#いわゆる原級留置
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職業としての売春は、古くから存在する。職業とは、ヒトのみが行う社会的かつ文化的営為であり、富・付加価値の交換により形作られる経済活動の手段としては、売春は人類最古の職業の一つでもある。 現代の売春とは取引契約に基づくものであり、売春の歴史とは売春仲介の歴史でもある[5]。また、売春という職業が成り立つ為には、貨幣経済の浸透と、家父長制や嫁取り婚が成立していないといけない[要出典]。ヨーロッパでは古代ギリシャ以降になる。 古代 →「公娼」を参照 史上初めて管理売春すなわち売春を国家の登録制度のもとに管理し、公認したのはギリシャのソロンといわれ、国家によって女性の奴隷を「購入」し、「ディクテリオン」という売春施設へといれた[6]。ローマ帝国でも売春仲介業者は法的な認可をうけ、届出をするだけでなることができた��め、売春は広く行われていた。しかしローマがキリスト教徒の迫害をやめ、それを国教としたことをうけて、売春を禁ずる法が登場する。ユスティニアヌス法典は、売春仲介業者の責任を問い、売春婦たちを「不幸な運命から救いだす」ことをうたう画期的なものであった[7]。 キリスト教が普及するにつれて、売春を含めた性の問題はすべて宗教の領域で扱われるようになる。キリスト教は売春はおろか婚姻生活以外での性交渉を禁止した。一方で国家は売春の禁止と公認を繰り返してきた。公序良俗を保つためであり、税収を確保するためであった。中世に入ってキリスト教の影響はさらに強まり、例えば、シャルルマーニュの勅令は売春の完全な禁止を謳っている。こちらは業者へは少量の罰金刑を課し、売春婦を「みだらな女」として広場で鞭打ちに処すなど重い罰を規定している。 近代 このように近代まで、国家は売春を両義的なものとして扱っていた。登録制度という公認であっても女性を監視し縛り付けるものだとする「廃娼論」が出現するのは20世紀以降のことである[8]。そして「醜業ヲ行ハシムル爲ノ婦女賣買取締二關スル國際協定」が1904年に採択され、「醜業ヲ行ハシムル爲ノ婦女賣買禁止二關スル國際條約」が1910年に制定され、1921年に国際連盟によって「婦人及児童ノ売買禁止ニ関スル国際条約」、1933年に「成年婦女子ノ売買ノ禁止ニ関スル国際条約」がそれぞれ採択された。さらにそれらの協定や条約を統合する形で「人身売買及び他人の売春からの搾取の禁止に関する条約」が1949年に国際連合によって採択され、1951年に発効した。 現在、フランスの社会史学派、アナール学派の研究によれば、売春は逆にキリスト教によって誕生したと論じている。本来、男女は対等であったが、キリスト教の「弱者である女性は、保護を行う男性の支配を受けなければならない」という教義から家父長制が強力になり、支配される性としての女性が誕生した、という考えである。[要出典] 日本 →詳細は「遊女」を参照 阿部定が最後に勤めた遊廓大正楼(兵庫県丹波篠山市) 万葉集に掲載されている歌の解釈から、この時代から日本でも売春は行われていたと考えられる。ただし、古代の記録に見られる売春は、都周辺に限られており、地方における実態は不明である。日本において職業としての売春が成立するのは、中世後期の室町期以降��ある。平安時代に至っても、さらには鎌倉期においても、妻問婚がメインであり、貨幣経済と男性優位の家父長制や嫁取婚はいまだ浸透していなかった。平安時代と同じく母方の父が優位という執権政治の形態が続いていたことからも明らかである。座や町衆などによる市の支配の確立と、惣領制や嫁取婚が成立するまでは、職業としての売春は広がりを見せなかった。 売春は神道において、巫女によって行われたこともあった[9]。鎌倉時代には巫女を養っていた多くの神社や寺院が破綻し、生活の糧を求めて旅に出る巫女が現れ「歩き巫女」と呼ばれるようになった。巫女は主に宗教的なサービスを提供していたが、売春とも広く関係していた[9]。 安土桃山時代に豊臣秀吉が大坂道頓堀において、遊女を一箇所に集めた遊廓を作って以後、江戸時代でもこうした遊廓を設置した。特に吉原遊廓、島原遊廓、新町遊廓は三大遊廓と呼ばれるほどの隆盛を誇った。ただし、遊廓などではいまだ女性の「神」性視が行われ[独自研究?]、遊廓は非日常の空間であり、世俗の法律が通用しなかった。吉原の監督官としての武士も、武家出身者ではなく忍者出身者が行い、公儀とは距離を置いた[要出典]。江戸幕府は、江戸および関東八州については、公的に売春を認めつつ[注釈 3]、散在する遊女屋を特定地域に集合させ、1617年(元和3年)、日本橋葺屋町界隈に遊郭の設置を許可し、吉原遊廓とし、この他の地での売春を禁じた。この禁を破って売春がなされる場所を岡場所といい、その遊女らは、後任の吉原におけるものと異なり、私娼であって取り締まりの対象とされた。私娼は発覚・奉行所などに捕縛されると、新吉原で女郎として3ヵ年の年季奉公が科せられ(公事方御定書[11])、そのような女郎は「奴女郎」と呼ばれ最下級の扱いを受けた。このように、建前上は、吉原以外での売春は禁じられていたが、岡場所は江戸時代を通してところを変えながら存続し続けたし、特に、近郊の品川宿、内藤新宿、板橋宿、千住宿など、近郊の宿場町の宿屋では、泊り客に飯盛女と称した私娼の斡旋を行っていた。 1958年(昭和33年)4月1日に売春防止法が施行され、赤線も廃止されソープランドとして残る(神戸福原) 明治維新以後もこのような遊廓は存在していたが、転換点となったのは1872年(明治5年)である。この年、マリア・ルーズ号事件が発生し、大日本帝国政府は��ルー船籍の汽船船内における中国人(清国人)苦力に対する扱いを「虐待私刑事件」として日本の外務省管下で裁判を行ったが、この裁判において被告側より「日本が奴隷契約が無効であるというなら、日本においてもっとも酷い奴隷契約が有効に認められて、悲惨な生活をなしつつあるではないか。それは遊女の約定である」との主張が為された。 この主張に対して、特命裁判長を務めた神奈川県権令大江卓は「日本政府は近々公娼解放の準備中である」と公娼廃止の声明を発し、1872年10月2日、芸娼妓解放令が出された[12]。これにより、女衒による遊女の人身売買は規制されることになったが、娼婦が自由意思で営業しているという建前になっただけで、前借金に縛られた境遇という実態は変わらなかった。 また、この時期に数多くの女性が女衒の斡旋により、日本の農山漁村から東アジア・東南アジアに渡航し、遊廓で働いた。こうした海外渡航した女性たちは「からゆきさん」と呼ばれた。このように世界への渡航を手配した、女衒として有名な人物に村岡伊平治がいる。 第二次世界大戦後の1946年(昭和21年)、日本の統治を担当していたGHQは公娼廃止指令を出し、女給による売春を行う赤線を除いて遊廓は廃止されることになった[注釈 4]。 また、1955年(昭和32年)最高裁判所は、売春を前提とした前借金について『公序良俗に反するものであるとして無効』とする判例を確定させた[13]。さらに、上記「人身売買及び他人の売春からの搾取の禁止に関する条約」を批准するための国内法である売春防止法が1956年(昭和31年)5月に公布、1958年(昭和33年)4月1日に施行され、これによって赤線も廃止されることになった。 これら赤線地帯にあった店は、その後も小料理屋やトルコ風呂(現:ソープランド)などと名称を変え、管理売春や勧誘・斡旋などの売春助長行為ではなく、個人の自由意志での性行為の場所を提供する、という法令に抵触しない範囲で営業を行っている。なお、トルコ風呂の名称については、トルコ人留学生・ヌスレット・サンジャクリが厚生省(現:厚生労働省)に名称変更の訴えを起こし、名称がソープランドに変わった経緯がある[注釈 5]。 →詳細は「ソープランド § 改名問題」を参照 各国の概況
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現在の静岡県藤枝市出身。 自身が担当した幸浦事件(死刑判決の後、無罪)、二俣事件(死刑判決の後、無罪)、小��事件(無期懲役判決の後、無罪)、島田事件(死刑判決の後、無罪)の各事件で無実の者から拷問で自白を引き出し、証拠を捏造して数々の冤罪を作った。その捜査手法は紅林の部下も含めて静岡県警の警察官に影響を与えることになり、紅林自身は直接捜査に関与しなかったが袴田事件(死刑判決確定後、再審第一審にて無罪判決)などの冤罪事件を生む温床ともなった[1]。 あらゆる手段を用いて被疑者を拷問し、自白を強要させるなどしたことから「昭和の拷問王」、「冤罪王」と称されている[1]。 紅林はさまざまな拷問の手法を考案したが、実行には直接関与せず部下に指示を出していた。また、二俣事件における山崎兵八の書籍においては真犯人と思われる人物からの収賄の疑惑も暴露されている。 上記4事件のうち島田事件を除く3事件が一審・二審の有罪判決の後に無罪となり、島田事件も最高裁での死刑判決確定後の再審で無罪が確定した。幸浦事件・二俣事件の有罪判決破棄差し戻しの時点で御殿場警察署次席警部の地位にあった紅林は、非難を浴びた静岡県警上層部によって吉原警察署駅前派出所へ左遷された。しかも交通巡視員待遇という実質的な二階級降任だった。 紅林は世間や警察内部から非難され精神的に疲弊しきっていたが、1963年(昭和38年)7月に幸浦事件の被告人に対する無罪判決が確定したことにより、気力が尽きて警察を退職。同年9月16日に脳出血により藤枝市志太の自宅で死去[2]。55歳没。 紅林の捜査法 前述の通り、紅林は拷問による尋問・自白の強要・自己の先入観に合致させた供述調書の捏造のような捜査方法の常習者だった。また、アリバイが出てきそうになった場合は犯行現場の止まった時計の針を動かしたトリックを自白させ、被疑者が推理マニアであることや被疑者の周辺で時計の針を動かすトリックがある探偵映画が上映されていることなどの傍証を積み重ねる手法でアリバイを否定しようとした。 これらについて二俣事件の裁判では同僚の捜査員である山崎兵八が「県警(島田事件のみ、これ以前は国警静岡県本部)の組織自体が拷問による自白強要を容認または放置する傾向があった」と証言。県警当局は山崎を偽証罪で逮捕(ただし『妄想性痴呆症(妄想型統合失調症の旧称)』として不起訴処分)したうえ懲戒免職処分にした。また幸浦事件では自分達が先に被害者の遺体が埋められている場所を探知しておきながら、被疑者に自白させた後に発見したようにして秘密の暴露を偽装した疑惑があるほか、主犯とされた男性は拷問によるためか持病(てんかん)の悪化により僅か34歳で上告中に死亡した。 紅林の捜査法に見られるような強制・拷問または脅迫によるなど任意性に疑いのある供述調書は、刑事訴訟法第322条第1項および第319条第1項により証拠とすることができない。小島事件では実際に紅林の捜査法に最高裁の判断が下された。この最高裁判決では被告人(当時は被疑者)が取調べ中に留置場へ戻ってくるたびに赤チン(局所殺菌剤)を塗るなど治療を受けていたという証言などを認定し被告人が主張する程度の過酷な拷問があったかについて疑義を呈しつつも、紅林主導の下で作成された供述調書の任意性を否定し被告人に有罪を言い渡した原判決を破棄差戻しとした(後に無罪確定)[3]。 主な時系列 1942年正月、静岡県警察部浜松署署員らの記念写真。 左端に当時磐田警察署所属の刑事、紅林巡査部長 1938年(昭和13年)8月22日、2人の女性が殺害される(浜松連続殺人事件の犯人が最初に犯した犯罪) 1941年(昭和16年)8月18日、1人が殺害、1人が負傷させられる(浜松連続殺人事件) 1941年(昭和16年)8月19日深夜、3人が殺害される。(浜松連続殺人事件) 1941年(昭和16年)9月27日、犯人の兄、姉、両親、兄の妻とその子供の計5人が殺害される(浜松連続殺人事件) 1942年(昭和17年)8月25日、4人が殺害、1人が負傷させられる(浜松連続殺人事件) 1942年(昭和17年)10月22日、浜松連続殺人事件の犯人が逮捕される。 1944年(昭和19年)2月23日、静岡地裁浜松支部は浜松連続殺人事件の被告人に死刑判決。被告人は上告。 1944年(昭和19年)6月19日、大審院は浜松連続殺人事件の被告人の上告を棄却、死刑が確定。 1944年(昭和19年)7月24日、浜松連続殺人事件の死刑囚(元被告人)の死刑執行。 1948年(昭和23年)11月29日、幸浦事件発生 1950年(昭和25年)1月6日、二俣事件発生 1950年(昭和25年)3月12日、二俣事件で容疑者の少年1人を強盗殺人罪で起訴 1950年(昭和25年)4月27日、幸浦事件で被告人4人に有罪判決(3人死刑、1人は懲役1年) 1950年(昭和25年)5月10日、小島事件発生 1950年(昭和25年)7月20日、小島事件で1人が起訴される 1950年(昭和25年)12月27日、静岡地裁は二俣事件の被告人の少年に死刑判決。少年側は控訴。 1951年(昭和26年)9月29日、二俣事件で東京高裁は控訴を棄却。少年側は上告。清瀬一郎が弁護人になる。 1951年(昭和26年)5月8日、幸浦事件で東京高裁が被告人側の控訴を退ける 1952年(昭和27年)2月18日、小島事件で静岡地裁は被告人に無期懲役判決。担当弁護士が西ヶ谷徹から海野普吉になる。(西ヶ谷は元検察官だったが、紅林のような警察官に危機感を抱いて、後に検察官に復職している) 1953年(昭和28年)11月27日、二俣事件で最高裁は原判決を破棄。 1954年(昭和29年)3月10日、島田事件発生 1956年(昭和31年)9月13日、小島事件で東京高裁は控訴棄却。 1956年(昭和31年)9月20日、二俣事件で静岡地裁は無罪判決。検察は控訴。 1957年(昭和32年)2月14日、幸浦事件で最高裁は審議を東京高裁に差し戻す。 1957年(昭和32年)10月26日、二俣事件で東京高裁は控訴を棄却。検察は上告を断念し、元少年の無罪が確定。 1958年(昭和33年)5月23日、島田事件で静岡地裁は被告人に死刑判決。 1958年(昭和33年)6月13日、小島事件で最高裁が東京高裁へ差し戻す。 1959年(昭和34年)12月2日、小島事件で東京高裁が無罪判決。検察は上告せずに確定。紅林は『週刊文春』への特別手記で小島事件の弁護士海野普吉、二俣事件と幸浦事件の弁護士である清瀬一郎を名指しで批判。(小島事件#その後を参照) 1959年(昭和34年)2月28日、幸浦事件で東京高裁が被告人4人全員に無罪判決。 1960年(昭和35年)2月17日、島田事件で東京高裁は控訴を棄却。 1960年(昭和35年)12月5日、島田事件で最高裁は上告を棄却し、被告人の死刑判決が確定。 1963年(昭和38年)7月9日、幸浦事件で最高裁が検察の上告を棄却。4人の無罪確定。紅林が警察を辞職。 1963年(昭和38年)9月16日、紅林が死去。 1986年(昭和61年)5月30日、島田事件で東京高裁は死刑囚の再審開始を決定し、審理を静岡地裁に差し戻し。 1989年(平成元年)1月31日、島田事件で静岡地裁は死刑囚に無罪判決を言い渡した。元死刑囚は同日中に釈放され、その後検察が控訴を断念したため無罪が確定。 脚注 [脚注の使い方] ^ a b “静岡県警が生んだ《昭和の拷問王》の呪縛に終止符か…再審判決「袴田事件」が突き付けた冤罪大国・日本の「司法のいい加減さ」”. 現代ビジネス (2024年9月26日). 2024年9月26日閲覧。 ^ 朝日新聞 1963年9月17日、14面。 ^ 最判昭和33年6月13日刑集12巻9号2009頁 参考文献 佐藤友之、真壁旲『冤罪の戦後史』図書出版社、1981年。ISBN 4809981916。 浜松事件での紅林の功績は偽りのもので、実際は当時の県警刑事課長の怪我の功名によるものだったとある。その後、紅林はしくじって免職しかけるが、浜松事件解決の「功労者」として後継の刑事課長によって県警に引き上げられたという。以上は二俣事件で被告人側の証人になった元刑事の南部清松の談である。南部は島田事件でも冤罪を証明する活動をしている。 『明治・大正・昭和・平成 事件・犯罪大事典』東京法経学院出版、2002年。ISBN 4808940035。 管賀江留郎『道徳感情はなぜ人を誤らせるのか 冤罪、虐殺、正しい心』洋泉社、2016年。ISBN 9784800307453。 浜松事件と二俣事件を中心に紅林の経歴を多数の資料に基づいて記述しており、伝記的事実から人物像を浮かび上がらせている。
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『「呪術」の呪縛』下巻の読書ノート

江川純一・久保田浩編『「呪術」の呪縛』(下)リトン、2017年。
第一部 呪術概念の���検討
鶴岡賀雄「「呪術」の魅力:「永遠のオルタナティブ」の来歴と可能性についての試論」
「マギア」を人類学的・宗教学的分析概念としてではなく西欧精神史の構成要素として見て、古代ギリシアから、中世神学、ルネサンス、近世キリスト教、現代芸術に至るまで、マギアの位置づけを跡づける。 そこでは、マギアがつねに、公共宗教や哲学といった正統的な知や生き方に対して、劣位に置かれた人々による代替行為として位置づけられる。しかし、この民衆の低級知は正統知でないがゆえに、かえってそれを批判的に超える超高級知ともなりうるものであった。 近世神秘神学における神的/悪魔的/自然的という三分法が、人類学・宗教学における宗教/呪術/科学の三区分に改鋳されていったのではないか、という指摘はなるほどなあと感じ。また、世間的・民衆的な低級知たるマギアがつねに物を介するというのも、フェティッシュとの関係で興味深い。 「神秘主義」概念の検討については別稿に譲るとされているが、その「別稿」とはこれですね。→ 鶴岡賀雄「「神秘主義」概念の歴史と現状」『東京大学宗教学年報』vol. 34、東京大学文学部宗教学研究室、2017年、pp. 1–24。 https://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/records/47687# なお、本論文の中で、サラマンカ大学の学士アマドール・デ・ベラスコが持っていたグリモワール(魔術の指南書)をめぐる事件の話が出てくるが、最近、魔術のことを考えすぎて、先日、江川さんから「grimoireとは魔術書のことなんですよ」と教えてもらう夢を見た。 山崎亮「社会学年報学派の呪術論素描」
