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行程 まとめ
焼失前の上醍醐の准胝堂まで登り、納経帳を求めて打ち始めてから3年半で三十三観音と三箇所の番外を廻ることが出来た。基本的に関西方面に出張のあるときの土日や有給を利用しての巡礼だったので、多少、不規則な巡り方になった。特に終盤は、10月に天の橋立、11月に竹生島、そして12月に熊野と、関西地方の人でもメインイベントの旅行となるような観光地に立て続けに行ってしまったので、金がかかって仕方なかった。 しかし、この巡礼が無ければ絶対に機会の無かったであ��う、ローカルな電車やバスに乗ったり、また山道を歩けたのも、全て観音様のおかげである。有り難いことだ。 備忘の行程を記しておく。三十三巡礼以外の寺社にも参拝している。 2008年6月27日 地下鉄・徒歩ー11番 上醍醐 准胝堂 ー徒歩ー12番 岩間寺ー徒歩ー中千町バス停ーバスー13番 石山寺ーバス・電車ー14番 三井寺 2008年6月28日 電車・バスー20番 善峯寺ーバス・電車・バスー21番 穴太寺 2008年9月5日 電車ー5番 藤井寺
2008年9月6日 電車ー25番 清水寺 ー電車・バスー花山院バス停ー徒歩ー番外 花山院ー徒歩ー花山院バス停ーバスー電車ー24番 中山寺 2008年9月7日 電車・バス・徒歩ー4番 施福寺ー徒歩・バス・電車ーバスー23番 勝尾寺 2009年4月23日 四天王寺 2009年4月25日 電車・徒歩ー番外 法起院ー8番 長谷寺ーバスー7番 岡寺ーバスー電車ーバスー6番 南法華寺ーバスー電車ー當麻寺ー電車ー9番 南円堂 2009年4月26日 電車ー15番 今熊野観音寺ー電車ー17番 六波羅蜜寺ー徒歩ー16番 清水寺ー徒歩・電車ー19番 行願寺ー電車ー18番 六角堂ー電車ー番外 元慶寺 2010年2月21日 電車ーバス・徒歩ー32番 観音正寺ー徒歩・バス・電車ーバス・徒歩ー31番 長命寺
2010年6月11日 電車ー22番 総持寺 2010年6月12日 電車・バス・ロープウエイー27番 圓教寺 ーロープウエイ・バス・電車ーバスー26番 一乗寺ーバスー法華口駅ー電車ータクシーー浄土寺 2010年6月13日 電車・徒歩ー平等院ー徒歩ー宇治神社・宇治上神社ー徒歩ー10番 三室戸寺 2011年10月21日 バス・船ー籠神社ーケーブルカー・バスー28番 成相寺ーバス・ケーブルカーー真名井神社ー船ー知恩院(文殊堂)ー電車ー徒歩ー29番 松尾寺 2011年10月22日 電車ー2番 紀三井寺ー電車ー3番 粉河寺 2011年11月19日 電車・船ー30番 宝厳寺ー船・電車ーバスー33番 華厳寺 2011年12月3日 電車・徒歩ー神倉神社(ふもと)-徒歩ー熊野速玉大社ーバスー熊野本宮大社 産田社 大斎原ーバス
2011年12月4日 バスー熊野三所大神社 補陀洛山寺ーバスー大門坂 徒歩ー熊野那智大社 1番 青岸渡寺ー飛瀧神社
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飛瀧神社 那智の滝
いよいよ那智の滝と対面だ。でかい。ただひたすら力強い。水の落ちる爆音。
200円か300円を払うとさらに滝の近くまでいける。社務所を通ると、すぐ延命水なるのもがあり、水がどぼどぼと竜の口っからほとばしっている。100円払って、持って帰れる白い陶器の杯でいただく。冷たい。後で判ったのだが、社務所では持ち帰り用に500円で陶器の壺を授与している。帰り際にもう一度入らせてもらって、冷たい水を壺に入れて家人に持って帰った。 さて、滝のより近くに来ると、展望台のようなものがあり、その傍らには小さな礼拝所がある。そこで、先ずは心経と真言をあげさせてもらう。 滝は3筋に分かれてほとばしり出ている。下のほうでは虹が架かっている。これで坂東の巡礼で廻った、日光の華厳の滝、茨城の袋田の滝をあわせて、三大瀑布を拝むことができた。「見る」という拝むではなく、文字どうりの拝むである。
