目かの対話であっても、向き合うたびに畏れを新たにするひとがいる。そんな方々にじっくりとお話をうかがえる感激と緊張で、生来の小心者の第一声はいつも震え、かすれ、うわずって、ときには裏返ってしまったこともあった(誰の回かはナイショ)。その声の揺らぎが、行間からたちのぼってくれるといいな、と願っている。(『この人たちについての14万字ちょっと』, 重松清, 2014, 扶桑社 : p.6-7)
[*1] 伊藤亜紗:主な著作に『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社)、『目の見えないアスリートの身体論』(潮出版)、『ヴァレリーの芸術哲学、あるいは身体の解剖』(水声社)など。
[*2] 岡田利規, 2007, 『わたしたちに許された特別な時間の終わり』, 新潮文庫
[*3] 『三月の5日間』:岡田利規さんが主宰する劇団チェルフィッチュの代表作の一つ。イラク戦争が起こっている5日間に、渋谷のラブホテルで過ごす男女を中心に日本の若者たちを描いた作品で、平田オリザさんの提唱する「現代口語演劇」をさらに推し進めたような「超リアル日本語演劇」とでも呼ぶべき、喋り言葉のセリフが見られる。
[*4] 重松清, 2014, 『この人たちについての14万字ちょっと』, 扶桑社/伊集院静、池澤夏樹、浦沢直樹、鈴木成一、是枝裕和、いとうせいこう、山��太一、赤川次郎、酒井順子の9人へのインタビューが収められている。
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200105_解釈が開かれている
田中功起さんの2013年作の映像作品《ひとつの詩を5人の詩人が書く(最初の試み)》が青山目黒で展示されていたので観てきた。
この作品は、第55回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展日本館「抽象的に話すこと - 不確かなものの共有とコレクティブ・アクト」で展示された作品の一つである。タイトルの通り、現代詩というジャンルの中で方向性も文体も異なる作品をつくっている5人の詩人が集められ、協働して一つの詩をつくってもらうプロセスを映像に収めた作品である。この協働作業のなかで、参加者は自分のそれまでの方法論を一旦括弧にくくって他者との交渉と妥協を図る。次第にその噛み合わなさや気まずさ、その場における立場の強さや取り組み方の違いが見られるようになる。
また、「抽象的に話すこと〜」で展示されたうちの一つである《振る舞いとしてのステイトメント(あるいは無意識のプロテスト)》(2012)も同様に上映されていた。この作品は、ただたくさんの人が非常階段を上り下りする様子が映し出されているだけのようだが、実のところ、エレベーターを使わない(つまり電力の使用を控える)というような日常的な振る舞いが、東日本大震災以降、政治的な意味(例えば、反原発という態度表明)を持ちうるようになったことを暗示している。他人のパーソナルな振る舞いであっても、背景を想像してみることで一般化され、自分の身にも関わる問題として意識せざるを得なくなり、ひいては同じ作品であってもそれが鑑賞される時代背景が変わると、作品の持つ意味、読み取られ方も変わらざるを得ない。
*
はじめに紹介した「ひとつの詩を5人の詩人が書く(最初の試み)」も、震災後という文脈の中で鑑賞してもらうことが意図されていたと言う。キュレーターとして「抽象的に話すこと〜」の展示に関わった蔵屋美香さんは、展示の構想を練る過程で、漁師同士の支援ネットワークなど震災後の日本で実際に起きていた協働作業のこと意識していたと言い[*1]、田中さんも芸術家の協働作業ということを越えて、広く民主主義の問題を意識していたと言う。
田中 (中略)会場のドキュメンテーションを撮っている藤井さんが、さらっと「この展示は民主主義の問題を扱っている」と言ったんですね。(中略)ぼくはまず「ええっ」と思った一方で「ああ、そうか」とも納得した。複数の他者がひとつのものを作り上げる過程、それはまさに合意形成をめぐる問いかけだったわけです。[*2]
確かに当時であれば、震災後の社会でどう生きるかという問いと結びつけて観ることが比較的容易だったと思うけれど、2020年の今改めて観ると、瞬時には震災と結びつかなかった(解説を読んで初めて納得した)。このことで、逆に「いかに日頃の震災に対する意識が希薄だったのか」と考えてしまったし、現在の時代背景と照らし合わせるならば、「立場や理念の異なる他者と協働して社会的なものをつくりあげること」(新国立競技場をめぐる諸問題など)や「コミュニケーションを取ることが難しい他者と協働しながら生活すること」(外国人労働者の��加など)の困難さを思い出さずにはいられなかった。
自分の生きている社会の状況を意識して作品を読み取ることを通して、解釈が開かれている作品の持つ射程の長さを感じた。しばらく経ってからふとした時に見返して、またあれこれと思いを巡らせたい。
