#きぼう軒有野店
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kennak · 10 months ago
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これが世界最大という超超巨大書店を、どーんと僻地でもなんでもいいから街が作れそうな平野に作ってほしい。その超超巨大さは世界第2位を突き抜けてほしい。 政府もテコ入れし、クラウドファンディングも募り、数多ある企業も全勢力が参入してほしい。もうとにかく全力をかけて作ってほしい。 「そんなことして失敗したらどうする?!バカじゃん?!」とか考えず作ってほしい。勝算とか考えず勢いで作ってほしい。 そこには和書だけではなく洋書もある。西洋の本だけではなく中国語の本、アラビア語の本、アフリカーンス語の本、とにかく片っ端から「いやこれいらんだろ」みたいな本だったとしてもすべておく。 なんなら和書が中央ではなく洋書が中央である。日本語を中心で考えてほしくはない。言語別に存在する知の量に応じた配分をしてほしい。 客層に応じてカテゴリ分けは必要だろう。1つの書店だけでなく複数の書店が統合してもかまわない。古本屋を集めてもかまわない。 「よくわからなくても物理の本を買うなら日本のここへ行け。たぶんあるから」という状態になっていてほしい。日本の中規模以上の書店はほぼすべてここに集める。 全勢力が協力してできた超超巨大書店を中央に据えて、その周りを他の超巨大書店が取り囲む。その周りは巨大書店。その周りは中規模書店、その周りには小規模書店。 海外からも片っ端から誘致する。必要なら補助金も出す。「バカなの?」とか「さすがに海外出店は難しいです」とか一蹴されるだろうが「まあ採算とれそうだからいいよ」と言われるまで粘ってほしい。 税金をたくさん投入してもかまわない。重要なことは「そこにある」「とにかく日本のここに来たらある」「お前のやりたいことは知らんけど本がほしいなら日本のここに行け」という願いが叶う場所だ。 例外を作ればそのブランドは失われる。このブランドこそが他国が追随不可能な圧倒性を生む。先行者利益だ。バカすぎて1つ1つで見るとデメリットしかない行為が、結合すると巨大な1つのメリットを作り出す。 どこかで手を抜くと終わる。そんなことまでする必要ないんじゃないのとか、それってめちゃくちゃ損しますよねとか言われようが、究極に本を集める。 書店と書店の隙間にはさまざまなカフェが立ち並ぶ。個人で経営するカフェからチェーン店が密集する。コンビニも立ち並び、公園には読書に適したベンチがある。公園は読書に最適化されている。 その街にはどこにでも椅子が置いてある。買った本をすぐ座って読む人向けのものだ。 この街には有名人が毎日のようにやってくる。たとえば「ビル・ゲイツが本を選びに来日!」など当たり前のことになるだろう。 読書家はこの街の付近に別荘をかまえる。なんにもなかった僻地の近隣に富裕層街が誕生し、地価がとんでもなく上昇する。意味不明なおいしい話だ。 一方で本を読むことが目的でない人間には居心地が悪い空間になる。この街に存在している人間はほぼ全員本かその周辺が目的なのだ。本以外が目的の人間は異様に目立つようになり警戒される。 街の中央部分は徹底的に、本、本、本、本、本、と本が存在するのが当然の本の密集空間になっている。普通の人間が「ここまですることはないんじゃ・・・だって採算とか・・・」とドン引きするぐらいの熱量で本で溢れかえっていてほしい。 地面に敷かれたタイルには、文章が書かれている。まっすぐ歩くと偉人の言葉などがそのまま読めるようになっているのだ。たとえば「良い本は私の人生におけるイベントである。」「本の無い家は窓の無い部屋のようなものだ。」「天才とは努力する凡才のことである」などという文が永久に書かれている。有名な書の冒頭部分だったりもあるし、古典文学もあるし、文学のみならず数式も書かれていたりする。それを読むだけで日が暮れる。 この街の広告はすべて本に関するものでいっぱいだ。ほかでは絶対に見られない、読書家にだけ向けた広告が撃たれる。「こんな難しそうな本の広告ある?」というのがそこここで見つかる。 たとえばベトナム語のマンガの新刊広告なども見受けられていてほしい。 この街にあるのは紙の本ばかりではない。電子書籍派のための書店もある。他では絶対採算がとれないような形の店であっても、「読書家が毎日のように集まることが普通」の街特有の書店ができる。たとえば巨大な8Kモニタにその人へレコメンドされた電子書籍が大量に表示され、立ち読みすることができるとか���「辞書専門店」や「単語帳専門店」や「栄養学書籍専門店」などがあったりもする。そういうものを作っても不思議と利益が出るのだ。 この超超巨大書店圏内部には研究所や大学なども誘致する。どのような言語でも関係ない。化学系のカテゴリが立ち並ぶ「化学通り」のようなところには実験器具専門店も立ち並ぶ。 そういうところは、基本的には英語がメインだ。英語の下に日本語が書かれている感じ。イメージ的にはハリーポッターだろうか。ときどき「なんで化学通りにオムライス専門店がこんなにあるんだよ」などということもあるかもしれない。秋葉原や神田にカレーがたくさんあるようなものだろう。 やや込み入ったところにはマイナーな本屋がある。「なんだよこの本屋・・・」という、見るからに異国感が漂う本屋だ。謎の部族の謎言語で書かれた謎の材質の本が置いてあるなど。ネクロノミコンのような本も見つかる。 石版などもなぜかある。読書向けの椅子専門店もある。「本のためだけの椅子専門店」が生存できる場所は日本ではここしかない。 しかし、この超超巨大書店群の主目的は「本の集積」である。そこから逸れるようなことがあってはならない。何か欲をかいて「ここに企業をうんたら」などとして利益を優先するとこの街はあっという間にその意味をなくし滅びるだろう。ありとあらゆる人々が周辺の利益を求めて集ってくる。そういうのを一蹴できるような体制であってほしい。 「この街意味ないだろ。なんで作った。赤字だろ」と罵られながらも存続する街であってほしい。そして、そう罵る人も、ひとたびその街に入ると「すげえ・・・この街は地球に必要だわ・・・」とどうあがいても認めざるをえないほど感動できる街であってほしい。街自体で見ると赤字なのだが不思議と日本経済が潤う源泉である摩訶不思議都市であってほしい。完全に未来へと投資された都市である。 この街では、夜もたくさんの書店が営業している。こんな大きな本屋が24時間営業できるのはこの街しかありえないとなっていてほしい。「夜眠れないな・・・本でも買いに行くか・・・」という人外の行動を普通にするような場所であってほしい。 街の周囲には民家が立ち並ぶ。ただしこの民家に住む民間人はややおかしい。本のために移住してきた狂信者たちだ。軒先には自分の選書が並び「1冊100円」などと書かれていることも多々ある。 富豪がゴッソリ買っていくことを見越して少し離れたところに在庫置き場がある。 富豪が「ではこの棚からこっちの棚まで」などと爆買いしていく。もはやテロリストのようなものだが、そんなことは気にせずまた入荷する。本はバカみたいに売れる。 近隣の都市はこの超超巨大書店都市のおかげで経済効果がある。 この街は、「日本人なら1度は絶対行け」と呼ばれる場所になる。そしてひとたびそこに立ち入れば「世の中にはこんなに知識があったのか」「世の中はこんなに頭のいい人たち��溢れかえっていたのか」ということが、嫌でも全身の細胞に刻みつけられる。伊勢神宮みたいなものだ。それよりも神々しいかもしれない。 そして、全身の細胞で体感したその人は、格段に読書するようになるだろう。それは地元へ帰っても同じことだ。一流を目の当たりにした者は一流になる。 取次の問題も、書店が潰れかけている問題も、日本人が本を読まなくなってしまっている問題も、経済が深刻化している問題も、だいたい解決できるだろう。 誰か作ってください。 ちなみに国防にも役に立ちます。一度作ってしまえばここを潰すやつは「バカ」なので。ペンは剣よりも強し! 書店は兵器です。 追記 ジュンク堂書店など大型書店が潰れかけているのは知っている。 ただそれは、「本がたくさんあっても意味がない」のではない。逆。 大型書店であっても、本が少なすぎるのが問題である。 だいたい日本語の本というのは大して範囲が広くない。 それに「物理本を読む人が少ないから本屋が潰れちゃう」というのも逆だ。 「物理本を読みたいと思う人を増やす。そのためには本屋すべてが潰れることも辞さない」という情熱が正道である。 本というのは知の源泉である。だから知識がない人に迎合すれば、潰れるのは自然だ。知識がない側に与するのだから。 本の機能はそれとは真逆であり、全体を引っ張り上げるものである。知識がない側が「欲しい」と願える場にすべきなのだ。 ない側に媚を売っていれば潰れて当然。 「この本は今は読めないけれど、読みたいと思う」そういうものがない。 「この本は内容はちんぷんかんぷんだけど、そういう本の存在を知っている」そういうものもない。 ジュンク堂書店などですら、知らない人々が多い。大型書店の重要性を知覚できていない。入ったことがない人間もいる。 だからこそドカンとぶち上げるのだ。 記事を読んでくれた人へ: 記事を読んでくれたのはありがたいが、たぶん自分が考えている規模と読んだ人が考えている規模に大きな差があると思う。 自分が考えているのは、もっとも小さく考えても深圳書城中心城の数十倍の大きさであり、既存の書店をちょっとだけ大きくしたものとか、蔵書が全く同一であるような大型書店が単に10個ある街という形ではない。 コーチャンフォーつくば店は50万冊、池袋ジュンク堂書店は150万冊、深圳書城中心城は400万冊、国会図書館は4685万点。Amazon Kindleは60万点。 自分が言っているのは、数億冊あるような書店群である。つまり、コーチャンフォーやジュンク堂書店や紀伊國屋書店は超超巨大書店(世界中の意味わからんハイレベルの本から選びぬかれ集まったエリート本屋)の周辺を取り囲む「日本区域最大の超巨大書店」の周辺を取り囲む「大型書店の1つ」という状態を考えている。ブックオフなどはその周りを取り囲む中型書店になるだろう。その周りを、身近にあるご近所の本屋さんがたくさんずらーーーっと並んでいるというような領域だ。いうならばこれが日本区域である。 世界の蔵書数はGoogleによると約1.3億冊であるらしい。日本区域内に別に中国語や韓国語の本があることもある。ただし日本区域の横には韓国区域だったり中国区域だったりする。その中国区域でもばかみたいにデカい超巨大書店があり、それを取り囲むようにジュンク堂書店並の大型書店��あり、英語区域では……というような状態だ。言語別に分けられているだけでなく、「数学領域」で分けられていることもあり、そこでは「高校数学」の棚に世界各国の高校数学が並ぶ。数学の参考書を買いに来た高校生が、カメルーン人の中学生と仲良くなるみたいなことも想定できるわけだ。 地方のクソデカ本屋が数百個単位で入る「は・・・?」「この街が・・・全部・・・本屋さん・・・?」という規模の書店群である。 イメージとしては↓な感じ。 まもなく目的地の駅に近付く。電車にいる人々は全員が本を読んでいる。スマホを触っている人たちなど誰もいない。不思議な光景だ。多くの人がそわそわしている。初めて来た人たちが多いのかもしれない。 電車が駅に滑り込み走って降りる人々の後ろでのんびりと降りる。全く、はしゃぎすぎだろう。 降りた直後、本の形をした案内板が表れた。真っ先に飛び込んできたのは「↑ バベル中央書店」というやたらとデカい黒文字と、その下にあるや���大きな黒文字の「↑ 北区域書店」だった。 右を向くと・・・あれは・・・本の自動販売機?! 本を自販機で販売するのか。カルピスの作り方・・・自動販売機の歴史・・・Why could he make vending machines?・・・なるほど。 床には文字が書かれている。Station, State, Statue, Status. 何のことやらわからない。 改札を出る。改札を出ると、ああ、もうこれは本のテーマパークだ。最奥部に見える巨大な塔には雲がかかっている。おそらくあれが中央書店だ。その横には数えるのもバカバカしくなるほど書店が並ぶ。街には今まで見たこともないような人々で溢れかえっていた。ベンチでは読書をしている中東とおぼしき人が中国人らしき人と何やら議論している。彼らが話しているのは何語だろうか。 デジタルサイネージで目まぐるしく本の広告が入れ替わっていく。「サウダージにさようなら」「入門グロッキング」「般若心経の終焉」 ぼうっとしているとハトが飛んできた。ここでは何やら、ハトでさえ賢く見える。予算は5万円だったが、足りるだろうか。 Amazon倉庫でもないんだって。 なんか全然伝わっていなくてものすごく悲しい。 子どものときに巨大書店や巨大図書館に人生で初めて行ったときとか、論文と大学と研究の仕組みと接したときに、知の偉大さに震えたことがないだろうか。 目に見えないものは見えないことが多い。たとえば、ライブ会場に行ったことがなければライブの偉大さは本当にはわからないし、「本当にこんなにたくさんの人がファンなのだな」ということもわからない。 記号接地問題ともいうらしいが。 いま「自分が考えるクラスの巨大な本の集積地を人類の誰もが見ていない」というのが問題であると思う。誰1人として。 そういう知がたくさんあることは存在としては知っていても、「それを見たことがある人は誰もいない」のだ。いわば、月は見えるけど、月に行ったことは誰もいないような状態だ。 神田の古本屋街や、既存の大型書店というのは、いわば地球上にある月に似たところでしかない。「たぶんこれとこれがこうなると月」というふうにしか想像できない。だが月に行かなければ月の隕石は無いのだ。 ほとんどの人は、目に見えないなら存在しないと感じてしまう。マッチングアプリで人間を左右にスワイプするとき、人間ではないように扱う。それは人間として存在しているのに。 一方、眼の前に相手がいるとき、同じように左右に指を振って弾くのは容易ではない。これが目の前にあるかないかの大きな違いである。 自分が言っているのは、そういう知の集積の偉大さが理解できなくてもとにかくそこに行けば、「ああそういうこと」「人類は偉大だったのか」と、誰もがたちどころにわかってしまう場所がほしいということである。 それから、実現の不可否はともかくとして、「え、そういう本屋あったらめっちゃいいな〜〜〜〜〜〜〜〜〜」と感じてほしい。
ド田舎に世界各国の超超巨大書店が集積する都市がほしい
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runpenparis · 9 months ago
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るんぺんパリ【RunPenParis】
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自己紹介 2024年11月4日追記 6116文字】 三重県伊賀市(旧名:上野市)出身 伊賀市(旧名:上野市)に 1976年(3歳)から 1996年(23歳)6月まで住んでいた 1976年以前の記憶と出生は不明 津市にある施設にいたと聞いた覚えがある 三重県亀山市に二つか三つ年上のお兄さんいるらしいが あった事は一度もない 30代の頃に一度だけ電話で話をした 父方に引き取られたお兄さんに 母親の事を聞いた 母親は別の人と再婚し離婚して 娘さんと一緒に暮らしているらしい 父親は再婚して自分と同じぐらい娘さんがいるらしい お兄さんはおじいさんの事を尊敬していて 中国語を勉強してるらしい あとは色々と聞いたけど 覚えているのはそれぐらいの内容で もう二度と話す事はないだろうと その時に思ったけど お兄さんの顔がどんな顔なのかは 見てみたい気持ちは少しある
伊賀市でそこそこ有名なのが 伊賀流忍者で忍者屋敷は今も昔も変わらない内容で 営業している それは去年に末っ子を連れていったから確認済 外観はただの古い家だけど 中に入ると意外と見応えはある 観光施設って感じ 伊賀牛は金谷のすき焼きが有名で 森辻が新しい様相なってから焼肉を食べた 個人的には伊藤の牛丼が好きだ 油が多い感じのお肉だから 100gも食べれば満足感がある 上野天神祭の鬼行列も有名かな ひょろつき鬼が子供の頃は本気で怖かった 銀座通りが歩行者天国になり 的屋がならぶ 高校生の頃はリング焼きが100円ぐらいで 何個も買って食べた 今年は10月18・19・20(金土日) 19(土)は久しぶりに一人で一日中お祭りを楽しむ予定だったけど 昼前から雨が降ってきて鬼行列は中止 午前中は親戚を3件回って、おみやげを渡した 午後に実家によって車を駐車して 歩いて上野天神祭へと向かった いつも泊まる「伊賀上野シティホテル」は1泊10000円以上も高い 16800円だった。この日は駐車場も使えなかった 夜の19時から同級生のお店「クワトロNo.4」に初めていった 30年ぶりにちゃんと会ったガキさんは すぐに気がついてくれた 居心地がよかったので閉店の1時までカクテルを8杯ぐらい呑んだかな 意外と安くて8200円だった 次の20(日)は上野天神祭に参加している同級生のオデに会って 鬼行列の準備風景を写真に撮って 上野天神さんの近く紅梅屋でおみやげを結構買って 桔梗屋で上生菓子とお茶を飲んで 静岡へ帰った 松尾芭蕉は俳句で有名で伊賀出身で 小学生の頃はがっつりと俳句を作らされる 俳句はいやいや作らされたので 俳句番組は見ない 俳聖殿の中には過去の優秀な俳句が収められていたかな 普段はこれといって何もないけど 俳聖殿のたたずまいは何か「The Haiku」という感じ 上野城のお堀の高さ日本2位? 一時期は日本1位説もあった 中学生の頃は上野城で体育の授業があったり クロスカントリーレースで走らされたり 高校生のデートも上野城が定番だったのか それらしき男女がイチャついていた 夜のライトアップは不気味なお城に見えた 一応、桜の名所なのかな 高校生の頃に一つ年下の子とつきあっていた頃は よく上野城をさんぽした 帰りはその子の家の近くまで送っていった この子はとても純粋な子で 自分にはもったいない子だった 半年もつきあっていないが 今でも純粋で幸せになっているかなと思い出す事もある もう向こうは忘れているだろうけど 伊賀の街には銀座通りとか丸の内とか 東京で聞くような名称が多く使われている 地元のうわさでは東京が伊賀の真似をして 街を作ったとの話がよく出てくるから 誰か本気でテレビとかで調べてほしい気もする いまだに東京が伊賀のマネをした説を 親戚がまじめな顔でいいだす時があるから 本当に真実が知りたいけど 自分が調べるほどは興味がない 2004年(平成16年)11月1日に 伊賀市に変わってから 上野市駅が忍者市駅になり 近鉄の電車だったのが伊賀鉄道になり 電車がコスプレになった 駅前には銀河鉄道999のメーテルと哲郎の銅像があり 産業会館がハイトピア伊賀になった 産業会館だった時にマルキンのパン屋が近くにあった そこのシナモンパンが子供の頃から大好きで 今はもう手に入らない もう一度、あのシナモンパンが食べてみたい あと小さなパチンコ店「マルト」があった 「フルーツパンチ」という機種で��った覚えがある あと「麻雀物語」もあったかな 「海物語」という機種が記憶の最終機かな 上野で住んでいた時期に一日で20万近く負けて それからパチンコは完全に辞めた じつはその後もたまにしたが 本当に気晴らし程度で その内にきっぱりとやめた スロットが主流になったら なおさら興味すらなくなった 新天地もなんかおしゃれなサビれかたで 「新天地Otonari」となった 街は高校生の頃の面影は薄くなったけど 何となく残っている上野市街は今でも魅力的だ 新天地には映画館もあった気がする 当時は賑やかな商店街��った 当時からあった「喫茶店フランセ」は今もある 大きな化粧品店は更地になっていた 高校の時の知り合いが「クワトロNo.4」という バーを経営しているが、まだ入った事はない いつか行ってみたい気持ちはある ただダーツバーらしく 常連っぽい人たちのたまり場っぽいイメージで 気楽入れなさそうな雰囲気はある 一度だけ朝方にお店の扉までいったけど バーの扉って感じで雰囲気はあった 最近は実家で一人暮らしのおかんの様子を見に よく帰省するようになったけど 若い頃は年一回も帰省しなかった 最近の伊賀でよく立ち寄るのが 「菓匠 桔梗屋織居」と 「HANAMORI COFFEE STAND」と 「岡森書店白鳳店」で 岡森書店は、Kマーホの名で出版した 「トイレの閃き」が背表紙の色が抜けた状態で 25年以上も本棚に置いてくれている これを見ると初心に戻れて まだまた創作していこうとがんばれる この岡森書店の店長さんは従姉の同級生で 小学校の先輩の同級生でもあり この店長の妹さんは自分と同年代で それにしても伊賀は狭いなと感じる
