#シロウト発想の気休めかもしれないけど
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and273 · 7 years ago
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OCT 2st, 2018 Tokyo Japan by iPhone7+ #千葉県の23歳の焼肉女子のムーブのオイル交換3回の予定が2回で秋になってしまい未使用のままの夏用の古いオイルが1回分ぐらい余ってしまった #1ヶ月も経てばもっと寒くなるから今年はもう使わないよねってことで組み上がったばかりの911のリビルトエンジンに使うことにした #911と言ってもワゴンRのことだけど === #取扱説明書には500km走ったら最初のオイル交換をって書いてあったけどいやいやいや最初のオイル交換は100kmでしょと #そういうつもりでいたけど千葉県を往復したりしていたら載せ換え後あっという間に177kmも走っていたのでした === #たった177kmしかも組んだばかりの新しいエンジンだから汚れてるはずがなくて開封したばかりのようなキレイに透き通った茶色のはずなんだけど実際に出てきたオイルはシルバー色のラメがたっぷり入ってるような濁ってる状態 #これが新しいエンジンでよく言われる金属と金属がこすれ合って発生する金属粉というやつですね #熱で膨張した金属と金属の間の狭い隙間を密封しながら潤滑するオイルにこんなにたくさんの金属粉が入ってたらせっかくの新しいエンジンの内部をサンドペーパーで削るようなものでしょ #このリビルトエンジンの取扱説明書には500kmで最初のオイル交換をって書いてあったし自動車メーカーのディーラー勤務の整備士さん達からは新車から5000km走ってもオイル交換しないお客さんもいるって聞いたこと��るけど実際にはたった177kmでもこういう状態 #慣らし運転で特に大事なのは最初の50kmぐらいという説もあるからやっぱりめんどくさがらずきちんと100kmで交換するべきなんだろうなぁ #だけど善意のつもりで他人様に早めのオイル交換をすすめてもクルマにできるだけお金をかけないことを美徳とする人達はまだ使えるオイルを交換しろと言うのかとかお前さては修理業者かオイル屋の回し者だなとか喰ってかかるんだろうね === #オイルは粘性といって水よりもドロッとしてるから最後の1滴としてどこまで待つかはけっこう悩みどころ #バターとか牛脂を熱したフライパンに乗せるとトロッと溶けて水みたいにサラサラになるでしょ #つまりオイル交換する時は少し走ってオイル全体を温めてからのほうが抜けやすい #特に今回はエンジン内部に残るオイルには金属粉がたっぷり含まれてるわけで #たかがオイル交換になんでそんなに時間かかるんだよさっさと終わらせろよとか言ってくる客のクルマはお望みどおりさっさと適当なところでドレーンボルトを締めてオイルエレメントも取り付けてにっこり笑顔でお待たせしましたと言えばいいんだろうけど #あと商売だとどうしても1時間あたり何台あるいは1日あたり何台でいくらの売上で利益率どうこうって数字を出さなくちゃだからドレーンボルトもオイルエレメントも外した状態で最後の1滴が落ち切るまでボケーっと待ってる間に20分ぐらいコーヒーを片手にインスタ用の文字を打ち込もうとか30分から1時間ぐらいメシを食ってこようなんていうのは趣味の素人ならではなんだろうな === #待ってる間の次の準備作業として今のうちに新品のオイルエレメントいっぱいに新しいオイルを満たしておく #こうすることで最初にエンジンをかけた時にオイルポンプから出てきたオイルがオイルエレメントを満たすまでの時間を節約できる #つまりエンジンオイルが無い状態でのアイドリング時間を少しでも短くできる #シロウト発想の気休めかもしれないけど #昨日の焼肉女子のムーブの場合はオイルエレメントを横にして水平方向に取り付けるようになってるからこの手が使えないのよ === #あと細かい話だけどオイルを入れようと思ったら注ぎ口の中まで見事にキレイでうわぁリビルトエンジンだぁと思った #何年か経って過走行のすっかりくたびれたエンジンになってきた頃にはここもオイルが熱で固着して汚く変色してるんだろうなぁ === #2018年10月2日15万3828kmつまりエンジン交換から177km #100kmの次は500kmと考えると次のオイル交換は323km後の15万4151kmですね #夏用の古いエンジンオイルはこれで使い終わったから次からは冬用ということで冷えた状態でもう少し柔らかいオイルを用意しなくちゃ #Suzuki#WagonR#MC22S#スズキ#ワゴンR#K6A #通称2代目ワゴンRとか前期の3型ワゴンRとかあるいはMC22S型なので通称ニイニイの21世紀記念スペシャルFMエアロとも言うけど https://www.instagram.com/p/BodZ2DKn2GA/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=mcrsmmu4ph1q
#千葉県の23歳の焼肉女子のムーブのオイル交換3回の予定が2回で秋になってしまい未使用のままの夏用の古いオイルが1回分ぐらい余ってしまった#1ヶ月も経てばもっと寒くなるから今年はもう使わないよねってことで組み上がったばかりの911のリビルトエンジンに使うことにした#911と言ってもワゴンrのことだけど#取扱説明書には500km走ったら最初のオイル交換をって書いてあったけどいやいやいや最初のオイル交換は100kmでしょと#そういうつもりでいたけど千葉県を往復したりしていたら載せ換え後あっという間に177kmも走っていたのでした#これが新しいエンジンでよく言われる金属と金属がこすれ合って発生する金属粉というやつですね#熱で膨張した金属と金属の間の狭い隙間を密封しながら潤滑するオイルにこんなにたくさんの金属粉が入ってたらせっかくの新しいエンジンの内部をサンドペーパーで削るようなもので#慣らし運転で特に大事なのは最初の50kmぐらいという説もあるからやっぱりめんどくさがらずきちんと100kmで交換するべきなんだろうなぁ#オイルは粘性といって水よりもドロッとしてるから最後の1滴としてどこまで待つかはけっこう悩みどころ#バターとか牛脂を熱したフライパンに乗せるとトロッと溶けて水みたいにサラサラになるでしょ#つまりオイル交換する時は少し走ってオイル全体を温めてからのほうが抜けやすい#特に今回はエンジン内部に残るオイルには金属粉がたっぷり含まれてるわけで#待ってる間の次の準備作業として今のうちに新品のオイルエレメントいっぱいに新しいオイルを満たしておく#こうすることで最初にエンジンをかけた時にオイルポンプから出てきたオイルがオイルエレメントを満たすまでの時間を節約できる#つまりエンジンオイルが無い状態でのアイドリング時間を少しでも短くできる#シロウト発想の気休めかもしれないけど#昨日の焼肉女子のムーブの場合はオイルエレメントを横にして水平方向に取り付けるようになってるからこの手が使えないのよ#あと細かい話だけどオイルを入れようと思ったら注ぎ口の中まで見事にキレイでうわぁリビルトエンジンだぁと思った#何年か経って過走行のすっかりくたびれたエンジンになってきた頃にはここもオイルが熱で固着して汚く変色してるんだろうなぁ#2018年10月2日15万3828kmつまりエンジン交換から177km#100kmの次は500kmと考えると次のオイル交換は323km後の15万4151kmですね#夏用の古いエンジンオイルはこれで使い終わったから次からは冬用ということで冷えた状態でもう少し柔らかいオイルを���意しなくちゃ#suzuki#wagonr#mc22s#スズキ#ワゴンr#k6a#通称2代目ワゴンrとか前期の3型ワゴンrとかあるいはmc22s型なので通称ニイニイの21世紀記念スペシャルfmエアロとも言うけど
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aikider · 8 years ago
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CGMという遠大な構想―初音ミク10周年に寄せて
