#ららぽーと磐田
Explore tagged Tumblr posts
Text



11月1日、ららぽーと磐田のフードコートで昼食に食べたがブリチキンの鶏天丼とミニうどん。ドリンクは烏龍茶。
7 notes
·
View notes
Text

11月1日、ららぽーと磐田の磐田市情報館で買ったしっぺいの2024年のカレンダー。
0 notes
Text

11月1日、ららぽーと磐田のユニクロでもらったLifeWear magazine。
0 notes
Text
静岡県磐田市防災行政無線チャイム 12時 磐田市歌「ふるさと いわた」 2023/08/16
youtube
チャイム:磐田市歌「ふるさと いわた」 撮影日:2023年08月16日 撮影場所:ららぽーと磐田の西立体駐車場 場所URL: https://goo.gl/maps/Nj1XeyCYecdE6cbd8
【チャイム・鳴動時刻統一後の鳴動時刻】 12時・17時:磐田市歌「ふるさと いわた」
0 notes
Text
初めてのロックフェスティバル
ROCK IN JAPAN FES.当日の記録。
これまでのいきさつ→フェスへの道① ② ③
前日夕方に土浦に入って泊まって、ホテルで飲んだ茨城の地酒。「娘」という字が入っているという理由だけでこれを選んだわけだが、好みの味でおいしかった。

翌朝。
予定より1時間以上前に目が覚めてしまったがすることもないので早めに行くことにする。ホテルの朝食会場や駅で同志を見かけた。土浦から勝田までは常磐線で1時間くらい。
基本的に同じ場所へ向かう人ばかりなので、乗り降りはほぼない。あっても水戸で少しだけ、って感じ。椅子は埋まっているんだけど、立っている人はまばら。そのくらいの混雑率だった。
勝田駅に到着。ホームから改札への階段がちょっと渋滞、改札も渋滞。だけどそこまで時間はかからず離脱。誘導のスタッフも沢山いて、わかりやすい。
まずはバスの切符を買う。結構並んでいるようだけど、どんどん列が進んでいく。現金のみ、往復850円。硬券みたいなのを2枚くれて、往復の区別はないのでどちらか一枚を乗り場の係員に手渡せばいいだけ。帰りの分をなくさないように注意。
バス乗り場までの導線には横断歩道もあるが安全に誘導され、バスは次々続々やってきては出発していく。勝田駅に着いてから乗ったバスが出発するまで20分、勝田駅から会場までは10分だった。想像以上に早い。
入場ゲート。でかい!


このゲート下で簡単な手荷物検査をして、その先でチケットを見せてリストバンドをもらう。リストバンドはもらったら自分でつける。他に配布品はなし。
リストバンドは一度締めたら手でゆるめることはできず、自分は記念に取っておきたいと思って、帰宅後にギター弦交換用のニッパーで留め具を切断した。
入場したら右へ進んでいく。観覧車のある方から行った。愛読書「Homare」に登場する、あの、観覧車である。
橋のところでリストバンドチェックがあって、そしたらいよいよメインのエリア。バスを降りてから15分くらいかかったかな。歩く距離は長いけど、行列することもなくスムーズに移動できた。
これがグラスステージ。まだ人は少ない。

それなりに雨。
椅子を持参していたので、椅子エリアに向かう。拠点を作れば疲れ果てても大丈夫。音は聞こえるから、のんびりと座って音楽に浸れる。アルコールが入る可能性が高いので、多少ぼんやりしていてもわかりやすいようにと、看板を目印にできる位置に陣取った。
バスを降りてから20分で拠点設営完了��クロムレイリーさんのライブをここから見ていたが、10代にしてあれは末恐ろしいな… 堂々としているし演奏も上手いし、これはすごいものを見てしまったかもしれない。今後注目しておきたい。
その後、あてもなくそこらへんを歩く。今飲み食いすることもないなーと思い、土浦で買っておいたお菓子を食べ、例のブルーベリーサプリを流し込む。
出番30分前くらいに前方エリアに入場。指定の画面を係員に見せたら係員が操作してくれて、ノリよく送り出してくれる。入ったら区画ごとに番号が割り振られているので、自分の場所を探すだけ。
視界良好!!!区画もわりと広め。

