#お母さんの笑顔
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moznohayanie · 2 months ago
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(...)
所ジョージ:それが能登の子でね、小学生のときに能登からこっちへ引っ越してきたんだよ。コロナのときだったから引っ越しても会っちゃいけないなんていうルールだったでしょ。だから引っ越しのあいさつに来られなかったと。 それで騒動も収まったころにお母さんとあいさつに来て、菓子折り持って「引っ越してきました」と。そのときは俺がいなかったんだけど、「友達になってください」と書いた手紙をもらったんですよ。「それ面白いな」と思って、「絵しりとりをやってください」ということだから「やりましょう!」と。それでお互いポストに入れあいしてるうち、もう2年が経った。 会ったことはないけど、写真は貼ってあるから顔はわかる。そんな彼とばったり道で会って、「お前中野だろ!?」とか言って(笑)。意外と興奮するもんだよ。俺、遠距離恋愛で久しぶりに会った人の気持ちがわかるような気がしたもん。ドキドキしちゃって、何していいやら、みたいな。そういうのもね、楽しいんですよ。テレビの仕事なんかよりもそっちの方が興奮するね。 あと、近所のおばさんが「私ね、ずっと長い間ジャム作ってるんですよ」と言うから、屋根に登って夏みかんを10個取ってあげたの。そしたらその夏みかんでコンフォートみたいなものを作って持ってきてくれた。 これが美味くてね!メロンを持ってピンポン押して、「美味かった」とメロンを渡したんだ。そういうやり取りがすごく面白い。 だから近所のおばさんと話してるときはもうおばさんだよね。中学生としりとりやってるときは中学生。だから「俺は70の大人だし」とか「もう立場のある人間だし」とかは私にははないのよ。
所ジョージ「見逃している場合じゃない」年相応はないと言い切る所ジョージが見出した“人生の楽しみ方”
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picnicism · 1 year ago
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【弟が一生分の大金を手に入れたので、使った時の話】 弟が、巨額のお金を稼いできた。 どれぐらい巨額かというと、 弟が30年間休みなく働いて、 やっと手にできるほどの巨額。 それも、たった数時間で、稼いできた。 岸田家の歴史を揺るがす大事件。 まあ、そもそも弟は、 めちゃくちゃ給料が低かったんやけど。 週5日の出勤で、日給が500円だった。 昼食代を引くと、手取りは50円だけ。 弟は生まれつき、ダウン症なので、 障害のある人の集まる作業所で働いていた。 そんな弟に、夢のような仕事が舞い込んだ。 「ほぼ日手帳という商品の、 カレンダーの数字を書いてくれませんか?」 実は、弟はまったく文字が書けないのだが、 わたしが本を出版したときに、 ページ番号を手書きしてくれたのだ。 なんとも言えない、ふぞろいな数字たちが、 手帳のデザイナーの目に止まった! 「あんた、数字書く仕事、やってみる?」 弟に聞くと、 「んー、おお。ほな、ええで」 すでに数字職人としての貫禄があった。 とはいえ、職人の仕事は遅かった。 手帳で使う数字を372回書くのに、 一ヶ月もかかってしまった。 わたしは突如マネージャーとして、 弟をおだて、ジュースをおごり、 最後には温泉旅館にこもって、ギリ完成! ちなみに温泉旅館代は、 姉であるわたしの自腹である。 なんでやねん。 そんなわけで、数字職人・岸田良太は、 30年分の給料にあたるお金を手に入れた。 母は言う。 「これは、ちゃんと貯金しとこうな」 わたしは言う。 「いや、本人が稼いだお金やねんから、 本人に使い道を決めてもらおうや」 「あかんって!良太はお金の価値をよくわかってないねんから!危ない!」 しかし、わたしは立ちふさがる。 「お金の価値は、自分で使ってみないと、 一生わからへんのや!」 「騙されたり、盗られたりするかも……」 「人生で一度くらいはな、ネコババされたり、借りパクされたりして、なんぼやねん」 「えええ……」 「痛い目にあってから、人は強くなるんや。障害があるからって、その機会をな、親が奪ったらあかんと思う」 勢いだけはあるわたしの持論に、 常識だけがある母はたじろいだ。 今だから言えるが。 わたしはただ、 ひとりで買い物したことがない弟が、どうやってお金を使うのか、おもしろがっているだけだった。 「もしそれで、良太がお金に困ったら、姉のわたしがなんとかしちゃる!」 最終的にわたしが大口を叩いて、押しきった。 弟には、現金を渡すのではなく、2万円ずつチャージしたICOCAで渡した。 わたしは知っていた。 弟がICOCAに強烈な憧れを抱いているのを。 受け取った弟は、しばらく目を閉じ、 「ありがと……ありがと……」 天にでも祈るごとく、静かに感激した。 家の近所のコンビニで、使い方を実演し、ピッとして払えることを弟に教えた。 「これからは好きなもん買ってええねんで」 「ええの?」 「あんたががんばって稼いだお金やさかい」 「ええの?」 「ちゃーんと、考えるんやで」 母は最後まで、心配そうに見守っていた。 わたしの予想では、弟はほしがっていたゲームソフトを買うはずだと思っていた。 その翌日。 母は、朝から熱が出て、寝込んでいた。 作業所から帰ってきた弟の手には、 ひ、ひ、冷え切ったマクドのマフィン!!!!! しかも朝マックやないかい。 なんで、朝マックを夕方に……? 作業所の人が、電話で教えてくれた。 「お母さんがカゼ引いてるからって、休み時間に買いに行かれたんですよ」 初めてのことに、母はボロボロ泣いた。 「ありがとうねえ、優しいねえ」 青紫色の顔で母はマフィンをかじったが、普通に病人なので、全然食べられなかった。わたしが食べた。 数日後。 元気になった母と一緒に、 家族で車に乗って、買い物へ出かけた。 夜ご飯をどうしようか悩んでいると、 「マクド!」 弟が言った。 「マクド、ぼく、お金!」 熱意に負け、ドライブスルーすることにした。 母がお金を払おうとしたら、弟が後部座席の窓をあけて、ICOCAでサッとお会計した。 あまりのスマートぶりに、戸惑うわたし。 「良太、ありがとう!ごちそうさま!」 「ええねん」 岸田家の大富豪が顔をほころばせて笑った。 結局、弟は何日経っても、 ゲームソフトを買わなかった。 わたしは、ようやく気づいた。 弟は、自由に使えるお金や、 交通系ICカードがほしかったのではない。 誰かのために、お金を使いたかったのか。 誰かのために、お金を使うことに、 ずっと、ずっと、あこがれてたのか。 ケチなわたしったら、忘れてた。 ごちそうすることの、嬉しさを。 愛する人に、喜んでもらいたい。 お腹いっぱいになってもらいたい。 助けたい、役に立ちたい。 そのために、わたしたちは、 働いていたのではなかったか。 汗水たらしてゲットした初任給で、 家族にラーメンをおごった日のことを、 思い出してわたしは泣きそうになった。 弟は25年間も待ちわびていた、 その喜びを噛みしめている。 誰に教えてもらったわけでもないのにね。 お金をうまく稼ぐ才能がなくても、 お金をうまく使う才能のほうが、 よっぽど人を幸せにするのかもね。 数日後、マクドを買いすぎた弟は、 健康診断にひっかかり、 母にこっぴどくお説教をくらって、 ICOCAの使い道は事前申請制になった。 まあ、それは、しゃーない。 ゲームソフト���、弟の誕生日に、 わたしが買うことになった。 なんでやねん。
Xユーザーの岸田奈美|Nami Kishidaさん: 「【弟が一生分の大金を手に入れたので、使った時の話】 弟が、巨額のお金を稼いできた。 どれぐらい巨額かというと、 弟が30年間休みなく働いて、 やっと手にできるほどの巨額。 それも、たった数時間で、稼いできた。 岸田家の歴史を揺るがす大事件。 まあ、そもそも弟は、 https://t.co/QHTWIcJMGv」 / X
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yutakayagai · 1 month ago
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私立K高校にまつわる怪談話を、そう言えば親父から聞いたなと、貢は思い出した。理事長室の本棚にある「我が学園の歴史 ◯◯周年記念号」と節目ごとにまとめられ、今でもOBであれば購入が可能とされている記念誌を眺めながら、彼は例の事件について書かれた記載に目が留まった。その記念誌には一行ぐらいしか書かれておらず、
