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三島由紀夫に見るナルシシスム――――『仮面の告白』を中心に
目次 序章 「ナルシシスト」三島由紀夫 第一章 自伝的小説としての『仮面の告白』 第二章 「聖セバスチャン」と「悲劇的なもの」への同一化願望 第三章 「近江」と「園子」 第四章 ナルシシスムとマゾヒスム 第五章 三島由紀夫の「ナルシシスム論」 第六章 コンプレックスと同一化願望 第七章 ナルシシスム的衝動 終章 註記 序章 「ナルシシスト」三島由紀夫 三島由紀夫の生き方や作品について「ナルシシストだ」、「ナルシシスムだ」と言われるのをよく耳にする。しかしそれはあくまで世間からのよく聞く感想であり、その理由を耳にした記憶はほぼ皆無と言ってよい。��らく文壇で活躍していた当時の作家、またそれまでの作家の中で、最もメディアなどに露出していたのは三島であろう。彼のほかに自ら映画に出演し、写真集を出した作家がいただろうか? 恐らくそういったことも世間に「自分好き」のイメエジを定着させ、尚且つ最後の自決の方法と場所、シチュエーションが三島をナルシシストに仕立て上げた要因であろう 。 ナルシシストといえば、エリートで容貌も美しく、自分を溺愛するというイメエジがある。しかし、その実強いコンプレックスがあり、自ら惹かれるように悲劇へ向かってゆくことが彼らのセオリーであると私は考える。なぜならば、ナルシシストの語源である美青年ナルシスは、己を愛するがために死を迎えたからである。(当然、ここにおける悲劇とは、美などを一切無視した、世間的な、一般的な不幸のことを指す。)この、悲劇に向かってゆくという構図は、三島の作品の主人公によく見られはしないだろうか。彼の代表的な作品の主人公たちは、一般的な幸福の概念から外れたものへ、悲劇的なものへと自ら突き進んでいる。たとえば『金閣寺』の青年僧の放火という結末は一般的に言って幸福ではないし、『禁色』の老人作家の自殺もそうであると言えよう。この悲劇に向かってゆく構図というのは、三島自身にも当てはまりはしないだろうか。その構図に、三島のナルシシスムが隠れてはいないだろうか? 彼の何がナルシシスムなのか。それを知るには、彼の作品を通して見てゆくことが一番の方法であろうと思う。そして、それを始めるにあたって、彼の自伝小説といわれた『仮面の告白』を無視することはできないだろう。この作品には彼の生い立ち、恋、そして性に関する事柄など、三島を知る上で欠かせない貴重な記述が見られる。彼の「人生」と「作品」、両方の要素を持ち合わせたこの作品から、彼のナルシシスムという美学を発見できるに違いない。三島由紀夫の美学を、私が最も興味を惹かれるナルシシスムを中心に以下の稿で分析してゆきたいと思う。 第一章 自伝的小説としての『仮面の告白』 まずは、『仮面の告白』を三島の自伝小説であることを前提に論を進めるのであれば、この作品が実際に彼の自伝小説と呼べるもの、あるいはそれに近いものであるかを確認しなければならないだろう。 昭和二十四年、七月、三島由紀夫二十四歳の年に、初めての長編書き下ろし小説として『仮面の告白』が上梓された。三島はそれを前にして、川端康成宛てに次のような書簡を送っている。 十一月末よりとりかゝる河出の書下ろしで、本当に腰を据えた仕事をし��いと思つてをります。『仮面の告白』といふ仮題で、はじめての自伝小説を書きたく、ボオドレエルの『死刑囚にして死刑執行人』といふ二重の決心で、自己解剖をいたしまして、自分が信じたと信じ、又読者の目にも私が信じてゐるとみえた美神を絞殺して、なほその上に美神がよみがへるかどうかを試めしたいと存じます。ずゐぶん放埓な分析で、この作品を読んだあと、私の小説をもう読まぬといふ読者もあらはれようかと存じ、相当な決心でとりかゝる所存でございますが、この作品を『美しい』と言つてくれる人があつたら、その人こそ私の最も深い理解者であらうと思はれます。 すでに三島由紀夫にとっての『仮面の告白』は、「はじめての自伝小説」と言っているように、彼本人の自伝的小説、つまり彼自身の物語であるということは予測ができる。しかし具体的に事実を検証すべく、作品本編の中に具体的に引用される彼自身の過去を見てみたい。 幼少期より病弱であった三島は、クラスメイトに「アオジロ」と呼ばれ嘲笑され、スポーツがてんでだめであった彼を母親が庇い、教師に体育の時間は工面してくれるよう頼んだという。また、エリート一家である平岡家で大変可愛がられた三島は、母親のいる二階で育てられるのは危険であるという理由から、母親から離され坐骨神経痛の病気もちであった祖母の元で育てられた。そこでは男子は危険であるから年上の女子と遊ぶようにと三人の友人を宛がわれ、祖母の病気に響くといわれては、遊びは騒音のないママゴトや折り紙や積み木などに限定された。 『仮面の告白』(以下本編)にはこう書かれている。 父母は二階に住んでゐた。二階で赤ん坊を育てるのは危険だといふ口実の下に、生れて四十九日目に祖母は母の手から私を奪ひとつた。しじゅう閉て切つた・病気と老いの匂ひにむせかへる祖母の病室で、その病床に床を並べて私は育てられた。 他に本編にも家の女中や看護婦、先に述べた三人の女子としか遊んでいない記述がみられる。これにより病弱な彼がみるみるうちに青白さを増してゆくのは想像に難くないし、幼い彼が女に囲まれ、自然と女口調になってゆくのも理解ができる。彼はまた、母の箪笥から着物を出してきて、仮装ごっこなどもしたという。本編では「私は懐中鏡を帯のあひだにはさみ、顔にうすく白粉を塗つた」 とある。無論この遊びは大人たちから軽蔑の目で見られたが、それからすぐに、大人に隠れ、「すでに十分な罪の歓びを以て」妹や弟相手にク��オパトラの扮装をするようになった。注目すべきは「私の熱狂は、自分が扮した天勝が多くの目にさらされてゐるといふ意識に集中され、いはばただ私自身をしか見てゐなかつた」というところである。 また本編に夏祭の一団が家の門前を通る光景が描かれている。これは三島の文学論文の「陶酔について」 で幼少時代を振り返り、彼自身が同じことを述べている。そして本編で「私」は、女友達から「どうしたの、公ちやん」と呼びかけられている。三島由紀夫は本名を平岡公威という。この「公」は、本名である公威の「公」であるのは間違いないだろう。 ざっと確認したにすぎないが、以上のことからもこの『仮面の告白』の主人公である「私」は、三島本人をモデルにしているといえよう。 第二章 「聖セバスチャン」と「悲劇的なもの」への 同一化願望 さてここで、この『仮面の告白』が三島由紀夫そのものの告白であると考えるのであるならば、必ず触れておかなければならないことがある。「殺される王子」と、グイド・レーニの「聖セバスチャン」 の絵画である。 「私」は、童話の中の王女を愛さず、王子を愛し、また死の運命にあたる王子たちを一層愛し、殺される若者たちを凡て愛した。ハンガリーの童話の中で、竜に噛み砕かれる王子がかすり傷一つつかないのを不満に思い、王子が殺される結末に摩り替える夢想までをする。このハンガリーの王子を代表にして、様々な若者たちが彼の幻影の犠牲者とされた。しかし、それは必ず男性でなければいけなかった。五歳の「私」は、絵本の中のジャンヌ・ダルクを愛した。「彼は美しい顔を顔当から覗かせ、凛々しく抜身を青空にふりかざして、「死」へか、ともかく何かした不吉な力をもつた翔びゆく対象へと立ち向かつてゐた。私は彼が次の瞬間に殺されるだらうと信じた」が、「彼」は「彼」ではなく、「彼女」であるということを知ったとき、「私」は酷く落胆したのだった。 そして最も重要なのは、「聖セバスチャン」である。三島はこの絵画を綿密に描写する。「私」は、父の戸棚の奥深くから画集を持ち出して、「聖セバスチャン」と出会うことになる。それは「チシアン風の憂鬱な夕空との仄暗い遠景を背に、やゝ傾いた黒樹木の幹」に、「非常に美しい青年が裸でその幹に縛られ」、「手は高く交叉させて、両の手首を縛めた縄が樹につづ」き、矢が「左の腋窩と右の脇腹に箆深く射されてゐる」殉教図であった。この絵画を見て、彼は初めての「悪習」により、ejaculation、つまり射精をした。この「聖セバスチャン」は今後いたるところに現れる。それはセバスチャンそのものとして、ときには、この青年に繋がるような、彼の快楽の思想の象徴として現れる。 本編では、たびたび彼自身が死ぬことへの幻想や、それが肉体的なものに限らず、何かしら��めつけられることへの幻想が見られる。戦争ごっこをして「ねぢれた恰好をして倒れてゐる自分の姿を想像することに歓びを覚えた」り、はっきりと「私は自分が戦死したり殺されたりしてゐる状態を空想することに喜びを持つた」と、逆説的な快楽、マゾヒスティックな快楽を覚えていることが描かれている。「聖セバスチャン」はこうした彼の、「悲劇的なもの」への同一化願望の象徴であると思われる。 では同一化願望とは何であろうか。五歳の「私」は汚穢屋の若者に異常に注視する。汚穢屋とはつまり糞尿汲取人である。「汚れた若者の姿を見上げながら『私が彼になりたい(、、、、、、、、)』といふ欲求、『私が彼でありたい(、、、、、、、、)』といふ欲求が私を締め付けた」と、五歳の「私」は汚穢屋との同一化を願っている。また、幼い彼はずっと「悲劇的なもの」を愛していた。 私の官能がそれを求めしかも私に拒まれてゐる或る場所で、私に関係なしに行はれる生活や事件、その人々、これらが私の「悲劇的なもの」の定義であり、そこから私が永��に拒まれてゐるといふ悲哀が、いつも彼ら及び彼らの生活の上に転化され夢みられて、辛うじて私は私自身の悲哀を通して、そこに与らうとしてゐるものらしかつた。 とすれば、私の感じだした「悲劇的なもの」とは、私がそこから拒まれてゐるといふことの逸早い予感がもたらした悲哀の、投影にすぎなかつたのかもしれない。 これが、彼にとっての「悲劇的なもの」である。つまり悲劇的なものは、ただその対象になるものだけが悲劇的であるのではなく、それが自分とは関係のない世界であることが重要なのであり、自分の手に届かない悲哀を伴わなければならないのである。先ほど触れた「陶酔について」で彼はこう語る。 祭りの神輿は、夏ごとに生家の門前を通つたが、その熱狂と陶酔を内側から生きることは、自分には終生不可能なやうな気がしてゐた。かくて陶酔の人たちは、内側へ決して私を容れないところの、意志のやうな堅固な外界を持つてゐるやうに見え、多分かういふ見方が、小説における私の造形的意慾の基礎になつた。 また、同じ文章の中で次の記述には特に注意したい。 今では私は他人の陶酔を黙つて見てゐることはできない。自分がそこから隔たれてゐるといふ悲劇的な諦念に満足することはできない。 これは昭和三十一年に書かれたものであるので、三島が幼少時代に感じていたものが成長し、変化したということが窺えるところであるが、それはすなわち、過去、他人の陶酔から隔たれているという悲劇的な諦念に満足していたということが確実になる記述である。 第三章 「近江」と「園子」 先にも述べたとおり、この愛は必ずしも「聖セバスチャン」そのもののみに注がれるわけではない。本編では「私」の愛の相手が登場する。それが、中学二年生のときの男子不良生徒、近江であり、またその後に婚約までする園子である。もちろんこの二人は同じように愛されるわけではない。 近江は「二三回落第をしてゐる筈で、骨格は秀で、顔の輪郭には私たちを抜ん出る何か特権的な若さが彩られてゐた」という男である。彼は立派��肉体を持ち、碇の刺青が似合いそうな二の腕を持っている。「私」の寵愛は、彼へと注がれることになり、「私にとつて生れてはじめての恋だつた」のである。そしてそれは「明白に、肉の欲望にきづなをつないだ恋だつた」のである。 彼に恋をしたといっても、しかし「私」にとっての近江は、必ずしも「私の中にある近江」でしかない。自分の描いた近江像を、近江本人が裏切ることは「私」にとって絶望を与える。たとえば、ある雪の日に、雪の中巨大にOMIと名を書いているところに「私」は出くわす。朝早くに行われたその行為を見て「私」は近江の孤独の隅々まで理解し、憧れた存在に笑顔を向けられることに歓喜した。しかしその笑顔を見て、次第に彼は気おくれし、「彼の笑顔が『理解された』といふ弱みをつくろふためのものであらうことが、私を、といふよりは、私が描いてきた彼の影像を傷つけるのだつた」と述べている。このように、「私」自身の中に存在する近江をしか愛さないのである。その後のやりとりの後、「私への一種痛ましい蔑みが甦つた。彼の目は私を子供だと思はうとする努力で、又しても憎体に輝き出した。彼の雪の文字について私が何一つ訊き質さな��つたことを彼の心の一部が感謝してゐる、その感謝に抵抗しようとしてゐる彼の苦痛が私を魅した」とある。またしてもここで、近江という愛の対象と、自分というものに隔たりをつくり、それにより満足を得ているのである。 しかし「私」は近江への愛を諦めるときがくる。それが体育の授業で近江が前へ出て懸垂をしてみせたときである。そのときに見た、彼の腋窩に見られる豊饒な毛、つまりは腋毛を見て感嘆しついには性的興奮を覚える。しかしそれは「無垢な歓び」ばかりではなく、「思いがけない別種の感情を発掘」させた。それは嫉妬であった。このことをきっかけに、近江を愛していないと己に言い聞かせたが、結果的にそれは、再び近江への愛を再確認させることになる。近江のそれを見てから、「私」は永いあいだ鏡の前に立ち、己の裸体に近江の強靭な肉体に似るであろうという、しかしそれは無理であるという自虐的な夢想をするようになる。そこで、「私」は気付くのである。 元禄期の浮世絵には、しばしば相愛の男女の容貌が、おどろくべき相似でゑがかれてゐる。希臘彫刻の美の普遍的な理想も男女の相似へ近づく。そこには愛の一つの秘儀がありはしないだらうか? 愛の奥処には、寸分たがはず相手に似たいといふ不可能な熱望が流れてゐはしないだらうか? この熱望が人を駆つて、不可能を反対の極から可能にしようとねがふあの悲劇的な離反にみちびくのではなからうか?(中略) 私がそのために愛を諦めたと自分に言ひきかせたほどに烈しかつた嫉妬は、右のやうな秘儀にてらして、なほ愛なのであつた。 そして「私」は「私は自分の腋窩に、おもむろに・���慮がちに・すこしづつ芽生え・成長し・黒ずみつゝある・「近江と相似のもの」を愛するにいたつた」のである。これは近江の腋毛から派生したフェティシズムであり、あの汚穢屋に感じたような、同一化願望と一致するであろう。 そして秋になり新学期が始まると、近江は放校処分を受けていた。彼は退学になったのである。教師は「悪いこと」をしたというばかりであったが、そのときにその「悪いこと」ゆえに、近江はあの「聖セバスチャン」のように縛られ、矢で貫かれ殺されたという夢想さえする。そして以前見たあの懸垂の姿は、正に「聖セバスチャン」を思い出させるのにふさわしかったということに気付くのである。 ここで、フロイト の理論に照らし合わせながら三島の性向を見てゆくことにしよう。すでに今までに述べてきた問題でわかるように、「私」が同性を愛する傾向にあるのは言うまでもない。つまりフロイトの言う性対象倒錯者である。『性理論三篇』 によれば、この性対象倒錯者とは、主に「一般に正常な性対象とされている異性を性の対象として選ばない人々」 である。「私」は明らかに男性でありながら、汚穢屋の若者や近江などの逞しい男性に惹かれていることから、性対象倒錯者といえるだろう。同じくフロイトの『性理論三篇』によれば、「特に相手に惚れ込んだ段階で、正常の性目標を達成することができないか、それが放棄されているようにみえる状態」 に、フェティシズム的要素が現れるという。対象を愛するがゆえに、その対象に関するものを偏愛するというのであるから、「私」が秘儀に照らして再確認したように、腋毛への愛着に近江への愛が存在することは間違いない。 ここでフロイトの「ナルシシズム入門」 からの記述も参考にしよう。 本質的に同性愛的なリビドーの多くは、ナルシシズム的な自我理想のために利用されるのであり、これを維持することに使われ、それで満足をみいだしている。 この引用は、「私」の近江への愛にそのまま当てはまるだろう。近江が自分の理想に完璧でなければ絶望をする一方、まさに「私」にとってのリビドー、性対象倒錯そのものである「聖セバスチャン」に近江を重ね、満足を得ているのである。豊饒な腋毛は、男らしさの象徴である。病弱な「私」は男性的なものに憧れると同時に、近江へのフェティシズムを自己に還元しているといえよう。 では園子の場合はどうであろうか。高等学校からの友人草野の妹である園子は、「私」の演技の犠牲者である。この演技というのは、「私」が明らかに異性愛嗜好ではなく、同性愛嗜好を持っているにも関わらず愛そうと務めたことによる。つまり「私」は、本来男性を愛することをよくよく分かっていて、それでも女性を愛そうと無理につとめたのである。彼らは自然の成り行きのように愛し合うに至った。少なくとも園子のほうは真剣であり、純粋なる恋である。しかし「私」は義務感にかられるように園子を愛し、また、愛していると錯覚をし、錯覚をしようと努力している。無論言うまでもなくこの二人の愛は成立せずに、結婚という世間一般の、確実な終着点を目の前にしたときに、「私」は園子を拒んだのである。周囲や園子も当然と思っていたその成り行きに、「私」は不���者であることから逃げ切ることができなかったのだ。 するとごく在り来りな優越感が胸をくすぐつた。私は勝利者なのである。私は客観的には(、、、、、)幸福なのであり、誰もそれを咎めはしないのである。