#三条市の伝統文化を繋ぐ体験会
Explore tagged Tumblr posts
legal-dream · 1 year ago
Text
ハイパー越境観光案内所『INTA-NET』 / 京都三条の路地奥
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
▼『INTA-NET』が目指す、新しい観光の形
はじめまして。『INTA-NET』運営チームです。
私たちは、時代・コミュニティ・文化圏の境界線を超える、「ハイパー越境」な観光を実践する “観光案内所” を、京都の三条京阪につくります。
『INTA-NET』は、カフェ/Bar、ショップ、ラジオスペースを持ち、かつてのインターネット掲示板のように、その日居合わせた人と交流を楽しんだり、京都でオススメの場所や集まりについて情報交換する空間です。
かつて2000年代前後のインターネットは、世間の常識にうまく馴染めない人たちの「逃げ場」でした。掲示板でのやりとりや、個人サイトが張り巡らされたハイパーリンクのなかで、ゆるい連帯感で集まった人たちが交流していました。
キュレーションされていない、カオスな情報で溢れていたあの頃。インターネットはいつだって、私たちの物足りない日常を満たしてくれる、新しい出会いと発見がある場所でした。
私たちがつくる観光案内所は、いわば掲示板のスレッド。
そこから先にどんな物語が生まれるかは、訪れる人次第です。
誰もが立ち寄れて、それぞれが知っている京都について語り合い、旅の遍歴(ストーリー)を集積する。
たまたま出会った人と語り合い、一緒に街歩きするなかで、普通の観光ではアクセスできない街の「境界線の先」を探していく。
私たちは、そんな場所をつくります。
▼誰が運営しているのか
私たちはこれまで、台湾���台北でアートスペースの運営や、世界各国の”カワイイ”をキュレーションしたポップアップなどを行ってきました。
まずは、鈴木宏明と神明竜平が共同代表を務める「スーパーゴリラパワー合同会社」。
2019年、台湾・台北にアートスペース『空屋』をオープン。これまで台湾と日本のアーティストの橋渡しとなる展示などの企画を実施・受け入れしてきました。
空屋を起点に今後もアジアのネットワークを広げて、『INTA-NET』でコンテンツをお披露目していく予定です。
台北のアートスペース『空屋』
続いて、「越境カワイイ」を提唱し、世界各国でのキュレーションや商品販売を行うクリエイターチーム・メンメイズ-menmeiz-
menmeizビジュアル(by moe_magmag)
世界中の「カワイイ」をディグり、これまでラフォーレ原宿やSHIBUYA TSUTAYA、阪急うめだなどでポップアップショップを開催し、今回の『INTA-NET』が初のリアル店舗展開となります。
阪急梅田ポップアップの様子
▼なぜ京都なのか?
私たちはこれまで、台湾や韓国、タイ、インドネシアなどのアジア圏に関心を持ち、活動をしてきました。
毎月のように飛行機に乗り、新たなスポットで現地の人と交流していましたが、それができなくなった2020年。 改めて日本に興味を持ち、京都に焦点を当て、街の人たちやお店と交流を続けてきました。
そのなかで気づいたことがあります。
京都には、普通の観光では垣間見れない文化や歴史が、地下水脈のように流れているのです。
数百年前の鴨川の様子
戦後大きく変わる国を憂い、西部講堂や吉田寮で起こった学生運動。
文豪たちが夜な夜な集い、議論を交わした居酒屋。
名だたる著名人が遊びに来る、一見様お断りの舞妓や芸妓の世界。
先人たちの文化に誇りを持ち、伝��を守りながら生きる人々。
『四畳半神話大系』や『鴨川ホルモー』で描かれるような、歴史とファンタジー入り混じる世界観も、京都から生まれています。
さまざまな時代・コミュニティ・文化が混在する京都で、「境界線」を超える観光の在り方を探っていきたい。まずはリアルな場所を京都につくり、その可能性を追求していきます。
京都の夜は次元を超えた境界線の先に行けそうな気がします
▼店舗について
『INTA-NET』の建築にあたり、建築家の甲津多聞氏と、都市研究家の清山陽平氏に、今回の空間を設計していただきました。
(建築設計テーマ企画書を、SlideShareにて公開しています。画像をクリック、もしくはこちらのリンクから飛びます。)
観光案内所の、具体的な用途は以下です。
①カフェ&BAR
『INTA-NET』の一階では、アジア各国のドリンクや、お酒を提供する予定です。みんながゆるっと集まり、旅の想い出や、ひとりひとりの遍歴を語るスペースをつくります。ここは貸し切りでイベントも開催可能です。
②ショップ・ギャラリー
また一階では、menmeizをはじめとするクリエイターやグッズ、また世界各国からキュレーションした音楽やブランドなどをスーベニアとして展開・販売します。またギャラリーとして、京都や海外アーティストの展示も実施。日本文化の発信元と言える京都から、世界をつなぐ新たなカルチャーを創り、広めていきます。
③観光案内所
『INTA-NET』を運営するなかで発見した、オススメの場所やコミュニティを紹介するツアーをつくります。また、運営メンバーはアジア各国と繋がりが深く、台湾・韓国・インドネシア等と提携したツアーも展開予定です。*1
④ラジオスペース
お店の二階にはラジオスペースを配置。「これからの観光」をテーマに、京都の街や観光に詳しい人たちを招待し、Podcast等で発信を行う予定です。
また紹介制でラジオスペースにフリーアドレス席を使える仲間を集めていく予定です。
ちなみに、「観光案内所」としてはこんな企画を考えています。*1
・伏見・旧遊郭地帯を巡る旅
・狩猟体験
・左京区カウンターカルチャー会
・山寺修行/座禅体験
・台湾のディープなツーリズム紹介
・インドネシアのオルタナティブスペース紹介
…などなど。ツアーを企画したい人と、京都で遊びたい人をプラットフォームとしてマッチングしていきます。
0 notes
toshi---toshihikonakazawa · 4 years ago
Photo
Tumblr media
⁡ ⁡ ⁡ 【夏休みに伝統文化体験はいかがですか?!】 ⁡ 新潟県三条市で7月31日、8月1日に行われる、 『伝統文化を繋ぐ体験会』 ⁡ イベント企画、主催をさせて頂きました! I’m going to host a summer event for kids in my hometown. Supported by Agency for Cultural Affairs, Government of Japan. ⁡ 大きな会場を贅沢に借りて、その中で更に限定10名という制限を儲けさせて頂き、講師の先生方と一緒に体験を行います。 ⁡ 外部で行うイベントなどは軒並み中止になっている今、この機会に夏休みの子供の思い出作りや、普段体験できない地域の伝統文化体験に、 遊びに来てみて下さいね!そして、完全無料です😊 ⁡ 詳細はフライヤーの連絡先から、もしくは僕に直接連絡でも大丈夫です。 ⁡ ⁡ 夏休みの自由研究の一つとしてはいかがですか? 今後も色々な形で文化、芸能を今後も届けたいと思いますので、 是非、地域のお子さまやご家族などにもご紹介して頂けると嬉しいです! ⁡ ⁡ ⁡ ⁡ #三条市の伝統文化を繋ぐ体験会 #新潟県 #三条市 #三条 #新潟 #篠笛
#和太鼓 #凧揚げ #大名行列 #伝統 ⁡ #お祭り #行事 #イベント
#文化庁 #子供たちのための伝統文化の体験機会回復事業 #子ども大名行列
#燕三条
#小学生
#子ども
#NPO法人えんがわ
 #コドモ未来Edutainment
#無料
#世代
#伝統芸能
#伝統文化
#sanjo
#niigata

 (Sanjo, Niigata) https://www.instagram.com/p/CRWQSieCyxm/?utm_medium=tumblr
0 notes
kiitatakita · 6 years ago
Text
聴講メモ #JILIS_PFC #JILIS 「第2回JILIS情報法セミナー in 東京」 就活サイト「内定辞退予測」で揺れる“個人スコア社会”到来の法的問題を考える 〜現行法の解釈における課題と個人情報保護法改正への提言〜
聴講時に入力したメモです。断片。配布資料等からのメモも引用符はありません。 聞き取り間違い等、あります。おかしな部分は記録者のせいです。
開催案内:https://www.jilis.org/events/2019/2019-09-09.html      https://jilis-tokyo-02.peatix.com/ 主  催:一般財団法人情報法制研究所(JILIS) 共  催:情報法制学会(ALIS) 日  時:2019年9月9日(月)14:30〜18:30(受付開始14:00)      ※台風による交通への影響で、当初予定より1時間繰り下げ 会  場:一橋大学 一橋講堂
(以下、敬称略)
総合司会: 白石 紘一 弁護士(東京八丁堀法律事務所)
開会挨拶  鈴木 正朝 情報法制研究所(JILIS)理事長
台風のため、当初予定より1時間遅れのスケジュールとなる。 投書企画した時点では、これほど広範な問題となるとは考えていなかった。会場を急遽変更した。 各省庁の指導、記者の質問等により、省庁横断で検討されるようになった。事実の方がどんどん先に進んでいる。思いのほか、役所にスピード感がある。 業界全体に及ぶ様々な問題点が浮かび上がっている。本件問題は台風のように多くの企業を巻き込んだものになると思われる。 法の支配が隅々に及ぶように、このセミナーが本件検討のキックオフとなるようにしたい。
※個人情報の保護に関する法律第 42 条第1項の規定に基づく勧告等について  令和元年8月26日 個人情報保護委員会  https://www.ppc.go.jp/files/pdf/190826_houdou.pdf
1.パネル:就活サイト「内定辞退予測」問題とは   司会:山本 一郎 JILIS上席研究員   板倉陽一郎 JILIS参与・弁護士・理化学研究所AIP   鈴木 正朝 JILIS理事長・新潟大学教授・理研AIP   高木 浩光 JILIS理事・産業技術総合研究所主任研究員
や 今回の問題については、一企業の問題に限らないものと考える。事実関係について話しを進めていきたい。 た 本件事案については、企業が就活生の情報を集め、企業に辞退率を算出して提供していたというものである。
や 報道としてはクッキーで串を刺したということだが。
た どうやって紐づけるかというのが問題だが、配布したアンケートに個人IDをつけて紐づけるという例が出されている。
や 完全な個人突合になるのでは。
た 前年度実績から辞退者リストを企業からもらい、そのリストの人の閲覧履歴を用いて機械学習を行い、今年度の候補者リストも企業からもらい、辞退予測スコアを算出ということであるらしい。
や 個人情報保護委員会がもう一段、重い処分を下すのではないかという話があるが。
た スコアの正確性、スコアの採用への利用の有無など、解明してもらいたい。
た 求人企業側への失効が行われていないので、処理を行った企業としても何も言えないということではないか。 2019と2020ではスキームが違うという釈明をしているが。
す 各省庁ごとの個人情報のとらえ方はそれぞれの法目的により違っていていい。
や 今回、読売新聞で酷い事例が報じられたが。
た 書類選考の段階でことごとく落とされた。当該学生は国家公務員試験も受けており、処理企業のシステムにもそれを登録していた。それが原因ではないかという疑問が出ている。
す 何が問題であったのか、立証しにくい問題であるからこそ、個人情報保護法の形式的なところで縛っていくべきものではないか。
や 個人情報保護委員会の勧告・指導の内容についてはどうか。
い 勧告はプライバシーポリシーで確実な同意を得ていないという点。安全管理措置については分別管理の問題と、プライバシーポリシーをきちんと直していないという問題を挙げている。自社に適用される法律の理解もされていないと。 旧スキームではプライバシーポリシーに第三者提供について記述はあるが、委員会は不十分であると。 厚労省は指導自体が公表されていないが、旧スキームの方も適法ではないとしている。秘密保持に触れると。
や 職業安定法についてはどうか。
た 業界団体あての「募集情報等提供事業等の適正な運営について」という文書では「あらかじめ明示的に指定された客観的な条件に音づくことなく、募集情報等提供事業者の判断により選別または加工を行うことは認められないこと」と指摘されている。本人同意があっても直ちに違法状態は解消されないと。
や ���述がやや、曖昧に感じられるが。
た 労働分野の個人情報保護について安全管理措置のみ重視しているように読めていたが、指針をもって、ここまで踏み込んだと。
い ガイドラインが少なくなったところか。
す そもそも論として、本質的な業務とは何かとの𠮟責ではないか。立法事実が起きてしまった以上は、個人情報保護法も労働法も、検討をしなければならない。また、1社ではなく、業界全体を対象として指導ではないか。ユーザー企業側も点検が必要だろう。
い スキームが組めていないというのが個人情報保護委員会からの𠮟責に含まれている。そもそも、同意されるわけがない。これを受けて、厚労省の処理があったのは妥当ではないか。人事労務部門は法律の検討が甘い。 人事のKPIが辞退率であれば、母数を大きくさせるというやり方は武器商人と同じではないか。
や 厚労省がこの期に及んで、やっと問題にしたというのは違和感がある。
い 雇用の個人情報保護ガイドラインが無くなったのは気の毒なことではある。が、規範がある以上はきちんと運用しなければ。
や 就職情報サービスの寡占性については公取も問題にし始めた。対消費者問題ではないかとの声もあるが。
い 欧州や米FTCは消費者も独禁法で扱う。どこまで公取が扱うかは切り分けが難しい。
た パブコメにかけられた指針案を見ると、データによる不利益選別は入っていない。提供、取得はそれを間接的に守るためのものではないか。
す 公取の個人情報の捉え方が、財産的に見えるところが気になる。
や 処理企業は個人情報のとらえ方をなぜ勘違いしたのか。
た IDを使って突合しているので個人情報ではないという捉え方をしていた。新スキームでも氏名をハッシュ化しているので個人情報ではないととらえていた。個人情報保護委員会も旧スキームのIDによる突合を問題視していない。
す 推測だが、個人情報保護委員会はクッキーIDについて踏み込むとアドテクに被弾するので、もう少し整理したいと考えているのではないか。個人情報の定義がふらふらしているのであれば、ガイドラインをしっかりすべき。
た クッキーについては改正時に先送りされた。アドテクは人ではなく、ブラウザに紐づけることを厳守していた。今回の事案はもろに人間に紐づいている。
や 今回の事案は統計データであって個人データではないとの声もあるが。
た 一人一人のデータである以上は個人データである。個人情報は不変情報であるとの考え方が見受けられるが、採用区分や特性等も個人情報である。
や 人材会社は評価は個人情報ではないとよく言ってしまうが。
す 一人一人のレコードに突っ込んだものは全部、個人情報である。
い 議論の前提がGDPRになってきているので、スキームを組むにはGDPRを指標とした方が楽である。
た 「個人情報」ではなく、「個人に関する情報」あるいは「パーソナルデータ」とした方が良いのではないか。
や 処理企業のやったことを擁護する声があるが。
た 同意されないような内容の事業は、本来、生まれないはずである。ルールは何のためにあるのか。
や 今回、情報を他のサイトのものも含めて突合してしまったことが委託ではなく第三者提供ではないかとの声があるが。
す コールセンター企業で切り分けの問題があった。これを安全管理上、塀を立てるように持って行った。しかし、本件は委託で処理すべきものであるか。漏えい等の問題となるのではないか。
た 混ぜるな危険はガイドラインで明言されている。処理企業の同業他社は別のやり方をしていると弁明している。エントリーシートを解析しているとのことで、混ぜずに機械学習をさせているのであれば、適法だろう。但し、当該企業が氏名を抜いているので個人情報ではないと言っていることは不味い。
す suica事案と同じ問題を孕んでいる。
や 求人企業側は自分達の問題ではないとみている節がある。
す controller概念が希薄である。
い 結局、何と何を混ぜたというと、受託企業のデータを発注企業のものと混ぜたということ。
す 委託先の監督義務と言いつつ、受託側にスキルが集約されているので、監督能力がない。受託企業の責務として、適法化まで含めてお仕事であると。
や 人工知能については。
た AIの限界が明らかになったと思う。ワトソンで足切りした例は、人間が処理したものと同じ結果になるまでやり、違う結果になったものは改めて人間が見ている。辞退可能性のような複雑なものは人間が判断できるか。公平性という観点が出てきている。偏りを排除したデータ分析が研究として出てきている。正確かつ公正なAIが出てきたとして、どうしても寡占化してしまう。たまたま外れている人はどうなるのか。
や 健康情報や教育に関わる者もこれからは問題になっていくのでは。
す 現状の手続き的規定の中で、きっちりと捌いていくものと、人権侵害に係るようなものについてはきっちりと。
や 人材会社同士で生データを回しているという話がある。
2.報告:就活サイト「内定辞退予測」問題と経済法・経済学   依田 高典 京都大学 大学院経済学研究科 教授   ※資料「行動経済学から迫るプラットフォーマー規制:リクナビ事件を題材として」    https://onedrive.live.com/?authkey=%21AIXzYqvkjEj6Tzk&cid=B93AFBB89AE46138&id=B93AFBB89AE46138%21288&parId=B93AFBB89AE46138%21251&o=OneUp
内閣官房デジタル市場競争本部(仮称)「デジタル・プラットフォーマー取引透明化法(仮称)」を来年の国会提出を目指す。
GDPRでは反トラスト等については飛躍がある。が、従来の法理、経済学では取り扱えない部分も。
旧反トラスト法で扱えた企業と、扱えない企業 ネットワーク効果と両面市場
行動経済学と限定合理性 うまい話に飛びつく人
憲法論的、プライバシー権的な裏付けの必要性 社会的に受容されるところはどこか
機械学習によるターゲティング、プロファイリングはどこまでやっていいのか 倫理 受容 合意
経済的な取引で生じる余剰が正しく分配されているか。
プラットフォーム上で問題になるのは間接ネットワーク効果
イノベーションの芽を刈り取る間引き買収
市場独占力をどこまでコントロールできるか。
グーグルは集めた情報を他に販売していないので、取り締まりがしづらい。
限定合理性 ありの~ままで~♪
ナッジ 予防原則
ただほど高いものはない。本当は無料ではなくて、個人情報を吸い取られている。
読まれない、理解されない利用規約
「濫用の濫用」?
優越的地位の乱用は対消費者にも成り立つと言わざるを得ない 限定合理性に付け込む 両面市場における市場支配力
中小企業やプロシューマ―は? こちらは合理性基準で切り分ける
今回の事案は外に販売するので規制にかかりやすい 再発防止大事
リクナビ事件は消費者に不利益を与えかねない点で、消費者優越に該当する
企業は学生を集めるために、学生は就活するために、リクナビは両面市場性を有し、両者に不可欠性が高いプラットフォームである
リクルートにとって、個人データは仕入原材料のようなもの データ主体は対価を請求できる
損失を蒙る学生に正当な対価を支払うことなく、リクルートは経済的利益を貪った点で、優越的地位濫用に該当する経済事件性がある
機械学習を使って個人データから推定値を計算する時に、情報提供者が現状よりも不利益を蒙らないような経済的保証が必要である
経済学では「現状維持公正性」と呼んだりするが、現状維持公正性を満たす経済的保証の制度的担保が必要ではないか。
無料・両面市場ビジネスのからくりを分かりやすく周知し、市民の理解を得ないと、プラットフォーマー規制は功を奏さないだろう
プラットフォーマー規制は、ネットワーク効果、限定合理性、プライバシー権、人工知能と倫理の4本柱を総動員する必要がある
反トラスト法が完成するまでは100年かかった。
3.報告:就活サイト「内定辞退予測」問題と労働法   倉重公太朗 弁護士(倉重・近衞・森田法律事務所)
※本事案についての厚生労働省通達  職発0906第3号、同第4号 令和元年9月6日  募集情報等提供事業等の適正な運営について  https://www.mhlw.go.jp/content/000545728.pdf
こんなに職安法が注目される日が来るとは思わなかった。
サイト側 職安法における個人情報保護の問題      有料職業紹介事業該当性の問題      有料職業紹介事業許可基準の問題
求人企業側 職安法上の個人情報保護の問題       「公正な採用選考」の問題
顧客情報、従業員情報に属さない求人者情報 エアポケット
女衒、タコ部屋問題から規制��
あっせんの定義はあいまい
募集情報等提供事業は職業紹介よりも緩い
緩いけど報告徴求できる
有料職業紹介なら刑事罰ある
職業紹介なら求人求職管理簿の作成・保管義務あり
「あっせん」求人者と求職者との間を取り持って雇用関係の成立が円滑に行われるように第三者として世話すること
募集情報提供事業者でも、事業全体としては職業紹介に該当することがある
ヘッドハンティングも「世話」
雇用仲介事業等の在り方に関する検討会 第8回(h271125)
民間企業が行うインターネットによる求人情報・求職者情報提供と職業紹介との区分に関する基準について h120727 職発第512号都道府県労働局長あて労働省職業安定局長通知
なにが選別加工?
