#トマト座長
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「福岡3」
あんみつ姫には、お約束です笑
連れが、ゲラゲラ笑ってなんすかこの世界めちゃくちゃおもろいっすやんと、喜んでくれました。
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「ナポリタン」の歴史
ナポリにはケチャップ炒めスパゲッティはない。米国生まれのトマトケチャップを味付けの主役に使用することはまずなく、ピーマンやハムが入ることもない。辛さを足すタバスコソースを入れることもない。そもそもパスタとはソースを���めるものであり、イタリアにはパスタを炒めるという概念はあまり無いようだ。ではなぜ日本でスパゲティと具材をケチャップで炒めるナポリタンという料理が誕生したかを追って行こう。
〇18世紀ナポリのトマトソースの屋台料理
18世紀ごろのナポリでは「トゥレ・チェンテジミ(3チェンテジモ)のヴェルミチェッリ」あるいは「ア・トリーエ(三つ)のヴェルミチェッリ」と呼ばれたトマトとチーズのパスタが屋台料理として庶民の間で食べられていた。塩も油も使われていない軽食の部類の料理だ。 チェンテジモはイタリアの通貨単位で1リラの1/100となり当時の1チェンテジモは40円くらいの価値である。 「トゥレ・チェンテジミ(3チェンテジモ)のヴェルミチェッリ」は茹でた細いパスタ(ヴェルミチェッリ)にチーズとトマトソースをかけた料理で3チェンジデモで食べられた。ちなみに2チェンジデモではチーズのみでトマトソースはかけてくれなかった。
このナポリのトマトソースを使用した調理法がフランスに伝わり、トマトソースを使った料理を「ナポリテーヌ」と呼んだ。 フランス流にトマトソースのパスタは「スパゲッティ・ア・ラ・ナポリテーヌ」と呼んだようだ。
〇一度作られた日本のケチャップスパゲティ
東京・銀座の煉瓦亭には、1921年(大正10年)の時点で「イタリアン」というメニューがあった。外国航路のコックが陸に上がって伝えたものだという。同店の4代目店主によれば、当時の「イタリアン」にはトマトピューレを用いていたが、1923年(大正12年)の関東大震災の後から戦時中に食料配給制になるまではケチャップを使用していたという話がある。 煉瓦亭は日本の元祖洋食屋という存在でありオムライスやカキフライなどの発祥として知られている。日本の洋食の基礎を作った店である。煉瓦亭で一度ケチャップを使ったナポリタンと同じ形式のスパゲティが現れている。ただトマトピューレに戻したようで一般市民へのケチャップを使ったナポリタンの浸透は無かったと思われる。
〇横浜ニューグランドホテルの「ナポリテーイン」
日本の料理の歴史にナポリタンの名前が登場するのは1934年(昭和9年)の横浜である。横浜市教育委員会が発行した『横浜の食文化』p. 79には、1934年(昭和9年)1月の横浜ホテルニューグランドのメニューが掲載されており、そこに「Spaghetti Napolitaine」の記載がある。また、同ホテルの支店である東京ニューグランドの1935年(昭和10年)のメニューには、カタカナで「スパゲチ ナポリテーイン」と書かれている。この「スパゲチ ナポリテーイン」は、裏ごししたトマトとチーズで作ったソースをかけたものだった。考案者は横浜ホテルニューグランド第2代総料理長の入江茂忠である。しかしここで使用しているのはケチャップではなくやはりトマトソースである。ただ一度茹でて、冷蔵庫で取り置きしたもっち��とした麺を使うというところはここで確立されている。「ナポリテーイン」の名前は横浜ホテルニューグランド初代総料理長サリー・ワイルがトマトソースを使ったフランス料理を「ナポリテーヌ」と呼ぶことを知っていたからだと推測されている。
〇「ナポリテーイン」のさらなる進化
���浜市野毛の洋食レストラン「センターグリル」では、1946年(昭和21年)の開業時から提供された料理「ナポリタン」にケチャップが使用されていたとされる。高価で加工に手間もかかるトマトを使わずケチャップを用いるのは町の洋食店ならではの工夫だとして、センターグリルが「ケチャップナポリタン」の発祥とみられている。同店の創業者の石橋豊吉は、横浜ホテルニューグランドの初代総料理長サリー・ワイルの経営していたセンターホテルで修業をしていて、横浜ホテルニューグランド第2代総料理長の入江茂忠とも親交があり、開業後にも入江からアドバイスを受けていたという。ただし横浜市野毛の洋食レストラン「センターグリル」は米国風洋食レストランを名乗っている。これは「ナポリタン」が「センターグリル」創業者の石橋豊吉にとってアメリカ料理と認識されていることを意味する。アメリカの大衆料理でパスタと言えば「スパゲッティ・ウィズ・ミートボール」(スパゲッティにトマトソースとミートボールとパルメザンチーズを合わせたもの)である。これが石橋豊吉の作ったケチャップで炒めたスパゲティである「ナポリタン」の発想の最初のイメージにあると思われる。「センターグリル」の「ナポリタン」はピーマン、ロースハム、玉ねぎと太麺をケチャップで炒めておりビジュアルからもっちりとした感じが伝わってくる。ポテトサラダが付け合わせで横に乗せられていてワンプレートで提供されている。
〇日本の「ナポリタン」の源流
以上の話をまとめると横浜ホテルニューグランドの初代総料理長サリー・ワイル、第2代総料理長の入江茂忠、センターグリル創業者の石橋豊吉、この三人とナポリの「トゥレ・チェンテジミ」、フランスの「スパゲッティ・ア・ラ・ナポリテーヌ」、アメリカの「スパゲッティ・ウィズ・ミートボール」が日本のナポリタンの源流となるのである。
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三浜ありさ(みはま ありさ)
ニックネーム:ありり
出身地:茨城県
生年月日:1999年9月5日
年齢:23歳(2023年現在)
星座:おとめ座
血液型:AB型
身長:155cm
趣味:映画鑑賞・ダンス
特技:ピンチケすること
チャームポイント:丸顔
職業:歌手・タレント
好きなもの:レモンサワー・トマト
苦手なもの:辛い食べ物
2014年:アイドルグループ『ベースボールガールズ』としてデビュー
2018年:『ベボガ!』としてメジャーデビュー。同年9月に川崎クラブチッタでの公演をもって解散。 その後は女優として舞台を中心に活動。劇団☆ディアステージに所属。
2020年11月:アイドルグループ『さよならステイチューン』としてデビュー。
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買ってきたコロッケ。トマトのナムル。
青パパイヤのぬか漬け。牛蒡の甘辛煮。
豆腐とワカメのお味噌汁。
ナムルとお味噌汁だけパパっと作って手抜きごはん。こないだのぬか漬けと昨日の牛蒡しかなかったけど助かった。副菜の作り置きがあると便利。
さてさて、大人オスマン。
裏切者くさいセルジューク朝の宰相がやってきて、初見で早速セルカンが『あれは良くない、サーデッティンと同じだ』と。セルカンの目は誤魔化せません。
確かに、座る時にガウンの裾をベルトに挟むのもサーデッティンと同じとか、あれ何だよw もたもた邪魔くさいよw
で、こいつがギュンドゥズに、何故兄であるあなたがカイベイにならなかったのか?何故オスマンなのか?と���ねたんだけど、それが父の願いだったからだと即答したの、最高にエモい。長男としての葛藤もあったけど、それが父エルトゥールルの遺志だから、末弟オスマンに忠誠を誓ったんだよ。
二人を仲違いさせてオスマンを貶めたいみたいだけど、そう簡単じゃないと思う。早速セルカンに『あの男は良くないって言っただろ』って再忠告されてたしね。
エルトゥールルの方は、Season5ラストでやっぱりイルビルゲと再婚みたいね。やだなぁ。
脚本と演出が下手で良くないから、みんなイルビルゲを受け入れられないんだよ。Season3の冒頭から『エルトゥールルはSeason5で再婚しますが、私はそれが嫌いだ』ってコメントついてたり、YouTubeShortとかまとめ系でもイルビルゲを見かけないのは、そういうことなんだと思う。
ハリメの中の人が続投を嫌がって降りたのは仕方ないけど、一応史実のエルトゥールルはハリメ以外とは結婚しなかったんだから、無理して後妻キャラを投入しなくて良かったのでは?
やるならやるで、もう少し上手な脚本と演出にして欲しかった。がっかりだよw
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レポート 親子で参加!農業体験ミステリーバスツアー
夏休み企画の「農業体験ミステリーバスツアー」があり、8月6日(日)に息子と参加しました。
到着まで目的地は秘密。「農業」といっても、米も野菜も畜産もありますから、どこに向かうのかドキドキ。
結果から申し上げると、今回は、オーガニックの卵を生産する養鶏所と、最先端の植物工場、を見学したあと、農産物加工品のお買い物を楽しんで、最後に地元食材をたっぷ��使ったスペシャルランチを食べました。詳細は下記からどうぞ!
一ヵ所目「ファーム アグリコラ」
ファーム アグリコラは、札幌の隣町「当別町」にある養鶏所です。代表の水野さんが、アグリコラの特徴や、大切にしていることを話してくださいました。
アグリコラのこだわり01「飼料も国産オーガニック」
日本の飼料はほとんどが輸入。輸入飼料の大豆やトウモロコシは一般的に、遺伝子組み換えが使われています。アグリコラの特徴は、輸入飼料ではなく、国産飼料を使っていること。近隣の有機栽培をしている生産者と連携しているそうです。
また、人間と同じくニワトリも、腸内環境を良くすることが重要だそうで、サツマイモを発酵させた餌も食べさせています。
見た目ウケのために黄身の色��濃くしないので、飼料に着色料を混ぜたりもしていません。

