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そこに居るために
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irutame · 2 years ago
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旧加藤家合宿のふりかえり日記(宮本)
8月19日から21日の間、埼玉県蕨市にある旧加藤家住宅で、雨林と合宿をしました。これは宮本がその3日間をふりかえりながら書いた日記です。
この合宿はそもそも、来月参加する豊岡演劇祭2023のレジデンスプログラムに向けた予行演習がメインの目的だったけれど、2人それぞれにタスクもあって、想定よりもぱたぱたと過ごしていた。
19日、初日。朝から暑く、日中から活動することが不可能と判断(わたしたちは無理ができない)。集合を遅らせ、わたしは17時半頃ひと足先に旧加藤家住宅に到着。管理人の黒田さんに挨拶をして、寝床を準備し、食料やお酒の買い出しに。
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家の前にセスジスズメの幼虫がいた。というのは後になって黒田さんが調べて教えてくれた。進む度にふよふよ揺れるしっぽが妙だった。虫が苦手でない方は調べてみてください。
少しして雨林も合流。「暑くて重くて何も考えられない」と言っていた。わたしも概ね同意した。
3人集合したところでみんなで夕飯を作って食べた。夏はそうめん。大人3人並んで立てるキッチンっていい。わたしの住んでいるアパートはキッチンも狭いしシンクも小さいし、おまけにコンロを使うときは換気扇を回せないというなんというかダメすぎる不具合付きです。よろしくお願いします。
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夜は翌日の予定を組んだり、それぞれの仕事や準備をしたりして過ごした。明日は「しゃべる」をやらなくちゃいけない。最近これがどんどん怖くなっている。言葉ってたましいから遠すぎて難しい。わたしにとっては体の方が近いし繋がってるかんじがするけど、逆の人もいるのだろうな。ダンサーにもそっちの人はいる気がしてる。
10分くらいヨガをしてそのまま就寝。最近やってなかったけどこういうリラックス系のヨガは好き。
2日目。1時間寝坊。身体が疲れている。先週1週間熱を出して寝込んでいたせいか、それとも連日の暑さのせいか、このところ疲れやすい。朝ヨガ15分。YouTubeで「やさしい朝ヨガ」で検索してトップに出たやつをやったけど普通にキツい。ダンサーと名乗っているやつがこんなこと言ってていいのか、みたいなことをヨガやる度に思う。しかし毎度思うだけである。
昼食には昨日雨林が買ってきてくれたソーキそばを食べた。あっさりしてておいしい。麺の食べ応えがすごい。「多かったら残していいからね!」と言われた。残していいからね、ってお母さんじゃなくても言ってくれるんだ。残さず食べました。
この日は昼から 『居る』ためのワークショップ を開催。このワークショップはこれまで主に我々の身内の関わる現場で実施をしてきたけれど、オープンに参加者を募集したのは今回が初めて。過���に参加してくださった方や、初めてお会いした方、普段舞台活動をしていない方までたくさんの方にお集まりいただいたおかげで、過去の回とはまったく違う時間が流れていた。暑い中足を運んでくださり、ご参加くださった皆さま、本当にありがとうございました。おかげでまた次に繋げられます。
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ワークショップ終了後の会場で昼寝。寝室は別にあるのに。実家すぎる。畳にクーラーって最高の組み合わせかもしれない。体は休まったけど頭はなんだかずっとガンガンしていて、あまり眠れなかった。お腹がすいて起きる。
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夕飯は西川口駅前でケバブとトルコのビール。本当はプレートにしたかったけど絶対に食べきれない、と思って丼にしたけど全然食べきれなかった。自他ともに認める少食でやらせてもらっている。すごくおいしかった。
食べものを残すとき悲しい気持ちになる。幼い頃、給食を完食できなくて先生に怒られ続けた結果食事そのものが苦痛になり、ごはんを食べられなくなった。今はもう何でも食べられるので全然安心してください。そんな今でも、息を止めてごはんを飲み込んでいた記憶や料理がグロテスクにしか見えなかったあの感じを鮮明に思い出せる。人とおいしくごはん食べたり、一緒に作って食べたりできるようになって本当によかった。本当によかったね。
合宿中に街歩きできなかったな、と思いながら暗い線路沿いを歩いて帰る。夜でもまだ蒸し暑い。ビジネスホテルより手前に並ぶラブホテルたち。
帰ってから今日のワークショップのフィードバックと、プロジェクトの今後の作戦会議。途中で言葉が出なくなって申し訳なくなったけど、雨林がどう考えていけばいいかを丁寧に教えてくれたり、溢したワードをいいかんじに拾い上げてくれるおかげで自分の考えも少し整理された。おか生き(おかげさまで生きております)。ヨガは省略。4時半頃に就寝。明日は起きるまで寝る。
3日目、最終日。ぐずぐずと何度寝かを繰り返して昼過ぎに起きる。雨林は先に起きて仕事をしていた。この日は黒田さんも誘って、3人でヨガをした。軽く汗をかいた。
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合宿最後のごはん。野菜がいっぱいでうれしい。うどんは雨林からの香川土産。麺を持ってきてくれる人?
