#ぐんま養蚕学校
Explore tagged Tumblr posts
kachoushi · 1 year ago
Text
虚子自選揮毫『虚子百句』を読む Ⅱ
花鳥誌2024年2月号より転載
Tumblr media
日本文学研究者
井上 泰至
  山寺の宝物見るや花の雨
 季語は「花の雨」で『新歳時記』では「花」の傍題。山寺で宝物に見入る「寂び」の境地を云々されたこともあったが、『虚子百句』の立子の評は、それを覆している。
 父はあまりお寺やお宮などの宝物に興味を持っていないと思います。それが特に宝物を見るというのは何か余儀なくそうして時間をつぶしたという心持ちがあるのでしょう。
 つまり、「宝物見るや」と「や」で謎をかけておいて、「花の雨」で降り籠められただけだったんだよと明かし、軽い「笑い��を受け取れば、それでいいのだということである。虚子は『俳句はかく解しかく味ふ』の冒頭で、歴史を詠んだ古俳諧を取り上げ、こう言っている。
 俳句の詠史は漢詩や和歌などと違うてその事柄を優美にしたり、荘重にしたりすることはしないで、むしろその事柄と反対に卑近な物を持って来たり、滑稽な物を持って来たりして頓挫を与えるものが多い。(中略)
 同じく滑稽味と言ったところで、これらはげたげた笑うような滑稽ではなくて底には淋し味も含んだ品のいい滑稽である。ユーモアというような部類に属するものである。  
 巻頭で語っているから、これは俳句の本質論でもあって、下品なくすぐりは感心しないが、「頓挫」があって「ユーモア」がある、というのが、虚子の言う、漢詩・和歌に対する俳句の特質であったわけだ。
  力無きあくび連発日の盛り 虚子
 虚子はよく欠伸をしたという。選句中は虚空を見上げたとも(『俳句と自分』)。俳句は深呼吸のようなものだ、という言葉も残している。欠伸や深呼吸をすれば、必ずいい句が生まれるというものではないが、息を詰め、肩を怒らす、そのような心持ちで俳句は詠むものではないという思いも伝わってくる。
 いい意味の虚子の「余裕」を、この句にも見るべきだというのが、立子の言いたいところなのである。山寺の幽玄な雰囲気に浸っていた、などという解釈こそが、芭蕉を神に祭り上げた「月並」と同様の陥穽ではないのか、とも解せる。
 『虚子百句』のレイアウト上の構成を考えれば、前に掲げた〈美しき人や蚕飼の玉襷〉は、完全な人事句。それに比して「山寺」句は叙景に近い。句集の編集の妙は「変化」にある。さらに、「や」の使いように注目すれば、「や」の位置と、上に来る言葉の性質の違いはあるものの、両者「頓挫」がある。片や品のある美人のうなじをさりげなく暗示し、片や所在ない山寺の退屈を笑ってみせた。二物衝撃などという肩ひじ張った合理的機能を言い立てる前に、俳諧以来の技法の「底」を浚う方が、地に足がついている、とも言いうる。
 なお、この句は題詠であって、単純な嘱目ではない。『年代順虚子俳句全集』第二巻では「桜十句」の題で八句は記録され、その中に掲句が確認できる。
  花見船菜の花見ゆるあたり迄
  山駕や酒手乞はれて桜人
  藪原や櫛売る家の遅���
  花の雨蒲団ぬらして誰が庵
  大江山花に戻るや小盗人
  山寺の宝物見るや花の雨
  夜桜や栂川楼を出る芸者
  夜桜や用ありげなる小提灯
 「藪原」は明治二七年の木曽の旅、「栂川楼」は柳巷花街の柳橋のことと本井英は考証している(「虚子『五百句』評釈(第七回)」『夏潮』二〇一六年六月)。ともかく、山寺句は、子規在世当時、蕪村に倣った修練法「一題十句」において成立した句だった。並んだ句はみな小説の一場面といった趣きである。
 虚子はこの頃、『俳句入門』(明治三一年)で、写生とともに題詠の重要性を説いて、特に「一題十句」は、遊戯的な仕掛けを通して、言葉の取捨選択や、季題への深い理解につながるものがある、と言う。今の伝統派にも残る修練法だが、見るだけでなく、記憶し、想起することも写生の中に含まれることも明記しておきたい。書は前の句に比べて薄いムラがある。
  芳草や黒き烏も濃紫
 『五百句』注記に、「明治三十九年三月十九日 俳諧散心。第一回。(九段上)小庵。会者、(高田)蝶衣、(松根)東洋城、(岡本)癖三酔、(岡本)松浜、(柴)浅茅。尚この俳諧散心の会は翌明治四十年一月二十八日に至り四十一回に及ぶ。」(括弧内、井上注記)とある。
 「俳諧散心」は、子規没後ライバルであった河東碧梧桐を意識した鍛錬句会のことである。橋本直「「俳諧散心」と近代個人句集の起こりについて」(『夏潮別冊虚子研究号』10)に詳しい。「ホトトギス」の事務と編集を担当していた松浜が謄写版で句会稿を翻字した「芳草集」が虚子記念文学館に所蔵される。
 「散心」は元来仏語で、仏事に専心しない散漫な状態を言うが、転じて、そのような凡夫の心にも一心に念仏すれば成仏する意味を含み、ここは俳句の鍛錬に集中する「行」の会を意味する。
 『虚子俳句全集年代順』第二巻(昭和十五年)には、「俳諧散心」の虚子句を集中して掲載しており、掲句は、「第一回、草芳し十句」と記されている通り、一題十句の中の一句であることが確認できる。掲句の他三句に絞って記しているので、挙げて置こう。
  垣間見る好色者に草芳しき
  人屋出てふむ時草の芳しき
  芳しき小草��ゆるや塔の下
 このうち「好色者(すきもの)」の句は、『喜寿艶』に載るが、掲句は春の光を受けて烏の漆黒も濃い紫に見える、というわけである。子規の最晩年に
  黒キマデニ紫深キ葡萄カナ
 という句があり、意識したかも知れない。拙著『子規の内なる江戸』で指摘したことだが、二つの色を比較して際立たせる手法は、典型的な子規の写生の方法で、洋画からの発想である。有名な碧梧桐の、
  赤い椿白い椿と落ちにけり  
 という句もその成功例であり、印象明瞭な子規派の俳句の新味であった。虚子もこの路線で詠んだわけである。
 問題は、「芳草」という季題の表記であろう。字数の加減で、上五にこの言葉を持ってくるとき、「芳草」と漢語にして文字を惜しんだことは、容易に想像がつく。しかし、それだけのことなら、ごまんとある自句から掲句をわざわざ選んだりはしないだろう。「春の草」「草芳し」でもよかったことになる。
 漢語の「芳草」を持ってきて「や」で切る形は、調べから言って、漢詩のような格調をもたらす。また、掲句は取り合わせの句である。その取り合わせた中七・下五でポイントになるのは「も」である。この言葉は、「AもBも」という現代でも使う意味の他、『万葉集』以来「〜さえも」という含意を持つ(上野洋三『芭蕉論』「も考」)。
 烏の背景は、「芳草」の若々しい「緑」である。その背景の「春光」によって、烏の羽の漆黒さえも「濃紫」の艶を得たということなのである。ここに「緑」「碧」「青」の字を置いては、くどくなってしまう。匂いたつほどの緑を暗示する格調高き「芳草」としておくことで、下五の「濃紫」から反転して「緑」が感得できるようにしたのが、この句の眼目なのである。
 色の比較の句は、つい知的な操作に終始してしまい、季題を生かすことから逸れてしまいがちになる。しかし、掲句は子規や碧梧桐の色の配合句に負けない、季題という中心点を把握して見せた出来栄えのいいものだ。虚子と言えば、一物仕立てという公式は当てはまらない。これくらいのことは、虚子もやってのけた、というわけである。
 なお、一題十句は、蕪村の『新花摘』に学んで子規らが始めた修練法で、その始まりは明治二十九年にさかのぼる。虚子は『俳句入門』(明治三十一年)で以下のようにその効用を述べている。題をころころ変えて、一句しか詠まないより、この方法の方が、題をあれこれ考え、十句のうちから幾つかは佳句を得やすい、と。つまり、袋回しで題をいくつも詠むより、費用対効果がいいわけである(井上『近代俳句の誕生』)。虚子の、特に青年期の修養がこうして題詠を中心になされていたことは記憶にとどめておくべきである。
『虚子百句』より虚子揮毫
  美しき人や蚕飼の玉襷
  山寺の宝物見るや花の雨
Tumblr media
(国立国会図書館デジタルコレクションより)
___________________________
井上 泰至(いのうえ・やすし)   1961年京都市生まれ 日本伝統俳句協会常務理事・防衛大学校教授。 専攻、江戸文学・近代俳句
著書に 『子規の内なる江戸』(角川学芸出版) 『近代俳句の誕生』 (日本伝統俳句協会) 『改訂雨月物語』 (角川ソフィア文庫) 『恋愛小説の誕生』 (笠間書院)など 多数
0 notes
h-ito-mi · 4 years ago
Photo
Tumblr media
#綾竹台 #江戸くみひも の特徴的な組台 ・ ・ 師匠が使いやすく改良したものも 真似て軽井沢時代に 制作してもらいました。 ・ ・ くさびあり、 分解出来て、小さくまとめられる 素晴らしい。 壊れずにタイ、日本往復しました。 ・ ・ 君には 和室がお似合いだね。 日本に戻ってきたよ。 相棒よ、またよろしくね。 ・ ・ 4/13に船便64個が来る。笑 長めに見積もってたから、、、 え?って聞いた私。 ・ ・ やっと落ち着いてきた気持ちと 早くて有難いのと、 また落ち着かない日々到来。 4-5日で片付け終わり��い。 ・ ・ まだまだ 群馬移住の珍道中は続く、、、 ・ ・ #isawahitomi #kumihimo #養蚕 したくて、群馬県を選びました。 #ぐんま養蚕学校 に通います ・ #組紐ブレスレット #kumihimoaccessories ・ @h.ito_mi ・ #タイ在住 #組紐アーティスト 兼 #高貴な趣味 #北海道出身 キャラ立ちしてます。 スーパー前向き思考な人間です。 #食 #美 #工芸好き #2児の母 #いっちゃん楽生子育て #水彩画 で描き #絹糸を #染め #組紐 を作ります #silk #絹糸 への関心が強く 養蚕し糸を作り組紐を作るのが #夢 です 2018.3からタイ#bangkok に居ました #日本 だから出来る事 私の中でひとつになり、作品になる 毎年日本で #展示会 やります。 #ぐんま養蚕学校 へ行くために 2021.3 本帰国 場所は群馬県 @h.ito-mi #HitoMI ブランド名は #伊澤ひとみ から取りました。 名前のスペルに #ito がある 決まっていたよう。 良質な人とものに囲まれ 絞り込まれた豊かさを感じ 毎日を楽しく生きています。 (Annaka) https://www.instagram.com/p/CNbnmfVH01M/?igshid=1jdyou3inoerv
2 notes · View notes
2ttf · 13 years ago
Text
iFontMaker - Supported Glyphs
Latin//Alphabet// ABCDEFGHIJKLMNOPQRSTUVWXYZabcdefghijklmnopqrstuvwxyz0123456789 !"“”#$%&'‘’()*+,-./:;<=>?@[\]^_`{|}~ Latin//Accent// ¡¢£€¤¥¦§¨©ª«¬®¯°±²³´µ¶·¸¹º»¼½¾¿ÀÁÂÃÄÅÆÇÈÉÊËÌÍÎÏÐÑÒÓÔÕÖרÙÚÛÜÝÞßàáâãäåæçèéêëìíîïðñòóôõö÷øùúûüýþÿ Latin//Extension 1// ĀāĂ㥹ĆćĈĉĊċČčĎďĐđĒēĔĕĖėĘęĚěĜĝĞğĠġĢģĤĥĦħĨĩĪīĬĭĮįİıIJijĴĵĶķĸĹĺĻļĽľĿŀŁłŃńŅņŇňʼnŊŋŌōŎŏŐőŒœŔŕŖŗŘřŚśŜŝŞşŠšŢţŤťŦŧŨũŪūŬŭŮůŰűŲųŴŵŶŷŸŹźŻżŽžſfffiflffifflſtst Latin//Extension 2// ƀƁƂƃƄƅƆƇƈƉƊƋƌƍƎƏƐƑƒƓƔƕƖƗƘƙƚƛƜƝƞƟƠơƢƣƤƥƦƧƨƩƪƫƬƭƮƯưƱƲƳƴƵƶƷƸƹƺƻƼƽƾƿǀǁǂǃDŽDždžLJLjljNJNjnjǍǎǏǐǑǒǓǔǕǖǗǘǙǚǛǜǝǞǟǠǡǢǣǤǥǦǧǨǩǪǫǬǭǮǯǰDZDzdzǴǵǶǷǸǹǺǻǼǽǾǿ Symbols//Web// –—‚„†‡‰‹›•…′″‾⁄℘ℑℜ™ℵ←↑→↓↔↵⇐⇑⇒⇓⇔∀∂∃∅∇∈∉∋∏∑−∗√∝∞∠∧∨∩∪∫∴∼≅≈≠≡≤≥⊂⊃⊄⊆⊇⊕⊗⊥⋅⌈⌉⌊⌋〈〉◊♠♣♥♦ Symbols//Dingbat// ✁✂✃✄✆✇✈✉✌✍✎✏✐✑✒✓✔✕✖✗✘✙✚✛✜✝✞✟✠✡✢✣✤✥✦✧✩✪✫✬✭✮✯✰✱✲✳✴✵✶✷✸✹✺✻✼✽✾✿❀❁❂❃❄❅❆❇❈❉❊❋❍❏❐❑❒❖❘❙❚❛❜❝❞❡❢❣❤❥❦❧❨❩❪❫❬❭❮❯❰❱❲❳❴❵❶❷❸❹❺❻❼❽❾❿➀➁➂➃➄➅➆➇➈➉➊➋➌➍➎➏➐➑➒➓➔➘➙➚➛➜➝➞➟➠➡➢➣➤➥➦➧➨➩➪➫➬➭➮➯➱➲➳➴➵➶➷➸➹➺➻➼➽➾ Japanese//かな// あいうえおかがきぎくぐけげこごさざしじすずせぜそぞただちぢつづてでとどなにぬねのはばぱひびぴふぶぷへべぺほぼぽまみむめもやゆよらりるれろわゐゑをんぁぃぅぇぉっゃゅょゎゔ゛゜ゝゞアイウエオカガキギクグケゲコゴサザシジスズセゼソゾタダチヂツヅテデトドナニヌネノハバパヒビピフブプヘベペホボポマミムメモヤユヨラリルレロワヰヱヲンァィゥェォッャュョヮヴヵヶヷヸヹヺヽヾ Japanese//小学一年// 一右雨円王音下火花貝学気九休玉金空月犬見五口校左三山子四糸字耳七車手十出女小上森人水正生青夕石赤千川先早草足村大男竹中虫町天田土二日入年白八百文木本名目立力林六 Japanese//小学二年// 引羽雲園遠何科夏家歌画回会海絵外角楽活間丸岩顔汽記帰弓牛魚京強教近兄形計元言原戸古午後語工公広交光考行高黄合谷国黒今才細作算止市矢姉思紙寺自時室社弱首秋週春書少場色食心新親図数西声星晴切雪船線前組走多太体台地池知茶昼長鳥朝直通弟店点電刀冬当東答頭同道読内南肉馬売買麦半番父風分聞米歩母方北毎妹万明鳴毛門夜野友用曜来里理話 Japanese//小学三年// 悪安暗医委意育員院飲運泳駅央横屋温化荷開界階寒感漢館岸起期客究急級宮球去橋業曲局銀区苦具君係軽血決研県庫湖向幸港号根祭皿仕死使始指歯詩次事持式実写者主守取酒受州拾終習集住重宿所暑助昭消商章勝乗植申身神真深進世整昔全相送想息速族他打対待代第題炭短談着注柱丁帳調追定庭笛鉄転都度投豆島湯登等動童農波配倍箱畑発反坂板皮悲美鼻筆氷表秒病品負部服福物平返勉放味命面問役薬由油有遊予羊洋葉陽様落流旅両緑礼列練路和 Japanese//小学四年// 愛案以衣位囲胃印英栄塩億加果貨課芽改械害街各覚完官管関観願希季紀喜旗器機議求泣救給挙漁共協鏡競極訓軍郡径型景芸欠結建健験固功好候航康告差菜最材昨札刷殺察参産散残士氏史司試児治辞失借種周祝順初松笑唱焼象照賞臣信成省清静席積折節説浅戦選然争倉巣束側続卒孫帯隊達単置仲貯兆腸低底停的典伝徒努灯堂働特得毒熱念敗梅博飯飛費必票標不夫付府副粉兵別辺変便包法望牧末満未脈民無約勇要養浴利陸良料量輪類令冷例歴連老労録 Japanese//小学五〜六年// 圧移因永営衛易益液演応往桜恩可仮価河過賀快解格確額刊幹慣眼基寄規技義逆久旧居許境均禁句群経潔件券険検限現減故個護効厚耕鉱構興講混査再災妻採際在財罪雑酸賛支志枝師資飼示似識質舎謝授修述術準序招承証条状常情織職制性政勢精製税責績接設舌絶銭祖素総造像増則測属率損退貸態団断築張提程適敵統銅導徳独任燃能破犯判版比肥非備俵評貧布婦富武復複仏編弁保墓報豊防貿暴務夢迷綿輸余預容略留領異遺域宇映延沿我灰拡革閣割株干巻看簡危机貴揮疑吸供���郷勤筋系敬警劇激穴絹権憲源厳己呼誤后孝皇紅降鋼刻穀骨困砂座済裁策冊蚕至私姿視詞誌磁射捨尺若樹収宗就衆従縦縮熟純処署諸除将傷障城蒸針仁垂推寸盛聖誠宣専泉洗染善奏窓創装層操蔵臓存尊宅担探誕段暖値宙忠著庁頂潮賃痛展討党糖届難乳認納脳派拝背肺俳班晩否批秘腹奮並陛閉片補暮宝訪亡忘棒枚幕密盟模訳郵優幼欲翌乱卵覧裏律臨朗論 Japanese//中学// 亜哀挨曖扱宛嵐依威為畏尉萎偉椅彙違維慰緯壱逸芋咽姻淫陰隠韻唄鬱畝浦詠影鋭疫悦越謁閲炎怨宴援煙猿鉛縁艶汚凹押旺欧殴翁奥憶臆虞乙俺卸穏佳苛架華菓渦嫁暇禍靴寡箇稼蚊牙瓦雅餓介戒怪拐悔皆塊楷潰壊懐諧劾崖涯慨蓋該概骸垣柿核殻郭較隔獲嚇穫岳顎掛括喝渇葛滑褐轄且釜鎌刈甘汗缶肝冠陥乾勘患貫喚堪換敢棺款閑勧寛歓監緩憾還環韓艦鑑含玩頑企伎忌奇祈軌既飢鬼亀幾棋棄毀畿輝騎宜偽欺儀戯擬犠菊吉喫詰却脚虐及丘朽臼糾嗅窮巨拒拠虚距御凶叫狂享況峡挟狭恐恭脅矯響驚仰暁凝巾斤菌琴僅緊錦謹襟吟駆惧愚偶遇隅串屈掘窟繰勲薫刑茎契恵啓掲渓蛍傾携継詣慶憬稽憩鶏迎鯨隙撃桁傑肩倹兼剣拳軒圏堅嫌献遣賢謙鍵繭顕懸幻玄弦舷股虎孤弧枯雇誇鼓錮顧互呉娯悟碁勾孔巧甲江坑抗攻更拘肯侯恒洪荒郊貢控梗喉慌硬絞項溝綱酵稿衡購乞拷剛傲豪克酷獄駒込頃昆恨婚痕紺魂墾懇沙唆詐鎖挫采砕宰栽彩斎債催塞歳載剤削柵索酢搾錯咲刹拶撮擦桟惨傘斬暫旨伺刺祉肢施恣脂紫嗣雌摯賜諮侍慈餌璽軸叱疾執湿嫉漆芝赦斜煮遮邪蛇酌釈爵寂朱狩殊珠腫趣寿呪需儒囚舟秀臭袖羞愁酬醜蹴襲汁充柔渋銃獣叔淑粛塾俊瞬旬巡盾准殉循潤遵庶緒如叙��升召匠床抄肖尚昇沼宵症祥称渉紹訟掌晶焦硝粧詔奨詳彰憧衝償礁鐘丈冗浄剰畳壌嬢錠譲醸拭殖飾触嘱辱尻伸芯辛侵津唇娠振浸紳診寝慎審震薪刃尽迅甚陣尋腎須吹炊帥粋衰酔遂睡穂随髄枢崇据杉裾瀬是姓征斉牲凄逝婿誓請醒斥析脊隻惜戚跡籍拙窃摂仙占扇栓旋煎羨腺詮践箋潜遷薦繊鮮禅漸膳繕狙阻租措粗疎訴塑遡礎双壮荘捜挿桑掃曹曽爽喪痩葬僧遭槽踪燥霜騒藻憎贈即促捉俗賊遜汰妥唾堕惰駄耐怠胎泰堆袋逮替滞戴滝択沢卓拓託濯諾濁但脱奪棚誰丹旦胆淡嘆端綻鍛弾壇恥致遅痴稚緻畜逐蓄秩窒嫡抽衷酎鋳駐弔挑彫眺釣貼超跳徴嘲澄聴懲勅捗沈珍朕陳鎮椎墜塚漬坪爪鶴呈廷抵邸亭貞帝訂逓偵堤艇締諦泥摘滴溺迭哲徹撤添塡殿斗吐妬途渡塗賭奴怒到逃倒凍唐桃透悼盗陶塔搭棟痘筒稲踏謄藤闘騰洞胴瞳峠匿督篤凸突屯豚頓貪鈍曇丼那謎鍋軟尼弐匂虹尿妊忍寧捻粘悩濃把覇婆罵杯排廃輩培陪媒賠伯拍泊迫剝舶薄漠縛爆箸肌鉢髪伐抜罰閥氾帆汎伴畔般販斑搬煩頒範繁藩蛮盤��彼披卑疲被扉碑罷避尾眉微膝肘匹泌姫漂苗描猫浜賓頻敏瓶扶怖附訃赴浮符普腐敷膚賦譜侮舞封伏幅覆払沸紛雰噴墳憤丙併柄塀幣弊蔽餅壁璧癖蔑偏遍哺捕舗募慕簿芳邦奉抱泡胞俸倣峰砲崩蜂飽褒縫乏忙坊妨房肪某冒剖紡傍帽貌膨謀頰朴睦僕墨撲没勃堀奔翻凡盆麻摩磨魔昧埋膜枕又抹慢漫魅岬蜜妙眠矛霧娘冥銘滅免麺茂妄盲耗猛網黙紋冶弥厄躍闇喩愉諭癒唯幽悠湧猶裕雄誘憂融与誉妖庸揚揺溶腰瘍踊窯擁謡抑沃翼拉裸羅雷頼絡酪辣濫藍欄吏痢履璃離慄柳竜粒隆硫侶虜慮了涼猟陵僚寮療瞭糧厘倫隣瑠涙累塁励戻鈴零霊隷齢麗暦劣烈裂恋廉錬呂炉賂露弄郎浪廊楼漏籠麓賄脇惑枠湾腕 Japanese//記号//  ・ー~、。〃〄々〆〇〈〉《》「」『』【】〒〓〔〕〖〗〘〙〜〝〞〟〠〡〢〣〤〥〦〧〨〩〰〳〴〵〶 Greek & Coptic//Standard// ʹ͵ͺͻͼͽ;΄΅Ά·ΈΉΊΌΎΏΐΑΒΓΔΕΖΗΘΙΚΛΜΝΞΟΠΡΣΤΥΦΧΨΩΪΫάέήίΰαβγδεζηθικλμνξοπρςστυφχψωϊϋόύώϐϑϒϓϔϕϖϚϜϞϠϢϣϤϥϦϧϨϩϪϫϬϭϮϯϰϱϲϳϴϵ϶ϷϸϹϺϻϼϽϾϿ Cyrillic//Standard// ЀЁЂЃЄЅІЇЈЉЊЋЌЍЎЏАБВГДЕЖЗИЙКЛМНОПРСТУФХЦЧШЩЪЫЬЭЮЯабвгдежзийклмнопрстуфхцчшщъыьэюяѐёђѓєѕіїјљњћќѝўџѢѣѤѥѦѧѨѩѪѫѬѭѰѱѲѳѴѵѶѷѸѹҌҍҐґҒғҖҗҘҙҚқҜҝҠҡҢңҤҥҪҫҬҭҮүҰұҲҳҴҵҶҷҸҹҺһҼҽҾҿӀӁӂӇӈӏӐӑӒӓӔӕӖӗӘәӚӛӜӝӞӟӠӡӢӣӤӥӦӧӨөӪӫӬӭӮӯӰӱӲӳӴӵӶӷӸӹӾӿ Thai//Standard// กขฃคฅฆงจฉชซฌญฎฏฐฑฒณดตถทธนบปผฝพฟภมยรฤลฦวศษสหฬอฮฯะัาำิีึืฺุู฿เแโใไๅๆ็่้๊๋์ํ๎๏๐๑๒๓๔๕๖๗๘๙๚๛
see also How to Edit a Glyph that is not listed on iFontMaker
9 notes · View notes
oka-akina · 6 years ago
Text
1月23日
Tumblr media
 浴衣を着ているのかと思ったと祖母が言った。わたしのシャツが白地に紺色の柄だったためだろう。大柄のチェックで、たしかにいげたがすりのように見えなくもない。浴衣にはまだ早いよとわたしは言った。でも浴衣でもちょうどいいような気温だなとも思った。五月はこんなに暑かったろうかと毎年思う。ことしはずいぶん訃報が多いなと毎年毎年思うのと似ている。  祖母はベッドの上で体を曲げて横になっている。肩や腹やあちこち痛いと言った。二月に骨折して��らずっと入院している。こんなに長いこと家に帰れなくなるとは思わなかったと祖母は言い、近所の人たちが心配しているんじゃないかと不安そうにした。母や伯父がときどき家に物を取りに行っているから、近所の人と挨拶くらいしてるはずだよとわたしは言い、祖母はまばたいて、ちょっと唸った。耳が遠いのだ。  花を持って見舞いに行った。来る途中にあったホームセンターでガーベラを買った。花瓶はどうするかと夫が言い、病院で貸してもらえるだろうとわたしは言った。ばかのふりをしてナースステーションでたずねれば、いっこくらい出してくれるんじゃないかと。  ばかのふりをして図々しくなにかをお願いする、ばかのふりをして手取り足取り教えてもらう。子どもの頃、世のおばちゃんたちはなんてずうずうしいのだろうと思っていたが、あれはみんなわざとそうしていたのかもしれない。またばかのふりかと夫が笑う。わたしのばかのふりを、夫は喜ぶ。わたしは喜ぶ夫が面白いから、ばかのふりをしているフシがあり、一人だともっとキザだし気取っていると思う。どっちがどうというわけではな���が、ばかのふりをたくさんするうち、ほんとうにばかになっているような気もするし、もともとおばかさんだった気もする。花瓶を貸してもらえませんかとナースステーションでたずねたら、すんなり出てきた。ばかのふりをするまでもなかった。  背の高いガーベラで、どうにもおさまりが悪かったが、ハサミは借りなかったのでそのままひょろっとさせておいた。枕元の物入れの上に置いた。「あんまり見えないかもしれないけど、ここに花があるということが大事だから」、わたしはでたらめなことを言った。祖母はやはりまばたいた。耳の遠い相手に好き勝手べらべらしゃべったり、ぼんやり沈黙したりしている時間がわたしはわりと楽しいのだけど、それはわたしがときどきしか祖母に会わないから言えることで、ほんとう、病院の職員さんや週に何度も見舞う母や伯父には頭が下がる。  リハビリのようすを見学して帰った。歩行訓練や輪を棒にかけるのや、祖母は黙々とリハビリをおこなった。理学療法士のおにいさんが履いていたスニーカーが、わたしとまったく同じもので、なんだかわたしは面白かったのだけど、おにいさんは気まずそうに笑った。プーマの白、ソールが濃いピンク色。
 という五月の日記を読み返している。  あのとき祖母はベッドの上で、自分の手や腕をさすりながら「血管が糸のようにほそくなってしまった」となげいた。「糸のように」。声や言葉や見えない血の管のようすをわたしは反芻する。祖母はむかし洋裁の学校に通っていて、家には足踏みの古めかしいミシンがあった。そのミシンで、わたしは学祭で使うなんやかやを縫ってもらったことがあったが、二十年ぐらい前の話だ。ミシンはもう捨てているだろうと思う。少し前から伯父が家の片付けをやってくれている。そして、これはなにか手縫いしているときだったろうけど、祖母が歯で糸をぷつんと切る仕草を、思い出す。畑の世話で灼けた指にごろんと指輪が光り、手首には輪ゴムが食い込み、銀歯が覗いて糸が切れる。糸のようにほそくなってしまった、祖母はどんな糸を思い浮かべたろう? ボタン糸より弱い糸だろうか?
 そうして蚕の吐く糸を思い出す。わたしが最初に通った小学校は田舎で、養蚕農家の子がちらほらいた。そういう子たちは生きもの係になると蚕を連れてくる。わたしのいた教室でも、何匹か蚕を飼った。白くて大きな(ほんとうに大きいのだ)蚕たちはおとなしく、でもごそごそ動き回り、担任は教室で蚕を飼うことをとてもよろこんだ。わたしたちに観察日記をつけさせた。蚕を手に乗せ、どんな感じだったか書きましょうと言った。わたしはその町に越してきたばかりで蚕というものを初めて見た。そのころあらゆる虫がこわかった。とくにアゲハ蝶の幼虫がこわくてこわくて、理科の教科書を開けなかったほどだったから、蚕はもっとおそろしく見えた。「こわくてできません」と言ったら、ものすごい剣幕で叱られた。「お蚕さまを気持ち悪いと言うなんて」と怒鳴られた。わたしは気持ち悪いとは言わなかったのだが、でも同じことなのだろうと思った。虫が苦手なのを、男の子たちにからかわれた。怒鳴られた子はからかっていい子だ。登校すると机の上に理科の教科書や昆虫図鑑の、幼虫のページが開いて置かれている。わたしは泣きながら本を閉じる。男の子たちは面白がって、それが続く。わたしの教科書の該当のページは、母が糊で貼ってくれた。テスト中など教室が静かなとき、蚕がごそりと動くおとがきこえた。わたしもわるいし男の子たちもわるい、蚕はわるくない、あんまり泣いているとバカにされるから、こらえた。鼻の奥が痛んだ。それで比較的こわくなかったおたまじゃくしを、田んぼですくっては男の子たちの前で道路にばらまいてみせ、わたしはこわさを克服したように見せかけた。点々と散ったおたまじゃくしたちはすぐにひからびた。おたまじゃくちたちにはかわいそうなことをした。わたしがわるい。男の子たちは桑畑に連れて行ってくれ、桑の実をわけてくれた。指が真っ黒になったが酸っぱくてうまかった。やがて蚕は繭になり蛾になった。糸を吐くようすを見たわけではない、見たかもしれないけどおぼえていない、でも、糸というと教室の蚕がまっさきに接続する。よわよわしい家畜の吐く息、その白。歯で切れそうだ。    祖母が亡くなった。けっきょく家には帰れなかった。母からのLINEで知った。わたしは寝ていたので気づくのに50分ばかり遅れた。祖母は先週から意識がなかった。ゆっくり徐々に亡くなったのだと思った。実家に電話をかけたら父が出た。お母さんは?とたずねると、「いない」「出かけてる」「どこにいるかわからない」「たぶん病院かばあちゃんち」と頼りない返事だった。実家には、年末に出産したばかりの妹もいる。妹は葬儀には行かれないだろうなと思った。じゃあ携帯にかけるよと電話を切り、病院というのは祖母のいた(いた、だ)病院なのか、母が通院している病院なのかききそびれた。昨年から母は体調を崩している。母の携帯に電話をした。母は祖母の家にいた。斎場が混みあっているから葬儀は来週になると言い、家族だけでとりおこなうことになりそうだと話をした。母はあわてているのか、どうも話が要領をえなかった。母が「平日だからお葬式は来なくてもいいけど……」と言いかけ、わたしはなにをとんちんかんなことをと思わずいらだってしまった。行かないわけないでしょうと言った。母がぶつぶつと謝り、前にもこんなことがあったなと思う。電話を切ってから、もうちょっと優しくしてやればよかったと思った。
 腹が減ったのでおむすびとオムレツをつくって食べた。春らしい色合いになったが、とくにぼうっとしていたわけでもないのに卵を焦がした。といってもわたしには上出来なほうで、塩加減もうまくいった、ちょっといい気分になった。桑の実よりうまい。さっきうまかったと書いたけど、ほんとうはけっこう青臭かった。男の子たちのことはきらいだった。  夫に祖母が亡くなった旨をLINEしたら、すぐに既読がつき電話が返ってきた。わたしより悲しんでいるみたいな声をしていたので驚いた。たまたま明日は有給休暇で、実家と祖母の家を明日訪ねようということになった。それでいつものように小説を書いたり本を読むなどし、そういえば髪が伸び放題だったなと思い、美容室に行った。色が抜けてほぼキンパツの髪も黒っぽく染めることにした。「最近どうですか」、いつもの美容師さんがたずねた。甥が生まれたこと、祖母が亡くなったこと。「いいニュースとわるいニュースがあるんですけど……」、わたしは生まれて初めてそのせりふを口にして、にやにやした。やはりひとりだとキザになる。そうして甥がいかにかわいいかという話で盛り上がり、祖母のことは話さないまま帰った。  帰り道にスーパー銭湯に寄り、平日の夜だからガラガラだった。脱衣所で、男の子が風呂に入りたくないとだだをこねていた。お母さんと妹と三人づれで、母親はもうパンツだけになっているし、女の子ははだかんぼうでうろうろしている。自分は風呂には入らない、今すぐ帰るのだと男の子はさけんでいた。母親はどうにかなだめすかそうとしているが、男の子はきかない。かれなりのどうしてもゆずれないなにかがあるらしい。どうしても虫がこわかったこと。もうお金払っちゃったから入ろうよ、お母さん寒いよ、いやだいやだ、繰り返し。そのやりとりが、たまたま昼間に読んだインターネットの記事��重なり、思わずきょうみぶかく聞き耳をたててしまった。けっきょく、「すぐに出るからここで待ってなさい」とお母さんは女の子を連れてあわてて浴場へ向かった。男の子は体育すわりでじっとしていたが、わたしがトイレから出てくると、ドライヤーと扇風機の風を戦わせていた。  仕事から帰ってきた夫と夕飯を食べながらそれらの話をした。そりゃ女湯なんか入りたくねえよな、熱風と冷風を戦わせる発想はいいなと、夫は終始男の子の味方をした。近所の中華屋で、ここはすべてのメニューに問答無用でゆで卵がつく。お冷と一緒にゆで卵を出されるので、わたしたちは卵の殻をむきながら食べるものをえらび、あれこれと話した。かたやきそばの上でかたゆで卵を半分に割り、粉っぽい黄身が野菜のあんに崩れた。髪を染めたことについて、「喪に服しているのか」と夫がまじめな顔をするので笑った。    教室の蚕は蛾になってからも飼われつづけた。台所用スポンジが与えられ、蛾はほそいほそい足で引っかかるようにしてとまり、じっとしていた。そういえば蛾になったのは一匹だけだった。祖母の見舞いに持って行ったガーベラは、誰かが水をかえたり枯れたものを捨てたりしてくれたのだろうなと思った。
6 notes · View notes
Text
沖縄県「染織品」
2022年現在、経産省指定伝統的工芸品は全国で〝236品目〟あり、内13品目が沖縄県の染織品です。
1.久米島紬(くめじまつむぎ)
Tumblr media
14世紀に「堂之比屋」が養蚕の技術を導入して織り始めたことが起源と伝えられ、1975年に経済産業省指定伝統的工芸品に指定された後、2004年には重要無形文化財に指定されました。
2.宮古上布(みやこじょうふ)
Tumblr media
宮古島に自生する苧麻を用いて16世紀には完成しています。
精緻なかすり模様と光沢感のある生地も特徴的ですが、何と云っても〝軽い〟が特徴で、一反は250g程度。
かすり模様を織り出す滑らかな麻織物で、この薄い生地は沖縄の気候に適した高級着物として人気が高く「東の越後、西の宮古」と伝えられる逸品。
1975年に経済産業省指定伝統的工芸品に指定された後、1978年には重要無形文化財に指定されました。
3.読谷山花織 (ゆんたんざはなおり)
Tumblr media
手で模様を構成する「手花織」のほか、花綜絖という装置を用いた「緯浮花織」「経浮花織」、紋織物の花織などがあります。 「花織」とは、「オージバナ(扇花)」、「カジマヤー(風車)」、「ジンバナ(銭花)」の3種類ある小花模様を縞の中に浮き織りにしたもので、15世紀には琉球王朝の御用布とされ、当時は地元住民以外の庶民は着用することが出来なかったと伝えられています。
1976年に経済産業省指定伝統的工芸品に指定されました。
4.読谷山ミンサー(ゆんたんざみんさー)
Tumblr media
絣模様が特徴的な木綿の紋織物。
「ミンサー」とは、アフガニスタン起源の織物で、チベットから中国に伝えられ琉球の織物技術として発展したもので「綿(ミン)で織られた幅の狭(サー)い帯」が語源で〝細帯〟を意味します。
読谷山ミンサーは、15世紀にはおられていて、立体的な幾何学上の柄を表すところから「グーシー花織」と呼ばれ、鮮やかな色彩が人気です。
1976年に経済産業省指定伝統的工芸品に指定されました。
南風原花織(はえばるはなおり)
Tumblr media
沖縄県鳥尻郡南風原町で主に生産される伝統的工芸品で、明治時代に伝承の記録が残っています。1914年(大正3)に南風原村立女子補修学校で技術習得が進み花織や浮織技術を発展させたと伝わっています。ヤシラミ花織、クワンクワン織り、タッチリー、チップガサーなど、南風原花織だけの独特な模様や名称が存在する立体的で華やかな織物です。
6.琉球絣(りゅうきゅうかすり)
Tumblr media
〝琉球絣〟は14世紀の中国貿易で伝わり琉球時代の生活に関係する自然や動物、植物などの模様を描いた沖縄県の絣発祥とされ経済産業省指定伝統的工芸品として沖縄本島で織られる織物のことを指し、特に沖縄本島の〝南風原町周辺〟で織られる織物に限定され「南風原花織」とは区別されています。
伝統絣柄は600前後あり、1983年に経済産業省指定伝統的工芸品に指定されました。
7.首里織(しゅりおり)
Tumblr media
〝首里織〟は、王府の城下町として栄えた現在の「那覇市」「西原町」「南風原町」辺りで格調高く洗練された上流階級用として生産された織物です。
特に花織と絽織を市松に配した「花倉織」や平織に経糸だけを浮かせた「道屯織(ろーとんおり)」は王家や貴族のみ使用が許されていました。
1983年に経済産業省指定伝統的工芸品に指定されました。
8.与那国織(よなぐにおり)
Tumblr media
16世紀から生産されていた平織の民族衣装「ドゥタティ」、細帯「ガガンヌブー」、紋織物の「花織」、紋織物の「シダティ」という4種類の総称が「与那国織」です。
戦後は古い漁網で伝統を継承したそうです。
1987年に経済産業省指定伝統的工芸品に指定されました。
9.喜如嘉の芭蕉布(きじょかのばしょうふ)
Tumblr media
喜如嘉の芭蕉布は、13世紀には織られていた県内最古の織物として1974年に重要無形文化財となり、1988年に経済産業省指定伝統的工芸品に指定されました。
バショウ科の糸芭蕉(いとばしょう)という多年草から繊維を取り出して織られる〝大宜味村〟の織物で、特徴は〝肌触り〟と〝風通しの良さ〟で現在まで伝統が繋げられています。
10.八重山ミンサー(やえやまみんさー)
Tumblr media
17世紀に石垣市八重山郡竹富町で主に帯として生産される織物で、1989年に経済産業省指定伝統的工芸品に指定されました。
特徴は、4つの四角と5つの四角の絣模様で手括りの木綿の絣糸を使い緯糸の打ち込みに手投げ杼や刀杼を用いて織られる技法です。 伝承では、「いつの世までも変わらぬ愛」を意味する絣模様は、男性の求婚に女性が返事の代わりに贈っていたと伝わっています。
11.八重山上布(やえやまじょうふ)
Tumblr media
八重山上布は〝八重山ミンサー(〟と同じく17世紀に石垣市八重山郡竹富町で生産され琉球王府に納められていた記録に残っている織物で、明治時代には組合が結成され産業として盛んになりました。
八重山ミンサーが〝帯〟として織られ、八重山上布は白地に赤茶色の染料で絣模様を捺染した手織りの麻織物で、着心地の良さが人気となっています。
1989年に八重山ミンサーと共に経済産業省指定伝統的工芸品に指定されました。
12.琉球びんがた
Tumblr media
沖縄を代表する顔料を用いた染色技法が特徴の〝琉球びんがた〟ですが、”びん”は色、”がた”は模様を意味します。
染料よりも日差しに強い顔料を使い、塗り筆で色を入れ、それをこすり筆で塗り込み浸透させていくという技法で、藍型(イェーガタ)や糊引(ヌイビ��)と呼ばれるこの技術の発祥は13世紀の琉球王府時代に王族や士族の衣装に使われ、その技術は手厚く保護されて発展したと伝わっています。
13.知花花織(ちばなはなおり)
Tumblr media
2012年に経済産業省指定伝統的工芸品に指定された伝統的工芸品で、沖縄市で生産されます。 模様が縦に連続して浮く経浮花織(たてうきはなおり)と刺繍のように糸が浮く縫取花織(ぬいとりはなおり)の技法が特徴で、お祭りや行事などの〝晴れ舞台〟で着用する着物として18世紀頃には現在の形で織り始められたと伝わっています。
1 note · View note
yamayoezokkuma · 7 years ago
Text
●体制に圧しつぶされた人たち  長野県の一地方に、珍しい社会制度が残っていて、その制度のもとに生きてきた御老人が、まだ3人達者でいることを、ある偶然のことから知った。そこで、このような古い制度が人間の心にどのような影響を与えるものかを調べることにした。山間部の住民の高血圧の調査というふれこみで、そのかたたちとの接触をもつようになり、降圧剤をカバンに入れては、なん回となく、その家庭や部落を訪れた。家族には、この制度のことに触れたくない気配が見えたし、当の3人は共通して人嫌いで無口なので、精神状態を調べるのには、かなり手間どった。昭和36年のことである。 おじろく、おばさ制度  耕地面積の少ない山村では、農地の零細化を防ぐために、奇妙な家族制度を作ったところがあった。長野県下伊那郡天竜村(飯田の近く)では16─17世紀ごろから長兄だけが結婚して社会生活を営むが、ほかの弟妹は他家に養子になったり嫁いだりしないかぎり、結婚も許されず、世間との交際も禁じられ、一生涯戸主のために無報酬で働かされ、男は「おじろく」女は「おばさ」と呼ばれた。家庭内の地位は戸主の妻子以下で、宗門別帳や戸籍簿には「厄介」と書き込まれていた。このような人間は、家庭内でも部落内でも文字���おりの疎外者で、交際もなく、村祭に出ることもなかった。明治5年には人口2000人の村に、190人の疎外者がいた。昭和35年には男2人、女1人となってしまったが、このような社会からの疎外者はどんな人間なっていたのだろうか。 古老Aの報告─  自分は10人のおじろく、おばさを知っていた。幼いときから集まりに出ることもなく、近所の人との交際もなく、ひとりで家の仕事をしていた。家人とろくに話もしなかったが、反抗することもなかった。ときには山の中にタバコの密培などして小遣銭を得た者もあった。不愛想でそっけなく、道で会っても挨拶もしない。声をかければ会釈ぐらいはする。独特の風貌をしていて普通の人とすぐ見分けがつき、無表情で、うつ向き加減であった。いつまでもチョンマゲを結っている偏屈な者も多く、自分勝手ではあったものの、家庭内では甥などからも下男扱いにされていた。身なりは割合きちんとしていてだらしないところはなかった。このような疎外者は中流以上の家庭に多く、よく働くので、おじろくのいる家は裕福なるといわれた。 古老Bの報告─  数人のおじろくを知っていたが、結婚もせず一生家族のために働いても不平をいわなかった。子供のころは普通であったが、20歳過ぎから不愛想な人間になり、その家へ用事でいくと奥へ隠れてしまうのもあり、挨拶しても見向きもしないで勝手に仕事をしているのもあり、話しかけても返事もしなかった。おじろく同士で交際することもなかった。ときには、おじろくがおばさのところへ夜這いに行ったなどという話もあったが、こういうことは稀であった。おそらく多くの者は童貞、処女で一生を送った。怠け者はなくよく働いた。 古老Cの報告─  私の知っていた何人かのおじろくは、黙っていて笑うこともなく、いつも家の仕事をしており、怒ることも不平をいうこともなく、表情もなく、趣味もなかった。 古老Dの報告─  自分の弟は器用なおじろくでよく働いてくれたが、いいつけたことはよくやるだけで、自分で気をきかせることはなかった。若いときから人嫌いになってきて、人が来ると奥へ隠れ、ほとんど喋らず、不平もいわなかった。身のまわりのことはきちんとしていた。娯楽を求めるということもなかった。 実際にみた3人のおじろくとおばさ  症例a── 女性、明治34年生まれ、精神病の負因はない。幼少時おとなしく、すなおで、小学校の成績は上位。24歳ごろまでは隣部落へ養蚕の手伝いくらいには行ったが、その後は頼まれても行かず、もともと不愛想で無口であったが、27歳ごろから、ますます著しくなったものの、逆らったり、ひねくれたりすることもなく素直に働き、家人とも話をしなかった。検査時、高血圧を認めたが、ほかに身体的異常所見はなかった。検査に訪れると稲こきの手伝いの人4、5人と食事をしていたが、挨拶しても本人だけは見向きもせず知らぬ顔を��ていて、他の者が喋っても何もいわず、無表情であり、他の者が笑っても本人だけは笑いもしない。診察は血圧を計らせるだけで、奥の部屋に逃げこもうとするので、4回にわたってアミタール面接(註)をしたところ表情はいくぶん和らぎ笑顔も見せ、少しは話もするようになった。彼女とのあいだの少ない問答のなかから要点をつまむと、生年月日は知っている。学校は特別好きでもなかった。友人は少しはあった。百姓の手伝い、養蚕をやった。他家へ行くのは嫌いであった。親しくもならなかった。話も別にしなかった。面白いこと、楽しい思い出もなかった。10日働いて3円で反物を買った。そうしなければ着物もないから。18歳のとき、嫂と飯田へ行って2日泊ったこともあるが、嬉しくもなかった。また行きたいとも思わなかった。記銘力(物を憶えこむ力)や知能のいちじるしい障害はない。電車はみたことがなく、自動車は遠くを豆粒ぐらいのが通っているのを見ただけである。新聞は見出しだけ見る。自分はばかだから字も読めないし、話もできない、と劣等感をもつ。近所へ遊びに行ったのは子供のときだけである。姉が死んでも別に悲しくもなかったが、死にかかった顔は痩せて気持ちがわるかった。葬式にも行かなかった。──この症例の姉が4年前、食道癌で亡くなったとき、嫌がるのを無理に連れていったが表情も変えず挨拶もせず涙も出さなかった。──青春時代から感情を表すことも少なく、口数も減り、少し離れたところにある分家した兄のところも何十年も行ったこともなく、お祭に来た兄や妹がきてもそしらぬ顔をしていた。アミタールの効果が消えてくると不機嫌になり、そっけなくなり、質問に答えなくなり、隙をみて奥の部屋へ逃げこもうとする。4回の面接でも少しも親しげにならず、見知らぬ人に会ったようであるが、アミタールを用いれば、この前会った人だという。 (註) アミタールをゆっくり静注しながら話をする面接法。分裂病で口をきかない患者でも、この面接の仕方によって、かなり話をすることがある。  症例b── 男性、明治20年生まれ。精神病の負因はない。小学校のときは中位の成績で、おとなしい几帳面な性格であった。小学校卒業後、畑や山の仕事の手伝いをし、18─20歳で隣部落の大工について技術を身につけた。21歳のとき徴兵検査で飯田まで出たのが一生のあいだに村を出た唯一のことである。26歳ごろまで畑仕事や近所に頼まれた大工仕事をしたが、次第に無口になり、兄のいいつけるままに、畑、大工の仕事を根気よくやった。なんど会っても打ち解けず無愛想で、他人がくると引っ込むか、知らん顔をしているだけで、挨拶をしても見向きもしない。硬さや冷たさはないが表情に乏しい。兄が無理に連れ出してくると診察は拒まないが、応答しない。勝手にタバコをすったり茶を飲んだり、いろり端に横になったり、無���慮である。やはりアミタールを用いれば簡単なことには応答する。明治20年生まれで、4年まで学校に行き、徴兵検査前に大工仕事を習い、楽しいことも辛いこともなく、仕事をしても金になったかどうか知らず、不満もなく、金を使ったこともなく、友人もない。徴兵検査には飯田まで歩いて往復3日かかったが、面白いこともなく、女遊びもせず、町へ行ってみようとも思わない。簡単な記憶の検査には応ずるが、字を読み書きする検査には応じてくれない。新聞も読まず、せいぜいラジオの浪花節をきくくらいのものである。しかし、洗濯、つくろいものは自分でやり、大工仕事は年のせいで手足が不自由なのでやらない。世の中を嫌と思ったこともなく、人と話したいこともなく、こんな生活をばからしいとも思わず、希望もなく、不満もない。  症例c── 男性、明治16年生まれ。弟2人もおじろくであった。精神病の負因はない。幼時は素直で陽気であった。貧困のため小学校にも行かず農業に従事したが、長兄が弱かったので代理に部落の集会に出たり、兄の5人の子の面倒を見たりし、結婚はせず、経済は兄がにぎり、ただ兄夫婦とその子供たちのために働いた。身体的に異常はない。おじろくではあるが、青年期から公私の両面で実質的に家の大黒柱として働いてきたので、おじろく特有の閉ざされた生活をしてきたわけではなく純粋のおじろくではない。人に会うことも嫌がらず挨拶もする。アミタール面接の必要はない。しかし過去を懐かしむふうもなく、諦め切ったような態度で、なにか寂しさを感じさせ、兄の子供たちと和やかに暮らしている。思い出話をきくと、家が貧しかったので学校へ行かなかったが、弟2人は行った。朝から草刈りをし、昼間は畑や山で働き、夜は夜なべをして、遊ぶ暇はなかった。村外へ出たこととしては、飯田へマユを売りに行ったことがある。それは楽しみで、うまいものも食べられたし、13里の道を10貫のマユを背負って行った。1貫目32銭で売れ、1泊して米の飯を食べ、残った金は兄に渡した。へそくりなど兄に悪いから作らなかった。飯田では2回ほど遊郭へ行ったこともある。その後も行きたかったが我慢した。夜這いは笑われるからしなかった。他のおじろくの中にはした者もいたが、皆からよくいわれなかった。結婚のことは、自分はおじろくなので全く考えなかったし、その上貧乏だった。おじろくはただ働けばいいのだ。昔はおじろくがたくさんいた。おじろく同士で交際することはなかった。ただ働くだけで、偏屈で喋りもしなかった。自分はおじろくの生まれで損だとは思わぬ。福の神といわれたものだ。おじろくだとばかにされたこともなかったし、大事にされなかったとも思わぬ。人に会うのは嫌ではないが、やってみたいこともないし、楽しみもないし、世の中が嫌なことも、寂しくも悲しくもない。寺参りもしない。 おじろくを当然とする社会  このような隷属的な扱いを受けて不服で家を出て遠国へ行くような、おじろくやおばさはいなかったのか。残っているのは気概のない者ばかりだったのか。おじろくたちには、村を出ることは非常に悪いことで、家の掟に背いたことであるという考えがあり、大部分の者は他国へ行こうとは思わなかった、と古老は話す。まれに気概があって他国へ行った者はいたが、すぐに舞い戻ってきた。それは、彼らは社会的交流がうまくできず、人づきあいもできなかったからのようであり、二度と他国へでようとはしなかった、ということである。多くの者は兄のいうとおりに働いて行けば、乏しくても衣食住への不安はないので、気概がなくなってしまったのではないかといわれる。  幼児期に厄介者として生まれついた運命を負って、愛情のない育て方をされたか、あるいは不憫な者としてことに母に甘やかされたりしたことがあったか。おじろく、おばさたちのいうところによると、ひどい取扱いを受けたおぼえもなく、とくに可愛がられたこともないという。もの心つくまでは長男と同じように育てられ、ききわけができるような年齢に達すると、長男の手伝いをさせられ、長男に従うように仕向けられた。兄にそむくとひどく叱られた。盆、正月、祭などに親戚まわりをするのは長男で、ほかの弟たちは家に残っていた。子供のころは、兄に従うものだという、しつけを受けるぐらいのもので、とくに変わった扱いをされたわけではない。この地方では子供が小学校へ行く年頃になると、畑や山の仕事をどんどんさせ、弟が嫌がると、そんなことでは兄の手伝いはできんぞと親たちが叱った。こうして、おりにふれて、将来はお前たちは兄のために働くのだということを教えこんでいたのである。長男は休まずに学校に行けたが、弟妹たちは事あるごとに学校を休んで家の仕事を手伝わせられた。それで成長するに従って、長男とちがった取扱いを受けるようになったが、それは割合すなおに受け入れられ、ひどい仕打ちだと怨まれるようなこともなかったようである。親たちは長男以外はおじろくとして兄を助け家を栄えさせるように働くのが当然のことと考えていたので、子供たちをおじろくに育て上げることに抵抗を感ぜず、不憫だとも思わなかったようである。 疎外が分裂病に似た人格をつくる    アウトサイダーというと、世の無用者と達観して世を捨てた文化人、業平、兼好、芭蕉を思い出すし、西洋ならもっと現世的なドストイエフスキー、ニイチェ、ボードレールらも、一種のアウトサイダーだろう。しかしこれらは自ら凡俗の世を捨てた超人であり、文化の担い手であると自覚さえしていたにちがいない。それとはちがって、自分の崩れた性格のために世間からはみ出してしまった無頼者というアウトサイダーもある。彼らは、凡俗の世に帰りたくて悩んでいたにちがいない。この種のアウトサイダーは、社会から無理に疎外されてしまった者である。このような疎外は、現在においては「実験的」に試みることは許されないことである。このように社会からはみ出してしまった者はどんな人間になるのであろうか。今の世では精神分裂病者は社会からはみ出してしまったアウトサイダーとみられるが、社会からはみ出したために分裂病になったのか、分裂性の病気のために社会からはみ出したのであるかは、いずれとも断定しにくい。ここに述べたおじろく、おばさたちは、旧来の慣習のために社会から疎外されてしまったものである。それは分裂病に非常に似た点を持っている。感情が鈍く、無関心で、無口で人嫌いで、自発性も少ない。しかし分裂病ほどにはものぐさではない。このような疎外者がいるとその家は富むといわれるぐらいによく働くのである。この点、分裂病とちがう。しかし自発的に働くというより、働くのが自分の運命であると諦めているようである。こんなみじめな世界にくすぶっているより、広い天地を見つけて行こうと志すものが稀なのは不思議であるが、田舎の農家には多かれ少なかれそういった雰囲気がある。アメリカの考え方によれば、幼時の親子関係が分裂病の発生に大いに働くようであるが、私の調査したところではそういう点はなかった。少年期を過ぎて青年期までは、親子関係にも別にそう変わったところはみられない。20歳を過ぎてからぼつぼつと分裂病的なところがでてくるのである。しかし幻覚とか妄想があったような者はないようであるし、気が狂ってしまったといわれる者もなかったそうである。無表情で無言でとっつきの悪い態度をしていながら、こつこつと家のために働いて一生を不平もいわずに送るのである。悟りを開いた坊主といった面白さもないし、ましてや寒山拾得といった文化的遺産をのこした者もいない。まことにつまらないアウトサイダーであり、ただ精神分裂病的人間に共通するところがあるという点で興味があるだけである。  はじめは、この部落に分裂病の負因が多いので、このような疎外者たちも分裂病ではないかと思ったが、家系をしらべてもそのようなことがなかった。またこんな小さな部落に昔から分裂病が多くいたとも思えない。気概のある若者はどんどん外へ出て行ってしまい、腑甲斐ない者だけが残ったのかと思ったが、そういう事実も見出されなかった。山村に残る因習にしばられて、二男、三男はこうあるべきだという観念から脱することができなかったことによるとしか思えない。日本古来の身分の差の打破を長いこと考えようともしなかった結果としか思えない。  ところでアメリカでは幼時の親子関係を分裂病の発生と関係づけて考えるが、その当否は別問題として、青春時代からの社会からの疎外が、やはり分裂病に似た人格を形成させることは興味のあることである。この3人の疎外者たちは分裂病とは断定できないし、分裂病ほど無為でも家庭の困り者でもなく、かえって家庭では重宝がられているくらいなのだから分裂病とはいえない。しかし人工実験のできそうもない社会集団の中で極端な人間疎外が行なわれると、分裂病によく似た人間を形成するという点はこの観察が示している。 (了) 前衛芸術家・草間彌生を見出したことでも知られる精神科医・西丸四方氏の自伝的な書物『彷徨記/狂気を担って』(批評社1991年)のなかで近藤廉治氏について書かれた僅かな部分を抜粋。 一回生にK君(近藤廉治氏)というのがいて、はじめ放射線教室に入って学位までとったが、目を悪くし暗室の透視などできなくなり、目をあまり使わなくてもよい精神科へ移りたいというので引受けた。転科してきた医者は芯からの精神科医になりきれないことが時々あり、��歴にも昔の病歴のように、「幻覚あり、妄想あり」としか書かない人があったが、K君は精神科医よりも精神科医らしくなり、山奥のそのまた奥の山奥で、その中で更に疎外されてしまった状況にあるアウトサイダーたちが、分裂病的な行動をとるのを見つけてきて発表し、東京の病院へもしばらく行ってきて、戻って県立精神病院長になるといきなり全開放にした。 近藤廉治氏 略歴 (Wikipediaより) (こんどう れんじ、1927年5月3日 - )は、精神科医、南信病院理事長。長野県飯田市出身。1952年信州大学医学部卒。同放射線医学教室勤務。1957年「篩照射に関する基礎的研究」で信州大学医学博士、同年神経科へ移る。国立武蔵療養所、1970年長野県立駒ケ根病院長、1972年開放病棟の南信病院を設立、院長、理事長。 出生1928年と書かれているものもあるが、調査が行われたのは氏が30代半ばということになる。 おじろく、おばさ制度 近藤廉治『開放病棟──精神科医の苦闘』
