#くれたけ心理相談室長久手
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tanakaeri · 2 years ago
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年末年始のカウンセリングのお知らせ
年末年始のカウンセリング 本年も誠にありがとうございました。年末年始のカウンセリングのご案内差し上げます。 田中絵里担当カウンセリングルーム12月31日~1月3日お休みさせていただきます。☆知多支部新舞子ルーム☆名古屋市名東ルーム☆長久手市作田ルーム カウンセリングのご予約は、12月30日まで承っております。年始は1月4日からご予約��可能でございます。 尚、お休み中のご予約やお問合せにつきましては、ご対応させていただきます。ご安心いただき、ご予約フォームからお入りくださいませ。 年末年始のカウンセリングご確認いただけます 地域別カウンセリング
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aoki-toru · 3 months ago
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(1年前より、一回り大きくなっているから)
1年前の自分が「今の君はすごいなぁ」と言ったとします。どこがすごいのか…いっぱいあると思います。 名古屋本部・青木亮
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kuretake300 · 2 years ago
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8月31日(木)11時30分☆新舞子ランチ会のご案内(Vol.8)ネストバイザシーにて
新舞子ランチ会の開催のお知らせです。 日時☆8月31日(木)11時30分~場所☆新舞子駅より徒歩3分程 ネストバイザシーさんランチ営業|NESTbyTHESEA(ネストバイザシー)…
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koch-snowflake-blog · 1 year ago
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石川 澪は、日本のAV女優。プロダクションALIVE所属。 ウィキペディア
生年月日: 2002年3月20日 (年齢 21歳)
身長: 158 cm
スリーサイズ: 82 - 58 - 86 cm
デビュー: 2021年
ブラサイズ: B
モデル内容: AV女優
出身地: 日本
出身地について2023年1月17日時点のウィキペディアでは「東京都」となっていたが、石川本人は「出身地は言っていないような気がする。明かしていないと思う。なぜか東京都になってます。」と述べている。また同時点でのウィキペディアで職業として「YouTuber」が挙げられていたが、この点について「イベントなどで、YouTubeから知りましたと人から言われ嬉しいけれど、断じてYouTuberではない。」と述べている。
高校時代の部活はチアダンス部。部長を務め週6あるいは週7練習していたが、決して強い部ではなく、卒業してから同部は全国大会出場したという。一方で運動はある程度できるが、インドア派であり、(幼少時は)『TOKYO MXとBS11で育った』と語るほど新旧問わずアニメ作品を好む。「私にとってアニメは、大げさでなく生きる意味。この世界からアニメがなくなったら、死んじゃいます」とも述べている。漫画に関してもアニメ原作を中心に2022年時点で自宅に1,000冊、電子書籍1,000冊を保持している。石川は「セクシー女優の趣味がオタクなんじゃなくて、私の場合はオタクがたまたまセクシー女優をやっているだけ」と、これらの趣味について言及している。
初体験は高校1年生、15歳。学生時代は「自分から告白をしたことがない」と述べているが、「モテたとかじゃなく、ちゃんと好きな人とは付き合えたっていうか」と当時の恋愛環境を説明している。
ほとんどAVを見たことはなかったが、エッチなことは好きだった。好きだった理由は普通に気持ちいいから+ストレス発散。
デビューのきっかけはひとり暮らしがしたかったこと。プロの技を体験してみたかったこと。1対1で本気で向き合っている姿に感銘を覚えたから。FLASH取材では「学費のためもあった」と答えている。親にはデビュー半年後に職業を伝え、「やりたいことなら応援する」と回答をもらった。
プライベートでは正常位、寝バック、たまに騎乗位程度だったため、AVでの体位の豊富さに驚いた。またプライベートではセック���中にしゃべらないため、行為中も会話をするというAV撮影がすごい不思議だったという。
目と髪の色は茶色で、色白の顔立ちが関係者やファンに「なんちゃら坂の誰々」と言われるが、国内の女性アイドル事情に疎く「私がぜんぜんわからないので、言われても覚えてられないんです」と述べている。
好きな配信者はもこう。(アニメ以外は)テレビは観ず、インターネット配信(主にニコニコ動画配信)を見て育った。自身では闇属性のオタクと表現している。
人見知りするタイプだが、オタク気質なので趣味のこととか、気持ちが盛り上がる話がはじまると早口でめちゃめちゃ話すという。
好きな食べ物はアイスクリーム、自宅の冷凍冷蔵庫には大量のアイスクリームが常時ストックされている。毒展を通じ、2023年時点では虫食と毒きのこ類にも関心を持つ。
デビュー作以降、いわゆるパイパンである。「髪の毛以外の体毛は不要」と考えており、高校時代に親の許可を得て脱毛を行ってパイパンにした。回りの友達がパイパンが多く、「楽だよ」と聞いて「じゃ私もやろっかな」と思ったという。また全身の脱毛をしている。下半身の脱毛は母に相談したうえで高校生で永久脱毛している。
自室に陰毛およびすね毛を落とされて以来、歴代の交際相手にも脱毛を求めている他自分のベッドでセックスするのも嫌い。潔癖症である。友人にも自宅には足を洗ってから入ってもらっている他男性は自宅に入れないレベルの潔癖で、水回りは特に綺麗にしている。
舞台版月ともぐら 胸キュングランプリの感想として「舞台で演技をしたことがないし、そもそもみんなでイベントをするような経験自体が初めてだったので、会場に着くまでずっと緊張してた」「私たちはそんなに順位にこだわってなかったからね」と答えている。
   
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blr-blue · 5 months ago
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 胃のあたりが、そわそわしている。胃というよりは、胃と食道の間らへん。みぞおちのような気もする。
 どうしても文章が書きたくなったので書いている。何かを書いていないと落ち着かない。そういう発作がたまにある。今日はそういう日だ。夕方に別の場所で乱文を書き散らしたし、個人的につけている日記だって書いたのに、それでも飽き足らずTumblrまで開いている。だが今日はいつもの発作とはすこし系統が違う。感情を出したい、のではなく、とにかく何かを書いていたい。落ち着かない。なので適当に色々書いてみる。
 最近鎖国気味である。
 他人と話したくない気持ちが爆発して、���もわたしに話しかけんな! みたいなオーラを出してしまう自分のことを鎖国状態と勝手に呼んでいる。
 鎖国の起源は塾講師バイトをしていたときであった。信頼のおける先輩の先生たち(学生バイト)が全員卒業し、学生バイトではわたしが一番歴が長くなった(お局のようなかんじだったのかもしれない)。どちらかといえば器用なタイプだったので誰とも助け合わず、全部自分一人で仕事を完結させていた。そのとき、鎖国していた。
 後輩から挨拶をされたらもちろんそれには返していたが、世間話なんか一切せず、指導終了後2分後には教室を出て帰宅していた。基本的に、指導のコマは連続するようにシフトが組まれるが、完全マンツーマンの個別指導塾だったので、たまにどうしても調整がきかなくて、1コマ時間が空いたりする。ふつうならそういう時間で他の先生と話したりするのだろうが、わたしは尖りまくっていたので、生徒が使う自習ブースを1区画借りて、ふつうに院試の勉強をしていた(おかげさまで今があります)。
 ていうか、当時、他の先生のことがうっすら嫌いだった。とくに、ひとつ歳下のT先生。わたしはアイツを目の敵にしていた。アイツは教職課程をとっており、生徒に対してブイブイ言う系の先生だった。宿題をやらないのはなんで?? と生徒を詰めるタイプの先生であった。だがソイツは、大学の授業を落としまくってる系だった。そして彼は、わたしが卒塾するのと同じタイミング(つまり彼からしたら、大学3年の終わり頃)に退職した。理由は、「教職課程の取得があやしくなるくらい単位がやばいから」である。この時点で無理だった。生徒にガミガミ言っておきながら自分が本業を疎かにしてんのマジでキモすぎる。わたしはさ、院試に命かけて、しぬほど勉強と研究して首席になって、それでも生きるためにバイトして、飲食と掛け持ちしながら4年間勤め上げて、辞めたくても辞められなくて、教え子を医学部とか高専に送り出しても絶対に驕らないようにって自分を律して、叱るべきところと引くところのバランスを見て、どうしたらストレスなく塾に通って、無理のない範囲で勉強できるか考えて、そんなふうに、そんなふうにやってるのにお前はやることもやらずに生徒に怒鳴りつけてそして指導途中の生徒投げ出して辞めるんですね??ってなってまあ途端に無理になった。(ごめん、たかがバイトなので別にそんなに責任はないはずなんですけど) まあ、そういう人が多かった。やる気ないならずっとやる気ないままの方がいいって。熱血��先生装いながら自分の学業がおざなりなのが一番キモいねん。マジで。
 すごく話が逸れた。まあ、そう言う感じで当時、鎖国をしていたって話です。
 大学のゼミでも鎖国をしていた。大学のゼミには大体10人くらいが所属していた。ゼミは2年から4年まで基本的に持ち上がりだった。最初のうちはみんなと話せていたけれど、そのうちわたしは一人の友人としか話せなくなり、そのうち他の人たち(とくに女子たち)とはほとんど話さないまま卒業した。これも鎖国だった。絶妙な関係性の彼女たちに、自分から世間話を振ることができなかった。相手はきっと自分に敵意はないはずなのに、なぜだか怖かった。
 その鎖国の波は今まさに第n波として到来中である。塾講バイトや大学のゼミで鎖国していたわたしは、さいきん、大学院の研究室でも鎖国しはじめている。数日後に卒論・修論発表会があるのだが、それが終わると研究室で追いコンが開催される。クソしょうもない飲み会ね。なんか、ずっと行くか行かないか迷って、それでもやっぱり行きたくなくて、意を決して欠席ボタンを押した。
 わたし流・鎖国の悪いところ。ほんのすこしだけ、それが寂しいと思っているふしがある、ということ。
 自分で離れたくて離れてるの。だけど、社会とのコミットメントが失われるのがこわい。研究室のコミュニティの居心地があまりよくないから離れようとしてるのに、それでもほんのすこしだけ、その中に混ざりたい自分もいる。はあ〜〜なんなんでしょうね?
 これ、たぶん少し前の投稿でも話したけれど、わたし、理由がないとそこに居られないの。授業があるから、とか、面談があるから、という理由があれば大学に行けるけど、なんの意味もなく研究室に行って、共有スペースでそこにいる人とダラダラ喋る、みたいなのができない。つねに、「わたしってここに居ていいのかな?」みたいなことを考えてしまう。そういう体験が一つでもあるとそのコミュニティの居心地が悪くなる。だからわたしは研究室に行けない。
 鎖国の波はSNSにも到来中である。
 最近、SNSで他人と絡むのがこわい。自分の存在がうざくないだろうか、と考えてしまう。まあ、ここは大丈夫なんだけど、特に表の世界(Twitterを表の世界だと思っている節がある)が窮屈に感じてきた。だけどコミットはしていたいから、ひたすらにいいね押しマンになっている。わたしはここにいるよって伝えたいんだと思う。自分から絡めないから、絡むのにすごく勇気と体力がいるから、ツイートにも気を遣うから、とにかくフォロー中の他人のポストのハートマークを赤く染めて、界隈にコミットメントを図ろうとしている。そろそろ限界が来そうな気がしているけれど、わたしはスマホ・SNS依存症なので絶対にTwitterは辞められない。鎖国中だから、新しい作家の方からのフォローも返せない(悪意はないのよ)。交友関係が広がるのが恐ろしいと感じる。FFをこれ以上増やしたくない。これ以上増えたら、一人一人を大事にできなくなる。フォロバしないからか、たまにリムられる(ごめん、わたしはちゃんと気づいてます、気づいてない・気にしてないふりしてるんだよ)。ヒイ、と思い震える。さらに対人恐怖の波が来る。ソトとウチ。すべてを分けて、自分を守ろうとしてる。はあ、よくないですね。
 鎖国の波にずっと呑まれていてつらい。一人になりたいのに一人になりたくない。これ、しんどいのが、うつ病とかそういうのじゃないとこなんだよね。もうここ5年とか、そういうレベルで起きてることなの。でもわたしは一応ちゃんと生きてるし、なんなんでしょうね。
 わたし、恋人が途切れないタイプだけど、途切れないタイプなんじゃなくて、途切れさせると死ぬから途切れさせていないのかもしれない。指折り数えたらここ7年くらい、恋人がいなかった期間は多分6日とかだと思う(短すぎる理由はお察しの通りです)。恋愛依存とかじゃなくて、たぶん死ぬんだよな。恋人がいなくなったら、わたしはそれこそ、ほんとうの意味で他人と関われなくなる。唯一の生命線なの。そこが切れたらわたしは対人恐怖が悪化して引きこもりになる(もうすでに引きこもり気味ですが)。
 鎖国の話はここまで。
 さて、文章を書きたい欲求は留まるところをしらないのでこのまま書き続けます。今日、ほんとに調子がおかしい。もしかしたら泣きたい気持ちを文章を産出したい欲に置き換えているのかもしれないなとも思う。でもなぜ泣きたいのかはわからない。
 そういえば最近、泣いていない。いや、この間ほんとうにほんとうにほんとうに大好きな作家さんのweb小説を読んだとき文章がうますぎて綺麗すぎてちょっとだけ泣いたけど、そういうのじゃなくて、ふつうに泣くやつ。悲しくて泣くやつ。
 泣くのって、ストレス発散なんだよね。中学〜大学のときはよく、悲しいときはきちんと泣いてスッキリして眠るみたいことをよくやっていた。ていうか一昨年(2023年?)はわりと生活が変わって全てに追い込まれていたからわりとシクシクやってたんだけど、ここ一年くらいはいい意味で情緒が安定していたのであまり泣いていなかったような気がする。だけどその波が久しぶりにやってきたのかもしれない? でも別に泣きたいくらい悲しいことって今べつにないんだよな。あーマジで何言ってるんだろう。
 これここまで読んでる人っているんですか?
