#やりたいことがある人は未来食堂に来てください
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5倍ルール
だんだんと「高い料理とサービスを受��ている自分」が当たり前になってきます。すると、自分自身の”ふつう”の基準が上がるので、”普通の定食”を作っていても、少し凝ったものや質の高いサービス、ハード(食器や家具など)を提供できるようになります。
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17/05/2025 part2

あこ食堂の後は勿論、名もなき小さなケーキ店にすっ飛んで行きましたよ🐰

↑名もなき小さなケーキ店のInstagramのストーリーズより
2週間前は移転Open記念の周年祭でタルトシトロンはお休み🍋😢 今日こそは❕と思っていると、昨日と今日のInstagramのストーリーズで…📱


今シーズンのlastクレープじゃないの👹!?
実はこの���、お店に入るときにひと悶着ありました。
私よりも前にお店の駐車場に入って行っ���一台の軽自動車。一番近い駐車場に一目散に行ったのですが、同じ並びに駐車していた別の自動車の運転手が私の方を見て「私出ますよ」とジェスチャーしてくれたので、私はそこに駐車しようとしたら… 先程、一番近い駐車場に一目散に行った軽自動車が猛スピードで強引に割り込んできて駐車場を取られました💣

名もなき小さなケーキ店の外観(Google Mapより)
店舗から一番近い駐車場は駐車しにくくて敬遠されますが、 コツをつかめば軽自動車の駐車は楽にできます笑 (駐車場を割り込んだ人は50代半ばと思わしき女性でしたが、あんな歳の取り方はしたくないです。) モヤモヤした感じでしたが、結局一番近い駐車場に駐車できました。

私が駐車するのにモタつくと思っていたのか、さっさと駐車して私がお店に入って横にいるのが嫌だったらしく、私の顔を見てますます夜��のような表情になっているのが目に見えて分かる状態です笑 私は完全に無視しましたが、ああいう時はどうしたらいいんでしょうか。


しかし、ショーケースに目を見ると、スティックショコラなんて新作、聞いていませんよ👹!? そしてクレープも食べたいので、2人でスティックショコラも追加して、クレープ何にしようか話して注文を固めたところで、不機嫌な先客がようやくタルトシトロンを2つテイクアウトで注文してくれましたので、ようやく私たちの注文の番に。 問題の先客さんが、店員さんとのやり取りで顔見知りだったのが分かったらしく、テイクアウトの商品を受け取ってお帰りになるまで睨んでくる始末。 ああいう人は何やっても不機嫌なんでしょうが、ご希望の場���に割り込み駐車しても、未だに不機嫌の原因が何なのかよくわかりません苦笑



左)タルトシトロン🍋とショコラスティック🍫 右)クレーププレート(いちご)🍓



3週間以上、間借り店舗のときを思えば何年ぶり?待ち焦がれたタルトシトロン、やっと口に入れることができます…💖

イチゴとオレンジを外したら炙られたメレンゲのこの曲線美👀💕
因みに、間借り店舗の時に初めて購入したケーキのひとつにタルトシトロンはあります😇
でも間借り店舗で購入したタルトシトロンとビジュアルも味も全然違います👀✨
卵白のトロトロ、ドロドロは一切なく、生クリームのようなしっかりとした固さ、味、口当たりは卵特有の面影は一切ありません。 マンゴーのほんのりした香りもありますが、私が初めて食べるメレンゲに衝撃を受けました。
因みに私、生卵・半熟卵は苦手ですが、ここのメレンゲは違和感なく食べました😋
スティックショコラは濃厚ガトーショコラの上に控えめな甘さのクリームでショコラがしつこくなく上品。ザッハトルテにも似た雰囲気かもしれません。
クレープは食べ納めです笑🍓 3種類とも食べたので、どれにしようかとなって選んだケーキ2種を見るとさっぱり系のイチゴしかないでしょ!って即決笑