10 notes · View notes
akclabo · 5 years ago
Photo
Tumblr media
お蚕さんのお世話はじめました 玄関先にいつの間にか生えてた 桑の木?が今年初めて桑の実をつけ 桑の木!!と確信! ちょうどその頃#季の野の台所 の みほさんが今年から養蚕はじめようと思うのよね~と伺っていて 更には虫が大っ嫌いな末っ子�� 蚕の成虫って可愛いよね!! 学校で習った!と!!(゜ロ゜ノ)ノ これは なんと なんと な タイミングだな!と思い お蚕さんを本日お迎えにいってまいりました😊💖🌿 命の授業を末っ子と一緒に 体験していきたいと思います✨😌✨ #お蚕さん #桑の葉 #桑の葉茶 #桑の蒸しパン #自然に感謝 #自然と共に暮らす #養蚕 #めぐりあわせ #lifeisbeautiful #naturelife #silkworm #loveplanet #loveearth #楽しく暮らそう #akclabo #享栄工業 #知多半島 (akc.labo 享栄工業) https://www.instagram.com/p/CB-LOg9DnMQ/?igshid=ylfmq2z58m7v
0 notes
friendship-korea-japan-jp · 5 years ago
Text
14.医療・衛生環境が向上した
問い8:朝鮮の変化について>14.医療・衛生環境が向上した
目次は こちら
14.医療・衛生環境が向上した
◎李朝鮮時代の病人は先ず巫女や祈祷師などに頼っていたが、日本統治時代には多くの病院が開設され、医師の巡回も有り、衛生施設も整いました。
 『総督府年報1941』の「第15章 衛生」の「第一節 衛生施設」に日本が朝鮮に関与する以前の状況およびその後の総督府の施策が記されていますので、現代語に直して、数値・年代も読みやすく改めて表記します。
往時の状態
[往時の朝鮮に於いては衛生状態は極めて不良であり、現代的学識技能を持った朝鮮人医師は殆ど無く、病人は先ず巫女や祈祷師などの言うことを聞いて、医療を避ける風習があり、社会的衛生施設は甚だ不備であり、飲料水の多くは飲用に適しておらず、各種の伝染病が常に流行し、殊に肺ジストマ及十二指腸蟲病は各地に蔓延して殆ど止むことが無かった。医療機関として見るべきものは京城その他一部地方において日本人医師及外国人医師が医療に従事しているだけである。]
 朝鮮に於ける飲料水の多くが飲用に適していないことは、バード氏著『朝鮮紀行』の「第12章 長安寺から元山へ」の旅の中で、長安寺(金剛山の近く)から元山へ行く途中の村で宿に泊まった時の、宿における井戸の設置状況から推測できますので、これを再度引用して紹介します。
[この部屋が面している不潔極まりない中庭は、一部が堆肥と化し一部が豚小屋である。井戸もここにあって、女たちは全く平気な顔で水を汲んでいる。外にある泥濘は夜通し胸の悪くなる臭いを発していた。]
 井戸の傍に豚小屋と堆肥があれば、雨水は堆肥や豚小屋からの汚物に汚染されて地下に滲み込み、その汚染水が近くの井戸に滲み出して井戸水を汚染するのは避け難いといえます。総督府の衛生試験で飲料水が3850件も不適格とされたのはこのような井戸の状況が作用していると思われます。
医療施設
[保護政治の当初、統監は医療衛生状態の改善を急務として、その中枢機関として中央に大韓医院を開設し、次いで慈恵医院を開設し、起業公債を使って主要都市に上水道の敷設に着手した。
 総督府設置後に総督府医院(旧大韓医院)の規模を拡大し、各道に慈恵医院を設置して一般診療と窮民救療を行い、天皇からの臨時賜恩金を使って僻地に慈恵病院を増設し、各道に亘って巡回診療を開始した。
 1931年には総督府医院の増改築を行い文科を完成させ医員の増置優遇を図り、更に慈恵病院を13カ所増設した。
また、公医の制度を設け、僻地の医師の分布の希薄な地域の一般診療と官署の衛生事務に従事するようにして1921年に120人の公医を配置して、極めて好成績だったので、220人に増やし、1939年時点では500人にした。]
医学大学
[京城帝国大学に医学部が設置され、京城医学専門学校も開設された。]
衛生技術員などの増員
[従来各道には衛生技術員の配置が無いために、各地における伝染病及地方病の検索予防に関して遺漏が少なくないので、1920年から各道に技師13人、技手26人を増員して衛生施設上の手落ちが無いようにした。また、海港の検疫に関して、従来の釜山・仁川・元山に道の医務官を置いていたが、その他の港からの悪疫の侵入を防ぐために、群山・木浦・鎮南浦・清津・羅津に要員を配置した。]
衛生試験および細菌試験
[衛生試験は飲食物や飲料食用器具その他薬品衛生材料などの改善上必須の手段である。1913年以来、各道に順次衛生試験室を附設し、1921年に完了した。その結果、1939年時点で、衛生試験件数は5万6806件で、不適格とされたのは9799件であり、その中で飲料水3850件、清涼飲料水1184件、薬品1867件、酒類791件、食品器具581件、缶詰類502件であった。
 朝鮮における伝染病は四季ほとんど絶えることなく起こっている状況にも拘らず、各道には細菌検査室がなく、防疫上の一大欠陥であった。
 1920年、コレラ予防のために各道に細菌検査室が設置され、伝染病予防液・予防内服薬・血清・診断液・流行性感冒予防液・恐水病予防劑・狂犬病予防劑を総督府の細菌検査所で製造し、各地にこれを配給した。]
伝染病
 『総督府年報1941』の「第15章 衛生」の「第2節 伝染病」に日本が朝鮮に関与する以前の状況および総督府の施策が記されていますので、現代語に直して引用します。
[朝鮮に於いては、由来衛生状態が悪く時々伝染病が猛威を振るっていた。その中で、コレラ・天然痘・チブス・赤痢・発疹チブス・猖紅熱が大きな惨害であった。]
コレラ
[コレラは流行の歴史が古く、李朝以前より既に幾度か非常な惨害を呈していたことがある。1895年には平安北道だけでコレラによる死者6万人以上となり、1902年には京城だけで死者1万人を出した。
 1921年に中国の東北・満州・揚子江岸でコレラが猛威を振るったので、この地域から来た船舶に対し、停留検疫を行った。その後に上海で何度もコレラが発生した時には、船舶の停留検疫と予防注射をして防いだ。]
天然痘
[天然痘は従来毎年四季を通じて流行して、殆ど地方病の観を呈していたが、一般朝鮮人の間では迷信により予防措置を忌避する傾向がある。総督府は新しい規則を発布して、種痘の普及に務め、天然痘の流行を抑えることが出来ているが、まだ根絶できていない。]
腸チブス
[腸チブスの病毒は四季を通じて常時発生し、突然爆発的流行を引き起こし、その脅威は甚だしい。特に、往年の平壌と1925年の水害地域並びに1928年以降のソウルでの大流行があった。
 この予防には保菌者の検査と取締が重要であり、また総督府として飲料水の改善活動・衛生講話・展覧会・衛生ポスター配布に務め、予防液を製造して無料注射などを行っているが、まだ根絶できていない。]
赤痢
[赤痢もまた四季常在の観があり毎年各地で多数発生している。病原体保有者の検査と上下水道の改善を図って来た。また経口免疫法に従い予防内服薬を製造して予防に努めているが、1938年時点でまだ発生している。]
発疹チブス
[発疹チブスは流行していなかったが、各地で発生しており、各種予防策の他吸血昆虫の駆除を行っている。]
猖紅熱
[朝鮮に於ける猖紅熱は、長年在住の日本人児童に発生しており、1927年以降、予防注射を実施している。]
地方病および慢性伝染病
 『総督府年報1941』の「第15章 衛生」の「第3節 地方病および伝染病」に朝鮮おけるに地方病と慢性伝染病の状況および総督府の施策が記されていますので、現代語に直して引用します。地方病の中で主なものは、肺ジストマ・十二指腸蟲・マラリヤである。しかし、これらの病気に対する民度が低く衛生思想が欠如しており、何の予防施設もなかった。
肺ジストマ
[総督府は、特定の地域で技術的調査を行ったところ、罹病者は幼年者を除いて大部分の人が罹り、活動能力を喪失していることが分かった。肺ジストマの羅病原因である「蟹を生食する風習」を止めて、必ず火を通して食べるように指導している。]
十二指腸蟲・マラリヤ
[現在対策を研究中である。朝鮮人の大部分は食品に対する調理嗜好の関係で、幾多の腸内寄生虫を保有し、衛生保健の障害を引き起こしている。1925年に、各道において学生と農村生活者に就いて、腸内寄生虫の調査を行ったところ、70~80%の寄生虫保有者を発見した。酷い地域では90%の人が寄生虫を保有していた。
 このため、民衆衛生の改善向上する必要性が高く、注意を払いつつある。]
癩病
[朝鮮における癩患者は1938年の調査では1万4125人であった。このうちで癩療養所入所者は7009人で、未収容患者は7116人である。総督府は癩治療薬を製造し無償交付するなどをしてきたが、各地を浮浪徘徊して癩毒を伝播する患者が跡を絶たない。
 官立癩療養所は小鹿島厚生園に収容し、ここの収容人数を増やしていった。また病毒伝播の恐れの無くなった者は退院できるようにした。]
 以上に詳しく記したように、当時の朝鮮人は病気になると巫女や祈祷師に依存して、近代的な医療施設が未発達であり、このなかで総督府が朝鮮における医療施設の充実と伝染病の撲滅および衛生水準の向上に必死に努力している姿が読み取れます。
 また、『THE NEW KOREA』 の「第10章 医療・公衆衛生・社会福祉事業」には次の記述がありますので、部分的に抜粋して引用します。
[日韓併合に際し、明治天皇は新しく臣民になる朝鮮人に大日本帝国の国庫から3000万円(現代価値で約6000億円)を下賜した。このうち、年間90万円(約180億円】にも及ぶ利子は朝鮮の全域で社会福祉事業に使われた。
 その1番目は、貧困者への救済事業で、養蚕・織物・紙・木炭製造・漁業で使われる道具を提供し、巡回指導員の雇用なども支援された。
 2番目の教育事業は、朝鮮人のための学校である普通学校教育推進のために、地方に助成金を支援した。
 3番目の洪水と旱魃の被害者救済事業は、災害に襲われた被害者に食料・種子・農業道具・建築材料などを提供して支援する。その必要が無い時は将来のために蓄積された。この事例は、1919年に発生した前例のない程の旱魃であった。この時総督府の迅速な対応のお蔭で、1人の餓死者も出なかった。総督府が救済支援に掛けた費用は1000万円(約2000億円)に上り、そのうち400万円(約800億円)を食料の購入と配布に、360万円を被害者への貸付に、240万円を公共事業に充て、失業者の雇用の機会を作った。]
 以上長々と記述を引用しましたが、当時の総督府がした事実を正確に伝えるためです。
0 notes
mobiumarchive · 6 years ago
Photo
Tumblr media
小原リサーチ4
豊田市小原のリサーチに来ました。
小原は和紙工芸が有名で現地で栽培しているトロロアオイとコウゾを原料に小原和紙が作られます。和紙のふるさとで紙漉き��体験をしてきました。
Tumblr media Tumblr media
小原の売店で竹細工を販売していて、作った方にお話を伺いました。矢作の方は特に竹が豊富で種類による特性なども教えていただきました。
Tumblr media Tumblr media
ここは道慈山観音寺です。立派な仁王像や馬の絵、わらじが奉納されています。すぐとなりには道慈小学校があります。
Tumblr media
小さなクワガタがいました。
Tumblr media
ここは蚕霊神社です。静かな場所です。昔は養蚕が盛んで蚕を祀っているそうです。
Tumblr media
途中にあったお宝運水。けっこう細い道にあります。マイナスイオンが出ています。
Tumblr media
蛍がいました。水が綺麗な場所なんですね。
Tumblr media
五平餅をいただきました。普通のとネギ味噌だったかな。
0 notes
hokuto-yuasa-journal · 6 years ago
Text
20190420
節刀ヶ岳・十二ヶ岳縦走
Tumblr media
先日、河口湖西岸御坂山地随一の鋭鋒、節刀ヶ岳、十二ヶ岳を縦走した。(写真は十二ヶ岳からの西湖、富士山、裾野のコブのようなのは大室山)
コースは大石峠(1527m)、金堀山、節刀ヶ岳(1736m)、金山(1686m)、十二ヶ岳(1683m)、十一ヶ岳から一ヶ岳、毛無山(1500m)を辿る。歩行距離約10km、標高差796m。
Tumblr media
大石峠の馬頭観音。
大石地区は母方の祖母の出身地であり養蚕や織物が盛んだった地域で、その名の通り直径8m、周囲23mの大きな石が祀られた大石神社がある。登山口のある大石峠入り口バス停までは買い物に行く母親の車についでに乗せて行ってもらったのだがラジオを付けると文化放送で武田鉄矢の「今朝の三枚おろし」という番組を放送していた。その日のテーマが「諏訪大社」で話の内容はずばり巨石信仰についてだったのでシンクロを感じた。機織り、養蚕の盛んな地域に外人顔在り、とは私の自説というか子供の頃からの感覚なのだがこの地域も、私の親戚にも日本人離れした顔の人がいる。湖の北岸地域は徐福伝説があったり渡来系の人々が富士山をランドマークに移動してきたということも案外考えられるのではないか。
9時に登拝開始もいきなり道を間違えたまま一時間も登ってしまい三十分かけて引き返す。後で見たら標識が腐って朽ちていた。
風流ならざる処もまた風���かな。山で学んだ態度としてはこういう時は出来事を感情と引き離すということ。「今」にフォーカスする。引き返す道をただ黙って最初から決まっていた行程かのように歩いた。
Tumblr media
引き返す道中、沢沿いでこないだ読んだばかりの中村哲氏の本に出てきた蛇籠を発見。アフガニスタンの砂漠の緑化で活躍した江戸時代の治水の技術で、これに柳の木の根が絡むと崩れないらしい。読んでなかったらこんなただの石と針金に気を留めることもなかった。
Tumblr media
熊ちゃんの引っ掻き傷からの鹿の採食痕。鹿が増えていて兄は最近二回連続で鹿を轢き結局車は廃車になったという。
Tumblr media Tumblr media
節刀ヶ岳山頂からの鬼ヶ岳。名前の通り鬼の角がポコポコっと出てるように見えなくも無い。左の角が雪頭ヶ岳、右の角が鬼ヶ岳。肉眼で見ると妙に魅力のある山容に感じた。
Tumblr media
金堀山、黒岳、御坂山、右奥に三ツ峠。左に釈迦ヶ岳。
Tumblr media
右から十二ヶ岳、十一ヶ岳から一ヶ岳まで、毛無山。
Tumblr media
十二ヶ岳山頂の祠にて般若心経を誦経する。
Tumblr media
男は黙って地下足袋登山。
Tumblr media
十二ヶ岳と十一ヶ岳のキレット。下が見えない。
Tumblr media Tumblr media
十二ヶ岳の上り下り、十一ヶ岳の上りのロープ場は山行過去一番の危険を感じた。写真を撮ってる場合ではなく北側は雪解け水で濡れてたり特にやばかったのは十二ヶ岳のキレットの下り。体感としてはほぼ垂直に感じる崖を100m近くロープで下るときは自分の死がすぐそこまでやってきてそばで佇んでいる感じがした。キレットの底に架かった適当な作りの吊り橋も滑るわ揺れるわボルト抜けとるわで恐ろしく、こういう時は自身の想像力が自分の首を絞める。無念無想、カタツムリ並みの速度で進んだ。
Tumblr media
毛無山から河口湖。小学校の頃授業中に窓から見える山頂だけ禿げたこの山をぼーっと眺めていた。あの時ぼんやりした頭で未来を見ていたのかは今や分からないが、今度は逆の場所で、あの時の未来である現在から過去の私を見つめ返すのだ。
毛無山からの下りも道を間違えた。約7時間、道間違えのロスを含めると8時間半の山行。きついもののスクワットなど普段の筋トレが効いている気がする。Mammutの40Lのザックを買ったのでそのテストも兼ねたがピッケルホルダー、ロープホルダー等機能が泣いてる感じは否めない。滅多に乗らない路線バスで帰宅。
Tumblr media
山の神様からの参加賞、今回はカケスの羽根2枚。右の風切羽は鳩かなんかと思って要らんけんど一応持って帰ってみたら薄く青いカケスの羽模様があった。
Tumblr media
これで5枚目。不思議だなあ。
山行後は感覚が鋭くなるのか軽い予知能力というか勘が冴えるのは確かなのだがこればかりは本当のところは分からない。話している内容が数秒後にテレビから流れてきたり、次の日新聞で特集されてたりして母親は若干私に引いている節がある。(まあ山に登る前から不思議な出来事はあったのだが。)
今日なんかは朝にベンガラとサンドメディウムを混ぜて赤錆のテクスチャを作れないかなと思いつきベンガラについて調べたのだが、夜お客さんの洗い物をしながら見ていた「満天青空レストラン」というテレビにて岡山の吹屋というベンガラの産地に京都から移住した人が出てきてベンガラについて説明していた。
こんなことを言っていると左手ドローイングの内容からも統合失調症の前駆症状を疑われそうだが、わたくしは至って正気なのでございます。のっぺら坊の時代に寧ろ健やかに狂う事で生きる事や知覚に立体感や陰影を取り戻したいのだ。
さて今回の山行で少しは験力がついただろうか。
0 notes
h-ito-mi · 3 years ago
Photo
Tumblr media
@nu_i_to_ さん  から、メモ帳とステッカーのセットが 先日届きました🙏✨ ありがとうございます❣️ ・ お蚕さんが好きなお方で お蚕さんを飼い、愛でるのが上手👏 #ぐんま養蚕学校 から私を 見つけてくださったとの事 ・ 私も見逃さずにフォローさせて頂き メモ帳ください!と伝えて 送って頂きました🙏🙏🙏✨ ・ 4枚にも綴られた想いのお手紙と 展示会のdm @tt.takenoma ステッカー 携帯に貼った可愛い❣ メモ帳 まだ未使用❣ 展示へ至るまでの想いの文章 ・ お蚕さんへの想いどっさりがまた とても嬉しい、、、🐛❤️ ・ SNSからのご縁だけど お蚕さんへの好き❣️な 想いへの共感と 養蚕農家さんとは違う営み方 ・ 投稿から見える素敵な視点 お蚕さんへの好きが 文章になり他の方へ伝わる 私も楽しませてもらっています。 ・ ステッカーは携帯へ貼りました お蚕さんといつも一緒🐛😂❣️ ・ このお方の周りの 桑を作る方 桑を使ってカフェやる方 紡ぐ方 などなど、その周辺のめぐりが とても素敵で羨ましい限りです❣️😂 ・ どんな風にその形が出来��のか その場所とイベントにも興味津々🐛🌲✨ ・ 旭川にはない形だけど 桑が強く自生していること それが私の中では支えになっている感じ まだ出来ない事ばかりだけど やりたい事はあるから 可能性を広げる今年は 浅く広く考える年 ・ なんでもやってみるのだ👏💪 挑戦と調整と様子見る年👍 ・ #お蚕さんありがとう @nu_i_to_ さん どうもありがとうございました🐛✨ これからのご活用を楽しみに 拝見します❣ ・ #お蚕好き  #北海道  #旭川市  #桑  #繋がりに感謝します❤️ (Asahikawa, Hokkaido) https://www.instagram.com/p/ChQUYrmBrIn/?igshid=NGJjMDIxMWI=
0 notes
whileiamdying · 9 years ago
Text
あらくれ
 お島が養親の口から、近いうちに自分に入婿の来るよしをほのめかされた時に、彼女の頭脳には、まだ何等の分明した考えも起って来なかった。
 十八になったお島は、その頃その界隈で男嫌いという評判を立てられていた。そんなことをしずとも、町屋の娘と同じに、裁縫やお琴の稽古でもしていれば、立派に年頃の綺麗な娘で通して行かれる養家の家柄ではあったが、手頭などの器用に産れついていない彼女は、じっと部屋のなかに坐っているようなことは余り好まなかったので、稚いおりから善く外へ出て田畑の土を弄ったり、若い男たちと一緒に、田植に出たり、稲刈に働いたりした。そうしてそんな荒仕事がどうかすると寧ろ彼女に適しているようにすら思われた。養蚕の季節などにも彼女は家中の誰よりも善く働いてみせた。そうして養父や養母の気に入られるのが、何よりの楽しみであった。界隈の若い者や、傭い男などから、彼女は時々揶揄われたり、猥らな真似をされたりする機会が多かった。お島はそうした男たちと一緒に働いたり、ふざけたりして燥ぐことが好であったが、誰もまだ彼女の頬や手に触れたという者はなかった。そう云う場合には、お島はいつも荒れ馬のように暴れて、小ッぴどく男の手顔を引かくか、さもなければ人前でそれを素破ぬいて辱をかかせるかして、自ら悦ばなければ止まなかった。
 お島は今でもその頃のことを善く覚えているが、彼女がここへ貰われてきたのは、七つの年であった。お島は昔気質の律義な父親に手をひかれて、或日の晩方、自分に深い憎しみを持っている母親の暴い怒と惨酷な折檻から脱れるために、野原をそっち此方彷徨いていた。時は秋の末であったらしく、近在の貧しい町の休茶屋や、飲食店などには赤い柿の実が、枝ごと吊されてあったりした。父親はそれらの休み茶屋へ入って、子供の疲れた足を劬わり休めさせ、自分も茶を呑んだり、莨をふかしたりしていたが、無智なお島は、茶屋の女が剥いてくれる柿や塩煎餅などを食べて、臆病らしい目でそこらを見まわしていた。今まで赤々していた夕陽がかげって、野面からは寒い風が吹き、方々の木立や、木立の蔭の人家、黄色い懸稲、黝い畑などが、一様に夕濛靄に裹まれて、一日苦使われて疲れた体を慵げに、往来を通ってゆく駄馬の姿などが、物悲しげみえた。お島は大きな重い車をつけられて、従順に引張られてゆく動物のしょぼしょぼした目などを見ると、何となし涙ぐまれるようであった。気の荒い母親からのがれて、娘の遣場に困っている自分の父親も可哀そうであった。
 お島は爾時、ひろびろした水のほとりへ出て来たように覚えている。それは尾久の渡あたりでもあったろうか、のんどりした暗碧なその水の面にはまだ真珠色の空の光がほのかに差していて、静かに漕いでゆく淋しい舟の影が一つ二つみえた。岸には波がだぶだぶと浸って、怪獣のような暗い木の影が、そこに揺めいていた。お島の幼い心も、この静かな景色を眺めているうちに、頭のうえから爪先まで、一種の畏怖と安易とにうたれて、黙ってじっと父親の痩せた手に縋っているのであった。
 その時お島の父親は、どういう心算で水のほとりへなぞ彼女をつれて行ったのか、今考えてみても父親の心持は素より解らない。或は渡しを向うへ渡って、そこで知合の家を尋ねてお島の体の始末をする目算であったであろうが、お島はその場合、水を見ている父親の暗い顔の底に、或可恐しい惨忍な思着が潜んでいるのではないかと、ふと幼心に感づいて、怯えた。父親の顔には悔恨と懊悩の色が現われていた。
 赤児のおりから里にやられていたお島は、家へ引取られてからも、気強い母親に疎まれがちであった。始終めそめそしていたお島は、どうかすると母親から、小さい手に焼火箸を押しつけられたりした。お島は涙の目で、その火箸を見詰めていながら、剛情にもその手を引込めようとはしなかった。それが一層母親の憎しみを募らせずにはおかなかった。
「この業つく張め」彼女はじりじりして、そう言って罵った。
 昔は庄屋であったお島の家は、その頃も界隈の人達から尊敬されていた。祖父が将軍家の出遊のおりの休憩所として、広々した庭を献納したことなどが、家の由緒に立派な光を添えていた。その地面は今でも市民の遊園地として遺っている。庭作りとして、高貴の家へ出入していたお島の父親は、彼が一生の瑕としてお島たちの母親である彼が二度目の妻を、賤しいところから迎えた。それは彼が、時々酒を飲みに行く、近辺の或安料理屋にいる女の一人であった。彼女は家にいては能く働いたがその身状を誰も好く言うものはなかった。
 お島が今の養家へ貰われて来たのは、渡場でその時行逢った父親の知合の男の口入であった。紙漉場などをもって、細々と暮していた養家では、その頃不思議な利得があって、遽に身代が太り、地所などをどしどし買入れた。お島は養親の口から、時々その折の不思議を洩れ聞いた。それは全然作物語にでもありそうな事件であった。或冬の夕暮に、放浪の旅に疲れた一人の六部が、そこへ一夜の宿を乞求めた。夜があけてから、思いがけない或幸いが、この一家を見舞うであろう由を言告げて立去った。その旅客の迹に、貴い多くの小���が、外に積んだ楮のなかから、二三日たって発見せられた。養父は大分たってから、一つはその旅客の迹を追うべく、一つは諸方の神仏に、自分の幸を感謝すべく、同じ巡礼の旅に上ったが、終にそれらしい人の姿にも出逢わなかった。左に右、養家はそれから好い事ばかりが続いた。ちょいちょい町の人達へ金を貸つけたりして、夫婦は財産の殖えるのを楽んだ。
「その六部が何者であったかな」養父は稀に門辺へ来る六部などへ、厚く報謝をするおりなどに、その頃のことを想出して、お島に語聞せたが、お島はそんな事には格別の興味もなかった。
 養家へ来てからのお島は、生の親や兄弟たちと顔を合す機会は、滅多になかった。
 然し時がたつに従って、その時の事実の真相が少しずつお島の心に沁込むようになって来た。養家の旧を聞知っている学校友達などから、ちょいちょい聞くともなし聞齧ったところによると、六部はその晩急病のために其処で落命したのであった。そして死んだ彼の懐ろに、小判の入った重い財布があった。それをそっくり養父母は自分の有にして了ったと云うのであった。お島はその説の方に、より多く真実らしいところがあると考えたが、矢張好い気持がしなかった。
「言いたがるものには、何とでも言わしておくさ。お金ができると何とかかとか言いたがるものなのだよ」
 お島がその事を、私と養母に糺したとき、彼女はそう言って苦笑していたが、養父母に対する彼女のこれまでの心持は、段々裏切られて来た。自分の幸福にさえ黒い汚点が出来たように思われた。そしてそれからと云うもの、出来るだけ養父母の秘密と、心の傷を劬りかばうようにと力めたが、どうかすると親たちから疎まれ憚られているような気がさしてならなかった。
 六部の泊ったと云う、仏壇のある寂しい部屋を、お島は夜厠への往来に必ず通らなければならなかった。そこは畳の凸凹した、昼でも日の光の通わないような薄暗い八畳であった。夫婦はそこから一段高い次の部屋に寝ていたが、お島は大きくなってからは大抵勝手に近い六畳の納戸に寝されていた。お島はその八畳を通る度に、そこに財布を懐ろにしたまま死んでいる六部の蒼白い顔や姿が、まざまざ見えるような気がして、身うちが慄然とするような事があった。夜はいつでも宵の口から臥床に入ることにしている父親の寝言などが、ふと寝覚の耳へ入ったりすると、それが不幸な旅客の亡霊か何ぞに魘されている苦悶の声ではないかと疑われた。
 陽気のぽかぽかする春先などでも家のなかには始終湿っぽく、陰惨な空気が籠っているように思えた。そして終日庭むきの部屋で針をもっていると、頭脳が���うのうして、寿命がちぢまるような鬱陶しさを感じた。お島は糸屑を払いおとして、裏の方にある紙漉場の方へ急いで出ていった。
 薮畳を控えた広い平地にある紙漉場の葭簀に、温かい日がさして、楮を浸すために盈々と湛えられた水が生暖かくぬるんでいた。そこらには桜がもう咲きかけていた。板に張られた紙が沢山日に干されてあった。この商売も、この三四年近辺に製紙工場が出来などしてからは、早晩罷めてしまうつもりで、養父は余り身を入れぬようになった。今は職人の数も少かった。そして幾分不用になった空地は庭に作られて、洒落た枝折門などが営われ、石や庭木が多く植え込まれた。住居の方もあちこち手入をされた。養父は二三年そんな事にかかっていたが、今は単にそればかりでなく、抵当流れになったような家屋敷も外に二三箇所はあるらしかった。けれど養父母はお島に詳しいことを話さなかった。
「貧乏くさい商売だね」お島は自分の稚い時分から居ずわりになっている男に声かけた。その男は楮の煮らるる釜の下の火を見ながら、跪坐んで莨を喫っていた。
 顎髯の伸びた蒼白い顔は、明い春先になると、一層貧相らしくみえた。
「お前さんの紙漉も久しいもんだね」
「駄目だよ。旦那が気がないから」作と云うその男は俛いたまま答えた。「もう楮のなかから小判の出て来る気遣もないからね」
「真実だ」お島は鼻頭で笑った。
 お島は幼い時分この作という男に、よく学校の送迎などをして貰ったものだが、養父の甥に当る彼は、長いあいだ製紙の職工として、多くの女工と共に働かされたのみならず、野良仕事や養蚕にも始終苦使われて来た。そうして気の強い主婦からはがみがみ言われ、お島からは豕か何ぞのように忌嫌われた。絶え間のない労働に堪えかねて、彼はどうかすると気分が悪いといって、少し遅くまで寝ているようなことがあると、主婦のおとらは直に気荒く罵った。
「おいおい、この忙しいのに寝ている奴があるかよ。旧を考えてみろ」
 おとらは作の隠れて寝ている物置のような汚いその部屋を覗込みながら毎時ものお定例を言って呶鳴った。甲走ったその声が、彼の脳天までぴんと響いた、作は主人の兄にあたるやくざ[1]者と、どこのものともしれぬ旅芸人の女との間にできた子供であった。彼の父親は賭博や女に身上を入揚げて、その頃から弟の厄介ものであったが、或時身寄を頼って、上州の方へ稼ぎに行っていたおりにその女に引かかって、それから乞食のように零落れて、間もなくまた二人でこの町へ復って来た。その時身重であったその女が、作を産おとしてから程なく、子供を弟の家に置去に、どこともなく旅へ出て行った。男が病気で死んだと云う報知が、木更津の方から来たのは、それから二三年も経ってからであった。
 お島はおとらが、その頃のことを何かのおりには作に言聞かせているのを善く聞いた。おとらは兄夫婦が、汽車にも得乗らず、夏の暑い日と、野原の荒い風に焼けやつれた黝い顔をして、疲れきった足を引きずりながら這込んで来た光景を、口癖のように作に語って聞かせた。少しでも怠けたり、ずるけたりするとそれを持出した。
「あの衆と一緒だったら、お前だって今頃は乞食でもしていたろうよ。それでも生みの親が恋しいと思うなら、いつだって行くがいい」
 作は親のことを言出されると、時々ぽろぽろ涙を流していたものだが、終にはえへへと笑って聞いていた。
 作はそんなに醜い男ではなかったが、いじけて育ったのと、発育盛を劇しい労働に苦使われて営養が不十分であったので、皮膚の色沢が悪く、青春期に達しても、ばさばさしたような目に潤いがなかった。主人に吩咐かって、雨降りに学校へ迎えに行ったり、宵に遊びほうけて、何時までも近所に姿のみえないおりなどは、遠くまで捜しにいったりして、負ったり抱いたりして来たお島の、手足や髪の見ちがえるほど美しく肉づき伸びて行くのが物希しくふと彼の目に映った。たっぷりしたその髪を島田に結って、なまめかしい八つ口から、むっちりした肱を見せながら、襷がけで働いているお島の姿が、長いあいだ彼の心を苦しめて来た、彼女に対する淡い嫉妬をさえ、吸取るように拭ってしまった。それまで彼は歴々とした生みの親のある、家の後取娘として、何かにつけておとらから衒らかす様に、隔てをおかれるお島を、詛わしくも思っていた。
 お島が作を一層嫌って、侮蔑するようになったのもその頃からであった。
 蒸暑い夏の或真夜中に、お島はそこらを開放して、蚊帳のなかで寝苦しい体を持余していたことがあった。酸っぱいような蚊の唸声が夢現のような彼女のいらいらしい心を責苛むように耳についた。その時ふとお島の目を脅かしたのは、蚊帳のそとから覗いている作の蒼白い顔であった。
「莫迦、阿母さんに言告けてやるぞ」
 お島は高い調子に叫んだ。それで作はのそのそと出ていったが、それまで何の気もなしに見ていたそれと同じような作の挙動が、その時お島の心に一々意味をもって来た。お島は劇しい侮蔑を感じた。或時は野良仕事をしている時につけ廻されたり、或時は湯殿にいる自分の体に見入っている彼の姿を見つけたりした。
 お島はそれ以来、作の顔を見るのも胸が悪かった。そして養父から、善く働く作を自分の婿に択ぼうとしているらしい意嚮を洩されたときに、彼女は体が竦むほど厭な気持がした。しかし養父のその考えが、段々分明して来たとき、お島の心は、自ら生みの親の家の方へ嚮いていった。
「何しろ作は己の血筋のものだから、同じ継せるなら、あれに後を取らせた方が道だ」
 養父は時おり妻のおとらと、その事を相談しているらしかったが、お島はふとそれを立聞したりなどすると、堪えがたい圧迫を感じた。我儘な反抗心が心に湧返って来た。
 作の自分を見る目が、段々親しみを加えて来た。彼は出来るだけ打釈けた態度で、お島に近づこ��とした。畑で桑など摘んでいると、彼はどんな遠いところで、忙しい用事に働いている時でも、彼女を見廻ることを忘れなかった。彼はその頃から、働くことが面白そうであった。叔父夫婦にも従順であった。お島は一層それが不快であった。
 おとらが内々お島の婿にしようと企てているらしい或若い男の兄が、その頃おとらのところへ入浸っていた。青柳と云うその男は、その町の開業医として可也に顔が売れていたが、或私立学校を卒業したというその弟をも、お島はちょいちょい見かけて知っていた。
 気爽で酒のお酌などの巧いおとらは、夫の留守などに訪ねてくる青柳を、よく奥へ通して銚子のお燗をしたりしているのを、お島は時々見かけた。一日かかって四十把の楮を漉くのは、普通一人前の極度の仕事であったが、おとらは働くとなると、それを八十把も漉くほどの働きものであった。そして人のいい夫を其方退けにして、傭い人を見張ったり、金の貸出方や取立方に抜目のない頭脳を働かしていたが、青柳の顔が見えると、どんな時でも彼女の様子がそわそわしずにはいなかった。
 お島の目にも、愛相のいい青柳の人柄は好ましく思えた。彼は青柳から始終お島坊お島坊と呼びなずけられて来た。最近青柳がいつか養父から借りて、新座敷の造営に費った金高は、少い額ではなかった。
 お島は作との縁談の、まだ持あがらぬずっと前から、よく養母のおとらに連れられて青柳と一緒に、大師さまやお稲荷さまへ出かけたものであった。天性目性の好くないお島は、いつの頃からこの医者に時々かかっていたか、分明覚えてもいないが、そこにいたお花と云う青柳の姪にあたる娘とも、遊び友達であった。
 おとらは時には、青柳の家で、お島と対の着物をお花に拵えるために、そこへ反物屋を呼んで、柄の品評をしたりしたが、仕立あがった着物を着せられた二人の娘は、近所の人の目には、双児としかみえなかった。おとらは青柳と大師まいりなどするおりには、初めはお島だけしか連れていかなかったものだが、偶にはお花をも誘い出した。
 お花という連のある時はそうでもなかったが、自分一人のおりには、お島は大人同志からは、全然除けものにされていなければならなかった。
「じゃね、小父さんと阿母さんは、此処で一服しているからね。お前は目がわるいんだから能くお詣りをしておいで。ゆっくりで可いよ。阿母さんたちはどうせ遊びに来たんだからね。小父さんも折角来たもんだから、お酒の一口も飲まなければ満らないだろうし、阿母さんだって偶に出るんだからね」
 おとらはそう言って、博多と琥珀の昼夜帯の間から紙入を取出すと、多分のお賽銭をお島の小さい蟇口に入れてくれた。そこは大師から一里も手前にある、ある町の料理屋であった。二人はその奥の、母屋から橋がかりになっている新築の座敷の方へ落着いてからお島を出してやった。
 それは丁度初夏頃の陽気で、肥ったお島は長い野道を歩いて、脊筋が汗ばんでいた。顔にも汗がにじんで、白粉の剥げかかったのを、懐中から鏡を取出して、直したりした。山がかりになっている料理屋の庭には、躑躅が咲乱れて、泉水に大きな緋鯉が絵に描いたように浮いていた。始終働きづめでいるお島は、こんなところへ来て、偶に遊ぶのはそんなに悪い気持もしなかったが、落着のない青柳や養母の目色を候うと、何となく気がつまって居辛かった。そして小いおりから母親に媚びることを学ばされて、そんな事にのみ敏い心から、自然に故ら二人に甘えてみせたり、燥いでみせたりした。
「ええ、可ござんすとも」
 お島は大きく頷いて、威勢よくそこを出ると、急いで大師の方へと歩き出した。
 町には同じような料理屋や、休み茶屋が外にも四五軒目に着いたが、人家を離れると直に田圃道へ出た。野や森は一面に青々して、空が美しく澄んでいた。白い往来には、大師詣りの人達の姿が、ちらほら見えて、或雑木林の片陰などには、汚い天刑病者が、そこにも此処にも頭を土に摺つけていた。それらの或者は、お島の迹から絡わり着いて来そうな調子で恵みを強請った。お島はどうかすると、蟇口を開けて、銭を投げつつ急いで通過ぎた。
 曲がりくねった野道を、人の影について辿って行くと、旋て大師道へ出て来た。お島はぞろぞろ往来している人や俥の群に交って歩いていったが、本所や浅草辺の場末から出て来たらしい男女のなかには、美しく装った令嬢や、意気な内儀さんも偶には目についた。金縁眼鏡をかけて、細巻を用意した男もあった。独法師のお島は、草履や下駄にはねあがる砂埃のなかを、人なつかしいような可憐しい心持で、ぱっぱと蓮葉に足を運んでいた。ほてる脛に絡わる長襦袢の、ぽっとりした膚触が、気持が好かった。今別れて来た養母や青柳のことは直に忘れていた。
 大師前には、色々の店が軒を並べていた。張子の虎や起きあがり法師を売っていたり、おこしやぶっ切り[2]飴を鬻いでいたりした。蠑螺や蛤なども目についた。山門の上には馬鹿囃の音が聞えて、境内にも雑多の店が居並んでいた。お島は久しく見たこともないような、かりん糖や太白飴の店などを眺めながら本堂の方へあがって行ったが、何処も彼処も在郷くさいものばかりなのを、心寂しく思った。お島は母に媚びるためにお守札や災難除のお札などを、こてこて受けることを怠らなかった。
 そこを出てから、お島は野広い境内を、其方こっち歩いてみたが、所々に海獣の見せものや、田舎廻りの手品師などがいるばかりで、一緒に来た美しい人達の姿もみえなかった。お島は隙を潰すために、若い桜の植えつけられた荒れた貧しい遊園地から、墓場までまわって見た。田舎爺の加持のお水を頂いて飲んでいるところだの、蝋燭のあがった多くの大師の像のある処の前に彳んでみたりした。木立の中には、海軍服を着た痩猿の綱渡などが、多くの人を集めていた。お島はそこにも暫く立とうとしたが、焦立つような気分が、長く足を止めさせなかった。
 休茶屋で、ラムネに渇いた咽喉や熱る体を癒しつつ、帰路についたのは、日がもう大分かげりかけてからであった。田圃に薄寒い風が吹いて、野末のここ彼処に、千住あたりの工場の煙が重く棚引いていた。疲れたお島の心は、取留のない物足りなさに掻乱されていた。
 旧のお茶屋へ還って往くと、酒に酔った青柳は、取ちらかった座敷の真中に、座蒲団を枕にして寝ていたが、おとらも赤い顔をして、小楊枝を使��ていた。
「まあ可かったね。お前お腹がすいて歩けなかったろう」おとらはお愛相を言った。
「お前、お水を頂いて来たかい」
「ええ、どっさり頂いて来ました」
 お島はそうした嘘を吐くことに何の悲しみも感じなかった。
 おとらはお島に御飯を食べさせると、脱いで傍に畳んであった羽織を自分に着たり、青柳に着せたりして、やがて其処を引揚げたが、町へ帰り着く頃には、もうすっかり日がくれて蛙の声が静な野中に聞え、人家には灯が点されていた。
「みんな御苦労々々々」おとらは暗い入口から声かけながら入って行ったが、養父は裏で連に何か取込んでいた。
 お島は養父がいつまでも内に入って来ようともしず、入って来ても、飯がすむと直ぐ帳簿調に取かかったりして、無口でいるのを自分のことのように気味悪くも思った。お島はいつもするように、「肩をもみましょうか」と云って、養父の手のすいた時に、後へ廻って、養母に代って機嫌を取るようにした。お島は九つ十の時分から、養父の肩を揉ませられるのが習慣になっていた。
 おとらは一ト休みしてから、晴れ着の始末などをすると、そっち此方戸締をしたり、一日取ちらかった其処らを疳性らしく取片着けたりしていたが、そのうちに夫婦の間にぼつぼつ話がはじまって、今日行ったお茶屋の噂なども出た。そのお茶屋を養父も昔から知っていた。
 此処から三四里もある或町の農家で同じ製紙業者の娘であったおとらは、その父親が若いおりに東京で懇意になった或女に産れた子供であったので、東京にも知合が多く、都会のことは能く知っているが、今の良人が取引上のことで、ちょくちょく其処へ出入しているうちに、いつか親しい間になったのだと云うことは、お島もおとらから聞かされて知っていた。その頃痩世帯を張っていた養父は、それまで義理の母親に育てられて、不仕合せがちであったおとらと一緒になってから、二人で心を合せて一生懸命に稼いだ。その苦労をおとらは能くお島に言聞せたが、身上ができてからのこの二三年のおとらの心持には、いくらか弛みができて来ていた。世間の快楽については、何もしらぬらしい養父から、少しずつ心が離れて、長いあいだの圧迫の反動が、彼女を動もすると放肆な生活に誘出そうとしていた。
 お島は長いあいだ養父母の体を揉んでから、漸と寝床につくことが出来たが、お茶屋の奥の間での、刺戟の強い今日の男女の光景を���浮べつつ、直に健やかな眠に陥ちて了った。蛙の声がうとうとと疲れた耳に聞えて、発育盛の手足が懈く熱っていた。
 翌朝も養父母は、何のこともなげな様子で働いていた。
 お花を連出すときも、男女の遊び場所は矢張同じお茶屋であったが、お島はお花と一緒に、浅草へ遊びにやって貰ったりした。お島はお花と俥で上野の方から浅草へ出て往った。そして観音さまへお詣りをしたり、花屋敷へ入ったりして、※[3]を消した。二人は手を引合って人込のなかを歩いていたが、矢張心が落着かなかった。
 おとらは時とすると、若い青柳の細君をつれだして、東京へ遊びに行くこともあったが、内気らしい細君は、誘わるるままに素直について往った。おとらは往返りには青柳の家へ寄って、姉か何ぞのように挙動っていたが、細君は心の侮蔑を面にも現わさず、物静かに待遇っていた。
 何時の頃であったか、多分その翌年頃の夏であったろう、その年重にお島の手に委されてあった、僅二枚ばかりの蚕が、上蔟するに間のない或日、養父とごたごたした物言の揚句、養母は着物などを着替えて、ぶらりと何処かへ出ていって了った。
 養母はその時、青柳にその時々に貸した金のことについて、養父から不足を言われたのが、気に障わったと云って、大声をたてて良人に喰ってかかった。話の調子の低いのが天性である養父は、嵩にかかって言募って来るおとらの為めに遣込められて、終には宥めるように辞を和げたが、矢張いつまでもぐずぐず言っていた。
「ちっと昔しを考えて見るが可いんだ。お前さんだって好いことばかりもしていないだろう。旧を洗ってみた日には、余り大きな顔をして表を歩けた義理でもないじゃないか」
 養蚕室にあてた例の薄暗い八畳で、給桑に働いていたお島は、甲高なその声を洩聞くと、胸がどきりとするようであった。お島は直に六部のことを思出さずにいられなかった。ぶすぶす言っている哀れな養父の声も途断れ途断れに聞えた。
 青柳に貸した金の額は、お島にはよくは判らなかったが、家の普請に幾分用立てた金を初めとして、ちょいちょい持っていった金は少い額ではないらしかった。この一二年青柳の生活が、いくらか華美になって来たのが、お島にも目についた。養父の知らないような少額の金や品物が、始終養母の手から私と供給されていた。
 お島はその年の冬の頃、一度青柳と一緒に落会った養母のお伴をしたことがあったが、十七になるお島を連出すことはおとらにも漸く憚られて来た。場所も以前のお茶屋ではなかった。
 その日も養父は、使い道の分明しないような金のことについて、昼頃からおとらとの間に紛紜を惹起していた。長いあいだ不問に附して来た、青柳への貸のことが、ふとその時彼の口から言出された。そして日頃肚に保っていた色々の場合のおとらの挙動が、ねちねちした調子で詰られるのであった。
 結局おとらは、綺麗に財産を半分わけにして、別れようと言出した。そして良人の傍を離れると、奥の間へ入って、暫く用箪笥の抽斗の音などをさせていたが、それきり出ていった。
「まあ阿母さん、そんなに御立腹なさらないで、後生ですから家にいて下さい。阿母さんが出ていっておしまいなすったら、私なんざどうするんでしょう」
 お島はその傍へいって、目に涙をためて哀願したが、おとらは振顧きもしなかった。
 夜になってから、お島は養父に吩咐かって、近所をそっち此方尋ねてあるいた。青柳の家へもいって見たが、見つからなかった。
 おとらの未だ帰って来ない、或日の午後、蚕に忙しいお島の目に、ふと庭向の新建の座敷で、おとらを生家へ出してやった留守に、何時か為たように、夥しい紙幣を干している養父の姿を見た。八畳ばかりの風通しのいいその部屋には、紙幣の幾束が日当りへ取出されてあった。
 お島は養父が、二三軒の知合の家へ葉書を出したことを知っていたが、おとらが帰ってから、漸と届いたおとらの生家の外は、その返辞はどこからも来なかった。
 養父はどうかすると、蚕室にいるお島の傍へ来て、もうひきるばかりになっている蚕を眺めなどしていた。蚕の或物はその蒼白い透徹るような躯を硬張せて、細い糸を吐きかけていた。
「お前阿母から口止されてることがあるだろうが」
 養父はこの時に限らず、おとらのいない処で、どうかするとお島に訊ねた。
「どうしてです。いいえ」お島は顔を赧めた。
 しかし養父はそれ以上深入しようとはしなかった。お島にはおとらに対する養父の弱点が見えすいているようであった。
 もう遊びあいて、家が気にかかりだしたと云う風で、おとらの帰って来たのは、その日の暮近くであった。養父はまだ帳場の方を離れずにいたが、おとらは亭主にも辞もかけず、「はい只今」と、お島に声かけて、茶の間へ来て足を投げ出すと、せいせいするような目色をして、庭先を眺めていた。濃い緑の草や木の色が、まだ油絵具のように生々してみえた。
