#一部社殿名を加工しております
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ようおまいり。
Welcome.
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金沢での仕事が異常なくらい忙しくなってきたので、残念ですが京都には晩秋までほとんど戻れませんのでご了承ください。
先週は土曜日も休まず仕事をしたので、平日に休みを頂きます。
(休みは平日に限るよね)
今週も土曜日仕事です。
(どんだけ忙しいねん。笑)
ですので来週も平日お休みをいただきます。
(わかった)
多分、働きすぎです。
(もうわかった)
車検が無事完了したので、車をぶっ飛ばして加賀の山代温泉で「やましろアートマーケット」というアートのイベントがあったので、前から行ってみたかった「服部神社」のついでに仲良しと一緒に見てきました。
久しぶりの加賀温泉郷。
(ミラーレスカメラ持ってくるのを忘れた)
なかなかのさびれ具合で哀愁を漂わす山代温泉の町並みが僕好み。
看板マニアでもある僕ですので、人影疎らな町の看板観察開始。
カフェアンドミュージックバー「サラ」!
兵庫にサラというかわいい子がいることを私は知っています。
(知っています。笑)
どの看板も昭和バブル期の温泉街絶好調時代に作られた看板ばかりで、最高な写真をタップリ撮らせて頂きました。
アートのイベント会場では最先端アーティストの皆さんによるライブペインティングが至る所で繰り広げられておりました。
(こういうのも金沢でやればいいのに)
DJの方のイカシタ音楽をライブで聞きながらアート作品鑑賞。
あまりにも、強烈な個性のアートの数々を見せられて感動した私はアート系雑貨を買わず、何故か地元農園の葡萄を購入しました。
(なんでやねん)
2パックも。
(そんなに葡萄が食べたかったのか?)
ジョン・スタインベックの「怒りの葡萄」ですよ。
(どういうことやねん。笑)
たっぷりアートを楽しんだ後は、山代温泉古総湯すぐ近くの「服部神社」へ。
そこでトラブル。
(なんやねん。笑)
神社の駐車場で車のロックをかけたのに、何故か延々と警告音が大きな音で車外に響き渡ってロックがかからないのです。
何度やっても同じ現象なので、暫し冷静になって考える。
そういえば今日、電池を変えるために車のキーを二つ持ってきていて車内にもう一つのキーがあることに「ハッ」と気が付いたのです。
(エンジニアとは思えない信じられない失態。笑)
やっぱり犯人は車内のキーでした。
車内にスペアのキーがあったので、イモビライザーが車内にカギを忘れていると判断して、延々と警告音を出していたのです。
(初心者か?笑)
服部神社の建立は927年。
(醍醐天皇あたりの時代か?)
古すぎてよくわかりません。
筑紫国宗方大神の工女が���代へ来て、機織や裁縫の技術を伝え、機織の神である天羽鎚雄神(あめのはづちをのかみ)を祀るため建立されました。
拝殿前の狛犬がなかなかの雰囲気を醸し出しています。
服部神社の鳥居横には神仏習合時代の名残でしょうか、「ひとこと地蔵」という地蔵さんがおいでになります。
見たところ、小綺麗にされて花も飾られていたので、地域の方々に愛されているのが良くわかります。
水が少なかった時代、頻発していた水をめぐる人々のけんかを防止してくれたこの地蔵に一言願いをかけたところ、谷間から水をひいて救済してくれた、という言い伝えから、願い事を一言かけると叶うとされ、今も人々に「ひと言地蔵」と呼ばれ親しまれているそうです。
(京都の華厳寺、通称”鈴虫寺”の「幸福地蔵」とよく似ているお地蔵さんですね!)
帰りは山代温泉古総湯のロータリーを右から行くか左から行くか暫し変えて、星野リゾート側の左から金沢に帰りました。
(ロータリーならどっちから行っても一緒じゃないか。笑)
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキクケコガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニヌネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国会人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権心界支第産結百派点教報済書府活原先共得解名交資予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変打男基私各始島直両朝革価式確村提運終挙果西勢減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流格有疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮究育席輸訪楽起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡失移差���個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃佐核観察整段横融型白深字答夜製票況音申様財港識注呼渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士光討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処省旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師摘材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青破編捜竹除完降超責並療従右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗冷模雄適婦鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久短油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等救執層版老令角絡損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒刑坂刻底賛塚致抱繰服犯尾描布恐寺鈴盤息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮還枚属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板列露沖探逃借緩節需骨射傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓律誘紛貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕堅訳盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳毛緑尊抵脅祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯僕桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻泰賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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2025年度 新入社員研修 4/1〜18
‐2025年4月1日 入社式🌸‐
コトブキテクレックス株式会社は、新入社員4名を迎え、4/1〜18 3週間、「2025年度新入社研修」を行いました。初日は、千葉工場社員の前で入社式を行い、オリエンテーションや社長講話等を実施し、新入社員としての第一歩を踏み出しました。

*入社式
ひとことコメント-------------------------
新入社員4名、とても緊張していました!

*コトブキ稲荷と桜の前で
ひとことコメント-------------------------
この日は桜が綺麗に咲き、記念の一枚となりました。
‐新入社研修スタート!‐
2日目以降、外部ビジネスマナー研修、社内セミナー、各部署の説明、安全教育、工場見学等を通して、コトブキの使命・存在意義~業務内容、注意点、マナー等への理解を深めていきました。また、今年は去年よりも多くのユーザー様及び、サプライヤー様を訪問し、自社の担う役割や貢献について認識を深めました。

*各部署による業務説明と安全教育
ひとことコメント-------------------------
各部署について先輩各位の方々が丁寧に説明して下さり、学びを深めていくことが出来ました。また安全教育も行われ、業務での注意すべき点について考える、個人ワークも行いました。


*味の素川崎工場殿 見学&安全意識向上セミナー
ひとことコメント-------------------------
この日はコトブキの創業の地でもある味の素川崎工場に行きました。
初めに行った、VRを使用した事故体験はとても貴重な経験となり、安全意識がさらに高まりました。
続いての工場見学では、車に乗って案内をしていただき、CookDo工場の前を通った時には回鍋肉と白いご飯が無性に食べたくなりました。
アジパンダは残念ながらお休みのようで会えませんでした。



*日本製鉄君津工場殿 工場見学
ひとことコメント-------------------------
熱延工場での見学は、熱した鉄の熱さが伝わり、大迫力でした!
原料に触れたり、鉄が加工されていく音や様子など、五感で体感しながら、学びを深められた工場見学となりました。

*キリンビール横浜工場殿 工場見学
ひとことコメント-------------------------
工場見学ではビールができる工程を楽しく学べました。
最後は出来立てのビールが飲めるのですが、仕事中ということで残念ながら飲めませんでした。
しかし、コトブキのタンクで作ったビールは格別です!



*花王川崎工場殿 工場見学
ひとことコメント-------------------------
工場内を見学していると、タンクから洗剤の良い香りがしました。
やはり洗剤はアタックです!


*藤田金属殿 工場見学
ひとことコメント-------------------------
初めて見たレーザー加工の技術力に新入社員はとても注目していました!
他にも水プラズマ等の加工機械が沢山あり、中々見られない加工場面を沢山見せていただきました!


*北海鉄工所殿 工場見学
ひとことコメント-------------------------
プレスを使用した大きい鏡板加工が見られ、とても迫力がありました!
自社で使用する鏡板のサプライヤー様ですが、クラフトビール業界ではライバルです!

*品川鍛造所殿 工場見学
ひとことコメント-------------------------
工場では鍛造工程を見学させていただき、工場内の熱気に圧倒されました!
とても丁寧に製造工程を説明してくださり、鍛造についての学びを深めていくことができました!
‐研修成果発表‐
これまで学んできた研修成果として、「新入社員研修で学んだことを後輩に伝える」という課題に対し、自らテーマを考え、研修成果発表会も行いました。




*研修成果発表会
ひとことコメント-------------------------
皆、手や足が震えていて緊張MAXの発表会でしたが、それぞれアドバイスを頂き
学びある時間となりました。
‐レクリエーション!‐
またレクリエーションとして、竹の子狩りやBBQ懇親会も行いました。

*竹の子狩り
ひとことコメント-------------------------
皆で協力して竹の子を掘り、10個以上収穫することが出来ました!
収穫した竹の子はBBQでホイル焼きにし、皆様に召し上がっていただきました!

*BBQ懇親会
ひとことコメント-------------------------
千葉工場の皆さんと、楽しく食事をすることができました!
先輩各位の方々が焼いてくださったお肉はシェフ顔負けの味でした!
やはりガスバーナーや溶接を行う方々は火の匠です。

‐新入社研修、総決算‐
研修最後は、鍛錬行事として富津岬からコトブキテクレックス千葉工場までの約30kmのウォーキングを行いました!今年は暑さもあり、険しい道のりとなりましたが、改めて先輩や同期との絆を深め合うことができました。ゴールでは社員の方々の温かい出迎えを迎えて、約3週間の新入社員研修は終了しました。




