#お稲荷様 お返しする
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稲荷神(いなりのかみ、いなりしん)は、稲を象徴する穀霊神・農耕神。稲荷大明神(いなりだいみょうじん)、お稲荷様、お稲荷さんともいう。五穀をつかさどる御食津神・ウカノミタマと稲荷神が同一視されることから、総本宮の伏見稲荷大社を含め、多くの稲荷神社ではウカノミタマを主祭神としている。
本来は穀物・農業の神だが、現在は商工業を含め産業全体の神とされ、日本で最も広範に信仰されている神の一つである。稲荷神は神仏習合思想において仏教の女神である荼枳尼天とも習合したため、仏教寺院で祀られることもある。
昨今ではお稲荷様をお祀りされている方も少なくなっており、息子や娘の世代にお稲荷様を残さないようにお稲荷様のお宮を宮終いを行う方も増えております。お稲荷様の鳥居や外宮、祠などを維持する為に修理できる方も減ってきている為、日本古来の伝統技術が失われているといっても過言ではありません。
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うまく騙されないように、人の思考のクセを知っておこう。
コミュニケーション
ブログ:安達裕哉の記事一覧
Twitter:安達裕哉(Books&Apps)
著作:頭のいい人が話す前に考えていること(ダイヤモンド社)
人には、どの人にもある「思考のクセ」が存在しています。
そうしたクセは、普段あまり意識されることはありませんが、「知っている」人は、それを良くも悪くも「実態を隠す技術」や「他人を操作する技術」として使うことがあります。
例えば、「アンカー効果」として知られている思考のクセがあります。
これは「予測を立てる直前に見た数字をアンカー(よりどころ)にしやすい」という傾向です。
当然これは、金儲けにも利用できます。
数年前、アイオワ州スーシティーのスーパーマーケットがキャンベル・スープのセールを行い、定価から約一〇%引きで販売した。数日間は「お一人様12個まで」の張り紙が出され、残り数日間は「お一人何個でもどうぞ」の張り紙に変わった。 すると、制限されていた日の平均購入数は七缶で、制限なしの日の二倍に達したのである。
このように、心理に関する知識は、成果を大きく左右することもあります。
では、このような「思考のクセ」。
他にどのようなものがあるのでしょうか。
1.直感で信じたものを覆すことはほとんどない。
言い換えれば、「第一印象で決まる」。
例えば、採用面接で面接官は
「最初の数分で得た、候補者への印象を検証するために、残りの殆どの時間を使う」
と言われています。(採用ミスはこうして起きます。)
第一印象が良ければ「採用するための質問をする」
悪ければ「落とすための質問をする」のが面接官です。
逆に言えば、候補者側は「とにかく第一印象を重要にせよ」というアドバイスに従う必要があるということです。
これは「文章」にも当てはまります。
例えば、人物描写をするときに、その人の特徴を示す言葉の並び順は適当に決めてはいけません。
明るい 素直 けち
と書くほうが、
けち 明るい 素直
と書くよりも、良い印象となります。
2.ベストケースしか想定しない
将来予測をするとき、人は「最もうまくいくケース」しか考えません。
しかし、実験によれば、99%の確率で終わると宣言した時間で実際に��スクを終わらせる人間は45%のみです。
これは「ホフスタッターの法則」と呼ばれ、コストを過小評価し、便益を過大評価する人間の思考の癖です。
稲盛和夫は「悲観的に計画し、楽観的に実行せよ」と述べましたが、経験的にこれを知っていたのでしょう。
3.人は独自性を誇張する傾向にある
「うちは特別だからね」という話をどの会社でも聞きます。
しかし実際にそれが特別であるケースは少なく、仮に違っていたとしても、その差はわずかに過ぎないのです。
むしろ、独自性バイアスは、必要以上のコストを掛けて、自分たちの独自性を守ろうとしますから、組織に不利益をもたらします。
むしろ「独自性を誇張しない人のほうが独自性がある」と認識すべきです。
4.物語VSデータは、物語が勝つ
人は物語が大好きなので、プレゼンテーション資料も、報告書も、物語性のあるものが好まれます。
これだけなら良いのですが、物語のできが良すぎると、人間はデータを見なくなります。
場合によっては、「データが少ないほど、物語としての辻褄が合いやすい」ので、データを排除しようとする人もいるくらいです。
ストーリーの出来で重要なのは情報の整合性であって、完全性ではない。むしろ手元に少ししか情報がないときのほうが、うまいことすべての情報を筋書き通りにはめ込むことができる。
賢くあろうとすれば、自分に有利なデータではなく、自分に不利なデータも集めなければなりません。
そうして初めて「物語」に騙されずに済みます。
5.確率を理解できない人は多い
まず、次の文章を読んでください。
リンダは三一歳の独身女性。外交的でたいへん聡明である。専攻は哲学だった。学生時代には、差別や社会正義の問題に強い関心を持っていた。また、反核運動に参加したこともある。
では、次の質問に答えてほしい
リンダは銀行員か、それともフェミニスト運動に熱心な銀行員か、どちらだと思いますか
聡明な人であれば、当然前者を選択するでしょう。
しかし、多くの人は後者を選択します。
複数の主要大学の学部生を対象に実験を行ったところ、八五~九〇%が、確率の論理に反して二番目の選択肢を選んだのである。しかも呆れたことに、この連中はとんと恥じる様子がなかった。 あるとき自分のクラスで「君たちは、初歩的な論理ルールに反していることに気づかなかったのかね」と怒ってみせたところ、大教室の後ろのほうで、誰かが「それが何か?」と言い放ったものである。
確率は説得の材料として、全く役に立たない事がよく分かります。
6.心配が多かったり、忙しすぎると、頭が悪くなる
多くの心理学研究によれば、自分を律することと、注意深く頭を使うことは、どちらも等しく、脳に負荷をかける行為です。
したがって、認知の負荷が高くなると、誘惑に負ける可能性が高いのです。
認知的に忙しい状態では、利己的な選択をしやすく、挑発的な言葉遣いをしやすく、社会的な状況について表面的な判断をしやすいことも確かめられている
このため、例えばある行為の結果について心配しすぎると、実際に出来が悪くなることも多いのです。
常に忙しく、給料も安い「ブラックな職場」では、利己的で、口が悪く、思慮の浅い人が増えてしまう。
ですから、これはもはや「社会悪」と呼んでも良いのではないかと思います。
7.好き嫌いで決まる
多くの人は
「それが好きな場合は、メリットばかり思い出す。」
「嫌いな場合は、リスクばかり思い出す。」傾向にあります。
スロビックのチームは感情ヒューリスティックのメカニズムを調べる実験を行い、水道水へのフッ素添加、化学プラント、食品防腐剤、自動車などさまざまな技術について個人的な好き嫌いを言ってもらったうえで、それぞれのメリットすると、二つの答はあり得ないほど高い負の相関を示した。すなわち、ある技術に好感を抱いている場合はメリットを高く評価し、リスクはほとんど顧慮しない。逆にある技術をきらいな場合はリスクを強調し、メリットはほとんど思い浮かばない。
したがって、物事を通しやすくするには、あれこれ論理を組み立てるよりも、「好かれる人」になることが最も簡単です。
SNSを見れば、多くの人は、あれこれ理由をつけて主張をします。
「ワクチンが〜」
「フェミニズムが〜」
「子育てが〜」
「社会保障が〜」
でも、一皮むけば、
肯定的な意見は、「それが好き」。
否定的な意見は、「それが嫌い」。
そう覚えておいて、ほぼ間違いありません。
8.人は慎重に考えるよりも早く一つに決めたい
いくつもの選択肢を並行して考えることは、認知的な負荷が高い状態です。
認知的な負荷が高い状態は疲れますから、仮に選択が間違っていたとしても「早く決めて楽になりたい」と、思うのです。
これを「コミットメントの錯誤」と言います。
「たまたまモデルルームを見に行ったら、そこで買ってしまったよ」
と言う発言は、コミットメントの錯誤の典型であり、家や保険など、選択肢が無数にあり、かつ高額な買いものが、想像よりはるかに簡単に行われているのは、そのためです。
なお余談ですが、人には「自分が持っているものを高く評価する」という思考のクセ(保有効果)があり、高い買��物をしたとしても、後悔することはめったにありません。
「買わせてしまえばこっちのもの」と思っている営業マンは少なくないでしょう。
9.簡単にわかるものが好かれる
認知が容易なものほど好かれます。
例えば、見やすい表示、以前に聞かされたことのあるアイデア、見覚えのあるマーク。
こういったものは認識がしやすいため、それだけで「好ましい」と感じられます。
(出典:ダニエル・カーネマン ファスト&スロー)
また、機嫌がいいときや、体調のいいときには、「好ましい」と評価することが多くなりますから、上司の機嫌を見て、何かを提案するのは正しい行動です。
ただし、これは極端な話、「内容を問わない」という事でもあります。
「鶏の体温」という表現を繰り返し示された人は、「鶏の体温は四四度である(もっともらしい数字なら何でもよい)」という文章が出てきたときに、正しいと判断しやすい。 文章の一部になじんでいるだけで、全体に見覚えがあると感じ、真実だと考えるからだ。ある発言や文章の情報源を思い出せず、手持ちの情報とも関連づけられないとき、あなたはつい認知しやすさを手がかりにすることになる。
注意をしないと、「何度も見せられている」と言うだけで、それを真実だと信じてしまうかもしれません。
10.自分の頑張りには甘い評価をつける
チームで仕事をする場合、自分のほうが他のメンバーよりがんばっており、他のメンバーの貢献度は自分より小さいと考えがちです。
例えば、各自がチームに対して、どの程度の貢献をしているかを百分率で��してもらうと、チーム内のメンバーの数値の総和は100%を超えてしまいます。
あなたはもしかすると、自分に配分された報奨以上の貢献をしたのかもしれない。だがあなたがそう感じているときは、チームのメンバー全員も同じ思いをしている可能性が高い。このことは、誰もが肝に銘じておくべきである。
これは、性格的な要因はごく小さく、誰でも同じような傾向を示します。
なぜかと言えば、「自分の貢献が一番思い出しやすく」かつ「思い出せないものより思い出せるものの方が強力な説得力を持つから」です。
投票を呼び掛ける活動は、投票日直前にやるほうが強力、という、ごく当たり前の話ではありますが。
これを利用可能性ヒューリスティックスと言います。
人事評価は自己申告を基にしてはなりません。
大抵の場合、過剰評価となってしまいます。
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#おでかけ #伏見稲荷大社
途中人の途切れた時を狙えば、ど定番だけど幻想的な写真も撮れました。満足。この千本鳥居、山頂まで上ろうとするとほんとに軽い登山レベルの所要時間になってしまうので、皆さんいくつもある分岐点で本殿方面へと戻ったり、途中で引き返していきます。
なので先に進めば進むほど人の数は少なくなってくるのですが、途中京都市内が一望できるという四ツ辻あたりはさすがにちょっと人が多かったです。

四ツ辻からの眺め。京都市内が眺められる……ような、微妙なような。木が茂っているので、隙間から覗くような感じです。
そんなに暑い日ではなかったけれど、ずっと階段を登ってきたのでとにかく汗だくに。体力的にはまだまだ登れそうだったのですが、時間的にそろそろ別の場所に移動したかったので、この四ツ辻までで引き返すことにしました。


