#とうきょうスカイツリー
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麺屋 木ノ下(Kinoshita)「ワンタンスープ付きつけ麺」
✔️Store name / Menu
✔️Nearest : 押上駅 / とうきょうスカイツリー駅
#ラーメン#ramen#つけ麺#つけめん#醤油つけ麺#醤油つけめん#shoyu ramen#shoyu tsukemen#押上#とうきょうスカイツリー#oshiage#ラーメンジャケ買い#noodles#food#夜食テロ#japanese#tokyo
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とうきょうスカイツリー駅下りホームから。もうすぐ駅がリニューアルし、このホームはなくなります。記録のひとつ。
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2024/12/21

12月21日 いつまでも起き上がれずに、たくさん夢を見た。 起きた後は、今日は何もない日だった。 夢で、祖母が卵とじのカツ丼が好きじゃない、と言っていた。そういえば祖母の好物も嫌いな食べ物も知らない。
日暮れ頃から土手に��って、今まで行ったことのない電車の線路の陸橋の先まで歩いた。 その先は、少し東京に近づいたような風景があって、赤いランプがたくさん見えた。 スカイツリーも近づいた気がした。 気づくと真っ暗で、誰かに拐われても、刺されても、明日の朝まで誰にも気が付かれないんだろうな、と思いながら、とっても強い風の音を聞きながら、Uターンして土手を歩いた。 本当に風が強過ぎて、この土地に引いてしまった。地獄すぎる。

クリスマスをするにはこの週末が一番ちょうど良いのだろうな、と、今年はまだ国際フォーラムの干支ツリーを見ていない事を思い出した。
年賀状もかけていないし、作りたくもならない。 でもコロラドからクリスマスカードが届いたことが改めて嬉しくて、やっぱり何かを送りたい。 けど何も作りたくない。
未鈴ちゃんも、水野しずちゃんも、Perfumeも、みんな30代で、年上で、いつまでもきっと年上なのだから、生きることに少し希望が持てるかも、と思った。 でも青木さんのことを思った時、もしかしたらそろそろ青木さんの年齢に近づいてしまうのかも?と思って、終わってしまったのではなく、止まってしまったのだな、と思った。人生を停止させたのだな、と。

寒さと疲れで十分眠たいはずなのに、そこに睡眠のお薬を入れているので、毎晩何を食べて何を見て何を聞いているのか、全くよく分からない。 立ち上がって移動するときはふらつきがひどいので、壁を伝って歩いて夜を過ごしている。 昨晩は疲れがピークだったのか、音の全てが気持ち悪く、何の動画も数十分も耐えられずに、その選択にもつかれながら結局何もまともに見られるず音に酔い続けていた。