水野さんのこだわり02「平飼い、放牧」
アグリコラでは、人も家畜も心身ともに健康であることを大切にしています。そのため、平飼い&放牧スタイルをとっているそうですが、おかげで鳥インフルなどかかることもなく健康なんだそうです。
キッズの質問「平飼いと放牧って何が違うの?」
「鶏舎の中で放し飼いの状態で飼育するのが平飼いで、屋外でニワトリたちが外で自由に走り回れる状態の飼育が放牧です。」と水野さん。
一般的な養鶏の「ゲージ式」は、一羽あたりiPad一台分程度の広さのゲージの中で過ごし、鶏舎には窓がないそうです。
アグリコラのニワトリは、土を掘ってみたり、草をついばんだりする姿がほほえましく、みんな元気いっぱい。ずっと見ていられるくらいかわいかったです。
水野さんが大切にしていること03「農福連携」
「アグリコラは、障害のある方が活躍できる農福連携の取り組みを行っています。」と水野さん。
就労継続支援A型事業所、つまり障害のある方も「仕事として」農業に従事できるということです。
「持続可能な農業」は、言葉にすると短いですが、ここに至るまでの相当なご苦労があったはず。人とニワトリの健康、食べ物としての品質、環境、きれいごとではなく全部大切にしながら、商売としても成立させていく。本当にすごいなぁと思いました。

キッズからの質問タイム
Q. ニワトリは一日に卵を何個生むの?
水野さん「1日一個生めばいい感じです。ニワトリは25時間ごとに一個生みます。なので、毎日ちょっとずつ生む時間が少しずつずれて、午後3時くらいになったらその日は生むのをお休みします。なので、10日間で8~9個生みます。」
Q. このニワトリの卵からはヒヨコは生まれるの?
水野さん「ここにはメスのニワトリしかいません。メスのニワトリだけで卵を生むのだけど、人間と同じく、赤ちゃんが生まれるためにはオスのニワトリの精子が必要です(受精)。この卵は受精していないため、卵は孵らないのです。」
Q. ニワトリは何年くらい生きているの?
水野さん「ニワトリにも寿命があります。ただ、人間のおばあちゃんが赤ちゃんを生まないように、ニワトリも齢をとると卵を生めない身体になるの。私たちはニワトリからもらった卵を売ってお金にしています。ニワトリから卵がもらえなくなってしまうと、お金にすることもできません。なので、ニワトリには申し訳ないけれど、役目を終えてお肉になるということをしています。ちょっと悲しいけれどね。」
二カ所目 現代式トマト栽培!?「Jファーム」の植物工場
夏は野菜がたくさん収穫できる季節ですが、北海道の冬は雪が積もります。当たり前ですが、冬は野菜の露地栽培ができません。一年中安定して栽培するために、巨大なハウスの中でトマトを栽培するJファームの「植物工場」を見せていただきました。場所は、札幌市東区。

苗の見た目にビックリ!
中に入ってま���驚いたのが、ミニトマトの苗の背の高さ!全長はなんと7メートルくらいあり、長~いトマトの苗を天井から紐を使って吊るるように支えて、光の当たりやすい高さに調整しています。家庭菜園だと、1.7メートルくらいの苗を支柱で支えているので、その違いに驚きました。そして7メートルもあるのに、茎の太さは親指程度しかなく、思ったよりも太くないことに驚きました。
トマトの生育環境に合わせて徹底管理
ハウスの中に入ると、モワッとした熱気が立ち込めるのかと思いきや、意外と過ごしやすい温度帯。この日がたまたま涼しい日だったというのもありますが、トマトが生育しやすい環境に温度管理は徹底しているのだとか。「水は肥料分を溶かしたものをチューブを使って与えています。時間帯や量を管理し、あえて根元が乾く時間帯を設けています」と工場長。
トマトの原産はアンデス山脈の乾いた高山地帯ですから、「暑すぎない」「乾いている」という環境をハウス内で作り出しているということですね。

収穫量は一日4トン!
今回見学させてもらった品種は、「ダルダリー」というオランダ産のミニトマト。苗が長持ちするため、長期間の収穫にむいている品種ということで、今年から取り扱いを始めたそうです。
収穫量は現在、多い日で一日4トン程度。さらに最終目標は、その3倍以上の収穫量を設定しているそうです。
キッズの質問「もっといっぱい収穫するには、栄養の量を増やせばいいの?」
工場長「重量を上げるには、栄養も関係するけれど、二酸化炭素の量も大切です。光合成に必要なのは二酸化炭素。だから天井の窓を開けてハウスの中に外気を取り入れる調整が欠かせないのです。窓はコンピューターで自動制御しています」

ちなみに、工場というイメージから収穫作業は機械なのかと思いきや、昇降機にのって人が手摘みしているそうです!

車内では「野菜○×クイズ大会」
移動車の中では、○×クイズ大会。大人でも迷うくらいの絶妙な問題で、大盛り上がり。
司会の“みっちゃん”がさらに盛りあげてくれて、目的地まであっという間に到着する楽しい時間を過ごしました。

思春期に突入した息子。周りよりも少しお兄さんだったため、最初は遠慮がちでしたが…しっかり楽しんでいるし(笑)
お待ちかねのランチタイム!
「サッポロさとらんど」に戻り、調理室でランチタイムの準備開始!部屋に入るとスパイスの匂いが…お、お腹が空いちゃったよ~!
サラダ作りプチ講座
子どもたちは、各家庭分のサラダづくりにチャレンジ!レタス類もフリルやベビーリーフなど何種類かあって、少しずつ形が違うだけで、玉レタス一種類だけで作る時と比べて見栄えが良くなることもわかりました。そして、野菜ソムリエプロの大澄さんが、サ��ダを美味しく作るコツを教えてくれました。

美味しくなるポイント01「レタスのちぎりかた」
大澄さん「コツは、横にちぎるのではなくて、葉の繊維にそって縦にちぎると美味しくなります」。「ちょっとしたこと」なんだけど、試してみると本当に歯ざわりが違ってくるから、不思議!
美味しくなるポイント02「ドレッシングの和え方」
ドレッシング…上からかけていませんか?「レストランではドレッシングは上からかけていないけれど、美味しいですよね?」と大澄さん。たしかに、ドレッシングが一ヵ所だけ集中してかかっているとしょっぱいですが、全体に均一に味がついている方が美味しいです。(なので、この見出しも「和える」という表現にしました)
均一に味を付けるコツは、ビニール袋に野菜とドレッシングをスプーン二杯入れて……フリフリ~!このやり方ならば、子どもでも楽しくお手伝いできそう!

そして、まんべんなくドレッシングが行き渡ることで、ドレッシングの油分が野菜をよりツヤツヤに魅せてくれます。

完成した、スペシャルランチはこちら!
食材は、ほぼ北海道産です!

手前のミニトマトは、先ほど見学した「Jファーム」のトマト。 ピカピカで宝石みたいです!
プレートの中央にあるカボチャは、札幌市手稲山口の特産「大浜みやこかぼちゃ」、そして今が旬のトウモロコシ。
写真奥のカレーは、トマトと牛肉の夏カレー。牛肉は道内産で「キタウシリ」というホルスタイン種の肥育牛がたっぷり入っています。
そして、アグリコラの卵も「玉子サラダ」になっていました。 見てください、このクリーム色の黄身を! ”見た目ウケのために飼料に着色料を混ぜたりしない“とは言ってましたが、着色しないと黄身がこんなに色が薄いことを知りませんでした。
そして、黄身の色が薄くても、味はしっかり。それでいて全く臭みを感じない、澄んだ味でした。