皆汗だくなので、細い階段をすれ違うと結構皆さん(特にメンズの方々)汗臭い。でも私も汗だくなので人のことは言えない。

帰り際に出会った白黒にゃんにゃん。この辺りに住み着いている子のようで、近くのお店では、この猫が描かれたポストカードなどが販売されていました(地域猫かと思っていましたが、どうやらこのお店の飼い猫のようです)。
ポストカードの絵はお店の奥様がデザインされて描かれているのですが、これがめちゃくちゃ可愛くてね……!思わず2枚入手してしまいました。伏見稲荷周辺の四季折々の風景の中にこの猫ちゃんが描かれたポストカードで、猫好きの人にはたまらん感じです。
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Rewind 01
長いフライトの末、飛行機は滞りなく滑走路に着陸した。 窓の外に広がるのは、見慣れた日本の風景とは全く異なる、広大なアメリカの大地だ。
安川康弘は、機内アナウンスに従ってシートベルトを外した。 手荷物を持ってゆっくりと立ち上がる。 今日から始まる、未知の国でのホームステイ。 期待と、ほんの少しの緊張。それらが交じり合った奇妙な高揚感が、彼の胸を満たしていた。
近代的なデザインの空港ターミナルは、活気に満ち溢れていた。 様々な言語が飛び交い、��様な人種が行き交う。
その喧騒の中で、安川の目を引いたのは、壁一面に掲げられた巨大なポスターだった。
そこには、アメリカが誇るスーパーヒーローたちの雄姿が描かれていた。 鋼の肉体を持つ者、稲妻を操る者、空を飛ぶ者。 まるで神話の登場人物のような、超人的な存在たち。 その中のひとつに安川は目を向ける。
ザ・グレイトマキシムのポスターだ。 ポスターの中のグレイトマキシムは、誇らしげに両腕を広げ、逞しい上腕二頭筋を見せつけていた。
太陽のように明るい笑顔。 圧倒的な筋肉のボリューム。
まさに「アメリカンヒーロー」という言葉がぴったりの、絵に描いたようなヒーロー像だと安川は思った。
安川は足を止め、ポスターを食い入るように見つめる。 筋肉、力、男らしさが、そこには凝縮されていた。
さらに歩を進めると、至る所に設置されたデジタルサイネージが目に入る。そこでは、ヒーローたちの活躍を伝えるニュース映像や、彼らを起用したコマーシャルが絶えず流れていた。 ビルを持ち上げる者、災害から人々を救う者、そして時には、プロテインドリンクのCMで爽やかな笑顔を見せる者。 この国では、スーパーヒーローは単なる物語の登場人物ではなく、現実に実在する存在であり、人々の日常に深く溶け込んでいるのだ。
安川は、周囲の人々がヒーローの映像に特に驚く様子もなく、当たり前の風景として受け入れていることに気づく。 これはきっとヒーロー大国であるアメリカでは、決して珍しい光景ではないのだ。
入国審査を終え、預けていたスーツケースを受け取る。 大きな荷物をカートに乗せ、到着ゲートへと向かう。
ゲートを抜けると、出迎えの人々でごった返していた。 プラカードを掲げる人、抱き合って再会を喜ぶ人、様々なドラマが繰り広げられている。 その人垣の中、安川はすぐに目的の人物を見つけ出すことができた。
思わず息を呑むほどの巨躯。 ポスターで見た印象よりも、さらに圧倒的な存在感。 ザ・グレイトマキシムこと、マックス・パワーズが、そこに立っていた。
身長は190センチを優に超えているだろう。肩幅も広く、厚い胸板はまるで岩盤のようだ。
マックスは、白いシンプルなTシャツを着ていた。 体にぴったりとフィットしたデザインのため、その下に隠された筋肉の輪郭がくっきりと浮かび上がっている。 特に、Tシャツの袖を力強く押し広げている上腕の太さは尋常ではない。丸太のように逞しく、血管が浮き出ているのが遠目にも分かる。
下は、色落ちしたブルージーンズ。これもまた、彼の逞しい脚のラインを強調していた。��腿の筋肉が、デニム生地を内側からパンパンに張り詰めさせている。
マックスの隣には、小柄で、柔らかな雰囲気の女性が寄り添うように立っていた。ブロンドの髪を綺麗にまとめ、上品なワンピースを着こなしている。おそらく、彼の妻のサラだろう
安川は、彼らに向かって歩き出した。
「あの……マックスさん、サラさん、ですか?」
声をかけると、マックスが鋭い視線をこちらに向けた。 その眼光の鋭さに、安川は一瞬、たじろぎそうになる。 ヒーローとしての威圧感だろうか。
しかし、次の瞬間、マックスの表情は、太陽が雲間から顔を出すように、一気に明るく、人懐っこい笑顔へと変わった。
「おおっ! 君がヤスヒロか! ウェルカム・トゥ・ステイツ!」
マックスは、大きな声でそう言うと、ためらうことなく安川に歩み寄り、その逞しい肉体でハグをした。香水だろうか、爽やかな香りが安川の鼻腔をくすぐる。
安川が目を白黒させていると、マックスは、その大きな手を差し出してきた。
「俺はマックス! こっちは妻のサラだ。長旅、疲れただろう?」
差し出された手は、まるで熊の手のように大きく、分厚かった。 指の一本一本が太く、手のひらには硬いタコができているのが見て取れる。ヒーローとしての激しい活動と、日々の鍛錬の証だろう。
「は、はじめまして、安川康弘です。よろしくお願いします」
安川は、努めて落ち着いた声で挨拶し、差し出されたマックスの手を握った。
握手した瞬間、その圧倒的な握力と、手のひらの熱量に驚かされる。まるで万力に挟まれたかのような感覚だ。
「まあ、マックスったら、そんなに強く握ったらヤスくんがびっくりしちゃうでしょ」 隣で見ていたサラが優しく窘めると、「おっと、すまんすまん」とマックスは頭をかいて笑った。
マックスはすぐに力を抜き、安川の手を優しく包み込むように握り直した。その大きな手のひらが、安川の小さな手をすっぽりと完全に覆ってしまう。
「よろしくな、ヤス! これから家族だ、遠慮はいらないぞ!」 マックスは、白い歯を見せて笑う。 その笑顔には、裏表のない、純粋な善意が満ち溢れているように見えた。
「はじめまして、安川くん。サラよ。遠いところ、よく来てくれたわね。疲れたでしょう?」 彼女の笑顔は、マックスとは対照的に、穏やかで包み込むような優しさに満ちていた。
「いえ、大丈夫です。サラさん、お綺麗ですね」 安川は、少し頬を赤らめながら、お世辞を言った。
「あら、嬉しいわ。ありがとう」 サラは嬉しそうに微笑んだ。
「ハッハッハ! さすがヤス、見る目があるな! 俺の自慢の妻なんだ!」 マックスは、サラの肩を力強く抱き寄せ、誇らしげに言った。 サラは少し照れたように、「もう、あなたったら」とマックスの胸を軽く叩いた。 仲睦まじい夫���の姿。 微笑ましい光景に、安川も自然と笑みがこぼれた。
「さあ、行こうか! 車を駐車場に停めてあるんだ」 マックスはそう言うと、くるりと踵を返そうとした。 しかし、すぐに思い出したように立ち止まり、再び安川に向き直る。その表情から、先ほどの陽気さがすっと消え、真剣な、ヒーローとしての顔つきが覗いた。
「ヤス、その前に、一つだけ言っておくことがある」 彼の声は低く、静かだが、有無を言わせぬ響きを持っていた。 「アメリカには、日本と違って、ヒーローがいる。なぜだと思う? それはつまり、ヒーローが必要だからだ。ヒーローが必要になるということは、日本とは違って、時々物騒なことも起こる。特に空港のような人が多い場所ではな。だから、絶対に俺から離れないようにするんだ。いいな?」
その言葉と共に、彼は再び、安川の目の前に、大きな手を差し出した。今度は、握手のためではない。
「ヤス、手を出せ。しっかり繋ぐんだ。そうすれば安全だ」
有無を言わせぬ口調。 有無を言わせぬ眼差し。 有無を言わせぬ命令。 それは、市民を守るヒーロー、ザ・グレイトマキシムの表情そのものだった。
安川は、陽気なマックスの真剣な一面に内心、ドキドキしながら、言われるがまま、おずおずと自分の手を差し出した。 その手を、マックスは再び大きな手のひらで力強く、しかし温かく包み込んだ。 マックスの体温が、じかに伝わってくる。
「よし! これでOKだ!」 マックスは、安川の手をしっかりと握ると、すぐにいつもの陽気な表情に戻った。 「さあ、行こうぜ! 俺の自慢の『マキシムモービル』へ!」
彼はそう言って、安川の手を引くように、大股で歩き出した。 サラが、その隣を微笑みながらついていく。
「マキシムモービル?」 安川は、聞き返した。 するとサラは噴き出して言った。 「ただのSUVよ。マックスは、少し子供っぽいところがあるのよ」 「ヒーローの愛車にはかっこいい名前がついているのは当然だろ?」
駐車場へと向かう道すがら、マックスは、アメリカのプロスポーツの話や、最近観たアクション映画の話などを、一方的に、しかし楽しそうに語り続けた。 安川は、相槌を打ちながらも、本物のスーパーヒーローと手を繋いでいることに対して、興奮を抑えることができなかった。
やがて、巨大なSUVの前へとたどり着く。 見るからに頑丈そうで、パワフルな車だ。
「まさに、『マキシムモービル』と呼ぶにふさわしい車だろ?」
マックスは、にやりと笑った。 リモコンキーでドアロックを解除すると、後部座席のドアを開ける。
「さあ、ヤス、特等席だぞ!」
三人は車の中に乗り込む。 マックスがエンジンをかけて、車が動き出すと、安川はつまらなさそうに大きなあくびをした。
「ん? どうした、ヤス。眠たいのか?」 バックミラー越しに、マックスは安川の顔を覗き込んだ。 安川は首を振る。
「うーん。なかなか悪くない出迎えでしたけど」 少し間を置いて、���葉を続ける。 「正直にいって、全然、物足りないですね」 そう言い切ると、安川は、不毛な演技を止めることに決めた。
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流動しながら個として見つめ、判断する。 北村道子の仕事の向き合い方。
#01
北村道子
衣裳デザイナー/スタイリスト

40年以上にわたり、映画、広告、雑誌など、さまざまなメディアで活躍する衣裳デザイナーの北村道子さん。キャストやスタッフと真正面に向き合い、ときに衝突することも恐れず、信念を持ってスタイルを貫く。そんな彼女の個性はどのように育まれ、いかにして磨かれたのだろう。仕事場としてたくさんの時間を過ごしてきたフォトスタジオという空間で、コーヒーを片手に彼女が歩んできた半生と仕事について語ってもらった。
Apr.19.2023
Michiko Kitamura
photography:Mai Kise interview & text:Tomoko Ogawa edit:Shigeru Nakagawa