それなら私にだつて幸福を侮蔑する権利はあるわけだ。 不安と居たたまれない悲しみとで胸が一杯なくせに、私は生意気な皮肉な微笑を自分の口もとに貼りつけた。小さな溝を一つとびこせばよいやうに考へられた。それは今までの何ヶ月かをみんな出鱈目だと考へればよいのである。はじめから園子なんか、あんな小娘なんか、愛してゐなかつたと考へればよいのである。私はちよつとした欲望にかられて(、、、、、、、)、(嘘つき奴!)、彼女をだましたと思へばよいのである。断るのなんかわけはない。接吻だけで責任はないんだ(、、、、、、、、、、、、)。―― 『僕は園子なんか愛してゐはしない!』 この結論は私を有頂天にした。 素晴らしいことであつた。愛しもせずに一人の女を誘惑して、むかうに愛がもえはじめると捨ててかへりみない男に私はなつたのだ。なんとかういふ私は律儀な道徳家の優等生から遠くにゐることだらう。……それでゐて私が知らない筈はなかつた。目的(、、)も達しないで女を捨てる色魔なんかありえないことを。……私は目をつぶつた。私は頑固な中年女のやうに、ききたくないことにはすつかり耳をおほふ習慣がついてゐた。 結婚についての手紙を読んだ後に「私」が園子を拒絶することを決意した場面である。「私」は不能者であることを認識することにより、近づいてくる園子からの逃避に安堵し、そして同時に不能者であることへの絶望も味わうのであった。そしてここにも「私」の理想とする粗野な男への羨望が見て取れる。まさしく、近江のようないわゆる「不良」の男の影であろう。さらに、拒絶の手紙を出したときの描写がこうある。 郵便局へその手紙を出しにいつたとき、速達の掛りの女が私の慄へる手をいぶかしさうに見た。わたしはその手紙が彼女のがさつな汚れた手で事務的にスタンプを押されるのを見つめた。私の不幸が事務的に扱はれるのを見ることが私を慰めた。 このとおり、この苦しい出来事や、園子という犠牲者さえも自分の快楽の生贄としているのが窺える。もちろんこれは一例にしかすぎず、他の園子とのやりとりにおいても、自分が不能者であるという認識に絶望するとともに、それこそが安心であり、自分を蔑む快楽となるのである。 第四章 ナルシシスムとマゾヒスム これらの問題を見てゆくと、「私」の性に関する倒錯がはっきりとわかる。そして彼の快楽とするものが、確実にマゾヒスム的な要素を持っていることは明らかである。「多くの場合、マゾヒズムとは自分に向けられたサディズムの延長に他ならないことが確認されている。この場合は、自分が性対象の位置に立つわけである」 と、フロイトがすでに指摘するとおり、「私」はマゾヒスムの要素だけではなく、限りなくサディ��ムの要素も持ち合わせている。サディスムは近江を聖セバスチャンに見立てて殺すこと、また、空想の中で行われる「地下室」での「秘密の宴会」で、「私の同級生で、水泳の巧みな・際立つて体格のよい少年」たちを食ってしまうことなどに色濃く現れているだろう。まさにこのカニバリズム的な残酷な空想を倒錯と言わずして何と言おうか。そしてマゾヒスムは、自分が殺す夢想をする相手、聖セバスチャンや近江などの「悲劇的なもの」への同一化願望によって達成される。「リビドーと残忍さが結びついていることによって愛が憎しみに変わったり、情愛のこもった行動が敵意をもった行動に変わったりする」 とフロイトは述べるが、近江への「烈しかつた嫉妬」も、このアンビヴァレンツの要素が隠れているのかもしれない。後に「私」が認めたとおり、この「烈しかつた嫉妬」は愛である。 話を戻すと、「マゾヒズムとは自分に向けられたサディズムの延長に他ならない」とあるが、これを「私」に当てはめたとき、自分が「悲劇的なもの」になりたいというマゾヒスムを中心としたひとつの輪ができると考えてみよう。 (1)まずは、戦争で撃たれている自分の想像などに見る、自分へのマゾヒスム願望から出発をする。 (2)矢を射され、縛られている聖セバスチャンを見て「私」の中のサディスムが働き、 (3)なおかつそれに同一化したいというマゾヒスムも同時に働く。 (4)そして、近江にサディスムが働き、彼に聖セバスチャンを重ねて殺す。 (5)そしてまた、その近江との同一化を願うマゾヒスムが働く。 こうして(5)から再び(1)のマゾヒスムに帰ってゆくのである。常にどちらの概念も働いてはいるものの、中心となっている、または最終目標とされているのは、「悲劇的なもの」への同一化願望、つまりマゾヒスムである。同一化によって、外に向けられたサディスムを回収し、自分のものとする(マゾヒスムとする)。この同一化のメカニズムは、ナルシシスムのメカニズムと非常によく似た動きをしているのである。すなわち、「外界から撤収されたリビドーは、自我に供給され、これによってナルシシズムと呼べるような態度が生まれるのである」 というフロイトのことばと一致する。「外界から撤収されたサディズム(リビドー)は、自我に供給され、これによってナルシシズム(マゾヒスム)と呼べるような態度が生まれるのである」と、置き換えることが可能ではなかろうか。 またフロイトは、三島の性癖の核心になるものを示している。 後に性対象倒錯者になる者は、その幼年期の最初の数年間に、女性(主として母親)に対する激しい(しかし短い)固着を経験していることが確認された。そしてこの固着を克服した後では、自分を女性と同一視するようになり、自分を性対象とみなすようになる。すなわちナルシシズムに基づいて、かつての自分に似た若い男性を求めるのである。かつて母親が自分を愛してくれたように、こうした若者を愛そうとするのである。 まさしく「私」および三島の幼少時代の生い立ちに当てはまりはしないだろうか。しかし「私」の場合常に傍にいたのは、病床に臥す祖母であり、母ではなかった。三島は母に関して、「母をかたる」 にて以下のようなことを述べている。 私は、幼児乳離れをするかせぬかに祖母のもとに引取られ、おばあさん子として育てられたので、それが母親の悩みのタネであつた。母親は、私にとつて、こつそりと逢引する相手のやうなもの、ひそかな人知れぬ恋人のやうなものであつた。母には、姑との間の苦労や、子供を姑に独占された悲しみや、いろいろな悩みはあつたらしいが、子供の私には、さういふ悩みは見えなかつた。そして、たまにこつそりと母に連れられて出る日が、私の幼児の記憶の中で、まるで逢引の日のやうに楽しく美しく残つてゐた。 引き離された母に対しての激しい固着の経験がここに記されているといってよいだろう。以上のことから、三島と「私」がほぼ同一であると考えるならば、「私」が性対象倒錯者になる要素は、すでに生まれた環境からしてそこに備わっていたのであろうことがわかる。 また、フロイトはこう述べる。 性欲動は最初は、自我欲動の充足に依託して現れるのであり、これから独立するのはその後のことである。この依託は、子供の栄養補給、世話、保護を行う人物、すなわち母親またはその代理が、最初の性的な対象となることに現れる。これを依託型(、、、)の対象選択と呼ぶことができるが、このような型と源泉の対象選択のほかにも、予想外の第二対象選択の型と源泉が精神分析によって確認された。性目標倒錯者、同性愛者など、リビドーの発達に障害が発生している人物では、成長してリビドーの対象を選択する際に、母親の手本に従うのではなく、自己自身を手本として選択することが発見されたのである。こうした人物は、自己自身をリビドーの対象として選択するのであり、これはナルシシズム型(、、、、、、、)の対象選択と呼ぶことができる。 先に引用したものと右に引用したものは、「どちらか」ではなく、若者を愛し、また自己自身をリビドーの対象として選択している「私」にとっては、「どちらも」である。対象選択の道について、「ナルシシズム入門」の中でフロイトはこうまとめた。 人は次の道によって愛するようになる。 (1)ナルシシズム型によって (a)いまある自分を(自分自身) (b)かつての自分を (c)なりたい自分を (d)自己の一部であった人物を (2)依託型によって (a)世話をしてくれた女性を (b)保護してくれた男性を 「私」はこの(1)のナルシシズム型の多くに当てはまる。(a)の場合は、自分をマゾヒスム・リビドーの対象にしていることから当てはまるといえる。(b)の場合は、後に本編で「かかる間に、私は年上の青年にばかり懸けてゐた想ひを、少しづつ年下の少年にも移すやうになつてゐた。当然のことで、年下の少年ですらあの近江の年齢になつたからである。」とあることから、かつての自分、かつて自分が同一化を願った相手を対象としているのがわかり、当てはまるといえる。そして(c)は当然、なりたい自分、すなわち、汚穢屋、近江、聖セバスチャンなどを対象とすることで、当てはまるといえる。 しかし「私」が同性愛者であったとしても、近江と園子、二人に対しての愛は確実に愛なのであって、「私」の園子への愛は偽りではない。二つの愛の相違点は、それに肉欲が伴うか否かである。肉欲ではないにせよ、「私」は園子の足の美しさに感激をしているし、園子とのプラトニックな愛の観念を「しらずしらず」信じていた。 とまれ、近江、園子、結果的に二人への愛は、どちらもエゴイスティックなものとはいえないか。近江への同一化の愛、そしてそれを拒まれることからの満足。彼に重ねたサディスムとマゾヒスムが錯綜した聖セバスチャンへの憧れ。園子との恋、不能者という一般の幸福と無縁の存在として世間から隔離される満足。愛する彼らの姿は自分の理想のものでしか許されない。相手を愛することにより自分にとっての快楽を得る。厳しく言えば、「私」は自分自身が快楽を得る���めに、相手を愛しているのである。 これをわたしは、ナルシシスムと考える。そもそもナルシシスムとはギリシア神話からのことばである。美青年ナルシスが、水鏡に映るおのが美しさに見惚れて恋し、そのまま水仙の花になってしまう。フロイトの「ナルシシズム入門」によれば、 ナルシシズムという用語は、臨床的な記述の目的で生まれたもので、P・ネッケが一八九九年に、ある事例について命名した。この事例では、ある個人が自分を一つの性対象であるかのように取り扱い、自分の身体を性的な快楽をもって眺め、なでまわし、愛撫しながら、完全な性的満足を得ていたのである。このような形でのナルシシズムは、性目標倒錯としての意味をもつもので、その個人の全体的な性生活を吸収している。このナルシシズムという概念は、すべての性目標倒錯を研究するための手がかりになることが期待された。 とある。しかし私はフロイトによるナルシシスムのみを軸にするのではなく、他のナルシシスムの概念を織り交ぜて考察してゆきたいと思う。そこで、三島本人の著作からも考えてみよう。その名も「ナルシシスム論」 である。 第五章 三島由紀夫の「ナルシシスム論」 三島によれば、ナルシシスムとは、純粋ナルシシスムと、それ以外の、精神的知的ナルシシスムなどがあるという。純粋ナルシシスムの本当の姿は、他人の賞賛を必要としない。それはナルシスが客観的に他人の目から見て美しいからであり、彼は絶対に排他的であり、他人の賞賛を一切必要としないほど、自意識の客観性に絶対の自信をもっているからである。ナルシスは己を知っていることが前提である。彼には「絶対的美貌」と「自意識の絶対的客観性」が必要不可欠なのである。これによりナルシスは安心して己を愛することが可能になり、かくて純粋ナルシシスムとなれるのだ。 しかし、それは一つの神話にしかすぎず、ナルシスのような「自意識の絶対的客観性」に到達できないのであれば、人は「他人の賞賛」を必要とする。他人こそ「物言ふ鏡」であり、肉体を離脱した非在の観念としての自意識の、目に見えて手にとることのできない絶対的客観性を、他人の賞賛が傍証してくれるという。以下、三島の「ナルシシスム論」から引用しよう。 ナルシスが他人を排斥するのは、他人を全く必要としないほど美しいからだが、醜い者も、同じやうに他人を排斥する。彼は他人の賞賛を得る自信がないからである。 では醜い者にはどういったナルシシスムがあるかというと、滑稽に見えることをおそれて地下に沈潜し、そこに「秘密のナルシシスム」、「抑圧されたナルシシスム」を形成する。つまり醜い者の中にも、ナルシシスムはありえるというのである。三島は、ナルシシスムの機会は誰にも均等に与えられ、それが驚くほど普遍的な衝動であるということをボディ・ビルディングの男たちに学んだ。そしてそのボディ・ビルディングを例にして、こう語る。 鏡に映る自分の新しい逞しい筋肉は、自分でありながら純粋な「他者」であり、考へられるかぎりの純粋な外面であるのと同時に、しかもそれは自分の意志とエネルギーによって創造したものなのである。鏡に映るその筋肉ほど、ナルシシスムにとつて、といふのは、男性の自意識にとつて、恰好な対象はあるまい。 つまりは、ボディ・ビルディングによって形成された体は、自分ではなく他人であり、絶対的客観性を傍証してくれるという「物言ふ鏡」なのである。 ナルシスの水鏡を、ナルシシスムの純粋な無言の鏡とすれば、「他人」こそは、二���元的でありながらはなはだ力強い、物言ふ鏡と言へるであらう。自意識がその客観性を確認するために、どうしても他人の賞賛を必要とするのは、ナルシシスムの客観的要件を、できるだけ多く自分のはうへ引寄せようとする自然な志向である。「他人の鏡」を相手にするときは(中略)、思ひどほり賞賛が返つて来たところで、(中略)そこであたかも彼の客観的要件自体が増しでもしたかのやうな外見を呈する。 というわけで、純粋ナルシシスム以外のナルシシスムには、ナルシスの水鏡にかわる、「物言ふ鏡」としての「他人の賞賛」を必要とするわけである。そしてこれにより、「完璧なるナルシス」という青年でなくとも、誰でも普遍的にナルシシストになることが許されるわけである。 第六章 コンプレックスと同一化願望 三島は後にボクシング、ボディ・ビルディングや剣道、空手により肉体改造に励むが、これは彼の大きなコンプレックスによると思われる。『仮面の告白』本編によれば、彼は彼自身の虚弱な体を呪っている。彼はボディ・ビルディングなどにより新たな体を作ることで、他人という「物言う鏡」を作り出し、そして「他人の賞賛」を得ることによってコンプレックスを克服しようとしたのであろう。そしてそれが人に見られたいという欲望になり、あたかも純粋ナルシシスムの人間のように見られたのであろう。確かに三島は自分を見ること、見られることに快楽を覚えている。それが幼少時代の仮装ごっこの、「私の熱狂は、自分が扮した天勝が多くの目にさらされてゐるといふ意識に集中され、いはばただ私自身をしか見ていなかつた」というところに集約されている。はっきりと述べられているように、明らかに幼少期より、三島は自分が見られているという意識に熱中し、ただ自分自身をしか見ていなかったのである。しかし、人に見られたいという思いを抱くことは、もはや純粋ナルシシスムではありえない。なぜならば、純粋ナルシシスムの本家である美青年ナルシスは絶対的に排他的であり、「絶対的美貌」と「自意識の絶対的客観性」を所有しているがゆえに、人の賞賛を必要とせず、期待する必要もないからである。 三島は「ナルシシスム論」の最後で断言する。「ナルシシスムが幸福であらう筈がない」と。ナルシシスムとは悲劇である。決して、自分を愛し、それだけで満足をしている幸福な人間の状態ではない。ナルシスは、自分に恋をするという永遠の失恋の苦しみによって死んでいったのだ。三島は「純粋ナルシシスム以外のあらゆるナルシシスムにとって、かくて本質的な様態は「不安(ゾルゲ)なのである」と述べる。三島の「不安(ゾルゲ)」は体格コンプレックスであろうし、このコンプレックスこそが三島をボディ・ビルディングに招き入れ、自分と対照的である近江の姿に嫉妬という愛を寄せる原動力になり、「不安(ゾルゲ)」の要因を持たない彼との同一化を願う原動力になったのだ。「ナルシシスム論」の中にもこう記されている。 少年のナルシシスムには、色濃く死の衝動が影を落としてゐる。自分はこんなにも美しい。だから美しいうちに死ぬべきなのだ。この種の少年のナルシシスムは、英雄類型への同一化の傾向を強くもつてをり、ひいては彼自身が英雄となるための原動力となる。 同一化願望とは、ナルシスが水鏡に映った自分に恋をするように、鏡に映る自分を美しくしたいという欲望、つまりナルシスへの憧れではなかろうか。近江に求めたのは、コンプレックスからの憧れであって、そうなりたいという自分の欲望である。コンプレックスをバネにし、自己投影のように憧れる同性を愛するのは同一化願望であろう。近江に恋をしたということは、自分の理想に恋をしたのである。つまり自分のコンプレックスに恋をしたのである。そしてそこには、それでも彼にはなれないという、あの三島特有の、「自分がそこから隔たれてゐるといふ悲劇的な諦念」が快楽として潜んでいる。園子とのこともまた、自分は他の人間の幸福の内側には入れないという悲劇を味わうための犠牲になったのだ。 「私の遍歴時代」 で彼はこう語る。 少年期と青年期のナルシシスムは、自分のために何をでも利用する。世界��滅亡をでも利用する。鏡は大きければ大きいほどいい。二十歳の私は、自分を何とでも夢想することができた。薄命の天才とも。日本の美的伝統の最後の若者とも。デカダン中のデカダン、頽唐期の最後の皇帝とも。それから、美の特攻隊とも。 三島の、そして『仮面の告白』の「私」の愛し方は���相手を愛するように見せかけて自分を追い求めるという、あのナルシシスト特有の排他的なものである。近江も、園子も、極端に言ってしまえば「私」のナルシシスムの為に利用されたにすぎないのではなかろうか。 