今回適用されたのは職安法51条
マッチングシステムと職業紹介該当性の問題  「連絡」の範囲
求人企業側「公正な採用選考」との関係  憲法14条  本籍地の調査、身元調査などはそもそも取得することがふさわしくない情報とされている  同意を取ればいいという問題ではない
「内定辞退率」  情報の制度、前提となる情報の範囲、検証可能性、差別的取り扱いの有無などにより「そもそも取得することがふさわしくない」か否かを判断すべき。
そもそも本件問題は日本型雇用に起因する
採用担当にとって自分の評価になるとなれば無理が起こる
内定後の引き留めに用いる可能性は、目的を明示した上であれば可能な余地があろう
「雇用仲介事業等の在り方に関する検討会」報告書(h280603)
重要なのは労働条件の明示と個人情報の取扱い
何を守って何に生かすのかという観点から関係省庁が連携して検討することが必要
フェアに、どの情報を、何の目的で利用しているか、堂々と明示できないサービスは存在すべきではない。 →堂々と利用目的を説明できるかが問題
4.個人情報保護法の観点から提言(次期改正への提案)   高木 浩光 JILIS理事・産業技術総合研究所主任研究員
差別的な取り扱いの禁止 人権侵害的な行為を防止
どこで線引きするかは難しい→データによる人間の選別に着目
プロファイリングへの対応にもつながる
個人情報保護法の限界  利用目的の特定はどこまで書けば適法なのか  容易照合性の解釈、未だ定まらず
求人企業側の問題としての限界  スコアの利用目的を特定していたか(取得について)  マイナビ利用者ではどうか 委託なので取得に当たらないとして、特定していない疑い
選別 法目的の明確化    利用定義の復活
評価情報作成 個人データ化する時点を取得とする
個人情報とは何か 「容易に照合することができ」を昭和63年法の初期案に戻す 容易照合性    個人データ定義に「(構成することを予定しているものを含む)」と明確化
読まれないスタイルのプライバシーポリシーの横行  利用目的を事業者単位からサービス単位へ変更
統計量として傾向分析に使われるか、自分を選別する材料として使われるか
データプライバシーの保護
利用のカテゴリ  統計量への集計の入力とする GDPRでは明示的に除外 行政機関個人情報保護法も除外  連絡する  データによる選別をする ターゲティング広告 優先サービス提供 人事評価   いわゆる「プロファイリング」も手段として含まれる  第三者に提供する  サービス提供に用いる
社会保障・税番号大綱  選別されて差別的に取り扱われたりするのではないかといった懸念
労働者の個人情報保護に関する行動指針  個人情報のコンピュータ等による自動処理(中略)の結果のみに基づいて労働者に対する評価又は雇用上の決定を行ってはならない  ※後年のガイドラインには入れられていない
本人の関与しないところで作られたプロファイルによる選別
中間整理  利用停止請求権の強化が予定されている  ターゲティングを拒否するが、ただのダイレクトめーつは認めるという利用停止が可能になる(日経リーク)  事実上のプロファイリング対応と言えるか
問題点  利用目的にプロファイリングの事が書かれていないと、利用停止を求めることもできない
今回提案と併せると  「データによる選別」が利用目的として特定され通知・公表されていれば停止請求できる
評価情報の生成は取得ではない?  問題とすべきは「個人データ」(レコード)の「列」に「要配慮」相当のものを作る(同意なく)こと  入力するところではなく、出力(使う)準備をするところで縛るべき
評価情報の生成は属性の追加である  追加時に利用目的を特定
列に入れる時点を取得とするように解釈を変える
データによる選別を「データプライバシー」の問題と捉える
個人データ定義の明確化  容易照合 昭和63年案では当該機関が保有する他のファイルまたは台帳等と照合することにより識別できる  現行法でも本事案は容易性に該当するはず  DBに格納する前段階のものは「個人情報」とされている 欧州では予定されているものも個人データ
利用目的をサービス単位へ
5.登壇者の総括コメントと質疑応答   司会:山本 一郎 JILIS上席研究員   依田 高典 京都大学 大学院経済学研究科 教授   倉重公太朗 弁護士(倉重・近衞・森田法律事務所)   板倉陽一郎 JILIS参与・弁護士・理化学研究所AIP   鈴木 正朝 JILIS理事長・新潟大学教授・理研AIP   高木 浩光 JILIS理事・産業技術総合研究所主任研究員
板 自分のところの適用方が分からないのではという𠮟責は個人情報保護委員会にも戻っているのではないか。指導案件で終わらせず、改正議論に繋げたい。
い 自社利用で表に出なかったら叩かれなかったのではないか。一社をいじめても仕方ない。
く 恣意的な行政であってはならない。基準を明確化すべき。
す 法律家だけで立法政策をすることに限界を感じる。欧米の規律から離れていて、結局はGDPRをみて仕事をすることになってしまっている。ルールを明確化して攻めていかないとGAFA対応どころではない。
た 単純なルールの導入でも一歩ずつ
や GAFA対応について公取が対応すべきとのことだが。曖昧さが疑心暗鬼で真面目な企業を縛ることをどうやって防ぐ。
い グーグルやアマゾンが取引データを採用や差別的取引に使っていたとして、それが問題になるか。
や 日本でケンブリッジ・アナリティカのような問題が起きたときにどうなるか。国内事業者だけが縛られるのではないか。海外に無制限に情報が流れるのでは。
板 GAFAは国内にない。GDPRは代理人を置くことを義務付け、懲罰的な罰金を科すことでテーブルに引きずり出している。呼んでも出てこない日本。
く デジタル労働の問題もある。契約がなくてもワーカーということがある。実効性のある規制をどうするか。 板 デジタル労働とはランサーズのようなものを指す。個人労働者なので、組合を作るとカルテルになるという人もいるが、それはどうか。
や 情報から出てきた話がどんどん広くなっている。設計の組み合わせ方の妙味とは。
た GAFAは自社で持っていて外に出さないから問題にならないと言うが、自社の従業員に使ったらどうなるかというのは面白い論点だと思う。ユーザーと従業員を混ぜてはいけないというのはなぜか。
板 それぞれプライバシーポリシーの立て方が違うので、混ぜないというのが良いと思う。ただ、従業員向けのものが遅れている。
く 要配慮情報の推知はどうなるか。同意を取ればいいというものではないのでは。
や 哲学の部分が凹っと抜けているので、対外対応が難しいのでは。
す 本人同意は自明のように思われているが、民法のものと同じではない。個人情報保護法では本人関与の仕組みである。設計上の理論が詰まっていない。インフォームドコンセント的なものを求めるが、それを法に落とし込めるか。
や 多くの法が絡んでくる。
す 複数の法に情報の取扱いの問題が出てきている。情報法プロパーだけでは対応できない。
や 横串が必要
す 潮目が変わってきており、今後どう、手を打つか。
板 欧州でも独禁法との絡みがある。それを追っかけて行ってもしょうがない。FTCは分厚いケースの積み重ねがある。日本でも指導、勧告等を積み重ね、それを検討していくのが良いのではないか。
す 論点の創出機能はメディアの仕事。
や 現在、公取が積極的に出てきているが。
い 中身がスカスカ。たためない風呂敷でも、何か動かなければならないのが公取の立場。社会的必要もあり、手伝っていくしかないのでは。事例の積み重ねで議論をし、コンセンサスを得て、アップデートしていく取組みをしていく必要があるのでは。本事案の処理企業だけを叩けばいいのではない。イコールフッティングを考えていかないとGAFA対応はできないのでは。
や 何をもってフェアネスとするか。脊髄反射的に叩いて終わらせるのでは駄目。
い どこが悪かったかをひたすら探し、そこを叩いていくだけでは何も良くならない。小さな改正でも予防、原状回復を。
く 堂々と目的を言えないビジネスモデル自体が駄目。どうなるのか分からないまま同意しても意味がない。
や とりあえずとってやれ的なところはある。
た データの活用という話を混ぜてきて、利益を出そうとしてきているのがPHRではちょっと危ないなと。拙いのはエドテックで、学習データを電子化して使おうという人がいるが、漏えいだけを問題視している。教育の分野で出てくる履歴を使って、本人にどこまで影響を及ぼすかを議論しなければ。個人情報保護法では透明性の確保しかできない。
す ヤフーに呼ばれるまで4年かかった。
い データ主体が利用結果を聞い���ときにびっくりしないようにすれば問題は起きない。自分たちの利益だけに目を向け、想像力が欠けていたことが本事案。出発点で国民目線、消費者目線に立ち、何か問題が起きたときに手当をできるようにすべき。
板 想像を絶するようなことをするときは同意を取らなければならないということ。やる前にじっくり考える。B2Cでは顧客に嫌われたらおしまい。
閉会挨拶 江口 清貴 情報法制研究所(JILIS)専務理事
3 notes · View notes
munch-ghosts-ibsen · 6 years ago
Photo
Tumblr media
作品概要
第七劇場 × 愛知県芸術劇場 × 愛知県美術館 ムンク|幽霊|イプセン 原作:エドヴァルド・ムンク、ヘンリック・イプセン 構成・演出・翻訳:鳴海康平 ムンクが描いたイプセンの「幽霊」。
愛知県美術館に2016年に収蔵されたムンクが描いた《イプセン「幽霊」からの一場面》と、そのモチーフとなったイプセンの「幽霊」。ノルウェーが生んだ2人の巨匠が残した作品を原作に、第七劇場が愛知県芸術劇場と愛知県美術館と協働し、パフォーマンス作品を上演。
※本作品は、愛知県美術館[コレクション展]展示室内でのモノローグパフォーマンスと、愛知県芸術劇場 小ホールでの演劇作品「幽霊」上演の2つのパフォーマンスが実施されます。
会場 愛知県美術館[コレクション展]展示室4 愛知県芸術劇場 小ホール
名古屋市東区東桜1-13-2 地下鉄東山線または名城線「栄」駅下車、徒歩5分 (オアシス21から地下連絡通路または2F連絡橋経由) ⬇
日程 美術館パフォーマンス 2020年1月8日(水)〜13日(月祝) 劇場パフォーマンス 2020年1月10日(金)〜13日(月祝)
※1月9日、高校生招待ゲネプロを実施。詳しくはこちら。 ※託児サービスあり。詳しくはこちら。 ※1月9日、ゲネプロにて「あなたの感じた『幽霊』を描こう!」企画を実施!詳しくはこちら。 ※美術館パフォーマンス上演時間 約20分 ※劇場パフォーマンス上演時間 約90分 ⬇
出演
[劇場パフォーマンス] 木母千尋、三浦真樹 桑折現 山形龍平、諏訪七海
[美術館パフォーマンス] 菊原真結 上条拳斗、藤沢理子、藤島えり子、松本広子、三木美智代 ⬇
スタッフ
舞台美術:杉浦充 舞台監督:北方こだち 照明:島田雄峰(LST) 音響:平岡希樹(現場サイド) 衣装:川口知美(COSTUME80+) フライヤーレイアウト:橋本デザイン室
ノルウェーを同郷とする画家ムンクと作家イプセン。その二人を『幽霊』でつなげるというのは、あまりにも話ができすぎているようにも思います。二人が見ていた、もしくは二人を見ていた幽霊とは何だったのでしょうか。今回、愛知県芸術劇場と愛知県美術館の協力で実現したこの企画では、ムンクのテキストや、ムンクを巡るテキストを中心にしたモノローグパフォーマンスを美術館で、イプセン『幽霊』とムンクが描いた『幽霊』のムードスケッチを原作に舞台作品を劇場で上演します。幽霊として浮かび上がる因習や慣習、愛や結婚、義務と自由などに対する伝統的な価値観。おそらく今の現れるその幽霊の正体に少しでも近づけられたと考えています。 鳴海康平(第七劇場 演出家)
「ムンク|幽霊|イプセン」は美術館と劇場でパフォーマンスが行われます。流れる時間も鑑賞方法も異なる二つの場所を繋ぐのはイプセンの戯曲『幽霊』です。イプセンがリクスモール(デンマーク・ノルウェー語)で執筆し1881年に発表したこの戯曲は、前作「人形の家」のノラのもう一つの姿としてよりセンセーショナルなものとして受け止められました。日本では明治40年(1907年)ドイツ語からの翻訳として紹介され、100年以上経った今も度々上演され続けています。今回の上演が《今ここにいる私たち》がムンクの作品を通してイプセンの言葉と繋がるスリリングな体験となることを楽しみにしています。 山本麦子(愛知県芸術劇場 プロデューサー)
ベルリン・ドイツ劇場の監督兼演出家のラインハルトが、近代心理劇上演のために新設した小劇場の座席数は、愛知県芸術劇場小ホールとほぼ同じ300席余り。1906年秋のこけら落とし演目として同年5月に没したイプセンの『幽霊』が選ばれ、舞台美術や衣装の色合い、演者のポーズなどを含めた全体の雰囲気イメージ画がムンクに依頼されました。ムンクが各場面に応じて何枚も描いた構想画の中でも印象的な一枚がこの作品です。視線を合わせずうつむく人物たちの顔を照らす黄緑の不気味な光、物語を支配する血の因縁を象徴するかのような赤。ムンクはイプセンの霊からの視線も感じつつ描いていたことでしょう。 深山孝彰(愛知県美術館 美術課長)
Tumblr media
エドヴァルド・ムンク Edvard Munch 《叫び》の作者として世界的に有名なノルウェー出身の画家。若い頃、故郷では評価されず、ドイツで開いた個展は保守派の攻撃により1週間で打ち切りとなる。この「ムンク事件」で有名になり、ドイツを拠点に活動。その後故郷で開かれた大規模個展にイプセン(67歳)が訪れ、ムンク(32歳)に「敵が多いほど、多くの友に恵まれる」と言ったとされる。その後、イタリア、フランス、ドイツ、ノルウェーで活動した。
Tumblr media
ヘンリック・イプセン Henrik Ibsen ノルウェー出身の劇作家・詩人。「近代演劇の父」と呼ばれる演劇史上の巨人。シェイクスピア、チェーホフと並び、現在でも世界中で盛んに上演される。19世紀当時一般的だった勧善懲悪の物語や歴史上の偉人が登場する大作から離れ、個人の生活や現実の社会の課題などを題材に戯曲を執筆。
Tumblr media
エドヴァルド・ムンク Edvard MUNCH 《イプセン『幽霊』からの一場面》 1906年 テンペラ、画布 愛知県美術館蔵 1905年、ベルリン・ドイツ劇場の芸術監督となった演出家兼プロデューサーのマックス・ラインハルトは、隣接する建物を座席数300余りの小劇場(Kammerspiele Theater)に改装。1906年秋のオープニングプログラムに、同年に亡くなったイプセンの「幽霊」を選び、その舞台美術のムードスケッチをムンクに依頼。そのうちの一つが上記の作品であり、2017年より愛知県美術館蔵。
イプセン「幽霊」
1881年発表。「人形の家」同様、センセーショナルな反応と非難を巻き起こす。愛のない結婚だが放埒な夫のもと���留まったアルヴィング夫人。夫の死後、夫の偽りの名誉を讃える記念式典を前に、息子オスヴァルがパリから帰ってくる。しかし、息子と自分、そして女中レギーネ、その父エングストラン、牧師マンデルスとの間で、因習や慣習、愛や結婚、義務と自由などに対する伝統的な価値観が幽霊のように浮かび上がる。
Tumblr media
第七劇場 Dainanagekijo 1999年、演出家・鳴海康平が早稲田大学在学中に設立。国境を越えられるクリエイションをポリシーに作品を製作。ストーリーや言葉だけに頼らず、舞台美術と俳優の身体とともに「風景」によるドラマを築く独特の舞台空間が海外で高く評価される。国内外のフェスティバルなどに招待され、これまで国内24都市、海外4ヶ国(韓国、ドイツ、フランス、台湾)9都市で公演。2006年より東京都豊島区 atelier SENTIOを拠点とする。2013年、代表・鳴海がポーラ美術振興財団在外研修員として1年間のフランス滞在から帰国後、日仏協働作品『三人姉妹』を新国立劇場にて上演。2014年より三重県津市美里町に拠点を移設し、Théâtre de Bellevilleのレジデントカンパニーとなる。 代表・鳴海はAAF戯曲賞審査員(第15回〜)。第16回大賞受賞作「それからの街」(額田大志作・愛知県芸術劇場小ホール・2017)上演の演出を務める。
【website http://dainanagekijo.org】 Photo: ワーニャ伯父さん(三重県文化会館・2019)
Tumblr media
杉浦 充 SUGIURA Mitsuru 1978年愛知県生まれ。金沢美術工芸大学彫刻専攻卒業後、ドイツ国立デュッセルドルフ美術アカデミー舞台美術専攻卒業。2011年より8年間、舞台美術家ヨハネス・シュッツに師事する。欧州を中心にザルツブルク音楽祭、パリ・オデオン座、ウィーン・ブルク劇場、ベルリーナアンサンブル、フランクフルト歌劇場などで、演出家カリン・バイヤー、リュック・ボンディ、ヨハン・シモンズ、ローランド・シンメルプフェニヒなど数々のプロダクションに、舞台美術助手あるいは共同舞台美術家として参加。現在ベルリンと愛知を拠点に活動。
⬇ ⬇ ⬇ ムンク|幽霊|イプセン 主催:合同会社第七劇場、愛知県芸術劇場、愛知県美術館 協力:長久手市、猫町倶楽部、三重県文化会館 日本語字幕協力:NPO法人 名古屋難聴者・中途失聴者支援協会 製作:第七劇場 助成:芸術文化振興基金 お問い合わせ:第七劇場 [email protected] 070-1613-7711(平日10〜18時)
Tumblr media Tumblr media
1 note · View note
afrontier-jp · 7 years ago
Photo
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
youtube
afrontier 15th Anniversary
モーション・ブルー・ヨコハマ発のジャズイベント「アフロンティア」による15周年記念のスペシャルライブ&DJイベント!アフロンティアに縁ある新旧選りすぐりの精鋭バンド、DJが一同に集結する。今回、モーション・ブルーはもちろん、隣接するTUNE、バルコニーも会場として開放。準スタンディング・スタイルで、店内を自由に行き来しながら、極上の音楽をたっぷりと楽しむことができる、開放的でラグジュアリーな空間をご用意。秋の夜長に、赤レンガ倉庫で繰り広げられる「音楽好きな大人のためのパーティー」を心ゆくまで堪能してほしい。 【Live @Motion Blue yokohama】 [Fontana Folle] Alvin(vo)、Ryuji Iida(g)、Yuki Lee(b) Guest:佐々木大輔(tp,fl)、會川直樹(ds)、山野友佳子(p,key) [河野祐亮ピアノトリオ] 河野祐亮(p)、座小田諒一(b)、木下晋之介(ds) [細川玄 Jazz Quintet] 細川玄(tp)、早坂勇真(tb)、堀越昭宏(p)、清水玲(b)、村上広樹(ds) Guest:中村智由[native](sax) 【DJ @Motion Blue yokohama】 TOJO[afrontier]、Jun Morita[afrontier]、大塚広子[key of life+] 【Live @TUNE】 [山内洋介(13souls)&Outrage Soul Band] 山内洋介(g)、土本浩司(b)、中村新史(key)、橋本現輝(ds) 【DJ @TUNE】 Takeshita[afrontier]、木村勝好[in the mix, POSSIBILITY]、 kiki[Mucho Mucho Mambo!] 【VJ】 Tasuke 【Organizer】 isao osada 開催日時:2018年9月30日(日) 開催時間:4:00p.m~9:30p.m Special Live Set at Motion Blue yokohama [5:00pm / [Fontana Folle] [6:35pm / [河野祐亮ピアノトリオ] [8:10pm / [細川玄 Jazz Quintet] Special Live Set at TUNE [5:55pm / 7:30pm [山内洋介(13souls)&Outrage Soul Band] ミュージックチャージ:¥4,500(税込) ※別途2ドリンクチケット(¥1,000)をご購入いただきます。 開催場所:Motion Blue yokohama 231-0001 神奈川県横浜市中区新港1丁目1-2 横浜赤レンガ倉庫2号館3F 045-226-1919 http://www.motionblue.co.jp/ 予約受付先:モーション・ブルー・ヨコハマ 電話予約 (045-226-1919) ※11:00a.m.~9:00p.m. WEB予約(http://www.motionblue.co.jp/)※公演当日の14:00まで ※スタンディング形式の公演となります。(一部を除く) ※ミュージック・チャージ(エントランス・フィー)はインターネット予約のお客様以外は 店頭で受付時にお支払いいただきます。(クレジットカード利用可) ※ご入場時にドリンクチケット(¥1,000/2枚)を別途ご購入いただきます。(現金のみ) ※インターネット予約の際には無料のアカウント登録が必要になります。 登録がお済みでない方は、「マイページ」より事前にご登録いただくことをおすすめいたします。 ※なお、ウェブサイトからのご予約の際はクレジットカードが必要となります。 ご利用可能なクレジットカード⇒VISA、MASTER、JCB、AMEX、DINERS ※小学生以上18歳未満の方は、保護者同伴の上22時までご入場頂けます(条例による)。 ※制服、ユニフォーム等でのご入店はお断りしておりますので、あらかじめご了承下さい。なお、未就学児、乳幼児のご入店は堅くお断り申し上げます。 公演のご予約はMotion Blue yokohama公式サイトから http://www.motionblue.co.jp/artists/afrontier/ afrontier公式サイト https://afrontier.com/news
出演者紹介 (LIVE)
Tumblr media
Fontana Folle (フォンタナフォッレ) ミステリアスな多国籍メンバーが紡ぐ、躍動する新世代のボーカルジャズ。ニコラ・コンテ、ジャザノバ、ジャミロクワイが溶け込んだような新サウンドがここに誕生。 2016年結成。日本、アメリカ、ブラジル、イタリア、東南アジアで音楽を吸収してきた多様なバックグラウンドならではの新たなボーカルジャズ像を提示するトリオ。ジャズ、ラテン、R&Bを飲み込んだ豊かなサウンドの中でSadeやGeorge  Michaelを彷彿とさせるセクシーで中性的なボーカルが音楽を彩る。 2017年4月に1st EP "PRIMA"を全国リリース。結成1年にして渋谷最大のジャズクラブJZ Bratへの二度の出演、Blue Noteグループの名門Motion Blue Yokohamaへの初出演も果たす。 2018年はMotion Blue Jakartaでの公演を中心にしたジャカルタツアーを敢行し、日本とアジア、アジアと世界を音楽で繋ぐバンドとしての大きな一歩を踏み出している。 Fontana Folle 公式サイト http://fontanafolle.strikingly.com/
youtube
Tumblr media
山野 友佳子 -Yukako Yamano-  <Fontana Folle's guest> 3歳からヤマハ音楽教室でピアノを習い始める。東京音楽大学付属高等学校~同大学へ進学し本格的に音楽を学び始める。18歳からジャズを習い、演奏活動を開始。その後、自身のオリジナル楽曲の演奏活動も開始。ジャズピアノを清水 絵理子氏に、クラシックを小高 明子氏、稲田 潤子氏に師事。また、学内にてペーテル・ヤブロンスキー氏の公開レッスンを受講。2015年6月にオリジナル曲を収録した2ndアルバム、『2nd Stage』納 浩一(ba)藤井 学(ds)をリリース、完売。2015年9月~2016年4月、『読売プレミアム』よりコラムを連載。現在多くのライブハウスやフェスティバルに出演、アジア各国・ヨーロッパ・アメリカでの海外公演や海外のアーティストと共演するなど、幅広い地域とジャンルで活動を展開している。その他、KORG Cafe Style認定講師、リー・エバンス協会研究員、"Vocal School DADA"ピアノ講師。 山野 友佳子 公式サイト http://yukakoyamano.com/
Tumblr media