前方エリアって40列くらいまであるらしくて、普段ツアーで使うホールだと40列って遠い!って思うでしょう。でも、グラスステージは違う。33列だったんだけど、案外よく見える。ステージとの距離もそう遠くないし、ステージ自体が高い。たまたまど真ん中引き当てたのもあるかもしれないし、前に圧倒的に大きい人が来なかった幸運もあったかもしれない。けど、とても見やすかった。双眼鏡を持ってくれば良かったなんて思わなかった。
前説で「モーニング娘。に出てもらうなら蘇我じゃなくてひたちなか!」「ロッキンといえばハム焼き、ハム焼きといえばげったー!」「サザンも最後、石田亜佑美も最後のロッキン!」と言われて盛り上がるヲタク。
アルミ+メンカラ衣装は王道。午前中から合法的にアルコール含んでモーニングさんを見られる。これは踊り狂うしかない!!!でしょう。ほまたんめちゃくちゃ気合い入っていたし、水分補給煽り良かった。けど、脚が見える衣装ならもっと良かった。
最高すぎ…!!!
01. みかん(23 Ver.) 02. 浪漫 〜MY DEAR BOY〜(23 Ver.) 03. HOW DO YOU LIKE JAPAN?~日本はどんな感じでっか?~ 04. One・Two・Three(23 Ver.) 05. ハッピーサマーウェディング(23 Ver.) 06. LOVEマシーン(updated 23 Ver.) 07. 勇敢なダンス 08. 恋愛レボリューション21(updated 23 Ver.) 09. 泡沫サタデーナイト! 10. 恋愛Destiny〜本音を論じたい〜 11. わがまま 気のまま 愛のジョーク(23 Ver.) 12. ここにいるぜぇ!(23 Ver.)
最KIYOUやらないんだね。フードをかぶって出てくる'19を踏襲する出だし。新旧定番曲で攻める形。締めがここにいるぜぇってのも最高だ。
実は津野米咲のヲタクというか信者でもあるので、ここで泡沫を聞けてよかった。津野さん、生きていたらこのステージに立っていてもおかしくなかったと信じてやまないよ。悔しかろうと見上げた空からは、雨。
北川雨女説というのがあるらしく、この日の泡沫はDJ北川。なるほどね。まあ自分は元々は超雨女として名高い矢島舞美のヲタクなので、このくらいはまったく問題ない。
コンパクトなポンチョはとても便利だったけど、ほぼ半袖なので、腕が濡れた。だけど使い捨てだし100円なので十分すぎるくらい。コンパクトになるし天候が読めない&荷物減らしたい時はありがたいアイテムだ。会場でもレインウェアを売っているとアナウンスがあった(500円と言っていたと思う)ので、いざという時は何も持っていなくても大丈夫。
石田さん最後のロッキン、この場にかける思いが伝わるパフォーマンス。グラスステージの幕開けにふさわしい着火力と呼応するヲタクの熱量は雨をもはねのける。
これだよこれ、これ、これ。こういうのが楽しいから現場行くんだよ。節目の現場にいたとか良い席で見たとかそういうのよりも、ずっと印象に残るのって、こういう熱量のある現場なんだよ。 春の新潟夜も人数のわりに…って言われた後に大盛り上がりだった。今年はなんだかとても楽しい。石田ラストイヤーにふさわしい…のかな?それはこの秋ツアー次第。
話をひたちなかに戻そう。
終わったらそのままだらだらと解散、散らばってゆく。散りながらむすーめさいこう、する。1ステージのみで転換にかける時間があるので、急かされるようなことはない。
そのあとトイレに寄って、ハム焼に並んだ。ここでちょっとトイレと電波のことを書いておこうか。
トイレは元々公園に設置されているものもあるし、仮設トイレも各所に沢山あった。待ち時間はほぼなし、場所とタイミングによるけど自分が使った限りでは2,3分以上待つということはなかった。
電波は届くけど混雑していて繋がりにくい。所々あるWi-Fiエリアに行くとしっかりと繋がる。Wi-Fiに繋げなくても決済に支障が出ることはなかった。
チケット提示のために必須なJ FESアプリは必須だから入れるけど、入れておいて損はないというか、むしろ入れるべきというか、とにかくとても便利だった。タイムテーブル(今どのへんか表示される)、出店情報、位置情報の出る地図等を見られるほか、気になることがあったら運営側にそれを伝えられるような機能もある。Wi-Fiエリア外、通常の通信が微妙な場所でもしっかりと繋がった。優秀すぎる。
ハム焼列に戻って。
あの前説があって娘。直後だったせいか、列は娘。ヲタだらけだった。自分が並んだ時はまだ良い方で、途中から列がどんどん伸びていき、そのうち120分待ちになっていた。

ハム焼っていうのは要するにハムを焼いただけだろうって思っていたけど、ただ焼いてこうなるわけがない。食べればわかる。炭火感あふれる香ばしさ、絶妙なスパイスや塩加減、噛みごたえのある肉質とほどよい脂身。こりゃ旨いわ。
前に昭和記念公園で見かけた時(17期加入前)はおいしそうだなと思いつつスルーしたけどこんなに旨いものだったとは。そもそも、元々のハムがかなりおいしいのではないかと思う。

アルミホイルに包んでくれるので、椅子に戻ってもあったかくておいしい。まじで旨い。確かに味は濃いが動き回った後にビールと共に喰らうには最高ではないか。
ハム焼き待ち中に咲いていた黄色い花。色的にはデイジー、だけど��桜っぽい。