帰るとき、ちょうど誰もいなかったので店員さんと喋って分かったのは、昨日までタルトシトロンは出てなかったそうです🍋 2週間前に私がタルトシトロンを予約したので、作ったそうです😅
タルトシトロン、まだ販売が続くのか聞いてみたら、もうすぐ終売になるそうです😢
また来年も出して欲しいな♡
#備忘録#photography#reminder#japan#kyushu#kagoshima#美味しさは正義です#satsumasendai#vegetable#スイーツには夢がないとダメ#sweets#名もなき小さなケーキ店#namonaki_okashiya#タルトシトロン#思い出の味#メレンゲ
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⚠️これはハンドレッドライン体験版の重大なネタバレを含む考察記事です。未プレイの方は閲覧にご注意ください。
This post is written in Japanese only.
ネタバレを読んでも大丈夫な方だけ下へスクロールしてください。
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問: 蒼月はSIREIを破壊した犯人なのか?
学園外で発見された、破壊されたSIREIのすぐそばにいたのが蒼月であったため、蒼月がSIREIを破壊した上で自作自演しているのではという考察をいくつか見かけたので、以下、時系列や気になる情報を振り返りながら考察してみたいと思います。
◆ 時系列まとめ
2日目の夜の会話
真実を知らずに協力できないという蒼月に対してSIREIが真実を話すことを検討すると約束。
雫原「…本当ね? 真実を話してくれるのね?」
SIREI「その方向で検討してみるよ。ひとまず、明日まで待っててくれる?」「これは本官の独断じゃ決められないから。」
蒼月「…相談相手がいるって事?だったら、その相談相手の正体も聞かせて貰うよ?」
SIREI「うん。それも合わせて検討してみる。みんなが戦う為に必要なら仕方ないもんね。」「もしかしたら、いっぺんに話すんじゃなくて、1対1の面談形式がいいかもな…」「とにかく、さっそく本官は検討に入るから、明日になったら作戦室に集ま��てくれる?」「という訳で、みんなとはいったんここでお別れ!また明日ねー!ばいばーい!」
————————————————
3日目の朝
蒼月は澄野の部屋の前付近に立っている。話しかけた場合の内容▽
蒼月「…おはよう。よく寝られた?ボクはあまり寝られなかったけど…」「うっ、ううっ…!」
澄野「大丈夫か?」
蒼月「あ、うん…ちょっと気分が悪くなって。この環境にまだ慣れてないだけだよ…」「環境の変化に弱いんだよね…ここで見える物、聞こえる音、匂い…」「それに…慣れなくてさ。」
澄野「だ、大丈夫なのか?本当に?」
その後、全員が作戦室に集合するも、SIREIは現れず。
————————————————
4日目の朝
食堂にて
澄野「あれ? SIREIは…いないのか?」
蒼月「うん…それが今日も見当たらないんだ。」
雫原「これで丸1日以上…あの愛くるしい姿を見ていない事になる��ね。」
戦闘に参加していない組が乾パン以外の朝食を食べてもSIREIが現れないことに気づく。
蒼月「これでも止めに来ないなんて、さすがにおかしいよね。もしかして、どこかに出かけてるのかな?」
澄野「出かけるって…学園の外にか?」
雫原「何も言わずに学園から出たとは思えないけど。そのタイミングで敵が攻めてきたらどうするの?」
厄師寺がSIREIに呼びかけてみるも無反応。
蒼月「とりあえず…SIREIの事を探してみようか。と言っても、探せる場所なんて限られているけど。」
その後自由行動へ。自由行動時の蒼月のセリフ:
「ダメだ…どこにもSIREIの姿が見当たらないよ…」
————————————————
5日目の朝
SIREIが見当たらないことについて話し合う皆。
蒼月「校舎の中も含めて炎の壁の内側は一通り探したけど、どこにも見当たらなかったよ…」
逃げたのでは?と発言する今馬の後、
蒼月「でもさ、もし��のままSIREIが戻って来ないんだとしたら…」「ボクらはどうすべきだと思う?」
銀崎「どうすべき…というのは?」
蒼月「あいつがいないなら、もう止められる事もないし、だったら…」「みんなで、この学園から逃げない?」
澄野「えっ?」
蒼月「それには、炎の壁を越えなくちゃいけないから、ボクらも我駆力を使う事にはなるだろうけど…」「ここから逃げる為なら仕方がないよ。逃げる為に、あの力を使ってみない?」
——
この提案に他のメンバーは誰も賛同せず、蒼月は食堂を去ろうとする。
——
澄野「蒼月、どこに行くんだ…?」
蒼月「ゴ、ゴメン…ちょっと…頭を冷やしてくるよ…」「ボクは…みんなの気持ちがわかってなかったみたいだね。やっぱり…人付き合いって難しいね…」
そう言って、蒼月は真っ青な顔で食堂を後にした。
——
その後、自由行動(朝および午後)では蒼月が訓練室にいるのを目撃することが可能。調べた場合のテキスト▽
蒼月「………………」
澄野(考え事でもしてるのか…?話しかけるのはやめておこう。)
※このテキストは朝調べても午後調べても同じ。
————————————————
6日目の朝
蒼月が見つからず、消火機が1つ足りないことが判明。
澄野&厄師寺&飴宮が捜索のために学園の外に出て、倒れている蒼月を発見。戦闘の末に蒼月を救出。事情を話す蒼月▽
——
蒼月「東京団地に帰る為の手掛かりが見つかれば、みんなも付いて来てくれると思って…」「でも…ダメだった。ここには何もなかったよ…」「ただの…焼け焦げた廃墟だ。ボクらはどこにも行けないんだよ。」「どこにも…逃げられないんだ。」
澄野「………………」
蒼月「あ、ただ…1つだけ見つけた物があるんだ。」「ボクを襲った侵校生が落とした物なんだけど、これをキミに渡しておくよ…」
澄野「えっ? こ、これって…!」
力尽き、気を失う蒼月
——
学園に戻った澄野が蒼月から受け取ったSIREIの帽子についていた物だと思われるエンブレムの破片を皆に見せ、翌日雫原と一緒に蒼月が襲われていた場所を探索することを約束。
————————————————
7日目の朝
玄関ホールで雫原と合流し、蒼月が襲われていた場所へ移動。澄野がポリバケツの蓋を開け、バラバラになったSIREIを発見。
学園に戻りみんなに共有した際、飴宮がお前らの中の誰かがやったんだ!と発言。過子がSIREIは以前に
「ダメダメー! 本官に手を出したら、みんなの体内に埋め込んだ爆弾が爆発しちゃうー!」
と発言していたことを補足。ならやったのは侵校生なのか?という銀崎の問に対して雫原が同意:
雫原「…そうとしか考えられないわね。」「おそらく、侵校生がこの学園に忍び込んで、SIREIを殺したんでしょう…」「それを私達に気づかれないように、残骸を炎の壁の外まで持ち去ってから捨てたのよ。」
それに対して川奈が反論:
川奈「だけど、どうやって忍び込んで来たの?敵襲の警報も鳴ってないよね?」「炎の壁も防衛システムのレーダーも潜り抜けたって事?そういうタイプまでいるの?」
銀崎「まるで…幽霊ですね。」
——
この発言に澄野が、2日目の夜に消えない炎をまとう少年の形をした"何か"を見たことを思い出す。
その後、敵勢力侵入の警報により推理はうやむやに。タイミングが悪いと嘆くみんな。
——
雫原「連中にはこっちの事情なんか関係ないって事よ。いえ、むしろ…」「SIREIを破壊したのが侵校生なら、このタイミングを狙って攻めてきたかもしれないわね」
——
その後、SIREI不在のまま戦闘へ。
————————————————
◆ 気になる情報と考察
・体内に埋め込まれた爆弾について
SIREIが「本官に手を出したら、みんなの体内に埋め込んだ爆弾が爆発しちゃうー!」と発言しているが、実際に誰かが具体的な行動を起こしたことがないため、"手を出す"の範囲は不明。例えば蒼月が実行したのはどこかの部屋にSIREIを呼び出すことだけで、何かしらの機械を使って間接的にSIREIを切断すること自体は可能だったかもしれない。(使えそうなのは食堂の調理マシーンとか?)
・SIREIの出現条件について
SIREIは2日目の学園内探索の時間で突然現れ、澄野の「うわっ…! お前どこから…!」という発言に対して「本官はこの学園のどこにでも現れるよ。だって、司令官だもん」と返答している。
SIREIの神出鬼没ぶりを考慮すると、蒼月が3日目から6日目の間、SIREIを破壊せずに隠したり拘束するのはかなり難しいor不可能な可能性が高いと思われる。そのため、蒼月がSIREIを破壊した犯人であると考える場合、2日目の夜〜3日目の朝の時点ですでに破壊していたと考えるのが妥当だと思われる。
その上で3日目の朝に蒼月が澄野の部屋のすぐ前で発見できることを考慮すると、蒼月がSIREIを破壊できたのはほとんど2日目の夜の間しかない。それが真実である場合、3日目の朝時点から蒼月の発言は全て演技ということになる。
——
・『消火機』について
SIREIは消火機について以下のように説明している▽
「あのね、みんなが消えない炎の壁を超えて、外に”探索”に行きたくなったら…」「その消火機を使ってね。」「それが、みんなの我駆力を使って、”消えない炎”を一時的に消してくれるから。」
つまり変身していない状態では消火機は使えない。蒼月がSIREIを2日目の夜の間に破壊していたとして、SIREIを学園外に出すことまで実行していた場合は、作戦室から我駆力刀を持ち出して変身し、消火機を使って学園の外に出てSIREIを捨て、3日目の朝にみんなが作戦室に集合するよりも前に我駆力刀を戻し、澄野の部屋の前あたりで待機していたということになる。 蒼月は4日目の朝にSIREIについて「もしかして、どこかに出かけてるのかな?」と発言しており、もし2日目の夜に学園外に捨てた上でこの発言している場合、自身でSIREIの在処のヒントを出していることになる。
または、2日目の夜に全てを行っていたと考えるとやや忙しい行動スケジュールになるので、SIREIを破壊してはいたものの、6日目までは自室でSIREIを保管していたと考えることもできるかもしれない。
いずれにせよ、SIREIの在処を知りながら、学園内を探し回るふりをしてSIREIが見つからないという演技をしていたということになるのは同じ。
——
・『消えない炎』について
SIREIによると「あの炎が燃やすのは"生物のみ"で物とか建物を燃やす事はない」とのこと。
ここで気になるのが、SIREIは生物なのか?という点。SIREIが生物ではない場合、そもそもSIREIは自由に炎の壁の外に出られるということになる。
ちなみに、生物が死体になった場合は燃えなくなるのか?という疑問もある。消えない炎の外で死んだ場合、死体回収ドローンが死体を回収できない理由が"探知できないから"回収できないという説明もされているので、もし死体回収ドローンが炎の外に出れる場合、消えない炎を通る際、「死体は生物ではないから燃えない」という扱いになるのか、「死体でも元は生物だから燃える」という扱いになるのかは不明。
また、「消えない炎の壁に外部からの異常が感知されると、学園は自動的に防衛モードになるように設定されている」とも説明されている。つまり内側から消火機を使って壁を開ける場合は問題ないが、外側から開けた場合には自動的に防衛モードになるはず。
侵校生は何かしらの手段で炎の壁を開けないと中に入れないという説明もなされているので、侵校生は生物で間違いないはず。 つまり、7日目に澄野&雫原が学園に戻ってきた後の川奈の指摘はもっともで、侵校生が学園に侵入してSIREIを破壊したとは考えられない。
——
・澄野が出会った少年の形をした"何か"について
澄野が2日目の夜に見た少年の形をした"何か"がまとっていた炎は「消えない炎」だということが明言されている。
ということは、彼は生物ではない可能性が高いと思われる。
——
・蒼月の発言と考えうる動機について
SIREIの姿が見当たらないということが判明して以降、彼は一貫して戦いから逃げて東京団地に戻る方法を探している。もし蒼月がSIREIを殺す動機があったとすれば、「SIREIを破壊すれば、みんな逃げても安全だと思ってくれるかも」と思って事前に自分で処理したということになるかもしれない。特に2日目は消火機の存在が初めて知らされる日なので、消火機を使って外に出られるのならば、SIREIを処分してしまってもいいのではと考えることは可能ではある。
ただその場合、蒼月は体内に埋め込まれた爆弾が爆発しない方法を自力で見つけ出したか、または爆発するかもしれないリスクを考慮しつつもイチかバチかでSIREIの破壊を試みたということになる。 爆発しない確実な方法を見つけずに自分が死んでしまったら東京団地に戻ることもできないので、おそらく後者はあり得ない。 前者の場合、この短期間にどのようにして蒼月が回避策を調べたのかが気になる。 これを考慮すると、「みんなを学園に縛りつけようとするSIREIを破壊してみんなで逃げる」という発想自体はあってもおかしくは無いものの、それほど急いで行動するメリットが無いように見える。特に2日目の夜にはSIREIが翌日には真実を話す(かも)と言っているのになぜそれを待たなかったのか?
となると逆に蒼月が裏切り者や内通者であり、SIREIに真実を話されると困るから2日目の夜のうちに破壊したと考えることもできるかもしれない。ただ蒼月が裏切り者や内通者であると考えられるような具体的な要因は見つけられなかった。
——
◆ まとめ
現状で考えられそうな犯人および犯行手段
蒼月が2日目の夜に何かしらの方法でSIREIを破壊し、学園の外に持ち出した or バラバラになったSIREIを自室に隠していた。3日目の朝から6日目までの間はSIREIの行方を知らない演技をしていた。
実はSIREIは生物ではないので、自分の意思で消えない炎の壁の外に出て、何かしらの存在によってバラバラにされた。 →考えられる犯人候補 ・侵校生 ・部隊長(=我駆力を使う謎の存在) ・SIREIの相談相手 ・少年の形をした"何か"
SIREIは生物だが、少年の形をした"何か"が学園内でSIREIをバラバラにし、死体になった結果炎の壁を越えられるようになったので、その状態で外に持ち出した。
"SIREIが自分の意思で炎の壁の外に出た後に自害した"という可能性を入れるか悩んだが、ポリバケツに突っ込まれていた&一部は外に落ちていて侵校生が拾える状態だったということを考えると、自分でバラバラになって中途半端にポリバケツに突っ込んだとは考えづらいと思ったので自害の線は消した。
個人的には、すごく単純に考えればSIREIが自分の意思で炎の壁の外に出て、相談相手※と出会い、破壊されたと考えるのが最も素直な解釈のように見えるし強いてそれ以外の解釈をする要因が無いように見える。 ※”SIREIの相談相手"と少年の形をした"何か"がイコールの可能性はある。
ただ気になるのは、澄野&雫原が学園に戻ってすぐに侵校生からの襲撃があったこと。おそらく偶然ではないと思われるので、次点で「SIREIが自分の意思で外に出た後に部隊長によって破壊された」説が有力に見える。
最後に、この考察における問いに対する答えを書くと、蒼月に犯行が不可能だったとは言えないかもしれないが、蒼月が犯人だとする場合、かなり早い段階でSIREIを破壊する算段を立てて、自分が返り討ちに合うことを回避する方法を見つけ、その上で長時間自分が犯人ではないと演技をし続けていたことになるので、ボロが出るリスクを犯しながらそのような行動に出たメリットが何なのか?に疑問が残るため、犯人ではないと考える方が妥当だと思う。
「めちゃめちゃ早い段階で犯行計画立てて実施した狛枝みたいなケースかもしれないだろ!」というツッコミはあるかもしれないけど、狛枝の場合は「自分が死んでもいいと思っていた」というのが重要なポイントで、蒼月の場合は自分が死んでもいいと思う要素が無く、むしろ自分自身が生きて東京団地に帰ることを考えて行動しているので、それほど危険を犯す行動はしないはず。
一応色々テキストを見直したりして書いたものの、他の可能性や考慮すべき事項はあるだろうと思っているので、もし何か気になった点などあればぜひ教えてください!
読んでいただきありがとうございました🫶💖
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寮では、翔が他の生徒とは遅れて夕食を摂り、終えると部屋に戻った。建物は学年別に三棟並び、食堂は共同だがトイレと浴室は部屋ごとに設置されていた。まるでビジネスホテルの様な構造だった。
翔の部屋の隣には正美がいたが、午後八時になるとノックをした。室内から翔が出て来ると、
「どうしたンだよ、心配したよ」
と声をかけた。翔は正美を室内に入れた。正美はベッドに腰を下ろし、自分の部屋の冷蔵庫に仕舞ってあった缶ジュースを差し出し、
「親父が送ってくれたンだ。飲めよ」
と勧めた。
二人は缶ジュースを片手に、まずは翔が亮司に声をかけられたことを話した。そして、
「実はオレ、用務員さんとキスしたりハグしたりして…エッチした」
と告白した。流石に、正美は一瞬飲んでいたジュースを気管の方に入りそうだったのかむせ込み、
「そ、それって…!?」
と驚きを隠せない様子だった。翔はスエットパンツ越しに股間を覆いながら、
「オレ、用務員さんにキスされたら急に好きになっちゃって…。気付くと裸でエッチしてた。用務員さん、チ◯ポが大きくて…。オレ、そのままイッちゃった」
と顔を赤らめた。もはや、開いた口が塞がらない様子だった正美は、
「お、お前、急に『チェリー』じゃなくなったなァ!」
と興奮していた。嗚呼、まさか翔に「童貞喪失」を先越されるとは…。内心、悔しかった。彼は、
「オレも、早く誰かとセッ◯スしてやるぞ!」
と鼻息を粗くした。
その頃、宿直室では見回りを終えた大平が、周囲に誰もいないことを確認したうえで、
「…全く、オレが宿直に入る度に『夜這い』に来るンだから!」
と口調をキツくさせながら言った。
布団には、早くもスエットパンツを脱いで白いリオバックビキニを穿いた二年生・根本郁斗が布団に横たわっていた。彼は大平が顧問をするラグビー部に所属していた。
「だって、オレは入学した頃から先生一筋だもン。浮気してないもン」
そう言いながら、彼はスエットパーカーも脱いだ。灰色のタンクトップだけになった彼の上半身は、小学校の頃からスポーツ少年団でラグビーをやっているからか、肩幅がガッチリしていた。そのまま彼は大平のところまで立膝でやって来て、そっと両手でスエットパンツを下ろした。有名ブランドのロゴがプリントされた水色のスポーツビキニを穿いていたが、郁斗はその股間に頬擦りをした。微かに洗剤の芳香がする。彼は自分のチ◯ポが硬くなっていくのを感じた。
「…���之の、コレが欲しいの」
彼は、まるで成人映画の女優の様に股間を突き上げながら内腿を拡げた。次第に、ビキニ越しに大平のチ◯ポを愛撫する手指が素早くなり、その勢いで彼はウエストゴムを両手でつまんだ。血管が浮き出た肉棒が天井に向かっていきり勃ち、ヌッと郁斗の目前に現れた。その肉棒の裏を彼は舌の先端でなぞり、挙げ句に咥えた。大平は、口淫をする郁斗を両手でその髪を弄った。気付くと腰を前後に振り、
「あッ、あッ、ああん…」
と恍惚の表情で喘いでいた。
情事は未だ終わらず、二人は全裸になって郁斗の下半身の穴に大平は己の肉棒を挿れ、「騎乗位」で戯れた。頻りに郁斗の臀部を撫で回し、
「い、郁斗、この、あばずれが…」
と言葉攻めをした。郁斗は布団にしがみつく様にシーツをつかみ、
「…雅之、もっと突いてぇ〜」
とうなだれた声で訴えた。
宿直室は六畳の和室で、トイレもシャワーも完備されていた。寮の玄関からも近かったが、周辺には食堂と厨房しかなく、幸いにも生徒が寝泊まりする部屋は二階からだった。誰かに知られてはと声を押し殺しながらの濡れ事であるものの、大平も郁斗も一応用心をした。
オルガズムに達すると、二人はすっかり教師と生徒という垣根もなく、卑猥な音を立てながら接吻を交わした。すっかり大平の「子種」を仕込まれた郁斗は下腹部を押さえながら、
「雅之の赤ちゃん産みたいのォ〜」
と甘える声で訴えた。
そんな一部始終を、たまたま缶ジュースを買いに階下に来た佳憲が、宿直室から聞こえてくる声に気付き、襖の隙間から覗いて見ていた。大平と関係を持ってから知ったのだが、彼には自分以外の生徒と複数寝ているという話を直接聞いていた。そのことに対しては、とりわけ固執せずに「男って生き物はそんなもの」と割り切っていた。彼は、明日は一緒に寝てやると、テントの様に突き上げたスエットパンツをパーカーの裾で隠しながら自分の部屋に戻って行った。
「別荘」では、これまで誰にも公にしていなかったプライベートバーのドアを貢が開け、亮司を招き入れた。カウンターに五人は座れる椅子が並べられ、背後にはシングルモルトやリキュールなどが整然と置かれていた。
貢は元々、某私立大学の経済学部を卒業してからは大手都市銀行に定年まで勤めていた。父・操が私立K高校の理事長を「引退」するのを機に、地元へ「Uターン」してきたのだ。
理事長になってからは、隣町にある単科大学の経営も担いながらメインであるこの高校では校長もやっていたが、多忙の故に高血圧症とかかりつけ医から診断されてしまい、それが理由で岩崎に校長の方を委ねたのだった。
プライベートバーは、貢の趣味で設計してもらったものだった。大学時代に新宿のオーセンティックバーでアルバイトをしていた経験があり、家業もあったので本格的にその道に入ろうとはしなかったものの、自分でカクテルを作って愉しみたいという思いがあったのだ。彼は「ビフィーター」というジンをシェーカーに入れ、それからライムジュースとガムシロップを加え、振り始めた。亮司は、何度かバーには同僚に連れられて行ったことがあるが、基本は居酒屋が多かったのでカクテルなんてハイボールしか飲んだことがなかった。
目前に「ギムレット」が差し出されると、
「元々は、イギリスの船乗り達がジンばかり飲んでアル中になるのが問題となって考案されたカクテルらしい」
と、貢は自分で飲む「マティーニ」を作りながら言った。亮司は一口飲むと、
「何か、サッパリしているなァ…」
と感想を述べた。
亮司は、翔のことを貢に話した。一通り話を聞くと貢は、
「よくいるンだよ、母親が絶対的な立場で逆らうことができず、ウチに来てそれが爆発するケース。母親の愛情は必要不可欠だし、それを十分に受けないとひもじくなってしまうンだよ。でも、亮ちゃんに抱かれたらその気になっちゃったンだ」
と言った。
「もう、二度もイキやがって…。オレ、しばらくセッ◯スできねぇよ」
「嘘だァ〜!? この後試してみる?」
「『中折れ』しちまうよ」
「誰もア◯ルやってなンて言ってないよ、スケベ!」
結局、二人は三杯目のカクテルを飲み終えるとプライベートバーを出ながら接吻を交わし合った。貢の首筋に唇を押し付けながらネクタイを解き、ベッドに辿り着く頃にはスラックスだけになっていた。亮司は、彼の乳房を谷間の様に寄せながら吸い付き、ブリーフだけにさせていく。貢は、
「…ほら、亮ちゃんはズルいよ! 抱けないって言っておきながらその気にさせるンだもの」
と言いながら、亮司のベトナムパンツのベルトを緩めた。
互いのブリーフがベッドの許に重なり合っている。貢と亮司は「シックスナイン」の状態で口淫に耽った。互いに「アラ古希」ではあったが、性衝動は十代に負けなかった。仕舞いには貢が亮司の身体に覆い被さり、「子種」を仕込んだ。久しぶりに「ネコ」となった亮司は黄色い声を上げ、エクスタシーの故に涙を浮かべた。
情事を終えた二人は布団の中で見詰め合いながら、
「お前、『タチ』もイケるンだな」
「まァ、変態なンだ��」
「何だか、久々に女みたいな声を上げたよ」
「可愛かったよ、亮ちゃん」
と抱擁しながら話した。
時計の針は午後十一時を回っていた。翌日は土曜日で、そのまま大型連休に入る。入職したばかりの秀一のことを亮司は思った。昔、こんな風にオレも彼を抱いたなァ…。翔と寝た時、まるでデジャヴの様だった。秀一も「春の目覚め」が遅く、オレが最初に惚れた男となった。そんなことを回顧しながら、亮司は貢に接吻をした。貢は聞いた。
「…何考えてたの?」
「まァ、昔のこと。もう寝よう」
このまま二人は眠りに入った。
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0402 訪問先 ・botanical cafe(カフェ 蹴上) ・そうげんカフェ(カフェ 一乗寺) ・KAeruCAFE(カフェ 清水五条) ・食堂ルインズ(ビストロ 京都河原町) まずい感じに童貞の京大の博士3年とカフェでお茶して、夜ぼやっとした気持ちで河原町を歩いていたらナンパされたのでふーんと思ってルインズを指定した。早急にわたしがやれない人間だと悟ったのかひらきなおっていろんな女遊びの武勇伝を教えてくれた。遊び人の男大っ嫌いだから(多分同族嫌悪)、こういうことないと接することもないので色々勉強になった。顔綺麗で中高からずっと陽キャという出自で、なんで35にもなって遊び回ってるのか聞いたら「性欲もあるけど承認欲求先行かなぁ」とのことだった。わたしと同じだなと思った。きっと根深いコンプレックスがどっかにあるんだろう、と思ったが、それを聞き出してしまうと寝てみたくなってしまう可能性があったのでライン交わさずに別れた。 お酒飲む人でたまにいる「飲んでるとすぐお腹いっぱいになるんだよね」がしょうもなくて大嫌い。わたしはお腹が空いていたので帰り道にうどん買って食べた。 0403 机から「いま高松にいません。それから、恋人がいて、話したら嫌がられてしまったので会えません」と2日遅れで返信があった。どん、と内側から心臓を押されたみたいだった。そっか。いままでがへんだったのだな。わたしから別れを切り出して終わった関係なのに、その後も関係性を保とうとして、それは友情と懸念に由来するもので本当に一切合切下心を含まないものだったけど、そんなの関係ない。机と未来を分かちている相手にとっては。 去年会った別れが後味の悪いものでなくて本当によかった。もう2度と会わないのかもしれない。それでも、「もう連絡しないけど、作家になったらなんらかの形で祝ってほしい」と送った。「うん 応援しています それまで元気で」と返ってきて、夜、帰りの自転車に跨りながら泣いてしまった。 わたしは夢を人間関係の人質に利用しているのかもしれない、と思ったら、��けなくなった。自分が本物ではないような、気持ちの揺らぎがあった。 机と付き合い始めて半年経った春に、片平キャンパスを自転車の二人乗りしながら夜桜を見て回ったことがある。窓辺に置かれた柑橘を見ているみたいに、いまでも胸がぎゅっと嘶くような、そういう種類の思い出。思い出すまでもないほど、大事だった。けれどそれはわたし自身を抱きしめていることと同義だと、何年も前から、知っていた。 0404 訪問先 ・カフェコチ(カフェ 京都市役所) ・カレー専門店ビィヤント(カレー屋 丸太町) ・MOVIX(映画館 三条) コチが京都で一番��きなカフェかもしれない。間を空けてしまったけれど来られてよかった。次はパテ、その次はクレープ食べよう。 人と会う約束がない日だったので「ネムルバカ」を見た。夜の、誰も隣に座らない、すかすかの映画館で過ごす時間がすきだ。
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2025-4月号
アンビグラム作家の皆様に同じテーマでアンビグラムを作っていただく「月刊アンビグラム」、主宰のigatoxin(アンビグラム研究室 室長)です。
『アンビグラム』とは「複数の異なる見方を一つの図形にしたもの」であり、逆さにしたり裏返したりしても読めてしまう楽しいカラクリ文字です。詳しくはコチラをご参照ください⇒アンビグラムの作り方/Frog96
◆今月のお題は「キッチン」です◆
今月は参加者の皆様に「キッチン」のお題でアンビグラムを制作していただいております。作家の皆さんがこのお題をどのように調理したのか、楽しみにご覧ください。
皆様のコメントがいただけますと幸いです。