まとめ
近郊農場をめぐり、生産者さんの話を聞いて、最後は採れたて野菜や地元の食材たっぷりのランチで締める!農場見学もランチも大満足!頭も心もお腹も満たされる一日でした。
主催 農業魅力再発信プロジェクト推進協議会 運営��企画 HERB & COOKING KINA
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29/07/23
会社の近くペルシャ料理屋があって、そこへいくと必ず幸福な気持ちになれる。店内にある大きなタンドールが放つ熱で店内がほかほか暖められていて(背中向かいの席では熱いくらい)、照明は薄暗くて、食事はおいしくて、なんだか居心地がよくて眠くなっちゃう感じ。ワンプレートメニューが大半だが、基本的な組み合わせとしては、バスマティライス、チキンorラムor両方の炭火串焼き、サラダ、焼きトマト、一欠片のバター、が盛り付けられている。若干酢にくぐらせたような風味のする、炭火で焼かれたチキンがお気に入りで毎回それを頼んでいたが、こないだはものすごくラムを食べたい気持ちになって、ラムはあまり好んで食べないけど美味しく食べられるのか心配半分、ラムが美味しいということになったならばそれはさぞかし美味しいだろうという楽しみ半分で店へ向かい、いつものチキンと、ラム(ミンチにしたラムを小さく成形した、ラム苦手な人にとって一番難易度低そうなやつ)が両方乗っているプレートをお願いして、食べたら、ラムが...とっても美味しかった..!
美容師の友だちに髪の毛を切ってもらうようになってから3ヶ月経つ。今回は彼女のお家にお邪魔して、髪を切ってもらって、ビールとおつまみをいただいた。ヘアカット中のBGMは千と千尋で、おつまみは彼女のシェアメイトが作った夕飯の残り物で、ああいう時間がもっと人生の中にあればいいなと思った。またすぐね。
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金曜日に有給を取って3連休を作り、マルタへ旅行した。イギリスは秋みたいに寒いけど、ヨーロッパには記録的な熱波がやってきており、マルタも例外ではなく、空港を出たら暑すぎて、いっぱい歩くのはやめよう..と危険を感じた。マルタには電車がなくて、移動手段はバスだから、3日間で15回くらいバスに乗った。前回のオスロ旅行で、自分の興味関心に基づいて行きたいところをいくつか選んでおくべきだという教訓を得たため、ワイナリーとかレストランとか色々ピックアップしておいたのに、バスが来なくて閉館時間に間に合わないみたいな理由で立てた予定はほとんど全て崩れ、行きたかったところの9割は行ってない。
立てた予定が全て崩れて向かったバスの終点には、イムディーナという静まり返った美しい城塞都市があった。後から調べてみたらマルタ最古の都市で、かつてはマルタの首都だったらしい。なんか普通のマルタの街に到着したなと思ってぷらぷら歩いていたら、お堀じゃないけどお堀みたいな高��差のある場所へ出て、中へ入るととっても別世界だった。旅をしている時(文字通りの旅ではなく、その場に意識があってその場に集中してわくわくしながら歩いている時)は自分の足音が聞こえる、とポールオースターの友だちが言ってたが、わたしは匂いもする。暑すぎるのか、痩せた雀が何羽か道端に転がって死んでいた。馬車馬は装飾のついた口輪と目隠しをされ、頭頂部には長い鳥の羽飾りが付けられていた。御者がヒーハー!と言いながら馬を走らせた。とにかく暑かった。
ほとんど熱中症の状態で夕食を求め入ったレストランで、ちょっとだけ..と飲んだ、キンキンに冷えた小瓶のチスク(マルタのローカル大衆ビール)が美味しくて椅子からころげ落ちた。熱中症なりかけで飲む冷たいビール、どんな夏の瞬間のビールよりうまい。
安いホステルにはエアコン設備などもちろんついていない。さらに、風力強の扇風機が2台回っている4人部屋の、私が寝た2段ベッドの上段だけ空気の溜まり場になっていた。明け方に頭からシャワーを浴びてさらさらになって、そのまま二度寝する。隣のベッドのイタリアから来たかわいらしい女の子2人組が夜遊びから帰ってきて、わたしは出がけに、部屋で少し話す。8年前に来たコミノ島はプライベートビーチのようで素晴らしかったけど、昨日行ったらツーリズム化されていて悲しかった。耳の裏に日焼け止めを塗り忘れて痛くなっちゃったから、あなたは忘れないように。わたしたち今ちょっとおかしいのよ、と言いながらドレスも脱がずにそのままベッドの上で眠ってしまった彼女は天使か何かみたいだった。扇風機をつけたまま部屋を出て行く。
地面がつるつると滑る。
砂のような色をした街並みが広がるマルタにもイケてるコーヒー屋は存在する。これも近代化・画一化の一途かと思うと、微妙な気持ちにもなるが、こういう場所へ来ると息が深く吸えるので有り難くもある。
マルタは3つの主要な島から成る。そのうちのゴゾ島へ行く。首都のバレッタから港までバスで1時間強、フェリーで20分。
フェリーほどいい乗り物はない。売店でビールとクリスプスを買って、デッキへ出て、なるべく人がいない場所で海を眺める。乗船案内と音楽が止んで、フェリーが作る波と風の音しかしない中に佇むと、これでいいような気がしてくる。ビールはあってもなくてもいいけど、フェリーのデッキで飲むビールの味というのがあって、それはめちゃくちゃうまい。
ゴゾ島へ降り立つと、足音と匂いがした。適当に道路沿いを歩いていたら、また別世界に続きそうな脇道があって、進んだらやっぱり別世界だった。ディズニーランドのトムソーヤ島で遊んでる時みたいな気持ちで謎の小屋へ入り、人で満杯のhop on hop offバスを眺めやりながら、人懐こすぎる砂色の猫と涼む。港とは反対側の海辺へ行きたかったのでバスを待つものの、一生来ないため、バス停近くのローカルスーパーを覗く。これといった面白いものは置かれていなくて、見たことある商品ばかりが並んでいた。バスは一生来ない。
バスを降り、水と涼しさを求めて入った地中海レストランは目と鼻の先に浜があり、今回の旅は下調べなしの出会いが素敵だなあとしみじみする。カルパッチョと白身魚のライススープ、プロセッコと、プロセッコの10倍あるでっかい水(笑)。カルパッチョは、生ハムのような薄切りの鮪が敷かれた上に生牡蠣、茹で蛸、海老が盛られていた。鮪は日本で食べるのと同じ味がした。カルパッチョは旨く、プロセッコはぬるく、ライススープは想像と違った。パンに添えられたバターは外気温のせいで分離していた。水が一番おいしかった。
おいしいものとお酒が好きで楽しい。
ヨーロッパ人の色気の正体ってなんなんだろう?アジア人が同じ格好をしてもああはならない。胸元がはだけていてもスカートが風で捲れてもはしたないと全く感じない。むしろロメール作品のようにさえ見える。そもそも'はしたない'という概念がアジア(少なくとも日本)にしか存在しないのではないか?色気って品かと思ってたけどそれは日本だけかもしれない。
地元料理が食べられるワインレストランを夕食に予約してみたらコース一択だった。お昼食べ過ぎてあんまりお腹空いてなかったからちょっと小走りで向かってみる。ラザニア、ムール貝と魚のスープ、うさぎの煮込みなど。人ん家の料理みたいな美味しさだった。マルタのワインはほとんどが島内で消費されるらしい。ゴゾ島の白ワインの感想:暑い村、お絵描きアプリのペンの一番太い線(色はグレーがかった白で透過度50)。食後のグリーンティーは、TWININGSのティーバッグで、お砂糖をいれる選択肢が与えられて、洋風の装飾がたっぷりついた受け皿付きの薄いカップと共にポットで提供された。カップの底に描かれた静物画のような果物が綺麗でうっとりした。
どこにでもあるような早朝からやってるスタンドでドーナツとオレンジジュースとコーヒー。扇風機に当たり続けていたいが荷物をまとめて宿を出る。行きたい街へ向かうバスが一生来ないため、行きたい街に名前が似てる街が行き先に表示されているバスに適当に乗ったら、行きたい街より30度北へ行くバスだった。でもやっぱり行きたい街へ行きたかったので、30度北の街へほとんど到着してからバスを乗り換え行きたい街へ向かったが、Googleマップの示すバス停へは行かず、行きたい街を通過してしまったため、行きたい街から30度南の街に降り立つこととなった。海辺でチスクを飲みながらメカジキを食べた。暑すぎて肌着1枚だった。店先のガラスに映る自分に目をやると、いわゆるバックパッカーの様相をしていた。
空港行きのバスだけは遅延なくスムーズに来て着く。肌着状態からシャツを身につけ普段の姿(?)に戻ると、途端に具合が悪くなった。日に当たりすぎたみたい。お土産を買ってセキュリティを通過し、充電スポットの近くに座って搭乗を待っていたら、すぐそばにグランドピアノがあることに気がついた。誰か上手な人が演奏しないかしらと思っていたら、青年によるリサイタルが始まった。父親が彼を呼びにやってくるまで、クラシックからビートルズまで5-6曲。思わぬ良い時間だった。
都市に住むと、旅行から帰ってくる時安心する。
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会社の人たち語録 ・やりたいことたくさんあるけど、今はやりたくないです。 ・返事がないのはいい知らせではないので。 ・Are you alright? まあまあ、ぼちぼち。
夕方、商店街へ買い出しに行く時がすごく幸せ。食べたいと思うものしか買わなかった時は特に幸せ。ぱつっと瑞々しい野菜、ちょっといいパスタ、ジャケ買いしたクラフトビール、好きな板チョコ。そんでキッチン飲酒しながらご飯作る。ビールを開けて一口目を飲むまでの間だけは音楽を止めるというのにはまっていて、そういえばフェリーのデッキで乗船案内とBGMが止んだ時の感じに似ていなくもない。フラットメイトが、夜中3時まで友人とリビングで遊んでいたり、土曜の夜にパーティへ出かけたりしているのと比較して、わたしが幸せ感じてるポイントは内向的だ。
やりたいことが浮かぶ。それをやる前に、比較対象の選択肢や判断軸を不必要なほど増やしてしまいがちだが、最適な選択を選び取ることよりも、やりたいと思う気持ちを満たすことの方が幸せなんじゃないか?
色々比べて悩んじゃったら「朝から決めてたことだから」って言うとスッと選び取れる!
食材の買い出しで1週間くらいはもつかなと感じるくらいたくさん買っても実際3日もすれば冷蔵庫空になるやつ、悲しさというかやるせなさを覚えるんだけど、こないだ500gパックの美味しそうなミニトマト買った時に、長く保ち続けること(終わりを迎えないようにする、終わりを想像しないようにすること)よりも、きちんと消費する��終わりを気持ちよく迎えること)を考えるようにしたら明るくなれてよかった。終わりって何事にもやってくるもんね。
食の話ばっかり回。