今日で初音ミクが発売10周年を迎える。ミクが発売されたのが2007年8月31日 。ミクは16歳という設定であるから、10歳というわけでもないし26歳にもなっていないのだが、なんにせよめでたい。
自分がミクの存在を知ったのは同年の10月か11月頃であったように記憶している。当時Perfumeの人気が一般化しはじめた時期で、Perfumeのseventh heaven(ポリリズムのB面)という曲についてGoogle検索していたら、何ページ目かでPerfumeとは無関係の、ミクの歌うオリジナル曲がヒットしていた。不審に思った自分は迷わずYoutubeのリンクをクリックし、そこで聞こえた明らかに合成された歌声に驚愕した。そのときは「また変なものが生まれたなおもしれー」程度にしか思わなかったのだが、数時間後か数日後だったか、「もしかして音声合成技術がすごい進歩したということか!?」とその意味にようやく気づいた。
アニメを見ていると、たとえばロボットのAIがパイロットに自然���語で話しかけるようなシーンをよく見る。そういったシーンは、基本的には声優の演じた声にエフェクトをかけて合成音声風に加工したものである。これは現在においても大半のアニメがそうだ。一方で当時はIT技術が日の出の勢いで進歩していた(今でも進歩しているのだが)から、コンピュータが自然な言語で喋るようになるのは時間の問題であろうということは、アニメファンやSFファンの間では概ね共通の認識であった。しかしながら、当時聞かれた合成音声の多くは自然と言うには程遠い耳障りなものであって、理想と現実との間にある大きなギャップに気付かされていたものだった。
そこに現れたのがVOCALOID2エンジンを使用した初音ミクだった。初音ミクはロボ声などと呼ばれ、耳障りなところも残っており、まだ未熟な面はあったものの、先行する技術と比較してかなり自然な音声であり、しかも歌声を合成するというところが衝撃的であった。サービス開始間もないニコニコ動画ですでにオリジナル作品が多数作られていることを知った自分は、慌ててニコニコ動画(γ時代)に登録し、初音ミクのオリジナル曲を聞きまくった。車で聞くためにCD-Rに焼こうとしたが、当時はまだニコニコ動画からダウンロードするツールが乏しく、インターネット一時ファイルからflvを探し当て、そこからmp3を分離するとかいろいろ工夫をしていた。さらに週刊みくみくランキング(現在のVOCALOIDランキング)の存在を知って毎週チェックしていた。
自分が聞き始めたのとほぼ同時期に、ITmediaなどのネットメディアもその先進性に注目し、YAMAHAのVOCALOID開発者のインタビューや、初音ミクを生み出したCrypton(念のため言っておくとKriptonはオーディオメーカーであり全く別の会社)の伊藤博之社長や佐々木渉氏(wat氏)のインタビューが掲載され、自分は貪るように読んだ。初音ミクの生みの親と呼ばれるこの二人は、かなり先進的な理念の持ち主であった。伊藤社長は音楽仲間たちの姿を見て、現行の音楽流通の在り方に疑問を感じるようになったという。
当時ミュージシャンを目指していた人間は、知人経由でメンバーを集め、ストリートライブやライブハウスでのライブを重ねてファンを獲得し、レコード会社にデモテープを送りつけ、あるいはライブハウスに新人発掘しに来たプロデューサーの目に止まってメジャーデビューを果たし、プロのアドバイスでブラッシュアップするとともに、雑誌やCMでプロモーション��て認知度を高め、音楽番組に出演して、大きいコンサートホールでライブをやる・・・というのがお決まりのパターンだった。1990年代にデビューしたビジュアル系バンドの多くはこのパターンであろう。
伊藤社長もかつてバンドをやっていて、周囲にはメジャーデビューを目指して上京した知人が数多くいたという。その多くは夢破れて故郷に戻ってくるわけだが、最も吸収力のある20代を音楽に捧げたために、その後の就職に苦労していた人を多く見てきた。文字通り人生を賭けなければ音楽をやることはできなかった。しかし、音楽をやるには人生を賭けなければならないのか?普段は普通に働いて、趣味で音楽をやって、細々と続けていくというやり方ではいけないのか?
