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今あるような世界は、ASD者向きには作られてはいない。それが常に不幸の原因となっていることは、もうおわかりだろう。感覚的なプレッシャー、計画を立てることの難しさ、果てしなく続く他者とのコミュニケーション問題––これらすべてが、世界が自分に適していないと感じられる原因となっている。しかも悲しいかな、これは始まりにすぎない。世界の不合理さ、奇妙な行動、態度、憎悪、偏見こそが、私たちを未知の世界への歓迎されざる訪問者だと感じさせるのだ。
ピート・ワームビー(堀越英美訳)『世界は私たちのために作られていない』,東洋館出版社,2024,292頁
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なにしろ働きたいという意志があり、身体的にも働けるにもかかわらず、職に就いていないASD者があまりにも多い。これでは自活できないし、自立した生活を送ることができない。その原因は多くの場合、彼らの行動が規制の規範からほんの少しズレていると言うだけなのだ。ASDとは何なのかまったく理解していない雇用主が多すぎるせいで、何千人、いや何百万人ものASD者が生きるのに苦労している。これはASD者の問題ではなく、職場の問題である。
ピート・ワームビー(堀越英美訳)『世界は私たちのために作られていない』,東洋館出版社,2024,249頁
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今のような自営業ではなく、勤め人をしていた頃は、毎年病気休暇を上限まで使い切るのが常だった。規則で一定の日数が認められているのだから、一般的なASD者の反応としては、既定ではその日数を休んでも絶対大丈夫に違いない、と考える。病気休暇を全部使い切らないのはあくまでサービスであり、休んだとしても許可されているのだからオールオッケー。これが論理的な考え方だ。まったく筋が通っている。しかし、現実はそういうわけにはいかない。
ピート・ワームビー(堀越英美訳)『世界は私たちのために作られていない』,東洋館出版社,2024,237頁
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定型発達者は、自分たちのニーズに合うように注意深く設計された世界に存在している。なぜASD者が、自分たちのニーズに合うような調整を求めては行けないのだろうか。
ピート・ワームビー(堀越英美訳)『世界は私たちのために作られていない』,東洋館出版社,2024,221頁
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「理科の実習」の授業では、机を片づけ、実験器具や材料を注意深く設置しなくてはいけない。ブンゼンバーナー、フラスコ、ワイヤー、ヒューズ、カエルの死骸といったようなものだ。クラスのほとんどの子どもたちは、実験が大好きだった。電気をいじったり、さらに本物の火を使ったりするのは、子どもたちの生活にとってすばらしい息抜きであり、みんなは実に楽しそうな反応を示した。一方て私はただその場に座り、恐ろしい自習父兄をこわごわと眺めるばかりだった。何かひどいことが起こるのではないかとおびえ、大好きなルーティンが根こそぎ奪われることに理屈を超えたストレスを感じていた。
ピート・ワームビー(堀越英美訳)『世界は私たちのために作られていない』,東洋館出版社,2024,186頁
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ASD者のマスキング能力は、多くの場合、生活、特に仕事をやりくりする能力の根幹をなすものである。突然それができなくなることは、人生を破滅させる可能性を秘めている。現実を直視しよう。これはマスキングの背後にある皮肉な、かなりひどい真実である。マスキングは傷つくし、本来ならそんなことをする必要はないはずだ。現在の世界が、私たちが仮面をつけなければならないようにできているから、マスキングしているだけである。しかしながらその行為によって、私たちはまさに自分のマスキング能力を破壊してしまう。仕事を失い、家族を失うこともある。
ピート・ワームビー(堀越英美訳)『世界は私たちのために作られていない』,東洋館出版社,2024,169頁
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インターネット常時接続という新しいテクノロジーが存在する世界を生きるASD者が、電話の恐怖から逃れられることを概ねありがたく思っているのは言うまでもないだろう。皮肉なことに、インターネットにアクセスするいちばん簡単な手段を提供しているのが、現代のスマートフォンである。複雑な銀行取引がオンラインチャットで完了し、すべての病院がオンラインフォームで予約できるようになれば、ASD者、特に発語のないASD者にとってより過ごしやすい世界になるだろう。言葉を話せないASD者に撮って、優れた文章能力があっても、電話が難攻不落の障壁であり続けているからだ。しかし、時代はまだそこまで到達していない。私たちは、スマートフォンの中で最も嫌いなアプリ「通話機能」を使わざるを得ないことがあまり多い。それも、自分自身の平穏以上に平穏さを守ってあげたい人と話すために。
ピート・ワームビー(堀越英美訳)『世界は私たちのために作られていない』,東洋館出版社,2024,67-68頁
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私自身を含めよくあることなのだが、自分がASDだとわかると、気づかぬうちに少し気が緩んでしまう。自分が発達障害だとわかったことに、奇妙なカタルシスがあるのだ。その結果、私たちは久しぶりに息をつき、ASDの特性に身をゆだね、仮面を外し、そして……そう、私たちは間髪を入れずにその代償を払うことになる。仮面を外した自分は、まったく歓迎されないことを即座に思い知らされるのだ。あわてて仮面をつけ直し、外れないよう器具をしっかり打ち付ける、それから悟る。自分のままでいる自由なと、決して得られないのだと。