*ウォーキング
ひとことコメント-------------------------
ゴール時は足が限界を迎え、新入社員は疲れ切っていましたが、ウォーキング中、先輩方が終始笑顔で励まして下さり、乗り切ることができました!コトブキの研修を甘く見ておりました、、、。
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テセウスの船(テセウスのふね)はパラドックスの一つであり、テセウスのパラドックスとも呼ばれる。ある物体において、それを構成するパーツが全て置き換えられたとき、過去のそれと現在のそれは「同じそれ」だと言えるのか否か、という問題(同一性の問題)をさす。 パラドックスのバリエーション ギリシャ神話 プルタルコスは以下のようなギリシャの伝説を挙げている。 テセウスがアテネの若者と共に(クレタ島から)帰還した船には30本の櫂があり、アテネの人々はこれをファレロンのデメトリウス(英語版)[注釈 1] の時代にも保存していた。このため、朽ちた木材は徐々に新たな木材に置き換えられていき、論理的な問題から哲学者らにとって恰好の議論の的となった。すなわち、ある者はその船はもはや同じものとは言えないとし、別の者はまだ同じものだと主張したのである。 プルタルコスは全部の部品が置き換えられたとき、その船が同じものと言えるのかという疑問を投げかけている。また、ここから派生する問題として置き換えられた古い部品を集めて何と��別の船を組み立てた場合、どちらがテセウスの船なのかという疑問が生じる。 ヘラクレイトスの川 ギリシャの哲学者ヘラクレイトスは同一性に関して独自の視点を持っていた。Arius Didymus は次のような彼の言葉を引用している[1]。 人々が同じ川に入ったとしても、常に違う水が流れている。 プルタルコスもヘラクレイトスの言葉として同じ川に2度入ることはできないという主張を引用している[2]。 また鴨長明による方丈記では類似した例えで、 ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。 と述べられており、「川」としての「存在」はそこにありながら、そこに流れている水は時間を経れば「ある瞬間を流れていた水」ではない事を指摘している。 おじいさんの古い斧 「おじいさんの古い斧(Grandfather's old axe)」とは、本来の部分がほとんど残っていないことを意味する英語での口語表現である。すなわち、「刃の部分は3回交換され、柄は4回交換されているが、同じ古い斧である。」この成句は冗談として、明らかに新しい斧を掲げて「これはジョージ・ワシントンの使った斧で…」などと使われる。 実例 船・乗り物 現代の船舶は部品の交換や改造・所有者の変更は可能であるが、建造時に付与されたIMO番号は廃船となるまで変更されないため、同一性は保たれている。 自動車の場合、日本では車台番号の打刻されたフレームが法的な同一性を規定する。同一の名称でもモデルチェンジにより構成要素が定期的に変更されることはあるが、車名を継承することで「同一の車(ブランド)」として販売されている[注釈 2]。 鉄道車両では車体(もしくは走行機器類)を更新してしばらく経った後、残された走行機器類(または車体)を更新した事例もある。但し��鉄道車両では更新工事に際して車両形式も変更することが多く、書類上で同一形式が残った例は少ない。同一の車両番号が残された例はJR九州の国鉄8620形蒸気機関車58654号機[注釈 3]やJR東日本のEF81 90号機[3]、近江鉄道の自社発注車[注釈 4]などごく一部に限られる。 航空機の場合、機体記号は再登録が可能である。航空業界では製造とサポートの会社が別であることも普通であり、エンジンやアビオニクスなどを新型に入れ替えることも多い。また生産し��メーカーが廃業後も他社が生産した主翼に交換して延命することもある。航空事故により胴体が大破した場合は廃棄されるため、胴体部分が同一性を規定するとされる。 その他の製品 工業製品の多くはサポート期間内であれば任意の部品の交換用部品を取り寄せることができ、基本的には全部品を置換できる。また同一ではなく改良された部品に入替えることも可能であり、筐体や土台以外は導入時と異なっている場合もある。 パソコンでは部品の入れ替えが可能であるが、バンドルされたソフトウェアは特定のパーツと紐付けされる(OEMライセンス)ことがあり、その部品を交換すると別のパソコンとして扱われることがある。 老舗料理店で「タレやスープを何年も継ぎ足している」ことをウリにしている店の多くは、一定の期間で中の古いタレやスープの全てが入れ替わっているとされる[4]。 建築 日本の伝統的な木造建築では、劣化を考慮して定期的に建て直すことが前提となっていることがある(現存天守の改修等)。石造りの建築物は基礎と建物はそのままで内装を変えて使い続けることが多い。 伊勢神宮、出雲大社などの神社では、式年遷宮と呼ばれる本殿の定期的な新築移転を行っているが、新築されても同一の神社として認識されている。 生物 生物には寿命があるが、それを全うする前に生殖によって子孫を残すことによって、それぞれの個体が死んでも種は存続する。 多細胞生物においては新陳代謝によって常に細胞が入れ替わるが、個体そのものの生存は継続される。たとえばヒトの成人では、細胞の平均寿命は10年以下とされている[5]。また生物の脳細胞を同じ働きをするナノマシンに置き換えたらどうなるか、という発想もある(精神転送#脳細胞の逐次的置換)。 生命工学の分野では、人工合成した塩基をつないだ短いゲノムを酵母のもともとの染色体の端から置き換えていき、すべての塩基を合成したものにする、といった研究が進行している[6]。 自然現象・科学 大気や水は地球上を絶えず循環している。陸地でさえ、数億年単位で見れば地球内部に沈み込んだり隆起したりしている。 鴨長明『方丈記』の冒頭に「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」とあるように、河川は目に見えて同一性の問題を想起させる。 台風やハリケーンは名前が付けられるほど同一性が認識されるが、その勢力圏では常に空気や水が入れ替わっており、発��時と消滅時では構成する物質はまるで違うものになっている。同一性を行動や現象と関係付けるとすれば、同一性はさらに把握するのが難しくなる。個人の同一性の捉え方によって、例えばハリケーン「エヴァン」がある地点で消滅した直後に、ごく近い場所に(別の)ハリケーンが発生した場合、それを「エヴァン」が復活したと見るか、あるいは別のハリケーン「フランク」なり「ジョージア」なりが発生したと見るかが決められていくからである。 組織・団体 前述のように生物は子孫を残すことで同一性を維持しているが、社会的には国家をはじめとした組織も構成員が入れ替わりながら存続している。企業や学校、スポーツチーム、楽団などの組織も時間が経つにつれて所在地や所属先(親会社など)が変わり構成員(社員など)も入れ替わっていくが、社会的には同じ組織として認識される。 建設会社の金剛組は法人化や他社へ営業権を譲渡するなどしているが、578年創業の(世界最古の)企業法人として認知されている。 学校や部活動は入学・卒業により所属する学生(生徒、児童)が毎年入れ替わる。早稲田大学校歌『都の西北』には「集まり散じて人は変われど仰ぐは同じき理想の光」という一節がある。 世界最古のサッカークラブは1857年創設のシェフィールドFC、世界最古の野球球団は1871年創設のアトランタ・ブレーブスとされる。もちろん、いずれも創設時の選手は既に全員死去している。 アイドルグループ「モーニング娘。」はデビューから7年を経た2005年1月に最後の結成時メンバーが卒業したが、後に加入したメンバーによってそれ以後も活動している。2011年1月には卒業したメンバーからの選抜で「ドリームモーニング娘。」が結成され[注釈 5]、現役の「モーニング娘。」と並行して活動していた時期がある[注釈 6]。C.C.ガールズはデビュー時のメンバーと解散時のメンバーが完全に入れ替わっていた。 ロックバンドのイエスは、唯一のオリジナルメンバーであったクリス・スクワイアが2015年に死去しデビューからのメンバーがいなくなった。フジファブリックも志村正彦の死去でオリジナルメンバーはいない。メヌードもデビュー時のメンバーと解散時のメンバーが完全に入れ替わっていた。WANDSも同様であったが、再結成時に結成当初のメンバーが復帰している。 テレビの長寿番組と呼ばれるものには、開始当初からの出演者が全て降板しながらも番組が継続している例も存在する。イギリスの自動車番組『トップ・ギア』は司会者と主要スタッフの一部が独立し、似たような構成の自動車番組(The Grand Tour)を立ち上げており、元の『トップ・ギア』は司会者全員とスタッフの一部を入れ替えた状態で放送を継続している。 1971年開始のアニメ『ルパン三世』シリーズは主要キャラクターが五人いるが、そのキャスト(声優)は徐々に交代していき、2021年に小林清志が高齢のため降板したことで開始時からのオリジナルメンバーは一人もいなくなり、全員が入れ替わった。 米国の株式相場の代表的指数、ダウ平均株価は、30銘柄で構成されるが、時代に合わせて入れ替えが行われている[7]。2018年6月26日以降、算出開始時の銘柄で現在も構成銘柄として残っている会社はなくなっている[注釈 7]。詳しくはダウ平均株価#構成銘柄#銘柄の入れ替えを。 解答の試み アリストテレスの四原因説 アリストテレスの哲学体系では、事象の原因を4つに分け(四原因説)、これらを分析することでパラドックスに答えることができるとされる。アリストテレスによれば、ある事象が「何であるか」は「形相因」であり、その観点では設計などの本質が変わっていないため、テセウスの船は「同じ」であるとされる。同様にヘラクレイトスの川も「形相因」的には変わっていないが、「質料因」が時と共に変化しているとされる。 また、「目的因」から見ると、テセウスの船は「質料因」としての材質が変わったとしても、テセウスが使った船であるという「目的因」は変わっていないとされる。「動力因」は誰がどのように作ったかを指し、テセウスの船の場合、船を最初に作った職人は同じ道具や技法を使って修理(部品の置換)をしたと考えることができる。 「同じ」の定義 哲学書によくある主張として、ヘラクレイトスの川の場合、「同じ」が2種類の意味で使われているとされる。1つは「質的(qualitatively)」な「同じ」であり、属性が一致していることを意味する。もう1つは「数的(numerically)」な「同じ」である。例えば、同じに見えるボウリングのボールが2個あるとする。それらは質的には同じだが、数的には同じではない。一方を別の色で塗り替えた場合、塗り替える前と比較して数的には同じだが、質的には同じではない。 このような主張では、ヘラクレイトスの川は質的には同じだが、数的には同じではないということになる。テセウスの船も同様である。 このような解答は、質的な同一性をさらに詳細化して考えていったとき、それが数的な同一性より範囲が狭くなるという問題をはらんでいる。例えば、ボウリングのボールの属性をその時空間における位置であるとした場合、異なる位置や時間に存在するボールは(数的には同じであっても)質的には同じであるとは言えなくなる。同様に、川も時と共に属性が変化していると見ることもでき、水面の波の状態などは一度として同じになることはない。質的に同じでないものは数的にも同じでないとされるため、異なる時点の川は数的にも異なるということになる[注釈 8]。 4次元主義 →「メレオロジー」も参照 このパラドックスへの1つの解答が4次元主義(en)の概念から生じた。David Lewis らは、全ての事象を4次元オブジェクトとして考えることでこれらの問題が解決すると提案した。あるオブジェクトは空間的には3次元の広がりを持ち、第4の次元として時間的にも広がりを持つ。4次元オブジェクトは3次元時系列からなる。すなわち、空間的広がりを持って、ある期間だけ存在する。あるオブジェクトは因果関係のある一連のタイムスライスから構成される。各タイムスライスは数的に同じであり、タイムスライスの集合体としての4次元オブジェクトも数的に同じである。しかし、個々のタイムスライスは質的に異なる。 川の問題で言えば、各時点で川は異なる属性を持つ。したがって、3次元タイムスライスを抜き出してみれば、川はそれぞれのタイムスライスで異なる属性を示す。しかし、それらをまとめたとき、全体として川としての同一性があると言える。したがって、同じタイムスライスの川に入ることはできないが、同じ川に2度入ることは可能である[10]。 ここで特殊相対性理論を考慮すると、タイムスライスを形成する唯一の「正しい」方法が存在しないことになる。しかし、これはあまり問題ではない。ミンコフスキー空間では観測者は同じタイムスライスを2度通過することはないため、依然として「同じ川の同じタイムスライスに2度入ることはできない」のである。 属性の形而上学 ロバート・M・パーシグ の Lila: An Inquiry into Morals で示された属性の形而上学(Metaphysics of quality)では、パターンの階層が定義され、それを使ってこのパラドックスの新たな解答が与えられている。すなわち、船は、変化する低位のパターン(部品)の集合体であり、単一の高位のパターン(船全体)は変化しない。 構造主義 言語学者フェルディナン・ド・ソシュールは「テセウスの船」に直接解答した訳ではないが、あくまで言語学の立場から「午後8時45分ジュネーブ発パリ行きの列車」を例に出し、列車や乗客や運行などが違っていても同じ列車であると近代言語学を開いた『一般言語学講義』で述べている。実体が違っても価値は同じという考え方を採り、これが構造主義や記号論を形成する考えの一つになっていく。同じようにチェスにおいても、駒の素材が何であれ、キングなりビショップなりがどういう位置にあるか、どういう構造の中にあるか、によってその価値が決まってくると考える。 フィクションでの事例 この節には独自研究が含まれているおそれがあります。 問題箇所を検証し出典を追加して、記事の改善にご協力ください。議論はノートを参照してください。(2014年2月) テリー・プラチェットのディスクワールドシリーズの小説 "The Fifth Elephant" では、テセウスの船のパラドックスが扱われている。持ち手と刃が定期的に交換される斧が登場し、登場人物たちはこの斧が物理的には同じではないが、感情的には同じであると考える。ディスクワールドシリーズにはヘラクレイトスへのオマージュとして Ank-Morpork という街にある River Ankh は唯一の2度渡ることのできる川とされている。 アイザック・アシモフのロボットシリーズとファウンデーションシリーズをつなぐ鍵であるR・ダニール・オリヴォーについて、1986年の『ファウンデーションと地球』では、脳も含めた全ての部品が何回か交換されており、脳については6回設計が変更され、新たな記憶領域が追加された、という設定で登場する。 BoichiのマンガORIGINでも、ロボットのオリジンが、2度、ほぼ全面的交換を行った。 ダグラス・アダムズの『宇宙の果てのレストラン』では、ロボットのマーヴィンも同様のことを言っているが、左半身のダイオードは元のまま残っている。 田中啓文の推理小説「揺れる黄色」では、100以上からなるクラリネットのパーツを、何年もかけて1つ1つ交換し、最終的に全部入れ替える、というトリックが用いられている。 フランシス・フォード・コッポラの『地獄の黙示録』で後に追加されたシーンでヘラクレイトスの川についての言及がある。 Roxanne: "Do you know why you can never step into the same river twice?"(何故、同じ川に2度入れないか知っているか?) Willard: "Yeah, 'cause it's always moving."(ああ、常に流れているからだ。) 日本の作品では、手塚治虫の『火の鳥 復活篇』の主人公レオナは事故でサイボーグに生まれ変わった際、脳の一部までもを人工物に置き換えたためか(作中には、それが原因だろうという示唆はあるが、明言はされない)有機生命体を見てもそれを生き物であると感じることができなくなるなどし(作中では、彼の目を通した情景として、生物がゴミクズのように描かれる)、自分が何者なのか悩みつづける。後の作品では、士郎正宗の『攻殻機動隊』において、全身を義体化し、脳を電脳化したサイボーグは人間なのかというテーマは繰り返し語られている。 2013年に発売されたPC��ームThe Swapperでは、地球から遠くはなれた惑星軌道上で無人と化した宇宙ステーション「テセウス」を舞台としている。自分のクローンを任意の場所に作り出し、さらにそのクローンへと自分の精神を移し替えることが出来る謎の装置を主題としているが、この装置で創りだされるクローンは移動困難な場所へたどり着くための単なる道具としてしか使われず、次々と精製されるクローンは精神を移し替え終えると使い捨てにされ、死んでいく。「自分」を犠牲にしながら物語を進める内に、精神をクローンに移し替えた場合、それはもはや自分と言えるのか、という本パラドックスがプレイヤーに去来することになる。 転送装置は、遠未来の超科学技術を前提としたSFではよく使われるSFガジェットだが、テセウスの船と同様の議論の対象となり得る。作品のメインテーマ��なる場合もあれば、1エピソードとしてそういった話が盛り込まれることもある。 アンパンマンは、頭部を交換することで力を回復するが意識や記憶は新しい頭部に引き継がれる。 『パワプロクンポケット13』では、雨崎千羽矢に脳の移植手術を受けさせる際に、主人公が桧垣東児から継続性についての説明を受けている。この時桧垣は、「手術が成功したとしても、千羽矢は手術前の千羽矢とは別人である可能性がある」ということを示唆している。
テセウスの船 - Wikipedia
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--深海人形-- 今度から全部AIに書かせれば良いや
※画像も小説も、(※鶏の餌レベルなら)好きなものを好きなだけ幾らでも作ってくれる世の生成AI達に感謝!!(※生成AI!!有難茄子〜〜!!!!)。
※閲覧&キャラ崩壊注意
※クロスオーバー?注意
戦役の最終決戦で野獣大尉があーがまにでも神風特攻して戦場から離脱させてたら、100しきは兎も角(※赤いあれは基本逃げるのが大変上手いので)、Zは大幅に排熱と補給のチャンスが無くなるから、普通に無視してガン逃げしてれば、勝てた(※流石のZ君も排熱出来ない状況には勝てないと思う)。皆様も、びぐざむ君が、特に、宇宙空間で短時間しか動けない時点で分かると思いますが、宇宙でのMS&MAは補給より排熱を如何するかの方が余程重要だったりします(※…故に、F91はああ言う排熱に特化した機構を持って居る)。
…。
※クロスオーバー?注意
SD劇場 ハロだけがシロッコの友達 編
※キャラ崩壊注意
※主宮慈愛に死んで欲しくない、 生きて欲しい人向け
※現パロと言うかアニメSDシリーズのパロディ注意
※メッサーラとソロモンの悪夢さんが酷い扱いを受けて居る。底辺の如き扱い(※作者の趣味)
※星屑月間に何やってんだろうね(※真顔)。
「ハロ!ハロ!元気!」
「やぁ、ハロ!今日も実に元気そうで何よりだわ!」
機械・車両の製造修理工と同棲して住み込みで働いて居るレコアが、今日も元気なハロに声を掛ける。
そして、其処でシャッターを開けて、機械工定番の繋ぎ作業着姿のシロッコが出て来る。
「…シロッコだ!シロッコ!」
すぐさま、その御主人様の姿を見たハロは、シロッコの元へ駆け寄る。
「…よしよし、ハロ、本当に良い子だ。」
その何時もの光景を見たメッサーラとボリノークが陰口を叩き始めた。
「シロッコの奴、熱心にハロを可愛がるよなぁ。」
「だって、シロッコって、元々、友達一人も居ねぇし……、」
「…あ゛っ゛??」
其の言葉を聞いたシロッコがガンをつけながら凄む。
「……本当の事じゃねぇか。」
(…彼等は友達認定されて無いのね……、まぁ、彼等の場合は、ハロとは違って、シロッコが親みたいな物だから仕方無いか……。)
…。
「ハロ!シロッコのこと!とても大事!大切!大好き!!」
「よしよし〜〜!!」
街の、郊外の道路で、ハロを散歩させるシロッコ。……だが、其の時、何かを察知したシロッコ。嫌な予感で胸騒ぎがしたので、思わず、ハロに声を掛け、少しだけでも、精神を安定させようとする。
「ハロ……!!…危ない!!!……逃げろ!!」
然し、其のシロッコよりも、其の何かを先に察知して居たハロは、咄嗟に苛烈な威力の体当たりで、シロッコを自分の近くから突き飛ばす。
「…早く逃げろ!!…シロッコ……逃げ……!!」
「……?!!……ハロ!?!」
その時、シロッコの目前で、ハロが何よりも威力が高く強い衝撃によって大破する。
そして、そのシロッコが大事にしているハロを一瞬にして引き潰した、とてつもなく大きな大火力大出力重装甲機体に乗った銀髪ポニーテールの美形青年が毅然と言った。
「何か玩具的な機械がぶつかって来たと思ったら……矢張り、杞憂、気の所為であったか!!」
それから、その青年は、そのすぐ後に、その場を、凄まじい迄の猛スピードで去って行った。
そして、シロッコは、その銀髪の青年と彼が乗って居た、大変、大型で大出力の機体が、ハロを引き潰した後に、残した、無惨極まりないハロの大破した残骸を見て、…そ、そんな…ハロ、ハロ!!!!!!!…と、其処で蹲りながら、行き場の無い感情を爆発させた。
「…あっあ〜〜、…ハロ、ハロぉ〜〜!!!!!」
…。
--次の日。
「なぁ、シロッコ、お前唯一の友のハロが壊れちまったのは分かるけどな……。」
そうやって、正直言って、励ましでは無く、冷やかしに来たヤザンが----一応ではあるが、----シロッコを慰める。
「あああっ〜〜〜〜、…ハロ、ハロォ……、、」
「でもねぇ、大の大人が玩具が壊れた位で悲しむんじゃないの。」
此んな感じで、レコアが「もうあなたは大人だから、あんな玩具に其処迄執着しちゃダメ。これは大人になる良いチャンスだと思って。良い加減、大人になって。」…と言う風に言っても、
「……ハロ、…ハロォ……、」
矢張り、シロッコは、とてもハロへの思いを振り切れない。
そして、其処で、ヤザンが、「だけどよ」と、シロッコの気持ちに配慮した様に言う。
「仕方無ぇだろ。…ハロは、彼奴唯一の友達なんだから。」
これでは、まるで「俺はあいつの友達なんかじゃねぇ���」…と言う言い方だ。…其れでも、そんな事、自分がとても大切に大事に可愛がって居たハロを、例のよく分からない自己中心的テロリストに破壊されたシロッコにとっては、如何でも良かった。
「ううぅ〜〜〜!!!!!!…ハロォ……、」
…。
其れから、未だ未だ、ハロへの未練を断ち切れないシロッコは、地下格納庫と言うThe Oが何時も居る所で、何が何でもハロを破壊された悲しみを癒し切ろうと、其の自身が作り上げた機械の子供とも言うべき、其の様な機械人形に、只管、甘えて居た。
「…The O……、…あのハロが……ハロォ……。」
「御主人様……。」
「あんなの酷いだろ……。…毎日、毎日、ずっと一緒だったし、色んな事、教えたのに……、…刀の事も、戦車の事も沢山教えたのに……。」
(…うわっ…、…相変わらず、趣味全開だな……)
「何で急に事故で破壊されちゃうんだ……、…ハ、ハロぉ……、」
(…御主人様、…もうこんなに弱々しくなって……。)
その後、十二分にThe Oに甘えたシロッコは其の機体が居る地下格納庫から出て来る。
「……さぁ、仕事する気にはとてもなれないけど、仕事するぞ……。」
その時、レコアが声を掛けて来る。
「…社長……。」
「…一体、何だ、レコア?」
「…あのハロを引き潰して破壊した機体について調べました。…其のハロを轢き逃げして破壊した機体は、どうやら、ノイエ・ジールと言う機体の様です。そして、その機体を愛機にして居るのが『アナベル・ガトー』と言うテロリスト、政治思想犯で国際指名手配されてるとの事……。」
「そ、そいつかぁ……。ハロの仇は……。」
拳をプルプルさせながら、ハロを破壊された怒りに震えた(※…然し、一体どれだけ、この人、ハロの事が好きなのだろうか……??)、
其の後、早速、ハロの仇を取る為に、対テロリスト会議が行われた。其の会議の為に、シロッコ製造の機械人形達とレコアが駆り出され、そして、急遽、ヤザンが呼び出された。
「ガトーの手配書にはDead or Aliveと書かれて居るんだが。」
其のヤザンの発言に、シロッコはあっさり此う答える。
「然し、テロリストとは言え、無闇に殺してはいけない。何とか生け捕りにして、奴に轢き潰されたハロ以上の生き地獄を見せねば、此の怨みは晴れんぞ。」
(…ハロは玩具よ……。)
(…ハロに異常な執着心を持ち過ぎだろ……)
レコアとヤザンは、其々、其う、心の中で突っ込んだ。さて、其の次に、戦力の話についてで、突然、柄にも無く「物量作戦を決行して袋叩きにしよう」…と言い出したシロッコに対し、森の熊さんが此う意見した。
「それでも、ノイエ・ジールは、途方も無く強力な機体で、幾ら戦いは数だよ兄貴みたいな物量作戦でも、生半可な戦力では、返り討ちにされますよ。」其処でヤザンが提案する。
「俺もメッサーラ辺りに乗って、奴に食らいつこうとは思うが、幾ら、電力と推進剤は足りて居てもな。」
其の言葉を聞いたメッサー���は、此処で、はっきりと言う。
「俺、あんな奴に真っ向勝負を挑むの嫌だなぁ。」
其んなメッサーラの事を、何処かで聞いた事がある様なフレーズでレコアが罵る。
「情けない機械!」
そして、此処で、情けない機械であるメッサーラを後目に、The Oが言う。
「メッサーラは情けないけど、The Oも協力するからね。」
此処で、パラス・アテネが言う。
「The O、意外と親孝行……、」
「…『意外と』は失礼だなぁ……。」
…と、当の本機が反応した、其の時、更に此処で、メッサーラが言う。
「あんな化け物機体に出て来られたら、正直、本当の物量作戦でも無ければ、The Oくらいしか話にならないしな。」
其れに続いて、レコアが、又、メッサーラを罵る。
「そうやって、戦闘から逃げ続けるなんて、本当に情けない機械!」
「好きに言いな!俺は絶対にスクラップにはなりかねぇんだ!」
其んな中、ヤザンがポツリ言う。
「…御前等は生物じゃないんだから、スクラップになっても修理するか作り直せば良いだけのじゃねぇか??」
然し、此の言葉を誰も聞いては居なかった。
…。
其れから、余り時間が経たない頃に。例のテロリスト ガトー、奴は来た。
「…現れたか!例のテロリスト(奴)が!!」」
「今度こそ、テメェの様なテロリストの最高峰を、ティターンズ本部の門前に突き出してやるよ!」
まるで、予め出現場所を熟知し、其の出現場所で待ち伏せて居たかの様に、賞金稼ぎとテロリスト対策支部の軍が、すぐさま、其のテロリストとノイエ・ジールと対峙する。
……されど、然し。
「駄目だ!ヤツの乗っている機体が早過ぎる!此の儘では追いつけもしない!!」
余りの、ノイエ・ジールが誇る速さと圧倒的大出力に、彼等も戦う前から諦めて居る最中、只、其の中で、一機だけが、其の関取体型の機体だけが、ノイエ・ジールに追い付こうと速度を上げる。御存知、シロッコとThe Oだ。
「あっ、あいつだ!!!あいつが俺のハロを!!…ハロのカタキィ〜!!!!絶対に許るさんぞ!!ガトォオオオオオ!!!!!!!!!」
……この形相ではほぼウラキである。
「賞金稼ぎか?!…面白い奴だ。」
今迄全然、The Oには、興味無かったが、自らの背後にピッタリとトレースする様にいるThe Oに、例のテロリストは、自分達についていけるレベルの機体に興味津々になりはじめる。相変わらず、シロッコに対しては、何にも興味が湧いては居ないが……、
…さて、此処で、The Oとシロッコが会話をする。
「The O?未だ加速出来るか?」
「大丈夫でございます!!御主人様!!ちゃんと追いつきますよ!!」
其のThe Oの自分達との互角振りを見て、例のテロリストは惚れ惚れ感心する。
「…感心した!此のノイエ・ジールの速度に追い付く機体が存在するとは!」
此の恐るべきThe Oの追走劇を見て、ノイエ・ジールに追いつけなかった者達が次々に言う。
「何だ彼奴等は?!自害的な加速だ!」
…完全に蚊帳の外に��る彼等の、其の言葉等気にしていられる暇も余裕も無く、The Oもシロッコも、必死に、ノイエ・ジールに食い付く。
「ハロのカタキぃ〜〜!!」
やがて、ノイエ・ジールと其の操縦者は口喧嘩をし出した。
「…ええい!もっと速度上げんか!ノイエ・ジール!」
「駄目です!」
「それでも速度を上げんか!此のポンコツが!!」
「俺は悪く無いです!彼奴が関取体型の癖に速過ぎるのが全部悪いんですよ!」
「弱音を吐くな!お前は公国の魂が形になっているのだぞ!良いか、私が全てこれからお前の操縦をやる!…公国の為にも、あの関取と真っ向から勝負するのだ!」
「そんな事ならアンタ一人でその生身の体だけで、全部やって下さいよ!」
そう、其の操縦者とノイエが口喧嘩と内輪揉めをして居る内に、シロッコはThe Oに隠し腕を伸ばさせる。
「今だ!マニュピュレーター伸ばせ!」
「その手があっただと?!?!」
その隠し腕は、ノイエにダメージを与えず、テロリストだけをガッシリ捕縛する。
「よし!テロリストだけ捕まえた!」
…其処で、----自分が人質の様な立場になった事を自覚しながら----例のテロリストが叫ぶ。
「ノイエ・ジール!何をボーっとしている?!操縦者が居なくても戦うのだ!我等が公国の為に!!」
「うわっ!逆に有難いです!其の人の事は其方で如何か宜しく御願いしますね!」
「」
此の瞬間こそが、ガトーから逃げられるチャンスだと思ったのか、そう言いながら、ノイエ・ジールだけが逃げて行く。
「彼処迄、あっさりと、裏切られるとは……。」
「…ノ、…ノイエ・ジール!戦闘を放棄するな!然も、土壇場でこの私を裏切りおって!!」
何とも、SD時空らしいノリと展開。其処で、The Oとシロッコはコソコソと話をはじめる。
(何だか拍子抜けですね……)
(おっ、其うだな。)
…だがな、此れで、
「これでハロの仇は取った!…後は、テロ狩り専門家ティターンズに任せよう!」
…すると、例のテロリストは、何やら抗議をして来た。
「良い加減に、このふざけたタラバガニの腕を何とかしろ!必要以上にキツく締め過ぎだろう?!全身の骨が折れるでは無いか!!
「喧しぃ!!」
そう必死にクレームを付けて来る自己中テロリストを後目に、逆に、シロッコはThe Oのマニュピュレーターの出力を上げる。それによって
、足と胴体が締め付けられた、そのテロリストは、大きく呻き声を上げる。
「あ゛あ゛あ゛あ゛っ゛!」
…。
それから、The O達は例のテロリストをティターンズに引き渡し、帰って来た。
「「ただいま!」」
「御疲れ様!The O、大金星で大活躍だったそうね!」
すると、其のレコアの言葉を聞いたThe Oは説明をする。
「いえいえ、確かにノイエ・ジールには勝ったも同然なのですが、本格的な戦闘にならなくて命拾いました。もしも、あの機体と一対一の差し合いをして居たら、自分は負けておりました。」
「何処迄も、謙虚だな。The Oは。作りの親とは違って。」
其のヤザンの発言を聞いたシロッコは、本気であきれる。
「はぁ???」
「でも、良かったじゃねぇか。ハロの仇(あだ)が討てて。」
「…The Oは謙虚過ぎる!私が居れば、例えあのノイエが相手でも、十二分にサシだろうが何だろうが勝てたぞ!」
其の、シロッコの、最早、傲慢不遜で無謀な発言を聞いて、「…勝てる訳ねーだろ……。」とヤザンは半ば無視するが、其れでもシロッコに次の事を伝える。
「…後な、朗報がある。あれから、ハロのパーツを、かき集められるだけ、俺達で、かき集めといたんだぜ。お前は機械の専門家、部品があれば、ハロを自分で、直せるだろ?」
「だけど、どうしても、集められなかったパーツもあるから……、…破損して使えなかったり、足りないパーツがあるなら新造するしか無いけどね。」
「…本当に有難い!ハロの壊れたパーツを回収してくれるなんて!これで私のハロが蘇る!ありがとう!!これでハロが治る!」
--それから数日後。
「…遂に!!ハロが蘇ったぞ!!!!!!!」
「おぉっ!やったじゃねぇか!!」その報告を聞いて、ヤザンも喜ぶ。
「見ろ!此れが新生ハロだ!」
だが、その時、ハロとして姿を見せたのは、犬型のロボットだった。
「ワン!ワン!元気!オマエは犬か?!」
「何でそうなるんだよ!??!!!」
…。
没
其れに、原作とは髪型も違う。まるで、某異能生存体の如く、大変、短く髪を刈り込んで居る。
…。
※…以下、Effigyネタ注意
※初見の方は此処↓参照
R-9Cとエンジェルパック、R-9/0と幼体固定処理済パイロットはバイドとの、そして、エレブ大陸の魔竜は、人間との生存競争の為に『加工』されたけど、Effigyは『自分達が家畜か奴隷、生体部品にしたい人間を家畜や奴隷等として貶める』為と『スペースノイドを呪詛する為』に作られたからね。其処からして、作られた意図が違う。
…。
やっぱりハロは友達!
…シロッコが、EffgyのRXQ-03にされて暫く経った後に、上官から遊び相手兼御目付け役として、ハロを貰った。早速、深緑の----RXQ-03好みの----クリアボディをしたハロは耳の部分をパタパタさせながら、RXQ-03に話し掛ける。
「ハロ、元気!オマエ、元気か?!」
「……いいや。」
「…ところで、オマエ、RXQ-03 オーキッドだな?」
すると、ヤザンがハロとRXQ-03の間に割り込む。
「RXQ-03でもオーキッドでも無ぇ。シロッコと呼んでやれ。」
その発言を聞いたハロは此う答える。
「使用不可。シロッコと言う単語を参照できない。」
「このポンコツが!」
「何する?!やめろ!ハロ、大切に!」
そう言ってハロを鷲掴みにし、シャカシャカ振り回そうとするヤザンから、RXQ-03は、ハロを腕と胸の中に抱いて守ってやる。
「何で守ろうとするんだよ!シロッコ!」
其んな自分のハロをヤザンから守りながら、-03は其のヤザンの居る場所から逃げ出す。その後、-03の御陰で、安全な場所に避難出来た、其の行動に救われたハロも感謝する。
「オーキッド!オマエもハロの友達!!」
其の後、何時も静かな顔でハロを溺愛して可愛がる-03を見たサラが言った。「パプティマス様はハロの事が大好きなんですね。毛玉が好きな子猫みたいに、ずっとハロで遊んでます。」そんな中でも、サラが見守るのを後目に、RXQ-03は、ハロを抱き締め続ける。
…。
…後日、「ハロ、元気!元気!」RXQ-03は、ハロを侍らせながら、色々な事を学習させて居た。それくらい思い入れ深く、可愛いがっていた。「パプティマス様は本当にハロが御気に入りなんですね〜〜。…正直、其のハロが羨ましいです。」あのサラも、何処はかとなく、嫉妬を感じ、認める程の可愛がり振りであった。…だが、然し。
…。
其の時、RXQ-02が、ハロ達の通るL字通路の先に居た。彼は、自分の近くにいる03とサラの事など何も気にしていない。…そして、----…嗚呼、何か私の通る通路に何かおもちゃみたいな邪魔な物があるな、…と感じたのか、RXQ-02は、ハロを大きく蹴り飛ばす。
「!??!!」
「…ハロ……!」
其うして、RXQ-02の蹴りによって大きな衝撃を受けたハロは瞬く間に空中分解し、無惨にもバラバラになった。
「……!!」
「此のEffigyの男、パプティマス様のハロに、何て酷い事を!!」
「?」
だが、相手の方は、彼のハロが、自らの勢いで破壊されようが、何にも気にしていない。きょとんとした真顔でサラと-03の方を見つめて居るだけだ。
「…許るさん。」
「パプティマス様!!一体何を?!?!!」
「?!?!?!?!!!」
そうして、-03は、-02に、カナディアン・バックブリーカーを決めた。
※ハロクラッシャー⭐︎ガトカス(※Rebellionでは、逆に壊れたハロの修理してたのにね……)。
…。
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一気に冷え込みましたが、また暖かくなるよ
寒暖差のジェットコースターやー!
貝塚市三ツ松屋根葺き替え工事
貝塚市石才塗装工事
鳩避け設置
貝塚市水間町 新築 リフォーム坂口建設
早速ですが、今日はこれつけてます。

