#うさぎのムギ
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年明け
2025年幕開けです 今年の床の間は鏡餅とかなり大きな柑橘系💦 持ってきた嫁さんも品種名を知らないのですが、迫力があってOK😂 縁起のいい1年を予感させてくれます😄 玄関の外にはしめ飾りも置いて年始の気分が出てきました😅 掃除の途中でのムギ助😆 自分では手伝っているつもりだと思いますが、まわりから見るとやっぱ遊んでるだけかな😅 それでもみんなを癒してくれるウチのアイドルです😊 去年の剪定���にやりすぎて、冬場には小さめの赤い葉っぱ💦 今月いっぱいは楽しめるかもしれないポインセチアです😅 今年の干支は巳ということで、自分は生まれ年となります😂 年齢もそれなりに重ねてきましたが未だ落ち着けない感じですね😅 これをご覧になってくださる皆様にもたくさんの福がありますように‼️ 本年もよろしくお願いいたします🙇

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(麦踏みのやり方を教わってきたよ!その意味と時期と効果とは?? | takahirosuzuki.comから)
秋播(ま)きのコムギ、オオムギなどを冬季に一または数回踏みつける作業。 踏圧(とうあつ)ともいう。 霜柱で持ち上がった株もとや周りの土を踏み固め、凍霜害を防ぐ効果のほかに、ムギの芽を踏圧することにより徒長を防ぎ、耐寒性を増す効果があるとされる。
麦踏み(むぎふみ)とは?
https://takahirosuzuki.com/2014/0131114057
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ファンカム文化と切り抜き動画
podcastで話すテーマについてカズマとふたりで相談していた時、YOASOBIのアイドルという曲とtiktokの関係性についての仮説を聞かせてくれた。 「アイドルという曲はどこを切り取っても盛り上がれるように作られているんじゃないか。だからtiktokやYouTubeのショート動画と相性が良く、ここまでの拡散に至ったのではないか。」 なるほど。僕も音楽のサブスクリプションサービスが開始されてから、曲のイントロがどんどん短くなっているという文章を読んだことがあった。 イントロやAメロ、Bメロなど、サビ以外のパートはサビを盛り上げるためのフリでしかない。フリの時間はもったいない。ずっと盛り上がりたい。楽曲というものが様々なサビのつなぎ合わせで構成されている。全体のサビ化。 これは良いテーマになるかもしれない。しかしこれを音楽だけに限定してしまうのはもったいない。僕の��欲さが話を抽象化させてしまった。 「切り抜きムーブメント」について話そう。 切り抜きとは言わずもがな、動画の面白かったり、ためになる部分だけを切り抜き、それをつなぎ合わせて構成されるある種のファンアート的な動画である。 しかし現在ではムーブメントのなかで広告収入になるため、商業的になってきているのではないかという印象があった。 ぶちアガってしまった僕は半ば強引に、ほぼ何も考えず勢いで勝手に収録を始めてしまった。 開始早々、僕はありふれた視点からしか話をすることができなかった。 ひろゆき氏から始まりDaigo氏やホリエモン氏的な入口から、人は「タイパ」を重要視しており、過程は必要としておらず、 結果だけがすぐに欲しいんだという"いかにも"な持論を、不安の中、しかし止まることができずに話し続けた。YOASOBIのアイドルの話に移行してもどうもうまく展開できない。僕の頭はもうあらかじめこのテーマをファスト教養に接続させて批判することを決定していたらしい。ほんと嫌になる。 どうにかこの決められた道筋から脱出しなければ... するとひとつの脇道を見つけることができた。それが「ファンカム文化」だった。
僕はファンカム文化について歴史的なことも文化的なこともあまりわからないが、外野から見ている限りでは、 複数人で構成されているアイドルグループのライブで、ファンがある特定のメンバーをスマホなどで撮り続け、それを動画サイトにアップロードするというものである。 基本的にライブ映像というものはその瞬間に主役になっているメンバーが強調される。 それは一本化された映像を作るためには当たり前のことで、例えば後ろを向いているメンバーをカットの中に入れるより、正面を向いて歌っているメンバーにフィーチャーしたほうが迫力は増す。 つまり基本的にはメンバーの全員が映る。 しかし特定の推しがいるファンたちはこれに物足りなさを感じていたのだろう。歌っていなくても、後ろを向いていてもいいからずっと推しを見ていたい。 よし、自分が推しだけを撮り続けよう。
ファンカム文化の発生は概ねこのようなことではないだろうか。もしかしたら公式がそのファン心理に気づいて始めたことかもしれないが、まあ個人的にはどちらでもよい。 実際にファンカム動画を見ると、後ろを向いていたり、他のメンバーと被ってしまっていてもひたすら特定のメンバーを撮り続けていた。
イントロ、サビ、推しのカット、推し以外のメンバーのカット、過程、結論、全体のサビ化、推しとサビ…
ここで僕の思考は限界を迎え、言語化もできずに結局この回は没になった。
ただひとつ思ったことは、ではステージ上でパフォーマンスをしているメンバーはいつ休むのかということ。 きっと本人たちもファンカム文化を認知しており、それが動画サイトにアップロードされ、さらに多くの人に見られていることはわかっているはずだ。もしくは事務所に言われているだろう。 自分が歌っていないから、後ろを向いているからといって気を抜くことはできない。誰かがずっとカメラをこちらに向けていることを知っている。
僕たちは常に、サビが欲しい、盛り上がりが欲しい、結論が欲しい。 たぶんそれはだれかをめちゃめちゃ疲れさせているのだと思う。
そして僕たちが疲れている原因のひとつにもそれがあるのではないかとも思う。
ジジェクという哲学者があるインタビューで精神分析の考えを引用してこんなことを言っていた。 この文脈に合わせて参考にする。 『完璧という幻想は不完全さによって精密に作られている。不完全さがあることで、「これがなければ、もしくはこれがあれば完璧なのに」と想像できる余地が生まれる。 不完全さをなくしたときに、それは完璧になるのではなくプレーンになってしまうだけだ。』
ムギ
追記 イントロやAメロ、Bメロが休憩であったり、不完全であるとは全く思っておらず、 むしろ個人的にはめちゃめちゃ長いイントロから曲が始まることにアガるタイプです。 無理やり結びつけた結果、拙い文章になってしまいました…
ジジェクのインタビュー
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どうも、演劇に生きるティンネイジャー大学生です。旅に生きるアラサー夫婦のモノマネをいくら練習しても45点を叩き出してしまいます。
ってなわけで6/8(土)用無しの稽古は〜〜
・???
