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全然ステマでもなんでもないのだけど、冷え性の私が会社のセンパイにおそわり「電熱ソックス」というものを買ってみた。

いつもテレワークのお悩みが、「足が冷えて何もしたくなくなる」だったのだが、それは完全にこの「電熱ソックス」により解決した感がある。
バッテリー2個付き(ご丁寧に、足にフィットするような瓦型をしている)で、なんとBluetoothに繋ぐとスマホアプリで温度調整ができるという優れものなのだ。
アヤシイパッケージ(”お釣り”、”アトドア” 😂)ではあったが、どうでもよい。とにかく心地よい。。
足を温めるものというと、大きめの箱みたいな商品もあると思うが、この「電熱ソックス」はその名の通りソックスなので、履いたままなんでもできる。服を選べば、外にも行ける。
これは画期的。
調べると結構前から(数年前)存在していたようで、テレワーク全盛期にもっと早く手にしていたかった。
Amazonのブラックフライデーで購入したので、20%オフの5,584円で買えた。でもよくみたら、いまだに20%オフなのでこれが正規価格なのかもしれない。
似た商品がいろいろあって、すごく悩んだけど、「アプリがあること」「バッテリー容量と形状」「シンプルなデザイン」がよくこれにしてみた。
洗濯もできるらしいので、この冬はこの「電熱ソックス」と乗り切ろうと思う。
「電熱ソックス」という響きがもはやよくて何度も多用してしまった。
参考
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ちゃんと作ってからじゃないと、レビューしてもらうの気が引けてしまうタイプ。
でも経験則上、絶対に少し練れたタイミングで、寝かさず叩いてもらったほうがよい。
今日も結構頭を悩ませたところをフラットに意見を聞いてみたら、悩みどころがそこじゃないかも、という気持ちになった。
これは聞かなかったらわからなかったこと!
考えが足りなかった‥もっと練れた‥とその場で反省して次に繋げるほうがよっぽど効率的なのよね。
譲:怒られたくない、無能だと思われたくない、という本能(ほんとにどっかに行ってほしい🥲)
求:ロジカルシンキングと想像力
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TABF2023から家にお招きした方々
Japanese Vocabulary Book / Yuuri Saito
とてもキュートで細かく丁寧に描かれた絵にときめいてしまい、購入。
いつか子どもが生まれたら、こんな本で言葉を覚えたり、ついでに英語も覚えたりして、楽しく読んでもらいたいな、なんて気持ちもあり。
おまけでついてきた にほんちずとたべもの もキュート。



WASHED PATTERN TILE / guse ars
海や川で拾った陶器やタイルのかけらを、再度パターンにして新しいかたちを作っている方々
ZINEも可愛かったが、やはりタイルに目が入ってしまい、一度諦めたものの、やはり家に置きたい気持ちから、1つモノトーンのタイルを購入した。
早速花瓶の下なんかに置き、そのかわいさにうっとりしている



TAKO LABO ZINE vol.2.1 PATTERNS in COVID-19 / TAKA LABO
COVIDを思い出させるパターンが可愛いカラーで刷られている。
このころの生活がなくなってきた今日。改めて思い出したい・手元にこんな形で残せるといいなと思って購入。
イラストがかわいい。

るんるん、満足。Outputはじめたい
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スケッチジャーナリスト / 大角真子
価格
3,300円(3,080+送料)
なんで知った?
氷見のHOUSEHOLDのスケッチを書かれた大角さんの本。HOUSEHOLDのinstagramで知った。
なんで買ってみた?
スケッチ私もしてみたい
こんな素敵な方がどう今の道を歩んでいるか知りたい
もっと作品を見たい

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コクって何
マイバス���缶コーヒーを買いました。
「香りとコク」響きがよすぎて、 手前についていたシールを勝手に会社のパソコンに貼っています。 想像するだけでいいにおいしてくる 「香りとコク」っていい響きの言葉ですが、 業務中空想に耽りがちな私はふと思いました。
こ…「コク」ってなんだ?
あ…れ?なんか言語化できない、ぞ?!
