#その他大勢
Explore tagged Tumblr posts
Text
その他大勢の宝石たち
1対1対応に割けるリソースは少ない。
その分価値も高くなってしまう。
欠けやすい宝石は他の宝石とは混ぜられない。
だからこそ、その他大勢の硬い宝石達に感謝を。
まとめて対応しても平気な個性を持つ集団が絶対必要なのだ。没個性的な個性が。
まとめられて、その中でも頑張れる人だってすごいのだと思う。
どの石も光っている。
#日記のようなもの#その他大勢#そうじゃない人#かけられるリソース#限られている#だから#集団に感謝#全ての石#光っている#宝石#人間#例え話#ニューロダイバーシティ#定型発達#ニューロティピカル#ニューロダイバージェント#お互いが必要#かも#普通#普通じゃない#支え合っている#お互いに
2 notes
·
View notes
Text









落ちてもなお、ここに留まっている葉や枝。
もう半年以上もここに居る者も。
辺りは新芽・新葉が勢いを増して賑やかになってきているのですが、その喧騒を他所に朽ちるのを待っているのか、はたまた最期に煌めく機会を一縷の望みと共に息を潜めて待っているのか。
春の森の片隅で、今も沈黙を守っています。
'25.4.19 春日大社参道、下の禰宜道にて
#奈良#nara#奈良公園#nara park#日本#japan#春日大社#kasauga taisha shrine#下の禰宜道#shimo no negimichi path#葉#leaves#枝#branch#子鹿#fawn#春#spring#photographers on tumblr#natgeoyourshot
142 notes
·
View notes
Text
売り専を呼んだら友達だったw 2
彼が仕事終わるのを待ってる間、他のタ���に掘られて種追加してもらえw
と言われたのでアプリを開いたらタイミングよくイケメンから即ハメしたい。とメッセージが来た。
種マンのまま待機しているとイケメン君が到着。写真よりガタイが良い。
「ケツワレ待機エロすぎw何発入ってる?」 「1発」
「本当に?今追加してやるからな」
イケメン君はP18くらいのデカマラを生挿入してきた。
「種マンコ気持ち良いww」と言いながらガンガン犯されまくった。
「1発目出すよ。イクイク!!」とそのまま種付け。
中に種を擦り付けるように掘られ続け
「あーーやばい。種付けするよ!」と続けて2発目も中出し。
一気に2発も出して疲れたのか、ここで終了。
仕事終わりの彼が戻ってくる前にシャワーを浴びて、20追加した。
効きがすごい。少しだけ目チカチカした。
彼が戻って来た。
「仕事終わって、ネタ引いてきたよ !そういえば時間ある?大丈夫?」 「大丈夫👌」
手際良く準備をしている様子から素人では無さそうな雰囲気。スタートは20にするらしい。
プスっと突いて20入れると「イイ感じ!めちゃくちゃ来てる」と効いてる様子。
ささっと道具などを片付けたらプレイスタート。
さっきガチガチだったチンポとは思えないほどドリチンになっていて、我慢汁が垂れている。
69でお互いを責め合ったり、ディルド突っ込んだりして変態ウケ同士じっくりと楽しんだ。
少し落ち着いてきた頃、タチを呼ぼうという話になって彼がセフレのタチに連絡したらタイミング良くOK!
俺は追加せず、彼は15追加して更にイイ感じになった。
まずは追加したばかりの彼に生チンポを挿入。
「あぁぁぁぁん!!きもちいいいい」とメス鳴きしててもタチは勢いよく掘り続けた。
しばらく掘られてる姿を眺めていたが興奮しまくり…
次は俺に生チンポを挿入。「めっちゃ当たる…!!あぁぁん!!」俺も気持ち良くてメス鳴き…もち���んそのまま掘られ続けた。
「イキそう、、あーー!イク!!」とタチさんは俺に種付け!
続けて彼に挿入して、あっという間に種付け!
2人に1発づつ種付けしてくれた…
お互い掘られてる姿の見せ合いも出来たしめっちゃエロかった…
続く
422 notes
·
View notes
Text
去年人生2度目の発展旅行のことをそろそろ書こうと思う
5日間の休みをもらい、前回果たせなかった淫乱な発展場と前回遊んだM性感の娘にまた会えればというプランだ
ネタもしっかり用意し、どの順番で行くかを事前に考え、いざ
一発目は思い出に残るプレイがしたいと思い、昼からでも盛り上がっているらしい西日暮里の発展場へ、変態度がとても高く生派が多いと聞く、生は怖いなと思っているがPrEPも準備してきたので存分に楽しめるぞと向かったのである
金曜の午後3時頃、前回怖気づいて入れなかった場所に来た、事前に慣れ���い腕への仕込みを済ませた状態で未知なる快感の場へ入っていった
店内には10数名ほどおり、通路で交差する際見られている感じがする、僕は性格柄あまり目を合わせられなかった、まずは店内の構造を知るためウロウロ、あちこちでエロい声とぐちゃぐちゃと交わる音が聞こえると思っていたが、今はそうでもないようで残念、穴掘りブランコが見たく更に奥へすでに先客がおり大股を開き目隠しで待機していた
うわっ、マジでこんなエロいことしてる人いるんだとドキドキして周りの人と見ていたがエロいことが始まる感じがなかった、周りの人もウケが多かったのかもしれない
他の場所でも交尾してるのは1組くらい、準備してきた僕はムラムラする中、来るタイミング失敗したかなと思い暫く待っていたが、周りも含めエロいことにはなってない感じだった
しかしエロくキマっている僕は誰かに犯されたいと直ぐにでもアナルにチンポを受け入れられるようバックの体勢でケツを突き出しローションをたっぷり使いアナルを弄りながら待つことにした、普段なら絶対にやらない行為だが今はチンポが欲しくて堪らないイヤラシく音を立てながら気持ちの良い所を刺激し、チンポで奥深くかき乱されるのを想像しながら待っていると音もなくケツに触ってくる感覚が、目を瞑っていたので、どんな人か分からないが今はどうでもいい、お互いの気持ちの良い部分をこすり合って快感をえたい、ただそれだけだった
その人はアナルを少し弄り、準備が出来てるのか確認したのか直ぐにチンポを入れてきた、大きさやゴム付きなのか感覚では未熟な僕には分からなかったが、念願の↑交尾チンポに犯されて未知の快楽を与えてくれるこの時が今ここに、そう思うだけで興奮しているのが分かる、相手にオナホの用に使われてもいい、思うがままアナルを犯してほしいと足と腰の角度を変え動き��すい位置になったのか、今まで知らない奥の方までチンポが入ってきた、ああ、これが知りたかった
チンポは抵抗もなく長いストロークで全体を擦り続ける、奥に到達する時、喉の奥まで刺激されるような快感があり、そこから引くたびに次も早く突き入れて欲しいと、チンポの先が今どこにあるのか分かる様な感覚で思いっきり犯されていた
このままでも今まで知らない快感が溢れ続けていたが、ふと前立腺のことを思い出した、ここも気持ちいいはずだ集中してみようと、そう思うともう止まらなかった、全身回路が気持ちの良いことに全部接続された感じで、アナルのチンポの動きが手に取るように分かる。次にどこを刺激して気持ちよくしてくれるのかが分かる。もっと欲しいもっとかき乱して気持ちいい気持ちいい、もうそれしか思い出せない
