#お稲荷さん 解体
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稲荷神(いなりのかみ、いなりしん)は、稲を象徴する穀霊神・農耕神。稲荷大明神(いなりだいみょうじん)、お稲荷様、お稲荷さんともいう。五穀をつかさどる御食津神・ウカノミタマと稲荷神が同一視されることから、総本宮の伏見稲荷大社を含め、多くの稲荷神社ではウカノミタマを主祭神としている。
本来は穀物・農業の神だが、現在は商工業を含め産業全体の神とされ、日本で最も広範に信仰されている神の一つである。稲荷神は神仏習合思想において仏教の女神である荼枳尼天とも習合したため、仏教寺院で祀られることもある。
昨今ではお稲荷様をお祀りされている方も少なくなっており、息子や娘の世代にお稲荷様を残さないようにお稲荷様のお宮を宮終いを行う方も増えております。お稲荷様の鳥居や外宮、祠などを維持する為に修理できる方も減ってきている為、日本古来の伝統技術が失われているといっても過言ではありません。
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三人は「菊水通り」にあるゲイバー「Z」に到着した。すでに午後七時を回り、三社祭は「宮入り」というクライマックスを迎えていた。浅草寺周辺と比べると、合羽橋道具街につながるこの通りはひっそりとしていた。
店に入ると、すでに数名が六尺褌だけの格好でカウンターに座っていた。信也は彼らを見て驚いた。一人が声をかけた。
「あら、見慣れないね。スミちゃんの知り合い?」
「そう、知り合い。憲ちゃんが連れて来てくれたンだ〜」
「ふ〜ん。でも、『ケンちゃん』、酔っ払ってるね」
「本当ッ、酒弱いのにグイグイ飲んじゃって…。困っちゃう!」
「う、うるせぇ! オレはサッサと脱ぐぞ!」
そう言い放つと憲一は浴衣の帯を解き、六尺禅だけになった。意外と肉付きがよく、うっすらと胸毛が生えていた。彼が脱ぐと真純も帯を解き始めた。二人に同調されるかの様に信也も脱いだ。
三人は六尺禅だけになるとボックス席に座った。マスターと思しき壮年の男も黒猫褌だけだった。白髪を角刈りにし、なかなか男前である。彼は、
「はい、とりあえずビール!」
とウェルカムドリンクか、生ビールのジョッキがテーブルに並んだ。
三人は乾杯し、飲み始めた。信也にはほぼ裸の状態でビールを飲むのは、恐らく学生時代以来だった。サークル仲間と神奈川県内の海水浴場へ行った時、あの頃はビキニが流行っていたので彼も新宿のI百貨店でアルバイトをして貯めた金で買ったのだ。しかし、当時は「ノンケ」だったので、まさか今「ゲイ」としてこんな格好で飲むとは…。
時折、憲一は信也の内腿を弄り、
「信ちゃァ〜ん、カッコいい〜」
と、もうすぐ股間にまで手指を伸ばしそうになった。信也は肘を突き、
「ダメだよ! 勃起しちゃう!」
と距離をとった。そのやり取りを見ながら、
「ほらほら、未だ手を出すのは早いわよ!」
と真純が一喝した。
宴は盛り上がり、憲一は陽気に他の客とカラオケをしたり、真純は店子の様に焼酎を注いでマスターに提供したりと、二人は活発だった。一方、信也はボックス席の隅でぼんやりと店内を眺めていたが、一人の客が隣に座った。彼は自己紹介をし、名刺を渡した。「萩谷泰典」と名前が書かれていたが、その上には「(株)海◯館」とあった。白髪を角刈り風に残した泰典は、所謂「ビール腹」から臙脂色に風車の柄をあしらった六尺禅を付けていた。彼は言った。
「君、体重はどのくらいあるの?」
「…はァ? 確か九十キ��だったかなァ」
「じゃあ、一度ウチへ面接に来てよ!」
「『面接』? 何の?」
「いやァ、モデルやってみないかと思って…」
「『モデル』?」
「君の、未だゲイ一色に染まってない感じが気に入った」
まァ、つい二ヶ月前まではノンケだったしと、信也は思った。しかし、もしゲイビデオに出演したことにより裕美や職場などに知られる様な事態にはならないのだろうか? よく週刊誌には、アダルトビデオに出たことが周囲に知れ渡り、退職沙汰になったり家庭崩壊を招いたりしたケースが少なくない。彼は聞いた。
「あの、ギャラってどのくらいもらえるンすか?」
「もし『オ◯ニー』だけなら一万円、『ネコ』なら二万円、『タチ』なら三万円です」
「ふ〜ん、場所は?」
「大抵、この界隈のホテルで。三社祭やサンバカーニバルが催されている時はやりません」
なかなか、もし挿れられれば二万円、挿れれば三万円もらえるなんて、それだけもらえればイイ小遣いになるなと、信也は前向きに考えた。泰典は、密かに信也の内腿に触れ、そのまま六尺褌の上から股間を弄った。すぐに硬直し、信也は恍惚の表情を見せた。このまま情事(こと)に及んだらどうしようと、彼は内心思った。泰典は言った。
「気持ちよくなる顔がカワイイね。どんなシチュエーションが好き?」
「う〜ん、スーツかなァ…」
「じゃあ、決まりだね。一度、ウチに面接へ来てください。都内在住?」
「はい、稲荷町です。『K湯』の裏のマンションに住んでます」
「へ〜、ウチから近いね」
「そうなンですか?」
「近くに『М』というコンビニがあるでしょ? その角の道に入って二本目の路地の方へ二、三軒目に『海◯書房』と書いた雑居ビルがあるので、二階に上がってください」
憲一と真純はそれぞれ他の客と談笑し、盛り上がっていた。この会話が聞こえている様子はなかった。泰典は信也から離れず、内腿を弄りながら接吻をした。微かにタバコの「味」がし、舌が痺れた。乳房が硬くなるのを感じた。嗚呼、ヤバいと信也は六尺褌から飛び出そうになった一物を両手で覆った。そんな二人をマスターは声をかけ、
「泰ちゃ〜ん、彼、『うぶ』なンだから」
と泰典の隣に座り、「雪の茅舎」という秋田の地酒を振る舞った。泰典は言った。
「ゲイビデオって、たまには『うぶ』なモデルも出た方がイイんだよ。この世界って『如何にも』っていう奴が多いでしょ? ソフモヒであごヒゲを生やしてTシャツにハーフパンツを着て、さ。あの種のタイプは見飽きたよ」
「まァ、それにタトゥーが入ってたら外国人と��わらないね〜」
「だから、今夜は君と出会えてラッキーだったよ」
と泰典は再び信也の唇を奪った。それをたまたま見てしまった憲一は絶叫し、
「オ、オレの信ちゃんを盗らないで!」
と今度は彼に接吻をされた。信也はこんなに自分がゲイ受けするとは想像もしていなかった。
その後、ゲイバー「Z」ではクローズまでどんちゃん騒ぎだった。泰典は一足早く家に帰ったが、信也と面接の日時を今週の金曜日の夕方とした。余程気に入ったのか、何度も彼の唇を奪い、抱擁もした。その都度、信也は股間を両手で押さえた。泰典はそんな様子に、
「撮影の時もリラックスしてね」
と言った。一応面接はすると言っても、ほぼ内定をもらった様なものだった。
一方、真純は泥酔した憲一をどうしようか悩んでいた。こんな彼を押上のアパートまで連れて行くのは困難だった。仕方なく、最寄りのビジネスホテル「C」に問い合わせ、シングルルームを二人で利用することにした。憲一も真純も、翌日は有給休暇を取っていた。本当なら信也は自分のマンションに泊まってもらおうか考えたが、裕美がいたら厄介だと思った。
再び浴衣を��た信也は、酔っ払った憲一を介抱しながら雷門通りへ向かう真純を見送った。何だか、理由が解らないまま一日が終わってしまったと、信也は思った。彼は、泰典や憲一に接吻をされた唇に触れ、こんなに自分が愛されるとはと信じられない思いがした。体温を感じる都度、己の一物や乳房が反応し、暴走しそうになった。異性から好かれる経験はしたことはあるが、それ以上だった。
彼は、何度も股間が硬くなりかけたからか、褌の中が濡れているのを感じた。嗚呼、恥ずかしい…。すっかり全身が性感帯と化していた。早くシャワーを浴びようと、彼は合羽橋道具街の方へ歩いて行った。
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うまく騙されないように、人の思考のクセを知っておこう。
コミュニケーション
ブログ:安達裕哉の記事一覧
Twitter:安達裕哉(Books&Apps)
著作:頭のいい人が話す前に考えていること(ダイヤモンド社)
人には、どの人にもある「思考のクセ」が存在しています。
そうしたクセは、普段あまり意識されることはありませんが、「知っている」人は、それを良くも悪くも「実態を隠す技術」や「他人を操作する技術」として使うことがあります。
例えば、「アンカー効果」として知られている思考のクセがあります。
これは「予測を立てる直前に見た数字をアンカー(よりどころ)にしやすい」という傾向です。
当然これは、金儲けにも利用できます。
数年前、アイオワ州スーシティーのスーパーマーケットがキャンベル・スープのセールを行い、定価から約一〇%引きで販売した。数日間は「お一人様12個まで」の張り紙が出され、残り数日間は「お一人何個でもどうぞ」の張り紙に変わった。 すると、制限されていた日の平均購入数は七缶で、制限なしの日の二倍に達したのである。
このように、心理に関する知識は、成果を大きく左右することもあります。
では、このような「思考のクセ」。
他にどのようなものがあるのでしょうか。
1.直感で信じたものを覆すことはほとんどない。
言い換えれば、「第一印象で決まる」。
例えば、採用面接で面接官は
「最初の数分で得た、候補者への印象を検証するために、残りの殆どの時間を使う」
と言われています。(採用ミスはこうして起きます。)
第一印象が良ければ「採用するための質問をする」
悪ければ「落とすための質問をする」のが面接官です。
逆に言えば、候補者側は「とにかく第一印象を重要にせよ」というアドバイスに従う必要があるということです。
これは「文章」にも当てはまります。
例えば、人物描写をするときに、その人の特徴を示す言葉の並び順は適当に決めてはいけません。
明るい 素直 けち
と書くほうが、
けち 明るい 素直
と書くよりも、良い印象となります。
2.ベストケースしか想定しない
将来予測をするとき、人は「最もうまくいくケース」しか考えません。
しかし、実験によれば、99%の確率で終わると宣言��た時間で実際にタスクを終わらせる人間は45%のみです。
これは「ホフスタッターの法則」と呼ばれ、コストを過小評価し、便益を過大評価する人間の思考の癖です。
稲盛和夫は「悲観的に計画し、楽観的に実行せよ」と述べましたが、経験的にこれを知っていたのでしょう。
3.人は独自性を誇張する傾向にある
「うちは特別だからね」という話をどの会社でも聞きます。
しかし実際にそれが特別であるケースは少なく、仮に違っていたとしても、その差はわずかに過ぎないのです。
むしろ、独自性バイアスは、必要以上のコストを掛けて、自分たちの独自性を守ろうとしますから、組織に不利益をもたらします。
むしろ「独自性を誇張しない人のほうが独自性がある」と認識すべきです。
4.物語VSデータは、物語が勝つ
人は物語が大好きなので、プレゼンテーション資料も、報告書も、物語性のあるものが好まれます。
これだけなら良いのですが、物語のできが良すぎると、人間はデータを見なくなります。
場合によっては、「データが少ないほど、物語としての辻褄が合いやすい」ので、データを排除しようとする人もいるくらいです。
ストーリーの出来で重要なのは情報の整合性であって、完全性ではない。むしろ手元に少ししか情報がないときのほうが、うまいことすべての情報を筋書き通りにはめ込むことができる。
賢くあろうとすれば、自分に有利なデータではなく、自分に不利なデータも集めなければなりません。
そうして初めて「物語」に騙されずに済みます。
5.確率を理解できない人は多い
まず、次の文章を読んでください。
リンダは三一歳の独身女性。外交的でたいへん聡明である。専攻は哲学だった。学生時代には、差別や社会正義の問題に強い関心を持っていた。また、反核運動に参加したこともある。
では、次の質問に答えてほしい
リンダは銀行員か、それともフェミニスト運動に熱心な銀行員か、どちらだと思いますか
聡明な人であれば、当然前者を選択するでしょう。
しかし、多くの人は後者を選択します。
複数の主要大学の学部生を対象に実験を行ったところ、八五~九〇%が、確率の論理に反して二番目の選択肢を選んだのである。しかも呆れたことに、この連中はとんと恥じる様子がなかった。 あるとき自分のクラスで「君たちは、初歩的な論理ルールに反していることに気づかなかったのかね」と怒ってみせたところ、大教室の後ろのほうで、誰かが「それが何か?」と言い放ったものである。
確率は説得の材料として、全く役に立たない事がよく分かります。
6.心配が多かったり、忙しすぎると、頭が悪くなる
多くの心理学研究によれば、自分を律することと、注意深く頭を使うことは、どちらも等しく、脳に負荷をかける行為です。
したがって、認知の負荷が高くなると、誘惑に負ける可能性が高いのです。
認知的に忙しい状態では、利己的な選択をしやすく、挑発的な言葉遣いをしやすく、社会的な状況について表面的な判断をしやすいことも確かめられている
このため、例えばある行為の結果について心配しすぎると、実際に出来が悪くなることも多いのです。
常に忙しく、給料も安い「ブラックな職場」では、利己的で、口が悪く、思慮の浅い人が増えてしまう。
ですから、これはもはや「社会悪」と呼んでも良いのではないかと思います。
7.好き嫌いで決まる
多くの人は
「それが好きな場合は、メリットばかり思い出す。」
「嫌いな場合は、リスクばかり思い出す。」傾向にあります。
スロビックのチームは感情ヒューリスティックのメカニズムを調べる実験を行い、水道水へのフッ素添加、化学プラント、食品防腐剤、自動車などさまざまな技術について個人的な好き嫌いを言ってもらったうえで、それぞれのメリットすると、二つの答はあり得ないほど高い負の相関を示した。すなわち、ある技術に好感を抱いている場合はメリットを高く評価し、リスクはほとんど顧慮しない。逆にある技術をきらいな場合はリスクを強調し、メリットはほとんど思い浮かばない。
したがって、物事を通しやすくするには、あれこれ論理を組み立てるよりも、「好かれる人」になることが最も簡単です。
SNSを見れば、多くの人は、あれこれ理由をつけて主張をします。
「ワクチンが〜」
「フェミニズムが〜」
「子育てが〜」
「社会保障が〜」
でも、一皮むけば、
肯定的な意見は、「それが好き」。
否定的な意見は、「それが嫌い」。
そう覚えておいて、ほぼ間違いありません。
8.人は慎重に考えるより���早く一つに決めたい
いくつもの選択肢を並行して考えることは、認知的な負荷が高い状態です。
認知的な負荷が高い状態は疲れますから、仮に選択が間違っていたとしても「早く決めて楽になりたい」と、思うのです。
これを「コミットメントの錯誤」と言います。
「たまたまモデルルームを見に行ったら、そこで買ってしまったよ」
と言う発言は、コミットメントの錯誤の典型であり、家や保険など、選択肢が無数にあり、かつ高額な買いものが、想像よりはるかに簡単に行われているのは、そのためです。
なお余談ですが、人には「自分が持っているものを高く評価する」という思考のクセ(保有効果)があり、高い買い物をしたとしても、後悔することはめったにありません。
「買わせてしまえばこっちのもの」と思っている営業マンは少なくないでしょう。
9.簡単にわかるものが好かれる
認知が容易なものほど好かれます。
例えば、見やすい表示、以前に聞かされたことのあるアイデア、見覚えのあるマーク。
こういったものは認識がしやすいため、それだけで「好ましい」と感じられます。
(出典:ダニエル・カーネマン ファスト&スロー)
また、機嫌がいいときや、体調のいいときには、「好ましい」と評価することが多くなりますから、上司の機嫌を見て、何かを提案するのは正しい行動です。
ただし、これは極端な話、「内容を問わない」という事でもあります。
「鶏の体温」という表現を繰り返し示された人は、「鶏の体温は四四度である(もっともらしい数字なら何でもよい)」という文章が出てきたときに、正しいと判断しやすい。 文章の一部になじんでいるだけで、全体に見覚えがあると感じ、真実だと考えるからだ。ある発言や文章の情報源を思い出せず、手持ちの情報とも関連づけられないとき、あなたはつい認知しやすさを手がかりにすることになる。
注意をしないと、「何度も見せられている」と言うだけで、それを真実だと信じてしまうかもしれません。
10.自分の頑張りには甘い評価をつける
チームで仕事をする場合、自分のほうが他のメンバーよりがんばっており、他のメンバーの貢献度は自分より小さいと考えがちです。
例えば、各自がチームに対して、どの程度の貢献をしているかを百分率で表しても���うと、チーム内のメンバーの数値の総和は100%を超えてしまいます。
あなたはもしかすると、自分に配分された報奨以上の貢献をしたのかもしれない。だがあなたがそう感じているときは、チームのメンバー全員も同じ思いをしている可能性が高い。このことは、誰もが肝に銘じておくべきである。
これは、性格的な要因はごく小さく、誰でも同じような傾向を示します。
なぜかと言えば、「自分の貢献が一番思い出しやすく」かつ「思い出せないものより思い出せるものの方が強力な説得力を持つから」です。
投票を呼び掛ける活動は、投票日直前にやるほうが強力、という、ごく当たり前の話ではありますが。
これを利用可能性ヒューリスティックスと言います。
人事評価は自己申告を基にしてはなりません。
大抵の場合、過剰評価となってしまいます。
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Rewind 01
��いフライトの末、飛行機は滞りなく滑走路に着陸した。 窓の外に広がるのは、見慣れた日本の風景とは全く異なる、広大なアメリカの大地だ。
安川康弘は、機内アナウンスに従ってシートベルトを外した。 手荷物を持ってゆっくりと立ち上がる。 今日から始まる、未知の国でのホームステイ。 期待と、ほんの少しの緊張。それらが交じり合った奇妙な高揚感が、彼の胸を満たしていた。
近代的なデザインの空港ターミナルは、活気に満ち溢れていた。 様々な言語が飛び交い、多様な人種が行き交う。
その喧騒の中で、安川の目を引いたのは、壁一面に掲げられた巨大なポスターだった。
そこには、アメリカが誇るスーパーヒーローたちの雄姿が描かれていた。 鋼の肉体を持つ者、稲妻を操る者、空を飛ぶ者。 まるで神話の登場人物のような、超人的な存在たち。 その中のひとつに安川は目を向ける。
ザ・グレイトマキシムのポスターだ。 ポスターの中のグレイトマキシムは、誇らしげに両腕を広げ、逞しい上腕二頭筋を見せつけていた。
太陽のように明るい笑顔。 圧倒的な筋肉のボリューム。
まさに「アメリカンヒーロー」という言葉がぴったりの、絵に描いたようなヒーロー像だと安川は思った。
安川は足を止め、ポスターを食い入るように見つめる。 筋肉、力、男らしさが、そこには凝縮されていた。
さらに歩を進めると、至る所に設置されたデジタルサイネージが目に入る。そこでは、ヒーローたちの活躍を伝えるニュース映像や、彼らを起用したコマーシャルが絶えず流れていた。 ビルを持ち上げる者、災害から人々を救う者、そして時には、プロテインドリンクのCMで爽やかな笑顔を見せる者。 この国では、スーパーヒーローは単なる物語の登場人物ではなく、現実に実在する存在であり、人々の日常に深く溶け込んでいるのだ。