並んでいる時に前にいた娘。ヲタとちょっとしゃべった。ファイターズ生田タオルを落としたので拾った、それがきっかけで。 生田ヲタと羽賀ヲタの2人組。自分がほまれタオル持っていたのに気づいたねちんヲタさんがほまれ水分補給煽りをほめてくれた。ヲタクみな仲間。こういう行きずりの会話も楽しい。
ハム焼き並んでる間にマルシィは終わっていて、ME:Iを途中から見ることに。あの子が元気そうでいてくれて何より。だけど音楽的には自分に響かない。ごめんね。音響もトレブルきつすぎるし、いちいちMC挟んで冷めちゃうし。雨が一番やばい時間帯でもあった。
indigo la endは元々好きだったので見られて良かった。川谷氏は天才。抜群のポップセンス、凝ったコーラスも良かった。雲が晴れて心地よい午後にはまってた。
サンボマスターは誰もが劣等感を持っていることを前提としそれでもおまえが必要だ、生きているだけでも優勝だと述べる説教ぽさ、だけどそれが嘘くさくならない説得力が印象的だった。
マカロニえんぴつ、名前はよく聞くがよく知らず。だけど見たらかっこよかった。想像以上にラウド。
Sumikaは音源だと似たような曲ばかりだなあと思っていたが、そんなことない。エンターテイナー感があってめちゃくちゃ盛り上がった。
どちらも川崎ゆかりのバンドなんすねえ。そいえばSumikaは等々力にも来ていたっけ。今後気にかけていきたい。
合間に食べたひるめし。

15時近かったのですいてた。これだ!っていう食べ物はなくて、何でも良かったんだけど、なんとなく肉にした。とりあえず肉食っとけば間違いない。推しに似るってこういうことなんすかね。
ステーキ丼(わさび醤油)、1100円。肉はちょっと硬かったけど、かみ切れなかったのはひときれだけ。鷹の爪、ごま、フライドオニオン、キャベツそれにわさびがたっぷりのっかっているのは嬉しい。
来場者がメッセージを残せるところがあるんだけど、そこは雨でべちょべちょ。今までの出演者が書いたサインを展示しているところに行ってみたら、'22ほまめいのサインがカサカサ。


ほまれは消えかけ、めいは滴っている。
途中までは雨だったんだけど徐々に天候は回復。思ったよりも風は強く吹かず、気温も上がらず、日が傾く頃には見事な秋空が広がる。雨が降ったからこそ、この青空があるわけで。

夏フェスっていう感じではないけど、やっぱ暑いときついので、過ごしやすい陽気なのはありがたい。だけど秋に差し掛かるということは、日が暮れる速度も速くなるということで。
あっという間に暗くなり…
Sumikaまで見て、帰ることにした。花火、見たかったけど。混雑は嫌だし、明日が待ってるので。明日は仕事だからな…。
帰り道、結構暗い。ゲートではスタッフの皆さんが手を振ってお見送りしてくださる。片道券も売っているが、往復で買っていたのでそのまま乗り込む。バスはやっぱり次々きて、すぐに乗れてすぐに出発した。駅までも渋滞はなく、ちゃんと時間を見ていなかったけど、15分くらいで着いたのではないかと。

予定より早めの特急に席をとって、まだ時間があったのでそこらへんをぶらぶら。コンビニ寄ったり干し芋買ったり。飲み屋街でねずみに出会う等した。
人だかりができていたので見に行ったらROCKのオブジェがあった。地元の学生たちがライトアップをしているんだとか。

