#やくざ刑事 恐怖の毒ガス
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千葉真一 Sonny Chiba
やくざ刑事 恐怖の毒ガス 1971
Kamikaze Cop The Poison Gas Affair
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反スパイ法のない日本、外事警察の苦闘
櫻井よしこ
わが国は、四桁に迫る数の自国民を北朝鮮という国家権力によって拉致されたまま、約半世紀、取り戻せないでいる。
13歳で拉致された横田めぐみさんは59歳になった。母上の早紀江さんは、日本はなぜ、国民を取り戻せないのかと問い続け、新しく拉致担当大臣が就任する度に「真剣に取り組んでほしい」と要望する。歴代内閣は拉致解決を政権の最優先課題と位置づけるが、吉報は未だ訪��ない。
第二次安倍政権の7年8か月間、安倍晋三総理を支えて国家安全保障局長等を務めた北村滋氏は、近著『外事警察秘録』(文藝春秋)の冒頭で当時の拉致問題への取り組みを記した。めぐみさんのものとされる遺骨が螺鈿(らでん)装飾の漆器調の器におさめられて日本側に手渡された時、その遺骨は警視庁鑑識課で横田御夫妻に示された。目に涙を浮かべた父上の横田滋さんが無言で坐る傍ら、早紀江さんが沈黙を破った。
「めぐみは生きていますから。これは警察の方でしっかりと調べて下さい」
早紀江さんは毅然と言い、「遺骨」を証拠として鑑定処分に付することを承諾して下さった。「それは娘の生存に対する確固たる信念の発露」だったと、北村氏は書いた。
周知のように、遺骨はめぐみさんとは無関係だと判明し、日本国内の怒りは頂点に達した。だが、振りかえってみれば拉致は金正日総書記が2002年に認めるまで日本での関心事にならなかった。遡って1988年3月、梶山静六国家公安委員長及び警察庁の城内康光警備局長が、「一連のアベック失踪事件は北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚」と答弁した。
北村氏の指摘だ。
「拉致事件について国会で閣僚と警察の責任者が断言し、それと前後して日本人が拉致されたことを示す具体的な情報が複数取りざたされていたが、それでも捜査に追い風は吹かなかった。北朝鮮の国家犯罪の追及は当時、日本政界を支配していたムードに逆行するものだったのだろう」
事実、89年7月には土井たか子、菅直人の両衆院議員らが北朝鮮の工作員・辛光洙の釈放を求める要望書を韓国に送り、90年9月には自民、社民両党が「金丸���朝団」を結成して訪朝した。当時は日朝友好親善の機運が高まっていたのだ。
世界一、与し易い国
警察が拉致を防げなかったこと、捜査が進捗しないことについての批判は依然として強い。北村氏は言い訳するつもりはないとしたうえで、日本国の体制に注視する必要性を指摘する。まず第一に、スパイをはじめわが国の国益を深刻に侵害する犯罪を直接、適切な量刑で処罰する法律がないことだ。米国では死刑、終身刑、数十年の懲役刑となるような犯罪が、わが国では北朝鮮のスパイ事件に見られるようにほぼ全員、軽微な刑罰にとどまると北村氏は指摘する。
警察庁が認定してきた1950年から81年までの北朝鮮スパイ事件42件に限れば適用された罪名は「出入国管理令違反」等の微罪にすぎず、執行猶予が付くケースが多いという。
第二次安倍政権が「特定秘密の保護に関する法律」(特定秘密保護法)を難産の上成立させたとはいえ、今もまだ拉致問題に典型的に見られる対日有害活動を直接処罰する法律は制定の動きすらない。安全保障に疎いわが国の、これが現実である。
『外事警察秘録』の頁をめくる度に、日本の安全保障体制が法的にも国民の意識という点においても如何に貧弱かを思い知らされる。北村氏が41年間のキャリアを振りかえって取り上げた事件は拉致問題、重信房子の日本赤軍、麻原彰晃のオウム真理教、暗躍する中国スパイなど、実に幅広い。一連の事例から浮かび上がるわが国の姿は、悪意を持った犯罪者にとって恐らく、世界一、与し易い国のそれではないだろうか。
日本と日本国民を守る手段(法整備)に事欠く中で、北村氏らは国内世論の無理解、日本政府内に蔓延する気概の喪失とも戦わなければならなかった。たとえばオウム真理教事件で、早急に打つべき手のひとつが麻原彰晃ら最高幹部の国外逃亡阻止だった。
彼らは当時頻繁にロシアに渡り、レーザー兵器、ウラン、軍事用ヘリコプター、毒ガス用の検知器、自動小銃などを入手した可能性があった。そこで北村氏ら外事警察は「旅券法に基づいて、麻原に旅券返納命令を出してほしい」と外務省に要請。95年3月30日、警察庁長官の国松孝次氏が狙撃された当日のことだ。外務省担当者はこう返答したという。
「返納命令を発出してもし報復テ���の対象として我々が狙われたらどうなりますか。警察庁長官ですら銃撃から守れなかった日本警察に部外者の我々を守り切れるのですか」
テロリストの思う壺
最終的に旅券返納命令は発出されたが、恐怖心を煽って政治的目的を果たそうとするテロリストの思う壺にはまっている日本の姿がそこにあった。氏はまた警察庁外事情報部長だったとき、スパイ事件に関する日米の分析検討会議に出席した。日本の摘発事例を説明した際、米側の出席者がたまりかねた様子で尋ねた。
「日本警察が摘発した事件では、そもそも公訴の提起がなされなかったり、スパイ協力者に対する求刑が懲役一年から二年程度だったりすることが多い。判決では執行猶予が付され、釈放されるケースばかりだ。なぜなのか」
日米同盟という関係の中で、日本から情報が漏れれば米国も一蓮托生だ。米国側が懸念するのは十分に理由のあることなのだ。
北村氏は、日本の刑事法にはスパイ行為を直接罰する罪が存在しないこと、したがって捜査機関は、スパイがその情報を入手するためのプロセスを徹底的に精査し、あらゆる法令を駆使して罪に問える罰条を探し、スパイ協力者はその共犯として立件すると説明したが、到底、理解してもらえなかったという。
「米国では、情報を漏らした者はもとより、情報を探知し、盗み出した者を、より重罪とする。量刑は最高で死刑だ。(中略)終身刑や被告の寿命を遥かに上回る数十年の拘禁刑という事例も散見された」
北村氏はこう書いたが、これは中国、ロシアを含めておよそ世界の国々の常識であろう。
インテリジェンスの専門家が振りかえる安倍政権、7年8か月の軌跡は、案件のひとつひとつが生々しい記憶をよび起こす。独立国としての日本の再起に文字どおり命をかけた安倍晋三総理。第二次政権発足の翌日、内閣情報官としての第一回総理ブリーフィング(報告)を終えて退出する北村氏に安��総理が声をかけた。
「これからも時々、報告に来てください」