・通し
・アイドルオーディション
・モノボケループ
でした。最近の用無しの稽古場は真面目→15分くらいゲラゲラ→真面目を繰り返すエキサイトな稽古場になってます。今日はスミが鯛焼きを守りきれず、ムギがヒライ神になったと思えば、ゆには春キャベツでみーらは虎でした。
私思うんですけど、稽古場におけるメリハリって大切だと思って、硬すぎるのもな〜とか思いつつ、でもちゃんとするとこはちゃんとしないといけないと思うんですよ。ほら、遅刻とか寝坊って全体の指揮下げるじゃないですか…良くないよなぁ、ね、白子。え?あの白子が寝坊して遅刻?んなわけ、ありました。ごめんなさい。午前中の稽古に何してたかなんも分かりません。
んでもって、稽古後に私、京都の劇団ケッペキさんに稽古見学に行かせてもらったんですけど…凄かったです。演出・演技指導のレベルの高さ、演技一つ一つへのこだわり、メリハリのある稽古場���どれをとっても高水準で、一緒に行ったルーベと2人で「凄かったど…」と慄いてました。自分のためにも、ちゃうかのためにももっと研鑽を積まなきゃと感じた一日でした。
稽古日誌の投稿遅れてごめんなさい。
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2023.12.18mon_kanagawa
パスポート!が必要!!それも10年のやつ!!! と朝飛び起きて思った、 最近のもろもろを全部パスポートの有効期限がきれているせいにしてとにかくシャワーであついやつを浴びる。 本当はお風呂につかりたかったけど、私にはそんな時間はない、 とにかく今日は横浜にいって新たにパスポートを作る、それしかないのだ。 タオルを用意せずにあがってしまったのでびしょびしょのままタオルの干してあるとこに移動して拭いていたら犬が私の足のまわりで回転しながら毛をまきちらしているのでついでに床掃除もする。 それから二軍来季戦力外候補セーターを着て犬の散歩に飛び出る、 また天気がいい、いつもいつも天気だ、週に三日くらい雨でもいいのに、犬はお気に入りのコーギー風味の犬に出会ってご満悦、ふたりで互いの尿のにおいをかぎあったりして楽しんでいる。犬同士が交流している間の飼い主の正しい立ち位置が私にはいまだにわからない。 今日のコーギーの主は顔を真っ白に塗った妙齢の女性で、 「おたくのわんちゃんは、草を食べますか?」と聞かれたので、「はい、食べます」と答えた。そして別れた。 公園には今日もムギちゃんがいなかった。 ムギちゃんは、私の大好きな元気すぎる柴犬で、サッカーがとてもうまい。ムギちゃんのボールさばきに私の心はいつも動かされる。
長めの散歩を終えて急いでパスポート申請の準備をする、 かなり前に同じようなパスポート衝動が湧き上がったときに申請しておいた戸籍謄本を掘り出して有効期限を確認大丈夫、それから免許とか諸々をカバンに詰め込む。そういえばパスポート用の写真もとらないと、と思ってすっぴんはやめてレベル3くらいのメイクを顔に施す。 飯はもういい、とにかく電車に乗る話はそれからだ、と横浜行き特急列車にのってやっと腰をおろした。 Spotifyで最近はじまったTrevor Noahのポッドキャストを聞く。 「同意できない、わけがわからない、理解できないことをもっと話したい、白黒つけるためにコミュニケーションがしたいわけじゃない」 的なことをTrevorさんが冒頭で話していて、すごくいいなあと思った。 岩みたいな見た目のプロレスラー"The Rock" Dwayne Johnsonがゲストで、声がやさしくて耳がありがとうと言ってる。
電車の揺れでうとうとしながら昨夜の飲み会のことを思い出す、 本当は私は、Q氏とふたりだけで飲みたかったのかもしれない。 「私って人より爪が薄いのかもしれない」 とQ氏がつぶやいた話を、私はもっと聞いてたかったのかもしれない。 どうして人より爪が薄いと思うのか、厚くなりたいとか思っているのか、とか、そういう話をしたかったのに、やはり大人数の飲み会では、そういう話は他のもっと派手できらびやかな話に流されていって、きこえなくなってしまう。 私は、足の小指がたぶんひとより丸まっているんだ――そういうことを打ち明けたかった。おもしろくも目新しくもないだれも手を叩いて笑わないそういう話をしたかった。 自分の身体の小さな違和感を聞いてくれるひとがいなくなったら、きっとすごくさみしくなる。 だからお年寄りは病院に通うんだろうか。 自分のからだのことを、だれかに聞いてほしいと思うこと。
横浜から乗り継いで日本大通り駅で降りて、 パスポートセンター まわりのよさそうな写真スタジオを探す。 シルクセンター近くの半地下でパスポート写真3分仕上げ1100円にいったら数人が列をつくっており、私の前は大学生くらいの男の子ふたり。 「前髪大丈夫そ?」「お前今日ビジュ結構いいよ」 と互いを褒め称えながらスマホで自分たちを確認しあっている。 簡素なつくりの写真スタジオでは青いタートルネックをきた小さなお姉さんが撮影からレジから電話番まで一人でやっている。 ワンオペで忙しそうな人をみると胸がきりきりといたんでしまうので、 みないようにして手鏡でせっせと前髪を調整してみる。 テキパキと男の子ふたりの撮影印刷会計が終わる、 男の子たちがダウンジャケットを羽織りながら「まぁこれが現実だよなぁ」と肩を落としていたので不安になる。 と、すぐに私の撮影がはじまってすぐに終わる。 仕上がった写真は証明写真恒例の死んだ魚の目プラス肌のアラをあますことなくとらえた写実主義的な写真に仕上がっており、 会計を終えた私はすぐにgoogle mapをひらき 「kirei 証明写真機」 と入力Search、徒歩7分だなオッケとざっざかイルミネーションの巻きつけられた大通りを歩く。 あんな写真と10年も付き合うなんてゴメンだ、いくらなんでも私はあれよりまだいけてるはずだ、いやもしかして人の目にはあんな風に見えているのかもしれないけどそんなこと私には関係のないことだ、私の目に見える私が私だ。 喉が渇いたことに気がついて自販機でミルクティー半分飲み干す。 それからファミマ脇の証明写真機へカーテンしゃっと背筋壁にベタづけ目ひんむき撮影。補正オプション全追加して金千円也。満足。 証明写真機の中からぬっと外へ躍り出る、ビルの駐車場でKing Gnuの概念みたいな人がタバコを吸っていて目があう。なぜか会釈を交わす。
やっとパスポートセンターの中に足を踏み入れたのはもう午後3時をまわったころだった、 申請書に諸々記入していたら、 私の隣の記載台にいる老夫婦がずっとローマ字の書き方に苦戦している。 「ああ、お前また新しいのもらってこないといけないじゃあないか」 「そんなこといってもねぇ、あなた」 と昭和の白黒映画みたいな喋り方、この夫婦がこれからどこか海の外に旅立とうとしているのだ、それから、ここにいるみんなもどこか遠くにいつか行くのだ、と思った。 書類を揃えて窓口にいく、 「これから海外にいくご予定は?」と聞かれ「ないです」と答える。盛れてる方の証明写真を渡す。
