#たすく 自閉スペクトラム症の子と家族の物語
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郡司竜平さん著
『たすく 自閉スペクトラム症の子と家族の物語』の
装画を担当しました。
装幀は木下悠さんです。
『たすく 自閉スペクトラム症の子と家族の物語』
郡司竜平 著 / 東洋館出版社
2025年4月17日発売
https://www.toyokan.co.jp/products/5842?srsltid=AfmBOor3Mzec7OE8uL00w7TNNcKVvE1k528PvS7o_H7x4noAKKmd5oM5
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2023年6月13日 村田沙耶香、概念からこぼれ落ち続ける生について
起立性低血圧が関係しているのか分からないけれど朝起きてから、日が沈んで18時頃になるまでの間、ずっとぼうっとしていて頭が回らず、気力も出ないので、実質的には一日が18時以降の時間しか存在していないような心地になる。どうしても、起きてから8時間くらいは経たないと本調子が出ない。
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小説の話。村田紗耶香の「地球星人」を読み終わった。 村田紗耶香は以前から『コンビニ人間』『消滅世界』『しろいろの街の、その骨の体温の』など色々読んでいたのだけど、『地球星人』を読みながら、自分にとって村田紗耶香という作家は思っていたよりも重要かもしれない、と気が付く。
村田紗耶香には読んでいて波長が合うというか、自分の感性に直に刺さるような部分が確かにあって、それが何なのかを言語化するとすれば、人間を脱すること、脱-人間化へと向かっていくというその方向性だと思う。
たとえば、『コンビニ人間』において主人公はタイトル通りの「コンビニ人間」になるわけだけど、それは従来の人間でもなく、男でもなく、女でもなく、「コンビニ人間」という新たな種類の人間。そして、常識的に考えればそれは資本主義と消費社会によって生み出された哀れな存在にも見えるものの、村田紗耶香はむしろ「コンビニ人間」という新たな人間の誕生を徹底して肯定的に描いて祝福しているように見える、その両義性。
もう少し「コンビニ人間」について書くと、「コンビニ人間」は消費社会におけるコンビニというシステムに過剰に適応することによって逆に、社会を攪乱するような不条理な存在になっている点や、結婚という制度を読み替えてひそかにやり過ごしながら反抗するような態度に、ドゥルーズの言うマゾヒズム的な戦略を感じることがある。
「地球星人」には「メッセージを送る相手の絵文字や文体を真似する」というくだりがあるし、「コンビニ人間」でも「他の店員の言葉遣いを真似る」という場面があったと思うのだけど、そこにはASD(自閉症スペクトラム)的なコードへの適応の運動と、しかしそこから逸脱していくような側面があって、既存の法に対してうわべだけは忠実に従おうとしながらも攪乱していく動きが村田紗耶香らしさだと思う。あと、��まASDという単語を出したものの、だからと言ってこれが「ASDの主人公の物語です」と言い切ってしまうことにも抵抗があって、「コンビニ人間」は文字通り、「コンビニ人間」という新しい特異的な人間を描いた小説に他ならない。
「地球星人」においては、主人公は生殖および恋愛という規範を持った地球星人(人間を作る「工場」)に対して徹底的に抗い、そのような自分たち(夫や由宇を含めて)をポハピピンポボピア星人と称する。しかも、幼い頃の主人公は「変身」のためのステッキを持った魔法少女でもある。 そんな中で主人公は性行為も恋愛感情もない相手と合意の元で結婚をすることによって、家族や友人からの圧力をやりすごす。この、「性愛も恋愛感情もない、契約としての結婚や同棲」というのは『コンビニ人間』にもあったはずで、好きな関係性だと感じる。
あと、村田紗耶香を読んでいると、彼女がどこまで「本気」なのかな、ということも考える。 たとえば『消滅世界』で描かれる世界がディストピア的だと言われることはわりと多かった印象があるのだけど、主人公はその世界をむしろユートピアとして見ていたはずで、そのとき、村田紗耶香が「ディストピア小説」としてあれを書いているのか、もしくはもっと純粋に「ユートピア」として書いているのかというのはどちらとも取ることができる。 ああいう世界をディストピアとして風刺的に書く、というスタンスはありうるけど、村田紗耶香はそうではなくて、もっと透明な意識で書いているような気がする。肯定か否定かというより、ある前提において世界を考えた時にこうなる、というのをただただ純粋に書いていく。
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文學界5月号の『ハンチバック』、読み終えているけれど、まだ消化しきれていないので、もう一度読めたら読みたい。 ***
今日、これから自分が書こうかな、と思う小説の候補ができた。 最近、自分は小説には向いていないのかもしれないと思うことも多いけれど、今はとにかく賞に出すことを目標として書こうとは思う。2024年3月31日締め切りの「文藝賞」が本命だけど、2023年10月15日締め切りの「群像新人文学賞」および2023年9月30日締め切りの「文學界新人賞」も可能性としてはある。
正直に言って、ここ最近は「小説」として書くべきことがあるのか分からなかった。小説として書くということは、単なるエッセイでも論説文でも日記でも表現できないものを書くということで、それは虚構の世界という枠を用意することによって可能になる何か。
内容としては以前から「書いてもいいかな」とぼんやり考えていたことだけど、今日になって、それを他ならない「小説」として書かないといけないことに気が付いた、天啓のように。自分の中には何もないと思っていても、必ず何かはあって、でもそれは「社会的に書いてはいけないこと」であるがために抑圧されていたり、単純に、「こんなことを書いても文学にはならない」と思ってしまうようなことが多いけれど、文学は「社会的に書いてはいけない」ような間違ったことをこそ書かなければならないし、「こんなことを書いても文学にはならない」ようなものも、その切り出し方によって文学になりうる。
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文学の特異性、その価値みたいについて、ある種のラベ��ングという観点から考える。たとえば、現代において問題になる(なりうる)ようなラベリングはいくらでも挙げることができる。「女性」「男性」「同性愛者」「障害者」「黒人」「弱者男性」「トランスジェンダー」「鬱病」「発達障害」「ロリコン(ペドフィリア)」「無性愛者」「レズビアン」「ゲイ」「ASP」「マゾヒスト」「サディスト」「犯罪者」「処女」「売春婦(娼婦)」「夫」「妻」「子ども」「フリーター」「反出生主義者」「アダルトチルドレン」「吃音者」「精神病者」……(etc)
でもここで、こうしてラベリングされた概念というのは概念でしかなくて、抽象された、単なる一般的な、そして空虚な概念にすぎない。「女性」と言われるときそれは一般的な「女性」を示してしまうわけだけど、言うまでもなく、実際にはこの世界に数限りない無数の女性が存在していて無限に差異のある、そして深さをもった固有の、特異的な生がある。逆に、特異的な生しか存在しない。
「精神病者」でも「犯罪者」でもでも何でもよいのだけど、そこには本来特異的な、生きられる生としての内面性、ひとつの世界、深さのようなもの(そのように行動すること必然性、内的な世界の法則のような)があって、しかし概念は外的な、一般的な形でしかそれを語ることができない。あるカテゴリーに属する人間の生きられた生そのもののようなものを捨象することでしか、それについて語ることができない(Twitterを上記のようなラベリングについて議論が行われている風景を見ていると、どうしてもそのことを考えてしまうし、不毛な気持ちになる)。
そのとき、文学というのはそのような人々の生きられる生そのものを内側から、その複雑性をできる限り捨象することなく、ひとつの世界として提示する方法であり(人生を追体験する)、それは単なる外的な語り(哲学にせよエッセイにせよ)では不可能なことだと思う。
私たちが普段使う言葉、概念、ラベリングは決して現実を正確に写しとることなんてできなくて、常にそのラベリング(およびそれによってイメージされるもの)からこぼれ落ち続ける側面がある。あるいは、そのラベリングから超え出る側面。 平均的な「人間」が存在しない(統計学的に平均を取ることはできるだろうけれど、すべての人間はその統計学的な平均から必ず逸脱する)ように、ラベリングされた者はそのすべてが必ず、そのラベリングから逸脱する。
書きながら考えているのでまとまりがないかもしれないけど、結局のところ、哲学にせよ心理学にせよ社会学にせよ、この現実そのものの、人間の生そのものの複雑さを捉えることが決してできなくて、(もちろん文学にだってそれはできないのだけど)、生そのものの複雑さ、生の特異性に最も近��位置にあるのが文学だと思っている、信じている(たとえば映画だってこの意味での「文学」でありうるものの、それを語るのが「言葉」である、という点には重要な何かがあると思う)。 ***
ドゥルーズの『批評と臨床』(Gilles DELEUZE "CRITIQUE ET CLINIQUE")を読んでいる。出版されたのは1993年なのでほんとうにかなり晩年だけれど、実際のところ、いつくらいに書かれた文章なのだろう(論集としては、未発表のものと再録のものの両方がある)。 第1章「文学と生」の17ページまでを読んでいて気になった箇所は二か所あって、一つ目は「非差異化のゾーン」という言葉遣い、そして二つ目は[健康」という言葉の特殊な使われ方について。 〈生成変化とは、ある形態(同一化、模倣、ミメーシス)に到達することではない。そうではなく、それは、人がもはや一人の女、一匹の動物、あるいは一つの分子とみずからを区別し得なくなるような近接のゾーン、識別不能性あるいは非差異化のゾーンを見出すことなのだ〉(p13)
ドゥルーズが言うには、まず書くことは生成変化であり、そして生成変化は、「非差異化」のゾーンを見出すことでもある。ドゥルーズといえば「差異」の哲学だけど、生成変化はむしろ「非差異化」のゾーンにあって、そこでは特異性と非差異化が並立しているはずだけど、それはどういう状態なのだろう。
二つ目は、ドゥルーズが「健康」という言葉に込めている特殊な意味について。
〈文学とは、そうなってくると、一つの健康の企てであると映る。それはなにも、作家が必ず大いなる健康の持ち主であるということではない(ここには先の運動競技におけるのと同じ両義性があるだろう)。そうではなく、作家はある抗し難い小さな健康を享受している。その小さな健康とは、彼にとってあまりに大きくあまりに強烈な息苦しい事物から彼が見て聴き取ったことに由来しており、その移行こそが彼を疲弊し切らせているのだが、しかしながら、太った支配的健康なら不可能にしてしまうようなさまざまな生成変化を彼に与えてくれてもいるのである〉(p17)
作家が享受している「小さな健康」と「太った支配的健康」というのは対比されていて、一般的には前者(小さな健康)とはむしろ病の状態であり、後者(太った支配的健康)は、一般的に「健康」であるとされているもの。
もっと言えば、「小さな健康」を享受するのはマイナー文学のことで、問題なのは「病」として見なされうるようなマイナー文学がどのような意味で「健康」であるのかということ。 「エクリチュールに仮託された生 : ドゥルーズ『批評と臨床』における方法と動因」 「芸術における真理とは何か : ドゥルーズの fêlure とハイデガーの Riß」
「健康としての狂気とは何か : ドゥルーズ『批評と臨床』試論」
*** 「世界仰天ニュース」で富士銀行行員顧客殺人事件が特集されていた。何となく、他人事に思えないように感じる。ブラックコーヒーを流し込む。朝ご飯をろくに食べずにストラテラを飲むと気持ち悪い。夢の中で人を殺して、そのあとじわじわと警察に追い詰められていくときのあの緊張感。
最近、小説を読んでいて面白くないときに、自分の頭の中で神経伝達物質(セロトニン、ドーパミン、ノルアドレナリン……)がうまく分泌されていないから面白くないのか、それともその小説自体が根本的に面白くないのかの区別がつかなくなってきている。 ***
今日聴いた音楽。空廻「黒眼青影」、未来電波基地「立体駐車場」、TOOBOE「錠剤」、ビリー・アイリッシュ「all the good girls go to the hell」、ザ・スミス「Bigmouth Strikes Again」、ハチ「パンダヒーロー」
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自閉症の人たちは、反響言語ということばがあるように、相手のことばをそのまま繰り返す傾向を強くもっています。にもかかわらず、自分の親や家族といういちばん身近な存在が使うことばをまねることはほとんどないのです。「TD〔“定型発達”〕の子どもが家族の真似もテレビ・映画のキャラクターの真似も可能であるのに対して、ASD〔自閉症スペクトラム障害〕では家族の真似は困難だがテレビ・映画のキャラクターの真似が可能」(146ページ) これは、実にふしぎな現象です。にもかかわらず、このきわめて重要な事実は、これまでほとんど注目されてこなかったようなのです。そして、ほとんどは“心の理論”という錦の御旗を使って、中に踏み込むことなく画一的に片づけられてしまっていたということなのでしょう。しかしながら、それでは先に進めません。それに対して著者は、斬新な角度から、この問題に果敢に切り込みます。 「ASDの子どもたちは、共同注意〔対象物や他者への興味を相手と共有し合うこと〕が苦手で、意図理解にもとづく模倣���できず、他者の行動やことばをうまく自己化することができ」ない(165ページ)という視点から、実証的なデータに基づいて検討を進め、ASDの人たちは「他者の心的状態の理解に困難を示す」ために、「方言を含むことば遣いの背景にある意図や認識を理解しうまく使うことは難しい」(208ページ)のではないか、という暫定的な結論に到達するのです。 では、なぜASDは「他者の心的状態の理解に困難を示す」のか。それが先天性のものであれ、あるいは脳に起因するものであれ心に起因するものであれ、ここにも、自閉症という症候群の由来の謎を解くかぎが潜んでいるに違いありません。そして、著者の主張の核心は、最終章の最後の段落で、次のように簡潔に表現されています。 「通常のコミュニケーションにおいては、相手を自由意志をもった存在として想定し、その意図を読み取り、働きかけ、参照します。相手も同様にこちらのことを自由意志をもった存在であると認識してかかわっています。いわば意図の読み込みの入れ子構造が成立しています。しかし、ASDにおいては、相手の意図理解や働きかけが弱く、私たちの意図との統合調整がうまくできません。見方を変えると、私たちは、彼らの持つ自我機能の弱さに気づきながら、独特のコミュニケーション形態をつくりあげているのかもしれません」(245ページ)
自閉症は津軽弁を話さない 自閉スペクトラム症のことばの謎を読み解く | 松本 敏治 |本 | 通販 | Amazon
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「トランス叢書」にみる韓国現代フェミニズム運動の理論的展開 ――「トランス叢書」第一巻『両性平等に反対する』の紹介
2021年3月24日 影本剛 1.トランス叢書について このかん日本における韓国のフェミニズム運動および文学への関心が高まっていると言われる。しかし理論的展開については、おそらく読んでいる人は多いのであろうが、日本語でまとまった紹介を見かけていない(私が知らないだけかもしれないが)。本稿では私がいくつか韓国の同時代書籍を読んだ中で、とりわけ強い印象を残した「トランス叢書」(既刊四冊)について紹介し、運動と理論の展開の一断面を書いてみたい。この叢書の筆者たちは運動現場のみならず新聞や雑誌のコラムなどにもよく登場するので、現代韓国の思想や運動に関心のある方ならば見聞きしたことがあるだろう。韓国で議論されている思想や運動のスペクトラムの幅を把握するためには四冊全てを横断的に紹介する必要があるが、この記事をいざ書いてみて、かなり省略したにもかかわらず長文になってしまったことと、全く日本語で紹介されていない状況においてはある程度引用文も必要だろうと判断し、今回は第一巻に限定して紹介したい。 この叢書は、「トランス研究会」に集まった人々が論考を寄せて発行しているから「トランス叢書」という名前であるが、その意図は以下のようなものだ。韓国語の発音ではtransは「トゥレンス」程度になるが、あえて日本語風の英語発音である「トランス」を使用する理由として、韓国の近代が日本帝国主義と米国の混在だという現実を想起させようとする脱植民の努力を逆説的に表現した、とのことだ。今回は論じない三冊の題名は、第二巻『韓国男性を分析する』、第三巻『被害と加害のフェミニズム』、第四巻『ミートゥーの政治学』である。第二巻は二〇一一年に出された『男性性とジェンダー』という論集の改訂版である。第三巻は「被害者中心主義」と「二次加害」に対する言説を批判的に考察することでフェミニズム政治学の射程の広さと深さの最大値を確認させてくれる本である。第四巻は安煕正前忠清南道知事への性暴力告発以降、安煕正と彼の権力を必要とするエリート集団がありとあらゆる手段をとって法廷で性暴力を「不倫関係」へと、つまり「道義的にはアウトだが法的にはセーフ」というストーリー制作をいかに試みたのかが徹底的に分析されている。なお、第四巻「ミートゥーの政治学」は『韓国フェミニズムと私たち』(ダバブックス、二〇一九)に紹介されており(一三四頁)、チェックされた方もいると思う。以下では第一巻『両性平等に反対する』の内容と目次構成を紹介し、簡単な要約と論点を記していきたい。 2.『両性平等に反対する』の構成と序文 『両性平等に反対する』の目次は以下のようだ。 チョン・ヒジン「序文 女性主義は両性平等か?」 チョン・ヒジン「両性平等に反対する」 ルイン「淫乱と暴力を考え直す」 クォンキム・ヒョンヨン「未成年者擬制レイプ、何を保護するのか」 リュ・ジニ「かれらがただ一つ理解する言葉、メガリアとミラーリング」 ハン・チェユン「なぜ韓国プロテスタントは「同性愛嫌悪」を必要とするのか」 「両性平等」は一見よいものに聞こえるのでなぜ反対するのかと疑問を抱かれるかもしれないが、まず韓国における「両性平等」が何を意味するものかについて確認することから開始しよう。キム・ウンシルの簡潔な整理を参照すれば、「例えば韓国の女性政策が両性平等政策なのか性平等政策なのかの問題はとても先鋭な論争対象だ。両性平等はジェンダー平等という言葉を理解するのが困難な政府公務員たちのために、二〇〇五年に女性家族部が考案した用語だ。」そして二〇一四年の「女性発展基本法」改正過程で「性平等基本法」案は退けられ、「両性平等基本法」が政策用語として公式化された。(キム・ウンシル「わたしは女性ではないのですか?――「女性」範疇をめぐるフェミニズムの論争」『コロナ時代のフェミニズム』ヒューマニスト、二〇二〇、二七頁)以上のように、「両性平等」という用語には、ジェンダー平等を拒む「ただ二つだけの性」の平等という意味が込められている。保守プロテスタントが「両性平等Yes、性平等No、ジェンダーOut」と叫び「家族解体フェミニズムに反対」する集会を開くように、「両性平等」は「ジェンダー平等」と全く異なる意味として概念化されているのだ。つまり「両性平等」の含意は男性と女性の「平等な結婚生活」に縮小しているのだ(クォンキム・ヒョンヨン『二度とそれ以前には戻らないだろう』ヒューマニスト、二〇一九、二四三頁を参照)。 では具体的に『両性平等に反対する』を見ていこう。チョン・ヒジンの「序文 女性主義は両性平等なのか?」は本書の射程を簡潔に論じている(この叢書全体の特徴であるが、各序文が各巻所収論文の要約が丁寧にされており、ありがたい)。羅蕙錫の「わたしたちが批判を受けないのであれば何によって歴史を満たすのか」という言葉が引用されるように(一九頁)、相互的信頼による批判と論争を期待する問題提起の書であることも明瞭である。目標は「女性主義(feminism)=両性平等」という誤解に対する具体的分析である(七頁)。 「さいきん「両性平等」と���う言葉ほど反対陣営によって完全に専有された場合はない。その効果も莫大だった。」 「この本は両性平等言説が対照的な論理として誤用される現実に対する問題提起とともに、論理自体の矛盾に注目する。また長いあいだ「先送りされてきた」、あるいは当然なこととして流通してきた韓国女性主義の主要な認識論である両性平等の実態を分析しようとする。」(八頁) フェミニズムはいまだに女性中心主義や女性特権主義という視線から自由ではないのではないかと、両性平等は近代的自由主義と普遍主義(女性も人間)に基盤をおく言説なのではないかと、そして「両性平等」がむしろ女性の努力と抵抗を妨害するのではないかと問題提起をする。女性主義はジェンダーという社会的矛盾を読解することをもって、非可視化されたジェンダーを露わにして抵抗するが、その過程がジェンダーを当然視し、固定する没歴史的やり方になってはならないのだ(一一頁)。 「筆者たちは、この本であつかう同時代韓国社会のイシューは、既存の両性平等パラダイムでは包括できない現実であると見るのであり、両性平等的思惟の軌道の内外を行き来し、別の認識論的道具を動員し(たとえば脱植民地主義)、既存の論争構図を変化させようとする。筆者たちはアイデンティティ・ポリティクス、(男性中心の)平等、女性の社会進出を越え、社会正義としての女性主義を追求する。/女性主義は男性と対立し、男性を代替し、男性に対抗する概念ではなく、新しい社会への移行を提案する思惟だ。女性主義は家父長制の反対言説(counter discourse)ではなく、そうなることもできない。多様な認識者の位置を現わし、その立場と条件を競合する思惟だ。この本がそのような旅程の里程標にならんことを望む。」(一一‐一二頁) なお、本書の編者であるチョン・ヒジンは、さっこんの韓国フェミニズムへの関心の高まりの中で再読されているであろう『韓国女性人権運動史』(明石書店、二〇〇四、山下英愛訳)の編者としても既に日本で知られている。 3.「両性」と「平等」を問い直す チョン・ヒジン「両性平等に反対する」では、両性概念ではほとんどの「女性問題」が解釈できず、両性平等言説では分析・認識・理解することのできない韓国社会の多様な両性関連イシューが論じられる(二三頁)。階級役割や人種役割という表現はないが「性役割」という表現が存在し、「このような単語の存在は、性差別がいかに自然な日常の政治なのか、ジェンダーがいかに認識しにくい社会的構造なのか、いかに脱政治化されているのかを見せてくれる。」(二四頁)そしてオンラインを中心としたミソジニーに反対する女性たちの対応を、あたかもミソジニーと対称的な「男性嫌悪」と命名する思考回路は、性の区別を社会的抑圧制度ではなく対称集団とみなす思考回路が絶頂に達したことを示す。(なお、チョン・ヒジンは別の文章でミソジニーを女性嫌悪と翻訳すると、あたかも対称的であるかのような「男性嫌悪」との対立構図がつくられてしまうと指摘したことがある。チョン・ヒジン「女性が軍隊に行けば平等になるのか」『よりましな論争をする権利』ヒューマニスト、二〇一八、二二二頁の脚注二番)また、両性を二分法的にみる思考の核心的問題は三つあり、第一に位階を対称に偽装し社会的不平等を隠蔽すること、第二に対立する二項の他に異なる存在あるいは異なる思考方法の出現を原則的に封鎖すること。第三に男性と女性の区分は二分法的思考方式の原型として、あらゆる言語のモデル、尺度、起源、典型として人類を支配してきたことにあると指摘��る。(三〇頁) そして「平等」について批判的検討を進める。 「女性が男性の基準にあわせる、男性と同じ対応を受けるという意味の平等は、それを実現するさいにも無数の困難が伴うが、このような意味の平等は、とりわけ既得権勢力と等しくなることを意味するから問題だ。女性主義は男性と等しくなること(「高くなること」)ではなく既存の社会を変化させることだ。/現実において平等は男女全てにとってウィンウィンゲームになりえない。女性の地位変化が男性の地位変化に連結する場合はないからだ。別の階級と人種の女性が既存の女性の位置を占める。」(四六頁) 「平等は別の人と等しくなること(sameness)ではなく、一人の人として他の者たちと公正な待遇(fairness)を受けることだ。〔中略〕また平等は、「適用」されえないものであり、そうであってもならない。適用の主体と対象の区別自体がまさに政治の始まりだ。」