 うちがわから湧き出てくる感情って負の感情ばっかだな。わたしだけ?
 自分のTumblr読むと暗い話ばっかでびっくりするんだけどみんなはポジティブな感情とネガティブな感情って同じくらいの割合で存在しているんですかね? 割合を教えてください、わたしは8割ネガ1.5割ニュートラル0.5ポジです。
 誰だっけ、太宰治だっけ、知らんけど、誰かが、不幸というものはモワモワした質量の軽い雲みたいな真綿みたいなもので、幸福は質量の高い一粒の金属塊?砂金?みたいなこと言っ��ませんでしたっけ? わたしそれがすごく共感できるんだよね、苦しいことってぜんぶを覆い隠すの、だけど質量は幸せも同じくらいあるのよ。でも密度が違うの。密度が違うから、不幸がおっきくもわもわして体積がデカいんだよ。ごめんちゃんとした言葉は覚えてないけれど調べるのダルいので誰か調べといてください。でも誰か言ってたはず。
 わたしが病んだところでサブカル鬱病クネクネ界隈(笑)と揶揄されるカテゴリーにしか属せないからふつうに死にたいです。だけど死ぬのはこわいので死にません。てか死ぬのってこわすぎるだろ、ふつうに。
 ていうか自分が死にたい時期と、自分以外の全員が死ねよって時期と、誰も死ぬなって時期が一生交互にやってくるんだよねって感じだけど、今日Twitterを見ていたら同じことをツイートしている人がいて自分の思考は結局ちゃんと若者のステレオタイプでやっぱりちゃんと死にたいなと思いました。だけどやっぱり死ぬのはこわいです。以下略。
 希死念慮をかかえられるほど世界に絶望しきってるわけじゃないけれど、確実に生きづらくはあるんですよ。わたしはインセルの亜種なので、健常と異常の間にある細くて長い道をそろりそろり渡っているだけ。
 家庭環境だってそう。きょうだい児で我慢することは幼少期から多かったし何かを諦めることも割と得意だけど、親ガチャは経済力がFランクであるところ以外はスーパーレア星星星って感じなので教育にも理解があって大学院まで通えているけど、だけどそれでも苦労はしてきたし親はクソほど借金あるし自分の奨学金だって死ぬほどあるし、親が死んだらきょうだい2人を施設に入れてなんやかんやしなければならないのは自分だから、ふつうにあたたかい家庭で育ってきた他人に対してはなんか話合わないな違うなって思ってしまうし、だからといってゴリゴリの毒親育ちってわけじゃないからそっちに共感を示せるわけじゃない、結局その間にある細い道をひたひたと渡ってるだけだからなにかと無理だなと感じてしまう。
 うちの親みたいに、ふつうの人だったら潰れてしまいそうな高ストレス状況下でふつうに生きていられるのってある意味才能で、ていうか普通に内因が強いので多分うちの家系は精神疾患にはならないんですよ。そしてその遺伝子はきっちり減数分裂を経てわたしにも受け継がれているわけで。だからわたしは風呂キャンセル界隈を極めていてもべつに全然うつ病じゃなくてただ単にお風呂が嫌いすぎる不潔な人だし、引きこもっていても別にまあ希死念慮もないんですよ。それこそ鎖国をしたって死なずにここまで社会の中でなんとか生き延びてきたわけだし、不眠症なのにそんなに病まないし。むしろずっと恋人つくってちゃっかりストレスコーピングしちゃってんの。なんなの。生き方へたなくせに精神病まないし無駄に生命力強いから生きちゃってんのかって。マジで自分キモイよ。
 そろそろみぞおち付近のそわそわ感がなくなってきたのでおわりにします。(ここまで読んでくれた人、もしいたらマジでありがとね、ラブ)
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kennak · 11 months ago
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伯父夫妻の息子である従兄弟とは、特に仲が良いという訳では無かったが親類が集まった時には 話したりする程度には交流があった。兄は自分より歳が近かったからもう少し付き合いはあったらしい。 従兄弟は中堅以上の私大を卒業後、ある市役所の職員になった。 安定した公務員になれた事を伯父夫妻はよく自慢していた。 しかし運の悪い事に配属された部署の上司が所謂ブラック上司だったらしく 従兄弟はかなりキツいパワハラ・セクハラ・モラハラを受け続けたらしく、精神を病み退職した。 一度だけ兄・父と一緒に様子を見に行った事はあるが、どちらかと言えば生真面目でしっかりした性格だった筈の従兄弟が ここまで生気がなく虚ろな表情を浮かべる人間になってしまったのかと、正直ぞっとしたのを覚えている。 後で聞く所によると、鬱病・適応障害の診断が出ていた様だった。 退職してからの従兄弟は、伯父夫妻曰く「引きこもり」。 しかし実際の所は、週1~2程度は単発バイトをしたり在宅で出来る仕事で少額を稼ぎつつ(伯父夫妻に冷蔵庫の使用禁止を言い渡され、 貯金から小さい冷蔵庫を買って部屋に置いていたらしい)働いていた時の貯金を削りながら生活していたそうだ。 また、たまに学生時代の同級生や、ネットのオフ会等には顔を出していたらしく、完全な引きこもりでは無かった。 だが生憎と伯父夫妻は共に「うつ病なんて甘え」「心の風邪とか言うんなら寝てたら治るんじゃないの?」「怠けている、努力が足りない」 という、年代を考えても心の病や現代社会の挫折にはまるで理解の無い類の人達だった。 父もその点を心配して会った時には色々言ってはいたそうだが、まるで響かず聞く耳を持たない様子だったとか。 また母も伯父妻とはたまに会う程度には交流があったものの、ウチの子はまだ働かず家でサボってばかりで困る…といった 愚痴をよく聞かされていたそうだ。 私も知っている人ではあるので多少は心配していたが、正直「引きこもりの従兄弟(と聞かされていた)」と どう向き合って接して良いか分からず、付き合いが疎遠になった事もあり、特に口を出したり また従兄弟自身と交流を積極的に持とうとした事は無かった。今ではそれを後悔している。 従兄弟が30歳近くになった頃、母が伯父妻経由で「◯◯君(従兄弟)は社会復帰に向けて色々頑張っている」と聞いた。 何でも、今まで従兄弟の引きこもりに困りつつも特に相談らしい相談をしてこなかった伯父夫妻がよう��く重い腰を上げ 知人から紹介されたというニート・引きこもりの支援団体に相談し、その団体の人達の協力で適切な支援の元、社会復帰に向けて動いているという。 従兄弟の状況が改善に向かっている(らしい)と知った時は、素直に驚きと喜びがあった。 本格的に社会復帰に成功したら一度顔を出しに行こうかと両親や兄とも話していたが、既に親元を離れ就職し それぞれの生活があったので、実現する事は無かった。 それから一年程して、遂に従兄弟が引きこもりを脱し、伯父家を離れ別の場所で支援団体の人達から紹介された 住み込みの仕事をしながら社会復帰に向かっていると母経由で聞いた。 今どき住み込みの仕事、という点に引っかかりを覚えたが、支援団体がやっているのであれば 引きこもり用の簡単な仕事(作業所の様なイメージ)をやらせているのだろうと解釈した。 当時はまだ、支援団体全般に「あまりお金にならない、人の役に立つ仕事をしている人達なのだろう」というイメージを抱いていた。 人間の善性を素直に信じていたといえる。 それから数ヶ月後、仕事中に実家の母からいきなり連絡がきた。 一体何事かと思ったら、「◯◯君の事で警察から連絡がきた!」と言う。 最初は詐欺?かと思ったけど、父が警察と対応しており、話を聞く限りは本物だという。 警察は従兄弟の身元引受人として連絡をしてきたと。 何故両親に…と思ったが、父はとりあえず従兄弟を迎えに警察に行った。 落ち着いたらまた連絡するから、と母に言われその時は終わった。 翌日、母から連絡があった。従兄弟の身元引受人となり、とりあえず父が自宅(実家)に連れ帰り、話を聞く事にした。 久々に会う従兄弟は以前顔を見た時より随分やつれており、精神的にもかなり不安定に見えたという。 結論から言えば、伯父妻から母が聞いていたという話は殆ど嘘だった。 伯父夫妻が知人から紹介された支援団体に相談に行ったのは本当だが、「適切な支援」なんてのは真っ赤な嘘だった。 従兄弟によると、実際は無理矢理部屋に入って来て威圧されたり怒鳴られながらの長時間の「コミュニケーション」。 それがストレスでバイトを増やして家にいない様にしたら態度が反抗的と見なされ、余計に対応は悪化するばかり。 また、数万円を渡され家を追い出され、当然お金が尽きて路上生活を余儀なくされたり(最終的には警察に保護されて家に戻されたという) 共同生活体験と称して、タコ部屋みたいな所に住まわされ重労働をさせられ、食事もまともに貰えない奴隷の様な「合宿」をさせられたという。 ますます精神状態が悪化した従兄弟は、余計に部屋に引きこもり両親との会話を拒絶する様になり(それまでは最低限の両親との会話はあったらしい) 家から逃げ出そう、しかしお金も無く(僅かな蓄えは従兄弟が「合宿」中にいつの間にか伯父管理になっていたとか…)派遣のバイトすらも 精神状態の悪化で難しくなり、どうにもならなくなった挙げ句に、最終的には生活保護を受給して生活しろと 支援団体の人間の「支援」の元、半ば無理矢理手続きをされ、家から離れた家で「自立」させられる事になったという。 最初は信じられなかった。が、母の「◯◯君が嘘を言っているとも思えない」とも言われた。 話している時の様子や怯えが尋常じゃないと。 また、従兄弟が引きこもりを脱したと聞いた際、(従兄弟と)一緒にお祝いの食事でも、と伯父妻に母が言った時に 結構強めに断れられた事もあり、何故だろうと内心疑問には思っていたそうだ。 生活保護を受けて住まわされたアパートは、従兄弟曰く「野宿生活していた方がまだマシだった」という地獄の環境だったという。 文字通りタコ部屋みたいな狭い部屋に数人の人間と共に押し込まれ(元ホームレス、明らかに認知症の気がある老人、 知的障害がありそうな中年男性、明らかに薬物等をやっていたかの様な形相の中年男性、という面子だったそうだ) 生活保護費は受給者証と共に取り上げられ、ボロボロのアパートには明らかに見合わない家賃や生活管理費用、 高額な食事代(1日2、3000円程取られ、レトルトのカレーやご飯、安い菓子パンにペットボトル1本、といった内容だったという)を 差し引いた金額を渡され、手元に残る自由なお金は残り僅か。 それすらも色々な名目で「罰金」を取られ更に減らされたり、同室の人間に盗まれたり、 それで少しでも不満を言うと支援団体の人間に暴力を振るわれ、更に罰金や食事を減らされたりするという、まさに地獄の様な環境だった。 話を聞いた両親は「刑務所の方がマシなぐらいの酷い生活」だと思ったという。 仲良くしようとも思えない不潔で異常な性質の人達との不潔で不便な共同生活、従兄弟はその中では比較的まともだった為、 最初は何とか生活を改善しようとしたが、それすらも生活を管理する支援団体の目についたらしく、些細な事で怒鳴られ暴力を振るわれ 罰金の名目で金を取られ食事すら満足に取れない日々に、さすがに耐えられなくなったので、手持ちの小銭をかき集め、遂に脱走を決意したらしい。 しかし、このまま自宅に帰っても、支援団体の言われるがままだった両親の元に戻った所でまた連れ返されるだけだと思い どうしたものかと考えた挙げ句、何度か行った事があり、最寄り駅や何となくの住所も分かり、そして何よりも「話をちゃんと聞いて、助けれくれそうな」 親類…つまりウチの両親(従兄弟からすれば叔父夫妻)の事を思い出し、向かう事にしたと。 しかし途中で交通費は無くなって数駅手前で下車。 そこからは歩いて叔父宅(実家)まで向かっていた所、不審者として通報を受けた警察に捕まり、事情聴取の際に 身元引受人として叔父(父)を指定したという。両親に連絡したらまた地獄に戻される!と思い、必死に��願いしたそうだ。 で、警察から叔父(父)に連絡がきて、今に至る…と。 正直、驚いたし怒りも湧いた。 嘘をついた伯父夫妻にもだが、怪しい支援団体にも腹が立った。 何でそんなおかしな、ヤクザや反社みたいな人間がやっている様な団体を頼ってしまったのだと。 