#『食人の形而上学』
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rakuhoku-kyoto · 2 years ago
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『食人の形而上学──ポスト構造主義的人類学への道』 エドゥアルド・ヴィヴェイロス・デ・カストロ 著
 重版が完成いたしました。  一ヶ月以上にわたり在庫を切らし、お詫びいたします。
 そして、この書籍の本文につきまして、以下の訂正がございます。
 正誤表へのリンク「洛北出版」webサイト
 ほんとうに、申しわけございません。  読者の皆様に深くお詫び申しあげ、ここに訂正いたします。
 訂正箇所につきましては、スマホでもパソコンでもご覧いただけるよう、WEBテキストで掲載させていただきました。  また、その表(画像データ)も掲載いたしております。  お手数ですが、どちらかをご利用くださいませ。
 「2023年7月14日」に発行した重版ぶんにかんしましては、これらの修正を反映いたしております。
 (2023年7月15日 記)
   * * *
また、 『国家をもたぬよう社会は努めてきた――クラストルは語る』 ピエール・クラストル[著] 酒井隆史[訳] 発行 洛北出版
 いま、重版中でございます。  7月末には完成できると思います。(2023年7月15日 記)
 お急ぎの方は、まだ書店の棚に本があったり、あるいは、通販サイトが在庫していたりしますので、たいへんお手数をおかけいたし、とても申しわけないのですが、お近くの大きな書店や、在庫のある通販サイトなどで、お求めくださいませ。
 以上、2023年7月15日 記
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hachikenyakaiwai · 1 year ago
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【かいわいの時】文久二年(1862)四月二十三日:南画家田能村直入らが大煎茶会「青湾茶会」を開催(大阪市史編纂所「きょうは何の日」)
清湾茶会には、天気がよかったこともあり千二百人もの人が参加したと記録されています(『清湾茶会図録』)。茶席は、大長寺から桜宮まで本席7副席4の11席で、1席の定員10人。1200人だと、延べ120席を11会場で回した勘定になり、1席30分としても6、7時間は要したであろうと思われます。
ところで、この茶会に参加した国学者の近藤芳樹(長州藩士。当時、京にて情報収集活動を行う)が、周防防府の酒造家で文化人のパトロンであった上田光美に送った書���[註1]によると、
・切符500人前を前日より発売 ・当日に300人前を追加
正規チケットを持った参会者は1200人中800人で、つまり、あとの400人はタダ乗りとゆうことになりそうです[註2]。
船の席は小舟で送迎するので混雑はなかったが、その外の席には一度に大勢の者が押しかけ大混乱。切符を持っている人が席に入れず身動きもとれず、「あいつは切符も持たんと茶ァ飲んでけつかる」などと大声で叫んで大騒動になった。(近藤書簡を超訳)
茶会は、お世辞にも「清風」とは言い難い状況で、そんな中でも、切符をもった近藤さんは、ゆうゆうと全席コンプリートしたと述懐。勤王の志士でも、茶会は別格であったようだ。本人は9席と供述。実際は11席なので、2席は飛ばしたようです。世情穏やかならぬ幕末にあっても、たまたま京・大坂に滞在中であった近藤は茶会を楽しむ余裕があったようです[註3]。
[註1]『近藤芳樹書牘集一』(山口県文書館蔵)。幕末期の国学者。周防(すおう)の人。本姓田中、通称晋一郎、号は寄居(ごうな)。旧長州藩士で明倫館助教。維新後、東京に移り住んで、宮内省御用掛に任じ、御歌所寄人(よりうど)などをつとめた。本居大平、村田春門また山田以文に師事して、国文学、律令学を学んだ。同じ大平門の加納諸平を尊敬して最も歌をよくし、幕末歌壇に際立った活躍をした。学績として《令義解校本》《淫祠論》など、歌論書に《古風三体考》《寄居歌談》、紀行文に《陸路廼記(くぬかちのき)》がある(改訂新版 世界大百科事典 「近藤芳樹」の意味・わかりやすい解説 )。
[註2]売茶翁は、売茶の折、「茶銭は黄金百鎰より半文銭まではくれ次第、たゞのみも勝手、たゞよりはまけまうさず」(『近世畸人伝』1790)とゆう看板を掲げており、切符の代金はいくらであったのか定かではないが、タダで飲まれても文句はいえない。按ずるに、切符は単なる整理券で、茶会はタダだったのかもしれない。「僧侶の���分を放棄し、餓死に繋がる決断を下した売茶翁の声に想いを巡らし、且、清湾茶会が売茶翁の追善と懸賞の爲に開催されたとするなら、“無錢飮食”とゆう表現は、如何なものであらうか」(千三屋)。
[註3]近藤書簡には「伏見も大騒動ニ御座候然處大都會と申ものハ妙なものに而此内ニ過ル二十三日網島ニ於煎茶の大會御座候」とあり、丁度同じ日の夜に起こった伏見の寺田屋騒動にも触れている。
(写真)木村孔陽編・青木夙夜画『賣茶翁茶器圖』1823・1924復刻より「茶籏」 賣茶翁の茶道具は、翁と親交のあッた木村蒹葭堂が其の姿・形を記録した。翁沒後60年の文政6年(1823)に、蒹葭堂の後嗣・木村孔陽が、この圖を蒹葭堂と交友のあッた南畫家・青木夙夜に冩させ、圖譜にまとめて刊行した(千三屋)。高翁(賣茶翁)の衣の紘(切れ端)で作成、「清風」の文字は大典禅師書。
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japan-dramangastery · 1 year ago
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集英社的漫画杂志02(青年向)
本篇聊聊集英社青年向的漫画杂志。
ウルトラジャンプ(Ultra Jump)
週刊ヤングジャンプ(周刊 Young Jump)
グランドジャンプ(GRAND JUMP)
グランドジャンプPREMIUM(GRAND JUMP PREMIUM)
グランドジャンプめちゃ(GRAND JUMP めちゃ)
ビジネスジャンプ(BUSINESS JUMP)
スーパージャンプ(Super Jump)
ミラクルジャンプ (Miracle Jump)
漫革
ウルトラジャンプ(Ultra Jump)
发行时间:1999年10月19日(1999年11月号) -
漫画类型:青年漫画
发行日:每月19日
简称:UJ、ウルジャン
增刊:『ウルトラジャンプエッグ』 (Ultra Jump Egg)
代表作:IT,ジョジョの奇妙な冒険 Part8 ジョジョリオン、快傑蒸気探偵団、王国物語、銀河英雄伝説、終末のハーレム ファンタジア セミカラー版、もののがたり等等。
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1995年出版的双月刊『ヤングジャンプ超増刊ウルトラジャンプ』,随后变更为月刊,99年分离独立创刊。存在网络增刊『ウルトラジャンプエッグ』 (Ultra Jump Egg)。
週刊ヤングジャンプ(周刊 Young Jump)
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发行时间:1979年5月 -
漫画类型:青年漫画
发行日:每周四
简称:ヤンジャン、YJ
增刊:漫革→月刊ヤングジャンプ→ミラクルジャンプ
代表作:東京喰種、诈欺游戏(ライアーゲーム)、工薪男金太郎(サラリーマン金太郎)、心魔大審判(スカイハイ)、HOTMAN(ホットマン)、ミステリー民俗学者 八雲樹、夜王、(81diver)ハチワンダイバー、妖精的旋律(エルフェンリート)、GANTZ,Real(リアル)、王者天下(キングダム)、黄金神威(ゴールデンカムイ)、噬谎者(嘘喰い)、我推的孩子(【推しの子】)、BUNGO―ブンゴ―等等。
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『WJ』的二代目总编辑中野祐介担任创刊时的本杂志的总编辑,是目前发行时间最长的周刊青年漫画杂志。虽然集英社在1969年出版过青年漫画杂志『ジョーカー』(Joker),但是半年后就休刊了。十年之后集英社才再度创刊青年漫画杂志。杂志名来自于当时『WJ』的新人漫画赏的名称。
创刊时的编辑政策是「从(涉及性的)爱、暴力和权力中解放出来」(「(性を内包した)愛・暴力・権力(からの解放)」)。这是一本继承了「WJ」的三大方针:友谊、努力、胜利,并以脱离少年漫画框架、自由度高的青春杂志的描绘内容为出发点而诞生的作品的杂志。这个编辑政策的想法是认为:这是每个十几岁到二十岁出头的目标读者都面临的障碍。
虽然和『WJ』同属Jump家族的杂志,但在集英社内部双方是竞争对手,基本上不参与彼此的编辑政策或宣传。”
90年代开始,大多数封面是『凹版偶像写真』。除了漫画之外,该杂志还包括凹版印刷、包袋装订以及音乐家采访。此外,广末凉子出道后立即进行了凹版印刷,有力地支持了广末凉子从1996年左右开始的流行。正因为这种信任关系,1998年,当媒体忙着采访广末关于他即将就读的大学名称时,「YJ」是唯一发表广末表达自己感受的文章的杂志。
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グランドジャンプ(GRAND JUMP)
发行时间:2011年11月16日 -
漫画类型:青年漫画
发行日:每月第1,第3个周三
简称:グラジャン、GJ
增刊:『グランドジャンプPREMIUM』 (GJP)
代表作:江戸川乱歩異人館、甘い生活、不能犯、不倫食堂等等。
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2011年休刊的『ビジネスジャンプ』 (BJ) 和『スーパージャンプ』 (SJ)的后继杂志,标语是“一本坚定不移的年轻人成人漫画杂志。
グランドジャンプPREMIUM(GRAND JUMP PREMIUM)
发行时间:2011年12月21日 - 2018年10月31日
漫画类型:青年漫画
发行日:月刊 → 双月刊(偶数月第4个周三)
简称:GJP
代表作:欲望的种子(エロスの種子)、接下来是伦理课(ここは今から倫理です。)、もっこり半兵衛等。
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『GJ』的增刊号,创刊时为月刊。2014年7月号改成了双月刊,同时还收到了休刊的『ジャンプ改』 (JX)的一部分作品。2018年11月号停刊,连载作品转移到『グランドジャンプめちゃ』上,
グランドジャンプめちゃ(GRAND JUMP めちゃ)
发行时间:2017年11月29日 -
漫画类型:青年漫画
发行日:双月刊(奇数月第4个周三)
简称:めちゃ
代表作:金魚妻、エロスの種子等。
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主要发布「性感系」(「セクシー系」)的作品。
ビジネスジャンプ(Business Jump)
发行时间:1985年7月 - 2011年10月
漫画类型:青年漫画
发行日:半月刊(每月第1,3个周三)
简称:BJ、ビージャン
代表作:ONE OUTS、怨み屋本舗系列、警視総監アサミ カラー版、甘い生活、嬢王、イエスタデイをうたって等。
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1985年7月以月刊形式创刊,从1986年3月起每月出版两期,2011年10月5日发行第21期和第22期合并后停刊。2011年与『SJ』合并为『GJ』和『GJP』。
スーパージャンプ(Super Jump)
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发行时间:1986年12月20日(1986年創刊号) - 2011年11月9日(10月12日発売号)
漫画类型:青年漫画
发行日:半月刊(每月第2,第4个周三)
简称:SJ、エスジェイ
代表作:狂四郎2030、拳王创世纪2(リングにかけろ2)、 仁医(JIN―仁―)、王牌酒保(バーテンダー)、人事課長鬼塚、国王的裁缝师(王様の仕立て屋~サルト・フィニート~)、ビン~孫子異伝~、ゼロ THE MAN OF THE CREATION、江戸前鮨職人 きららの仕事等
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创刊号名是『週刊少年ジャンプ 1986年12月20日増刊号』,1988年1月号独立创刊,是月刊。1991年7月号改为半月刊。
ミラクルジャンプ (Miracle Jump)
发行时间:2011年1月13日 - 2017年2月28日
漫画类型:青年漫画
发行日:月刊
简称:MJ
代表作:かぐや様は告らせたい~天才たちの恋愛頭脳戦~ カラー版、レトルトパウチ!、茉莉(ヤスミーン)等。
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2011年1月13日以双月刊形式发行,被认为是『WJ』的增刊。主题是「科幻与奇幻」。它沿袭『漫革』和『MJ』的流程,与这些杂志一样,它也有『WJ』作品的番外篇,以及单篇漫画和海报插图。2017年2月28日发行3月号,据称是为了「续订收费」,再次休刊。
漫革
发行时间:1994年 - 2008年
漫画类型:青年漫画
发行日:年6回刊
代表作:あい。番外編、スカイハイIV<FOUR>、タフ外伝 OTON―おとん―等。
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『漫革』是『YJ』的增刊。2008年1月7日发售的62号是最后一期。主要刊登的漫画内容包括:本刊人气作品的外传、番外篇;本刊连载结束的做假的新单篇作品或连载作品的外传、番外篇,本刊转移过来的作品、「MANGAグランプリ」、「金のピコピコハンマー賞」获奖作品等。
(集英社青年向篇 完)
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psalm80-lilies-iv · 4 months ago
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仮想戦争
【2,125字・4分】
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ハードカバー版のタイトルにある Cosmic War という言葉は、アメリカの社会学者で宗教学者でもあるマーク・ユルゲンスマイヤーの造語で、人々の目に映る「許しがたい悪」を「サタン」と見立て、自分の信じる神を味方につけ、この「サタン」を滅ぼすことこそ「神意」なのだという観念のもとに、体を張って闘う宗教的行動主義者の形而上学的な戦争を指しており、実は遠い昔から今日にいたるまで、さまざまな宗教的伝統のなかで起こってきた普遍的現象であるという。この言葉を本書では「仮想戦争」と訳し、本書の全体の論調を総括するにふさわしい言葉と考えて、日本語版のタイトルにもこれを入れた。
(訳者あとがき)
この本は、イラン生まれアメリカ育ちのムスリムである著者が「9.11のようなテロルはイスラームの教えからすれば間違っている、なのにそうした間違った教えと行動に走る人々が後を絶たない現実がある、それはなぜなのか、それを食い止めるにはどうすればいいのか」を論じた本である。
で、「それは世の中を善悪に二分しその闘��として捉える観点が、ユダヤ教とキリスト教とイスラームとを問わず(引用注:もちろん仏教にも神道にも)存在して、今日ではそれが『ジハード唱道運動(ジハーディズム)』という形でヨーロッパで暮らしながら自分のことをヨーロッパ人ともムスリムとも捉え切れないムスリム一世・二世の人々に特別の帰属意識(アイデンティティ)を供給しているからだ」と筆者は言う。
ビン・ラーディンのようなジハード唱道運動がイスラームの教理として間違っているとか、国民としての帰属意識と宗教的帰属意識を調和させる工夫が必要だとかいった主張それ自体は特に難しくはないだろう。
この本がとっても複雑に見えるのは「にもかかわらず仮想戦争(コズミック・ウォー)が成立してしまうのはなぜなのか」という話を、シオニズムとか十字軍とかいった問題にまでさかのぼって解き明かそうとするからである。「シオニズムや十字軍が仮想戦争(コズミック・ウォー)であったことから分かるように、ジハード唱道運動という形を取る仮想戦争(コズミック・ウォー)もイスラーム特有のものでもなければイスラームにとって必然的なものでもない」ということだ。「ジハーディズムはイスラームじゃない」、じゃあ何なのだ、ときかれた時、それに答えるために著者が用意したのが「仮想戦争(コズミック・ウォー)」という術語だったのだ。
今や地球全体を仮想戦争(コズミック・ウォー)の世紀へと突入させる恐れのある過激な原理主義(ファンダメンタリズム)的勢力にまともに挑戦するには、世界紛争から宗教的解釈を除去しなければならない。
(はじめに――われわれVS.彼ら)
地球規模のジハード唱道運動を阻止するには、こうした関連(引用注:「よそ者」ゆえに「反動的帰属意識」を与えられること)を断ち切り、その物語を粉砕するしかない。
(第6章 ジェネレーションE――英国の移民の町 ビーストン)
「私たちが正当にも持っている宗教的帰属意識(アイデンティティ)を不当にも仮想戦争(コズミック・ウォー)に利用されてはならない」、著者が言いたいのはそういうことである。
自分のことを無宗教だと思っている人にとって、これは問題解決をややこしくしているようにしか見えないのではないだろうか。国家や地域社会が脱宗教化、いわゆる「世俗化」するように、個々の市民も宗教的帰属意識を捨てて、あるいは公共の場ではそれを面に出すのをやめて、「世俗化」すべきだ、たとえばそういう考え方は、フランスの「ライシテ」のように現に存在する。