市部という地区だったと思う 近くに市部駅という無人駅がありその近くの 依那古第一保育所に5歳から6歳の2年間通った おかんは自分の送り向かいのために 自転車を乗る練習して そのおかんが運転する自転車の後ろに乗って 途中の田んぼに二人で落ちて 泥だらけになった おかんは去年の年末まで 81歳でまだ自転車に乗って 小田町の坂を下っていたらしい いまは親戚から危ないからと 召し上げられた 小学校6年卒業までは上野市依那具にある 市営の城ケ丘住宅で過ごした この市営住宅はもう40年以上も その雰囲気を変えずに今でも残っている ここは伊賀市の文化遺産にしていいほどの時間が止まった場所だ いまだに汲み取り式の便所の換気の煙突が立ち並んでいる このカオスな感じは小学生の頃の不便な生活を思い出させる あの生活で暮らしたから今があるのは確かだ 小学校の通学路にある 垂園森でよく遊んだ 現在も存在しているが オ��ケが出そうな森 この森は当時通っていた依那古小学校の校歌の歌詞にも出て来る イメージ的には幽霊が出そうな森だけど 何か不思議な生き物が住んで居そうな森に見えた きつねも出そうだし おばけも幽霊も心霊も もしかするとタイムスリップして 小学生の頃に戻れそうな気もする森だと変な懐かしさを感じる 近くには無人駅の市部駅とにらめっこしている森 中学校から市街の上野城の 城下町で過ごした 当時はカオスな市営城ケ丘住宅から出れる事が本当にうれしかった 小学校までの友達とも飽きてしまっていたので寂しくはなかった 当時から色々な物にすぐに飽きては新しい物が好きだったので そっちのワクワク感で本当にうれしかった そして築20年以上の中古の一軒家で2階建て 自分の部屋がありトイレは汲み取り式だけど洋式で あこがれの上野の街で住める事もあって本当にうれしかった
そして近くの崇廣中学校に通う事に 中学校の3年間は 転校生という立場と 中一で足の骨折 バスケ部の試合で名張の体育館で遊んでいて 二階から飛び降りたら右足のかかとがにヒビが入った その夏にはバスケ部をクビになり陶芸部に入った 中二で腕の骨折 どちらも遊んでいての骨折2回 中三の高校受験で いい想い出は無い
高校2年生で 小学校の時にサッカーで出会った 旧友とバンドを組んだ RCサクセションのコピーで 「雨上がりの夜空に」「トランジスタラジオ」 「ベイベー逃げるんだ」「サマーツアー」 「サントワマミー」「いけないルージュマジック」 「いいことばかりはありゃしない」 「どかどかうるさいR&Rバンド」 旧友が作ったオリジナル曲「ガレージの上のR&Rバンド」 一番のモテ期だった気がする ただバンドをやっている自分を見て 好意を寄せられても違うなと思った バンドをしていない時はただのバイトに明け暮れた 高校生だったから バンドマン目線のそういう女子には興味がなかったから 冷たい感じだったかも 本当にこの時期がこれまでで一番楽しかった。 高校生の頃はたくさん恋をしたが 自分が不器用だったので自分が好きだった人からは つきあえてもすぐにフラれた 人を好きになることに迷走し始めて 最終的に好きになる事はやめて なんとなくという感情で奥手に過ごしていった そのせいか、他校の女子からゲイだとウワサされる事もあった なぜそうなるか不思議だったけど 当時は楽しければなんでもよかった
1993年 一人暮らしを始める やっと自由になった気がした 2年間ぐらいは金が無くて 通帳の残高は毎月マイナス50万 カツカツ生活 家賃と車のローンがきつかった 1996年7月から 2003年7月の 7年間は茨城県と千葉県の県境 利根川の近くに住んでいた この界隈を走るタクシー運転手の ���度は本当にムカつくから こっちも態度悪く乗ると 気分の悪さはお互いさまになる 関東平野は景色が無く ここでの生活は落ち着かなかった 食文化も人も気候も水も 肌に合わなかった 特にうどんの汁が濃いだけのシンプルな味は げんなりさせてもらった ただ寺原駅近くの「ふる川」はよく通った とくにカレーめちゃくちゃ美味かった この「ふる川」は今もやっている 当時はお店の小学生の女の子が手伝っていた 夫婦だけでやっていて 週3回ぐらい夕飯でお世話になった 「さば定食」もよく食べた気がする
1997年から パソコンをミドリ電化で38万で購入して 作詞やネットに興味を持つ まどみちお詩集を読みだす 作詞に近い詩を書き始める 「Kマーホ」という名で 詩を書き始める 目標を300篇と決めて 詩を思いついたら メモをつけるようになる 週末は家に引きこもり 一日中、音楽を聴きながら パソコンがあるのに まだワープロで詩を清書していた
1998年から2002年まで 「Kマーホ」の名で 詩に団体に参加したり 詩の賞に応募したり 詩集を自費出版したり この当時参加していた詩の団体には もうドロドロとした 詩を書く人や あまりにも読み解けない詩や 暴力的な人や いい人もいたけど 自分とは全然目指している方向が 違うので2年目ぐらいで辞めた それからは詩の団体に興味は無くなった それから 自費出版した詩集を 全国の小中学校や 全国の図書館へ寄贈して 活動を休止 理由は2000年に結婚してから 集中して詩を書く時間が無くなってきたから 2002年に2つの詩集を出版して 詩の事は全部段ボール箱へ入れた
2003年から2019年まで 育児に重点を置いて生活をする この時期は友達とも連絡を 切っていたので のちに死亡説や宗教説が出ていたらしい 2003年7月から 現在は静岡県在住 もう20年以上住んでいる
2019年 るんぺんパリ【RunPenParis】の名で 詩を書き始める SNSでの詩の発信を始める るんぺんパリ【RunPenParis】とは フランスはパリの街を ぺんを持って 走るという意味から 【RunPenParis】ができた 1973年8月1日生まれ(もう51歳) しし座 O型 右利き 詩・詩集・ことばをデザイン アート・写真・小説・ペン画 松尾芭蕉の生家がある伊賀市で 十代までを過ごし 俳句が幼少期から 身近に存在していた 二十代から詩を書き始めて 「Kマーホ」名で活動(1999-2002) 詩集6冊を出版して活動休止
その後 松尾芭蕉の俳句のような シンプルな言葉遊びを 詩で出来ないかと考えていた中で 令和元年(2019)に 「るんぺんパリ【RunPenParis】」の名で 活動を再開 SNSに140文字に 言葉をデザインした詩 「140文字詩」を 毎日投稿する活動を始める 2023年9月に140文字詩が 1200作品に到達した事で 「140文字詩」を全国へ さらに世界へと 俳句のように広く知られる 存在になって欲しい ◆るんぺんパリ【RunPenParis】作品一覧 【2023年】Amazonで販売 2023/12/27第2フォト集「ほちきす それでは あかんで」 2023/12/2 第1フォト集「とめても ええか ほちきすで」 2023/11/23 第16詩集「もあいの ねごとを よみとる」 2023/9/16 第15詩集「さんもじ もしくは よんもじ」 2023/9/9 第14詩集「のこりの あぶらは わるもの」 2023/9/2 第13詩集「あそびも しごとも たいふう」 2023/8/26 第12詩集「かいてきな しつどに おぼれる」 【2022年】Amazonで販売 2022/12/6 第11詩集「やくそくは よなかの おひるに」 2022/11/3 第10詩集「みさんがの ともだちの たまんご」 2022/10/7 第9詩集「くうきと さんその かつさんど」 2022/9/3 第8詩集「さついを こめた いもけんぴ」 2022/8/7 アート作品集「やさいに つめる にくえらび」 2022/2/14 アート作品集「よなかに ひかる かみぶくろ」 2022/1/1 第7詩集「みかんの むくちな きもち」 【2021年】Amazonで販売 2021/9/8 第6詩集「そんな ことばは さよなら」 2021/8/3 第5詩集「あさに おくれた なんて」 2021/6/5 第4詩集「すいかの たねの ちょうこく」 2021/5/31 第3詩集「たんぽぽの たまご ひとつで」 【2020年】Amazonで販売 2020/7/27 第2詩集「こよい こよりの そらから」 2020/3/2 詩小説「すきから あいへ おやすみ」 【2019年】Amazonで販売 2019/7/21 第1 詩集「ところで あした あいてる」 ◆Kマーホ 作品一覧(1999-2002) 【2002年】 2002/4/30 第6詩集「眠立体(ねむりったい)」 2002/4/4 第5詩集「コールサック」 【2000年】 2000/7/31 第4詩集「マガサス星人」 2000/1/31 第3詩集「おしりとサドルが あいますか」 【1999年】 1999/8/1 第2詩集「テレビジョン」 1999/5/1 第1詩集「トイレの閃き(ひらめき)」 【受賞】 2001年 詩「眠立体(ねむりったい)」第6回トワイライト文学賞 2000年 詩「永遠の親友」信越郵政局長賞 1999年 詩「トイレの閃き(ひらめき)」第1回万有賞 1998年 作詞「地球のウラハラ」第31回日本作詞大賞新人賞候補ノミネート
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hangorin · 2 years ago
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東京五輪から2年 湾岸はいま
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悪夢のようなTOKYO2020大会から2年が経った。 五輪のために姿を変えられたあの場所は、巨額の資金を費やして建てられた会場は、白いフェンスに閉ざされていた公園は、いま一体どうなっているのか。 湾岸���リアを中心に、フィールドワークを行った。
①築地市場
築地本願寺から場外市場に向かう。日曜日。外国人観光客、親子連れ、カップル。賑わいは築地市場があった頃と変わらないように見えた。どの店にも、昼食を目当てに沢山の人が並んでいる。
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立体駐車場の最上階から市場のあった方を見下ろす。縦横に走るターレ、魚の並ぶケース、積み上げられたトロ箱、林立する仲卸の看板――それらが全て消え去り、でこぼこの、剥き出しのコンクリートだけが灼熱の太陽に焼かれていた。その一部は駐車スペースに。数台の自家用車。物悲しくなるぐらいしょぼい。
駐車場のわきに、築地市場の仲卸とおぼしき店名のプレートを付けたターレが放置されていた。よく見ると、ナンバープレートを外した痕がくっきりと残っている。
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石原元都知事が主導した2016年五輪招致当時、築地市場を潰してメディアセンターを作るという話が出ていた。2020東京大会ではそれが「駐車場」にかわり、市場は2018年10月に東京都によって閉鎖された。選手村から競技場への輸送のために新たに作られた環状2号の全面開通は、五輪閉幕から1年以上も過ぎた2022年12月。五輪招致が、都民の台所を打ち出の小づちのように利権を生み出す空虚な「一等地」に変えてしまった。
築地を舞台にしたある連載漫画の中で、目利き一筋の主人公は何故か移転に何の葛藤もないまま「豊洲で頑張っていこう」と仲間に呼びかけていた。築地市場83年の歴史は、急速に「なかったもの」にされようとしている。
②月島
東京では五輪の前から、競技会場と直接関係のない場所でも各地で再開発が起こっていた。晴海にも程近い、湾岸エリアに位置する月島もまたその1つ。もんじゃストリートで有名なこの町は、一本裏道に入ると古い木造家屋が軒を連ねる下町らしさが残っている。私たちが2017年に訪問した際は、月島1丁目西仲通り地区再開発計画のためにもんじゃストリートの店舗が軒並み閉店していた。
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そして今回訪ねてみると、MID TOWER GRANDなる地上32階、高さ121mの超高層マンションが建ち(2020年10月竣工)、その1階にもんじゃ屋などの店舗が入っていた。 月島ではさらに地上48階、高さ178.00mのタワマンを建てる月島三丁目南地区第一種市街地再開発事業、地上58階、高さ199mのタワマンを建てる月島三丁目北地区第一種市街地再開発事業が控えている。フィールドワークの後で知ったことだが、この月島三丁目再開発計画には反対運動や行政訴訟も起こっていると��こと。長年暮らしてきた人々の息吹が聞こえるような町並みが、大手開発業者によって姿を変えられようとしていることには胸が痛む。
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③晴海選手村
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カンカン照りの選手村跡地。ここはHARUMI FLAGなる高層マンション群として開発され、完成すれば5,632戸12,000人が暮らす街になるという。未だ工事中で通行できるのはメインストリートの車道のみ。焼けつくような暑さの中、誰もいないコンクリートだらけの空間は殺伐とした雰囲気が漂っていた。
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選手村をめぐっては、東京都が適正価格の10分の1という不当な安さで都有地を三井不動産ら11社のデベロッパーに売却したとして住民訴訟が起きている。五輪という祝賀的なイベントが作り出す例外状態によって、公共財産が民間資本に吸い上げられた象徴的な場所だ。
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街の中心に近づくと、左手には、大会中、大量の食材廃棄が問題となった食堂の跡地が、中央区立の小中学校(2024年度開校予定)として整備されていた。
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右手には三井不動産の商業施設「ららテラス」。その1階には「東京五輪を振り返りスポーツの力を発信する施設」として「TEAM JAPAN 2020 VILLAGE」が設置されるらしい。五輪と三井不動産のどこまでも続く蜜月がうかがえる。
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その先では道路を挟んで左右両方の街区で50階建ての2棟の超高層タワーマンションが目下建設中だった。
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選手村を訪れるとき、2018年、建設工事中に2人の労働者が亡くなったことを思わずにはいられない。その街区は、労働者の死という痛ましい現実を塗り固めるようにSUN VILLAGE(太陽の村)という輝かしい名前で分譲されている。 この街区だけではない。この街全体が、五輪によって引き起こされた問題などまるで何もなかったかのように成り立っている。この街ではとても生きていけない、生きた心地がしない。生気を抜かれたようにその場を後にした。
④潮風公園、お台場海浜公園
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ビーチバレーボールの会場設営のため何年もフェンス封鎖されていた潮風公園。わたしたちは初めて公園内に入った。こんなに広かったのか!無観客のくせに、この公園全体を占拠していたなんて、ほんとうに厚かましい。
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東京湾の対岸の埠頭にはコンテナが並んでいる。海をみてみると、うっ!海水は泥沼のような色。しかし、なぜか匂いはせず、潮の匂いさえもしない。ファブリーズでもしているのか?
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わたしたちは、野宿の人たちが寝ていた場所を探して公園内を歩いた(東京オリンピック・パ��リンピック競技大会組織員会による追い出し→https://x.gd/ZJP4d)。木がたくさんあってなかなか住み心地よさそうだと思っていたら、屋根のある排除ベンチにたどり着いた。なんて醜いデザインなのだろう。
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次に「トイレのようなニオイ」と話題になったお台場海浜公園のビーチへ、匂いを確認しに行った。「遊泳禁止」の看板があり、スクリーニングのためと記してあったが、やはり汚染が懸念されているのだろろう。このビーチの海水も濁っていて、潮の匂いさえもしない。怪しい水質だ。
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しかし、暑すぎる。灼熱の日差しの下で、ビーチバレーボールや、トライアスロンをやって、汚い海に飛び込んでいたのか。 知れば知るほど、オリンピック・パラリンピックは地獄だ。
⑤有明
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有明の旧会場エリアへ。グーグルマップで見ると、どうやらこの一帯は「有明オリンピック・パラリンピックパーク」と名付けられたらしい。いまや地に落ちた電通がオリンピックでちゃっかりゲットした、唯一黒字と言われる有明アリーナへ。SNSではステージが見えない席があると不評を買っていたが、「ディズニーオンアイス」をやってるらしく、猛暑の折、駅から会場まで大勢の人だかり。
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有明体操競技場はこの5月に「有明ジメックス」と名を変え、株式会社東京ビックサイトが運営する展示場としてオープンしたらしい。第一印象は「・・・神社?」世界的ウッドショックの最中に木材を山のように使って、10年程度で取り壊される予定とのこと。こんなに立派にする必要あったのか?
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そこからゆりかもめの駅を越えると、フェンスで囲われ���草ぼうぼうのワイルドな一角が。有明BMX会場跡地だ。グーグルマップには「有明アーバンスポーツパーク(2024年4月開業)」とあるが、いまのところ影も形もない。スポーツ施設より原っぱ公園の方が需要あるのでは?