家を飛び出し、世界を分解して見る癖をつけた少女は、映画の中の洋服に出合う
— ご自身の10代、20代を振り返って、その後の人生に影響した出合いについて聞かせてください。
私は寺山修司の影響が大きいんですよ。『書を捨てよ、町へ出よう』、「親を捨てよ」を実行した人だよね。私は16歳で実家の金沢から出て、サハラ砂漠やアメリカ、フランスを放浪しましたけど、18歳になっても、30歳を越えても実家にいる人もいますよね。親だって子離れしてないじゃない。これが今の日本という文化、社会を育んでいるんじゃないかと思う。だから、自然と政治も家父長制に、政治家も世襲で引き継がれるようになってますよね。なぜ出ていくか。それは自分のアイデンティティを知るためです。知るっていう行為は、過去を見つめるしかないということなんだよね。
— たしかに、経験からしか何かを知るということはできませんもんね。
今の瞬間、何秒間という現在点で、目の前にいる他者と自分には大きなギャップがある!と思ったときに、自分のアイデンティティを知る。特に外国に出ると、相槌打って微笑んでいるだけじゃ会話は進まないじゃない。日本みたいに、同調圧力が強くないから。つまり、実家にいるということは、母親のお腹で守られている状況と近いんです。そこから出ることによって、初めて世間にさらされる。そこで、世の中を自分で分解してみる癖を持つようになる。私の場合、子どもの頃から英和、和英辞典と広辞苑を持ち歩いてたから、誰かの発言に対して、「この人の言ってることはなんだろう?」と思って全部つぶさに見るんです。そこから、言葉はこうやって進化してるのか!と発見する。もっと言えば、ブランド力にとらわれず、自分の力で学びたい高校や大学を選んでいくこと。そうすると、一人の有権者として、政治と経済とアートがどう自分の仕事と人生と結びついてるかを分析して、議論できるようになって��くんですよね。
— もともと彫刻家を目指されていて、洋服に興味はなかったそうですが、何がきっかけで衣裳の世界に入られたんでしょうか?
なぜ私が洋服をスタイリングすることになったかというと、〈シャネル〉がきっかけなんです。当時のパートナーと外国を回っていた20歳の頃、シャネル本店でスーツをオーダーしたんです。なぜかというと、(ルキノ・)ヴィスコンティの映画『ボッカチオ’70』を観て、こんなストーリーなのに、こんないい服が出てくるんだ!と思って(笑)。お金もなかったから、モリエールの銅像の前で似顔絵を描いたり、その辺に捨てられたもので立体を作ったりしていたら、お金を置いていく人がいるんですよ。フランスは、そもそもアートに対してお金を恵むという文化があるよね。2カ月くらい経つと、そこそこお金が貯まってくるんですよ。それで、一番いい服を着てシャネルに行ったら、らせん階段の上からなんか貧しい子が来たぞっていう感じで見られて、クチュールのスタッフに全身を採寸されてね。スーツ自体が欲しいというよりは、あの機能美を兼ね備えたスーツにどう辿り着くんだろう、とその過程を見たくて。今日着ている〈メゾン マルタン マルジェラ〉の初期のワンピースも、マルタンはヴィンテージファブリックを使っているから、これは私しか持ってないんです。多分、それが洋服の原点ではないかと思う。究極、ファッションも映画も、この1点の洋服が、誰に似合うのかを考えるのが面白いんです。だから、着こなしの作法をつかんで服を着ている人にはついていきます!となるよね、私としては。
— 作法をつかむには、その人の生き様が関係してきますよね。
映画の見方にも視点があるように、着る人の視点が見えるかどうか。例えば、海外の俳優で、普通のデニムをはいてるだけなのに、かっこよく見えることがあるじゃないですか。よくよく見てみると〈ギャップ〉のものだったりするんだけど、それがなぜおしゃれに見えるのか、そこに、その着こなしにおのずとその人らしさが出てくると思うんだよね。
— 北村さんが考える「良い仕事」の定義とは?
私がチョイスしたものは良い仕事、というのは冗談だけど(笑)、興味や好奇心が向かう、面白いなと思える人と仕事をすることですよ。その人が心から出てくる言葉を使っているか、誰かから借りている言葉を使っているかは、この年になるともう、すぐにわかるんです。だから、自分の言葉を使って、馬鹿馬鹿しいこ��を本気でやっている人に興味があるんだよね。 私は長く、社会思想、政治学、社会学、哲学の本を読み続けているんだけれど、そうすると、道草をたくさんしなくちゃいけなくなる。そこに新たな興味が出てきて、あれもこれも読まなくちゃとなることが楽しいんです。だから、何か新しいことを学ぼうとすると、なんとなくつかめるようになるまで、少なくても10年はかかっちゃうんだよね。

他人に委ねず、自分自身でジャッジするという強さ
— 仕事の際に、自分自身に課しているルールは?
自分自身でジャッジすること。周りはダメと言うだろうと思っても、自分がいいと思うことを提案してみると、意外とオッケーが出たりして、できたものをすごく喜ばれたりもするんですよ。なぜだかはわからないんだけど。昔、平山景子さんが編集長をしていた時代の『花椿』※1 で2年間仕事させてもらえたのも、そういう私の発想を面白がってもらえたからなんだよね。子どもが行水しているようなビニールプールの素材あるじゃないですか。あれをそのまま生かして洋服にしませんか?とか、油揚げを1メートルぐらい縫い合わせて、お稲荷さん洋服にしたらどうですか?とか(笑)、捨てられた手袋を全部寄せ集めたら、ベストにできるんじゃない?とかね。それは、資生堂にはない発想だったんじゃないですか。 ※1 1937年に創刊した資生堂の企業文化誌。
— 長く活動する秘訣があれば教えてください。
やめたら生活できないから続いただけで、若い頃からそんなに仕事してないんですよ、私。目立った仕事はしていたかもしれないけれど、1年のうち3カ月は外国に出ていた時期もあったし。しかも、私、結構喧嘩してるんですよね、編集者やメイクアップアーティストと。クライアントに対しても意見しちゃうんで(笑)。我慢して黙っている持久力がないんです。自分は労働者階級だと思ってるから、偉ぶる人や権力が大嫌いなんですよ。だから、広告代理店の大げさな儀式が嫌になっちゃって、70歳でもう広告はやめました。今は、一緒に仕事したい人に頼まれたら引き受ける、という感じでやってますね。
— 師���制度を取り入れていた時期もあったのでしょうか?
以前、マネージャーをやりたいと名乗り出てくれた人がいて、勝手にアシスタント志望という子に数人声をかけて職場に呼んでいたんです。私は好きにやりたいからとその人のオファーは断ったんだけど、アシスタントをしたいという子はもうそこに来てしまっていたから、「しょうがない。5カ月は面倒みる!」と言って。当時、私はよく免停になってたのね。それで、運転手として手伝ってもらっていました。そうしたら、いつの間にか「北村道子のアシスタントをやっている」が一人歩きして、そう言っているスタイリストが十何人になってたんです。悪いうわさの多い私の名前だったから、出すと響くらしいんだよね(笑)。自分から口説いて手伝ってもらっていた美大の学生たちは、私が留学を勧めたこともあって国外に出てしまい、それから戻ってきてないですね。

— 創作のリソースとして、どこからインプットする機会が多いのでしょうか?
映画と本ですね。小説は眠くなるからあまり読まない。今、一番学びたいのは、古代ギリシャの哲学者ヘラクレイトスなんです。ニーチェについて読んでいたときに、ヘラクレイトスは偉大だと思って。ソクラテス以前のギリシャを唯一学んだのが、「神は死んだ」を主張したニーチェなんですよ。つまり、それ以前は、神を作っていたとも解釈できるじゃないですか。ワインも蒸造して、ドラッグもやって、錬金術で実験してたとされているから、多分、既存の価値観で振り返ると、ものすごく壊れてるんじゃないかと思うよね(笑)。あとはね、事実、行動、現実性を重視する「プラグマティズム」を日本に紹介した鶴見俊輔の本も全部読み返してますよ。彼は16歳でハーバードに入学して、プラグマティズムを学び、“人は矛盾してる。その矛盾こそが人間なんだ”という生き方をするんです。
— ���村さんも、“矛盾こそが人間である”を体現していらっしゃいますよね。
私、「明日になったら、同じこと言ってるかはわかんないけどね」って、よく言うんです(笑)。今日は、このインタビューに対して思ったことを答えてるだけ。取材なんかで話をするときも、言いたいことだけを言う。都合が悪い部分はどうせカットされるわけだし、口に出さないと、その瞬間のリアルな言葉にならないじゃないですか。身も蓋もないことを言ってしまえば、面白いことって活字にできないのよ。活字にしたら、固定化されちゃうから。このままの空気で、世の中の悪口を言いたい放題言ってるのが面白いわけじゃない。それを、私は風流だと思う。繰り返しになるけど、人間は十月十日、女性の子宮に閉じ込められているわけだから、そこからポンと外へ出て行かないと。閉じ込める、というのは人間をダメにする。昆虫だって、閉じ込めても外へ出ていくでしょう。人間の一番の罪は、脳が発達していることだよね。今は、デジタル化も都市設計も脳化社会が生み出しているわけじゃないですか。そこに入りたくないけど、家賃は上がっていくし、一生懸命、白井聡の『マルクス 生を呑み込む資本主義』を読みながら、どうしようかなと考えてます。

本日のコーヒー
UCC GOLD SPECIAL
PREMIUM 炒り豆 フルーティウェーブ 150g
『発見のあるコーヒー』をコンセプトに、UCCのロースティングとブレンド技術で、コク、苦み、酸味の奥にある特別な香りと味わいを表現したブレンド。口あたりは柔らかく、余韻にはブラックベリーやブルーベリーのような甘みのあるコクが感じらる。
『UCC GOLD SPECIAL PREMIUM』ブランドサイト
UCC公式オンラインストア
個人の愉しみとしてコーヒーのある場所に行く
— 最後に、日常におけるコーヒーがどんな存在か、教えていただけますか?
コーヒーは外で飲むものというのが私の概念です。ヨーロッパだと、近くのバールでエスプレッソを一杯カッと飲むじゃないですか。そういう感じ。なので、私は美味しいコーヒーが飲める店がある場所の近くに引っ越す。そこで、バリスタが淹れたエスプレッソを飲む。あれが本来のコーヒーの旨味なので。映画も一人で観ますし、あまり人とつるまないので、個人の愉しみとしてコーヒーを飲みに行きます。ドリップコーヒーを飲むときは、バリスタが「今日はこれがいいよ」とお薦めするものをチョイスします。対面だから、店に入ってきた瞬間から人を見て、豆を挽いて、淹れる。どんな豆をどの水で、温度で、どのタイミングで、どんなカップで、ロジックがちゃんとある。そういうバリスタのセンスを感じさせる店に通う。誰かに一杯のコーヒーを淹れるのも、その人に合う一着の服を着せるのと同じような哲学がある、と私は思うんですよね。

