#サンディエゴ暮らし
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taquaone · 1 year ago
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【翻訳】This is Peter Hewitt!
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今回はThrasher2024年4月号に掲載された「This is Peter Hewitt!」の翻訳です。この記事はいわゆるQ&A形式のインタビューではなく、テキストだけ読むとPeter Hewittの独白のようになっています。翻訳だけを載せても何について話しているのか分かりづらいのでは?という理由から各節に番号・タイトルをつけてあります。画像は内容に関連するものを選んだつもりです。楽しんでいただければ幸いです。 ―TQ
1. My First Board
初めてのスケートボードをゲットしたのは6歳ぐらいの時で2年ぐらいは膝を使って乗ってた。いつも顎にかさぶたをつくってたから、母さんが「なんでいつも顎にかさぶたがあるの?乗り方、間違ってるよ」ってデッキを持って道路をカービングしたんだ。「うわあ!ああやって乗るものだったんだ」って思った。少しずつ立って乗ることも覚えていったけど、膝を使って乗る方が全然うまく滑れた。歩道に乗り上げたりできたしね。最初のうちはほとんど移動手段として使ってたよ。バックパックにGIジョー人形をいっぱいに詰めて町の反対側に住む友達に会いに行ってたんだ。
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オレらは峡谷で戦争ごっこしたり、木材を工事現場から盗んでた。その木材を引きずれるところまで引きずっていって、「もうここでいいだろ。もう無理だよ」って場所にランプを建てた。ドライブウェイに兄弟で作ったランプがあったんだけど、そこがランプなんかを持ってる人たちに出会う場所になった。オレは他の子たちよりちょっとイカれてたんじゃないかな、喜んで痛い目をみようとするみたいなところがあったね。
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母さんはオレたちを週末にDel Mar(Del Mar Skate Ranch ※カルフォルニア州デルマーにあったスケートパーク)に連れてってくれた。はじめて胸を打って息ができなくなったのは、60~90㎝ぐらいのマジで狭いプラットフォームに立ってた時。Neil Blenderがいろんなインバートをやってて彼は口笛を吹いてたんだ―インバートでストールするたびに曲でも吹くみたいに。たぶん彼の足が当たったんだと思うんだけど、バランス失っちゃって後ろ向きに倒れこんで背中で着地して息ができなくなった。なにが起こったのか分からなかったよ、今までそんな目にあったことなかったからね!それから這い出していってわけのわからない状況のなかで呼吸を整えなきゃならなかった。Del Marの一番のショーはKeyhole Poolだったんだけど、オレらみたいなキッズはそこでセッションするなんてできなかったから他のセクションで滑ってた。Chris Millerが現れてパーク全体を滑ってた���を覚えてる。これこそ見たいものだった。この人たちは後ろにあるボウルをどうやって滑るんだろう?オレらがいつも滑ってるボウルは?ってね。あれはクールな見ものだったな。
2. Z to Team Hosoi
始めて袋叩きにあったのはFred Olande(※元Z Products・New Deal Skateboardsのライダー)が持ってたランプでのこと―目の周りにアザをつけて帰ったよ。そこはJay AdamsとGeorge Wilsonに出会った場所でもあるんだけど、オレたちはそれがJay Adamsだって分からなかったから「ジッパーヘッド」って呼んでた。理由は彼の頭にはジッパーのタトゥーがあったから。彼らは一度もパッドをつけなかったし、Jayはいつもかわいいコを連れてた。そんな流れでZ Products―オレの最初のスポンサーがついたんだ。特に問題なくZ-Roller(※ハンガー部分が回転する仕様のトラック)でも滑ってたよ、見た目も好きだったし、ロゴも好きだった。ライダーにはButch Sterbinsがいたな。タフなファッキン・チームだったよ。Hosoi(Skateboards)がスポンサーになりたての頃、Fredに言われたことを覚えてる。「ただZを抜けるってわけにはいかないぜ、注目されないとダメだぞ!」ってね。
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Linda Vista Boys Club(※サンディエゴにあったスケートパーク)から本当にいろんなことが繋がっていったんだ。近所の住人はラフだった。有料のパークで、ほとんどのローカル・キッズたちはそれが支払えないって環境だから緊張があった。オレたちは彼らのテリトリーにいるわけだから。スケートしてるとキッズたちが駐車場で車に侵入してるのが目に入るんだ。あそこは無法地帯だったね。オレたちは好き放題やってたよ。幸いなことに、ルールを教えてくれる年上の大人が何人かいたんだ。「同じ場所から2回ドロップインするな」みたいなこと言ってくれるGraham Stanners(※初期Foundationのライダー?)がオレたちの中で一番のインフルエンサーだったな。彼はどうやってそのランプをカービングするかとかを教えてくれたんだ。16歳の時、あの場所でHosoiのハンマーヘッドに乗ってマックツイストを覚えた。習得には一ヶ月かかったよ。そこでは別のルールもあって、「同じトリックを繰り返してセッションを妨害してはならない。自分のランの最後にトライするか、セッションの最後ですること」。それが決まりだった。同じトリックを何度も何度も続けてセッションを台無しにしたくないよね。その後すぐローカル・キッズがあるランプを全焼させて、そこは閉鎖になっちゃたんだ。
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Grahamは、オレたちをはじめての冒険に連れて行ってくれた。オレ、Matt MoffettとSteve Bailyを連れて、(オレたちにとって)はじめてのヨーロッパをスコットランド人たちと一緒に回ったんだ。はじめてMarseilles(※マルセイユ。フランスの港町)をスケートしたんだ-当時はグラフィティなんて全然なくて真新しかったよ。Grand-Bornad(ル・グラン=ボルナン。フランス東部)では、はじめてのプロ・コンテストに出場したし、大勢の酔っぱらった小さなキッズが町のあちこちで暴動を起こしてるのも見た。あれはヤバかった。
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3. Back to San Diego
ヨーロッパから戻って「よし、オレはプロ・コンテストに出てたんだからプロになったんだぞ」みたいな感じでいた。Santa Cruzからデッキももらってた。同時に両方の膝の手術も受けなくちゃいけなかった。オレの膝はその頃すでに壊れてたんだよ。両ひざを一緒にやっちゃってて、Santa Cruzからは、なんていうか「お別れのギフト」みたいにファミコンが送られてきたんだ。後から思えば「お別れのギフト」だったんだよ。「ほら、これがお前のファミコンな」って感じで送ってきた。彼らがオレを追い出すことはなかったよ―必然的に俺から電話しなくなっただけ。医者は半月板を縫合したんだけど、治療が終わったらまたすぐにスケートして、また両方ダメにしちまった。一年以上もスケートから離れることになったんだ。
もっと上手くなろうって決意してて、それがオレを前に進ませていたんだと思う。よく怪我してたけど、いつもすぐに「まあ、そういうもんだ」みたいに考えてた。でもそれから「治療モード」に頭を切り替えて、単純に完治させるぞって決意したんだ。そのほとんどは「信じる」ってことだと思う―自分が「治るんだ」って信じることが一番大きい意味を持つんだ。「もう、おしまいかな」って感じた時もあったけど、「じゃあ、違うことするか」って気持ちになったことないな。一度もスケートをやめたいって思ったことはないんだ。
何年か山で仕事をして、San Diegoに戻った。オレたちには暮らしていけるだけのかなり多くのルームメイトがいたんだ。オレにとっての「大学時代」。Eddy Alioto、Sam Hitz、Darren Nvarrette、Al Partanen、それにオレらの友だちSlayarで一軒家を持ってたからね。3年間そこに住んで20人ぐらいのファッキン・ルームメイトと暮らした。そこではクレージーなパーティーをしてたよ―単純に野蛮な破壊行為。25歳の誕生日にNihilist(デスメタルバンド)が祝ってくれたけど、その頃の彼らはコナン・ザ・バーバリアン(映画)みたいな髪型をしたSlayerを演奏するまだ小さなキッズだった。あれはすごかったな。
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4. The First Backyard Pool/Antihero/Red
最初に行ったバックヤード・プールの一つがNude Bowl。オレらが小さかった頃にオレ、Matt、Baileyでそこに連れて行ってもらって夜通しスケートしたんだ。のちにPrestonやRhinoそして彼らの仲間のプール・スケーターたちと出会うことになった。それまでそんな全く別のシーンがあるなんて考えもしなかった。彼らは物凄くたくさんのSan Diegoにあるプールを知ってたよ!衛星電話みたいのができる以前から路地裏を回ってプールを探してたんだ。オレらの可能性をかなり広げてくれるできごとだったよ。
Antiheroで滑る発端ができたのは99年で、最初に開かれたMarseille(※マルセイユ・フランス)でのコンテストだったと思う。John(ジョン・カーディエル)と Julien(ジュリアン・ストレンジャー)と一緒に滞在してて「お前をチームに加えたいけど、それには少し時間が必要なんだ」って言われたから「わかった」って返事したんだ。それからただ待ってたよ。最初に(商品が入った)ボックスが届いたのは2001年、Rabbi、Shaggyと一緒にSeattle(シアトル・アメリカ)に住んでいた時。それまでスケートボード会社にスポンサーされたのは、なんていうか短期間だった。その時は、まさか終の棲家になるとは思わなかったよ。20数年経った今でもまだ一緒に続けてるんだ。なかなかスゴいよね。
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長い間、コンクリートのスポットって聞いたことはあるけど実際にはもう滑れるものじゃなかったんだ。クラストがいる場所もあったからね。Jakeはどこへ行けば見つけられるか知っていた。彼はオレたちのツアー・ガイドだったね。その後MonkとRedがそれぞれGrindline、Dreamlandでコンクリート・パークを建設していって、オレたちのロードに出る言い訳のほとんどはRedが建設中のパークを見に行くことだった。何年か、いやもっと多くの年月だな、そんなことを続けていたんだ。Redと彼の仲間たちの背中を追いかけてね。Redの作ったパークに到着する、そこを滑る、それから彼の仕事が終わるのを待つ。そうすれば彼の動きが見れるからね。それ皆で「おお、この場所はあんな風に滑ればいいんだ」ってなるんだ。
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5. The Loop
あのループはTony Hawkが闘牛場に建てたランプで経験済みだったけど、Tampa(※スケートパーク)のイベントではギャラが支払われることになってたんだ。「マジか。どう滑ればいいか知ってるぞ」って思った。前夜にオールナイトでファッキンJake Brownとパーティーしてたんだ。オレは2回ぐらいでやめたけどJakeはまだ滑り続けてた。オレが見た時はまだパーティー・モードで攻め続けてたよ。たしか3回目のトライの後、「よし、じゃあスウィッチでトライしてみてもいいかもな」ってなった。で、あの古典的なパンプをしちまった―それは一番やっちゃダメなやつなんだけど。パンプして頂点で撃ち落とされて頭のどこかを打ち付けたんだと思う。担架の上で目が覚めて救急車に詰め込まれた。救急車で出発を待ってたら、「待て!もう一人いるぞ!」ってなったんだ。で、運ばれてきたのはBrian Schaeferだった。彼は「ヘイ、頭のストラップを緩めてくれないか?」って繰り返し尋ねてたよ。オレは「ヘイ、Brian。リラックスしなよ」って感じだった。それからオレたちは病院に担ぎ込まれたんだ。
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6. Jake and P-Stone
一日を始めるにはJakeとP-Stoneは最高の人たちだよ。二人とも、自分たちがどこにいるかの知識を持っていたんだ。どこに行ってもその地域の豆知識と実際の状況を知ってた。オレたちがイタリアのコンテストに顔を出した時なんだけど、P-Stoneは到着するなりたくさんのビールを砂の中に埋めさせたんだ。「オレらは一体なにやってんだ?」って思った。それから一日が終わって、楽しかったし、あれやこれやしてたらビールが切れちゃった。砂にビールを埋めまくったことなんて皆忘れてたよ―P-Stone以外はね。彼はそれを掘り出しに行って、持ち帰ったビールはキンキンに冷えてた。砂って天然アイスボックスみたいなもんなんだ。準備、P-Stoneは常に準備を怠らなかったね。
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Baileyが日本行きのミッションをまとめたんだ。あいつは北海道の「温度計(※温度計のような形状をしたセクション)」についての情報を持ってた。そこに行って「温度計」をスケートする、それがオレたちのメインの目的。その他すべては特典だった。Jakeはこの旅行にものすごく興奮してたね。この旅行はBailey、Luke、Diego、それにオレとJakeっていう構成で、この後たしか取り上げられたんだけどThrasher名義のクレジットカードを持ってた。かなり贅沢に過ごしてたよ。すごく良いホテルに泊まってた。ペントハウスのバーに行って飲んだりしたけど、Jakeは「なあ、あそこにサングラスしてるやつらがいるだろ?あれヤクザだぜ」なんて感じだったよ。
7. Washington Street
オレ��Washington Street(※DIYスケートパーク)が、あの場所にどうして存在できてるのかさえ理解できてないよ。どうしてオレたちのプライベート・パークになったのかも分かってないし、保険についても完全に謎だし、どうやって未だに成り立ってるのか分かってないんだ。Chris Copeがあのパークで一番ヤバいスケーターなのは間違いない。あそこで滑ってる奴らの中じゃ、オレのリストではトップにいる。彼は隅々まであのパークを知り抜いてるんだ。さらに情熱を持って愛していて―オレは全部変えてしまいたいあのパークの何ひとつ変えたくないんだ。それも彼を大好きな理由だね。だけど、DIYスケートパークが年月を経たら変化が必要だし、進化していかなきゃいけないし、そうなるんだ。物事は変わっていくし、ただそれには時間がかかるんだ。
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8. The Balance
オレがNikeから追い出されたのは家のローンの書類にサインした直後。ヘコんだよ、短い間だけどね。なぜって、「バランス」が機能したんだって知ってたからね。そこにはなにかバランスを保つ必要があったってこと。ギブ・アンド・テイクっていう均衡がとれた状態に戻っていくんだ。「うまくいかなかった。てことは、ある程度バランスを取らなきゃいけなかったんだな」ってオレは考える。物事はそういう見方をするべきだと思うな。オレはそういう風にしか見れないし、それ以外は単純にエネルギーの浪費だね。
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9. Bucky's Bowl
Bucky(バッキ―・ラセック)のボウルがあった頃、滑りたいと思うのはあの場所だけだったよ。Buckyのボウル最高、以上。あそこはマジでお気に入りの場所だ���た。最高の2つの世界があった―「でかいトランジションと、どでかいボウル」というね。Darren(ダレン・ナヴァレッテ)とオレはすぐに、毎回あの場所を掃いておく必要があるって気づいた。目では見えないものがボウルの底に落ちてるんだ。あらゆる動物やらモノを引っ張り上げたよ。オレたちの間では「鷹が獲物の息の根を止めるために一度落下させて、それから急降下してそれを持ち去ってる」って説が有力だった。いつもその上空で鷹たちが急降下を繰り返していたからね。
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10. Another Bridge
