#南カリフォルニア暮らし
Explore tagged Tumblr posts
Text





Tokio Ueyama. Denver Art Museum. 上山登紀夫(1889-1954). 和歌山県出身。風景、静物画、肖像画で最もよく知られている日本生まれの画家。
「上山登喜夫の生涯と芸術」展では、全米日系人博物館と上山氏の遺族から当館に貸与された40点以上の絵画作品を展示します。遺族の尽力により、この輝かしい国際色豊かな芸術家の物語が、全米日系人博物館で初めて紹介されることとなりました。
日本で生まれた上山登喜夫は、1908年、18歳でアメリカに移住し、1954年に亡くなるまでそこで暮らしました。本展は、サンフランシスコ、南カリフォルニア大学、ペンシルバニア美術アカデミー(フィラデルフィア)で美術学生として過ごした。ヨーロッパやメキシコへの旅、ロサンゼルスのリトル・トーキョーで芸術家として、そして地域社会の一員として活躍した時代、そして第二次世界大戦中にコロラド州南東部のグラナダ強制収容所(現在はアマチ国立史跡)で収容された時代など、上山氏の生涯を物語ります。
1941年の真珠湾攻撃後、トキオと妻のスイは、12万人を超える日系アメリカ人とともに、アメリカの強制収容所に強制的に移送されました。その後数年間で1万人以上がアマチに収容され、当時コロラド州で10番目に大きな「都市」となりました。そこで150人の生徒に成人向けの美術を教えていました。本展は、コロラド州の歴史における、アメリカ人が孤立と喪失を経験し、そして何よりも重要なのは、偏見に直面しながらも想像を絶する回復力、粘り強さ、そして創造性を発揮した場所の物語を語ります。彼の作品は日系アメリカ人国立博物館(ロサンゼルス)、文書はアメリカ美術史アーカーイブ(ワシントンDC)に所蔵されています。。
3 notes
·
View notes
Text
TEDにて
ヨハン・ロックストローム:人類の未来を変革する10年 あるいは地球が不安定化する10年
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
環境学者のヨハン・ロックストロームは、「歴史上初めて、私達は地球が不安定化になることを現実的なリスクとして考えなければならなくなった」と言います。
シベリアの永久凍土から北の大森林、そして、アマゾンの熱帯雨林まで気候を調節している15の大きな生態系と地球環境システムのうち9つが転換点に至る危機に瀕し、地球は人類が住めない場所になりかねません。
今後10年(2020から2030年)かけて地球を持続可能な道に戻すための彼の計画を聞きましょう。
地球上の��々にとって10年という時間は長いものです。太陽の周りを10回廻るということですから。私が10年前TEDの舞台に立った時、地球を人間が繁栄できる状態に維持する上での地球の限界(バウンダリー)の話をしました。
主なポイントは、一つでも限界を越えてしまうとリスクは何倍にも膨れ上がっていくということです。地球の限界は、互いに密接に関係しています。中でも気候変動と生物多様性は、主要な限界です。その他全ての限界に影響を及ぼすのです
当時、私達にはもっと猶予があるのだと思っていました。警告灯は確かに灯っていたのですが、不可逆的な変化は、まだ起こっていませんでした。
私がTEDで話した後、私達が、地球で安全に暮らせる領域から急速に離れつつあるという証拠が増加しています。気候は世界的に、限界点に達しています。
この10年間、記録的な異常気象が続きました。オーストラリア、シベリア、カリフォルニアそしてアマゾンでの森林火災、中国、バングラデシュ、インドの洪水、北半球はどこも熱波に耐えています。
私たちは、気候の転換点を越えてしまう危険な状態にあります。復元力のある友人として衝撃を和らげてきた地球が、暑さを増大させ私達を苦しめるようになりかねません。
歴史上初めて私達は地球全体が、不安定な状態になることのリスクを考えざるを得ない状況に追い込まれています。子どもたちには分かっています。学校から飛び出してデモをして行動を求めています。
壊滅的なリスクへの道筋を変えられない大人たちの無力さを目のあたりにして疑いを抱いています。2030年までの次の10年で世界は根本的に変化しなければなりません。これが私達のミッションです。秒読み段階に入っています。
同僚の科学者達がおよそ10年前に初めて、気候変動の転換点についてまとめたとき深刻な負のスパイラルにある場所は、1か所でした。
北極海の海氷です(波の音)、他の転換点はまだ50年も100年も先の事と思われていました。
つい昨年2019年のこと。それぞれのシステムを見直してみて私は自分の研究人生での最も大きな驚愕を覚えました。あと数十年すると北極海の氷は、夏には全部溶けます。シベリアでは永久凍土が劇的な規模で解凍し続けています。
グリーンランドでは何兆トンもの氷河が失われていっており、ティッピングポイントへと近付いているようです。北の大森林の火災からは、ヨーロッパほどの大きさの煙が生じています。
大西洋の海流の循環が弱まっています。アマゾンの熱帯雨林は死にかけており、15年以内に炭素を排出し始めるかもしれません。グレート・バリアリーフのサンゴ礁の半分は死滅してしまいました。
南極大陸西部は、既に転換点を越えてしまった可能性があります。そして最も堅牢な氷河である南極大陸東部の一部は不安定になっています。気候を調整する生態系や気候システムの15のうち9つが変調をきたし、懸念すべき衰退の兆候を示し、おそらく転換点へ近付いています。
転換点は、3つの脅威をもたらします。まず、海面上昇です。今世紀中に海面が、1mまで上昇することは確実です。これは2億人の住居を危険に晒します。さらに南極とグリーンランドから解け出す氷河をこれに合算すると海面上昇は2mにもなると考えられます。ですがそれで終わりではなく状況は悪化の一途を辿ります。
次に、もし炭素の貯蔵庫である永久凍土や森林が、炭素を吐き出しはじめてしまったら地球の温度を安定させることは、とても難しくなります。
最後に、こうした自然システムはすべて繋がっています。1つの転換点を越えたらドミノのように次の転換点も巻き込みかねません。
さて、現在の状況を振り返ってみましょう。私達の文明の基盤は安定した気候と豊かな生物多様性で成り立っています。まさに全てがこれに基づいています。これまで文明は程よい条件のもとで繁栄してきました。暑すぎず、寒すぎない気温の中です。
人間は最後の氷河期以降1万年、この中で暮らしてきました。もう少し長い時間の中で見てみましょう。300万年の間、気温は、上昇してもプラス2度は超えませんでした。地球の温度の変化は、限られた範囲にとどまり温暖な間氷期にはプラス2度まで氷河期でもマイナス4度まででした。
しかし、いま3世代のうちに、3~4度上昇するという世界に変化しています。
私達の気候は100万年や200万年ではなく、500万~1000万年もの時間を逆行しているようなものです。地球は温室になる方向です。1度気温が上昇する毎に10億人が今日「居住不可能」と考えられる環境へと追いやられてゆきます。
これは気候の危機ではなく惑星の危機です(過去には、ゲルマン人の大移動で一神教のキリスト教が東西に分割されてます)
私が恐れていることは、地球が2030年の1月1日に崖から落ちたりするということではなく、私達がもう元に戻れなくなる地球システムのメカニズムボタンを押してしまうことです。
これから10年で起こることは、私達が将来世代へと手渡す地球の状態を決定することでしょう。子どもたちはあらゆる理由で危機感を抱かざるを得ません。私達は地球環境を安定させる事に真剣に取り掛からなくてはなりません。
SDGsや気候変動対策は、再生可能エネルギーのことではありません。パンデミック対策の一環です!それ以外の活動は派生物。権力濫用の口実に注意!
SDGsや気候変動対策は、再生可能エネルギーのことではありません。パンデミック対策の一環です!それ以外の活動は派生物。権力濫用の口実に注意!
COP27では、1.5度目標についての文言は削除され、化石燃料の段階的廃止も消えた。
COP27では、1.5度目標についての文言は削除され、化石燃料の段階的廃止も消えた。
2つの分野がこの変革を導きます。
まず、科学。持続維持可能な地球の新しい方程式はこうです。
地球の限界に共有地(コモンズ)としての世界を加えると地球への奉仕が導かれます。私達人類は安全に皆が地球全体への奉仕者となれる方法が必要です。地球を救うためでなくより良い未来を皆のために作るために。
全世界同時ベーシックインカムへの財源も必要です。
全世界同時ベーシックインカムへの財源も必要です。
2つめは社会にあります。低収入者へのウェルビーイングを基盤とした新しい経済理論が必要です。
私達は共有地としての世界や企業や都市に対して、科学に基づいた目標を提示することができます。まず私達は2030年までに世界中での炭素排出量を半減し、2050年以前までにネット・ゼロを実現しなければなりません。
その為には社会の基盤システムをゆるやかに脱炭素化する必要があります。エネルギー、産業、交通、建築、化石燃料が主要になるような時代は終わりなのです。
私たちは、農業を炭素排出源ではなく、逆に、吸収貯蔵するよう転換する必要があります。また、海洋と土地を守ることは必須です。
自然のエコシステムは、排出された炭素の半分を吸収します。幸いにも私達はこれを達成できます。私達には知識があり、技術があります。
そして、これは社会的にも経済的にも良い選択だと分かっています。成功したあかつきには、皆が新鮮な空気を胸いっぱいに吸い健康的なライフスタイルに移行していくでしょう。居住可能な環境の都市に復元力のあるマクロ経済システムが根付くでしょう。
私達は皆、太陽の周りを廻る旅を共にしています。地球は、私達の唯一の家です。私達のミッションは、子どもたちの未来を守ることです。
ありがとうございました。
(個人的なアイデア)
占星術の予言する風の時代の到来とともに・・・
OpenAIのChatGPTが、今後10年(2020から2030年)間の2023年位に登場したのも偶然ではなさそうです。
温室効果ガスを減らす農業、林業、主要産業であるエネルギー、産業、交通、建築、化石燃料からの緩やかなシフトと同時に・・・全世界同時ベーシックインカム。
AGI(汎用人工知能)のトランスフォーマーアルゴリズムによるアルファフォールドなどで2024年にノーベル化学賞を受賞。
2020年からのウイルスの感染拡大速度を超える新型コロナウイルスのワクチンの高速開発。すべてが複合的にシナジーしている兆候が基礎技術から具現化し、うっすら見えて��ている。
大規模言語モデルによるAGIの実現が、近づくことと同時に!!低収入者の下支え事前分配を行うための
ベーシックインカム型給付金や最低年収保障の金額の底上げの実現も車の両輪のように重要になってきます。
その他の低収入者以外は、完全雇用を目指して失業率を下げる。
人を貨幣で売り買い行為は、全て古来の奴隷制度が形を変えた概念。
労働を低い所得で買い叩くのは、社会システムとしては基本的人権侵害の憲法違反に該当し
逆に、高い所得なら正当化され労働市場で通じるからこそ、最低年収の概念が出てくる根本がある。
<おすすめサイト>
大規模言語モデルまとめ2025。数学や物理学が得意?Grok 3 DeepSearchを用いて人間には不可能なトポロジーなイメージを描かせて見た
シェーン・レッグとクリス・アンダーソン :AGI(汎用人工知能)のトランスフォーマーアルゴリズムな可能性 - そしてそれがいつ到達するか
ジョアン・チョリー:過給された植物が気候変動をどのように遅らせることができるか
アラン・セイボリー:砂漠を緑地化させ気候変動を逆転させる方法
アスメレット・アセファー・ベルへ:私たちの足元にある気候変動の解決策
チャド・フリシマン: 100の温暖化対策法
フレッド・クラップ:人工衛星を打ち上げ 恐ろしい温室効果ガスを追跡しよう
ヨハン・ロックストローム:繁栄する持続可能な世界SDGsを築く5つの革新的な政策?
テッド・ハルステッド: 皆が勝利する気候問題へのソリューション
ジョン・フランソワ・バスタン:地球に1兆本多く木があったら?