河野祐亮 ピアノトリオ  Yusuke Kono Piano Trio GospelやHiphopのサウンドが香る”NY JAZZ”スタイルのピアノトリオバンド。 リーダーの河野祐亮は2011年にNYへ渡り、名門The New School Jazz And Contemporary Musicにスカラシップ合格し入学する。2014年秋に帰国し『河野祐亮ピアノトリオ』を結成。2015年にSAPPORO CITY JAZZのコンペティションでグランプリを獲得。名実ともに日本一のジャズバンドに輝く。 2016年7月から初の海外ツアーであるヨーロッパツアーを行い、世界三大ジャズフェスティバルの1つ『ウィーンジャズフェスティバル』(オーストリア)、ヨーロッパを代表するクラブ『ロニースコッツ』(イギリス)へ出演し喝采を浴びた。そして2017年にはメンバー3人で渡米し、本場NYのジャズシーンでいま大活躍するサックスプレイヤーWalter Smith Ⅲと、ビブラフォニストWarren Wolfをゲストミュージシャンに迎えブルックリンの「The Bunker」スタジオでレコーディングを行う。一流のプレイと河野のオリジナル楽曲の魅力が合わさった、珠玉のニューアルバム『Be with us』が8月30日に発売。 また、このアルバムのためにクラウドファンディングを企画。目標金額であった100万円をわずか2週間で達成し、まさにファンと力���合わせて完成させた1枚である。ディスクユニオンをはじめとする全国CDショップにて発売され、TowerRecords 都内店舗では初回入荷分がすべて完売、Amazon でも JAZZ 部門第 5 位(2017 年 9 月 3 日時点)という快挙を成し遂げた。また、このCDのリリース記念として行われた 2017年11月23 日の東京・渋谷「JZ Brat」でのライブでは、1st・2nd それぞれ定員 100 名の入れ替え制にもかかわらず、チケット完売・キャンセル待ちも発生。一夜にして200名の動員を達成する大盛況のライブとなった。 河野祐亮 公式サイト https://yusukekono.com/
youtube
Tumblr media
細川 玄 (GEN HOSOKAWA) ジャズトランペット奏者、作編曲家として25年以上プロとして活動中。 『細川玄ジャズクインテット』を率いてブルーノート系列のジャズクラブ、モーションブルーヨコハマには15年以上継続出演中。他全国で演奏を展開している。代表作CDソロアルバム『Motion for jazz Frontier』(Impartment Inc.)はジャズ系DJをはじめ、各方面から絶大な支持を獲得した。現在もロングセラーとなっている。これまでに30タイトル以上のCD作品にトランペット演奏また作曲アレンジなどを提供。TVCMなどのBGM作曲作品提供オンエア実績も多数。商業音楽での楽曲制作曲数は延べ70,000曲に及���。 2018年より自身がプロデュースするミュージックスクール『セプテンバーミュージックスクール』を主宰。25年に渡るアーティスト活動、商業音楽活動を経て後進にリアルな情報と、音楽で生きてゆくためのリアルな必要スキルを伝授している。プロも学びに来る本格的な完全個人レッスン音楽教室をスタートさせ人気を博している。 個人レッスンの他にも荒川区が運営しているジャズビックバンドの指導、コンダクターなども務めている。地域コミュニティーへの音楽活動への推進やアマチュア音楽活動の普及に尽力している。荒川区の歌『あらかわ~そして未来へ』のジャズビッグバンドアレンジも手掛けた。現在バンドテーマ曲として演奏され、地元の方々から愛されている。 演奏家としては正統派ジャズミュージシャンとして定評があり、作曲家としては類稀なるメロディーメーカーとして各方面から高評価を獲得し現在に至る。 細川玄 公式サイト http://genn.la.coocan.jp/
youtube
Tumblr media
中村 智由 (native) 大学卒業後よりプロのサックス奏者として演奏活動を開始。ダンスホールやジャズクラブでの活動を経て、1999年に自身がリーダーのジャズバンド"native"を結成。nativeでは、ドイツ、中国など海外での公演、サマーソニックへの出演、海外レーベル含む10枚のアルバムをリリースし、大手CDショップのセールスランキングにチャートインするなど2000年代のクラブ/ジャズシーンを牽引する。演奏活動と並行しサウンドプロデュースも行っており多数のカバーアルバムを制作。生音中心の都会的でクールな表現を得意としている。 native 公式サイト http://www.cnative.com/
Tumblr media
山内洋介(13souls) 鳥のさえずりの如く歌うことを信条とし、海とサーフィンを愛する 湘南生まれのギタリスト山内洋介。 2009.08にデビュー作「Six strings with love」7インチをリリース。全国のDJの耳に響き、無名のアーティストにもかかわらず、スマッシュヒッツ。これを受け、60’sの黒人ミュージシャンのセッッションをイメージした二枚目の7インチをリリース。DJ MURO mix CD「MIX SHOW NIGHT CHANNEL issue 02」に収録され即完売。一気に話題のアーティストへ。 2011.7.06 1st Album「BRAND NEW OCEANS」をリリース。インディーズインストとしては異例の大ヒットを記録。7.20 Motion Blue yokohamaにて、『BRAND NEW OCEANS』のワンマン、リリースパーティが開催。当日は入場制限、1st setから立ち見が出るほどの動員数で、多くの観客を魅了した。同アルバムは2013渋谷TSUTAYAバイヤーが選ぶ今年のベストディスクに選ばれる。 2012.07 2nd album 『GOOD TIMES (I SAY) 』が発売。全国のタワーレコードを中心に、大展開。大きな反響を得る。後に2017年、ギターマガジン3月号、国内JAZZ FUNKのギタリストとして本誌を飾り、主催ライヴを大いに沸かせた。 2017 13souls 3rd album 『Rough&Beautiful』をクラウドファンディングにより制作。山内洋介の呼びかけにより、多くの人々の資金援助を得て、大反響を得る。同年、ギターマガジン12ヶ月号にてギタリスト 山内洋介がピックアップ、特集される。人気アパレルブランド、JOURNAL STANDARDとDeliciousのコラボ企画に楽曲提供。 正に13souls山内洋介の存在そのものが現代のレアグルーヴと言えよう。今、最も注目すべきアーティストの一人である事に間違いはない。 山内洋介 Facebookページ https://www.facebook.com/13souls-816172288405353/
youtube
出演者紹介 (DJ, VJ, Organizer)
Tumblr media
TOJO (afrontier) 90年代前半にDJとしてのキャリアをスタート。都内クラブ、カフェやライブハウスなどで活動後、2003年、トランペッターでありオーガナイザーでもあるオサダイサオ氏に見出され、Motion Blue yokohamaを拠点としたクラブジャズイベント『afrontier』に、JUN MORITA、Takeshitaと共に参加。『afrontier』のレジデントDJとして、国内外のアーティストと多数共演。Blue Note TOKYO関連イベント、来日アーティストのフロントアクトや数々のリリースパーティーに抜擢される。その他サルサやUKジャズダンス等のダンスイベントから、カフェやレストラン、ホテルのラウンジイベントまで、活動の場は多岐にわたる。また、ジャズミュージシャンやダンサーを相手にその場で選曲をするなど、セッションの経験もあり、アーティスト側からの信頼も厚い。近年はバレアリック・シーンとの交流もあり、シーンを代表する来日アーティストのサポートDJとして出演もしている。リイシュー・シリーズ【EXTRAVAGANZA!】から2016年5月にリリースされた『Randy Weston’s African Rythms / Niles Littlebig』のライナーノーツを担当。ジャズやエキゾチックな音を基調に、時空間を横断するクロスオーバーなDJスタイル。ドラマティックでストーリー性のある選曲を得意とする。 http://tojoafrontier.jugem.jp/
Tumblr media
森田潤 (afrontier) DJ、モジュラー・シンセ奏者。ソロ・アルバムLʼARTE DEI RUMORI DI MORTE (SPF-004)ɸonon 2018年発売。ワールド・ミュージック、ジャズ、エレクトリック・サウンドなどに幅広くコミットし、クラブやホテルでプレイするほか海外にも遠征。クラブ・ジャズ系”afrontier”、ワールド・ミュージック系”Séduction Tropicale”、エクスペリメンタル系"WHOLE LOTTA SHAKIN’ GOIN’ ON”、ハウス系”Perfect Love Affair”等、多くのイベントにレギュラー参加。blackmadras名義で楽曲製作も行い、OMAGATOKIやVillage Musicからリミックス作品も発表。バンド形態のOmega f2;kは13年にポニーキャニオンよりデビュー曲をドロップ。DVD作品"THE DECLINE OF THE ORGY”を発表。また、レア・ヴァイナル復刻のマスタリング・エンジニアとしても評価され、ホセー・アントニオ・メンデス等の再発盤がベスト・セラーになっている。2018年には芥正彦企画/演出によるノイズ・オペラ「カスパー」に参加。
Tumblr media
大塚広子 (DJ/音楽ライター/プロデューサー) ジャズをメインにDJ歴20年。アナログレコードにこだわった1960代以降のブラックミュージックの音源発掘から、現代ジャズ、クラブミュージックまで繋ぎ、ワン&オンリーな“JAZZのGROOVE”を呼び起こすDJ。徹底したレコードの音源追求と、繊細かつ大胆なプレイで全国的な現場の支持を得て、ニューヨーク、スペインの招聘、東京JAZZ、2度のFUJI ROCK FESTIVAL、Blue Note JAZZ FESTIVAL in JAPAN等出演。クラブシーンのみならず老舗ジャズ喫茶やジャズライヴハウスで、評論家やミュージシャンとのコラボレーションを積極的に行い、柔軟なセンスで音楽の楽しみ方を提示している。DJ活動の他、メディアでの執筆、選曲監修、伊勢丹新宿店をはじめ企業の音楽イベントプロデュース、自身のレーベルKey of LIfe+を主宰。現在生まれる音楽を審美眼を活かした切り口で��とめあげたコンピレーション(PIECE THE NEXTシリーズ)や、気鋭ミュージシャンを束ねたプロデュース・ユニット(RM jazz legacy)のディレクション、リリース活動なども行う。DeAGOSTINIジャズレコードコレクション(2016年創刊号及び、書店PR文)、朝日新聞(2017年7月「ジャズと私」コーナー)、読売新聞(2018年2月「くらし家庭記事」)などに掲載、執筆。ジャズ及び、アナログ・レコード普及におけるオピニオンリーダーとしても活躍。 http://djotsuka.com/
Tumblr media
Takeshita (afrontier) 90年代後半から青山BLUEなどの都内クラブやカフェ・レストランetcを中心にイベント企画及びDJ活動に精力的に取り組み、2003年からはMotion Blue yokohamaにてジャズイベント『afrontier』のレジデントDJとして参加、活動範囲を全国区へと広げた。ラテンを中心とした新旧ワールドミュージックからジャズ、現行のダンスミュージックを現場によって使い分けている。Eddie Palmieri, Larry Harlow, Jorge Benjour, Joyceの来日公演サポートをはじめ、国内外のミュージシャン/DJとの共演歴も多く、第一ホテル東京ラウンジなど商業施設のBGM選曲なども手掛けてきた。 https://afrontier.com/
Tumblr media
木村勝好 '90年代の終盤にキャリアをスタート。現在、青山ZERO、渋谷FAMILYといった都内のクラブフロアでプレイする他、ジャズクラブやホテルのラウンジ、レストランなど、あらゆる場所、シチュエーションに良質の音楽を届け、響かせている。ダンスミュージックの分野では、ASHREY BEEDLE、DJ KRUSH、菊地成孔他、国内外の名だたるDJやアーティストを、自身がレギュラーを務めるパーティー『in the mix』に招聘。そこでのフロントアクト・共演を経て吸収した幅広い感性は、まさに自らが提唱する「FREE FORM HOUSE MUSIC」そのものといえ、現在も変化を続けている。そのジャンルを横断しつつまとめあげる起伏と情感に富んだプレイスタイルを、是非とも体感してほしい。 http://mixcloud.com/masayoshikimura/
Tumblr media
Kiki (Mucho Mucho Mambo!) サルサバンドに明け暮れた大学時代から、無類のラテンクラシックス好き。60-70年代のグルーヴィなラテンをベースに、現在進行形のサルサまで、ラテンの様々な味わいを表現すべく、音源捕獲&模索の日々を送る。都内及び横浜、大阪のクラブ、バー、ラウンジで活動中。ラテンを愛するすべてのダンサーに贈るパーティ「Mucho Mucho Mambo!」レジデントDJ。
Tumblr media
TASUKE 1974年生まれ。ディレクター・アートディレクター。 主に映画・テレビ番組のオープニングタイトル映像のディレクションをメインワークとする。VJとしては2000年から、VJユニットNitro Movieのメンバーとして、キャリアをスタートする。2002年からtasuke名義で南青山のloopで行われていた「VORTECHS」のレギュラーVJをはじめ、代官山UNIT・Motion Blue Yokohaha・ageHaでプレイ、国内外の様々なアーティストと共演。2007年にはドイツのカッセルでDJピエールがオーガナイズするイベント、Tokyo NightにゲストVJとして出演。現在は2002年からオサダイサオがオーガナイズするジャズイベント、afrontierでレギュラーVJとして第1回から出演している。
Tumblr media
isao osada (trumpet, producer) 80年代初頭からプロのトランペッターとして音楽活動を始める。93年にCLUB JAZZ UNIT『O.M.U』のファーストアルバムをリリース、欧州14ヶ国を始め米国にて発売される。以降インターナショナルジャズフェスティバルへの出演、ヨーロッパライブツアーを行う傍ら、ミスターチルドレンのツアーサポート、数多くのレコーディングにソロプレイヤーとしても作品を残すなど、ジャンルにとらわれることなく精力的に活動。2002年からは自身のバンド演奏を行っていた横浜赤レンガ倉庫のジャズクラブ「Motion Blue yokohama」にて『afrontier』のイべント・オーガナイザーとしても活動。2008年には同イベントのコンピレーションCD『isao osada presents "afrontier" 12 colours to 7 seas』をリリース。近年はホテルを全館使用した新たなイベントスタイルをプロデュースする等活動の幅を広げている。 公式サイト http://www.isaoosada.com/
5 notes · View notes
takahashicleaning · 4 years ago
Link
TEDにて
マロリー・ソルドナー: 大企業のデータで世界の飢餓に終止符を打てるかもしれない?
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
大企業は、人道的な問題を解消するためお金を提供したかもしれませんが、もっと有益なものも提供できるのです。
つまり、データです。マロリー・ソルドナーは、民間企業が難民危機から世界の飢餓までの大きな問題を、未利用のデータや意思決定法を研究する科学者を提供することによって、どれほど進展させることができるのかを話しました。
あなたの大企業も何かに貢献できるかもしれません。
2010年6月。私は、イタリア、ローマに初めて降り立ちました。観光目的ではなく世界の飢餓を解決するためです。
そうです。当時の私は博士課程の25歳。大学で開発した試作品のツールを持ち込み、世界食糧計画をサポートし、飢餓をなくすつもりでしたが、プロジェクト終了。打ちのめされました。
データを使用すると人命が救えることが、ローマでの体験から分かりました。まあ、最初の目論見とは違いますが、最終的に辿り着きました。どんな状況か説明します。50万人の朝食、昼食、夕食を用意するとします。一定の予算しかありません。月額6.7億円。
皆さんはどうしますか?最良の方策とは何ですか?米、小麦、ひよこ豆、油を買うのが良いでしょうか?どれだけ買いましょうか?簡単そうですが、そうでもありません。30種の食材から5品を選ぶ必要があります。既に、14万以上の組合せがあります。
選んだ食材をいくらで買うのか。どこで入手するのか。どこに保存するのか。運搬の時間などを決める必要があります。すべての運搬ルートも調べる必要があります。すると選択肢は9億になります。1秒間で1つの選択肢を検討しても、28年以上かかります。
9億の選択肢。
そのため、意思決定者が数日のうちに9億の選択肢から不必要なものを除外できるツールを作りました。これは大成功を収めました。イラクでの活動では、コストを17%削減し、8万人多く食料を届けられました。
データの使用と複雑系のモデル化のおかげですが、業績が私たちだけに帰するものではありません。ローマで一緒に働いた部署は特徴がありました。共同事業を確信していました。大学を引き込みました。法人を引き込みました。世界の飢餓のような大きな問題で真に変革を望むなら全員で話し合う必要があります。
人道主義団体のデータに精通した人が、先導し、大学や各国政府からの適切な取り組みを組織化してもらうことが必要です。ただ、十分に活用できていなかったグループがあります。当ててみてください。
法人です。
法人には世界の大問題を解消する大きな役割があります。私は民間企業に所属して2年になります。法人に何ができ、何をしようとしないのかを見てきました。その隔たりを埋められる方法は3つ。データの提供、意思決定科学者の提供、新しいデータソースを集める技術の提供なのです。
これは、データの慈善活動です。それが法人の社会的責任の未来像です。その上、ビジネスとしても正解です。
今日の法人は膨大なデータを集めています。最初に法人ができることが、そのデータを提供することなのです。既に提供している法人もあります。例えば、大手通信会社。セネガルや象牙海岸でデータを公開にしました。研究者は、携帯電話がどの基地局と繋がっているというパターンから人がどこを旅行しているか把握できることが分かりました。
そのデータから、例えば、マラリア感染拡大地域を予測できるのです。また、革新的な衛星通信会社の例では、データを公開し提供しました。そのデータで干ばつによる食料生産への影響を基本的人権を尊重し追跡しました。それを使って、危機が起こる前に援助資金調達を始められるのです。
幸先の良いスタートです。
しまい込まれた法人データに重要な洞察が含まれています。そうです。慎重にならなくてはいけません。例えば、データの非特定化でプライバシーへの懸念に配慮する必要があります。
しかし、たとえ水門を開放してすべての法人がNGO、大学、人道主義団体にデータを提供したとしても、人道主義的な目的のため、データの最大限の影響力を利用するには十分ではないでしょう。
なぜでしょうか?データから洞察を引き出すには意思決定科学の研究者や基本的人権が重要だからです。
意思決定科学の研究者とは、私のような人です。データを受け取り整理して、変換し、手元の事業課題に対して、有効なアルゴリズムで処理をします。人道支援の世界では、意思決定科学の研究者がとても少ないのです。大部分が法人で働いています。
つまり、これが法人が必要とされる2つ目の理由です。データの提供に加え、意思決定科学の研究者の提供も必要なのです。
法人は言うでしょう「ああ!法人から意思決定科学の研究者を取り上げないで、1分1秒だって無駄にできないのです」でも、方法はあるのです。もし、法人が意思決定科学の研究者の時間の一部を提供するつもりだったら。
例えば、5年間くらいの長期に渡り、その時間を広げるのが実際には理に適っていることと思います。これは1月あたり2, 3時間程度かもしれず、法人が損することはほとんどありません。
真に重要なのは、長期的なパートナーシップです。長期的なパートナーシップにより、関係が築けデータ内容が分かり、真にデータを理解し、人道主義団体が直面しているニーズや課題を理解し始めるのです。ローマの世界食糧計画では、5年かかりました。
5年です。
最初の3年間は、段取りや準備期間でした。イラクでの活動や他の国々でツールを改良し実行した後には2年ありました。それは、データを使って事業運営を改善するのに現実味のない日程計画だとは思いません。投資であり、忍耐を求められますが、数式化できれば、得られる成果は明白で高速に処理できるようになります。私たちの場合は、さらに何万人も追加して食料供給ができました。
だから、データの提供や意思決定科学の研究者の提供をお願いするのです。そして、実は法人が支援できる3つ目の方法は、新しいデータソースを獲得するため技術の提供です。基本的人権に配慮、データ化されていないものがたくさんあります。現時点では、シリア難民がギリシアに流れ込んでいて国連難民機関は手が一杯なのです。
現在、人々を紙とペンで追跡しています。
ということは、母親と子供5人が難民キャンプにやって来ても、本部では基本的にその時点のことが分からないのです。民間企業との共同研究のおかげで数週間後にはすべてが様変わりします。私が働く物流会社から提供された荷物追跡技術を基に新しいシステムを作っています。
この新しいシステムでデータを基本的人権に配慮して追跡します。母親と子供が難民キャンプにやって来たとたんに分かるのです。
さらに、今月や翌月に配給が足りているかどうかも分かるのです。情報を見える化すると効率が生まれます。法人にとっては、重要なデータを集めるために技術を使うことは日常生活の糧のようなものです。これを何年も継続して事業の効率が大幅にアップしたのです。想像してみてください。お気に入りの飲料会社が棚卸しをしてみるまで、ボトルがいくつ棚にあるのか知らないなんてばかげています。データは比較的、良い決定の原動力の一つです。
さて、あなたが法人の代表で実用主義者であり、理想主義者だけではないとすると心の中でこう思っているかもしれません。
「実にすばらしいよマロリー。でも、どうして参加すべきかね?」良い宣伝になるということ以上に人道支援は、約2.6兆円のセクターで発展途上国で暮らす50億人以上が新たな顧客となるかもしれません。その上、データ提供をする法人は、データに隠された新たな意味を見出すことでしょう。
あるクレジットカード会社を例に取ると協働センターを開設し、大学、NGO、各国行政府で中心的役割を果たしています。クレジットカード利用の情報を見てインドの世帯の暮らし方、働き方、収入や支出を洞察します。人道支援の世界にとっては、人々を貧困から脱却させる方法について情報を提供するのです。
しかし、法人にとっては、インドの現在の顧客や潜在顧客の洞察材料を与えてくれるのです。あらゆる点で勝利します。さて、私がデータでの慈善事業で期待していることは、データの提供、意思決定科学の研究者や技術の提供です。
法人で働くことを選んだ私のように若い専門家にとって意味があるのです。研究によると次世代の労働者は、仕事を通して大きな影響力を与えたいと思っています。状況を改善したいのです。だから、データでの慈善事業を通じ、法人は実際に意志決定科学の研究者に仕事を与え定着を図ることが可能になります。需要の高い専門職にとって大事なことです。
データでの慈善活動は、ビジネス上の意義があり、人道主義の世界にも変革をもたらせるのです。大規模な人道的活動のすべての側面において私たちが計画と物流を協調させるなら、さらに何十万人も多くの人々に衣食住を与えることができるのです。そして変革を起こすために法人は力を出して企業に可能なある役割を果たす必要があるのです。
皆さんは「思考の糧」という言葉をご存じでしょう。これは文字通り「糧の思考」なのです。ようやく時を得た良いアイデアとなりました。
ヨーロッパでの一般データ保護規則(GDPR)でも言うように・・・
年収の低い個人(中央値で600万円以下)から集めたデータほど金銭同様に経済的に高い価値を持ち、独占禁止法の適用対象にしていくことで、高価格にし抑止力を持たせるアイデア。
自分自身のデータを渡す個人も各社の取引先に当たりデータに関しては優越的地位の乱用を年収の低い個人(中央値で600万円以下)に行う場合は厳しく適用していく。
情報技術の発展とインターネットで大企業の何十万、何百万単位から、facebook、Apple、Amazom、Google、Microsoftなどで数億単位で共同作業ができるようになりました。
現在、プラットフォーマー企業と呼ばれる法人は先進国の国家単位レベルに近づき欧米、日本、アジア、インドが協調すれば、中国の人口をも超越するかもしれません。
法人は潰れることを前提にした有限責任! 慈愛や基本的人権を根本とした社会システムの中の保護されなければならない小企業や個人レベルでは、違いますが・・・
なお、ビックデータは教育や医療に限定してなら、多少は有効かもしれません。それ以外は、日本の場合、プライバシーの侵害です。
通信の秘匿性とプライバシーの侵害対策として、匿名化処理の強化と強力な暗号化は絶対必要です!