25日以降に取りにきてくださいね、といわれて外にでたら、うっすら灰色と橙色の夕方ムード一歩手前になっていて、山下公園のイルミネーションが中途半端にひかっている。 あと1時間も待てば、きっともっと綺麗にみえる。そう思って帰りの電車に飛びのる。

-プロフィール- みっちぇる 35 神奈川県 これから大工 https://mikinakamura.wixsite.com/work https://www.instagram.com/dosankolondon/
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藤井賢二(島根県竹島問題研究顧問)
戦後の日本漁船拿捕
戦後、多くの日本漁船が周辺諸国によって拿捕され、乗組員が抑留された。その数は、昭和20年から40年の20年間で、中国によるもの187隻(2233人)、南朝鮮・韓国327隻(3911人)、台湾51隻(680人)、ソ連1164隻(9808人)に上った(『海上保安庁三十年史』昭和54年など)。
図①
は韓国に拿捕された漁船の位置を示したものである(昭和29年末まで)。韓国の拿捕は対馬北方から東シナ海北部そして黄海南部にかけての広い海域で行われ、とりわけ済州島周辺に集中している。
東シナ海から黄海にかけては中国による拿捕も多発したが、西日本の漁業者にとって両国の拿捕・抑留の印象は異なる。どちらも漁船が銃撃を受けることがあり、韓国の拿捕では8人が死亡した(森田芳夫『日韓関係』48年。後の日本政府による補償認定では、昭和30年2月14日に五島沖で韓国艦艇に追突されて沈没した第6あけぼの丸の死者21人も加えられた)。
一方、中国の場合は拿捕時に16人もの死者が出た(『日韓漁業対策運動史』昭和43年)にもかかわらず、「日中漁業問題には日韓漁業問題のような陰鬱さがない」と関係者は記す(『日本遠洋底曳網漁業協会二拾年史』43年)。
日韓漁業問題の「陰鬱さ」の理由は三つある。まず、韓国の待遇の劣悪さ、とりわけ貧弱な食料事情と最長3年半を���す抑留期間の長さ。次に、中国による拿捕が昭和30年の日中民間漁業協定で実質的に終結したのに対して、韓国の場合はその10年後の40年に日韓漁業協定が結ばれるまで、漁業者は拿捕の危険性に怯えねばならなかったこと。そして、抑留者を利用した韓国の「人質外交」(日韓会談代表で後に韓国の外相を務めた金東祚が1986年刊『回想三十年 韓日会談』で使用した言葉)に日本が振り回されたことで
ある。
この「陰鬱さ」から日韓関係を考えるのが小文の目的である。
ただし、中国による拿捕・抑留には思わぬ弊害があったことは触れておかねばならない。日本人漁船員に対する思想教育である。
昭和28年9月18日に博多に帰還した漁船員たちは「中共支給のレーニン帽と工人服に身を包んだまま…略…押し寄せた家族の喜びの呼びかけにも、一切物いわず、ただただ、腕を上下に振り、身を左右にゆすって、中国解放の歌や労働歌を、つぎからつぎから歌いまくるやら、中共礼賛の演説をぶつばかり」という光景があった(アサヒグラフ28年10月7日号)。
26年に約4カ月間中国に抑留された元漁船員は、中国の待遇はよかったと回想し「思想教育など受けた覚えはないが、それでも最近まで中国を良い国だと思っていた」と私に語った。漁業者たちの「異文化体験」は、戦後日本が置かれた状況を考えるための貴重な資料である。 マッカーサーラインへの便乗
「韓国人はたたく」。元漁業者への取材中、一人の言葉に周囲もうなずいた。日本人漁船員すべてが受けたのではないにせよ、韓国による拿捕時の暴行の記憶は元漁業者たちに共有されている。
日本を占領支配していた連合国軍総司令部(GHQ)の文書の一つ「Korean seizures-Petitions」に5件8隻の拿捕事件の報告がある。うち3件で取り調べ時の暴行の証言がある。次は瑞穂丸船長報告の一部である。瑞穂丸は23年5月14日に拿捕され済州島に連行された。
「私は警備船に呼ばれ、東経一二六度一二分、北緯三二度四八分に同意し捺印を求められたが、其の位置が事実と全く相違しているので、其の訂正を乞ふた処、警備船士官二名は顔面を十回位殴打し、口中よりは血を出し其の上堅木にて全身を乱打意識不明となる。
余りにも無謀なる処置に唖然としました。此の状態では到底我々の意を解��る事は絶対になく、意見を主張すればする程却って激昂し身に危険を感ずる計りと考へまして、不本意ながら右警備船の位置に同意しました。警備隊員は無線機、航海用具、船員私物等悉く持去りました(略)。
十六日西帰浦より済州に回航当時本船に(士官一名下士官兵七名)計八名が懲戒の為乗組んだのであります。八名の三食を本船にて給与せねばならないので配給で限度のある為一食にはトウモロコシを入れたので其れに憤慨して我々に雑穀を入れて出した。馬鹿にしている。船長が命令したのであろうと云って、堅木にて十四、五回までは意識あるも後は意識不明となる」
瑞穂丸の船長は、報告書の最後を、日本人乗組員が暴行を受けた理由について「外に此れという理由もありません。朝鮮人は日本人に如何に虐待を受けて来たかにあるようであります」と結んだ。35年間の日本の朝鮮統治に対する〝報復〟が東シナ海の海上で行われていた。
韓国(当時は南朝鮮過渡政府)が拿捕位置の確認を強要したのは、瑞穂丸のマッカーサーライン違反を認めさせようとしたからである。
マッカーサーラインは昭和20年に総司令部が日本漁船の操業の限界線として設定したもので、韓国とは本来無関係なものであった。25年1月19日に総司令部は「公海における日本の漁労活動は総司令部の命令によってのみ管理される」と日本漁船拿捕停止を韓国に求めた。マッカーサーラインを日韓の国境のように誤解し、連合国(=戦勝国)ではない韓国が連合国のようにふるまうことは日韓関係に悪影響を与えると、総司令部は危惧していた。
しかし、同6月に始まる朝鮮戦争で国連軍(米軍)がまきかえすと、同12月に韓国は日本漁船拿捕を再開した。日本の漁業者は、米国の「防共の第一線に立つ韓国への甘やかし」が韓国の横暴を招いたと憤った(『日韓漁業対策運動史』)。
李承晩ライン宣言
昭和27年1月18日に韓国は李承晩ラインを宣言、広大な水域からの日本漁船排除をめざした。彼らが既得権益と考えたマッカーサーラインが、韓国の度重なる米国への要請にもかかわらず、同4月28日の日本の主権回復により消滅確実となったための措置であった。
李承晩ライン宣言とは、外交交渉で得られなかったものを一方的な宣言によって獲得しようとした極めて非常識なものであった。そして韓国は、宣言の1カ月後の日韓会談(日韓国交正常化交渉)で、李承晩ラインを「既成事実」として日本に突き付けて認めさせようとした。
日本は資源保護のため一部漁業の禁漁区域と禁漁期間を設けることを提案したが韓国はこれを受け入れず、すべての日本漁船の操業禁止区域設定を求めたのである。
韓国の強引さの背景には水産業の重要性があった。水産物輸出は朝鮮戦争前には韓国の総輸出総額の7割を占め、外貨獲得の柱として期待されていた(大韓民国公報處『週報』八 1949年)。遠洋漁業振興のため、東シナ海から黄海にかけての好漁場に日本漁船が操業できない区域を作り、その漁業資源を独占することは、韓国の悲願だった。