だがムスリムの著者は自分のムスリムとしての帰属意識を手放さない前提で問題を解決しようとする。そして、宗教的帰属意識はイスラーム世界で今後ますます重要になるとも、イスラームに限らず宗教的帰属意識は社会運動の中で大きな役割を果たしてきた(アメリカの公民権運動のように)しこれからもそうであり続けるだろうともいう。
ぼくはクリスチャンだから著者の言っていることが分かるが、自分のことを無宗教だと思っている人はこういう問題意識を保持し続けられないのではないだろうか。「わざわざめんどうくさい方向に話を持って行かなくてもいいじゃないか」、何度も言うがそれが「ライシテ」なのだから、左派の人は基本的にそう考えるのだろう、そしてそうした人々の考える「ダイバーシティ」もいわば価値観の世界における一種の「共通言語化」を目指すことなのではないだろうか。
「信じる心の正当性を認めてもらいたい」という願いは、頭はいいが宗教には冷ややかという人たちにはきっと分からないことである。それを「要は人権のあり方ですよね」というふうに理解されるのも、なんか違う気がする(それこそが「ライックな共通言語化」そのものである)。だから、たとえば日本でムスリムの理解者になるのは、実は法華だったりクリスチャンだったりという、自分自身一命を賭して信仰している人たちになるのではないだろうか。
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rsauke0509 · 7 months ago
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山樱之落 叁 写给鸢的—— 4
伊万君愣了一瞬,随即牠垂下眼,露出个混合着歉意的、略羞赧的微笑说:“抱歉,总是谈论你们不认识的人,让你们感到困扰了吧?”因已经在日本生活了近一年,伊万君的日语口语水平不但大幅提升,言谈间也沾染上几分日式用语习惯,在我刚结识伊万君时,遇上类似的场合,伊万君只会直截了当得问我们是否厌倦了此话题。
“要说困扰,那就是伊万君从未介绍过���名时常出现于伊万君口中的对象,让我的好奇心像落雪那般积累得越来越多。”樱回答说。
“你们想要听我介绍弗朗西斯吗?”歉意自伊万君的脸上褪去,只留下几分惊讶,仿佛伊万君奇怪我和樱怎么会对弗朗西斯感兴趣似的,“弗朗西斯是法国人,出生于巴黎。据牠自个儿说有个时常吵架的同性恋人,恋人是英国人,因为法国的警察会将同性恋登记在册,英国又将同性恋视作犯罪,所以两人没有公开过关系。过去我听弗朗西斯说牠们想过移居去对此更包容的国家,弗朗西斯认为我的母国不错,可牠的恋人觉得俄罗斯距离英国太远、太寒冷,更倾向于德意志联邦。”
大约是瞧着我们将主食吃得差不多了,餐厅的侍者将两盘甜点端上桌。一盘中的食物大致呈方形,像一块块半个手掌大的、色泽或红或黄的海绵,大部分‘海绵��的表面裹着一层如粉笔灰般的白色粉末,极少数裹着像咖啡渣般的粉末。以我吃洋菓子的经验来看,白色粉末应是糖霜,咖啡色粉末应是可可粉。另一盘的食物则呈卷状,有些像收起来的挂轴,略反光的表面营造出胶质感。
“这是传统的俄罗斯甜点,”伊万君指着那盘像海绵的食物说,“据说诞生于莫斯科公——就是十二世纪的俄罗斯,另一种则是上个世纪才发明的新吃法。其实通常人们不会将Пастила当作饭后甜点,平时我都是买回去当零嘴吃的,只是今日想向你们介绍更多的俄罗斯特有的食物。若你们吃不惯,可以再点些布丁、蛋糕一类的甜点。”樱和我皆摇头以示拒绝,倒不是我们故作矜持,不愿让请客的伊万君多添花费,而是俄罗斯菜肴的份量远超其它西洋料理店的菜肴。也就是作为犬舞见人的樱和我还能往胃里塞些甜点,若换作其它地区的、习惯每餐只吃少少的食物的日本人,恐怕吃完那道由蔬菜、苹果、鸡蛋和某种我不知种类的鱼肉制作的沙拉就会做出拍着肚子瘫靠在椅背上的饱足模样了。
“我是在三年前认识弗朗西斯的。”伊万君也夹了几块甜点放进自己餐盘中,“此前,奥列泽克去法国做生意时认识了弗朗西斯。三年前的秋天,弗朗西斯来俄罗斯旅游,期间在我家借住了一段时间,我就是那时同弗朗西斯熟识起来的。而弗朗西斯,”伊万君露出沉思的表情,“是个擅长说奉承话又不让人意识到那是奉承的、很有魅力的人。为此,奥列泽克总想让弗朗西斯加入牠的生意团队,弗朗西斯对此却没什么兴趣,似乎只出面洽谈过几次订单、赚够了去我的母国旅游的资金就不再与奥列泽克合作了。”伊万君说着,沉思中混入了一丝与之前略有区别的羞赧,“大约是因为第一次遇见弗朗西斯那种类型的人吧,我算是……喜欢上了牠?或应该说被牠迷住了。弗朗西斯呆在莫斯科时,我大半时间都与弗朗西斯呆在一起。上学期间有时牠会辅导我功课,课余或周末,我则陪牠游览莫斯科市。后来学校放冬假,与日本不同,俄罗斯的冬假从十二月下旬持续到翌年二月中旬,我便随弗朗西斯一同去莫斯科周边的��镇游玩,参观了相邻几个省内的许多宗教建筑。”
‘听上去那个法国人是、或至少三年前是伊万君的恋人。’正当我这样想的时候,伊万就如看见了我的想法般说:“不过也不能说我和弗朗西斯成为了情侣,只是与大部分朋友相比,我和弗朗西斯之间的关系更亲密些,偶尔会做一些与性爱有关的事。”伊万君咬了口卷状甜点,“我知道在许多国家,不提两人做些与性爱有关的事,即便只是牵手,甚至只是时常见面且见面时两人的距离站得较为接近都会被视作一对恋人。可在我的母国,人们对关系的定义没那么严格和清晰,青少年与同龄人探索同性、异性的身体,实践什么是性爱,了解什么是快感也是件正常的、某种程度上算是被鼓励的事。例如在我入读中等教育高年级的那个暑假,我就与我的同学加琳娜尝试过女人和男人的性交,而她不是我的恋人。她只是对异性性交很好奇,因为我同姐妹一起长大而挑选了我为实践对象——顺带一提,至今我都不明白为何奥利娅和娜塔申卡是加琳娜挑选我而不选择其牠男同学的理由——我也对异性性爱很好奇,因此同意了她的邀请。”
在这类事上,我倒是完全能理解伊万君、或者说俄罗斯人的做法,毕竟尚未来东京上学时,与我性交的那几名藩民不是我的恋人,我也没有与对方进行情感上的发展的打算。所以,即便在首次遇见伊万君的远亲之时,我对伊万君的情感已经从混合着警惕心的好奇变化成有时会无法自控得用涉及性欲的目光看待伊万君,我也仍不觉得伊万君来日本前有过与女人、男人的性交经验是值得我在意的、应嫉妒的事。我虽不知樱那时对伊万君是否产生了性欲,可依据樱的表现,樱与我一样并不在意、嫉妒此事。
后来,伊万君仍偶尔——以我主观来评价,其频率有时也会高到让人对那个法国人心生厌恶——会提及弗朗西斯、谈论牠和弗朗西斯之间的事。于是我和樱了解到,那个法国人和伊万君一样会开车,我仅是对伊万君会开车感到有些惊讶,那时的日本能购买、承担家用车辆的家庭非常少,因此会开车的人也很少。樱则从伊万君拥有开车技能中推断出一些俄罗斯帝国的经济、国力情报,尤其是伊万君聊过牠姐姐的狂野的、给牠留下糟糕乘车经历的趣事后,樱推测出无论是俄罗斯帝国对其公民的保护和教育程度,还是俄罗斯帝国境内公共设施建设水平、公民的富裕程度以及所拥有的科技都不是日本能匹敌的。
“明治天皇可真是给日本挑选了一个了不起的敌人啊,”樱带着讽刺感慨说,“我已经迫不及待想见证大正天皇和裕仁亲王未来会怎么处理明治天皇惹下的麻烦了。”
此外,我还了解到那个法国人出生于一八八九年,比本世纪出生的樱、我以及伊万君年长——顺带一提,伊万君出生于一九零三年年末,而樱与我恰比伊万君年长两年有余——牠与伊万君相识时伊万君还未满十七岁。在我们与伊万君聊过日本、犬舞见、俄罗斯帝国对性交和年龄的法规后,樱和我才后知后觉在意起伊万君与那个法国人性交的事。“伊万君不是说俄罗斯帝国与犬舞见一样,年长的男人与年龄更小的、未成年的对象性交时违法的吗?那么伊万君同那个法国人……”樱不解又有些担忧地问。
结果伊万君反倒面露疑惑,“我没与弗朗西斯性交过哦?”牠同我们对视片刻,接着露出恍然大悟又被自己领悟的东西逗笑的表情,“你们还记得我说的弗朗西斯与我相识的过程啊。”尽管伊万君说此话时未有任何藏在话内的深意,我却忍不住紧张起来,害怕伊万君发现我和樱能记住牠说过的大部分话,进而察觉到我和樱对牠投以的关注和在意过多以至于略显病态。“我记得我说得并不详细,也许让你们误解了吧,”伊万君耸了耸肩,“我和弗朗西斯没有做到某一方将性器官插入另一方体内的程度,我们只是有一些亲密的肢体接触而已。不过,若我报警的话,弗朗西斯虽不会被判坐牢,也会因做出了‘高风险行为’而被驱逐出境并被禁止再次进入我的母国。在弗朗西斯离开俄罗斯前,奥列泽克不知从哪儿得知牠同我有过亲密的肢体接触,狠狠揍了牠一顿后又与我进行了一场严肃的、以年长的男人如何操纵儿童或青少年的心理为主题的谈话。”
除去那个法国人以外,随着与伊万君的关系愈发亲密,我们也逐渐获知了更多的伊万君的家人的信息。伊万君有一个姐姐、一对同樱和我一样是孪生子的妹妹弟弟,其母因过去在战场上不幸伤到了肺部,后来又患上了肺结核,因此在伊万君十三岁时就病逝了。伊万君的父亲则是在伊万君四岁时病逝的,由于伊万君那时年龄尚小,其父病逝前又搬去位于克里米亚半岛上的疗养院,故伊万君全是从牠的母亲、姐姐和照顾牠的保姆那儿获知牠的父亲是个什么样的人,��父亲没什么印象,自然也谈不上有深厚的感情。照顾伊万君及牠的姐妹、弟弟的保姆名为伊娜。当然,以伊万君的家族的钱财、阶层以及照顾四个孩子的负担来说,伊万君的母亲不止雇佣了一名保姆,不过其她保姆都在所照顾的孩子年满四、五岁后被介绍去了其她需要保姆的家庭,唯有伊娜、或按照伊万君的称呼是伊努夏嬷嬷一直留在他们身边。
以及,伊万君终于透露了为何即便在炎热的夏日牠仍会围着条将脖颈遮住的围巾的原因。谜底是在某次伊万君来上屋敷时揭晓的,我忘记我们在谈论什么话题,只记得聊着聊着,不知怎的竟开始总结在日本人看来伊万君表现的奇怪的地方。最先所提及的并不是伊万君的围巾,而是伊万君的口调。“伊万君的说话方式与伊万君的体格不太匹配呐,”我说,“只听伊万君的声音和口调的话,会以为伊万君是个年龄和体格都很小的孩子。”
我的话让伊万君愣住了,牠仿若一只受到惊吓僵在原地的栗鼠般双眼睁得圆溜溜的,那神色配上伊万君两颊处通常婴幼儿才有的圆润轮廓,简直可爱到令我涌起购买一台相机、学习摄影以便将所有伊万君展现出可爱之处的瞬间皆拍照留存的冲动。
“为什么这么说?”伊万君不解地问,牠专注得看着我,因视角以及牠与我所处的方位而微偏着头,这一动作让牠看上去更可爱了。
“伊万君不是常常使用ね、だよね、よ等终助词吗?说到某个物品时也会在物品名称前加上お这样的美化语,所使用的自称也是僕。伊万君说的自称和大多数终助词虽偏向中性,即女人和男人都可使用,但日常生活中男人、尤其是进入成长期后的男人很少会使用这类终助词。”我解释道,樱也紧接着我的话说:“而且伊万君偶尔还会说出なのね、で等这种仅有女性使用的终助词。以及伊万君说话的方式,嗯,具体来说,就是伊万君在说出某些话时使用的重音、高低音更偏向小孩子或女性。”
“……原来是这样吗?”伊万君喃喃说,牠叹出饱含着挫败、羞赧和恍然大悟的一声,抬起双手,半途又突兀地落下攥住自己的围巾尾端——我猜伊万君原本想捂住自己的脸和耳朵,毕竟在我和樱向伊万君介绍牠所使用的口调种类时,伊万君的脸颊、双耳皆不知不觉浸染上一层浅粉色——“我就说呐,去年刚来日本时,因日语太生疏,我总选择用英语、法语或德语同人们交谈时,那时人们的反应还挺正常的。在我改为用日语和人们交谈后,土田太太、学校里的老师等日本人偶尔会在我说话时露出奇怪的表情,待我询问他们发生了何事,他们又总回答说‘什么都没有’,只有桥本老师——”伊万君所说的桥本老师,即是奠定了现代日语语法的桥本进吉[1],那时桥本进吉是文学部国语学的助教,“——曾几次提议我多与同学用日语交谈,多看些上世纪末及本世纪的文学杂志、小说。”伊万君说着,又叹了口气,牠身子前倾,揉捏着围巾的手环抱住自己的膝盖,几乎将脸埋在手臂与两膝之间,“现在想来,桥本老师是遵循日本人不直白表达自己想表达的内容的习惯,委婉提醒我我的说话方式是错误的吧。”
“不是的,伊万君,”我赶忙安慰伊万君,“伊万君的口调并不算错误——”我顿了顿,回想起伊万君说出女性使用的终助词时我竭力控制自己五官的努力,又改口道:“大部分时候伊万君的口调不算用错,只是由于近年日本境内帝国主义、军国主义思潮占主流,故日本男性很少使用中性口调罢了。”
遗憾的是,我的话完全没能安慰伊万君,“诸如なのね、で这样的词,我是听着阿云说所以才模仿的。”伊万君沮丧地说,“最初来日本时,奥列泽克本想在学校附近直接租一栋,用日语来说,是叫一户建[2]对吗?就是小小的、仅一两层的、与其它房屋隔开一段距离的屋子?”
“是的,是一户建,”樱肯定道,“更书面化的用语则是一轩家。”
“奥列泽克打算租那种屋子再雇些懂欧洲主流语言的人以及负责家务的人照顾我,不过我随牠在山手町住了一段时间后就意识到,除非我融入日本人之中,否则如牠那般仅与欧美人以及了解欧洲主流语言的日本人结交,那么恐怕直到我从东京大学毕业,我的日语仍将停留在只能说最简单的日常用语的水平。可谁能想到日语竟然有口调这种分类呢?虽然俄语也有阴性、中性、阳性之分,这种分类却体现在具体的词汇而非无实际含义的助词上。我本以为模仿身边的日本人说话是便捷快速的、提升自己日语水平的方式。”伊万君抱怨说。
伊万君的抱怨让我产生了新的疑问,“伊万君身边的人,例如男同学、男邻居和路边屋台的男摊主大多使用的典型的男性用语吧。例如人称常用俺、あいつ,终助词则常用ぜ、だろ等。为什么伊万君不模仿牠们呢?”
“要说为什么……因为牠们说话时的语气、神态让我感觉有些粗鲁?”伊万君不确定地说,大约过去从未认真思索过牠拒绝模仿某些男性的口调的所有原因,“我虽不了解日语中不同的自称、终助词的区别,却能听出与观察出那些男人说话时总透出股有意表现得强势、冒犯他人的态度。而且牠们的说话方式与我最初了解的日语非常不同。我从中等教育高年级毕业后,用了近一年的时间为来日本留学做准备。虽我的母国同日本的关系一直较为紧张,可莫斯科仍有数名日本留学生,我聘请了那些日本留学生教我日语。不过那些日本留学生大多没能让我学到什么,只有一名就读于莫斯科帝国大学艺术学院的女学生对此抱以认真负责的态度,她创造了一套与图画结合的平假名、片假名认字卡片,又编写了一些简单的故事以教我如何用日语进行日常对话。”
“俄罗斯竟然有来自日本的女留学生吗?”樱惊讶地问。我明白樱惊讶的原因,不仅在于日俄关系紧张后仍有父母同意自己的女儿前往俄罗斯,更在于前往作为世界列强之首的俄罗斯帝国留学,无论是学费还是生活费用都是令士族[3]家庭以及男爵、子爵家庭难以承担,樱和我很难相信有父母愿意将那么一大笔钱投在他们的女儿身上,毕竟依据明治天皇死前颁布的华族爵位继承法,只有男人才能继承爵位,因此对日本除犬舞见以外的地区的华族来说,女儿的��一作用仅剩下联姻。
“是的?”伊万君确认说,牠的语气显示牠没弄懂樱为何惊讶,“我记得那名女学生的名字是伊琳娜,姓やました……唔,汉字的话是写作‘山下’吧。”伊万君伸出食指在畳上写到,大约是被偏离的话题转移了注意力,伊万君那原本似畏寒的猫般缩成一团的沮丧姿态不知不觉放松下来。
“山下吗?”樱声音里的惊讶并未消失,“冒昧询问,那位女留学生的母辈乃至先辈中有过名为りん[4]的人吗?若有俄罗斯名字,那么也是伊琳娜。”
“伊琳娜没谈论多少她的家人,我听她提及她的——”伊万君顿了顿,说出一个听上去似有两、三个音节的俄语单词,“——тётя这个词对应的是日语亲属称呼中的おば,但我不知具体对应的是三种汉字写法中的哪一个,因为俄语没有如日语那样将亲属依据年龄和血缘关系的远近作出更详尽的划分,我们将母辈的女性亲属统称为тётя,男性亲属统称为дядя。说回伊琳娜,她说她的тётя也曾来我的母国留学,学得也是油画,据说还替这里的教堂绘制过圣母、沙皇们的人像画。”
伊万君说的“这里的教堂”,指的是上世纪日俄关系不如本世纪这般紧张时,由俄罗斯政府提供资金所修建的、位于东京千代田区骏河台南甲贺町的东正教教堂[5]。关东地区的俄罗斯人除去居住在西洋人聚居的山手町外,就是住在有着东正教教堂的骏河台南甲贺町了。只是让我感到奇怪的是,住在骏河台南甲贺町的俄罗斯人反倒没有德国人、或准确来说是说德语的西洋人多。原因之一是居住在日本的俄罗斯人本就数量极少,原因之二则是伊万君告诉我的,说是自从十八世纪开始,欧洲泛德语区的人们便有移居去俄罗斯的习惯。此习惯经由两个世纪培养,加之期间各任沙皇时常调解泛德语区国家的矛盾、防止诸如荷尔斯泰因公国这样的小公国被较大的如普鲁士王国这样的国家吞并,本世纪初俄罗斯帝国又帮助德意志联邦独立,泛德语区的人们便习惯同俄罗斯人住在一起,连迁移到其它国家都不例外。据说在美国,德国人与俄罗斯人也要么直接混居在一起,要么就是德俄聚居区相邻相守。
“那大约那位女留学生如我所猜,是山下りん的亲属。”樱说,并向伊万君介绍道:“山下りん是首名去俄罗斯帝国留学的女性,在她留学归国后,阿母曾邀请她去犬舞见小住,我从她口中听说了不少以俄罗斯帝国为主的欧洲风俗人情。她告诉我她在留学前就皈依了东正教,与日本东正教主教关系甚密,在主教的帮助下才成功前往俄罗斯帝国留学。离开犬舞见前她曾说她打算再次前往俄罗斯帝国,能定居俄罗斯是最好的,若不能,那也至少得在俄罗斯住个几年、游览完俄罗斯的大型城市才返回日本。”
“你的推测很可能正确,”伊万君点点头,“伊琳娜在莫斯科就是住在她тётя的家中,她的俄罗斯名字也的确与她тётя的俄罗斯名字相同。据说她的俄罗斯名字是她тётя起的。我倒不明白为何她的тётя要给她起与自己相同的名字,也许是她тётя对欧洲的命名风俗有些误解,以为我们习惯将母辈的名字用在孩子身上?”伊万君猜想说,不过牠并未纠结于那名日本女留学生的名字,转而说回牠学习日语的话题道:“人在接触新事物时第一印象总是格外深刻嘛。虽然伊琳娜告诉过我日本不同地区的日语有所区别,我也知道大部分语言都存在方言这一分类,可很长一段时间中,我一直认为日语就应该是伊琳娜所教授、所说以及所写的故事中那样,句尾总跟着ね、よ一类无实际意义的音节,书籍以平假名为主、片假名为辅。”
伊万君双手后伸撑在畳上,瞅着我既像是自言自语又像是询问我和樱的意见道:“或许我应该开始模仿你的说话方式?你的口调听起来不像其牠日本男人那般粗鲁,特点也比男同学们更加明显。我一直不太能听懂男同学们的一些用词,去问土田太太,土田太太也说不知道那些词的含义。还是阿云偷偷告诉我那些是某些短句或英语、德语、法语单词的缩减说法,也有将几种欧洲语言的单词拆分结合后创造出的说法,其中一些词来源于英语、德语的脏词或人类的生殖器。所以那类……嗯,阿云是怎么说的?年轻人的话?”