安川は、周囲の人々がヒーローの映像に特に驚く様子もなく、当たり前の風景として受け入れていることに気づく。 これはきっとヒーロー大国であるアメリカでは、決して珍しい光景ではないのだ。
入国審査を終え、預けていたスーツケースを受け取る。 大きな荷物をカートに乗せ、到着ゲートへと向かう。
ゲートを抜けると、出迎えの人々でごった返していた。 プラカードを掲げる人、抱き合って再会を喜ぶ人、様々なドラマが繰り広げられている。 その人垣の中、安川はすぐに目的の人物を見つけ出すことができた。
思わず息を呑むほどの巨躯。 ポスターで見た印象よりも、さらに圧倒的な存在感。 ザ・グレイトマキシムこと、マックス・パワーズが、そこに立っていた。
身長は190センチを優に超えているだろう。肩幅も広く、厚い胸板はまるで岩盤のようだ。
マックスは、白いシンプルなTシャツを着ていた。 体にぴったりとフィットしたデザインのため、その下に隠された筋肉の輪郭がくっきりと浮かび上がっている。 特に、Tシャツの袖を力強く押し広げている上腕の太さは尋常ではない。丸太のように逞しく、血管が浮き出ているのが遠目にも分かる。
下は、色落ちしたブルージーンズ。これもまた、彼の逞しい脚のラインを強調していた。太腿の筋肉が、デニム生地を内側からパンパンに張り詰めさせている。
マックスの隣には、小柄で、柔らかな雰囲気の女性が寄り添うように立っていた。ブロンドの髪を綺麗にまとめ、上品なワンピースを着こなしている。おそらく、彼の妻のサラだろう
安川は、彼らに向かって歩き出した。
「あの……マックスさん、サラさん、ですか?」
声をかけると、マックスが鋭い視線をこちらに向けた。 その眼光の鋭さに、安川は一瞬、たじろぎそうになる。 ヒーローとしての威圧感だろうか。
しかし、次の瞬間、マックスの表情は、太陽が雲間から顔を出すように、一気に明るく、人懐っこい笑顔へと変わった。
「おおっ! 君がヤスヒロか! ウェルカム・トゥ・ステイツ!」
マックスは、大きな声でそう言うと、ためらうことなく安川に歩み寄り、その逞しい肉体でハグをした。香水だろうか、爽やかな香りが安川の鼻腔をくすぐる。
安川が目を白黒させていると、マックスは、その大きな手を差し出してきた。
「俺はマックス! こっちは妻のサラだ。長旅、疲れただろう?」
差し出された手は、まるで熊の手のように大きく、分厚かった。 指の一本一本が太く、手のひらには硬いタコができているのが見て取れる。ヒーローとしての激しい活動と、日々の鍛錬の証だろう。
「は、はじめまして、安川康弘です。よろしくお願いします」
安川は、努めて落ち着いた声で挨拶し、差し出されたマックスの手を握った。
握手した瞬間、そ���圧倒的な握力と、手のひらの熱量に驚かされる。まるで万力に挟まれたかのような感覚だ。
「まあ、マックスったら、そんなに強く握ったらヤスくんがびっくりしちゃうでしょ」 隣で見ていたサラが優しく窘めると、「おっと、すまんすまん」とマックスは頭をかいて笑った。
マックスはすぐに力を抜き、安川の手を優しく包み込むように握り直した。その大きな手のひらが、安川の小さな手をすっぽりと完全に覆ってしまう。
「よろしくな、ヤス! これから家族だ、遠慮はいらないぞ!」 マックスは、白い歯を見せて笑う。 その笑顔には、裏��のない、純粋な善意が満ち溢れているように見えた。
「はじめまして、安川くん。サラよ。遠いところ、よく来てくれたわね。疲れたでしょう?」 彼女の笑顔は、マックスとは対照的に、穏やかで包み込むような優しさに満ちていた。
「いえ、大丈夫です。サラさん、お綺麗ですね」 安川は、少し頬を赤らめながら、お世辞を言った。
「あら、嬉しいわ。ありがとう」 サラは嬉しそうに微笑んだ。
「ハッハッハ! さすがヤス、見る目があるな! 俺の自慢の妻なんだ!」 マックスは、サラの肩を力強く抱き寄せ、誇らしげに言った。 サラは少し照れたように、「もう、あなたったら」とマックスの胸を軽く叩いた。 仲睦まじい夫婦の姿。 微笑ましい光景に、安川も自然と笑みがこぼれた。
「さあ、行こうか! 車を駐車場に停めてあるんだ」 マックスはそう言うと、くるりと踵を返そうとした。 しかし、すぐに思い出したように立ち止まり、再び安川に向き直る。その表情から、先ほどの陽気さがすっと消え、真剣な、ヒーローとしての顔つきが覗いた。
「ヤス、その前に、一つだけ言っておくことがある」 彼の声は低く、静かだが、有無を言わせぬ響きを持っていた。 「アメリカには、日本と違って、ヒーローがいる。なぜだと思う? それはつまり、ヒーローが必要だからだ。ヒーローが必要になるということは、日本とは違って、時々物騒なことも起こる。特に空港のような人が多い場所ではな。だから、絶対に俺から離れないようにするんだ。いいな?」
その言葉と共に、彼は再び、安川の目の前に、大きな手を差し出した。今度は、握手のためではない。
「ヤス、手を出せ。しっかり繋ぐんだ。そうすれば安全だ」
有無を言わせぬ口調。 有無を言わせぬ眼差し。 有無を言わせぬ命令。 それは、市民を守るヒーロー、ザ・グレイトマキシムの表情そのものだった。
安川は、陽気なマックスの真剣な一面に内心、ドキドキしながら、言われるがまま、おずおずと自分の手を差し出した。 その手を、マックスは再び大きな手のひらで力強く、しかし温かく包み込んだ。 マックスの体温が、じかに伝わってくる。
「よし! これでOKだ!」 マックスは、安川の手をしっかりと握ると、すぐにいつもの陽気な表情に戻った。 「さあ、行こうぜ! 俺の自慢の『マキシムモービル』へ!」
彼はそう言って、安川の手を引くように、大股で歩き出した。 サラが、その隣を微笑みながらついていく。
「マキシムモービル?」 安川は、聞き返した。 するとサラは噴き出して言った。 「ただのSUVよ。マックスは、少し子供っぽいところがあるのよ」 「ヒーローの愛車にはかっこいい名前がついているのは当然だろ?」
駐車場へと向かう道すがら、マックスは、アメリカのプロスポーツの話や、最近観たアクション映画の話などを、一方的に、しかし楽しそうに語り続けた。 安川は、相槌を打ちながらも、本物のスーパーヒーローと手を繋いでいることに対して、興奮を抑えることができなかった。
やがて、巨大なSUVの前へとたどり着く。 見るからに頑丈そうで、パワフルな車だ。
「まさに、『マキシムモービル』と呼ぶにふさわしい車だろ?」
マックスは、にやりと笑った。 リモコンキーでドアロックを解除すると、後部座席のドアを開ける。
「さあ、ヤス、特等席だぞ!」
三人は車の中に乗り込む。 マックスがエンジンをかけて、車が動き出すと、安川はつまらなさそうに大きなあくびをした。
「ん? どうした、ヤス。眠たいのか?」 バックミラー越しに、マックスは安川の顔を覗き込んだ。 安川は首を振る。
「うーん。なかなか悪くない出迎えでしたけど」 少し間を置いて、言葉を続ける。 「正直にいって、全然、物足りないですね」 そう言い切ると、安川は、不毛な演技を止めることに決めた。
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【前置き】 はてな匿名で書く内容なのかというのはともかく、私が美味しいと思うケーキ屋・パティシエを書き出して、順に並べてみた。私は製菓や料理について専門的な教育を受けたこともないし、生業としてフードライターをやっているわけでもない。仕事柄、堅い文章を書くことにはある程度慣れているけれど、エッセーのような柔らかい文章を書いた経験はほとんどない。 このランキングを作ってみようと思ったのは、怪我をして外を歩く気になれず暇だったからというのが一番の動機だけれど、ランキング作成の過程で「あの時のあのケーキは本当においしかったな」と幸せな思い出を振り返ることができたし、「自分はこういうケーキを美味しいと思っているのか」という傾向を何となく知ることができて面白かった。 このランキングは、私の個人的な好みに基づいて、偏差値表のような形で作成している(もちろん偏差値そのものは表していない。)。偏差値50を超えるケーキは基本的にどれも文句なく美味しいし、そこまで確固たる優劣があるとは思わない。特に、偏差値60-65のレンジはその日の気分によって順番が変わるだろうと思う。比較的趣向が近い友人に意見を聞いても、結構な食い違いがあったので、本当にその人の好み次第ということなのだと思う。また、日頃からメモを取っているわけでもなく、思い出した順に書きだしただけなので、ランキングに載っていて当然なのに書き落としているものもたくさんあると思う。 そんな感じで免責みたいなものを書き連ねたところで、ランキングをご覧ください。 【美味しいケーキ屋ランキング】 80: Maxime Frédéric (Le Tout-Paris, Maxime Frédéric chez Louis Vuitton) (Paris) 79: Matthieu Carlin (Butterfly Pâtisserie at Hôtel de Crillon) (Paris), François Perret (Ritz Paris Le Comptoir) (Paris) 78: 77: 76: 75: Mori Yoshida (Paris), Cedric Grolet (Paris) 74: 73: [xxxxxxxxxxxx] (京橋) 71: 70: LESS (恵比寿) 69: ASSEMBLAGES KAKIMOTO (京都), pàtisserie Tendresse (京都) 68: 67: 66: FOBS (蔵前), Les Alternatives (東小金井), Pâtisserie K-Vincent (神楽坂) 65: La Pâtisserie Cyril Lignac (Paris), Equal (幡ヶ谷), LE CAFE DU BONBON (代々木八幡) 64: Libertable(赤坂), grains de vanille (京都), Ryoura (用賀), Dining 33 Pâtisserie à la maison (麻布台), おかしや��っちー (北参道) 63: Yann Couvreur Pâtisserie (Paris), La Pâtisserie Ryoco (高輪), Fleurs d’été (代々木上原), Harmonika Kyoto (京都), sweets garden YUJI AJIKI (神奈川), Sweet Rehab (NY) 62: PIERRE HERMÉ PARIS, AU BON VIEUX TEMPS (尾山台), Paris S'éveille (自由が丘), AIGRE DOUCE (目白), CONFECT-CONCEPT (稲荷町), Paris S'éveille (自由が丘), AIGRE DOUCE (目白), 61: équilibre (不動前), Pâtisserie ease (日本橋), 銀座和光 (銀座), Palace Hotel Tokyo (大手町),その他美味しいホテル系, Asterisque (代々木上原), a tes souhaits! (吉祥寺), N'importe quoi (京都) 60: Avranches Guesnay (春日), Taisuke Endo (学芸大学), Préférence (新中野), feuquiage (調布), PÂTISSERIE ASAKO IWAYANAGI (等々力) [...] 55: 千疋屋総本店, Henri Charpentier, その他デパ地下系・工場系 [...] 50: LAWSON, Lady M (NY) [...] 45: Lysee (NY) [...] 40: Whole Foods Market 【いくつか補足】 パリには複数回行ったことがあるが、パリのケーキは本当に美味しく感じた。もちろん遠路はるばる補正・思い出補正もあるのだと思うけれど、単純に値段がとても高いので、惜しむことなく良い材料を使えているのではないかと思う。パティシエの社会的地位が高いらしいので、その結果パティシエが制約なしで好きなようにケーキを作れる、ということもあるのかもしれない。 Maxime Frédéricは有名人だし、本当にどのケーキ(あと、ややテーマ外だけれど、レストランのデザートも)も美味しい。いつかホテルのシグネチャーレストランにも行ってみたい。Matthieu CarlinやFrançois Perretは、少なくとも私のアンテナでは情報がたくさん入ってくる感じではないけれど、複数のケーキで感動した。 Cedric GroletはMaxime Frédéricよりも有名人で、逆張りしてみたくはなるのだけれど、フルーツの使い方が独創的で、まあ確かに美味しい。あの値段であれだけの人を集められるのは、SNS映えだけでは説明できないと思う。 [xxxxxxxxxxxx]は、フルーツに真摯に向き合っていることや高い洋菓子基礎力に裏打ちされていることが素人の私にも伝わってくるような気がする。接客は独特で毎回緊張するけれど、敬意をもって謙虚に臨めば、丁寧に遇してくれるし、嫌な思いをしたことはない。職人ってそういうものなのかな、と思っている。 LESSは、以前はnomaやINUAみたいな雰囲気の実験的なケーキが多くて毎回面白かったのだけれど、最近はそれよりは分かりやすいケーキが多くなった。もちろん、それらもとても美味しい。たまに昔のLESSを食べてみたくなるときもある。 タンドレスは、もともと酒やムースとかのイデミスギノ的なものがあまり得意ではない私でも、これは凄いと感じる何かがある。私では理解が及ばないというか、置いて行かれている感じもする。 FOBSは一般的にはすごく高く評価されている感じはしないものの(ゴーフレットはとても有名)、ここのショートケーキは特に美味しいと思う。卵や牛乳などの素材がシンプルによくまとまっている感じがする。判官贔屓的なものが入っているかもしれないけれど。 Alternativeは夏の焼き菓子イベントのタルト類が全て美味しい。Equalのチーズケーキは瑞々しくてチーズの香りがよく整っていて、これより美味しいチーズケーキはなかなかないと思う。「フランス菓子道」の真ん中・正当を通ってきたかはよく分からないけれど、個人的な好みに合っている。 Ryouraは街のケーキの範疇で、傑出して美味しい。うっちーのシグネチャーのショートケーキの生クリームのミルク感は特徴的。 リョーコは(伝統的という意味ではなく)ちょっと古い感じがするけれど、分かりやすく美味しいと思う。セブンイレブンとのコラボレーションは。。カーヴァンソンやリベルターブルも私の中では同じような枠に入っているのだけれど、こちらの方が個人的な好みに合っている(何でだろう)。 étéをどう位置づけるかは難しかった。テンションの上がる見た目だし確かに美味しいのだけれど、洋菓子としての工夫・洗練を感じるかというと、そういうことを目指して作られたものでもないような気がする。 ピエールエルメの��スパハンは、なんだかんだといってやっぱり名作だと思う。ホテル系のちゃんと作られたケーキは、やや割高な感じはするものの、総じてしっかり美味しい。 easeは個人的な好みにはあまりハマらないけれど、美味しいし評価されていることもわかる。アステリスクやアテスウェイは家族で食べるのにとてもよいと思う。ナンポルトクワのリンゴのタルトは一つの発明だと思う(別途元祖があるのかな)。パリセヴェイユはフランス菓子の正当という感じで間違いなく美味しいのだけれど、個人的に好きなケーキとは少し違う(パンや焼き菓子はすごく好み)。 アメリカでウケているケーキは、個人的にはそこまでヒットしなかった。Sweet Rehabは見た目もきれいですごく高く評価されているけれど、高額すぎる点を措いても、評価に見合うほどではない気がする。 店名が大文字だったり小文字だったり「pàtisserie」が付いたり付かなかったりするのは、適当にgoogle検索した結果をそのまま引き写しているだけなので、正確ではないかもしれない。 こういう番付モノは、それ自体を批評の対象として「それは違う、こっちの方が上だ」等々とケチをつけることに楽しさがあると思う。コメントをいただけたら嬉しい。 【追記1209】 記事を公開した後、思ってもいなかった程たくさんの方に見ていただいて、色々なコメントをいただいた。一つ一つどれもありがたいと思っている。 書き忘れていた��店を何個か思い出したので、適宜ランキングに追加してみた(Asako Iwayanagi, AU BON VIEUX TEMPS, CONFECT-CONCEPT, Dining 33 Pâtisserie à la maison, équilibre, Libertable, sweets garden YUJI AJIKI, Patisserie Porte Bonheur)。また、説明部分にもいくつか加筆をした。加筆するにあたっても、既に順番を書き換えた方がいいのではないかという気がしてくるから、やっぱりその時の気分次第の順に過ぎないんだなと分かった。 「偏差値表のような形」というのが分かりにくいというコメントがあった。イメージしていた偏差値表は、例えばこんな感じのものだった。 https://www.syutoken-mosi.co.jp/application/hensachi/upload/dansi202412.pdf もちろん、今回は母集団が正規分布かもよく分からないし平均や分散を求めて何かしているわけではない。あくまで偏差値「風」ということでご容赦いただきたい。今回は、偏差値50の重責をローソンに担ってもらった。個人的に偏差値(風)60以下かなと思ったものは、角が立つので基本的には取り上げなかった(NYでいくら角が立っても大丈夫。)。 神奈川・千葉・埼玉などの郊外や大阪・神戸のような別の都市圏はあまり開拓できていないので、いつか掘り下げてみたい。 中野のMORI YOSHIDAについては、どう取り上げるか迷った。例えば、パリで食べたババトロピックはミルクが入ったスポイトのようなものが刺さっていて、それを注入して食べるのがとても美味しかった記憶がある。中野の方はそうはなっていなくて、少なくとも何らかの「違い」はあるのだと思う(見た目に明らかに分かるもの以外も多分。)。ただ、だからといって劣るとかいうわけでもないし、でもそうすると今度は、中野のMORI YOSHIDAとLESSに大きな差があるかのようになるけれど、本当にそうなのかというとよく分からない。突き詰めていくと、遠路はるばる補正・思い出補正を数値化することにもつながりそうで、それは楽しい思い出のためにも止めておいた方がよいかなと思い、取り上げないことにしていた。
美味しいケーキ屋ランキング
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流動しながら個として見つめ、判断する。 北村道子の仕事の向き合い方。
#01
北村道子
衣裳デザイナー/スタイリスト