その後寝バックになり、過去の経験で前立腺が刺激される体位と記憶していたので何時も以上に集中すると自分の前立腺の位置や大きさみたいなのが感じられ、今すぐここを好きなだけ突かれたいと、チンポがいい場所に来るたび大げさにアピールした、それで気を良くしたのか、いいのかここが好きなのかと上からズンズン押しつぶすようになり、さらに気持ち良くなってしまった、そのまま前立腺を犯され続けていると、相手はいいかと言って、最初はなんだろうとおもっていると、いいか出すぞ、思いっきり中に出すぞと、ああそうか念願のナマハメ中だしをしてもらえる、自然にいいよ出して、中にいっぱい出してくださいと口から出た気がする
ここからどうなったか、あまり覚えていないが相手の動きが止まるまでの間、ひたすら前立腺を突かれまくり、イキっぱなしだったと思う、一段と激しくなった腰の動きのあと、いくぞと言い、腰の動きがゆっくりと止まっていく、初めての中出し、じわじわ温かい感じがあったと思うがガンガン犯され快感の渦にいた僕はあまり覚えていない
生交尾が終わり、そのままうつ伏せで動けないでいると相手は、そっとケツに触れ「ありがとう」みたいな感じで離れていった、僕は動けず相手がどんな人かも最後まで分からないままチンポにイカされ続けたのであった
相手の方ありがとう、君とやれなかったらムラムラの中、不発に終わっていたかもしれない、現にその後ウケが多かったのか次の相手も現れず、場内もエロい雰囲気が無かった気がする、欲を言えば2人3人と犯されるのを期待して来たので残念だったが、とてもいい経験になったと思う
見知らぬ御相手の方ありがとう、初めての快感をいっぱいもらえたよ
その後、夜に予定している場所へと期待を膨らませ店をあとにするのであった
思い出したことをただ書き出しただけの文章でごめんなさい
つづきもあるかも・・・
63 notes
·
View notes
Text
261 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2025/02/19(水) 20:52:01.05 ID:gUf97r1A 酔った勢いで書くので文才は無い。 赤ん坊の頃に某施設前に捨てられ、養護施設と里親の元で育った私。 妙齢になると婚約者もできたが、育ちを理由に相手両親から結婚反対。自分自身は真面目に生きてきたつもりなので、 やや納得がいかなく食い下がったら、興信所の結果を見せられた。 ようは実の両親(その時点で他界)がよろしくない行いをしていて、その娘との結婚は…って話だった。 もうね、ビックリしたよ。自分なりに出自を調べようとしたことはあったけど、当時の某施設も閉鎖してるし 関係者も見つからないし、素人にはどうにもならなかった。 どうやってこれを?!ってそれとなく聞いたら、興信所の費用にウン百万かかってるっぽかった。 両親は他界済みで親族もいないのでDNA鑑定など確かめようが無いけど、状況的にかなり証拠が揃ってた。 それでも万が一にも他人の可能性…もあるけど、そんな調査結果でもかまわない、息子の嫁となるのだから 調べずにはいられなかったと。 ショックもありすぐには返答できなかったけど、結局調査結果と引き換えに婚約破棄を受け入れた。 現金だが、婚約破棄のショックよりあの調査結果を手に入れられた興奮の方が大きくてわりとすぐ立ち直れた。 特にオチはない。最近10数年ぶりに仕事で元婚約者の実家前を通ったのでふと思い出して誰かに聞いて欲しくなった。
262 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2025/02/19(水) 22:40:48.92 ID:Pu//QosA >>261 壮絶な体験だ 貴方が幸せに、平穏に暮らしておられますように
263 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2025/02/20(木) 14:18:34.85 ID:PpHyPJBS >>261 が幸せになりますように。
46 notes
·
View notes
Text
27歳
なんでそんなに結婚制度がいやなの、と聞かれて、「友達を守るためだよ」って言葉がすんなり出てきた。
結婚制度の無邪気な肯定は、配偶者以外を「その他大勢」に押し下げることで、私はどうしても、絶対に、それが許せない。というか、許すわけにはいかない。
私の友達を「なかったことにされる」なんて、堪ったもんじゃない。私に言わせれば、自由意志を軽んじる浮気不倫の否定は、友情の否定と同義。不倫はカルチャーなんてぬるいもんではなく、人の尊厳です。ポジショントークでもなんでもない。
メディアで叩かれるたびに傷つく。あーぜんぜん社会は、私の「誠実さ」を誠実だとみなしてくれないんだな、と絶望する。
なんとなく5年前の日記を読んでいて、おんなじこと言っていた。交際から結婚制度に変わっただけで、私ってずっとこう。
なんでこのあと、あんなに恋人とか結婚とかに執着してた時期があったのだろうか、と思い返すと、もちろん精神的な未熟さや、わかりやすさへの渇望もあったりしたけど、なにより傷ついたんだよな。
昨日まで普通に会話をしていた人から、「恋人/配偶者がいるから会えません」と言われることが何度かあった。世間はそれを「誠実」と評するけれど、私が大事に紡いできたものは、社会制度やまかり通る倫理の「記号」にいとも簡単に踏み潰されるんだってこと、どうしようもなく悔しくて、やるせなくて、絶対に私も迎合しなければ、と思った。こんな苦しい思い、もう二度としたくなかった。
それでも、この感覚をきちんと取り戻したのってここ1年くらいかも。
枠組みが絡みづらい同性からは当然そうなんだけど、異性からの愛情をちゃんと掬えるようになったし、あたためるのもうまくなった。
そして彼らを大切に思��ば思うほど、やっぱり無批判に��度は受け入れられなかった。この人たちを絶対に、「その他大勢」にしてはならない。私にとっての「誠実」って、こういうこと。
同い年の京大卒、年収1本超え、顔立ちも整っていて話もまあまあおもしろく、何より私のことが好きな男の子と何度かデートしていた時期がある。
何度目かのデートで、「大切に思える人と、はやく結婚して落ち着けたらいいなと思ってる」みたいなこといわれた瞬間、無性にかちんときた。
「ふーん私は結婚5回して左手薬指にでっかい縦爪ダイヤ重ね付けするけどね」って早口で噛みついて、そのあとはさながらお通夜だった。当然その次はなかった。
私、とっても大人気なかったと思う!けど、本当に許せなかった。社会制度に乗っかってサボろうとするなよ。
1年くらいお酒を飲んだり旅行する仲の男友達は、はじめて会ったときに「交際するときはオープンリレーションシップにしている」って教えてくれた。「それって遊びたいだけでしょ」って言う人もいるけど、私はわかってるよ。「『誠実で在る』ためには、それしか選べない」んだよ。
「価値観」はすり合わせられるけど、「美意識」はすり合わせられないらしい。私が恋愛できないのは私に魅力ないから、って信じ込んでいたときもあったけど、世間が謳う美しさと、私が願う美しさがあまりにも違っていただけの話。ポストモダンなめんなよ。