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高取山近辺 断片的な記憶
思ったより移動に時間がかかり、駐車場についたのが12時。これから登るのはスタートが遅い。でも仕方がない。 準備を簡単にする。何年か前に買ったポストペットの日焼け止めをやっと使い切る。登山に際して少しでも軽くしようとビニールのパッケージを外し、SPF情報は手で書き直したもので少し思い入れがある。塗った後にタイヤの下に入れるように日焼け止めを置いた。
下っていくとハイキング帰りの人が見える。こんな時間に駐車場から登山装備で出てきた私のことをどういう目で見るのか。気にしても仕方がない。目を合わさずにすれ違う。
今日は携帯のアプリで見るオフライン地図がない。最近のYAMAPは地図のダウンロード制限が��しく、無料会員ではここぞというときにしか地図が使えない。 しかし、低山でGPSに頼っていては仕方がない。これは訓練だ。
道祖神で分岐する。地元の老人会が作ったという手書きの地図を念のため写真に収めておく。 舗装された道を登るが、ときどき蜘蛛の糸の感触を顔や手に感じる。これが残っているということはあまり登山者がいないのかもしれない。1m程度のヘビが自分の前をゆっくり横切るのを待つ。
聖峰にはすぐ着いた。四人組のパーティが二つのテーブルを使っていた。一人がタバコを吸っていて、ライターを落としたので拾って渡した。右の二の腕に大きな蜘蛛の巣のタトゥーが入っていた。
何人かの左手の薬指に指輪をしているのが見える。自分が育った家では誰も指輪をつけていなかった。
四人組が去り、私が単眼鏡でスカイツリーを探していると上の方から中高年の二人組が下ってきた。一人はゲイターを足に巻き、もう一人は長ズボンの裾を靴下に入れていた。明らかにヒル対策と思われるため、ヒルが出るのか聞いた。道は選ぶと思うが、それなりに出るらしい。塩を持参しているから大丈夫だ、と答えた。
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二匹の蝶々が飛んでいる。お互いを追いかけるようにくるくると回転している。 どちらかが求愛していて、それをかわそうともう一匹が逃げているようにも見える。 蝶々がムードをどのようにとらえているかはわからないが、そんなことに時間とエネルギーをつかわずにさっさと交尾すればよいのにと思った。 けれどその直後に自分の考えが甘いことを恥じた。おそらく、愛を証明しろということなのだ。さっさと逃げられて、それで諦めるような相手であれば、そこまでだったということだ。時間とエネルギーを愛の証明に使わずして、一体何に使うというのか?
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梅の風味ののど飴を口に入れる。最適な登山ペースというのはギリギリ口の呼吸をしない程度であると前本で読んだ。 飴をなめている間は口で呼吸することが難しいのでペース管理に役立つ。 放っておくとすぐにペースがあがり、結果バテることになる。自分のことは自分が一番知らない。
高取山山頂はすぐだった。木の間から少しだけ大山方向が見える。大山の中腹に雲がかかっている。ほのぼのとした絵本のような山。先ほどの四人組とまた会った。会うのが二回目になると挨拶をするのは野暮だ。疲れていないので休まずそのまま大山方面の尾根を進む。 ちょっとだけ歩くと林道に出るはずで、今日はそこまでは見ておきたかった。いつかこの林道から大山に上ることができれば、自分の歩いた道筋で大山山頂までをつなぐことができる。
ゆるやかな下りの途中、草むらにタヌキがいた。こちらに気づくと逃げた。逃げる速度はシカや猿よりも遅かった。本気で走れば追いつくだろう、という速度。 小熊だったらどうしようか、親が来てもどうすることもできないが、ちょっとだけ気を張った。そのあとすれ違った人には「クマに襲われたらすみません」と心の中で謝った。
山ではすれ違う人には挨拶をすることが一般的だ。ただ、すべてのひとが挨拶を徹底しているわけではない。挨拶されたら返す、というスタンスの人も一定いる。 相手が挨拶を返すことができない、すれ違うギリギリで声をかけることを置き挨拶と心の中で呼んでいる。
目的の不動越までついたので引き返す。
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今日はコミティアがあった。私にはコミティアで買いたい本があったが、行くつもりはなかった。大学のころはサークルで同人誌を作り、発布したことがあった。私はいま本や漫画を描いたりしていない。 せめてと思い久しぶりに日記を書こうとこの時に決めた。
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また高取山に戻ってきた。ここからは一旦南に向かって下る。 緩やかで走りやすい道なので軽く走りながら下山する。5分ほど下りて、妙に日差しが明るくなって町に近づいていることに違和感を覚える。秦野の街が見える。方向が違う。 地図アプリで現在地を見る。尾根を間違えて真西に下りていた。 このまま下りても駐車場にはたどり着くことができない。 仕方な���来た道を引き返すことにした。走って下りた道を登り返すのは本当に馬鹿らしい。軽快に下りたことを心底後悔する。 自分の信じる宗教によっては、これは神が与えた試練であると考えることもできるだろう。 それについて私は、自分の都合のために神を利用するということだろうかと考えた。これも機会と考え、単にトレーニングとして活用すればよい。 いや、起きた事象を自分の何らかに利用するという考えが愚かであると感じた。 「せずにすめばよいのですが」。これは筆耕人バートルビーの象徴的なセリフだ。 全てのこと、すべての選択に対して、イエスでもノーでもなく、オルタナティブな態度を貫く。それこそ私たちがなすべきことではないか。バートルビーであれば今どう考えるか?そのように利用されることも快く思わないだろう。思い上がりなのだ。 院生の時に私にバートルビーを教えてくれたあの人は、今も神戸にいるのだろうか。