40年以上にわたり、映画、広告、雑誌など、さまざまなメディアで活躍する衣裳デザイナーの北村道子さん。キャストやスタッフと真正面に向き合い、ときに衝突することも恐れず、信念を持ってスタイルを貫く。そんな彼女の個性はどのように育まれ、いかにして磨かれたのだろう。仕事場としてたくさんの時間を過ごしてきたフォトスタジオという空間で、コーヒーを片手に彼女が歩んできた半生と仕事について語ってもらった。
Apr.19.2023
Michiko Kitamura
photography:Mai Kise interview & text:Tomoko Ogawa edit:Shigeru Nakagawa


家を飛び出し、世界を分解して見る癖をつけた少女は、映画の中の洋服に出合う
— ご自身の10代、20代を振り返って、その後の人生に影響した出合いについて聞かせてください。
私は寺山修司の影響が大きいんですよ。『書を捨てよ、町へ出よう』、「���を捨てよ」を実行した人だよね。私は16歳で実家の金沢から出て、サハラ砂漠やアメリカ、フランスを放浪しましたけど、18歳になっても、30歳を越えても実家にいる人もいますよね。親だって子離れしてないじゃない。これが今の日本という文化、社会を育んでいるんじゃないかと思う。だから、自然と政治も家父長制に、政治家も世襲で引き継がれるようになってますよね。なぜ出ていくか。それは自分のアイデンティティを知るためです。知るっていう行為は、過去を見つめるしかないということなんだよね。
— たしかに、経験からしか何かを知るということはできませんもんね。
今の瞬間、何秒間という現在点で、目の前にいる他者と自分には大きなギャップがある!と思ったときに、自分のアイデンティティを知る。特に外国に出ると、相槌打って微笑んでいるだけじゃ会話は進まないじゃない。日本みたいに、同調圧力が強くないから。つまり、実家にいるということは、母親のお腹で守られている状況と近いんです。そこから出ることによって、初めて世間にさらされる。そこで、世の中を自分で分解してみる癖を持つようになる。私の場合、子どもの頃から英和、和英辞典と広辞苑を持ち歩いてたから、誰かの発言に対して、「この人の言ってることはなんだろう?」と思って全部つぶさに見るんです。そこから、言葉はこうやって進化してるのか!と発見する。もっと言えば、ブランド力にとらわれず、自分の力で学びたい高校や大学を選んでいくこと。そうすると、一人の有権者として、政治と経済とアートがどう自分の仕事と人生と結びついてるかを分析して、議論できるようになっていくんですよね。
— もともと彫刻家を目指されていて、洋服に興味はなかったそうですが、何がきっかけで衣裳の世界に入られたんでしょうか?
なぜ私が洋服をスタイリングすることになったかというと、〈シャネル〉がきっかけなんです。当時のパートナーと外国を回っていた20歳の頃、シャネル本店でスーツをオーダーしたんです。なぜかというと、(ルキノ・)ヴィスコンティの映画『ボッカチオ’70』を観て、こんなストーリーなのに、こんないい服が出てくるんだ!と思って(笑)。お金もなかったから、モリエールの銅像の前で似顔絵を描いたり、その辺に捨てられたもので立体を作ったりしていたら、お金を置いていく人がいるんですよ。フランスは、そもそもアートに対してお金を恵むという文化があるよね。2カ月くらい経つと、そこそこお金が貯まってくるんですよ。それで、一番いい服を着てシャネルに行ったら、らせん階段の上からなんか貧しい子が来たぞっていう感じで見られて、クチュールのスタッフに全身を採寸されてね。スーツ自体が欲しいというよりは、あの���能美を兼ね備えたスーツにどう辿り着くんだろう、とその過程を見たくて。今日着ている〈メゾン マルタン マルジェラ〉の初期のワンピースも、マルタンはヴィンテージファブリックを使っているから、これは私しか持ってないんです。多分、それが洋服の原点ではないかと思う。究極、ファッションも映画も、この1点の洋服が、誰に似合うのかを考えるのが面白いんです。だから、着こなしの作法をつかんで服を着ている人にはついていきます!となるよね、私としては。
— 作法をつかむには、その人の生き様が関係してきますよね。
映画の見方にも視点があるように、着る人の視点が見えるかどうか。例えば、海外の俳優で、普通のデニムをはいてるだけなのに、かっこよく見えることがあるじゃないですか。よくよく見てみると〈ギャップ〉のものだったりするんだけど、それがなぜおしゃれに見えるのか、そこに、その着こなしにおのずとその人らしさが出てくると思うんだよね。
— 北村さんが考える「良い仕事」の定義とは?
私がチョイスしたものは良い仕事、というのは冗談だけど(笑)、興味や好奇心が向かう、面白いなと思える人と仕事をすることですよ。その人が心から出てくる言葉を使っているか、誰かから借りている言葉を使っているかは、この年になるともう、すぐにわかるんです。だから、自分の言葉を使って、馬鹿馬鹿しいことを本気でやっている人に興味があるんだよね。 私は長く、社会思想、政治学、社会学、哲学の本を読み続けているんだけれど、そうすると、道草をたくさんしなくちゃいけなくなる。そこに新たな興味が出てきて、あれもこれも読まなくちゃとなることが楽しいんです。だから、何か新しいことを学ぼうとすると、なんとなくつかめるようになるまで、少なくても10年はかかっちゃうんだよね。

他人に委ねず、自分自身でジャッジするという強さ
— 仕事の際に、自分自身に課しているルールは?
自分自身でジャッジすること。周りはダメと言うだろうと思っても、自分がいいと思うことを提案してみると、意外とオッケーが出たりして、できたものをすごく喜ばれたりもするんですよ。なぜだかはわからないんだけど。昔、平山景子さんが編集長をしていた時代の『花椿』※1 で2年間仕事させてもらえたのも、そういう私の発想を面白がってもらえたからなんだよね。子どもが行水しているようなビニールプールの素材あるじゃないですか。あれをそのまま生かして洋服にしませんか?とか、油揚げを1メートルぐらい縫い合わせて、お稲荷さん洋服にしたらどうですか?とか(笑)、捨てられた手袋を全部寄せ集めたら、ベストにできるんじゃない?とかね。それは、資生堂にはない発想だったんじゃないですか。 ※1 1937年に創刊した資生堂の企業文化誌。
— 長く活動する秘訣があれば教えてください。
やめたら生活できないから続いただけで、若い頃からそんなに仕事してないんですよ、私。目立った仕事はしていたかもしれないけれど、1年のうち3カ月は外国に出ていた時期もあったし。しかも、私、結構喧嘩してるんですよね、編集者やメイクアップアーティストと。クライアントに対しても意見しちゃうんで(笑)。我慢して黙っている持久力がないんです。自分は労働者階級だと思ってるから、偉ぶる人や権力が大嫌いなんですよ。だから、広告代理店の大げさな儀式が嫌になっちゃって、70歳でもう広告はやめました。今は、一緒に仕事したい人に頼まれたら引き受ける、という感じでやってますね。
— 師弟制度を取り入れていた時期もあったのでしょうか?
以前、マネージャーをやりたいと名乗り出てくれた人がいて、勝手にアシスタント志望という子に数人声をかけて職場に呼んでいたんです。私は好きにやりたいからとその人のオファーは断ったんだけど、アシスタントをしたいという子はもうそこに来てしまっていたから、「しょうがない。5カ月は面倒みる!」と言って。当時、私はよく免停になってたのね。それで、運転手として手伝ってもらっていました。そうしたら、いつの間にか「北村道子のアシスタントをやっている」が一人歩きして、そう言っているスタイリストが十何人になってたんです。悪いうわさの多い私の名前だったから、出すと響くらしいんだよね(笑)。自分から口説いて手伝ってもらっていた美大の学生たちは、私が留学を勧めたこともあって国外に出てしまい、それから戻ってきてないですね。

