#お耳ヤシの木
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beforedawnwitch · 2 years ago
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「どうすんの、これ」
(かわいすぎて)こっちの台詞だよ、、、。
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izumikawamacfly · 4 months ago
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「メレ・カリキマカ」 暖炉のそばで奏でるウクレレのリズムとうらはらに 窓の外にしんと雪がつもる夜。 部屋にはクリスマスツリーとプレゼント一個。 猫がウクレレの音色にじっと耳を傾ける。 優しいメロディが部屋いっぱいに広がった。 「メレ・カリキマカ」と伝えるよ。 クリスマスなのにココに君がいないなんて妙だな。 雪が積もるこの街で��ウクレレを奏でてる僕みたい。 お前、クリスマスにそんなさびしそうな顔して 歌うんじゃない。と、猫に言われた気がした。 楽しいよ。でもきっと見透かされてる。 せっかく家族になれたのに はるかハワイの島くらい、遠くにいってしまったね。 プレゼントはヤシの木柄のマフラーだよ。 心配しないで、近所の子どもにあげるんだ。 「メレ・カリキマカ」と伝えるよ。 今夜は星が見えないけど、ワインが一本空きそうだ。
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goda-world · 2 years ago
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ひさしぶりに本屋で画集でも見ていこうと思ったけれど、その本屋にあったアートの棚は無くなっていた
  
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今日は、朝から雨だ、という天気予報はいつものように大きくハズレて、もうもはや天気予報士、Yahoo、i phone なんかに何の期待もしてないわ、って思いながら一応傘を持って、この駅前にある美容室へ3か月ぶりのパーマネンツをあてに行った
  
まったくもって不本意極まりないことではあるのだが、誰が見ても、「いやいや。まだパーマ残ってるっしょ。」と言われるくらいはパーマが残っているらしい
  
  
自分では、パーマは取れてきたし、早く散髪したかったので、
「 なあなあ、おれもうパーマとれてるやんなあ。」っていう他人からするとクソどうでもいいことを真剣に問いかけたところ、
「もちろんさ! きみのパーマはとれている。すぐにでも美容院へ行くべきだ。」
と答えてくれる人だけを心の友として、あとの答えを返してきたものは心の中で抹殺した。
 
  
おはようございますGoda world のゴーダです。
  
 
今日の担当美容師さんは初めての方だったけれど、すごく丁寧な仕事をしてくださって、最初にぼくは左耳が聞こえないことを伝えてからは丁寧に右側から耳の近くで声をかけていただき、とても嬉しかった
 
今回の美容師さんの仕事ぶりを見ていると、いろんな細かいことにも事前に気が付いて対応してくれ、それってかなりの経験がないと無理だよなあ、ってこちらが気付くほど、丁寧な仕事ぶりだった
 
 
ぼくは、きっちりと仕事をする人が好きだ
 
  
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この美容室が好きだからもちろんずっと行くつもりだけど
いつも、目の前に出されたお洒落な雑誌を見ていると、どうしてもその写真を見ながら脳内で仕事をしてしまうのでちょっとツライ
もちろん別にぼくは雑誌に載っているDIORやBALENCIAGAに興味があるわけではない
こんな高い靴やバッグや服など買うわけがない
 
そのページの写真を撮影するときの現場の状況や、それまでのクライアントとの長い長い打ち合わせや、当日のモデルなどすべてのスケジュール管理、当日の撮影時間に追われるストレス、などの大変さが脳の中を駆け巡り、勝手にひとりでぐったりしてしまうのだ
まあ、それも、親切丁寧な美容師さんの仕事ぶりが、荒みそうな僕のこころを癒してくれたので助かった
ぼくは大大大満足で丁寧にお礼をして美容室をあとにした。
どちらかというとぼくは傍目にはぶっきらぼうだから、ちゃんと感謝の気持ちが伝わっていないかもしれない
  
また次もこの人ならいいのにな、って思うが、この店は指名��では無いので、それはほぼない、運しだい
ぼくは、この「運しだい」というのが何においても結構好きだ
  
外はまだ雨は降っていなかった
湿度だけがあがり、まるで蒸し風呂のように
蒸し暑くなっていた
 
昼ごはんにはちょっと早すぎるので、隣接している本屋で画集でも見ていこうと思ったけれど、その本屋にあったアートの棚は無くなっていた
  
こんなことで落ち込んでいてもしょうがない
こういう時は、ちょっとした刺激物で辛いものや、少し多めの野菜をとれば意外と嫌なことは忘れて、元気になるもんだ
  
  
それまでの時間を何の興味もない現代本や啓発おせっかい本みたいな何かを開いたり閉じたりしながら時間をつぶした
  
 
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辛さは3まであるうちの 1と日和ったが、野菜は多めにしてもらった
美味しい、本当に美味しい
  
少し寒いくらいクーラーのしっかり効いた店内で、この辛さは丁度よくて、身体と舌が喜んでいるのがわかる
  
  
こうやって食べ物屋さんで食事を写真に撮ることに少しだけ抵抗が無くなってきた
これはただ自意識過剰な自分が成長したからなのか、ただ単に神経が図太くなっただけなのかは正直わからない
でも、画角も何も考えずに、i phoneをサッと出してサッと撮るだけ、っていうのはやっぱりどこかでこんなことをしてる自分が恥ずかしいのだと思う
  
とても辛くて美味しいこの近江ちゃんぽんを食べて、ちょっと元気でた
会計で値段をきいて、あまりの高額にちょっと焦った
そういえば、国産の生野菜を使ってるんだった
そう考えると、ぜんぜん、むしろ安いぐらいだ
    
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日本映画
 
そもそも、フラダンスに興味も無ければ、1960年代の福島での炭鉱に変わる一世一代をかけた町おこし、という謳い文句にもあまり興味が無い。
  
 
なぜ、東北でハワイ? ヤシの木?って。
  
  
そんなわけで、実際は15分ずつとかで細切れに観た。
2週間くらいかけて。
ぼくは難聴なのでセリフがほとんど聞こえない上に、映画は東北弁だからまったくわからない。字幕が欲しかった。
けれど、画面を観ていたらまあ、だいたいどんなことが起こっているのかわかるから何となく観た。
  
  
結論から言うと、
うん。面白かったです。
  
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どこまで実話なのかは分からないけれど、当時、こうやって炭鉱が落ちぶれていく中で、何かしらのアクションを起こそうとした熱い人たちがいたのは事実だと思う。
それは、裸踊りだの何だのと凄い反発があったのも簡単に想像できる。
  
 
新しい町おこし事業に、泥にまみれて汚れて生死も危ぶまれる炭鉱業ではなく、エンタメで見に来る人たちを喜ばせよう笑顔にしようという、そんな新しい時代がやってきてもいいじゃないか、という情熱があったのだと思う。
  
 
キネマ旬報で日本映画第一位。日本アカデミー賞最優秀作品。
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躍らせてくんせ。
ダンスはおらの生きがいなんです。
躍らせてくんせ。
  
躍らせてくんせ。
  
   
   
    
  
  
今週は忙しくてアトリエに行くことは無かった
わかっている
絵をまったく描かない状態が続くと、効率だけを求めたりしてカスッカスな無味乾燥な人生を送ってしまいがちなことを
  
  
自分にとって作品を作ることは、それとは真逆の、まったく非効率で世間からみれば無益で、無駄な行動であり、このバランスをとるのがとても難しい
それを突き動かすチカラは、情熱だけ
  
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描かせてください。
絵はおれの生きがいなんです。
   
描かせてくんせ。
描かせてくんせ。
  
  
  