リサ・ジャクソン:2030年までにカーボンニュートラル(気候中立)達成を目指すAppleの誓い
クリスティン・ベル:「ネット・ゼロ(相対的なCO2排出量ゼロ)」とは何か?
ロジェカイヨワ戦争論と日本の神仏習合との偶然の一致について2019
ライナー・ストラック:2030年の驚きの労働人口クライシス ― そして今からどう対策を始めるか
<提供>
東京都北区神谷の高橋クリーニングプレゼント
独自サービス展開中!服の高橋クリーニング店は職人による手仕上げ。お手頃50ですよ。往復送料、曲Song購入可。詳細は、今すぐ電話。東京都内限定。北部、東部、渋��区周囲。地元周辺区もOKです
東京都北区神谷高橋クリーニング店Facebook版
#ヨハン#ロック#ストローム#気候#カーボン#ニュートラル#通貨#貨幣#経済学#政府#環境#二酸化炭素#倫理#健康#貧困#パンデミック#アビダンマ#サンデル#カイヨワ#NHK#zero#ニュース#発見#discover#discovery#GPT#ベーシック#インカム#ゲルマン
0 notes
Text
2023-12-17 / 感性の受信機
「音楽の聴き方 聴く型と趣味を語る言葉」という本を読んでいる。まだ はじめに と第一章の途中までしか読んでいないのだけれど、これまでのところ、自分がこれまで音楽体験を通じて感じてきたことが色々とうまく言語化されていてとても興味深く読んでいる。そんな中で、「芸術(音楽)体験において、人はあらかじめ自分の中にあるものを再認識しているだけなのだ」という引用からの一節を読んでいてふと思ったことがある。ちょうど自分は最近、メッセージ・主張のある音楽というのは良いよなと再認識しているところだった。キッカケは Killing in the name から Rage Against The Machine にはまっていること。彼らの音楽はあんまり聴いたことが無かったし、おそらく二十代の頃の自分では音楽性的にハマらなかっただろうし、さらに言うと自分がずっと日本で暮らしていたらここまでピンとくることも無かったのかもしれないと思っている。南カリフォルニアに移住し、アメリカの社会問題がより身近に(幸い自分が何かあからさまに嫌な目に遭ったことは無いけれど、アメリカの地でアジア人の外国人として暮らす事で色々と思うことが無かったわけではない)なったことによって、彼らの曲から脳裏に映るビジョンが、自分で日本で暮らしてそれを想像しようとした場合のそれとは全く違うリアルなものになっていると思う。その上で、この歌詞に気づいたとき、何度もこの曲をリピートしてしまった。自分の人生経験が積み重なり出来上がった土壌に、偶然波長の合う音楽が降り注いだときに、そこに「自分の感じていることが言語化されている」という体験と喜びが発生する。全てのケースがこうであるかはわからないけれど、本書で書かれているこのパターンというのは音楽「体験」のユニークなところなのかもしれない。
0 notes
Text
加藤 朗(かとう・あきら) 桜美林大学 1951年生。81年早稲田大学大学院政治研究 科国際政治修士修了。同年防衛庁防衛研究 所。96年桜美林大学国際学部助教授。現リ ベラル・アーツ学群教授。『入門・リアリ ズム平和学』(勁草書房,08年)他。 外務省 HP より転載。一部加筆。 平和のリアリズムとはなにか? 時論 ―ガザで想う 444 時 論(加 藤) (4) 日本原子力学会誌, Vol. 51, No. 6(2009)
ガザ紛争の停戦協議が行われていた2月はじめ,イス ラエル南部のアシュケロンに滞在し,ガザ入境の機会を 待った。人口15���人,地中海に面したリゾート地アシュ ケロンの郊外は,目も覚めるような青空,光輝く地中海 そして野には赤いポピー,まるでカリフォルニアやハワ イを思い起こさせる平和な風景が広がっていた。 しかし,日常生活は緊迫感にあふれている。一見平和 に見えるアシュケロンの街も,ガザ境界から約10キロ程 度しか離れておらず,これまでも何度かロケット弾の攻 撃を受け負傷者が出たことがある。宿泊したホテルには 一般客はほとんどおらず,エジプト側国境の国境監視を 支援す る EU の国境支援団(EUBAM : EU Border Assistance Mission)の要員が事務所を構えていた。 今回のガザ攻撃の発端は06年1月にイスラム宗教勢力 ハマスが,それまで自治政府を牛耳っていた世俗派の ファタハを破り,パレスチナ自治評議会(国会に当たる) 選挙で大勝したことにある。その後,ハマスとファタハ の間でガザの治安権限をめぐって武力抗争が勃発した。 内紛の結果,07年6月にガザは完全にハマスの支配下に 置かれることになった。一方,ヨルダン川西岸のパレス チナ自治区はファタハが抑えた。 イスラエルとの2国家共存路線をとる穏健派ファタハ と異なり,急進派ハマスはイスラエルの存在を認めな い。イスラエルはハマスにファタハ同様に,イスラエル を承認させようと,検問所を閉じ経済封鎖で圧力をかけ た。エジプトもイスラエルに同調し検問所を閉じた。ま さに陸の孤島となったガザ地区からハマスはロケット弾 や迫撃砲でイスラエルを攻撃した。これに対しイスラエ ルは07年9月にガザを「敵地」とみなし,同地への燃料や 電力の供給削減を実施した。これにハマスはさらなるロ ケット弾攻撃で反撃した。ちなみに08年にハマスが発射 したロケット弾は1,750発,迫撃砲弾は1,528発(globalsecurity. org)であった。停戦明けの12月18日からハマ スの攻撃が激化し,それに対抗してイスラエルが「ノー・ トラレンス」の方針の下で苛烈な報復攻撃をしかけたの である。 10キ ロ以上飛ぶ長距離ロケット(射 程12キロの Qassam 3,20キロの Grad,40キロの WS1E)ならとも かく,短距離ロケット弾や射程数キロの迫撃砲で攻撃し ても射程内には畑が広がり農家が点在するだけ��,イス ラエル側にあまり実害はないように思われる。たしかに 住宅に命中することもあろうが,全く運が悪いとしかい いようがない。実際,何度かロケット弾攻撃を受けたア シュケロンでも週末ともなれば住民は海岸での散歩や魚 釣り,公園でのバーベキューなど,ロケット攻撃など全 く気にする風もなくのんびりと暮らしを楽しんでいる。 ただ検問所は全く様相が異なる。ガザ北部のイスラエ ル側エレズ検問所に行くと,きわめて厳重に警備されて いる。数メートルの高さのコンクリートの分離壁が続 き,大きな建物の検問所入り口には,銃を構えた警備員 が巡回し,空にはロケット弾や迫撃砲の発射を監視して いるのか小型の気球が揚がっていた。時折,報道記者や 許可を得た NGO 関係者が入っていくだけで,人の出入 りはあまりなかった。私もイスラエル当局に NGO 書類 を提出して許可を待ったが,入境を認めたくないとの態 度がありありと見え,結局,2週間の滞在中にイスラエ ル側から許可はおりなかった。 イスラエル側の許可を待つ間にひょっとしてエジプト 側から入境できるのではないかと思い,ヨルダン経由で カイロに飛び,そこからバスで6時間シナイ半島を横断 してエジプト側の国境の町アリーシュに到着。現在,そ こから国境に行くバスはなく,タクシーを雇ってラファ の検問所に行った。エジプト側の検問はイスラエル以上 に厳しく,途中の一本道で三度も検問を受けた。そして やっとたどりついた検問所では,入り口に近寄ることさ えも拒まれ,数分いただけ引き返さざるを得なかった。 兵士が銃を構えているだけではない。土のうを積んだ銃 座には重機関銃も据えつけられ,兵士がいつでも引き金 を引ける態勢で警備していた。 ただし,エジプト川の警備の厳しさは表向きだけだと いわれている。エジプトとガザの境界線の下には何百も のトンネルが掘られ,物資や武器の密輸が行われてい る。エジプト政府はトンネルを見て見ぬ振りをしている らしい。トンネルの出入り口は見つからないように,家 の中や何かで隠されているのかと思っていたが,境界近 くには家らしい建物はほとんどなく,畑が広がっている だけである。出入り口があればすぐにわかる。今回のガ ザ攻撃の目標の一つがトンネルにあったといわれている が,完全には破壊できなかったようだ。 イスラエル,エジプトの両国からガザ周辺を見たが, 徹底した経済封鎖が実施されているようで,ガザに物資 を運搬するトラックらしき車両をほとんどみかけなかっ た。ガザでは東京都区部の約6割の面積に約150万人も の人々が暮らしている。これだけの人々の毎日の暮らし を支えるには,大量の物資を運搬しなければならない�� ずだ。しかし,イスラエル,エジプトのいずれの道路で もガザ行きのトラックの姿はみかけなかった。 一方,ファタハが支配しているヨルダン川西岸地域 は,厳重な検問にもかかわらず,人々や物資の輸送は絶 えることなく続き,検問所付近は行き交う車や人々で ごった返していた。パレスチナ自治政府の首府であるラ マッラーの中心街は大変な活況を呈していた。街には新 車のミニバス,トヨタやベンツなどの高級車が目につ く。また観光都市ベツレヘムそして中核都市ヘブロンな ども25年前の面影がないほどに発展していた。ハマスへ のあてつけか,欧米諸国がイスラエルを承認すれば経済 発展を約束するといわんばかりに,ファタハに経済援助 をしているからだろう。 イスラエルの境界に最も近い町ネティボット郊外の丘 からはガザ市街が望見できる。ガザ攻撃当時,世界各国 の報道陣が陣取った場所に間違いない。丘からは遠くに 高いビルが立ち並び,一見すると日本の中都市のような 比較的大きな町並みが広がっている。町の大きさに正直 驚いた。イスラエルのガザ攻撃は,たとえていえば新宿 を集中攻撃したようなものである。これほどの人口稠密 地域への攻撃で,死者が1,300人,負傷者数千人とは, その程度で犠牲が収まったという印象だ。 パレスチナ問題の本質は,今や領土問題でも宗教問題 でもない。それは人口問題である。イスラエル滞在中, ちょうどイスラエルの総選挙の最中で,テレビでも連 日,選挙関連ニュースが流れていた。その時に印象に残っ たのが,人口問題がイスラエルの抱える大きな問題だと いうことである。2005年末時点で西岸とガザのパレスチ ナ人の人口は383万人,そしてイスラエル国内に113万人 がいる。一方,イスラエルのユダヤ人は06年時点で約583 万人。つまりユダヤ人とパレスチナ人はほぼ同数であ る。またパレスチナ人の特殊出生率は6~7人,ユダヤ 人のそれは3~4人といわれている。このままでいく と,いずれユダヤ人はパレスチナ人に飲み込まれてしま う。
イスラエルにとって人口問題解決の方策の一つは移民 の促進である。冷戦後,ソ連,東欧からのユダヤ人が多 数イスラエルに移住してきた。それを証明するようにロ シア語の標識や立て看板をよく目にした。またロシア語 や東欧系の言葉しか話せないタクシーの運転手にも出 会った。そして今一つの解決策が,分離壁を作りユダヤ 人とパレスチナを分離することである。シャロン元首相 がガザを放棄したのも,もはや人口稠密なガザではユダ ヤ人が人口的に上回ることもできず,支配できないと判 断したからだといわれている。 その結果,パレスチナ人は分離壁に取り囲まれた小さ な地域に閉じ込められことになった。特にガザでは人口 爆発によるさまざまな問題が噴出している。生活環境の 悪化,失業問題,貧困,教育の不足など,それらの問題 がパレスチナ住民の不満やイスラエルへの恨みとなり, 対イスラエル強硬派のハマスを勢いづけ,イスラエルへ の攻撃となっている。特にパレスチナの若い世代の人口 爆発を解決しない限り,彼らの不満のはけ口がイスラエ ルに向かい,パレスチナ問題を悪化させることになる。 常に銃を持たなければ安心できないイスラエルの若 者,壁の中で不自由な生活を強いられるパレスチナの若 者。不幸の連鎖はいつ断ち切ることができるのか。ガザ の分離壁を前に,暗澹たる思いしか残らなかった。 (2009年 3月19日 記)