ユベールとモースの「呪術論」は混乱に満ちた論文であり、その一因として呪術のアポリア(呪術は私的なものであるが、社会的な性格ももつ)が挙げられる。この混乱を理論的に整理したのがデュルケームの聖理論であるが、ユベールとモースは納得していなかった。 江川純一「「magia」とは何か:デ・マルティーノと、呪術の認識論」
イタリア宗教史学におけるマジーア概念を、特にエルネスト・デ・マルティーノの『呪術的世界』とその後の転回にしたがって明らかにする。宗教学において一般的に、「呪術」は「宗教」のネガとして語られがちだが、宗教史学はこの対比��対立を認めない。 デ・マルティーノは『呪術的世界』において、呪術的世界は「自分の魂の喪失の危機とそこからの解放」という実存のドラマによって根拠づけられるとして肯定的に評価したが、この世界を歴史的時代であるとしたがゆえに、進化主義的宗教論と見分けがつかなくなってしまった。 「呪術的心性と原始的心性を混同している」という師ペッタッツォーニらの批判を受け、デ・マルティーノは後年、「呪術的世界」という想定を取り下げ、神話ー儀礼の結合物としての「呪術ー宗教現象」を探究するようになる。 注にある、「今後、20世紀の宗教学思想を振り返るときには、ペッタッツォーニ、デ・マルティーノ、エリアーデのトライアングルによる、神話ー儀礼的技術としての「呪術ー宗教」の考察が軸となるであろう」という指摘が興味深い。
なお、A. C. ハッドンが報告したボルネオのトゥリク族の男の話(ある男は鉤形の石を頑なに手放そうとしなかった、その石は魂が自分の身体を去るのを引き留めているのだという)がラトゥールのファクティッシュのようで面白い。
第二部 事例研究:古代~中世
渡辺和子「メソポタミアにおける「祈祷呪術」と誓約:「宗教」と「呪術」と「法」」
なかなか論争的ですごい論文であった。一言ではまとめづらいが、アッシリアの『エサルハドン王位継承誓約文書』(ESOD)の構成や文法を分析することで、誓約と儀礼、「言うこと」と「すること」の宗教的な結びつきを考察する。 アッシリア学者の重鎮オッペンハイムは、西洋人として祈りと儀礼が結びつくことに耐えられず、「メソポタミア宗教」は書かれるべきではない、とまで言う。また、ESODの誓約と儀礼という形式こそが、契約(誓約)宗教としての一神教の成立と後のキリスト教の成立にも影響を与えたという。
高井啓介「その声はどこから来るのか:腹話術の魔術性についての考察」
叙述がトリッキーで面白い。腹話術が古代の神学者たちによって魔術として扱われ、近代に脱魔術化していった過程が示される。旧約聖書サムエル記上の「降霊術」がギリシア語に翻訳される際にἐγγαστρίμυθος(腹話術)と訳されたために腹話術の魔術化が始まった。 降霊術が腹話術と見なされることで、腹話術師は腹の中に悪霊をもつことになり、霊媒は魔女扱いされるようになる。しかし、腹話術の魔術性を否定し、単なるトリックだとしたのが、『百科全書』で数学に関する項目を多く書いているジャンバプティスト・ドゥ・ラ・シャペルの『腹話術』であった。
山本伸一「カバラーにおける神名の技法と魔術の境界」
ユダヤ教のカバラーにおいて、正当な呪術と禁じられた魔術の境界は不分明である。このことを15世紀のカバラー文学、ルネサンスの自然魔術の影響下のカバラー、18世紀のエムデン=アイベシュッツ論争という3つの事例に即して考える。 15世紀スペインのカバラー文学の共通点は、主人公であるカバリストが終末とメシア来臨を促すために悪魔を追放しようと立ち上がるも、悪魔に騙されて取り逃がしてしまい、逆に魔術に手を染めた悪人として非難される、という物語。中2っぽいというか、『進撃の巨人』(デビルマン)フォーマットだなと。 青木健「ゾロアスター教神官マゴスの呪術師イメージ:バビロニア文化の影響と呪術師イメージの由来」
マゴスには「呪術師」「神秘主義の達人」「放蕩」といったイメージが付与されるが、ゾロアスター教の神官の職能を検討してみると、実態は王朝に仕える官僚であり、吉凶暦や蛇占いといった副業の方がイメージの形成要因となったと考えられる。 青木健『古代オリエントの宗教』は、渡辺論文の注で、紀元前2世紀から13世紀までのオリエントの宗教史を扱うものなので、「書名と内容が一致していない」と批判されていた。 毛利晶「古代ローマにおける凱旋の儀式:トリウンプスに関する最近の研究動向を中心に」
ローマで戦争で勝利を収めた将軍が行う凱旋の儀式トリウンプス(triumphus)。そこでユピテルの扮装をする凱旋将軍の役割は神か王か。近年の論争を踏まえて、著者は元々ユピテルの儀式であったものが後に将軍自身を讃える儀式へと変化していったと推測する。 凱旋式挙行の要件が、①命令権(imperium)、②鳥占権(auspicium)、③軍隊指揮(ductus)、④幸運(felicitas)の4つだったというのが、統治(王)・呪術(宗教)・軍事の三権が一人に集中しているようで興味深い。 野口孝之「近代ドイツ・オカルティズムの「学問」における「魔術」」
19世紀後半から20世紀初頭に展開されたオカルティズムにおける「魔術」の位置づけを、キーゼヴェッター、エスターライヒ、シュティルナーという3人の思想を中心に検討する。 ドイツの代表的なスピリチュアリスト、カール・ドゥ・プレルの概念das transzendentale Subjektを「超越的主体」と訳しているけど、「超越論的主観」では。このドゥ・プレルの理論を援用するキーゼヴェッターはオカルティズムをGeheimwissenschaftと呼び、先人としてスウェーデンボルグを挙げている。 ちなみに、スウェーデンボルクを批判したカントの『視霊者の夢』の第一部第二章のタイトルはgeheime Philosophie(オカルト哲学)である。
寺戸淳子「「呪術ではない」祭儀:「秘義」としての聖体拝領」
大変勉強になった。キリスト教の「聖体拝領(聖餐)」「実体変化」「神秘的肢体」といったややこしい話を基本的なところから丁寧に教えてくれるので、これらの神学的議論に関心がある人におすすめの入門的論文。 12世紀に「実体変化」の教理が確立したのと同時に、「神秘的肢体」(Corpus mysticum)論も確立していった。Corpus mysticumは元々、食べる方の「聖体」を意味していたが、秘義的ニュアンスがよろしくないため、それまで「教会」を意味していた「キリストの体」Corpus Christiと呼ばれるようになった。 12世紀に「実体変化」の教理が確立したのと同時に、「神秘的肢体」(Corpus mysticum)論も確立していった。Corpus mysticumは元々、食べる方の「聖体」を意味していたが、秘義的ニュアンスがよろしくないため、それまで「教会」を意味していた「キリストの体」Corpus Christiと呼ばれるようになった。 逆に、教会はCorpus mysticumと呼ばれるようになった。つまり、聖体と教会の呼び方が入れ替わったのである。この教会を指す「神秘的肢体」がやがて法人のような擬制的人格一般を指すようになっていった。カントーロヴィチぽいなと思ったら、カントーロヴィチが参照されていた。 佐藤清子「19世紀合衆国における回心と「呪術」:チャールズ・G・フィニーの新手法擁護論とその批判を中心として」
きわめて明晰な論文。19世紀アメリカの第二次大覚醒の時代を代表する牧師フィニーは「新手法」と呼ばれる礼拝方式を導入して革新をもたらしたが、それは回心を意図的・合理的に促す手法であり、限りなく呪術に接近していく。 フィニーはスコットランド啓蒙思想の影響の下、自然法則の学習・応用という方法論を採用し、自らの回心の方法を「科学」あるいは「哲学」であると称した。他方で、呪術・宗教・科学の三区分で知られるフレイザーもまた、同じくスコットランド啓蒙の思潮に影響を受けていることは興味深い。 フレイザーは呪術を稚拙な科学であるとしたが、もし仮に「回心」を心理学的な技術によって達成できるようになったとしたら、それは科学なのか呪術なのか。実は科学と呪術の区別は、その知識や技術の程度の差異によるのではないのではないか。 フィニーの「祈り」についての議論も面白い。回心は聖霊の働きによるが、人間は聖霊をコントロールできないがゆえに、回心も究極的には神に委ねられている。しかし、フィニーは回心と聖霊の間に「祈り」という人間の行為を介入させる。とはいえ、人間は祈りによって神を操作できるわけではない。 フィニーによれば、祈りはそもそも聖霊の働きによって可能になるのだから、祈ることができること自体がそれが叶えられる可能性があることの証拠となる、という。ここには、祈りのアポリア(祈りは効果があるならば、祈りにはならず、効果がないならば、祈る必要がない)を解く鍵がある���うに思われる。 久保田浩「近代ドイツにおける「奇術=魔術」:奇術とスピリチュアリズムの関係に見る〈秘められてあるもの〉の意味論」
19世紀ドイツで機械仕掛けの奇術を行う奇術師は、トリックを説明(klaeren)可能なものとしながら、それを驚嘆すべきものとして提示する者であり、スピリチュアリストの種明かし(erklaeren)をして詐欺を暴く啓蒙(Aufklaerung)の意義も担っていた。 奇術師がスピリチュアリストを科学的に暴いたり、宮廷からお墨付きを得た「宮廷奇術師」が登場したりと、『鋼の錬金術師』が好きな人にお薦めしたい論文。スピリチュアリストが、奇術師は本人も気づいていないけれど実は霊媒であり、本人が奇術だと思っているのも霊媒現象なのだと主張する話が面白い。
井上まどか「ロシアにおける呪術概念の検討」
前半が現代ロシアの事典や概説書における「呪術」概念の分析、後半が16世紀に編纂された『百章』における「呪術」の用法について。「準備的覚え書き以上のものではなく」という著者の言葉通りの文章であった。 『金枝篇』の著者名が「D. D. フレイザー」となっていて、目を疑った(ロシアだとJもGもDなんですか)。それ以外にも本書は誤植が非常に多い印象。上巻目次のタイトルからして既に間違っている。
西村明「呪術としてのキリスト教受容:ミクロネシア・ポンペイ島を中心に」
最終章でいよいよ真打ち「マナ」登場。ミクロネシアのポンペイ島における宣教でキーワードとなった「マナマン」から、マジックワードとしての「マナ」概念の歴史的形成の議論へ。 まず、宣教師は植民地主義的視点で現地の宗教的・呪術的実践を裁断するが、しかし、その視線は一方向的なものではなく、現地民もまた、自分たちの価値体系の中にキリスト教を位置づけて理解する。ポンペイ島で、二つの異なる価値体系を通訳した概念が「マナマン」であった、という話が面白い。 さらに後半、この「マナマン」(ミクロネシア)と同族語である「マナ」(メラネシア・ポリネシア)という概念が辿った数奇な運命が論じられるが、これも面白い。 「マナ」とはそもそも、コドリントンが『メラネシア人』(1891)において初めて学術的議論に導入した語で、その後、超自然的力を指す普遍的な概念として人類学・宗教学で多用されていった。しかし、コドリントンが現地調査したモタ島とバンクス諸島は、当時、ポリネシア人と宣教師の影響を受けていた。 メラネシアの「マナ」が形容詞や動詞としての含意があったのに、ポリネシアでは名詞として用いられた。メラネシアの宣教師たちは先にポリネシア語に通じていたために、「マナ」を名詞的に理解してしまった。こうして、コドリントンがやってきた頃には、既にバイアスのかった「マナ」となっていたのだ。 このように、「マナ」とは、ポリネシアとメラネシア、現地民と宣教師、そして世界各地の多様な宗教間といった、異質な価値体系を通訳=通約する概念として強力な力をもつようになっていったのである。異質な体系の間の界面に生じる通約的概念という意味では、「フェティッシュ」にも似ているように思う。
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキクケコガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニヌネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国会人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権心界支第産結百派点教報済書府活原先共得解名交資予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変打男基私各始島直両朝革価式確村提運終挙果西勢減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流格有疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮究育席輸訪楽起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡失移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃佐核観察整段横融型白��字答夜製票況音申様財港識注呼渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士光討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処省旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師摘材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青破編捜竹除完降超責並療従右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗冷模雄適婦鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久短油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等救執層版老令角絡損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒刑坂刻底賛塚致抱繰服犯尾描布恐寺鈴盤息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮還枚属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板列露沖探逃借緩節需骨射傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓律誘紛貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕堅訳盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳毛緑尊抵脅祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯僕桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻泰賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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A君の事例
2Eという言葉を聞いたことがある方は少なくないかもしれません。2Eとは、twice-exceptional(二重に特別な)という意味で、知的に高い要素と発達障害の要素を併せ持つ子どもたちを指す言葉です。
一方、ギフテッドという言葉を聞いたことがある方は多いと思いますが、こちらは”知的に高い”という意味を有する言葉とされています。例えば大学の飛び級制度で進学した人やメンサ(全人口の上位2%のIQを持つ人で構成される団体)の会員のように、ギフテッドという言葉は、高い知能と特殊な才能を持つ人のニュアンスを込めて使われることがあります。
ギフテッドという言葉が使われてきた中で、適応的なギフテッドと���必ずしも適応がうまくいかないギフテッドの双方の存在が指摘されるようになります。そして、適応に困難を感じる後者のギフテッドには、しばしば発達障害の特徴が見いだされるとの指摘がある中で、例えば日高(2020)は次のように指摘しています。
知的ギフテッドという名称や知的発達水準の高さから、「知的ギフテッドの子どもは困っていない、何でもできる」と誤解されやすいが、知的機能と適応機能の2軸で考えるとそうではないことが明らかになる。 知的ギフテッドには2つのグループに大別でき、困り感を持ち配慮や支援を必要とする子どもと、家庭や学校等で適応的に生活する(明らかな支援対象とならない)子どもに分けられると考える。 ※引用元 日高茂暢(2020).知的ギフテッドの子どもの持つ特別な教育的ニーズの理解-特別支援教育の「個に応じた学習」を用いたインクルーシブな才能教育-,J.Fac.Edu.Saga Univ.,Vol.4,No.1,pp147-161

※画像引用元 日高茂暢(2020).知的ギフテッドの子どもの持つ特別な教育的ニーズの理解-特別支援教育の「個に応じた学習」を用いたインクルーシブな才能教育-,J.Fac.Edu.Saga Univ.,Vol.4,No.1,pp147-161
上述の「困り感を持ち配慮や支援を必要とする子ども」については、周囲の素朴な知能観が、支援の必要性という問題を見えにくくしているという指摘もあります。これについて前述の日高(2020)は次のように指摘します。
世間一般における知能に関する誤解、即ち、「知能の高さは学業成績の高さと比例する」「知能の高い人は学業的・社会的・行動的に困っていない(困り感が少ない)」「知能の高い人は学校や社会において問題を起こさない」等の素朴な知能観の弊害によると考えられる。 ※引用元 日高茂暢(2020).知的ギフテッドの子どもの持つ特別な教育的ニーズの理解-特別支援教育の「個に応じた学習」を用いたインクルーシブな才能教育-,J.Fac.Edu.Saga Univ.,Vol.4,No.1,pp147-161
これに関して、例えば小泉(2014)は、「隠れディスレクシア」を持つ知的ギフテッドのA君という臨床症例について次のように言及しています。A君は高校��、小泉(2014)が在籍する北海道大学において、開講教室や相談を通じて小泉(2014)が出会った児童・生徒の一人です。この開講教室を訪れた児童・生徒たちは、トータルのIQが130前後あり、学力的に高く発想も豊かで、学校では問題のない児童・生徒とみなされてきたといいます。ちょっと長くなりますが、一部を引用してみます。