34 notes
·
View notes
Text
NHKに提訴された日本IBMの反論が生々しい…仕様書に記載ない仕様が満載 | ビジネスジャーナル
大手SIerのプロジェクトマネージャー(PM)はいう。 「10年以上にわたり稼働しているようなシステムに数多くの機能が追加されたり、属人的な運用が行われるようになり、ドキュメント化されていない機能・仕様や運用が存在してしまい、全面的な更改や移行の際に想定以上のコストや開発スケジュール遅延が生じてしまうというケースは非常に多いです。 本来であればそうした仕様は初期の検討や要件定義の段階で発注者側が社内の関係部門を調整して洗い出し、新システムで実装すべき仕様と不要な仕様を選別したり、現場の業務オペレーションが変更になる旨を説明して合意形成を行うべきなのですが、システム部門がそれを十分にできておらず、いざ開発が始まると火を噴き始めるというのは非常によくあるパターンです。 特にシステムに関する知見が乏しかったり、社内の力関係的に業務部門のほうが強かったりすると、そのような事態に陥りやすいです。 そして、開発フェーズに入って想定外の仕様が次々と見つかっても、とにかく当初の費用とスケジュールに収めることをベンダーにゴリ押しする発注者もいます。 NHKがそのようなタイプなのかは分かりませんが、少なくても日本IBMの声明を読む限り、NHKがしっかりとベンダーの言うことに耳を傾け��、対等なパートナーとして課題を解決しようとする姿勢を見せていたのかどうかが気になります」
- - - - - - - - - - - - - - - -
別の大手SIerのシステムエンジニア(SE)はいう。 「気になるのは、現行システムは富士通が開発したものなので次期システムも同社が担当するという流れが自然ですが、違うベンダーが選ばれているという点です。 長年にわたる稼働のなかで複雑化した現行システムの実情をある程度把握している富士通が、多くの開発工数が必要だと考えてコンペで競合他社より高い費用見積もりを提示したことで、より低額の見積もりを提示した他ベンダが選ばれた可能性もあります。 また、もし日本のベンダーであればNHKという大きな重要顧客だということも加味して、ある程度は無理難題を要求されても“自前でなんとかする”というかたちになったかもしれませんが、外資系ベンダーは追加開発に伴う追加費用やスケジュール見直しについて非常にドライに要求する傾向があることも、法的紛争に発展した背景としてはあるかもしれません。
- - - - - - - - - - - - - - - -
山岸純法律事務所の山岸純弁護士はいう。 「システム開発においては、一般的に『要求定義』、すなわち『今はこれだが、これからあれを開発して欲しい』という依頼者側の求めをまとめる作業と、『要件定義』、すなわち『これからこれを開発します』という開発者側の理解をまとめる作業があります。 今回の日本IBMの言い分は、NHKから『今はこれだが』と言われたものが間違っていたので開発するのが難しくなった、というものかと思います。 システム開発の失敗を原因とする裁判をよく見るのですが、『要求定義』か『要件定義』のどちらか、または双方があいまいだったために失敗する例がほとんどです。このため、今後、依頼者側が提出した『要求定義』と、開発者側が提出した『要件定義』と、どちらに非があったのかが争点となります。 こういった裁判で、極めて重要な“決め手”となるのは、キックオフから開発破綻まで、何度も何度も重ねられてきた会議の『議事録』です。裁判ではこの『議事録』をもとに、 ・いつの時点で、 ・開発に関するどんな問題が発生し、 ・各当事者はどのような行動をしたのか、 を過去に戻って紐解いていく作業となります(議事録がない場合は、もはや“泥沼”です)。 はたして日本IBMが言っているように『あの時、このままだとこうなってしまうよ、と言っていたじゃん』といったことが認められる場合には、(契約内容による修正もあるかもしれませんが)『このまま』にしたことがNHKの責めに帰すべき事由なら、損害賠償は認められません。 しかし、システム運用の歴史があるとはいえ、NHKはシステム開発について素人であるのに対し、日本IBMはプロ中のプロです。この��め、『こうなるよって、言っていたじゃん』による免責は、ある程度修正されることでしょう」
43 notes
·
View notes
Quote
東京で小さな貿易会社をやっている知人が、繊維の関係で京都に常駐するようになり、上方の商法に惚れこんでしまった。 「商売というより、芸だね」 という。 京都の飲み屋の奥の小さな座敷でのことである。東京と上方の商人が入りみだれるようにして、商談とも寄合酒ともつかぬ酒の飲み方をしているところへ、たまたま私が入ってきて、一座の末席にまぎれこむはめになった。 席上、東京方は、最初から肝を打ち割って、原価はこれこれだから手前どもは何%の利益だけは確保したい、それ以下はだめだ、といっているのに、上方勢は肝を見せず、話題を容易に損得の核のなかに入れようとせず、その周辺で饒舌をつかい、冗談ばかり飛ばして相手の肝にさらに奥があるのかどうか、あるいはもっとうまい利益がひき出せないものかどうかなどと、耳もとに飛ぶ羽虫のように口さわがしくやっている。一方、東京方はほとんど沈黙していたが、ときどき上方勢の冗談が的を射たときに大笑いしたりして、ひどくだらしがなかった。 (なるほど、漫才が発達したはずだ) と、わが故郷ながら、上方の文化について感心してしまった。私は外野席だから、このゲームにかかわりはないのだが、上方勢の冗談の中に、ときどき凄味のある真顔が出るのがわかった。 (どうも、フェアでない) とおもい、故郷であるだけに、そのことに腹が立ってきた。 この商談の場ともつかぬあいまいな場にあって、話をきいてゆくうちに、当初、かれらには仲間が別に二組いたらしいことがわかってきた。上方勢は、ただ利益の分配が自分に薄くなるために、その二組をこっそり外そうといっているのである。上方弁の修辞が巧緻に駆使されているために、東京方は何のことやらわからずに、ただ聞き惚れている。私は、上方人だから、その修辞の奥に何があるかがわかっている。 「そういうことをすると、道で出遭ったら殴られるぞ」 つい口を出した。私も上方人だから、ついそんな戯画的表現を使ってしまう。「それはフェアでない」というだけで事が済むのである。 すると、上方勢の番頭のひとりが、すかさず、 「鍋かぶって、おもて歩きますがな」 といってのけた。どっと笑いが湧いて、この商売倫理のかんじんなところが吹っ飛んでしまった。 (中略) この一件は、貿易の話で、もともと、かれらの企てというのは、東京方のほうは、採算よりも志のほうがめだっていたし、さらには、私のような素人がきいていても、結局は大損になるだろうというのが目に見えるというたぐいのものだった。 そのくせ、上方勢は欲がありすぎるためにひと足もふた足も乗ってくるのである。ただし自分だけはかすり傷ひとつ負わず、傷は東京方に負わせようとしているために、よりいっそう、饒舌��冗談が必要になっているようだった。