「台所」 敷詰振動型:ちくわああ氏
日本語で言うと台所。 「ム」の末広がりが「戸」の形にぴったり生きていますね。縦太横細のお作法が丁���で気持ちいい作字だと思います。
「厨/台所」 回転共存型:lszk氏
台所には厨という別の呼び方もあります。 本作では字画の大きな省略を使わず、大胆な変形で文字を両立させています。アルファベットのようにも見えてきて読むのが難しかったかもしれません。

「焜炉」 回転型:うら紙氏
キッチンにあるもの。もともとは持ち運びができるものを言いました。 途切れている場所をつなげて読むか離したまま読むか、認識が自動的に切り替わります。文字の雰囲気がガスコンロの火のようにも見えます。

「炊飯器/冷蔵庫」 図地反転型: いとうさとし氏
どちらもキッチンの必需品。 矩形枠から一部図形をはみ出させてい���のは仕方ないところでしょうか。それを差し引いても対応のすごさと可読性の高さですばらしい作品になっています。

「製氷皿」 回転型:繋氏
冷凍庫で使いますが、最近の冷蔵庫には付属されていないことが多いです。 「氷」の形と配置がよいですね。「制」部分の省略が適切で非常に読みやすいです。

「鍋掴み」 回転型:douse氏
日本では鍋が根付いているのがよくわかるネーミング。 「咼/国」の対応が見所です。てへんとの重なりや、字画を斜めに切ってある部分など、どれも絶妙です。
「IH調理器」 鏡像型:螺旋氏
電磁誘導加熱式の調理器具。仕組みを知っている人はどれだけいるか。 「IH」で平行線部分の長さが違っているところも配置が適切なので不自然に見えません。「調理器」の字形も外枠の角丸矩形とそろっていてスマートです。

「割烹着」 図地反転鏡像型: いとうさとし氏
和式エプロンであり、着物の袖が収まるようになっているのが特徴。 「烹」はほぼ左右対称の文字なので、これが図地反転鏡像軸の中心にきているのが驚きです。とても味わい深い字形になっていますね。

「菜箸」 回転型:douse氏
調理、盛り付け、取り分けなどに使う長い箸。 余りがなく自然に対応付くのがすばらしい発見ですね。商品パッケージになりそうな趣のあるデザインでステキです。

「圧力鍋 お米の旨味を逃さない!!」 鏡像型:すざく氏
圧力鍋は、蓋を密閉して鍋の内部の圧力を上げることで高温調理が可能。 文字列生成で。「圧力/咼」のところ、書体も含めて調整が上手ですね。左右対称な文字同士を左右鏡像で対応付けている「米/未」のところも面白いです。