Goda world
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lovecrazysaladcollection · 5 years ago
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ミツバチのオスは一回交尾すると生殖器が爆発する。
アンコウのオスは、身体の半分が睾丸である。
世界で生産される塩の一割は、アメリカのハイウェイにまかれている。
猫は一度に四匹ほどの子供を産むが、オス親はみな違っている。
ゴキブリは、電子レンジでチンしても死なない。
1グラムの金を伸ばしてやると、3キロメートルの長さになる。
アルマジロは、たかっている蚤がすべて駆除されると死んでしまう。 ゴキブリは頭をとっても死なない。えさが食べれずに二週間後に餓死する。
シベリアのバイカル湖には深海魚が住んでいる。
魚を船に乗せると船酔いする。
多くの植物は、酸性雨の中でよく育つ。NOX窒素が肥料となるため。
胃酸は金属も溶かすことができる。
カシミール地方のフンザ族は、誰一人としてガンを患ったことがない。 肉食性のタランチュラは、テーブルから落ちるとベチャっとつぶれてしまう。
輸血用の血液が足らないとき、ヤシの実の汁で代用できる。
ドイツの化学者ペッテンコーファーは、病原菌説に反対し、培養したコレラ���を飲み干したがぴんぴんしていた。
兵隊アリは一匹にすると迷子になってしまい、餓死するまで同じところをぐるぐる回り続ける。 ダニのメスは無性生殖で産卵し、そこから生まれたオス(つまり息子)と交尾する。
19世紀のイギリスでは、入院患者の半分が院内感染が原因で死亡している。
アラスカでは、食品を凍らせないように冷蔵庫にしまっておく。
「悪貨は良貨を駆逐する」のグレシャムの法則を考えついたのは、天文学者のコペルニクスである。
目と耳が不自由だったヘレン・ケラーは、臭いで人を識別できた。
コロンブスの航海のために支出された予算は、イザベラ女王が主催する宴会の三回分だった。
ウラジオストックは、ウラジオ・ストックではなく、ウラジ・オストック。
プエルトリコは、プエル・トリコではなく、プエルト・リコ。
マックワールドエキスポは、マック・ワールドエキスポではなく、マックワールド・エキスポ。
アラビア数字は、アラビアではなくインドで生まれた。
ウルトラの兄弟は、血縁関係ではなく義兄弟。ウルトラの父はその上司だった。 アインシュタインの相対性理論の解説書は、戦前ワイセツ書だと思われて発禁処分になっていた。
イルカは、泳ぎ疲れると溺れる。
コペンハーゲンにある人魚像のモデルは、岡田真澄の親戚。
西武ライオンズのマークとして使われているのは、レオではなく、お父さんのパンジャ。 スイフトは「ガリバー旅行記」の中で、未発見の火星の衛星フォボスとダイモスの質量、軌道半径、公転周期などを正確に予言していた。
エスカルゴはぶどう畑にたかる害虫で、駆除するついでに食べていたのが始まり。
日本でいちばん早く初日の出が見れるのは、北海道ではなく千葉県の犬吠崎。
美空ひばりは、デビュー前にNHKの素人のど自慢に出演して、鐘ひとつで落選したことがある。
ほとんどの森林は、酸素よりも二酸化炭素を多く生み出している。
多くの原子力発電所は、建造、運営、撤去に必要な電力以下しか発電することができない。
野口英世は梅毒菌を発見したときに、嬉しさのあまり甘茶でかっぽれを踊ってしまった。
セガの元々の社名は日本娯楽物産。その英語名がService Games Japan。そこからSeGaとなった。
エプソンは、Electoronic Printerの息子たち(Son)を作っているので、EPSON。
マッキントッシュは和品種名「旭」リンゴ。明治23年に札幌農学校に輸入されて以来、北海道で栽培されている。
マックのコマンドキーのマークは、元々バイキングの装飾模様だった。
ニュートンはプリズムで分離した日光の色を5色しか見分けることができず、目のいい助手を雇って見てもらったら7色になった。
かなキーボードの配列は、大正12年に作られた。
大量の放射能は人体に有害だが、ちょっとだけ浴びると肩凝りが治る。
ドンキホーテは、ドンキ・ホーテではなく、ドン・キホーテ。
ゼロ戦は、離陸するとき、左の車輪が右よりもちょっとだけ早く格納される。
金毘羅さまに祭られているのは、ガンジス川に住んでいるワニ。
伊豆半島は元々、熱帯にあった小島で、南から流れてきて本州とくっついた。
色を再現するのに三原色は不要。ポラロイドの創立者ランドは、二原色システムのカメラを発明している。
雁の中にはメス同士で卵をかえすレスビアン夫婦がいる。
シャコは光の受容細胞を10種類もっている。つまり、10原色で世界を眺めている。
ハエがなぜ飛べるのかは、最新の科学でもわかっていない。
土星の衛星タイタンには、春夏秋冬の四季がある。
チャレンジャー号の乗組員の死因は爆発ではない。爆発後もコクピットは保護されていて、意識はあった。その2分後、海面に激突したショックにより死亡したと見られている。
コブラはコブラにかまれると死ぬ。
キスをすると、1秒間に2億個の細菌がやりとりされる。
虫歯は、口を介してうつる伝染病。
オリンピックの金メダルは、実はめっきである。
クマムシという虫は、高温、低温、放射線、真空などのあらゆる悪環境に耐えるが、指でつぶすとつぶれる。
原子力研究所にある実験炉が自動停止したときに、叩いてみたら再び動き出した。
東名高速が開通したばかりのころ、路肩に車をとめて、レジャーシートをしいて富士山を眺めながらおにぎりを食べることが流行った。
初期の打診法は、大きな木製のへらで患者の横腹をひっぱたくというもので、しばしば患者の肋骨を骨折させることがあった。 幼児は紫外線の領域まで見える。
第二次世界大戦中にレーダーを発明したイギリスは、カムフラージュのために「パイロットににんじんを食べさせているので、���目がきくようになった」という噂を流した。それ以来、夜目にはにんじんがいいと信じられている。
光の速度をはじめて測定しようとしたのはガリレオ。遠く離れた丘の上にランプをもって立ち、一方が覆いを外したのを見た他方が覆いを外し、光が見えるまでの時間を振り子で測るというものだった。練習不足だったのか、測定するたびに結果が異なりうまくいかなかった。
スズメバチは、飲み残しの缶ジュースを餌とするが、その中でも乳酸菌入りグレープジュースが特に気に入っている。
「サイボーグ」は、タカラの登録商標である。
サメやマグロは、浮き袋を持っていないので、泳ぐのやめると溺れてしまう。
カタツムリは葉緑素をもっているので、光合成をしている。
ホタルは川の流れがきれいになると死滅してしまう。
お腹に回虫を飼っている人は花粉症にならない。
切り株の年輪の幅は南の方が広がっているというのは真っ赤なウソ。実際はばらばら。
市販されている備長炭の多くは、中国やアジア産である。
野生動物が畑を荒らしたり、登山者の食べ残しをほしがるのは、自然の餌が不足しているからではなく、人間の食べ物の方がおいしいから。
最新のコンピュータシミュレーションによると、月が誕生するのにかかった時間は3日。
細胞に含まれる核、ミトコンドリア、葉緑体は、もともと別の独立した生物が寄生したもの。
無重量状態でも、野球のボールをぶつけられると、やっぱり痛い。
月は常に一方の面だけを地球に向けて公転している。これは月だけでなく、太陽系の衛星のほとんどがそうなっている。
体重比で睾丸が最も大きいのはチンパンジー。人間は残念ながら第二位。ちなみにタヌキはトップテンに入っていないことだけは確か。
音楽CDのラベル部分やエッジを緑色に塗ると音質がよくなるという迷信はほんとう。ただし、自分で塗ってむらがある状態では効果はほとんどない。
欧米人は肩凝りにならないというのは真っ赤な嘘。同じ症状を英語圏ではstiff-necked(首が凝った)というだけ。
フンコロガシは、糞団子ひとつを12時間かかって食べ、3メートル以上もの長さの糞をする。
スプーン一杯の食用油を池の上に落とすと、半径20メートルにまで広がり、その下にいる魚は酸素不足になる。
地球温暖化の影響を最初に受けたのは、エロマンガ島。海水面の上昇によって、沈んでしまった。最新の地図の��こを探しても「エロマンガ島」の文字を見つけることはできなくなってしまった。失ったものは大きい。
古生代ペルム紀(2億5000万年前)の塩の結晶の中から発見されたバチルス細菌を水につけたら、生き返ってしまった。
ロシアの宇宙ステーションミールは、大量の放射線を浴びているにもかかわらず、細菌が繁殖して困っていた。
アポロ12号のクルーたちは、月面に生物を発見していた。2年半前に着陸していた無人探査機サーベイヤーに付着していた連鎖球菌が月面で繁殖していたのだ。
運動をすると、筋肉は破壊される。破壊された筋肉繊維が修復するときに、以前よりも強い筋肉となる。
コンタクトレンズの原理を発見したのは、レオナルド・ダ・ビンチ。 50億年前の地球の球表面面積は現在の1/4。つまり、当時できた薄皮が、地球の膨張にともなってひび割れたのが陸地だと考えられている。
花粉症とアトピー性皮膚炎は、日本人と旧西ドイツ人の間で急増している。しかし、不思議なことに旧東ドイツ人の間では増えていない。
蚊が刺すときは、道路工事のドリルのように、一秒間に8回のスピードで針を打ち込んで皮膚を貫通させる。
蚊は刺す直前に麻酔薬を注入する。この麻酔薬が欠損している蚊に刺されるともうれつに痛い。
” - 一行サイエンス (via hisaruki, etecoo) 2008-07-24 (via gkojay) (via takaakik) (via mnak) (via oho777) (via storadio) (via mktx) (via yasayasa83) (via idoyesido) (via appbank) (via ipodstyle) (via yaruo) (via tanakamp) (via krbysh) (via reservoir) (via overdope) (via peckori) (via uessai-text) (via cellbuu)
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kaerenakunatta · 6 years ago
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水槽の中で読む小説
 重力が逆さまになる場所に水槽があるんだけれども、みんなそこに足を浸してかけっこをしたりたまにそこで軽めの恋をしたりするんだけれども、わたしにとってその場所は本を読むのにうってつけの場所であった。なぜならそこではあらゆる言葉がぷかぷかと浮かび、何よりも自由で、ちょうどいい。本を読むには静かなほうがいい、本を読むには足をすこし高い位置に(それも、自分の好きなときに)上げられるほうがいい、本を読むには太陽がいちど水没して、そのあとの光がちょうどいい。だからわたしはそこで読書をすることが、その場所にもっとも合った行為だと考えている。