(四七頁) 「ジェンダー平等(gender equality)の意味は諸性別のあいだの平等や性別制度による差別是正を意味するのであり、両性間の平等ではない。私も戦略的次元でときおり両性平等という用語を使うが、両性平等は女性主義の錨だ。女性主義の目的のうちの一つは社会正義として性差別を撤廃することであり、男女平等を実現することではない。」(四九頁) そして言葉のミラーリングをこえる「労働の「交換」としてのミラーリング」こそ自分の考える「調和する女性主義」であると主張し、「これまで女性主義は性別分業に反対してきたが、じっさい性別分業がきちんと守られていれば女性たちの重労働は軽減されるであろう」(五五頁)という。「女性の社会進出が両性平等ではない。女性主義のパラダイムは「平等」からケア、差異に対する感受性、社会正義、持続可能な地球に対する責任などへと旧劇に移動中だ。」(五五頁)男性には「良心の自由」より「良心の義務」がより重要であり、「見ないことにする政治」が人間本姓として固定化されてしまうのではないかと恐れると述べ、社会は女性主義からオルタナティブな生の知恵を求めねばならないと論を閉じる。 4.クィア言説と犯罪言説を解きほぐす 次にルインの「淫乱と暴力を考え直す―〇〇地検長事件とクィア犯罪学」に移ろう。この論考は、二〇一四年八月に飲食店の前で自慰をして「公然淫乱罪」で逮捕された〇〇〇地検長の事例から始まる。この事件は有力国会議員によって「露出男」として、つまり一般通念的に命名され、理解と議論の方向性を規定(キュレーティング)した(六〇頁)。ルインはこれに対し「露出男」とは異なるキュレーティングをしてみようと提案する。 「社会通念に従う正誤の判断が、ジェンダーとセクシュアリティをどのように構成し、LGBT/クィアの文脈でいかなる意味になるのか、その通念が何を隠蔽し、いかなる秩序を維持しようとするのかを検討したい。このためにわたしは〇〇〇前地検長が行ったと知られる公共の場における性行為が犯罪になるやり方を、クィア犯罪学によって読解しようと思う。」(六二‐三頁) 「本稿で提起したい問いのように、彼の行動をめぐる論争がクィア政治学といかに出会い相互影響を与えているのかが本稿の争点だ。とりわけ彼の淫乱行為が犯罪行為へと転換される過程はLGBT/クィアの歴史と接点を形成する「慣れ親しんだ」瞬間だという点で、彼がいかなる範疇の人間であれ、クィア犯罪学/クィア政治学でこの事件を扱うことがとても重要だ。」(六三‐四) その問いに答えるためにまず韓国においてクィアがどのように歴史的に登場してきたかが整理される。特に重要なのは一九六〇年代、軍事独裁時代にクィアたちがどう報道されたかである。つまり風紀紊乱や事件事故として、犯罪を媒介にしてクィアが登場したのだ。ただ、当時はトランスジェンダーや非異性愛者は、風紀紊乱や軽犯罪など多様な罪名で逮捕されたとしても、存在自体を犯罪とする法も通念もなかった。しかし朴正煕政権の男性を軍人するというプロジェクトは、女性と男性の区分を明確化し、軍人になりうる男性身体の条件を規定する二元ジェンダー規範を支配規範���するものだった。長髪取り締まりは性別がわからない男性を規制するものだと明示された。つまりトランスジェンダーは社会的規制・統治と緊密に結びついた犯罪形態として報道に登場し、その過程を通して社会的に可視化したのだ。ここで「クィア犯罪学」とは何かが以下の引用のように提示される。 「クィア犯罪学はクィア政治学の流れとクィアが歴史的に登場し認識される交差点に位置する。クィア犯罪学の議論は一九九〇年代中盤から登場したが二〇一〇年代に入って本格化・活発化した。それゆえクィア犯罪学をいかに規定するかは依然として論争的であり、最低限の合意がされた概念はないが、先に説明したようにクィアが既存の支配権力を問題視する仕方と軌を一にしていることは明らかだ。であったとしても、クィア犯罪学を説明するためになんらかの概念を採択するのであれば、LGBT/クィアを「犯罪学論議の周辺から中心へと移動させ、クィアを抑圧する道具として犯罪法システムが書かれた方法を調査し、犯罪法システムに挑戦」する学問、というほどである。」(七一頁) ここでは英語圏の諸文献(Carrie Buist, Emily Lenning, “Queer Criminology”など)が引かれて理論的な議論がなされているが、ルインはフーコーとバトラーの批評critique概念を用いて展開していく。それは事件に対して正誤を語るのではなく、事件を分析する過程で隠蔽されるもの、当然視されるもの、隠蔽と当然視の態度によって発生する暴力と、それを可能にする権力構造を明るみに出す作業のことだ。そして問うべきは、〇〇〇地検長が犯罪者なのか、いかなる処罰をすべきなのか、ではなく「公共の場で性行為を犯罪として処罰することが何を意味するのか、このような処罰や論乱が公共性をいかに構成するのか、そしてこのあらゆる論乱は何を隠蔽して保護するのかを問わねばならない」(七四頁)というのだ。 韓国における性犯罪の加害者が非トランス男性である場合、多様な理由が情状酌量され、比較的軽い処罰になることを指摘しつつも、以下のように問題提起する。「性/暴力を問題にしてきちんと処罰することと、淫乱行為それ自体を暴力に還元し性暴力犯罪に準じて論ずることは全く異なる問題だ。」(七六頁)そして韓国の最高裁判所は、公共の場における淫乱行為を「健全な社会通念」や「善良な性的道義観念」に反するとする判決を何度も繰り返しており、それは社会の支配規範を構成してきた。「淫乱行為は犯罪であり、それ自体として深刻な暴力」だと解釈する論理は、クィアパレードを健全な社会通念に反する「公然淫乱」であると主張し、告発するという事例においても活用される。また、小児性愛や児童性愛や児童性犯罪事件は、異性愛の脈絡、つまり成人男性加害者と幼い女性被害者という構図があるにもかかわらず、異性愛や二元ジェンダー関係による事件だとは命名されることはないと指摘し、以下のように述べる。 「加害者を性倒錯症あるいは小児性愛症と規定し、精神異常であると、怪物であると追放するだけだ。つまり異性愛と二元ジェンダーはそれ自体としてかなり狭い範疇であるのみならず、犯罪が最も多く発生して暴力が最も頻繁に起こる実践であるのにもかかわらず、犯罪と最も無関係なものとして規定される。より正確にいえば、犯罪と関連付けられる時は、異性愛を削除した「異常」セクシュアリティ犯罪、病理的幻想、(精神)障害と関連する行為としてのみ命名される。」(八八頁) 「公共の場での性行為を性倒錯症として命名する作業は、その行為がじっさいに「倒錯」なのか「犯罪」なのかが重要なのではなく、異性愛を安全に保護し異性愛を認識から消して隠蔽するあためにつくられた作為的な診断行為だ。」(八八頁) つまり、犯罪を「倒錯」へと追いやることで異性愛‐ジェンダー構造は成功的に保護されるということだ。 5.性の問いを権力関係から分離させない 次の論考はクォンキム・ヒョンヨン「未成年者擬制強かん、何を保護するのか」だ。擬制強かんとは「同意有無に関係なく強かん」とみなし処罰する法条項のことであり、英語のStatutory Rapeだ。韓国の未成年者擬制強かんが適用される年齢は一三歳未満であり、世界で一番低い年齢に属する(日本の法体系といかに重なりいかに異なるのかを調査すればより立体的な紹介になるであろう)。韓国社会で強かんは長い間貞操の問題として思われ来たが、一九九〇年代以降になって個人の性的自己決定権の侵害問題として理解されはじめた。当初、父が「娘の純潔」を保護するためにつくられたこの法は、二〇世紀に入り、未成年者の性を規制しようとするプロテスタントと、訓育名目で成人が子どもや青少年に性的接近することを封鎖せねばならないと主張するフェミニストによって注目された。この相反する二つの立場は、共通点がある。つまり成人と未成年者を性的に中立的存在と仮定するという点だ。しかし現実はそうではない。 「多くの場合、問題は暴力自体ではなく規範的ジェンダーを実践したかどうかによって評価基準が異なるものになる。/他の犯罪と異なり、性暴力犯罪において捜査官と裁判官たちは被害者の状況を絶えず問題視する。」(一〇〇‐一頁) これは服装、外見が問題視されるということだが、被害者の状況を問わないのがただ一つ年齢だ。児童性暴力犯罪統計をみれば、一三歳未満の被害者の性別は女性八七・八%、男性一二・二%だ。しかし一三‐二〇歳の間では男性被害者は四・二%になる。同時に性暴力犯罪者のうち一八歳未満の男性青少年は二〇%に達する。「つまり一三‐���〇歳の女性青少年たちは性暴力犯罪被害者になる可能性、同じ年代の男性青少年たちは加害者になる可能性が高いということだ。」(一〇二頁)にもかかわらず、擬制強かんの報道は性比が等しく、「両性平等という概念が現実を隠す代表的事例」(一〇一頁)になっている。問いは、年齢が問題を隠しているのではないか、ということだ。擬制強かんの議論が出てくるのは、同意決定能力が年齢によって段階的に構築されるという信頼体系に基づく。「重要な点は性暴力において同意有無は個別事件では重要だが、性暴力という社会問題を認識させるさいには不足した概念であると理解すべきである」。(一〇四頁)また、刑法一三歳、児童福祉法一八歳、青少年保護法一九歳など、法によっても何歳以下を未成年と見なすかは異なっている。年齢によるこのような分類は直線的時間感と肉体に対する精神の優越性を強調する近代的主体論に根拠を置く認識論的信念を規範として前提する。そして韓国において擬制強かん法が果たして子どもを保護する法なのかを問う。 「韓国は全世界で最も低い水準の年齢制限を置いているだけではなく、行為者は、被害者が一三歳未満であることを知らなかったり被害者が年齢をごまかしたと主張すれば処罰を免れる。二〇一一年水原地裁刑事一一部裁判部は一二歳の小学生を成人男性三名が協同し強かんしたにもかかかわらず解釈の問題ゆえに無罪判決を下した。被害者が事件後、再びモーテルに戻って加害者たちにタクシー代をねだり、行為途中に呻吟する声を出すなど同意に準ずる意志表現をしたという理由だ。」「同意あるいは認知の有無を問わず処罰するという原則は適用されないのだ。」(一一六頁) 「児童・青少年を保育および教育、保護観護、医療行為、職業的必要ゆえに会う成年たちが児童・青少年に性的に接近する行為をすべて優越的地位を乱用した行為だと認定するならば、強いて未成年者擬制強かん法を適用する必要がない。/問題は欲求ではなく欲求の実現を可能にする権力だ。暴行、脅迫、威力、位階は私たちの社会が権力の不法的な使用目録として合意してきたものだ。個人間の同等な関係を妨害する社会的な各種の位階を除去するとき、私たちは「自由」な関係を結ぶことができる。」(一一七‐八頁) 「未成年者擬制強かんの保護法益は青少年の「健康な性的発育」ではなく青少年の「性的自己決定権」であるべきだ。この時性的自己決定権の概念を「セックスする権利」とのみ理解してはならない。性交としてのセックスは自分の欲望と快楽、苦痛とのみ関係するのではなく、必ず他人が関与している。バトラーの主張通りに私たちは「私たちの快楽と苦痛に関して常に相互依存的に存在し、これが人間の脆弱性の根本」なのだ。性的自己決定権は性的主体化(subjectivation)過程を経験する権利、つまり具体的関係性の中で自分の身体を社会的な身体として構成していく権利だ。未成年者たちがはく奪されたのはセックスをする権利ではなく、セックスという行為を決定し責任を負うことができる権利、つまり性的主体になる権利をはく奪されたのだ。」(一二〇‐一頁) また選挙年齢と擬制強かん年齢基準の差は韓国が最大であり、「韓国の青少年たちは政治経済的権利から最も排除されていつつも、男性中心の結婚制度の外の性行為においてのみ法的権利を行使できる。」(一二二頁)なんら権利が与えられていないのに、ただ性に対してのみ同意有無を、満一三歳以降から決定できるということは何を意味するのか。 「父母あるいは成人に対する経済的依存こそが性的自己決定に有害な条件だ。それゆえ未成年者の自由権を、制限するやり方ではなく保障するようにしようとすれば、この問題を青少年の身体的・精神的に「健全な」発達過程の問題という発想から捨てねばならない。むしろより効果的で現実的な性教育を受ける権利、未成年者の安寧と福祉のためによりよい教育環境と政治制度を要求する権利、生活可能な最低賃金を受ける権利などが未成年者の性的自己決定権を可能にする条件だ。擬制強かん年齢上向の可否に対する討論がしばしば「最近の子どもたち」の性的発育に対する(かなり小児性愛的欲望のように聞こえる)事例にはまり込んだり、過去の根深い悪習である早婚を未成年者の性を尊重する事例として誤解するというひどい状況にはまり込む理由は、性を他の社会的関係から独立的で自律的な変数として見なすからだ。」(一二三頁) このように閉じられる議論は、セックスの問題ではなく権力の問題として、年齢そのものではなく年齢によって権威が分配される政治経済学の条件を問わねばならない、ということだ。「選挙権の年齢を下げ、最低賃金を施行し、擬制強かん年齢を上げる」(一二四頁)とき、擬制強かん法を、よりより生を可能にする公的介入の契機として考えることができるのだ。 6.保守プロテスタントはなぜ同性愛嫌悪を必要とするのか 次の論考はリュ・ジニ「かれらが唯一理解する言葉、メガリアとミラーリング――ポスト女性主体の誕生に寄せて」は、ミラーリングに対する状況の整理とミラーリングはヘイトスピーチではなく新しい表現であると評価していく論考であるが、紹介は省略する。 最後の論考はハン・チェウン「なぜ韓国プロテスタントは「同性愛嫌悪」を必要とするのか?」である。この論考の問題提起は以下のようなものだ。韓国の保守プロテスタントはなぜ二〇〇七年に差別禁止法反対を主導したか? なぜ二〇一〇年から反同性愛運動を組織的に展開することになったのか? なぜ二〇一五年になってクィアパレードに対する数万人の反対集会を開くようになったのか? なぜいま同性愛を嫌悪することにかくも総力を傾けるのか? 「韓国プロテスタントにのしかかってきた危機は、単純な信徒数の減少ではなく、はるかに深い底からの崩壊という深刻なものであり、韓国プロテスタントが政治勢力化を夢見て性的少数者の人権運動と正面から出会う場面を発見することになるだろう。」(一五八頁) 韓国の保守プロテスタントが反同性愛運動を積極的に展開した最初の時点は二〇〇七年だ。プロテスタント信者であった金泳三大統領に続く金大中大統領はカトリックであり、反共主義を根幹にする保守プロテスタントの立場からは金大中の太陽政策などは受け入れがたいものだった。また同時に有名牧師の横領事件や教会牧師世襲など、保守プロテスタントに対する社会的信頼も墜落した。盧武鉉大統領の当選(二〇〇二年)は保守プロテスタントが極右政治勢力と本格的に手を結ぶきっかけになり、星条旗と太極旗を掲げた集会を開き、危機をあおっていく。 保守プロテスタントが二〇〇七年に差別禁止法反対を鮮明にした理由は同性愛を罪と教えると犯罪になり、そのような国家の弾圧を通して境界や教会系の学校の自主性が奪われる、というものだった。 「そもそも差別禁止法に最も反対していたのは、この法によって労働者の採用と解雇に制約を受けることになる「全国経済人連絡会」と「韓国経営者総協会」のような財界であったという点だ。それゆえこの差別禁止法がプロテスタント界の反対にぶつかったのは予想できないことだった。」(一六五頁) これは法務部〔法務省〕も予想していなかったと思われる。(一六五頁脚注一二番) 二〇一〇年に入ると、韓国のドラマ史上、初めて男性同性愛者を主人公にした「人生は美しい」(SBS)が放映されたが、これに抗議する「正しい性文化のための国民連合」による新聞広告が出された。その中身は「「人生は美しい」をみて「ゲイ」になった私の息子がAIDSで死ねばSBSは責任を取れ」という題名の声明書だった。また、二〇一〇年一〇月、国家人権委員会が同性間性行為を性暴力と同一視する軍刑法九二条に違憲の疑いを表明し、憲法裁判所に改正の勧告案を提出した。「反同性愛運動側は焦点を変えて軍隊で同性愛を許容すれば軍隊の基軸が壊れて戦闘力が弱まり、北にのみ有利になり、けっきょく赤化統一されると述べ、安保問題と〔反同性愛運動を〕結びつけた。」(一七一頁)このように二〇一〇年代の政治的イシューが保守プロテスタントにとっていかに受け取られたのかが一つ一つ語られる。 また保守プロテスタントの関心は朝鮮民主主義人民共和国での宣教であり、教団別に宣教地域の分割もしていた。朴槿恵の有名な発言である「統一は最高(テバク)」の背景でもある。また同性愛者に対する嫌悪は、信仰から出たものというよりは、恐怖と嫌悪を通して勢力を拡大する目的によって行われた。「教会を攻撃したい「外部人」を想像することだけでも、ただちに教会に「苦難」がぶつかってきたように設定できる。そしてこの「苦難」はともすれば神がわたしたちを「試される」ことでもありうる。」(一八〇頁) 同性愛を愛や生、アイデンティティではなく性行為としてのみ扱う時、簡単に社会的通念にしたがって道徳的な非難対象になる。政治的に優位を占めたいときに道徳的・倫理的な優越さを見せつけることはありふれた手法だ。つまり「反同性愛をさけぶ者たちは同性愛を真に嫌悪しているのではなく、「同性愛嫌悪」を切実に必要とするのだ。」(一八九頁)そして、性的マイノリティは、「大衆が簡単に思い浮かべることができるステレオタイプのイメージを帯びたありありとした「他者」であると同時に、いかなる抑圧にも屈せず激烈で強靭に抵抗することが明らかな「集団」でもある。かくも素晴らしい「敵」は決して逃すことはできない。このような点で二〇〇〇年代後半に政治勢力化を夢見るプロテスタントと人権増進を夢見る性的少数者の衝突は必然的な出来事だ。」(一八九‐九〇頁)誰がなぜ嫌悪を必要としているのか、それを問わねばならないのだ。 7.まとめ 長々と書いてきたが、「両性平等」という用語が保守的に占有されている中、「両性平等」という用語に込めることのできない諸現場から、現場で使える別の概念をつくっていくために、絶えず理論や歴史を参照し、新たな接合を通して自分たちの力になる議論を模索する��事例を見ることができる。そして個別化するのではなく社会的文脈の中で事件を解釈するという強い意志も表示されている。ここではトランス叢書第三巻『被害と加害のフェミニズム』の序文から、フェミニズムの展望を描く部分を引用しよう。いかなる磁場で議論せねばならないかが浮き彫りにされている部分だ。 「フェミニズム運動は、一体いつまで被害経験の共通性のなかに意識高揚の「燃料」を求め、怒り、暴露するというやり方を繰り返さなければならないのだろうか。いつも同じ所を堂々巡りするような感を拭えない。問題のある数多の個人を名指し、加害事例のリストを増やし、被害の証拠を収集し、お互いの抑圧された経験の共通性を掘り下げていくことは、結局、女性を被害という現実に押しとどめてしまうのではないだろうか。被抑圧者のアイデンティティが本質主義に出会うとき、解放への展望は失われる。そうなれば、私たちにできることは、せいぜい被抑圧の条件を持ち寄って一緒に暮らす臨時避難所に過ぎない。/「被害者の味方」をして加害者を処罰することは、フェミニズムの目標でも展望でもない。それは単に法治国家の常識であるにすぎない。そのために被害者が人生を賭けなければならないような社会なら、希望はない。フェミニズムは加害者を処罰し、被害者を保護しようという思想ではない。フェミニズムはそれ以上のものだ。フェミニズムはむしろ、被害と加害という位置が与えられる方法そのものに関心を持つのである。(クォンキム・ヒョンヨン「序文」『被害と加害のフェミニズム』教養人、二〇一八、九‐一〇頁) トランス叢書の議論は閉じられておらず、信頼に基づいた批判が待たれている。日本の文脈に移植して直ちに使える議論だとは言えないだろうが、議論を展開していく方法と、何を前提にして議論を始めるべきなのかを思い切って設定すること、そして現場と分離不可能な記述によるエンパワメントの可能性は実感できるのではないかと考える。
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発達障害ー高機能自閉症ー
2018年11月号
朝晩はめっきり寒くなりました。今年は災害の多い年でした。皆様、お元気でお過ごしください。
発達障害ー高機能自閉症ー
今回は、発達障害の中で、私たちに最も身近な存在である”自閉症”について考えてみましょう。私たちは、無知から自閉症の子どもたちに間違った接し方をしているかもしれません。
Ⅰ.発達障害の分類
1.精神遅滞(知的障害)を視点とする・・・第1表参照
知能が平均より有意に低く(知能指数IQが70以下)、かつ、社会的不適応をきたし、その状態が18歳までに出現するものを精神遅滞と呼んでいる。重度精神遅滞20<IQ<35、中度精神遅滞35<IQ<50、軽度精神遅滞 50<IQ<70、に分けられる。IQが70以上は定義により精神遅滞でないとされる。 遅れが中度よりも重い場合は,言語理解に乏しく,身辺自立困難,自傷,他傷,こだわり,破衣などの行動上の問題が出現することが多い。軽度の遅滞では,身辺自立は成立していることが多いが,本人の能力と要求水準の間に乗離があり,思春期以降になって,情緒障害、非行,性的問題などの社会不適応をきたすことがある。 全人口の約2%に精神遅滞が認められるが、その大部分は軽度精神遅滞である。 また、医学的には”精神遅滞”であるが,福祉や教育では”知的障害”と呼よばれる。
2.障害のカテゴリーを視点とする・・・第2表参照
(ア)自閉症(Autism) 自閉症のうち70~80%が精神遅滞を伴うが、大半は軽度の遅滞である。 (イ)注意欠陥多動性障害(ADHD;Attention Deficit/Hyperactivity Disorder) ADHDの人は、ほとんどが精神遅滞を伴わないか、あっても軽度遅滞である。(以下次ページ) (ウ)学習障害(LD;Learning Disorder) LDの人は、ほとんどが精神遅滞を伴わないか、あっても軽度遅滞である。 (エ)その他(チック障害、レット障害、小児期崩壊性障害等) 第2表で、古典的自閉症、別名、カナーtype自閉症は、米国の精神科医、レオ・カナーが 1943年に”自閉症”という名称を提唱したことによる。つい最近まで、自閉症といえばカナ ーの提唱した自閉症をさした。その診断基準は、①他者との情緒的接触の重篤な欠如、 ②物事をいつまでも同じにしておこうとする強い欲求、③物に対する強い関心と、物を 器用に扱うこと、④言葉が無いか、あったとしても、オーム返しや他者には通じない���特の 言葉を使ってしまうなど、コミュニケーションに役立たない言葉の使い方、⑤知的な顔立ち、 カレンダーの計算など、特殊な領域での優秀な能力、の5点である。
Ⅱ.高機能自閉症の障害の特徴
高機能自閉症の”高機能”の意味は、IQが70以上という基準である。高機能と
一口に言っても、IQが70ぐらいの境界域から、IQが140台の知的能力が非常に
高い人までを一括して言っている。高機能は「能力が平均より高い」という意味
ではなく、「明らかな知的遅れがない」、という意味で専門家の間で使われている。
IQが70台の自閉症の子どもは、定義上、高機能自閉症と呼ばれるが、かれは
小学校の普通学級の学習課程をこなすことが難しいことが多いでしょう。
高機能自閉症スペクトラムの基本症状は、 ①社会性の障害、②コミュニケーションの障害、③想像力の障害、こだわり この3つを三組の障害という。これらの症状が出揃うのは3歳を過ぎてからが多い。 精神遅滞のない子どもの場合は、健診などで自閉症を見逃される恐れがある。
1.社会性の障害・・・他者との交流がスムーズに行かない状態を言う。次の3グループがある。
(ア)孤立型 孤立型の子どもは、相手が存在しないかのように振る舞う。同じ部屋に一緒にいても、同じおもちゃで遊んでいても、一緒に遊んだという実感を持ちにくい。名前を呼ばれても、肩を叩かれても、顔を上げたり返事すること無く、一人遊びに没頭している。また、その遊び方が独特であるために、周囲が遊びに参加しにくく、無理に遊びに介入しようとすると、嫌がられることが多い。