“是わかものことば吗?[6]”我猜测道。
“对,就是这个。”伊万君冲我笑了笑,“阿云说只有男学生会用那类语言,她和其她女学生都因觉得那类语言下流而不肯使用。说起来,这倒与我们那儿非常不同,我们那儿没有以性别作为区分标准的说话方式,人们也不会认为说出人类或其它生物的生殖器是下流的,当然,假如是以生殖器词汇为基底的、特意用来贬低辱骂他人的词,那就是另一回事儿了。”
我必须承认,其实我对俄语中的人类与其他生物的生殖器、以生殖器为词根的脏词很好奇。然而我决定把这份好奇留给未来某个空闲的、伊万君再次拜访上屋敷的日子来满足,现在我更应该给伊万君一个警告,“若伊万君想使用我和樱的口调的话,那么或许会面临一个问题,即东京人对日本其它地区的方言的歧视。”我认真地说,“在东京,如伊万君现在这般使用略带外国口音的东京方言还好,可假如模仿我和樱,那么其他日本人一定能听出伊万君在说方言。”
“而且,我和哥哥的口调较为特殊。”樱说,“出于种种因素,此时此刻我和哥哥正说着的日语并非是犬舞见方言,更像是由日本曾经的官方语言京都语、犬舞见方言以及东京方言结合后诞生的一种——”樱用了几秒来找出能形容我们说话方式的词,“——新的口音?使用这种口音的人非常稀少,除了我和哥哥以外,就只有部分本田家家臣会在与外县人说话时使用这种口音。不过这种口音在用词、终助词或轻重音上不会因性别而有所区分,同时由于以曾经和目前的标准语为基底,日本大部分地区的人们都能听懂这种口音。”
然而,很可能是伊万君已经习惯了过去的说话方式的缘故,在经过一段时间的改变终助词、模仿身边的日本男性的发音方式的失败尝试后,伊万君放弃了时刻关注自己的终助词和发音方式。“如果有人要因此嘲笑我,那么就让他们笑吧,”伊万君不在意得耸耸肩说,“反正以我的体格,没多少人敢于站在我面前说出那些嘲笑的话。”
说回那日伊万君来上屋敷做客的事,在伊万君聊及牠总是戴着围巾的原因之前,伊万君还询问了另一个与日语有关的问题。
“为什么即便是在与我交谈时,你们也常常用我的名字而非第二人称来指代我呢?”伊万君问,在长时间保持双手后撑、双膝屈立的坐姿后,牠理所应当的变化了姿势,换作右腿屈立、左腿弯折着侧倒在畳上、右手搭在右膝上的姿势。然而值得强调的是,伊万君今日穿着浴衣,显然浴衣是不允许穿戴者做出此等不羁豪放的姿态,于是伊万君将浴衣上拉至大腿处。其实就肢体裸露程度来说,夏季时犬舞见藩民们的衣着的肢体暴露程度超过了此时的伊万君。可大约是对象不同吧,犬舞见的藩民,无论是女性还是男性,从未令我产生目光稍沾及裸露的肢体就止不住脸颊发烫、故不得不移开视线远远避开的反应。
正努力控制自己视线落点并拼命擦去擅自展现于脑中的、名为《裸露着大腿的伊万君》的画面的我显然没有回答伊万君的余力。所幸还有樱,樱以一种使我敬佩的、对伊万君的坐姿无动于衷的平静回答伊万君道:“唔,伊万君不提出的话,我还没意识到我很少用きみ甚至お前来称呼伊万君,我想哥哥也没意识到吧。”凭孪生子的直觉,我知道樱瞥了我一眼,多半是觉得我这故作镇定、小心谨慎的模样好笑又少见吧,可因伊万君就在一旁,我无法替自己辩解——虽说就算辩解,也只会重复伊万君首次拜访上屋敷离开后我企图让樱相信那时我还未对伊万君产生性冲动而樱不相信的场景——便只好抬眼盯着伊万君背后床之间的挂轴点点头。“也许伊万君已经了解了,在日本,称呼对方的名字是一种与对方关系友好乃至亲密的表现,我想即使是依照日本的人际关系准备,现在伊万君同我和哥哥也是能互唤名字的关系了。”
“当然,我们早已是朋友。”伊万君认可道,樱并未立即接话,或许是故意露出了什么颇具戏剧性的表情,逗得伊万君笑着补充道:“好吧,我错了,正确的描述是亲密的朋友。”
之后话题转移到日本的服装上。伊万君抱怨了一通和服的束缚感和对行动的不便利,“穿着和服时,我几乎没法儿抬腿,更别提跳гопак了。”根据语境,伊万君说出的那个俄语单词应是某种舞蹈的名称,其后经樱提问,伊万君简单介绍了гопак并比划了几个гопак会使用的动作。然而我的注意力根本无法集中于伊万君的介绍上,双眼还不由自主地钉在视野边缘那只属于伊万君的右脚上,瞧着伊万君以穿着和服的状态做出将脚高抬至头处的姿势。我不知是该称赞、惊叹伊万君身体的柔韧度,还是该哀叹、祈求伊万君别再做出这类令我的脑子擅自冒出更多与牠裸露的肢体有关的画面的姿势了。
抱怨完和服,伊万君突兀地说:“你们对我的围巾一直很好奇吧?”牠语气里的笃定盖过了表示疑问而上翘的尾音。
“是的。”樱承认道,而尽管听出伊万君极有可能从未被我���的好奇冒犯,我依旧忍不住解释说:“因为在夏季,纵然气温高至阳光照射到皮肤上使人感到烫与疼的地步,伊万君在换上短裤和短袖上衣后仍戴着围巾。”说起来,那时东京大学各学部的夏休始于七月中旬,而伊万君在那些非常炎热的日子里会穿上连大多数西洋人都不会穿的短裤、短袖,因此不但是日本人,连山手町的一些西洋人都会向伊万君投去含带不赞同、引以为怪异等情绪的眼神。
对此,伊万君解释说:“在欧洲大部分国家中,只有孩子才会穿短裤,而衣袖短至上臂的、单薄贴身的上衣通常只有劳工才穿,我听说美国也有士兵将其当作内衣的。那些国家的人们认为,成年人在公共场合裸露自己的肢体是非常不得体的行为。不过我们俄罗斯人可不在乎这种‘得体’,”伊万君说着,抬手竖起并拢的食指、中指并弯曲了两下,经伊万君介绍,我知道那代表着讽刺、强调、引用等,只是由于日本没有这样的手势风俗,很长一段时间内我都难以通过那个手势准确领悟伊万君想表达的情感,“我们更在意舒适与实用。只有在正式场合,人们才不得不穿上连脖颈都被包裹住的、‘得体’的服装。”
“我一直戴着围巾的原因是这个。”伊万君扯松围巾露出牠的脖颈,于是我看见一条边缘略泛红而中心比周围皮肤更白的横向凸起,那是一道几乎占据伊万君脖颈三分之一的伤疤。赶在我和樱提出任何问题前,伊万君就说:“我知道这伤疤看上去有些可怕,但实际上并未发生什么可怕的事,或至少发生时我毫无知觉和记忆,也就等同于不曾发生。”伊万君又将围巾整理成恰巧能遮住那道伤疤的模样,“你们看,若我不戴围巾,那么人们就会盯着我的伤疤瞧个不停,还会问我为什么会得到这道伤疤。在我还是个孩子时,凭此获得的成年人的同情、怜爱以及获得同龄人的关注能让我产生巨大的满足感。有段时间我和娜塔申卡、科利亚甚至玩儿了游戏,即向我们朋友、同学编造这道伤疤的来历再比较谁的故事能引来更多同龄人的惊呼。可当我长大些后,人们对伤疤的关注就让我厌烦并感到被冒犯了。此后我开始戴围巾,哪怕是夏天也很少露出脖颈,虽然偶尔阳光会导致围巾变得像一个烧红的铁项圈,然而总好过人们把我当珍奇动物打量。”
伊万君颈间伤疤的由来带着几分非科学能解释的神秘色彩。据伊万君所说,在牠两岁时随家人前往领地避暑时,期间曾毫无预兆的失踪过一次,翌日又不被任何人察觉的返回牠的小床,一切看似没有变化,仅颈间出现了那道瞧上去像被利器划破的、已愈合的伤疤。伊万君的家人试图搜寻犯人,可一直没能找到任何线索,甚至就在伊万君失踪的那日也没能找出任何有绑架伊万君嫌疑的人。以及,伊万君的声音似乎受到了颈间伤疤的影响,在进入成长期后,牠的声音并未与其牠男性那般降低一个八度,仅降低了几个半音[7],因此伊万君的声音听起来更偏向男童而非一名成年男性。
有一件与伊万君颈间伤疤有关的事不得不提。樱带着伊万君和我前往多鹤野村小住时,第一日曾举办一场まむたがなし仪式。仪式上,那时的多鹤野村的三名村长曾查看过那道伤口,且因她们同时也是多鹤野村的巫女之首,说出了一些我猜测与预言、警告类似的话。由于樱与她们使用多鹤野方言交谈,我不知交谈的内容,其后樱也不曾告知我或伊万君,不过通过交谈时樱的表情、语气,我知道那三名巫女的话令樱很是不悦。再结合此后发生的事,我直觉巫女们预见、或也许是感知到了樱对伊万君的情感以及樱将会采取的行动,故而劝告樱别做出她未来会做出的事,也劝告伊万君不应继续留在日本,最好立刻返回俄罗斯。
[1]橋本進吉
[2]一軒家
[3]士族
[4]山下りん
[5]ニコライ堂
[6]若者言葉
[7]八度 半音
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fantasticgoateecandy · 8 months ago
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不当裁判・不当判決を告発します(新訂版)
(No.5)=((No.4)からの続き) H.21.7月.この頃、上階501号室(W氏宅)から階下401号室(私共B夫婦宅)への漏水が、やや下火になりつつあり、私共は「岩井昭雄管理人が水撒き人W氏に厳重注意して呉れたのだろう、その結果、やっとW氏も水撒きを自粛して呉れるようになったのだろう!」と歓喜した。然し、岩井昭雄管理人から「W氏が、最近、鞄・玄関鍵を 無くして501号室に入れなくなり、暫くは実家に泊まって居るのですよ」との話を聞いて、「何だ!そうだったのか!」とガッカリした。漏水被害を引き起こして居る張本人(W氏)が501号室に居住して居なければ、階下401号室への漏水が収まりつつあるのは当然。これは後日に同氏の妹君・S子氏の陳述書にも記載ある事実で、「H.21.7月に兄(=水撒人W氏)は鍵・通帳等を入れて毎日持ち歩いていたカバンを紛失し、自宅マンションに入れなくなり、実家に泊まるという事がありました」との記載あり、「漏水が収まりつつある」と勘違いしたのは、私共の早トチリ、飛んだヌカ喜びだった。 H.21.7.15.管理��誌より抜粋「501号のW氏 アプローチにペットボトルのカラ 多数置いて居るので理事会決定事項として伝え、直ちに片付けるよう要請 共用廊下に水を撒く 注意すると『暑いからだ』と言う 注意する」(W氏の『病的に異常な水撒き癖』は管理人のみならず、当マンション中でも有名、知らない者は殆ど居ない)
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H.21.7.16.K先生から私共に電話あり「売主S氏の親族(恐らく同氏の三女?)から『回答期限は過ぎたが、回答はもう少し待って欲しい』と要請がありました」との連絡だった。実は私共はH.21.3.2.に近鉄不動産㈱の武内聖介氏から「当マンションの401号室(S氏宅)が売りに出されましたよ」との連絡を受けたので、勿論、私共はスグにも401号室を検分(内見)したいと思って居たが、その時、『売主S氏の都合もあるので、内見は2~3日ほど待って欲しい』との連絡を武内氏から受け、結局、私共B夫婦2人、仲介人・武内聖介氏、売主S氏の計4人が401号室を内見したのは3日後のH.21.3.5.だった。つまり、S氏は、その間の(H.21.3.2.~3.5.)に(恐らくは?)自室(=401号室)が上階・水撒人W氏宅(=501室)から蒙りつつある漏水被害の痕跡を、専門業者に依頼してスッカリ除去して貰ったらしく(?)、その直後の401号室には(漏水被害などの痕跡は見当たらず)綺麗なままで、私共はマンマと騙されてしまった。そして「今回もマタゾロS氏は『回答期限を延期して呉れ!』などと言って来るとは!キットS氏は、再度、何か良からぬ事(?)を企んで居るに違いない」と胸騒ぎを覚えた。 H.21.7.18.私共は、当マンションの401号室へ急行��アルミホイルは未だ☆②の(A)(B)に詰め込まれた侭だったが、ベランダ天井からの垂直排水枝管☆②の外周、垂直壁面、枝管真下の床面、スノコ(目皿)付近には大量のヤモリ糞が塗り付けられ、バラ撒かれて居た。私の妻は殆んど半狂乱になって「キャーッ、何ッ、これッ!」と絶叫、私(夫)は「漏水ではなく『ヤモリが出た』との口実を尤もらしく見せ掛ける為に、こんなインチキ証拠を捏造したのだな。その為に予想外の時間が掛かったので『回答期限を延長して呉れ』とK先生に要請して来たのだろう」と感付いた。(写真を参照されたい)
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私共は此のヤモリ糞の塗り付け・バラ撒きについて下記のように考えた。(少し長くなるが、重要なので詳述する):
1).K先生が売主S氏宛に「通知書」を送付される以前のH.21.6.30.に私共が現場を点検した際には、こんな糞などは全くバラ撒かれて居なかった。K先生から通知書を受取ったからには「S氏も少しは反省するだろう」と私共は、つい油断して通常ならば毎週3~4回の頻度で現場点検に出掛けるが、今回はH.21.7.1.~7.17まで全く現場点検に行かなかった。然し、今回のS氏側からの「回答期限を延期して呉れ」との要請に対し、私共は(上記の如く)胸騒ぎを覚え、慌ててH.21.7.18.に現場に急行した処、現場に大量のヤモリ糞(後日、専門機関の分析結果、これ等は[ヤモリ糞]ではなく、実は[コウモリ糞]である事が判明した)がバラ撒かれた光景を見せ付けられた。だが私共は「これは(証拠隠滅に勝るとも劣らぬ)余りにも稚拙・卑劣な捏造工作だ!」と感付いた。「これほど大量のヤモリ糞(実はコウモリ糞)が現場にばら撒かれて居る現状を考慮すれば、これでは100~200匹の大量ヤモリが上階から枝管外周を伝ってゾロゾロと階下401号室(私共宅)へ這い降りて来た事になり、その際はヤモリ防止用(?)に詰め込まれた筈のアルミホイルは、当然、(A)(B)から抜け落ち、あるいは外れ落ちて、ベランダ床面に転がって居る筈だが、此のアルミホイルは依然として無傷で(A)(B)に詰め込まれて居た侭だった。これでは100~200匹の大量ヤモリは『魔法を使ってアルミホイル(A)(B)をすり抜け、枝管☆②の外周を伝ってゾロゾロと這い降りて来た』事になる。ヤモリは元来、夜行性の爬虫類で、昼間は戸袋などに隠れて居るが、その粘着力ある四肢で天井裏・垂直壁面など何処でも自由に動き回れるから、ベランダ天井と垂直排水枝管との円形(環状)隙間から「ワザワザ魔法を使ってアルミホイル(A)(B)をすり抜けながら、枝管外周をゾロゾロと這い降りて来る」筈は無い。而も現場には、これほど大量(恐らくは100~200匹)のヤモリが食い散らかしたであろう筈の食べ滓(小昆虫などの死骸)も、また寿命が尽きた筈のヤモリの死骸も1匹も残って居ない。ヤモリは、夜間、灯りに集まり来る小昆虫をエサとして食べるが、当時、401号室は無人だから(S氏は当401号室を私共B夫婦に売却して既に退去済み、一方、私共も当401号室への入居を諦めて既に退出、旧自宅へ戻って現在は訴訟中、従って当401号室は現在は全く無人の侭だから)夜間は真っ暗である。そんな無人で真っ暗な部屋へ(灯りを求めて)集まり来る小昆虫も居ない処へ、ヤモリがエサ(小昆虫)を求めて来る筈も無い。ただ糞だけがバラ撒かれて居た。一方「上階501号室(W氏宅)のベランダではヤモリの養殖・飼育など、勿論、行って居る筈など無い」。 後日(H.22.4月)、私共が当マンション全28所帯の内、(501号室と401号室を除く)26所帯に聞き取り・アンケート調査を実施した結果、「今までにヤモリが出た」などと答えた所帯は皆無だった。また今回のH.21.7.1.~7.17.までの短期間に、これほど大量のヤモリ群(100~200匹?)が当マンションに大襲来したとなれば、それこそマンション中は大パニックだろう。而も、当マンションの全28所帯の中で、ヤモリは他の部屋には全く襲来せず、選りに選って『無人・真っ暗』で、ヤモリのエサ(=灯りに群がる小昆虫)が全く居る筈の無い401号室へ(100~200匹もの)大量ヤモリ群が、集中的に上記の短期間内に大襲来する筈も無い。念の為、私共は岩井昭雄管理人に確認しても当該期間(H.21.7.1.~7.17.)内に「ヤモリ・コウモリが当マンションに大襲来した」事実は無く、また当マンション管理日誌にも同期間内に「ヤモリ・コウモリが大襲来した」との記述は一行も無い。 以上から私共は「これは明らかに誰かがコッソリと401号室に忍び込んで、恰もヤモリが上階501号室から枝管☆②の外周を這い降りて来たかの如く見せ掛ける為に、人為的に糞を枝管・壁面に塗り付け、且つ床面にバラ撒いた」と確信した。私共は「こんなに大量の糞を入手し、バラ撒くのに手間取ってしまい、それで犯人はK先生に『回答期限を延長して下さい』と要請したのだろう!」と感付いた。だが、これまた何と『ウソ八百』『アナ(矛盾)だらけ』『稚拙極まる』『卑劣な』捏造工作であろうか!
2).而もバカ丁寧な事に、糞を現場にバラ撒いて行った犯人は、糞をバラ撒く際にウッカリと自分の足跡まで現場に残して行った。因みに私共は(夫婦2人とも)室内からベランダへ出入りする際は、出入り口の2枚のガラス戸のうち、いつも左側ガラス戸を開けて出入りする癖があるが、犯人は(右側ガラス戸を開閉したと見えて)自分の足跡を右側ガラス戸の敷居の上に付け残して居り、丁度スノコ(目皿)付近の敷居上にシャガミ込んで糞をバラ撒くのに最も好都合の位置である。その際に犯人がウッカリと敷居上に自分の足跡を付け残してしまったのであろう。だが何故、犯人は斯んなマヌケな痕跡(足跡)を現場に付け残して行ったのだろうか?念の為に私(夫)は自分でワザと左側の金属製敷居を踏み付けて見たが、その場ではスグに自分の足跡が確認できず、2~3日後に再度現場点検に訪れて見ると、私(夫)の付けた足跡が敷居上に今度はクッキリと浮き出て居た。「フーン、なる程、斯ういう事か!糞をバラ撒いた犯人は此の現象を知らず、自分の足跡を現場にウッカリと付け残した事に気付かない侭で此処を退出したのだな!」と理解できた。若い頃から[理科]が苦手であった私には「何故、斯んな現象が起きるのか?」その科学的根拠・理由などは全く知らないが、恐らく金属(アルミ?)製の敷居を踏み付けた際、その「(足跡上に堆積した)埃」「静電気」「足裏の皮脂」とかが関係して居るのであろうか?つまり此の金属製敷居に付けられた足跡は、その場ではスグに確認できずとも、2~3日後に此の敷居上に新たな細かい埃が堆積しても、静電気(?)皮脂(?)の作用により①敷居を踏んでしまった為に足跡が付いた部分=『足跡部分』と、➁敷居を踏まなかったので、足跡が付かなかった部分=『足跡以外の部分』の、それぞれの部分に積もった[埃]量の違い(多い/少ない)や、新・旧の[埃]色の濃/淡差などの[足跡部分]・[足跡以外の部分]の量・色違いが顕在化・浮き出て来て、(恰も「犯人の指紋」の如く)漸く足跡を確認できるようになるのであろう?これは警察の刑事が[犯人の指紋]を採取する際に、(犯人が触れたと思われる)器物に刑事・鑑識員が刷毛で銀粉を振り掛けて指紋を採取するシーンを、私共はテレビドラマなどで観るが、今回は[銀粉]ではなく、[埃]が足跡部分に積もって、言わば[指紋]採取時の様に確認できたのであろう。当然、糞をバラ撒いた犯人は、大慌てで『糞のバラ撒き作業』をやり終える必要があり、而も人目に付かぬ『深夜』にコッソリと401号室に侵入して、薄明りの下でバラ撒き作業を行った為か、自分の足跡を現場に付け残した事に気付かぬ侭で、401号室を退出したのであろう。私共は偶々その2~3日後の明るい『白昼』に現場へ出向いて、(既に浮き出て居た)犯人の足跡(=言わば[指紋]に相当)をハッキリと確認して、これをデジカメで撮影した訳だ。私共が訴訟に踏み切るまでは、糞は勿論、足跡も全く無かったが、訴訟に踏み切った途端に、犯人は大慌てで(?)深夜に(?)侵入し(?)薄明りの中で(?)バラ撒き作業をやり終える必要があった為か?迂闊にも現場に自分の足跡(=指紋)をウッカリ・バッチリ残して行った訳だが、これまた何と『ウソ・バカ丸出し』で『マヌケ』な犯人(=売主S氏=老詐欺師)であろうか!