週一回だった定例報告はそれ以来、週二回となった。安倍総理はインテリジェンス報告に多くの時間を割いた。情報こそが国の命運を決することを正しく理解していた宰相なき後、わが国の前途は多難である。
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4月27日、朝鮮半��の板門店で南北首脳会談が開かれた。北朝鮮の指導者としては史上初めて板門店の韓国側地域へ歩いて軍事境界線を超えた金正恩委員長は文在寅大統領と会談や晩餐をしながら12時間も行動を共にした。
このニュースは世界のトップニュースになり、会談後の共同宣言文は世界中から注目された。しかし、宣言の中身は冷静に評価すれば物足りない内容だと言わざるを得ない。「非核化への努力」は明記されたが、具体的なプロセスについては全く言及されず、既存の核兵器の「廃棄」に対する言及もなかったからである。
韓国メディアからは「平和への大きな一歩」と高い評価を得ているが、第3者である海外メディアからは疑念、もしくは疑いの目で見られているのが現状である。それも無理からぬ話で、北朝鮮は過去に何度も核放棄の意思を表明した。だが、約束は守られず密かに核実験と核兵器製造が続けられてきたからだ。
韓国メディアの世論調査「金正恩を信頼する」77%の衝撃
南北首脳会談から3日後の4月30日、韓国のTV局MBCが発表した世論調査の結果は韓国社会に衝撃を与えた。全国の成人1023人を対象にした調査によると金正恩に対して「信頼できる」と肯定的な評価した韓国人が77%にも達したからだ(ただ、1023人を対象に応答率12%という極めて少ない標本数ではあった)。
世界からみると「人権弾圧国の支配者」であり、「独裁者」と認識されている金正恩が韓国人の目にこのように好意的なイメージに映っている理由は何だろうか? 確かに今回の会談を通して笑顔を浮かべながら、時には冗談を交える金正恩の姿は、韓国人の目には意外なものだった。そして、それは 「恐ろしい独裁者のイメージ」を「人間味を感じられる一人の男性」に変えたとも言える。
しかし、彼は叔父を処刑し、異母兄を毒ガスで殺害した残忍な人物である。それは韓国人が一番よく知っている。にもかかわらず、金正恩のイメージがここまで急に好転したのはなぜだろうか。それは南北首脳会談でカメラに映った姿、すなわち「表の姿」に韓国人の思考、あるいは心理が一種の「化学反応」を起こしたからである。「好感」を回答を導き出した韓国人の思考、心理はどのようなものか考えてみる。
一、教育とメディアの沈黙がもたらした「過去の忘却」
韓国人は朝鮮戦争を起こした北朝鮮による被害をほとんど忘却している。なぜなら、学校でその被害を正しく教えておらず、メディアもあまり言及しない。その結果、今の世代には韓国軍と民間人合わせて90万人以上の犠牲者が出た残酷な歴史、先祖の体験した恐怖が伝えられていないのだ。
過去、軍事政権時代には行き過ぎと思われるほど反���教育が徹底的に行われ、北朝鮮に対する敵愾心と反感を植え付けていた。しかし、1987年の「民主化」以後、とくに1998年から10年間続いた左派政権下で反共教育はほぼ消えてしまい、代わりに北朝鮮との調和と同質性の回復を強調する民族主義的な教育がその空白を占めるようになった。メディアの報道も同じで、過去のことは水に流し未来志向の関係を目指そうという話がほとんどだ。民主化以後、教育と報道において日本に批判的な内容が強調、増加してきたこととはあまりにも対照的だが、これこそが教育の力といえよう。
二、民族主義的な心理 - 「価値観」より「血」を強調
一般的な韓国人は、南北は当然統一しなければならないと思っている。なぜそう思うか。それは「南と北は同じ民族」という極めて単純な理由である。同じ民族の「別居」は不可能なのか? 異なる民族であれば統一の対象外か? こういった問題に対して真剣に考えることなく、ただ首脳会談という祭りの「ノリ」に流されているのだ。
実は、統一への願望は左派政権だけでなく、過去の軍事政権や右派政権時代にも教育と国家プロパガンダを通して強調されてきた。韓国人にとって統一は必ず成すべき「当為」であり「使命」のようなものだった。
ただし、過去に追求した統一は経済的、軍事的優位に基づいて南が北を吸収する「韓国主導」の統一だったが、現在の文政権のそれは南が主導する方式より、共存つまり「連邦制」に近い形式を目指しているようにも見える。
日本の評論家、メディアの中でも、南北は元々一つの民族だから統一しなければならならないと、まるで「民族」が結束と統一の前提条件であるかのように語られることがある。それは隣国に対するエールのつもりだろうけど、私はそれに大きな違和感を覚える。なぜなら結束と統一の必要条件は、「血」ではなく、「価値観」だからだ。
日本でも、韓国でも、国会で与党と野党は頻繁に対立する。それは、同じ民族でも価値観と目標が違うからだ。逆に民族が違っても価値観と志向する目的が一致すれば同盟、協力、共存できるのが一般的だ。今の時代「民族」を強調するのは時代錯誤とであり、危険な発想だ。
では、果たして韓国は北朝鮮と価値観と目標を共有、共感できるだろうか。「統一」という漠然とした幻想以外に、腹を割って話し合うことは可能だろうか。残念ながら韓国政府と韓国メディアはそれについては見て見ぬふりをしている。なぜなら、言論の自由、居住移転や旅行の自由、三権分立など民主主義的な価値観を話題に挙げたとたん、対話は破綻するしかないことを知っているからだ。現代において「自由」より「民族」を優先し成功した例があるだろうか。
三、目の前の利益だけを追う韓国 北朝鮮観光と平壌冷麺の話に夢中の韓国人たち
南北首脳会談で南北交流の拡大、鉄道の連結に関する内容が発表されると、週明けの30日韓国証券取引所では建設業、鉄道、送電事業の関連株が一斉に急騰した。そして、多くの韓国人たちは、まるで北朝鮮との交流がすぐにでも実現するかのように、北朝鮮の観光と平壌で味わう本場の冷麺の話で盛り上がっている。
北朝鮮が言う非核化はどのレベルなのか、交流と事業に必要な財源はどのように調達するか、米日中の支持と協力をどう引き出せるかなど根本的な問題には触れず、ただ目の先の金儲けと食べて、飲んで、遊ぶ話で盛り上がっている。
今韓国で深刻な社会問題になっているのは青年層の失業問題だ。今年3月の青年(15~29歳)失業率は11.6%だったが、臨時パート職の就職浪人などを含めた「拡張失業率」は24%に達した。仕事がない青年層は悲鳴を上げているのだ。一方で、韓国政府は北朝鮮にある開城工業団地の稼働再開を進めているが、それは韓国企業の事業移転、つまり韓国内の仕事減少になりかねない。だが、そのような懸念より韓国人が今夢中になっているのは北朝鮮観光と冷麺の話だ。そういう人たちにとっては、金正恩は単なる旅とグルメのメッセンジャーに見えたかもしれない。
一度騙されるのはミス、二度騙されるのは馬鹿だが、三度騙されたら?
