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unreal-time · 1 year ago
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奈良大安寺旧境内、杉山古墳の墳丘にただ登るだけの動画。
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unreal-time · 1 year ago
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哲学の道 2023年11月5日
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unreal-time · 1 year ago
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天皇の二つの顔──帝国の首長と神聖王
しかしこうした律令に規定された、水田を基礎とする税制とは別に、天皇に海の幸、山の幸の初尾を捧げる贄の制度のあったことも、見落としてはならない。これについては、律令に規定されていないため、従来、あまり注目されていなかったが、藤原宮・平城宮跡から出土した大量の木簡に、予想をはるかにこえる多くの海産物等の贄の付札が見出され、都に膨大な海産物が送られていたことがあきらかにされてから、にわかに注目されるようになってきた。また、諸国から天皇家に貢進される栗、胡桃、梨、椎、柑、楊梅等々の菓子も注目すべきで、縄文時代以来の樹木の文化、山の幸もまたけっして見逃してなるまい。
これについても、若干後述し、また本シリーズの該当の巻で詳述されるであろうから、ここでは立ち入らないが、本来は神に捧げられる山野河海の収穫物の初尾である贄が天皇に進められていることは、天皇が律令制とし、水田を基礎とする中国大陸風の帝国としての「日本国」の首長という一面とともに、太陽神を祖先とする神の子孫であり、自らも神の子として人民に臨む“神聖王”としての側面を持っていたことをよく物語っている。これはインカ帝国のインカやアフリカの王国の王などと比較する必要のある面であり、天皇は“無主”の山野河海、境界領域を支配し、そこを生活の舞台とする人々、海民や山民、のちには遍歴する商人を直属させる神聖な存在でもあったのである。
こうした天皇の顔は、水田を基礎とする国家の首長、いわば「稲の王」としての顔とともに、中世の天皇も持ち���けたといってよかろう (拙著 『日本中世の非農業民と天皇』 岩波書店、一九八四年)。
網野善彦 『日本の歴史00 「日本」とは何か』 講談社学術文庫 p. 123-124
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unreal-time · 1 year ago
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田村麻呂の悪徒退治伝承とからめて、ネブタの由来が語られているこの『東日流由来記』が、藩政期のネブタ伝承として唯一のものであるという。一六六二年という成立年には疑いがもたれているが、近世にすでに、ネブタの起源を田村麻呂との関わりで説く伝承が流布していたことは、想定して誤りではあるまい。大丈夫が悪路王や女酋・阿屋須などに変わることはあれ、田村麻呂ないしその臣下が灯籠 (ネブタ) を作り、笛や太鼓の囃しでかれらマツロワヌ異族を誘い出し、退治したとする大筋は動かない。
青森のネブタ絵の題材は、主に歌舞伎の演し物か『三国志』から取られている。ほぼ例外なしに、勇壮な戦いの図柄である。今年のネブタ絵のなかには、田村麻呂や悪路王を描いたものは見られないが、勇者奮戦の図はそのヴァリエーションであろうか。雄々しい勇者とマツロワヌ者との戦い、この構図のしたには、あきらかに田村麻呂の異族征討にちなんだネブタ起源譚が沈められている。しかも、弁慶・天草四郎・村上義光・明智光秀・平景清といった、敗れた側に属し、非業の死を遂げた武将たちが好んで描かれているということは、田村麻呂に討たれる異族の側への心情的な荷担を暗示している気がする。