— 創作のリソースとして、どこからインプットする機会が多いのでしょうか?
映画と本ですね。小説は眠くなるからあまり読まない。今、一番学���たいのは、古代ギリシャの哲学者ヘラクレイトスなんです。ニーチェについて読んでいたときに、ヘラクレイトスは偉大だと思って。ソクラテス以前のギリシャを唯一学んだのが、「神は死んだ」を主張したニーチェなんですよ。つまり、それ以前は、神を作っていたとも解釈できるじゃないですか。ワインも蒸造して、ドラッグもやって、錬金術で実験してたとされているから、多分、既存の価値観で振り返ると、ものすごく壊れてるんじゃないかと思うよね(笑)。あとはね、事実、行動、現実性を重視する「プラグマティズム」を日本に紹介した鶴見俊輔の本も全部読み返してますよ。彼は16歳でハーバードに入学して、プラグマティズムを学び、“人は矛盾してる。その矛盾こそが人間なんだ”という生き方をするんです。
— 北村さんも、“矛盾こそが人間である”を体現していらっしゃいますよね。
私、「明日になったら、同じこと言ってるかはわかんないけどね」って、よく言うんです(笑)。今日は、このインタビューに対して思ったことを答えてるだけ。取材なんかで話をするときも、言いたいことだけを言う。都合が悪い部分はどうせカットされるわけだし、口に出さないと、その瞬間のリアルな言葉にならないじゃないですか。身も蓋もないことを言ってしまえば、面白いことって活字にできないのよ。活字にしたら、固定化されちゃうから。このままの空気で、世の中の悪口を言いたい放題言ってるのが面白いわけじゃない。それを、私は風流だと思う。繰り返しになるけど、人間は十月十日、女性の子宮に閉じ込められているわけだから、そこからポンと外へ出て行かないと。閉じ込める、というのは人間をダメにする。昆虫だって、閉じ込めても外へ出ていくでしょう。人間の一番の罪は、脳が発達していることだよね。今は、デジタル化も都市設計も脳化社会が生み出しているわけじゃないですか。そこに入りたくないけど、家賃は上がっていくし、一生懸命、白井聡の『マルクス 生を呑み込む資本主義』を読みながら、どうしようかなと考えてます。

本日のコーヒー
UCC GOLD SPECIAL
PREMIUM 炒り豆 フルーティウェーブ 150g
『発見のあるコーヒー』をコンセプトに、UCCのロースティングとブレンド技術で、コク、苦み、酸味の奥にある特別な香りと味わいを表現したブレンド。口あたりは柔らかく、余韻にはブラックベリーやブルーベリーのような甘みのあるコクが感じらる。
『UCC GOLD SPECIAL PREMIUM』ブランドサイト
UCC公式オンラインストア
個人の愉しみとしてコーヒーのある場所に行く
— 最後に、日常におけるコーヒーがどんな存在か、教えていただけますか?
コーヒーは外で飲むものというのが私の概念です。ヨーロッパだと、近くのバールでエスプレッソを一杯カッと飲むじゃないですか。そういう感じ。なので、私は美味しいコーヒーが飲める店がある場所の近くに引っ越す。そこで、バリスタが淹れたエスプレッソを飲む。あれが本来のコーヒーの旨味なので。映画も一人で観ますし、あまり人とつるまないので、個人の愉しみとしてコーヒーを飲みに行きます。ドリップコーヒーを飲むときは、バリスタが「今日はこれがいいよ」とお薦めするものをチョイスします。対面だから、店に入ってきた瞬間から人を見て、豆を挽いて、淹れる。どんな豆をどの水で、温度で、どのタイミングで、どんなカップで、ロジックがちゃんとある。そういうバリスタのセンスを感じさせる店に通う。誰かに一杯のコーヒーを淹れるのも、その人に合う一着の服を着せるのと同じような哲学がある、と私は思うんですよね。