すでに1948(昭和23)年の建国前から「遠洋漁業には済州島西南東シナ海のトロール漁場の開拓と南氷洋捕鯨漁業の進出の二つがある」とし、このトロール漁場に「我が戦士を進出させ、日本漁夫の侵略企図を防止せねばならない」と韓国の水産行政担当者は主張していた(同1月11日付東亜日報)。
このトロール漁業とは底曳網漁業の一種で効率のよい漁業であった反面、資源を枯渇させるため沿岸漁業者との紛争を明治以来おこしてきた。朝鮮総督府は沿岸漁業保護のため、トロール漁業禁止区域
=図②=
を定め、また朝鮮への導入を許さなかった。しかし、韓国政府は建国後すぐにトロール漁船を購入して遠洋漁業振興の姿勢を示した。
李承晩ライン原案の「漁業管轄水域案」
=図③=
は、日本の批判を弱めるため朝鮮総督府のトロール漁業禁止区域を基礎とした。そして東シナ海北部から済州島南部までの底曳網漁業の好漁場をそれに加えて突出させ、好漁場の独占をめざした。
朝鮮戦争で国土が荒廃した韓国にとって、資源に恵まれた水産業にかける期待は大きかった。「韓国の水産業は正常に生産活動を行っているおそらく唯一の産業」という総司令部の当時の評価が残されている。
抑留者の辛苦
拿捕が最も多発したのは昭和28~30年の3年間で、1年に500人前後の日本人が抑留された。この時期、日本の朝鮮統治にもよい面があったと述べた28年の「久保田発言」を理由に韓国は日韓会談を決裂させていた。30年に韓国は対日貿易全面禁止や日本漁船に対する砲撃声明を打ち出すなど日韓関係は最悪の状態に陥った。
29年からは、韓国は拿捕の法的根拠としていた漁業資源保護法で定めた刑期が終了したにもかかわらず、漁船員を釜山の外国人収容所に抑留する措置をとった。そのため抑留漁船員の数は900人を越えた。
この時期に拿捕された漁船員の回想・記録の一部を紹介する。
「韓国警備艇というのは無茶苦茶でしたね。拿捕された時は、本当に情けなくなりましたね。海賊船以上ですわね。だって国を守り正義を尽くさねばならない警備艇がですよ、僕らの船にパッと横付けして、目を覚ませば、僕らの草履はないわ、もう茶碗、食器類、全部ないんですからね。ただ寝具が残っていただけですからね。あれには、僕は往生しました」=金毘羅丸乗組員。30年11月25日に対馬南方で拿捕(『山口県史資料編現代二』平成12年)。
「刑務所での厳しい生活は、体が覚えている。『六畳の板の間に三十人がいて、夏は暑く、冬は寒くて大変。禁固刑だから一日中部屋にいなければならず、つらかった』。しかも、当時の韓国は食糧が乏しく、食事は粗 末。三十人がおけ一杯の水で、一日を過ごさなければならないのもこたえた。刑を終えても、幾度となく思い浮かべた家族の待つ故郷には帰れず、釜山の外国人収容所に移送。刑務所に比べ、制約は穏やかだったが、衛生状態や食糧事情は悪く、結核になる人もいた。
見えない行く末が不安を増幅させた。そんな中、心のよりどころとなったのが、家族からの手紙や物資。浜田の缶詰工場で、魚と紙幣を入れて密封した缶詰を送ってもらい、食料などを買って、疲れた心身を癒した。(略)『収容されていた三年余りは、本当に無駄な時間を費やした』」=第三平安丸乗組員。29年12月21日に対馬西方で拿捕(『フォトしまね』一六一平成18年)。
収容所を管理する韓国人警察官の腐敗についての証言は多い。抑留者の命綱だった差し入れ品も荷抜きや没収されることがあった。
30年には「月に三度の家族宛の便りが殆ど不着に終っていたが(当時竹島切手を強制的に貼らされた事もある)、不着の原因が年末に至り、(韓国人警察官が)貼付した切手をはがし再び我々に売りつけていた事実が判明」し、これに日本人が抗議したこともあった(『韓国抑留生活実態報告書』33年)。
「外部との接触を厳重に禁止されている吾々は、彼等にとっては、絶好の鴨であったのである。公務員を通じて、物一つ購入するにも手数料を取られ、差入れ品や慰問小包品を安く買い取られる等、間接に吾々抑留者が警察官や刑務官の生活を支えていた」(『日韓漁業対策運動史』)。
31年には「九月五日に抑留漁船員二人が強制送還によって大阪港に帰国した。二人とも結核におかされ、精神に異常をきたしていた。十月二日に抑留漁船員の妻が、悲嘆のあまり自殺した。さらに、罹病し病勢悪化が家族あての音信によって判明したので、外務省を通じて韓国政府に特別送還を申し入れてあった抑留漁船員が、十二月七日に遂に死亡した」(『日韓漁業対策運動史』)。
当時、韓国は李承晩ラインを、日韓間に公平な境界線を引いて紛争を防止する「平和線」と呼んだが、日本にとりこの名称は皮肉そのものであった。28年に設立されていた日韓漁業対策本部は30年12月に李ライン排撃行動大会を挙行した。翌年6月には抑留船員留守家族が上京して陳情し、国際赤十字社への働きかけも行った。事態打開を求める日本政府への声は切実だった。
韓国の「人質外交」
韓国の「人質外交」 が最も「成果」を上げたのが「三十二年十二月三十一日の合意」だった。当時、刑罰法令違反による退去強制者や送還される不法入国者の受け取りを韓国が拒否したため大村入国者収容所が「超満員」で、日本は韓国のもう一つの「人質外交」に困っていた。
32年末の合意によって、不法入国者(1002人)と漁船員(922人)の相互送還が行われ、日本は大村収容所にいた本来は国外退去になるはずの在日韓国人刑罰法令違反者(刑余者)474人を仮放免し、彼らに対して在留特別許可を与えた。また、日本が「久保田発言」を撤回し、さらに日本人が韓国に残した財産に対する請求権を撤回することで、日韓会談を再開することも約束された。
当時駐日韓国代表部代表だった柳泰夏は「請求権、平和線など、この時我々の要求がほとんど九〇%程度受け入れられた」「(この合意で)韓日会談は始まったと言っても過言ではない」(『現代史の主役たちが語る政治証言』1986年 ただし李承晩ラインを日本は認めてはいない)と回想した。この駐日代表部は昭和24年に戦勝国であるかのように総司令部に対して派遣されたもので、日本が独立しても退去しなかった。
交渉カードとしての李承晩ラインがこのような破壊力を持つことに、宣言前から韓国が気づいていたかは、わからない。ただ、「政治というものがこうしたブラッフ(はったり)とバーゲン(駆け引き)の連鎖であるとするならば、彼は当代一流の政治家であることはまちがいない」(宍戸寛『評伝 李承晩』中央公論昭和31年2月号)と、当時の日本人が評した李承晩大統領は、日本にとって容易ならざる相手ではあった。
韓国の「人質外交」の犠牲となった日本人漁船員は帰還後も苦しんだ。35年5月3日付西日本新聞には「抑留されていると、ひどい栄養失調におちいる。主食といえばダイズ、ムギの混合食、ミソ汁といえばなかみがほとんどないナイロン汁―これを長い間食べていたのではどんな丈夫なものでもたまらない」という証言を紹介し、32年末の合意で帰国して2年以上たっても、100人近くが病気と失業にあえいでいるとある。同記事はまた、韓国に漁船を没収された自営の船主が先の見通しが立たずに途方に暮れている様子や、経営の安定している会社に勤めていても、抑留されていた3年間の操業技術の進歩に戸惑い仕事に不安を漏らす船長の声を伝えている。