空の色が反射して枯れ葉が青く光る。ラジオで聞いた「煩悩即菩提」という言葉を思い出す。 煩悩があっても悟りに至ることができる。むしろ、煩悩がなければ悟りに至ることはできない、という説明だった。 煩悩を知ってこそ、煩悩の輪郭を知ることができ、そこから脱することができる、と解釈はできる。しかし、これは慈悲の言葉にも見える。煩悩があろうが正しく生きることが大事なのだ、まだ引き返せる、がんばれ、みたいな。 それはどうなんだろうか。煩悩を知らずとも悟りに至ることは理論上可能だろう。 煩悩を利用して悟りに至る。すべてのものを利用するという態度が気に食わない。 理由はなく、すべてのものがそこにある。ただ一切は過ぎていきます。
また、高取山の頂上に着く。居た人と会話する。私の経路のことを話すが、全然話が通じない。高取山に一度ついてから別の尾根を2回下りて登って、という人は少��いはずだし、意味が分からない。 親切なことに「昼下りのジョニー」という名前のヒル避けスプレーを貸していただけた。靴にかけるのが下手くそで無駄に何度も使ってしまい、心から申し訳なく思った。
ここからはそのまま帰っても面白くないので正しく南下して弘法山方面に向かうことにした。 17時に駐車場が閉められるが、まだ余裕はあるはずだ。
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行きの車では「サカナクション山口一郎のナイトフィッシングRadio」の録音を聞いた。 ジッタリン・ジンの特集で、ドライで明るい感じが心地よかった。 「君がいた夏はとおい夢の中 空に消えてった打ち上げ花火」。 そんなことがあったか?と自分の昔を思い出す。
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ざっくりした緩やかな下りで、スピードを上げやすい。 多少衝撃があったほうが骨にも良いだろうと雑に駆け下りていく。
昨日の夜、若干寒気を感じた。風邪を恐れているので葛根湯を飲み、肌着を一枚増やし、ズボンの上にさらにズボンを履いて寝た。 朝は特に風邪っぽさはなかった。でも不安はあった。 登山することで自分が風邪でないことが逆説的に証明できると考え、そのために今自分が山にいる。そんなストーリーを一瞬、後付けで理由として考えた。
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亡くなった犬のことを思い出す。 僕らには忘れないことぐらいしかできない。
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ちょっときつい急登を登る。木の根を探してそこを頼りに登っていく。 頂上からは東に下りることができるが、南下して弘法山方面に向かう。
大昔、山を切り開いて作った切通しのあとがある。 その道端に頭が石で置き換えられた地蔵が二体いる。
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来る途中、後ろの車が前方のGEOに入店するために一時的に対向車線に入り、右折して駐車場に入るところを見た。その際、右折のタイミングを間違えたのかサイドスカートを縁石にぶつけ、周囲に大きな音を立てていた。縁石にはこすったパーツの跡が見えた。
森を一人で歩いているとこういう、よくわからない事を何度も思い出す。 登山の良さは何なのか。圏外になって誰とも繋がれない時に自分の暮らし、過去、将来などから距離をとって考えることができるのが魅力だと思う。それができれば頂上は必要ない。
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あなたが私の本をわざと返していないことを知っている。
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すでに16時が近く、時間的な余裕、体力的な余裕、足が壊れないことの保証(最近アキレス腱の調子が若干よくない)もないので、弘法山までは行かずに、246のトンネルの上付近で東に下ることにした。 吾妻山の頂上でミックスナッツと水分を補給した。見晴らしはいいが、標高が低く建物が縦方向に圧縮されてあまり見栄えが良くない。
勢いで下山する。だがこれで終わりではない。駐車場まで戻るのだ。駐車場まではあと2kmある。しかも登りだ。 公共交通機関の登山と自家用車の登山は訳が違う。何があっても必ず車に戻るのだ。行きて帰りし物語なのだ。
施錠30分前に駐車場についた。学生が一人、吹奏楽の練習をしていた。 混んでないはずなのになぜ私の車の横に車が止まっているのか、気にはなったがタイヤの下の空になった日焼け止めを回収して、靴を履き替え、服を着替え、ドライブスルーができる店を手早く探し、車に乗って帰った。
2025-06-01
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成田空港から東京スカイツリー(R)直結特急か
ただ現状押上で有料特急折り返すのはきつそうだから、どこまで持って行くのかはちょっと気になる。都営浅草線に乗り入れるとしたら浅草橋に引き上��線があるからそのあたりまで回送するのかな?
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西武池袋線武蔵横手駅から国道299号を歩き、紫陽花寺として知られる、埼玉県飯能市の長念寺へ。
ちょうど見頃で、境内はいろいろな紫陽花が咲き誇っていた。