 お島は脱ぎすてた晴衣や、汗ばんだ襦袢などを、風通しのいい座敷の方で、衣紋竹にかけたり、茶をいれたりした。
「こんな時に顔を出しておきましょうと思って、方々歩きまわって来たよ」おとらは行水をつかいながら、背を流しているお島に話しかけた。その行った先には、種違いのおとらの妹の片着先や、子供のおりの田舎の友達の縁づいている家などがあった。それらは皆な東京のごちゃごちゃした下町の方であった。そして誰も好い暮しをしている者はないらしかった。そして一日二日もいると、直に厭気がさして来た。おとら夫婦は、金ができるにつれて、それ等の人達との間に段々隔てができて、往来も絶えがちになっていた。生家とも矢張そうであった。
 湯から上がって来ると、おとらは東京からこてこて持って来た海苔や塩煎餅のようなものを、明の下で亭主に見せなどしていたが、飯がすむと蚊のうるさい茶の間を離れて、直に蚊帳のなかへ入ってしまった。
 毎夜々々寝苦しいお島は、白い地面の瘟気の夜露に吸取られる頃まで、外へ持出した縁台に涼んでいたが、近所の娘達や若いものも、時々そこに落会った。町の若い男女の噂が賑ったり、悪巫山戯で女を怒らせたりした。
 仕舞湯をつかった作が、浴衣を引かけて出て来ると、うそうそ傍へ寄って来た。
「この莫迦また出て来た」お島は腹立しげについと其処を離れた。
十一
 おとらと青柳との間に成立っていたお島と青柳の弟との縁談が、養父の不同意によって、立消えになった頃には、おとらも段々青柳から遠ざかっていた。一つはお島などの口から、自分と青柳との関係が、うすうす良人の耳に入ったことが、その様子で感づかれたのに厭気がさしたからであったが、一つは青柳夫婦がぐるになって、慾一方でかかっていることが余りに見えすいて来たからであった。
 お島が十七の暮から春へかけて、作の相続問題が、また養父母のあいだに持あがって来た。お島はそのことで、養父母の機嫌をそこねてから、一度生みの親達の傍へ帰っていた。お島はその頃、誰が自分の婿であるかを明白知らずにいた。そして婚礼支度の自分の衣裳などを縫いながら、時々青柳の弟のことなどを、ぼんやり考えていた。東京の学校で、機械の方をやっていたその弟と、お島はついこれまで口を利いたこともなかったし、自分をどう思っているかをも知らなかったが、深川の方に勤め口が見つかってから、毎朝はやく、詰襟の洋服を着て、鳥打をかぶって出て行く姿をちょいちょい見かけた。途中で逢うおりなどには、双方でお辞儀ぐらいはしたが、お島自身は彼について深く考えて見たこともなかった。そして青柳とおとらとの間に、その話の出るとき毎時避けるようにしていた。
 ある時そんな事については、から薄ぼんやりなお花の手を通して、綺麗な横封に入った手紙を受取ったが、洋紙にペンで書いた細い文字が、何を書いてあるのかお花にはよくも解らなかったが、双方の家庭に対する不満らしいことの意味が、お島にもぼんやり頭脳に入った。お島のそんな家庭に縛られている不幸に同情しているような心持も、微に受取れたが、お島は何だか厭味なような、擽ったいような気がして、後で揉くしゃにして棄てしまった。その事を、多少は誇りたい心で、おとらに話すと、おとらも笑っていた。
「あれも妙な男さ。養子なんかに行くのは厭だといって置きながら、そんな物をくれるなんて、厭だね」
 お島は養父母が、すっかり作に取決めていることを感づいてから、仕事も手につかないほど不快を感じて来た。おとらは不機嫌なお島の顔を見ると、お島が七つのとき初めて、人につれられて貰われて来た時の惨なさまを掘返して聞せた。
「あの時お前のお父さんは、お前の遣場に困って、阿母さんへの面あてに川へでも棄ててしまおうかと思ったくらいだったと云う話だよ。あの阿母さんの手にかかっていたら、お前は産れもつかぬ不具になっていたかも知れないよ」おとらはそう言って、生みの親の無情なことを語り聞かせた。
十二
 近所でも知らないような、作とお島との婚礼談が、遠方の取引先などで、意いがけなくお島の耳へ入ったりしてから、お島は一層分明自分の惨な今の身のうえを見せつけられるような気がして、腹立しかった。そしてその事を吹聴してあるくらしい、作の顔が一層間ぬけてみえ、厭らしく思えた。
「まだ帰らねえかい」そう言って、小さい時分から学校へ迎えに来た作は、昔も今も同じような顔をしていた。
「外に待っておいで」お島はよく叱りつけるように言って、入り口の外に待たしておいたものだが、今でも矢張、下駄に手をふれられても身ぶるいがするほど厭であった。
 婚礼談が出るようになってから、作は懲りずまに善くお島の傍へ寄って来た。余所行の化粧をしてい���とき、彼は横へ来てにこにこしながら、横顔を眺めていた。
「あっちへ行っておいで」お島はのしかかるような疳癪声を出して逐退けた。
「そんなに嫌わんでも可いよ」作はのそのそ出ていった。
 作の来るのを防ぐために、お島は夜自分の部屋の襖に心張棒を突支えておいたりしなければならなかった。
「厭だ厭だ、私死んでも作なんどと一緒になるのは厭です」お島は作のいる前ですら、始終母親にそう言って、剛情を張通して来た。
「作さんが到頭お島さんのお婿さんに決ったそうじゃないか」
 お島は仕切を取りに行く先々で、揶揄い面で訊かれた。足まめで、口のてきぱきしたお島は、十五六のおりから、そうした得意先まわりをさせられていた。お島のきびきびした調子と、蓮葉な取引とが、到るところで評判がよかった。物馴れてくるに従って、お島の顔は一層広くなって行った。
 それが小心な養父には、気に入らなかった。時々お島は養父から小言を言われた。
「可いじゃありませんか阿父さん、家の身上をへらすような気遣はありませんよ」お島は煩さそうに言った。
「阿父さんのように吝々していたんじゃ、手広い商売は出来やしませんよ」
 ぱっぱっとするお島の遣口に、不安を懐きながらも、気無性な養父は、お島の働きぶりを調法がらずにはいられなかった。
「嘘ですよ」
 お島は作と自分との結婚を否認した。
「それでも作さんがそう言っていましたぜ」取引先の或人は、そう言って面白そうにお島の顔を瞶めた。
「あの莫迦の言うことが、信用できるもんですか」お島は鼻で笑っていた。
 王子の方にある生家へ逃げて帰るまでに、お島の周囲には、その噂が到るところに拡がっていた。
「それじゃお前は、どんな男が望みなのだえ」おとらは終にお島に訊ねた。
「そうですね」お島はいつもの調子で答えた。
「私はあんな愚図々々した人は大嫌いです。些とは何か大きい仕事でもしそうな人が好きですの。そして、もっと綺麗に暮していけるような人でなければ、一生紙をすいたり、金の利息の勘定してるのはつくづく厭だと思いますわ」
十三
 盆か正月でなければ、滅多に泊ったことのない生みの親達の家へ来て二三日たつと、直に養母が迎いに来た。
 お島が盆暮に生家を訪ねる時には、砂糖袋か鮭を提えて作が急度お伴をするのであったが、この二三年商売の方を助けなどするために、時には金の仕舞ってある押入や用箪笥の鍵を委されるようになってからは、不断は仲のわるい姉や、母親の感化から、これも動もすると自分に一種の軽侮を持っている妹に、半衿や下駄や、色々の物を買って行って、お辞儀されるのを矜りとした。姉や妹に限らず、養家へ出入する人にも、お島はぱっぱと金や品物をくれてやるのが、気持が好かった。貧しい作男の哀願に、堅く財布の口を締めている養父も、傍へお島に来られて喙を容れられると、因業を言張ってばかりもいられなかった。遊女屋から馬をひいて来る職工などに、お島は自分の考えで時々金を出してくれた。それらの人は、途でお島に逢うと、心から叮嚀にお辞儀をした。
 大方の屋敷まわりを兄に委せかけてあった実家の父親は、兄が遊蕩を始めてから、また自分で稼業に出ることにしていたので、お島はそうして帰って来ていても滅多に父親と顔を合さなかった。毎日々々箸の上下しに出る母親の毒々しい当こすりが、お島の頭脳をくさくささせた。
「そう毎日々々働いてくれても、お前のものと云っては何にもありゃしないよ」
 母親は、外へ出て広い庭の草を取ったり、父親が古くから持っていて手放すのを惜んでいる植木に水をくれたりして、まめに働いているお島の姿をみると、家のなかから言聞かせた。広い門のうちから、垣根に囲われた山がかりの庭には、松や梅の古木の植わった大きな鉢が、幾個となく置駢べられてあった。庭の外には、幾十株松を育てある土地があったり、雑多の庭木を植つけてある場所があったりした。この界隈に散ばっているそれ等の地面が、近頃兄弟達の財産として、それぞれ分割されたと云うことはお島も聞いていた。
 いつか父親が、自分の隠居所にするつもりで、安く手に入れた材木を使って建てさせた屋敷も、それ等の土地の一つのうちにあった。
「ええ。些とばかりの地面や木なんぞ貰ったって、何になるもんですか。水島の物にだって目をくれてやしませんよ」お島は跣足で、井戸から如露に水を汲込みながら言った。
「好い気前だ。その根性骨だから人様に憎がられるのだよ」
「憎むのは阿母さんばかりです。私はこれまで人に憎がられた覚なんかありゃしませんよ」
「そうかい、そう思っていれば間違はない。他人のなかに揉まれて、些とは直ったかと思っていれば、段々不可くなるばかりだ」
「余計なお世話です。自分が育てもしない癖に」お島は如露を提げて、さっさと奥の方へ入って行った。
十四
 お島はもう大概水をくれて了ったのであったが、家へ入ってからの母親との紛紜が気煩さに、矢張大きな如露をさげて、其方こっち植木の根にそそいだり、可也の距離から来る煤煙に汚れた常磐木の枝葉を払いなどしていたが、目が時々入染んで来る涙に曇った。
「お島さん、どうも済んませんね」などと、仕事から帰って来た若いものが声をかけたりした。
「私はじっとしていられない性分だからね」とお島はくっきりと白い頬のあたりへ垂れかかって来る髪を掻あげながら、繁みの間から晴やかな笑声を洩していたが、預けられてあった里から帰って来て、今の養家へもらわれて行くまでの短い月日のあいだに、母親から受けた折檻の苦しみが、憶起された。四つか五つの時分に、焼火箸を捺つけられた痕は、今でも丸々した手の甲の肉のうえに痣のように残っている。父親に告口をしたのが憎らしいと云って、口を抓ねられたり、妹を窘めたといっては、二三尺も積っている脊戸の雪のなかへ小突出されて、息の窒るほどぎゅうぎゅう圧しつけられた。兄弟達に食物を頒けるとき、お島だけは傍に突立ったまま、物欲しそうに、黙ってみている様子が太々しいといって、何もくれなかったりした。土掻や、木鋏や、鋤鍬の仕舞われてある物置にお島はいつまでも、めそめそ泣いていて、日の暮にそのまま錠をおろされて、地鞴ふんで泣立てたことも一度や二度ではなかったようである。
 父親は、その度に母親をなだめて、お島を赦してくれた。
「多勢子供も有ってみたが、こんな意地張は一人もありゃしない」母親はお島を捻りもつぶしたいような調子で父親と争った。
 お島は我子ばかりを劬わって、人の子を取って喰ったという鬼子母神が、自分の母親のような人であったろうと思った。母親はお島一人を除いては、どの子供にも同じような愛執を持っていた。
 日が暮れる頃に、お島は物置の始末をして、漸と夕飯に入って来たが、父親は難しい顔をして、いつか長火鉢の傍で膳に向って、お仕着せの晩酌をはじめているところであった。外はもう夜の色が這拡がって、近所の牧場では牛の声などがしていた。往来の方で探偵ごっこをしていた子供達も、姿をかくして、空には柔かい星の影が春めいてみえた。
「まあ一月でも二月でも家においてやるがいい。奉公に出したって、もう一人前の女だ」父親はそんなことを言って、何かぶつくさ言っている母親を和めているらしかったが、お島は台所で、それを聞くともなしに、耳を立てながら、自分の食器などを取出していた。
「今に見ろ、目の飛出るようなことをしてやるから」お島はむらむらした母への反抗心を抑えながら、平気らしい顔をしてそこへ出て行った。切めて自分を養家へ口入した、西田と云う爺さんの行っているような仕事に活動してみたいとも思った。その爺さんは、近頃陸軍へ馬糧などを納めて、めきめき家を大きくしていた。実直に働いて来た若いものにくれてやった姉などを、さも幸福らしく言たてる母親を、お島は苦々しく思っていたが、それにつけても、一生作などと婚礼するためには、養家の閾は跨ぐまいと考えていた。食事をしている間も、昂奮した頭脳が、時々ぐらぐらするようであった。
十五
 或日の午後におとらが迎いに来たとき、父親も丁度家に居合せて、ここから二三町先にある持地で、三四人の若い者を指図して、可也大きな赤松を一株、或得意先へ持運ぶべく根拵えをしていた。
 お島はおとらを客座敷の方へ案内すると、直に席をはずして了ったが、実母の吩咐で父親を呼びに行った。お島はこうして邪慳な実母の傍へ来ていると、小さい時分から自分を可愛がって育ててくれた養母の方に、多くの可懐しみのあることが分明感ぜられて来た。養家や長い馴染のその周囲も恋しかった。
「島ちゃん、お前さんそう幾日も幾日もこちらの御厄介になっていても済まないじゃないか。今日は私がつれに来ましたよ」おとらにいきなりそう言って上り込んで来られた時、お島は反抗する張合がぬけたような気がして、何だか涙ぐましくなって来た。
「手前の躾がわりいから、あんな我儘を言うんだ。この先もあることだから放抛っておけと、宅ではそう言って怒っているんですけれど、私もかかり子にしようと思えばこそ、今日まで面倒を見てきたあの子ですからね」
 おとらのそう言っている挨拶を茶の間で茶をいれながら、お島は聞いていたが、お島のことと云うと、誰に向ってもひり出すように言いたい実母も、ただ簡単な応答をしているだけであった。
 こんな出入に口無調法な父親は、さも困ったような顔をしていたが、旋て井戸の方へまわって手顔を洗うと、内へ入って来た。お島は母親のいないところで、ついこの一両日前にも、父親が事によったら、母親に秘密で自分に頒けてもいいと言った地面の坪数や価格などについて、父親に色々聞されたこともあった。その坪は一千弱で、安く見積っても木ぐるみ一万円が一円でも切れると云うことはなかろうと云うのであった。お島は心強いような気がしたが、母親の目の黒いうちは、滅多にその分前に有附けそうにも思えなかった。
「家の地面は、全部でどのくらいあるの」お島は爾時も父親に訊いてみた。
「そうさな」と、父親は笑っていたが、それが大見一万近いものであることは、お島にも考えられた。中には野菜畠や田地も含まれていた。子供が多いのと、この二三年兄の浪費が多かったのとで、借金の方へ入っている場所も少くなかった。去年の秋から、家を離れて、田舎へ稼ぎにいっている兄の傍には、暫く係合っていた商売人あがりの女が未だに附絡っていたり、嫂が三つになる子供と一緒に、東京にあるその実家へ引取られていたりした。父親の助けになる男片と云っては、十六になるお島の弟が一人家にいるきりであった。
 家が段々ばたばたになりかかっていると云うことが、そうして五日も六日も見ているお島の心に感ぜられて来た。母親のやきもきしている様子も、見えすいていた。
十六
 お島は父親が内へ入ってからも、暫く裏の植木畑のあたりを逍遥いていた。どうせここにいても、母親と毎日々々啀みあっていなければならない。啀み合えば合うほど、自分の反抗心と、憎悪の念とが募って行くばかりである。長いあいだ忘れていた自分の子供の時分に受けた母親の仕打が、心に熟み靡れてゆくばかりである。一万二万と弟や妹の分前はあっても、自分には一握の土さえないことを思うと頼りなかった。それかと言って、養家へ帰れば、寄って集って急度作と結婚しろと責められるに決っていた。多くの取引先や出入の人達には、もうそれが単なる噂ではなくて、事実となって刻まれている。お島は作の顔を見るのも厭だと思った。あの禿あがったような貧相らしい頸から、いつも耳までかかっている尨犬のような髪毛や赤い目、鈍くさい口の利方や、卑しげな奴隷根性などが、一緒に育って来た男であるだけに、一層醜くも蔑視ましくも思えた。あんな男と一緒に一生暮せようとは、どうしても考えられなかった。実母がそれを生意気だといって罵るのはまだしも、実父にまで、時々それを圧つけようとする口吻を洩されるのは、堪えられないほど情なかった。
 大分たってから皆の前へ呼ばれていった時、お島は漸と目に入染んでいる涙を拭いた。
「私もこの四五日忙しいんで、聞いてみる隙もなかったが、全体お前の了簡はどういうんだな」
 お島が太てたような顔をして、そこへ坐ったとき、父親が硬い手に煙管を取あげながら訊ねた。お島は曇んだ��色をして、黙っていた。
「今日までの阿母さんの恩を考えたら、お前が作さんを嫌うの何のと、我儘を言えた義理じゃなかろうじゃねえか。ようく物を考えてみろよ」
「私は厭です」お島は顔の筋肉を戦かせながら言った。
「他の事なら、何でも為て御恩返しをしますけれど、これだけは私厭です」
 父親は黙って煙管を啣えたまま俛いてしまったが、母親は憎さげにお島の顔を瞶めていた。
「島、お前よく考えてごらんよ。衆さんの前でそんな御挨拶をして、それで済むと思っているのかい。義理としても、そうは言わせておかないよ。真実に惘れたもんだね」
「どうしてまたそう作太郎を嫌ったものだろうねえ」おとらは前屈みになって、華車な銀煙管に煙草をつめながら一服喫すと、「だからね、それはそれとして、左に右私と一緒に一度還っておくれ。そんなに厭なものを、私だって無理にとは言いませんよ。出入の人達の口も煩いから、今日はまあ帰りましょう。ねえ。話は後でもできるから」と宥めるように言って、そろそろ煙管を仕舞いはじめた。
 お島を頷かせるまでには、大分手間がとれたが、帰るとなると、お島は自分の関係が分明わかって来たようなこの家を出るのに、何の未練気もなかった。
「どうも済みません。色々御心配をかけました」お島はそう言って挨拶をしながら、おとらについて出た。
 そして何時にかわらぬ威勢のいい調子で、気爽におとらと話を交えた。
「男前が好くないからったって、そう嫌ったもんでもないんだがね」
 おとらは途々お島に話しかけたが、左に右作の事はこれきり一切口にしないという約束が取極められた。
十七
 おとらは途で知合の人に行逢うと、きっとお島が、生家の母親の病気を見舞いにいった体に吹聴していたが、お島にもその心算でいるようにと言含めた。
「作太郎にも余りつんけんしない方がいいよ。あれだってお前、為ることは鈍間でも、人間は好いものだよ。それにあの若さで、女買い一つするじゃなし、お前をお嫁にすることとばかり思って、ああやって働いているんだから。あれに働かしておいて、島ちゃんが商売をやるようにすれば、鬼に鉄棒というものじゃないか。お前は今にきっとそう思うようになりますよ」おとらはそうも言って聞せた。
 お島は何だか変だと思ったが、欺したり何かしたら承知しないと、独で決心していた。
 家へ帰ると、気をきかして何処かへ用達しにやったとみえて、作の姿は何処にも見えなかったが、紙漉場の方にいた養父は、おとらの声を聞つけると、直に裏口から上って来た。お島はおとらに途々言われたように、「御父さんどうも済みません」と、虫を殺してそれだけ言ってお叩頭をしたきりであったが、おとらが、さも自分が後悔してでもいるかのような取做方をするのを聞くと、急に厭気がさして、かっと目が晦むようであった。お島はこの家が遽に居心がわるくなって来たように思えた。取返しのつかぬ破滅に陥ちて来たようにも考えられた。
「あの時王子の御父さんは、家へ帰って来るとお島は隅田川へ流してしまったと云って御母さんに話したと云うことは、お前も忘れちゃいない筈だ」養父はねちねちした調子で、そんな事まで言出した。
 お島はつんと顔を外向けたが、涙がほろほろと頬へ流れた。
「旧を忘れるくらいな人間なら、駄目のこった」
 お島がいらいらして、そこを立かけようとすると、養父はまた言足した。
「それで王子の方では、皆さんどんな考だったか。よもやお前に理があるとは言うまいよ」
 お島は俛いたまま黙っていたが、気がじりじりして来て、じっとしていられなかった。
 おとらが汐を見て、用事を吩咐けて、そこを起してくれたので、お島は漸と父親の傍から離れることが出来た。そして八畳の納戸で着物を畳みつけたり、散かったそこいらを取片着けて、埃を掃出しているうちに、自分がひどく脅されていたような気がして来た。
 夕方裏の畑へ出て、明朝のお汁の実にする菜葉をつみこんで入って来ると、今し方帰ったばかりの作が、台所の次の間で、晩飯の膳に向おうとしていた。作は少し慍ったような風で、お島の姿を見ても、声をかけようともしなかったが、大分たってから明朝の仕かけをしているお島の側へ、汚れた茶碗や小皿を持出して来た時には、矢張いつものとおり、にやにやしていた。
「汚い、其地へやっとおき」お島はそんな物に手も触れなかった。
十八
 お島が作との婚礼の盃がすむか済まぬに、二度目にそこを飛出したのは、その年の秋の末であった。
 残暑の頃から悩んでいた病気の予後を上州の方の温泉場で養生していた養父が、急にその事が気にかかり出したといって、予定よりもずっと早く、持っていった金も半分弱も剰して、帰って来てから、この春の時に用意したお島の婚礼着の紋附や帯がまた箪笥から取出されたり、足りない物が買足されたりした。
 お島はこの夏は、いつもの養蚕時が来ても、毎年々々仕馴れた仕事が、不思議に興味がなかった。そして病床に寝ている養父が、時々じれじれするほど、総てのことに以前のような注意と熱心とを欠いて来た。家におって、薬や食物の世話をしたり、汚れものを洗濯したりするよりも、市中や田舎の方の仕切先を廻って、うかうか時間を消すことが、多かった。七つのおりからの、色々の思出を辿ってみると、養父や養母に媚びるために、物の一時間もじっとしている時がないほど、粗雑ではあったが、きりきり働いて来たことが、今になってみると、自分に取って身にも皮にもなっていないような気がした。或時は、着物の出来るのが嬉しかったり、或時は財産を譲渡されると云う、遠い先のことに朧げな矜を感じていた。そして妹達に比べて、自分の方が、一層慈愛深い人の手に育てられている一人娘の幸福を悦んでいた。
「お島さんお島さん」と云って、周囲の人が、挙って自分を崇めているようにも見えた。馬糧用達の西田の爺いから、不断ここの世話になっている、小作人に至るまで、お島では随分助かっている連中も、お島が一切を取仕切る時の来るのを待設けているらしくも思われた。
「くよくよしないことさ。今にみんな好くしてあげようよ。ここの身代一つ潰そうと思えば、何でもありゃしない」
 お島は借金の言訳に、ぺこぺこしている男を見ると、そういって大束を極込んだ。
 病気の間もそうであったが、養父が湯治に行ってからは、青柳がまたちょくちょく入込んでいた。それでなくとも、十年来住みなれて来ながら、一生ここで暮せようとは思えなくなった家に、めっきり親しみがなくなって来たお島は、よく懇意の得意先へあがっていって、半日も話込んでいた。主人に代って、店頭に坐ってお客にお世辞を振撒いたり、気の合った内儀さんの背後へまわって髪を取あげてやったりした。
「私二三年東京で働いてみようかしら」お島は何か働き効のある仕事に働いてみたい望みが湧いていた。
「笑談でしょう」内儀さんは笑っていた。
「いいえ真実。私この頃��くづくあの家が厭になってしまったんです」
「でも貴方にぬけられちゃ、お家で困るでしょう」
「どうですかね。安心して私に委せておけないような人達ですからね。何を仕出来すかと思って、可怕いでしょう」お島は可笑しそうに笑った。
 目こする間に、さっさと髷に取揚げられた内儀さんの頭髪は、地が所々引釣るようで、痛くて為方がなかった。
十九
 お島は或時は、それとなく自分に適当した職業を捜そうと思って、人にも聞いてみたり、自分にも市中を彷徨いてみたりしたが、自分の智識が許しそうな仕事で、一生懸命になり得るような職業はどこにも見当らなかった。坐って事務を取るようなところは、碌々小学校すら卒業していない彼女の学力が不足であった。
 お島は時とすると、口入屋の暖簾をくぐろうかと考えて、その前を往ったり来たりしたが、そこに田舎の駈出しらしい女の無智な表情をした顔だの、みすぼらしい蝙蝠や包みやレーザの畳のついた下駄などが目につくと、もう厭になって、その仲間に成下ってまでゆこうと云う勇気は出なかった。
 お島は日がくれても家へ帰ろうともしず、上野の山などに独でぼんやり時間を消すようなことが多かった。山の下の多くの飲食店や、商家には灯が青黄色い柳の色と一つに流れて、そこを動いている電車や群衆の影が、夢のように動いていた。お島はそんな時、恩人の子息で、今アメリカの方へ行っているという男のことなどを憶出していた。そして旅費さえ偸み出すことができれば、何時でもその男を頼って、外国へ渡って行けそうな気さえするのであった。
「ここまで漕ぎつけて、今一ト息と云うところで、あの財産を放抛って出るなんて、そんな奴があるものか」
 お島がその希望をほのめかすと、西田の老人は頭からそれを排斥した。この老人の話によると、養家の財産は、お島などの不断考えているよりは、※[4]に大きいものであった。動産不動産を合せて、十万より凹むことはなかろうと云うのであった。床下の弗函に収ってあると云う有金だけでも、少い額ではなかろうと云うのであった。その中には幾分例の小判もあろうという推測も、強ち嘘ではなかろうと思われた。
 小い子供を多勢持っているこのお爺さんも、旧は矢張お島の養父から、資金の融通を仰いだ仲間の一人であった。今でも未償却のままになっている額が、少くなかった。老人は、何をおいても先、慾を知らなければ一生の損だということをお島にくどくど言聴した。
 お島はそれでその時はまた自分の家の閾を跨ぐ気になるのであったが、この老人や青柳などの口利で、婿が作以外の人に決めらるるまでは、動きやすい心が、動もすると家を離れていこうとした。
二十
 婚礼沙汰が初まってから、毎日のように来ては養父母と内密で談をしていた青柳は、その当日も手隙を見てはやって来て、床の間に古風な島台を飾りつけたり、何処からか持って来た箱のなかから鶴亀の二幅対を取出して、懸けて眺めたりしていた。
「今度と云う今度は島ちゃんも遁出す気遣はあるまい。己の弟は男が好いからね」青柳はそう言いながら、この二三日得意先まわりもしないでいるお島の顔を眺めた。青柳は頭顱の地がやや薄く透けてみえ、明みで見ると、小鬢に白髪も幾筋かちかちかしていたが、顔はてらてらして、張のある美しい目をしていた。弟はそれほど立派ではなかったが、摺った揉んだの揚句に、札がまたその男におちたと聞されたとき、お島は何となく晴がましいような気がせぬでもなかった。彼はその頃通いつつある工場の近くに下宿していて、兄の家にはいなかった。お島はこの正月以来その姿を見たこともなかった。一度自分に附文などをしてから、妙に疎々しくなっていたあの男が、婚礼の晩にどんな顔をして来るかと思うと、それが待遠しいようでもあり、不安なようでもあった。
 その日は朝からお島は、気がそわそわしていた。そしてまだ夜露のじとじとしているような畠へ出て、根芋を掘ったきりで、何事にも外の働きはしなかった。畑にはもう刈残された玉蜀黍や黍に、ざわざわした秋風が渡って、囀りかわしてゆく渡鳥の群が、晴きった空を遠く飛んで行った。
 午頃に頭髪が出来ると、自分が今婚礼の式を挙げようとしていることが、一層分明して来る様であったが、その相手が、十三四の頃から昵んで、よく揶揄われたり何かして来た気象の剽軽な青柳の弟に当る男だと思うと、更ったような気分にもなれなかった。おとらと三人でいる時でも、青柳はよくめきめき娘に成ってゆくお島の姿形を眺めて、おとらに油断ができないと思わせるような猥な辞を浴せかけた。
 作太郎はというと、彼も今日は一日一切の仕事を休ませられて、朝から床屋へいったり、湯に入ったりして冶していた。そしてお島の顔さえみるとにこにこして、座敷へ入って、ごたごた積重ねられてある諸方からの祝の奉書包や目録を物珍らしそうに眺めていた。
 頼んであった料理屋の板前が、車に今日の料理を積せて曳込んで来た頃には、羽織袴の世話焼が、そっち行き此方いきして、家中が急に色めき立って来た。その中には、始終気遣わしげな顔をして、ひそひそ話をしている西田の老人もあった。
「今夜遁出すようじゃ、お島さん���一生まごつきだぞ。何でも可いから、己に委して我慢をして......いいかえ」
 箪笥に倚りかかって、ぼんやりしているお島の姿を見つけると、老人は側へよって来て力をこめて言聴かせた。
二十一
 お島が、これも当夜の世話をしに昼から来ていた髪結に、黒の三枚襲ねを着せてもらった頃には、王子の父親も古めかしい羽織袴をつけ、扇子などを帯にはさんで、もうやって来ていた。余り人中へ出たことのない母親は、初めから来ないことになっていた。
 川へ棄てようかとまで思余したお島が、ここの家を相続することに成りさえすれば、婿が誰であろうと、そんな事には頓着のない父親は、お島の姿を見ても見ぬ振をして、茶の間で養父と、地所や家屋に関して世間話に耽っていた。日頃内輪同様にしている二三の人の顔もそこに見えた。不断養父等の居間にしている六畳の部屋に敷かれた座布団も、大概塞がっていた。中には濁声で高話をしている男もあった。
 外が暗くなる時分に、白粉をこてこて塗って繰込んで来た若い女連と無駄口を利いたりして、お島は時の来るのを待っていた。女連は大方は一度か二度以上口を利合った人達であったが、それが孰も、式のあとの披露の席に、酌や給仕をするために※[5]われて来たのであった。その中には着物の着こなしなどの、きりりとした東京ものも居た。
 女達が膳椀などの取出された台所へ出て行く時分に、漸と青柳の細君や髪結につれられて、お島は盃の席へ直された。
「まあ今日のベールだね」などと、青柳が心持わなないているお島の綿帽子を眺めながら気軽そうに言った。そんな物を着ることをお島が拒んだので、着せる着せないで談がその日も縺れていたが、到頭被せられることになってしまった。
 盃がすむと、お島は逃げるようにして、自分の部屋へ帰って来た。それまでお島は綿帽子をぬぐことを許されなかった。
 着替をして、再び座敷の入口まで来たときには、人の顔がそこに一杯見えていたが、手をひかれて自分の席へ落着くまでは、今日の盃の相手が、作であったことには少しも気がつかなかった。折目の正しい羽織袴をつけて、彼はそこに窮屈そうに坐っていた。そして物に怯えたような目で、お島をじろりと見た。
 お島は頭脳が一時に赫として来た。女達の姿の動いている明いそこいらに、旋風がおこったような気がした。そしてじっと俛いていると、体がぞくぞくして来て為方がなかった。
「どうだい島ちゃん、こうして並んでみると万更でもないだろう」青柳が一二杯猪口をあけた時分に、前屈みになって舐めるような調子で、私とお島の方へ声をかけた。
 吸物椀にぎごちない箸をつけていた作は、「えへへ」と笑っていた。
 お島は年取った人達のすることや言うことが、可恐しいような気がしていたが、作の物を貪り食っている様子が神経に触れて来ると、胸がむかむかして、体中が顫えるようであった。旋てふらふらと其処を起ったお島の顔は真蒼であった。
 二三人の人が、ばらばらと後を追って来たとき、お島は自分の部屋で、夢中で着物をぬいでいた。
二十二
 追かけて来た人達は、色々にいってお島をなだめたが、お島は箪笥をはめ込んである押入の前に直り喰着いたなりで、身動きもしなかった。
「これあ為様がない」幾度手を引張っても出て来ぬお島の剛情に惘れて、青柳が出ていったあとに、西田の老人と王子の父親とが、そこへお島を引据えて、低声で脅したり賺したりした。
「あれほど己が言っておいたに、今ここでそんなことを言出すようじゃ、まるで打壊しじゃないか」お爺さんは可悔そうに言った。
「ですから行きますよ。少し気分が快くなったら急度行きます」お島は涙を拭きながら、漸と笑顔を見せた。
「厭なものは厭でいいてこと。それはそれとして何処までも頑張っていなければ損だよ。なに財産と婚礼するのだと思えば肚はたたねえ」お爺さんは、そう言いながら、漸と安心して出て行った。
 しんとして白けていた座敷の方が、また色めき立って来た。ちょいちょい立ってはお島を覗きに来た人達も、やっと席に落着いて、銚子を運ぶ女の姿が、一時忙しく往来していた。
「おい島ちゃん、そんなに拗ねんでもいいじゃないか」作が部屋の前を通りかかったとき、薄暗りのなかにお島の姿を見つけて、言寄って来た。お島は帯をときかけたままの姿で、押入に倚かかって、組んだ手のうえに面を伏せていた。疳癪まぎれに頭顱を振たくったとみえて、綺麗に結った島田髷の根が、がっくりとなっていた。お島は酒くさい熱い息がほっと、自分の顔へ通って来るのを感じたが、同時に作の手が、脇明のところへ触れて来た。
「何をするんだよ」お島はいきなり振顧ると、平手でぴしゃりとその顔を打った。
「おお痛え。えれえ見脈だな」作は頬っぺたを抑えながら、怨めしそうにお島の顔を眺めていた。
 髪結が来て、顔を直してくれてから、お島が再び座敷へ出て行った頃には、席はもう乱れ放題に乱れていた。お島はぐでぐでに酔っている青柳に引張られて、作の側へ引すえられたが、父親や養父の姿はもう其処には見えなかった。作は四五人の若いものに取囲まれて、連に酒を強いられていたが、その目は見据って、あんぐりした口や、ぐたりとした躯が、他哩がなかった。
二十三
 その夜の黎明に、お島が酔潰れた作太郎の寝息を候って、そこを飛出した頃には、お終まで残ってつい今し方まで座敷で騒いで、ぐでぐでに疲れた若い人達も、もう寝静ってしまっていた。
 お島は庭の井戸の水で、白粉のはげかかった顔を洗いなどしてから、裏の田圃道まで出て来たが、濛靄の深い木立際の農家の土間から、釜の下を焚きつける火の影が、ちょろちょろ見えたり、田圃へ出て行く人の寒そうな影が動いていたりした。じっとりした往来には、荷車の軋みが静かなあたりに響いていた。徹宵眠られなかったお島は、熱病患者のように熱った頬を快い暁の風に吹れながら、野良道を急いだ。酒くさい作の顔や、ごつごつした手足が、まだ頬や体に絡わりついているようで、気味がわるかった。
 王子の町近く来た時分には、もう日が高く昇っていた。そこにも此処にも烟が立って、目覚めた町の物音が、ごやごやと聞えていた。
「今時分はみんな起きて騒いでるだろうよ」お島はそう思いながら、町垠にある姉の家の裏口の方へ近寄っていった。
 山茶花などの枝葉の生茂った井戸端で、子供を負いながら襁褓をすすいでいる姉の姿が、垣根のうちに見られた。花畠の方で、手桶から柄杓で水を汲んでは植木に水をくれているのは、以前生家の方にいた姉の婿であった。水入らずで、二人で恁して働いている姉夫婦の貧しい生活が、今朝のお島の混乱した頭脳には可羨しく思われぬでもなかった。姉は自分から好きこのんで、貧しいこの植木職人と一緒になったのであった。畠には春になってから町へ持出さるべき梅や、松などがどっさり植つけられてあった。旭が一面にきらきらと射していた。はね釣瓶が、ぎーいと緩い音を立てて動いていた。
「長くはいませんよ、ほんの一日か二日でいいから」お島はそう言って、姉に頼んだ。そして、いきなり洗いものに手を出して、水を汲みそそいだり、絞ったりした。
「そんな事をして好いのかい。どうせお詫を入れて、此方から帰って行くことになるんだからね」姉は手ばしこく働くお島の様子を眺めながら、子供を揺り揺り突立っていた。
「なに、そんな事があるもんですか。何といったって、私今度と云う今度は帰ってなんかやりませんよ」
 お島は絞ったものを、片端から日当のいいところへ持っていって棹にかけたりした。日光が腫れただれたように目に沁込んで、頭痛がし出して来た。
「またお島ちゃんが逃げて来たんですよ」姉は良人に声かけた。
 良人は柄杓を持ったまま「へへ」と笑って、お島の顔を眺めていた。お島も眩しい目をふいて笑っていた。
二十四
 晩方近くに、様子を探りかたがた、ここから幾許もない生家を見舞った姉は、養家の方からお島を尋ねに出向いて来た人達が、その時丁度奥で父親とその話をしているところを見て帰って来た。それらの人を犒うために、台所で酒の下物の支度などをしていた母親と、姉は暫く水口のところで立話をしてから、お島のところへ戻って来たのであった。
「島ちゃん、お前さん今のうちちょっと顔をだしといた方がいいよ」
 一日痛い頭脳をかかえて奥で寝転んでいたお島の傍へ来て、姉は説勧めた。
 お島は何だか胸がむしゃくしゃしていた。今夜にも旅費を拵えて、田舎の方にいる兄のところへ遠っ走りをしようかとも考えていた。どこか船で渡るような遠い外国へ往って、労働者の群へでも身を投じようかなどと、棄鉢な空想に耽ったりした。夜明方まで作と闘った体の節々が、所々痛みをおぼえるほどであった。
 姉婿も同じようなことを言って、お島に意見を加えた。お島はくどくどしいそれ等の忠告が、耳にも入らなかったが、何時まで頑張ってもいられなかった。
「ふん、御父さんや御母さんに、私のことなんか解るものですか。彼奴等は寄ってたかって私を好いようにしようと思っているんだ」お島はぷりぷりして呟きながら出ていった。
 外はもうとっぷり暮れて、立昇った深い水蒸気のなかに、山の手線の電燈や、人家の灯影が水々して見えた。茶畑などの続いている生家の住居の周囲の垣根のあたりは、一層静かであった。
 お島が入っていった時分には、もう衆は弓張提灯などをともして、一同引揚げていったあとであった。お島は両親の前へ出ると、急に胸苦しくなって、昨夜から張詰めていた心が一時に弛ぶようであった。
「御心配をかけて、どうも済みません」お島はそう言ってお叩頭をしようとしたが、筋肉が硬張ったようで首も下らなかった。
「何て莫迦なまねをしてくれたんだ」父親はお島に口を開かせず、いきなり熱り立って来たが、養家の財産のために、何事にも目をつぶろうとして来たらしい父親の心が、やっとお島にも見えすいて来た。
二十五
 お島が数度の交渉の後、到頭また養家へ帰ることになって、青柳につれられて家を出たのは、或日の晩方であった。
 お島はそれまでに、幾度となく父親や母親に逆って、彼等を怒らせたり悲しませたり、絶望させたりした。滅多に手荒なことをしたことのなかった父親をして、終にお島の頭髪を掴んで、彼女をそこに捻伏せて打のめすような憤怒を激発せしめた。お島を懲しておかなければならぬような報告が、この数日のあいだに養家から交渉に来た二三の顔利きの口から、父親の耳へも入っていた。それらの人の話によると、安心して世帯を譲りかねるような挙動がお島に少くなかった。金遣いの荒いことや、気前の好過ぎることなどもその一つであった。おとらと青柳との秘密を、養父に言告けて、内輪揉めをさせるというのもその一つであったが、総てを引括めて、養家に辛抱しようと云う堅い決心がないと云うのが、養父等のお島に対する不満であるらしかった。
「だから言わんこっちゃない。稚い時分から私が黒い目でちゃんと睨んでおいたんだ。此方から出なくたって、先じゃ疾の昔に愛相をつかしているのだよ」母親はまた意地張なお島の幼い時分のことを言出して、まだ娘に愛着を持とうとしている未練げな父親を詛った。
「こんなやくざものに、五万十万と云う身上を渡すような莫迦が、どこの世界にあるものか」
 太てていて、飯にも出て来ようとしないお島を、妹や弟の前で口汚く嘲るのが、この場合母親に取って、自分に隠して長いあいだお島を庇護だてして来た父親に対する何よりの気持いい復讎であるらしく見えた。
 お島も負けていなかった。母親が、角張った度強い顔に、青い筋を立てて、わなわな顫えるまでに、毒々しい言葉を浴せかけて、幼いおりの自分に対する無慈悲を数えたてた。目からぽろぽろ涙が流れて、抑えきれない悲しみが、遣瀬なく涌立って来た。
「手前」とか、「くたばってしまえ」とか、「親不孝」とか、「鬼婆」とか、「子殺し」とか云うような有りたけの暴言が、激しきった二人の無思慮な口から、連に迸り出た。
 そんな争いの後に、お島は言葉巧な青柳につれられて、また悄々と家を出て行ったのであった。
二十六
 その晩は月は何処の森の端にも見えなかった。深く澄わたった大気の底に、銀梨地のような星影がちらちらして、水藻のような蒼い濛靄が、一面に地上から這のぼっていた。思いがけない足下に、濃い霧を立てて流れる水の音が、ちょろちょろと聞えたりした。お島はこの二三日、気が狂ったような心持で、有らん限りの力を振絞って、母親と闘って来た自分が、不思議なように考えられた。時々顔を上げて、彼女は太息を洩した。道が人気の絶えた薄暗い木立際へ入ったり、線路ぞいの高い土堤の上へ出たりした。底にはレールがきらきらと光って、虫が芝生に途断れ途断れに啼立っていた。青柳がいなければ、お島はそこに疲れた体を投出して、独で何時までも心の限り泣いていたいとも考えた。
 けれどお島は、長く青柳と一緒に歩いてもいなかった。松の下に、墓石や石地蔵などのちらほら立った丘のあたりへ来たとき、先刻からお島が微な予感に怯えていた青柳の気紛れな思附が、到頭彼女の目の前に、実となって現われた。
「ちょッ......笑談でしょう」
 道傍に立竦んだお島は、悪戯な男の手を振払って、笑いながら、さっさと歩きだした。
 甘い言をかけながら、青柳はしばらく一緒に歩いた。
「御母さんに叱られますよ」お島は軽くあしらいながら歩いた。
「現にその御母さんがどうだと思う。だから、あの家のことは、一切己の掌のうちにあるんだ。ここで島ちゃんの籍をぬいて了おうと、無事に収めようと、すべて己の自由になるんだよ」
 威嚇の辞と誘惑の手から脱れて、絶望と憤怒に男をいら立せながら、旧の道へ駈出すまでに、お島は可也悶※[6]き争った。
 直にお島は、息せき家へ駈つけ���来た。そしていきなり父親の寝室へ入って行った。
「それが真実とすれあ、己にだって言分があるぞ」いつか眠についていた父親は、床のうえに起あがって、煙草を喫しながら考えていた。
「彼奴はあんな奴ですよ。畜生人を見損っていやがるんだ」お島は乱れた髪を掻あげながら、腹立しそうに言った。そして興んだ調子で、現場の模様を誇張して話した。父の信用を恢復せそうなのと、母親に鼻を明させるのが、気色が好かった。
二十七
 お島が不断から目をかけてやっている銀さんと云う年取った車夫が、誰の指図とも知れず、俥を持って迎いに来たのは、お島たちが漸と床に就こうとしている頃であった。
「何だ今時分......」玄関わきの部屋に寝ていたお島は、その声を聞つけると、寝衣に着替えたまま、門の潜りを開けに出たが、盆暮にお島が子供に着物や下駄を買ってくれたり、餅をついてやったりしていた銀さんは、どうでも今夜中に帰ってくれないと、家の首尾がわるいと言って、門の外に立ったまま動かなかった。
「きっと青柳と御母さんと相談ずくで、寄越したんだよ」お島は一応その事を父親に告げながら笑った。
 父親は、お島から養家の色々の事情を聞いて、七分通り諦めているようであったが、矢張このまま引取って了う気にはなっていなかった。作太郎と表向き夫婦にさえなってくれれば、少しくらいの気儘や道楽はしても、大目に見ていようと云ったと云う養母の弱味なども、父親には初耳であった。
「芸人を買おうと情人を拵えようとお前の腕ですることなら、些とも介意やしないなんて、そこは自分にも覚えがあるもんだから、お察しがいいと見えて、よくそう言いましたよ。どうして、あの御母さんは、若い時分はもっと悪いことをしたでしょうよ」お島は頑固な父親をおひゃらかすように、そうも言った。
 そんな連中のなかにお島をおくことの危険なことが、今夜の事実と照合せて、一層明白して来るように思えた父親は、愈お島を引取ることに、決心したのであったが、迎いが来たことが知れると、矢張心が動かずにはいなかった。
「作さんを嫌って、お島さんが逃げたって云うんで、近所じゃ大評判さ」とにかく今夜は帰ることにして、銀さんは、漸うお島を俥に載せると、梶棒につかまりながら話しはじめた。
「だが今あすこを出ちゃ損だよ。あの身代を人に取られちゃつまらないよ」
「作の馬鹿はどんな顔している」お島は車のうえから笑った。
 家へ入っても、いつものように父親の前へ出て謝罪ったり、お叩頭をしたりする気になれなかったお島は、自分の部屋へ入ると、急いで寝支度に取かかった。
「帰ったら帰ったと、なぜ己んとこへ来て挨拶をしねえんだ」養母にささえられながら、疳癪声を立てている養父の声が、お島の方へ手に取るように聞えた。
「お前がまたわるいよ」おとらは、寝衣のまま呼つけられて枕頭に坐っているお島を窘めた。
「それに自分の着物を畳みもせずに、脱っぱなしで寝て了うなんて、それだから御父さんも、この身上は譲られないと言うんじゃないか」
 剛情なお島は、到頭麺棒で撲られたり足蹴にされたりするまでに、養父の怒を募らせてしまった。
二十八
 植源という父の仲間うちの隠居の世話で、父や母にやいやい言われて、翌年の春、神田の方の或鑵詰屋へ縁着かせられることになったお島は、長いあいだの掛合で、やっと幾分かを養家から受取ることのできた着物や頭髪のものを持って、心淋しい婚礼をすまして了った。
 植源の隠居の生れ故郷から出て来て、長いあいだ店でも実直に働き、得意先まわりにも経験を積み、北海道の製造場にも二年弱もいて、職人と一緒に起臥して来たりした主人は、お島より十近くも年上であったが、家附の娘であった病身がちのその妻と死別れたのは、つい去年の秋の頃だと云うのであった。
 鶴さんというその主人を、お島の姉もよく知っていた。神田の方のある棟梁の家から来ている植源の嫁も、その主人のことを始終鶴さん鶴さんといって、噂していた。植源の嫁は、生家の近所にあったその鑵詰屋のことを、何でもよく知っていたが、色白で目鼻立のやさしい鶴さんをも、まだ婿に直らぬずっと前から知っていた。その頃鶴さんは、鳥打帽をかぶって、自転車で方々の洋食店のコック場や、普通の家の台所へ、自家製の鑵詰ものや、西洋食料品の註文を持ちまわっていた。
 先の上さんが、肺病で亡ったことを、お島はいよいよ片着くという間際まで、誰からも聞されずにいたが、姉の口からふとそれが洩れたときには、何だか厭なような気もした。
「先の上さんのような、しなしなした女は懲々だ。何でも丈夫で働く女がいいと言うのだそうだから、島ちゃんなら持って来いだよ」姉は肥りきったお島の顔を眺めながら揶揄ったが、男のいい鶴さんを旦那に持つことになったお島の果報に嫉妬を持っていることが、お島に感づかれた。死んだ上さんの衣裳が、そっくりそのまま二階の箪笥に二棹もあると云うことも、姉には可羨しかった。
 結納の取換せがすんで、目録が座敷の床の間に恭しく飾られるまでは、お島は天性の反抗心から、傍で強いつけようとしているようなこの縁談について、結婚を目の前に控えている多くの女のように、素直な満足と喜悦に和ぎ浸ることができずに、暗い日蔭へ入っていくような不安を感じていた。養家にいた今までの周囲の人達に対する矜を傷つけられるようなのも、肩身が狭かった。作太郎に嫁が来たと云う噂が、年のうちに此方へも伝っていた。お島はそのことを、糧秣問屋の爺さんからも聞いたし、その土地の知合の人からも話された。その嫁はお島も知っている、男に似合いの近在の百姓家の娘であった。
「あの馬鹿が、どんな顔してるか一度見にいってやりましょうよ」お島は面白そうに笑ったが、何かにつけ、それを引合いに自分を悪く言う母親などから、そんな女と一つに見られるのが腹立しかった。
二十九
 結婚の翌日、新郎の鶴さんは朝早くから起出して、店で小僧と一緒に働いていた。昨夜極親しい少数の人たちを呼んで、二人が手軽な祝言をすました手狭な二階の部屋には、まだ新郎の礼服がしまわれずにあったり、新婦の紋附や長襦袢が、屏風の蔭に畳みかけたまま重ねられてあったりした。蓬莱を飾った床の間には、色々の祝物が秩序もなくおかれてあった。
 客がみなお開きになってからも、それだけは新調したらしい黒羽二重の紋附をぬぐ間がなく、新郎の鶴さんは二度も店へ出て、戸締や何かを見まわったりしていたが、いつの間にか誰が延べたともしれぬ寝床の側に坐っているお島の側へ戻って来ると、いきなり自分の商売上のことや、財産の話を花嫁に為て聞せたりした。そして病院へ入れたり、海辺へやったりして手を尽して来た、前の上さんの病気の療治に骨の折れたことや、金のかかった事をも零した。先代の時から続いてやっている、確な人に委せて、監督させてある北海道の方へも、東京での販路拡張の手隙には、年に一度くらいは行ってみなければならぬことも話して聞かせた。そういう[7]時には、お島は店を預かって、しっかり遣ってくれなければならぬと云うので、多少そんなことに経験と技量のあるように聞いているお島に、望みを措いているらしかった。
 部屋などの取片着をしているうちに、翌日一日は直に経ってしまった。お島は時々細い格子のはまった二階の窓から、往来を眺めたり、向いの化粧品屋や下駄屋や莫大小屋の店を見たりしていたが、檻のような窮屈な二階に竦んでばかりもいられなかった。それで階下へおりてみると、下は立込んだ廂の差交したあいだから、やっと微かな日影が茶の室の方へ洩れているばかりで、そこにも荷物が沢山入れてあった。店には厚司を着た若いものなどが、帳場の前の方に腰かけていた。鶴さんがそこに坐って帳簿を見たり、新聞を読んだりしていた。お島はそこへ姿を現して、暫く坐ってみたがやっぱり落着がなかった。
 二日三日と日がたって行った。お島は頭髪を丸髷に結って、少しは帳場格子のなかに坐ることにも馴れて来たが、鶴さんはどうかすると自転車で乗出して、半日の余も外廻りをしていることがあった。そして夜は疲れて早くから二階の寝床へ入ったが、お島は段々日の暮れるのを待つようになって来た、自分の心が不思議に思えた。姉や植源の嫁が騒いでいるように、鶴さんがそんなに好い男なのかと、時々帳場格子のなかに坐っている良人の顔を眺めたり、独り居るときに、そんな思いを胸に育み温めていたりして、自分の心が次第に良人の方へ牽つけられてゆくのを、感じないではいられなかった。