以上のことから、三島は純粋ナルシシスムと、そうでないナルシシスムを持ち合わせていると考える。混血になれば純粋とはいえまい。それは複雑に幾層にも重ねられたパラドックスの上に出来ている、非純粋のナルシシスムなのではなかろうか。そして最大にして基本的な、根本的な理由は、何より彼にはコンプレックスがあるということだ。ナルシスは、初めから存在する完璧な美貌で自分を深く愛したのであるから、彼にコンプレックスはない。しかし三島はその病弱な身体に、小さな体格に、コンプレックスを懐いたのである。 第七章 ナルシシスム的衝動 『仮面の告白』の冒頭に置かれた、ドストエフスキイの「カラマーゾフの兄弟」からの詩を引用したい。 美の中では両方の岸が一つに出合つて、すべての矛盾が一緒に住んでゐるのだ。(中略)あゝ美か! その上俺がどうしても我慢できないのは、美しい心と優れた理性を持つた立派な人間までが、往々聖母(マドンナ)の理想を懐いて踏み出しながら、結局悪行(ソドム)の理想をもつて終るといふ事なんだ。(中略)理性の目で汚辱と見えるものが、感情の目には立派な美と見えるんだからなあ。一体悪行の中に美があるのかしらん? ……しかし、人間て奴は自分の痛いことばかり話したがるものだよ。 この引用は実に明確に、これから始まろうとする三島の告白を、三島のすべてをすでに表している。「美」から始まるこの詩の中で、まさしく三島のパラドックスの美学をみせているのである。初版に付された「『仮面の告白』ノート」の中で、三島は「この本を書くことは私にとつて裏返しの自殺だ。飛込自殺を映画にとつてフィルムを逆さにまはすと、猛烈な速度で谷底から崖の上へ自殺者が飛び上がつて生き返る。この本を書くことによつて私が試みたは、さういふ生の回復術である」と語っている。こうまで赤裸々に「ヰタ・セクスアリス」を公開し、自殺しておきながら再び回生するということであろうが、まるで『仮面の告白』で告白した美学を本として上梓することにより、それを実際に行っているように見える。「……しかし、人間て奴は自分の痛いことばかり話したがるものだよ。」ということばは、苦しいことさえ甘美なものとして自分の快楽に変えようとする三島の独特の快楽であり、そういう自分を見て欲しいと言わんばかりの、あの排他的な純粋ナルシシスト的露出欲に見えてこないだろうか。そしてそれを読者に肯定されることは、三島が言う、純粋ナルシシスム以外のナルシシスムに必要な「人の賞賛」であるのだろう。 ついに彼は写真集 であの「聖セバスチャン」を演じ、強烈な「同一化願望」を実現させ、映画「憂国」 の中では自分���殺し、それを銀幕に大々的に見せるということまでしでかした。あの割腹シーンに向けられた三島の情熱はとてつもないこだわりようであるのが窺えたし、私自身思わず恐怖に目を逸らすほどだった。また映画「からっ風野郎」も、三島の死によって幕を閉じるのだ。自分が死ぬ姿を世間に見せる映画。倒錯した「ヰタ・セクスアリス」を告白した「自殺」のような『仮面の告白』。コンプレックスによって創り上げられた「物言ふ鏡」である自分の身体。彼はこれらに世間からの賞賛を貰うことによって、マゾヒスム・ナルシシスム的衝動を満足させていたのではなかろうか。そうなれば、おのずとあの最期の自決も、マゾヒスム・ナルシシスム的衝動がそこに存在することを考えずにはいられない。 確かに三島がいうように、このナルシシストの衝動とも思える告白を軽蔑せずに美しいと思ったときに、彼の「最も深い理解者」になれるのかもしれない。 終章 これまで三島由紀夫に見るナルシシスムを検証してきたが、しかしいまだ数多くの課題が残っていることを認めざるを得ない。本論においてあえて無視をしてきた問題がある。それは、「ナルシシスムにおける死の衝動」である。単にこれらは、資料の蒐集が不十分であったという理由だけでなく、何よりもナルシシスムにおける死の衝動を追求するならば必ず直面するであろう、三島の最期の自決に立ち向かう気力がないことによる。そこには三島の政治的思想なども深く入り組むことは間違いなく、本論の主題である『仮面の告白』の範囲を大幅に超えることになり、なによりも現在の私の能力ではとても追いつくことなどできないからだ。そして、現実的な、生々しい三島の死を目撃するには、まだ勇気も足りないのである。映画「憂国」での三島の割腹シーンは、それが現実に裏づけされ、リンクされるから戦慄するのである。あの三島の苦しみようが、滴る脂汗が、飛び出る内臓が、すべて現実のものとして鮮明に頭の中に映写されてしまうのだ。それは恐ろしいという感情では表しきれない、あまりに悲しいものである。私にはまだそれを受け止める勇気などない。 しかし「ナルシシスムにおける死の衝動」とは大変重要なものであり、「ナルシシスム論」の中で「少年のナルシシスムには、色濃く死の衝動が影を落としてゐる。自分はこんなにも美しい。だから美しいうちに死ぬべきなのだ」と、三島がはっきりことばにしているように、ナルシシスムを研究するにあたり避けては通れぬものである。また三島を研究するにあたっても、避けては通れぬ問題であろう。美少年ナルシスは己の姿を愛するがあまり死を迎えるのである。序章で述べたとおり、死とはナルシシストの美しいセオリーである。そしてそのセオリーを、三島は忠実に遂げてしまったのである……。 己の力量不足を嘆くとともに、今後も残された課題を追求してゆきたいと思う。三島由紀夫の目指した本当の「美」とは何であったのか。彼のナルシシスムは達成されたのか。そして三島は、何を思って死んでいったのか。私はいつかそれをなるべく「彼の真実」に近い形で理解し、彼の「最も深い理解者」なりたいと願う。 <以下註> Wordで作成した註などはそのままテキスト形式にできないらしく(?)、数字などは省かれてしまった。 何にもならないかもしれないがとりあえずは註の本文だけは添付しておく。 ※特に註記のない、本文中の「仮面の告白」の引用はすべて『決定�� 三島由紀夫全集(全四十二巻)』(新潮社)による。また、本論におけるフロイト論文の引用などは、より新しいもの・わかりやすい文章を求め、ちくま学芸文庫の、『エロス論集』(中山元 編訳)を使用し、『フロイト著作集五 性欲論 症例研究』(懸田克躬・高橋義孝訳人文書院・一九六九年五月三十日)も参考にした。 三島主演映画には、「からっ風野郎」(大映・一九六〇年)、「人斬り」(大映・1一九六九年)、「憂国」(一九六六年)がある。写真集は『薔薇刑』(集英社・昭和三九年)。三島由紀夫三十八歳のときに細江英公によって出版された。一九六一年。 俗に言う「三島事件」。一九七〇年(昭和四十五年)、十一月二十五日、東京都新宿区市ヶ谷本村町の、陸上自衛隊東部方面総監部(市ヶ谷駐屯地)の総監質にて割腹自決。三島由紀夫、四十五歳。 『川端康成・三島由紀夫 往復書簡』(新潮社・一九九七年十二月)による。 『三島由紀夫・その血と青春』(三枝康高・桜楓社・昭和五十二年八月五日)による。 この仮装は、松旭斎天勝の仮装である。『仮面の告白』(新潮文庫)の田中美代子による解説には、 「明治後期から大正・昭和にかけて、奇術界の王座をしめた女西洋奇術師。海外にも巡演し、千数十種にもおよぶ奇術を考案、一代の名声をうたわれた」とある。一八〇六年~一九四四年。 「陶酔について」(『三島由紀夫文学論集』講談社)昭和三十一年十一月 グイド・レーニ「聖セバスチャン」新潮文庫本文p.38。解説に���れば、 「三世紀末ローマの伝説的なキリスト教殉教者。聖人伝説によると、武勇人にすぐれ、ディオクレティアヌス帝に愛されて、親衛隊隊長となったが、キリスト教徒として、ひそかに信徒を助けていたのが発覚、杭につながれ、矢に射られて殉教した。が、奇跡により蘇り、帝のもとにおもむいて、キリスト教の復員を説き、再び、撲殺された。その殉教図は、カトリック教会の祭壇画として数多く、ひろく礼拝の対象となっている」とある。 ジークムント・フロイト Sigmund Freud(一八五六~一九三九)オーストリアの精神学者。 S・フロイト『エロス論集』(中山元 編訳)による。初出は「Drei Abhandlungen zer Sexualtheorie,」Deuticke, 1905 なお、S.フロイト 懸田克躬・高橋義孝訳『フロイト著作集五 性欲論 症例研究』(人文書院・一九六九年五月三十日)による引用は以下のとおりである。「自分の性対象に適当した性を選ばない人物、つまり性対象倒錯者」P.19 『フロイト著作集五 性欲論 症例研究』による引用は以下である。「正常な性目標が達成できないか、その満足がとりあげられているようにみえる、塾哀の段階ではとくにそうである」P.23 初出は「ナルシシズム入門」(Zur Einfüung des Narzissmus, jb. Psychoan., 6, 1-24, 1914) 「性理論三篇」、「二・二 性目標の一時的な固着」の中の「サディズムとマゾヒズム」による。『フロイト著作集五 性欲論 症例研究』による引用は以下である。「マゾヒズムは自分自身の身に向けられたサディズムの継続に他ならない」P.27 「性理論三篇」、「第四節 神経症者における性欲動」の中の「神経症と性目標倒錯」による。『フロイト著作集五 性欲論 症例研究』による引用は以下である。「(前略)残忍さがリビドーと結びついていることによってまた、愛が憎しみに変わったりするような変化が起こる(後略)」(「神経症とバーヴァージオン」P.33) 「ナルシシズム入門」による。『フロイト著作集五 性欲論 症例研究』による引用は以下である。「外界から撤収されたリビドーは自我に供給されるのであり、こうしてわれわれがナルシシズムとよぶことのできる一つの態度が生じてきたのである」P.110 「性理論三篇」、「一・一 性対象倒錯」「性対象倒錯者の性対象」による。なおこれは一九一〇版の追加原注である。『フロイト著作集五 性欲論 症例研究』の引用は以下である。「のちに性対象倒錯者になった者は、その小児期の初めの数年に、女性(たいていは母親)に対する非常に強烈ではあるが短期間の固着の時期をへてきており、それを克服したのちは自分を女性と同一視し、自分自身を性対象として選ぶようになる、つまりナルシシズムから出発して、母親が自分たちを愛したように自分たちを愛そうとしてくれる若くて、自分自身に似た男性を求めるのだ」P.17 現時点で二次出典。――註4に同じ。 「ナルシシズム入門」による。『フロイト著作集五 性欲論 症例研究』による引用は以下である。「性の欲動は最初のうちは自我の欲動の満足に依存し、のちになってはじめて後者から自立するようになる。この依存関係はしかし、小児の養育、扶養、保護に関係のある人物、したがってまず母親はその代理者が最初の性対象となる、ということにも現れている。依存型とでも名づけることのできる対象選択のこのような類型および起源とならんで、われわれはしかし分析的研究によって、こういうものを見出そうとは思いもかけなかったことだが、第二の類型の類型を知らされたのであった。われわれは、性目標倒錯者や同性愛者の場合と同様に、リビドーの発達に障害をこうむった人物の場合はとくにはっきりと、彼らがのちに愛の対象を選択するさいに、母親を典型とせずに自分自身を典型として選ぶ、ということを見出したのである。彼らはあからさまに自己自身を愛の対象に求め、ナルシシズム的と名づけることのできる対象選択の類型をしめす」P.121 「ナルシシズム入門」による。『フロイト著作集五 性欲論 症例研究』による引用は以下である。P.123 (1)ナルシシズム型によるものでは (a)現在の自分(自己自身) (b)過去の自分 (c)そうなりたい自分 (d)自己自身の一部であった人物 (2)依存型によるものでは (a)養育してくれる女性 (b)保護してくれる男性 「ナルシシズム入門」による。『フロイト著作集五 性欲論 症例研究』による引用は以下である。「ナルシシズム Narzißmus という術語は臨床上の記述に由来するものであって、ある人間が自分の肉体をあたかも対象のように取り扱う、つまり性的な快楽をいだいてこれを眺め、さすり、愛撫して、ついには完全な満足に達するにいたる行為を表すために、P・ネッケ(P.Näcke)が一八九九年に選んだものである。このようにしてできてきたところから、ナルシシズムというのは個人の性生活全体を吸収した一種の生目標倒錯(パーヴァージオン)を意味しており、またそれゆえに、われわれがあらゆるパーヴァージオンを研究するうえの手がかりがこれによってえられるかもしれないという期待をあたえるのである。」P.109 「ナルシシスム論」(『三島由紀夫文学論集』講談社)昭和四十一年七月 「私の遍歴時代」(『三島由紀夫文学論集』講談社)昭和三十八年五月 写真集『薔薇刑』にて「聖セバスチャン」を演じる。しっかりと矢が突き刺さり、木に縛られている三島の表情はどこか恍惚としている。 「憂国」昭和四十一年、劇場公開された、同作品の映画。 三島由紀夫主演、製作、監督、脚色。三島由紀夫没後、割腹シーンのせいか、上映プリントは焼却処分されたが、密かに三島邸に保管されていたネガ・フィルムがほぼ完璧な保存状態で発見され、平成十八年にDVDとして復刻された。 <参考文献> ・三島由紀夫『決定版 三島由紀夫全集〈1〉長編小説(1)』(二〇〇〇年十一月一日)新潮社 ・三島由紀夫『仮面の告白』(昭和二五年六月二五日)新潮文庫 ・三島由紀夫『三島由紀夫文学論集』(昭和三十一年十一月)講談社 ・S.フロイト 懸田克躬・高橋義孝訳『フロイト著作集五 性欲論 症例研究』(一九六九年五月三十日)人文書院 ・S.フロイト 中山元 編訳『エロス論集』(一九九七年五月十二日)ちくま学芸文庫 ・渋澤龍彦『エロス的人間』(一九八四年九月十日)中公文庫 ・渋澤龍彦『エロティシズム』(一九八四年五月十日)中公文庫 ・細江英公『薔薇刑』(昭和三九年)集英社 ・川端康成 三島由紀夫『川端康成・三島由紀夫往復書簡』(一九九七年十二月)新潮社 ・三枝康高『三島由紀夫・その血と青春』(昭和五十二年八月五日)桜楓社 ・竹原崇雄『三島由紀夫 仮面の告白の世界』(平成六年十月五日)風間書房
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『夏の砦』 辻邦生
この長編小説の中にちりばめられた数々の問題は、時に我々読者を混乱に陥れる。片時も気の抜けないあまりに密度の濃い出来事すべてが結末への伏線のように感じられ、主題が一体何であるかを見抜くために我々は常に神経を尖らせなければならない。読み進めていくうちに数々のキイワード出会い、それらのすべてが何かを象徴しているのではないかと疑う中、第一章に入るとすぐ、象徴的に輝いて見える存在として我々の目の前に提示されるのが「グスターフ候のタピスリ」である。このタピスリの存在は、『夏の砦』が作品として動いてゆくため、冬子がスエーデンに近いS**諸島に赴くため、言うなれば物語として動き始めるための鍵である。第一章の冒頭から終章まで登場するこのタピスリは、言わずもがなだが物語において重大な役目を果たしていることは括弧付きで登場したそのときから安易に想像ができ、目に見えそうで見え難い、何かを象徴しているに違いないと読者は踏むのである。 主人公である支倉冬子は幼少期である序章から既に何かを感じ取り、漠然とした違和感のようなものを覚えている。辻は実に巧妙に子供の複雑に構成された説明のできぬ心情や行為を描き出し、恐らくそれに軽い痛みと共にノスタルジイを覚える読者は少なくはないはずだ。物語そのものである、幼少期よりフリース島で消息を絶つまでという冬子の生涯を大胆に分けるならば、輝くような自己の世界での生活し、そしてそれが失われ空虚になり、再びその輝きを見出すというような流れになるだろう。 幼い彼女は夢中で飛行飛びをし、亀のヒューロイと遊び、きらきらと輝くまるで兄の作ったあの人形劇のような世界の中で生きていた。しかし次第に幼少期における子供ながらの絶対的な美学や理想や純粋といった世界が壊され、まるでぽっかりと口を開き待ち受ける大きな闇の中に流されてゆくように、厳しい現実というものの中に否応無く飲み込まれてゆくことになる。その喪失は様々な場所で描き出され、例えば兄の作った人形劇の不思議な神秘さが終演と共に途端に消え果て、彼女はそのきらきらと輝くような世界が実際は作られたもの、まるで生きたように見えた狐や猟師がただの人形でしかない事実に、理不尽な、理解のできない虚しさを覚え、そのときに感じた激しい淋しさの描写など象徴されているといえるだろう。彼女が心地良く暮らしていた理想に背を向けはじめたのは、己の美学のようなものに一心に向かい合う劣等生と扱われる兄や、世間からひとつの境界線を引いてその中に生きる叔父に対していくらか情け無いという感情を抱いていたことにはっきりと描かれているし、彼女は彼らを通して「動かし難い」、「我侭なぞ許しえない」、「学校や社会や人間関係」という「不機嫌な重い物体」である現実を知ることになるのである。 「私は自分の肉体というものをあらためて、両手で確めてみないではいられなかった。風呂のなかに沈めながら、ようやくふくらみはじめた胸のあたり、まるくなりはじめた肩のあたりを、信じられないもののように眺めた。自分の考えや感じとは別に、妙な重い他の生きもののような肉体があるということ、それは、その後ながいこと、私には、最後まで、なじむことのできない事実となったのだ」 冬子は己の肉体の変化を、どうしようもない現実として受け止めた。彼女が自ら言うように、自分の考えなどとは別に、どうしても抗うことのできない事実が存在することに絶望のような戸惑いを覚えている。