ネブタの起源伝承として、田村麻呂の異族征討譚が語られてきたことは、やはり偶然ではあるまい。眠り流しの祭りとしての本義は、おそらく穢れや災いを祓い棄てることにあった。それを都市の祭礼として、大掛かりに演出するとき、眼に見えぬ穢れ��非業の武将やマツロワヌ異族へと可視化される。平家の武将・悪七兵衛景清などはまさに怨霊そのものであった。穢れ=マツロワヌ異族の祀り棄てという、この構造的な一致は見過ごすわけにはいかない。村々の習俗としての眠り流しが、大胆に物語的な転位を遂げることで田村麻呂のネブタ起源伝承を分泌し、やがて、あの極彩色のネブタ絵を産んだとは考えられないか。
赤坂憲雄 『東北学/忘れられた東北』 岩波現代文庫 p. 155-156
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unreal-time · 1 year ago
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石上神宮での鶏の喧嘩
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unreal-time · 2 years ago
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わたくしたちは、筆をおく前に、もう一言だけのべたいと思います。形而上学、自然哲学、あるいは、天文学といった理論的な学問においては、一般的な輿論に訴えることが、正しくなく、かつ、決定性を持ち得ないと考えられるのが正当であるにしても、しかし、文芸批評 (criticism) や社会倫理 (morals) に関する一切の問題においては、実際、議論に決着を与え得るような標準が、一般的な輿論以外には全然なく、また、それらに関する理論の誤りを最も明瞭に示すには、それが人類の共通な見解に相反し、したがってまた、あらゆる国民とあらゆる時代の慣行および意見に相反する奇妙な議論にならざるを得ない、ということを証拠として出すのが一番です。一切の合法的な政府を、原始契約ないし人民の同意といったものの上に、基礎づけようとする理論は、明らかに、この種の理論であり、また、この派の最も著名な人物は、そのような理論を実行に移すにあた��、絶対王政は市民社会と相容れないものであり、したがって、市民的な政府の一形態であることは決してできないということ、そしてまた、一国の最高主権による場合でも、被課税者���身の、あるいは、その代表者の同意なしには、税金や輸出入関税により、彼の財産のほんの一部分にしても、とりたてることは不可能であるということを、躊躇なく、主張しています。人類の一般的慣行から極めてほど遠い意見をひき出してくるような社会理論が、このたった一つの王国は別として、他のあらゆるところで、どんな権威をもつことができるかは、断定するに難くないことです。
政府に対する服従の義務を、約束に帰せしめているような文句を古代にもとめれば、たった一つ、プラトンの「クリトン」の中にあるだけです。この中で、ソクラテスは、脱獄を拒否する理由をのべて、なぜなら、法律にしたがうことを、わたくしは、すでに、暗黙裡に、約束してしまったからだとしています。それゆえ、彼は、原始契約というウィッグ的基礎の上に、絶対服従というトーリー的帰結を打ちたてているわけです。
新発見を、このような問題において期待するということはできない相談です。もしも、極く最近まで、政府の基礎は契約であったなんで考えるひとがほとんどいなかったとすれば、一般的にいって、政府の基礎がそのようなものであるはずがないということは間違いありません。
古代文明諸国民の間においては、叛逆の罪が、新奇なことを企てる (νεωτεριζειν, novas res moliri) という意味のことばで、表現されるのが普通でした。
ヒューム 小松茂夫訳 「原始契約について」 [『市民の国について (上) 』所収] 岩波文庫 (1952) p. 152-154
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unreal-time · 2 years ago