文大統領の支持率は南北首脳会談後に上昇し、現在83���という高い支持率を記録している。文大統領は高い支持を背景に北朝鮮融和政策を引き続き推進するだろう。南北首脳会談以後、支持率と韓国内の報道だけを見ると歓迎一色である。だが、北朝鮮に対して不安と不信を感じる国民も存在する。過去、金正日時代にも北朝鮮が非核化の意志を表明し、核施設を廃棄したと発表したことがあったのだが、これが全部嘘だったことをまだ覚えている人々である。
その中の一人だろうか。インターネットに掲載された南北共同宣言のニュースのコメント欄で最も多い「支持」(「いいね!」)を得たコメントが話題になった。あまりにも性急に対北朝鮮融和政策を進める韓国政府を皮肉るそのコメントは、以下のようなものだった。
「一度騙されたらミス、二度騙されたら馬鹿だが、三度騙されたら共犯である」
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『第六学舎』
窓からは密かに写真家たちがこぞって撮りに来る紅���が綺麗だった。 その筋では著名な教授が高説を垂れている。授業中の静謐な空間はまさしく聖域で、何者にも邪魔されることはなかった。しかし一方で、自らに生まれるストレスや疲れという内的なエネミーに関しては別だった。連日課されるレポートの山に耐えうるだけの精神力がそろそろ尽きて来て、自分の方に眠気の悪魔が寄り掛かる幻想を見た。 あまり綺麗でない古いアパートに住んでもう三年半が過ぎた。家賃は月に五万と五千円、食費や光熱費を考えると更に支出は膨らむ。週四回のコンビニバイトと少しの仕送りでなんとか生きているが、そのコンビニでの仕事と難易度の高い専門分野のレポートをこなすと余暇はあまりに少ない。こうした状況の中で生じる休息の不足によって、なかなかに息の詰まる日々を送っている。 作る時間がなかったので、僕には友達がいなかった。完全に、といえば嘘になるだろうが、しかし交友関係は片手で指折り数えるくらいだった。だから、友達から過去問を貰うということもないし、友達と一緒に授業の課題に頭を悩ませるということもない。それがどうというわけではないのかもしれないし、それを言い訳にするのは違うのだろうが、──僕は単位取得率が極めて低い。親に成績低調者の家族向けの書類がやってきて、「これはどういうこと?」と冷たい声で電話越しに詰め寄られたのはそう遠い昔の話ではない。 しかし実際こうして授業を受けていても、何のことにもならないような無気力さがあった。予備校生のときは西京大学に入りたいという気持ちを持って勉強し見事合格、それから夢溢れる大学生活を想像していたものだ。 それが今はどうだろう。怠惰で自堕落な腐れ外道の大学生活。目的意識もなければ共に高みを目指す学友もいない。そういう日常の危うさを誰よりも自らが理解していながら、僕は何も解決しないでいた。 教授がチョークを持つ手を止め、籠ったマイク越しの声で一つ咳払いをしてから、こう言う。 「あの、眠いなら寝てきなさい。悪いことは言わないから」 僕のことを言われたのだろうか。しかし僕は知らん顔で目を伏せたまま、眠気に身体を任せたまま再開された授業に耳を傾けて……そのような態度だと周りに認められるかどうかはともかく、そうしていた。 眠りの世界にまた突入しようとした僕に教授はまたチョークで何かを書く手を止めた。 「君に言ってるんだよ。高校生じゃないんだから、もう注意しないよ」 ああ、別に何を言われても構わない。大学生なんだから、自分のことは自分で決めるさ。 人の目より自分のことの方が今は最優先だったので、そういう意味では高校生以下なのかもしれない……大学生になっても、歳をとっても何か変わるということは一切ないのではないかとすら思うのだ。そんな屁理屈をこねながら、僕は睡眠欲求に負けた。 それから目を覚ましたのは随分あとで、それは横にいる人間に肩を叩かれたのが主要因だった。 「先生、この人もう起きないんじゃないですか、寝かしてあげましょうよ。可哀想だし」 「……お、起きたようですよ。おはよう��ざいます。 貴方はこの研究室のメンバーではないはずですから、三限目からずっとこの教室で寝ていたんですね」 自分のロングスリーパーぶりに自分でも驚く羽目になるとは思わなかった。目の前にいたのは先の授業で弁を振るっていた落ち武者スタイルの教授ではなく、どこか弱々しい雰囲気を身にまといヨレヨレのスーツを着ていた名前も知らない先生だった。 「すみません、不躾な姿を晒してしまいました」 「いえいえ。何なら、今日だけでも私たちの話に参加していきませんか」 「嵯峨野先生、ちょっと、どうしたんですか。ずっと部屋にいたからって研究内容の話するんですか。第一、ここの研究内容って授業中から寝てるような人に理解できるんですか?」 ゼミ生だろうか、必死に教授の暴走を止めようとしている。僕は正直どっちでも良かったが、なんとなくすぐ終わるなら流されてもいいような気がしていた。 「心配いりませんよ。むしろ、面白くないですか? こんなに劣悪な環境で眠れる人間が世の中にはいるんですよ。寝ている最中も声は普通に飛び交っているし、横からたたき起こされるし。その中でこんなに図太くいられるというのは相当なものです」 「……何を言われているのかとか褒められているのかどうかとか、そういうところはさっぱりですが、僕は根本的に不真面目なので、先生のご高説を拝聴しても理解できるかどうか」 「なーに、そんなことは何も考えなくていい。なにせ、私も貴方の専攻に関しては素人でしょうからね。違うフィールドに立てば私が偉いということはなくなるので、気にしなくていいんですよ。さて」 嵯峨野先生は自分の世界に入られる方で、非常に落ち着き払っていた。そして、言葉を選びながら慎重に物事を筋立てていく研究者だということが僕にもすぐに分かった。 「我々の研究の第一義には『核エネルギーの利用』があります。