正直、ここで全てを洗い流されたような気がした。立ち去りがたかった。立ち去ればこの純粋な感覚が次第に汚れてしまうのは明らかだった。しかし、娑婆に生きる今生。立ち去らない訳には行かない。 バスで勝浦まで出て、勝浦の駅前でなにかうまいものでも食おうかと、少しさまよったが、適当なところも無いので、駅前の売店で、さんま寿司とめはり寿司の弁当を買って、駅のベンチで食った。その後、少し時間があったので、ホテル浦島に行って、山上館の風呂から、那智の滝をほんの小さく眺めつつ、ほとんど貸切状態で温泉につかった。 4時過ぎの特急電車で、新大阪まで。8時過ぎの新幹線で��京まで。次の日から仕事が忙しかったのであるが、不思議とばてることは無かった。
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飛瀧神社へ
青岸渡寺から、先ほど来た展望台の脇をさらに進んでいくと、納骨堂。なかなか気持ちの良い終の棲家だ。飛瀧(ひろう)神社への道ははっきりとは判らなかったが、とにかく滝の方向へ下っていった。途中、展望が開ける。
滝の音がだんだんと大きくなってくる。時々、木の間から滝の白い筋が見られる。
石畳はこんな感じ。立派だ。下りだが、振り返って写す。
古道は時々舗装道路を横切り、滝の上のバス停まで続いている。バス停のすぐ横が飛瀧神社の鳥居。
さらに下る。ここも立派な石畳。歩いてきた方向。
滝の音がいよいよ大きくなってきた。
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1番 青岸渡寺 満願
那智大社の大木の脇を行くと、一段低くなったすぐ隣に青岸渡寺。境内では線香の煙がもうもうと立ち込めている。いきなり郵便局の人たちがテーブルを出して年賀状を売っていて、ノルマが大変なのだろうけれど、そこだけ不釣合いに少し俗っぽい。しかし、そんなことが全く気にならないくらい厳粛な雰囲気。立派な本殿。
境内に入ったときに既に内陣では法要が始まっていた。それがそのうち終るだろうと、先ずは本堂の先へ行くと、ここにもなんと立派な木がおはします。 其の先には見晴らしの良い場所があり、サービスで滝をバックに記念写真を撮っている。
五重の塔と滝の遠望。かなりの絶景だ。
中の団体がなかなか終らないので、本堂の中に入ってみると、なんと元日並みの人人。巡礼団の巡礼者で埋め尽くされている。靴の数からして百人以上はいたのではないか。こりゃ、なかなか終らないなと思って、本堂の脇のベンチに腰掛け、彼らが終るのを待つ。朝の補陀洛山寺でもそうだったが、今回は「待つ」ことが何かのレッスンだったのだろうか。大きな木と本堂の脇を眺めながら、のんびり待たせていただいた。
だいぶ経って、団体が終り、中から揃いの白いトレーナーを来た団体が出てくる。その数明らかに百人以上。彼らが出払ってから、外陣からお参りさせていただいた。しかし、そうこうしているうちにも次の法要が始まる。声が被るのはいやだが仕方がない。遠慮して小さな声でお経をあげさせてもらった。 内陣では観音経が始まる。これほど華麗な観音経の唱え方は聞いた頃が無い。オレの唱え方はもちろん無伴奏の無骨なもの。一度、秩父を回っているときに、一つの寺でちょうど葬儀の真っ最中で、そこで観音経を唱えていたが、それは確か曹洞宗の寺だったと思うが、そこの木魚ベースのいかにも禅寺といった趣の唱え方とも全く違う。しゃらんしゃらんと鈴も入ったりして、チラッと見えた如意輪観音さまのお前立ちの、たおやかなお姿にふさわしい、ゆったりとした華麗な観音経であった。 そう、「待つ」のがレッスンなのではなく、「ゆったりせよ」、ということだったのかと、これを書きながら思い出す。