三軒目の塗装工事のお宅 は隣と家との間が鳩の通り道になっていて、どうも2階の決まった2箇所のシャッターボックスのところが鳩の休憩場所になってるらしい。
今まで2階の窓のシャッターボックスのため鳩が来ても棒で追い払うしかできなかったという。
今回折角外壁塗装をやりなおして綺麗になったので、また糞で汚されるのがいやというのと、足場があるうちに2階のシャッターボックスに鳩避けを設置しましょう。
と言うことで塗装工事が完了し、足場解体前に
害獣猛禽類バスター出動!

固定というても、屋外用の両面テープで固定するくらいなんですが、
2箇所設置完了です。

お施主さまも一安心。
現場にもどって屋根葺き替え工事です。
先日の続きです。
加工した部材を古い建物の部材に加工してハメンコでいきます

ガシーン

ガシーン
完成!

雑やな(-_-;)
屋根の話ですよね、屋根ね!
それは次回にして(^_^;)
今日はお昼からの話していいかな(^_^;)
今年暑いからすっかり秋忘れてたんですが、紅葉ですよ🍁
あわわててお昼を食べて、高野山にでも行こうかと鍋谷トンネル抜けると
丹生都比売大神(にうつめおおみかみ)へ
ここ世界遺産到着!
弘法大師を高野山に導いた人がなんやかんや・・・(^_^;)
本殿は4つのおやしろが連棟してる変わったつくり。、

そしてこの本殿前にかけられた太鼓橋のようなのね
足元は石で造られてます。

ちょっとジュディーさん先程から私の画角にINしてますよ(^_^;)
そして続いて銀杏の大樹が君臨してる
丹生酒殿神社(にうさかどのじんじゃ)
凄い大樹が象徴してるでー
うちのジュディーちゃうでー(^_^;)