「まァ、都合の悪いことは書かないだろうな…」
と貢は思ったが、たまたまその隣に操が書いた日記があった。操は、その日にあった出来事をまめに記録する性格だった。「ケセラセラ」に生きてきた貢とは違っていた。
「へぇ〜、こんなの付けてたンだ」
と彼はそう思いながら、「一九七八年」とテプラで貼られたその日記の頁を開いた。事件が起きる前、何度か操は他の教師からその生徒について話を聞いている様だった。
“六月十日
校長の杉山先生から、「堀川啓介」という男子生徒がよからぬいじめを受けているとの話を聞いた。「よからぬ」とは、流石に全くの「ノンケ」である杉山先生にとってはケツの谷間を両手で覆いたくなる様なものらしい。オレにとっては逆に「おっ広げ」になりたくなるが…。
啓介君は、両親が教育熱心なのか必ず国立T大に合格させたいという思いが強く、比較的、国公立大学への進学率が良いウチに入学「させられた」様だが、オレにしてみれば馬鹿馬鹿しい。人生八十年と言われるご時世に、大学だけでその先の人生なンて決まるとは限らないと思う。
しかし、その啓介君、ウチに来たことで「ホモ」の洗礼を受けただけでなく、凌辱されることに快感を得てしまった様だと、杉山先生。ある夕方、たまたま浴室を見回った時に彼がブリーフ一丁で脱衣場の鏡の前に立っていたが、背中にあちこち鞭打たれた様な跡があり、思わず声をかけたそうだが、彼曰く、
「校長先生、父さんや母さんには黙ってて! オレ���縄で絞められるのが好きなンだ…。快感なの! これでイッちゃうの! 勉強勉強って、オレ、おかしくなっちゃうよ!」
彼はそう訴えながら杉山先生に抱きつき、号泣したらしい。
嗚呼、そんなに追い詰められるのなら、いっそのこと、新宿二丁目や上野の入谷などで男娼をしていた方が幸福なンじゃないか? オレだったら、啓介君を優しくしてあげたい”
“七月一日
たまたま、オレが寮の当直をすることになった。まァ、久しぶりに生徒らとアハハオホホとやってもイイだろう。
その二日目、ちょうど昨夜だが人気がない筈の浴室に誰かがいたのでそっとサッシを開けてみると、其処には全裸の啓介君がいた。やはり背中や胸には鞭打たれた跡があり、痛々しかった。しかも、その日は首筋に「キスマーク」もあり、余程凌辱されたのだなと思った。彼はブリーフを穿くと軟膏を手の届くところに塗り、時折首筋にできたキスマークに触れた。彼は微笑を浮かべ、
「…もっと欲しいよ」
と呟いた。まるで、情事の後に独り残された娼婦の様だった。オレは彼を好いてしまった。そんなオレに彼は気付いていたのか、サッシの方を振り向いた。
「だ、誰ッ!?」
オレは仕方なく脱衣場の中に入った。理事長だと判ると、彼は顔を赤らめながら慌ててTシャツを着た。彼は言った。
「何故、理事長先生が!?」
恐らく、始業式や終業式の時にオレは必ず挨拶をするから顔を憶えていたのだろう。まさか、理事長でさえ寮の当直をするのかと、彼は疑ったに違いない。オレは、
「大丈夫、今週だけ当直に入っただけだから。杉山校長からは、君のことは聞いているよ。縄に絞められるのが快感なンだろ?」
と聞いた。彼は不安気な表情を見せてはいたが、頷いた。
「…快感でたまらないンです」
オレは、どうかしていたのかもしれない。何故かそのまま彼を抱きしめたのだ。優しくしてあげなければならない気がしたのだ。
その夜、当直室でオレは啓介君を愛した。鞭打たれた跡に皆キスをし、そのうちに彼も涙を流しながら、
「嗚呼、愛されてる…」
と言葉を漏らした。オレは、
「凌辱だけが快感を得る手立てではないよ。君は優しく愛されたいンだ」
と唇を奪った。
次第に、彼はオレを強く求める様になり、オルガズムに達した。オレの内腿の間に下半身を挟め、愛液が二人の下腹部に跳び散った。
「…啓介君、君が好きだ」
気分は、アダムとエバの様な感覚だった。教育者とその教え子という関係を逸脱し、オレは一人の男子として彼を愛してしまったのだ。もはや後戻りはできない。このまま「世間体」と言う名の境界を越え、何処かへ逃亡しようかとも思った。彼は、
「理事長先生…」
とオレの頬に触れ、そっとキスをした。
���事は、夜明けまで続いた”
“七月二一日
この日は終業式だった。ほぼ全員の生徒が帰省していく中、啓介君だけが寮にとどまっていた。彼は怯えていた。担任の山本先生が彼の両親に事情を離したが、特に母親は猛反対していたと、電話の後に話していたっけ。
「理事長、どうしますか?」
と杉山校長が困り果てていたが、啓介君の家の事情を何も知らなかったオレは、
「じゃ、オレが一緒に送りに行くよ」
と安易な判断をした。
啓介君の家は東京のS区にあった。最寄りには私鉄O線の駅名にもなったS学園があり、所謂「高級住宅街」だった。オレは馴れない道を自ら運転しながら彼を送り届けた。本来なら理事長であるオレは動くべきではなかったのだろうが、一度彼とは肉体的に「契り」を結んでしまったから、何故か責任を感じていた。
彼は助手席に座っていたが、ずっとうつむいていた。信号待ちの合間、時折彼の手を握ってあげた。
「大丈夫、怖くないよ」
彼の家には、母親が待っていた。一見、感じのよい雰囲気ではあった。オレは自分の名前を名乗ると母親は、
「あらら、理事長先生がこんな遠くまで!? 大変ご迷惑をおかけしました」
と深々を頭を垂れた。彼はそのまま無言で家の中に入って行ったが、その間ずっとオレの姿を目で追っていた。それでも、
『これでよかったのだ』
と自分自身に言い聞かせるしかなかった”
“八月一日
杉山校長から、啓介君から電話があったと話があった。オレは書類整理をしていたが、どういう経緯かは不明だが例の鞭打たれた跡について母親が気付き、その問い合わせがあったらしい。半ばヒステリックな声だったと、彼は言っていた。オレは心配になり、
「ちょっと行って来る!」
と自分のセドリックに乗った。
夕方近くに到着したが、出迎えた母親は泣き腫らした様子だった。開口一番、
「理事長先生! どういうことですか!?」
と訴え、隣に座っていた啓介君の着ていたポロシャツをたくし上げた。彼は泣きじゃくっていた。
「う、うちの啓介、いじめに遭ってるンですか!?」
と彼女は聞いた。オレは返す言葉がなく、ただ黙っていた。
その後、母親の狂気じみた声が居間に響きわたった。オレも流石に耐えかねたが、
「母さん! もう止めてよ!」
と啓介君が突然立ち上がり、悲鳴の様な声で制止した。彼は言った。
「オレはもう嫌なンだ! ずっと『イイ学校』『イイ会社』って言われ続けながら母さんには黙っていたけど…。ただ国立T大学に入ったら何やるの!? 僕ァ、父さんの様な平凡な人生は送りたくない。ただ結婚して家庭を持って…全然夢がないじゃないか! 僕はそんな人生に価値はないと思う。今のK高校に来て、僕は気付かなかった人生を見つけたンだ…。母さん、僕は男が好きです! あのアザは僕が好きな先輩と『セ��◯ス』して出来たものです!」
これまで自己主張もせずにただ両親の言われるがままに行きてきたのだろう。オレは彼の方を見入っていた。母親は、恐らく我が息子のこの様な言動に遭ったことがないのだろう、ますます錯乱した様だった。啓介君はオレの手を持ち、
「理事長先生! 僕、寮に『帰ります』! こんな家にいたら、僕、自殺しそう!」
と訴えた。オレは彼の放った「自殺」という言葉に衝撃を受けた。
「啓介君! 生んで育ててくださったお母様の前で『自殺』という言葉はないだろう! 先生も怒るぞ!」
「否、僕は本当のことを言っているンだ! もうイヤだ…」
「…」
二人の嗚咽が居間に響き渡った。オレは、この家自体を憎んだ。一体、何がそうさせたのだろう? 性の歓びを見出し、本来の自分自身を見出した啓介君、一方で一流の大学や企業に進めば苦労しない人生が保証されるという世間の「呪縛」に囚われそれを良かれと我が子に訴えてきた母親…どちらとも悪くはない。オレは言った。
「…お母様、これまで啓介君をここまで育て上げるのに色々なご苦労をされたかとお察しします。確かに、今は一流の大学に進めば一流の企業に入れ、そのまま一生涯安泰と「年功序列」の思想が根付いています。未だ日本は成長をしていくかと思いますが、いつまでもその状況が続くとは限りません。私どもは可能な限り、その様な時代の変化に対応できる将来の人材を育成すべく教育しております。
しかし、啓介君を含め、この十六、十八歳という年齢は思春期ということもあり、自我が芽生え始める時期でもあります。彼の様に性を通じて本当の自分自身に気付くお子様も少なくありません。きっと、これまでの教育方針に対し自我の芽生えによって啓介君も葛藤をされてきたのでは…?