伊藤社長は大学で事務員をやりながら、副業として環境音などを録音し、フロッピーディスクに入れて販売するようになった。面白いことに当初は海外への販売が主流だったという。それが徐々に大きくなり、副業の域を超えてしまったために起業した。さらに当時一般化しはじめたインターネットの可能性に気づいた。フロッピーディスクを郵送で送るより、ネット回線で送信してしまったほうが短時間で済む。北海道で初めてブロードバンド回線を引いて開通式にも参加した。さらにSEだけではなく、PC上で音楽を作るDTM(DeskTop Music)用のソフトウェア(バーチャルインストゥルメント)を販売するようになり、趣味で音楽を作る人達に、そのための道具を売る側になった。
伊藤社長はこの時点ですでに明確なビジョンを持っていた。デジタル技術とインターネットの登場により、業界に無関係(つまりシロウト)の一般人が、音楽を作り、それを世界に向けて発信できる時代が来る。ピアノもギターもベースもドラムもすべてコンピュータ上で鳴らして録音できる。オーケストラの音源があればクラシック音楽を作曲することもできる。そしてそれをネットで公開すれば、世界中の人に聞かせることができる。
こうした作品はCGM(参考リンク: Consumer Generated Media - ウィキペディア )あるいはUGC(参考リンク: UGC - ウィキペディア ) と呼ばれる 。つまり今まで巨大資本にしか作れなかった媒体を、それまで消費するだけだった消費者が自ら作れるようになり、その媒体を通じて、ユーザーが生み出したコンテンツが他のユーザーに届けられるというわけだ。ネット回線の速度が遅かった時代には、CGMと言えばテキストサイトやブログがせいぜいだったわけだが、技術の進歩により音楽や動画などのサイズの大きなファイルを高速で送信できるようになった。これにより「アマチュアが作った音楽が赤の他人に届く」という夢物語が現実のものとなりつつ��った。
これをサポートする先駆的な試みとして、muzie(リンク: muzie - ウィキペディア )という音楽アップロードサイトが存在していた。これはユーザーが作った楽曲をアップロード・ダウンロードできるというサイトである。このサイトからは志方あきこ(参考リンク: 志方あきこ - Wikipedia )など後にメジャーデビューするアーティストが生まれていた。自分はというと、主としてピアノ曲を漁っていたのだが、その中に「鬼火」(参考リンク: ピアノ練習曲 ‐鬼火‐ OSTER Project - YouTube )というのがあった。muzieのサイトはすでに消滅しているが、作者コメで「またパロディみたいなものを作ってしまった」などと書いてあったのをよく覚えている。おそらくBeat Mania ⅡDxで難曲として知られた「ピアノ協奏曲第1番蠍火」のパロディと思われる(タイトルはリストの超絶技巧練習曲の「鬼火」と同じだが、曲調は明らかにⅡDxのそれである)。そしてこの曲の作者がOster Projectであった。のちに初音ミク黎明期を牽引することになるのだが、ニコニコ動画で初音ミク曲を漁っていた時にOster Projectの名で見かけた時に受けた衝撃は筆舌に尽くしがたい。Osterはmuzieで公開していたPiano×Forte(参考リンク: pianoxforte - OSTER project - YouTube )というピアノ曲を、ボーカルアレンジしてMEIKOに歌わせたPiano × Forte scandalをニコ動で公開し、muzie時代からのファンであった自分は狂喜したことを覚えている。
閑話休題。PC上で動くバーチャルインストゥルメント、ブロードバンド回線、そして音楽アップロードサイトと、CGMやUGCが新しい音楽流通の手段となるために必要な材料は揃いつつあった。ただし、一つだけ足りないものがあった。それが声であった。
PC上でオケは作れる。だが作曲者できる人間がある程度の歌唱力まで持っているというケースはそう多くない。ある程度歌える人間というのは、たいていはすでにバンドをやっている。前述のようなネットで活動する歌姫は存在していたが少数で、見ず知らずの素人が「俺の作った歌を歌ってくれ」と言って歌ってもらえるケースは多くない。それが最後のピースだった。
そこに現れたのがYAMAHAの開発したVOCALOIDである。YAMAHAはシンセサイザーや電子ピアノなどを製造していたが、最終目標として人の声を合成することを目標としており、そのためのエンジンがVOCALOIDであった。ただしVOCALOID事業自体は大赤字で、採算性に疑問があったためか、自ら商品化するよりは協力してくれる会社に任せるというスタンスであったらしく、 VY1の発売までは自分では商品化しなかった。商品の企画や販売はCryptonなどが行い、ライブラリの作成はCryptonとYAMAHAが共同で行なっていたようである。