 これまでわたしは「場所に合った行為」というのを毛嫌いしていた。朝食の席では朝食らしい行為をしなければならないことも、葬儀中のかなしみも、同じくらい腹が立つ。その場所ではわたしたち、誰も彼もが囚われの身だ。好きなひとといっしょにクッキーをほおばる時間も耐えられなかった。クッキーを食べおわったら、ミルクを飲む前にどこかに行ってしまいたかった。なんだか、どんな場所にいても、わたしはわたしを名乗ってわたしの服を着てわたしの経験をなぞるだけの言葉を話す、まるでそれだけの何か分からない物体でしかなかった。自分でも何か分からない物体でいつづけたわたしは、同じように何か分からない物体を食べ、何か分からない液体を飲み、何か分からない物体の、何か分からない要素を何も分からないままに消費して、じくじく腐っていくような気持ちになった。そういうことをうまく呑み込めないと、こんなふうに水の中で滲んだインクに涙を落とすことになるんだろう。でも、それで良かったと思っている。涙を落とすのが、滲んだインクの上で良かったと、思っている。これはほんとう。
 水鳥の羽ばたきが読みかけの本を勝手にめくるのも心地よかった。わたしも一応人間なので、鳥は自由で良いなあなんてことをぼんやりながらも強く思ったりするんです。強く、強くそう思うと、鳥は何処かへ消えてゆく。暖簾に腕押し、河童の川流れ、口当たりの良いことわざの一覧。そんなわけで、どうにもこうにもここは居心地が良すぎるので、読書の感想文なんて書けない。すべて忘れてしまう。流れて流れて、どこかの島にたどり着けないかと、そこもまた水の都市であって、水没したヤシの木が逆さまになって手招きしていたら、頭のなかにも、水が入ってしまいます。あの忌々しいプールの授業で唯一わたしが好きだったのは、午後2時の気怠い時間にまだ耳の中に残る水の心地悪さと、水のせいで遠に聞こえる社会科教師のぼやけた声。墾田永年私財法が何年だったか、聞き取れなくて、そのせいでいまだに分かりません。
 中学校で習ったことはぜんぶ嘘でした。放課後の校舎に響く吹奏楽部の音がぜんぶ忘れていいよと何度も言ってくれたので、わたしは卒業までにすべてを忘れてしまいました。なぜでしょう、社会科教師の声は遠かったのに、吹奏楽部の練習の音は心のすぐ近くにあるようでした。名前も形も知らない楽器の音が好きでした。吹奏楽部の音がギリギリ聞こえる校舎の裏で、ひとりで本を読みながらたばこを吸いました。ほんとうは、もっともっと、悪いことがしたかったです。煙は重さを持たない水のようでした。ぷかぷか浮かんで、なんども雲になりました。雲になった空は海でした。
 いま読んでいる本が、あまりに美しすぎて、やっぱり、わたしは泣いてしまいます。涙は世界でいちばんちいさなみずうみです。この水槽は、そんなふうにして出来上がった、わたしだけの世界にひとつの湖なのでした。
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petapeta · 7 years ago
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葉書はどうやって生まれたのか 葉書を考案したのは、郵便制度の生みの親である前島密(まえじま・ひそか)である。明治期のことだ。 前島は政府が飛脚に支払う金額が非常に高額にのぼることを知り、その金額を資金として郵便事業を進めれば、もっと効率の良い、しかも広く誰もが��用することのできる郵便制度を作れるはずだと考え、郵便制度の策定に着手しその礎を築いた。 前島の発議によって始まった郵便事業が実際に開始されたのは1871年(明治4年)。 ただし当初は試験的な意味も含め、東京大阪間に限られたものであった。 このような功績から前島は「郵便の父」と称されており、明治期の偉人の1人にも数えられている。 今も1円切手には前島の肖像画が用いられており、他の切手では度々デザインの変更が行われるが、この1円切手のデザインだけは今後も変わることはないという。 それだけ前島の功績が偉大なものであったということだろう。 郵便制度を発案した前島は、同時に「郵便」「切手」「葉書」といった名称も定めた。 私たちが普段何気なく使用しているこれらの言葉は、前島によって命名された言葉なのである。 なぜ葉書は「葉に書く」なのか 葉書という言葉が前島によって定められたのはいいとして、そもそもの疑問は、なぜ「葉に書く」を意味する「葉書」という名称にしたのかという点である。 葉書は紙なのだから「紙書」でもいいわけだ。いや、むしろそのほうが実状に即しているのは間違いない。 それにも関わらず、あえて「葉書」と命名したのにはやはり訳がある。 話は少し曲折するが、まずは時代をはるか遡り、紀元前5世紀頃のインドに着目しよう。 インドに発生した原始仏教は当初、ブッダの教えを文字で残すということをしなかった。 口伝というか、耳で覚えて口で伝えていくという方法しか存在しなかった。 しかしそれではどうしても正確性に欠けるということで、やがて弟子達が集まって話し合いをし、ブッダの教えを文字に記して残すことにした。 しかし、現在のような紙も筆記用具も、紀元前のインドには存在しない。 そこで古代インドでは木の葉に文字を刻み後世へと言葉を残すという方法をとった。 その際に使用される葉っぱはどの木の葉っぱでもいいというわけではなく、多羅樹(ターラ樹)の葉が用いられた。 なぜ多羅樹であったのか、その理由は簡単。葉が大きく丈夫で、文字を残しておく媒体として適していたためだ。 葉に針のような尖ったもので傷を付けるようにして文字を刻み、そこへ油に墨を混ぜた液体を擦り込み、余分な箇所を拭き取ることではっきりと文字を残しておくことが可能だったのである。 多羅樹とは 多羅樹は棕櫚(しゅろ)に似た姿をした樹で、高さは30メートルにも達する。ひょろっとしているからとても背が高く見える。 葉の形状も棕櫚と同じで、掌を広げたように中心から放射状に細長い葉が伸びている。 葉全体の大きさは直径3メートルにもなりこれまた非常に大きい。細い葉1枚でも1メートルをゆうに超える。 1枚の葉の形状は笹の葉に似て、極端に細長い。 これを長細の四角形にカットし、文字を記した後、穴を開けて紐を通して何枚もの葉をまとめて保存した。 どことなく、中高生がよく用いる単語帳の巨大なもののようにも見える。 それはともかく、それらの中で経文(ブッダの教え)を記した葉は、やがて貝葉経(ばいようきょう)と呼ばれるようになっていった。 多羅樹と多羅葉 こうして仏教では、紙が普及する以前は経文を葉に書き残して後世へと伝えてきたわけであるが、日本に多羅樹は生えていなかった。 しかし葉の裏に文字が書ける面白い樹が日本にはあった。と言っても、この木も原産はインドである。 その樹の葉は多羅樹のように傷を付けた部分に墨を擦り込むわけではなく、傷を付けた部分が黒く変色して文字がはっきりと識別できるようになるという性質を持った面白い葉であった。 その様子はまるで多羅樹の葉に文字を刻んだ貝葉経のようであったことから、「多羅樹のような樹」という意味を込めて「多羅葉(たらよう)」と名付けられた。 前島はこの多羅葉を参考に、葉書という名前を思いついたと言われているのである。 多羅葉の葉ほどの大きさの紙を作り、そこへ想いをしたため、相手のもとへと送り届ける。 それは現実には紙であるが、たとえ紙がなくても葉に文字を記して大切な誰かに言葉を送ることができるというのは、なんともロマンに溢れた名前であると思う。 多羅樹と多羅葉は名前こそ似ているが、見た目はまったく似ても似つかない。 多羅樹は南国を思わせるヤシ科の樹木で、多羅葉はモチノキ科の平凡な常緑樹。 葉に文字を書き残すことができるという点でのみ共通していることから似た名前となっている。 それもまた面白い縁である。 多羅葉は郵便局のシンボルツリーとなっている。 そのため、郵便局の敷地内にこの多羅葉を植えているところもあるようだ。 文字を書き残すことができ、葉書のヒントにもなっている樹であるから、シンボルツリーに選ばれても違和感はない。むしろ葉書のエピソードを知れば、なるほどと納得できる。 そして面白いことに、この多羅葉の葉に住所や名前を記して投函すれば、葉書のように実際に配達をしてもらうことも可能なのだ。 もちろん多羅葉の葉に限った話ではなく、どの葉でも配達してもらえるだろうが、葉書にまつわるこのような逸話がある以上、葉書の代わりに葉を用いるのであれば是非とも多羅葉の葉で送ってみたい。
【多羅葉】ハガキのもとになった、文字が書ける不思議な葉っぱ - 禅の視点 - life -
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cosmicc-blues · 5 years ago
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2020/8/31
朝、電話で目が覚める。息をひそめて、鳴り続ける呼び出し音に耳をかたむけている。音が鳴り止んで、静寂。自分の呼吸の音がきこえる。
午後イチバン、ベトナムのフォー。歩きながら朝の着信にリダイヤルする。どうも、どうも、と明るい声を出そうとするけれど、空回りして変な声色になってしまう。いやでも満面の笑みを浮かべずにはいられない夏の陽射しが今日はなく、曇天が空を覆っている。ここのところ停滞ぎみだった古民家の解体工事にショベルカーが入って、二階部分が丸々無くなっている、天井のない平屋から砂塵が舞っている。久しぶりに墓場道を通ると、春ぐらいからずっと工事現場だった一軒家が完成している。いつも檜と煙草の匂いがしていて、ラジオの音がきこえて、木の柱では薄汚れた工員が昼寝していたものだったのが、奇麗なきれいな夢のマイホームになっている。大工さんって凄いんだなあ、と感嘆する。あの粗野な風貌からこんなに素敵なお家ができるなんて。
昼食を済ませて、さて、どうしよう、どうしたい。やりたいことはたくさんあるし、やらなければいけないこともそれなりにある。昨日、一昨日だって、暇だったわけではないし、可能だったもう���とつの休日を実現することだってできたはずだった。でも、差し迫ってくる時間に背中を押され、ヨイショーと列車に飛び乗ったとき、その直前まで枝分れていたもうひとつの道が消えている。列車に乗っているときもそうだった。予定通りに、横須賀で下車することも可能だった、またここでも枝分れていたもうひとつの道が消えている。三崎口を歩いているときも、逗子を歩いているときも、まだ踏み入ったことのない小道が視界の端から消えてゆくのを何度も目にした。ほんとうは引き返さなければならない、見に行かなくてはいけないとわかっているのに、時間と歩みは前へ前へと殺到してゆく、枝分かれの逆をゆくみたいに。