知的ギフテッドを持つA君と臨床現場で出会った。高い知的能力を持っているために、学校のテストでは9割程度の得点で、成績も優秀だった。そのため、学校はもちろん、相談機関や医療機関からも読み書き計算等の問題についての指摘はなかった。 認知特性の把握と、IEP作成のためのエビデンスとする目的で、WISC-IVを実施した。驚くべき結果だった。4つの指標の合成得点についてみると、言語理解と知覚推理で「非常に高い」、ワーキングメモリーでは「平均の上」、処理速度では「平均」を示した。処理速度が、個人内では弱い能力であり、「絵の抹消」、「符号」が低得点であった。結果は、WISC-IVの知的ギフテッドと想定できる高い知的能力を示した。 しかし、臨床場面では日々の悩みを幾度となく繰り返して訴えてきた。一つは、「漢字を書いても覚えられない、似たような文字を間違える、書くのが遅い、計算が遅い、本を読んでも頭に入らない、集中できない」などの学習の問題である。もう一つは、「だるい、何をしても楽しくない、嫌いなことが増えていく、自分はダメな人間だ」など、感覚的にも精神的にも脆弱性のあることがうかがわれた。 学習の問題では、個人内における処理速度の能力が低く漢字では旁と偏の間違いや、撥ねや払いなどの間違いが見られた。ただ、学習場面では理解が速く、教えればほとんど漏らすことなく覚えていった。学習の困難は想定しにくかった。ただ、どんなに高い得点をとっても満足せず、自分で間違ったいくつかの問題を気にしていた。そのような点からは、完璧主義であることがうかがわれた。 また体のちょっとした刺激が気になる点からは感覚過敏、加えてギフテッドの持つ過度激動という特性を想定した。ちょっとした失敗や間違いを引きずる場面や、情感の激しい揺れがうかがわれたからである。 ※引用元 小泉雅彦(2014).読み書き困難を持つ知的ギフテッドの支援,子ども発達臨床研究,Vol.6,pp131-136
ここで、過度激動(OE:Overexcitabilities)とはギフテッドに見られる心理特性とされ、刺激に対する過度な感受性の高さや刺激への強い行動的・感情的反応が見られる、とされ��す。OEは5つの領域で構成され、次のような特徴が見いだされるとされています。

※参考文献および画像引用元 日高茂暢(2023).ギフテッドとOverexcitability-肯定的分離理論を通じて-,LD研究,Vol.32,No.4,pp244-250
また、ディスレクシア(dyslexia)とは、知的能力および一般的な理解能力などに特に異常がないにもかかわらず、文字の読み書きに著しい困難を抱える障害であり、学習障害の要因となることがある疾患、とされています。これについて、例えば国立成育医療研究センターのサイトには次のような解説が掲載されています。
ディスレクシアとは、学習障害のひとつのタイプとされ、全体的な発達には遅れはないのに文字の読み書きに限定した困難があり、そのことによって学業不振が現れたり、二次的な学校不適応などが生じる疾患です。 知的能力の低さや勉強不足が原因ではなく、脳機能の発達に問題があるとされています。そのため発達障害の学習障害に位置づけられており、2013年に改定された米国精神医学会の診断基準(DSM-5)では、限局性学習症(いわゆる学習障害)のなかで読字に限定した症状を示すタイプの代替的な用語としてdyslexia(ディスレクシア)を使用しても良いことになりました。 (中略) 留意しておきたいことは、ディスレクシアの子どもでは文字が読めないと表現されることが多いのですが、これが誤りであり正しくは読むのが極端に遅いし、よく間違えるという表現になるという点です。1文字を読むのに時間がかかり、間違えることもあるといった状態では、読むだけで疲れてしまって、意味を把握する段階まで至りませんし、読書に対する拒否感が生じてしまうことになります。その結果、語彙や知識が不足して、学業不振が著しくなっていきます。さらには心身症や不登校といった二次障害の状態になってしまうこともあります。 ※引用元 国立研究開発法人 国立成育医療研究センター https://www.ncchd.go.jp/hospital/sickness/children/007.html#:~:text=%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%B9%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%82%A2%E3%81%A8%E3%81%AF,%E3%81%AA%E3%81%A9%E3%81%8C%E7%94%9F%E3%81%98%E3%82%8B%E7%96%BE%E6%82%A3%E3%81%A7%E3%81%99%E3%80%82
A君の症例に話を戻します。小泉(2014)は、A君の相談を受ける中で、A君の訴えの根底にはディスレクシアの存在があるのではないかと考え、次のように述べます。
ディスレクシアを疑ったのは、彼と行ったテストの分析からである。テストでは長文の文脈はきちんと理解できているにもかかわらず、問題文を読み違えたことによる誤答が目立った。数学や理科では、解答のやり方は分かっているが、計算に時間がかかり最後の問題までたどり着かなかった。本人自ら伝えてくれたからこそ、分かったことでもある。 そこで、再度WISC-IVを見直した。言語理解と知覚推理からなる一般能力的指標とワーキングメモリーと処理速度からなる認知熟達度指標に差が見られる。この事が、彼に2つの学習面でのアンバランスさを生じさせている。一つは、公式の意味や概念は把握できているが計算が遅いこと、もう一つは、読解力には優れているが読みや書きが遅いこと、である。テストの問題の解き方は分かっているのだが、単純な処理に時間がかかり焦燥感がどんどん募っていく。彼の頭の中は、高性能のCPUを持ちながら、メモリーが不足しているコンピュータのような状態であったといえる。一般能力的指標と認知熟達度指標の差が、結果として「読み書き計算」の困難と関連すると想定した。 では、読みに困難を抱えながらも談話が流暢であり、読解力も高く、成績も優秀なのはなぜか。おそらく、「読み」関しては、文脈処理が優先されるために、結果としては苦手な読みをマスキングされ、そのため表面的には、読解には読みの問題が生じなかったと考えた。 読み書き計算の苦手さは、彼の自尊感情も低下させていた。「こんなこと幼稚園児だってできるのに」と言いながら自分の心を吐露していた。彼に「あなたはこんなに点数がいいのだから」と言っても納得はしない。将来の自分の姿と結び付けて、ネガティブループにはまっていく。 「読み書き計算」の苦手は、家庭や学校はもちろん専門機関でも見逃されてきた。それは、本人が困り感を訴えても、勉強ができているために、些細な問題として片づけられてきたのである。 ※引用元 小泉雅彦(2014).読み書き困難を持つ知的ギフテッドの支援,子ども発達臨床研究,Vol.6,pp131-136
A君本人が自ら伝えてくれたから分かったこと、という記載は、前述した「素朴な知能観」の存在を浮き彫りにさせます。高校のテストで9割近い得点を出し成績優秀とみなされていたA君に対して、「学校はもちろん、相談機関や医療機関からも読み書き計算等の問題についての指摘はなかった」のは、周囲の人たち自身が「素朴な知能観」を持っていたことの影響を指摘し得るかもしれません。A君自身は「こんなこと幼稚園児だってできるのに」と自分を否定的に捉えていたのですが、(A君を成績優秀と見なしていた)周囲の人たちからは「勉強ができているために、些細な問題として片づけられてきた」結果、その悩みが周囲の人たちに可視化されることはありませんでした。

※画像引用元 日高茂暢(2020).知的ギフテッドの子どもの持つ特別な教育的ニーズの理解-特別支援教育の「個に応じた学習」を用いたインクルーシブな才能教育-,J.Fac.Edu.Saga Univ.,Vol.4,No.1,pp147-161
高い知能を持っていても、特別なニーズを抱えている子どもは多数存在していると考えられます。しかし、検査結果や学習面で成績が良いために見落とされてしまう。A君の症例は、このような特別な支援を必要とする児童・生徒たちに対して、その体制をどう構築していけばよいのかという問題を浮き彫りにする、と小泉(2014)は指摘します。これに関して、冒頭に紹介した日高(2020)は、特殊教育という点について次のように指摘しています。
特別な教育的ニーズのある子どもを対象にした特別支援教育は、かつては特殊教育(Special Education)という概念で呼ばれた。日本では、特殊教育という用語は障害児教育とほぼ同義に運用されてきたように考えられる。ここでSpecialという形容詞の定義をOxford英語辞典で確認すると、初めに"Better,greater,or otherwise different from what is usual"とあり、次に"Belonging specifically to a particular person or place"という文脈で"Used to denote education for children with particular needs, especially those with learning difficulties."と書かれている。 Specialという概念は、通常と異なって優れた、またはその人がもつ特別な何か、というニュアンスであり、その一部として学習困難が含まれている。したがって、Special Educationという用語は、本来、平均的な通常教育では効果のあがらない子どもを対象にした教育という意味であると考えられる。すなわち、通常よりも学習上の困難のある障害を持つ子ども(children with Handicapped)と、通常よりも優れた潜在能力を持つ子ども(children with Gifted or Talented)との2つの側面を持ち、障害児教育よりも広い概念と言える。 ※引用元 日高茂暢(2020).知的ギフテッドの子どもの持つ特別な教育的ニーズの理解-特別支援教育の「個に応じた学習」を用いたインクルーシブな才能教育-,J.Fac.Edu.Saga Univ.,Vol.4,No.1,pp147-161
日本における特殊教育といえば、上述したようにほぼ障害児教育と同義に扱われている、というのは皆さんもご承知のことと思います。海外と日本では、特殊教育という言葉が本来持つニュアンスが異なっており、言語を翻訳する際、常につきまとう言語間の意味やニュアンスのずれを考慮しても、日本における特殊教育の指す範囲は比較的限定的で、特別支援学校で行われる障害児の教育という受け止め方が主流です。これに対して、インクルーシブの観点から考察し、海外との差を含めて論じているのが引用元の論文、なのですが、その主題はひとまず置き、このブログで注目したかったのは、A君の事例が示唆する学習面の課題を持つ子どものアセスメントという点です。
高いIQを持つギフテッドのA君ですが、上述したような学習上の困難が生じていました。数式の意味や概念の理解は高い到達度を示す(数学の解き方がわかる)のに計算が遅い(処理が遅い)、読解力には優れている(言葉や文脈の理解も高い)のに読みや書きが遅い(処理が遅い)A君の学習上の困難を生じさせている要因をアセスメントしてみたところ、「(例えば64ビット処理の)高性能CPUを持ちながら、メモリーが不足しているコンピュータのような状態」であり、「一般能力的指標と認知熟達度指標の差が、結果として「読み書き計算」の困難と関連する」という背景の存在が示唆されていました。
このような処理能力や認知的側面のアンバランスという側面は、A君のようなギフテッドに限った話ではもちろんなく、例えばワーキングメモリーの不足で学習上の困難を抱える発達障害の子どもは多く存在しています。そして、その逆の場合もあるでしょう。処理は速いが概念の理解が困難(例えばメモリーは多いがCPUは16ビット処理)な場合などです。
漢字の習得に苦労する、計算を頻繁に間違える、会話はできるのに音読が難しい、会話で伝えることができて言葉を知らないわけでもないが文章化するのが難しい、様々な様態を呈する発達障害の子どもがいます。このような子どもたちに学習面を支援するに際しては、学習上の困難をもたらしている要因がどこにあるのかアセスメントすることができれば、それが望ましいと考えられます。例えば漢字の習得に苦労するという場合、文字の形態認識の問題なのか、ワーキングメモリーの問題で書き取り作業にリソースが取られた結果として漢字の形態認識に影響が生じているのか、高機能自閉症などにしばしばみられる相貌性の問題なのか、など、どのように捉えるかにより、その後のサポートの方向性は大きく異なってくるはずです。
加えて、A君の事例は、アセスメントする視点の重要性を示唆していると同時に、支援の際は、支援者自身のバイアスがアセスメントを阻害する可能性(例:素朴な知能観)に留意し、学習を困難にさせている要因を様々な視点からアセスメントすることの必要性を示唆していると捉えることが可能です。
なお、A君の事例については、一般能力的指標と認知熟達度指標の差から生み出される学習上の困難に対して、どのように対処しサポートしていったのか詳しく掲載されています。関心のある方は、文献を参照してみてください。

※引用元 日高茂暢(2020).知的ギフテッドの子どもの持つ特別な教育的ニーズの理解-特別支援教育の「個に応じた学習」を用いたインクルーシブな才能教育-,J.Fac.Edu.Saga Univ.,Vol.4,No.1,pp147-161
(野村)
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加害者情報をマッピング「性犯罪マップ」に賛否の声、法的問題は? 運営者「子どもたちを守るため」「アメリカの事例参考に」
3/22(土) 9:45配信
弁護士ドットコムニュース

「性犯罪マップ」のサンプル(運営者サイトより)
「性犯罪マップ」と称するサイトが公開されて物議を醸している。地図上に、性犯罪が起きた地点をマッピングし、加害者の年齢や住んでいる地域などをひもづけているものだ。
現在、無料版と有料版に分かれており、無料版では「逮捕容疑」「報道日時」「加害者年齢」「加害者性別」などが見られるようになっている。「加害者住所」も「丁目」まで閲覧可能だ。
サイトを公開したグループは、性犯罪から子どもたちを守るためにこのプロジェクトを立ち上げたといい、アメリカで実際に公開されている性犯罪歴のある人の所在を確認できるアプリなどを参考にしたという。
SNSでは「自衛するのに必要」「政府につくってほしい」などと、その目的に賛同する人たちがいる一方で、「個人情報保護法に違反するのではないか」「人権侵害や差別につながる」という指摘もある。
2019年には官報に掲載されている破産者情報をマッピングした「破産者マップ」が公開され、政府の個人情報保護委員会から行政指導を受けて閉鎖するなどしている(破産者マップ事件)。
その後も、類似サイトが出現するなど、こうしたサイトが後を絶たない。報道をもとに作成されている「性犯罪マップ」だが、「破産者マップ」のような法的な問題はないのだろうか。個人情報保護法にくわしい板倉陽一郎弁護士に聞いた。
●犯罪に関する情報は「要配慮個人情報」 ——犯罪に関する個人情報は要配慮個人情報だと思われますが、本人の同意は得ていない��思われます。違法性はないのでしょうか。
「性犯罪マップの情報は、性犯罪の被疑者段階の情報が含まれており、個人情報保護法施行令2条4号の『本人を被疑者又は被告人として、逮捕、捜索、差押え、勾留、公訴の提起その他の刑事事件に関する手続が行われたこと」にあたり、個人情報保護法上の要配慮個人情報(2条3項)に該当します。
そのため、本人の同意がなければ取得できない(同法20条2項柱書)のが原則です。
しかし、運営者によると、「子どもを対象とする性犯罪事件が、毎日のように起きて、報道されています。その報道された情報を集約して、わかる範囲でMAPにしました。10年前に遡り、現在までにスタッフが集めた公開情報をもとに作成しています」とのことです。
法20条2項には、「当該要配慮個人情報が、本人、国の機関、地方公共団体、学術研究機関等、第57条第1項各号に掲げる者その他個人情報保護委員会規則で定める者により公開されている場合」(同項7号)という例外事由が存在し、「法57条1項各号に掲げる者」には、「放送機関、新聞社、通信社その他の報道機関(報道を業として行う個人を含む)」(同項1号)が含まれていますので、これらにより公開されている場合(新聞やテレビ、これらのウェブ版に掲載されている場合)には、そこから情報を取得することは、要配慮個人情報を含んでいても適法です。
●「要配慮個人情報を含んだ第三者提供にあたる」 ——個人データの提供はどうでしょうか。本人の同意を得ずに個人データが第三者に提供されているようにみえます。
性犯罪マップは、性犯罪報道から作成した性犯罪情報を、Googleマップにプロットして公開しているもので、個人データの第三者提供に該当します。
公開後の反響を受けて、加害者の氏名自体の公開は控えているようですが、個人データの第三者提供に該当するかどうかは提供元で判断しますので、プロットするために作成している性犯罪情報のデータベースに、被疑者の氏名が含まれていれば確実に個人データの第三者提供に該当しますし、仮に被疑者の氏名それ自体は削除したとしても、その他の情報によって、提供元において特定の個人が識別できるのであれば、同様に個人データの第三者提供に該当します。
そして、本人の同意を得ているとは考えられませんので、原則として、法27条1項に反します。
破産者マップの場合には、要配慮個人情報を含んでいませんので、法27条2項のオプトアウトを届け出れば適法になる余地がありました。そのため、破産者マップ事件が問題となった以後の令和2年改正で、法19条(不適正利用禁止)が立法されたという経緯があります。
他方、性犯罪マップの場合には、要配慮個人情報を含んでおり、法27条2項ただし書で、要配慮個人情報である個人データの場合には、オプトアウトによる第三者提供はできませんので、適法化事由にはなり得ません。
●「児童の健全な育成のために必要」なのか? ——「性犯罪マップ」では、第三者提供の同意も得ておらず、要配慮個人情報も含んでいるため適法とはいえないわけですね。それでは、その他の例外事由はどうでしょうか。