亡くなった友達の全員、それぞれの形でオレに影響を与えてるよ。たとえば、Grosso(ジェフ・グロッソ)は、あるエリアの人たちとオレを繋げる橋になってた。彼がいなければ、もうその橋はない。でも時が経っていくと、他の人たちとの橋や道、違うコネクションを見つけていくもんなんだ。それと同時に、JakeとP-Stoneがいないスケート・トリップは全然違うものになったね。けど、なんて言えばいいのかな、彼らと何年も―25年以上の楽しい時間を過ごしてきたんだ!それってかなりファッキン長い年数だけど、さらに追加することもできたんだ。だから考えちゃうよね。でもまあ、不思議なことだけど、ある人たちが去って行っても―他の人たちがその代わりになるわけじゃない―たぶん、その人たちはできた溝みたいなもの埋めていくんだね。たとえばJeff(ジェフ・グロッソ)が生きてた頃、Mike Lohrman(初期Black Labelのライダー)はスケートしてなかった、だけど今オレは彼と一緒に滑ってる。それってかなりクールだよね。違う橋とまた繋がったってことだから。
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11. Skating with Neil
Neil(ニール・ブレンダー)とのスケートは、朝起きて一日を始めるのにナイスなやり方。なんでかっていうと、オレはいろいろやりたいけど良い感じのペースでやりたい。それと、Neilは朝方スケートする。だいたい9時から11時ぐらいの間、一緒に滑ってるよ。ほとんどの場合、まあ楽しもうって感じでね。カップのふたを見つけたらフリスビーみたいに投げて遊んでるみたいな、わかる?よく落ちてるものを見つけるんだ。(訳注:サン・ディエゴにある)OB(スケート・)パークは世界で最も衝突事故の起こるスケートパーク。ちなみに毎年3、4回は衝突事故が起こるね。計算してみてよ―あのパークは20年以上あるんだ。相当の数、自動車事故が起こってるってことになるよね。だから、あそこにはいつもなにか拾って投げたり遊んだりするものが転がってるんだ。
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12. Frank Gerwer
Frank(Antiheroのライダー、フランク・ガーワー)とオレは間違いなく20年以上ツアー・バンの後部座席に一緒に座ってるよ。ともかくオレたちは��互いを楽しませる必要がある。ナンセンスなくだらないことばかり言ってるね。ナンセンスであればあるほど、面白い会話になるんだ。二人でちょっとした企画をやってて、さっと描いた絵から台詞を思いつくんだ。ある時は数日間、そのキャラクターになりきってるし、それが次のトリップまで続くこともある。時にはそのキャラクターが変形していくこともある。時々、運転手の顔を見上げてるFrankの気を紛らわす必要がある。彼の目に恐怖が宿ってるのを見ることがあるからね。Cardiel(ジョン・カーディエル)が運転してる時―彼は素晴らしいドライバーだけど、たまに後ろから見てるとさ…気を紛らわしてやる必要があるんだよね。
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13. My Wife
歳は50で既婚者、家を持ってて二人にはナイスな住宅ローンがある。オレの奥さんはヨガ・インストラクターで、そのおかげで週に1回はヨガをやってる。今のところ週1ヨガ野郎だね。だけど楽しんでるよ。健康にものすごく役立ってる、うん。オレは単純にハッピーでいたいし、いまだに楽しめることを探してる。ただ楽しみを追求する、それがオレがやろうとしてきたことだよ。人生はあっという間に過ぎていくもの、だからあんまりシリアスになり過ぎない方がいいと思うよ♠
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tomoshiha · 21 days ago
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上野で見たもの覚え書き(1)
 国立西洋美術館の企画展「西洋絵画、どこから見るか?」を見てきた。スペインのサンディエゴ美術館(以下SD美)と国立西洋美術館(以下西美)の所蔵品を並列する趣向。その覚え書き。
 ルカ・シニョレッリ《聖母戴冠》(1508、SD美)。色がきれい。絵を見て絵具の色を褒めるのは野暮なようだけれども、それにしても色そのものの美しさがまず目に入る。金色のところは金色で塗っている。
 カルロ・クリヴェッリ《聖母子》(ca. 1520、SD美)。上辺左右から果物が吊り下がっている。聖母子と正対するように視点が設定されているので、吊り下げられた果物はやや見上げるような形になり、そのため下部にある萼が見えている。
 アンドレア・デル・サルト《聖母子》(ca. 1516��西美)。この人の描く人間の顔がどうも苦手で直視できない。笑っていようが聖人だろうが、心底絶望したような顔に見えて、不安になる。
 フアン・サンチェス・コターン《マルメロ、キャベツ、メロンとキュウリのある静物》(ca. 1602、SD美)。真っ暗闇を背景として、画面の三辺(左右と下)に石枠が見え、その上にメロンとキュウリが置かれている。マルメロとキャベツは麻を撚ったような紐で、画面の外から吊り下げられている。吊るされたマルメロは画面中のモチーフの中でも最も高所にあるのだが、上部にある軸が、その付け根までしっかり見えている。もっと細かく見れば、切った軸の断面が見えている。というわけで、この絵の視点がどこにあるのか、パッと見の印象ほどわかりやすくはない。石枠の奥行きを描き出す線とか、それぞれのモチーフの見え方とかから愚直に勘案するなら、上辺真ん中くらいなように思うけども、そんなとこに設定してどこにどう掛けるつもりだったのか(それこそ「どこから見」せるつもりだったのか)、よくわからない。見れば見るほど不思議な絵。
 フアン・バン・デル・アメン《果物籠と猟鳥のある静物》(ca. 1621、西美)。こちらは空白を極力埋めようとするみたいに、ちょっとした隙間にツピツピした小こいおナスとか、枝つきのプルーンとかを置いている。上からもなんやかや吊るす。背景は暗闇だが、物が多すぎてあんまり見えない。
 スルバラン《神の仔羊》(ca. 1635-40、SD美)。横たわる羊をほぼ真横からの視点で描く。背景は暗闇。タコ糸みたいな細い紐で脚が束ねられている。羊の頭上の金の輪はごく細い線で描かれていて、見る角度によってはハイライトの白色のわずかな盛り上がりが現実の光を反射して、本当に輝く。ルカ・シニョレッリは金色のものを金色で描いていた。金色のものを本当の金色で描くことと、金色ではない色で金色に見えるように描くことの間にはなにか根本的な、ものすごく大きな相違があるような気がする。
 スルバラン《洞窟で祈る聖フランチェスコ》(ca. 1658、SD美)。頭蓋骨に本を立てかけている。あんまり人の骨をそんなふうに使わないほうがいいと思う。
 ムリーリョ《改悛するマグダラのマリア》(ca. 1660-65、西美)。頭蓋骨に本を立てかけている。あんまり人の骨をそんなふうに……。
 リベーラ《哲学者クラテース》(1636、西美)。開かれた本の文字の部分を灰色の面として処理していて、大概な力技よなと思う。���こだけ見るとアルミホイルみたいで、ええんかいなと思うけども、全体で見るとちゃんと文章に見えるから、ええんか……と納得するしかない。ええんや、と押し通る度胸がある。こういう技術的な度胸が後世マネに相当な影響を及ぼしていると思う(技術そのものよりも)。
 ヤーコプ・ファン・ロイスダール《樫の森の道》(?、西美)。一番手前に、雷を受けたことがありそうな状態の木がやや逆光気味に見える(厳密にいえば画面下部左端のものが一番手前なのだが、これは根元近くで折れている)。空は曇っている。薄い雲がまんべんなくかかっているというのではなく、分厚い雲のかたまりが重なり合って、青い空を見せたり隠したりしている。陽光はほとんど遮られているのだが、雲の切れ間からところどころ差し込んでいて、その一条がちょうど、手前から数えて二番目の木を照らしている。この木の幹には樹皮が大きくめくれた部分があって、木部の肌が露わになったその部分が、光を受けている。静かで劇的なかんじがする。中景では火が熾されていて、そこから出る白い煙がほとんど真横に流れている。風が吹いている、とわかると、空の分厚い雲の塊も動いて見えてくるし、遠景に小さく見える風車の羽も回りだす。風上に向かって体をやや傾け、踏ん張りながら道を行く二人の姿もいい。
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stormfrozen · 4 months ago
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そして時代は動く
カロルディアの決定的に違った物…今からお見せします。 まずはこの生物から………。 おー。 あぁ…そんなにいっぱいいるのか? 見た事の無い生物が沢山………。
3人は、現在カロルディア特有の生物として扱われている生物達を、今まで撮ってきた写真と言う形で他の王達に見せた。
この雪女に似た生物とパティシエールの生物についてなんですが、奇しくもティターニア様と同じタイプの能力を持っている…と聞きました。特性は多分違うと思いますが。 まあ、なんと…!
興味を持ったティターニア。…なのだが、彼女はメレンジアでは無いので行く事が叶わない事もあって、今回は親友でありメレンジアのリベティーナに頼んだのであった。
このバジルの生物も、『Overglow』と同じ能力を持ってました。 えー! お友達に…なれますかね? 電気を持ってるみたいだ。 強かったのですか? あっちから向かってきたからこいつは一応俺が相手した。まあ、強かったな。 成程…。
自身が勝った事は内緒にしつつ、この生物の強さを賞賛するサンディエゴ。��して1人のとある生物を見て、グリッシーニとマリナディアは何かに気付く。
この…黒猫かな?この生物もいたのかい? あ、それはパルデアに似た八角形の場所で撮りました。本当に見かけただけなんですが、グリッシーニ様と同じ能力を使っていたそうです。近縁種なのか、それともただの別種なだけなのかは分かりませんが。 面白いですね。カロルディア…一度でも来てみたいとは思いますが、ティターニア様やフォンダンテ様が仰っていた通り私も、グリッシーニ様も行けませんので…。 マリナディア様…。
会いたいと思いつつ、それは叶わない。ましてや、彼方から来ない限りは。それでも何かヒントになればと、ジニーエイラはまた別の写真を見せた。
ね、ねえ。これ��て。この私の隣にいる人がね、イヴ達の撮ったカロルディアの生物を知ってるんだって。 な、何ですって…。 ほーう?どんな名前の人だ? 確か『アルゼリアン』って名乗ってたよ。誰か知ってる? いや…。 さあ? 誰だ…? 知らんなあ。
首を傾げる王達。しかしその後ろに、確かな確信を持つ1人の王がいた。
アルゼリアンさん…?確か、私の推測が正しければ…。 アーシアさん、何か知ってます? いや、その…あれですよ?今から話すのはあくまで私の推測なので、あまり真に受けないで聞いてもらえると助かります。 ああ。お前が…いや。親族があの俺の親族と同じ時代を共にしたと言うのなら、俺は一応信じる。
今からアーシアが話すのは嘗てあった歴史の証言。それは嘘か真か、未だ分からないその話をし始めた。
遠いヒスイの時代に、私のひいおじいちゃんが紅蓮の湿地と呼ばれた場所で暮らしてました。そこは赤い沼で泥濘んだ土地で有名で、その泥には鉄分が含まれてました。彼は、その沼地から程近い『クマの稽古場』で激しい時代を生き抜く為に…仲間達といました。その内の1人が彼の親友となったのと、小さな仲間達の為に修行を積ませて、後継を探していたのです。そうして1日を過ごして、仲間達は採れた泥炭を満月の夜に浴びたのです。彼もそうして、今の私と同じ様に進化しました。紅蓮の湿地と泥炭がある限り、一族は滅びる事はない。そう信じていました。しかし、それから数十年後に………
目を瞑ったアーシア。複雑な面持ちで彼女は話を続けた。
シンオウ神殿が爆発の影響で崩落してから数年後に、強烈で激烈な寒波がヒスイ全域に襲いかかってきました。これでは耐えられないと、仲間達は一族の存続の為にヒスイ地方を捨て、隣のアルミアへと移住したのです。生まれた子孫の為に、予め採取していた泥炭を残していたのですが、アンヘル・コーポレーションが成長を遂げた頃には既に無くなっていました…。それ以前に私の一族はプエルタウンから海を渡り、残していた泥炭を1つ持ってパルデアの方に移住しましたが、私の母親の代で使ってしまい、そして生まれた私はサンディエゴに会うまで進化を諦めていました。他の仲間も各地に行き、子孫を増やしていましたが…唯一、私のおじいちゃんの代で生まれた仲間達の子供の1人だけはアルミアから海を渡り、『キタカミの里』と呼ばれた地でひっそりと暮らしていました。彼も進化しましたが、とある事件から体に異変が起き…月が真っ赤に染まってしまったのです。キタカミの環境が齎したのか、世代の変遷でこうなったのかは分かりません。その泥炭を浴び、血にも似た赤いその姿は『赫月(あかつき)』と呼ばれ恐れられていました。 怖いなぁ…その人は未だいるの? あまりのその怖さに、キタカミの生物も恐れを成して、誰も近寄らなくなりました。ですが………。キタカミの鬼様だけは彼からは離れなかったと聞いてます。おじいちゃんから聞いた話はそこまでで、それからは私も、彼がどうなったのかまでは聞いていません。ましてや… ううん。ありがとう、アーシア。ここからは私に言わせて。
それから先が分からなくても、話を続けようとしたアーシア。しかしその口を、ジニーエイラが止めた。彼女はその後の彼の事情を話す。
その話はね、続きがあるの。キタカミの生物は確かに、彼が新たに得た知識・知能を恐れて誰も近寄らなくなった。特に夜は赤い化け物と呼ばれ、恐れられて彼が姿を見せていないにも関わらず…彼の周りにいた森は生物を見せなくなった。『奴に殺される』と、よからぬ噂も立ったと聞いている。だけど、ただ1人…アーシアが言った通り、鬼様と呼ばれたアルゼリアンさんだけは彼を恐れなかった。それはキタカミの里にいた人も、生物も、2人の事は最後まで知らないままだった。…そう…あの災害が起きてすらも。 災害…? それは確か…例の大震災かな。 俺も聞いた。俺が王になる前…割とかなり前だが、キタカミを襲った大震災で里が壊滅したって聞いている。
同じ一族をキタカミで見たサランバートと、話を聞いていたサンディエゴが知っていた震災。ジニーエイラは話を続けた。
震災が起きて、生物も人も、そして小さな町も神社すらも壊滅した。そんな中でも、愛する人を失ったアルゼリアンさんは鬼が山のてらす池で難を逃れて…彼女は人の気配すら消えたその里を彷徨ってとこしえの森に行くと、地滑りと土石流が流れて脱出が出来なくなっていた赫月の彼を連れ、アルゼリアンさんは自身の蔦を使って森を抜け…共にキタカミの里を出たんです。その後、2人は各地を旅して、世捨て人として今も何処かを旅してて…その内の1つが、私が旅していたアローラなんだけど、会ったのはアルゼリアンさんだけだったから…また会うかは分からないけど、顔くらいはせめて覚えておくと良いかも。でも彼女は、実はもう1つ秘密があるんだって。イヴ、頼んで良い?
ジニーエイラに頼まれて、アイヴァンヌはカロルディアの生物とアルゼリアンについて答えた。
ええ。���タカミの里と呼ばれる前にも彼女はカロルディアにいる特有の生物を知っている。それは何故か。そもそも、カロルディアにしかいない特有の生物自体が、キタカミの里と呼ばれる前の遠い昔…それこそヒスイと近しい頃の時代の、大自然しか存在しなかった頃にそこに生息していたから。カロルディアは星座神が創造したけど、それまでは星座神はキタカミと呼ばれる前の大自然…その神殿にいた。 星座神?何か聞いた様な… ラグナロク戦争でお世話になった神様だね。 この神界を救ってくれた存在です。 
フェリンソワとエオレンスタは、ラグナロク戦争を振り返り、改めて星座神の存在の大きさを再確認した。
大自然しかなかった頃に、そこで棲息していた生物は神殿の星座神達を祀っていた。アルゼリアンさんもその1人だった。後で私もジニィから聞いたけど、お面が無かったとは言えその頃から彼女はかなり強かった。それこそ、今でこそカロルディア特有となった生物達…その子孫からも『勝てる気がしなかった』『恐らく神様の次に強い存在』と、当時を知る先祖から聞いた話が相次いだと言う噂よ。 少し良いか、アイヴァンヌ。 はい?
アイヴァンヌの話に待ったをかけたのはモルシージャだった。
何故………『カロルディア特有』の生物になったんだ?キタカミの里にはもういないのか? …いません。実は現存するカロルディア特有の生物は、一度元いた地に災厄が起きた際に、星座神が新たに創り出したメレンジアしか行けない世界『カロルディア』を創り出して、そこに避難させたの。でも、その大半は殺伐とした大自然と共に滅んで、言わば歴史の闇に消え去った。だから、カロルディアにいる生物は災厄から逃げ延びて増えていった種族なの。大自然が災厄で消滅し、その後色んな人達がその地を切り拓いて『キタカミの里』になってからも、カロルディアから戻ってきた種族は誰もいなかった。アルゼリアンさんを除いてね。 うん、災厄から逃げたんだね。でもアルゼリアンさん?だっけ。何で生き延びたの? それはね、災厄が起きていた時期はアルゼリアンさん…海外に行ってたんだって。パルデアの地に。エリアゼロとか言う禁足地で、ジニィが見せた時を超えるパラドックスの生物が姿を見せた頃に、彼女(アルゼリアン)は滞在してたから災厄は免れたの。 そう言う事か…。 あ、あのう。キタカミになる前の地に降り掛かった災厄って何が起きたんですか?