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M.S.S Project TOUR 2025 サンダーボルト at Zepp Osaka bayside/Zepp Fukuoka
1月からの予定が全て終わり生ける屍になっている柚葵夜です。 数えたらこの半年で12件現場行ってました。12件!?だいぶ行ったな!?(当社比) てなわけで、ガンガンレポぶちまけていきますよ! まずはむすぴから!同行者はいつもの友人氏!毎度毎度感謝です! ↓02/23 大阪↓ 今回はチケ番だいぶ悪くて1階後方だったんだけど、まあ、視界が悪かったですね!!!!!福岡に期待! 最初はゲーム実況から! 紙がない!とケツバトラーは動画にもなってたやつでめちゃくちゃ面白かったんだけど、今回も面白かったな~ 他の会場ではどんなのやってんだろうか あと衣装めちゃ良かったですね。もうちょっと見たかった 幕間だ~~~~~~!!!!! まさかの垂直跳び写真で笑ったし、みんなを同じような感じでそれも笑ったし、 結局ふぶちゃが安定のドベだしで腹筋と呼吸が追いつきませんでしたねえ!w んで音楽パートよ!!!!! Vから始めるのほんとさあ!!!! 何度でも言うけどVめちゃくちゃめちゃくちゃ好きなんですよ!!!!!! 多分むすぴのインストの中で1,2を争うくらい好き。 でもやっぱりフルでやってくれなかったあああああああ もっと聞きたい!!!!!!!!! 開始数曲でWe are MSSPが来たからテンションおかしくなった(笑) もう銀テ飛ぶんか!?ってなった(もちろん飛んでない) PLANETよかった~! まさかの再調教版でやってくれるとは! ラジオで先行公開してたけど再調教版も好きだなあ! えんま!!!!!!! ちょっと!!!!!!!!!???? めちゃくちゃ進化してませんか!!!?!!?!??!??? 振り付けが大胆になってるというかカッコよくなってるというか! いや今までももちろんカッコよかったんですけど、まずイントロからさあ!!!!!! ヤバすぎてたびたびペンラ振るの忘れてましたよね(笑) パン工場来ちゃった~w 相変わらず人外がきぐるみ着てCO2撒き散らしてたんだけど、 途中で数人のスタッフさんが色々持ってきて、一体何が始まるんです!?ってなってたら、 落ちる照明。 暗闇の中蠢くFBちゃん。 モニター「FB自家発電中」 ぼく「自 家 発 電 中 … … ? !」 (一瞬下ネタ的な意味で捉えちゃったのは内緒ね) そう、座ってできるエアロバイクを漕いでいたのである! なんでえ!?!?!?????!???? そばにおいてあったスタンドらしきものは電球で、 もちろん疲れて漕がなくなると暗くなるんだけど、その度に「頑張れ~!」って声が上がるの面白かったw もちろん私も応援しましたよ!w SIZIMIのレーザービームかっこよすぎた 歌詞がうまく聞き取れなかったんだけど、敵をなぎ倒していくような感じか? とにかくかっこいいので早く音源でも聴きたい レーザービームといえば、 エゴアンだったかのレーザー演出もかっこよかったなあ! 回を重ねる毎に進化して��く演出サイコー!!!!!!!! ラップ調の新曲………………!? あれまじで何だ!?かっこよすぎか!? いやそれよりなにより 階段上で歌うあろま先生の破壊力たるや!!!!!!!���! 友人氏と二人で絶叫しましたね!!!!!ええ!!!!! ありがとうございますありがとうございます 【KIKKUNのテーマ】 今日のお当番はえおさん! え「大阪!大阪!」 え「たこ焼き!たこ焼き!」 え「おいしい!おいしい!」 え「きっくん!きっくん!」 き「なんで忘れてあとから付け足したように最後にした?」 え「最初に言っても最後に言ってもなんか言われる」 【ガムテープ】 開始直前でマイクの調整をしていたえおさん。 スタッフさんに「(マイクのための)ガムテープいらねっすわ」って発言がイヤモニしていたおかげで結構大きい声が出たらしく、 それを聞いてた音楽組がやたら擦ってて笑ったwwwww さらに舌打ちもくっつく始末wwww こいつらほんとwwww アンコ終わって写真撮影も終わって本当に捌ける時に上半身裸になりだすきくお。 やばすぎない??????????? 結局いつも全部きくおが持ってくんだから!!!!!!!!! スンバラシィ肉体美をありがとうございます!!!!!!!!! ↓03/30 福岡↓ ねえB列って何列目??????????(?) しかも上手!!!!!!! 我らが推し、あろま先生側なんですよね!?!?!????!??? 豪運すぎない!?!!!!!!!!!??? いや確かにPeriodのときは最前いただきましたけども! でも!あれは!えおさん側だったので!!!!!! 【ゲームパート】 デジボクだー!!!!!!! 配信のとき初見だったけど楽しかったんだよなあw そして今回も出ました内ゲバ!w ほんでんでなぜか知らないけどあろまさんが敵を撃ったらすぐ倒せちゃうんだよなあ() なんでやろなあ() 【幕間】 幕間は重さピッタリ選手権的なやつ! (体力関係ある…?って思ったのは内緒ね!) アクスタ、トマト&ペンネ、生卵、小麦粉(片栗粉?)、うまい棒、食パン なんか色んなもの量ってたなあw 【ENMA DANCE】 えんま(だったかな?)で、えおさんがこっち来たとき、ソナーさんに絡みにいってわちゃわちゃしてるのを見てとてもニッコリしたし、 また別のタイミングできくおも絡みにいってて一緒にギター弾いててニッコリした あとこれは前からかもしれないんだけど、 サビで人外がケンケンしながら両手を上げる振り付けがあるんだけど、それを真似してかふぶちゃも一緒にケンケンしてたんだよね! かわいいいいいいいいいいいいい ショルキーあるからかもだけどそんなにケンケン飛べてなくてかわいいいいいいいいいいい(こら) 【KIKKUNのテーマ】 えおさんパート 「きっくんきっくん!」 「ラーメンラーメン!」 「ラーメンきっくん!」 「きっくんラーメン!」 F「やる前に一旦ロード時間あったよな」 あ「木久扇ラーメンみたい」 え「そんな(木久扇ラーメン)こと考えなかった」 ろまさんパート 「男女男男女男��!」 (真似するフロア) (私はどっちを答えればいいかわかんなくなってタイムアウト笑) 「そこはフーフーだろぉ!」 「こいつらニコニコ民じゃない!YouTubeだ!」 F「いやいやwそんなん真似するてw」(フォロー入れてくれる社長優しいw) そしてもう1回 「みっくみっくにー?」 『しーてあげるー!』 「ニコニコ民だー!!!!」 さらにもう1回 「らんらん」 『るー!』 「ニコニコ民だー!!!!!!!!」 とてもご満悦でこちらも嬉しいですwwwww あ「でもニコニコは滅んだ(スンッ)(真顔)」 F「滅んでないて!w」 ふぶちゃパート 「きっくんきっくん!」 「きっくんきっくん!!」 「きっくんきっくん!!!」 「きっくんきっくん!!!!」 き「なんかひねるかと思ったけどひねらなかった」 F「声量(?)でいってみた」 【パン工場】 今日もパン工場だったー!!!!! ぶっちゃけバイオゴリラの縄跳びも見たかったー!(笑) で、そのパン工場、前に同じくエアロバイク発電だったわけですが、 その準備が終わるまでふぶちゃが座る予定の椅子にずーっとCO2ぶっかけてましたね先生wwww いつまでかけんのこいつ!?って顔で見つめるふぶちゃも面白かったwwww そして椅子にはこんもり霜の山が。 座ってみるふぶちゃ。 流石に冷たいと顔で訴えるふぶちゃ。 若干やけくそで霜を振り落とすふぶちゃ。 もう一連の流れ最高でしたねwwww しかしそれだけではなく……… えおさんも相当暴れてましたね????????w 【CARRY ON PARADE】 キャリパレのきくえおのわちゃわちゃだーいすきw つーか、また武藤敬司やったぞあの鬼!!!!!wwwwww(配信でもやってた) 友人氏「いや、ナチュラルに武藤やるやん。そういう振り付けかと思った」 【アンコ】 アンコMCでこれからも走っていくからついてきてほしい。この景色はみんなのおかげ(意訳)と言ってくれたきっくん。 そこからの嘆きの華でもう感情ないなったし、 何より嘆きの華めちゃくちゃ聞きたかったから本当に嬉しかった。ありがとうね。 で、ミライノStoryにいったわけなんだけど… あの鬼、懐からむっちゃん万十出しやがったぞ!?!?!????!????? いや、アンコ始まったときからなんか香ばしいいい香りがするから誰か何か食ってんなぁ?!アンコ始まるまでの間に爆食いした???って思ってたんですよ。 そしたら!目の前の!先生が!急にしゃがみこんで! そしてまた立ち上がったと思ったら! その手にはむっちゃん万十が! (ケータリング)(紹介用のビラ付き)(ビラでご丁寧に包んで忍ばせていた模様) そんで、こちらでーすじゃないんですよ社長。 アクスタばりのニッコニコの笑顔でむっちゃん万十おすすめしてる人になってて笑いが止まりませんでしたねえw 全部持ってかれちゃったなあ………w いい曲なんだけどなあ、ミライノStory……………w あと!!!!!あの!!!!!!! 終演後に銀テ配ってたお姉さん!!!!!!! 本当にありがとうございました!!!!!!!!! 最初めちゃくちゃ混乱してて全部受け取りそうになったしめっちゃ手が震えてたけど!!!!!!!!! (もちろん1枚だけ頂きました!) というわけで、サンボルレポでした! いや~~~~~~、特に福岡はいい思いをさせていただきました。楽しかった!!!! さて、PlatinumBEST聞くか……(まだ聞いていなかった) それではここら辺で。ではでは~ 20250624
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5/9 大瀬崎でした
皆さん、こんにちは。 昨日は木曜日。 定休日をいただきありがとうございました。 スタッフは月一マーメイド。 大型連休後のリフレッシュ! 社長もお休みにしかできないことを、あれこれしていたようです。 きゅうりとトマト、今朝植ってました。 ダイブテリーズです。 今日はLDのまさきくんと大瀬崎へ。 初めて、大瀬館前にエントリーしました。 これから少しずつ、大瀬館側の海をご案内していきます。 水温は16-17度前後と少し下がりました。 透視度も春濁りが再来? 白っぽく、時間によっては流れがありました。 こうして夏に向かっていくのでしょう。 ごみも拾っています。 未だに、ソーセージのゴミ!?時代遅れも甚だしい。。。 海からの帰着後には、座間味から器材も無事帰ってきました。 きっと参加された皆さまが、週末にはお店にやってきて、お土産話に花が咲くことでしょう。 明日はお店が通常OPEN。 GW明けの…
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長崎に行ってきました
2025���初の遠出は九州・長崎へ行ってきた。JALパックとびっくりオプションを使った3泊4日の旅である。