「タルト・タタンの夢/近藤史恵」 回転共存型:兼吉共心堂氏
「タルト・タタンの夢」は近藤史恵による推理小説でシェフが主人公。 「罒」や「史」など、カスレを使って閉領域を形作るのは筆文字表現ならではでしょう。これで読めると割り切った「藤」の大胆さもよいですね。
「変な家 第一章 知人からの相談」 回転(共存)型+鏡像型+敷詰[回転+鏡像]型:つーさま!氏
物語の中で話される謎の空間は「リビングと台所の間」。 可読性が高くすばらしいですね。「章」は左右対称ですが「第/章」のように鏡像で別の文字に対応付けされるのが気持ちいいです。

「5分煮たものがこちらです」 回転型:Jinanbou氏
料理番組でよくあるやつです。 文字組みが巧みですね。各文字も読みやすいうえ、流れも自然になっているステキなデザインになっています。思い切った「が」が、こちら感があってよいですね。

「危険!包丁二刀流」 回転型:かさかささぎ氏
やるならゲームだけにしておきましょう。 文字列生成で。三角形の部分は片方が細く、包丁感を表しているでしょうか。普通の文字と袋文字を行ったり来たりするのも一種の二刀流。

「板前」 旋回型:douse氏
日本料理職人のことで、法律上は調理師。 絶品の輪郭調整で、「又/月」がきれいに切り替わります。お品書きの紙に書いたような表現がよいですね。

「料理長」 鏡像型:てるだよ氏
飲食店の厨房を取り仕切る人。 「米」部分は右側がなくても自然に読めますし、「長」の平行線部分もこのような形状でも読めるのですね。よい作品に仕上がっています。

「厨房の担当」 回転型:あおやゆびぜい氏
キッチンスタッフ。 お互いに入り組んだ文字組が面白いですね。先端を丸くする処理など、書体もポップで楽しい作品です。

「家庭料理」 交換型:無限氏
一般家庭で日常的に作られ、食べられている料理。 「家/庭」「料/理」それぞれが交換型で表現できるというすばらしい発見です。「里」がよい形ですね。
「火の用心」 鏡像型:lszk氏
火の扱いには気を付けましょう。 ギザギザの形状が巧妙で、「の/用」の切り替わりも自然に表現されています。水平ではないところも読みやすさの秘密ですね。

「成分無調整牛乳」 回転型:ぷるーと氏
生乳の成分をそのまま保持し、加工時に脂肪分やタンパク質を調整していない牛乳。 それぞれの文字のポイントとなる箇所を意識して作字されているように見えます。つながってもよいところも隙間を開けたり、統一感を出すように調整されていますね。

「食戟のソーマ」 回転型:douse氏
週刊少年ジャンプに連載されていた料理漫画。 縦の姫森ルーナ型ですね。かな部分の拾い方が上手で、文字のバランスがとても良いですね。「食」の縦画に施されたひげ処理により、縦画の位置の認識ずらしを実現しています。
「みりん」 回転型 「とろみちゃん」 旋回型:kawahar氏
照りを付ける調味料と、とろみをつける調味料。 同じグリフを使用しているのでまとめて紹介します。「とろみちゃん」は絶妙な調整によって6面相になっています。交差部分の2種類の処理が巧みですね。

「さとう/しお/す/せうゆ/みそ」 特殊敷詰回転共存型:松茸氏
調味料のさしすせそ。この順番で入れるのが好ましいとされています。 一つ読めれば全部読めてくる作品ですね。どうやってこの敷き詰め方を実装したのか、驚くばかりです。ずっと眺めていると、この不思議な文字たちがいとおしく見えてきます。
「砂糖醤油」 特殊敷詰振動式複合型:Σ氏
比率はお好みで。酒・みりん・だしとともに煮切ったものもよし。 鏡映と180度回転を組み合わせた敷詰です。「糖/醤」は適切な変形の上できれいに対応付けられていて驚きました。ペン字風のちゃんとした文字然としているところがAI文字っぽく見えてきます。

「黒酢」 旋回型:オルドビス紀氏
長期間発酵・熟成されており、アミノ酸が豊富です。 堂々としたひげ文字調の書体がステキですね。「酉」の下部ではカスレを効果的に利用しています。
最後に私の作品を。
「賄い飯」 回転型:igatoxin
15年以上冷蔵庫の肥やしになっていたネタを調理しました。
お題「キッチン」のアンビグラム祭、いかがでしたでしょうか。御参加いただいた作家の皆様には深く感謝申し上げます。
さて次回のお題は「対語」です。賛成/反対、白い/黒い、夫婦、紅白、有の実、当箱、グループルビ など 参加者が自由に対語というワードから発想・連想してアンビグラムを作ります。
締切は4/30、発行は5/8の予定です。それでは皆様 来月またお会いしましょう。
——————————–index——————————————
2023年 1月{フリー} 2月{TV} 3月{クイズ} 4月{健康} 5月{回文} 6月{本} 7月{神話} 8月{ジャングル} 9月{日本史} 10月{ヒーロー} 11月{ゲーム} 12月{時事}
2024年 1月{フリー} 2月{レトロ} 3月{うた} 4月{アニメ} 5月{遊園地} 6月{中華} 7月{猫} 8月{夢} 9月{くりかえし} 10月{読書} 11月{運} 12月{時事}
2025年 1月{フリー} 2月{記憶} 3月{春} 4月{キッチン}
※これ以前のindexはこちら→《index:2017年~》
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「何度も理不尽に集められて、おかしいなと思いました。『人が死なないとわからないのかな』と。そして、『もう死んでもいいかな』と思ったんです。こんなに辛いならもういいやって……」 福井県鯖江市の福井工業高等専門学校(福井高専)の学生だったシュウくん(仮名、20代)は、在学中に寮で上級生からいじめを受け、自殺未遂に追い込まれた。背景にあったのは、寮内の厳しすぎる上下関係だった。 シュウくんが福井高専に入学したのは、コロナ禍の2020年4月だった。半年間のオンライン学習を経て、9月からいよいよ寮に入ることに。しかし、その際に伝えられた寮生活のルールを、シュウくんは「時代にそぐわない」と感じたという。 記憶によれば、そのルールは以下の通りだ。 ・先輩には下級生から挨拶をすること ・先輩に聞こえる声で挨拶すること ・食堂及び浴室への入退室の際に挨拶をすること ・お風呂のシャワーを使うときには風呂場にいる上級生全員の許可を取ること 「寮に入る1回目のオリエンテーションの時から、含みのある言い方をされました。『ちょっと指導することがあるかもしれないですけど、それはみなさんをいい人にするためですから、気にしないでください』って。どういう意味だろうと思ってインターネットで調べると、ネット上の情報として、そうした話が出てきました」 「帰ってきたら挨拶さ���んってどういうことだ。お前何聞いてたんや」 実際に寮生活が始まると、シュウの不安は現実のものになった。週に1回ほどの頻度で50人ほどいた1年生全員が食堂に集められ、上級生から“指導”を受けるのだ。 「1年生の誰かがルールを守らなかったという理由で全員が集められ、バシバシ言われるんです。これは伝統的に続いていたみたいでした。ただ叱責される理由が理不尽で、『なんかおかしくないか?』『何かあったときに自分で身を守らなきゃ』と思い、こっそり録音したんです」 シュウくんが自殺未遂をした部屋 シュウくんが録音した“指導”の様子には、挨拶や風呂のルールについて強い口調で怒鳴りつける上級生の声が残っている。 「挨拶してさ。俺、ドア出るやん。トイレから戻ってきたらまた会うやん。もう絶対挨拶せん、そいつら。1日も挨拶せん。他のやつもだ。さっきもな、帰ってきたら挨拶されんってどういうことだ。お前何聞いてたんや」 「風呂の時間や。(夜)10時に入っている奴、9時に入っている奴、いるんだわ。9時までって知らんか。おめえら、何度言ったらわかるんか。昨日は10時に入っていた奴がいたらしいわ。誰とは言わん、どうでもいい。9時までってルール決めてんのにさ、それ以降に入るってどうかしてるって。時間ぐらい守れよ」 しかしシュウくんによれば、ルールの多くは実際には存在しないものだという。 「寮生手帳に消灯時間は書かれていますが、入浴時間は書かれていません。上級生が言っているだけ。風呂のルールもそうです。入浴時間については、先輩方は勝手に9時までとか言っています。お風呂に入ってシャワーをあびるときは、上級生全員の許可を取らないといけない。しかもちゃんとやっている人も含めて全員呼ばれるんです」 驚くべきは、この指導が教師の目の前で行われていたということだ。教師はなぜ止めに入らなかったのだろうか。 「教師が気づいていないわけがないですし、上級生が指導している場面に立ち会っている教員もいました。ある教員に相談したこともありますが、『それはいじめでもなんでもありません』と言い切られてしまいました。これは先輩たちからのいじめを、先生が容認していたってことだと思います」 「人が死なないとわからないのかな」「もう死んでもいいかな」 そもそも納得できないルールであるうえに、自分は守っていても何度も集められ怒鳴られているうちに、シュウくんの内にはストレスが蓄積されていった。 「自分はちゃんとやっているのになんで呼ばれているんだろう、呼ばなきゃいいのにと思っていました。それに上級生が怒鳴っているのを教員が黙認してるのも『やばいな』と。自分がこれで精神を病んだとしてもちゃんと証明できるように、録音は続けていました。でも『人が死なないとわからないのかな』という気になって、『もう死んでもいいかな』と思うようになっていったんです。こんなに辛いならもういいやって」 入寮から2カ月も経っていない10月14日、シュウくんは自室のベッドで首にベルトを巻き、自殺を試みた。問題提起のためと考え、その模様をXで中継もしていた。そのため、中継を見ていたと思われる外部の人物から学校に通報があり、職員が駆けつけ大事にはいたらなかった。 「学校を欠席していたため、担任から電話がありました。欠席の場合は担任に連絡をしなければならないのですが、このとき、連絡しなかったのだと思います。はっきりとは覚えていませんが、その際に自殺しようとしていたと記憶しています」 自殺未遂から約1カ月後の11月30日にシュウくんは退寮して自宅から通うようになったが、シュウくんが自殺未遂の原因を話さなかったこともあり、学校はいじめに関連した問題とは扱わなかった。 しかし自殺未遂後にカウンセリングを受けたときに、シュウくんは同じく寮生活が嫌になって福井高専を辞めた学生が過去にもいたことを知った。 <学生A(※編集部注:シュウくん)は、過去にも同じような目に遭っている学生がいたのに福井高専は何も対策を講じてこなかったのだと思い、言っても無駄だという諦めの気持ちが芽生えた。また、寮生活や寮の先輩からの指導にうまく馴染めなかったのは自分が悪いからだと思うようにした。そのため、寮生会の役員から受けていた理不尽な指導がいじめに当たると考えることはできなかった。それ以降、学生Aは、教職員に対し、もっぱら勉強の悩みや家庭の経済事情について相談をするようになり、学寮内での寮生会による指導の問題点については口にしなくなった>(報告書) 「あの寮の先輩たちも社会に出てのうのうと生きているのかな」 シュウくんは2023年に4年生になり、インターシップを体験した。学校の外側の社会に触れる中で「あの寮の先輩たちも社会に出てのうのうと生きているのかな」と思うようになり、寮生会の役員たちを許せない気持ちが再燃したという。 また、プログラミングの全国コンテストに出場する中で、他校の学生にも「うちにもあったわ。寮のいじめ」などと言われ、福井高専だけの問題ではないことを知り、理不尽な“指導”のフラッシュバックが再発した。 そして2023年の10月、シュウくんはXに寮内で受けたいじめについて話す動画を投稿した。 「初めてポストしたのは10月31日でした。翌日には『うちの学校も同じだ』というようなメッセージが何百件も来ていて、やるせない気持ちになりました。後輩たちを同じ目にあわせたくない、自分と同じ思いをしてほしくないという気持ちが強くなりました」 「まだ許せないという気持ちが心の中にありました」 自分が受けたものと同じイジメに多くの人が苦しんでいることを確信したシュウくんは、より詳細に内容を記した投稿をXで公開した。すると11月2日に学校側から呼び出された。 「呼び出された時に、寮内でのいじめについての調査を学校に要望しました。学校からは『証拠があるなら出してください』とも言われました。その後15日ごろから���神的に不安定になり、死にたいと思っていました。異変を察した母親に16日に病院に連れていかれ『うつ病』と診断され、閉鎖病棟に入院することになったんです。入院した部屋には、窓と布団しかありませんでした。それでも、まだ(寮の先輩たちを)許せないという気持ちが心の中にありました」 シュウくんは入院中に、調査委員会の弁護士からヒアリングを受けた。 「入院中は2回、話をしました。スマホで録音した“指導”の音声もその時渡しました。長くても1時間くらいだったと思います。当時を思い出して話をすると正常な精神状態を保てず、何回か泣いたりしてしまいました。入院中の2回以外には、弁護士が家にきて少し話をしたこともあります」 後に設立されたいじめ対策委員会は寮の学生たちにアンケートや聞き取り調査を行い、シュウくんが訴えていた「いじめ」の多くが事実であったと認められた。認定されたのは以下のようなものだ。 「学寮には寮生手帳や規則に明記されていない理不尽な『寮の伝統』 や『暗黙のルール』があり、1年生だけがそのルールを守らないといけないこと(例)1年生が浴室のシャワーを使う場合には、その場にいる上級生全員の許可を受ける必要があること」 「ルールを守らない1年生がいると、1年生全員が寮生会役員から呼び出しを受けて連帯責任として指導されること」 「寮生会役員から指導の際に怒鳴られたり、乱暴で威圧的な口調で叱責を受けること」 「シュウくんが居室の前に揃えて置いてあったスリッパを誰かにバラバラにされてしまい、自身の言い分を聴いてもらえないまま、寮生会役員から指導を受けたこと」 福井高専の責任も認定し、「上級の寮生らによる集会時の指導に立ち会っていた教職員がいたこと、 以前から上級の寮生らが消灯時間後に見回りを行い、 違反した1年生に対して指導していたこと、また他にも浴室の使用に関する指導を続けていたこと」などを挙げて、「福井高専の危機意識は甘かったと言わざるを得ない」とした。 しかしシュウくんは「この調査結果では無視されている部分がある」という。 「訴えたことがほぼ事実認定されたのはよかったです。ただ学校は責任を認めているのですが、指導していた上級の寮生がその指導を“楽しんでいた”ことが書かれていません。教師が立ち会っていたことの重さも軽く書かれているように読めます」 報告書にはこうある。 <当該集会後、学生Aが何かの用事で食堂に戻った際、寮生会の役員たちが集まって笑いながら、『もっと怒ってやればよかったな』と会話をしているのが偶然耳に入った。そのことで寮生会の役員たちは1年生のことを思って叱責したのではなく、自分たちが楽しむために叱責していたのだと思い、強い不信感と腹立たしさを覚えた> たしかに「上級生がいじめを楽しんでいた」という点は、シュウくんが感じたこととして書かれている。その上で、こう指摘する。 <学生Aは、寮生会の役員から怒られないようにするために常に緊張感をもって寮生活を送るようになっていた。それでも、連帯責任を理由に寮生会役員から叱責を受けることはなくならず、理不尽と思える指導やルールに従うことに次第に耐えきれなくなっていった> 結局、シュウくんは福井高専を4年で中退することになった。現在は就職して働いているが、学歴としては「中卒」の扱いになっている。 「入院したことで出席日数が足りず、中退しました。そのときも進路のサポートはありませんでした。今でも、私の4年間はなんだったんだと思うことがあります」 取材中も、過去のことを思い出して苦しい表情を何度か見せたシュウくん。報告書によると、シュウくんが入寮していた年度が最も理不尽な指導があった時期だったことがアンケートからわかっている。寮という閉鎖空間で苦しんでいる学生が減ることを望まずにはいられない。
「シャワーを使うときは上級生全員の許可が…」福井の名門高専で起きた“壮絶イジメ”で自殺未遂に追い込まれた男性が語る、上級生への「消えない感情」 | 文春オンライン
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何度も書いているからいつもの方々はお分かりいただけてると思うが、ぼくは昭和41年の早生まれである。
1966年。
ビートルズが来日した年だ。
三丁目の夕陽という映画があったが、あれは昭和30年代を描いていた。
ぼくが幼いころの記憶は、まだあの時代に近しいものがあって、今思えばそこかしこに昭和の濃厚な空気が漂っていた。買い物は近くの公設市場、野菜なんかを買うとポリ袋ではなく新聞紙に包まれてきた。
商店街に家があったから大体のことはそこで済んでしまう。
風呂も追い焚きなんかなくて「ガチンガチン」と種火を点けるやつで、トイレも和式。小用のアサガオもあったな。
テレビもまだ白黒のテレビを見ていた記憶がある。
両親は戦前の生まれで、ぼくは当時としては「遅い子」であ���た。
親が戦前生まれだから、というわけでもないだろうが食い物も煮物が中心で、ほとんど肉は食わなかったと思う。
たまに食卓に上がっても鶏肉や豚肉で、父が牛肉が苦手だったこともあって、挽肉ですら鶏か豚であった(これは今も変わらない)
さすがに気の毒に思うのか、稀にハンバーグなんかがぼくだけに出てくることがあったが、そんな時はマルシンハンバーグなんかだった。
そんなころ。
朝飯にはどんなものを食っていたかというと、こんな感じである。
これに前の日の残りもの。
新たになにか焼いたり煮たりはしていなかったと思う。