大切にしていた人形を、木の上に忘れ、雨に晒されるままに放置したり、好意を寄せていた女の子を池の中に突き落としたり、当時の幼い彼女には何か理由がわからないまま、まるで自分がこれから置き去りにする理想を省みないように愛したものを突き放し切り離していった。そして厳しい現実にすっかり飲み込まれてしまう決定的な切欠が、祖母や母の死というものであり、冬子があのきらきらした世界を過ごしていた懐かしい樟の木のある家が戦争で焼けることであった。 「そうです。私はこうしてあの樟のざわめく古い広い家を失ったのでした。父の言ったように、それは私の目の前から失われると同時に、わたしの心の中からも消えていったのでした。しかしそれはまた、なんという恐ろしい過酷な事実が、むきだしになって、私たちを襲い掛かった瞬間だったのでしょう。私はその瞬間夢想や空想の無意味さと無力さを痛いほどに感じました。祖母の死にはじまった過酷な事実は、こうして最期には、この樟のざわめく家そのものを滅ぼし、そこにまつわる一切の思い出を消し去ったのでした」 結果として、終章に至るまでには彼女の失われた感情は取り戻されることになるが、このひとつの冬子の理想と現実、過去と現実の間を行き来する流れは、冬子が「グスターフ候のタピスリ」に感じる感情の律動と重ねられるのである。 その後彼女は芸術家の道を辿ってゆくが、彼女が美術学校の工芸科に入った当初、芸術への輝かしい想いはこういったものとはまだ別にあった。当時の彼女は芸術へ絶望をしてはおらず、諦めもしていない。母の仕上げたかった作品の世界を彼女なりに完成させようと熱いものを胸に機に向かっていたのである。しかし彼女は次第に制作に倦怠を感じてゆく。それは染色のために調剤カードを作り、その法則のようなものを作品作りの中央に置き始めてからである。 「私が美術学校にいるころ、自分の美的な仕事が任意な、曖昧な、根拠の薄弱なものに感じられてくるようなとき、なんど私は医学部とか工学部とか農学部とかに学んでいる学生たちを羨ましいと思ったことでしょう。(中略)根拠あるもの、動かないもの、確実なる物を私は望んでいましたし、そうしたものに力を尽くすことが、ちょうど鉱夫が鉱脈につるはしを打ち下ろすように、意味もあり、生産的でもあると思われたのでした。(中略)私はこうした認識や技術と、作品とが融合しえないものだろうかと考えてみました。また、作者の恣意をこえた美の法則性を求めて、本をよみあさったり、考えたりしました。」 根拠、確実を求め、まるで調剤カードを使うように美の法則を機械的に操ってゆくことは、夢中になりその情熱によって作られてゆく芸術というものを彼女の中から失わせてしまったのだ。こうして彼女にとっての制作の苦しみが始まる。しかし苦悩した彼女の心の中に講義を切欠として「グスターフ候のタピスリ」が甦り、この傑作に触れ、そしてそれが伝統として生きている北欧の都会に生活すれば解決するのではないかという希望が生まれた。こうして希望を見出すべくスエーデンに近いS**諸島の都会に訪れた彼女だが、「グスターフ候のタピスリ」と対面し、再び絶望に浸ることになったのである。彼女は何故、期待に胸を躍らせタピスリの前に立ったときに失望感を味わったのであろうか。そして結果的に彼女の生涯と同じように、タピスリへの感動もまた甦ることになるが、一度は絶望したものに再び希望を見出すことになったのであろうか。 ここで彼女の芸術観を確認してみようと思う。作中に登場する油絵科に通う本庄玲子とのエピソードにより、冬子の芸術観が伺える。本庄玲子と冬子は、その美のあり方、芸術のあり方について幾度となく論争していたようである。本庄玲子にとっての芸術とは、「芸術作品は宗教や政治や実用などへの従属を脱して自分自身の目的(「それを美と呼んでも、精神性と呼んでもいいわ。」と彼女は言った)を追求するようになってから、はじめて<芸術>となりえたと主張した」というものであり、彼女のことばをすべて引用するならば、 「実用的な芸術なんて、言葉の矛盾もはなはだしいわ。芸術の世界と実用の世界は、火と水、天と地、月とすっぽんよ。昼と夜よりも違っているわ。実用の絆を脱したからこそ、それが芸術になれたのよ。昔は芸術家なんていなかったのよ。ただ信仰の対象となるかもしれないわ。あるいは記録のため、飾りのため、功労の顕彰のために、音や色や言葉で何か形あるものがつくられたかもしれないわ。しかしそんな人たちは芸術家じゃないし、そんなものは芸術作品じゃない。芸術はそうした一切から脱却して、感覚を通して精神に至る道を見出したとき、言い換えると美を自己目的としたとき、はじめて<芸術>となりえたのよ。」 というものである。しかし冬子はこれと真逆の芸術観を持っており、彼女にとっての本当���美とは、 「そのように美自体で孤立するようなものではなく、もっと人間の魂や生の陰影や哀歓と深く結びついているはずのものなのだ。それは必ずしも大衆売場の実用品と結びつくという意味ではないけれど、でもそうした実用品をつくりだした人間の状況には無縁でいられないものなのだ。それは、もっと深く、もっと広く、人間のすべての活動や状態と結びついてゆくものなのだ……。」 というものである。彼女はタピスリについて玲子に話したとき、確実に「人間のすべての活動や状態と結びついてゆくもの」をタピスリに感じていたのであり、それを求めてS**諸島に赴いたのである。しかし彼女が初めてその眼で見た「グスターフ候のタピスリ」は、「厚地の、全体に色の褪せた、糸のほつれや補修の目立つ、ひどく物質的な素材感の強い織物」、「ただそれだけのもの」であった。彼女はタピスリから、己の求める芸術、すなわち「人間のすべての活動や状態と結びついてゆくもの」が感じることができなかったのである。それはタピスリそのものに彼女が思い描いたものが無かったということではなく、タピスリにこめられたものを、冬子が感じることができなくなっていたからであると考えられよう。 「私は、後の時代の、写実風で、ただ優美さを狙った農耕図よりは、ずっと生活の本質に近い、瞑想的な、深い、暗い、重苦しいものを感じました。(中略)そこに、まだ生活から切り離された孤立する芸術家意識がない、ということに他なりません。この織匠は、大工が家を建て、指物師が大机をつくるのと同じ気持ちで、せっせとこの機織を織り上げていったに違いないのです。彼は汗を流し、慎重に機の技巧を駆使したはずです。しかしそこには、どこか子供じみた無心さ、単純な熱中を感じます。」 後に終章で彼女自身がエンジニアへの手紙の中でそう語るように、タピスリは確実に、冬子の求めたあの最初に情熱を抱いていたころの芸術の理想を持っていたのである。しかし彼女がそれを感じ取ることができなかったのは、タピスリから感じた「どこか子供じみた無心さ、単純な熱中」というものを彼女自身から既に失われていたからではなかろうか。彼女が見捨てた理想や純粋、過去が、あのただ直向に社会を省みず己の美学のようなものを貫いた兄や叔父、純粋に夢中になっていた冬子自身が、織匠の純粋な魂と共にタピスリの中にあったのである。彼女がこれらを見て絶望するのは、己の最も理想としたタピスリが、もう既に過去の中に捨ててしまったもので構成され、「作者の恣意をこえた美の法則」や理論のみで出来ているわけではないからである。先にも彼女の独白から抜き取ったように、美にさえも機械的に根拠や確実を欲しがる彼女に、タピスリに込められた理論や法則や冷静だけに従うことのない「どこか子供じみた無心さ、単純な熱中」などは感じることができるはずがない。彼女にとってはあの樟のある家が燃えたとき、タピスリの中に込められているものは愚かなものとして捨ててしまっていたのである。無論喪失されたものは彼女の手元には無く、彼女はその時点で失望の原因が何であるかは気づくことができない。既に無くしたもので構成されたタピスリは、彼女にとって、全体に色の褪せたものに見えるのも当然なのであろう。それと同様に色褪せた己の過去と対面することとなった彼女は、まるでタピスリから抜け出たかのような自分の過去が黒い影となって襲い掛かり、神経症にも似た苦しみを味わい、自殺した母のように入院をするまでに至ってしまう。 その彼女に光を与えるのは、病室に飛び込んできたエルス・ギュルデンクローネである。この物語、冬子自身にとってエルスの存在は欠かせないものであり、エルスが冬子にとってどのような光を与えたのかを確かめなければならない。 「たしかに私もこうしたエルスと一緒に暮らしているうち、自分がどんなにかこの健康な、生命にみちた営みを無視していたか、よくわかってくる。エルスの目のく��むような自然への陶酔こそ、あの巨石文化を残していった北方の先住民の生き方だったのかもしれない。走ったり、泳いだり、投げたり、木にのぼったり、高い梢を渡ったり、飛鳥のようにとびおりたりする動きそのもののなかに、私は、古代的な不思議な純血を感じる。エルスが露台に休んで放心しているときの、日焼けした背にかげを落としているあのような古代的な憂いは、おそらくこの純潔さと無関係ではないのだ。 わたしはエルスといると、自分がこの大自然の一部分に還元し、その中で甦り、新しい生命に目ざめでもしたように、裸足で地面や草を踏み、胸にじかに風を感じ、腕も脚も頭もこうした自然のなかに融けこんでゆくのだ。自分の身体の裏面がむきだしにされ、快楽が深い奥底から火のように激しくつきあげてくるのを感じる。」 冬子はエルスに対してこうまで神秘的なものを感じ、好意を身体中で感じている。エルスは冬子の求める芸術の理想、すなわち人間の生命、生活がそのまま結びついているものをダイレクトに与え、はっきりと、彼女に触れたことにより自分が「生命に満ちた営みを無視していたこと」気づいたと告白し、徐々に己の中にあった芸術の根本を甦らせてゆくのである。そして冬子はギュルデンクローネの館で暮らすようになってから、彼女の内面の変化があったと家が焼けた事件に続いてエンジニアへの手紙で告げている。 「わたしはこの過酷な事実を自分の生き方の基準にしたのは、家が焼けるより以前のことでしたが、家が焼けたことによって、それがさらにいっそう徹底したものになっていったのです。こうした生き方、考え方の結果がどんなものだったか、私は、あなたに、織物の制作が次第に困難になり、不可能になっていった過程に触れながら、たしかお話申し上げたと存じます。そうなのです。私は自分の過去を見すてることによって前に進みでたわけですが、この過去とは、多くの場合、前へ進む力を汲みだす深い豊かな源泉であることがあり、それに私は気が付かなかったのでした。 この事実に気が付いたのは、「グスターフ候のタピスリ」を見にここの都会へ来てからでした。とくに私がマリーやエルスと知り合い、ギュルデンクローネの館で暮らすようになってからでした。」 彼女は自然と一体となるエルスと心を通わせ、そしてホムンクルスの悲劇的な火事に駿の死んだ火事を見た結果、彼女は再びあのタピスリの中にある「人間のすべての活動や状態と結びついてゆくもの」や「どこか子供じみた無心さ、単純な熱中」を、過去に思い描いていた期待を遥かに超えた感激を伴って感じることができるようになるのである。これは冬子が過去を取り戻したという結果であり、先にも述べたとおり、冬子の理想と現実、過去と現実の間を行き来する流れは、冬子が「グスターフ候のタピスリ」に感じる感情の律動と重ねることが可能であり、「グスターフ候のタピスリ」というものが、冬子の過去そのものであるという象徴になるであろう。 さて、ここで更に指摘したいのは、作者である辻邦生がどうしてこのような深く豊かな、複雑な冬子の人生、芸術論を巧みに描ききれたかという点である。無論彼の作家としての技量によって生み出されたのは言うまでも無いだろうが、すべてが完全なる創作、想像の世界であるにはあまりに強い力、湧き上がるような、いわば魂の叫びのようなものが深く根底に息づいているように感じられる。 作者、辻邦生が生まれたのは一九二五年、大正十四年。日本は一九三七年、日支事変が起きると戦争時代へ流れ込んでゆく。一九九九年まで生きた彼の人生の中に、戦争というものがあった。彼自身の著作集である『遥かなる旅への追憶』で語るように、彼は高等学校理科に在籍していたために戦争へ駆り出されることは免れたものの、戦死した友人を持つ過去を持つ。わたしが頭に思い浮かべるのは主に詩人であるが、戦争を経験した戦後作家の多くを見てみるとその多くは戦争の影は大きく暗く、創作にその色を強く滲ませている。辻もまた、ただの想像上のものとしてではなく『夏の砦』にその戦争を描いている。戦争時代を生きた彼は既に高等学校での劇作などで創作の発表を始めていたが、終戦を迎えると同時、混乱の時代の中でそれに疑問を抱き、飢えや病に苦しむ戦後の最中彼は文学に苦痛を感じるようになったのである。彼はその心情をこう語る。 「よしんば生活ができたとしても、小説などよりもっと大切なことは、たとえば、医者になり病人を実際に治すというような実践的な仕事によって、世の中にはたらきかけることではないかと考えるようになったわけです。そうした状況のなかでは、小説を自分の仕事として書いていくには、周囲の事情がきびしすぎた、その非常に過酷な現実に対してどのように対処するかが、当時の私の最大の課題だったのです。(中略)現実を変えうる力・技術としての知識の重要性を感じていたのです。」 この疑問を抱いた辻は、次第に文学への道を見失うことになる。そして彼は、パリへと留学をするのであるが、 「我々が考えている自由・正義・愛といった言葉は、日本で考えると、いかにも「観念」にすぎないものに見える。しかしヨーロッパ的風土のなかではぐくまれ、それを我々が敬称しているとすれば、本場に行って考えたなら、それは決して単なる「観念」というものではないのではないか。もし、それが単なる「観念」ではなく、何か事実と見合うごとき充実した内容のものだったら、また「文学」にも同じことが言えるのではないか。そして、そこに突破口もみつかるのではないか――――といった期待もあったわけです。」 と語っている。この動きは見覚えがあるとおり、冬子が彼女の人生ともいえる芸術の突破口を探しに、S**諸島へと赴いたのと同じではなかろうか。そして辻は、その後ギリシアへ訪れてその突破口になる大きな出会いをすることとなる。彼はそのギリシア旅行でパルテノン神殿を見、感激している。辻は神殿に「この世のあらゆる営み、人間が発生し様々な文明を作り、歴史を築いたその活動のうえにたつ、いわば、動きを超え、永遠の領域に達している一つの実在」というものを感じたと語り、「そのとき、私のなかをたしかに美しいものが貫いていきましたし、一種の酩酊感に似たよろこびが私を包みました。しかし同時にそれは、それまで私がさまよっていたこの世・この過酷な現実というものを超えられた瞬間であった、ということができると思います」と感激を語っている。これは冬子にとってのタピスリに感じた感動や、タピスリを再び感動を持って見つめる切欠を与えたエルスに感じたような冬子の芸術観などに重ねることができまいか。 戦争���戦後という同じ時代を生きた辻と冬子、文学という現実とは密接になりえない世界に生き混乱の中根拠や確実を求め苦しんだ辻と、芸術に法則や根拠や確実を求めた冬子は、よく似てはいまいか。辻にとってのギリシアは、冬子にとってのS**諸島、あるいは消息を絶ったフリース島、そして、冬子を救った「グスターフ候のタピスリ」とエルスという少女の存在は、辻にとっての「パルテノン神殿」ではなかろうか。冬子がエルスやタピスリに出会い、「動かし難い」、「我侭なぞ許しえない」、「不機嫌な重い物体」という現実の中で感じた芸術のジレンマから救われたように、辻はパルテノン神殿に出逢ったことにより、戦後の混乱という厳しい現実の中で、創作に対して苦しみを覚えた「過酷な現実」から救い出されたのである。 辻がギリシアを訪れたのは一九五九年、八月という夏の季節である。『夏の砦』の創作ノートはギリシアを訪れた時と同じくして一九五九年に書き始められている。彼は自分の想いや経験を支倉冬子に重ね、委ねていたのであろう。それゆえあの重みのある、魂の叫びのような『夏の砦』が完成したに違いない。 冬子は作中で必死に書くという行為を行っている。それは日記であり、誰かへの手紙である。エンジニアが言うように、「この書く行為は、誰かに伝達しようとして行われているのではない。彼女は書き、言い、表現することによって、現実を自分のものにしていっているのである。もし書く行為が創造であるといえるのだったら、まさしくこのような場合にそれがぴったりするような気がする。なぜなら彼女ははっきり書くことができたものだけ自分の領域とすることができたからだ。そうした彼女の格闘を示している息苦しいまでの箇所がこの第三冊目のノートの終わりの部分なのだ。」そう語るのであれば、正に辻が経験したジレンマの息苦しいまでの格闘こそ、この『夏の砦』なのであろう。 参考文献
『夏の砦』 辻邦生・著 文春文庫 『遥かなる旅への追想』 辻邦生・著 新潮社
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コメット・タルホ 『一千一秒物語』
ある夕方 お月様がポケットの中へ自分を入れて歩いていた 坂道で靴のひもがとけた 結ぼうとしてうつ向くと ポケットからお月様がころがり出て 俄雨にぬれたアスファルトの上をころころころころとどこまでもころがって行った お月様は追っかけたが お月様は加速度でころんでゆくので お月様とお月様との間隔が次第に遠くなった こうしてお月様はズーと下方の青い靄の中へ自分を見失ってしまった (ポケットの中の月 『一千一秒物語』)