もっとも、昨今は原子力発電の危険性が叫ばれていますから、そこまで声高にその利点や特性について何か語ることはしづらくなってきていますが、そもそも核融合を使った発電の仕組み自体知らない人が論説していることがあって、我々研究者としては非常に不本意な訳です」 「嵯峨野先生は、そういう核エネルギーについてもっと効率的で安全な利用法がないかどうかを研究する方で、普通のひとから見たらとてもじゃないけど心配性すぎてついていけないかもしれません」 「ちょっとどころじゃないよね、かなり変わってると思う」 嵯峨野先生がゼミ生たちからそこまでして言われるような教授には見えなかったが、人には表面を撫でただけではわからない多面性というのがあるのだろう。触るだけでは色の分からないルービックキューブだって六面あるんだから、人間はもっといろんな顔を持っていてもおかしくない。 「たとえば、原子力発電の問題で言えば、いわゆる「核の��ミ」といわれる放射性廃棄物を再利用する核燃料サイクルというのがありましたが、これは今では破綻しているという意見があります。これには、高速増殖炉という、いわば『使った燃料以上に燃料が出来るので、半永久器官化できる』と言われていたようなものが失敗に終わったり、使用済み燃料をウランと混ぜて燃やしたりというプルサーマル計画に穴があったり、と色んな背景があるわけなんですが、そうした問題をどのように軟着陸させ、違う形での核エネルギーを利用した発電方法とその安全性の確保をしていくかというのが、この研究室の諸課題なわけです。お分かりいただけたでしょうか?」 僕は、並べられた専門用語をいちいち質問するのは野暮だと思った。大筋は流し見していたニュースで見ていたことだから知っているし、その方向性でいいのかもしれない、ということも分かる。 「ええ、非常にわかりやすかったです」 「それは良かった。思わぬ来訪者でしたが、話してみて良かった。少し疲れたので脱線しますが……」 「あっ、先生。もしかして、気になっているのは『あの件』ですか?」 ゼミ生のひとり、三つ編みのツインテールという今どき流行らないヘアスタイルをした女子が言った。それにしても、僕は彼女のいう『あの件』を知らないのだが、それはなんなのだろうか。 「ええ。流石に冗談めかしてますからね。皆さんもまさか本気で受け取ってる人はいないと思いますが」 「あの。皆さんが仰っていることが分かりかねまして。僕は本気で友達がいないので、そういった学内で流行ってる話に疎いんですよ」 「何ですって、それはいけませんね。まあここからは無駄話ですから、つまらなくなったら帰ってもらって構いません。 ……お、全員、帰らないんですか? そうですか、いいでしょう。それでは話しますからね。 皆さん、『西京大学は核実験を止めろ』という投稿は見たことがありますか」 「はい」 「もちろん。何ならネタにもなってますよ」 僕は不勉強でそんな不謹慎なことがあるのかともはや感心してしまった。まあ軽率なネタってだけで、教授が深刻にとらえることもない事柄だろう。 「その元ネタを探ると興味深いことがあったと、かつての卒業生から連絡があったんです」 「と、言いますのは?」 「この大学でも学生運動というのがあったんですよ──私はまだそのとき高校生なわけですが──その学生運動の看板を探していたら、似たような文字列を見つけたというんですね」 「なんで見つかったんでしょう。ただの卒業生の方なんですよね」 「そのへんは語ると長くなりますが、簡単に言うと演劇部のOBでいろいろ前衛的な芝居をやるにあたってそういう界隈を調べ漁ったら、出て来たらしいですね」 「あ、それ学祭でそれっぽいのやってた」 「そうそう、それが原形になった舞台を来月辺りにやるらしいですよ。あの子、宣伝上手なのは昔から変わらないですね」 学祭は���年秋に盛大に行われ、四日にわたって学内、とくに模擬店や大きなステージはお祭り騒ぎとなる。僕は一年生の時に所属していた部活の手伝いに行ったっきり顔を出していないが、本当にその盛況といったらない。 「それは置いておいて……まあ、学生運動の看板に使われるほど古いネタがなんで再燃したか、ってのが本当に謎なんですよ。調べればすぐに出てきてミーム化するような言葉とも思えませんし。しかも、その時代はちょうど戦後体制への不信感が高まっていたとはいえ、大学で核実験を行っているという突飛な言説が出てくるというのも、いささか不自然なんですよね。まあ、私が深追いしていい問いとも思えなかったので、謎は謎のままにしておいたんですが」 教授は核の原理的説明やエネルギーの効率的な利用といった文脈にはもちろん文献をも凌駕する詳しさをお持ちなのだろうが、それ以上に核が置かれた文化的・社会的背景に詳しかったことに僕は驚いた。 「おみそれしました。僕なんて単なるネタで書かれてたんだろうと思ってたんですが」 「いや、当時の人たちだって、さすがに本気で核実験が学内で行われていたなんて思っていなかったでしょうからね。そんなに気にすることじゃあないんでしょうけど、そういう意味のある無駄なことを気にするのも面白くありませんか?」 僕が意識しないことを面白がるとき、こうやって理由を明確にして面白くないかと尋ねるのがそれからも教授との話では常になるのだった。 研究室で疲れた身体を癒す上級生が僕のいる教室に先生を呼びに来たついでに、帰り際の僕に声をかけた。 「知らない顔だね。どうしてここにいるんだ?」 「なんでっていうと、難しいんですけど。寝てたら何か巻き込まれました」 「……どういうこと?」 まあ、はじめから理解される気はない。 「ま、嵯峨野先生は言葉が足りないことはないから大丈夫だと思うけど、逆にうるさく感じてたら申し訳ない。止められない俺らが悪いわ」 「いえいえ。全然、成績が芳しくない僕でも話についていけるくらい丁寧でしたから」 「それだったら良かったけどさ。 でも、まあせっかくこの研究室に来たからには、ここで語り継がれている密かな噂のひとつでもしようじゃん」 「あの、『西京大学は核実験を止めろ』じゃないですよね?」 僕はまさかこの話をまたされるんじゃないだろうなと思って先回りをしたのだが、先輩は薄く笑って、ははは、と乾いた笑いを弄した。 「うーん、まあ、割と近いんじゃない? じゃあ、『真夜中の虹』は知ってる?」 「昔の映画ですか。ロード・ムーヴィー風の。一度だけ見たことがあります」 「ごめん、それはたぶん違うよ。