北村道子
衣裳デザイナー/スタイリスト
きたむら・みちこ|1949年、石川県生まれ。10代でサハラ砂漠、アメリカ大陸、フランスを放浪し、30歳頃から、映画、広告、雑誌などで衣裳を務める。1985年公開『それから』以降、数々の映画作品に携わり、2007年には『スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ』で、第62回毎日映画コンクール技術賞を受賞。昨年、人気シリーズ待望の第3弾となる著作『衣裳術3』(リトルモア)を上梓。第40回毎日ファッション大賞にて、鯨岡阿美子賞を受賞。
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年間を通して果樹栽培の盛んな茨城県かすみがうら市。梨もその1つ。市場に多くの梨を供給する一方で、形が悪かったり傷があったりなどの理由で出荷されない未利用の梨がある。特に一番収穫量の多い品種「豊水」においては、栽培の過程で果肉が軟化する「蜜症」と呼ばれる症状が出ることがあり、食べるのには問題がないものの、シャキシャキとした食感が劣るため出荷できず廃棄せざるを得ないケースも多いことが課題になっている。この課題の解決を目指し、同市は、産学官連携で未利用梨を利用した「かすみがうら梨ピューレプロジェクト」に2022年から取り組んできた。 市内約40軒の梨農家から集めて選別した梨を、同市内の企業により市外の加工工場に運び、砂糖や保存料、着色料、香料などの添加物を含まない梨100%のピューレに加工。商品化に当たっては、地元中学生もパーケージ制作で参加。市内の霞ヶ浦中学校、下稲吉中学校、千代田義務教育学校の3校の美術部の中学生がフードロスや地域の果樹園の様子を捉えて筑波大生のアドバイスのもと、パッケージデザイン画を描き、商品の顔となる商品ラベルを製作した。そして誕生した「みんなでつくったかすみがうら市の梨ピューレ(250g)」が、同市のふるさと納税返礼品に加わった。ふるさと納税返礼品総合ポータルサイト「さとふる」では、すでに受け付けが始まっている。 ふるさと納税の返礼品概要は、「みんなでつくった梨ピューレ250g×2個セット」 (寄付金額5000円)、「みんなでつくった梨ピューレ250g×2個と梨約3kgセット」(同1万5000円)。梨ピューレは、常温保存が可能。飲料のベースとして利用できるほか、菓子の原料やドレッシングにも。肉の漬け込みでは肉質が柔らかくなるなど、年間を通して使える。
未利用梨でつくった「梨ピューレ」 地元中学生もパッケージ制作で参加し、かすみがうら市のふるさと納税返礼品に(2023年10月20日)|BIGLOBEニュース
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキクケコガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニヌネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国会人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四��今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権心界支第産結百派点教報済書府活原先共得解名交資予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変打男基私各始島直両朝革価式確村提運終挙果西勢減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流格有疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮究育席輸訪楽起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡失移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃佐核観察整段横融型白深字答夜製票況音申様財港識注呼渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士光討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処省旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師摘材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青破編捜竹除完降超責並療従右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗冷模雄適婦鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久短油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等救執層版老令角絡損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒刑坂刻底賛塚致抱繰服犯尾描布恐寺鈴盤息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮還枚属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板列露沖探逃借緩節需骨射傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓律誘紛貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕堅訳盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳毛緑尊抵脅祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯僕桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻泰賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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ベッドの隣の小さな机に置かれた皮がきれいに剥かれてカットされたリンゴに目をやる。そしてそれはリンゴではなく、中身がオレンジ色の果物「マイナ」だという知識を、脳の記憶から引き出した。
「どうだ?まだ痛そう?外傷はだいぶ治ったみたいだけど」 さらに隣の椅子に座っている男はこの体の元主の兄貴であることを認識した。確か名前は、ベルクと言う。 「そう、だな。まだちょっとめまいが……」 「そうかー、んじゃゆっくり休んでて、今日の当番も代わっておくよ」 「うん、ありがとっ」
ベルクが少し怪訝そうな表情を浮かべつつも話しかけてくることはなく、ほどかれた包帯と軟膏が入った壺を持って出入り口から出て行った。 今の返事がまずかったか。でも、仕方ない。いきなり自分の家族だと認識せざるを得なくなった赤の他人と自然に交流しろだなんて、土台無理な話だ。
もう一度、隣のマイナに視線を移す。 「こんなスタートで大丈夫かいな……」
微かな果物と薬草とカビが混じり合った匂いにくすぐられ、ちくちくした布団に身を沈めながら先日女神との会話を思い出していく。
* * *
「なーにが世界救えだ、漫画の読みすぎだろ。いきなり言われてはいそうしますっつ人いるもんか」 「マンガ? それはアナタのほうだろう? 実際、私のお願いにアナタの心はわずかだが興味を示している」 「待て待てっ、やっぱお前俺の心読めてたろ! なんなんだよ!」
彼女の願い――共に星を救うことをきっぱり断ったが、願い自体に興味が湧いてしまったのも事実だ。 古今東西の冒険譚、英雄伝説、あるいはファンタジーもの全般、そういうおおよそ現代社会の歯車として生きてきた人間にはもっとも無縁な世界を、空想の物語に綴られたメディアの数々摂取することで俺はかろうじてあの潤いのない生活を凌いでいけた。それなのに、 もう火傷の痛みどころか、感覚すらない手を握ってみては放す。何かが手からこぼしていって消えていくような、そんな錯覚に陥る。
「興味イコール受け入れたいってわけじゃないんだよ」 「ふーん、それだけじゃないみたいだ。もっと別の何か……」 「あのさぁ、本人の前で心を分析しないでくれる?」 どうにも覗かれてるみたいで気分が悪い。 「では直接に聞こう、なぜ断った」そんなどんよりしている俺をよそに創造主と自称する女神が話しかけてくる。 「自称とはなんだ、事実だが」 「いやだ・か・ら! 心読めるなって! まあその、事情だけはまず聞いておくから、アンタの星に何が起こってるのか」 「そうだな、私が焦ってた。では、聞いてちょうだい」
女神の言葉と共に星を映った画面がズームインされ、とある小さな町が映された。 その中に人々はある建物を修繕するため道具や材料を運んでいる。木材は一つ一つ、高く組まれた丸太足場に運ばれていく。それらは――宙に浮かんでいた。
「なにあれ、魔法?!」完全にファンタジー物語でしか見れない風景を前にして俺はつい大声を出して飛び上がってしまう。 「風の元素を操ってモノを運べてるのだ。次にこれを」
視線の先にまた場所が変わっていた。黄金色の稲田の中から黒い塊たちが覗かせて蠢いている。 人、にしては細すぎる肢体をくねらせ、頭と思わしき部位から触手らしきものを伸ばせ、何かに群れてむさぶり喰っているようだ。ただ、生き物の動きにしてはどこか不自然で、操り人形がぎこちなく動かされている、と言ったほうがまだ近い。 加えてその異様な光景が稲田に現れてることから、まるで都市伝説の『クネクネ』を目撃してしまったような、そんな怪談読後の嫌な寒気が背筋を這い上がる。
「奴らは『|瘧魔《デーネー》』と呼ばれている」女神は魔物に指さしてその名を告げる。魔法がある以上こんな厄介な空想生物みたいのも付きものだと、ノンフィクションを多読している俺にそういった認識があった。 ただ、おそらく目の前は現実だ。
「えっと、もっと画面近くまで映せないのか?」 「できるけど、人間から曰く、かなり気持ち悪いらしいぞ?」 「そ、そっか、じゃやめておこう」 「|瘧魔《デーネー》とは���元素の突然変異によって生じたモノだ」 「変異?」女神は怪物を注視しながらその成因を説明するが、それが何だか引っかかって俺は眉をひそめる。
「人間が過度に自然の元素操作を行うとその濃度の均衡が崩れて歪んでしまう。異変した元素の果てに、|瘧魔《デーネー》が顕現するのだ」 「えっ」
それはつまり、魔物の誕生に人間が関与しているとでも言っているのか?
俺はその事実に呆気を取られる間にも女神は淡々と話を続けていく。その声調のあまりの無機質さはどこか残酷で、しかし裏側には諦観か、あるいは何か途方もない感情を押し殺しているかのように感じ取っていた。
「人間社会が発展していくにつれ、元素の濫用も起きるようになり、国まで発展した頃から均衡の崩壊、すなわち|瘧魔《デーネー》の横行が顕著になっている」 状況を説明している女神はここで一旦止まり、俺が異状に気づいたのを見抜いたように俺の目を見据える。
「ま、待ってよ、みんな使ってるんじゃ、やつは次々と生まれてくるのではっ、それも人が多ければ多いほど、こんな、めちゃくちゃじゃないか!」 「そうだ、まさにメチャクチャだ」 女神は罪の意識にでも苛まれるかのように物憂げな表情でうつむいた。
「……ヴァーレナは私が初めて創った星だ。経験もないゆえにこんなにも不安定な形になっている」 「それでも進化の壁に突き当たったと、割り切れてるつもりだ。仮に人間がこうやって滅亡していくとしてもな」 そう言いさしたところで女神は顔を上げて表情を怒りへ一変させる。
「だが、コイツは違う」
稲田から瞬時に荒々しい大地へと切り替わり、そこに巨大なカルデラが姿を現した。中に見えるはずの清澄の湖の面影がなく、かわりにどす黒い泥が窪地を充満している。
「おおよそ三年前、極度に変異したモノを観測した。ヴァーレナでもっとも繁栄した国を滅国まで蹂躙し、周辺の軍隊と激闘の末負傷、ここまで逃げられたのだ。人呼んで『|瘧魔の王《デネーシー》』」
滅国、だと? 大きな国一つが犠牲されても倒せないものなら、いずれやつが再起したら、どうなる? 口の中に苦味が広がる気がした。 俺はその恐ろしいほどにさざ波ひとつなく、靜寂に包まれる黒泥から目を背ける。
「星を救うなんて柄じゃねえ、この世界でのうのうと生きてもいいぜ、なんて、思ったけどな」 「そうともいられないのが現状だよ」 「コイツは看過するにはあまりにも異質な存在だ。何としても排除したい」
ここまで聞いて大抵の流れは把握した。俺が読者だったら、願いを了承した勇者のこれからのご活躍を楽しみに次のページをめぐればい��。 ただあいにく、というよ��最悪なことに願いを聞かれた対象は俺という一般人だ。
「それで、俺とアンタ二人でこのデネー何とかを倒せと? アンタの無敵の加護とやらでか?」 「いいえ、私は基本自分の星に干涉はできない、それこそもっともの均衡崩壊になりかねないから。よって君に私の力を渡すことも憚れる」 「おいおいじゃどうしろってんだよ」
「一つ|瘧魔の王《デネーシー》を討伐する遠征隊が結成されてる。私の見込みだとこの集団の討伐成功率は最も高い。君という保険も入ってもらってその行方を私の指示の元導いてもらいたい」 先導者になれってことか? お供の間違いじゃなくて? 俺は冒険隊の後ろにのこのこと歩く歩荷のイメージを浮かべる。
「そう簡単にいくもんかね……、まあ、どんな人たちだ?」 「紹介しよう」
カルデラを移された画面はとある場所の廊下に変えていく、目の前のドアの隙間から何やら湯気が漏れてるような……
「ストップ――ッ! いったん止まれ!!」 「あ?」 女神は不可解に首を傾げるが画面の進行は止まれない。とうとう木製の浴槽に浸かってる人影が目に入ってしまう前に俺は急いで背を向けた。 「なに人が風呂入ってるとこ見せるんだよ!? プライバシーの侵害だぞ!」 「何だそれ、私が私の創ったモノをどう見せるかに何か問題でも?」
ダメだこいつ。
「いやいや、仮にも生身の人間だ、それを自分のモノだなんてっ」 「ふん、理解不能だ。何をそんなに遠慮する必要がある?」
どっと疲れた。これが人と神の価値観の違いか? 普通の会話もままならないとは。 俺は先が思いやられそうな予感に頭を抱える。
「とにかく、写真だけでもいいから」 「シャシン?」 「ええっ、知らないの? えっと、顔だけ見せてくれれば」
女神は俺を一瞥して、めんどくさそうに画面を切り替える。すると一人若い女性の顔が映された。ただ視界の至るところ半分のうちが投影された画面なので、当然顔だけを映されることはなく、不意に下に見ると女性の湯船に浸かってるうっすらと浮かぶ肌が、
アウト!!!!
「うおおおおぉ! もういい! 見せなくていいから!!」 「チッ」 字面通り頭を抱えて膝をつきながら叫んだ俺に女神がまたしも舌打ちをして画面を真っ暗にした。これで二度目だがめんどくさいと思われてるに違いないな。
「まったく面倒くさいぞキミは」 「……」 もうさっさと会話を切り上げてしまいたいという切実な願望を堪えて俺は要点を伝える。
「とりあえず、話は一旦ここまでにして、その依頼を受けるかどうかは後から決めてもいいか?」 「ここまで聞いておいてまだ躊躇するのか? 今すぐ答えを出してもらいたいんだが」 「それは、悪い。けど何もかも一筋にはいかないんだよアンタの願いは」
俺はあくまで一般人だ。そんな前からまだ���ソコンと睨めっこしていた人間にいきなり魔王に直面して倒せなんて、簡単に快諾する人はいないだろう。というより、やっぱり断るべきか。怖いし。
「……キミは拒否を選ぶならキミを元の場所へ帰すことはまだできるが、どうする?」 「えっ?!」まさかの第三選択肢を聞かれて思わず面食らう。 地球に帰ることもできるってことか? でも、 「この前ほぼ死んでるって言ったよな? それって、実際はまだ生きてるの? 地球の俺」 「しばし待て、状態を見せてくれるよう地球の主に要請する」
女神は話を中断してすっと沈黙になる。よく見ると目から光の束みたいなものが奔っているような、構造が光ファイバか? それにしても、地球の創造主っていうの、すごい気になるけど。
「繋げた」女神はそう言うと空間が再び映像を出現させた。
そこには白くて無機質な病室が現れた。複雑そうな設備がいくつも置かれており、治療用のベッドの周りには電線や管状のものが伸びて、それぞれが設備に繋がっている。
――ああ、察しはついたはずだ、こうなることを。
ベッドの上に、有機体であろうモノが横たわっていた。 ソレの頭から足の先まで分厚い包帯で覆われている。かろうじて覗く目の口の周りの皮膚になるべく直視しないようにして、口から人工呼吸器らしき機械に繋がっている太い管に目をやった。胸のあたりが機械のリズムに合わせてかすかに上下している。
目を瞑らずにはいられない。目の前の凄惨な現実をこうもあっさりと見せつけられて、どうしようもない無力さばかりが思い募る。
ふと、いらぬ考えが頭をよぎってしまう。 ひょっとしたら、アイツは、見舞いに来たり、するんだろうか。
「廊下か、誰かが待っているような場所に移動できないか?」 地球の創造主は応じたのか、ふわりと場所が変わった。簡素なソファがいくつか並び、休憩室のような空間が見えた。そこに、見慣れた人影がいた。
彼女たちは、近くに住んでる鈴木さん親子だ。俺の容態はもう見てたのだろう、どっちも沈痛な面持ちをしている。あの時以来よくお世話してもらってる親切な隣人だ。自分のあんな様子を、二人には見せたくなかったんだが。
「会話を、聞きたいけど」 俺がそう伝えると、これまで無声だった映像から二人の会話が妙にクリアに聞こえてくる。
「もう一度、話しに行こうよ!」 「隣で聞いてたでしょ。あんな態度じゃ、もう聞き入れてもらえると思わないわ」 「いや、だって、おかしいでしょ! 見舞いは家族の義務なんだぞ!? あの野郎、浅かっただし歩けてた! なのに、なんで私たちに代われなんてっ」 「瑛子……私、|光《アキラ》さんに会えて良かったと思ってるのよ」 「それは、私だってっ、でもそれとこれは! ぐずっ、この、ド畜生っ! さっさと捕ま��てればっ」
ゴウォォ。 目の前に炎が燃え上がるように真っ赤に染まった。
「瑛子、やめなさい。夜にもう一回面会できるから、私たちで見に行こう? 光さんは深く眠ってるって、先生が言ってたのよ……分かるでしょ?」 「もういい」 今ので充分に分かった。 「キミの判断の実情についてだが、」 「もうどうでもいいんだ、どっちにしろ禄ではないさ」
思い上がりも甚だしい、無関心ですらなかった。そう受けてしまえば案外身軽になるもんだな。 |死に損ない《アイツ》は最後まで憎悪で己の子を焼き尽くそうとした。それがすべてだろ。ならば、これ以上誘蛾灯に飛び込む愚かな羽虫でいるなど、やめるまでだ。
「アンタの願いを受けよう」 ああ、やってやるよ。やればいいだろ。 耳元で炎が吹き荒ぶ音がまだ止まない。心の中で渦巻いていた感情すべてが黒いカスへ燃え尽くされていく気がした。
「……助かる、アキラ」女神は何か言いたげだが、口にはせず目を元に戻した。 「今の俺はもうアキラじゃない、だろう?」
自分の名前にもう価値を感じないのか、それとも、嫌な記憶ごと封じ込めたいのか、女神にそう呼ばれることに拒否感が湧きあがった。
「そうだな。タルク、それが私が選んだ人間の名だ。今後はキミにタルクと呼ばせてもらおう」 「うん、それでいい。とりあえず、一度はアンタの星に行かせてくれ」 「そのつもりだ、キミは先ほど果物にぶつかられて気絶していた。しばらくは休むといい」 「ははっ、あれか。また死ぬかと思った」 「キミが私に会えるのは失神か睡眠中の時だけなわけだから、回復した時にまた夜に会おう。説明は追々伝える」
女神が話を終えると同時に視界が緩やかにぼやけていく。 次に起きたら新しい人生か? 俺はそのことに一切抵抗なくそのまま誘う深い暗闇に意識を任せた。
本当は、このまま起きなくても構わないと思うのだった。
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【生育日記】あきたこまちの稲刈り(4回目※一時中断※)