さらに、オープンデータは、特定のデータが、一切の著作権、特許などの制御メカニズムの制限なしで、全ての人が
望むように再利用・再配布できるような形で、商用・非商用問わず、二次利用の形で入手できるべきであるというもの。
主な種類では、地図、遺伝子、さまざまな化合物、数学の数式や自然科学の数式、医療のデータやバイオテクノロジー
サイエンスや生物などのテキスト以外の素材が考えられます。
こういう新産業でイノベーションが起きるとゲーム理論でいうところのプラスサムになるから既存の産業との
戦争に発展しないため共存関係を構築できるメリットがあります。デフレスパイラルも予防できる?人間の限界を超えてることが前提だけど
しかし、独占禁止法を軽視してるわけではありませんので、既存産業の戦争を避けるため新産業だけの限定で限界を超えてください!
最後に、マクロ経済学の大目標には、「長期的に生活水準を高め、今日のこども達がおじいさん達よりも良い暮らしを送れるようにする!!」という目標があります。
経済成長を「パーセント」という指数関数的な指標で数値化します。経験則的に毎年、経済成長2%くらいで巡航速度にて上昇すれば良いことがわかっています。
たった、経済成長2%のように見えますが、毎年、積み重ねるとムーアの法則みたいに膨大な量になって行きます。
また、経済学は、大前提としてある個人、法人モデルを扱う。それは、身勝手で自己中心的な欲望を満たしていく人間の部類としては最低クズというハードルの高い個人、法人。
たとえば、生産性、利益という欲だけを追求する人間。地球を救うという欲だけを追求する人間。利益と真逆なぐうたらしたい時間を最大化したいという欲を追求する人間。などの最低生活を保護、向上しつつお金の循環を通じて個人同士の相互作用も考えていく(また、憎しみの連鎖も解消する)
多様性はあるが、欲という側面では皆平等。つまり、利益以外からも解決策を見出しお金儲けだけの話だけではないのが経済学(カントの「永遠平和のために」思想も含めて個人のプライバシーも考慮)
(個人的なアイデア)
さらに・・・
勝手に警察が拡大解釈してしまうと・・・
こんな恐ろしいことが・・・
日本の警察は、2020年3月から防犯カメラやSNSの画像を顔認証システムで本人の許可なく照合していた!
憲法に完全違反!即刻停止措置をみんなで要求せよ。
日本の警察の悪用が酷いので、EUに合わせてストーカーアルゴリズムを規制しろ!
2021年に、EU、警察への初のAI規制案!公共空間の顔認証「原則禁止」
EUのAI規制は、リスクを四段階に分類制限!
禁止項目は、行動や人格的特性に基づき警察や政府が弱者個人の信頼性をスコア化や法執行を目的とする公共空間での顔認識を含む生体認証。
人間の行動、意思決定、または意見を有害な方向へ操るために設計されたAIシステム(ダークパターン設計のUIなど)も禁止対象にしている。
禁止対象の根拠は「人工知能が、特別に有害な新たな操作的、中毒的、社会統制的、および、無差別な監視プラクティスを生みかねないことは、一般に認知されるべきことである」
「これらのプラクティスは、人間の尊厳、自由、民主主義、法の支配、そして、基本的人権の尊重を重視する基準と矛盾しており、禁止されるべきである」
具体的には、人とやり取りをする目的で使用されるAIシステム(ボイスAI、チャットボットなど)
さらには、画像、オーディオ、または動画コンテンツを生成または操作する目的で使用されるAIシステム(ディープフェイク)について「透明性確保のための調和的な規定」を提案している。
高リスク項目は、法人の採用活動での利用など違反は刑事罰の罰金を売上高にかける。
など。他、多数で警察の規制を強化しています。
前提として、公人、有名人、俳優、著名人は知名度と言う概念での優越的地位の乱用を防止するため徹底追跡可能にしておくこと。
人間自体を、追跡すると基本的人権からプライバシーの侵害やセキュリティ上の問題から絶対に不可能です!!
これは、基本的人権がないと権力者が悪逆非道の限りを尽くしてしまうことは、先の第二次大戦で白日の元にさらされたのは、記憶に新しいことです。
マンハッタン計画、ヒットラーのテクノロジー、拷問、奴隷や人体実験など、権力者の思うままに任せるとこうなるという真の男女平等弱肉強食の究極が白日の元にさらされ、戦争の負の遺産に。
基本的人権がないがしろにされたことを教訓に、人権に対して厳しく権力者を監視したり、カントの思想などを源流にした国際連合を創設します。他にもあります。
参考として、フランスの哲学者であり啓蒙思想家のモンテスキュー。
法の原理として、三権分立論を提唱。フランス革命(立憲君主制とは異なり王様は処刑されました)の理念やアメリカ独立の思想に大きな影響を与え、現代においても、言葉の定義を決めつつも、再解釈されながら議論されています。
また、ジョン・ロックの「統治二論」を基礎において修正を加え、権力分立、法の規範、奴隷制度の廃止や市民的自由の保持などの提案もしています。現代では権力分立のアイデアは「トリレンマ」「ゲーム理論の均衡状態」に似ています。概念を数値化できるかもしれません。
権限が分離されていても、各権力を実行する人間が、同一人物であれば権力分立は意味をなさない。
そのため、権力の分離の一つの要素として兼職の禁止が挙げられるが、その他、法律上、日本ではどうなのか?権力者を縛るための日本国憲法側には書いてない。
モンテスキューの「法の精神」からのバランス上、法律側なのか不明。
立法と行政の関係においては、アメリカ型の限定的な独裁である大統領制において、相互の抑制均衡を重視し、厳格な分立をとるのに対し、イギリス、日本などの議院内閣制は、相互の協働関係を重んじるため、ゆるい権力分立にとどまる。
アメリカ型の限定的な独裁である大統領制は、立法権と行政権を厳格に独立させるもので、行政権をつかさどる大統領選挙と立法権をつかさどる議員選挙を、別々に選出する政治制度となっている。
通常の「プロトコル」の定義は、独占禁止法の優越的地位の乱用、基本的人権の尊重に深く関わってきます。
通信に特化した通信プロトコルとは違います。言葉に特化した言葉プロトコル。またの名を、言論の自由ともいわれますがこれとも異なります。
基本的人権がないと科学者やエンジニア(ここでは、サイエンスプロトコルと定義します)はどうなるかは、歴史が証明している!独占独裁君主に口封じに形を変えつつ処刑される!確実に!これでも人権に無関係といえますか?だから、マスメディアも含めた権力者を厳しくファクトチェックし説明責任、透明性を高めて監視しないといけない。
今回、未知のウイルス。新型コロナウイルス2020では、様々な概念が重なり合うため、均衡点を決断できるのは、人間の倫理観が最も重要!人間の概念を数値化できないストーカー人工知能では、不可能!と判明した。
複数概念をざっくりと瞬時に数値化できるのは、人間の倫理観だ。
そして、サンデルやマルクスガブリエルも言うように、哲学の善悪を判別し、格差原理、功��主義も考慮した善性側に相対的にでかい影響力を持たせるため、弱者側の視点で、XAI(説明可能なAI)、インターネット、マスメディアができるだけ透明な議論をしてコンピューターのアルゴリズムをファクトチェックする必要があります。
<おすすめサイト>
この世のシステム一覧イメージ図2012
個人賃金保障、ベーシックインカムは、労働市場に対する破壊的イノベーションということ?2021(人間の限界を遥かに超えることが前提条件)
世界の通貨供給量は、幸福の最低ライン人間ひとりで年収6万ドルに到達しているのか?2017
ダン・アリエリー:人はどれだけ平等な世界を求めているのか?―驚きの実態
ポール・ピフ:お金の独占が人と大企業を嫌なヤツにする?
<提供>
東京都北区神谷の高橋クリーニングプレゼント
独自サービス展開中!服の高橋クリーニング店は職人による手仕上げ。お手頃50ですよ。往復送料、曲Song購入可。詳細は、今すぐ電話。東京都内限定。北部、東部、渋谷区周囲。地元周辺区もOKです
東京都北区神谷のハイブリッドな直送ウェブサービス(Hybrid Synergy Service)高橋クリーニングFacebook版
0 notes
tak4hir0 · 4 years ago
Link
皆さんは国道1号線をなんと呼んでいるだろうか。私は生まれも育ちも神奈川県中央部の綾瀬市なのだが、昔から「イチコク」と呼んできた。 しかしながら、最近になってそれは極めてローカルな呼称であることを知った。国道1号線のことを「イチコク」と略すのは、神奈川県のいわゆる湘南地域だけなのだ。 生まれてこの方、ずっとイチコクと呼んできた 日本に数ある国道の中でもトップを飾る国道1号線(正式には線をつけず国道1号)は、かつて江戸と京都・大坂を結ぶ大動脈であった東海道を踏襲する道路である。 その道筋は日本橋から京浜地域を南下し、保土ヶ谷・戸塚を経て湘南・西湘地域を西へと進み、箱根峠を越えて静岡県へと続いていく。 江戸時代に整備されたかつての主要街道、東海道を踏襲する国道1号線 私が住む綾瀬市は片瀬江ノ島で有名な藤沢市の北側に隣接しており、湘南エリアからはギリギリ外れた位置にある。とはいえ藤沢市との行き来は多く、国道1号線に接する機会もそれなりにある土地柄だ。  そのような環境において、私はずっと国道1号線を「イチコク」と略してきた。いつからかは定かではないが、おそらく周囲の人々の影響を受けて自然とそう呼ぶようになったのだろう。 大磯町には旧東海道の杉並木が残っており、なかなかに風情がある ところがだ、近年になって某キャンプツーリング漫画を読んでいたところ、国道1号線を「国1」と略しているのを見て驚愕した。 おいおい、国道1号線は「イチコク」であって「コクイチ」ではないだろう。――と思いつつも気になったのでネットを検索してみると……なんということだろう、国道1号線を「イチコク」と呼ぶのは湘南とその周辺地域だけだったのだ。 生まれてこのかた40年間、なんの疑いもなく「イチコク」と呼び続けていた身にとって、これは天地を揺るがす衝撃的な大事件であった。 京浜地域では国道1号線をニコクと呼ぶ さらに調べを進めたことろ、同じ神奈川県であっても横浜市や川崎市の京浜地域では国道1号線の呼び方が異なることが判明した。 東京都の城南地域(品川区・大田区)から川崎市、横浜市鶴見区・神奈川区にかけての京浜地域では、国道1号線と国道15号線が並走して通っている。その沿線では海側の国道15号線を「第一京浜国道」、内陸の国道1号線を「第二京浜国道」と呼んでおり、それぞれ「イチコク」「ニコク」と略しているのだ。 京浜地域において、「イチコク」は「第一京浜国道」こと国道15号線を指す 国道1号線は「第二京浜国道」であり「ニコク」なのだ イチコク圏の身からすると実にややこしいものであるが、国道1号線の歴史を紐解いてみると、この区間においては「ニコク」と呼ぶ方が正しいように思えてくる。 というのも、最初に国道の番号が定められた明治18年(1885年)の当初は現在の国道15号線が1号国道であり(旧東海道を踏襲しているのもこのルートだ)、現在の国道1号線は昭和27年(1952年)の道路法による路線指定において新たに定められた区間なのだ。 京浜地域の国道1号線はこのような変遷があったのだ 故にこの区間においては、元祖国道1号線である国道15号線を「イチコク」、新道である現在の国道1号線を「ニコク」を呼ぶのは、道路ができた順番からしても自然であるといえる。 国道1号線の略称についてアンケートを取ってみた 神奈川県内でも地域によって国道1号線の略称が異なることが分かったが、その範囲はどのように分布しているのだろうか。また神奈川県以外では国道1号線をどのように���んでいるのだろうか。 それらの疑問を解消すべく、より広くの方々からアンケートで意見を募ってみることにした。 設問は以下の通りである。 Q1:出身地域を教えてください (できれば市町村区名も) 神奈川県湘南地域 神奈川県横浜市・川崎市 神奈川県その他の地域 東京都23区内 東京都23区外 神奈川県・東京都以外の関東地方 東海地方 関西地方 その他 Q2:現住所の地域を教えてください(できれば市町村区名も)  Q1と同じ選択肢 Q3:国道1号線をなんと略しますか?(略すとしたらなんと略しますか?) イチコク コクイチ ニコク R1 その他(自由記述) Q4:国道1号線の略称として「イチコク」という言葉を使ったり聞いたことがありますか? 自分で使う 家族や友達が使う 聞いたことがある 聞いたことがない Q5:国道1号線の略称について、思うことがあれば自由にご記入ください このアンケートをはげましひろばとTwitterで募集したところ、約500件にも及ぶ回答を頂くことができた。ご協力いただいた皆様にはこの場を借りてお礼を申し上げたい。本当にありがとうございました。 改めて設問を見直してみると、アンケートとしてはやや不十分であったと反省している。まず年齢によって呼称が異なる可能性を考慮して年代を教えてもらうべきであった。地域についても東京都の城南地域は分けるべきだったし、川崎市・横浜市も京浜地域とそれ以外で分けるべきであったように思う。 またQ3の選択肢に「R1」とあるが、これは私の父親に国道1号線をなんと略すかと聞いたら即座に「アール・ワン」と答えたからだ。国道1号線→ルート1→R1ということで、「まぁそう呼ぶ人もいるんだろうな」と思い選択肢に入れたのだが、結果的にR1を選ぶ人はごくわずかであり選択肢に入れる意味はあまりなかった。 私の父親は妙に小洒落た呼び方を使いたがる(過去記事「津軽弁が分からない」より) 「イチコク」と呼ぶ範囲は意外と広い さて、アンケートの結果を見ていこう。 まず国道1号線を「イチコク」と略す地域についてであるが、これは神奈川県藤沢市・茅ヶ崎市・寒川町・平塚市・大磯町・二宮町・小田原市にかけての、湘南・西湘が中心であることは間違いなさそうだ。 湘南・西湘はほぼすべての人が「イチコク」と呼んでいるという結果であった 任意記述のご意見を見ても、この地域では昔から自然と「イチコク」と呼んでいたことが伺える。なぜ「イチコク」なのかは分からないが、周りの人々が皆そう言っていたので、自分も「イチコク」と呼ぶようになった、というものである。 都内ではいちこくは15号のことで驚いた。 湘南ではいちこくは国道1号のことだったから。 海側からいちこく にこくだと聞き あぜんとした。騙されてたのかと思った。 by さなまささん(神奈川県藤沢市出身・東京都墨田区在住)  身の回りでも国道1号線を「イチコク」としか呼んでいなかったのですが、よく考えると省略するのであれば「コクイチ」と呼んでいても良いはずで、なぜ「コク」と「イチ」を入れ替えているのか不思議です。(寿司をシースー呼びしたりするのと同じ理由だったらどうしよう) by でこさん(神奈川県藤沢市出身・在住) 茅ヶ崎育ちです。子供の頃は「国道」って呼んでいました。国道1号線が絶対エースだったからです。高校生になって東海道線と国道134号の間に住む友人ができたり、免許を取って他の国道がある地域に車で行くようになると「イチコク」呼びもするようになりました。 by すた・けいさん(神奈川県茅ヶ崎市出身・川崎市中原区在住) 国道1号線沿いの店舗を「イチコク沿いの店」と呼んでいた。 by ぶんちゃんさん(神奈川県茅ヶ崎市出身・東京都在住) 家族、親類、友人・知人が皆「イチコク」と呼んでいたので、大人になってだいぶ経ってからメディアか何かで「コクイチ」を聞いて一瞬何を指しているのか理解できなかった by 牛蒡さん(神奈川県中郡大磯町出身・東京都在住) 「コクイチ」と言う方が周りに多く、しかし自分は「イチコク」育ち。今さら変える気は無いので強い気持ちで「イチコク」と言っております。 by むすすさん(神奈川県小田原市出身・在住) また私が住む綾瀬市や大和市など、湘南に隣接する内陸の地域でも「イチコク」と呼んでいる人は多い。 一方で、湘南に隣接する内陸部といっても相模川より西側の厚木市・伊勢原市・秦野市では「イチコク」はあまり使われていないようだ。この地域では国道246号線(ニーヨンロク)の方が圧倒的に存在感があり、国道1号線はさほど身近ではないためだろう。 丹沢山麓においては、国道といえばイチコクではなくニーヨンロクなのだ イチコク圏は湘南地域に留まらず、横浜市においても国道15号線が並走しない地域では「イチコク」が使われ���いる。さらには三浦半島の横須賀市でも「イチコク」と呼ぶという証言が複数あり、その範囲は私が想像していた以上に広いようである。 イチコク、が一番しっくりくる by あとむさん(横浜市戸塚区出身・東京都江東区在住) ちょっとヤンチャ系の先輩はおしなべてイチコクでした。金沢区からイチコクは少し遠いので(そしてより都会にあるので)、よりヤンチャ度が増すとして格好つけて使われてたのかもしれません。 by さなさん(横浜市金沢区出身・東京都葛飾区在住) イチコク一択かと思っていたので他の呼び方があったことに驚きました by ののさん(神奈川県横須賀市出身・川崎市在住)  家族もイチコク呼称ですし、コクイチと呼ばれているなんて全く知りませんでした。地域カルチャーの違いで何かを言われることへの憧れがついに叶うのかも知れません。 by のじょむさん(神奈川県横須賀市出身・在住) ヤンチャな人が「イチコク」を好んで使っていたということは、「イチコク」という言葉はヤンキー文化が関係しており、その辺のクラスタによって国道1号線からかなり距離がある横須賀市まで伝播したとも考えられそうである。 横須賀でも「イチコク」という呼称が使われているとは思ってもみなかった 確かにわざわざ「コク」と「イチ」をひっくり返すところとかちょっとヤンキーっぽい気もするな……と思ったが、次の投稿を見てその考えは改められた。 生まれてこの方横浜に住んでいます。国道一号線の略称は「イチコク」しか聞いた事がありません。 両親(60代、共に神奈川県出身)にも聞いてみましたが、やはり「イチコク」だと言い、「なんでそんなこと聞くの」という顔をされました。 by コアラ町さん(神奈川県横浜市出身・在住) ここで注目すべきは60代の方も当然のように「イチコク」という呼称を使っているという点である。ヤンキー文化の隆盛より前から地元に根付いていた言葉である可能性がありそうだ。 戦前の文献などでは「国道〇号」を「〇号国道」と表記するものがある。戦後に現在の国道1号線が定められてからも「1号国道」という言葉が使い続けられ、それを略して「イチコク」と呼ぶようになったのではないだろうか。個人的な憶測であるが。 ちなみに牛丼チェーンの「すき家」では、国道1号線沿いにある店舗はすべて「1国〇〇店」という店名で統一されている。すき家は横浜市の生麦駅に存在した1号店がルーツらしいので、ひょっとしたらイチコク圏の影響を受けているのかもしれない。 国道1号線沿いのすき家は、すべての地域で「1国〇〇店」という店名だ おおむね予想通りな「ニコク」の範囲 続いて国道1号線を「ニコク」と呼ぶ地域であるが、これはおおむね予想通りの範囲に収まっていた。東京都の城南地区から横浜市の神奈川区にかけて、国道15号線沿いの京浜地域である。 