0 notes
Photo

▶️Photo(s) of 8/5/2017: Crispy Egg Rolls and Pho Dac Diet at Pho Saigon & Grill in Rancho Peñasquitos, San Diego, California. Love Pho!!! 🍜😋 ◀️▶️ Swipe right for more photos. 📸✨✨✨ ◀️▶️ Recent Activity: I stayed at the swimming pool all day. I tried “Dirty Monkey” drink. Yum yum🍹 😋 I delay my posts by 5 months. I am posting little by little. 🙏◀️▶️ Watch "Story" about my newest activitivies. 👀 👀👀◀️🔷🔶🔷🔶🔷▶️2017/8/5 の写真: お一人様でフォーが好きよ。🍜😋 カリフォルニア州サンディエゴのランチョペナスキートスにあるフォーサイゴン&グリルでクリスピーエッグロールとフォーダックビエットを注文したよ。フォー大好き!!!🍜😋 ヌードル好きはやっぱり日本人だからかもー。🍜😋 ベトナム人が多いサンディエゴのフォーは嘘つかないね。🍜🇻🇳◀️▶️ 右にスワイプして他の写真も見てね。😉👉📸◀️▶️近況: 今日はずっとプールで過ごしました。🏊♂️ 「ダーティーモンキー」というカクテルがあるとのことで飲んでみましたが甘くて美味しかったー。🍸😋 もう今日も終わっちゃう。明日の朝、ベガスに向けて帰ります。🇲🇽➡️✈️➡️🇺🇸 投稿ですが約5ヶ月ほど遅れておりますが徐々に載せていこうと思います。🙏◀️▶️僕の最新の近況は、「ストーリー」で見てね。#phodacbiet #pho #vietnamesenoodles #vietnamesepho #food #foodie #foodpic #foodporn #foodgram #foodgasm #foodstagram #sandiego #california #californialife #サンディエゴ #サンディエゴ生活 #サンディエゴ暮らし #南カリフォルニア #南カリフォルニア生活 #南カリフォルニア暮らし #カリフォルニア #カリフォルニア暮らし #アメリカ生活 #アメリカ暮らし #ファインダー越しの私の世界 #ファー #ベトナムのフォー #お一人様 #🍜@#🍜😋 (at Pho Saigon & Grill)
#foodporn#サンデ��エゴ生活#foodie#pho#california#カリフォルニア暮らし#food#phodacbiet#アメリカ暮らし#sandiego#foodstagram#vietnamesenoodles#サンディエゴ暮らし#ファインダー越しの私の世界#南カリフォルニア暮らし#🍜😋#foodpic#🍜#南カリフォルニア#ファー#カリフォルニア#サンディエゴ#vietnamesepho#californialife#南カリフォルニア生活#アメリカ生活#ベトナムのフォー#お一人様#foodgasm#foodgram
1 note
·
View note
Text
ヴェロニカ・マーズ
このドラマで全米大ブレイクしたクリスティン・ベル演じる主人公、ヴェロニカ・マーズ。これまでの探偵ドラマでヒーローやヒロインたちが見せてきた 見事な犯罪捜査の手法に加え、ヴェロニカは独自の観察眼で明晰な推理力と行動力をもってクールに、時に小悪魔的な魅力をもって事件の謎を次々に解いていく。魅力あふれる女子高生探偵ヴェロニカの活躍を描く、今一番ホットで、見逃せないドラマ「ヴェロニカ・マーズ」のシリーズ第1弾。

ヴェロニカ(クリスティン・ベル)は、南カリフォルニアの海辺の高級住宅地ネプチューンで暮らす普通の女子高生。かつては、ネプチューン高校の生徒たちの人気者だったが、親友が何者かに殺害され、保安官であるヴェロニカの父キース(エンリコ・コラントーニ)が誤認逮捕してから事態が一変してしまった。キースが逮捕したのは、殺された親友の父親で、億万長者の町の有力者だった。キースは職を失い、ヴェロニカは学校での人気を一気に失う。そして2人は苦労の末、私立探偵事務所を立ち上げ、新しい生活を始める。クレジットカード詐欺、レイプ、盗難…ヴェロニカは ありとあらゆる事件を調査することになる。しかし、常に彼女の頭から離れないのは、親友の殺害事件だった。その事件を解決するためなら、ヴェロニカはどんな危険もかえりみず立ち向かう。

キャスト:
ヴェロニカ・マーズ … クリスティン・ベル (弓場 沙織)
キース・マーズ … エンリコ・コラントーニ (星野 充昭)
ウォレス・フェンネル … パーシー・ダッグス3世 (阪口 周平)
ダンカン・ケイン … テディ・ダン (桑原 敬一)
ローガン・エコールス … ジェイソン・ドーリング (中川 慶一)
イーライ“ウィーヴィル”・ナヴァーロ … フランシス・キャプラ (近藤 隆)
3 notes
·
View notes
Photo

Pink 今日の庭 ラブリーな色が キラキラしてました。 新しい庭は乾いてる。 光が、カリフォルニアとか、 地中海とか、南仏ぽい。 田圃の真ん中@Japanだけど🤣 明日のオンライン よろしくお願い申し上げます。 #mygarden #庭 #庭づくり #乾燥注意報 #オンラインレッスンやってます #お庭づくりのご相談 #バラの咲く庭づくり #山野草の庭 #山紫陽花が咲く庭 #庭のある暮らし https://www.instagram.com/p/CeWAEiavLz9/?igshid=NGJjMDIxMWI=
2 notes
·
View notes
Quote
年収50万円しかない農家でもフランスやイタリアでは500万円の補助金が出るので、遊んでいても暮らしていけるのが「南仏プロバンスの農業」なのです。 日本では農家がどんなに懸命に働いても政府は補助金を出さず、それどころが欧米の補助金つき農作物を大量に輸入しています。 これはもはや農業政策ではなく、農業虐待だと言えます。 「日本の農業は生産性が低い」「日本の農作物は価格が高く競争力が無い」というのは常識として学者や政治家まで言っています。 だが「価格」に補助金を足して「本当の価格」を比較すると、実は日本の農作物は先進国で最も安く、最も生産性が高いのです。 カリフォルニア米は補助金なしだと魚沼産コシヒカリより高くて不味いので、競争力なんか全くありません。
日本政府の農業虐待 就業人口、5年で2割減
46 notes
·
View notes
Text
「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和四年(2022)1月18日(火曜日)
通巻7189号 <前日発行>
トンガ王国を襲った火山の爆発と津波
遠くカリフォルニア、日本にも津波が押し寄せた
**************************
トンガ王国の人々は日本に特別な親しみを抱く、親切な国民が四つの島々にのんびりと暮らす(ほかに七十近い無人島がある)。緑の広場は王宮、ここはのどかそのもの。
トンガから近い国は東にタヒチ、北東にサモア、西へフィジー、バヌアツ、ニューカレドニア、南西にNZと豪が位置する。
海底火山の爆発で1万5000メートルまで煤煙が噴き上がり、首都のヌクロファは火山灰でうまった。NZと豪は救援プランをすぐさま発表した。
火山爆発後、津波がやってきた。この津波は北米から南米へも拡がり、チリでは死者を出した。フィジーの首都スバの海岸は浸水し、日本にまで津波が襲い、岩手県久慈港で1メートル10センチ。四国では漁船転覆事故がおきた。
トンガへ行ったことを思い出した。宿泊したホテル、浸水しただろうなぁ。
何処で乗り換えたか? たぶんフィジーだったように記憶する。
トンガ國際空港は島の南端にあって北の海岸線(このあたりが国際的なリゾート)まで小一時間かかる。途中の景色はと言えば、トウモロコシとイモ畑、野菜畑、椰子。民家は平屋建て。首都に近付いても二階建ては稀少で、素晴らしく文明に取り残されたド田舎風景がつづく。平面な光景である。
ようやく海岸線が見えて、一番高い建物は中国大使館(三階建て)。日本大使館はその奥で目立たない。ホテルはかろうじて二階建てだった。敷地の真ん中にプール。その脇にバアとレストラン。結局、朝、昼、夜の三食はこのレストランで食べた。ホテルの従業員に背の高い男がいて、話し込むとご先祖は北欧のバイキング。鯨を追って百年ほど前にここまでやって来て住み着いたのだという。捕鯨船は、ここまできたのか!
観光資源と言ってもかぞえるほど、高波が押し寄せる崖、古代の墓場。オーソドックスな雰囲気があるのは、王宮の瀟洒なつくり。
ドライブにでると田畑の廃屋がぽつんとあって「これが曙の生家です」という。
横綱・曙はサモア育ちだが、生まれはトンガだったのだ。このことでも分かるが肥満型の国民が多く、しかし歴史は古く三千二百年前から開け、古墳のような場所があった。
目抜き通りは海岸線に並ぶホテルが七つ。裏のメイン通りにぽつんとトンガ料理店、バア、ロッジが一軒。それでこの「首都」のすべて。中国人はそれほどいない。
筆者のようなせっかち人間は三日間だけの滞在で飽きたが、のんびりと釣りとか読者したい人なら、暮らしやすい国だろうと思った。
8 notes
·
View notes
Photo




ゴルフウェアの概念をアップデートした“ライフスタイルウエア”を提案。「TravisMathew」直営店が、湘南・江ノ島に日本初上陸!
趣味と暮らし融合したライフスタイルが流行する昨今、動きやすく丈夫という機能性の高さから、アウトドアブランドを始めとしたスポーツウエアを普段着に取り入れる方が増えてきています。そんな中、なかなか上手に取り入れるのが難しいのが“ゴルフ”ですよね。最近のゴルフウエアはおしゃれにはなってきているものの、「ゴルフルックちょっと…」と、感じている方も多いのではないのでしょうか。
そんなイメージを払拭するブランド「TravisMathew」が、サーフィンの聖地カリフォルニアから湘南に日本初上陸! 江ノ島水族館の向かいにできた話題の複合施設「ENOTOKI」に、日本第1号店がオープンしました。
▼記事はこちらから https://shonan-garden.com/?p=39983
3 notes
·
View notes
Text
TEDにて
ジョーン・ブレイズ&ジョン・ゲーブル: 先入観のフィルターバブルから自由になろう
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
現在進行中の「移民による移民のための社会実験国家」がアメリカです。
現在進行中の「移民による移民のための社会実験国家」がアメリカです。
現在進行中の「移民による移民のための社会実験国家」がアメリカです。
西洋キリスト教圏の一神教での話です。日本は、多神教なので、当てはまらない場合もあります。
ジョーン・ブレイズとジョン・ゲーブルは、自分とは違う政治観で投票をする人たちと友達になってほしいと言います。
政治観が、正反対でありながら、長年の友人でもある二人は、すぐには同意できないような相手と、腹を割って話し合うことの価値をよく知っています。
政治観が、反対である人々の間にある理解の溝を埋めるにはどうしたらいいか、そして、お互いに耳を傾け、互いを思いやる機会を生み出すにはどうしたらいいか?
一緒に考えてみましょう(ことによると、生涯かけた友情も生まれるかもしれません)。
(ジョーン・ブレイズ)、政治観の違う友人はいますか?
一緒に何��話をしますか?