↑前半、絶好調のバインちゃん。絶好調すぎてこわいくらい。何か起こるんでねえべがという一抹の不安。

↑今日稲刈りしている田んぼのすぐ隣にある蕎麦畑。野生のシカによる獣道が一本道になっています。シカはいつも同じルートを通る習性があるそうです。

↑蕎麦畑を通過したらそのままあきたこまちの田んぼにイン。こちらにも一本道の獣道が形成されていました。おかげ���稲が踏み潰されて挫滅してもうた。

↑ここでマシントラブル発生。野生動物や雨風のせいで挫滅した稲を刈ろうとしたところ、機械が詰まってしまいました。

↑幸い詰まりはすぐに解消できたものの、2度3度と同じ場所が繰り返し詰まってしまいます。なんてこったい。これは何かがおかしいぞ。

↑マシントラブルの救世主、地元の整備屋さんがすぐに来てくださいました。ありがたやありがたや…!お忙しい所本当にありがとうございます…!「コンバインは商売の命だからな!」とおっしゃってくださいました。
どうやら内部のギアに様子がおかしい部分があるようです。取り外して持ち帰り、修理していただくことになりました。最長で1週間、奇跡が起これば数日でできあがると思われます、とのこと。ご予約分のあきたこまちはすでに出荷済みでお客様の元へお届けになっているので、その点は大丈夫なのですが、残された3枚のあきたこまちたんぼ。直ってくるまで稲刈り一時中断です。近所の農家仲間に頼み込んで稲刈りヘルプしていただくことになるかもしれません。
バインちゃんの大手術、よろしく頼みますぜ、いちやにい!
■■■おまけ■■■