北村道子
衣裳デザイナー/スタイリスト
きたむら・みちこ|1949年、石川県生まれ。10代でサハラ砂漠、アメリカ大陸、フランスを放浪し、30歳頃から、映画、広告、雑誌などで衣裳を務める。1985年公開『それから』以降、数々の映画作品に携わり、2007年には『スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ』で、第62回毎日映画コンクール技術賞を受賞。昨年、人気シリーズ待望の第3弾となる著作『衣裳術3』(リトルモア)を上梓。第40回毎日ファッション大賞にて、鯨岡阿美子賞を受賞。
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最近の第六感事情…(自分の)。
スピ系SNS全部出てて、信頼出来る人とは個別に繋がってるので…。
んー、
相変わらず日常的に見たり、何か感じたり、視覚変換型なんで、まあ、見たり、脳裏に浮かんでるんだけど、
同類系の人と、その事を話したりしないと、
あんまり意識しないで普通に日常生活(爆)。
ただ、私の「見え方(感受性)」が、基本的に陽気でお笑い体質なので、
見えるもんがあまりに笑える時は、何か言える人に言ってしまう(爆)。
同類系の人と密に交流するとね、
「エコーチェンバー現象」
と言う心理作用が起こりやすいんだ。
wikiあり〼。
簡単に言うと、思想の極端な増幅。
第六感は基本的に感受��や感覚なので、自分の感覚が、そのコミュニティ内で認められると増強するのは然り、なので。
自分は「他者からの承認」と言うエコーを全て取っ払ってみたかった。
元々スイッチオンした時、第六感体質の人が周囲に居なかったし、一応(爆)。
居たけど他人事と思ってた(爆)、
私分からんから、まあ良いけどみたいな(爆)。
昔の友達がひでーくて、陰陽師展で自分の体が重たくなったと言い、私に後ろからタッチ、
何か移しよった(爆)。
だが当時の私は医療ミスの薬を知らずに飲んでいて鈍感(爆)、
友「あんたに移した、分からんから(爆)」
私「…ん?何か肩重い気がするけど、言われたからかもしれんし、普段から凝るから、よく分からんから良いや(爆)」
まあ、この友人の家では、出たのを見たわ(爆)。
とりま、スピ系SNSに居ると、強くなり易い、
…時々、見たらあかんもんも見える��で、
普通に疲れる(爆)。
そして「エコーチェンバー現象」を知って、
その「エコー」を取って、改めて自分に勘が残るか、確認したかった。
…まあ、大半、普通に疲れた方が多いよ。
雑談するのは普通に楽しいし。
7年前ぐらいから、強くなって、神社で見える様になって、
SNS入ってなくても、神社の神様に構って頂いてキャッキャし続けてたので(爆)、
そんなナチュラルな状態に自分をデトックスしたかったし。
SNSは、
「こんな事があり困った!やばい、詳しい方に参考意見お聞きしたい(爆汗)」
と、困った事があって、必死で探したので…。
まあ、全ていろいろ、お陰様で、有難う御座います。
最近。
最近、うーん、
夢で普通に、多分、祖父母宅のお稲荷さんに祖父母宅に連れて行かれたのが面白かったな…(爆)。
夢以外だと、退院してから、空けていた家の、神棚ある以外の部屋で、
お不動さん居らっしゃって、綺麗にしてくださってたり。
いろいろ、読みかじり、聞き齧りで、
「このアクセサリー、お守りになるなー、
ここの位置に掛けたら。
ここ前から気になってたんだよな…。」
と言う位置に掛けたり…。
それにも、我が家のお稲荷さんはアドバイスして下さる…。
「ここの壁に、チベット仏画の目が有ると良いんやけど(ネパール系北インドカレー屋さんの内装で見る目(爆)」
私「怪し過ぎるです…」
ガサガサ探していたら、アイヌ木彫りの梟のペンダント、シク(菱形、目、棘)のペンダントを見つける。
後、ヴェネチアンレースの猫の額縁、猫の目も良さげだったので。
アイヌ木彫り、滅茶苦茶強い…(爆)。
職人さんの綺麗な彫刻だから、凄い強い…。
と、家の中の「気流れ」を分かる範囲と出来る範囲で調整してた…。
専門の風水とかはあまり知らないし、ガチでやるとしたら土地選びからだから壮大過ぎて無理です…、あれ地質学と呼ぶと納得し易いと思う。
ガチ占星術は天文学なので。
本場(インド)の占星術は出生時刻も合わせないと正解に出ないらしいので。
とりあえず自宅の流れは、私の体感的に良ければ良し。
なので、普通に模様替えする事とあまり変わらないと言えば変わらない。
自分が住みやすく物を配置したりするだけだから。
個人的に心地良くなったから良いー。
(私は人様の家には何も口出さないので)
(便利な収納方とかは知りたい(爆)
一度、この辺で(アプリ書きにくくなった)。
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「1983年(昭和58年)5月、埼玉県行田市の埼玉県立さきたま史跡の博物館へ行幸。天皇がガラスケースの中の金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)を見ようとしたとき、記者団が一斉にフラッシュをたいてその様子を撮影しようとしたため「君たち、ライトをやめよ!」と記者団を叱った。カメラのフラッシュがガラスに反射して見えなかったのを怒ったものである。」というエピソードについて、詳しく教えてください。
ご質問のエピソードは、1983年(昭和58年)5月に昭和天皇が埼玉県行田市の埼玉県立さきたま史跡の博物館を訪問(行幸)した際に起こったとされる出来事で、昭和天皇が国宝「金錯銘鉄剣」をガラスケース越しに見ようとした際、記者団のフラッシュ撮影によりガラスに光が反射して見づらくなり、昭和天皇が「君たち、ライトをやめよ!」と記者団を叱ったというものです。このエピソードは、昭和天皇の人間的な一面や文化財への関心を示す逸話として語り継がれていますが、具体的な史料や詳細な背景については限られた情報しか存在しません。以下に、利用可能な情報と関連する背景を基に、詳細を整理して説明します。
背景:昭和天皇の行幸と金錯銘鉄剣 日時と場所: 1983年(昭和58年)5月、昭和天皇(裕仁天皇)は埼玉県行田市にある埼玉県立さきたま史跡の博物館を訪問しました。この博物館は、埼玉古墳群(国の特別史跡)内にあり、1969年に開館(当時は「さきたま資料館」)。特に稲荷山古墳から出土した国宝「金錯銘鉄剣」を展示する施設として知られています。 金錯銘鉄剣: この鉄剣は1968年に稲荷山古墳から出土し、115文字の金象嵌銘文(きんぞうがんめいぶん)が刻まれた5世紀末の遺物で、古代日本の歴史(特に雄略天皇や「獲加多支鹵大王」に関する記述)を知る上で極めて重要な資料です。1981年に重要文化財に指定され、1983年6月6日に国宝に指定されました()。昭和天皇の訪問は、この国宝指定の直前に行われたもので、鉄剣への関心が高まっていた時期と一致します。 昭和天皇の文化財への関心: 昭和天皇は生物学や歴史・文化財に深い関心を持ち、各地の史跡や博物館を訪れることが多かった。この行幸も、埼玉古墳群や金錯銘鉄剣の歴史的意義を直接見聞する目的があったと考えられます。
エピソードの詳細 状況: 昭和天皇が博物館の国宝展示室で金錯銘鉄剣をガラスケース越しに鑑賞しようとした際、記者団がその様子を撮影するために一斉にフラッシュを焚きました。ガラスケースにフラッシュの光が反射し、鉄剣が見づらくなったため、昭和天皇は「君たち、ライトをやめよ!」と声を上げて記者団を制止したとされます。 発言の背景: この発言は、昭和天皇が鉄剣をじっくり見たいという強い関心を持っていたことを示します。フラッシュの反射により視界が妨げられたことへの苛立ちが、普段穏やかな性格で知られる昭和天皇からこのような直接的な言葉を引き出したとされています。 エピソードの出典: この話は、歴史や昭和天皇に関する書籍、伝記、あるいは当時の新聞記事や博物館関係者の証言に基づくものと考えられますが、具体的な一次資料(例: 当日の新聞記事や公式記録)は今回の検索結果や一般に公開されている情報では確認できませんでした。ただし、昭和天皇の行幸に関する逸話は『昭和天皇実録』や当時の報道、関係者の回想録などで記録されることがあり、このエピソードもそのような文脈で語り継がれている可能性があります。
エピソードの意義と解釈 昭和天皇の人間性: 昭和天皇は公の場では慎み深い態度で知られ、記者団を直接叱るような場面は珍しい。このエピソードは、昭和天皇が文化財への深い敬意と真剣な姿勢を持っていたことを示すとともに、フラッシュの反射という実際的な問題に対して率直に反応した人間的な一面を垣間見せ��す。 文化財保護の意識: 金錯銘鉄剣は、腐食防止のため窒素ガスを封入した特殊なガラスケースに展示されており()、フラッシュ撮影が文化財に与える影響(例: 光による劣化)も現代では問題視されます。昭和天皇の発言は、直接的には視界の問題への反応ですが、間接的に文化財保護の重要性を示唆しているとも解釈できます。 当時の報道環境: 1983年当時、フラッシュ撮影は報道写真の常套手段であり、記者団が一斉にフラッシュを焚くことは珍しくなかった。しかし、ガラスケースの反射は予測可能な問題であり、記者団の準備不足や配慮の欠如がこの状況を引き起こした可能性があります。
関連する歴史的・文化的背景 金錯銘鉄剣の重要性: 鉄剣の銘文には「辛亥年」(471年とされる)や「獲加多支鹵大王」(雄略天皇と推定)が記されており、古代日本の王権や政治体制を研究する上で一級資料です()。昭和天皇がこの鉄剣に強い関心を示したのは、皇室と日本の古代史の繋がりを意識していた可能性があります。 博物館の状況: 埼玉県立さきたま史跡の博物館は、1969年の開館以来、埼玉古墳群の出土品を展示する中心施設であり、1983年当時は金錯銘鉄剣が国宝指定される直前の時期で注目度が高かった()。行幸は、このタイミングでの文化財の価値を広く知らしめる機会でもあった。 行幸の公開性: 昭和天皇の行幸は公的な行事であり、記者団の同行は一般的だった。フラッシュ撮影のエピソードは、メディアの存在が天皇の行動に影響を与える場面を示しており、当時の報道と皇室の関係性を反映しています。
情報の限界と注意点 一次資料の不足: ご質問のエピソードは広く知られた逸話ですが、具体的な日付(1983年5月の何日か)や詳細な状況(例: 記者団の人数、発言の正確な文言)が記載された公式記録や当時の新聞記事は、今回の検索結果では見つかりませんでした。『昭和天皇実録』(宮内庁編纂)や当時の地元紙(例: 埼玉新聞、朝日新聞さいたま総局など)に記録が残っている可能性がありますが、確認にはさらなる調査が必要です。 逸話の伝承: このようなエピソードは、口承や回想録を通じて誇張や脚色される場合があります。たとえば、「君たち、ライトをやめよ!」という発言は、昭和天皇の口調としてはやや直接的で、実際の発言が異なる表現だった可能性もあります。 現在の展示状況: なお、2025年現在、金錯銘鉄剣のオリジナルは展示ケース改修のためレプリカが展示されており()、当時の展示環境(窒素ガス封入ケースなど)とは異なる可能性があります。
補足:関連する可能性のある情報 当時の報道機関: 検索結果によると、埼玉県立さきたま史跡の博物館に関連する報道機関として、朝日新聞、埼玉新聞、産経新聞、毎日新聞、読売新聞などが挙げられています()。これらの新聞の1983年5月の記事を調査すれば、エピソードの裏付けや詳細が得られる可能性があります。 類似の逸話: 昭和天皇は他の行幸でも文化財や自然に対する強い関心を示し、メディアや周囲の行動に対して率直な発言をした記録がいくつか存在します(例: 博物館や史跡訪問時の発言)。このエピソードもその一環として語り継がれていると考えられます。
結論 1983年5月の昭和天皇の埼玉県立さきたま史跡の博物館への行幸における「君たち、ライトをやめよ!」のエピソードは、昭和天皇の金錯銘鉄剣への深い関心と、記者団のフラッシュ撮影によるガラスケースの反射に対する率直な反応を示す逸話です。この出来事は、昭和天皇の文化財への敬意や人間的な一面を象徴するものとして知られていますが、具体的な一次資料や詳細な記録は限られており、伝承の要素を含む可能性があります。金錯銘鉄剣が国宝指定直前の注目を集めていた時期に行われた行幸であったため、このエピソードは当時の文化財保護や皇室の公的活動の文脈でも意義深いものです。
もしさらに詳細な調査(例: 『昭和天皇実録』の確認や1983年5月の新聞記事の検索)が必要な場合、または特定の側面(例: 昭和天皇の他の文化財関連の逸話、金錯銘鉄剣の歴史的背景)に焦点を当てたい場合は、お知らせください!また、関連する書籍や資料の参照も可能です。
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ベッドの隣の小さな机に置かれた皮がきれいに剥かれてカットされたリンゴに目をやる。そしてそれはリンゴではなく、中身がオレンジ色の果物「マイナ」だという知識を、脳の記憶から引き出した。
「どうだ?まだ痛そう?���傷はだいぶ治ったみたいだけど」 さらに隣の椅子に座っている男はこの体の元主の兄貴であることを認識した。確か名前は、ベルクと言う。 「そう、だな。まだちょっとめまいが……」 「そうかー、んじゃゆっくり休んでて、今日の当番も代わっておくよ」 「うん、ありがとっ」
ベルクが少し怪訝そうな表情を浮かべつつも話しかけてくることはなく、ほどかれた包帯と軟膏が入った壺を持って出入り口から出て行った。 今の返事がまずかったか。でも、仕方ない。いきなり自分の家族だと認識せざるを得なくなった赤の他人と自然に交流しろだなんて、土台無理な話だ。
もう一度、隣のマイナに視線を移す。 「こんなスタートで大丈夫かいな……」
微かな果物と薬草とカビが混じり合った匂いにくすぐられ、ちくちくした布団に身を沈めながら先日女神との会話を思い出していく。
* * *
「なーにが世界救えだ、漫画の読みすぎだろ。いきなり言われてはいそうしますっつ人いるもんか」 「マンガ? それはアナタのほうだろう? 実際、私のお願いにアナタの心はわずかだが興味を示している」 「待て待てっ、やっぱお前俺の心読めてたろ! なんなんだよ!」
彼女の願い――共に星を救うことをきっぱり断ったが、願い自体に興味が湧いてしまったのも事実だ。 古今東西の冒険譚、英雄伝説、あるいはファンタジーもの全般、そういうおおよそ現代社会の歯車として生きてきた人間にはもっとも無縁な世界を、空想の物語に綴られたメディアの数々摂取することで俺はかろうじてあの潤いのない生活を凌いでいけた。それなのに、 もう火傷の痛みどころか、感覚すらない手を握ってみては放す。何かが手からこぼしていって消えていくような、そんな錯覚に陥る。
「興味イコール受け入れたいってわけじゃないんだよ」 「ふーん、それだけじゃないみたいだ。もっと別の何か……」 「あのさぁ、本人の前で心を分析しないでくれる?」 どうにも覗かれてるみたいで気分が悪い。 「では直接に聞こう、なぜ断った」そんなどんよりしている俺をよそに創造主と自称する女神が話しかけてくる。 「自称とはなんだ、事実だが」 「いやだ・か・ら! 心読めるなって! まあその、事情だけはまず聞いておくから、アンタの星に何が起こってるのか」 「そうだな、私が焦ってた。では、聞いてちょうだい」
女神の言葉と共に星を映った画面がズームインされ、とある小さな町が映された。 その中に人々はある建物を修繕するため道具や材料を運んでいる。木材は一つ一つ、高く組まれた丸太足場に運ばれていく。それらは――宙に浮かんでいた。
「なにあれ、魔法?!」完全にファンタジー物語でしか見れない風景を前にして俺はつい大声を出して飛び上がってしまう。 「風の元素を操ってモノを運べてるのだ。次にこれを」
視線の先にまた場所が変わっていた。黄金色の稲田の中から黒い塊たちが覗かせて蠢いている。 人、にしては細すぎる肢体をくねらせ、頭と思わしき部位から触手らしきものを伸ばせ、何かに群れてむさぶり喰っているようだ。ただ、生き物の動きにしてはどこか不自然で、操り人形がぎこちなく動かされている、と言ったほうがまだ近い。 加えてその異様な光景が稲田に現れてることから、まるで都市伝説の『クネクネ』を目撃してしまったような、そんな怪談読後の嫌な寒気が背筋を這い上がる。
「奴らは『|瘧魔《デーネー》』と呼ばれている」女神は魔物に指さしてその名を告げる。魔法がある以上こんな厄介な空想生物みたいのも付きものだと、ノンフィクションを多読している俺にそういった認識があった。 ただ、おそらく目の前は現実だ。
「えっと、もっと画面近くまで映せないのか?」 「できるけど、人間から曰く、かなり気持ち悪いらしいぞ?」 「そ、そっか、じゃやめておこう」 「|瘧魔《デーネー》とは、元素の突然変異によって生じたモノだ」 「変異?」女神は怪物を注視しながらその成因を説明するが、それが何だか引っかかって俺は眉をひそめる。
「人間が過度に自然の元素操作を行うとその濃度の均衡が崩れて歪んでしまう。異変した元素の果てに、|瘧魔《デーネー》が顕現するのだ」 「えっ」
それはつまり、魔物の誕生に人間が関与しているとでも言っているのか?
俺はその事実に呆気を取られる間にも女神は淡々と話を続けていく。その声調のあまりの無機質さはどこか残酷で、しかし裏側には諦観か、あるいは何か途方もない感情を押し殺しているかのように感じ取っていた。
「人間社会が発展していくにつれ、元素の濫用も起きるようになり、国まで発展した頃から均衡の崩壊、すなわち|瘧魔《デーネー》の横行が顕著になっている」 状況を説明している女神はここで一旦止まり、俺が異状に気づいたのを見抜いたように俺の目を見据える。
「ま、待ってよ、みんな使ってるんじゃ、やつは次々と生まれてくるのではっ、それも人が多ければ多いほど、こんな、めちゃくちゃじゃないか!」 「そうだ、まさにメチャクチャだ」 女神は罪の意識にでも苛まれるかのように物憂げな表情でうつむいた。
「……ヴァーレナは私が初めて創った星だ。経験もないゆえにこんなにも不安定な形になっている」 「そ���でも進化の壁に突き当たったと、割り切れてるつもりだ。仮に人間がこうやって滅亡していくとしてもな」 そう言いさしたところで女神は顔を上げて表情を怒りへ一変させる。
「だが、コイツは違う」
稲田から瞬時に荒々しい大地へと切り替わり、そこに巨大なカルデラが姿を現した。中に見えるはずの清澄の湖の面影がなく、かわりにどす黒い泥が窪地を充満している。
「おおよそ三年前、極度に変異したモノを観測した。ヴァーレナでもっとも繁栄した国を滅国まで蹂躙し、周辺の軍隊と激闘の末負傷、ここまで逃げられたのだ。人呼んで『|瘧魔の王《デネーシー》』」
滅国、だと? 大きな国一つが犠牲されても倒せないものなら、いずれやつが再起したら、どうなる? 口の中に苦味が広がる気がした。 俺はその恐ろしいほどにさざ波ひとつなく、靜寂に包まれる黒泥から目を背ける。
「星を救うなんて柄じゃねえ、この世界でのうのうと生きてもいいぜ、なんて、思ったけどな」 「そうともいられないのが現状だよ」 「コイツは看過するにはあまりにも異質な存在だ。何としても排除したい」
ここまで聞いて大抵の流れは把握した。俺が読者だったら、願いを了承した勇者のこれからのご活躍を楽しみに次のページをめぐればいい。 ただあいにく、というより最悪なことに願いを聞かれた対象は俺という一般人だ。
「それで、俺とアンタ二人でこのデネー何とかを倒せと? アンタの無敵の加護とやらでか?」 「いいえ、私は基本自分の星に干涉はできない、それこそもっともの均衡崩壊になりかねないから。よって君に私の力を渡すことも憚れる」 「おいおいじゃどうしろってんだよ」
「一つ|瘧魔の王《デネーシー》を討伐する遠征隊が結成されてる。私の見込みだとこの集団の討伐成功率は最も高い。君という保険も入ってもらってその行方を私の指示の元導いてもらいたい」 先導者になれってことか? お供の間違いじゃなくて? 俺は冒険隊の後ろにのこのこと歩く歩荷のイメージを浮かべる。
「そう簡単にいくもんかね……、まあ、どんな人たちだ?」 「紹介しよう」
カルデラを移された画面はとある場所の廊下に変えていく、目の前のドアの隙間から何やら湯気が漏れてるような……
「ストップ――ッ! いったん止まれ!!」 「あ?」 女神は不可解に首を傾げるが画面の進行は止まれない。とうとう木製の浴槽に浸かってる人影が目に入ってしまう前に俺は急いで背を向けた。 「なに人が風呂入ってるとこ見せるんだよ!? プライバシーの侵害だぞ!」 「何だそれ、私が私の創ったモノをどう見せるかに何か問題でも?」
ダメだこいつ。
「いやいや��仮にも生身の人間だ、それを自分のモノだなんてっ」 「ふん、理解不能だ。何をそんなに遠慮する必要がある?」
どっと疲れた。これが人と神の価値観の違いか? 普通の会話もままならないとは。 俺は先が思いやられそうな予感に頭を抱える。
「とにかく、写真だけでもいいか���」 「シャシン?」 「ええっ、知らないの? えっと、顔だけ見せてくれれば」
女神は俺を一瞥して、めんどくさそうに画面を切り替える。すると一人若い女性の顔が映された。ただ視界の至るところ半分のうちが投影された画面なので、当然顔だけを映されることはなく、不意に下に見ると女性の湯船に浸かってるうっすらと浮かぶ肌が、
アウト!!!!
「うおおおおぉ! もういい! 見せなくていいから!!」 「チッ」 字面通り頭を抱えて膝をつきながら叫んだ俺に女神がまたしも舌打ちをして画面を真っ暗にした。これで二度目だがめんどくさいと思われてるに違いないな。
「まったく面倒くさいぞキミは」 「……」 もうさっさと会話を切り上げてしまいたいという切実な願望を堪えて俺は要点を伝える。
「とりあえず、話は一旦ここまでにして、その依頼を受けるかどうかは後から決めてもいいか?」 「ここまで聞いておいてまだ躊躇するのか? 今すぐ答えを出してもらいたいんだが」 「それは、悪い。けど何もかも一筋にはいかないんだよアンタの願いは」
俺はあくまで一般人だ。そんな前からまだパソコンと睨めっこしていた人間にいきなり魔王に直面して倒せなんて、簡単に快諾する人はいないだろう。というより、やっぱり断るべきか。怖いし。
「……キミは拒否を選ぶならキミを元の場所へ帰すことはまだできるが、どうする?」 「えっ?!」まさかの第三選択肢を聞かれて思わず面食らう。 地球に帰ることもできるってことか? でも、 「この前ほぼ死んでるって言ったよな? それって、実際はまだ生きてるの? 地球の俺」 「しばし待て、状態を見せてくれるよう地球の主に要請する」
女神は話を中断してすっと沈黙になる。よく見ると目から光の束みたいなものが奔っているような、構造が光ファイバか? それにしても、地球の創造主っていうの、すごい気になるけど。
「繋げた」女神はそう言うと空間が再び映像を出現させた。
そこには白くて無機質な病室が現れた。複雑そうな設備がいくつも置かれており、治療用のベッドの周りには電線や管状のものが伸びて、それぞれが設備に繋がっている。
――ああ、察しはついたはずだ、こうなることを。
ベッドの上に、有機体であろうモノが横たわっていた。 ソレの頭から足の先まで分厚い包帯で覆われている。かろうじて覗く目の口の周りの皮膚になるべく直視しないようにして、口から人工呼吸器らしき機械に繋がっている太い管に目をやった。胸のあたりが機械のリズムに合わせてかすかに上下している。
目を瞑らずにはいられない。目の前の凄惨な現実をこうもあっさりと見せつけられて、どうしようもない無力さばかりが思い募る。
ふと、いらぬ考えが頭をよぎってしまう。 ひょっとしたら、アイツは、見舞いに来たり、するんだろうか。
「廊下か、誰かが待っているような場所に移動できないか?」 地球の創造主は応じたのか、ふわりと場所が変わった。簡素なソファがいくつか並び、休憩室のような空間が見えた。そこに、見慣れた人影がいた。
彼女たちは、近くに住んでる鈴木さん親子だ。俺の容態はもう見てたのだろう、どっちも沈痛な面持ちをしている。あの時以来よくお世話してもらってる親切な隣人だ。自分のあんな様子を、二人には見せたくなかったんだが。
「会話を、聞きたいけど」 俺がそう伝えると、これまで無声だった映像から二人の会話が妙にクリアに聞こえてくる。
「もう一度、話しに行こうよ!」 「隣で聞いてたでしょ。あんな態度じゃ、もう聞き入れてもらえると思わないわ」 「いや、だって、おかしいでしょ! 見舞いは家族の義務なんだぞ!? あの野郎、浅かっただし歩けてた! なのに、なんで私たちに代われなんてっ」 「瑛子……私、|光《アキラ》さんに会えて良かったと思ってるのよ」 「それは、私だってっ、でもそれとこれは! ぐずっ、この、ド畜生っ! さっさと捕まってればっ」
ゴウォォ。 目の前に炎が燃え上がるように真っ赤に染まった。
「瑛子、やめなさい。夜にもう一回面会できるから、私たちで見に行こう? 光さんは深く眠ってるって、先生が言ってたのよ……分かるでしょ?」 「もういい」 今ので充分に分かった。 「キミの判断の実情についてだが、」 「もうどうでもいいんだ、どっちにしろ禄ではないさ」
思い上がりも甚だしい、無関心ですらなかった。そう受けてしまえば案外身軽になるもんだな。 |死に損ない《アイツ》は最後まで憎悪で己の子を焼き尽くそうとした。それがすべてだろ。ならば、これ以上誘蛾灯に飛び込む愚かな羽虫でいるなど、やめるまでだ。
「アンタの願いを受けよう」 ああ、やってやるよ。やればいいだろ。 耳元で炎が吹き荒ぶ音がまだ止まない。心の中で渦巻いていた感情すべてが黒いカスへ燃え尽くされていく気がした。
「……助かる、アキラ」女神は何か言いたげだが、口にはせず目を元に戻した。 「今の俺はもうアキラじゃない、だろう?」
自分の名前にもう価値を感じないのか、それとも、嫌な記憶ごと封じ込めたいのか、女神にそう呼ばれることに拒否感が湧きあがった。
「そうだな。タルク、それが私が選んだ人間の名だ。今後はキミにタルクと呼ばせてもらおう」 「うん、それでいい。と���あえず、一度はアンタの星に行かせてくれ」 「そのつもりだ、キミは先ほど果物にぶつかられて気絶していた。しばらくは休むといい」 「ははっ、あれか。また死ぬかと思った」 「キミが私に会えるのは失神か睡眠中の時だけなわけだから、回復した時にまた夜に会おう。説明は追々伝える」
女神が話を終えると同時に視界が緩やかにぼやけていく。 次に起きたら新しい人生か? 俺はそのことに一切抵抗なくそのまま誘う深い暗闇に意識を任せた。
本当は、このまま起きなくても構わないと思うのだった。
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2025年度 新入社員研修 4/1〜18
‐2025年4月1日 入社式🌸‐
コトブキテクレックス株式会社は、新入社員4名を迎え、4/1〜18 3週間、「2025年度新入社研修」を行いました。初日は、千葉工場社員の前で入社式を行い、オリエンテーションや社長講話等を実施し、新入社員としての第一歩を踏み出しました。