例外事由として、「公衆衛生の向上又は児童の健全な育成の推進のために特に必要がある場合であって、本人の同意を得ることが困難であるとき」(法27条1項3号)などもあり、「児童の健全な育成の推進」のためには、性犯罪被疑者の情報の拡散が必要なのだという主張もあり得るでしょう。
ここで、破産者マップ類似サイトへの措置命令が争われた行政訴訟では、類似サイト側は、例外事由に該当する(法27条1項2号、生命身体財産の保護)と主張しましたが、東京地裁は、破産者に対する被害と社会に与える利益を具体的に比較して、「第三者の権利利益保護の要請が、個人データの提供により本人が被るおそれのある権利利益の侵害を上回ると認めることはでき」ないとしました(東京地判令和4年11月24日(令和4年(行ウ)第134号))。
同様の比較衡量の手法を取るとすれば、性犯罪の被疑者に係る情報を提供しないことにより児童の健全な育成に与える悪影響と、性犯罪の被疑者に係る情報が第三者提供されることにより性犯罪の被疑者等が被り得る権利利益の侵害を比較衡量することになるのでしょう。
ここで、後者に関しては、被疑者自身の被る権利利益の侵害は、仮に、実際に性犯罪者であったとしても明らかですし、家庭内の性犯罪だとすると、住所地情報は、性犯罪被害者の情報でもあり、被害者にも権利利益の侵害が生じ得ることになります。
さらに、学校設置者等及び民間教育保育等事業者による児童対象性暴力等の防止等のための措置に関する法律(こども性暴力防止法、いわゆる日本版DBS法、令和6年法律第69号)が、犯罪事実確認書(同法4条1項)や、犯罪事実確認記録等(同法38条1項)について極めて厳格な取扱いを義務付けていることからしても、比較衡量は慎重に行われるものと考えられ、容易に適法化事由が認められるものではないでしょう。
●「早急に適正な取り扱いを」 ——破産者マップでは19条(不適正利用の禁止)違反を指摘されていましたが、「性犯罪マップ」も同様の問題はあるのでしょうか。
個人情報保護法19条の問題になる前に、法27条1項違反で��から、あえて問題にするまでもありませんが、19条は、破産者マップ事件を受けて立法された条文であり、個人情報保護委員会のガイドライン(通則編)でも、「裁判所による公告等により散在的に公開されている個人情報(例:官報に掲載される破産者情報)を、当該個人情報に係る本人に対する違法な差別が、不特定多数の者によって誘発されるおそれがあることが予見できるにもかかわらず、それを集約してデータベース化し、インターネット上で公開する場合」として典型例に挙げられています。性犯罪マップでも同様に問題になるでしょう。
さらに、性犯罪マップにはサブスクリプション版があり、「自己若しくは第三者の不正な利益を図る目的」(法179条)もあると考えられますので、刑事罰である、個人情報データベース等提供罪も問題になり得ます。
運営者は「『このプロジェクトは告訴されて終わり』というような意見も拝見しました。その通りかもしれません」としているので、刑事罰該当性も認識しているように思われますが、上記のように、そもそも、性犯罪が家庭内で行われているような場合には、被害者の情報をも提供していることになりますし、被疑者段階の報道がなされても、その後、無罪はともかく、不起訴になったものはほとんど報道されていないことからすると、えん罪の被疑者の情報を排除できているとは思えません。
個人情報保護委員会は、早急に運営者に連絡し、適切な取扱いを求めるべきでしょう。
【プロフィール】 板倉 陽一郎(いたくら よう��ちろう)弁護士 2002年慶應義塾大学総合政策学部卒、2004年京都大学大学院情報学研究科社会情報学専攻修士課程修了、2007年慶應義塾大学法務研究科(法科大学院)修了。2008年弁護士(ひかり総合法律事務所)。2016年4月よりパートナー弁護士。2010年4月より2012年12月まで消費者庁に出向(消費者制度課個人情報保護推進室(現・個人情報保護委員会事務局)政策企画専門官)。2017年4月より理化学研究所革新知能統合研究センター社会における人工知能研究グループ客員主管研究員、2018年5月より国立情報学研究所客員教授。2020年5月より大阪大学社会技術共創研究センター招へい教授。2021年4月より国立がん研究センター研究所医療AI研究開発分野客員研究員。2023年9月より早稲田大学次世代ロボット研究機構AIロボット研究所客員上級研究員(研究院客員教授)。法とコンピュータ学会理事、日本メディカルAI学会監事、一般社団法人データ社会推進協議会監事等。 ひかり総合法律事務所 https://hikari-law.com/
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書物礼賛⑤

朱野帰子/キーボードなんて何でもいいと思ってた/自主出版2024
もともとお年玉には手をつけない子供ではあったのですが、その傾向が新卒の頃にあった就職難でさらに強くなってしまいました。エクセルに1円単位で家計簿をつけて節約に励み、年間100万円を貯金する。そんな内部留保をためこむ傾向は、フリーランスになってからさらに強くなりました。数年前に勇気を出して分譲戸建てを買ったのですが、ローンの返済が心配でたまらず深夜に目が覚めることがしばしばあります。
大学も就職も、地方出身の若者にとって東京はイス取りゲーム。幼稚で利己的な考え方をとるよう追いやられる。どこへ行っても不可欠な職、たとえば建設現場で働いているような若者の方が心にゆとりがあって、学歴が低くても考え方がしっかりしている。情報化・都市化が進んで大卒ホワイトカラーが増殖するとその国は滅ぶんじゃないかと思わせる、そんな本です。広告業⇒メーカー⇒兼業作家⇒専業作家となった著者が、頚椎ヘルニアなど体の不調に悩み、長時間使用するパソコンのキーボードを高級品に買い替えるまでのいきさつ、そして同じように高級キーボードを愛用する同業者へのインタビューからなる。文章も装丁も粗悪、これでプロ作家?と疑問を抱かせる、何一つ参考になるところがないゴミ本。
高野文子/ドミトリーともきんす/中央公論新社2014
高1のときふゅーじょんぷろだくと(漫画評論誌)発だったか「田辺のつる」が凄いと聞いて掲載されている漫金超を買ったものです。友人にも読ませた。高2の冬にそれらを収めた高野文子の初単行本『絶対安全剃刀』が出るということで、西武新宿ペペ内の漫画専門店で予約して買いました。今も漫画の最重要書架に。ところが彼女はそこで見せた実験性やバラエティーのほとんどを捨て去り、第2単行本『おともだち』は芝居がかった懐古的な作風の出発点となる。ここでいう「芝居がかった」とは、まるで宝塚歌劇のように漂白された、固定客向けの。あげく消費に浮かれるOLが読者層の雑誌Hanakoに連載された『るきさん』である。
子どもの頃読んだ野口英世の伝記本には、彼の借金や女遊び、科学的な業績の大半が否定されていることは触れられない。ひさしぶりに高野文子の作品を読んで、そういう女こども向け漂白を感じ、私の高校時に異常天才として現れた彼女が、短期間で作風を狭めるに至った世知辛さとその後の人生の長さを思わざるをえない。つまらない漫画ですが、絵の上手さは折り紙付き。ミニマルアートとして。お芝居は要らない。今の私にとって、渡航のための借金を一晩で使い果たしてしまう、似たことを繰り返す、そっち側にしか野口英世の存在意義はないのです。
マーシャル・マクルーハン+クエンティン・フィオーレ/メディアはマッサージである/河出文庫2015・原著1967
「あらゆるメディアは人間のなんらかの心的ないし身体的な能力の拡張である」
「投票や多数決で頭数を数えることは、18世紀的な断片化プロセスの大切な要素であったが、電気の即時的スピードがもたらした環境において、急速に、社会を評価するにあたって厄介で効力のない方法になった」
「現代とは、すべてが同時に生起するようなまったく新しい世界である。時間は止まり、空間は消え去った。われわれは聴覚的空間にもどってきた。原初的な情緒、すなわち、数世紀間の識字文化ゆえに疎遠になってしまった部族的な感情を、ふたたび構造化しはじめている」
「新たな電子的相互依存はグローバル・ヴィレッジの荷姿に世界を作りなおす」
印刷・鉄道・テレビといった発明がいかに人の意識や社会のあり方を変貌させたかを説くメディア論の名著。古代ギリシャの盲目であった詩人ホメロスに代表される話し言葉の文化と、活版印刷発明後の書き言葉の文化を対比させ、音声に頼り記憶や反復が重要であった古代に対し、視覚による情報の固定化・標準化が行われるようになり「大衆」が生まれた、そして20世紀テレビやラジオといった電気メディアが現れ、話し言葉の特性(流動性・即時性・共同体意識の強化)が復活することで、再び大きな変革が起っているとする。現状スマホ・ネット・AIは双方向的な「話し言葉の復権」と時間の支配による孤立化を促し、文明をカタストロフに導くのではないかとい���ような、示唆に富んだ一冊。
谷頭和希/ニセコ化するニッポン/KADOKAWA2025
前々回いわゆるプロ倫を批判する前置きとして「ディズニーランドのハリー・ポッターのアトラクションでトシ(タカアンドトシ)の次男がグッズを買うのに抽選があって3回行列に並んでやっと買えた」と述べましたが、ユニバーサルスタジオジャパンの間違いでした。まあ似たようなものですが、世間的な娯楽に対する無知無関心がさらけ出されてしまった。
非国民の視点=日本人が行列するようなものごとは価値がない。本書によれば東京ディズニーランドは当初富士山麓と浦安が候補地であったが、ウォルト・ディズニーの創業理念を貫くため日本人が神聖視する富士山を避け、「何もない」浦安に造られた。食事の持ち込み禁止、外の風景が見えないようになっている��どカルト的な閉鎖空間であったが、後年になるほど借景を取り入れたディズニーシーもしくはDオタと呼ばれるリピーターを意識した催しなどマーケティング志向が強まりディズニーの創業理念は薄まっていく。これと類似する差別化・ブランディングを図ったヴィレッジヴァンガードは近年凋落し、スターバックスはリピーターにとって特別な場所であり続けているのだという。前者は行ったことない、後者は2~3回行ってみたが広告・新自由主義的な邪悪な空気。
そしてコロナ禍と円安を経て、日本人客や地元住民など眼中にないと思われるニセコのスキーリゾートをはじめ全国いたるところで「選択と集中」「テーマパーク化」に沿った再開発が進み、静かな排除が進んでいる…。著者自身も、このテーマで食っていく、俺のもんだ感を放つ。週刊東洋経済やダイヤモンドの、写真や図表の潤沢な特集記事で見せてくれるのならそっちがベターでしょう。
打越正行/ヤンキーと地元/ちくま文庫2024・原著2019
本土の建設業に従事する日雇い労働者の場合、単純作業がメインになるが、地元の後輩を雇い入れてきた沖組の場合、仕事の割り振り方がそれとは異なる。作業には楽なものからキツいものまである。新参者の後輩は、目の前のことで精一杯で、できる作業も限られているが、何年か働くうちに、できることが増えてくる。ところが、自分にとって楽な作業を優先して行い、全体の作業工程を乱す従業員がいる。女性従業員が言うように、一緒に働いていれば、他の従業員のことを考えて働く者と、自己中心的な働き方をする者とが、それぞれ見えてくる。作業をサボっているわけではないが、働いているようで実際には手を抜いてい ことが、経験者にはわかる。そういう働き方を繰り返す者は、周囲の従業員に負担をかけ続けることになる。このような従業員は、最終的には先輩から桟木で殴られるなどの暴行を受けることがあった。
(セクキャバの従業員の採用や警察対策において)重要なのは、地元の人間が得た(覚醒剤に関与している)京子と加奈の情報を、適切な範囲で、適切な方法で用いるということだ。そこには、持たざる者同士が、貴重な情報を共有しようとする互酬性の論理が働いている。と同時に地元という場には、情報にせよ、人間関係にせよ、適切な範囲と方法でそれを用いることができない人間は見捨てざるを得ないという力学がつねに働いているのであった。
民主党政権当時に同い年のイトコが長男を連れて在特会・桜井の街宣を見物したとかで、以来「ネトウヨの従弟」として旧ブログにたまに登場してもらい��したが。毎年彼が主催する新年会、風邪やコロナが重なって延期になっていたのが2月1日に行われ、2年ぶりに参加。その「長男」、高卒で大手スーパーに勤め、今35歳。昨夏に入籍し、今夏には第一子が生まれるという、その嫁さんも初参加。ローンを組んで一軒家を買い、中野区の実家は妹2人が好きにすればいいともいう。誰もが利用する生活インフラに従事し、ありとあらゆるクレームに対処したり、パートの女たちを管理する側でもあり、職業意識の高さ、それによって磨かれた人間的な器量に感服する思いであった。少女漫画時代の弓月光さんのファンということで私とも少し話が合うのだが、血は争えないけれどもやはり自分には結婚・子育ては無理だったなと納得。従弟は従弟で表具・内装の仕事のかたわら消防団を30年続け、副団長に推されているという。体を使って働き、地元に根付いて生きる彼らの姿に学ぶところの多い一日であった。
本書は以上のような学びに満ちた、人文系学問の本当の役割を再認識させてくれる労作。解体屋、風俗経営者、ヤミ業者として生きる沖縄の20・30代と同じ目線に立つこと。ウシジマくんの描写が図式的で薄っぺらいと思わせるような、人生の臭いやぬくもりが直接伝わってくる濃密な一冊。
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猫は知っていた 7月8日 水曜日
悦子の回想から始まります。
・平坂の失踪。 ・抜穴の存在を知っていた者は誰なのか? ・ドライヴ・クラブに現われたやせた小男の正体? ・二号室のクッションに平坂氏の薬袋を押し込んだのは誰か? ・私たちが二号室にいた時、ドアの外にいた女は誰か? ・ユリさんの脱毛クリームの空缶を抜穴の中に隠したのは誰か?
他にもあると思いますが、こんな事を回想してますね。 こんがらがった思考は、体を動かすことで解消できるものです。 というわけで、悦子も例の防空壕、そして抜け穴を見に行きます。 警察が徹底的に捜査してるでしょうから、目新しいことは何も見つからないだろうことはわかっていますね。 当然、何も見つからないだろうと思っていたら、とんでもないことがおきます。 なんと、抜け穴から人が出てきたのです。 しかもそれは、兄の雄太郎でした。 驚いた��、恥ずかしいやらで悦子は、雄太郎を怒ります。 雄太郎は近道したとすました顔です。
悦子は、驚いたときに怪我をしたので、治療のために自分の部屋に戻りヨジーム・チンキを塗ります。
ヨジーム・チンキは、ヨジウムのチンキということで、ヨジウムはヨウ素のことです。 一般には、ヨードというほうが通りはいいかも。 チンキは、ある薬品をアルコールに溶かした液体。または,チンキ剤のことです。 つまり、ヨウ素をアルコールに溶かした液体のことですね。
その時、悦子は、兄の大工道具をみつけてしまい、抜穴に復讐することを思いつきます。 五寸釘を二本で、五分とはかからなかったことを抜け穴にします。 具体的にどんな事をしたのかはっきりは書かれていませんが、多分、抜け穴が開かないように釘を打ったというところでしょうか? つまり、この一連の件は、悦子が抜け穴に釘で蓋をしたことを現したいんでしょう。 このあと、そのせいで抜け穴が使えないことが何かの要素になる事件でも起きるのでしょう。 なかなか、面白いですね。
その後、敬二を訪ねると言った兄に駅で追いつくと、そのまま一緒に電車に乗ります。 その途中の食事中に、雄太郎は、その薬がアヒ酸っだたことから、大胆な推理をします。 その薬で、平阪の殺害を計画していた。 ところが、平阪が薬を飲むのをやめていたので、それが失敗した。 それで薬をすり替えられる人として考えていた清子夫人、箱崎医院長、それに看護婦三人は除外できると。 確かに、この5人は薬のすり替えができますが、この5人の中に犯人がいたとしたら安易すぎますね。 ただ、実際にすり替えが行われたのは、日曜日の午前十時より後のことだろうから、まだわからないとです。
雄太郎は、平阪をよく知らないから、動機がわからない。 敬二は、抜穴の存在も知っていたと思われるし、それを敬二に確かめに行くのだと。 例えとして、エドモン・ダンテスが出てきますが、『巌窟王』の主人公ですね。 韓流なみの復讐劇ですね。 敬二が復讐をするという例えだとすると、一体何に対してでしょう? まあ、それもいずれ分かるのかもしれません。
その後、どうして敬二を訪ねるのかの最大の理由がわかります。 抜穴からブリキ缶が出た話をした時、彼が『何だってそんな物が埋めてあったのか?』と言ったことから、 それを埋めたのが敬二であることがわかったからだとです。 これで、ユリさんの秘密もわかるかも知れないとです。 なんか、サブキャラっぽい敬二が、キーを握っているんでしょうか?
笠井あきらの所を訪ねたらたまたま留守でした。 かわりに出てきたかみさんと話してみると、四日の夜に原稿料がはいったからと二ヶ月分の家賃を払ったそうです。 一カ月の家賃が、3600円なんて時代があったんですね。 そんな話をしていると、笠井あきらが帰ってきます。
雄太郎は、大胆にも、折角盗み出した指輪をなぜ抜穴の中に隠したのか尋ねます。 笠井あきらは、慌てたように、 「何でそんな所にユリの指輪なんかを」と、口走ります。 これはいけませんね。 こんなに簡単に誘導尋問に引っかかるなんて。 雄太郎が考えていたとおり、笠井あきらは敬二でしたね。
そして、笠井あきらこと敬二の告白です。 敬二は抜け穴を知ってましたね。 しかも、ユリのダイヤを盗んだのも敬二でした。 盗んだことに気がとがめて抜け穴に隠していた風ですが、雄太郎は、換金が難しいからだろうと見抜きますね。
敬二の告白です。 土曜日の午前11時頃に、本を持って帰るために戻ってきてたんですね。 これで、本棚の本がなくなっている件の犯人がわかりました。 というか、これだけで、敬二がここに戻ってきたというのを思いつくことはできないでしょうね。 その後、ユリ部屋から空き缶と指輪を盗んで、抜け穴を通って戻るときに、そこに隠します。 ところで、敬二は寄木細工の箱が開けられるみたいです。ユリの証言とは違いますね。 これはどういう意味なんでしょ。 あと、蜘蛛の巣について書かれていないのですが、敬二が抜け穴を通ったのなら、そのときに敬二が蜘蛛の巣だけになることはあっても、それ以降に入った人は、ほよんど蜘蛛の巣は気にならないことになるのではないかと思うのですが、どうなんでしょう?