私は進歩主義です。進歩主義者ばかりの町に住み15年前は、保守派の友達は1人もいませんでした。今は様々な友人がいてその1人がジョンです。
(ジョン・ゲーブル)、私は進歩主義ではなく、共和党支持者で共和党支持の家庭に生まれ保守的な南部で育ちました。地元や全国レベルでも共和党の政治支援の仕事をしてきました。過去24年間は、テクノロジー業界にいるので非常に進歩主義的な地域に住んでいます。ですから、進歩主義の友人も多くジョーンもその1人です。
(ジョーン)私はカリフォルニア、バークレーの生まれで進歩主義的であることで有名な大学町です。今もここに住んでいます、1998年、モニカ・ルインスキーとクリントン疑惑の弾劾から半年後、私は、共同でMoveOn.orgを1行の嘆願書で立ち上げました「議会は直ちに大統領を譴責して、国家が直面する、喫緊の課題に話題を移すべき」
これは実は様々な意味で、とても求心力のある嘆願書でした。クリントンが好きでも嫌いでも国家にとって最善なのは、けじめをつけることだと同意できたのです。
MoveOnのリーダーとして分極化が進むのを目にしてきました。そこでこう思いました。どうして私の考えは、この国の他の地域の人たちとこんなにも違っているんだろう?
そこで2005年に様々な政治観を持つ草の根運動の指導者たちと交流する機会に恵まれると迷わず飛びつきました。これまでに話す機会が、なかったような多くの人々と仲良くなりました。クリスチャン・コアリションのリーダー格も含みます。
MoveOnが左派ならば、この団体は右派だと見なされます。このおかげで私は米国議会でクリスチャン・コアリションのリーダーの1人である友人とネット中立性のロビー活動ができました。すごいことです。多くの関心を呼びました。この活動は、実に目が覚めるような経験でした。
そして、こう思ったんです。どうやったらとてつもなく多くの人たちが、考え方の違う相手と、本当の意味で交流できるだろう?と。
(ジョン)私の生まれは、テネシー州オナイダ、ケンタッキー州の小さな炭鉱の町、スターンズの州境にある町です。生まれてから数年はそこに暮らし、また別の小さな町ケンタッキー州、フランクフォートに移りました。つまり、私は根っから保守的なアメリカの田舎町で育ったのです。スターンズとバークレーは、ちょっと様子が違います。
私は90年代にテクノロジー業界で仕事をするため西部の進歩主義的な地域に移りました。マイクロソフトやネットスケープで働きネットスケープ・ナビゲーターの製品管理主任にもなりました。
初めて広く利用されたウェブブラウザです。インターネットの初期は、私たちはあるヴィジョンに突き動かされていました。世界中の様々な人々や様々な考え方と通じ合うことができたら素晴らしい判断ができ、世界中にあふれている��しい多様性ゆえにお互いの価値を認識しあえるだろうという考えです。
実は20年前のスピーチでは、そうもいかないだろうと述べました。私たちはただ単に違う方法で互いを差別するようになるだけではないかと。
さて、どうなったでしょう?、
ある日、目が覚めて互いをもっと嫌おうと思ったわけではありません。
結果は、こうでした。
雑音が多すぎたんです、人の数も考え方も多すぎます。そこでテクノロジーを使ってフィルターをかけます。
すると、どうでしょう?
すでに同意できる考えだけが残るのです。一般的な考えも残ります。自分と同じように考える自分に似た人が残るのです。
良いことのように思えますよね?
ところが、そうでもないのです。
このような狭い世界観を持っていると2つの恐ろしいことが起こります。
まず自分の考えへの信頼が、過剰になり始めます。
次に自分と違う相手に対してどんどん偏狭になります。
身に覚えがありませんか?
現代のアメリカや、現代の世界はこうなのでは?
朗報としては、テクノロジーは、変化しつつあります。良い方向に変化しうるのです。
だからこそ私は、AllSides.comを始めました。フィルターバブルから解放されるようなテクノロジーとサービスを生むためです。まず最初にユーザーの偏見を特定する技術を作りました。
違う考え方を並べてみることでニュースメディアのフィルターバブルから自由になれます。それから、ジョーンに出会いました。
(ジョーン)ジョンに会ったのは、ワシントンDCの郊外で橋渡し役をしようという超党派の理想を掲げたグループと一緒でした。コミュニティのつながりを取り戻すことが目的でした。
お互いの違いは、強みになりうるし、異なる価値観は補完し合えると考えており、戦う気持ちを乗り越えて自分の価値観を手放すことなくすべての人の価値観を尊重できます。
ジョンと一緒に愉しく散歩するうちにフィルターバブルを打ち破るための彼の仕事を知りました。力強く素晴らしいものでした。別々の筋書きの中に暮らしているのは、良いことではありません。事実を共有していなければ、対話を持つことも協力して問題を解決することもできません。
(ジョン)今日覚えて帰ってほしいのは、ジョーン・ブレイズに散歩に誘われたら行くべきだということです。
きっと変わります。私はものの見方が大きく変わりました。
フィルターバブルから自由になるには、情報のフィルターバブルだけでなく人間関係や社交上のフィルターバブルも考える必要があります。
人間は自分で考えるほど賢くありません。理性で判断することばかりではないのです。感情的に直感的に判断したり、頭を使って都合よく正当化したい事柄を理性で都合よく正当化するだけのことです。
私たちはヴァルカン人のスポックというよりは、大胆不敵なカウボーイ型のカーク船長とか情熱的な理想主義者のマッコイ医師に似ています。新しい「スタートレック」のキャストが好みであればこちらですね。
(ジョーン)強い女性もお忘れなく!
(ジョン)強い女性たちですね。
(ジョーン)なら、いいわ。
二人とも「スタートレック」のファンです。あんな楽観主義的な未来を好きにならずにいられませんよね。
(ジョン)素晴らしい未来を描けるのは、とても重要なことなんです。何が問題なのかを理解することもとても大切ですが、行動も起こせねばなりません。では何をすれば?実はそんなに難しくありません。生活に多様性を取り入れればいいのです。
情報だけでなく人間関係の多様性もです。多様性。真の意味での「多様性」です。人種やジェンダーも重要ですが、それだけでなく・・・
年齢の多様性もです。若者と年配者、地方の人と都市の人、リベラル派と保守派、アメリカに限って言えば、民主党派と共和党派のように自分のフィルターバブルから自由になり、多様性にあふれた生活を送っている優れた例が隣にいるジョーンです。
(ジョーン)お尋ねします。宗教や政治観などの違いによって人間関係がこじれたり、失われたりした経験がある人はどのくらいいますか?
手を挙げてください。そうね、今年は話をした多くの人たちからこうした経緯で人間関係がこじれたと聞きました。涙をこらえながら疎遠になった家族のことを話す人を多く目にしてきました。
リビングルーム・カンバセーションとは、政治的・個人的な違いを癒やす試みです。シンプルな対話です。
考え方の違う2人が、それぞれ友人を2人ずつ招待し、建設的な対話をします、
全員がシンプルなルールに従います(最初が肝心で丹念に直接人に会い許可をもらいつつプロトコルを共有しないと気が触れていると思われ憎しみの連鎖になります)
建設的な対話を前提に好奇心を持つ。
建設的な対話を前提に耳を傾ける。
建設的な対話を前提に敬意を払う。
建設的な対話を前提に順番に話す。
どれも幼稚園で習うことですよね?
とっても簡単です(直接人に会い許可をもらうことが大切。TVやマスメディアを通じると転化してポピュリズム、同調圧力や優越的地位の乱用になる)
だから、あらかじめ決めておいたテーマについて話す頃には、(直接人に会うため)ある気持ちが生まれているのです。
「この人、結構好きかも」(暴力より対話の民主主義のルールはここから?多神教のテーラワーダ仏教ではサンガと言います)
すると、話の聞き方が変わります。
これは人間の性分なのです。
気にかける相手の話は、よく聞くものです。
それから話を振り返り、次のステップに進むかもしれません。
これは耳を傾ける行為であって・・・
ディベートではありません!
ディベートではありません!
ディベートではありません!
とても大きな力を持つものです。
自宅のリビングルームで異なる見解の人たちと話をするということは、ものすごい冒険です。
自分とは違う人でも相手を尊重し、好きになれるのだと再発見することになるでしょう。とても力強い経験です。
(ジョン)さて皆さんは、何に好奇心を抱きますか?
(ジョーン)話したくてたまらないことは何ですか?
(ジョン)その話をしましょう。みんなで一緒に。
(ジョーン)そうね。
(2人で)ありがとう���
はじめに、大統領制や二大政党制での前提です。
2017年のノーベル経済学賞のセイラー教授が提唱する「ナッジ」このような行動科学の視点を公共政策に組み込もうというアイデアはもともと2003年に経済学者のセイラーと
法学者のサンスティーンによって書かれた論文「リバタリアン・パターナリズム」からの一部です。
法規制による強制でもなく、経済的インセンティブによる誘導でもなく、選択の自由を維持したまま、人間の持つ心理的バイアスをうまく利用することで、人々の行動を「良い方向へ」導くということ。
高度な透明性が前提です。
リバタリアン(=極端な自由主義)とパターナリズム(=家父長主義)という一見矛盾する態度を結びつけるというアイデアは、アメリカの民主党と共和党の対立により合意形成が行き詰っていた
議会の膠着を打破しようとする意図もあった可能性もあります。安全・環境・健康分野にも応用範囲は広がっています。
リバタリアニズムとは、荒野からではなく、行政府のある社会システム内で成功したにも関わらず、極端な経済的自由と極端な社会的自由(極端な個人的自由、極端な政治的自由)を共に求める極端に強欲な思想であり
リバタリアン自身によるノーラン・チャートによれば、社会主義などの左翼思想は、極端な個人的自由は高いが極端な経済的自由は低く、保守主義などの右翼思想は、極端な経済的自由は高いが極端な個人的自由は低く
ポピュリズム(ここでは権威主義や全体主義などを指す)では、極端な個人的自由も極端な経済的自由も低い。という位置付け。
リベラリズムは自由の前提となるものを重視して社会的公正を掲げるため、リバタリアニズムと相反する。日本では、リベラリズムの意味は世界標準ではなくガラパゴス化してるため定義が異なります。
パターナリズムとは、個人の利益を保護するためであるとして、国家が個人の生活に干渉し、その自由・権利に制限を加えることを正当化する原理。
強いパターナリズムと弱いパターナリズム、直接的パターナリズムと間接的パターナリズムがある。と言葉が定義されている。
個人的なアイデアとして、議論を整理できるだけで、このような一般生活者にはくだらない権力争いのためにどうにでもなる言葉ではなく、政策開発のため一定の期間で議論を尽くしたら
具体的なマクロ経済学前提の政策できっちり誤差を含めた数値に変換できればより良い社会システムを創造できるかもしれません。
最後に、政治にはまったく興味はありません。テクノロジーに興味が有ります。
(個人的なアイデア)
未来は誰にもわかりません。ヨーロッパでウクライナ侵攻が起こることも・・・
他の可能性としては、すでにイギリスの映画にもなっている情報機関網でロシアの動きを2022年以前に?
しかし、回避できずイギリスも含めたヨーロッパ全体がエネルギーの急激な価格変動に現在なっています。
日本には、あまり知られていないが・・・
旧植民地コモンウェルス諸国(イギリス連邦)が世界中に点在してあるので、ここで経済圏を形成して貿易してる?
第二次大戦後、植民地からの独立後は、ここに加盟するか否かも自由になっています。
旧植民地コモンウェルス諸国(イギリス連邦)は、本国のユナイテッドキングダム(UK)にいる国家元首を自国の国家元首としている国もあります。
通貨もポンドペッグにしている諸国もあり、EUのユーロにしてしまうと混乱してしまうことも要因に?
中国やインドよりも多い約20億人近くの人が加盟しているので、デジタル化に伴い、金融政策や財政政策も安定化?
かつての奴隷貿易と移民?