これで百観音廻れた。信州の善光寺はオレのホームベースなのだが、内陣の欄間には秩父、坂東、西国の百の観音様がおはします。その全てのお寺に実際に行って、全ての観音様の前で、お経をあげることが出来た。今生で何を成し遂げたか、なにか意味のあることをしたかって、百観音廻れたことより、オレにとって意味のあることは無いだろう。これこそ今生に生かされた意味だったのかもしれない。 これからの人生、普通だったらあと30年くらいあるのだろうが、そんな時間の長さはともかく、あとの人生はオレが善光寺から極楽に行って修行を完成させるまでの、単なるおまけみたいなものであってもかまわない。百観音満願者として「ゆったり」と、ことにあたっていきたいものだ。
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熊野那智大社
実方院跡から熊野那智大社まではほんの少し。 あと少しの登り。
いよいよ鳥居をくぐる。
神社なのに何故か護摩木のようなものがもくもくと焚かれている。まあもともと一つなのだから別に不思議は無いけれど。いつものように略拝詞、心経、真言をあげさせてもらった。こちらのメインは千手観音様。
写真でみていた木だが、実物はひたすら大きく、偉大だ。
そしていよいよ隣の青岸渡寺へ。これで西国三十三観音を結願するばかりか、秩父、坂東、西国の日本百観音を満願することになる。 はやる気持ちを抑えね��。
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参道
大門坂の古道を抜けると、また現代に引き戻される。急な階段を登るとそこにはツアー団体の熟年・老年の特に女性でごったがえしている。 随分と上がって来たものだ。
そこからは整備された階段が続く。それでも熟年・老年にはつらい登りだろう。階段を登り、道が暫し平らになり右に折れると土産物屋が並んでいる。そこを抜けるとまた上りになるのだが、すぐ左手に実方院跡という、昔、上皇等が参詣した際に宿としたところの跡が在る。
バス停を降りてからずっと休んでいないので、ここの庭で暫しの休憩をとる。普段は日本庭園になど興味は無いのだが、何故かここの庭には引き付けられるものがあって、20-30分はいただろうか。
那智の滝も遠望できた。右手奥にほんの小さく。
山の間から熊野灘が輝いていた。
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大門坂 その2
石畳が始まると、すぐに出てくる夫婦杉。なかなか立派なペアだ。
騒がしい熟年のグループを幾つか先にやって、一人の静けさを楽しむ。もっと苔むしていると思ったのだが、台風で洗い流されてしまったのだろうか、ことごとく石だけ。
最後の王子である、多富気王子跡。心経をあげさせてもらう。
途中のすばらしい巨木。
正直、杉の並木道はオレが花粉症でもあり、また何処の山にいっても一番興ざめする林であるので、それほど魅力的には思えないのだが、石畳はなかなか趣がある。しかし苔むしていないのは残念だ。
十一文関跡なんでいうの���出てくる。
もっとずっと続くと思っていたのだが、思っていたより簡単に終ってしまった杉並木。上りきるとそこには熊野那智大社の庫裏が既に山上に見える。左手の竹林が光に輝いて清清しい。
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大門坂 その1
バスは那智��を左手に見ながら山のほうへ入っていく。那智川はところどころ大きな流木が放置してあり、台風の時の川はどんなにか強烈であったか想像も出来ないが、今は美しく流れている。 7-8人が乗っていたにもかかわらず、大門坂で降りたのはオレ一人。バス停から道路をバスの進行方向の少し山側に歩くと、大きな石碑が立っている。