[*1] 田中功起, 蔵屋美香, 「「大きな出来事」のあとで -文脈の読み替え/等価な経験/共有と継承」『質問する』, 2013, アートイット : p.336
[*2] 田中功起, 蔵屋美香, 藤井光, 「考えつづけること、位置を確認すること」『必然的にばらばらなものが生まれてくる』, 2014, 武蔵野美術大学出版局 : p.14
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200104_メタなネタ
年末年始バタバタしていてテレビを観てる時間もなかったので(Wi-Fiもないところにいたので)、東京の自宅に戻ってきてYoutubeやTwitterなどで遅れた分を取り戻しているのだけれど、今年はお笑いのトピックが例年よりも多かったように感じた。「お笑い第7世代」と呼ばれる若手芸人たちが色々な特番に出ていたり(フワちゃんの勢いがすごい)、『M-1グランプリ2019』ファイナリスト・ぺこぱの漫才のスタイルに対して「誰も傷つけない優しいツッコミ」といったような賞賛のコメントがあげられたりと、何かと話題になっていたみたいだ。(政治や経済などのトピックを総ざらいするムック『文藝春秋オピニオン 2020年の論点100』にお笑い評論家・ラリー遠田さんが「お笑い第7世代」のコラムを書いていたことは、その注目のされ方を物語っている。)
具体的に『ネタパレ』や『ぐるナイ おもしろ荘』、『爆笑ヒットパレード』、先述した『M-1グランプリ』などのネタ番組を観ていると、今まで王道とされていた漫才・コントのスタイル(型)に対してメタな表現をするという新しいスタイルや、今まで漫才・コント、あるいはお笑い芸人自体にまとわりついていたイメージに対してメタな立場を取るような漫才・コントなどが、ある種のモードになっているように感じる。これは、「お笑い第7世代」と呼ばれる若手芸人だけに見られる傾向という訳でもなく、中堅のコンビのネタにも見られる。ここでは、1. 既存のスタイルをメタ視する、2. 既存のイメージをメタ視する、という2つに絞って考えてみる。その際に、『早稲田文学増刊号 「笑い」はどこから来るのか?』に収録された論考を適宜、補助線として引用する。
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1. 既存のスタイルをメタ視する
a) ジャルジャル
『爆笑レッドカーペット』(2008-)等のネタ番組を機にブレイクしたジャルジャルは、その当時からダブルボケ・ダブルツッコミスタイルで、非日常な世界を描くコントやゲーム的なコントが多かったが、2018年に公式YouTubeチャンネル「ジャルジャルタワー」が開設された以降、既存のスタイルをメタ視するようなスタイルに拍車がかかっている。
まず、「言葉遣い」というネタでは、漫才の要所要所に「もうええわ」を挟む後藤に対して、「それ漫才の最後に言うやつや」と福徳がツッコむ。また、「シュールなネタしそうな奴」というネタでは、架空の芸人が真面目にネタを練習している様子が客観的に見るとおかしく、鑑賞者のツッコミ待ちのボケっぱなしの状態が続く。これらのネタでは、①お笑いのセオリーや先入観の裏切りが見られる。
次に、「ツッコミ講座する奴」シリーズでは、次第に見ている観客にツッコミをさせるという構造を内包した裏設定にシフトしていく。また、「これ見て時間無駄にする奴」というネタでは、何か起こりそうで何も起こらないという状況が続き、視聴者に向けて嘲けるという、②視聴者側からの視点を想定した笑いが提示されている。(YouTubeという形式だからこそ可能になる笑いだと言える。)
さらに、「ラグビー人口増やしたいからサブリミナル効果使う奴」というネタは、本来は本筋ではないサブリミナル効果が次第に強調されておかしみが生まれるという構造になっており、③ネタの世界の中にいつつその配信媒体を俯瞰するという笑いで見られる。(ここまで来ると笑えるというのとは別種の面白さになっているように思えるが...。これもYouTubeという形式だからこそ可能になる笑いだと言える。)
これらのネタは、ネタのストーリーの展開に関係なく、要所要所に挿入されうる。また、これらの特徴は、近年のネタ番組においてジャルジャルに限らず様々なお笑い芸人のネタに見られるように思う。
(ちなみに、『M-1グランプリ2017』決勝戦で披露された「ぴんぽんぱん」については、前掲書に収録された「ボケの昇階、笑いの押し寄せ、肯定のツッコミ」(大岩雄典, 2019)において、「メタ漫才」としての革新性について的確な分析がなされている。[*1])
b) 四千頭身
「お笑い第7世代」の中で、一番分かりやすく既存のスタイルをメタ視するようなネタをやってい���のが四千頭身だと思う。