VOCALOIDの商品化第一弾であるLEONやLOLAは英G-ZERO社の製品だった。ただ海外での評判は思わしくなく、販売を担当したCrypton佐々木氏はかなり悔しい思いをしたという(この話からするとCryptonはLEONやLOLAのライブラリ作成にも関わっていたのかもしれない)。次にCryptonは日本語版VOCALOIDとしてMEIKOを開発、発売した。当時のCryptonは「LEONやLOLAのように顔なしだと、いまいちイメージが湧かなかったかもしれない。キャラクターイラストをつけたら「この子に歌わせよう」というイメージが湧きやすいのでは」「日本だからアニメにしよう」と考え、パッケージにイラストをつけて販売したところかなりヒットした。
さらにYAMAHAはVOCALOIDエンジンをブラッシュアップして、VOCALOID2を開発した。これを商品化するにあたって、Cryptonはキャラクター路線をさらに推し進めることとなった。しかし音源となる声を担当してくれる人はなかなか見つからなかった。音楽事務所にオファーしても、アーティスト側が「自分のクローンが作られるのでは」「カバー曲が氾濫する」などの不安を訴えて断られたという。そこでCryptonは発想を変えて声優を起用することにした。社内の隠れオタクを見つけて声優事務所にアタックさせ、何件も断られたが、興味を持った事務所からサンプル音声をもらい、佐々木氏がそれを聴き込んで一人に絞り込んだ。さらにパッケージイラストもネットで活動する同人作家を片っ端から見て回り、一人の絵師に依頼した。メールでやりとりする中で、YAMAHAのシンセサイザーの名機DX7の意匠を取り込むことを思いつき、YAMAHAに許可を得た。
そうしてVOCALOID2初音ミクが発売された。
結果はCryptonの想定を超えた爆発的な売れ行きで、社員は土日返上でパッケ���ジングしたという(つまり当初は社員の手作業だったらしい)。
そして、初音ミクにオリジナル曲を歌わせて動画投稿サイトにアップロードする人が現れた。このとき中心となった投稿サイトがニコニコ動画であった。当初のニコニコ動画は自称政治家の外山恒一が演説してみたり、アイマスのファンがMAD動画を投稿するなどアングラな雰囲気が漂うサイトであったが、初音ミクが登場するやたちまち人気ジャンルの一角となった。一時は東方アイマスボカロが三大勢力と言われた。
そこで長らく再生数トップを誇ったのがika氏の投稿した「みくみくにしてあげる」であった。あまりの人気にカラオケ化など商業化が計画されたが、ここでトラブルが起こった。いつの間にかJASRACに登録されていたのである。ネットユーザーは大のJASRAC嫌いであり、これが大騒動に発展した。これについては説明が必要であろう。
当時の音楽業界は停滞していた。1999年に宇多田ヒカルの1stアルバムが歴代最多セールスを記録したが、21世紀に入って音楽CDの総売上は減少傾向にあった。レコード会社はその原因を、p2pファイル共有ソフトや動画投稿サイトなどを利用した違法ダウンロードの増加に求め、ダウンロード違法化や著作権保護機能の強化が議論された。その一方で、デジタル技術の真髄はコピーや改変が容易にできることであり、それができないのであればユーザーにとってはかえって不便となってしまう。海賊版の取り締まりは当然としても、既存の著作権の考え方がデジタル時代に適合していないのではないか、という提言がすでになされていた。さらにCCCDやのまネコ騒動があり、大手レコード会社を中心とした保守的かつ強欲(2つのデバイスで使う場合は2回購入しなければならないなど)な音楽業界の姿勢や、著作権ゴロとまで揶揄されたJASRAC(PCのHDDから補償金を徴収しようとした)の姿勢にネットユーザーからの批判が集中していた。そこに海外からやってきた黒船がappleのitunes music store(現itunes store)であり、ガチガチの著作権保護システムを取り払ったほうがビジネスとしても有用だということが実証されつつあった。さらにアーティストがYoutubeで新曲を無料公開し、プロモーションに利用するという野心的な取り組みもみられるようになり、レコード会社はビジネスモデルの修正を余儀なくされることになる。