今度はアルフェニンが質問して来た。その問いに、アイヴァンヌは淡々と答える。
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japangelito · 7 years ago
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▶️Photo(s) of 8/5/2017: Crispy Egg Rolls and Pho Dac Diet at Pho Saigon & Grill in Rancho Peñasquitos, San Diego, California. Love Pho!!! 🍜😋 ◀️▶️ Swipe right for more photos. 📸✨✨✨ ◀️▶️ Recent Activity: I stayed at the swimming pool all day. I tried “Dirty Monkey” drink. Yum yum🍹 😋 I delay my posts by 5 months. I am posting little by little. 🙏◀️▶️ Watch "Story" about my newest activitivies. 👀 👀👀◀️🔷🔶🔷🔶🔷▶️2017/8/5 の写真: お一人様でフォーが好きよ。🍜😋 カリフォルニア州サンディエゴのランチョペナスキートスにあるフォーサイゴン&グリルでクリスピーエッグロールとフォーダックビエットを注文したよ。フォー大好き!!!🍜😋 ヌードル好きはやっぱり日本人だからかもー。🍜😋 ベトナム人が多いサンディエゴのフォーは嘘つかないね。🍜🇻🇳◀️▶️ 右にスワイプして他の写真も見てね。😉👉📸◀️▶️近況: 今日はずっとプールで過ごしました。🏊‍♂️ 「ダーティーモンキー」というカクテルがあるとのことで飲んでみましたが甘くて美味しかったー。🍸😋 もう今日も終わっちゃう。明日の朝、ベガスに向けて帰ります。🇲🇽➡️✈️➡️🇺🇸 投稿ですが約5ヶ月ほど遅れておりますが徐々に載せていこうと思います。🙏◀️▶️僕の最新の近況は、「ストーリー」で見てね。#phodacbiet #pho #vietnamesenoodles #vietnamesepho #food #foodie #foodpic #foodporn #foodgram #foodgasm #foodstagram #sandiego #california #californialife #サンディエゴ #サンディエゴ生活 #サンディエゴ暮らし #南カリフォルニア #南カリフォルニア生活 #南カリフォルニア暮らし #カリフォルニア #カリフォルニア暮らし #アメリカ生活 #アメリカ暮らし #ファインダー越しの私の世界 #ファー #ベトナムのフォー #お一人様 #🍜@#🍜😋 (at Pho Saigon & Grill)
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lomophy · 5 years ago
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american football : american football(LP2)
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ライター : Ian Cohen 翻訳元 : http://pitchfork.com/reviews/albums/22526-american-football/ 翻訳者 : kei
american footballはきっとこうなることを運命付けられていたんだろう。──彼らが休止して、10年以上もの時間を経た頃にソレは来た。american football、Braid、the Promis Ring──熱意と情熱と(しばしば、あからさまの無視)を批評家から受けていたlate-'90s、Midwestern EMOは2010年あたりを境に、ようやく収穫の時を迎えた。そしてそれはアヴァンR&Bとかクールさとか、大学の中庭で景色を眺めながら涼むみたいなことにはどうにも馴染めないインディ・ロック・ファンにも好都合だった。新たな、育ちつつあったシーンとは無関係なとこから、彼らは還ってきた。数多のホープたちが自らの最高傑作をリリースする横で、2010年代にはフリークフォークもダンス・パンクも、もちろんEMOも現在のインディ・シーンの中で反響を起こすようなモノではなかったとしても。ただ、唯一にして、絶対の影響力を持つアルバムが彼らのディスコグラフィーにある。ジャズとポストロックを飲み込んで、削ぎ落とされたEMO。結成と解散を頻繁に繰り返したCapp'n Jazzのメンバーを中心としたバンドのファミリーツリー(訳注1)(Friend/Enemyとか、Owlsとか、Make Believeなんかだ)の1バンドだった彼らは、あのアルバムのみで自らを信じられないような高みへ──Hot Topicや、Warped tour(訳注2)なんかじゃない──導いてしまう正典となった。2016年の頭の頃にMike Kinsellaはamerican footballは「有名になる気も、それどころかバンドであることも」求めていなかったと言った。いま、そうじゃないと言っても首を縦に降るリスナーはいないだろう。なにより、きっと二枚目の『american football』以上に、僕らが待ち望んでいたEMOのアルバムはなかった。
Kinsellaの自身への評価のハードルは低すぎて、『american football(1st)』が生み出してきた神話をほとんど削り取ってしまう。二枚目のアルバムがリリースされたのは彼らがツアーを巡るのを楽しんで、同時に同じ曲ばかりを演奏するのに飽きたからだ。また彼はバンドの二枚目のアルバムがどれだけ望まれてきたのかも自覚している。「僕らはどこにいる?(原文 Where are we now?)」。21世紀になって初めてリリースされたamerican footballの曲で彼は問いかける。「ひとつ屋根の下で、僕らはひとりぼっち」──あぁ、そうだ、��るで二枚のアルバムカバーのようだ。今回、一つひとつのタイトルは歌詞の最初の一行からとられている。『american football(1st)』でソレは最後の一行だった。これは彼らについて話すなら大事なピースだ。
だけど、こんなどうしようもなく諦めの悪いファンがおもわずニヤついてしまうようなコミュニケーションは、一方で同じくらいのやきもきをずっと抱え続けることになる。m b v や、Wildflowerとか、Only Built 4 Cuban Linx...Pt.2(訳注3)とか、ね? 分かるだろう? 「Where Are We Now?」という一言は、フェスティバルの大観衆や数千人規模の会場に集ったファンのど真ん中へと投げ込まれた。一つの事実として、この曲のコーラスの存在がある──1stでは欠片もなかった要素だ、それはスポットライトを浴びながら、さざめくようなリードギターを相手にワルツを踊る。一言でまとめれば、後期のSunny Day Real Estateみたいなプログレッシブさだ。リード・シングルの「I've Been So Lost For So Long」にも最初のヴァースで鳴らされる4/4のドラム・キックがある。今では"the hit"と呼ばれ、ファンがキックに合わせて手拍子を入れるのがお約束になっている。Jimmy Eat Worldがかつて辿ったようなクロスオーバーの道をなぞるEMOの新星がいない中、この曲たちは問う。なぜ、僕らが僕ら(american football)のままであったらいけないんだ?
2年目を超えたリユニオン・ツアー以後のスケジュールや、ファイル共有アプリ上でのやり取りというセッションによって芽を出した彼らの2ndフルは、タイトな日程のレコーディングではあったものの、その熟練さと連続性を強く意識させる。彼らの二枚は並べてみると共に印象的だ。将来のぼんやりした不安に襲われて週末をダメにしたことだったり、Kinsellaが'16年頃からのバンドの変化は決して過去をないがしろにするようなものじゃないと明言したことを思えば、カラッと晴れ上がったようなプロダクションが『american football(1st)』の重くふさぎ込んだようなソレとの明確なコントラストを見せるのも、ジメジメとした晩夏の湿気を吹き飛ばす、秋晴れの空をわたる風のイメージに重なる。イリノイ大学の学院生だった頃よりは鋭さを増したソングライティングもその一因で、2つのギターが輪郭をなくしていくような摩擦はなくなり、「My Instincts Are the Enemy」で満員電車に押し込まれたPinback(訳注4)のように刻まれたり、どうにも薄暗いBサイドを「Disire Gets in the Way」でブン殴ったりする。つまりはそういう事だ、Kinsellaファミリーツリーの秘蔵っ子 Into It. Over It. がやらかしていることと同じ。
そして、数千人規模に膨れ上がった観客を前に用意されたものがある。力強さを増した構成、外さないサビ(Hook)、フルタイムのベーシストとして参加している(Mike Kinsellaのいとこ)Nate  Kinsellaの存在。その一方で、ここに来てamerican footballは「= Mike Kinsella」としてメディアでは扱われている。バンドのアンサンブルによって語ってみせること、もしくは「Honestry?」「Stay Home」のその先でThe World Is a Beautiful Place & I Am No Longer Afraid to DieやFoxingの鳴らしたpost-emoを吹き飛ばしてしまうようなサウンドは聞こえてこない。ポップスターのようなミックスが施されたヴォーカルもあって、Kinsellaの存在感は圧倒的で、アルバムはウソみたいにキャッチーだ。かつての線の細いギターワークとひ弱なヴォーカルの代わりにMike Kinsellaの積み重ねてきたモノが収まった、もう分かってると思うけど彼の最も長命なプロジェクト、Owenのことだ。
これは当然で、別に間違っていない。Owenのコンスタントにリリースされたアルバムはどれも良い。僕が話したいのはディスコグラフィー中9枚のアルバムに、ほんの3ヶ月前(注 2016/6/27リリース。本作は2016/10/21リリース)、american football再結成後はじめてのOwenのアルバム『The Kings of Why』があるってこと。再結成というイベントがどこまで期待を煽ったかはハッキリしないけど、フルバンドによるアレンジ、ベル、笛、トランペットを同じように演奏できるプロデューサー S.Carey(訳注5)の起用──つまりもっともamerican footballっぽいOwenのアルバム。
ずっと首を長くして『american football(1st)』と肩を並べるようなアルバムを待ってるファンには悪いが今回もそう証明するものは見当たらない。僕もOwenのアルバムの「Empty Bottle」やVolcano Choir(訳注6)っぽい「Setteled Down」が、「I Need a Drink (Or Two, or Three)」とか「Holocene」みたいな「Home Is Where the Haunt Is」とかと根っこは同じものから生まれているんじゃないかって思うのはわかる。ハッキリさせたいのは、american footballの再結成/ツアーという流れは、真っ直ぐな曲構成のアルバムとなって、彼らの独創的なミュージシャンとしての立場を脇に押しやって進んでいる。そうして限られたスペースだとしても「Give Me the Gun」ではTortoiseの盟友、ご近所さん、はたまたSteve RichtやThe Blue Nile(訳注7)の門下生としてamerican footballは帰ってきたし、「Born to Lose」や「I Need a Drink (Or Two or Three)」のフェードアウトしていく終結部はヴェールの向こう側へ引っ込んでいく感情の陰影を淡い���ッチで描きながら(「胡乱な目、なんて低俗なんだろう?」「乱痴気騒ぎから逃げられねぇ、僕は突っ伏すだけ」(訳注8) )、このレコードで最も下らない歌詞とハッキリとしたコントラストを生んでいる。
Owenでの彼がそうであるように、『american football』におけるMike Kinsellaは矛盾とすれ違いを抱え込んだ詩人だ。本人が認めるようにアルバムのマスタリング寸前まで彼は歌詞を書き直しながらレコーディングを続けた、 それが果たして良かったのか、確かめることはできない。そうして残ったフレーズは彼ららしい密やかさでマントラのように響くが(「Home Is Where the Haunt Is」)、一方で40にもなろう男がこんな歌詞を書いちゃうのかとこっちが恥ずかしくなるパートもある。つまりはBeach-Slang(訳注9)的な話なんだけど、James Alexのソロ・プロジェクトは彼の20代の思い出を今に伝えるのが目的で、じゃあKinsellaが哀しげに「ドクター、ここにいるのが痛くてたまらないんだ」とか、「淀んだ空のようにブルーな僕だ / 僕はこうやって死ぬんだ」と歌うのを僕らはまっすぐ受け取ればいいのか? それともEMOシーンの長老みたいな男、一流のジョークと笑えばいい?
こんな問いがバンドに与えるものなんて些細なことだ。『american football』はまだKinsellaが元Cap'n Jazzメンバーとしてしか知られていなかった1999年の話じゃない。彼にとって、「I’ll See You When We’re Both Not So Emotional」で語ったように、自分と自分のことばは相反するものじゃない。american footballというバンドは、その影響力と変わらずに秘められたセンチメンタルがあるにしても、サウンド面でもEMOとしても10代の終わりの頃の話じゃなくなった。『american football』の根っこに、いま大学の寮でヘッドフォンの間で耳を傾けている君に、「The One With the Wurlitzer」がフェードアウトしていく中でどれだけの季節が流れ、いくつの恋が散ったのかを写している。2016年現在、american footballのメンバーにはパートナーがいて、子供がいて、それなりにキャリアがあって、フルタイムの仕事がある。つまりは、不変だと思ってた目に映るセカイやモラトリアムの空想は思い出になるべきなんだ──Homer Simpson風に言うなら、このアルバムはラッキーにも日々の暮らしの中に30分ほど人生を振り返るチャンスをくれる訳だ。
訳注1 EMOの代表的バンド Cap'n Jazzのメンバーは以後もシーンを代表するバンドを結成、解散を繰り返していく。本文中で言及されているのはKisella兄弟を中心としたバンド達で、初期Cap'n Jazz期にサイドプロジェクトしてBraid、Gaugeメンバーと掛け持ちしていたThe Sky Corvairや、2001年にCap'n Jazzのオリジナルメンバーが再結成したOwls(その後Mikeの脱退によるメンバーチェンジがあったが、2013年の活動再開時にまたオリジナルメンバーに戻っている)、シカゴ周���のアーティストが多数参加するFriend / Enemy(中心人物はTim、Mikeの兄弟とCalifoneのJim Becker、Joan of Arcにも参加しているTodd Mattei)、本文にも登場するいとこのNate KinsellaがJoan of Arcに在籍していた頃の別働隊として始まったMake Believeはこの中では長命のプロジェクトだったが2008年の3rd『Going To The Bone Church』とそれに伴うツアーをもって解散している。レビューでは触れられていないが、Cap'n JazzのVictor Villarreal(ギター)とSam Zurick(ベース)はインスト・バンド Ghost and Vodkaを、Davey von Bohlen(ギター)がthe Promise Ringをバンド解散後に結成する。
訳注2 HOT TOPICは北米を中心に展開するロック、ポップ・カルチャーをベースにした衣服、アクセサリー小売店チェーン。ライセンスによるバンドTシャツ、グッズを販売しながら、パッケージツアーのサポートも行なっている。Warped TourはVansが主催する大規模サーキットツアーで音楽、Xスポーツ、アトラクションが敷地内で同時進行で行われる。アメリカをはじめ、イギリス、南米でも国内を巡る形で開催されている。どちらもパンク、メタル、オルタナティブ・ロックのバンド/アーティストを中心としたラインナップだが、参加を断ったTouche Amoreを含めて、EMOシーンのバンドが参加することは稀である。
訳注3 それぞれMy Bloody Valentineの22年ぶりのアルバム『m b v』、The Avalanchesの16年ぶりの『Wildflower』、Wu-Tang Clanのメンバー Reakwonのソロ・デビューフルの14年ぶりの続編となる『Only Built 4 Cuban Linx...Pt.2』のこと。
訳注4 Pinbackはカリフォルニア州サンディエゴでRob CrowとZach SmithことArmistead Burwell Smith IV(Three Mile PilotやSystems Officerとしても活動中)を中心としたインディ・ロック・バンド。バンド名は映画「ダークスター」の主人公からとっており、初期のアルバムにはこの映画からのサンプリングが聞ける。Touch and Goを経て、現在はTemporary Residenceをレーベルとしており現在までに4枚のアルバムをリリースしている。初期と現在ではサウンドの印象は違うがどちらもamerican footballと共通する要素を備えており、Ian CohenはPoly VinylのレーベルメイトでもあるSunday’s Bestを引き合いに出して彼らを繋ごうとしている。
訳注5 S.CareyことSean Careyはウィスコンシン州オークレア出身のミュージシャン、プロデューサー。Justin Vernonのプロジェクト Bon Iverのサポート・ドラマーとしても知られており、自身も3枚のフルアルバムをリリースしており、 Sufjan StevensやTalk Talk、Steve Reichらと比較される音楽性で評価を受けている。
訳注6 Volcano Choirは前述のJustin VernonとCollections of Colonies of Bees(ウィスコンシン州で結成されたポスト・ロック・バンド Peleのメンバーを中心としたユニット)によって結成された、2009年にリリースしたアルバム『Unmap』一枚の為のプロジェクトだったが2010年に「最初で最後」という事で行った東名阪ツアーの出来に感銘を受けたJustinの意向を受けて、活動を継続。2013年に『Repave』をリリース、その後ツアーを行い、Bon Iverの活動に重心が移ったことにより活動休止となる。
訳注7 The Blue Nileはスコットランド、グラスゴーで1981年にPaul BuchananとRobert Bellを中心に結成されたロック・バンド。同じくグラスゴーを拠点とするハイファイオーディオ・メーカー Linnと関係のあったプロデューサー Calum MalcolmがLinnのスタッフに彼らのデモをスピーカー・テストの一環で聴かせたところLinnが設立しようとしているレーベルのアーティストにならないかと誘いを受け、1984年にレーベルの最初のリリースとして「A Walk Across the Rooftops」を発表することになる。続いて5年後にリリースした2nd「Hats」では高い音楽的評価とUKチャートで最高12位を記録する出世作となる。しかし。30年近いキャリアがあるものの非常に寡作で知られており(4枚のアルバムと関連したシングルが9枚)、2012年にPaul Buchananはソロ・アルバムをリリースしたが、2004年の『High』以降のバンドの動向は非常に不透明であり未発表のレコーディングを含め新しいリリースはない。
訳注8 筆者個人的な理解になるがamerican footballのアルバム、LP1とLP2はどちらも「出会いと別れ」が歌詞のテーマにあり、そのメインとなるフレーズは「すれ違い」だが、1stで大学生までの苦い記憶とそれぞれが未来へ進むための別れを選んでいたのに対して今作ではこの20年の間に置いてきてしまった人々の姿を描いている。これはリベラル的な自己責任論だがドラッグ、アルコール、仕事/友人の選択のいずれにおいても他人の選択に干渉することは他人の自己決定の能力を否定しているため、避けられる傾向にある。そうした境遇の改善のために福祉や厚生施設は用意されているがそちらを選ぶのもまた個人の自己決定の責任に応じる。つまり、この歌詞にあるように現状について不満を持ちながらも何もせず更に状況を深刻にする人々は放置されることとなる。そこをMike Kinsellaはこのアルバムにそうした状況をリユニオンとかけ��持ち込んでいる。
訳注9 Beach Slangはペンシルベニア州で活動していたWestonでギター、ヴォーカルを務めたJames Alexがバンド解散後の2013年に結成したパンク/インディ・ロック・バンド。2枚のEPとスプリットをEMOリバイバル・シーンの中心的レーベル Tiny EnginesとLame-O Recordsからリリース後、Poly Vinylからデビュー・フル『The Things We Do to Find People Who Feel Like Us』をリリース。Jamesが影響を公言するThe ReplacementsやBig Starの音楽性とフィラデルフィアの音楽シーンを代表するアーティストのコラボプロジェクトとも言えるラインナップで、2020年に最新作『The Deadbeat Bang Of Heartbreak City』をリリースした。
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toxgo · 5 years ago
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Ails and ills
VIVA LA RAZA 
こんにちは
お久しぶりのモリッシーリスペクトアイテムの入荷です。
The SmithsとStraight Edgeを詰め込んだデザインに痺れて
Mateになって以来、TOXGOでも不定期でアイテムを取り扱ってきた
Ails and illsより素敵なロングスリーブが届きました。
まずこの写真です。
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(私が説明するのもなんだか野暮ですが)
ザ・スミス解散後、モリ様ソロ一発目のアルバム「Kill Uncle」