三十
 麗な春らしい天気の続いた或日、鶴さんは一日潰してお島と一緒に、媒介の植源などへ礼まわりをして、それからお島の生家の方へも往ってみようかと言出した。同じ鑵詰屋を出している、前の上さんの義理の弟——先代の妾とも婢とも知れないような或女に出来た子供——のいる四谷の方へもお島は顔出しをしなければならないように言われていたが、それはもう商売上の用事で、二度も尋ねて来たりして、大概その様子がわかっていたが、鶴さんはそのお袋が気に喰わぬといって、後廻しにすることにした。
 お島はこの頃漸く落着いて来た丸髷に、赤いのは、道具の大きい較強味のある顔に移りが悪いというので、オレンジがかった色の手絡をかけて、こってりと濃い白粉にいくらか荒性の皮膚を塗つぶして、首だけ出来あがったところで、何を着て行こうかと思惑っていた。
 鶴さんは傍で、髷の型の大きすぎたり、化粧の野暮くさいのに、当惑そうな顔をしていたが、着物の柄も、鶴さんの気に入るような落着いたのは見当らなかった。
「かねのを少し出してごらん。お前に似合うの��あるかも知れない」
 鶴さんはそう言って、押入の用箪笥のなかから、じゃらじゃら鍵を取出して、そこへ投出した。
「でも初めていくのに、そんな物を着てなぞ行かれるものですか」
「それもそうだな」と、鶴さんは淋しそうな顔をして笑っていた。
「それにおかねさんの思いに取着かれでもしちゃ大変だ」お島はそう言いながら、自分の箪笥のなかを引くら返していた。
「でもどんな意気なものがあるんだか拝見しましょうか」
「何のかのと言っちゃ、四谷のお袋が大分持っていったからね」鶴さんは心からそのお袋を好かぬらしく言った。
「あの慾張婆め、これも廃れた柄だ、あれも老人じみてるといっちゃ、かねの生きてるうちから、ぽつぽつ運んでいたものさ」鶴さんはそう言いながら、さも惜しいことをしたように、舌打ばかりしていた。
 お島は錠をはずして、抽斗を二つ三つぬいて、そっちこっち持あげて覗いていたが、お島の目には、まだそれがじみ[8]すぎて、着てみたいと思うようなものは少かった。
「そんなに思いをかけてる人であるなら、みんなくれてお仕舞いなさいよ。その方がせいせいして、どんなに好いか知れやしない」お島は蓮葉に言って笑った。
「戯談じゃない。くれるくらいなら古着屋へ売っちまう」
 左に右二人は初めて揃って、外へ出てみた。鶴さんは先へ立って、近所隣をさっさと小半町も歩いてから振顧ったが、お島はクレーム色のパラソルに面を隠して、長襦袢の裾をひらひらさせながら、足早に追ついて来た。外は漸くぽかぽかする風に、軽く砂がたって、いつの間にか芽ぐんで来た柳条が、たおやかに※[9]っていた。お島は何となく胸を唆られるようで、今までとは全然ちがった明い世間へ出て来たような歓喜を感じていたが、良人の心持がまだ底の底から汲取れぬような不安と哀愁とが、時々心を曇らせた。今まで人に恵んだり、助力を与えたりしたことは、養父母の非難を買ったほどであったが、矜と満足はあっても、心から愛しようと思おうとしたような人は、一人もなかった。真実に愛せられることも曽てなかった。愛しようと思う鶴さんの心の奥には、まだおかねの亡霊が潜み蟠まっているようであった。鶴さんは、それはそれとして大事に秘めておいて、自身の生活の単なる手助として、自分を迎えたのでしかないように思えた。駢んで電車に乗ってからも、お島はそんなことを思っていた。
三十一
 奉公人などに酷だというので、植源いこうか茨脊負うか、という語と共に、界隈では古くから名前の響いたその植源は、お島の生家などとは違って、可也派手な暮しをしていたが、今は有名な喧し屋の女隠居も年取ったので、家風はいくらか弛んでいた。お島は一二度ここへ来たことはあったが、奥へ入ってみるのは、今日が初めであった。
 大秀の娘である嫁のおゆうが、鶴さんの口にはゆうちゃんと呼れて、小僧時代からの昵みであることが、お島には何となし不快な感を与えたが、それもしみじみ顔を見るのは、初めてであった。
 おゆうは、浮気ものだということを、お島は姉から聞いていたが、逢ってみると、芸事の稽古などをした故か、嫻かな落着いた女で、生際の富士形になった額が狭く、切の長い目が細くて、口もやや大きい方であったが、薄皮出の細やかな膚の、くっきりした色白で、小作な体の様子がいかにも好いと思った。いつも通るところとみえて、鶴さんは仕立物などを散かしたその部屋へいきなり入っていこうとしたが、おゆうは今日は更まったお客さまだから失礼だといって、座敷の床の前の方へ、お島のと並べてわざとらしく座蒲団をしいてくれた。
「そう急に他人行儀にしなくても可いじゃありませんか」鶴さんは蒲団を少しずらかして坐った。
「いいじゃありませんか。もう極のわりいお年でもないでしょう」おゆうは顔を赧めながら言って、二人を見比べた。
「貴女ちっとは落着きなさいましてすか」おゆうはお島の方へも言をかけた。
「何ですか、私はこういうがさつ[10]ものですから、叱られてばかりおりますの」お島は体よく遇っていた。
「でもあの辺は可うございますのね、周囲がお賑かで」おゆうはじろじろお島の髷の形などを見ながら自分の髪へも手をやっていた。
 性急の鶴さんは、蒲団の上にじっとしてはおらず、縁側へ出てみたり、隠居の方へいったりしていたが、おゆうも落着きなくそわそわして、時々鶴さんの傍へいって、燥いだ笑声をたてていたりした。広い庭の方には、薔薇の大きな鉢が、温室の手前の方に幾十となく並んでいた。植木棚のうえには、紅や紫の花をつけている西洋草花が取出されてあった。四阿屋の方には、遊覧の人の姿などが、働いている若い者に交ってちらほら見えていた。
「どうしよう、これからお前の家へまわっていると遅くなるが......」鶴さんは時計を見ながらお島に言った。「何なら一人でいっちゃどうだ」
「不可ませんよ、そんなことは......」おゆうはいれ替えて来たお茶を注ぎながら言った。
 それで鶴さんはまた一緒にそこを出ることになったが、お島は何だか張合がぬけていた。
三十二
 日がそろそろかげり気味であったので、このうえ二三十町もある道を歩くことが、二人には何となし気懈い仕事のように思えた。鶴さんは植源へ来るのが今日の目的で、お島の生家へ行ってみようと云う興味は、もうすっかり殺げてしまったもののように、途中で幾度となく引返しそうな様子を見せたが、お島も自分が全く嫌われていないまでも、鶴さんの気持が自分と二人ぎりの時よりも、おゆうの前に居る時の方が、[11]話しの調子がはずむようなので、古昵みのなかを見せつけにでも連れて来られたように思われて、腹立しかった。二人は初めほど睦み合っては歩けなくなった。
「でも此処まで来て寄らないといっちゃ、義理が悪いからね」
 今度はお島が立寄るまいと言出したのを、鶴さんは何処か商人風の堅いところを見せて、すっかり気が変ったように言った。
「それ程にして戴かなくたって可いんですよ。あの人達は、親だか子だか、私なぞ何とも思っていませんよ。生家は生家で、縁も由縁もない家ですからね」お島はそう言いながら、従いて行った。
 生家では母親がいるきりであった。母親はお島の前では、初めて来た婿にも、愛相らしい辞をかけることもできぬ程、お互に神経が硬張ったようであったが、鶴さんと二人きりになると、そんなでもなかった。お島は母親の口から、自分の悪口を言われるような気がして、ちょいちょい様子を見に来たが、鶴さんは植源にいた時とは全然様子がかわって、自分が先代に取立てられるまでになって来た気苦労や、病身な妻を控えて商売に励んで来た長いあいだの身の上談などを、例の急々した調子で話していた。
「ここんとこで、一つ気をそろえて、みっちり稼がんことにゃ、この恢復がつきません」
 鶴さんは傍へ寄って来るお島に気もつかぬ様子であったが、お島には、それがすっかり母親の気に入って了ったらしく見えた。
「どうか店の方へも、時々お遊びにおいで下すって......」
 鶴さんは語のはずみで、そう言っていたが、お島は、何を言っているかと云うような気がして、終に莫迦々々しかった。それでけろりとした顔をして、外を見ていながら、時々帰りを促した。
「こう云う落着のない子ですから、お骨も折れましょうが、厳しく仰ゃって、どうか駆使ってやって下さい」母親はじろりとお島を見ながら言った。
 鶴さんは感激したような調子で、弁るだけのことを弁ると、煙管を筒に収めて帰りかけた。
「何を言っていたんです」お島は外へ出ると、いらいらしそうに言った。「あの御母さんに、商売のことなんか解るものですか。人間は牛馬のように駆使いさえすれあ可いものだと思っている人間だもの」
三十三
 夏の暑い盛りになってから、鶴さんは或日急に思立ったように北海道の方へ旅立つことになった。気の早い鶴さんは、晩にそれを言出すと、もうその翌朝夜のあけるのも待かねる風で、着替を入れた袋と、手提鞄と膝懸と細捲とを持って、停車場まで見送の小僧を一人つれて、ふらりと出ていって了った。三四箇月のあいだに、商売上のことは大体頭脳へ入って来たお島は、すっかり後を引受けて良人を送出したが、意気な白地の単衣物に、絞の兵児帯をだらりと締めて、深いパナマを冠った彼の後姿を見送ったときには、曽て覚えたことのない物寂しさと不安とを感じた。
 それにお島は今月へ入ってからも、毎時のその時分になっても、まだ先月から自分一人の胸に疑問になっている月のものを見なかった。そうして漸とそれを言出すことのできたのは、鶴さんが気忙しそうに旅行の支度を調えてからの昨夜であった。
「私何だか体の様子が可笑いんですよ。きっとそうだろうと思うの」一度床へついたお島は、厠へいって帰って来ると、漸とうとうとと眠りかけようとしている良人の枕頭に坐りながら言った。蒸暑い夏の夜は、まだ十時を打ったばかりの宵の口で、表はまだぞろぞろ往来の人の跫音がしていた。朝の早い鶴さんは、いつも夜が早かった。
「そいつぁ些と早いな。怪しいもんだぜ」などと、鶴さんは節の暢々した白い手をのばして、莨盆を引寄せながら、お島の顔を見あげた。鶴さんはその頃、お島の籍を入れるために、彼女の戸籍を見る機会を得たのであったが、戸籍のうえでは、お島は一度作太郎と結婚している体であった。それを知ったときには鶴さんは欺かれたとばかり思込んで、お島を突返そうと決心した。しかし鶴さんはその当座誰にもそれを言出す勇気を欠いていた。そしてお島だけには、ちょいちょい当擦や厭味を言ったりして漸と鬱憤をもらしていたが、どうかすると、得意まわりをして帰る彼の顔に、酒気が残っていたりした。お島が帳場へ坐っている時々に、優しい女の声で、鶴さんへ電話がかかって来たりしたのも、その頃であった。そんな時は、お島は店の若いもののような仮声をつかって、先の処と名を突留めようと骨を折ったが、その効がなかった。お島はその頃から、鶴さんが外へ出て何をして歩いているか、解らないと云う不安と猜疑に悩されはじめた。植源の嫁のおゆう、それから自分の姉......そんな人達の身のうえにまで思い及ばないではいられなかった。日頃口に鶴さんを讃めている女が、片端から恋の仇か何ぞであるかのように思え出して来た。姉は、お島が片づいてからも、ちょいちょい訪ねて来ては、半日も遊んでいることがあった。
「それなら、何故私をもらってくれなかったんです」姉は、鶴さんに揶揄われながら自分の様子をほめられたときに、半分は真剣らしく、半分は笑談らしく、妹のそこにあることを意にかけぬらしく、ぽっと上気したような顔をして言ったことがあったくらいであった。
 お島はそれが癪にさわったといって、後で鶴さんと大喧嘩をしたほどであった。
三十四
 鶴さんは、その当座外で酒など飲んで来た晩などには、時々お島が自分のところへ来るまでの、長い歳月の間のことを、根掘葉掘して聴くことに興味を感じた。結婚届まですましてあったお島と作太郎との関係についての鶴さんの疑いは、お島が説明して聴す作太郎の様子などで、その時はそれで釈けるのであったが、その疑いは護謨毬のように、時が経つと、また旧に復った。
「嘘だと思うなら、まあ一度私の養家へ往ってごらんなさい。へえ、あんな奴がと思うくらいですよ。そうね、何といって可いでしょう......」お島は身顫が出るような様子をして、その男のことを話した。
「嫌う嫌わないは別問題さ。左に右結婚したと云うのは事実だろう」
「だから、それが親達の勝手でそうしたんですよ。そんな届がしてあろうとは、私は夢にも知らなかったんです」
「しかもお前達夫婦の籍は、お前の養家じゃなくて、亭主の家の方にあるんだから可怪しいよ」
 最初は心にもかけなかったその籍のことを、二度も三度も鶴さんの口から聴されてから、お島は養家の人達の、作太郎を自分に押つけようとしていた真意が、漸と朧げに見えすいて来たように思えた。
「そうして見ると、あの人達は、そっくり私に迹を譲る気はなかったもんでしょうかね」お島は長いあいだ自分一人で極込んでいた、養家やその周囲に於ける自分の信用が、今になって根柢からぐらついて来たような失望を感じた。
 お島は、最近の養家の人達の、自分に対するその時々の素振や言に、それと思い当ることばかり、憶出せて来た。
「畜生、今度往ったら、一捫着してやらなくちゃ承知しない」お島はそれを考えると、不人情な養母達の機嫌を取り取りして来た、自分の愚しさが腹立しかったが、それよりも鶴さんの目にみえて狎々しくなった様子に、厭気のさして来ていることが可悔かった。
 二年の余も床についていた前の上さんの生きている��ちから、ちょいちょい逢っていた下谷の方の女と、鶴さんが時々媾曳していることが、店のものの口吻から、お島にも漸く感づけて来た。お島はそれらの店の者に、時々思いきった小遣をくれたり、食物を奢ったりした。彼等はどうかすると、鼻ッ張の強い女主人から頭ごなしに呶鳴りつけられて、ちりちりするような事があったが、思いがけない気前を見せられることも、希らしくなかった。
 鶴さんの出ていった後から、自身で得意先を一循巡って見て来たりするお島は、時には鶴さんと二人で、夜おそく土産などを提げて、好い機嫌で帰って来た。
三十五
 荒い夏の風にやけて、鶴さんが北海道の旅から帰って来たのは、それから二月半も経ってからであった。暑い盛りの八月も過ぎて、東京の空には、朝晩にもう秋めかした風が吹きはじめていた。
 鶴さんの話によると、帰りの遅くなったのは、東北の方にあるその生れ故郷へ立寄って、年取った父親に逢ったり、旅でそこねた健康を回復するために、近くの温泉場へ湯治に行っていたりした為だというのであったが、それから程なく、鶴さんの留守の間に北海道から入って来た数通の手紙の一つが、旅で馴染になった女からであることが、その手紙の表記でお島にも容易く感づけた。
 帰ってからも、そっちこっち飛歩いていて、碌々旅の話一つしんみり為ようともしなかった鶴さんが、ある日帳簿などを調べたところによると、お島はお島だけで、留守中に可也販路を拡めていることが解って来たが、それは率ね金払いのわるいような家ばかりであった。これまでに鶴さんが手をやいた質の悪い向も二三軒あったが、中にはまたお島が古くから知っている堅い屋敷などもあった。お島は少しでも手繋のあるようなそれ等の家から、食料品の註文を取ることが、留守中の毎日々々の仕事であったが、品物ばかり出て勘定の滞っているのが、其方にも此方にも発見せられた。
 悪阻などのために、夏中動もするとお島は店へも顔を出さず、二階に床を敷いて、一日寝て暮すような日が多かったが、気分の好い時でも、その日その日の売揚の勘定をしたり、店のものと一緒に、掛取に頭脳を使ったりするのが煩わしくなると、着飾って生家や植源へ遊びに出かけるか、昵みの多い旧の養家の居周やその得意先へ上って話こむかして、時間を銷さなければならなかった。養家では、作太郎が近所の長屋を一軒もらって、嫁と一緒に相変らず真黒になって働いていたが、お島はその方へも声をかけた。
「今度田舎の土産でもさげて、お島さんの婿さんの顔を見にいくだかな」作は帰りがけのお島に言ってにやにや笑っていた。
「まあそうやって、後生大事に働いてるが可いや。私も危く瞞されるところだったよ。養母さんたちは人がわるいからね」お島も棄白でそこを出た。
三十六
 暫くぶりで、一日遊びに来た姉が、その日も朝から店をあけている鶴さんや、知りたくもない植源の嫁の噂などをして、一人で饒舌りちらして帰って行った。
 お島は気骨の折れる子持の客の帰ったあとで、気憊れのした体を帳場格子にもたれて、ぼんやりしていた。お島の体は、単衣もののこの頃では、夕方の涼みに表へ出るのも極のわるいほど、月が重っていた。
 旅から帰って来た鶴さんは、落着いて店で帳合をするような日とては、幾んど一日もなかった。偶に家にいても、朝から二階へあがって、枕などを取出して、横になっているような事が多かった。機嫌のいい時には、これまで口にしたこともなかった、猥らな端唄の文句などを低声で謡って、一人で燥いでいた。
「おお厭だ、誰にそんなものを教わって来ました」お島はぼつぼつ支度にかかっていた赤子の着物の片などを弄りながら、傍で擽ったいような笑方をした。
「面白くでもない。北海道の女のお自惚なんぞ言って」
「どうして、そんなんじゃない」と云いそうな顔をして、鶴さんは物珍しげに、形のできた小さい襦袢などを眺めていた。
「ちょいと、貴方はどんな子が産れると思います」お島は始終気にかかっている事を、鶴さんにも訊いてみた。
「どうせ私には肖ていまい。そう思っていれあ確かだ」鶴さんは鼻で笑いながら、後向になった。
「どうせそうでしょうよ、これは私のお土産ですもの」お島は不快な気持に顔を赧めた。「でも笑談にもそういわれると、厭なものね。子供が可哀そうのようで」
「此方の身も可哀そうだ」
「それは色女に逢えないからでしょう」
 二人の神経が段々尖って来た。そしてお島に泣いて突かかられると、鶴さんはいきなり跳起きて、家では滅多にあけたことのない折鞄をかかえて、外へ飛出してしまった。その折鞄のなかには、女の写真や手紙が一杯入っているのであった。
 今もお島は、何の気なしに聞過していた姉の話が、一々深い意味をもって、気遣しく思浮べられて来た。姉の話では、鶴さんの始終抱えて歩いている鞄のなかの文が、時々植源の嫁の前などで、繰拡げられると云うのであった。
「それは可笑しいの」姉は一つはお島を煽るために、一つは鶴さんと仲のいい植源の嫁への嫉妬のために、調子に乗って話した。
「その女というのが、美人の本場の越後から流れて来たとやらで、島ちゃんの旦那は碌素法工場へ顔出しもしないで、そこへばかり入浸っていたんだって。それで、その手紙にこんな事まで書いてあるんだってさ。これも東京の人で、彼方へ往く度に札びら切って、大尽風をふかしているお爺さんが、鉱山が売れたら、その女を落籍して東京へつれていくといっているから、それを踏台にして、東京へ出ましょうかって。ねえ、ちょいとお安くないじゃないの」
 姉は植源の嫁から聞いたと云うその女の噂を、こまごまと話して聞した。
「それに鶴さんは、着物や半衿や、香水なんか、ちょいちょい北海道へ送るんだそうだよ。島ちゃん確りしないと駄目だよ」姉はそうも言った。
「何に」と思って、お島は聞いていたのであったが、女にどんな手があるか解らないような、恐怖と疑惧とを感じて来た。
三十七
 植源の嫁のおゆうの部屋で、鶴さんと大喧嘩をした時のお島は、これまで遂ぞ見たこともないようなお盛装をしていた。
 お島が鶴さんに無断で、その取つけの呉服屋から、成金の令嬢か新造の着る様な金目のものを取寄せて、思いきったけばけばしい身装をして、劈頭に姉を訪ねたとき、彼女は一調子かわったお島が、何を仕出来すかと恐れの目を※[12]った。看ればハイカラに仕立てたお島の頭髪は、ぴかぴかする安宝石で輝き、指にも見なれぬ指環が光って、体に咽ぶような香水の匂がしていた。
 旅から帰ってからの鶴さんに、始終こってり作の顔容を見せることを怠らずにいたお島の鏡台には、何の考慮もなしに自暴に費さるる化粧品の瓶が、不断に取出されてあった。夜臥床に就くときも、色々のもので塗りあげられた彼女の顔が、電気の灯影に凄いような厭な美しさを見せていた。
「大した身装じゃないか。商人の内儀さんが、そんな事をしても可いの」惜気もなくぬいてくれる、お島が持古しの指環や、櫛や手絡のようなものを、この頃に二度も三度ももらっていた姉は、媚びるように、お島の顔を眺めていた。
「どうせ長持のしない身上だもの。今のうち好きなことをしておいた方が、此方の得さ。あの人だって、私に隠して勝手な真似をしているんじゃないか」
 お島はその日も、外へ出ていった鶴さんの行先を、てっきり植源のおゆうの許と目星をつけて、やって来たのであった。そして気味を悪がって姉の止めるのも肯かずに、出ていった。
 おどおどして入っていった植源の家の、丁度お八つ時分の茶の室では、隠居や子息と一緒に、鶴さんもお茶を飲みながら話込んでいたが、お島が手土産の菓子の折を、裏の方に濯ぎものをしているおゆうに示せて、そこで暫く立話をしている間に、鶴さんも例の折鞄を持って、そこを立とうとしておゆうに声をかけに来た。
「まあ可いじゃありませんか。お島さんの顔を見て直き立たなくたって。御一緒にお帰んなさいよ」
 おゆうは愛相よく取做した。
「自分に弱味があるからでしょう」お島は涙ぐんだ面を背向けた。
 夫婦はそこで、二言三言言争った。
「私も、島のいる前で、一つ皆さんに訊いてもらいたいです」鶴さんは蒼くなって言った。
 そしておゆうがお島をつれて、自分の部屋へ入ったとき、鶴さんもぶつぶつ言いながら、側へやって来た。
「孰も孰だけれど、鶴さんだって随分可哀そうよお島さん」終いにおゆうはお島に言かけたとき、お島は可悔そうにぽろぽろ涙を流していた。
 夫婦はそこで、撲ったり、武者振ついたりした。
 大分たってから、呼びにやった姉につれられて、お島はそこから姉の家へ還されていった。
三十八
 姉の家へ引取られてからも、お島の口にはまだ鶴さんの悪口が絶えなかった。おゆうに庇護われている男の心が、歯痒かったり、妬ましく思われたりした。男を我有にしているようなおゆうの手から、男を取返さなければ、気がすまぬような不安を感じた。
 お島は仕事から帰った姉の亭主が晩酌の膳に向っている傍で、姉と一緒に晩飯の箸を取っていたが、心は鶴さんとおゆうの側にあった。
「そうそう、こんな事しちゃいられないのだっけ。店のものが皆な私を待っているでしょう」お島は蚊帳のなかで子供を寝しつけている、姉の枕元で想出したように言出した。
「良人はあんなだし、私でもいなかった日には、一日だって店が立行きませんよ」
「今度あばれちゃ駄目よ」姉は出てゆくお島を送出しながら言った。
「どうもお騒がせして相済みません」お島は何のこともなかったような顔をして、外へ出たが、鶴さんがまだ植源にいるような気がして、素直に家へ帰る気にはなれなかった。
 外はすっかり暮れてしまって、茶の木畑や山茶花などの木立の多い、その界隈は閑寂していた。お島の足は惹寄せられるように、植源の方へ歩いていった。「鶴さんも可哀そうよ」そう言ってお島を窘めたおゆうの目顔が、まだ目についていた。北海道の女よりも、稚馴染のおゆうの方に、暗い多くの疑がかかっていた。
 大きな石の門のうえに、植源と出ている軒燈の下に突立って、やがてお島は家の方の気勢に神経を澄したが、石を敷つめた門のうちの両側に、枝を差交した木陰から見える玄関には、灯影一つ洩れていなかった。お島は※[13]と欅の木とで、二重になっている外囲の周を、其方こっち廻ってみたが、何のこともなかった。
 車で家へ帰ったのは、大分おそかった。
「お帰んなさい」
 店のもの二三人に声をかけられながら、車から降りると、奥の方の帳場に坐っている鶴さんの顔が、ちらと見えたので、お島は漸と胸一杯に安心と歓喜との溢れて来るのを感じたが、矢張声をかける気になれなかった。
 上ってみると、二階は出ていった時、取散していったままであった。脱棄が投出してあったり、蔽いをとられたままの箪笥の上の鏡に、疲れた自分の顔が映ったりした。お島はその前に立って、物足りぬ思いに暫くぼんやりしていた。
三十九
 お島は二三度階下へおりてみたけれど、鶴さんは、いつまで経っても、帳場から離れて来る様子もなかった。そのうちに表が段々静になって、夜が更けて来ると、店を片着けにかかっている物音が聞えたりして、鶴さんはやがて茶の間へ入って来た。お島は気持わるく壊れた髪を、束髪に結直して、長火鉢の傍へ来て坐ってみたりしていたが、頭脳がぴんぴん痛みだして来たので、鶴さんが二階へ上って来る時分には、彼女もいつか蒲団を引被いで寝ていた。
「お先へ失礼しましたよ。何だか気分がわるいので」お島はそう言いながら、呻吟声を立てていた。
 鶴さんは床についてからも、白い細長い手を出して、今朝から見るひまもなかった新聞を、かさこそ音を立てて、彼方かえし此方返しして読んでいるらしかったが、するうちに、それを投りだして、枕につくかと思っていると、ぱちんと云う音がして、折鞄を開けて、何か取出したらしかった。後は闃寂して、下の��の室の簷端につるしてある鈴虫の声が時々耳につくだけであった。
 お島は後向になったまま、何をするかと神経を研すましていたが、今まで懈くて為方のなかった目までが、ぽっかり開いて来た。そして、ふと紙のうえを軋る万年筆の音が、耳にふれて来ると、渾身の全神経がそれに錘って来て、向返ってその方を見ない訳にいかなかった。
「何をしてるんです、今時分......」
 お島はいきなり声を立てて、鶴さんを吃驚させた。鞄のなかには、女の手紙が一二通はみ出しているのが見えた。
 鶴さんは、ちらと此方を見たが、黙ってまたペンを動かしはじめた。お島はいらいらしい目をすえて、じっと見つめていたが、忽ち床から乗出して、その手紙を褫奪ろうとした。
「おい、戯談じゃないぜ」
 鶴さんはそれでも落着いたもので、そっと書かけの手紙を床の下へ押込もうとしたが、同時に、お島の手は傍にあった折鞄を浚っていくために臂まで這出して来た。
「おい、ちょっと話がある」大分たってから、鶴さんは床のうえに起上って、疲れて枕に突伏になっているお島に声かけた。暴出すお島を押えたために、可也興奮させられて来た鶴さんは、爪痕のばら桜になっている腕をさすりながら、莨を喫していた。
 お島はまだ肩で息をしながら、やっぱり突伏していた。
「......お前のようなものに、勝手な真似をされたんじゃ、商人はとても立って行っこはありゃしないんだからね」鶴さんは、自分がこの家に対する責任や、家つきの前の内儀さんに対する立場などを説立ててから言出した。
「そんな事は、おゆうさんにでも聞いてお貰いなさい」お島は憎さげに言を返したまま、またくるりと後向になった。
四十
 返したとも返ったとも決らずに、お島が時々生家や植源の方へ往ったり来たりしていた頃には、鶴さんの家も大分ばたばたになりかけていた。
 北海道の女の方のそれはそれとして、以前から関係のあった下谷の女の方へ、一層熱中して来た鶴さんは、店のものの一人が所々の仕切先をごまかして、可也な穴を開けたことにすら気のつかぬほど、店を外にしていた。
「子供だけは私が家において立派に育ててやるつもりです」
 鶴さんは、植源の隠居や嫁の前へ来ると、いつもお島の離縁話を持出しては、口癖のように言っていたが、お島に向ってもそれを明言した。
 植源の隠居に委してある、自分の身のうえに深い不安を懐きながら、毎日々々母親に窘りづめにされていたお島は、ある朝釜の下の火を番しながら、跪坐んでいたとき言を返したのが胸にすえかねたといって、母親のために、そこへ突転されて、竃の角で脇腹を打ったのが因で、到頭不幸な胎児が流れてしまった。
 その時お島は、飯の支度をすまして、衆と一緒に、朝飯の膳に向って、箸を取かけていた。もう十月の半で、七輪のうえに据えた鍋のお汁の味噌の匂や、飯櫃から立つ白い湯気にも、秋らしい朝の気分が可懐しまれた。
 女を追って、田舎へ行ったきり、もう大分になる総領の姿のみえぬ家のなかは、急に衰えのみえて来た父親の姿とともに、この頃際立って寂しさが感ぜられて来た。食かけた朝飯の箸を持ったまま、急に目のくらくらして来たお島は、声を立てるまもなく、そこへ仆れてしまったのであったが、七月になるかならぬの胎児が出てしまったことに気の附いたのは、時を経てからであった。
 一目もみないで、父親や鶴さんの手で、産児の寺へ送られていったのは、その晩方であったが、思いがけなく体の軽くなったお島の床についていたのは、幾日でもなかった。
 健康が回復して来ると同時に、母親と植源の隠居とのどうした談合でか、当分植源にいっていることに決められたお島は、そこで台所に働いたり、冬物の針仕事に坐ったりしていた。ぐれ出した鶴さんは、口喧しい隠居の頑張っているこの閾も高くなっていた。お島はおゆうの口から、下谷の女を家へ入れる入れぬで、苦労している彼の噂をおりおり聞されたりした。
「ああなってしまっちゃ、あの人ももう駄目よ」おゆうは鶴さんに愛相がつきたように言った。
四十一
 一つは人に媚びるため、働かずにはいられないように癖つけられて来たお島は、一年弱の鶴さんとの夫婦暮しに嘗めさせられた、甘いとも苦いとも解らないような苦しい生活の紛紜から脱れて、何処まで弾むか知れないような体を、ここでまた荒い仕事に働かせることのできるのが、寧ろその日その日の幸福であるらしく見えた。
 植源の庭には、大きな水甕が三つもあった。お島は男の手の足りないおりおりには、その一つ一つに、水を盈々汲込まなければならなかった。そしてそれを沢山の花圃や植木に漑がなければならなかった。その頃かかっていた病身な出戻りの姉娘の連れていた二人の子供の世話も、朝晩に為なければならなかった。田舎で鉄道の方に勤めていた官吏の許へ片づいていたその姉は、以前この家に間借をしていたことのあるその良人が、田舎へ転任してから、七年目の今茲の夏、遽に病死してしまった。
 東北訛のその子供は、おゆうには二人とも嫌われたが、お島には能く懐いた。お島は暇さえあると、髪を結ったり、リボンをかけてやったり、寝起や入浴や食事の世話に骨惜みをしなかった。
 嫁にやられるとき、拵えて行ったものなどを不残亡くして、旅費と当分の小遣にも足りぬくらいの金を、少ばかりの家財を売払って持って来た姉は、まだ乳離れのせぬ小い方の男の子を膝にのせて、時々縁側の日南に坐りながら、ぼんやりお島の働きぶりを眺めていた。
「能くそんなに体が動いたもんだわね」
 姉は感心したように言をかけた。お島は襷がけの素跣足で、手水鉢の水を取かえながら、鉢前の小石を一つ一つ綺麗に洗っていた。夏中縁先に張出されてあった葭簀の日覆を洩れて、まだ暑苦しいような日の差込む時が、二三日も続いた。
「ええ、子供の時分から慣れっこになっていますから」お島は笑いながら応えた。
「子供を産んだ人とは思われないくらいですよ」
「だって漸う七月ですもの。私顔も見ませんでしたよ。淡白したもんです」
「それにしたって、旦那のことは忘れられないでしょう」
「そうですね。がさがさしてる癖に、余り好い気持はしませんね」
「矢張惚れていたんだわね」
「そうかも知れませんよ」お島は顔を赧めて、
「私が暴れて打壊したようなもんですの。あの人はまたどうして、あんなに気が多いでしょう。些いと何かいわれると、もう好い気になって一人で騒いでいるんですもの。その癖嫉妬やきなんですがね」
「でも能く思切って了ったわね」
「芸者や女郎じゃあるまいし、いつまで、くよくよしていたって為方がないですもの。私はあんなへなへなした男は大嫌いですよ」
「それもそうね。——私も思切って、どこか働きに行きましょうかしら」
「御笑談でしょう。そんな可愛い坊ちゃんをおいて、何処へ行けるもんですか」
四十二
 夜になると、お島はまた隠居の足腰をさすって、寝かしつけてやるのが、毎日の日課であったが、時とすると子息夫婦に対する、病的な嫉妬から起るこの老婦の兇暴な挙動をも宥めてやらなければならなかった。
 四十代時分には、時々若い遊人などを近けたと云う噂のある隠居は、おゆうが嫁に来るまでは、幼い時から甘やかして育てて来た子息の房吉を、猫可愛がりに愛した。一度脳を患ったりなどしてから、気に引立がなくなって、温順しい一方なのが、彼女には不憫でならなかった。房吉は植木屋の仕事としては、これと云うこともさせられずに日を送って来たが、始終家にばかり引込んで、母親の傍に率つけられていたので、友達というものもなかった。絵の好きであった彼は、十六七の時分には、絵師になろうとの希望を抱きはじめたが、それも母親に遮られて、修業らしい修業もしずにしまった。
 寝るにも起きるにも、自分ばかりを凝視めて暮しているような、年取った母親の苛辣な目が、房吉には段々厭わしくなって来た。そして何時の頃からか時々顔を合す機会のあった、おゆうの懐かしい娘姿に心が惹つけられた。どんなことがあっても、おゆうちゃんを嫁に貰ってくれなければならない、房吉のそう言った辞が、母親の口から大秀やおゆうの耳へも入れられた。
 結婚してからも、どうかすると、おゆうから離されて、房吉が気鬱な母親の側に寝かされたり、おゆうが夜おそくまで、母親の側に坐って、足腰を揉ませられたりした。夜更に目敏い母親の跫音が、夫婦の寝室の外の縁側に聞えたり、夜の未明に板戸を引あけている、いらいらしい声が聞えたりした。
 お島が来てからも、おゆうが物蔭で泣いているようなことが、時々あった。
 家にいても、大抵きちんとした身装をして、庭の方は職人まかせにして、自身は花を活けたり、書画を弄ったりして暮している内気な房吉は、どうかすると母親から、聴いていられないような毒々しい辞を浴せられた。
「あれを手前の子と思ってるのが、大間抜だ」母親はそうも言った。
 衰えのみえる目などのめっきり水々して来たおゆうは、爾時五月の腹を抱えていた。日に日に気懈そうにみえて来るおゆうの媚いた姿や、良人に甘えるような素振が、母親には見ていられないほど腹立しくてならなかった。
四十三
 お島の姉が、暑い日盛に帽子も冠せない子供を、手かけに負って、庭の方からまわって、おゆうを呼出しに来たとき、門のうちに張物をしていたお島と、自分の部屋の縁側で、髪を洗っていたおゆうを除いたほか、大抵の人は風通しの好さそうな場所を択んで、昼寝をしていた。房吉は時々出かけてゆく、近所の釣堀へ遊びに行っていたし、房吉の姉のお鈴は、小さい方の子供に、乳房を啣ませながら、茶の室の方で、手枕をしながら、乱次なく眠っていた。家のなかは、どこも彼処も長い日の暑熱に倦み疲れたような懈さに浸っていた。
 大輪の向日葵の、萎れきって項だれた花畑尻の垣根ぎわに、ひらひらする黒い蝶の影などが見えて、四下は汚点のあるような日光が、強く漲っていた。
 姉はおゆうと、五六分ばかり縁側で話をしていたが、やがて子供をそこへ卸して、袂で汗をふいていた。おゆうはまだ水気の取りきれぬ髪の端に、紙片を捲つけて、それを垂らしたまま、あたふた家を出ていった。
「きっと鶴さんが来ているんだ」
 お島はそう思うと、急に張物が手に着かなくなって、胸がいらいらして来た。
「姉さんも随分な人だよ」
 お島はいきなり姉の側へ寄っていった。
「どうしてさ」姉は這っている子供に、乳房を出して見せながら、汗ばんだ顔を赧めた。
「解ってますよ」
「可笑な人だね。解っていたら可いじゃないの」
「そんな事をしても可いんですか」
「いいも悪いもないじゃないか。感違いをしちゃ困りますよ」
 二三度口留をしてから、姉の話すところによると、金の工面に行詰った鶴さんが、隠居や房吉に内密で、おゆうから少ばかり融通をしてもらうために、私と姉の家へやって来たのだと云うのであった。鶴さんが、そんなに困っているとは、お島には信ぜられないくらいであったが、姉の真顔で、それは事実であるらしく思えた。
「ふむ」お島は首を傾げて、「じゃもう、あの店も駄目だね」
「そうなんでしょう。事によったら、田舎へ行くて言ってるわ」
「芸者を引張込むようじゃ、長続きはしないね。散々好きなことをして、店を仕舞うがいいや」
 お島は自暴に言いすてて、仕事の方へ帰って来たが、目が涙に曇っていた。せかせか出て行った今のおゆうの姿や、おゆうを待受けている鶴さんの、この頃の生活に荒みきった神経質な顔などが、目について来た。
 暫く経って、帰って来たおゆうの顔には、鶴さんのためなら、何でも為かねないような浮いた大胆さと不安が見えていた。
 おゆうの部屋を出て行く姉の手には、小袖を四五枚入れたほどの、ぼっとりした包みが提げられた。
四十四
 堅い口留をして、ふとそれ等の事をお鈴に洩したお島は、それを又お鈴から聞いて、宛然姦通の手証でも押えたように騒ぎたてる、隠居の病的な苛責からおゆうを��護うことに骨がおれた。
 宵の口に、お島にすかし宥められて、一度眠りについた隠居は、衆がこれから寝床につこうとしている時分に、目がさめて来ると、広々した蚊帳のなかに起き坐って、さも退屈な夜の長さに倦み果てたように、四下を見回していた。
 宵に母親に警め責められた房吉は、隠居がじりじりして業を煮せば煮すほど、その事には冷淡であった。遊人などを近けていた母親の過去を見せられて来た房吉の目には、彼女の苦しみが、滑稽にも莫迦々々しくも見えた。
「誰のためでもない、みんなお前が可愛いからだ」
 ※弱[14]かった幼い頃の房吉の養育に、気苦労の多かったことなどを言立てる隠居の言を、好い加減に房吉は聞流していた。
「不義した女を出すことが出来ないような腑ぬけと、一生暮そうとは思わない。私の方から出ていくからそう思うがいい」
 思っていることの半分も言えない房吉は、それでも二言三言辞を返した。
「そんな事があったか否か知らないけれど、私の家内なら、阿母さんは黙ってみていたらいいでしょう。一体誰がそんな事を言出したんです」
 隠居の肩を揉んでいたお島は、それを聴きながら顔から火が出るように思ったが、矢張房吉を歯痒く思った。
 無成算な、その日その日の無駄な働きに、一夏を過して来たお島は、習慣でそうして来た隠居の機嫌取や、親子の間の争闘の取做にも疲れていた。寝苦しい晩などには、お島は自分自身の肉体の苦しみが、まだ戸もしめずに、いつまでもぼそぼそ話声のもれている若夫婦の寝室の方へも見廻ってみる、隠居と一つに神経を働かせた。
「まあ、そんな事はいいでしょう」お島は外方を向きながら鼻で笑った。
「お前がそんな二本棒だから、おゆうが好きな真似をするんだ。お前が承知しても、この私が承知できない。さあ今夜という今夜は、立派におゆうの処分をしてみせろ。それが出来ないような意気地なしなら、首でも縊って一思いに死んでしまえ」
 それよりも、部屋で泣伏しているおゆうの可憐しい姿に、心の惹かるる房吉は、やがてその傍へ寄って、優しい辞をかけてやりたかった。妊娠だと云うことが、一層男の愛憐を唆った。
 お島にささえられないほどの力を出して、隠居が剃刀を揮まわして、二人のなかへ割って入ったとき、おゆうは寝衣のまま、跣足で縁から外へ飛出していった。
四十五
 二時過まで、植源の人達は騒いでいた。
 お鈴と二人で漸と宥めて、房吉から引離して、蚊帳のなかへ納められた隠居が鎮ってからも、お島はじっとしてもいられなかった。
「どうしましょうね。大丈夫でしょうか」お島は庭の方を捜してから、これも矢張そこいらを捜しあぐねて、蚊帳の外に茫然坐っている房吉の傍へ帰って来て言った。
 房吉は蒼白めた顔をして、涙含んでいた。
「大丈夫とは思うけれど、偶然とするとおゆうは帰って来ないかも知れないね。不断から善く死ぬ死ぬと言っていたから」
「そうですか」お島は仰山らしく顫え声で言った。
「それじゃ私少し捜して来ましょう」
 お島が近所の知った家を二三軒訊いて歩いたり、姉の家へ行ってみたり、途中で鶴さんや大秀へ電話をかけたりしてから、漸う帰って来たのは、もう大分夜が更けてからであった。
「安心していらっしゃい」お島は房吉の部屋へ入ると、せいせい息をはずませながら言った。「おゆうさんは大丈夫大秀さんにいるんですよ」
 お島が、大秀へ電話をかけたとき、出て来て応答をしたのは、おゆうには継母にあたる大秀の若い内儀さんであった。
 おゆうが俥で飛込んでいった時、生家ではもう臥床に入っていたが、おゆうはいきなり昔し堅気の頑固な父親に、頭から脅しつけられて、一層突つめた気分で家を出��。鶴さんに着物を融通したり何かしたと云うことが、植源へ片着かない前からの浮気っぽいおゆうを知っている父親には、赦すことのできぬ悪事としか思えなかった。
 おゆうが帰って来たとき、お島は自分の寝床へ帰って、表の様子に気を配りながら、まんじりともせず疲れた体を横えていた。
 帰って来たおゆうが、一つは姑や父親への面当に、一つは房吉に拗ねるために、いきなり剃刀で髪を切って、庭の井戸へ身を投げようとしたのは、その晩の夜中過であった。おゆうは、うとうと床のなかに坐っている房吉には声もかけず、いきなり鏡台の前に立って、隠居の手から取離されたまま、そこに置かれた剃刀を見つけると、いきなり振釈いた髪を、一握ほど根元から切ってしまった。
「可悔い可悔い」跣足で飛出して来たお島に遮えられながら、おゆうは暴れ悶※[15]いて叫んだ。
 漸とのことで、房吉と一緒におゆうを座敷へ連込んで来たお島の目には、髪を振乱したまま、そこに泣沈んでいるおゆうが、可憐しくも妬ましくも思えた。
「みんな鶴さんへの心中立だ」お島は心に呟きながら、低声でおゆうを宥めさすっている房吉と、それを耳にもかけず泣沈んでいるおゆうの美しい姿とを見比べた。
四十六
 情婦の流れて行っている、或山国の町の一つで、暫く漂浪の生活を続けている兄の壮太郎が、其処で商売に着手していた品物の仕入かたがた、仕事の手助にお島をつれに来たのはその夏の末であった。
「阿母さんは、一体いつまで私を彼処で働かしておくつもりだろう」
 植源の忙しい働き仕事や、絶え間のないそこの家のなかの紛紜に飽はてて来たお島は、息をぬきに家へやって来ると父親に零した。
 長いあいだ家へ寄つきもしない壮太郎の代りに、家に居坐らせるため、植源を出て来て、父の手助に働かせられていたお島は、兄に説つけられて、その時ふいと旅に出る気になったのであった。
「誰が来たって駄目だ。お前ならきっと辛抱ができる」
 お島に家へ坐られることが不安であったと同時に、田舎で遣かけようとしている仕事と、そこで人に囲われている女とから離れることの出来なかった兄の壮太郎は、そう言って話に乗易いお島を唆した。
 田舎の植木屋仲間に売るような色々の植木と、西洋草花の種子などを、どっさり仕込んで、それを汽車に積んで、兄はしばらく住なれたその町の方へ出かけていった。一緒に乗込んだお島の心には、まだ見たことのない田舎の町のさまが色々に想像されたが、これまで何処へ行っても頭を抑えられていたような冷酷な生母、因業な養父母、植源の隠居、それらの人達から離れて暮せるということを考えるだけでも、手足が急に自由になったような安易を感じた。
「みっちり働いて、お金を儲けて帰ろう」お島はそう思うと、何もかも自分を歓迎するための手をひろげて待っているような気がした。
 黝んだ土や、蒼々した水や広々した雑木林——関東平野を北へ北へと横って行く汽車が、山へさしかかるに連れて、お島の心には、旅の哀愁が少しずつ沁ひろがって来た。
「矢張こんなような町?」お島は汽車が可也大きなある停車場へ乗込んだとき、窓から顔を出して、壮太郎にささやいた。
 停車場には、日光帰りとみえる、紅色をした西洋人の姿などが見えた。
「とてもこんな大きなんじゃない」壮太郎は、長く沁込んだその町の内部の生活を憶出していると云う顔をして笑った。その土地では、壮太郎はもう可也色々の人を知っていた。
「どこを見ても山だからね。でも住なれてみると、また面白いこともあるのさ」
 汽車は段々山国へ入っていった。深い谿や、遠い峡が、山国らしい木立の隙間や、風にふるえている梢の上から望み見られた。客車のなかは一様に闃寂していた。
四十七
 車窓に襲いかかる山気が、次第に濃密の度を加えて来るにつれて、汽車はざッざッと云う音を立てて、静に高原地を登っていった。鬱蒼とした其処ここの杉柏の梢からは、烟霧のような翠嵐が起って、細い雨が明い日光に透し視られた。思いもかけない山麓の傾斜面に痩せた田畑があったり、厚い薮畳の蔭に、人家があったりした。
 その町へ着くまでに、汽車は寂しい停車場に、三度も四度も駐った。東京の居周に見なれている町よりも美しい町が、自然の威圧に怯じ疲れて、口も利けないようなお島の目に異様に映った。
「へえ、こんな処にもこんな人がいるのかね」お島は不思議そうに、そこに見えている人達の姿を凝視めた。
 S——と云うその町へ入った時にも、小雨がしとしとと降そそいでいた。停車場を出て橋を一つ渡ると、直ぐそこに町端らしい休茶屋や、運送屋の軒に続いて燻りきった旅籠屋が、二三軒目についた。石楠花や岩松などの植木を出してある店屋もあった。壮太郎とお島とは、そこを俥で通って行った。
 町はどこも彼処も、闃寂していた。
 俥は直に大通の真中へ出ていった。そこに石造の門口を閉した旅館があったり、大きな用水桶をひかえた銀行や、半鐘を備えつけた警察署があったりした。
 壮太郎の家は、閑静なその裏通にあった。町屋風の格子戸や、土塀に囲われた門構の家などが、幾軒か立続いたはずれに、低い垣根に仕切られた広々した庭が、先ずお島の目を惹いた。木組などの繊細いその家は、まだ木香のとれないくらいの新建であった。
 留守を頼んで行った大家の若い衆と、そこの子供とが、広い家のなかを、我もの顔にごろごろしていた。
「へえ、こんな処でも商売が利くんですかね」
 部屋に落着いたお島は、縁端へ出て、庭を眺めながら呟いた。
「この町は先ずこれだけのものだけれど、居周には、またそれぞれ大きな家があるからね」壮太郎は、茶盆や湯沸をそこへ持出して来ると、羽織をぬいで胡坐を掻きながら呟いた。
 秋雨のような雨がまだじとじと降っていた。水分の多い冷い風が、遠く山国に来ていることを思わせた。ごとんごとんと云う慵い水車の音が、どこからか、物悲しげに聞えていた。
四十八
 そこにお島を落着かせてから、壮太郎が荷物運搬の采配に、雨のなかを再び停車場へ出かけていってから、お島は晩の食事の支度に台所へ出たが、女がおりおり来ると見えて、暫く女中のいない男世帯としては、戸棚や流元が綺麗に取片着いていた。
 壮太郎は、夜までかかって、車で二度に搬び込まれた植木類を、すっかり庭の方へ始末をしてから、お島にはどこへ往くとも告げずに、またふいと羽織や帽子を被て出て往ったが、お島はその晩裏から入って来た壮太郎が、何時頃帰ったかを知らないくらい疲れて熟睡した。
 明朝目のさめたとき、水車の音が先ずお島の耳に着いた。お島はその音を聞きながら、寝床のなかにうとうとしていたが、今日から全く知らない土地に暮すのだと思うと、今まで憎み怨んでいた東京の人達さえ懐しく思われた。
 ここから二停車場ほど先にある、或大きな市へ流れて来て、そこで商売をしていた兄の女が、その頃二三里の山奥にある或鉱山の方に係っている男に落籍されて、市とS——町との間にある鉱山つづきの小さい町に、囲われていたことは、お島も東京を立つ前から聴されていた。女がまだ商売をしている頃から、兄はその市へ来て、何も為ることなしに、宿屋にごろついていたり、居周の温泉場に遊んでいたりしているうちに、土地の遊人仲間にも顔を知られて、おりおり勝負事などに手を出していた。女が今の男に落籍されてから、彼は少ばかりの資本をもらって、※縁[16]のあったこのS——町へ来て、植木に身を入れることになったのであった。
 昼頃に雨があがってから、お島は壮太郎に連れられて、つい二三町ほど隔っている大家の家へ遊びに往った。そこはこの町の唯一の精米所でもあり、金持でもあった。大きな門を入ると、水車仕掛の大きな精米所が、直にお島の目についた。話声が聴取れないほど、轟々いう音がそこから起っていた。[17]
「この米が皆な鉱山へ入るんだぜ」
 壮太郎は、お島をその入口��で連れていって、言って聴せた。白くなって働いている男達と、壮太郎は暫く無駄話をしていた。
 主人は硝子戸のはまった、明い事務室で、椅子に腰かけて、青い巾の張られた大きな卓子に倚かかって、眼鏡をかけて、その日の新聞の相場づけに眼を通していたが、壮太郎の方へ笑顔を向けると、お島にも丁寧にお辞儀をした。柱の状挿には、主に東京から入って来る手紙や電報が、夥しく挿まれてあった。米屋町の旦那のような風をしたその主人を、お島は不思議そうに眺めていた。
「ここの庭さ、己が手を入れたというのは......」壮太郎は飛石伝いに、築山がかりの庭へ出てゆくと、お島に話しかけたが、そこから上へ登ってゆくと、小さい公園ほどの広々した土地が、目の前に展けた。
「へえ、こんな暮しをしている人があるんですかね」
 お島はそこから、築山のかかりや、家建の工合を見下しながら呟いた。
「ここへみっしり木を入れて、この町の公園にしようてえのが、あの人の企劃なんだがね。金のかかる仕事だから、少し景気が直ってからでないと......」
 兄はそう言って、子供のためのグラウンドのような場所の周にある、木陰のベンチに腰をおろして、莨をふかしはじめた。
四十九
 直にお島は、ここの主人や上さんや、子供達とも懇意になったが、来た時から目についた、通りの方の浜屋と云う旅館の人達とも親しくなった。
 旅館の方には、お島より二つ年下の娘の外に、里から来ている女中が三人ほどいたが、始終帳場に坐っている、色の小白い面長な優男が、そこの主人であった。物堅そうなその主人は、大い声では物も言わないような、温順しい男であった。
 山国のこの寂れた町に涼気が立って来るにつれて、西北に聳えている山の姿が、薄墨色の雲に封��れているような日が続きがちであった。鬱々するような降雨の日には、お島はよく浜屋へ湯をもらいに行って、囲炉裏縁へ上り込んで、娘に東京の話をして聞かせたり、立込んで来る客の前へ出たりした。