その場に立ち止まって、全てを見渡してみたいと思う。そんな気持ちが公園のシンボルの大樹の下に向かわせて、末広がりに枝分れてゆく太い幹に寄りかかる。きっと、この足もとでも根っこが無数に枝分れている。悩みに悩んで、列車に乗ることに決める。目指すはヨコスカ、いまから走って駅に行けば、4時ぴったりに到着することができる、4時ぴったりに到着することが可能だった。
車窓から、灰雲の向こうに薄っすらと太陽がみえる。満月の月のようにまんまるの太陽がみえる。まんまるの太陽は速くも遅くもなく横方向に移動している、ほんとうに移動しているのは流れる雲と列車に乗っているこっちなんだけど、太陽が移動しているようにみえる。でも、太陽も銀河系の動きに合わせて移動しているからには、移動していてもおかしくはないと思う、誰も彼も中心も周縁もなく動きまわっているのかしら。太陽が色の濃い白の積雲の背後にまわって、その積雲の天辺から昨日も見たような弓なりの光がみえる。
4時ぴったりにヨコスカに到着。地図には広大な敷地があるけれど、たぶんここには入れないんだろうな、と予感していた米軍基地にまずは行ってみる。その先には広大な敷地がひろがっているのに、入口はたったのひとつだけ、そこには海兵さんが立っている。しれっと海兵さんの横を通過しようとすると、やっぱりノーノ―と止められる。そのまま方向転換をして、海の方角へ。空は曇っていて暗いのか、それとも夜の帳が下りていて暗いのか、判断ができない。昨日も一昨日も凪だった海には、今日はけっこう風があって大きめの波がたゆたっている。港には大きな船がたくさん停泊していて、背後は倉庫の影になっている。ほかに歩いている人は皆無で、ようやくすれ違った二人組の男たちはヤクの売人みたいに見える。そのつぎにすれ違った男が何か声を発して、どこかに仲間がいるんだろうかと周囲を見渡してみても誰もいない。自分の鼻を指差すと、あんたー船の人? と尋ねられる。いえ、ちがいます。ダメだよー、ここは立入禁止だから、早くしないと門が閉まっちゃうよ、さあ、いったいった。いつのまにか立入禁止の区域に入っていたらしい。
港を出ると、大勢の釣り人がズラーっと横一列になって竿を投げている堤防がある。後ろを通ると、みんな竿を振るさいに注意してくれているのがわかる。大勢の釣り人たちにスミマセン、アリガトウという意味を込めて会釈しながら通過する。
その先は海岸線に沿って、舗装された遊歩道がずうっと続いている。歩いている人はいなくて、ランニングしている人はけっこういる。ヤシの木の黒い影の向こうから、まんまるのお月が姿をあらわす。さっきは曇っているのだろうと思った方角に星が瞬いている。風がゴーゴー唸っていて、自分の足音もランナーの足音もきこえないから、ユーミンの中央フリーウェイを歌いながら歩く。���うだいぶ暗いせいで距離感がつかめず、地図で確認すると四駅分も歩いている、浦賀の岬までもうひと息のところまで来ている。
せっかくなので岬の突端を拝んでから帰ることにする。大きな地図でみれば、今いる場所はすでにひとつの大きな岬の入口にあたっている。この大きな岬のなかでいちばん海に突き出ている岬を目指す。
真っ暗闇の海は、ぽっかりと空いた空洞のようで、船の光がまばらに点滅している。足もとで何かの動いたような気配があり、ぞくっとする。ここまでの暗闇はなかなかお目にかかれないと気丈に振る舞っていながら、このあまりにも巨大な空洞と向き合っていると、ちっぽけな自分の存在がいとも簡単に握りつぶされそうな気持ちになってくる。だからこそ、すげえ、こんな暗闇はそうお目にはかかれないぞ、とあくまでも気丈に振る舞う。また、足もとで何かの動いたような気配、人間の腕!? まさか土左衛門!? と腰を抜かしそうになったのは、ただ植物の葉っぱが揺れているだけだった。なまじっか移動中に怪談なんか読んでいるせいで、ただの葉っぱが土左衛門の腕にみえてしまう、でも、たしかに一瞬だけはそうみえた。
もう怖いし、そろそろ撤退するかー、と駅のほうに歩いてゆくと、ひょっこりとトンネルが目のまえに空洞をひろげている。おいおい、まさかな。電灯はまばらに4つか5つにひとつくらいしか灯っていない。車通りはまったくない。不気味でしかない。ここでも気丈に振る舞うほかなく、やっばいなー、幽霊が写ったらどうしよう、などと思いながらカメラを起動する。と、薄暗い画面にぼんやりと人の顔のような何かが映しだされ、とっさに携帯を顔から離して絶叫。すぐにあれはカメラが反転して映しだされていた自分の顔だと気づいたけれど、あの顔のような何かが映しだされた一瞬間ほど怖い体験はあまりしたことがない。
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ongakusukikamo · 5 years ago
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同じく、王家衛の「欲望の翼」の冒頭で流れる一曲。ゆっくりと進む電車に揺られながら、外に生い茂るヤシの木をぼんやり見つめていると、すーっと耳に入ってくる。やさしい、やさしいギターでございます。
このふたりはたしか大家族のうちの兄弟ふたりで(彼らは完全なるトライブで、子供の名前も1、2、とか生まれた順に番号をつけられるという具合だった)、幼いころに家族で住んでいたブラジルの辺鄙なところを見たこともないような格好をしたひとたちがいきなり占領しはじめて、なんだ彼らは、という興味から、彼らが場所移動をはじめると家族全員で付いていくことに。そうして彼らを追っていくうちに世界は自分たちがそれまで暮らしていたところよりももっとずっと広いことに気づき、ぐんぐん歩み続けた。そんな移動人生を送っている最中、お父さんが作ってくれたギターでふたりは音楽を奏ではじめたとか…そのような話だった気がする。旅の途中でバーや屋外で演奏などをしているうちにたくさんの人に知られるようになり、いつの間にかレコード会社と契約を交わしていた。
たしかふたりのうちひとりは、まさかの日本人と結婚している。人生の最期には日本人の妻と音楽をつくり演奏していたとか。
とにかく、このジャケ写からはなかなか予想もつかないような、ものすごい一生を過ごしてきた人たちなのです。
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hiroco510 · 5 years ago
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「 Adho Mukha Svanasana (アドームカシュヴァナーサナ) 」
#downwardfacingdog #downdog
#yogapose
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《 期待できる効果 》
💛疲労回復、血液循環◎( 集中力up )
🧡肩コリ解消
💛背中、脚のストレッチ
🧡関節や脚の痛み( 骨粗鬆症、坐骨神経痛 )
💛頭痛、不眠症、不安軽減
🧡月経、更年期障害の症状緩和
💛高血圧/低血圧の改善
🧡喘息、副鼻腔炎
and more..
ㅤㅤㅤ
寝起きに伸びをしている気持ち良さそうなワンちゃんのポーズとも言われる "ダウンドッグ "。🐕
日常で伸ばしにくいところを伸ばすことで、
不安や疲れを手放しスッキリしましょう😉✨
ㅤㅤㅤ
初心者は肩が前に行き易く、台形のようになりやすいですが、時間と経験を重ね、心に余裕を持ちながら(自分の身体を信じて)、無理なく���ウンドッグポーズを楽しみましょう。
ㅤㅤㅤ
《 禁忌、注意が必要なとき 》
妊娠後期、手根管症候群など
ㅤㅤㅤ
《 軽減法 》
・手首を痛めている方:無理なく行ってください。
・膝を伸ばすと痛い方:軽く曲げていてOK!
・血圧の高い方:頭は中に入れ過ぎないように。耳は二の腕あたり。
ㅤㅤㅤ
《 Let's Start 》
四つん這いから手の平1枚分、両手を前に歩かせます。
※手首が内や外に向かないよう、人さし指をまっすぐ前に向けるorやや外向きにする。
ㅤㅤㅤ
手の平はヤシの木のように大きく指を開きます。🌴✨
※手の平の力の向き:しっかりとマットを前に押し出し続けるイメージ。
ㅤㅤㅤ
吸) 足の指先をカールしてから
吐) 膝、お尻を高〜く上げます。
ㅤㅤㅤ
お尻を頂点とした" 三角形 "をイメージ。🗻
※坐骨、お尻 の力の向き:後ろへ引き続ける。
ㅤㅤㅤ
肩が前に来始めたら、肩甲骨を腰の方にスーっと下げ、肩と耳の距離を離してください😉
ㅤㅤㅤ
太モモ裏(ハムストリングス)の伸びを気持ちよ〜く感じながら深い穏やかな呼吸を3〜5呼吸。
ㅤㅤㅤ
《 戻り方 》
吐)膝を曲げ、ゆっくりと床に膝を付け、足の甲をマットに寝かせ、子どものポーズで休み余韻を味わいましょう✨😌🐚🌅
ㅤㅤㅤ
──
私は、こちらのWorkshop Space " Apprendre "にて
[YOGA部門] を担当。
ㅤㅤㅤ
🌞💻🤸‍♂️onlineYOGA準備中🏃‍♀️✨
ㅤㅤㅤ
#stayhome #ヨガポーズ集
#yoga #japan #リラックスヨガ #おうちヨガ
#vinyasa #hathayoga #ヨガ #マインドフルネスヨガ 瞑想 マチェアヨガ ヴィンヤサ リンパマッサージヨガ#meditation #ヨギーニ #ryt200 #yogini #yogi #instayoga #art #woman #mom #love #happy #smile #photography #wellness #peace #nature #yogapants
https://www.instagram.com/p/B_H3a12h2EF9TKoMWW_1KoV3n1ilPOpXmQBCAs0/?igshid=13jlsh76rndyt
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about-fukuoka · 5 years ago
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ミツバチのオスは一回交尾すると生殖器が爆発する。
アンコウのオスは、身体の半分が睾丸である。
世界で生産される塩の一割は、アメリカのハイウェイにまかれている。
猫は一度に四匹ほどの子供を産むが、オス親はみな違っている。
ゴキブリは、電子レンジでチンしても死なない。
1グラムの金を伸ばしてやると、3キロメートルの長さになる。
アルマジロは、たかっている蚤がすべて駆除されると死んでしまう。 ゴキブリは頭をとっても死なない。えさが食べれずに二週間後に餓死する。
シベリアのバイカル湖には深海魚が住んでいる。
魚を船に乗せると船酔いする。
多くの植物は、酸性雨の中でよく育つ。NOX窒素が肥料となるため。
胃酸は金属も溶かすことができる。
カシミール地方のフンザ族は、誰一人としてガンを患ったことがない。 肉食性のタランチュラは、テーブルから落ちるとベチャっとつぶれてしまう。