こうした中でITmediaなどのネットメディアでは、著作権についての記事を数多く載せており、自分も片っ端から読み漁っていた。とくに小寺信良氏や津田大介氏の記事はよく読んでいた。小寺氏は放送業界出身で自らもクリエイターの一人であったという経験も踏まえ、しかし一ユーザーとしての視点から、新しい著作権のあり方について専門家へインタビューしていた。小寺氏は、著作権管理をJASRACへ信託せず自ら管理することにしたミュージシャン平沢進氏へのインタビューも行なっている。さらに小寺氏、津田氏と法学者である白田秀彰氏が、インターネット先進ユーザーの会MIAUを設立したのが2007年であった。MIAUのメンバーは世の中の現実をよくわかった大人であり、プロフェッショナルであり、同時に新しい時代の著作権の在り方を模索して活動していた。
しかしネットの意見はより過激なほうに流れた。当時のキーワードは「嫌儲」であった。「みくみくにしてあげる」のJASRAC登録騒動は、すぐにネットで犯人探しが始まった。 商品化��あたって、ニコニコ動画を運営するドワンゴと、Cryptonが関与している。Cryptonの伊藤社長は、既存の著作権システムの有用性は理解しつつも、現在のCGM時代に適合していないという考えを持っており、「当社がJASRACに登録するということはありえない」と発言。一時はドワンゴとCryptonの関係が危ぶまれたが、すぐに両者が和解して事態収集に動いた。実態としては、もともと着メロ事業で音楽業界との関係が深かったドワンゴが、特に確認せず慣習的にJASRAC管理の方向で手続きをしてしまったということらしい。このことは悪意はなかったとはいえ、音楽業界が慣習的にJASRAC登録をするようになっており、アーティストに判断する権限がないという実情が露呈した。両社は新しく著作権を管理するための方法を提案し、騒動は沈静化した。MIAUもこの対応を高く評価していたように記憶している。
さらにCryptonは、初音ミクの利用についてもガイドラインを設けた。ニコニコ動画は動画投稿サイトであるから、どんなに歌がよくても画がないと視覚的に寂しい。多くの投稿者は初音ミクの公式サイトにイラストを転載するか、風景や写真と合成するなどして動画を作成した。しかしこれは無断転載ということになり、厳密に言えば著作権法に抵触する可能性がある。しかし著作権法は親告罪であるため、権利者が何も言わなければ問題にならない。つまりグレーゾーンであった。投稿者は法的に訴えられるかもしれないという不安を抱えながら投稿していた。そこでCryptonは初音ミクの公式イラストを、公序良俗に反しない限り好きに使って構わないと宣言した。同時に、公序良俗に反しない限り二次創作も自由にやって構わないと宣言し、具体的なガイドラインを出した。これにより、投稿者は不安なく公式イラストを使用できるようになり、また腕に覚えのある者は自分でイラストを書いて動画につけられるようになった。さらには3DCGで初音ミクを動かそうという人間が大量に現れ、それは樋口M氏が開発したMikuMikuDanceに結実する。
Cryptonの施策はそれだけではなかった。世の中には曲は作れるが絵が描けない人間がいる。逆に曲は作れないが絵が描ける人間もいる。どっちもできないが作詞はやってみたいという人間もいる。彼らの橋渡しをすることで、ネットを介した共同作業=ピアプロダクションを実現できるはずだ。そういう構想のもとに、ピアプロというサイトを解説した。誰でも無料で登録でき、曲、歌詞、イラスト、VOCALOIDの調声ファイルを自由にアップロードでき、それを他のユーザーが利用できるようにした。著作権にも配慮した。当時広まりつつあった、クリエイティブ・コモンズを参考にしたライセンスを、ユーザーが自由に選択できるようにしたのである。クリエイティブ・コモンズとは、アメリカの法学者ローレンス・レッシグが提唱する、サイバー時代の新たな著作権法の在り方であり、今や世界中で利用されるようになってきている。ピアプロの運営は基本的にCryptonの持ち出しだったが、これが創作を後押しした。こうしてピアプロで他のユーザーが公開した素材を寄せ集めて、ニコニコ動画に投稿するという流れが定着する。
またCryptonは、クリエイターに金が入るシステムの構築まで考えていた。人気の投稿者(アイマスMADの影響でP、あるいはボカロPと呼ばれる)が作った楽曲を、販売ルートに乗せるサポートも始めた。これがKARENTである。しかしCryptonは大手レコード会社のように、著作権を召し上げてアーティストに無断でベスト盤を作るような手法に疑問を持ち、権利をクリエイターに残す方法を模索した。これもユーザーやファンにとっては好感された。
一方で、ミクというキャラクターの拙速な商業化に対してはかなり慎重な姿勢を守った。アニメ化、CD化など、「ありとあらゆるオファーが来た」という。佐々木氏は「ビジネスとしてやっている以上お金を稼がないといけない。しかしブームが去る前に早く換金してしまおうという考えでアニメ化などを提案してくるのは全て断った。それでお金は入るかもしれないが、ハッピーになるのか」(たしかユリイカの初音ミク特集でのインタビュー)。これは伊藤社長もインタビューに答えて同じようなことを言っていた。「お金は稼がないといけないが、それだけではだめで、僕らは文化を作りたいんです」という主旨だったと思う。このあたりで自分はCrypton信者になっていた。