*入社式
ひとことコメント-------------------------
新入社員4名、とても緊張していました!

*コトブキ稲荷と桜の前で
ひとことコメント-------------------------
この日は桜が綺麗に咲き、記念の一枚となりました。
‐新入社研修スタート!‐
2日目以降、外部ビジネスマナー研修、社内セミナー、各部署の説明、安全教育、工場見学等を通して、コトブキの使命・存在意義~業務内容、注意点、マナー等への理解を深めていきました。また、今年は去年よりも多くのユーザー様及び、サプライヤー様を訪問し、自社の担う役割や貢献について認識を深めました。

*各部署による業務説明と安全教育
ひとことコメント-------------------------
各部署について先輩各位の方々が丁寧に説明して下さり、学びを深めていくことが出来ました。また安全教育も行われ、業務での注意すべき点について考える、個人ワークも行いました。


*味の素川崎工場殿 見学&安全意識向上セミナー
ひとことコメント-------------------------
この日はコトブキの創業の地でもある味の素川崎工場に行きました。
初めに行った、VRを使用した事故体験はとても貴重な経験となり、安全意識がさらに高まりました。
続いての工場見学では、車に乗って案内をしていただき、CookDo工場の前を通った時には回鍋肉と白いご飯が無性に食べたくなりました。
アジパンダは残念ながらお休みのようで会えませんでした。



*日本製鉄君津工場殿 工場見学
ひとことコメント-------------------------
熱延工場での見学は、熱した鉄の熱さが伝わり、大迫力でした!
原料に触れたり、鉄が加工されていく音や様子など、五感で体感しながら、学びを深められた工場見学となりました。

*キリンビール横浜工場殿 工場見学
ひとことコメント-------------------------
工場見学ではビールができる工程を楽しく学べました。
最後は出来立てのビールが飲めるのですが、仕事中ということで残念ながら飲めませんでした。
しかし、コトブキのタンクで作ったビールは格別です!



*花王川崎工場殿 工場見学
ひとことコメント-------------------------
工場内を見学していると、タンクから洗剤の良い香りがしました。
やはり洗剤はアタックです!


*藤田金属殿 工場見学
ひとことコメント-------------------------
初めて見たレーザー加工の技術力に新入社員はとても注目していました!
他にも水プラズマ等の加工機械が沢山あり、中々見られない加工場面を沢山見せていただきました!


*北海鉄工所殿 工場見学
ひとことコメント-------------------------
プレスを使用した大きい鏡板加工が見られ、とても迫力がありました!
自社で使用する鏡板のサプライヤー様ですが、クラフトビール業界ではライバルです!

*品川鍛造所殿 工場見学
ひとことコメント-------------------------
工場では鍛造工程を見学させていただき、工場内の熱気に圧倒されました!
とても丁寧に製造工程を説明してくださり、鍛造についての学びを深めていくことができました!
‐研修成果発表‐
これまで学んできた研修成果として、「新入社員研修で学んだことを後輩に伝える」という課題に対し、自らテーマを考え、研修成果発表会も行いました。




*研修成果発表会
ひとことコメント-------------------------
皆、手や足が震えていて緊張MAXの発表会でしたが、それぞれアドバイスを頂き
学びある時間となりました。
‐レクリエーション!‐
またレクリエーションとして、竹の子狩りやBBQ懇親会も行いました。

*竹の子狩り
ひとことコメント-------------------------
皆で協力して竹の子を掘り、10個以上収穫することが出来ました!
収穫した竹の子はBBQでホイル焼きにし、皆様に召し上がっていただきました!

*BBQ懇親会
ひとことコメント-------------------------
千葉工場の皆さんと、楽しく食事をすることができました!
先輩各位の方々が焼いてくださったお肉はシェフ顔負けの味でした!
やはりガスバーナーや溶接を行う方々は火の匠です。

‐新入社研修、総決算‐
研修最後は、鍛錬行事として富津岬からコトブキテクレックス千葉工場までの約30kmのウォーキングを行いました!今年は暑さもあり、険しい道のりとなりましたが、改めて先輩や同期との絆を深め合うことができました。ゴールでは社員の方々の温かい出迎えを迎えて、約3週間の新入社員研修は終了しました。




*ウォーキング
ひとことコメント-------------------------
ゴール時は足が限界を迎え、新入社員は疲れ切っていましたが、ウォーキング中、先輩方が終始笑顔で励まして下さり、乗り切ることができました!コトブキの研修を甘く見ておりました、、、。
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▶Is it safe to remove it? Thorough explanation of the shrine of used houses.