輸血用の血液が足らないとき、ヤシの実の汁で代用できる。
ドイツの化学者ペッテンコーファーは、病原菌説に反対し、培養したコレラ菌を飲み干したがぴんぴんしていた。
兵隊アリは一匹にすると迷子になってしまい、餓死するまで同じところをぐるぐる回り続ける。 ダニのメスは無性生殖で産卵し、そこから生まれたオス(つまり息子)と交尾する。
19世紀のイギリスでは、入院患者の半分が院内感染が原因で死亡している。
アラスカでは、食品を凍らせないように冷蔵庫にしまっておく。
「悪貨は良貨を駆逐する」のグレシャムの法則を考えついたのは、天文学者のコペルニクスである。
目と耳が不自由だったヘレン・ケラーは、臭いで人を識別できた。
コロンブスの航海のために支出された予算は、イザベラ女王が主催する宴会の三回分だった。
ウラジオストックは、ウラジオ・ストックではなく、ウラジ・オストック。
プエルトリコは、プエル・トリコではなく、プエルト・リコ。
マックワールドエキスポは、マック・ワールドエキスポではなく、マックワールド・エキスポ。
アラビア数字は、アラビアではなくインドで生まれた。
ウルトラの兄弟は、血縁関係ではなく義兄弟。ウルトラの父はその上司だった。 アインシュタインの相対性理論の解説書は、戦前ワイセツ書だと思われて発禁処分になっていた。
イルカは、泳ぎ疲れると溺れる。
コペンハーゲンにある人魚像のモデルは、岡田真澄の親戚。
西武ライオンズのマークとして使われているのは、レオではなく、お父さんのパンジャ。 スイフトは「ガリバー旅行記」の中で、未発見の火星の衛星フォボスとダイモスの質量、軌道半径、公転周期などを正確に予言していた。
エスカルゴはぶどう畑にたかる害虫で、駆除するついでに食べていたのが始まり。
日本でいちばん早く初日の出が見れるのは、北海道ではなく千葉県の犬吠崎。
美空ひばりは、デビュー前にNHKの素人のど自慢に出演して、鐘ひとつで落選したことがある。
ほとんどの森林は、酸素よりも二酸化炭素を多く生み出している。
多くの原子力発電所は、建造、運営、撤去に必要な電力以下しか発電することができない。
野口英世は梅毒菌を発見したときに、嬉しさのあまり甘茶でかっぽれを踊ってしまった。
セガの元々の社名は日本娯楽物産。その英語名がService Games Japan。そこからSeGaとなった。
エプソンは、Electoronic Printerの息子たち(Son)を作っているので、EPSON。
マッキントッシュは和品種名「旭」リンゴ。明治23年に札幌農学校に輸入されて以来、北海道で栽培されている。
マックのコマンドキーのマークは、元々バイキングの装飾模様だった。
ニュートンはプリズムで分離した日光の色を5色しか見分けることができず、目のいい助手を雇って見てもらったら7色になった。
かなキーボードの配列は、大正12年に作られた。
大量の放射能は人体に有害だが、ちょっとだけ浴びると肩凝りが治る。
ドンキホーテは、ドンキ・ホーテではなく、ドン・キホーテ。
ゼロ戦は、離陸するとき、左の車輪が右よりもちょっとだけ早く格納される。
金毘羅さまに祭られているのは、ガンジス川に住んでいるワニ。
伊豆半島は元々、熱帯にあった小島で、南から流れてきて本州とくっついた。
色を再現するのに三原色は不要。ポラロイドの創立者ランドは、二原色システムのカメラを発明している。
雁の中にはメス同士で卵をかえすレスビアン夫婦がいる。
シャコは光の受容細胞を10種類もっている。つまり、10原色で世界を眺めている。
ハエがなぜ飛べるのかは、最新の科学でもわかっていない。
土星の衛星タイタンには、春夏秋冬の四季がある。
チャレンジャー号の乗組員の死因は爆発ではない。爆発後もコクピットは保護されていて、意識はあった。その2分後、海面に激突したショックにより死亡したと見られている。
コブラはコブラにかまれると死ぬ。
キスをすると、1秒間に2億個の細菌がやりとりされる。
虫歯は、口を介してうつる伝染病。
オリンピックの金メダルは、実はめっきである。
クマムシという虫は、高温、低温、放射線、真空などのあらゆる悪環境に耐えるが、指でつぶすとつぶれる。
原子力研究所にある実験炉が自動停止したときに、叩いてみたら再び動き出した。
東名高速が開通したばかりのころ、路肩に車をとめて、レジャーシートをしいて富士山を眺めながらおにぎりを食べることが流行った。
初期の打診法は、大きな木製のへらで患者の横腹をひっぱたくというもので、しばしば患者の肋骨を骨折させることがあった。 幼児は紫外線の領域まで見える。
第二次世界大戦中にレーダーを発明したイギリスは、カムフラージュのために「パイロットににんじんを食べさせているので、夜目がきくようになった」という噂を流した。それ以来、夜目にはにんじんがいいと信じられている。
光の速度をはじめて測定しようとしたのはガリレオ。遠く離れた丘の上にランプをもって立ち、一方が覆いを外したのを見た他方が覆いを外し、光が見えるまでの時間を振り子で測るというものだった。練習不足だったのか、測定するたびに結果が異なりうまくいかなかった。
スズメバチは、飲み残しの缶ジュースを餌とするが、その中でも乳酸菌入りグレープジュースが特に気に入っている。
「サイボーグ」は、タカラの登録商標である。
サメやマグロは、浮き袋を持っていないので、泳ぐのやめると溺れてしまう。
カタツムリは葉緑素をもっているので、光合成をしている。
ホタルは川の流れがきれいになると死滅してしまう。
お腹に回虫を飼っている人は花粉症にならない。
切り株の年輪の幅は南の方が広がっているというのは真っ赤なウソ。実際はばらばら。
市販されている備長炭の多くは、中国やアジア産である。
野生動物が畑を荒らしたり、登山者の食べ残しをほしがるのは、自然の餌が不足しているからではなく、人間の食べ物の方がおいしいから。
最新のコンピュータシミュレーションによると、月が誕生するのにかかった時間は3日。
細胞に含まれる核、ミトコンドリア、葉緑体は、もともと別の独立した生物が寄生したもの。
無重量状態でも、野球のボールをぶつけられると、やっぱり痛い。
月は常に一方の面だけを地球に向けて公転している。これは月だけでなく、太陽系の衛星のほとんどがそうなっている。
体重比で睾丸が最も大きいのはチンパンジー。人間は残念ながら第二位。ちなみにタヌキはトップテンに入っていないことだけは確か。
音楽CDのラベル部分やエッジを緑色に塗ると音質がよくなるという迷信はほんとう。ただし、自分で塗ってむらがある状態では効果はほとんどない。
欧米人は肩凝りにならないというのは真っ赤な嘘。同じ症状を英語圏ではstiff-necked(首が凝った)というだけ��
フンコロガシは、糞団子ひとつを12時間かかって食べ、3メートル以上もの長さの糞をする。
スプーン一杯の食用油を池の上に落とすと、半径20メートルにまで広がり、その下にいる魚は酸素不足になる。
地球温暖化の影響を最初に受けたのは、エロマンガ島。海水面の上昇によって、沈んでしまった。最新の地図のどこを探しても「エロマンガ島」の文字を見つけることはできなくなってしまった。失ったものは大きい。
古生代ペルム紀(2億5000万年前)の塩の結晶の中から発見されたバチルス細菌を水につけたら、生き返ってしまった。
ロシアの宇宙ステーションミールは、大量の放射線を浴びているにもかかわらず、細菌が繁殖して困っていた。
アポロ12号のクルーたちは、月面に生物を発見していた。2年半前に着陸していた無人探査機サーベイヤーに付着していた連鎖球菌が月面で繁殖していたのだ。
運動をすると、筋肉は破壊される。破壊された筋肉繊維が修復するときに、以前よりも強い筋肉となる。
コンタクトレンズの原理を発見したのは、レオナルド・ダ・ビンチ。 50億年前の地球の球表面面積は現在の1/4。つまり、当時できた薄皮が、地球の膨張にともなってひび割れたのが陸地だと考えられている。
花粉症とアトピー性皮膚炎は、日本人と旧西ドイツ人の間で急増している。しかし、不思議なことに旧東ドイツ人の間では増えていない。
蚊が刺すときは、道路工事のドリルのように、一秒間に8回のスピードで針を打ち込んで皮膚を貫通させる。
蚊は刺す直前に麻酔薬を注入する。この麻酔薬が欠損している蚊に刺されるともうれつに痛い。
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persumega · 5 years ago
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102「Another delight-三方円-」 . 「息吹満つ 野分 藪漕ぎ 踏み入れば 椿の蕾 紅差す睦月」 . "Inhale, break through the grass and step into the field. Camellia buds point to lipstick, January" -AQ- . pic.1→「なみだつばきあめ」"Camellia tears rain" . pic.2→「��上」""Surfacing"(イメージ・イラストです) . 一月下旬、雪かみぞれか、しとしと降りの今日このごろ、皆さまは、いかがお過ごしでしょうか。 . 最近、何故か、「陸に最初に上がった魚って、どんなやつだったのだろう」、という(どうでも良いような)疑問が、ふと脳裏を過ぎります。🤫⁇🐟🌟✨🌊→🏝✨ . たぶん、そいつは、引き潮の際に出来た、大きな内陸の干潟みたいなところに、取り残された、ぶきっちょな魚で。Σϵ( 'Θ' )϶⁈💦 . どんどん水が乾いていくものだから、 . 「これは、いかん! このままでは、"天然の魚の日干し"になってしまう! シャレに、ならん‼︎」☀️🐟♨️✨ . ……的に、「エラ」を「肺」にしたり、「ヒレ」を「あし」にしたり、腹筋を八つに割ったりと、ひっしに、肉体改造につとめ。 . それを、ようやく達成して、ヤシの木陰で、休憩してたら、🏝🍹✨ . 「アカン! 何か、耳が三角の、ニャーとか鳴くやつが、ねらっとる! 早よ、木に上らなアカンて!」🏝🐈∑(゚Д゚)⁉︎✨ . ……的に、今度は、木に上るべく、しっぽをはやしたり、ツメをはやしたり、しなやかな「インナー・ボーン」をきたえたり、したのでは、ないかと。🤫⭐️💫✨ . そして、それらの成果は、遠い遠い、人類の祖先、が、じーっと観察していて、何か、明日からの「木の実採集」とかの、やる気につながってたり。🏝🍋🏃‍♂️🌬 . なんとなく、そんな気が、したりします^^;💦(……しませんか。しませんよね💦) . (ちなみに、腹筋はいくつあるのか、そもそも魚に腹筋があるのか、「インナー・ボーン」じゃないほねとかあんのか、等について全く知りませんm(_ _)m💦) . まあ、そんな感じの空想で、冬の雨降りの日を、すり抜けてたりします^^;💦❄️☔️✨ . ではまた、良き日を。ありがとうございました(*'▽'*)🌸🐟🌟✨🙏 . pic.3〜5→おまけ。