giraffechai
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giraffechai · 9 months ago
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ソウル回想
あと30分で飛行機が成田空港に着陸する。定められた時間で何を書くことができるだろうか。
隣の席の眼鏡をかけた肥満体型の韓国人男性は、終始くちゃくちゃと口の中で音を立てたりため息をついたりしながら、忙しなくしている。どことなく酸っぱいような体臭を漂わせていることを、おそらく彼は自覚していない。
目の前のモニターを見ると、飛行機はソウルから大きく北に逸れ、仙台の下のあたりから成田空港めがけて徐々に高度を下げている。
二つの国を隔てる海には「東海」という名前がついている。その青く塗られた部分は、実際の島の大きさと反比例するようかのように、「独島」という文字に占領されていた。「仁川」「済州」「福岡」「広島」「東京」という地名に連なって。
ソウルにて約8ヶ月ぶりに会った韓国人の女友だち二人は、前回、渋谷で会った時とまったく違う印象を私に残した。彼女たちにとって、ソウルは生まれ、育ち、学び、働く土地だからだろうか。思えば、これまで言語もまともに操れぬマイノリティとして外国に暮らし旅する姿しか見たことがなかった。
私の目に映ったのは、二人が望むことさえなく生まれた瞬間から手に入れた幸運。そして、その幸運だけでは勝ち取りえない成功のために、目に見えない何かと、どこかにいる誰かと、自分自身と競争する日々の憂い。なにより、今の生活を続けるためには選べないものの存在(たとえば、結婚、妊娠、出産)。
「30代後半独身でやたら几帳面」だという男性の上司から、ひっきりなしに業務の進捗を確認する電話が入る。薄暗い漢江の川辺でスマートウォッチの画面が定期的にチカチカと光り、職務を果たすように訴えかける。
「何の件?」「明日のクライアントミーティングの準備がね……」「休暇をとってたのはあっちなのに、オンニは本当にがんばってる……」。
再会した日、私が「会社を辞め無職になった」と口にした途端、韓国随一の広告代理店で働く二人とは、表面的な会話しかできなくなったような気がする。生きている世界が違う、いや、生きる姿勢が違う、この女は私たちの戦線から離脱した、と判断されたのかもしれない。
私は私で、稼いだお金で買ったのであろう、二人が身につけていた一流ブランドのバッグやアクセサリーが虚しく見えた。
私も、彼女たちも悪くない。ただ、東京で、ソウルで、社会に居場所を見つけようとしたり、そうしてお金を稼いだりしているうちに、8年前にパリで出会った頃に持ち合わせていたある種のナイーブさが、私の中にも、彼女たちの中にもなくなってしまったというだけのこと。
飛行機が着陸した。私は私の家に帰る。家族、愛犬、恋人、友人のいる街。
(Le 28 août 2024, Seoul)
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giraffechai · 2 years ago
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Quelques autoportraits à Tokyo.
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giraffechai · 2 years ago
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Le 30 octobre 2021
Chiba, Japan
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giraffechai · 3 years ago
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Le 17 août 2022
Tokyo, Japan
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giraffechai · 3 years ago
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Le 16 août 2022
Tokyo, Japan
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giraffechai · 3 years ago
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Le 10 août 2022
Tokyo, Japan
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giraffechai · 3 years ago
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Le 6 août 2022
Karuizawa, Japan
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giraffechai · 3 years ago
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Le 31 juillet 2022
Tokyo, Japan
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giraffechai · 3 years ago
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Le 1 août 2022
Patrick Gelencserのチョコレートとカリソン、紅茶、小川洋子『妊娠カレンダー』。
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giraffechai · 3 years ago
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Le 27 juillet 2022
家を作るみたいに家具を作って、家具を作るみたいに家を作るところまではいいとして、痕跡を残さず移動可能な家や家具ってそんなに欲しくないな私は、などと思った。
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giraffechai · 3 years ago
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このひとに触れずに死んでよいものか
思案をしつつ撒いている水
陣崎草子
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giraffechai · 3 years ago
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giraffechai · 3 years ago
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友達