 一家の締をしている、四十六七になった、ぶよぶよ肥りの上さんと、一日小まめに体を動かしづめでいる老爺さんとが、薄暗いその囲炉裏の側に、酒のお燗番をしたり、女中の指図をしたりしていた。町の旅籠や料理屋へ肴を仕送っている魚河岸の問屋の旦那が、仕切を取りに、東京からやって来て、二日も三日も、新建の奥座敷に飲つづけていた。
 精米所の主人が建ててくれたと云う、その新座敷へ、お島も時々入って見た。糸柾の檜の柱や、欄間の彫刻や、極彩色の模様画のある大きな杉戸や、黒柿の床框などの出来ばえを、上さんは自慢そうに、お島に話して聞せた。
 河岸の旦那の芸づくしをやっているその部屋を、お島も物珍しそうに覗いてみた。それでも安お召などを引張った芸者や、古着か何かの友禅縮緬の衣裳を来て、斑らに白粉をぬった半玉などが、引断なしに、部屋を出たり入ったりした。鼓や太鼓の音がのべつ陽気に聞えた。笛の巧いという、盲の男の師匠が、芸者に手をひかれて、廊下づたいに連れられて行った。
 そこへ精米所の主人がやって来て、炉縁に胡坐をかくと、そこにごろりと寝転んでいたお爺さんは直に奥へ引込んで行った。精米所の主人の前には、直に銚子がつけられて、上さんがお酌をしはじめた。
「あれを知らねえのかい。お前も余程間ぬけだな」
 兄はその主人と上さんとの間を、お島に言って聞せた。
「あの家も、精米所のお蔭で持っているのさ。だから爺さんも目をつぶって、見ているんだ」
 兄はそうも言った。
五十
 旦那を鉱山へ還してから、女が一里半程の道を俥に乗って、壮太郎のところへ遣って来るのは、大抵月曜日の午前であった。
 家が近所にあったところから、幼いおりの馴染であった、おかなと云うその女が、まだ東京で商売に出ている時分、兄は女の名前を腕に鏤つけなどして、嬉しがっていた。そして女の跡を追うて、此処へ来た頃には、上さんまで実家へ返して、父親からは準禁治産の形ですっかり見限をつけられていた。
 日本橋辺にいたことのあるおかなは、痩ぎすな躯の小い女であったが、東京では立行かなくなって、T——町へ来てからは、体も芸も一層荒んでいた。土地びいきの多い人達のなかでは、勝手が違って勤めにくかったが、鉱山から来る連中には可也に持囃された。
 おかなは朝来ると、晩方には大抵帰って行ったが、旦那が東京へ用達などに出るおりには、二晩も三晩も帰らないことがあった。二里ほど奥にある、山間の温泉場へ、呼出をかけられて、壮太郎が出向いて行くこともあった。
 おかなは素人くさい風をして、山焦のした顔に白粉も塗らず、ぼくぼくした下駄をはいて遣って来たが、お島には土地の名物だといって固い羊羹などを持って来た。
 女のいる間、お島は家を出て、精米所へ行ったり、浜屋で遊んでいたりした。
 精米所では、東京風の品のいい上さんが、家に引込きりで、浜屋の後家に産れた主人の男の子と、自分に産れた二人の女の子供の世話をしていた。
「浜屋のおばさんの処へいきましょうね」
 お島は近所の子供たちと、例の公園に遊んでいるその男の子の、綺麗な顔を眺めながら言ってみた。
「あ」と、子供は頷いた。
「阿母さんとおばさんと、孰が好き?」お島は言ってみたが、子供には何の感じもないらしかった。
 お島はベンチに腰かけて、慵い時のたつのを待っていた。庭の運動場の周に植った桜の葉が、もう大半黄み枯れて、秋らしい雲が遠くの空に動いていた。お島は時々炉端で差向いになることのある、浜屋の若い主人のことなどを思っていた。T——市から来ていた、その主人の嫁が、肺病のために長いあいだ生家へ帰されていた。
五十一
 お島が楽みにして世話をしていた植木畠や花圃の床に、霜が段々滋くなって、吹曝しの一軒家の軒や羽目板に、或時は寒い山颪が、凄じく木葉を吹きつける冬が町を見舞う頃になると、商売の方がすっかり閑になって来た壮太郎は、また市の方へ出て行って、遊人仲間の群へ入って、勝負事に頭を浸している日が多かった。
 持って行った植木の或者は、土が適わぬところから、お島が如何に丹精しても、買手のつかぬうちに、立枯になるようなものが多かったが、草花の方も美事に見込がはずれて、種子が思ったほどに捌けぬばかりでなく、花圃に蒔かれたものも発芽や発育が充分でなかった。壮太郎はそれに気を腐らして、この一冬をどうしてお島と二人で、この町に立籠ろうかと思いわずろうた。
 山にはもう雪が来ていた。鉱山の方へ搬ばれてゆく、味噌や醤油などを荷造した荷馬が、町に幾頭となく立駢んで、時雨のふる中を、尾をたれて白い息を吹いているような朝が幾日となく続いた。小春日和の日などには、お島がよく出て見た松並木の往還にある木挽小舎の男達の姿も、いつか見えなくなって、そこから小川を一つ隔てた田圃なかにある遊廓の白いペンキ塗の二階や三階の建物を取捲いていた林の木葉も、すっかり落尽くしてしまった。
 それでも浜屋の奥座敷だけには、裏町にある芸者屋から、時々裾をからげて出てゆく箱屋や芸者の姿が見られて、どこからともなく飲みに来る客が絶えなかった。お島は町を通るごとに目についていた、通りの飲食店や、町がさびれてから、どこも達磨をおくようになったと云う旅籠屋などに、働きに入ろうかとさえ思ってみることもあったが、それらのお客が皆な近在の百姓や、繭買などの小商人であることを想ってみるだけでも、身顫が出るほど厭であった。
 裸になって市から帰って来ると、兄はよくお島のものを持出して、顔を知っている質屋の門などを潜ったが、それも種子が尽きて来ると、矢張女のところへ強請りに行くより外なかった。
 その使に、お島も時々遣られた。峠の幾箇もある寂しい山道を、お島は独りでてくてく歩いて行った。どこへ行っても人家があった。休み茶屋や居酒屋もあった。女の囲われている町では、馬蹄や農具を拵えている鍛冶屋が殊に多かった。
「おかなさんが、こんな処によくいられたもんだ」お島は不思議に思ったが、それでも女のいるところは、小瀟洒した格子造の家であった。家のなかには、東京風の箪笥や長火鉢もきちんとしていた。
五十二
 けれど、そうしてちょいちょい往ってみる、お島の目に映ったところでは、おかなは兄の思っているほど気楽な身分でもなかった。おかなの話によると、鉱敷課とやらの方に勤めて、鉱夫達と一緒に穴へ入るのが職務であるその旦那から、月々配われる生活費と小遣とは、幾許でもなかった。もと居た市の方では、誰も知らないもののない壮太郎との情交が、鉱山の人達の口から、薄々旦那の耳へも伝わってから、金の受渡しが一層やかましくなって、おかなはその事でどうかすると旦那と豪い喧嘩を始めることすらあった。夏の頃から、山間の湯に行ってみたり、市の方の医者へ通っていたりしていたおかなの体は、涼気が経つに従って、いくらか肉づいて来たようであったが、やっぱり色沢が出て来なかった。それに何方を向いても、山ばかりのこの寂しい町で、雪の深い長い一冬を越すことは、今まで賑かな市にいたおかなに取っては、穴へ入るほど心細い仕事であった。どこか暖い方へ出て、もとの商売をしよう! おかなは時々その相談を、壮太郎にも為てみるのであった。
 旦那から少ばかりの手切をもらって、おかなが知合をたよって、着のみ着のままで千葉の方へ落ちて行くことになった頃には、壮太郎もすっかり零落れはてていた。月はもう十二月であった。山はどこを見ても真白で、町には毎日々々じめじめした霙が降ったり、雪が積ったりしていた。
 東京の自宅の方へ、時々無心の手紙などを書いていた壮太郎が、何の手応もないのに気を腐らして、女から送って来た金を旅費にして、これもこの町を立って行ったのは、十二月の月ももう半過であった。旅客の姿の幾んど全く絶えてしまった停車場へ、独遺されることになったお島は、兄を送っていった。精米所の主人や、浜屋の内儀さんなどに、家賃や、時々の小遣などの借のたまっていた壮太郎のために、双方の談合で、その質に、お島の体があずけられる事になったのであった。
 寒い冬空を、防寒具の用意すらなかった兄の壮太郎は、古い蝙蝠傘を一本もって、宛然兇状持か何ぞのような身すぼらしい風をして、そこから汽車に乗っていった。鳥打の廂から、落窪んだ目ばかりがぎろりと薄気味わるく光っていた。
 その日は、夕方から雪がぼそぼそ降出して来た。綿の入ったものの支度すらできなかったお島は、袷の肌にしみる寒さに顫えながら、汽車の出てしまった寂しい停車場を、浜屋の番傘をさして、独りですごすご出て来た。
「兄さんにすっかりかつがれてしまったんだ!」
 お島は初めて気がついたように、自分の陥ちて来た立場を考えた。
 達磨などの多い、飲食店のなかからは、煮物の煙などが、薄白く寒い風に靡いていた。
五十三
 繭買いや行商人などの姿が、安旅籠の二階などに見られる、五六月の交になるまで、旅客の迹のすっかり絶えてしまうこの町にも、県の官吏の定宿になっている浜屋だけには、時々洋服姿で入って来る泊客があった。その中には、鉄道の方の役員や、保険会社の勧誘員というような人達もあったが、それも月が一月へ入ると、ぱったり足がたえてしまって、浜屋の人達は、炉端に額を鳩めて、飽々する時間を消しかねるような怠屈な日が多かった。
「さあ、こんな事をしちゃいられない」
 朝の拭掃除がすんで了うと、その仲間に加わって、時のたつのを知らずに話に耽っていた���島は、新建の奥座敷で、昨夜も悪好きな花に夜を更していた主婦の、起きて出て来る姿をみると、急いで暖かい炉端を離れた。そして冬中女の手のへらされた勝手元の忙しい働きの隙々に見るように、主婦から配がわれている仕事に坐った。仕事は大抵、これからの客に着せる夜着や、※袍[18]や枕などの縫釈であった。前二階の広い客座敷で、それらの仕事に坐っているお島は、気がつまって来ると、独で鼻唄を謡いながら、機械的に針を動かしていたが、遣瀬のない寂しさが、時々頭脳に襲いかかって来た。
 窓をあけると、鳶色に曇った空の果に、山々の峰続きが仄白く見られて、その奥の方にあると聞いている、鉱山の人達の���活が物悲しげに思遣られた。奥座敷の縁側に出してある、大きな籠に啼いている小禽の声が、時々聞えていた。
 市から引れてある電燈の光が、薄明く家のなかを照す頃になると、町はもう何処も彼処も戸が閉されて、裏へ出てみると、一面に雪の降積った田畠や林や人家のあいだから、ごとんごとんと響く、水車の音が単調に聞えて、涙含まるるような物悲しさが、快活に働いたり、笑ったりして見せているお島の心の底に、しみじみ湧あがって来た。
 その頃になると、いつも炉端に姿をみせる精米所の主人が、もうやって来て大きな体を湯に浸っていた。そしてお島たちが湯に入る時分には、晩酌の好い機嫌で、懸離れた奥座敷に延べられた臥床につくのであったが、花がはじまると、ぴちんぴちんと云う札の響が、衆の寝静った静な屋内に、いつまでも聞えていた。二三人の町の人が、そこに集っていた。
 酒ものまず、花にも興味をもたない若主人と、お島は時々二人きりで炉端に坐っていた。病気が癒るとも癒らぬともきまらずに、長いあいだ生家へ帰っている若い妻の身のうえを、独で案じわずろうているこの主人の寝起の世話を、お島はこの頃自分ですることにしていた。
五十四
 新座敷の方の庭から、丁字形に入込んでいる中庭に臨んだ主人の寝室を、お島はある朝、毎朝するように掃除していた。障子襖の燻ぼれたその部屋には、持主のいない真新しい箪笥が二棹も駢んでいて、嫁の着物がそっくり中に仕舞われたきり、錠がおろされてあった。お島は苦しい夢を見ているような心持で、そこを掃出していたが、不安と悔恨とが、また新しく胸に沁出していた。
 お島は人に口を利くのも、顔を見られるのも厭になったような自分の心の怯えを紛らせるために、一層精悍しい様子をして立働いていた。そして客の膳立などをする場所に当ててある薄暗い部屋で、妹達と一緒に朝飯をすますと、自分独りの思いに耽るために、急いで湯殿へ入っていった。窓に色硝子などをはめた湯殿には、板壁にかかった姿見が、うっすり昨夜の湯気に曇っていた。お島はその前に立って、いびつなりに映る自分の顔に眺入っていた。親達や兄や多くの知った人達と離れて、こんな処に働いている自分の姿が可憐しく思えてならなかった。
 お島は湯をぬくために、冷い三和土へおりて行った。目が涙に曇って、そこに溢れ流れている噴井の水もみえなかった。他人の中に育ってきたお蔭で、誰にも痒いところへ手の達くように気を使うことに慣れている自分が、若主人の背を、昨夜も流してやったことが憶出された。そうした不用意の誘惑から来た男の誘惑を、弾返すだけの意地が、自分になかったことが悲しまれた。
「鶴さんで懲々している!」
 お島はその時も、溺れてゆく自分の成行に不安を感じた。
 お島は力ない手を、浴槽の縁につかまったまま、流れ減っていく湯を、うっとり眺めていた。ごぼごぼと云う音を立てて、湯は流れおちていった。
 橋をわたって、裏の庫の方へゆく、主人の筒袖を着た物腰の細りした姿が、硝子戸ごしにちらと見られた。お島は今朝から、まだ一度もこの主人の顔を見なかった。親しみのないような皮膚の蒼白い、手足などの繊細なその体がお島の感覚には、触るのが気味わるくも思えていたのであったが、今朝は一種の魅力が、自分を惹着けてゆくようにさえ思われた。
「郵便が来ているよ」
 不意にその主人が、湯殿のなかへ顔を出して、懐ろから一封の手紙を出した。
 それは王子の父親のところから来たのであった。
「へえ、何でしょう」
 お島は手を拭きながら、それを受取った。そして封を披いて見た。
五十五
 山に雪が融けて、紫だったその姿が、くっきり碧い空に見られるようになる頃までに、お島は三度も四度も父親の手紙を受取った。
 冬中閉されてあった煤けた部屋の隅々まで、東風が吹流れて、町に陽炎の立つような日が、幾日となく続いた。淡雪が意いがけなく、また降って来たりしたが、春の日光に照されて、直にびしょびしょ消えて行った。樋の破目から漏れおちる垂滴の水沫に、光線が美しい虹を棚引せて、凧の唸声などが空に聞え、乾燥した浜屋の前の往来には、よかよか飴の太鼓が子供を呼んでいた。
「お暖かになりやした」
 浜屋の炉端へ来る人の口から、そんな挨拶が聞かれた。
 ちらほら梅の咲きそうな裏庭へ出て、冷い頸元にそばえる軽い風に吹かれていると、お島は荐に都の空が恋しく想出された。
「御父さんから、また手紙が来ましたよ」
 人のいないところで、帯の間から手紙を出してお島は男に見せた。
 正月頃までは、ちょいちょい嫁の病気を見にいっていた男は、この頃ではすっかり市の方へも足を遠退いていた。湯殿口や前二階で、ひそひそ話をしている二人の姿が、妹達の目にも立つようになって来た。
 そんな処に何時までぐずぐずしていないで、早く立って来い。父親の手紙は、いつも同じようであったが、お島の身のうえについて、立っているらしい碌でもない噂が、昔し気質の老人を怒らせている事は、その文言でも受取れた。
「どうしましょう」
 お島はその度に、目に涙をためて溜息を吐いたが、還るとも還らぬとも決らずに、話がぐずぐずになる事が多かった。
「御父さんは、私が酌婦にでもなっているものと思っているのでしょう」
 お島はそうも言って笑った。
 一緒に東京へ出る相談などが、二人のあいだに持上ったが、何もする事のない男は、そこまで盲目には成りきれなかった。市へお島を私と住わしておこうと云う相談も出たが、精米所の補助を受けて、かつかつ遣っている浜屋の生計向では、それも出来ない相談であった。
 一里半ほど東に当っている谿川で、水力電気を起すための、測量師や工夫の幾組かが東京からやって来たり、山から降りて来たりする頃には、二人のなかを、誰も異しまなかった。月はもう五月に入りかけていた。
五十六
 嫁の生家や近所への聞えを憚るところから、主婦の取計いで、お島がそれとなく、浜屋といくらか縁続きになっている山の或温泉宿へやられたのは、その月の末頃であった。
 S——町の垠を流れている川を溯って、重なり合った幾箇かの山裾を辿って行くと、直にその温泉場の白壁や屋の棟が目についた。勾配の急な町には疾い小川の流れなどが音を立てて、石高な狭い道の両側に、幾十かの人家が窮屈そうに軒を並べ合っていた。
 お島の行ったところは、そこに十四五軒もある温泉宿のなかでも、古い方の家であったが、崖造の新しい二階などが、蚕の揚り時などに遊びに来る、居周の人達を迎えるために、地下室の形を備えている味噌蔵の上に建出されてあったりした。庭にはもう苧環が葉を繁らせ、夏雪草が日に熔けそうな淡紅色の花をつけていた。
 雪の深い冬の間、閉きってあったような、その新建の二階の板戸を開けると、直ぐ目の前にみえる山の傾斜面に拓いた畑には、麦が青々と伸びて、蔵の瓦屋根のうえに、小禽が怡しげな声をたてて啼いていた。山国の深さを思わせるような朝雲が、見あげる山の松の梢ごしに奇しく眺められた。
 繭時にはまだ少し間のあるこの温泉場には、近郷の百姓や附近の町の人の姿が偶に見られるきりであった。お島はその間を、ここでも針仕事などに坐らせられたが、どうかすると若い美術学生などの、函をさげて飛込んで来るのに出逢った。
「こんな山奥へいらして、何をなさいますの」
 お島は絶えて聞くことの出来なかった、東京弁の懐かしさに惹着けられて、つい話に※[19]を移したりした。
 山越えに、××国の方へ渉ろうとしている学生は、紫だった朝雲が、まだ山の端に消えうせぬ間を、軽々しい打扮をして、拵えてもらった皮包の弁当をポケットへ入れて、ふらりと立っていった。
「何て気楽な書生さんでしょう。男はいいね」
 お島は可羨しそうにその後姿を見送りながら、主婦に言った。
 三十代の夫婦の外に、七つになる女の貰い子があるきり、老人気のないこの家では、お島は比較的気が暢びりしていた。始終蒼い顔ばかりしている病身な主婦は、暖かそうな日には、明い裏二階の部屋へ来て、希には針仕事などを取出していることもあったが、大抵は薄暗い自分の部屋に閉籠っていた。
 夏らしい暑い日の光が、山間の貧しい町のうえにも照って来た。庭の柿の幹に青蛙の啼声がきこえて、銀のような大粒の雨が遽に青々とした若葉に降りそそいだりした。午後三時頃の懶い眠に襲われて、日影の薄い部屋に、うつらうつらしていた頭脳が急にせいせいして来て、お島は手摺ぎわへ出て、美しい雨脚を眺めていた。圧しつけられていたような心が、跳あがるように目ざめて来た。
五十七
 浜屋の主人が、二度ばかり逢いに来てくれた。
 主人は来れば急度湯に入って、一晩泊って行くことにしていたが、お終に別れてから、物の二日とたたぬうちに、また遣って来た。東京から突如に出て来たお島の父親をつれて来たのであった。
 お島はその時、貰い子の小娘を手かけに負って、裏の山畑をぶ��ぶらしながら、道端の花を摘んでやったりしていた。この町でも場末の汚い小家が、二三軒離れたところにあった。朝晩は東京の四月頃の陽気であったが、昼になると、急に真夏のような強い太陽の光熱が目や皮膚に沁通って仄かな草いきれが、鼻に通うのであった。一雨ごとに桑の若葉の緑[20]が濃くなって行った。
「東京から御父さんが見えたから、ここへ連れて来たよ」
 主人は或百姓家の庭の、藤棚の蔭にある溝池の縁にしゃがんで、子供に緋鯉を見せているお島の姿を見つけると、傍へ寄って来て私語いた。
「へえ......来ましたか」
 お島は息のつまるような声を出して叫んだなり、男の顔をしげしげ眺めていた。
「いつ来ました?」
「十一時頃だったろう。着くと直ぐ、連れて帰ると言うから、お島さんが此方へ来ている話をすると、それじゃ私が一人で行って連れて来るといって、急立つもんだからな」
「ふむ、ふむ」
とお島は鼻頭の汗もふかずに聞いていたが、「気のはやい御父さんですからね」と溜息をついた。
「それでどうしました」
「今あすこで一服すって待っているだが、顔さえ見れば直ぐに引立てて連れて行こうという見脈だで......」
「ふむ」と、お島は蒼くなって、ぶるぶるするような声を出した。
「御父さんにここで逢うのは厭だな」お島は手を堅く組んで首を傾げていた。「どうかして逢わないで還す工夫はないでしょうか」
「でも、ここに居ることを打明けてしまったからね」
「ふむ......拙かったね」
「とにかく些と逢った方がいいぜ。その上で、また善く相談してみたらどうだ」
「ふむ——」と、お島はやっぱり凄い顔をして、考えこんでいた。「東京を出るとき、私は一生親の家の厄介にはなりませんと、立派に言断って来ましたからね。今逢うのは実に辛い!」
 お島の目には、ほろほろ涙が流れだして来た。
「為方がない、思断って逢いましょう」暫くしてからお島は言出した。「逢ったらどうにかなるでしょう」
 二人は藤棚の蔭を離れて、畔道へ出て来た。
五十八
 父親は奥へも通らず、大きい柱時計や体量器の据えつけてある上り口のところに、行儀よく居住って、お島の小さい時分から覚えている持古しの火の用心で莨をふかしていたが、お島や浜屋にしつこく言われて、漸と勝手元近い下座敷の一つへ通った。
「よくいらっしゃいましたね」お島は父親の顔を見た時から、胸が一杯になって来たが、空々しいような辞をかけて、茶をいれたり菓子を持って来たりして、何か言出しそうにしている父親の傍に、じっと坐ってなぞいなかった。
「私のことなら、そんな心配なんかして、わざわざ来て下さらなくとも可かったのに。でも折角来た序ですから、お湯にでも入って、ゆっくり遊んで行ったら可いでしょう」
「なにそうもしていられねえ。日帰りで帰るつもりでやって来たんだから」父親も落着のない顔をして、腰にさした莨入をまた取出した。
「お前の体が、たといどういうことになっていようとも、恁うやって己が来た以上は、引張って行かなくちゃならない」
「どういう風にもなってやしませんよ」と、お島は笑っていたが、父親の口吻によると、彼はお島の最初の手紙によって、てっきり兄のために体を売られて、ここに沈んでいるものと思っていた。そして東京では母親も姉も、それを信じているらしかった。
 それで父親は、今日のうちにも話をつけて、払うべき借金は綺麗に払って、連れて帰ろうと主張するのであった。
 お島はその問題には、なるべく触れないようにして、父親の酒の酌をしたり、夕飯の給仕をしたりすると、奥の部屋に寝転んでいる浜屋の主人のところへ来て、自分の身のうえについて、密談に※[21]を移していたが、お島を返すとも返さぬとも決しかねて、夜になってしまった。
「人の妾なぞ私死んだって出来やしない。そんな事を聴したら、あの堅気な人が何を言って怒るかしれやしない」
 浜屋が自分で、直に父親に話をして、当分のうちどこかに囲っておこうと言出したときに、お島はそれを拒んで言った。そうすれば、精米所の主人に、内密で金を出してもらって、T——市の方で、何かお島にできるような商売をさせようと云うのが、浜屋の考えつめた果の言条であった。春の頃から、東京から取寄せた薬が利きだしたといって、この頃いくらか好い方へ向いて来たところから、近いうち戻って来ることになっている嫁のことをも、彼は考えない訳に行かなかった。そしてそれが一層男の方へお島の心を粘つかせていった。
 奥まった小さい部屋から、二人の話声が、夜更までぼそぼそ聞えていた。
 その夜なかから降り出した雨が、暁になるとからりと霽あがった。そしてお島が起出した頃には、父親はもうきちんと着物を着て、今にも立ちそうな顔をして、莨をふかしていた。
五十九
 お島が腫ぼったいような目をして、父親の朝飯の給仕に坐ったのは、大分たってからであった。明放した部屋には、朝間の寒い風が吹通って、田圃の方から、ころころころころと啼く蛙の声が聞えていた。
「今日は雨ですよ。とても帰れやしませんよ」お島は縁の端へ出て、水分の多い曇空を眺めながら呟いた。
「さあ、どういう風になっているんですかね、私にもさっぱりわからないんですよ。多分お金なんか可いんでしょう」
 ここに五十両もって来ているから、それで大概借金の方は片着く意だからといって、父親が胴巻から金を出したとき、お島は空※[22]けた顔をして言った。
「それじゃ御父さん恁うしましょう。私も長いあいだ世話になった家ですから、これから忙しくなろうと云うところを見込んで、帰って行くのも義理が悪いから、六月一杯だけいて、遅くともお盆には帰りましょう」
 お島はそうも言って、父親を宥め帰そうと努めたが、こんな所に長くいては、どうせ碌なことにはならないからと言張って、やっぱり肯かなかった。田舎へ流れていっている娘について、近所で立っている色々の風聞が、父親の耳へも伝わっていた。
「立つにしたって、浜屋へもちょっと寄らなくちゃならないし、精米所だって顔を出さないで行くわけにいきやしませんよ。私だって髪の一つも結わなくちゃ......」お島は腹立しそうに終にそこを立っていったが、父親も到頭職人らしい若い時分の気象を出して、娘の体を牽着けておく風の悪い田舎の奴等が無法だといって怒りだした。
「お前と己とじゃ話のかたがつかねえ。誰でもいいから、話のわかるものを此処へ呼んできねえ」
 父親は高い声をして言出した。
 廊下をうろうろしていたお島の姿が、やがて浴場の方に現われた。
 お島は目に一杯涙をためて、鏡の前に立っていたが、硝子戸をすかしてみると、今起きて出たばかりの男の白い顔が、湯気のもやもやした広い浴槽のなかに見られた。
「弱っちまうね、御父さんの頑固にも......」お島はそこへ顔を出して、溜息を吐いた。
「何といったって駄目だもの」
 どうしようと云う話もきまらずに、そこに二人は暫く立話をしていたが、するうち※[23]が段々移っていった。
 浜屋が湯からあがった時分には、お島の姿はもう家のどの部屋にも見られなかった。
 町を離れて、山の方へお島は一人でふらふら登って行った。山はどこも彼処も咽かえるような若葉が鬱蒼としていた。痩せた菜花の咲いているところがあったり、赭土の多い禿山の蔭に、瀬戸物を焼いている竈の煙が、ほのぼのと立昇っていたりした。お島は静かなその山のなかへ、ぐんぐん入っていった。誰の目にも触れたくはなかった。どこか人迹のたえたところで、思うさま泣いてみたいと思った。
六十
 山の方へ入って行くお島の姿を見たという人のあるのを頼りに、方々捜しあるいた末に、或松山へ登って行った浜屋と父親との目に、猟師に追詰められた兎か何ぞのように、山裾の谿川の岸の草原に跪坐んでいる、彼女の姿の発見されたのは、それから大分たってからであった。
 赤い山躑躅などの咲いた、その崖の下には、迅い水の瀬が、ごろごろ転がっている石や岩に砕けて、水沫を散しながら流れていた。危い丸木橋が両側の巌鼻に架渡されてあった。お島はどこか自分の死を想像させるような場所を覗いてみたいような、悪戯な誘惑に唆られて、そこへ降りて行ったのであったが、流れの音や、四下の静さが、次第に牾しいような彼女の心をなだめて行った。
 人の声がしたので、跳あがるように身を起したお島の目に、松の枝葉を分けながら、山を降りて来る二人の姿がふと映った。お島は可恥しさに体が慄然と立悚むようであった。
 お島は二人の間に挟まれて、やがて細い崖道を降りて行ったが、目が時々涙に曇って、足下が見えなくなった。
 父親に引立てられて、お島が車に乗って、山間のこの温泉場を離れたのは、もう十時頃であった。石高な道に、車輪の音が高く響いて、長いあいだ耳についていた町の流れが、高原の平地へ出て来るにつれて、次第に遠ざかって行った。
 夏時に氾濫する水の迹の凄いような河原を渉ると、しばらく忘れていたS——町のさまが、直にお島の目に入って来た。見覚えのある場末の鍛冶屋や桶屋が、二三月前の自分の生活を懐かしく想出させた。軒の低い家のなかには、そっちこっちに白い繭の盛られてあるのが目についた。諸方から入込んでいる繭買いの姿が、めっきり夏めいて来た町に、景気をつけていた。
 お島は浜屋で父親に昼飯の給仕をすると、碌々男と口を利くひまもなく、直に停車場の方へ向ったが、主人も裏通りの方から見送りに来た。
「帰ってみて、もし行くところがなくて困るような時には、いつでも遣って来るさ」浜屋は切符をわたすとき、お島に私語いた。
 停車場では、鞄や風呂敷包をさげた繭商人の姿が多く目に立った。汽車に乗ってからも、それらの人の繭や生糸の話で、持切りであった。窓から頭を出しているお島の曇った目に、鳥打をかぶって畔伝いに、町の裏通りへ入って行く浜屋の姿が、いつまでも見えた。汽車の進行につれて、S——町や、山の温泉場の姿が、段々彼女の頭脳に遠のいて行った。深い杉木立や、暗い森林が目の前に拡がって来た。ゆさゆさと風にゆられる若葉が、蒼い影をお島の顔に投げた。
 自分を窘める好い材料を得た��のように、帰りを待ちもうけている母親の顔が、憶い出されて来た。お島はそれを避けるような、自分の落つき場所を考えて見たりした。
六十一
 汽車が武蔵の平野へ降りてくるにつれて、しっとりした空気や、広々と夷かな田畠や矮林が、水から離れていた魚族の水に返されたような安易を感じさせたが、東京が近くにつれて、汽車の駐まる駅々に、お島は自分の生命を縮められるような苦しさを感じた。
「このまま自分の生家へも、姉の家へも寄りついて行きたくはない」お島は独りでそれを考えていた。
「何等かの運を自分の手で切拓くまでは、植源や鶴さんや、以前の都ての知合にも顔を合したくない」と、お島はそうも思いつめた。
 王子の停車場��ついたのは、もう晩方であったが、お島は引摺られて行くような暗い心持で、やっぱり父親の迹へついて行った。静かな町にはもう明がついて、山国に居なれた彼女の目には、何を見ても潤いと懐かしみとがあるように感ぜられた。
 父親が、温泉場で目っけて根ぐるみ新聞に包んで持って来た石楠花や、土地名物の羊羹などを提げて、家へ入って行ったとき、姉も自分の帰りを待うけてでもいたように、母親と一緒に茶の間にいた。もう三つになったその子供が歩き出しているのが、お島の目についた。
「へえ、暫く見ないまにもうこんなになったの」お島は無造作に挨拶をすますと、自分の傷ついた心の寄りつき場をでも見つけたように、いきなりその子供を膝に抱取った。
「寅坊、このおばちゃんを覚えているかい。お前を可愛がったおばちゃんだよ」
 羊羹の片を持たされた子供は、直にお島に懐いた。
「何て色が黒くなったんだろう」姉はお島の山やけのした顔を眺めながら、可笑そうに言った。お島の様子の田舎じみて来たことが、鈍い姉にも住んでいた町のさまを想像させずにはおかなかった。
「一口に田舎々々と非すけれど、それあ好いところだよ」お島はわざと元気らしい調子で言出した。
「だって山のなかで、為方のないところだというじゃないか」
「私もそう思って行ったんだけれど、住んでみると大違いさ。温泉もあるし、町は綺麗だし、人間は親切だし、王子あたりじゃとても見られないような料理屋もあれば、芸者屋もありますよ。それこそ一度姉さんたちをつれていって見せたいようだよ」
「島ちゃんは、あっちで、なにかできたっていうじゃないか。だからその土地が好くなったのさ」
「嘘ですよ」お島は鼻で笑って、「こっちじゃ私のことを何とこそ言ってるか知れたもんじゃありゃしない。困って酌婦でもしていると思ってたでしょう。これでも町じゃ私も信用があったからね、土地に居つくつもりなら、商売の金主をしてくれる人もあったのさ」
「へえ、そんな人がついたの」
六十二
 山の夢に浸っているようなお島は、直に邪慳な母親のために刺戟されずにはいなかった。以前から善く聴きなれている「業突張」とか「穀潰し」とかいうような辞が、彼女のただれた心の創のうえに、また新しい痛みを与えた。
 お島が下谷の方に独身で暮している、父親の従姉にあたる伯母のところに、暫く体をあずけることになったのは、その夏も、もう盆過ぎであった。素は或由緒のある剣客の思いものであったその伯母は、時代がかわってから、さる宮家の御者などに取立られていた良人が、悪い酒癖のために職を罷められて間もなく死んでしまった後は、一人の娘とともに、少ばかり習いこんであった三味線を、近所の娘達に教えなどして暮していたが、今は商売をしている娘の時々の仕送りと、人の賃仕事などで、漸う生きている身の上であった。
 昔しを憶いだすごとに、時々口にすることのある酒が、萎えつかれた脈管にまわってくると、爪弾で端唄を口吟みなどする三味線が、火鉢の側の壁にまだ懸っていた。良人であったその剣客の肖像も、煤けたまま梁のうえに掲っていた。
 お島は養家を出てから、一二度ここへも顔出しをしたことがあったが、年を取っても身だしなみを忘れぬ伯母の容態などが、荒く育ってきた彼女には厭味に思われた。色の白そうな、口髭や眉や額の生際のくっきりと美しいその良人の礼服姿で撮った肖像が、その家には不似合らしくも思えた。
「伯母さんの旦那は、こんなお上品な人だったんですかね」
 お島は不思議そうにその前へ立って笑った。その良人が、若いおりには、或大名のお抱えであったりした因縁から、桜田の不意の出来事当時の模様を、この伯母さんは、お島に話��て聞かせたりした。子供をつれて浅草へ遊びに行ったとき、子供が荷物に突当ったところから、天秤棒を振あげて向って来る甘酒屋を、群衆の前に取って投げて、へたばらしたという話なども、お島には芝居の舞台か何ぞのように、その時のさまを想像させるに過ぎなかった。
「この伯母さんも、旦那のことが忘れられないでいるんだ」
 伯母と一緒に暮すことになってから、お島は段々彼女の心持に、同感できるような気がして来た。
「やっぱり男で苦労した若い時代が忘れられないでいるんだ」
 お島はそうも思った。
 そんなに好いものも縫えなかった伯母の身のまわりには、それでも仕事が絶えなかった。中には芸者屋のものらしい派手なものもあった。
 その手助に坐っているお島は、仕事がいけぞんざいだと云って、どうかすると物差で伯母に手を打たれたりした。
 重に気のはらない、急ぎの仕事にお島は重宝がられた。
六十三
 客から註文のセルやネルの単衣物の仕立などを、ちょいちょい頼みに来て、伯母と親しくしていたところから、時にはお島の坐っている裁物板の側へも来て、寝そべって戯談を言合ったりしていた小野田と云う若い裁縫師と一緒に、お島が始めて自分自身の心と力を打籠めて働けるような仕事に取着こうと思い立ったのは、その頃初まった外国との戦争が、忙しいそれ等の人々の手に、色々の仕事を供給している最中であった。
 自分の仕事に思うさま働いてみたい——奴隷のようなこれまでの境界に、盲動と屈従とを強いられて来た彼女の心に、そうした欲望の目覚めて来たのは、一度山から出て来て、お島をたずねてくれた浜屋の主人と別れた頃からであった。
 東京へ帰ってからのお島から、時々葉書などを受取っていた浜屋の主人は、菊の花の咲く時分に、ふいと出て来てお島のところを尋ねあてて来たのであったが、二日三日逗留している間に、お島は浅草や芝居や寄席へ一緒に遊びに行ったり、上野近くに取っていたその宿へ寄って見たりした。
 浜屋は近頃、以前のように帳場に坐ってばかりもいられなかった。そして鉱山の売買などに手を出していたところから、近まわりを其方こっち旅をしたりして暮していたが、東京へ来たのもそんな仕事の用事であった。
「気を長くして待っていておくれ。そのうち一つ当れば、お島さんだってそのままにしておきゃしない」
 彼は今でもお島をT——市の方へつれていって、そこで何等かの水商売をさせて、囲っておく気でいるらしかった。
「今更あの山のなかへなぞ行って暮せるもんですか。お妾さんなんか厭なこった」お島はそう言って笑って別れたのであった。
 男は少しばかりの小遣をくれて、停車場まで送ってくれた女に、冬にはまた出て来る機会のあることを約束して、立っていった。
 東京で思いがけなく男に逢えたお島は、二三日の放肆な遊びに疲れた頭脳に、浜屋のことと、若い裁縫師のこととを、一緒に考えながら、ぼんやり停車場を出て来た。
六十四
「どうです、こんな仕事を少し助けてくれられないでしょうか」と、小野田がそう言って、持って来てくれた仕事は、これから寒さに向って来る戦地の軍隊に着せるような物ばかりであった。
 それまで仕売物ばかり拵えている或工場に働いていた小野田は、そんな仕事が仲間の手に溢れるようになってから、それを請負うことになった工場の註文を自分にも仕上げ、方々人にも頼んであるいた。
「仕事はいっくらでも出ます。引受けきれないほどあります」
 小野田はお島がやってみることになった、毛布の方の仕事を背負いこんで来ると、そう言ってその遣方を彼女に教えて行った。
 毛布というのは兵士が頭から着る柿色の防寒外套であった。女の手に出来るようなその纏めに最初働いていたお島は、縫あがった毛布にホックや釦をつけたり、穴かがりをしたりすることに敏捷な指頭を慣した。「これのまとめ[24]が一つで十三銭ずつです」小野田がそう云って配っていった仕事を、お島は普通の女の四倍も五倍もの十四五枚を一日で仕上げた。
 手ばしこく針を動かしているお島の傍へ来て、忙しいなかを出来上りの納ものを取りに来た小野田はこくりこくりと居睡をしていた。
 平気で日に二円ばかりの働きをするお島の帯のあいだの財布のなかには、いつも自分の指頭から産出した金がざくざくしていた。
「こんな女を情婦にもっていれば、小遣に不自由するようなことはありませんな」
 小野田は眠からさめると、せっせと穴かがりをやっている手の働きを眺めながら、そう言ってお島の働きぶりに舌を捲いていた。
「どうです、私を情婦にもってみちゃ」お島は笑いながら言った。
「結構ですな」
 小野田はそう言いながら、品物を受取って、自転車で帰っていった。
 ホックづけや穴かがりが、お島には慣れてくると段々間弛っこくて為方がなくなって来た。
 年の暮には、お島はそれらの仕事を請負っている小野田の傭われ先の工場で、ミシン台に坐ることを覚えていた。むずかしい将校服などにも、綺麗にミシンをかけることが出来てきた。
「訳あないや、こんなもの、男は意気地がないね」
 お島はのろのろしている、仲間を笑った。
 車につんで、溜池の方にある被服廠の下請をしている役所へ搬びこまれて行く、それらの納めものが、気むずかしい役員等のために非をつけられて、素直に納まらないようなことがざら[25]にあった。
「こんなものが納まらなくちゃ為方がないじゃありませんか」
 男達に代って、それらの納めものを持って行くことになったとき、お島はそう言って、ミシンが利いていないとか、服地が粗悪だとか、���だかんだといって、品物を突返そうとする役員をよく丸め込んだ。
 お島のおしゃべりで、品物が何の苦もなく通過した。
六十五
 お島が自分だけで、どうかしてこの商売に取着いて行きたいとの望みを抱きはじめたのは、彼女が一日工場でミシンや裁板の前などに坐って、一円二円の仕事に働くよりも、註文取や得意まわりに、頭脳を働かす方に、より以上の興味を感じだしてからであった。
「被服も随分扱ったが、女の洋服屋ってのは、ついぞ見たことがないね」
 ちょいちょい納品を持って行くうちに、直に昵近になった被服廠の役員たちが、そう云って、てきぱきした彼女の商いぶりを讃めてくれた辞が、自分にそうした才能のある事をお島に考えさせた。
「洋服屋なら女の私にだってやれそうだね」
 仕事の途絶えたおりおりに、家の方にいるお島のところへ遊びに来る小野田に、お島がその事を言出したのは、今までその働きぶりに目を注いでいる小野田に取っては、自分の手で、彼女を物にしてみようと云う彼の企てが、巧く壺にはまって来たようなものであった。
「遣ってやれんこともないね」感じが鈍いのか、腹が太いのか解らないような小野田は、にやにやしながら呟いた。名古屋の方で、二十歳頃まで年季を入れていたこの男は、もう三十に近い年輩であった。上向になった大きな鼻頭と、出張った頬骨とが、彼の顔に滑稽の相を与えていたが、脊が高いのと髪の毛が美しいのとで、洋服を着たときの彼ののっしりした厳い姿が、どうかするとお島に頼もしいような心を抱かしめた。
「私のこれまで出逢ったどの男よりも、お前さんは男振が悪いよ」お島はのっそりした無口の彼を前において、時々遠慮のない口を利いた。
「むむ」小野田はただ笑っているきりであった。
「だけどお前さんは洋服屋さんのようじゃない。よくそんな風をしたお役人があるじゃないか」
 しなくなした前垂がけの鶴さんや、蝋細工のように唯美しいだけの浜屋の若主人に物足りなかったお島の心が、小野田のそうした風采に段々惹着けられて行った。
「工場から引っこぬいて、これを自分の手で男にしてみよう」
 薄野呂か何ぞのような眠たげな顔をして、いつ話のはずむと云うこともない小野田と親しくなるにつれて、不思議な意地と愛着とがお島に起って来た。
「洋服屋も好い商売だが、やっぱり資本がなくちゃ駄目だよ。金の寝る商売だからね」小野田はお島に話した。
「資本があってする商売なら、何だって出来るさ。だけれど、些とした店で、どのくらいかかるのさ」
「店によりきりさ。表通りへでも出ようと云うには、生やさしい金じゃとても駄目だね」
六十六
 芝の方で、適当な或小い家が見つかって、そこで小野田と二人で、お島がこれこそと見込んだ商売に取着きはじめたのは、十二月も余程押迫って来てからであった。
 そうなるまでに、お島は幾度生家の方へ資金の融通を頼みに行ったか知れなかった。小いところから仕上げて大きくなって行った、大店の成功談などに刺戟されると、彼女はどうでも恁でもそれに取着かなくてはならないように心が焦だって来た。町を通るごとに、どれもこれも相当に行き立っているらしい大きい小いそれらの店が、お島の腕をむずむずさせた。見たところ派手でハイカラで儲の荒いらしいその商売が、一番自分の気分に適っているように思えた。
「田町の方に、こんな家があるんですがね」
 お島はもと郵便局であった、間口二間に、奥行三間ほどの貸家を目っけてくると、早速小野田に逢ってその話をした。金をかけて少しばかり手入をすれば、物に成りそうに思えた。
「取着には持ってこいの家だがね」
 持主が、隣の酒屋だと云うその家が、小野田にも望みがありそうに思えた。
「あすこなら、物の百円とかけないで、手頃な店が出来そうだね。それに家賃は安いし、大家の電話は借りられるし」
 幾度足を運んでも、母親が頑張って金を出してくれない生家から、鶴さんと別れたとき搬びこんで来たままになっている自分の箪笥や鏡台や着物などを、漸とのことで持出して来たとき、お島は小野田や自分の手で、着物の目星しいものをそっち此方売ってあるいた。
 もと大秀の兄弟分であった大工が愛宕下の方にいることを、思いだして、それに店の手入を頼んでから、郵便局に使われていた古いその家の店が、急に土間に床が拵えられたり、天井に紙が張られたり、棚が作られたりした。一畳三十銭ばかりの安畳が、どこかの古道具屋から持運ばれたりした。
 雨降がつづいて、木片や鋸屑の散らかった土間のじめじめしているようなその店へ、二人は移りこんで行った。
 陳列棚などに思わぬ金がかかって、店が全く洋服屋の体裁を具えるようになるまでに、昼間お島の帯のあいだに仕舞われてある財布が、二度も三度も空になった。大工が道具箱を隅の方に寄せて、帰って行ってから、お島はまたあわただしく箪笥の抽斗から取出した着物の包をかかえて、裏から私と出て行った。
 外はもう年暮の景色であった。赤い旗や紅提灯に景気をつけはじめた忙しい町のなかを、お島は込合う電車に乗って、伯母の近所の質屋の方へと心が急かれた。
六十七
 ミシンや裁台などの据えつけに、それでも尚足りない分を、お島の顔で漸と工面ができたところで、二人の渡り職人と小僧とを傭い入れると、直に小野田が被服廠の下請からもらって来た仕事に働きはじめた。
「大晦日にはどんな事があってもお返しするんですがね。仕事は山ほどあって、面白いほど儲かるんですから」
 お島はそう言ってそのミシンや裁板を買入れるために、小野田の差金で伯母の関係から知合いになった或る衣裳持の女から、品物で借りて漸と調えることのできた際どい金を、彼女は途中で目についた柱時計や、掛額などがほしくなると、ふと手を着けたりした。
「みんな店のためです。商売の資本になるんです」
 お島は小野田に文句を言われると、悧巧ぶって応えた。
 まだ自分の店に坐った経験のない小野田の目にも、そうして出来あがった店のさまが物珍しく眺められた。
「うんと働いておくれ。今にお金ができると、お前さんたちだって、私が放抛っておきやしないよ」
 お島はそう言って、のろのろしている職人に声をかけたが、夜おそくまで廻っているミシンの響や、アイロンの音が、自分の腕一つで動いていると思うと、お島は限りない歓喜と矜とを感じずにはいられなかった。
 劇しい仕事のなかに、朝から薄ら眠いような顔をしている乱次のない小野田の姿が、時々お島の目についた。
「ちッ、厭になっちまうね」
 お島は針の手を休めて、裁板の前にうとうとと居睡をはじめている、彼の顔を眺めて呟いた。
「どうしてでしょう。こんな病気があるんだろうか」
 職人がくすくす笑出した。
「そんなこって善く年季が勤まったと思うね」
「莫迦いえ」小野田は性がついて来ると、また手を働かしはじめた。
 色々なものの支払いのたまっている、大晦日が直に来た。品物でかりた知合の借金に店賃、ミシンの月賦や質の利子もあった。払いのこしてあった大工の賃銀のことも考えなければならなかった。
「こんなことじゃとても追着きこはありゃしない」お島は暮に受取るべき賃銀を、胸算用で見積ってみたとき、そう言って火鉢の前に腕をくんで考えこんだ。
「もっともっと稼がなくちゃ」お島はそう言って気をあせった。
六十八
 大晦日が来るまでに、二時になっても三時になっても、皆が疲れた手を休めないような日が、三日も四日も続いた。
 夜が更けるにつれて、表通りの売出しの楽隊の囃しが、途絶えてはまた気懈そうに聞えて来た。門飾の笹竹が、がさがさと憊れた神経に刺さるような音を立て、風の向で時々耳に立つ遠くの町の群衆の跫音が、潮でも寄せて来るように思い做された。
 職人達の口に、嗄れ疲れた話声が途絶えると、寝不足のついて廻っているようなお島の重い頭脳が、時々ふらふらして来たりした。がたんと言うアイロンの粗雑な響が、絶えず裁板のうえに落ちた。ミシンがまた歯の浮くような騒々しさで運転しはじめた。
「この人到頭寝てしまったよ」
 寒さ凌ぎに今までちびちび飲んでいた小野田が、いつの間にかそこに体を縮めて、ごろ[26]寝をしはじめていた。
「今日は幾日だと思っているのだい」
「上さんは感心に目の堅い方ですね」職人がそれに続いてまた口を利いた。
「私は二日や三日寝ないだって平気なもんさ」
 お島は元気らしく応えた。
 晦日の夜おそく、仕上げただけの物を、小僧にも脊負わせ、自分にも脊負って、勘定を受取って来たところで、漸と大家や外の小口を三四軒片着けたり、職人の手間賃を内金に半分ほども渡したりすると、残りは何程もなかった。
「宅じゃこういう騒ぎなんです」
 品物を借りてある女が、様子を見に来たとき、お島は振顧きもしないで言った。
 店には仕事が散かり放題に散かっていた。熨斗餅が隅の方におかれたり、牛蒡締や輪飾が束ねられてあったりした。
「貴女の方は大口だから、今夜は勘弁してもらいましょうよ」
 お島はわざと嵩にかかるような調子で言った。
 小野田に嫁の世話を頼まれて、伯母がこれをと心がけていたその女は、言にくそうにして、職人の働きぶりに目を注いでいた。女は居辛かった田舎の嫁入先を逃げて来て、東京で間借をして暮していた。着替や頭髪の物などと一緒に持っていた幾許かの金も、二三月の東京見物や、月々の生活費に使ってしまってから、手が利くところから仕立物などをして、小遣を稼いでいた。二三度逢ううち直にお島はこの女を古い友達のようにして了った。
「まあ宅へ来て年越でもなさいよ」お島は女に言った。
 女は惘れたような顔をして、火鉢の傍で小野田と差向いに坐っていたが、間もなく黙って帰って行った。
「いくらお辞儀が嫌いだって、あんなこと言っちゃ可けねえ」後で小野田がはらはらしたように言出した。
「ああでも言って逐攘わなくちゃ、遣切れやしないじゃないか」お島は顫えるような声で言った。
「不人情で言うんじゃないんだよ。今に恩返しをする時もあるだろうと思うからさ」
六十九
 同じような仕事の続いて出ていた三月ばかりは、それでもまだどうか恁かやって行けたが、月が四月へ入って、ミシンの音が途絶えがちになってしまってからは、お島が取かかった自分の仕事の興味が、段々裏切られて来た。職人の手間を差引くと、幾許も残らないような苦しい三十日が、二月も三月も続いた。家賃が滞ったり、順繰に時々で借りた小い借金が殖えて行ったりした。
「これじゃ全然私達が職人のために働いてやっているようなものです」お島は遣切のつかなくなって来た生活の圧迫を感じて来ると、そう言って小野田を責めた。冬中忙しかった裁板の上が、綺麗に掃除をされて、職人の手を減した店のなかが、どうかすると吹払ったように寂しかった。
 近頃電話を借りに行くこともなくなった大家の店には、酒の空瓶にもう八重桜が生かっているような時候であった。そこの帳場に坐っている主人から、お島たちは、二度も三度も立退の請求を受けた。
「洋服屋って、皆なこんなものなの。私は大変な見込ちがいをして了った」
 終に工賃の滞っているために、身動きもできなくなって来た職人と、店頭へ将棋盤などを持出していた小野田の、それにも気乗がしなくなって来ると、ぽかんとして女の話などをしている暢気そうな顔が、間がぬけたように見えたりして、一人で考え込んでいたお島はその傍へ行って、やきもきする自分を強いて抑えるようにして笑いかけた。
「何に、そうでもないよ」
 小野田は顔を顰めながら、仕事道具の饅頭を枕に寝そべって、気の長そうな応答をしていた。
 お島はのろくさいその居眠姿が癪にさわって来ると、そこにあった大きな型定規のような木片を取って、縮毛のいじいじした小野田の頭顱へ投つけないではいられなかった。
「こののろま野郎!」