日韓漁業交渉の難航
李承晩政権が1960(昭和35)年に倒れて国交正常化に積極的な朴正熙政権が登場したが、依然として日本漁船拿捕は続き、37年に請求権問題に目途がついた後も漁業交渉は難航した。それは、「日韓会談とは実は日韓漁業会談だ」とある歴史研究者が喝破したほどだ。
東シナ海・黄海の好漁場を独占しようとする韓国の要求は、「領海三海里、公海自由」が一般的であった1950年代の国際社会で認められるはずはなかった。
韓国は漁業資源保護のためと主張したが、李承晩ライン宣言は隣接公海での漁業資源保護のための規制は関係国と協議して行うという国際常識を無視した一方的なもので、世界各地で漁船が操業していた日本はとうてい容認できなかった。
結局、昭和40年の日韓漁業協定で、日本は朝鮮半島近海に距岸12海里までの漁業専管水域を認め、さらにその外側に距岸40海里までの共同規制水域を設けた(「戦後韓国はどうやって竹島を奪ったか」地図B)。日本が12海里漁業専管水域を認めたのはこれが初めてであった。1960年代に世界各国が結んだ漁業条約では漁業専管水域設定が一般的になったことが、この背景にあった。
平たく言えば、日韓漁業協定で日本は最大で距岸200海里もある李承晩ラインを12海里まで押し込んだのだが、そのためには韓国漁業振興のための日本の漁業協力(援助)が必要だった。韓国の要求の根底にあるのは、日韓間の漁業の絶望的ともいえる格差だったからである。
日韓漁業協定締結に合わせ、日本は韓国に9000万㌦の民間資金による漁業協力、漁船の輸出禁止の解除、そして水産物輸入を拡大することになった。昭和37年の「金・大平合意」で決定した3億㌦の無償「請求権資金」のうち9・1%が水産業へ投入された。その6割が「漁船導入および建造および改良」に充てられ、1966(昭和41)~75年に建造された3299隻の漁船のうちトン数で49・2%が「請求権資金」によるものであった。
こうして「小型漁船で沿岸漁業に従事するにすぎなかった」韓国漁業が、「我が国漁業の遠洋漁業への進出は請求権資金による大型漁船導入によりさらに活発に展開され、近海漁業においても先進漁業国の日本と相互牽制」できるようになった(『請求権資金白書』1976年)。
1950(昭和25)年に李承晩が「マッカーサーラインのあちら側では日本人漁船が海を覆って魚を獲っているのに、こちら側では船一隻見ることができない」(『大統領李承晩博士談話集』1953年)と嘆いた状況は過去のものになった。それどころか昭和50年代後半から、北海道や西日本の沿岸漁業者は韓国漁船の操業に悩まされることになる。
漁業交渉が難航したもう一つの理由は、韓国の世論が李承晩ラインを国境線と誤解して日韓会談妥結に反対したことだった。「平和線の譲歩は領土の縮小を意味する」という主張に対し、韓国の与党は、そのような主張は「大韓民国を国際的に嘲笑の種にして孤立化させる仕打ちとしか見ることができない」と強く��しなめねばならなかった(「韓日国交正常化問題-韓日会談に関する宣伝資料 補完版一」1964年)。
昭和27年の李承晩ライン宣言(正式名称・隣接海洋に対する主権に関する宣言)後、韓国は米国はじめ諸外国の抗議を受けて主権の主張を撤回し、「主権」とは「漁業管轄権」のことだと、苦しい言い逃れをした(漁業管轄権も当時は国際的に認められておらず、日韓会談で韓国は日本に論破された)。しかし、日本に対する「元気のよい意見」(日韓会談の兪鎮午・韓国代表の言葉)に押されて公海に主権を宣言するという失態を犯した事実は消えなかった。李承晩政権の対日政策を支えた「元気のよい意見」の後始末に朴正煕政権は苦慮することになったのである。
韓国への「苦い視線」
漁業者団体は、拿捕による被害額を、昭和39年当時の評価基準で総額約90億円と算定した。内訳は、漁船の被害(未帰還船185隻の船体・付帯設備、帰還船142隻の修理費)24億円、積載物8億円、事件に伴う出費2億円、抑留中の賃金25億円、休業補償25億円、死亡障害補償5億円であった。この直接的被害に、「漁場への迂回、漁場の喪失、精神的負担など」間接的被害を加えると被害総額は約250億円を上回るとされる(『漁業で結ぶ日本と韓国』昭和40年)。
被害を補償したのは加害者韓国ではなく日本政府だった。約90億円のうち拿捕保険などで処置済みのものを差し引いた被害額を、特別交付金40億円に加え、低利長期融資10億円という形で、被害者に補償したのである(『日韓漁業対策運動史』)。
40年に結ばれた日韓条約中の請求権および経済協力協定では「両締約国は、両締約国及びその国民(法人を含む)の財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、(略)完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する」とある。そして同協定の合意議事録には、この「問題」には「この協定の署名の日までに大韓民国による日本漁船のだ捕から生じたすべての請求権が含まれており、したがって、それらすべての請求権は、大韓民国政府に対して主張しえない」とされていたからであった。
一方で、この合意議事録では、この「問題」には「日韓会談において韓国側から提出された『韓国の対日請求要綱』(いわゆる八項目)の範囲に属するすべての請求が含まれており、したがって、同対日請求権に関しては、いかなる主張もなしえない」とされていた。「韓国の対日請求要綱」の中には「被徴用韓人の未収金」や「戦争による被徴用者の被害に対する補償」があった。
2012(平成24)年以降、韓国の裁判所は戦時中に徴用された韓国人労働者が日本企業に損害賠償などを求めた訴訟で、日本企業に対する元韓国人労働者の訴えを認める判断を盛り込んだ判決を言い渡している。日韓条約を遵守して漁船拿捕��よる被害の補償を韓国に求めない日本との違いは、あまりに大きい。
昭和28年、李承晩大統領は渡韓した日本の水産業界代表に対して、「日本は四十年にわたって漁業を占有していたことに韓国人として不満がある」「四十年遅れたので、それを取り戻さねばならない」と日本漁船排除の正当性を強調した(「日韓漁業対策運動史」)。しかし、日本統治期の朝鮮漁業は「漁獲量世界第二位の水産大国」と後に韓国人が誇るほど発展したのであり、李承晩の非難は物事の一面にすぎない。
そして、戦前を朝鮮で過ごしたある人物が、韓国の対日姿勢「にがり切りながら、歴史や民族のふしぎを考えています」と私への葉書で記したように、李承晩ライン問題によって、日本人の韓国に対する「苦い視線」=否定的評価は確実に増したのだった。
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朝が寒いー! 毛が抜ける抜ける ✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼ 一泊二日で友達と金沢へ。 食べ尽くした二日間︎ 初ののどくろも美味しかった 胃薬、整...