このため上方勢は東京方の志にも修辞的には同調するしなをつくり、それを東京方が真にうけてしまっている。 「ちょっと待った」 と、私はときどき通訳を買って出ねばならない。 「この京都の人がいっているのは、上方のあいまい言葉をたくさんならべているだけで、それをとっぱらって、英文和訳式に直訳すれば、こうなるんだ」 といって、ときどき目を醒ましてやらねばならなかった。 「芸だな」 と、東京方の一人が感心したのはそのあとだった。さらにあとのことだが、東京方は結局は上方勢の「魅力」にひきこまれ、共同で商売をやり、数年後にひどい目に遭った。上方勢も(中略)東京方以上の――倒産同然の――すがたでひっくりかえってしまった。東京方は志による自己催眠で倒れ、上方勢はおのが欲と修辞に倒れたといっていい。 (中略) 私はその酒の席にまぎれこんだとき、東京方が、声をあげて上方商法の「芸」に感心しているとき、 「私は自分のところだから言えるのだが、この連中の商いは古いんだ」 といった。 「これからの商売は東京式の書生商売がいちばんいいのに、この連中は江戸時代からやってきたとおりのことをやって、勝手に放電しているんだ」 (中略) ついでながら、右の上方論めかしい部分は、日本の他の地域から疎まれる大阪的露骨さとはべつの系列の主題である。この地に住み古したわれわれにすらときにうとましくなるようなあの即物的露骨さから、いいかげんにわれわれは卒業したいものである。
大阪と東京 どっち派? - mmpoloの日記
28 notes
·
View notes
Text
翌日、亮司は刈払い機を持ちながら「別荘」を出て、昨夜の叫び声が聞こえたところまで歩いて行った。しかし、踏みにじられた跡はあったものの、これと言って目立ったものは見受けられなかった。また、布を引き裂く様な音も聞こえたが、その残片すらなかった。嗚呼、酔っ払っていたからかなァ…。彼はそう思うことにし、昨日やり残したところに向かって行った。
一方、寮では一週間の当直を終えた大平が、持ち込んだ教科書や下着などをボストンバッグに詰め込んでいた。嗚呼、明日からまた授業が始まる。そう思いながら当直室を出て、駐車場へ歩いて行った。
大平は、昨日出会った八坂を忘れられずにいた。向こうから手を握りしめてきたのが、彼にはこの上ない喜びだった。これまで色んな生徒や教師から肉体を求められてきたが、心の底から嬉しく思ったことはなかった。オルガズムだけが総てだった。しかし、最近になり更年期が次第にその「勢い」にも陰りが出始め、また気分にも波があると感じ始めたのだ。そろそろオ◯ニーのやり方を披露するのを止めようかとも考えていた。そんな中での、まさかの出逢い…。大平は八坂への想いを強くさせていた。
「さて、次の当直はと…」
彼はスケジュール帳を確認した。あれ?と彼は思った。
「校長かよ!?」
岩﨑が当直に入ることは滅多にないが、どういう風の吹き回しだろう? とりあえず、
「まァ、たまにはやりたいのかなァ?」
と彼は密かに持ち込んだコ◯ドームを二つテーブルに置いた。
夕方になり、岩﨑が旅行用バッグを持ってやって来た。普段は背広だが、水色のボタンダウンシャツにカーキ色のチノパンツというラフな格好だった。彼は当直室に入ると、まずはテーブルの上に置いてあったコ◯ドームに目が向いた。彼は、
「な、何よ!? 誰が置いたのよ!?」
と廊下にまで聞こえる様な金切り声を上げた。旅行用バッグに入れてある当直のシフト表を見ると、
「あ、あのどスケベ! アタシは童貞クンには手出さないわよ!」
と怒りを露わにした。その声に気付いたのか、石川が厨房から駆け付けた。彼女は、
「あらッ!? 岩﨑の旦那、いらっしゃってたのねぇ〜!」
とテンションを上げた状態で声をかけた。
「あら、忍じゃない。元気?」
「あらあら、コ◯ドームなんて大平先生用意しちゃって、旦那様のことを想って…」
「要らないわよ! アンタにくれてやるわよ!」
「え〜!? アタシ、未だ『ヴァージン』よォ〜」
「そんなの、サッサと卒業しちまいな!」
岩﨑は、石川の着ている白衣のポケットにコ◯ドームを突っ込んだ。まるで二人のやり取りは『夫婦漫才』の様だった。
石川は、今日から一週間は岩﨑には特別メニューを用意したと、献立表を示した。他の生徒には一日だけ、にんにくや生姜を贅沢に使った「豚肉のスタミナ炒め」を提供すると話したが、岩﨑にはコチュジャンをこれでもかと言わんばかりに入れた「プルコギ」にしたらしく、
「ケ◯の穴、火傷しちゃうわよ!」
と何故か喜んだ。岩﨑は激辛の食べ物が大好物だった。石川は彼のあらゆるところを知り尽くし、その都度「ツッコミ」を入れるのに長けていた。彼女は、
「ねぇ、校長? アタシ、いつまで厨房に立たなきゃならないの? 誰かイイ男、来ないかしら?」
と求人の状況を聞いた。岩﨑は、
「御免ねぇ〜、なかなか来ないのよ。一応、月給十八万以上では出してるンだけど…。イイ男だったら、アタシが食べちゃうわよ!」
と言った。
そんなやり取りをしばらく二人は続けていた。
秀一は、明日からようやく本格的に教壇に立てると、とりあえず片付いた部屋の中で、たまたま見つけたアルバムを眺めていた。それは高校時代のもので、当時所属していた陸上部で一緒だった同胞と写っていた。主に大会があった後、亮司がカメラで撮ったのだが、彼は写真が好きだった。時折、秀一と二人っきりで写っている写真もあり、彼の隣に立つ亮司は無表情だった。しかし、大会の後は緊張が緩んで一緒に食事へ行った時にはビール片手に陽気になり、その勢いであの仮住まいで激しい接吻と抱擁を交わした。
亮司の様な男(ひと)は、高校を卒業してからは一人も現れなかった。大学に進学してから間もなく、内部告発か亮司が教職を懲戒免職になったことを聞いた。恐らく、彼の妻だったのだろう。都立A高校の近くに��住まいを借りていたのを知ったのだ。どういう経緯で知ったのかは不明だが、かなりショックだったらしい。それから亮司とは音信不通になってしまった。
秀一が教職を選んだのも、赴任した高校の何処かでもしかしたら亮司と再会できるかもしれないという思いがあったからだった。しかし、都内の高校をあちこち渡り歩いたが、彼の目前に亮司は現れなかった。いい加減、そんな思いはかなぐり捨てようと、まァ、ある程度のキャリアもあるしと軽い気持ち��私立K高校に来たのである。その間、自分も一時期は同じ教員や生徒の一部と関係を持ったり持ちそうになったりしたが、亮司の様な激情沙汰に至ることはなかった。
私立K高校では、もしかしたら何かあるかもしれないと、秀一は何か胸騒ぎがした。理事長の貢や校長の岩﨑と出会った時、そんな予感がしたのだ。また、やはり心の中では亮司に対する思いは消えていなかった。嗚呼、もし再会できたら思いっきり愛して欲しい…。
明日から本格的に始まるK高校での生活に、秀一はアルバムを閉じると両腕でギュッと抱きしめ、ローテーブルの上に置いた。クローゼットの引き戸のホックには、明日袖を通す背広が掛かっていた。
真夜中になり、岩﨑は巡視を終えると宿直室に戻った。さて、シャワーでも浴びるかとシャワー室のドアを開けようとした時、「あの声」が聞こえてきたのだ。彼は、
「な、何!?」