▶Is it safe to remove it? Thorough explanation of the shrine of used houses. @aoisouken_official ←Click here for other useful housing information! If you find a shrine from a used house, you may be wondering whether you can remove it without permission.
In this issue, we will provide information on whether or not it is acceptable to remove a shrine from a used house!
We hope you will find this information useful for your home building Please take a look at it as a reference ✨.
What is a shrine? Its role and origin A shrine is a small shrine that enshrines a deity that protects the house and grounds, and is also called a yashikigami. It is also called Yashikigami. Familiarly known as Inari-san, gods of food and good harvest are enshrined, and these gods have been worshipped for the prosperity and safety of the house.
Existence of a shrine and the response by the counterparty to the transaction When a shrine remains in a used property, in a property purchased from a real estate agent the vendor usually removes it. On the other hand, if the shrine is sold between individuals or When it is received from a relative, the shrine is often left as it is, and you may be at a loss for how to deal with it.
Handling of Shrines
Administrative Opinions on the Handling of Shrines Administrative views on the handling of shrines vary from region to region. In Miyagi Prefecture, however, it is basically left to the discretion of the owner, However, if the shrine is managed by the community, care must be taken when removing or relocating it.
Specific measures for shrines (1) Clean the shrine regularly, make offerings, and enshrine it as a guardian deity of the house. 2) Consult with the Shinto priest and relocate the shrine to another location on the premises or elsewhere. (3) Ask the Shinto priest to remove the core (soul) and dispose of it.
Points to note when purchasing a property with a shrine If you are concerned about the presence of a shrine, inspect the property thoroughly before purchasing it and confirm whether or not it exists, Confirm the presence or absence of a shrine. This is especially important for older properties, which are often overlooked. It is necessary to pay attention to it because it may be overlooked, especially in older properties.
Summary A shrine is a place where the god who protects the house dwells. When enshrining it as it is, or when removing or relocating it It is important to handle them with care whether they are to be enshrined as they are or to be removed or relocated. Aim to create a comfortable home while respecting traditional Japanese culture.
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▶撤去しても大丈夫?中古住宅の祠を徹底解説 @aoisouken_official ←その他の役立つ住宅情報はこちら! 中古物件から祠が見つかった場合、勝手に撤去してもいいのか不安に思う方もいるでしょう。
今回は、中古住宅の祠の撤去の可否の情報をお届けします!
ぜひ皆様の家づくりの 参考にしてみてください✨ 1.祠とは何か?その役割と由来 祠(ほこら)は、家や敷地を守る神様を祀る小さな社で、屋敷神とも 呼ばれます。お稲荷さんとして親しまれ、食物や豊作の神様が祀られています、これらの神様は、家の繁栄や安全を願って祀られてきました。 2.祠の存在と取引相手による対応の違い 中古物件に祠が残っている場合、不動産業者から購入した物件では 、通常業者が撤去を行います。一方、個人間の売買や親族から譲り 受けた場合、祠がそのまま残されていることが多く、対応に迷うことが あります。 3.祠の取り扱いに関する行政の見解 祠の取り扱いについて、行政の見解は地域によって異なります。 宮城県では、基本的に所有者の判断にゆだねられていますが、 地域で管理されている祠の場合、撤去や移設には注意が必要です。 4.祠の具体的���対処法 ①定期的に掃除やお供えをし、家の守り神として祀る ②神主さんに相談し、敷地内の別の場所や他所へ移設する。 ③神主さんに芯抜き(魂抜き)を依頼し、処分する。 5.祠のある物件購入時の注意点 祠の存在が気になる場合、物件購入前にしっかりと下見を行い、 祠の有無を確認しましょう。特に古い物件では、見落としがちな 場合もあるため注意が必要です。 6.まとめ 祠は家を守る神様が宿る場所です。そのままお祀りする場合も 撤去や移設をする場合も、丁寧に扱うことが大切です。 日本の伝統文化を尊重しつつ、快適な住まいづくりを目指しましょう。
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翌日、信也は午前八時に起きた。神輿の宮出しは大抵五時半頃で、恐らく浅草界隈は賑やかだろうなと思った。
結局、裕美は昨夜は帰って来ず、今朝になってラインが来て、仕事場の方で寝ていると入ってきた。香織や大輔も一緒らしく、何処まで飲み歩いていたのかと、信也は内心呆れていた。二十代前半でありながら、二人の中年女の面倒をみている大輔もスゴいなとも思った。
朝食を摂り、シャワーを浴び、腰にバスタオルを巻いて寝室の姿見の前に立つと、信也は着物ハンガーから浴衣を取った。まずはVネックのシャツを着て、それから通販で買った赤い「豆しぼり」の六尺褌を締め始めた。股間に褌の布地を当て、それから腰の部分からねじっていく。一周巻いたら今度は反対側をねじり、腰のあたりで解けない様に締めた。グッと尻の谷間に食い込み、信也は言葉で言い表しにくい感覚に襲われた。
姿見には、最近減量の為に入谷の方までジョギングをしていたからか、若干引っ込んだ腹に六尺褌の豆しぼりが冴える。このヴィジュアルにゲイは「萌える」のかと、信也は思った。トランクスからブリーフに替えてから、彼は所謂「ビキニライン」に生える陰毛を整える様になった。たまにハミ出ているとカッコ悪く感じた。最近は尻の谷間に生える体毛も気にし始めた。自分の外見を気にかけることは愛することにも通ずるのだなと、彼は悟る様になっていた。
信也はズボン下を穿き、浴衣を着付けた。帯は「貝の口」に締めたが、何故か一度で決まった。これでいつ脱ぐことになっても戸惑うことはあるまいと、彼は安堵した。
合財袋を片手に取り、出掛けようとした時、ラインの着信音が聞こえた。携帯を出し確認すると、憲一からだった。玄関のドアを施錠しながら読んだが、
『おはよう。元気? しばらく音沙汰なしだったから淋しかったよォ〜! 今、浅草寺の境内にいるけど、超混雑してて大変! 今、相方待ちだから片手に缶チューハイ持ってマス。早く来て、待ってるわ 』
と文末にはハートマークが付いていた。「音沙汰なし」といっても一昨日、六尺褌が届いたのを写メ付きで送信したばかりだが…。余程、思いが募っているのだろう。彼は、恐らく地下鉄は入口が混み合うだろうと、大した距離でもないので徒歩で浅草へ向かった。
国際通りに出ると、すでに神輿を担ぐ男衆やお囃子を披露する女性や子どもがあちこちに見られた。外国人観光客も、日本独特の文化の一つである祭りに皆関心を持ち、携帯電話で写真や動画を撮っていた。この雰囲気が信也は好きだった。彼が今の稲荷町にマンションを買ったのも、それが理由だった。彼も複合ビル「R」の周辺を散策しつつ、伝法院通りを仲見世方面に歩いて行った。
インバウンドの影響か、伝法院通りも食べ歩きができる飲食店が増え、特定のところでは行列ができるほど繁盛している。一方、ビルの老朽化で昔ながらの喫茶店が一時閉店するなど、変化もみられる。たまにコーヒーを飲みに行っていた「R珈琲店」も、建て替えの為にビルが取り壊されていた。信也は多少淋しさを感じながら、ようやく浅草寺の境内にたどり着いた。早くも神輿を担ぐ男衆や女性の声があちこちで聞こえ、勢いがあった。観光客は一斉に携帯電話を向け、その一部始終を撮影していた。信也は浅草寺の中に入り、まずは浅草観音に日頃の安寧に対し感謝する為、人混みで賽銭を投げる様に入れ、合掌した。お詣りが終わると、彼は浅草神社の方へ行こうと東門に向かった。階段を下りようとしたその時、浴衣姿の男に声をかけられた。憲一だった。彼は、白地に紺色の吉原つなぎをあしらった浴衣を着ていた。なかなか似合っている。
「信ちゃん! 会いたかったァ〜!」
と彼は喜んだ。なかなか男前である。二人は階段を下り、浅草神社へ歩いて行った。
浅草神社は、境内の右側に「一ノ宮」「二ノ宮」「三ノ宮」の神輿が収められているのが、この日は浅草界隈を担がされているので何もなかった。三社様にお詣りをすると二人は藤棚の方へ向かい、空いているベンチに並んで座った。憲一は微かに浴衣の裾をめくってみせた。ズボン下は穿いておらず、真っ白な六尺褌だけが覗く。信也は、
「何も穿かないと裾さばき、悪くないの?」
と聞いた。すると、
「ズボン下なんて穿けないよ〜。こっちの方がエッチでしょ?」
と憲一は言った。三社祭と隅田川花火大会の時しか浴衣は着ないが、ズボン下や肌着は身に付けないとの事。どうせゲイバーのパーティーでは脱ぐんだからと、あっけらかんとしていた。
信也は、憲一の浴衣から覗かせた六尺褌に生唾を飲み、下半身が熱くなるのを感じた。合財袋をのせた股間あたりが隆起し、内腿を力ませた。嗚呼、オレもすっかり「ゲイ」の一人になってしまったと、彼は思いがけない「チラリズム」に興奮してしまった。
憲一は、もう少しで相方が来ると言った。藤棚の下は、巷の食べ歩きの飲食店で買ったのか、観光客がペットボトルのお茶を片手に飲み食いしていた。イチゴの甘く、また台湾風唐揚げの香ばしい、色んな匂いが漂っている。この匂いだけで信也はお腹いっぱいになった。一方、憲一は相方にラインを入れているのか携帯電話の方に目を向けていた。数分後、浅草寺の方から紺色の小千谷縮の単衣を着た男が憲一に手を振って向かってきた。信也はどこかで会ったことがあるなと思ったが、なんと真純だったのだ。真純は信也を見るや、
「嘘ッ、憲ちゃんの知り合いって信ちゃんなの!?」
と驚きの表情を見せた。憲一は、
「えッ、知り合い?」
と聞いた。
まさか、出逢った場所は違えど肉体同士の交流だけでこんなかたちでめぐり逢うとは、信也は「現実は小説より奇なり」と思った。三人は仲見世やその他の界隈を練り歩く神輿を見物しては、憲一と真純は恰幅のよい男衆をさりげなく携帯電話で撮影した。そんな二人に対し、
「それって『盗撮』じゃ…」
と思った。半纏の裾から覗く尻とその谷間に食い込む六尺褌、その褌の柄も多種多様だった。また、神輿を担ぐ合間に談笑する彼らが無防御に内腿を開き、褌だけで隠した股間も、二人には堪らなかった。嗚呼、ゲイがこの時期になると全国各地から集まってくる理由が、これなンだなと信也は思った。
こうして「目の保養」を飽くほど満喫した二人は、
「さて、飲みに行きますか!」
と雷門を抜け、Kバーへ向かって行った。
Kバーは、昼時でもあり満席だったが流石に三人は常連客だったからか、すぐに空いている席を見つけ、食券を買い求めた。デンキブランをカラフェで注文し、賑やかに乾杯した。真純は、何気に信也の太腿に触れ、
「信ちゃん、浴衣似合うね!」
と上機嫌だった。真純の長襦袢から時折、うっすらと胸毛が覗いた。襟止めは使っていないらしかった。やっぱり誂えだろうか? 信也は密かにそう思った。テーブルには、もつ煮込みやミックスピザなどが並んだ。憲一は二杯目からは日本酒を頼み、真純も信也もグラスを傾けた。
店内に六尺褌の男衆も数人来店し始めた。一人、奥さんと思しき女性を連れた中年の男もおり、流石に直接生尻のまま椅子に座るのは憚れると思ったのか手拭いを敷き、腰を下ろした。そんな思慮のある男の様子に憲一は感動し、
「あんなジェントルな男(ひと)と一緒だった���、惚れっちゃうなァ〜」
と言った。真純も、
「まァ、たまにドカッと座る男(ひと)もいるけど、ちょっと幻滅だよね〜」
と共感した。このやり取りに、信也はただベッドの中で戯れればイイ訳ではないンだなァと、二人の共通した意外性を見出した。
そのまま三人は「ホッピー通り」に繰り出した。真純は途中、ショウウィンドウの前で襟の開いた襦袢や長着を整えた。その様子が何気に、信也にはカッコよく思えた。一方、憲一は酔いが回っているのか信也に必要以上に絡み、浴衣の襟も乱れていた。それを見ると真純がさりげなく直し、
「ほらッ、ダメよ! きちんと着こなせてこそ、和装は素敵なのよ!」
と何故か女言葉だった。
こうして三人はホッピー通りでも三軒をはしごし、憲一は呂律が回っていなかった。意外と酒は弱いらしい。一方、真純は主にレモンサワーやウーロンハイなど、アルコール度数が弱いものに途中で切り替えていた。それでも女言葉が直ることはなかった。彼は、
「いッつもそうなの! 憲ちゃん、酒弱いのに場の雰囲気でグイグイ飲んで『へべるけ』になっちゃうのよォ〜。これから『Z』でパーティーなのにどうするンだろ!?」
と言い放った。
信也は、元々酒に飲まれない性質だったので、平然としていた。途中、六区ブロードウェイから外に出たところにあるコンビニでペットボトルの水を買い、憲一に勧めた。三人はそのままゲイバー『Z』を目指した。
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2024年の振り返り
1映画を40本みる(1ヶ月3-4本)。映画館にもなるべく多く足を運びたい。
→27本。去年から13本減。サブスクを見るのは減っちゃったけど、映画館には結構行けた気がする。
2本を40冊読む(1ヶ月3-4本)。好きな作家を見つけたい。
→ちょうど40冊!三宅さん、稲田さん、島本さん、瀬尾さんなど、新しい作家さんにも出会えた1年。
3海外・国内旅行に何回か行く。行ったことないところにも行ってみたい。長期休みを取得して遠くに行ってみたい。
→伊香保、静岡、台湾、小樽行けた。来年はもっといけるといいなー。
4資格を取る
→FP3級取得!!よく勉強頑張った。この先役に立ちそうな知識もあってよかった。来年以降資格を取るかはわからないけど、勉強は続けていきたいなと思った!
5引き続きメンタルを強く持つ。自分のイライラを低減させる方法を見つける。
→辛いことはたくさんあった。イライラはしたけどいつか治るってわかってた気がする。果たしてこの辛いことを続ける必要ってあるんだろうか、逃げてもいいんじゃないか。
6平均歩数8,500歩達成する。ランニングの回数を増やして体力つける。
→8728!達成。
7競馬回収率149%以上。好きな騎手をもっと見つけたい。できれば競馬お友達もほしい、、、
→119%
8競馬場に行く。行ったことない競馬場にも行ってみたい。
→念願の札幌競馬場に行けてとっても嬉しかった。東京のと全然違くてそれもまたたのしめた。また行きたいし、ほかにも行ったことない競馬場を攻めたい。
9また馬に乗る。
→伊香保、鶴見、馬事公苑で乗れた!思いがけずたくさん乗れて嬉しい、、、
10フェス・ライブに行く
→5月ワンオク、8月ロッキン、9月サザン、11月尾崎ニシダラジオ、15周年。来年はツアーもりもり!ビアリーのライブも行ってみたい。
11返事を早く返す。端的に分かりやすく話せるように。使える語彙力を増やす。
→なるべく早く返しているものの、まだまだ足りず。
12人をもっと誘えるようになる。
→誘ってるような気もする!引き続き、やろう。
13有給をもっと使う。残22日よりも少なくできるようにするのが目標。
→20日。思ったよりも消化するの大変。ただ、入社して初めて平日に2連休をとってみた。取れた自分にだいぶ感動している。
14社内転職
→社内転職できたけど、かなりしんどい年だった。人の故意でない悪意にどっぷり使って、どうにもできないことに何度もぶつかった。ここまでする苦労ってあんのかな。ない気がするっていう結論に至った年末。
15アウトプット出来る場を増やして、解像度UPしたアウトプットしていく
→アウトプットする場を強制的に増やすことで過去の蓄積をふりかえることができるようになった。それが意外と役に立っていて、いかに普段思ったことを忘れていってしまっているのかを身をもって知ることができた。確かに、自分が考えてきたことを振り返ることでその感情を大切にできるっていうのがよくわかってきた。
16いつも流行りを忘れない。新しいことにもチャレンジ。
→チャレンジしたこととしては、釣りが1番デカかった!急遽決まったけど、めちゃくちゃに楽しくて、もっと行ってみたいと思った!流行りのコンテンツも定期的にチェックして、いろんな発見もあった。
17いきたいところ、やりたいことのストックを絶やさないように。
→これは正直貯めれてなかった気がするから、定期的に記録に残していくことをやりたいと思う。あー、あれなんだっけーってなることが多い。
18好きなラジオを見つけて深掘り、新たなコンテンツに触れていく
→日曜天国聴き始めたり、ビアリーと出会って音楽の幅広がったり、本も読むようになったし、新たなコンテンツに触れられた年だった!
19酒をめちゃくちゃ飲む機会を増やす。
→あんまり増えない笑
20いろんな人のレコメンドを試していく
→合うもの、合わないものあるけど引き続き試していく!
21 今年も楽しかったなーって振り返れる思い出をたくさん作る
→今年は旅行は少なかったものの、いろんなところへお出かけしたり、体験したり、友達の友達に会ったりしたのがすごく楽しかった!友達に大事な人を紹介してくれるって、すごく素敵なことだし嬉しい気持ちになるんだってわかってすごくよかった。
22彼氏を作る!
→ようやく達成!
23できる限り早寝
→早寝の日もあったよ?来年は数えるか。
24 ハリーポッタースタジオツアーに行く
→いけなかった、、、来年行きたいね。
25たくさん食べれるようになりたい
→比較対象がイマイチ無いんだけど、なんかちょっとずつ食べれるようになってるような気がする?何でだろう
26皮膚科に行く
→皮膚科行った!また調子悪い時ちゃんと行こう。薬ちゃんと���ろうね。
27風邪ひかない、病気しない
→今年結構元気だった気がする。心労の負荷を考えるとだいぶ元気。やばいかも、ってなった時の対処方法がわかってきたような気がする。あとは、通勤時間の短縮がもしかしたら要因かもしれない、で、家で休息する時間が増えたり、早めに布団に入れるようになってるのかも。
2025年にやりたいこと
テーマ:「まっすぐ」
1 3月までに転職する。
2 映画を40本見る。
3 本を40冊読む、好きな作家を見つける。
4 映画と本の感想をアウトプットする、感想を書く前に人の感想を能動的にみないようにする。
5 海外・国内旅行に何回かいく。行ったことないところにもいく。長期休みを取得して遠くに行ってみたい。
6 転職活動が終わったらパーソナルジムに通ってみたい。
7 平均歩数8,500歩を達成する。定期的にランニングをして、記録につける。
8 睡眠時間を記録する。早めに寝られた日の記録をつける。
9 競馬回収率119%以上。
10 京都競馬場にいく。その他行ったことの無い競馬場に行ってみたい。
11 一人旅行or一人飲みできるようになりたい。
12 またまた馬に乗る。
13 フェス・ライブに行く。ビアリー生で見てみたい。
14 なるべく返事を早く返しつつも、あまりスマホ依存しないようにする(特にライン)
15 人をもっと誘えるようになる。
16 有給をもっと使う。残20日より少なくする。
17 エッセイを書いてみたい。
18 いつも流行りを忘れない。新しいことにもチャレンジ。
19 行きたいところ、やりたいこと、ほしいもののストックを絶やさないようにする。
20 好きなラジオを見つけて深掘り、新たなコンテンツを試していく(人に勧められたものなど)
21 楽しかったなーいい年だったな〜と思えるような年にする!
22 長期的に人生を考えられるようになりたい。人間関係とか、仕事とか、自分自身のこととか。プライベートの手帳にアウトプットすることによって、それができるようにしたい。
23 ハリーポッタースタジオツアーにいく。
24 ちょっといいものを食べる体験を増やす。
25 また皮膚科に行く。
26 風邪ひかない、病気しない。
27 与えることを惜しまない。
28 たくさんメモする。
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眷属展

龍谷ミュージアムで「眷属」展の後期展示を見る。仏教における眷属とは、仏菩薩などの主尊に付き従う尊格を指す。いわばホトケさまの従者、仏教界における脇役的存在だが、この展覧会ではその脇役が主役としてフィーチャーされている。何よりもまずその着眼点がよい。
展示は、そもそも眷属ってなに?という基本の話の第一章から始まる。インドで生まれた仏教がインドの神々を取り入れていく様子を見ることもできる。
仏教における眷属は多種多様で、第二章においては、十二神将、十六善神、十羅刹女、二十八部衆、十二天が紹介されていた。十二神将は薬師如来に仕える鬼神。十六善神は般若経の守護者。十羅刹女は法華経を守る鬼女。二十八部衆は千手観音に従う神々。十二天は仏教世界の守護神。というふうに説明を加えつつ該当する図像を展示する構成になっている。仏教界のキャラクターにそれぞれ役割があることはなんとなく知っていても、キャラクターごとの持ち場を具体的に覚えていない、自分のような無知な者でもなんとか話についていける。たとえば、有名な風神、雷神が二十八部衆に属するとは知らなかったので、その旨の解説を読んでへええなるほどそうだったのかと感心したりした。
第三章で登場するのは、ほとけに仕える子どもたち。かれらは神仏のいる聖なる世界と俗世とをつなぐ存在なのだそう。有名なのは矜羯羅童子と制吒迦童子で、展示会場のあちこちにふたりのコメントがあったし、イヤホンガイドもふたりの掛け合いで案内してくれるらしい。
眷属は名前のついたキャラクターばかりではなく、名もなき端役もいる。それらを取り上げたのが第四章、終章である。また、眷属の概念が拡大して、たとえば稲荷の使者のキツネが稲荷の眷属と見なされるようになった例なども紹介されていた。