たった数行のこの小説は、足穂が十九歳で書いた『一千一秒物語』の中に収められている「ポケットの中の月」である。我々が慣れ親しんできた文学とはまったく違うものを持ち、もしも初めて足穂に触れるならば、「ハテな���」と思うであろうし、まったく理解ができずに拒絶をするか、または非常に面白く思うだろう。 この『一千一秒物語』は、大正十二年に発刊されたものである。読者が足穂を理解するために他の作品やエッセイなどを手にとってみたところで、この作品以上のものやこの作品以下のものは無い。なぜならば、この「ポケットの中の月」を始めとする『一千一秒物語』こそが、足穂そのものであり、どう足掻いたところで結局は、この『一千一秒物語』へ帰ってきてしまうからだ。
作品には、どういう形であれ必ず作者自身が投影されるものである。 物語の進行、登場人物の思考など、技巧をこらし演技をしたとしてもかならず作者自身の人生や人格、それまでの教養などが現れる。それが作品の個性というものだ。狭いところで極端に例えてみるならば、漱石が彼の人生を歩まずして『坊ちゃん』や『三四郎』は生まれなかったであろうし、あるいはもっと違った小説になっていたであろう。もしも鴎外が漱石の人生を歩み、軍人であるよりも己は文豪であるという意識や人格が形成されていたのであれば、鴎外の『青年』は『三四郎』になっていたかもしれない。
稲垣足穂の作品もまたそれに洩れず、むしろこれほどまでに作品に自己投影させた作家も珍しい。他のどの作家が作品を虚飾で彩ろうとも、文壇に媚びを売ろうとも、足穂にはそのようなことはどうでも良い。そのようなものには一瞥もくれずに彼はひとりただ己を書き続けた作家である。なるほど彼の作品からは、文壇の中で一際目立った漱石や鴎外、無論足穂に並々ならぬ好意を寄せた三島の影などひとつも見つからない。 文学を仕事とする者ならば、少なくとも出版社や評論家を意識し、またライバルとして同じ文豪を意識することもある。仕事の上で割り切った作品を書くことも当然として要求され、それに応じてゆかなければならないときがある。彼らは必ずしも裕福であるとは限らないし、生活を守ってゆく上で仕方がないこともあろう。しかし「他人に関心を持つのを恥と心得ている」という足穂にとって、それは許されざることであった。 足穂はたとえ食うものに困り七日間断食して昏倒しようとも、寝る場所がなく転々としようとも、「読者は三十人ほどで良い」と言い切り、自分の好む同人誌などに原稿料も貰わずにひたすら作品を書き続けた。彼にとって読者を意識し、文壇を意識し、虚飾に塗り固めたものを書くことなど、それこそ恥であり創作家ではないとしたのである。 あるがまま、人間は汚く現実は所詮こんなもの、そういったものをひたすら書き続ける半ば自虐的ともとれる日本の自然主義やリアリズムが蔓延していたこの時代の文学界において、所謂ファンタジイというものに分類されてしまう足穂は異質であり、正にコメット、ほうき星のように現れた自由気侭な存在であった。
「文学青年の中からは決して芸術家は生まれない。(中略)所謂文学青年とは既成の対象を追求しようとする類にほかならず、凡そ斯る態度をもってしては、世に��意のある何者をも築き能わぬのが普通である。真の文学とは自発的なものである。(中略)友よ、稚態を脱せよ、君の机上なるやくざなる凡ゆる文学論を投げやって、君の四辺に充ち満ちて呼べば答えんとする無数の霊達(ガイスター)と直接に会話すべき術を修得せよ。見ゆる的は君の関する所に非ず、見えざる的を狙う事を、これを生きて甲斐ある芸術家の光栄と云う」(「人生は短く芸術は長し」昭和十六年八月に「意匠」掲載)
他の足穂の文章から見ても非常に格調の高いこのことばが、どれだけ強い確固たる信念を持っていたかを我々に知らせるのである。彼が此処でいうように、彼にとっては既存のものを追う「文学青年」には芸術は書けず、まさに自発的なものでなければ芸術ではない。彼のポリシーがこれであるからこそ、彼の作品から誰かの影を窺うこともできるはずもなく、まったくどの時代に書かれたかなど想像させてはくれない作品を生み出すことができたのだ。
「小林秀雄なんてのはニセ者だ。いうなりゃテキ屋、夜店のアセチレンのニオイがしてます。川端は千代紙細工。石川淳なんてコワもてしてるけどなにいってるかサッパリわからん。漱石、鴎外は書生文学、露伴は学者、荷風は三味線ひきだよ。スネもんでね、そこが少し面白い。三島? ヤリ手だナ。アバれるところはなかなかいいよ。ケンランたる作品が多いけどドキッとするものがないや。新しいとこでは吉行、安岡なんてのはもたれ合いでマスかいてるようなもんだ。吉行は才能あるけどネ。小松右京ってのはオモロイやっちゃ、ボクのことタルガキホタルなんて書きよって。大江健三郎、あいつはゲイみたいなとこがある。一種の知的ゲイだ。裏門あけっぱなし、自分のものはなんにもない。(週刊文集)昭和四十四年四月十四日号」
他人に関心をするのを恥と心得る、そういう足穂は他人の悪口の多い人間であった。彼のいう関心とは、他人を見ることではなく、他人を意識し己を枠にはめるという意味なのだろう。彼の弾丸のように速い口に掛かれば、漱石も鴎外もホイ! という掛け声と共に屋根の上に放り投げられてしまうのである。彼は人にどう思われようと関係がないのだ。
彼は後年自分の文学を「おかずの無い文学」と言う。これは彼の育ちに関係するもので、彼の母親はまともに食事を作ってくれたことがなく、朝の味噌汁以外におかずらしいおかずの記憶は無いという。「おかずとはすべてのエネルギイの元で、おかずが粗末であった場合、人は謀叛人か拗者になってしまう、自分は母親がおかずは何なりと有り合わせで、といって何も作ってくれなかったので、身の置き所がなく、その文学も時空の外へはみだしてしまった」という。 そこ��らまた彼は、谷崎潤一郎のような「おかず食い文学」は免れたと自賛もしたのである。谷崎がどういった面でおかず食い文学であったかはわたしには良く知ることができないが、文学者などが、この食べ物はどこどこのものに限る、というのは最低とし、「そんな者に限って内容が貧困なのだ」と軽蔑をしている。これは虚飾に彩り、外見を気にし、贅沢なものを好む現代人を痛烈に批評していると共に、まさに拗ねて謀叛人になった足穂自身と足穂の文学を、上手く表した彼のことばだったと思う。「芸術とはノリのついたキモノをきらう」(『物質の将来』)という、枠にはまることを拒否し、他人の顔色を窺うことを嫌った足穂のひとこともなずけるような気がしてくる。
足穂は文章作法について語ることは多くはなかった。かの芥川龍之介は、ほんの僅かの違いしかない原稿を八畳の座敷一杯に広げて編集者相手に悩んだという。作家ならばそういった悩みはつきものであろうし、それによって神経衰弱に陥ったとしても特別変人だと思うことはない。しかし足穂においては、実質的に活字になった最初の作品、『チョコレット』は、夜から次の日の朝までに仕上げてほぼ校正を必要とせずに活字になったというのである。 しかし彼は決してすべての作品を一度で生み出し、それでよしとしたわけではない。『チョコレット』は後の文庫に収めるために、「ズドン!」という擬音を「Dong!」に変えたり、またあるときはその擬音そのものを消したりもしている。こうして彼の作品は原稿用紙を半分に減らしたり、幾度も改稿を重ね、磨き上げられてゆくのである。長い時間をかけて削られて行く彼の文章にしろ、『一千一秒物語』にしろ、非常に簡潔で、ときには足りないとさえ感じるほど余分なものを削り落とされた文章は、わたしたちを常に驚かせるのである。
「一にWonder二にWonderですよ。文章は、人目をひかなければいけない。人を驚かせなければいけない。それには調子高く出ることです」
足穂は文壇などという大きな組織など恐れもせず、そう高らかと言い張って、あの独特で、いつの時代にも新鮮で不可思議な文体を生み出したのである。
「『一千一秒物語』を発表してから五十年、自分の書いてきたものはすべてこの作品の解説にほかならない」(『わが無限なる文学の道』)そう言った足穂の有名なことばがある。これは彼が折々、色々な場所で言ってきたものだ。 再び、ここにあるのはそんな彼の一篇の小説である。
星と三日月が糸でぶら下がっている晩 ポプラが両側にならんでいる細い道を行くと その突きあたりに 自分によく似た人が住んでいるという真四角な家があった
近づくと自分の家とそっくりなので どうもおかしいと思いながら戸口をあけて かまわずに二階へ登ってゆくと 椅子にもたれて 背をこちらに向けて本をよんでいる人があった 「ボンソワール!」と大きな声でいうと向うはおどろいて立ち上がってこちらを見た その人とは自分自身であった(自分によく似た人『一千一秒物語』)
これも同じく『一千一秒物語』の中の「自分によく似た人」であるが、この作品にはよく足穂が表れていると思われる。 足穂の作品においてまず目につくのが、お月様や星、それも流星やほうき星といった天体である。しかもそのお月様や星たちは、幻想的な月や星そのものというものではなく、他のファンタジイのイメエジとはかけ離れた、いたずらばかり働き、誰かを突き飛ばしたりする生きたそれであったり、またときにはボール紙やニッケルメッキでできた作り物のお月様や星なのである。 これには足穂が何よりも人工物を愛したということと、キネオラマ、すなわち明治時代に流行した映画館の余興に、舞台の白い布を巻き上げてうしろに作られたジオラマ風景の変化を見せるショーを愛したということに大きく関係がある。このキネオラマのからくりで空へと昇るお月様を、すでに『一千一秒物語』の冒頭で足穂は描いている。この「自分によく似た人」でも星と三日月は糸でぶら下がっているのだ。 わたしたちが足穂の作品で、他のファンタジイ小説などとは違う印象を受けるのは、何よりもこの、機械的な、作り物的な部分である。他のファンタジイ小説などは、まるで映画そのもの、芝居そのものといったイメエジを受ける。夜の中に月がいて、その月の光が柔らかく、などといったまさに幻想的なイメエジに対して、しかし足穂の月には仕掛けがある。ネジがあり、ゼンマイがあり、それをまわして糸で月を引き上げる。彼の世界は、他の作品ファンタジイ作品のような映画や芝居ではなく、まさに、舞台装置そのものなのである。それは他人に媚を売ろう、美しく見せようと演じることのない、機械的で直接的で実にコミカルな彼自身の作品の世界観を表しているように思える。 また、自分によく似た人の住む家に訪問し、「ボンソワール!」と言ったらこちらを見たのは自分自身であった、というのも、まさに『一千一秒物語』そのものであり、足穂そのものである。先に述べたように、足穂のその後の作品は『一千一秒物語』の註にしかすぎず、すなわち、『一千一秒物語』こそが、足穂そのものなのである。キネオラマの月にしろ、自分自身に出会うにしろ、我々は足穂に出会うために先に進もうとも、そこから逃げようとも、結局は堂堂巡りの足穂ランドの中にいるのである。 足穂の作品は足穂自身を語り、足穂自身がまた、足穂の作品を語る。我々は足穂を理解しようとしたとき、まずは『一千一秒物語』を知らなければならない。
足穂を分析しようとしたところで、硬い頭で望んではいけない。ましてや今まで我々がやってきた手法で足穂を輪切りにして切り口を覗き込もうとしてはいけない。彼自身がすでに彼を語り尽くしているし、中身を覗こうものならば、「何か黒いものが飛び出した ハッと思うまにどこかへみえなくなってしまった 箱の中はからっぽであった それでその晩眠れなかった」り、「ハテなと手にとってページを開いたとたんに そこから何かむくむくと起き上がってきて ヤッヤッヤッヤと自分の肩を小突いて廊下へ押し出して行った」り、宝石の唐草模様の黒い頑丈な箱を苦労して開けたところで「なんだ空っぽじゃありませんか そうです なにもはいっていないのです」とあっさり答えられたりするのである。
ここでもう一篇、『一千一秒物語』から���こうと思う。 ある夕方 アスファルトの上を歩きながら 「たあれもいない 妙だな」 とひとり言を云うと 「それが面白いんだ!」 とはね倒された ガス燈の下を黒い影が歩いて行って よく見ようとするうちにかどを曲がってしまった(AN INCIDENT AT A STREET-CORNER 『一千一秒物語』)
ガス燈の下を曲がっていった黒い影は、いつもの破天荒なお月様であろうし、足穂自身である。「彗星というものは、最も危険性を帯びた反逆児で、いつどんなにぐれるか知れないところにその特徴を持っています」(『生活に夢を持っていない人々のための童話』)正に足穂は、その通称どおり、文壇や人間界という惑星軌道から飛び出したおかずの無かった謀叛人で、拗者の文学を書く、コメット・タルホなのである。足穂を論じようとしているわたしの耳に、ココアの中からゲラゲラと笑い声が聞こえてくるようだ。 今回わたしは多く『一千一秒物語』より引用した。それは幾度となく述べたように、た穂を語るには足穂自身である『一千一秒物語』の中にすべてが語られているからである。わたしが論ずる必要など本来はなく、結局のところこの答えも『一千一秒物語』の中の一篇の小説をもって、得られることができるのだ。
「A氏の説によるとそれはそれはたいへんな どう申してよいか びっくりするようなことがあります それでおしまい」 (IT’S NOTHING ELSE『一千一秒物語』)
IT’S NOTHING ELSE、それ以外何もないのである。
参考文献 「稲垣足穂コレクション (1)」 ちくま文庫 稲垣足穂 著 「稲垣足穂コレクション(2)」 ちくま文庫 稲垣足穂 著 「稲垣足穂コレクション(3)」 ちくま文庫 稲垣足穂 著 「稲垣足穂コレクション(4)」 ちくま文庫 稲垣足穂 著 「稲垣足穂 新文芸読本」 河出書房新社編集部 「虚空 稲垣足穂」 ロッコウブックス 折目博子著
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「残酷さについて」から見るモンテーニュ
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フランスの十六世紀は世紀を二つに分け、戦争というものを二度も経験した時代である。イタリア戦争が一五五九年に終わり、そうしてカトリックとプロテス タントとの宗教戦争が勃発する。さらに十四世紀頃から始まっていた��女裁判に更に火を点けた特別異端裁判所の設置など、もはや当時のフランスは血生臭い以 外の何物でもなかったのである。殊に魔女裁判においては、ウンベルト・エーコの名作『薔薇の名前』などでも生々しく描かれるように、当時の民衆の間では熱 烈な勢いで広まり、信じられ、優秀な学者なども強く肯定していたというのだから驚きである。魔女の存在を否定することすら当時にとっては聖書に権威に逆ら うとされ危険であった。我々にとって魔女裁判ほど理解の出来ないものは無いかもしれないが、ここまで当時、キリスト教という宗教が、それだけではなく宗教 そのものが大きな権威を持っていたのは確かである。 もはや我々の理解を超える境地までたどり着いていた当時のフランスに、寡黙に己を生 き抜いたのがミシェル・ド・モンテーニュである。既に人間から逸脱した人間たちは、命を命とも思うはずもなく、慈悲などを持ち合わせていなかった。非科学 的な迷信や思想がまかり通る時代において、全ての民は現実というものや、己自身というものを見ずに生きることを始めていった。悪に対し処罰を与えるだけで は留まらず、彼らは特殊な拷問を次々に生み出すべく頭を悩ませるほど、死というものを超えた苦痛を求め彷徨っていたほどだ。もはや何のために戦い、人を殺 すのかという原点が見えていない、この「異常」が「正常」とされていた世の中において、モンテーニュは唯一己という人間の性質を、そして現実を見詰めるこ とを貫いたのである。無論彼以外にも立派な人はいたのだろう。しかし彼ほどあの「異常」の世において、己を曲げずに見失わず、そうして危険の中、意見を常 に前に出した人はいないと思われるのだ。 彼の著書『エセー』に度々登場するものは、戦争、自然のままに生きること、そして、死についてなどである。わたしはとりわけ沢山の彼の主張の中で、「死」と「戦争」、これらに重点を置いて彼の考えを探ってみたい。 「死 の危険を少しばかり楽しみを持って想像して、それを待ち構えるのである。(中略)人が言うように、命は長いからといって最良ではないように、死は長くない のが最良なのだ。私は死んでしまうことを敬遠して疎んじるというより、死ぬということに信頼を寄せて、それに親しんでいく。私はこの嵐の中に包まれて、そ こに身を潜める。すると、嵐はいつきたのか分からない素早い攻撃で私の眼をくらまして、怒り狂ったように私を奪い去るに違いないのだ。」(『モンテーニュ 私記 よく生き、よく死ぬために』保苅 瑞穂著 筑摩書房) 彼は度々、まるで死を望むかのような記述をする。これは一文にしか過ぎな い。ほかにも彼は様々な箇所で、死を楽しみにしていることを記述したり、死を迎える人のことを密かに羨ましいと言う。彼が何ゆえ死にこれほどまで執着して いるかという考察は今回���主論より僅かばかり外れることであるので、ここでは省くことにするが彼の死に対してのスタンスは以上のようなものである。つま り、人が生きてゆく上で最も畏怖する死というのは、彼にとっては一瞬の出来事であり、それをむしろ楽しみにする心構えである。これが彼の理想とする死の姿 である。