今回、身体に出来たアザについては他の教職員からは聞いていたものの、ご連絡しなかったことについては申し訳ありません」
これが、オレができる最大限の謝罪だった。母親は未だ冷静になれない様だった。啓介君も大粒の涙を溜めていた。オレは、今日は彼を寮に連れて行かないことにした。オレは言った。
「もし何かありましたら、私どもの方までご連絡ください。夜間でも寮に当直がおりますので、お電話いただければ対応いたします」
帰り道の車中にて、オレはこれまでにない疲労感を感じた。この夜は流石に爆睡だった”
“八月三日
杉山先生から、寮の当直をしていた山本先生から啓介君より連絡があったと話あり。やはり寮に戻りたいと訴えていたらしい。あれから両親とは話ができたのか、気掛かりで仕方がなかった。
理事長室の隅に置かれた時計が秒針を刻む音に半ば苛立ちながら、オレは情人(アマン)が来るのを待ちわびるかの様な心情に駆られた。一度は肉体同士の接触があったが、それだけでオレは彼と一心になっていた感覚でいた。もし教育者と一生徒という関係でもなければ、あの場で彼を連れて帰っていた。母親を弁護することもなかったろう。
午後二時になり、啓介君が帰って来た。オレは直接来たのかと聞くた。彼は言った。
「…先生、会いたかった」
すると彼はオレの背中に両腕を伸ばし、抱いてきた。途端にオレの胸の中で涙を流し、やがて嗚咽も聞こえてきた。
「大丈夫、泣くのはおよしよ」
とりあえずオレは啓介君を寮に連れて行き、当直をしている山本先生に事情を話した。まずは様子を見て欲しい、と。また、一昨日彼の家に行った時のことも話した。山本先生は、
「じ、自殺!?」
と驚いていたが、今の精神状態なら大丈夫だろうと伝えた。”
“八月四日
一晩過ごしたが、山本先生からは何の連絡もなかった。オレは大丈夫だったのだろうと安堵した。
午前九時過ぎ、理事長室に啓介君がやって来た。彼はオレを抱きしめてきた。すっかり好いてしまっている様だった。オレは彼にキスをした。舌を彼の唇の隙間に忍ばせ、込み上げてくる唾液を呑み合った。彼はそれが「快」と感じたのかスラックスのベルトを外し始めた。オレは声をかけた。
「此処ではまずい」
オレは雑木林の中にある「別荘」に連れて行った。しばらく寝泊まりしていなかったからか、室内はジメジメしていた。そんな中でオレは彼のワイシャツのボタンを外した。ブリーフだけになった彼を目前に、オレもワイシャツを脱いた。ブリーフだけになると早くもチ◯ポの先端が濡れていた。こんな性衝動は初めてだった。彼をこれでもかと言うくらいにキスをし、乳房や股間を愛撫した。自殺なンて馬鹿なことは考えるなと、繰り返し心の中で叫びながら…。
気付くと二人は真っ裸になっていた。白いブリーフがベッド元に重なっている。これは身も心もさらけ出していることを意味していた。オレは彼と一体になった。
「あッ、あァ、あはァァァん…」
何度も乳房を鷲掴みにし、吸い続けた。その度に彼は歓喜の声を上げ、乱れに乱れた。ほのかにサーモンピンクへと全身が火照り、彼はオレの唇を求めた。
「…け、啓介」
いつしかオレは敬称を付けずに呼んでいた。ただ十六歳の彼をオレは愛した。全身に無数の汗が滴り、シーツが濡れた。
啓介君は、用を出すだけしか知らなかった穴をもって女の様に快感を得ることを知ってしまった。いつしか彼は激しく腰を揺さぶり、オレの身体にしがみついた。
「あ、愛してる…!」
耳元で彼はそう囁き、オルガズムに達した。オレも彼の体内に愛液を噴射させ、
「啓介!」
と激しいキスをした。
情事の後、ベッドで抱き合いながらオレは言った。
「もう『自殺』という言葉は使わないで」
すると、
「…死にたくない。こうやって愛してくれてるから」
と彼はオレにキスをした。
これで総てが終わったと思った。啓介君が愛されることで新たな人生の方向性を見出し、進んでくれるとオレは信じた。”
貢は、父・��もまた一人の生徒を愛してしまったのかと思った。オレは生徒には手を出したことがないし、そんな度胸もなければやってはいけないと、頁を進めた。しかし、日記はしばらく何も書かれておらず、急に「九月一日」まで飛んでいた。恐らく、その間に啓介が自殺をしたのだろう。
“九月一日
啓介君が雑木林の中で首吊り自殺を図り、憔悴する暇もなく両親が教育委員会に訴えると騒いだ。父親は、杉山校長に訴えた。
「国立T大学への進学率がイイと聞いて入学させたら『ホモ』にさせられた挙げ句、自殺まで追い込んで...。この悪党! 人殺し!」
父親は国家公務員だった様だ。彼は他の保護者から、お宅のお子さんは大丈夫か、「ホモ」にさせられてないかと根掘り葉掘り聴取し、何人かの生徒からその気がある様だという話を聞きつけるや、
「理事長を出せ!」
と罵った。杉山校長は流石にビビッてしまい、
「理事長! 何とかしてください!」
とすがりついた。殴り込みに来た父親に対し、オレは土下座もした。罵声を浴びさせられた挙げ句、胸ぐらもつかまれた。正直、辛かった。啓介君を愛していたのに、自ら生命を絶ってしまったのだから…。裏切りの何物でもない。
オレは父親が帰った後、雑木林の中で慟哭した。啓介君が首を吊った杉の根元にひざまずき、喉がやぶれてしまいそうなほど声を上げながら泣いた。”
この部分を読みながら、貢は高校二年だった頃を思い出した。そう言えば、両目を泣き腫らした様子で操が家に帰って来たのだ。母の茉莉子がどうしたのかと心配したが、彼は、
「…すまないが、独りにさせてくれ」
と言って部屋に籠もってしまったのである。ちょうど父の書斎の隣に貢の部屋があったのだが、壁越しに号泣する声が聞こえたのだ。しかし、何故泣いているのかを聞くことはできなかった。嗚呼、きっと啓介君のことだったのだろうと、彼は思った。
もし岩﨑の言う通りにその啓介君の声が聞こえたのだとしたら、オレに何ができるだろうと貢が考えた。
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kennak · 5 months ago
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私の両親は、いわゆる、「人権派」、活動家だった。 もっと正確に言うと、人権派と陰謀論者の中間、あるいは地域の名物おじさんみたいなものだった。 父は予備校塾の講師、母はデザイナーだった。 この家に育って何が起きたか。 物理的な虐待とか、経済的困窮とかそういうことは、当然ない。 それは認めるし、親としては感謝している。 だが、私はこの家に育って、世間とまったく感性が通じないというか、後天的なコミュ障のような人間になった。 少し前に、発達障害者の人たちが「健常者エミュレーター」という概念を紹介していたが、それを見た時、私は膝を打った。 また、統一協会やエホバの証人の二世問題について知った時、私はこれに近いんじゃないかと思った。 自分が世間から見て「おかしい」ことはわかっている。だが、私に植え付けられた何かが、「いや世間なんて」と茶々を入れ続ける。 私の両親は、あらゆる凶悪事件がまるで発生していないか、あるいはまるで被疑者が英雄みたいに私に話すのだった。 大きな例を挙げると、神戸の連続殺傷事件(酒鬼薔薇)について、両親は冤罪説、つまり少年Aは犯人ではないということをしきりに唱えていて、まだ小さかった私にも、「これは嘘なんだよ」「警察はしっかり調べていないんだよ」と吹き込んだ。 池田小の事件も、父親は死刑廃止について盛んに唱えていた。 私の父は予備校の会報か講師たちの同人誌か、そういう冊子に、そのことをずっと書いていた。そしてそれを小学生の私に読ませた。 食卓で悲惨なニュースを見ながら、「〇〇ちゃんは、人の心について考えられる人間になってね」と、両親は笑顔で私に話しかけるのだった。だが、「人の心について考えられる」というのは、イコール、死刑廃止活動やあらゆる有名な事件にまとわりつく陰謀論に近い冤罪説を信じろ、ということだった。 母は、左翼の地方議員の勝手連みたいなことをやっていて、時々家が集会場所となった。学校から帰ると、おばあさんとかおばさんが五人くらい集まっていて、きついコロンの香りを漂わせていた。 別に悪い人たちではない。本当なら、私よりもずっと世間に貢献している人なのだろう。お菓子やお土産とかもいっぱいもらった。だが、結局のところ、ある宗教の座談会の人権版が家で行われているのと変わらない。そしてこの集まりから何か発展的なことが生まれたようにも見えない。 こういう家に育って、私は中学生のころまで、いわゆる純粋培養で育った。親の言うことが全てという世界で。 極端に聞こえるかもしれないが、世間のあらゆる犯罪は、冤罪であるか、犯人の非ではない何かの理由があって発生した者であり、警察と政府は悪。端的にそう言う世界だった。 ネット上には、死刑廃止運動に絡めて、ある左翼の議員が、「殺されてしまった人よりは、生きている犯人の人権の方が大切なのだから」と発言した、という情報がある。実際はその議員はそんな発言をしていないらしいのだが。 しかし私の両親は実際、そういう価値観だったとしか思えない。 私が初めて、ちょっとした疑問を覚えたのは、小学校高学年の時だった。 それまで放課後開けていた小学校の校門や校庭を、これからは明確に管理しようという話が、小学校で出たらしい。 しかし、私の両親、特に母親が待ったをかけた。というより、その現場に居合わせた。 母親はその情報を知るや否や、私もつれて、なんと校長に面談を申し入れた。 私は校長室の革椅子に座って、横で母親が延々と「開かれた学校という理念はどうしているのか」「治安というのはつまり何を基準に申しているのか」と校長にまくし立てていたのを覚えている。 なぜ私がそこに連れていかれる必要があったのか、そして半分笑顔でねちねちと喋り続ける母の姿は、子供ながらに、不安だった。その時はそういう言葉を知らなかったが、今考えると、敬語を使うだけのモンスターペアレントではないか、と思う。 そして自分が世間と徐々に乖離していると気づいたのは、中学校に上がってからだった。 両親。家の食卓で両親がわざわざ解説してくれるニュース。両親が取ってる新聞。送られてくる雑誌。友達。漫画。それだけが全てだった私に、携帯電話が買い与えられた。 そして私は、「世間」がどういう理念で動いているかを知った。 両親は万能ではなかったし、全てではなかった。むしろ、ピエロの様な、少数者だった。 だが私はそれを知っても、どう処理すればよいかわからなかった。 「いい?憲法にはこう書いてある」と両親は時々言っていた。多分、世間一般の人々より、両親は「知的階級」だ。良いことを言っている。正しいことをしている。多分。恐らく。 だが、世間はそう動いていない。そう育てられた私に対しても。 大学生となり家を出て、私は飲み会に行った。 そこで、当時話題になっていた、ある凶悪犯罪を揶揄するネタを余興としてやる男性がいた。 私は、今考えると、自分でもわからないのだが、「そういうのはやめた方が良いよ。まだ犯人だって決まったわけじゃない」と真顔で伝えた。 場はしらけ、そして私は飲み会に呼ばれなくなった。 SNSなら、これはリベラル的な武勇伝となるのだろう。だが私は、はっきり言って、普通に、なりたかった。 人権は、そしてそれを擁護する存在は重要だろう。犯罪だとか治安だとかに対して、「疑う」ことは重要だろう。だが、それは、宗教と同じく、大人になってから自分で学ぶべきことだったのではないか。