ピート・ワームビー(堀越英美訳)『世界は私たちのために作られていない』,東洋館出版社,2024,52-53頁
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人間関係や礼儀を手っ取り早く強化する手段である世間話のせいで、ASD者の一日が台無しになりやすいと言う現実は、システム全体の重大な欠陥ではなかろうか。もっとも、ほとんどのASD者は方をすくめてこの不公平さを受け入れる。あまりにもありふれたことだからだ。
ピート・ワームビー(堀越英美訳)『世界は私たちのために作られていない』,東洋館出版社,2024,32頁
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自分のなかにもASD要素があるから自分も仲間だと認識している定型発達の人びとは、ASDについて好き勝手な意見を述べる。ASDとは何か。どういうしくみでそうなるのか。ASDだとどうなるのか。ASD者はどう扱う必要があるのか。そしてこれらの意見は、たいてい完全に的外れだ。単に間違っているというだけでなく、有害で危険ですらある。
ピート・ワームビー(堀越英美訳)『世界は私たちのために作られていない』,東洋館出版社,2024,7頁
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自分は人と違うと感じ、排除され、不条理な世界で生きているが、解決する手だてはないという経験は、ASDの��々にはあまりにも当たり前すぎて、おそらく「抑うつ」という言葉に結びつけることすらしない人も多いだろう。それはただの「人生」にすぎない。
サラ・ヘンドリックス(堀越英美訳)『自閉症スペクトラム症の女の子が出会う世界;幼児期から老年期まで』,河出書房新社,2021,287-288頁
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私は何度かモラハラ的な恋愛関係を経験しました。私の元恋人のほとんどはあまりいい人ではありませんでした。だからこそ"元"恋人なのでしょう。自分の人を見る目に自信が持てません。相手に心を奪われるあまり、相手の欠点が見えなくなってしまったんだと思います。
サラ・ヘンドリックス(堀越英美訳)『自閉症スペクトラム症の女の子が出会う世界;幼児期から老年期まで』,河出書房新社,2021,242頁
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一〇代の頃の私は、私とセックスしたいということは、私のことが好きだという意味だと思っていた。誰かが私をセックスしたい相手に選んだことに、強い誇りを感じた。多くの若い男性はいちいち選んでなどおらず、やらせてくれるだけでいいと思っていることを知らなかったのだ。私はノーとは言わなかった。断ってもいいということすら知らなかったからだ。断ったら嫌われてしまうと思い、そんなリスクを負う気になれなかった。
サラ・ヘンドリックス(堀越英美訳)『自閉症スペクトラム症の女の子が出会う世界;幼児期から老年期まで』,河出書房新社,2021,239-240頁
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私はいつも、大半の定型発達の人たちが自分のセクシュアリティを確信していることに面食らってしまう。どうすればそんなふうに確信できるのだろう?
サラ・ヘンドリックス(堀越英美訳)『自閉症スペクトラム症の女の子が出会う世界;幼児期から老年期まで』,河出書房新社,2021,223頁
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私の世界はきわめて自分中心で、自分のプロジェクトや計画、存在で完結している。たとえば、散歩やサイクリングに友人を誘おうなどとは思いもよらない。一人で行ってしまうだろう。友人たちのことはとても好きなのだが、二時間ほどすると話すことも尽き、「演じること」に疲れてしまい、家に帰って昼寝したくなる。リラックスしているように見えるときでも、いつ何が起こるかわからないという意識が常に頭から離れないのだ。
サラ・ヘンドリックス(堀越英美訳)『自閉症スペクトラム症の女の子が出会う世界;幼児期から老年期まで』,河出書房新社,2021,198-199頁
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友人の問題は、ASDの女性たちにとって、生涯を通じて複雑なものである。友達になるとはどういうことなのか、拒絶されたり人前で失敗したりする不安や恐れなしに人と付き合うにはどうすればいいかを理解するには、長い時間がかかる。子ども時代に人と違っていると痛感してきたことが、彼女たちの精神に悪影響を及ぼし、消えない傷跡を残している。
サラ・ヘンドリックス(堀越英美訳)『自閉症スペクトラム症の女の子が出会う世界;幼児期から老年期まで』,河出書房新社,2021,197頁
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ASDの女性の中には、ブラジャーを着用しないことを選んだまま大人になった人もいる。それは個人の権利ではあるが、好ましくない事態を招きかねない行為である。ブラジャーの必要性がわからないという、非常に胸が豊かな若い女性を担当したことがある。胸の形があからさまに見えていたために、周囲にじろじろ見られて否定的にあげつらわれていたことに、彼女は気づいていなかった。ブラジャーを着けないと胸や背中を支えるものがないため、身体的な健康にも影響を及ぼしかねない。決定権は本人にあるが、情報に基づいて選択できるよう、他人の認識や身体への影響についての率直なアドバイスが必要だ。アドバイスを受けた結果、彼女はノーブラを続行した。他人にどう思われようが気にしないということだった。
サラ・ヘンドリックス(堀越英美訳)『自閉症スペクトラム症の女の子が出会う世界;幼児期から老年期まで』,河出書房新社,2021,127頁
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