彼がこのスタンスを二十年余り書き続けた『エセー』の中で根強く持っていたとするならば、当然として、当時の人々の死に対する考え、言動は到底許 せぬものであろう。先にも述べたとおり、人々は単に死を与えるだけには留まらず、相手を究極の苦痛に至らしめることや、それを見て己が快楽を得ることを目 的とした行為を好んでいた。宗教戦争はもはや王位継承の争いにしかならず、魔女裁判も見境なく多くの人々を恐るべき手法の拷問により殺す。そこにある目的 は、ただ、虐殺を愉しむだけであった。 この非常に危険な状態に、時折激しい文体ながらもとうとうと彼が警告をするのが「残酷さについ て」(第二巻第十一章)である。人間とは何か、人間のありようとは何か、そういったものを常に見詰める彼の姿勢の中で、本来の人間としての性質を、既に人 間から逸脱している人々へ思い出させるような内容のこの文章は、若干遠回りでありながらも確実に、明確に当時の人間の危険性を提示している。むしろこの遠 回りがあったからこそ、読者は再びペエジを戻り、彼のことばに耳を傾けるのである。 「残酷さについて」は、まず、徳とは何かという事柄 から展開してゆく。長く語られるこれらのモンテーニュのことばは、一見題である残酷さというものとは何ら関連の無いもののように見えるのだが、読み終えた 後に再び戻り読み返してみるとなんとなく一貫したような心持になる。我々のような読解力にまだ乏しいものが読んだならば、「残酷」ということばが登場する に至るまでの長い記述で惑わされ気味になるのだが、既に答えは冒頭部分に明確に提示されている。「あるひとつの侮辱に傷つけられ、生身につよく感ずるほど 怒った人が、復讐してやりたいという狂おしいほどの欲望にたいして理性の武器を帯び、たいへんな格闘ののちにそれをおしふせるようならば」、「徳と呼ばれ よう」。これは冒頭部分よりの抜粋である。つまり、理性で怒りを抑えたのならば、徳であるというのだ。この記述の後も彼の徳への考えは様々な場所で留ま り、疑問にあたり、考えてゆくのであるのだが、わたしはここにひとつの答えを見出す。理性で欲を抑えるというこの考えは怒りにだけではなく、『エセー』の 随所で見られる彼の考えであるがゆえ、この考えが根本より覆されることはないと考えるからだ。既にこの冒頭部分により、当時の暴動化した民衆の行為は徳に 反しているというふうに取れるだろう。「非難に値することをした人びとがその事柄について称賛をうけることがある」とその後何気なく書かれるように、実際 にその不徳が、「異常」が「正常」として蔓延っていることをここで明確にする。 「わたしは、さまざまな不徳のなかでも、残酷さというものを、生来の制止によっても、判断力のはたらきによっても、あらゆる不徳のなかのもっとも極端なものとして���どく憎んでいる」 そしてここで彼ははっきりと、残酷さというものが、不徳であることを明示した。酷く憎んでいるという表現は過激であり、なかなか彼の文面には登場しないほ どのものだ。このことばから彼がいかに残酷さという不徳に嘆き哀しんでいるかが窺い知れる。そして、その不徳がどのようなものかを明らかにしたのが以下の 文章である。 「わたしは今、われわれの国のうち続く内戦の混乱によって、この残酷という不徳の信じがたいほどの実例をうんざりするほど眼 にする時代に生きている。(中略)彼らは、他人の手足を切り刻んだり、精神をとぎすまして今まで用いられなかった拷問や新しい死刑の仕方を発案しようとし たりするのだが、それでいて敵意はなく、利益を得るわけでもなく、ただ死に直面して苦悩の中にある人間のいたいたしい身振りや動きのかずかずを、また悲痛 なうめきや叫びのかずかずを眼の前にして愉しもうという目的だけでそうするのだ。まったく、これこそ残酷さの到達し得る極点だ」 まさ にモンテーニュの死に対する理想とは全く逆にある現状に、彼は非常に憤怒している。その後の文章では、彼は動物に対してでさえ、無実の彼らを殺すのには耐 え切れないと述べる。それはもちろん彼の個人的な感情、性格なのであろうが、『エセー』とは彼自身を書き綴ったものであるがゆえに、それは許されるところ である。しかし「神学」においてもこれは当然のことであると述べるのだ。 「私が動物たちに抱いているこの同情を、人が馬鹿にしないように 「神学」も動物に対して少しは情けを持つようにわれわれに命じている。一人の同じ主人(神)が、かれに使えるために、われわれ人間をこの宮殿に住まわせて いて、また動物たちも、われわれと同じく、かれの家族の一員であることを考えれば、「神学」が、動物に対して心づかいと愛情を持つようにわれわれに強く命 じているのは、当然のことである」(『モンテーニュ私記 よく生き、よく死ぬために』) これは実に、宗教戦争の渦の中で狂っている民衆 たちにとってアイロニーとしか言いようがない。当時の人間の命を命とも見ていないような人々に、動物に対しての慈悲などあるはずも無いのだろう。もしも神 学というものに徹底するのであれば、当時の貴族の嗜みである狩猟という遊戯において、それをする者がもしもキリスト教信者であるのならば既に過ちだ。ま た、『新約聖書』ルカによる福音書から「からだを殺す者たちがいても、彼らはそののちはそれ以上なにもできない」という箇所を引き、死異常に苦しみを与え ることは、神の名において無意味なことであるとも言っている。これに反論できるものがいるだろうか。彼はこれら聖書などを用いることによって、単なる意 見、単なる随筆の域を既に脱している。 そもそも宗教戦争は、神の名において人を殺していたのにも関わらず既にそれは完全に違う方向へと向かい、彼の言う「不徳」だけが蔓延っている。 度々「残酷さについて」や其の他に野蛮人という人々が登場するが「空虚について」(第三巻第九章)にて、フランス人��母国の文化と違う文化を見ては腹を立 て、野蛮だということに対して恥を感じると述べる。また、「人食い人種について」(第一巻三十一章)では野蛮人という人種を正しく判断しながら、(人を喰 うことは人間のすることではない、などという判断であろう)自分の過ちに気付けないことに嘆き、己たちのほうがいっそう野蛮であると述べる。とくにこの、 「空虚について」と「人食い人種について」から強く感じ取れることは、己と違う人種であるというだけで差別をすべきではなく、ましてや殺すことなどもって のほかである。これはもちろん、当時の混沌とした宗教戦争にそのまま当てはまることである。宗派が違うからといって殺すなど、動物を殺すことにさえ心苦し い思いをするモンテーニュにとって、それはありえないことであったのだ。彼ははっきりと、「宗教戦争をやめろ」ということは言わない。しかし、自己を見詰 めるという彼の生涯を通じての永遠のテーマと思われるそれが書かれた『エセー』の中で、とりわけはっきりと「残酷さについて」で、彼は確実に宗教戦争や時 代の矛盾、やりきれない現状について、幾度も幾度も警告の伏線を敷いている。 モンテーニュがこの「残酷さについて」で述べたかったこと は端的に言えば、「人のふり見て我がふり直せ」ということではなかろうか。まずは人間である自分をもう一度見つめてみること。人間のあるべき姿とは一体ど のようなものか。今の我々が、はたしてあるべきすがたの人間であるのか。モンテーニュの述べることはみな、彼の目によって見たものによって書かれている。 そうして自己を見据えることは、正に初心に返る、本来の意味での「ルネサンス――再生――」ではなかったのではなかろうか。
参考文献 新装版 岩波新書 評伝選『モンテーニュ―『エセー』の魅力原 次郎著 1994年 京都 青山初版『モンテーニュ 日常の思想』 武田 英尚著 1984年 筑摩書房『モンテーニュ私記―よく生き、よく死ぬために』保苅 瑞穂著 2003年 中公新書『モンテーニュ―初代エッセイストの問いかけ』荒木 昭太郎 2003年 みすず書房『モンテーニュとメランコリー―『エセー』の英知』 マイケル・A・スクリーチ著 荒木 昭太郎訳 1996年
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高橋睦郎の美について
高橋睦郎詩集
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汚れたものを汚れたものとして、素直に書いた詩人。背徳の美を、罪という美をそのまま受け入れて書いた詩人。わたしがこの世で最も不満を抱く偽善家を、嘲り笑うどころか全く無視したその姿勢にわたしは惚れ込んだ。いや、これは畏怖というべきだろう。単に彼がわたしの最も興味を惹く要素、「男色」と「死」と「悲劇」を中心に抱いていたからと言えばそれは間違いではない。 「ほんとうに美しいものは必ず悲劇的だ」、高橋睦郎は言う。これは最も言ってはいけなかった真実である。人間の無意識の中で、誰もが感じている真実なのである。だからシェイクスピアの四大悲劇は四百年以上の時を超えて今も愛され続けるのであろうし、近年もてはやされている純愛物語も必ず悲劇的である。わたしは悲劇を最も愛する人間のひとりである。しかし素直にそうとは認めない。本物の悲劇とは、単なる「劇」では終れない。そこには胸を引裂かれる「現実の苦しみ」があるのだ。安易にそれを好きだということは出来ない。本当の悲劇を生み出す人が実際に、妄想によりそれらの作品を書くわけではないことは、これまでの色々な詩人を見てきて知っている。最愛の人の死というものを知った高村光太郎も、戦争という死を知った鮎川信夫も、田村隆一も、そこには読者にさえ見て感じ取ることの出来る本当の、「現実の苦しみ」を味わったからこそ書ける悲劇があった。しかしわたしたち読者は所詮読者にしかなれず、どれほど同調しても、いや同調するからこそ、安易に「その気持が分かる」などと言えない、言ってはいけないような心持になるのだ。だが酷なことに、わたしたち読者はその彼らの本当の悲劇を見て、涙することに快楽を覚えている。だから人は、シェイクスピアの悲劇を追い求めるし、安っぽいものであろうと、新しい悲劇を求める。人のことを可哀想だと涙することが快楽なのだ。その悲劇が己に直接降りかかるものならば、そんな快楽には浸る余裕など無い。所詮は人事なのである。これが人間の薄情な、罪深さである。 高橋睦郎はこの罪深さを最も素直に、過激に、そして美しく丁寧に、書き出した詩人である。わたしは此処に来るまでに様々な詩を見てきた。詩を愛し愛読する人からしてみれば、有名な詩の一握りを舐めた程度にしか過ぎないが、確実にわたしは生きてきた中で、今まで読んだ詩という存在に心から揺り動かされ、そして歓喜し、感謝をしているのだ。知らない間にわたしの中に、新たに詩という大きな場所が出来ている。ゆえに他人から見てちっぽけなレヴェルだとしても、わたし自身にしてみれば相当な変化なのである。それなりに胸を張り、「詩が大好きだ」と言えるようになったのである。 他者から見て少なく、わたしの中では多い今まで読んだ詩人の詩の中で、漸く辿り着くべき場所へ辿り付き、そして人間として決して辿り付いてはいけない場所へ辿り付いた。嗚呼、それだけは言っては駄目だった。本当は知っていたけれど、それをはっきりと言われてしまえば終りが見えてしまうような気がする。高橋睦郎は、人間の目を背けるすべてをあえて見せる。性欲というもの、殺意というもの、男色というもの、キリスト教でいう「罪」である。しかしこの「罪」は実際に日々行われている。人は裸体を見られて羞恥するように、真の姿を見られて羞恥する。むしろ、怯える。「罪」とは人の真の姿である。裸体を隠すために服を着るように、人々は「罪」を隠すために偽善を装うのだ。これを赤裸々に剥ぎ取るのが高橋睦郎である。 鎌倉時代の絵巻物に「長谷雄草紙」という物語があるそうだ。 『詩人の紀長谷雄が、ある日朱雀門で、鬼と双六を戦って勝ち、約束どおり美女を得たが、百日の間その女と契ってはならないという誓いを破ったため、女は水に溶けて消えうせてしまう。その女は、鬼が美しい人の死体を集めて造りあげたもので、百日経てば、魂を得て、本物の人間に還る筈であった。(中略)女が水になってとけてしまう場面など、実に美しく描写されており、美というものの本質と、虚構のものの持つ儚さを、象徴しているように見えなくもない。鬼が造ったということにも、美にはある妖しさと恐ろしさがつきまとうことを語っており――』 (白洲正子の新古今集 花にもの思う春 平凡社 より) これは新古今和歌集についての本で見つけたものである。わたしはこれに感激した。これこそがわたしの求める真実をことばにしてくれたものなのだ。美というものの後ろには妖しさと恐ろしさが常にあるのである。だからこそ、美しい。しかし人はこれを直視しない。ゆえに、知らぬ間にとりこまれるのである。高橋睦郎はこれを熟知しているのだろう。彼の美学は正しく悲劇的で、退廃的である。だが決定的な違いは、その表面上の悲劇と退廃に知らぬ間取り込まれて終るのではなく、其処から更なる美へと昇華するのだ。表面的な美を捉えるのではなく、美の背後にある罪という恐ろしさを捕らえる。彼は確信をもって、人のこころを捕らえてゆく。 彼の詩は、ただ人間というものの無常を嘆く、今までにあった詩では決してない。彼はそこで嘆くことはしない。人間という「罪」そのものの存在を認め、今まで詩というものの中で見たことが無いほど汚いことばさえも使い、人間という背徳の美を描く。ことばからも、彼は偽善を剥ぎ取るのである。 彼の美学の終着は「男色」によって展開される。死よりも単純な性よりも最も背徳を感じさせるのは、男色なのであろう。実際は遠いようで死よりも何よりも近い背徳は、歌舞伎町をはじめとする様々なところに簡単に現実として現れるのであり、一部の人以外はすぐ傍にあるこれを、死よりも何よりも無意識に、無視をしている。しかし人は、殊に日本人は男色へ無意識に傾倒する。嘗て男色という文化がこの日本に当然とあったという事実は今もなお歌舞伎などに続いている。あの歌舞伎の女形を見て美しいと感じることは、極端にいえば男色への扉なのである。あのいかにも妖艶な魅力に人が取り込まれるのは、女性ではなく男性であるという、背徳によるものなのだろう。女装をする男性といえば誰もが異質を感じるはずである。しかしそこに人は、伝統芸能であるという言い訳をつけてうっとりとする。それはなぜか。事実が偽善で隠されているからだ。人は偽善に甘え、その表面だけを愛でる。本来歌舞伎が男色文化より発生した事実を知ればどれほどの人が一瞬怯み、そして不思議な感触を味わうのだろうか。わたしたちは、これらの事実に気付いていない。人間そのものや、わたしたちが美しいと感じるものの理由を知らないのだ。 読みながらわたしは何度も頭痛を覚え、詩集を閉じた。彼の見せる悲劇はあまりに生々しく、しかしこれは決して戦争を経験した詩人たちの書くような生々しさなどとは違う。例えるのならば悪魔の毒気に中てられるような心持である。あまりに生臭く、直接的に、わたしたちが目を背けている美の正体を知らされてゆくのは、実に苦痛を伴うことだった。上辺で書かれただけの独り善がりの悲劇とは違う。『アダムの子らそれぞれに固有の罪があるという認識から出発すべきであろう』と彼は言う。そうなのである、わたしたちは罪の存在なのである。それに無意識のうちに美を感じていることに気付かされ、わたしたちの悪の本性を暴かれてしまうのだ。 『天使は落ちる 悪魔は おのが美しさの 重心に惹かれて 胸を抱いて 落ちる』 (眠りと犯しと落下と Ⅲ より一部抜粋) 人は、悲劇に酔って背徳というものの持つ美に溺れて落ちてゆく。清らかなる存在の天使を落とし、悪魔という存在を美しいと書き、その悪魔の美しさに酔い痴れて落ちて行く。わたしはこの詩を初めて読み、わたしの中に、他者から与えられるものの中の欠落をぴったりと埋めてくれたことへの衝撃と感激を覚えて、舐めるように幾度も幾度も読み返した。高橋睦郎の詩の中は、彼の美で溢れている。すべての詩に美を感じる。しかしわたしはこの詩の中に、最も彼の美意識を大きく感じたのである。そうして本当に、本当に幸せなことに、すべてが合致したのである。わたしは見事に、美の裏にある恐ろしさを捕らえ、それを暴いて何もかもを見せる高橋睦郎の手の中に、大きな畏怖をもって、落ちて行くのである。
参考文献* 『花にもの思う春―白洲正子の新古今集』 平凡社 現代詩文庫 『高橋睦郎詩集』 思潮社
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森鴎外 別土俵の『三四郎』と『青年』
青年 岩波文庫 緑 5-4