ユバル・ノア・ハラーリも言うように・・・
予算を見ると、EUでは、加盟国の国防予算の平均額は、国家予算の3%程度でした。これは、ほぼ歴史上の奇跡です。
有史以来、ほぼ常に、王や皇帝やスルタンの予算の5割なり、8割なりが、戦争や軍隊にまわされています(これが無駄使いの根本で生活の向上に貢献しません)
国連の「世界人権宣言」もあり、庶民の生活の向上からEUでは、わずか3%です(平均なので1%台も含めて)
日本は、1%と驚異的で優秀です。
資源の少ない日本の場合は、防衛費増額するとスタグフレーションにもなりえます。
応用として、シビリアンコントロールから数学的裏付けのあるゲーデルの不完全性定理からも国防予算の防衛費削減が必要です。
そして
老子の道教の徳(テー)とアリストテレスのニコマコス倫理学の徳(アリテー)が似ていることから・・・
どちらの起源が先か?調べるととても面白い仮説が出てきた。
中国の道教は紀元前750年位。古代ギリシャ末期のアリストテレスは紀元前350年位。
共に多神教。この時代の情報の伝達速度を考えるとシルクロードで相互的に交流して伝わった可能性も高い。
プラスサムな概念だから。道(タオ)が先で、アリストテレスのニコマコス倫理学の徳(アリテー)が変化して
老子の道教の徳(テー)となり、神仏習合みたい道徳になった?アリストテレスのニコマコス倫理学の徳(アリテー)は具体的だが、道徳経ではあいまい。
当時は、西洋と東洋の最先端を統合?古代中国では、老子は仙人とも言われていたし、始皇帝もこの頃の激動の時代。
どうなのか?
ヒンズー教に対して創始した仏教もブッダにより誕生し、アリストテレスの時代に近い年代であることは偶然の一致だろうか?
ニコマコス倫理学に似ている仏教最高レベルの奥義が「中道」ということ。チベット経由で中国にも伝わります。そして、日本にも。
その後、古代ギリシャは300年後、多神教の古代エジプト文明を滅ぼしてローマ帝国になっています。キリスト教も誕生。
その後、国教へ。一神教が広まり紀元後が始まります。
現在のEUは、NATOがウクライナ侵攻でクローズアップされたこと。さらに、13の暦がひと回りして2000年前位の状況も含めて考えると
トルコまで領土にした古代ローマ帝国の民主主義版をフランス、ドイツは構築しようとしてる?
イギリスがブレグジット(Brexit)で離脱したのは、かつてのローマ帝国の過ちを回避した可能性も?
もし、以前、機運が高まった時にロシアがEUに加盟していれば、古代ローマ帝国2.0(民主主義版)が建国していたかもしれない。
大西洋を超えてアメリカ大陸からロシアを含めて、北半球に巨大なモンゴル帝国を超えた人類史上最大の領域が誕生するので・・・
今からでもロシアは遅くないので加盟したほうがいいような気がします。
真実はわからないが、そんな仮説がインスピレーションとして出てきた。
参考として、フランスの哲学者であり啓蒙思想家のモンテスキュー。
法の原理として、三権分立論を提唱。フランス革命(立憲君主制とは異なり王様は処刑されました)の理念やアメリカ独立の思想に大きな影響を与え、現代においても、言葉の定義を決めつつも、再解釈されながら議論されています。
また、ジョン・ロックの「統治二論」を基礎において修正を加え、権力分立、法の規範、奴隷制度の廃止や市民的自由の保持などの提案もしています。
現代では権力分立のアイデアは「トリレンマ」「ゲーム理論の均衡状態」に似ています。概念を数値化できるかもしれません。
倫理は強制ではなく一定のプロトコルに基づく自由権です。
倫理は強制ではなく一定のプロトコルに基づく自由権です。
倫理は強制ではなく一定のプロトコルに基づく自由権です。
ブレグジットの本質は、君主制多数のヨーロッパ大陸から独立し、アメリカ大陸に新天地を求めて200年くらい。
第二次世界大戦にも勝利し、大統領制もフランス革命の成功を踏襲改善しつつ、人口も億単位の規模で増加し、国土も巨大。三権分立前提の民主主義を先人が創造。
現在、世界中の最高の知性が知恵と工夫でバランスよく構築した!
アメリカ型の大統領制は、地方議会が先で、その上に傘のように覆われている歴史的背景から地方分権が見事に成功している(ミレニアム前)
その成功を再びヨーロッパが踏襲改善。マーストリヒト条約を発効して、合意を得た上でEUが設立された。通貨もドルに対抗してユーロにした。20年後、中国はデジタル人民元をテスト中。
日本は、逆に、明治維新に中央集権化されて、廃藩置県されたから地方分権は不可能。立憲君主制でもあり、イギリス議会を参考にしている。
イギリスより大きい島国。人口も倍以上。だから、人口が少ないイギリスは、大統領制のEUから離脱して立憲君主制を維持しようとしてる?
その中、中国が、日本の55年体制自民党の開発独裁体制を参考にして人口の規模をテコに、人間一人ではなく、政党が共産党一極集中で、デジタル国家開発独裁主義を社会実験している過渡期が現在の状態です。
デジタルレーニン主義?ハンナアーレント���警告する全体主義?にも似ています。
日本も中国から絶妙なバランスで離脱して、距離を置きつつ立憲君主制を維持した方がいいかもしれない。
日本もさまざまな貿易圏を広げています。
人口の規模が10億人を超えると異なるシステムが必要になる一例ですが・・・
何億人からが最適か?社会実験中です。
例えば
Googleがしようとしてた事は、まだ新産業として、基礎研究から発展できない機械学習の先端の成果をすべて��ち込んだ社会実験に近いこと。
シュンペーターの創造的破壊は、一定数の創造の基礎を蓄積後に、未来を高密度なアイデアで練り上げてから破壊をするのが本質です。
こうして、憎しみの連鎖や混乱を最小限にする。
アルビン・トフラーの言うように、法人と行政府とのスピードの違いが縮まらないのは、構造上の違いであって、それを補うためにプラスサムな連携するということが、必要になってくることを説いています。
三権分立が、規制のないGAFAMを非政府部門としてMMT(現代貨幣理論)からプラスサムに連携したらどこで均衡するのか?という社会実験も兼ねています。
他にも、社会実験していたことは、規制のないGAFAMが、何億人超えたところで異なるシステムが必要になるか?
と言うこともテストしています。
そして、10億人あたりでという結果が見え始めたところで、中国はいち早く切り替えようとしていました。
トランプ前大統領は、これに対応していた可能性も考えられます。
だから、10億人以下の1億人程度の日本など、その他の国々は、関係ありません。
害悪が増加し、混乱し、他国につけこまれるだけです。
サンデルの言う問いの解答は、中国は民主主義ではなく、バイデンの言う専制主義でもなく・・・
人類史上初の「君主のいない一党独裁型封建制」かもしれないとインスピレーションがきた!
ヨーロッパの封建制度フューダリズム(Feudalism)とは違う東洋版だけど。
国土、人数も何もかも戦う前に負けている・・・日本は、外と戦争しても勝てないことは「自明の理」
そんな防衛費増やすくだらないことよりも同額を低収入庶民の年収を600万円以上に底上げして充実させた方がいい。
内側に対して精進しないと!!歴史的に見ると、このほうが、日本は結果的に「急がば回れ」
防衛省は「省」に格上げしないで、「庁」のままの方が緊張感を保ててたことも見抜けないし、政治家も腐っている愚か者と言わざるを得ません。
シビリアンコントロールと不完全性定理も理解できない?
簡単に言うと、ちやほやされてるアホです。これで気合い入れろ!!と言っても無駄でしょ。胆力のないアホだから。あっ、2回も言ってしまった。
胆力のない本当のアホに言うとムキになるから言いたくないけどね。これで3回目。
・・・と低収入庶民に虚仮(コケ)にされるくらいが���内の防衛にはちょうどいい真実になる。
<おすすめサイト>
ロジェカイヨワ戦争論と日本の神仏習合との偶然の一致について2019
エピソード4Episode4 - 政治の善性について(パワーか、フォースか―人間のレベルを測る科学 - Amazon)
アレグザンダー・ベッツ:ブレグジットはなぜ起きた?次にするべきことは何か
<提供>
東京都北区神谷の高橋クリーニングプレゼント
独自サービス展開中!服の高橋クリーニング店は職人による手仕上げ。お手頃50ですよ。往復送料、曲Song購入可。詳細は、今すぐ電話。東京都内限定。北部、東部、渋谷区周囲。地元周辺区もOKです
東京都北区神谷のハイブリッドな直送ウェブサービス(Hybrid Synergy Service)高橋クリーニングFacebook版
#ジョーン#ブレイズ#ゲーブル#政治#宗教#大統領#政府#人類#フィルター#ブレグジット#イギリス#アメリカ#憲法#法律#概念#EU#中国#人権#ハーレント#カイヨワ#NHK#zero#ニュース#発見#discover#discovery#テーラ#ワーダ#仏教
0 notes
Text
american football : american football(LP2)

ライター : Ian Cohen 翻訳元 : http://pitchfork.com/reviews/albums/22526-american-football/ 翻訳者 : kei
american footballはきっとこうなることを運命付けられていたんだろう。──彼らが休止して、10年以上もの時間を経た頃にソレは来た。american football、Braid、the Promis Ring──熱意と情熱と(しばしば、あからさまの無視)を批評家から受けていたlate-'90s、Midwestern EMOは2010年あたりを境に、ようやく収穫の時を迎えた。そしてそれはアヴァンR&Bとかクールさとか、大学の中庭で景色を眺めながら涼むみたいなことにはどうにも馴染めないインディ・ロック・ファンにも好都合だった。新たな、育ちつつあったシーンとは無関係なとこから、彼らは還ってきた。数多のホープたちが自らの最高傑作をリリースする横で、2010年代にはフリークフォークもダンス・パンクも、もちろんEMOも現在のインディ・シーンの中で反響を起こすようなモノではなかったとしても。ただ、唯一にして、絶対の影響力を持つ��ルバムが彼らのディスコグラフィーにある。ジャズとポストロックを飲み込んで、削ぎ落とされたEMO。結成と解散を頻繁に繰り返したCapp'n Jazzのメンバーを中心としたバンドのファミリーツリー(訳注1)(Friend/Enemyとか、Owlsとか、Make Believeなんかだ)の1バンドだった彼らは、あのアルバムのみで自らを信じられないような高みへ──Hot Topicや、Warped tour(訳注2)なんかじゃない──導いてしまう正典となった。2016年の頭の頃にMike Kinsellaはamerican footballは「有名になる気も、それどころかバンドであることも」求めていなかったと言った。いま、そうじゃないと言っても首を縦に降るリスナーはいないだろう。なにより、きっと二枚目の『american football』以上に、僕らが待ち望んでいたEMOのアルバムはなかった。
Kinsellaの自身への評価のハードルは低すぎて、『american football(1st)』が生み出してきた神話をほとんど削り取ってしまう。二枚目のアルバムがリリースされたのは彼らがツアーを巡るのを楽しんで、同時に同じ曲ばかりを演奏するのに飽きたからだ。また彼はバンドの二枚目のアルバムがどれだけ望まれてきたのかも自覚している。「僕らはどこにいる?(原文 Where are we now?)」。21世紀になって初めてリリースされたamerican footballの曲で彼は問いかける。「ひとつ屋根の下で、僕らはひとりぼっち」──あぁ、そうだ、まるで二枚のアルバムカバーのようだ。今回、一つひとつのタイトルは歌詞の最初の一行からとられている。『american football(1st)』でソレは最後の一行だった。これは彼らについて話すなら大事なピースだ。
だけど、こんなどうしようもなく諦めの悪いファンがおもわずニヤついてしまうようなコミュニケーションは、一方で同じくらいのやきもきをずっと抱え続けることになる。m b v や、Wildflowerとか、Only Built 4 Cuban Linx...Pt.2(訳注3)とか、ね? 分かるだろう? 「Where Are We Now?」という一言は、フェスティバルの大観衆や数千人規模の会場に集ったファンのど真ん中へと投げ込まれた。一つの事実として、この曲のコーラスの存在がある──1stでは欠片もなかった要素だ、それはスポットライトを浴びながら、さざめくようなリードギターを相手にワルツを踊る。一言でまとめれば、後期のSunny Day Real Estateみたいなプログレッシブさだ。リード・シングルの「I've Been So Lost For So Long」にも最初のヴァースで鳴らされる4/4のドラム・キックがある。今では"the hit"と呼ばれ、ファンがキックに合わせて手拍子を入れるのがお約束になっている。Jimmy Eat Worldがかつて辿ったようなクロスオーバーの道をなぞるEMOの新星がいない中、この曲たちは問う。なぜ、僕らが僕ら(american football)のままであったらいけないんだ?