『真夜中の虹』ってのは、昔あった学校非公認の美術系団体で、よく問題を起こして学校から怒りの鉄槌を下されてたらしいんだけど、そこにいた人間のうちの一人が今でもテロ組織の指名手配犯になってるって話。『西京大学は核実験を止めろ』ってふざけた看板を作成したのは、その第一歩なんじゃないかってい��のが、この研究室にいた先輩たちの大方の見方だね。でも」 先輩はこう続けた。 「西京大学は核実験をしてたからって何か不味いことが当時あったんだろうかね? だから大っぴらに告発した、って線を消す必要はないんじゃないのってのが俺の、誰にも言ってない『諸説』だね」 「先輩、それ本気ですか」 「おいおい、俺はいつから君の先輩になったんだよ。気軽に『トモさん』とでも呼んでくれ」 彼は気軽に、構えないように、と僕に言った。彼にとってはパーソナルな関係の定義がとても広いのだろうと思った。 「それじゃ、トモさん、改めて聞きますけどその『諸説』は本気なんですか」 「ああ、本気だよ。別に根拠があるわけじゃないけれどね? こんな住宅地に近くて、その割に敷地面積が広いんだから、核実験施設の一つや二つは地下やどこかにあったって不思議じゃない」 ……前言撤回。気軽に接しやすいというのではなく、ただの変人だった。 「あやふやすぎて、なんか、信じるに値しません」 「そんな風に言うなよ、これはただの思考実験なんだから。『もしも、西京大学が地下に核実験施設を持っていたら?』という問いが真だったら、どんな風な世界なんだろうね。西京大学にあるから、たとえば京大や東大にも核実験施設があったっておかしくないだろう──憲法か何かで禁止はさ��ているだろうけど、そういうことは隠れて行われるから、まあ規律とかは所詮その程度のものってことだよ。ナンセンスだと思うかい?」 「……ええ、かなり」 「価値観の相違っていうのかね、こういうのは。嵯峨野先生が聞いたら怒りそうな話なのは確かだから、君も俺もそういう話はしないでおいたほうがいいというのは言っておくけれど。重大な価値観の相違があるから」 「嵯峨野先生って怒るんですか」 「一度だけ怒っているのを見たことがあるけど、意見の食い違った学者相手だったから俺しかその姿は知らないかもね。普段はもう仏よ」 トモさんの話は、友達のいない僕にとって、随分久しぶりに全く違う人生を歩んできた存在を見ているような気分になった。たった看板ひとつの話でここまで違う考え方の人間がいるとは、と思った。 「ああ、ただ、よく言ってるけど全然分からない言葉はいくつかあるよね」 「それってどんなのですか」 「『黙っていたら死んだことにされるぞ』とか、『意味のある無駄と意味のない無駄がある』とか、『核融合は本当はやりたくない』とか。もうどっちなんだよ、っていうことがいっぱいある」 「あーそういえば僕も、意味のある無駄なことを気にするのも面白くないか、みたいなこと言われました。あの先生、本当は唯物論者の哲学者なんじゃないですか?」 「そんな気がしてきたな」 トモさんは人の悪そうに笑った。
学祭の準備で学内が色めきだつ頃になった。銀杏の葉が落ち、実が道に転がる。あれ踏むと匂いが靴に付くから避けなきゃいけないんだよな、と思って避けていたら、人にぶつかった。 「あ、すみません」 「ごめんなさい、私が不注意で──あれ、この前の」 あの時代遅れっぽい三編みの子だ。こちらからすれば、なんだ、昭和の女学生か? と思っていただけなので特に印象とかはなかったのだが、この子からすると僕はロングスリーパーとして激烈な印象を与えていたのだろう。 「どうも。あれから嵯峨野先生は元気にしてるの?」 彼女は少し口籠っていた。僕の持っていた元々生ぬるいコーヒーが冷めていくのを感じて、焦れったくなって「どうした? なんかあったのか」と聞いたなら、ちょっと疑り深さを隠しきれない声で、 「嵯峨野先生、最近ちょっと様子がおかしくて」 と言うではないか。 僕は交友関係が相変わらず狭くてやっと反対側の手に付き合いの人数が拡がったくらいなので、そのあたりのことはやっぱり詳しくなかった。そして、他人にはやはりそんなに興味がない性格もまったく変わっていない。 しかし、一度でも深く長く面白い話をした人間の動向となれば、少し別になるのだろうか。まさかこんなところで核エネルギーの話をすることになるとは……僕はちょっと長話になるのを覚悟した。 「いいよ。話を聞きたいけど、少し肌寒くなったし、そこに入ろう」 僕は学内にあるチェーン展開された喫茶店を指した。しかし彼女はかぶりを振って、「そこだと都合が悪くて。私の部室に来てくれない? もうひとり、ウチの同期もいるし」と返した。普通にしていれば話を聞かれることもないだろうに、そこまで警戒する心理がなんとも分からないものだった。 「そんなに慎重に話さないといけないようなことか」 「どちらかというと、嵯峨野先生の名誉に関わることなんだよね。私だって別に喜んで他人のことを悪し様に言いたかないのよ」 「悪い話ってことなのは、今までの態度で分かった」 学内でも外れにある真っ白な団地じみた建物を上って二階の部室に辿り着くまでに、そんなに時間はかからなかった。珍妙な飾りつけでなんとも入るのには抵抗があったのだが、彼女がドアを開けたものだからそれについていくしかなかった。 「どうも、お邪魔します」 「まあ、ゆっくりしていってよ。同年代なんだから」 本当は僕がひとつ上だとはなかなか言い出しにくかった。 「彼女から事情は聞いた?」 「ああ、まったく事情を把握するには足らないけれど、嵯峨野先生があまり良くない状況に立たされてるのだけは分かった」 「それだけ理解できてたら全然大丈夫だよね、弓削」 「そうだけど──話をする前にひとつ。これは流石に教授が可哀想なので、他言無用で」 「ちょっと待った。そんな大事な話を、この前からちょくちょく会ってるだけの僕に話すんだ? 近況がよろしくないということが分かれば、僕にそこまで喋る必要なんてない」 「『真夜中の虹』」 そこで僕が沈黙を挟んだので、つむじ風が、びゅっと吹く音がした。 『真夜中の虹』が研究室の中でひとつの定説の根拠となっているのは理解しているが、なんで僕がトモさんにその話をされたことをこの人たちは知っているんだろうか。 「その感じは、やっぱり知ってるんだね。 じゃあ、この話は知ってるかな? 