Amazonからキャリーケースが届く。これは雨林が自分用に合宿初日の晩に注文していたもの。中にすべての荷物を詰めて帰るらしい。わたしも��前、あまりに荷物が重くて近くのデパートでキャリーケースを買いながら小屋入りしたことがある。そのときはもう家を出る時点で買う覚悟をしていた。荷物が重いことってけっこうなストレスだということに気づいてから、移動を快適化することにあまりお金を惜しまなくなった。というのがごく最近のことで、昔は何でもかんでも気合いで担いでいたから、気づけばひどい慢性肩こりになっていた。
シーツやタオルの洗濯をして、漫画部屋(そういう部屋があります)で黒田さんに漫画をたくさん紹介してもらう。これは個人的には旧加藤家に来たとき恒例のお楽しみイベントなのでうれしい。黒田硫黄を借りた。
いないいないばあっ!を流し見しながら適当に荷物をまとめ、こうして3日間の合宿は緩やかに終わっていった。合宿所、ワークショップ会場として旧加藤家住宅をお借りすることを快諾してくださった黒田さん、本当にありがとうございました。大変お世話になりました。またここで合宿とか企画とかやれたらいいな。
雨林はもう明後日から豊岡入り。現地で青年団の方の仕事をしながら、こちらのリサーチも進めるらしい。すごすぎてよくわかんない。わたしもじきに追いかけます。
食べてヨガして寝た合宿でした。
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irutame · 2 years ago
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『居る』WS@架空カンパニーあしもと
架空カンパニーあしもと新作公演『���肢痛』座組のためのワークショップの記録です。
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【日時】
2023年4月29日 13:30〜16:00
【会場】
架空カンパニーあしもと『幻肢痛』稽古場@大阪市
【参加者】
高田晴菜さん(俳優/ニットキャップシアター)
宮田直人さん(ジャグラー/ジャグリング・ユニット・フラトレス)
吉屋太一さん(ジャグラー/ジャグリング・ユニット・フラトレス)
染谷樹さん(ジャグラー/架空カンパニーあしもと)
市松さん(演出家/砂と水玉)
宮本悠加(ダンサー/そこに居るために)
ーーーーーーーーーー
①体をひらく
体を常温に戻すための省エネストレッチ
呼吸
体の中の奥行き
②止まってみる
3分間静止する
静止する人とそれを見る人に分かれる
静止する人は、自分が居られそうな場所を探して立つ
静止する人と見る人を交代
ーーーーーフィードバックーーーーー
染谷「ラスト30秒で力の抜き方がわかった」
吉屋「最初は長く感じたけどだんだん慣れた」
染谷「肩が固かった。視線に重心が引っ張られた。最初の1分が2分、あとの2分が1分みたいな体感時間」
「だんだん見てたところが見えなくなっていってぶれだした」
「見てる人の存在を感じた。自分が止まっているから見てる人が揺れてるのが気になる」
「やってくださいって言われてやるのやりづらい」
染谷「(選んだ向きについて)狭いカドは感覚的に無限。無限だと干渉されにくいかんじがする。遠くにいると近くのことが誤差になる」
市松「(立った場所について)床のバリエーションあった方が足裏が飽きないかなと」
宮田「3分短かった。自分の体の揺れが気になった。安��したと思ったらまた揺れた。視界に人が入ってきて、いなくなったあと、自分の首が傾いてることが気になった」
染谷「手の指定がなかったから、思わず手を組んじゃった。物と共に舞台に立つ人間で、物に心を委ねている節があるので、手に物がある(手に何かが触れている)と安心する。手のひらに心がある」
高田「目線を点で固定してたけど、見えてるものを追っちゃうので途中から音に意識を向けた。目線の外のこと。仕事中とか電車の中とかでよくやってる。全てをシャットアウトするのではなく、音にする。シャットアウトしちゃうとつまんないから」
「もっと長くできそう」→⑤で6分に伸ばしてチャレンジ
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③休憩
④インスタント版同じ釜の飯を食う
他人を辿る、真似する
同じ(と思われる)ものを見る、触る、通る、感じる
3人1組で先頭を入れ替えながら同時に行う
ーーーーーフィードバックーーーーー
「注目ポイントの違いを感じた。自分が動く時は日常ベースで動いたけど、床をめくったり机の下をくぐったりする人を見て、あの人には世界がそう見えてるんだと思った。世界の見え方の違い」
「触る、引っ張る、みたいに一言で動いてみたけど、何段階かある人もいた。一言じゃなくて文章にするとなめらかになる」
「どこまでが意識している動きなのかわからないから、先頭の人をどこまで真似すればいいかわからないね」
「真似されることを想定してるかどうか、でも立ち回りが変わる」
「繰り返すことの面白さを演出的に考えてた。2組同時だったので、動線がかち合うように、とか」
「過去の演劇作品で、食べる動きはリピートするんだけど肉まんは物理的にどんどん減ってくっていうのあった」
⑤止まってみるその2
全員一斉に6分間静止する
ーーーーーフィードバックーーーーー
「みんないけてた」
市松「永遠��いろんなことを考え続けることで止まってた。点にして広げて…回してみるか…揺れてるの見えるな…」
染谷「無になった。立ったまま寝てる感覚。固定されているかんじ。思考がシャットアウトしてた」
宮田「体が前後に揺れるのが気になった。修正しようと思ったら今度は横揺れが気になり…重心とかじゃなくなっていった。気になる場所が変わり続けていった」
吉屋「水の音(ネコちゃんのやつかな)が心地よかった。ぼけーとしてた」
高田「自分では止まってるつもりだったけど、重心が回り続けてるかんじがした。止まってるという感覚を作ろうとするんじゃなくて、回り続ける感覚を維持しようとしていた」
染谷「寝る前って、指先から沈み込んでいく感覚があるんだけど、今は立ちながらにして体が沈み込んでいけた」
宮本「静止する、の穴を突けた。表面は静止してるけど内側はズルして動いてた」
市松「ずっと止まってるの無理だから、ずっと動くほうにした」
「サーカスの綱渡りは、あえて揺らすことで軸を通せる(ような気がする)んだよね。バランスをとりやすい」
「能楽師。高速で駒をまわすイメージ。そうすると止まれる」
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⑥居てみる
20分間くらい
自分のためだけに過ごす(でもみんな居るね)
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ーーーーーフィードバックーーーーー
宮田「みんなアクティブだなあと思った。(照明を触る人がいたので)電気が点いてる・点いてないというのが気になった。本読んでたからかな?」
吉屋「みんな静かだなあと思った。ぼくのためにかまってほしかった。まわりが静かだとうるさくしたいけど、うるさいと静かにしたくなる」��「世界の均衡を保とうとしてる?」
染谷「人がいない瞬間落ち着くなあ」
高田「空気清浄機のとこで寝てたら、いいかんじのとこに市松さん来たなって」
市松「反応してるなーと思った」
高田「ネコのいる付近を見てた」
市松「いたずら心で人に罠を仕掛けに行った。他人の目を借りて、今自分こうなってるんだ、と。メタ認知」
宮田「自分のために過ごす、と聞いて、全員がそれぞれ単独で行動してるイメージしかなかったけど、その中に他人に関わりにいくという選択肢があることに驚いた」
吉屋「それ(単独行動)も思ったけど、それだと作られてる気がする」
宮田「ドアって閉まってる状態が美しいと思ってるから、開いたドアは閉めてた」
市松「わたしもむずむずしたとき動きに行ってた」
高田「人に退いてほしいとき、声をかけるべきかどうか考えてしまった。許可をとる、がわたしの欲求にはなかったからだと思う」