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朝が寒いー! 毛が抜ける抜ける💦 ✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼ 一泊二日で友達と金沢へ。 食べ尽くした二日間‼︎ 初ののどくろも美味しかった✨ 胃薬、整腸剤、保険証持参して、 緊急事態対策もww 胃の調子が落ちがちだけど 食欲が勝るお年ごろ。 明日から摂生しまーす! #うさぎ #うさぎのきもち #bunny #bunnystagram #うさぎのいる生活 #うさぎのいる暮らし #うさぎと暮らす #pet #rabbitstagram #rabbit #lapin #weeklyfluff #instabunny #instarabbit #pets_of_instagram #webstapic #webstagram #うさぎのムギ#ミラーレス一眼初心者 #ふわもこ部 #animal #ネザーランドドワーフ #癒し #kaninchen #토끼 Source

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変わる季節
少し早め 後ろの叔父のところの木の実とダブっててなんかまぎらわしい😩 センターでボケてしまった桃の花です💦 新暦でも立春前、旧暦でも正月前に開花してくれるのはありがたいですね😊 こういうのが開花してくると、気分的にもいい感じになってきます。 ムギの散歩コースにある公園の桜です😊 背丈は2mにも満たないくらいですが、花の数がすごい😅 順調に育ってくれればもっともっとたくさん花を咲かせてくれるはず。ガンバレ! これはウチのもので、亡き義父から頂いたものです。地植えしてから3年目くらいかな。時間かかってもいいから、どんどん大きくなってほしいものですね😁 桜の近くにある地元産のレモン。先年は4月か5月頃の開花だったと思いますが、今年は1月になってからこんなに蕾を持ってしまいました💦 温暖化の影響なのかもしれませんが、なんか不思議です😅 順調に育ってくれるといいな😁 最後にこの時期には珍しい虹です…

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タマは近所の猫であ���。ムギとクロという二匹の同居猫と一緒に暮らしている。緑がかった灰色の目の、非対称のハチワレの、小柄で静かな猫である。夕刻になると、白髪をゆるやかに編んだ、緑がかった琥珀の瞳の、どことなくタマに似た女性が、猫たちに家の中から延びるリードをつけて引き戸をあける。すると猫たちは建物の外の線状の敷地に出てしばらく過ごす。敷地と道路の境目はあいまいで、道路には車通りがほどんどない。 わたしは犬を飼っている。四歳の雌の柴犬である。タマ家の前はこの犬の散歩エリアに含まれる。ひとつの散歩コースを好む犬も多いと聞くが、わたしの犬にはまったくそのような性質がなく、わたしがコースを決める日以外の散歩では、自宅から直径五キロ範囲の道路を制覇するかのように毎日ルートを変える。その中にタマ家の前の道路がある。わたしの都合で猫たちが出てくる夕刻に散歩する日は少ないのだが、犬はその機会をのがさず「今日はこちらに行きますよ」と意思表示する。 わたしの犬は猫をたいそう好きである。じゃれつくとか獲物として狙うとか、そういう「好き」ではない。猫を前にしたわたしの犬のようすは、アイドルファンの友人いわく「アイドルの握手会に来たオタク」だそうである。相手が許すギリギリの距離までそっと近寄り、うっとりと眺める。 すべての猫はこの犬のあこがれの生き物なのである。ときどき遭遇する地域猫からは会うたびに威嚇されているが、この犬は相手が威嚇した段階でぴたりと止まり、おすわりして威嚇を拝聴する。ふだん��ソファに寝そべっている飼い主を踏んで自分の席を確保するような図太い犬なのだが、猫ちゃんの前ではたいへん繊細な気遣いを見せる。 そのようなわたしの犬であるから、タマのことはそれはもう大好きである。もちろんムギもクロも好きなのだが、タマは気が向くと犬に鼻を寄せてくれるほど(猫としては例外的に)犬が嫌いではないのだ。犬はたいへん嬉しそうに、慎重に自分の鼻を差し出す。差し出す勢いが強すぎるとタマは猫パンチのそぶりをする。すると犬はあわてて身を引き、きわめて恐縮したようすを見せる。でもその場を離れようとはしない。帰るときはわたしにリードを引かれ、振り返りながら不承不承歩く。アイドルファンの友人は「引き剥がされている」と言っていた。 白髪の女性の説明によれば、ムギとクロはフリでなく、本気で猫パンチをする。彼女はわたしの犬を撫でながら、犬に向かって話す(動物好きはしばしば、動物が言語を解さないと承知の上で、動物に長々と話しかける)。ムギ、クロ、猫パンチ。わんちゃんより速い。シュッ。痛い。血が出る。わかった? ムギクロにはこれ以上近づかないのよ。そこにいるぶんにはOKみたいだから。 犬はおすわりして幸せそうな顔で猫たちを見ている。 わたしも猫ちゃんを好きである。世間には「犬派」「猫派」などという区分もあるようだが、わたしにはぴんとこない。「猫ちゃん」の発音が「ン゙ン゙ン゙猫ちゃぁぁぁん」になるくらいには好きである。猫を飼っている友人もわたしの犬をかわいがってくれているし、飼うほど好きならだいたい両方好きなのではないかと思う。 そんなわけでわたしもタマ、ムギ、クロにはお世話になっている。猫ちゃん成分を補充させてもらっているのだ。わたしはしゃがんで彼女たち(三匹とも雌である)に存在を許容してもらおうとする。ムギはちらりとわたしを見る。クロはたいていそっぽを向いたままだ。タマはだいぶ近いところにいて、わたしと目をあわせ、ゆっくりと三度またたく。犬にも同じことをする。飼い主さんいわく「知りあいだとわかっていて、あいさつしている」とのことである。うれしい。 犬は毎日二度散歩する。二度目の散歩はたいてい夜になる。三匹の猫のいない時間帯だ。それでも犬は、週に一度はタマ家の前を通りたがる。そして猫たちのくつろぎゾーンに鼻先を入れて地面をかぐ。気の毒なほどの片思いぶりだが、それもまた人生、否、犬生である。 タマは窓辺で長いこと外を眺めるのだと、飼い主さんが言っていた。あの窓よ、と指さした、三階建ての三階の端の小さい窓には、たしかにときどき、切り絵めいてあざやかな猫のシルエットがうつるのだった。タマだよ、とわたしは言う。犬の視力ではわからないだろうし、シルエットの概念を理解することもな��だろう。大脳新皮質が未発達だからね、とわたしは言う。そして大脳新皮質が未発達であるがゆえの狭いひたいを撫でてやる。切り絵のタマのしっぽがゆっくりと振れる。
タマのこと - 傘をひらいて、空を
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BLマンション/麦踏桔平
ムギ 身上調査書
姓名、略称:麦踏桔平(むぎふみきっぺい) 年齢:23歳 性別:男性 血液型:A型 誕生日:6月22日 星座:かに座 身長:174cm 体重:68kg 髪色:明るいピンク 瞳の色:水色(カラコン) 視力:右2.0 左2.0 きき腕:右きき 声の質:ちょっと浮世離れした高めの声 icv.石田彰さん 手術経験や虫歯、病気:なし 身体の傷、アザ、刺青:左手小指と薬指が切断しかかったが、民間療法によって手術もせず治した その痕が微妙に残っている その他の身体的特徴(鼻や目の形、姿勢、乳房、足、ホクロなど):足腰が強く詰まった筋肉をしている 超健康体 セクシャリティ:同性愛者 セックス体験、恋愛、結婚:なし 片想い経験はある 尊敬する人:兄 恨んでる人:兄 所属:都内大学の大学院 学部:英語学科 収入:運搬アルバイト 出身:日本 北海道の農家 母国語、言語:日本語、英語 将来の夢:まだ見つからない 恐怖:野生動物 口癖:したっけ 酒癖:ド甘え上戸