嵯峨野先生は『真夜中の虹』に所属していたこと。どうかな?」 あの理知的な姿勢を見せていた嵯峨野先生が、大学や政治を皮肉るような前衛的な芸術運動に関わるというのは、なかなか理解の及ばないことだった。 「ええ、もちろん知らない」 「だと思った。ちょっと安心したよ、既にその話が広まっていたらどうしようと思っていたから。やっぱり、偶然とはいえ、将来テロリストになる人間と同じ団体に入っていたというのは、核科学者としてはちょっと怖いどころの話じゃないし、いろいろとどうしても疑われそうだよね」 「嵯峨野先生が芸術肌だったのは、このせいか……」 「設立メンバーに誘われて加入してるから、もともと多感で影響されやすい人だったのは確かだと思うんだ。まあ、入っていながら『核実験をやめろ』看板を知らないってのは不思議なんだけど、これはあんまり重要じゃないね」 重要かそうでないかの区別が僕につくはずもなく、ただ同意してしまった。 「嵯峨野先生はどこかアヴァンギャルドな作品を作ってたらしいってどこかで聞いたんだけど、作品も見られないし忘れちゃったな。今でいうなら岡本太郎みたいな感じで」 ああ、岡本太郎か、彼なら核の戦禍、とりわけ原爆や水爆について描いていたと美術の教科書に書いてあったなと思い出した。その絵がとびきり気持ち悪くて、とびきり強烈だったから。 「それでね、そのときの共作相手を調べたら、……私、驚いて、何も言えなくなった」 「なんだよ。もったいぶらずに話してくれよ」 彼女が、何か話したいのに話せないときに見せる表情を、短いうちに分かってしまった。いったい、何が不安なのだろうと僕が推測するのもほとんど無駄だと思えた。 もう飲んでいなかったペットボトルの中のコーヒーは冷たかった。ひどく冷たくて、それが今から聞くことの衝撃をまた意識させた。 「朝香伯光──のちに、東光銀行の頭取を人質にしたテロ事件を起こした主犯格。小郡孝也──ハイジャック事件を起こし、のち逃走、現在も指名手配犯。松笠悠紀彦──のちに人気歌手になるも、有毒ガスを観客の待つ会場に充満させ死傷者多数の事件を起こし、現在は死刑を待つ」 これほどまでに、すらすらと言葉が出てくるだろうか。冷たく無表情で感情もない事実の羅列が頭を殴る。 「それは本当のことなのか?」 「共作も、犯行事実も、ともに正確性は高いと思うよ。それにしたって、こんなに社会に対して強烈な悪意を持つ人ばかりが共作相手になっているなんて、偶然ではまったく考えられない」 「それって」 「前衛的な美術団体なんてのはやっぱり化けの皮に過ぎないのかな、という結論に至ったのが、あなたと会ったちょうど一週間後」 その結論を材料に導き出されるのは、 「嵯峨野先生も、そういうことだったってことか」 「その可能性は高いんだろうね。だけど、それだけなら、俺たちが何か心配して、先生の暴走を止めようと騒いでいる、というのは少し無理があると思わないか?」 「どういうことだ」 「……それは、私から言わせて。私が最後に研究室を訪れたのは先月の物凄かった雨の日──そんな日は一日しかなかったから、わかるよね──だけど、そこに教授がいなかったの。……私は、ううん、私たちはそれから嵯峨野先生の姿を見てない」 嵯峨野先生が消えた? 今まで語られたこととの結びつきが怪しくて、あまりにどうも突拍子のないことだと思った。 「すまん、一つ聞きたい。今までの美術団体の話と嵯峨野先生の失踪はどんな関係があるっていうんだ?」 「関係はあるかもしれないし、ないかもしれない。だけど、研究室にはこんなものが残されていたんだよ」 三つ編みの彼女の同期といった筋肉質の男が説明しながら僕にスマホの写真を見せた。ピントのあっていない写真でも、それが何なのかはわかる。これは、壁画だ。それも、色彩感覚が非常に前面に出た、意味を含ませている恐ろしい絵だ。 「嵯峨野先生の失踪は、きっとこの壁画の写真に関係のあることがきっかけなんだろうと思う」 僕は、必死にその絵のことを思い出そうとした。そんなにアヴァンギャルドで、個人的な感覚と政治性を優先し、しかし有名になるほど普遍性を獲得した画家はいたのだろうか──いや、一人いる。 岡本太郎だ。 彼が残した作品の中で、そんな広い壁画はアレしかないだろう。 「それって、きっと『明日の神話』とかじゃないか?」 「ん? そんな作品あったっけ」 「あっただろ。俺もこいつも知ってるってことは、有名な作品には違いないだろう。しかし、なんでこんなものを置いて行ったんだ」 僕たちにその答えを出す能力は全くと言っていいほどなかった。 沈黙が流れるごとに、手持ち無沙汰な時間を使って自分の話していたことを整理するごとに、自分たちがやろうとしていることの恐ろしさと怖さに何か支配されそうになる。だけどそれを言葉にするのは難しかった。なぜ僕は恐れているのだろう。何を恐れているのだろう? 現実の何かが怖いのだろうか、それとも何かの意図に気が付くのが怖いのだろうか。 いや、僕たちはきっと空間の中にある僅かな気配だけを感じ取ろうとしているのだ。それは単なる恐れではない……人が生み出したものへの、畏怖だ。 「まったくの推論だし、根拠はないけど、繋がったのかもしれないしそうじゃないのかもしれない。ま、話だけでも聞いてくれ」 僕はへりくだったが、これは相当に自信のある結論だった。 嵯峨野先生は何をしようとしているのかということまで踏み込むつもりはなかったのだが、浅ましくもそういう話に立ち入らざるを得なくなったのだが、結論から言えば、嵯峨野先生もやはり何かの計画を実行しようとしているというものだった。その『何か』というのは、恐らく自らの専門分野である核反応についてのことなのだろうが、しかしそれを実行するだけの設備も覚悟も、ふつうのおじさんにしか見えない彼にあるようには見えない。 しかし、それがもし彼にある、と仮定したらどうだろう。 もしくはこう問を立ててもいい。もし、そのような『社会変革』を行えるだけの装置が身近にあったら、彼のような思想を持つものはどうするのだろうか。たとえ科学者の理性をもってしても止め難い何かに突き動かされるとすれば、答えは自ずと一意に決まるはずだった。 そんなことを僕は語ったのだった。 