話を聞いた両親は、伯父に連絡はしたものの、話を聞いてしまった以上しばらくは返せない、支援団体とは手を切って欲しいと言った所 伯父には激怒され、もう金を支払っているのだから(具体的な金額は知らないが、10万20万じゃきかないと思う)それは困る。 アイツには自立して貰わなければいけない、これ以上面倒なんて見きれないから全部(支援団体の)言う通りにしなければならない、と まるで聞き耳を持たない強行的な態度だったそうだ。 母にも伯父妻から連絡が来たが、同様の態度で全く悪びれた様子も無く、「これでは治るものも治らない」と母は思ったそうだ。 週末に実家に足を運んだ。同様に実家に来た兄と共に、両親と今後の事を話し合った。 伯父にも既に父が連絡をしていたが、結果的に嘘を吐いていた事をロクに謝罪しないばかりか あちら(団体)は勝手に脱走した事を非常に怒っている、早く返さなと信頼関係が無くなる、勝手な事をするな! といった事を繰り返すばかりで、話にならなかったらしい。 家族で話し合い、従兄弟から聞いた話があまりに酷かったのもあり、団体の元に返すのは難しいよね、という話になった。 もちろん伯父家の所にも。彼らが引きこもりやうつ病に理解がある人間で無い事は完全に分かったし、おかしな支援団体に というかぶっちゃけ反社かヤクザみたいな団体の所には返せないという事になった(HPを見る限りはちゃんとした団体に見えたけど)。 やはり、従兄弟が嘘を吐いて逃げようとしているとは思えなかったし、兄が以前聞いた事があるという「貧困ビジネス」の話と 一致する所が多くあり、伯父達は騙されたり付け込まれてしまったんじゃないかと。 伯父は元々思い込みが激しく一度決めたらこう!だと動かない性格だと父も言っていたので、今の状態では家にも ましてや団体が用意したというタコ部屋みたいな所にも戻せないと。 じゃあこれから従兄弟の処遇をどうしたら、という話になった。 従兄弟自身は、お金は後で必ず返すからしばらく漫画喫茶で寝泊まりする、といったのだが 両親はそれでは不便も多いだろうと、当面の間は従兄弟を家に寝泊まりさせる事になった。 これには私・兄も反対しなかった。この決断は後に正解でもあり不正解でもあった事を痛感させられた。 受給者証も取り上げられていたので、最寄りの福祉事務所等にも両親は相談に行っていた様なのだが、 これが仇となったのか、従兄弟が実家で暮らす様になって半月も経たない内に、団体のメンバーという人間が実家に乗り込んできた。 団体メンバーは初手から弁護士と主に来襲し、あなた達の行為は何ら解決にもならない、また従兄弟の意に反し(本当に言った) 従兄弟を家に軟禁する行為(これも本当に言った)は誘拐罪に当たると。 とりあえず従兄弟���んを引き取らせろ、それからは弁護士を通して話し合ってくれ、といって強引に連れ帰ろうとしたので、 文字通り押し問答になったという。団体職員を名乗った人間も弁護士も、外見は普通で口調も乱暴では無かったものの 言ってる事やってる事は完全にヤ◯ザかチンピラのそれだったと。どう考えてもまともな輩では無いと、両親は言っていた。 それは、その対応で疲弊した両親の代わりにこちら側の弁護士同席で対応した私・兄も同意見だった。 しかし調べる限り団体の人達に反社の陰は無く、公的な機関や他の支援団体などとも関わりがある様な「ちゃんとした」団体であり 表面上は「まともな人達」「弱者支援をしている正しい人達」だった為、それだけに人を人とも思わない様な彼ら・彼女らの言動が余計不気味に思えた。 団体側の意見は、自分達のやっている事は全て正しく(従兄弟の様な)弱者を助ける為にやっている事であり、 そんな我々を信用せずに悪質な団体だと思い込むあなた達はどう考えてもまともじゃない、おかしいとまで言われた。 あまりにも「自分達が正しくあなた達(一家)が異常である」という様な事を言うので、逆に自分達の常識がおかしいんじゃないかとすら疑った。 団体とは揉めに揉めて、弁護士も挟み何とか受給者証の返却には応じてくれたものの、管理名目で取り上げられていた 従兄弟の私物の大半は返って来ず(従兄弟も「もうあの人達とは一切関わりたく無い」と泣き寝入り)、これでやっと終わるかと思いきや 今度は私達がターゲットとなり、謎の嫌がらせが始まった。 どこで調べたのか、父の勤務先や母の仕事先に「(父は)長年不正を働いている」「立場を利用して便宜を図っているらしい」 「(母は)職場から少額の横領を繰り返している」「顧客として利用したが(母に)悪口を言われた」等の 嫌がらせ電話がどこからともなくかかってきた。もちろん根も葉も無い事実で、完全に嫌がらせだった。 さすがに皆が真に受けた訳では無いだろうが、嫌がらせをされる様なトラブルを抱えた人間と積極的に関わりたがる人間はいない。 父は定年後も嘱託職員として務める予定だったが、変な噂が立って居辛くなったと、定年まで数ヶ月を残して早期退職。 母も神経を病んでしまい、長年勤めていた仕事を辞める羽目になってしまった。 当時勤務していた職場にも、嫌がらせ電話やメールがきた。 内容を確認した上司によると「(私が)職務上の立場を利用して不正を働いている」「意図的に顧客の情報を漏らしている」 という旨の密告の電話・メールがあったという。当然強く否定した。そんな事をする訳が無いと。 しかし、信用を大事にする業種・職務・職場だった事もあり、結局私はそれまでの業務を取り上げられ、畑違いの別部署に異動が決定した。 その頃にはどこで漏れたか噂も出回っていた様で、疑念���分、でも皆大人だから直接口に出して疑いはしない、でも強く疑われているという空気は感じる。 そんな空気圧に耐えられなくなり、あっという間に神経を病んで仕事を続けられなくなってしまった。 兄の方にも嫌がらせの電話やメールはきていたらしい。 しかし、ITの特定派遣の正社員というやや特殊な仕事、「正社員だけど派遣、派遣だけど自社(と呼ばれる会社)には所属しているので正社員」という立場だった事もあり 「(自社の業務に)関わった事も無い、そもそも開発業務なんて殆どやっていないだろうに、どうやって業務の秘密事項を漏らすんですか?」 「退職しても良いけど、今の派遣先にはチームとして来ているので、TLの自分が辞めたら契約切られますよ?」と強めに主張して、仕事を辞める事にはならなかったらしい。 しかし後になってから兄は「嫌がらせされているという事実や、(自社の上層部に)変な目で見られる様になったのは辛かった」と零していた。 全て、従兄弟を追い詰めた、あの支援団体と揉めた後に起こった事だった。 当然支援団体を疑ったが、明確な証拠も無く、団体に直接問い合わせもしたが、無視か 「そんな事は知らない」「変な事を言いふらす様なら名誉毀損で訴える」と居直られた。 警察にも相談したが、そもそも犯人が誰だか分からないし、私達が主張する例の団体が犯人という証拠や根拠も無い、 よって捜査をするのは難しいし、噂を真に受けて被害を被ったのであればともかく、最終的には「自分で仕事を辞めたんでしょ?」と、 それを「被害」と認定するのは難しいとも言われた。 「不満があるのであればお互い話し合って…」と、被害届けすら受け付けて貰えなかった。 弁護士にも相談したが、仮に嫌がらせの電話が事実でも犯人を特定し団体の関与を認定する事すら難しいと言われ、徒労に終わった。 私達一家は、謎の嫌がらせ犯人に多大な被害を受けながらも、泣き寝入りするしか無かった。 結果的に、従兄弟を助けた事で私達一家の生活は滅茶苦茶になった。 伯父と揉めに揉めて絶縁状態になった事もあり、また地元にも変な噂が出回ってしまった事もあり、両親は長年住み慣れた土地を追われる様に離れ 慣れない土地で慣れない仕事をする生活を送る羽目になった。 定年後は、父は嘱託職員でゆるく働きながら、二人でゆったりとした老後を過ごしたいと言っていたが、 今は慣れない土地で慣れない仕事に追われ、二人とも年齢以上に老けて見えるのが悲しい。 自分は仕事を続けられなくなり、適応障害と診断され、当時交際していた相手とも関係が破綻してしまった。 今は何とか別の会社に再就職したものの、人生プランはかなり狂ってしまったし、今の仕事で嫌な事があったり 年収を計算する度に「前の会社にいたらこんな事には…」と思ってしまう。この後悔は一生消えないだろう。
引きこもりの従兄弟を助けたら生活が崩壊した
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harawata44 · 7 months ago
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「永久歯が生えない子どもが増えている?」10人に1人は生えない驚きの事態「乳歯もいつか抜け落ちます」 - Peachy - ライブドアニュース
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以下引用
近年、「永久歯が生えない」「乳歯が抜けない」という単語が多くネット検索されています。なぜ永久歯が生えないのか、乳歯はいったいどうなるのか。日本大学歯学部教授で小児歯科医師の菊入崇先生に伺いました。(全2回中の1回)
第2回:「10人に1人は永久歯が生えない」残った乳歯も抜けたら…困惑する親に医師が勧める驚きの治療法「小学生でも?」 - Peachy - ライブドアニュース
気づかないまま「生え変わらない」ケースは多い
──「永久歯が生えない子」が増えていると聞きます。実際、どのくらいいるのでしょうか? 菊入先生:10人に1人の子どもに、生えるべき永久歯がないという調査結果があります。2010年に日本小児歯科学会が「歯科医院に来院した7歳以上の子ども1万5544人のうち、永久歯がない子が1568人(10.1%)いた」と報告しているんです。 成人の永久歯は、上下の親知らずを除くと28本ありますが、なんらかの理由で永久歯が生えない場合があるのです。これを「先天性欠如(せんてんせいけつじょ)」といいます。私は小児歯科医師になって約30年ですが、実は1本や2本の永久歯が欠如している症例は珍しくない、という印象です。
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▲9歳女児。下あごの左右の第二小臼歯2本(*印)が欠如している(写真提供/菊入 崇)
── 永久歯がない子は、以前に比べて増えているのですか? 菊入先生:私は永久歯が6本以上欠如しているお子さんをよく診ていますが、そういう症例が増えているとは感じません。ただ、1~2本の欠如ならば、実際には「10人に1人」の割合より、もっと多い可能性もありえます。というのは、本人も周りも、永久歯が欠如していることに気づかないケースがあります。たとえば虫歯の治療で歯科を受診したら、先天性欠如もわかったという方はけっこういます。 それに、生え変わる永久歯の数はあご全体のレントゲンを撮らないとわかりませんが、歯科医院に来るお子さん全員が必ずレントゲンを撮るわけではありません。乳幼児さんだと、レントゲン室に入るのを嫌がる場合もあります。ですから、「ご本人も親御さんも気づいていないけれど、実は永久歯が欠如している。でも、虫歯がないので歯科医院に行く機会がないから発見できない」というお子さんは、意外に多いかもしれません。
「永久歯が生えにくい歯」には傾向がある
── 永久歯が生えにくいのは、どの位置の歯でしょうか。 菊入先生:2010年の調査では、欠如は「中央から5番目の歯(左右の第二小臼歯)」にいちばん多く、次に「中央から2番目の歯(左右の側切歯)」、そして下顎(下あご)に多く見られました。もちろん、ほかの歯や上顎(上あご)にも見られますし、なかには10本くらい欠如しているお子さんもいます。男女差は女子にやや多く、地域差は特にないと報告されています。
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▲永久歯の先天性欠如は「中央から5番目の歯(左右の第二小臼歯)」と「中央から2番目(左右の側切歯)」によく見られ、下あごに多い
永久歯が生えない原因は「たまたま」?