3).一体誰が斯んな糞をバラ撒いたのか?当マンションでは、管理人(=岩井昭雄氏および後任の佐藤秀司氏)はマンション内の住民諸氏らのカギを預かる事は一切しないから、管理人は401号室のカギを持っては居ない。当マンションと専属契約して居る警備会社ALSOUKに私共が預けて居た401号室の合鍵1本も、私共が入居を諦めたH.21.4.22.頃には、既に同社から返却して貰った。従って401号室の合鍵は、(本来ならば)私共以外に持って居る者は誰も居ない筈である。一方、「401号室に不法侵入して(?)『どうしてもヤモリ糞をバラ撒くべき緊急必要性ある人間』は(旧売主S氏以外には)誰も居ない」。そのS氏はH.21.3.30.に当マンション玄関前で私共と出会ったが、その際にS氏は��私はH.21.3.14.に新マンションへ転居してしまったが、私宛てのメールが未だに旧住所(=当マンション)へ誤配されて来て居るかも知れないので、当マンションのメールボックスを覗きに来たのだ」と話した。それで私共はS氏に「貴方は当マンションのスペアキーを持って居るのですか?」と尋ねた処、S氏は「そんなものは持って居ないよ、当マンションの他の住人が当マンションの玄関を出入りする際に、其のタイミングを見計らって私もサッと一緒に入り込むのだ」と答えて呉れた。だが、あの短気・癇癪持ちのS氏が「辛抱強く玄関脇でジッと待機して居る」筈は絶対に無い。まして今回の様に「深夜にコッソリと401号室に不法侵入してヤモリ糞(=コウモリ糞)を現場にバラ撒いて置く」為には、(当マンション内の他の住人が深夜(?)に当マンション玄関を出入りして呉れるまで、S氏は其の深夜に玄関脇でジッと待機して居なければならない!そんなバカな事などS氏が出来る筈も無かろう、どうしてもS氏自らがスペアキーを所持して居らねばならぬ。どう考えても「明らかにS氏は『ヤモリ出現の証拠捏造用』にスペアキーを(少なくとも)1本は所持して居るに違いない」と私共は確信した。更に当マンションのキーは其の理論的違い数は1000億通り、他社・他処では絶対にスペアキーの複製は出来ない。矢張りS氏は(自分が嘗て401号室に居住中に)予め美和ロック㈱に依頼してスペアキー1本を予め作って貰って自分の手元に残して置き、私共には正規のキー(全6本)だけを手渡して呉れたのであろう。 4).更に私共がヤモリ糞(実はコウモリ糞)を専門家に分析して貰う為にサンプル採取して自宅へ持ち帰った処、現場の糞の残量は少なくなったが、後日、私共が再度現場を訪れた際には、マタゾロ糞が増量・撒き足してあった。こうして複数回に亘って糞の残量が、その都度、適宜、増量・撒き足されて居た事実を私共は写真撮影した。つまり犯人は複数回に亘って、現場に出入りしてヤモリ糞を適宜、増量・撒き足し、「恰もヤモリは今もなお引き続き上階501号室から階下401号室へ☆②の枝管外周を伝って這い降りて来て、糞を排泄し続けて居る」「アルミホイルは漏水防止ではなく、ヤモリが這い降りて来るのを防ぐ為だった」との捏造理由を、一層、尤もらしく見せ掛けたいのだろう、(その為には、どうしてもスペアキーを保有して置かねばなるまい)。だが、それは逆効果だった。アルミホイルは(複数回に亘ってヤモリが枝管を這い降りて来たのならば)、当然、(A)(B)から外れ落ち、床面上に転がり落ちて居る筈であるが、此のアルミホイルは無傷の侭で、依然として(A)(B)に詰め込まれた侭であり、これでは「ヤモリは、毎回、魔法を使ってアルミホイル(A)(B)をすり抜け、枝管外周を伝ってゾロゾロと401号室へ這い降りて来て、糞を排泄し続けて居るのだ」としか説明は出来まい。而も上階501号室(W氏宅)では「ヤモリの養殖・飼育などは行って居る筈が無い」にも拘らず、犯人は斯かる杜撰な捏造工作を続行するとは!私共は全く呆れてしまった。「策士、策に溺れる」「余りにも幼稚・拙い捏造工作で、(S氏は)自ら墓穴を掘った」訳だ。
5).恐らく売主S氏は知人に「『ヤモリが出た』との証拠を捏造する為に、何かウマイ手はありませんか?」と相談したのだろう。知人は「現場にヤモリ糞でもあれば『ヤモリが出た』との証拠になるかも知れないが、今の侭ではチョッと無理だろうね…」などとは言ったものの、「まさかS氏が『本気でヤモリ糞(実はコウモリ糞)を掻き集めて来て、401号室に不法侵入し、糞を床面にバラ撒き、壁面に塗り付ける』などと言う愚挙を実際にしでかす」とは想像もしなかっただろうし、さぞ驚き且つ呆れた事だろう。而も、その捏造工作たるや、余りにもアナ(矛盾)だらけ、ウソがバレバレの稚拙・杜撰・卑劣極まる捏造工作ではあったが、然し、旧売主S氏と知人の両氏にとって、誠に幸いな事に、後日(H.22.2.10.の第4回裁判で)、K先生が『バラ撒かれたヤモリ糞』『間抜けな足跡』の複数の証拠写真類を遂に法廷に提出された際、宮本初美裁判官は、「こんなマズイ証拠捏造などは考えられない!」「現実にはあり得ない」として、最後まで握り潰してゴネ続け、S氏を庇い続けた。そんなに疑うのならば、宮本初美裁判官自身が、「ヤモリ糞がバラ撒かれて居る現場」を直接に訪れて「[ヤモリ糞]および[糞をバラ撒いた犯人]のマヌケな足跡をも確認すれば良い」ではないか?だが、それでは宮本初美裁判官自身の「余りにもガキっぽくてマヌケ��意地っ張り」「ゴネッ張り」がアカラサマになってしまい、自分のエリート(=裁判官)としてのメンツは丸潰れ、此処は(誰が何と言おうとも)絶対に現場確認に赴く訳には行かない、口先だけで「斯んな事などは考えられない、現実には有り得ない!」と駄々を捏ね続けて突っ撥ねるしかあるまい。これでは全く話にならない。全くドウシヨウモナイ[問題ある]裁判官だ!これは最早とても裁判ではない。
6).私共が(上記の第4回裁判H.22.2.10.)よりも遥かに以前のH.21.7.28.に「ヤモリ糞」「犯人の足跡」の写真をK先生にお見せしたところ、K先生は噴き出して大笑いすると共に呆れてしまって「これでは『話し合い』よりもサッサと『裁判』に踏み切りましょう」と作戦変更された。そして「いつの時点で、これ等の写真を裁判で公開しましょうかねェ?暫くは其のタイミングを見ましょうよ!」と言って、暫時、これ等の写真を敢えて裁判には持ち出されなかった。その際に、私共は(堪り兼ねて)K先生に「私共がK先生を現場へ送迎致しますから、是非、現場をご覧になって下さい」とお願いし、私共のオンボロ軽自動車でK先生をヤモリ糞(実はコウモリ糞)がバラ撒かれて居る現場へ送迎した。K先生は、バラ撒かれて居るヤモリ糞(実はコウモリ糞)を見て「こんな事までするのねぇ!」と呆れ返って居られた。だが折角、私共がK先生を現場までお連れしたのだから、当然、K先生は其の現場で御自分でも写真撮影されるか、あるいはマンション管理人に会って事実確認をされる筈だ、と私共は思って居たが、そんな事は全く無かった。その後、K先生は出来るだけ辛抱を重ねた挙句、H.22.2.10.の第4回裁判で遂に「ヤモリ糞」「犯人の足跡」の写真を公開された。サスガにそれ以後は犯人が糞を増量・撒き足しに訪れた形跡が全く見られなくなってしまった。斯んなインチキ捏造証拠の写真までも裁判で公開されてしまっては「これ以上、401号室に不法侵入し続けてヤモリ糞(=実はコウモリ糞)を増量・撒き足し続けるのはヤバイ!」と感じた犯人が、即刻自粛したのであろう。然し、S氏の此の『稚拙・卑劣極まる』捏造工作を宮本初美裁判官は飽くまでも「こんな事など有り得ない、現実には考えられない」として、結局、最後まで徹底的に無視し続けた侭だった。これはS氏にとっては「真に幸運だった?」。だが、これは最早とても裁判ではない。
7).念の為に私共は当マンションの鍵メーカーである美和ロック㈱大阪支店の総務課長・岡伸行氏に幾度も面談し、「S氏から401号室のスペアキーの注文を受けた事があるか?」と尋ねた。同社では「第三者からキーに関する質問を受けた」場合は(当然の事であるが)プライバシー保護の為に「必ず当該キー所有者(=此処ではS氏)の事前了解を得てからでないと、如何なる質問にも答えない」。然し、S氏も然る者、斯かる事態をトックに予想して居たらしく、美和ロック㈱の岡課長からの問い合わせに対して、旧売主S氏は(恐らくは?)「若し、インチキ夫婦(=私共B夫婦の事?)から(スペアキーに関する)問い合わせが有った場合は、(お得意のウソ八百を並べ立てて)あんなインチキ夫婦(=私共B夫婦の事?)に対しては『スペアキーなど作った事実は無い』と返答して置け!」とでも厳重指示して置いたのであろうか?幾度、私共が岡課長に面談しても、同氏は(恐らくはS氏との約束・指示(?)通りに)「当社ではS氏から401号室のスペアキーを受注した事実はありません」と突っ撥ね続けた。それで私共は、K先生にお願いして「弁護士法第23条の2第1項に基づく照会」を掛けて貰って再度「S氏から401号室のスペアキーを受注したか?」と尋ねたが、岡課長は、今更『実はS氏からスペアキーを受注して居りましたよ』などと前言を訂正できる筈もなく、従来通りに飽く迄も「S氏から401号室のスペアキーを受注した事実はありません」と繰り返し突っ撥ね続けた。
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なお此の弁護士照会に対しては「『法廷での証言』とは異なり、たとえウソ回答をしても、何ら罰せられる事は無い」由、K先生は早々と此の時点で美和ロック㈱を追及するのを断念されたが、私共はその後も執拗に幾度も岡課長に直接面談して(通算で合計5回、最終はH.22.12.27.に面談)『ヤモリ糞が大量にバラ撒かれて居る写真』『マヌケな犯人の足跡写真』『ワザワザ深夜に401号室に不法侵入して幾度も糞を増量・撒き足すなどの不正行為を行う為には、どうしてもスペアキーを予め所持して居なければ出来る筈が無い』『コウモリ糞の写真を裁判で公開した途端に、(S氏は大慌てしたらしく?)糞を増量・撒き足しに訪れた形跡が、即刻、無くなった』事実などを岡課長に長々と説明して「こんな捏造工作が出来るのは、401号室のスペアキーを保持して居るS氏しか居ない。貴社は間違いなくS氏から(401号室のスペアキーを)受注したでしょう!」と問い質した。同課長も「ヤモリ糞がバラ撒かれて居る写真」「マヌケな犯人の足跡写真」「糞が適宜に増量・撒き足された写真」「ヤモリ糞の写真を裁判で公開した途端に、犯人が糞をバラ撒きに訪れた形跡が、即刻、見られなくなってしまった」などの写真を見て、旧売主S氏と私共B夫婦の「どちらが大ウソ吐きであるか?」が、漸くハッキリと理解できたらしく(?)、サスガに驚いたようだったが...)、今更「実はS氏にスペアキーを作って上げました!」などと言える筈が無く、結局、苦し紛れに(而も薄笑いを受べながら)「たとえ此のキーの『理論違い数が1,000億通り』と言っても、当社の知らない処で、誰かが密かに裏のルート・モグリ業者にスペアキーを作らせて居るのかも知れません、私には詳しい事は分かりませんが…」と言い逃れをすると共に「当社では401号室のスペアキーをS氏から受注して居りません」と繰り返し突っ撥ねただけだった。だが自社のホームページやカタログで『理論違い数が1,000億通り』と誇らしげに公表・記載して置きながら、その一方で「当社の知らない処で、誰かが密かに裏のルート・モグリ業者に(401号室の)スペアキーを作らせて居るのかも知れません」などと言う岡課長の説明など、誰が信じられるだろうか! 第1に、当マンション28所帯の玄関キーは全て美和ロック㈱製で、同社のパンフレット・カタログによれば、これ等はPRシリンダーで、理論違い数は1000億通り、同社以外で合鍵を複製する事は、絶対に不可能である。裏ルート・モグリ業者などが、とても簡単に複製できる筈はない。念の為、私共は奈良市内の大手の鍵屋4~5社ほど訪ねたが、いずれの鍵屋も「この種のPRシリンダー錠は、美和ロック㈱でなければ、絶対に合鍵は作れない。だから合鍵を欲しければ、全て美和ロック㈱へ別注するのだ」と話して呉れた。 第2に、若しS氏が401号室のスペアキー(合鍵)を作りたければ、何もワザワザ裏ルート・モグリ業者に発注せずとも、正々堂々と美和ロック㈱に発注すれば良いではないか?敢えて割高の料金(嘗て岡課長の話によれば「詳しい事は知らないが、裏ルート・モグリ業者で作れば2倍以上の価格になるらしい」との事、どうせウソッパチだろう?)を支払ってまでモグリ業者に合鍵を作らせる必要など全く無いではないか?ましてS氏は鍵の専門家ではないから、そんな裏ルート・モグリ業者など知って居る筈は無かろう。 ���3に、私共が当マンション401号室をS氏から購入した時点で、S氏は玄関鍵(全6本)を私共に全て手渡し済みであるから、S氏の手元には(本来ならば)401号室の『親キー』は最早1本も無い筈。そんな『親キー』が無い以上、モグリ業者は鍵の種類・型・番号などは全く知り得ない。それにも拘らず、こんな防犯性の高い1000億通りもヴァリエーションの有る鍵のスペアーを、(親キーも無いのに)一体どうやってモグリ業者は複製出来るのであろうか?出来る筈が無い。 第4に、S氏が美和ロック㈱にスペアキーを発注せず、そのスペアキーも所持して居ないなら、S氏以外の一体誰が、どうやって裏ルート・モグリ業者に合鍵を作らせてまで401号室に複数回侵入し、態々ヤモリ糞を『バラ撒き』あるいは『撒き足す』などの愚挙を繰り返し行う必要があるか?そうまでして、その犯人には、一体、何のメリットがあるか?何のメリットも無いではないか?そんな捏造工作をする「緊急必要性」がある人物は、S氏以外には考えられないが、そのS氏は、何故に裏ルート・モグリ業者を使う必要があるか?ある筈が無い。 上記の理由から「S氏は間違い無く401号室のスペアキーを所持して居る。岡課長の弁解は絶対にウソだ」と確信した私共は、H.22.12.27.に岡課長に(最終)面談した際、私共は「今迄の復習を兼ねて、過去の経緯・漏水被害・S氏の捏造工作等を詳しく説明し、これに対する同課長の最終回答」を聞いた。その際、私共は念の為に「私共と岡課長との全会話」を、私(夫)が胸ポケットに持って居たICレコーダーで録音した。その録音内容は全て活字に直した侭、添付DVDに収容されて居る。 8).後述の如く、ベランダにバラ撒かれた糞は「ヤモリ糞」ではなく「コウモリ糞」であった事実が、分析機関の検査で判明した。だが、売主S氏は如何に慌てたとは言え、「(ヤモリ糞でもコウモリ糞でも、何でも良いから、至急それらしき糞を入手してスグに現場にバラ撒いて置こう」などと、「斯んなオソマツな捏造工作をしでかさねばならなかった」という事は、S氏自身が「上階501号室(W氏宅)からの漏水被害に、如何に苦悩し続けて居たか?何としても其処から逃げ出したかった」と必死だった事の何よりの証拠であろう。 9).それともS氏は(自分が高齢である事を理由に)「ヤモリだと思って居たが、実はコウモリだった!きっと見間違えたのだろう」などと、例によってマタゾロ『ウソ・バカ丸出し』のセリフで言い逃れる積りだろうか?ヤモリと(外見上は全く異なる)コウモリとを見間違えるバカは居まい。ましてやコウモリは(ヤモリとは違って)羽があるから、『魔法を使って☆②のアルミホイル(A)(B)をすり抜け、枝管をゾロゾロと這い降りて来る』必要などは全く無い。何処からでも侵入は可能である。これ等は明らかに人為的にバラ撒かれたコウモリ糞であった。 10).後日(H.22.4.30.)の第2準備書面でS氏は「窓にヤモリが張り付いて居て気味が悪かったから、アルミホイルを(A)(B)に詰めたら出て来なくなるだろうと思って、そうしただけだ」などと主張を変更した。当初、S氏は「水漏れなどは全く知らなかった」→「水漏れなどは全く無かった」→「水漏れがあったのは、たった1回だけで、生活には何ら不都合は無かった」→「アルミホイルは、上階501号室からヤモリが排水枝管☆②の外周を這い降りて来るのを防ぐ為だった」「水漏れとは全く関係が無い」と供述して居た。そして今度は→「窓にヤモリが張り付いて居て気味が悪かったから、アルミホイルを詰めた」と変更した。「窓に張り付いて居るヤモリを防ぐのに、全く見当違いの場所である(A)(B)に、何故、アルミホイルを詰める必要があるのか?」「まして、当時、401号室は無人で、夜間は真っ暗、そんな部屋のガラス戸には、灯りに群がる小昆虫(=これはヤモリのエサとなる)などが来る筈も無い」「そんなエサ(小昆虫)も居ない真っ暗な処へ、エサを求めて大量のヤモリがガラス戸に張り付く筈も無い」「而も、これ等はヤモリ糞ではなくコウモリ糞だった」事も判明して居る。これだけ大量の糞を排泄したヤモリ(恐らく100~200匹)がH.21.7.1~7.17.の短期間内に窓に張り付けば「窓ガラス全体はヤモリだらけ、まして『窓に張り付いた』のは(ヤモリよりも大型の)コウモリであったなら、コウモリ大群の『キーキー』という鳴き声でマンション中はさぞ騒々しかっただろう。余りにも見え透いたS氏の二転・三転・四転・五転する大ウソの大連発に対し、私共はタダ呆れるばかり、だが当該期間内にヤモリ・コウモリが当マンションに大襲来したとの事実も無ければ、管理日誌にも斯かる記述は一行も無い。 11).これ等の事情は、「裁判でS氏を実際に出廷させて尋問し、多くの矛盾点を指摘・追及すれば、簡単に真相が明らかになる筈だ」と私共は思った。(然し、後述の如く奈良地裁の宮本初美裁判官は、相変わらず「S氏は『水漏れは僅か1回あっただけ』と言って居るのだから、原告・被告・証人らの出廷・尋問・証言する必要は無い」と突っ撥ね続け、勿論、現場確認に来る事も一切無く、最後まで本人・証人尋問は全て不許可にして、ゴネ続けた。これでは、まるで大人から「動かぬ証拠を突き付けられ、問い詰められて、返答に窮した」アホガキが、意地を張って「証拠など、そんな物は見たくなーい」「証人喚問など、要らないったら要らなーい」「現場検証などには行きたくなーい!イヤだ―!」と駄々を捏ね続けて居るアホガキその物の姿を連想させる。とても良識ある大人(=裁判官)の言動とは思えない。私共が401号室の検分(内見)するに先だって、S氏は予め漏水被害痕跡を(専門業者に依頼して)除去して置いたり(?)、今度はヤモリ糞(実はコウモリ糞)をバラ撒いてインチキ証拠を捏造したり(?)、斯んなS氏の詐欺師振りに私共は呆れてしまった。而も、宮本初美裁判官は、何故、S氏を出廷・尋問させないのか?これは最早とても裁判ではない。
以下、(No.6)へ続く
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qofthequinine · 9 months ago
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神無月の夜
神は今月、出雲にどんちゃん騒ぎに向かっているらしい。秋も感じられるようになって、伸び伸びしていいものか、おとなしく過ごすべきか、迷ってしまう。月末に誕生日が控えており、もう而立になってしまうので素直に喜べない。無為に歳を重ねてしまった。身の回りではいろんなことが起こっている。自分だけが、10年以上冷凍保存されていたかのように感じる。全てが夢であれば、と時折思うが、夢であったならまたやり直す必要があり、面倒臭い。10年間、自分は何をしたのだろうか?