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女性の政治的地位に関連するいくつかが (メアリー・ウルストンクラフトの例があるように) 以前から認識されていたにもかかわらず、ジェンダーをめぐる論点は、それ自体がリベラル達にとっていまだ問題含みのものである。ミルは、彼の妻であるハリエット・テイラーとともに、女性の平等な政治的—および投票の—権利の初期の擁護者であり、「男女間の権利の不平等な関係は、ほかならぬ強者の法則に由来するものである」と主張した。だが、女性参政権がもたらした形式的および法的平等の達成は、次の二つの理由からフェミニストに攻撃されてきた。第一に、経済的および文化的なジェンダー間格差が依然として強固であることを鑑みれば、形式的・法的平等の達成は不平等の減少という点では非常に表面的で部分的である。第二に、これは最近のフェミニストに共通のテーマであるが、形式的・法的平等は女性を政治的に男性に変えるものにすぎず、男性優位主義的な文化的特性に基づく既存のカテゴリーに女性を吸収しているのであって、ジェンダー的差異にある肯定的側面を顧慮していない。このタイプのジェンダー的無理解があるゆえに、リベラリズムはフェミニストが目標とするところに到達できない運命にある。リベラリズムが契約[論]と歴史的なつながりを有するがゆえに、潜在的に抑圧的な慣習を伴った結婚[制度]を容認することになった。男性は精神、合理性、普遍性という公的領域に属し、女性は身体、感情、特殊性という私的領域を占めているという、不誠実な二分法の犠牲に女性をした廉で、リベラリズムは非難されてきた。フェミニストはその代わりに、より効果的でより倫理的な解決策を求めてラディカルなマルクス主義とポストモダニズムのイデオロギーに接近した。しかしながら、リベラル陣営の外側からの視点はリベラルの悪意と無能さを誇張する傾向がある。それゆえ、あらゆる[種類の]リベラリズムを、二〇世紀初頭における一部のリベラリズムの具体例を用いて、ステレオタイプ化したフェミニストもいたのだ。
マイケル・フリーデン 山岡龍一監訳 寺尾範野・森達也訳 『リベラリズムとは何か』 ちくま学芸文庫 p. 217-219
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unreal-time · 3 years ago
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『日本書紀』の語るように、物部氏を滅ぼしたのが新しい神である仏の祟りであるとすれば、蘇我氏を滅ぼしたものも古い神々の祟りであっただろう。
この古い神と新しい神の戦いによって、古代日本を代表する二つの豪族は共に滅び、天皇親政の世が来たが、この天皇親政の世も、せいぜい天智、天武、二代の帝の時代のみであり、持統晩年から新しい氏族、藤原氏の支配の時代がはじまる。神道と共に物部氏は滅び、仏教と共に蘇我氏は滅びたが、この藤原氏という氏族は、物部氏や蘇我氏とは全くちがった性格をもつ氏族であるように思われる。
藤原氏の氏神である春日大社へゆくと藤が植えてある。一本の藤は楓の木と並びその木にまきついているし、他の一本の藤は、他の木に寄生し、また、その元木には、さまざまな木が生えている。この藤を己れの氏族のシンボルとして選んだ藤原氏はいかなる氏族であろうか。
藤は、一言にしていうならば、雑草の生命力をもっている木である。それは、むしろそれ自身の性をもたず、他の木にまきついて、その他の木を枯らしつつ、自己を成長させていく木である。寄生が、この木の本性である。この木を自己の姓に選んだ藤原氏とは、大した氏族だと思う。それは鎌足の意志かもしれないが、その意志通りに藤原氏は繁栄したのである。
梅原猛 『隠された十字架』 新潮文庫 p. 181-182
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unreal-time · 3 years ago
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岡山市中区 BOTANICAFE 前の用水路に設置されている水車。
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unreal-time · 3 years ago
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じつは皇帝による法治は、一面では社会の側から要請されたものでもあった。地主や知識人にとり自己の財産と生命を保障するには、現行の秩序が維持されねばならない。秩序への造反者・破壊者を取締るため���は、法を遂行する秩序の統括者が必要であった。彼らは皇帝に徳治 (礼治) を望みながら、他方で皇帝に秩序統括者の権限を付託してその権力を強化した。皇帝独裁体制は皇帝個人の単なる欲望の所産ではなく、秩序維持を求める社会の要求の反映でもあったのだ。