例えば、「前半にたたみかけるな」というネタでは、ドライブに行きたいという設定に対して、ダブルボケの都築と石橋が順番にボケを連呼し、ボケが飽和して後藤のツッコミが追いつかなくなったタイミングで、「前半にたたみかけるな」というツッコミをし、従来のコントのマナーとでも呼べるような構造が可視化される指摘に笑いが起きる。ここでも前述したように、①お笑いのセオリーや先入観の裏切りが見られる。また、「広告」というネタでは、漫才の途中に石橋がYouTubeの広告のようなフレーズを挿入していき、それに対して後藤が「漫才中に広告を入れるのやめて」とツッコむ。ここでは、ネタ番組で放送されたネタがYouTube上にアップされていくという現代の状況を逆手に取った、③ネタの世界の中にいつつその配信媒体を俯瞰するような笑いが見られる。
c) 和牛
和牛のネタは、前述した3つの特徴の中では、③ネタの世界の中にいつつその配信媒体を俯瞰するというやり方に一番近いと思うが、配信媒体を俯瞰するというそれ自体をオチにするようなやり方ではなく、進行していくストーリー・掛け合いの通奏低音のような形でメタな視点が見られる。それは、漫才・コントにおいて演じられている「設定」というフィクションの世界それ自体の輪郭を揺さぶるような、メタフィクションの手法である。
このような特徴が顕著に表れているのが「オネエと合コン」(ローズとヒヤシンス)である。このネタの登場人物は2人のオネエと水田と川西の4人であり、水田と川西はそれぞれ自分自身と自分のファンであるオネエという1人2役を演じる。喋る向きや声色を変えることで役を演じ分けて合コンという設定のストーリーが進んでいくが、ネタの中盤でボケ担当の水田がトイレに行く(というネタの展開の)ために舞台から退出する。そこで、舞台上に1人残された川西は、(この設定を担保している)相手との掛け合いが中断されてしまったことで、どちらの役を演じればいいのか分からない、何者でもない状態になり、困惑してしまう。そして、役になりきれない川西の困惑の表情によって会場は笑いに包まれる。この時の川西の状態について、大岩雄典さんは以下のように分析する。
「川西は、コントの設定を飲み込もうとして躊躇するさいに、困惑の表情を見せる。まさにそれは〈役者の物質性〉だ。(中略)川西は和牛のネタにおいて、「コントを演じることに抵抗感を残す」存在としてキャラクターづけられている。だから、ヒヤシンスの言動に、それは川西本人が抵抗感を感じながら演じているのだ、と透けて見えるとき、そう〈わかる〉からこそ、観客は川西の隠された感情を推量して、知的な面白さを得る。」(「役者の物質性」, 大岩雄典, 2018)[*2]
つまり、このネタでは川西がネタの世界にいる状態と素の状態を行き来することで、それがあくまで演じられた設定であることを暴露し、その上で演じられた設定の途中に垣間見える川西自身の困惑の表情に笑いが起きていると考えられる。(ちなみに、前掲書に収録された「『広角レンズの演劇』と漫才の関係について」(関田育子, 2019)では、戯曲上の主語である「言表の主体」と実際に舞台上で行為を行う俳優=「言表行為の主体」という線引きをすることで、「オネエと合コン」で起きている現象を説明している。[*3])
また、『M-1グランプリ2019』決勝戦で披露された「引っ越し」のネタでは、不動産屋を演じる水田が物件を紹介していくが、どの物件にも誰かが住んでおり、それに対して川西が繰り返しツッコミを入れていくというもので、この一連のツッコミはコントの設定というフィクションの世界に片足を突っ込んだ状態でおこなわれるノリツッコミである。コントの世界の中にいながらノリツッコミをおこなうと必然的にコントの世界の設定に引っ張られるため、このネタでは川西が事故物件で金縛りにあいながらツッコミを入れるというやり取りが見られる。
このように、④ネタの世界にいること自体を暴露した上で演者の立ち位置の揺らぎを見せるというメタなやり方が和牛のネタには見られる。
*
そのほかにも既存のスタイルをメタ視するようなネタは多く、例えば、『女芸人No.1決定戦 THE W 2019』で優勝した3時のヒロインの「アッハーン」というネタでは、コントのストーリーとは関係なくBGMに合わせて踊ってしまうという、④ネタの世界にいること自体を暴露した上で演者の立ち位置の揺らぎを見せるような笑いが見られる。また、はじめの方で触れたぺこぱの漫才で見られる「誰も傷つけない優しいツッコミ」は、①お笑いのセオリーや先入観の裏切りだと言えるし、タクシーのネタで見られた漫才のセンターの方向が移動するというくだりは、漫才は観客もセットで成り立っているという意味で、②視聴者側からの視点を想定した笑いとも言える。(ぺこぱのネタについては、「ぺこぱが生んだ新しい漫才を考える」(aya, 2019)において、「(漫才における)常識の基準線」という考え方を用いて鋭い分析が展開されている。[*4])
*
2. 既存のイメージをメタ視する
d) Aマッソ