 お島は血走ったような目一杯に、涙をためて、肉厚な自分の頬桁を、厚い平手で打返さないではおかない小野田に喰ってかかった。猛烈な立ちまわりが、二人のあいだに始まった。
 殺しても飽足りないような、暴悪な憎悪の念が、家を飛出して行く彼女の頭に湧返っていた。
 暫くすると、例の女が間借をしている二階へ、お島は真蒼になって上って行った。
「あの男と一緒になったのが、私の間違いです。私の見損いです」お島は泣きながら話した。
「どうかして一人前の人間にしてやろうと思って、方々駈ずりまわって、金をこしらえて店を持ったり何かしたのが、私の見込ちがいだったのです」
 お島は口惜しそうにぼろぼろ涙を流しながら言った。
「どうしても私は別れます。あの男と一緒にいたのでは、私の女が立ちません」
 荒い歔欷が、いつまで経っても遏まなかった。
七十
「どうなすったね」
 脇目もふらずに、一日仕事にばかり坐っている沈みがちなその女は、惘れたような顔をして、お島が少し落着きかけて来たとき、言出した。
「貴女はよく稼ぐというじゃないかね。どうしてそう困るね」
「私がいくら稼いだって駄目です。私はこれまで惰けるなどと云われたことのない女です」お島は涙を拭きながら言った。
「洋服屋というものは、大変儲かる商売だということだけれど......二人で稼いだら楽にやって行けそうなものじゃないかね」女はやっぱり仕事から全く心を離さずに笑っていた。
「それが駄目なんです。あの男に悪い病気があるんです。私は行ろうと思ったら、どんな事があっても遣通そうって云う気象ですから、のろのろしている名古屋ものなぞと、気のあう筈がないんです」
「そんな人とどうして一緒になったね」女はねちねちした調子で言った。
 お島は「ふむ」と笑って、泣顔を背向けたが、この女には、自分の気分がわかりそうにも思えなかった。
「でも東京というところは、気楽な処じゃないかね。私等姑さんと気が合わなんだで、恁して別れて東京へ出て来たけれど、随分辛い辛抱もして来ましたよ。今じゃ独身の方が気楽で大変好いわね。御亭主なんぞ一生持つまいと思っているわね」
「何を言っているんだ」と云うような顔をして、お島は碌々それには耳も仮さなかった。そしてやっぱり自分一人のことに思い耽っていた。時々胸からせぐりあげて来る涙を、強いて圧つけようとしたが、どん底から衝動げて来るような悲痛な念が、留どもなく波だって来て為方がなかった。どこへ廻っても、誤り虐げられて来たような自分が、可憐くて情なかった。
 小野田がのそりと入って来たときも、静に針を動かしている女の傍に、お島は坐っていた。どんよりした目には、こびり着いたような涙がまだたまっていた。
「何だ、そんな顔をして。だから己が言うじゃないか、どんな商売だって、一年や二年で物になる気遣はないんだから、家のことはかまわないで、お前はお前で働けばいいと」
 小野田はそこへ胡坐をくむと、袂から莨を出してふかしはじめた。
「被服の下請なんか、割があわないからもう断然止めだ。そして明朝から註文取におあるきなさい」
 お島は「ふむ」と鼻であしらっていたが、女の註文取という小野田の思いつきに、心が動かずにはいなかった。
「そしてお前には外で活動してもらって、己は内をやる。そうしたら或は成立って行くかも知れない」
「こんな身装で、外へなんか出られるもんか」お島ははねつけていたが、誰もしたことのないその仕事が、何よりも先ず自分には愉快そうに思えた。
 帰るときには、お島のいらいらした感情が、すっかり和められていた。そして明日から又初めての仕事に働くと云うことが、何かなし彼女の矜を唆った。
「こうしてはいられない」
 彼女の心にはまた新しい弾力が与えられた。
七十一
 晩春から夏へかけて、それでもお島が二着三着と受けて来た仕事に、多少の景気を添えていたその店も、七、八、九の三月にわたっては、金にならない直しものが偶に出るくらいで、ミシンの廻転が幾どもばったり止ってしまった。
 最初お島が仲間うちの店から借りて来たサンプルを持って、註文を引出しに行ったのは、生家の居周にある昔からの知合の家などであったが、受けて来る仕事は、大抵詰襟の労働服か、自転車乗の半窄袴ぐらいのものであった。それでもお島の試された如才ない調子が、そんな仕事に適していることを証すに十分であった。
 サンプルをさげて出歩いていると、男のなかに交って、地を取決めたり、値段の掛引をしたり、尺を取ったりするあいだ、お島は自分の浸っているこの頃の苦しい生活を忘れて、浮々した調子で、笑談やお世辞が何の苦もなく言えるのが、待設けない彼女の興味をそそった。
 煙突の多い王子のある会社などでは、応接室へ多勢集って来て、面白そうに彼女の周囲を取捲いたりした。
「もし好かったら、どしどし註文を出そう」
 その中の一人はそう言って、彼女を引立てるような意志をさえ漏した。
「そう一時に出ましても、手前どもではまだ資本がございませんから」
 お島はその会社のものを、自分の口一つで一手に引受けることが何の雑作もなさそうに思えたが、引受けただけの仕事の材料の仕込にすら差閊えていることを考えずにはいられなかった。
 註文が出るに従って、材料の仕込に酷工面をして追着かないような手づまりが、時々好い顧客を逃したりした。
「ええ、可しゅうございますとも、外さまではございませんから」
 品物を納めに行ったとき、客から金の猶予を言出されると、お島は悪い顔もできずに、調子よく引受けたが、それを帰って、後の仕入の金を待設けている小野田に、報告するのが切なかった。それでまた外の顧客先へ廻って、懈い不安な時間を紛らせていなければならなかった。
「堅い人だがね、どうしてくれなかったろう」
 お島は小野田の失望したような顔を見るのが厭さに、小野田がいつか手本を示したように、私と直しものの客の二重廻しなどを風呂敷に裹みはじめた。
「どうせ冬まで寝しておくものだ」お島は心の奥底に淀んでいるような不安と恐怖を圧しつけるようにして言った。そしてこの頃昵みになった家へ、それを抱こんで行った。
 一日外をあるいているお島は、夜になるとぐっすり寝込んだ。昼間居眠をしておる男の体が、時々夢現のような彼女の疲れた心に、重苦しい圧迫を感ぜしめた。
七十二
 それからそれへと、段々展げて行った遠い顧客先まわりをして、どうかすると、夜遅くまで帰って来ないお島には解らないような、苦しい遣繰が持切れなくなって来たとき、小野田の計画で到頭そこを引払って、月島の方へ移って行ったのは、その冬の初めであった。
 造作を売った二百円弱の金が、その時小野田の手にあった。細々した近所の買がかりに支払をした残りで、彼はまた新しく仕事に取着く方針を案出して、そこに安い家を見つけて、移って行ったのであったが、意いのほか金が散かったり品物が掛になったりして、資本の運転が止ったところで、去年よりも一層不安な年の暮が、直にまた二人を見舞って来た。
 荒いコートに派手な頸捲をして、毎日のように朝夙くから出歩いているお島が、掛先から空手でぼんやりして帰って来るような日が、幾日も続いた。
 仕事の途絶えがちな——偶に有っても賃銀のきちんきちんと貰えないような仕事に働くことに倦んで来た若い職人は、好い口を捜すために、一日店をあけていた。
 病気のために、中途戦争から帰って来たその職人は、軍隊では上官に可愛がられて上等兵に取立てられていたが、久振で内地へ帰ってくると、職人気質の初めのような真面目さがなくなって、持って来た幾許かの金で、茶屋酒を飲んだり、女に耽ったりして、金に詰って来たために、もと居た店の物をこかしたり、友達の着物を持逃したりして居所がなくなったところから、小野田の店へ流れて来たのであったが、その時にはもうすっかりさめてしまって、旧の小心な臆病ものの自分になり切っていた。
 来た当座、針を動かしている彼は時々巡査の影を見て怕れおののいていた。そしてどんな事があっても、一切日の面へ出ることなしに、家にばかり閉籠っていた。彼は救われたお島のために、家のなかではどんな用事にも働いたが、昼間外へ出ることとなると、釦一つ買いにすら行けなかった。点呼にも彼は居所を晦ましていて出て行く機会を失った。それが一層彼の心を萎縮させた。
 今朝も彼は朝飯のとき、���での夫婦の争いを、蒲団のなかで聴いていながら、臆病な神経を戦かせていた。最初その争いは多分夫婦間独自の衝突であったらしく思えたが、この頃の行詰った生活問題にも繋っていた。
「私はこうみえても動物じゃないんだよ。そうそう外も内も勤めきれんからね」
 お島はこの頃よく口にするお株を、また初めていた。
 誰があの職人を今まで引留めておいたかと言うことが、二人の争いとなった。
「お前さんさえ働けば、家なんざ小僧だけで沢山なんだ」飽っぽいようなお島が言出していた。どんな事があっても、三人でこの店を守立ててみせると力んでいた彼女が、どんな不人情な心を持っているかとさえ疑われた。
七十三
 二日ばかり捜しあるいた口が、どこにも見つからなかったのに落胆した彼が、日の暮方に疲れて渡場の方から帰って来たとき、家のなかは其処らじゅう水だらけになっていた。
 以前友達の物を持逃したりなどしたために、警察へ突出そうとまで憤っている男もあって、急にぐれてしまった自分の悪い噂が、そっちにも此方にも拡がっていることを感づいたほか、何の獲物もなかった彼は、当分またお島のところに置いてもらうつもりで、寒い渡しを渡って、町へ入って来たのであったが、お島の影はどこにも見えずに、主人の小野田が雑巾を持って、水浸しになった茶の間の畳をせっせと拭いていた。
 気の小さい割には、躯の厳丈づくりで、厚手に出来た唇や鼻の大きい銅色の皮膚をした彼は、惘れたような顔をして、障子も襖もびしょびしょした茶の室の入口に突立っていた。
「どうしたんです、私の留守のまに小火でも出たんですか」
「何に、彼奴の悪戯だ。為様のない化物だ」小野田はそう言って笑っていた。
 昨日の晩から頭顱が痛いといってお島はその日一日充血したような目をして寝ていた。髪が総毛立ったようになって、荒い顔の皮膚が巖骨のように硬張っていた。そして時々うんうん唸り声をたてた。
 米や醤油を時買しなければならぬような日が、三日も四日も二人に続いていた。お島は朝から碌々物も食べずに、不思議に今まで助かっていた鶴さん以来の蒲団を被って臥っていた。
 自身に台所をしたり、買いものに出たりしていた小野田には、女手のない家か何ぞのような勝手元や家のなかの荒れ方が、腹立しく目についたが、それはそれとして、時々苦しげな呻吟の聞える月経時の女の躯が、やっぱり不安であった。
「腰の骨が砕けて行きそうなの」
 お島は傍へ寄って来る小野田の手に、絡みつくようにして、赭く淀み曇んだ目を見据えていた。
 小野田は優しい辞をかけて、腰のあたりを擦ってやったりした。
「私はどこか体を悪くしているね。今までこんな事はなかったんだもの。私の体が人と異っているのかしら、誰でも恁うかしら」お島は小野田に体に触らせながら、この頃になって萌しはじめて来た、自分か小野田かに生理的の欠陥があるのではないかとの疑いを、その時も小野田に訴えた。
 お島は小野田に済まないような気のすることもあったが、この結婚がこんな苦しみを自分の肉体に齎そうとは想いもかけなかった。
 お島は今着ているものの聯想から鶴さんの肉体のことを言出しなどして、小野田を気拙がらせていた。男の体に反抗する女の手が、小野田の火照った頬に落ちた。
 兇暴なお島は、夢中で水道の護謨栓を向けて、男の復讎を防ごうとした。
七十四
 小野田の怯んだところを見て、外へ飛出したお島は、何処へ往くという目当もなしに、幾箇もの町を突切って、不思議に勢いづいた機械のような足で、ぶらぶら海岸の方へと歩いて行った。
 町幅のだだっ広い、単調で粗雑な長い大通りは、どこを見向いても陰鬱に闃寂していたが、その癖寒い冬の夕暮のあわただしい物音が、荒れた町の底に淀んでいた。燻みきった男女の顔が、そこここの薄暗い店屋に見られた。活気のない顔をして職工がぞろぞろ通ったり、自転車のベルが、海辺の湿っぽい空気を透して、気疎く耳に響いたりした。目に見えないような大道の白い砂が、お島の涙にぬれた目や頬に、どうかすると痛いほど吹つけた。
 お島は死場所でも捜しあるいている宿なし女のように、橋の袂をぶらぶらしていたが、時々欄干にもたれて、争闘に憊れた体に気息をいれながら、ぼんやり彳んでいた。寒い汐風が、蒼い皮膚を刺すように沁透った。
 やがて仄暗い夜の色が、縹渺とした水のうえに這ひろがって来た。そしてそこを離れる頃には、気分の落著いて来たお島は、腰の方にまた劇しい疼痛を感じた。
 暗くなった町を通って、家へ入って行った時、店の入口で見慣れぬ老爺の姿が、お島の目についた。
 お島は一言二言口を利いているうちに、それがつい二三日前に、ふっと引込まれて行くような射倖心が動いて、つい買って見る気になった或賭ものの中った報知であることが解った。
「お上さんは気象が面白いから、きっと中りますぜ」
 暮をどうして越そうかと、気をいらいらさせているお島に、そんな事に明い職人が説勧めてくれた。秘密にそれの周旋をしている家の、近所にあることまで、彼は知っていた。
「厭だよ、私そんなものなんか買うのは......」お島はそう言って最初それを拒んだが、やっぱり誘惑されずにはいなかった。
「そんな事をいわずに、物は試しだから一口買ってごらんなさい、しかし度々は可けません、中ったら一遍こきりでおよしなさい」職人は勧めた。
「何といって買うのさ」
「何だって介意いません。あんたが何処かで見たものとか聞いた事とか......見た夢でもあれば尚面白い」
 それでお島は、昨夜見た竜の夢で、それを買って見ることにしたのであった。
 意いもかけない二百円ばかりの纏まった金を、それでその爺さんが持込んで来てくれたのであった。
 秘密な喜悦が、恐怖に襲われているお島たちの暗い心のうえに拡がって来た。
「何だか気味がわるいようだね」
 爺さんの行ったあとで、お島はその金を神棚へあげて拝みながら、小野田に私語いた。
七十五
 燈明の赤々と照している下で、お島たちはまるで今までの争いを忘れてしまったように、興奮した目を輝かして坐っていた。何か不思議な運命が、自分の身のうえにあるように、お島は考えていた。暗い頭脳の底から、光が差してくるような気がした。
「ふむ、こう云うこともあるんだね」お島は感激したような声を出した。
「全く木村さんのいうことは当ったよ。して見ると、私は何でもヤマを張って成功する人間かも知れないね」
「お上さんの気前じゃ、地道なことはとても駄目かも知れませんよ」
「面倒くさい洋服屋なんか罷めて、株でも買った方がいいかも知れないね」
「そうですね。洋服屋なんてものは、とても見込はありませんね。私は二日歩いてみて、つくづくこの商売が厭になってしまった」
 職人は首を項垂れて溜息を吐いた。
「そんな事を言ったって、今更この商売が罷められるものか」小野田は何を言っているかと云う顔をして、呟いた。
 職人はやっぱり深く自分のことに思入っているように、それには耳も仮さなかった。
「私は早晩洋服屋って商売は駄目になると思うね。羅紗屋と裁縫師、その間に洋服屋なんて云う商人とも職工ともつかぬ、不思議な商売の成立を許さない時期が、今にきっと来ると思いますね」
 職人は興奮したような調子で言った。
「どうしてさ」お島は目元に笑って、「この人はまた妙なことを言出したよ」
「だってそうでしょう」職人は誰にもそれが解らないのが不思議のように熱心に、「だからお客は莫迦に高いものを着せられて、職人はお店のために働くということになる。その癖洋服屋は資本が寝ますから、小い店はとても成立って行きやしませんや。これはどうしたって、お客が直接地を買って、裁縫師に仕立を頼むってことにしなくちゃ嘘です」
「ふむ」とお島は首を傾げて聴惚れていた。今まで莫迦にしていたこの男が、何か耳新しい特殊な智識を持っている悧巧者のように思えて来た。
「君は職人だから、自分の都合のいいように考えるんだけれど、実地にはそうは行かないよ」小野田は冷笑った。
「だがこの人は莫迦じゃないね。何だか今に出世をしそうだよ」
 お島はそう言って、神棚から取おろした札束の中から、十円札を一枚持出すと、威勢よく表へ飛出して行った。
「おい、ちょっと己にもう一度見せろよ」小野田はそう言って、札を両手に引張りながら、物欲しそうな目を※[27]った。
「好い気になって余りぱっぱと使うなよ」
 お島が方々札びらを切って、註文して来た酒や天麩羅で、男達はやがて飲はじめた。
七十六
 そんな噂がいつか町内へ拡がったところから、縁起を祝うために、鈴木組と云う近所の請負師の親分の家で出た註文を、不意に受けたのが縁で、その男の引立で、家が遽に景気づいて来た。
 月島で幅を利していたその請負師の家へ、お島は新調の著物などを着込んで、註文を聞きに行った。寒い雨の降る日で、茶の室の火鉢の側には下に使われている男が仕事を休んで、四五人集っていた。大きな縁起棚の傍には、つい三四日前の酉の市で買って来た熊手などが景気よく飾られて、諸方からの附届けのお歳暮が、山のように積まれてあった。男達のなかには、お島が見知の顔も見受けられた。
「お上さんは莫迦に鉄火な女だっていうから、外套を一つ拵えてもらおうと思うんだが......」
 金歯や指環などをぴかぴかさせて、糸織の褞袍に着脹れている、五十年輩のその親方は、そう言いながら、サンプルを見はじめた。痩ぎすな三十七八の小意気な女が、軟かものを引張って、傍に坐っていた。
「工合がよければ、またちょいちょい好いお客をおれが周旋するよ」
 親分は無造作に註文を決めて了うと、そう言って莨をふかしていた。今まで受けたこともないような河獺の衿つき外套や、臘虎のチョッキなどに、お島は当素法な見積を立てて目の飛出るほどの法外な���値を、何の苦もなく吹きかけたのであった。
「これを一つあなたのような方に召していただいて、是非皆さんに御吹聴して頂きたいのでございます。どういたしましても、親方のようなお顔の売れた方の御贔屓にあずかりませんと、私共の商売は成立って行きませんのでございます」
 男達はみんなお島の弁る顔を見て、面白そうに笑っていた。
「お上さんの家では、お上さんが大層な働きもので、お亭主はぶらぶら遊んでいるというじゃないか」男たちはお島に話しかけた。
「衆さんがそう言って下さいます」お島は赤い顔をして、サンプルを仕舞っていた。
「たまに宅へお見えになるお客がございましても、私がいないと御註文がないと云う始末でございますから。あれじゃお前が一人で切廻す訳だと、お客さまが仰ゃって下さいます」
 お島はそう言って、この商売をはじめた自分の行立を話して、衆を面白がらせながら、二時間も話しこんでいた。
「あの辺でおきき下さいませば、もう誰方でも御存じでございます。滝庄という親分が、以前私の父の兄で、顔を売っていたものですから、ああ云う社会の方が、あの辺ではちょいちょい私のお得意さまでございます」
 帰りがけにお島は、自分のそうした身のうえまで話した。
七十七
 そんなような仕事が、少しばかり続くあいだ、例の金で身装のできたお島は、暮のせわしいなかを、昼間は顧客まわりをして、夜になると能く小野田と一緒に浮々した気分で、年の市などに景気づいた町を出歩いたり、友達のようになった顧客先の細君連と、芝居へ入ったり浅草辺をぶらついたりして調子づいていたが、それもまたぱったり火の消えたように閑になって、肆まに浪費した金の行方も目にみえずに、物足りないような寂しい日が毎日々々続いた。
 定りだけの仕事をすると、職人は夫婦の外を出歩いているあいだ、この頃ふとした事から思いついた翫具の工夫に頭脳を浸して、飯を食うのも忘れているような事が多かった。
 仕事の断え間になると、彼は昼間でも一心になってそれに耽っていた。時とすると夜夫婦が寝しずまってからも、彼はこつこつ何かやっていた。
「この人は何をしているの」
 隅の方へ入って、ボール紙を切刻んだり、穴を明けたり、絵具をさしたりして、夢中になっている彼の傍へ来て、お島は可笑そうに訊ねた。
「こう云う悪戯をしているんです」
 彼は細く切ったその紙片を、賽の目なりに筋をひいて紙のうえに駢べていながら、振顧きもしないで応えた。
「何だねその切符のようなものは......」
「これですか」木村はやっぱりその方に気を褫られていた。
「これは軍艦ですよ」
「軍艦をどうするの」
「これでもって海軍将棋を拵えようというんです」
「海軍将棋だって? へえ。そしてそれを何にするの」
「高尚な翫具を拵えて、一儲けしようってんですがね......この小いのが水雷艇です」
「へえ、妙なことを考えたんだね。戦争あて込みなんだね」
「まあそうですね。これが当ると、お上さんにもうんと資本を貸しますよ。どうせ私は金の要らない男ですからね」
「はは」と、お島は笑いだした。
「可かったね」
「こればかりじゃないんです」職人はこの頃夜もろくろく眠らずに凝り考えた、色々の考案が頭脳のなかに渦のように描かれていた。新しい仕事の興味が、彼の小さい心臓をわくわくさせていた。
「私ゃ子供の時分から、こんな事が好きだったんですから、この外にまだ幾箇も考えてるんですが、その中には一つ二つ成功するのが急度ありますよ」
「じゃ木村さんは発明家になろうというんだわね。発明家ってどんな豪い人かと思っていたら、木村さんのような人でもやれるような事なら、有難くもないね」
「笑談言っちゃ可けませんよ」
「まあ発明もいいけれど、仕事の方もやって下さいね、どしどし仕事を出しますからね」
七十八
 お島たちが、寄つく処もなくなって、一人は職人として、一人は註文取として、夫婦で築地の方の或洋服店へ住込むことになったのは、二人が半歳ばかり滞っていた小野田の故郷に近いN——と云う可也繁華な都会から帰ってからであった。
 一月から三月頃へかけて、店が全く支え切れなくなったところで、最初同じ商売に取ついている知人を頼って、上海へ渡って行くつもりで、二人は小野田の故郷の方へ出向いて行ったのであったが、路用や何かの都合で、そこに暫く足を停めているうちに、ついつい引かかって了ったのであった。
 二人が月島の店を引払った頃には、三月ほどかかって案じ出した木村の新案ものも、古くから出ているものに類似品があったり、特許出願の入費がなかったりしたために、孰もこれも持腐れになってしまったのに落胆して、又渡り職人の仲間へ陥ちて行っていた。
 南の方の海に程近いN——市では二人は少しばかり持っている著替などの入った貧しい行李を、小野田の妹の家で釈くことになったが、町には小野田の以前の知合も少くなかった。
 主人が勤人であった妹の家の二階に二三日寝泊りしていた二人は、そこから二里ばかり隔たった村落にいる小野田の父親に遭って、そこから出発するはずであったが、以前住んでいた家や田畑も人の手に渡って、貧しい百姓家の暮しをしている父親の様子を、一度行って見て来た小野田は、見すぼらしげな父親をお島に逢わせるのが心に憚られた。東京に住つけた彼の目には、久しく見なかった惨めな父親の生活が、自分にすら厭わしく思えた。
 逢いさえすれば、路費の出来そうに言っていた父親の家への同行を、お島は二度も三度も迫ってみたが、小野田は不快な顔をして、いつもそれを拒んだ。
 八九年前に、効性ものの妻に死訣れてから、酒飲みの父親は日に日に生活が荒んで行った。妻の働いているうちは、どうか恁か持堪えていた家も、古くから積り積りして来ている負債の形に取られて、彼は細かな小屋のなかに、辛うじて生きていた。
 到頭お島がつれられて行ったときに、彼は麦や空豆の作られた山畑の中に、熱い日に照されて土弄りをしていたが、無智な顔をして畑から出て来る汚いその姿を見たときには、お島は慄然とするほど厭であった。一緒に行った小野田に対する軽蔑の念が一時に彼女の心を凍らしてしまった。
七十九
 それでお島は、小野田が自分をつれて来なかった理由が解ったような気がして、父親が本意ながるのも肯かずに、その日のうちにN——市へ引返して来たのであった。自分のこれまでがすっかり男に瞞されていたように思われて、腹立しかったが、小野田が自分達のことをどんな風に父親に話しているかと思うと、擽ったいような滑稽を感じた。
 空濶な平野には、麦や桑が青々と伸びて、泥田をかえしている農夫や馬の姿が、所々に見えた。砂埃の立つ白い路を、二人は鈍い俥に乗って帰って来たが、父親が侑めてくれた濁酒に酔って、俥の上でごくりごくりと眠っている小野田の坊主頸をした大きい頭脳が、お島の目には惨らしく滑稽にみえた。
 この貧しげな在所から入って来ると、着いた当時は鈍くさくて為方のなかった寂しい町の状が、可也賑かで、豊かなもののように見えて来た。大きい洋風の建物が目についたり、東京にもみられないような奥行の深そうな美しい店屋や、洒落た構の料理屋なども、物珍しく眺められた。妹の住っている静な町には、どんな人が生活しているかと思うような、門構の大きな家や庭がそこにも此処にもあった。
 小野田の話によると、父親の財産として、少ばかりの山が、それでもまだ残っていると云うのであった。その山を売りさえすれば、多少の金が手につくというのであった。そしてそうさせるには、二人で機嫌を取って、父親を悦ばせてやらなければならないのである。
「そんな気の長いことを言っていた日には、いつ立てるか解りやしないじゃないか」
 お島はその晩も二階で小野田と言争った。時々他国の書生や勤め人をおいたりなどして、妹夫婦が細い生活の補助にしているその二階からは、町の活動写真のイルミネーションや、劇場の窓の明などが能く見えた。四下には若葉が日に日に繁って、遠い田圃からは、喧しい蛙の声が、物悲しく聞えた。春の支度でやって来た二人には、ここの陽気はもう大分暑かった。小野田はホワイト一枚になって寝転んでいたが、昔住慣れた町で、巧く行きさえすれば、お島と二人でここで面白い暮しができそうに思えた。上海くんだりまで出かけて行くことが、重苦しい彼の心には億劫に想われはじめていた。
「厭なこった、こんな田舎の町なんか、成功したって高が知れている。東京へ帰ったって威張れやしないよ」そう言って拒むお島の空想家じみた頭脳には、ぼろい金儲けの転がっていそうな上海行が、自分に箔をつける一廉の洋行か何ぞのように思われていた。
八十
 其処をも散々遣散してN——市を引揚げて、どこへ落着く当もなしに、暑い或日の午後に新橋へ入って来たとき、二人の体には、一枚ずつ著けたもののほか何一つすら著いていなかった。
 鼻息の荒いお島たちは、人の気風の温和でそして疑り深いN——市では、どこでも無気味がられて相手にされなかった。一月二月小野田の住込んでいた店では、毎日のように入浸っていたお島は、平和の攪乱者か何ぞのように忌嫌われ、不謹慎な口の利き方や、遣っぱなしな日常生活の不検束さが、妹たち周囲の人々から、女雲助か何かのように憚られた。著いて間もない時分の彼女から、東京風の髪をも結ってもらい、洗濯や針仕事にも働いてもらって、頭髪のものや持物などを、惜気もなげにくれてもらったりしていた妹は、帯や下駄や時々の小遣いの貸借にも、彼女を警戒しなければならないことに気がついた。
「そんなに吝々しなさんなよ、今に儲けてどっさりお返ししますよ」
 それを断られたとき、お島はそう云って笑ったが、土地の人たちの腹の見えすいているようなのが腹立しかった。自分の腕と心持とが、全く誤解されているのも業腹であった。
 小野田にも信用がなく、自分にも働き勝手の違ったような、その土地で、二人は日に日に上海行の計画を鈍らされて���った。二人は小野田が数日のあいだに働いて手にすることのできた、少しばかりの旅費を持って、辛々そこを立ったのであった。
 一日込合う暑い客車の瘟気に倦みつかれた二人が、停車場の静かな広場へ吐出されたのは、夜ももう大分遅かった。
「どこへ行ったものだろうね」
 青い火や赤い火の流れている広告塔の前に立って、しっとりした夜の空気に蘇えったとき、お島はそこに跪坐んでいる小野田を促した。
 前に働いていた川西という工場のことを、小野田は心に描いていたが、前借などの始末の遣っぱなしになっている其処へは行きたくなかった。上海行を吹聴したような人の方へは、どこへも姿を見せたくなかった。
八十一
 不安な一夜を、芝口の或安旅籠に過して、翌日二人は川西へ身を寄せることになるまで、お島たちは口を捜すのに、暑い東京の町を一日彷徨いていた。
 最後に本郷の方を一二軒猟って、そこでも全く失望した二人が、疲れた足を休めるために、木蔭に飢えかつえた哀れな放浪者のように、湯島天神の境内へ慕い寄って来たのは、もうその日の暮方であった。
 漸う日のかげりかけた境内の薄闇には、白い人の姿が、ベンチや柵のほとりに多く集っていた。葉の黄ばみかかった桜や銀杏の梢ごしに見える、蒼い空を秋らしい雲の影が��いて、目の下には薄闇い町々の建物が、長い一夏の暑熱に倦み疲れたように横わっていた。二人は仄暗い木蔭のベンチを見つけて、そこに暫く腰かけていた。涼しい風が、日に焦け疲れた二人の顔に心持よく戦いだ。
 水のような蒼い夜の色が、段々木立際に這い拡がって行った。口も利かずに黙って腰かけているお島は、ふと女坂を攀登って、石段の上の平地へ醜い姿を現す一人の天刑病らしい躄の乞食が目についたりした。
 石段を登り切ったところで、哀れな乞食は、陸の上へあがった泥亀のように、臆病らしく四下を見廻していたが、するうちまた這い歩きはじめた。そして今夜の宿泊所を求めるために、人影の全く絶えた、石段ぎわの小さい祠の暗闇の方へいざり寄って行った。
「ちょっと御覧なさいよ」お島は小野田に声かけて振顧いた。
 今まで莨を喫っていた小野田は、ベンチの肱かけに凭れかかっていつか眠っていた。
「この人は、為様がないじゃないの」お島は跳あがるような声を出した。
「行きましょう行きましょう。こんな所にぐずぐずしていられやしない」お島は慄えあがるようにして小野田を急立てた。
 二人は痛い足を引摺って、またそこを動きだした。
「何でもいいから芝へ行きましょう。恁うなれば見えも外聞もありゃしない」お島はそう言って倦み憊れた男を引立てた。
 食物といっては、昼から幾んで[28]何をも取らない二人は、口も利けないほど饑え疲れていた。
 川西の店へ立ったのは、その晩の九時頃であった。
八十二
 長い漂浪の旅から帰って来たお島たちを、思いのほか潔く受納れてくれた川西は、被服廠の仕事が出なくなったところから、その頃職人や店員の手を減して、店がめっきり寂しくなっていた。
 そこへ入って行ったお島は、久しい前から、世帯崩しの年増女を勝手元に働かせて、独身で暮している川西のために、時々上さんの為るような家事向の用事に、器用ではないが、しかし活溌な働き振を見せていた。
 前にいた職人が、女気のなかったこの家へ、どこからともなく連れて来て間もなく、主人との関係の怪しまれていたその年増は、渋皮の剥けた、色の浅黒い無智な顔をした小躯の女であったが、お島が住込むことになってから、一層綺麗にお化粧をして、上さん気取で長火鉢の傍に坐っていた。
 始終忙しそうに、くるくる働いている川西は、夜は宵の口から二階へあがって、臥床に就いたが、朝は女がまだ深い眠にあるうちから床を離れて、人の好い口喧しい主人として、口のわるい職人や小僧たちから、蔭口を吐かれていた。
 お島は女が二階から降りて来ぬ間に、手捷こくそこらを掃除したり、朝飯の支度に気を配ったりしたが、寝恍けた様な締のない笑顔をして、女が起出して来る頃には、職人たちはみんな食膳を離れて、奥の工場で彼女の噂などをしながら、仕事に就いていた。
 彼らが食事をするあいだ、裏でお島の洗い灑ぎをしたものが、もう二階の物干で幾枚となく、高く昇った日に干されてあった。
「どうも済みませんね」
 ばけつ[29]をがらがらいわせて、働いているお島の姿を見ると、それでも女は、懈そうな声をかけて、日のじりじり照はじめて来た窓の外を眺めていた。毛並のいい頭髪を銀杏返しに結って、中形のくしゃくしゃになった寝衣に、紅い仕扱を締めた姿が、細そりしていた。白粉の斑にこびりついたような額のあたりが、屋根から照返して来る日光に汚らしく見えた。
「どういたしまして」
 お島は無造作に懸つらねた干物の間を潜りぬけながら、袂で汗ばんだ顔を拭いていた。
「私は働かないではいられない性分ですからね。だから、どんなに働いたって何ともありませんよ」
「そう」
 女はまだうっとりした夢にでも浸っているような、どこか暗い目色をしながら呟いた。
「私の寝るのは、大抵十二時か一時ですよ」
「そうですかね」お島は白々しいような返辞をして、「でも可いじゃありませんか。お秀さんは好い身分だって、衆がそう言っていますよ」
 女は紅くなって、厭な顔をした。
「そうそう、お秀さんといっちゃ悪かったっけね。御免なさいよ」
八十三
「どうです、今日は素敵に好いお顧客を世話してもらいましたよ」
 半日でも一日でも、外へ出て来ないと気のすまないようなお島は、職人たちの手がしばらく空きかかったところで、その日も幾日振かで昼からサンプルをさげて出て行ったが、晩方に帰って来ると、お秀と一緒に店の方にいる川西にそう言って声かけた。
「為様がないね、私がなまけると直ぐこれだもの」お島は出てゆく時も、これと云う目星しい仕事もない工場の様子を見ながら言っていたが、出れば必ず何かしら註文を受けて来るのであった。中には自分の懇意にしている人のを、安く受けて来たのだと云って、小野田との相談で、店のものにはせず、自分たちだけの儲仕事にするものも時にはあった。そんなものを、小野田は店の仕事の手隙に縫うことにしていたが、川西はそれを余り悦ばないのであった。
「ほんとに好い腕だが、惜しいもんだね」
 川西は、独り店頭にいた小僧を、京橋の方へ自転車で用達に出してから、註文先の話をしてお島に言った。彼はもう四十四五の年頃で、仕入ものや請負もので、店を大きくして来たのであったが、お島たちが入って来てから、上物の註文がぼつぼつ入るようになっていた。
 川西は晩酌をやった後で、酒くさい息をふいていた。工場では皆な夕方から遊びに出て行って、誰もいなかった。
「そんな腕を持っていながら、名古屋くんだりまで苦労をしに行くなんて、余程可笑いよ」
 川西は、傍に附絡っているお秀をも、湯へ出してやってから、時々口にすることをその時もお島に言出した。
「ですから私も熟々厭になって了ったんです。あの時疾に別れる筈だったんです。でもやっぱりそうも行かないもんですからね」
「小野田さんと二人で、ここでついた得意でも持って出て、早晩独立になるつもりで居るんだろうけれど、あの腕じゃまず難しいね」
「そうですとも。これまで散々失敗して来たんですもの」
「どうだね、それよりか小野田さんと別れて、一つ私と一緒に稼ぐ気はないかね」
 川西はにやにやしながら言った。
「御笑談でしょう」お島は真紅になって、「貴方にはお秀さんという人がいるじゃありませんか」
「あんなものを......」川西はげたげた笑いだした。「どこの馬の骨だか解りもしねえものを、誰が上さんなぞにする奴があるもんか」
「でも好い人じゃありませんか。可愛がっておあげなさいまし。私みたような我儘ものはとても駄目です」
 お島はそう言って、茶の室を通って工場の方へ入って行くと、汗ばんだ着物の着替に取りかかった。蒸暑い工場のなかは綺麗に片着いて、電気がかっかと照っていた。
八十四
 九時頃に小野田が外から帰って来たとき、駭かされたお島の心は、まだ全く鎮らずにいた。人品や心の卑しげな川西に、いつでも誰にも動く女のように見られたのが可恥しく腹立しかった。
「へえ、私がそんな女に見えたんですかね。そんな事をしたら、あの物堅い父に私は何といわれるでしょう」
 お島は迹から附絡って来る川西の兇暴な力に反抗しつつ、工場の隅に、慄然とするような体を縮めながらそう言って拒んだ。
 髯の延びた長い顎の、目の落窪んだ川西の顔が、お島の目には狂気じみて見えた。
「可けません可けません、私は大事の体です。これから出世しなくちゃなりません。信用を墜しちゃ大変です」お島は片意地らしく脅しつけるように言って、筋張った彼の手をきびしく払退けた。
 劇しい争闘がしばらく続いた。
 婉曲としおらしさとを欠いた女の態度に、男の顔を潰されたと云って、川西がぷりぷりして二階へあがって行ってから、お島は腕節の痛みをおさえながら、勝矜ったものの荒い不安を感じた。
 暫くすると、白粉をこてこて塗って、湯から帰って来たお秀が、腕を組んで、ぼんやり店頭に彳んでいるお島に笑顔を見せて、奥へ通って行った。
「ぽんつくだな」お島はそう思いながら、女の顔を見返しもせずに黙っていた。何のことをも感づくことができずに、全く満足し切っているように鈍い、その癖どこかおどおどしている女の様子に、妄に気がいらいらして、顔の筋肉一つすら素直に働かないのであった。
「小野田が帰ったら、今の始末を残らず吩咐けよう。そして今からでも二人でここを出てやろう」
 お島はそう思いながら、そこに立ったまま彼の帰りを待っていた。外は秋らしい冷かな風が吹いて、往来を通る人の姿や、店屋々々の明が、厭に滅入って寂しく見えた。浜屋や鶴さんのことが、物悲しげに想い出されたりした。
 その晩、小野田は二階でしばらく川西と何やら言合っていたが、やがて落着のない顔をして降りて来ると、店にいるお島の傍へ寄って来た。
「店が閑でとても置ききれないから、気の毒だけれど、己たちに今から出てくれというんだがね」
 小野田は言出した。
「ふむ」お島はまだ���経が突っ張っていて、こまこました話をする気にはなれなかった。
「己たちが自分の仕事をするので、それも気に加んらしい」
「どうせそうだろうよ」お島は荒い調子で冷笑った。
「出ましょう出ましょう。言われなくたって、此方から出ようと思っていたところだ」
八十五
 翌日朝夙くから、お島はぐずぐずしている小野田を急立てて家を捜しに出た。
「また何かお前が大将の気に障ることでも言ったんじゃないか」
 小野田は昨夜も自分たちの寝室にしている茶の室で、二人きりになった時、そう言ってお島を詰ったのであったが、今朝もやっぱりそれを気にしていた。
「私があの人に何を言うもんですか」お島は顔をしかめて煩そうに応答をしていたが、出る先へ立って、細い話をして聞かす気にもなれなかった。
「それどころか、私はこの店のために随分働いてやっているじゃありませんか」
「でも何か言ったろう」
「煩いよ」お島は眉をぴりぴりさせて、「お前さんのように、私はあんなものにへっこらへっこらしてなんかいられやしないんだよ」
「だがそうは行かないよ。お前がその調子でやるから衝突するんだ」
「ふむ。私よりかお前さんの方が、余程間抜なんだ。だから川西なんかに莫迦にされるんです。もっとしっかりするが可いんだ」
 それで二人は半日ほど捜しあるいて、漸と見つけた愛宕の方の或る印判屋の奥の三畳一室を借りることに取決め、持合せていた少ばかりの金で、そこへ引移ったのであった。
 そこは見附の好い小綺麗な店屋であった。お島はその足で直ぐ、差当り小野田の手を遊ばさないように、仕事を引出しに心当りを捜しに出たが、早速仕事に取かかるべく少しばかり月賦の支払をしてあったミシンを受取の交渉のために、川西へ出向いていった小野田が、失望して——多少怒の色を帯びて帰って来た頃には、彼女も一二枚の直しものを受けて来て、彼を待受けていた。
「どうです、同情がありますよ。すぐ仕事が出ましたよ。だから、ここでうんと働いて下さいよ」
 人に対する反抗と敵愾心のために絶えず弾力づけられていなければ居られないような彼女は、小野田の顔を見ると、いきなり勝矜ったように言った。
 部屋にはもう電燈がついて、その晩の食物を拵えるために、お島は狭い台所にがしゃがしゃ働いていた。印判屋の婆さんとも、狎々しい口を利くような間になっていた。
「それでミシンはどうしたんです」
「それどころか、川西はお前のことを大変悪く言っていたよ。そして己にお前と別れろと言うんだ」
「ふむ、悪い奴だね」お島は首を傾げた。「畜生、私を怨んでいるんだ。だがミシンがなくちゃ為様がないね」
 飯をすますと直ぐ、お島が通りの方にあるミシンの会社で一台註文して来た機械が、明朝届いたとき、二人は漸と仕事に就くことができた。
八十六
 住居の手狭なここへ引移ってから、初めて世帯を持った新夫婦か何ぞのように、二人は夕方になると、忙しいなかをよく外を出歩いた。
 川西を出たときから、新しい愛執が盛返されて来たようなお島たちはそれでもその月は可也にあった収入で、涼気の立ちはじめた時候に相応した新調の着物を着たり着せたりして、打連れて陽気な人寄場などへ入って行った。
 行く先々で、その時はまるで荷厄介のように思って、惜げもなく知った人にくれたり、棄値で売ったり又は著崩したりして、何一つ身につくもののなかったお島は、少しばかり纏まった収入の当がつくと、それを見越して、月島にいる頃から知っていた呉服屋で、小野田が目をまわすような派手なものを取って来て、それを自分に仕立てて、男をも着飾らせ、自分にも着けたりした。
「己たちはまだ着物なんてとこへは、手がとどきやしないよ。成算なしに着物を作って、困るのは知れきっているじゃないか」
 着ものなどに頓着しない小野田は、お島の帰りでもおそいと、時々近所のビーヤホールなどへ入って、蓄音機を聴きながら、そこの女たちを相手に酒を飲んでいては、お島に喰ってかかられたりしたが、やっぱり自分の立てた成算を打壊されながら、その時々の気分を欺かれて行くようなことが多かった。
「あの御父さんの産んだ子だと思うと、厭になってしまう。東京へでも出ていなかったら、貴方もやっぱりあんなでしょうか」
 お島はにやにやしている小野田の顔を眺めながら笑った。
「莫迦言え」小野田はその頃延しはじめた濃い髭を引張っていた。
「だからビーヤホールの女なぞにふざけていないで、少しきちんとして立派にして下さいよ。あんなものを相手にする人、私は大嫌い、人品が下りますよ」
 お島はどうかすると、父親の面差の、どこかに想像できるような小野田の或卑しげな表情を、強いて排退けるようにして言った。小野田が物を食べる時の様子や、笑うときの顔容などが、殊にそうであった。
「子が親に似るのに不思議はないじゃないか。己は間男の子じゃないからな」
 小野田は心から厭そうにお島にそれを言出されると、苦笑しながら慍然として言った。
「間男の子でも何でも、あんな御父さんなんかに肖ない方が可いんですよ」
「ひどいことを言うなよ。あれでも己を産んでくれた親だ」
 小野田は終に怒りだした。
「お前さんはそれでも感心だよ。あんな親でも大事にする気があるから。私なら親とも思やしない」
八十七
 そんな気持の嵩じて来たお島には、自分一人がどんなに焦燥しても、出世する運が全く小野田にはないようにさえ考えられてきた。彼の顔が無下に卑しく貧相に見えだして来た。ビーヤホールの女などと、面白そうにふざけていることの出来る男の品性が、陋しく浅猿しいもののように思えた。
「己はまた親の悪口なぞ云う女は大嫌いだ」
 顔色を変えて、お島の側を離れると、小野田は黙って仕事に取りかかろうとして、電気を引張って行ってミシンを踏みはじめた。
 そのミシンは、支払うべき金がなかったために、お島が機転を利かして、機械の工合がわるいと言って、新しく取替えたばかりの代物であった。そうすれば試用の間、一時また支払いが猶予される訳であった。
「こんな際どいことでもしなかった日には、私たちはとてもやって行けやしません。成功するには、どうしたってヤマを張る必要があります」
 お島はその時もそう言って、自分の気働きを矜ったが、何の気もなさそうに、それに腰かけている小野田の様子が、間抜らしく見えた。
 がたがたと動いていたミシンの音が止ると、彼は裁板の前に坐って、縫目を熨すためにアイロンを使いはじめた。
「ふむ、莫迦だね」
 お島は無性に腹立しいような気がして、腕を組みながら溜息を吐いた。
「一生職人で終る人間だね。それでも田を踏んで暮す親よりかいくらか優だろう」
「生意気を言うな。手前の親がどれだけ立派なものだ。やっぱり土弄りをして暮しているじゃないか」
「ふむ、誰がその親のところへ、籍を入れてくれろと頼みに行ったんだ。私の親父はああ見えても産れが好いんです。昔はお庄屋さまで威張っていたんだから。それだって私は親のことなんか口へ出したことはありゃしない」
「お前がまた親不孝だから、親が寄せつけないんだ。そう威張ってばかりいても得は取れない。ちっとはお辞儀をして、金を引出す算段でもした方が、※[30]に悧巧なんだ」
 小野田はいつもお島に勧めているようなことを、また言出した。
「意気地のないことを言っておくれでないよ。私は通りへ店を持つまでは、親の家へなんか死んでも寄りつかない意だからね」
「だから、お前は商売気がなくて駄目だというのだよ」
 仕事が一と片着け片着く時分に、二人はまたこんな相談に耽りはじめた。
八十八
 上海へ行くつもりで、N——市へ立つ前に、一度顔出したことのある自分の生家の方へ、小野田がお島を勧めて、贈物などを持って、更めて一緒に訪ねて行ってから、続いて一人でちょいちょい両親の機嫌を取りに行ったりしていた。
「これだけの地面は私の分にすると、御父さんが言うんですけれどね」
 最初二人で行ったとき、お島は庭木のどっさり植っている母屋の方の庭から、附近に散かっている二三箇所の持地を、小野田と一緒に見廻りながら、五百坪ばかりの細長い地所へ小野田を連れて行って言った。
 雑木の生茂っているその地所には、庭へ持出せるような木も可也にあった。暗い竹藪や荒れた畑地もあった。周囲には新しい家が二三軒建っていた。
「ふむ」小野田は驚異の目を※[31]って、その木立のなかへ入って行った。夏草の生茂った木立の奥は、地面がじめじめしていて、日の光のとどかぬような所もあった。
「この辺の地所は坪どのくらいのものだろう」
 小野田はそこを出てお島の傍へ来ると、打算的の目を耀かして訊ねた。
「どの位だかね。今じゃ十円もするでしょうよ」
 お島は※[32]けたような顔で応えたが、この地面が自分の有になろうとは思えなかった。
 生家では二三年のあいだ家を離れて、其方こっち放浪して歩いていた兄が、情婦に死訣れて、最近にいた千葉の方から帰って来ていた。一時生家へ還っていた嫁も、その子供をつれて、久振で良人と一緒に暮していた。兄は一時悪い病に罹ってから、めっきり健康が衰え、お島と山で世帯を持っていた頃の元気もなくなっていた。お島はあの頃の山の生活と、二三度そこで交際った兄の情婦の身のうえなどを想い出させられた。悪い病気にかかったというその情婦は、どこへ行っても兄に附絡われていて、好いこともなくて旅で死んでしまった。その時は、何の気もなしに傍観していた二人の情交や心持が、お島にはいくらか解るように思えて来たが、どこが好くて、あの女がそんなに男のために苦労したかが訝かられた。
「あの時は、兄さんはほんとに私をひどい目に逢わしたね」
 お島は長いあいだの経過を考えて、何の温かみも感ずることのできない恣まな兄との接触に、失望したように言出した。
 兄はその頃のことは想い出しもしないような顔をしていた。お島たちの寄ついて来ることを、余り悦んでもいないらしかった。
「あれはああ云う男です。人が悪いっていうんでもないけれど、人情はないんですね」
「早くあの地面を自分のものに書きかえておくようにしなくちゃ駄目だよ」
 小野田は、お島の投遣なのを牾しそうに言った。
「あの地面も、今はどうなっているんだか。あの御母さんの生きているうちは、まあ私の手にはわたらないね」
「それもお前が下手だからだよ」
 小野田はそう言いながら、望みありげに家へ入って来た。
八十九
 小野田がこの家に信用を得るために、母親の傍に坐って、話込んでいるあいだ、お島は擽ったいような、いらいらしい気持を紛らせようとして、そこを離れて、子供を揶揄ったり、嫂と高声で話したりしていた。
「家じゃ島が一番親に世話をやかせるんでございますよ。これまでに、幾度家を出たり入ったりしたか知れやしません」
 母親はお島が傍についているときも、そんな事を小野田に言って聴せていたが、彼女の目には、これまでお島が干係した男のなかで、小野田が一番頼もしい男のように見えた。取澄してさえいれば、口髭などに威のある彼のがっしりした相貌は、誰の目にも立派な紳士に見えるのであった。小野田は切たての脊広などを着込んで、のっしりした態度を示していた。
 お島は自分の性得から、N——市へ立つ前に、この男のことをその田舎では一廉の財産家の息子ででもあるかのように、父や母の前に吹聴しずにはいられなかった。それで小野田もその意で、母親に口を利いていた。
「この人の家は、それは大したもんです」
 お島は母親を威圧するように、今日も皆が揃っている前で言ったが、小野田はそれを裏切らないように、口裏を合せることを忘れなかった。
「いや私の家も、そう大した財産もありませんよ。しかしそう長く苦しむ必要もなかろうと思います。夫婦で信用さえ得れば、そのうちにはどうにかなるつもりでいますので」
 母親の安心と歓心を買うように、小野田は言った。
 お島はその傍に、長くじっとしていられなかった。自分を信用させようと骨を折っている、男の狡黠い態度も蔑視まれたが、この男ばかりを信じているらしい、母親の水臭い心持も腹立しかった。
 嫂は、この四五年の良人の放蕩で、所有の土地もそっちこっち抵当に入っていることなどを、蔭でお島に話して聴せた。
「御父さんが、あすこの地面を私にくれるなんて言っていましたっけがね、あれはどうする気でしょうね」
 お島は嫂の口占を引いてでも見るように、そう言ってみた。
「へえ、そんな事があるんですか。私はちっとも知りませんよ」
「男だけには、それぞれ所有を決めてあるという話ですけれどね」
 お島はこの場合それだけのものがあれば、一廉の店が持てることを考えると、いつにない慾心の動くのを感じずにはいられなかったが、家を出て山へ行ってから、父親の心が、年々自分に疎くなっていることは争われなかった。