王朝創設間もない頃、淅東学派の劉基が朱元璋に語ったことがある。「元朝の世にありましては法度は弛緩し、上の者も下の者もその弊害をこうむり、ついに元末の反乱が勃発するにいたりました。今や維新の政治を為すにあたり、まずは法令によって綱紀の粛正を図ることが肝要かと存じます」 (洪武元年正月庚辰) 。
養民の要諦は、まずは秩序を安定させることにある。秩序のないところに混乱が起こり、はては民の生活が破綻する。そのためにも法は厳格に行使せねばならない。朱元璋の推進した政策は、劉基をはじめとする淅東学派のそれと何ら変わらない。彼らもまた法を用いて綱紀を粛正し、それによって秩序維持と民の生活を保障しようとした。
異なるのは、淅東学派が法で秩序を回復した先に、徳治 (礼治) のプランを立てていたことである。教化を通じて各自に徳 (礼) を体得させ、人々が自発的に秩序を遵守するよう仕向けるのが為政者の務めだと彼らは考えた。これに対して朱元璋は人々の自発性を無視し、強制的に秩序を遵守させようとした。彼は秩序統括者としての皇帝の権力を強化し、他律的に儒教国家を構築しようとしたのである。
明初の専制主義の高まりと絶対帝政は決して朱元璋一人の所為の結果ではない。それを支持する社会の空気が当時はたしかにあった。ただ、朱元璋の政策は社会の矛盾をはるかに超えて、あまりに苛烈かつ酷薄であった。元末の秩序崩壊を経験した中国社会は、狂気と信念の非人間的な皇帝を明初という時代に生み出してしまったわけだ。
檀上寛 『シリーズ 中国の歴史④ 陸海の交錯 明朝の興亡』 岩波新書 p. 31-32
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unreal-time · 3 years ago
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アメリカ「建国の父」とよばれている一群の人々の中でも、 T. ジェファソンなどは、こうしたルソーに近い考え方をもっていた。こうしたデモクラシー理解が、アメリカでは一方において存在する。しかし、J. マディソンはこれとは違う考え方の一つの典型を示したのである。彼は、デモクラシーとは衆愚政治にすぎないという古来の命題に忠実であり、アメリカの政治体制はデモクラシーではなく、共和制でなければならないと主張した。彼が中心になって起草したアメリカ連邦憲法は、君主制を論外とし、民衆が行政の長である大統領を選出するという点では、当時のどの国よりもデモクラシーに近い制度をもたらすものであった。にもかかわらず、あるいはむしろそれゆえに、そこにはデモクラシーの「暴走」を抑えるためのさまざまな制度が用意されていた。連邦議会が多数決によって法としたものを、わずか数人の連邦最高判事が違憲として覆すことができるという司法審査制度は、その一例である。
マディソンはまた、人々がそれぞれの利害を実現するために政党をつくって争い合うという政党政治のシステムについて、それ自体は自由な社会において否定できないものとしつつ、同時にそれが「多数者の専制」につながりかねないと危惧していた。これも無知な大衆によって政治が牛耳られかねないという彼のおそれを背景としていた (ハミルトンほか、 1999/原書初版 1787-88) 。
ハミルトン, A. ほか/斎藤真・中野勝郎訳, 1999, 『ザ・フェデラリスト』 岩波書店
川崎修・杉田敦 [編] 『新版 現代政治理論』 有斐閣アルマ p. 144-145
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unreal-time · 3 years ago
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「寒首十首」はこの他に、他国から讃岐に潜入する浮浪者、妻に先立たれ、子供をかかえて途方にくれている老人、両親を失った孤児、冬になっても単衣ものの衣服で駅から駅へ輸送の仕事に従事する馬丁、同じく海上で輸送の仕事に従事する水夫、いつ釣れるかわからない魚を釣って租税を払おうとしている漁師、四国の海岸の有名な産業だった製塩業に従事している塩売り、木樵といった、いずれも真先に冬の寒気が身にこたえるであろう人々を歌っています。