染谷「居るだけでいいよと言われたとき、素のリズム感で居て良くて、ゆっくりでいいのいいな、日常のリズム感から解放されるのいいなと思った。考えなくていい時間。日常ともちがう時間が流れてた」
(『居る』WSについて、これは本質とはズレた感想なんですが、『生活する』とかの行動する目的から解放されて、もっと手前の『居る』だけで許される状況になった時、自分の挙動が完全にスローになったことに感動した、自分の生きるリズム感ってこんなに遅かったんだ、って発見があった)
宮田「自分がやりたい行動ってとくにないんだなと気づいた。意地でもひとりになり続けようとしちゃった」
吉屋「人と居るときとひとりで居るときの自分のあり方はちがう。人がいると関わりたくなる」
宮田「人が居てもひとりでいいかな…」
吉屋「人が居るとこで本読みたくないかな…静かなとこで読みたい」
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irutame · 2 years ago
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坐禅体験
宮本が初めての坐禅会に参加してみた記録です。
2023年4月12日 7:00〜8:00
@臨済宗大徳寺派香林院
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数息観(すそくかん)
1から10まで頭の中で数えながら呼吸を行う。
「ひと〜」で静かにゆっくり深く息を吐き、「つ」で吸う、
「ふた〜」で吐き、「つ」で吸う。
この要領で10まで数えたらまた1に戻る。
これを坐禅の間繰り返すことに集中し、雑念を払う。
慣れてくると息を吐く時間が少しずつ長くなる。
・流れ
坐禅①25分・休憩5分・坐禅②25分
指導する人はいなくて、親切な常連さんたちが教えてくれたりやり方のプリントくれたりした。
参加者は8人くらい。
用意してある座布団席の中から落ち着ける場所を選んで、靴下を脱ぎ、あぐらで座る。足の組み方は結跏趺坐(けっかふざ)か半跏趺坐(はんかふざ)。椅子に座ってもよいらしい。全員が空間の内側を向くスタイル。わたしは入ってすぐ右側の席にした。
肩の叩かれ方が説明されている「警策(けいさく)の受け方」というプリントがあったので覚悟したけど、この日指導僧さんは不在だったため、なし。そもそもこの坐禅会では��らないのかもしれない。
マスク着用が決まりだったけど、正直外したかった。マスクをつけてると呼吸が体の中のことになる、体の中で完結する感覚になる。呼吸ってもうちょっと外側というか、外と繋がってることだと思うんだけど。
坐禅① 25分
あっという間だった。モデル(仕事)やるときこれやろ〜と思った。
心のわさわさが落ち着くと呼吸の速度も落ちた。
数息観も途切れず最後まで集中できた。
「呼吸」を意識すると体のことをやっている感覚になるけど、「呼吸を数えること」を意識すると体のことも外の物音とか風とか光とかくらい少し離れたところから見えるようになる。絶妙だと思った。
終わる頃には呼吸の速度がかなりゆっくりになってた。
足がやや痺れた。我慢できる程度。
姿勢が前傾ぎみなので、腰に負荷がかかる。でも引き上げようとしなくてもキープができる位置なんだなとは思った。
途中で少し眠気がきたけど、常連っぽい人たちも結構ねむかけこいていて、意外とそういうものなのか〜と思った。もっとストイックなイメージがあった。
なんかよだれがめっちゃ溜まる。なんで?
休憩 5分
ここで何人か帰ったり、ここから参加する人もいたりした。
後半も参加する人たちはそれぞれ脚を伸ばして体をほぐしてた。
坐禅② 25分
完全に集中切れた。考え事しちゃったし数息観も何度か途切れた。
1回目よりずいぶん長く感じた。
でも最初より明らかに居やすいし、呼吸もはじめからゆっくりだった。たぶん慣れもある。
途中からだんだん日の光が入ってきてとてもよかった。
よだれがめっちゃ溜まる。なんで?
側から見れば不自然なことをやっているように見えるんだよなということも途中で考えた。
動かないでいるというのとは違うし、かと言って何かしている、でもあまりしっくりこない。
その人の、自分のためだけのこと、時間
やっぱり体験してみないと何が起きているのかわからない。やってもこんなにもわかってないけど…
ーーーーーーーーーー
このあとモデルの仕事があったので、20分のポーズ中に数息観をして(って言い方するのか?)過ごしてみた。いつもより楽に過ごせるのではと思い…
結果として、この集中の仕方に慣れていないのもあって精神的にはむしろすごく疲れた。慣れたらもっと穏やかに過ごせるようになるかしら。
ただ体はすごく楽で、いいポジションに自然とハマれる、みたいな感覚があった。
あとよだれがめっちゃ溜まる!!!!なんで???呼吸の意識をやめたら全然なんともなかったから、この日の体調とかではない。本当にわからない。調べたら、Yahoo知恵袋に同じようなことを書いてる人がいた。理由は謎だった。
坐禅会、また行きたい。居る練習する前に坐禅やるのもいいと思う。
これまでワークショップで何時間もかけてやっと手に入れたり、手放したりできていた居方が、坐禅をすれば25分でほぼできてしまうぞという衝撃も、あった…
あと瞑想もやってみたい。瞑想くんのこと、まだ何も知らないので。
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irutame · 4 years ago
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Research in Kawazu
アーツカウンシルしずおかが主催する『マイクロ・アート・ワーケーション2021』に三浦が参加。 静岡県 河津町に1週間滞在した。
▽滞在中の日々の記録
2021/12/21「海の見える街」(1日目)
2021/12/22「土器と桜」(2日目)
2021/12/23「冬至」(3日目)
2021/12/24「まえがき」(4日目)
2021/12/25「書くこと、作ること」(5日目)
2021/12/26「お正月へ」(6日目)
2021/12/27「見えない町」(7日目)
河津に居たまとめ
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irutame · 4 years ago
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居た記録
これは2021年8月の居た記録です。
去年、2020年から私たちは「そこに居るために」と称して、俳優やダンサーがどのように作品の中で”居られる”のか、を考えるプロジェクトを始めた。
この一年、二人で同じことをして、わかってきたことがある。
”居る方法”は一人一人の性質によって違うこと。
”居る表現”は専門によって視点が変わること。
行きの電車で、悠加に「あなたは”居た”記録を自分の体に蓄積出来るんじゃないか」と話してみた。悠加の体そのものが居た場所の記憶や時間を吸収して、悠加の体そのものから直接その記憶を表現することが可能だと思う、これは振り付けというよりも例えば生活の中で身についてしまうものとか、そういうのに近いんじゃないか、それってとっても”居た”だと思う、ということを伝えた。
私は、悠加と同じ方法では出来ない。私の職能は見ることと整理することに特化しているので、表現するにはこの体はうまく使えない。かと言って、去年最初に試していた、文字を書くというのも今は違うような気がしている。なので、スケッチをすることにした。そして、動画を撮ることにした。絵は、私が出会ったマテリアルであること。動画は、綺麗じゃなくてもいいから、撮っている私の存在を消さないこと。とした。
海と川と山に行った。
以前、「駅でただ”居る”だけの人がいたら怖いよね」という話をした。これは目的がわからない人は怖い、ということなんだけど、もう少し踏み込んでみると、私たちが考える”居る”というのは、そもそも都市との相性が悪いんじゃないか。都市は目的と意図で構成されているから、無目的の人間は異質な存在に見えるんじゃないか。
そうすると、”居る”というのは意思の問題?