そういうわけで電車の時間になったので、乗る。特急が出るホームの一角にとまっていた小さな列車は「Homare」に出てきた路線のものだろう。
特急に乗ってから2時間ちょっとで帰宅した。遠かったけど本当に行って良かった。実際に行ってみて、ひたちなかが、ロッキンが愛される理由っていうのがとてもよくわかった。
娘。メインで行ったけどどの出演者も素晴らしくて、好きな音楽が増えた。 全体的にそういう雰囲気で「あの人たちいまいちだったね」みたいな話が聞こえてこない。「知らない人たちだったけどすごく良かった!」って話はよく聞こえてくる。 来てる人みんな音楽が好きっていう共通点でまとまってる感じ。音楽といっても色々あるはずだけど、ジャンルだとかなんだとかのめんどくせえこと取っ払って、お互いの良さを認め合ってる感じ。それは出演者も含めて。
どんな曲調でどんな楽器使ってて、ってことじゃないのよ。音楽のジャンルなんて便宜上の話。ロックフェスにアイドル呼ぶことに賛否両論あるのも知ってる。 だけどさ、明らかにすべての出演者に通じていることがあった。音楽で誰かを救えると信じてやまないこと。 そういう信念、魂、これこそがロックだろ。
開放的なロケーションに加え、オペレーションもホスピタリティも素晴らしくて、地域に歓迎されていることも伝わってきて、すごいなと。本当に感動した、っていうと大げさだけど、時間とお金をかけて、雨に打たれてまで行った価値はあった。心が洗われるような時間だった。一生の思い出になりそう。
0 notes
Text
私達は一体何処から来るのだろう。眠りから醒める時、私はいつもそんなことを思う。 窓から差し込む日の光を温かさを感じ、ゆっくりと体を起こす。 何の統一感もなく煩雑に置かれた家具や装飾品たちを蹴飛ばしながら、私は服を着替え、出かける準備をする。動きを阻害しない程度の防具とポーチを身につけ、短剣を二本腰にかける。鏡に映る自分の耳と尻尾に変な癖が付いていないことを確かめ、よしと頷き、私は外に出た。 街は大いに賑わっていた。マーケットまでくるとそれは顕著で、いつもなら見かけることのない種族がそこかしこで話し込んでいる、そのほとんどが何かしらの武器を持っていて、いかにも、といった感じだ。 つい先日、この街の近郊で強力なモンスターが出現した。街の治安維持隊が様子を見に行ったようだけれど、こんな田舎街の軍隊で対処できるような規模ではなかったらしい。手も出さず早々に逃げ帰ってきた。 軍隊も対処できないモンスターなんてやばいじゃないですか、と思うかもしれないが、そんな時、決まって何処からともなくやってくる人たちがいる。何処の街にも基本的に根付かないその人たちを、私達は冒険者と呼んでいる。 掲示板には沢山の冒険者が群がっていた。とりあえず私は姿勢よくベンチに座って耳を立て、周りの声を聴いてみる。やっぱり冒険者達は皆討伐依頼を出されたモンスターについて話をしている。“有効属性は多分炎”“イベントの消化が~”“あの技は調整ミスなのでは”“回復あっと1”等々、時折よく解らないことを話してるのもいかにも冒険者らしい。 「一人ですか?」 声をかけられそちらを向くと、大きな剣を背負った戦士然とした男が一人。その後ろには彼のパーティらしき冒険者が何人か。私はできるだけ可愛く見えるようにっこりと笑って「はい」と答えた。 すると彼は少し驚いたように仰け反った。「あー、えーっと」急に言葉の滑りが悪くなる戦士さん。ウブである。 「かーわいいねえ。何処住みぃ?」後ろにいた金髪の男が冗談っぽく私に話しかけてくる。 「もちろん『ここ』ですよ」 そう答えると声を出して笑っていた。冒険者向けジョークが受けて何よりである。 わざとらしく咳払いをした後、戦士さんが続ける。 「盾かアタッカーあと1人募集なんですが、ご一緒にどうですか?」 「アタッカーで良ければ、お願いします」 即答する。盾役もできなくはないのだけれど痛い思いはなるべくならしたくない。 戦士さんは頷いて、なにやら空中で手を動かす。いつも思うが、何をしているのかは全く分からない。 「えーっと、ミャハさん?でいいのかな」 そして自己紹介をしてもいないのに名前を大体把握されている。顔にでも書いてあるのが見えたりするのだろうか。 「マイアです。よろしくお願いします」
冒険者はとにかく話が早く、行動が早い。一刻を待たず、私達はモンスター被害のあった場所へと向かった。 私達のパーティは前衛盾が2人、遊撃手2人(私はココ)、回復サポート1人、火力特化魔法使い1人の6人編成だ。パーティとして非常にバランスがいいし、私以外は気の知れた友達のようだった。かなり当たりと言っていい。 古代の遺跡と繁茂する自然が一体化した道を歩いていると、早速それらしきモンスターと遭遇した。カチカチと威嚇音を立てるそれは、言うなれば馬鹿でかい肉食コオロギと言ったところか。手配書で解ってはいたけど中々鳥肌ものの見た目だ。それが一匹2匹ではなく、波のように押し寄せてくる。 「気持ちわる!!!」 パーティメンバーの魔法使いさんがそう言いながら、炎の魔法で焼き払う。見た目は非常に可愛らしいが、その威力はハンパなものではない。ついでに言えば声は間違いなく男だ。冒険者ではよくあることである。 「いいぞ!その調子で数を減らしてくれ!」 何匹のも虫にたかられそうになりながら、戦士さんが指示を出す。それを見て、私は目の前にいた虫の足を両手の短剣で素早く切り落として行動不能にした後、すぐさまそちらへ飛んだ。戦士さんに気を取られていた虫たちを後ろから滅多刺しにする。 「援護します!しました!」 「強すぎない!?全部クリティカル出てなかった!?」 言葉の意味は良く解らないが、褒め言葉だろう。笑顔を返し、次の獲物へ向かう。 私達の戦いは磐石の構えで、次から次へと沸いてくるモンスターを肩端から殲滅していった。モンスターの勢いは次第に弱まり、暫くして辺りはモンスターの死骸のみとなった。とりあえずの勝利である。冒険者達はいそいそと死骸を漁り始めたので私もそれに習う。 今回冒険者達の目的はこの昆虫モンスターの牙だ。ギルドでそれを討伐章に変えてもらうことができ、その討伐章の数に応じて何か褒章がもらえる、というか��じらしい。まあこれは、冒険者にしか関係のない話なので、私が集めたところで何の意味もない。だから私はフリだけだ。そもそも私のカバンはそんなに大きくない。あんな大きさの牙、今入ってる中身を全部捨てても3本くらいしか入らないだろう。でも冒険者の皆さんは、私とさほど変わらない大きさのカバンの中に2、30個は詰め込み続けている。意味が解らない。
0 notes
Text
ガチャの「富岳」ライト