と周囲を見渡した。彼は脱ぎかけたTシャツを再び着て寮の外に出た。
「あッ、あん! あん! あん!」
何か鞭の様なもので叩く音が響く。校内で「SМプレイ」でもやってるのかしら!?と、岩﨑は恐怖感で震えながらもその声が聞こえる方向に歩いて行った。
雑木林に来た時、遠くの方に亮司が寝泊まりする「別荘」があったが、すでに日付も変わっている時間帯だったので照明は付いていなかった。それでも、
「も、もっと絞めて! 虐めて! 犯して!」
という声が響く。岩﨑の恐怖感は最高潮に達し、
「だ、誰かいるの!? 返事しなさいよ!」
と大声を上げた。しかし、何の反応もない。懐中電灯をあちこち向けてみるが、それに気付く気配もない。まさか、「おばけ」!? そう確信した途端、
「キャアァァァァァァ〜!」
と悲鳴を上げ、雑木林を跡にした。
その夜、岩﨑は布団にくるまって一睡もできなかった。
26 notes
·
View notes
Text
マスコミの同調圧力と大合唱の中、唯一の光明のようなこの真っ当な意見があって本当に良かった
■ 曹洞宗の見解(詳細) 解散請求には反対、または慎重を期すべきとする。 理由は以下の通り:
法人を解散しても信者の信仰や宗教活動は止められない。別名義で再設立される可能性も。
解散後は宗教法人でなくなるため、行政による監督対象外になる。 (役員名簿や財務書類の提出義務が消える/文化庁の調査権が及ばない)
財産隠しのリスク:裁判の間に旧統一教会が財産を海外に移転する懸念がある。
被害者救済が不十分になる恐れがある。
拙速な解散命令は、信者の孤立を深めカルト化を助長する危険性がある。
宗教界としては、信者や二世信者に対する「居場所」や「受け皿」も必要である。
■ 旧統一教会に対する基本姿勢
2023年1月、「旧統一教会をめぐる社会問題に関して」という談話を発表済み。
強引な献金・勧誘、法律や倫理に反する行為などを強く批判。
宗教が人々を苦しめる現状に「怒りと悲しみ」を表明。
被害者救済の必要性は認識している。
■ 法的な問題点への懸念
宗教法人の解散命令が出た過去事例はオウム真理教(刑事事件)などの2件のみ。
旧統一教会への解散請求は、民事事案が根拠となる初のケース。
政府が解散請求の適用条件を拡大している可能性がある。
信教の自由やその他の基本的人権を侵害するリスクにも留意が必要。
■ 結論
今回の解散請求には懸念が残るため、拙速な判断を避け、慎重に対応すべきという立場。
被害者への補償・救済が最優先事項。
宗門としても、今後の政府対応を注視し、支援のあり方を検討していく意向。
31 notes
·
View notes
Text

夏旅2024 延長戦 - 中山道奈良井宿
最後の1回分の青春18きっぷを使い切るべく最後の夏旅へ。��的地は中山道の宿場町 奈良井宿。
標高900mの宿場町へ
都内から中央線でひたすら西へ。途中 高尾・甲府・塩尻での乗り換えを挟み奈良井へ。私と同じような18きっぱーの他、日帰り登山客も大勢いらっしゃり、朝の中央線は高尾から先 超満員。これは全くの想定外でして(考えが甘すぎた)。。。甲府までの2時間弱 立ちっぱなし。とはいえいつもなら特急でびゅんと通過してしまう中央線の沿線風景をのんびり楽しみながら移動できました(ちなみに塩尻から先、中央西線2両編成も激混みでした)。到着したのは奈良井宿の最寄り駅、標高900mの高地 奈良井。
重要伝統的建造物群保存地区 奈良井宿

一帯は重要伝統的建造物群保存地区に指定され、古い街並みが1kmにもわたり続いているとか。
時期的に日差しの強さと観光客の多さが若干つらいものの、雰囲気の良い街並みにシャッターを重ねながらの散策みた。


趣のある古い旅館が現在も営業。一度は泊まってみたいなと思うものの、一人旅には敷居が高い。。。

歴史を感じさせる重厚感ある建造物と青い空、白い道。大変美しいのですが、明暗差ゆえに写真に収めるのが結構難しく、頑張って補正してみたが若干 不自然さが残る気がする。秋雨の早朝とかであればより雰囲気よく写せそう。

奈良井川の清流にかかる橋。奈良井宿を紹介する記事ではよく見かける気がする。自動車で訪れる場合、こちら側がエントランスになるみたいですが、電車でやってきた私は最後にたどり着きました。最初にこれが見られるのかな?と思っていたのでなんだか変な感じ。
おまけ、Lunch Snap

信州にきたらやっぱりお蕎麦だよね。ということで散策の道中 いくつか見かけた蕎麦屋のうちの街並みの端よりの1軒「宿場そば 山なか」さんにて冷たい山菜そばをいただきました。囲炉裏のカウンターもある素敵な雰囲気の店内と気さくな接客のおばちゃん、派手さはないがちゃんとおいしいお蕎麦。満足でした(はじめは空いていた店内もあとからあとからと来客がありあっという間に満席に)。
47 notes
·
View notes
Text
Sean bienvenidos japonítasarqueológicos a una nueva entrega, en esta ocasión vengo a aclarar dudas sobre la diosa Amaterasu dicho esto comencemos. - Amaterasu aparece en los libros kojiki y Nihonshoki que son los más antiguos de Japón, dicha diosa simboliza el sol, la luz, la compasión y la verdad. Además Representa la casa real con la flor de crisantemo, también ha recibido otros nombres como: "Hirume" y "Mukatsuhime. Sus padres eran izanagi(dios creador de Japón) e izanami(diosa del infierno), izanagi al quedar contaminado de la tierra de Yomi fue a purificarse y al quitarse la ropa fueron naciendo los demás dioses y ella nació de su ojo izquierdo. Amaterasu gobernaba el Takamanohara y su hermano Susanoo era el dios del mar. - Amaterasu, estaba asustada por su hermano menor y decidió esconderse en una cueva profunda en Takamagahara llamada "Ama no Iwato" y bloqueó la entrada. Este es el famoso “Amaniwato no Kamigakure”, que el pueblo japonés sigue recreado como una de sus muchas tradiciones