↑三角キャベツやカラー大根を整えているばば。後ろにはくまちゃん。

↑くまちゃん「なんでしか。」

↑ギロリ。
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さらはにズム ちくま論説 2024年8月
さらはにズム ちくま論説 2024年8月 ▼猛暑と豪雨の夏が日本に居座っている昨今、悪環境何するものぞと、今年も各地区でお祭が盛んだ。先月は、上山田温泉夏祭りや稲荷山の祇園祭に、生憎の雨模様の中、多くの老若男女が参加し、楽しんでいたそうだ。今月もまた屋代駅前の千曲夏祭り(8月11日)や屋代の須須岐水神社の茅の輪祭(8月31日)などが準備に勤しんでいるそうで楽しみだ。 ▼私の竹馬の友のこんな遺作があった。『エッセイ「おまつり」私の曽祖父は「おまつり」というあだ名だったという。明治六年生まれだったが、町のこと、神社やお寺のことなどに力を注いだらしい。祖父と父も町会議員を務めたので、いろいろな繋がりもあったのだろう。振り返ってみると、どうも私も「おまつり」の血を引いているようだ。三十歳のとき、途絶えていた春祭り神楽の復活運動を起こしたり、三十八歳で更埴どんしゃんまつりの創設を提案したり、…
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六篇 下 その一
伏見の京橋から船に乗った弥次郎兵衛と北八。 元の伏見の京橋に戻ってきたのだが、しょげ返るわけでもなく京見物に繰り出すことにした。 伏見稲荷近くの茶屋で弥次郎兵衛が死んだ息子に似ているなかれたりで、方広寺の大仏の前に着いた。
さてここは、大仏殿方広寺のなか。 本尊は盧舎那仏の座像で、身の丈は20メートルもあるだろうか。 堂は西向きにたっていて東西よりも、南北に広い。
弥次郎兵衛と北八は仏前で、なにやら訳のわからない経をよんであらためて、仏像を見上げながら、 「それにしても話に聞いていたよりも、はるかに大きいじゃねえか。 あの手のひらへ畳が敷けそうだ。」 「その畳の上で、何でも出来そうだ。」 と北八はにやついている。 「それにあの鼻の穴からは、人が傘をさしたまま出てこられる。」 と弥次郎兵衛は、顔をしかめたまま言う。 それを聞いて北八は、 「そりゃまだしも、人がさして出るからいいが俺の知り合いの、だらしないやつの鼻の穴からは、瘡(かさ)がひとりでにふき出したことがある。」 と笑っている。
弥次郎兵衛もつられて笑いながら、 「馬鹿なことを。それ、後ろにもまわって見よう。」 と北八と供に、後ろにまわると、 「おや、お背中に窓があいていらあ。」 と指差す。 「あれは、大方、汐をふくところだろう。」 と北八がふざけると、 「なに、鯨じゃあるめえし。」 と穴の方をみてみる。 北八もそちらの方を見ると、 「おやおや、あれをみろ。みんなが柱の穴をくぐっているぞ。」 と穴をくぐる人を見つけた。 「ほんとに、こいつは奇妙奇妙。」 と弥次郎兵衛もその方を見ている。
この御堂の柱にはちょうど人が這ってくぐるぐらいの穴が開いており、実はこの穴、腐りにくくするためのものなのだが、いつのまにかこの穴をくぐり抜けることがご利益に叶うことだと誰かが言い出してから、このようなことが行われるようになったのだ。
さっそく北八もこの穴をくぐってしまい、 「こりゃ、面白い。 しかし俺はくぐられるが、弥次さんは太っているからぬけられめえ。」 と体を起こしながら、弥次郎兵衛にいう。 「何を!俺だって、これくらい。」 と北八を、引きのけ四つんばいになってこの穴に入りだしたのだが、体を半分ほど入れたところでぴたりと動かなくなってしまった。 仕方がないと後ろへ戻ろうとすると、脇にさしている刀のつばが横腹につかえてその痛いこと。
弥次郎兵衛は顔を真っ赤にして、 「あいたたた、こりゃ失敗した。」 その様子を北八は、笑いながら見ていて、 「おやどうした、ぬけられねえか。」 と声をかける。 「これ、手を引っぱってくれ。」 「ははは、こいつはおかしい。」 と北八は、穴の前の方から弥次郎兵衛の両手をぐっとひっぱる。 「あいたたた。」 「根性のない男だ。ちょっとくらい辛抱すればいい。」 となおも北八は、弥次郎兵衛の両手をぐっとひっぱるがびくともしない。
「いやいや後ろの方から、足を引いてくれ。」 「なるほど。そのほうがいいか。」 と今度は、北八は後ろへまわり両方の足をつかむと、 「やあえんさあ、やあ、えんさあ。」 とひっぱりだした。 「あいた、あいた。」 「うるせえな。ちょっとこらえなせえ。 ほれ少しは、出かけたようだ。えんさあ。」 とひっぱりると、体がわずかに動いたようだ。
「ああ、まってくれ、腰骨がおれるようだ。 こりゃ、やっぱり前のほうから引出してくれ。」 と弥次郎兵衛が声をあげるので、北八は又、前へ回って両手をつかんで引く。 「やあえんさ。それ、またこっちへわずかだが、出て来た。」 「こりゃ、たまらぬ。あいたたた。北八、これじゃ、だめだ。 やっぱりさっきのように又、後へ引き戻してくれ。」 「ええ、いろいろなことを言う。」 と北八、又、後ろへまわり足をつかむと、 「やあえんさあ。やあえんさあ。」 と引っ張り出した。
「待て待てやっぱり、前の方から引いてもらおう。」 「ええそんなに前へまわったり後ろへまわったり、引き出しては引き戻しじゃ、らちがあかねえ。 いっぺんに済ましてしまおう。」 と北八は、そばで見ていた人に頼むことにした。 「もし、すみませんが。 誰か穴の前の方から、この男の手を引っ張ってくださいませんか。 わしが、後ろにまわってこの男の足を引っ張りますんで。」 と言う。
それを聞いていた弥次郎兵衛が、 「ばかあいうな。両側からひっぱっては、出るわけがねえ。」 と北八に文句を言うが、 「でる訳がなくても、両方からひっぱると、前へまわったり後ろへまわったりしなくていいわな。」 と北八が笑いながら言う。 そこへ、北八に声をかけられた人が、 「いや、両方から引っ張れば、あの男の胴回りも引っ込むじゃろ。 そしたら、簡単にで出られそうなもんじゃ。」 と笑いながら言う。
北八がぽんと手を叩くと、 「こりゃいいことがある。 酢を一升買ってきて、弥次さんお前に呑ませよう。」 「なぜ?酢を飲むとどうなる。」 「そりゃ、酢を飲むと痩せるということだから。」 弥次郎兵衛はいいから、出してくれという。
それを聞いていた回りの人が、 「ははは、しかしそれじゃ、時間がかかる。 こうしなせえ。どこぞへいって木槌を借りてきて、頭の方から打ち負かしたらよいわいの。」 と適当なことを言うと、 「なるほど、それなら簡単そうだ。しかし、それでは命があるめえ。」 と北八が、真剣な顔をして聞くと、 「なにものにも、犠牲はつき物。」 とこれも、また真剣に答える。
このやり取りを聞いていた、田舎の巡礼者が、 「こりゃ、気の毒なことですな。 わしは遠国のもんだから何もわからんが、人様が困っているのを見るとほってはおけないんで役に立たないかもしれないが、自分の今考えたことを言ってみよう。」 と、北八らに話しかける。 「どうぞ、あの男が助かるのなら、言って聞かせてくんなせえ。」 と北八が促すと、 「はあそれなら言うけども、なんでもあの人の足の先を切り割って山椒の粒をはさませたら、独りでに、ぬけてしまうのし。」 これを聞いて、北八は、 「ははは、そりゃ、蛇が穴に入って出て来ないときにやる方法だろう。 どうせそんなことであろうと思った。」 と思わず笑ってしまう。
また、他の人が、 「こりゃ、わしが知恵をかそかいの。 とにもかくにも、あの男を和やかに引き出すにはこうしなせえ。 真言宗では土砂を死体にかけると、固くならないという。 いっぱい土砂をかけたらいい。」 「砂をかけるくらいなら、一番大きな桶を買ってきたらいい。 手足をちいとばっかし折り曲げたら、はいるべし。」 これまた他の人が言う。 これを聞いていた、弥次郎兵衛は、 「ええ、いまいましい事ばかりいうもんじゃねえ。俺は死体じゃねえ。 無駄口をたたいていないで、はやくどうぞしてくれぬか。」 と言うので北八は、もう一度弥次郎兵衛を見て気が付いた。
「待ちなよ。ははあお前、脇差の柄が横腹につっかえて痛いんだな。」 と手をさし入れてひねくり回し、やっとのことで脇差を抜いてやる。 「なるほど。どうやら、体がゆっくりしてきたようだ。」 弥次郎兵衛は体を動かしてみる。わずかだが動くようだ。 「どれどれ。いや、どなたか、前の方から、押し出して下さいませ。 わしが足をもってこっちへ引き出すから、やあえんさえんさ。」 と北八も、手伝って穴から出そうとする。 回りの人も、 「それ出るわいの。もうちょっとじゃ。息まんせ。」 と声をかける。 つられて、弥次郎兵衛が、 「ああ、ううう。」 と息む。 「ははは、お産と違って、出る奴が息むから、大笑いだ。」 と北八が言うと、皆々大笑いとなる。 「ああ、痛てえ、痛てえ。」 と弥次郎兵衛が声を上げたので、我に返った北八が更に力を入れると、 「しめたぞ。えんやえんや、そりゃ出たぞ。」 とやっとのことで、弥次郎兵衛を引き出した。
弥次郎兵衛は、汗をふきふき、ほっとため息をつきながら 「やれやれありがたい。こりゃどなたもご苦労でございやした。 わたしは伊勢の泊まりでお産の経験があるが、生むよりか生まれる方が、よっぽど切ない。 これ着物がすりきれて、あばら骨がびりびりする。」 と、苦笑いしている。
傘さして 出るお鼻より 柱から あな(穴)おそろしや 身をすぼめても
と詠むと、それを聞いていたみなは大笑いとなる。
つづく。
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台湾1周サイクリング
2024/06/05 - 2024/06/14 @台北~台北:約920km
登山の"ついで"、にしては相当ヘビーだし、なんならこっちの方がメインなんじゃないか、という感じもするけど…せっかくの機会だし、台湾1周サイクリングをすることにした。さすがに玉山登頂翌日の朝出発は乱暴だったかもしれない笑。睡眠時間足りてないし、足の疲労もある、その上自転車も組み立ててない。そんな状況でも、玉山から戻った夜は、やけにテンションが高かった。サイクリングが楽しみだったからだと思う。そんな風に感じたことは普段全くないから、なおさらそのままの勢いで出発してしまおう、と思ってしまった。
全部終わって振り返ってみると、やっぱりやってよかったと思う。1回目の退職記念にはキリマンジャロに登り、今回、2回目の退職を前に台湾1周のソロライド、10日間。5年近く勤めた仕事を振り返ったり、労ったり、次のステ��プに進む英期を養ったり、という意味で僕にはこれが必要だったんだと思う。贅沢ではあるけれど、(仕事を一切しない)長めの休みを取るのも久しぶりだし、職業柄、日常を離れて未知の風景を楽しむ、というのは大事なことだと感じる。幸い、体力とか装備、お金、といった大きなところの心配が不要だったことがハードルを大幅に下げてくれた。一見無謀とも思えるこのチャレンジも、実はそこまで大変なことではなかった。
真ん中に紐みたいな短い赤い軌跡が登山で歩いた距離・場所だから、台湾をかなり堪能したことが分かるな…。

1日目 (台北から新竹) 86km
6月4日、玉山下山後、夕方6時に台北着。そこから翌朝出発の準備を始める。自転車の組み立ては当然すんなりとはいかず、シンガポールからの移送中に前輪のシーラントがケース内で漏れまくっていた。慌ててシャワー室でスペアチューブを足して、なんとかタイヤが機能するように。結局、前輪はチューブ���り、後輪はチューブなしの状態でスタートすることに。加えて、急遽買ったミニ空気入れが上手く使えず、40psiぐらいが限度だった。もうそれで手を打った。
泊まったホテル(Brother Hotel)が親切で、登山グッズの詰まったバイクケースを10日近くただで預かってくれるところだった (引き換えに計4泊滞在)。ホテルの部屋でバイクを組み立て、朝食、荷物を預けて、チェックアウトし、台湾でのライドスタート。ラッシュアワーを避けて、早めに出ようと思ったんだけど、いろいろもたついて、結局8時になってしまう。モロに交通量が多い時間帯。それでも幸い曇りだったし、バイクに異常もなく、無難にスタートできた。河原で記念写真を撮ろうにも、全然笑えない自分がいた。不安要素が多すぎたから、顔がひきつっちゃったんだと思う。台湾政府公認の1周路を辿るにしろ、道に迷わないかとか、事故の心配、荷物が気になったり、天気が心配だったり、ペース配分が分からなかったり、言葉が思った以上に通じなかったり、と最初の2日ぐらいは実はライドを心から楽しめていなかったかもしれない。とにかく細かいことで気が散っていた。
例えば、新しく買ったサドルバッグはこの時初めて取り付けて、僕のバイクと仕様が合わないことに気づく。がっちり固定できないうえに、たぶん荷物が重すぎた(か多すぎた)せいもあって、途中から徐々にずり落ちる事態に。つまり後輪にバッグが当たる最悪の状況。その上、台北出発から1時間も走らないうちに雨が降り始める…。雨対策も万全ではなかった。振り返ってみても、9日間のライドの中で、初日が本当にハードな日だった。右も左も分からないのに加え、結局、昼ぐらいから新竹のホテルに着くまでの数時間、ずっと強い雨に打たれながらの走行で、本当にやる気をくじかれた。ずっと濡れたままだったから、寒さにも襲われて、到着間際は顔が真っ白になっていた。夕方ホテルに着いたあとは、体を洗って、服類を乾燥へ。この先のライドが不安になる…。でも、長いマラソンなんだと理解して、気持ちを切り替えた。その日の失敗から学べばいい、ということでポジティブに捉える。サンダルが壊れ、急遽モールに買いに行ったことと、夕飯を食べただけの夜。
2日目 (新竹から鹿港) 131km
雨のライドがややトラウマになったけど、まあ進むしかない、ということで朝早くから準備開始。なるべくサドルバッグへの負荷を減らすように荷物を分散させて、濡れてもいいものはポケットに収納。レインコートは昨日に引き続き着てスタート。かなり改善。ただ、自転車をストレージにずっと放置したのは良くなかった。朝行くとチェーンにサビがつき始めてた。昨日のライド後に乾拭きせず、相当汚れていたのに、何もしなかったから。結局洗う術もないまま、とりあえず油をさして出発へ。2日目は長い海沿いのコース。事前情報では強い追い風、のはずだったのだけど、あまり風は強くない。途中からパラパラと雨が降り始め、また嫌な予感がよぎったけど、幸い快方へ。苑里で排骨酥麵の昼食後、午後には台湾で初めての太陽を見て、一気にテンションが上がった。晴れるだけで、こんなに嬉しくなれるとは…。ちなみにライド中は1時間半おきにコンビニ休憩・ランチ休憩を取ってた。イートインのできるコンビニはすごい重宝。お店に入る前にTシャツと短パンを重ね着して、それにサンダルに履き替えて、一応きれいさをアピール。おにぎり・パン、バナナ、ジュース類を補給して、ごみ捨て、トイレもさせてもらう。クレジットカードが使えるのも強い。自転車をガラス越しにチェックできるのもいい。台中を過ぎて、彰化市のバイクショップでクリーナーを購入、そして空気も入れてもらう。帰りがけにショップオーナーがエネルギージェルをサービスしてくれた。優しい。この日のライドが全日程中、一番長く、7時間ぐらい。さすがに集中力を維持するのは至難。鹿港という歴史のある街に到着。この宿はb&bスタイルのオシャレなところ(a day in Lukang)で、庭付き。そこでバイクの水洗いをして、チェーン諸々の洗浄ができたのはすごく良かった。ただその最中、蚊にものすごく刺されたのがのちのちまで辛いことに。
3日目 (鹿港から嘉義) 77km
この日はスーパーで買ったパンを食べてスタート。晴れ。正規のコースに合流するまで運河沿いを走行。最高に走りやすい道。お昼は斗南駅近くのバーガー屋さん。この日は一番短い距離を移動。雨の降る気配はほぼなく、この頃には天気予報のあてのならなさに気づく。梅雨の時期でもあり、雨とか雷雨が24時間・1週間連続で予想はされてはいたものの、結局晴れや曇りの場合もすごく多かった。この日以降は、レインジャケットはバイクのフレームに括り付けて、結局最後まで使わなかった。
ホテルには3時ぐらいには到着。お腹がすいて街の方まで歩いていくことに。その途上で再認識する台湾のスクーター・原付文化。これらのためのインフラがあるからこそ、自転車ロードの整備がさほど無理なくできるんだろうなと思った。車とは別の自転車専用レーンがほぼずっとあるから、危険性をほとんど感じずに走行できる。サイクリストにとっては最高な環境でしょう。"環島"の標識や、所々ブルーの線がひかれていて、道しるべとしてもかなり助かる。その反面、台湾は歩行者にはそこまで優しくない気がした。歩道がなかったり、物で塞がってたりという感じで、歩くのには向いてないように思った。
嘉義の街の中心に移動して、現金をおろして(鹿港ではカードがあまり使えなかったから…)、あとは、焼肉丼大盛り定食をぺろり。この旅中、カロリーの高いものをいっぱい飲み食いしてた。と同時に、清涼飲料水からの糖分の摂りすぎも若干気になって、途中麦茶に切り替えたりもしてた。ジェル類は一日に一つか二つの消費量。