8月30日、ららぽーと磐田の2階のgashacocoでゲットした「富岳」ライト。
0 notes
Photo

ららぽーと磐田でジュビロ磐田J1昇格・J2優勝を祝う展示がされていました。 #ジュビロ磐田 #ジュビロ #jubilo #ららぽーと磐田 #待っていたぜこの瞬間さあ行こうJ1 #ずっと信じてる俺たちの磐田 #勝利目指して戦え磐田 #我らと共に勝利を目指せ俺たちの誇り磐田 #uniteforw1n #俺たちJ2カンピオーネ #目指すはJリーグカンピオーネ #寄せ書き (ららぽーと磐田) https://www.instagram.com/p/CXYjXefvdCr/?utm_medium=tumblr
#ジュビロ磐田#ジュビロ#jubilo#ららぽーと磐田#待っていたぜこの瞬間さあ行こうj1#ずっと信じてる俺たちの磐田#勝利目指して戦え磐田#我らと共に勝利を目指せ俺たちの誇り磐田#uniteforw1n#俺たちj2カンピオーネ#目指すはjリーグカンピオーネ#寄せ書き
0 notes
Photo

ごちそうちゃんぽん 野菜一日盛り #ちゃんぽん亭ららぽーと磐田店 #フードコート #ららぽーと磐田 #ちゃんぽん亭 #ちゃんぽん亭総本家 #近江ちゃんぽん #彦根ちゃんぽん #近江ちゃんぽん野菜一日盛り #ごちそうちゃんぽん #野菜大盛り #麺 #ラーメン #らーめん #ラーメン部 #ラーメン好き #ラーメン好きと繋がりたい #ramen #noodle #noodles #noodlelover #japan #ThankGodItsRamen #LocalGuides #ラーメンインスタグラマー #麺スタグラム #instanoodle #instanoodles #foodstagram (ちゃんぽん亭総本家 ららぽーと磐田店) https://www.instagram.com/p/CMv9Ae7ALxo/?igshid=10h4hw72xph9a
#ちゃんぽん亭ららぽーと磐田店#フードコート#ららぽーと磐田#ちゃんぽん亭#ちゃんぽん亭総本家#近江ちゃんぽん#彦根ちゃんぽん#近江ちゃんぽん野菜一日盛り#ごちそうちゃんぽん#野菜大盛り#麺#ラーメン#らーめん#ラーメン部#ラーメン好き#ラーメン好きと繋がりたい#ramen#noodle#noodles#noodlelover#japan#thankgoditsramen#localguides#ラーメンインスタグラマー#麺スタグラム#instanoodle#instanoodles#foodstagram
0 notes
Photo

実写版ライオンキング見てきました(*´∀`*) . めちゃエかったよ(*´ω`*) . #映画 #ライオンキング #ライオンキング実写版 #実写版ライオンキング #ハクナマタタ #meensnoworries #ディズニー #静岡 #袋井 #ららぽーと磐田 #トーホーシネマズ #tohocinemas #映画デート #旅の途中 #旅の記録 #旅日記 (TOHOシネマズ ららぽーと磐田) https://www.instagram.com/p/B1JV729gb5c/?igshid=e0rrf4row7we
#映画#ライオンキング#ライオンキング実写版#実写版ライオンキング#ハクナマタタ#meensnoworries#ディズニー#静岡#袋井#ららぽーと磐田#トーホーシネマズ#tohocinemas#映画デート#旅の途中#旅の記録#旅日記
0 notes
Text
追加上映劇場決定!!
この度、以下の劇場で追加上映が決定いたしました! TOHOシネマズ仙台 TOHOシネマズ秋田 TOHOシネマズ上大岡 TOHOシネマズ小田原 TOHOシネマズ海老名 TOHOシネマズららぽーと船橋 TOHOシネマズ市原 TOHOシネマズ八千代緑ヶ丘 ユナイテッド・シネマ入間 ユナイテッド・シネマわかば TOHOシネマズららぽーと富士見 TOHOシネマズ水戸内原 ユナイテッド・シネマ前橋 松本シネマライツ TOHOシネマズ甲府 TOHOシネマズららぽーと磐田 シネプラザサントムーンシネマ TOHOシネマズ木曽川 TOHOシネマズ東浦 TOHOシネマズモレラ岐阜 109シネマズ明和 ユナイテッド・シネマ大津 ジストシネマ和歌山 MOVIX日吉津 MOVIX周南 TOHOシネマズ新居浜 TOHOシネマズ高知 ユナイテッド・シネマなかま16 TOHOシネマズ福津 TOHOシネマズ長崎 各劇場の公開日に関しましては、公式サイト劇場情報にてご確認ください!
5 notes
·
View notes
Text