が1991年に出ました。そして同年、モリ様は初来日します。
リアルタイムではないので当時の雰囲気は図りかねますが、
スミスは来日せずに解散してしまったのでファンにとっては
待ちに待った来日だった事でしょう。29年前の出来事です。
そのアルバムKill Uncleのジャケット写真の別テイクと
思われる写真がこちらで、当時ツアーの宣伝などで使われていたようです。
蹴り上げたサッカーボールは1990年イタリアワールドカップの公式球である
adidas ETRUSCO UNICO、大会ではモリさまの応援するIRELANDはベスト8、ENGLANDは4位でガスコインとリネカー、っていう印象 (記憶) です。
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話は逸れましたが、そんな写真がフロントにシルクプリントで入り、
(フォトプリが若干荒いのはご愛嬌で)
バックはAils and illsことHector氏のルーツでもあるメキシコカラーで
ロゴとメンバーフォトが入ります。(バックデザインはオリジナルから
インスパイアされています。)
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Ails and ills
“VIVA LA RAZA“
size M, L, XL, XXL
¥6500 +tax
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なんでメキシコ? 知ってる方も多いと思いますが
モリッシーってメキシコでめちゃくちゃ人気あるんですよ���。
「アントマン&ワスプ」って映画にも出てくるんですけど、
メロディーや佇まいがチカーノの琴線に触れるんですって。。。
プレスリーとかもみんな聞くらしいので、なんとなく分かる気もしますね。
そういえばサンディエゴのローカルなマーケットとかに行くと、
爆音で曲が流れていたりするんだけど、なぜか違和感はないという。
もちろんHector氏も熱狂的なので、ツアーでMOZ本人にデザインしたフラッグを広げてもらうっていうミラクルを起こしています(夢のようでしょう)
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ということで、Ails and ills的にも思い入れいっぱいであろう
メキシコデザインをTOXGOのためにロングスリーブで
ボディも皆が好きなやつに変更して作って頂きました。
「2021年は日本行くからな!」というメッセージと共に
まだまだ大変であろうL.A.から送ってくれたのでした。
来年はまたINTEGRITYかなんかのツアーで来てもらいたいですね〜
お待ちしております。
Teeは店頭とONLINEにて12.6 12:00より販売致します。
よろしくお願い致します。
TATSUO
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xf-2 · 5 years ago
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新型コロナウイルスが世界で猛威を振るう中、欧米で注目が集まるのは、高齢者だけでなく若年層の感染や死亡の報告が増えていることだ。米国では、2020年3月24日にロサンゼルスで17歳の男性が、25日にはサンディエゴの自宅で自主隔離中だった25歳の男性が新型コロナ感染症で死亡しているのが発見された。28日にはイリノイ州で0歳児の死亡も報告されている。
 米ジョンズ・ホプキンス大学の統計によると、4月1日(米東部時間)午後10時現在、世界の新型コロナ感染者は93万人超、死者は4万7000人を超えている。国別の感染者では米国の21万5417人が最多で、その4割をニューヨーク州が占めている。
 今回は3月27日付記事「新型コロナ、NYから医師が警告『気を抜けば東京もこうなる』」の第2弾として、ニューヨーク近郊の大学病院で日々、COVID-19(新型コロナ感染症)の治療に当たる感染症専門医の斎藤孝医師に、新型コロナのアウトブレイクの現状を聞いた。第1弾から1週間もたたないが、状況は深刻さを増している。
新型コロナウイルスのアウトブレイク(集団感染)があってから、どのような生活をしているのでしょうか。
日本で総合商社に勤務後、米国駐在を経て米国の医科大学に進学。卒業後にニューヨーク市ブロンクス地区の病院で内科研修修了。ニューヨーク・プレスビテリアン・クイーンズ病院で感染症フェローとしてエイズや結核などの感染症患者の治療に従事後、20年からニュージャージー州の大学病院で感染症���指導医を務める。
斎藤孝医師(以下、斎藤氏):週末も全て出勤でしたが、今日はようやく午前中だけ時間が取れました。昨日までオンコール(緊急時のために時間外も待機すること)で、その翌日は午後から出勤することになっているので。
 現在は、ニューヨーク市から川を挟んで隣のニュージャージー州の大学病院で感染症指導医を務めています。2カ月前までは、現在、新型コロナ感染症の患者さんが最も多く入院している病院の一つ、ニューヨーク・プレスビテリアン・クイーンズ病院に勤務していました。
 状況が変わったのは2~3週間くらい前でしょうか。先週は特にきつかったのですが、今週はもっときつくなると思います。何百人という数の患者さんが次々に入ってきている状態です。
 検査も追いついていません。時間を追うごとに数字がどんどん変わるので正確には言えませんが、現時点で200人くらいの患者さんが入院していて、そのうち重篤患者さんが40人くらいではないかと思います。ICU(集中治療室)のベッドがほぼ埋まっています。
 現在はICUをCOVID-19の患者さんだけにして、別の疾患の患者さんには、別の部屋に機材を入れて一時的に移ってもらっています。感染リスクがあるので同じ部屋に入ってもらえないからです。
 COVID-19は空気感染はしないものの空気中に3時間以上存在すると言われているので、空気感染の場合と同じように陰圧をかけた特別な部屋に入ってもらっています。限られた病室でしか対応できないのはこのためです。手術も急を要さない限り、全てキャンセルしています。
医師は曝露していても熱がない限り働き続ける
斎藤氏:ニューヨークの病院でCOVID-19の患者さんが多い所では、看護師も医師もウイルスにエクスポーズ(曝露)しているので人手が足りていません。
 当初は、エクスポーズしたら14日間は自宅待機という決まりになっていましたが、現在は熱や咳(せき)などの症状がなければ働いていいということになっています。14日間待機の時は、人手があまりにも足らず、外科医が内科の患者さんに目配せするような末期的な状況だったと聞いています。
 私の勤務先でも熱が出たら自宅待機になるので、皆、しょっちゅう熱を測って自分の体調を確認しています。
 防護具も足りていません。ニューヨークもニュージャージーと同じだと思いますが、「N95」のマスクが全然足りない。本来は患者1人に対して使い捨てをするのですが、私はかれこれ1週間は使っています。表面をアルコール消毒したり、サージカルマスクという日本で皆さんが着けているようなマスクを上から装着して、それを使い捨てにしたりして対応しています。
 テレビの映像で見ると、欧州や中国の医師は体をすっぽり覆う大がかりな防護服を着ていますが、こちらでは初めからそんなものはありませんでした。皆、とても簡易な装備で仕事をしているのです。
 看護師は、1日に10回くらいはICUの部屋に入って、1回当たり10分くらいは中にいますから、いつ感染してもおかしくな���非常に危険な状況です。ER(緊急治療室)のドクターでも入院している人が何人もいます。かなり重篤化するケースも出ています。
20~40代の患者が急増している
症状がなければ働く。しかも軽装備では医療従事者は不安ではないですか。
斎藤氏:はっきり言って、怖い。怖くなってきている。
 というのも、今は感染症にかかって入院してくる患者さんが20~40代ばかりだからです。これまでは、65歳以上の高齢者や心臓や肺に疾患を持っている人が中心でしたが、今はそうではなくなっています。
20年3月25日付ビジネス・インサイダーの記事に掲載された、ニューヨーク市における年齢別新型コロナ感染者数や死亡者数など。表の数字は30日に更新されている。感染者が最も多いのは実は18~44歳の年齢層で、死者も41人に上る
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 なぜかは分かりません。何も治療歴のない健康そのものの屈強な男たちがいきなり、急性呼吸不全(ARDS)になって自発的な呼吸ができなくなり、重篤化、死に至るというようなケースを毎日のように目の当たりにしています。
 ICUでは1日に何度も「ラピッド・レスポンス(Rapid Response)」と呼ばれるコールが鳴り響いています。ラピッド・レスポンスというのは、患者が心肺停止など容体急変の時に用いられる「コードブルー」の前の段階で、血圧の急低下や意識の混濁など、心肺停止前の変化を看護師たちが察知して緊急信号を発します。そうなったら、担当の医師チームが集まって処置をします。
退院が近いと思われた患者もいきなり重篤化
斎藤氏:このラピッド・レスポンスは毎日ありますが、最近は回数が急増しています。特に先週末はひどかった。大丈夫そうだな、退院は近いかな、と思うような患者さんでも、いきなり重篤化するのがCOVID-19の恐ろしいところだと感じています。
 もちろん、こうした患者さんに対して何もしていなかったわけではありません。呼吸状態を見て、血中酸素濃度の数値がある基準を下回った場合は、治験中の薬を投与することもします。効く場合もあるのですが、重篤化している場合は全く効きません。
 若い人を助けてあげたいけど、全然ダメ。かなり急激に悪化して、戻ってこない。そんな場面が続くと、無力感にさいなまれます。
 だからでしょうか。医療従事者たちは皆、逆にハイになっているような気がします。しょうもないことを言って、互いを笑わせたりして……。
COVID-19は他にどんな特徴があるのでしょうか。
斎藤氏:似ているのは03年ごろに流行した重症急性呼吸器症候群(SARS)です。ウイルスが空気中に3時間くらい浮遊することができるなど、今回のウイルスと特徴が似ています。コロナウイルス自体は風邪の原因にもなっているものですが、それに毒性の高いものが加わって、SARSや中東呼吸器症候群(MERS)、COVID-19の原因となっているのです。ウイルスそのものが体に直接的にダメージを与えるのではなく、ウイルスによって体の免疫システムがオーバーリアクト(過剰反応)した状態になり、それで多臓器不全などに陥るのです。
 今回のウイルスはまだ分かっていないことが多いのですが、現場で感じるのは非常にたちが悪いということ。感染力が高く、重症化すると助けることが難しい。
 大学病院が多く、研究データが豊富で感染症の専門家も多いニューヨークですら、こんな状況です。東京でもし同じ状況になったら、到底、対応できないと考えられます。
電車通勤はもってのほか
日本に届けたいメッセージはありますか。
斎藤氏:日本の方々はこちらで起きていることを「遠い国の出来事」と思われているかもしれません。でも、(人が密集して暮らしているという状況は)東京もニューヨークと変わりません。日本では感染者数が少ないといっても、それは検査数が圧倒的に少ないから。症状はないけれども、ウイルスは持っているという人がすでに数多くいると考えた方がいいでしょう。
英オックスフォード大学の研究者などでつくる「アワ・ワールド・イン・データ」が公開データを用いてグラフ化した、日本や米国などで実施された新型コロナの検査件数(20年3月20日時点)。圧倒的に日本が少ないことが分かる
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 日本ではクラスターの存在を早めに察知するという手法で封じ込めを狙っているようですが、大規模検査の実施なくしてクラスターの把握などあり得ません。
 にもかかわらず、まだ在宅勤務を実施していない企業が日本には数多くあると聞きます。私はもともと商社に勤めていて、脱サラして医者になったのですが、友人に聞いたところ、親会社の商社は在宅勤務にしていても、子会社はまだ出勤しているそうです。
「自粛」などと言っている場合ではない
斎藤氏:症状はないけれども感染はしている人たちが多くいる可能性が高いのに、いまだに電車通勤をしているなんてあり得ないことです。「自粛」と言う言葉を使うからいけないのかもしれません。そんなことを言っている場合ではない。
 ニューヨークの病院では、遺体を安置する場所が足りないので、病院の横に冷凍トラックを駐車し、そこに遺体を安置しているような状態に陥っています。ご家族は感染リスクがあるので、死に目に会えないばかりかご遺体にも会うことができません。会えずじまいになるのです。本当に悲しいことです。
 ニューヨーク周辺では、シナゴーグや会議場などでアウトブレイクし、クラスターができたといわれています。��にかく同じ部屋に多くの人が集まるようなことは避けるべきですし、会社で会議をいまだに開いているなんて会社があればもってのほかだと思います。
 自分のことだけではなく、人に感染させるリスクも考えなければなりません。その人に疾患があり、免疫力が下がっていれば、感染に対応するのは難しいでしょう。他の人をそういった状況に陥れてしまう可能性があるということをもっと自覚して、行動してもらいたいと思います。
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hosoudehanjouki · 3 years ago
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自分の人生を捧げる
2019年の12月31日、私はアメリカはロサンゼルスにいた。
その日、集会が開かれたホールで、私は自分の不甲斐なさに打ちのめされていた。どうしても、どうしても一歩が踏み出せなかったのだ。
2019年当時の私は、目まぐるし��ほどの仕事の忙しさや恋愛の挫折によって、自分が今どこで何をしているのかもわからないほど混乱していた。
仕事は2年目にもかかわらず、大学院卒であることを買われて一人で行事の運営をまかされ、4つ下の新人後輩の世話をしながら先輩のペースも食らいつていかねばならず、とにかくがむしゃらに働いていた。
プライベートでは、ある人と交際関係になり、順風満帆に見えたが半年で破綻。自分の心が相手から離れていくのをどうしたらいいかわからず、周りの人間関係からも逃げるように顔を出さなくなっていた。
平日は仕事でへとへとになり、週末は人間関係で葛藤する毎日。このままでは自分が自分でなくなってしまう、早くどうにかしないとという焦りだけがあり、でもどうしたらよいのか途方に暮れていた。
そんなとき、教会の知り合いの方に「アメリカに行ったら?いいキャンプがあるよ」と言われて紹介してもらったのが、EC(Equipper's Conference)だった。
それは、JCFNというクリスチャン団体が開催している、アメリカで信仰告白をしてクリスチャンになった日本人が、帰国後も信仰生活を続けられるように備える(=Equipする)目的で始まったキャンプだ。アメリカのロサンゼルスで開催されるにも関わらず、参加者の8割が日本人という不思議なイベントである。
主目的は前述の通りだが、信仰に渇きを覚えている人、ノンクリスチャン、日本に伝道の思いがあるアメリカ人など、基本的には誰でもウェルカムなキャンプだということで、「絶対いい時間になるから、行ってみたらいいよ」という言葉に促されるまま、単身ロスに乗り込んだのであった。
キャンプのテーマは「信頼」。神様に信頼することについて、2名のメッセンジャーが代わる代わる説教をしてくださった。
なかでも衝撃だったのは、サンディエゴ日本人教会で仕える大倉信先生の、ご自身の半生を証した説教だ。波乱万丈な牧師生活のなかで、常に自分の思いは砕かれ、人生は悲しみと苦しみであふれていた。しかし同時に祝福と恵み、気づきと癒しにもあふれていて、自分は自分の力で生きているのではなく、神様によって生かされているということを痛感しているという内容だった。
日本国憲法には「国民主権」という権利がある。日本国の主権、日本国をどうしていくか決める権利は政府や宮内庁ではなく、国民にあるという意味だ。 大倉先生によればクリスチャンは「神主権」、つまりクリスチャンである私の主権は私ではなく神にあるというのだ。
神によって作られた私たちをどうするのも神の勝手、と言ってしまえば冷たく聞こえるが、私たちを救うために十字架にかかってくださったイエス・キリストが、まず「あなたの御心のとおりになりますように」と祈ったのだ。クリスチャンはイエスキリストに倣うものなので、「自分の人生が自分の思い通りになりますように」ではなく、「神様の御心のとおりになりますように」と祈ろうと促された。
一連のメッセージのあと、招きの時間になった。 具体的には、献身(伝道や宣教、教会で働くなど、聖書の福音を伝える活動をしていくこと)の思いが与えられたひとが会衆の前にでて、個人的に祝福の祈りをしてもらう時間のことだ。もちろん、職業として牧師や伝道師にならずとも、福音を人に伝えるために、自分の人生を神様に捧げたいと思うなら、だれでも前に出て祈ってもらえる。
大倉先生が「今思いがあるひとは、前に出てきてください」とマイクを通して語ったとき、私は、「前に出て祈ってもらいたい」という思いが胸の奥に灯るのを感じた。
ぽつりぽつりと、会衆をかきわけて前に出ていく人が現れる。
どうしよう、と思った。
行きたいけど…行きたいけど、怖い。
どうしても足が動かなかった。私の足は、会場のじゅうたんにくぎ付けになったようになり、胸がざわざわとするのを感じた。
と、私の隣で祈っていたSが、私とその先に座っている人たちをかきわけて、前に出ていこうとするのを感じた。
Sはこのキャンプで知り合った同年代の女性で、とても気が合い、短い期間のあいだにぐっと心の距離を縮めた友人だった。
そのSが、「ちょっとごめんね」と言って会衆から抜け出し、前に出て行った。いつのまにか集会場の前の方には祈ってもらいに出て行ったひとの人だかりができていて、それぞれが思い思いのスタイルで祈りを捧げていた。
「行きたい。」私はもう一度強くそう思った。
しかし、心は恐怖心と人に見られることへの恥ずかしさに支配され、足は頑として動かなかった。
結局その集会で自分の献身の思いを表明することはなかった。周りの目を気にして、また決断してしまうことへの恐れに囚われて一歩を踏み出せなかったことを、集会が終わっても引きずっていた。
その日の夜、ついにキャンプの最後の集会がやってきた。この集会���夜の9時頃に始まり、メッセージの後賛美があり、そのままカウントダウンへともつれこむ。賛美と言ってもカトリックの大聖堂で聴こえてきそうな厳かなものではなく、ポップスに近いワーシップソングである。賛美とは言えみんなで熱唱しながら年越しを迎えるという発想はアメリカらしいというか、なんともパリピっぽいイベントだ。
会場のボルテージが少しずつ上がっていくなか、私はいまだに招きの時間のことを引きずっていた。
そんななかで、集会の司会者がグループに分かれてキャンプの感想の分かち合いと祈りの時間を取るように促し、私たちはあらかじめ決められたグループに分かれた。
各々がキャンプでの収穫を話していくうちに、私は自分の献身の表明をここでするように促されているのを感じた。200名を超える集会で前に出ることはできなくても、4泊5日を共にした5名のメンバーになら話せる。そう思った。
「私は自分に自信がない。今回のキャンプでも、メンバーと自分を比べてばかりいて、最初はうまくやっていけるか不安だった。 でもこのキャンプに参加して、自分の人生は自分のものではなく、神様のものだということが分かった。だから、神様にお返しします、と表明したかった。でも、ここでも人の目が気になって、会衆の前で表明することはできなかった。Sが前に出て行ってしまったとき、ついていけたらどんなに良かったか、悔しくて自分が情けなくて恥ずかしいと思った…。 でもみんなになら言える。私は神様に自分の人生をお捧げしたい。神様の主権のもと自分の人生を歩みたい。だからそのために祈ってほしい…。」
もう最初から涙が出て止まらず、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになりながら、それでも精一杯話すことができた。5名のメンバーも、涙をながしながら聴いてくれ、心を注ぎだして祈ってくれた。
感じたことのない一体感が私を含めた6人のなかに現れて、そのあとのカウントダウンは人生で一番解放された時間になったと思う。本当に感謝だった。
あれから2年半が経つ。
正直に言うと、ここ半年はすっかりそのことなど忘れてしまっていた。献身の思いに燃えて色々なことをやってみて、上手くいったこともいかなかったこともあり、燃え尽きていた私は、恋愛に熱中することでその疲れを忘れようとしていたのだ。
結局それもうまくいかず、またもや自分が一体何をしているのか分からない状態に戻ってきてしまった。
そして今日、とあるクリスチャンの書いた本を読み終えたときに、この出来事をふと思い出したのだ。
ああ、私はあの時、人の目が気になって、どうしても一歩踏み出せなかった。でも6人で祈ったとき、確かに私の人生は神様に捧げますと宣言したんだったよな…と。
神様は確かにその宣言を祝福してくださった。 いま、改めてそこに戻ってくるように示された気がする。
この先どうなるかはわからないけど、また七転八倒しながら歩んでいくのだろう。まずは、原点ともいうべき経験に戻ってこれたことに感謝。
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wic1956 · 3 years ago
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study abroad diaries ~サンディエゴ編~
今年度から留学中のwic会員の生活の様子を他の会員に紹介するシリーズを始めることになりました!留学する予定や興味を持っている会員、行く予定はないけど海外にいる会員の様子を知りたい!っていう人はこれから更新されていく『留学組ブログ』をぜひチェックしてみてください🤳☺️
こんにちは!留学組ブログ初回を担当させていただきます、早稲田大学国際教養学部次期3年、小熊かれんと申します!🙋🏻‍♀️ 初めてのブログ更新なので少し緊張してますが、良かったら最後まで読んでくれると嬉しいです😌
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(UCSDに来て初めてできた友達&秋クォーターだけ一緒だったフランス人のルームメイト!今はフランスに帰っちゃったけど留学中にもの凄く親しくなれた大切な友達の一人。後ろのカップルは気にしない。)
現在はアメリカカリフォルニア州にあるUniversity of California San Diego (UCSD)に留学をしています。今回はサンディエゴ🌴👙の雰囲気やキャンパスライフについて皆にお届けできればなと思っております!