「人権派」の家に育って
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ak0gare · 30 days ago
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0523 「日本酒取りに行っていい?」という口実で(前回わたしが京都みやげを渡すのを失念していた)男の人が家に来た。彼が家に来るのは2度目。 料理をふるまうのは苦手だし、技術があったところで付き合っていない相手に繰り出せばなめられるし、ということで手巻きずしを提案した。ちょうどいい可愛さだし華やかだし準備楽なのだけれど、付き合っていない相手とするのは初めてだった。 コストコで大容量のサーモンを持参すると連絡があったので、おもに薬味(茗荷、青紫蘇、ディル、ゴマ、チーズ、納豆、錦糸卵等)と酢飯を用意した。刺身がサーモンだけだったのでこの人手巻き寿司初めてかよと思って内心ウケていたら本当にほぼ初めてだった。 21時から始めたこともあって家に泊まりたそうなムードを出されたが好きとも言われてない相手を泊めるほど初心じゃないのでセックスする気ないですムードを出し返したら帰ってくれた。 いずれ折を見て寝てみたいとは思っている。でもいまじゃなくていい。わたしの欲の方が根深い、舐めないでほしい。 0524 サークルの、ずっと会ってみたかった野澤さんという4歳下かつ代は4つ上の先輩をライブ後に出待ちしたらごはんに連れて行ってくれた。かっこよくて、でも女子に対して警戒心が強いところが可愛かった(無論、初対面だった上にわたしがありえないくらい歳を食った後輩だからというのは否めない)。 あなた小説書いてるんでしょ?千葉からいろいろ聞いてるよ、と突然言われて顔がちびまる子ちゃんくらい真っ赤になった。だから、そういうのやめてくれよな。まあお笑いやってることと自意識の度合いは同じような行為なので別にそれくらい明かしてもいいだろって��となんだろうけど、本当にほんとうに勘弁してほしい。結果出してるからいいじゃんとか言ってどれくらいの選考の進み具合なのかまでご丁寧にわたしがいない場で紹介する知人は数年前からあとを立たない。わたしの華々しい活躍に頼らずあなた自身のことをもっと話したら!?って思う。キャッチーだから使いたいのはよくわかるんだけど。 また会いたいけど明らかにわたしみたいな圧のある女が苦手そうだったので、出待ちはほどほどにしたい。 0527 夕方に新幹線に乗って京都へ。彼氏が駅まで迎えに来てくれた。 借家をていよく追い出された(住み込みのバイトが来るらしい)ので彼氏宅(寮)に寄生することになった。大掃除を頑張ったからなのか、前よりかは寮全体が綺麗だった。寮祭をしているので夜中まで人がいっぱいいる。 日記で彼氏とか恋人とか書くのちょっぴり恥ずかしくなってきたのでこれを機に同居人って記せるな~と思いはするのだけれどつかの間なのでやっぱやめとこ。 0527 夕方、ゴミ回収のバイトから帰ってきた恋人と丸太町のモリオカというイタリアンで夕食を食べに行った。彼が300グラムでパスタを注文したのでありえないくらいの大皿に隙間なくアラビアータが盛られたものがしずしずと大船のように運ばれてきたので男子大学生すぎるだろ!と思ってウケた。男子大学生と言ってもわたしと一つ違いなのだけれど。 そのあと銀座湯で銭湯行ってほかほかになり、眠い眠いと言いながらそれでも煎餅布団の中でエッチなことを散々して知恵の輪のように絡まり合って寝た。 恋人はとても可愛い。尖った属性をいっぱい持っているのに、それを売りにしていない。市場に立ったことが――自分を売ろうとしたことがいちどもないしこれからもそうなんだろうなってところが可愛い。あらゆる面において、ねじれの位置に存在する人間だなと思う。わたしは打算を掲げて資本主義と商業主義に跪く、野心と承認欲でガソリンの如くぎらつく女だから。 それをどれほど彼が理解しているのかわからない。よほど生活が充実しているのか、全然スマホ見ない。山の信仰の本とか読んでる。 0528 碌に研究室へ行っていない割にはバイトやバンド練習や寮会議で忙しそうなので仕事は基本ひとりで部屋を占拠している。学生証を借りて図書館に行ったら母校と変わり映えしない無機質な学習室がずらりと並んでおり、2016年の頃の気持ちがよみがえってくらりとした。 寮のジムに行ってシャワーを浴びに行った帰り音楽室通ったらドラムの音が聴こえたので覗いたら案の定彼氏だった。あーんめっちゃかっこいいんですけど~と思ったけどわたしは相変わらず音楽のことなどなにひとつわからないのだった。 「どういう時自暴自棄になる?」と訊いたら「あんまりならないけどだいたいドラムの演奏が上手く言ってない時やな。いいビート刻めたらその日はごきげん」と言うので、原稿と一緒だなあと思った。 今月中に初稿あげたかったけどぎりぎり間に合うかどうかってところだ。キャラメルママにパソコン持ち込んで、初稿まで残り30枚。
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yoooko-o · 8 months ago
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26/10/2024
今日は父の命日。 今でこそ穏やかに親戚付き合いしていますが、父が早い年齢で亡くなったこともあり、私と母が父を過労死に追いやったなど一部の親戚からの誹謗中傷に悩む日々が続きました。 当時は母が姻族関係終了届を市区町村役場に提出する直前まで行きましたが、私たちを心配した他の親戚のお陰もあり、父が健在だったときよりも穏やかに過ごせていて唯々感謝です🙏
この日はちょうど土曜日だったこともあり、あこ食堂に出かけてきました🍴
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米粉の抹茶ガトーショコラ🍵 芋とりんごのパウンドケーキ🍠🍎 豆乳プリンの上にはりんごジュレでした🍎
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どれも優しいお味でごちそう様でした😇
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Happy Halloween👻🦇
ということで、名もなき小さなケーキ店も店の外にはフォトスポットが設置されていました🎃
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店内はスイーツの甘い香りが充満中♡
最近は接客担当の店員さんも私たちの顔を覚えたらしく、名乗る前に2週間前に予約したスイーツを運んできてくれました🐻 (私が写真を撮っている間に笑)👇
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ちょうど今日と明日、10/31のハロウィン当日は1,000円ごとの購入客にクッキー1枚プレゼントのイベントの初日でしたので、私たちも頂きました🍪
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しかも2,000円ピッタリ❣
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左)ポティロン🎃 濃厚かぼちゃプリンにキャラメルソース、生クリーム、かぼちゃ���リームのかぼちゃ尽くしのプリン🎃 間借り店舗のときにも食べて美味しかったけれど、やっぱり美味しかったです💕
右)マローネ🌰 上からモンブラン→ココア生地→カスケードクリーム→アーモンドチョコ→生クリーム→コーヒーゼリー と色んな食感と味のパフェ風モンブラン。 意外そうな組み合わせだけど、合うし甘ったるくないので母も気に入っていました。
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ynyn416 · 18 days ago
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↑今日の映えない晩御飯。レタスと焼き魚そろそろ飽きてきたから明日からは野菜スープにしようかな…。
今日は中番だった。
単語本忘れたからYouTubeで、よく使う簡単なフレーズ集を勉強してた。こういうのを積極的に使っていきたい。
今の職場も残すところあと5日……。
今の職場は皆歳近いし、ほぼ皆性格いいし喋りやすいから、日常の他愛もない話とかは本当にこの職場の人とで満たされてる感もあったなぁ。
(実家住まいだからお母さんとも色々喋るけど…)
ほぼ週に5日も顔合わせてたら、メンバーも8人とかだしそうなるよね。
次の職場がどんな感じなのか全然まだ分からないんだけど、きっとここみたいな楽でお喋りたくさん出来て楽しい職場ではないんだと思う。笑
好きな音楽流せたり、仕事中に(勿論やる事はやった上で)勉強とかスマホとかずっと触れるし、お菓子食べたり自由に出来る。ここが本当に自由だっただけ!笑
そう思うと、来週から私の日常も色々変わるなぁーーーと思う。笑
でも、楽しみでもある。頑張ろうって気持ちも強い。
ふふふ…(^ω^)
明日は12〜21時出勤だ!
ジムは、、仕事終わってから行くかも?
週に4回行くとしたら明日行かねばならない。
ふふふ〜
頑張ろ〜
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blr-blue · 1 month ago
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 なんだかとても眠りたい気分なのにまったく眠気のないAM3時半、とりあえずドリエルを飲んで眠ろうとしているけれど薬はすぐに効かないので、久しぶりに朝方Tumblr(勢いで書いてのちに後悔するやつ)をやろうと思う。ワイヤレスのキーボードをあいぽんに繋げちゃったりしてみた。
 突然だけど、わたしには構ってちゃんのきらいがある。と思う。だけどわたしは構ってちゃんという存在がきらいすぎる(駄洒落)。同族嫌悪だろうかとも思ったけれどちょっと違う気がする。わたしは自分のなかにある寂しい気持ちを外に出すことに抵抗感があるのだ。だから自分のなかの構ってちゃんの部分を押し殺して、ひとりでも大丈夫です、みたいな自己像を作って、自分も他人も騙している。だから自分の寂しさを外に出して、誰かにその穴を埋めてもらおうとする人を見ると冷めた目で見てしまうのだ。内心、ほんのすこしそれが羨ましいのに。
 わりとわたしは人生を通して、寂しさとどう向き合うのかという課題を抱えてきているように思う。