「行きましょうよ」
 お島はまだ母親の傍にいる男を急たてて、やっと外へ出た。
九十
 狭い三畳での、窮屈で不自由な夫婦生活からと、男か女かの孰れかにあるらしい或生理的の異常から来る男の不満とが、時とするとお島には堪えがたい圧迫を感ぜしめた。
「へえ、そんなもんですかね」
 若い亭主を持っている印判屋の上さんから、男女間の性慾について、時々聞かされることのあるお島は、それを不思議なことのように疑い異まずにはいられなかった。
「じゃ、私が不具なんでしょうかね」
 お島はどうかすると、男の或不自然な思いつきの要求を満すための、自分の肉体の苦痛を想い出しながら、上さんに訊いた。
「でもこれまで私は一度も、そんな事はなかったんですからね」
 お島はどんな事でも打明けるほどに親しくなった上さんにも、これまでに外に良人を持った経験のあることを話すのに、この上ない羞恥を感じた。
「真実は、私はあの人が初めじゃないんですよ」
「それじゃ旦那が悪いんでしょうよ」
「でも、あ���人はまた私が不可いんだと言うんですの。だから私もそうとばかり思っていたんですけれど......真実に気毒だと思っていたんです」
「そんな莫迦なことってあるもんじゃ有りませんよ、お医者に診ておもらいなさい」
 上さんは、真実それが満らない、気毒な引込思案であるかのように、色々の人々の場合などを話して勧めた。
「まさか......極がわりいじゃありませんか」
 お島は耳朶まで紅くなった。若い男などを有っている猥な年取った女のずうずうしさを、蔑視まずにはいられなかったが、やっぱりその事が気にかかった。人並でない自分等夫婦の、一生の不幸ででもあるように思えたりした。
 朝になっても、体中が脹れふさがっているような痛みを感じて、お島はうんうん唸りながら、寝床を離れずにいるような事が多かった。そして朝方までいらいらしい神経の興奮しきっている男を、心から憎く浅猿しく思った。
「こんな事をしちゃいられない」
 お島は註文を聞きに廻るべき顧客先のあることに気づくと、寝床を跳おきて、身じまいに取かかろうとしたが、男は悪闘に疲れたものか何ぞのように、裁板の前に薄ぼんやりした顔をして、夢幻のような目を目眩しい日光に瞑っていた。
「それじゃ私が旦那に一人、好いのをお世話しましょうか」
 上さんは、笑談らしく妾の周旋を頼んだりする小野田に言うのであったが、お島はやっぱりそれを聞流してはいられなかった。
「そうすればお上さんもお勤めがなくて楽でしょう」
「莫迦なことを言って下さるなよ。妾なんかおく身上じゃありませんよ」
 お島は腹立しそうに言った。
九十一
 五六箇月の間に、そこの仮店で夫婦が稼ぎ得た収入が二千円近くもあったところから、狭苦しい三畳にもいられなかった二人が、根津の方へ店を張ることになってからも、外の活動に一層の興味を感じて来たお島は、時々その事について、親しい友達に秘密な自分の疑いを質しなどしたが、それをどうすることもできずに、忙しいその日その日を紛らされていた。
 生理的の不権衡から来るらしい圧迫と、失望とを感ずるごとに、お島は鶴さんや浜屋のことが、心に蘇えって来るのを感じた。
「成功したら、一度山へ行ってあの人にも逢ってみたい」
 そんな秘密の願が、気忙しい顧客まわりに歩いている時の彼女の心に、どうかすると、或異常な歓楽でも期待され得るように思い浮かんだりした。一つは、妾になら為ておこうといったことのある、その男への復讐心から来る興味もあったが、現在の自分等夫婦には、欠けているらしい或要求と歓楽とに憧るる心とが、それを彼女に想像させるのであった。
 一旦田舎へ引込んで、そこで思わしいことがなくて、この頃また東京へ来て、日本橋の方の或洋酒問屋にいるとか聞いた鶴さんのことをも、時々彼女は考えた。植源のおゆうが、鶴さんの迹を追って、家を出たりなどして、あの古い植木屋の家にも、紛紜の絶えなかった一頃の事情は、お島もこの頃姉の口などから洩聞いたが、その鶴さんにも、いつか何処かで逢う機会があるような気がしていた。
 それに鶴さんや浜屋と、はっきりその人は定っていないまでも、どこかに自分が真実に逢うことのできるような男が、小野田以外の周囲に、一人はあるような気がしないでもなかった。成功と活動とのみに飢え渇えているような荒いそして硬い彼女の心にも、そんな憧憬と不満とが、沁出さずにはいなかった。
 お島はそれからそれへと、※縁[33]を求めて知合いになった、自分と同じような或他の職業に働いている活動の女、独立の女、人妻になっている女などから聞される恋愛談などから、自分もやっぱり同じ女であることの暗示を得るような、秘密な渇望と幻想とに、思い浸ることがあったが、動もすると自分の目覚しい活動そのものすら、それらのぼんやりした影のような目的を追い求めているためですらないように思われたりした。
「お前さんは真実に好かんよ」
 肉体の苦痛を堪え忍ばされたあとでは、そうした男に対する反撥心が、彼女の体中に湧かえって来た。
 根津へ引越して来てからも、小野田に妾を周旋するということを言出してから、急に嫌いになった印判屋の上さんのところへ、お島はその時の自分の感情は、すっかり忘れてしまったもののように、ふと自分の苦痛を訴えに行くことすらあった。
「ほんとうに、あの人に妾を周旋してやって下さい。そうでもしなければ、私はとても自由な働きができません」
 お島はそう言って、熱心に頼んだ。
「笑談でしょう。そんな事をしたら、それこそ大変でしょう」
 上さんはお島の言うことが、総て虚構であるとしか思えなかった。
九十二
 そこへ引越して行ったのは、その頃開かれてあった博覧会の賑いで、土地が大した盛場になっていた為であった。
 その家は、不断は眠っているような静かな根津の通りであったが、今は毎日会場からの楽隊の響が聞えたり、地方から来る色々な団体見物の宿泊所が出来たりして、近い会場の浮立った動揺が、ここへも遽しい賑かしさを漂わしていた。
 陽気がややぽかついて来たところで、小野田が出した懇ろな手紙に誘われて、田舎で毎日野良仕事に憊れている彼の父親が、見物にやって来たり、お島から書送った同じ誘引状に接して、彼女が山で懇意になった人々が、どやどや入込んで来たりした。世のなかが景気づいて来たにつれて、お島たちは自分たちの浮揚るのは、何の造作もなさそうに思えていた。
 この店を張るについての、二人の苦しい遣繰を少しも知らない父親は、来るとすぐ倅夫婦につれられて、会場を見せられて感激したが、これまで何一つ面白いものを見たこともない哀れな老人を、そうした盛り場に連出して悦ばせることが、お島に取っては、自分の感激に媚びるような満足であった。
 上野は青葉が日に日に濃い色を見せて来ていた。蟻のように四方から集ってくる群衆のうえに、梅雨らしい蒸暑い日が照りわたり、雨雲が陰鬱な影を投げるような日が、毎日毎日続いた。
 お島は新調の夏のコオトなどを着て、パナマを冠った小野田と一緒に、浮いたような気持で、毎日のように父親をつれて歩いたが、親に甘過ぎる男の無反省な態度が、時々彼女の犠牲的な心持を、裏切らないではいなかった。無知な老人の彳んで見るところでは、莫迦孝行な小野田は、女にのろい男か何ぞのように、いつまでも気長に傍についていて、離れなかった。驚きの目を※[34]って、父親の立寄って行くところへは、どんな満らないものでも、小野田も嬉しそうに従いて行って見せたり、説明したりした。
「それどころじゃないんですよ。私たちはそう毎日々々親の機嫌を取っているほど、気楽な身分じゃないんですからね」
 晩方になると、きっとお仕着せを飲ませることに決っている父親への、酒の支度を疎かにしたといって、小野田がその時も大病人のように二階に寝ていたお島に小言をいった。彼女は筋張った顳※[35]のところを押えながら、小野田���遣返した。
 お島はいつもそれが起ると、生死の境にでもあるような苦しみをする月経時の懈さと痛さとに悶えていた。
「それに私はこの体です。とてもお父さんの面倒はみられませんよ」
九十三
「そんな事を言ってもいいのか」
 そう言って極つけそうな目をして、小野田は疳癪が募って来るとき、いつもするように口髭の毛根を引張っていたが、調子づいて父親を待※[36]していた彼女に寝込まれたことが、自分にも物足りなかった。
 お島は煩そうに顔を顰めていたが、小野田が悄々降りていったあとでも、取つき身上の苦しさと、自分の心持については、何も知ってくれないような父親の挙動が腹立しかった。自分にどんな腕と気前とがあるかを見せようとでもするように、紛らされていた利己的な思念が、心の底からむくれ出して来るように感じて、我儘な涙が湧立って来た。
 お島がじっと寝てもいられないような気がして、下へ降りて行ったとき、父親はもう酒をはじめていた。小野田も興がなさそうに傍に坐っていた。
「どうもすみません」
 お島は何もない餉台の前に坐っている父親の傍へ来て、やっぱり顔を顰めていた。
「私はこの病気が起ると、もうどうすることも出来ないんです。それに家も、これから夏は閑ですから、お待※[37]しをしようと思っても、そうそうは為きれないんです」
「そうともそうとも、それどこじゃない。私は一時のお客に来たものでないから」
 父親はいつまでも倅夫婦の傍で暮そうとしている自分の心持を、その時も口から洩したが、お島が積って燗ける酒に満足していられないような、強い渇望がその本来の飲慾を煽って来ると、父親はふらふらと外へ出て、この頃昵みになった近所の居酒屋へ入っていくのが、習慣になった。そして家でおとなしく飲んでいられないような野性的な彼の卑しい飲み癖が、一層お島を顰蹙させた。
九十四
 山で知合になった人達が、四五人誘いあわせて出て来てから、父親は一層お島たちのために邪魔もの扱いにされた。
 連中のうちには、その頃呼吸器の疾患のため、遊覧旁博士連の診察を受けに来た浜屋の主人もあった。山の温泉宿や、精米所の主人もいた。精米所の主人は、月に一度くらいは急度蠣殻町の方へ出て来るのであったが、その時は上さんと子供をつれて来ていた。
 その通知の葉書を受取ったお島は、大きな菓子折などを小僧に持たせて、紋附の夏羽織を着込んで、丸髷姿で挨拶のために、ある晩方その宿屋を訪ねたが、込合っていたので、連中はこの部屋にかたまって、ちょうど晩酌の膳に向いながら、陽気に高談をしていた。
「えらい仕揚げたそうだね。そのせいか女振もあがったじゃねえか。好い奥様になったということ」
 精米所の主人は、浴衣がけで一座の真中に坐っていながら言った。
「御笑談でしょう」
 お島は初らしく顔の赤くなるのを覚えた。
「お蔭でどうか恁かね。でもまだまだ成功というところへは参りません。何しろ資本のいる仕事ですからね。どうか少しお貸しなすって下さいまし。あなた方はみんな好い旦那方じゃありませんか」
 お島はそう言って、自分の来たために一層浮立ったような連中を笑わせた。
 夜景を見に出るという人達の先に立って、お島も混雑しているその宿を出たが、別れるときに家の方角を能く教えておいて、広小路まで連中を送った。
「病気って、どこが悪いんです」
 お島はまさかの時には、多少の資本くらいは引出せそうに思えていた浜屋に、二人並んであるいている時訊ねた。浜屋がその後、ちょくちょく手を出していた山林の売買がいくらか当って、融通が利くと云う噂などを、お島はその土地の仲間から聞伝えている兄に聞いて知っていた。
「どこが悪いというでもないが、肺がちっと弱いから用心しろと言われたから、東京で二三専門の博士を詮議したが、事によったら当分逗留して、遊び旁注射でもしてみようかと思う」
「それじゃ奥さんのが移ったのでしょう。私は一緒にならないで可かったね」
 お島は可怕そうに言ったが、やっぱりこの男を肺病患者扱いにする気には成得なかった。
「あんたが肺病になれば、私が看病しますよ。肺病なんか可怕くて、どうするもんですか」
「今じゃそうも行かない。これでも山じゃ死うとしたことさえあったっけがね」
「おお厭だ」お島は思出してもぞっとするような声を出した。「そんな古いことは言っこなし。あなたは余程人が悪くなったよ」
九十五
 一日の雑沓と暑熱に疲れきったような池の畔では、建聯った売店がどこ��彼処も店を仕舞いかけているところであったが、それでもまだ人足は絶えなかった。水に臨んだ飲食店では、人が蓄音器に集っていたり、係のものらしい男が、粗野な調子で女達を相手に酒を飲んでいたりした。暗闇の世界に、秘密の歓楽を捜しあるいているような、猥らな女と男の姿や笑声が聞えたりした。
 お島はその間を、ふらふらと寂しい夢でも見ているような心持で歩いていた。会場のイルミネーションはすっかり消えてしまって、無気味な広告塔から、蒼い火が暗に流れていたりした。
 浜屋の主人が肺病になったと云うことが、ふと彼女の心に暗い影を投げているのに気がついた。自分の世界が急に寂しくなったようにも感じた。しかし離れているときに考えていたほど、自分がまだあの男のことを考えているとは思えなかった。今のあの男とは全く懸はなれたその頃の山の思出が、微かに懐しく思出せるだけであった。あの時分の若い痴呆な恋が、いつの間にか、水に溶されて行く紅の色か何ぞのように薄く入染んでいるきりであった。
 自分の若い職人が一人、順吉というお島の可愛がって目をかけている小僧と一緒に、熱い仕事場の瓦斯の傍を離れて、涼しい夜風を吸いに出ているのに、ふと観月橋の袂のところで出会した。
「どうしたえ、田舎のお爺さんは」お島は順吉に訊ねた。
 二人はにやにや笑っていた。
「今夜も酔っぱらっているんだろう」
「ええ何だかやっぱり外で飲んで来たようでしたよ」
 お島はこの順吉から、父親が自分の嫁振を蔭で非して、不平を言っていることなどを、ちょいちょい耳にしていたが、それはその時で、聴流しているのであった。
「私のこったもの、どうせ好くは言われないさ。あの田舎ものにこの上さんの気前なんかわかるものかね」
 お島はそう云って笑っていたが、新しく入って来たものから、世間普通の嫁と一つに見られているのが、侮辱のように感ぜられて腹立しかった。
「お上さん今夜は好いことがあるんだから、何かおごろうか」お島は二人に言った。
「おごって下さい」
「じゃ、みんなおいでおいで」
 お島は先に立って、何か食べさせるような家を捜してあるいた。
「......上さんを離縁しろなんて言っていましたよ」
 風の吹通しな水辺の一品料理屋でアイスクリームや水菓子を食べながら、順吉は話した。
「へえ、そんなことを言っていたかい」お島はそれでも極りわるそうに紅くなった。
「へん、お気の毒さまだが、舅に暇を出されるような、そんな意気地なしのお上さんと上さんが異うんだ」
九十六
 お島が毎日のように呼出されて、市内の芝居や寄席、鎌倉や江の島までも見物して一緒に浮々しい日を送っていた山の連中は、田舎へ帰るまでに、一度お島達夫婦のところへも遊びにやって来たが、それらの人々が宿を引揚げて行ってからも、浜屋の主人だけは、お島の世話で部屋借をしていた家から、一月の余も病院へ通っていた。
 田舎では大した金持ででもあるように、お島が小野田に吹聴しておいた山の客が、どやどややって来たとき——浜屋だけは加わっていなかったが——お島は水菓子にビールなどをぬいて、暑い二階で彼等を待※[38]したが、小野田も彼等から、商売の資本でも引出し得るかのように言っているお島の言を信じて、そこへ出て叮嚀な取扱い方をしていた。
 お島はその一人からは夏のインバネス、他の一人からは冬の鳶と云う風に、孰も上等品の註文を取ることに抜目がなかったが、いつでも見本を持って行きさえすれば、山の町でも好い顧客を沢山世話するような話をも、精米所の主人が為ていた。
「私がこの旦那方に、どのくらいお世話になったか知れないんです」
 お島はそう言って小野田にも話したが、そこにお島の身のうえについて、何か色っぽい挿話がありそうに、感の鈍い小野田にも想像されるほど、彼等はお島と狎々しい口の利き方をしていた。
 肉づいた手に、指環などを光せている精米所の主人のことを、小野田は山にいた時のお島の旦那か何ぞであったように猜って、彼等が帰ったあとで、それをお島の前に言出した。
「ばかなことをお言いでないよ」
 お島は散かったそこらを取片着けながら、紅い顔をして言った。たっぷりした癖のない髪を、この頃一番自分に似合う丸髷に結って、山の客が来てからは、彼女は一層化粧を好くしていた。指環なども、顔の広い彼女は、何処かの宝玉屋から取って来て、見なれない品を不断にはめていた。それが小野田の目に、お島を美しく妬ましく見せていた。
「その証拠には、お前は私のおやじがこの席へ顔を出すのを、大変厭がったじゃないか」
 私が出て挨拶をするといって、聴かなかった父親に顔を顰めて、奥へ引込めておくようにしたお島の仕打を、小野田は気にかけて言出した。
「だって可恥しいじゃないか。お前さんの前だけれど、あの御父さんに出られて堪るもんですか。お前さんの顔にだってかかります」
「昔しの旦那だと思って、余り見えをするなよ」
「人聞きのわるいことを言って下さるなよ」お島は押被せるように笑った。「あの人達に笑われますね。それが嘘なら聴いてみるがいい」
「そうでもなくて、あんな者が来たってそんなに大騒ぎをする奴があるかい」
「煩いよ」お島は終に呶鳴出した。
九十七
 暑い東京にも居堪らなくなって、浜屋がその宿を引払って山へ帰るまでに、お島は幾度となくそこへ訪ねて行ったが、彼女はそれを小野田へ全く秘密にはしておけなかった。ちょっと手許の苦しい時なぞに、お島は浜屋から時借をして来た金を、小野田の前へ出して、その男がどんな場合にも、自分の言うことを聴いてくれるような関係にあることを、微見かさずにはいられなかった。
 浜屋はその通っている病院で、もう十本ばかり、やってもらった注射にも飽きて、また出るにしても、盆前にはどうしても一度は帰らなければなら��家の用事を控えている体であったが、お島たち夫婦の内幕が、初め聴いたほど巧く行っていないことが、幾度も逢っているうちに、自然に彼女の口から洩聞されるので、その事も気にかかっているらしかったが、やっぱり自分の手でそれをどうしようと云う気にもなれないらしかった。
「そんな事を言わずにまあ辛抱するさ」
 お島はその時の調子で、どうかすると心にもない自分の身の上談がはずんで、男に凭れかかるような姿態を見せたが、聴くだけはそれでも熱心に聴いている浜屋が、何時でもそういった風の応答ばかりして笑っているのが物足りなかった。
「あの時分とは、まるで人が変ったね」お島は男の顔を眺めながら言った。
「変ったのは私ばかりじゃないよ」お島は男がそう云って、自分の丸髷姿をでも見返しているような羞恥を感じて来た。
「月日がたつと誰でもこんなもんでしょうか」
 お島は二階の六畳で疲れた体を膝掛のうえに横えている男の傍に坐って、他人行儀のような口を利いていたが、興奮の去ったあとの彼女は、長く男の傍にもいられなかった。
 部屋には薄明い電気がついていた。お島はどうしても直り合うことの出来なくなったような、その時の厭な心持を想出しながら、涼気の立って来た忙しい夕暮の町を帰って来たが、気重いような心持がして、店へ入って行くのが憚られた。
「己も一度その人に逢っておこう」
 小野田はお島から金を受取ると、そう云って感謝の意を表した。
「可けない可けない」お島はそれを拒んで、「あの人は莫迦に内気な人なんです。田舎にもあんな人があるかと思うくらい、温順しいんですから、人に逢うのを、大変に厭がるんです」
 小野田はそれを気にもかけなかったが、やっぱりその男のことを聴きたがった。
「それは東京にも滅多にないような好い男よ」お島は笑いながら応えたが、自分にも顔の赧くなるのを禁じ得なかった。
九十八
 避暑客などの雑沓している上野の停車場で、お島が浜屋に別れたのは、盆少し前の或日の午後であったが、そんな人達が全く引揚げて行ってから、お島たちはまた自分の家のばたばたになっていることに気がついた。
 浜屋はお島に買せた色々の東京土産などを提げこんで、パナマを前のめりに冠り、お島が買ってくれた草履をはいて、軽い打扮で汽車に乗ったのであったが、お島も絽縮緬の羽織などを着込んで、結立ての丸髷頭で来ていた。
 足音の騒々しい構内を、二人は控室を出たり入ったりして、発車時間を待っていたが、このステーションの気分に浸っていると、自然に以前の自分の山の生活が想出せて来て、涙含ましいような気持になるのであった。
「どうでしょう。西洋人は活溌でいいね」
 日光へでも行くらしい、男女の外国人の綺麗な姿が、彼等の前を横って行ったとき、お島は男に別れる自分の寂しさを蹴散すように、そう云って、嘆美の声を放った。
「どうだね、一緒に行かないか」
 浜屋は瀬戸物のような美しい皮膚に、この頃はいくらか日焦がして、目の色も鋭くなっていたが、お島が暫くでも夫婦ものの旅行と見られるのが嬉しいような、目眩いような気持のするほど、それは様子が好かった。
 客車に乗ってからも、お島は窓の前に立って、元気よく話を交えていたが、そのうちに汽車がするする出て行った。
「そのうち景気が直ったら、一度温泉へでも来るさ」
 浜屋は窓から顔を出して、どうかすると睫毛をぬらしているお島に、そんな事を言っていた。
 お島はとぼとぼと構内を出て来たが、やっぱり後髪を引るるような未練が残っていた。
 盆が来ると、お島は顧客先への配りものやら、方々への支払やらで気忙しいその日その日を送っていた。そして着いてから葉書をよこした浜屋のことも忘れがちでいたが、自分たちの不幸な夫婦であったことが、一層判って来たような気がした。お島は時々その事に思い耽っているのであったが、それを小野田に感づかれるのが、不安であった。お島は可恥しい自分の秘密な経験を押隠すことを怠らなかった。
 暑い盛に博覧会が閉されてから、お島たちの居周の町々には、急に潮がひいたように寂しさが襲って来たと同時に、二人の店にもこれまで紛らされていたような、頽廃の色が、まざまざと目に見えて来た。
 多くの建物の、日に日に壊されて行く上野を、店を支えるための金策の奔走などで、毎日のようにお島は通った。やがてまた持切れそうもない今の家を一思いに放擲して了いたいような気分になっていた。
「ここは縁起がわるいから、私たちはまたどこかで新規蒔直しです」
 ここへ引移って来てから、貸越の大分たまって来ている羅紗の仲買などに、お島は投出したような棄鉢な調子で言っていた。
九十九
 本郷の通りの方で、第四番目にお島たちが取着いて行った家を、すっかり手を入れて、洋風の可也な店つきにすると同時に、棚に羅紗などを積むことができたのは、それから二三年もたって、店の名が相応に人に知られてからであったが、最初二人がそこへ引移っていった時には、店へ飾るものといっては何一つなかった。
 愛宕時代に傭ったのとは、また別の方面から、お島が大工などを頼んで来たとき、二人の懐ろには、店を板敷にしたり、棚を張ったりするために必要な板一枚買うだけの金すらなかったのであったが、新しいものを築き創めるのに多分の興味と刺戟とを感ずる彼女は、際どいところで、思いもかけない生活の弾力性を喚起されたりした。
「面倒ですから、材料も私の方から運びましょうか」
 父親の縁故から知っている或叩き大工のあることを想出して、そこへ駈つけていった彼女は、仕事を拡張する意味で普請を嘱んだところで、彼は呑込顔にそう言って引受けた。
「そうしてもらいましょうよ。私達は材料を詮議している隙なんかないんだから」
 材木がやがて彼等の手によって、車で運びこまれた。
「どうです、訳あないじゃありませんか」
 大工が仕事を初めたところで、釘���すら買うべき小銭に事かいていたお島は、また近所の金物屋から、それを取寄せる智慧を欠かなかった。
「これから普請の出来あがるまで、何かまたちょいちょい貰いに来るのに、一々お金を出すのも面倒ですから、お帳面にしておいて下さいよ。少しばかりお手つけをおいてきましょう」
 お島は夜を待つまもなく、小僧の順吉に脊負いださせた蒲団に替えた、少ばかりの金のうちから、いくらか取出してそれを渡した。その蒲団は、彼女が鶴さん時代から持古している銘仙ものの代物であった。
「乗るか反るか、お上さんはここで最後の運を試すんだよ」
 萌黄の風呂敷に裹んだその蒲団を脊負いださせるとき、お島は気嵩な調子で、その時までついて来た順吉を励した。
「お前もその意でやっておくれ。この恩はお上さん一生忘れないよ」
 涙含んだような顔をして、それを脊負って行く順吉のいじらしい後姿を見送っているお島の目には、涙が入染んで来た。
「どうでしょう。職人は小い時分から手なずけなくちゃ駄目だね。順吉だけは、どうか渡職人の風に染ましたくないもんだ。それだけでも私たちは茫然しちゃいられない」
 お島は大工の仕事を見ている、小野田の傍へ来て呟いた。
 表では大工が、二人ばかりの下を使って、せっせっと木拵えに働いていた。
 あらかた出来あがったところで、大工の手を離れた店の飾窓や、入口の戸に張るべき硝子を、お島が小野田に言われて、根津に家を持ったときから顔を知られている或硝子屋へ懸けあいに行ったのは、それから間もなくであった。
 お島はその日も、新しい店を持った吹聴かたがた、朝から顧客まわりをして、三時頃にやっと帰って来たが、夏場はどこでも註文がなくて、代りに一つ二つの直しものを受取ったきりであった。
 外は黄熟した八月の暑熱が、じりじり大地に滲透るようであった。蝉の声などのまだ木蔭に涼しく聞かれる頃に、家を出ていった彼女は、行く先々で、取るべき金の当がはずれたり、主が旅行中であったりした。古くからの昵みの家では、彼女は病気をしている子供のために、氷を取替えたり、団扇で煽いだりして、三時間も人々に代って看護をしていたりして、目がくらくらするほど空腹を感じて来た頃に、家へ帰って来たのであった。
 家では大工がみんな昼寝をしていた。小野田もミシン台をすえた奥の六畳の涼しい窓の下で、横わっていた。
 お島はそこらをがたぴし言わせて、着替などをしていた。根津の家を引払う前に、田舎へ還してしまった父親の毎日々々飲みつづけた酒代の、したたか滞っている酒屋の註文聞の一人に、途中で出逢って、自分の方からその男に声をかけて来なければならなかったことなどが、一層彼女の頭脳をむしゃくしゃさせていた。小野田がその父親を呼寄せさえしなければ、あの家もどうか恁か持続けて行けたように考えられた。あの飲んだくれのために、どのくらい自分の頭脳が掻廻され、働きが鈍らされたか知れないと思った。
「撲のめしても飽足りない奴だ」
 お島は、酔ったまぎれに自分を離縁しろといって、小野田を手甲擦らせていたと云う父親の言分から、内輪が大揉めにもめて、到頭田舎へ帰って行くことになった父親に対する憎悪が、また胸に燃えたって来るのを覚えた。小野田の寝顔までが腹立しく見返えられた。
「せっせと仕事をして下さいよ。莫迦みたいな顔して寝ていちゃ困りますよ」
 小野田が薄目をあいて、ちろりと彼女の顔を見たとき、お島はいらいらした声で言った。
 お島は台所で飯を食べている時分に、やっと小野田はのそのそ起出して来た。
「仕事々々って、そうがみがみ言ったって仕事ができるもんじゃないよ」
 小野田は火鉢の傍へ来て、莨をふかしはじめながら、まだ眠足りないような赭い目をお島の方へ向けた。
「それよりか硝子の工面もしなければならず、店だって飾なしにおかれやしない」
「知らないよ、私は。自分でもちっと心配するがいいんだ」お島は言返した。
百一
 小野田はそこへ脱ぎっぱなしにしたお島の汗ばんだ襦袢や帯が目に入ったり、不断著を取出すために引掻まわした押入のどさくさした様子などを見ると、とても世帯は持てない女だといって、自分のために離縁を勧めた父親の辞が思い出された。
「技倆があるか何だか知らんが、まあ大変なもんだ。とても女とは思えんの」
 そうも言って、荒いお島の調子に驚いていた父親の善良そうな顔も思出された。
「朝から出て、あれは一日どこを何をして歩いてるだい」
 父親はそうも言って、不思議がったが、お島自身に言わせると、朝は誰かが台所働きをしてくれて、気���よく家を出なければ、とても調子よく外で働くことはできないというのであった。帰って来た時にも、自分を迎えてくれる衆の好い顔をでも見なければ埋らないと言うのであった。それで小野田は順吉と一緒に、どうかすると七輪に火をおこしたり、漬物桶へ手を入れたりすることを行っているのであったが、お島が一人で面白がってやっている顧客まわりも、集金の段になってくると、やっぱり小野田自身が出て行くより外ないようなことが多かった。
 夕方にお島は機嫌を直して、硝子屋の方へ出て行った。
「この店さえ出来あがれば、少し資本を拵えて、夏の末には己が新趣向の広告をまいて、有ゆる中学の制服を取ろうと思っている」
 小野田はそう言って、この頃から考えていた自分の平易で実行し易いような企劃をお島に話した。
「それには女唐服を着て、お前が諸学校へ入込んで行かなければならぬのだがね」
「駄目です駄目です。制服なんかやったって、どれだけ儲かるもんですか」
 そんな際物仕事が、自分の顔にでもかかるか何かのように考えているお島は、そう言って反抗したが、好い客を惹着けるような立派な場所と店と資本とをもたない自分達に取っては、そうでもして数でこなすより外ないことを小野田は主張した。
 学生相手の確なことはお島も知っていた。洋服姿で、若い学生だちの集りのなかへ入って行く自分の姿を想像するだけでも、彼女は不思議な興味を唆られた。
「そうすると、お前の顔は直きに学生仲間に広まってしまうよ」
 小野田はその妻や娘を売物にすることを能く知っている、思附のある興行師か何ぞのような自分の計劃で、成功と虚栄に渇いている彼女を使嗾する術を得たかのように、自信のある目を輝かしていた。
「ふむ」お島は自分がいつからかぼんやり望んでいたことを、小野田が探りあててくれたような興味を感じた。男が頼もしい悧巧もののように思えて来た。
「それは確にあたるね」お島はそういって賛成した。
百二
 横浜に店を出している知合いの女唐服屋で、お島が工面した金で自分の身装をすっかり拵えて来たのは、それから大分たってからであった。
 新築の家はすっかり出来あがって、硝子もはまった飾窓に、小野田が柳原から見つけて買って来た古い大礼服の金モオルなどが光っていた。
 一度姿見を買ったことのある硝子屋では、主人はその申込を最初は断ったが、お島のことを知っている息子が、自分で引受けて要るだけの硝子を入れてくれた。
「老爺はああいいますけれど、お上さんの気前を買って、私がお貸し申しましょう。だから入れられるだけ入れてみて下さい。倒されればそれまでです」
 そしてその翌朝、彼は小僧と一緒に硝子を運びこんで、それを飾窓や入口のドアなどに切はめてくれた。
「お前さんは若いにしては感心だよ。そう云う風に出られると、誰だって贔屓にしないじゃいられないからね。また好いお得意をどっさり世話してあげますよ」
 お島はそう言って、その硝子屋を還した。
 看板を書くために、ペンキ屋が来たり、小野田が自転車で飛して、方々当ってみてあるいた羅紗のサンプルが持込まれたり、スタイルの画見本の額が、店に飾られたりした。
 白い夏の女唐服に、水色のリボンの捲かれた深い麦稈帽子を冠って、お島が得意まわりをしはじめるようになったのは、それから大分たってからであった。
「どうです、似合いますか」などと、お島は姿見の前を離れて、その頃また来ることになった木村という職人や小野田の前に立った。コルセットで締つけられた、太い胴が息がつまるほど苦しかった。皮膚の汚点や何かを隠すために、こってり塗りたてた顔が、凄艶なような蒼味を帯びてみえた。
「莫迦に若くみえるね。少くとも布哇あたりから帰って来た手品師くらいには踏めますぜ」木村は笑った。
 お島はその身装で、親しくしているお顧客をまわって行った。その中には若い歯科医や弁護士などもあった。
「どこの西洋美人がやって来たかと思ったら、君か」
 途中で行逢った若い学生たちは、そういって不思議な彼女の姿に目を※[39]った。
「その身装で、ぜひ僕んとこへもやって来てくれたまえ」
 彼等の或者は、肉づきの柔かい彼女の手に握手をして、別れて行ったりした。
「洋服はばかに評判がいいんですよ」
 お島は日の暮に帰って来ると、急いで窮屈なコルセットをはずしてもらうのであったが、薄桃色肉のぽちゃぽちゃした体が、はじめて自分のものらしい気がした。
 小野田は色々の学校へ新に入学した学生たちの間に撒くべき、広告札の意匠などに一日腐心していた。
百三
 時間割表などの刷込まれた、二つ折小形のその広告札を、羅紗の袋に入れて、お島は朝早く新入生などの多く出入する学校の門の入口に立った。
「どうぞどっさりお持くださいまし。そして皆さん方へも、お拡めなすって下さいまし」お島はそう云って、それを彼等の手に渡した。
「私どもでは皆さんの御便宜を図って、羅紗屋と特約を結んで、精々勉強いたしますから、どうぞ御贔屓に......スタイルも極斬新でございます」彼女はそうも云って、面白そうに集ってくる若い人達の心を惹着けた。
「安いね」
「洋行がえりの洋服屋だとさ」
 学生たちは口々に私語きあった。
「おいおい、引札を撒くことは止めてもらおう。此方ではそれぞれ規定の洋服屋があるから」
 門番や小使たちは、学生の手から校庭へ撒棄てられる引札を煩がって、彼女を逐攘おうとした。
 お島は時とすると、札を二三枚ポケットから取出して、彼等の手に渡した。そして学校の事務員にまで取入ることを怠らなかった。
「品物を好くして、安く勉強すると云うなら、どこで拵えるのも同じだから、学生を勧誘するのも君の自由だがね」
 事務員はそう云って、彼女の出入に黙諾を与えてくれたりした。
 広い運動場に集っている生徒のなかへ、お島の洋服姿が現れて行った。
 時には一つの学校から、他の学校へ彼女は腕車を飛しなどして、せり込んで行く多くの同業者と劇しい競争を試みることに、深い興味を感じた。
 小野田や職人たちが、まだぐっすり眠っているうちに、お島は床を離れて、化粧をするために大きい姿見の前に立った。そして手ばしこくコルセットをはめたり、漸く着なれたペチコオトを着けたりした。洋服がすっかり体に喰っついて、ぽちゃぽちゃした肉を締つけられるようなのが、心持よかった。そして小いしなやかな足に、踵の高い靴をはくと、自然に軽く手足に弾力が出て来て、前へはずむようであった。ぞべらぞべらした日本服や、ぎごちない丸髷姿では、とても入って行けない場所へ、彼女の心は、何の羞恥も億劫さも感ずることなしに、自由に飛込んで行くことができた。
 朝おきると、懈い彼女の体が、直にそれらの軽快な服装を要求した。不思議なほど気持の引締ってくるのを覚えた。朝露にまだしっとりとしているような通りを、お島は一朝でも、洋服で出て行かない日があると、一日気分が悪かった。
 自転車で納めものを運んで行く小野田が、どうかすると途中で彼女の側へ寄って来た。
「惜い事には丈���足りないね」
 小野田は胴幅などの広い彼女の姿を眺めながら言った。
「どうせ労働服ですもの、様子なんぞに介意っていられるもんですか」
 二人は暫く歩きながら話した。
百四
 月が十月へ入ってから、撒いておいた広告の著しい効験で、冬の制服や頭巾つきの外套の註文などが、どしどし入って来た。その頃から工場には職人の数も殖えて来た。徒歩の目弛いのに気を腐していたお島は、小野田の勧めで、自転車に乗る練習をはじめていた。
 晩方になると、彼女は小野田と一緒に、そこから五六丁隔った原っぱの方へ、近所で月賦払いで買入れた女乗の自転車を引出して行った。一月の余も冠った冠物が暑い夏の日に焦け、リボンも砂埃に汚れていた。お島はその冠物の肩までかかった丸い脊を屈めて、夕暗のなかを、小野田についていて貰って、ハンドルを把ることを学んだ。
 近いうちに家が建つことになっているその原には、桐の木やアカシヤなどが、昼でも涼しい蔭を作っていた。夏草が菁々と生繁って、崖のうえには新しい家が立駢んでいた。
 そこらが全く夜の帷に蔽い裹まるる頃まで、草原を乗まわしている、彼女の白い姿が、往来の人たちの目を惹いた。
 木の蔭に乗物を立てかけておいて、お島は疲れた体を、草のうえに休めるために跪坐んだ。裳裾や靴足袋にはしとしと水分が湿って、草間から虫が啼いていた。
 お島はじっとり汗ばんだ体に風を入れながら、鬱陶しい冠ものを取って、軽い疲労と、健やかな血行の快い音に酔っていた。腿と臀部との肉に懈い痛みを覚えた。小野田は彼女の肉体に、生理的傷害の来ることを虞れて、時々それを気にしていたが、自転車で町を疾走するときの自分の姿に憧れているようなお島は、それを考える余裕すらなかった。
「少しくらい体を傷めたって、介意うもんですか。私たちは何か異ったことをしなければ、とても女で売出せやしませんよ」
 お島はそう言って、またハンドルに掴まった。
 朝はやく、彼女は独でそこへ乗出して行くほど、手があがって来た。そして濛靄の顔にかかるような木蔭を、そっちこっち乗りまわした。秋らしい風が裾に孕んで、草の実が淡青く白い地についた。崖のうえの垣根から、書生や女たちの、不思議そうに覗いている顔が見えたりした。土堤の小径から、子供たちの投げる小石が、草のなかに落ちたりした。
「おそろしい疲れるもんですね」
 一月ほどの練習をつんでから、初めて銀座の方へ材料の仕入に出かけて行って、帰って来たお島は、自転車を店頭へ引入れると、がっかりしたような顔をして、そこに立っていた。
「須田町から先は、自分ながら可怕くて為様がなかったの。だけど訳はない。二三度乗まわせば急度平気になれます」お島は自信ありそうに言った。[40]
百五
 忙しいその一冬を自転車に乗づめで、閑な二月が来たとき、お島は時々疑問にしていながら、診てもらうのを厭がっていた、自分の体をふとした機会から、病院で医者に診せた。
「......毛がすっかり擦切れてしまったところを見ると、余程毒なもんですね」
 お島はそう言って、そこを小野田に見せたりなどしていたが、それはそれで真の外面の傷害に過ぎないらしかった。
 その病院では、お島の親しい歯科医の細君が、腹部の切開で入院していた。そこへお島は時々見舞に行った。
 そんなところへも自分の商売を広告するつもりで、看護婦や下足番などへの心づけに、切放れの好いお島は、直に彼等とも友達になったが、一二度体を診てもらううちに、親しい口を利きあう若い医師が、二人も三人もできた。
 段々肥立って来た、売色あがりの細君の傍で、お島は持って行った花を花瓶に挿したり、薄くなった頭髪に櫛を入れて、束ねてやったりして、半日も話相手になっていた。
「どう云うんでしょう、私の体は......」
 お島は看護婦などのいる傍で、いつかも印判屋の上さんに訊ねたと同じことを言出した。
「夫婦の交際なんてものは、私にはただ苦しいばかりです。何の意味もありません」
「それは貴女がどうかしてるのよ」
 患者は日ましに血色のよくなって来た顔に、血の気のさしたような美しい笑顔を向けて、お島の顔を眺めた。
「でも可笑いんですの。こんなことを言うのは、自分の恥を曝すようなもんですけれど、実際あの人が変なんです」
 お島は紅い顔をして言った。
「ええ、そんな人も千人に一人はありますね」
 お島が診てもらった医者に、それを言出すほど気がおけなくなったとき、彼はそう言って笑っていた。
 位置が少し変っているといわれた自分の体を、お島はそれまでに、もう幾度も療治をしてもらいに通ったのであった。
「当分自転車をおやめなさい。圧迫するといけない」
 お島は苦しい療治にかかった最初の日から、そう言われて毎日和服で外出をしていた。
 長いお島の病院がよいの間、小野田が、多く外まわりに自転車で乗出した。
 顧客先で、小野田が知合になった生花の先生が出入りしたり、蓄音器を買込んだりするほど、その頃景気づいて来ていた店の経済が、暗いお島などの頭脳では、ちょと考えられないほど、貸や借の紛紜が複雑になっていたが、それはそれとして、身装などのめっきり華美になった彼女は、その日その日の明い気持で、生活の新しい幸福を予期しながら、病院の門を潜った。
百六
 小野田は時々外廻りに歩いて、あとは大抵店で裁をやっていたが、隙がありさえすれば蓄音器を弄っていた。楽遊や奈良丸の浪華節に聴惚れているかと思うと、いつかうとうと眠っているようなことが多かった。
 しげしげ足を運んでくる生花の先生は、小野田が段々好いお顧客へ出入りするようになったお島に習わせるつもりで、頼んだのであったが、一度も花活の前に坐ったことのない彼女の代りに、自身二階で時々無器用な手容をして、ずんどのなかへ花を挿しているのを、お島は見かけた。
 もと人の妾などをしていたと云う不幸なその女は、どうかすると二時間も三時間も遊んで帰ることがあった。上方に近い優しい口の利き方などをして、名古屋育ちの小野田とはうま[41]が合っていた。
「私だって偶には逆様にお花も活けてみとうございますよ」
 外から帰って、ふと二階の梯子をあがって行くお島の耳に、その日も午から来て話込んでいたその年増の媚めかしい笑い声が洩れ聞えた。嫉妬と挑発とが、彼女の心に発作的におこって来た。
 女が帰って行くとき、お島はいきなり帳場の方から顔を出して行った。
「お気毒さまですがね、宅はお花なんか習っている隙はないんですから、今日きり私からお断りいたします」
 お島は硬ばった神経を、強いておさえるようにして、そう言いながら謝礼金の包を前においた。
 もう三十七八ともみえる女は、その時も綺麗に小皺の寄った荒んだ顔に薄化粧などをして、古いお召の被布姿で来ていたが、お島の権幕に怯じおそれたように、悄々出ていった。
「この莫迦!」
 二階へ駈あがって往ったお島は、いきなり小野田に浴せかけた。毎日鬢や前髪を大きくふっくらと取った丸髷姿で出ていた彼女は、大きな紋のついた羽織もぬがずに、外眦をきりきりさせてそこに突立っていた。
「髯なんかはやして、あんなものにでれでれしているなんて、お前さんも余程な薄野呂だね」
 お島はそう言いながら、そこにあった花屑を取あげて、のそりとしている小野田の顔へ叩きつけた。吊あがったような充血した目に、涙がにじみ出ていた。
「何をする」
 小野田も怒りだして、そこにあった水差を取ってお島に投げつけた。彼女の御召の小袖から、水がだらだらと垂れた。
 負けぬ気になって、お島も床の間に活かったばかりの花を顛覆えして、へし折りへし折りして小野田に投りつけた。
 劇しい格闘が、直に二人のあいだに初まった。小野田が力づよい手を弛めたときには、彼女の鬢がばらばらに紊れていた。そうして二人は暫く甘い疲労に浸りながら、黙って壁の隅っこに向きあって坐っていた。
百七
 二人が階下へおりていったのは、もう電燈の来る時分であった。病院通いをするようになってから、可恐しいものに触れるような気がして、絶えて良人の側へ寄らなかった彼女は、その時も二人の肉体に同じような失望を感じながら、そこを離れたのであった。
「あなたは別に女をもって下さい」
 お島はそう言って、根津にいた頃近所の上さんに勧められて、小野田が時々逢ったことのある女をでも、小野田に取戻そうかとさえ考えていた。
「そうでもしなければ、とてもこの商売はやって行けない」お島はそうも考えた。
 産れが好いとかいわれていたその女は、ここへ引越してからも、一二度店頭へ訪ねて来たことがあったが、お島はそれの始末をつけるために、砲兵工廠の方へ通っている或男を見つけて、二人を夫婦にしてやったのであった。
 小野田がどうかすると、その女のことを思い出して、裏店住いをしている、戸崎町の方へ訪ねて行くことを、お島もうすうす感づいていた。
「あの女はどうしました」
 お島は思出したように、それを小野田に訊ねたが、その頃は食物屋などに奉公していた当座で、いくらか身綺麗にしていた女は、亭主持になってからすっかり身装などを崩しているのであった。
「いくら向うに未練があったって、あの頃とは違いますよ。亭主のあるものに手を出して、呶鳴込まれたらどうするんです」
 小野田がまだ全く忘れることのできないその女のことを口にすると、お島はそう言って窘めたが、別れてからも、小野田に執着を持っている女を不思議に思った。
「あいつの亭主は、そんな事を怒るような男じゃない、おれがあいつの世話をしていたことも、ちゃんと知っていて、今でもそういうことには無神経でいるんだ」
 小野田はそう言って笑っていた。
 二三日前から、また時々自転車で乗出すことにしていたお島が、ある晩九時頃に家へ帰って来ると、女から、呼出をかけられて、小野田は家にいなかった。
「どこへ行ったえ」
 お島は何のことにも能く気のつく順吉に、私とたずねた。
「白山から来たと云って、若い衆が手紙を持って、迎いに来ましたよ。私が取次いだんだから、間違いはありません」
 順吉はそう云って、まだ洋服もぬがずにいるお島の血相のかわった顔を眺めていた。
「じゃまた何処かで媾曳してるんだろうよ。上さん今夜こそは一つ突止めてやらなくちゃ......」
 お島は急いでコルセットなどを取はずすと、和服に着替えて、外へ飛出していった。時々小野田の飲みに行く家を彼女は思出さずにはいられなかった。
百八
 秘密な会合をお島に見出されたその女は、その時から頭脳に変調を来して、幾夜かのあいだお島たちの店頭へ立って、呶鳴ったり泣いたりした。
 女はお島に踏込まれたとき、真蒼になって裏の廊下へ飛出したのであったが、その時段梯子の上まで追っかけて来たお島の形相の凄さに、取殺されでもするような恐怖にわななきながら、一散に外へ駈出した。
「この義理しらずの畜生!」
 お島は部屋へ入って来ると、いきなり呶鳴りつけた。野獣のような彼女の体に抑えることが出来ない狂暴の血が焦けただれたように渦をまいていた。
 締切ったその二階の小室には、かっかと燃え照っている強い瓦斯の下に、酒の匂いなどが漂って、耳に伝わる甘い私語の声が、燃えつくような彼女の頭脳を、劇しく刺戟した。白い女のゴム櫛などが、彼女の血走った目に異常な衝動を与えた。
 手に傷などを負って、二人がそこを出たときには、春雨のような雨が、ぼつぼつ顔にかかって来た。
 まだ人通りのぼつぼつある、静かな春の宵に、女は店頭へ来て、飾窓の硝子に小石を撒きちらしたり、ヒステリックな蒼白い笑顔を、ふいにドアのなかへ現わしたりした。
「お上さんはいるの」
 女は臆病らしく奥口を覗いたりした。
「旦那をちょっと此処へ呼んで下さいな」
 女はそう言って、しつこく小僧に頼んだ。
 小僧は面白そうに、にやにや笑っていた。
「旦那は今いないんだがね、お前さんも亭主があるんだから、早く帰って休んだら可いだろう」
 お島は側へ来て、やさしく声かけた。そして幾許かの金を、小い彼女の掌に載せてやった。
 女はにやにやと笑って、金を眺めていたが、投げつけるようにしてそれを押戻した。
「わたしお金なんか貰いに来たのじゃなくてよ。私を旦那に逢わしてください」
 女はそこを逐攘われると、外へ出ていつまでもぶつぶつ言っていた。そして男の帰って来るのを待っているか何ぞのように其処らをうろうろしていた。
「そっちに言分があれば、此方にだって言分がありますよ」
 亭主から頼まれたと云って、四十左右の遊人風の男が、押込んで来たとき、お島はそう言って応対した。そして話が込入って来たときに、彼女の口から洩れた、伯父の名が、その男を全くその談から手を引かしめてしまった。顔利であった伯父の名が、世話になったことのあるその男を反対に彼女の味方に��て了うことができた。
百九
 親思いの小野田が、田舎ではまだ物珍しがられる蓄音器などをさげて、根津の店が失敗したおりに逐返したきりになっている、父親を悦ばせに行った頃には、彼が留守になっても差閊えぬだけの、裁の上手な若い男などが来ていた。
 知った職人が、この頃小野田の裁を飽足らず思っているお島に、その男を周旋したのは、間服の註文などの盛んに出た四月の頃であったが、その職人は、来た時からお島の気に入っていた。
 自分でも店を有ったりした経験のある、その職人は、最近に一緒にいた女と別れてそれまで持っていた世帯を畳んで、また職人の群へ陥ちて来たのであったが、悪いものには滅多に剪刀を下そうとしない、彼の手に裁たれ、縫わるる服は、得意先でも評判がよかった。おっつけ仕事を間に合すことのできないその器用な遅い仕事振を、お島は時々傍から見ていた。体つきのすんなりしたその様子や、世間に明いその男は、お島たちの見も聞きもしたことのないような世界を知っていたが、親しくなるにつれて小野田と酒などを飲んでいるときに、ちょいちょい口にする自分自身の情話などが、一層彼女の心を惹いた。
「こんな仕事を私にさせちゃ損ですよ」
 彼はそう云って、どんな忙しい時でも下等な仕事には手をつけることを肯じなかった。
「それじゃお前さんは貧乏する訳さね」
 お島も躯の弱いその男を、そんな仕事に不断に働かせるのを、痛々しく思った。
「それにお前さんは人品がいいから、身が持てないんだよ」
 お島は話ぶりなどに愛嬌のあるその男の傍にすわっていると、自然に顔を赧くしたりした。黒子のような、青い小い入墨が、それを入れたとき握合った女とのなかについて、お島に異様な憧憬をそそった。
「いくつの時分さ」
 お島はその手の入墨を発見したとき、耳の附根まで紅くして、猥な目を※[42]った。男はえへらえへらと、締のない口元に笑った。
「あっしが十六ぐらいのときでしたろう」
「その女はどうしたの」
「どうしたか。多分大阪あたりにいるでしょう。そんな古い口は、もう疾のむかしに忘れっちゃったんで......」
 暮に彼の手によって、濁ったところへ沈められた若い女のことが、まだ頭脳に残っていた。
「そんな薄情な男は、私は嫌いさ」
 お島はそう言って笑ったが、男がその時々に、さばさばしたような気持で、棄てて来た多くの女などに関する閲歴が、彼女の心を蕩かすような不思議な力をもっていた。