2年目を超えたリユニオン・ツアー以後のスケジュールや、ファイル共有ア���リ上でのやり取りというセッションによって芽を出した彼らの2ndフルは、タイトな日程のレコーディングではあったものの、その熟練さと連続性を強く意識させる。彼らの二枚は並べてみると共に印象的だ。将来のぼんやりした不安に襲われて週末をダメにしたことだったり、Kinsellaが'16年頃からのバンドの変化は決して過去をないがしろにするようなものじゃないと明言したことを思えば、カラッと晴れ上がったようなプロダクションが『american football(1st)』の重くふさぎ込んだようなソレとの明確なコントラストを見せるのも、ジメジメとした晩夏の湿気を吹き飛ばす、秋晴れの空をわたる風のイメージに重なる。イリノイ大学の学院生だった頃よりは鋭さを増したソングライティングもその一因で、2つのギターが輪郭をなくしていくような摩擦はなくなり、「My Instincts Are the Enemy」で満員電車に押し込まれたPinback(訳注4)のように刻まれたり、どうにも薄暗いBサイドを「Disire Gets in the Way」でブン殴ったりする。つまりはそういう事だ、Kinsellaファミリーツリーの秘蔵っ子 Into It. Over It. がやらかしていることと同じ。
そして、数千人規模に膨れ上がった観客を前に用意されたものがある。力強さを増した構成、外さないサビ(Hook)、フルタイムのベーシストとして参加している(Mike Kinsellaのいとこ)Nate Kinsellaの存在。その一方で、ここに来てamerican footballは「= Mike Kinsella」としてメディアでは扱われている。バンドのアンサンブルによって語ってみせること、もしくは「Honestry?」「Stay Home」のその先でThe World Is a Beautiful Place & I Am No Longer Afraid to DieやFoxingの鳴らしたpost-emoを吹き飛ばしてしまうようなサウンドは聞こえてこない。ポップスターのようなミックスが施されたヴォーカルもあって、Kinsellaの存在感は圧倒的で、アルバムはウソみたいにキャッチーだ。かつての線の細いギターワークとひ弱なヴォーカルの代わりにMike Kinsellaの積み重ねてきたモノが収まった、もう分かってると思うけど彼の最も長命なプロジェクト、Owenのことだ。
これは当然で、別に間違っていない。Owenのコンスタントにリリースされたアルバムはどれも良い。僕が話したいのはディスコグラフィー中9枚のアルバムに、ほんの3ヶ月前(注 2016/6/27リリース。本作は2016/10/21リリース)、american football再結成後はじめてのOwenのアルバム『The Kings of Why』があるってこと。再結成というイベントがどこまで期待を煽ったかはハッキリしないけど、フルバンドによるアレンジ、ベル、笛、トランペットを同じように演奏できるプロデューサー S.Carey(訳注5)の起用──つまりもっともamerican footballっぽいOwenのアルバム。
ずっと首を長くして『american football(1st)』と肩を並べるようなアルバムを待ってるファンには悪いが今回もそう証明するものは見当たらない。僕もOwenのアルバムの「Empty Bottle」やVolcano Choir(訳注6)っぽい「Setteled Down」が、「I Need a Drink (Or Two, or Three)」とか「Holocene」みたいな「Home Is Where the Haunt Is」とかと根っこは同じものから生まれているんじゃないかって思うのはわかる。ハッキリさせたいのは、american footballの再結成/ツアーという流れは、真っ直ぐな曲構成のアルバムとなって、彼らの独創的なミュージシャンとしての立場を脇に押しやって進んでいる。そうして限られたスペースだとしても「Give Me the Gun」ではTortoiseの盟友、ご近所さん、はたまたSteve RichtやThe Blue Nile(訳注7)の門下生としてamerican footballは帰ってきたし、「Born to Lose」や「I Need a Drink (Or Two or Three)」のフェードアウトしていく終結部はヴェールの向こう側へ引っ込んでいく感情の陰影を淡いタッチで描きながら(「胡乱な目、なんて低俗なんだろう?」「乱痴気騒ぎから逃げられねぇ、僕は突っ伏すだけ」(訳注8) )、このレコードで最も下らない歌詞とハッキリとしたコントラストを生んでいる。
Owenでの彼がそうであるように、『american football』におけるMike Kinsellaは矛盾とすれ違いを抱え込んだ詩人だ。本人が認めるようにアルバムのマスタリング寸前まで彼は歌詞を書き直しながらレコーディングを続けた、 それが果たして良かったのか、確かめることはできない。そうして残ったフレーズは彼ららしい密やかさでマントラのように響くが(「Home Is Where the Haunt Is」)、一方で40にもなろう男がこんな歌詞を書いちゃうのかとこっちが恥ずかしくなるパートもある。つまりはBeach-Slang(訳注9)的な話なんだけど、James Alexのソロ・プロジェクトは彼の20代の思い出を今に伝えるのが目的で、じゃあKinsellaが哀しげに「ドクター、ここにいるのが痛くてたまらないんだ」とか、「淀んだ空のようにブルーな僕だ / 僕はこうやって死ぬんだ」と歌うのを僕らはまっすぐ受け取ればいいのか? それともEMOシーンの長老みたいな男、一流のジョークと笑えばいい?
こんな問いがバンドに与えるものなんて些細なことだ。『american football』はまだKinsellaが元Cap'n Jazzメンバーとしてしか知られていなかった1999年の話じゃない。彼にとって、「I’ll See You When We’re Both Not So Emotional」で語ったように、自分と自分のことばは相反するものじゃない。american footballというバンドは、その影響力と変わらずに秘められたセンチメンタルがあるにしても、サウンド面でもEMOとしても10代の終わりの頃の話じゃなくなった。『american football』の根っこに、いま大学の寮でヘッドフォンの間で耳を傾けている君に、「The One With the Wurlitzer」がフェードアウトしていく中でどれだけの季節が流れ、いくつの恋が散ったのかを写している。2016年現在、american footballのメンバーにはパートナーがいて、子供がいて、それなりにキャリアがあって、フルタイムの仕事がある。つまりは、不変だと思ってた目に映るセカイやモラトリアムの空想は思い出になるべきなんだ──Homer Simpson風に言うなら、このアルバムはラッキーにも日々の暮らしの中に30分ほど人生を振り返るチャンスをくれる訳だ。
訳注1 EMOの代表的バンド Cap'n Jazzのメンバーは以後もシーンを代表するバンドを結成、解散を繰り返していく。本文中で言及されているのはKisella兄弟を中心としたバンド達で、初期Cap'n Jazz期にサイドプロジェクトしてBraid、Gaugeメンバーと掛け持ちしていたThe Sky Corvairや、2001年にCap'n Jazzのオリジナルメンバーが再結成したOwls(その後Mikeの脱退によるメンバーチェンジがあったが、2013年の活動再開時にまたオリジナルメンバーに戻っている)、シカゴ周辺のアーティストが多数参加するFriend / Enemy(中心人物はTim、Mikeの兄弟とCalifoneのJim Becker、Joan of Arcにも参加しているTodd Mattei)、本文にも登場するいとこのNate KinsellaがJoan of Arcに在籍していた頃の別働隊として始まったMake Believeはこの中では長命のプロジェクトだったが2008年の3rd『Going To The Bone Church』とそれに伴うツアーをもって解散している。レビューでは触れられていないが、Cap'n JazzのVictor Villarreal(ギター)とSam Zurick(ベース)はインスト・バンド Ghost and Vodkaを、Davey von Bohlen(ギター)がthe Promise Ringをバンド解散後に結成する。
訳注2 HOT TOPICは北米を中心に展開するロック、ポップ・カルチャーをベースにした衣服、アクセサリー小売店チェーン。ライセンスによるバンドTシャツ、グッズを販売しながら、パッケージツアーのサポートも行なっている。Warped TourはVansが主催する大規模サーキットツアーで音楽、Xスポーツ、アトラクションが敷地内で同時進行で行われる。アメリカをはじめ、イギリス、南米でも国内を巡る形で開催されている。どちらもパンク、メタル、オルタナティブ・ロックのバンド/アーティストを中心としたラインナップだが、参加を断ったTouche Amoreを含めて、EMOシーンのバンドが参加することは稀である。
訳注3 それぞれMy Bloody Valentineの22年ぶりのアルバム『m b v』、The Avalanchesの16年ぶりの『Wildflower』、Wu-Tang Clanのメンバー Reakwonのソロ・デビューフルの14年ぶりの続編となる『Only Built 4 Cuban Linx...Pt.2』のこと。
訳注4 Pinbackはカリフォルニア州サンディエゴでRob CrowとZach SmithことArmistead Burwell Smith IV(Three Mile PilotやSystems Officerとしても活動中)を中心としたインディ・ロック・バンド。バンド名は映画「ダークスター」の主人公からとっており、初期のアルバムにはこの映画からのサンプリングが聞ける。Touch and Goを経て、現在はTemporary Residenceをレーベルとしており現在までに4枚のアルバムをリリースしている。初期と現在ではサウンドの印象は違うがどちらもamerican footballと共通する要素を備えており、Ian CohenはPoly VinylのレーベルメイトでもあるSunday’s Bestを引き合いに出して彼らを繋ごうとしている。
訳注5 S.CareyことSean Careyはウィスコンシン州オークレア出身のミュージシャン、プロデューサー。Justin Vernonのプロジェクト Bon Iverのサポート・ドラマーとしても知られており、自身も3枚のフルアルバムをリリースしており、 Sufjan StevensやTalk Talk、Steve Reichらと比較される音楽性で評価を受けている。
訳注6 Volcano Choirは前述のJustin VernonとCollections of Colonies of Bees(ウィスコンシン州で結成されたポスト・ロック・バンド Peleのメンバーを中心としたユニット)によって結成された、2009年にリリースしたアルバム『Unmap』一枚の為のプロジェクトだったが2010年に「最初で最後」という事で行った東名阪ツアーの出来に感銘を受けたJustinの意向を受けて、活動を継続。2013年に『Repave』をリリース、その後ツアーを行い、Bon Iverの活動に重心が移ったことにより活動休止となる。
訳注7 The Blue Nileはスコットランド、グラスゴーで1981年にPaul BuchananとRobert Bellを中心に結成されたロック・バンド。同じくグラスゴーを拠点とするハイファイオーディオ・メーカー Linnと関係のあったプロデューサー Calum MalcolmがLinnのスタッフに彼らのデモをスピーカー・テストの一環で聴かせたところLinnが設立しようとしているレーベルのアーティストにならないかと誘いを受け、1984年にレーベルの最初のリリースとして「A Walk Across the Rooftops」を発表することになる。続いて5年後にリリースした2nd「Hats」では高い音楽的評価��UKチャートで最高12位を記録する出世作となる。しかし。30年近いキャリアがあるものの非常に寡作で知られており(4枚のアルバムと関連したシングルが9枚)、2012年にPaul Buchananはソロ・アルバムをリリースしたが、2004年の『High』以降のバンドの動向は非常に不透明であり未発表のレコーディングを含め新しいリリースはない。