もちろん断るばかりではなく、Cryptonはふさわしいと思ったオファーは受けていった。代表的なものがSEGAの初音ミク Project Divaシリーズである。Divaは初音ミクによって作られた人気曲を音ゲーにしたものだが、曲のセレクトが実に心憎い感じで、モデリングの出来も良かった。SEGAの本気を感じられ、当時の初音ミクファンにとっても納得のいく出来であった。同時に、ミクを知らないゲーマーがDivaからミクを知り、ミクファンを増やしていくという好循環も生まれた。SEGAにとっても、当時KONAMIの独壇場であった音ゲーのシェアに切り込むきっかけとなり、さらにこのときに作ったノウハウは、同社のけいおん!の音ゲーやペルソナ4の音ゲーにも流用された(厳密には当初はディンゴが開発していたが、のちにSEGA自社開発に切り替えた)。ゲームセンターにもDivaが設置されるようになった。Divaは苦境のSEGAを復活させることとなり、経済雑誌のダイヤモンドにまで取り上げられた(参考リンク:札幌からやってきた女神、彼女の名は「初音ミク」 )。余談だがこの記事では「 神様、仏様、初音ミク様 」などと書いてあってダイヤモンド大丈夫かと思うほどであった。
さらにファンを喜ばせたのが、初音ミクのライブイベントである。最初のライブであったミクの日感謝祭(2010)は、Project Divaのプロモーションという名目で企画された。「名目で」というのは、赤字になることが見えていたのだが、当時のスタッフがどうしてもライブをやりたかったため、ゲームの宣伝という名目で役員を説得したのだという。SEGAの開発者がただのミク廃であったというオチなのだが、ライブには恐ろしく力が入っており、SEGAのミク愛が強く感じられた。専用に作ったCGが、ディラッドボードという半透明スクリーンにプロジェクターで投影され、本当にミクがそこにいるかのような演出がなされた。さらにうっすらと光り輝くミクはまさに天使か女神かとも言われた。バックバンドには某有名グループの元メンバーを起用するなど、音楽面でも異様に金がかかっていた。一切の妥協を許さない作りであった。自分はのちにBDで見たのだが、世界の夜明けを見た気がした(参考リンク: モニターから飛び出した歌姫! 「ミクの日感謝祭 39’s Giving Day ひるコンサート ~こんにちは、初音ミクです。~」リポート)。
このライブは他のミクファンにも大好評で、結果としてDivaの売上にも貢献したものの、赤字の影響か2011年からはSEGAは技術担当に退き、イベントの運営そのものはドワンゴ傘下のMAGES.が引き継いだ。タイトルも初音ミクライブパーティ(ミクパ)と名を変えた。しかしミクパは費用の回収を重視したせいか、ニコニコ動画の「歌ってみた」から出てきた新人アーティストに長い前座をやらせたり、ディラッドボードが削減されていたり、かと思えば謎の休憩時間が挟まれていたりとファンを落胆させる作りであった(参考リンク:【ミクパ】『初音ミク ライブパーティー 2011』に不満続出 透過スクリーンが廃止にCM休憩まで)。当時自分は公演のチケットが取れず、新宿の映画館で行われたライブビューイングに参加したが、休憩時間がやたら長かったとき、「どういうことなの…」とメールしていたことをよく覚えている。一方で同年にはアメリカでのライブも成功させ(5000人が燃えた! 『MIKUNOPOLIS in LOS ANGELES』ライブ徹底レポート )、海外にもVOCALOIDの人気が高まりつつあることが明らかとなった。
その後、いろいろあった末にミクのライブはいったん終結となったのだが、すぐにCrypton自らが毎年マジカルミライという総合イベントを開催することとなり、その中でSEGAの技術を使ったライブが行われるようになった。Cryptonは単にライブを行うのみならず、VOCALOIDの開発者を招いてシンポジウムをやったり、VOCALOIDの調教についてワークショップを行なったり、有名PがVOCALOIDで制作したCDを販売する即売会を開催したりと、まさにCGMを文化を定着させるという社長の信念を貫いていた。自分も参加したかったのだが、仕事が忙しくなって参加できず、悔しい思いをしていた。