ここで注目すべきことは、ここで詠まれている人々のほとんどすべてが、重税にあえぐ貧しい人々として描かれていることです。道真は、まさにその税を取立てる側の代表者だったのですから、これらの詩は彼にとっては讃岐で見出した現実がいかに強い衝撃だったかをおのずと物語っていると言っていいでしょう。第一、以上十種類の貧しい人々のすべてにわたって、その生活の実態を広く見渡すなどということは、彼のように高い地位にいる役人でなければ不可能でした。しかし、高い地位にいる役人は、原理的に言って、ほとんどまったく、それら貧しい階級への同情・共感は持ち得ない人々でした。菅原道真はその意味で、ほとんど類例を見出せない役人であり、そしてまた詩人でした。なぜなら、前にも後にも、詩人で彼のような立場に立った人は少なかった上、このような詩を書く能力のある詩人はますます少なかったからです。
大岡信 『日本の詩歌 その骨組みと素肌』 岩波文庫 p. 42-43
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unreal-time · 3 years ago
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3章にわたる準備が終わったので、いよいよ「超モース理論」の扉を叩くことにしましょう。『超モース理論は私の勝手な造語で、いささか慇懃ですが、その心は英語で表現すると、 Higher dimensional Morse theory (より高い次元の『モース理論』) の意になりましょう。
従来の「モース理論」が微分可能な関数 (すなわち行き先が1次元) の理論なのに対して、『超モース理論』は行き先がより高次元の写像の理論を目指しています。この分野の創始者であるルネ・トム (R. Thom) は自身の研究を「モース理論の一般化」と位置づけていました。ですから『超モース理論』においては、“空間と微分可能な写像の相互関係を調べる” ことが主要なテーマとなります。さらに詳しくいうと、
“ある空間上で定義された微分可能写像微分可能写像の特異点の配置や位相構造の情報がその空間 (概ね多様体を想定) の (微分) 位相幾何学的な形状をどのように決めるかを調べる”
理論の構築を目的としています
佐久間一浩 『特異点のこころえ』 日本評論社 p. 42
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unreal-time · 4 years ago
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雍正帝の理想をつきつめてゆけば、官僚はただ仕事のために追い使われる道具にすぎない。文化生活もできず、文人趣味に浸ることもできず、もっと重大なことは子孫のために財を蓄えることができない。これでは社会の特権階級として残ることが不可能になる。雍正帝にとっては特権階級などの存在がそもそも不合理なので、特権とはただ天子一人が持っている独裁権のことで天子以外の万民は全くの平等の価値しかもたない。だから彼は地方の賤民の解放を行った。山西省の楽戸、浙江省の惰民、九戸漁戸、安徽省の世僕などの賤民階級は以後良民と差別なく待遇されるようになった。下層民の生活が保証され、治安維持が確立されれば清朝は末代までつづくであろうし、それに失敗すればやがて革命が起って清朝は顛覆されぬとも限らないのだ。
宮崎市貞 『雍正帝 中国の独裁君主』 中公文庫 p. 177-178
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unreal-time · 4 years ago
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天下観念と生民論
王莽の世紀に現出した古典国制は、天下観念のもとに展開する生民論と承天論を根底的世界観・政治的秩序原理とする国制である。今日の日本国憲法が国民主権・基本的人権・平和主義を基礎に国のかたちを展開するように、伝統中国の国のかたちは生民論と承天論を基礎にしている。
生民論とは、天子 = 官僚制統治による生民・百姓の秩序化の言説である。この考えは、前漢の元帝・成帝劉驁 (在位前三三〜前七) 二代の治世期に顕在化した。前一二年、成帝に提出した谷永の上疏は、最も簡潔にこの考えを表現している。