かつて私が持っていた友人について考えてみる。幼稚園、小学校、中学校、高校、大学、留学先、大学院。それぞれの時期にそれぞれ毎日顔を合わせ、語り合い、一緒に教室から教室へと廊下を渡り、昼食を一緒に食べていた友人たちがいる。私は彼ら彼女たちの何を見ていたのだろう。何を知っていたのだろう。どうしてもうそれらの人々は私のそばにいないのだろう。どうして彼らは急に私に冷ややかな目を向けるようになったのだろう。同じ空間、同じ枠組みの中に、偶然同じ時期に放り込まれて隣の席に座って仲良くなった人々。彼らと私は一体何を共有していたのだろう。時間と空間だけ?私は彼らの何も見ていなかった?誰かを本当に知るということは、ただ同じ時間や空間を共有するということではないのだと思い知らされる。私の手からこぼれ落ちていった人々。彼らもまた、私のことをふと時折思い出して、もし私との関係が今も続いていたら?と想像するのだろうか。寂しさと後悔。けれどそれらは決定的なものではない。彼らに代わる人々が彼らがかつて占めていた場所をもう占めているから。その人たちもやがて気がついたときにはどこかにもう去ってしまっている。大変興味深いのは、何かのきっかけがあってそうした人々と久々に再会すると、私たちはもはやかつての私たちではなくなってしまっていて、さらには互いの存在が一度疎ましくなったこと、一度互いが互いの人生から消えたことへの罪悪感のようななんとも言葉にし難い微妙な空気になって妙に善人ぶったりして他人行儀な感じで思い出話を上ずった感じでなんとか続けたりして全然噛み合わない。私には、そういう、もう取り戻せない人々が何百人といる。その人たちとの関係が今も全て続いていたら?それはちょっと、というか、かなりtoo muchな感じだ。でもそんなことを考えてしまう。すべての人々を宝物みたいに今この瞬間まで大事に慎重に運んでこれていたら、私はもっと私という人間に失望せずに済んだのだろうか。至らない私。幼い私。誰かに背を向けることも傷つけることも厭わない私。私は彼らを取り戻したいわけじゃないし取り戻せるとも思っていないけれど苦しい。後悔で苦しい。誰のことも知らない自分が悲しい。誰とも向き合って来なかった自分を哀れに思う。いつか私も誰かのことを知ることができるのだろうか。家族構成や仕事内容、服や食の趣味、あるいは唾液や精液の味ではなくて、もっと本質的で捉え難い部分、そういう誰かの極点のようなところに触れる日が来るのだろうか。時間だけはあるがお金はない。そんな日々だからこんなことばかり考えている。観たい映画は山ほどあり、読みたい本は部屋の本棚にも本屋の本棚にもぎっしり詰まっているし、行きたい展覧会もたくさんある。欲しいものリストもやりたいことリストも年々長くなり、行きたい街は世界地図を埋め尽くしつつあって、会いたい人もそれなりにいる気がするのに、それでも私はこうして部屋で一人、働きもせず何もせずにそんなことばかり考えていて24歳の時間がまた一日終わった。多分こうして生きていく。この先もずっと。こんな感じだろうなあ。出会ったり、失ったり。でも多分なくならない。そのときの一瞬の煌めきとかイラつきとか視線とか全部その人自身が消えてもその場所に残ってる。私の体の一部だってまだあの教室にもあの部屋にもあのステージにもあの街にもいる。そんな気がする。
(Le 23 juillet 2020, à Tokyo)
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giraffechai · 3 years ago
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憧れのスカート
 70年代のフランスのものだというそのセリーヌのプリーツスカートは、とにかくウエストがきつい。ゴムやギャザーの全く通っていないウエストが一番下の肋骨と腰骨の間に食い込んで苦しくてたまらない。大事な日に意を決するようにしてその一張羅のスカートを着込めば、最寄り駅に着いた頃には変な冷や汗が止まらないし、胃はなんだか気持ち悪いし、浅くしか呼吸ができないせいで軽い頭痛までしてくる。
 何年か前、パリに留学していた時、たまたま行った古着屋でセリーヌのヴィンテージプリーツスカートを見かけたことがあった。一目でどうしようもなく惹きつけられたけれど、奨学金で食いつなぐ貧乏留学生だった私にはかなり勇気のいるお値段だったので、逡巡した末に買うのをやめてしまった。大抵人間はその類の決断には後悔させられるもので、それからというもの、私はそのセリーヌのスカートを執念を持って探し続け、2年経ってようやく代官山のお洒落な古着屋で偶然にも再会したのだった。そのスカートは完璧なまでに私の追い求めていたものだったし、見た瞬間「これは私が買わなければいけない」という使命感にさえ突き動かされた。
 そうして私の元に落ちついた探し求め続けた運命の一着なのだから、涼しい顔でアンナ・カリーナみたいに着こなさなきゃいけない。諦めるわけにはいかないのだ。ところが実際は、今日はイケそうと思って身に纏うたびにどうしてこうも苦しいのだろう、というイラつきに苛まれるばかりで、ヌーヴェル・ヴァーグの女神には到底及ばないのであった。70年代の女性というのはすごいよなぁ。だってこんなコルセットみたいなスカートを履いて一日中動き回っていたのだもの。そう思って、なんだか自分のウエストだけが70年代にタイムスリップしたような気持ちになる。かつてこの締め上げに苦し���られていたであろう女性が、今頃、ユニクロのリラコでも履いてくつろいでくれているといいな、とさえ思う。拝啓、元持ち主様、優雅に着こなすのにはまだ時間がかかりそうですが、それでもこの美しいスカートは私が責任を持って受け継ぎます、云々……。浅い呼吸を繰り返しながら、駅の階段を駆け上がる私の耳に、遥か遠い70年代から声援が聞こえてくるような気がする。
(Le 24 avril 2020, à Tokyo)
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giraffechai · 5 years ago
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Le 10 juin 2020
画家が見たこども展 三菱一号館美術館
都市生活、日常観察、アンティーム
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giraffechai · 5 years ago
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Le 9 juin 2020
Columbus(2017), Dir. Kogonada
観たのは6/5。
人生と建築が静謐に溶け合う美しさ。
ところで、久しぶりにtumblrに帰ってきたけど、この安心感はなんだろう。
私なりのサンクチュアリとして、書くことの実験、振り返ることの実験の場として機能させていこうかしら。
誰にもジャッジされない、個人的な場所、ブラックホール的SNS。
数年前の自分が載せた写真、文章、好きだったもの、観たものなど、稚拙だけど消さないでおく。私はいつもそうやって過去を物理的に消してきたせいで、断絶した人生を生きてるから。これからは恥ずかしくても紡いでいこう。
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giraffechai · 6 years ago
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Prague, Czech Republic
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