気さくな住職と談笑してから、長念寺から続く登山道を歩き、愛宕山に登る。
山頂は都心方面への眺望が良く、晴れている日はスカイツリーも見えるとか。
下山は別ルートにして、水晶山への道途中の分岐から国道に戻った。
2024.6.27





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浩志は東京に来ていた。未だ墨田区に「スカイツリー」はなかった頃で、T鉄道の駅名も「業平橋駅」だった。相変わらず、吾妻橋沿いに建つオブジェも金色に煌めいていた。
いつも浅草に来ると訪れていた「Kバー」は、今日も観光客で賑わっていた。嗚呼、あのデンキブランも味わえないのかと彼は悔やんだ。
この界隈は、実は浩志が神田駿河台にある私立M大学に通っていた頃から、しょっちゅう歩いていた。新仲見世通りや「ホッピー通り」など、彼には馴染みだった。六区ブロードウェイには映画館が並び、いつも賑わっていた。
その映画館の一つで、彼は男を知った。成人向けの上映をしていたところで、トイレの個室で或る男に「口淫」をされたのだ。その男は、当時有楽町にあった新聞社で働いていたが、たまたま非番だった時に浩志と出会った。いつも出入りしていたから気になっていたのだろうが、以後、彼とは切っても切れない関係となった。
浩志は、その映画館があった場所を彷徨いながら、
「幸雄、元気かなァ…」
と呟いた。
「幸雄」とは、その男の名前である。名字は「大原」と言った。
大原と出会ったあの日を、浩志は思い出していた。
昭和四十年代、水戸市内の県立高校から私立M大学に進学した浩志は、本郷の下宿から自転車で通っていた。近くには国立T大学があり、下宿の中にもその学生が数名住んでいた。場違いかなと内心思ったが、兄・岳次が学生だった時にその下宿を利用し、管理人だった「荒川みい」と顔見知りだったこともあった。岳次はM銀行に就職し、そのまま東京に住み続けていた。
みいは、母親の下宿経営を引き継いでいたが、齢は当時二十四歳だった。住んでいた学生から何度か告白をされたこともあるが、
「学生は恋愛が本業じゃないわよ」
と言い放っていた。
実は、今年も三社祭を見る為に上京した際にもみいと会っていた。彼女は二女・愛美に下宿の経営を任せていたが、食事づくりは手伝っていた。片貝木綿の長着を着たみいは、行き付けでもあるM百貨店で買ったイギリスの紅茶を淹れながら、
「相変わらず、男の追っかけをしてるの?」
と聞いた。彼女にはすでに、自分がゲイであることを、浩志は学生時代にカミングアウトしていた。小千谷縮の長着を着た浩志は、
「それがオレのライフワークだも��。それがなけりゃつまらねぇよ」
と言った。カップに鼻を近づけると、柑橘系の香りが鼻腔内を通っていく。浩志はアールグレイが大好きだった。愛美も掃除の合間に茶の間を訪れ、
「おじさん、こんにちわ」
と笑顔で挨拶した。愛美はTシャツにジーンズと言う格好だった。
そんなやり取りをしていたのを思い出しながら、
『みいちゃんに、どうやって告別式に来てもらおうかな…』
と考えた。浩志は、本郷にある日本基督教団の教会の上にいた。そう言えば、幸雄は基督教徒だったな…。色々思いを巡らせていた。
一方、浩二は浩志の部屋を掃除していた。美津雄と小百合はいったん東京に戻った。再び独りになった家内はガランとしている。
浩二は昨日、生まれて初めて覗いたクローゼットの扉を全開にし、まずは支え棒に引っ掛けていた背広や外套を、全部ベッドに置いた。しかし、意外とキレイに掃除されており、綿埃一つも見かけなかった。
まめに掃除をしていたのだなと浩二は思ったが、背広や外套で隠れていた奥の方に本棚が現れた。その本棚にはぎっしりと『薔薇族』や『アドン』など、所謂「ゲイ雑誌」が発行年月ごとに並んでいた。浩二も一時期買っていたことがあったが、それ以上だった。更に、その本棚の上には蓋付きの収納ケースが置かれ、半透明だったが明らかに「大人の玩具」と判るものが入っていた。そう言えば、高校生だった時に時折、
「嗚呼、イイ! 感じちゃう!」
と壁越しに声が聞こえていたっけ。まさか、これを使ってオ◯ニーをしていたのか?
「…本当に、父さんはスケベだったンだなァ」