相手の存在が見えていないように振る舞う。欲しいものがあるときは、相手の手を引っ張って、物をとってもらおうとする。子どもが関心を持っているのは、あなたの手であって、あなた自身ではない。欲しい物が手に入れば、あなたは用済みです。もしあなたが冷静な観察者の視点を持っていれば、あなたは子どもにとっては、単なる道具としてしか機能していないことを悟るでしょう。 孤立型の子どもは、他者に気持ちがあるということを理解していないだけ。このような状態は、比較的重度の自閉症スペクトラムの幼児期に最も多く見られる。しかし、年齢を重ねるごとに、対人関係も少しずつ変化していき、次に述べる受け身型や積極奇異型へと移行していく。 (イ)受け身型 人からの接触を避けようとすることはなく、孤立しているというイメージは持ちにくいタイプ。周囲の人に従順で、いつも笑顔で言われたことに従うので、小さな頃は、遊びに入れてもらい、世話好きな女の子たちからかわいがられる。しかし、大きくなるにつれて、遊んでもつまらない子、とみなされてしまい、仲間に入れてもらえなくなってしまいがち。問題行動とされる行動があまり見られないから、その分どちらかといえば、学校では放置されていることが多い��学級崩壊のクラス、多動や乱暴が目立つ生徒がいるクラスでは、受け身型の子どもは忘れ去られる。無能の教師からは、問題のない子どもと歓迎されたりするが、実は大きな問題である。なぜなら、貴重な教育期間に意味のあることを教育してもらえることが少なく、ただ一日を過ごすためだけに学校に行くことになりがちである。 また、従順であるために、教師や友人からも、いろいろと無理を要求されがちである。無理をしてストレスがたまる。思春期以前の素直な時期には、無理に周囲の要求に合わせていても、青年期になって、その反動のように大きな問題が出現することもある。実は、受け身型の子どもたちは、細心の注意が必要な子どもたちである。いじめの被害者になっても、教師や親に気づかれにくいという点でも注意が必要である。 (ウ)積極・奇異型 出会い頭に、じっと目を見つめられ、「名前は?、生年月日は?、血液型は何型?」と質問攻めにする子どもは、積極・奇異型の自閉症スペクトラムであるかもしれない。「〇〇って知っている?」と自分の好きなキャラクターや人物について、延々と話始める事もあれば、あなたの容貌からファッション、体型、眼鏡の汚れまでも、批評されるかもしれない。たとえ、相手が驚いた顔、うんざりした表情を見せたり、話を無視して他の作業を始めたとしても、そうしたことには無頓着。 忙しいあなたは質問を切り上げようとする。するとその子どもは、よりしつこく質問を繰り返したり、時には怒ることさえある。 このタイプの子どもは、「自閉的」には見えない。積極的に他者、特に教師や大人に関心を持つからである。でも、よく付き合えば、彼らは決して相互的な対人関係を結んでいないことが分かる。彼らは適切な対人交流を持てないという、重大な社会性の障害をもっている。知能の発達に遅れのない子どもに多いタイプである。
以上述べた三種類のタイプは、固定したものではない。周囲の状況によって、あるいは発達につれて、一人の子どもが別のタイプのように振る舞うことがある。成長するにつれて、孤立型から受身形、受け身型から積極・奇異型に移行することがしばしばあるが、その逆に行くことは稀である。
2.コミュニケーションの障害 知的障害のある自閉症スペクトラムの場合は、そもそも発語がなかったり、あってもオーム返しや独り言が中心だったりして、言葉をコミュニケーションに用いないことが多い。 知的障害のない自閉症スペクトラムの場合には、言葉が無いということはない。それどころか、喋りすぎることもある。知的障害のない場合は、もう少し微妙な問題になってくる。コミュニケーションの障害は、言葉数や文法の問題よりも、言葉の使い方の問題となってあらわれてくる。 (ア)表現能力 高機能自閉症スペクトラムの人と話をする際には、何らかの不自然さやぎこちなさを感じる。日常会話の場面で、教科書のように正確過ぎる言葉遣いをしたり、細部にこだわった話し方をする。まるで、アナウンサーのように模範的なしゃべり方をする子どももいる。これは日常の仲間同士のコミュニケーションには不向き。子どもの場合���母親の影響なのか、女言葉で話をする場合もある。また、家族、友人に対しても丁寧語で話したり、それが不自然だと注意されると、校長先生などの目上の人に対しても、くだけた口調で話しかけたりする。また、やたらとことわざ、慣用句を使い過ぎて、不自然な会話になることもある。 高機能自閉症スペクトラムの人の会話は、基本的にコピー的である。しかし、健常者はコピーをもとに自分なりの感情や表現をTPOに合わせて、自然に加えて調節している。高機能自閉症スペクトラムの人は、このTPOに合わせて調節していくことが、うまくいかない。 (イ)言語理解 高機能自閉症スペクトラムの人、特に年長者は文法的には目立った間違いはなく会話できる。しかし、注意深く観察すると、微妙な文法的問題が浮かび上がってくることもある。 ・助詞や接続詞が抜ける。 ・「行く、来る」、「そこ、ここ」など、視点により表現の異なる語句の理解で、一瞬混乱したりする。 ・慣用表現やことわざの理解が独特である。例えば、「仕事が多くて、縛られている」と言われて、「どこに縄があるんですか?」。また、「それはひとまずおいといて、おやつにしよう。」と言われて、「どれをどこに置くんですか?」と聞き返すなど、字義通りに解釈する傾向がある。本人は真剣だが、周囲からはふざけていると思われて、行き違いになりやすい。 (ウ)非言語コミュニケーション 「目は口ほどにものを言う」のことわざ通り、実際のコミュニケーションの場面では、話された内容だけでなく、視線や表情、姿勢、身振り、話し手・聞き手の間の距離など、非言語的な要素も、コミュニケーションに重要な役割を果たす。自閉症の子供は談話の内容を、身振り手振りで適切に補うことが苦手である。表情や姿勢が単調だったり、不自然だったりすることが多く、言葉以外の表現媒体を適切に使うことが少ない。我々が受ける違和感は、この非言語的なコミュニケーションの偏りが原因であることが多い。
3.想像力の障害 高機能自閉症スペクトラムの人の場合、想像力を発達させることが困難である。幼児期の症状としては、ごっこ遊びや想像的な遊びの乏しさという形であらわれる。 想像力は目に見えない物を思い浮かべる能力である。私達は常に想像力を働かせて生活している。想像力の障害は、日常生活の全般に影響を与える。子どもは幼児期になると、多様なごっこ遊びをするようになる。幼児期後半のごっこ遊びは、シナリオがあり、各人の役割が意識されている。遊びの素材(ママやパパの真似、ままごとなど)は、現実生活から得た経験に基づいているが、健常な子どものするごっこ遊びは、経験の断片の再生ではなく、新しい文脈の中に創造的に組み込まれ、元の形が変化する遊びである。 他方、高機能自閉症スペクトラムの子どものごっこ遊びは、現実の単なるコピーの事が多く、感情がこもっていない印象を受ける。しかも多くの場合、一人遊びである。たとえ、子ども同士のごっこ遊びに発展しても、相手に合わせ、柔軟に役割を交換したり、遊びのルールを改変したりしないため、子ども同士のシナリオを無視してしまいがちで、長続きしない。 (ア)こだわり こだわりとは、ある動作を反復したり、同一性を維持しようとする傾向のこと。高機能自閉症スペクトラムの子どもは、想像力に障害があるために、遊びの方法やレパートリーが限定されたり、相手の気持を想像するのが不得意のために、相手との相互交流が出来ず、一人遊びになりやすい。未来についての表象が持てなければ、体験を再現するしかなく、行動が反復的になり、変化を最小限に保つようになるでしょう。
これらの社会性、コミュニケーション、想像力の3領域の障害があると、自閉症スペクトラムと診断される。自閉症スペクトラムは非常に幅の広い障害の概念である。全くしゃべらない人から、演説できる人まで、また、砂遊びに夢中な子どもから、アマチャー天文学者まである。しかしこの3つの領域に障害があることには変わりなく、その治療教育の基本方針は共通している。自閉症スペクトラムの子どもとその家族は、一見、症状の表れ方が違っていてもお互いに理解し合うことができる。
Ⅲ.高機能自閉症の疫学
カーデショーらの調査では1万人あたり自閉症が60.5人、自閉症以外の軽症例も同数あり、、自閉症スペクトラム全体では、人口1万人あたり121人、人口の1.2%と報告している。この報告では、自閉症スペクトラムの子どもたちの知能は、精神遅滞:境界知能:正常知能=3:2:5の割合で、精神遅滞を伴わない高機能自閉症の人が約70%を占める。男:女=4~5 :1と男性が多い。
Ⅳ.遺伝の要因
ウィングによると、典型的な自閉症の子どもの兄弟姉妹では、自閉症や自閉的傾向を一般の人より、生じやすい、と述べている。自閉症は遺伝的要因の関与が大きい。多因子遺伝(いくつかの遺伝子が複合的に関与)であり、遺伝子のある組み合わせで自閉症を生じ、別のある組み合わせでは、特定の分野での能力の高さとして発現するものと考えられている。
予後は、高機能自閉症の子どもは、成長して高機能自閉症の大人になる。
Ⅴ.随伴する他の症状
1.ADHD
ADHDは、①不注意、②多動、③衝動性、の3つの症状で診断される。これらの症状が、知能の発達水準に見合わないほど強く、日常生活における困難の原因となっている場合である。自閉症の子どもも大半が状況によって、不注意、多動、衝動性を示すが、それらは自閉症の特徴である三ツ組の障害から説明がつく。しかし、中には、三ツ組の障害からでは説明がつかない、ADHDの子どもも存在する。
2. 自閉症の子ども
自閉症の子どもの不注意、多動、衝動性の多くは、周囲の人の、自閉症児への配慮が不十分であることから来ている場合が多い。自閉症の子どもは、提示される情報が理解でき、見通しが持て、余計な情報が排除される環境では、不注意、多動、衝動性が顕著に改善されるからである。 3.学習障害(LD) 最も狭義のLDは、米国精神医学会の定義、”読む、書く、計算する、の3つの能力の障害”を指す。自閉症の子どもには、認知の発達による得手、不得手があり、子どもによっては、LDが併存していると考えて対応したほうが良いときもある。
参考文献 1・内山登紀夫、水野 ��、吉田友子:高機能自閉症 アスペルガー症候群入門、中央法規出版(株)、2002年 2.仙波純一、石丸昌彦:精神医学 12章”児童・青年期の精神障害ー発達障害を中心にー” 、放送大学教材 2006年 3.高橋三郎、大野 裕、染谷俊幸訳:DSM-Ⅳ-TR 精神疾患の分類と診断の手引、米国精神医学会 2003年
人は、人に愛されるために生まれる。 人は、自らを愛するために成長する。 人は、人を愛するために生きる。
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福祉労働2017年春号原稿No154
発達障害批判苦箇条
十一本
キーサンの生き様から叫ぶ
発達障害にハンタイするための
苦箇条
序カ条 患者会破壊キーサン文化破壊箇条
発達障害とは精神病者の文化とセーカツ、患者会文化とセーカツの破壊者となる
我々を蔑すむためのコトバが、また一つ、この世に、生まれ出た
我々、キチガイを落チ込ませるためのコトバが、
またひとつ、この世に、生まれた出た
我々を見下すためのコトバが、また一つ、この世に、生まれ出た
我々キチガイを陥れるためのコトバが、またひとつ、この世に、生まれた出た
我々を侮蔑するためのコトバが、また一つ、この世に、生まれ出た
我々、キチガイをますます、惨めにするためのコトバが、
またひとつ、この世に、生まれた出た
我々をクルシめるコトバが、また一つ、この世に、生まれ出た
我々、キチガイを、地獄の底に蹴り落とすためのコトバが、
またひとつ、この世に、生まれた出た
我々を殺すためのコトバが、また一つ、この世に、生まれ出た
我々、キチガイを競争へと追い立てるためのコトバが、
またひとつ、この世に、生まれた出た
我々を差別するためのコトバが、また一つ、この世に、生まれ出た
我々、キチガイの生をますます、無かったコトにするためのコトバが、
またひとつ、この世に、生まれた出た
『発達障害』と云うコトバである
『発達障害』と云う概念である
まだまだ、キチガイを、精神病患者を、
苦しめ足りない、殺したりないと云うわけか。
そうか、そうか、そうなのか
『再生の物語』それは、ヨカッタ
『クスリゼロの物語』それは、ヨカッタ
『誤診誤処方からの再生の物語』それは、ヨカッタ
『処方薬依存からの再生の物語』それは、ヨカッタ
それは、ヨカッタ、ですね、と云う、ダケのことダッタのだ
だが
モハヤ、それではすまぬ
もは��、それは、ヨカッタですね、では、すまなくなってきたのである。
発達障害に病名を変更した上で断薬が、人を成長させるノダ
発達障害をツコウての断薬こそが、精神医療の被害から立ち直り、
自己を見直し、人生を振り返り、人間を成長させることが出来るのノダ
と云う主張には、怒りを、感じざるを得ない
だったら、精神病でクスリを飲み続けるしかなかったし、
クスリを飲み続けることを選ばざるを得ない
そんな、キチガイに、精神病患者に、病者に
この発達障害減薬強行断薬断行宣伝論者達は
想像を絶するほどの冷酷さを持って
クスリゼロ圧力
社会復帰圧力
を
絶望と共に、更なる屍を積み上げながら、押し付けてくる
ドンナ美辞麗句を散りばめようと
クスリを飲んでいる患者には、人間としての成長ナんゾ
あり得ないと
匕首を突きつけてくるのである
これは、差別どころではない
これは、差別を超えた、我々キーサンへの
精神病患者への悪辣極まりない、攻撃である。
自殺圧力、
と云う、
絶望圧力、
と云う、
おそるべき虐待行動なのである
ソレが精神医療の真実とは、恐れ入りました
本当に恐れ入った
発達障害概念、反対ナノです。クタバレなのです。何故って、余りに差別的であり、余りに余りに健病者的であり、保安処分的であり、積極治療主義的であり、社会復帰的であり、社会要因の無視化であり、オモタい病者の見殺し化であり、エリート障害者的ダカラであり、本当に差別的な最低のシロモノであり、団結と云うか患者会と云うか、『患者会』的在り方に対して侮蔑的であり侮辱的であり、精神医療福祉銭儲け拡大主義的であり、概念が勝手に無定見に拡大シテシテマう。ホント、この障害概念は、ナニモカモを飲み込みながら、概念の拡大をし続け、人格障害、精神病質まで、生物的精神医学の遺伝子探しマデも衣替えして再復活を遂げていますよ。
だから当然、かえって精神科クリニックの、精神病院の、精神科の薬の、保安処分対象者を徹底的に拡大に次ぐ拡大をさせるだけでしょう。特にとくーーには、心理が、もうウハウハに拡大デスヨ。心理の裾野の増大に次ぐ蔵大、拡大に次ぐ拡大に、手を貸しただけだ。しかも古くからある『人格障害』の焼き直し的側面も強く、だから、健病者による患者会文化の破壊に手を貸す概念になるでしょう。それだけじゃあーない、青い芝の会から続く、この五十年近くにになるありとあらゆる障害者の自立への取り組みを、アッサリ発達障害者の依存とサポートチームにすり替えられてシマウんですよ。そう、障害者の『自立』とは『依存』であったのだ、に、掏り替える装置なんですよ。そうすれば、専門職の飯の喰いハグレが、無くなるんですよ。
発達障害は、おそらく、既存の精神医療の根絶にはツナガラナイ。かえって、既存の精神医療や福祉が発達障害方向に拡大��ていくときの補強材料として利用されるであろう。発達障害は、おそらく、発達障害で社会復帰を目指すための補強材料として利用されるであろう。才能を花開かせて、社会に貢献しよう、と云うわけなのである。特に、発達障害者は、こう言われて、ジブンでも言いながら舞い上がりつつ、腐った社会復帰競争を煽り抜くダロウ。このようなサポートとサポートチームとハッタツ特性理解があれば、人し並になれるタラ、大した人物になれるタラ、いやいや、本人の才能が開花するんやーー、ゲージツ家に為れるんやと云う、背中には翼まで、はえてます、と言い出すとはなぁぁーーつまり半端者センセイ五職にナレルゾーーーという低学歴の精神病者への差別観蔑視感情を伴った鼻持ちならない健病者のエリート障害者の社会貢献路線をもって、自立を目指すシンドイ生き方をやらなくても良いぞーーーというハッタツ音頭シャカイフッキ音頭の唄と踊りにあけくれる十年間を補強し、健病者文化の社会復帰路線を強化し、新たな発達障害型の日精診、全家連、全精連、病者集団、精従懇、日臨心を、ベテルムカイヤチヤチ、コラルマキマキコなどを、次々と、生み出すであろう。
発達障害は、おそらく、社会復帰路線という、社会参加路線という、社会貢献路線という右肩上がり家族会路線を延命再復活にするための補強材料として利用されつくすであろう惜しいことであった、惜しいことであった、本当に惜しいことであった。ハッタツ障害音頭は、おそらく、既存の精神医療の根絶にはツナガラナイそして、その音頭の踊りが一段落する十年後を見てみたらよい。一体ナニが残っているかを。さぞやさぞやな、依存する社会復帰競争の社会貢献競争の果てにナニが残ることに為るのか、想像してみたら良いのダ。
発達障害は、おそらく、反社会復帰と云うキーサン文化を、働かない権利と云うキーサン文化を、さらには「生命の底で居直る」というキーサンそのモノの生命を、破壊してしまうだろう。そしてそれは、おそらく、このニホン低國と云う社会に対してそのシミンと支配者達に対して、根源的な『反』と『叛』と『乱』を対置し得ただろうと想われるキーサン文化を、捨て去るコトとなるだろう。だから、牙をもったキチガイから社会への『反』と『叛』と『乱』とを徹底的に亡き者にするための補強材料として利用されつくすであろう。患者会ナルモノをツブしたくてツブしたくて、無視したくて無視したくてタマランカッタおレンヂュウに素晴らしい患者会つぶしの武器を提供するコトに為るであろう。惜しいことであった。
発達障害は、おそらく、患者会を、患者会文化を、歴史から抹消するための主攻正面と為るコトであろう。ツマリかえって、既存の精神医療や福祉が、発達障害方向に止めどもなく巨大化していくときの補強材料として利用され尽くすであろう。それが証拠に、イライ―リリー社のパンフを見て御覧なさいな。 こ病院での外来の待ち時間が長いのである。ナニカ読み物でもないかと、外来のブックスタンドを見るとアッタアッタ、大量の発達障害タラあすぺるがータラの宣伝パンフレットである。何種類もアルので、ビックリした。ビックリついでに、発行元を見て、更に、ビックリした。イライーリリー社なのである。どうりで、カネのかかった、豪華版のパンフレットが、自由に持って行ってくださいよ、とばかりに、並べてある。イライーリリー社が宣伝に努めているのである。おっと、ヤンセンファーマ社も負けじと「小児期の自閉スペクトラム症に伴う易刺激性でリスパダールを服用される方とご家族の方へ」をバラまいているではないですか。ドウとでも取れる診断基準をタレ流しして、煽りに煽って、ハッタツにクスリをぶち込もう、と云う魂胆がミエ見えなのである。ケッキヨクは、クスリの全体量は、増えるであろう、何故に、ソンナことも、ワカラナイカネ―――クスリ屋もぼろ儲けを狙っていると、いうに。
そもそも、キーサン患者会は、精神医療の縮小化を目指して闘ってきたと言って過言ではない。縮小化を目指しながら、身近な精神医療を監視し続けてきたのである。そもそも、この発達障害概念は、新しく、障害を増やすものでアル。新しく、障害を増やしてはならないのである。何故か、「名前のない生きづらさ」を抱えてきたと云うミナサンが、これから、名前が付いたので、名札が付いたので、安心したミタイなことを、得々と、喋ったり書いたりしておられるので、こう言っておこう。何故か、何故か、何故なのか。その新しい、付けてもらった名札が、諸君らを「T4作戦の最終処分施設」に放り込むことに為るからである。モチロン、我々キーサンをも、である。地獄を見てから、シマッタと想っても、もはや遅いのである。権力は、世間様は、社会サマは、市民サマは障害者や病人に、ソンナに甘くは無いのだ
それなのに、こうもやすやすと、新しい障害を一つ、増やしてシマッタ。世間様が貼り得るラベルを増やしてしまって、ドウスルノカ。そしてそれは、三障害から四障害に為った、一つ増えたと云うようなコトを遥かに凌駕するナニカを全ての障害者にもたらしてしまうだろう。ナサケナいハナシである。オソロシいハナシである。
笠陽一郎や嶋田和子や広瀬隆士の批判なんか、もうどうでもいいノダ。そんなレベルの問題じゃないんですヨ、この発達障害というモンダイは。50年は闘い抜いてきた青い芝の会から続く、障害者の自立と依存、病者内あるいは障害者間の内部差別、障害の軽重による差別、というモンダイなんですよ。だから、笠批判という個人批判が、この問題を矮小化させるように働くようだったら、えばっちはもう笠批判や嶋田批判なんてどうでもよいです。それよりか、この発達障害のもつ、恐ろしいほどの【差別性】【権力性】【依存性】を暴きたいのです。もうそろそろ、病者、当事者たちも、医療や福祉や心理の専門職たちも、この発達障害概念のもつ、恐ろしいほどの『すり替え装置』『専門職への依存装置』『権力が利用しやすい利用装置』であるところの本質を、見抜くべきときが来ていると想います。さもないと、、、、、
腐った専門職が言い始めたことです、しかも、エングランドの。どのような便利な道具であろうと、根底に、我々『キチガイ』と『キチガイ病院』に入院中の患者に対する差別、侮蔑、侮辱に満ち溢れているモノとは、対決するのみです。だから、言ってミロ、や、この戯け者ども、そうそう、発達障害概念を拡げようとしている医者や、ライターや心理のヤツ等と、ジブンは発達障害だと自慢げに話す発達当事者たちよ、オマイ等、『キチガイ』や『キチガイ病患者』よりは、よりマシなものだと、思っているんじゃないのか、正直に言ってミロヤ、オイオイオイオイ、チガウと言えるのか、コラララララァァーーーァーーコラコラコラコラコラララーこの糞戯け者ども。発達支援議員連盟の顔ぶれを見てミロヤーーー発達障害者支援法を見てミロヤー、改正の方向が、エバッチが、叫び続けてきたコトと同んなじやろが、だから言ったろ、名前のない生きづらさに名前つけてもろうて、喜こんどったら、こうなるやろ、登録だけさせといて、後は、少しずつ法律をいじりゃあーーイインヤカラ。その名前のない、少しは、高機能な能力もアルノダと云うような「高機能性発達」の名札貼ってもろうたら、それは同時に「T4作戦の最終処分施設」へのパスポートにも為るノンや、ナニが特性理解がパスポートなんヤ、ホラミロや、大笑いしてやる。とうとう、言うタとうりに為っていきやがる。キチガイも諸共にヤラレそうヤナ。こんチクショー、ハッタツ拡めたヤツ等、セキニンとんなはれや。
発達障害問題は、ね、今やセード的セイヂ的ホーリツ的モンダイ、課題なんですよ。もはやね。それが、分からないのかナァァァァーーー、行政と学会として、非常に政策的に、拡大したんですよ、それ、ワカンナイノカカナナナァァァァァァァーナァァァァァァーーー
教育の方のゲンバでは、6.カンタラパーセントと云う数字が独り歩きして、スクカンが、ちょっと、教室や、学校や、先生にとって、都合の悪い子供たちを、探し出してきては、6.カンタラパーセントに為るヨウニ、発達障害を貼りまくり、精神科につなぎ、クスリを入れているんだ。教育の現場では、スクカンのゲンバでは、発達障害イコール精神科イコールクスリになってるのが、わからナイノカナァァァーー、スクカンが、そう叫んでいるではないか、良心的スクカンが、タマラナクなって、そう、自白を始めているではないか。
母親たちは、結局はハッタツゲンヤクバージョンエンドレスリピート全家連をこしらえ、クスリがゼロになって、就学就職に成功した我が息子や娘たちを中心に、社会復帰バリバリの、家族会傘下の発達当事者会を、作り上げるでしょう。ハッタツクリェイティブハウスか、ゲンヤクハッタツダンヤク拷問ハウスを作り上げるでしょう。本人の了解なしにやれば、どのように良き意図をもってやったとしても、拷問になるのです。新しいタイプの精神科拷問課ですダンヤク拷問、ゲンヤク拷問の、登場です。我々キチガイは、古いタイプの拷問にも、新しいタイプの拷問にも殺される、ことになるのです。そして、笠医師を使いツブシタ後に、ジブンタチに同調する若手医師を確保してきて、断薬専門クリニックまで、つくりあげるかもシレマセン。そして、それらは、結局は、既存の精神医療を強化しつつ、延命させ、患者会文化を、完全に抹消シクさるでしょう。
なぜなら、���れは、当事者の自立ではなく、母親と、医師をはじめとする医療福祉サポートチームへの、徹底的な、依存を勧めるからです。拷問されながらの依存に、発達当事者は進んでいくのです、自らね。「依存する社会復帰競争」というか「社会復帰のための依存競争」といったものになっていくでしょう。見方を替えれば「拷問されながらの依存競争」というか「依存させながらの拷問競争」とでも、いうか。依存してナニが良いのだ。クスリを増やすのも減らすのも、入院させられるのも、施設に入れられるのも、母親と精神医とサポートチームの好きなようにさせられるんですよ。モチロンうまくいった場合のハナシです、それは。ウマクはいかないと、十年以上も拷問が、続くことになる退行から、もどらないことも、ある、、、、、親子心中までも、、、ね、、もどってはこないことも、あるのです、よ。ゲンヤクが、ヂゴクのようになることも、多いのですよ。タイヘンナたいへんなコトナンデスヨ。しかも、嘘まで、言ってしまった。ハッタツしかないんだと言ってセカンドしたら先に診断名が決まっているセカンド診断だ。無茶苦茶なことを言っているんですよ。ボクの自己批判なんかでは、済まないんコトなんですよ。
❶カ条 差別箇条
差別そのものである
まずもって、この発達障害概念ソノモノが、とてつもなく差別的ダカラである。