3月18日、 ららぽーと磐田に行き、フードコートで食べたがブリチキンの絶品親子丼と鶏白湯ラーメンのセットと金賞受賞唐揚げ。
0 notes
Text
草彅剛主演×内田英治監督 『ミッドナイトスワン』 9月10日(木)「ひと足お先に見せます上映」決定!(TOHOシネマズ64館) 当日限定来場者プレゼントも!

草彅剛主演、内田英治監督オリジナル映画『ミッドナイトスワン』が、9月25日の公開に先駆け、TOHOシネマズ全国64館にて9月10日(木)18:00~で「ひと足お先に見せます上映」を実施する。「脚本を読んだ時から自然と涙がこぼれた」という主演・草彅の言葉通り、すでに本作を鑑賞した関係者やマスコミ・著名人からは、「一番好きな映画になった」「涙と感動が止まらない」「こんなに温かい気持ちになるなんて」「正真正銘のラブストーリー」など、絶賛の嵐。上映会当日の来場者には、この日限定配布の「ミッドナイトスワン」オリジナルうちわがプレゼントされる。―――――――――――――――――――――――――――――――――――
■チケット販売開始日
9月6日(日)よりチケット販売開始
劇場窓口販売 【劇場オープンにあわせて】
WEB 販売 【9月6日(日)0:00〜=(9月5日(土)24:00〜)】
※劇場様のシステムにて販売
※鑑賞料金:通常料金(ムビチケ使用可、無料鑑賞は不可)
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
下記、9月10日(木)の「一足お先に見せます! 上映」を実施する劇場一覧となります。
■ 実施劇場(計 64 館)
日比谷/ 日本橋 /上野/池袋/新宿/渋谷/ 六本木ヒルズ /立川立飛/ 西新井/南大沢/府中/おいらせ下田/秋田/仙台/甲府/上田/ひたちなか/水戸内原/宇都宮/ららぽーと富士見/ららぽーと船橋/市川コルトンプラザ/八千代緑が丘/流山おおたかの森/柏/市原/海老名/小田原 /ららぽーと横浜/上大岡/川崎/浜松/サンストリート浜北/ららぽーと磐田/名古屋ベイシティ/赤池/東浦/木曽川/津島/高岡/ファボーレ富山/岐阜/モレラ岐阜/ 二条/梅田/なんば/泉北/鳳/くずはモール/伊丹/西宮OS/橿原/岡南/緑井/高知/新居浜/福津/直方/長崎/光の森/熊本サクラマチ/アミュプラザおおいた/与次郎/錦糸町
9月25日(金)TOHOシネマズ 日比谷他全国ロードショー
10 notes
·
View notes
Text