凄い太さやパワーいただきましょ。
この写真もジュディーおもたら、どっかのおっさんかぁーい

丹生っ��漢字が使われてる地名は水銀鉱山があったって場所が多いんです。
ここも金の製造がされてたんでしょうかね。
近畿まだまだいろんなとこありますわ。
帰りにコンニャクとあんぽ柿を、お土産に!
といいながらまた、屋根の話してないわ、
コレはまた火曜日には必ず報告させていただきます。
どうぞお付き合いよろしくお願いします。
今週も頑張りまーす。
貝塚市 岸和田市 泉佐野市 泉大津市 和泉市 泉南市 阪南市 熊取町 忠岡町 田尻町
天然素材スイス漆喰カルクオウォール
リボス自然塗料取扱店
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NPOフェスにFDAが参加 学生とオリジナルレーザー加工作品を販売
2023年9月30日(土)、東京たま未来メッセで開催された「はちおうじNPOフェスティバル」に、(株)LDFを母体とする一般社団法人ファブデザインアソシエーション(FDA/理事長・竹末俊昭)が参加しました。 FDA会員のプロのクリエイターのほか、LDF/FDAで共同研究・演習を行っている拓殖大学工学部デザイン学科アルバレスハイメ教授の研究室の4年生を中心とした学生11名が参加して、レーザー加工機で作ったオリジナル作品をそれぞれ展示・販売しました。学生たちは(株)LDF所有のレーザー加工機で夏休みなどを利用してそれぞれデザインして制作した雑貨・グッズを販売。 また、当日はレーザー加工機を実演しながら、FDAブース内で1000円以上お買い上げの方名入れサービスも実施しました。
★★★参加学生感想コメント★★★
◆大山君(デザイン学科4年・ハイメ研) 私は今、学部4年生でいよいよ来年から就職ということで、卒業の前にこのような機会を頂けて良かったです。大学に入る前は自分の好きなデザインを楽しんでいるだけでしたが、デザイン学科に入り、課題をこなす中で他人に受け入れてもらうためのデザインを学びました。そして今回、さらに売れるためのデザインを考えるという経験をし、私のデザインに対する向き��い方も変わっていきました。今後社会に出て会社の利益などを考える上で今で今回学んだことを活かし頑張りたいと思います。
◆大光明君(デザイン学科4年・ハイメ研) 今回初めてNPOフェスに参加させていただきました。グッズの製作は初めてだったので、どのような素材を使うのが良いか?どのくらいの大きさが良いのか?等悩むことがありましたが、U-sukeさんをはじめ、FDA・LDFの方々にアドバイスをいただき納得のいくグッズを作ることができました。気に入って購入してもらえた時はとても嬉しかったのを覚えています。そして何より、”自分で作ったものを販売する”という貴重な経験ができて良かったです。ありがとうございました!
◆山口君(デザイン学科4年・ハイメ研) 私は今回が2度目の参加になります。今年は材料の大半を自身で購入して製作し、昨年の反省から値段を見直しました。昨年同様、多くの人が立ち止まってくれたことはとても嬉しく思います。売上はあまり奮わずの結果となりましたが、材料から調達したことで1から物を売ることの難しさを実感できました。
◆北爪君(デザイン学科4年・ハイメ研) 前回参加時と比べ、自分の好きなものを作るだけでなく、お客様の手に取ってもらうことを大事に考えながらものづくりをすることが出来ました。短い時間の中で思い描いていたものを全て作ることは出来ませんでしたが、ある程度納得のいく物を最終的に作れたと思います。 また、丁度良い値段設定の難しさを改めて実感することができました。ゼロから制作したものを実際に商品として売ることはとても大きな経験になったと思います。
◆長田さん(デザイン学科4年・森岡研) 昨年友人が参加に向けて準備をしている姿を見て、私も来年参加できたら楽しいだろうなと考えていました。作業が思うように進められず、実現できずに時間ばかりが過ぎてしまい私自身の理想とは遠いものになってしまいました。しかし悩みに悩んで完成できた灯台は何人かの方に気に入って迎えてもらえました。自分自身のアイデアが誰かにとって魅力的に映った瞬間を目の前で見ることができ、今後も活動していきたいと強く思いました。
◆パウリーナさん(別科・留学生) 今年のNPOフェスは、私にとって良い機会でした。今回は昨年より参加者は少なかったようですが、いつもと違うデザインを作って売ることができました。外国人の学生として、このイベントに参加するのはいい経験で、デザイン学科の学生と話したり、お客さんと日本語を練習したりすることができました。お客さんの中には、私が唯一の外国人学生であることから、私の経歴を知りたがっている人もいました。私は喜んで私のことを話し、拓殖大学の学生が作った商品であることも説明しました。来年もまた参加して、違うデザインに挑戦したいと思います。
◆千脇君(デザイン学科3年) 今回、あまり商品を売ることはできませんでしたが、自分の売りたい商品は作れたと思います。モノを作り、値段を決め、商品として販売する、この経験は自分にとって良い刺激になりました。モノづくりをする者として、この経験を機に、これからも創作活動に努めていきたいです。
◆飯田君(デザイン学科3年) NPOフェスに参加するにあたり、過去の来客層が主に地元に根付いたご年配の方や、子供たちであるという説明を受け、売るからには完売を目指したいという欲望のもと、私が考えついたアイデアがペットボトルのオープナーでした。結果これが完売したことで、他のイベントや販売会での販売にも可能性を感じました。自分のデザインの自信にも繋がり、今後の活動にも影響するような貴重な経験をさせて頂きました。ありがとうございました。
◆荒殿君(デザイン学科3年) 今回のはちおうじNPOフェス2023を通して、大学の講義だけでは学べないような貴重な経験ができたと感じています。特にユーザニーズの重要性が分かりました。私は今回、小・中学生向けの革のコインケースを制作しました。ですが実際の来場者は年配の方が多く、商品を手に取って頂ける機会は多くても、購入まで至らないということが度々ありました。大学の講義で、ユーザの調査や5W1Hなどを考えて製品を考えていましたが、今回はその辺りがうまく絞れていなかったと痛感しました。もし来年も開催されるのであれば、リベンジしたいです。
◆中澤君(デザイン学科3年) 今回はちおうじNPOフェスFDAブースに参加して、初めて商品が売れた瞬間が印象的でした。初参加でわからないことばかりでしたが、時間をかけて一つ一つ製作した作品に価値を見出していただけたことが非常に貴重な体験となりました。学生生活の中で、自分の実力が社会にどう評価されているか知る機会がなかったので参加してよかったと感じます。お客様から実際にフィードバックをいただける機会には参加してデザイン力を高めていきたいと思いました。
◆島村君(デザイン学科3年) 今回私はNPOフェスの様に自分の作品を実際に販売するイベントに出店側での参加は初めてだったので参加前は心配に感じたりもしましたが総評としては想像していたよりも楽しみながら過ごす事が出来ました。 今回の参加で自分の作品の良い部分と改善部分が実際に売れた数とお客さんからのリアルタイムでの意見によって今までの課題で作品を製作した時よりもより良いフィードバックを得られたと感じました。 今後もNPOフェスだけでなく、他のコンペやイベントへの参加も検討しつつ自身の作品製作に生かしていきたいと考えています。
▲寿司アクリルキーホルダー
▲アクリル猫キーホルダー
▲革の動物キーホルダー
▲オリジナルペットボトルホルダーキーホルダーを実演。
▲FDA学生会員のアーティスト・石田さんのアクリルアクセサリー。
▲FDA会員のプロクリエーターも出展。
▲自作商品販売を初めて経験する学生も。
▲FDA会員の印章会社・横浜・実門堂さんのレーザーで作ったはんこなど。
▲LEDで光る置物。
▲シャドーボックス。
▲おさるグッズ。
▲きのこの箸置き。羽のキーホルダー。動物マグネット
▲ブース内でお買い上げの方に名入れサービスの記念品も。
▲貝の形のコインケース
▲猫好きに好評の猫グッズ。
▲好評だった草花コースター。
子供たちとのふれあいも。
▲FDA会員の美術家・小原さんのコースター。
▲小原さんのアクリル・レジンキーホルダー。
▲夏休み返上でがんばっていた学生。(イベント前)
▲打ち上げで反省会。売れた人も売れなかった人も勉強になりました。
#レーザー加工機#ものづくり#fda#拓殖大学#拓殖大学工学部デザイン学科#レーザーカッター#epilog#ldf#産学連携#レーザー教室#NPOフェス#八王子市#ハチオウジNPOフェス#はちおうじNPOフェス
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真3プレイ記 アマラEND編(前編)
遅くなっちゃったけど2周目アマラルートの感想です! まさかの前後編。 分岐までのメインストーリーの方はさわり程度です。 そのくせ長いですが、まあ、察してください。 内容:第4カルパ突破まで
2周目は悪魔全書が引き継げる&レベル制限解放なので、序盤のうちにラスダン攻略メンバーを揃えれば、さくさくぱんだ進行ができる!→でもそのためには結構なお金が必要→でもマタドール戦前にはつよい悪魔を用意したほうが絶対いい。 ということでまずは渋谷をぐるぐるして1周目でそこそこ育てたスダマチャンを召喚し、マハザンで無双してもらいながら今度は銀座でひたすら悪魔を狩って狩って狩って宝石売って5万マッカくらい稼いで、銀座大地下道突入前にラスボス攻略時の重鎮・オーディンを召喚! 純粋に能力値が高いし、単体魔法・全体魔法・全体物理とスキルのバランスもよく、どんな状況でも対応できるので、本当~~~に頼りになる子なんです。 ストーリー進めながら貯まったお金で随時残りのメンバーも追加していったけど、しばらくオーディンだけで事たりたし、第5カルパやカグツチ塔あたりまでは苦戦する場面がほぼありませんでした。計画通り。 メインストーリーのほうはせっかくなので、ルート分岐に関わらない部分に関しては1周目で選ばなかった選択肢を回収しながら進みました。 以下、おもしろかったダイジェスト。 ・ニヒロ機構の氷川との会話で「いいえ」系を選び続けると会話が全然噛み合わない。氷川ずっと「???」ってなってたと思う。 ・先生、ヤヒロノヒモロギ入手を「それじゃ、お願いね」って帰りにスーパー寄って牛乳買ってきてみたいな軽さで頼んでくる。ヤヒロノヒモロギだぞ。 ・アマラ神殿で勇くんに「何をしているか聞く」と「ほら、あの男が核になってマガツヒを集めてるだろ……?」ってすごく優しく教えてくれて、推しが死ぬイベントが一気に工場見学みたいな雰囲気になる。 ・ミトラの審問に「体も心も悪魔で創世はしません」って言ったのに、お前その顔はなんだ!ってイチャモンつけられる。もはや「おまえは池袋をでかい顔して歩いてた罪で死刑」と大差ない。 ・議事堂で氷川を止めると、「女の誘惑に落ちた」扱いとなる。なぜその発想になる?? おもしろすぎる。 本編はそんなとこかな。 アマラ深界の攻略は、トランペッターまで倒してから一気に進めました(どうせメノラー揃わないと先に進めなくなるため)。 のでライドウさんはレベル差の暴力で上から殴ってしまったので、ライドウ戦に苦心する様子を見たかった方はすみません。 というか、ライドウとイチャイチャ鬼ごっこするところまでは1周目で攻略済みなので割愛するぜ。 ちなみに、何故鬼ごっこをさせられたのかはよくわかっていません。もう1回イベント見たらわかるかもと思ったけどわかんなかった。 ということで第3カルパ突破地点から。 今回教えてもらえるのは、アラディアについての話。 彼女?は、迫害されていた魔女たちが勝手に作りだして拝んでいた神が、その信仰によって実態を成したもの?みたいですね。 自分を信仰してくれた人々の願いである「自由」を司ってはいるものの、無から生み出された存在であるので、他の神々や悪魔のような力は持っていない……ということなのかしら?? 先生はちゃんとカグツチに選ばれて、創世する候補としてこの世界に来たはずなのに、彼女の神が力を持たない虚構の神なのはどうしてなんだろう?? それとも先生が最初からコトワリとなるだけの理念をもっていて、他のコトワリ代表たちと同じように神を召喚していたら、もっと別の神が彼女に応えたのかな。 つまり先生が望んだ「自由」という理念と、氷川の指摘したような「逃げ場を求めるのみ」という脆弱な意思とが、アラディアと呼応したということ? なのかな?? 続いて第4カルパ。 へ~っ月齢で行き先が変わるんだ!っていろいろ試してたら特に何の準備もしてないのにベルゼブブの部屋に迷い込んでまうの罠すぎない? このまま出口を探し歩いて、呪いで瀕死になったところをザコに撫でられて全滅するより、ベルゼブブに挑んで負けたほうがマシ!と勢いで突入したら割とアッサリ勝ってしまいました。びっくり。 ベルゼブブ、人型も蝿型もかなり厳つくて荒っぽそうだけど、中身はめちゃ紳士的なんですよね。悪魔としての格の高さを感じる。 しかし、人修羅くんにメノラーを集めさせている目的をぺらぺら喋っちゃってて、うっかりネタバレおじさんみたいになってて可愛かったです。バレおじ。(?) これで第4カルパはあっさりクリアだ~!と思いきや、階下に降りる→鍵が掛かっている→鍵のありかを知ってる悪魔が以前の階層にいる→呪いエリアどこにあったか忘れたから探す→鍵はロキが持ってる→鍵はガラクタ集めのマネカタに売っtめんどくせえええええええ~~~~~~~~!!!!!
もうベルゼブブが鍵くれよ。
ロキ、BARで静かに飲んでいるクールな大人の男……てイメージだったのに、場末の酒場で金目のものを質に入れてまで飲んだくれているダメ男みたいになっちゃってて可哀想だった。 エ~ッ!? ロキさんのVIPルームから金品を盗んだ悪党のせいで素寒貧になっちゃったんですか!? なんてひどい! 俺が懲らしめておきます。それじゃ👋 ちなみに回廊は全部探索しましたが、宝物庫は大して見て回っていません。そんな……べつに……いいかなって。(?) 回廊にいる猟奇殺人者の少年の思念体、最初に会ったときはサカハギさんなのかな?って思ったけど「でもCVが細谷佳正だな??」となり、全部話聞いて、「愛を知らないために平気で人を傷つけてきたけど本当は愛を欲していた少年の魂」がフトミミ氏という形となったの、めちゃいいな……と思いました。 なんかちょっと、愛や優しさを知るロウくんや主人公にひそかに憧れていただろうカオスくんの生き方にも、どことなく似てるような気がして……カオスくんは自分の弱い姿を認め愛すことはできなかったから、少年が「本当は愛し愛される人間になりたい」と認めたことをえらいなと思いつつも、でも彼はいちど死したからこそ、ようやくそこに立ち返ることができるんだろうなという気もしました。生前、「本当はみんな優しいんだ」と言いながらサカハギさんの娘?を手にかけたんだろうし。 てかこっちの厚さに対してサカハギさん側のキャラがやや薄いのがちょっと気になる。「本当は復讐したかったが世間の目を気にする自分にはできなかった」とか言ってるけど、その髪型で会社行けるなら全然できたとおもう。復讐。知らんけど。 第4カルパを突破した人修羅くんに、お姉さんがようやくネタバラシしてくれます。さっきちょっとバレおじ(ベルゼブブ)から聞いちゃいましたが、ロウ勢力との戦争に勝つための切り札として、人修羅くんを混沌王に仕立て上げるつもりなんですね。 魔人たちと戦わされるのは単に力試しというか、混沌王にふさわしいかどうかの試練なのかと思ってたけど、要は蠱毒なのか。なのか? マガタマが虫っぽいのも関係あるのかな? 魔人、みんな事情を承知しているのかと思ったら、知らない子もいたらしい。可哀想。絶対マタドールさんじゃん。(名指しはやめるんだ) 全部を知った上で、あらためて協力してくれまいかと要請されます。べつに無理にとは言わないけど、神の支配に疑問があるなら是非来てほしいとのこと。 う~ん、だったらべつに、人修羅くんの良心につけ込むようなことをしないで、最初からそれをいってくれても良かったと思うけどもね。