既存の障害概念、疾病概念に対して、徹底的に、失礼無礼の限りを尽くし、た、その上に、この障害概念が成立しているのである。特に重たい自閉症のみなさんや、知的障害者のみなさん、そしてそして、我々精神病患者に対しては、よりマシである、より軽く、より才能がある、と言い回り、知的な障害は無い、精神病などでは無いと云う宣伝を、専門職とも当事者とも、そう、言いつのっているのである。知的障害者や精神病患者に対して、ソウ言うコトがドレだけ無礼で失礼で、傲慢で、鼻持ちならない差別者だ、という事がワカッテはいないのではないか。許されることではない。しかも、世間様の風潮も、ソウなのである。しかも、それでいて、愚かしくも、当然、才能の高低や、在る無し、イロイロあるなかで、ナニかしらに『成功』した障害者がエライのだ、と云う風潮をばら撒いている、のである。ドウニカなる障害者が出てくるのは、至極とうぜんであろう。
精神病患者のグループに比べて、発達障害者の団体は、高学歴者が、多いのだそうである。実際調査してみて、ビックリした、と云うような、コトを、福祉系の雑誌に堂々と書くアンポン譚もいる、と云うコトだ。しかも、書いた本人に当事者性もアル、と云うダカラ、念のいったアホさ加減ということであろう。ソンなに高学歴が、良いのですかいな、と想ったソンなアホな記事が掲載されていた。これほど、障害者間の能力競争と差別感を野放図に表すコトもなかろうに、、、、しかし、もはや、そんな感覚も麻痺してしまっているのか、、、酷いハナシである。
何故、あんなにエラそうに、クスリゼロを言うのか。何故、あんなにエラそうに、発達障害だ、統失ではない、と言うのかトーシツじゃナカツタと、喜びを顔いっぱいに、目を輝かせて、言うのか。母親が、同じママ友に、満面の笑みを浮かべて、こう言う。うちの息子ね、精神病じゃなかったんダッテ、発達障害だったんダッテ、と。走ってきて、頬を紅潮させて、そんなに嬉しそうに報告すべきことだったのか。そこに、精神病に対する忌避感と侮蔑感はなかったのか。そこに、精神病患者への差別意識は、ナカッタと、言えるのか。うちの娘は、精神医療と、手が切れたんですよ、と、ソンナに鬼の首でも、取ったかのように、言うのは何故なんだい。だったら、卒業して行ってくれよ。残って、それを宣伝するから、そうはならない者たちがより、苦しむことになる。まるで、そうはならなかった者たちの努力が足りないかのようにエラソウに言う。なんということだ。差別と侮蔑の再生産をやっているダケだクスリゼロになって、うちの息子は、大検受かりましたって、、、、あーーーソウカナそうかなソウソウソウソウソウカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナナナナナうちの息子は、精神科医になりましたよあーーーソウカナソウカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナクスリゼロになって、うちの娘は、看護婦試験受かりましたって、、、、あーーーソウカナそうかなソウソウソウソウソウカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナナナナナうちの息子は、大学に入りマシたよあーーーソウカナソウカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナ
笠陽一郎医師が、言い腐る。腐った毒殺精神医の大学の教授が、セカンドに行った母親にこう言い放ったと、書いていた。「どうしてそんなに診断にこだわるんですか精神病に対する偏見じゃないですか」ってっ、かっ。笠医師よ、おれがセカンドのママさんたちに、そしてアナタに、精神病患者に対する差別意識があったのではないかと指摘すれば、アナタはこんな腐った大学教授の話を持ち出そうとするのかい。同じようなことを言っていても、意味が違う。想いが違う。何故か。二十五年以上前の、ぼくの入院体験を、書いてみたンダ、読んでご覧ナ。これは、ほんのひとこま、のハナシさ。そのおれが、はっきりとこう言ってるんだ。セカンドに開いていた大穴とは、発達障害バンザイの精神病者に対する差別意識、忌避感情、侮蔑感だったとね。チガウかな。
だから、何故、あんなエラそうに、家族と本人の、努力が足りない、みたいに、言うのかね。何故、ソんなエラそうに、クスリを飲んでいる患者に当たるようなことを、言うのか。さげすむように言うのか。クスリを飲んでいる精神病患者に対して、ものすごく、侮蔑感を侮辱感を、丸出しにしていると感じるのは、おれだけなのかな、、、、、くじら会のママさん達も、成功体験バックにするから・・・えらく、侮辱的だねぇーー
あえて、言うのだが、過去の、そして現在も、今後も、ワラワラとやってくる病名変更を求めての意識的セカンド受診のママさんたちや本人たちに、精神病患者、精神病、精神症状、精神病患者のセーカツぶり、ビョーキぷりに対する忌避感、嫌悪感、差別感は、無かった、皆無である、と、言えるのであろうか。ソコの所を再考にも再考すべきであろう。発達障害宣伝活動家たちの書いたものを読んでいると陰湿な障害者差別意識と悪質な蔑視感情が根強くある、と、感じざるを得ないのである。
だから、健常者社会からもっともモットも激しく非難され差別され続けてきた者こそが、いやーーーな気分を持って、読むことになる。我々キチガイを差別する側が、もう一つ増えるだけの様な気がするのである。すなわち、発達障害者が精神障害者を差別し見下すことである。発達障害者が精神病患者を虐待し、いい気にナル予感がするのである。
もっとも、その発達障害者への健常者社会からの差別虐待をも、また、助長しているのではあるが。だから、この発達障害を後生大事にご使用になられている皆さんに言いたい。自らも差別されているのに、それに気づかないとは、アンポン譚極まりない。いや、気づきつつ、実は気づいているがゆえに、自らへの差別は不問に付し、自ら、より重たい、よりしんどい精神病者を、知的障害者を、自閉症患者を、差別する側に回ったのか。
だから、それは、精神医療の根底的な破壊に繋がるハズもなく、閉鎖病棟や看護士の暴力、保護室、四肢拘束などの、電パチ、スイカ割り、ガン箱退院の意識的な無視とあいまって、結局は、ハッタツ大好き宣伝広告マン達の精神病者への差別意識と蔑視感、侮蔑感、忌避感が露呈しているのである。陰湿な障害者差別意識と悪質な蔑視感情が根強く、いい気になりながらの、我々キチガイを差別する側が、もう一つ増えるだけなのである。
すなわち、発達障害者が精神障害者を差別し見下すことである。発達障害者が、知的な障害は無いンデスヨ、精神病などでは無いンデスヨと、言い回り走り回り言い募り、精神病患者を虐待し、いい気にナルのである。
❷カ条 ナンデもカンデも無制限拡大箇条
発達障害の概念が、範囲が、無制限に無定見に拡大していき、ついには意味不明と為ってシマッテいる、そも障害概念の定義自体がドウとでも取れるシロモノである
こう、言い換えても良い
精神医療と心理が発達障害を梃子に無定見無制限に拡大し、ウハウハに儲かる
そもそも、ムチャクチャな意味不明な、あいまいで広すぎる障害概念ダカラである。ナンデもカンデも発達障害に為ってしまうのである。ムカシなんでもかんでも、分裂病だったが、今度はナンデモカンデモ発達障害なのである。知的障害、自閉症、精神病、奇人変人、偏屈者、ノイローゼ、神経症、不登校、引きこもり、そ���他モロモロをすべからく、発達障害だ、と言い切ってシマッテいるのである。過剰診断ナンて生易しいものでは無い。オソロシイことである。銭儲けの為だけに、これだけの障害者増大に次ぐ増大が成されたわけでもあるまいし、その本音を知った時には、コトは、もはや、遅いかもしれぬ。まだしも、ムカシながらのコトバの方が、マシな気がしますがね。
大体が、精神分裂病→統合失調症→発達障害と、すすむにつれて、レッテルが、ラベルが貼りやすくなっていませんか。分裂病を貼り付け得なかった、奇人、変人、根性曲がりの偏屈じじい、靴を一足と言わず二足も三足も履いてしまっているヘンクツじいさん、変人オッサン、奇人ヘンクツゲームおたく、等々にすべからく、発達障害を貼り付けているのである。コレは、本当にオソロシイ事だと、想わないのダロウか。誰にでも貼り付けられる。恐ろしいことだ。心理と精神科が拡大してイッテイルンですがね・・・精神科→心療内科→メンタルクリニック→カウンセリングルームと、すすむにつれて受診しやすくなってはいませんか。ノンラベルやのうて、貼れるラベルが増えたダケですよ。発達障害は患者を倍にするダケですよ、いや、もっともっと、多くなるでしょう、千倍かな・・百倍かな、、、、、しかも、ナニを誤解しているのか、ジブンの方から掛かりに来る、ジブンの方から症状を増やしていく、というのか、発達障害は、才能がアルとイコールやと、でも想うのか・・・ジブンのほうからいくんですよね、、、、ソコが、精神分裂病とは、チガイますよね、オソロシイ。
生活保護で、一人暮らしで、高齢で、精神病院から退院したことのないヨウナ病者達のことを、歴史からなかったかのようにする、ゲンヤクで苦しんでいる患者を、無かったかのように、言う、ゲンヤクに苦しんでいる患者に、��り添ってはいないような、ゲンヤクをアキラメた患者を敗者扱いし、クスリがゼロになった患者を勝者扱いし、ゲンヤクで苦しんでいる患者に、アンタの努力が足りないからだと、説教と折伏をしてくる。そのような態度に、えばっちは今や、徹底的に笠陽一郎医師を批判すべき時が徹底的にくじら会の母親たちを批判すべき時が徹底的に発達障害概念と闘うべき時がついに、来たのだと、自己批判しながら闘うべき時がきたのだと、想い知ったのです。
もっとも、アンポン譚な状況は、精神病は存在しない、アルのは発達障害ダケである、とまで、言いだしているのである。しかもしかも、その診断基準たるや、お粗末トシカ言いようのないモノなのである。ある医者の発達障害の診断基準を聞いたときに、腰を抜かしたのである。得々と語る、その診断基準は、ドウとでもトレれるシロモノで、なおかつ、ムカシの人格障害概念と、ソックリ同んナジモノなのである。しかも、当の精神医は、そのことに気づいてもイナい様子なのである。ナニを寝とぼけているのか、アンタは今、一人の患者を、発達障害の名のもとに人格障害である、と、診断しテシマッタたことに気づきもシナイのである。しかも、知的障害のセカイのみなさんが、セーカツとしてもウンドーとしても、営々と積み上げてきた、「暦年齢に見合った発達レベルがある」と云う「発達保障論的」な腐った概念に対する批判の数々を、アッサリ否定してしまっていることに、気づくことも出来ないでいるのである。そらおそろしく、寒々としたものが、背筋を走ってしまい、アホらしくて、その医者を批判することすら、アッケにとられてしまい、出来なかった次第である。ナサケナいハナシである。
余りにムチヤクチャな曖昧で範囲拡大増加の概念故に、とうとうムカシながらの人格障害、精神病質、発達保障論の再復活とともに、ドンなニンゲンにでも、貼り付けられる、まことに便利な名札と化してシマッタ。腐った専門家の諸君には、まことにケッコウな重宝な名札を、監察札を手に入れたのである。心理と精神医と教育者どもは、ウハウハであろう。おっと治安監督官連中もね。だから、当然、特性理解者サポーター、サポートチームなどとは、結局のところ、精神医療と福祉と教育が発達障害方向へ拡大していくときのボロ儲けのタネになるであろう、と云うことである。クスリと電気ショックと四肢拘束で儲け、発達障害のミナサンへのサポートチームでも、また、ボロ儲けするのである。依存してくれるので、飯の喰いはぐれがないのである。まことに、ケッコウな、お商売なのである。精神医療と福祉は、根絶も縮小もしていかない。拡大していくのである、オソロシい。心理職の国家資格化おねだり路線を見よ。
申請神聖ハッタツ博士片岡聡のリトプごっこを見よ。NHKから金もろうて、議員様相手に、法整備、制度政策おねだり講演会、開きくさった、笠セカンドからとうとう、こんな戯けた当事者が、悪辣極まりない障害当事者が羽化を始めましたよ。バカバカしい。片岡聡のような当事者からのおねだりもアルので本当に、ぼろ儲け、していけるであろう。ハッタツ護送船団おねだりボロ儲け路線である。専門職が、今の十倍いても、発達障害者を十倍に増やせばいいだけだから、しかも、依存してくれるので、本当に、ボロい儲けを生み出すであろう。これで、精神医療を根底的に破壊できる、などと、寝ぼけたコトをいえたものだ、大魔王教主笠陽一郎大センセイよ。逆だよ、逆、精神医療���心理と、福祉は、徹底的に、拡大していけるんだよ、この発達障害をツコウてね、ぼろ儲けしながらね。ナントイウバカげたことを、アンタは、ヤッテしもうたんだろうね。
❸カ条 キチガイ患者障害者無効化箇条
障害者、病者の発言、行動に対する無効化の武器がまた一つ増えるだけである
またもや、またもやの、まことに結構な、発言や行動を無効化できる、素晴らしい、武器となるのであ。たとえば、我々精神病者は、アレがキチガイの戯言やと、アレが躁や、アレが妄想や、アレが鬱や、アレが偏執狂やと、アレが躁鬱の波や、アレが幻聴や、アレが幻覚やと、アレが人格障害や、アレが精神病質や、アレが鬱や、アレが被害妄想や、と散々に言われて、我々の言うこと為すコト、すべからく、価値がない、と、無視され、無効化されてきたのである。アレが双極性障害Ⅱ型の薬剤性やくざや、ここにきて、今度は、さらに加えて、あれが発達障害者のこだわりと云う特性やタラ、興味の持ち方の狭さやタラ、アレが人間関係の幼さやタラ、発達障害の成長の無さやタラ、タラタラタラタラと、精神医中心に散々言って無効化するのである。例えば、さぞや、このところのえばっちの文章に、対しても、言っていることであろう。そう、だから、この点を特に重宝しているのは、実は、内海聡や、幻術魔道士嶋田和子や大魔王教主笠陽一郎達と言った、発達障害や発達特性を、精神医療改革の最終結論だ、答えだと、言って良いように宣伝して広めてきた当の本人たちが、いざ逆らうようになった病者たちに、患者たちに向かって、陰ひなたなく使っているのである。大魔王教主笠陽一郎のホームページや幻術魔道士嶋田和子のブログに内海聡のブログにも、隠そうにも隠せなく、端々に、にじみ出ているのである。ああ、もちろん、くじら会のママさん達の茶飲み話にも、為っていることでしょうね。許せないことだ。さぞや、さぞや、他の医者たちや心理士や治安監督官たちにも、良いお手本に為っているだろう。
こうやって、我々のヨウな文句言いのキチガイの言う事や書いているコトや、叫んでいることを無効化するのである。叫ぼうとしている中味を考えようとすることなど、ないのである。精神病の症状と発達特性と、の、せいにすれば、よいのだから。精神医の診察室での、心理士の相談室での、患者への無効化兵器が、一挙に倍どころか、十倍ぐらいに増えるンデスヨ、いゃああーー精神医と云うのは、カウンセラーと云うのは、まことにケッコウなお気楽なお商売ですな。我が身らの診察室や相談室を『荒らし』そうな患者に対して、無効化の手段が一挙に倍にナッタのである。精神病で無効化できなかった発言や行動に対して、今度は、発達特性で無効化するのである。特に診察室で、医者やカウンセラーやPSWや学校の先生に逆らう患者に対する無効化兵器が倍増したのである。
いや、念のいったことに、更に兇悪なことには、発達障害特性は、最初の入門口に才能があると云う方向も宣伝シマクッテいるので、ナント有効化と無効化を、相手を選んで、医者の好きなように有効化と無効化を選択して使えるのである。コレは、恐ろしいことである。精神病では、コウはいかない。医者に逆らう非友好的患者には、精神医は発達特性故の無効化を叩きつけ、友好的患者には発達特性故の有効化して才能ある���持ち上げさえ出来るのである。ソレをまた、逆転することも可能なのである。依存先の精神医と心理士と先生の思うがままに、である。コレを最も悪用してきたのが大魔王教主笠陽一郎と云う精神医なのである、と言ったら、本項❸箇条が、ハッキリすると想う。他の精神医の先生様方が、笠セカンドや大魔王教主笠陽一郎大先生様をお手本に出来る最大の点でしょうな、コレが。オソロシいことだ。で、結局は、観察法法廷や、治安監督官たちにとっても、後見人たちにとっても、いやはやまことに、ケッコウな武器でしょうな。発達障害本や発達特性本の、使い道の読み方の、新たなる一ページ、と云うか、元々の一ページでしょうな。どちらにせよ、精神分裂病や躁鬱病の病状、症状で無効化できなければ、今度は発達特性で無効化するのである。一人の人間を無効化するに、【病状症状】で、出来得なければ、【特性】でも出来る、と云うコトなのである。有り体に言って、患者を病状や症状のせいだからと、沈黙を強制しようとしても、無効化すらも出来得ないときには、『発達特性』で、無効化鎮静化できる、と云うことである。
キーサン革命の鬼ことえばっち 江端一起
えばっちのホームページ 乾坤一擲
http://ebacchihomepage.dousetsu.com/index.html
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新しい記事『毒親-境界性人格障害-BPDの母親のその後の症状-治療-改善-体験談(随時更新中)』を投稿しました。 発達障害の中でもアスペルガー症候群や高機能自閉症が統合された自閉症スペクトラム障害=ASDの「悩女(なやじょ)」の物語へようこそ。 このページでは、毒親で境界性人格障害-BPDでアルコール依存症の母親のその後の現在進行中の症状や私なりの治療方法、改善した点を記録して、まとめていきたいと思います。このページは随時更新中です! 2019/01/20 母親は現在、お酒を飲まないためか境界性人格障害-BPDの症状は出ていない 母親が2019/01/01に腰の骨にひびが入ってから、3週間近くたっていますが、痛み止めを飲んでいることもあって、お酒を飲んでいません。 そのおかげなのか、この3週間はとても平和でした。 父親も、お酒を飲まないと最高のお母さんだね、と喜んでいます。 ただ、私だけは全然喜べませんでした。 今まで何度もお酒を止める、と言って母親が飲むのを止めたことがあり、その間はとても平和でしたが、すぐにお酒を飲むようになって、周りにいる家族に怒鳴り始めていたのを覚えていたからです。 今は平和でとてもいいのですが、しばらくすると元通りになって裏切られて、その裏切られたときのショックがとても大きいからです。 ずっとこのまま平和だったらいなと期待してしまい、その期待は何度も何度も裏切られるので、そのショックに 慣れることはなく、むしろ辛さが身にしみるようになりました。 そのため、防衛手段として、平和なときは続かないものなんだ、と思うことで、大きなショックが起きないようにするようにしたのです。 他人ならそこまで大きな期待はできないと思いますが、家族だからこそ、今度は変わってくれるのではないかと思って大きな期待をしてしまうのだと思います。 そしてそれが裏切られたときのショックは計り知れません・・・。 実は昨日、親しい人の前で、私のことをこきおろす言い方をしたので、症状はそのままかもしれないと思いました。 私が着ていた服のファスナーが壊れていたのをそのまままだ着れると思って着ていたのですが、それを見た母親が、親しい人の前で、「こいつはケチだから服も買おうとしない、そんな服、もう捨てちまえ」と言ったのです。 言葉使いは前から悪いのはわかっていたのですが、何もそこまで人前で言うことはないだろうとあらためて思いました。 母親は今は働いていないので父親と私の働いたお金で生活していますが、物を買っても気に入らないとすぐに捨ててしまいます。なにかと理由をつけていますが、結局は自分の感情のままに捨てています。 父親も私も一生懸命働いていてお給料をもらっているので物を大事に使っています。人から見たらもう使えないと思う物でも最後まで大事に使っていますが、母親はそれが気に入らないのか、ケチだとか言って勝手に捨ててしまいます。 母親は働くのが嫌で子供をつくって結婚したと言っていたぐらいの人なので、仕事の大変さ、お金を稼ぐことの大変さはあまりわかっていないようです。ある意味うらやまし人生ですが、私は同じ人間にはなりたくないです。 毒親、境界性人格障害-BPDの母親の症状と今後の改善点 ・怪我をしてお酒を飲んでいないからか境界性人格障害-BPDの症状は母親には出ていない・毒親、境界性人格障害-BPDの母親は人前で自分の娘をこきおろして楽しむ 2019/01/04 母親は窓の外掃除をしている最中に転んで腰の骨にヒビが入る 年末、私は外泊していたので帰ってきたのは1月3日でしたが、1月1日母親が掃除中に転んで、あまりの痛みで動けなくなっていると父親から聞かされました。 1月4日に病院に行って、レントゲンで腰の骨にヒビが入っていることがわかりました。私が会社から仕事をして帰ったときに聞かされましたが、母親は頚椎にヒビが入っていたと言っていて、もしかしたら脊椎?とも思いましたが、それ以上は何も言い返すことはしませんでした どちらにせよ、骨にヒビが入っていて痛みがあることは確かです。でも、病院でもらってきた湿布は厚すぎて動けなくなると、市販の湿布を貼っていました。 とにかく病院が嫌いでよほどのことがないと病院に行かない母親なので、病院で指示されたことも自分の思ったことと違うと絶対に聞きません。 そうやって数十年生きてきたのだから、もう治らないと思って私たち家族も何も言えません。 もし私たち家族が言い返したら、その何倍もひどいことを仕返してくるのが母親なので、よほどのことがない限りは言い返さないようになりました。 母親は境界性人格障害-BPDの症状だと思われるのですが、精神科に連れて行こうにも絶対に拒否されるので今まで何度も断念してきたのは、そんな病院嫌いであることも理由のひとつだったりします。 毒親、境界性人格障害-BPDの母親のの症状と今後の改善点 ・病院にって指示を出されても自分の思うとおりではないと聞かないのが境界性人格障害-BPDの母親 2018/12/26 毎月家に入れる数万円を母親に渡すのが数日遅れたために夜中怒鳴られる 毒親、境界性人格障害-BPDの母親は普段はそれほど症状は出ないのですが、お酒を飲むと別人のように変わります。 怒鳴られたりののしられたりするのは本当に心から辛くなります。 そういった親からの虐待は脳が萎縮するという研究結果があるそうですが、そうなるのもよくわかります。 それほど辛く耐えられない行為だと思います。 今回のきっかけは、仕事が忙しく残業して遅くなったので、毎月家に入れる数万円を銀行から下ろしてくるのを26日の今日忘れてきたことです。 お酒を飲んでいないときに、明日の27日に会社の帰りに下ろしてくると言って納得していたのですが、お酒を飲んだら、そのことに腹立たしくなったのか、私の部屋に入ってきて怒鳴り始めました。 「給料は本当に振り込まれているのか?嘘ついているんじゃないだろうな、そんな嘘つきはこの部屋にいる必要はない、出て行け、明日会社にお前が会社に行ったら、この部屋の中をめちゃくちゃにしてやる、会社から帰ってきたら何もなくなっているから覚えておけ」といって薄ら笑いをしていました。 これまでも、私の部屋のものは何度も捨てられたことがあります。私のものでも自分が気に入らないと勝手に捨ててしまいます。 もし気に入ったものがあったら、勝手に自分のものにして使っています。しかも私が買ったものなのに自分が買ったと思い込んでしまうので、何度も私が買ったと否定しても、そのときは納得していても、結局は自分が買ったと思い込んでしまうのでどうしようもありません。 ずっと怒鳴り続けているので「明日会社だからお願いだからもうやめてほしい、夜も遅いからもう寝てほしい」と母親に言っても、「私は全然眠くない、一晩中でもののしってやるからな」と怒鳴りながら、お金を入れなかった私をののしり始めます。 さすがに夜も遅いので母親の肩を持って寝室に連れて行こうとすると、「親に暴力をふるうなんてとんでもない娘だ」と叫び始めます。 あまりの大声に、となりの家の電気がついたので、「隣の家の○○さんも起きてしまったから迷惑だからもうやめよう、夜も遅いからお願いだから寝てほしい」と言うのですが、母親は「隣の家にもひどい娘だとういことをきてもらえばいいんだ」とさらにエスカレートして怒鳴り始めます。 こういうことが今まで何度もありました。 境界性人格障害-BPDの人は自分を正当化するのがうまく、自分が攻撃しているのに、自分が被害者であるかのように見せてしまうのがうまいということを文献でも読みましたが、まさにそのとおりだと思いました。 そして、母親に殺意を感じました。娘のことなんて何も考えずに、自分のストレスのはけ口のために、相手をこきおろすことを平気でするのが自分の実の母親だということに吐き気がして気持ち悪くなりました。 いつのまにか、母親の肩をつかんで、押し倒そうとしている自分がいました。もしかしたら大怪我をさせていたいかもしれません。 はっとわれに返って、正気をとりもどしました。そのまま怒鳴っている母親をそのままにして、ベッドに入って布団をかぶって眠りました。 母親は自分を当てにしてくれない私に飽きたのか、やっと寝室に行ってくれました。 毒親、境界性人格障害-BPDの母親のの症状と今後の改善点 ・毒親、境界性人格障害-BPDの母親はお金にうるさく娘はお金を入れるATMとしか思っていない ・毒親、境界性人格障害-BPDの母親はお酒を飲むとストレスが爆発して家族をはけ口にする ・毒親、境界性人格障害-BPDの母親に殺意を感じてわれを忘れた自分がいたので要注意 ・毒親、境界性人格障害-BPDの母親は加害者でも被害者になりすますのがうまい