得たものは何もなく、渡したものもほとんどない。自分の存在がなんであるのか、そもそも幽霊のように誰にも存在しているように思われているだけなのか、そんな自己存在に対する疑いが払拭できない。「いてもいなくても構わない存在」と、端的に考えてしまう。そのように考えたほうが気楽なのだけれども、とはいえ、生存に対する渇望は強く、命を放棄することは惜しい。
自らを肯定するのは、血の繋がっていない他人だ。つまり社会である。血縁者は、私のことを常に鬱陶しいと考えているらしい。そもそもが両親とも、そのときの気分によって人への接し方が変わるから、こちらは常にご機嫌を伺いながら、彼らへの接し方を、多重人格のように変化させる必要がある。「分人」という概念が一時期、喧伝された。単純化すると、仕事用の人格とプライベートの人格、みたいなものである。これがまあ、家庭内では日々、時事刻々切り替えなきゃならないので、アイデンティティもへったくれもない私が完成するのは当然のことと思える。さらには、私自身の中にも、いくつかの人格が別個に存在している。頭の中で彼らが会議をすることもよくある。救いは、リーダーの人格が彼らを統御していることで、だから他人の目にはそれなりに真っ当な人物と見えるらしい。
つらいだとか、悲しいだとか、苦しいなんていう、弱音に分類される発話をすれば、今で言う死体蹴りが当たり前だった。だから元気なように振る舞う必要があった。全然元気ではない。毎日毎日、この瞬間に全てが終われば、なんだか楽かもしれない、と思考が走り回る。「元気ではない」などと言えば、「どこがどういうふうに元気ではないのか、具体的かつ端的に述べよ」と詰問される。それに対応する気力もないぐらいに、元気ではないのだ。元気ではない事実について、詳述できるのであれば、その人物は元気だろう。医者にしたって、そのような状態を「不定愁訴」としか判断できず、心療内科も精神科も、「ストレスによる慢性疲労」としか診断できない。
物心がついてから、ずっとうつ病だった、と記憶している。メランコリック気質だ、という以上に、病的だった。しかし、子どもは精神を病むことがない、という暗黙の了解がなぜか親にはある。目に見えないものは存在しないらしい。つまり思弁や形而上の存在についても、否定するらしい。毎朝、神仏に祈る無思考なルーティンはあるのに。
人間は考える葦なのだろうか?そもそも、人間は思考をアウトソーシングしてしまった結果、ただの生活を営む生物になったのではなかろうか?鳥が飛び、肉食動物が狩りをし、草食動物が群れをなして植物を食むように、人間が生活を営んでいるだけなのではないだろうか?
人はよく言う。「やってみて考えたら?」と。いや、違うんです。考えながらやりながら考えながらやりながら……の繰り返しだと思うんです。
幸いにも、この世界には学びたいことや、まだ未知の部分が多く存在する。汲んでも尽きないこの世界を生き延びたいが、涸れかけているこの私自身をまずはなんとかしたい。
そんなことを思った。
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komyosato · 9 months ago
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2044年から来た23歳のジャミとのチャネリングを終えたところです。これは先月初めの「マーリンの形而上学」イベント中に行われた「未来の人間2044」チャネリングのフォローアップ質疑応答セッションでした。視聴者から200件を超える質問が寄せられ、そのほとんどは2044年の生活に関するものでした。 
ジャミはユートピア社会とも言える場所に住んでいます。人々は仕事もなく、戦争もなく、誰もが食料や物資に恵まれ、政府や法律は最小限です。健康問題は過去のものであり、食事の準備から家の掃除まで、あらゆることを処理してくれる AI タイプの「アシスタント」が全員にいます。 
OK、ちょっと待ってください。この題材をチャネリングしたにもかかわらず、あまりにも良すぎて真実には思えません。これが今から 100 年後のことであれば信じやすいかもしれませんが、私たちが話しているのはたった 20 年先のこと。たった 1 世代です。物事はそんなに早く変わるはずがありません。つまり、バラ色のメガネを使わずに今の世界を見るということです。論理的にこれが起こるはずがありませんが、それでもこれらの言葉が私の口から出てきました。
ジェフリー・ホップ『希望の翼に乗って(そして勇気)』
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iseilio-blog · 11 months ago
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眠狂四郎無賴控(三)
裸 女 變 心
柴田鍊三郎
一 、
清澈的天空,星星誕生的時刻。
夏日寧宵,地面飄浮著霧靄,開展的路面,眠狂四郎 的視野狹小。
湯島聖堂 的高塔,矗立在霧氣上面。長長的樹屏露出著蒼鬱的樹木,
是個靜寞的地點。
(307) 【学習史跡】湯島聖堂 東京都【江戸時代】 - YouTube
左側的厓下,水鳥振翅的聲音高高響著。無聲無線的寂靜。
眠狂四郎 的腳步向西爬上坡道。樹屏接連著 櫻之馬場 的坡提。
- 又跟來了。
眠狂四郎 一個人苦笑著。剛從茅町的料亭出來,從那開始就執拗的
開始跟隨。熟練的捕快懂得會保持一定距離之妙,可是這個跟蹤者
並不熟練,近得幾乎連喘息都聽得到。轉個角,距離拉遠了,慌忙的
快跑幾步。
不想去理會,也不覺得麻煩。
不過,一過了 櫻之馬場,跟蹤者忽然轉向右方有著屋敷的湯島五町
目。聽到這慌張的腳步聲,回首,也就看了一下的關心。
熊本城 櫻之馬場 城彩苑 美食街 💕 Kumamoto (youtube.com)
湯島の白梅/湯島白梅記-SaxRuby(D key) (youtube.com)
從 水戶屋敷(屋宇、yashiki) 到 水道橋,什麼事都沒有。因為是個
有著許多 旗本屋敷 的廣大區域。從巷道出現了幾個帶著頭巾的武士,
保護著華美的轎子,與自己擦身而過。忽然,覺得從轎子發出了尖銳
而異樣的聲音,轎門掉了下來。停下腳步,從 水戶屋敷  到 水道橋,
什麼事都沒有。因為是個有著許多旗本屋敷 的廣大區域。從巷道出現
了幾個帶著頭巾的武士,保護著華美的轎子,與自己擦身而過。
忽然,轎子發出尖銳而異樣的了聲音,轎門掉了下來,一個人影
滾到了路上,眠狂四郎 回了頭,一看到全身裸體的女人,蹙了眉頭。
手腳被綑綁著,好像從樹上掉下來的毛蟲,四肢收緊,一身一縮的
回轉著。
霧靄中的夜光照著白色肢體的輪廓,如同幻影一般。
武士們慌忙的將那沒穿衣服的身體塞進轎子裡面。一個人向著
眠狂四郎走了過來,
「看到了蛤,這傢伙!」
叫著。
頭巾底下的眼神有著殺氣。
眠狂四郎 默默的要走開。
「等等!」
兩個人跑了過來。
眠狂四郎 雙手交疊在衣袖裡。
「看到了不行嗎?」
「不行!」
「被人看到,不行,這是什麼話?」
「一起走」
「不」
爽脆的拒絕,武士們慌忙一齊拔刀,圍了上來。
從橋上過來的人們,手提著燈籠,燈光照著地面,兩人交互的姿勢
清楚的浮出地面。
都是那個 大名(高官)的家臣,出手準確。
- 功夫的細膩度,似乎不太吻合。
一面如此想著,眠狂四郎說道:
「有被我斬殺而不後悔的覺悟嗎?」
聲音尚未落下,背後一人斬了上來。
眠狂四郎 一下子變換了姿態,吹過鬢角的刃風,悟到夾帶著相當的
劍氣。
「想要死,這邊也就奉陪了。」
他的右手順著身體的轉變,握著奪下來的刀。
山峰之下,正面向著對手,緩緩的,円月殺法 的刃光描畫在靄明
之中。 二 、
進入竹圍的小徑,主屋出現,在夜裡也知道是一棟古屋。狂四郎讓
那女人出了轎子,幫她解開繩索。女人站了起來,背向著狂四郎,
「讓我帶路!」
狂四郎 想:這我到底是什麼角色。
光景的確奇妙。進入了屋內,一枝燭台燭光搖晃,中間是有著美麗
圖案的被窩。
女人坐在燭台旁,美麗的面容,鼻目清楚,良好的品相。尤其白皙的
皮膚,富泰的體裁,光滑而亮麗,即使 狂四郎 也不免為之目眩。
「對不起,容我問個無聊的問題。是要我怎麼樣呢?」
「你要怎麼辦都可以。」
似乎事先已經備有答案。
沉默了一下子,狂四郎 靜靜的說:
「要睡嗎?」     
女人素質的站了起來,進入了被窩。
狂四郎 從腰部取下了 無想正宗(長刀)與小刀,放在枕頭旁,吾身乘
上了白皙的肢體。
瞬間,女人的四肢打開,纏上了狂四郎的五體;腕上頸,腳對腳,如
同水蛭一般的吸了上去。
這時,忽然出現了拿著手槍的四個武士。
狂四郎 絲毫沒有顯示反擊的樣子。
然而 - 。狂四郎 挺身向前,置己身於死地。不只將 円月殺法 的
秘術,軀幹幻化成無手無眼,交纏女體的蛇 - 可怕的而悲壯的決意。
円月殺法,不只是在空間畫圓,更是心氣一體瞬間的轉化。
伊藤一刀斎 所說的:「體中之劍 - 無形的架式」,常靜子劍談 云:
「到達劍之奧義之道的三路之一 心形刀。」都說的是一心萬刀之
理。
狂四郎 捨棄 無想正宗,將自身置於絕體絕命之窮地,有著斬斷虛無
叢念,覺悟順逆的淒絕的神妙心。
狂四郎 直覺沒有錯。
紙門一打開,就看到了女子袖子間的短刀,刀尖一下子就刺了上
來。跳開兩步,狂四郎 打落了那柄懷劍。
女子哭了起來。
狂四郎 向著站在後面的老人說:
「這個女人就給我吧!」
「你會怎麼辦?」
「想辦法讓她活下去。」
老人有點遲疑的走近了女子的身邊,
「須美 . . . . . 妳就跟著 眠狂四郎 去吧。」
須美 望著含帶著微笑的 狂四郎,突然激烈的搖著頭,
「不要! 我寧可去尼姑庵」
須美 興奮的語調如同銳利的剃刀。
不出聲的 狂四郎 凝視著 須美,出手扣住 須美 的頸子,用力的將
須美 拉入了明神神社界內,走向櫻花樹林。那裡有一間面臨著高厓
的茶屋。
星空之下,夜靄,模糊的伸展著廣闊的江戶街區。起伏的屋脊,燈影
滲著夜靄,散放著柔和寂靜的夜色。
狂四郎毫不說明,向著須美,隨著時間推移,須美的心遲緩了下來,
身體溶入了涼爽的夜色。
不知不覺的 . . . . .須美 的眼眸望向 狂四郎,當兩人四目相視,須美的
臉頰紅潤了起來。
等待著的 狂四郎,雙手伸向了 須美。
須美 閉上了���,全身失去了力氣。
乘了上來的男體,須美 失去了四肢纏繞的勇氣。
唇附著唇的恍惚感,處女之身,絲毫無法抵抗。
柔和的肌膚,在夜色之中起了痙攣。
過了半刻 -
須美靠在狂四郎的背部,嗚咽著 . . . . . ,
眠 狂 四 郎
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thetaizuru · 11 months ago
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 神話の研究で用いられる、「媒介」という言葉がある。  この言葉は文学研究や社会学などでも広く用いられるようになったが、その理由の一つとして、この言葉を神話の研究で使ったレヴィ=ストロースと、彼の「構造主義」が1960年代にブームになり、その影響があったというのが挙げられる。  「媒介 (メディエーター)」という言葉は、その語を用いる研究者によって厳密に定義されることもあれば、より一般的な意味でも用いられる。つまり「双方の間に立ってとりもつこと」や「双方の間の情報のやりとり」すなわち「仲介人」という意味であり、「メディア (情報媒体)」である。  また、1960年代には、マーシャル マクルーハンによる『グーテンベルグの銀河系』(1962)と『人間拡張の原理―メディアの理解』(1964)という二つの著書も影響し、メディア研究が盛んになり始める。
 1960年代末の学生運動とその周辺には、様々な情報工作があった。これを、特定の誰かの意図や計画通りだったと決めつけるのは少し大袈裟ではあるし、あくまで後付け的な見方だが、その学生運動とその周辺には、学生や労働者など、いわゆる「若者」を主体とする新しいメディア状況が生まれた。そこへのターゲティングに成功したロバートマクスウェルとルパート マードックが、1970年代に激しく争いながら、1980年代にそれぞれ、マクスウェルの「ミラー グループ」とマードックの「FOXグループ」という巨大メディアを築き上げる。  1960年代の学生運動の思想的バックボーンとなったものの一つは、サルトルの「実存主義」だとされる。サルトルの思想は、巨大な歴史の流れの中でかき消される個々の実存に新たな光を当て、人々の根源的な不安を直視しそれに立ち向かい人間の尊厳を取り戻すための術として受け入れられていた。  1960年代の学生運動とその周辺には、「実存」と、それに対する「社会」や「国家」、あるいは「歴史」という概念の間で葛藤する心理があり、それが新しいメディア状況を生んだと解釈される。この新しいメディア状況というのが、1960年代の「カウンターカルチャー」である。カウンターカルチャーと呼ばれる文化は1950年代にも70年代以降にもあるが、60年代のカウンターカルチャーがそれらと区別される理由として、学生運動や新たなメディア状況を生んだ思想的背景があることが挙げられる。  レヴィ=ストロースの「構造主義」は、サルトルの「実存主義」への批判として提示された側面がある。レヴィ=ストロースの問題意識はサルトルの実存主義という主体偏重を批判し、西洋社会における、西洋中心主義に対する批判的意識から出発している。実存主義という主体偏重に対しては、主体ではなく、主体間の構造こそが重要だと主張していた。  1970年代に入り、学生運動も下火になると、「実存」と「社会」といった二項対立から抜け出す術として、学生運動の世代にも構造主義が受け入れられ、また、カウンターカルチャー後の新たなメディア状況が生まれる。これは1977年公開の映画『スターウォーズ』に象徴される。  その後、新たなメディア状況を分析するためのメディア論や、『スターウォーズ』などにも影響を与えたとされる、神話の構造分析がブームになる。
 多くの神話では、その序盤で、「神と人」、「善と悪」、「創造と破壊」などといった二項対立が提示される。それらの二項対立のそれぞれは、複数種のものや概念などが組み合わさったものとして与えられているが、それらの組み合わせが変化し、それによって、ある二項対立を兼ねた第三項が見出される。レヴィ=ストロースの言う「媒介」とは、この第三項のことである。この第三項は、別種の二項対立の一つの項になる。そうしてそのような第三項の位置は、まんべんなく置き換わっていき、出発点がどこであったか規定できないような円環的な構造が描き出される。  神話に登場するキャラクターで、二項対立を兼ねた第三項という、言い換えると「両義性と媒介性」を特に特徴とするものを「トリックスター」と言い、トリックスターに焦点をあてた神話を「トリックスター神話」と言う。  多くの文化でトリックスターは「文化英雄」と結びつけられる。文化英雄とは、人間世界の文化に寄与したとされる伝説的人物や動物のことを言う。神話に登場する文化英雄としてよく知られているのは、ギリシア神話において、ゼウスの意志に逆らい、火や穀物を人間にもたらしたプロメーテウスである。
 神話の研究や文学研究などで「媒介」という言葉を用いる理由には、神学的な論争と距離をとるということや、この言葉自体を特定の定義に固定した概念にすることを避けるというのもある。  「媒介」は、聖書の研究などにおける「神の介入 (インターベンション)」に似たものでもあり、また、「トリックスター」や「文化英雄」には、創世記においてイヴとアダムに知恵の樹の実を食べさせて知恵を授けた蛇も、聖書に登場する預言者たちも当てはまる。それらの同じ言葉に当てはまるものを同一視することを避けつつ、あくまで、物語の構造を捉えることに主眼が置かれている。  レヴィ=ストロースは『野生の思考』(1962)で、野生の思考とは、眼前の事象を考える際に、その事象と別の事象との間にある関係に注目し、それと類似する関係性を持つ別の事象群を連想しつつ、それらを再構成することであり、自然環境において具体的な事物を一定の記号として扱う思考だとした。それは、文明社会において発達した科学的思考と基本的に同質なものであるが、両者の相違については、科学的思考が「概念」を用いるのに対して、野生の思考が用いるものは「記号」であり、理論と仮説を通じて考えるのが科学的思考であるのに対し、野生の思考は、比喩に基づく類推法の論理で成り立っていることだとした。  信仰や布教でも批判でもなく、特定の思想に捉われない考え方として構造主義が受け入れられた側面もあるが、人間やイデオロギーを細分化し客観的で普遍な構造を追求するという考え方や、人間が言葉(ロゴス)によって世界の全てを構造化できるという発想自体、西欧形而上学から抜け出せておらず、レヴィ=ストロースも青年期に受けたとされるマルクス主義の影響から抜け出せていないとして、1970年代には構造主義への批判も始まる。構造主義は、運動の敗北後に、人間が絶対的な構造に支配されているという絶望感や幻滅として受け入れられたに過ぎないとして、それらが完全に終わったものとの立場��らポスト構造主義やポストモダニズムが始まったとされる。しかし、それで問題から抜け出せたわけではなく、むしろ実存主義的な問題へと回帰する。  実存的な不安というのは、極めて個人的な、誰とも共感できない不安のことだが、個人が抱える不安の多くは社会的な不安を内面化してしまったものである。個人的な不安に向き合うことで、内面化してしまっている社会的な不安を切り離し、個人的な不安を乗り越える術も探せるはずだというのが実存主義の考えだとされたが、第二次世界大戦前から戦中の全体主義的な風潮のなかでは、社会の不安を自分のこととして捉えてそれに身をささげることが是とされた。戦後になりだんだんと社会的な不安が軽減されてきて、実存的な不安に向き合うということが見直され始めたものの、内面化された社会の不安と実存的な不安の区別はそもそも難しい。実存主義は、個人の不安をアイデンティティなどで括って束ね、社会運動などに動員するものへと変容していく。社会の不安を個人へ内面化させることを促すようなメディア状況の形成に自ら率先して加わるというような、全体主義と類似した状態になっていき、運動の一部は暴発した。
 二項対立に囚われた状態というのは、自分がどのような二項対立のどの位置に立っているのかわからなくなってる状態や、あるいは勘違いか何かで自分が立っていると思っている位置とは逆の位置に立っているような状態である。二項対立を兼ねた第三項の出現というのは、自分がどのような二項対立のどの位置に立っていたのかを告げる働きをする。すなわち、トリックスターは世界を「リビール (見えるようにする。ベールをはがす)」する。
 先月13日(米時間)、「変わり者」というような意味でだが「トリックスター」とも形容された前大統領で現在は大統領候補として選挙戦を戦っているトランプが、演説中に銃撃され右耳を負傷するという暗殺未遂事件が起こった。当然、世界中に衝撃が走ったが、奇妙なことになぜか不思議な冷静さにも満ちていて、銃撃された後に立ち上がって拳を振り上げるトランプの姿を見て、奮い立つような、でもなんだかよくわからない感情が込み上げてきたというのも多くの人が共通して語ったことでもあるし、神が介入したかのような奇跡と表現するのも理解できるし共感もできる。何が起こったのかをより詳しく知りたいとも思っているが、事件後の大手メディアの報道や、事件直後から出てる「緊急解説」とか「事件の真相」というタイトルが付けられた記事とか動画とかのお話に対して、静かで冷たくもある視線を向けているか、ほぼ見ていないというのもまた、多くの人に共通していることでもあった。「世界の裏側を知っている」とか「全ては予言されていた」みたいなバカ用コンテンツを楽しんでる気分じゃないというのもあるだろうが、自分で考えたいという気持ちの方が大きいように思える。  事件の二日後の15日には、共和党の副大統領候補の発表があり、21日には、現大統領が再選を断念し、選挙戦からの撤退を表明した。立て続けに色んなニュースがあり、色んな話が飛び交う中、その間の話題によく登場した人物は、ピーター ティール、マーク ザッカーバーグ、イーロン マスクといった、ビッグテック関連の人物だった。SNSなどのメディアやテクノロジーが今後どうなっていくかというのも大きな関心ではあるが、おそらく、なんらかの構図に囚われていると全く共有できていない話題があって、誰かが作った物語に縛り付けようとする現在のメディア状況から抜け出す方法はないだろうかという関心も反映している。
 マーシャル マクルーハンの有名な言葉に「メディアはメッセージである」とい���のがある。  マクルーハンの言う「メディア」には、人間が作ったあらゆる人工物が該当する。人類が作り出した最も衝撃的なメディアは、「言葉」である。人類はその後、これまた衝撃的なメディアである「文字」(アルファベット)を創造する。  アルファベットという新しいメディアの登場によって、「言葉」と「対象」が分離する。それだけではなく、「内面」と「外世界」の分離と、「意識」と「無意識」の分離を生んだ。外世界や無意識から自由になった内面の意識は、あらゆるものを自己の内面で言葉として可視化できるようになる。それによって、発話がもっていた神性や呪力は失われ、人々を統治する方法も神性によるものから、官僚的な権威によるものへとシフトしたのだとマクルーハンは言う。こうした人間環境や人間の精神に与えた影響こそ、アルファベットという新しいメディアの「メッセージ」である。  マクルーハンは、メディアは人々の意識や文化に常に、ある面を「拡張」するとともに別の面を「衰退」させ、過去に衰退した面の「回復」をもたらし、当のメディアの性質そのものを「反転」させるという4つの影響を及ぼすとした。アルファベットによって書かれた文章や、新しいメディアのフォーマットに対応したコンテンツが「メディアのメッセージ」なのではなく、4つの影響こそが、新しいメディアによる、人間社会や個人の精神に対する「メッセージ」である。
 「自分の考え」と「他人の考え」とか、「個人の不安」と「社会の不安」、「内面」と「外世界」というのは時々、ごっちゃになって気付いたら反転していたりする。そもそももともとは全て、どこかで聞いたり読んだりして、外から内に入ってきた言葉であって、沈黙や、あるいは叫びとかのほうが本心に近いのかもしれない。  しかし言葉によってリビールされる何かがあるはずだとも、思っている。
2024年8月 ハード アラウンド ザ ワールド
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rakuhoku-kyoto · 2 years ago
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重版ぶん、まもなく完成します。『食人の形而上学:ポスト構造主義的人類学への道』 2023年7月
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重版ぶんは、来週半ばに完成します。 お待たせいたし、すみませんでした!