ぴゃああああちょっとなに急にまって!?!!?!?!?!?!?
さっきので話終わったかと思って完全に油断していました。ひどい動悸でバクバクになった胸を押さえながら「もうやだなに知りたいけど知りたくないなにが出てくんの助けて」てブツブツ言いながら部屋を6分間うろうろしてようやく震える指でAボタンを押す、そうよわたしはヒジリ推しの女(憔悴)。 話を要約すると、ヒジリは遠い昔に犯した大罪のため、世界の行く末を見届けるという使命を課せられて、見えざる神の手に操られ行動させられていた(でも本人はその記憶をもたないため把握していない)とのこと。
え? じゃあ…… じゃあ、本当に、「すべてを創り変えるべき」だったのは……。
なのに、なんで……
……。
はぁ????????
(いろいろな感情になった結果キレる)
神の傀儡として支配されていたヒジリには、そこから脱却し世���を創り変える理由があって、そして彼こそがそれをすべきだった。 のに、なぜ彼の専用エンディングがないのか??? っていうのを真っ先に思ったのですが、カグツチに選ばれておらず、かつマネカタの体となっているヒジリにはコトワリを啓くことはできなくて…… そして主人公くんもまた、コトワリを啓いたヒトといっしょでなければ世界を創ることはできないし、自分のコトワリを啓くこともできない…… 状況としては詰んでいて、これ以上どうしようもない、ということ……なんですね。。。 ずっと……ヒジリに頼ってほしいと思ってました。ヒジリが、創世したいなら、そのために協力したいって。 でも……できることなんかなんにもなかった。 二人じゃ……どこへもいけなかったんだ……。 その事実が、ただただ、ショックでした。 ヒジリはさ……「自分を受胎を生き残った人間だと信じていた」以上に……「普通の人間としてこれまで生きてきた」んだよ。 彼はオカルトに興味があって、文章を書くことが好きで、そしてなにかを自分の言葉で人に伝えるような仕事に惹かれる気持ちがあったから、オカルト記者を志した。 というつもりでいる。 でも実際は「光と闇の戦争を見届け、記す」という使命のために、そのように駒を進めさせられていただけ。 自分の意思だと思っていたいろんなことは、本当は全部選ばされたもの。ヒジリが自分で好きだと思ったこと、自分で正しいと思ったこと、自分で選んで決めたこと……そんなもの、本当は一個もないのかもしれない。ヒジリという人間は、いるけど、いない。傀儡なのだ……。 ヒジリ自身は自分が傀儡であることも、何度となく人生やり直していることも知らないわけだから、それを第三者の立場から「かわいそう」だと思うのは、エゴでしかないけれど…… でも……でも………… 全てを知ったヒジリが「俺自身��、世界を、俺を、すべてを創り変えるべきなんだ」と言ったのは、それはヒジリ自身の願いなのではないの? 自分が支配されるだけの傀儡であると知って、ヒジリはそんな自分のことを、嫌だと思ったんだよ。そんな自分を変えたいって、彼はたしかに……そう思ったんだ。 なのに、なんにもできないなんて、許されもしないなんて、こんなの……あんまりじゃないか……。
(むせび泣く)
なんにもしてあげられないけど、なにかしてあげたかった。いっしょに居たかった。一人きりで行かせるのではなく……。 せめて彼の終わらない旅の、杖くらいになってあげたかったよ……。 お姉さんは、ヒジリのように自由を奪われ弄ばれるだけのような在り様に疑問を持つのならば、最下層まで降りてこいと言います。 ヒジリのことを神に利用される哀れな存在みたいに謳いながらも、自分たちもただ主人公くんの承諾を促すためのネタとして利用してるのが、だいぶ腹立つんだけれども。 でも、もし本当に人修羅くんが混沌王となって、神との戦争に勝利できたら、ヒジリは解放されるのでしょうか。どこかの宇宙の、どこかの世界で、生まれ変わって、今度は自分の意思で生きてけるのかな。 そうだったらいい。 そうだったら、いいな……。
……ということで、だいぶ情緒が乱れましたが、第5カルパへ向かいます。長くなっちゃったので第5カルパ以降は次回! ちなみにこのイベントのあと、雑司が谷霊園に行って土鈴をゲットしたのですが、あの、ヒジリの生命フロー(?)って、人として東京に生まれる→受胎で死ぬ→ボルテクス界に戻される→勇に負けて死ぬ→魂がアマラ深界に落ちる?→回廊脱出→土鈴使って死ぬ→next stage…で合ってる?? 雑司が谷の人型、シルエットからすると「そう」なんだけど、だとしてなんでアマラ神殿で死んだ時にnext stageに行ってないのかがわかんないし、リスポーン地点が霊園なのもちょっと謎なんだよな。 でもだったら霊園のシミはいわゆる汎用マネカタのシルエットで良かったじゃんになるし……??? もし回廊を脱出して人間になろうとしたマネカタがヒジリだったのだとしたら、死してなおも創世を諦めなかった彼の必死さと、ようやく掴んだ希望でさえあっさりと摘み取られる無情さが、とても悲しいなと思うのです……。 てか真1の推し・ロウくんに続き神の傀儡にされ、真2の推し・サタンに続いて土(のシミ)となる真3の推し・聖丈二is何。もうやめてください。
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"イチ"をめぐって:『犬王』作中における当道座の拠点どこやねん問題
劇場アニメーション『犬王』のいわゆる「聖地」のひとつに挙げられる当道職屋敷址。仏光寺通に面する洛央小学校の敷地内にその碑はある。のだが、この「職屋敷跡」は近世のものらしい。では中世、殊に『犬王』の舞台と思われる1370年代の当道座の拠点はどこか。インターネットで拾える情報がやや錯綜していると感じたので整理しておきたい。
関連スポットの地図を作りました。ていうかこれが伝わればだいぶ満足です。Google Mapもあるよ(https://maps.app.goo.gl/Qqe48CYHHGXKvGSi9?g_st=i)。
はじまりのイチ:『犬王』の時代の当道座はどこにあったか
まずこの問題、手がかりになる情報の多くは兵藤裕己『平家物語の歴史と芸能』(吉川弘文館、2000年)から得ることができます。岩波新書『琵琶法師』で『犬王』ファンにはおなじみの兵藤先生の単著! 現在は入手困難ぽいのででっかい図書館とか駆使して読もう。特に関連するのは以下の箇所。
第一部 第一章「覚一本の伝来―源氏将軍家の芸能―」pp.8-30(初出:「覚一本平家物語の伝来をめぐって」『平家琵琶―語りと音楽』ひつじ書房、1993年)
第二部 第三章「当道の形成と再編―琵琶法師・市・時衆―」pp.157-173(初出:「琵琶法師・市・時衆」『一遍聖絵を読み解く』吉川弘文館、1999年)
こちらを参考にすると、結論からいえば『犬王』の時代の当道座(一方派)の拠点は平安京の東市周辺だったとみてよさそう。『琵琶法師』でも言及されているように、『梁塵秘抄異本口伝集』巻十四にみえる「さめうしの盲目ども」のエピソードから、仁安年間(1166-69)の段階で東市北辺にあたる佐女牛小路付近を拠点とする琵琶法師の集団が形成されていたとみられる。その後、明石覚一を派祖とする一方派の拠点がどこに置かれたかははっきりしないけど、定一の次の代の総検校・慶一の在名が"塩小路慶一"(塩小路は東市の南辺)であることから、この頃まではまだ東市周辺に彼らの拠点があったと考えられるようです。
さらに絞り込むなら、以下は私の推測ですが、『犬王』の時代には、東市周辺でも佐女牛側(北側)ではなく塩小路側(南側)が拠点だったのではなかろうか。すなわち、先に触れた慶一の在名が塩小路であることに加え、(1)律令制の衰退とともに東市は廃れ、その東南側、七条大路と町尻小路の���差点付近を中心とする"七条町"に商工業地帯が展開すること、(2)空也と一遍が布教をおこない市屋道場・金光寺となったのは東市の南半であること(参考:リーフレット京都No.65「東西の市」)などをふまえると、慶一よりも前の世代から、一方の拠点は市の南側に移動していたと考えてよさそう。
ということで、『犬王』の時代の当道座の拠点は京都駅の北西から西本願寺の南側にかけて…くらいの場所と考えておくのがよいのではないでしょうか。(東市の位置はおおむね現在の西本願寺にあたるわけですが、2022年10月に西本願寺で『平家物語 犬王の巻』の朗読イベントやったのエモすぎません?!)
イチの痕跡:佐女牛���幡と市姫神社
現在の西本願寺周辺には当道座そのものの痕跡は残らないけれど、東市と周辺の人々に思いを馳せることができる場所はいくつかある。ここでは兵藤の『琵琶法師』でも言及がある佐女牛八幡と市姫神社に焦点をあてたい。

「さめうしの盲目ども」の拠点とみられる佐女牛八幡=若宮八幡は、東市から北東に位置する。源頼義(八幡太郎義家の父)がその邸内に営んだことに始まり、以降、源氏の氏神として深い信仰を集めた。豊臣秀吉の京都改造によって五条坂に移ったが、旧地にも小さな"若宮八幡宮"が再建されている(写真)。移転先の五条の若宮八幡には足利義満寄進の手水鉢が残る。
ほかに「佐女牛」の名を残すスポットとしては、やはり源頼義の邸内にあったとされる佐女牛井(さめがい)がある。京の名水に数えられた井戸らしいけど、第二次世界大戦後に埋められ、西本願寺の北側、堀川通沿いに跡地の碑が立つ。また、西本願寺の北西にある緑のタイルが印象的な"井筒佐女牛ビル"5階には風俗博物館が入る。平安貴族の復元衣装や人形展示が見られるけど、日祝休館でタイミングによっては長期休館もあるので注意。

市姫神社は東市に祀られた市の守護神。やはり秀吉の京都改造で河原町五条に移っている(市比賣神社)。旧地は西本願寺の寺域になっており何も残らないけど、JR山陰線を越えて西側、京都中央卸売市場の付近にも"市姫神社"がある。これは何なんやと思ったら、中央卸売市場の開設にあたって市比賣神社から分祀されているらしい。現代の市もお守りされているの、なんかいいですね。
移転先、五条の市姫社は女人厄除で有名で、マンションと一体化した入口も面白い。その西側には、やはり東市で空也と一遍が活動した市屋道場に端を発する市中山金光寺がある。非公開寺院。市姫神社とセットでこの地に移転しているわけで、東市と時衆の関係の深さがわかる。
京都観光Navi「若宮八幡」
フィールドミュージアム京都「佐女牛井跡」
京都観光Navi「市比賣神社」
その後のイチ:浄教寺と当道職屋敷跡
この文章の早い段階で、いや中世の当道座って浄教寺にあったんちゃうんかい、と思った方もいらっしゃると思うので、当道座の拠点が近世の職屋敷跡、仏光寺の北に移るまでの歩みも整理しておきたい。
兵藤の『平家物語の歴史と芸能』では、永享4年(1432)に「惣検校城存」が錦小路富小路の東頬に屋敷地を賜ったこと(『室町家御内所案』巻下)、永享9年(1437)に慶一の後を継いだ井口相一が「山法師戒浄」の屋敷を賜ったことを挙げ、15世紀初めには四条・五条の町地区へと移ったとしている。(ただ、城存は「城」の字からみて八坂方だろうし、山法師戒浄がどんな人で屋敷がどこにあったかまでは私は調べられていないです...。)
また、『職代記』には応仁の乱の際に当道の文書類が浄教寺で失われたという記載があるそうで、この頃には浄教寺に座務期間がおかれていたとされている。現在の浄教寺は四条寺町にあるけれど、これもやっぱり秀吉の京都改造で移ってきたもので、その前の所在地は五条東洞院。浄教寺は元は平重盛が小松殿に営んだ燈籠堂に端を発すると伝えられ、五条東洞院には"燈籠町"の地名が残る。なお、本来の重盛の燈籠堂は『平家物語』巻三にもあるとおり東山の小松谷にあった。現在、七条のフォーシーズンズホテル敷地内となっている"積翠園"は小松殿の庭園遺構であるとか。