訳注8 筆者個人的な理解になるがamerican footballのアルバム、LP1とLP2はどちらも「出会いと別れ」が歌詞のテーマにあり、そのメインとなるフレーズは「すれ違い」だが、1stで大学生までの苦い記憶とそれぞれが未来へ進むための別れを選んでいたのに対して今作ではこの20年の間に置いてきてしまった人々の姿を描いている。これはリベラル的な自己責任論だがドラッグ、アルコール、仕事/友人の選択のいずれにおいても他人の選択に干渉することは他人の自己決定の能力を否定しているため、避けられる傾向にある。そうした境遇の改善のために福祉や厚生施設は用意されているがそちらを選ぶのもまた個人の自己決定の責任に応じる。つまり、この歌詞にあるように現状について不満を持ちながらも何もせず更に状況を深刻にする人々は放置されることとなる。そこをMike Kinsellaはこのアルバムにそうした状況をリユニオンとかけて持ち込んでいる。
訳注9 Beach Slangはペンシルベニア州で活動していたWestonでギター、ヴォーカルを務めたJames Alexがバンド解散後の2013年に結成したパンク/インディ・ロック・バンド。2枚のEPとスプリットをEMOリバイバル・シーンの中心的レーベル Tiny EnginesとLame-O Recordsからリリース後、Poly Vinylからデビュー・フル『The Things We Do to Find People Who Feel Like Us』をリリース。Jamesが影響を公言するThe ReplacementsやBig Starの音楽性とフィラデルフィアの音楽シーンを代表するアーティストのコラボプロジェクトとも言えるラインナップで、2020年に最新作『The Deadbeat Bang Of Heartbreak City』をリリースした。
23 notes
·
View notes
Text

🎼 00193 「Mystery」。
パッと見た感じ、こども向けのやうに見える 怪奇現象本を古書店で見かけて読んでみたのですけれど、何ともディープな 怪奇現象本でした。「ほんとうにあった!? 世界の超ミステリー(5) 超怪奇現象の謎 (並木伸一郎さん。ポプラ社 2013年)」 という本で、無邪気な "ムー" のやうな本でした。気になったところを テキトーに挙げてみます。
・アンドリュー・バシアーゴ
Andrew Basiago。アメリカ合衆国で暮らす とある弁護士アンドリューは 政府の指示で スターゲイトのやうなタイムマシンで 時間旅行をしたさうです。
・イギリスの妖精遭遇事件
1917年、イギリスのウェスト・ヨークシャーのどこかにある 小さな村で暮らす ふたりの少女が、近所の森で 妖精とフォトしたさうです。わたしは この映画にもなったお話が大好きで、いいな、ステキだなって思います。
・インドの赤い雨
2001年に インドのケーララ州という地域で降った赤い雨。ブロッケンJr.が旅行でもしていたのでしょうか。
・ウィンチェスター・ミステリー・ハウス
Winchester Mystery House。アメリカ合衆国は カリフォルニアのどこかにあるらしい、とっても有名なお屋敷のこと。ウィンチェスター銃で亡くなった人々の呪いか何かに恐れた ウィンチェスターさんは 家の増改築をひたすら繰り返したさうです。
・怪僧ラスプーチン
ロシアで "プーチン" と名の付く方々は もしかすると 皆、超人か何かだったりするのかもしれませんけれど、このラスプーチンも物凄かったりします。
・ケム・トレイル
アメリカ合衆国の至る所で見ることが出来る空の景色のこと。ケミカル・トレイルともいいます。
・人体発火現象
ヒューマン・トーチのこと。
・スライダー
帯電体質なひとのことを言うさうです。T.Rex のアルバムのことではなささうです。
・聖母マリア像
世界の至る所で 至る所から 血を流したり吹き出したりしているマリア像の その理由は不明とのこと。
・ゾンビ・ロード
アメリカ合衆国は ミズーリ州、セントルイスのどこかに "Lawler Ford Road" なる道路があります。この道は 1950年代から "Zombie Road" なんて呼ばれているさうで、ゾンビ映画が流行る前から そのやうな名前を使っているみたいですけれど、どうしてなのでしょう。
・ドッペルゲンガー
自分と瓜二つの自分が不意に現れたりする現象。映画や本だと 自分を見ると命を失ったりします。困ります。
・ドラゴン・トライアングル
小笠原諸島、西之島新島の西南西、千葉県は野島崎の南沖、グアム島近くという ややテキトーな感じもする3点を結んだ海域で 何やら不可思議な事件が頻発しているさうです。ドラゴンが現れるかどうかは分かりません。
・バミューダ・トライアングル
またの名を "魔の三角海域"。この海域は わたしが物心ついたころから 船や飛行機が行方不明になったりしていました。アメリカ合衆国にある マイアミ、プエルトリコ、バミューダ諸島を結んだ海域のことをいうさうですけれど、最近でも 不可思議な事件が起こっているのかなって思いながら この本を読んでいたら、2001年にも 謎めいた事件が起きたさうで どっきどきしました。
・ヒドゥン・ピープル
アイスランドに古来から住んでいるらしい方々。普段は目に見えないさうですけれど、普段ではな��ときは見えるのでしょうか。
・ファチマの聖母マリア事件
1917年5月13日は 金曜日だったのかもしれませんけれど (未確認)、ポルトガルのどこかにあるらしい "ファチマ (ファティマ)" という村で 3人のこどもたちが 聖母マリアに出会ってしまいました。聖母マリアらしきマリアは こどもたちに 3つの予言を告げたそうです。
・ひとつめの予言。
第一次世界大戦が終わる。
・ふたつめの予言。
第二次世界大戦がはじまる。
・みっつめの予言。
わかりません。様々な説があるさうです。
・夫婦板
茨城県は取手市にあります、とあるお寺さんの敷地にあった 樹齢500年もの巨木を切り倒したことから起きたらしい現象。霊園拡張の為に切られた巨木が無念でなりません。
・フォート現象
空から 突然に 魚や蛙、巨大な氷塊が降ってくる現象。降ってくるなら お札がいいです。
・ヘスダーレンライト
ノルウェーのどこかにあるらしい ヘスダーレン峡谷で 目撃される怪光。気になります。
・ポルターガイスト
ドイツ語で "さわがしい霊" という意味らしい。おもに 家の中で起きる超常現象。どこかのスピルバーグが手掛けた映画は その後えらいことになりました。
・ミステリー・サークル出現事件
麦などが押し倒される現象。レッド・ツェッペリンのアルバムジャケットにもなりました。
・モンスの天使
第一次世界大戦の最中、英仏連合軍が遭遇したらしい "天使" により、どういうわけか 独軍を打ち破ったという話。
..
2 notes
·
View notes
Video
▶️Boomerang of 6/23/2017: San Diego County Fair in Del Mar, California. 🎢🎡🎠 Fun place!!! 😄👍👍👍 ◀️▶️ Recent Activity: Today is Veterans Day. 🇺🇸 Viva America!!! 🇺🇸 “Veterans Day is an official United States public holiday, observed annually on November 11, that honors military veterans; that is, persons who served in the United States Armed Forces” by Wikipedia. 💻🖥⌨️ I delay my posts by five month. I am posting little by little. 🙏◀️▶️ Watch "Story" about my newest activitivies. 👀 👀👀◀️🔷🔶🔷🔶🔷▶️2017/6/23 のブーメラン: カリフォルニア州デルマーのサンディエゴカウンティフェアです。🎢🎡🎠 楽しいところだよー。😄👍👍👍◀️▶️近況: 今日はベテランズデーだよ。ウィキペディアより「復員軍人の日(ふくいんぐんじんのひ、Veterans Day)はアメリカ合衆国の祝日(11月11日)で、復員軍人を称えるためのものである。退役軍人の日、ベテランズ・デーとも呼ばれる。」投稿ですが約5ヶ月ほど遅れておりますが徐々に載せていこうと思います。🙏◀️▶️僕の最新の近況は、「ストーリー」で見てね。#boomerangofinstagram #playground #sandiegocountyfair #sandiegocountyfair2017 #delmarfair #delmarfair2017 #delmar @sandiegocountyfair #sandiego #california #californialife #californialiving #デルマー #サンディエゴ #サンディエゴ生活 #サンディエゴ暮らし #南カリフォルニア #南カリフォルニア生活 #南カリフォルニア暮らし #カリフォルニア #カリフォルニア暮らし #アメリカ生活 #アメリカ暮らし #ファインダー越しの私の世界 #サンディエゴカウンティフェア #デルマーフェア #遊園地 #🎢 #🎡 #🎠 (at San Diego County Fair)
#カリフォルニア#🎢#playground#california#delmarfair#🎠#boomerangofinstagram#サンディエゴカウンティフェア#遊園地#デルマーフェア#californialiving#サンディエゴ暮らし#サンディエゴ生活#アメリカ暮らし#サンディエゴ#南カリフォルニア暮らし#delmarfair2017#アメリカ生活#カリフォルニア暮らし#ファインダー越しの私の世界#sandiego#デルマー#delmar#californialife#南カリフォルニア生活#🎡#sandiegocountyfair#南カリフォルニア#sandiegocountyfair2017
0 notes
Text
カムチャツカの海に異変が起きている、ウニやヒトデが大量死
ナショナル ジオグラフィック日本版
「前代未聞」と研究者、有害藻類の大繁殖が原因か
カムチャツカの海に異変が起きている、ウニやヒトデが大量死
9月14日は珍しく晴れた日だった。水温は12℃と気温より高く、ロシア極東のカムチャツカ半島にとってはサーフィン日和だった。
しかし、地元でサーフィンスクールを営むエカテリーナ・ドゥイバ氏は、たった30分でハラクティルスキー・ビーチから戻って来た。視界はぼやけ、のどが痛む。目を開けることができなくなった仲間もいた。
彼らは初め、日光か激しい風のせいだろうと思っていた。だが翌日以降になって吐き気や下痢、発熱に襲われたことから、原因は海水そのものにあったことに気が付いた。結局16人が病院に行き、何人かが角膜を痛めていると診断された。
一方で、海の生物たちにも異変が起きていた。ウニやヒトデ、タ��の死体が大量に流れ着き、悪臭のする黄色い泡が長さ数キロメートルにわたって海岸沿いに浮かんでいた。海に潜ったダイバーたちは、海底の生物の95%が死亡した場所もあると見積もった。
「私はただ当惑するばかりでした。ハラクティルスキー・ビーチの海水はいつもきれいで、今までこんなことはなかったからです」と、1カ月経ってもドライアイに悩まされているドゥイバ氏は話す。
この異変は半島を回り込んで南西部にまで、そして食物連鎖の上位にまで広がっている。10月中旬、カムチャツカ半島の西海岸で、魚たちが何千匹も死んでいるのが見つかった。さらには、こうした魚を食べたヒグマが深刻な食中毒に陥った。これは、海洋生物の大量死がもたらす影響のほんの一例に過ぎない。