1日目、長崎駅に到着したのは17時ごろ。長崎駅近くのホテルにチェックインした後、JR西九州フリーきっぷ(指定席も乗り放題/びっくりオプション)を使って乗り鉄。この写真は長崎本線の湯江駅で撮影したもの。撮影時刻は1月末の17時55分、西にいることを実感した。

キハ47という汽車の中から一枚。昔ながらの汽車は窓や座席など、味があって良い。窓から見える景色も最高だ。

夕食を食べて22時半ごろに新車のYC1系で長崎駅に戻ってきた。田舎の終電は早く、1番のりばの列車は終わったらしい。

2日目は長崎にいる祖母のもとへ。昔住んでいた町を散策。この川は本明川とよばれる、長崎県唯一の一級河川である。本明川は諫早湾干拓調整池(有明海)に注ぐ。穏やかな時は流量が少なく、本気の時は一気に増水する恐ろしい川だ。昔はよくここを歩いていた。祖母にも会えて、天国にいる母親も喜んでいたことだろう。そんな気がした。

長崎本線の本明川橋梁を渡る汽車。ブルーの車体の窓にオレンジ色に染まる夕陽の光が反射する。西九州新幹線が開通する前の長崎本線は特急街道であり、この鉄橋を特急列車のかもめ号が1時間に2本程度走っていた��今ではローカル線に格下げ、非電化、汽車も普通列車と観光列車のみになり、本数も1~6時間に1本程度になった。

長崎県の有明海を沿う国道207号線といえば、インスタ映えスポットで大人気の「フルーツバス停」がある。その名の通り、バス停の待合所がフルーツの形状をしている。このバス停は「イチゴ」。他にも「ミカン」「メロン」「スイカ」「トマト」がある。

3日目は長崎ランタンフェスティバルを見る。長崎ランタンフェスティバルは「長崎燈會」とも書く。中国の春節(旧正月)にあわせて毎年開催されている。街中にはランタンやオブジェが飾られており、一風変わった長崎の景色を楽しめる。

しかしこの日は生憎の雨。長崎は今日も雨だった。見る予定だった皇帝パレードや龍踊りが中止となり残念であるが、雨ならではのランタンフェスティバルを楽しめた。

雨に濡れない位置から中国変面ショーを見る。次から次へと顔が変わる。瞬きの間に顔が変わっている。面白いのでぜひ一度は見てほしい催しものだ。

浜町アーケードにいた龍。踊ってはいなかったが、人々の上から龍が見守っていた。龍踊りは中国で五穀豊穣を祈る雨���い神事に始まったものと言われており、期間中毎日開催されていた中で本当に雨雲を呼んでしまったのかな...と頭の中で考えていた。

浜町アーケードには無数の赤いランタンが飾られている。どこまで行っても赤いランタンがあるので、アーケードの入口から見ると壮観なものだ。フォトスポットとしてもおすすめできる。

4日目、最後は長崎駅前の交差点から路面電車を見る。全国的にも珍しい路面電車と道路が複雑に交わる交差点になっている。路面電車の行先によって向かう線路が異なり、路面電車は路面電車専用の信号に従わなければならない。車は車専用の信号があるので、信号の見間違いや軌道上に立ち止まらないように注意しなければならない。歩道橋から見ている分には非常に楽しい。写真は4枚の写真を合成して1枚に仕上げている。
3泊4日、あっという間の長崎の旅だった。来年は長崎に行けるか先のことは不明��が、長崎ランタンフェスティバルの皇帝パレードは見ておきたいものだ。次の長崎への旅の目標は「皇帝パレードを見る」。
※写真は全て管理人が撮影・編集したもので、著作権があります。複製や加工などの二次利用を厳しく禁止しています。ルールが守れない方は必要な措置を講じる場合がありますので、ご注意ください。
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JANUARY 25th
「最近トレジョ行ってないね」私
「すっかりユニオン派になっちゃったね」崇
ブルックリンライフでしか起きえない会話を料理の合間に挟む���
トレジョ=Trader Joe’s アメリカ中にあるオーガニックスーパー(安い)
ユニオン=Union Market ブルックリンにある高級スーパー(高い)
今回の旅行メンバーの何が素晴らしかったって、食事をこよなく愛する人が集ったことだったね、と言いながら片方がムニエルを、もう片方がパスタの用意をする21時。私は細かい親に育てられたので調味料は全部測りたい。瓶の蓋が空きっぱなしだとすぐしまうし、切り終えたまな板が放置されてると片っ端から洗ってしまう。習慣の違いが、気にならなくなるくらい多くの食事を一緒に用意してきた1月の終盤。小麦粉を使い切るアテが無さすぎて買わなかったのと、圧倒的肉派の人たちと過ごしていたので、ムニエルをするタイミングがなかったのだけれど、この豪邸にはちゃっかり小麦粉があったので今夜はサーモンのムニエルです。ユニオンでモッツァレラに惹かれたのだけれど、モッツァレラを楽しむには、ブロンクスのリトルイタリーに足を伸ばす以外の道はない。
昨夜はラムチョップ。母上のレシピで好きな料理の中でも、自分で作ったことのなかった、アラブ風のミントを使ったラムチョップ。もう毎日がホリデーの我々は、今日何にする?とネタ切れ満載。絞り出したのが、というか思い出したのがラムチョップだったので初予(はつよ=母)さんにレシピを聞いた。「肉離れをして久しいのでレシピが手元にない」と返ってきた。のはLA突撃の前のこと。数日後にラムチョップのレシピが送られてきたけれど、私はLAで塩胡椒オイルのミニマム調理に明け暮れていた日々。ユニオンではラムチョップもミントも手に入るので、いざ、と。ワインショップに行ったらテイスティングテーブルがあって五種飲んだ。崇やビアンカといてすごくスムーズなのは、赤の好みが基本近いこと。満場一致でテイスティングテーブルで飲んだ三種の赤に好みのものはなくて、スペインのXarel-Loという二人とも知らなかった白を即決した。その後の赤探しも楽しかった。この店をこよなく愛しているアルバイトのお兄ちゃんに求めている赤探しを手伝ってもらった。Malbec95%の18年。一人一本握りしめてマイナス10度のブルックリンを闊歩した。
ラムチョップは抜群に美味しくて、やっぱり自分はスパイスを使う料理が好きだなぁとしみじみしながら赤ワインは気付けば空いていた。ちなみに我々は今のところシェーブル80%みたいなバランスでシェーブル比重高めに毎日チーズを食べている。ワインとチーズの中毒性から逃れられないブルックリンライフ。
さて、ミントをですね、使い忘れ��んですね、ラムチョップに。最後の盛り付けに使う肝心のミントを、鍋からラムを救い出して皿に移し、うまそーうまそーさわいじゃってそのままテーブルについてしまった。シェアハウスという言葉の響きに含まれる意味合いの、日本のそれとアメリカのそれの大きな乖離と、ニューヨークで起きているシェアハウス事情とその人生の豊かさや未来図を語り合うのにミントは不要であった。
そういうわけで、今夜はミントを使いたい。私はミントはカレーくらいしか持ち前のレシピがないのだけれど、今夜はカレーの気分ではない。エスニックの気分でもない。そこで。パセリを使う大好きなムニエルのソースをミントバージョンで作ってみる方向に決まった。それでもミントは余ったので、今私の中には明日はラム酒を仕入れてくるという計画が少しある。レッツドゥーダモヒートナイト。モヒートのことを考え出していたらもう何を書こうとしてpagesを開いたのだったか思い出せなくなった。思い出せなくなったというところまで書く数秒を経て思い出せたので続きを書くけれど、いつものように、長い長い脱線になってしまったなぁ。
EOY tripです。旅について、やっぱりどうしても書いておきたい。LAの日々では、目の前のことが98%くらいを占めていて、特に最初の数日は倒れるくらいまで仕事のことで頭がいっぱいだった。ベッドに座ったらもう立てなくて生まれて初めてピースのロゴを着たまま寝た。笑 数日経ってエアビーに移れて、いろんな余裕がうまく嵌まり込んできたあたりで、少しづつEOY tripが胸の内で頭をもたげてきた。今カリフォルニアはLAにいるという事実と、ほんの二週間前まで北カリフォルニアを旅していたことの繋がりや、運命のおかしみなんかが、ドライマティーニのオリーブに刺さっている串くらいの存在感で私の中で揺れ動いていた。
LAでは最後の日���日を完全オフにして、みんなそれぞれ楽しんだ。私は朝にビアンカとカレンに会えたことがものすごく良い時間だった。ビアンカの中にある途轍もない優しさや他者の痛みを背負ってしまう繊細さを目の当たりにした。カレンはカレンのままで、ピースが何をしているのか教えて教えてとハツラツとしていた。結局私は英語力の限界と、大して報告できることもないのとでそこそこの話ししかできなくて、その後はただ楽しく友達トークをしていた。時は次期大統領就任1日前。地獄の始まりは明日、今夜は飲んで荒れよう、というムードがみんなの中にはあるらしい。
二人と別れてチームの二人のお迎えにまたLAを横断して一人また一人と送迎をしているうちに、友達に会っていた1時間がどれだけ自分の心を解放していたのかに気付かされた。9日間、ほとんどシャワーと睡眠以外の全ての時間を一緒に過ごしていた人たちからほんの1時間、解放されたことの大きさは凄かった。
あぁ、また脱線してしまった!!!
つまり、旅で金輪際かと思っていた友達たちに、信じられないくらい早く、信じられないような物事の運びで、再会した、という運命のスピニングを、一言で言うなら楽しんでいると言うことです。
そんなLAすらももう歴とした過去になるくらいに今私はブルックリンライフというシーンにいる。そして日に1日は、「本当に最高だったね(旅)」という話になる。フライパンでじっくり縮んでいくサーモンを見守りながら、トマトの皮の湯向きが済んで、スナップエンドウを茹でる用意も済んで、崇が作っているパスタソースの湯気を眺めながら、とてつもなく美味しいゴートチーズ(シェーブルなのかどうか見極めのつかないゴートチーズ)に歓喜の小さな悲鳴をあげながらチャバタと合わせて食べていて、今夜は、今夜こそは、EOY tripを綴るぞ、と胸の内で小さく決心した。
でも結局、22時半とかに始めた夜ご飯はあまりにも満足で、そこから我々は始めようとしているプロジェクトについていよいよ作業を開始してみることになり、執筆時間はどこにもなかった。「friend’s」というプロジェクトを動かそうという話が既に11月くらいから起きていて、ずっと動かそう動かそう言いながら出来てこなかったので、昨夜はとりあえずgmailを作って、ホームページ作成のアイディアをブラウザしながらロゴのデザインを書き散らした。乞うご期待、というか中途半端なことにならないように頑張れよ自分&崇。
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2022年手帳より
4月21日(木)
もみじ銀行の口座をしめた。口座は作るのは面倒だけどしめるのはあっという間。天気よく朝ランもして気分もいい。
4月22日(金)
野島内科で健康診断。機材が全部古くて、身長測るやつなんて木でできていた。帰りにフレスタでトマトの苗を買う。
4月23日(土)
ひろとパルコ。ビルケンでサンダルを買い、コンビニ缶ビールを手に旧太田川沿い、原爆ドームが見えるところで座って話した。ひろは父さん母さんを大切にしながらでっかいことやってくれそうだ。頼もしいな。
4月24日(日)
母さんとひろと昼ごはんで「まるめん本店」へ。テラス席で開放的、味もなかなか美味しかった。
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2025年4月22日(火)