例えば、牛のことを考えてみる。草原の真ん中とか、よりどころがない場所に立つ牛は”居る”と思うけど、木陰に座っている牛は”涼んでいる”と思う。これは私という見る側が決めていることであって、牛の意思は関係ない。
灯台のある山に登った。
灯台のまわりには、いくつか人間が作ったオブジェクトが配置されていて、それがその場所の安全性を担保しているような気がした。”ただ居る”というのは都市の中でも難しいけど、何もない森の中でも難しい。
どうやったら舞台の上で、外から与えられた言葉や振り付けを携えたまま、居ることが出来るだ���う。
セリフと振り付けは似ている。外から与えられたものを自分の体を通して発する。
例えば、今読んでいるこれは私が私として書いた文章で、私が私として読んでいるけれど、これはセリフになんだろうか。
三浦雨林
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irutame · 4 years ago
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Research in Ishinomaki
2021年8月24日・25日
宮城県石巻市へ滞在し、リサーチ・フィールドワークを実施。 マテリアルや風景を三浦が記録・採集、宮本がその土地で見つけた振り付けを収集。
最終日に様々な地で収集した振り付けを並べ、観客のいないパフォーマンスを実施。
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irutame · 5 years ago
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archive0219
archive20210219
@BUoy
10:00- 小屋入り
14:15- 三浦WS
==========
宮本:気づけることは増えていったけど変化したって感じではなかった
一定だった、3分間
いろんな音がきこえてくるのいいね
晒されてる感じがなくてよかった
三浦:音を聞こうとしてしまった
疎かになった
緊張した、心臓があがっちゃったまた…
立つぞ…
三浦:ここに入ってくるものを聞いていたら眠くなった
でも椅子とは仲良くなれなかった
宮本:眠くなっちゃった
長く感じた。眠くなっちゃったからかもしれないけど…。
景色が全然見えなくなっちゃった途中で。動くものがなかったのと遠いのとコンタクトが入ってないのと。
(ここまでだいたい45分)
三浦:うまくいかなすぎた…できなかった…
宮本:毎回景色変えたいって思った
担当 三浦・宮本
①静止する(20分)
・3分やってるのを見てもらう
・何が起きてたか質問タイム
・3分やってもらう(三浦も一緒)
・どう見えたか質問タイム
②体の広がり(空間の広がり)
・呼吸(肋・背骨の間に空気を入れてみる)
・体側伸ばす・体操
  ピラティスの呼吸・胸式呼吸:意識するところを変えていろいろやってみる
③静止する(時間の広がり)
・5分やってもらう
・何が起きてたか質問タイム
・5分やってる人を見る
・どう見えたか質問タイム
(休憩15分)
④インスタント版「同じ窯の飯を食う」
(広がった体と時間を世界と一致させる・他者であることを認識する)
・相手を辿る
・相手に辿られる
⑤同じ場所に居てみる、心の向くままになにかを表出させてみる
(他者と広がったまま交わってみる)
・20分
・フィードバック/うまれたもの?をみる
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irutame · 5 years ago
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archive0218
archive20210218
10:40- ワークの流れをやってみる
13:00- やってみたワークの振り返り・当日の諸々
======今回のワークの流れ=========
担当 三浦・宮本
①静止する(20分)
・3分やってるのを見てもらう
・何が起きてたか質問タイム
・3分やってもらう(三浦も一緒)
・どう見えたか質問タイム
②体の広がり(空間の広がり)
・呼吸(肋・背骨の間に空気を入れてみる)
・体側伸ばす・体操
  ピラティスの呼吸・胸式呼吸:意識するところを変えていろいろやってみる
③静止する(時間の広がり)
・5分やってもらう
・何が起きてたか質問タイム
・5分やってる人を見る
・どう見えたか質問タイム
(休憩15分)
④インスタント版「同じ窯の飯を食う」
(広がった体と時間を世界と一致させる・他者であることを認識する)
・相手を辿る
・相手に辿られる
⑤同じ場所に居てみる、心の向くままになにかを表出させてみる
(他者と広がったまま交わってみる)
・20分
・フィードバック/うまれたもの?をみる
================================
*13:00- ワークの改善点
④の広がりのために、楽器とか持って行ってみる?→質感が違うものがいいよね
三浦の持ち物(鉄筋、花のレンズのやつ、油性ペン、光の見え方が変わるやつ)
7分とかにする?→明日試す
⑤のフィードバック
・何を見てたor見てなかった?(何が気になったか?)
・何か考えてた?
・自由?になれたか≒体と時間の背骨は広がったか→これが良いか悪いか
*当日のもろもろ
TT
19日
9:45 BUoy利用説明(片岡さん) 
10:00-14:00 
14:00-17:00 ウリピー
18:00 退館
20日10in-18out
10:00 入り
13:30- 迎え入れと準備
14:00-17:00 まゆこさん
18:00 退館
21日10in-18out
10:00 入り 
10:30- 迎え入れと準備
11:00-13:00 ナガピー
13:30- 迎え入れと準備
14:00-17:00 安島ちゃん
・todo
□各ゲストに入り時間を伝える
□HPの仕様を変える
・買うもの
□手指消毒液
□物品消毒液
□ペーパー
□非接触型体温計
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irutame · 5 years ago
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archive0217
archive20210217
16:00- ヨガ
17:00- 流れのおさらい(静止・もちゃもちゃ・やってみる)
18:00- もちゃもちゃを考える
====================
*静止(5分)
三浦「現実の体の端と認識?してる体の端が一致してた。また眠くなっちゃった。背骨の間はちょっと伸びたけどすぐ戻っちゃった」
宮本「面白かった。最初はこういう形で…どのくらいの体重の割合で…という外側の意識が強くて、この形でポーズをとってるという意識だったんだけど、最終的にここにいるんだけど、いるだけの魂になってた。どういう形で立ってるかがあんまりわかんなくなってった。目線もちょっと動いちゃった。自分では立ってなくて外側に立たされてる」
*もちゃもちゃ(10分)
*やってみる(20分)
宮本「昨日は空間が止まってるって言ったけど、そんなことはないと思って、自分が止めてるんだと思ってずっと動かしてみた。どっかちょっとでも揺れてると次に繋げられる。昨日より低カロリーでした。」
三浦「ぽんって出てきたワードとかをしっかり見つめた。昨日は空間に乗ってる感じだったけど、今日は空間と同じレベルにいられた気がする。」
居ようとする努力?