浩二はため息を付きながら、クローゼットはこのまま放置しておいた方がイイと判断し、ワイパーで軽く床を拭くだけにとどめた。
全体的に、部屋を軽くワイパーがけするだけで済んだ。しばらく風を通そうかと、窓を全開にした。窓からは、かつて食品や日用品を毎日の様に買い求めていたI百貨店が取り壊され、新たに建設工事が行われていた。向かい側のK百貨店が移転するのだそう。また、隣は元々空き家だったが、いったん更地にされた後に、誰か引っ越してくるのか土台の工事が行われていた。いずれにせよ、この界隈も変わったなと浩二は思った。
階下に来て、仏間に残されている浩志の亡骸の傍に浩二はあぐらをかき、じっと見つめた。未だ、死んだと言う実感がない。だが、唇は色白くなり肌の艶もないので、やはり死んでいるのだ。明日は通夜、翌日には火葬と納骨、告別式が執り行われる。人間は死ぬと呆気ないと、彼は思った。
「父さん、オレもいつかあの世へ行くのかな���?」
もしかしたら数分後、でなければ数日から数年後、同じ道を辿るのかもしれないと、未だ解らぬ運命を浩二は漠然とながら感じていた。
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東京スカイツリー;とうきょうスカイツリー;Tokyo Skytree
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2024.2.2thu_tokyo
朝5時頃、アラームの音でぼんやりと目が覚める。眠いし、外はまだ真っ暗。なのだが、しゃーねえ起きるかという感じで身を起こす。布団をザッと畳むと気分だけは映画「PERFECT DAYS」のそれである。妻やお子らがグースカと寝ているのを「ヨシ」という具合に指差し確認し、身支度をしてランニングへ出かける。そのための早起き。 走り出す頃になってもまだ空は暗いのだけれど、濃紺色くらいにはなっている。身を切るような寒さの中、それでも走り始めるとだんだんと体が温まってくる。足並みを揃えるように空もだんだん明るくなる。これが好きです。走るのはもちろん苦しいのだけれど、毎度どこか浄化されるような感覚がある。走っている最中はなるたけ足や膝を痛めないフォームのことを考える。そうすると自然と背が伸びる。雑事から逃れているような感覚にもなる。 途中、千住汐入大橋。という橋を渡る。足立区側から荒川区側へ渡るときの景色がいいんだ。ゆったりと黒く流れる隅田川を借景にしながら、高速道路の高架上をトラックのヘッドライトが流れていく。これは都市の蛍やね、などと恥ずかしいことを考えたりもする。スカイツリーもまだくるくると回るようなライトが灯っていて、水面では点のような鳥たちが群れて移ろっている(寝ている)。空はすでに陽が登りかけて薄明るいのだけれど、まだ太陽は見えない。防災団地(白鬚東アパート)も逆光で眠たげ。そして土手。いや~土手っすね~、としか言いよう��ない見晴らしのいい隅田右岸の土手。本音としては、ここに差し掛かったタイミングで「ピッカーン」と音がしそうなぐらいに太陽が顔を出すのが理想なのだけれど、今日も合わなかった。ちょっと早かったみたいです。とまれ、このような景色を見、冬の朝の澄んだ空気を吸いながらチンタラ走っていると、「ま、なんとかなるっしょ人生」という気持ちになってくるから不思議だ。
帰宅して朝食を済ませ、お子らを保育園に送っていく。自転車の前に下の子、後ろに上の子。という一機三人乗りにもすっかり慣れて子も私ももはや余裕です。 毎朝、自転車を漕ぎ始めるときにこちらが「レッツ?」と問いかけると、ふたりが揃って「ゴー!」と返し、それで出立するのが恒例なのだが、なぜかこの日はガン無視。別に不機嫌というわけでもなさそうだし、考え事でもしていたのだろうか。自転車にまたがったまま「レッツ?」「(無視)」「レッツ!?」「(無視)」「レッツ!!??」「(無視)」と、ひとり延々と「レッツ」を虚空に向かって連呼する怪しい中年がレッツ出来。事案になってなければいいけど。
その後はひとり家で仕事。誰とも喋らず、黙々と。静かです。それもまた良し。夕方になれば仕事を終えた妻がお子らを引き連れて帰ってきて、一気に騒がしくなるんだろう。ランニングの疲れが出たのか、ちょっと昼寝したかもしれない。