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鴎外は尋常ではない。軍医総監という最高地位につき、その後も帝室博物館長などを勤め、さらには文学者としても恐るべき知名度と実力を誇って今もなおその名を馳せている。彼のような地位の人間が結婚をするには、勅裁、すなわち天皇の許可が必要だというのだから驚きだ。 しかし彼が二足の草鞋を悠々と穿きこなしていたのは事実だとしても、文学者という面において、やはり同時代に活躍していた夏目漱石という存在をなぎ倒して進んで行くことは少々困難なのである。 「金井君も何か書いて見たいという考はおり���り起る。哲学は職業ではあるが、自己の哲学を建設しようなどとは思わないから、哲学を書く気はない。それよりは小説か脚本かを書いて見たいと思う。しかし例の芸術品に対する要求が高い為めに、容易に取り附けないのである。そのうちに夏目金之助君が小説を書き出した。金井君は非常な興味を以て読んだ。そして技癢を感じた。」 これは「青年」の前作にあたる「ヰタ・セクスアリス」の前半にあるものである。この一文だけでも、金井君に鴎外を当てはめてみることはそう奇抜ではない。 この「ヰタ・セクスアリス」からも露骨に分かるように、そして「青年」という作品そのものからも分かるように鴎外は漱石を意識していたのである。「青年」は明治四十三年に連載を開始した。これは漱石の「三四郎」から二年後にあたる。三四郎はこれからの将来へ希望をもって熊本の高等学校卒業後に上京し、そこで広田という男に出会い刺激され、美禰子という女に翻弄される。一方「青年」の純一はY県より創作家を目指し上京し、そこで大村という男と出会い意見を交え友情を開花させ、坂井未亡人に翻弄される。偶然の一致と呼ぶにはこれらはあまりに似すぎている。漱石は勿論、鴎外も十分に名が通っていたからには、漱石の出した「三四郎」の二年後に、これほどまで似ている「青年」を鴎外が出すというのは、誰もが明らかに意識していることを暗黙のうちにでも了解するだろう。大まかな骨格は当然として、他にも「青年」の中に「三四郎」を彷彿とさせるものは数多くあり、例えば純一が方眼図を片手に散歩した坂は、三四郎と美禰子が菊人形を見るために歩いた団子坂であるし、「三四郎」ではハムレット、「青年」ではボルクマンをそれぞれの青年は観劇する。疑うように更に考えを深めて行けば、三四郎が物語の冒頭で宿に泊まる姿を、純一が物語の最後に宿に泊まる姿に重ねているような気もしなくはない。 「青年」の前作「ヰタ・セクスアリス」が雑誌「スバル」に掲載されたのは明治四十二年七月、丁度「三四郎」が単行本となった同年五月と近い時期である。新聞小説であるこれを、教養に長け文学に傾倒している鴎外が読んでいたであろうことは想像に難くないし、著者が漱石であれば尚のことだろう。では何故鴎外は、たった二年後に漱石という文豪が生み出した「三四郎」に挑むかのように「青年」を生み出したのだろうか。 普通に考えるのであれば、相手を打ち負かすよほどの自信があるゆえに同じ題材を扱うか、素人が大きく影響を受けて、ただの模範に成り下がるかのどちらかであると考える。勿論どちらかに絞れと云われるのなら、地位も教養も文学面でも漱石に対抗すべく力を有した鴎外だ、前者であろう。だが既に述べたように漱石を完全に意識しているのはありありと分かるが、それは決して、悪の敵と見なしているようには感ずることができない。 なぜならば、鴎外ほどの才色兼備の人間が、敵と見なす人物にわざわざ対抗して作品を作るということなどしないだろうという個人的見解と、己を下に置き漱石を上に置くという��えめではあるが尊敬とも取れる表現が作中に見られるからである。 「話題に上っているのは、今夜演説に来る拊石である。老成らしいいちにん一人が云う。あれはとにかく芸術家として成功している。成功といっても一時世間を動かしたという側でいうのではない。文芸史上の意義でいうのである。それに学殖がある。短篇集なんぞの中には、西洋の事を書いて、西洋人が書いたとしきゃ思われないようなのがあると云う。(中略) 今まで黙っている一人のれいり怜悧らしい男が、遠慮げな男を顧みて、こう云った。 「しかし教員を罷めただけでも、鴎村なんぞのように、役人をしているのに比べて見ると、余程芸術家らしいかも知れないね」 話題は拊石から鴎村に移った。」 「青年」に当時の著名人をモデルとして豪華出演させているのも有名な話であるし、知識の少ないわたしからも漱石が誰に扮して堂々と登場することくらいは説明されずとも気付くことができる。此処では己より漱石のほうが芸術家だと言っている。また非常に面白いものもある。鴎外の「夏目漱石論」である。論と銘打っているもののこれはエッセイであり、とてもユニークなものである。 「(二)社交場に於ける漱石 二度ばかり逢ったばかりであるが、立派な紳士であると思う。 (八)創作家としての技量 少し読んだばかりである。しかし立派な技量だと認める。 (十)漱石の長所と短所 今まで読んだところでは長所が沢山目に附いて短所と云うほどなものは目に附かない。」 こういう具合に、漱石のことが十の項目に分けられて、適当に語られている。思わずにやにやとしてしまうような、本当に適当な内容であるがゆえに此処から鴎外の本心を完全に窺うことは困難かもしれないが、少なくとも忌み嫌っているような節は見受けられない。わざわざエッセイにするくらい鴎外が漱石という存在を無視していなかったのは確実である。 さてここで話を戻したい。共通点のみを挙げてきたが、勿論「三四郎」と「青年」には相違点もある。しかも重大な相違点だ。「三四郎」に無く「青年」にあるもの、それは、性欲である。度々登場させる「ヰタ・セクスアリス」もラテン語での「性欲的生活」というタイトルその名の通り性欲を主題とした物語である。「ヰタ・セクスアリス」で鴎外に重なる主人公、金井君が芸術に対する要求が高いために小説を書けずにいる中で、漱石は次々と後世まで受け継がれる輝かしい名作を発表していく。金井君がそう感じたように、鴎外もまた、漱石に技癢を感じたのである。書きたいものの欲求が高すぎて書けないというジレンマの中、漱石の「三四郎」を読んで己も書きたいという欲がついには抑えきれなくなり、自分ならばこの「三四郎」の青春を、どういう風に書こうかと、既に「ヰタ・セクスアリス」の連載中に構想を練っていたのではないだろうか。 丁度その頃、自然主義という文学の傾向が流行��ていた。理想化を行わず醜悪なものを拒まず現実をただ写し取るというものである。告白と銘打った、内面を吐き出すだけのただの恥さらし傾向に陥っていた日本の自然主義に鴎外は反論を抱いていたという��� 「美は仮像にあり。美は主像にあり。美は想なるものなり。実物には美なし。」(「審美論」) 「極美の美術は時として不徳に伴うことを得べし」 「自然のままに自然を写すという写すの誤は模倣の義ならん。……唯詩人は文を籍りて空想より空想に写すものなり。かるがゆえに美術には製造あり。美は製造せられるために美術の美となりて、自然の美を脱す。これをトランスズブスタンチアチオン点化という。」(「文学と自然と」) 鴎外の理想は、自然そのものを写すのは真実であっても美ではない、すなわち自然主義は芸術とはなりえないというものである。低迷を見せていた当時の文学世界に目を見張るほどの大作を生み出した漱石によって、彼のこの自然主義への反発は更に刺激されたのではなかろうか。 鴎外はあくまで医者であり軍人であり、己を文学者だとは認めていない。「予が若し小説家ならば、天下は小説家の多きに勝てへぬであろう」と書き、「今の文壇の思想の圏外に予は立っていて、予の思想の圏外に今の文壇は立っている」とまで言う。此処から鴎外の、文学に対する諦めともジレンマとも取れる価値観が窺い知れるのである。 高い理想を掲げるがゆえに悩んだが、彼は四十二年十二月、「予が立場」において「私は私で、自分の気に入ったことを自分の勝手にしているのです」、同年五月「ついな追儺」において「小説というものは何をどんな風に書いても好いものだ」と開き直る態度を見せている。これを機に、彼は肩の荷が下りたかのように次々と文学作品を書くようになったのではないだろうか。 漱石という存在、自然主義への高まる反発、そして己はやりたいことをやる、それが重なりついに彼は「青年」を生み出したのだろう。結果的に「ヰタ・セクスアリス」では技癢を感じつつもその形は漱石に対抗するものでは無くなった。そこで、次なる作品「青年」でそれに挑んだのである。それは勿論同じ青年の青春というテーマでありながら、鴎外独自の視線で書かれた新しい青春小説になった。いわば「青年」は「三四郎」の二次創作、パロディである。しかし先にも述べたようにこれは「三四郎」の模範ではない。「三四郎」とは全く異なった鴎外独自のものである。作中にもあるように、鴎外は漱石に芸術家として立ち向かう勢いは無かったのだろうし、漱石の「三四郎」を否定する気も無かったのだろう。つまりは、漱石に真っ向から対決を挑む気は無いということである。 では一体、鴎外は何を書きたかったのだろうか。 漱石が「三四郎」にこめたメッセージは、わたしは当時の若者、日本への警告と捉えている。新聞小説という特色を生かし、小説として読者を愉しませるための努力を怠ることはなかったが、彼はそこで出来うる限りのメッセージを盛り込んでいる。また広田という漱石の面影を重ねる男の登場や、其の他モデル説があるにせよ、漱石自身の生活を大きく反映させたわけではないフィクションであることは見てとれる。しかし「青年」では随所に鴎外の人生や価値観が見て取れるし、現実を意識しているのも分かる。小泉純一は、片手に東京方眼図を持って東京を歩き始めた。純一が持つ東京方眼図は、明治四十二年に鴎外の発案によって発売された実在するものである。物語の冒頭から、鴎外は当時の現実世界と鴎外自身を取り込んでいる。 「青年」は「ヰタ・セクスアリス」に続くテーマ、性欲を盛り込まれ、そこへ青春と恋愛を絡めてられて行く。���れが先にも述べたように最も重大な相違点である。わたしはこれに、鴎外の美学、「極美の美術は時として不徳に伴うことを得べし」が反映されているように思える。純一はその年代の青年にあることは当然というように、性的欲求の中に恋愛とは何か、人生とはなにか、己の生き甲斐とは何かを求めて行く。三四郎はこれとは違う成長をする。美禰子との間に、ヴォラプチュアスという感想はあったものの性的欲求は無いに等しい。つまり鴎外は、現実的に恋愛と性欲は切り離せないと考えていたのだろうし、これに迫るべく「ヰタ・セクスアリス」を書いたのだろう。 何故「ヰタ・セクスアリス」で終らなかったかといえば、それは単に、芸術家漱石は青春をこう書いたけれど、わたしはこう書いたという、同時期に連載された漱石の青春小説の書き方に感じた技癢からの結果でもあるのだろうし、性欲という現実を無視した青春の「三四郎」に「青年」で反発をしたかったからだろう。また「三四郎」のように隠された大きな問題を指摘するような働きを主としたものではなく、もっと自由に小説を愉しむという視点や鴎外の私的なものを自由に反映したかったからではないだろうか。 「青年」の大筋を辿れば、純一は性欲には見切りをつけて、語り継がれる伝説を現代のものとして表現すべく、「好いわ。この寂しさの中から作品が生まれないにも限らない」と創作家への道を歩み始める。性や恋愛へのすっかりとした諦めを「青年」の結末に見出せば、これはまるで、今までの性のテーマなどから脱出して、後に鴎外が歴史小説を主として書いてゆくことの暗示に思える。 鴎外は最初から、漱石と同じものを書く気はなかった。「三四郎」という、話そのものが「偉大なる暗闇」に思えるかのように、掘り下げれば掘り下げるほど、様々な問題が浮き彫りにされてくる小説にするつもりは決してなく、鴎外の今までの文学に対するスタイルやジレンマから実際に脱け出すための突破口だったのではないだろうか。つまりは「三四郎」にはなかった鴎外独自の真実と現実とユーモア、すなわち恋愛と性との無関係では終れない関係や、実在する人物を読者にあからさまに示すような面白みなどを「青年」で盛り込みたかった。そして、「私は私で、自分の気に入ったことを自分の勝手にしているのです」とこれまで囚われていた独自の美学に若干の諦めを持って、自由に文学を創作していくことを宣言したかったのではないだろうか。 要するに漱石は作品にメッセージ性をこめて丹念に創り上げたが、鴎外は自己を表現するために、気楽に創り上げた小説なのだろう。気楽といってはことばが悪いが、実際に鴎外は、文学という大きな化け物に囚われて死を迎えるような作家とは違い、その化け物を二足の草鞋ですんなりと馴らしつけてしまうのだからそこは超人的な彼にしか為せえぬ技であろう。 「青年」と「三四郎」を比較する面白みは十分にあるが、そもそもこれらは、背景は似通ったものであっても決して同じ質のものではなく、どちらが優れるかと検討する以前に同じ土俵の上に立っていないのである。そして鴎外自身もそのように見られるために、「青年」を生み出したわけではないのだろう。この小説は、超人の個人的な遊びのようなものに過ぎないのかもしれない。
*参考文献 『青年 岩波文庫 緑 5-4』森鴎外著 岩波文庫 『評伝森鴎外』山室静著 講談社文芸文庫 『豊熟の時代・森鴎外』吉野俊彦著 PHP研究所 『鴎外・五人の女と二人の妻―もうひとつのヰタ・セクスアリス』吉野俊彦著 ネスコ/文藝春秋 『ヰタ・セクスアリス 新潮文庫』森鴎外著 新潮文庫
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田村隆一 『腐敗性物質』
腐敗性物質
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田村 隆一 講談社 (1997/04) 売り上げランキング: 281,563 このページは在庫状況に応じて更新されますので、購入をお考えの方は定期的にご覧ください。
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詩のことばは、硬派かそれとも飛びぬけて技巧的でなければならないと思っていた。それは誰かに言われた記憶もなければ、何処かで読んだ記憶でもない。ただ漠然と決められたルールのように感じていた。しかし何のことはない、田村隆一の書いたことばに、あっさりとその固定観念と呼ばれるものが吹き飛ばされたのである。 今までの苦悩の詩は、己の混沌とした内面を吐き出すものが多かったように感じたが、彼の詩はぐるぐると己の中を回っているのを、顎先に手を添えて、冷静に外から客観視しているような、そんな落ち着きがあるように感じる。理屈を抜いて、ここまで素直に初めから「格好良い!」と思えた詩は無かったかもしれない。この感覚は何だ、今までとは全く違う。私の中に素直に響いてくる彼の選んだことばのひとつひとつ。しかも、詩集の最後に向かうに連れて、なぜか鼓動が早くなり、すうっと現実へ帰っていくような不思議な感覚がある。 彼の詩は、素晴らしい技巧が凝らされた詩とは違う洒落気がある。ことば自体が作られて、飾り立てられてお洒落になっているのではなく、彼のことばの選び方がお洒落なのだ。特別に難しいことばを繰り返し使うわけでもない。日常の中、目の前に用意されたことばを摘み上げて、並べていくかのようである。勿論それは彼のことばへの拘りがそうさせるのだろうし、その並べ方も真似の出来ない彼のセンスなのだろう。「四千の日と夜」、「幻を見る人」、「にぶい心」、「奴隷の喜び」、数々の詩のタイトルだけでも、格好良いと思わず唸りたくなるようなものばかりだ。余計な装飾には頼らない、正に断言的でさっぱりとした男性的な美しさを感じる。 勿論、光太郎も大學も、他の詩人も大好きだ。硬派な文体も、技巧的な文体も、装飾できらきらした詩も大好きだ。哀しみに酔う詩も、大好きだ。嫌いな詩人など今の私には恐らくいない。しかし今まで読んできた詩とは違う。たとえ彼が技巧を凝らして感動を狙ってことばを選んだのだとしても、わたしにはそれを感じることは出来なかった。唇から自然に滑り落ちるように、紙面の上をさらさらとことばが流れていくような、煙草を片手に、落ち着いた低い声で頬杖をつきながら聞かせてくれるような、そんなイメエジをしながら彼の詩を読んでいた。それは、死を匂わせるようなものでさえだ。いまだに身構えて、しらずのうちに意味ばかりを探ってしまおうとするわたしを落ち着かせるように、彼のことばが、わたしに素直に「ことばそのもの」を読ませようと働きかけてくる。まるで、肩の荷が下りていくような感じだ。 だが決して、彼の詩は常に紳士的でさっぱりとしていたわけではないのだ��死の匂いを色濃く立ち上らせる詩集『四千の日と夜』の中の、「秋」などでは、静かな文体にもかかわらず、わけもわからずに凄まじい勢いで読み倒してしまうことがしばしばある。猛烈なスピードで薄暗いフィルムの中をどこまでも進み、突然、ばん! と音を立てて真っ白な結末にたどり着くようなこともあった。そういうときは決まって、わたしは不安になる。 悲劇は作家にとって、哀しいが糧になるしネタになる。詩人も少なからずそれが当てはまるとわたしは確信している。田村隆一の詩は、悲劇的だろうか? わたしはあまり、そうは感じない。悲劇に酔っているようで酔いきれていないと感じるのは、幾つかの詩の中に見られる彼のジレンマのようなものを感じるからだ。「緑の思想」にある、「感情移入はもうたくさんだ」という一片。この一片で、戦争のトラウマを創作のネタというもので割り切るには、あまりに苦しすぎるのであろうことが窺える。実際にこの「緑の思想」を境に、死という概念が、身体を縛りつけて放さない、ダークなものとして頻繁に登場することは極端に少なくなり、彼の詩もとても優しいものへと変わっていったような気がするのだ。都合よく気持ち良く悲劇に酔えるのは、傍観者であり部外者であるわたしたちだけなのだろう。 意味を持った詩であったとしても、わたしは戦争という悪夢を実感することが出来ない。しようと思っても、それは上面の知識にしかならないのだ。それに同調するには恐ろしすぎて、やはり酷い歴史を直視できない卑怯な人間でしかわたしはいられない。だからわたしは、今は素直に、彼の「ことば」を楽しむことにしたのだ。 先ほども少し触れたように、彼の心に刺さる決して取れることのない黒く鋭い戦争という名の棘が、中へと埋まり包み込まれていくかのように、晩年に近づくにつれて彼の詩は優しくしっとりと、まるで歌を歌うようになっていく。特に詩集『奴隷の喜び』の中の「恋歌」は、その名の通り歌そのものだ。文字だけにも関わらず、これほどまでに、頭の中にリズムが自然に生み出されてゆく詩は初めてである。最後の「そのくせ 機会を生まないんだもの そのくせ 機会を生まないんだから」の部分など、思わず口に出してみたくなる。彼の詩に良く見られるようになる「するわけだ」、「そうなんだけど」、「だったっけ」などの独特の口語的語尾も、絶妙なリズム感を生み出していて、おじいちゃんになった田村隆一がのんびりと呟いている姿を想像してしまう。 ただ彼が年を重ねたが故だけの柔らかさではないだろう。そこには勿論詩人として、マンネリスム化してはいけないという葛藤もあったのだろうし、何よりも、戦争、死というものを永遠に背負い抱え、最前に押し出す必要は無くなっていったからではないだろうか。 「おじいちゃんにも、セックスを」。晩年、こんな田村隆一の広告が載ったことがあったそうだ。しかも、「この文句も��いけど、どうせなら“おじいちゃんにも、タックスを”だろう。社会に厄介かけてんだから、迷惑料で税金取らなきゃ」とスパッと返したというのだから、なんて格好良いんだ! わたしはやはり唸った。理由なんて無いのだ。彼の詩においても同じだ。彼の詩は、たとえ彼が「一篇の詩を生むために多くの愛するものを殺して」いたとしても、彼のことばを聞くことが楽しいと思える詩だった。理論的な説明はできないが、ただただことばの選び方が、響きのつながりが、とても格好良いと感じたのだ。 この詩集、『腐敗性物質』を一度目に読み終えたときまでは、てっきり今もご健在でいらっしゃるのだと思っていたが、九十八年にお亡くなりになっていた。一目お逢いしたいななどと淡い希望を持っていたので少し落ち込んだ。いつか田村隆一に、寝そべって低い声で優しく詩を読んで聞かせて欲しいなどという幻想まで見かけていたから余計である。 わたしは彼に聞いてみたい。貴方の表現してきた死と、貴方の迎えた死は同じでしたか、と。所詮は同じだというのか、それとも全く違うというのだろうか。今の彼がどんな風に死を表現するのか、聞いてみたい。 わたしは感じた。いけない。田村隆一に、惚れかかっている。 これを書き上げる直前、色々なものを見ていたら、ことごとく彼を「格好良い」と決まり文句のように評価している人が多くいることを知った。悔しいがわたしも結局、「格好良い」という感想を一番に持ち、この「格好良いおじいちゃん」の虜にされたひとりにしかすぎないのだ。