── なぜ、永久歯が生えない状態が起こるのでしょうか? 菊入先生:永久歯は、胎児のころに乳歯の奥で「歯の卵」が徐々につくられますが、先天性欠如は歯の卵自体がつくられなかった、という状態です。原因はいくつか考えられていますが、1~5本までの欠如ならば「たまたま」生えなかった、というのが、いちばんわかりやすいかもしれません。つまり、遺伝的原因は考えにくいということです。 ── 遺伝ではない? 菊入先生:遺伝子の異常によって引き起こされる先天性欠如もあり、それを引き起こす遺伝子の異常はいくつか報告されています。ただ、その遺伝子が影響すると、6本以上が欠如することが多いです。ですから、永久歯が欠如している子を持つ親御さんの多くは「自分の遺伝のせいで、永久歯が欠如したのでは…」と心配されますが、1~5本以内の欠如ならば、遺伝的な要因は考えにくいです。あとは、白血病などの病気で放射線治療や抗がん剤治療を行ったお子さんや、小さいときにあごを折るような大きな事故に遭った場合などでは、���久歯の卵が育たない場合もありますが、割合としてはごくわずかです。 ── では、永久歯がない子の多くは「たまたま」生えなかった、ということですね。でも、なんだか煙に巻かれた感じがします。 菊入先生:「たまたま」をもっと詳しくいうと、人間が生物として進化するなかで、いくつかの歯は「不要なもの」として、なくなっているのでは、という説があります。私も個人的にはそう思っています。 ── では、「永久歯がない子がいる」というのは、ここ数年の傾向ではない? 菊入先生:私が調べたところ、アメリカでは1910年代、日本でも1930年代にはすでに永久歯の先天性欠如について論文報告されています。ですから「先天性欠如で永久歯が生えない子がいる」というのは、最近数十年の話ではなく、昔から世界中で見られるものだと思います。
乳歯は永久歯よりもろく、根も短い
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── 永久歯が生えてこないと、ずっと乳歯のままですよね。それでも、虫歯にならないように気をつけて、長持ちさせればいいのでは…という気もします。乳歯のままでいると、何かリスクはあるのでしょうか? 菊入先生:乳歯は「生え変わるのを前提とした歯」なので、構成組織が永久歯よりも柔らかく、もろいです。ですから、永久歯よりも虫歯になりやすいというリスクがあります。よく「乳歯が虫歯になっても、治療しなくていいや」と放置する方がいますが、これは永久歯が生えることを前提とした考え方です。もちろん、乳歯の虫歯を治療することは、永久歯が欠如している場合でなくとも、とても大切なことです。生え変わらないとしたら、乳歯を使い続けることになりますが、これがなかなか難しいです。 ── なぜ難しいのでしょう? 菊入先生:乳歯の根の長さは、永久歯の半分くらいしかありません。しかも、その根はだんだん溶けて吸収されると短くなるので、年を重ねるほど根が短くなります。つまり、歯が抜けやすくなります。20歳くらいまでなら乳歯を保てる方が多いのですが、ほとんどの場合、50~60代まで保たないことが多いです。 ── では、健康な乳歯でも、高齢者になるまでには抜け落ちてしまう…? 菊入先生:はい。50代以上でまだ乳歯が残っていたら、非常に珍しいといえます。先天性欠如のお子さんは、乳歯が虫歯にならないとしても、大人になったら抜けてしまう、と思っていたほうがいいでしょう。
「歯抜け」を放っておくとどんなトラブルに?
── 先天性欠如で乳歯が抜けてしまうと、歯にすき間があいた状態になりますよね。そうすると、何が問題なのでしょう。 菊入先生:いちばん大きな問題は、噛み合わせがずれてしまうことです。1本でも歯が抜けたままにしていると、周囲の歯が少しずつ傾き、やがて歯全体の位置が動きだし、上下の噛み合わせがおかしくなります。そうなると、食べ物をしっかり噛みにくいし、歯ぎしりや食いしばりの原因にもなります。ほかにも、さまざまなトラブルを引き起こす可能性があります。 ── どんなことでしょう? 菊入先生:たとえば、次のようなことです。
1.歯の間に食べ物のカスが詰まりやすくなり、虫歯の原因に 2.周囲の歯が揺れ動きやすくなり、将来的に歯が抜ける原因に 3.歯周ポケット(歯の根元と歯茎のすき間)が大きくなり、将来的な歯周病の原因に 4.あごに負担がかかり、将来的に顎関節症(がくかんせつしょう)の原因に 5.(特に前歯が抜けた場合)歯並びの悪さが目立つ
​── けっこう、たくさんありますね。 菊入先生:「歯の1本くらい、なくても大丈夫」と思うかもしれませんが、その数ミリのすき間が大問題です。特に1、3、4などは、歯が抜けてすぐに起こるトラブルではありませんが、大人になってからの歯の健康に大きな影響を及ぼします。 たとえば「2. 歯の揺れ動き」は、長期間かけて進行するものです。最初は小さな揺れでも、放置していると歯を支える力が弱まり、最終的には健康な歯なのに抜け落ちるリスクが高まります。 「3. 歯周病」も同様です。歯が揺れ動くと歯周ポケットが広がり、そこに細菌などがたまりやすくなります。歯周病の初期は自覚症状がほぼなく、進行も遅いため、気づいたときには治療が難しくなり、歯を失うケースもあります。 「4. 顎関節症」は噛み合わせのずれによって、あごの関節に強い負担がかかり、痛みや不快感がでるものです。20~30代に多く見られますが、10代の患者さんもわりといらっしゃいます。顎関節症を放置すると、あごの不調だけでなく全身症状に進行するケースも。 どの病気も、永久歯がある人でも発症リスクがあります。もともと永久歯が生えないお子さんは、乳歯が抜けてしまうと将来的な発症リスクが高まることは間違いありません。早めに歯科医院に相談して、適切な治療を検討する必要があるでしょう。
第2回:「10人に1人は永久歯が生えない」残った乳歯も抜けたら…困惑する親に医師が勧める驚きの治療法「小学生でも?」 - Peachy - ライブドアニュース
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(写真提供/日本大学歯学部付属歯科病院公式サイト)
PROFILE 菊入 崇先生
きくいり・たかし。日本大学歯学部小児歯科学講座教授、日本大学歯学部付属歯科病院小児歯科診療科長。北海道大学歯学部を卒業後、同大学院歯学研究科助手、南カルフォルニア大学歯学部研究員、北海道大学大学院歯学研究科助教などを経て現職。博士(歯学)。日本歯科専門医機構認定小児歯科専門医、日本小児歯科学会認定指導医、日本障害者歯科学会認定医。
取材・文/前島環夏 画像/PIXTA
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01-08-m00n · 2 years ago
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君が辛いことから逃げたかった日を、君が見ないふりをしたかったことに向き合わされた日を、そういう日に縋るように聴いていた曲を、全部抱えていたいと思った
結婚式では何を流そうか?この前、クリープハイプの「一生に一度愛してるよ」を流したって話を読んで、いいなって思ったの。電気グルーヴの「虹」をかけたって話も読んだから、聴いてみたよ。君もいつかこうやってはじめてこの曲を聴いたんだね。このまま授業を受けて課題を出してゼミの発表をして期末課題を終わらせて8月になってまた歳をとって君と花火を見て1年記念日を迎えてその次には君がまた歳をとって
あと1ヶ月もないうちに20歳を卒業する、いろいろ先のことを考えるとヘトヘトになるから、目の前のことを少しずつやっていく。まずは来週のゼミの発表レジュメをつくろうかな、主専攻じゃないしフレンドリーで厳しくない先生だから楽しんでしっかりやってる。いちばん好きな太宰の燈籠をやるんだ〜〜。あと期限はまだ先だから焦ってはないけど証明写真撮りに行かないと。色々既に疲れたけどエントリーシートの基盤を作れたから少し気が楽。ちょっとずつ改編すればいい。それが終わったらなんとなくで期末レポートの準備がしたい。最近脳内が煩雑で疲れるのは部屋の掃除ができてないからかなーとか理由にしてる。理由にすることって大事、だってそれが片付けば本当に解決したように思えるから。真実かどうかは神様しか知らないし。自分が本当だって思えればそれで十分。ポストカードも栞も飾りたいものいっぱいある、キラキラした思い出を並べていく。
1人、授業にずっと来てない子がいる。LINEをしたけどずっと既読がつかない。共通の友人にもLINEをしてもらったけどダメだった。心配だから学校に相談したけどもうこれ以上できることがない。暑いから、気をつけていて欲しいなと思う。
朝の電車、知らない男の人の汗の匂いがする。見てくる男の人の視線が怖くなくなったことにもすこしだけ整形の価値を感じる、女の人は今でも怖い。最近ずっと頭がスッキリしないから1人でカラオケに行った。歌は好きだけどカラオケは上手くない、てことは下手ってことかなー、歌上手くなりたいね、下手ではないと思うんだけどなー。先日解散したBISHの曲と出会った頃に彼氏が送ってくれたプレイリストから何曲かと彼氏の好きな曲。30分延長して思い出のいわゆる邦ロックを歌ってみる、アボカドとか幻とか。ボーイフレンド、スローモーション、君という花、踊り子、プロミスザスター、23号室を出ると上擦った「新時代」が聴こえてきた。自動精算機の使い方が分からない老夫婦を背の高い男子高校生が助けていてちょっと嬉しい。精算が終わったはずの精算機がピーピーなっていると思ったらお釣りがそのままだった。おばあさんに忘れてますよって声をかけた。748円あれば夫婦の1食分になるよ。(2023-07-04)
証明写真撮った。朝起きたとき久しぶりによく寝た感じがした。好きだった子に軽く失望したことがずっと刺さってる。嫌いとかじゃない、失望してる。嫌いな訳じゃないからなかったことにしようと思ったけどできないし、別にしてあげなくてもいいって思ってる。こっちに信じさせてた信念を忘れたみたいな顔してみんなを困らせてたから。時が経てば私が忘れるだろうけど。正直あんまり会いたくないしどうやって話したらいいのか分からない、でもあなたがしたことだからね。(2023-07-05)
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yutakayagai · 1 year ago
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夏休みも二週間を切ってしまっていた。大樹も今年は遊び呆けてしまったと、少しずつ一学期の復習をしていた。佐伯からも、
「ちゃんと勉強してるの? エッチばかりしてると馬鹿になってしまうよ」
と言われしまった。確かに、連日の様に誰かと絡んでいたなと、大樹は反省した。
一方、佐伯は補講で連日出勤していた。彼の勤める私立I高校は中高一貫なので、たまに中等部にも授業をしなければならなかった。彼自身も大樹とばかりエッチをしてはダメだと、お盆を過ぎてからは絡むのを止めていた。すると、夢の中に浩志が出て来ては、
「おい、ムラムラしてねぇのかよ!?」
と声をかけられるのだ。彼は、
「父さん、オレはサルじゃない」
とそっぽ向いた。
授業をしながら、佐伯は中等部の生徒たちを眺めているが、昔から進学校として市内では有名ではあるが勉強ばかりでつまらなくないのだろうか?と思うことがしばしばある。まァ、オレが気にすることではないかと思いつつも、どうしても大樹と比較してしまう。彼の場合は特殊ではあるが…。
佐伯は、授業が終わると高等部側の職員室に戻り、昼食を摂った。いつも昨夜に作った余り物を詰めただけ��弁当である。たまにご飯は、醤油で和えたかつお節をかけて海苔を敷き詰めたりしているが、大抵は自家製の梅干しを真ん中にのせた「日の丸」だった。この日は、昨夜作った「ちくわの磯辺揚げ」と、「わかめの酢味噌」を詰めた。最寄りのコンビニで買った「黒烏龍茶」を片手に、黙々と食べた。今日は、確か利江子さんは夜勤だったなァ。じゃ、大樹が泊まりに来るな。夕飯はどうしよう? 帰りにK百貨店でも寄るか…。彼は、そう今夜のことを考えていた。
職員室の隅では、他の教師がニ、三人話し合っていた。佐伯は密かに聞き耳を立てていた。どうやら、中等部と高等部の生徒二人が校内で関係を持っているらしい。
「或る女子生徒の話だけど、梅雨入りの前かなァ? 『保和苑』の、ほら、遊具がある…。あそこでウチの制服を着た男子生徒が接吻(キス)し合ってるのを見たらしいンだよ」
「だって、あそこは『A幼稚園』の子ども達のお散歩コースでしょ!?」
「否、夕方らしいンだよ。その後、二人でトイレの中に入って行ったらしいンだよね…」
「そう言えば、校内でも見かけたと言う生徒がいたなァ!」
そんなやり取りを聞きながら、
『別に生徒同士ならイイじゃないか』
と佐伯は思った。それじゃ、オレなんて犯罪者扱いだな…。大樹の方から求めてくるンだもの、相思相愛なら構わないと思うけれども。嗚呼、馬鹿らしい…。
実は、佐伯はその生徒のことを知っていた。高等部二年の神代拓也と言う、一見ガリ勉風の男の子である。やはり梅雨入り前に彼から相談を受けたのだ。確か、校内ではなかったと思う。中等部三年の谷嶋昌平に告白をされ、気付くと自分も好いてしまったと話していた。それに対し、