4・5日目 (嘉義から高雄 + 休息日) 123km
台湾西側は平地の中の街や田園地帯を抜けたり、大きな川をこえたり、日本と同じアジアモンスーンの風景が展開されていく。シンガポールにいると分からない、農のある風景;特に稲のある風景というのは日本人の心象風景として心地よい。6月なのに穂が大きいのは亜熱帯地域ならではの特徴だと思った。2期作なのかな。あと、南部に行けば行くほど、果物の作付けも多く、ちょうど今はマンゴーの季節だった。ランチスポットでうまく止まれず、台南新幹線駅までいっきに行く。駅ビルの中に一風堂を見つけ、つい入ってしまった。自転車持ち込みは難しいかな、と思いきやちゃんと預かってくれた。
その後も新幹線と並走しながら、高雄に近づく。晴れた土曜の午後は交通量が多く、市内はやはりちょっと怖い。高雄中央公園の近くの宿で2泊。さすがに休憩日を設けたのは正解だった。足を休めたり、服を洗ったり、バイクメンテしたり、公園でボケーっとしたりする時間は必要だった。翌日曜日は港近くで、ドラゴンボートでのレースを見たり、あと港湾部の再開発地域を見て回っていた。古い倉庫群跡地をカフェやショップにリノベーションしているエリアは特に面白い。建築デザインも多様。大きな再開発エリアを巡るのにも、いろいろなモビリティがあるのも今風でとても参考になった。


6日目 (高雄から車城) 88km
朝は高雄にちょうど帰省中の元同僚と会って、朝食を一緒にした。一緒に写真を撮ると自分の日焼けが突出する。曇りや雨の日でも日焼け止めが大事なことを思い知る。ソロライドの中において、久々に長々と話ができたのは良かった笑。それにローカルの人が食べそうなものを大量に注文してくれて、しかも奢ってくれたからもう感謝しかない。スタートが10時過ぎ、ということで、ランチをスキップ。真っ直ぐで平な道をひたすら南下。走りやすいところはDHポジションで自転車をこいでた。断然楽。やはりトライバイクの強みはそこなんだけれども、でも出番は正直あまり無かった。今旅もロードバイクやグラベルバイクを勧められたけど、実際トライバイクでも全く問題なかった。ただ、トライアスロンバイクを旅仕様に使ったのは、むしろ罰当たりな感じがした。唯一良かったことは、池上という東部の街で突然少年が話しかけてくれて、「僕もトライアスロンやってます。同じスポーツをやる者同士、応援してます」、と言って、お菓子を1袋くれたこと。些細なことだけど、そんなことが一生の思い出になった。


車城まで来ると、山と海に囲まれたのどかな田舎、という感じが強くなって、宿もかなり広い。部屋の目の前には畑と山。何人か同じくサイクリストを見かけたのはこの辺りが多かったと思う。最南端まで行くルートもあるのだけど、僕は公式ルートを選択したことで、若干のショートカット。翌朝のヒルクライムに備えて、その晩はガッツリ羊鍋を食べて就寝。

7日目 (車城から台東) 117km
この日は序盤にヒルクライムがあってからの東海岸沿い(太平洋側)を北上するルート。”来てよかった”、と初めて思ったのはこの辺かもしれない。ここでしか味わえない景色を堪能できたから。
ヒルクライムは500mぐらいのアップのようで、実はそれがどれほどのものなのか想像ができず、当初はかなりびくびくしてた。雨もパラパラと降る中だったから、かなり慎重で遅い登りだったけど、そこまで大変なものじゃなかった。むしろそのあとの長い下り坂が天国に感じられて、幅広な道路を一人占めしながら風をきって下れたことが最高だった。山エリアを抜けると、海岸沿いの道をずんずん北上。海を右手に、山を左手に見ながら、最高の景色を楽しむ。太平洋側は向かい風がきつい、という事前情報もあったけれど、そんなことはなかった。一部エリアで、進む道の先に、海と空が繋がってるように錯覚できる場所があって、まさに空に登っているような感覚をあじわえた。だけど、風をきって気持ちよく走っていた矢先に石(か何か)を後輪が踏んずけてしまい、大きな鈍い���がする。マーフィーの法則、じゃないけど、気分の良いときに限って、そういうアンラッキーなことが起きる。その直後は大丈夫そうだったけど、台東に着いて調べたら、やはりタイヤに穴が空いていた。シーラントのおかげで、全部の空気が抜けるところまでいかなかったよう。台東のホテルでは持っていた最後のスペアチューブを入れて修復。その後、ジャイアントのお店にタイヤを持って行って空気を満杯に入れる。空気入れは結局、台中、高雄、台東の3箇所で借りて補充したことになる。ジャイアントのお店を多用したけれど、どこもみんな親切。お昼は原住民の人たちが住んでいる地域のおしゃれなカフェで食べて(双亭院)、ホテルは台東の旧駅舎の目の前で、アートによる再開発エリア内だった。ここのホテルが唯一部屋に自転車を持ち込んでいいところで、ちょうどタイヤの修理をする必要があったから本当に助かった。


8日目 (台東から瑞穂) 100km
この日も快晴の中、景色を楽しむ最高のライドができた。米どころ、の池上ではご当地の池上弁当を食べて、のどかな田園地帯をゆっくり北上していく。夜は瑞穂という温泉街で、少し奮発して高い宿に泊まる。プライベート露天風呂で足の疲れを癒す。


9日目 (瑞穂から礁渓) 87km
瑞穂の宿で朝食をとってからさらに北の花蓮駅まで急ぐことに。というのも花蓮と宜蘭の間は、急峻で道路も狭く、トラックも多い、ということで公式ルートでも列車での輪行を勧めている区間。そのため、1時間に1本弱、という自転車をそのまま乗せられる列車に乗るために、ひとまず駅に向かう。この地域を襲った地震が起きてから1か月半ぐらいの時期だったけど、その爪痕を感じさせないくらいに日常を取り戻している印象。駅で1時間ぐらい待つ間にお弁当を食べて、その後、スムーズに乗車。僕以外にも数人自転車を載せている人たちがいたけど、みんな結構適当な感じで乗せてた。1時間ぐらいの乗車区間だったけど、窓からの景色は絶景だった。僕は羅東という駅で降りて、そこから礁渓という温泉町まで20kmぐらいさらに自転車で進むことに。山の近くの活気ある観光地、という印象かな。おしゃれな宿に泊まって、2日連続でプライベート温泉を楽しむ。ローシーズンということもあって、お客さんの数はまばら。でも質はすごく高いし、値段もそこまで高くない。


10日目 (礁渓から台北) 100km
ようやく最終日。この日まで無事に走行できたことに感謝。朝、礁渓の街をぶらぶらして、蘭陽博物館に立ち寄ってからのライドスタート。強いて言えば、この日はわりかし辛かった。トラックがとにかく多く通る海岸線の道はものすごく走りづらかったし、1時間ぐらいは雨に降られたこと、それから、台北近くのルートは自転車レーンがなかったり、交通量がとにかく多かったり、ルートが紛らわしかったりと、イライラすることが非常に多かった。疲れと焦りとゴールへの期待が全部混ざって、複雑な気分だった。それに2ヶ所トンネルを通るところがあったけど、(事前情報とは異なって)普通に車道の脇を走らされて、結構怖い思いもした。それでも、台北に近づくにつれて、旅の終わりに向けた高揚感が高まってきて、松山駅に着く頃はかなりの喜びだった。本来は0kmのモニュメントは出発時に立ち寄るべきなんだけど笑。その後、Brother Hotelに向かって3駅分、大通りをさらに進むことに。ホテルに着いた時もかなり感動した。行きはホテルを西に向かったのに、今回は東からたどり着いたわけだから。とにかく10日は長かったー。でも無事に帰ってこれたことが素直に嬉しかった。その日は、友人の友人の旦那さん、という方がご飯をご馳走してくれて、なおかつ車で市内をプチ観光案内してくれた。感謝。翌日はホテルの一角を借りてバイクパッキングをして、その翌日の早朝にシンガポールへの飛行機に乗ったとさ。