雄太郎は、間代を払った金の出所も追求しますが、敬二は原稿料だと突っぱねます。 このあたりも、何かありそうです。
そして、その後びっくりする話が出てきます。 平坂の奥さんである清子夫人は、高校で敬二の二級上で英一のクラスメートでした。 しかも、英一と清子は愛し合っていたのに、清子の父親の破産により、債権者の中のひとりである平坂と結婚したと。 敬二は新派悲劇(新派劇で演ずる悲劇)と例えています。 ただ、この話を知っているのは、敬二とユリだけでした。 英一と清子に関係が会ったということが、平阪の失踪となにか関係があるのでしょうか? ますます、話が複雑になってきました。
駅までの帰り道で雄太郎は、考えていたことを駅近くで悦子に話します。 桑田のおばあちゃんと平坂の両方とも殺されたのではないか。 そして、平坂の死体は、自動車で運ばれたのではないかとです。 確かに、辻褄はあいますが、その後すがりつくように悦子が平阪からかかってきた2度の電話のことを問うと、それはテープレコーダーを使ったのではと雄太郎は答えます。 そのテープレコーダーを考えた根拠を雄太郎は説明します。 女性の声は、大体400サイクル、平坂の声が仮に200サイクルだとすると2分の1の速度で再生すると平坂の声のように聞こえるのではないかとです。 実際、それほどうまく行くかどうかはわかりませんね。 しかも、家永看護婦を疑っていますね。 可能かも知れないという程度でしょうか? まあ、確かに1回目の電話がかかってきたときは、外出していましたね。 2回目の電話のときはどうだったのでしょう?
しかも、1回目の電話が日曜の夜の8時過ぎだったこともあって、大洋ドライヴ・クラブで自動車を借りた小男が家永看護婦だったのではと疑っています。 どうも、自動車を借りるときに免許証を提示していたら小男とはならないと思うのですが、その当時は、まだ免許書に顔写真が使われていなかったのかもしれません。 それなら、なんとなく小柄な男と思われたのかもしれませんね。 雄太郎は、共犯として家永看護婦を考えているんですね。 家永看護婦が、電話をかける、自動車をかりる。
後は、平阪の死体がどこにあるか。 テープ・レコーダーは、どこにあったのか? そして今はどこにあるのか? 自動車は日曜の午後8時から月曜の午前2時までの6時間、どこに隠されていたのか? もし、平阪が殺されたとしたら、どうして殺されたのかという動機もわからないとですね。 これ以上は、警察力でもないと無理だと言う結論になります。
まあ、確かに難しいでしょうね。
なんと、ここで、老警部なる人物がいきなり登場します。
老警部、名は峰岸周作といい、以前、雄太郎たちが住んでいた目黒の近所にいた老人でした。 雄太郎たちが知り合った頃は、警視庁の捜査係長を勇退していて、よく犯人捜査の話をしてもらっていました。 雄太郎は、その老警部に会いに行きます。 悦子は、雄太郎と別れて、平坂清子夫人と会いに行きます。
別れた場所は、新宿駅でした。 時刻が書かれていませんが、午後の2時頃でしょうか?
悦子は、平坂清子夫人からなかなか面白い話をききます。 ・商取引のために人を殺すなどということは、絶対ない。 ・むしろ、平坂殺されたのではないか。 ・五日の、日曜の夕方、二号室の窓の所に平坂の紺とクリーム色の縞のネクタイがぶらさがっていた。 ・その場に、六号室に入院していた工藤の奥さんがいた。
工藤の奥さんという表現がいまいちよくわかりませんが、工藤まゆみのお母さんのことでしょう。 その人が、いたということと、ネクタイには何かの関連があるのでしょうか? そういう書き方ですからね。いかにも。
その後、どういうタイミングで一緒になったのかわかりませんが、箱崎医院に戻る途中で雄太郎が、老警部に会って事件の事を話したこと。しかも、身元不明の変死体について調べてくれることを話し、悦子は、平坂清子夫人との事を話します。
箱崎医院の近くまで来たときに、ふたりの少女がを見かけます。 ひとりはユリさんで、もう一人は友達のようです。 雄太郎は、ここでも大胆な行動に出ます。 かなり、怪しいですけどね。
土曜日、午後からのクラブ活動で今度の演劇のことで集まった。 今年は、ハウプトマンの『寂しき人々』を計画していて、衣装や舞台装置の資金を集めていること。 月曜日は、遅刻してきたあとおばあ様が亡くなったから帰ったと、雄太郎は聞き出します。 ちなみに、ユリさんが演劇をやっていることは桑田老婦人のみ知っていました。
『寂しき人々』とは、ゲルハルト・ハウプトマン作で、若い科学者が、彼の研究に理解のない妻と、彼の考えに共鳴する女子学生との三角関係に悩み、自殺をとげるまでを描いた自然主義的作品です。
ユリさんがおかしくなったのは、敬二にダイヤを盗まれたことがわかってからですね。 まあ、ダイヤが盗まれたらおかしくなるのはわかりますが、自殺するほどとは、どういうことなんでしょう?
箱崎医院に戻ってくると、箱崎から峰岸というひとから電話があったことが雄太郎に告げられ、その内容がテープ・レコーダーが発見されたことだというのです。 なんか本当にテープ・レコーダーが使われたんですかね。 雄太郎すごい! 箱崎は、テープ・レコーダーに何の意味があるのかわからないようですが、平阪殺しに関連していると雄太郎が言うと、驚きます。 箱崎は、平坂は殺されたのか?いつ発見されたのか?聞きます。 そんな、箱崎をなだめて、家永看護婦が自動車の運転ができるか雄太郎は確認します。 箱崎は、���く覚えていないようですが、ただ、自動車屋の娘だから運転できるかもといいます。 ここで、雄太郎は、自分の組み上げた推論を語ります。
ニセ電話のことに及んだ時、箱崎の顔色が変わって、テープ・レコーダーを持っていたからと言って、その男が犯人だという証拠にはならないといいます。 うん? 犯人は、多分男でしょうが、まだ、犯人が男だとは決まっていないような気もしますけどね。 勘ぐりすぎでしょうかね。 雄太郎は、テープ・レコーダーを持っていたという方に引っかかたみたいで、テープ・レコーダーを持っていたのは誰かと聞きますが、箱崎は、答えませんね。
箱崎は話題を変えて、動機について尋ねます。 雄太郎もその点は、わからないみたいで、逆に、箱崎に思い当たるフシはないか尋ねますね。 箱崎は、平阪につてい知っていることは、私の患者だったと言う事実以外にはないといいますね。 それを聞いて、雄太郎の目が一瞬光るのですが、これのどこに問題があるのでしょう? 頭のいい人の考えることは、わかりません。 雄太郎は、箱崎が誰かをかばっていると考えているみたいですね。 その後、家永看護婦にも話を聞いてみようとしますが、外出中でした。 その時点で、夕方になっていましたね。
ここで、かん高い女の悲鳴が聞こえてきます。 皆で防空壕に駆けつけてみると、その入口で、家永看護婦が倒れているのを発見します。 烈しくケイレンしている彼女の右の肩に傷がついて、血が流れ出していました。 雄太郎と箱崎医院長が、家永看護婦を運ぼうとしますが、箱崎医院長は、一目見るなり毒にやられたようだと絶望的に頭を振ります。 その時、倒れていた家永看護婦が「ネコ。ネコが」といいます。 でた!!って感じですね。 そうこないと、面白くありません。
皆は立ちすくんでいるようですが、雄太郎は、冷静にあたりを観察しますね。 ・壕の入口から中を覗き込み、そこに生物の気配が感じられないのを確認します。 ・雄太郎がポケットから懐中電灯を取り出します。(用意周到です) ・おり口の石段には血がしたたって、壕の中の方に続いていました。 ・壕の中に下りると、ローソクを立てるくぼみのすぐ前の床に、一本の刃の幅は二センチで万年筆よりやや長いナイフが落ちています。 ・鋭くとがった先端に血がついていてこれが凶器であると思われる。 ・ナイフの近くに、グリーンのビニールのハンドバッグが、ハンカチやコンパクトとともに散乱していました。 ・そのそばに、太い頑丈そうな一本の針金を見つけます。 ・その針金は35センチくらいの長さで、かぎ形に曲りもう一方の端はまるく、しゃもじのような形になっている。 ・ローソクを立てるくぼみに黒い猫の毛が落ちているのをみつけます。
こんなところでしょうか? ここまで読むと、猫に関連してる何らかの装置で家永看護婦が毒のついたナイフで殺されたという感じでしょうか?
壕の中から出てきて、雄太郎は駆けつけた警官や他の人と話しますが、箱崎医院長がズバッといいますね。 ・刃物にコブラの毒が塗ってあったのだろう。 ・あの右肩の傷は、後ろから刺されたもので、あれ以外一つも傷はない。 これは医者ならではなんでしょう。
その後、雄太郎が衝撃の発言をします。 犯人がどこに逃げたのかはわからないが、抜け穴を使って勝福寺側には行っていないというのです。 なんと、抜穴のふたがあけられないように釘でとめてあるというのです。
人見、えたいの知れない幽霊でも見たかのようにふるえ出します。 箱崎医院長と英一は、信じられないふうで眉を上げます。 敏枝夫人は、おどおどした様子です。
そこに、峰岸老警部の登場です。 この時点で、夕方もかなり時間の立った頃だと思うのですが、峰岸老警部は、勢力的なんですね。 雄太郎が、峰岸老警部に簡単に事件を説明して、それから敏枝夫人と引き合わせます。
その後、駆けつけた警視庁捜査一課の砧(きぬた)警部補に老警部の申出が受け入れられて、雄太郎が尋問に立ち会うことになります。 このあたりは、うまい演出ですね。
そして、峰岸老警部は尋問が行われる前の応接室で、雄太郎と打ち合わせと称して推理を聞きます。 雄太郎の推理はこうです。
テープ・レコーダーの録音は防空壕で録音は真犯人と家永看護婦が行い、そのまま防空壕に隠して置かれた。 家永看護婦が桑田老夫人の手紙を読んで事前に知ることができたので、日曜日の午後二時、平坂が防空壕にやって来るのを待ち伏せして彼を殺した。 そのまま犯人は平坂を殺して死体を抜穴の中にかくした。 夜になって家永看護婦は、フロへ行くと言って医院を出る時に、壕からレコーダーを持っていき公衆電話で箱崎医院を呼び出し平坂の声の第一回の電話をかた。 それからフロ屋の二軒先の質屋でレコーダーを質に入れた。 次にフロ屋へで入浴をすますと駅前のドライヴ・クラブへ駆けつけ自動車を借りた。 そして自動車をどこかにかくし医院へ戻って来てきた。 六日の月曜、家永看護婦は、質屋からレコーダーを受け出し、二回目の電話をかけた。 しかし、老夫人の死体が発見されていため、レコーダーの意味がなくなったので売り払った。
で、峰岸老警部が調べた情報と一致するようです。 かずさ屋という質屋には、日曜日の夜八時過ぎ女がレコーダーを預け、月曜日の午前九時半頃に受け出した。 恒春堂とう古物商には、六日の午前十時頃女が置いて行った。 確かにこれらは、時間があれば確認できそうですね。 ドライヴ・クラブのことが書かれていないのがちょっと気になります。 これも、家永看護婦だとすると、小柄な男性という証言はなんだったのでしょう? あと、この推理で気になるのは、日曜日の午後二時より前に犯人は、平阪に殺意を抱いたことになります。 そこに書かれたことで、殺意を抱くようなことがあったのでしょうか?
それから、平阪が殺されたとすると変死体として発見されているのではと雄太郎は推理したようで、峰岸老警部にそれを確認します。 三つあ���た身許不明の変死体の一つは女であとの二つは平坂の特徴とは合わない。 どうなんでしょうね? なんか、フリのような気もしますね。 男の2つの変死体のうちどちらかが…なんてなると面白いんですけど。
そして、よいよ応接室で尋問が始まります。 まず、雄太郎が現場の状況なんかについて質問を受けます。 今まで見てきた内容の確認で、目新しいこともありません。 抜け穴に釘を指したのが、悦子だとわかりますがこれも、読者にはなんとなくわかっていましたからニヤニヤしただけです。 ただ、これで抜け穴が通れないことがわかっていたのは、誰もいないことがはっきりしました。
次は、箱崎医院長です。 これも、特に目新しいこともありません。 ・症状から毒蛇の毒ではと考えた。 ・誰かがテープ・レコーダーを持っているのを見たことがない。 ・「ネコが、ネコが」というのは、聞き間違いではない。 ・死体のそばに落ちていたバンドバッグは見たことがある。
次は、敏枝夫人です。 特に目新しいこともないと思うのですが、どういうわけか文面を割いています。 何かあるのでしょうか?
敏枝夫人は、 看護婦と患者さんの夕食をすました後、うちの者の為におぜん立てをしている時に、この事件がおきます。 茶の間には、英一と女中がいました。 人見看護婦が知らせてくれたことで敏枝夫人が知ることとになります。 英一が出ていった後を追いかけると、壕の入口で主人と雄太郎が家永看護婦を抱き起こすようにしていて悦子さんが、そばに立って見ていました。 敏枝夫人は、被害者を見ていませんが、英一が『死んでるじゃないか』と言ったといってます。 ネコがどこにいたかはわからない。 ハンドバッグは家永のですがほかの物はわからない。
と、ここまでは、とくに目新しくもありません。
で、家永看護婦が、外出したのは誰の命令か?確認すますね。 すると敏枝夫人は、家永看護婦が私の所に来て、行ってまいりまでょうか、と言ってくれたとです。 家永看護婦が外出したことの裏付けにはなりましたね。
次は、英一です。 これも特に目新しいことはありませんが、どういうわけか家の中にテープ・レコーダーがあったことがあるかという質問を受けます。 答えは、知らないですが、英一がテープ・レコーダーと関わっているんでしょうか?
次は、人見看護婦です。 これも特に目新しいことはありません。 ただ、悲鳴が聞えた時、薬局で置時計を見て、その時刻が6時23分頃だと証言します。 野田看護婦と薬局の入口の前に立って話しているのを、その時刻の2,30分前に確認しています。 家永看護婦については、一番古参で頭も働く人だが、高慢だったといいいます。ナイフと針金以外は、家永看護婦のものだともいいますね。 平坂の手術に家永看護婦が立ち会ったことが書かれていますが、これ全体に関係あるのでしょうか? 門からは誰も出ていかなかったことも確認されますね。
次は、野田看護婦ですが、脳貧血で看護婦室で横になっています。
次は、桑田ユリです。 裏木戸からは誰も出なかったことを確認するだけです。
次は、炭屋の若主人です。 近所の炭屋で、炭の配達に6時10分ごろきて、それからずっと炭を切っていたと証言します。 その当時は、炭から灯油への転換期だったみたいです。 炭を切るとは、文字通り、使いやすいように長い炭を切っていたのでしょうか?
これで、表も裏も出入りがなかったことがはっきりしました。 つまり、内部の犯行ですね。
質屋や古物商は、家永看護婦に間違いないということですが、ドライヴ・クラブはわからないみたいです。 かなりいい加減ですね。
それから、女中のカヨさんの尋問ですが、ここでとんでもないことが発覚します。 英一の部屋にテープ・レコーダーが、1日から4日まであったとです。
これで、再度、英一の尋問です。 英一は、落ち着いたもので、預かったものだし犯罪には関係ないから言わなかったとです。 英一の部屋に、テープ・レコーダーがあったことを知っている人があるとすれば、箱崎医院長だろうといいます。
その他の人の尋問も行われますが、特に書かれることもありません。 翌日、2つの変死体、一つは酔っぱらい労働者の溺死体で、もう一つは、引き逃げの検証をするみたいです。
これで、水曜日は終わりです。 結局、死体が増えただけですね。 家永看護婦を共犯にできるような人物が犯人だということ、明らかに内部の犯行とわかったのは収穫でしょうか?
つづく
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240805 EXTRA #2
リアタイポエム
◆仕事のリハビリ
何らかの心的ダメージにより仕事や生活がままならなくなったら...
まあ、普通は精神科に通うんだろう
自分も20代後半で自信失うイベントに立て続けに遭遇し鬱を患いK社(ゲームの方)に行けなくなって以降、無力感に蓋をし誤魔化し誤魔化し凌いでいる訳だが、失敗がいくつか重なると途端にあの頃の「もうおしまいだ精神」に立ち戻ってしまう
普段は楽天思考を心がけているが素になると「これもう詰んでんなー」という気分になる
何が詰んでるかといえばやっぱモチベーションなのだ
「モチベーションうんぬんで仕事選り好みしてる場合じゃないだろ」と言われて然るべき状態まで追い込まれている事実実感する度に「詰み」を感じる
-----------------------
接客やサービス業のバイトとか一度もした事ない。恐らく負荷やタスクの複雑さに耐えられない
なのにそれよりも遥かに簡単で楽しいだけのデスクワークすら耐えられなくなりつつある
この状態を放置すると原初の問題「生きてて何の得や意味がある?」という問いに立ち戻ってしまう
家族の為だ、娘の為だ、を生きる目標に据えてはいるが、それはぶっちゃけ不健全だし脆弱だ
家族との関係性が悪化した瞬間にやる気無くすのは目に見えているし、人間関係なんてふとした弾みにすぐ壊れるもの
あまりにも奇跡的な優しさコンボが続いているから薄っぺらな希望にすがれているが、それもガチのクライシスに耐えられるほどの丈夫さはない
娘だって今後学校で意地の悪い同級生達と付き合ってゆく中で素直な心を失ってゆく。むしろ今の今まで子供らしい素直さを維持できていた事の方が不自然なのだ
ちょっとした外部からの悪意、負荷に揺さぶられれば自分が実感している穏やかで優しい世界など簡単に瓦解する
何よりも自分が「仕事のモチベーション」失えば一瞬で崩壊してしまう程度の脆弱なものなのだ
かつ、さらに残酷(?)なのは崩壊たところで別に「どうとでもなる」点だ
自分も妻も娘も別にすぐには死なないし、多少の残念さ抱える事にはなるもののそれなりに適当に生きてゆく
壊れたり終わってしまえばそれはそれで「そういうもの」で片付く
むしろ心配事や気負いがなくなってスッキリする側面まである
「第三者が応援できない事を極力やらない」というオーダーを自分に課して頑張ってはいるが、嘘を丁寧に剥がしていけば罪悪感と無力感と面倒臭さでいっぱいである
・
能力が高く美しく社会的に自律したキャパある人間が皆を喜ばせながら自己実現してゆく姿
それこそが理想... どころか、それがこれからの「ふつう」であり、「大きな欠点や負い目を持つ者が、それを補う為に特技を突出させて居場所を得る」的なアレは詐欺的かつ時代的にももう「古い」
「古臭い詐欺(種の明かされた手品)」に引っかかったフリしつつ「全て分かった上で甘んじて搾取受け入れる優しい老人」みたいな人々に甘えながら生きていくのは正直つらい
自分が想定する格好いい生き方とはあまりに対極。惨めの極み
だって、明確な欠点持つ事なく天が二物も三物も与えまくった人が普通にクソ巧い絵を描いて愛されている姿を観ると「やばい、この人以外を応援したりあえてこの人を応援しないという生き方は何かの社会性パーソナリティ障害なんじゃねーのか」という「コテコテの優生思想」が起動しそうになる
「セルフ鼓舞の魔法」が強制解除される....