8月16日、ららぽーと磐田のとんかつ新宿さぼてんで昼食に食べた “寿”盛り合わせ御膳。
0 notes
Text
youtube
11月22日、ららぽーと磐田の西で正午に撮った静岡県磐田市防災行政無線チャイムの磐田市歌「ふるさと いわた」。
1 note
·
View note
Link
第二次世界大戦で奇跡の生還を遂げ「戦艦大和の語り部」として講演活動などをしてきた八杉康夫氏が1月11日広島県福山市内で死去した。92歳。誤嚥性肺炎だった。
著書『戦艦大和最後の乗組員の遺言』(2005年 ワック)は筆者の手になる聞き書きである。その生涯と言葉を振り返りたい。
八杉氏は福山市の豆腐店に生まれた。1943年、「街を颯爽と歩く水兵さんにあこがれて」15歳で海軍に志願。秀才の集まる横須賀砲術学校を2番で卒業。17歳で憧れの大和乗務員に抜擢された。
担当は艦橋最上部での敵機の偵察。「司令官ら偉い人たちの居る場で狭い階段で最敬礼の連続でした」。
敗色濃厚となった1945年4月7日、「天一号作戦」と呼ばれる沖縄海上特攻に呉港から出撃する。「温存されていた大和を使わないまま敗戦になれば国民の批判を受けることを軍部は恐れたのです。燃料は片道分と言われましたがそれは嘘で、十分に積んでいたはずです」
乗り込む前夜、母まきゑさんと呉市の旅館で食事をし、当日は港近くまで送られた。「『長い間ありがとうございました』と敬礼し踵を返すと『あんた、元気でな』と言われましたが振り返りませんでした。これで会えないと覚悟していました」。
壮絶な少尉の割腹自殺と救助を拒否した高射長
隠密行動のはずだったが米偵察機マーチンがさっと上空をかすめた。「すぐに察知されていたんですね」。いよいよ、敵機は近い。
「艦橋最上部で5メートルもあるニコン自慢の測距儀のレンズを覗くと米機の編隊で真っ黒だった。自慢の45センチ(内径)の主砲を撃つタイミングを今か今かと測っていると編隊はさっと雲上に消えたのです。真上から攻撃された大和は高射砲で応じましたが300機以上の米機はまるで雲霞(ウンカ)の大群。魚雷、250キロ爆弾などが��々と命中し為すすべもありません。大和は結局、主砲は一発も撃てませんでした」。当時、日本のレーダーはお粗末で基本は目視だが、運悪くこの日は空一面に雲が広がっていた。
ちぎれた手足や首が転がり甲板は血の海。地獄絵図の中、八杉少年は衝撃的な光景を目の当たりにする。可愛がってくれた保本政一少尉が傾く甲板で軍服をはだけ、持っていた短刀で割腹自殺したのだ。「血がホースの水のように吹き出し、少尉は倒れました。私は震えて立ち尽くしました。前夜、褌をアイロンして届けると『ありがとう、明日は頑張れよ』と言われました。彼が秘密の上陸を母に密かに知らせてくれたから母に会えたのです」
八杉少年は横転した大和の艦橋が海面に接する直前に海に飛び込むが大和が沈没し大渦に巻き込まれる。「洗濯機に放り込まれたように水中をぐるぐる回り、人にバンバン当たりました。息ができず苦しくてもう駄目だと思った時、水中がバアーッと黄色く光ったのです」。弾薬庫に引火した大和が水中で大爆発した。その勢いで運よくぽっかりと水面に浮かんだ。
空を見上げるとアルミ箔のようにきらきらと光っていた。「きれいだなと思っていたらそれが落ちてきました。砕け散った大和の鉄片だったのです。近くで漂っていた人は頭を真っ二つに裂かれました」。重油の海で力尽きた仲間が次々と沈んでいった。
沈みかけて思わず「助けてー」と叫ぶと偶然近くを漂っていた川崎(勝己)高射長が「そうれ」と丸太を渡してくれた。「自慢の髭は油まみれでオットセイのようでした。『お前は若いのだから頑張って生きろ』と大和が沈んだ方向へ泳いで消えました。私は高射長、高射長と叫び続けました、川崎さんは救助を拒み、大和が沈められた責任をお取りになったのです」。
4時間の漂流の末、八杉少年は駆逐艦、「雪風」に救助された。「赤玉ポートワインを飲まされ重油をゲーゲーと吐きました。引き揚げてくれた若い男は『お前、よかったなあ』と泣きながら私の顔を叩いていました」
雪風が到着した佐世保は一面、桜満開の快晴だった。「『畜生、これが昨日だったら』と全員が男泣きしました」。40キロ以上飛翔する主砲弾が編隊の中で炸裂すれば米軍機10機くらいは一度に落とせたはずだった。
広島では自爆攻撃訓練
大和の沈没は国家機密。生還者は佐世保にしばらく幽閉された。そして広島へ戻り、母にも再会できたが山中で米軍撃退の「肉薄攻撃」と呼ばれる「自爆攻撃」の訓練に明け暮れた。「棒の先の爆弾を戦車に踏ませるんです。部下は銃の扱いも知らない頼りない兵隊ばかりでした」。
ある朝、空が光ったかと思うとものすごい風が吹いてきた。原爆だった。すぐに広島市内の現地調査を命じられた。水を求める少年に「後でやるからな」と去った。「水を与えるな」が命令だった。「人生、あれだけは心残りです」。