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新型コロナウイルス関連情報(4月25日)
在ニューヨーク日本国総領事館 Apr 25, 2020, 8:31 PM 【JETRO主催ウェビナーのご案内(商業不動産賃貸契約関係)】 4月30日(木),ジェトロ・ニューヨーク事務所が,新型コロナウィルス感染拡大による長期ロックダウンが商業不動産賃貸契約へ及ぼす影響についてのウェビナーを開催します。本ウェビナーでは,Ballon Stoll Bader & Nadler, P.C.の茂木紀子弁護士を講師にむかえ,新型コロナウイルス感染拡大下での家賃交渉のポイント,家賃を対象とした支援・救済措置(Paycheck Protection Program(PPP)やテナント立ち退き猶予),倒産・撤退となった場合の契約解除などについて,実際の経営に役立つ情報をお届けする予定です。本ウェビナーの概要は,以下のとおりです。 『長期ロックダウン下における商業不動産賃貸契約-家賃交渉のポイントや支援・救済措置について-』 -日時:2020年4月30日(木)4:00pm-5:00pm (米国東部時間) -主催:ジェトロ・ニューヨーク事務所 -プログラム: 1.長期ロックダウン下における家賃交渉のポイントや支援・救済措置について 2.質疑応答 -講師:Ballon Stoll Bader & Nadler, P.C. 茂木紀子弁護士(ニューヨーク州・日本) -講演言語:日本語 -参加費:無料 -定員:1,000名(当日先着順。定員になり次第,締め切り) -申込み方法:右記よりお申し込みください。https://register.gotowebinar.com/register/7855125880060491534 【州政府等による措置等のポイント】 (注)各州政府の措置等についても,できる限り正確な情報を記載するよう努めておりますが,ご自身に関係する事項については,米側当局が提供する情報に依拠してください。 ◎(NY州)クオモ知事のメッセージ(4月25日) - 昨4月24日の総入院者数は1万3524人で12日連続減少,4月1日以来の水準まで減少した。一方で,1日の入院者数は1184人,死者数は437人と引き続き高い水準である。 - 本4月25日はNY州で最初の感染者が判明してから56日目である。これ以上は我慢できないと考えるかもしれないし,その気持ちもよくわかるが,1918年のスペイン風邪は2年,第一次世界大戦は4年,第二次世界大戦は6年,ベトナム戦争は8年続いたことを鑑みれば最悪の状況ではない。多くの専門家がNY州の重篤感染者数を10万人以上と予想していたが,この予想を覆し入院者数を下げて多くの命を救ったのは,州民1人1人の行動のおかげである。 - 検査について,NY州では現在一日平均2万件を実施しており,一人当たりの検査数は世界一である。今後,連邦政府の協力を得て一日4万件まで増加させるが,検査数に見合うだけの検体を回収するネットワークを構築する必要がある。そこで,本日,個々の薬剤師によるウイルス検査(Diagnostic Test)を可能とする行政命令に署名する。州内には5000もの薬局があるが,州民は地元のドラッグストアで検査を受けられるようになる。検査後,薬局は州内の研究施設に検体を送付し同施設が判定を行う。 - ウイルス検査の能力向上に伴って,検査対象となる者の基準を拡大する。この対象に含まれるのは,最前線で働く救急隊員・医療関係者・エッセンシャルワーカーである(注)。検査能力の拡大につれて今後も検査対象は拡大する。 - 抗体検査の実施も重要であるので,本日,4つの系列病院(Bellevue,Elmhurst,Montefiore及びSUNY Downstate Health Science)において従事する現場の医療従事者の抗体検査を実施する。また,来週には生活・治安に重要なMTA・交通関係従事者・州警察・NY市警察(NYPD)の抗体検査を実施する。 (注)今後,新たにウイルス検査の対象となる業種の一例は以下のとおりです。 - 最前線で働く労働者:消防士,救命救急士,警察官等 - 医療関係者:医師,看護師,薬剤師,栄養士,セラピスト等 - エッセンシャルワーカー:公共交通機関,配送業,食料品関係,葬儀,ホテル,ランドリー,郵便,清掃業,ガソリンスタンド,ホームセンター,ホームレス支援,水道・電気・ガス事業等の従事者 ◎(NJ州)マーフィー知事のメッセージ(4月25日) - 新規感染者の増加の勢いは落ち着き,新規入院者数よりも退院者数の方が多い状況が続いている。ICUの患者の数も安定し,人工呼吸器の使用数も減少傾向にある。しかし,新規感染者の数の劇的な減少が確認できない限り,ソーシャル・ディスタンシングの措置を緩めることはできない。引き続き,ご協力をお願いする。 - ラッガーズ大学とも連携し,検査の拡充に取り組んでいる。州内のコロナウイルスの検査サイトについては,下記サイトを参照してほしい。 ・コロナウイルス検査サイト: covid19.nj.gov/testing - 昨24日発表した,家賃を敷金から支払うことを認める行政命令に関連し,住居関連の支援等を州のウェブサイトにまとめたので,ぜひ参照してほしい。 ・テナント及び家主双方の権利や責任等: covid19.nj.gov/renter ・住宅ローンに関する支援等: covid19.nj.gov/mortgage ◎(PA州)レヴィンPA州保健省長官のメッセージ(4月25日) - 新型コロナウイルスの拡大は我々の生活に困難を生じているが,とりわけ知的障害や自閉症スペクトラム障害のある方とケアをする方にとって多大な困難を生じている。普段と同じ日常を遅れないことによる苛立ちもあると思うが,美術館のオンラインバーチャルツアー,運動,ストレス軽減のオンラインクラス,家族や友人とのビデオチャットなどを活用して健康維持に努めてほしい。 - また,不安なことがあれば +1-855-284-8505 に電話してほしい。これまでに案内した相談方法( 741-741 にテキストで「PA」と送るか, +1-855-284-2494 に電話)も可能。 ◎(PA州)経済活動再開に関する判断基準についての補足 ・本4月25日,PA州政府はウェブサイトで経済活動再開に関する判断基準についての補足を公開しました。過去14日間に州保健省に報告された新規感染者数(確定例)が人口10万人当たりの50人未満であることやカーネギーメロン大学開発のモデリングツールを使用することを発表済みですが,そのほかに以下のような点を考慮するとしています。 - 症状のある方,リスクの高い方,医療従事者等に対して十分な検査が可能であること - 感染例の調査と接触者の追跡のシステムが機能していること - 矯正施設,介護施設等のリスクの高い環境を特定し,施設職員のトレーニング,個人保護具(PPE)の供給といった適切な安全対策を講じていること 詳細は以下のサイトをご覧ください。 https://www.governor.pa.gov/newsroom/wolf-administration-elaborates-on-data-driven-reopening-standard/ ◎(DE州)レンタル物件賃料支援プログラムの一時停止について ・本25日現在,デラウェア州住宅局の住宅支援プログラム(DE HAP)は一時的に停止しています。同プログラムは,レンタル物件の賃料を最大1500ドル補助する制度ですが,3月26日以降5千件を超える申請があり,州政府は,連邦政府からの支援規模を見きわめてからプログラムを再開するとしています。3月25日のカーニーDE州知事の命令により,非常事態が終了するまでの間,州民は住居から立退き処分を受けないことになっていますが,この命令は,賃貸者の家賃支払義務を免除するものではありません。州政府は,家賃が支払えない賃貸者は,直ちに大家と相談するように促しており,万が一,非常事態中に立退きを求められた場合には,Delaware Attorney General’s Consumer Protection Unit(302-577-8600 又は [email protected] )まで連絡するよう求めています。Delaware Legal Help Link(https://delegalhelplink.org)及びDelaware Community Legal Aid Society, Inc. (CLASI) (http://www.declasi.org/)にも相談可能です。 ◎ビジネス関連情報 ・各州等のビジネス関連情報は以下をご覧ください。 https://www.ny.us.emb-japan.go.jp/oshirase/covid19-sb.html 【感染者数等に関する情報】 4月25日現在,当館管轄内における新型コロナウイルスの感染者数及び死者数は以下のとおりです。(カッコ内は前日の数) ○ニューヨーク州:感染者数 282,143名(271,590名),死者数 16,599名(16,162名) ・感染者数内訳(主なエリア) ニューヨーク市:感染者数 155,113名(150,473名),死者数 11,419名(11,157名) NY市の内訳 クイーンズ区: 47,861名(46,387名) ブルックリン区: 41,660名(40,648名) ブロンクス区: 34,183名(32,701名) マンハッタン区: 20,280名(19,854名) スタテン島区: 11,129名(10,883名) ナッソー郡: 33,798名( 32,765名),死者数 1,917名(1,867名) サフォーク郡: 31,368名( 30,606名),死者数 1,085名(1,035名) ウエストチェスター郡: 27,231名( 26,633名),死者数 1,022名( 989名) ロックランド郡: 11,091名( 10,091名),死者数 340名( 334名) ○ニュージャージー州:感染者数 105,523名(102,196名),死者数 5,863名(5,617名) ○ペンシルベニア州:感染者数 40,049名( 38,652名),死者数 1,537名(1,492名) ○デラウェア州:感染者数 3,576名( 3,442名),死者数 112名( 100名) ○ウエストバージニア州:感染者数 1,020名( 1,010名),死者数 32名( 32名) ○コネチカット州フェアフィールド郡:感染者数 10,373名(10,227名),死者数 689名( 662名) ○プエルトリコ:感染者数 1,416名( 1,416名),死者数 69名( 69名) ○バージン諸島:感染者数 55名( 54名),死者数 3名( 3名) 【医療関係情報】 ◎CDCはホームページ上で新型コロナウイルスの典型的症状として「熱,咳,息切れ」を挙げています。これらの症状があり,感染が疑われる場合は医療機関に電話で相談をした上で,医療機関の指示に従って受診してください(特定の医療機関がない場合には地元保健当局等(NY市の場合は311)に電話してください)。 CDCホームページ:https://www.cdc.gov/coronavirus/2019-nCoV/index.html ・新型コロナウイルスに関する予防措置については以下のサイトをご覧ください。 https://www.ny.us.emb-japan.go.jp/oshirase/2020-refs.html ・ニューヨーク市作成の新型コロナウイルスに関するファクトシート(発症した場合等の対応が日本語で記載されています) https://www1.nyc.gov/assets/doh/downloads/pdf/imm/coronavirus-factsheet-jp.pdf ◎当地の病院やクリニックは,完全予約制を導入し,付き添い人数を制限(一人のみ)するなど予防措置をしながら外来を受け付けているところが多い模様です。また,一部の病院では電話診察,オンライン診療(有料)を導入しているところもあるようです。ただし,当地の医療事情については,日々状況が変化しますので,皆様ご自身で病院やクリニックのHPや直接電話するなどして,ご確認くださるようお願いします。 【領事窓口業務日及び受付時間,検温,マスク等の着用について】 ◎在ニューヨーク日本国総領事館では,現在,領事窓口の業務日を月・水・金(除,休館日)の週3日とし,受付時間を10時30分-13時(査証申請受付は12時-13時)に短縮しています。なお,電話でのお問い合わせは月曜-金曜まで受け付けております。また,ご来館の際にはマスク着用をお願いするとともに,ご来館時に当館ビル1階受付にて検温(摂氏37.5度以上の場合は入館をお断りしています。)を実施しております。 詳細は以下リンク先をご参照ください。 https://www.ny.us.emb-japan.go.jp/oshirase/2020-03-30.html 【当地から日本への直行便に関する情報】 4月19日より,当地から日本への直行便は原則として ANA の週1便のみとなっています。日本への渡航をご検討されている方はご留意ください。 https://www.ny.us.emb-japan.go.jp/oshirase/flight-info.html ◎当館ホームページ上に新型コロナウイルス関連情報のページを作成しております。 https://www.ny.us.emb-japan.go.jp/oshirase/2020-refs.html 御不明な点がありましたら当館まで御連絡をいただけますようお願いします。(電話:212-371-8222) ****************************************************************** ■ 本お知らせは,安全対策に関する情報を含むため,在留届への電子アドレス登録者,「緊急メール/総領事館からのお知らせ」登録者,外務省海外旅行登録「たびレジ」登録者に配信しています(本お知らせに関しては,配信停止を承れませんのでご了承願います。)。 ■ 本お知らせは,ご本人にとどまらず,家族内,組織内で共有いただくとともにお知り合いの方にもお伝えいただきますようご協力のほどよろしくお願いいたします。 ■ 在留届,帰国・転出等の届出を励行願います。 緊急時の安否確認を当館から行うために必要です。 以下のURLから所定の用紙をダウンロード後, (212)888-0889までご連絡ください。 http://www.ny.us.emb-japan.go.jp/jp/b/02.html ■ 在ニューヨーク日本国総領事館 299 Park Avenue, 18th Floor, New York, NY 10171 TEL:(212)-371-8222 HP: http://www.ny.us.emb-japan.go.jp/jp/html/ facebook: https://www.facebook.com/JapanConsNY/ twitter: https://twitter.com/JapanCons_NY *****************************************************************
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今年もやってまいりました、2017年に鑑賞した映画の感想をまとめたいと思います! 今年映画館で観た作品数は57作品! 去年は40作品、一昨年は20作品だったので、年々鑑賞本数をあげております(笑) その分まとめるのが大変なわけで・・・なんとか2017年ギリギリ滑りこみセーフできてよかったです・・・ 今回は作品数も多いので、前書きはこの辺にして、早速まとめに行きましょう! まとめでは、「もう一度観たい!」を基準に、ランキングを作っています。
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新年一発目は、まさかのスーパーお下品映画になりました!(笑) おじいちゃんと孫のドタバタお下品コメディ。 長年連れ添った妻が亡くなって、落ち込んでるかと思いきや、じいちゃは死ぬまでに若い女とヤリたいと、孫を連れてハジけまくる! ロバート・デニーロが、びっくりするくらいスケべじじいになってます(笑) 事務所的にはオッケーなんですか???ってくらい好き勝手やってて、なんだか楽しそう。 振り回されるザック・エフロンもいいキャラしてます。後半のやけくそ全裸シーンは、マッチョ好き必見。 まだまだロバート・デニーロ現役です!最高にお下品でイカしたロードムービー『ダーティ・グランパ』 ザ・スクワッド
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かなりお久しぶりのジャン・レノでした。 フランスで繰り返される凶悪事件に、特殊捜査チームが立ち向かうアクション・クライム。 ストーリーもオチもわかりやすくてよかったです。 シリアスなシーンやテーマを描きつつ、時々クスリと笑ってしまうコメディ要素も。 特殊捜査チームが、どっちが凶悪犯なのかわからないってくらい、ゴリ押しに次ぐゴリ押しで犯人を捕まえるのが笑えます(笑) 検索 パリの街で起こる強盗サスペンス!渋くて強いジャン・レノがやっぱりかっこいい!『ザ・スクワッド』
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こうやってポスターを改めてみると、この時のベン・アフレックすごい四角い。 昼は会計士の仕事、夜は裏社会で生きる殺し屋という2つの顔を持つ男の物語。 主人公は自閉症スペクトラムという障害も抱えていて、その障害を活かしたキャラクターで描かれています。 ストーリーも面白いのですが、主人公・ウルフのチートっぷりに目玉ひん剥きますよ! 鑑賞中、もしかしてバッドエンドなんじゃないかって何回も思った私の心配をよそに、美しいキレのある所作で(笑)、ガンガン人を殺していくウルフすごい。
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原作が好きだったので、劇場で観たときは感無量だったなあ。 しかも大好きなマーティン・スコセッシが監督! 日本の作家・遠藤周作の著書『沈黙』を映画化。 キリスト教が弾圧されていた江戸時代初期、命がけでポルトガルから日本へと布教にやってきた司祭たちの、苦悩に満ちた日々を描く。 文化の違う国で直面する問題から、宗教とは、信仰とは何かを問いかける、今の時代でも考えさせられるテーマです。 3時間超えという長い上映時間なのですが、だからこそ原作にとても忠実。 まるで日本人が撮ったんじゃないかというくらい、時代背景の描写が忠実かつ美しいんです。日本の情緒を感じる。 こりゃ相当勉強したんだろうなと感心しましたよ。やっぱりマーティン・スコセッシはすごい監督だ。 宗教とは何か。信仰とは何か。構想28年の傑作『沈黙 -サイレンス-』
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えっ、これって今年の映画だったんだ・・・! マーベル作品はワンシーズンに1作品くらいの早いペースでやってくれるから、結構前に感じますね。 アメコミ社「マーベル」の人気ヒーローたちが一つの世界で活躍するヒーロー映画。 本作は、高飛車な医師スティーブン・ストレンジが、ある事故をきっかけにヒーローとしての才能を開花させる、ヒーロー誕生映画です。 やっぱり映像がすごかったなー! 地面が急にまがったり、ビルが逆さになったり、空に道ができたり・・・ 作品の世界に飲み込まれていく魅力がたくさんありました。 ストレンジ先生のキャラも良かったし、マッツ・ミケルセン演じる悪役もかっこよかったー!退場の仕方があっさりしていたのが残念(笑) 極彩色の異次元世界を迫力の映像で体験しよう!新たな魔術師ヒーローの誕生『ドクター・ストレンジ』
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ポスターがね!むっちゃかっこいいんですよ~ 『荒野の7人』(元を辿れば『7人の侍』なのかな?)をリメイクした、西部劇。 街を支配しようとする悪党を、一人の保安官が仲間を集めて退治しようとする勧善懲悪ものです。 マグニフィセント(magnificent)って、「崇高な」という意味なんですが、まさにその単語がぴったりな男たちが活躍しています。 華麗な銃さばき、ド派手なアクション、クライマックスの決闘は胸が熱くなります。 がんばれビリ~~~!! 勇敢な7人の男たちが再び現れた!アクションシーンの演出がとにかくド派手!『マグニフィセント・セブン』
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これもよくできた作品だったな~ 邦画の中では一番面白かったかも。 突如世界中の電気がなくなったという状況で、生き延びるために必死にサバイバル生活をする一家のドタバタ劇、そして家族の絆を描いています。 かなりリアルな設定や演出にドキドキ。 本当に電気が使えなくなったらどうなるのかな~と考えさせられ、いかに我々が電力に頼って生活しているかというのも痛感しました。 鈴木家の、ただ生き延びたいというむき出しの反骨精神も面白かったです。 鈴木家、身体張ってます!電気のなくなった日本で生き残れ!『サバイバルファミリー』
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え?『ラ・ラ・ランド』も今年の作品なの!? あの衝撃的な旋風を巻き起こしたのが今年だったのか~ 夢を追い続ける男女2人の物語。 単なるヒューマンドラマではなく、夢と現実の紙一重な部分をありありと描いています。 いやあ、『ラ・ラ・ランド』のことを考えると胸が苦しくなる・・・ 初めて観たときに、涙が止まらなくて、劇場が明るくなっても涙が溢れて困っちゃいました。 そしてそれから1回も観れてないです(笑) 映画の世界にどっぷり浸かっていたのに、急にロビーに引きずり出されて退出させられたかのような強烈なショックが、今でも抜けません。 ストーリーが進むにつれて変わっていく2人の衣装も、なかなかうまい演出でした。 音楽・映像・衣装の演出が素敵!夢物語のような世界観に心奪われる『ラ・ラ・ランド』
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『ラ・ラ・ランド』で奪われた心が抜け切ったまま、なんとなく観に行ったんですよね。 やっぱアクションは最高だわ〜、とものすごい元気をもらった記憶があります(笑) 大人気アクションゲームの実写化。 過去の因縁を再び繰り返すアドベンチャー・アクション。 やはりアクションゲームなので、本編でもアクションシーンが超クール。 次々に繰り出されるパルクールに目を奪われ、とどめには「イーグルダイブ」! この技は、『アサシン クリード』オリジナルの技なのですが、これがめちゃくちゃかっこいい!! うひょー!と大興奮でした。ぜひ映像でご確認ください。 まるでゲームをプレイしているようなカメラワークとアクション!過去と現代を行き来する追体験アクション映画『アサシン クリード』
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出演陣の豪華さに惹かれて観に行った作品です。 別の人物の記憶を埋め込まれた男の、数奇な運命を描く、サスペンス映画。 死んだ男の記憶を、別の男の記憶に埋め込むという設定が面白かったです。 自分の記憶なのか、他人の記憶なのか徐々にわからなくなって、葛藤する主人公の心情が伝わってきます。 『デッド・プール』の印象が強すぎて、ライアン・レイノルズがまともな役やってるとなんか笑っちゃいますね(笑)(失礼) 死んだ男の記憶を別の男に埋め込む!?豪華な出演陣にも魅了される『クリミナル 2つの記憶を持つ男』
SING/シング
SING/シング ブルーレイ+DVDセット [Blu-ray]
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NBCユニバーサル・エンターテイメントジャパン (2017-08-02) 売り上げランキング: 101
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2017年、元気をもらえる映画No.1ではないですかね!? 潰れかけの劇場を立て直すために、一大オーディションを開催する支配人のコアラと、それぞれに事情を抱えて集まってくる動物たちの物語。 王道のミュージカル映画なので、好きな人にはたまらない作品ですよね! 元気をいっぱいもらうし、劇中で流れる60曲以上もの楽曲に、自然と体がリズムを刻みそうになりました。 好きなことがあるって素晴らしい!どうぶつたちが歌う、60曲以上もの劇中歌にも注目!『SING/シング』
モアナと伝説の海