辺りはのどかな里山。ハイキング姿の熟年のグループが多い。
南方熊楠が3年間逗留した大坂屋旅館跡なんていうのも出てくる。昔の文人は今とはタイムスパンが違うね。3年なんて、まあ一種の引きこもりだな。うららましいかぎりだ。
鳥居を抜けて橋を渡ると、いよいよ立派な石畳が出てくる。
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熊野三所大神社 補陀洛山寺
12月3日は紀伊勝浦に宿をとる。駅前がまだ7時前だというのに人気がない。商店街に入っていって、何とかやっていたラーメン屋で味噌ラーメンを食う。みかんも安いので買い込んで宿で食う。 翌12月4日は快晴。紀伊勝浦からバスに乗って、那智駅で降りる。那智駅は、無人なのか知らないが人気が無い。駅舎の隣にスーパー銭湯みたいのが併設されている。駅前がいきなり駐車場。その駐車場を抜けて、国道を渡ると、すぐに熊野三所大神社の鳥居が見える。
先ずは簡単にお参りさせてもらう。
補陀洛山寺はそのすぐ隣。住職が箒で庭を掃いている。お参りしようかな、と思ったその時、けたたましく観光バスがお寺の駐車場に入ってくる。団体客だ。比較的若い人たち20名位。本堂の中に入っていく。ガイドに聞くと30-40分いるらしい。どうしよう。お経があげられない。仕方がないので、渡海船を見たり、また駅に戻ったりして暇をつぶしていた。
彼らが終って、オレが内陣に入っていくと、なんと!厨子が開けられており、千手観音様がそこにおはすではないか!団体客へのサービスなのだろうか、すぐに住職は厨子を閉めてしまった。しかし、待った甲斐あって、一人内陣で静かにお経をあげることが出来た。有り難い。急ぐなよ、ということだろうか(そして似たようなことがまた起こるのだが)9:30のバスでいよいよ那智山へ移動だ。
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熊野本宮大社 その2
途中、大斎原がきれいに子宮の形をしているのが遠くに見えて、何だが久しぶりに身震いする。 さて、小一時間の路線バスのラリーを終えて、やっと着いた。時刻は既に3時半をまわっている。帰りのバスは16:26のはずなのだが、いまだに閉鎖されている資料館みたいなところのバス停に行くと16:46と書いてある。オレが観光協会で貰ったバスの時刻表にも16:26と書いてある。念のため熊野交通に電話をしてみると、やはり16:26という。じゃあ、バス停の時刻表の16:46は間違いなのだ、と安全策で16:26までには戻ることにする。 集団の記念写真をとるカメラマンのおにいちゃんが暇そうでうろうろしている。はっきりいって、物欲しげにじろじろ見られるのはウザイぜ。若い女性のグループなど来たら、すごくいやだろうな。 とにかくきたぜ本宮大社。階段を登る。
どんな感じかわくわく。神門。
相殿は改修中。でも有り難くお参りさせていただいた。
そして、大斎原へ。これは目印がしっかりして判りやすい。 先ずは産田社へ。この産田社にはイザナミの荒御霊が祀られている。熊野本宮大社宮司の九鬼家隆氏(鬼は実際は上の点がないが、書体が出ないのでこれで代用)によれば、本宮大社のイザナミの和御魂と同様にここを重視しておられる1) 実は産田社の写真も撮らせていただいたのだが、なにかいまになるとここに載せるのがはばかられる。しかし、其の前に立ったとき、はるか北の空まで見渡せ、何か非常に「突き抜ける」感じがして気持ちよかった。
そして、大鳥居の方へ進む。