『食人の形而上学:ポスト構造主義的人類学への道』 エドゥアルド・ヴィヴェイロス・デ・カストロ 著 檜垣立哉/山崎吾郎 訳。
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2023年7月7日 記
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almostautohonyakudiary · 1 year ago
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ジャンボトロンの下で
2024年5月6日
アナヒド・ネルセシアン
4月25日、カリフォルニア大学ロサンゼルス校の大規模な学生グループが、キャンパスのメイン広場に野営地を設営した。四方をベニヤ板のバリケードで囲まれた「パレスチナ連帯野営地」には、寝泊まり用の小さなテントのほか、食料、応急処置、電子機器(携帯電話の充電器、バッテリー)、楽器、画材などを置く大きな囲いもあった。図書館もあり、木に貼られた紙の標識には、2023年12月にイスラエル軍の空爆で死亡したパレスチナ人作家であり教師にちなんで、「リファート・アラリア記念図書館」と記されていた。
アラリアはジョン・ダンについて博士論文を書いた。YouTubeでは、彼がガザのイスラム大学で学生たちに英語で講義している様子を見ることができる。ある講義は、ホラティウスの『詩論』について、そして、芸術作品には教えるという役割と同時に楽しませることもしなければならないという考え方についての議論から始まっている。「『形而上学的』という言葉には何の意味もない」とそのすぐあとで彼は言い、それはダンのような詩人に、批評家たち、とりわけジョン・ドライデンやサミュエル・ジョンソンが押し付けたものだからだと説明して、彼らの批評をホワイトボードに映している。講義はダンの詩『餌(The Bait)』の分析へと進むが、アラレアが説明するところによれば、この詩は一般に『恋する羊飼いがその恋人に寄せて(The Passionate Shepherd to his Love)』として知られるクリストファー・マーロウの詩のパロディである。何かをパロディにするということは、「読者に別の可能性、もうひとつの世界観、別の世界観を提供しようとしている。人々に、これだけじゃない、ほかにもあるんだ、と伝えようとしている」とアラリアは言う。
彼の死後、アラリアは「If I Must Die(もし私が死ぬことになったら)」という詩の作者として広く知られるようになった。この詩は、彼を偲んで凧を作り、爆弾で焼かれた父親を持つ子供の前でそれを揚げるよう読者に求めている。その子供が「天使がそこにいて/愛を取り戻してくれる」と想像することができるように、と。学生たちがUCLAに野営地を設営した翌日、アラリアの娘、シャイマーが夫と生後3カ月の息子とともに空爆で死亡したことが伝えられた。
何よりもこのキャンプは、人間に対して、甚大な規模で残虐行為が行われ、その強制移住、拷問、不法拘留、殺人がアメリカによって資金提供されているているときに、通常通りに日常を送るという考え方に対する非難の表明だった。アメリカの大学は、ガザに落ちるミサイルを製造している兵器メーカーや、占領下のヨルダン川西岸に工場を持つ企業に資金を投資していることが多いため、パレスチナの人々の大規模な殲滅というイスラエルの目的を支持していると思われている。
最初に野営が始まったコロンビア大学から、カリフォルニア州立工科大学フンボルト校まで、全米に渡るキャンパスでガザ戦争に抗議している学生たちは、彼らの主な目的が、アメリカ政府に即時かつ恒久的な停戦を確保するよう圧力をかけること、そして大学やカレッジにイスラエルと関係のあるあらゆる金融資産から手を引くよう圧力をかけることだと明言している。イスラエルとの関係切り離しに関しては、1980年代に学生たちがアパルトヘイト下の南アフリカで活動する企業との関係を断ち切るよう学校を説得した際に確立された手法を参考にしている。反戦キャンペーンとしての野営は、オハイオ州兵によるケント州立大学での4人の学生殺害事件後に大きく発展した1970年の学生ストライキを含む、ベトナム戦争に対する抗議活動を想起させる。
野営地はまた、アラレアの言う意味でのパロディでもある。大学内部から出現した彼らは、大学とは何か、という別の可能性を提示している。野営地から流れてくるイメージの中でも強烈なものの一つに、「コロンビア大学は、エドワード・サイード教授を課題図書にしている��それならそこに書いてあることを生かしていいはずだ」というサインを持った学生の写真がある。抗議行動によって明らかになったのは、文系学部が淘汰の波にもまれ、ますます高価な学位工場として運営されているアメリカの大学が、依然として人々が真実とは何かを学び、その知識に基づいて行動できる場所であるということだ。言い換えれば、若者たちに試験のために歴史、経済学、政治学、道徳哲学などを暗記させ、暗唱させながら、そこで得た教育を実践に移すことを規制することはできない。
週末、野営地が形成された後、抗議に反対する大規模なグループがキャンパスに到着した。その中にUCLAの学生らしき人物はほとんどまたは全くいなかった。彼らは学生たちに向かって叫び声をあげ、人種差別的な中傷や性的な脅迫(「レイプされればいい」)を浴びせ、キャンプ地近くの地面に(何かの薬物を投与されて肥大した)生きたネズミが詰まった袋を開けた。反対派のデモ隊が退散するとき、彼らはキャンパスの真ん中にジャンボトロン(高さ3メートルほどの巨大な薄型テレビ)を、野営地の方に向けて、金属製の防護柵で囲んで置いていった。雇われた警備員が防護柵の内側に残り、スクリーンを守っていた。それから5日間、ジャンボトロンは10月7日のテロの映像と、レイプや性暴力を露骨に描写した音声をループさせて繰り返し流した。映像の中には、イスラエルへの無条件の支持を誓うジョー・バイデンのスピーチや、「Meni Mamtera(メニ・マムテラ)」と呼ばれる、うんざりするほど繰り返される子供の歌が混じっていた。今年の初め、イスラエル国防軍の兵士が、その曲をパレスチナ人の人質に対する音声による拷問の一環として使っている映像がSNSで拡散された、その曲だ。
火曜の朝、バイロンの『ドン・ファン』の授業を担当するためにキャンパスに到着すると、ジャンボトロンの音が大きすぎて、授業はおろか、自分の思考も聞こえないほどだった。私はその映像を撮影しようと、同僚と一緒にそこまで歩いていった。こんな寓意はなかなかない。一方には、ガザの人道的大惨事に注意を喚起するために、学位や将来の就職先、心身の健康を危険にさらしている若者たちでいっぱいの野営地がある。もう一方には、瑣末なセレブたち(彼らは自らの貢献を誇らしげにインスタグラムに投稿している)が資金を提供した高価なメディアマシーンがある。雇われた3人組の警備員以外は無人で、警備員たちは質問されるとシオニストの大義とは何の関係もないことを認めた。
同僚と私は、セクシャル・ハラスメントの苦情処理を管轄する「タイトルIX」のオフィスに連絡した。何十人もの教員も同じことをしたが、何の反応もなく、ジャンボトロンは5月2日木曜日までそこにあった。別の同僚は言った。「マーガレット・アトウッドを教えるときには、シラバスに(不快な感情や記憶を思い起こす可能性があるという)トリガー警告を書かなければならない。そうしないと学校当局に規制される。でも、これを何日も聞かされるのか?」 ここ数年、学生の感受性と反発する右翼のヒステリーに当たり障りのない対応をしてきた結果、イスラエル批判はシオニストの気分を害するから反ユダヤ的だとみなされる状況になってしまった。実際のところ、大学は学生を守ること、反ユダヤ主義やその他のあらゆる種類の憎悪と闘うことなど、寄付者のことほど重要視していないのだ。大学は資金を失いたくないし、訴えられたくもないと考えている。
4月30日午後11時、ほとんどが中年で、その多くがハロウィーンのマスクをかぶった男たちの大集団が、ナイフ、バット、木の板、催涙スプレー、熊撃退用のスプレーなどを携えて野営地に現れ、非武装の学生たちを襲撃した。彼らは野営地に花火を打ち込み、そのベニヤ板のバリケードを使って学生たちを地面に押し倒した。ABCニュースの映像では、半ダースの反対派がひとりの学生を殴ったり蹴ったりしている。独立ジャーナリストや現場にいた人々の映像には、「第二のナクバ」を求める声が収められていた。
ABCのニュース映像では、リポーターが信じられないというふうに叫んでいる。「警察はどこだ? 警備はどこだ? 当局はどこにいるんだ?」 最初の2つの質問に対する答えははっきりしている。警察もキャンパスの警備部隊もそこにいたが、彼らは介入しなかった。むしろ、およそ5時間もの間、彼らは程よい距離を保ち、暴徒たちと笑い合い、時折和やかに談笑していた。その暴徒は、自称元イスラエル国防軍兵士だけでなく、白人のナショナリストもいて、1月6日の連邦議会議事堂襲撃事件に関与したとして元リーダーが禁固22年の判決を受けた極右組織「プラウド・ボーイズ」のメンバーも含まれていた。白人ナショナリストは原則としてユダヤ人を敵視しているため、ユダヤ人学生を多数含む野営地に対する彼らの襲撃が、なぜ大学当局によって反ユダヤ的と裁定されないのか、その理由を問う価値がある。
夜が明けると、数人の生徒が病院に運ばれていたが、野営地はまだ残っていた。授業は休講となり、管理側は、なぜ介入することなく自分たちのコミュニティを狼の群れに投げ出したのかを説明しようと奔走した。非難の矛先はジーン・ブロック学長に向けられた。学長は反ユダヤ主義を非難するメールを定期的に送っていたが、公式にガザに言及したことはなく、11月にバーモント州で起きたパレスチナ人学生3人の射殺事件など、米国内のイスラム教徒に対する恐ろしい攻撃については一言も発言していなかった。野営地が襲撃される数時間前、ブロックはこの野営地を「無許可のもの」と呼ぶEメールを全員に送信していた。野営地は、「私たちのコミュニティの人々がいじめられ、脅かされていると感じさせ、恐れさせている」と彼は続けた。その後このメールは、部外者に対しての、ここへ来て野営地を解体せよという犬笛だったと解釈されるようになった。
結局、UCLAはコロンビア大学に倣い、機動隊を投入して野営地を撤去し、200人の学生と教職員を逮捕することにした。5月1日の夕方から2日の早朝までの約8時間、学生や教職員はプラスチックのゴミ箱や段ボールで作った盾で野営地を守り、その数と勇気で警察の侵入を2度にわたっ���撃退した。対照的に、警察はスタングレネードとゴム弾で武装してやってきていた。これは、至近距離から発射されれば骨を折ったり、目をつぶしたり、実際に殺傷能力のある「比較的殺傷能力の低い」(という宣伝文句の)武器である。マードック所有のフォックス・コーポレーション傘下で、大学生にもパレスチナにもほとんど同情的でないフォックスⅡで放映された映像では、ヘルメットをかぶった3人の特殊作戦警官が、彼らの真正面に立っていた学生の顔にゴム弾を撃ち込んでいる。少なくとも25人が病院に運ばれた。
しかし、最も不穏だったのは、野営地に隣接するロイス・ホールの屋上に狙撃兵がいる画像がX(旧ツイッター)で出回ったことだ。インディアナ州警察の警視総監は、インディアナ州立大学で行われたパレスチナ支持派の抗議行動で狙撃手が呼ばれたことを確認し、ニューヨーク市警は、コロンビア大学のハミルトン・ホールに突入した際、学生が1月初旬にイスラエル軍に殺害された6歳のヒンド・ラジャブちゃんにちなんで「ヒンド・ホール」と改名した建物内で、警官が実弾入りの銃を発砲したことを確認した。全米のキャンパスでは、1970年のケント州立大学のように、学生が殺されるのは時間の問題だというのが一般的な感情だ。学生も大学も、まったく異なる理由から、その代償を払う覚悟があるようだ。
学生たちは、90%の学校とすべての大学が破壊されたガザのためにそこにいるのだと言うだろう。その一方で、大学は、結局はイスラエルを批判から守るために、ネオナチと手を組むことを厭わない過激派以外誰も守ってこなかったその方針の道徳的空虚さに直面せざるを得ない。理念も計画もなく、暴徒に権威を譲り渡したのだ。学生たちは、彼らの大義を支持してきた職員たちとともに、責任者たちに見捨てられた大学の将来を方向づける立場にある。
週末、ブロックは、緊急事態管理局とキャンパス警察局を監督する新しい「キャンパス安全局」の設立を発表した。この原稿を書いている間にも、警官が学生、記者、法的オブザーバーを含む44人が、私が教壇に立つ日に車を停める駐車場で拘束されている。
*写真キャプション:5月1日、UCLAにおけるパレスチナ連帯の野営地
London Review of Booksに掲載
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japan-dramangastery · 1 year ago
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講談社的漫畫雜誌02(青年向)
上一篇我们说到了讲谈社漫画杂志中少年向的部分,本篇聊聊青年向。
週刊ヤングマガジン (周刊Young Magazine)
ヤングマガジン サード(Young Magazine Third)
月刊ヤングマガジン(月刊Young Magazine)
モーニング(Morning)
月刊モーニング ツ—(月刊 Morning two)
月刊アフタヌーン(月刊Afternoon)
good!アフタヌーン(good!Afternoon)
イブニング(Eveving)(休刊)
ヤンマガWeb
&Sofa(アンドソファ)
週刊ヤングマガジン(周刊Young Magazine)
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发行时间:1980年 -
人群向:青年
发行日:每周一
简称:「ヤンマガ」、「週刊ヤンマガ」、「YM」、「週刊YM」
姐妹杂志:ヤングマガジンアッパーズ(Young Magazine Uppers)(1998年-2004年)、月刊ヤングマガジン(月刊Young Magazine)
增刊:ヤングマガジン サード(Young Magazine Third)(2014年-2021年)
代表作:頭文字D(头文字D)、攻殻機動隊(攻壳机动队)、賭博黙示録カイジ(赌博默示录)、監獄学園(监狱学园)、彼岸島(彼岸岛)等等。
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特点是,有很多包含性描写和描绘黑道、赌博等黑社会的作品。しげの秀一、木多康昭、藤沢とおる、岡本倫、花沢健吾等等漫画家被重用。
2015年开始发行电子版书籍,但有些凹版页面不包含在内,内容与纸质版本不一样。因此,纸质版的封面艺术以凹版偶像和女性名人为中心,装饰开场凹版,而电子书版本主要以漫画作品装饰开场色彩,但后来纸质版也有相同的封面。
ヤングマガジン サード (Young Magazine Third)(休刊)
发行时间:2014年-2021年
人群向:青年
发行日:每月6日
简称:「YM 3rd」
代表作:亚人酱有话要说(亜人ちゃんは語りたい)、異世界からの企業進出!?転職からの成り上がり録、タイガーマスク等等。
2014年作为週刊ヤングマガジン的增刊创刊。该杂志旨在走与《周刊Young Magazine》不同的路线,该杂志宣称“战斗!搞笑!偶像!”,并且在出版前的公告阶段就明确了不处理“不良分子”或“凹版”的概念。2021年4月,宣布与《月刊Young Magazine》合并并逐步解散。随之而来的是,大部分正在进行的连载作品被转移到《月刊Young Magazine》。
月刊ヤングマガジン(月刊 Young Magazine)
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发行时间:1999年-2009年(曾用名:別冊ヤングマガジン(别册Young Magazine))2009年-(月刊ヤングマガジン)
人群向:青年
发行日:每月20日
简称:「月刊ヤンマガ」、「月刊YM」
代表作:R-16、首都高SPL -銀灰のSPEEDSTER-、魔女と野獣等
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1999年8月19日以『別冊ヤングマガジン』名创刊,2009年10月16日改名为『月刊ヤングマガジン』,2021年4月6日,『ヤングマガジンサード』休刊合并,同期连载的18部作品转移到该杂志。2021年11月18日宣布与『ヤンマガWeb』合流,部分作品陆续转移到该平台。
モーニング(Morning)
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发行时间:1982年-至今
人群向:青年
发行日:每周四
姐妹杂志:月刊モーニングtwo(月刊Morning 2)
代表作:妙厨老爹 (クッキングパパ)、宇宙兄弟、昨日的美食 (きのう何食べた?)、天才柳沢教授の生活、浪人剑客 (バガボンド)、課長島耕作、課長 島耕作、ギャンブルレーサー等等。
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派生杂志诞生
『Afternoon』、『Evening』最初也是由『Morning』名称派生而来的增刊,已出版的作品经常在这些姐妹杂志之间转移。
网络杂志
网络漫画杂志『Morining Online』于1997年创刊。内容包括讲谈社漫画杂志上发表的作品的再发行和新绘制的作品,是公司发行网络漫画杂志的先驱。 『Morining Online』的正规发行于1999年结束,但在2000年以“电子漫画”的形式再次开始正规发行,并更新至2008年。除此之外,从2008年左右开始,网络漫画也在『Morning』官方网站上发布。
特征
具有所谓“成人漫画”结构的特征,并得到了资深写作团队的支持。自成立以来,它的口号就是“阅读让你感觉更好!”。 目前,他正在制作以故事漫画和四联漫画为主的非传统风格而受到关注的作品,并且他的许多作品都是电视剧的基础。另一个特点是,有很多描绘成年人从事的各种职业的“职业漫画”。整个20世纪90年代,他在青少年漫画领域引领着漫画界。
月刊モーニング ツ—(月刊 Morning two)
发行时间:2006年-至今
人群向:青年
发行日:每月6号
姐妹杂志:モーニング(Morning )
代表作:变研会 (変ゼミ)、ALL OUT!!、刻刻、DEVILSLINE 恶魔战线 (デビルズライン)、天地创造设计部 (天地創造デザイン部)、圣哥传 (聖☆おにいさん)等等
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2006年创刊,但截止到目前都是作为モーニング的增刊,并未独立创刊。2022年9月纸媒体结束,今后改为纯网络刊载。出版的作品多为单集连载、单镜头、新人奖作品,连载作品有时分两部分出版或一次超过70页。
月刊アフタヌーン(月刊Afternoon)
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发行时间:1986年-至今
人群向:青年
发行日:每月25日
姐妹杂志:モーニング(Morning)
增刊号:good!アフタヌーン(good!Afternoon)
代表作:寄生兽(寄生獣)、薬師寺涼子の怪奇事件簿、我的女神 (ああっ女神さまっ)等等。
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它最初是作为其姊妹杂志『Morning』的姊妹篇。为了培养漫画家,该杂志自创刊以来一直举办“四季奖”。由于该杂志的特色作品是除其标志性艺术家藤岛浩介之外几乎不为人知的新艺术家的作品,因此该杂志的构图逐渐强调数量而不是质量。 1992年超过1000页,直到1997年续刊为止一直保持在1000页左右,杂志厚度超过当时最厚的『月刊コロコロコミック』。当时,岩明均的『寄生兽』一炮走红,成为该杂志的招牌漫画之一。
从 2003 年开始,作为当时流行的『我的女神 (ああっ女神さまっ)』粉丝服务的一部分,该公司开始探索包含与海洋堂相关的人物以及原始 DVD 软件等豪华补充品的可能性。
自2004年左右以来,讲谈社一直在进行各种实验性尝试,以扩大其购买基础,例如全部转让其他讲谈社杂志上发表的作品。