音楽の才能の豊かだった八杉氏は戦後、NHKラジオの『のど自慢』のアコーディオン伴奏なども担当した。神戸で修業し、ピアノの調律師として生きたが、被ばくが原因で階段も上がれないような疲労に襲われることもあった。結婚もしたがすぐに離婚された。ヤマハの技師長にまで出世したが、退社後は楽器工房を営んだ。
みつかった戦艦大和
1980年代に「大和探し」が始まった。調査三回目の1982年5月、指南役になり鹿児島県坊ノ岬沖に沈む大和をNHKスタッフらと探し当てた。戦後長く沈没位置は徳之島沖とされていた。「大和はそこまで到達しないうちに沈んだ。おかしい、という説はありましたが、毎年、徳之島で慰霊祭をやってきた地元出身の有力代議士の力でそのままになっていたんです」。
「潜水カメラの影響でしゃれこうべ(頭蓋骨)が浮かび上がって一回転し、スーッと沈んでいった時は船上の全員が涙を流しました。実は自衛隊の対潜哨戒機が上空から場所を教えてくれたんです」。その後、日本船舶振興会の笹川良一氏などが大和を引き揚げようという計画を立ち上げたが八杉氏は「仲間はあそこで静かに眠らせたい」と反対した。
名作『戦艦大和ノ最期』の嘘を著者に認めさせる
朗らかな人柄だが事実には厳しかった。名著とされた吉田満の『戦艦大和ノ最期』には救助艇の「初霜」について海面から兵隊が這い上がると艇が沈むため、「ここに総指揮および乗り組み下士官、用意の日本刀の鞘を払い、犇(ひし)めく腕を手首よりバッサバッサと斬り捨て、または足蹴にかけて突き落す」とある。
だが八杉氏は「初霜は内火艇と言って羅針盤の磁気に影響するため乗る時は軍刀を持ち込めない。そもそもそんなことする必要もない。艇にはロープが多く積まれ、引き揚げなくてもロープにつかまらせて引っ張ればいい。それにそんな事実があれば幽閉されていた佐世保では『ひどい奴だ』とその話題で持ちきりになったはず。そんな話題は全くなかった」。
筆者は子供の頃、『戦艦大和ノ最期』を読み、這い上がる兵隊の手首を斬り落としたという場面は衝撃的で鮮明に覚えている。八杉氏に会ってそれが嘘と知り、少しほっとしたが迷惑千万だったのは書かれた当人だ。実名は出していないが旧海軍関係者にはすぐに誰かわかる。兵隊の腕を切り蹴り落としたとされた初霜の総指揮は松井一彦中尉。戦後、東京で弁護士をしている松井氏に筆者も会い取材したこともある。松井氏は訴訟も検討したそうだが吉田氏は五十代で早逝した。
作品では大和艦上で兵隊たちが議論していた時、臼淵磐大尉が「進歩のない者は決して勝たない。負けて目覚めることが最上の道だ。日本は進歩ということを軽んじすぎた。(中略)敗れて目覚める、それ以外にどうして日本が救われるか。(中略)俺たちはその先導になるのだ。日本の新生に先駆けて散る。まさに本望じゃないか」と演説している。この「名言」に八杉氏は鋭く疑問を呈した。「戦後民主主義教育を受けなくてはあり得ない。あの時は全員が『見ておれ、アメ公め』と燃えていたんです。敗れた自分たちが愚かだった、反省して国を再建しよう、なんて発想が出るはずもない」と。
吉田満氏は東京帝大出身。大和には電測士として乗り込み、九死に一生を得た。「頭のいい吉田さんは鬼畜米英から戦後民主主義にさっと切り替えて、あたかも大和の乗組員が話したかのようにしたのでしょう」。八杉氏が吉田氏に会って問い糺すと相手はフィクションと認めた。「フィクションならどうして実名で書くんですか」と畳み掛けると黙ってしまったという。『戦艦大和ノ最期』は三島由紀夫、河上徹太郎、小林秀雄ら当代一流の文壇人が「ノンフィクションの最高傑作」とこぞって絶賛した。若い吉田氏は「あれは作り事でした」とは言えなかったのだろう。だが名作の影響は大きい。「徳之島」も吉田氏の著作が根拠だった。
八杉氏は後年、『男たちの大和』の作家辺見じゅんにも「それは嘘です。そうお書きになるなら小説になさい」などと厳しく指摘した。
2005年に『男たちの大和』が角川映画になった際は、反町隆史ら出演俳優らに、高射砲の撃ち方などを実技指導した。その時は「娯楽映画だから主砲をぶっ放したのは仕方がないかな』と笑っていた。
感動的な講演を続け、川崎高射長の場面では必ずしゃくりあげた。一年半前、久しぶりに福山市内の施設で会った時は認知症も進み、いつも「粟野先生」と呼んでくれていたダンディな八杉氏が筆者が誰か判別も付かずショックを受けた。
「敗戦の象徴」の生き証人はいつもこう訴えた。「平和は向こうから歩いてはこない。自ら掴み取るのです」。
粟野仁雄(あわの・まさお) ジャーナリスト。1956年、兵庫県生まれ。大阪大学文学部を卒業。2001年まで共同通信記者。著書に「サハリンに残されて」「警察の犯罪」「検察に、殺される」「ルポ 原発難民」など。
週刊新潮WEB取材班編集
24 notes
·
View notes