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ウォルト・ディズニー・ジャパン株式会社 (2017-07-05) 売り上げランキング: 52
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この時期はミュージカル映画がラッシュでしたね! 大海原を舞台にした、冒険アドベンチャー。 古くから伝わる伝説によって、1人の少女・モアナが島の仲間を助けるための旅に出ます。 主題歌も記憶に残ってますが、モアナと旅を一緒にするマウイの歌もなかなか印象的でした。ヨウェッカ〜ム。 映像の迫力・完成度も素晴らしかったです。特に水のCGがものすごくキレイ。CGアニメもここまできたか〜と感心した作品でした。 パワフル系ヒロインの成長物語!海と波のCGがまるでほんもののよう『モアナと伝説の海』
キング・コング 髑髏島の巨神
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ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント (2017-07-19) 売り上げランキング: 469
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あーこれもめちゃくちゃ興奮したなー! なんとか俳優陣の来日イベントに行きたかったのですが、結局ダメだったことを思い出しました・・・ 未知の生命体の発見のために、太平洋にある孤島へとやってきた調査隊が、島の巨大な守護神キング・コングと遭遇するパニックアドベンチャー。 終始、ハラハラドキドキがどんどん押し寄せてきて、常にアドレナリン全開。 キング・コングが大暴れするシーンなんて、もう画面がぶち割れるんじゃないかってくらい迫力ありましたもんね! また日本人好みのストーリーや演出が随所に見受けられて、親近感や変な懐かしさも覚えました。 キング・コング��怪物が大暴れ!迫力満点の映像を是非劇場で『キング・コング 髑髏島の巨神』
パッセンジャー
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ソニー・ピクチャーズエンタテインメント (2017-08-02) 売り上げランキング: 1,960
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2017年初のSF映画でした! 近未来。人口増加のために、新たな惑星へと向かっている途中、2人の若者がコールドスリープ状態から目覚めてしまう・・・ これはねー、どうしても序盤の展開を受け入れられなくて、終始モヤモヤしちゃいました。 キャストの演技が良かったので、それでなんとかもったという感じでした。 本編序盤で衝撃の展開!孤独に陥った人間の限界を描く『パッセンジャー』
ムーンライト
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『ムーンライト』も今年の作品かー! ポスターのデザインが秀逸です。 1人の黒人の少年が、青年になるまでの日々を3つのシーンに分けて描いたヒューマンドラマ。 黒人の少年の人生を通して、本当の自分とはなんなのか、この世に生まれるとはどういうことなのか、根本的な部分をリアルに、むき出しに描いています。 観た後は言葉が出てこないですよね。劇場の空気もすごくしんみりしていたのを、よく覚えています。 1人の役を、3人で演じているのですが、全員の瞳があまりにも純粋できれいで、とても記憶に残っています。 静寂と間が観る者の心を揺さぶる。アメリカの抱える社会の歪みに迫った『ムーンライト』
ゴースト・イン・ザ・シェル
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原作がずっと好きで、公開されたときは本当に楽しみにしてました!! 日本の人気マンガ、『攻殻機動隊』のハリウッド実写映画。 人間とアンドロイドが共存する近未来を舞台に、主人公が自分の正体について知ろうとするSFアクション。 ストーリーは大衆向けっぽくなってしまいましたが、原作マンガや劇場版・TVアニメのリスペクトを感じられる演出が随所にみられます。 やっぱり世界観が好きですね!ハリウッドならではのうつくしい映像も、攻殻の世界を再現していて感動しました。 特に光学迷彩を使ったアクションシーンは、テンション上がりました! 主演のスカーレット・ヨハンソンのアクションもかっこいい。 アニメも大好きだったので、吹き替え版で観れたのも良かったな〜! 本当の自分は誰なのか。原作へのリスペクトを感じるオマージュが満載『ゴースト・イン・ザ・シェル』
劇場版名探偵コナン から紅の恋歌
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毎年恒例のコナン映画です。 京都・大阪を舞台に起きる2つの事件に、コナンや平次が立ち向かう! 一方で、平次と和葉の恋模様にもライバル登場で進展が!? 去年の『劇場版名探偵コナン 純黒の悪夢』でのヒット以来、コナン界隈は再び盛り上がりをみせてますね〜! 去年は正直スパイ映画感が強くて、コナン映画とは言いづらかったのですが、今年はまだコナン映画っぽくてよかったですね。 といっても、平次と和葉が中心なので、コナンの出番は驚くほど少ないのですが・・・ 平次と和葉ファンにはたまらない作品でしたね! 人魚の島事件のときの名言をやってくれたときは私も興奮しました。 来年も安室が物語の中心になるみたいだし、コナンやおっちゃんたちが中心になるミス���リー映画はしばらくお預けになりそうですね〜 キャラクターが増えて、おっちゃんの出番がどんどんなくなる、もしくは一発芸人のような扱いになっているのちょっと寂しいですね(笑) 劇場版らしい演出やファンサービス満載!平次と和葉が大活躍!『名探偵コナン から紅の恋歌』
ハードコア
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新感覚の映画の登場でした! サイボーグ化された一人の男が、次々と襲い来る敵を倒しながら、黒幕を探し出すハードアクション。 この作品は常に一人称視点で物語が展開されるのが、最大の特徴。 まるで自分が映画の世界に没入しているかのような感覚を味わえます。 映画というか、ゲームの画面をみているような感じだったな〜 ストーリーも映画というよりはゲームっぽい内容でしたね。 90分という短い上映時間は大正解。終盤のめまぐるしいカメラワークは、酔いそうになりました。 ゲーム好きにはいいかもしれないけど、映画って別に第三者の視点でも色々な手法で没入感を味わうことはできるからな〜 映画ジャンルの新たな開拓としては面白い試みだったとは思います。 一人称視点の新感覚を味わおう!最初から最後までノンストップでバイオレンスシーンが炸裂!『ハードコア』
美女と野獣
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ディズニー映画で一番好きな作品の実写化でした! ディズニーアニメの『美女と野獣』を、ディズニーが初の実写化。 魔女に、バラが散るまでに心から誰かを、愛し、愛されないと永遠に解けない呪いをかけられた王子と、一人の少女ベルが出会い、やがて恋に落ちる物語。 ロマンチックですね〜 CGが美しく、見事にアニメのファンタジックな世界を再現しています。うっとりしちゃいます。 ディズニーから、今だからこそ、満を持して、という自信を伺えます(笑) アニメで大好きだったミュージカルシーンも、実写らしい豪華で派手な映像になっていて、大興奮。 『Be Our Guest』と『Gaston』が特によかったな〜!! やっぱりミュージカル映画は体が勝手に動きそうになる! あとエマ・ワトソンがえらい美人。 名作アニメを見事実写化!豪華でファンタジックなミュージカルシーンにうっとり『美女と野獣』
LION/ライオン 〜25年めのただいま〜
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2017年初の実話物語映画でした。 インドで生まれ、ある行き違いで一人母と兄の元を離れてしまった一人の少年の壮絶な日々と、その後に訪れる奇跡の物語。 主人公のサルー役のサニー・パワルがすごくいい演技をしていて、グッと感情移入していきました。 ストーリーはそんなことあるのかってくらい驚きの感動ものなのですが、一方で、世界中にはびこる格差社会や貧しい国や地域の生活の現実を生々しく描いています。 むしろそういった社会問題に切り込んでいるシーンの方が多く、単純に感動するだけではなく色々と考えさせられる作品でした。 これぞまさしく「奇跡」の実話物語。社会派な要素も胸に突き刺さる。『LION/ライオン 〜25年目のただいま〜』
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2017.04.28
0746
「昨日の文章書くやつについてだけど、二万円するんだよね」と、仏壇の前にいる母に言いました。僕の注文を母はそのまま受け入れてくれて、二万円をカバンの中から取り出して、「頑張ってください」と、僕に渡しました。僕はとにかく感情を見せず、無表情のまま、それを受け取りました。眠気と、満腹感で、何もできないので、自転車で近くコンビニまで行くことにしました。玄関を出ると、カラスノエンドウが生い茂っており、石畳を歩く僕の足にぶつかってきました。庭に行くと、パジャマ姿の母が犬にパ��をあげ、犬はそれを食べ終え、地面を舌でペロペロ舐めているところでした。最初そのピンク色の舌がハムに見えて、ハムを食べているのかなと思いましたが、舌でした。コンビニに着くと、二万円のギフトカードがあったのでそれを手に取り、レジに持って行きました。若い女性が「このままで大丈夫ですか」と言うので「ええ、大丈夫です」と上ずったような声で言いました。そして漫画をパラパラめくるが、どうしようもないほどに読む価値のない漫画だ…と思ってすぐやめました。それから、行きの際は、自転車を漕いでいて、登校中の小学生とすれ違ったのですが、帰りの際は、前に歩いている登校中の小学生を追い抜く形になりました。16年前の6歳の自分から11年前の11歳の自分を一瞬で追い抜いてしまったことに対して僕は戸惑いを覚え、僕は自転車から降り、またもや小学生の後ろに回り、僕は小学生になりました。でも僕は小学生にはなれないことに気づき、だんだんと顔が青ざめていき、半病人のように、とぼとぼ家に帰り、家のトイレで下痢をしました。水を流しても茶色の汚物は便器にこびり��いて離れずに泣いていました。
1548
精神分析協会から連絡が届いていた。一応、診察で自閉スペクトラム症と判断されたという旨を伝えると、「心理検査報告書を御用意いただければと思いますが」とのことだった。そんなものはなかったのでクリニックに連絡してみた。だが、心理検査はやってはおらず、自閉症スペクトラムは問診で、生い立ちや、コミュニケーションの能力などで判断ができるとのことだった。僕は精神分析の寝椅子自由連想法をなんとなく検討していた。それ自体、つまり、素材に興味があったし、何よりも僕は自分が全くわからなかった。「フランソワーズ・ドルトが精神病になり、精神分析を三年間受け続けた結果、生後八ヶ月までの体験を思い出し、自分が病的なものとしてひどく恐れていたものが、実は、一歳頃の出来事に由来していた「幻視」だったと発見し、数々の発見により、精神ののびやかさと自由を得た」と、あるHPに書かれているのを見たのが興味を刺激させた。
1647
メールで受信されてきたポメラの注文確認書を見てしまう。いつ届くのか少し気になり。ポメラがあるからって書けるわけではないのに。
1654
いやいやいや、今書けるのではないということだ。書くんだよ。いかなる時でも書くのだから、僕はそれを買ったんじゃないか。
1915
「精神分析の四基本概念」が栃木県立図書館から市の図書館に今日届いたので、取りに行き、読んでいる。エクリより読みやすくて面白い。「疑いは抵抗の印」と45pに書かれている。こういう本を読んでいると、何かがわかったという気になると同時に、なんと表現したらいいか、さっきの言葉ではないが、「疑い」が闖入してくる。それは暗く、決して明るいものではない。僕がこれを読んでいること、その姿を自分で見て、それを疑っているのだ。この本には、グノーシス派の中間的存在についてや、ハムレットの亡霊に関してなどについて書いてあり、それは僕にとって、詩的な経験として立ち現れる。それはいいとして、だが、僕は、この本を通して、父、母、子の関係について厳格に考えることを余儀なくされる。フロイトは「無意識の領野こそが主体の本拠地である」と言った。そして「無意識の思考は不在として現れてくる。47」この不在とは「対象a」のことだろう。つまり、今僕が文章を書いているのも、もう手に入らないものを欲望しているということから来ているということだろう。この本を読んでて、「花咲くいろは」が頭に浮かんだ。なぜだろう、考えてみた。 「断裂、割れ目、閉口の線こそが不在を出現させる。32」僕は、そのもうその満たせるはずのない不在を満たそうと欲するならば、何かを創造し、その断裂を埋めようとする作業をするしかないと思う。そして、その点において、母の存在は、僕にとって、咽喉を扼するものとしてある。つまり、「母の望むもの」を僕は作る必要があるのではないか、という思いにふと襲われた。それが、「花咲くいろは」だった。なぜならあの作品は、連続テレビ小説的であるし、青春物語で、あったかいし、娯楽として、非常に母親にとって親近感があるであろう物語であったから。だが、僕が書いているものというのは、描きたいものというのは、もっとグロテスクで、凄惨なものだ。それは母が最も好むものではない。ダークなものを母親は全く好かない。だが、僕が描きたいものは、ダークなものだ。それゆえに、僕が文章を書くというのは、母と遠ざかるということだ。遠ざかっているから、僕は実家にいたくない。本当に遠ざかってしまいたいのだ。要は、僕が、「精神分析の四基本概念」を読むということは、そういうことを絶えず意識させられるということでもある。だが、僕はこういったことを学ばなければならないだろうとも思う。前に母が僕の本棚にあるA.ドゥ・ヴァーレンという人が書いた「精神病」という題名の本を見て、「もっと希望のあるものを読んだら…」というようなことを言った。僕はその言葉を聞いて、母の「希望」を殺すことを希望した。本のページをめくるたびに、亀裂ができ、割れ目が大きくなるような気がしてならない。そこから抜け出すには、あの人が言ったように、演技でもいいから、元気な姿でいることだ。だが、それは本当に容易なことではない。だって、それは自分が消えることを意味し、自分が消えるということは、救われてほしい母をもう見ることができないということだから。
・
ふとイマーゴについて気になり、読み放題で「ユングの生涯」を読んだが、イマーゴについては書かれていなかった。交差的評伝という本の39pに、「1953年の日記の中で、自分の精神構造がまだ父親の「イマーゴ」に囚われていることをうかがわせているが、それは次第に…云々」と書いてあり、ガタリは父に対して「強烈な心情的ナショナリスト、火の十字架団、ドイツ人とは絶対に通じない、イギリス人の言うことは聞く、家族を尊重するけれども自由な雰囲気に苛立つ、要するに、中身がなく、嘘つき、覗き趣味、博打好き、商売人、そして抜け目がない、といったところ」といったイメージを当時抱いていたらしい。とあるサイトを見ると、「両親のイマーゴは、幼児が受けた両親の部分的なイメージと幼児の感受性などの合成物である」と記載されていた。コトバンクには「個人はそのイマーゴに基づいて他人を見るわけである」と記載されていた。そのうち「自我と無意識の関係」を借りてこようかな。
現在両親が寝ているが、起き上がってくるということを想像することは僕にとって脅威だった。
もうこの先は親の金で本を買うなんてのは、思うだけでも憂悶であるし、これはまず日雇いかなと思った。少し寝て起きてメールの受信箱を見たら日雇いが紹介されてたが、みんな現地直行ばかりだった。キャリアバイトの求人を眺めていたらコールセンターの求人が。でも営業だった。僕には無理だと思った。ため息と、右手の二の腕になぜか鳥肌が立った。
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. . 自閉症啓発デー! 自閉症啓発デー! 自閉症啓発デー! 本日は自閉症啓発デーなのでこれだけは覚えて帰ってください! 4月2日~4月8日までは発達障害啓発週間でっす! この辺も覚えといてくれると嬉しいんですが… 4月2日は『自閉症啓発デー』これだけは絶対に覚えて今日眠るようにしてください! さささっ! 今日はこれを言えば満足なんです。 もうお腹いっぱいになりました。 それでももう少しお腹を満たそうと努力をすると… みっなさん、お時間許す方はイベントなどもぜひぜひ行かれてくださいね。 自閉症啓発デーってことで各地でイベントが行なわれてたりしますです! 自閉症の方を交えてダンスや出し物があったり… 自閉症関連の映画の鑑賞会があったり… イベントは様々ですが、もしお時間ある方はぜひに~! 興味ない人ほどそういった場所にいくと意外と価値観変わったりしますよ? ちなみにぼくは以前行ったとき大号泣しました!!! 自閉症の方も交えたダンスのステージがあってそれを見にいったんですが、なんというか、、、”完成”ってのはその舞台に立ってる人達が自分の中の最高のパフォーマンスを出していれば”完成”なんだなっと。 自閉症の方を交えたダンスのステージなんて、”いわゆる”統一感とかはないですよ?でもね、それがまた統一されてるって思えるし、それが完成って思えちゃう。 未完の完成というかなんというか… めちゃくちゃ心打たれたんですよね。 個人的には映画もいいけど、そのステージは最高だったんでそういったものを見にいける時間があればぜひ! あとあと… ”「癒やし」や「希望」などを表すブルーを、自閉症のシンボルカラーとしています。ライトアップや、青いものを身につけたり、様々な形でブルーが展開されています。ライトアップに参加する場所も年々増え全国200近い施設が青に染まります。” ってな感じで色んな場所がブルーにライトアップされてるのを見て、今日はその日なんだって思い出してくださいね! ブルーのライトアップや青い服を意識的に着てる人は、あっ!そういうことなんだ!!っと。 もちろん青い服を持ってる人、青い小物を持ってる人はぜひ今日取り入れてほしいのだー!!! 今日はそんな感じなのでした。 繰り返しお伝えします。 自閉症啓発デー! 自閉症啓発デー! 自閉症啓発デー! 本日は自閉症啓発デーなのでこれだけは覚えて帰ってください! ブルーにライトアップされたものを見て思い出して… 青い服を見て思い出して… 青いものを見につけてみんなさんも参加してくださいね。 ちなみに佐賀では筑後川昇開橋がブルーにライトアップされるとかなんとかってことで少しばかり家族三人で行ってきますです。 ほいじゃ、今日もみなさんにとって素敵な一日になりますように! これがぼくらの障害ドキュメンタリー 2021.4.2 #自閉症啓発デー #デーなのかデイなのか迷う #結果デーにしてる #自閉症啓発デイ #一応 #ぼくらの障害ドキュメンタリー #ティムサーカス #福祉実験サロン #発達障害 #知的障害 #重度知的障害 #自閉症スペクトラム #ASD #ADHD #障害児 #親バカ部 #子育て #5歳 #発語なし #障害なんて言わせねぇ (Saga, Saga) https://www.instagram.com/p/CNJejSlnbOW/?igshid=7qn4bwf24g35
#自閉症啓発デー#デーなのかデイなのか迷う#結果デーにしてる#自閉症啓発デイ#一応#ぼくらの障害ドキュメンタリー#ティムサーカス#福祉実験サロン#発達障害#知的障害#重度知的障害#自閉症スペクトラム#asd#adhd#障害児#親バカ部#子育て#5歳#発語なし#障害なんて言わせねぇ
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inグリーンパル日向神峡withゆうちん家! . キャンプに行ってきましたー! 動画ばっかり撮っててあまり写真がないことに痛さを覚えてるどーもきよひとくんです。 . さてさて、外泊と言えば色々と怖さを感じますね。 いつもと違う場所で寝れるのか?いつもと違う環境でご飯を食べれるのか?ひどく癇癪を起こさず過ごせるのか?行き帰りの車中はどうだろうか?などなど… . 簡単に言っちゃうと…、 行き→大変でした 到着後→慣れるまで少し時間かかったけど、マイペースで輪に入らず部屋の中で快適に過ごせばまぁまぁ問題なし 睡眠→問題なく寝れました 帰り→途中怖い一幕があったけど問題なく大丈夫でした っとまぁこんな感じで全体的にはそんなに問題なく行けたかなーっと思うところです。 . 色んな所に挑戦していきたいなーっと思うのですが、「変化」について少し。 . どうやらママさんが病院の先生かな?療育の先生かな?詳細は聞いてないけど、いさねくんの現状を語り「いさねくんは変化が苦手なので変化に対して癇癪を起こしたりしていくこととは一生付き合ってくことになりますよー」みたいな事を言われたと言っておりました。 . はい。 きよひとくんず違和感レーダーが反応しました。 . ��もそも人間という生き物は「変化」を嫌います。 新しいものをなかなか受け入れず知らないということで嫌悪感を抱き自分の中に受け入れず否定し今を惰性で続けます。 . 新しい環境、新しいこと、新しい何かを自分に取り入れていくことはすごく大変なことで体力が消耗されます。 新しい何かをするときはワカラナイから考えなきゃいけないし気を使わなきゃいけないし、誰にとっても多少なりともストレスを感じます。 . だから人は無意識に、慣れた道を通り慣れた食べ物を食べ慣れた仕事を続け慣れた作業をし慣れた環境で慣れた生活を慣れた人と生きるのです。 無意識にそうしちゃう生き物です。 意識して「変化」を求め取らなきゃいけないんですよね。 . 「変化」はほとんどの人たちの中で「リスク」って変換されてるような気がしますが実は慣れや惰性の方がめちゃくちゃ大きいリスクなんですよねー。 . あっ、つまり何が言いたいかと言うと、「変化」はほとんどの人間が苦手です。 だって、慣れた道が安全で早くて効率的で、慣れた食べ物が美味しいとわかってて不味いリスクを避けれて、慣れた人と過ごした方がコミュニケーションのストレスなくお互い滑らかに過ごせて、慣れた仕事の方が効率良くこなせて、慣れた環境の方が楽じゃないですかー? . だから自閉症だから見通しが利かないことが苦手とか、発達障害だからとか、なんか少し違うのかなーっとこれまたぼんやり違和感を感じたのでした。 . 僕はどうやって変化を柔軟に受け入れてもらえるのかいさねくんで実験していくしかないなーっと思いました。 . できれば皆さんも癇癪を起こすからとか、めちゃくちゃたまらんほどの大声で泣くからとか言う理由で「変化」から遠ざけずその子のために挑戦し試行錯誤し、その子その子に合った変化の与え方をやってってほしいと思うきよひとくんでしたー。 . 僕はいさねくんに出来る限りの「変化」を与えていきたいので僕自身がまず変わり、化け、その上でいさねくんだけではなく同じ境遇の方達にも「変化」の場や機会を作りたいと思います。 . . あっ、お友達の家族に2人目の子供が生まれたようでーす。おめでとうございます! そして、ゆうちん家にもお腹に宿りしハッピーがおりまして、最近2人目の子供が沢山誕生しておりますー✨ 素敵な連鎖が続きますように! . . . #自閉症 #自閉症スペクトラム #pdd #autism #autisticdisorder #ASD #発達障害 #広汎性発達障害 #障害者 #dd #developmentaldisability #多動性障害 #adhd #注意欠陥多動性障害 #知的障害 #光 #子供 #我が子は自閉症 #ふぞろいのリンゴたち #歪な世界 #変化 #惰性 #慣れ #無意識 #子育て #自閉症子育て #知的障害子育て #苦手 #いさねくん (グリーンパル日向神峡) https://www.instagram.com/p/BzZdqKkHVY8/?igshid=1m9tmv9iiig6r
#自閉症#自閉症スペクトラム#pdd#autism#autisticdisorder#asd#発達障害#広汎性発達障害#障害者#dd#developmentaldisability#多動性障害#adhd#注意欠陥多動性障害#知的障害#光#子供#我が子は自閉症#ふぞろいのリンゴたち#歪な世界#変化#惰性#慣れ#無意識#子育て#自閉症子育て#知的障害子育て#苦手#いさねくん