populares. - Como ya hablamos en otras publicaciones el sintohismo, es una religión autóctona de Japón que durante la era Meiji sería utilizada para clasificar lo japonés y de lo que no era japonés, los japoneses nunca dejaron el sintohismo de lado. La simbología de la bandera japonesa se remonta desde tiempos muy remotos. - La diosa Amaterasu tiene unos 5000 templos dedicados a ella y se llaman Shinmei Jinja. El templo se localiza dentro del santuario Ise Jingu, también conocido como (oise-san) y el templo se llama Kotai jingu. En la ciudad de Iwato en la prefectura Miyazaki se encuentra el santuario Amanoiwato donde se dice que Amaterasu fue establecida como deidad principal. Amaterasu lo podemos traducir como: Diosa del sol o como diosa solar. - 新作へようこそ、今回は天照大神の疑問を解き明かすということで、始めましょう。 - 日本最古の古事記や日本書紀に登場する天照大神は、太陽、光、慈悲、真実を象徴しています。また、菊の花で王家を表し、「ヒルメ」や「ムカツヒメ」などの別名も持っています。彼の両親はイザナギ(日本の創造神)とイザナミ(地獄の女神)でした。ヨミから大地を離れ、身を清めに行き、服を脱ぐと他の神々が生まれ、左目から生まれました。 アマテラスは高天原を治め、弟のスサノオは海の神でした。 - 弟を恐れたアマテラスは、高天原の深い洞窟「天の岩戸」に身を隠し、入口をふさいだ。これが有名な「天岩戸の神隠れ」で、日本人は多くの人気のある伝統の1つとして再現し続けています. - 他の出版物ですでに説明したように、神道は日本固有の宗教であり、明治時代に日本人とそうでないものを分類するために使用されましたが、日本人は決して神道を放棄しませんでした.日本の国旗のシンボルは、非常に遠い時代にまでさかのぼります。 - 天照大神を祀るお寺は約5,000あり、神明神社と呼ばれています。このお寺は伊勢神宮内にあり、通称「お伊勢さん」とも呼ばれ、皇体神宮と呼ばれています。宮崎県岩戸市には天照大神を主祭神とする天岩戸神社がある。アマテラスは、太陽の女神または太陽の女神として翻訳できます。 - Welcome to a new installment, this time I come to clarify doubts about the goddess Amaterasu, having said that, let's begin. - Amaterasu appears in the Kojiki and Nihonshoki books, which are the oldest in Japan, this goddess symbolizes the sun, light, compassion and truth. It also represents the royal house with the chrysanthemum flower, it has also received other names such as: "Hirume" and "Mukatsuhime. His parents were izanagi (creator god of Japan) and izanami (goddess of hell), izanagi when contaminated by the earth from Yomi she went to purify herself and when she took off her clothes the other gods were born and she was born from her left eye. Amaterasu ruled the Takamanohara and her brother Susanoo was the god of the sea. - Amaterasu, scared of her younger brother, hid in a deep cave in Takamagahara called "Ama no Iwato" and blocked the entrance. This is the famous "Amaniwato no Kamigakure", which the Japanese people continue to recreate as one of their many popular traditions. - As we have already discussed in other publications, Shintoism is an indigenous religion of Japan that during the Meiji era would be used to classify what is Japanese and what was not Japanese, the Japanese never abandoned Shintoism aside. The symbology of the Japanese flag dates back to very remote times. - The goddess Amaterasu has about 5,000 temples dedicated to her and they are called Shinmei Jinja. The temple is located inside the Ise Jingu shrine, also known as (oise-san) and the temple is called Kotai jingu. In the city of Iwato in Miyazaki Prefecture is the Amanoiwato Shrine where Amaterasu is said to have been established as the chief deity. Amaterasu we can translate it as: Goddess of the sun or as solar goddess.