「どうだろう、別にすべて自分が正しいと思っているわけじゃないけど、話を聞く限りこういうことが言えるんじゃないか」 「それはまだ掘り下げが足りていないと、俺は思う」 彼がこういったのは、きっと状況証拠によってすべてを説明しようとしている僕に対し『証拠不十分』ということを突き付け��いようだったが、それを僕はこう切り返した。 「状況証拠だけで十分だろう。動機はあるんだ。やるかやらないかは先生の自由意志だけど、それをやる環境が整っているんじゃないかということを言っただけだ」 「……少し気になったんだけど、いい? もし仮にそうだったとして、他の『真夜中の虹』のメンバーみたいに若いころにテロ計画を起こさなかったのは、なんでだと思う?」 「それは、わかるんじゃないか? つまり、核実験装置が大学の中に密かにあったとしても、そのときは動機としては成り立ち得なかったが、母校の教授に就いて日が増すごとに、『これは有望だ』と思いながら実行の日を待ってたんじゃないか、ってこと」 「それだったなら、教授になった段階でテロが起こってもおかしくないんだよね。今、このタイミングで起こる必然性が証明できない」 話は同じポイントを堂々巡りするようにして展開する予感がしていた。それが不毛なことだと思っていても、既に僕たちの間で膨らんだ疑心それ自体は誰にも否定できないどころか、ますます拡大していた。 「何にせよ、細かい部分は間違っているかもしれないけれど、それは筋の悪い話ではないと思う。問題は、それを確かめるための手段だな」 「下手したら、死ぬからな」 「ま、私たちは責めるのが目的じゃないってのは忘れないようにね。現実問題、この時期に教授がいないのは色々と厄介だから」 「分かってるよ。上手くやる」 「それじゃ、周辺の人に嵯峨野教授へアプローチをとってみるよ」 「……ありがとう。ありがたいんだけど……嵯峨野教授と向かい合うのは僕に任せてくれないか」 僕は、嵯峨野教授に相対する役目を自分に担わせるように言った。そうすれば、他の誰かに傷も痛みも負わせずに済��し、一番嵯峨野教授に警戒されていないのは僕だろうから、と。 しかし、彼女は言葉を詰まらせたときと同じような、強く動揺したままの顔で反発した。 「はぁっ? 何でよ。私が行く方が、よっぽど信頼されているから話を聞いてもらえるかもしれない」 「弓削、それは甘い考えだ。相手は俺らが考えている以上の、社会に対する煮込み終わった悪意を持っているかもしれない。それで死ぬかもしれないのに、軽々しく自分が行く自分が行く、っていうもんじゃない。もちろんお前もだ、吉岡」 「分かってる」 「分かってる、分かってる、っていうけど、本当は分かっていないだろう。本当は俺だって怖いんだよ、お前の言ってることがもし本当に当たっていて、そのことで自分たちが死ぬというのが。こんなところで死にたいわけないだろう。嵯峨野教授の気持ちを知ってどうする。あの人がいつか起こすかもしれないことを止めてどうする。それで何になるっていうんだ」 それは僕が三年半の間起こしていた自分に対する恐れと似ていた。自分が何かすれば何が変わるということは別にない、それが現在であり、ずっと未来もそうなんだと思っていた。なるようになると生きていた。しかし現実は、自分が何かしなければ今まさに死ぬかもしれないという極限状態にまで追い詰められている。 今、畏れを抱いている相手の言葉を借りたくはないが、『沈黙を貫くことは、生きたまま死ぬということ』だとしか言えなかった。 「それでも、今止めなきゃいけないんだよ。嵯峨野教授がまだ何もしていないのは、実は僕は奇跡なんじゃないかとすら思っている。動機も凶器も、そして狂気も揃ってるときた。いつ何が起こってもおかしくない。……ふたりはまだ、あるだろう。ひとりじゃないだろう?」 「……いつから、そんなに自虐的になったんだ」 「生まれてからずっと。本当は反出生主義を取ってたんだけどな? おかしいな、こんなに人のことで熱くなるなんて」 「全然、吉岡君は矛盾なんかしてないでしょう。きっとそれが人の本心だよ。でも、放っておけないよ、ひとりでは行かせられない」 「──僕の話を聞いていたのか? 来るなと言っている!」 強い剣幕で扉を閉めた。 二人の驚愕する顔が脳裏に浮かぶが、それも仕方のないことだ。これは、何も背負っていなくて、偶然にも爆弾を踏んでしまった通りすがりの僕のやることであって、決して何の罪も罰も与えられていない彼らに押し付けていいことじゃないと思っていた。
『真夜中の虹』は、前衛的美術団体である。 学生運動の機運上昇とともに、西京大学の中にどこからともなく自然発生した団体である。創始者は小倉眞之介という文学部心理学専攻(現:社会科学部心理学専攻及び文学部心理学研究コース)に所属のしがない大学生であったが、徐々にその内実は政治的に過激な発想を美術の名のもとに解放していく、マリネッティさながらの未来派的な側面が強くあらわれることとなった。 さて、そこで嵯峨野教授──いや、嵯峨野氏は、創始から三年遅れて大学に入学し、『真夜中の虹』に所属していた高校の先輩からの誘いを受けてその団体に参加した。ちなみにこの先輩とは、弓削さんが言っていたハイジャック犯の小郡孝也である。 『真夜中の虹』のシンボルマークを作ったのは、嵯峨野教授である。といっても、大層なものではなく、ただの鰻の絵だ。しかしこの絵は、団体の活動最末期における地下的な破壊活動の集合日時を表すためのいわば隠語として機能したという。鰻といえば土用の丑の日。土用の丑の日の『真夜中の虹』。 そう、彼らはきまって毎週土曜日の午前二時に集まって、次のテロ活動について話し合うのだ。 そのことに気が付いた僕は忠実にその日時に合わせて、西京大学の一番離れた場所にある学生会館の前までやってきた。そこは不自然に高く、まるで小高い丘の上に不自然に会館だけがポツンと建っているようにしか見えなかった。 「すみません。──『明日の神話』を見たいんですが」 合言葉はそれだけで良かった。職員もグルらしいが、僕もそれに乗る。スーツ姿で出迎えた胡散臭いおばさんが、笑顔から一転して何も言わなくなったままに僕を二つ鍵を開けた先にある階段に導いた。 真っ暗だ。 正直何も見えないが、触覚だけが頼りになりそうだった。 