「実は、先生自身もゲイだけど、『好き』であることは決しておかしくはない。この高校で久しく教えているが、色々敏感になる年頃なのに何もないのが逆におかしいと思う。互いに好きならその感情に委ねればイイんじゃないか?」
と佐伯は助言したのだ。恐らく、その相談をした後に実行したのだろう。
あれから、拓也はどうしているのだろう? 佐伯は急に彼に会いたくなった。確か、今日は登校してきている筈…。食べ終わり、弁当箱を手提げに入れながら彼は心の中で決めた。
午後になり、佐伯は図書室を訪ねた。自習をしている生徒ばかりだったが、その中に拓也もいた。彼は英語を勉強していた。背後から、
「神代君、神代君」
と佐伯は声をかけた。佐伯の声に気付いた拓也は、
「あ、佐伯先生」
と笑顔で振り向いた。
佐伯は、他の生徒に聞かれはいけないと拓也を相談室に連れて行った。この間、彼から悩みを打ち明けられた時もそうだった。室内は何となく埃っぽく、佐伯は窓を全開にした。冷���も付け、
「埃っぽくなくなったら閉めるよ」
と言った。
廊下側に座った拓也は、短い髪を後方に流していた。若干ぽっちゃりと太めではあったが、身長も高かった。一見、柔道でもやっているのかと周囲から言われそうだが、何もスポーツはしていなかった。夏にも拘わらずネクタイを緩めず、キチンとした身なりだった。彼は内腿を閉じ、佐伯の方を見詰めていた。やや緊張している様だった。そんな様子に佐伯は、
「そんな緊張しないで…」
と声をかけた。大樹と違い、拓也は未だ「うぶ」な感じがした。まァ、彼は色々知り尽くしているからな…。拓也はスラックスのポケットからハンカチを取り出し、額の汗を拭った。そろそろ窓を閉めていいだろうと、佐伯は立ち上がった。窓を閉めながら、
「実は、職員室で君の話が上がっているンだ」
と言った。この言葉に拓也は、
「ー誰か、谷嶋君と僕が一緒にいるのを目撃したンですか?」
と聞いた。怯えている様だった。再び椅子に座った佐伯は、
「まァ、女子生徒はそう言う話が大好きだから」
と何気なく言ったが、拓也にとってはショックだったのか頭を垂れ、
「ー僕、彼が好きなンです。谷嶋君も、僕が好きみたいで…」
と、今にも泣き出しそうだった。
余程、周囲の目を気にしながら付き合っているのだなと、佐伯は思った。彼は、同性にしか興味が持てなかった中学生の自分自身と重ねていた。拓也は、
「ー先生、あれから二人っきりで会ってるンです。誰もいないところで接吻(キス)したり、エッチなこともしました」
と告白した。
「『エッチなこと』?」
「ーはい。トイレの中で、制服を脱いで抱き合ったりアソコをしごいだり…。谷嶋君、ご両親からは県立M一高を目指す様に言われてるンですけど、本当は高等部に進みたいらしくて。『先輩と一緒にいたい!』って言ってるンです」
トイレの中で抱き合う、アソコをしごく、何だか「ハッテン場」だなと、佐伯は思った。そもそも、昌平も拓也もそんなことを何処で知ったのか? 佐伯は聞いた。
「神代君、いつからそんなことをする様になったの?」
「ー実は、Tブックセンターで『薔薇族』と言うゲイ雑誌を、中等部にいる時に立ち読みしてました。あの雑誌の表紙を見てドキドキしちゃって…。その頃から『オ○ニー』も覚えました」
「買ったことはあるの?」
「否、専ら立ち読みです」
よく人目を気にせずにできたなと、佐伯は苦笑した。オレは、長谷川がいたから購読できたが…。
拓也は恥ずかしさの故に顔を赤らめていた。内腿を閉じたまま、彼は股間を押さえていた。色々思い出すうちに、一物が硬くなってしまったのだろう。本当に「うぶ」だなと、佐伯は思った。
その後も、拓也は昌平に対する想いを話し続けた。二人は、大抵は保和苑の敷地内で「密会」を重ねている様だった。昌平は、これまで自慰すらしたことがなかったと話した。二人っきりになる時の緊張感、唇同士を重ねた時の解放感、オルガズムに至るまでの切迫感、そして愛液を跳ばした後に訪れる充実感…。拓也は昌平��の情事を思い出しながら話していたのか、
「あッ…」
と途中で声を上げた。その声に佐伯は、
「…どうしたの?」
と、恐らくイッちゃたのだろうと見当はついていたが、聞いた。拓也は、まるでいたずらをしたことを隠し切れなかった子どもの様にすすり泣き、
「…イッちゃった」
と漏らした。
結局、佐伯は拓也が泣き止むまで付き添っていた。余程、思い詰めていたのだなと彼は思った。偏差値としてはまあまあ上位の方で、一応国公立大学への進学率も県内ではよい方ではあるが、やはり一に勉強、二にも三にも勉強となると何処かで偏ってしまう。拓也の両親も、確か地方公務員だったっけ? 二歳年上のお姉さんも何処かの国公立大学に通っていた。そんな家庭環境の中で育ってきたのだから、なかなか自分自身の心情を伝えることなんてむずかしかったのだろう。
相談室を出た佐伯は、どっと疲れた気がした。未だ大樹と絡んでいた方がいい。本当なら昌平とも話をすれば拓也との関係性も見えるだろうけれども、そこまで干渉する気はなかった。まァ、若気の至りだろう。そう思って終わりにしようと、佐伯は決めた。
家に帰り、「自粛」していた大樹との情事を佐伯の方から破り、熱い接吻と堅い抱擁を交わしながら愛液を跳ばし合った。情事が終わり、ぐったりと横たわりながら大樹は、
「…久しぶりにおじさん、激しかった」
と言った。
「ちょっと学校でね…」
「何かあったの?」
「大樹より一歳年上の教え子から相談を受けて…」
「ふ〜ん」
「下級生と人気のないところでエッチしてるンだって」
「ふ〜ん、別にイイじゃん」
「大樹とは違うンだよ」
中学一年生には佐伯と関係を持ち、その後も仁志や宇佐美とも寝てきて同性との絡みを当たり前と考えていた大樹には、拓也の立場が理解できなかった。そもそも、佐伯の父・浩志と関係を持っていた大樹の父・広樹と、そんな二人に興味を持ってそのまま結ばれた母・利江子の間に生まれ育ってきたのだから、全然事情が違っていた。
そのまま二人は眠りに落ちた。夜明け近くになり、佐伯は夢を見た。暗闇の中から浩志が現れた、彼が声をかけた。
「久しぶりに燃えたね〜」
「あぁ、父さんか」
「大樹もさそがし嬉しかったンじゃねぇか?」
「父さん!」
浩志は相変わらず、遺影と同じ背広を着ていた。片手にはウィスキーが入っているのかスキットルを持っている。前回同様、彼は佐伯と向かい合って座った。すでに浩志は顔を赤らめていた。
「父さん、酒飲み過ぎじゃ…」
「いいンだよ、どうせ『おばけ』なンだから」
「まァね…」
「そう言えば、教え子の『神代拓也』って男の子は大樹と違って『うぶ』だな」
「何だ、知ってるの?」
「ウチに連れ込んでやっちまえよ!」
「…父さんとは違うよ」
もし拓也と関係を持ったら、バレた時が怖いと思った。両親は恐らく、我が子が犯されたと訴訟を起こすだろう。懲戒免職は免れない。昌平も同様だと思う。確か、昌平の父親がS総合病院の勤務���だったっけ? 国公立大学の医学部に入学させたくて県立M一高に進ませたいのだ。
浩志はスキットルを傾け、ウィスキーを一口飲んだ。相変わらず豪快だ。彼はゴックンと飲み込むと、話を進めた。
「実は、神代拓也君の母方の伯父、お前と寝た長谷川の妹だぞ」
「長谷川さんの…?」
「明日、K百貨店に行ってみな。警備員やってるぞ」
まさか、こんなところでつながるとは…。佐伯は翌日、拓也と再び会うことにした。いつも卑猥なことしか口走らない浩志が、この時だけは有難く思った。彼は、
「父さん、ありがとう」
と言った。浩志は顔を赤らめさせながら、
「オレは『愛のキューピット』だよ!」
と声を出して笑った。
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ari0921 · 2 years ago
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この儘では米国の核の傘は破れるか
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          櫻井よしこ
今月18日、ワシントン郊外の大統領山荘、キャンプ・デービッドでの会見で、バイデン大統領はこう切り出した。
「もし私が幸せそうに見えるなら、それは私が幸せだからだよ。すばらしい、すばらしい会談だった」
左右の岸田文雄首相、尹錫悦大統領を見ながら、バイデン氏は満足そうだった。「ワシントン・ポスト」紙は日米韓三首脳による会談の意義は計り知れない、と論評した。
会談では中国についても論じられたが、キャンプ・デービッド会談は中国を念頭に置いたものではないとバイデン氏は取り繕った。しかし、首脳三人が集結したのは、まさに中国の脅威に単独では対処しきれないと考える米国が日韓両国にコミットさせるためだったはずだ。
「歴史的」な首脳会談では、日米韓の安全保障協力を新たな高みへ引き上げ、自衛隊と米韓両軍の共同訓練を毎年実施し、今年末までにミサイル警戒データのリアルタイム共有を開始し、経済的威圧に対抗するサプライチェーンを強化するなど多くの目標が並び、地域的脅威には日米韓の連携で当たる体制となった。
米国の切望する、軍事面を筆頭とした日韓の幅広い協力体制の形が、一応整った。米国には日韓双方を何としてでも協力させなければならない事情がある。一言でいえば、米国による拡大抑止、核の傘はこのままでは破綻しかねないのだ。防衛研究所防衛政策研究室長の高橋杉雄氏が8月11日、「言論テレビ」で語った。
「米国が圧倒的な力を持っていた時代が終わりつつある。中国は2035年には1500発規模の核を持つ。米国の力が相対化され、米中間にMAD(相互確証破壊)と言われる状況が生まれたら、米国の核の傘の下にある同盟国はやや心配になる。これは1970年代に欧州の同盟国が感じたのと同じ不安です」
高橋氏はそもそもバイデン政権の安全保障の論理がおかしいと指摘する。22年10月にバイデン政権は核戦略文書、「核態勢の見直し」を公表した。安全保障環境はどの分野でも悪化していると分析しながら、核兵器の役割は減らすとしたのだ。
核弾頭の寿命は30年
「核抑止の専門家から見ると、米国内も含めて、大丈夫かという不安が拭えないのです」と高橋氏���
米国の核弾頭はいずれもかなり古く、一番新しいものでも1989年製、つまり34年前のものだ。ベルリンの壁が崩れ、冷戦が終わった後は新しい弾頭を作る理由はなかったからだという。だが、核弾頭の寿命は30年と言われている。
「ブッシュ政権のときに、それが大問題になった。で、オバマ政権以降、ピットという起爆装置など、部品の改修・更新を進めました。結果、弾頭の老朽化は今、それ程気にする必要はなくなった。むしろ問題は運搬手段です」と高橋氏は話す。
核戦力は大陸間弾道ミサイル(ICBM)、潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)と、戦略爆撃機の3つから成る。米国のICBM、ミニットマン3は70年代前半に配備が始まった年代物だ。SLBMのトライデントは80年代、戦略爆撃機で一番古いのはB52、60年代の飛行機だ。
米国は今、ICBM、SLBM或いは潜水艦の近代化を進めているが、完成は2040年の予定である。他方、ロシアの一連の近代化計画は26年の完成を目指す。ロシアが新START(新戦略兵器削減条約)の期限が切れる26年を目指してきたのに対し、米国が遅れをとったのだ。さらに、前述のピットという起爆装置の生産能力が今の米国は非常に小さい。弾頭を増やそうとしても増やせない状況が生じている。
参院議員の佐藤正久氏も語った。
「米国保有の核弾頭は基本的に戦略核です。米国は戦術核を持っていない。だから中国の戦術核に対応するために潜水艦から発射する低出力の核、つまり戦術核を持つべきだという議論が起きて、トランプ政権下で作り始めた。それをバイデン政権は凍結してしまったのです」
ロシアと中国の核に対峙できない状況に米国は立たされている。このような状況がなぜ生まれたのか。欧州ではかつて旧ソ連の通常戦力が圧倒的に強かった。米欧諸国はこれに対抗できないために集団安全保障体制の北大西洋条約機構(NATO)を創り、通常戦力の弱さをカバーするために米国の核を導入した。
他方、今、ロシアが核を使うのではないかと恐れられている。ロシアはウクライナ戦で通常戦力をかなり消耗し、それをカバーするために核に頼ろうと考えかねないのだ。こうして見ると通常戦力で劣勢に立たされた側に、核を使う動機がより強く生まれがちなのが見てとれる。
戦後の極東、日本周辺はどうだったか。米国の海空戦力、つまり通常戦力は圧倒的に強かった。それに中国はどう対処したか。中国が対前年度比二桁の軍事費増額を実践し始めたのは、ベルリンの壁崩壊以降だ。ソ連邦の解体で中国は旧ソ連に遠慮することなく通常戦力の増強に邁進できた。中国は当時すでに米国と国交を樹立し、米国は中国を敵視せず、逆に大いに援助した。
民主党政権は核を使わない
結果、中国は極東における通常戦力で圧倒的優位を築いた。そしてここに来て中国は���戦力も大増産中だ。
ということは軍事バランスの構造上、極東の戦域で台湾有事、日本有事が起きれば、核の使用を考えざるを得ないのは、中国よりもむしろ米国ではないのか。
だが、民主党政権は「絶対に」核を使わないと、高橋氏は断言する。
「すでにウクライナのように、友好国が戦場になっていても、核であれ、通常戦力であれ、(ロシア本土への)攻撃を米国はためらっています。その場合、自分たちでやるしかないですね、ということになります。それは僕たちの側から見れば、見捨てられるということですね」
佐藤氏が付け加えた。