それがしの聞くところ、天は民衆を生んだが、民衆は自ら統治することができなかったために天は王者を立て、かれらを統治させたのである。あまねく海内 (天下) を統治するのは天子のためではなく、領土を設けて封建するのは諸侯のためではない。みな民衆のためである。人統・地統・天統の循環する暦法を設け、それに対応する夏殷周三王朝を交替させ、無道の天子を除き有徳の天子に委ねて、天下を一姓の私有物としなかったのは、天下はすなわち天下の天下であって、一人の天下ではないことを明らかにするものである、と (『漢書』谷永伝) 。
無道の天子を除き、有徳の天子に委任し、王朝を交替させるのは、「天下は天下の天下であって一姓・一家の私有物ではない」という説明は、たとえば「僕は、僕の僕だ」と言うに等しく、主語と修飾語と述語とがまったくの同一であって、なにものも説明していない。しかし、天下を肯定的に三つに重ねた論理をこえる天下の説明は、二重否定以上のはたらきをもって、天の絶対性王朝をこえる天下の普遍性を前提にする天子・皇帝権力の正当性を説明する論理となった。
またここには、天の生みなした民衆 (生民) の自治能力欠如による、天から天子への委任統治とその統治領域である天下の絶対的公共性が述べられている。天からの権力委任と無条件の民衆自治能力の否定は、天子 = 皇帝による専制支配の正当化のための政治イデオロギーであった。このような陳述は、前漢末から後漢にかけて、皇帝自身や官僚たちがくりかえし言及して定着させ、さらに唐代にいたるまで史実に散見し、皇帝・天子の天下・生民に対する支配の正当性を説明する理論になった。
渡辺信一郎 『中国の歴史① 中華の成立 唐代まで』 p. 110-111
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unreal-time · 4 years ago
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職業団体 Korporation
この市民社会の構造のなかに社会的分裂傾向があることを見いだすのに十分なほどヘーゲルが当時の情勢を熟知していたことは、いまでは申し分なく知られている。資本主義市場の管理されていない領域には、それが規則的に失業と大量の貧困化を生み出すがゆえの危険が横たわっているはずであり、ヘーゲルはその危険に気づいていたが、その慧眼なことにおいては、当時の哲学者には他に類例がないものである。「市民社会」の章において、ヘーゲルにいくつかの追加的想定を採用させているのは、社会経済的現実にたいするこのセンスだったのであるが、これらの追加的想定はこれまで展開されてきた論証の体系化とは、もはやほとんど調和しないように見える。すなわち、いまや彼は、市場の分裂傾向にたいしてそれ自身の領域上で、あるものを対置させようとするかのように、一種の人倫のサブシステムを人倫の第二領域 [市民社会] へと組み入れる。そのサブシステムの機能は本質的に、ここですでに社会的普遍化と公共福祉のいっそうの拡大に配慮することに存するはずである。[追加的想定のひとつである] 「職業団体 Korporation 」という表題のもとで、ヘーゲルはまだ「市民社会」の内部で、ある区別された領域のための場を設けており、その領域では普遍的なものにたいする感覚が、交換という間接的な道筋ではなく、間主観的に共有された目的措定という直接的な道筋で生み出されるのである。すなわち、「個人は市民社会の息子になってしまって」 (第二三八節) いるのではなく、したがって自立した人間へと解放されているわけではなく、個人はふたたびひとつの団体の構成員とされるのであり、その団体においては中世的ツンフトを手本にして、各職業特有の徳が全社会の福祉のために行使される (第254節) 。まさに素朴な印象を受けるのは、日雇い労働者や産業労働者を考慮すれば、すでに彼の時代には古びてしまったものがつきまとう職業団体に、いかにヘーゲルが資本主義市場の道徳的規律化の効果を期待しているかということである。「さきに見たように、個人は市民社会では、自分のことを配慮しながらも、やはり他人のためにも行動している。だが、こうした無意識的必然性では十分ではない。この無意識的必然性は、職業団体においてはじめて、知られておりかつ思考する人倫になるのである。もちろん職業団体にたいしては、国家による上からの監督がなければならない。そうでなければ、職業団体はかたくなに自分の殻に閉じこもってだめになり、あさましいツンフトになり下がるであろうからである。だが、絶対的には、職業団体は閉ざされたツンフトではない。それどころかそれは、個々独立の営業を人倫的なものにし、それをひとつの仲間集団に引き上げて、そのなかで営業に強さと誇りを得させるのである。」 (第二五五節補遺) 。