「板チョコみたいな」 . *** . "The dolphin streamer" . Chapter 1 “Stars”  . 1 . I was able to call "UFO" when I was in fourth grade in elementary school. . I remember that was around the "Carp streamer (Koi-Nobori) Athletic Meet" was over. . At that time, I lived in “Dolfin Town”. . On May 5th, there is a custom to decorate a “Carp streamer” in Japan. . Instead, "Dolfin Town" has a custom of decorating a "dolphin streamer" that was made by cloth. . First, take bamboo from a nearby forest and cut off branches. . And stick the bamboo in the ground. Then tie the dolphin made of cloth to the rope. . At last, the rope tie to bamboo and let the "dolphin streamer" swim in the sky.And decorate it in the garden of the house. . It was a slightly different festival that I cannot see even in Japan. That's why tourists came from here and there in the season. . (……Continue?) . https://www.instagram.com/p/B7vShyagC8X/?igshid=1s23l6i7gey0g
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fujisawanissi · 5 years ago
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[10/31(木)7:24 @替佐駅]
晴れ。もう冬の寒さ。家もストーブを出した。
10/26について。朝、心斎橋のカプセルホテルを10:24に出る。寝過ごした。延長料金500円を払う。特に予定がなかったので、JR神戸線に乗って住吉駅まで行き、六甲ライナーに乗り換えて六甲アイランドへ。六甲アイランドへ来るのはおそらくKさんとRと3人で来たとき以来。駅を降りると、水辺の広場でハロウィンパーティーをしていた。ファッション美術館に行くが、常設展はやっていないとのこと。しょうがないので3階のライブラリーをぶらぶら眺める。収蔵されている本が少し古かったのが時代を感じた。
ライブラリーを出て、海岸まで歩いていく。人工島には南の島の木が多い。ヤシの木?とか。海岸には釣り人が多くいた。本当は釣りは禁止されているらしいんだけど、黙認されているらしい。海岸沿いにたつ食堂で坦々麺を食べる。(KさんとRと屋上に上った建物は、1階が食堂だった)。
一路、大阪まで戻り、田辺のlvdb booksへ。今回はあまり収穫なし。といいつつ多分40分ほどいた。ゼルダ・フィッツジェラルドの「こわれる」と白山宣之の「地上の記憶」を買う。外を出ると、見事な秋空で、その秋空に誘われるままに歩いて桃ヶ池公園へ。またまた歩いて、今度は居留守文庫へ行く。ここでもそんなに買わず、吉田簑助の自伝本を買う。文楽やってる人はなんで自伝本を書きたがるのか。
文の里駅から谷町四丁目駅で乗り換えて、九条へ。いつもの中華屋で焼き飯と餃子とレモンチューハイを頼む。松島新地を抜けて、��湯へ。入り口にタンカーがあって、一瞬番台のおじいさんが倒れたのかと思ったけど、中に入ったらいつも通り番台にいた。今日もヤクザのおっちゃんがきていた。
風呂上がりにコーヒー牛乳を飲んで、聖教新聞を読む。
東梅田にでて、ネットカフェで「進撃の巨人」を読んで、22:20発の4列の夜行バスで長野に帰る。
翌10/27。朝、豊野駅まで父が迎えにきてくれた。家について風呂をあびて、1時間ほど寝る。09:00ごろに皆で家を出て、飯山駅で姉を拾い、高速で軽井沢まで。横川の鉄道博物館に行き、みなでトロッコ列車に乗る。その前に、おおぎや本店で峠の釜飯を食べた。弟は峠の釜飯を食べるのは初めてだと言っていた。
碓氷湖、眼鏡橋を見て、16:00には宿についた。プールがあるので泳ごうと思ったが、全然泳げるようなスペースがないのでやめた。
翌10/28は、翌日は隣にあるトリアセンをチラ見して、上田の丸子にあるワイン醸造所をチラ見して、上田IC近くにあるラーメン屋でラーメンを食べて、家に帰る。家に帰ったあとも2時間くらいずっと寝た。
翌10/29は一日休み。湯田中駅で定期券の更新をする。前に行ったときと同じ人が対応してくれた。その足でケーズデンキにより、イヤホンを買う。
そのままアップルラインを通って長野市街地に出る。ダイソーで耳栓を、ゼビオでスイムタオルを買う。いったん図書館に立ち寄って、本を借りて、事務所を覗いてお昼休憩中のMさんととりとめもない話をずっとしていた。そういえばこの日は朝からずっと雨が降っていた。歩いて長野駅まで行き、また定期券を買う。長野駅をでて、ユニクロへ。ジャケットなど買ってしまった。帰りに、若里のバッティングセンターに寄って、80km打つ。一汗かいたその足で、アクアウィングに行き、30分泳いで、帰りに北長野駅に立ち寄って、自転車に空気をいれようと思ったけど、空気入れが合わなくてむしろ空気を少し抜いてしまった。
17:00前に自宅に帰宅。部屋の掃除をする。
アヤカさんはいまシカゴにいて、シカゴ日記と名付けてブログを更新している。そのブログを見るに、10/27に実施したMとの話し合いはおそらく上手くいったのだと思う。一人でフリーウェイ。揚げずに唐揚げ。おにぎらず。この期間中は、なるべくこちらから連絡を取らないようにしたい。
おそらく、フリーウェイ・ダンスはタイトル名ではなく、アヤカさんの踊り方の名前なのだと思う。それは言葉遣いを見てもそうだし(フリーウェイをやる)。彼女はおそらく劇場が好き。劇場が好きなのか、舞台が好きなのか。
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takeshi-o · 5 years ago
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モテたい男子に朗報!刈り上げを3㎝上げると底知れぬ自信を手に入れられる!
たけです。
先日、久しぶり髪を切りに行きました。
あっという間に季節も夏に近付いており、寒さを防ぐ為の髪型から、通気性を重視した髪型へ移行するタイミングです。
基本的に僕は、髪型や長さについては、プロである美容師の方にお任せすることが多いです。
みなさんは細かく「こんな感じで!」とお願いする方ですか?
昔から僕自身ずっと思ってることですが、
「自分に似合う髪型っていったいどれなんだ?」
という問いに、答えられずにいます。
そもそも何をもって、一番に似合うのかよく分からんな〜?というのが本音の部分です。頭の形や顔つきに合わせて整えてもらうのが一番印象よく出来ると思っています。
利用する美容室も、似合う髪型が分からないというのがあって、何度か同じとこに通っては、別の店に変えたりして、最高の髪型との出会いを追い求めています。
今回は初めて行った美容室でした。
いつもの様に、美容師の方と話をしながら髪型を決めていたのですが、その話の中で辿りついたのが、
 「どこまで刈り上げますか?」
という問題です。
特に後面というよりは、側面の耳の上あたりについてです。
これまで刈り上げることがあるとすれば、だいたい眉の高さぐらいまでです。しかし、今回のお姉さんの提案はさらに上の領域へ。
上に行けば行くほど、僕の中のイメージはヤシの木みたいなシルエットになるんじゃないか?という懸念がありました。
少し悩んでいる自分を見兼ねてか、お姉さんが言った一言が、
「三代目の登坂くんも刈り上げてるよ」
instagram
(出典:登坂広臣公式Instagram)
言われた瞬間全身に衝撃が走りました!
たしかに、EXILEなどLDHグループはオシャレな髪型かつ、しっかりサイドを刈り上げている人が多い! 
しかも登坂くんといえば、人気No. 1じゃないか!
さっそくいつもより約3㎝高い、サイドの刈り上げをお願いしました。
切ってもらっている最中は、
   「そんなとこまで行くのー!?」
という感じで、ドキドキしながら身を預けていました。
シャンプーやドライヤーでの乾燥まで終了。
刈り上げた部分には、上から髪が覆い被さる様なツーブロックと呼ばれる髪型である為、大きな違和感はなくいけてます!
そして、おもむろに手につけたスタイリング剤で、髪の毛をセットしたところ
「刈り上げた方がめちゃめちゃいいやん!」
と、自画自賛!笑
さっきまでのドキドキはどこかへ吹き飛んでしまい、なんだか仕事も出来そうな男に気分は昇格!!
「出来る男は、やっぱ刈り上げですよね!」
心の中で叫びました。
意気揚々としながら家路につく道中で、気になるのは「他の男性はどれぐらい刈り上げてるんだろう?」ということばかりに目がいきます。
気持ちが乗っているせいか、見掛けた人を相手に、“刈り上げ格付け対決” を勝手に妄想しては、一人で楽しんでしまってました。
見た目が変わると、セルフイメージも変わって、めちゃくちゃ前向きになれることを実感♪
露出部分が増えたことでも、普段の自分よりもエネルギーが溢れだす感覚です。
自分に似合う髪型はわからないけど、力がみなぎってくる様な髪型が、自分には合っているんじゃないかと思いました。
この夏も、いい季節になりそう!
男性の皆さん。この夏はいつもより刈り上げを3㎝高くして、自信に満ちた自分を手に入れましょう!
では♪
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lovecrazysaladcollection · 5 years ago
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ミツバチのオスは一回交尾すると生殖器が爆発する。
アンコウのオスは、身体の半分が睾丸である。
世界で生産される塩の一割は、アメリカのハイウェイにまかれている。
猫は一度に四匹ほどの子供を産むが、オス親はみな違っている。
ゴキブリは、電子レンジでチンしても死なない。
1グラムの金を伸ばしてやると、3キロメートルの長さになる。