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有明テニスの森公園は工事パネルが外されて、開放感に溢れていた。こんな素敵な場所を何年もオリンピックのために囲って、市民を排除してきたかと思うとあらためて腹が立つ。
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真夏の炎天下に火を燃やし続けた聖火台があった夢の大橋にも立ち寄った。観覧車が無くなっていた。東京都はこの夢の大橋を含むシンボルプロムナード公園の一角に、新たに聖火台置き場をつくって飾っている。東京都はいつまでオリパラの亡霊にすがる気か。。
⑥辰巳・東京アクアティクスセンター
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アクアティクスセンター
「威圧」を形にしたような巨大建造物。
建物の周りには木陰がなく、取ってつけたような弱々しい植栽が施されている。
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正面外の、広すぎる階段は、車いす利用者でなくても、大げさすぎてびっくりする。コンクリートが日射で熱い。ゴミ一つ落ちていないのは、人が寄り付かないからだろう。
その下にたたずんで私は、ピラミッド建設のために労働を強いられている人のような気持ちがした。
ここは、公園の一部であった。近くに団地もある。誰でも入って、海からの風を感じながらくつろぎ、出会う場所だったはずだ。
5年前に訪れた時は、工事中で巨大な支柱がそびえたっていた。三内丸山遺跡にインスパイアされたのかと思ったが、出来上がったのは帝国主義の終点のようなしろものだった。
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「お前たちが来るところではない。」という声がどこからか聴こえる気がした。
知ってる。だから入ってみた。静かだ。人っ子一人いない、空調が効いて冷え切っている。だだっ広いロビーの小さな一角に、TOKYO2020オリパラのポスターたちがいまだに展示されていた。
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競争をあおり、序列化し、勝者に過剰な価値を与え、「感動」を動員するスペクタクルがここで続けられるのだ。
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生きていくのに必要な潤いをもたらす公園に、このような醜悪なものが君臨しているのを私は許せない。
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炎天下の湾岸エリアを丸1日かけて回った。TOKYO2020跡地は、廃墟になっていると思いきや、むしろ多くの場所でまだまだ開発が続いていた。開発への飽くなき欲望と「レガシー」への執着、五輪災害は閉幕後も延々と残り続けている。 この日撮影した映像を使って「オリンピックって何?東京からパリ五輪1年前によせて」という動画を作成し、1年後に五輪開幕が迫るパリでの反五輪の闘いに連帯を示すメッセージとした。 From Tokyo To PARIS, NOlympicsAnywhere
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jinsei-pika-pika · 2 years ago
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「君たちはどう生きるか」宮崎駿監督が、新作映画について語っていたこと。そして吉野源三郎のこと
 宮崎駿監督の10年ぶりとなる長編アニメーション映画「君たちはどう生きるか」が、7月14日から全国で公開される。吉野源三郎の同名の著書とはまったく違うストーリーが展開されるという以外、詳細は伏せられたままだ。とある縁で宮崎監督に面会した筆者が、新作について監督が語っていた言葉や、鑑賞して感じたことなどを振り返った。(文:吉野太一郎)
「私自身、訳が分からない」  「おそらく、訳が分からなかったことでしょう。私自身、訳が分からないところがありました」。
 2023年2月下旬、東京都内のスタジオで上映された、「君たちはどう生きるか」の初号試写。米津玄師の歌うピアノバラードが流れ、エンドロールが終わった瞬間、灯りが点き、宮崎駿監督のコメントが読み上げられた。
 客席から軽い笑い声が漏れた。私もその一人だった。あまりの展開の速さと、盛り込むだけ盛り込まれた情報を消化し��れず、茫然と座り込んでいたが、その言葉で我に返った。
 これは「宮崎アニメ」の集大成なのか、吉野源三郎の著書『君たちはどう生きるか』の再解釈なのか。とにかく、1回見ただけではとても全容を把握できなかった。
「自分のことをやるしかない」  今回の作品は、公開前のプロモーションも、メディア関係者向けの試写も一切ないまま公開日を迎えた。異例の態勢の中、内容は無論、見たことすら口外無用のキャスト・スタッフ向け試写に、なぜ私と両親が呼ばれたのかといえば、父が『君たちはどう生きるか』の著者・吉野源三郎の長男で、私が孫にあたるからだ。
 その5年ほど前の2017年11月、父と私は東京・小金井のスタジオジブリに招かれ、宮崎監督と対面していた。さらにさかのぼること半月ほど前、とあるイベントで宮崎監督が突然、次回作のタイトルが「君たちはどう生きるか」だと明らかにし、ニュースなどで話題になっていた。親族としては寝耳に水だったのでかなり驚いたのだが、宮崎監督は「うっかり喋ってしまいました」と詫びた上で、作品について語り始めた。
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2017年11月、次回新作について父に話す宮崎駿監督。手元に、古びた吉野源三郎作『君たちはどう生きるか』が置かれていた=吉野太一郎撮影  小学生のとき、教科書に載っていた『君たちはどう生きるか』の冒頭部分に強い印象を受けたという宮崎監督は、年季の入った同書をスタジオに持参していた。若い制作スタッフにも読むよう勧めたところ「この本はまだ生きている��」と好評だったといい、作品のタイトルを決める���になって、一人が「『君たちはどう生きるか』がいい」と提案したのだという。制作は当時まだ始まったばかりだったが、映画の序盤とラストシーンにこの本が登場することも、宮崎監督は既に決めていた。
 宮崎監督によれば、引退宣言を撤回して臨んだ今回の作品は「ずっと自分が避けてきたこと、自分のことをやるしかない」という思いだったそうだ。「陽気で明るくて前向きな少年像(の作品)は何本か作りましたけど、本当は違うんじゃないか。自分自身が実にうじうじとしていた人間だったから、少年っていうのは、もっと生臭い、いろんなものが渦巻いているのではないかという思いがずっとあった」
 「僕らは葛藤の中で生きていくんだってこと、それをおおっぴらにしちゃおう。走るのも遅いし、人に言えない恥ずかしいことも内面にいっぱい抱えている、そういう主人公を作ってみようと思ったんです。身体を発揮して力いっぱい乗り越えていったとき、ようやくそういう問題を受け入れる自分ができあがるんじゃないか」
 時は太平洋戦争中の1944年、東京を襲った空襲で入院中の母を亡くし、父が経営する戦闘機工場とともに、一家は郊外へ疎開する。出迎えたのは父の再婚相手となった母の妹。お腹に新たな命が宿っている新しい母を、眞人は受け入れられず、転校先でも孤立する。そんなある日、疎開先の屋敷で眞人は偶然、1冊の本を見つける。
 屋敷の庭の森には、廃屋となった洋館が建っている。眞人の母の「大おじ」にあたる伝説の人物が建てたという。やがて眞人の前に「母君があなたの助けを待っている。死んでなんかいませんよ」と人間の言葉を喋る青サギが現れ、導かれるように、眞人は洋館の中へと進んでいく――。
 ここから先は「宮崎アニメの集大成」のような不思議ワールドの冒険が描かれるのだが、少年の成長というテーマが共通するからか、宮崎監督が吉野作『君たちはどう生きるか』を再解釈したのではないかと思わせる場面も登場する。
 『君たちは~』の主人公「コペル君」こと本田潤一少年は父親を亡くしており、親代わりでもある「叔父さん」との会話や交換ノートを通じて成長していく。映画の中で交わされる眞人と大おじの対話は、コペル君と叔父さんの対話を思い起こさせる。大おじが眞人に伝える「お前の手で争いのない世を作れ」という言葉は、戦中生まれの宮崎監督が次世代に託すストレートなメッセージだろう。
 そういえば中盤に登場する「ワラワラ」というキャラクターは、宮崎監督が小学校時代に読んだ『君たちは~』の冒頭部分に登場する、銀座のデパートの屋上からコペル君が眺めた群衆にも見える。ではあの場面は、この場面は……次々と出現する謎めいた仕掛けに、まったく分析が追いつかないまま、2時間4分はあっという間に過ぎる。
祖父・吉野源三郎と私  試写からの帰り道、ふと思った。眞人少年が、遥か世代の離れた大おじと対話したように、私も今、祖父と直接対話できたら、どんな言葉を交わすだろうか。
1978年5月、祖父母宅で私の誕生祝いをした時の写真らしい。右から当時5歳の私、弟、祖父・吉野源三郎、祖母  私が小学校に入る前、祖父は2軒隣に住んでいて、訪ねて行くと絵本を読んでくれたり、似顔絵を描いてくれたりと、孫の私をかわいがってくれた。既に80近い高齢で、およそ3回に1回は床に伏せっていて「今日は具合が悪いからごめんね」と追い返されたが、やがて入退院を繰り返すようになり、近づくこともできなくなった。肺や喉の疾患が悪化し、最期は話すこともできなくなった祖父は、私が小学校2年のとき、82歳で死去した。
 祖父は戦前、陸軍を除隊後に治安維持法違反に問われて投獄され、軍法会議にかけられたが九死に一生を得た。釈放後に作家・山本有三の少年少女向け書籍編集を手伝う中で執筆した1冊が『君たちはどう生きるか』だった。戦後は岩波書店の雑誌「世界」の初代編集長などを務め、父には「反骨の背筋は伸びているか」「謙虚に堂々と」など、言論人の心構えを折に触れて説いていたというが、もちろん私は祖父から壮絶な半生を聞いたり、薫陶を受けたりしたことはない。
 祖父の死後も『君たちは~』は岩波文庫に収録され、多くの人に読み継がれてきた。誇らしくもありつつ「偉大なお爺さまをお持ちで」などと言われるのがやや重荷でもあり、積極的には明かしてこなかったが、新聞記者やウェブ編集者になってから時折、祖父の残した他の著作を読み返すようになった。『職業としての編集者』(岩波新書)に収録された、戦前戦後の混乱を経て「世界」を創刊した回想録などは、親族が登場することもあって他人事とは読めず、時代が変わっても守るべき価値や教訓があることを教えてくれる。著作を読むという限定的な形ながら、これも祖父と交わす一種の対話なのかもしれない。
包装紙の裏に祖父が描いた父と私(中央)、弟。鉛筆でサラサラと似顔絵を描くのが上手だった。  『君たちは~』は2017年に漫画化され、21世紀らしい出で立ちで再び現れた。そして約6年の制作期間を経て、別作品��はいえ、宮崎駿監督の同名の映画が公開された。この間の出来事は「やさしいおじいちゃん」しか覚えていない孫に、祖父が思いがけない贈り物を届けてくれたようでもある。どこかでずっと、孫の私を見守ってくれているのではないか。そして何かを問い続けているのではないか。眞人を見守る「大おじ」のように。将来の息子に1冊の本を託した眞人の母のように。
 その問いかけにどう答えるか。つまり私は、どう生きるか。とりあえず、一度見ただけでは回収できなかった伏線を探しに、もう一度、劇場に足を運ぶことにしよう。祖父との新たな「対話」の糸口が見つかるかもしれない。
吉野太一郎(よしのたいちろう) 「好書好日」副編集長。大阪、東京の社会部、ネットメディア「ハフポスト日本版」などを経て2020年2月から「好書好日」編集部員。2022年3月から9月まで休職し、韓国・慶南大学極東問題研究所フェローとして北朝鮮問題・脱北者をテーマに研究。
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kachoushi · 2 months ago
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各地句会報
花鳥誌 令和7年6月号
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坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和7年3月1日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
貝寄風や龍馬の夢は明治へと 睦子 菜の花忌雲を目指した明治人 修二 春の小川そは大正を恋ふしらべ 美穂 竹馬の上手はヒーロー昭和の子 睦子 春炬燵昭和歌謡の流れ来る 光子 甘党のウィスキーボンボン春微醺 睦子 春雨に昭和の唄を口遊む 光子 田楽や女将昭和の割烹着 修二 罅に添ふ金継ぎ細し光悦忌 睦子 暖かや昭和演歌の七五調 久美子 春泥や流離のごとく就活す 朝子 翠眉濃く昭和の春を踊り来し かおり 逆上がり出来ず砂場の春寒し 成子 野火走る地下に鍾乳洞深く 光子 雛段に祖母の鼈甲化粧箱 美穂 しやぼん玉飛んで昭和の家並まで かおり ふらここや漕げば昭和の雲浮けり 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和7年3月1日 零の会 坊城俊樹選 特選句
梅の香に惑ふ純情男坂 きみよ アメ横にもの喰ふ人や鳥雲に 要 通り抜け出来ぬアメ横春の闇 同 囀を上野大仏瞑りて 順子 累々と上野の山の落椿 要 混雑猥雑アメヤ横丁うかれ猫 風頭 卒業や銅像の頰撫でて去る 佑天 整然と立つ春愁のチョコバナナ 緋路
岡田順子選 特選句
鳥帰る露店あらゆる色を持ち 緋路 霾や上野の店の読めぬ文字 軽象 春の人スワ���ボートの胎へ還る 緋路 アネモネを咲かせ丸永商店に 和子 アメ横に日本一の目刺売る 俊樹 夢をみるらむ囀の劇場に きみよ アメ横を出て薄墨のかひやぐら 要 服を脱ぐやうに傾げて春日傘 和子 こんなにも人ゐて蝶のただひとつ 千種 春光に位牌並べる仏具店 佑天 不忍の水の濃厚蓮芽吹く 千種
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和7年3月3日 花鳥さざれ会 坊城俊樹選 特選句
露座仏も眠気に在す春の宵 かづを 一穢なき姿のままに落椿 同 老梅やこゝに学舎の有りし村 匠 そここゝの汚れし雪や二月尽 同 幼な子の雛とかたこと話しをり 希子 春泥に躊躇の一歩踏み出せり 千加江 如何な人此の樏を履きたるは 雪 幾年を経し雪沓ぞ懐かしき 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和7年3月6日 うづら三日の月句会 坊城俊樹選 特選句
四姉妹雛の思ひでそれぞれに 喜代子 笑ふとも泣くとも見える雛の顔 同 雛祭四人姉妹を守りこし 同 ひな飾る時のかなたの幼な顔 さとみ 晴れてまた吹きすさびたる春の雪 都 かの山に未練残して鳥帰る 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和7年3月8日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
鳥の景佇む友と卒業す 多美女 卒業やスポーツ刈りの髪伸びて 三無 卒業生弾む声なり胸の花 文英 幼子も律々しくなりて卒業す 亜栄子 二ケ領鯉と親しき残り鴨 文英 恥ぢらひのコサージュピンク卒業す 和代
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和7年3月10日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
仄かなる潮の香させて目刺し焼く 三無 海の色焦がし目刺の焼き上がる 秋尚 建て替への常宿偲ぶ木の芽時 のりこ 新幹線窓一面に山笑ふ ことこ 目刺盛る器は旧き伊万里焼 貴薫 宿り木の浮かぶ大樹や木の芽風 のりこ 山椒の芽とげとげしくも初々し 怜
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和7年3月11日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
供養雛四十体のピラミッド みえこ 通学路思ひ出連れて忘れ雪 裕子 雪解水溢れ雨樋外れをり 実加 河津桜供養帰りに家族して みえこ 山笑ふあの人の家目指し行く 裕子 古民家を曲がつた先の母子草 実加
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和7年3月11日 萩花鳥会
春の陽の沈むを惜しむ軒の下 俊文 古雛美し老いは人の世苔の一つ 健雄 雛飾り還らぬ人を懐しむ 綾子 椿見て素敵ですねと友は言ふ 健児 細面どこか母似の古雛 美恵子
………………………………………………………………
令和7年3月14日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
いつよりか鳴らぬカリヨン街朧 美智子 音もなく雪の吸取る吾の時間 佐代子 蛇出づる根の国を見た面をして 都 引ききらぬ浅瀬で始む潮干狩 宇太郎 貼紙に差し上げますとさくら草 都 鶯や漢詩の先生の庭に 悦子 船音は蛍烏賊なる賑はひに すみ子 生きめやも水栽培のヒヤシンス 佐代子 涅槃西風煽り塒へ群鴉 宇太郎
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和7年3月16日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
雨含む三椏の花闌ける寺 亜栄子 諍ひをちと春の嵐の中へ 慶月 女坂血の色に染む落椿 三無 喬木に百囀りの古刹かな 幸風 観音の飲んでゐさうな春の水 三無 堂の灯の漏れくる扉寺彼岸 亜栄子 春雨や道祖神なほ睦まじく 慶月 佐保姫に向けて墓標や波の音 幸風 奥津城をそつとなでよと木の芽風 同 猫柳蒼き雨だれ含みたる 久 春雨や煤け火のなき自在鉤 久子 観音の嘆きの紅き落椿 慶月 無縁仏修羅のごとくや落椿 亜栄子
栗林圭魚選 特選句
春禽や幼子パ行の語を並べ 久 晩鐘の磧にとよむ雉のこゑ 幸風 快晴や北窓開く藍染館 経彦 曇天に沸き立つ色の花ミモザ 文英 SLに駆け込む児らや春の雷 経彦 天象儀出でて見上ぐる春の星 同 春の雨やさしく撫でて陽子墓碑 文英
飯川三無選 特選句
雨含む三椏の花闌ける寺 亜栄子 百条のメタセコイアや木の芽雨 久 肌を打つ重たき雨や茨の芽 亜栄子 曇天に沸き立つ色の花ミモザ 文英 春雨に電車やさしくカーブする 慶月 観音の嘆きの紅き落椿 同 山寺に涅槃の日の雨降りやまず 久子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和7年3月18日 福井花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
化粧して草餅食べて身繕ひ 世詩明 加賀様の世を垣間見る雛かな かづを 古雛と言へど凜しさありにけり 同 はい〳〵と小言聞く朝鳥雲に 清女 一瞬のきらめきつれて初蝶来 笑子 黒髪の女雛の裾へ灯り揺る 同 吊雛や鹿の子絞りの緋の小袖 希子 涅槃西風受けて文殊や靄の中 同 針供養姉ささやかな針収入 令子 土雛の眼差し今も穏かに 千加江 ランドセル背に跳ねてゐる雪つぶて 雪 浪の花見るに一人は淋しきと 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和7年3月21日 さきたま花鳥句会
雲梯に縋る縄目や春の雪 月惑 ふる里の農事ごよみや辛夷咲く 八草 春泥に惹かれ園児の列乱れ 裕章 雨だれの音の春めく奥の院 孝江 こじんまり昔農家の花杏 としゑ 点々と摘草はばむもぐら塚 康子 黙祷の奥に囀り蒼き空 恵美子 竹林の天使の梯子より初音 みのり 花巡り母の形見の指輪して 彩香 混み合へる甲斐の隠し湯山笑ふ 良江
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令和7年3月16日・21日 柏翠館・鯖江花鳥合同句会 坊城俊樹選 特選句
瓢の笛最も聞かせたき人に 雪 母偲ぶ一日を以て針供養 同 荒磯には荒磯の情浪の花 同 打てば鳴る如大寒の青き空 同 当たつても当らなくても雪礫 同 蟷螂の続々生まれ子ら津々 みす枝 能登の地に佐保姫早く出でませり 同 災難の能登を俯瞰し鳥帰る 同 軒下をあちらこちらと初燕 嘉和 比良八講けむり荒ぶる湖白し 同 起立礼みごとに揃ひ卒業す 同 ふらここを蹴り上げてみる空の青 真嘉栄 陽炎や遠く電車の過ぐる音 同 蒼天や正座を崩す春の山 同 学ぶ程学ぶこと増え大試験 世詩明 雛飾り大戸開けば犇めける 同 冬籠父の日記を盗み読む 同 小春日や老婆二人の長話 和子 中学生進路定めて卒業す 紀代美 ひとしきり春の雪舞ふ涅槃寺 ただし 春炬燵守り長生きを疎みをり 清女
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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senpenbanka0426 · 4 months ago
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【Kenshi】クロスボウで遊びたい - Part1【チートMOD有】
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40人のクロスボウ部隊を作って遊んでみたい、と思い立ったので「名もなき者達」でゲームスタート。
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あとメンバーを全員スケルトンにしたいので開始キャラは全員スケルトンにした。ここからあと35人のスケルトンを仲間にする為、再プログラ��ング工場に居るエラーソルジャーを雇用できるMODを導入。
その他にはスケルトン用寝袋や経験値10倍、バックパックのスタック数増加、ツルハシで筋力UP、ガチガチに耐性がUPするベルト装備MODなどの便利なチート系MODも導入済み。
で、メインMODは今回も「Legendary of Kenshi」となっておりやす。40人のクロスボウ部隊で無双してやるぜ!って感じのプレイ内容になる……ハズ。
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そんで、立ち上がりはいつも通り銅鉱脈で金策しつつ筋力上げ。
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程々に防具をスクインで整えてからスケルトンの仲間集め開始。
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バーがある街を全部回りつつ、ユニークキャラのスケルトン3人やランダムNPCのスケルトンを仲間に加えて旅をしてみたが、やはり雇用可能なスケルトンは少ない……。
珍しいサザンハイブソルジャーの奴隷は居たのに、肝心のスケルトンは見つからないもんだ。
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まぁ、スケルトン軍団を作るには、やっぱMODの力を借りるしかないよな……って事で予定通りエラーソルジャーを全員(28人)雇用。
これで部隊数は37人になった。
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その後、更にバーを覗いて放浪者スケルトンを一人追加で雇用。で、カニバルの村を壊滅させて、Legendary of Kenshiで追加される���ニークキャラ、ギルマンを雇用。
これで39人部隊になった。残念な事に後一人雇用できるスケルトンを探したが見つからなかったので諦めて39人でいく事に。
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で、その後はダスターコートとかクロスボウの設計図を買って遺跡巡りしつつ研究素材や鉄板、建設資材を集めてハブに帰還。
今回は、スケルトン軍団で食料要らずなので、拠点を建てずにハブで生活していく事にした。電力が心もとないが、小型風力発電機を屋上に置きまくれば行けるでしょ、って感じ。
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んで、エラーソルジャー達に銅と鉄を掘らせてハブのバーでひたすら換金しつつ、ベルトデバイス(防具系チートMOD)を人数分購入。
耐性がガチガチに固くなるやつと、クロスボウスキルが上がるやつを今回は使用する予定。いや、しかし39人分の傑作ベルトデバイスを揃えるのはなかなかに大変だわ。店に並ぶ物が全部、傑作品質確定だったらよかったんだが、さすがにそこまでチートではないからなぁ。何日通い詰めたかは分からなくなるくらいにはハブとデバイスショップを往復したわww
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その後、熟練品質以上の防具が全員分作成できたので遠征を再開。しかし、リヴァイアサン・コーストで遺跡巡りしてたらリヴァイアサンに襲われ3人が腕を喪失。
まぁ、後で全員、義肢に変える予定だったから良いんだけどさ……ちょっと早くない?