空間に乗るではない気がする。
→傍観者ではない・安全な場所にいるわけではない・空間と他者と同じレベルにいる
作用しあう
ピタゴラスイッチ的に
クロッキーじゃないということを共有しなければならない
追いかけるでもない
接続→もちゃもちゃの時間がそうなるためのヒント?
18:00- もちゃもちゃを考える
もちゃもちゃ = インスタント版「同じ窯の飯を食う」
→同じ世界の同じ時間にいるということの共有・接続
・同じ場所を辿る
(聞く、見る、嗅ぐ、触るなど)
思い出したこと
 喋らされることによる身体との接続感
 歌うことに関してのハードル
インスタント版「同じ窯の飯を食う」5分×2
自分の居場所を見つける・お店を広げる・腰を落ち着ける 10分
======今回のワークの流れ=========
担当 三浦・宮本
①静止する
・3分やってもらう
・何が起きてたか質問タイム
・3分やってる人を見る
・どう見えたか質問タイム
②体の広がり(空間の広がり)
・呼吸(肋・背骨の間に空気を入れてみる)
・体側伸ばす・体操
  ピラティスの呼吸・胸式呼吸:意識するところを変えていろいろやってみる
③静止する(時間の広がり)
・5分やってもらう
・何が起きてたか質問タイム
・5分やってる人を見る
・どう見えたか質問タイム
(休憩)
④インスタント版「同じ窯の飯を��う」
(広がった体と時間を世界と一致させる・他者であることを認識する)
・相手を辿る
・相手に辿られる
⑤同じ場所に居てみる、心の向くままになにかを表出させてみる
(他者と広がったまま交わってみる)
・20分
・フィードバック/うまれたもの?をみる
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irutame · 5 years ago
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archive0216
archive20210216
11:00- 静止する(3分)
ワークを考える
12:30- 休憩
13:00- ワーク続き
=====================
*11:00- 静止する(3分)
体を起こす前に止まってみる
宮本「目の状態で安定するんだな〜、最初の状態が嘘だった?」
三浦「昼間のパワーで思考の背骨の隙間はできたけど、体がガタガタだった」
→ヨガの代わりのワークをやってみる
・呼吸(肋・背骨の間に空気を入れてみる)
・グーパー
・体側伸ばす・体操
ピラティスの呼吸・胸式呼吸:意識するところを変えていろいろやってみる
*13:00- ワーク続き
時間割
19日10in-18out
 14:00-17:00 ウリピー
20日10in-18out
 13:00-14:00 絶対休憩
 14:00-17:00 まゆこさん
21日10in-18out
 11:00-13:00 ナガピー
 13:00-14:00 絶対休憩
 14:00-17:00 安島ちゃん
③静止する(5分)
宮本「怒りがこみあげてきた…」
三浦「みえなかった…」
三浦「寝そうだった」
宮本「引き上がってるなーと思った、重心の位置が高かった」
④空間でそれぞれもちゃもちゃする(5分)
→広がった体と時間を空間に馴染ませる
Q:あの河原で何してた?
宮本「小さい興味に明確にピントをあわせる」
三浦「際・輪郭を あるなー って見てた。空間と接続させてた」
ここまでで自分の体と自分の時間の背骨の間が広がったと思うので、空間と馴染ませる作業をします。
空間というのは、あるもの全てで他者も含みます。
馴染ませる作業にはそれぞれの方法があるはずで、例えば宮本だと「小さい興味に明確にピントをあわせる」という方法。何かを見たりすることを止めずに触れてみる。三浦だと「輪郭をなぞる」方法。際をあるなーあるなーと見て認識する。あと暖かいところにいる。
そうやって空間と自分を接続させる作業です。
→もちゃもちゃタイムで⑤の時にいる場所が決まっていく感覚
⑤同じ場所に居てみる、心の向くままになにかを表出させてみる(20分)
→他者と広がったまま交わってみる
宮本「止まってるなー空間がと思った。」
三浦「ここから遠くに行きたかったけどうまくいかなかった。なんでだ?」
宮本「ちょっと自分のことがどうでもよくなった方がいいのかなと思った。自分の体でどう感じてるかというよりも、風がビュービューふいてるのとかに乗る感じ」
晒されてるー安全 のバランスがとれてると、遠くに行きやすい?
室内だと????→室内でもいける方法論を見つけたい
整備されてればされてるほどうまくいかない
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irutame · 5 years ago
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WSのための事前練習
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irutame · 5 years ago
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archive0215
20210215
【今日からやること】
・我々の思いだし作業
・アーティスト向けのワークの内容を考える
・当日の時間割を考える
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16:00- ヨガ
17:00- ワークを考える
19:00- 静止する
ヨガの途中で雨が止んで、虹が出てた。
ヨガが終わる頃にはなくなってた
17:00- ワークを考える
*我々がやってたことは
①ヨガ:体の広がり
②静止する:時間の広がり
③空間でそれぞれもちゃもちゃする:広がった体と時間を一致させる
④同じ場所に居てみる、心の向くままになにかを表出させてみる:他者(世界)と広がったまま交わってみる
背骨の間に空気を入れるイメージ
自分の枠を広げる・ぼかす?
ワーク案A
①静止する
②体の広がり(空間の広がり)
・好きな場所で立つ・真似される
・相手の体を真似る
・相手の体を真似する:相手と同調するためじゃなくて、自分の体のことを知るため
・相手に体を真似される
・呼吸(肋・背骨の間に空気を入れてみる)
・体側伸ばす・体操
ピラティスの呼吸・胸式呼吸:意識するところを変えていろいろやってみる
③静止する
���時間の広がり
・3分やってもらう
・何が起きてたか質問タイム
・3分やってる人を見る
・どう見えたか質問タイム
④空間でそれぞれもちゃもちゃする
→広がった体と時間を一致させる?