#日本#アマテラス#アート#写真#ユネスコ#文化#神話#神道#シントイズム#japan#amaterasu#art#photo#unesco#culture#mythology#synthology#sintoism
63 notes
·
View notes
Text
カルタゴ滅亡をトレースする現代日本
◆カルタゴはなぜ滅んだのか?!
日本と同じような商人国家であったカルタゴが、完膚なきまでに滅ぼされた例を他山の石として日本人は国防を考え直す必要があると切に思うからです。
カルタゴは紀元前250年頃、地中海に覇を唱えてい��大国でした。
第2次ポエニ戦争に負けて、戦勝国から武装を解除させられ、戦争を放棄することになったカルタゴは、戦後の復興を貿易一筋で見事に成し遂げ、戦後賠償も全てきれいに払い終えました。しかし、その経済を脅威だと捉えたローマ帝国によって、結局は滅ぼされてしまいました。
滅ぼされる直前、カルタゴの愛国者であるハンニバル将軍は、ローマの考えを悟り、祖国の危機をカルタゴ市民に訴えましたが、平和ぼけした市民は耳を貸そうとしませんでした。
それどころか「ハンニバルは戦争をしようとしている!」と中傷する者さえいました。しかも、最終的にハンニバルはローマに洗脳された者達によってローマに売られ、自殺にまで追い込まれてしまったのです。
平和ぼけした市民は、ローマから無理難題を次々に要求されてからはじめてハンニバルの警告が正しかったことに気が付きましたが、時すでに遅く、徹底抗戦に踏み切るもカルタゴの陥落を防ぐことはできませんでした。この間、たった3年の出来事でした。
ちなみに、生き残ったカルタゴ市民は約5万人でしたが、その全てが奴隷にされてしまいました。城塞は更地になるまで徹底的に破壊され、再びこの地に人が住み、作物が実らぬように大量の塩が撒かれたと言われています。
これはただの負け方ではありません。まさに地上からの抹殺です。
この悲惨なカルタゴ滅亡の理由は2つあると言われています。
1つは、カルタゴ市民が軍事についてほとんど無関心だったことが挙げられます。もともと自国の防衛はおおむね傭兵に頼っていた上に、国内世論も「平和主義的」な論調が強く、有事に備えて軍事力を蓄えておくといったことはままなりませんでした。
2つめは、国内の思想が分裂状態であったことが挙げられます。そもそも挙国一致して事に当たらなければ有事を乗り切ることはなかなか難しいものですが、カルタゴにはそれがなく、戦時中にハンニバルが外地を転戦している間も市民は素知らぬ顔をしていました。そして、ハンニバルを売り渡したのは、ローマに洗脳されたカルタゴの売国奴達でした。
自らの手で愛国者を切り捨てる・・・かくしてカルタゴは「滅ぶべくして」滅んだわけですが、私は今の日本がこのカルタゴに酷似している様に見えて仕方がありません。
今こそ日本の国防を真剣に考えないと本当に危ないと思います。
【対比】日本と似すぎているカルタゴの運命
カルタゴは、フェニキア人が建国した海洋国家で、現在のアフリカ大陸チュニジアに位置しています。
カルタゴは、世界一の造船技術を持ち、スペイン、シチリア島���どの海外領土を支配していました。
紀元前3世紀、地中海貿易により富を蓄え、ローマ帝国と並ぶ強国となります。
BC264年、両者の中間にあるシシリー島で紛争がおこります。そして、これを契機にカルタゴとローマは、世界の覇権を賭けて激突します。この戦いは、23年間の中断をはさんで63年間続きます。(第一次ポエニ戦争、第二次ポエニ戦争)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1867年、島国日本は、長い眠りから覚め、明治維新により近代国家への道を目指します。西洋文明を積極的に取り入れ、富国強兵に邁進します。日清・日露の戦争に勝ち、朝鮮、台湾、南樺太と領土を拡張します。
強国となった日本は、戦艦大和を建造して、世界有数の海軍を持ち、
太平洋をはさみ、超大国アメリカと対峙します。
1941年12月、日本連合艦隊は、ハワイの真珠湾の奇襲に成功します。太平洋戦争が始まります。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
カルタゴの英雄ハンニバルは、象36頭と兵士5万人を率いて、スペインを出発します。象を連れて、アルプス山脈越えに成功、ローマの本拠地イタリア半島を奇襲します。ハンニバルは、イタリアに、なんと15年も踏みとどまり、ローマを一時追い詰めます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「マレーの虎」山下奉文中将は、マレー半島を南下、シンガポールに侵攻します。インド兵への離反策が成功し、1942年2月15日シンガポールは陥落、イギリス軍は降伏します。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
カルタゴは、地力に勝るローマに対して次第に劣勢になります。ついに、名将スキピオ率いるローマ軍が、カルタゴの本拠地に進軍します。カルタゴは、イタリアで善戦していたハンニバルを帰国させ、本土決戦に賭けます。BC202年、天下分け目の戦い(ザマの戦い)が行われます。カルタゴの完膚なき負け戦でした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
アメリカは、生産力、技術力で日本に勝っていました。ミッドウェー海戦を境に、戦局は逆転します。ガダルカナル、硫黄島、沖縄。日本は、敗退を続けます。本土空襲が激しくなり、広島と長崎に原爆が投下されます。日本の完膚なき負け戦でした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
カルタゴは、ローマに無条件降伏します。