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そんな事を思いつつ、AIコアをそこそこGETしてハブに帰還。研究進めて義手を作る事に。
初期メンバーで積極的に治療に当たらせてたキャラのロボット工学スキルが既に150を超えていたのであっさり傑作のスケルトン腕が出来た。ロボット工学スキルは経験値増加MODを使わなくても100の壁を越えられるから確定で傑作の義肢が手に入る。防具や武器鍛冶と比べてそこら辺は楽と言えば楽な部類かも。
ロボット部品も店売りと遺跡で拾って帰って来れば割と結構な数にもなるし……。意外と面倒くさいと思われがちな義肢製作だけど、やってみると案外そうでも無かったりする……かもしれない(笑)
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で、その後は皮剝ぎ機の設計図を手に入れる為にキャラ2人に隠密と暗殺の訓練をさせてからソノラスダークへ。
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しかし、サヴァンを暗殺しようとしたらLegendary of Kenshiの仕様になっててズシン!出来なかった。
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しゃーないから、外を警備してた皮の巨人を暗殺。暗殺者の衣と暗殺スキル91でもサヴァンを暗殺できなかったからLegendary of Kenshiの製作者が温情でこ��キャラに皮剝ぎ機の設計図持たせてるんだろうな……と、ちょっと思ったww
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皮剝ぎ機の設計図を取りに行っている間、ハブでは着々とクロスボウと義肢製作の準備を進めてた。
室内で鉄板と鋼鉄地金を加工できるMODも導入してひたすら資材生産。防具も全て傑作で揃える事が出来た。
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そして傑作のイーグルクロスを40本作製完了。
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義肢も左右のスカウト脚と左右のスケルトン腕、各40本傑作を用意することが出来たZOY。
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しかーし、まだやらなくてはいけない事がある……って事で傑作のイーグルクロスは置いて皆には「つまようじ」か「がらくた弓」を持たせてクロスボウスキルの訓練を開始。
経験値10倍MODとか入れてる割に134日目にしてやっとクロスボウ使ったわww
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相手にするならビークシングよりリヴァイアサンの方が良いかも、と思って移動。
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オブジェクトに引っかけてクロスボウ撃たせるのが楽ではあるんだが、リヴァイアサンを上手く誘導するのが、なかなかに面倒くさい。
クロスボウをまともに運用した事が無いせいで、イマイチつまようじの距離感が分からんww
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それでも大量に作ったボルトを全部使い切る為に放浪を再開。つまようじでキングは行けるか?って思って試しに行ったら、
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割とあっさり行けたww なんか足に集中してボルトが刺さって動きが鈍くなったな、とか思ってたら、そこから一気に胸と頭にボルトが刺さり始めて気絶したわ。
やっぱクロスボウって強いんだな。
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で、作ったつまようじボルトを全部打ち切って大体クロスボウスキルが93~95になった所でハブに帰還。 高精度射撃スキルも平均95くらいになったし、イーグルクロスに切り替えるか、と思い専用のボルト製作を開始。
そんで更に自作MODを追加で導入。本来、ボルト[長]は1つで10発しか撃てないが、それを30まで増加。で、重さも2Kgから1Kgに減少させてみた。
最強威力と射程のイーグルクロスをボルトの残量を気にせずバンバン撃てる状況にしてみた。これでLegendary of Kenshiのキャットロンをハリネズミにしてやるぜ!
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それと、手足を交換。全部傑作の義肢で足の速さと器用さに特化させてた。
たしかLegendary of Kenshiのキャットロンの足の速さが時速30くらいだったはず。こっちは、スカウト脚+運動能力100で時速45だから追いつかれる事はないはず。
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で、後は器用さと筋力を仕上げる為にビークシングでベッド殴り開始。
クロスボウにおいてもやはり器用さは大事。リロード時間を短くしないとスカウト脚でいくら引き離しても意味無くなるし。
あと筋力は大量のボルトを持ち歩く為に皆99まで鍛えた。
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今回、ハブで活動しまくってるが、ここまで長時間ハブに滞在したのは初めてかも。いつもなら2軒くらい家買って荷物置いたら後は初期の研究するくらいにしか使ったことなかったな。
バーが24時間営業で要らない物(傑作にならなかった熟練防具とか)を直ぐに売却処分できるのは凄い楽だww ハブってやっぱ過ごしやすい所だわ。
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んで、出来た最終装備が、こんな感じ↑。
暗殺者の衣はキャットロン戦以外では使わないと思ったので何人かは熟練品質だったりする。まぁ、一度に40本のボルトが飛ばせるから気にする必要もないかな、って妥協しただけなんだが。
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とりあえずバニラ状態のキャラで威力試したら、ほぼ即死したわ。ダスト盗賊で防具が微妙なせいもあるけど、一歩も前に出る事無く戦闘終わったww
いや、まともにクロスボウ部隊を動かした事なかったけど、マジで凄いな。40人も居たらクロスボウじゃなくて歩くガトリング砲だわ。ゲームバランス崩壊してる気がする……ww
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そんで、キャットロンの前にバグマスターで試してみるか、って思い立ってアラックへ移動。戦場が狭くて引き打ち出来ないから一人だけ武術で前に出て貰って残り38人で狙い撃ちしてみた↑。
しかし、ダメージ0はワロタ。さすがのLegendary of Kenshiの防具だわ。ハープン耐性が200とかあるんだっけ?これ、行けるか?って思って見たが、あっさり倒せた。
ダメージ表記が「0」でもKenshiのシステム上、完全にゼロではないっぽい。ボルトを受ける度にバグマスターのHPがガリガリ削れるし、怯んだりもしてたから普通に倒せた。
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その後は徐々にアッシュランドに近づきつつ、Legendary of Kenshiで追加されるロケーションの「エグザイルの隠れ家」へ移動。
門の前で「固守」指定しつつ、出てくる敵をバンバン打ってたら、あっさり終わった。アイゴアみたいにめちゃくちゃデカいサザンハイブも居るロケーションのはずだが、秒で膝ついてちょっとワロタ。
いや、クロスボウってこんなに強かったんだな。初見プレイの時に「ボルトの在庫管理するの面倒くさーい」って思ってから全く使ってなかった事を反省したわww
そんな感じで次回は南東のご当地野盗を殲滅していく予定。次回へつづく。
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listentothevoiceofwind · 6 months ago
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2024年8月11日放送回
満点DAMミュージックレジェンズ
文字起こし(前半)
Opening theme♪ワタユタケ「惑星」
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MC 横田岳史(ヨコタタカシ)さん 
満点DAMミュージックレジェンズ、この番組はカラオケDAMでおなじみの第一興商の提供で札幌FMしろいしが制作し、ただいま和歌山県エフエムマザーシップ、山形県酒田ハーバーラジオ、新潟県エフエムピッカラ、秋田県ACB秋田コミュニティ放送の5局ネットでお送りしております。
てことでお聴きの皆さん、お元気ですか?番組MCエフエムしろいし“何にもせんむ(専務)”こと横田岳史です。この番組は安全地帯ギタリスト武沢侑昂レジェンドとともに心揺さぶる音楽を求めてタイムトリップしちゃう、そんな番組なんですが武沢さん元気ですかッ⁉︎
安全地帯ギタリスト 武沢侑昂さん
♪「 冬CITY-1」のフレーズをギターで演奏
おはようございます!
横田さん
あら、とっても綺麗なギターですね!
武沢さん
…いや、ほんとはそうじゃないんですけど…、
横田さん
(笑)あっ、そうなんですか?
武沢さん
これ、ソロで弾くと、そういう風に聴こえるんですけどね。
横田さん
うんうん…、はい。という訳で。にしてもー、暑いでしょう、そっち!
武沢さん
いやあもう、この暑ささすがにあれですね、去年が、まあ今まで東京に来てから一番暑かったと思ったんですけど、
横田さん
あ、そうですか。
武沢さん
去年ね?去年の7月!
横田さん
7月ね!
武沢さん
去年のちょうど今ぐらいです。ところが。
横田さん
うん。
武沢さん
今年は、さらに、その上を行ってますね。
横田さん
この暑さがなんか8月いっぱい続くって言ってますよね、天気予報で。
武沢さん
ま、天気予報はあんま当てになんないですけど、
横田さん
まあそうすね。
武沢さん
まあまあ、暑いのはたしかにね。
横田さん
うん。
武沢さん
うん、何にしろ7月がとにかく暑いすよ。7月の今ぐらい。
横田さん
あ、そうですか。
武沢さん
うんうん。去年もそうだったんですけど。
横田さん
うん。
武沢さん
まだね、8月になるとさすがに38度とかにあまりいかないんですよ。
横田さん
あ、そうですか。7月の方が暑いんだ?
武沢さん
7月の今ぐらいの時ですよね。
横田さん
ああ〜。
武沢さん
去年もそうだったもん。
横田さん
なんか自分のイメージでは8月が一番暑いみたいなイメージだったけどそうでもないんですね?逆に7月とかの方が一番暑いんですね。
武沢さん
そうです。僕が東京に出てきた時から、あ、意外と8月の方が涼しいんだと思う様に、なりましたね。
横田さん
うんうんうん、そうですかー。
武沢さん
更に今はその頃より7月は何しろ暑すぎますから、酷いですね。
横田さん
いやあねぇ、まあでもね今は僕北海道に居るんですけど、まあ暑いのは暑いですけどそこそこカラッとしてね、なかなか涼しい、涼しいっていうか、クーラーは使っていないいや別にアノ話をしたくて振ってる訳じゃないですけど、クーラーは別に使わないで過ごしています。
武沢さん
アノ話ってダイコンの話ですか(笑)
横田さん
ッフッフッフッフ(笑)やめてくださいよ。
武沢さん
(笑)
横田さん
そんなベジタブルな話はやめてくださいよそれは野菜なんで、野菜の話はいいです。大変申し訳ございませんでした。ワタクシの話題のチョイスミスでございました(笑)
武沢さん
あのーねぇ、あの機械もね、
横田さん
ンッフッフッフッフ(笑)
武沢さん
さすがにもう良くなって欲しいと思ってるんですけど、また来ていただくことになりまして。
横田さん
そうですか。
武沢さん
はい、次に来るのが来週かな?
横田さん
そうですか。じゃあ、
武沢さん
来週…アレ?違うわ。
横田さん
次の収録の時はちゃんと、機能して、大丈夫ということで。
武沢さん
いや、そんなことはないと思います。去年からずっとやってますから。
横田さん
(笑)はい。その期待してない感じ…
武沢さん
一応、せっかくやっていただいてるから、期待はしてるんですけど。
横田さん
まぁ、そんな暑い世の中の中で、まぁ世間ではね、ま、この7月の辺り、土用の丑の日なんて言ってウナギを食べたりなんかするんですけど���。武沢さんは、要するに体力を落とさない様にこう、体力をつけるのになんか食べてらっしゃるというか。
武沢さん
なんか、世間の人たちはね、そのウナギって言ってますけどね。僕は何しろこのウナギ嫌いで最初からやってますから。
横田さん
ウナギ嫌い&ウナギという言葉から宇宙に行ってしまうと言う…不思議な、
武沢さん
そうですね、不思議な、体験をしてまで…
横田さん
あ、はい(笑)
武沢さん
あれですよ、まあ、もちろん、そっちね、その「う」の付く方にはいかないですけど、
横田さん
はい(笑)
武沢さん
でもやっぱり夏の暑い時に、さあ何食べようって、やっぱラーメンですよね。
横田さん
あっ(笑)暑いところにさらに熱くラーメン。
武沢さん
そう。あの、冷やし…むかし冷やしラーメンって言ったけど、あの、
横田さん
ああー、冷やし中華ってことですか。
武沢さん
冷やし中華じゃなくて、
横田さん
うん。
武沢さん
熱い。
横田さん
熱いラーメンをね?
武沢さん
そっす。
横田さん
ほうほうほう、暑い中で熱いラーメンを食べていく。
武沢さん
ま、一応エアコン効いてる暑いところで(笑)
横田さん
ああ、もちろんもちろんもちろん。
武沢さん
そうそう。で、熱いラーメンを食べると。
横田さん
はい。
武沢さん
元気になります。
横田さん
まあねぇ、そういえば旭川ね、ラーメンが美味しくて有名なまぁ街ですけども。武沢さん、何味のラーメンが基本的には好きなんですか?
武沢さん
あれ、ラーメンの話って一回してますよね?
横田さん
まあ、してるでしょうけど、まあ新しいリスナーさんもいらっしゃってるのと、私の記憶があのー、3分ぐらいしか保たないのと(笑)
武沢さん
あ、なるほど。
横田さん
はい。
武沢さん
そうすね、旭川の…、札幌が昔から味噌ラーメン、大御所なので、
横田さん
うん。
武沢さん
で、豚骨ラーメンといえば、九州ね。
横田さん
九州。はい。
武沢さん
博多ですか。
横田さん
そうですね、まぁあの九州だいたいそうなんでしょうけど、博多の豚骨ラーメンが美味しいですよね。
武沢さん
そうだよね、特に博多が。で、僕らはやっぱりあの、ずっとアマチュア時代があって、まずね100円ラーメンってやってたんですよ。
横田さん
100円ラーメン?!それは旭川で?
武沢さん
やってました。
横田さん
それは、あのー、自分たちでなんか作ったラーメンのことを100円ラーメンて呼んでたとかじゃなくって?
武沢さん
いえいえいえ、あのね、なんつったかなぁ、店の名前ちょっと忘れちゃったけど。コミカワだったかなー、
横田さん
へぇえええー!…ああ、言ってましたね、で、もうそのラーメン屋は無くなっちゃったっていう話でしたよね。
武沢さん
無くなっちゃったですよね、きっとね。
横田さん
うん、うん、うん、うん。
武沢さん
あのー、その100円ラーメンはあれですよ、ちゃんと、作ってくれて、あの。おばさん達が4人ぐらい、あの従業員がね?
横田さん
ああ、じゃあすごく人気店だったんですね?
武沢さん
ん〜〜…、やぁやっぱり、安いから、食べに来てましたよ。
横田さん
あ、ほんとですか。まぁでも、具はもやししか入ってない、とかじゃなくて?
武沢さん
まぁ、でも、ちょこっと入ってたよ。あの、普通の…、
横田さん
チャーシューみたいな?
武沢さん
あの、チャーシューのおおっきいのは入ってないすけど。
横田さん
あのー、切れ端ぐらいは入ってたり。
武沢さん
そうそうそう、切れ端ぐらいとか、カマボコとか。
横田さん
あー、カマボコね?うんうん。
武沢さん
卵もちょっと入ってたのかな?
横田さん
あ、ほんとですか。ね。で、ネギがちょこっと乗っかって?
武沢さん
あ、ネギもネギも。
横田さん
海苔とかももしかしたら1枚ぐらい入ってたと。
武沢さん
そう。僕らでも行ける値段だった。
横田さん
うん。
武沢さん
ね、安いでしょ?