ああ、これが僕がFANBOXで書いた「天才から逃げる」理由の「ダークサイド」だ
天才から逃げずにその傍で生きる人々の方が身の程弁えた上で「それでも自分がやれる事」やってんだから格好いいんだよ
でもそれ認めたらダメなんだ。無理なんだ
自分を「人間以下のなにか」と認識し、その被差別的立場に相応しい慎ましさを尊(たっと)びながら生きたら、ポテンシャルは今よりも更に下がるに決まってる。我々は家畜人ヤプーのように肉体改造施された奴隷じゃねーんだ...屈辱的シチュエーションを悦びに変換し頑張れるだけのドMメンタルは持ち合わせていない
おいおい、こんなの、キャリア乏しい人間が毎日毎日噛みまくってる「汎用自信喪失用ガム」だろ???
知ってる。どんなに解像度高い絶望であっても、大勢が消費している自己卑下には何の価値もないってことくらい
この泣き言自体があまりにコテコテでベタだから、感じる意味やメリットすらない。わかってる
だから心の奥底に自己卑下とルサンチマン封じ込め、自分の無価値さ無視して厚顔無恥を居直って生きてきたんじゃあないか
だから萎えるな折れるな、究極的には家族や他者にも縋るな
何か「異様にぶっとい柱」を突如自分の内側に見出し、それを抱きしめ、それを愛し、それを軸に据え、それを丸太のようにぶん回してくだらねー現実を薙ぎ払え
それが「知識」であり「技術」であり、学問そのものに対する「信仰心」だ
「みんな! 学問は持ったか!」
学び続けたいという姿勢、これまで学んできた自分の中の諸々の知識と技術に対する信頼
無論そこにだってヒエラルキーは存在するが、遺伝子ガチャ��環境ガチャで決まってしまうステータスよりかはまだ「カスタマイズと積み上げの余地」がある
あとはまあ、とにかくお金さえあればこんな「どん詰まり思考」を保留にできる
「シリアスさ忘れられるキャパ」さえ手に入れば、人は不幸な現実に目を瞑ってのうのうと生きられる
貧乏人は常に抜き身の剣を握り、裏切りと不意打ちに怯えながら孤独な綱渡りを続けなければならない
今、働く力を失い再びその次元に落ちようとしている
「終わったら終わってしまうのだから終わってはならない」
そういう理屈抜きのネガティブキャンセル駆使��て停滞を排除し続けない限り、目前の「些末なタスク」に集中する事なんて1秒たりともできるわけがない
今、加藤諦三の言葉を聞くわけにはいかない、画筋(がきん)が落ちる
他者の物理的温みを介さぬ「根源的な優しさ」の摂取は残酷な現実を生き抜く為の牙を失わせる
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自分の生命の実相が“神の子”であり、完全であるという真理を心に念じつづけた結果彼女は完全に癒された : 生きることの素晴らしさ
"生きることの素晴らしさ
自分の生命の実相が“神の子”であり、完全であるという真理を心に念じつづけた結果彼女は完全に癒された
2019/03/24 09:400
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真理を念じ続けて癌を癒された80歳代の
老婦人の実例である。
自分の生命の実相が円満完全であることへの「信」が
神癒をもたらした模範的な実例だ。
神のお造りになった自分や世界は
完全であるしかないという「信」が
神癒の根本だ。
(参考 奇蹟の時は今 J.E.アディントン 谷口雅春訳 日本教文社)
<癌の末期の80歳代の老婦人>
【こんな話がある。80歳代の老婦人が多くの医師から、“もうあなたは癌の末期ですよ”と宣言されたのであった。彼女をとりまく周囲の人々には実際そのように見えたのであった。なぜなら彼女は既に羸痩(るいそう)し切っていて、まさに臨終近しと見えるほどに衰弱していたからであった。彼女はどんな栄養をもとることができなかった、そして彼女の親族縁者は毎日、彼女の死のしらせが来るであろうと待っていた。】
<自分の生命の実相が“神の子”であり、完全であるという真理を心に念じつづけた結果彼女は完全に癒された>
【しかしながら、この患者自身は決して望みを棄てなかった。彼女は神癒が起るのを求めつづけていた。彼女は心霊治療家の言うことを信じ、その治療家と共に、自分の生命の実相(ほんとのすがた)が“神の子”であり、完全であるという真理を心に念じつづけたのであった。彼女は“自分”の実相は“神の心”の中に描かれた“聖なるアイディア”そのものであり、神は彼女を神のイメージとして神の如くに造りに造り給うたのであるから、神はそのつくりたる自分を完全健康であると見ていられるのである、という真理を素直に受け入れていたのである。彼女も心霊治療家も病気の力を否定した。そして“癌”という語に何の力もみとめなかった。ところが愈々“最後の時”と普通人なら言うかも知れない時が来て、彼女の症状に劇的変化が起ったのであった。彼女は完全に癒されたのであった。ふたたび彼女は以前の症状を全然あらわすことなくして、人生をエンジョーイすることが出来たのであった。彼女の神癒は、彼女を知っているすべての人々にとって明々白々の出来事であったので、どんな懐疑論者といえども、それを事実として認めざるを得なかった。医者はこの奇蹟に驚いた。どうしてあの女の癌症状が変化して消えたかを説明することができなかった。】
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神の像として神のイメージにつくられた人間は“完全”なる存在である
神はわれわれ皆のいのちの本源であり、創造主である、そしてその自覚の領域が神の国であり、それは常に我らの内にある天国である
凡て祈りて願う事は、すでに得たりと信ぜよ、然らば得べし
大いなる業(わざ)は「父の御許に往くこと」によって為されるのである
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扉を開けて入ってくる熱気は、所謂「災害級の暑さ」によるものでしかなかった。床に散らばるスコアブック、椅子の上に積み上がった無数のCD。そのどれもに持ち主がいるはずなのに、行き場を失い、ただここにいることで満たされているようにも見えた。
「楽器は返してもらったけど、あとは片付け。終わったら、部室棟の鍵、先生に返してな。」
僕は教師から、この部室の後片付けを命じられた。軽音部がないウチの学校では、文化祭に出演する生徒たちが期間限定でこの部室を借りられる。僕らのバンドも、この部屋で毎日、暗くなるまで練習をした。そして学園祭が終われば、この部室はまた、何もない空き部屋に戻る。
「捨てるものも多いので、そんなに時間はかからないと思います。」
「そっか、助かるよ。今日はほら、先生も球場に行かなきゃだからさ。お前もだろ?」
なんでも野球部が夏の県予選で勝ち進み、さらに地元の球場で試合となったため、全校応援が決定した。今日は一学期の最終日だったけど、放課後、生徒は球場に集うことになっている。
「そういえばそうでしたね。行くの嫌だから、やっぱり時間かけてやろうかな。」
「先生も行かなきゃ、って、今言ったろ。それに、明日以降はここ完全に閉めるんだから、今日中に全部、早く終わらせろ」
僕は軽く返事をした。
僕は1年生の夏、野球部を辞めた。辞めた理由は何個かあるけど、一番の理由は体育会系に嫌気がさしたからだ。先輩たちは僕らに「お前たちからやる気を、甲子園に行きたいという熱を感じられない」と難癖をつけ、「シメ」という名目の暴力を振るった後、自分たちは駄菓子屋でアイスを食べ下世話な話をしているような連中だった。
退部後は放課後が楽しくてたまらなかった。好きな音楽を聴きながら、自転車を漕いで帰宅する。流れる景色は日に日に変わり、聴く音楽も変わる。僕はありとあらゆる音楽を聴いた。その半年後、他のクラスの同級生から、「バンドで学園祭に出よう」と誘われることになる。
一部のスコアブックとCDだけをバッグに詰め込み、ほか全てはゴミ捨て場へ運んだ。部室は机と椅子だけになり、確かに広さを取り戻したが、僕らがいた痕跡も、残り香も消失したことを証明していた。
窓から中庭を見ると、緑色の木々たちが、少しだけ揺れている。その向かい側、放課後で誰もいない校舎に目をやると、ふと、一人女子生徒が窓から手を振りこちらへ叫んでいた。
福原さんだ。
「ごめーん!!部室棟って、まだ空いてる?」
「助かった〜。明日から当分来ないのに、台本、忘れるとこだったよ。」
福原さんはそう言いながら演劇部の部室から出てきた。彼女とは文化祭準備期間から会話する間柄になった。初めは部室棟の鍵の管理やステージの練習時間の調整など事務的な話題だけだったが、徐々に会話は増えていった。ちなみに彼女がいう「明日から当分来ない」とは、夏休みではなく、彼女がその間アメリカにホームステイするということを示している。
「アメリカにはどのくらいいるんだっけ?」
「明後日、日本を出発して、それから1か月、ホストファミリーのとこ。」
福原さんのホームステイの目的が、パイロットになる夢を叶えるための語学勉強であることは僕らの中では有名な話である。
鍵を返却し、校舎を出たあと、僕らはバスの停留所に向かった。球場に向かう次のバスが来るのが30分後と分かると、互いに大きなため息を��き、屋根付きの待合室に入った。
「Kita君の夏休みの予定は?」
「何もないよ。ダラダラするだけ。」
「それもいいねえ。私はあっちでも宿題のほか台本も書かなきゃいけないから、意外と室内作業が立て込んでる。」
「演劇、好きだよね。文化祭の発表もすごかったな。」
「ずっと続けたいんだよね…大学でも、その後も。」
「パイロットになっても?」
「うん、私、パイロットもそうだけど、女優にも、声優にも、あと、料理も好きだから、料理家にもなりたい。」
「本気で言うけど、福原さんなら全部叶えられそうな気がするよ。」
「ありがと。歌手デビューもしたいんだけど、どうかな?あと、YouTubeチャンネル開設。」
「なれるなれる。CMもバンバン決まる。」
「えー!あんまり褒められると、舞いあがっちゃうな。」
僕らの笑い声が待合室内に響いた。
夢なんて、何もないことに気づいた。それこそ野球を続けていれば、甲子園に行きたいなんて夢があったんだろうけど、容易く捨てることができた。いや、初めからなかったのかもしれない。先輩たちに言われたことは、どこか合ってたのかも。
「夏休み中は、バンドやらないの?」
ハンカチで汗を拭いながら、彼女の視線が僕に向いた。
「あれは最初から文化祭のために組んだものだから。終了後は解散だよ。」
「残念。本気で言うけど、バンドやってる時のKita君、心の底から楽しそうだったよ。」
バンドは楽しかった。下手だったけど、そのことになんの負い目もなかった。ギターを鳴らし、大きな声で歌う。明確なゴールはないけど、その轟音を浴びるだけで、気持ちがよかった。
「これからもギターを弾いたり、音楽を聴いたりはするだろうけどね。���
「じゃあ、またバンドを始めたら、素敵な音楽を見つけたら、教えてね。」
そう返してきた福原さんの瞳は、ただ、キラキラしていた。
バスが停留所に着くと、急に福原さんが吹き出した。
「朗報です。球場にいる友達からLINEが来て、現地では特に、来てるかどうかの確認も取ってないって。」
「そうなの?」
「応援席はあるけど、勝手に座って勝手に応援してるみたい。あと、何人かは途中だけど帰ってるって。」
「確かに放課後のことだし、義務じゃないよなあ。」
「どうする?」
ニコニコ笑って尋ねる彼女に、僕も満面の笑みを作り、はっきりと答えた。
「当然、帰宅させてもらいます。」
「よーし!サボっちゃおー!!」
バスに乗りこむ彼女の後ろ髪が、大きく揺れた。
バスの中で、僕は彼女にbloodthirsty butchersの『kocorono(完全盤)』のCDを渡した。彼らが96年に発表したこの傑作は、全12曲にそれぞれ「月」名が付けられ、一枚を聴き通すと1年を巡る構成となっている。USオルタナの影響を受けたサウンドと評されているが、激しくも透き通るような音色のギターに、強烈に力強いリズム隊の演奏が乗る。聴こえるノイズもフィードバックも、どれもが感情を持っているかのように音が広がっていく。曲はそれぞれの月を表現しているが、それは雰囲気や季節音ではなく、その時に生まれる感情を表現しているようである。2曲目「3月/March」のイントロでは新しく始まる季節へ向けたまだ纏まらない胸のザワつきを、5曲目「6月/June」では雨が降る日々に生まれる重々しい心情を、11曲目「12月/December」では生まれ故郷とは違う冬を過ごす度に感じる意地(彼らは北海道出身で筆者は東北出身だが、毎年、何となくそんな感情が湧き上がる)を、叙情的なサウンドに重ねている。
代表曲の「7月/July 」は、約9分で奏でられる夏のワンシーンであり、映画である。聴くたびに、目の前に7月が訪れるような感覚になる。その景色は、夢でも、幻でもない。確かに過ぎ去った、いつかの、そして、いつもの7月だ。
「返すの夏休み明けになるけど、いいの?」
「大丈夫。さっきまで部室に置いてたやつだし。サブスクにないから、音源で聴いてみてよ」
ありがとう、と眩い笑顔を残し、彼女はバスを降りた。暑い夏の中に戻った彼女は、ひたすらに透き通って見えた。
8月1日の朝、福原さんからLINEが届いた。
『今日で7月が終わるから、「7月/July」を聴いたよ。』
一瞬間違いかと思ったが、MLBの中継を見て理解した。時差があるから、彼女はまだ7月の中にいるんだった。
『日本の、いつもの夏が恋しくなっちゃった。夕暮れ、虫の鳴き声、お線香の匂い。』
『今年も、いい夏にしようね。』
中継はニュースに切り替わり、キャスターは「今日も暑い1日になりそうです」と告げた。
僕は返信をする前に、カーテンを開けた。眩しいほどの陽の光が入ってくる。目の前はいつもの、そして、二度と同じ日は来ない、夏だった。
マジ恋ファンタジークラブ
第6話 福原遥さんと聴きたい、bloodthirsty butchers - 『kocorono(完全盤)』
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旧幕臣たちは、いわゆる三つの選択肢のなかから自らの身の振り方を決めることが迫られる。すなわち主家とともに駿河へ移住するか、朝臣(ちようしん)として新政府に所属するか、武士身分を捨て帰農・帰商するかという三つである。 駿河への移住、つまり静岡藩士になったのは、明治四年(一八七一)八月時点で一万三千七百六十四名である(『静岡県史資料編16近現代一』)。もちろん、当主のみの人数である。一方、朝臣になったのは約五千名、帰農・帰商したのは約四千五百名(うち三千名以上がのちに静岡藩に帰籍)という数字があるが(原口清『明治前期地方政治史研究上』、一九七二年、塙書房)、時期によって変動も生じており、必ずしも正確ではないかもしれない。 実際には前記の三つの選択肢以外にも別の行動があった。一般によく知られているのが、本誌の特集テーマにもなっている戊辰戦争(ぼしんせんそう)への参加、つまり関東・奥羽・北越・蝦夷地へ脱走して新政府軍との抗戦を続けるというものである。 (中略) 基木的には三つ、もしくは四つの進路を選んだ旧幕臣たちであったが、時間の推移とともにその進路は変更された。一度分かれた流れが、先に行って合流するかのように、帰農・帰商した者や脱走・抗戦した者が結局は静岡藩に帰参する場合が少なくなかったのである。農業や商業に失敗し、困った挙げ句、静岡藩に泣きついて帰参を許してもらうというパターンである。奥羽や箱館で敗北、新政府に降伏した者たちも、赦免(しやめん)後は静岡藩に引き渡された。箱館戦争降伏人には、その後、静岡・沼津の藩校で教鞭をとったり、他藩への御貸人(かしびと)となるなど、静岡藩で有能さを発揮した者もあった。 明治三年に静岡藩の静岡病院医師坪井信良(つぼいしんりぬう)がつくった「示帰参朝臣連」という題の漢詩がある(宮地正人『幕末維新風雲通信』、一九七八年、東京大学出版会)。本領安堵(ほんりょうあんど) 説を妄信し朝臣になって東京に留まったものの、新政府の方針変換によって禄を失い、家財を売り尽くし食うことにも困り果て、藩士への扶持米を増加したと聞いて、家族を引き連れ静岡藩への帰参を希望しているという元旗本たちの存在を皮肉った内容である。一度は徳川家を見限って白ら去ったものの、今度は旧主家にすり寄ってくるその白分勝手な態度を辛辣(しんらつ)に批判したものだった。同じ帰参者であっても、箱館戦争からの復員兵たちは好意をもって藩内に迎えられた一方、帰農・帰商や朝臣からの帰参者は白眼視されたに違いない。 周縁の人びとのその後 幕臣といっても大身の旗本から微禄の御家人までピンからキリまである。下級の旗本や御家人は核家族といってもよかったであろうが、大きな知行地を持つ領主としての旗本の場合、当主とその家族のみならず、家臣・奉公人を多数抱えており、小さな藩と同じだった。知行所の維持・経営が不要となった静岡藩士は、移住前に家臣を解雇し、身軽になった。 五千石を領した蜷川親賢は、数十人いた家臣たちに暇を出し、家族のほか、家来二名と下男・下女数名、合わせて二十数名で移住した。