*交流向�� 一人称:おれ、ムギ 二人称:おまえ 呼び方:〜さん、あだ名 本人は受け希望
*概要
英語学科の大学院生。成績も優秀だが、たまたま受講した授業でやったテキスタイルデザインと刺繍に大いにハマってしまい、進学先を専門学校にすればよかったと思っている。わけあって実家には帰りたくない。
*性格
楽天家で気さくで甘ったれた性格。すべてのノリが軽い。困ったことがあっても何とかなってきた人生を反映するようにかなり能天気。自由人なところもあるが学業をはじめやるべきことには真摯に、それなりに手を抜きながらやっている。凝りはじめると夢中になってしまうタイプで、目の前のことにじっと集中して周りに意識がいかなくなる。人がたくさんいる場所が好きで懐っこい。 自信たっぷりに見えるが顔にあまり出ないだけでそれなりに不安に思ったりもする。傷付いたり嫌われたくないという気持ちが強いため、自分の気持ちに鈍感であろうとして普段は忘れることができるが、忘れたがゆえにまた繰り返すこともある。甘えるのは好きだが下に見られるのが好きなわけでない。 好きになると情深く献身的だが、執着心と嫉妬心も強い。
*家族関係、幼少期体験
北海道の農家生まれ。兄が2人に妹がひとりの真ん中っこ。小さい頃から畑やら牛やらに囲まれて農業を手伝う幼少期を過ごした。そのため足腰がかなりしっかりしている。兄2人が優秀でそれぞれ獣医、飛行機パイロットになり後継にと思われていたが農業高校大学進学とともに逃げるように上京し、現在にいたる。 昔農家をしたいと言ったら「おまえは三男だからたぶん無理」と返されてきっぱり諦めた経緯があり、手のひらを返したように後継の話が出て反発している。そのため学業に打ち込むが将来がはっきりせず、進路と家族の催促に悩んで逃げ続けている。家族との仲が悪いわけではないが会いたくないらしい。 小さい頃から自分が同性愛者であることを理解して特に気にせずに過ごしていたが、思春期の頃に友達に告白して「そんなことなら友達にならなかった」と断られてざっくりと傷付いたため、恋愛対象になる前にひととおり確認する癖がついている。恋愛わかばマーク。 左手の指をなんらかの野生動物(忘れた)に食いちぎられかけたせいで牙のあるでかい動物が苦手��が、本州のペットは小さくて平気な場合が多いらしい。
*能力
学業は基本的に優秀。特に言語系が得意で専門の大学に進み、それなりに難解な文章でも扱えるようになった。簡単な翻訳のアルバイトもたまにしている。幼少期からの学校と農業との過密スケジュールの中で当たり前に生きていたため実はものすごく丈夫で健康で体力自慢。上京した現在もアルバイトによって衰えておらず、また運転免許は普通、大型、大型二輪、大型特殊など主要なものは軒並み取得しており、大型トラック、農耕機、フォークリフトなんでも運転もできる。 しかし今の一番の興味はテキスタイルと刺繍という、今まで学んできたことと自分の適性と興味の方向がバラバラで進路に困っている。まあその時になればなんとかなるだろうと楽観視している。 特技はいい野菜選びとあらゆる虫と害獣の始末。
*好きなもの
食べ物:モッツァレラチーズ、牛肉と鹿肉、かぼちゃ 飲み物:牛乳、日本酒 煙草:吸わない 香水:つけない ダウニーの匂いがする 男性:年上の優しそうな人 書籍:写真集、アートブック 動物:犬、猫、牛 ファッション:いろんな柄の服 場所:高いところ 愛用:ドクターマーチンのブーツ 趣味:テキスタイル、刺繍、洗濯
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Charisma Family’s Life Starts!
今回からあのカリスマ世帯のプレイをスタートさせます(^o^)。カリスマ世帯自体は、かなり以前からNPCとして投入済みでしたが、子供ヴァンパイアにも大人ヴァンパイアの能力を習得可能にする「Child Vampire Mod」が完成したので、カリスマ世帯もPC世帯としてプレイしてみる事にしました。ホントは、先日のハロウィーンのスペシャルとしてプレイする予定だったのですが、いろいろと割り込みがあって…^^;。
さて、時は第24週目の土曜22:39、場所はOasis Springsにあるカリスマ世帯の自宅。前回のIta家ゆいの 「輝け!!ムギちゃん大作戦」が終わった所から始まります。でも、その前に、おぜうの種族をヴァンパイアに変更しちゃいましょ~う\(^o^)/!NPCとして投入した時は、未だVampire Game Packが発売されてなかったですしね。
Child Vampire Modの記事にも書いてありますが、子供ヴァンパイアはCAS画面で闇の住人形態の設定ができないので、MCCC(MC Dresser)を使って闇の住人形態の服装をカスタマイズしています。普通の状態のヘア&服装をコピーして、闇の住人形態側に貼り付けるだけですが、ポイントはあらかじめCAS画面で貼り付けたいヘア&服装を普通の状態にセット(別スタイルを利用等)しておく点です。
あと、Child Vampire Modを使って、一つ一つヴァンパイアの能力をプレイの中で習得していく事はもちろん可能ですが、カリスマ世帯では攻略プレイをするわけではないので、おぜうにはチートを使ってヴァンパイア位階は最高位のグランドマスター、全ヴァンパイア・パワー取得済み状態にカスタマイズしました。ヴァンパイア系のチートはこちらのサイトが詳しいです。3段階などレベルを複数持っているヴァンパイア・パワーをチートでセットする際は、レベル1、レベル2…と1から順番にセットしないと動作がおかしくなる事があるので要注意です。
なお、EAの仕様上、Child Vampire Modを使ってもUIパネルに位階など一部の情報が表示されませんが、「Show/Search Sim Info Mod」を使用すれば、位階や経験状態を確認(欲求情報ダイアログで)する事が可能です。
おぜうをホントのカリスマ・ヴァンパイアにカスタマイズし終わった所で、プレイスタート!自宅裏のテントでいきなり寝てる姫様…。まあ、22時を過ぎてますからね^^。一方、ゆゆ様はPCにも飽きてきてそろそろ床に就くようです。
正式にヴァンパイアとなったおぜう。自宅2階のPCでヴァンパイアの情報を検索していたら、ヴァンパイアの秘密を発見?!専門書も入手してヴァンパイア学を学び始めました。まあ、子供の全スキルはNPC時代にマックスにセットしてましたが、ヴァンパイア学スキルくらいはプレイの中で習得してもいいでしょう。ちなみに、おぜうは「月の子供レベル3」のヴァンパイア・パワーを持っているので、夜間のスキル習得スピードはブーストされます^^。
ヴァンパイア学スキルをレベル7まで成長させた所でようやく夜が明けてきたようです。さて、どんな1日が始まるのか?お楽しみに♪
P.S. ニコニコ動画でのこうばさんのシムズ3を使った(シム東方)カリスマ邸動画(もちろん古明地動画も!)は大好きで、何十回もみたものです(今でも時々見てますが^^;)。以前、Sims4の動画もテスト的に上がっていましたが、お忙しいのか、Sims4でのカリスマ邸はまだ視聴できないようです。こちらのプレイはこうばさんのカリスマ邸とは全く関係ありませんので、その点よろしくお願いしますm(__)m。
今回登場した主なCC: 1. 修正版レミリアスキン (arikasaさん作) 2. 蓬莱山輝夜スキン (arikasaさん作) 3. 西行寺幽々子スキン (arikasaさん作) 4. カリスマ世帯の自宅 「Old Lane」 (Frau Engelさん作) Thank you, all the creators!