 きっかけは保育園のころに登園拒否をしたころに遡る。物心つく前だったのでわたしはそのことをあまり覚えていないが、4歳だか5歳くらいのころ、わたしは母に言ったのだそう。「保育所行かない、もうやめる」と。発達障害があることが発覚したばかりの弟に手をかけていた母に対してなにか物寂しさを感じていたのかもしれない。母はそのことをずっと覚えていて、反省した、��今でもわたしに言ってくる。母はそれから小学校中学年頃まで、よく土曜日の午前中に時間を作って近所のイオンに連れて行ってくれた。わたしとの時間を作ってくれたのだ。
 小学校4年生の春、父と母のセックスを見てしまった。それからしばらくして、妹が産まれた。
 母が産婦人科に入院した頃、とても寂しかったように思う。朝早い時間に小学校に登校することを自発的にしていたガキだったので、だれもいない通学路をひとりで歩きながら、母親のことを歌った童謡を頭のなかで何度も反芻していた。たかだか数週間の入院であるが、今の時間感覚と小学生の時間感覚というものはかなり違っている。あの頃は母のいない生活が永遠のように感じられた。
 だが感覚は永遠であっても実際は数週間程度である。母が抱えてきた赤子はとても可愛かった。抱っこしたり、ミルクをあげたりした。母のことも妹のことも恨むことはなかった。だがそのあたりから家族が誰も授業参観に来なくなった。運動会、学芸会みたいな学校行事に来れなくなった。震災もあった。家から動けない母、弟、妹のかわりに、父と一緒に水を汲みにいった。なにかが蓄積していく。べつに毒親というわけでもない。誰がわるいわけでもない。だけどなにか、どうしようもない寂しさが薄い層を形作っていく。
 小学校高学年になると、エグい反抗期がやってきた。大人死ね、先生死ね、ジジイとババアも死ね、みたいな感じ。インターネットの虜になって、パソコンで知らない人とチャットをして埋められない穴を埋めようとしていた。インターネットに無数に存在する娯楽を享受しながら生きた。ここでは書けないような悪いこともした。いろいろあって、中学に上がる頃には反抗期は抜けた。
 中学高校の頃は男狂いであったと自覚している。特定の相手を作らず、というか作れず、とにかく手頃な相手を見つけては行為に及んで、死にたい夜を繰り返す。常に寂しかった。別に虐待されているわけでもないのに、毒親というわけでもないのに、ヤングケアラーとか、そう言う問題があったとかでもないのに。ほんのちょっとずつ蓄積していった寂しさと、それでも現状を変えることはできない無力感で、最初から何かを諦めることが得意になって、その穴を別のもので埋めて、そして正しい人間との距離感がわからないから友達はべつに多くないみたいな、不健康で最悪な行動様式で何かを殺していた。グレーゾーンな出会い系サイトやアプリも触った。実際にそれで大人に会うとかはなかったけれど、よくないな、と今になって思う。特定の相手を持たず適当な人と性的な関係を持つから自尊心はぐちゃぐちゃになって結局寂しくなって手っ取り早く得られる愛っぽい何かを求める。その繰り返しだ。ばかばかしい。���3で性欲を介さないプラトニックな付き合い(前の記事で話した副キャプ元彼)が始まったことでいったん負の連鎖はとまったけれど、結局わたしの根本は変わっていない。副キャプ元彼と付き合い始めてから7年くらい、彼氏が途切れていない。空いた期間は累計で1週間くらいだ。乗り換えがお上手なわたしは恋人がいない期間というものが基本的に無理なので、次の相手を見つけてから別れるのだ。最低。
 寂しいのだ。寂しいのにコミュニケーションが得意ではないから、女友達をたくさん作るとか、そういう方向に持っていけない。男って楽だ。こっちの顔さえある程度良ければきほん優しくしてくれるから。優しさの根源が性欲であっても優しいことには変わりない。
 この間ツイッターで、「人間の魅力は本人がコンプレックスに思っていることそのものである(意訳)」みたいなツイートが流れてきて、苦笑いしてしまった。わたしの魅力がこのダルすぎる自意識にあるということに耐えられないと思うと同時にほんの少し納得してしまう部分があるからだ。今の彼氏とはじめて飲んだとき、おそろしいほどに酔って煙草を吸った。しにたい、たすけてくれ、と言ったわたしに彼が言った。あなたって他人に助けられる才能があるよね、救ってあげたくなる、と。それの意味が今になってわかった。わたしは、目の前にいる男に甘えて助けを乞うことが得意なだけで、それの根本は男狂いだった中高生のころ、およびずっと寂しさを抱えていた人生全体にあるということなのだ。それがきっと滲み出て、人間を惹きつける要素になっているのだ。
 冒頭でも言った通り、わたしは構ってちゃんの素質があるが、自分自身はかまってちゃんが嫌いだし自分はそうならないようにしているつもりである。だって己の寂しさを表出したところで家族構成も自分の性格も変えられない。だけど何をどう思おうが結局常に寂しいし何かで穴埋めをしたいのだ。穴埋めをする手段としてただ男というものがあった。それだけの話だった。今は幸運なことに日記が、エッセイが、そして小説がある。たまたまこれを読んでくれるであろう人がいるからこれを書いていて、それが眠れぬ夜の暇つぶしになるから書けている。寂しさを誤魔化す術を見つけることが、わたしにとって大人になるということである。わたしはほんのすこしだけ大人になった。
 こんなことを書いていたらAM4時半になりました。薬が徐々に効いてきたので、寝ます。ちょっと喋りすぎちゃった。
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imhannawa · 1 month ago
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Blue Prince で 46th room にたどり着きました。(クリアではない)
たしか14hぐらいかかりました。それでも途中から他の人のクリア動画みました。
ローグライク&謎解きゲームという風変わりなジャンル。英語オンリー
難易度はエンディングを見るまでならそこそこ(英語ができることは前提)でそれより後のコンテンツは段階的に難しくなっていく感じです。
控えめに言って神ゲーです。
ローグライク感を満たすだけの謎解きに溢れたMt.Holly。たとえ46番目の部屋にたどり着いても決して終わりではなく際限のない謎解きの海に飛び込むことができます。
小さな謎解きから大きな謎解きまで様々あり、一つのルームで完結するものも、様々な部屋や場所を横断しなければ解けないものがあります。それ故に何度もこのmantionに挑戦し続けるのです。
パズル苦手(頭の回転悪い)、英語力も微妙な私でも46th room までは行けました。
もちろん道中に壮大なストーリー(バックエンド)が散りばめられているのですがスルーでも一応いけます。
このストーリーを理解することがクリア後のメインオブジェクトとなるでしょう。
私は大叔父さんから遺産を相続するにあたり46番目の部屋に行かなければならないこと、母親は絵本作家でプロパガンダのせいで行方不明になっていること、またルビーの王冠の盗難事件が関係していること、ぐらいしか理解できていませんでした。(ほとんどarchive room の情報じゃん!)
Rump Room の Alzara の預言から 8枚の赤い手紙についての情報も聞けるのでそれらを集めるとよりストーリーへの理解がふかまるのでしょう。
綺麗なアートワークと落ち着いたBGM、どこかしら冷たい感じが漂う雰囲気の中、己の熱い謎解きへの情熱のみで扉を開け続けるのです。
小さな情報をかき集めて、好奇心からたくさんの事を試しているうちに点と点が繋がるのです。その時に走るアドレナリンの火花を見るためだけにプレイし続けるのです。
世の中には様々なローグライク、パズルゲームがありますがBlue Prince は相当丹念に作りこまれており非常に高いクオリティを保ち続けています。ローグライク、パズルどちらの要素も取りこぼすことなく際限ない探求心を満たすだけのコンテンツが用意されています。
とにかく褒めちぎってますが本当に面白いゲームなんです!
私は今まさにBlue Princeの実況を漁りまくっています。攻略動画も見まくっています。
とりあえず取りまくったスクリーンショットを見直しながら紙のメモにまとめたりして本当に楽しんでいます。
英語のワードを使った謎解きがいくつかあることから翻訳版が出ることはあまり期待できないかもしれません。
それでも私は他の人におすすめしたいレベルで好きです。これを機に英語の勉強もすればいいじゃない!
私の一番好きなアイテムは Metal Detector です。ピッピッと鳴ってkeyが見つかった時は笑顔になっちゃいます。(ホントはAllowance Token が大好き)
一番好きな部屋は難しい所ですがGarage かもしれません。 key +3 はやっぱり大きい。でも Den の汎用性も捨てがたい・・!
言語の壁を超えてでも遊ぶ価値のある名作ゲームです。
一度Steam の説明を読んでみて興味がでたらプレイして後悔しないこと間違いなしです。
私は今日も Mt.Holly の mantion に足を運ぶでしょう...
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yutakayagai · 5 months ago
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一日出勤してまた大型連休と、秀一は新しく引っ越してきたアパートの荷物整理をしていた。この四日間で終わらそうと段ボールに入ったものを確認しながら、
「果たして終わるだろうか?」
と、一度は取っておこうとしたものをゴミ袋に入れたりと骨折った。
秀一は、黒いカットソーにジーンズという格好で片付けをし、昼食は最寄りのコンビニで弁当を買って済ませた。ベランダの物干しには昨日着た白いワイシャツやビキニブリーフなどが風になびき、天気も良かった。嗚呼、こんな時は近くのT天満宮にでもお詣りを兼ねて周辺を散策したいなァと、内心は思いつつ、未だ解体していない段ボールを見ると溜息をついた。
部屋は「二LDK」だった。つまり、八畳の洋室が二室、その一室に隣接する様に台所があり、トイレと浴室は別である。ようやく寝室として使う部屋が片付き、彼はストレッチをしようとベランダに出た。すると、フェンス越しに何処かで見たことがある青年だなと、彼は声をかけた。相手も、嗚呼、益子先生だなと気付いて振り向いた。黄色いTシャツに、長袖の青が主のマドラスチェックのシャツを羽織り、ベージュのチノパンツを穿いていた彼は、翔だった。彼は何故か洗濯物の方に視線が向き、白いビキニブリーフを見るとこう言った。
「先生、ブリーフなンすね」
秀一は何故そっちに目が向くンだよとツッコミを入れたくなったが、敢えて聞き流したのを装い、
「何、散歩?」
と聞いた。
「はい、ちょっと買い物でも行こうかと思って」
「ちょうど引っ越しの合間で休んでいたンだけど、上がる?」
「え、イイんですか?」
「コーヒー淹れてあげるよ」