⑤同じ場所に居てみる、心の向くままになにかを表出させてみる
→他者と広がったまま交わってみる
*久々に静止する
三浦の3分:
三浦「意外と短かった。目は見えてた方がいいかも、ぼやけてたのが動いて気になった。全く関係ないこと考えちゃった。」
宮本「だんだん鋭くなってった…」
宮本の3分:
「居るなと思った。影があると実態がある感じがする」三浦
宮本「思考がずっとここにある感じだった。たぶん5分10分になったら行ってた。時計の音とか電車とかお腹のすきぐあいとかばっか考えてた。その場にあるものに触れてた・今感じてること。最初は目線の先のを見てたけど、ぼけてて、1分くらいしてやっと時計の音が耳に入ってくる感じだった」
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irutame · 5 years ago
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ふりかえり
2020.11.18-20
 感覚が開いたまま東京に戻ってきたため、しょっぱなに乗った品川から渋谷までの山手線で「人の臭い!」と以前は気にすることのなかった強烈な感覚にびっくりした。いや、以前は気にすることのなかったというか、北海道から上京した時も感じていた気がする。忘れて(慣れて)しまった?  例によって文章がまとまらなかった。
◯東京→江原  東京の稽古場で3日間、「東京(社会)の時間・体」から「自分自身の時間・体」へと慣らしてから兵庫に行ったのが、結果としてはかなりよかったように思う。江原では、江原河畔劇場や⻘年団、SUVLOG(渡辺瑞帆さん)の助力をいただき、いろいろな場所でいろいろな試みを行わせてもらった。とても充実した実りのある5日間だった。時間を⻑くゆっくり感じながらも、足りない!とも思っていた。あまりにも早く過ぎていった今年の中で、久しく実感していなかった感覚だった。  江原では⻘年団が所有しているどんぐり荘と呼ばれる古⺠家に宿泊していたので、畳の部屋での朝ヨガから一日を始めた。日の当たる場所や景色のいい場所を探し、だいたい1時間ヨガをやった後、「静止するワーク」を 1 時間行い、外に出る。町や海や河原などでひたすらその場に居るために場と向き合う。振り返ると、ストイック極まることをひたすらに繰り返す、修行のようなことをしていたような気がする。  東京での最初の取り組み日から継続して行った「静止するワーク」は”美術モデルのように体を一定時間動かさずに止まり続ける”というもの(※1)で、これがなかなか面白かった。最初は3分、次の日は5分、また次の日は8分とだんだん時間を増やしていった。江原に行ってからは中庭や縁側など、直接外とつながっている場所で試してみた。自分がやってみてわかったのは、だいたい3分経過した頃に体が安定してくるということとそれは外から見ててもわかるということ、そして時間の⻑さは意外と苦痛じゃないということだ。ただ、時間の⻑さについては終わりのあるもの(例えば音楽)や一定で刻まれ続けるもの(例えば時計)があるとつらい。これらを意識してしまうと静かに体に向き合うことが難しくなり、社会的な時間・体のスピードに戻ってきてしまう。  自分の時間・体に集中することができた時、私の場合だと「A:体のことを忘れて思考だけが広がっていく」か、「B:思考の速度と密度がだんだん薄くなっていき、体の実感だけがある(あるいは広がっていく)」という2パターンのうちのどちらかになる。今回の期間中、⻄田幾多郎の「知的・神的状態⇄動物的魂⇄動物的魂・物体的状態」という捉え方(※2)を軸に体のことを考えていた。この考え方に従うと、A は知的・神的状態になっており、B は植物的魂の状態である。また、B の状態では体に流れてくるもの(聞こえてくる音、例えば鳥の 声や工事の音など)を思考を通すことなくただ”そこにあるもの”として体の中を受け流していたが、A の状態の時は思考がはっきりしているのでその音などの情報の方へ想像やイメージで飛んでいくことが多かった。いわゆる A は覚醒している状態、B は心頭滅却と言われる状態だったと思う。火もまた涼しなのかはやってみたいところ。  知的・神的状態と植物的状態のどちらも“居る”には違いないのだが、恐らく私たちが作品での居方で最適だと想定しているのは、体と思考が一致している動物的魂の状態だろう。だが、本当にそのあり方が最適かどうかはやってみないとわからない。そして、果たして自意識と共に乗る舞台の上でそんなことが可能なのかもやってみないとわからない。
◯『居るためのれんしゅう1〜4』3について  滞在2日目から3日目にかけて、なんとなくできることとやってみたいことが見えてきたので、実験的にひとつの何かができないかと二人で話をした。私は始めに、「三浦がどんぐり荘という空間に作品(言葉)を一致させ、その言葉ありきのどんぐり荘に宮本が居る」という試みを提案した。4 日目に実際に試してみたが、私が空間に全く⻭が立たず、どう考えればいいのかの糸口さえ掴めないまま夕方を迎えた。宮本はその間、いろいろなパターンで居ることを試していたらしい。らしい、と言うほど何も見る余裕がなかった。  私が試みた「空間に作品(言葉)を一致させる」というのは、既存の小説や詩の言葉をどんぐり荘に”居させる”ことが目標だった。普段は演劇をつくっているので、俳優が担うものを言葉単体でも同じように担えるのではないかと考えた末だったが、実際は全く違った。やってみて実感したが、そもそもこのふたつは全く性質が違うものだった。  言葉は情報の塊だが、俳優は情報そのものにはなりきらない。美術作品をつくるに近いことを試み��いたのだと思う。どう考えたらいいのかもわからなかったし、予想とやってみた結果も尽く相違していた。情報の塊じゃない言葉なら空間に乗ったのか?でもそれは果たしてどんな言葉で、どんな方法なんだろう?夕方になると、あまり日の入らないどんぐり荘は一気に暗くなる。蛍光灯の下でどんぐり荘のことはあまり考えられないので、SUVLOG(※4)に移動することにした。宮本に先に行ってもらい、私は一度今日を終わらせたい…とわがままを言い、1時間仮眠をしてから向かった。行くと、ガラス張りなので外からでも宮本が居るのがわかった。  最初に「二人でひとつの何かができないか」と私が言い出したのは、滞在2日目に江原河畔劇場スタジオで宮本のインプロを見ていた時だった。この時の宮本のインプロを、私は景色を見るのと同じように見ていた。そして、解説や解釈や付与ではない形で自分から言葉が 流れてくるのを感じていた。「宮本が”居る”のを見て記述しながら”居る“三浦」という構造について、「宮本が”居る”ということに対して言葉を並べることで意味や情報の付与をしてしまうんじゃないか」「文字を書くというのは、知的・神的活動で”居る”とは遠い行為なのではないか」とよくわからないでいたが、何かの突破点がそこにあるような気はしていた。  宮本への説明と許可も得て、とにかくやってみることになった。この試みに対して、「嘘の言葉、実感のない言葉を書かない」・「物語を付与しない」ということは強く意識していた。宮本も”居る”身体に嘘をつかず、物語や情報や知識に頼らないという地盤があった。宮本にとっての”居る”が身体の自然な動きなら、三浦にとっての”居る”を言葉で出来ないかと考えたのだが、やってみて、映像を見返してみた今でも、あまりよく考えられていない。これがうまくいっているのかもわからない。ただ、私が空間や宮本に言葉を付与・説明・解説・解釈しているように見えているのであれば、この試みは失敗だ。