横田さん
やっすいですね、100円は安いですねぇ。
武沢さん
そう、で、そこにずっと行ってて。で、途中から、あの多少ね?アルバイトしてお金をね少し稼げる様になってからは、天金ラーメンですね、やっぱりね。
横田さん
出ましたね、大好きな天金ラーメン。やああのねえ、美味しいですよねー。あのー僕も、武沢さんに言われて、旭川に行くと、ほぼ旭川に行く時は必ず天金ラーメン食べて���すね。
武沢さん
あ、そうですよね。
横田さん
はい。
武沢さん
ただあのー、天金ラーメン、僕は大好きですけど、旭川にはどうもあの、何派かに分かれてるんですよね?
横田さん
ああ!蜂屋だとかー、まあ、
武沢さん
そうそうそう蜂屋とか
横田さん
梅光軒とか。
武沢さん
だいぶ味が違うんですよね。
横田さん
うん、違うと思いますね、なんか。
武沢さん
だから、みんな天金が好きかって言ったらそうでもないと思うんだけど、僕らはそのアマチュア時代から、もう天金でしたね、やっぱり。
横田さん
まぁとにかく初めて…、こんな話長々としてもあれなんだけど、初めて天金ラーメン食べてとてもびっくりしたのが、ラードが上にしっかり乗ってるから、ラーメンがとっても熱いんですよね!
武沢さん
熱いし、味も濃くて深い、深みがあって。
横田さん
いや、美味しいですよね。いや、僕はほんとにねやっぱりこんな熱々のラーメンで、やっぱり北海道寒いです、旭川なんて冬寒いですから、その冬のクソ寒い中でね、あの熱々のラーメン食べた時にはほんとに美味いなぁと思いましたね!
武沢さん
そうなんですよ。で、札幌と違って、まぁ味噌ラーメンも美味しいのは美味しいんですけど、
横田さん
うん。
武沢さん
やっぱり旭川の天金のしょうゆラーメン!
横田さん
ま、僕はねちょっとね、札幌育ちとか北海道生まれとかじゃないのであんまり味噌ラーメンはそんなに、別に、食べなくてもイイカナみたいな…
武沢さん
あ、そうすか。ちっちゃい頃からずっと食べてるから。
横田さん
いやいやいや、あの、ま、小さいところはねあの味噌ラーメンてものを食べつけてなかったので。どちらかと言うと醤油とか豚骨の方のが自分は好きかなとは思うんで、あれなんですけど、ほんと、天金ラーメンは美味しいですねぇ。
武沢さん
ねー!そうなんですよ。ただあれですよ、ちょっと残念なことにちょっと今名前忘れてますけど、これ前にも言ったことあると思うんですけど、
横田さん
うん、
武沢さん
あのー、あそこは池袋の近くかなぁ、東京、東京のね?えーとー東京で良くラーメン食べて…、昔よく車で食べに行ってる人居たんですよね。
横田さん
環7の?環7のラーメン屋?
武沢さん
環7沿いとかね?
横田さん
ああそれ土佐っ子じゃないですか?
武沢さん
山手通りとか。
横田さん
あー。
武沢さん
要するに太めの道路で。
横田さん
うん。
武沢さん
で、ラーメン屋のもう前に停めたりとかして。
横田さん
土佐っ子渋滞なんて名前で環7、渋滞起きてましたよ。
武沢さん
それは知ってます。で、それ、その前くらいから行ってた…たしかあれ明治通りだったかなちょっと忘れたけど、そこのラーメン屋さんはね、札幌の、札幌の味噌ラーメン。
横田さん
うん。
武沢さん
もやしたくさん入れて野菜もたくさん入れてね?
横田さん
ああ、んでひき肉でね?
武沢さん
ひき肉で、もうすっごい美味しい。大好きだったんですよ。
横田さん
ああ〜、いや、美味しいですよね、いや、味噌ラーメン嫌いな訳じゃないんですよ?ただ、あの、味噌ラーメンがおすすめの店じゃなければ、味噌ラーメンをあんまり頼まないかな、みたいな。うん。
武沢さん
まあ、そうですね。ま、そこの店はほんとにもうあのー、僕もあんまり行くので、もう店のあの…
横田さん
顔覚えられて。
武沢さん
おじさんがね。店の主さんが。
横田さん
はい。
武沢さん
僕のことすっかり。たまーに空いてる時はずっと話したりとかしてて。
横田さん
ちなみにそれは、その人は、武沢さんの事を安全地帯のメンバーだと認識して?
武沢さん
あ、途中から認識してたかも知れないですね。
横田さん
あ、途中からね。
武沢さん
そう。ま、でも本当に残念なことに、何年まえかなぁ、15年くらい前になくなられてしまいまして。
横田さん
あー…、そうなんだ。
武沢さん
で、それから、うん、あまり行けなくなってしまったんですけど。
横田さん
うーん。
武沢さん
でそこのね、おじさんね、ほんとにね、いいおじさんで、その色々教えてくれるんです、ラーメンの作り方とか。
横田さん
あ、作り方。うん。
武沢さん
そう(笑)ウチのラーメンはここをこう作る、ラードをこうして、とか。
横田さん
うんー。
武沢さん
プロだからあんまり他の人に教えない様な。あの、ガラをここを鶏のガラをこのぐらい取って、豚のガラをこんだけ入れたとか。なんかね、ま、そんな話もしながら、ね?東京で音楽を続けてきたわけですが。
横田さん
はい。
武沢さん
そろそろ本題に戻ってきて(笑)
横田さん
はい、そうですね。大変申し訳ありません。
武沢さん
すいません(笑)
横田さん
もう始まりから14分も話をしてしまいましたけど、まあ今週もね?当然ビートルズということで。ええ、ビートルズなんですけども、今日の1曲目はねジョージ・ハリスン。ジョージ・ハリスンですよ。
武沢さん
そうですね。
横田さん
武沢さんが大好きなジョージ・ハリスン。
武沢さん
大好きなジョージ・ハリスン。今日の特集、のテーマは、
横田さん
テーマが、あ、テーマがある。失礼いたしました。
武沢さん
僕の気持ちの中では有りまして。
横田さん
うん。
武沢さん
この、『脇役の名曲』と。
横田さん
『脇役の名曲』ああ〜、『脇役の名曲』要するにそのアルバムのメインでは無いんだけど、凄くそれがある意味…
武沢さん
意味を持ってる。
横田さん
意味を持ってるっていう。
武沢さん
そうそう、それが、あの、まあ今日の、今日安全地帯も掛けるので、安全地帯の曲も含めて!
横田さん
そうなんですね。
武沢さん
はい。という事で。
横田さん
了解です。まぁちょっとね、聞き付けない、こういう音楽を聞き付けない人はちょっと面を食らってしまうかも知れませんが、あのー私達はとっても大好きな曲でございます。
武沢さん
そうですよー。
横田さん
Sergeant peppers’からこちらです!
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横田さん
はい、という訳でビートルズSgt.peppers’から「Within you without you」という事でございます。
武沢さん
はい。この曲聴いてるうちに忘れていたラーメン屋の���前を思い出しました。
横田さん
ウハッハッハ(笑)そうですか。瞑想の中で辿り着きましたか(笑)
武沢さん
瞑想の中でフワァっとすぐ浮かんできました。
横田さん
なんて名前なんですか(笑)
武沢さん
えぞ菊です。
横田さん
えぞ菊���あー東京にえぞ菊っていうラーメン屋さんがあって、武沢さんはよく通われてたって事ですね?
武沢さん
あれはー、よく通ってました。
横田さん
はい。
武沢さん
ええ、作り方まで教えてくれたりね。
横田さん
うんー。
武沢さん
野菜をこのタイミングで入れるんだとか。
横田さん
ああー。
武沢さん
最後のもやしはこうした方がいいよとか、ちゃんと…。それは置いといて。
横田さん
はい。というわけでビートルズ「Within you without you」
武沢さん
ビートルズの、シタールね!ま、シタールだけじゃないすけど(笑)
横田さん
うん。
武沢さん
シタール系の楽器が。
横田さん
はい。
武沢さん
たくさんあるんですよね、これ。
横田さん
いやあほんとですね。たくさんありますね。まあ読んだところですぐ忘れてしまって。たくさんのインドの楽器が。タブラ。
武沢さん
タブラはね、あの、打楽器のね。
横田さん
タブラは打楽器ね。それ以外に弦楽器としてスワラマンダラ、タンプーラ、リルババという。
武沢さん
リルババ、ね。ま、これ、を使えばこういう音楽になるかっていうと、
横田さん
ならんでしょう。
武沢さん
そうはならない。なかなかよく出来ててね。
横田さん
や、これはほんとにあの、インド音楽、僕もかなり一時期ハマってインド音楽ばっかり聴いてた事ありますけども。あの、しっかりちゃんとインド音楽をしています。
武沢さん
ねー。ずっとこの続く(♪シタールを口三味線で)ニヤ〜オオーア〜ンってこの感じがね?
横田さん
うん。
武沢さん
もう、お香のかおりって言うんですかね。
横田さん
あああー、まあ確かに、香のかおり。
武沢さん
もう香ってきます、香りが来ますよね。
横田さん
で、実際あのー、このスタジオで録音した時は、普通、楽器、例えば武沢さんも録音する時はま、椅子に座るとか立って録音するとかって事でしょうけど、
武沢さん
ええ、ええ。
横田さん
この時はもうそのスタジオに絨毯をひいて、
武沢さん
そうなんすか。
横田さん
壁になんか色々そういう絵を飾って、それで。
武沢さん
そっち系の。
横田さん
そっち系の。
武沢さん
そ、宗教系の。
横田さん
ま、そうですね、宗教画というか、マントラみたいなものをたぶん、飾って、それで、収録をしたと書いてありますね。
武沢さん
うーん、なるほど、そういう工夫がされてる訳ですね。
横田さん
でも歌詞なんか読んでると思うのは、あーこれジョン・レノンもずいぶんこういうのに影響されたんだろうなぁって。「imagine」なんかある意味そういうこう、そういう世界のこと言ってるなぁって。
武沢さん
そうなんですよ。もちろんあのこれジョージ・ハリスンの曲だからあれなんすけど。ジョージ・ハリスンが一番影響されては居るんですけどね。インド系のね?
横田さん
はい。
武沢さん
でも、ポール・マッカートニーもジョン・レノンも、あの、ジョージ・ハリスンほどじゃ無いけど、けっきょ、あ、けっきょじゃない(笑)結構影響受けてるみたいで、なかなかいいあの音楽の広がりを
横田さん
はい。
武沢さん
辿ってますよね、このあとね。
横田さん
まぁね前もちょっと話したかも知れませんが、これはビートルズが、えー、まああんまりにも世界中で有名になっちゃって、静かに休日を送れるとこはないか、という事で、じゃあ、インドにしようって行って、どうせインドに行けば誰も僕らのこと知らないからみたいな
武沢さん
うんうん、そうらしいですよねぇ。
横田さん
事を言って、でもインド行ったらまぁやる事ないし退屈だなぁみたいな感じで、そしてインド音楽に触れたと。
武沢さん
素晴らしい楽器があって。
横田さん
うーん、こりゃ凄いと。
武沢さん
ハマってしまったのが、ジョージ・ハリスン。
横田さん
そうですね、ジョージ・ハリスン。
武沢さん
多分ね。
横田さん
はい。
武沢さん
でもまあ、そういう意味ではあの、そういう、ね、なかなか行けないところに行って、その、音楽も全然違うじゃないですか。
横田さん
うん。
武沢さん
西洋の音楽と。
横田さん
そうですよねぇ。
武沢さん
ま、生活もそうですけど。まそういういい意味でそういう影響を受けて。やっていた頃の、Sgt.peppers’に入っているこの曲で。ま、ね、曲としてはちょっと、普段着の曲にはなっちゃいますけどね。
横田さん
あのー、今、ま、世の中ではね?皆さん、あの、なんだろ、レコードを買うとか事は無いだろうし、まあCDを買うというよりも、なんか自分の好きな曲だけをダウンロードするという事だったと思うんですけど。
武沢さん
ダウンロード、うんー。
横田さん
うん、もうこの僕ね、これを僕らが聞いてた頃と言うのはまぁレコードもしくは、まあCDだとしてもですね、ま基本的に飛ばすって事はしなかったですよね。
武沢さん
飛ばすって事はしないすね。出来なかったよね。
横田さん
それは特にSgt.peppers’っていうのは一曲も飛ばせ、なかったですよね。ま、全部続いてるからってこともありますけど。
武沢さん
そうすね、うん、レコードしかないしね?
横田さん
うん。
武沢さん
ネットも無いし。
横田さん
うん。
武沢さん
インベーダーゲームも無いし。
横田さん
うんまあ、そうでしたよね。インベーダーゲームね無かったし(笑)はい、なのでだからあの、もしかしたら今の世の中ならこの曲は飛ばされちゃったかも知れないけれども。
武沢さん
うん。
横田さん
でも、まあ僕らの身体の中には絶対に飛ばせない、あの、素晴らしい曲の一つで。
武沢さん
そうですね。やっぱりうん、ビートルズとしてもヒット曲とか代表曲とかにはまぁ全然ならないけど、やっぱりインパクトがありますよね。すごいすよね。
横田さん
まぁ、そう言う意味では今日の武沢さんのテーマっていうのがここ、だということなんでございましょうけど。
武沢さん
はい。
横田さん
はい。というわけで、つぎの曲は…。
(※後半に続きます)
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doctormaki · 11 months ago
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エストニアは、東大で集中講義をしにきてくれたRaud先生の故郷。人口が少ないエストニアでは、先生の名前を言うだけで、知識層の人々は、おぅお前はReinの知り合いなのか。。。と驚嘆してくれる。彼の父、祖父と、みんな知識人で、彼の妻も作家。日本に住んだ二週間、先生は早稲田での講演とかもあったのだけど、もう泣きそうな位にホームシックになっていた。サンタさんみたいな体格を震わせて、涙をジーンと浮かべながら、家族が側にいないって辛い。。。とぼやいては大酒を飲んでいたっけ。先生はロシア語なども含めて二十ヶ国語位はペラペラしゃべる。早稲田では日本語で講演してくださった。それも、道元について。そんな、先生が愛してやまないエストニア。歴史はやばい。常に隣国ロシアの脅威にさらされている。タリンなんて、サンクトペテルブルクの目と鼻の先である。KGBの抑圧時代も含め、自由について敏感な国でもある。KGB時代の、知識層をターゲットにした独房には、建物に入っただけで寒気がして、独房にまでは行けなかった。そう。ワシはヒヨイ。
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国会議事堂と大統領府のピンクの建物は、ブエノスアイレスのカサデローザを想起させる。独裁者が出る国って、なんでピンクに塗りたがるんだろうか。。。ピンクが好きなワシは、なんとも真綿で首を絞めていくような政権の象徴としてピンクが国家権力の象徴的建物に使われている事に脅威を覚える。そして、その前には、ロシア正教の教会である。きゃー。ロシア。。。の香り。
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エストニアは、まるで絵本の世界と、デジタル最新世界が同居した国。寒いだろうに、近代建築は、透明性と自由を尊重したい為か、ガラス張りの建造物が多い。左は旧市街を見渡す丘からの絵本の眺め。右はワシのホテルがある港湾地区の開発地域の眺め。
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そして、ワシの初日の遅い昼食兼早い夕食は、北朝鮮の方と思わしき怪しい、とても怪しい一軒家の韓国料理屋に行ってみる。温かい、辛さも哀しみも苦しさも、ぜーんぶ味わった末の優しい包容力があるんだけど、苦労してきたであろう話さなくてもお人柄が忍ばれる店主のおっちゃん。片言で、ワシ、イルボンやねん。。。と言う。途端に破顔になる。エストニアというよりも、どこからどう見てもロシア人の奥さんが作ってくれた手作りのキムチと、カッペリーニを使ったカルグクスをいただく。丁寧に牛肉でダシを取ってあり、優しい味わい。一口、スープを口にしただけで、なんか涙。老夫婦の辿った人生は、いかなるものだろう。途中、ロシア語を話す背の高いスーツ姿の老人が見える。ロシア語で静かに話し込む。ワシは彼らのロシア語を、コロナ中に練習していたカタコトロシア語を思い出しつつ、何故か郷愁に浸る。不思議な空間。もう絶対、おっちゃん、スパイやったんでしょ。。。と思うし、別にそれを分かる人には分かる感じで、良いですって感じ。奥さんも落ち着き払っている。そして、大きなお屋敷の一画で経営する韓国料理屋を後にして、ワシは人生を思う。人生の深さや重みを知っている人は、おしゃべりで寡黙だ。人生とはパラドクスだからだ。ワシも超おしゃべりだけど寡黙である。
そして、エストニア国立劇場で、バレーではなく、ベルリンを舞台にしたミュージカル、キャバレーを鑑賞。バレェにしようか悩んだんだけど、エストニア語と英語の字幕ですっていうのに惹かれてしまう。ワシってやっぱ、オタクかも。。。そして、もともとドイツ人が書いたスクリプトで、ドイツ語、フラ語、英語がポロポロでてきて、めちゃくちゃ、左脳言語野が刺激される。視覚的には、エストニア語と英語の同時字幕なので、ワシ、もう大興奮。休憩に思わず、普段は行かないバーに行ってオレンジジュースを飲まないとやってらんない始末。
話の内容は、ドイツ批判である。エストニアでナチ批判のミュージカルを、すぐ隣で戦争していて、ドイツは戦争支援で大量の兵器を送っていてという現実の中で、ミュージカルは、当に、ドイツの狭小な国民性。長いものに巻かれてしまう権力に弱く、従ってしまう弱い市井の人々。そして、一番悲しいのが、政治なんて全く関係無いと思っていた人々が一番影響を受ける被害者になること。今の状況、反映しすぎてて、ワシ、ドイツに帰りたくなくなる。ドイツ好きな奴って何を見ているんだろう。何がドイツを好きにさせるんだろうか。ドイツ人のクッセー体臭か。料理の不味さか。あるいは、白人だから良いのか。むしろ、何も、見ていないから、平気でドイツ好きーとか言っているんだろうな。つーことは、そういう無知な人々が、一番、有事には被害者になるんだろうな。。。そして、ワシは情報収集家なので、貧しい雑草なんだけど、色々と頑張って嗅ぎ回って、なんとかかんとか、危機一髪で逃れられる類なんだろうなぁ。。。と思う。
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nigebanigenige · 1 year ago
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2024/06/22
ベッドでごろごろしてたら1400になったので這ってでて、綴方で本見る 来ると必ず買ってしまうわね とりあえず電車乗って横浜に来た めちゃくちゃ混んでた のろのろ服みて、京急乗って、黄金町で降りて