 蓄音器に、レコードを取かえながら、薄ら眠い目をしている小野田の傍をはなれて、お島はその男と、そんな話に耽った。
百十
 小野田が田舎へ立ってから間もなく、急に浜屋に逢う必要を感じて来たお島が、その男に後を頼んで、上野から山へ旅立ったのは、初夏のある日の朝であった。
 病院で躯の療治をしてからのお島は、先天的に欠陥のない自分の肉体に確信が出来たと同時に、今まで小野田から受けていた圧迫の償いをどこかに求めたい願いが、彼女の頭脳に色々の好奇な期待と慾望とを湧かさしめた。いつからか朧げに抱いていた生理的精神的不満が、若いその職人のエロチックな話などから、一層誘発されずにはいなかった。
 そしてそれを考えるときに、彼女はその対象として、浜屋を心に描いた。
「あの人に一度逢って来よう。そして自分の疑いを質そう」
 お島はそれを思いたつと、一日も早くその男の傍へ行って見たかった。
 一つはそれを避けるために田舎へ帰った小野田がいなくなってからも、まだ時々店頭へ来て暴れたり呶鳴ったりする狂女が、巣鴨の病院へ送込まれてから、お島はやっと思出の多いその山へ旅立つことができた。
 全く色情狂に陥ったその女は、小野田が姿を見せなくなってからは、一層心が狂っていた。そして近所の普請場から鉋屑や木屑をを拾い集めて来て、お島の家の裏手から火をかけようとさえするところを、見つけられたりした。
 近所の人だちの願出によって、警察へ引張られた彼女が、梁から逆さにつられて、目口へ水を浴せられたりするところを、お島も一度は傍で見せつけられた。
「水をかけられても、目をつぶらないところを見ると、これは確に狂気です」
 責道具などの懸けられてあるその室で、お島は係の警官から、笑いながらそんな事を言われた。
「私は二三日で帰って来ますからね、留守をお頼み申しますよ」
 お島は立つ前の晩にも、その職人に好きな酒を飲ませたり、小遣をくれたりして頼んだ。
「多分それまでに帰ってくるようなことはないだろうと思うけれど、偶然として良人が帰って来たら、巧い工合に話しておいて下さいよ。前に縁づいていた人のお墓参りに行ったとそう言ってね」
 お島は顔を赧らめながら言った。
「可ござんすとも。ゆっくり行っておいでなさいまし」
 その男はそう言って潔く引受けたが、胡散な目をして笑っていた。
「真実にわたし恁ういう人があるんです」
 お島は終いにそれを言出さずにはいられなかった。
「けどこれだけはあの人には秘密ですよ」
百十一
 博覧会時分に上京して来た、山の人たちに威張って逢えるだけの身のまわりを拵えて、お島があわただしい思いで上野から出発したのは、六月の初めであった。
 四五年前に、兄に唆かされて行った頃の暗い悲しい心持などは、今度の旅行には見られなかったが、秘密な歓楽の果をでも偸みに行くような不安が、汽車に乗ってからも、時々彼女の頭脳を曇らした。
 汽車の通って行く平野のどこを眺めても、昔しの記憶は浮ばなかった。大宮だとか高崎だとかいうような、大きなステーションへ入るごとに、彼女は窓から首を出して、四下を眺めていたが、しばらく東京を離れたことのない彼女には、どこも初めてのように印象が新しかった。高崎では、そこから岐れて伊香保へでも行くらしい男女の楽しい旅の明い姿の幾組かが、彼女の目についた。蓄音器をさげて父親を悦ばせに行った小野田が思出された。不恰好な洋服を着たり、自転車に乗ったりして、一年中働いている自分が、都て見くびっているつもりの男のために、好い工合に駆使されているのだとさえしか思われなかった。
「わたしは莫迦だね。浜屋に逢いに行くのにさえ、こんなに気兼をしなくてはならない。あの人はこれまでに、私に何をしてくれたろう」
 お島は口を利くものもない客車のなかで、静かに東京の埃のなかで活動している自分の姿が考えられるような気がした。慾得のためにのみ一緒になっているとしか思えない小野田に対する我儘な反抗心が、彼女の頭脳をそうも偏傾せしめた。何のために血眼になって働いて来たか解らないような、孤独の寂しさが、心に沁拡がって来た。
 桐の花などの咲いている、夏の繁みの濃い平野を横ぎって、汽車はいつしか山へさしかかっていた。高崎あたりでは日光のみえていた梅雨時の空が、山へ入るにつれて陰鬱に曇っているのに気がついた。窓のつい眼のさきにある山の姿が、淡墨で刷いたように、水霧に裹まれて、目近の雑木の小枝や、崖の草の葉などに漂うている雲が、しぶきのような水滴を滴垂らしていたりした。白い岩のうえに、目のさめるような躑躅が、古風の屏風の絵にでもある様な鮮かさで、咲いていたりした。水がその巌間から流れおちていた。
 深い渓や、高い山を幾つとなく送ったり迎えたりするあいだに、汽車は幾度となく高原地の静なステーションに停まった。旅客たちは敬虔なような目を側だてて、山の姿を眺めた。
 ステーションへつく度に、お島は待遠しいような気がいらいらいした。
 山の町近くへ来たのは、午後の四時頃であった。糠のような雨が、そのあたりでも窓硝子を曇らしていた。
百十二
 目ざす町に近い或小駅で、お島は乗込んで来る三四人の新しい乗客が、自分の向側へ来て坐るのを見た。
 それらの人は、どこかこの近辺の温泉場へでも遊びに行って来たものらしく、汽車が動きだしてからも、手々にそんな話に耽っていた。山の町の人達の噂も、彼等の口に上ったが、浜屋々々と云う辞が、一層お島の耳についた。汽車の窓から、首をのばして彼等の見ている山の形が、ふと浜屋の記憶を彼等に喚起したのであった。その山は、そこから二三里の先の灰色の水霧のなかに幽かな姿を見せていた。
「あなた方はS——町の方のようですが、浜屋さんがどうかしましたのですか」
 お島は、断々に耳につくその話に、ふと不安を感じながら訊いた。
「私は東京から、あの人に少し用事があって来たものですが、お話の様子では、あの人があの山のなかで何か災難にでも逢ったと云うのでしょうか」
 遊女屋の主人か、芸者町の顔利かと云うような、それらの人たちは、みんなお島の方へその目を注いだ。
 金歯などをぎらぎらさせたその中の一人の話によると、浜屋は近頃自分の手に買取ったその山のある一部の森林を見廻っているとき、雨あがりの桟道にかけてある橋の板を踏すべらして、崖へ転り陥ちて怪我をしてから、病院へ担ぎこまれて、間もなく死んでしまったと云うのであった。
 お島はそれを聴いたとき、あの男が、そんな不幸な死方をしたとは、信じられなかったが、その死の日や刻限までを聴知ってから、次第にその確実さが感じられて来た。
「すれば、あの人の霊が、私をここへ引寄せたのかもしれない」
 お島はそうも考えながら、次第に深い失望と哀愁のなかへ心が浸されて行くのを感じた。
 浜屋へついたのは、日の暮方であった。以前よく往来をしたステーションの広場には、新しい家などが建っているのが二三目についたが、俥のうえから見る大通りは、どこもかしこも変りはなかった。雨がはれあがって、しめっぽい六月の空の下に、高原地の古い町が、澱んだような静さと寂しさとで、彼女の曇んだ目に映った。
 お島はその夜一夜は、むかし自分の拭掃除などをした浜屋の二階の一室に泊って、翌る日は、町のはずれにある菩提所へ墓まいりに行った。その寺は、松や杉などの深い木立のなかにある坂路のうえにあった。
 松風の音の寂しい山門を出てからも、お島はまだ墓の下にあるものの執着の喘ぎが、耳につくような無気味さを感じた。彼女は急いで道をあるいた。
 半日を浜屋で暮して、十二時頃お島はまた汽車に乗った。
「どこか温泉で二三日遊んでいこう」
 失望の安易に弛んだ彼女は、汽車のなかでそうも考えた。
百十三
 途中汽車を乗替���たり、電車に乗ったりして、お島はその日の昼少し過ぎに、遠い山のなかの或温泉場に着いた。
 浴客はまだ何処にも輻湊していなかったし、途々見える貸別荘の門なども大方は閉っていて、松が六月の陽炎に蒼々と繁り、道ぞいの流れの向うに裾をひいている山には濃い青嵐が煙ってみえた。
 お島の導かれたのは、ある古い家建の見晴のいい二階の一室であったが、女中に浴衣に着替えさせられたり、建物のどん底にあるような浴場へ案内されたりする度に、一人客の寂しさが感ぜられた。
 浴場の窓からは、草の根から水のちびちびしみ出している赭土山が侘しげに見られ、檐端はずれに枝を差交している、山国らしい丈のひょろ長い木の梢には、小禽の声などが聞かれた。
「お一人でお寂しゅうございますでしょう」
 浴後の軽い疲をおぼえて、うっとりしているところへ、女がそう言いながら膳部を運んで来た。
 笑い声などを立てたことのない、この二日ばかりの旅が、物悲しげに思いかえされた。どこの部屋からか蓄音器が高調子に聞えていた。
 電話室へ入って、東京の自宅の様子を聞くことのできたのは、それから大分たってからであった。小野田はまだ帰っていなかった。
「好いところだよ。旦那の留守に、お前さんも一日遊びに来たらいいだろう」
 お島は四五日の逗留に、金を少し取寄せる必要を感じていたので、その事を、留守を頼んでおいた若い職人に頼んでから、そう言って誘った。
「それから順吉もつれて来て頂戴よ。あの子には散々苦労をさせて来たから、一日ゆっくり遊ばしてやりましょうよ」
 お島はそうも言って頼んだ。
 その晩は、水の音などが耳について、能くも睡られなかった。
 夜があけると、東京から人の来るのが待たれた。そして怠屈な半日をいらいらして暮しているうちに、旋て昼を大分過ぎてから二人は女中に案内されて、お島の着替えや水菓子の入った籠などをさげて、どやどやと入って来た。部屋が急に賑かになった。
「こんな時に、私も保養をしてやりましょうと思って。でも、一人じゃつまらないからね」お島は燥いだような気持で、いつになく身綺麗にして来た若い職人や、お島の放縦な調子におずおずしている順吉に話しかけた。
「医者に勧められて湯治に来たといえば、それで済むんだよ。事によったら、上さんあの店を出て、この人に裁をやってもらって、独立でやるかも知れないよ」
 お島は順吉にそうも言って、この頃考えている自分の企画をほのめかした。
0 notes
yooogooo · 6 years ago
Text
年金
年金官僚による乱脈な使い込み、政治家によるバラ撒きと大規模リゾート施設の建設、そして5000万件の消えた年金記録――2000万円の老後資金不足を招いた政治家と官僚による「年金破壊」は、この国に年金制度が誕生した時から計画され、80年かけて実行されてきた壮大な収奪劇であった――。ジャーナリストの武冨薫氏が、この80年の自民党や官僚のあまりにも杜撰な歴史をリポートする。
「せっせと使ってしまえ」
 戦時色強まる昭和15年(1940年)の秋、厚生年金(当時は労働者年金保険)の創設を発表する記者会見で厚生省の年金官僚・花澤武夫氏はこう演説した。
「労働者の皆さんが軍需生産に励んでこの戦争を勝ち抜けば、老後の生活が年金で保証されるだけでなく、いろんな福利厚生施設によって老後の楽しみを満たすことができる。年金の積立金の一部で1万トン級の豪華客船を数隻つくり、南方共栄圏を訪問して壮大な海の旅を満喫いたしましょう」
 翌日の朝刊各紙は社会面に5段ぶち抜きで報じ、労働者年金は“夢の年金”を求める国民の声を背景に昭和17年(1942年)に創設。2年後に厚生年金と名称を変えた。
 日本の年金制度は戦費調達が目的だったとされるが、正確ではない。年金官僚は年金資金でアウトバーンや労働者住宅を建設した同盟国・ドイツのヒトラーの手法に倣い、創設当初から流用を考えていた。
 冒頭の「豪華客船演説」を行なった花澤氏は初代厚生年金保険課長を務め、引退後、『厚生年金保険制度回顧録』(昭和63年刊)でこう語っている。
〈法律ができるということになった時、すぐに考えたのは、この膨大な資金の運用ですね。(中略)この資金があれば一流の銀行だってかなわない。今でもそうでしょう。何十兆円もあるから、(中略)基金とか財団とかいうものを作って、その理事長というのは、日銀の総裁ぐらいの力がある。そうすると、厚生省の連中がOBになったときの勤め口に困らない。何千人だって大丈夫だと〉
page: 2
 当時の厚生年金は保険料を20年支払えば55歳から受給できる積立方式で、花澤氏の計算では年金資金は60年間の総額が450億円(現在価値で350兆円)に上ると弾いていた。
〈二十年先まで大事に持っていても貨幣価値が下がってしまう。だからどんどん運用して活用したほうがいい。何しろ集まる金が雪ダルマみたいにどんどん大きくなって、将来みんなに支払う時に金が払えなくなったら賦課方式(*注)にしてしまえばいいのだから、それまでの間にせっせと使ってしまえ。それで昭和十八年十一月に厚生団を作ったのです〉
【*注/現在の高齢者の年金を、次の世代が納める保険料で払う仕組み。「世代間扶養」と呼ばれる現在の日本の制度】
 厚生団は厚生年金病院や厚生年金施設を運営する財団法人だ。初代理事長は厚生省保険局長。年金制度ができたときから“天下り利権”がセットで用意されたのである。
〈この戦争で勝てばいいけれども、もし敗けて、大インフレでも起こったら、でももうその時はその時だと。外国をみても、どこの国も積立金はパーになってしまった〉(同前)
 すさまじい証言である。徴収した保険料は最初から使い果たすつもりだったことがうかがえる。
 敗戦後のインフレで年金は実質「パー」になり、戦後の混乱の中で、軍需工場で働いていた人々の保険料納付記録が散逸し、現在に続く最初の「消えた年金」が発生した。
票を買え、ハコ物を建てろ
 年金官僚と政治家たちは戦後復興とともに本格的な“年金共栄圏”づくりに走り出す。
 昭和29年(1954年)に厚生年金法を全面改正し、支給開始年齢を55歳から60歳支給に引き上げた。さらに安倍首相の祖父、岸信介氏が首相に就任すると国民年金法(65歳支給。25年加入)を成立(1959年)させ、厚生年金と合わせた「国民皆年金制度」をつくって会社員以外にも保険料徴収の網をかけた。
 岸氏は戦前、東条内閣の商工大臣として労働者年金制度の発足に深くかかわっている。厚生年金の支給を5年遅らせ、新たな年金を創設すれば保険料だけがじゃんじゃん入ってくる仕組みを十分わかっていたはずだ。
page: 3
 折しも高度成長期が始まり、保険料収入が潤沢になると、自民党は選挙で老人票を“買収”するため今度は年金大盤振る舞いを始めた。
 国民年金に加入できない高齢者に保険料負担ゼロでもらえる「福祉年金」を創設、さらに保険料を10年払えばもらえる「10年年金」、5年でもらえる「5年年金」を次々に創設した。田中角栄首相が登場すると「福祉元年」を掲げ、福祉年金の支給額を月5000円から1万円へと倍増させた。
 政治家が湯水のように金を使うのを年金官僚たちが指をくわえて見ているはずがない。こちらは年金保険料で厚生年金会館という名のホテル、プール、スケート場などの年金施設を全国265か所に建設し、天下り財団に運営させた。
 その中核の「厚生年金事業振興団」(厚生団から改称)は病院、看護学校を含めて100以上の施設を運営し、職員約5400人、天下り官僚120人という巨大財団に成長した。年金から投じられた金額は建設費・運営費合わせて約1兆5000億円にのぼる。官僚OBの給料や退職金まで年金丸抱えだった。
 年金利権で味を占めた政治家と官僚がガッチリ手を組んで次に進めたのが悪名高い大規模年金保養基地「グリーンピア」事業だ。
 総額2000億円をかけて1980年代までに全国13か所のリゾートホテルを建設、候補地選びや業者選定に厚労族議員が幅をきかせ、年金官僚は新たな施設運営法人「年金福祉事業団」をつくって天下り先を増やした。
 1か所の予算が200億円で計画されたグリーンピアは、政治家にとって垂涎の巨大公共事業だった。
 有力な厚労族議員の数だけ事業が増やされ、13か所のうち9か所が歴代の厚生大臣経験者の地元に誘致された。だが、どの施設も大赤字で閉鎖後に二束三文で売却され、建設費の97.5%が損失となっている。
 建設費2000億円をはじめ、借入利息や管理費など総額3800億円を政治家や天下り役人たちが食い散らしたのである
page: 4
 霞が関で“満腹事業団”と呼ばれた年金福祉事業団は、グリーンピアの他に年金積立金の運用や住宅融資を手がけ、トータルでなんと4兆円を超える損失を出している。
上は「袖の下」、下は「サボリ」
 年金危機が表面化してもシロアリ官僚たちの年金蚕食は止まらず、“袖の下”や年金着服が横行した。
 関東の年金施設建設工事の入札をライバル企業と争った設備会社の役員は、厚労族の大物議員の勉強会で紹介された厚労省の課長に口を利いてもらって受注に成功した。
 後日、“お礼”として2万円入りの商品券を50箱、菓子折と一緒に紙の手提げ袋に詰めて厚労省本庁舎を訪ねた。
「そこに置いておいて」。挨拶すると課長は中身を確認もせずにアゴで自分の席の後方を指したという。
「こちらは非常に緊張したが、課長は慣れているようにみえた」。2000年代の初め頃、筆者が設備会社役員から聞いた証言である。
 上が袖の下なら、下はサボりと着服だ。年金業務を行なう旧社会保険庁(現在は日本年金機構に改組)では、労使間で「働かない協定」が結ばれていた。
〈1人1日のキータッチは5000回以内〉〈窓口装置を連続操作する場合(中略)操作時間45分ごとに15分の操作しない時間を設ける〉――など87項目におよぶ。端末のキータッチ5000回で打てる文字はA4判で2枚程度。かかる時間は30分ほど。それで1日の主な仕事が終わる。役人の間で「楽園」と呼ばれていたが、職員約1万7000人の給料は年金会計から支払われてきた。
 そのうえ、年金窓口では、職員が現金で納付された年金保険料を着服する事件が何度も起きた。
 1985年の基礎年金制度の導入の際、厚労省から全国の市区町村に対して「年金台帳廃棄命令」が出され、その後撤回されたものの、推定5億件の膨大な資料が処分されたとみられている。後に大問題となる「消えた年金記録」の解明を阻む最大の原因となった。
 この廃棄命令は悪徳官僚による保険料ネコババを一斉に“証拠隠滅”するためだったという見方が強い。
page: 5
香典や事故の賠償金まで
 そして年金財源が枯渇するダメ押しとなったのは、1997年から始まった新たな手口の年金流用だった。
 年金官僚は「財政構造改革の推進に関する特別措置法」の改正で年金財源を「事務費」に使える規定を巧妙に盛り込むと、それまで以上に大手を振って年金の金を使い始めた。
 社保庁長官の交際費や香典の支出、公用車(247台)の購入、職員の海外出張費から、職員が起こした交通事故の賠償金、職員用宿舎の建設費(新宿区の3LDKで家賃約6万円)などに年金の金が湯水のように使われた。
 それだけではない。「職員の福利厚生」の名目で、社保庁職員専用のゴルフ練習場の建設やクラブの購入費、テニスコート建設、マッサージ器(395台)購入などに総額1兆円近い金が消えたのである。
 年金官僚には国民の「老後資金」を預かっているという責任感が完全に欠けていた。
「年金100年安心プラン」という国民騙しのスローガンで大改悪が進められた2004年の小泉年金改革の際に一連の年金官僚たちの乱脈ぶりが発覚し、社保庁や厚生年金事業振興団などの廃止論が高まると、天下り団体側はよりにもよって年金のカネで自民党の厚労族議員に献金攻勢をかけ、政官一体となって抵抗したのである。
 そしてついに、年金官僚たちのサボタージュで「消えた年金」記録が5000万件に上り、年金未払いになっていることが突き止められると、時の第1次安倍政権が倒れた。
 消えた年金は10年以上かけて現在までに3000万件の照合が行なわれ、それだけで未支給額が2兆7000億円だったことがわかったが、まだ照合できない記録が2000万件近く残っている。年金制度の歴史に詳しい社会保険労務士・北村庄吾氏が語る。
「政府は年金危機を少子高齢化のせいにしているが、それだけではない。政治家と官僚が年金積立金を長年にわたって使い込み、制度の根幹を滅茶苦茶にしてしまったことが最大の原因の一つです」
 国民の老後資金は、こうして「消えていった」のである。
※週刊ポスト2019年7月5日号
0 notes
pachelbel112 · 8 years ago
Text
平日施工のお客様がルミクールSD、シルフィードがさらに4,000円引きに!
※短期間のキャンペーンになりますので、ご了承下さいませ。
カーフィルムの施工が年間1000台以上は関東ナンバーワン!安さもナンバーワン!
激安カーフィルム・車のスモークフィルム!「ルミクールSD」は東京・神奈川の平均価格よりも24,098円、「シルフィード」は15,390円もお得です。他社と比較してください!
※弊社は色褪せのある外国製の使用ではなく、すべて日本製ですので5年以上は色褪せしません。
↓画像をクリックしますと、施工金額が表示されます♪↓
カーフィルム・車フィルム・スモークフィルムってなんで貼るの?
まずは優先されるのがプライバシーの保護になり、日本車のプライバシーガラスでも透過率が20~30%になり、平均で25パーセント位が多いでしょう。 下記の画像の左側が透過率20%になり、右側画像が30%になり、通常のプライバシーガラスですと、かなり室内が見えてしまいます。
 
                                                         しかし、プライバシーガラスの上からカーフィルム透過率7%のフィルムを施工しますと、透過率1~2%になりますので、ほぼ外観からは見えませんので、盗難防止などにもつながります。 下記画像はプライバシーガラスの上から透過率7%施工後の画像になります。
では、室内からの視界性はどうなの?
↑どの透過率のカーフィルムを施工しても、もともとのプライバシーガラスより若干濃くなるぐらいですので、外観の色合いだけ決めて頂ければ、室内の視界性は良好です。
UVカット(紫外線カット)カーフィルムってなに?
UVカット(紫外線カット)カーフィルムは日焼けの防止や室内のインテリアの色褪せを防ぐフィルムになっております。 今の日本車の殆どは運転席・助手席のみUVカットガラスになっており、フロントガラスや後部座席のリア3面、5面のガラスにはUVは入っておりません。 プライバシーガラスが黒いから日焼けしないかと言うと違います。下記のガラスのようにガラス右下部分にUV,UVS,UVUと記載がなければUVカットされてないので日焼けします。皆さんのガラスはどうでしょうか? 外車の90%以上はほぼUVすら入っておりません。 NSコーポレーションのカーフィルムは全てUV99%カットになります。
ガラスごとに下記のUV,UVS,UVUの刻印があるか確認してみてください。
赤外線カット カーフィルムって何?
殆どのお客様がUVカットがあれば暑さ対策や冬場の保温性につながると思われておりますが、UVの他に赤外線もカットしなければ暑さ対策にはなりません。
例として、ルミークルSDを全体的に施工した場合は車内温度に変化はありませんが、ウインコスを全体的に施工すると車内温度��5度位変化し、シルフィード カーフィルムを施工しますと車内温度は11度位変化しますので、燃費の向上にもつながります。 特に外車はガラスの透明度が日本車よりも遥かに高いのでシルフィード カーフィルムをお勧めします。
※よくある赤外線カット率ですが、カット率の測定は測定機関があるわけではなく、メーカーごとに独自の測定結果ですので、実際は体感温度が大事になります。 弊社では実際、体感でき、過去のお客様も体感の違いを実感して頂いております。 皆さんかなり違うと言います!
カーフィルムの種類と性能の違い
ルミクールSD
※ルミークルSDは紫外線カット99%カットするフィルムになります。 紫外線カットとは日焼けはインテリアの色褪せの保護になります。 プライバシーの保護と紫外線のみの場合ですと、こちらをお勧めします。
ウインコス
※ウインコスは紫外線カット99%の他に赤外線もカットするフィルムです。 車全体に貼ると車内温度が5度位かわります。 赤外線カットは夏場のジリジリ感だったり、冬場の室内の保温性を保ちます。
シルフィード
※シルフィードは紫外線カット99%の他に赤外線もカットするフィルムです。 車全体に貼ると車内温度が11度位かわります。 赤外線カットは夏場のジリジリ感だったり、冬場の室内の保温性を保ちます。 シルフィードはベンツなどを取り扱うヤナセの指定フィルムですので、外車にお勧めです。
※透明断熱フィルムFGR‐500 FGR‐500はシルフィードと同じ効果があります。フロント・運転席・助手席にも施工可能です。 透過率は1%しかダウンしないので、どの車でも施工可能となります。
ニュープロテクション
※ニュープロテクションは紫外線カット99%カットするフィルムになります。 紫外線カットとは日焼けはインテリアの色褪せの保護になります。 プライバシーの保護と紫外線のみの場合ですと、こちらをお勧めします。 一番、黒いカーフィルムを貼りたい場合は透過率5%があります。
※ニュープロテクション インフレットピュア 車全体に貼ると車内温度が5度位かわります。 赤外線カットは夏場のジリジリ感だったり、冬場の室内の保温性を保ちます。 安くフロント・運転席・助手席に施工したい場合はインフレットピュアをお勧めします。 但し、日本車の運転席・助手席は透過率73%位であり、インフレットピュアを施工しますと透過率が5%ダウンしますので、ガラスの透明度の高い外車がメインになります。
3Mカーフィルム
※3Mカーフィルムは自動車整備指定、認証工場のみが取り扱えるフィルムになり、ディーラーの殆どがIR機能のついた「3M カーフィルム」が性能的にも主流になっており、フィルムの性能も今までとは違い200層を超える薄い膜を重ねた特殊な高級フィルムとなっております。
カーフィルム5年保証
※お客様の車が車両保険に加入していてガラスが破損した場合、相手方に車をぶつけられてガラスが破損した場合、カーフィルムも保険の対象になります。
NSコーポレーションのカーフィルムは激安ですが、すべてが日本製であり、量販店のような外国製とは違い色褪せがしません! また、ベンツなどを取り扱う全国ヤナセ指定フィルム採用により、他社の断熱フィルムよりも圧倒的に体感温度は違います! シルフィードはインフレットピュア、ウインコス・スタンダードよりもUVカットはもちろん、赤外線カットがとても優れたフィルムです。
紫外線を99%カットし、心地よい優しい光と快適な車内環境を生み出します。
断熱性能の違いを体感器で検証。左側がシルフィード、右側が一般スモークフィルムで、スタート時はどちらも26.4℃を示している。
照射後、5分後の温度計は31.2℃と42.1℃を示している。シルフィードを施工した側が10℃以上低いことがわかる。
万が一の事故などで側面ガラスが割れた場合、ガラスが割れて細かく飛び散り大変危険です。
シルフィードを施工したガラス。ガラスは割れますが、フィルムによって飛散が抑えられ、安全性を確保できます。
フロント透明断熱フィルムも施工しております!
カーフィルム「シルフィード」全体的に施工すると車内温度が10度変化します!
カーフィルム・スモークフィルム・車フィルム・車のスモークフィルム・ガラスコーティング ご来店の多いエリア:
湘南(しょうなん)は、神奈川県の相模湾沿岸地方を指す名称である。
語源は、かつて中国に存在した長沙国湘南県で、現在の湖南省南部地域の地名である。 歴史 国内文献における「湘南」の初出は『倭名類聚抄』で、かつて中国に存在した長沙国湘南県である。中世中国の湘南では禅宗が発展し、そのメッカであった。 現在の日本では「湘南」とは主に神奈川県相模湾沿岸を指すが、うち禅宗を保護した鎌倉幕府の拠点「鎌倉」は、現在も禅宗臨済宗建長寺派および臨済宗円覚寺派の大本山「建長寺」・「円覚寺」の所在地であり、鎌倉時代には夢窓疎石らにより日本の禅宗の中心地ともなった禅宗と非常に密接な関係を有する土地でもある。 「湘南」の定義は曖昧だが、鎌倉や江の島などは観光資源が豊富で観光集客力が高く、マスコミによるイメージ作りによって「海」や「太陽」や「若者」などを連想させ、「湘南」は範囲拡大傾向にある。 「湘南」の由来 「湘南」とは、もともと現在の中国の湖南省を流れる湘江の南部のことで、かつては長沙国湘南県が存在し、中世には禅宗のメッカとなった。日本における「湘南」も禅宗の流入に伴って広まったと考えられ、[要出典]「禅宗」を保護した鎌倉幕府の北条得宗家が居し、国内初の禅寺「建長寺」や「円覚寺」を擁した鎌倉周辺の地域が、中国の「湘南」にちなんで名付けられたといわれる。実際に、円覚寺の僧夢窓疎石の周辺には「湘南」を冠する人物・建築が散見される。また、1664年ごろ、室町時代に中国から日本に移住した中国人の子孫が小田原に居してういろう商人となり(崇雪という人物)、自ら創設した大磯の鴫立庵に建てた石碑に「著盡湘南清絶地」と刻んだものが、現在の神奈川県周辺域における呼称の起源ともいわれる。この石碑は複製品が作られて鴫立庵の庭にあり、本物は大磯町が管理している。 明治期の「湘南」 江戸期に大磯発祥の命名とされる「湘南」は、明治期に政治結社名や合併村名に用いられた。当時、相模川以西地域が湘南、相模川以東地域は湘東または新湘南という認識だった。明治期の「湘南」は、山と川が織りなす景観を持つ相模川以西地域に限られていたと考えられる。 明治維新により、当時西欧で流行していた海水浴保養が日本にも流入し、適した保養地として逗子や葉山、鎌倉、藤沢など相模湾沿岸が注目されて別荘地となり、湘南文化が芽生える。 1897年、赤坂から逗子に転居した徳冨蘆花が逗子の自然を國民新聞に『湘南歳余』として紹介する。翌1898年、元日から大晦日までの日記を『湘南雑筆』として編纂して随筆集『自然と人生』(1900年)を出版する。これを端緒に「湘南」は、当初の相模川西岸から、相模湾沿岸一帯を表すように変化する。 明治期から戦前までの湘南 1879年(明治12年)- お雇い外国人で東京医学校の講師であったドイツ人医師のエルヴィン・フォン・ベルツ博士が、内務省より海水浴場候補地の諮問を受けて江の島を訪問し、片瀬が適地と答申する。 1882年(明治15年)- 明治政府の使節団が、ロンドン近郊のブライトン海浜保養地を視察する。 1885年(明治18年)- 軍医総監松本良順の勧めで海水浴場を大磯に設営し、由比ヶ浜三橋旅館が海水浴場の開設を東京横浜毎日新聞に広告する。 1886年(明治19年)- 藤沢鵠沼海岸に海水浴場を開設する。 1887年(明治20年)- 東海道線横浜駅と国府津駅間が開業し、保土ヶ谷駅、戸塚駅、藤沢駅、平塚駅、大磯駅、国府津駅を設置する。 1888年(明治21年)- 大船駅が開業する。 1889年(明治22年)- 旧日本海軍軍港の横須賀に至る鉄路として横須賀線が開通し鎌倉駅、逗子駅、横須賀駅を設置する。 1891年(明治24年)- ベルツ博士の推奨の下、葉山に有栖川宮別邸を竣工する。 1893年(明治26年)- 葉山に北白川宮別邸を竣工する。 1894年(明治27年)- 葉山御用邸を竣工する。 1897年(明治30年)- 徳富蘆花が赤坂から逗子柳屋へ転居する。 1898年(明治31年)- 國民新聞に『湘南歳余』(徳富蘆花)が掲載される。 1900年(明治33年)- 『湘南雑筆』を含む『自然と人生』(徳富蘆花)が出版され、逗子の自然や、逗子から見た相模湾や富士山などの風景を西洋画風に紹介する。 1921年(大正10年)- 神奈川縣立湘南中學校を藤沢町鵠沼に開設する。 1922年(大正11年)- 歌誌『明星』2月号に、荻野綾子の鵠沼を詠んだ『湘南にて』が掲載される。 1928年(昭和3年)- 高瀬弥一の江之島水道株式会社が玉川水道と提携し、湘南水道株式会社として事業を拡張する。 1930年(昭和5年)- 湘南電気鉄道黄金町~浦賀駅間、金沢八景駅~湘南逗子駅間が開業し、「湘南電車」と呼ばれる。 - 神奈川県土木部、湘南海岸道路(川口村片瀬���口寺-中郡大磯町間)の敷設計画に着手する。 1931年(昭和6年)- 湘南瓦斯株式会社が藤沢町鵠沼で創業する。 - 湘南養蚕実行組合が藤沢町で結成する。 1932年(昭和7年)- 植物学者久内清孝が、『植物研究雑誌』に「滅び行く湘南の鵠沼片瀬を弔う」を発表する。 1933年(昭和8年)- 湘南学園(小学校・幼稚園)を藤沢町鵠沼に開設する。 1935年(昭和10年)- 都市計画神奈川地方委員会が、湘南海岸公園計画地域を可決して答申する。 - 松岡静雄が「神楽舎講堂湘南国語研究会誌」第1輯発行する。 1936年(昭和11年)- 湘南氷業販売組合を藤沢町で結成する。 - 神奈川県道片瀬大磯線相模川「湘南大橋」完成し、全線開通する。 1941年(昭和16年)- 藤沢市内外の文化人や宗教家が集まり、「湘南文化連盟」を結成する。 各地域の特色 藤沢・茅ヶ崎・寒川 県の行政区域では「湘南地域」に含まれ、江の島を中心とした海岸風景は、現代の「湘南」の代表的なイメージである。神奈川県立湘南高等学校、私立湘南学園(幼稚園-高等学校)は藤沢市に位置し、江ノ電沿線の大正時代に開発された住宅地である鵠沼や片瀬地域では比較的広い邸宅も見られる。 しかし、北部は海からも遠く、現代の「湘南」というイメージとはほど遠い工業・田園地帯である。地理的にも、町の雰囲気からみても、湘南と呼べるのは事実上東海道本線以南の沿岸地域だけといえるが、キャンパスの名称やマンション・アパート名など、大学や不動産業者のネーミング戦略的な理由により、かなり広い範囲で「湘南」が当てられている。 藤沢市北部に小田急江ノ島線・相鉄いずみ野線・横浜市営地下鉄の湘南台駅があり、その西に慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスと文教大学湘南キャンパスがある。やや南の六会にも日本大学湘南キャンパス(旧・藤沢キャンパス)があるが、いずれも海岸からかなり離れた田園・丘陵地帯に位置する。 藤沢市西部、茅ヶ崎市北部にまたがる区域には「湘南ライフタウン」と呼ばれるニュータウンが存在するが、海岸地域ではなく、北部の丘陵地域を開発したものである。 現代の「湘南」のイメージが一般にも定着している加山雄三は横浜生まれだが茅ヶ崎育ち、またサザンオールスターズの桑田佳祐は茅ヶ崎市の出身であり、現在は茅ヶ崎海水浴場もサザンビーチと呼ばれている。 太平洋戦争末期、もし日本が降伏せずに徹底抗戦した場合、相模川以東で相模湾中央部の長い海岸線を持つという理由から、茅ヶ崎海岸が連合国軍上陸作戦の有力候補地点として想定されていた(コロネット作戦)。戦後海岸地区は一時アメリカ軍を中心とした連合国軍に接収された(在日米海軍辻堂演習場)が、1959年6月25日に返還された。 1940年(昭和15年)、藤沢町が片瀬町に合併を呼びかけた際、片瀬町が条件として市名を「湘南市」とする案が挙げられたが、実現せず、「藤沢市」となった経緯がある。(片瀬町が藤沢市に合併するのは1947年) 1956年(昭和31年)、寒川町が藤沢市と茅ケ崎市に合併の上「湘南市」とする話を持ち掛けるが実現に至らなかった。 明治期、相模川に接した東側の茅ヶ崎・寒川の一部地域は湘東と呼ばれていた。「湘東」は、湘江に見立てた相模川の東の意味である。 平塚 県行政区域では「湘南地域」に含まれ、県の出先機関である「湘南地域県政総合センター」を始め、湘南ナンバーを発行する「湘南自動車検査登録事務所」など湘南地域を管轄する行政機関が多く所在し、行政的に湘南地域の中心である。政治的にも「湘南市」として合併し政令指定都市を目指す構想の中心的役割を果たすが、リーダー役であった平塚市長が2003年に落選し構想は挫折する。 海岸は急に深くなる地形的理由から海水浴に適さないが、「湘南」のイメージ戦略もあり、海岸工事により近年海水浴場を開設した。相模湾を一望する湘南平は湘南海岸を俯瞰できる場所として知られる。夜景も美しく、湘南地域のデートスポットとして有名である。 関東三大七夕祭りの1つ「湘南ひらつか七夕まつり」が7月7日を中心とした3日間に開催される。サッカーJリーグの湘南ベルマーレの本拠地は平塚競技場である。市西部に東海大学湘南キャンパス・神奈川大学湘南ひらつかキャンパス(旧・平塚キャンパス)が存在する。 大磯・二宮 県行政区域では「湘南地域」に含まれる。江戸時代、崇雪が大磯の東海道筋にある標石に「著盡湘南清絶地」と景勝を讃えた言葉を刻んだことから、湘南発祥の地とされており、その碑が城山公園内の大磯町郷土資料館に保存されている。 大磯は、律令以前に豪族の師長(磯長)国造が支配する地域だが、中央集権体制の整備に伴い朝廷に仕えた渡来人が移住したと考えられ、高麗山や高来神社など、大陸からの文化を広めた高句麗からの朝鮮民族渡来人に由来する地名もある。明治以降には伊藤博文や吉田茂が別荘を構える。二宮は手狭な海水浴場で観光集客力は高くないが、温暖な気候で交通の便も良く堤義明邸も所在する。 明治期の「湘南」は「山と川が織りなす景観を持つ相模川以西地域」であり、大磯、二宮近辺には湘南馬車鉄道や、大磯町の湘南大磯病院、二宮町の湘南牛乳株式会社、など「湘南」を冠する企業が存在した。 伊勢原 伊勢原市大山は江戸時代に「湘山」「湘岳」と呼称され、歴史的に湘南海岸方面と連携する。現在は県行政区域上「湘南地域」に含まれるが、経済面では車両交通に優れる平塚市と関連深く、小田急小田原線や国道246号で結ばれる厚木市など県央地域と関係が深化している。 鎌倉・逗子・葉山 県行政区域上「湘南地域」に含まれずに「横須賀三浦地域」と呼称される。現在の逗子市域は昭和初期に湘南電気鉄道沿線となり、戦後横須賀市より分離独立して発足した。「湘南」育ちの印象が強い石原裕次郎は、逗子市で青年期を過ごしている。「歴史の街」や「御用邸」などの印象が強く、「湘南」ではなく「鎌倉」、「逗子」、「葉山」と呼称される。 横須賀・三浦 県行政区域上「湘南地域」に含まれずに「横須賀三浦地域」と呼称される。相模湾側は1000年以上昔から「湘南」と呼ばれ、鎌倉時代以降は幕府直轄領漁港として繁栄し、東京湾側と一線を引くように逗子市が横須賀市から分離する以前から最寄駅は逗子駅である。横須賀市中心部は相模湾ではなく東京湾に接し、湘南の基本的な定義である「相模湾沿岸」に該当しない。経済活動も横浜横須賀道路や京急線で結ばれる横浜と連携する。相模湾に面する横須賀市や三浦市西部では、長者ヶ崎を挟み葉山に接する秋谷海岸などで「湘南」を訴求する住宅地や避暑地も近年見られる。湘南鷹取、湘南国際村、湘南信用金庫、横須賀市中心部に所在する湘南学院高等学校など地名や企業名などに湘南を採用する例も多く、古くは昭和初期の湘南電気鉄道がある。プロ野球横浜ベイスターズ(2010年当時)二軍チームは、2000年から2010年シーズン終了まで湘南シーレックスとして横須賀を本拠地に活動した。 小田原・足柄下郡 県行政区域上「湘南地域」に含まれず、大磯 - 小田原間を結ぶ西湘バイパスの様に「西湘地域」と呼称される。温泉宿泊地やキャンプ場、城下町など独自色が強く、保養地や観光地の特色が強い。 明治期の「湘南」のイメージは「山と川が織りなす景観を持つ相模川以西地域」であり、小田原には「湘南」を冠したものが多く存在した。 南足柄・足柄上郡 県行政区域上「湘南地域」に含まれずに「足柄上地域」と呼称され、一般的に「湘南」として扱われる事は無いが、自動車登録番号標の「湘南ナンバー」適用エリアである。 相模原 県行政区域上「湘南地域」に含まれずに「県央地域」と呼称される。市内城山町小倉、城山町葉山島の両地区は、かつて湘南村という行政区が存在した。これは1889年に旧小倉村と旧葉山島村の合併で生じ、1955年に旧川尻村、旧三沢村と合併し旧城山町が成立して消滅する。2007年、旧城山町は旧藤野町とともに相模原市に編入され、現在に至る。旧村名の由来は「相模川を文人が湘江と呼んでいることにちなみ、湘江の南側の村」である。現在、1906年に創立された城山町小倉の小学校名にその名を留める。 大和・海老名・座間・綾瀬 県行政区域上「湘南地域」に含まれずに「県央地域」と呼称され、一般的に「湘南」の扱いは殆ど無いが、気象予報区における二次細分区域「湘南」適用エリアである。 厚木 県行政区域上「湘南地域」に含まれずに「県央地域」と呼称され、一般的に「湘南」の扱いは殆ど無いが、湘南ベルマーレのホームタウンの一つである。 カーフィルム・スモークフィルム・車フィルム 平塚 カーフィルム・スモークフィルム・車フィルム 藤沢 カーフィルム・スモークフィルム・車フィルム 茅ヶ崎 カーフィルム・スモークフィルム・車フィルム 鎌倉 カーフィルム・スモークフィルム・車フィルム 小田原
0 notes
n0-l · 8 years ago
Text
2017.08.16 Impatience
彼の夢は、沸き立つその。 大学生になると同時に大学生をやめた。これが最善であると思ったからだった。そして彼はバイトを始める前からバイトを辞め、お金を稼ぐことを始める前からお金を稼ぐことをやめた。彼はその深刻な面持ちに対する自分とのコミュニケーションも閉ざしてしまった。おお、幸いなるかな。彼はまだ生きている。彼は難解な哲学書を読み始めた。すると、彼はそれをやめ、他の本を読み始めることになったと同時に、彼は新人賞のページにいき、小説新人賞の原稿用紙の枚数が70枚であることを知ると、一種の飛躍が彼の中で巻き起こり、身体中を打って回った。ので、彼は小説を書こうと、文字を打ち込んだと同時に彼は、それをやめた。彼の人生は、進んでいるのだろうか。進んでいないのだろうか分からなかった。もちろん、存在と時間は一緒であり、中央大学を爆破するというニュースを見るや、それを見たことを忘れた。しかし、彼の書こうとしている小説の題材には、大学を放火するという人物を構想していたので、それを思い出すや否や、それを書こうと思ったが、思っただけであった。 薄暗い埃の匂いのするような実家の台所で一人、むぎ焼酎を飲み始めると同時にゲホッと噎せたと同時に文鳥に触れた。彼の文鳥は獰猛であり、指を近づけると、声を荒げ、嘴で凄まじい勢いでついてくる。彼は頭の中で考えるということを、自分の行為を考えたことを頭で考えることを拒んだ。 彼の叔父は言う「学校に行かないで働いた方がいいんじゃない?学校に行ったって仕方ないよ。学校に行ったって偉くなるわけじゃねえだろ?」彼の叔父は偉い人が好きというとにかく権威というものに重きを置くようなそんな昔の人であった。 僕を馬鹿にした人間よ!許さないぞ!僕を馬鹿にした人間よ! と絶叫するや否やそれをやめた。というのは、そんなことはまず、稚拙すぎると考えたからだった。と同時に、僕を馬鹿にした人間よ!と叫んだ自分のパースペクティブを検討するために、社会構造を知るために、本を読み始めた。 すべての他者を頭の中からはい出そうとした。と、思うや、すべての他者をまた自分の中に呼び戻した。 彼はいきなり空に浮かぶ雲にまで届くような声で泣き出した。空虚に苛まれ、何もすることがないことを嘆いた。と同時に彼は我に帰り、泣き止み、ああ!ああ!と叫んで、彼はドタドタと激しく地団駄すると、どこからか、おい!という突き出た声が聞こえ、おお!といった。あ、そうだ、彼は何ともなしに本を読み始めた。それはとある精神科医の自伝であった。 叔父への気遣いから、「何か食べたいものある?」と聞いた。すると、「牛丼でも食うか?」と言ってきたので、「食べたい?買ってこようか」と聞くと、うなづいたので、彼はうなづいたと同時に、彼は本を3ページほど読み進めると、彼は牛丼を買いに行くが、それを落とした。それを食った。彼はゲロを吐いた。ロクサネがあわられた。と同時に私は涙した。ロクサネ!ディアドコイ戦争だ!ディアドコイ戦争だ!ディアドコイ戦争だ!ディアドコイ戦争ってなんだ! 彼はそれを暇と意識する前に、何か手を打つ。そう、機先を制するということがすべてだった。そのためには彼は言葉を発し続ける必要があった。何が何でも停滞させるわけにはいかない。進歩とは、言葉である。それも自らが創出した言葉。新たな境地に至ったときの言葉。何としても新しい言葉を自分に聴かさねばならぬのだ。それが彼のこころを広大な敷地にいざなってくれる。とある著者はいった。人生の半分は自分の著書を読んでいるという。今度、70冊目の本が刊行されるらしい。というのを聞いて、自分に読ませるために本を書いているのかな?と思ったのであった。彼は無駄なことをしすぎていると考えており、その無駄なことの連続性を断ち切るために、あらゆることを試みていた。何事も考えないことだ。考えるというのは、今までの経験というフィルターを通して、考えているとは、考えないことに等しい。考えるとは、新しい環境に触れた時の反応として立ち現れることだ。涙が溢れてきた。音楽を聴いたが無駄だった。だって君はまだ読者の声も知らないじゃないか。読者がつかなかったらどうするんだ。こんな小説を書いても、書いても。内部から壊されていく世界。 現実とは、 将来の夢は小説家になることです。 ねえ、いい?あのさあ。
人間とは、夢を織り成している糸であると誰かが言ったような記憶がある。人間とは芋虫である。糸という言葉を紡いで、一つの場所を作る。 虫はその養分として、葉っぱを蚕食する。バリバリ、ボリボリと。 都市ができる。虫の都市だ。それは、妖怪のように、スプロールのような混沌さを内包して。 人間は食べ、糸を吐く。1日というものに対して、傾注させたとしても、限界があること。 倦怠を生む。拡散作用。 境界を破り、至る所に広がり、あまりにも多くのスペースを取り、その奔放さと異常な膨張の結果は決して美しいとは言えない。
人はそれを選ぶのです。そうするしかないから。
くいあらし、都心部から田舎に行く愉快でもあり不愉快な旅行。 大人とは、ソフィスティケートの産物である。フロイトは言った。子供時代はもうない。郷愁。 それはどこかに行ってしまった。我々は、虫を捕まえ、それをカゴに入れ、虫を逃すか、死ぬまで飼った。おお、今の我々はどうか、もはやトイレの音にもびくりとする。 安全な場所などどこにもない!
youtube
0 notes
givemevegetable · 8 years ago
Text
9/17(日)ギブミーベジタブル in 山形県新庄市kitokito環境芸術祭
新庄祭りやいろんなお祭りが終わり秋が始まる最上地方。野菜と芸術はこれからの季節。秋へ移り変わる草木たちもお楽しみください。
環境芸術祭WEEK 9月4日(月)〜9月17日(日) Kitokito Marche&ギブミーベジタブル 9月17日(日)
[料理人] ・鈴木大輝(発酵わくわく大使/「発酵居酒屋5」) ・安田花織(ヤスダ屋) ・原田由佳子(坂ノ途中soil) ・佐藤一也(げたぱん/ことり食堂) ・渡辺歩(DUE/アオムシ) ・佐藤春樹(森の家) ・亀屋公祥(スパイス屋 Tikka) ・umui
[音楽] ・池田社長(ギブミーベジタブル代表取締役) ・ぬまのひろし&あまのずんこ(amazons) ・SKIP BEAT
[ワークショップ] ・発酵料理体験教室(鈴木大輝)
◉環境芸術祭( 9.4〜9.17) 新庄市エコロジーガーデンの緑豊かな自然環境をキャンバスにしてランドスケープによるアートを展示。 旧蚕糸試験場新庄支場の歴史やロケーションの魅力を引き出す個性豊かな作品たち。 [参加アーティスト] ・We are Amazons:Amazons/山形県新庄市 ・Wonder×Wonder:氏家国浩/宮城県大崎市 ・”sit”do noting/何もしないをする:吉野優美/山形県新庄市 ・インスタ映え:遊び工房プロジェクト/山形県新庄市 ・浮かぶ…:まりりん&ゆーみん/山形県新庄市 ・リスタート:齋藤隆/山形県東根市 ・朽ちる前に:井関恭雄/山形県新庄市 ・過保護:シプカ/山形県新庄市
◉kitokitoMarche(9.17) [農家さん] ・AspAshiA農園(舟形町)/野菜各種 ・みちかけハーブ店(舟形町)/手作りハーブティー ・farm ochi(尾花沢市)/バジル、夏野菜、スイカなど ・tanfarm(新庄市)/ラスベリー加工品、ハーブ類 ・大沼養蜂(真室川町)/天然純粋蜂蜜 ・果樹園木楽(朝日町)/りんごジュース ・くまちゃんなめこ(鮭川村)/なめこ ・松田農園(新庄市)/玉トマトと畑なす、季節の野菜 ・農林大学校マルシェ部(新庄市)/野菜、果樹各種 ・ぷりぃま&やくわファーム(鮭川村)/ジャム&つまみ細工 ・くまのさんのはちみつ(新庄市)/はちみつ ・リンゴリらっぱ(新庄市)/りんご・洋梨・ジュース ・工房ストロー&田中りんご屋/野菜・加工品各種 ・舟形マッシュルーム(舟形町)/マッシュルーム
[飲食店さん] ・自家焙煎珈琲ひぐらし(鶴岡市)/自家焙煎珈琲 ・bino(新庄市)/自家焙煎珈琲 ・サンヨーコーヒー(山形市)/自家焙煎珈琲 ・ハッピーゲート(鶴岡市)/だんごなど ・カフェフクダエン(新庄市)/抹茶類 ・こめやかた(村山市)/クレープなど ・からあげ 十兵衛(新庄市)/唐揚げなど ・悠豆里庵(新庄市)/餡スイーツ ・新国亭(新庄市)/カレーそば ・ainsi(最上町)/焼き菓子
[クラフト屋さん] ・結yui(村山市)/布小物 ・織田家具建具店(真室川町)/クラフト・雑貨 ・毛玉工房(上山市)/クラフト・雑貨 ・3ML WORKS(横手)/木製品
[体験] ・アオムシ(新庄市)/ピザ作りWS ・スタジオアース(新庄市)/青空ヨガ ・シルクスクリーン印刷/R&Hプリントスタジオ
他詳細は追記していきます。
https://kito-kito.tumblr.com/
Tumblr media
0 notes