気になって業務どころじゃありませんでした。
家に帰って調べました。
…コクには濃いが名詞化された「濃く」と、熟成されたという意味を持つ「酷」からきているという2つの説があるとのこと。 (cfZIPWebHATENABI:http://www.ntv.co.jp/zip/onair/hatenavi/404424.html)
「コク・コク味」 【こくみ】とは濃い深い味わい。いくつかの素材が合わさることで生まれる、味の重なり。味が深く濃くてそれがおいしさにつながっていること。 (cf日本語表現インフォ:http://hyogen.info/word/6963135)
「コクがあって美味しい」のコクって何? …この“コク”について明確な定義や科学的な根拠はありません。油や糖分が多いものやアミノ酸が結合したものがコクを作るともいわれていますが、はっきりしたことはまだわかっておらず、そのために“コク”は感性の味ともいわれています。一般的に「コクがある」という場合は、いくつもの味の成分が絡み合い、味わいが複雑で厚みがあるものを指していることが多くなっているようです。口のなかで咀嚼しているうちにさまざまな味が広がり、その余韻が長く――そういう味覚を“コク”と表現するのですね。つまり、「甘い」「酸っぱい」といった単独の味が強く感じられるものは逆に「コクがない」ということです。 (cfゼクシィキッチン:https://zexy-kitchen.net/columns/94)
「コク=味の濃さではない」 では、「コク」とは結局なんなのでしょうか。コクは「味の総和」のことです。基本5味(甘味・旨味・苦味・塩味・酸味)がバランスよく含まれていると、コクが感じられるのです。
(cf味博士の研究所:http://aissy.co.jp/ajihakase/blog/archives/10457)
むむむ・・・
深く考えていなかったが、
「味の重なり」 「複雑で厚みのある味わい」 「味の総和」 「味のバランス」
こんな言葉で置き換えられるのが「コク」というものでしょうか。
なんだか深くて美しい世界にはいってしまったようです…
余韻、複雑な重なり、そして調和。 まるで音楽のような表現が”コク”という言葉から連想されます。 私も普段「ビールのコクがある」など常用していた言葉ではありますが、 意味も理解せず使っていたなんて。恥ずかしい話です。
コク、という表現を自分なりに言い換えられるような味覚・感性をもちたいですね。
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今日のせいか
Udacity Memo
Lesson2 Objectを終え、ProblemSet2まで完了させた! とてもたのしい。早くもっといろんなことができるようになりたいぃ! 目標は11日の空き時間までにLesson4までおわらせること。 学校のJavaともリンクさせて吸収しないと。無駄な時間になっちまう
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発狂した宇宙:レビュる
「発狂した宇宙」WHAT MAD UNIVERSE フレドリック・ブラウン(著)稲葉明雄(訳)

『発狂した宇宙』(はっきょうしたうちゅう、英語原題:What Mad Universe)は、アメリカのSF作家フレドリック・ブラウンによる長編SF小説。1949年、E. P. Dutton社より刊行。原題を正確に意訳すれば『一体どういう宇宙なんだ!』という感嘆詞になる(本文中にもその一節がある)。パラレルワールドテーマの作品としては古典の一つに数えられている。[1]既存のSF文化を題材にしたユーモラスなパロディSFでもある。ブラウンの長編SFとしては『火星人ゴーホーム』と並び、代表的作品とされている。日本語訳は、初め元々社最新科学小説全集の一冊として刊行され(1956年)、その後早川書房から新訳が出版された。2009年3月現在、絶版。 wikiより。
な��私がこの本を手にしたか…というのは、 「天の光はすべて星」という同著者の別のSF作品を偶然古本屋で購入し(パッケージの星空がとても綺麗だったから)、その物語の話し方や進み方、世界観などすべてに魅了されてしまい、この作者を検索したのが始まりでした。
そこから、どうやらこのフレドリック・ブラウンという男は他にも宇宙系SF作品を書いていて、そっちの作品も面白そうやーん。これだけでした。 (「天の光は…」もSFではありながらリアリティ溢れる作品で、どちらかというとラヴストーリー?なんだか目頭も心も熱くなる…そんな作品。こちらも面白い。) 読んでいてびっくりなのが、彼フレドリックは1906年生まれ。 「発狂した宇宙」が発刊されたのが1949年。 てことはWW2後5年も経たないうちに出されてる。 てことは米露のSpaceRaceなんてまだ始まってないし、 もちろんスプートニクですら打ち上がる5年以上前の作品。 ・・・えええええ。なんで。なんでここまで想像広がるの。笑 問題なくこの世界観が、60年以上前の彼の頭に広がる世界観が、 今でも楽しめるのはなぜ。笑