余談。このミュージアムの吹き抜けになっているところにかわいいカエルがたくさんいて、写真を撮らざるを得なかった。



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再び山ん。
お遥かです。屋根屋です。
皆様ご存じの通り、元日に大地震に襲われた能登で今度は豪雨災害が起きてしまいました。以前、お手伝いに行った特殊支援部隊『山ん』さんの投稿で水が足りていないという実情を知ったので、思いつきではありますが白馬のみんなに呼びかけて物資を募り、一走りしてきましたので、ここで能登の実情を皆様にお伝えできればと思います。
豪雨災害が起こったのは9月21日。俺は小谷の嫁様の実家の祭りでお神輿担いでました。小谷でも一時は中止しようという判断になるくらいの降りでした。
次第に雨は収まってきたので決行されましたが、消火栓で水撒いてきたり、人ん家の庭の池に飛び込んだりする狂った神輿で結局濡れるので雨もクソもねえじゃねえかというのが正直な感想です。
それから数日経ち、能登の被害の深刻さが報道やSNSで広まっていくなか、今度の週末なら動けるぞってことで水曜日に思い立ち、木、金曜日の二日間で救援物資を募り土曜日に能登へ発つ事にしました。
火曜日にたまたま子供の保育園の運動会で一緒になったオラが村のオリンピアン、宮脇健太郎君に能登へ向けて何かしたいと思っていると話したところ彼も協力したい言ってくれてたので、彼がこの夏、岩岳にオープンしたばかりのスノーボードショップ『secret fort』を物資の預かり場所として使わせてもらいました。
おしょっ様です!
更に南側でもどこか受け入れ先があったらいいなと思い、神城の飯森にあるトランポリン施設『Hakubounce』のジョニー君に相談したところ、そんな面識あるわけでもないのに快く協力してくれました!
おしょっ様です!
そんなこんなで二日間で集まった物資は、2Lの水6本入りが100箱近くと想像を遥かに越えた量が集まりました。当初は自分の軽バンで行こうかななんて思っていたけどとんでもない。急遽会社のトラックを借りて(親方、おしょっ様です)コンパネ使ってなんとか積み込みました。一時、白馬のスーパーから水が無くなったという噂も。
その他、カップラやタオル、ガス缶、または日本銀行券までくれた方も。皆様本当におしょっさまです。

てな訳で屋根屋の新入りを道連れにし、明朝5時発で能登へと向かいました。
災害から一週間経ってしまいましたがどんな状況でしょうか。
珠洲市へ入ると道路脇に今回の災害で流れてきたであろう流木が目に入ってきました。これだけでもとんでもない状況だったということが伺い知れます。

更に市街に入ると発生から間も無く10ヶ月ほど経つのに倒れた家ばかりの景色を見て、初めて来た新入りは言葉を失っていました。2回目の俺もだけど。
それでも前回と比べると解体も少しづつ進んでいるようです。
そんなこんなで山んに到着。到着して挨拶もそこそこにクロネコから荷物が届いたり、次々と訪れる地元の人々の対応に追われるマコ君。
ごめん、まともにみんなと写真撮ってる間もなかった。
能登の最新状況はこのマコ君のインスタのストーリーズをチェックしてればわかります。ほんと常に忙しそうに奔走してるのにきっちりとストーリーあげててすげーっす。
白馬から来た物資も無事に置けました。ちょうど人手もある時間で助かりました。かつて白馬にいた絵描きの若者なんかもいたりして思わぬ再会も果たしました。
品薄になっていた食料も潤いました。
が、週末ということもあってか沢山の人が取り来ていて、これもすぐ終わってしまいそうです。

暫くするとマコ君が、今回珠洲市の中でも特に被害の大きかった若山方面へ物資を届けに行こうという事で同行してきました。
20分程走って川伝いに山へ登っていく道に入ります。
川沿いは水が溢れ、流木だけでなく電柱なんかも流れ着いていました。マジかよ。
土曜の朝9時頃から降り始めて10時頃にはそこら中が崩れて、もうとんでもないことになっていたそうです。そんな早く避難の決断なんてできないですよね。
マコ君の知人の案内で今回孤立した集落の人の所へ向かい、物資を置いていきます。
途中、被害を受けた家の周りで作業してる人を見かけては、「あ、あの人、水欲しいんじゃないかな?」なんて気にかけながらも、車で先導して案内してもらっているので車を停めることができずに、もどかしくしているマコ君の姿が印象的でした。
孤立集落への道はかろうじてなんとか車が通れるようになっている感じです。
更に別の集落へ向かい、誰か見つけるとすぐ声をかけ、「水はいらんか?スコップ、掃除道具は?」と尋ねていくマコ君。奥ゆかしい能登の人々は最初は「いや、いい、大丈夫、もっと困ってる人にやってくれ」なんて言うけどマコ君の石川弁トークで徐々に打ち解けて「それじゃあもらおうか」なんて渡していきます。
時には呆然と座り込むおばあちゃんに声をかけて、おばあちゃんの溢れ出る思いをただただ優しく聞いたり。
信州弁なら俺もいけるんだけどな〜。
そんなコミ力高男のマコ君はすぐさまその地域の人の集まりやすい、大工さんの工場を聞き取り出し、そこへ残った物資を全て置いてきました。
行く先々で聞くのは死ぬかと思ったと言う言葉。当時の壮絶さを物語っていました。

山んに帰ると、あれ?誰もいない。そして電話も出ない。まあ、海でしょと言うことでサーフスポットへ行くと。あーいたいた。
張り詰めたら緩めることも重要。それほどのサイズではなかったそうですが楽しかったようです。
次の日、金沢でイベントがあるというマコ君と別れ、晩飯はスーパーで買ってきた魚。シンプルに塩のみの味付け。そんで味噌汁と米。
うんめえ〜。
行きしに聞いてきた KREVAのタンポポ feat. ZORN先生の「美女のモデル とかリゾートホテルより 味噌と米 ありゃ理想と呼べる」のラインが沁みます。
前回は入れなかった五右衛門風呂もいただきました。
新人君も色々といい経験したようです。
明朝、午後から白馬で用事があったので早朝に出発。せっかくなんで輪島の様子も見てきました。こちらも大変なことになっていました。

以上、能登潜入レポートでした。
正月の大地震からようやく立ち直り、所々ではキリコ祭りをやったり稲穂が実ってきて復活の兆しが高まったところでの今回の豪雨災害。神様、いくらなんでも残酷ですよ。マコ君に同行して何人かのお年寄りの話聞いてもみんなだいぶ参っていました。そりゃあそうですよね。被災者の方々の悲しみや苦労は計り知れません。頑張ってる人に頑張ろうなんて軽々しく言うななんて意見もありますが、それでもそれでもいつかは前向いてやるしかない訳で、でも今はまだそれどころじゃない訳で。うーんそれでも…と、自分でも結論の出ない取り留めない文章になってしまっていますが、これを読んでなんとか力になりたいと思っているアナタに朗報!
特殊支援部隊『山ん』のインスタアカウントから飛べるこちらのページから山んへ直接、水を始めとしたあらゆる物資への寄付が可能です!モヤモヤしてるあなた!是非とも今こそ能登の人々へ力を!
今回ご協力いただいた皆様、誠に誠におしょっ様でしたー!!
引き続きみんなで能登を注視しながらサポートしていきましょう!
ほんじゃあ〜👋
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愛着のある場所

こんばんは。
・
ご存知のように、当店は水曜日にお休みを頂いている。
とはいえ、ちょっと他の仕事が午前中に入ることも多々あり、丸1日お休みということもなかなかとないのだけど、その分、午後からは毎回お休みの日らしく、美術館に行ったり、本屋に行ったり、街ブラをしてみたり。
ずっと店にいると、凝り固まったり、視野が狭くなったり。
・
なので、頭を整理したり、リフレッシュしたりする時間として、かなり楽しく過ごさせてもらっている。
・
さて、そんな先日のお休み。
出会って10年以上。
長年、西脇でお世話になっている知人の新居にお邪魔してきた。

知人でもあり、元取引先の相手でもあり。
個人で仕事をしていると、オンとオフの境界は曖昧になることが多々ある。
こうやって好きな仕事をさせてもらっていて、しかも好きな相手と仕事ができて、大変ありがたいことだ。
・
昨年8月に訪れたときはまだ基礎工事も進んでいなかったのだけど、完成の報告を受け、こうして新居を見に行くことが出来たわけだ。

室内には、多くの窓が取り付けられ、季節、時間、天候で光の入り具合も変わり、窓から見える風景も気持ちが良い。
・
色々と、家の設備の話も聞いたけど、どう生きたいのか。
ここ数年、模索し、実験し、研究した成果とも言える家だと感じた。
住処は完成しているのかもしれないけど、まだまだこれからもアップデートを重ねていく構想も含め、今後も楽しみである。
・
服の話から始まり、生地のこと、ブランドのことといったことはもちろんだけど、循環の話やデザインの話、食べ物の話というように、5〜6時間では語り尽くせないほど、色々な話を積み重ねた。

お米を育てていることは以前から知っていたので、見せてもらった。
自然と向き合い、環境をデザインする。
そんな話を聞きながら、稲穂が頭を垂らしている風景を見ていると、「このお米を食べてみたい。」なんて純粋に思ってしまったものだ。
・
次は、収穫の季節に訪れ、一緒に農作業をさせてもらいえればなんて思っている。
・
色々とゆっくりと話をすることで、数年前までの"itocaci"では絶対にやれなかったことを、新たにやってみるのも面白いかなぁなんて一層強く思った1日だ。
・
ぜひ楽しみにしていただけると幸いだ。

さて、今回訪れた知人の新居は西脇の隣の町になるのだけど、まあ、僕からしてみれば西脇を通じて出会ったわけで、西脇に遊びにきた感覚に近い。
僕が毎月通う畑からはさらに車で40分。
確かに別の世界にはなるのだけど、僕の中ではコットン畑の延長に存在している。
・
僕が一番びっくりしているのだけど、今年で西脇に通い始めて10年を超えた。
まさか、こんなに長く通うことになるとは思っていなかったし、実は3年ほど前に西脇と距離を置くという選択をする機会もあった。
それでも、僕はその分岐で西脇に通うことを選択した。
・
畑で会う顔ぶれは、基本拠点を西脇に置いているし、僕と比べれば会う機会も多い。
だから、大阪から月に1回しか通っていない僕は、いつまでもヨソモノだ。
実際に彼ら彼女らからヨソモノだという扱いを受けているわけでもないし、そんな空気が流れているわけでも一切ない。
・
訪れると常に温かく迎い入れてくれて、取れた野菜なんかを持たせてくれたり、美味しいご飯を振舞ってくれる。
・
恐らくヨソモノだと思っているのは僕だけだ。
だからなのだろうか。
数年前まで西脇という街が僕にとって近しい街だと思ったことはなかった。
・
自分のルーツでもある松本。
今拠点を置く大阪。
そして学生時代を過ごした滋賀。
その学生時代に過ごした滋賀以上に長い関わりを持つ西脇のことを、どうしても今挙げた3つの都市と同じように思えずにいた。
・
西脇なんて、正直地図を見なくても大体の場所には行けてしまう。
どの道を曲がればいいのか。
どこの道を使えば早く抜けれるのか。
街のどこに何があるのか。
明日から暮らせと言われても、何も困ることはないほど街のことは知っている。
それでも、ただ街を知っているだけだった。
・
西脇で会う方のことが苦手とか、嫌いとか、そんなことはもちろんない。
むしろ、西脇で会う皆のことはとても好きだ。
じゃなければ、こんなに長年通っていない。

西脇を近しい街だと思えなかった最大の理由は、僕自身がその距離感を程よく感じていたからだ。
月に一度、ヨソモノとして訪れる街。
その距離感を僕自身が楽しんでいたのだと思う。
・
しかし、ここ数年、僕が勝手に作った西脇の壁が壊れ始めた。
おそらく、きっかけは西脇と距離を置くかという選択に迫られた時、僕が距離を置かずに通うという選択をした時からなのかもしれない。

きっかけはコットンだったはずが、気がつけば10年。
コットンの栽培ももちろん楽しいけど、結局今は、月に1回、土をいじりながら知人たちとおしゃべりをする時間が楽しいのだ。
・
気がつけば、僕にとって愛着のある街になっているのだ。
ここまで10年もかかった。
でも、それは当たり前なのかもしれない。
長野にしろ、大阪にしろ、滋賀にしろ、僕はその土地に住んでいる経験がある。
でも、西脇に住んだことはない。
これは決定的な差だ。
・
たかが月に一度しか通っていないヨソモノの僕が、愛着のある場所だと思えるのは、これまでの10年の積み重ねなのだ。

知人の家を出る頃。
あたりはすっかりと暗闇に包まれており、時刻は21時を回ろうとしていた。
・
窓を開けて、初秋の気持ち良い風を感じながら帰路へ着いた。
ナビは不要だ。
頭の中で西脇の街の地図を描きながら車を走らせた。
・
ここ1〜2年くらい。
西脇から帰る時、少しだけ寂しく思うようになった。
それは、きっと西脇が愛着のある街になったからなのだと思う。
・
また来月、訪れるのが少し楽しみになった。

さて、そんな昨日知人とお話をしてきた中で、僕が皆さんに紹介したいと思ったアイテムがある。
hatsutoki : sally w-face ユニセックスシャツ ¥29,700 (tax in)
昨日出会ってきた知人夫妻は、自分たちのライフスタイルを模索しながら、どのような選択をしたらかっこいいのか。
環境や自然と向き合いながら、日々アップデートを重ねていくライフスタイルのお話はとても興味深かった。
・
結局、そういった姿勢がモノを作る上でも大きく影響を及ぼすのだ。
・
この"sally w-face ユニセックスシャツ"。
西脇が得意とする”先染め織物”に見えるのだけど、実は糸を染めていないのだ。
コットンには白と茶色の2種類がある。
白と茶色のそれぞれコットンが持つ自然の色を使った糸を使って織り上げたテキスタイルになるのだ。
・
自然本来の持つ色を使って、先染め織物のような織物を作ることで、2面性も楽しめる。
そして、何より色味がとても柔らかくて優しい。

少し厚みのある生地を使っているので、シャツとして着用することはもちろんだが、シャツジャケットのように羽織っていただくのもオススメだ。

コットンの自然本来の色を活かす。
そして、染色という工程を省く。
そうすることで、環境への負荷を低減した。
・
もちろん全てのアイテムがそのように製作されるわけではない。
それでも、環境や自然への眼差しを通して帰結した、一つの答えなのだろう。
・
知人から出てくる言葉や、お互いに思っていることを擦り合わせる中で、このシャツがどういった経緯で生まれてきたのかという思いの琴線に触れた気すらした。

知識としては、コットン本来の色を生かした素材であること。
環境への負荷を少しでも配慮したこと。
そんなことは分かっている。
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でも、深く色々と話を積み重ねてきたことで、一層シャツへの理解の深みが生まれたような気がする。
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こちら現在、本当に偶然にもonline shopにも掲載をしているので、もしよかったらご覧いただけると嬉しく思う。
・
それでは今日はこのくらいで。
・
次回もお楽しみに。
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