駿河国では大変な住宅難が引き起こされていたが、蜷川家は庵原(いはら)郡の農家で住居を借りることができた。それは江戸の家財を整理し多額の現金を有していたから可能だったことらしい。明治五年時点の戸籍には、家族六名、家臣とその家族八名(二家分)が記されていたというので(坂井誠一『遍歴の武家』、一九六三年、吉川弘文館)、廃藩にいたるまで家臣を雇っていた。 いち早く新政府に帰順した元旗本には、家臣たちからなる兵隊を「官軍」に参加させ関東・奥羽に出兵したり、江戸市中の警備を担当させたりした者もあった。朝臣となった彼らは、本領を安堵されたこともあり、しばらくは家臣を雇用し続けることができたのであるが、明治二年十二月の禄制改革によって家禄(かろく)が蔵米(くらまい)で支給されるようになると、所領とともに家臣たちをも手離していった。静岡に移住した者と朝臣になった者の「喪失」の時問差は、わずか一年ほどにすぎなかった。 旗本の家臣、すなわち陪臣(ばいしん)たちのその後も、すぐに解雇された者ばかりではなく、主家とともに静岡へ移住したり、主人とともに官軍・賊軍として戦ったりと、さまざまであった。江戸に進駐した新政府軍の指揮下に入り、市中取締隊長の任にあたったほか、下野での戦闘や上野戦争にも参加した経歴を持つ、旗本大久保与七郎の家来、匝瑳胤常(そうさたねつね)(郷輔・六郎)という人物は、その後、東京府の府兵局掛、権典事(ごんみてんじ)などをつとめ(『市中取締沿革』、一九五四年、東京都)、官吏として生き、士族の身分も得たらしいが、報いられるところが少ないことに不満を抱いていたのだろう、明治三十一年、陳情書を政府に提出、戊辰時の功績を根拠に持ち出して叙位を求めている(国立公文書館蔵)。 旗本小出家の家臣である大島貞薫(おおしまよさだか)・貞恭父子が洋学者としての能力を買われ陸軍兵学寮(りくぐんへいがくりよう)で地位を得たように、新政府のなかで活躍した者は極めて少なかった印象である。主家の零落とともに職を失ったその他多くの旗本家臣たちは、その後どのようになったのだろうか。 徳川幕府という巨大な組織に身を置いたのは、正規の旗本・御家人だけではない。士分とはされない、代官手代(だいかんてだい)のような本来庶民身分の者もいたし、幕末に加わった陸軍の兵卒や海軍の水夫たちも膨大に存在した。能役者・絵師・碁将棋士など幕府から禄をもらっていた御用達町人(ごようたしちょうにん)も一時は朝臣に組み入れられたが(静岡に移住した者もあり)、のちに平民籍とされた。 その後を生きた旧幕臣たちの背後には、周縁にいた者たちの後の人生も多様な形で広がっていたのである。 《歴史読本2013年3月号「幕末戊辰戦争全史:特集論考:岐路に立った旧幕臣・樋口雄彦」》
人文パイプぶろぐ: 岐路に立った旧幕臣
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報道機関に警察が捜索に入って取材資料を差し押さえ、それを端緒に、報道機関の取材源を特定して逮捕する、などということは、言論の自由を保障する民主主義国では通常ありえません。社会における公共情報の流通を大きく萎縮させて、民主主義を機能しづらくすることになるのが明らかだと考えられてきたからです。 【動画】内部告発の隠蔽工作は広島県警でも。元警察官が実名・顔出しで語る真相 実際、現憲法下で独立して以降の日本の捜査当局は、そうした手法を用いるのにこれまできわめて抑制的でした。ところが、鹿児島県警がいま、おそらく戦後日本で初めて禁を破り、それをやってのけつつあります。 今回、公益通報(内部告発)制度に関する研究に取り組み、多数の著作もあるジャーナリストで上智大学教授の奥山俊宏さんが、スローニュースに緊急に寄稿しました。 報道機関に強制捜索の異常事態…最初は別の警察官の事件だった 福岡市を拠点にニュースサイト「HUNTER」(ハンター)を運営する中願寺純則(ちゅうがんじ・すみのり)さんによると、4月8日朝、同サイトの事務所で鹿児島県警の家宅捜索を受け、パソコン、携帯、書類を押収された。 「ちょっと考えられないことですけど、報道機関に対してガサを入れてきたということです。いったん押収して、次の日に返しには来たんですけど、まだ押収されたままのものもある。当然、私どもは取り調べを受けても、取材源とか取材過程について話すことができませんから、もちろん完黙するわけです」 その日、鹿児島県警曽於署の藤井光樹巡査長が、捜査情報を外部に漏らしたとの地方公務員法違反(秘密漏洩)の疑いで同県警に逮捕された。この「外部」について逮捕時点では「第三者」としか報道されなかったが、これがハンターなのだとみられる。中願寺さんによれば、ハンターに対する捜索令状には、被疑者として藤井巡査長の名前が記載されており、被疑事実は地方公務員法違反となっていたという。中願寺さんはその時点では参考人として取り調べられたが、黙秘した。 実は押収された中願寺さんのパソコンの画面上には、藤井巡査長の事件とは全く関係ない、札幌市在住のジャーナリスト、小笠原淳さんに匿名で送られてきた文書のデータがあった。 小笠原さんは長年、警察の不正を追及してきており、ハンターの常連寄稿者でもあった。文書の1ページ目には「闇をあばいてください」とあり、2ページ目には「枕崎署員による盗撮事案の隠蔽」など3件の県警不祥事が列挙されていた。パソコンは押収翌日に県警から中願寺さんに返却されたが、その際、「データは解析に回します」と言い添えられたという。 押収したPCには県警の元幹部の告発文が…それを知った県警は 県警不祥事を暴くこの文書が実は、同県警の幹部、生活安全部長の職に3月下旬まで就いていた本田尚志・元警視正によって作成されたものであることが判明するのは、6月5日のことだった。 本田元警視正は、5月31日、鹿児島県警に国家公務員法違反(秘密漏洩)容疑で逮捕され、6月5日、その勾留理由開示のための法廷で、記者に文書を送ったことを明らかにしたのだ。 法廷での本田元警視正の陳述によれば、昨年12月中旬、トイレで女性が何者かに盗撮される事件が発生し、その容疑者として枕崎署の警察官が浮かんだ。県警の生活安全部長として本田警視正は「早期に捜査に着手し、事案の解明をしよう」と考え、上司の野川明輝・県警本部長の指揮を仰いだ。すると野川本部長は、「最後のチャンスをやろう」「泳がせよう」と言い、強制捜査にゴーサインを出さなかったという。(この陳述に対し、野川本部長は6月7日夕になって「私が隠蔽の意図をもって指示を行ったということは一切ございません」と反論した)。 6月5日の法廷で本田元警視正は次のように述べた。 「私は、退職後、この不祥事をまとめた文書を、とある記者に送ることにしました。記者であれば、個人情報なども適切に扱ってくれると思っていました。マスコミが記事にしてくれることで、明るみに出なかった不祥事を、明らかにしてもらえると思っていました。私が退職した後も、この組織に残る後輩がいます。不祥事を明らかにしてもらうことで、あとに残る後輩にとって、良い組織になってもらいたいという気持ちでした」 その文書が4月8日、ハンターへの強制捜査によって県警の把握するところになってしまったのだ。 盗撮事件発生から5カ月近く後の5月13日、県警は、建造物侵入と性的姿態撮影等処罰法違反の疑いで枕崎署の巡査部長を逮捕した。5カ月もの長期にわたる内偵が必要な事件ではなく、他方、文書押収から1カ月余り後というタイミングであり、状況からして、本田元警視正の文書がこの逮捕のきっかけだったのであろうことは明らかだ。 このようにして県警は「必要な対応が取られた」との格好をつくりだした上で、5月31日、本田元警視正を逮捕した。この時点で県警はこの「漏洩」の相手先について「第三者」としか発表しなかった。 筆者の取材に、中願寺さんは「強制性交事件が全ての原点です」と言う。「すべてそこから始まっている」 報道によれば、鹿児島市内の新型コロナウイルスの宿泊療養施設で2021年8、9月、医療機関から派遣された女性看護師が、鹿児島県医師会の男性職員によって性的な行為をされた。これについて看護師は強制性交などの罪にあたるとして鹿児島県警に告訴した。しかし、医師会は「同意のない性行為ではなく合意に基づくと判断した」と主張している。 これを不正義と見て正そうと立ち上がったのが、地方公務員法の守秘義務違反で逮捕された藤井巡査長であり、それに触発されたのが本田元警視正であり、2人とも公益通報者だと中願寺さんは思っているという。 NHKは、本田元警視正の文書について「鹿児島県警の別の警察官が内部文書を福岡市の会社役員に提供したとして逮捕・起訴された事件の関係先から見つかっていて」と報道しているが、これまでハンターは、捜索を受けたことを積極的には明かしていなかった。しかし6月11日から、反論記事を出していくことにした。 取材源の秘匿はなぜ「鉄則」なのか 取材源の秘匿は、報道界にあって、「報道機関が何より優先すべき責務であり、個々の記者にとっては、取材活動の根幹をなす究極の職業倫理である」と考えられてきている。 社団法人日本新聞協会と社団法人日本民間放送連盟は次のように述べている。 「報道機関で取材活動に従事するすべての記者にとって、『取材源(情報源)の秘匿』は、いかなる犠牲を払っても堅守すべきジャーナリズムの鉄則である。隠された事実・真実は、記者と情報提供者との間に取材源を明らかにしないという信頼関係があって初めてもたらされる」 最高裁は「取材源の秘密は、取材の自由を確保するために必要なものとして、重要な社会的価値を有する」と述べつつ、やや留保を置いている。しかし、最高裁を含め裁判所がどのような判断を出しても出さなくても、それとは無関係に、「上級審等がいかなる判断を下そうとも、取材源を守る姿勢は最後まで貫き通すことを改めて確認しておく」というのが、日本新聞協会と日本民間放送連盟の公式見解となっている。つまり、法律や裁判所に逆らってでも取材源を秘匿し通す、いわんや警察などに強制されることはない、という姿勢である。 従来は抑制的だった捜査機関 こうした報道界の考え方も背景にあって、現憲法下で日本の検察・警察は、取材源を探す目的で報道機関を捜索など強制捜査したり、取材源に関わる資料を押収したりすることについて、これまできわめて抑制的だった。そうした前例はほぼなかった。法務大臣ら政府当局者は「いわゆるニュース・ソースの秘匿性というようなことにつきましても、検察当局として十分これを尊重しなければならぬ」との考え方を繰り返し明らかにしてきている。 のちに検事総長となる松尾邦弘・法務省刑事局長は、取材源の秘匿について「大変重要なこと」「最大限尊重する」と国会で答弁し、捜査にあたって「そういう重要性も当然念頭に置きまして、それを最大限尊重するような運用をする」と約束し、したがって、「報道機関が取材の過程で行っている通信につきましては、基本的には通信傍受の対象としない」と明言している。 これは通信傍受(盗聴)だけでなく、証人尋問や捜索・差し押さえについても適用されるべき考え方であり、現にそのように運用されてきた。「取材源の秘匿…に関しましては…現在の社会においてそれが非常に重要な機能を果たしている、最大限に尊重すべきもの」との原則が現に捜査当局内部で遵守されてきたことについては、筆者自身が検察官に取材してきた経験でも裏付けることができる。 米国では報道機関への強制捜査は原則禁止…自由な民主主義国家ではあってはならない事態 米国では2013年に、記者のGメールの記録をグーグル社から差し押さえたり、報道機関の電話のメタ記録を電話会社で差し押さえたりしていた事例が���覚し、大問題となって、オバマ大統領の指示で司法省が「改革」をおこない、以後、そうした運用を原則禁止にした。 米司法省の現行規則は、報道機関の取材資料を押収する目的での強制捜査を明文で原則禁止としている。例外はテロ攻撃、誘拐など人命や人体への急迫もしくは具体的な危険性を避けるなどの目的がある場合に限定しており、「匿名の取材源から秘密情報を受け取っただけの場合にもこの禁止は適用される」と念押しするように明記している。日本の捜査当局が「取材源の秘匿を最大限に尊重する」と累次表明してきたのと同じ考えにもとづく。 筆者の私見によれば、こうした規範は、報道機関や記者に特権を与えようと意図しているのではなく、「自由で独立した報道が我々の民主主義の機能性に不可欠」だからその実現のために捜査権限を縛ろうとしたものであり、憲法に由来する。すなわち、国民主権を定め、報道の自由を保障した憲法に適合するように法令を解釈した結果がこうした規範(日本では不文律、米国では司法省規則)であり、それを破る運用は憲法違反となる。 警察が犯罪捜査の権限を使って、報道の取材源の探索を本気で始めたら、スマホの位置情報や街頭のカメラを組み合わせて、だれであってもその行動をまるはだかにできる。そんな捜査が当たり前になると、だれも公益通報できなくなり、不正の真相は闇から闇へと蓋をされる。 暗黒社会への転落は杞憂ではない。治安維持法施行下の戦前・戦中や、中国やロシアでのことならあり得ることではあるのだろうが、自由な民主主義国家で、警察が報道機関の事務所に強制捜査に入って、取材源に関する資料を押収するなどということは、大手新聞社であろうが、小さなネットメディアであろうが、あってはならない。 筆者:奥山俊宏(おくやま・としひろ)
【疑惑の県警】報道機関を強制捜査し、内部告発した取材源を特定!鹿児島県警「前代未聞の暴挙」は憲法違反だ(SlowNews/スローニュース) - Yahoo!ニュース
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紅林 麻雄(くればやし あさお、1908年〈明治41年〉 - 1963年〈昭和38年〉9月)は、日本の警察官。静岡県警察部から国家地方警察静岡県本部を経て静岡県警察に所属した。最終階級は警部。担当した事件で数多くの冤罪を作った。 現在の静岡県藤枝市出身。国家地方警察静岡県本部刑事課員として1941年(昭和16年)8月から翌1942年(昭和17年)8月にかけて起きた浜松連続殺人事件などの数々の事件を解決した名刑事であると言われ、数多くの表彰を受けた。 その一方で自身が担当した幸浦事件(死刑判決の後、無罪)、二俣事件(死刑判決の後、無罪)、小島事件(無期懲役判決の後、無罪)、島田事件(死刑判決の後、無罪)の各事件で無実の者から拷問で自白を引き出し、証拠を捏造して数々の冤罪を作った。 あらゆる手段を用いて被疑者を拷問し、自白を強要させるなどした紅林を「拷問王」と称す人物[誰?]もいる。 紅林はさまざまな拷問の手法を考案したが、実行には直接関与せず部下に指示を出していた。また、二俣事件における山崎兵八の書籍においては真犯人と思われる人物からの収賄の疑惑も暴露されている。 上記4事件のうち島田事件を除く3事件が一審・二審の有罪判決の後に無罪となり、島田事件も最高裁での死刑判決確定後の再審で無罪が確定した。幸浦事件・二俣事件の有罪判決破棄差し戻しの時点で御殿場警察署次席警部の地位にあった紅林は、非難を浴びた静岡県警上層部によって吉原警察署駅前派出所へ左遷された。しかも、交通巡視員待遇という実質的な二階級降任だった。 紅林は世間や警察内部から非難され精神的に疲弊しきっていたが、1963年(昭和38年)7月に幸浦事件の被告人に対する無罪判決が確定したことにより気力がつきて警察を引退。同年9月に脳出血により急死した。 前述の通り、紅林は拷問による尋問・自白の強要・自己の先入観に合致させた供述調書の捏造のような捜査方法の常習者だった。また、アリバイが出てきそうになった場合は犯行現場の止まった時計の針を動かしたトリックを自白させ、被疑者が推理マニアであることや被疑者の周辺で時計の針を動かすトリックがある探偵映画が上映されていることなどの傍証を積み重ねる手法でアリバイを否定しようとした。 これらについて二俣事件の裁判では同僚の捜査員である山崎兵八が「県警(島田事件のみ、これ以前は国警静岡県本部)の組織自体が拷問による自白強要を容認または放置する傾向があった」と証言。県警当局は山崎を偽証罪で逮捕(ただし『妄想性痴呆症(妄想型統合失調症の旧称)』として不起訴処分)したうえ懲戒免職処分にした。また幸浦事件では自分達が先に被害者の遺体が埋められている場所を探知しておきながら、被疑者に自白させた後に発見したようにして秘密の暴露を偽装した疑惑があるほか、主犯とされた男性は拷問によるためか持病(てんかん)の悪化により僅か34歳で上告中に死亡した。 紅林の捜査法に見られるような強制・拷問または脅迫によるなど任意性に疑いのある供述調書は、刑事訴訟法第322条第1項および第319条第1項により証拠とすることができない。小島事件では実際に紅林の捜査法に最高裁の判断が下された。この最高裁判決では被告人(当時は被疑者)が取調べ中に留置場に戻ってくるたびに赤チン(局所殺菌剤)を塗るなど治療を受けていたという証言などを認定し被告人が主張する程度の過酷な拷問があったかについて疑義を呈しつつも、紅林主導の下で作成された供述調書の任意性を否定し被告人に有罪を言い渡した原判決を破棄差戻しとした(後に無罪確定)[1]。