◯江原→東京  世界を拡張したまま東京に戻ってきてしまったので、うまく体を閉じられず、以前よりもものすごい情報量が体に流れ込んでくるのを感じている。特に音が顕著で、濁流のように体に流れてくる。聴いているではなく、流れていく。体を通り過ぎていく。これはいつまで維 持できるだろうか。加えて、計画された人工物はあまり⻑い間じっくり見てられないことがわかった。水の流れや芸術作品、木の揺れや落ち葉などは静止するワークと同様にずっと見ていられる気がする。一定の強度・速度を保ったものではなく、流動的でさまざまな強度・速度が束になっているものの方が、自分と親和性の高い時間を選ぶことができて楽だ。予想では人の流れも見ていられると思うのだけど、どうだろう。意外と無理かな?このワークに取り組む以前までは、人混みを歩く時、体がここにない感じがしていた。というより、ここにないことにしてたんだと思う。否応なく人とぶつかるし、視線が飛び交う。やわらかな安心しきった体でいると話しかけられたりアクションを起こされたりする。だから、体はここにない・感覚をなくすことで防御���ていた(いる)んじゃないだろうか。よくわかる。今までは放心して弛緩するか、意識を保って緊張するかのどちらかしか知らなかった。  滞在期間中、いろんなことを思い出したり、発見したりできた。久々の感覚。新しいことを見つけるのは楽しい。できるかもしれないこと、やりたいことが浮かんでくるのも嬉しい。何かを作る時に背負う緊張感やプレッシャーという社会的な感情から少し離れられたのも身体に現れていたと思う。
◯わたしたち�� 徹頭徹尾 他者である  滞在期間中、「わたしたちは徹頭徹尾他者である」ということを強く意識していた。他者であること、つまり本当のところではわかりあえないということを、今回のパートナーである宮本と共通認識の上で暮らしていくことを明確に目指していた。これは、クリエイションで はいつも注意していることだが、今回は特にお互いが近寄ってきやすい試みだったので普段のクリエイション以上に意識をしていた。  滞在中の試行錯誤では、安心できる相手がいればコミュニケーションを取っていなくても無防備な状態で外に居られるということ、また、自分と同じ“居る”状態の相手であれば他者のままお互い交わらずに存在していられるということがなんとなく実感になってきた。同化しないまま同じ地面に立つことはどうやら可能かもしれない。  少し話が逸れるけれど、隣屋(※5)は“他者同士がそれぞれの人生の中で選択をして何かを為したり為さなかったりできる組織”を目指している。団体としてひとつの目標に向かってみんなで走っていくスタイルではなく、それぞれの人生の中で交わった興味の対象に惹かれた者同士が一緒に何かを作ったり考えたりしてみるという流動的な在り方を目指している。  強固な集団性よりも、しなやかな結びつきによってお互いが自由でいられることが今の私の理想であり、そうでなければこの先⻑くは続けられないかもしれないと感じている。同じ集団にいても、わたしたちは徹頭徹尾他者であり、当たり前だけれどそれぞれの生き方があること、お互いを背負わずに流動的に居たり居なかったりできる場所を目指すことで、たおやかに続いていく流れになれたらいいなと思っている。  演劇は複数人でひとつの作品をつくる行為だが、多くの場合は演出家がイニシアチブを取る。言葉を言わせる・喋らせるという行為がひどく暴力的だと思ってしまっている今、演出家・劇作家である私は、言葉を引き受ける俳優や空間を担う技術スタッフの方々とどのように他者のまま強度を持った作品がつくれるのか、ずっとわからないでいる。わからないでいるというと少し違うのだけど、うまく言葉にできない。そりゃ今までの作品だって世界のどんな作品だって人間は他者と同化することはできないので他者は他者のままなのだけど…。
◯これから  今回の期間では、本来の目的である「作品が場に浮いてしまうこと」を考えるに至らなかったので、まだ当分このプロジェクトは続いていく。初回の成果としては、「人がそこに居ること」のさわりくらいは考えられたと思う。やりたいことも、続けたいこともまだまだあ るので、引き続き修行に勤しむ。たのしみ。  いまは、今回のまとめを何か物体で残したいと考えているところ。ZINE でも作ろうかな。
◯滞在最終日に温泉で詠んだ句  ここにいる ことを世界に 示すよう 私の際から 湯気が流れて
三浦雨林
(※1) 静止する人とそれを見る人に分かれて行う。基本的には目線も一点で止めておくため、意識的に動かしてもいいのはまぶた(まばたき)だけである。また、体が限界だったり止まっていられない場合は都度中断しても良いとしていたが、中断することはなかった。静止する人は居る場所とポーズを様々なパターンで組み合わせて試した。それぞれ見る人が指定するパターンと自分で決めるパターンの違いはかなり大きく、おもしろい体験だった。
(※2)意識と身体が一致している状態を動物的魂、身体についての意識が消えるかあるいは身体そのものになりきった状態を植物的魂・物体的状態、身体の制約から解き放たれてほとんど意識そのものになりきっている状態を知的・神的状態として、われわれはそれらの状態を「身体的欲望を感じ身体を強く意識している状態(動物的魂の状態)を中間段階として、一方の植物的魂・物体の状態と他方の知的・神的状態とのあいだを日々往ったり来たりしている」(小浜善信『⻄田幾多郎の哲学(III)』p11)。
(※3) https://www.youtube.com/playlist?list=PLplGcy-ch2H2rXLA4drdm0tu7nI49ICgT
(※4)SUVLOG はアーケードの中の一店舗で、展示などが可能な多目的スペースのような空間だ。8畳ほどのガラス張りで、壁は木目と土台のコンクリートが剥き出しになっており、ご協力いただいた渡辺瑞帆さん含めとても素朴で素直で何かが生まれそうな栄養が蓄えられているような場所だった。
(※5) https://tonaliya.cargo.site/
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irutame · 5 years ago
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宮本のメモ
2020.11.16
文章書き筋(きん)がない。