というのが前半を読んでいて思ったこと。(うっすいw) それと読者を困らせるのがうますぎる。私も何度死にかけたことか。 後半に入り、展開にいちいちはっとさせられる。 メッキーが登場してからなんとなくバッドエンドではなさそうだ、、という空気はありつつも、全く展開が読めない。(キースの行動力ったらスゴイ) ちなみに最後大艦船に突っ込んで再び?いや新たな?宇宙へと放り出されたときも、最後の最後まで状況がわからなかった。 キースが今立っている宇宙は我々の住む”地球”ではない。 ということがわかったが、しかし、我々の住む”地球”って一体なんなんだ? 宇宙は無限大であり、無限という言葉が意味するものは、 私たちの想像するものは、抜けなくすべて実在するということ。 すなわち、私の持っている携帯電話が違うことだけが異なる別世界の星もあれば、人の皮膚が青い色だということだけが異なる星もある。ということ。 (ということは何一つ異なる点がない星も同じようにあるという見解) キースが再び戻った先がもともと彼がいた”地球”でない星だったにせよ、宇宙はこれっぽっちも影響を受けないし、ただただ小さい小さい存在が移動しただけ。それだけ。まるで私たちが顕微鏡を眺め微生物を観察するような。 ひとまず、キースにとってのハッピーエンド、ハッピーリスタート(なのかはわからないが)になったことは喜ぶべきこと。 そして同時に、生死さまよう体験ながらも、望む世界が広がる星に、閃光を浴びた一瞬強く願えば辿り着けるということも羨ましいとも思える。 ただ、この作品における”死”というものの位置付けが、わからなくなり、 この作品中でなければキースの2度目の移動体験はまるで死後の彼の魂の妄想を描いているようにも思える。 この作品における”死”とはずれるが、この無限に広がる宇宙における”死”というものが何を意味するのか。輪廻転生という考え方は正しいのかもしれないと思った。宇宙が無限、ならば。
最後に、彼の作品になんで惹かれるんだろう?と考えてみたところ、 ”見えるはずのない情景が見えてしまうから”だなと思った。 アクトゥールス人にせよ、ルナンにせよ、月ジュースにせよ、 この目にお目にかかったことのないものを目の前に浮かび上がらせる。 なぜか見ぬベディにうっとりするし、ドペルにも惚れ惚れする。 だから完全に物語に酔うことができる。 次は同著者SF短編の「未来世界から来た男」をちょこちょこ読もうと思う。 実はまたも同著者「真っ白な嘘」も手元に届いてはいるのだが、今は頭を宇宙一色に汚染したい気分。これを読んだら再び「発狂した宇宙」の世界にいりびたろう。
映画化されないかな。 スターウォーズも大好きだけど、超える気がする。
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新聞って雑誌サイズにできないのかな? 多少厚くなっても コストがかかるのか? あの大きさにハードルに感じてしまう だめかなーだれか雑誌サイズの新聞つくってくんないかな
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第12回 木皿泉さんの「生きているコトバ」。 10年以上前に放送された連続テレビドラマ『すいか』が大好きだった。 三軒茶屋の昭和な感じのアパートで暮らす訳ありな人たちの日々。主役のお堅い銀行員を演じる小林聡美さんに、銀行のお金を横領して犯罪者となり各地を逃亡しているらしい元同僚の小泉今日子さん、アパートの、のほほんとした大家を演じていたのは市川実日子さんだった。みんなまじめで、不器用で。それが夫・和泉務さん、妻・妻鹿年季子(めが・ときこ)さんが共同執筆する木皿泉さんの作品との最初の出合い。その後もドラマや舞台、小説で作品を多く目にしてきた。そんな木皿さんの今年の夏に出たエッセイには、やはりいつもの通り、独特のおかしみと温かさが流れている。その中に『コトバ』という印象的な一編がある。 ある講演会で木皿さんが話をしたときのこと。講演後の質疑応答の時間に、木皿さんのファンらしく、会場でも最前列に座っていた年配の男性が「先生のエッセーはおもしろいのに、話は全然おもしろくなかった。今後、講演はやめた方がいい」と発言したという。おもしろくないというのは人それぞれだけれど、「やめた方がいい」というのは言い過ぎだよなぁ、と木皿さんは感じた。でも「そんなことをぶつけてくる人は嫌いではない。自己主張の強かった亡き父を思い出して、少し懐かしかったりする」とも思ったという。ところが講演会に来ていた別の人たちの反応は違った。「私は講演会おもしろかったです」との女性の発言に拍手が起こり、知人は「あんなことを言われて落ち込んでいるんじゃないかと心配しました」と憤慨して電話をしてくれたりした。 