「Aマッソ」と聞くと、某選手に対する差別発言で問題になったというイメージが先行してしまうという人もいるかもしれない。だが、この問題については、前掲書に収録されている「笑われ、笑うこと −人種差別はいつまで笑いのネタにされるのか」(下地ローレンス吉孝, 2019)に譲るものとして(*5)、ここではAマッソのネタで描かれている「女芸人」のイメージについて考えてみたい。
例えば、Aマッソの「進路相談」というネタには、女性に対する社会のイメージを半ば自虐的に提示するようなやり取りが見受けられる。まず、加納演じる女性教師が、村上演じる女子生徒の「ラーメン屋になりたい」という将来の夢を聞き、初めは応援していたが、次第に「女の作ったラーメンは食べられない」などと否定していき、しまいには、次のようなセリフが展開されていく。
加納:Aマッソって知ってる? ああいう女芸人が一番嫌やねんな。見方わかれへんやろ。(中略)結局、男の真似事にすぎひんねん。(中略)「女がおもろなってきた」「女芸人ががんばっている」みたいなん言われているけど、あれ嘘やぞ。テンプレートが蔓延しているだけじゃ。やりやすなってるだけじゃ。(「進路相談」Aマッソ ネタやらかし, 2017)
このセリフに関連して、Aマッソ加納は『ゴッドタン』の「腐り芸人セラピー」に出演��た際に、「女芸人は女優やタレントと差別化するために、ブスやデブといったようなキャラクターを演じなくてはいけない」ことや、それをしないために「番組で使いにくい」と言われてしまうことに対する憤りを訴えている。このような発言から、「尖っている」という扱いをされることが多いが、本人たちとしては、「『女』は、『女芸人』は、こうであれという既成概念に反抗しようとしているというよりも、それを逆手にとって、明るく笑いながら遊んでいる」[*5]ような姿勢だと言う。
前述した「女芸人」に対する既存のイメージをメタ視して自虐的なそぶりで批判することで笑いに変えているネタに加えて、『Aマッソのゲラニチョビ』ではテレビ番組と言うフォーマットを使ったメタなネタが展開されている。これは、隔週で配信される5-10分程度のネット番組で、純粋なロケともコントとも違うようなジャンルレスな小ぶりの企画が特徴的である。例えば、「#18 ZAZY」は、知らない間に少しずつ村上がZAZYに変わっていき、それに気づいた加納も最終的にZAZYに変わってしまうという『世にも奇妙な物語』テイストのドラマである。また、「#56 リアライズ」では、コンビでのロケ番組の最中に加納が罰ゲームを受けるたびに、村上が快感を覚え(心の中のセリフとして語られる)、次第にそれがエスカレートしていき、最終的には村上がおかしくなって失神してしまうというという展開。このように、起承転結があるわけでもなく、笑いどころしてのボケがあるわけでもなく、⑤既存のフォーマットに則りながらそのイメージをズラしていくことで生まれる、新しいタイプの笑いが見られる。解釈に開かれている笑いだとも言える。(それって本当に面白いの?笑)
*
以上、既存のスタイル・イメージをメタ視するようなネタについて考えてきたが、お笑い分析は今後ますます広く展開していくと思う。その上で、『早稲田文学増刊号 「笑い」はどこから来るのか?』に収録された論考は、2019年のお笑いという一断面を切り取っていると同時に、今後も参照されていくようなテーマや問いが散りばめられていると思う。2020年も、いちファンとしてお笑いを追っていきたい。
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註釈
[*1] 大岩雄典, 2019,「ボケの昇階、笑いの押し寄せ、肯定のツッコミ」『早稲田文学増刊号 「笑い」はどこから来るのか?』, 筑摩書房 : p.144-169
[*2] 大岩雄典, 2018, 役者の物質性和牛「オネエと合コン」、チェルフィッチュ「三月の5日間」、シベリア少女鉄道「今、僕たちに出来る事。あと、出来ない事」についての覚え書き(2020年1月4日取得)
[*3] 関田育子, 2019,「『広角レンズの演劇』と漫才の関係について」『早稲田文学増刊号 「笑い」はどこから来るのか?』, 筑摩書房 : p.170-175
[*4] aya, 2019, ぺこぱが生んだ新しい漫才を考える(2020年1月4日取得)
[*5] 2019,「当たり前」へのオルタナティブ:Aマッソ インタビュー(2020年1月4日取得)
そのほか参考文献
江尻悠介ら, 2019, インターネット上のお笑い番組が示唆する「新たなパタンランゲージ」-「ジャルジャルタワー」の分析によるネタの構造の抽出を通して-
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191227_彷徨うコレクティブ
最近、『在野研究ビギナーズ 勝手にはじめる研究生活』を読んだ。この本では、大学に所属を持たず学問研究をされている「在野研究者」の方たちが自分の研究と生活との関係などを綴っていて、アカデミズムに対する認識の仕方も研究スタイルも人それぞれで面白く、なんといっても学問への愛がひしひしと感じられる。