近世の当道職屋敷は、微妙な位置の変化はありつつも基本的には仏光寺の北にあったらしい(職屋敷址の碑は写真の植え込みのなかにあり)。絵図から位置が抑えられるのが寛永14年(1637)から。このあたりは以下の梅田論文に詳しいです。
梅田千尋2008「近世京都惣検校職屋敷の構造」『世界人権問題研究センター研究紀要』
なお、この論文では、永禄11年(1567)の当道座宛ての禁制文書の宛先が「四条かんこく惣けんぎやう町」となっていることから、戦国期には四条の函谷鉾町が拠点だったのではという指摘もされてる。
さて、ここまでつらつら書いてきましたが、『犬王』作中での描かれ方をみると、ラストの友有疾走シーンが四条室町っぽい(通りの描写の参考にしたと思われる国立歴史民俗博物館の復元ジオラマがここ。洛中洛外図屏風が描かれた頃の繁華街)ので、イメージとしては四条の街なかに位置していると捉えてもいいんじゃないかなと思います。平安・中世の東市周辺にしても、中世後半〜近世の四条・五条にしても色んな人がごちゃごちゃいて新しい音楽が生まれるのにふさわしい場所だったことは確かそう。私は劇場アニメーション『犬王』の、都市の物語でもあるところが大好きです。
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#7 エフェソス遺跡ガイド
こんにちは、カサダニアンです。 夜行バスでギョレメからセルチュクへ移動お疲れ様です。 セルチュクの朝はどうでしょう。 早めのランチでゆっくりした後、今日は忙しい1日です。 頑張っていきましょう。 この記事では、エフェソス遺跡の見どころについて紹介します。
〇エフェソス遺跡までの移動
エフェソス遺跡までは歩いて40分ほどかかるので、ミニバスで移動しましょう。
ミニバス(ドルムシュ)乗り場を見つけて、エフェソスへ移動しましょう。
〇エフェソス遺跡とは
・入場料120トルコリラ
エフェソス(エフェソ)は、トルコにある古代都市です。
現在もその遺跡が良好な保存状態で残されており、2015年にはユネスコ世界遺産に登録されました。
エフェソスでは、世界七不思議のひとつであるアルテミス神殿、聖母マリアの家(遠いので行けないと思う)、世界三大図書館に数えられるセルシウス(ケルスス)図書館など、ヘレニズム時代・ローマ帝国時代・初期キリスト教時代の貴重な遺跡を数多く見ることができます。
ローマ帝国時代には、かの有名なアントニウスとクレオパトラも滞在し、古代ローマ帝国では貿易の要衝となり、初期キリスト教時代の教会会議や公会議が幾度も行われるなど、歴史的にも重要な意義を持つエフェソス遺跡には、世界中から多くの観光客が訪れます。
〇ギリシャ神話「狩猟・貞潔・月の女神アルテミス」
「エフェソスのアルテミス」として知られるギリシャ神話の女神像は、紀元前7000年、祈りの対象としてチャタルホユック人の手により誕生しました。
女性の豊潤さを極端に強調した形が採られた女神は、長い間、人々の上に君臨することになります。
彼女は全ての母であり、支配者であり、何よりも力強く、アナトリアの隅々からエフェソスを経由して、メソポタミア、エジプト、アラビア、更にはスカンジナビアの地方までに多大な影響を与えました。
何千年もの展開を見た後、女神はエフェソスのアルテミスと呼ばれるようになったわけです。
敬意を表して造られたアルテミスの神殿は、過去から残った最も重要な宝であるとされており、その周辺に位置したエフェソスは、文化的・社会的観点からして、文明発生地として認められていました。
エフェソスに関する情報は、古代の学者の著書や、発掘によって出土された何千もの碑文、その他の考古学的発見物によって得ることが可能ですが、その設立については、まだ充分解明がされていません。
古代の有名な学者ストラボンとパウサニアスは、エフェソスの設立者はアマゾネスで、カリア族とレレグ族が主な民族であったとしています。
【ギリシャ神話についてもっと詳しく】
〇キリスト教とも深いつながり
エフェソスには早くからキリスト教が入ってきており、聖ヨハネの教会、聖母マリアの家など初期キリスト教の貴重な遺跡も多く見ることができます。
新約聖書には、「エフェソの信徒への手紙」という一書があります。
54年の初夏、「人の手によって作り出された神は、もはや神ではない」と説く聖パウロに対して、銀細工師ディミトリウスに扇動された何千ものエフェソス人達は口々に「エフェソスのアルテミス万歳、偉大なアルテミス万歳」と叫びながら大劇場に押し寄せ始めました。
2時間にも及ぶ民衆の叫びを前にして、白い法衣に身を包み、片手にしゃくを持った聖パウロも、これを鎮圧するには��及ばず、数人の信者の助けによって、命からがらその場を後にするのがやっとであったそうです。
この出来事は、都市の発見者アンドロクロスがこの町にやって来た日、リディア人やペルシア人の最初の侵入、この地を襲った17年、355年、365年、そして368年の地震、さらに431年に開催されたキリスト教審議会などと同様、エフェソスの歴史上の重要事項に新しい1ページを加える結果となったのです。
しかし、空を震わす勢いのアルテミスへの賛歌は、実際、7,000年生き続けたエフェソス人の尊い女神の臨終の一息でもありました。
〇アルテミス神殿跡
豊穣の女神『アルテミス』を奉った総大理石の神殿は、紀元前7世紀~紀元3世紀頃に実際に存在していました。
高さ19m、直径1.2mの円柱が127本、建築期間は約120年という驚異の神殿。 パルテノン神殿を凌ぐ程の規模だったと言われており、現在は跡地に柱だけ復元されている状態です。
アルテミス神殿は、長い歴史の中で放火も含め何度も破壊と再建を繰り返しました。
最終的にはゴート人の侵略、キリスト教徒により破壊されたままとなりました。
尚、神殿跡の近くにあるエフェス考古学博物館には「エフェソスのアルテミ���」という像があります。
〇 世界七不思議
実は、『アルテミス神殿』は【世界七不思議】のうちの1つとして知られています。
古代ギリシャの数学者で旅行家だったビザンチウムのフィロンが紀元前2世紀に「世界の七つの景観」という本を書きました。
【世界七不思議】とは、その中で紹介した古代の地中海地方に存在していた7つの巨大建造物を指しています。
「驚くべき、称賛すべきもの」を意味しており、「当時の技術では考えられないほど革新的で巨大な建造物7選」というニュアンスのようです。
≪世界七不思議リスト≫
〇ギザの大ピラミッド
現エジプト・ギザ/現存
〇バビロンの空中庭園
現イラク・ヒッラ(古代バビロン)/痕跡なし
〇エフェソスのアルテミス神殿
現トルコ・エフェス/ごくわずか現存
〇オリンピアのゼウス像
現ギリシャ・オリンピア/痕跡なし
〇ハリカルナッソスのマウソロス霊廟
現トルコ・ボドルム/ごくわずか現存
〇ロドス島の巨像
現ギリシャ・ロードス/痕跡なし
〇アレクサンドリアの大灯台
現エジプト・アレクサンドリア/痕跡なし
〇エフェソス遺跡の見どころ
エフェソス遺跡の見どころについて解説していきます。
〇マグネシア門(上門)
現在のエフェソス遺跡の上の東側入口より400m程外側にあります。
防壁が張り巡らされていたエフェソスには3か所から入ることができました。一つは海からの港、二つ目は北側のスタジアムの横のコレッソス門、そしてもう一が東側のマグネシア門です。
紀元前3世紀頃に造られた凱旋門で、ドーリア式の3.7mの幅で2段、3つのアーチのある作りだったと思われ、門の町側にはほぼ正方形の中庭があったとされています。
紀元前129年からのローマの支配下では戦略的重要性が失われ、真ん中のアーチの両側に小さな二つのアーチが増設されました。
歩行者は小さな門から、騎馬と戦車は大きい中央のアーチを通ったと言います。
ローマ皇帝ヴェスパスィアヌスの治世に門の名は“名誉の門”と改名されました。
〇 バリウスの浴場
バリウスの浴場は1929年から1979年の間に断続的に発掘が行なわれましたが、未だ完全で事業の終結を見られずにいます。
建物はプナール山の裾野に広がる平地に造られた為、山側の自然に削られて滑らかになった岩肌を壁として使用していたのです。
ほとんど全てのローマ浴場に見られる様にバリウスの浴場もフリジダリウム(冷水浴室)、テピダリウム(ぬるま湯用)、カルダリウム(熱い湯)の施設の他、かなり広めの付属の部屋から構成されています。
壁は大きめのブロック造りで、屋根は煉瓦を用いてアーチ形に設計されています。建物の南手にはトイレも設置されていたようです。
建物はローマ時代の様々な時期、そしてビザンチン時代に修繕と改築が施され、増築も行なわれています。
南に位置するモザイク装飾の見られる5世紀の建物はこれらの例として挙げることができます。
ある碑文によれば、フラビウスとその妻は浴場の��間を建設する為に融資していたとされています。
〇 公立アゴラ(上アゴラ)
皇帝アウグストゥスにより1世紀初頭に造られたアゴラは、公的な会議や証券取引等が行われたところです。
町の行政の中心地でした。
160×58mの広さで三方を柱のあるギャラリーで囲まれ、西側には無数のモニュメントが並んで立てかけられた切石の壁に囲まれていました。
〇オデオン/ブーレウテリオン
エフェソスでは、二院制が行われており、その内の上院が議論の場として使っていたのがこのオデオンです。
2世紀にエフェソスの裕福な市民プブリウス・ヴェディウス・アントニウスとその妻のフラヴィア・パイアナの命によって造られたと言います。
当時は木製の屋根付きで舞台がある1400人収容の小さな劇場型の議事堂で、ここで市内の重要な決定ごとや行政に関して話し合われていました。
また、会議だけでなくコンサートなど劇場としても使われていたようです。
〇プリタネイオン
宗教的な儀式、公式のレセプション、宴会が行われたのがこのプリタネイオンでした。
一番大きな役目は、エフェソスの町の永遠を象徴する神聖な炎がこの儀式部屋の中央で絶えず灯されていたことです。
このため、プリタネイオンはこの都市でアルテミス神殿の次に神聖な場所でした。
現在、床の赤く色づいた場所が炎があった場所です。
この儀式部屋の周りには神々と皇帝たちの像が並べられていたと言い、ここで発見された二体のアルテミス神像はエフェソス博物館に所蔵されています。
隣の建物は、迎賓のために使われていました。
この建物自体は紀元前3世紀のリュシマコスの治世中に建てられましたが、複合施設はアウグストゥス帝の時代に完成しています。
〇ポリオの泉
公立アゴラの南側下、オデオンの向かい側にあるのが、97年に裕福なエフェソス人C.S.ポリオとその家族により造られた泉です。
市の公共の泉でしたので、無料で水を使用できました。
42㎞の距離のクシャダスのケンケリオス、15㎞の距離のマルナスのチャムルク村の小川、20㎞の距離のカイストロス川(現キュチュック・メンデレス川)、この3つの水源から水道橋を通ってエフェソスのこの泉に水がもたらされていました。
そしてここから土管の排水システムによって水が分配されていました。
〇ドミティアヌス神殿
トラヤヌスの泉の前にあるのが、エフェソス都市の中で一番大きな建物の一つであるドミティアヌス神殿です。
現在は基礎部分しか残っていませんが、23×34mの6段の下部構造の上に建てられた神殿には8×13本の柱があったと言います。
皇帝ドミティアヌスに奉納する為に89~90年頃造られました。
しかし、彼は暴君だったことで死後に“記憶の破壊”に処されましたので、ドミティアヌス個人ではなく彼の家族フラウィウス家へ捧げられたという経緯があります。
ドミティアヌスの石像は頭部と一本の腕が残っているのみです。
〇ヘラクレス門(ニケのレリーフ)
クレテス通りの一番上にあるのが、ライオンの毛皮を纏ったヘラクレスのレリーフが印象的な2本の柱が残る門です。
この門により上の行政の地域と下の市民の地域に実質的に分けられていました。
元々は別の場所にあったこの門を4世紀後半に現在の場所に移したとされており、レリーフ自体の年代は2世紀の物とされています。
因みに、この狭い門によって車両の交通が妨げられて、4世紀以降この通りは歩行者専用になったようです。
ヘラクレス門のすぐ上のドミティアヌス広場にある、勝利の女神ニケの飛んでいる姿が彫られた三角形のレリーフは、このヘラクレス門の上部を飾っていたもので、4世紀前半に造られたとみられています。
ちなみに、勝利の女神ニケはあのナイキのロゴの由来となっている女神でもあります。
〇クレテス通り
エフェソスの三大通りの一つで、エフェソスの町の真ん中をヘラクレス門(上)からケルスス図書館(下)まで突っ切っているメイン通りです。
大きな石畳が伸びていてエフェソス遺跡を一望できる道でもあります。
クレテスはギリシャ神話の神霊ですが、後にエフェソスでクレテスと呼ばれた聖職者にちなんでこの名が付けられたと言います。
大理石と一部石畳で覆われている道の下には、下水路、飲料水路、温暖パイプが巡らされています。
〇トラヤヌスの泉
クレテス通りに面して建つ2階建てのこの建物は、102~114年にティベリウス・クラウディウス・アリスティオンとその妻によって女神アルテミスと皇帝トラヤヌスに捧げる為に作られた泉です。
エフェソス遺跡の中で最も素晴らしいモニュメントの一つです。
20×10mの泉の3面を9.5mの柱と彫像が並んだ2階建ての外壁が囲み、水が注がれる泉の真ん中には地球を踏んでいるトラヤヌスの足を乗せた台座があります。
ここで見つかった外壁のギリシャ神話の神々や皇帝家族の彫像は現在エフェソス博物館に収蔵されています。
〇丘の上の邸宅(テラスハウス)
クレテス通りを下っていき左側、ハドリアヌス神殿の向かい側にて坂を利用して幾つかの邸宅が段々に作られています。
3000平方メートルの広さの中に3つのテラスがあり、6軒の家がそれぞれくっついた形で建てられており、一番古い家は紀元前1世紀のもので、これらはローマ人の裕福な家族によって7世紀まで使われていたと考えられています。
この家々の中央には中庭があり、二階建ての家の床には素晴らしいモザイク、壁にはフレスコ画が残っています。
また、お風呂や暖房システムが備わっているなど、当時の裕福な家庭の暮らしを鮮明に見ることができます。
1960年より始まった発掘は現在も続けられており、上部は屋根で覆われ、ちょっとした博物館のようになっております。遺跡とは別料金となりますが、一見の価値はあるので是非見学してみてください。
〇スコラスティカ浴場
紀元前1世紀に作られ、4世紀に富豪でクリスチャンの女性スコラスティカによって再建された浴場です。
元々は3階建てで、クレテス通りからと脇道からの二つの入口を持ち、1階が入口から順に脱衣所、プールのある冷却部屋、リラックスできる温かい部屋、最後が発達した暖房システムが供えられたホットルームがあり、2階はマッサージやセラピーやスクラブのために使われていたと言います。
〇ハドリアヌス神殿
皇帝ハドリアヌスに捧げる為に造られた小さな神殿の様な記念碑で、大変状態良く残っています。
コリント式の神殿の入口上部のフリーズには、エフェソス創設の伝説が刻まれています。
ちなみに、この神殿はケルスス図書館と共に、2001年から2009年までトルコのお札の裏に描かれていました。
〇公衆トイレ
スコラスティカ浴場の一部にあるのが古代の公衆トイレです。
三方の壁に大理石でコの字型に作られたベンチには、一定間隔でいくつも穴が開いており仕切りはありません。
ここに市民は横並びに座って用を足していました。
富裕層の市民は、寒い季節は先に使用人に座らせて大理石の便器を温めさせてから座ったそうです。
下水道も完備されており、汚物は便座の下を通る流水で流されていました。
また、便座の前には水路があって、用を足した後は海綿が先に付いた棒でお尻を洗い、前の水路の水で海綿を洗ったそうです。
ちなみにこの海綿のお尻洗い棒は共有で使われていたようです。
トイレ部屋の地中央にはプール、床にはモザイクが施してあるなど当時はとっても優雅だったことがうかがえます。
ローマ人にとってトイレは用を足しながら語り合う社交場でもあったのです。
〇ケルスス図書館
エフェソス遺跡の目玉が、106年に死去したエフェソス知事ケルススのために、息子ガイウスが墓碑として作らせた2階建てのケルスス図書館です。
古代世界の三大図書館の一つで、アレクサンドリアとペルガモンに次ぎ3番目に大きな図書館でした。
当時は1万4千冊が収容されていたと言います。
ケルススのお墓は図書館の西壁の下にあり、この図書館で発見されたケルススの銅像は、現在イスタンブール考古学博物館で展示されています。
〇セラピス神殿
エフェソス遺跡の中で最も変わっているのが、ケルスス図書館の裏にあるセラピス神殿です。
138~192年頃のローマ五賢帝時代の建築装飾が施されている建物の破片があり、発掘の際に発見されたエジプト花崗岩の像と碑文により、この神殿はセラピス信仰者に捧げられた神殿とみられ、そこからセラピス神殿と呼ばれるようになりました。
なお、キリスト教時代には神殿は教会へと変えられています。
〇エフェソス大劇場(円形劇場)
大理石通りの終わり、パナユル山の斜面を利用して作られているのが、遺跡の中でも最も壮大な大劇場です。
ステージはなんと18メートルの高さで、観客席には2万4千人収容でき、古代アナトリア世界で最大の野外劇場とも言われています。
コンサートや演劇だけでなく、宗教的、政治的、哲学的な討論の場として、また剣闘士と野獣の戦いなどにも使われていました。
リュシマコスの時代に造られたこの大劇場は、皇帝クラウディウスの治世31~42年の間に完成までに70年かかる大規模な増築改修工事が始められました。
ちなみに、あの聖パウロがエフェソスを訪れた際にこの工事が行われていたと言われ、聖パウロはここで宣教の演説をした際、エフェソス市民の反乱に遭ったため、エフェソスから離れざるをえなくなったと聖書で触れられています。
【参考ブログ】
以上、エフェソス遺跡について簡単ですがまとめました。
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ムー旅 平将門巡り「胴と首をつなぐ」崇敬の旅 ・その2
さて、再び🚍に乗り込み、次の目的地は東京に戻って神田明神……ですが、高速に乗ってしばらくした所で渋滞にハマりました😰
運転手さんが頑張ってくれて、何度も車線変更しつつ行ってくれるのでそれ程はノロノロ運転というわけではなく、完全に止まることもほぼありません。ところが、ここで地獄に陥った方がお1人。🚍内で缶🍺を持ち込みほろ酔い気分になってたのが、いきなりの尿意に襲われたそうで。いつものクールなイメージがすっかり崩れ落ちるほど悶絶しまくられた挙げ句、松原タニシ氏からは、
「尿意(如意)輪観音のご加護」
という凄ぇパワーワードを送られーーあまりにも素晴らしい弄りに🚍内大爆笑でした。さすが関西出身だけあって、弄り方がプロですな😅他にも「平将門の呪い」って仰ってたけど、そこは濡れ衣だと思います😂
そうこうして東京はまだかーーなどとなっているうち、三郷を過ぎいよいよ限界が……😖となったところで。
八��PAの看板が!!
救いの神です。迷わず🚻休憩が入りました。戻られたあとは、再び「今度からオムツした方がいいんと違います?」と弄られておられましたけど😅
そのままスカイツリーを横目に、堀切~鐘ヶ淵~両国で高速を降りて、浅草橋からお茶の水へ。ここら辺になると、ほぼ庭ですね😊神田明神に到着した頃はとうに6時をまわってましたが、このようになお明るい。



⛩️の前で一礼して山門を潜ると、おお、さすが6月。夏越の祓の茅の輪がデデーンと目に飛び込んできましたo(^-^o)(o^-^)o


穢れを祓う為の人形(ひとがた)が貼り付けられています。取りあえずここで神職の方の説明(多分待ちかねておられたんじゃないかと💦💦)があるので、一旦茅の輪くぐりは脇に置いといて。

神田明神(神田神社)についての説明を受けました。何度かお詣りに来てるので概要は知ってましたけど、やはり奉職なさっておられる方からの説明はそれ以上に知識が深い。
前編では、延命院や國王神社には常駐の神主さんも住職さんも居られないと書きましたが、例祭の折は神田明神(正式名称は神田神社だけど、生まれも育ちも東京在住者にはこちらの方が馴染みが深いので、そのまま神田明神と呼ばせてもらいます)からも神職者が派遣されるそうです。なるほどー😲
そもそも、将門塚保存会から石碑を贈ったりするくらい、坂東市と東京の繋がりって深いんですよね。将門ネットワーク。
神田明神は関東大震災で本殿が焼失しており、現在のものは「二度と燃えるところを見たくない」という氏子さん達の意見を取り入れて、鉄筋コンクリート造りで再建したそうです。当然構造上は木造より強度が増しているので、柱はそれほど必要とはしていない。なのに本殿の支柱が多いのは、日本の神社建築に沿った建物にする為。確かにこの方が威容がありますもんね。
説明のあとは茅の輪を慌てて8の字にくぐり、ツアー参加の皆さんがずらっと並んでいるのを尻目に境内にある波除神社を参拝。ここだけは将門さんとは関係がありませんが、父方の祖父が戦前築地に勤めていた関係で(波除神社は築地からの分霊なんです)どうしても頭を下げておきたかったの!!


時間に余裕があったら他にも(神社裏の階段とかw)寄りたいところですが、それはまた個人で💪😁
ようやく待っている人が少なくなったところで、本殿に二礼二拍手一礼。本当は神拝詞も唱えたいところですが、あれをやると隣にいる人がぎょっとして、変な人認定される可能性があるのと、時間がないからカット💦💦
すぐに🚍に戻り、最後のそして最大の目的地である将門塚(首塚)へ。流石にここでは日没しており、
薄暗い逢魔が時の中での参拝になりました。
しかーし、
2020年からの改修工事により、以前あった筈の植え込みがほとんど失くなっちゃってる😳
もうね、まっ更な綺麗な塚以外は何んにもない空間なんですよ。



子供の頃とか、よく「首塚の写真を撮ろうとファインダーを覗くと生首が飛んでくる」という噂がまことしやかに囁かれて、都市伝説となっていましたが、そんなおどろおどろしさは全くなく。単なる史跡になっちゃってました。確かに参拝はしやすくなったろうけど、これはちょっとクリーンになり過ぎ💦💦
恐らく、パワースポットとしての役割はほとんど消えちゃったんじゃないでしょうか?お詣りする人の念が溜まっての意味もあるもんな、アレは😥
ちなみに将門塚の改修工事に伴い、将門塚と延命院とで互いの土を交換しているとのこと。
ともかく、私にとっては付近はさんざん歩くものの、生まれて初めての将門塚訪問。

い・ろ・は・すで簡単にお清めをして、手を合わせました🙏お賽銭入れにはやはり九曜紋。こちらの石碑が先程の神田山延命院と対をなすものか……どうぞ安らかに東京の街を護って下さいーーそう願って、ここを後にしました。
さて。時間は7時を過ぎ、トークショーとディナーを頂く為に浅草ビューホテルへ到着。こちらが最終地点となる為に、🚍とはお別れです。お疲れさまでした。そして、ツアー初めから色々とお世話になりました🙇♀️
運転手さんが親切に教えてくれたお陰で、座席難民にならずに済みましたもん💺



ホテルでのイベントはムー旅のみだったので、至る所で案内板が💦💦
そして通された宴会場広ーーーい!!
いちテーブル大体5名ほどで、まずは乾杯用のソフトドリンク(オレンジジュースとウーロン茶の2択)が配られました。


司会はムー編集部のM氏。三上編集長との阿吽の呼吸の掛け合いが楽しいです。ここでパワーポイントを使っての旅の振り返り。松原タニシ氏と同行されたカメラマンの方が撮影されてたのかな?
トークショーは撮影禁止でしたが、ディナーのフルコースのみ撮らせてもらいました。
凄い豪華だったんですよ。こんな本格的なご馳走にありつけると思ってなかった😍💕