アルマジロは、たかっている蚤がすべて駆除されると死んでしまう。 ゴキブリは頭をとっても死なない。えさが食べれずに二週間後に餓死する。
シベリアのバイカル湖には深海魚が住んでいる。
魚を船に乗せると船酔いする。
多くの植物は、酸性雨の中でよく育つ。NOX窒素が肥料となるため。
胃酸は金属も溶かすことができる。
カシミール地方のフンザ族は、誰一人としてガンを患ったことがない。 肉食性のタランチュラは、テーブルから落ちるとベチャっとつぶれてしまう。
輸血用の血液が足らないとき、ヤシの実の汁で代用できる。
ドイツの化学者ペッテンコーファーは、病原菌説に反対し、培養したコレラ菌を飲み干したがぴんぴんしていた。
兵隊アリは一匹にすると迷子になってしまい、餓死するまで同じところをぐるぐる回り続ける。 ダニのメスは無性生殖で産卵し、そこから生まれたオス(つまり息子)と交尾する。
19世紀のイギリスでは、入院患者の半分が院内感染が原因で死亡している。
アラスカでは、食品を凍らせないように冷蔵庫にしまっておく。
「悪貨は良貨を駆逐する」のグレシャムの法則を考えついたのは、天文学者のコペルニクスである。
目と耳が不自由だったヘレン・ケラーは、臭いで人を識別できた。
コロンブスの航海のために支出された予算は、イザベラ女王が主催する宴会の三回分だった。
ウラジオストックは、ウラジオ・ストックではなく、ウラジ・オストック。
プエルトリコは、プエル・トリコではなく、プエルト・リコ。
マックワールドエキスポは、マック・ワールドエキスポではなく、マックワールド・エキスポ。
アラビア数字は、アラビアではなくインドで生まれた。
ウルトラの兄弟は、血縁関係ではなく義兄弟。ウルトラの父はその上司だった。 アインシュタインの相対性理論の解説書は、戦前ワイセツ書だと思われて発禁処分になっていた。
イルカは、泳ぎ疲れると溺れる。
コペンハーゲンにある人魚像のモデルは、岡田真澄の親戚。
西武ライオンズのマークとして使われているのは、レオではなく、お父さんのパンジャ。 スイフトは「ガリバー旅行記」の中で、未発見の火星の衛星フォボスとダイモスの質量、軌道半径、公転周期などを正確に予言していた。
エスカルゴはぶどう畑にたかる害虫で、駆除するついでに食べていたのが始まり。
日本でいちばん早く初日の出が見れるのは、北海道ではなく千葉県の犬吠崎。
美空ひばりは、デビュー前にNHKの素人のど自慢に出演して、鐘ひとつで落選したことがある。
ほとんどの森林は、酸素よりも二酸化炭素を多く生み出している。
多くの原子力発電所は、建造、運営、撤去に必要な電力以下しか発電することができない。
野口英世は梅毒菌を発見したときに、嬉しさのあまり甘茶でかっぽれを踊ってしまった。
セガの元々の社名は日本娯楽物産。その英語名がService Games Japan。そこからSeGaとなった。
エプソンは、Electoronic Printerの息子たち(Son)を作っているので、EPSON。
マッキントッシュは和品種名「旭」リンゴ。明治23年に札幌農学校に輸入されて以来、北海道で栽培されている。
マックのコマンドキーのマークは、元々バイキングの装飾模様だった。
ニュートンはプリズムで分離した日光の色を5色しか見分けることができず、目のいい助手を雇って見てもらったら7色になった。
かなキーボードの配列は、大正12年に作られた。
大量の放射能は人体に有害だが、ちょっとだけ浴びると肩凝りが治る。
ドンキホーテは、ドンキ・ホーテではなく、ドン・キホーテ。
ゼロ戦は、離陸するとき、左の車輪が右よりもちょっとだけ早く格納される。
金毘羅さまに祭られているのは、ガンジス川に住んでいるワニ。
伊豆半島は元々、熱帯にあった小島で、南から流れてきて本州とくっついた。
色を再現するのに三原色は不要。ポラロイドの創立者ランドは、二原色システムのカメラを発明している。
雁の中にはメス同士で卵をかえすレスビアン夫婦がいる。
シャコは光の受容細胞を10種類もっている。つまり、10原色で世界を眺めている。
ハエがなぜ飛べるのかは、最新の科学でもわかっていない。
土星の衛星タイタンには、春夏秋冬の四季がある。
チャレンジャー号の乗組員の死因は爆発ではない。爆発後もコクピットは保護されていて、意識はあった。その2分後、海面に激突したショックにより死亡したと見られている。
コブラはコブラにかまれると死ぬ。
キスをすると、1秒間に2億個の細菌がやりとりされる。
虫歯は、口を介してうつる伝染病。
オリンピックの金メダルは、実はめっきである。
クマムシという虫は、高温、低温、放射線、真空などのあらゆる悪環境に耐えるが、指でつぶすとつぶれる。
原子力研究所にある実験炉が自動停止したときに、叩いてみたら再び動き出した。
東名高速が開通したばかりのころ、路肩に車をとめて、レジャーシートをしいて富士山を眺めながらおにぎりを食べることが流行った。
初期の打診法は、大きな木製のへらで患者の横腹をひっぱたくというもので、しばしば患者の肋骨を骨折させることがあった。 幼児は紫外線の領域まで見える。
第二次世界大戦中にレーダーを発明したイギリスは、カムフラージュのために「パイロットににんじんを食べさせているので、夜目がきくようになった」という噂を流した。それ以来、夜目にはにんじんがいいと信じられている。
光の速度をはじめて測定しようとしたのはガリレオ。遠く離れた丘の上にランプをもって立ち、一方が覆いを外したのを見た他方が覆いを外し、光が見えるまでの時間を振り子で測るというものだった。練習不足だったのか、測定するたびに結果が異なりうまくいかなかった。
スズメバチは、飲み残しの缶ジュースを餌とするが、その中でも乳酸菌入りグレープジュースが特に気に入っている。
「サイボーグ」は、タカラの登録商標である。
サメやマグロは、浮き袋を持っていないので、泳ぐのやめると溺れてしまう。
カタツムリは葉緑素をもっているので、光合成をしている。
ホタルは川の流れがきれいになると死滅してしまう。
お腹に回虫を飼っている人は花粉症にならない。
切り株の年輪の幅は南の方が広がっているというのは真っ赤なウソ。実際はばらばら。
市販されている備長炭の多くは、中国やアジア産である。
野生動物が畑を荒らしたり、登山者の食べ残しをほしがるのは、自然の餌が不足しているからではなく、人間の食べ物の方がおいしいから。
最新のコンピュータシミュレーションによると、月が誕生するのにかかった時間は3日。
細胞に含まれる核、ミトコンドリア、葉緑体は、もともと別の独立した生物が寄生したもの。
無重量状態でも、野球のボールをぶつけられると、やっぱり痛い。
月は常に一方の面だけを地球に向けて公転している。これは月だけでなく、太陽系の衛星のほとんどがそうなっている。
体重比で睾丸が最も大きいのはチンパンジー。人間は残念ながら第二位。ちなみにタヌキはトップテンに入っていないことだけは確か。
音楽CDのラベル部分やエッジを緑色に塗ると音質がよくなるという迷信はほんとう。ただし、自分で塗ってむらがある状態では効果はほとんどない。
欧米人は肩凝りにならないというのは真っ赤な嘘。同じ症状を英語圏ではstiff-necked(首が凝った)というだけ。
フンコロガシは、糞団子ひとつを12時間かかって食べ、3メートル以上もの長さの糞をする。
スプーン一杯の食用油を池の上に落とすと、半径20メートルにまで広がり、その下にいる魚は酸素不足になる。
地球温暖化の影響を最初に受けたのは、エロマンガ島。海水面の上昇によって、沈んでしまった。最新の地図のどこを探しても「エロマンガ島」の文字を見つけることはできなくなってしまった。失ったものは大きい。
古生代ペルム紀(2億5000万年前)の塩の結晶の中から発見されたバチルス細菌を水につけたら、生き返ってしまった。
ロシアの宇宙ステーションミールは、大量の放射線を浴びているにもかかわらず、細菌が繁殖して困っていた。
アポロ12号のクルーたちは、月面に生物を発見していた。2年半前に着陸していた無人探査機サーベイヤーに付着していた連鎖球菌が月面で繁殖していたのだ。
運動をすると、筋肉は破壊される。破壊された筋肉繊維が修復するときに、以前よりも強い筋肉となる。
コンタクトレンズの原理を発見したのは、レオナルド・ダ・ビンチ。 50億年前の地球の球表面面積は現在の1/4。つまり、当時できた薄皮が、地球の膨張にともなってひび割れたのが陸地だと考えられている。
花粉症とアトピー性皮膚炎は、日本人と旧西ドイツ人の間で急増している。しかし、不思議なことに旧東ドイツ人の間では増えていない。
蚊が刺すときは、道路工事のドリルのように、一秒間に8回のスピードで針を打ち込んで皮膚を貫通させる。
蚊は刺す直前に麻酔薬を注入する。この麻酔薬が欠損している蚊に刺されるともうれつに痛い。
” - 一行サイエンス (via hisaruki, etecoo) 2008-07-24 (via gkojay) (via takaakik) (via mnak) (via oho777) (via storadio) (via mktx) (via yasayasa83) (via idoyesido) (via appbank) (via ipodstyle) (via yaruo) (via tanakamp) (via krbysh) (via reservoir) (via overdope) (via peckori) (via uessai-text) (via cellbuu)
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sabakui · 8 years ago