今年の松尾祭・還幸祭(おいで)は4月20日(日)、当日は見に行けなかったので、朝の家事が一段落してから御旅所へお詣りした。境内にはテキ屋のお兄さん達があれこれ作業をしている。本殿に向かって右側の建物に、松尾七社のうち四基の神輿と一基の唐櫃が鎮座している。私の住まう地区は<櫟谷社>、少し小ぶりなのは町の規模(=経済力)が小さいことを反映しているのだろう。22年前に転居した年にいきなり町内会長となり、祭の先頭を紋付き袴姿で歩かされたのも忘れられない想い出だ。

5時30分起床。
洗濯開始。

朝食を頂く。
洗濯物を干す。
可燃ゴミ、30L*2。
8時20分、彼女が自転車で出勤、訪問1件。

9時、コレモで買物、お昼はうどんに決める。
YouTubeを渉猟、大原千鶴さんの薄口醤油シリーズを発見、これはあれこれ使えそうだ。
西七条御旅所へ、どこかの保育園の子供達が遊びに来ていた。

戻ると、保健協議会から<献血>のチラシとポスター、すぐに各組長宅に届けに回る。
戻ると、彼女も仕事終わりで買物済ませて戻っていた。

お昼はうどん、大原千鶴さんのレシピ、なかなか良い感じだ。
彼女を職場まで送る。
6/22(日)の<月刊笑福亭たま>のチケットを予約する。
西村歯科の予約は15時30分、10分前に入るとすぐに呼んでくれた。いつも通りのチェック&クリーニング、特に問題はなく次回は5/27(火)となった。