「同盟イコール自動参戦ではありません。フォークランド紛争の時、同盟国のイギリスが米国に軍隊派遣の支援を求めましたが、米国は拒否しています。自分の国は自分で守るということに尽きます」
日本は戦後78年間、ひたすら現行憲法の悪しき平和主義の夢に浸ってきた。どんな時も米国に守ってもらえると考えてきた。いま状況は大きく変わりつつある。その中で、米国の対日観も大きく変化し始めている。日本も安全保障において自立し、米国にとって強い味方であり、支える力になってほしいという姿勢への変化だ。米国は戦後一貫して軍事的に日本の頭を押さえ続けてきた。その米国の日本を見る目が本質的に変わったいま、わが国は米国の意図を正しく把握し、如何にして共に守り合うかを考える時だ。憲法改正は固(もと)より、
安全保障で力強く自立するための方策を、核の共有や戦略的配備を含めてタブーなく議論し、真っ当な勇気ある民主主義国になる時だ。
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mxargent · 2 years ago
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキクケコガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニヌネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国会人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権��界支第産結百派点教報済書府活原先共得解名交資予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変打男基私各始島直両朝革価式確村提運終挙果西勢減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流格有疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮究育席輸訪楽起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡失移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃佐核観察整段横融型白深字答夜製票況音申様財港識注呼渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士光討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処省旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師摘材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青破編捜竹除完降超責並療従右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗冷模雄適婦鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久短油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等救執層版老令角絡損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒刑坂刻底賛���致抱繰服犯尾描布恐寺鈴盤息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮還枚属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板列露沖探逃借緩節需骨射傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓律誘紛貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕堅訳盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳毛緑尊抵脅祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯僕桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻泰賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 ���� 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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tanakaeri · 2 years ago
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立ち止まってもいいし、泣いたって構わないよ
心が解き放たれる瞬間 人生の出来事の中には、立ち止まり呼吸を整えて出発が必要な時があるこれまでの後悔や、これからの不安 どれも今どうにもできないことばかりかもしれない 後悔は、先に起きる出来事への自分の引き出し 先の不安は、新しく出発する自分へのお守りとして持つこと 両者も、大切な自分の一部です 何かの言葉や映像で、感情が溢れる瞬間もあるでしょうがそれは、自分の心を映し出した言葉や感情だったりします 自分では、引き出せなくなってしまった心の一部を見つけてくれたのかもしれません その瞬間に、出会えましたら、心を解き放つタイミングなのだと信じてみるのはいかがでしょうか 少しづつ、年の瀬が近づく12月ですね心も身体も健やかにお過ごし下さいませ。 くれたけ心理相談室 田中絵里
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dubaireal2050 · 15 days ago
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ドバイ不動産投資のメリット・デメリット:徹底分析
ドバイ不動産投資のメリット・デメリット:徹底分析
ドバイは、そのきらびやかな高層ビル群と急速な経済成長で知られる世界的な都市です。近年、不動産投資のホットスポットとして注目を集めており、多くの投資家にとって魅力的な選択肢となっています。しかし、投資には常にリスクが伴います。ドバイ不動産投資の魅力的な側面と潜在的な落とし穴を徹底的に分析し、投資判断の助けとなる情報を提供します。
**I. ドバイ不動産投資のメリット:**
**1. 高い潜在的リターン:**
**高い賃貸需要:** ドバイは観光客や外国人労働者の流入が絶えず、高い賃貸需要が安定的に維持されています。特に、高級物件や戦略的な立地の物件は高い収益率を期待できます。具体的には、年間5~8%の賃貸利回りを目指せる物件も存在します。ただし、これは物件の場所やタイプ、市場状況によって大きく変動します。
* **不動産価格の上昇:** ドバイの不動産市場は、経済成長やインフラ整備、大型イベント開催などの影響を受け、価格上昇が期待できます。過去の実績を保証するものではありませんが、長期的な視点で投資すれば、資産価値の増加が見込めます。
* **多様な物件:** 高級マンションからヴィラ、商業用不動産まで、多様な物件が市場に供給されています。投資家のニーズや予算に合わせて選択できる幅広さが魅力です。
**2. 投資環境の整備:**
**外国人所有権の許可:** ドバイでは、外国人が不動産を所有することが許可されています。煩雑な手続きや制限が少ないため、投資が容易です。フリーホールド(永久所有権)やレジオナリー(一定期間の所有権)など、所有形態を選択できます。
* **明確な法的枠組み:** ドバイの不動産市場は、比較的透明性が高く、明確な法的枠組みが整備されています。投資家の権利保護がしっかりと行われているため、安心して投資できます。ただし、契約内容を丁寧に確認することは不可欠です。
* **発展するインフラ:** ドバイは、世界最高レベルのインフラ整備を誇ります。空港、港湾、交通網などが整備されており、ビジネスや観光の拠点として最適な環境が整っています。
**3. 税制上の優遇措置:**
**不動産取得税の低さ:** ドバイでは、不動産取得税率が比較的低く設定されています。これにより、投資コストを抑え、収益性を高めることができます。
* **所得税の非課税:** ドバイには個人所得税がありません。賃貸収入から得られる利益は、税金から免除されます。
**II. ドバイ不動産投資のデメリット:**
**1. 市場変動のリスク:**
**景気変動の影響:** 世界経済の動向や原油価格の変動など、外部要因の影響を受けやすい点が懸念されます。特に、経済減速時には不動産価格の下落リスクがあります。
* **市場の過熱とバブルリスク:** 過去にも市場の過熱やバブル発生の経験があり、価格暴落のリスクを常に考慮する必要があります。市場の動向を綿密に分析し、慎重に投資判断を行うことが重要です。
* **賃貸需要の変動:** 世界情勢やドバイ経済の状況によって、賃貸需要が変動する可能性があります。空室リスクを軽減するため、物件選びや賃貸管理に細心の注意が必要です。
**2. その他のリスク:**
**通貨リスク:** ドバイの通貨はUAEディルハムですが、為替レートの変動によって投資収益が影響を受ける可能性があります。
* **法律・規制の変更:** 法律や規制が変更される可能性があり、投資計画に影響を与える可能性があります。常に最新の情報を収集することが大切です。
* **情報の非対称性:** 情報収集に困難が伴う場合があります。信頼できる情報源から情報を集め、専門家の意見を参考にすることが重要です。
* **開発遅延のリスク:** 新規開発物件の場合、開発遅延のリスクがあります。契約内容をしっかり確認し、遅延による損失を最小限に抑える対策を講じる必要があります。
* **管理コスト:** 物件管理には費用が発生します。管理会社の選定や管理費用の負担を事前に把握しておく必要があります。
**III. 投資成功のためのポイント:**
**綿密な市場調査:** ドバイの不動産市場の動向を徹底的に調査し、物件の価値やリスクを正確に評価する必要があります。
* **専門家への相談:** 不動産仲介業者や税理士、弁護士などの専門家の意見を聞き、適切なアドバイスを得ることが重要です。
* **分散投資:** 複数の物件に投資することでリスクを分散することができます。
* **契約内容の精査:** 契約書の内容を十分に理解し、リスクを最小限にするための対策を講じる必要があります。
* **長期的な視点:** 短期的な利益追求ではなく、長期的な視点で投資を行うことが重要です。
**結論:**
ドバイ不動産投資は、高い潜在的リターンと投資環境の整備が魅力的な一方、市場変動やその他のリスクも存在します。投資を行う際には、メリットとデメリットを十分に理解し、慎重に検討することが不可欠です。綿密な市場調査、専門家への相談、リスク管理を徹底することで、投資成功の可能性を高めることができます。 この記事が、皆様の投資判断の一助となれば幸いです。
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kuretake300 · 1 year ago
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🌸 **濱崎明子カウンセラー** 🌸 心理相談室「くれたけ」の長久手支部で、あなたの心の声に耳を傾けます。濱崎明子カウンセラーは、温かく理解のあるアプローチで、あなたの悩みや不安を共有し、解決への一歩を踏み出すお手伝いをいたします。 🌿 **得意分野** 🌿 - ストレス管理 - 対人関係の改善 - 自己肯定感の向上 🔗 **SNSでフォローしてください!** - Twitter: [@hamasaki_akiko](https://twitter.com/hamasaki_akiko) - Instagram: [@akko_kuretake](https://www.instagram.com/akko_kuretake) 🌟 あなたの心の健康をサポートするために、濱崎明子カウンセラーがここにいます。ぜひフォローして、彼女の知識と温かいメッセージを受け取ってください。 #心理相談 #カウンセリング #自己成長 #くれたけ心理相談室 #長久手 #名古屋 #心理カウンセラー #濱崎明子
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ogachanman · 2 months ago
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0502-05