いってすぐは一人で穏やかにのmでたのに、途中で店長が隣のややこしそうなおじを押し付けてきて途中まで大人しく話聞いてたけど最後の最後で謎に渋谷で飲みに行くこと担っていていくわけねーだろwと思いながら先に見せでた まじでなに? でもこういうおじのふつうの言動、行動に触れておきたいという気持ちがあり
スーパージントニックの店、1軒目の不快感を晴らすために行ったらまたもや最高だった!オーナーは覚えてるか微妙だったけど、途中で思い出したみたいで友達ときてたよね?と言われる このちょっとずつコミュニティに入れていく感じが楽しいんだよなー2杯で3000円かからないんだから、もうへんな安酒にお金使うよりこっちに来るよー隣の常連は薬剤師さんらしかった 仕事でウイスキーのみにスコットランド行ったり、ドイツにビール飲みに行ったりしていたらしい 真逆のカップルはお姉さんがすでにグダグダでよかった マスク忘れてたのでマスターに持っていってと言われたので走っていったらありがと〜って抱きつかれた これが土曜日の野毛… マスターは変な絡み方する客はすぐ追い出すし、初見でよくなさそうだったた入れない、と場をコントロールする信念がめちゃくちゃあるので安心感が有って本当に最高 どういう基準でお客さんみてるんですか?と聞いたら勘だね、勘 と言ってた リスクマネジメントだからさ、と かっこよすぎる 今日は自己破産するっていうお客さんがきてさ〜困ったもんだよ〜とも言ってた 10万人以上は会ってるんだから、こういうひとがいたっていうはなしはできるからねーと
黄金町から伊勢崎町、寿町まで歩いてみたら、想像以上に繁華街で飲み屋とホテルと風俗街がごちゃっとしていた 川を越えた向こう側が明らかに怪しそうで、早足で往復してみたらほぼ海外だった クラブ、キャバクラ、風俗のネオンがキラキラしていて、その間にポツポツ老舗っぽいバーやレストラン、喫茶店が挟まれていた 好奇の目でみるのは、どうなのか、と毎回思うけどやっぱり歓楽街のあやしさが好きなんだよなーバイトしたいなー
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threetitle · 1 year ago
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【ベイファスリンクスの街にて】 作/いずるは
 『生きた鉱脈』、『無限の宝』、『不死の源泉』、呼び方は多々あれど、それらはいずれも一つの種族を指す。
 彼らは強靭な肉体を持ち、永遠ともあだ名される程の長命、そしてその鮮やかな瞳からこぼれる涙は、美しい宝石になったという。
 採取されるそれらの石は装飾品、魔導具、果ては薬にまで使用され、その希少性、有用性故に狙われ、奪われ、滅んだとされている。
 ――表向きには。
--*--*--*--
 大きな街は良い。人が多く、物も多く、周囲は適度に関心が薄く、情報は集まりやすい。
 その中、雑踏をかき分けながら二人組が大通りを進んでいた。長い外套を羽織る青年と、顔を隠すように頭巾を被った小柄な���影。
「今日はこの辺りで宿を取ろうか」
 傍らに立つ連れ合いに青年は声を掛け、やがて一軒の宿屋に入る。
 慣れたようにやり取りをし、二階にある一室に通されたところで、少女はようやく頭巾を外した。
 透き通るような白い肌。鮮やかな色の瞳が、窓からの陽光を反射して美しく輝く。
「今日は混んでるから、一部屋しか空いてないってさ」
 室内は簡素なものだ。寝台が一つと長椅子、机、古びた角灯に衝立。
「寝るときは君がそっち使ってね」
 寝台を指差しながら青年が窓を開けると、ふわりと風が入り込み、淀んだ空気をかき回していく。
「いいの?」
「数日だけだし俺はこっちで大丈夫。毛布もあるから」
 元よりそういう使い方をすることもあるのだろう、手慣れた様子の店主からは毛布を渡されている。
 必要最低限の荷解きをし、さて、と腰を伸ばした。
「外見てこようと思うけど、一緒に来る?」
「行く」
 再び彼女が頭巾を被るのを確認してから扉を開けた。
 馴染みの行商人から仕入れた認識阻害つきの外套は、少女の外見や存在自体を薄くさせ、なかなかに重宝している。
 特殊な出自であることは、往々にして隠しておいた方が都合が良い。窮屈? という青年の問いには首を振る。
「今日も素材探しから?」
「そうだね。良いの見つかるかな」
「この間もそう言って高いの買ってたけど」
「あはは」
 
--*--*--*--
 階下は酒場になっており、片隅では早々に管を巻く客が見えた。昼食には遅く、夕食には早い時間帯。
 客足はまばらだが厨房からはこれからの仕込みか、賑やかな音、香ばしい匂いが鼻をくすぐる。
 ふと、少女は立ち止まり青年を見上げた。この先のことを思うと、今言っておかねば後悔する。
「お昼、食べてからにしない?」
「確かにね。そろそろおなかすいたかも」
 道中、携帯食を口にしてはいるが必要最低限だけだ。落ち着いて食べられるならば、それに越したことはない。
 名物だという料理は、衣をつけて揚げた肉に甘辛いたれをかけ、小麦粉を練って焼いた生地に挟んだ料理だった。些か大きく、少女の手には余るほどの大きさ。
 綺麗に三等分されたうちの一つにかぶりつく。揚げたての熱さと、肉の脂の甘み、共に挟まれた野菜は瑞々しい。
 手軽で美味しいと評判だという店員の言に偽りはなかった。
「おいしいねぇ」
 自身の分をぺろりと平らげた青年が楽しそうに少女を見ている。
 小さい口を一生懸命動かし咀嚼し飲み込むが、二切れを食べたところで、最後の一つが残ってしまった。食べたい気持ちはあるが、どうにも入りそうにない。
「食べようか?」
 と笑う青年に皿を渡す。どうやらこの店は大きさも売りらしい。
「おいしかったけど、せっかくなら少ない量もあればいいのに」
「量が多いのは、色々な人に食べてもらいたいかららしいよ」
 少し食休みしたら行こうか、という青年に頷き、手持ちの水で喉を潤した。
 生ぬるいが、あらかじめ含ませておいた薬草のすっきりとした香りが口内の脂を流してくれる。
 この腹の満ち具合だと、消化するのに大分かかりそうだ。
--*--*--*--
 外は抜けるような青空、日差しは穏やかだが、季節外れなほどに少し汗ばむような気温。
 大通りには所せましと露店が並ぶ。競うように軒先を連ね、客を呼び込もうと声を張る。
 見慣れぬ果物や野菜、調味料に漬け込まれた肉、手入れされた武具や防具に、美しい織物。
 そのうちの細工物が並んだ店で、青年は足を止めた。舶来の品だという首飾りには大きな石が留められている。
「きれいだね。どれかいる?」
 即座に少女は首を振った。
「持ってるから、大丈夫」
 そっと胸元に手を添える。外套の下には、大事な首飾りが収まっている。
 見る角度によって水色や紫に色を変える石、透き通り、青みを帯びた花びら。蕾のような飾りに繊細な銀細工。見ずとも思い返せる程には眺め、大切に身に着けてきた。
「遠慮しなくていいのに」
「遠慮じゃない。それより、素材屋さん行かなくていいの?」
「そうでした」
 彼の本職は細工師だ。店は持たず、旅をしながら様々な街で素材を仕入れ装飾品に仕立てる。
 些か路銀調達の冒険者稼業の方が時間は長いような気もするが、その生活を変えるつもりはないらしい。探し物があったから、と聞いたこともある。
 細工物の店主に別れを告げ、大通りを振り返ると時間帯のせいか先ほどより人が増えているようだった。
「はぐれないようにね」
 と、差し出された手を握り、再び雑踏に戻る。
--*--*--*--
 いくつかの店を回り、いくつかの資材を仕入れ、軽く夕食を済ませて宿に戻ってくる頃には、月が昇っていた。
「さすがに夜は涼しいねぇ」
 少女は一階の酒場で貰ってきた温かいお茶をゆっくりと口にする。じわりと胃の腑まで温かさが落ちていく。
「今日は良いの買えた?」
「まぁまぁかな。ほら、このあたりの素材とか綺麗じゃない? 特殊な貝から作られるんだって」
 戦利品を並べていく彼は楽しそうに見える。そして決まって言うのだ。
「何か作る?」
「いい」
 飽きずにほぼ毎回、同じようなやり取りを繰り返している。
 細工師として気になるからというのも理解はできるが、少女は新しい装飾品を必要としていない。今あるもので十分だ。
「ずっと同じのだと飽きない?」
「飽きない」
「効果付けたりとかもできるよ」
「今もついてるから大丈夫」
「そういわず」
 なおも食い下がる青年の目を、少女はじっと見る。
「リートスが最初にくれた、これがいいの」
「ユウェル……」
 リートスと呼ばれた青年は少し困ったような笑みを浮かべた。
 確かに少女、ユウェルが身に着けている首飾りは、出会った当初に渡したものだ。それがこんなに気に入られるとは。
 嬉しい反面、気恥ずかしくもある。だからこうして何かにつけて、新しいものを勧めるのだが彼女は取り付く島もない。
「明日もあるんでしょ。私、そろそろ寝るね」
 冷めてしまったお茶を飲み干し、ユウェルは立ち上がる。
「わかった。俺はちょっと作業してからにするから、もう少し明かりはつけておくね」
 衝立の向こうから少しだけ少女が顔を出した。
 角灯の揺らめく炎が、彼女の瞳に反射する。
「おやすみなさい、リートス」
「おやすみ、ユウェル」
--*--*--*--*--*--*--*--
「たとえば、そうだな。枯れない花を探しに行くのなんてどう? 融けない氷や、手に収まる星空を見るのも良いね」
 そう言って、細工師の青年は、うずくまる少女に手を差し伸べた。
 窓から薄く差し込む光が埃に反射し、周囲に金粉を散らしたようにも見える。青年の浮かべる表情は柔らかく、少女が見てきたどの顔とも違う。
 伸ばされたその手を取れば、きっとここから抜け出すこともできるだろう。
 けれど身体は錆びつき、空気は泥濘のようにまとわりつく。重い。動けない。それでも。
 恐る恐る手を伸ばし、そっと彼の手を握る。暖かく、優しく握り返される。緊張が、硬直が、解けていく。
「本当に、連れて行ってくれる?」
 干からびた喉からは、かすれた小さな声しか出ない。
「君が望むなら」
 跪いた彼が頬を撫でた。眩しさに、目が染みる。涙など、とうに枯れたと思っていたのに。
「これから、よろしくね」
 少女は小さく頷く。陽の光が、穏やかに二人を照らしていた。
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bearbench-tokaido · 1 year ago
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四篇 下 その一
『コケコッコー』 と、鶏の声が、響いている。 『ヒヒン、ヒヒン』 と、引かれている使役の馬の鳴き声も聞こえている。
すでに夜も明けて、かの弥次郎兵衛と北八は起き出してきた。 簡単に支度を整えると、さっさと赤坂の宿場を後にした。
さて二人が、この宿場を出るか出ないうちから三人連れの旅人が、後になり先になり行く。 どうやらこの連中も江戸のものと見えて、伊達男で少し巻き舌の早口である。 聞くとはなしに、話を聞けば、 「おい、夕べの泊まりは、面白かったな。」 「おお、それよ。なんでも、奥の間に泊まっていた奴等は、気の利かない野郎どもだ。 旅館で婚礼があるのを、羨ましがりやがって、襖の間から覗いたらしい。 それで夢中になって、襖ごと倒れこんだそうだ。まったく、馬鹿なやつらだ。」 「その後の騒ぎで、俺はろくに寝られなかった。まったく、忌々しい。」 「そうそう、そのうちの一人が夜中に宿の亭主を呼んで、ここの家は墓場じゃないのかと聞いていたそうだ。 たぶんあいつらは、気が違っているんだろう。」 弥次郎兵衛と北八が泊まった旅館と、同じところに泊まっていたこの連中は、面白おかしく話をしてる。
弥次郎兵衛は、腹を立て、足早に駆け寄ると、 「おいお前ら、さっきから黙って聞いてりゃ、俺のことを馬鹿とは、どういうこった。」 と、まくしたてる。 「はん、お前さん方には関係ねえ。こっちの話だ。」 突然、弥次郎兵衛に話しかけられたじたじとなりながらも、例の旅人が答えると、 「何がこっちの事だ。夕べの宿での話しだろう。その襖ごと倒れこんだのが、俺だ。」 旅人は、びっくりしながらも、弥次郎兵衛の顔をまじまじとみながら、 「はあ、お前さんが、例の馬鹿野郎か。」 「おお、そうよ。その馬鹿野郎だ。」 と、素直に認める弥次郎兵衛に、旅人は急に笑い出すと、 「ハハハ、馬鹿野郎に馬鹿野郎と言っただけだから、いいじゃねえか。」 「いや、こいつ、ふざけるにもほどがある。」 弥次郎兵衛は、つかみかからんばかりに怒っている。 「糞を食らえ。」 と、旅人が答えると、 「なんだ、くそを食らえだ。こりゃおもしろい。食ってやろう。持ってきやがれ。」 と、弥次郎兵衛は、真っ赤になって力み出した。 けれど、例の旅人も血気盛ん連中で、馬のくそをつえの先に引っ掛け、 「さあ、もってきたから食え。食え。」 と、弥次郎兵衛に方に、突き出す。とっさに、 「いや、馬のくそは、嫌いだ。」 と、弥次郎兵衛が言うと、 「嫌いということがあるもんか。どうしても食わしてやる。」 と、三人がかりで、弥次郎兵衛を身動きできないようにする。 北八は、笑いながらその様子を見ていたが、 「いや、もう、勘弁してください。もう、食べたも同じでございますから。」 と、止めにはいる。 三人の旅人も、やりすぎたと思ったのか、 「ハハハ、堪忍してやろう。」 と、あっさり行き過ぎる。
弥次郎兵衛は、腹の虫がおさまらない。 口の中で、ぶつくさぶつくさ言っている。 北八はなだめすかしながら、桐の木、中柴と通り過ぎ、山中(愛知県岡崎市付近)に着いた。 ここは、麻のあみぶくろや、悪人を捕らえるときに使う早縄などを商っている店が多い。 それを見ながら、北八が一首詠む。
御仏の 誓いと見えて 宝蔵寺 なおあみぶくろは ここの名物
そこから、やがて藤川に着いた。 宿場の入り口辺りにある茶屋は、店先に生魚を吊るしている。 ほかにも、大きくて平らな皿を店先にならべて、旅人の気をひいている。弥次郎兵衛がそれをみながら一首詠む。
ゆで蛸の 紫色は 軒毎に ぶらりとさがる 藤川の宿
その中の一軒の茶屋で、二人は一休みすることにした。 「さっきからどうも腹が痛い。ばあさん、すまんがお湯は、ないだろうか。」 と、北八が、懐から薬を取り出しながら言う。 「はて、ちょうど、お湯を切らしておりまして、水を上げましょう。」 と、茶屋の婆さまが答える。 「いやいや、この薬は、お湯でないとききめがない。」 と、北八は、言い終わらないうちに、腰を上げて、 「こりや、たまらなくなった。便所はどこだ。」 と、座敷の奥のほうを見ている。 これを見ていた弥次郎兵衛が、 「どこにと言って、部屋の奥を見ても、便所が畳の上にあるものか、裏へ回ってみろ。」 北八は、裏に回ってみる。 「ひゃあ、つきあたりに見える。見える。」 と、便所へ駆け出していく。
しばらく用をたしてから外に出ると、ここに物置のような小さな小屋があるのにきがついた。 その小屋の中に、十八、九の娘が、髪を振り乱して座っている。 なかなかの美人だ。 しかも一人で、ただ、ぽつねんと座っている。
北八は、これは、しめたと思い、勝手にこの小屋に入り込むと、その娘に笑いかけ 「もし、すまねえが、水をひとつもらいたいんだが。」 と、手を洗いだした。 その間、娘はケラケラと笑っている。北八は、不思議に思いながらも 「おい、あねさん、どうして笑ってるんだ。 しかも、こんなところに一人で居るなんて無用心だ。」 と、あたりを見回したが、運のいいことに誰も居ない。 北八は、腰をかけて、煙草をすい付けると、 「へへ、気味が悪い笑い声だ。何を見て笑ってるんだ。 おい、何を笑うんだと聞いてるんだ。」 と、娘の手を取って引っ張るが、振り切るわけでもなく、やはりただ笑っている。 北八は、こいつは有りがたい。もうしめたものだとぐっとひきよせる。 いつのまにやら、近くに子供がやってきて、これを見つけて、 「わあい、わあい。あの人は、頭のおかしな女を抱いている。ハハハ。」 と、大声をあげて笑いながら駆け出していった。
北八はびっくりして、逃げ出そうとしたが、娘はつかんでいる手を離さない。 「これは男。私の男。放さん。放さん。」 北八は、 「これは、困った。」 と、無理矢理に引き離そうとしているところに、この娘の親父たちが帰ってきた。 「こりゃ、貴様は、何をしている。若い女子を捕まえて、何をしようというんじゃ。」 北八は、しどろもどろで言い訳をする。 「いや、何にもしません。」 「何にもしないといいながら、どうして、女一人の部屋へ入っているんじゃ。 こりゃ承知できない。」 「いやなに、つい今しがた用たしにいって、水をもらったらこうなって。」 親父は、 「いいや、あれは、頭がおかしくなってござる。貴様は、それを幸いになぐさみものにするつもりだろう。うん、それに違いない。」 「なに、とんだことをいうんだ。」 「いやただでは、すまさん。それとあなどって、もうとっくに貴様がやってしまったに違いない。このぶんではすまさんぞ。」 と、わめきちらかし大さわぎをしだした。
弥次郎兵衛は表の茶屋で待っていたのだが、北八が便所に行って帰ってこないので、どれどれと見に来て陰からこの様子を見ていた。 おかしくてこらえられなかったが、もう出かけてやろうとゆっくり出てくると、 「すいません。私は、この男のつれのものだが、すべて聞きました。 こいつめもあのように見へても、実は、ちょっと、気がふれています。 勘弁してやってください。」 と、親父にいうと、北八に向かって、 「ええ、この野郎め。よく世話をやかせる。ほれ、あの顔を見てください。 きょろきょろする顔がまるで、ちょうちんみたいだ。」 と、困った顔で親父に話しかける。 「でも、まだ、娘なら女だけましだ。この男には、ほとほと困ります。」 親父は、半信半疑で、 「いやいや、そうは見えない。あれで、気がふれているものか。」 「いいや、よく見てください。あの顔つき。ありゃありゃ、あのとおりだ。」 と、弥次郎兵衛は、肩をすくめる。
「なんだ、俺がきちがいだと。なるほど、こりゃおもしろい。」 北八は、一人納得すると、 「ふるは~、ふるは~。 あれあれ、花のふぶきがちりやたらり、うんきんたらり~、かんきんたらり~、ちりかかるようで、おとなしく寝たられん。 と、やあ、そこにおるは女房殿か。いや、よい女房じゃ。こりやのほいほいい。さんなあろかいな、やんやあ。」