「子宮」の内部は、玉砂利が敷き詰めてあり、なかなかじゃりじゃりと歩き難い。写真撮影禁止と書いてあるのに、三脚で光を待っているカメラマン一名。彼にかまわずお参りさせていただいた。また一遍上人の碑もあったので、十念させていただいた。 時間もないので、バス停に戻る。バス停には着たときにうろうろしていた、山ガールならね古道ガール一名。バスが無いので近くの食堂で暇をつぶしていたようだ。バスはやはり16:26。オレと彼女を乗せて、来たときと同じ運ちゃんは、暗い山道をまたもやラリーのように疾走していくのであった。 1)九鬼家隆 熊野という原点 熊野 神と仏 原書房 2009年
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熊野本宮大社 その1
熊野速玉大社から出た大きな通りを東へ移動し、一つ目の大きな交差点を越えるとすぐに権現前のバス停がある。そこからバスで小一時間で熊野本宮大社に着��のだが、バスの表示が土河屋となっており、観光客には判り難い。バスで移動する人など多くは無いのかもしれないが、世界遺産を結ぶバスのなのだから、このあたりもっと考えてもいいような気がする。ところで土河屋って何処なのだろう? 14:29分、思ったより小さな普通の路線バスがやってくる。てっきり観光バスのような車体に違いないと思っていたので拍子抜けする。オレと若い女の子2人を乗せて、バスは南の神倉神社の方に南下していく。川を越えて本宮の方に行くと思っていたのだが、神倉山の南側を抜けて、長いトンネルをくぐって、バスは新宮の町を出て行く。 熊野川を右手にして、ところどころ大雨でがけ崩れで片側規制されている道を、バスはまるでラリーカーのように疾走していく。山肌のがけ崩れが痛々しい。ところどころ大きな滝が、山肌からほとばしっている。水の多い土地だ。 暫く行くと、川の氾濫で打ち捨てたれた集落が見えてくる。道路の傍らにも、構造と外壁だけを残して打ち捨てられた民家。深い谷間にかかる橋の下には、そこまで水位が上がったのだろうが、���太や小枝が刺さったままになっている。悲惨なのには違いないが、宮城県名取市閖上地区の5000人強の住人のうち700人以上も津波で亡くなるという殲滅した状況を7月に見たし、また少なくとも放射線の心配がそれほど無い土地であるので、正直、オレにはなんとかなるんじゃない、という気持ちしか起きなかった。
さて、これからバスに乗って新宮から本宮大社まで行く人に一つアドヴァイスだが、また観光協会やバス関係者が読んでいたら反省してほしいのがだが、熊野本宮大社には本宮大社前というバス停で降りる。この少し前に熊野本宮とか何とか言うバス停があって、オレもここで降りると思っていたのだが、「やっと着いたぜ」と思ってブザーを押したら、違うところだと、バスの運ちゃんに言われた。彼に権現前でバスに乗ったときにこのバスは本当に本宮大社まで行くのかと聞いていたので、運ちゃんでオレが間違ってブザーを押したんだと判ってくれたが、そうでなければ随分手前で降りてしまって、10数分歩くハメになっただろう。初めてくる人も多いのだから、こんな紛らわしいバス停の名称は止めてくれ。おれは文句を言うならユネスコに直接メールを書いて、よくお前らこんな観光客にアンフレンドリーな場所を世界遺産にしているな、となじるぜ。再審査なんか無いんだろうしね。まあこのブログを書くのも忘れないうちにしないと、と思って、結構このごろ疲れているから大変なのだが、バスの文句をユネスコに言うなんて面倒だからしないけれどね。でも観光で盛り上げようと思っているのなら、関係者はもっと洗練されないとね。ちょっと不慣れというか、素人っぽいのも、まあ、そこのあじだけれどね。
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熊野速玉大社
神倉神社から、すぐに北のほうに進み、山沿いにてくてく歩く。約15分くらいで、熊野速玉大社だ。オレにとっては本地のお薬師様へのお参りである。 思ったより町の中にある。
参道は右に折れて、すぐ左手にある大きな木。