暗いが、どうやら一つ目の扉を開けると鉄の重たく��ちそうな音がする。ぎいっ、と。しかしそこには何もない。まだ真っすぐ行け、と空間に指図されているような気がしていた。 そして二つ目の扉を開けるとより厳重に閉じられたこれまた重たく冷たい扉がズ……ズズ……と開くのである。しかしまだ何もない。それで、さらに奥に進むことを命じられた気分になった。 三つ目の扉は先の二つよりもさらに固く、自分が普通に押しただけでは開こうともしなかったが、引くと開いた。こんなときにそんな間違いをするかという感じだが、自分が何か落ち着いていることを逆に確認することが出来た。 そして、四つ目の扉に辿り着いた。どこまで歩いたのか、どうやって戻るべきなのかも忘れてしまうくらいに、ここに来てから扉しか開けていなかったが、この扉は先の三つと比べればもう全く軽く、見せかけの扉に過ぎなかった。 ここなんだな……。 僕は覚悟を決めて、そこでノックをする。 「ようこそ、私の『第六学舎』へ」 西京大学には、第五学舎までしか存在しない。 つまり、というより、やはりそこにいたのは彼だった。目の前にはあの頼りなさそうな風貌だけが目に見えている。 「なるほど。やはり貴方でしたか。どうりで、変わった人だと思ったんですよ」 「何が、なるほど、なんですか。……すみません、言葉遣いが荒くなるのを失礼します。 あんた、何やってんだ!」 僕は、今までの冷静さとか、そういう身に纏って来た自分の業を忘れて棚に上げたうえで、力強く吠えた。それは恐れを含んでいたのかもしれない。 「今まで生きて来て、そして怨嗟を貯めて正解だった。ここまでぐちゃぐちゃになっていたら、世界は壊しがいがありますね」 「壊しがいのある世界なんて、存在しない」 「いいや、それは存在する。 これを、この無用の長物による圧倒的な破壊を、私の小さな恨みによるものだと断罪しますか。いいでしょう。そうだとして、それが社会を変える動機になってなぜいけないというんでしょう。あるいは言葉を変えて申し上げるのならば、社会を壊す動機になってなぜいけないというんでしょう。 ……この核実験装置は、日本に投下された原爆の数千倍の威力を持つ、日本には存在しないはずの『兵器』です。いまから、私がそれを作ろうとした動機について説明しましょう。 私はまず、根本的に前衛的な美術に多大な影響を受けています。キュビズム、シュルレアリスム、未来派、そういった戦前からの系譜の上に、新たな芸術として我々も立脚しようと、先輩たちが『真夜中の虹』を創立されたわけです。ここに来たということは、もうご存じなのでしょうから、これ以上の説明は加えません。 そこで私はある作品が作成されていることを知りました。岡本太郎の『明日の神話』です。 『明日の神話』は、核爆発という凄惨な事態の後の世界を描いている作品で、一般的な解釈として、核爆発後の世界を生きることを表現して���ると言われたりするわけですが──私はこの描かれ方に少し異議申し立てをしたかったのです。つまりは、核兵器が炸裂し全てが崩壊した後の世界を、彼は一旦ネガティブに考えてから開き直ろうとする。 私は違いました、それは核研究について親和的であったからかもしれませんが。核兵器が爆裂したあとの世界は、全てが再構築される真っ白な世界として称えられるべきだと思ったんですね。 おかしいと思われますか。私にとってはそれがおかしいのです。 思えば、『真夜中の虹』という団体の名前を文字って、シンボルマークを作ったり色々なことを話し合う時間を取ったのは私な訳ですが、もっとも先輩たちから見れば、奇跡的にすべてが壊滅した後に残るものこそが希望だと捉えていたのかもしれません……これを答え合わせするには、随分時間が経ちすぎましたが。 おっと、いけない。思わず話しすぎてしまいました、核実験装置を作った動機に戻りましょう。 つまり、私がこれを作ったのは第一に美的精神の充足というやつです。しかしそれは単に美的なものを追い求めることに物足りず、圧倒的なまでの平穏を装っている社会に対する徹底的なプロテストとして作り上げたのです。腐敗した大学組織を崩壊させること、そしてこの忌々しき日常を破壊すること──それは私も貴方も同様に破壊されるということです。しかし、それがいい。それこそが、爆裂することで完成される芸術なのです。 ……ここに誰かが来たら、このスイッチを押そうと決めていました。これを押すまでに、もう四十年も経つとは。随分と驚かされました。しかし、貴方が見つけたことによって、ついにこれも日の目を見ます。 それでは。沈黙を貫くことは恐怖です。生きたまま死ぬことを味わってください。 さようなら」 僕の目の前でその赤は炸裂した。瞬間、それは溶けていく。何もかもの境界線が揺らぐと、原子の中で全てが壊れていく音を聞いた。いつかの苦しみを今なら分かる気がする。こんな狂気の前に屈しなければならない今の自分の無力さは気にかかったが、それ以上に消滅するだろう世界にどうしようもなく贖罪の気持ちが湧きたつのだった。 目の前を彩る紅葉はどんな色だったろうか……。 そして僕と教授はともに灼け朽ちた。 彼の芸術は、こうして完成した。
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千葉真一 Sonny Chiba
やくざ刑事 恐怖の毒ガス Kamikaze Cop The Poison Gas Affair 1971
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千葉真一さん、 ありがとうございます。
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Yakuza Cop 3: Poison Gas Affair
Sonny Chiba 千葉真一
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やくざ刑事 恐怖の毒ガス Kamikaze Cop, The Poison Gas Affair
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