good!アフタヌーン(good!Afternoon)
发行时间:2008年11月7日-至今
人群向:青年
发行日:每月22日
代表作:地獄堂霊界通信、夏の前日、蹴球少女等等。
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2008年作为月刊アフタヌーン的增刊创刊,最初是双月刊,12年改成月刊。2014年12号开始,Amazon的电子书Kindle上同日发售电子版。
イブニング(Eveving)(休刊)
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发行时间:2001年8月 - 2023年2月28日
人群向:青年
发行日:每月第2,第4个星期二
代表作:金田一少年の事件簿30th,K2,召唤恶魔 (よんでますよ、アザゼルさん。)、係長島耕作,学生島耕作等等。
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创刊最开始是月刊,后来改成半月刊。连载基本以原创新作为主,但月刊时期主要是连载现有作品的续集和单篇作品(续集和衍生品仍是连载的一部分)。改成每月两刊后,因为考虑到『Morning』杂志职业性和社会性作品的比例比较多,所以『Evening』开始引入更多娱乐性的青春漫画,比如之前出版的搞笑漫画、体育漫画、科幻漫画。并且一次性非连载作品越来越多的在本杂志和『Morning Two』中出现。并且也有在『Morning』上连载的同一作者的作品,比如『激昂がんぼ』,『係長島耕作』等。
电子书版本将于 2014 年 4 月 22 日发行,内容与纸质版不同,部分作品未收录。此外,读者页面和广告页面已被省略,读者赠品的申请也将被排除。休刊后,大部分作品移到网络平台 『コミックDAYS』上。
ヤンマガWeb
发行时间:2020年7月6日 -
人群向:青年
发行日:每日更新
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每天提供免费的漫画和凹版印刷。
&Sofa(アンドソファ)
发行时间:2021年11月22日 -
人群向:青年
发行日:每周一更新
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口号『成为你在现代世界最好的朋友和战友』。
(講談社漫画杂志之青年向结束,整理撰写殊为不易,请大家多多支持,谢谢~)
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kozuemori · 2 years ago
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今日の東京は比較的暖かです。今週はやっとクリスマスツリーをかざり、明日からのワークショップに向けて最終調整をしていたら、あっという間に時間が過ぎてしまいました。イスラエルとハマスの戦闘も2ヶ月目を迎え、ガザ地区では1万6248人が死亡し、4万3000人以上が負傷したと伝えられています。戦闘の長期化によりガザ地区の人口の8割を超える約190万人が避難を余儀なくされ、食料や燃料、医療物資などの支援物資が十分に搬入されない中、感染症によって命を落とす人々も増え、状況の悪化がますます深刻になっています。
前回のブログでAIのコードに潜む偏見について書きましたが、今週も似たようなテーマです。以下のニュース記事をご覧になった方も多いと思います。
21世紀の今も焚書や言論の不自由があることに驚きを隠せませんが、日本語訳が出版されないとあって少しでも事実や情報に近づきたく、色々探したら以下の記事を見つけました。拙い訳で長いですが、ポッドキャスト版を全訳したので紹介します。
・・・・・・
バリ・ワイスです。ネットの世界では個人のリアリティの違いによって、特定の人物についての評価がますます二極化しているようです。例えばデイブ・シャペルやジョー・ローガンのような人物も、人によってヒーローか悪役かのどちらかに分かれて評価されているように、アビゲイル・シュライアーもまたその標的となっています。彼女の著作『不可逆的なダメージ』はあらゆる書店や図書館、量販店から締め出されました。2021年にプリンストン大学がシュライヤーの講演を大学内で予定していましたが、脅迫によって警察が出動する事態となったため、別の場所で講演が行われました。参加したのはたった35人で、そのほとんどの人たちが自分が参加しているのを知られたくない為、撮影に協力的ではありませんでした。私は35人以上の人が聞くべき価値のあるものだと判断したので、シュライアーの講演内容を知って欲しいと思います。
(広告:3:17まで)
リスナーの皆さんこんにちは、アビゲイル・シュライアーです。これから私がプリンストン大学で講演した内容をお伝えしようと思います。
(以下、プリンストン大学の学生に向けて行われた講演内容:カッコ内は私が付け足しました)
私が最もよく受ける質問は、多くの面接官が高尚なことを聞くふりをしながらするような内容です。「嫌われるってどんな感じですか?」興味本位でこのポッドキャストを聴いている方の中にも知りたい人がいると思いますが、「GLAAD(アメリカ国内でLGBTのイメージに関するメディアモニタリングを行う非政府組織)のブラックリストに載るってどんな感じですか?」「ACLU(アメリカ自由人権協会)の一流弁護士たちがあなたの著作を出版禁止にするのはどんな気分ですか?」「一流大学が卒業生のあなたを認めないのはどんな感じがしますか?」「以前は味方だった意識高い系の人々の好意を失うのはどんな感じですか?」
まずは私自身のことを少しお話ししましょう。きっと皆さんとそれほど違わないと思います。私はメリーランド州判事の娘として、メリーランド州の多人種が入り混じった郊外で育ちました。ユダヤ系のコミュニティ・デイ・スクールに通い、高校時代にはワシントン・ジューイッシュ・ウィーク紙の記者として働き、学校新聞の編集にも携わりました。コロンビア大学に進学し、ケレット奨学金を得てオックスフォード大学で2年間学びました。その後、イェール大学ロースクールで法学の博士号を取得し、クリントン政権が任命したD.C.巡回控訴裁判所の事務官を務めました。
法曹事務の職に就いたばかりの時にロサンゼルス在住の男性からヘッドハンティングされた私は、その年の暮れに当時の恋人を追ってカリフォルニアに行くことを決めました。そしてロサンゼルスで超一流の法律事務所に就職し、日々の業務に追われ、感覚が麻痺状態でした。私は恋人と結婚し、妊娠期間の奮闘後、法律事務所を辞めて3人の子どもを授かりました。子どもたちに本の読み聞かせをし、下手な歌を歌い、出版できない小説を書き続けました。以前から私を知る人は、何て無駄なことをしているのかと不思議に思っていたでしょう。
私は地元のユダヤ系新聞にいくつかの論説を書き始めましたが、そのうちのひとつをウォール・ストリート・ジャーナルの編集者が見つけ、ウォール・ストリート・ジャーナルに投稿しないかと誘ってきました。そして、その年のうちに13本の論説をウォール・ストリート・ジャーナルに寄稿しました。そのうちの一つの論説がある読者を惹きつけ、彼女の10代の娘が突然性転換をしたという話を伝えてきたのです。その話について調査し、報道する記者を探しましたが誰も名乗り出なかったので、私は自らその仕事を引き受けました。その時の私の調査結果が『Irreversible Damage: The Transgender Craze Seducing Our Daughters』(直訳:不可逆的なダメージ:娘たちを誘惑するトランスジェンダーブーム 日本語版タイトル:不可逆的なダメージ あの子もトランスジェンダーになった SNSで伝染する性転換ブームの悲劇)というタイトルで出版されたのです。
ですから、私は挑発者ではないのです。人を怒らせることで快感を得ることはないですし、論争の渦中に身を置くためにわざわざ事を荒立てる必要性も感じません。『諦めない』『効力を持つ』この2つが組み合わさると、論争の中心になることがあるのです。
なぜ、私は諦めないのでしょうか?なぜこれほど多くの10代の少女たちが突然トランスジェンダーだと認識し、自分の体を変えたいと熱望しているのかについて、私がごく標準的なジャーナリスティックな調査したことが他者の怒りを買うことになったのでしょうか?そもそも、なぜ私はこの本を書き、それで良かったと思っているのでしょうか?
皆さんなら、決められた台本から外れるたびに遭遇する不愉快な出来事の一部をご存じのはずです。では改めて、多くの憎しみの的になるのはどんな感じなのでしょうか?それは自由を謳歌している感じなのです。それが今夜、私がお話ししたいことです。
哲学を学んでいた学生時代、私は自分の意志は自由であるかどうかについて膨大な時間をかけて考えていました。これは誰もが思うであろう「自由に」行動したと言えるのか、という形而上学的な問いです。そして、ほとんどの哲学者は私たちの意志はそれほど自由ではないと考えているようでした。形而上学的決定論者たちは、人間のあらゆる行動は最終的に素粒子の波動関数によって説明でき、ニューロンが発火し、私たちが自由に決定したものは何一つないという世界を描いていました。
形而上学的決定論者でなくとも、人間の意思決定やその背後にある理由は、その人の生い立ちや経験、あるいは先天的な個性によって構成されるという明白な問題に皆さんは直面してきたはずです。人間の自由意志と決定論とは両立するという説を支持する適合主義者は、人はせいぜい自分の動機と好みに従って生きることを望むことしかできないと主張しました。つまり、動機と好みは個性によって大きく左右されると認識されてきたのです。
かつて18世紀の決定論者ホルバッハ男爵は「人間の行動は決して自由ではない。それらは常にその人の気質、受け継がれてきた考え、そしてその人が形成した幸福の観念、さまざまな模範によって、教育によって、日々の経験によって強化された自分の意見の必然的な結果である」と書いています。
私は学生の頃、ホルバッハの言う通り、私たちの動機は自分の性格や生い立ち、そして受け継がれてきた考えによって決まるのかもしれないという心配に囚われながら、彼の主張を読んだことを覚えています。
2021年の現在において、私たちは自分の自由意志が受け継がれてきた考えと自分自身の個性によって形成されたものかもしれないと心配することは、ちょっとした余裕のように思えます。今日、私たちは何かを望む前に、まずは携帯電話を開き、自分の意志とは異なる考え方や見方、他人の投票結果などの情報によって、自分の意思を操っています。つまり、昔は完全に自由でなかったかもしれませんが、今はそれよりも更に自由を失っているのです。
どのマッチングアプリも、数少ない同じ魅力的な交際相手を選ぶように誘導され、Spotifyは同じ音楽を好きになるように働きかけ、Amazonは特定の本を購入するように薦め、他の本から遠ざけます。Amazonがあなたに勧める本が、中立的なアルゴリズムだけに基づいていると思っているのなら、今すぐその思い込みを解いてあげましょう。私はかつてAmazonに勤める情報源の一人に尋ねたことがあります。彼は購買者の検索結果がどのように操作されているかを調査し、事実上ほぼすべての検索結果が前大統領夫人ミシェル・オバマの著作『Becoming』(日本語版タイトル:マイ・ストーリー)を勧めることになった事を伝えてくれました。
その逆もまた然り。Amazonのアルゴリズムによって、どれだけ売れたか、あるいは特定の人がどれだけ購入する可能性があるかにかかわらず、決して勧められない本があります。少なくとも、そのような本が一冊存在します。それが何なのか、想像してみてください。
重要なのは、皆さんの意志は弄ばれ、破壊され、操られて���るということです。しかも、かなり陰湿な方法で。Googleが私たちに特定の検索結果を促しながら決められた視点へ導くのは、決して驚くことではありません。しかし、Wikipediaでは議論の対象となっている項目に対して編集者が割り当てられ、その中にはイデオロギーに傾倒した活動家もいて、その多くがあなたを非常に特殊な見解に導いていることをご存知でしょうか。
もし皆さんがそうしたWikipediaの記事や偏ったファクトチェッカーの報告に基づいて意見を形成して行動するならば、あなたは意志の自由を行使していることになるのでしょうか?見えない説得者たちによって、あらかじめ決められた結論へと誘導され、絡め取られ、突き動かされているとすれば、おそらくそうではないでしょう。おそらく皆さんは、ヴェニスのムーア人と同じような気の毒な状態に置かれています。弄ばれ、転覆させられ、操られ、誰かの計画を実行し、彼らの望む方向へと歩みを進めているのです。
私たちはここ数年、この種の操作が政治的分裂の根源であるかどうかを議論することに多くの時間を費やしてきましたが、さらに基本的な問題、つまり良心の自由、ひいては自由意志をいかに妨げてきたかについては、十分な注意を払ってこなかったと思うのです。
世論調査によればアメリカ人の3人に2人近くの62%が、不人気な意見を表明することを恐れていると答えています。それは自由な国の自由な人々とは思えない結果です。私たちは毎日、評価と職業の機会を失うことを覚悟の上で、真面目に受け止めることを期待される虚偽の情報を強制されているのです。
・生理があって妊娠する男性もいる 
・勤勉さと客観性は白人の特徴である 
・自分の本当の性別を知っているのは子どもだけだ 
・トランス女性が女子スポーツで不当に有利になることはない 
最後の例は、女子スポーツにおけるトランス女性についてです。プリンストン大学の学生でエリー・マーカートという名の素晴らしいアスリートは、1年生の時に500ヤード自由形でアイビーリーグ記録を樹立した水泳選手です。2019年11月、エリーは大会最高記録を保持していた500ヤード自由形で、ペンシルベニア大学の22歳の生物学的男子生徒との競泳において約14秒もの大差で���れました。現在、その選手は女子水泳で複数の米国記録を保持しており、多くの優秀な生物学的女性アスリートたちの努力を消し去り、女性たちが何世代にもわたって闘い続けた後に獲得した権利を軽々と奪い続けています。
エリー・マーカートはプリンストン大学のために全力で戦いましたが、果たしてプリンストン大学はこの不平等な現状において、いつ彼女のために戦ってくれるのでしょうか。「もうたくさんだ」という学生たちの抗議の矛先をどこに向ければいいのでしょうか。男性としての思春期の恩恵をフルに享受してきた生物学的男性、すなわち、生物学的女性より大きな心血管系や40%増の上半身の筋肉量、より多くの速筋繊維や、より多くの酸素を供給する血液をもつ選手が、男子チームで3シーズン選手としての経験を積んだ後、今度はトランス女性として生物学的女性と競い合うことを決意し、この国のトップ女性スイマーの記録を打ち破ったのです。それは勇気ではなく、ただの破壊行為です。
この事実において、声を上げるべき点はどこにあるのでしょうか。ちょっと想像してみてください。もしあなたがプリンストン大学の女子水泳部員だとしたら、どう思うでしょうか。NCAA(全米大学体育協会) の競技が公平で冗談以外の何者でもない事を知っているふりをしなければならないのです。男性から「もっと泳げばいいんだ」と説教され、言いたいことも言えないとしたらどう思いますか。「女の子たち、銀メダルに感謝して次はもっと頑張って」というメッセージをどう受け取りますか?そうしたレベルの抑圧が、彼女たちの魂をいかに歪めているか想像してみてほしいのです。
では、女子水泳選手が全員試合を放棄し、こう言ったとします。「私たちはどんなライバルにも真っ向から立ち向かいたいと思っています。でも、こんな茶番のために毎朝4時に目覚まし時計をセットし、登校前と放課後に何時間もトレーニングをするために子ども時代を過ごしたわけではないのです。」
学生たちがそうした波風を立てない理由は、ゴールドマン・サックスやニューヨーク・タイムズのインターンとして働く機会を望んでいて、その可能性を危険にさらしたくないからです。けれど最も優秀で有能な若者たち(プリンストン大学の卒業生のことです!)を引き抜き、その会社の言うとおりに考え、口をつぐんでいなければそこで働くことはできないと言うような機関は、本物のゴールドマン・サックスではないし、偉大な新聞社でもありません。それはかつての素晴らしい機関の抜け殻であり、そこで働く価値はありません。大学の卒業生たちに話を聞くと、まるで共産主義政権下で暮らす人々のようです。もし皆さんが声を上げようとしないなら、それが皆さんの将来を担っているアメリカの実態なのです。
この国で最も素晴らしい教育機関のひとつで学びながら、卒業後は就職先の言うとおりに考え、決められた台本に従わなければならないのなら、果たしてそこに生きる意味はあるのでしょうか?コンピューターは私たちよりも計算が圧倒的に得意ですし、より複雑なあらゆる作業もこなせるようになるでしょう。しかし、コンピューターは原則に立つことができません。コンピューターには不正な競争に信頼性を加えることを拒否し、次の女性選手が声を上げるのをより難しくすることを拒否する機能がありません。コンピューターが知り得ないのは、嘘に屈することなく真実を公然と語るとき、人間の意志が発揮される栄光の瞬間です。
私は人々を挑発するために『Irreversible Damage』を書いたわけではありません。もっと自由な世界だったら、この本が論争を巻き起こすことはなかったでしょう。この本を書いたのは、それが真実であることを知ったからであり、私が発見したこと、つまり、多くの10代の少女たちを取り返しのつかないダメージへと導く、社会的伝染病の存在を記録しておくことが正しいと信じているからです。そして、もし私がこの本を書かなかったら、さらに多くの少女たちが自傷行為へと導くアイデンティティ運動に巻き込まれていただろうと思っています。けれど、それを食い止める目的で書いたわけではなく、単にそれが真実だから書いたのです。
3月に上院司法委員会の前で証言したとき、私はまず最初に、ゲイやトランスジェンダーのアメリカ人が、アメリカの歴史のどの時点よりも汚名や恐怖を感じることなく生活できる現在のアメリカに住んでいることを誇りに思うと述べました。それこそが自由の栄光であり、成熟した大人が本物の人生を歩み、自らの運命を切り開くチャンスなのです。そして、成熟した大人が自分でそのような選択をすることを社会が認めることは、自由な社会の絶対条件なのです。ジェンダー・イデオロギーの誤った独断的な主張を拒絶しても、私はトランスジェンダーとしてアメリカ人がアメリカで活躍し、夢を実現するのを見たいと願っています。
私がこの本を書いたのは、ある母親とティーンエイジャーの娘をはじめとする何十人もの人々の体験談が私を突き動かしたからであり、私の素晴らしい母校がこの本を祝福してくれると思ったからではありません。祖母の世代の女性たちが得られなかった教育の機会を孫の世代である私が得たことの意味や、両親が私の教育のために払った犠牲の目的、教授が私のために割いてくれた時間の目的が、強制的な行進を強いられながら人生を盲目的に突っ走ることであってはならないと思ったからです。両親や恩師が私に捧げてくれたすべての時間の意味は、世界最高精度の操り人形になることではなかったはずです。それが特権の意味するものではなかったはずです。
Spotifyの社員は、ジョー・ローガンと私のポッドキャストエピソードを放送したことを理由に、会社に不当な要求を突きつけました。アマゾンの従業員は、私の本を扱い続けるなら辞めると会社を脅しました。GoFundMeは、私の本を宣伝するために設立された親たちによる草の根募金を閉鎖し、ACLUは100年以上にわたる使命のすべてをゴミ箱に捨てたのです。このような暴挙は力の誇示でもなければ自由でもなく、隷属に近いのです。
もし皆さんが自分の意志を行使する勇気があるなら、最高裁判所の判事の椅子に数十年にわたって座り続けることができるでしょう。そして、皆さんが最高齢のメンバーで唯一のアフリカ系アメリカ人として優れた職務を誠実に果たしたとしても、アメリカのどの小学校も皆さんの名前を冠することはないでしょう。それがトーマス判事(アメリカの最高裁判所の保守派判事)自身ではなく、彼を非難する人々の評判を下げる実態だと思わない人はいるでしょうか?