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夏目漱石 『三四郎』―漱石の警告―
三四郎
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夏目 漱石 岩波書店 (1990/04) 売り上げランキング: 326,228 通常2~3日以内に発送
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三四郎の冷めたともいえる客観的な視点には、読者に感想を押し付けない意図がある。無論それはライトノベルなどには見られない、空気を読ませる純文学的 特徴であるのだろうがそれだけでは無いはずだ。近年の小説に見られるストーリー重視という傾向は、読者が物語の中に登場人物と同じ立場として入り込み、彼 らの経験と感想の全てを一心に自分のものとして受け取るものである。読者は登場人物の明瞭なる心境を確実になぞっていくことで、全く同じ感想を胸の中に感 じて本を閉じる。 しかし「三四郎」はそうではない。作者の主張が無いストーリー重視の近年の小説とは違う、実に技巧こらされた作品であ る。三人称話法でありながらあくまで視点は三四郎である。非常に詳細な情景描写は、確実に追うことで読者にはっきりとその風景を伝えてくる。リアルタイム で読む新聞小説のメリットが存分に生かされている。全てが詳細なのではない。例えば「上から桜の葉が時々落ちてくる。その一つが籃の蓋の上に乗った。乗っ たと思ううちに吹かれていった。風が女を包んだ。女は秋の中に立っている。」このような細かな描写の中に、時折混ぜられる抽象的な描写がメリハリを与え、 読者は実に気分よくうっとりと、秋の中に立つ女を想像できるのである。 しかしその一方で、彼の心境や他の人物の心境は必要以上に語られない。す なわち余計な情報や明確な答えを読者に示していないのである。三四郎という青年の感情や人生を読み取らせていくのではなく、彼の視点を通して読者が各々の 感想を常に抱いていくように出来ている。ストーリーを追い、三四郎の視点に立ち自ら考え悩むことによって、新たな感想、新たな問題を読者が自ら発見してゆ くのである。物語だけを追って読んだのならば、現代に生きる我々にはいかにも退屈な小説になってしまうだろう。気が利かない人は何の感想も抱かずに結末を 迎え、ただ不可解なものとして片付けてしまうに違いない。我々読者はあらゆるところへ張り巡らされた伏線を注意深く捕らえなければならない。 明治四十一年に朝日新聞で連載された「三四郎」は、同時代を描いた小説である。まず此処に注意を置きたい。この作品に度々登場する文明開化後の大日本帝国 への批判は実に痛烈であり、それでいて客観的、冷静である。もしもこの批評を全面に漱石自身が物語を通して訴えたいのであれば、何も三四郎のような平凡な 学生を描く必要は無く、政府そのものや社会に振り回されている人間を題材にすれば良いと感じる。では何故、漱石は三四郎という平凡な青年を題材にしたのだ ろうか。また何故、美禰子という「ヴォラプチュアス」で「マーメイド」のような蠱惑的存在を物語に泳がせたのであろうか。 三四郎に心境 の変化を与えていくのは、広田先生と美禰子である。無論他にも彼に影響を及ぼす人物がいる。特に与次郎は、積極的に三四郎の腕を引いて歩き回り行動の意味 で広く三四郎に大きな影響を及ぼす。しかし実際は三四郎が思い悩み吸収し、内面に影響を及ぼす存在になるのはやはり広田先生と美禰子なのである。三四郎は 広田先生の元に訪れ彼のことばを聞く。そして巧みに誘惑を仕掛けてくる美禰子に翻弄される。 この二人は、三四郎の中にある三つの世界のうちの、「苔のはえた煉瓦造りがある」世界、そして「さんとして春のごとくうごいている」世界、それぞれの主人公である。 三度ある美禰子の登場は、実に丁寧な描写がなされている。「女性を読者として眼中に置いたことが無い」と言う漱石が、ただ男性読者のために女性を美しく事 細かに描写したというわけではないはずだ。それは三四郎の眸から見た彼女がいかに魅力的で蠱惑的であるかを明確に伝えるためであると同時に、彼女が象徴す るものが、いかに魅力的で、蠱惑的で、そして危険なものであるかを伝えるためではなかろうか。三四郎の記憶に鮮明に刻まれた美禰子の初登場は、「はでな赤 煉瓦のゴシック風の建築」を背負ってのものだった。これは正しく、文明開化によって出現した建築の代表であり、彼女が現代に生きる女、すなわち、日露戦争 後の明治を象徴させるものなのである。 一方広田先生の登場はどうだろう。「これから東京に行く。大学にはいる。有名な学者に接触する。 趣味品性の備わった学生と交際する。図書館で研究をする。著作をやる。世間で喝采する。母がうれしがる。」希望に胸を満たした三四郎をたった一言「亡びる ね」と一刀両断した彼の登場は、これもまた、三四郎に凄まじい影響を与える。既にこの広田先生の登場でこれから東京で三四郎に起る全ての出来事を暗示、警 告している。「じっさいあぶない。レオナルド・ダ・ヴィンチという人は桃の幹に砒石(ひせき)を注射してね、その実へも毒が回るものだろうか、どうだろう かという試験をしたことがある。ところがその桃を食って死んだ人がある。あぶない。気をつけないとあぶない」。二度も危ないと繰り返された話は、ただ物語 に関係の無い付属品では終らない。この話により三四郎は一晩宿を共にした女を思い出し、不愉快になる。そして「とらわれちゃだめだ。いくら日本のためを 思ったって贔屓の引き倒しになるばかりだ」と語られたことば。これらはその後、美禰子という危険な現代にとらわれてしまう三四郎への警告であるに違いな い。 此処まで言い切ってしまうと、美禰子はまるで悪になってしまう。無論、三四郎にとっての美禰子は決して悪いものではない。恐らく彼 が今まで体験したことが無いであろう恋心を抱かせたことは悪とは言えないだろうし、彼女の魅力については甘美なる響きとして「罪」と呼ぶ程度ならば許され るだろう。しばしば恋愛小説・青春小説と称される「三四郎」にとって、その要素に彼女は無くてはならない存在だ。明治だけを象徴するには、彼女の魅力に対 してあまりに失礼であろう。此処からは美禰子の、人間としての要素も含めて考察してみたい。 彼女は、数々の不可解な言動で三四郎ばかり か読者を惑わす。「迷子」、突然の結婚。最後には一枚の絵となって彼女は姿を消す。終始、彼女は淋しい女に感じる。彼女は悪ではない、自虐的、自嘲的であ る。華々しい世界の中心にいる美禰子は常に己の立場を模索しているよう見える。何時の時代でも世の中の民全てが裕福であるとは言い難い。そんな中で何ら不 自由なく暮らしてきた彼女が内に秘める思いは、実はとても複雑であったのだろう。 しばしば登場する聖書からの引用、すなわち「迷羊」、 「我はわが愆を知る。わが罪は常にわが前にあり」などのことばは、全て彼女から発せられている。聖書を読まずして頭にあることばではない。最後にも教会に 訪れていることから、彼女はキリスト教に入信していると考えて良いだろう。彼女がもし満たされているのであれば、キリスト教に入信する必要も無いだろう し、そして何より突然の結婚をしなくともよいはずである。 彼女の迎える結婚は、恋愛結婚でないことは明白である。恐らく相手に不自由を しないであろう彼女が、よし子と結婚する予定であった男性を夫にする。そして、度々仕掛けられる三四郎への誘惑の影に、幾度も野々宮君を見え隠れさせる。 菊人形を見る場面でも彼女は彼を意識し、絵画を見た場面でも、三四郎と己を「似合うでしょう」と彼に言う。これら三四郎への誘惑は、野々宮君の注意を引か せるためであったのではなかろうか。しかし野々宮君は、いつも美禰子に対してくるりと背を向けるだけである。そのたびに彼女は苦い思いをしたに違いない。 それと同時に、三四郎を利用する己に「罪の意識」を感じ始めていったのではなかろうか。 三四郎への愛情表現と取れる数々の誘惑は、哀れみや同情、そして偽りであると思える。「Pity's akin to love」とオルノーコの一部を繰り返した彼女の発音が「美しくきれい」であったのは、彼女がそのことばに相応しかったからであるのかもしれない。 愛を伝えるのに、彼女は不器用である。野々宮君に対しても他の男を遣うことで気を引こうとし、三四郎に対しても金や曖昧な表現で伝えようとする。それらはやはり、当人たちに伝わることはない。野々宮君は振り返らず、三四郎も彼女を現実の女として見ようとしない。 そう、三四郎は彼女を「池の女」として、ずっと絵の中の存在にしようとしているのだ。病院での二度目の出逢いでも「透明な空気の画布の中」に彼女を入れて いる。「迷羊」の場面でも、「私そんなに生意気に見えますか」といった美禰子に対して、「三四郎は意外の感に打たれた。今までは霧の中にいた。霧が晴れれ ばいいと思っていた。この言葉で霧が晴れた。明瞭な女が出て来た。晴れたのが恨めしい気がする。」と感じている。三四郎は、いつまでも彼女に対して理想を 抱き、気付かない場所でそれを心の中で押し付けているのである。 強かであるように見える美禰子の実際は、孤独である。現代の女として認 識し生きる反面、三四郎が描く「池の女」の絵から脱け出そうとしている彼女は、現実、理想、現代の中から脱け出そうとする「迷子」なのである。いつでも理 想の答えを得られない。それゆえに彼女は微かな溜息を漏らす。彼女はまるで自分を罰するように、最後には理想を諦めて、現代の自分の立場に相応しい安全な 結婚を選ぶことで「森の女」という絵に戻っていくのである。それは何処か「明治の思想は西洋の歴史にあらわれた三百年の活動を四十年で繰り返している」と いうことばさえ彷彿とさせる。それこそが美禰子という女に象徴される、明治なのかもしれない。 三四郎に向けられた「迷子」とは、勿論美 禰子自身も入るのであろう。「迷子」ということばは、三四郎を最後まで捕らえて離さなかった要である。謎に見える結末も、このことばをもって閉じられる。 しかしこの「三四郎」の結末は、明瞭な答えを示さぬものの、一つの答えにたどり着いている。それまではただ受動的で、問題に気付こうともしなかった三四郎 が、烈しく動く社会の中の「迷子」であるということに初めて気が付くのである。三四郎がこれから立ち向かうべく問題が判明するのである。東京に対する理想 と未来への希望。そして欧米文化の模範にしかすぎない危険が存分に含まれた、欠陥だらけの明治が立ちはだかる現実。その二つの世界を象徴する美禰子と広田 先生。その狭間を彷徨う三四郎。平凡な学生、三四郎を主人公にした理由は此処にある。これから生きてゆく文明開化後に生まれた当時の若者たちへの警告、問 題定義であるといえよう。彼らは美禰子が描いた、明治という「デヴィル」の前にいる「迷える羊」だったのである。 美禰子という危険な現 実を、広田という立場から冷静に見解してみせる。あらゆる箇所に仕掛けられた伏線と言う名の警告を、三四郎の視点に立ち注意深く拾っていかなければならな いのである。多くを語らぬ視点には、漱石のこういった意図があったに違いない。この「三四郎」は、同時代の小説をリアルタイムで連載するという特色を生か し、娯楽だけではなく、当時の大日本帝国の危険性を指摘する漱石自身の主張が、アイロニカルに感じえるほど、はっきりと混ぜ込まれた小説なのである。
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詩のことば
詩のことばというのは、なんとも不可思議で、私には到底理解できないものである。いや、そうではなくて、到底人間が理解するのは不可能なのかもしれな い。ことばによって生かされている私達に、どうやっても追い付くことが出来ないほど先を生きることばを、自分の中に取り入れ、それを理解し、自在に操るこ となど最初から無理なのかもしれない。ましてや、意味よりも、その「ことば」本来が生きている詩を相手にするとなると、ぽっかりと宇宙に口をあけた暗闇の 奥底の如く、本来の姿が見えない、恐怖の実体なのかもしれない。 普段私達は、意味を先に優先させて、それからその意味に見合うことばを 探していく。そのせいか、逆に同じように、人間の多くがまずはことばに意味を求めるに違いない。ふと、音の響きが綺麗だと感じることがあっても、それが意 味を伴わなければ、ほとんどの人間がそこで頭に疑問符を浮かべるだろう。私もまた同じく、自然とことばに意味を求める。それゆえに、初めてまともに詩を読 んだときには、必死にその詩に隠された意味を探り、詩人が一体何を伝えたいのか、何を言いたいのかを探ることに懸命になっていた。本当のことをいえば、今 でもたまに、無意識のうちにそれをしてしまう。なぜならそれが今まで自分の当たり前の日常であったからだ。 しかしどうだろう、娯楽とし て、好きなこととして、理由など求めぬままに詩を読んでみれば、私の苦痛はほぼ全て、拭われるのだ。ただ純粋に、この音が、響きが、並びが、自分にとって 気持のいい、または心地のいい不快を感じてしまえば、自然とそのことばは、自分の中へと入ってきてしまう。意味を求めすぎたがために、拒否されていたその ことばが、まるで嘘のように自分の内側へと入り込んでくる。理屈にはならなくとも、それこそことばにはならなくとも、理解できるものが多々見えてくるので ある。 例えば、藤富保男の、 「もう いけない が 象にまたがって 一人で走っている」 というこのことばを、理 屈で鮮明に頭の中へ描こうとすればそれは確実に不可能である。しかし、何も考えず素直にことばだけを受け取れば、自然と、もう いけないが一人で象に跨り 走っている姿が、白く濁った中にもはっきりと浮かび上がってくるのだ。私の場合、顔だけ霧がかったような青く細い体を持つ「もう いけない」は擬人化し、 この世には存在しないような大きな象に跨っているのだ。そしてその「もう いけない」とは、自分の中から生まれ出た、ひとりでに飛び出した自分の感情。そ う想像する。それは確実なものではなく、感覚である。ああ、なんとなくわかる、と思うことができれば、それはその詩のことばを読めたことにはならないだろ うか? ことばを受け入れ自分の中で噛み砕いていくことは不可能かもしれない。しかしこの、意味を持った現実に立ちはだかる「ことば」 と、自分達の決して手に届くことのない幻想の中にある「ことば」、二つの世界の中間にあるひとつのことばは、私達の現実と、幻想を結ぶ唯一の、細い管のよ うなものではないだろうか。それはまるで母胎と胎児を結ぶ臍の緒のような確かなものだが、決して向こう側にはいけない、もどかしく、つかめない存在である ような気がする。それでいて、私達が受け入れようとするならば、それは確かな質量をもって、感覚というものを送り込んでくれるものではないだろうか。こと ばの存在は恐ろしい。しかしその恐ろしさは、限りなく深く、実体が無いにも関わらず自分の心を突き動かすことによるものなのだ。思うように扱えなくとも、 ことばは必ず、自分に常に何かを与えてくれるに違いない。
参考文献:ことば・詩・江戸の絵画―日本の文化の一面を探る
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