弥次郎兵衛は、 「ほれ、始まった。あのとおりだ。そこくせ、あのつらで色気違でしてな。 それだから女と見ると、よだれをたらさんばかりにでれでれして、恥を言うことになるが話さないとならんだろう。 実はこいつは私の弟で、いやもう、こんな因果なことはござりません。」 と、ぐったりと首を下げる。 親父は、首をかしげながらも、 「はあ、お前さんが、そう言われると、私も悲しい。 ご覧の通り、たった一人の娘が、この通りで、私は、おおいに苦悩しております。」 弥次郎兵衛は、 「お察しいたします。ええ、この馬鹿やろうめ何をげらげら笑うのだ。」 と、北八を捕まえると、 「それでは、親父さん。お騒がせいたしました。」 と、出て行こうとする。 親父は、 「まあ、茶でも飲んでいってください。」 と、引きとめようとする。しかし、弥次郎兵衛は、 「いやもう、行きましょう。さあ、このバカ野郎め。早く行け。」 と、めちゃくちゃに事を治めてしまった。
弥次郎兵衛は北八をつれて、ここを逃れるように出ると、二人は顔を見合わせて大笑いとなり、
くどきたる 娘はほんに 気がちがい こりゃ間違いと なりし目ちがい
などと、言いながら、歩いて行く。 そのうち、弥次郎兵衛が、 「おい、北八。それにしても、お前は、とんでもないやつだ。 気のちがった娘を捕らえてどうしようと思ってたんだ。恥さらしなことだ。」 「へへ、めんぼく次第もねえ。」 と、頭をかきながら、 「しかし、俺を頭がふれたことにするちは、弥次さん、ありゃお前一生の出来だ。」
弥次郎兵衛は、 「そう思うか。それなら酒でも買え。それよりも、面白い話を思いついた。」 と、いう。 「ほう、どんな話だ。」 「うん、ちょうどお前のような気まぐれものが、気のふれた女を捕らえて、ちょっかいをかけるとその女の親父がそれを見つけ、腹をたてて、 『やい、この野郎め。人の家に黙って入り込みやがって、娘を騙そうとしてもそりゃあっかんべえだ。』 といったんだ。 「・・・」 「すると、お前も、負けん気で、 『何を言いやがる』 と、くちばしをとんがらかして、 『お前こそ、四つ谷鳶の様だ』 と、ちゃかしたんだ。」 「・・・」 「そしたら、さっきの親父が、 『俺が、よつやとんびなら、貴様は、八幡様の鳩だ』 という。 『なんだと。どうして俺が、八幡の鳩なんだ』 と北八が言うと、親父が、 『貴様は、気の違った豆を食おうと、したじゃあねえか』と、ハハハ。」 「なんだ、卑猥なことをいいやがる。ハハハ。」 と、笑いながら、歩いていく。
つづく。
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kennak · 2 years ago
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埼玉県川口市でクルド人の犯罪が激増して問題になり、その対策が川口市政の中心的課題になっている!というエントリが度々ホッテントリ入りしている。またyoutubeのゆっくり動画等でも「クルド人」「川口」のテロップが入ったサムネの動画が投稿されている。結論から言うとそんな事にはなっておらん。川口市は『広報かわぐち』という広報誌を配布しているが、この10月号で犯罪認知件数が過去最低を記録しているとの広報を打っている。https://www.city.kawaguchi.lg.jp/material/files/group/3/202310-04.pdfこの一年で白昼の強盗事件、沿道商店に突っ込む大事故や死亡ひき逃げ、クルド人による病院での喧嘩騒乱などの事件が報道されて体感治安が低下している故だ。でも実際には治安は過去最高となっている。この問題を喧伝しているのはagora出身の石井孝明というライターで、産経新聞と夕刊フジがそれを元に記事を書くという構造になっている。石井のやり方は、川口、蕨を中心として、肌の浅黒い中央アジア、東南アジア系の人間が事故や事件、不法な業務、反マナー行動をしたものにクルド人を匂わす文言を付けて宣伝するという方法だ。それ故クルド人が毎日事件や不法行為をしているように見える。そんなにクルド人は増えているのか?日本にクルド人は何万人いるのだろうか?だが実際のクルド人の数は2000人程度である。人口60万人の川口市人口の0.3%だ。「あれもこれもクルド人」の安物ネガティブキャンペーンが成功しているのである。 それで今回はちょっとこの問題の背景を説明するよ。「クルド人とは何か、どういう民族か」などは産経以外の大マスコミや大学人が記事を書いてるからそういうのを参考してくれ。 地理「埼玉県川口市」でgooglemaps検索すると川口市の県境が表示される。https://www.google.com/maps/place/%E5%9F%BC%E7%8E%89%E7%9C%8C%E5%B7%9D%E5%8F%A3%E5%B8%82この一番左側の蕨駅付近が問題の舞台だ。まず、駅の東側にやたら細かい碁盤目で緑の線が入った地域があるのが判るだろうか?ここは芝2丁目と芝4丁目という地域になる。ここは一見整備された住宅地に見えるが、実は都市計画に乗っ取ったインフラ整備が間に合わなかったスプロール地域なのである。この碁盤目は元々は大正時代に田んぼを整地したものだった。緑の線は用水路跡で、今でも暗渠化された水路敷きになっている。この付近は江戸時代に作られた見沼代用水が通り、その分水も充実していた。そこで碁盤目に畔と用水路を整備して土地の権利も整理したものだ。ちょっと脱線するが、こういう整備された元田んぼ住宅地の近くにはL字の道と変形交差点を組み合わせたような地区がある事が多い。またそこには寺や神社がある事が多い。その場合、そこら辺は嘗ての村の集落があった場所である。行ってみるとせせこましい建売の中に突然田舎の農家のような大きな庭付きの家、時に藁ぶきだったりゴルビジェのサボア邸のようなやたらハイセンスの家が建っていて驚かされる事があるのでおススメだ。そこは付近の建売の元地主やマンションの大家である。この田んぼが戦後の高度経済成長期に売りに出され宅地化されたのがこの芝2、4丁目地区なのだ。元あぜ道は公道化されているのが多いが、そこから奥に入る道は幅が狭い砂利道のままだ。これは私道だからであり「その道路の権利は細切れになって付近の家の持ち主が持っている。故に権利関係がごちゃごちゃなので金を出し合って舗装工事をするという事が出来ない。更にこの路地は通り抜け���出来ない。真ん中に水路敷がある為だ。水路は元々の地主が権利を持っている筈だ。通り抜けにはそこに橋を掛けなきゃならないが、誰もその費用を負担したくないので碁盤目に見えて行き止まりの路地ばかりという事になっている。 1990年代初頭に建築基準法が改正されるとセットバックの義務と接道義務が定められた。接道義務とは、幅4m以上の道に2m以上接していない土地には建物建築不可という事である。これでこの路地の奥にある家というのは建替えが不可能になった。また、水路敷は舗装されていて道路に見えても道路じゃないのでセットバックの義務が無い。だからいつまで経っても道は広がらないから接道要件を満たす道にならない。散歩する時はこのせいで魅力的なのだが不動産的には不良である。この路地をストビューで見れば判るが、公道に面した家は新しい低層アパートで路地は4m拡幅、その奥の一軒は新しい戸建て(公道側隣家のセットバックで接道要件クリア)、その奥は築30年以上の古い戸建てや古アパート、となっている。奥の方の家は建替え出来ないので古いままなのだ。奥の方の家やアパートを借している場合、家が古くて車も入れない砂利道なので客付けが困難である。蕨駅から徒歩5~10分という好条件なのだがこういう状態なのだ。高度成長期中期の昭和30年代後半からこういうスプロール現象が問題になって規制が強化されたのだが、その前に家が建てこんだ地域なのだ。私有地である用水路の暗渠化は市が行ったが、これは下水道整備が間に合わず、水路に垂れ流しとなった為の代替政策だ。 さて、外国人というのは部屋が借り難い。これは差別の問題もあるが、家主としては万が一の時の連絡の問題、家賃不払いや退出後の内装補償、突如国に帰ってしまうリスク、それと土足の問題などがある。室内に靴を脱いで入るのは日本だけなのだ。最近じゃ米国都市部も日本式になって来てるが。だから土足で生活されて畳床等がダメになるリスクがある。故に外国人が部屋を借りるのはとても大変だ。一方、建替不可で古くて前が砂利道で引っ越しのトラックも入れない、なんていう借家やアパートの大家は客付けが全然できない。この両者の利害が一致して賃貸借契約、とあいなる。お互い「こんなボロ屋なのに高いが…」「外国人でリスクが高いが…」という妥協の産物だ。 このやたら細かい碁盤目地区はもう一か所ある。駅の反対側に線路で分断された川口市の飛び地みたいな三角の土地があるだろう。ここは芝園町と芝富士という地区なのだが、そのうち芝園町は元鉄道車両工場のUR団地(電車から見える屏風みたいな建物)、芝富士は元田んぼの細かい碁盤目地区だ。この芝富士地区は先の芝2・4丁目地区と全く同様の特徴と来歴を持っている。路地のセットバックが進んで4m以上が確保されて建替え可能になっている所が多いなど、スプロール化の程度は2.4丁目よりも改善されているのだが、それでも水路敷による路地分断などはあり、また建替不可家屋が密集する地帯もある。更にここは飛び地状態なので見捨てられた感もあり市政が行き届きにくいという特徴もある。中学校や幼稚園が線路の反対側で遠いのだ。ここも同様の理由で昔から外国人が多かった。 「蕨」なのに「川口市」であるのはこういう事で、駅の左右に川口市の不良宅地地区がありそこのアジア系の住民が住む事が増えたというのが原初としてあったのだ。「川口市は小規模の鋳鉄工場があり外国人工員を必要とした」という説明をしている記事もあるが間違いだ。鋳鉄工場地域は西川口から南側であって、蕨周辺は田んぼから住宅地に転換している。その転換が早すぎてスプロール化してしまったのだ。 始まりはヘイトデモクルド人問題がおかしな奴らの飯のタネになっている問題の根幹は在特会のヘイトデモに遡る。2009年に在特会はオーバステイフィリピン人の子息が通う中学校付近で「叩き出せ」といシュプレヒコールを上げるデモを行うようになった。この中学校や居宅は蕨駅の南側、西川口駅寄りだ。このデモに左翼運動からの転向者が合流すると一気に過激化し、「殺せ」「殺しに来た」というコールになり、警察に掴まらないような巧い仕方の暴力や、近所のヤジに対して「○○人の家だ」「お前日本から出ていけ」「殺せ」と連呼したり、お散歩と称してデモの後に落書きをしたり通行人に因縁を付けたりという行動をするようになった(後に警察官が解散地から駅まで随行するようになった)。転びアカが合流すると大抵こういう事になる。これに呼応して掲げられる旗も日章旗から旭日旗やハーケンクロイツとなっていった。そんな中で在特会は芝園団地付近でクルド人に住民が迷惑しているという情報を掴む。そこでヘイトデモの開催地は蕨駅~西川口駅から蕨駅北方になる。そこで鍵十字の旗が沢山はためき、「悔しかったらクルド野郎出てこい殺してやる」などのデモがされるようになった。但し、彼らは居住地区を知っていたから疑問なので警察がそこから外れるルートを許可していても判らなかったかもしれない。 こういう経緯で中東系や中央アジア系の人間の犯罪、不始末を「クルド」と称する動機が生まれてきた。事件が有る度に「これは在日朝鮮人」という差別デマがずっと流れていたが、それの中央アジア版だ。 もう一つの理由がトルコの少数民族問題で、トルコは親日国で、そこで問題化している少数民族のクルドは敵だ、という単純な世界観によるもの。元々国際問題を親日反日でしか捉えれない人間の頭の中なのでこれ以上はバッファオーバーフローである。そもそも少数民族問題は国家の宿痾であって国際政治学では必ず履修する項目であるのにそれを焚きつけて利益にせんとするあたり、ガソリンスタンドでタバコを吸うバカの如しである。 故にそれよりこの方ずっと「クルド」はやべぇ奴らの間の符丁となり、民族問題を理解するという動機にはならずに、彫りが濃い人間の不祥事は「クルド」とする文脈が生まれたのである。 続く https://anond.hatelabo.jp/20231004185255
蕨と川口とクルド人の問題に関して その1
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runpenparis · 1 year ago
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るんぺんパリ 【RunPenParis】
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【自己紹介 2024年8月3日追記 4335文字】 三重県伊賀市(旧名:上野市)出身 伊賀市(旧名:上野市)に 1976年(3歳)から 1996年(23歳)6月まで住んでいた 1976年以前の記憶と出生は不明 津市にある施設にいたと聞いた覚えがある お兄さんいるらしいがあった事は一度もない 30代の頃に一度だけ電話で話をした
伊賀市でそこそこ有名なのが 伊賀流忍者で忍者屋敷は今も昔も変わらない内容で 営業している 伊賀牛は金谷のすき焼きが有名で 森辻が新しい様相なってから焼肉を食べた 個人的には伊藤の牛丼が好きだ 上野天神祭の鬼行列も有名かな ひょろつき鬼が子供の頃は本気で怖かった 銀座通りが歩行者天国になり 的屋がならぶ 高校生の頃はリング焼きが100円ぐらいで 何個も買って食べた 松尾芭蕉は俳句で有名で伊賀出身で 小学生の頃はがっつりと俳句を作らされる 俳句はいやいや作らされたので 俳句番組は見ない 俳聖殿の中には過去の優秀な俳句が収められていたかな 上野城のお堀の高さ日本2位? 中学生の頃は上野城で体育の授業があったり クロスカントリーレースで走らされたり 高校生のデートも上野城が定番だったのか それらしき男女がイチャついていた 夜のライトアップは不気味なお城に見えた 一応、桜の名所なのかな 伊賀の街には銀座通りとか丸の内とか 東京で聞くような名称が多く使われている 地元のうわさでは東京が伊賀の真似をして 街を作ったとの話がよく出てくるから 誰か本気でテレビとかで調べてほしい気もする 2004年(平成16年)11月1日に 伊賀市に変わってから 上野市駅が忍者市駅になり 近鉄の電車だったのが伊賀鉄道になり 電車がコスプレになった 駅前には銀河鉄道999のメーテルと哲郎の銅像があり 産業会館がハイトピア伊賀になった 産業会館だった時にマルキンのパン屋が近くにあった そこのシナモンパンが子供の頃から大好きで 今はもう手に入らない もう一度、あのシナモンパンが食べてみたい 新天地もなんかおしゃれなサビれかたで 「新天地Otonari」となった 街は高校生の頃の面影は薄くなったけど 何となく残っている上野市街は今でも魅力的だ 最近は実家で一人暮らしのおかんの様子を見に よく帰省するようになったけど 若い頃は年一回も帰省しなかった 最近の伊賀でよく立ち寄るのが 「菓匠 桔梗屋織居」と 「HANAMORI COFFEE STAND」と 「岡森書店白鳳店」で 岡森書店は、Kマーホの名で出版した 「トイレの閃き」が背表紙の色が抜けた状態で 25年以上も本棚に置いてくれている これを見ると初心に戻れて まだまた創作していこうとがんばれる
市部という地区だったと思う 依那古第一保育所に5歳から6歳の2年間通った おかんは自分の送り向かいのために 自転車を乗る練習して そのおかんが運転する自転車の後ろに乗って 途中の田んぼに二人で落ちて 泥だらけになった 小学校までは上野市依那具にある 市営の城ケ丘住宅で過ごした この市営住宅はもう40年以上も その雰囲気を変えずに今でも残っている ここは伊賀市の文化遺産にしていいほどの時間が止まった場所だ いまだに汲み取り式の便所の換気の煙突が立ち並んでいる このカオスな感じは小学生の頃の不便な生活を思い出させる あの生活で暮らしたから今があるのは確かだ 小学校の通学路にある 垂園森でよく遊んだ 現在も存在しているが オバケが出そうな森 この森は当時通っていた依那古小学校の校歌の歌詞にも出て来る イメージ的には幽霊が出そうな森だけど 何か不思議な生き物が住んで居そうな森に見えた きつねも出そうだし おばけも幽霊も心霊も もしかするとタイムスリップして 小学生の頃に戻れそうな気もする森だと変な懐かしさを感じる 近くには無人駅の市部駅とにらめっこしている森 中学校から市街の上野城の 城下町で過ごした 当時はカオスな市営城ケ丘住宅から出れる事が本当にうれしかった 小学校までの友達とも飽きてしまっていたので寂しくはなかった 当時から色々な物にすぐに飽きては新しい物が好きだったので そっちのワクワク感で本当にうれしかった そして築20年以上の中古の一軒家で2階建て 自分の部屋がありトイレは汲み取り式だけど洋式で あこがれの上野の街で住める事もあって本当にうれしかった
そして近くの崇廣中学校に通う事に 中学校の3年間は 転校生という立場と 中一で足の骨折 中二で腕の骨折 どちらも遊んでいての骨折2回 中三の高校受験で いい想い出は無い
高校2年生で 小学校の時にサッカーで出会った 旧友とバンドを組んだ RCサクセションのコピーで 「雨上がりの夜空に」「トランジスタラジオ」 「ベイベー逃げるんだ」「サマーツアー」 「サントワマミー」「いけないルージュマジック」 「いいことばかりはありゃしない」 旧友が作ったオリジナル曲「ガレージの上のR&Rバンド」 一番のモテ期だった気がする ただバンドをやっている自分を見て 好意を寄せられても違うなと思った バンドをしていない時はただのバイトに明け暮れた 高校生だったから だからそういう人には興味がなかったから 冷たい感じだったかも 本当にこの時期がこれまでで一番楽しかった。
1993年 一人暮らしを始める やっと自由になった気がした 2年間ぐらいは金が無くて 通帳の残高は毎月マイナス50万 カツカツ生活 1996年7月から 2003年7月の 7年間は茨城県と千葉県の県境 利根川の近くに住んでいた この界隈を走るタクシー運転手の 態度は本当にムカつくから こっちも態度悪く乗ると 気分の悪さはお互いさまになる 関東平野は景色が無く ここでの生活は落ち着かなかった 食文化も人も気候も水も 肌に合わなかった 特にうどんの汁が濃いだけのシンプルな味は げんなりさせてもらった ただ寺原駅近くの「ふる川」はよく通った とくにカレーめちゃくちゃ美味かった
1997年から パソコンをミドリ電化で38万で購入して 作詞やネットに興味を持つ まどみちお詩集を読みだす 作詞に近い詩を書き始める 「Kマーホ」という名で 詩を書き始める 目標を300篇と決めて 詩を思いついたら メモをつけるようになる 週末は家に引きこもり 一日中、音楽を聴きながら パソコンがあるのに まだワープロで詩を清書していた