帰路に<露の五郎襲名披露公演事務局>からメッセージ、予約していたチケットの連絡にホッとする。

今夜の夕飯、大原千鶴さんのレシピを参考にした鶏ムネ肉のバター醤油・コウケンテツ師匠のキャベツのナムル・白ご飯.comのピリ辛コンニャク、レタスとトマト。

録画番組視聴、落語研究会から春風亭一之輔の「柳田格之進」、サゲはつけていないが気持ちの良い終わり方だ。
片付け・入浴・・・のはずが、気がつけば布団の中だった。

さすがに歯医者に行く日は、歩数が伸びる。
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2024.11.19
日本人の多くは仏教徒だよね。君は仏教徒か?10日間のスリランカでこの質問を何回されただろう。初めのうちは、無宗教だけど仏教の教えとは身近に生きてきた。と答えていたが聞かれれば聞かれるほど、仏教徒というのは何を意味するのだろうかと考えさせられた。
スリランカの第二都市であるKandyでSadunとSamanに出逢った。スリランカに到着してから土着の人ではないという理由だけで毎日数えきれない人たちからお金を乞われたり、ぼったくろうとされた。2人に最初に声をかけられたときは、またか、と思いながら適当にあしらおうとしていたのだが、少し話をしていると純粋に話したかっただけのようだった。結局その日はKandyを半日案内してもらい、宿まで送ってもらった。翌日からはスリランカを訪れるきっかけとなったGeoffrey Bawaが建てたHeritance Kandalamaに行く予定だと話すと、どうやって行くのかと訊かれた。バスだと答えると、Kandalamaまでの道中には見るべきものがいっぱいある、バスだとそういうところに寄れないからトゥクトゥクで送ってあげるよ、君にとってもきっといい経験になる。と言われた。KandyからKandalamaまでは2時間ほど離れている。バスの方が安いからバスで行くと伝えると、いくら払うかは自分で決めていい、その答えがタダならタダでもいいと言われ、うますぎる話に半信半疑ながらもその誘いに乗ることにした。翌朝8時に宿まで迎えに来てくれて、まずはKandyの中心部から20分ほど離れた小さい村にあるSamanの家に行き、彼の家族とセイロンティとともに団欒した。Kandalamaまでの道中、のどかな田畑と熱帯系の植生の景色が続く小さな村に、ぽつんと仏教寺があった。スリランカ全土には小さい寺院が数千と存在し、その寺院がある村々には100-150の家族が住んでるという。そして一家族が1日ごと順番に僧侶たちの食事を用意すると教えてくれた。自分を犠牲にして人々のために全てを捧げた仏陀、つまり僧侶たちへの感謝の行為であり、これはスリランカで2700年以上続く伝統であるらしい。スリランカに来てから、SadunとSamanだけでなく色々な人からカルマという言葉もよく耳にした。良い行動は良��カルマとして自分に返ってくると。そういえば昨日Kandyを案内してくれたのにも関わらず、お金は一切求められなかった。半日私の行きたいところやしたいことに付き合ってもらった上に、彼らの商売道具でもあるトゥクトゥクで移動していたので、宿に着いたときに私の気持ちのお金を渡した。そのときにも、ありがとう。これはgood moneyだ。私たちは本当にカルマを信じていて、Rikuにもgood karmanがきっとあるし、訪れる。と言っていた。私は村人が僧侶たちのために食事をつくるという伝統の話を聞いたときに、仏教というのはどういうものなのかということを深く理解した。それと同時に2人のことを少しでも疑った自分を恥じた。もちろん仏教徒であっても(スリランカでは約70%が仏教徒である)皆が皆良い人とは限らない。スリランカに来てから、押しの強い客引きや、わざと同情を利用した行為に良い気分がしなかったことも何度も起こり、人にもお金にも敏感になっていた。しかしそのとき私は、清らかなさらさらとした心地よい中で生まれた、心が押しつぶされるような気持ちをどこにもやりようがなく、トゥクトゥクの後部座席に座りながら静かに泣いていた。
景色がいいところで停まったり、昼食を共にしたり、約2100年前にDambullaという都市にある巨大な岩山を掘ってつくられた洞窟の中にある寺院を訪れたり、途中トゥクトゥクを運転させてもらったりしながらホテルに到着した。翌日の予定を訊かれ、5世紀に栄えた王国Sigiriyaの遺跡に行くつもりだと伝えると、10時をすぎると暑くなる(マチュピチュのような遺跡で入り口から頂上までは1時間ほどかかる)から早朝に出発した方がいい、よかったら明日も送ってあげるよ。友達の家が近くにあるから私たちはそこに泊まる。その辺りには原始的な生活をしている小さな村もあって、そこで触れられる体験はRikuもきっと気にいると思う。と言われた。その日彼らとずっと話していて、彼らがどういう人間か理解し、私がどんな人間でどういうものを求めているのかも理解していてくれていたので、今回は迷うことなくお願いした。ホテルで夕食を食べると高いだろうから、また夜迎えにくるから友達の家で一緒に食べないかとも誘われたがGeoffrey Bawa建築を堪能したかったし、連日の移動の疲れと自分の中で消化したいこともあったので、その誘いは断ることにした。
翌日遺跡を訪れた後、Samanの弟の娘が働いているフルーツジュースが美味しいカフェで少し休憩し、人里離れた村へと向かった。トゥクトゥクで行けるところまで行き、そこからは水牛に引かれてジャングルとも森ともつかない景色の中、湿気を含んだ空気が肌にまとわりつくのを感じながらゆられていた。20分ほど進んだ先には、東南アジアの原風景(スリランカは南アジアだがここだけは少し違っていた)という言葉が似合う景色が広がっており、村人たちが長い年月をかけて歩いてつくった轍が続いていた。横には湖、反対側には家が小さく見える。湖岸には村人が手でつくった小舟が数隻あり、そのうちの一つをだしてもらった。風も声もなく、ただ静寂が漂い、平和そのものだった。Sadunがたまに陽が沈んでから友達や家族と飲んだり話したりすると言った瞬間、私はその光景を想像した。今みたいに肌を焼く太陽は姿を隠し、月明かりが湖一面を照らす。もしかしたら夜は虫たちの歌声が聴こえてくるかもしれない。澄んだ静寂は愛する人たちとの会話で掻き消されるが、この平和はそこにあるままだ。これ以上何を求めるのだろうか。水面を覆う蓮の葉で帽子をつくってもらったりもした。昼食をそろそろ食べようかということで湖岸へは私が舟を漕いだ。先ほど遠くに見えていた家に到着すると、まだこの世に生を受けて10ヶ月しか経っていない子どもを腕に抱えながら料理をしている30代ぐらいにみえる夫婦が待っていてくれた。家の柱や壁、台、椅子などは木と土で、屋根はココナッツの葉でつくられていて、窓はない。電気やガスは通っておらず、水も近くの井戸に汲みにいくという。土でできたかまどの前で奥さんが子どもをあやしながら、土鍋で炊いている米の具合を確認していて、旦那さんは裏の庭でとってきたココナッツを割ってウェルカムドリンクをだしてくれた。裏庭で採れた野菜とスパイスでつくった3種類のカレー、ココナッツから抽出した油をつかった湖で釣った魚のフライ、ココナッツの果肉をトマト、スパイス、ライム汁を合わせてすり潰したもの(これが一番美味しかった)、すべて自分たちでつくったもので昼食を振舞ってくれた。お腹いっぱい食べた後には屋根になるココナッツの葉の編み方も教わった。彼らは住処を建てられて、舟の作り方も知っていて、近くでは魚も釣れて、フルーツや野菜の育て方も知っていて、またそれを余すことなく食べて、残った食べられない部分の他のことへの使い道も知っている。もしかしたら”教育”こそ受けていないかもしれないが、彼らは”自然”をよく知っている。
Sadunが言っていた。ここの村では気候が比較的いいので人々は”自然と生きる”伝統文化が残っている。他には酪農や陶磁器、ジュエリーなどその土地の環境に適したそれぞれの伝統が色濃く残っているらしく、お互いの伝統を交換して足りないものを補い合い、支え合いながら伝統を守っている。ここでの生活はシンプルでお金は持ってないが皆、”生きる”ために仕事をして平和に幸せに暮らしているのだと。しかしスリランカでも現代化が急速に進んでおり、今の若者はこの生活を知ることはなく、遠くない未来にはそれらの伝統は消え去るだろうと嘆いていた。Sadunは知識が豊富で、今世界で何が起こっているのか、何が流行りの思想なのかも知っていた。だからこそ彼は、私をここに連れてきたかったのだろう。
これを書いていると2人の顔が見たくなりSadunに電話(Samanは携帯を持っていない)をすると、彼の気持ちのいい笑顔が画面に広がった。内臓が少し悪く、この数日間入院していたと言われ心配したが、今は回復して翌日には退院できると聞いてひとまず安心した。電話中にちょうどSamanがSadunの見舞いにやってきた。本当に仲がいいなとこちらまでほっこりし、最後2人と別れたときのことを思い出した。私が3日間の感謝の気持ちのお金をSadunに渡したとき、Samanに気づかれないようにその3分の1を受け取り、残りをSamanに渡していた。仏教の教えに「自他不ニ」というものがある。Samanが見舞いにやってきたことも、Sadunが自分の取り分を少なくしたことも、彼らが私にしてくれたことも、そのすべてがその教えを体現していた。
私は自分を仏教徒だと思ったことはない。スリランカでの体験をした今、なおさらそう簡単に口にはできない。しかし、今まで以上に仏教の教えとは身近に生きたいと思うようになった。2人に感謝する。
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今年8月に新規OPENした倉庫リノベーションのパスタ屋さんでランチ
皆さん こんにちは。
近くの結婚相談所 ハッピータイム桐生相生
婚活アドバイザーの金子です。
群馬県の人気スポットとなっている「道の駅まえばし赤城」からクルマで約15分前後の、ナビがないと迷ってしまいそうな住宅街の裏路地に店舗を構えるのは、
「NERDLAND ナードランド」さん。
群馬県北群馬郡吉岡町下野田982−1
今年8月に新規OPENされたこちらのお店、倉庫だった建物をリノベーションされたとの事で外観は秘密基地や隠れ家のような感じ。
吹き抜けの2階があるつくりなので内部は桐生市の工場リノベーション店「GASTERRO ガステロ」さんが思い浮かびましたが、インテリアの雰囲気は異ります。
開店時間の11時に入店すると直ぐにほぼ満席状態。
食事が終了し会計後には入り口付近で待っている方々がいらっしゃいました。
ワンコOKエリアもあるのでワンコと一緒の食事も可能。
パスタを中心としたメニューで、トマト・塩・クリーム・バジル・レモン・和風・カレー・明太子などをベースとした50種類以上のパスタがあり迷ってしまいます。
選んだのは「魚介たっぷりアラビアータ」
魚介の旨味が楽しめる辛さが絶妙な塩梅の辛口トマトソースでした。
(群馬県には、魚介が入った辛口トマトソースパスタの事をナポリのベスビオ火山をイメージし「ベスビオ」という名前で提供しているお店がたくさんあります。)
同行した2人は、
「エビと帆立小柱のレモンクリーム」
「魚介アラビアータクリーム」
をそれぞれ注文。
ドリンクセットにしたので、アイスコーヒー・ぶどうジュース・アイスレモンティーを選択。
オープンキッチンとなっていて、座った席から調理担当の方が調理されている姿を見る事が出来たのですが、満席だとおそらく50人位収容できるお店で50種類以上のパスタの中から注文を受けたメニューを、お一人で手際よく調理されていたので「やはりプロの方は凄いな」と思いました。
お洒落な空間で美味しいランチをいただく事が出来ました。
お店の方も皆さんとても親切です。
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近くの結婚相談所
ハッピータイム群馬桐生相生
婚活アドバイザー 金子 薫
群馬県桐生市相生町5-536-1
ネプチューン2-A
電 話:0277-32-5314
連絡時間:午前10時から午後9時
定休日:年中無休
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婚活 結婚相談はお近くの結婚相談所ハッピータイム (http://www.happytime-en.com/)、 群馬前橋・群馬沼田・群馬渋川・群馬高崎・群馬安中・群馬藤岡・群馬伊勢崎・群馬桐生・群馬みどり・群馬太田・群馬邑楽・群馬館林・栃木足利・栃木佐野・栃木小山・栃木栃木・栃木真岡・埼玉熊谷・埼玉深谷・埼玉本庄・埼玉行田・埼玉羽生・埼玉加須・埼玉児玉・茨城牛久・茨城下館・茨城筑西・茨城結城・茨城古河・新潟長岡・新潟小千谷・新潟見附・新潟柏崎・新潟魚沼・新潟十日町・新潟南魚沼・新潟西蒲原・神奈川川崎・山梨甲府昭和までお問い合わせ下さい。
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D4
朝市からの
十王堂の湯 広くて気持ちよかった
野菜たっぷりの朝ごはん
「ホテルの朝ごはんみたい」
と喜んでくれて嬉しかった
斑尾高原ホテルの🫐🍅ゲットならず
9時台に来ないと無理かもね
信濃町の焼きとうもろこしソース用トマト
信濃町生まれ育ちのお父さん、おまけしてくれて、一緒に座っておしゃべりしてくれてほっこり
妙高のミサは常に大行列
回転寿司でランチ
お腹をすかした菊はご機嫌ななめ
妙高のカフェがすごく良くて
お得なプラナチャイ煮出し鍋をゲット!
霧深い赤倉観光ホテル
カフェですごす贅沢な時間
霧に包まれた野沢温泉の幻想的な風景
ツルヤで大人買い
長野の野菜はみずみずしくて
力強くて
それだけで大ご馳走
たくさんのカーブが続く険しい道を
ずっと運転してくれてありがとう
おかげでたくさんの素敵な経験ができたよ
感謝
野沢温泉近くの無人のスタンドがすごく良い
プチトマト、モロヘイヤ、インカのねざめなど
信濃町のトマトは絶対食べなきゃダメ
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夢日記
書き溜めたやつの続き。2/2
4/20 月を小学校の先生に似た女性と一緒に追いかけた。月は思ったよりもよく動き、追いかけるのが大変だった。夢中で走っていると夜に沈んだ太陽も見えてきた。と思ったら体が浮き始めた。地球の重力圏からはみ出しそうになった。
6/25 友人と私の3人でとある目的地を目指していた。電車や新幹線を使うとお金がかかってしまうので徒歩で行った。しかし途中の中間地点の駅に向かおうとグーグルマップを活用するも砂嵐に巻き込まれたり蛇の洞窟に入ったり。息も絶え絶えに歩き続けたら元来た道に戻ってしまった。とある大きな勢力がループ構造にしたらしい。(恐らく鉄道会社を掌握しているグループだ)私はここまで散々な目に遭い結局鉄道会社に金に払う羽目になるのが嫌で目的地に行くのを諦めてしまった。
7/10 男性外国人にペットボトルか何かを投げつけられて、私はそれを蹴飛ばして歩いた。外国人はこちらを凝視しながら追跡してくる。怖くてコーヒーショップに駆け込みレジの黒人のお姉さんに「Help」と言った。レジの奥に男性が2人くらい見えた。お姉さんが無反応だったからもう一度でたらめな英語で助けを求めたが、奥の男性の1人が「分かっている」と言い追跡してきた外国人の方を見ていた。
8/7 ドアが壊れてしまった。虫がたくさん入ってしまう。途方に暮れているとある男がやってきて直すのを手伝ってくれた。この男はすらっとした体格で妖しい色気を持つ、まるで漫画の黒幕キャラのような男で、実際女性を騙しては殺していると専ら噂されている。 ドアが壊れる前、駅ビルにあるカラオケに行かないかと高校の同級生に誘われたが、それを乗り気じゃないのを用があると偽って断り、帰る準備をしていた時どこから���もなくこの男が現れ優しい言葉をかけてきた。 私もいつかこの男に殺されると分かっていながら、でも心の片隅で自分は特別で殺されずに済むかもしれないという期待をしていた。
9/4 コンビニとケンタッキーと教室が一体化したような建物の部屋で泊まっていた。何かの旅行の最中だった。 机で寝て起きたら部屋の前の方にあるレジが開店の合図を出したので、喉が渇いたから爽健美茶の500mlと、レジでホットスナックを買おうと思った。他の宿泊客で混み始める。私が行ったレジはやたらカウンターが高くて大変だった。「ファフィ」なるチキンを頼む。店員と雑談をする。自動車免許を持っていないと言うと信じられないというような顔をされた。 お店を出るとそこは高架線の下にある原っぱだった。向こう側には川が見える。まだ朝だったので辺りは薄暗く霧がかかっていた。近くにバス停がある。あれに乗って次の場所に行く。私は二度と会えない人々と話をしてしまった事が少し悲しかった。
9/18 海岸沿いにある観光名所に大人しくて独特なリズムを持つ男の子と一緒に来ていた。バーやコーヒーを売っている所。ブラジルのコーヒー豆も売っていた。高級で期間限定のお店もあった。黒い外装にワインや肉が並んでいて、テラス席には大人たちがたくさん食事をしていた。屋台街を抜けると海岸で、海の向こう側の岸に廃墟のような大きな岩でできた建造物があった。2人で見ていたがふと私はここに学校をサボるために通っていたことを思い出した。