納豆、ごはん、みそ汁。
他に何かないか、というと海苔の佃煮か、あるいは台所にある焼き海苔を指差された。
今のように味付け海苔の1人分がパックされているものではなく、大きな海苔が缶に入っているものだった。
それを1枚取り出してガスコンロに行き、火を最小にして両面炙る。
しんなりとしていた海苔に若干の皺がより、手触りがざらっとしてきたらタイミングだ。
それくらいになると海苔は食べやすい大きさに折っただけでパリッと割ける。
納豆も藁に包まれたもので、それを小鉢に出してしょうゆと練り辛子を入れてかき混ぜる。納豆に付属のタレなんかなかった。
ぼくは納豆ごはんを海苔で巻いて食うのが大好きだった。
写真を撮り忘れたが、今朝は海苔もコンロで焼いて割いたものを添えた。
みそ汁には根深。
納豆を飯にかけて海苔を少ししょうゆをつけ巻いて食う。
やはりぼくはこれが好きだ。


昼飯はポークチャップパスタを作った。
非常に簡単なので思い出したように作るが、未だかつて失敗したことがない。というか失敗しようがない。
豚に焼き色をつけて取り出しておき、玉ねぎやきのこなど好きなものをバターで炒め豚肉を戻してからケチャップを焼き付けるように入れ赤ワインで煮込む。
あらかた水分が飛んだら出来上がりである。
野菜はなんでも好きなものを入れたらいい(けんた食堂風)