カリフォルニア州はアメリカの西海岸にある州で、サンディエゴはカリフォルニアの南、メキシコとの国境の近くに位置しています。
気候は基本的には年中暖かくて、2月なのにタンクトップ短パンの人もいるくらい笑 でも海に近いから風が冷たくて、冬の夜は10度以下に下がったりで寒く感じる日もあります😳
サンディエゴに来て驚いたことの一つは空気が綺麗で夕焼けが本当に美しいこと!!!自然ってこんな色出せるんだっていうくらい色あざやかな空で、毎日違う色が見られるのが楽しい、、💭
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(これフィルター無しだよ!)
寮から歩いて10分くらいのところにTorrey Pines Gliderportというパラグライディングができる場所があるんですが、そこで見るサンセット🌅が本当ーーに素敵で!勉強に疲れた時にリフレッシュするためにたまに来たりしています。😌🌿
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(Glider Portから撮ったサンセット。)
休日に出かけたりする時以外、普段はずっとキャンパス内で生活をしています。UCSDのキャンパスはとにかく広い。広すぎる。未だにキャンパス全て回りきれてないし、教室と教室の移動距離が遠すぎてキャンパス内で電気スクーター、スケボー、自転車(ローラースケート履いてる人もいたな笑)に乗ってる人をよく見かけます👀 私自身は構内はいつも歩いて移動してるのですが、坂が多かったり階段もあったりで図書館いくだけでも普通に良い運動😮‍💨 アメリカ来てから5kg太ったので(衝撃すぎて白目)これからもスクーターに頼らず頑張って歩こうと思います、、👣
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(すごい形した大きい建物がUCSDのシンボルのGeisel Libraryっていう図書館だよ!!)
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(UCSDには7つカレッジがあります。写真は二番目に新しいカレッジの6th college. ここのカレッジのダイニングフードが一番美味しいし、施設も一番モダンで綺麗だから好き!)
ご飯はキャンパス内のマーケットで買った食材を使って自炊したり、構内にいくつかあるダイニングホールのメニューを携帯のアプリでモバイルオーダー🤳してから取りに行って食べてます(行列ができるのを防ぐため、コロナ対策のために始まったらしい?)
ダイニングホールの食べ物は意外とメニューのレパートリーが多くて、どれも普通に美味しい!ハンバーガーやピザなどアメリカンなメニューだけじゃなくて、タコスやブリトー、ポキボウル、ラーメン・寿司ロール(アメリカン風になってるものが多いけど、案外悪くない笑)、あとビーガンの人も多いからビーガンのレストランやお肉使わないファストフード店までもある!個人的にはポキボウルとビーガンバーガーが好き😋
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(ダイニングホールに売ってるラーメン。ブロッコリーが入ってるのなんか謎い、、)
キャンパス外でご飯食べに行く時はconvoy streetっていうエリアによく行きます。ここはアジア料理屋さんがたーくさん並んでる場所で、(本当の)日本食、韓国料理、中華料理が食べられるので日本食恋しくなったらここに来ます笑 サンディエゴはカリフォルニアの中でも人種が多様だから、メキシカン🌮、アジア系料理🥟🍜がいろんなところで食べれるのが良い魅力だなって思います。
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(ソフトクリームをたい焼きで豪快に被せる人気なスイーツ屋さん!これはタロイモ✖️抹茶のアイスでオレオフレークが乗ってるやつ。めーちゃくちゃ美味しい、、あんこもちゃんと入ってるよ)
私が今住んでいる寮はinternational house (I-House)と呼ばれるオンキャンパスの学生寮で、世界中からの留学生(現地の学生も)がたくさん住んでいます。私は他に3人のルームメイトと現在暮らしていて、みんな本当に優しくて良いルームメイトに恵まれたなぁと思います、、😌 1人はイタリア人の留学生で、もう2人は現地生の子達で車を持っているのでよくいろんな場所に連れて行ってもらってます(車社会だから本当に神すぎる、ありがたいなぁ🥺)ucsdはアジア人の生徒が凄く多いことで有名なので、中国・韓国・ベトナムの生徒がたくさんいますが、ihouseは本当にその名の通りインターナショナルでヨーロッパはスペイン、ドイツ、スイスからの人もたくさんいて、いろんな価値観に触れることができてとても刺激的な環境です。前のクォーターに一緒に住んでたフランス人のルームメイトとは特に凄く仲良くなることができて、お互い全く違う文化や背景なのに凄く親しい関係を築くことができて、留学したことで出会えたので本当に良い経験だなぁって切実に思います🙏🏼
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(roomies❣️)
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(アメリカでは11月にThanksgivingというホリデーがあります。感謝の気持ちを表す日で、写真は寮の友達と"Friendsgiving"のディナーをした時の写真!)
まだまだシェアしたいことがたくさんありますが、今回のブログはそろそろここで終わりにします。最後まで読んでくださりありがとうございました!🙇🏻‍♀️
現在留学中の他の会員による投稿も予定しているので、ぜひまた『留学組ブログ』チェックして見て下さい〜
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furugiyakikkakeyaniku · 4 years ago
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サンディエゴ&ハワイ魚Tシャツ追加
本日も13時〜20時までの営業(電話やSNSなど前日までに連絡頂ければ12時〜営業致します)
狭い店内ですので、入店制限は6人まで
マスク着用&アルコール消毒お願いします
少しでも体調の良くない方はご来店をお控えください
本日はサンディエゴ&ハワイ魚Tシャツなど
追加しておりますので、ご紹介☆
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SAN DIEGO
USA製、crazy shirtsボディ
白ボディにカラフルな魚の刺繍が可愛らしい一枚
〝SAN DIEGO〟の文字刺繍も良い感じ
メンズSサイズ
是非♪♪
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HAWAII
USA製、JERZEESボディ
ナチュラルなベージュボディにカラフルな熱帯魚プリントがPOPな一枚
それぞれの名前が入ってるのも勉強になります
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実は同プリント3枚あり。。
2枚はタグ欠損してたり、状態はバラバラ。。
メンズLサイズ
是非♪♪
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5月29日(土)〜6月13日(日)11時〜18時まで✳︎会期中無休 日々くらしのモノ。にて
「ー暮らしの中のサロン 2021初夏ー 安藤明子」
作家在廊日5月29日(土)終日、5月30日(日)16時まで
5月29日は予約制で着付けの会などあり、美味しいコーヒーとお菓子もあるそうです
お時間ご都合の合う方、是非♪♪
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乃み助のテイクアウト、肉に肉
Jくん、ありがとうございます^ ^
それでは本日も元気に営業致します
よろにくです^ ^
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arsemard · 7 years ago
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Sheer Magのギグに行ってみれば、あなたはモッシュピットの真ん中にいる自分を発見するかもしれないし、会場の後ろの方で漂っているのかもしれない。それか柵にもたれかかってリリック全部をシャウトしているかもしれない。あなたが安全で楽しい時間を過ごしているなら、何をしていようとSheer Magは気にしない。しかしこのフィラデルフィアのバンドが心地いい体験を作ることに懸命になるのと同じくらい、彼らが注意深くこしらえた包括性(inclusivity)を持つシャボン玉のような空間は時に脅威にさらされる。
「私はただ「あんた一体なに?私の目の前から消えて」って言っただけ。」リードシンガーのTina Halladayは、ショーが終わった後に知らない他人が近づいてきて彼女の背中を触ってきたという出来事を話してくれた。「その日、その前にもその人は私とフェイスブックで繋がろうとしてきた。私はもう黙れよって感じで。その後も彼はすごく変なことを言ってたー私が歌えるはずないと思ってたって。もうびっくりした。なんで私が歌えないと思うわけ?」彼女の声にはうんざりした気持ちが込められている。「デブな人間はなんとなく歌えそうにないから私も歌えない?私には才能があるはずもなく、セクシーでもなんでもなくてー私はデブね、だからって上手くできっこないって?まぁ、ふざけんなっていう。」
Tinaは天賦の才の持ち主だ。彼女はロウなパンクのエネルギーと共にソウルフルな叫び声を届ける。そしてバンドはライブショーによって熱狂的なフォロワーを多く生み出していった。ライブで彼女はオーディエンスに自分の身を投げ、汗まみれになりながら歌い続けることもある。2014年の結成以来、Sheer Magは今なおほぼセルフマネージメントのまま活動しており、自分達で企画するギグもやり続けている。そして3枚のEPをリリースした後、昨月デビューアルバムNeed to Feel Your Loveをリリースして、彼らの知名度は飛躍的に上がった。
Sheer Magの魅力の多くは、サウンドやルックス、メッセージにおけるクラシックなロックとパンクの衝突の仕方にある。Thin Lizzyから丸パクリしたかもしれないリフがTinaの強烈なパンク弁論法のパワフルなバッキングとして響くとき、伝統的なアメリカンロックのお約束は痛烈に左翼的なリリックによって巧妙にひっくり返されるのだ。Need To Feel Your Loveのヘビーメタル調のオープニングトラック”Meet Me in The Street”では、ドナルド・トランプの就任に対するプロテストにおいてバンドが”throwing rocks at the boys in blue”(警察官に石を投げる)”姿が描写される一方、気取った足取りのシングル”Suffer Me”は1969年のストーンウォール暴動について書かれた曲だ。アルバムは”(Say Goodbye to) Sophie Scholl”という曲のシンガロングで幕を閉じるが、これは反ナチスのパンフレットを配ったことで処刑された若いドイツ人女性へ追悼の意を表した曲だ。(ゾフィー・ショルは白バラ抵抗運動のメンバー)
Tinaはショルが抵抗したナチスドイツと今日のナショナリズムの台頭に類似性があることを認める。「ドナルド・トランプはファシスト(独裁者)とほとんど紙一重だ」と彼女は主張する。「ベルリンに行ったとき、私はホロコーストミュージアムへ行ってナチスの権力が強大になっていく(過程を)を学んだ。私は(おそらくヒトラーの)演説を聞いて思いっきり泣き出してしまった。抑えられなかった。トランプの演説も同じに聞こえる。」
Sheer Magの曲はTinaとギタリストのMatt Palmerが一緒になって作っている。Tinaはそのクリエイティブなプロセスについて「彼は一番親しい友達の一人だから、私がどういう人生を過ごしてきたのか知っている」と言う。「多くの曲が私や私の経験に関すること。ポリティカルな曲については、(Mattが)本を読んだりしてリサーチしたことで、私の視点よりももっと大きな視点から書かれてる。」Tina個人の物の捉え方は自身の育った環境に大きく影響を受けていると彼女は説明する。「私は一人親の家庭で、幼少の頃は生活保護で暮らしていた。」と思い返す。「私達はすごく貧乏なうちで、周りの人達から見下されていた。私の母は数ヶ月の間フードスタンプ(政府が生活保護者に発行する食料配給券)で食いつないでいたし、彼女にとってはそれを使うことがすごく恥ずかしいことだった。もしも(自分ではなくて)リッチな白人男性がこういうことについて歌ってたとしたらこんな感じとは違うはず。」
さらに彼女が言ったことは、ライブをしたいと思っているのはリッチな白人男達でもないということだ。「クソ白人のおっさんどもが、観客の前の方に陣取ってて、ダンスしてる人達に対してキレてるの!」彼女はゾッとしたと詳しく話す。「サンディエゴで起こったことなんだけど、私はブチキレてークソ後ろに行け!ってそいつらに向かって叫んだの。そしたらキッズが前の方に来てくれてダンスし出した。彼らはすごく楽しそうだった。」
あなたはそろそろTina Halladayは普通のバンドリーダーではないということを実感しているはずだー太っていて、フェミニスト、完全に堂々とした存在、唯一比較できるのは今のところBeth Ditto(Gosshipのボーカル)だけだろう。つまり、型にはまることのない他のキッズはTinaのタフでタイトなパフォーマンスの中に自分自身がキラキラと照り返されているのを見出すのだ。彼女はロールモデルになっているという考えに怖気付くことははないのだろうか?「人々がそういう風に捉えている可能性もわかっているけど、私自身はそういう風に感じることはあまりないかな。」と彼女は返す。「時々はあるかもね。でも私はチャレンジ精神を持ってると思うし、私はなんとかできるってことも知っている。というか今はそんなことの心配してる場合じゃないって感じ。私にはもっと他に心配しなきゃならないことがめちゃくちゃたくさんあるから。」
そういう心配事はステージ上の強烈な存在感のための燃料として使うことができるのだろうか?「私の考えでは、怒ることは悲しむことよりも建設的だと思ってる、特に(2016年の大統領)選挙が終わった後では…」と彼女は考えを巡らせる。「怒りを表すことは、私の見るところでは不正(injustice)に対して解決を図るための有効な方法だと思ってる。それにもし私が歌っていなくてこういうやり方で自分の感情に対処していなかったら、何をやってるかわからない。今よりももっとわけのわからないことをしてるかもしれない。(歌うことには)本当にカタルシス効果があるから…。特に多くの女性から、私は彼女達をインスパイアしてると言われて、本当に驚くべきことね。それだけでも何ものにも代えがたい価値がある。あらゆる仕事(作品)は、たった一人(に価値があるだけで)でも完全に正当化されるもの。」
この世界が表通りでさえも偽造された政治から利を得るような場所だとしても、Sheer Magはよりリアルなものを、より回復力に富むものを表現する、そしてTina Halladayはそのような確固としたスピリットを精製した結晶だ。彼女が私たちの側にいてくれるのは心強い。
2017年8月16日 Crack Magazineの記事より
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stormfrozen · 4 months ago
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神殿と炭鉱場の痕跡
カロルディアの七角形の世界。全体的に寒冷であり、雪山だけでなく鉱山や発電所、海底油田が存在するのが特徴。中央には大きなタワーが存在しており、夜はライトアップする事も。
はぁ…はぁ。此処も寒いなぁ。 まあ、私達は寒い所に住んでましたので。 しかし、似てんな。このカロルディアの場所…嘗てのヒスイに近い様なそんな気がする。
3人も寒冷地に住んでおり、比較的寒さには慣れている。アイヴァンヌはガラルの出身であり、リベティーナとサンディエゴは後のシンオウであるヒスイの地を知っている。この七角形の世界はそんなガラルやシンオウ・アルミアの地に似ていると言って良いだろう。
何だったっけ…名前忘れた。何だかの海岸とか純白の何とかみたいな場所あったよね。 『群青の海岸』だな? それと…『純白の凍土』ですね。私の祖母から聞きましたが、あの当時のヒスイはアラビア語みたいに、看板なども右から左に読んでいたみたいなんです。
アプリで地図を見るアイヴァンヌ。七角形の世界は雪山が多く、ラナキラマウンテンや天冠山の様な標高の高い山、アルミアの城やカンムリ神殿などの様な建造物、そしてアンヘルタワーやナックルシティタワートップの様な巨大な電波塔も存在している。一方で、寒冷地故なのかボイルランドやハードマウンテンの様な火山は存在していない。寒いスポットが無い十字の世界とは逆に、七角形の世界では暑いスポットが無い。
右から左、ね…良く読めたね、そんなの。英語とかどうしてたんだろう? 後々の時代に、逆から読むと意味が変わってしまう単語も多く出て来たので、英語の看板が出てからは日本語の看板もそれに準える様になったんです。 そう…不思議だわ。
先に、3人は雪山にある大きな神殿や城を目指す事に。巨人が眠るとされている神殿には、複雑な構造の迷路が広がっていた。
そう言えば、シンオウのキッサキにも神殿あったよね。後、アルミアにも砂漠のところに神殿が。 ああ…それがどうした? 実は、そ��はどちらも巨人の王が眠ると言われてて、岩と氷と鋼の巨人を連れて行く必要があったんだよね。 ええ。でもそんな彼らもヒスイの時代には必要ありませんでした。壁面を見て下さい。
壁にはそれぞれ岩→氷→鋼と模様が順番に続いており、鋼からまた岩に戻り同じ様に進んで行くと言う流れの様だ。
この当時は巨人の王しかいなかったので、おそらくこの様に進むべき道があったのでしょう。似た様な場所として、八角形の世界にもとある雷と火と水の主を連れて行くと三つ星の神と出会える…と呼ばれている巨塔があります。 うん。そうだった。…でもね、私には一つ引っかかる事があるの。ジニィが教えてくれたんだけど、これ見てくれない? ん?どうした。
アイヴァンヌは自分達が五角形の世界で撮った3つの列石の写真と、ジニーエイラがガラル南部のカンムリ雪原で撮ったとされる三又が原の3つの列石の写真を見せる。何処となく酷似している撮影スポット、更には………
この近くにある『定めの遺跡』は、雷の巨人と竜の巨人もいたんだって。雷の巨人には『X』が、竜の巨人には『Y』が刻まれてた。それぞれ生命の神と破壊の神が眠る地を象徴するかの様な風景のある遺跡に眠ってたの。ジニィが戦ったみたいなんだけど、とても強かったみたい。 え…、やば…
そんな話をしながら何も無い、薄暗く冷たい神殿の中を歩き、階段を登ると1番高いところまで来た。アイヴァンヌは考える。
この当時…ヒスイには王が作ったのはまだ3体しか巨人がいないと考えられていた、と呼ぶのが自然か…?