家の近くは、第二京浜と呼ばれていて、ニコクが一般的でした。国道1号だと、知ったのは高校生くらいかも。 by まっちょさん(東京都品川区出身・練馬区在住) 国道1号線なのに「ニコク」って変だな?とはどこかのタイミングでよぎったのですが、深くは考えないままずっとニコクニコク言い続けてきました。家族はもちろん、学校の友達もニコクで通じていましたし、むしろそれ以外の略称を聞いたことがありません。 by ケヒヒさん(神奈川県川崎市鶴見区出身・静岡県浜松市在住)    川崎に住みはじめて最初イチコクと聞いたとき国道1号線のとこかと思ってたけど、よくよく聞いてみるとイチコクは国道15号線のことで国道1号線のことはニコクと言うのを知ったときはすごい紛らわしいと感じた けどすぐ慣れた by まじんさん(関東地方出身・神奈川県川崎市在住)  一時期、横浜市鶴見区に住んでいましたが、周りの人間はニコク(二国?)と呼んでいました。このアンケートを見て、住んでた人にラインで聞いてみましたが、みんな「二国って言う」と返信がきました。 by 照り焼き地銀さん(鹿児島県薩摩川内市出身・在住) ニコク圏は地元出身者のみならず、他地域から引っ越してきた人々も「ニコク」という呼称を使っている印象だ。しかし最近では「ニコク」と呼ぶ人は減少しているらしく、略さず「第2京浜」と呼ぶ人も少なくないようである。 区内の国道1号沿いに住んで40年余りです。 うちの親も、嫁の親もニコク沿いなので、みんな使います。 一昔前よりは、ニコクを使う人が減った気がします。他地域からの流入増のため? by H+A/Sさん(東京都大田区出身・品川区在住) 略ではないですが、周りの人はみな「第二京浜」と呼んでいます。 by 匿名さん(東京都品川区出身・在住) 引っ越してきて、ニコクと呼ばれているのに驚きましたが、ニコクよりは第2京浜と呼んでる人の方が多い気がします。 by しんいちさん(大阪府大阪市出身・東京都品川区在住) 「ニコク」のランドーマークである、昭和16年(1941年)に架けられた響橋 また第二京浜国道の略とはいえ、国道1号線を「ニコク」と呼ぶのはやはり少々特殊である。地域外の人には通じないことが多く、会話ではより分かりやすい呼び名を使用する人もいる。 ニコク、が正しい略称だと思いますが、その由来や成り立ちを知らない他人に伝えるときに伝わりにくいので、イチゴウ、イチゴウセン、などと呼んでいます。 高輪付近では桜田通と呼んだりもしますが、イチコクは15号のことなので、イチコクとは絶対に呼びません。 by きあれこさん(東京都港区出身・大田区在住) 関西出身者に「ニコク」が通じない。東京人でも国道1号(第二京浜)を日常的に使う人にしか通じない気がする。気がするだけで本当は通じるのかも知れないけど。不安なので「第二京浜」と言う���うになってしまってとても悔しい。 by くさちびさん(東京都品川区出身・大田区在住) このように「ニコク」に関して寄せられたご意見には熱いものが多く、ニコク圏の方々のこだわりと葛藤が伺える。 イチコク圏の私としては国道1号線の略称は「イチコク」しかないと思っていたのだが、国道1号線の歴史を知った今では旧国道1号である15号線を「イチコク」と呼ぶのは適切だと思うし、現在の国道1号線を「ニコク」と呼ぶのもやぶさかではない次第である。 ただし、国道1号と15号の合流点である「青木通交差点」からその先は、「イチコク」であることは譲れない。 「ニコク」は国道15号線の終点にあたる「青木通交差点」までだ 東海地方は「コクイチ」が断トツ お次は箱根峠を越えて西へと進もう。東海地方では「コクイチ」と呼ぶ人が圧倒的多数であり、現在は他地域に住んでいる人も、東海地方出身者はもれなく「コクイチ」と呼んでいる。特に静岡県民のコクイチ率は、なんとなんとの100%であった。 静岡県ではすべての人が国道1号線を「コクイチ」と呼ぶのだ 今回のアンケートにおいて東海地方の方々が口をそろえて言っていたのが、「コクイチ」以外の略称があるなんて知らなかった、というものである。 コクイチ以外に略称があるなんて、考えもしなかったです… by にゃん太さん(静岡県沼津市出身・在住) コクイチ以外の略称をこのアンケートで初めて知りました by まなさん(静岡県富士市出身・在住) 「コクイチ」以外の選択肢があることに驚いた。 by わいさん(静岡県静岡市出身・海外在住) 国1の略称が「コクイチ」以外にあること自体、びっくりです。少なくとも私の周りでは他に聞いたことがありませんでした。 by けろけろさん(静岡県静岡市出身・浜松市在住) 「コクイチ」以外の呼び方(略し方)があるなんて考えたことすらありませんでした by しおんさん(静岡県袋井市出身・在住) 他の略称があるとは思わなかった by 麻生さくやさん(静岡県浜松市出身・在住) コクイチ以外きいたことなかった by 匿名さん(愛知県豊橋市出身・在住) コクイチ以外の略し方があること自体まったく知らなかったし考えたこともなかった。 by おやいずさん(愛知県岡崎市出身・在住) これはもう、東海地方ではコクイチ以外の呼び方なんてありえないというレベルである。 どうやら親の世代から「コクイチ」という呼称が付け継がれ、完全に地域に根付いているようだ。 親が「コクイチ」と行っていたのでそのまま覚えました by みまりさん(静岡県静岡市出身・在住) 静岡県民にとっては国道一号線と書いてコクイチ。 by adiasさん(静岡県藤枝市出身・神奈川県在住) コクイチは静岡ローカルな言い方だって聞いた事があります。 by ずっきーさん(静岡県静岡市葵区出身・東京都文京区在住) ちなみに私が「コクイチ」という呼称を知った漫画の作者も静岡県の出身であり、漫画の台詞として「コクイチ」を出したのもごく自然なことだったのだろう。 静岡県の国道1号線はやたら長い上に風景の変化が少なく、走っていて結構つらい 東海地方において「コクイチ」は強いこだわりをもって使われているようで、それ以外の呼称を使おうものならよそ者扱いされること請け合いだ。 仕事ですこし東海圏にいたが、つい国道1号をイチコクと言ってしまうと、また横浜出身者が!みたいな横浜出身者あるあるの一つみたいな責め方をされた(笑) by 県庁所在地と政令指定都市出身は出身を市名で名乗っていいと思う委員会さん(横浜市出身・在住) ちなみに東海地方以外の方からは、「コクイチ」は国家公務員採用一種試験を連想するという意見が多数寄せられた。 関西地方は「イチゴウセン」が多い(ただし京都市は通りの名) 最後は国道1号線の西端にあたる関西地方である。アンケートを見てみると、関西ではあまり略さずに「1号線(イチゴウセン)」あるいは「1号(イチゴウ)」と呼ぶ方が多いようだ。 また京都と大阪を結ぶ国道であることから、ご年配の方は「京阪国道」という呼称を使う人もいるという。 略す方が違和感あります。 by わかばっ!さん(大阪府枚方市出身・在住) そもそも略す人は周りにいないですね 京阪国道という人はお年寄りなどでいます by てっちりさん(大阪府守口市出身・静岡県浜松市在住) ただし京都市に限っては国道1号線という言葉自体ほとんど使われておらず、「五条通」など通りの名前で呼んでいるという。 学生時代京都に住んでいたので、イチコクもコクイチも全く通じず、五条通と言ってやっと通じる(京都市内の国道一号線もなかなか複雑…) みつるさん(神奈川県厚木市出身・在住) 京都市内の道にはほとんど名称が付いているため、国道と兼用されている場合でも国道とは呼称しないことがほとんどです。国道1号線も堀川通や五条通、九条通と兼用されており、「国道1号線」という呼称では位置が曖昧であるため使われないのかと思います。京都市内で国道1号線が何度か直角に曲がることも「国道1号線」という呼称を使いづらい(ひとつの道と認識しづらい)一因かもしれません。 ぴかーどさん(京都府京都市出身・大阪府吹田市在住) 京都市内の地図を見てみると、国道1号線は碁盤目状の通りをカクカクと折れ曲がっている。なるほど、確かにこれでは国道1号線というだけでは場所を特定しづらく、通りの名で呼ぶ方が簡潔だ。 こうも折れ曲がっていると、通りの名前で読んだ方が分かりやすい とまぁ、関西地方では国道1号線をあまり略すことはないようだが、大阪から北九州の門司を繋ぐ、かつての山陽道を踏襲する国道2号線は「ニコク」と呼ばれているという。 しかし国道2号線の別名である「第一阪神国道」から「イチコク」と略す人もおり、その場合は国道43号線が「第二阪神国道」であり「ニコク」なのだとか。 京浜地域の国道1号線と同様、阪神地域の国道2号線においても呼称の相違があり、こちらもまた一筋縄ではいかないようである。 阪神地域もまた、国道2号線の呼称問題を抱えているのだ 国道の呼び方あれこれ 今回は私の個人的な興味に基づき国道1号線の略称について調べてみたが、寄せられた回答を見ていると、それ以外の国道も各地によってさまざまな呼び方があるようだ。 基本的に1桁や2桁の国道は「〇号線」読みが多いようだが、3桁になると数字で呼ぶようになる。私の周辺でも国道246号線を「ニーヨンロク」、国道467号線を「ヨンロクナナ」というし、他にも国道36号線は「サブロク」、国道156号線は「イチコロ線」などと呼ばれているようだ。 興味深いところでは国道23号線を「メイシ」や「メイヨン」(名四国道)、国道258号線を「リャンウーパー」(麻雀用語から?)、国道122号線を「ワンツーツー」(なぜ英語?)など、各地に独自の呼称があるようである。そのような各地の国道呼称を調べてみるのも面白そうですな。 余談だが、国道15号線沿いにあるJR鶴見線の、その名も「国道駅」 この駅が実にシブく、素晴らしいたたずまいを見せていた
0 notes
technocat1026 · 8 years ago
Text
諸悪の根源住吉会
「救う会」と広域暴力団「住吉会」
なぜ、「救う会」には、北朝鮮と武器・覚醒剤密輸をしている暴力団住吉会が深く関わっているのか?
福岡での統一協会合同結婚式に安倍晋三が祝電を送ったこと
オウム事件は少しも終わっていない
最新タイトル
• [安倍晋三]安倍内閣支持率6%、不支持率90%
• [日本会議]都知事選に出馬する黒川紀章氏は「日本会議」の代表委員
• [安倍晋三]耐震偽装事件と永田メール事件/APA主催「日本を語るワインの会」
• [事件]福岡のいじめ自殺
• [安倍晋三][呪的闘争]「偽ブルーリボン」に関して/オウム事件と北朝鮮問題
• [��記][塾]「初詣」/非理性的思想
• [オタク]「陰陽師は大変なものを盗んでいきました」
• [雑記]人生後半になるのに、自分は恋愛が下手だとつくづく思った
• [安倍晋三]弔問に押しかけて名前を3回間違える我が国の首相
• [安倍晋三]長州小力似の「甘いマスク」のセクシー安倍晋三
<前の日 | 次の日>
2006-01-02
■[現代史]マッカーサーによる言論統制 23:38
http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/okasinasennsoudaltuta.htm
 マッカーサーが厚木に到着してただちに敷いたプレスコード(新聞紙法)は、「連合国占領軍について破壊的な批判は一切してはならないし、また、これらの軍隊に対して不信や憤慨を招く恐れがあることはなにも書いてはならない」というもので、ほんとうのことをいってはならないという徹頭徹尾の言論弾圧であった。
 アメリカはその理由として、「日本の軍国的国家主義の根絶」と「自由主義傾向の奨励」をあげ、これに反対するものは、反動的であるかのように宣伝。なによりもまず、原爆の被害にかんする資料を、医学資料から日本人が撮影した記録映画、写真にいたるまでことごとく没収して持ち去り、それにかんする報道をいっさい禁止し、天皇制軍国主義を上回る検閲をおこなった。
 プレスコードの「禁止項目」には、「占領軍・占領政策・アメリカ批判」「占領軍将兵と日本人女性との親密な関係描写」「左翼宣伝」などとともに、「飢餓の誇張」などがあり、高度の機密兵器である機雷投下についてふれることは御法度とされた。
 これには新聞・雑誌・刊行物、放送、演劇脚本・映画・紙芝居・幻灯など、言論・文化のあらゆるものが対象とされ、一般市民の手紙・葉書などの郵便物、電報・電話の傍受にいたるまで徹底したものであった。しかも、「民主主義」のたてまえから「検閲が知られるようなことが絶対にないように、それを暗示することもふくめて、残してはならない」ことまで指示。違反したものには、沖縄送りなどのきびしい刑罰を設定していたことも、明らかとなっている。
 日本の商業マスコミ、「共産党」中央指導部、社会民主主義の政治勢力はおしなべて、こうした占領政策を賛美し、人民が戦争体験の真実を語ることを抑圧する支配構造が形成されてきた。この構図は今日まで生きて作用してきたといえる。
 新たな戦争の危険がさし迫るいま、戦争の犠牲になった肉親、知人、友人の死をむだにしないために、日本の真の平和を実現するために、ほんとうのことを語り伝えることは、なににも増して重要になっている。
ぽちっとな 
■[政治][読書][統一協会][安倍晋三]自民党と統一協会 23:03
藤原肇がどの程度信用できるのか判らないけど、『小泉純一郎と日本の病理』を読了したので、いくつか引用してみる。小見出しはカマヤン作成。
小泉純一郎と日本の病理 Koizumi's Zombie Politics
• 作者: 藤原肇
• 出版社/メーカー: 光文社
• メディア: 単行本
◆森派と統一協会
 私にあった知識は、小泉純一郎という政治家が、岸信介や福田赳夫の流れで、「親韓国右派」あるいは、「隠れ統一教会派」の一部として、世界でナチスとイコールで「ムーニー」と呼ばれていた右派ではないかということだった。(56p)
◆自民党と統一協会
 自民党と統一教会の繋がりについて少し触れてみたい。〔略〕
 〔略〕国際勝共連合(IFVOC)の会員がほぼ統一教会の信者であることは、賢明な読者ならよく知っているはずである。
 この国際勝共連合に所属する会員たちは、統一教会の信者として米国で教育を受けた後で、自民党議員の秘書として永田町に送り込まれた。彼らは国際感覚と語学力を身につけ、普通の秘書の数倍も優れているせいで、永田町では一時期、その仕事振りを評価された。そして、すぐに議員になりたがる出世欲の強い、松下政経塾の出身者より尊敬され、一目も二目も置かれた存在だった。また、1980年代に自民党のシンクタンクの総合研究所が、勝共連合によって乗っ取られていたことも、事情通の間では知られていた。
 そして、この線をたどると小泉政権を取り巻く人間たちが、意外なほど勝共連合の線で繋がっていて、中には政界の外に活躍の場を持っていたりするのだ。
 例えば、小林節慶応大学教授の場合は、合同結婚式の名簿に名前が記載されているうえに、かつて「統一原理」という授業を行なって問題視されたが、憲法九条は前文の解釈によって無効化できると説いていた。〔略〕今では改憲ブームに便乗して官邸に出没しているという。
 また、アラブ問題の専門家である佐々木良昭(元拓殖大学教授)は、自衛隊のイラク派兵のアドバイサー役として、官邸に裏口からよく出入りするので知られる。私が関係者から聞いたところでは、彼は「自衛隊を正式な軍隊に変え、防衛庁を国防省に格上げさせるべきだ」と主張しているという。また、佐々木は小池百合子環境大臣と親しく、彼女が理事長の中央アジア研究所の専務理事だし、東京財団のシニア研究員の肩書きを使い、最近はトルクメニスタンに出没しているのだ。しかも、この東京財団は日本財団のフロント組織であり、かつて竹中平蔵が理事をしていたこともある。日本財団は競艇のあがりで故・笹川良一が設立した財団で、思想的には岸信介の衣鉢を継ぐ人々の集まりだから、勝共連合とは緊密に結びつくのである。
 そして、小池百合子といえば政界の渡り鳥で、小泉チルドレンのマドンナとして、2005年9月11日の総選挙では真っ先に刺客を買って出たが、学生時代にはカイロ大学に留学している。これは彼女の父親が中東浪人だったからで、かつて勝共連合の応援を受けて衆議院選挙に出て落選した後、一家をあげてエジプトのカイロに移住したからだと言われている。
 私が中東で仕事をしていたときのことだが、小池の父親がカイロで日本料理店を経営するかたわら、石油利権のフィクサーをしていたという話を聞いている。
 このように、小泉政権の内部には統一教会のコネクションが生きており、それに公明党が加わって一種の奇怪な「宗教連帯」の構図になっていて、これではどう考えても「理性」による外交はできない。(226-228p)
◆安倍晋三と統一協会
 安倍〔晋三〕もアメリカに留学した経験を持つ2世議員だが、世界で通用する常識を学んでいないのであり、彼の留学経歴が小泉純一郎以上に怪しいと言われていて、日本の政治家の人材枯渇は救い難い状況を呈している。
 〔略〕そこで、問題になるのが、安倍がなぜこのような怪しげな遊学をしたのか? そして、それが単なる遊学だったとしても、現在の彼にどのような影響を与えているのかということであろう。
 安倍晋三が遊学していた1970年代後半頃のカリフォルニアは、〔略〕この時期から経済大国になったジャパンマネーがカリフォルニアに大量に流れ込み、それとともにあらゆる日本人が流入したのである。
 日系企業の駐在員たちの中に混じって〔略〕ひと目で日本のヤクザとわかる男たちがロスの街を闊歩していた。事実、東声会の町井久之をはじめとするヤクザたちが、サンタモニカに投資事務所を開いていたし、ゴルフ場やラスベガスのカジノを買収するために、日本のサラ金や住吉連合の筋が暗躍していた。〔略〕
 だから、そんな環境の中、ロスでも金持ちの子弟が行く、南カリフォルニア大学USCに安倍晋三が登録し、日本の有力政治家の岸信介の身内だと知られれば、コリアゲートで知られた朴東宣(パク・ドンソン)のほかにも、いろんな人間が近づくだろうことは想像に難くない。
 当時のロスでは韓国人の移民が激増しており〔略〕〔韓国の〕公安関係者やKCIAの出入りも頻繁であり〔略〕こうした中に、統一教会関係者も多く、活発な布教活動だけではなくビジネスも行なっていた。鮮魚の取り扱いは統一教会が握り、日本人のすし屋の仕入れはそこを通じてだし、ロスやニューヨークの生鮮食料を支配して、財政的には非常に強力であったし、KCIAとの結びつきを韓国人から何度も私は聞いている。彼らの狙いは将来の布石として、若い有力者の子弟を反共の闘士に育てることであり、その組織力の強靭さに目を見張ったほどだ。
 ここからは私の経験に基づく推測になるが、なぜ、安倍晋三は今や日本を代表する対北朝鮮強硬派として、脚光を浴びる存在になったのであろうか? またなぜ、地元の山口県下関市では、市長をめぐる放火や銃撃事件に関連して、安倍の名前が囁かれているのであろうか? これらの事件には暴力団が介在していると言われ、パチンコ業界の利権が絡むと一部で報道されているが、それが安倍のロス遊学と関係がないのか? こういった疑問を特派員は現地取材で調べたのか?