晩飯は近所の揚げ物屋さんで。
ごちそうさん。
丸愛
042-321-5995
東京都国分寺市東元町2-11-11
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クロエ・コールは12歳の時トランスジェンダー医療に引き込まれた犠牲者だが、その苦しみを全身に背負いながら同じ境遇の子供たちを救うため活動している。トランスジェンダリズムの闇にメスを入れるべく開かれた米国下院司法委員会の公聴会で、涙ながらにその全貌を語った。 以下、和訳と解説: まずは約5分に渡るクロエのオープニング・ステートメントから: = = = = = = = = = = 私の名前はクロエ・コール。デトランジショナー*です。別の言い方をするなら、私は自分が間違った体に生まれたと信じていて、そして、私が信頼していた大人たちは私のそんな考えを肯定し、生涯癒えることのない傷を私に残しました。 (*=ホルモン療法や身体整形などの医療行為により性別を変え(トランスし)た後、元の性別に戻ることをデトランスdetrans、その個人をデトランジショナーdetransitionerという) 私は今日、アメリカ史上最大の医療スキャンダルの犠牲者として、皆さんの前でお話しします。皆さんにこの狂乱を終わらせる勇気を持っていただき、私が経験したような苦しみを、脆く危うい状況にあるティーンエイジャーや子どもたち、そして若い大人たちが味わうことのないようにしていただきたいと願っています。 - 12歳の時、私は後に医療チームが性別違和と診断するような経験をし始めました。私は幼くしてやってきた思春期の真っ只中で、自分の身体に起きている変化をとても不快に感じていました。男性から注目されることに怯えていました。今になって思えば、両親に「自分は男の子のような気がする」と言ったのも、思春期が嫌で、この未知の性的な緊張が無くなってほしいという意味だったでしょう。私は姉たちよりも兄たちの方を少し慕っていましたし。 私はダイニングテーブルの上に置手紙をして、自分はトランスジェンダーだと告白しました。両親はすぐに心配し、医療の専門家の助けを借りる必要があると感じたようでした。しかし、それは間違いだったのです。家族全員が即座に、イデオロギーに突き動かされた欺瞞と強要の道を歩むことになりました。 私が受診した一般的な専門家は、両親に「すぐに思春期抑制剤(ブロッカー)を飲ませる必要があります」と言いました。 彼らは両親に簡単な質問をしました:「 死んだ娘さんと生きているトランスジェンダーの息子さん、どちらを選びますか?*」と。 (*=トランス医療における常套句で、子供の主張するジェンダーを肯定しなければその子は自殺してしまうだろう、ならば性別を移行させてやる方が本人のメンタルヘルスも回復し希死念慮もなくなる、という意味) その選択は両親の警戒を解くのに十分でしたし、今考えても両親を責めることはできません。私たち全員が、いわゆるジェンダー肯定治療(ジェンダー・アファーミング・ケア)*の犠牲になった瞬間でした。 (*=欧米で広く支持されてきた療法で、患者の経験や感覚を尊重し本人の主張するジェンダーに寄り添った医療やサポートを行う) - 思春期ブロッカー、そしてテストステロンへと急ピッチで進められ、その結果、更年期障害のようなほてりで学業に集中できなくなりました。今でも関節痛や背中の変な痛みがあります。ブロッカーを使っていたときのほうがずっとひどかったですが。 その1ヵ月後、13歳のときに初めてテストステロン注射を打ちました。不可逆的な身体の変化が引き起こされ、私の声は永遠に深く、顎のラインは鋭く、鼻は長く、骨格は永久に男性のそれになり、喉仏はより目立つようになり、生殖能力は不明となりました。 時々鏡を見ると、まるで自分が怪物のように思えます。 私が二重乳房切除術を受けたのは15歳の時です。医師は切断した乳房にガンがないか検査していましたが、もちろんガンなどなく、私は完全に健康でした。まだ発育途中だった私の体や乳房は、不安な10代の少女として気まずい思いをしたこと以外、何の問題にもさられていませんでした。 私の両胸は摘出され、その組織は焼却されました。合法的に車を運転できる歳ですらなかった。しかし将来の女性としての大きな部分が奪われたのです。母乳で我が子を育てることはもう決してできない。鏡の中の自分を見るのもつらい時があります。今でも性機能障害と闘っています。胸には大きな傷跡があり、より男性的な位置にくるようにと乳首を切除した皮膚移植のため、今日もそこから体液が垂れています。 手術後、学校の成績は落ちるところまで落ちました。 私が経験したこれら全ては、抱えていた根本的な精神衛生上の問題を解決するものではありませんでした。そして、ジェンダーについて理論を持つ医師たちは、私が手術によって漠然と男の子に似たものに変化すれば、私の悩みはすっかり無くなるだろうと考えたのです。 彼らの理論は間違っていました。薬と手術は私の身体を変えましたが、私が女性でありこれからもずっと女性である、という基本的な現実は変わらなかったし、変えることもできなかった。専門医が私の両親に、「死んだ娘か生きているトランスジェンダーの息子を持つことになる」と当初告げたとき、私には自殺願望などありませんでした。私は幸せな子供で、人と違うことで悩んでいただけです。 しかし手術後、16歳の時、私は自殺したいと思うようになりました。今は良くなっていますが、両親はもう少しで、医師から約束された死んだ娘を手に入れるところでした。私の主治医は、彼らが避けたいと言っていた悪夢そのものを作り出すところだったのです。 - 私はアメリカのティーンエイジャーとその家族にどんなメッセージを伝えたいのでしょうか? 私に必要だったのは嘘をつかれることではありませんでした。共感して欲しかった。愛されていると感じることが必要でした。男の子に変身すればすべての問題が解決するという妄想を肯定するのではなく、私の悩みに取り組むセラピーを受ける必要があったんです。 私たちは12歳の子供たちに、「間違った身体に生まれてきた、自分の肉体を拒絶していい、自分の肌に違和感を覚えるのも正当だ」、などと言うのをやめねばなりません。 「どんな服を着るかとか、どんな音楽を聴くかなどを選べるように、思春期だってチョイスであり、どのような思春期を過ごすかは自分で選べるのだ」、なんて子供たちに言うのはやめなければいけないんです。 思春期は大人になるための通過儀礼であり、緩和されるべき病ではありません。 - 今日、私は自宅で家族と19歳の誕生日を祝うはずでした。しかしその代わり、私は選挙で選ばれたあなた方に必死の訴えをしています。 オピオイド危機のような他の医療スキャンダルから教訓を学んでください。医者も人間であり、時には間違っていることもあるのだと認識してください。 私の子供時代は、私たちのネットワークを通じて知り合った何千人ものデトランジショナーたちと同様に台無しにされました。 どうか止めてください。あなただけが止められるんです。この野蛮なエセ医学によって、すでに多くの子供たちが犠牲になっています。どうかこの私の警告が最後のものとなるようにしてください。 ご静聴ありがとうございました。 = = = = = = = = = = - 公聴会でのクロエの証言はどれもショッキングであると同時に、彼女の堂々たる勇姿が人々の胸を打った。中でも子供のトランス治療に賛同した両親の存在についてクロエが声を詰まらせながら語ると、彼女の思慮深さに感動し涙する大人たちであふれた。 13歳から17歳の間に思春期抑制剤、異性間ホルモン剤、二重乳房切除術を受けたとして、カイザー財団病院とパーマネンテ・メディカル・グループを訴えているクロエは、公聴会の中で民主党側が招いた証言者のレイノルズ博士に話しかけた。 トランスジェンダーを自認する子供の母親であり、プロのカウンセラーでもあるミリアム・レイノルズ博士は、委員会の公聴会で「未成年者の性転換治療は必要であり、命を救う」と明言し、彼女の子供も現在ホルモン補充療法を受けているとしている人物である。 以下はクロエからレイノルズ博士への発言: = = = = = = = = = = レイノルズ夫人が我が子のために不安なのは理解しました。これは言っておきたいのですが、私は彼女を憎んでいません。ここにいる誰も彼女を嫌悪したりはしていないと思います。実際、私は彼女の中に自分の母親と父親を見ています。そして、明らかに彼女は子供を心から愛している。それに、彼女はできる限りでベストを尽くしている。ただじゅうぶんな術はなくて…気の毒だと思います。 子供を救いたいと願うすべての親には、最大限の援助とガイダンスがあって然るべきです。 しかしながら、私は、彼女の子供が私と同じ結果になることを望みません。誰であっても性別移行やデトランスを後悔してほしくない。なぜって、それは信じられないほど困難で、他にはない苦痛が伴い、容易なことではないからです。 彼女のお子さんが幸せで満ち足りた青年時代を過ごせるようにと願います。それがたとえどんな形であろうとも。 = = = = = = = = = = - ある日突然、幼い我が子が性別違和を訴え、多くの親たちは狼狽する。メディアや学校や小児科医やママ友まで「トランスキッズは増えているが、それは彼らが自然にカムアウトできる時代になったから。子供たちの真のジェンダーを肯定してあげなければ、彼らは間違った身体に入れられた心の苦痛に耐えきれず、自死を選ぶだろう」と言っているのだから。 日本では欧米で起きている子供たちに蔓延する熱病のようなトランス・ブーム、LGBTQイデオロギーに侵食された科学分野や医療業界、金儲けのために健康な子供たちを切り刻む医師、司法・行政・教育機関が一丸となって親から子供を引き離している実態などがまるで知られていない(にわかには信じ難い話で、まあ無理もないけれど)。 だから、クロエ・コールや他の何千という未成年のデトランジショナーがトランス治療に加担した病院や医療従事者を訴えている、と聞くと、「金目当てだろう、医者のせいにすんな」とか、「厨二病に罹ってバカを言った子供の責任だし、親もどうかしてる」とか、セカンドレイプにも似た被害者への罵詈雑言が飛び交う。 しかしそんな無知で傲慢な彼らのどれほどが、クロエや彼女の家族と同じ状況に立たされた時に後悔のない選択をできるだろう。医者や専門家という職業を信頼していれば尚のことである。 まるで他人事の彼らは、日本でも子供たちへのトランスジェンダリズム啓蒙、保護者からの引き離し(親に内緒で未成年児童をLGBTQユース団体に参加させるなど)、そして思春期抑制剤の推進なども起きていると知っているのだろうか。 画像 - トランスジェンダリズムに基づくトランス医療はエセ医学であり、欧米で今、デトランスした子供や若者たちが訴訟を始めているように、大きな巻き返しが起こって医療スキャンダルとして扱われる日が来る。 そう願って日々発信しています。 (終わり) さらに表示
Xユーザーの🇺🇸 🇯🇵Blahさん: 「クロエ・コールは12歳の時トランスジェンダー医療に引き込まれた犠牲者だが、その苦しみを全身に背負いながら同じ境遇の子供たちを救うため活動している。トランスジェンダリズムの闇にメスを入れるべく開かれた米国下院司法委員会の公聴会で、涙ながらにその全貌を語った。 以下、和訳と解説:… https://t.co/DRd2Vlbwfc」 / X
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和六年(2024年)10月6日(日曜日)弐
通巻第8447号
中国の就職戦線、夥しいレイオフが深刻さを増した
上海汽車もアリババもテンセントも大量解雇。各地でストライキ
*************************
大學新卒1179万人の半分の職がないことは何回か報じた。
くわえて、せっかく高給をはめる企業にはいったのに、レイオフされた。とくにIT、ハイテク、科技の集中する深センが「大量失業』の町になった。これを『低空経済』と中国メディアは読んでいる。
表面的に中国企業の株が上昇しているのは刺激策発動による一時的現象でしかなく、いずれ下落する。
『レイオフ』は中国語では「経済的裁員」という。
過去五年の動きを総括すると、第一期はコロナ感染によるサプライチェーンの寸断で生産ラインがとまり、工場で寝泊まりという事態も発生した。このときの一時解雇は、すぐに収まるとみられた。だが工場はそのまま閉鎖となったところが多い。急遽マスクを製造した企業も多かったが、悪質のうえ乱売で中国製マスクは評判が悪かった。
レイオフとは日本語では一時解雇、だから完全解雇とは異なる。その境界線も有耶無耶にされて、完全失業となったのが建設労働者だ。
典型は建設中のビル、高層マンションの現場労働者たちで、農村からの出稼ぐ組が多かった。不払い賃金をはらえと現場でテント村が出来ていたが、公安に追い払われ、どうやら農村へ帰還したようだ。
第二期は香港の自由化阻止、活動家弾圧と言論の自由が封殺��れた影響が2022年頃から深刻化し、金融関係の多くが拠点をシンガポール、ドバイへ移管した。
このため証券などでもレイオフが続発したが、外資系のJPモルガン、バンカメ、HCBCなどが規模を縮小し、かなりのレイオフが香港で生じ、それが株式市場のある深センと上海の市場関係者へのドミノとなった。
第三期は米国主導の中国制裁がじわりと影響をもたらし、輸出産業ならびにソフト開発企業などでレイオフが発生した。花形だった上海汽車はVWやGMとの合弁工場もある。上海汽車の10%レイオフは下請け企業で50%のレイオフにつながった。EXEPICは50%の社員を解雇した。
こうした中国経済の不振はオムロンのように中国依存のサプライチェーン依存企業にも悪影響をもたらし、同社は世界全体で2000名の解雇に踏み切った。まだ活況を呈しているのはドローン関連だけといわれる。
第四期は外資の撤退に付随した。
台湾企業は七割方が去り、日本企業も遅ればせながら、中国に進出した10%が撤退。従業員は保障の上、解雇である。
このため各地でストライキが発生、アップル、日立製作所、ペプシコ、シチズンなどが深刻なストライキに遭遇した。
第五期が現在の状況で、ついにハイテク、eコマース(通販)の分野に波及した。京東は30%のレイオフ、アリババ、テンセント,DIDIなど、花形企業もレイオフを断行し、ハイテク業界全体のレイオフは5万人に達した模様である。
深センが経済特区として誕生したのは1979年である。その直前にも筆者は深センを取材しているが、まだ人口が800名足らずの貧しい漁村で、あちこちで建設工事をしていたが、道路は未舗装、食堂は屋台で、冷蔵庫もなく生あたたかいビールを呑んだ。それがいまや人口が1100万を突破、華為技術、アリババ、テンセントなどが深センに蝟集し、中国のシリコンバレーと呼ばれた。
その深センが低空経済の津波に襲われ、町にあふれ出した失業の群れが、新卒で職のない若者の列に上乗せされる。
中国経済の先行きに明るい兆しはない。
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ドロー

2025年3月 阪本池(枚方市) iPhone11
どうも、こんにちは。3月8日(土)は、howellsさんと阪本池に行ってきました。阪本池の入口は商業施設と共用でわかりにくいので、howellsさんも迷ったそうです。っていうか、カーナビに任せると手前の路地で右折させられるんですよね。駐車場の横を走っているのに駐車場に入れないっていうw。

2025年3月 阪本池(枚方市) iPhone11
さて、釣席ですが、僕は11尺が振れる場所で西向き。howellsさんは東向き!なんでビックリマークが付くかというと、東向きは砂��で深いのが売りで常連さんは好むのですが、釣況は渋いので、僕が西向きで5〜6枚釣ってる日にズラリと並んだ常連さんが1〜3枚とかそんな感じ。僕が「howellsさんは上手いから東向きですね」と煽っていたらホンマに東を向きはったのです。

2025年3月 阪本池(枚方市) iPhone11
アホなので11尺の竹竿は「げてさく」2本、「二代目げてさく」「寿るすみ」「朴石」と5本も持ってますが、今日の竹竿は「げてさく」の「白総塗り」です。「総塗」というだけあって「塗り」が自重になっているのか、中式だがよく曲がってくれる竿でいい感じ。