結局、何処にも後から作られたとされる雷と竜の模様はこの神殿内には無かった。となれば、ヒスイの時代はカロスやガラルとの関わりは薄いと見るべきか。
グルナッシュさんに聞かないと分かんないかな? いや…あいつは分からんだろ。幾ら何でも、俺やリベと違ってグルナッシュの親やその祖先はヒスイで暮らしてた訳じゃねえし。 あ、確かに彼女は複合金属で進化してましたもんね…。
頂上からの写真を撮り、神殿を後にした3人。気を取り直して、次は鉱山のある場所へ向かう。この地にもガラル同様に、鉄道が走っている。
と言うか凄くない? え、何がですか? 次に行く鉱山はね、面白いスポットがあるみたいよ。これ見て。
移動中の車内で、アイヴァンヌは鉱山内部の写真を見せる。そこには、今のシンオウには無くなってしまった『赤い鉱石』が光っている。一体、この鉱山のどの辺にあるのだろうか。
き、綺麗です………。
電車を降り、3人は極彩色の鉱石が光る大きな鉱山に向かった。
ヒスイの地は、こんなに綺麗な山では無かったな。いや、今の黒鉄炭鉱もおんなじ様なもんか。 サンディエゴさん、それ言います?
どちらかと言うとこの鉱山内部は、ガラルやアルミアに近いものである。となるとこの七角形の世界にある鉱山で取れる鉱石も、何かしらの力を秘めているのであろうか。
様々な光る石を撮りながら先へ進んで行くと、最深部に強く、妖しく光る色彩の鉱石を遂に見つけた。
ガラルのねがいぼし…ヒスイのオリジン鉱石…アルミアの結晶…とにかく、それに似た強いエネルギーを感じる! …えっ!?
ビリビリと光り、電気石の様に触ると痺れる。あまりに強大な鉱石である為、大半の人間は近寄らないのだが、一度その鉱石を採掘すれば、その一欠片でもこの凄まじいエネルギーでカロルディアの一帯の電力を数時間持たせる事が可能。難点はその力が放出されるまでに鉱石として成長する期間がかなり掛かる事だが、それを持ってしてでも有り余るものである。
へぇー…君達もそれを取りに来たんだ? だ、誰ですか!?
不敵な笑いを浮かべて3人の前に現れたのは、氷の結晶を纏う狐の生物。少し歩き出し、彼女は悪の波動を放出する。
ふっ!! あっ。なかなかやるじゃん、お姉さん。でも…君とそのお兄さんはこのあたしの眼中に無いよ。
盾でガードしたアイヴァンヌ。そして、氷の結晶を纏う狐の生物はただ1人に狙いを定めていた。
きゃっ!!
爪でいきなり襲われ、後退するリベティーナ。紫混じりの長い白髪がふわりと靡く。
あたしは君が気になるんだよ、狐のお姉さん。付き合ってくれよ。 い、嫌です!そんな事言われましても、確かに私には相手がいませんけど!でも!! いや、何を言ってるんだ。勘違いしてる様だね、あたしは君と戦う時間をくれと言ってるだけなんだ。 あっ…恥ずかしい…。
大きな勘違いをしてしまい、恥ずかしさでダメージを受けるリベティーナ。だが、彼女はそれでも逃げない。
あの…一ついいですか。 はっ?一体何だ? …私の幼馴染に、氷の妖精である九尾の狐がいますが、もしかして貴方はそれに近い種族なんですか。 …んー!そうだねぇ…惜しいな。確かに九尾の狐はこの七角形の世界では真っ白な氷の妖精だ。そして、パティシエールの生物も同じ氷の妖精として、彼女達と共に共存している。まあ尤も、パティシエールの生物の方は街中にいる割合が多いがな………でも、あたしの種族はつい最近になってその九尾の狐の生物と一度鎬を削った事もある仲だ。まあ…負けたけどね。やっぱ妖精には勝てんな。 そうでしたか。私を狙うと言う事は、私達の種族については御存知なんですか。 当然だよ。追い回されて、成仏出来なかった魂が止まり、怨恨を背負って生きている…恨み狐だろう? …そこまで知ってるんですね。私の祖先はその様に亡くなりました。でも私は違う。それは今から、貴方にお見せします。
唯一残った鉱山の痕跡。それを巡り、2つの種族が立ち向かう。
2人とも、少し離れて下さい。此処は私が引き受けなければなりません。 ああ、分かった。 …うん。無理しないで。 いいねえいいねぇ。でも、あたしは負けない。何故なら!
素早く踏み締め、リベティーナの懐に向かう氷の結晶を纏う狐の生物。そしてその爪を、彼女の喉元に突き立てる。
きゃ………あぁっ!!うぅ…げほっ!!!
リベティーナは地獄突きの一撃で首を刺され、強い痛みで血を吐く。
どう?一応言っておくけど、あたしは霊とかには強いから。君は確かに強いかもしれない。だけど、このあたしとは相性が悪い。それだけなの。
上から勝ち誇る様にリベティーナを見る氷の結晶を纏う狐の生物。しかし、彼女はそれを未だ認めようとはしないのか、首を横に振った。
いいえ。まだ…ですっ!! 小賢しいな。じゃあもう1発、君に現実を見せてあげる。次は此処で。
爪を立てたまま横回転し、リベティーナの腹を切り裂く。素肌が出ているとは言え大きな傷が入り、鮮やかに血が噴き出す。
ふぅ、ふぅ………っ。ぁぁぁあああ………!
流石にこれ以上やられまいと、リベティーナは怨恨をぶつける。これには氷の結晶を纏う狐の生物も驚き、身の毛がよだった。
ふっ、まあそんなもんなのね。とっとと倒れたら? いいえ。私は!それでも私は…っ!きゃあああっ!! ああ…リベがやられちゃう…!! 待て。行くなイヴ。彼女には何かの秘策があるかもしれん。
今度は胸元を突かれ、キャミソールが破れてしまった。それだけでは無くまたしても血を噴き出したまま、リベティーナが吹き飛ばされて倒れた。
もう無駄。諦めなよ。あたしは君の先祖様だっけ?その先祖様が持ってた怨恨を忘れて、何故かのうのうと生きてる君を殺しに来たのに…こんな様なんてね。期待外れだった。 期待………外れ………?………許さない。
浴びせられた心無いその言葉が、ただやられていただけのリベティーナを遂に怒らせてしまった。本来の丁寧で穏やかな口調が無くなり、背中をぶつけた鉱石に触れてしまった彼女の、強烈な報復が始まる。
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japangelito · 8 years ago
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▶️Boomerang of 6/23/2017: San Diego County Fair in Del Mar, California. 🎢🎡🎠 Fun place!!! 😄👍👍👍 ◀️▶️ Recent Activity: Today is Veterans Day. 🇺🇸 Viva America!!! 🇺🇸 “Veterans Day is an official United States public holiday, observed annually on November 11, that honors military veterans; that is, persons who served in the United States Armed Forces” by Wikipedia. 💻🖥⌨️ I delay my posts by five month. I am posting little by little. 🙏◀️▶️ Watch "Story" about my newest activitivies. 👀 👀👀◀️🔷🔶🔷🔶🔷▶️2017/6/23 のブーメラン: カリフォルニア州デルマーのサンディエゴカウンティフェアです。🎢🎡🎠 楽しいところだよー。😄👍👍👍◀️▶️近況: 今日はベテランズデーだよ。ウィキペディアより「復員軍人の日(ふくいんぐんじんのひ、Veterans Day)はアメリカ合衆国の祝日(11月11日)で、復員軍人を称えるためのものである。退役軍人の日、ベテランズ・デーとも呼ばれる。」投稿ですが約5ヶ月ほど遅れておりますが徐々に載せていこうと思います。🙏◀️▶️僕の最新の近況は、「ストーリー」で見てね。#boomerangofinstagram #boomerang #playground #sandiegocountyfair #sandiegocountyfair2017 #delmarfair #delmarfair2017 #delmar @sandiegocountyfair #sandiego #california #californialife #californialiving #ブーメラン #デルマー #サンディエゴ #サンディエゴ生活 #サンディエゴ暮らし #南カリフォルニア #南カリフォルニア生活 #カリフォルニア #カリフォルニア暮らし #アメリカ生活 #アメリカ暮らし #ファインダー越しの私の世界 #サンディエゴカウンティフェア #デルマーフェア #遊園地 #🎢 #🎡 #🎠 (at San Diego County Fair)
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abraxas174 · 4 years ago
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『フランキー・マシーンの冬』ドン・ウィンズロウ 東江一紀 訳
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<上下巻併せての評です>
「自分流に生きるのは骨が折れる」これが書き出し。実にその通り。できるなら、人に合わせ、時流に合わせて生きていくのが楽に決まっている。でも、それができない人間がいる。フランク・マシアーノがそうだった。コーヒーの淹れ方一つとっても、自分流でなければ飲む気がしない。こういう男は厄介だ。特に組織の中で生きていくのは。そういうわけでフランクは自分一人で仕事をすることを好む。
サンディエゴのオーシ��ン・ビーチ・ピアで釣り餌店を開くほか、レストランへの魚介販売、リネン・レンタル業、不動産業と毎日忙しく働いていた。唯一の楽しみは若者たちが仕事に出かけた後の「紳士の時間」に昔ながらのロング・ボードで波に乗ることだ。同年輩の友人とサーフィンの傍ら、昔話に興じたり、シャワーの後のコーヒーを楽しんだりする。娘の学費を稼ぐため、仕事に精を出す必要はあるが「生活の質」は落とせない。フランクは手順通りに事をこなすのを好む。
そんな冬のある日、フランクが襲われる。何者かが伝説の凄腕の殺し屋、フランキー・マシーンをこの世から消し去ろうとしている。からくも難を逃れたフランクは誰にも知られていない隠れ家に身を潜め、自分を殺そうとする相手とその理由の謎解きに取りかかる。足を洗ったとはいえ元マフィアの殺し屋。相棒のマイクと組んで何人も人を殺めてきた。恨みを買っていたとしても不思議はない。フランクはそもそもの始まりから記憶をたどり始める。
二つの物語が、一篇の小説の中に同居する。ひとつは、足を洗って久しい元殺し屋と彼を狙う相手との死闘を描くミステリ。もう一つはサンディエゴを舞台にあくの強いマフィアたちの勃興と権力争い、栄光の日々と失墜を描くクライム・ノヴェル。漁師の子倅がボスの一人に目をかけられ、その運転手となり、様々な試練を経て伝説の殺し屋になっていく、ある種ビルドゥングスロマン風の話が滅法面白い。
原題は<The Winter of Frankie Machine>。流石は東江一紀。そのまま邦題にしている。老境に入りつつある男の苦境を「冬の時代」と見て、彼の半生を振り返る部分に「夏(春)の時代」を見たのだ。作中、フランクや彼の友人は何度も「いい時代だった」と過去を懐かしむ、ノスタルジックでセンチメンタルな感情を隠しもしない。確かにアメリカは変わった。今の状況は特別だが、ベトナム戦争が終わった当時、戦争から帰ってきた若者は深く傷つき、祖国の凋落を感じただろう。
フランク自身は衰えとは無縁だ。今でも現役バリバリで愛人のドナと愛しあい、別れた妻が暮らすもとの自分の家の修理もやるし、生活費も出している。大きな波に乗ることもできれば、射撃の腕も当時のままだ。フランクは歳はとったが衰えてはいない。落ち目になったのは、彼の昔の仲間たちだ。落ち目になった者の目には過去は美しく輝いて見えるのだろう。彼らは何も考えてこなかった。その時その時の衝動に合わせて生きてきたつけがたまっていたのだ。
フランクはマフィアの馬鹿話に適当に付き合いながら、店の台所に立って料理���することを楽しみにしていた。派手に遊ぶことはあっても自分を見失いはしない。マフィアの実態は十分理解していた。何度も足を洗い、その世界から距離を置いてきた。時にはそのために海兵隊に入ることまでした。皮肉なことに軍が彼を育てたのだ。ベトナム戦争のさなか、狙撃兵になった彼は、抜群の射撃の腕でテト攻勢を切り抜ける。フランクの強みは、どんな相手からも自分に必要な知識、技術を吸収できることだ。
それは軍に限らない。ラスヴェガスの高利貸し、ハービーからは玉葱入りベーグルの味とクロスワードの愉しみを、警官上がりのクラブ経営者、通称ビッグ・マックからはクンフーとオーディオを。サンディエゴの副長で伝説の殺し屋バップからは標的を確実に追い詰める技術を学んだ。彼はそれらを忘れることなく、忠実に教えを守り、自分のものにしてきた。だからこそ、多くの者が殺される中、フランクは伝説のまま生き抜いてこれたのだ。
「餌屋のフランク」から伝説の殺し屋「フランキー・マシーン」に返り咲いた男は、自分を殺そうとした相手に近づくが、相手は新たな殺し屋を差し向けてくる。しかも、フランクの居所はどういうわけか筒抜けだ。相手はどうやらマフィアに限らない。FBIまで絡んでいる。この謎を解くには姿を隠したマイクに聞くしかない。フランクは友人の連邦捜査官デイヴにマイクの居所を問い詰める。マイクが仄めかした言葉を手掛かりにフランクは相手の正体を突き止め、最後の戦いに挑む。
家族を愛し、地域の子どもたちを大事にする男が、マフィアの組織や政府の組織相手にひとり敢然と立ち向かう。これには肩入れしたくなる。要所にリチャード・ニクソンやボビー・ケネディといった実在の人物を配し、ビーチ・ボーイズのサーフィン・サウンドが鳴り響き、CCRのヒット曲にちなんだ愛称を持つ人物が重要な小道具となる。ニューヨークのマフィアを描いた映画『ゴッドファーザー』の台詞を真似て笑いをとるところなど、遊び心も満載だ。初のドン・ウィンズロウだったが、充分堪能した。同時代を生きた読者にお勧め。
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xf-2 · 6 years ago
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議長、副大統領、議員の皆さん、ファーストレディー、米国民の皆さん、我々は今夜、限りない可能性の瞬間に立ち会っている。新しい議会の始まりにあたり、私は全ての米国民のため、歴史的な大躍進を達成するため皆さんと協力する気持ちでここにいる。
 何百万もの米国民が今、この偉大なる議場に集まった我々を見ており、二つの政党としてではなく、一つの国家として統治することを望んでいる。
 私が今夜示す計画は、共和党の計画でも民主党の計画でもない。米国民の計画だ。
 我々の多くが中核となる同じ約束のために運動してきた。それは、米国の労働者のために米国の雇用を守り、公平な貿易を要求することだ。国のインフラ(社会基盤)を再建し、再活性化させることだ。保健医療と処方薬の価格を引き下げることだ。適法で近代的で安全な移民制度を作り上げることだ。米国の利益を第一にする外交政策を追求することだ。
 米国政治には新たな機会がある。それをつかみとる勇気さえあればいいのだ。勝利とは、自分の政党を勝たせることではない。国民のために勝つことだ。
 今年、米国の使命の荘厳さと米国人の誇りの力を確認する二つの大事な記念日を迎える。
 6月には、アイゼンハワー将軍が大いなる聖戦と呼んだ、連合国軍による欧州解放作戦の開始から75年を迎える。ノルマンディー上陸作戦の決行日の「Dデー」、つまり1944年6月6日、我々の文明を暴政から救うため1万5000人の米国の青年たちが空から、6万人以上が海から強襲した。