ここまで見てきたように、Cryptonは、CGMを文化として定着させるという社長のビジョンを貫きつつ、ユーザーやファンの要望に対してとにかく��実に向き合い、丁寧に対処してきている。しかし少しでもユーザーの熱に冷水を浴びせるようなことをやってしまえば、それまで盛り上がってきたユーザーたちの”熱”が冷めてしまう。落胆したユーザーが離れてしまったら、Cryptonの目指すCGM文化は雲散霧消してしまうだろう。Cryptonで常に前線に立っていた佐々木氏は「マインスイーパをやっている気分だった」と語っており、 相当胃の痛い思いをしたのであろう。心中察するに余りある。しかし氏の誠実な対応は間違いなくファンに届いていたし、社長の遠大な計画も概ね理解されていたと思う。
その後、VOCALOIDの有名Pからは数多くの有名Pがメジャーデビューすることなる。ryo、じん、ハチ、40mP・・・���らはVOCALOIDシーンを牽引したのち、メジャーデビューを果たす。同時に、彼らの多くはデビューとともにボカロを引退していった、結果、彼らのファンとしてボカロを楽しんでいた人々は、彼らを追ってボカロシーンを去っていった。その結果、それまで右肩上がりを続けていた再生数は漸減している。そしてここ数年、ボカロ衰退論が声高に叫ばれるようになった。「一過性のブームに過ぎなかったね」とクールぶって語る人、「どんなサービスも寿命が来る」と斜に構えた分析をする人、「十分儲かったんじゃない?」と金にしか目がいかない人。さまざまな分析がなされた。しかし、伊藤社長の考えについて理解し、その意義を踏まえた上で論評する人間はあまり多くない。
Cryptonが推進するCGM、UGCは、かつて未来学者アルビン・トフラーが書いた「第三の波」において予想されていたものだ。トフラーは、人類の歴史上、3つの革命が起きたと唱えた。すなわち、農業革命、産業革命、情報革命である、そして現在は、情報革命の真っ最中である。一時期IT革命が騒がれた時期もあったが、トフラーの唱える情報革命とは、そんな一過性のバブルのような矮小なものではない。人類史を変える、もっと大きな革命である。
それまで人間は、すべての食糧を自ら生産し、自ら消費していた。音楽のような娯楽も、自らが演奏した音楽を自らで消費していた。しかし貨幣経済の流通によって、分業したほうが合理的であることが明らかとなったため、日常の多くの場面で分業して生産することになった。食糧、工業製品、娯楽、すべては資本と大企業によって生産されることとなり、一般人はあらゆる面で消費者として消費するだけの存在となった。
ところが情報革命はこれを一変させる。デジタル技術とインターネットの普及で、すべての人間が自分の作品を地球上どこにでも伝えることができるようになった。平たく言えば、Youtubeで発表してitunes storeで発売すれば、素人でも自分の作った曲を売れるようになったのだ。もちろん、今なおマスメディアの存在は大きく、中には情報革命など絵空事だったと言う者すらいる。あるいは、Youtubeもitunes storeも、結局は大企業によるマスメディアの一種と言うことはできよう。しかしこれは単純に、現在が過渡期であるということに過ぎない。情報革命は数百年単位で世界のありようを変えていく。そのとき、マスメディアはなくなることはないだろうが、やはりその形態を大幅に変えざるを得なくなる。そうした巨視的な視点から見なければ、情報革命を理解することはできない。そしてCryptonは、CGMを文化として普及させるという巨視的なビジョンのもと事業を拡大してきた。
過去に成功をおさめてきたIT系サービスの多くは、いずれも創業者が持つ明確なビジョンを推し進めてきた。 コンピュータを一般の人間がスマートに使えるようにしたApple。 検索によってあらゆる情報をユーザーに瞬時に届けようとしたGoogle。万人がアクセスできる百科事典を作ろうとしたWikipedia。彼らは初期の段階では順調に収益化できていたわけではない。しかし彼らは自らの信ずる理念の正しさを信じ、それを証明してみせた。そして彼らは世界を変えた。今はいずれも停滞しつつあるとはいえ、彼らはまた復活するか、あるいは全く別のサービスが現れ、世界を変えていくだろう。
こうした会社は、今の日本にはなかなか現れない。「なぜ日本にはAppleやGoogleが生まれないのか」とは、よく経済雑誌に出てくる言葉だ。新しいサービスが現れても、長続きせず、世界を変えるまでには至らない。なぜか?そのいずれもが世界を変えうるほどのビジョンを持っていなかったからだ。
しかしCryptonは、日本から生まれた数少ない「世界を変える企業」になるかもしれない。目先の再生数の増減を追って盛衰を語るようでは、GoogleもAppleも生まれない。
※8/31に間に合わせるためにいったん投稿するが、後ほど参考リンクを追加していく。
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