 しかも、彼の父親の安倍晋太郎(1924-1991)は下関の韓国ビジネスとは密接な繋がりを持ち、朴東宣は安倍親子二代と親しく、それが政治資金に繋がっていたというではないか。(224-226p)
◆金融スキャンダルと奇怪な「自殺」
『新潮+45』(2001年4月号)に出た東京女子医大の天野医師の手記というのがある。この中で、天野医師は、ロッキード事件のときに児玉誉士夫(1911-1984)の国会証言を阻むため、上司の命令で薬物を注射したと告白している。(133p)
 〔略〕金融スキャンダルの多くは〔略〕1985年のプラザ合意に端を発していると考えてよい。また、中川一郎(1983死亡)に始まり青木伊平(1989死亡)、新井将敬(1998死亡)、本間忠世(2000死亡)など、迷宮入り化した一連の首吊り自殺は、いずれも利権絡みの金融スキャンダルと密着していたと考えられる。(134p)
◆小泉純一郎の厚生省利権
 1997年、橋本内閣の厚生大臣だった小泉は、当時大騒ぎになった「厚生省スキャンダル」の当事者だった。このスキャンダルは、「福祉グループ彩(あや)」という福祉施設などに差額ベッド用寝具などを納入している業者の贈収賄事件に端を発した事件だ。多くの自民党代議士が、日本病院寝具協会(〔福祉グループ彩」の大株主)〔略〕から、4億2000万円もの献金を受けていた〔略〕。
 〔略〕小泉が日本病院寝具協会の会長をしており、その傘下の政治団体から、橋本龍太郎などと並んで、多額の政治献金を受けていた〔略〕。
 〔略〕小泉改革��は、「政府系の特殊法人はすべて民営化するか解散すること」であったはずだ。しかし、実際には、「独立行政法人」と看板を替えただけで、ほとんどすべてが生き残っている。(191-192p)
◆岸信介の賠償利権
 小泉の父・純也は岸信介の第一の子分であった。
 岸は「巨魁」とか「妖怪」〔と〕呼ばれたように、利権��くりに関しては、天下無双の名人であり、汚職で摘発されるようなヘマはけっして犯さなかった。
 岸利権の典型とされるのが、インドネシアの賠償に関わる石油利権だ。岸は日本が石油を買えば自動的に、タックス・ヘイブンに巨額のロイヤリティが流れ込む仕組みを作り上げた。リベートは密かに岸の特別口座に振り込まれ、岸自身が関与しない仕掛けになっていた。そのため、犯行は発覚しようがなかったから、岸は法の及ばない利権づくりの名人だったのである。
 〔略〕岸信介は〔略〕上杉慎吉(1878-1929)に師事した。そして、国粋主義に傾倒し、木曜会に入った。その後、官僚になると、帝国主義的な国家社会主義を信奉し、ナチス流の産業統制化の運動を推進した。その後、満州では「満州の影の帝王」と呼ばれた甘粕正彦(1891-1945)と結び、アヘンにまつわる特殊利権に関与したという。〔略〕満州での功績により東条内閣の商工大臣となった。〔略〕
 小泉純也は、岸信介の忠実な第一の子分であった。伴食大臣の防衛庁長官であったとはいえ、防衛利権で《蓄財の手腕》を大いに発揮した。小泉純也の蓄財は、『私物国家』(光文社1997)の中で、広瀬隆が「60年代には高額所得者として、名を連ねていた」と書いているとおり、岸から学んだ手口を使いこなしたに違いない。(195-197p)
<引用終了>
だが、もっと興味深い情報もある。
<引用開始>
http://72.14.253.104/search?q=cache:nlcAgFgek8YJ:scrapbook.ameba.jp/uekusa_book/entry-10024355669.html+%E3%83%AA%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%82%B7%E3%83%9F%E3%82%BA%E3%80%81&hl=ja&ct=clnk&cd=31&gl=us&lr=lang_ja
07.01.26 ★ユダヤ人と痴漢冤罪の関係 リチャード・コシミズ http://www15.ocn.ne.jp/~oyakodon/newversion/futuunokaiwa3.htm
お父さん、手鏡教授、ついに保釈されて出てきたね。またやるんじゃないの?
ああ、また、やったことにされるんだろうな。
え?
あの痴漢裁判は、ウォール街のユダヤ人が主催している裁判だ。
そのくらいのことは、わかるよな。
わからん。だって、痴漢とユダヤと関係ないじゃん。
お前も、まだ、なにもわかってないな。マスコミ風情に騙されてどうするんだ。そこまで知能低かったか?
げ。だって、世の中じゃ、みんな、教授の性癖は病気だから仕方ないって......それに、教授は出てきたけど、「これは陰謀だ!」とか「嵌められた!」とか一言も言ってないし。
あのさ、この事件を解析すると、日本の構造がよく判るよ。教授は裏社会の連中にきっちり嵌められたけど、まだ、自分がなにをどうされたのか、判ってないようだ。おまえもだけどな。
う~オヤジ、判らん。降参だ。
よし。じゃ、ヨン様大好きオバサンでも判るように解説しようか。あのさ、教授の拘留が130日に及んだこと、極めて異常な事態なんだよ。女子高生のお尻触ってもいないのに、130日。よしんば触ったとしても、130日はどう考えても異常だ。
しかも、東京地検が教授の保釈にキチガイのように抵抗した。保釈して外に出れば、第三者と接触できる。このインチキ事件の背後関係を第三者に喋られるのを恐れたんだろう。だれが?裏権力がだ。東京地検は、ウォール街のユダヤ人のために、教授を130日間拘留し、家宅捜索してパソコンを押収したんだ。
教授が誰と情報を共有しているのか、血眼になって調べまくったんだ。教授の痴漢冤罪は、裏権力が仕組んだ猿芝居だ。裏権力は、教授の口をどうしても封じたかった。
口封じって............教授は経済学者じゃん。一体なにを?...........
あのさ、教授が逮捕される前になにを言っていたか知ってるか?
あーそういえば、「りそな銀行」がどうのこうのいってたよね。
それだ。小泉政権時代、りそなが倒産しそうになったよな。あの時、小泉・竹中はりそなを冷たく突き放して、「倒産容認」みたいな発言をした。おかげでりそなはマジに倒産しそうになって、株価は思いっきり下落した。その株を底値で買い漁った連中がいる。ウォール街のコーエンさんやら、なんとかバーグさんとか、かんとかシュタインさんたちだ。ユダヤ金融資本ってやつだ。親分はロックフェラーだ。
う、インサイダー取引。
で、小泉たちは最後の最後になって、りそなを公的に救済することを発表した。これで、りそなの株価は大反騰した。底値で買ったなんとかバーグさんたちは、ぼろぼろに儲けまくった。最初から公的救済が入ると判っていれば、底値で買い漁る。確実に儲かる。ユダヤさんたちの取引に便乗して儲けた勝共議員や政権関係者もたくさんいたはずだ。発覚すれば、大スキャンダルになるし、日本の支配構造も露呈してしまう。教授は、この巨大なインサイダー取引疑惑を追及しようとした。証券取引等監視委員会が調査に動くべきだとテレビ番組でも指摘した。
5 notes · View notes
takahashistudio · 5 years ago
Text
10.03.13私の家/カニンガム邸 見学会 橋本ゼミ 「1950年代の小住宅をめぐって」  <プロローグ>事前に時間をかけて勉強してきた上で清家清さんの「私の家」の見学会に行きました。その後、学生に50年代の巨匠になりきってもらい、座談会を開いたときの記録です。 橋本(司会) …橋本純 高橋     …高橋晶子 増沢洵    …西澤正子  (M1) 広瀬鎌二   …卯月裕貴  (M1) 池辺陽    …星野千絵  (M1) 清家清    …雨川美津季(M1) <始まり> 司会:今日は、清家清・増沢洵・広瀬鎌二・池辺陽の四氏に集まっていただき、50年代の小住宅を総括する座談会を開きたいと思います。おのおのの作品を振り返りながら、50年代の小住宅とは何だったのかを導き出せたら成功ではないかと考えています。それでは、若い順にいきましょうか。増沢さん、お願いします。 <増沢洵> 増沢:今日は2作品紹介したいと思います。まずはレーモンド事務所にいる時に建てた自邸(最小限住居の試作)です。3間×3間の9坪の1階、3坪の吹き抜けをもった6坪の2階、総床面積15坪のミニマム・ハウスです。私は、面倒なことはしたくありませんでした。なので、柱間を統一することで部材の統一化を図りました。 司会:それは構法の問題としてですか? 増沢:そうです。作りやすくするために難しい仕事や面倒で手間のかかることは好きではありません。 司会:設計はその分大変になりそうですがね (笑)。大工のためとも言えますね。広瀬さんや池辺さんはその当時、伝統構法とは違うことを考えていたようですから。 増沢:また、敷地にとらわれずにローコストに抑えるというのも前提としてありました。 司会:なるほど。もう一件のお話も聞かせて頂けますか。 増沢:もう一件は『コアのあるH氏の住まい』です。自邸の方は丸柱で設計しましたが、柱が一本もない家をやってみようと思い、コアを使いました。8尺のベニアからスタートしましたが、7尺8寸は既に清家さんがやっているので(笑)7尺7寸から始めました。屋根を低くすれば必ず良くなると思ったんです。 司会:天井ではなく屋根なんですね。 低くしたのは棟ですか, それとも軒ですか? 増沢:両方です。7尺7寸は天井高です。 司会:コアを設けた理由は何だったのでしょうか. 増沢:コアに機能を寄せることで、建物と庭が一体となって敷地に広がることを考えました。それから、自邸の時は3本の独立柱を基準にしたんですが、柱が邪魔だったんですよ(笑)。 司会:(笑)それ、作っているときは気付かなかったんですか? 増沢:気付きませんでした。生活してみてから分かったんです。 司会:広く空間をとるということならば、寝室と居間をつなげて使う方法もあったのではないかと思うのですが、そういったことは考えなかったのですか? 増沢:自分の経験をもとにしました。住宅の構成要素には複数の機能をもつものが意外と多く、その機能を単一化することによって一層合理的な設計が出来るのではないかと考えていました。なので、ひとつの空間を居間、食事、台所、家事コーナーなどに分割し、個室には独立性、団らんの場には一体性を図りました。コアのある住まいで良いと思っているところは、キッチンの在り方ですね。主婦だけでなく、誰が使ってもいいようになっています。また、建具を開け放つと居間と台所がつながりパーティーなどにも使えるなど、自由な使い方ができると考えています。 司会:敷地の使い方など、清家邸に通じるところがあるかもしれないですね。こちらの方が広いですが。 高橋:清家邸にはドアがありませんけどね。 増沢:コアの住まいには個室があります。 司会:サイズが違いますからね。コアの素材はなぜ変えたのですか? 増沢:コアがストラクチャーではないのを強調するため、素材を変えました。 司会:どうしてブロックにしたのですか?合板にでも良かったのでは。 増沢:それはコアを目立たせるためですね。 高橋:コアの周りにキッチンやワークスペースがありますよね。一般に、コアの周りはすっきりしている傾向にあると思うのですが。 増沢:むしろまとめたかったんです。個室、コアには機能、団らんのスペースとはっきり分けることを考えました。 司会:南面の障子の扱いについて質問です。障子は大きさに区別があるようには見えません。個室には違うサイズのものを使ったりしなかったのですか? 増沢:規格サイズが好きなんですよ。合理的なので。 高橋:正面から見ると個室の位置が分かりづらいですよね。個室はどこでもよかったんですか?プランニングにおけるきまりとかがあったでしょうか。 増沢:生活のことを考えて配置してます。どこでもいいわけではありません。 高橋:決めるところと、決めずにおおらかなところ、それぞれ4人に違いがありますよね。 <広瀬鎌二> 広瀬:最初の鉄骨造住宅SH?1について話をしたいと思います。敷地面積は60坪で、近代工業の発達により生産された新しい材料を用い、その力学的・材料的特性を生かして設計した新しい住宅です。50年代の乏しい経済の中での住宅のニーズもあり、その人達へ対する提案にもなっています。鉄骨という材料はまず計算が厳密にできるという利点があります。木材には力学的曖昧さがあったので。また、可能な限りそぎ落とし単純化を目標に作りました。設計に関しては、夫婦2人だけの生活を対象とした、最も単純な平面とはどんな形式にしたら良いかを考えて計画しました。単純化を求めた結果、空間を重複使用することにしました。ここでの重複使用とは、居間が生活、接客、客の為の寝室、食堂、仕事室として機能し、さらに細かく言うと玄関と居間の床をフラットにすることで視覚的な繋がりをつくり、また壁のような間仕切りもなくし、狭い敷地の中で空間の広さを感じられるようになっています。家事などの裏方のスペースを北側に取って、居間、寝室が面する南側の開口部を出来るだけ大きく取りました。水回りなどのプログラムの配置については、給排水の道路からの距離を出来るだけ短くして、配管の無駄を少なくしています。最初風呂場の位置は南側だったのですが、北側にすると配管工費が1/3も減る事が分かり北側に変更しました。空間をできるだけ広く感じられる様に、扉はトイレにしかつけていません。また開くことでとられるもったいないスペースを避けたいとも考えました。高橋:縦横どのくらいの大きさか図面を見てみると、日本の伝統スケールが入ってますね。尺寸。 広瀬:余りが出ない尺寸で作りました。 司会:余りですか? 広瀬:はい。鉄があの時代高かったので、あえて鉄を?という考えもあったのですが、構造計算の段階で驚く程軽量で出来ることを知りました。この建物の場合は、定尺物において材の断面に対し最も経済的なスパンを逆に計算する方法を取りました。その結果、4尺、8尺という寸法を得ました。この寸法は硝子の規格寸法にも合い、鋼材の定尺5m10mにも殆ど半端を出しません。鉄骨が木造と引き合う価格で出来るかもしれないという試しでした。 高橋:清家さんの「私の家」とあまり変わらない平面形、およそ5m*10mですよね。これについては同じプロポーションということで後ほどバトルできるかもしれませんね(笑)。 司会:鉄はこの当時なかなか住宅には使われない素材だったと思うのですが、ディテールや収まりなどはどこで学んだのですか? 広瀬:…。 司会:…秘密だそうで(笑)。 一同:(笑)。 増沢:鉄骨住宅は量産を考えていたんじゃないですか?だからディテールなどは 広瀬:ちゃんとした質をもって作れると考えていました。 司会:でも、10棟くらいつくって反省をしていましたね。 広瀬:当時の工業産業経済の中では他の工業生産品の価格が庶民全体に使われるには高価過ぎました。日本の���工の仕事や規格に合わなくて2、3の住宅を除いてはすべて、仕上げを大工の手仕事に頼らざるを得なかったんです。 司会:自分は工業化できると考えたが、周りが付いてこなかったと。 高橋:その後またシリーズを出されますね。SH-13を作られたときはどんなことを? 広瀬:平面計画を制約しない構造計画に関心がありました。構造、外壁あるいは内壁を分離し平面計画の自由度を高めることが必用だと考えました。そのため平行な天井と床の間を、納まりや寸法を変えずに、壁を移行することができます。 司会:この作品は奥行きが同じですが、生活スタイルの変化に対して部屋を並列に、つまりワンスパンで並べて行くことで解決できると考えたのですか? 高橋:どちらかというと、生産の論理をつくろうという感覚ですね。 広瀬:そうです。ここでは工業生産住宅になる可能性を持っているという前提のもとで考えていました。構造と内壁および外壁の分離、部材の寸法と納まりの統一によって、自由な空間が得られる事が工業生産住宅に必用な要素であると考えていました。司会:SH-30になるとブレースがなくなり、剛接合になりましたが。ブレースが嫌だったのでしょうか。謎の住宅ですよね。今までの軽快さが失われてしまってます。 高橋:例えばミースとかに対してはどう思われてるんでしょうか?広瀬:ミースが鉄骨住宅を工業生産に近づけようとしているのは、レークショア・ドライブ・アパートなどで感じています。 司会:SH-1も30も、柱はアングルの溶接ですね。既製品を使っていませんし。削って溶接してます。鉄骨屋さんではできなかったんでしょうね。この住宅では障子やカーテンの扱いはどうなっていましたか。 広瀬:うーん。 高橋:増沢さん、清家さんの住宅は障子やカーテンがついてますね。ついてないのは、池辺さんとか広瀬さんのSH-1などですか。 広瀬:基本的に、必要な物は水回りがあれば成立しますので。最小限があれば生活はできます。 <池辺陽> 池辺:No3から紹介します。1950年に建てました。ここで、畳式から椅子式へ移行しました。家事労働を少なくすること、小さな家であっても水洗便所や台所設備など、衛生的な設備がきちんと入っていることが前提条件です。そして、居間、寝室、台所などの機能を合理的に収めることを試みました。次に1958年に建てたNo38です。こちらはファッションブランド「VAN」の創始者・石津謙介さんがクライアントの石津邸です。雑誌「モダンリビング」と共同して行ったケーススタディーハウスの第1号です。ここでは、都市より、敷地に対して関心がありました。これからの時代は敷地が小さくなり、間口が狭く奥に深くなっていくだろうと考えています。この石津邸では、40坪という非常に狭く奥行きの深い敷地の中にテラスをつくりながら、室内を、居間、寝室、台所などの機能で分け、それぞれにアクセスがよくなるようレベル差でコントロールしています。 司会:No3は木造、No38はRCですが、どうしてRCの流れになっていったのですか。また、GMモデュールの研究をしていた時に、その流れに乗らないNo38を設計した理由は何だったのでしょう。それから、No3には立体最小住居とネーミングされていますが、なぜ「立体」という言葉を使ったのでしょうか。 池辺:RC造を使ったのは、これからの社会の中でとても可能性のある構造だと考えていたからです。現代の生活にあった住宅を、現代の材料や生産技術にもとづいて設計するということを目指していますから。「立体」という言葉を使ったことについては、容積の問題です。無駄なく中の空間が使えるように、またどんどん家が小さくなっていくのでこの立体の構成が有効かと。空間をつながりで感じています。居間の吹き抜けや、小さい部屋の集合などです。 司会:どちらも大きいボリュームに吹き抜けを設ける構成ですね。 池辺:平屋から2層になっていく可能性の模索をしていました。 司会:都市部において2層になっていくのを予測していたということですか? しかし、なぜ今No38のようなものが建たないのでしょうか。 池辺:もっと敷地を有効活用する必要があるからだと思います。 司会:30坪だからだいたい現在の一般的な住宅と一緒だと思いますが。 池辺:確かに敷地に対して半分しか建たないのは変わりません。しかし、当時の人は持ち物も少なく、最小限の生活ができました。ですが、今は違います。例えば今の人達は大抵車を持ちます。すると車が入るためのスペースが必要になるので、No38のような吹き抜けをとることができないんです。 司会:あと、庭を東側に寄せていますね。南側に作るのは諦めたんですか?都市住宅においては、庭の取り方の方がプランより大事になります。空間の連続性の方が優先していたということでしょうか。モデュール論まで話がいけませんでした。すいません。では、次の清家さん。 <清家清> 清家:今日実際に「私の家」を見てみて、どうでしたか?私の家は1954年に建ちました。まず、この土地の話をしますと、ここに移住して来たばかりは私の家族と女中をあわせて6人でした。その当初、敷地は150坪でしたが、その後40年の間に生活と社会の変化があり、この家が建つ頃には家族は9人に増え1000m2に増加しました。戦時中、私は海軍に入隊しました。我が家の周辺に焼夷弾が落ちたことは知りませんが、我が家の敷地内にも数発落下したようです。しかし家屋が少し焦げた程度で済んだのは、ちょうど年齢的に消化活動のできる世代が家を守っていたということや、空地が充分あったことが幸いしていたといえるでしょう。そして戦後間もなく結婚し核家族生活をしているうちに、社会状況も安定してきたという諸事情から、私たちの小さな住宅を両親の裏庭に建てさせてもらうことにしました。家の向かいは消防署(病院じゃないでしょうか)だからRC造にする必要もありませんでしたが、金融公庫から借金できる金額は、償還年数の長いRC造のほうがたくさん借りることができるということで、RC造にしたのです。私の家は次のステップへの実験かもしくはその試行錯誤であると思っています。また、空間の話をすると、この家はしつらえの家といえるでしょう。日本の伝統などよりも、狭さと家族のことを考えて変化に対応できる家を考えていました。四季に応じてしつらえを選ぶことができます。それから、狭い家なので庭との連続性を考えました。生活への工夫として、食卓・製図机・仕事机・タタミの台・ガラス戸のモデュールを統一して、効率を図りました。