蓴菜の餡といくらの乗った胡麻豆腐、お刺身はマリネされてサラダ仕立て、白身魚(スズキっぽかった)の香草焼き ラタトゥイユソース添え、ほたて入りのパエリア?(サフランライスかな?バターが効いててコクがあり、とても美味しかったです💕最初ちょい少なめについじゃったので、後から余っていたのをおかわりさせてもらいました💦)、コンソメスープ。デザートはいちごのムース フルーツ添え、コーヒーはデミタスカップでしたが、エスプレッソではなかったです。香りが良かった💕
ツアー参加者が食べている間もずっとトークショーは続き、ちょっと申し訳なく思ってしまいました💦💦
トークの内容は、事前に🚍の中で記入してホテル到着時に回収された、参加者からの将門さんに関する質問が中心……の筈だったのに、いつの間にか三上編集長個人への質問が😳
それアリなんですかーー🤣
Q:いつも黒い服を着ていらっしゃいますが、私服なのですか?
A:私服です。そろそろクリーニング代を計上しようかな(え!?)
Q:正月カレーは何日続きましたか?
A:100日続けました(元旦から🍛を食べ続けておられたそうで……それを知ってるムー民の方からの質問が濃いい😂)
Q:お化けを見る方法を教えて下さい
A:出るところに行けば見れます。
ここで、聞きたくなかった情報が……霊能者の方はほぼ体温が低いそうなんですね。私、平均体温が35.6℃なの😰更にコロナが5類になるまでは、外出先で体温測ると大概エラーマークが出ました。34.6℃とかが普通だったから💦💦
ほぼ零感だけど、たま~に怪音を聞いちゃった経験があるのに加えて視える人間が周りにごろごろいるの。てことは、今は視えてなくてもいつか条件が合致しちゃうと、視えちゃうようになる可能性もあるのかも😱
嫌だー、面倒臭いぃーー‼️
トークショーの締めくくりで、三上編集長が「無事かえる」の話をしておられました。これは、将門さんの首が晒されていた京都から戻ってきたことを表しているという説が主流ですが、更に蛙(かわず)⇒河衆⇒河童の意味もあるそうで。行きの🚍の中でたたらの話も出てたもんなー。ともかく、旅から無事に家に着きますように、と。
楽しいツアーでした。ムー的にも歴史的にも、多方面で濃いい話が満載でした。
余談ですが、家にある将門さん関連で読みたいなと思っていた何冊かの📚
もしかしたら、今なら簡単に見つけられるんじゃないかな🤔と考えて、探してみました。どこに置いたかすっかり忘れてて、見つかるまで何時間かかかっても仕方がないかな😥って思ってたんですが……何とわずか15分くらいで全部出てきちゃったんです😌
ご縁が出来るって、こういうことか!!
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目次の表示・非表示を切り替え 野茂英雄 13の言語版 مصرىDeutschEnglishEsperantoEspañolفارسیSuomiFrançais한국어MalagasyРусский中文Bân-lâm-gú他 4 言語 ページノート 日本語 閲覧編集履歴表示 その他 閲覧編集履歴表示 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 この存命人物の記事には検証可能な出典が不足しています。信頼できる情報源の提供に協力をお願いします。存命人物に関する出典の無い、もしくは不完全な情報に基づいた論争の材料、特に潜在的に中傷・誹謗・名誉毀損あるいは有害となるものはすぐに除去する必要があります。出典検索?: "野茂英雄" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2015年3月) 野茂 英雄 2011年2月16日 日南市天福球場基本情報国籍 日本出身地 大阪府大阪市港区生年月日 (1968-08-31) 1968年8月31日(54歳)身長体重 6' 2" =約188 cm220 lb =約99.8 kg選手情報投球・打席 右投右打ポジション 投手プロ入り 1989年 ドラフト1位初出場 NPB / 1990年4月10日 MLB / 1995年5月2日最終出場 NPB / 1994年8月24日 MLB / 2008年4月18日経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) 大阪府立成城工業高等学校 新日本製鐵堺 近鉄バファローズ (1990 - 1994) ロサンゼルス・ドジャース (1995 - 1998) ニューヨーク・メッツ (1998) ミルウォーキー・ブルワーズ (1999) デトロイト・タイガース (2000) ボストン・レッドソックス (2001) ロサンゼルス・ドジャース (2002 - 2004) タンパベイ・デビルレイズ (2005) カンザスシティ・ロイヤルズ (2008)国際大会代表チーム 日本五輪 1988年野球殿堂(日本) 殿堂表彰者 選出年 2014年得票率 82.4%(324票中243票)選出方法 競技者表彰 この表について[表示] この表はテンプレートを用いて表示しています。編集方法はTemplate:Infobox baseball playerを参照してください。 ■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート オリンピック 男子 野球 銀 1988 野球 野茂 英雄(のも ひでお、1968年〈昭和43年〉8月31日 - )は、大阪府大阪市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。MLBのサンディエゴ・パドレスでアドバイザーを務める。 概要[編集] 「トルネード投法」と呼ばれる独特なフォームから繰り出されるフォークなどで三振を量産し、日本プロ野球(以下:NPB)とメジャーリーグベースボール(以下:MLB)で活躍した。 NPB時代はパリーグ初の沢村栄治賞を受賞(大阪近鉄バファローズが存在した時代に受賞した唯一の近鉄出身投手でもある)、平成初の投手三冠王を達成、パ・リーグ最多タイ記録となる最多勝利を4回獲得している。 MLB時代にはノーヒットノーランを2回達成、最多奪三振を2回獲得、新人王受賞といういずれもアジア人史上初の偉業を成し遂げている[1][2]。 NPB/MLB通算最多奪三振(3122)記録保持者。 2016年2月からサンディエゴ・パドレスのアドバイザーに就任[3][4][5]。 長男は2015年から2018年まで北海道日本ハムファイターズの球団通訳を務めた野茂貴裕[6][7][8][9]。また、シンレンサイのメンバー、三戸キャップは遠戚にあたる。 経歴[編集] プロ入り前[編集] 小・中学校時代は全くの無名選手であったが、「体を捻って投げると直球の威力が増す」と理解し、後のトルネード投法の原型となるフォームで投げていた。高校は近大附など名門野球部のセレクションをいくつか受けるも不合格となり、大阪府立成城工業高等学校(現・大阪府立成城高等学校)に進学する。高校では2年生からエースとなり、1985年7月19日に全国高等学校野球選手権大阪大会2回戦の大阪府立生野高等学校戦で完全試合を達成。3年時はベスト16(5回戦)進出などの成績を残す。高校時代の監督は後年その投法を振り返り、トルネードほど捻らないがその片鱗を感じたという意味で「つむじ風投法」と名付けた。 高校卒業時に既にプロから誘いがあったが、新日本製鐵堺へ入社(勤務先は子会社の新日鐵化学の総務部)。新日鐵化学での当時の給料は額面で11万9000円、手取りでは9万円ほど。新日鐵堺での1年目にはスライダーを習得できなかったため、最大の武器となるフォークボールを習得。2年目の1988年には都市対抗に出場。1回戦でNTT東京に完投勝ち、2回戦でも延長17回を投げ抜き大昭和製紙にサヨナラ勝ちを飾る。準々決勝は東芝の菊池総と投げ合うが早々に打込まれ敗退[10]。同年のワールドカップ日本代表に選出され、ソウルオリンピックでは銀メダル獲得に貢献している。1989年の都市対抗も準決勝に進出するが、大昭和製紙北海道に敗れる[10]。同年のインターコンチネンタルカップ日本代表となる。 名実共にアマチュアNo.1投手となった進路が注目される中で行われた1989年のNPBドラフトでは史上最多の8球団(阪神タイガース、ロッテオリオンズ、ヤクルトスワローズ、横浜大洋ホエールズ、福岡ダイエーホークス、日本ハムファイターズ、オリックス・ブレーブス、近鉄バファローズ)から1位指名を受け、抽選の結果、近鉄が交渉権を獲得した。推定契約金は史上初の1億円台となる1億2000万円、推定年俸は1200万円で、契約時に投球フォームを変更しないという条項が付け加えられた。 近鉄時代[編集] 1990年4月10日の西武ライオンズ戦でプロ初登板。その後勝利の付かない試合が続くが、4月29日のオリックス戦で日本タイ記録(当時)の1試合17奪三振を記録し、完投でプロ初勝利を挙げた。同年は新人ながら最多勝利・最優秀防御率・最多奪三振・最高勝率と投手四冠を独占したほか、ベストナイン・新人王・沢村栄治賞・MVPにも輝き、パ・リーグの投手が沢村賞の選考対象となったのは1989年からで、野茂はパ・リーグからの受賞第1号となった(2010年までに新人王と沢村賞を権藤博・堀内恒夫・上原浩治が、木田勇が新人王とMVPのダブル受賞を果たしているが、新人王・沢村賞・MVPをトリプル受賞したのは野茂だけである。ただし木田は、当時の沢村賞の選定がセ・リーグのみだったため受賞対象者ではなかった)。奪三振に関してはシーズン2桁奪三振試合21回、5試合連続2桁奪三振(当時)、三振奪取率10.99(パ・リーグ最高記録)など従来の記録を次々に更新し、「ドクターK」の異名に違わぬ活躍を見せる。 1991年には自身の記録を塗り替える6試合連続2桁奪三振を記録した。オールスターゲームでは第1戦(東京ドーム)に全パの先発投手として登板し、先頭打者の立浪和義をはじめ6奪三振を記録(1990年代の球宴では最多)する。第2戦(広島市民球場)では秋山幸二が自打球で負傷退場し、他に野手がいなかったため、代打で出場。結果は見逃し三振だったが、秋山が既に2ストライクだったため、記録上は秋山の三振。この時オリックスの中嶋聡のヘルメットを被って打席に立った。 1992年も18勝を挙げ、2年連続で最多勝や最多奪三振などのタイトルを獲得した。 1993年にも5試合連続2桁奪三振を記録。同時に1990年から1993年にかけ、史上初の新人年からの4年連続最多勝と最多奪三振のタイトル同時獲得を達成(新人からの4年連続最多奪三振は他に江夏豊がいるが、当時はタイトルではなかった)。 1994年は開幕戦の西武戦で4回までに11奪三振、8回まで無安打に抑えたが、9回に先頭の清原にヒットを打たれてノーヒットは途切れた。その後2四球で満塁となったとこで赤堀元之に交代したしたが、この試合前監督の鈴木啓示は「今日は野茂と心中や」とマスコミに発言しておりその言葉を聞いてた赤堀もそれを鵜呑みにしていたこともあり準備不足の中登板し伊東勤に逆転サヨナラ満塁本塁打を浴びて敗戦した[11](野茂も鈴木の言葉を信じていただけにこの降板でモチベーションは下がった[12])。7月1日の西武戦では1試合16与四球の日本記録を作ったが、191球を投げて3失点完投勝利を挙げた。8月に右肩痛のためシーズン途中で戦線を離脱したため8勝、126奪三振に留まり、最多勝と最多奪三振の連続記録も途切れた。 近鉄退団の経緯[編集] この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。出典検索?: "野茂英雄" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2016年11月) 球団との確執[編集] 1994年の契約更改では複数年契約と、団野村を代理人とした代理人交渉制度を希望したが、球団は肩を故障してシーズン後半を棒に振ったことを理由に拒否。この際球団は「君はもう近鉄の顔ではない」と告げたとされている。球団社長はマスコミに「年俸をもっとよこせ、ということでしょう」と述べ、要求はあくまで「年俸吊り上げのための口実」であり、「次の更改ではサインするでしょう」と楽観視していた。これに対し野茂は「お金の問題じゃないんです」と反論したが、この一連の動きに対してはマスコミも近鉄の意見に同調し、次第に孤立していった。更に球団フロントに対しては後に確執が表面化することになる球団OBの投手出身鈴木啓示に対して鈴木が監督になる以前の仰木彬監督の時代から不満をいだいていたと語っている。 開幕投手であるにも関わらず、球団関係者に本社の人間が来るので車を動かすよう要求された(藤井寺球場には選手専用駐車場が無かった)[13][14]。 観客動員が増えることで収入が増え、優勝したらその分年俸を上げなくてはいけなくなるため、契約更改の席で「(10.19決戦のように)熾烈な優勝争いをして2位に終わるのが一番」と言われた。 4年連続最多勝のシーズンオフに現状維持の年俸を提示された[15]。 球団は野茂が近鉄でプレーする意思を表明しない限り、トレードや自由契約ではなく「任意引退」として扱おうとした。自由契約にならない限り他球団でのプレーは出来ないためであるが、これがMLBへの挑戦を決意する1つ目の理由となった。代理人団野村は、野茂は当初からメジャー移籍を模索しており、近鉄球団から任意引退を引き出したのは作戦であったと後に明かしている[16]。 監督との確執[編集] もう1つの理由は、仰木の後任である鈴木啓示との確執だった[17]。野茂は近鉄への入団条件に「投球フォームの改造をしないこと」を挙げていた。当時の監督仰木彬はこれを快諾し[18][19]調整方法も本人に任せたため、野茂は仰木を信頼して尊敬するようになった。これに関してはメジャー在籍時の晩年に「自分を信頼してくれた仰木さんを胴上げするためにチームに貢献しようと頑張っていたが、仰木さんが監督を辞められたことでその気持ちは薄れてしまった」と語っている。更に1993年に監督に就任した鈴木は、自身が主に先発で317勝という実績を挙げた投手出身ということもあってか、フォームや調整法など様々な事に関して干渉した。また選手指導としても厳しい姿勢を見せつけていた。例として野茂は開幕戦で調子が整えばそれで良いという考え方で開幕前はスロー調整であったが、鈴木はオープン戦から結果を要求していた。立花龍司とのマンツーマン指導で遠投など自己流でスタミナを作っていたが、鈴木はひたすら走りこむことを要求し「では一体何周走ればいいんですか?」と問うと鈴木は「何周とかと違う。野球選手はひたすら走るもんなんや」と持論を押し通した。近鉄投手陣は立花に信頼を寄せていたが、立花が鈴木の冷遇によって1993年に近鉄を退団したため、投手陣の反発を買うこととなった。 監督就任直後、鈴木は道上洋三のラジオ番組への出演時に野茂について「三振は取るが四球が多すぎる。(投球)フォームを改造しなければ」「いまのフォームではいずれ通用しなくなる。その時に私に頭を下げてこられるかどうかだ」と野茂の制球力の悪さに不満を持ち、完全に野茂のフォームを否定していた。 こうした指導法が元で鈴木と対立するようになり、近鉄退団を決意する2つ目の理由になった。当時野茂とチームメイトだった金村義明は著書「勝てる監督 負けるボス」で、野茂の「僕は、別にどうしてもメジャーでやりたかったわけじゃない。ただ、あの監督(鈴木)の下ではやれないと思った、それだけなんです」という発言を紹介している。 これらの要因が重なった結果、野茂は球団フロントの制止を振り切り近鉄を退団しMLBに挑戦することとなった。自由契約ではなく任意引退扱いなのでNPBに帰った場合、近鉄に保有権があることになった。当時の野球協約68条第2項には「全保留選手は、他の球団と選手契約に関する交渉を行い、または他の球団の為に試合或るいは合同練習等、全ての野球活動をする事は禁止される」 となっていたが、任意引退前にコミッショナー事務局から任意引退による球団の保有権が外国の球団にまで及ばないことの言質を得ていたため、MLB球団と契約することが可能になった(その後、任意引退による日本人選手の流出に危機感を感じたNPB側が1999年に協約を改正し「外国のいかなるプロフェッショナル野球組織の球団をも含め」という条文を追加したため、現在ではNPBのみならずMLB球団を含め、任意引退した選手は世界各国のプロ野球球団と契約することが出来なくなった)。なお、近鉄は2004年にオリックスと合併したため、保有権はオリックスに移行したと解釈されている。
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和四年(2022)2月24日(木曜日)
通巻7229号
ロシア軍、ウクライナ東部に「侵攻」。西側は一斉に非難し制裁を表明したが
米軍もNATO軍も軍事介入はできず、口先非難で傍観。効果が妖しい「制裁」。
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ロシア軍がウクライナ東部に侵攻した。
ドネツク自治州、ルガンスク自治区はロシアに隣接しロシア人住民が多数派だから、独立国家として認める方向にある。
問題は、戦火がウクライナ全土に拡大するか、どうか。
欧米は一斉に非難し、日本も制裁を発表したが、一番困っているのは、おそらくドイツである。数兆円を投じたノルドストリーム2が工事中断、展望が真っ暗になったからだ。ドイツは「承認手続きをしばしペンディングにする」としたが、工事中止は口にしていない。
ほくそ笑むのはカタール、UAE、そして最大の裨益国はアメリカ。ガス輸出の代替がこれから始まる。
このロシアの軍事行動は、過去の類似パターンに酷似している。
まず思い出すのがチェチェンとイングーシ争乱である。欧米は「ロシア国内の争乱」として傍観した。ロシア軍が介入するのも、独立過激派がテロ戦争をしかけたからだ。
チェチェン人とイングーシ人は、そもそも同じ民族でイスラム教徒スーフィズムを信仰する。スターリンが共和国を廃止して、民族隔離政策を実施し、多くをシベリアに追いやって以後、状況は複雑化していた。
1990年に独立を宣言し、94年にエリツィンが介入して紛争は激化した。なにしろイスラム過激派ゆえにテロが頻発、政治家の暗殺が続き99年には連続爆破テロ、大量避難民がでた(一部のテロ事件はロシアの演出を狙った自作自演説がある)。
けっきょく、1999年にロシア軍が再介入し治安を維持してきたが、政情は依然として不安定。治安悪化のまま。過激派の一部はシリアへ「出張」した。
2008年のグルジア戦争は、グルジア国内の自治区がグルジアからの「独立」を希求した国内国とグルジア(その後、国名をジョージアと改称)との領土戦争である。
二つに分けて考えられる。
(A)南オセチア(南オセチア・アラニア共和国)
91年に「グルジアから独立」を宣言した山岳地帯の自治区で、ジョージア領内にあって独立が認められず、ジョージア軍が武力介入した。そこにロシア軍が介入し、独立国として扱われる。(プーチンが2008年8月8日の北京五輪出席のその日にロシア軍が侵攻した)。
(B)アブハジア共和国の紛争も、上記の南オセチアに連動する。これらを外交承認した国はロシア、ニカラグア、ベネズエラ、シリア等のロシア傀儡国家。そして国際社会が独立国家とは認めていないアブハジア、ルガンスク、ドネツク等の紛争地域も(政府を名乗って)承認した。ガガウス共和国(モルドバ沿ドニエステル)などがお互いに「傷の舐め合い」を演じたが、国際的にはいずれも「未承認国家」として扱われる。
▼クリミアの併合
クリミア併合は2014年、ヤルタ会談のリバーティア宮殿を含む地域と、軍港として有名なセバストポリにロシア軍が進軍して「ロシアに編入された」。
そして1954年のフルシチョフのクリミア割譲を「無効」としたうえで、クリミア、セバストポリ、ロシア三国が署名した。「住民投票の結果であり、西側の批判は根拠希薄」とプーチンは言いつくろい、西側の制裁に中国も同調的だった。
ついで起こったのも旧ソ連を構成したカフカスのアルメニアとアゼルバイジャンである。お互いが「飛び地」を巡って、これまでもにらみ合ってきた。ジョージアに加えて、カフカスのほかの二カ国も複雑怪奇なのである。
ナヒチバンとナゴルノカラバフ戦争はどうなったのか? ロシア軍はアルメニア、アゼルバイジャン戦争に「平和維持部隊」を派遣し紛争を終結。アルメニアはナゴルノの三分の一を失った。人口35万の98%はアゼルバイジャン人である。住民の意思は独立か、アゼルバイジャンへの帰属だから、住民自決を原則として、ロシアが主導権を取った。
将来、同様な火種を抱えるのはモルドバ領内の沿ドニエステル自治区(オデッサに隣接)だ。
2006年、アブハジア共和国、南オセチア共和国、沿ドニエストル共和国の3か国の「大統領」が共同声明をだし「共同体」設立を宣言。アルツァフ共和国(ナゴルノ・カラバ���)も参加した。沿ドニエステル自治区にはロシア兵1500人の兵力が駐留している。四年ほど前に、筆者がモルドバからバスでウクライナのオデッサへ向かったことがある。沿ドニエステル自治州を迂回するため、たいそう時間がかかったものだった。
▼旧ユーゴスラビアの分離独立を、なぜ西側は支援したのか?
バルカンの分離独立戦争では、「独立」を指向した旧ユーゴ連邦の「国内国」が次々と隣国との国教を巡り、軍事衝突が大規模となった。ついに旧ユーゴスラビアは七つの「独立国家」となって分解した。スロベニア、クロアチア、ボスニアヘツェゴビナ、セルビア、コソボ、モンテネグロ、北マケドニア。バルカン半島には、もう一つユーゴに加わらなかったアルバニアがある。
こうした事態の出来はNATOの失敗ではなかったのか。
米軍は上空五千メートルから「介入」した。ベオグラード空爆では国防省ビルなどが残骸となった。日本大使館のとなりにあった中国大使館も「誤爆」された。
結果、セルビアだけが悪役となって「民族の英雄」とされたミロセビッチ、カラジッチが国際法廷で裁かれた。
こうした措置にユーゴスラビアの首都を置いたセルビアが反発し、ロシアとの関係を強化した。セルビアのジェノサイドだけが悪かったのか。ではクロアチアやボスニアの残虐行為が不問とされたのは、矛盾していないのか。
そしてこの紛争では想定外に「コソボ」が独立という奇妙な結末となった。このとき西側は「コソボ独立」を支持し、支援したのである。現在もコソボの治安を護っているのはNATO軍である。最大の裨益はアルバニア。なぜならコソボにいつの間にかセルビア人が激減して、アルバニア系が多数派となっていたからだ。
つまりコソボ独立を「民族自決」の原則で支援したわけだから、それならドネツク、ルガンスク自治州の「独立」を西側は認めなければ矛盾ではないのだろうか?
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【無名戦士と霊璽簿】
かなり久しぶりに靖国神社を詣でた。 社会情勢相応ということで、新型コロナウイルスの問題が生じてからは足が遠のいていたのだが、やはりウイルス対策のためか、昇殿参拝のやり方など相当簡略化されていて、これからこういうお参りごと全般、果たしてどうなっていくものなのか、いろいろ考えさせられるところがあった。 ところで今、社会の大きな関心事は自民党の総裁選である。また総選挙も近いので、次代の日本の政治指導者は誰になるのか、また、そこに擬せられている人々はどういう政策をとるものなのか、メディアなどでは日々盛んに取りざたされている。そうした際に日本の各メディアが定番のように発する、「もし総理大臣になったら、あなたは靖国神社に参拝するのか」云々といったことも、また日々、各種のメディアで取り上げられている。 日本の政治家はなぜ靖国神社に行くのをためらうのか。いろいろな理由はあるけれども、ようするにこれは、「外国から『第2次世界大戦以後の世界秩序に対する挑戦だ』と批判されることを恐れている」といったことに、最終的には尽きていく問題である。かつ、特に多くの自民党の政治家にとって、その恐るるべき外国とはアメリカ合衆国ただひとつであって、間違っても中国や韓国ではない。ただそれゆえに、自民党支持層の間からは「アメリカの靖国参拝批判は、『あなたの国にも(戦死者の追悼・顕彰施設である)アーリントン墓地があるでしょう』といったふうに、意を尽くして説明すれば、理解されて解消するはずだ」といった、期待にも似た意見が常にある。しかしどうも、この自民党総裁選の行われている中で久々に靖国を詣でてみて、あらためて「この問題は本当に難しいなあ」ということを、感じたのである。 周知のように、靖国神社とは戦没者の遺骨、遺体などが、具体的に埋葬されている場所ではない。あくまでも「概念としての英霊」が、祭神としておわす社である。 一方でアーリントン墓地は、まさにその名が示すように文字通りの墓地であって、多くの米国政府、米軍関係者の遺体が、実際に眠っている場所だ。ただアーリントン墓地において、そうした個別具体的な墓のある区域というのは(ジョン・F・ケネディ大統領のような一部著名人のものを除き)、その故人の関係者など以外はほとんど足を運ばない場所であり、実際結構閑散としている。 時々の合衆国政府高官や、外交で訪れた他国の政治家などが訪れ、献花などをするのは、あくまでアーリントン墓地の一角にある「無名戦士の墓」という場所なのだ。ここには現在、第1次世界大戦、第2次世界大戦、朝鮮戦争の3つの戦争で戦死した、身元を判別することのできなかった米軍の戦死者の3つの遺体が、そのほかの墓地とは別格の扱いで埋葬されている。そこではアメリカ軍から特に選別された優秀な兵士が、365日、24時間、衛兵として厳格に警備をしていることでも有名だ。 政治学者のベネディクト・アンダーソンは、この無名戦士の墓の意味に関し、主著ともいえる『想像の共同体』の中で、非常に有名な解説を行っている。彼ら無名戦士は、名前や顔はもちろん、出身地や正確な人種なども、判別することができない。彼らに残されているアイデンティティとは、ただ「アメリカ合衆国のために戦い、命を捨てた」という事実だけだ。移民たちが人工的につくり上げた実験国家とされるアメリカにとって、この無名戦士の属性とは、全国民が最も等しく仰げるものであり、ゆえにアンダーソンは無名戦士の墓をして「これほど近代文化としてのナショナリズムを見事に表象するものはない」と言ったのである。 であるから、この無名戦士の墓にはかつて、ベトナム戦争での戦死者の遺体も葬られていたのだが、後にDNA鑑定で身元が判明し、掘り返されて別の場所に移されてしまった。そして、最近は軍の名簿の管理もITなどを入れて厳格なものになっているし、またDNA鑑定の技術なども進んでいるから、今後のアーリントンに「新しい無名戦士」は加わらないだろうとされている。ただ、アメリカはその国家の統合の象徴として、恐らく未来永劫この3体の「無名戦士」を必要とし続けるだろうし、彼ら以外にアメリカの「近代文化としてのナショナリズム」を支えうるものもないのである。 一方で靖国神社なのだが、ここには約246万の英霊が祀られており、その数字を支えているものは、よく知られているように「霊璽簿」という、戦死者たちの名前を具体的に書き記した名簿である。 無名戦士と霊璽簿。この「無名と顕名」がそれぞれ支える戦没者追悼施設は、実はそれを成り立たせている根本的な思想において、180度違う価値観を示しているのである。 アメリカが無名戦士を尊ぶ理由としてもうひとつ指摘しうるのが、同国の国是である共和主義である。1776年7月4日、当時世界最強の王権国家だった大英帝国に反旗を翻して独立、成立したのがアメリカ合衆国である。王権的なものを否定・警戒する心情は、アメリカという国家のDNAに刻み込まれている、強烈な感情だ。よってアメリカの市民は古来、「過度に個人の業績を顕彰したりすると、個人崇拝を生んで共和政体が破壊される」という価値観を、無意識レベルで持ち続けてきた。首都ワシントンDCにある、建国の父ジョージ・ワシントンの記念碑「ワシントン記念塔」が、ただの石柱(オベリスク)であり、ワシントンの像などをまるで備えていないのも、この共和主義の精神の発露である。 もちろん時代が進むにつれて、同じくワシントンDCにあるリンカーン記念堂のように、過去の偉人の具体的な像を備えるモニュメントなども登場するのであるが、それらの多くは20世紀に入るあたり以降に建設されてきたもので、大昔からアメリカにあるようなものではない。この9月、バージニア州リッチモンドにあった、南北戦争における南軍の将軍、ロバート・E・リーの銅像(1890年建造)が撤去されるという事件があった。これは奴隷制擁護の軍隊だった南軍由来のモニュメントに向けられたBLM運動の一環として起こった出来事ではあったのだが、そもそもアメリカ人の精神の奥底には深く、「個人の名前や姿を顕彰する必要それ自体が、果たしてあるのか」という問いが、���固に存在するという事実は、認識しておいたほうがいいだろう。 また言うまでもなく、アメリカはキリスト教国である。現代ではなかなかゆるくはなっているが、キリスト教も本来は偶像崇拝を否定する宗教であり、イエス・キリストの絵や像などを崇拝することを、決して奨励するものではない。私はかつて、第1次安倍晋三政権があった時代に、ある縁から米国務省関係の人と話をする機会があって、彼から「対中国、北朝鮮といった視点などから、日本の保守勢力には期待するが、しかしわれわれはシントイズム(神道)は理解しないし、日本政治がそれに影響を受けることもよしとはしない」と、かなりはっきりと言われたことがある。また、これはアメリカ人ではなかったが、私はある保守的なクリスチャンから「神道の神々などというのは、私にはディアブロ(悪魔)のようにしか感じられない」といったことまで言われたこともある。私は彼らクリスチャンを非難しているのではない。これは結局われわれ日本人が、なかなかイスラム教を本質的に理解できないのと同じことであって、いいとか悪いとかの話ではない。 また、「分かり合えないから放っておけばいい」などというのは極めて幼稚な態度で、「さまざまな違いがある人々と話し合い、分かり合う」ための手段として、われわれは「政治」という行為を行うのである(むしろ世界の人々が均質で、簡単に理解をしあえるのであれば、世に政治などというものは必要ない)。 ただ現実として、靖国神社とアーリントン墓地の間にある溝は、一般的に思われているよりもずっと広くて深い。そんなことを今日、私は久しぶりに靖国神社を詣でて、つらつらと考えたのであった。
2021年9月26日 小川 寛大
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好きな場所
東京に来て4年半。それまで生きてきた場所とは全く違う環境でも4年半も住んでれば完全に順応して、もはやここにずっと住んでたんじゃないかって錯覚することもあるくらい。もちろんそうじゃないことは理性では分かってるけど、ここでずっと育っていたとしても違和感がないくらい東京の景色が見慣れた景色になった。映画「パラサイト」の1シーンで、豪邸の地下シェルターに4年くらい住んでたおじさんが「俺はここで生まれたような気すらしてきた」的なことを言ってたシーンがあって、それもちょっとわかる。地下に4年間は想像もできないけど。
そんな東京で自分がとにかく好きな場所が、カテドラル大聖堂と明治神宮だ。この2つは、本当に好きで何回も行くけど、何回行っても全然見慣れた景色にならない。実は何回見ても見慣れないことがそれを好きになる原因なのかもしれない。見慣れたものも好きだけど、熱狂的になるには見慣れないことが重要だったりするのでは。っていう説。