その中でも特に気になったのが、「彷徨うコレクティブ」と題された逆卷しとねさんの論考。逆卷さんはダナ・ハラウェイに関する論考などで有名な「野良研究者」で、『ユリイカ』や『現代思想』で名前を見かけることがあったが、ちゃんと読んだのは初めてだった。この論考では、逆卷さんが世話人を務めている市民参加型/異分野遭遇学術イベント「文芸共和国の会」について主に触れている。「学会」と呼ばれる学術的組織や、カルチャースクールのような講座が、学者と一般市民を明確に分けてしまう制度であり、また「形式的には広く告知をし、多様な参加者を募るオープンな会でありながら、実質的には異物を排除する傾向を持つクローズドな学会や研究会」(p.224)が多いことに対して、逆卷さんはそのオルタナティブとして「文芸共和国の会」を定期的に開催している。
僕が考えるオープンな会とは、議論の混乱そのものを直接経験する場だ。(中略)自分とは異なる分野に属する、それぞれ特殊な職業、生い立ち、偏見、嗜好をもつ、正体不明の誰かとの対話は、建設的な議論とは無縁の混沌と言ってもいい。僕は「場をコントロールすべき司会」の任を放棄する。名前も所属も聞かない。こうすると、プレゼンをする「学者」がいる壇上とそれに耳を傾ける「聴衆」がいるフロアのあいだに、混沌を共有する対話の場が立ち上がる。(『在野研究ビギナーズ 勝手にはじめる研究生活』, 荒木優太・編著, 2019, 明石書店 : p.225)
この辺りの話を、僕自身が関わってきた、バラバラな嗜好性・特技を持ったメンバーによって構成されたコレクティブでの創作のことを思い出しながら読んでいた。「混沌を共有する対話の場」はあくまで意図的に作り出せるものではないし、安定的に繰り返し再生産できるものでもないと思う。僕の場合(一応代表のようなことをやっていた)、そもそも専門領域や肩書きの定まらない、役割の未分化な状態から創作を始めたことで、必然的に混沌とした場になった(あるいは、必然的にコントロールを放棄せざるを得なかった)という側面もあるが、何かしら形にしてアウトプットするためには、どこかにゴールを設定する必要があり、それが初期にあったエネルギーを減衰させてしまうこともある。逆卷さんの「マネジメントをしないというマネジメント」とでも言うような、世話人の立ち振る舞いから学ぶべきことは多いと思う。
最後に、感銘を受けた一節を。
別の場所をつくればいい。僕だけではなくて、誰でも参加できて、見知らぬ人と出会い、気に入ればつながることができる場所をつくる。あるいは、有象無象が気軽に集まるトポスに僕自身がなればいい。(中略)学術の場であると同時に世間でもあるようなよくわからないこの場所は、大学や学会ではないし、かといって世間話をする井戸端でもない。教えるものと教えられるものとが分断されない、みんなが手探りで藁をつかむために束の間立ち上がる場でこそ、独りでは不可能な学びは体験できるのではないか。(同上 : p.226)
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191226_マルジナリア
以前、とあるイベントで、古本屋のようなことをやった。渋谷川沿いの路上でおこなわれたイベントであったため、「路上で読みたい本」というテーマを掲げて、主に都市考現学的なエッセンスのある本や本屋をテーマにした本などを選書して投げ銭制で販売した。前者としては、「全都市カタログ」特集の『宝島』など、後者としては、松浦弥太郎さんの『本業失格』、江口宏志さんの『ハンドブック』などである。レイモンド・マンゴーの『就職しないで生きるには』よろしくノリノリでやっていたら、友人や知り合いがけっこう来てくれたのでそこそこ売れた。(詳しくはこちら → Street Book Stand )
そのとき本を買ってくれた人にこないだ偶然会ったときに、(僕が一度読んだお古の本を売っていたため)本の余白に書き込みがいろいろ書いてあって、他人の頭の中を覗いているみたいで、それが新鮮で面白かったという話をしてくれた。たしかに、他人がどうやって本を読んでいるのかって知らないし、意外と書くことと同様に読むことにもその人の個性が出るものなのかなと思った。
本の書き込みに関して、「途中でやめる」の山下陽光さんがされている「チョロズム出版」という活動が面白い。これは、本を読んだ感想とか思いつきとかイラストとかを余白に書き込んでもらって回しあって、本の中で議論するというもので、「読んだ後は街のどこかに隠してください」というルールなので、日本全国いろんなところに回っている。ブログに現在の本の居場所が載っていたりもする。こういう直接会わないけど連続したことをしているみたいなコミュニケーション(ディスコミュニケーション?)面白いな...。「新宿ベルクに100円玉隠しましたよ」とかもそのシリーズだと思うけれど。