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花粉症は病院に行けばめっちゃ楽になることを今年初めて覚えた、どーもきよです。 写真のようにぐでーんっと、ごろーんっと、だらーんっとするだけでもすごい成長を感じるのは何故だろうか? YouTubeにめちゃくちゃはまってるのね。 やっぱ動画ってすごいよね。 病院行ったときに子供が溢れてたけど、8割動画見てたもの。 動画を見ることはいさねでも覚えれたってことはやっぱり直感的に操作しやすいんだろうねー。 さてさて、 言わずにはいれないタイプの僕です。 今日ママさんとの会話の中で、 マ「ゴールデンウィークどっかいこー」 マ「ゆうちんが北九州の電車のうんたらかんたらどーのこーの…」 マ「だからいさね喜ぶと思っていきたいのー」 マ「平日とかがいいー?」 マ「けど、平日はやりたいこといっぱいあるからー、忙しいからー」 マ「"言語訓練とかー"」 言語訓練で忙しい? 時間がない? ? はてさて、僕には到底理解が出来ない一言なのです。 行かせるなって事ではないです。 家族との時間より大事な時間ってあるのだろうか? かなり疑問です。 さらに言えば個人的には「訓練」や「療育」などより外に家族と出る時間の方がよっぽど"訓練"だと思うんです。 どこに行くかもわからない。 見たこともない景色を見てどんな刺激を受けるのか? そんな見たこともない場所を体で感じいさねの脳は一体何を感じるのか? 一体この子はどんな世界を見てるのか? そんな刺激的な時間を心の許せるママとパパと一緒に過ごせる時間は訓練のようで訓練でない訓練よりしんどい幸せな時間だと僕は思います。 気持ちはわかります。 我が子が自閉症だって診断されたんだもんね。 他の子とも比べちゃうよね。 他の子は外に出ていっぱい褒められてんだもんね。 いっぱい喋れていっぱい走れてトイレだって1人で出来ちゃうんだもん。 すごいや。 けど、いさねくんにはそれが出来ない。 上手く走ることも器用におもちゃで遊ぶことも。 喋ることだってできないんだから。 人や場所や物を拒絶し大泣きすることが一番得意って言ってもおかしくないもんね。 やっぱり心配だよね。 出来ることを小さい時に出来るだけやっておきたいよね。 そんな気持ちは少しわかる。 間違いだとは思わないし、正解だとも思わない。 もちろん僕の考えも正解だとは思ってない。 けど少しだけ言うのであれば、 "気負わないでほしい" 訓練に療育に…、これから先もっと大変になるかもしれない。 今ある既存の定型発達の子達が通ってる学校にも行けないかもしれない。 そしたら、別の形の学びの場にも行かせなきゃいけないかもしれない。 そうやってずっとずっとずーっと大人になるまで手がかかるかもしれない。 そんなこんなで家族の時間が潰れることは子供の為になるのだろうか? 自分の時間を潰し、子供の為に時間を捧げ、子供自身も家族との時間を失い、そこに臨む未来はあるのだろうか? ちゃんと自分の時間も作る。 子供の為だけに集中する深い愛はすごいけど、それにより抱えるストレスがあるのであればよくないよね。 "自分の時間が無い"って嘆いてたりしませんか? 本当は沢山のママやパパに沢山の良い所がある。 それは子供達にも同じことで数えきれない程の良いところがある。 頭ではわかってても、ちょっと自分を忘れた時にはついつい子供に対して乱暴な言葉を投げてしまう。 ついつい、手を上げちゃったりだってあるかもしれない。 だから、自分を忘れない為にも自分の時間は作ってほしいし、子供の為にやってることもそれを気負い過ぎて"義務化"しちゃうと親にとっても子供にとってもストレスになっちゃうと思うんだよね。 学校も塾も習い事も療育も言語訓練も仕事も放課後デイもぜーーーーーんぶ、たまにはサボっちゃえばいいじゃんね。 ましてやサボった先にも���とステキな時間があるのなら。 子供は自分の所有物ではなく1人の人間です。 そして親もまた1人の人間です。 そもそも対等な人間で管理などはできません。 気負わないで。 少し楽にいこうよ。 自閉症の子をお持ちの方にも、子育て中の方にも少し届くといいな。 みんな違ってみんないい。 気負いすぎて本当に大事なことを大事な時間を見失わないで。 途中途中で色んな気持ちが溢れて色んな所に届けたくなって散漫な文章になっちゃった。 "子供を育ててる"なんて偉そうな考えは捨てて、子供に学ばせてもらってるのはむしろ親なんだよ。 最後までありがとう。 #自閉症 #自閉スペクトラム症 #pdd #autism #autisticdisorder #ASD #発達障害 #dd #developmentaldisability #多動性障害 #adhd #注意欠陥多動性障害 #光 #子供 #我が子は自閉症 #ふぞろいのリンゴたち #歪な世界 #子育て #家族 #みんなちがってみんないい https://www.instagram.com/p/Bu6iaeFgDwH/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=1g3cjbpj41vit
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福祉労働2017年春号原稿No154
発達障害批判苦箇条
十一本
キーサンの生き様から叫ぶ
発達障害にハンタイするための
苦箇条
序カ条 患者会破壊キーサン文化破壊箇条
発達障害とは精神病者の文化とセーカツ、患者会文化とセーカツの破壊者となる
我々を蔑すむためのコトバが、また一つ、この世に、生まれ出た
我々、キチガイを落チ込ませるためのコトバが、
またひとつ、この世に、生まれた出た
我々を見下すためのコトバが、また一つ、この世に、生まれ出た
我々キチガイを陥れるためのコトバが、またひとつ、この世に、生まれた出た
我々を侮蔑するためのコトバが、また一つ、この世に、生まれ出た
我々、キチガイをますます、惨めにするためのコトバが、
またひとつ、この世に、生まれた出た
我々をクルシめるコトバが、また一つ、この世に、生まれ出た
我々、キチガイを、地獄の底に蹴り落とすためのコトバが、
またひとつ、この世に、生まれた出た
我々を殺すためのコトバが、また一つ、この世に、生まれ出た
我々、キチガイを競争へと追い立てるためのコトバが、
またひとつ、この世に、生まれた出た
我々を差別するためのコトバが、また一つ、この世に、生まれ出た
我々、キチガイの生をますます、無かったコトにするためのコトバが、
またひとつ、この世に、生まれた出た
『発達障害』と云うコトバである
『発達障害』と云う概念である
まだまだ、キチガイを、精神病患者を、
苦しめ足りない、殺したりないと云うわけか。
そうか、そうか、そうなのか
『再生の物語』それは、ヨカッタ
『クスリゼロの物語』それは、ヨカッタ
『誤診誤処方からの再生の物語』それは、ヨカッタ
『処方薬依存からの再生の物語』それは、ヨカッタ
それは、ヨカッタ、ですね、と云う、ダケのことダッタのだ
だが
モハヤ、それではすまぬ
もはや、それは、ヨカッタですね、では、すまなくなってきたのである。
発達障害に病名を変更した上で断薬が、人を成長させるノダ
発達障害をツコウての断薬こそが、精神医療の被害から立ち直り、
自己を見直し、人生を振り返り、人間を成長させることが出来るのノダ
と云う主張には、怒りを、感じざるを得ない
だったら、精神病でクスリを飲み続けるしかなかったし、
クスリを飲み続けることを選ばざるを得ない
そんな、キチガイに、精神病患者に、病者に
この発達障害減薬強行断薬断行宣伝論者達は
想像を絶するほどの冷酷さを持って
クスリゼロ圧力
社会復帰圧力
を
絶望と共に、更なる屍を積み上げながら、押し付けてくる
ドンナ美辞麗句を散りばめようと
クスリを飲んでいる患者には、人間としての成長ナんゾ
あり得ないと
匕首を突きつけてくるのである
これは、差別どころではない
これは、差別を超えた、我々キーサンへの
精神病患者への悪辣極まりない、攻撃である。
自殺圧力、
と云う、
絶望圧力、
と云う、
おそるべき虐待行動なのである
ソレが精神医療の真実とは、恐れ入りました
本当に恐れ入った
発達障害概念、反対ナノです。クタバレなのです。何故って、余りに差別的であり、余りに余りに健病者的であり、保安処分的であり、積極治療主義的であり、社会復帰的であり、社会要因の無視化であり、オモタい病者の見殺し化であり、エリート障害者的ダカラであり、本当に差別的な最低のシロモノであり、団結と云うか患者会と云うか、『患者会』的在り方に対して侮蔑的であり侮辱的であり、精神医療福祉銭儲け拡大主義的であり、概念が勝手に無定見に拡大シテシテマう。ホント、この障害概念は、ナニモカモを飲み込みながら、概念の拡大をし続け、人格障害、精神病質まで、生物的精神医学の遺伝子探しマデも衣替えして再復活を遂げていますよ。
だから当然、かえって精神科クリニックの、精神病院の、精神科の薬の、保安処分対象者を徹底的に拡大に次ぐ拡大をさせるだけでしょう。特にとくーーには、心理が、もうウハウハに拡大デスヨ。心理の裾野の増大に次ぐ蔵大、拡大に次ぐ拡大に、手を貸しただけだ。しかも古くからある『人格障害』の焼き直し的側面も強く、だから、健病者による患者会文化の破壊に手を貸す概念になるでしょう。それだけじゃあーない、青い芝の会から続く、この五十年近くにになるありとあらゆる障害者の自立への取り組みを、アッサリ発達障害者の依存とサポートチームにすり替えられてシマウんですよ。そう、障害者の『自立』とは『依存』であったのだ、に、掏り替える装置なんですよ。そうすれば、専門職の飯の喰いハグレが、無くなるんですよ。
発達障害は、おそらく、既存の精神医療の根絶にはツナガラナイ。かえって、既存の精神医療や福祉が発達障害方向に拡大していくときの補強材料として利用されるであろう。発達障害は、おそらく、発達障害で社会復帰を目指すための補強材料として利用されるであろう。才能を花開かせて、社会に貢献しよう、と云うわけなのである。特に、発達障害者は、こう言われて、ジブンでも言いながら舞い上がりつつ、腐った社会復帰競争を煽り抜くダロウ。このようなサポートとサポートチームとハッタツ特性理解があれば、人し並になれるタラ、大した人物になれるタラ、いやいや、本人の才能が開花するんやーー、ゲージツ家に為れるんやと云う、背中には翼まで、はえてます、と言い出すとはなぁぁーーつまり半端者センセイ五職にナレルゾーーーという低学歴の精神病者への差別観蔑視感情を伴った鼻持ちならない健病者のエリート障害者の社会貢献路線をもって、自立を目指すシンドイ生き方をやらなくても良いぞーーーというハッタツ音頭シャカイフッキ音頭の唄と踊りにあけくれる十年間を補強し、健病者文化の社会復帰路線を強化し、新たな発達障害型の日精診、全家連、全精連、病者集団、精従懇、日臨心を、ベテルムカイヤチヤチ、コラルマキマキコなどを、次々と、生み出すであろう。
発達障害は、おそらく、社会復帰路線という、社会参加路線という、社会貢献路線という右肩上がり家族会路線を延命再復活にするための補強材料として利用されつくすであろう惜しいことであった、惜しいことであった、本当に惜しいことであった。ハッタツ障害音頭は、おそらく、既存の精神医療の根絶にはツナガラナイそして、その音頭の踊りが一段落する十年後を見てみたらよい。一体ナニが残っているかを。さぞやさぞやな、依存する社会復帰競争の社会貢献競争の果てにナニが残ることに為るのか、想像してみたら良いのダ。
発達障害は、おそらく、反社会復帰と云うキーサン文化を、働かない権利と云うキーサン文化を、さらには「生命の底で居直る」というキーサンそのモノの生命を、破壊してしまうだろう。そしてそれは、おそらく、このニホン低國と云う社会に対してそのシミンと支配者達に対して、根源的な『反』と『叛』と『乱』を対置し得ただろうと想われるキーサン文化を、捨て去るコトとなるだろう。だから、牙をもったキチガイから社会への『反』と『叛』と『乱』とを徹底的に亡き者にするための補強材料として利用されつくすであろう。患者会ナルモノをツブしたくてツブしたくて、無視したくて無視したくてタマランカッタおレンヂュウに素晴らしい患者会つぶしの武器を提供するコトに為るであろう。惜しいことであった。
発達障害は、おそらく、患者会を、患者会文化を、歴史から抹消するための主攻正面と為るコトであろう。ツマリかえって、既存の精神医療や福祉が、発達障害方向に止めどもなく巨大化していくときの補強材料として利用され尽くすであろう。それが証拠に、イライ―リリー社のパンフを見て御覧なさいな。 こ病院での外来の待ち時間が長いのである。ナニカ読み物でもないかと、外来のブックスタンドを見るとアッタアッタ、大量の発達障害タラあすぺるがータラの宣伝パンフレットである。何種類もアルので、ビックリした。ビックリついでに、発行元を見て、更に、ビックリした。イライーリリー社なのである。どうりで、カネのかかった、豪華版のパンフレットが、自由に持って行ってくださいよ、とばかりに、並べてある。イライーリリー社が宣伝に努めているのである。おっと、ヤンセンファーマ社も負けじと「小児期の自閉スペクトラム症に伴う易刺激性でリスパダールを服用される方とご家族の方へ」をバラまいているではないですか。ドウとでも取れる診断基準をタレ流しして、煽りに煽って、ハッタツにクスリをぶち込もう、と云う魂胆がミエ見えなのである。ケッキヨクは、クスリの全体量は、増えるであろう、何故に、ソンナことも、ワカラナイカネ―――クスリ屋もぼろ儲けを狙っていると、いうに。
そもそも、キーサン患者会は、精神医療の縮小化を目指して闘ってきたと言って過言ではない。縮小化を目指しながら、身近な精神医療を監視し続けてきたのである。そもそも、この発達障害概念は、新しく、障害を増やすものでアル。新しく、障害を増やしてはならないのである。何故か、「名前のない生きづらさ」を抱えてきたと云うミナサンが、これから、名前が付いたので、名札が付いたので、安心したミタイなことを、得々と、喋ったり書いたりしておられるので、こう言っておこう。何故か、何故か、何故なのか。その新しい、付けてもらった名札が、諸君らを「T4作戦の最終処分施設」に放り込むことに為るからである。モチロン、我々キーサンをも、である。地獄を見てから、シマッタと想っても、もはや遅いのである。権力は、世間様は、社会サマは、市民サマは障害者や病人に、ソンナに甘くは無いのだ
それなのに、こうもやすやすと、新しい障害を一つ、増やしてシマッタ。世間様が貼り得るラベルを増やしてしまって、ドウスルノカ。そしてそれは、三障害から四障害に為った、一つ増えたと云うようなコトを遥かに凌駕するナニカを全ての障害者にもたらしてしまうだろう。ナサケナいハナシである。オソロシいハナシである。
笠陽一郎や嶋田和子や広瀬隆士の批判なんか、もうどうでもいいノダ。そんなレベルの問題じゃないんですヨ、この発達障害というモンダイは。50年は闘い抜いてきた青い芝の会から続く、障害者の自立と依存、病者内あるいは障害者間の内部差別、障害の軽重による差別、というモンダイなんですよ。だから、笠批判という個人批判が、この問題を矮小化させるように働くようだったら、えばっちはもう笠批判や嶋田批判なんてどうでもよいです。それよりか、この発達障害のもつ、恐ろしいほどの【差別性】【権力性】【依存性】を暴きたいのです。もうそろそろ、病者、当事者たちも、医療や福祉や心理の専門職たちも、この発達障害概念のもつ、恐ろしいほどの『すり替え装置』『専門職への依存装置』『権力が利用しやすい利用装置』であるところの本質を、見抜くべきときが来ていると想います。さもないと、、、、、
腐った専門職が言い始めたことです、しかも、エングランドの。どのような便利な道具であ���うと、根底に、我々『キチガイ』と『キチガイ病院』に入院中の患者に対する差別、侮蔑、侮辱に満ち溢れているモノとは、対決するのみです。だから、言ってミロ、や、この戯け者ども、そうそう、発達障害概念を拡げようとしている医者や、ライターや心理のヤツ等と、ジブンは発達障害だと自慢げに話す発達当事者たちよ、オマイ等、『キチガイ』や『キチガイ病患者』よりは、よりマシなものだと、思っているんじゃないのか、正直に言ってミロヤ、オイオイオイオイ、チガウと言えるのか、コラララララァァーーーァーーコラコラコラコラコラララーこの糞戯け者ども。発達支援議員連盟の顔ぶれを見てミロヤーーー発達障害者支援法を見てミロヤー、改正の方向が、エバッチが、叫び続けてきたコトと同んなじやろが、だから言ったろ、名前のない生きづらさに名前つけてもろうて、喜こんどったら、こうなるやろ、登録だけさせといて、後は、少しずつ法律をいじりゃあーーイインヤカラ。その名前のない、少しは、高機能な能力もアルノダと云うような「高機能性発達」の名札貼ってもろうたら、それは同時に「T4作戦の最終処分施設」へのパスポートにも為るノンや、ナニが特性理解がパスポートなんヤ、ホラミロや、大笑いしてやる。とうとう、言うタとうりに為っていきやがる。キチガイも諸共にヤラレそうヤナ。こんチクショー、ハッタツ拡めたヤツ等、セキニンとんなはれや。
発達障害問題は、ね、今やセード的セイヂ的ホーリツ的モンダイ、課題なんですよ。もはやね。それが、分からないのかナァァァァーーー、行政と学会として、非常に政策的に、拡大したんですよ、それ、ワカンナイノカカナナナァァァァァァァーナァァァァァァーーー
教育の方のゲンバでは、6.カンタラパーセントと云う数字が独り歩きして、スクカンが、ちょっと、教室や、学校や、先生にとって、都合の悪い子供たちを、探し出してきては、6.カンタラパーセントに為るヨウニ、発達障害を貼りまくり、精神科につなぎ、クスリを入れているんだ。教育の現場では、スクカンのゲンバでは、発達障害イコール精神科イコールクスリになってるのが、わからナイノカナァァァーー、スクカンが、そう叫んでいるではないか、良心的スクカンが、タマラナクなって、そう、自白を始めているではないか。
母親たちは、結局はハッタツゲンヤクバージョンエンドレスリピート全家連をこしらえ、クスリがゼロになって、就学就職に成功した我が息子や娘たちを中心に、社会復帰バリバリの、家族会傘下の発達当事者会を、作り上げるでしょう。ハッタツクリェイティブハウスか、ゲンヤクハッタツダンヤク拷問ハウスを作り上げるでしょう。本人の了解なしにやれば、どのように良き意図をもってやったとしても、拷問になるのです。新しいタイプの精神科拷問課ですダンヤク拷問、ゲンヤク拷問の、登場です。我々キチガイは、古いタイプの拷問にも、新しいタイプの拷問にも殺される、ことになるのです。そして、笠医師を使いツブシタ後に、ジブンタチに同調する若手医師を確保してきて、断薬専門クリニックまで、つくりあげるかもシレマセン。そして、それらは、結局は、既存の精神医療を強化しつつ、延命させ、患者会文化を、完全に抹消シクさるでしょう。
なぜなら、それは、当事者の自立ではなく、母親と、医師をはじめとする医療福祉サポートチームへの、徹底的な、依存を勧めるからです。拷問されながらの依存に、発達当事者は進んでいくのです、自らね。「依存する社会復帰競争」というか「社会復帰のための依存競争」といったものになっていくでしょう。見方を替えれば「拷問されながらの依存競争」というか「依存させながらの拷問競争」とでも、いうか。依存してナニが良いのだ。クスリを増やすのも減らすのも、入院させられるのも、施設に入れられるのも、母親と精神医とサポートチームの好きなようにさせられるんですよ。モチロンうまくいった場合のハナシです、それは。ウマクはいかないと、十年以上も拷問が、続くことになる退行から、もどらないことも、ある、、、、、親子心中までも、、、ね、、もどってはこないことも、あるのです、よ。ゲンヤクが、ヂゴクのようになることも、多いのですよ。タイヘンナたいへんなコトナンデスヨ。しかも、嘘まで、言ってしまった。ハッタツしかないんだと言ってセカンドしたら先に診断名が決まっているセカンド診断だ。無茶苦茶なことを言っているんですよ。ボクの自己批判なんかでは、済まないんコトなんですよ。
❶カ条 差別箇条
差別そのものである
まずもって、この発達障害概念ソノモノが、とてつもなく差別的ダカラである。
既存の障害概念、疾病概念に対して、徹底的に、失礼無礼の限りを尽くし、た、その上に、この障害概念が成立しているのである。特に重たい自閉症のみなさんや、知的障害者のみなさん、そしてそして、我々精神病患者に対しては、よりマシである、より軽く、より才能がある、と言い回り、知的な障害は無い、精神病などでは無いと云う宣伝を、専門職とも当事者とも、そう、言いつのっているのである。知的障害者や精神病患者に対して、ソウ言うコトがドレだけ無礼で失礼で、傲慢で、鼻持ちならない差別者だ、という事がワカッテはいないのではないか。許されることではない。しかも、世間様の風潮も、ソウなのである。しかも、それでいて、愚かしくも、当然、才能の高低や、在る無し、イロイロあるなかで、ナニかしらに『成功』した障害者がエライのだ、と云う風潮をばら撒いている、のである。ドウニカなる障害者が出てくるのは、至極とうぜんであろう。
精神病患者のグループに比べて、発達障害者の団体は、高学歴者が、多いのだそうである。実際調査してみて、ビックリした、と云うような、コトを、福祉系の雑誌に堂々と書くアンポン譚もいる、と云うコトだ。しかも、書いた本人に当事者性もアル、と云うダカラ、念のいったアホさ加減ということであろう。ソンなに高学歴が、良いのですかいな、と想ったソンなアホな記事が掲載されていた。これほど、障害者間の能力競争と差別感を野放図に表すコトもなかろうに、、、、しかし、もはや、そんな感覚も麻痺してしまっているのか、、、酷いハナシである。
何故、あんなにエラそうに、クスリゼロを言うのか。何故、あんなにエラそうに、発達障害だ、統失ではない、と言うのかトーシツじゃナカツタと、喜びを顔いっぱいに、目を輝かせて、言うのか。母親が、同じママ友に、満面の笑みを浮かべて、こう言う。うちの息子ね、精神病じゃなかったんダッテ、発達障害だったんダッテ、と。走ってきて、頬を紅潮させて、そんなに嬉しそうに報告すべきことだったのか。そこに、精神病に対する忌避感と侮蔑感はなかったのか。そこに、精神病患者への差別意識は、ナカッタと、言えるのか。うちの娘は、精神医療と、手が切れたんですよ、と、ソンナに鬼の首でも、取ったかのように、言うのは何故なんだい。だったら、卒業して行ってくれよ。残って、それを宣伝するから、そうはならない者たちがより、苦しむことになる。まるで、そうはならなかった者たちの努力が足りないかのようにエラソウに言う。なんということだ。差別と侮蔑の再生産をやっているダケだクスリゼロになって、うちの息子は、大検受かりましたって、、、、あーーーソウカナそうかなソウソウソウソウソウカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナナナナナうちの息子は、精神科医になりましたよあーーーソウカナソウカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナクスリゼロになって、うちの娘は、看護婦試験受かりましたって、、、、あーーーソウカナそうかなソウソウソウソウソウカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナナナナナうちの息子は、大学に入りマシたよあーーーソウカナソウカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナ
笠陽一郎医師が、言い腐る。腐った毒殺精神医の大学の教授が、セカンドに行った母親にこう言い放ったと、書いていた。「どうしてそんなに診断にこだわるんですか精神病に対する偏見じゃないですか」ってっ、かっ。笠医師よ、おれがセカンドのママさんたちに、そしてアナタに、精神病患者に対する差別意識があったのではないかと指摘すれば、アナタはこんな腐った大学教授の話を持ち出そうとするのかい。同じようなことを言っていても、意味が違う。想いが違う。何故か。二十五年以上前の、ぼくの入院体験を、書いてみたンダ、読んでご覧ナ。これは、ほんのひとこま、のハナシさ。そのおれが、はっきりとこう言ってるんだ。セカンドに開いていた大穴とは、発達障害バンザイの精神病者に対する差別意識、忌避感情、侮蔑感だったとね。チガウかな。
だから、何故、あんなエラそうに、家族と本人の、努力が足りない、みたいに、言うのかね。何故、ソんなエラそうに、クスリを飲んでいる患者に当たるようなことを、言うのか。さげすむように言うのか。クスリを飲んでいる精神病患者に対して、ものすごく、侮蔑感を侮辱感を、丸出しにしていると感じるのは、おれだけなのかな、、、、、くじら会のママさん達も、成功体験バックにするから・・・えらく、侮辱的だねぇーー
あえて、言うのだが、過去の、そして現在も、今後も、ワラワラとやってくる病名変更を求めての意識的セカンド受診のママさんたちや本人たちに、精神病患者、精神病、精神症状、精神病患者のセーカツぶり、ビョーキぷりに対する忌避感、嫌悪感、差別感は、無かった、皆無である、と、言えるのであろうか。ソコの所を再考にも再考すべきであろう。発達障害宣伝活動家たちの書いたものを読んでいると陰湿な障害者差別意識と悪質な蔑視感情が根強くある、と、感じざるを得ないのである。
だから、健常者社会からもっともモットも激しく非難され差別され続けてきた者こそが、いやーーーな気分を持って、読むことになる。我々キチガイを差別する側が、もう一つ増えるだけの様な気がするのである。すなわち、発達障害者が精神障害者を差別し見下すことである。発達障害者が精神病患者を虐待し、いい気にナル予感がするのである。