2025年3月 阪本池(枚方市) iPhone11
浮子は「夢(伊吹)」のウドン浮子。

2025年3月 阪本池(枚方市) iPhone11
ごはんの用意もできたので…

2025年3月 阪本池(枚方市) iPhone11
打ち方始め!
モタモタしてたらこんな時間になってしまった。howellsさんはもう1枚釣ってはります。

2025年3月 阪本池(枚方市) iPhone11
11尺の仕掛けは前回も「夢(伊吹)」のウドン浮子を使ったと思うが、ウキゴムのφが大きめで緩々。そういえば茨木新池で根掛かりして仕掛けを作り直したか?5500円もした浮子が抜けて飛んで行ったらと考えると気になってしゃーない。なので25分ほどで「舟水」の「底08ソリッド」の9番に替えました。また「シズ合わ���」からやり直し〜。

2025年3月 阪本池(枚方市) iPhone11
昨秋、水藻フィッシングセンターのブルーギルに悩まされて以来、ジャミとはご無沙汰だったが、3月に入って暦は春になったのかジャミが蠢動しておる。浮子が動くので飽きないし、ヘラとしか思えない糸スレとかサワリもある。ヘラのサワリを狙っているとフワーっと返した後���麗に一節入った!
キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
弧を描く「げてさく」の白塗り。

2025年3月 阪本池(枚方市) iPhone11
ボウズ脱出〜!
綺麗なヘラブナが釣れました。寺口釣池で常連のIKRさんが阪本池の話をしていて「新ベラ放流」言ってるのが聞こえたが、やっぱ放流したんかな?いちいち聞くのもやらしいし池主さんには聞かなかったが、尺未満の綺麗でよく引くフナが混じりました。

2025年3月 阪本池(枚方市) iPhone11
2枚目も1節入る節魚信で両目が開きました。これも綺麗なヘラですね。

2025年3月 阪本池(枚方市) iPhone11
この季節、畑の梅が綺麗や。最近、釣りばっかりだが、長居植物園に写真を撮りに行きたくなったわ。ライカで撮りたいな〜。

2025年3月 阪本池(枚方市) iPhone11
受け口なのでヘラブナですが、体高は控えめですね。

2025年3月 阪本池(枚方市) iPhone11
午前中、4枚に届かず3枚でした。お昼ごはんは隣(というか駐車場もいっしょ)の「吉祥庵」で。小市民なので、いつも850円の他人丼を食していましたが、howellsさんが豪快に1300円のカツ丼をいってしまったので、つい…w。

2025年3月 阪本池(枚方市) iPhone11
午後はアッパーから始まる…

2025年3月 阪本池(枚方市) iPhone11
口と思ったけどな〜。唇に外やんか。

2025年3月 阪本池(枚方市) iPhone11
ε- ( ̄、 ̄A) フゥー
やっと釣れた。「チッ」ていう魚信を取ったので満足。

2025年3月 阪本池(枚方市) iPhone11
僕のジェットアッパー炸裂!いや、斜めのアッパーって「スマッシュ」っていうんでしたっけ?千堂武士?のフィニッシュブローw。

2025年3月 阪本池(枚方市) iPhone11
なんとか「4枚の壁」に到達。缶コーヒーが好きなので、釣池で缶コーヒーでいっぷくやるのは好き。

2025年3月 阪本池(枚方市) iPhone11
午後は、僕に同点にされたhowellsさんが業を煮やしてw西向きで僕の隣に入ってきてデッドヒート。僕は5枚目、6枚目とポンポンと釣った後、晴れ予報だったのに雨が降ったり止んだり。15時過ぎてからは止みそうもなく7枚釣っていたが終了。howellsさんは6枚でこのまま逃げ切りかと思ったが、僕が片付けてる間に1枚釣らはりました。

2025年3月 阪本池(枚方市) iPhone11
ということで、3月8日はhowellsさんが執念のドローで7枚ずつでした。たまには勝たせてくださいよw。
っていうか、雨が降らなかったら「つ抜け」狙ってたのに。
では、また。
#streetphotography#osaka#大阪#snapshot#写真好きな人と繋がりたい#ファインダー越しの私の世界#ヘラブナ#japan#釣り好きな人と繋がりたい#阪本池#へら釣り#ヘラ釣り
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ウィンクが下手な小娘、二階堂ふみ
語って!と言われてから二ヶ月以上経つね
そろそろ痺れを切らしている彼女について
色々語らせてもらおうかなと思っています

俺らは出会って2年くらいになるらしい
出会った当初どんな会話をしてたかなと
文章起こす前に見返してきたんですけど
今とさほど変わってない緩すぎる雰囲気
俺が体調崩した時、ゼリーごっくんして
ちゃんとうがい!��くぶくぺーして!と
あまりに子供扱い過ぎる口調で心配され
そんな扱いされた経験が滅多にない俺を
無意図的に子供扱いしてくる希少な人材
小生意気、不器用、素直な女の子ですよ
食生活やら何やらを心配してくれるのは
今も昔も全く変わってないなと思います
俺がもうここをやめるよって話をした後
たいくんは頑固だから考え直さないよね
みたいなのを言っていたあたりはさすが
俺の事をよく分かってくれるな���思った
それと反対に俺はまだ彼女が分からない
矛盾だが素直だけど本音を言わない故に
彼女には未知な部分が多過ぎるんですよ
2年じゃまだまだ月日が足りないようで
心の銭湯こと安らぎと元気をくれる存在
スローペースだが着実に進む俺らの時間
これからも出来るだけ長く続けていこう
貴方は俺の最高なソウルメイトですから
ホワイトデーの良いお返し思い付かなかったな
朝の通勤にこの曲を。新しい環境でも君らしく
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連休二日目、大平は厨房職員の出勤前に開錠し、再び床に入った。昨日の母親とのやり取りが尾を引いているらしく、布団を頭から被った。嗚呼、辛い、淋しい…。この思いを誰に吐露したらよいかと、彼は何度も寝返った。
それから一時間経った頃、ドア越しに声がした。
「大平先生、検食お願いします」
彼は寝ていた訳ではないのですぐ布団から出た。ドアを開けると、其処にいたのは管理栄養士の石川忍だった。彼女は、
「何だ、起きてたンですか。もうすぐ生徒さん来ちゃいますよ」
と言った。
「あぁ、すみません…。今行きます」
そう言って大平は食堂へ向かった。食堂には、朝食を作り終えた厨房職員が休憩をしていた。石川も、今日は日曜日で人手が足らないとの事で厨房業務をしていたらしく、
「早く厨房職員、増やしてくれないかなァ〜。アタシ、朝弱いのよ」
と言った。向かい側で食事をしている大平は、
「でも、いつも美味しいよ。助かるわ」
と話した。
「たまに、亜鉛やタウリンたっぷりの献立も考えないといけないのよ。幸田理事長が、年頃の男子はヴァイタリティがなくては勉強やスポーツに良い成績が得られないって。まァ、亜鉛は味覚を感じるのに必要な栄養素だから仕方ないかァ〜」
「たまに遊びに来るよ、ウチの生徒が」
「あら、大平先生。ビンビンなのね? 絶好調なンだ〜」
「ほらほら、朝から際どいよ」
石川も、このK高校の裏の裏も読んでいる様だった。彼女も所謂「ボーイズラヴ」系の漫画が大好きで、半年に一回は特別メニューとしてマカを含んだドリンクを付けたり、すっぽんエキスを使った鍋などを出したりもしていた。大学時代に居酒屋でのアルバイト経験があり、たまに貢が理事会を開催する時には刺身や焼き鳥も作っていた。
検食を終えると大平は、
「今度、カキ食べたいなァ」
と、検食簿を書きながら言った。
「カキ? 寒くならないとダメでしょ? 美味いけどね〜」
「だよなァ…。ご馳走様」
返却棚に使った食器を戻すと、大平は宿直室に戻った。嗚呼、今日は何をやろう…。そう思いながら彼は布団を片付けた。
午前十時過ぎ頃、寮の駐車場に一台の四WDが停まった。宿直室で保健体育の教科書を開き、連休明けの授業の準備をしていた大平は、モニターでその車を確認した。丁度、半袖のポロシャツにジーンズという格好で正美が階下にやって来たので、大平は宿直室から出て聞いた。
「ご両親とお出掛け?」
「おはようございます。否、母の幼馴染でもある中学校の恩師です」
「夕方までには帰るンでしょ?」
「はい、ちょっとドライヴです」
大平は「中学校の恩師」と「ドライヴ」という単語が意味深だなと思った。大概は家族などが迎えに来たり、逆に実家へ一時帰宅したりする場合が多いが、これまでに中学校時代の恩師というのは前例がなかった。もしかしたら、「恋仲」か?と彼は疑った。すると、車から七三分けに髪を整えたほぼ同世代の男がやって来た。彼は水色のオックスフォード生地のボタンダウンシャツに、ベージュのチノパンツという格好だった。その男は八坂だった。彼は大平に挨拶し、
「黒木正美がお世話になっております、八坂周二です。今日はドライヴも兼ねて正美君に会いに来ました。よろしくお願いします」
と自己紹介をした。大平も会釈をし、
「私は一年生の保健体育を担当しております、大平雅之です。今週は寮の宿直をしております」
と言った。正美は、
「おじさん、待ってたよ。行こう!」
と靴を履き替え、何故か手を繋ごうとした。八坂は、
「ダ、ダメだよ。そんな人前で…」
と苦笑したが、
「イイじゃん、早く行こう!」
と正美は疾る気持ちを抑えきれない様子だった。八坂は正美に急かされるまま、
「門限までには帰りますので…」
と言った。
大平は、これまであんな無邪気そうな笑顔を見せる正美を見たことがないと思った。たまに、
「セッ◯スしてぇ〜!」
と、公然と口走る印象しかなかった。しかし、あの八坂もスラッとした雰囲気でイイなァと大平は思った。
その頃、亮司は昨日と同様に刈払い機を片手に校内の除草作業をしていた。この時期は雑草が伸びるのも早く、正直「いたちごっこ」ではあった。昨年は定期的に業者が来訪してやってはいたが、単科大学の方で来年度から従来の経済学部に加え社会学部も新設されるとの事で、極力コストを抑えたいという貢の考えがあった。彼は、
「熱中症にならない程度に草取りしてね」
と、一昨日絡み合った後に言ったのだ。亮司は、
「何だ、愛してるなら手伝えよ」
と布団の中で貢の片脚に自分のものを絡ませながら訴えたが、
「理事長も大変なンだよ、休ませてよ」
と亮司に接吻しながら詫びた。
昨日より日差しが強く、早くも頭の方から汗が噴き出す。亮司はペットボトルのスポーツドリンクのキャップを開け、数口飲んだ��嗚呼、この空気が何だか「あの頃」を思い起こさせるなァと、彼は再び秀一のことを想った。
亮司が顧問を務めていた陸上部に秀一が入部して三ヶ月が経過した頃、都立A高校に近い河川敷でジョギングをすることを練習メニューにしていた。未だ「根性で乗り切る」という考え方が根付いていた時代である。練習中に水分を摂ることを制限され、ギブアップしそうな生徒には「忍耐力が足らない」と叱責するのが当たり前だった。亮司もその一人で、指導するにも必ず怒鳴り声を上げていた。
そんな猛練習の中で、秀一は朝イチの新聞配達をしながら個人的に走り込みもしていた。周囲に話すことはせず亮司にも黙っていたが、たまたま犬の散歩をしに河川敷を歩いていた時に亮司は秀一がジョギングをするところを見かけていた。他の教師から秀一の家庭が火の車であることを聞いていた亮司は、そんな彼に少しずつ想いを寄せる様になっていた。
ある日の夕方、いつもの様に河川敷のジョギングをしていた時だった。普段であれば余裕の表情を見せていた秀一の足取りが徐々にペースが落ち、その場に倒れ込んでしまった。他の部員は一時的に足を止め、彼の許に駆け付けた。亮司は、
「益子!」
と身体を揺さぶった。意識はあるが朦朧とした様子だった。彼はその日の部活動を中断し、学校に戻ることにした。
保健室に連れて行った亮司は、ベッドに横たわる秀一を眺めていた。
「どうやら、睡眠不足の様ね」
と女性の養護教諭は言った。
「『睡眠不足』?」
「確か、益子君ってお母さんだけよね? お姉さんは看護婦さんで…。新聞配達もしながら成績も優秀だし、かなり頑張っている筈よ。それで部活なンだから」
「…そうか」
亮司は、秀一の学校以外の一面を知らずにいたことを悔やんだ。そもそも部活動の時にしか関わらないし、他の生徒に対しても同様だった。
秀一が目覚めた時には、とっくに夜の帳が下りていた。養護教諭もずっと残っていたが、
「とりあえず、何か美味しいものでも食べなさい。あとは無理はダメよ」
と彼に言った。
「佐々木先生、色々とありがとうございました」
亮司はそう頭を垂れ、秀一と学校を出て行った。秀一の家は河川敷近くにあったが、亮司は神田の方だった。今夜は、ずっと付き添い気持ちがあった。そうだ、駅前に食堂があるから連れて行くかと、秀一と一緒に山手線に乗って秋葉原駅前の定食屋へ向かった。カツ丼は大盛り、その他に秀一はカレーも注文した。あまりの食い込みのよさに亮司は驚き、
「普段、何食べてるの?」
と聞くと、
「普通に食べてますよ。でも、すぐお腹空いちゃう」
と秀一は話した。
「今日は沢山お食べよ」
まるで息子を一人持った様な感覚に、亮司は陥った。嗚呼、何とかしてあげたいと思いながら。その日は、秀一とは秋葉原駅で別れたが、回数を重ねるごとに逆に亮司が彼のところまで送って行く様になった。時折、無意識のうちに手を握り合うことも多くなり、互いに教師と生徒という関係を越えつつあった。
そんな二人の想いが通い合ったのは、夏休みが近づいた七月の中旬のある夕方だった。いつもの様に秋葉原駅前の食堂で食事をした後、西日暮里駅を下りて秀一をアパートまで送るその矢先だった。亮司はこれまで押し殺してきた彼に対する想いを河川敷の橋桁で告白した。突然唇を奪われた秀一は、最初は何が起きたのか理由が解らない状態だったが、
「…先生、僕も好き」
とおのずと舌を絡ませてきたのだ。一瞬、唇を離すと二人の唾液が一筋の糸でつながっていた。亮司はそのまま秀一を叢に横たわらせ、
「申し訳ない…。でも、秀一が好きなンだ。愛してるンだ。オレ、お前が欲しいンだ」
と、ワイシャツの第二ボタンを外しながら未だ十六歳になったばかりの「やわ肌」に手を忍ばせ、同時に首筋に唇を押し付けた。
「せ、先生。そんな、あぁ、あん…」
初めて経験するエクスタシーに忽ち秀一は酔い、今度は彼自ら亮司のネクタイを緩め、ワイシャツのボタンを外し、ランニングシャツの片側を肩からずり下げた。日焼けした肌に黒々と浮き出た乳房を弄った。
「し、秀一! オ、オレ、そんなつもりじゃ、あぁぁ…」
叢の上で、二人の体位は逆転した。周囲はすっかり暗くなっていた。人気もない。橋桁の上なので、たとえ声を上げても車の往来でガタガタという雑音でかき消された。スラックスを互いに脱ぎ捨て、二人はブリーフを片脚に絡ませた状態で肉棒を咥え合った。秀一は、銭湯でしか他人様のチ◯ポを見たことがなかったが、微かに小便の「匂い」がしつつも抵抗なくその裏側を舌の先でなぞったり、また先端を口の中で弄んだ。あまりに気持ちよく遊戯してくれていることに亮司は、
「し、秀一! 気持ちイイ! イイ!」
と歓喜を上げ、そのまま愛液を秀一の口の中に放出した。
「あッ、あん! あぁん! あん!」
亮司は頬を赤らめながら、うっすら涙を浮かべつつ、全身を震わせた。一方、あまりに卵白の様にヌルッとした感触だったからか、オルガズムが終わると秀一はすぐその場に亮司の愛液を吐き出した。
彼は、
「…先生、僕、我慢できない」
と訴えた。
亮司は、秀一に「お前の愛液を顔にかけて欲しい」と求めた。言われた通りに、秀一は亮司の顔の目前に下半身をさらけ出し、今にも多量に噴き出しそうにいきり勃った秀一の肉棒を亮司はしゃぶったりしごいたりした。そして、
「嗚呼、 イク!イッちゃう! 出ちゃう!」
と、見事なほどに熱く粘度を含んだ乳白色の愛液が亮司の顔面に飛び散った。「シャワー」の様に浴びた亮司は、うっすらと微笑を浮かべた。
初めてにして変態的な「痴情」を経験した二人は、それからこの様な濡れ事を重ねに重ねた。間もなく夏休みを迎えたが、すぐに亮司は仮住まいとして、西日暮里駅と都立A高校の間にアパートを借り、其処を「愛の棲家」とした。週二、三回は部活動の後、亮司自ら夕食を振る舞い、一緒に近くの銭湯へ行っては愛し合ったのだ。
『嗚呼、若かったよなァ。オレも』
木陰から漏れる日差しを時折見上げながら、もう一口スポーツドリンクを飲み、亮司は再び刈払いを始めた。
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品品(ex. 世田谷ピンポンズ)『SETAGAYA MAGIC』