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時々、自分はどこにいるのだろうと思うことがある。旅と旅の間のつかの間、いつもの自宅での定位置に座り、庭の植木をぼんやり見上げている時も、カシュガルのホテルで、砂埃で汚れた窓からぼんやりと霞んで見える朝の街を眺めている時も、脈略のない僕の旅が、ずっと切れ間なく続いている様な気がする。 旅に出ると僕は決まって、朝目覚めると、ホテルの窓のカーテン越しに見える街の写真を撮る。ベッドから起き上がると、脇のサイドテーブルに置いた35mmカメラを握り、ふらふらと寝ボケた足取りで窓に近づき、カーテンを少し開け、まだ醒めぬ目をこすりながら窓の外の街の様子を覗く。 深夜、空港に到着した時など、街道を車に揺られ、寝静まった暗い街を、ヘッドライトが部分的に浮かび上がらせる街の気配と、車窓から見える街のシルエットで、どんな様子のどんな色の街なのか想像しながら、とりあえずホテルのベッドに倒れこむ。だから次の日、朝一番、窓の外の街の色を見たり、街の音を聴くことから、僕にとってのその街での1日が始まる。 窓から見える朝の景色で、一番先に僕の目に飛び込んでくるのは、決まってその街の街道だ。そこでは、色々な人々がそれぞれの目的で歩いているのが見える。自転車で橋を渡っている人、日傘を差した女性がいたり、雪道を危なっかしく、いかにも寒そうな凍った道を歩いている人々がいたり、そんなふうに、その国々や季節によって様々な姿の人々が窓を通して目に入ってくる。 カメラを構え、ファインダーの中を見つめていると、街の湿度や温度、色や香りを感じる。たとえば、まだ薄暗いマンハッタンのホテルの窓から見下ろすニューヨークの街は、摩天楼と摩天楼のあいだを縫うように走るストリートを、通り過ぎるパトカーや救急車のけたたましい音が反響しながら、高いところにある窓まで届く。その音を聞きながら遠くの方へ目を移すと、摩天楼で暮らす人々の、生活する赤い灯が所々に見える。早朝、ミャンマーの僧院の窓から見える枝を広げた大きなヤシの木、その向こうにブリキ葺の���並みが、朝餉(あさげ)を作るかまどの火の煙に霞んでいる。街道には早朝から働く人々の会話や、ものを運ぶ人々のだす様々な音が、僕の身体に心地よい湿度とともに届いてくる。イスタンブールの宿の窓には、遠くに霞むイスラム寺院から、むせぶるようなあのコーランの音が、遥か遠くの丘まで続く家々の屋根の上を飛び越えて響いてくる。 星を撮るため、モンゴル大草原のパオで寝起きした時には、よく昼寝をした。聞きなれない音にパッと目を覚まし、その音のありかを捜しているうちに、それが外からの音だと気づき、パオの外を眺めていると、ちょうど寝ている自分の目の高さくらいのところに、数え切れない数の名前を知らない昆虫たちが、草原の丈の長い草の頂上でホバリングをしている音だった。その光景が不思議におもしろくて、夢のつづきでも見ているのではと疑いながら、しばらくぼんやりとした目で眺めていた。 インド洋の沖合、船の上での寝起きを経験した時、波の高い海を想像していたのに、ヒタヒタと心地よい音をたてて、まるで小さな池に浮かんだ筏の上で聞くような、小さな波音にやすらぎを覚えた。船の側壁に打ち付ける波音だけが聞こえる、見渡す限りの朝焼けに輝く海面、他には何も見えない静かな朝を船の窓越しに見た。 そうかと思えば、もう家に二度と戻れないのでは、と感じるような恐怖の海での夜を過ごしたこともあった。西パプアボルネオ近海、夜、レーダーもライトも装備しない小舟で、突然の嵐に遭遇した。黒々とした、漆黒の闇と打ちつける激しい雨の中、自分たちがいったい何処にいるのかもわからない恐怖の中で、何度となくサンゴ礁に座礁したり、漁師の仕掛けた漁網にスクリューをとられたりしながら、けたたましい稲妻の閃光と雷鳴に恐怖を煽られ、生きた心地もしない夜を、頼りない小さな船の上で身を寄せ合い過ごした。稲妻によって一瞬浮かび上がった、ずぶ濡れの雨ガッパを着た船頭の光る後ろ姿を見て、無性に写真を撮りたいと思った。 モンゴルの砂漠地帯では、砂埃による黄色一色の、他に何も見えない世界を見た。砂嵐が通り過ぎるまでの時間立ち往生し、イエローアウトと呼ぶしかないものすごい風音と黄色い世界の中で、その嵐が過ぎるのを待っていた。それでも車の窓の外をじっと見ていると、驚いたことに、我々のマイクロバスを風よけに、バイクに乗った若い夫婦が強風に身を縮めた姿が、砂嵐の切れ目切れ目にほんの一瞬見え隠れする。それは、幻でも見ているかのようだった。こういう過酷な大地で、自然の摂理に従って暮らす、人々のたくましさを思わない訳にはいかなかった。車が強風によって揺らされるたび、車の隙間という隙間から不気味にぼそぼそと黄色いものが車中に舞い落ちた。反対側の窓からは、草原で暮らす馬たちがやはり目を閉じ、耳をたたんで、身を縮め、黄色い嵐をやり過ごそうとしている寡黙な姿が、風景の中に霞んで見えた。 僕の記憶に残る旅の出来事も、時間とともにぼんやりと遥か彼方に霞み、やがて消失してゆくのだろう。しかし、時々、鮮明に映像として、立ち昇ってくるものがある。それは、写真に撮られた瞬間瞬間だった。自分の記憶を人に鮮明に伝え語ることは難しい。どれほど美しい景色だったのか。どれほど過酷な場所だったのか。どれほど不思議な街だったのか。写真はそれを可能にしてくれる不思議な装置だ。だから、カメラと共に旅をするのだろう。 旅の写真は、自分がある日、ある場所に、突然、しかし確実にそこに存在していたこと、そしてその時、確かに目の前の光景を見つめていたということを、その写真によって再認識することができる。そして、決まってその写真からは、ある種の懐かしさを感じ、それと同時に、ある喪失感、なにか失ったものを見つめることになる。その時そこで、見つめていたはずの自分はすでにもういない。あったはずの瞬間も過ぎ去った時間として写真に残されている。懐かしさと同時にある儚さも感じる。写真はあったはずの時間を確実に写し、証明するけれど、同時にそれは過ぎ去った時間を私たちに伝える。もし写真というものが存在していなければ、このような過去の鮮明な記憶を私たちは持てないし、また同時に、このような鮮明な喪失感を持つこともなかっただろう。 旅もまた、出会いであり、別れである。その記憶であり、その喪失感である。そういう意味で旅の本質と写真のもつ本質は似ているような気がする。 この頃、不思議に思うことがある。写真に撮り逃した瞬間のことを、とても鮮明に覚えている。カメラがそばになかった時、撮ることができなかった悔しさが、記憶をより鮮明にさせるのだろうか。まるで写真を見るように思い出すことができる。写真のなかった頃の人々は、記憶にとどめたい光景を、まるで私たちが写真を見るように、自分の記憶の中から鮮明に取り出し、語ることが出来たのかもしれないと。
上田義彦『旅の記憶』
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cosmicc-blues · 6 years ago
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Sさんについて(作為と無作為のあいだで)
Sさんの曲を初めて聴いたのは、たしか去年か、おととしのことで、いい曲だなぁと思ういっぽう、あの声が、何だかちょっと恥ずかしくて耳がくすぐったくなるような思いがした。このSさんが、まさか、あのSさんだったなんて! と気づいたのは数日前にSさんの新曲を聴いて、去年かおととしにいいなぁと思ったあの曲をきちんと聴き返してみたときだった。歌詞をみると一目瞭然。こんなことってあるのだなぁと驚かずにはいられなかった。
Sさんのことなどすっかり忘れていて、そのうえ、忘れていることすらいっしょに忘却していたのだ��ら、じぶんにとってSさんは存在していないも同然で、同一人物のうたう曲を聴いてもそうと気がつかないのは当然といえば当然らしい。
もう10年近く前のことになろうか、Sさんは都内某所の地下によく遊びに来ているひとのうちのひとりだった。じつに色んなひとが出入りしていた。ずっと昔から毎週のように通い続けているひと、年に数回しか顔を見ないけれど何だかんだで長い付き合いになっているひと、とつぜん強烈な印象とともに毎週姿を見るようになり、また突然ばったりみえなくなり金輪際となるひと。でも、だいたいのひとは何となく記憶にも残らないうちに一晩を共にしていて、いつのまにか去っていることにも気がつかない。たくさんの顔があったけれど、ほとんどの顔は、ミラーボールのひかりの影になって見ることができない。Sさんもやはりそういうひとのうちのひとりだった。
あの曲を聴いて、Sさんそのひとを思い出したのではなかった、そもそも記憶されてもいないのだから思い出すこともありえない。思い出されたというより、それは、新しく生まれたのだと言われるべきかもしれない。それは、あの時、あの瞬間に、たしかに目の前で顕在しつつ展開していた途方もない数々の事実だった、それはたしかに目の前に在りながら目はそれを認識することなく通過していったとしても。あの曲がきた、と歌われたとき、かつて目を通過していったはずのものたちがざわざわとにわかに立ち昇った。こちらも商売なのでお客さんのために曲を選ぶ、ときにはそれがある特定の個人になることもある、してやったりの得意顔でSさんのほうをみると、Sさんはこちらのことなど見向きもせずにEさんの背中をじっと見つめている、すると、EさんはSさんのほうにふと振り返る。Eさんが振り戻ると、Sさんは背筋を伸ばして準備運動のような仕草をする、もうすぐで曲のイントロが終わろうとしている。Eさんはもうすでにおなじみの前傾姿勢をとっている、うつむき加減というよりは、内股ぎみに腰を低くして突進でもするかのような踊りかたをする。選んだ曲というのは元々はEさんから教わってじぶんもすっかり好きになった曲。大好きな音楽が互いの声もきこえないほど大きく鳴っていて、ミラーボールのひかりが変わりなくまわっていて、唯々、唯々、夢のように楽しい。
Sさんといえば、どちらかといえば控えめな性格だったように思うけれど、どこか抜けているというか、大胆というか、自然体というか、そんなようないちめんもあって、ある日の朝、音を止めて、営業を仕舞いにして、片付けなんかは後まわしにしてダラダラと喋ったりしているうちに誰ともなく眠りこけてしまうことがしばしばある。そして目が覚めると、Sさんも自分たちに倣ってイスを並べて眠っている。それからEさんを含めた何人かで、固いイスで寝てバキバキになった身体をほぐすためバッティングセンターに行ったことがあった。季節はたぶん初夏、バッティングセンターに面する通り沿いには、二、三本のヤシの木の並びが風に揺れていた。このこともやはり確かに在ったことでありながら、そもそも記憶もなされていないことで、いままさに新しくざわざわと立ち昇ってくるかのよう。
Sさんは気づかれることもなく、いつのまにか都内某所の地下には現れなくなった。どこか遠くへ引っ越したということを後になって人づてにきいたような憶えだけがある。Eさんは数年後、その当時からずっと付き合っていたひとと、誰もが当然そうなるだろうと思っていたとおり結婚して、まったく思いもよらぬことにすぐに離婚した。その相手に好きなひとができて遁走したとのことだった。それからというもの、Eさんはひどく痩せこけてしまい、かつてのかがやきを失っているようにみえた。この世というものは、どうしようもなく残酷であると思う。そのうえ、誰もがひとしくこの残酷さに晒されている。目に見えるものにも、目を素通りして見えないものにも、この残酷さはひとしく降りかかる。でも、なんだろう、この残酷さの剥き出しの最前線に自分のほうからみずから身をおいてみると、ふしぎな優しさみたいなものがあるような気がするのは。それは何か、目に見えるものにも、目を素通りして見えないものにも、ひとしくそそがれる祈りのような。
Sさんの顔面がでかでかと前面に映されているあの曲のミュージックビデオをみていると、作為とも無作為ともつかない不思議な印象をうける。カメラに映されているのだから、演技をしようとか、自然体でいようとか、そういうのではない、唯々、唯々、祈りのような。
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