10/10 盗賊の白人の老夫婦を車に乗せて盗みのターゲットである場所に行き敵対勢力との銃撃戦に巻き込まれた。私はただ台風を避けてさっさと家に帰ろうとしていただけだった。
10/27 火星へ人類史上初めて足を踏み入れる事になった。真夜中、数人の子供と研究者らしい大人数人とロケットに乗り地球を出発した。ツイッターでその事を呟く。ロケットは3部屋に分かれていた。ロケットはすごい回転をしてあっという間に大気圏を抜けて月を通過した。月からは私は眠っていた。寒かった。 火星に到着すると私たちはロケットから降り、火星の地を踏みしめた。夜だった。荒っぽい灰色の大地にロケットが駐車場のように白い線で区切られたスペースに停まっている。船員の内の誰かが発した「地球とそんなに変わらないな」という一言をきっと誰もが心の中で思ったに違いない。 2回目の火星訪問。ガラス張りの建物の6階から続く渡り廊下を抜けた先に小部屋があり、そこがロケットの搭乗口に繋がっている。前と違う所に降りたのか、今度は人工物がたくさんあるところだった。多分研究施設か、火星移住計画が完成した暁にはターミナルになる場所。遠くにテーマパークのようなものや海まであった。写真を撮ろうとしたら建物の隙間にスマホを落としてしまった。世話好きの女の子(どうやら私は世話の焼ける子として周知されているようだった)が取って来てくれた。
9/8 潜水艦に乗っていた。水没した東京の駅近く水没する前に残された未知のものがあると地図に記されていたため、それを調査しに行く調査団に同行した。船の中は薄暗くて寒い。船の燃料が尽きそうだった。狭い隙間(地下鉄の改札へ行く地下通路だった所だろう)を通り、ようやく水面に船が顔を出した。果たして地図上に書かれていた場所には開発途中で放棄された土地があった。何かの記念館を建てる予定だったのだろう。地面に枠組みの残骸と道路の標識看板だけが転がっていた。船員達、とくに船長はがっかりしていた。私も内心肩透かしを食らっていたが、前々から噂で東京の鉄道記念館が建つ予定だった土地だと聞いた事があり、その確認ができただけ収穫はあったと言える。私は標識看板を手に記念撮影をした。発見を喜ぶフリをした。次の冒険に繋がるものがここには何も無くて、それだけがつまらなかった。
6/22 トンボの翅を学校から受け取って、トンボになりきれる能力を得た。昆虫を食べる。特にカブトムシの幼虫が美味しかった。そのままトンボの一生を終え、再び人間に戻り、次は蛇を学校から受け取って蛇になりきった。妹も入学してきて同じように蛇を貰った。黄緑色の蛇だった。いつも通りエサの昆虫を食べるとあまり美味しく感じられず、虫を見ても食欲が湧かなかった。なりきりに失敗したのかもしれない。貰った蛇に左手の親指と人差し指の間を噛まれた。
7/14 祖父の車に乗って祖父母が住んでいる土地へ向かった。妹と母も一緒だった。団地に囲われた見慣れない一軒家に入り、その裏庭に生えた白くてつるつるした裸の木の側に置いてあった椅子に座り、談笑しながらトマトやぶどう、リンゴなどを食べた。知らない男性がトマトを渡してきた。少し汚れていていかにも自家栽培といった風情のトマトだった。
12/12 白い犬が道路に飛び出しどこかへ行こうとしている。その犬は生霊の様に透明で、その後ろにあった一軒家から同じ見た目の生きている犬とその飼い主らしき高齢の女性が出てきた。私は生霊の犬が何か強い意志を持ってどこかへ行こうとしているように見えたので、女性に声をかけようとしたが何て言えばいいのか分からず、結局そのまま声をかけられず仕舞いとなった。
2/22 母と2人で神社のような所にいた。色々な展示物を見ながら一方通行の道を進む。母が後ろを尾けてくるモノに気付いた。水色の鳥の仮面に黒いローブを纏っていて、気付くとこちらに向かって走り出してきた。大きな鷲のような羽も生えていた気がする。こちらも羽を出して飛んで逃げる。その様子に気付いた他の参拝客達がその水色のモノを取り押さえていた。そのモノは押さえられる際刃物で刺されたようで、抵抗する力がどんどん弱まっていくのを冷めた頭で見ていた。
4/28 知らない仕事内容の事を詰められて困った。とりあえずスプレッドシートの数字を参考にしながら半紙を切る。上司は焦っていた。
5/8 油絵を2枚描く夢を見た。1枚目はデジタルで描いたような絵。青や赤を置いて後から白で上塗りして良い感じにする算段だった。2枚目は傷口の絵を一旦描いて、その上から白で塗ったり被せたりして治癒する作品。傷口の段階はグロいので周りの人々への配慮で、描いている部分以外の箇所には布を掛けて隠しながら制作した。
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