ところで、本の余白にある書き込みのことを「マルジナリア」というらしい。最近読んだ『BRUTUS』「危険な読書2020」で、文筆家の山本貴光さんがマルジナリア、つまり余白に書き込みをするというプロセスを通して、マッピングし直したり補助線を引いたりしながら、自分の言葉で書き換えるように読んでいくことの面白さを語っていた。たしか澁澤龍彦さんも「マルジナリア」をテーマにした本を書いていて、その本自体に他の著作の解題が含まれていて「マルジナリア」的(傍注的)な立ち位置で書かれているという二重の意味付けがあったような。あと、索引がキーワード集みたいになっている本はいい本だなと思う、『たのしい写真』とか『生きのびるための建築』とか。(どちらも、ブルーノ・ムナーリの『ファンタジア』みたいな本だったな...。)
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191225_テン年代
2010年代もあと少しで終わるけれど、平成から令和へという元号の変化があったからなのか、「テン年代」という言葉で総括するようなコンテンツをなかなか見かけないな、建築に関する「テン年代」総括もあまり見かけないな、もうそういうの古いのかしら、と思っていたのだけれど、そういえば「10+1」の2019/04号に載っていた、八束はじめさん、市川紘司さん、連勇太朗さんの対談記事が、平成時代の総括をしていた。この対談は、平成時代に見られた3つの徴候(徴候1「自然のような建築」、徴候2「みんな」、徴候3「反ステートメント、反ヴィジョン」)について順を追って検証していくというもので、ゼロ年代の建築に見られる社会を支える中間項を抜いて、個人の価値観や施主のライフスタイル、あるいは敷地のコンテクストを直接的に建築的表現や世界観の構築に結びつけるようなアプローチって「セカイ系」っぽいよね、みたいなサブカルチャーを社会学的に分析する時のノリがあって、かなり楽しく読んだ。(『平成=ポスト冷戦の建築・都市論とその枠組みのゆらぎ』八束はじめ+市川紘司+連勇太朗, 10+1 website)
「テン年代」といえば、市川紘司さんが学生時代に書かれた、「『2010年代=テン年代』的住居設計の在り方をめぐる小話」という論考がキレキレで面白い。この論考で提示されている「可能性としての平田晃久モデル」についての指摘は、はじめに紹介した対談にも引き継がれている。
そのほか、2010年代の建築について概観した論考としては、定価1円で話題になった『広告』Vol.413(2019, 博報堂)に柴原聡子さんと小林恵吾さんが書かれていた「アップデートする建築とプログラマー的建築家」が、分かりやすくまとまっていると思った。ここでは、アレハンドロ・アラヴェナやAssemble、西澤徹夫建築事務所・タカバンスタジオ設計共同体による「八戸市新美術館」などに触れながら、「しくみ」をデザインするプログラマー的な建築家のあり方を提示している。
「テン年代総括」企画はどこかでやりたいな。
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191224_註釈
九龍ジョーさんの『メモリースティック ポップカルチャーと社会をつなぐやり方』のあとがきに印象的なことが書いてあったので、メモ。
サブタイトルに「ポップカルチャーと社会をつなぐやり方」とあるが、社会状況やその変化が作家や作品に影響を与えているという見方はしないということ。社会のあり様を追認するだけの作品はつまらないし、また、作品を社会に対する「註釈」に切り詰めてしまうような鑑賞態度もとりたくないと思った。 つまり本書は、ポップカルチャーを見れば社会の動きがよくわかる、ということを喧伝する本ではない。「つなぐ」という動詞は、あくまで受け手の側の課題としてある。それゆえ、作家自身が「社会性」を考慮しているか否か、自覚的であるか無自覚的であるかなども問題とはならない。作家にとって社会と無縁に自律していると思われる作品やテーマが、それを受け取った誰かにとっては、日常生活のリアリティや、彼や彼女をとりまく社会状況とシンクロしているように感じられることだってあるだろう。むろん、社会と組んず解れつすることで生み出された作品が、単なる現状追認を越えて、まだ見ぬ未来のヴィジョンを引き受けることだってある。そのような可能性を、作家たちの意図に関わらず、抽出しようと試みた。(『メモリースティック』, 2015, DU BOOKS : p.332)
ふだん建築作品やアート作品を見るときに、ついつい「この作品を通して建築家は何を語ろうとしているのか、あるいはこの作品を建築家に作らせた社会背景はどういうものか」といったように作品それ自体というよりも現象として考えてしまいがちなので、そのような鑑賞の仕方は無意識のうちに作品を社会に対する「註釈」に切り詰めてしまっているな...と思った。