カテドラル大聖堂
これは今年の元旦に撮った写真。無加工なんだけど天気の力もあって神々しく撮れたオキニ写。帰省せず東京で年を越して、元旦の朝に歩いて行った。キリスト教徒ではないから新年最初に神社やお寺ではなく教会に行ったのは初めてだったけど、いい天気で静かな朝に神父さん(?)が聖書を読んでる聖堂の景色はごみごみした初詣よりもはるかによかった。
カテドラルは建築系の人なら必ず知っているかと思うが、丹下健三という建築家が建てた有名な教会だ。前のアパートから歩いて行けたので大学時代よく行っていた。世の中に見たい建築は無限にあるから、基本的にひとつの建築に建築を見るためだけに何度も行くことはあまりない。建築系の多くの人はそうだと思う。でもこのカテドラルだけは何度も行っている。
とにかく好きなんだけども、なんで好きなんだろう、外観はモダニズムの色や装飾のないシンプルなもので、形も単純なのに、ちょっと生き物みたいにかすかに膨らんでいるところがあるところとか、その曲面の先に切り口がそびえ立ってるところが魅力なのかも。中はもっとすごくて、RCが下から上までしかも斜めで曲線で続いて、巨大生物のお腹にいる感じがする。
私は行くたびに後ろから三列目の中央付近に座る。なぜかというと、その場所だと天井が高くて、かつ祭壇後ろの開口の上部がギリギリ見えなくてずっと上まで続いてるように見えるからだ。
こうやって好きな理由を言葉にしてみると、自分はあのシンプルでブルータリズムかつモダニズムの極みみたいな感じが好きだと思ってたけど、実はその生き物みに惹かれていたのかもしれない。とにかく好きだ。

明治神宮
明治神宮の良さを知ったのは去年くらいで、代々木公園とか原宿渋谷とか周辺はよく行くのに明治神宮には入ったことがないな、と思って入ったら圧倒された。何に圧倒されたかというと、本殿ではなく鳥居と森だ。
生い茂る木の中で堂々としている鳥居が格好良い。それぞれの強さのバランスがちょうど良くて格好良い。
ほんとうの森は怖い。自分の出身地である大岡の森とか。得体の知れない恐怖、迷子になりそうで、人の気配がなくて、何かに遭遇したら怖いけど遭遇しないことも怖い、そんな感じ。
逆に、都市の森は威厳がない。丁寧に管理して、自然の持つ恐怖の一切を消してるから、魅力まで消してる感じ。ちょっと違和感。
神宮の杜が何がすごいかっていうと、この間をちょうど良く攻めているところ。自然の魅力はそのままで、恐怖をちょっと持ちつつそれを魅力に思えるギリギリで止めてる感じ。そのギリギリさが、多分鳥居とかのドーンとした人工物で保たれてる。ほんとうに格好いい。
なんでこのギリギリの感じが作れるのかというのは、まず森にはほとんど手を入れていないらしい。だから都市の森っぽくない生命力はたぶんそこから来てる。逆に生命力のある森なのに怖すぎないのは、ひとつはさっき書いた鳥居とかの人工物のおかげだと思う。もうひとつは、立地と地形だと思う。立地はもちろん駅近とか電車の音とかそういうことに関係するんだけど、それよりも地形が重要だと思ってて、あんな平らな森は少なくとも日本にはほとんど存在しないから、その違和感がこの感じを作ってるんだと思う。
社会人になってから好きな場所にフラッと行くことが少なくなった。平日は時間に縛られて、休日はせっかくの休日なんだから目的を持って生きなきゃいけない気がして、無目的に好きな場所に行けない。カテドラルが徒歩圏内じゃなくなったのが悲しすぎるから徒歩圏内にそういう場所を見つけたい。
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