いつも通り仕事終わりに合致。鍵わたしてるのに、そういえば使ったことなくない?っておもって、大人しくご飯作りながら白目剥いて、おうちで待ってました🏠いつも冷凍とかスーパーのお惣菜で済ませるのに、はるちゃんがいるときだけなにかしら作ろうとするから、恋ってすげえなっておもうよね。まあ自分の料理がきらいできらいで、なに作ったかとか覚えてないんだけど。相変わらずスープは美味しく作れないし…。簡単なものを不味く作るって、もはや才能だとおもいませんか。おれはおもいます。初日はごはん食べて、お風呂入って。残念ながらおれに連勤の疲労が募ってたので、布団入ってすぐ爆睡。だけど、ちゃんとはるちゃんを腕の中で眠らせていたので無意識下の本能ってすげえな、とおもいました。まる。
次の日は朝起き��用意して、レンタカー借りに行って。おなかぺこぺこだったから、レンタカー借りてすぐ某スターなバックスでドライブスルーしたんだけど、買ったスコーンにおれは秒速で飽きました!口の中パサパサになるし、なんなんですかねほんとに。いまさらだけど、マックをドライブスルーすればよかったなーって。運転しながら食うの結構むずいのよ。で、高速乗って外れのショッピングモールまで…のはずだったのに、下道(しかも農道)走らされて、ずーーっと、なんでだよ!!っておれはプンプンしてました。だってこわいじゃんね、道細いしちょっとでも落ちたら車ごと田んぼにドボン。冗談抜きでタワー・オブ・テラー乗るよりもこわいなーって、シティーボーイのおれはハンドル握りながら怯えてました。ショッピングモールついてから、爆速でお買い物🛍️おれの夏用の仕事服が、手上げると腹が見えるスタイルで終わり散らかしてたので、はるちゃんに怒られるし買い替えたりとか、おれらのだいすきなディズニーストア見て「こいつかわいい!」とかキャッキャウフフしたり、無印でカレーのレトルトパウチ買ったり、おれが好きそうな(笑)店寄ったり、晩ごはんの買い出ししたり…めちゃくちゃ楽しいお買い物、ひさしぶりにできたなあって。帰りはちゃーーんと高速乗って。はるちゃんは車の中でうとうとしてたけど、おれは口が止まらないもんだから、意味不明なことをずっと喋り倒して、はるちゃんがうんうんって聞いてくれるっていう。優しさの塊でさらに愛おしくなっちゃったね、こまりました。からの、お肉買ってるのにニトリに寄るっていう。小窓のカーテンがずっとなくて、日光入りまくりだったからついてきてもらって。椅子も買う?って聞いたら、いらないとおもうよ!って言うから買わずに帰ったんだけど、家帰ったらしっかり椅子がほしくなったりして。まあそういうもんだよねっておもいつつ、そんなくだらないことに幸せを感じたり。おうちついて、はるちゃんにご飯作ってもらってるうちに、おれは車置いて薬局行ったりケーキ買ったりとか、ふらふら彷徨って。おうちでゴローンって怠惰貪ってたら、でてきました、美味しい美味しい美味しいごはんが。数日前から「作って!」っておねだりはしてたんだけど、頑張って作ってくれて。おれからしてみると、好きなひとが自分のために作ってくれるだけで、味とか関係なくおいしくなるのに、メインの肉巻きおにぎりも、スープも、和え物も全部おいしくて、これが毎日食べられるひとはしあわせだよなあ…とか考えつつ、おれがそのポジションに居座るために是非とも人生がんばらせてもらおうって改めてかんがえたり。愛がこもってるごはんを久しぶりに食べて、おれはすーっごくしあわせでした!そこからお風呂入って、またすぐ寝たな。すみません。夢でもしっかりデートしてて、さすがに贅沢野郎すぎてこまっちゃいますね。
3日目は、前の旅行のときに最初行く予定だった地域に車かっ飛ばして行ってきました🚗6時半に出たんだけど、最初の目的地の水族館に入ったのは10時前とか。道が混んでたわけではないから、おれがのんびりと向かいすぎました。呑気にサービスエリアも寄ったりしたし。それも楽しかったんだけどね!で、水族館でとある生き物を見るのに120分待ち。おれらディズニーかユニバにでもきました?って大錯覚。なんで生き物に2時間かかる??正気か????(っておもったけど、アレがいるのはその水族館しかいないらしく。あとから調べて知ったけどみればよかったかな?まあ、おれは何度も見たことあるんですけれども…)しれっとそやつはスルーして、他の生き物とお魚を満喫🐟手繋ぎながら、あれはどう!これはこう!ここ暑い!!とか話したりするの、びっくりするくらい幸せでどうにかなってやろうかとおもいました。どうにかなった。1時間半くらい満喫して、そこから食べ歩きできるところに爆速で向かって。車停めるのに時間かかるかなあっておもったけど、案外すんなり停めれてラッキー。食べたものもぜーーーーんぶおいしかった。おれの好きな串からはじめて、エビとか、鮑とか、肉寿司とか。まる絞りのオレンジジュースも飲んだし、帰りのコーヒーもめちゃくちゃおいしくて。ひさしぶりに外でいっぱい食べたなー!って気分でした。意味わからないくらい暑かったからめちゃくちゃ喉乾いたけど、それもまた一興。いろんな季節をふたりで楽しめてるってなによりもしあわせなことだとおもうしね。そこから帰りどこか寄る?って聞いたんだけど、なにも出なかったから帰り道のアウトレットに寄ったら、車停めるのに30分かかるっていう。しかも空いてるのが停めにくい場所で、おれが「これどうやって停めるのーーーー!?!?」って窓開けて叫んでたら、ガードマンのおじちゃんが「こうして、こう」って口頭で教えてくれて………。教習所ですか??情けなくてすみません!昼間の暑さとは裏腹。夕方はもう気温も冷え切ってて、半袖タンクトップのおれはさすがに風邪を引くかとおもったけど、横ではるちゃんがおれのことあたためてくれるから寒さも全然気にならなくなってきて。まあ、寒いんだけど。寒いっちゃ寒いんだけど。気持ちがね、あたたかい的な。アウトレットもふたりでブラブラしたけど、たいしてあんまり気になるお店もなくて、アウトレットで買うものじゃないだろ!ってものをはるちゃんにプレゼントしたり、シルバニアのお店覗いたりとか…それくらいしかなくて。車停めるのと同じくらいの時間でアウトレットは退散💨そこから車返して、ご飯どうしよっかって悩みに悩んでたんだけど、GWでお店も空いてなくて、結局おうちでピザパーティー。食べたことないピザ頼んでみたけど、めーーーーーーちゃくちゃおいしくて!おれはよくひとりでサイレントピザパーティー開催するから、つぎするとき絶対このやつにしよう!!って心の中で勝手に意気込み。ひとりで食べても、ふたりで食べたこと思い出せるし、しあわせだよね。そういえば、おれがお風呂沸かしたりとか諸々してるあいだにはるちゃんがコンビニでおつまみ買ってきてくれて。で、はるちゃんも長旅の疲れが出てたのか、まさかのおつまみふたつともキムチ系。本人は「あれ…………?」って顔してたけど、そんなところも愛おしかったのでよしとしましょう!うまかったし。で、寝る準備だけサッと終わらせて、布団で飲みながらコナンの映画見てたんだけど。映画一本ふたりだけの空間で見切ったのは、たぶんチョコレート工場のやつぶりくらい?おれがだいたいいつも集中力切れちゃうんだけど、コナンに関しては「ここ面白いから!」とか言って見続けるから完走したのかもだけど。でも、おれがすきなやつを、はるちゃんもじっくりみてくれるのがおれはすごくうれしくて。映画はもちろんだけど、それを見てるはるちゃんの横顔見たりするの���、やっぱしあわせだよなー、とか考えてたら。寝ましたね。1時くらいに!
からの4日目。さすがに3連休は取れないからおれはお仕事。で、はるちゃんに「まだ寝てる?」って聞いたら「一緒に出る」って言うから、結局ふたりで7時半とかにおうち出まして。3日も同じところで寝たから、これぜったいに今よりも帰宅後のほうが寂しくなっちゃうだろうなあって考えてたから、とりあえずはあと少しはるちゃんといられる時間を満喫しよ!っておもって、ダブル見送りみたいなことして。おれは仕事に励むわけですけれども。うちに帰って台所に座って寝室見たら、寝室の電気が消えてて、朝までそこにいたはずのはるちゃんがいなくて、おれはここでボロボロ大号泣。アホか。寂しくてたまらないっていうのはこれか…って実感して。全然泣き止めないから大人しく風呂に入って、爆睡しました。恋人が近くにいないと寂しくて泣くなんていままで経験したことなくて、あまりの情けなさに自分でも困惑してるんだけど、まあおれに力ないから仕方ないなーって、諦めて。ただ、そんなことを考えるたびに、もっと力つけて、頼り甲斐のある人間にならなきゃいけないなって考えさせられて、日々の暮らしにやる気が出たりとか。たったひとり、はるちゃんって存在がおれの人生にいるだけで、これだけがんばれることに驚いたりもしてるけど、ずっと一緒にいたいから、どれだけ身体壊しても踏ん張ってやろうとか、おもったりもしております。
念願のGW連休。土日の連休確保するだけで難しいのに、まさかGWに連休とれるなんて。それに加えて世界一愛おしいはるちゃんと4日も一緒にいられて。きっとこのGWはおれが世界で一番幸せだったんじゃねえかな。それに加えて、半年記念日も一緒にすごせました。ぱちぱち!付き合った当初は、3ヶ月もすれば好きな気持ちって薄れてって、ある程度落ち着くだろうなあっておもってたんだけど、さっきも書いたとおり寂しくて泣いたりもするし、新しい体験もさせてもらえたりしてるし、いまも好きになった日のまま、むしろそれ以上にはるちゃんのことを好きになっていってます。いつも一緒にいられないことはもちろん寂しいし、つらいし、悲しいし。でもそう思ってるのはおれだけじゃなくて、はるちゃんもだろうから、いまはひたすら耐えて差し上げようかな。おれの母上が、はるちゃんのことを「通い妻」って言ってるんだけど(めっちゃおもしろいよね、的確)いつも一緒にいたら、通い妻じゃなくてただの妻だし。はるちゃん通い妻イヤーを何年か味わわせていただこう!と、思ってる所存です。おれの仕事もどうなっていくかわからないけど、どんなふうになっていっても、何年後もおれの隣で笑ってくれるのははるちゃんだったらいいなあっておもう気持ちはずっと変わらないし、悲しませることも傷つけることも、人対人だからそりゃあると思うんだけど、それよりも幸せの数のほうが多くて、幸せが大きいふたりでいられたらいいなとおもってるので。頼り甲斐はほんとうにありませんが、どうかこの先もずっとそばにいてください。半年間ありがとう。半年からも末長くよろしくおねがいします。だいすきだよ。
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kokoroyume-iesora · 2 months ago
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阿僧祇那由多の不可思議 序
ようこそ恒河沙へ
 その店に入る為には、入り口を開けてすぐに|設《もうけ》けられた、六畳ほどの小部屋を通る必要がある。
 それはまるで、雨粒や汚れ、埃なんかを、そこにあるカーペットで落とす為に|設《しつら》えてある様に感じた。
 或いは所謂《いわゆる》『風除室《ふうじょしつ》』だろうか。だがしかし、その実際の機���は兎《と》も角《かく》として、風除室という言葉を充《あて》てがうのは、どうも、しっくりとこない。
 そんな事を思いながら、二枚目の扉を開ける。それらは西欧か米国の、伝統的な様式か何かなのだろう。その名前はわからないけれど。
「言ってみれば、風除室ならぬ光除室《こうじょしつ》ね」 「え?」
 突如浴びせられた声に驚く。それは噂に違わぬ、美声であった。
 声の主を探すが、店内は薄暗く、その姿を認められない。
 まだ目が慣れていないせいもあるだろう。
 光源は橙のランプの|灯《あかり》のみであるらしかった。
 時折何かがその光を遮って陰が踊る。
 それが不思議と不気味では無く、寧ろ何か、お祭りに参加している様な、そんな心持ちにさえ、なるのだ。
「風除室と言うと、どうしてもガラス張りのイメージがあるでしょう? でもあそこはガラス張りではないわ。本当はきちんと名前があると思うのだけれど、生憎《あいにく》建築関係には最近まで興味がなかったのよ」
 こちらの暗順応《あんじゅんのう》を待たずして、言葉はまたも投げかけられた。
 その時、カチッっと音がして、俄かに室内の明るさが増す。
 それは相変わらず暖色系の照明なのだが、先ほどよりも遥かに店の中がよく見える様になった事には違いない。
 そして気づく。
 溢《あふ》れる数々の物、物、物。
 そのどれもが曰《いわ》くありげであったり、『まさにアンティーク』といった佇《たたず》まいをしていたり、得体の知れない異国情緒溢れるアイテムであったり……。
『統一感がないという統一がなされている』と言えそうな程に、見事にバラバラに物が集積している。
 筈なのに、それが店内のオレンジ色の光や、薄黄色い壁紙、紅い色をした梁《はり》や柱によってなのか、全体では調和している様に見受けられた。
「暗くてごめんなさいね。日光を厭《いと》うものもあるから仕方ないの。直射日光はもちろん、僅《わず》かな陽の光も、極力避けたいのよ。白色照明もね」
 遂に声の主を目視する。『記録的な低身長と童顔』という見た目も噂通り。服装もフリルが目立つ少女趣味なものである。だがしかし、成人女性であることは確かだろうと、その所作や雰囲気、そして独特な古式騒然《こしきそうぜん》とした口調からなのか、何故か確信をもって感じられる。
「そういう意味では光除室と言うよりか、陽除室《ひじょしつ》とか日除室《にちじょしつ》なんて呼び方もいいかもしれないわね」
 声の主は、こちらの思考など��構い無しに続ける。それは当然かもしれないが、仮にもお店なのだから、こちらの様子を見て声を掛けるものではないか?