自分が住む街の現在・過去・未来へのパスポートに。
twililightがある三軒茶屋をテーマにしたポケットブックシリーズ「sanchapbook」(サンチャップブック)。
03はtwililight web magazineで2024年6月から9月まで連載していたフォークシンガー・品品(ex.世田谷ピンポンズ)によるセンチメンタル連載小説を書籍化した『SETAGAYA MAGIC』。
--
“感傷より先に歌があるのか、歌より先に感傷があるのか、自分の情緒が時々分からなくなる”
twililightがある世田谷区の三軒茶屋に長いあいだ住んでいたフォークシンガー・品品(ex.世田谷ピンポンズ)による初めての小説は、
三軒茶屋を舞台に、自身と重なる杵賀谷を主人公に迎え、選ばれなかった人々の心に真摯に寄り添う。
歌うこと、生きること、夢を見ること。
「もっともっと迷い惑うことだよ。君がこの街で出会った人たちがえっちらおっちらそうやって暮らしてきたみたいにね。茶沢通りの一本道でさえ迷う君さ。だからこそ、ひょんなことからまたいつかどこかで別れた誰かと再会できるかもしれない。誰も見たことのないような変な景色を見つけることができるかもしれない」
--
《目次》
「すずらん通りの定食屋」
「太子堂中央街のライブハウス」
「世田谷通り沿いのマンション」
「三軒茶屋中央劇場」
「地震の日」
「じしんの日」
「送別会」
「世田谷マジック」
あとがき
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タイトル:『SETAGAYA MAGIC』
シリーズ:sanchapbook 03
著者:品品(ex.世田谷ピンポンズ)
装画: waca
デザイン:横山雄
判型:B7
ページ数:104ページ
本体価格:1200円
発行:ignition gallery
発行所:twililight
刊行日:2024年12月28日
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品品(ex.世田谷ピンポンズ)

フォークシンガー。 吉田拓郎や70年代フォーク・歌謡曲のエッセンスを取り入れながらも、ノスタルジーで終わることなく「いま」を歌う。 音楽のみならず、文学や古本屋、喫茶店にも造詣が深く、最近では文筆活動も積極的に行っている。 あたらしいフォークの旗手。
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悼むということ
友人の訃報がSNSづたいで届いた。訃報を受けた彼とはすでに次に会う約束をとりつけていて、その会はメンバーの調和からこのうえなく楽しいものになるはずだった。なのに突然いなくなってしまって、約束していたのに、それはもう叶わない。
何かしらの、私の知らない病で急に亡くなったらしい。突然のことだったと、彼のパートナーの投稿で知る。「朝起きたら死んでいた」というやつだ。あまりにもあっけない、この先の未来を当然生きていたはずのひとの、死。
著作を出版していて、ほかにもメディア露出のあるひとだったから、だからこそこうして訃報にふれることができたけれど、そうでないひとだったら死を知ることもできないのだと思うとおそろしくなる。今回、亡くなったことを知れただけよかった。親しい人間の永遠の不在を知ることもないまま過ごす幾ばくかの生が、これから先、かならず訪れる。
日曜の夜に訃報を知って、心の整理のつかないまましばらく胡乱に過ごしていたら、深夜になって、その友人と私よりもずっと長く親しくしてきたひとから電話がかかってきた。そういえば、いつか三人で会えたらいいねなどと話したこともあったなとぼんやりと思い出す。人間同士はついたり離れたりするので、そのひとと亡くなった友人と私とが一点に結びつく瞬間はついぞ訪れなかったが、きっと私たちはそれぞれに「わたしたち三人が一堂に会したら」ということを想像していて、その予期にはたがいに一寸の齟齬もなかっただろうから、すでに会えたようなものだろう。その機会が訪れなかったことを悔やむではない。でも、そういった空想の三者関係の、取り残された二者同士で、このタイミングで話せたことに救われた。
その、亡くなった友人の旧知であり、この夜にわざわざ私に電話をくれたひとの口ぶりは、訃報からそれほど時間もたっていないにもかかわらず、すでに個としての彼の実存在が失われた悲しみを乗り越えて、ただその死だけを誠実に悼んでいる様子だった。
曰く、「彼は出会った若年のころからいつ死んでもおかしくない存在だった」、そして「彼の死に方は羨ましいものだ」と。こうやって一部だけを取り出して書き連ねれば冷酷なようにも見えるが、そうではない。彼の語る「彼の死」は、生や死を突き放すではなく、むしろ、日頃から他者の死の可能性を意識し、喪失への覚悟を張り巡らせている人間の謂いのように思えた。覚悟が足りないのは私のほうだ。生けるものはやがてすべからく死ぬと、本質的に理解しているひとの語りは、私を静かに落ち着かせた。
そうやって彼の死についての話をして、落ち着いた私は、ようやく、はじめて、正しい涙を流せた。あのひとのこういうところが好きだったと語った。あのひとがいない世界は寂しいと、著名人の訃報にはけっして抱かない気持ちを吐露した。彼をよく知っているひとに彼の話をして、亡くなってしまった彼と過ごした楽しい時間の話をして、これから過ごすはずだった楽しい時間の話をして、ようやく、ほんとうにようやく、正しく泣けた。それは、ほかの誰が相手でもだめだっただろう。こうして生者は慰めあってゆくのだと、いま初めて理解する。死者と生者、そのそれぞれの役割について理解する。
電話口で、そのひとは言う。
「いいんだよ、人は、死ぬ時に死ぬ。でも彼には遺した著作があるでしょう。それが世界に遺っ手いるかぎり、彼は消えない」
「これからもたくさん死んでいくでしょう。わたしたちはきっとそれに慣れていく。でも、遺されたものは、死なないから」
人文学の甘い文献主義のようにも思いつつ、今はそれが何よりの救いになる。そうね、亡くなった友人が遺した本を、確かに読んでいなかったわ。じゃあこれから読めば、新年会で会えなかった彼に紙の上で会えるわけね。会いたいから読むしかないね。何度も読めば何度も会えるわけね。
もう生身の永田希には会えないが、彼の書き残したものの方がきっと彼の魂に近いものであるはずだ。神楽坂のモンゴル料理屋で一緒に羊を食う予定だったが、それはもう叶わないというのなら、著作を読んであなたを知ろう。あなたに会おう。永田さんと過ごす時間が本当に好きだった。
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