紅林麻雄 - Wikipedia
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日本解放第二期工作要綱
中国共産党

中央学院大学の西内雅教授(故人)が昭和47年にアジア諸国を歴訪した際、偶然、入手した秘密文書。
内容は中国共産党が革命工作員に指示した陰謀で、当時から現在に至る迄、中国���対日謀略は秘密文書の通りに続いているとみられる。
同年8月、国民新聞社は特集記事を掲載し、更に小冊子を発行したが、重要と思われるのでここに再録する。
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日本解放第二期工作要綱
中国共産党
中央学院大学の西内雅教授(故人)が昭和47年にアジア諸国を歴訪した際、偶然、入手した秘密文書。
内容は中国共産党が革命工作員に指示した陰謀で、当時から現在に至る迄、中国の対日謀略は秘密文書の通りに続いているとみられる。
同年8月、国民新聞社は特集記事を掲載し、更に小冊子を発行したが、重要と思われるのでここに再録する。
A.基本戦略・任務・手段
A-1.基本戦略
我が党は日本解放の当面の基本戦略は、日本が現在保有している国力の全てを、我が党の支配下に置き、我が党の世界解放戦に奉仕せしめることにある。
A-2.解放工作組の任務
日本の平和解放は、下の3段階を経て達成する。
イ.我が国との国交正常化(第一期工作の目標)
口.民主連合政府の形成(第二期工作の目標)
ハ.日本人民民主共和国の樹立 ・・天皇を戦犯の首魁として処刑(第三期工作の目標)
田中内閣の成立以降の日本解放第二期工作組の任務は、上の第口項、即ち「民主連合政府の形成」の準備工作を完成することにある。
A-3.任務達成の手段
本工作組の任務は、工作員が個別に対象者に接触して、所定の言動を、その対象者に行わしめることによって達成される。即ち、工作者は最終行動者ではなく、隠れた使喉者、見えざる指揮者であらねばならない。以下に示す要領は、全て対象者になさしめる言動の原則を示すものである。
本工作の成否は、終始、秘密を保持しうるかどうかに懸かっている。よって、工作員全員の日本入国身分の偽装、並びに工作上の秘密保持方法については、別途に細則を以て指示する。
B.工作主点の行動要領
第1.群衆掌握の心理戦
駐日大使館開設と同時になされなければならないのは、全日本人に中国への好感、親近感を抱かせるという、群衆掌握の心理戦である。好感、親近感を抱かせる目的は、我が党、我が国への警戒心を無意識の内に捨て去らせることにある。
これは日本解放工作成功の絶好の温床となると共に、一部の日本人反動極右分子が発する
「中共を警戒せよ!日本支配の謀略をやっている」
との呼び掛けを一笑に付し、反動極右はますます孤立するという、二重の効果を生むものである。
この為に、以下の各項を速やかに、且つ継続的に実施する。
1-1.展覧会・演劇・スポーツ
中国の書画、美術品、民芸品等の展覧会、舞劇団、民族舞踊団、民謡団、雑技団、京劇団の公演、各種スポーツ選手団の派遣を行う。
第一歩は、日本人大衆が中国大陸に対し、今なお持っている「輝かしい伝統文化を持っている国」「日本文化の来源」「文を重んじ、平和を愛する民族の国」というイメージを掻き立て、更に高まらせることである。
我が国の社会主義改造の誇るべき成果についての宣伝は、初期においては少ない方がよく、全然触れなくても構わない。
スポーツ選手団の派遣は、ピンポンの如く、試合に勝ちうるものに限定してはならず、技術的に劣っている分野の選手団をも数多く派遣し、日本選手に学ぶという率直な態度を示して、好感を勝ち取るべきである。
1-2.教育面での奉仕
A.中国語学習センターの開設。
全国都道府県の主要都市の全てに中国語学習センターを開設し、教師を無報酬で派遣する。
教師は、1名派遣の場合は女性教師、複数の場合は男、女半々とし、全て20歳代の工作員を派遣する。受講者資格は、もとより無制限とし、学費は無料又は極めて小額とする。
B.大学への中国人中国語教師派遣の申し入れ。
中国語学習センターを開設し、日本人青年層に中国語学習熱が高まったところで、私立、公立の大学には個別に、国立大学については日本政府文部省へ中国人中国語教師の派遣を申し入れる。
申し入れを婉曲に拒否した場合は、「我が国の純然たる好意、奉仕の精神に対する非礼」を責めれば、日本のマスコミも大衆も、学生も許さないであろう。
しかし、第1回で全勝を求める必要は無く全国大学の過半数が受け入れればそれで良い。後は自然に受け入れ校は増加していくものである。
C.委員会開設。
「中日文化交流協会」を拡充し、中日民間人の組織する「日中文化教育体育交流委員会」を開設して実施せしめ、我が大使館は、これを正式に支援する方式をとる。
尚、本綱の全ての項目は、初期においては、純然たる奉仕に終始し、いささかも政治工作、思想工作、宣伝工作、組織工作を行ってはならない。
第2.マスコミ工作
大衆の中から自然発生的に沸き上がってきた声を世論と読んだのは、遠い昔のことである。次の時代には、新聞、雑誌が世論を作った。今日では、新聞、雑誌を含め所謂「マスコミ」は、世論造成の不可欠の道具に過ぎない。マスコミを支配する集団の意思が世論を作り上げるのである。
偉大なる毛主席は
「およそ政権を転覆しようとするものは、必ずまず世論を作り上げ、先ずイデオロギー面の活動を行う」
と教えている。
田中内閣成立までの日本解放(第一期)工作組は、事実でこの教えの正しさを証明した。日本の保守反動政府を幾重にも包囲して、我が国との国交正常化への道へと追い込んだのは日本のマスコミではない。日本のマスコミを支配下に置いた我が党の鉄の意志とたゆまざる不断の工作とが、これを生んだのである。
日本の保守反動の元凶たちに、彼等自身を埋葬する墓穴を、彼等自らの手で掘らせたのは、第一期工作組員である。田中内閣成立以降の工作組の組員もまた、この輝かしい成果を継承して、更にこれを拡大して、日本解放の勝利を勝ち取らねばならない。
2-1.新聞・雑誌
A.接触線の拡大。
新聞については、第一期工作組が設定した「三大紙」に重点を置く接触線を堅持強化すると共に、残余の中央紙及び地方紙と接触線を拡大する。
雑誌、特に週刊誌については、過去の工作は極めて不十分であったことを反省し、十分な人員、経費を投入して掌握下に置かねばならない。接触対象の選定は「10人の記者よりは、1人の編集責任者を獲得せよ」との原則を守り、編集を主対象とする。
B.「民主連合政府」について。
「民主連合政府」樹立を大衆が許容する温床を作り上げること、このための世論造成、これが本工作を担当する者の任務である。
「民主連合政府」反対の論調を挙げさせてはならぬ。しかし、いかなる方式かを問わず、マスコミ自体に「民主連合政府」樹立の主張をなさしめてはならない。これは、敵の警戒心を呼び覚ます自殺行為に等しい。
「民主連合政府」に関連ある事項を全く報道せず、大衆はこの問題について無知、無関心であることが最も望ましい状態である。
本工作組の工作の進展につれて、日本の反動極右分子が何等の根拠も掴み得ないまま焦慮に耐え得ず、「中共の支配する日本左派勢力は、日本赤化の第一歩として、連合政府樹立の陰謀を進めている」と絶叫するであろう。
これは否定すべきであるか? もとより否定しなければならない。しかし、否定は真正面から大々的に行ってはならず、計画的な慎重な間接的な否定でなければならない。
「極右の悪質なデマで、取り上げるにも値しない」という形の否定が望ましい。
C.強調せしむべき論調の方向
① 大衆の親中感情を全機能を挙げて更に高め、蒋介石一派との関係は完全に断つ方向へ向かわせる。
② 朝鮮民主主義人民共和国並びにベトナム民主共和国との国交樹立を、社説はもとより全紙面で取り上げて、強力な世論の圧力を形成し、政府にその実行を迫る。
③ 政府の内外政策には常に攻撃を加えて反対し、在野諸党の反政府活動を一貫して支持する。特に在野党の反政府共闘には無条件で賛意を表明し、その成果を高く評価して鼓舞すべきである。 大衆が異なる政党の共闘を怪しまず、これに馴染むことは、在野諸党の連合政府樹立を許容する最大の温床となることを銘記し、共闘賛美を強力になさしめるべきである。
④ 人間の尊重、自由、民主、平和、独立の強調
ここに言う「人間の尊重」とは、個の尊重、全の否定を言う。
「自由」とは、旧道徳からの解放、本能の開放を言う。
「民主」とは、国家権力の排除を言う。
「平和」とは、反戦、不戦、思想の定着促進を言う。
「独立」とは、米帝との提携の排除、社帝ソ連への接近阻止をいう。
2-2.テレビとラジオ
A.これらは、資本主義国においては「娯楽」であって、政府の人民に対する意志伝達の媒介体ではない。この点に特に留意し、「娯楽」として利用することを主点とすべきである。
具体的な方向を示せば、「性の解放」を高らかに謳い上げる劇又は映画、本能を剌激する音楽、歌謡等は望ましい反面、スポーツに名を借りた「根性もの」と称される劇、映画、動画、または歴史劇、映画、歌謡並びに「ふるさとの歌祭り」等の��土愛、民族一体感を呼び醒ますものは好ましくない。
前者をより多く、後者をより少なく取り上げさせるよう誘導せねばならない。
B.テレビのニュース速報、実況報道の利用価値は極めて高い。画面は真実を伝えるものではなく、作るものである。目的意識を持って画面を構成せねばならない。
C.時事解説・教養番組等については、新聞について述べた諸点がそのまま適用されるが、これは極めて徐々に、少しずつ注意深くなされねばならない。
2-3.出版(単行本)
A.我が国への好感、親近感を抱かせるものを、第一に取り上げさせる。風物写真集、随筆、家庭の主婦が興味を抱く料理、育児所の紹介など、受け入れられ易いものを多面に亘って出版せしめる。
B.社会主義、毛沢東思想などに関する理論的著作も好ましい。しかし、我が国の社会主義建設の成果、現況については、極右分子の誹謗を困難ならしめるよう配慮させねばならない。
C.マスコミの主流から締め出された反動極右の反中国の言動は、単行本に出路を求めているが、これは手段を尽くして粉砕せねばならない。
特に、社会主義建設の途上で生じる、止むを得ない若干の歪み、欠点について、真実を伝えると称してなされる暴露報道を絶対に放置してはならない。これらについては、誹謗、デマで両国関係を破壊するものであるとして、日本政府に厳重に抗議すると共に、出版社主、編集責任者、著者を告訴して根絶を期すべきである。
D.一般娯楽面の出版については「デンマークの進歩を見習え」として、出版界における「性の解放」を大々的に主張せしむべきで、春画、春本の氾濫は望ましい。
E.単行本の出版についての今一つの利用法は「中間層文筆業者」の獲得である。「中間層」とは思想的に純正左派、または右派に属しない、中間の動揺分子を言い、「文筆業者」とは、凡そ文筆を以て世論作りにいささかでも影響を与え得る者全てを言う。
彼等に対しては或いは原稿料を与え、或いは出版の支援をなして接近し、まず「政治的・思想的立場の明快さを欠く」中間的著作をなさしめ、徐々に我が陣営へと誘導する。
2-4.本工作にマスコミ部を設けて、諸工作を統轄する
第3.政党工作
3-1.連合政府は手段
日本の内閣総理は、衆参両院の本会議で首班指名選挙を行って選出される。両院で議員総数の過半を掌握すれば、人民の意志とは関係なく、任意の者を総理となし得るのである。
1972年7月の現況で言えば、自民党の両院議員中、衆議院では約60名、参議院では10余名を獲得して、在野党と同一行動を取らせるならば、野党連合政府は容易に実現する。
しかし、この方式を取るならば、社会党、公明党の発言権を益するに留まり、且つ最大の単独多数党は依然として自民党であり、この2点は純正左派による「日本人民共和国」成立へと進む阻因となることは明らかである。
自民党のみではなく、社会党、公明党、民主社会党もまた、無産階級の政党ではなく、最終的には打倒されるべき階級の敵の政党であることを忘れてはならない。
本工作組に与える「民主連合政府の樹立」という任務は、日本解放の第二期における工作目標に過ぎず、その実現は第三期の「日本人民民主共和国」樹立の為の手段に過ぎない。
共和国樹立へ直結した、一貫的計画の元に行われる連合政府工作でなければ、行う意義は全くない。
3-2.議員を個別に掌握
下記により国会議員を個別に掌握して、秘密裏に本工作員の支配下に置く。
A.第一期工作組がすでに獲得したものを除き、残余の議員全員に対し接触線を最少4線設定する。
B.上の他、各党の役職者及び党内派閥の首長、有力者については、その秘書、家族、強い影響力を持つ者の3者に、個別に接触線を最少2線設定する。
C.上の接触線設定後、各線を経て知り得る全情報を整理し���、「議員身上調査書」の拡充を期し、公私生活の全貌を細大漏さず了解する。
D.右により各党毎の議員を「掌握すべき者」と「打倒排除すべき者」に区別し、「掌握すべき者」については「連合政府の樹立にのみ利用しうる者」「連合政府樹立より共和国成立に至る過渡期においても利用し得る者」とに区別する。 ここに言う「打倒・排除」とは、その議員の党内における勢力を削ぎ、発言権を低下せしめ、孤立に向かわせることを言う。
E.「掌握」又は「打倒」は調査によって明らかとなったその議員の弱点を利用する。
金銭、権力、名声等、欲するものを与え、又は約束し、必要があれば中傷、離間、脅迫、秘している私事の暴露等、いかなる手段を使用してもよい。
敵国の無血占領が、この一事に懸っていることを思い、いかなる困難、醜悪なる手段も厭うてはならず、神聖なる任務の遂行として、やり抜かねばならない。
3-3.招待旅行
上の接触線設置工作と並行して議員及び秘書を対象とする、我が国への招待旅行を下の如く行う。
A.各党別の旅行団。団体の人数は固定せず、実情に応じて定める。
但し、団体構成の基準を、「党内派閥」「序列」「年齢」「地域別」「その他」そのいずれかにおくかは慎重に検討を加え、工作員の主導の元に、我が方に有利になる方法を採らしむるよう、工作せねばならない。
B.党派を超えた議員旅行団。議員の職業、当選回数、選挙区、選挙基盤団体、出身校を子細に考慮し、多種多様の旅行団を組織せしめる。
C.駐日大使館開設後1年以内に、全議員を最低1回、我が国へ旅行せしめねばならない。
自民党議員中の反動極右分子で招待旅行への参加を拒む者に対しては、費用自弁の個人旅行、議員旅行団以外の各種団体旅行への参加等、形式の如何を問わず、我が国へ一度旅行せしめるよう工作せねばならない。
D.旅行で入国した議員、秘書の内、必要なる者に対して、国内で「C・H・工作」を秘密裏に行う。
3-4.対自民党工作
A.基本方針
自民党を解体し、多数の小党に分裂せしめる。
自民党より、衆議院では60名前後、参議院では10余名を脱党せしめて、連合政府を樹立するというが如き、小策を取ってはならないことは先に述べた所であるが、右派、左派の二党に分裂せしめることも好ましくない。
これは、一握りの反動右翼分子が民族派戦線結成の拠点として、右派自民党を利用する可能性が強いからである。
従って、多数の小党に分裂する如く工作を進めねばならず、又表面的には思想、政策の不一致を口実としつつも、実質的には権力欲、利害による分裂であることが望ましく、少なくとも大衆の目にはそう見られるよう工作すべきである。
B.手段
自民党内派閥の対立を激化せしめる。
① 自民党総裁選挙時における派閥の権力闘争は常に見られる現象で通常は総選挙を経て若干緩和され、一つの党として受けて曲りなりにも保持していく。
今回はそれを許してならない。田中派と福田派の対立の継続と激化、田中派と大平派、三木派、三派の離間、中間五派の不満感の扇動等を主点として、第一期工作組は工作を展開中である。総選挙後、若干の変動があっても、派閥の対立を激化せしむるという工作の原則は変わらない。
② 派閥対立を激化せしめる最も有効な方法は、党内の非主流派となって政治活動資金の調達に困難を生じている各派に個別に十分な政治資金を与えることである。
政治献金は合法であり、これを拒む政治家はいない。問題は方法のみであり、工作員からAへ、AからBへ、BからCへ、CからDへ、Dから議員又は団体という如く間接的に行うのは言う迄もない。
③ 先に述べた議員個人の掌握は、それ自体が連合政府樹立の有効な手段となるが、派閥対立激化についても活用するのはもとよりである。
3-5.対社会・公明・民杜各党工作
A.基本方針
① 各党内の派閥闘争を激化せしめ、工作による操縦を容易ならしめる。派閥というに足る派閥なき場合は、派閥を形成せしめる工作を行う。但し、党を分裂せしめる必要はなく、分裂工作は行わない。
② 日本共産党を含めた野党共闘を促進する。
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