当初、多くの人が化学物質などによる水質汚染を疑ったが、科学者らの調査によると、原因はおそらく藻類の大量発生(藻類ブルーム)だという。そうなると問題はますます深刻だ。地球上の海洋環境の中でも特に生物多様性にあふれ、ニジマスやラッコといった絶滅危惧種が暮らすこの場所に、気候変動の影響がおよんでいる可能性があるからだ。
「藻類ブルームがここまで大きく広がるとは予想していませんでした」と話すのは、ロシア極東連邦大学の海洋生物学者キリル・ウィニコフ氏だ。「前代未聞の例です」
「海岸沿いは全て汚染されています」
カムチャツカ半島は、地上で指折りの活火山密集地帯だ。氷河から流れ出す川は広大な湿地を形成し、6種のサケ属の繁殖地となっている。サケは、ヒグマやアザラシ、シャチ、そして数が減りつつあるオオワシやトドの食物となる。一方でサケが食べるのは、コククジラや近絶滅種(critically endangered)であるセミクジラと同じく、栄養豊富なカムチャッカ海流に含まれる動物プランクトンであることが多い。
サケで有名なカムチャツカだが、底生魚や軟体動物、イソギンチャク、ヒトデ、ウニも種類が豊富だ。セイウチやラッコなどの哺乳類の食物となっているこうした海底の生物たちが、過去に類を見ない規模で死んでいる。
「この生態系に必須の一角が、突然崩れ去りました」。カムチャツカ半島で調査用サンプルを収集するワシリー・ヤブロコフ氏は言う。氏は、環境保護団体グリーンピースのロシア支部の気候プロジェクトマネジャーだ。
火山活動が大量死の原因ではないことは、科学者たちがすぐに突き止めた。一方、ハラクティルスキー・ビーチで収集した海水からは、フェノール、鉄、石油製品、リン酸イオン、そして水銀が通常の何倍も高い濃度で検出された。だがこのいずれも、これほどの大量死を説明することはできないように思われた。また当局の調査によって、付近にある廃農薬の集積場や軍の試験場から汚染物質が流出した可能性も排除された。
10月上旬、科学者たちは海岸の上空から手がかりを探した。すると、黄、緑、赤に変色した海水が、藻類の大量発生を示唆していた。いわゆる赤潮だ。
藻類は、世界の酸素の約半分を供給している。だが種によっては、川から流れ出た水による養分が多すぎたり、海水温が上昇したりすることで、収拾がつかないほど増えてしまうことがある。これが起こると、それらが死んで海底で腐敗するときに毒が発生したり、海水中の酸素濃度が低下したりしてしまう。ウィニコフ氏によれば、海底に生息する生物が大量に死亡しているのはこれが理由かもしれない。
「カムチャツカ半島上空を100キロメートル南下しましたが、沿岸部のほぼ全体で海水が変色していました」と氏は話す。「海岸沿いは完全に汚染されています」
海水や堆積物のサンプルからは、複数種のギムノディニウム(Gymnodinium)属の藻類のDNAが検出された。いずれもヒトの鼻やのどを痛める毒をもたらすことで知られている。海水中の濃度は高くなかったものの、米カリフォルニア大学サンタクルーズ校のラファエル・クデラ氏によれば、9月下旬の衛星写真を見ると、カムチャツカ半島南東部のアバチャ湾では、植物や藻類が光合成を行うための葉緑素の量が月間平均の2倍になっていた。
赤潮は「赤信号」
藻類の大量発生は、カムチャツカでは珍しいことではない。しかし今回のケースは、近年で一番の規模と持続時間だとウィニコフ氏は言う。
死体が漂着しているのは無脊椎動物だけでなく、地元の食物連鎖と経済を支えるサケもそうだ。この時期は海から戻ったギンザケが川を遡上し産卵するが、彼らも赤潮の中を通ることになるかもしれない。
「大きなブルームの発生時にそこを泳ぐことになれば、強い毒の影響を受ける可能性は高いですし、死亡する可能性もあります」と米ウッズホール海洋研究所の上席研究員ドン・アンダーソン氏は話す。ただし海洋混合によって汚染がすぐに解消される可能性もあると付け加える。
セイウチやクジラなどの捕食者も、魚やプランクトンを食べることで、藻類に由来する毒を取り込むことになる。あるいは単純に、食物となる生物が、酸素不足による大量死で不足するということもありうる。
今までのところ、ウニのほうが魚よりもはるかに多く死んでおり、ウニを主な食物源とするラッコの生存が危惧されている。ソ連崩壊後の過剰な漁業によって、カムチャツカ半島南部に数千匹いたラッコの数は約200匹まで急減した。
ウニの減少は「ラッコの数に大きく影響しかねません」と、ウラジオストクを本拠地とする太平洋地理研究所のカムチャッカ支部の科学者ウラジーミル・ブルカノフ氏は言う。ラッコは他の海洋生物とは違い、食物を探して遠くまで移動することが少ないからだ。
アンダーソン氏は、カムチャツカ当局は化学物質による汚染についても調査を続けるべきだとくぎを刺す。それが過剰な栄養につながり、今回の藻類ブルームの原因となった可能性もあるからだ。人工的な汚染に対処することは、赤潮が世界中で増えるかもしれない要因、つまり気候変動に対処するよりも容易で直接的だ。
北極海は藻類ブルームが一層発生しやすくなっているが、亜寒帯のカムチャツカでも同じことが起きているのかどうかを示すデータは十分でない。「一般論で言えば、水温が高くなるほどこうしたブルームは起きやすくなりますが、本当に複雑なんです」とアンダーソン氏は話す。「温かい海水が、ある種の藻類をこの海域からさらに北に押しやる可能性もあります」
ブルカノフ氏が「赤潮であり赤信号」と呼ぶ現象���起こった今、科学者たちはカムチャツカの水質のモニタリングを強化するよう求めている。
「仮にこれが本当に今までになかった規模の赤潮だとすると、事態はかなり深刻です」と氏は話す。「一海域における化学物質汚染などよりもずっとまずいのです」

1 note
·
View note
Text
宮本輝『草花たちの静かな誓い』

題名:草花たちの静かな誓い 著者:宮本 輝 出版:集英社 発売:2020年 先週からずっと、妻が買った小説のタイトルが気になっていた。「草花たちの静かな誓い」とは何だろう? 草花に意志があるとでもいうのだろうか。そう思いながら本を手にとった。未明から数時間を小説の世界のなかで過ごしたあと、草花の誓いが見えた気がした。
エイミー・スチュワートの『邪悪な植物』を一読すればすぐに、植物を無邪気な存在だと思う間違いに気付く。毒草や毒キノコだけではない。有毒ガスを発し数キロ圏内の人間を死に至らせるウパスや、研ぎ澄まされたナイフの機能をはたす植物の正体がすぐにわかる。 しかし、スチュワートのいう邪悪は植物の表層に過ぎない。宮本輝が『草花たちの静かな誓い』で描くのは、表層の底にあって人心に働きかける、隠された意志のことだ。無言の植物には人間の機能に働きかける意志がある--この小説には、そう思わせる何かがあると思った。 *** 6歳の女児レイラが人混みのスーパーマケットで誘拐される。その後レイラは行方不明のまま、親族には白血病で亡くなったと伝えられた。しかし、ミステリーじみたその誘拐のトリックは物語の伏線に過ぎない。次第に明らかにされる事件の背景は、読む者を陰鬱な気持ちへと誘う。すべての発端は、父親イアンによるレイラへの小児性愛にある。 狂った出来事の深層には必ず、人間の道義的な間違いがある。読みながら、ドイツで作られた映画『手紙は憶えている』を思った。ホロコーストの狂気を経験した老人が、痴呆症を媒介に復讐殺人を犯す不幸を描いた映画だ。道義的な間違いを原罪とする創世記の誓いは、数千年を経て現代に引き継がれている。 たが、宮本輝がこの小説で描こうとしたのは、父親の罪を問うことではない。レイラの母親の菊枝もその犠牲者のひとりだ。しかし、その救済がテーマだとも思えない。明らかな犯罪が行われたあと、菊枝は旅行先の修善寺で他界し、夫のイアンはすでに亡くなっている。誰の罪を問うでもなく、誰が罪を贖うわけでもなく、法や人が作る表層の影を這うように、誰も意識することがなかった事件の真相が明かされていく。 真相が姿を表すのは、菊枝が甥の小畑弦矢に残した遺言と秘密めいた手がかりからである。それらは誘拐現場を記録した監視カメラの映像や、手紙に記された証拠や事実だけではない。意味として伝えられるものもある。 弦矢は遺言に導かれ、ロサンゼルスの高級住宅地にある菊枝の邸宅で過ごすことになる。小説の題名にある「草花」は、広大な邸宅の庭に生きる植物を指している。菊枝は日本で亡くなるまでの二年間を草花に囲まれた邸宅で過ごした。とりわけ菊枝の部屋からは、美しく配置されたガーベラを眺めることができた。毎年ひとつだけ増えていくその鉢は、生きていればその歳になる娘の象徴だった。菊枝はガーベラに「白血病で死んだ」娘の姿を重ねて過ごしてきたのである。 真相の解明に弦矢は街の探偵、ニコライ・ベロセルスキーを雇う。ニコライはウクライナ系のアメリカ人だが、とりわけ花に詳しい人物として描かれている。弦矢に連れられてはじめて菊枝の邸宅を訪れたニコライは、菊枝が育てていた花の名前をすべて言い当ててみせる。「ガーベラ、桔梗、朝顔、ミモザ、バラ、ハイビスカス、そして十二種類の蘭がある」と。そしてニコライは、誰よりも早く事件の真相を予見する。それだけではない。ニコライは警察が押収した現場の監視ビデオの映像から、警察が見逃した具体的な証拠を掴み、レイラ生存の手がかりを得る。 弦矢は日本の大学を卒業し、南カリフォルニア大学でMBAとCPAの資格を取得した人物として描かれている。草花に特段の興味をあるとは思えないその人物が、菊枝の邸宅で過ごすうち庭の草花に興味を持つようになる。
「花同士がお喋りを始めたような気配と言ってよかった。弦矢は耳を澄ました。樹木の枝や葉っぱが海からの風で揺れる音かもしれないと思ったが、弦矢の聴覚に届くのは、もっと柔らかな、ひそひそ声のような、心を持つ生き物の言葉だった。」
そんなある日、弦矢は誰にも言わないと約束して祖母から教わった秘密の儀式を思い出す。「草花には心がある、褒められたがっているし、褒めたら必ず応えてくるれる。」弦矢はその教えのまま、庭の草花に願い事をする。
「なぁ、きみたち、レイラのために奇跡を起こしてくれよ。レイラが元気に生きていて、優しい恋人がいて、しあわせを享受しながら楽しい日々をおくってるっていう奇跡を起こしてくれよ。きみたちならできるよ。きみたちは宇宙そのものなんだからな。きみたちは宇宙の秘法なんだぜ。そうでなきゃあ、そんなに美しいはずはないんだ。ほんとにきみたちはきれいだよ」
それからしばらくが過ぎたある日、弦矢はニコライからモントリオールでの調査結果を聞かされる。レイラはメリッサ・マクリードに名前を変え、菊枝の友人であるマクリード夫妻のもとで娘として暮らしているというのだ。隠し撮られた証拠写真には、三十三歳に育った美しいレイラの姿が捉えられていた。 *** 物語は事実上これで終わる。 マクリード夫妻はひとつの事実を除き、すべての真実をメリッサに打ち明ける決意をする。弦矢とニコライは一切の証拠を焼却し、菊枝が弦矢に残した遺産をもとに、菊枝がレシピを残したスープを製造販売する事業をはじめる。真実から除外された「ひとつの事実」とは、父が子に犯した罪のことだ。こうして事件は当事者の記憶に収められ、法や噂の表層から隠される。 この物語が興味深いのは、草花と心を通わす人物だけが真実を知ることだ。もとより菊枝は草花を愛し、とりわけレイラの成長をガーベラに託した。草花をよく知るニコライは、早くから真相を予見することができた。弦矢は祖母から伝えられた秘密の儀式を頼りに、草花にレイラ発見の願いを託した。 マクリード夫妻には、これといった草花とのつながりはない。そして何よりも、レイラ失踪の発端を作ったイアンは、青い芝生に人生の価値を見出す人物として描かれている。イアンは草花を愛することなく、自分の娘に道義的な間違いを犯した。草花たちは悲しいざわめきのなかでイアンを見ていたことだろう。 菊枝、弦矢、ニコライが草花と交わったのは感情の機微に過ぎないかも知れない。ガーベラを娘に見立てる婦人、草花に娘の無事を頼む若き経営者、植物に詳しいウクライナ出身の男。彼らのように草花を愛する���は、きっと他のどこかにもいることだろう。 しかしこの物語の草花は、レイラの無事と成長を願う人々の気持ちを受け入れ、願いを叶えたように描かれている。生きていてほしい、健やかにに育っていますように、美しい娘であってほしい。その願いは草花を介してなにものかに伝えられ、あたかも草花がその使命を果たしたように見える。たしかに庭の草花は、その使命の行使を無言のうちに誓ったのだ。それは草花たちの願いとなりイアンの罪を超えて成就した。草花たちの静かな誓い--それは人智を超えた深い救いなのだと思った。
2 notes
·
View notes