いろんな場所に居てみる。キャッチの仕方?メソッドではなく(でも何かメソッドがあるといいよね…)波長の合わせ方、場の見方。居るための層のような場所があるのかな。それを見つける練習をしないといけない。アトリエで「自由になれなかった」と思ったのはそれが届いてなくて集中が足りなかったからか。でもここにはどうしたって居られない、というのも一つの答えだと思う。
マスクしてると空気は吸えるけど風は吸えない。
ものすごく動いてみる、をいつかやってみたい。けどあんまり想像つかない。
◎河原に居てみた
足元が不安定な場所だと、怖くはないんだけどそっちに意識の割合が多く行って��まう感じがして、気づくと目線が低くなっていがちだった。足の裏が地面に吸い付けられて遠くに行けない感じ。海ではそんなことなかったんだけど。あ、靴履いてたからかな。海での身体を少し追ってしまったけど全然遠かった。あの時間の記憶は、素敵なできごとフォルダに入っている。
河川敷をのぼってみたら風が変わった。新しい風だと思った。景色もすっとして見えて気持ちがよかった。足の裏に感じる吸着力がさっきより弱まっている。重心が上がる。
◎ERSTスタジオ
1回目のインプロのときと(内容が別だったのもあるけど)空間が変わった。雨林が居た。居やすい。わかってくると動けるし動けない。これはいよいよ踊りを手放す練習なのか?という気持ちに…ダンサーと名乗れなくなるのも時間の問題だ。踊りのようなものをやっています。
そもそも劇場空間では演者は立てている、という前提を忘れてた。私はその「立てている」状態のことを信用していなかったのかもしれない。昔からずっと、舞台で踊る人のことをへんなの。と思いながら観ていた。今も。私、劇場で立てていたことあるのかな。ありますか?わからなくなってきた。
宮本悠加
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irutame · 5 years ago
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archive2020.11.16
archive1116
===予定===
9:00-10:00 ヨガ 11:00- 河原 14:30- ERST 17:00- 神鍋温泉
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◯フィードバック
三浦:外とスタジオでやるのと、全然感覚が違った。
宮本:外と内もだけど、スタジオとスタジオ(2回目)も違った。
三浦:外でやると細部がどうでもよくなる。遠くにいたっていうのもあるけど、
宮本:細部がなくならない?
三浦:いやそんなことないけど…
宮本:空気とか風とか周りの音に持ってかれる、細部が。
三浦:何が残ってるの?なんかこういう、本質だけがぎゅっと残ってる?
宮本:いや〜違う…う〜ん…わからねえ…。スタジオでやってた時は、今日は風も入ってこなかったから、細部も含めて把握してる状態かも。
三浦:風はね、入ってきてたんだよ。私は風吹いてるとこにいて、窓開いてたんだけど、たぶんこれゆうかのとこまで届いてないな、彼女は風感じてないなと思ってた。
三浦:外でやると細部が気にならなくなる=やっぱり見てられないのよね、作られた物語とか人為的ななにかはそのまま乗せられない。強い場には。だから、場を支配することのできる照明とか音がうまく一致していれば、見ることできるかも。と思った。もしくは、完全に支配するか。でもそんなん劇場でやりゃいいじゃんになるもんね。
野球部を見た
三浦:野球部って口に出して言いたい言葉だな。
滝を見た
三浦:いままで、俳優同士の距離感は時間の蓄積や生活の積み重ねでしか馴染まないと思ってたけど、今回みたいな静止するワークやヨガ��居るだけの時間を経ることでもっと早く馴染むのかもと思った。荒技だけど。
宮本:荒技、いいと思います。
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irutame · 5 years ago
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わかったようでわからない
2020.11.15
時間が蓄積されているものに対して「居る」と思っていることがわかった。 生きているか死んでいるかは、やっぱり私には関係ないんだと思う。 「居る」と「在る」は生物か無生物かの違いなだけで、本質的には同じと認識している気がするけれど、時間の蓄積を何で感じているのかはまだうまく説明できない。 静止するワークを東京でやっていた時は、外から入り込んでくる情報は人間が作り出した音や景色の方が多く、あくまでそこに流れている時間に乗る・漂うという感じがしていた。 江原では、自分の時間の進み方で止まっていられている気がする。
持続させることを考える。持続させるために他者でいる。 今どこにいるのかを認識し、今までの過去を含んだ流れに乗る。 わかってきたようでわからない。 じゃあ具体的にどうしたらいいのか。
濡れた足 乾くまで見る満ち潮の 水底を舞う 金色の砂
三浦雨林
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irutame · 5 years ago
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archive2020.11.15
archive1115
===予定===
10:00- ヨガ どんぐりにて SUVLOGにて
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10:00-11:00 ヨガ
11:00- どんぐり
16:30- SUVLOG
◯『そこに居るために』
 各々がそこに居るための練習
宮本:空間に対して開きすぎず閉じすぎない身体のまま居続ける
三浦:空間に言葉を一致させる
@どんぐり荘
 各々
いま居てみたい居方・・・場所に対して過不足ない体
場所から与えられる情報量。ダンスとかやってると「こ��布の繊維…湿り気…」みたいなことになったりするけどこれは居るではないんじゃないか。
@SUVLOG
 宮本が居るのを三浦がみつづける会
宮本:想像してたよりは自由になれなかった。でも自由か不自由かじゃなくて、この場所ではこれが精一杯ていうことかも。ね。やってる方はすごく見せづらい気がした。どうぞって用意されてる場所だから。出来上がった振り付けとかを上演だったらすごくやりやすいけど、自由に居てみてって言われると整いすぎてて動きづらい感じ。我に帰っちゃう時間がある。(動物だったんだけど人になる)どんぐりだったらずっと動物的魂。
三浦:どんぐりで戦ってから改めてこの空間を見ると、整備されてる、在るために整備されてるから作品の載せやすさは違うなと思った。劇場的だと思った。生活って動物?生活空間に思想が浮くための場所とか必要ないもんね。乳水のことを考えるなあ。あの空間はなんだったんだ。成立してるように見えていたけどわからない。
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