-プロフィール- 関田浩平 40歳 東京 グラフィックデザイナー フリーランス。インスタグラムで「月刊カレンダー」というものを毎月配信しています。 https://www.instagram.com/kohei_sekida/
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ヴィム ヴェンダース監督の映画 PARFECT DAYSを見てきた。
ちょいと前にJ-WaveだったかFMラジオで小津安二郎の特集番組を装いつつ、ほぼほぼこの映画の紹介をしているのをたまたま聞いていて、気になっていたのだった。
役所広司演じるトイレ清掃員のルーチンのような毎日を綴った映画。
ガラケーとフィルムカメラと小銭を持って���パートを出る。アパートの前の自販機で缶コーヒーを買う。清掃用具を満載にした軽バンで家を出る。カメラが空を仰いでスカイツリーを捉える。昭和から残るようなアパート内での男の所作を追うシーンが続いた後で、突然ここが現在の東京、浅草近辺である事を知る。
映画の企画自体が、The Tokyo Toiletの一部であることもあって、さまざまなトイレを清掃して回る。ヴィム ヴェンダース監督はThe Tokyo Toiletで作られたこれらの様々なトイレを「小さな聖域」だと言ったそうだが、主人公の平山はその聖域を清めて回る修行僧のようである。無口で黙々と進める仕事は丁寧。愚痴ばかりこぼす若い同僚にも説教するでなく、暖い目で見ているだけ。
車の中で流すカセットテープからの音楽を聞いている時、古書店の100円コーナーで買った文庫本を寝落ちするまで読みふけっている時の彼はとても幸せそうだ。
横尾忠則の寒山拾得展を見てから、興味が湧いて寒山の書いた詩集まで買ってしまったが、その中で気に入ったものの一つに、「琴書須らく自から随うべし」(きんしょすべからくみずからしたがうべし)で始まる五言詩が有った。自分の身のまわりに琴や書物を置いて、生活を楽しむべきであり、給料や地位の高さを欲することなく、無欲、無心に生きるのを良しと言うような内容が、故事などの引用を交えながら綴られている詩だが、この映画を見ながら、この詩を思い出していた。
映画のBGMはほとんど無い。基本的には平山が車の中でかけるカセットテープの音。1曲目はThe AnimalsのThe House of Rising Sun だった。この曲は平山が日曜日だけ通うバーのママ(石川さゆり)が客のギターを伴奏に歌うシーンも有って、これもなかなか良い。最後は繰り返す毎日に訪れるいろいろな変化が落ち着きを取り戻した段階で、Nina Simone のFeeling Goodを流しながら、平山の顔を小津安二郎のように真正面から捉えながら、映画は終わる。
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240219 月
土・日のエッセイまとめ
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【240217 土】
15:00に自宅に戻り、それから娘と原宿へ行った
原宿。以前訪れたのは2007年あたりか?
実に17年ぶりくらいだ。
インラインスケートやっていた頃、代々木公園周辺をよくぶらついていた
渋谷 / 原宿周辺が活動拠点になっていた時期もあった
WEGOでよく服とアクセサリを買っていた
当時はどうだったか覚えていないが最近の竹下通りには小学生がたくさんいる
スクイーズ(やわらかくて潰せるおもちゃ)の専門店なんかもある
韓国系の店が多い。新大久保と似た雰囲気だ
スクイーズをたくさん買って、10円パンとかいう800円するチーズの入ったパンを買って、フルーツを飴でコーティングしたやつを買って、地雷系のリュックを買った
1万円ほどの出費。娘は満足したみたいだ
その後帰り道の途中錦糸町で降りてスカイツリーへ向かった
完全に勘違いしていたのだがスカイツリーに行くなら押上駅かとうきょうスカイツリー駅で降りなければならない。いつも乗り換えの際にホームからスカイツリーを眺めていた所為で錦糸町が最寄り駅だと勘違いしてしまったのだ
子連れで歩いたら到着まで30分ほどかかってしまった
竹下通り行ったりきたりした時点で結構疲れてたのでもうマジにキツい
でもいい、この苦痛こそが日常を彩るスパイスなんだと自分に言い聞かせチケットを買う。大人2000円子供1200円
実はスカイツリー登るの初めてなんだよなー。出来立ての頃に登りたかった
特別展望台的なやつではなく真ん中の展望デッキを選んだ。デッキは3Fぶんの高さで、一番下の階には「ガラス床」があって地上を垂直に見下ろせる
カメラで撮ってみたものの全然迫力が伝わらない。そうか、この景色はあ���まで「自分が今高い場所にいる」という認識があって初めて恐怖を感じるものであって、いきなりそこだけ切り取っても怖くもなんともないのだ(だから動画で撮り直した)
娘は最初こそ怖がっていたが30分もすると慣れたようで今日買ったスクイーズのパッケージを開けながらのんびりと景色を眺めていた
展望レストランで食事したかったが当日は原神かなんかのコラボカフェをやってて整理券が必要だった為入れず。時間も遅くなったので夕飯は食べずにそのまま家に帰った
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【240218 日 14:20】
午前中は家にたまったダンボール箱を潰してまとめ、娘がブレイブボードで遊ぶのにつきあい公園でブランコをし、年始のなんかで貰った高そうな甘栗を沢山剥いた
妻に甘栗でも栗ご飯に出来るのか調べてもらったらできるっぽかったので栗ご飯を炊いてもらい、それを4つのおにぎりにしてもらって自宅を出た
その栗ご飯おにぎりを食べながらこれを書いている
実に幸せだ
僕は幸せというものは必ず失われるものだと確信している。いつか無くなり失われるものほど美しく尊いのだ。逆に言えば「もう長くは続かない」と信じ込めばどんなものにでも美しさや尊さを見出す事ができる
lainのお父さんの「家族ごっこは楽しかったですよ」の言葉は本心だろう
だから僕も日常の一瞬一瞬を噛みしめるようにして生きている
【✓】
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MEN do KIZARU「鶏そば 濃厚」
✔️Store name / Menu
✔️Nearest : とうきょうスカイツリー
#ラーメン#ramen#鶏がらスープ#鶏白湯#鶏白湯ラーメン#toripaitan#chicken stock#東京スカイツリー#東京スカイツリー駅#tokyo skytree#ラーメンジャケ買い#noodles#food#japanese#夜食テロ#tokyo
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明日でスカイツリー開業13年。毎日姿を見かけると、元気のない日でも力が出るような気持ち。しかし月日の流れが本当に早く感じるようになりました。きっと子供の頃の夏休みのように、アッという間に人生も流れて行くのでしょうね。
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20231015
気になっている人と2週連続飲みに行って2週空いて次は月末に会うことになりました 週一で会っていたから寂しいな この金土は会ってなくて連絡全然来ないから他の女子と飲みに行ってるんかな?って思うわ
2回目の時3軒回って3つ目のカラオケの時なんかそんな感じ出して来たけどシカトして帰ろうと提案した ちゃんと話そうって言われて告白めいたこと言われたけどやりたいが為に言ってる可能性が高いのでシラフで聞きたいと突き放しちゃった笑 粘ってたけどお見送りしてくれた笑
元カノと上手くいかなかったのがなんか聞いたら体の関係が合わんくて別れたって 相手には言えんかったらしい
うーん
もし付き合って別れを切り出されたら私とも合わんかったってことだろうけどまぁショック受ける���ね 付き合う前に見極めたいらしい まぁさっぱりしてていいかもだけどなんだかなぁだよ だってそこから付き合おうってならんでしょ
来週別の人とご飯行く予定立てたから寂しい気持ちを忘れて楽しんで来まーす笑