すうっと、道が伸びている。
拝殿や宮・社の建物はみな赤と白のコントラストがまぶしい。神倉神社のような濃い気配は感じないが、それでもすっきりした印象の良い空気であった。
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神倉神���
新宮の駅で、先ずはトイレを済ませ、荷物をコインロッカーに預ける。駅の改札は東側。西側の神倉神社の方には、線路を渡っていかねばならない。 印刷していた地図を頼りに、神倉神社を目指すが、途中から社殿が山の岩にへばりついているのが見える。適当な細い道を進むと、町名は「神倉」。駅から15分程度の距離だろうか。 いきなり現れる境内。
橋を渡るとすぐに小さな滝が流れている。
左手には赤い大きな鳥居。
さて、階段の上にある社殿に参り、ゴトビキ岩を見るのが楽しみなのであるが、ここで問題は時間がないこと。小一時間で、階段を登り、お参りをして、下りて、歩いて、熊野速玉大社にお参りして、新宮駅発14:25分のバスを権現前のバス停で捕まえて、熊野本宮大社に行くスケジュールなのだ。いろいろ迷っていると、下りてくるハイキング姿の30後半から40前半の人がいるので、上に行くのにどの位時間がかかるか尋ねて見ると、「そうだな。地元の慣れている人でXX分(オレの心の中:じゃああんた地元のひとなの?)その靴だと(確かにメレルの半分ビジネスシューズみたいなやつだよ)XX分。其の靴だと途中きついから女坂を行ったほうがいいだろう、とえらそうに教えてくれる。 どんなきついかしらないが、はっきりいって10分程度の階段なら六本木の地下鉄の駅を階段で登るのと大差ないだろう。それよりオレには時間だけが問題なのだ。そして、熊野速玉大社まで歩いてどの位かかるか尋ねてみると、歩いたことがないので判らないと言う(でもあんた、さっき地元の人なら歩いて階段を登って何分とかいっていただろうに、速玉大社まで歩いたことがないなら地元人ではないのに、なぜ「地元のひとなら」といえるのか???) 結局、上まで登るのはあきらめた。「俺なら速玉大社はやめて、こっちにしておくけれどな。こっちの方が全然いいからね」と彼は言うのだが、別に俺はパワースポットオタクでもなんでもない、唯の巡礼者なのだ。こっちは正直、オレにとってはセカンドプライオリティ。そんな感じで軽くお参りさせてもらった。
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結願の地 熊野へ 2011年12月
12月2日の金曜日にクライアントとのミーティングを終え、夕飯を済ませて、いつものホテルのある駅で降りようとする。交通量の多い駅の周辺。何故か子猫の鳴き声。ミャーミャーとおびえている。それを遠巻きに見ている人々。放置された自転車の下で、寒そうに鳴いている。誰かが捕まえようとすると逃げる。自転車の下にいる分にはいいのだが、車道でも出てしまったら、ひとたまりもない。子猫が車道に出ないように、オレが車道に出て追い立てる。小学生くらいの男の子と、彼の父親らしきジャージの若いおちゃんと、自転車の下を逃げまどう子猫が車道に出ないようにを追いかける。��度も何度もひやひやさせられた。子猫が疾走する車に轢かれてしまうのかもしれないと思うと、体が切り刻まれるような思いがする。いや、体を切り刻むくらいで子猫が助かるのなら、本当にそうしていただろう。 追いかけた3人の祈りが通じたのか、若いおっちゃんの腕に最後はすうーつとすいこまれていった。 救出成功!!!!! ほんとうにほんとうに子猫を頼むといってその場を離れた。 翌日はいよいよ結願の地、熊野だ。JR西が珍しく得な切符を売り出した。南紀パス。最長は新宮までの特急電車往復と自由乗車区間とバスの乗り放題がついて大阪から6,000円だ。台風で甚大な被害を被った南紀地方の観光を活性化するためか、なかなか大盤振る舞いだ。 12月3日 寒い新大阪駅に平気で3-4分遅れて、9時03分発予定のスーパーくろしお3号が入ってくる。遅れても何もアナウンスしないのはさすがJR西だ。