「どうも、言われた私より、聞いていた人たちの方が傷ついている様子だった。私は神経が太いのだろうか、さほど気になる出来事ではなかった」 「私が知らない間に、みんな、悪口に極端に弱くなってしまったようだ。ネットやメールばかりで、面と向かって言われることに慣れていないからだろうか。私は、知らない人に投げかけられたコトバに、そこまで深く傷つくことはない。そもそもコトバなんて、一瞬のもので、次の瞬間、違うことを思っていたりする。しょせんは、空(くう)に散ってしまうものじゃないかと思っていたが、今はそうではないらしい。ネットやメールのコトバは消さない限り、そこにずっとあり続ける。コトバは永遠に残るものらしい。それって大変なことだなぁと思う」 コンピューターやネットがコミュニケーションを大きく変えて、私たちの暮らしは飛躍的に便利になった。直接会わなくても、電話で声を聞かなくても、とても多くの情報、感情を共有することができる。一方で、生の言葉のやりとり、そこでかわされる声のトーンや音質、話している相手の視線やからだの動き、そういうものを含めてのダイレクトな対話が面倒だったり、不得手なものになってきてしまっているのだろうか。 「講演が終わってサイン会の時間になったとき、その男性が一番にやってきた。サインをしながら話していると、男性はレストランの店主だという。不思議なもので、そのときはすでに、私たちは面と向かって言い合ったという仲だったので、彼のコトバは私との間で転がり始める。 『私、このレストラン知ってますよ』 『うそぉ』 『今度行ったらまけてくれます?』 『あったりまえやないか』 人の気持ちは、光の速度の十七倍の速さで移り変わってゆくと、仏教の本に書いてあるそうである。気持ちがそんなに目まぐるしく変わってゆくのなら、コトバの方も目まぐるしく変わるものだろう。生きているコトバだけがコトバなのである。そうじゃないコトバは受け流してもいいと、私は思う」(『木皿食堂② 6粒と半分のお米』双葉社刊より引用) 「先生の話は全然おもしろくない」と言った人とだって、やわらかな会話のやりとりを通して笑い合える可能性がある。流れ去り、忘れられることも多いけれど、人と人との間で交わされる言葉の豊かさを信じてもいい。そんなことを、木皿さんのエッセイはさりげなく伝えているように感じた。やっぱり木皿さんの書くものはいいなぁ。
http://magazineworld.jp/kunel/kotoba/kotoba-12/
「そもそもコトバなんて、一瞬のもので、次の瞬間、違うことを思っていたりする。しょせんは、空(くう)に散ってしまうものじゃないかと思っていたが、今はそうではないらしい。ネットやメールのコトバは消さない限り、そこにずっとあり続ける。コトバは永遠に残るものらしい。それって大変なことだなぁと思う 」 コトバって私の頭に浮かんだことを一般化するためのアウトプット。 だからそれを留めておくって不思議な感覚。こういう文章とはわけが違う。 名言に残る人ってすごい。
空に散ってしまうという表現はすごくよくわかるなぁ。
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"2002年の文献"というものが新しいものではないということに気づく。 13年前というものがあんまり理解しきれてない 自分が生まれてから外の世界に意識が向けられるようになるまでの期間は、思っている以上に知らないまま生きてきた気がする なんなら過去の歴史よりも近いはずなのに遠いような気がする
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自分が小さい頃、とはいえほんの5年前くらいかな?
大衆向けの広告にはコンデジが載っていたと思う。
コンパクトさや携帯よりも高画質なところを売りにして
今日目にしたYahooの広告にはミラーレスやら一眼やら
確実にコンパクトでもないし値段も安くないカメラが載ってる。焦る。
車やら宝石やらの広告が出てくるから、私がカメラ好きというターゲティングがなされているわけではどうやらなさそう。
時代はうつろいますな けっこうハッとさせられる。
たかが1つの広告から。その広告の趣旨ではないのに。
「広告は、時代の合わせ鏡だ」とおっしゃっていたのを思い出す。
5年後はどんなものに人は惹かれるんだろう
自分が結婚したとき、自分に子供ができたとき、自分が仕事をやめるとき、自分が死ぬとき。
どんなものに心動かされ、そのとき日本は、世界はどんなものに感動し、それをどう映すんだろう、
か。
パワポやんなきゃ
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遊びをせんとや生まれけん、戯れせんとや生まれけん 梁塵秘抄
現代語に翻訳すると、こういう意味になる。
「(子どもは)遊ぶために生まれて来たのだろうか。戯れるために生まれて来たのだろうか。遊んでいる子供の声を聴いていると、私の身体さえも動いてしまう」