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〇今日は台風 ニュースでもたくさん流れていますが、今日から明日にかけてとても強い台風が来ていますね こちらも外は大雨と強風//☂// この天気にムギちゃんも布団でこの表情😨 みんな家の中でおとなしくしていようね 皆様に被害無く通り過ぎて行くことを願ってます #ネコ #ねこ #ねこすたぐらむ #ネコスタグラム #ねこ部 #ねこ写真 #ネコ好き #ねこすた #ねこら部 #ねこのいる生活 #cat #catstagram #catsofinstagram https://www.instagram.com/p/B3gB99AA2Lv/?igshid=1g8689xiip48c
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換毛が始まるとやってくる トッポジージョ期。 日に日に毛が抜け、 顔が変わるので笑っちゃう。 頑張って乗り切ろうね︎ #うさぎ #うさぎのきもち #bun...
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換毛が始まるとやってくる トッポジージョ期。 日に日に毛が抜け、 顔が変わるので笑っちゃう。 頑張って乗り切ろうね‼︎ #うさぎ #うさぎのきもち #bunny #bunnystagram #うさぎのいる生活 #うさぎのいる暮らし #うさぎと暮らす #pet #rabbitstagram #rabbit #lapin #weeklyfluff #instabunny #instarabbit #pets_of_instagram #webstapic #webstagram #うさぎのムギ#ミラーレス一眼初心者 #ふわもこ部 #animal #ネザーランドドワーフ #癒し #kaninchen #토끼 Source

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* また、おかあさんと おとうとがバトルしていた… · いつもかっこいい〜かみがたにしてくれるさんぱつやさんが きょうはおやすみで ちがうところでさんぱつしてきたら へんなかみがたになって 「しゅうがくりょこう」という オトモダチとたのしいじかんをすごす「たび」にでるのが いやなんだって〜 · にんげんってたいへんやなぁ · ぼくがかわりにいってあげよか? · それより、おとうと〜 ぬぎっぱなしのティーシャツ はやくせんたくのところへ もっていかないと またおかあさんにおこられんで〜 · #ハニオ日記 風🐈 #石田ゆり子 さん♡ #友達に丸いって言われたんやって🤣 #反抗期 #しょうもない理由 #猫 #猫の気持ち #ムギ #オデコのМはムギのМ
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宋の蘇軾に「雪後、北台の壁に書す」と題する二首連作の作品がある。その第二首の典故に関して興味深いエピソードが伝えられている。詩は、密州 (山東省諸城県) の北の城壁近くにあった楼台 (蘇軾が改修して超然台と名づけた) で眺めた雪景色を詠じた作品である。熙寧八年 (一〇七五) 春、時に蘇軾は数え年三九歳、密州知州 (知事) の職にあった。
城頭初日始翻鴉 城頭の初日 始めて鴉を翻し 陌上晴泥已没車 陌上の晴泥 已に車を没す 凍合玉楼寒起粟 凍は玉楼に合し 寒くして粟を起こし 光搖銀海眩生花 光は銀海に揺ぎ 眩して花を生ず 遺蝗入地應千尺 遺蝗 地に入りて 応に千尺なるべし 宿麦連雲有幾家 宿麦 雲に連なりて 幾家か有る 老病自嗟詩力退 老病 自ら嗟く 詩力の退くを 空吟冰柱憶劉叉 空しく冰柱を吟じて 劉叉を憶う (宋・蘇軾・雪後書北台壁二首、其二 [雪後 北台の壁に書す二首 其二])
[訳] 城壁のうえに朝日が昇り始めると、カラスが飛びたち、 日の光をうけて街道の雪がとけ、車輪がすでに泥にうまっている。 氷は北台の高楼を白玉の楼にかえ、寒さのために鳥肌が立ち、 光は一面の銀世界に揺れうごいて、キラキラとまぶしく目がくらむ。 雪のためにイナゴの幼虫はきっと地下千尺の深さにもぐったにちがいない。 はるかな雲に連なるムギ畑のなかに、農家は何軒あるのだろう。 年老いて病む身のわたしは、詩の作る力の衰えたのを嘆き、 ただむなしく「冰柱」の詩を吟じながら、唐の劉叉のことを思い出すばかり。
(中略)
さらにまた、頸聯の「遺蝗」「宿麦」の二句は、農家の人々が語りついでいる言葉が典故になっていると、やはり宋人の注は指摘する。この指摘は信じてもよいように思われる。すなわち、「イナゴは秋の末に卵 (子) を地面にうえつけるが、地中に残されたイナゴの子 (つまり《遺蝗》) は、雪が一尺積もると地下に一丈もぐり、秋にまかれて年を越すムギ (つまり《宿麦》) は、大雪であればあるほどよく成長して豊作がのぞめる」というのである。雪が豊年の瑞祥であることは古書にも見え、昔から言い伝えられているものである。この典故を忠実に解釈すれば、「遺蝗 地に入りて 応に千尺 (百丈) なるべし」は、積雪が一〇〇尺 (一〇丈 = 約三〇〇メートル) となり、明らかに詩的誇張はあるものの、要は雪が多くつもっていることを寓意したものであり、「宿麦 雲に連なりて 幾家か有る」は、ムギの豊作を期待しているであろう農家が幾つ見えているだろうと、ほとんど農家の見えないことを描写したものと考えられる。さらに、前のイナゴの句にはイナゴの幼虫が地下深くもぐって春に地上に出てくるものも少なくなり、秋の虫害が避けられるだろうという明るい希望が込められていると解釈できる。前聯 (頷聯) で寒さにふるえ雪の眩しさに、眼がくらむ詩人の個人的なマイナスの情感に対して、頸聯では大雪をプラスとする農家の状況を詠じて、雪景色を対比的かつ大局的にとらえているのである。
佐藤保 『詳講 漢詩入門』 ちくま学芸文庫 p. 195-197, 199-200
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作業のはざま💦
待機です😩 門の北側のエリアでは落とした枝を一時保管しておいて、ここで小さくカットして袋詰めにしてます。前回までの南側の枝がやっと片付きました😅 2週間ほど刈り込んでなかった芝を久々に刈ってみました。どうしてもリールの端の部分はきれいにできませんが、冬場にしてはまあいいかな💦このくらい緑色が残ってればよしとしましょう😞 天気も急に変わったりするので、時間早めの��歩に出ると大喜びのムギ太郎😆 気持ち大きめのジャンパーにマーキングの残りがついてしまうこともありますが、こまめに洗濯することにしてます😅 このけっこうある枝を、今回はぜひ少なく低くしたい😅 北風が強い日はチェーンソーの使用を控えて、残す枝の剪定をメインにして準備を進めてますが冬場の強い風では周りを汚しすぎるので😩 今年中に残り3本のクロキは無理ですが、できるところまではやっていこうと思います。それではまた。

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