スーパーくろしおといっても、何処にこんなレトロな車両を隠してあったんだ、というくらいのぼろい車両。座席自体の幅は広いのだが、2列席の真ん中には肘掛がない。座席自体もなんだがグラグラする。 先日2番3番の時に来た和歌山を通り、紀三井寺を左手の山に見て、電車は御坊の方面に向かう。実は、この辺りは考古学をやっているオレの親類が、なにを発掘してしまったのかしらないが、突然記憶をなくして保護されるという事件が起こった場所であり、オレにもどういう因縁があるか判らない土地である。オレももしかすると危険な目にあうかもしれないと感じつつ、電車は楽しげな観光客を乗せて、どんどん南下する。紀伊田辺で多くの人がおり、半分くらいの乗車率になるが、オレと隣のお兄ちゃんは最後の新宮まで並んで座っていた。3ヶ月ぶりくらいに復旧して当日開通したばかりの橋を渡り、新宮に着いたのは約4時間後の13時少し前。 降りると途端に生暖かい空気に包まれる。道中、ところどころの駅で、アンパンマンやいのししのきぐるみを着た人も含めて何人もで並んで電車に手を振っている駅があったが、新宮でも再開記念のような雰囲気。テレビカメラも来ている。駅前では何かの式典が終ったばかりなのか、制服姿の駅関係者が大勢たむろしていた
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33番 華厳寺 その2
本堂内は大盛況。そこが終り、本堂を出て、笈摺堂、満願堂へと行こうとするが見つからない。もう一度、本堂に戻ってくると、内陣の左側を廻って行けるようになっていた。 一転して、誰もいない笈摺堂。
そして、若い母親と小さな子供しかいなかった満願堂。いま思うと、あれはオレの亡くした母親とオレだったのかもしれない。このごろ本当に時間は直線的でなく、幾重にも積み重なり、折り重なっているのかもしれないと思ったりする。西洋的な直線的時間感からもっと自由になることも、修行の一つだろう。
三回もお経をあげていると、さすがに息が切れた。納経は本堂右手。靴を脱いで入る。団体も多いらしく、旅行会社の人が納経帳の束を抱えてくる。 有名な精進落しの鯉が、どこかの柱にあるらしいが、そんなことすっかり忘れていた。 バスの団体の波に合わなければ、それなりに静かで落ち着いた雰囲気だろう。酔っ払いが、参道につばを吐いていた。 帰りのバスを待つ間、久しぶりにタバコを買って吸った。うまい。雨が上がり、空には青空。いい気分だ。 一本目を吸い終わった頃、おっさんが一人やってきてオレに声をかける。オレが西国を巡礼しているというと、しきりに褒める。そして自分��元は教員で如何に年金を多くもらえているとか、自分の子供達が大手企業に勤めているとか自慢し始める。知り合いのオバサン2人にも、「この方、東京から来ているんだって」(と方言で)と、話が止まらない。 オバサンはオバサンで、「まあ、こんなに若いのに(巡礼なんて)えらいわ。私の孫くらいなのに」とのたまう。オレがあなたの孫なら、あなたは最低でも90歳以上か?普通は100歳越えているわ!どんな化粧品使っているんだ???オレそれ売って大もうけするわ!と突っ込んでいるところなのだが、何故かこのおっさんも女性も、いじる気にはなれない。まあ、そんなことどうでもよくなっているのか、単に雨に濡れて疲れているのか。 幸い、おっさんは違うバス。オバサン2人とは、大垣まで同じ行程であったが、途中、軽く話しただけ。特にいじることもしなかった。 16:50分の電車がやって来た。大垣から名古屋へ。そして東京へと帰った。