言葉通りに素直に解釈した場合は、「子どもが遊ぶときは、時の経つのも忘れて、夢中になる。子どもが遊ぶみたいに、夢中で生きたい」という意味になる。
NHK大河ドラマ「平清盛」では、「生きていればいろいろ大変なことはあるけど、子どもが遊ぶように夢中になって生きようよ」、「どうせ生きるなら夢中になって楽しみながら生きようよ」という意味にとらえているそうだ。
私流(わたしりゅう)に解釈すれば、人は皆、遊ぶために生まれてきたのだ。人生なんて、ただのゲームだ。ただし、待ったなしの一回限りのゲームであるから、真剣勝負と行きましょう。
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らしい。解説はお借りした 素敵な方から送られてきたメールに書かれていたことば。 本を読んで、映画を見て、旅をして、いい音楽を聞いて、いろんな人と語る。そんなことが自然とその人の総合力を育てるって。 別に肩に力が入っていたわけではないが、こういうこと聞くと明日が楽しみになるよね。 人間としての厚みが違うな、いいな、厚くてアツくて篤い大人。
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一応、復習兼ねて3日間を綴る。
9月25日:京都 (チャリ&徒歩) 水曜夜行で朝6:30に京都駅着→ゲストハウスに荷物を預ける→レンタサイクル借りる→二条城→京都御苑→三角州→下鴨神社→京都造形芸術大学→京都大学→銀閣寺→平安神宮→八坂神社→清水寺→宿着
一言で言うと、どハード。 初日から飛ばしすぎた。朝から心拍数が高すぎた。 行きたいポイントこそ押さえてはおいたが、それ以外は無計画であったためだいぶむちゃくちゃな1日ではあった。 でも、無計画であったが故に、赴くままに動けたし止まれたしかなり充実した一日だった。 レンタサイクルもかなり正解。このおかげでここまで動けた。
京都の”色”は本当に綺麗で、 昔の人の美意識が今でもひっそり、でも力強く残ってる感じ
空の青さや瑞々しい木々の緑に負けないくらい、ずっしりと佇む赤い建築物。 こんなに彩度の高いものがあっていいのかと思ってしまうほど。 でも、周りの美しい自然の中で浮いているわけでもなく、むしろそれに敬服せざるを得ないまでの存在感を放っていた。 今日においては、周辺景観にそぐわないとされる派手な建築がたびたび物議を醸している中で、ただ単に"派手"を毛嫌いして排除しようとする声も見られ、それには共感できんと感じていたため、今回京都に行ってやっぱりおかしいと思った。 それと、家。どうしてもコストの面や耐性面から昔の住居の材質と変わっているのは当然であるとは思うが、マンションや住宅街の陳腐な建物はどうなんだろう。古い家って良い。見方によっては古くさいかもしれないが、長い年月を人と共に生きてきた家は厚みが違���し今つくる建物には出せない色があるように思う。もちろん今も今でスゴイ建物好きな建物いっぱいあるよ! まあでも、個人的に古い看板とか古い郵便受けとかそういうのが好きだから仕方がないのかもしれない。笑 ゲストハウスで町家に泊まれたのもいい経験だった あと、京都を1日グルグルしてて可愛いなと思ったのは”消火用バケツ”。 京都では定番中の定番なのか、どのお寺を巡っても、どんなおうちにも、真っ赤なお水のはいったバケツがあった。木造建築が多いからかな? これは気にいった。京都名物とかいってストラップにでもして売ればいいと思う。買うかどうかは何とも言えないが。 あと京都出身の方からおすすめされた豆餅を食べた。まあ美味しかったが、物珍しさに一緒に購入した薩摩芋おはぎのほうが気にいった。 で、途中”京都造形芸術大学”という文字が目に入り、無意識にペダルをこいでいた。今までは総合大学のキャンパスにしかまともに足を踏み入れたことはなかったので、ワクワクしまくりながら階段を上った。上った先に見えたのが、広いゲート?付近で制作物に黙々と取り組む学生たち、その奥では無邪気に映像制作を楽しむ学生たち、そしてその周りの壁に貼られているたくさんの美術館の案内やクリエイティブな仕事の求人情報……… おお、これが専門的な大学か…とやや圧倒される。 授業に潜ろうかと企んだが、さすが芸術大学(?!)。 教室が全面ガラスで、私のような不審者が入ったらひたすら目立ちそうだったのでやめた。 ここの大学の学生さん、とにかく忙しくて楽しそうだった! 目が既に職人だった。笑 何を根拠にと問われるとなにも返せないが、そう感じた。 卒業制作とかも想像のレベルを遥かに越えていて、趣味領域で足を突っ込みたいと思っていた分野に関しても自分の甘さを痛感した。笑 こんなのんきにキーボードを叩いてるなんてあまちゃんですね まーいいや、一日目はこんな感じにしとこう 止めないと続かないから~ 楽しかったな~~~
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