翔は上がり框で靴を脱ぎながら、教壇から見て一番奥の右側に座っていたのによく顔を憶えたな、と怖くなった。これまで塾の講師に横恋慕はしたが叶わなかったこと以外は、一度も父親を除く男にはほぼ関わりがなかった彼にとって、秀一の部屋に入ることにドキドキしていた。昨日、初めての射精を経験したのに股間が熱くなるのを感じた。嗚呼、あのブリーフでオ◯ニーしたい…。秀一がペーパーフィルターをドリッパーにセットしている間、彼はその後ろ姿を見詰めながら、カットソーからうっすらと浮き出ているタンクトップの線に男らしさを感じていた。どんなスポーツをやっていたのだろう?と、彼は思った。
マグカップにコーヒーを淹れて秀一がテーブルに置くと、彼は自分のものを口に付けた。彼は聞いた。
「確か、一年二組にいたよね?」
「はい、諸井翔と言います」
「ふ〜ん、今時の名前だね」
「父が『薫』って言うンです」
「お父さんは何やってるの?」
「システムエンジニアです。海外出張が多くて…」
「じゃあ、大変だね〜」
翔の父親は、今はインドの方に長期滞在している様だった。三ヶ月に一度は帰って来るが、一週間以内にはすぐ戻ってしまう。ずっと父親がいない日々を送っていたからか、思春期の頃に色々話したいことはあったができずにいた。たまたま話す機会があっても、
「お母さんに話しなさい」
と応じてくれなかった。
彼は、母親がいない時には父親のクローゼットを開けては背広やトランクスなどの「匂い」を嗅ぎ、淋しさを紛らわせていた。未だ性衝動が起きない頃である。ともかく男のいない周辺がつまらなかった。小、中学生の時は女性の教師がずっと担任だったし、優しい言葉かけもあまりなかった。色々と���を振り返りながら、彼は秀一と話をし、次第に好意を持つ様になっていた。オレに何故、こんなにも優しいのだろうと。翔は、
「早くゴールデンウィーク、終わらないかなァ…」
と言った。
「早く皆と仲良くしたいよ」
「先生も、寮の宿直、やるンでしょ?」
「うん、するしかないよねぇ〜」
すっかり二人は打ち解けた様だった。
昨夜、「別荘」で一夜を過ごした貢は朝食を作って亮司と一緒に食べた後、K高校と単科大学の間にある自宅に戻って行った。一応、養子に迎えた甥の夫婦と同居しているのだが、孫と一緒に出掛ける約束をしていると亮司に話した。彼は、
「親父は『バイ』だったけどオレは『ゲイ』だから」
と話した。世間体で結婚はしたが「インポテンツ」を理由に子作りができなかったと、女房には話していると言った。亮司は、
「全然『インポテンツ』じゃねぇだろうよ!? オレのケツの穴、バッコンバッコン掘ってたじゃん!」
と言った。
「そんな下品な言い方すンなよ!」
と、流石にオレにもデリカシーはあるンだと、貢は口調を強くした。それでも別れる時には接吻を求め、
「今のオレには亮ちゃんが必要なンだ」
と怒っている様子はなかった。
再び一人になった亮司は、休みだが刈払いでもやるかと作業服に着替え、麦茶を淹れた水筒を片手に土手の方へ歩いて行く。未だ五月になったばかりなのに長袖では日差しが強く、少し動くと汗ばむ陽気だった。グランドではサッカー部が練習に励み、陸上部もトラックを走っていた。嗚呼、懐かしい風景だなと亮司は思った。彼は、トラックを走る一人の生徒を秀一と重ねた。
当時、都立A高校に赴任していた亮司は、その年の四月に秀一と出会った。中学校の頃から陸上部に所属し、総体でも優秀な成績を残していたが母子家庭だった彼は所謂「鍵っ子」だった。姉がいたが大学へは行かずに看護師をしていた。入部して早々、
「先生。オレ、頑張ります」
と誓った。もしかしたらあの頃から彼はオレを好いていたのかもと、亮司は振り返った。
まさか、その秀一がこの私立K高校に入職するとは…。できれば深々と帽子を被ってコソコソと仕事をするしかないなと、亮司は思った。あとは、昨日寝た翔にも「口止め」をしておく必要がある。彼は土手の刈払いをしながら、何とか秀一に知られずに済む方法を探っていた。
寮では、正美が自分の部屋でオ◯ニーをしていた。カーテンを閉め、密かに自宅から持って来た『薔薇族』のグラビアを眺めながら、スエットパンツの片方を脚に絡ませたまま、赤と青のラインが施されたセミビキニブリーフ越しに股間を弄っていた。すでにチ◯ポは硬くなり先走り汁も滴っていた。時折、包皮の先端から覗かせる口先を手指で「こねくり回し」ながら、
「あッ、あん、気持ちイイ…」
と漏らした。乳房も「勃ち」、次第に血の流れが激しくなっているのを実感していた。
正美は精通が遅かった。中学二年の終わり頃、たまたま更衣室で着替えていた男性教師の姿をドアの隙間からたまたま見え、興味を持って覗いてしまったのがきっかけだった。その教師は、当時は四十代前半で社会を��えていたが、剣道部の顧問をしていた。髪を七三分けにし、若干白髪もみられていた。正美の母親の幼馴染でもあり、たまに自宅にも来ていた。謂わば「近所のおじさん」でもあったが、この日ばかりは一人の男として見ていた。ジョギング型のチェック柄のトランクスから縦縞のビキニブリーフに穿き替える時に、シルエットではあったものの剥き出しになったチ◯ポが見え、ビキニブリーフを穿く時に一瞬持ち上がる様子に正美は興奮し、初めて性衝動を覚えたのだ。
実は、正美が同性に興味を持った要因がもう一つあった。母親と姉が、所謂「やおい系」の漫画が好きだったことである。時折、幼馴染であるその男性教師にも母親は見せていた様で、
「京子ちゃん、そんな漫画を正美君に見せるなよ。影響しちゃうから」
と注意していたのを密かに見ていた。正美の母は、
「たかが漫画でしょ? 絶対にないわよ。周ちゃんだって女の子のスカートめくり、再三してたでしょうよ。中学校の先生になったと聞いてびっくりしたわ」
その男性教師は、八坂周二と言った。八坂は、
「あれは、年頃の男の子なら誰にでも起こり得るンだよ」
と言った。
「あらあら、そうやって正当化するンだから…。まァ、正美が万一『ホモ』に目覚めてもアタシは構わないけどね〜」
その母親の言葉通りに、正美は同性に目覚めてしまったのだ。しかも、八坂という父親の次に身近だった男に対して。彼は、八坂が更衣室に入る時間を見計らっては覗き見、トイレの個室でオ◯ニーをした。
そんな日々に終止符を打つ出来事が起こった。いつもの様に正美が八坂の着替えている様子を覗いていた背後に、一人の女性教師が声をかけた。彼は慌ててその場から立ち去ったが、翌日になり八坂が呼び出したのだ。相談室に導かれた正美は血の気が引いた様子で、
「…先生! オ、オレ…先生が好きになっちゃったンです!」
と、いっそのこと「告って」しまった方がイイと思い、言った。その言葉に対し、八坂は両腕を組みながら困った表情を見せた。しばらく沈黙していたが、
「…正美君が好きなのは、おじさんではなくてオレの肉体だろ? 部活の時はトランクスじゃ袴付けた時に落ち着かないからビキニブリーフに取り替えてるだけだけど…。君の様な齢の男の子は肉体も変わっていくから興味を持つのは仕方ない。でも… 」
と言葉に詰まった。正美は嗚咽を上げながら、
「…だ、だって、おじさんのチ◯ポ見たら、何かドキドキしちゃって、アソコ勃っちゃったンだもん」
と本音を言った。八坂が溜息をついた。まさか、京子ちゃんに注意した言葉が現実になるとは…。彼は考え込んでしまった。オレには妻子もいるし、一度も男をそんな目で見たことがない。どうしたら良いかと、この日は結論を出せずに終わった。
次の日、八坂は正美が塾で遅くなるのを見計らって京子に話をしたいと、学校帰りに寄った。これまでの経緯を話したが、彼女は爆笑しながら言った。
「う、嘘でしょ!? 周ちゃんの何処が、正美が好きになったのよ? まァ、チ◯コは貞子さんにしか解らないだろうけど…そんなにイイもン持ってるの?」
「京子ちゃん! 笑いごとじゃねぇよ! オレ、困ってるンだよ! 正美君がオレの肉体に欲情してオ◯ニーしてるンだよ!? どうしたらイイんだよ!?」
「いっそのこと、抱いちゃったら?」
「バ、バカ言うな! オレは教師だぞ!? そんなことしたら…」
「だって、正美が周ちゃんを好きになっちゃったンでしょ? 応えてあげてよ〜。あぁ見えてあの子、意外と寂しがり屋なのよ。旦那も連日仕事で忙しくて構ってあげられないしさァ…。大丈夫、教育委員会に告発することはしないよ」
「だ、抱くって…」
「いくらでもあるじゃない? 車の中とか」
コイツ、正気でそんなことを考えているのか? まァ、昔からズレてるところはあったけど…。八坂は深く溜息をついた。
色々考えた挙げ句、一度くらいだったらと八坂は授業の後に正美に声をかけた。ちょうど塾へ行く日ではなかったので了承し、学校が終わると人気のないところに停めた八坂の黒いセダンに乗った。車を走らせながら、とんでもない過ちを犯したらどうしようと不安になりながら八坂は山林の中にあるモーテルに向かった。
正美は、まさか八坂が所謂「ラヴホ」に連れて行くとは想像もしなかったが、部屋に入ると彼は家にあった「やおい系」の漫画の通りに、
「…おじさん、抱いて」
と接吻した。唇が重なると、自分の女房以外とは「キス」をしたことがなかった八坂は徐々に溶ける様な感触に理性が失せていくのを感じた。気付くと、正美をベッドの上で学生服を脱がしていた。彼もTシャツとトランクスだけになり、卑猥なテントの先端が先走り汁で濡れているのを認めた。オレもその気があったのか…!? そう疑いつつも勢いで、教え子で京子の子どもでもある正美の開いた内腿に下半身をうずめた。白地に黒くブランド名が施されたウエストゴムの、正美のセミビキニブリーフもいやらしいほどに真ん中が隆起していた。正美は、
「おじさん! 欲しい、欲しいの!」
と、離さじと八坂の背中に両腕を回しながら訴えた。
その後、無我夢中に肉体を弄んだ挙げ句、二人は絶頂に達した。八坂は、
「ま、正美君! おじさん、イクぞ!」
と、黄色い声を上げながら正美の身体に愛液をぶちまけた。これまで経験したことのないエクスタシーを感じた一方で、
『オレの人生は、終わった』
と呟いた。嗚呼、教師失格だと空虚感も込み上げてきた。一方、正美は八坂と自分の愛液にまみれた身体を見ながら、
「お、おじさん…。スゴい」
と至福の様子だった。これで良かったのか? 正美君があんなに喜んでいる。オレは彼を抱いて正解だったのか? 未だに萎えることのない肉棒を両手で覆いながら、
「正美君…。御免、御免よ…」
と罪責感の故に号泣した。
そんな、八坂にとっては情けないと悔やんだ情事だったが、正美は勉強に集中できる様になったと喜んだ。彼の母である京子も、八坂は一緒に寝たと自白はしておいたが、
「勉強を教えるよりセッ◯スする方が才能あるンじゃない?」
と高笑いされ、
「オレは教師だぞ!? 男娼じゃねぇよ!」
と突っ込んだが、定期的に正美と寝る様になった。その時ばかりは、時折部活動の時にしか穿かないビキニブリーフを選び、正美を欲情させた。いつしか「イク」時の切迫感が彼にはエクスタシーとなり、
「…ま、正美君。おじさんと気持ち良くなろう」
と、すっかりただの「エッチなおじさん」と化していた。
正美は、高校に入学してから、八坂も密かに『薔薇族』を愛読していたのを知った。道理で手慣れているなと、情事を重ねる度に疑ってはいたが…。彼は、八坂の接吻する時にタバコの「匂い」が漂う柔らかくて分厚い唇と、うっすらと胸元に生えた体毛、そして血管が脈々と浮き出る勃起したチ◯ポを思い出しながら、
「…おじさァ〜ん、もっと欲しいのォ〜」