 そのときの信じられないほど素晴らしい英雄3人が今夜、我々と共にここにいる。ジョゼフ・レイリー1等兵、アービング・ロッカー2等軍曹、ハーマン・ゼイトチク軍曹だ。敬意を表したい。
 2019年に我々はまた、月面に米国旗を立てるため勇敢な若い飛行士たちが宇宙を約25万マイル飛んで以来50年となることを祝う。半世紀後(の今)、旗を立てたアポロ11号の宇宙飛行士の1人が(ここに)参加している。バズ・オルドリン氏だ。今年、米国の宇宙飛行士は米国のロケットで宇宙に戻る。
 米国は20世紀、自由を守り、中流階級のありようを一変させた。皆さんが本腰を入れれば、世界の中で米国と競争できるところはない。我々は今、大胆に勇気を持って米国の偉大な冒険の次の章に進まなくてはならない。21世紀にふさわしい新たな生活水準に一新しなければならない。すべての市民が素晴らしい生活の質をもう少しで手に入れられる。
 我々はかつてないほど地域を安全にし、家族を強固にし、文化を豊かにし、信仰を深めるとともに、中流階級をより大きく、より豊かにすることができる。
 そのために我々は復讐(ふくしゅう)や抵抗、報復の政治を拒絶し、協力と妥協、公益の限りない潜在力を追求するべきだ。
 我々は、何十年も続く政治的な行き詰まり状態を共に打開することができる。昔からの分断に橋をかけ、古い傷を癒やし、新しい連立を築き、素晴らしい米国の未来を切り開くことができる。決断は我々にかかっている。
 偉大さか停滞か、成果か抵抗か、未来か復讐か、途方もない進歩か無駄な破壊か、選ばなくてはならない。
 今夜、皆さんに偉大さを選択するよう求める。
 この2年間、私の政権は、何十年にもわたり両党の指導者が放置してきた問題に立ち向かうため、切迫感をもって歴史的なスピードで行動した。大統領選からたった2年余りで、我々は空前の好景気をもたらした。かつてないほどの好景気だ。530万の新規雇用を生み出した。製造業で60万の新規雇用を創ったのは特筆できる。誰もがそんなことはできないと言っていた。事実は、これはまだ始まりということだ。
 賃金はこの何十年で最速のペースで増え、私が身を��(てい)して支援すると約束したブルーカラー労働者で一番伸びている。500万人近い米国人が低所得者向け食料品購入券「フードスタンプ」の支給対象から外れた。米国経済は私が就任した時に比べ、ほぼ2倍の速さで成長している。米国経済は、世界のどこと比べても圧倒的な差をつけて活況だといわれている。
 失業率は半世紀で最も低い。アフリカ系米国人、ヒスパニック系米国人、アジア系米国人の失業率も、史上最低水準だ。障害を持つ米国人の失業率も史上最も低い。歴史的に最多の1億5700万人が今、就労している。
 我々は就労世帯に大規模な減税を行い、児童扶養控除を倍にした。小規模の企業や牧場、家族経営の農場にかかる不動産税や相続税を実質的に廃止した。
 とても不人気だった医療保険制度オバマケアの加入義務違反に対する罰金を廃止した。重病患者が救命治療を受けられるようにした。未承認薬を使えるようにする法案を通過させた。
 私の政権はほかのどの政権が任期中に達成したよりも多くの規制撤廃を短期間で実現した。歴史的な減税と規制緩和の結果、多数の企業が米国に戻ってきている。
 米国でエネルギー革命を起こした。米国は今、世界一の石油と天然ガスの産出国だ。今や、約65年ぶりにエネルギーの純輸出国となる。
 24か月の急速な発展を経て、我々の経済は世界の羨望の的だ。軍は地球上で最強だ。米国は日々、勝利している。議員の皆さん、米国は強力である。我が国は活気にあふれ、経済はかつてないほど繁栄している。
 1日には、今年1月だけで雇用が30万4000人増えたとの発表があった。予想のほぼ2倍だった。米国で経済の奇跡��起きている。唯一それを止めるものがあるとしたら、おろかな戦争か政治、あるいは、ばかげた党派的な捜査だろう。
 平和と法律があるところには、戦争も捜査もあるはずがない。そんなことにはならないものだ。
 我々は国外の敵を打ち負かすため、国内で団結しなければならない。
 この新たな協力の時代は、連邦機関のポストにふさわしい高い能力を有する300人以上の候補者の指名承認で幕を開けられる。手続きは今も上院で止まっており、中には何年も待たされている者がいる。上院は行動を怠っており、これでは候補者だけでなく国に対して不公正だ。
 今こそ超党派の行動が求められる。信じるか信じないかわからないが、それが可能であることを我々はすでに証明している。
 前の議会で、両党は力を合わせ、鎮痛剤オピオイド乱用問題に対処するため前例のない法案を通過させた。包括的な新農業法案、退役軍人省の改革を通した。さらに40年否決され続けた、退役軍人省の説明責任法案を可決した。これにより、素晴らしい退役軍人に対するひどい扱いをようやくなくせる。
 そしてほんの数週間前、両党は画期的な刑事司法改革に向けて団結した。昨年、私は友人からアリス・ジョンソンの話を聞いた。私は深く心を動かされた。
 1997年、アリスは麻薬を巡る違法行為で終身刑を言い渡された。初犯で暴力に手を染めたわけでもなかったのにだ。
 その後20年以上、彼女は刑務所の牧師となり、他の受刑者により良い道を選ぶよう励ましてきた。刑務所の受刑者に大きな影響を与えた。影響はそこだけにとどまらなかった。
 アリスのケースは、判決の不平等や不公平を明確に示している。この不公正を是正する必要がある。彼女はほぼ22年間受刑し、残りの人生を刑務所で過ごすことになっていた。
 私は6月、アリスを減刑した。彼女は今夜ここにいる。アリス、ありがとう。我々にはいつだって自身の運命を決める力があることを思い出させてくれた。
 アリスのすてきな家族が刑務所の門で彼女を迎え、抱きしめ、キスを交わし、泣き、笑うのを見たとき、私は正しいことをしたと実感した。
 アリスのような話をきっかけに、私の政権はファースト・ステップ法の成立に向けて、両党の議員と緊密に連携した。この法は、アフリカ系米国人の権利を誤ったやり方で過剰に損なってきた刑法を改革するものだ。
 ファースト・ステップ法は、暴力を伴わない犯罪者が生産的で法を順守する市民として社会復帰する機会を与える。今、国中の州が続こうとしている。米国は罪が償えることを信じる国だ。
 今夜、ここにテネシー州からマシュー・チャールズも来ている。1996年、マシューは30歳のとき、違法薬物販売などの罪で35年の刑を言い渡された。その後20年にわたり、30以上の聖書の講義を修了し、法務書記となり、受刑者たちの良き助言者となった。彼は今、ファースト・ステップ法のもとで出所した最初の元受刑者となった。ありがとう、マシュー。
 今、共和党と民主党は、差し迫った国家の危機に立ち向かうために再び力を合わせなければならない。
 国土を守り、南部国境を厳重に警備する予算案を通すために、議会には10日の期間が残っている。
 今こそ、米国が不法移民をなくし、密入国を手引きする冷酷な一味や組織、麻薬密売人や人身売買組織を壊滅するために取り組んでいることを、議会は世界に示すときだ。
 今こう話している最中も、中米からの移民集団の大規模な隊列が米国を目指している。メキシコの複数の市当局が、不法移民を地域から排除するために、バスやトラックに彼らを乗せ、我が国の国境警備が手薄な場所に送り込んでいるそうだ。このとんでもない猛襲に対処するため、南部国境に3750人の部隊派遣を命じたところだ。
 これは倫理問題だ。南部国境の無法状態は、すべての米国民の安全、治安、金銭的安定に対する脅威だ。我々は、国民の暮らしと雇用を守る入国管理体制を作り出す義務がある。
 これには、規則を守り、法令を順守している、今ここに暮らす何百万人もの移民に対する我々の責任も含まれる。合法な移民は、様々な形で我が国を豊かにし、社会を強くする。私は我々の国に、かつてないほど多くの人々に来てほしい。しかし、それは合法的でなければならない。
 不法移民ほど我が国の政治的、階級的な分断を明示する問題はない。豊かな政治家や献金者は、壁と門と警備に守られながら、国境の開放を求めている。一方で、米国の労働者たちは、雇用の減少、低賃金、教育の負担、社会保障の衰退といった大規模な不法移民の代償を��っている。
 不法移民への寛容は思いやりではない。現実は非常にひどいものだ。(米国を目指し)北上する女性の3人に1人が性的暴行を受けている。密売人たちは、我々の法律を悪用し、我々の国に入国するために移民の子供を人質として利用する。
 人身売買業者たちは、何千人もの少女や成人女性を米国に密入国させ、彼女らを売春に従事させるため、我々の通関施設間の広い地域をたくみに利用している。
 何万人もの善良な人々が、我々の暮らす街に国境を越えて流入した覚醒剤、ヘロイン、コカインなどの危険な薬物によって死んでいる。
 悪質なギャング組織「MS―13」が少なくとも20州で活動している。彼らのほとんどは南部国境を越えて入ってくる。ちょうど昨日、メンバーの一人がニューヨークの地下鉄ホームでの射殺容疑で拘束された。我々はこのようなギャングのメンバーを排除しているが、国境の安全が保証されるまで、彼らは逆流し続ける。
 年を追うごとに、犯罪的な不法外国人によって殺害される米国人は数え切れない。
 私は多くの素晴らしい「天使の母たち、父たち、家族ら」を知るようになった。誰も、彼らが耐えなければならなかったようなひどい心痛に苦しむべきではない。
 今夜ここに、デボラ・ビッセルが来ている。3週間前、デボラの両親ジェラルドとシャロンはネバダ州リノの自宅で強盗に入った不法な外国人に撃たれて亡くなった。2人は80歳代で、4人の子供と11人の孫、20人のひ孫がいた。ここには、その孫娘のヘザーとひ孫のマディソンも来ている。
 ほとんどの人はあなたたちの痛みを理解できない。ありがとう、ここにいてくれてありがとう。本当にありがとう。私は決して忘れないし、ジェラルドとシャロンのために、このようなことが二度と起こらないように闘う。
 危険な国境の管理を怠り、もうこれ以上、米国人の生命が奪われることがあってはならない。
 米移民・関税執行局(ICE)は、この2年間で、26万6000人の不法な外国人を拘束した。この中には、性犯罪にかかわった3万人や、殺人事件に関与した4000人が含まれる。
 こうした法執行の英雄の一人がここに来ている。ICE特別捜査官のエルビン・ヘルナンデスだ。エルビンと彼の家族はドミニカ共和国から合法的に米国に移住してきた。8歳の時、エルビンは父親に捜査官になりたいと言った。彼は今、国際的な性的人身売買を取り締まる捜査を指揮している。エルビンは言��。「もしこれらの若い少女たちが確実に正義を得られるならば、私は本当に自分の仕事をしたことになる」。彼と彼の同僚のおかげで、昨年、300人以上の女性らが恐怖から救われ、1500人以上の残虐な人身売買業者らが投獄された。
 我々はいつも、法執行に関わる勇敢な男女を支持する。私は今夜、ICEの英雄を滅ぼすことはないと誓おう。ありがとう。
 我が政権は、南部国境の危機を終わらせるため、良識ある提案を議会にしてきた。それは、人道支援や更なる法執行、入国時の薬物探知、子供の人身売買を可能にする抜け穴を封じること、国境の物理的な壁を含む。過去には、ここにいるほとんどの人が壁に賛成票を投じたが、壁は適切に建設されていない。私はそれを建設する。
 これはスマートで戦略的で向こうが見通せる鋼鉄の障壁であり、ただのコンクリート壁ではない。これは、国境警備隊によって必要性があると確認された場所に設置されるだろう。壁がつくられたところでは不法入国は激減すると国境警備隊は言うはずだ。
 サンディエゴ(カリフォルニア州)は、米国で最も多くの不法入国があった。サンディエゴ住民や政治指導者の要求に応じて、頑丈な壁が導入された。この頑丈な壁は不法入国をほぼ完全に収束させた。
 メキシコとの国境都市であるテキサス州エルパソは、かつて、米国内で凶悪犯罪率が最も高い都市の一つで、最も危険な都市の一つと考えられていた。今は強力な壁のおかげで、エルパソは最も安全な都市の一つになっている。端的に言えば、壁は機能し、壁は人命を救う。
 だから、協力し、歩み寄り、真に米国を安全にする取引を成立させよう。
 我々は国民の安全を守るために働いている。経済の回復を速いペースで進めなければならない。
 昨年に創出された新規雇用の58%を占めた女性たちほど、私たちの発展する経済から恩恵を受けた人々はいない。すべての国民は、これまで以上に多くの女性が働けることを誇りに思うだろう。女性に参政権を与える憲法修正が議会で可決されてからちょうど1世紀、これまでで最も多くの女性が議会で活躍している。素晴らしい。おめでとう。
 あらゆる場面で女性の活躍する機会を改善する取り組みの一環として、我々は途上国の女性の経済的自立に焦点を絞った政府初の事業も始める。
 驚異的な経済の成功を築くためには、最優先事項として、数十年にわたる悲惨な貿易政策を転換させることだ。
 我々は中国に対し、長年にわたって米国の産業を狙い、知的財産を盗んできた今、雇用と富を盗み取るのはもう終わりだと明確にしておきたい。
 我が国は最近、約2500億ドル(約27兆4000億円)の中国製品に関税を課した。財務省は今、中国から何十億ドルも受け取っている。しかし、我々を利用したと、中国を非難するつもりはない。私は、この茶番を許した我が国の過去の指導者と議員たちを非難する。私は習シー(近平ジンピン)国家主席をとても尊敬している。
 我々は今、中国との新しい貿易協定に取り組んでいる。しかしその新たな協定には、不公正な貿易慣行を終わらせ、慢性的な貿易赤字を減らし、米国の雇用を守るために、実質的で構造的な改革が含まれなければならない。
 もう一つの歴史的な貿易の大失敗は、北米自由貿易協定(NAFTA)として知られる大惨事だ。
 私はNAFTAによって夢を砕かれたミシガンやオハイオ、ペンシルベニア、インディアナ、ニューハンプシャー、さらに多くの州で男女に会った。何年もの間、政治家はより良い協定を交渉すると公約してきた。しかし、今まで誰も実行を試みなかった。
 我々の新しい「米国・メキシコ・カナダ協定(USMCA)」は、NAFTAに取って代わり、米国の労働者のために役割を果たすだろう。それによって、米国の製造業に雇用を取り戻し、米国の農業を拡大させ、知的財産を保護し、より多くの車に「メイド・イン・ザ・USA」の美しい四つの単語を誇らしげに刻印することを保証できる。
 私は今夜、相互貿易法を議会で通過させることを求めたい。他国が不当な関税を米国の製品に課したら、我々も彼らが売りたい同様の製品に全く同じ関税を課せるようにするためだ。
 両党は、米国のボロボロのインフラ再建という偉大な仕事のため団結できるはずだ。
 私は、議会がインフラ整備法案を通すことに意欲を持っているのを知っている。私は、未来の最先端産業のための投資を含めた、新しくて重要なインフラ投資を実行するための法整備で、あなたたちと一緒に働きたくてたまらない。これは選択の問題ではない。必要不可欠なものだ。
 私だけでなく、私たち全員にとって次の大きな優先事項は、医療と処方薬の費用を減らし、既往症のある患者を守ることだ。
 私の政権の努力の結果として、既に薬の価格は2018年に、46年間で最大の下げ幅を経験した。
 しかし、我々はもっとやらなければならない。米国人が、たいてい全く同じ場所で作られている全く同じ薬のために、他国の人より非常に高い金額を支払わされるのを受け入れることはできない。こんなことは間違っており不公平だ。力を合わせ速やかにやめさせたい。
 私は、医薬品開発費の負担が世界的に不公正になっている問題にようやく取り組み、米国の患者にとって公平性と価格の透明性を提供する法律を通すことを求めている。製薬会社や保険会社、病院に対し、競争を促し、価格を下げるために実際の価格を開示することも要求すべきだ。