しつらえを楽にするための試みです。他のお三方のように社会的な目線というよりも、私は人の生活の方に目を向けていたかもしれません。椅子式にしたのは椅子・テーブルを使用することで、エネルギーの消費を少なくするためです。そして、海軍の経験から靴をはいたままの生活を試してみることにしました。 司会:エネルギーのためですか。本当ですか? 清家:資料の表を見てもらってわかるように、立ったり座ったりするのは案外くたびれるものなのです。 高橋:床に座る方が椅子に座るより消費エネルギーが多いということですが、移動式畳を作られてますよね。畳に対して未練みたいなものがどこかにあったとか。 清家:畳には未練はないんです、未練というより必要性です。衣服をたたんだりするのにいいのです。可動式にしたのは、しつらえからきています。他の家具の軽さもそうですね。 司会:子供部屋については? 清家:…あまり考えてはいませんね。家族では、主婦について多く考えています。戸主といわれるくらいですしね。建築家は形は作れるが、家は母性がつくりますので。 司会:「私の家」というタイトルから、家族に対する意識は? 清家:浴室がないなど、両親の家に頼るところがあったので…。 司会:核家族への意識みたいのはあったはずでは? その意識があれば子供をご両親の家に住まわせたりはしないでしょうし、団らんの場は作ったはずですが。それから、あえて地下を作った理由は何ですか? 清家:防空壕が残っていたんです。だから利用しました。 司会:あるものは使え、と(笑)。壁の仕上げについては? 清家:石ですか?素材については、多様の素材を調和させてモダンさを求めました。 司会:モダニズムで考えれば、統一性では? 清家:美意識です。パルテノンを見た時に影響を受けました。 司会:見たんですか! 高橋:大学の講義ではギリシャの話ばかりしていたそうですね。それ以降の時代は否定していたとか(笑)。 清家:ギリシャの建築家は先ず建築家個人の感覚で造形をするんです。それから、幾何学的に計画する。そうして寸法をギリシャ尺で測れるような数値に調整し、またその次にこれを建築家の視覚に訴えて修整するという、くりかえしを何回となく続けて設計するんです。それに比較するとルネサンスの否定をしてしまう… 司会:ギリシャは良くて、ローマはダメ。ルネサンスはもっとダメで、バロックはたまに良い物があると(笑)。いつ行きましたか? 清家:えっとですね…高橋:あのスクーターで行ったんですか!(「私の家」の軒先に有名なスクーターが置いてあった。) 司会:ギリシャ建築の寸法体系をご自身の建築に適用するときに、一番苦労されたこととは何でしょう? どういう幾何学寸法を用い。どういう日本の寸法体系と合わせていったかなどについて、お教え下さい。 清家:建築は空間を規定する甲羅だと思うんですが、甲羅だけでは亀ではなくて、本当に亀なのは甲羅のところではないもっとやわらかな部分なのかもしれないと思います。建築とは、そういう堅い甲羅の部分と、その甲羅でおおわれたやわらかな部分、さらにそのやわらかな雰囲気に包まれた容器、空虚な空間のすべてを含んでいると言えるでしょう。すまいのもつ文学的な意味まで無視して考えるのはよくないと思いますね。 <四人の対談> 司会:次に4人でお話をしていただきたいと思います。ではまず増沢さん、お願いします。 増沢:自分や池辺さん、広瀬さんには社会に目を向けていたようだけど、清家さんはどうだったのでしょうか。 清家:私の場合、意識は家族に向いていた。他の三方のようにプロトタイプをつくろうとしていたわけではない。���しろ一点ものの住宅をつくる姿勢だった。 司会:一方で清家さんは「デザインシステム」という名前の設計組織をつくられている。それはそのことと矛盾しませんか。 高橋:清家さんは海軍での設計では社会性、合理性を求めていましたよね。 司会:戦時中には量産をしていくのが設計の仕事だった。戦後のそのことへの距離感が四人それぞれ違うと思います。池辺さんは左翼なられたですよね(笑)。それも戦争中の影響が大きいのでは。広瀬さんの量産への意識はどうでしたか。 広瀬:規格サイズの鉄の量産に可能性を感じていました。木造ではなく鉄を使ってアメリカなど大国と同じようにしたかった。 司会:量産志向ではなかった清家さんはどうでしたか。 清家:その時々の状況に対しての設計をしていたつもりです。 司会:当時は社会全体から住宅の大量量産を求められていましたが、清家さんはなぜそれに乗らなかったのでしょう。社会には目を向けていなかったのですか。 清家:んー? 高橋:東大の増沢さんにはその姿勢があったと思います。清家さんは芸大だったからその意識が薄かったのかも。 司会:名前のつけかたをみても、広瀬、池辺両氏はNo.~でつくっています。清家さんは「~さんの家」。増沢さんはそのあたりは無頓着ですね(笑)。池辺さんはどうでしたか。 池辺:私は、社会に説明のできる明確なものを目指すことを研究室の姿勢にしています。だから、形の美しさというような、主観的で社会にとって役立つかどうかわからないことは、一切言わないようにしています。 司会:清家さんと池辺さんは、交流はあったんですか。 池辺:はい。お互いに評価しあう関係でした。清家さんの感覚と形態の決め方が気になっていました。こちらは感覚によらないようにがんばっているけど、清家さんはそれだけでやっているようで。それでも実際に訪れてみれば、いい空間だなあと感じて納得させられてしまうので、ズルいというか、うらやましいなと(笑)。 司会:清家さんは池辺さんをどう評価していましたか。 清家:社会に対する姿勢からくるモノとしての凄みがあるなと。 高橋:清家研の建築には機能がない、池辺研の建築にはかたちがないとやりあったそうですね。それが非常に楽しかったと。篠原一男さんとの対談(新建築2000/10)を読むと、お二人の違いもよく分かって面白いです。 司会:いろいろお話を聞いてみて、増沢さんと清家さんはどこか似ていますね。同じように広瀬さんと池辺さんも似ている気がします。そのあたりそれぞれお話を。 増沢:私はレーモンドに師事していたのでその影響を受けているかと思います。正直さなど。清家さんはしつらえということをよく言いますがどういうことですか。 清家:そこにあるものではなく、そこに起こることが大切であるということです。しつらえとは事ですね。 司会:じゃあ畳でよかったんですか。 高橋:あの畳は動く床ということなんですか。 清家:当時畳を使うと批判されました。周りは日本を否定していましたから。 高橋:清家さんはそのあたりは気にしていなかったんですか。 清家:私は社会がかわっていくところにフィットさせていくという姿勢でした。 司会:森博士の家では二間続きの和室をつくっていますね。当時畳は普通の生活空間だったんですよね。池辺さん、広瀬さんはどうですか。 池辺:鉄骨でつくる場合、プランへの影響はありましたか。 広瀬:鉄を使ってSHシリーズをつくっていく場合、より経済的であることが大きかったです。 池辺:私の場合は機能で分けていく合理主義。増沢さんは合理的でありながらどこかあいまいに残している部分があって、だから全体がおおらかにつながっているような。 広瀬:鉄骨でつくるということが一番にあって、それに伴う条件のもとでプランを考えていました。 増沢:ミースの影響などはありますか。 広瀬:ミースの鉄骨造のつくり方も理解し肯定しますがミースを意識していません。日本の住宅事情とは違うと思いますし。 司会:ミースは鉄骨のジョイントを溶接しています。広瀬さんはボルトでジョイントしていますよね。そのあたりの意識はどうでしたか。 広瀬:当時の経済的、技術的な理由からボルトを使用していました。 高橋:例えばイームズ邸はボルトでつくっていますよね。戦中、戦後の経済状況からボルトでつくるということがDNAとしてあったのかも。どちらかを選ぶ余裕もなかっただろうし。 司会:池辺さんは構造形式にはあまりこだわらなかったようですね。広瀬さんは構造形式に意識的だったようで、ある構造でやっているときはほかの構造はやらなかったみたいですね。広瀬さんは空間論でなく生産論を前面に出されていたと思います。美意識よりも工法の意識を先行させていて、工法を探求していましたね。広瀬さんは武蔵工大から教員の話があってから事務所をたたんでいます。そこで木造の可能性に気づきしばらく木造をやっていますね「木造のディティール」という本も出ています。その後また鉄に戻っています。広瀬さんは以前に「基礎つくるようになって建築がだめになった。鉄を地面から生えているようにしたかった。礎石の上にのった柱はズレてしまえばおしまいです」とおっしゃっていますね。広瀬さんは原理主義的に構造のありかたをを思考していたのではないかと思います。 高橋:四人うちでいちばんプランの話ができるのは池辺さんでしょうか。 池辺:私はレベルによって機能を分けたり、客観的な合理性のあるプランを目指しました。私自身のオリジナリティとしては、農家のように無駄のないものに美を感じています。それが合理的であると。 司会:プランニングよりも組み合わせで考えていたのでしょうか。二の倍数で図面を描いていたり。ロジックが美に置き換わっている。 高橋:増沢さんは非常に真面目にプランニングをしている。 司会:増沢さんはエキセントリックなデザイン性ではなく、日本の近代住宅のあり方を多角的に考えられていた方なのでしょうね。清家さんは近代というものを様式ではなく生活として受け止めておられたのではないかと思います。 <終わりに> 司会:50年代の住宅史を学んで得たことは鵜呑みにせず自分で解釈していいと思います。でもそこで考えなくてはいけないことは、その作家が何を考えていたか、その歴史や背景、社会に目を向けていかないといけないということです。では、みなさん今日はお疲れ様でした。
0 notes
ysformen · 6 years ago
Text
プロパガンダ映画『主戦場』の偽善 山岡鉄秀
2019.07.08
月刊『Hanada』2019年7月号に掲載され大反響!
山岡鉄秀「プロパガンダ映画『主戦場』の偽善」を特別公開!
※今月号(2019年8月号)に掲載されている藤岡信勝「慰安婦ドキュメント『主戦場』デザキ監督の詐欺的手口」と併せてお読みください。
■上智大学の思想環境  
私の元に興味深い報告が届いた。4月上旬、北海道のある小さな映画館に、ひとりの女性が映画の宣伝に訪れた。
「東京でたいへん話題になっていて人気だから、こちらの映画館でも上映していただけませんか?」 と言いながら示した映画が、『主戦場』だった。
その女性の名は石純姫(ソク・スニ)。苫小牧駒澤大学助教授だった。石氏は、2017年に『朝鮮人とアイヌ民族の歴史的つながり』という著書を出版している。「強制連行されて日本国籍を持たない在日朝鮮人には平等な機会、権利は保障されておらず、生存が脅かされている」と主張する方だ。  
4月13日には映画『主戦場』のデザキ監督のロングインタビューが、朝日ファミリーデジタルに掲載された。
「僕はもともとユーチューバーで『日本における人種差別』という動画を自分のチャンネルにアップしたところ、日本の“ネトウヨ”と呼ばれる人たち(ネット上で活動する右翼)に見つかり、オンラインでものすごく叩かれた。 その後、元朝日新聞記者の植村隆さんが慰安婦について書いた記事で同じように叩かれているのを知り、慰安婦問題に興味を持った」
「植村さんと僕のケースは『ある人が語ろうとしている問題を語らせまいとしている』という点で共通していると感じた。 アメリカ人としての自分は、誰かが語ろうとする言葉が遮られようとしたら『それはいけない!』と反応する。なぜなら告発や発言の背景には、苦しんでいるマイノリティー当事者が必ずいるからだ。彼らはただでさえ差別を受けているのに、告発の声を遮られることで二重に苦しむことになる」
インタビュー映像が撮影された上智大学には『主戦場』のポスターが誇らしげに貼ってある場所があった。「上智大学グローバル・コンサーン研究所」だ。映画に登場する中野晃一氏がかつて所長を務め、現在も所属している。
当該研究所のホームページに行けば、思想的傾向が明確にわかる。たとえば、雑誌、新聞、メディア関係のリンクをクリックすると、各種刊行物のリンクがリストされている。岩波書店『世界』、『週刊金曜日』、人民新聞(天皇制廃止を主張)等々である。
デザキ氏がどのような思想環境に身を置いてきたか、どのような人々と繋がっているかを見れば、『主戦場』があのように偏向した映画になることもうなずける。最初からそういうスタンスだったのだ。 映画のナレーションで、デザキ氏は言う。
「驚いたことに、私に付けられた反日的なイメージにもかかわらず、多くの保守系論者が取材要求を受け入れてくれた」  
朝日ファミリーニュースのインタビュー記事のなかでデザキ氏は、「自分が日系アメリカ人であることがポジティブに影響した」と考える旨の発言をしている。
またもや完全な勘違いである。彼が日系アメリカ人であることは100%無関係だ。インタビューに応じた保守系論客たちは全員、「慰安婦の証言も矛盾しているんですよねえ」などと言うデザキ氏が「慰安婦性奴隷説に疑問を抱き、公正中立なドキュメンタリーを作ろうとしているまじめな大学院生」だ、と単純に信じ込んでいたのである。  
ケント・ギルバート氏は、試写会に行って驚愕したという。それほどまでに皆、人が良いのだ。
彼らがなぜデザキ氏を信用したのか? それは彼の国籍などではなく、彼が上智大学の大学院生だったからだ。「学生なら協力してあげなくてはいけない」という道徳観に従って動いたのだ。それにまんまと付け込まれてしまった。
■取材せずに虚偽を流布  
それにしても、特に災難だったのは櫻井よしこ氏だろう。ギルバート氏の紹介だったので、うっかり取材依頼を受けてしまったが、ひどい扱いを受けた。
突如、映画に登場し、慰安婦性奴隷否定派から肯定派に転向したと紹介されるケネディ日砂恵(ひさえ)氏は「深く考えずに米国人ジャーナリストに6万ドル支払ったことを後悔している」と語るが、この部分で登場回数が少ない櫻井よしこ氏にインタビューが飛ぶ。
「あなたもそのジャーナリストと関係があったと聞いたのですが?」と訊かれ、櫻井氏は表情を曇らせて「その件には触れたくありません。複雑なので」と短く答える。  
デザキ氏は、この櫻井氏の反応を、いかにも都合が悪くて言葉を詰まらせているかのように映画の宣伝バージョンに使用している。  
しかし櫻井氏が言葉を濁したのは、自身に後ろめたいことがあるからではなく、ケネディ氏のプライベートな問題(人間関係・金銭関係など)に触れたくなかったからである。ケネディ氏が様々なトラブルの果てに姿を消したのは、彼女を支援した人々にとっては苦い思い出だ。  
そして櫻井氏こそ、ケネディ氏に相談を受けてサポートしようとした人だ。コメントを避けるのは当たり前なのである。 櫻井氏の発言は少ないのだが、映画の後半ではさらに「明治憲法復活を目指す日本会議という恐ろしい軍国主義集団」の宣伝塔だとしてレッテルを貼られてしまう。
日本会議はすでに「映画は事実無根の妄想だ」という抗議の声明を発表している。取材もせずにこのような虚偽を流布するに至って、『主戦場』はもはやドキュメンタリーではなく、プロパガンダ映画の正体を晒す。  
それにしても奇妙なのは、ケネディ日砂恵氏の名前が映画のパンフレットのどこにも書かれていないことだ。出演者一覧のなかにも含まれていない。左派に転向したケネディ氏こそ、デザキ氏の最終兵器だったのだろうか? ちなみに、彼女が接触し、現金を渡したとする米国人ジャーナリストは「彼女に騙された」と激怒している。  
オウム真理教ウォッチャーで有名なジャーナリストの江川紹子さんが、『主戦場』を見て次のようにツイートしている。
〈《主戦場》見てきた。最初は面白いなと思ったし、よくまあこれだけの否定論者を引っ張り出したなあと感心しながら見ていたが、作りのあまりのアンフェアさにうんざり。一人一人が考える機会をくれる作品かと期待していたけど、むしろ分断と対立を煽る作りに、かなり落胆した〉(6:20 - 2019年5月7日)  
慰安婦問題に関する知識の多寡や立場に関係なく、冷静な人が客観的に見れば、極めてアンフェアなプロパガンダ映画なのが明白なのである。
■慰安婦の涙を政治利用  
後半、荒唐無稽になってしまう『主戦場』だが、最後の最後にデザキ氏が登場させるのが、生前の金学順さんだ。幼い頃、初めて客を取らされた時の驚きと恐怖と苦痛を思い出して涙する金さんの姿を見て、「日本人は反省しろ」というわけだ。  
私は、このような手法は苦難の人生を生きた女性への冒瀆であり、偽善の極みだと思っている。
金学順さんは基本的に正直な方だと思う。だから、これまでにも最初から包み隠さず、自分が幼くして親にキーセンに売られたことも、キーセンのオーナーに中国へ連れて行かれたことも率直に話している。長いこと日本でも、貧困から娘を遊郭に売る悲劇があったし、さらに貧しかった朝鮮半島ではなおさらだった。
幼くして親から離された少女たちはどんなに不安だっただろうか。また、芸人として生きていくと思って修行していたら売春をさせられてしまった彼女たちは、どれほど傷ついただろうか。金学順さんの悲しみを他人が推し量ることは難しい。しかし、彼女の涙は本当の心の叫びだと思う。  
だからこそ許せないのが、金さんのような人を利用しようとする人々だ。朝日新聞の植村隆記者は金学順さんについて初めて報道したが、彼女がキーセンに売られた事実を書かなかった。植村氏の韓国人義母が会長だった太平洋戦争犠牲者遺族会は「日本政府を訴えれば賠償金を取れますよ!」と嘯いてお金を集め、本人を含めて詐欺罪で逮捕者を出し、有罪判決を受けた者もいる。
当時、慰安婦問題が国際問題にまで発展したのは、単純に慰安婦が存在したからではなく、日本軍が組織的に人間狩りのように女性を駆り集めて慰安婦にしたとか、勤労奉仕の女子挺身隊として集められたのに慰安婦にされたとか、朝日新聞が流布した虚報を日韓の国民が信じて衝撃を受けたからだ。  
西岡力氏は、金学順さんがキーセンに売られた女性で、軍隊に拉致されたわけではないことを『文藝春秋』誌上で指摘した。 これを受けて、吉田清治の慰安婦奴隷狩り証言の検証をすべく済州島に向かう準備をしていた秦郁彦氏が、金学順さんの弁護士である高木健一氏に電話をして「金さんは親にキーセンとして売られた人ではないのか?」と訊いた。
高木弁護士は「あれは玉が悪かった」と言い、「いま、次のいいのを準備している」と答えたという。彼らにとって元慰安婦は、反日活動と金もうけのツールでしかないのだ。  
西岡氏はソウルで金学順さんに会おうとするが果たせず、代わりに日本語通訳を務めていた韓国人女性に会って話を聞く。 彼女によれば、彼女が「おばあちゃん、なんで出てきたの?」と訊いたら、金学順さんはこう言ったという。
「寂しかったんや。親戚も誰も訪ねてこない。食堂でテレビを見ていたら、徴用された人が裁判を起こしたと報じられていたから、私も入るのかなと思った」
■壮絶な人生を歩んだ女性  
日本人として初の従軍慰安婦被害者として祭り上げられたのが、城田すず子さん(仮名)だ。城田さんは下町でパン屋を営む裕福な家庭で育つが、切り盛りしていた母親が急死すると家は急速に困窮化し、神楽坂の芸者置屋に奉公に出される。最初は雑用をしていたが、やがて座敷に上げられるようになる。
彼女はあとで、父親が置屋から多額の借金をしていたことを知る。近所の学生との初���もつかの間、遊び人の男に水揚げされて、いきなり淋病をうつされる。その後は台湾、サイパン、トラック島、パラオと転々とするが、南洋諸島には自分の意思で行き、内地とはうって変わった伸び伸びとした生活を送る。  
米軍の攻撃が迫ると内地に返されるが、恋人に会いたくて無理やり舞い戻り、激しい空襲を体験する。 日本軍人との恋、米軍兵士との恋と彼の帰任に伴う自殺未遂、学徒動員から帰国した男性との駆け落ちと流浪の果ての心中。自分だけ蘇生して知る恋人の死。
途中、何度も彼女を救い出そうとする人も現れるが、恋は成就せず、覚醒剤、賭博、たばこ、飲酒に溺れて立ち直ることができない。最後の最後に、奇跡的に知り合った赤の他人に助けられてキリスト教団体が運営する支援施設に転がり込み、やっと更生するが、作業中に腰骨を折って寝たきりとなった末に他界する。  
私は、彼女の自伝である『マリヤの讃歌』(日本基督教団出版局、1971年初版)を読んで何度も目頭が熱くなった。裕福な家庭に育ったおきゃんな少女が、母親の死を境になんと壮絶な人生を生きなくてはならなかったことか。彼女は自分の境遇を嘆きながらも、「貧乏が悪い」と人を責めず、苦労する兄妹のために借金を繰り返す。  
しかしひとこと、「父親はなんと無慈悲な人だろう」と本音を漏らすシーンが胸を打つ。もし、彼女の父親に命がけで娘を守る気概があったら、きっと彼女はここまで悲惨な人生を生きなくても済んだだろうに、と思わずにはいられない。
■碑文にある虚偽の一文  