と声を上げた。
オルガズムは、ブリーフの中に淫液を漏らした。生温かくねっとりとした感触が股間全体を覆い、正美は背徳感を覚えた。このシチュエーションも、実は八坂の性癖だった。受験シーズンが終わろうとしていた時に、執拗に彼自身も穿いていたトランクスに「中出し」をし、
「…お漏らししちゃった」
と赤面していたのだ。この頃にはすっかり正美を教え子でも幼馴染の子どもでもなく、自分の「慰めもの」の様になっていた。
「…セッ◯スしてぇ」
彼は、淫液で汚れたブリーフを脱いで洗面台のシンクで冷水に浸し、黄ばまない様に衣類用ハイターを加えながらシャワーを浴びに行った。
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kennak · 1 year ago
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いわゆるきょうだい児の私からしたら、植松がやったことは「法的・倫理的には許されなくても心情的・実利的には悪くない」と思う。事件当初から思ってて、今も思ってる。 前提として、きょうだい児全員がこんな優生思想を内面化したやべーやつだとは思わないでほしい。同時に、きょうだい児全員が「私は障がいのあるきょうだいが大好きで誇りに思います」とか宣えるわけじゃないことだけは叫ばせてほしい。 事件のことを知った時、私は率直に「植松が姉のいる施設を襲ってくれてたらよかったのに」と思ったのを、今も覚えている。植松が姉を殺してくれていたら、私は「被害者遺族」という圧倒的「正義」の旗印をもらった上で、姉という重荷から解放されたのに、と。 姉が障害者でいいことなんか一つもなかった。マジのガチで一つもなかった。私はきょうだい児界隈の中ではとっても恵まれた立場(姉とは違う学校、姉のことでいじめられた経験無し、親から姉の介護を頼まれた経験無し、姉のことを知った上で結婚してくれた人がいる等々)だから、どの層からも「お前ふざけんな」って言われそうだし、私の生きづらさの8割は私自身の特性のせいだからアレなんだけど、やっぱり姉には早く死んでほしい気持ちがある。ずっとある。 きょうだいの話を振られるたびに嘘をついたりごまかしたりするのは疲れる(この感覚は例えばセクシャルマイノリティの人がパートナーの有無や『好きな異性のタイプ』を聞かれた時の気疲れに似てると思う)。姉がいるのに「普通のお姉ちゃん」がいたらできることは何もできない、のに私よりずっと何もできないIQ25未満のきょうだいを「お姉ちゃん」と呼ばなければいけない。家族で出かけるたびに周りの目が気になって、歩くだけで恥ずかしかった。その一方で、姉を施設に預けたまま姉抜きで旅行や外食に行くことに罪悪感もあった(けど姉がいたら絶っっっっ対にできないことがいっぱいできて楽しかった!)。あと、私は知的には問題なかったけど発達障害の傾向があったから下手したら姉以上に面倒な子どもで、両親は姉より私によっぽどお金も時間も手間もかけてくれた。それは本当に本当にありがたいんだけど、私は20歳そこそこで施設に入れられて無為な生活を送らされてる姉の人生って何なんだろうなってよく思う。 施設での姉の様子はよく知らないけど、片道1時間かけて送迎してる父いわく「家に帰る時はテンション爆上げで施設に戻る時は顔が死んでる」らしい。でも私は姉が家にいるとテンション爆下げだったし両親も大変そうだった。そのうち送迎も家での介護もできなくなるから姉は近い将来一生施設で暮らすようになる。それは気の毒だけど、私は姉を引き取れと言われたら絶対に拒否する。むりだもん。結婚で逃げれて本当に良かったと思ってる。 中学生になるかならないかのころに、ダニエル・キイスの『アルジャーノンに花束を』の存在を知って、読んで、チャーリイ(が受けた手術)がむちゃくちゃうらやましかった。もしそんなことが叶うのなら、姉に「頭が良くなる手術」を受けさせて、ほんの一時でもいいから「普通のお姉ちゃん」と姉妹でいたかった。正直、この願いは今も捨てきれていない。 あと、これは私の勝手な想像なんだけど、姉の一番の被害者は母だ。母は仕事が大好きで自分の仕事に誇りを持ってたけど、姉が障害児だったせいで育休後も職場復帰できずに専業主婦になって、それっきりずっと家にいた。姉が健常児だったら母は何らかの形で仕事を続けられていたのは間違いない。この点に関しては本当に母が可哀想だと思っている。そんなこと言ったらマジギレされるから言わないけど。 とにかく、私にとって姉は(一般的なきょうだい児に比べれば笑えるほど軽いけど)重荷でしかなくて、可能なら両親が元気なうちに死んでおいてほしいと思っている。私は姉が死んだら普通に泣くだろうし普通に悲しむだろうし自分がおぞましいことを考えていたと後悔するだろうけど、でも心のどこかでホッとするだろうなと確信している。だから、もし植松が姉を殺していたら、私は「被害者遺族」として世間から気の毒がられながら、ちゃっかり重荷から解放されて(部分的には)ラッキーとさえ思ったかもしれない。 私がここまでクズいことを書いても、読み手の何%かは共感すると思う。植松が言ってた「役立たずは死ぬべき」という価値観は、私を始めとした現代日本人の結構な割合に浸透してて、というか多分人間の本質として「人権」とかいう後付理論で矯正しない限り、障害者は殺したり座敷牢に入れたりするし、高齢者は姥捨するし、子供は使い捨ての労働力にするし、役立たずはバンバン殺すと思う。そして「じゃあ貴方は自分が『役立たず』になった時に死を受け容れるんですか?」と聞かれた時、少なくとも安全圏にいる時点では「もちろん死にます」って言い切っちゃう人間は少なくないと思う。まあこれは私が反出生主義入ってる生粋のネガティブクソメンヘラだからそう思い込んでるだけかもしれない。もしくは著しい想像力の欠如かな? とにかく、私はきょうだい児だけど差別主義者で植松を断罪できない側の人間だ。本当に死ぬべきは姉じゃなく私なんだろうな。
今更だけど相模原の障害者殺傷事件の話(にかこつけたきょうだい児の自分語り)
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ak0gare · 5 months ago
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0126
さしてたくさんの人に明かしたわけではないのだけれど卵子提供について話すと当然「どうして登録したの?」「なんでやるの?」とたずねられた。 だいたい3つくらいの理由(好奇心、遺伝子を残したいという嗜虐的欲求、金銭)を述べて、〆のように「まあいろいろあるけど、もの書きだし、めずらしい経験できるチャンスがあるならやった方がいいかなと思って」と言うと大概の人が訳知り顔でなるほどね!さすが!と納得してくれてそれ以上追及されなかった。 もちろんそれも本当のこと��けれど、後づけといえば後づけだと自分ではわかっている。 最初に卵子提供について知ったのは大学2、3年の時だった。誰に言っても信じてもらえないのだけれど、文学部棟の教務課の掲示板に「卵子ドナーとして協力してくれる方を募集します」というポスターを見たことがあるのだ。わたし以外に「確かにそれ記憶にある」と言った人はいないのだけれど、確かに謝礼額とともに卵子提供者を募集する旨がどうどうと書かれていた。見つけた時はぎょっとした。具体金額は覚えていないものの「へーそんなに高いんだ」と心惹かれたのは覚えている。「でもさすがに怖いし本当にやる人なんていないだろうなあ」と自分事ではないこととして処理したことも。 なんで怖いと思ったんだろう。というか逆に、わたしはなんで去年登録に当たって「闇ビジネスっぽいしなんか怖いからやめとこ」と全く畏怖を抱かなかったのか、いまとなってはそっちの方が不思議だ。 8年以上経ってどうしていまになって卵子提供について調べたんだか覚えていない。映画「EGG――選ばれたい私たち」を観たからかもしれないけど、そもそもなんでそんなマイナー映画をUNEXTで観たのかも定かじゃない。 30歳まで、としているエージェントが多かったので「登録するだけ無駄だろうな」と思いながらそれでも何かの参考になるかもと思って登録した。学歴職歴病歴云々を親や祖父母の情報の分まで打つのでものすごく手間がかかった。加工が強くなくてそれなりに盛れている、でも数年前の写真を近影写真として数枚添付して、それでおしまいだった。 1回目は「背が高いところが似ているから」という依頼理由をそれとなくエージェントから伝えられた。2回目に依頼があった時「学歴が決め手になったそうです」と言われてナハハ……と笑うしかなかった。学歴厨のわたしの卵子が学歴厨の夫婦のもとへ委託されるというのは、理に適ってるんだかものすごい皮肉なんだか、よくわからなかった。そもそも学歴は遺伝子では決まらない。後天的にしか得られないと思うのだけれど。 それで言うとわたしは逆子で生まれた影響で脳細胞が人より若干少ない。それはいいのか(後天的欠損なのかもしれないが)。 いずれにせよ卵子で反映されるのは先天性の遺伝要素だけだ。背が高いとか、前歯が大きいとか、日焼けすると黒くなりやすいとか、目が悪いとか、そういう要素。けれどいざ卵子を売ろうとする時、ルックスだの学歴だの後天的に得たものを前面に売り出すのはなんだか成形肉のようで、グロデスクに思う。それはわたしが個人的に容貌に梃入れしていまの見てくれに落ち着いた、という背景への後ろめたさがあるからそう思うのかもしれないけれど。 前回ハワイへ一緒に同行したドナー女性は慶應の院生で、留学経験豊富な、すらっとしたエキゾチックな美女だった。「あーこういう人が人気ドナーなんだろうなーこれが初めてだとしてもこれからも何回も依頼されそうだなーわたしだって選ぶ立場だったらこういう子に目がいくだろうなー」と瞬時に思い、瞬時にそんなことを思ったことがとても恥ずかしかった。わたしはその人を「卵子ドナー」というラベル越しで見て瞬時に査定したのだ。おそらく向こうもちらっとは思っただろう。 「なんで登録したの」と訊いたら「なんでだっけ忘れた」と返ってきた。後ろめたいからそうこたえてるのかな、とひそかに思った。 何かに似てるなと思ったのは、やはり、夜職やパパ活である。自身が自身の女衒となって、性や身を売るということ。 東京にいて、この現代で、自身の肉体の所有者としてだけ生きている女の人は本当に、すごいなと思う。わたしは所有者であるよりもずっと先に、女衒であり、ブローカーなのだ。自身の肉体を家畜と見做し���いるのと変わりない。 今年30歳になる。あと2回卵子を売ることが既に決まっている。もっと若い時に登録していたらな、とさもしいことを思った時にふと気づいた。それは、22歳で初めて水商売で働いた時と、全く同じ感想だった。
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real-life-senshi · 8 months ago
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CONGRATULATIONS SAWAI MIYUU!!!!!