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191223_プロジェクト内批評
今年に入ってから、2つの芸術祭に関わらせてもらった。
ひとつは主にパフォーミングアートや演劇を扱ったもの(シアターコモンズ’19)で、もうひとつは芸術祭の先行プログラムとして地域住民のプロジェクト作りをサポートするワークショップ(サーキュレーションさいたま)。
前者のプログラムのひとつとして、田中功起さんの「可傷的な歴史(ロードムービー)」という映像作品があり、あらすじとしては、東京に暮らす在日コリアン3世とチューリッヒから来た日系スイス人が、東京や川崎の在日コリアン排斥の痕跡を辿りながら、それぞれの経験に基づいて対話を重ねていく、というもので、(大きなテーマとしては)それが「異なる人々が共に生きることの可能性や限界」について考えるための契機になっているということだと思う。作品自体については詳しく触れないけれど、このプログラムが面白かったのは、映像上映後に、出演者など様々な立場のゲストを中心として鑑賞体験を共有する対話の時間(「アッセンブリー」)が設けられていたこと。(レポートブックに僕が書いた文章をそのまま引用すると)「ゲストから投げかけられた質問に対して、観客はそれぞれ異なった意見を返していく。そのやり取りは、本作が問う、他者と経験を共有することは可能なのかという問題意識の一端を観客自身が体験するものとなった。」(『シアターコモンズ’19 レポートブック』, 2019 : p.15)このように作品を追体験させるようなメタなやり方が面白いなと素朴に思った。
それから、今年の「あいちトリエンナーレ」で展示されていた《抽象・家族》を観て、これは「異なる人々が共に生きることの可能性や限界」について考えるための契機として、移民による仮家族を組織して、個人史を語り合ってもらいながら、「普遍的な人間像」を観客として想定する(=誰にも開かれていて平等である)、抽象絵画を共同制作させているのだなと思い、また、エンディング近くで「自分には語るべきことがなく他者の語りを借りている」という田中さんの発言に対し「僕にとって(田中の)幼少期の吃音と怒りの話はこの作品の重要な一部分だった」と出演者・安田直人さんが返すシーンが印象的で、これはつまり、外側から仮構した異なる他者の共同体の中に作者自身が足を踏み入れることで、改めて設定・構図が明確に示される瞬間で、作者の当事者性が明らかになったことで鑑賞者として感情移入をせざるを得なかった。(僕は参加できなかったが、この作品でも会期中に何度か映像上映後「アッセンブリー」がおこなわれた。)
この鑑賞体験は、自分の中で印象に残っていたのだけれど、その次に強く思い出すことになったのは、(はじめに触れた)地域住民のプロジェクト作りをサポートするワークショップに関わっているときだった。
このワークショップは、2020年3月から始まる「さいたま国際芸術祭2020」の先行プログラムとして、芸術祭が終わっても続くような地域住民発の”ローカルプロジェクト”作りをサポートするような取り組みで、結果的に大学生から年配の方まで幅広い世代の人たちが集まって、定期的にグループワークを重ねてプロジェクトを形にしていくというもの。そこで、ワークショップの参加者とお話していると、地元の人しか知らないような情報を共有しているなど共通項は多いけれど、ディスカッションの場面になると様々な方向性の意見が飛び出し、1つのプランにまとめるのが難しいようで、時には揉めてしまうことも。
ここで、このワークショップでおこなわれるグループワークは、実社会にも似た、異なる立場の人たちを束ねて設定された擬似的な共同体だなと思った。前述した田中功起さんのいくつかの作品では、鑑賞者が半・当事者として感情移入できるくらい抽象度を高めたモデルとして、抽象絵画を描く共同作業などが提示されているということだと思うけれど、このモデルの抽象度を下げて、もう少し現実世界に近いレベルになったものが、このワークショップだなと。だから、グループワークの中で生じるディスコミュニケーションも、ご近所トラブルの縮図だし、逆に言うと、どうにかコミュニケーションして参加者それぞれの個性やエゴを尊重してプロジェクトを起こすことができたら、それはどんな人も包摂するような寛容な場所になると思う。
実際にグループワークの一員としてプロジェクトを起こしたわけではなく、事務的なサポートをしただけなので、当事者のような物言いをするのも偉そうだなと思うけれど、地域に資するためにやろうというようなことではなくて、素直に面白がって関われたのは、こういうところに共感したからかなと思う。いわゆる「地域活性化ワークショップごっこ」にならず、芸術祭が終わってもこのコミュニティが続いていくと良いな。(大宮のあたり、美味しい飲み屋多いのでまた行きたい。)
▼詳しくは、このコラムでまとめています。
さいたま発のローカルプロジェクトを生み出す「サーキュレーションさいたま」