まとめ
たぶん台湾1周サイクリングは誰でもできると思う。(ある程度普段からサイクリングしている人は)体力的な心配はそこまでない気がした。走りやすいし、コンビニもたくさんある。むしろ、それだけの時間を確保で���て、なおかつ、その時間をこういう体験に費やしたいか、の問題な気がする。事前にこのアイディアを思いついたときに、面白そう、と思ってしまったことがそもそもの発端で、取り憑かれたら最後、やるしかない。これをフィーチャーしたYouTuberさんの動画に触発された部分も大きい。以下2つ、すごく参考にした情報元を載せておく。
https://www.bikeexpress.com.tw/ja/2024/the-classic-9-day-cycling-around-taiwan-along-cycling-route-no-1-or-alternative-routes-jp/
https://discover-ride.com/taiwan1000km/
プラクティカルなことを言えば、僕の場合、荷物を長期間預かってくれるホテルを探すこと、サイクリストにフレンドリーなホテルを探すことが当初心配だった。今回の旅の経験からいえば、1泊1万円ぐらい(あるいはそれ以上)のところはかなりその辺の融通がきいたように思う。一般化はできないけど。一応、予約の際に、その旨を伝えておいた。全般的にホテルスタッフは優しくて、サービスも良かった。予約に失敗して、Refundできないだろうなー、という場合でも優しく対応してくれた。あとは、空気入れをどうするか問題に関しても、立ち寄った町の自転車屋さんで借りれば、問題なく走れる。
あと細かいことでいえば、中国語が少し話せたなら、もう少し楽しかったのかもしれない。英語と日本語が思いのほか通じず、例えば、同じサイクリストに話しかけられても、全く会話ができなかったり、おすすめの料理が分からなかったり、という場面も結構あった。次にまた台湾へ行く楽しみを取っておくことが出来た、と思えばいいのかなと。
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《閉店のお知らせ》
平素より、ご利用いただきまして誠にありがとうございます。突然のお知らせとなりますが、今月6月30日をもって閉店することといたしました。丸18年を節目とし、この日をもって、ことりとを巣立たせたいと思います。三十の年に開業を決意し静かにオープンさせた2006年、年を重ねるたび増えてゆく沢山の方との出会いと繋がり、心を寄せてくださった皆様あっての18年でした。熟と心身に沁み渡っております。長年にわたるご愛顧を賜りましたこと、心からの感謝と、そして、厚く御礼申し上げます。
閉店までまだまだ素敵なイベントが続きますので、お近くにお越しの際はぜひお立ち寄りください。
《閉店セールのご案内》
閉店に伴い、6月16日から30日まで"感謝セール"を行います。一部の商品を定価から10〜40%引きにて販売いたします。
倉敷意匠、松野屋、野田琺瑯、白山陶器(森正洋)、柳宗理、KINTO、humming bird、Arabia paratiisiなど。
気になっていた品物がございましたらこの機会に是非ご利用ください。既に値引きされている商品は、お安い方の価格で販売いたします。尚、一部セール品のカード決算のご利用はご容赦いただきますようお願い申し上げます。
また、作家の皆さんからお預かりしている作品は、随時返却となります。6/30までどうぞお見逃しなく。
◯今後の予定◯
6/16㊐_toricolle paper art 最終日
6/17㊊_momoco 似顔絵会(飛び込みOK)
_岡金菓子店販売
6/22㊏_6/29㊏ 塚田晶子 企画展
6/22㊏_塚田晶子ワークショップ(ご予約優先)
6/29㊏_塚田晶子ワークショップ(ご予約優先)
_糸森 お稲荷弁当販売
_原型 珈琲販売
6/30㊐_toricolleワークショップ(ご予約優先)
_ReRi Bagel ベーグル販売
_ランブロワーズ 焼き菓子販売
また、6月30日までの営業時間ですが、上記イベントの日と、木曜日以外の閉店時間を30分延長し営業いたします。
【営業時間】
14:00〜19:00
【6/17㊊、20㊍、22㊏、29㊏、30㊐】
【6/27㊍は、18:00閉店】
(ワークショップは最終受付時間にご注意ください)
上記の日以外は、19:30閉店です。
[火曜定休]
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「チーム友達ほしまゆ」
約2ヶ月ぶりの合流でございます。今年と来年は色んなところ行こうを目標にしてる我々、今回選ばれたのは星輝希望の京都でした。普段遊ぶ時諸々は飯なんてケチるほしまゆですがこういう時だけ食い意地が張ってるので「食に妥協はいらない!」をモットーをお届け。これ食べたいと提案してきた星輝にええよ行こうと言う真弓、基本これ。全てにおいて行動はこの人に任せっきりの真弓でございますがいつもノリノリです。合流して速攻おはようも言わずにジャンプしてよっ!ってする真弓、ここからテンションがおかしい。そうです、真弓この人といるといつも様子がおかしいのです。そんなことは置いておき外から聞こえてくる言葉は全部多国の言葉すぎて「ここほんまに日本....?」とか言うてました。星輝と京都くるんは2回目やってんけど前回は嵐山で今回稲荷の方行って、めっちゃ失礼やねんけど今回の方がめっちゃ京都を感じた。「うわ〜!めっちゃ京都や!!」言うててんけど当たり前です。団子焼きたいって言ってた星輝について行き2人でのんびり団��やいて(これの前に抹茶のソフトクリーム食べた)「この団子うんま!」「このお茶うんま!」と、うんま!しか言わない2人、でもマジで語彙力失う美味しさでございました。灼熱マグマみたいなぐっつぐつのみたらし団子に胡麻入れるんやけどこれまっっっっじで美味しかった!!これで火傷せんかったのにお茶で火傷しました。そのあとは移動しまして鳥居がズラーーっと並んでる有名な神社へ。お願い事!なんも思い浮かばんくて「無病息災!」しか言えんかった。他にもっとありましたよね....と。そのあと石持ち上げるところに連れてかれて重かったら軽かったらみたいなん説明してもらってる時に蜂に追いかけ回されてなーんも話入ってこんし持ち上げて終わってから「どーやった?」「めっちゃ重かった!」「じゃあ願いはまだ先だね」「.....えっ、願い事なんもしてへんわ!」「だめだこりゃ」ってやり取りもありましてね。これ読んでる方お気づきかと思いますがそうです、真弓神社とかに行ってもお願い事ってなんやろ...から始まる人でございまして気がついたらなにも願わず出てくる人を毎回しております。そのまま来た道戻るか〜って写真撮ったりしながら進んでた矢先に大ハプニング、真弓足元の段差に気づかず落ちまして足をガッツリ捻挫しました!とても痛いかなり痛い。いやね、普通に考えたら分かるよね階段登って上ってんねんからそりゃあ帰りは下りなことを。そんな事もあり薬局へ走りましてまさかの湿布とテーピングを買うという。これが一番お金出した気がする今考えても色々とおかしい。ちなにこれまだ合流して前半戦です、始まって3時間くらいのお話です、どえらい。処置という名の休憩挟み場所移動し、祇園へ。「これが南座かー!めっちゃ京都やん!」とアホな発言してまた神社。神社しか行ってない。色々と見回って見かけた絵馬に2人でひっくり返りました。「....見たあかんもん見た気がする」「絶対神社で書く事ちゃうやん、欲の塊すげえな」なんて言いつつ夜ご飯!ほしまゆ揃うと最後は絶対ラーメンと決まっておりまして一番最初に通されたはずやのにのんびり喋りすぎて最後まで残される2人になりました。ちなみにここでも真弓節炸裂して困らせました!そのあとは京都のNintendoさんに行きましてなんややんや言いながら解散!たのしかったー!団子また食べに行こうね!次は7月に会いましょう!
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春の里山。

本日は天気はいいものの強風予報。どうせ、スキー場のリフトは軒並み動かないだろうと睨み、フルハイクの里山へ向かいました。

週末ですが、本日はお一人様。ええ、来て頂けるだけで万々歳ですよあたしゃ。
今日も精一杯ガイドさせていただきやす。
そういやいつも蓮華温泉行ってる時期だな〜。まあ自然のリズムにゃ逆らえません。来シーズンの楽しみに!

てな訳で、今シーズンなかなかタイミングが合わず来れていなかった、マイフェイバリット里山に来ました。フリージングレベル的には走るザラメは期待できませんが、上で吹き荒れているであろう強風に一縷の望みをかけて登りましょう。
あと、なんと言ってもこの山の魅力は360度広がる大パノラマな展望!やっぱ天気の良い日に行きたいですね。
さて、登り始めて10秒で難関。いつも埋まっている側溝が埋まっておらず轟々と水が流れています。
まあ、上流へ向かえばどっかで渡れるべ。

しかし、暫く上がっても渡れそうなところが無い。別にジャンプできなくもないが、落ちたバヤイ、まあまあヤバイ目に遭いそう。なんて考えながら登っていると橋を発見!!

あったのは木の橋です。うわ〜心もとね〜。
特に右の方の橋なんかぜってー踏みたくねー。

朝から何やらせんねん〜。

初っ端の難関を越えてからは割と順調に標高を稼ぎました。

風はそこまで強くないがまあまあ吹いてます。
いい感じに冷やされてば嬉しいのですが。
青天井の元、稲荷わさびおにぎりを摂取。
京都へ引っ越して生活をしている彼、当初は京都の人が言う本音と建前に苦労したそうです。

ふと見つけた足跡。カモシカではなさそう。

人間の掌くらいの大きさあります。こいつはもしや…。
と思って、マタギの知人に確認してもらいましたが、多分かもしかではないかとの事。
「この時期は踏み込んだ足跡の周りは結晶化して雪が溶けにくく、日中の強い日差しを受けて足跡全体が膨らむように広がって大きく見えると思います。うさぎの足跡もクマかと思うくらい大きくなります。 そんで2つちょんと並んだ窪みが見えるので蹄と思いました。」
だそうです。なるほどー。

さあ、あとちょいですよ。ガンバっす!

無事登頂!!お疲れ山!!

大絶景、お楽しみください〜。
折角、来たんだから東面除いてきましょう。すんげえから。

東峰に向かって歩いて行くと、あ!カモパイセン!!

ソ〜キュート😍

山バックに駆け降りて行きました。

こちらがその東面です。キャンタマがスクイーズします。

おや、愚羅肉酢さんも来ましたよ。連れてる人数を見て安心しました。(コラ)

さて、このまま帰っても面白く無いので、ちょっとつまみ食いを。
少し硬めだが木の間隔は最高な北面か、木はちょっと濃いが緩んで風も当たっている西面、どっちへ行こう。
ま〜、ここのツリーは最高だからな、初めてだし北面行ってみますか。

まあまあええ雪やったし、斜度もあるから、結構楽しめたわ。
こう京都の人が言ったとしたら「なんやこの雪、斜度がなかったら終わってるやん。どこ滑らせてんねんボケ」という意味になるそうです。
すんまへーん、北面の雪、全然ザラメになってませんでしたね。ただの腐った新雪でしたね。

失礼ぶっこきました!さっさと登ってザラメ化してるであろう西面へ行きましょう!

見た目はいいが果たして!?

さっきの北面よりはマシだが、やっぱつんのめりますね。
それでもザブザブですが綺麗な面だったのでそれなりには楽しめました。
あ、これは本音です。

まあ、ちょっと昼飯タイムにしましょうか。
「俺、この時間がバックカントリーで一番好きです。」
わかるー。ラーメンと���無茶苦茶美味いよね。

さてさてこのままだと帰れないんで登り返しましょう。

さっきまで雲がかかっていた北アルプスも抜けていました。絶景です。

さ〜て帰り道は…

この上ない極上なストップスノーでしたとさ。

そんなこんなで無事下山!
風で雪、走るんじゃねえかという望みは打ち砕かれましたが、絶景が見れたのでこの山の魅力は味わえたのではないでしょうか。
目、開いてねえけど。
本日もお疲れ山でした!&おしょっ様でしたー!!
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京阪の京都日本酒電車に乗ったの巻

はい、京都日本酒電車が復活です。

今回は天下のJTB様とのコラボ企画。スタッフも大勢配置され、ちゃんとした”現地発オプショナルツアー”の様相でした。

受付も手際よく、いったん解散して再集合というテクニックも、ツアーっぽい。

回送ではございません。団体列車なので、そこはよろしく。

電車到着後は、すぐに乗らないと置いて行かれてしまいます。何せ通常ダイヤの間を縫って走るのですから、遅延は許されません。

ロングシートの片側に会議用テーブルを配しています。したがって他のお客さんと向かい合わせになることはございません。まあ都会的といいますか。

京阪三条駅出発直前の様子

我々電車好きにはたまらないのですが、冷静に考えますと、ロングシートの通勤電車にわざわざテーブルを持ち込んで、日本酒と高級店のつまみを食す必要があるのでしょうか???

利き酒師になった気分

ドアーが締まりました、さあ出発です。

カンパーイ

皆さん酔っぱらってケガなどなさらぬよう、成田山がお守りしてくれているみたいです。

魚三楼という高級店のおつまみ弁当。

見栄えもいいし、かなり、美味い

観光客でごった返す伏見稲荷駅を通過

10種類の京都日本酒が順次提供されてきます。ちなみにスタッフの方に伺ったところ、一通り飲むと三合の酒量になるそう。で、原則おかわりは用意されていません。

が、10種類のほかに、酒蔵の方が直接+5種類をつぎに回ってきてくれます。

黄桜酒造さん

玉乃光さん

通常のスジを途中でやり過ごしながら、時間をかけて淀駅に到着。ここで休憩タイム。

ここは京都競馬場の最寄り駅。

だだっ広い構内の駅です

電車は、ここから宇治川、木津川と、鉄橋を渡り、三川が合流した淀川の左岸に沿って樟葉駅に向かいます。

樟葉駅ではスイッチバックして、中書島駅に戻っていきます。鉄道マニアには、このスイッチバックが珍しくてそそられるみたいですが、こちらは酔いが回ってどうでもよくなっています。

まだ来ます。こんどはにごり酒。

いやはや、飲んだ飲んだ。

10蔵の出演者たち

中書島駅で終了。遅めのランチ飲みといった感じで、とても楽しかった、京阪の京都日本酒電車に乗ったの巻でした。
→飲み鉄ビール電車アーカイブ
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