Following Ayaka's announcement of getting pregnant... we now have Miyuu's announcement that SHE'S A MOTHER NOW !!!
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Original message:
みなさまへ 私事ではございますがご報告させていただきます。 先日、新しい命が舞い降りてきてくれました。 いつも応援してくださっているみなさま、 関係者のみなさま、友人、家族、 出産まで支えてくださった産院のみなさま、 心から感謝しております。 ありがとうございました。 いきなりのご報告で驚かせてしまってすみません。 おかげさまで母子共に健康に過ごしております。 三人と愛猫のろくと家族で支え合いながら 笑顔あふれる日々を過ごしたいと思います。 これからもあたたかく見守っていただけたら幸いです。 みなさまもお身体もお心も大切に。 沢井美優
Translation:
Dear everyone, I would like to make an announcement on a personal matter. Just the other day we were graced with the arrival of a new life. To everyone who has always supported us, all involved personnel, friends, family, and everyone at the maternity hospital who supported us until the birth, I'd like to express gratitude from the very bottom of my heart. Thank you very much. I am sorry for surprising everyone with this sudden announcement. Thanks to your support, both mother and child are in good health. With the mutual support between the three with my dear cat Roku and our extended family I would like to spend my days filled with smiles. We hope you will continue to watch over us warmly. Take good care of yourselves and your loved ones. Sawai Miyuu
OKAY! So Miyuu had been keeping it a secret. Man, she kept it well! She was still doing all the live streams these past months... and posting photos of her eating shaved ice.... lol
Y'know, between Miyuu being pregnant, Keiko giving birth to her 2nd born back in Jan 2024, and now Ayaka is also pregnant... I'm no longer surprised we've not been getting Senshi reunion updates. Honestly, I wouldn't be surprised if they pause in-person gatherings for a bit, or even if they come together, they don't share photos to keep each other privacy, which is very, very fair!
Congrats again to Miyuu and her family!
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Also the baby photo with her cat Roku so SO ADORABLE!
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chisasarasa · 5 months ago
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241021
朝、寒くなればなるほど、布団が愛しい。
気持ちが低空飛行。無気力。 寒いからということにする。 最高気温13℃、最低気温は-1℃。
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241022
曜日感覚がずれている。 今日は火曜日、と言い聞かせる。 アルバイト。アルバイトに行くと気持ちが疲れる。
帰宅して試作。 ほんとうはもう本番をつくり始めていないといけないのにまだ試作している。 なかなか決められない詩のタイトルがひとつあって、ずっと悩んでいた。
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241023
朝、たっぷり雨が降っている。 ずっと本をつくっていた。
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241024
朝、あたらしくしたカーテンから陽の光が透けている。 カーテンはまだ部屋に馴染んでいない。 部屋を片付けた方がいいかもしれない。
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241025
絵と本を発送して、選挙の期日前投票をして、車の運転の練習をした。 こわくて早く帰りたかった。
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241025
カーテン。 新しいレースカーテンをリビングの窓にかけてみたらよい雰囲気になって、嬉しい。 わたしの部屋には合わなかった。 絵を描くことも、詩をかくことも何にもならない。 それでも絵を描いていると癒されて、これはやめられない、と思う。
そういえば今日、アルバイトで一緒の人に、友人と世界がずれてきてしまったと話をした。わたしより、たぶん、10歳くらい年上の素敵な人。 そのときそのときで、同じような状況にいる人といることになるんだよ、と言っていた。 主婦になったら主婦と。 大人になってしまった。 日記を書きながら、でも、今は違うところ立っていたとしても、その人をみて話ができるようでありたい、と思った。 いろんなまとうもの、関係なしに。
日記を書く前、ふて寝してしまっていて、そんな自分が嫌になって、落ち込んだ気持ちで今日を終わりにしてしまいそうだったけれど、食器を洗ったし、布巾も煮沸した。 気持ちよくねむれそう、と思って、ねた。
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241026
朝、身体がかたい。 全身に力を入れたまま、ねてしまう。 疲れがとれなくて、目の下にクマ。
アルバイト。 わたしがわたしじゃないみたい。 でも、動いている。話をして、笑顔にもなる。けれど、空っぽだ。 アルバイト終わり、パンをもらう。 アルバイト先の人の娘さんのバイト先の豚丼豚かつの店の店長が趣味で作っているパン。 それにアルバイトの余りものをのせて作ってくれた。せっかくだから、とコーヒーも淹れてくれた。 やさしい世界で生きている。 それなのに、毎日ハッピーとはならないのはなぜだろう。 駅前のベンチとコパンとコーヒー。 木漏れ日も落ち葉もきれいと思えたから、大丈夫。
映画をみた。 映画をみると、ここじゃないところにいる。 北海道に来る前の生活をしているみたいな錯覚。泣きそうになる。 映画館から家まで1時間、歩いて帰った。 自分の場所を確かめたかった。
夜、身体が熱っぽい。 そういえば今日はある程度の気温があるのに、寒がっていた。 芯が冷えている。
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241027
朝、肩が重い。 お腹がすいた。 昨日の晩ごはんは春雨スープ。ご飯を考えることが面倒で、残り物のわかめスープに春雨とハムを加えただけでよしとしたのだった。 彼が出張に行っている。 ひとりだと、ダイエットをしているわけではないのに、ダイエットメニューのようになってしまう。 このままではほんとうに体調を崩してしまう。
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241028
いろんな人に連絡したり、本をつくったりしていた。 次につくろうとしている本のタイトルがさくっと決まって、嬉しい。
今日は母の誕生日。 53歳になったらしい。 親も年をとることが不思議でならない。 わたしの中で母は36歳で止まったままだ。
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241029
アルバイト。 のんびりとした日で、おしゃべりをしていた。 いつもこうだったらいい。 フォンダンショコラを買って帰る。
とにかく気持ちが悪く、うまいこといかなかった。
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kou-f · 6 months ago
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昨日冬休みの宿題の作文を添削しながら
娘と話してたけど、どうやら娘は伯母(妻の姉)のことを
妻の『お友達』だと認識してたらし。
従妹(妻の姉の子)のことはちゃんと従妹だと認識してたのに。
「なんか似てるなぁ」とは思ってたらしいけど。
じゃぁ自分のほうの従兄弟たちのことはどう思ってたのか
聞いたらこっちは従兄弟とすら認識されてなかった(笑)
まぁ彼らは関西に住んでるからめったに会わないもんね。
当然、伯母(私の姉=従兄弟の親)のことは誰だかわかってなかった。
「え?お父さん一人っ子じゃないの?」だってさ。
因みに私には妹もいますがね。
この時点で頭がかなり混乱してたみたいだから話はやめといた。
まぁ難しいよね。
今度顔写真付きの家系図を作ってやろう。
今日まで冬休み。明日から三学期。
どういった理由で今日が休みなのかわからない。
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ynyn416 · 1 month ago
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最近食べたもの。
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最近あったこと。
彼氏が1年ぶりくらいに髪の毛を短く切ってめちゃめちゃ可愛い&カッコよくなってて、見るたびにまだ慣れないしキュンとする🫰🤍
やはり短い方がいいな…☺️
旅行まであと1週間ほど。楽しみ!今日からもっとストイックに食事制限していこうと思う。旅行ではたくさん食べるから😋
韓国旅行で、彼氏の両親やお姉さん家族と会う。人生で初めての出来事なので、緊張するような気もするし、絶対気を使うだろうけど、まぁそもそも言葉が通じないのでそんなに話す事もないかと思いつつ、TOPIKⅡまでの本を旅行までしっかり勉強しておかなくちゃ!!となった。昨日。今日から仕事終わってからも家で勉強しよう。
(私は昔からいつもギリギリでやる奴だ)
で、旅行から帰ってきたら私の親にも会いに来る予定。両親には彼氏の事話したことあるし、反対もされてない。お母さんには結構具体的な事も話せているし、会うの楽しみにしてるよって言ってくれてる。
お父さんにはそこまで具体的なことは話していないけど、お父さんには以前、安心して欲しくて、彼氏の事とか私の結婚に対する考えとか話したら、
笑顔になって、それなら良かったわ!と彼氏自身について安心して貰えたし、
「○○ちゃんの事やから大丈夫やと思うけど…!」って、結婚経験者からの視点で色々教えてあげたかったみたいで、色々話してくれた。まぁ、私のことはしっかりしてると、思ってくれているみたいで(お母さんから以前聞いた)
私も信頼して欲しいし、親に迷惑かけない結婚をするつもりだし、、
とまぁそんな感じ。
だから、今日仕事終わって家帰ってから、6月に会って欲しいことを伝えるだけ!
出来れば2人の時に伝えたいなぁ。
今すぐ結婚しますって報告ではないから、今の時点では紹介みたいな感じだけど、
やはり国際結婚となると未知の事だから、不安になる事も多く、不安はネガティブな感情だからできるだけ取り除く必要があるからね!
不安というのは、自分が知らないから生まれる感情だと思うので、それなら知れるようにこっちが伝える努力はしないといけないもんね。余計なストレスあげたくないし、こっちももらいたくないし。
まぁ、そんな感じ、の今日この頃。
職場も6月半ばで退職が決まったし、色々少しずつ変わっていく。変化は良いことだ。未知の事には不安やストレスもあるけど、ポジティブに真面目に楽しんで過ごしたいなあ。
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