もっとも、その発達障害者への健常者社会からの差別虐待をも、また、助長しているのではあるが。だから、この発達障害を後生大事にご使用になられている皆さんに言いたい。自らも差別されているのに、それに気づかないとは、アンポン譚極まりない。いや、気づきつつ、実は気づいているがゆえに、自らへの差別は不問に付し、自ら、より重たい、よりしんどい精神病者を、知的障害者を、自閉症患者を、差別する側に回ったのか。
だから、それは、精神医療の根底的な破壊に繋がるハズもなく、閉鎖病棟や看護士の暴力、保護室、四肢拘束などの、電パチ、スイカ割り、ガン箱退院の意識的な無視とあいまって、結局は、ハッタツ大好き宣伝広告マン達の精神病者への差別意識と蔑視感、侮蔑感、忌避感が露呈しているのである。陰湿な障害者差別意識と悪質な蔑視感情が根強く、いい気になりながらの、我々キチガイを差別する側が、もう一つ増えるだけなのである。
すなわち、発達障害者が精神障害者を差別し見下すことである。発達障害者が、知的な障害は無いンデスヨ、精神病などでは無いンデスヨと、言い回り走り回り言い募り、精神病患者を虐待し、いい気にナルのである。
❷カ条 ナンデもカンデも無制限拡大箇条
発達障害の概念が、範囲が、無制限に無定見に拡大していき、ついには意味不明と為ってシマッテいる、そも障害概念の定義自体がドウとでも取れるシロモノである
こう、言い換えても良い
精神医療と心理が発達障害を梃子に無定見無制限に拡大し、ウハウハに儲かる
そもそも、ムチャクチャな意味不明な、あいまいで広すぎる障害概念ダカラである。ナンデもカンデも発達障害に為ってしまうのである。ムカシなんでもかんでも、分裂病だったが、今度はナンデモカンデモ発達障害なのである。知的障害、自閉症、精神病、奇人変人、偏屈者、ノイローゼ、神経症、不登校、引きこもり、その他モロモロをすべからく、発達障害だ、と言い切ってシマッテいるのである。過剰診断ナンて生易しいものでは無い。オソロシイことである。銭儲けの為だけに、これだけの障害者増大に次ぐ増大が成されたわけでもあるまいし、その本音を知った時には、コトは、もはや、遅いかもしれぬ。まだしも、ムカシながらのコトバの方が、マシな気がしますがね。
大体が、精神分裂病→統合失調症→発達障害と、すすむにつれて、レッテルが、ラベルが貼りやすくなっていませんか。分裂病を貼り付け得なかった、奇人、変人、根性曲がりの偏屈じじい、靴を一足と言わず二足も三足も履いてしまっているヘンクツじいさん、変人オッサン、奇人ヘンクツゲームおたく、��々にすべからく、発達障害を貼り付けているのである。コレは、本当にオソロシイ事だと、想わないのダロウか。誰にでも貼り付けられる。恐ろしいことだ。心理と精神科が拡大してイッテイルンですがね・・・精神科→心療内科→メンタルクリニック→カウンセリングルームと、すすむにつれて受診しやすくなってはいませんか。ノンラベルやのうて、貼れるラベルが増えたダケですよ。発達障害は患者を倍にするダケですよ、いや、もっともっと、多くなるでしょう、千倍かな・・百倍かな、、、、、しかも、ナニを誤解しているのか、ジブンの方から掛かりに来る、ジブンの方から症状を増やしていく、というのか、発達障害は、才能がアルとイコールやと、でも想うのか・・・ジブンのほうからいくんですよね、、、、ソコが、精神分裂病とは、チガイますよね、オソロシイ。
生活保護で、一人暮らしで、高齢で、精神病院から退院したことのないヨウナ病者達のことを、歴史からなかったかのようにする、ゲンヤクで苦しんでいる患者を、無かったかのように、言う、ゲンヤクに苦しんでいる患者に、寄り添ってはいないような、ゲンヤクをアキラメた患者を敗者扱いし、クスリがゼロになった患者を勝者扱いし、ゲンヤクで苦しんでいる患者に、アンタの努力が足りないからだと、説教と折伏をしてくる。そのような態度に、えばっちは今や、徹底的に笠陽一郎医師を批判すべき時が徹底的にくじら会の母親たちを批判すべき時が徹底的に発達障害概念と闘うべき時がついに、来たのだと、自己批判しながら闘うべき時がきたのだと、想い知ったのです。
もっとも、アンポン譚な状況は、精神病は存在しない、アルのは発達障害ダケである、とまで、言いだしているのである。しかもしかも、その診断基準たるや、お粗末トシカ言いようのないモノなのである。ある医者の発達障害の診断基準を聞いたときに、腰を抜かしたのである。得々と語る、その診断基準は、ドウとでもトレれるシロモノで、なおかつ、ムカシの人格障害概念と、ソックリ同んナジモノなのである。しかも、当の精神医は、そのことに気づいてもイナい様子なのである。ナニを寝とぼけているのか、アンタは今、一人の患者を、発達障害の名のもとに人格障害である、と、診断しテシマッタたことに気づきもシナイのである。しかも、知的障害のセカイのみなさんが、セーカツとしてもウンドーとしても、営々と積み上げてきた、「暦年齢に見合った発達レベルがある」と云う「発達保障論的」な腐った概念に対する批判の数々を、アッサリ否定してしまっていることに、気づくことも出来ないでいるのである。そらおそろしく、寒々としたものが、背筋を走ってしまい、アホらしくて、その医者を批判することすら、アッケにとられてしまい、出来なかった次第である。ナサケナいハナシである。
余りにムチヤクチャな曖昧で範囲拡大増加の概念故に、とうとうムカシながらの人格障害、精神病質、発達保障論の再復活とともに、ドンなニンゲンにでも、貼り付けられる、まことに便利な名札と化してシマッタ。腐った専門家の諸君には、まことにケッコウな重宝な名札を、監察札を手に入れたのである。心理と精神医と教育者どもは、ウハウハであろう。おっと治安監督官連中もね。だから、当然、特性理解者サポーター、サポートチームなどとは、結局のところ、精神医療と福祉と教育が発達障害方向へ拡大していくときのボロ儲けのタネになるであろう、と云うことである。クスリと電気ショックと四肢拘束で儲け、発達障害のミナサンへのサポートチームでも、また、ボロ儲けするのである。依存してくれるので、飯の喰いはぐれがないのである。まことに、ケッコウな、お商売なのである。精神医療と福祉は、根絶も縮小もしていかない。拡大していくのである、オソロシい。心理職の国家資格化おねだり路線を見よ。
申請神聖ハッタツ博士片岡聡のリトプごっこを見よ。NHKから金もろうて、議員様相手に、法整備、制度政策おねだり講演会、開きくさった、笠セカンドからとうとう、こんな戯けた当事者が、悪辣極まりない障害当事者が羽化を始めましたよ。バカバカしい。片岡聡のような当事者からのおねだりもアルので本当に、ぼろ儲け、していけるであろう。ハッタツ護送船団おねだりボロ儲け路線である。専門職が、今の十倍いても、発達障害者を十倍に増やせばいいだけだから、しかも、依存してくれるので、本当に、ボロい儲けを生み出すであろう。これで、精神医療を根底的に破壊できる、などと、寝ぼけたコトをいえたものだ、大魔王教主笠陽一郎大センセイよ。逆だよ、逆、精神医療と心理と、福祉は、徹底的に、拡大していけるんだよ、この発達障害をツコウてね、ぼろ儲けしながらね。ナントイウバカげたことを、アンタは、ヤッテしもうたんだろうね。
❸カ条 キチガイ患者障害者無効化箇条
障害者、病者の発言、行動に対する無効化の武器がまた一つ増えるだけである
またもや、またもやの、まことに結構な、発言や行動を無効化できる、素晴らしい、武器となるのであ。たとえば、我々精神病者は、アレがキチガイの戯言やと、アレが躁や、アレが妄想や、アレが鬱や、アレが偏執狂やと、アレが躁鬱の波や、アレが幻聴や、アレが幻覚やと、アレが人格障害や、アレが精神病質や、アレが鬱や、アレが被害妄想や、と散々に言われて、我々の言うこと為すコト、すべからく、価値がない、と、無視され、無効化されてきたのである。アレが双極性障害Ⅱ型の薬剤性やくざや、ここにきて、今度は、さらに加えて、あれが発達障害者のこだわりと云う特性やタラ、興味の持ち方の狭さやタラ、アレが人間関係の幼さやタラ、発達障害の成長の無さやタラ、タラタラタラタラと、精神医中心に散々言って無効化するのである。例えば、さぞや、このところのえばっちの文章に、対しても、言っていることであろう。そう、だから、この点を特に重宝しているのは、実は、内海聡や、幻術魔道士嶋田和子や大魔王教主笠陽一郎達と言った、発達障害や発達特性を、精神医療改革の最終結論だ、答えだと、言って良いように宣伝して広めてきた当の本人たちが、いざ逆らうようになった病者たちに、患者たちに向かって、陰ひなたなく使っているのである。大魔王教主笠陽一郎のホームページや幻術魔道士嶋田和子のブログに内海聡のブログにも、隠そうにも隠せなく、端々に、にじみ出ているのである。ああ、もちろん、くじら会のママさん達の茶飲み話にも、為っていることでしょうね。許せないことだ。さぞや、さぞや、他の医者たちや心理士や治安監督官たちにも、良いお手本に為っているだろう。
こうやって、我々のヨウな文句言いのキチガイの言う事や書いているコトや、叫んでいることを無効化するのである。叫ぼうとしている中味を考えようとすることなど、ないのである。精神病の症状と発達特性と、の、せいにすれば、よいのだから。精神医の診察室での、心理士の相談室での、患者への無効化兵器が、一挙に倍どころか、十倍ぐらいに増えるンデスヨ、いゃああーー精神医と云うのは、カウンセラーと云うのは、まことにケッコウなお気楽なお商売ですな。我が身らの診察室や相談室を『荒らし』そうな患者に対して、無効化の手段が一挙に倍にナッタのである。精神病で無効化できなかった発言や行動に対して、今度は、発達特性で無効化するのである。特に診察室で、医者やカウンセラーやPSWや学校の先生に逆らう患者に対する無効化兵器が倍増したのである。
いや、念のいったことに、更に兇悪なことには、発達障害特性は、最初の入門口に才能があると云う方向も宣伝シマクッテいるので、ナント有効化と無効化を、相手を選んで、医者の好きなように有効化と無効化を選択して使えるのである。コレは、恐ろしいことである。精神病では、コウはいかない。医者に逆らう非友好的患者には、精神医は発達特性故の無効化を叩きつけ、友好的患者には発達特性故の有効化して才能あると持ち上げさえ出来るのである。ソレをまた、逆転することも可能なのである。依存先の精神医と心理士と先生の思うがままに、である。コレを最も悪用してきたのが大魔王教主笠陽一郎と云う精神医なのである、と言ったら、本項❸箇条が、ハッキリすると想う。他の精神医の先生様方が、笠セカンドや大魔王教主笠陽一郎大先生様をお手本に出来る最大の点でしょうな、コレが。オソロシいことだ。で、結局は、観察法法廷や、治安監督官たちにとっても、後見人たちにとっても、いやはやまことに、ケッコウな武器でしょうな。発達障害本や発達特性本の、使い道の読み方の、新たなる一ページ、と云うか、元々の一ページでしょうな。どちらにせよ、精神分裂病や躁鬱病の病状、症状で無効化できなければ、今度は発達特性で無効化するのである。一人の人間を無効化するに、【病状症状】で、出来得なければ、【特性】でも出来る、と云うコトなのである。有り体に言って、患者を病状や症状のせいだからと、沈黙を強制しようとしても、無効化すらも出来得ないときには、『発達特性』で、無効化鎮静化できる、と云うことである。
キーサン革命の鬼ことえばっち 江端一起
えばっちのホームページ 乾坤一擲
http://ebacchihomepage.dousetsu.com/index.html
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発達障害ー増える軽度発達障害ー
2018年4月14日 ひきこもり等青少年期問題相談会
2018年4月号
これからゴールデンウイークにかけて、1年で一番良い季節となりますね。皆様、お元気でお過ごし下さい。 ☆☆発達障害ー増える軽度発達障害ー☆☆ 1.発達障害とは何か 脳の先天的な器質・機能的異常に基づく障害である。代表的なものに、精神遅滞、自閉症圏障害(自閉症、アスペルガー障害)、注意欠陥多動性障害(ADHD:Attention Deficit/Hyperactivity Disorder),学習障害(LD:Learning Disabilities)などがある。 2.精神遅滞 (1)精神遅滞 知能が平均より有意に低く(知能指数IQが70以下)、かつ、社会的不適応をきたし、その状態が18歳までに出現するものを精神遅滞と呼んでいる。最重度精神遅滞IQ20以下、重度精神遅滞 20<IQ<35、中度精神遅滞 35<IQ<50、軽度精神遅滞 50<IQ<70、に分けられる。IQが70以上なら精神遅滞でない。全人口の約2%に精神遅滞が認められるが、その大部分は軽度精神遅滞である。 また、医学的には”精神遅滞”であるが,福祉や教育では”知的障害”と呼よばれる。 (2)成因 代謝障害(アミノ酸,脂質,糠代謝障害など),染色体異常(ダウン症,プラダー・ウイリ症など),内分泌障害(甲状腺機能低下など)がある。最近は,生後すぐのマス・スクリーニングや,染色体検査などで早期発見が可能な障害もある。遺伝が関与していることが判明している疾患もあるが,成因が判明しているものは半分に満たない。
(3)予後と対応 遅れが中度よりも重い場合は,言語理解に乏しく,身辺自立困難,自傷,他傷,こだわり,破衣などの行動上の問題が出現することが多い。軽度の遅滞では,身辺自立は成立していることが多いが,本人の能力と要求水準の間に乗離があり,思春期以降になって,情緒障害、非行,性的問題などの社会不適応をきたすことがある。 治療は、対症的に薬物の使用、生活技能訓練,作業療法,行動療法なが行われる。教育は,精神遅滞児の知的水準,適応能力に応て,通常学級,特殊学級,養護学校などが選択される。
3.自閉症圏障害(自閉症、アスペルガー障害) (1)診断と症状 自閉症は3歳以前に始まり、①対人的相互作用の障害、②意思伝達の障害、③反復的で常同的な行動様式、の3領域における機能の遅れや異常が認められるものを言う。 ①対人的相互作用の障害:他者との交流がスムーズにいかない。孤立型、受け身型、積極奇異型の3タイプが有る。 ②意思伝達の障害:他者とのコミュニケーションに問題がある。自分なりの感情や表現をTPO(時、場所、機会)に合わせて調節することが出来ない。会話が既成のもののコピー的である。非言語的なコミュニケーション(身振り手振り、顔表情など)が苦手である。 ③反復的で常同的な行動様式:自閉症の子どもがする”ごっこ遊び”は現実の単なるコピーであることが多く、感情がこもっていない印象を受ける。”ごっこ遊び”で、相手に合わせて柔軟に役割を交換したり、遊びのルールを改変したりすることが出来ないために、子ども同士のシナリオを無視しがちで長続きしない。 また、想像力に障害があるため、”こだわり”がある。こだわりは、ある動作を反復したり、同一性を維持しようとする傾向のことである。相手の気持ちを想像することが出来ないので、相互的交流が不可能となり、1人遊びにふける傾向がある。 アスペルガー障害は、言語、認知の面では発達の遅れは無く、知的にも正常であるが、不器用で相互的社会性が障害され、行動や関心、活動性が極端に制限されて、反復、常同的なパターン化された行動を示すものである。アスペルガー障害は高機能自閉症に類似しているが、言語面のコミュニケーション機能に問題がない点がそれとの大きな相違点である。 自閉症圏障害は、別名、広汎性発達障害(PDD:Pervasive Developmental Disorder)とも呼ばれる。
(2)成因 自閉症は、高確率で脳波異常が存在し器質的機能的な要因の存在が推定されている。親の愛情不足が要因であるとする心因論は過去のものとなり今は否定されている。男子に3~4倍多く,100人出生に0.5~1人の割合で出現するとされている。遺伝的な問題も検討されているが,現時点でははっきりしていない。 (3)経過と予後 第1表に自閉症圏障害の経過 を示す。経過や予後を考えるのに,自閉症を低機能,中機能,高検能の3つに分類することがある。 普通の子どもの年齢に近い水準の知的水準を持ち,ある程度コミュニケーシヨン可能な言語を持つ高機能自閉症、少なくとも1つは年齢水準に近い知的活動ないし感覚運動性の活動はあるが,コミュニケーション可能な言語を持たない中機能自閉症,年齢水準に近い知的活動ないし感覚運動性の活動は見られず,コミュニケーション可能な言語を持たない低機能自閉症である。 アスペルガ一障害は、高機能自閉症に類似しているがいちばんの相違点は,臨床的には言語面のコミュニケーション機能に問題がない点である。
低機能自閉症では,通常重い精神遅滞を合併しており,言語は全くないかいくつかの単語がある程度であり,全面的な教育的援助や生活指導が必要である。身辺自立度の低い自閉症児では生活技能の習得を第一にする。 身辺自立が可能な場合は,将来、社会生活に参加できるように社会的技能の習得や、自分の意志を伝えるためのコミュニケーション機能の習得などが重要となる。 中機能自閉症では,一見すると遅れがないように見えるが,社会的自立のためにほ,きちんとした教育や訓練をしていく必要がある。そのためには,個別的な対応や枠組みのしっかりした教育が必要になる。自閉症に特有の認知機構や情報処理過程に問題があるため,物事を全体的に検討したり,将来的な方向性などを判断するのが苦手である。興味のあることばかりして,嫌なことには手を出さない。特定の事柄にこだわり,思い通りにならないと“パニック”を起こすこともある。自閉症の子どものプライドを傷つけずに,本人のプラス面を伸ばしていける環境での対応が必要になる。 高機能自閉症では,学習能力の高い子どももあり,IQ lOO以上ではいわゆる一流大学に進学する場合もある。しかし,協調性を必要とする仕事に就くと短期間で辞めてしまうことも珍しくない。IQ 80~90くらいであると,文章の理解や抽象概念の把握が難しいため,内容が理解できず,低学年では丸暗記で対処する。学年が進み,論理的思考が必要になると,同年齢児についていくのが大変になる。他人とかかわりをもとうとするが,場所や相手の気持ちを推察できないため,嫌がられ特別視されてしまうことがある。自分の要求水準と現実に受け入れざるを得ない水準のギャップに悩むこともある。
(4)年齢と症状 知的障害を伴う場合,2~3歳までに症状は出現しており,1.5歳,3歳健診で言語遅滞を指摘されることが多いようである。言葉の遅れが比較的目立たない高機能自閉症やアスペルガ一障害では,就学後に気づくこともある。 イ.1歳までは 行動特徴として“愛着行動の乏しさ”「あやしても笑わない」,「泣いて注意をひこうとしない」など, ロ.2歳までは “愛着行動の欠如”「抱かれようとしない」,「人見知りをしない」など, ”知覚の異常”「限られた食物しか口にしない」,「身体に砂や水がつくことを嫌う」など, “睡眠リズムの障害”などが見られる。 ハ.就学前は “視聴覚の異常”「特定のものや光の点滅にじっと見入る」,「耳を手で覆って,自分の声を響かせる」など, “行動上の問題”「多動で迷子になりやすい」,「グルグル回っても目が回らない」など, “対人関係の問題”「視線が合わない」,「一人遊びが大好きで,遊びを手伝うと嫌がる」など, “独特な遊びと言語”「オモチャを本来の目的に使わない」,「オウム返しが目立つ」など, “情緒の問題”「理由のわからないパニックがある」,「極端に記憶がよい」などを認める。 ニ.学童期以降, “行動上の問題”「自傷行為が増加する」,「極端なこだわりが増えた」などに加えて, “随伴症状”「てんかん発作が起きた」,「ストレスで心身症になった」,「被害的になっている」、 「気分の変動が激しくなってきた」など、も生じるようになる。
4.注意欠陥多動性障害(ADHD:Attention Deficit/Hyperactivity Disorder) (1)診断と症状 不注意、多動、衝動性を中心的症状とする。 不注意(落ち着きのなさ),多動としては学校での離席など,衝動性としては,低年齢では「順番が待てない」,「他人の行動に割り込む」、「過度のおしゃべりが目立つ」などがあげられる。これ以外にも、極端な不器用さがなどが認められることもある。年齢が上がるにつれて,多動は表面的に目立たなくなるが,特定の興味のあることを除けば,集中力の欠如や持続力の不足は継続する。 知的水準の遅れほほとんどないのに,学業成績は悪いのが特徴である。「能力があるのに努力を怠るため成績が悪い」とされ,家人からも学枚の先生からも叱られることが少なくない。社会的常識も不十分なため,注意や遠慮が不足して,良好な対人関係を築くことは苦手である。小学校高学年以上では,集団から外れて“いじめ”の対象になることもある。ほめられることもなく,評価もされないため、挫折感や劣等感が強まり,不登校になったり,衝動性が亢進することも珍しくない。
第1表 自閉症圏障害の経過
(2)成因 有病率は学齢期の3~5%,男女比は4~9:1で男子に多い。低体重出生,新生児仮死,重症黄痘など周産期の異常が何らかの関与をしているとされる場合もある。家族的負因や染色体異常などの遺伝的検討も最近進んでいるが,原因を特定できないものも多い。 最近は,ドーパミンをはじめとする脳内アミンなど,生理活性物質の異常が、多動や集中力の欠如に関係していると推測されている。
(3)環境と対応 ADHD児では,症状により新たな能力の獲得に失敗することが多く,正常な自我の発達が妨げられている。 このため,自己評価の低下,自信喪失,自己卑下,引っ込み思案などの心理的特徴があげられる。 その知的水準からは理解できない患児の行動に家人が叱責したり罰を与えると,自尊心を傷つけ自信喪失を促進させてしまう。それゆえ家人には,障害の本質をよく理解してもらい、自尊心を回復し,自己評価を高めるような環境の整備に努めてもらう必要がある。 また知的水準からは説明できない学力不振があるため,学校の先生からも叱られ,結果として“反抗的”となることもある。先生にも患児の障害をよく理解してもらい,適切な環境を作ってもらうことが重要である。身近な者からは“ほめられ”,友達からは“さすがだなあ”と思われる場面が増えるように,周囲がお膳立てをする必要がある。年少時からの意味ある対応で,学童期後半以降の行動上の問題の出現を少しでも軽減することが大切である。
第2表に、自閉症圏障害と注意欠陥多動性障害 を示す。
第2表 自閉症圏障害と注意欠陥・多動性障害
5.学習障害(LD:Learning Disabilities) 本人の努力不足と関係なく,知的水準に比べ極端に学力が劣ったり,科目間のバラツキが見られる子どもをLD(Learning Disabilities 学習障害)と呼んでいる。学習能力の正常な習得パターンが発達早期から損なわれており,「書けるが読めない」,「読めるが書けない」,「算数操作を行うことのみが困難である」などがLD的要素である。これらのうち,授業に集中できなかったり,落ち着きを欠くなど,行動上の問題を抱える子どもはADHDと重なっていると考えられる。
6.終わりに 発達障害の治療には,まず周産期以降の発達指標を確認し,“いつからあった症状か”を調べる必要がある。自閉症であれば3歳までに,注意欠陥多動性障害でも7歳までには存在しているはずである。思春期以降に精神症状や,行動上の問題で来院する場合は,発達障害を見逃しやすいので注意する必要がある。 このような発達障害児は,心理学的,生理学的検査を行い,療育が出来る治療機関を受診することが望ましい。知的水準,発達内容のバラツキの確認、および経過観察に、心理検査(WISC,ITPA,K-ABC,PEPなど),随伴する症状の検査に生理学的検査(脳波,MRI,微細な神経学的検査など)が重要である。 発達障害の治療にあたっては,保護者の心理的援助や家族間の機能調整が必要となる。また,教育・福祉機関との連携も必要となるため,これらの機能を持ったチーム医療が組めることが望ましい。
謝意:参考文献③新訂精神医学、第12章「児童・青年期の精神障害」を引用させて頂きました。著者の市川宏伸先生に謝意を表します。 市川宏伸先生 元 東京都立梅ヶ丘病院長 専攻:児童青年精神医学 主な著書:①注意欠陥多動性障害 親と専門家のためのガイドブック(共監訳 東京書籍) ②自閉症治療スペクトラム(共編 金剛出版) ③広汎性発達障害の子どもと医療(かもがわ出版) ④子どもの心の病気がわかる本(監修 講談社) ⑤臨床家が知っておきたい子どもの精神科(共編 医学書院) ⑥知りたいことがなんでもわかる、子どものこころのケア(共編 永井書房)
参考文献:
①米国精神医学会編、高橋三郎、大野 裕、染矢俊幸訳;DSM-Ⅳ-TR、精神疾患の分類と診断の手引き、新訂版
②太田昌孝;発達障害児の心と行動、放送大学教材、2006年3月 改訂版第1刷 ③仙波純一、石丸昌彦;新訂精神医学、第12章「児童・青年期の精神障害」 放送大学教材 以上
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