スカイツリーより
金土で頑張って行って来ました
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🌻🔭⛰️🐓

今年の夏は灼熱地獄ひまわり畑に行った。
何年か前に行ったとき暑すぎてすぐ逃げ帰ったけど、今年も暑すぎて長くはいられなかった……。でも、恋人と行ったので後年は美しい思い出として記憶のすり替えが行われてくれるでしょう。行こうと提案したのは自分だけど、いかれた気温の昼間じゃなくてもうちょっと涼しい夕方に行ったほうが良かったかも。


去年の夏は国立天文台に行ったなー。今は使われてない大きな大きな天体望遠鏡があって、人はまばらで、夏の雰囲気も相まってかなりエロゲ背景感があって良かった。1年経っても覚えてるので、これからもずっと良い思い出として残り続けてくれそうな気がする。



先週の週末は飯能に行って山登り!ヤマノススメ聖地巡礼〜
天覧山の前の庭が見えるいい感じのレストランで昼食をとった。芋のデザートがおいしかった。メニューの単価が高いので、あおいやひなたは来れそうだけどここなちゃんは来れないんだろうな……と思った。
おなかが満たされたあと、天覧山と多峯主山 (とうのすやま)に登った。前に一度飯能に来たときは夕方近くだったから行けなかった山に登れて感動。天気も良くてスカイツリーが見えた。
下山してからあおいがバイトしてるケーキ屋さんに行ったらケーキ完売してて買えなかったのは残念。またいつか飯能行くことあったらケーキ食べたいな。

あと最近行ったカフェのお皿がかわいかった。Nancy CalhounのCountry Cuisine Sunriseというお皿らしい。
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みなとみらい
2025.06.26
何年か前までみなとみらいまで自転車で20分くらいの距離に住んでいた。
そもそも川崎から横浜に越してきた理由がみなとみらいが好きだから、と言うものだったので可能な限り近くに引っ越した。
その甲斐もあり近くに住んでいた4年間の中でかなり頻繁にみなとみらいに行くことができた。