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33番 華厳寺 その1
竹生島から長浜へは11:20着。大雨だ。同船者のほとんどは、船着場の脇の駐車場に停めてある観光バスへ乗り込んで行く。一人てくてくJRの駅を目指す。途中、ファミマでお札をくずしつつ、あたたかいお茶とスニッカーズを買う。 長浜の駅には観光案内所があるのだが、パンフがおいてあるだけであまり役に立たない。立ち食い蕎麦みたいのがあれば食べたかったのであるか、なにもない。仕方がないので、濡れた体をお茶で温める。 長浜駅12:01発。米原で乗り換え12:30発。大垣には13:02着。 樽見鉄道は13:37発。一度、大垣駅の改札を出て、デパートのトイレで態勢を整える。 樽見鉄道はJRと改札を共用。一番右側の券売機で、樽見鉄道のボタンを押して買う。 ホームのとんでもない端っこの方にある電車を発見。
西国巡礼のおかげで、関西のいろいろなローカル線に乗ってきたが、「レールウエイ・バス」と言っているのには初めて乗った。確かに一両しかないし、運転手のところには料金ボックス、バスみたいに料金表示が変わっていくのも、軌道を行くバスだ。 途中、団体が大量に乗り込んでくる。どうも団体旅行客というのは、暴力的で嫌いだ。静かなローカル線の雰囲気が一瞬で破壊された。 谷口汲には14:18着。無人駅。既にバスが待っている。すぐにオレ一人を乗せて走り出す。 ところで、33番に来たからといって、これで満願してしまう訳ではない。オレの中では最大の霊場、熊野が残っている。つまり33番を先にして、1番を一番最後にしたのだ。秩父、坂東、西国の百観音の最後こそ熊野がふさわしいと思っている。 バスを降りて、雨の中をてくてくいく。紅葉の季節だからだろうか、大雨なのにすごい人だ。10分少しほどで山門にいたる。
ひたすら続く人の列。正直言って、参拝者の酔っ払い率が高い。観光名所なのだろう。
なかなか立派な参道を暫く行くと、やがて33度石。そして100度石。すぐの階段の上には本堂。
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30番 宝厳寺 その2
階段を降りると、観音堂の手前の唐門。
しかし、ここは中に入るとすぐに壁になっている。右側に廻り込むと、観音堂の正面に出る。観音様は、琵琶湖を向いていらっしゃるのだ。 思ったより狭い堂内。観音経の終わりの方で、檀家をつれた袈裟姿の僧が来て、オレの隣に並んで、印を結んで、指パッチンしている。彼は簡単にお参り。正面を空けていたオレより前には、檀家の皆さんは出ようとはしなかった。 遠慮せずに前に行けばいいのに。 大きな木があって、琵琶湖は見えなかったが、観音様は湖に向かって座していらっしゃる。暇なときにでもどちらの方角を向いていらっしゃるのか調べてみよう。 観音堂の正面を廻ると、舟廊下。
そこを渡って、少し下ると都久夫須麻神社(竹生島神社)の本殿。改修中で、味がないのは仕方がない。
そこをまた下ると、みんなかわらけを��げて楽しんでいるのだが、竜神拝所。
大きな湖に竜なんて、子供の頃に読んだ民話にあったような、懐かしい気がしていた。 来た道をそのまま引き返して、納経してもらうのもなんとなく色気がないので、さらに下ることにする。舟廊下と観音堂の下を行く。
船着場の遠望。
そのまま進んで行くと、なんとほとんど階段の一番下のスタート地点に戻ってしまった。また階段を登り、無事に納経した。そして誰も下りていかない階段を、土産物屋のあるスタート地点まで下って帰った。 一向に弱くならない雨。すべる足元に気をつけながら、何とか宝厳寺の参拝が出来た。靴下はびしょびしょ。濡れて体力を使った参拝であった。
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