アクセル・ホネット 島崎隆・明石秀人・大河内泰樹・徳地真也訳 『自由であることの苦しみ ――ヘーゲル『法哲学』の再生』 未来社 p. 131-133
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unreal-time · 4 years ago
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ヘーゲルの「人倫」の構想における家族の基礎的な役割がなお比較的容易に理解されるにしても、「市民社会」が中間に置かれていることを理解するには。さらにより大きな困難がすでにともなう。「論理学」の補強的な機能なしでも説得力を有するというヘーゲルの論拠に集中することが、ここでもまた問題となってくる。そのさい、「市民社会」がテキストのなかで「欲求の体系 System der Bedürfnisse 」とも呼称されることがあるという事情から、特殊な問題が生じる。というのも、この「欲求の体系」によって、まさしく「家族」に固有のありかたとして主張されたのと同様の、人間本性の側面に特有の親近性がまたもや生み出されているように見えるからである。これらの困難は、すでにヘーゲルが初期の政治的思考において「市民社会」の概念に与えていた強調的な意義を考慮するならば、たちどころに解消しはじめる。イェーナ期以来、イギリス国民経済学についての豊かな知識をもっていたヘーゲルは、「市民社会」と呼ぶ領域を資本主義的な市場の領域と同一視していた。この領域は、たしかに競争の結果として、主体間の間主観的な紐帯を引き裂きはするが、しかし他方で、交換によって多数の生産物へのアクセスが拓かれるがゆえに、主体一人ひとりの個人的な利益に、実現の最善の機会を与えるのである。そのかぎりで、いまや経済的市民間の、市場に媒介された交通の領域として理解された「市民社会」は、ヘーゲルにとって、直接的な人倫を破壊する媒体と同時に、最高の個人化を可能とする媒体をも表わす。そして修辞にたいする先鋭的な感覚をもっていたヘーゲルは、「人倫の悲劇」という定式でこのヤヌスの顔をした役割を表現した。しかし、われわれの問題提起にとってそこから帰結するのは、「欲求の体系」によって想定されているのが、まさしく欲求に定位したコミュニケーションの領域ではなくて、そのおかげで市場が多数の利益を充足できる、匿名の体系めいた制御の働きである、ということである。人間の自然からこの種の交換関係に入り込んでくるのは、多様に高まりうる欲求であり、その欲求の充足を大人はもはや家族の団欒からは期待できないのである。
このように概念を明らかにしていくことで、人倫の領域において「市民社会」が「家族」よりも高い位置を占めている理由を難なく見てとることができる。前者、つまり市場に媒介された交通においては、主体がすでに個人化された法人格として現れるが、後者、つまり家族の内部空間では、主体は選択によって選ばれたのではない共同体の非自立的な構成員として存在するにすぎない。換言すれば、ヘーゲルの観点からして、家族というコミュニケーション空間にたいするある一定の優越性を「市民社会」に与えるのは、個人化のより高い度合いであり、自己中心的な利益の実現の機会のより高度な度合いである。たしかにこのより高次の領域でもまた、市場での交換現象に表われたのが人間の欲求であるかぎり、人間的自然の一部がふたたび表現されている。しかし、そのさい問題なのは、「私人」が「その目的としている」ような、自己関係的な「利益」であるにすぎず、家族の構成員が互いに示しあう間主観的な欲求ではない。したがって、この二つの領域の間にある中心的な違いとして、 [市民の] 自己中心的な利益の充足と [家族の] 間主観的な欲求の充足との間に存在する違いを確認しておくことが、最初のアプローチには適切であるかもしれない。さらにそのうえ、両方の領域において、それぞれ承認と自己実現の交差の仕方に存するような差異が、概略としてではあるがすでに浮かび上がっている。
アクセル・ホネット 島崎隆・明石秀人・大河内泰樹・徳地真也訳 『自由であることの苦しみ ――ヘーゲル『法哲学』の再生』 未来社 p. 105-106
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