「まぁ、そんな話はどうでもいいわね」
 いつのまにか、傍《かたわら》に若い男性が立っていた。声の主の少女趣味の服装を、『ロリータ』と呼称するような分類法であれば、彼の服装は所謂『ゴス』の系統に当たるだろうか。ファッションにはそれほど詳しくないので判然としないけれど。
「それでは改めまして……」
 少女、いや、少女然とした声の主が、私を見つめる。
「ようこそ『|恒河沙《ごうがしゃ》』へ。あなたの執着《のぞみ》を、伺《うかが》います」
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 探偵事務所兼アンティークショップ兼霊能事務所である『|恒河沙《ごうがしゃ》』に、今日も客は入らない。
『別にお金に困ってる訳じゃないからいいのよ』
 とは、店の主人たる|阿僧祇那由多《あそうぎなゆた》の弁である。
 曰く、『寧《むし》ろ暇で嬉しいでしょう? 最近の人は』、とかなんとか。
 まるで自分は最近の人じゃないみたいな物言いだが、阿僧祇那由多ことナユちゃんは僕とそう歳は変わらない。お互いにまだ四半世紀《しはんせいき》も生きていない。人生の素人であり、ペーペーであり、新参者である。……一部意味が重複《ちょうふく》していた気がするが、例えば『四苦八苦』だってその中身は意味が重複していたりする様だから、別にいいのだろう。
 ……何故『四苦八苦』を例に出したのか。ピンと来ないけれど、それはそれとして……。
 以前、歳下の子と付き合っていた際に、同様に『最近の子は〜』などという言い方をしているのを見かけた事があった。だからナユちゃんがそうしていても別段驚かないし、それこそ『最近の子はこうなんだなぁ』ぐらいにしか思ってないけれど。でもそれだと、僕も彼女達と同じ穴の狢《むじな》という事になってしまうのではあるまいか。それはなんだか心外である。改めよう。
「ねぇ」
 急に声を掛けてくるものだから、驚いてしまった。彼女との日々の経験から推察するに、これは多分態《ワザ》とやっていて、嫌がらせというか、悪戯《いたずら》というか。主に巫山戯《ふざけ》たい時と、不機嫌な時に採用される手口であるからして、『そのどっちかなんだろうなぁ』『今日はどっちなんだろうナァ』ぐらいの気概《きがい》で挑む。━━━そういう意味では予兆みたいで便利だ。警鐘と言うか、アクションゲームの敵の予備動作みたいなものだね。でもまぁ、驚くのは好ましからざるところであるので、やめてほしい事に変わりは無いが━━━
 しかし何用だろうか。
 アレ俺またなんかやっちゃいました?
 恐る恐る、恐らく僕の右手後方、僕を見下ろして立っているであろう━━━とは言っても身長が低いので、大して見下ろせないだろう━━━ナユちゃんの方へ、振り返る。
 ……………………。
 そこに、ナユちゃんは、居た。
 そりゃそうだ! そりゃいるだろうさ!
 だがその表情やら所作は決して悪戯心満載《いたずらごころまんさい》の巫山戯たいモードの彼女のそれでは無かったのだった! 残念無念ッ! ここまでかっ!
「今さっき、また何か失礼な事を考えていたでしょう」
 彼女は半ば呆れているような調子で、そしていつもの『古めかしい女性口調』でそう言った。
 ギクゥ。と、心の中で音がする。もちろん表層には噯《おくび》にも出さないに努める。確かに僕はさっき、『なんか昔の彼女の話をするのは悪いなぁ。なんか嫌(な予感するん)だなぁ、(もしナユちゃんににバレたら)怖いなぁ。心の中とは言え』などと内心の内心レヴェルで思っていたのですが、それでしょうか?
「なんのこと?」
 繰り返す様だが、努めて冷静に対処する。ポーカーフェイスが大事なんだ。
「惚《とぼ》けてるでしょう」
 執拗な責めの手が引っ込む気配はない。ここはひとつ、何か手を打たねばなるまいて。
 ……そうだな、いっちょ『風変わりな事』をして、彼女の気を逸らすべか。そしてそれは常識では考えられない様なレベルの、『不可思議』なことであるのが望ましい。
 そう判断した。
「エエ!? トボケテルゥ!? ナニソレ!? ミライチャンワカンナイ!」
『モノマネを仕込まれたインコのモノマネをする男』、現る。
 しめしめ、これで百年の恋も冷めよう。
 ナユちゃんが僕に恋をしているなんて、ありえないのだけれどね。
 だからこれは冗談さ。
「…………。」
 じっ
 と僕を見つめるナユちゃん先生。軽く握った左手を口元に添えて覆い隠している。その右手は腕組みの要領で左肘の方へ曲げられている。ナユちゃんが何か、深刻な事を考えている時の動作だ。
 これはまずい。
 しかし何故だい?
 僕はちょっと、『モノマネを仕込まれたインコのモノマネをする男』になっただけさ。その前は『ちょっと昔の彼女のことを思い出していた』だけさね。僕の何が悪かったというのだろう。そう思うと、何だかこれは、理不尽な圧政に思える。なんだか許せない気持ちになってきた!
「……いいわ。ミライチャン。どうしてインコのモノマネをしたのかだけ教えてくれる?」
 おや? 雲行きが変わってきたぞ? これはイケる。
「それはただ僕が、楽しかったから」
 どこかで聞いた言葉でお茶を濁す。『何それ』とでも言っていつもみたいにクスクス笑ってくれ。そうすれば全てが丸く収まるんだ。別に丸く収めなくてもいいけど。
 尖っていこう。
 どこぞのビールのCMみたいだ。
「…………そう。相変わらず、変な人ね」
 そう吐き捨てて、彼女は自分の席に戻っていく。
 ふうぅぅぅぅぅぅぅぅ、一命を取り留めたぜぇ。
 僕は心の中で冷汗を拭う。
「今日はお客さんが来るからね。ちゃんとしてよね」
 ひえぇ。もう大丈夫だと思って弛緩しきったところに、また彼女の声が浴びせられて、こっちに戻ってきて隙有り御命頂戴の再追求がはじまるのかと思ったぜぇ!
 実際はそんなことなくて、単に『お客さんが来る』というノーティスだった訳だが……。
 ん?
 お客さん?
「まぁ、そうは言っても、まだ暫くは来ないと思うけれど」
「え、今日予約あったっけ?」
「いいえ。予約はないわ。でも、来るわよ」
「あっ」
 このパターンか。久しぶりだったから最初の頃の様な察しの悪さを演じてしまった。
 彼女曰く『そういう事がわかる時がある』のだという。
 僕自身は全くそういうことは実感出来ないけれども、彼女の力については実感を以て確信している。  僕は彼女を尊敬しているし敬愛しているけれども、親愛の情から、気を許しすぎて、ついつい彼女に巫山戯た態度をとってしまう日もある。
 しかし『親しき仲にも礼儀あり』という言葉がある様に、ある程度は弁《わきま》えなければならない。  とはいえ余り好印象を与えるような事をし続けてバランスを欠いても良くない。この塩梅が正直ちょっと難しい。素人にはわからないでしょうね! ふぇふぇ〜ん。
 ん、なんかものっそい話がズレていってる気がするぞ! 気のせいか!?
「悪いけど、いつも通りに応対の半分くらいは宜《よろ》しくね」 「ん? ああ……任せて」 「ん。 ありがと」
 くだらない思考に終止符を打つ様に、ナユちゃんがいつものお願いをしてくる。こんなのに毎回言わなくてもいいのに、毎回言うのは律儀だ。律儀なのは嬉しいけれど、もうちょっと信用して気を許してくれてもいいのになと思う。まぁそれは追い追い。そのうち時間が解決してくれるだろうさ!
 ビバ! 単純接触効果!
 …………う〜ん。
 どうにも今日は、他人になった様な心持ちがするなぁ。
 ま、そんな訳ないけどサ。
 さて、と。
 僕はお気に入りの、ダークグリーンのカウチから立ち上がって、彼女に声を掛ける。
「お茶を淹れるよ。次は何にする?」 「そうね、今はチャイが飲みたいわ」 「チャイ? 珍しいね?」 「ええ。ダメかしら?」 「全然いいよ! 珍しいなって思っただけ」 「良かった、ありがとう。理由は多分、仏教の話もしたからね」 「ああ、名前の話ね」 「そう。それで多分インド繋がりよ。誰かさんの言う様に安直なの」 「あれ? もしかして根に持ってる?」 「そんなことないわよ〜」
 そうだろうか。まぁ彼女がそういうならそうなんだろう。そういうことにした。
 あと別に、今日はインドの話はしていない気がするが。チラっとサンスクリット語とかガンジス川が出てきたぐらいで。今日はなんだか、彼女もおかしいな。彼女の真似をして言えば、『何か人智を超えた不可思議によって、何らかの影響を受けている』のかなともチラっと思ったが、どうなんだろうか。
 まあいいか。どうせ僕には、わからないことだ。
 僕はチャイを淹れる為に��キッチンに向かうべく歩き出す。
「お手間よね。ごめんね。大変だったらいいからね」
 背中に投げかけられる、そんな言葉。
「ハハ、ノープロブレムさ。任せて」
 変に外人みたいに返しをしてしまった。
 う〜ん、やはり、今日は僕も彼女もなんだかいつもの僕や彼女じゃないみたいだ。
 なんなのだろう。気持ちが悪い。心が思う様に���らない。
 これぞまさに、以前調べた、『|五蘊盛苦《ごうんじょうく》』ってやつだろうか。
 …………?
『五蘊盛苦』なんて、いつ調べたっけ?
 不快な疑問を、振り払う様に、再びキッチンへ向かった。
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