1998年から2002年まで 「Kマーホ」の名で 詩に団体に参加したり 詩の賞に応募したり 詩集を自費出版したり この当時参加していた詩の団体には もうドロドロとした 詩を書く人や あまりにも読み解けない詩や 暴力的な人や いい人もいたけど 自分とは全然目指している方向が 違うので2年目ぐらいで辞めた それからは詩の団体に興味は無くなった それから 自費出版した詩集を 全国の小中学校や 全国の図書館へ寄贈して 活動を休止 理由は2000年に結婚してから 集中して詩を書く時間が無くなってきたから 2002年に2つの詩集を出版して 詩の事は全部段ボール箱へ入れた
2003年から2019年まで 育児に重点を置いて生活をする この時期は友達とも連絡を 切っていたので のちに死亡説や宗教説が出ていたらしい 2003年7月から 現在は静岡県在住 もう20年以上住んでいる
2019年 るんぺんパリ【RunPenParis】の名で 詩を書き始める SNSでの詩の発信を始める るんぺんパリ【RunPenParis】とは フランスはパリの街を ぺんを持って 走るという意味から 【RunPenParis】ができた 1973年8月1日生まれ(もう51歳) しし座 O型 右利き 詩・詩集・ことばをデザイン アート・写真・小説・ペン画 松尾芭蕉の生家がある伊賀市で 十代までを過ごし 俳句が幼少期から 身近に存在していた 二十代から詩を書き始めて 「Kマーホ」名で活動(1999-2002) 詩集6冊を出版して活動休止
その後 松尾芭蕉の俳句のような シンプルな言葉遊びを 詩で出来ないかと考えていた中で 令和元年(2019)に 「るんぺんパリ【RunPenParis】」の名で 活動を再開 SNSに140文字に 言葉をデザインした詩 「140文字詩」を 毎日投稿する活動を始める 2023年9月に140文字詩が 1200作品に到達した事で 「140文字詩」を全国へ さらに世界へと 俳句のように広く知られる 存在になって欲しい ◆るんぺんパリ【RunPenParis】作品一覧 【2023年】Amazonで販売 2023/12/27第2フォト集「ほちきす それでは あかんで」 2023/12/2 第1フォト集「とめても ええか ほちきすで」 2023/11/23 第16詩集「もあいの ねごとを よみとる」 2023/9/16 第15詩集「さんもじ もしくは よんもじ」 2023/9/9 第14詩集「のこりの あぶらは わるもの」 2023/9/2 第13詩集「あそびも しごとも たいふう」 2023/8/26 第12詩集「かいてきな しつどに おぼれる」 【2022年】Amazonで販売 2022/12/6 第11詩集「やくそくは よなかの おひるに」 2022/11/3 第10詩集「みさんがの ともだちの たまんご」 2022/10/7 第9詩集「くうきと さんその かつさんど」 2022/9/3 第8詩集「さついを こめた いもけんぴ」 2022/8/7 アート作品集「やさいに つめる にくえらび」 2022/2/14 アート作品集「よなかに ひかる かみぶくろ」 2022/1/1 第7詩集「みかんの むくちな きもち」 【2021年】Amazonで販売 2021/9/8 第6詩集「そんな ことばは さよなら」 2021/8/3 第5詩集「あさに おくれた なんて」 2021/6/5 第4詩集「すいかの たねの ちょうこく」 2021/5/31 第3詩集「たんぽぽの たまご ひとつで」 【2020年】Amazonで販売 2020/7/27 第2詩集「こよい こよりの そらから」 2020/3/2 詩小説「すきから あいへ おやすみ」 【2019年】Amazonで販売 2019/7/21 第1 詩集「ところで あした あいてる」 ◆Kマーホ 作品一覧(1999-2002) 【2002年】 2002/4/30 第6詩集「眠立体(ねむりったい)」 2002/4/4 第5詩集「コールサック」 【2000年】 2000/7/31 第4詩集「マガサス星人」 2000/1/31 第3詩集「おしりとサドルが あいますか」 【1999年】 1999/8/1 第2詩集「テレビジョン」 1999/5/1 第1詩集「トイレの閃き(ひらめき)」 【受賞】 2001年 詩「眠立体(ねむりったい)」第6回トワイライト文学賞 2000年 詩「永遠の親友」信越郵政局長賞 1999年 詩「トイレの閃き(ひらめき)」第1回万有賞 1998年 作詞「地球のウラハラ」第31回日本作詞大賞新人賞候補ノミネート
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harinezutaka · 2 years ago
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二年前日記38(2021年9/17〜9/23)
9月17日 今日から28週。いよいよ妊娠後期に突入した。ポタージュの素に片栗粉を混ぜて団子っぽくしたものにみたらしあんをかけて朝ご飯に食べた。とてもおいしかった。今日は就職相談に行く。カードを使って適職を考えてくれるそうだ。少し早く行って県立図書館へ。市立図書館にはない本を借りたかったので。リニューアル後は初めて行った。静かで広くてとても気持ちよかった。昔はここに市立図書館があったので、よく行っていたな。懐かしい。お昼はムジカフェとサンマルクカフェをはしごして、本を読んだり今までの職歴を振り返ったりした。相談は2時から1時間。診断はなかなか面白かった。参考までにといくつか求人も出してくれた。産まれたらなかなかそんなことは考えられないかもしれないけど、遅くても3年以内には社会復帰したいなと思う。子ども連れでもいいみたいだし、こういう窓口があることが知れただけでも収穫だった。本当に困ってから動くってしんどいことだからな。前職でももうちょっと早く相談に来てくれてたらという人をたくさん見てきた。1年後ぐらいには動き出すことを目標にしようと思う。帰り寄ったスーパーに知り合いが働いていて声をかけた。3日ぐらい前に共通の知り合いも来てきたそう。滅多にいくことがないのに、面白いな。晩ご飯は、都きしめん、お寿司、えのきとわかめのナムル。夫は帰りに鍼に寄る予定だったが、仕事がめちゃくちゃ大変で行けなかったみたい。お疲れだったけど少し楽しそうでもあった。
9月18日 朝起きたら、晴れ間が見えていてこの辺りは台風の被害はなさそうだった。夫は土曜出勤なので、私は平常運転。少し掃除を丁寧にして、片付けなども進める。来週にはコープさんの注文書を出さないといけないのでどんな感じで頼もうかカタログを見ながら考える。いっぱいあって慣れるまでは選ぶのも大変そう。本を読んだり、テレビを見たり。アマゾンプライムで『パンとスープとネコ日和』を見終えた。次は『かもめ食堂』を見ようっと。いいなと思った言葉メモ。「しまちゃんみたいな人はね、これから貴重なのよ。普通にきちんと暮らしていける人。普通に旅をしながら生きていける人」「そんな母の生きてきた場所で始まった新しい時間の中で、私は気づきました。今までの自分は自分自身が不自由にしていたのだということに。先生、私、真面目すぎました。私、これからは、不良になります。自分が自由になれて、人との時間は初めて始まるのだということに気づきました。母はそれを知っていたのだと思います。」夫は義実家に寄って帰る日。晩ご飯は、枝豆豆腐、ひじきと玉ねぎのサラダ、らっきょ。
9月19日 朝、高山なおみさんの番組を見る。色合いが、青みがかっていて、濱田さんの写真がそのまま動いているみたいで不思議だった。今日も市のプレママ講座に行くことになった。応募者多数で落選していたのだけど、キャンセルが出たそうで、繰上げ当選したそうな。市から届いたサポート券でお昼はカレーを食べた。ちょうどみんな届いた頃なのか、対象の店はなかなかのにぎわいだった。外で食べてる人にはもう感染対策とかあまり期待できない感じもする。自衛するなら、行かないことなんだろうな。まあでも有り難い話なので、サポート券はなるべくいろんなお店で少しずつ使おうと思う。本屋さんで本を買い、講座に参加。前、参加したものは2組だけだったし実践的だったが、今回のものは座学っぽい内容だった。最初に自己紹介の時間があり、予定日と聞きたいこととパートナーのいいいところを言うというのがあった。みんなとても積極的な感じで、ギスギスしてるのは自分たちも含めて少し上の世代ぐらいなのかなと思った。でも、産まれたらまた違ってくるんだろうな。帰りに夫は美容院の予約をしていたので、私はその間本を読みながら待っていた。晩ご飯は、買ってきたもので簡単にすませる。鶏皮とニンニク芽の炒め物、ささみと豆とひじきのサラダ、塩サバ、茄子の味噌汁。食べながら『アンという名の少女』を見た。
9月20日 朝はルーチン通りに過ごす。昼ご飯はひじきペペロンチーノとアボカドのポタージュ。アボカドのポタージュは今年のヒットだ。アボカドとグレープフルーツジュースと塩をミキサーにかけるだけ。あっさりしていて美味しい。少し昼寝をして、片付けタイム。押し入れに収納していた引き出し式の棚を外に出すことにした。どう配置するかを夫に相談したところ、思ってもいない配置で面白い。少しずつ本をしまっていく。夕方、冬用の布団乾燥のためコインランドリーへ。ひとりで行こうとしていたが、着いてきてくれた。図書館と西松屋にも行く。乾燥機にかけている間に買い物もすます。今日の晩ご飯は夫が作ってくれた。茄子に豚バラを挟んで焼いたもの、ピーマンとコーンのバター、ミョウガ と玉ねぎの味噌汁。レシピ通り作ろうとしたけど、茄子が大きすぎて大変そうだった。でも残すことなくぺろりと食べれてしまった。『アンという名の少女』がちょっとしんどくなってきたので、『きのう、何食べた?』を見た。夫は以前は少し抵抗がありそうだったが、今回は楽しそうに見ていた。
9月21日 朝、夫は鍼灸院へ、私は病院だったので送ってもらう。今日は4Dエコーの申し込みをしていた。赤ちゃんの位置的にいまいち条件はよくなかったみたいだけど、またしてもらうのもなという感じだったので、今日の分で写真を撮ってもらった。写真は何だかグロテスク。少しサイズが小さく出てるみたいで、念のため次回もエコーをすることになった。1000グラムは越えてるみたいなので、28週の壁は超えたのかな。30週も目前だ。性別は女の子でどうやら確定みたい。再び夫と合流して、蕎麦屋さんへ。ここもサポート券が使えるところで賑わっていた。小さなお店で、感染対策もあまりされてないみたい。夫は少し不機嫌になっていた。帰宅後、昼寝。起きたら4時だった。片付けをして、晩ご飯の準備。長芋と鮭のマヨグラタン、ハムと茄子のマリネ。夫は今日は夜勤だと思っていたら、休みとのこと。なーんだ。急にのんびりモードになる。『アンという名の少女』と『きのう、何食べた?』を見る。あんなに寝たのにまた眠たくなって気づいたらまた寝ていた。眠さに波がある感じ。赤ちゃんがぐぐっと大きくなるときに、眠くなるのかもしれないな。
9月22日 昨日よく寝たので今日はとても元気。午後から実家に行く。ちょっと久しぶりだったからか、最初私のことを一番上の姉だと勘違いしていたみたい。あまり動揺しなかった自分に驚いた。ようやく親の老いを受け入れられるようになったのだと思う。昨日は宅配のお弁当をお試しで頼んでみたそう。良いことだ。今度、新しくできた喫茶店にモーニングに行く約束をした。「お父さんと行っても仕方ないし」みたいなことを言うので。母は何でそういうこと言うのかな。本当は大好きなはずなのだけど。よくわからない。帰りに干物をもらった。車を止めさせてもらっているお向かいさんの土地がすっかりコスモス畑になっていた。世話をする元気もないのかもしれないな。晩ご飯は、手羽中のケチャップ炒め、玉ねぎとコーンのサラダ。なんだか胎動が激しめ。殴られているような感じ。小さいと言われたから頑張って主張してくれてるのかもしれない。あなたのペースで大きくなってくれたらいいからね。
9月23日 2度目のワクチン接種のために姫路に向かう。2時過ぎに家を出て、だいたい時間通りに着いた。今回もスムーズに進んだ。前回はご自由にお取りくださいと冷蔵庫に入っていた飲み物が今回は持ってきてくれるようになっていて、そろそろ先が見えてきて在庫をなくさないといけないんだろうなと思った。会場運営に携わっておられた皆さま、長い間お疲れさまでした。ありがとうございました。前回は御座候を買って帰ったが、今回はぶどうパンを買って帰ろうと思って、ボンマルシェに寄る。活気のあるスーパーだった。お魚もお肉も美味しそう。『妻のメシがマズくて離婚したい』というマンガがTwitterでは話題になっていて、その妻さんはお腹に入っちゃえば何でも同じという考えの人なんだけど、スーパーに来る人の顔ってスーパーによって全然違うからやっぱり食べものは大事なんだと思う。1回目のときより元気な気がして食欲もあるので寄り道したくなり、御座候がやってるラーメン屋さんに行く。野菜入りの胡麻味噌坦々麺。美味しくて安い。新生軒に行きたかったけどお休みだったのでこちらにしたけどよかった。家に帰ってからも、用意していた晩ご飯をちょこちょこ食べた。ピーマンと牛肉のオイスター炒め、鶏そぼろのスープ。今のところ熱が出る気配はなし。
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the-shynamites · 2 years ago
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【沖野いづみさんとリアルのび太くん】
皆様、応援ありがとうございます😊
前回、云いそびれましたが、
ウチの毒親の思想は、
「命の次に、お金が大事」
「投資は禁止」
「バイト掛け持ちしろ」
です(20230827時点)。
当方に「早く自立しろ」と云ってくる割には、
当方の自立の妨げになることばかりしてくるのが、
この毒親と、哲学研究者の某氏の、共通点のようです。
両者とも、雇用労働以外の働き方には疎いようです。
なお後者は、
「(在野で研究せずに)大学院に行くべし、さもなければ就職なりバイトなりをしろ」、
という思想の持ち主です。
大学院行きも雇用労働も、
どちらも当方にとって困難で不利だからこそ、
自分の制作物の力で、八方塞がりの人生を開拓しようと、
独立すべく行動してきたのであって、
そのうちの一つが単独で研究した成果物を該当の専門家に売り込む、という行動でした。
その行動の結果が失敗しただけ。
しかし、この行動を連中は自立と捉えずに、
怠けと甘えだと解しているようです。
なおデカル○哲学研究者の中には、
おのれの親の財産を食い潰し、
社会人(企業による雇用労働)経験のないままに研究者になった者も居るらしいから、
当方の考えなどは、そういう連中には通じないのでしょうね。
さて、ここでようやく、投稿を予定していた裏話に続くわけですが、
前回に投稿したスパムメールの件以外にも、
不審なことがありました。
当方には、殆ど誰も知らない(そして、あまり更新しない)ブログが有りまして、
そのうちの一軒は、過去の拙作を載せるだけのものです。
当時は、ほぼデカルト哲学研究のみの投稿でした。
そこに突然、
コメントだかメッセージだかが、
非公開で投稿されました。
「沖野いづみ」と名乗る輩によるもので、
全体で四行程度の長さ。
ここまで知名度の低いブログに送信するような人は、
かなり限定されてきますよね🤭
特に二行目の文体が、デ○ルト哲学研究者の某氏の文体に酷似していました。
あと、「無性愛者!」という文言も有りました。
当方の性的指向について、わざわざ感嘆符を伴って言及することで、
驚き呆れてながら、非難しているらしい。
でも当方の性的指向などについては、
何の脈絡も無く言及されたり非難されたりする筋合いはありません😤
更には、当方を「リアルのび太くん」と罵る文言が有りました。
あくまで私見ですが、
当方よりも、
むしろデカル○哲学研究者の某氏のほうが、
容貌(※)も態度も「リアルのび太くん」に相応しいと思います。
※ 老眼鏡着用時。
残念ながら、そのメッセージについては、保存していたパソコンが故障してしまい、
今となっては見られなくなったのですが、
受信後に、とりあえずプロバイダに不適切な通信が有った旨、通報しておきました。
本日も、ここまで御覧くださり、
ありがとうございます。
皆様も当方も、
明るく楽しい経済活動ができるように、願っております。
ご支援につきましては、形式的に募っております🙏
※ 現在、きわめて不本意ながら、雇用労働へ戻る準備もしております。
たとえ雇用労働でも幸せな経済活動を営めるように祈ってくださると嬉しいです。
下記、現在の募集金額です(20230829現在)
8/31期限、270,000円。
どうかご無理をなさらぬよう、お願いいたします。
楽天銀行(0036)
チェロ支店(214)
普5000060
口座名義:
ダ-シャイノマイ キクチ マサミ
※ 恐れいりますが、振込手数料は御自身負担でお願いいたします。
事業所:
〒112-0014
東京都文京区関口1-5-10 AndWorker神楽坂
the SHYNAMITES
メール:
the-shynamites
[at]
outlook.jp
※ 通信事情により、反応が遅くなるかもしれません。
宜しくお願い申し上げます🙏
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osarusblog · 2 years ago
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今日のお昼ごはん😊 現場へBoon🚚💨。😁 また来たよ~。😄 きぼう軒有野店で。😁 浜しおさんで。😊 今日も美味しかったゎ。®🙆 お安くしてはるわぁ~🥺💭 #きぼう軒有野店 #浜しお #塩ラーメン #ニラらーめん #らーめんパトロール #らーめんphotogram #関西グルメ #兵庫グルメ #神戸グルメ #飯テロ 😊😊😊😊😋 (きぼう軒) https://www.instagram.com/p/Cp0B7I-yGyc/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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