 歴史上、米国の自由ほどの力を持って、人々の境遇を進歩させたものはほかにない。ここ数年で我々は、HIV(エイズウイルス)との闘いで目を見張る進展を遂げた。科学の飛躍的進歩は、遠い夢を手の届く距離に引き寄せた。私は、10年以内に米国でHIVの流行を確実になくすために必要な予算を民主党と共和党に求めたい。一緒に米国のエイズに打ち勝とう。
 今夜、私は全ての米国人が支持できる別の闘いに参加することも求めている。それは小児がんとの闘いだ。
 観客の中で今晩メラニアと一緒にいるのは、とても勇敢な10歳の女の子、グレイス・イラインだ。やあグレイス。彼女は4歳の時から誕生日のたびに、セントジュード小児研究病院への寄付を友人に呼びかけていた。彼女は自身が、患者になる日が来るとは思わなかった。それが起こった。昨年、グレイスは脳のがんと診断された。すぐに彼女は放射線治療を始めた。同時に地域に呼びかけ、がんとの闘いのために4万ドル以上を集めた。彼女が昨秋、治療を終えた際、「化学療法の最終日」というポスターを掲げると、彼女の医師や看護師が目に涙をためて喜んだ。ありがとうグレイス、あなたはこの部屋にいる全員の励みだ。
 多くの小児がんは新しい治療法が見つかっていない。私は、命を救う重要な研究のため5億ドルの予算を議会に求めている。
 共働きの親を助けるため、米国の子供たちのための公立学校選択制を通す時が来た。私は、有給の家族休暇を全国的に導入する計画を予算案に含める最初の大統領となることを誇りに思う。親がみな、生まれたばかりの子供と親密な絆を結べるようにするためだ。
 母親が幼児を抱く美しい映像と比べ、我々の国で最近流れた身も凍るような映像ほど、大きなコントラストを示すものはない。
 ニューヨークの議員は、生まれる寸前の赤ちゃんを中絶できるようにする法案の通過を喜んだ。こうした赤ちゃんは、生きていて感覚を備える美しい存在なのに、この世の愛も夢も決して触れられない。バージニア州の知事に至っては、その発言で、出産後に赤ちゃんを処刑する意図まで示した。
 全ての人の尊厳を守るため、私は、母親の胎内で子供が痛みを感じることができる妊娠後期の中絶を禁止する法案を通過させるよう求めている。
 無垢(むく)の生命を大事にする文化を共に築こう。根本の真実を再確認しよう。生まれた子もこれから生まれる子も、神の神聖な御姿をかたどったものだ。
 私の計画の最後は米国の安全保障についてだ。
 ここ2年以上、昨年は7000億ドル、今年は7160億ドルをかけて、我々は米軍を全面的に立て直すことに着手してきた。我々は他の国々に対して公平な分担をさせている。やっとだ。長年の間、米国は、北大西洋条約機構(NATO)の加盟国である友好国から非常に不公平に扱われてきた。しかし、この2、3年でNATOの同盟国による1000億ドルを超える防衛支出の増額を確保した。彼らができないと言っていたものだ。
 軍増強の一環として、米国は最新式のミサイル防衛システムを開発している。
 私の政権下では、米国の利益を促進したことを巡って我々が謝ることは決してない。
 例えば、数十年前、米国はロシアとミサイル能力を制限し、縮小する条約を締結した。我々が合意とルールを誠実に守る一方、ロシアは長年、繰り返し取り決めを破ってきた。それが、私が中距離核戦力(INF)全廃条約から正式に離脱することを発表した理由だ。それ以外に選択肢がない。
 おそらく我々は中国やその他を加えて異なる合意を交渉できる。もしできなければ、我々は、ほかのどの国もはるかにしのぐ費用をかけて技術革新を行い優位に立つ。
 大胆で新しい外交の一環として、我々は朝鮮半島での平和のために歴史的な努力を続けている。我々の人質は帰国した。核実験は止まった。ミサイル発射は15か月間、行われてこなかった。私が米国の大統領に選ばれていなかったら、私の考えでは、今まさに、北朝鮮と大規模戦争になっていただろう。多くの仕事が残っているが、金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長と私の関係はよいものだ。金委員長と私は2月27、28日にベトナムで再び会う。
 2週間前、米国は正統なベネズエラ政府および新しい大統領、フアン・グアイド氏を正式に承認した。ベネズエラの人々の高貴な自由の追求を支持する。マドゥロ政権の残忍性を非難する。彼らの社会主義政策は、南米で最も裕福だった国を、みじめな貧困と絶望の国に転落させたた。
 ここ米国で、我々の国に社会主義を採用しようという新たな要求を警戒している。米国は、政府の強制でも支配でも統制でもなく、自由と独立の上に築かれた。我々は生まれながらに自由で、自由であり続ける。今夜、米国が決して社会主義国にならないという決意を再確認する。
 我々が長年にわたって直面する試練の中でもとりわけ複雑なものの一つは、中東にある。
 我々の取り組みは、原則にのっとる現実主義に基づいている。何十年も進展がなかった信用できない理論ではない。だからこそ我々の政権は、イスラエルの真の首都を認め、誇りを持ってエルサレムに大使館を開いた。
 我々の勇敢な兵士は今、ほぼ19年間にわたって中東で戦ってきた。アフガニスタンとイラクでは7000人近い米国人の英雄が命をささげた。5万2000人以上の米国人が重傷を負った。我々は7兆ドル以上を中東での戦闘で費やしてきた。
 大統領候補として、私は新しい取り組みを声高に約束した。偉大な国は、終わりなき戦争はしない。
 私が就任した時、イスラム過激派組織「イスラム国」はイラクとシリアの2万平方マイル以上を支配していた。今日、血に飢えた怪物の支配から、我々は実質的に全領土を解放した。
 「イスラム国」の残党を壊滅するため、同盟国と連携して取り組んでいる今、我々のシリアにいる勇敢な戦士に温かい「お帰りなさい」を贈る時だ。
 私はまた、アフガニスタンで政治的解決を、可能なら実現させるための交渉を加速させてきた。敵対勢力もまた、交渉が行われていることをとてもうれしく思っている。我々の軍は比類なき勇猛さで戦ってきた。そして、彼らの勇気のおかげで、我々は今、この長く血を見るような紛争の政治的解決となりうることに取り組むことができる。
 アフガニスタンで私の政権は、(旧支配勢力)タリバンを含む数多くの勢力と建設的な対話を行っている。これらの交渉が進展すれば、我々の軍の駐留部隊を減らし、テロ対策に集中することができるだろう。我々は実際にテロ対策に集中する。(和平)合意を実現できるかどうかはわからない。しかし、20年に及ぶ戦争を経て、少なくとも和平達成に向けて努力する時が来たことを我々はわかっている。相手も同じことをしたいと思っている。その時だ。
 敵味方の区別なく何より重要なのは、国民を守ろうとするこの国の力と意思を疑ってはならないことだ。18年前、テロリストたちは米駆逐艦「コール」を襲撃した。そして先月、米軍はこの襲撃の首謀者の一人を殺害した。
 我々は今夜、トム・ウィバリーが参加してくれたことを光栄に思う。彼の息子で海軍上等兵のクレイグ・ウィバリーは、我々が悲劇的に失った17人の乗組員の1人だった。トム、我々はいつでも、駆逐艦コールの英雄たちを記憶にとどめると誓う。ありがとう、トム。
 私の政権は、世界で有数のテロ支援国家であるイランの急進的な政権に立ち向かうため、断固とした態度で行動してきた。急進的な政権だ。彼らは本当に悪いことをする。
 この邪悪な独裁政権が核兵器を決して保有しないことを確実にするため、私は破滅的なイラン核合意から米国を撤退させた。そして我々は昨年秋、米国が一国に科すものとしては最も厳しい制裁を発動させた。
 我々は、米国に対して死を唱え、ユダヤの人々に対して集団虐殺を行うと脅す政権から目をそらさない。反ユダヤ主義という卑劣な害毒、その悪意に満ちた信念を広める人々を、決して無視してはならない。我々は一致団結し、こうした憎しみがいかなる場所で生じたとしても、立ち向かわなければならない。
 わずか数か月前のことだが、(東部)ピッツバーグのシナゴーグ(ユダヤ教礼拝所)「生命の木」で、ユダヤ系米国人11人が反ユダヤ主義の襲撃によって残忍な形で殺害された。SWAT(警察特殊部隊)のティモシー・マットソン隊員は銃撃のさなかに突入し、7回撃たれながらも犯人を追跡した。そして非常に成功した。ティモシーは12回目の手術を受けたばかりで、さらに多くの手術を受ける。しかし、今夜、我々と共にここにいるために駆けつけた。マットソン隊員、ありがとう。我々は、永遠に感謝する。本当にありがとう。
 今夜、ピッツバーグの事件の生存者ジュダ・サメットも参加している。彼は、虐殺が始まった時にシナゴーグに到着した。しかし、彼は昨秋、死を免れただけではない。70年以上前、ナチスの強制収容所でも辛うじて生き残ったのだ。今日はジュダの81歳の誕生日だ(拍手。誕生日を祝う歌が歌われる)。彼らは私のためにそうしてくれないよ、ジュダ。ジュダは、約75年前、強制収容所で10か月間過ごした後、家族と列車に乗せられ、別の収容所に行くと言われたまさにその時を、今でも思い出すことができると言う。突然、列車がキーッと音を立てて止まった。1人の兵士が現れた。ジュダの家族は最悪の事態を覚悟した。そのとき、彼の父親は大きな喜びの声を上げた。「米国人だ、米国人だ」と。
 今夜ここにいる、ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)を生き抜いた2人目の人物のジョシュア・カウフマンは、ダッハウ強制収容所の捕虜だった。彼は、家畜運搬車の壁の穴をのぞき、米兵が戦車で続々とやって来るのを見たことを覚えている。ジョシュアは「私にとって、米兵は神が存在するという証しであり、彼らは空から下りてきた。彼らは天国から下りてきた」と回想する。
 今晩、私はまず、第2次世界大戦中の「Dデー」(ノルマンディー上陸作戦の決行日)に戦った兵士3人を称賛することから始めた。そのうちの1人がハーマン・ゼイトチクだった。
 だが、ハーマンの物語はもっとある。ハーマンはノルマンディー海岸を急襲した1年後、ダッハウ(強制収容所)の解放を手助けした米兵の1人だった。彼は、この世の地獄からジョシュアの救出を支援した米国人の1人だった。75年近くがたち、ハーマンとジョシュアは今夜、ギャラリーの中に共にいる。米国の自由発祥の地であるこの場に、隣り合って座っている。ハーマンとジョシュア。あなたたちが今晩ここにいることにとても感謝している。
 1944年、Dデーの早い時間帯、英仏海峡の暗い空の下で米兵が作戦に着手した時、彼らは18、19歳のただの若者だった。不安定な上陸用舟艇で、戦争の歴史の中で最も重要な戦闘へと突き進んでいったのだ。
 彼らは、その時を生き残れるのかわからなかった。年を重ねられるのかもわからなかった。しかし彼らは、米国が優勢でなければならないことはわかっていた。この国家、そして、まだ生まれていない世代(のために戦うこと)が彼らの大義だった。
 なぜ彼らはそうしたのか。米国のため、私たちのためにそうしたのだ。
 共産主義への勝利、科学と発見の大いなる飛躍、他の追随を許さない平等と正義への前進――。全てが、先人の血と涙と勇気、先見の明のおかげなのだ。
 この議事堂に思いをはせよう。あなたたちより前に(ここにいた)議員たちが、奴隷制に終止符を打ち、鉄道や高速道路を建設し、ファシズムを打ち倒し、公民権を獲得し、悪の帝国を屈服させるために投票を行った、まさにこの議場に思いをはせよう。
 今夜ここには、この壮大な共和国の各地から来た議員たちがいる。メーン州の岩石の多い海岸やハワイ州の火山の峰々から。ウィスコンシン州の雪深い森やアリゾナ州の赤い砂漠から。ケンタッキー州の青々とした農地やカリフォルニア州の黄金の砂浜から。我々は共に、歴史上最も類いまれな国家の議員を務めている。
 我々はこの瞬間、何をしようとしているのだろうか。我々はどのように記憶に残るのだろうか。私はこの議会の男女に求める。目の前にある機会を見よ! 最も感動させる偉業が、まだこの先にある。最も刺激的な旅が、まだこの先に待ち受けている。我々の最大の勝利はまだ先のことだ。我々の夢はまだ始まっていない。
 我々は、不一致によって規定されてしまうのか、勇気を持って違いを乗り越えていくのか、選ばなくてはならない。
 我々は、受け継いできたものを無駄遣いするつもりなのか、あるいは、米国人だと誇らしげに宣言するつもりなのかを選ばなければならない。我々は信じられないようなことをする。我々は不可能なことに挑む。我々は未知なるものに打ち勝つ。
 今こそ米国の想像力を再び燃え上がらせる時だ。最も高い頂を目指し、何よりも輝く星を目指して目標を設定する時だ。我々を市民として、隣人として、愛国者として結びつける愛と忠誠、そして記憶の絆をよみがえらせる時だ。
 これが我々の未来であり、運命であり、選ぶ道だ。私はあなたたちに偉大さを選ぶよう求めている。
 どんな困難に直面しようと、どんな難問が降りかかってこようと、我々は共に前進しなければならない。
 我々は、心の中に「米国第一」を掲げなければならない。魂の中に自由を息づかせなければならない。そして、神のみもとにある一つの国として世界各国の希望であり、期待であり、光であり、名誉であるべきだ――という米国の運命にいつでも信念を持ち続けなければならない。
 ありがとう。みなさんに、そして米国に神のご加護がありますように。そして、おやすみなさい。
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hentaianime2019 · 5 years ago
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北極海と周辺の海に暮らすシロイルカ(ベルーガ)が、そのはるか南、米国カリフォルニア州サンディエゴ沖で目撃された 元スレ 1ブギー ★2020/07/19(日) 06:35:18.37ID:VIgx7L0v9 北極海と周辺の海に暮らすシロイルカ(ベルーガ)が、そのはるか南、米国カリフォルニア州サンディエゴ沖で目撃された。サンディエゴは、日本の熊本や八丈島と同じくらいの緯度にあり、公式に記録された目撃場所としては最も南だという。 まさかシロイルカが  発見されたのは2020年6月26日。ホエールウォッチングツアーの船長で野生動物の写真家でもあるドメニク・ビアジーニ氏は、6人のツアー客を船に乗せ、ミッションベイの沖合でクジラ(できればシロナガスクジラ)を探していた。別のツアーの船長、リサ・ラポイント氏にもクジラを見つけていないか無線で尋ねてみた。 「たった今、真っ白で背びれのない4、5メートルの動物を見たところ」とラポイント氏は答えた。「ちょっとほかにはない白さよ」  シロナガスクジラでないのは確かだった。ザトウクジラやシャチなどよく見かける種でもなさそうだ。説明を聞く限りではシロイルカのようだが、まさかシロイルカがカリフォルニア沖にいるとは思えない。  1時間後、ラポイント氏から連絡があった。やはりシロイルカだと言う。「決定的な証拠がなければ、誰も信じてくれない」ので、記録を残す手伝いをして欲しいと、彼女はビアジーニ氏に頼んだ。ビアジーニ氏はドローンを携えて、ラポイント氏の言う海域へ向かった。  探すこと45分、船から180メートルほど先にその動物が浮かび上がった。「まぎれもないシロイルカが、目の前に現れました」とビアジーニ氏。「あまりに奇妙、かつ驚くべき出来事だったため」、彼はすぐに“市民科学者”モードに切り替わり、震える手でドローンを操作し、この思いがけない訪問者を撮影した。  シロイルカが見られるのは通常、北極圏と周辺のカナダ、グリーンランド、ロシア、スカンディナビア、アラスカの海で、たいていは群れで泳いでいる。 34不要不急の名無しさん2020/07/19(日) 07:03:09.03ID:vZiuhr6E0…
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