みなとみらいにあるクイーンズスクエアの近く。
昔から坂の多いところが好きで尚且つ港町も好き、またごちゃごちゃした街並みよりはスッキリと広い道路のある街の方が好きなのでみなとみらいは理想的だった。
おまけに(今は無くなってしまったみたいだが)モーションブルーなどのジャズクラブもあるし、関内などに行けばジャズバーもある。レコード屋などもあるし、好きなものが全部揃っていた。
東京でこう言うところはない(と思う)。一番理想に近いところでお茶の水あたりだろう。坂も多いし、ジャズバーもレコード屋さんも沢山ある。お茶の水も好きだけれど、やっぱり川や海などが近い水辺の街が好きだ。

赤レンガ倉庫からのみなとみらい。
よくベイクォーターにある駐輪場に自転車を止めて、徒歩でみなとみらいを色々巡るのが好きだった。特別商業施設などに入らなくても歩いてるだけで何となく気分が良くなるし、楽しい。
赤レンガ倉庫の前はすぐ海なのでそこでよくぼーっと景色を眺めた。
結構こう言った時間が好きなのだけれど、東京にいるとぼーっと眺められるような景色に出会えることは少ないように思う。全くないわけではないけど、基本的にビルかマンションしか見えない。

おそらくベイクォーターの近くの橋。
坂が多い場所が好きなのもこう言った理由が大きい。大抵そういう街には景色を眺められるような公園が用意して��る。
当時住んでいた場所にもそういうスポットが沢山あり、周りにある大体の都市を遠くに眺めることができた。東京タワーだったり、武蔵小杉のマンション群だったり、新横浜だったり。天気が良ければスカイツリーも見えた。
住んでる場所やその近くにいい景色を眺められる場所があるのは幸せの一つだ。

以前住んでいた場所の近くの眺めのいい場所。新横浜のプリンス・ペペや日産スタジアムが見える。
みなとみらいの好きな場所の一つに象のはなカフェがある。ここから眺める景色が一番好きかもしれない。ちょうどよく港が見渡せるし、風も来ない(海沿いだと結構風の強い日が多い)。
一度ここで海外のファンクバンドがリリース記念だか何かで無料でライブをやっていた。人が多くて入ることはできなかったんだけど、流れ出てくる音楽が楽しげで良かった。

象の鼻パークら辺。
結局4年間住んだ後この場所からは引っ越してしまった。
その場所自体は気に入っていたのだけれど、別の場所の方が色々と都合が良く、引っ越す事になった。ただそこからまるで堰を切ったようにみなとみらいで色々な開発が始まった。
ロープウェーができたり、空き地に様々な建物が立ったり、よく行っていたお店が潰れたり。タイミングがたまたまあっただけなのだけれど少し不思議な気持ちになった。
様々な開発が始まる前に一度行ったのだけれど、もうそのときに見た景色とは違う場所も多いのかもしれない。
生まれた場所が再開発などで色々様変わりしてしまうことには特に何も思わないのだけれど、みなとみらいに関しては少し感傷的な気持ちになった(とは言ってもそこまで劇的に変わってはいないだろうけど)。
新しい場所に引っ越してからは一度もみなとみらいには行っていない。別にそこまで遠いわけでは無いのだけれど、なんだかんだで予定が合わず行けていない。
こういうのは少し不思議な縁みたいなものを感じる。

ワールドポーターズ。平日の夕方に行くと人が少なくて、好きファンシーショップも沢山あり、お気に入りの場所だった。
何となく好きになり、何度も訪れたかと思えば、ある時点で全く行かなくなったり離れたりしてしまう。意図して行かないこともあれば、意図せず行けないこともある。かと思えば頻繁にまた通うことになったり、よくよく考えると忙しない。これは場所だけでなく人間関係にも言える。
ミクロに見てもマクロに見ても大体の物事がこう言ったことの繰り返しで、(人の一生の中で)継続して変わらないものはかなり少ない。その変わらないものも詳細に見たら絶えず変化している。中心がぶれていないだけだ。
引越しが好きなので今まで何度も引っ越しをしてるのだけれど、18年間全部神奈川県内だった。そのままずっと県内に住み続けようと思っていたのだけれど、次回は別の地域に引っ越すと思う。
これもまた縁なのかもしれない。明確な理由もなく、何となく都合が良く、いい感じがするからというだけでそういう考えに至った。予定を立てていたわけでも無いし、何かあってということでも無い。そもそも現在住んでいる場所はとても気に入っているのだ。
何でこういう流れになっているのかそのときにはいまいち理解できなくても、ある程度距離と時間を置いたら、急に気がついたりすることもある。ただ結局今はよくわからない。
引っ越すまでにもう一度みなとみらいに行ってぼーっと景色を眺めたい。
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