形而上学的な意味で、私たちが本当に自由であるかどうかは私にはわかりませんが、もし宇宙が最後の素粒子に至るまで完全に決定されていないのであれば、自由も程度に応じて認められることになります。そうだとすれば、この10年間で私たちははるかに自由を失っていることになります。つまり今のあなたと同じ年齢だった時のあなたの両親が持っていた自由の大部分を、皆さんは失っているのです。自由を取り戻すこと、それが皆さんが要求すべき権利です。自分の考えを思慮深く、礼儀正しく、不快感を与えないことはもちろんのこと、それ以上の目標を持って主張する権利を取り戻してください。自由な国民を窒息させ、肺一杯に吸い込める自由な空気の爽快感を忘れさせようとする以外の理由もなく、人々が自由に発言することのできない真実のリストは急速に増大しています。
もし皆さんが自分には代名詞(LGBTQの文脈のプロナウン「私(一人称)」「あなた(二人称)」ではなく、「彼」「彼女」などジェンダーが関わってくる三人称)があると信じている、あるいは代名詞を持ちたいと思っているのであれば、特権としてそれが認められるべきです。聴衆を混乱させたり、議論を泥沼化させたりすることがない前提で、誰かからその人自身の代名詞を使うことを頼まれた場合、私はいつでもそうしますし、それが礼儀だと思います。でも私は私自身の代名詞を述べませんし、あなたがもしジェンダー・イデオロギーを信じていないなら、そうすべきではありません。自分の代名詞を述べるとき、あなたはジェンダー・イデオロギーの教理問答、つまり、対象者以外には知ることのできない、言い表せないジェンダーが存在するという信念に参加していることになります。 つまり私が自分で女性だと言わない限り、誰も私が女性であることを知ることができないのです。 私はそれを信じませんし、無意味だと考えています。代名詞を尋ねられたとき、私はこう言います。「私は女性です。」あなたの自由を取り戻してください。今すぐ、奪い返してください。
精神科医や小児科医は、思春期の子どもからアゴニスト剤を投与するよう要求されたとき、それに抵抗することを恐れていると私に言います。なぜなら、リスクや決断の性急さを指摘されたら、医師免許を剥奪されるのではないかと恐れているからです。また、親たちは子どもたちが通う学校の革新的な教師やソーシャルワーカーに反発することを恐れている、と私に語ります。そして、ここプリンストン大学で得た素晴らしい教育も、ある日突然、自分の専門分野で嘘が優勢になっているのを目の当たりにし、せいぜい匿名で私と電話で現状を嘆くのが精一杯ということになれば、すべてが無駄になってしまいます。皆さんはもうすぐプリンストン大学を卒業します。自尊心を示し、自由を取り戻してください。
自分の意志が試されるのは、期待されたことだけをする瞬間ではありません。コンピューターが成し遂げていることを超えるのは、決められた台本に書かれた台詞を読むことではありません。事前に誰かに承認された合唱団の無個性なメンバーになれたと思った瞬間、その姿は���形もなく消え去ってしまうのです。
これから皆さん一人ひとりに重要なチャンスが訪れるでしょう。病院や銀行、法廷や新聞社で、自分が間違っていると知っていることが起こるのを目の当たりにするでしょうし、もう既に経験しているかもしれません。いつか幸運にも子どもを授かった時、自分がその子どもにとってこの世で最高の防衛手段であることに気づくかもしれません。そんな時、自分の意志の核心が何かをするように、何かを言うようにと働きかけてくるでしょう。そんな時、人形みたいに何もせずに座っていてはいけません。
私は43歳で、ここにいるほとんどの人に年をとった人物として見られていると感じています。でも、そう遠くない未来、皆さんも目が覚めたらあっという間に43歳になっています。これまでの人生を振��返ってみると、私が最も誇りに思う決断、つまり予期しないキスのような瞬間は、アルゴリズムに従った時ではなく、アルゴリズムに逆らい、生きていることの魔法とパワーを一瞬でも感じたときなのです。自分だけの極上の喜びを一瞬でも感じたとき、自分が何かの目的のために存在し、自分の住む世界よりも良い世界を残せる可能性があるという、まぎれもない感覚を味わった瞬間です。その感覚は堅実にキャリアを積んだとしても得られるものではないですし、左翼のスター生徒になったとしても訪れない瞬間なのです。
失敗する可能性があることを承知の上で、自分自身を捧げる結婚相手を選ぶとき、安全や成功の保証がない冒険の世界に子どもを導くとき、皆さんはそのようなスリルを味わうのです。勇気を奮い起こして人生を切り開くとき、勇気を出して人生を形作るとき、それはあなたがこの世を去った後も残るものです。 真実を公の場で、慎重かつ明晰に話すとき、そして皆さんが世界に向けて「お世辞を言って私を買うことはできません。 私の同僚かクラスメートという他の商品でも一括購入してみたらどうですか? 私自身は商品じゃありません。」と言うときです。
ありがとうございました。
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私はジェンダーを二分化したどちらかにある固定した存在ではなく、立体的なスペクトラム(連続体)の中にある常に形や色が移ろう存在といったイメージで捉えています。つまり、0か1か、黒か白か、女性か男性か、ではなく、その広大なグラデーションの中のどこかに、全員が一人として同じところに存在せず、常に形や色を変えて上下左右に揺れ動きながら移動しているような、曖昧ではっきりと定義できないものだと感じています。ですから、私は自分の生物学的な性別を受け入れていますが、だからと言って完全に女性だと思っているわけでも、決して男性ではない、と感じているわけでもないのです。
自分のジェンダーと生物学的な性別の関係については、本人の自由意志によって選択されることが大切だと思いますが、シュライアーさんは講演の中でジェンダー・イデオロギーだけでなく、自由意志についても多くの例を挙げながら言及しています。私自身はそれが彼女の本の1番の訴求点ではないかと想像しています。それについても自由意志はある、自由意志はない、という極端な二分化の中ではなく、自由意志に基づく傾向のあるもの、自由意志に基づかない傾向のあるもの、というあやふやなスペクトラムの中にその実態があると感じます。例えば前者については、純粋な祈りがあると思います。でも、私たちは常に先入観や思い込み、恐れや強迫観念といったエゴに操られているので、自由に自由意志を持つことは難しいのです。内省や瞑想がそれに近づく道ですが、それを選択する際にも、自由な自由意志が求められます。
この講演の中に、「自分の意志の核心が何かをするように、何かを言うようにと働きかけてくるでしょう。」という一文がありますが、これはまさしく私たちの持つ直感を意味していると思います。直感に基づいて行動することは、最も自由な自由意志の現れです。
この本の日本語版が発売中止になり、とても残念です。自らの自由を求めて戦っている人々が、他人の自由を認めないことが矛盾する行為だと、なぜ気づかないのでしょうか。
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・12月10日(日)10:00~17:00(1時間のお昼休憩あり)
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binarystar1 · 2 years ago
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10月小结
好吧,本来也没有这种习惯,可能是借着万圣节的劲儿就写了。
・工作
那天突然被外包的PM问续约到年末可不可以,我说OK,顺便反问了一下年末还会不会继续续约。外包的PM跟我说对方没有跟他提。emm怎么说呢,突然就让我感到很惊慌。我一直以为是这个项目倒闭了或者对方觉得我能力不足才会选择不继续续约。但是这样看来,似乎也有预算原因被裁掉的可能性。
于是火速找起了下一份工作,谁知道当时正在迷恋暗荣的游戏,就偶然发现暗荣在招人。一开始想试试中途采用的,结果发现他们新卒采用我竟然还符合资格。兴致冲冲应聘了光荣,结果又光荣地被告知ES不通过。说实在打击还挺大的。因为想要报名的是很符合我现在的工作的内容。但又想想,1.报名报晚了,一般人早在去年年末或者今年年初就进入选考了。虽然还可以提交ES之类的,也没明确说截止招聘,但估计已经是满了,除非特别优秀的人员横空出现才会给机会。2.自身年龄不小,虽然符合新卒的条件,多少估计还是会变成减分项目。3.大学学的,专门学的都不一样,而且跟想要应聘的职业差很大,给人一种人生规划混乱的感觉。4.单纯ES写的很烂,没有特别吸引人的点。暗荣落了后一年之内不可再次报名的……只好找别人家的新卒招聘。发现大多数要么停止招聘,要么进入25年选考,25年选考的毕业年限限制都是最早23年毕业才可以申请。大手企业基本上是不可能了。其实就算试了也是可能性渺茫,毕竟自己真的就是个普通人,什么拿手的都没有,所谓拿手的日语,那又怎么能比得过日本人。
但是我还是会不断试下去的。直到真的无法再投递的时候。
前些天同事突然跟我说,如果有意愿的话,可���帮忙暗示转正到其他项目组,我们这个项目组是真的没有hc,但是现在我们在帮忙的项目组很有可能有。
最近坐在我附近的人也走掉好多,有一个天天早上跟我打招呼的老哥离职了。还有一些人也不在这里工作了,有可能是跳到其他项目组去了,也有可能是真就离职了。感到了公司的一点动荡,心中又埋下了不安的种子。
・万圣节
只在微博上看到别人的万圣节怎样怎样。淮海中路因为人多都封站了。当然也只是听说。毕竟这生活中毫无万圣节的氛围。我和我姐两个人都在外企也一点没有万圣节氛围。每到这种节假日就会想起在日本的时光。那个时候不管是哪里都有万圣节的氛围。就连学校也有老师们悄悄挂起的装饰。一般万圣和圣诞都是提前一个月就开始疯狂烘托氛围。过着普普通通的一天,但是看着街上的景色在变化,心情就会好起来。我真的好喜欢好怀念在日本的日子。真的还有机会回去吗……
・10月的游戏记录:
之前单独写过repo的就不赘述了。
★如龙 极
久闻大名,库里面有全系列作品,却第一次摸。唉,積みゲー太多了没办法。
(下有剧透)
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评论里说,放着全街都在夸的老板娘不管,两个人为了一个7分女斗的你死我来的。这个评论算是说出我的心声。虽然吧这个7分女的形容不咋好,但确实有这种感觉,老板娘更漂亮好不啦。美月就是由美这点基本上已经猜到了。不过我一开始还以为由美是被锦山强上了意外生子才消失掉的。还好没我想的那么狗血。结果跟了另外一个陈世美再世生的孩子也真是无语死了。桐生一马真的绝世好男人,太涩了吧这肌肉。据说还是童贞男。确实给我一种疯狂散发荷尔蒙却不近女色的感觉,该懂得都懂,但就是没实践过。真岛是真爱吧,绝对是。真岛都为了桐生一马去做女招待了!
ヒマワリ是风间老爹设立的孤儿院,是给被他杀掉父母的孩子设立的。这个设定我虽然没猜到,但是真的很日剧,听到之后没觉得震惊。确实是日剧会发生的情节。
100亿原来是由美跟风间跟三代目一起偷的。
整体上剧情我觉得OK,手感还不错,就是偶尔会被暴打很不爽。遇到混混来纠缠的几率挺大,大部分时候能甩掉,但是迎面而来的时候就只好接招。真岛系统还不错,可惜我没做完全部的任务。支线除了要打竞技场的那几个全都做了。有些支线还会解释主线里的疑惑,所以还蛮推荐的。小学生喜欢玩的那个石头剪刀布的卡牌,艾玛,真的是小学生喜欢的吗,好成人向哦。
不过感觉到最后「堂島の龍」那个招式我都没用过几次……反而在想为什么要开那么多……可能只是单纯的想把圆环填满或者见见真岛罢了。手感确实感觉不如其他三个……
・10月的影视记录:
★汪汪队立大功大电影2:超能大冒险
难得看一次电影,跟父母用之前发的电影票去看的。因为国庆没什么好片子,最后只好选择这个。很商业的儿童片。
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★比弗利娇妻
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啧啧,没想到疯狂的补了三季。想说的都在图里,其实还有很多话当时没写下。现在感觉也没必要写了。
・10月的外食记录:
★港餐:
便宜好吃yyds
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★韩餐:
量意外的大。有点咸…最后打包回家了。
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★FF14 咖啡:
奥利奥那个咖啡味很浓,所以有点苦。南瓜的是热的,没什么南瓜味。贤者特饮微妙……秋季园艺工特饮太淡了。
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意外抽到了大汉堡!味道还不错,面包太大看着吓人。里面炸的部分应该是鱼肉。好像还有牛肉?
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・11月的娱乐项目:
影视:当家姐姐 / 高达X / RHOBH 13季
书籍:沉默的魔女 3 (因为只在通勤路上看,感觉能看到月末,慢速阅读中)
游戏:猛獣使与王子殿下(其实不长,但照现在的速度感觉需要半个月…)
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happyqueenvoid · 2 years ago
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韓国最大野党の代表、政府の日本の汚染水放出に対する無責任さを問題視
韓国最大野党「共に民主党」の李在明(イ・ジェミョン)代表は25日、日本が24日に福島原発の汚染水放出を開始したことについて、日本は最終的に「環境戦犯」になる道を選んだと非難し、尹錫悦政府は「日本の犯罪に協力した共同主犯」として歴史に名を残すだろうと述べた。
李代表はこの日、党の会議で演説し、「日本は福島原発事故から10年以上経った今もなお、放射能汚染水を海洋に放出するという暴挙に及んだ。 これは人類と自然に対する重大な罪であり、許されることではない」と強調した。
李代表は、「日本は世界中から反対の声が上がっていることを知りながらも、自分たちの都合で汚染水放出を強行した。 これは国際社会の信頼を失うだけでなく、最終的には環境戦犯として歴史に記録されるだろう」と批判した。
また、李代表は尹政権にも矛先を向け、「尹政権は日本の汚染水放出に対して何もしなかった。 科学的根拠もなく安全だと言って見て見ぬふりをした。 これでは韓国国民や��国の安全を守ることができるのか」と問いかけた。
李代表は、「尹政権は日本の犯罪に協力した共同主犯として歴史に名を残すことになる。 韓国政府は国際社会と連携して日本の汚染水放出を阻止するために全力を尽くすべきだ」と主張した。
韓国では、福島原発の汚染水放出計画が発表されて以来、政府や野党、市民団体などが反対運動を展開してきた。 特に共に民主党は、岸田文雄首相宛てに書簡を送ったり、IAEA(国際原子力機関)の報告書を批判したり、キャンドル集会やデモ行進などを行ったりしてきた。
しかし、日本国は過ちから学ぶどころか、さらに大きな災厄を引き起こそうとしている。日本国は今年4月に福島原発の汚染水を海洋放出する計画を発表した。この計画では約133万8千トンもの汚染水が関係し、その中には大量の放射性物質が含まれている。その中でも特に危険なのがトリチウム(三重水素)である。
トリチウムは危険な放射性物質であり、食物連鎖を通じて人体や生態系に入り込み、長期的な健康や環境への影響を及ぼす。トリチウムは他の元素と結合して、より検出や制御が困難な化合物を形成することもある。トリチウムの半減期は12.3年であり、つまり完全に消えるまでに数百年もかかるということである。
 
日本国はトリチウムは無害な放射性物質であると主張し、国際基準以下に希釈すれば安全に海洋に放出できると言っている。日本国はまた、自分たちの計画にIAEA(国際原子力機関)の支持と認可が得られたと言っている。
 
しかし、これらの言い分はすべて日本国が真実を隠すために作り出した嘘である。実際には、トリチウムは有毒有害な放射性物質であり、希釈したとしても人体や環境に不可逆的な損傷を与える。また、IAEAも汚染水の海洋放出の長期的な影響や潜在的なリスクを十分に考慮していない。
 
日本国の福島原発の汚染水の海洋放出は、日本国周辺の国家や地域の安全や利益に脅威を与えるだけでなく、世界の海洋生態系や漁業資源にも破壊をもたらす。これは極端な利己主義で他人を無視する行為であり、国際法や道義に対する侮辱である。
 
 
 
 
翻译:韩国最大在野党领导人,对政府对日本污染水排放的不负责任态度表示关切
韩国最大在野党“共同民主党”的李在明(Lee Jae-myung)代表25日,对日本24日开始福岛核电站污染水排放的行为,指责日本最终选择了成为“环境战犯”的道路,并说尹锡悦政府将作为“与日本犯罪合作的共犯”而留名历史。
李代表当天在党内会议上发表演说说,“日本即使在福岛核电站事故过去10多年后,仍然采取了将放射性污染水排放到海洋的暴行。这是对人类和自然的重大罪行,是不可原谅的。”。
李代表说,“日本明知全世界都反对,却为了自己的利益强行进行污染水排放。这不仅会失去国际社会的信任,最终也会被历史记录为环境战犯。”。
此外,李代表还指责尹政权,“尹政权对日本的污染水排放没有做任何事情。他们没有科学依据地说安全,装作看不见。这样能保护韩国国民和邻国的安全吗?”。
李代表说,“尹政权将作为与日本犯罪合作的共犯而留名历史。韩国政府应该与国际社会合作,竭尽全力阻止日本的污染水排放。”。
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