全ての海外領土は、放棄され、軍船、象もローマに引き渡されます。軍隊は、自衛のためのものだけが許されました。そして、自衛のためでも戦争する場合、ローマの許可が要ることになったのです。(この許可の項目が、後に大問題となります)
そして、50年賦で1万タラントの賠償金をローマに支払うことが決まります。
ともかく、カルタゴの町は、無事に残りました。100人会は、貴族の世襲制でしたが、戦後まもなく代議員が選挙で選ばれるようになります。
カルタゴは、���主主義の国家に生まれ変わります。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「忍び難きを忍び、耐え難きを耐え・・・」玉音放送が流れ、日本は無条件降伏します。
日本列島以外の領土は、返還されます。アメリカが決めた平和憲法で戦争が放棄されます。(後に自衛隊が誕生します。)国土は焼け野原、アジア諸国には賠償金の支払いが必要でした。ともかく、本土決戦だけは避けられました。
日本は、天皇主権の国家から、主権在民の民主主義国家に生まれ変わります。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
カルタゴ人(フェニキア人)は、ユダヤ人やアラビア商人と同じセム語族で、最も商才があるといわれている種族です。
軍事国家への野心を棄てたカルタゴ人は、ますます貿易や商売に熱中するようになります。ローマ人は、楽しむために働きましたが、カルタゴ人は働くこと自体が人生の目的でした。奇跡の経済復興が実現します。
戦勝国ローマは、休む間もなく、マケドニアやシリアと戦わなければなりません。軍備費の要らないカルタゴは、次第にローマに匹敵する経済大国に、のしあがります。
BC191年ローマは、シリアを打ち破ります。
無敵の軍事大国ローマにとっての脅威は、経済大国カルタゴに移っていくのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
日本人には、勤勉さと物作りの才能がありました。
焼け原から立ち上がった日本人は、ひたすら一生懸命働くことで豊かになろうとしました。エコノミックアニマルと日本人は、陰口を叩かれます。奇跡の経済復興が実現します。
アメリカの核の傘に入り、軍事費もいりません。戦勝国アメリカは、ソ連との冷戦を戦わなくてはなりませんでした。
10%を超す高度経済成長が続きます。日本は、世界第二位の経済大国になります。
ソ連が崩壊し、日米の経済摩擦が激化します。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
BC187年、カルタゴは、50年賦と決められた賠償金を一括払いしたいと申し出ます。いくら叩いても不死鳥のように蘇る、カルタゴ人の経済力に、ローマ人は、羨望と恐怖心を抱きます。ポエニ戦争の悪夢がふと蘇ります。
経済大国カルタゴの最大の悩みは、隣国のヌミディアでした。ヌミディアは、騎馬兵団で有名な、戦争に強い国です。自衛力しか持たないカルタゴを侮り、その領土を侵犯します。
カルタゴは、ローマに調停を頼みますが、黒幕のローマはもちろん取り合いません。ついに、カルタゴとヌミディアの間で戦争が起こり、平和の国カルタゴは、敗北します。
ローマの事前許可のない戦争開始は、条約違反でした。
ローマは、カルタゴに対して、突然宣戦布告をします。
驚いたのは、カルタゴです。ローマの許しを得ようと、300人の貴族の子供を人質に差し出します。しかし、8万人の世界最強のローマ兵が、上陸し、カルタゴに進軍します。
カルタゴの使者が、「どうすれば、許していただけるのですか?」とローマの司令官に聞きます。
「全ての武器を差し出せ。」司令官は、答えます。
カルタゴ��、20万人分の鎧、投げやり、投げ矢、2000の石弓を司令官に差し出します。
すると、司令官は、最後の要求を使者に言い渡します。
我々は、カルタゴの街を根こそぎ破壊することを決めた。
カルタゴ人には、今の街より10マイル内陸部に
新しい居住地帯を造ることを許可しよう。
使者からローマの意向を聞いた20万人のカルタゴ人は、驚愕して、嘆き悲しみ、最後に激怒します。
「こんなひどい仕打ちがあろうか。街を破壊するだと。
内陸部に引っ込めだと。どうせ死ぬなら戦って死のう!」
カルタゴ人は、丸腰で戦う覚悟を決めます。返事の猶予期間の30日間、密かに戦争準備がすすめられます。
武器職人は、連日徹夜で武器を作ります。
若い女性は、長い髪を元から切って石弓の弦が作られます。
こうして、始まったのが、第三次ポエニ戦争でした。
(戦争というより、ローマによるカルタゴの民族浄化です。)
カルタゴは、ここで奇跡的な粘りを見せます。なんと丸腰で三年間ローマの猛攻を食い止めたのです。
しかし、戦闘と飢えと疫病で、20万人のカルタゴ市民は、10万人に減ります。
そして、ついに、ローマ兵は城壁を破り、街へ進入します。
女、子供までがレンガを投げて抵抗しますが、5万人が虐殺されます。
ビュルサの砦に逃げ込んだ5万人のカルタゴ人は、オリーブの枝を掲げて投降します。
彼らは、一部が処刑され、残りは奴隷として売られます。
カルタゴの街は、十数日燃えつづけ、灰は1メートル積もります。カルタゴの復活を恐れたローマ人は、この地に塩を撒き不毛の土地にします。
700年続いた経済大国カルタゴと世界の富を独占したカルタゴ人は、BC146年こうして滅んだのです。


312 notes
·
View notes
Quote
「いつものですね!」とお店の人に声をかけられて常連扱いされるのが好きな人もいるけど、私の場合「誰にも自分を知られていない空間」や「その他大勢のモブである自分」に居心地のよさを感じるタイプなので店員さんに「個」として認識された途端、足が遠退くことはよくある。
Xユーザーの深爪さん
53 notes
·
View notes