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上記のコラムを書きながら、「プロジェクト内批評はあり得るのか」というようなことを考えていた。というのも、あるインタビューの中で、美術評論家の福住廉さんが、地域単位でおこなわれるアート・プロジェクトにおける「批評の内在化」の大切さを語っていて、強く共感したから。
たしかに批評家は一時的に展示を見て評価することしかできない。つまり外在的にならざるを得ない。だから、ボランティアなり地域住民なり、内側で現場を見ている人が、批評的なまなざしと言語を持って、そのプロジェクトを内側から客観的に捉え直すようなことができれば、従来の批評家ではなしえない、新しい評価基準や言語が生まれるんじゃないかと思っています。それが「批評の内在化」です。(「アートって図々しい。青木彬×福住廉が考える市民と作家の交歓」, 2019, CINRA.NET)
福住さんは、かつて「BankART」で「アートの綴り方」というアマチュアのための文章教室などを担当されていて、アマチュアの人が書く文章の尊さについて言及している。
ぼくが素人批評を面白いと思うのは、それが職業的な美術批評を攪乱して転覆させる可能性をはらんでいるからですが、そんなことよりなにより、それまで知らなかった人であっても、「書く」ことの喜びと苦しみを幅広く共有できるからなんです。(『今日の限界芸術』, 福住廉, 2008, BankART1929 : p.12)
これは、プロジェクトの内部にいる(美術評論家ではないという意味での)アマチュアの人であればなおさら、新しい方向の批評性を持ち得ると思う。
とにかく、プロジェクト内部からの言説をもっと読みたいし、自分も何かプロジェクトに関わったときは、大枠の説明ではなくて、極私的な細かい気づきから組み立てて語っていきたいなと思う。上記のコラムはそういうつもりで書こうとしました、まだまだ稚拙ですが...。
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191222_書く身体
自己言及的なトピックで面白くないなと思いながら書いているのだけれど、何か文章を書いたりするときには、(まず広く言うと)どういうフレームを設定するかが大事、というかほぼそれによって左右されてしまうと思っている。
例えば、以前zineのようなものをつくっていた頃には、誌面のレイアウトをあらかた決めて、フォントやサイズまで決めてからではないと、そこに流し込むための文章を書くことができなかったり、あるいはwordなどで文章を書いているときに、単語の途中で改行してしまうのが気持ち悪くて耐えられないため、かなり調整しながら書いていたり(確か京極夏彦さんも文がページを跨ぐのが嫌で、ページの末尾が句読点で終わるように調整しながら書いているというようなお話をしていたような)、と変なところが気になってしまい、自由に書くことが苦手で、自分を変えるのが大変なら環境の方を変えた方が早いのではないか、といろいろ模索していた。
なので、千葉雅也さんが『メイキング・オブ・勉強の哲学』の中で、ツイッターやアウトライナーを使いこなしながら、書き方を発明しながら、文章を書いていくという話も頷けるし、また、レポートや論文など何かしらの型に則って書いていくことによって、その時々に言葉を並べ換えながら書いていくことによって、自然と進んでいくように、新しい考えが思いつくことがあるのが面白いなと思っている。菊地成孔さんの『歌舞伎町のミッドナイト・フットボール』みたいな「書き飛ばす」ような書き方だからこそ、流れの中だからこそ書けることもあるのだろうなと思う。(菊地成孔さんほど、トークと文章の雰囲気がピッタリと重なるような人はなかなかいないと思う。)
日記のようなものを書こうと思ったのは、こないだ坂口恭平さんの『まとまらない人』を読んだから。日々のルーティンとして手当たり次第に書くこと、言葉にできないことを書こうとすることが、自分の精神を安定させる薬になっているという話で、確かに気分が落ちているときなどに展覧会の感想などをツイートしようと思うと、良い頭の回り方がして、調子が良くなるということはよくある。自分の身体運用に対する解像度が上がるのはすごく楽しい。
そういう感じで、モヤモヤと思っていることを書いていきます。
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191221_ばらばら(CV)
2019年も残すところ後少しで、えもいわれぬ焦燥感が募る今日この頃ですが、今年は割と「いろいろなことをバラバラな媒体で少しずつやっていた」という感じで(”必然的にばらばらなものが生まれてくる”!)、無理してでもまとめないとすぐ忘れてしまうなと思い、簡単にまとめました。 → CV
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