だが、自伝を読んではっきり言えることは、彼女は人生のかなりの部分を売春婦として生きたとはいえ、従軍慰安婦ではなかったということだ。軍隊によって強制連行されたわけでもない。日本軍人も米軍兵士も相手にしたし、恋愛関係に陥ったりもした。
せっかく借金を返してまとまったお金を得ても、贅沢三昧で散財したりもした。親切にしてくれる人もいたが、守ってくれる親や親戚がいなかったばかりに、社会の底辺をひとりで彷徨わなければならなかったのだ。  
まだ貧しかった日本が大戦争を経て焼け野原に帰した時代、彼女のような人生を歩まざるをえなかった人も少なくなかった。心から哀悼の意を捧げたい。  
彼女の写真が、北米で初めて慰安婦像が建てられたカリフォルニア州グレンデール市の図書館に掲げられた。2013年、韓国人反日活動家たちが開催した慰安婦関連パネル展に、唯一の日本人女性として登場したのが城田さんだったのだ。  
彼女の写真の下には「I was their slave. 私は彼らの奴隷だった」と書かれ、英文の説明が続く。
〈1938年、城田すず子さんは17歳の時、父親の借金返済のため日本軍に身売りされた。戦争が終わるまで城田さんは台湾やサイパンの慰安所で働き、日本軍の性奴隷となった〉  
完全な虚偽である。 そして、慰安婦像の脇にはめ込まれている碑文には次のように書いてある。
〈1932年から1945年まで、日本帝国軍によって、朝鮮、中国、台湾、日本、フィリピン、タイ、ベトナム、マレーシア、東ティモール、インドネシアで家から連れ出され、性奴隷にされた20万人以上のアジア人とオランダ人女性に捧げる〉  
これもまた虚偽である。前述の弁護士といい、韓国人活動家といい、女性の人権を云々しながら、女性たちを政治的ツールに利用しようとする人々を私は心から軽蔑する。  
このような碑文とともに像が建ち、故人を虚偽の経歴で利用されたら、当然コミュニティに悪影響を及ぼし、侮辱されたり嫌がらせをされる日系人も出てくる。日本のブランド力低下にもがる。  
韓国人の反日メンタリティは中国共産党の「超限戦」にとことん利用される。豪州ストラスフィールド市のケースでも、突然、中華系の「日本の戦争犯罪を糾弾する会」が結成されて、韓国人会に慰安婦像設置をけしかけたのだ。日本政府が謝罪したり補償したりすればするほど、「弱さ」と捉えられて激しく攻撃される。
■問題が解決されない構図  
そのような事態になってしまったから、学者ではない者まで反論せざるを得ない状況に追い込まれてしまったのが現状なのだ。だから、『主戦場』に登場した保守派の人々は総じて、前述した反日団体のプロパガンダに反対意見を述べているのだ。  
たとえ左派でもまともな学者なら、反日団体の主張は学術的にも虚偽が多いことはわかるはずだ。デザキ氏でもある程度は気付くだろう。しかし、「反日団体の主張は学術的に正しくないし、強引に無関係な土地に慰安婦像を建てる行為は非生産的だからやめるべきだ。慰安婦をめぐる議論は自分たち学者に任せるべきだ」と主張する左派の学者を私は見たことがない。
それどころか、「性奴隷」や「強制連行」の定義を拡大して、反日団体や活動家を後押ししているようにさえ見える。それは偽善的で、問題の解決を遠ざけるだけの行為だ。だから、いつまでたっても議論がみ合わないのだ。  
ちなみに、『主戦場』の慰安婦性奴隷派のメイン話者の吉見義明氏は著書にこう書いている。
〈「官憲による奴隷狩りのような連行」が朝鮮・台湾であったことは、確認されていない。また、女子挺身勤労令による慰安婦の動員はなかったと思われる。(中略)しかし、「官憲による奴隷狩りのような連行」が占領地である中国や東南アジア・太平洋地域の占領地であったことは、はっきりしている〉(『「従軍慰安婦」をめぐる30のウソと真実』大月書店)  
つまり、法律が存在し、統制が取れていた朝鮮半島や台湾では権力による強制連行は行われなかったが、それ以外の前線では統制が崩れて犯罪行為も散見され、記録にも残っている、というわけだ。  
しかし、前述の碑文を予備知識のない人が読めば、当然、「武装した日本軍が組織的に民家に押し入って、一般女性を拉致して性的目的で奴隷のように酷使した」と理解するだろう。これは吉見氏らの学説とも明らかに異なる。明らかな虚偽なのだから、反論せざるを得ない。  
すると、デザキ氏のような活動家が現れて「歴史修正主義者」 「否定論者」と侮蔑的な表現でレッテル貼りを行う。それを吉見氏や林博史氏らが後押しするという構図になっている。
吉見氏も林氏も、慰安婦制度とは日本軍が単独で創り上げていたわけではなく、女性の人権を完全に無視する朝鮮半島の儒教的な封建制と徹底的な男尊女卑文化が背景にあったことを指摘している。  
今日的価値観からすれば、日本軍や日本政府にも道義的責任があると主張するのは自由だが、現実には娘を売る朝鮮人の親がいて、女衒がいて、客としての朝鮮人もいたわけで、それが当時の朝鮮社会における現実の一部(fact of life)だったから、ただの一件も暴動が起きなかったし、日本軍に所属していた朝鮮人兵士も反乱を起こさなかった。
また、反日の李承晩政権でさえ、日本の責任を追及して賠償を求められるものとは考えなかったのである。それもまた現実なのだ。  
にもかかわらず、ことさらに慰安婦制度は「日本軍性奴隷制度だった」と強調し、政治的目的を持って明らかに事実に反するプロパガンダを展開する反日団体を容認する姿勢は独善的で、学者としての誠意(integrity)を疑わざるを��ない。  
吉見氏や林氏がその時代に生まれ、目の前に金さんや城田さんのような女性がいたとしたら救うことができたとでも言うのだろうか? 金さんや城田さんの境遇に胸を痛めるのであれば、困窮した元慰安婦がいたら労り、政治活動に巻き込むようなことをしてはいけない。  
それどころか、現在も存在している女性の人権侵害問題に取り組むべきである。韓国で売春が違法とされたあと、大勢の韓国人女性が世界中に進出して売春をしている。悪質な業者に拘束されている女性も多い。  
シドニー空港の税関で止められた若い韓国人女性はテレビカメラの前で、「私は韓国にいたら気が狂う」(Korea drives me crazy)と泣きながら訴えた。北朝鮮から命からがら中国へ脱出した朝鮮人女性は、文字どおりの性奴隷にされていると報告されている。  
それらの、いまそこにある問題に取り組むこともせず、慰安婦像を建てたり、偏向した映画を作ってあたかも女性の人権を擁護する善人のように振る舞う人々とそれを応援する人々は、極めて独善的で偽善的だと言わざるを得ない。
■今度は植村隆記者の映画  
驚くべき情報が飛び込んできたので、最後に報告しておく。なんと、元RKB毎日放送社員で映画監督の西嶋真司氏が起案者となって、植村隆元朝日新聞記者を支援する映画の製作が企画されているというのだ。タイトルは『標的』。植村氏が不当な言論弾圧の標的にされているという主張を展開する映画だそうだ。  
チェックしてみると、A-Port という朝日新聞社のクラウドファンディングサイトで資金集めをしていることが確認できた。反日急先鋒のテッサ・モーリス=スズキ(オーストラリア国立大学教授)も絡んでいることがわかる。
資金調達達成率は、残り約100日を残��て56%とのことだが、すでに完成している部分があり、プロモーション動画の冒頭には「日本の正義が問われている」と書かれている。うんざりだが、裁判では飽き足らず、情報戦まで仕掛けてくる執念は見習うべきか。  
貧しい時代の不条理を生き抜いた、同情すべき女性たちを政治ツールに利用する反日勢力からの攻撃は止むことがない。彼らは慰安婦問題を円満に解決したいとは考えていない。どんな手口を使ってでも日本を世界史上に例を見ない犯罪国に貶め、永遠に日本人と日本政府を糾弾し続けたいのだと見做されても仕方がない。デザキ氏と『主戦場』が、そのことを改めて教えてくれた。
彼らが「標的」にしているのは日本の名誉だ。
(初出・月刊『Hanada』2019年7月号)
0 notes
kisanebacci · 6 years ago
Photo
Tumblr media Tumblr media Tumblr media
福祉労働2017年春号原稿No154
発達障害批判苦箇条
十一本
キーサンの生き様から叫ぶ
発達障害にハンタイするための
苦箇条
序カ条 患者会破壊キーサン文化破壊箇条
発達障害とは精神病者の文化とセーカツ、患者会文化とセーカツの破壊者となる
我々を蔑すむためのコトバが、また一つ、この世に、生まれ出た
我々、キチガイを落チ込ませるためのコトバが、
またひとつ、この世に、生まれた出た
我々を見下すためのコトバが、また一つ、この世に、生まれ出た
我々キチガイを陥れるためのコトバが、またひとつ、この世に、生まれた出た
我々を侮蔑するためのコトバが、また一つ、この世に、生まれ出た
我々、キチガイをますます、惨めにするためのコトバが、
またひとつ、この世に、生まれた出た
我々をクルシめるコトバが、また一つ、この世に、生まれ出た
我々、キチガイを、地獄の底に蹴り落とすためのコトバが、
またひとつ、この世に、生まれた出た
我々を殺すためのコトバが、また一つ、この世に、生まれ出た
我々、キチガイを競争へと追い立てるためのコトバが、
またひとつ、この世に、生まれた出た
我々を差別するためのコトバが、また一つ、この世に、生まれ出た
我々、キチガイの生をますます、無かったコトにするためのコトバが、
またひとつ、この世に、生まれた出た
『発達障害』と云うコトバである
『発達障害』と云う概念である
まだまだ、キチガイを、精神病患者を、
苦しめ足りない、殺したりないと云うわけか。
そうか、そうか、そうなのか
『再生の物語』それは、ヨカッタ
『クスリゼロの物語』それは、ヨカッタ
『誤診誤処方からの再生の物語』それは、ヨカッタ
『処方薬依存からの再生の物語』それは、ヨカッタ
それは、ヨカッタ、ですね、と云う、ダケのことダッタのだ
だが
モハヤ、それではすまぬ
もはや、それは、ヨカッタですね、では、すまなくなってきたのである��
発達障害に病名を変更した上で断薬が、人を成長させるノダ
発達障害をツコウての断薬こそが、精神医療の被害から立ち直り、
自己を見直し、人生を振り返り、人間を成長させることが出来るのノダ
と云う主張には、怒りを、感じざるを得ない
だったら、精神病でクスリを飲み続けるしかなかったし、
クスリを飲み続けることを選ばざるを得ない
そんな、キチガイに、精神病患者に、病者に
この発達障害減薬強行断薬断行宣伝論者達は
想像を絶するほどの冷酷さを持って
クスリゼロ圧力
社会復帰圧力
絶望と共に、更なる屍を積み上げながら、押し付けてくる
ドンナ美辞麗句を散りばめようと
クスリを飲んでいる患者には、人間としての成長ナんゾ
あり得ないと
匕首を突きつけてくるのである
これは、差別どころではない
これは、差別を超えた、我々キーサンへの
精神病患者への悪辣極まりない、攻撃である。
自殺圧力、
と云う、
絶望圧力、
と云う、
おそるべき虐待行動なのである
ソレが精神医療の真実とは、恐れ入りました
本当に恐れ入った
 発達障害概念、反対ナノです。クタバレなのです。何故って、余りに差別的であり、余りに余りに健病者的であり、保安処分的であり、積極治療主義的であり、社会復帰的であり、社会要因の無視化であり、オモタい病者の見殺し化であり、エリート障害者的ダカラであり、本当に差別的な最低のシロモノであり、団結と云うか患者会と云うか、『患者会』的在り方に対して侮蔑的であり侮辱的であり、精神医療福祉銭儲け拡大主義的であり、概念が勝手に無定見に拡大シテシテマう。ホント、この障害概念は、ナニモカモを飲み込みながら、概念の拡大をし続け、人格障害、精神病質まで、生物的精神医学の遺伝子探しマデも衣替えして再復活を遂げていますよ。
 だから当然、かえって精神科クリニックの、精神病院の、精神科の薬の、保安処分対象者を徹底的に拡大に次ぐ拡大をさせるだけでしょう。特にとくーーには、心理が、もうウハウハに拡大デスヨ。心理の裾野の増大に次ぐ蔵大、拡大に次ぐ拡大に、手を貸しただけだ。しかも古くからある『人格障害』の焼き直し的側面も強く、だから、健病者による患者会文化の破壊に手を貸す概念になるでしょう。それだけじゃあーない、青い芝の会から続く、この五十年近くにになるありとあらゆる障害者の自立への取り組みを、アッサリ発達障害者の依存とサポートチームにすり替えられてシマウんですよ。そう、障害者の『自立���とは『依存』であったのだ、に、掏り替える装置なんですよ。そうすれば、専門職の飯の喰いハグレが、無くなるんですよ。
 発達障害は、おそらく、既存の精神医療の根絶にはツナガラナイ。かえって、既存の精神医療や福祉が発達障害方向に拡大していくときの補強材料として利用されるであろう。発達障害は、おそらく、発達障害で社会復帰を目指すための補強材料として利用されるであろう。才能を花開かせて、社会に貢献しよう、と云うわけなのである。特に、発達障害者は、こう言われて、ジブンでも言いながら舞い上がりつつ、腐った社会復帰競争を煽り抜くダロウ。このようなサポートとサポートチームとハッタツ特性理解があれば、人し並になれるタラ、大した人物になれるタラ、いやいや、本人の才能が開花するんやーー、ゲージツ家に為れるんやと云う、背中には翼まで、はえてます、と言い出すとはなぁぁーーつまり半端者センセイ五職にナレルゾーーーという低学歴の精神病者への差別観蔑視感情を伴った鼻持ちならない健病者のエリート障害者の社会貢献路線をもって、自立を目指すシンドイ生き方をやらなくても良いぞーーーというハッタツ音頭シャカイフッキ音頭の唄と踊りにあけくれる十年間を補強し、健病者文化の社会復帰路線を強化し、新たな発達障害型の日精診、全家連、全精連、病者集団、精従懇、日臨心を、ベテルムカイヤチヤチ、コラルマキマキコなどを、次々と、生み出すであろう。
 発達障害は、おそらく、社会復帰路線という、社会参加路線という、社会貢献路線という右肩上がり家族会路線を延命再復活にするための補強材料として利用されつくすであろう惜しいことであった、惜しいことであった、本当に惜しいことであった。ハッタツ障害音頭は、おそらく、既存の精神医療の根絶にはツナガラナイそして、その音頭の踊りが一段落する十年後を見てみたらよい。一体ナニが残っているかを。さぞやさぞやな、依存する社会復帰競争の社会貢献競争の果てにナニが残ることに為るのか、想像してみたら良いのダ。
 発達障害は、おそらく、反社会復帰と云うキーサン文化を、働かない権利と云うキーサン文化を、さらには「生命の底で居直る」というキーサンそのモノの生命を、破壊してしまうだろう。そしてそれは、おそらく、このニホン低國と云う社会に対してそのシミンと支配者達に対して、根源的な『反』と『叛』と『乱』を対置し得ただろうと想われるキーサン文化を、捨て去るコトとなるだろう。だから、牙をもったキチガイから社会への『反』と『叛』と『乱』とを徹底的に亡き者にするための補強材料として利用されつくすであろう。患者会ナルモノをツブしたくてツブしたくて、無視したくて無視したくてタマランカッタおレンヂュウに素晴らしい患者会つぶしの武器を提供するコトに為るであろう。惜しいことであった。
 発達障害は、おそらく、患者会を、患者会文化を、歴史から抹消するための主攻正面と為るコトであろう。ツマリかえって、既存の精神医療や福祉が、発達障害方向に止めどもなく巨大化していくときの補強材料として利用され尽くすであろう。それが証拠に、イライ―リリー社のパンフを見て御覧なさいな。 こ病院での外来の待ち時間が長いのである。ナニカ読み物でもないかと、外来のブックスタンドを見るとアッタアッタ、大量の発達障害タラあすぺるがータラの宣伝パンフレットである。何種類もアルので、ビックリした。ビックリついでに、発行元を見て、更に、ビックリした。イライーリリー社なのである。どうりで、カネのかかった、豪華版のパンフレットが、自由に持って行ってくださいよ、とばかりに、並べてある。イライーリリー社が宣伝に努めているのである。おっと、ヤンセンファーマ社も負けじと「小児期の自閉スペクトラム症に伴う易刺激性でリスパダールを服用される方とご家族の方へ」をバラまいているではないですか。ドウとでも取れる診断基準をタレ流しして、煽りに煽って、ハッタツにクスリをぶち込もう、と云う魂胆がミエ見えなのである。ケッキヨクは、クスリの全体量は、増えるであろう、何故に、ソンナことも、ワカラナイカネ―――クスリ屋もぼろ儲けを狙っていると、いうに。
 そもそも、キーサン患者会は、精神医療の縮小化を目指して闘ってきたと言って過言ではない。縮小化を目指しながら、身近な精神医療を監視し続けてきたのである。そもそも、この発達障害概念は、新しく、障害を増やすものでアル。新しく、障害を増やしてはならないのである。何故か、「名前のない生きづらさ」を抱えてきたと云うミナサンが、これから、名前が付いたので、名札が付いたので、安心したミタイなことを、得々と、喋ったり書いたりしておられるので、こう言っておこう。何故か、何故か、何故なのか。その新しい、付けてもらった名札が、諸君らを「T4作戦の最終処分施設」に放り込むことに為るからである。モチロン、我々キーサンをも、である。地獄を見てから、シマッタと想っても、もはや遅いのである。権力は、世間様は、社会サマは、市民サマは障害者や病人に、ソンナに甘くは無いのだ
 それなのに、こうもやすやすと、新しい障害を一つ、増やしてシマッタ。世間様が貼り得るラベルを増やしてしまって、ドウスルノカ。そしてそれは、三障害から四障害に為った、一つ増えたと云うようなコトを遥かに凌駕するナニカを全ての障害者にもたらしてしまうだろう。ナサケナいハナシである。オソロシいハナシである。
 笠陽一郎や嶋田和子や広瀬隆士の批判なんか、もうどうでもいいノダ。そんなレベルの問題じゃないんですヨ、この発達障害というモンダイは。50年は闘い抜いてきた青い芝の会から続く、障害者の自立と依存、病者内あるいは障害者間の内部差別、障害の軽重による差別、というモンダイなんですよ。だから、笠批判という個人批判が、この問題を矮小化させるように働くようだったら、えばっちはもう笠批判や嶋田批判なんてどうでもよいです。それよりか、この発達障害のもつ、恐ろしいほどの【差別性】【権力性】【依存性】を暴きたいのです。もうそろそろ、病者、当事者たちも、医療や福祉や心理の専門職たちも、この発達障害概念のもつ、恐ろしいほどの『すり替え装置』『専門職への依存装置』『権力が利用しやすい利用装置』であるところの本質を、見抜くべきときが来ていると想います。さもないと、、、、、 
 腐った専門職が言い始めたことです、しかも、エングランドの。どのような便利な道具であろうと、根底に、我々『キチガイ』と『キチガイ病院』に入院中の患者に対する差別、侮蔑、侮辱に満ち溢れているモノとは、対決するのみです。だから、言ってミロ、や、この戯け者ども、そうそう、発達障害概念を拡げようとしている医者や、ライターや心理のヤツ等と、ジブンは発達障害だと自慢げに話す発達当事者たちよ、オマイ等、『キチガイ』や『キチガイ病患者』よりは、よりマシなものだと、思っているんじゃないのか、正直に言ってミロヤ、オイオイオイオイ、チガウと言えるのか、コラララララァァーーーァーーコラコラコラコラコラララーこの糞戯け者ども。発達支援議員連盟の顔ぶれを見てミロヤーーー発達障害者支援法を見てミロヤー、改正の方向が、エバッチが、叫び続けてきたコトと同んなじやろが、だから言ったろ、名前のない生きづらさに名前つけてもろうて、喜こんどったら、こうなるやろ、登録だけさせといて、後は、少しずつ法律をいじりゃあーーイインヤカラ。その名前のない、少しは、高機能な能力もアルノダと云うような「高機能性発達」の名札貼ってもろうたら、それは同時に「T4作戦の最終処分施設」へのパスポートにも為るノンや、ナニが特性理解がパスポートなんヤ、ホラミロや、大笑いしてやる。とうとう、言うタとうりに為っていきやがる。キチガイも諸共にヤラレそうヤナ。こんチクショー、ハッタツ拡めたヤツ等、セキニンとんなはれや。
 発達障害問題は、ね、今やセード的セイヂ的ホーリツ的モンダイ、課題なんですよ。もはやね。それが、分からないのかナァァァァーーー、行政と学会として、非常に政策的に、拡大したんですよ、それ、ワカンナイノカカナナナァァァァァァァーナァァァァァァーーー
 教育の方のゲンバでは、6.カンタラパーセントと云う数字が独り歩きして、スクカンが、ちょっと、教室や、学校や、先生にとって、都合の悪い子供たちを、探し出してきては、6.カンタラパーセントに為るヨウニ、発達障害を貼りまくり、精神科につなぎ、クスリを入れているんだ。教育の現場では、スクカンのゲンバでは、発達障害イコール精神科イコールクスリになってるのが、わからナイノカナァァァーー、スクカンが、そう叫んでいるではないか、良心的スクカンが、タマラナクなって、そう、自白を始めているではないか。
 母親たちは、結局はハッタツゲンヤクバージョンエンドレスリピート全家連をこしらえ、クスリがゼロになって、就学就職に成功した我が息子や娘たちを中心に、社会復帰バリバリの、家族会傘下の発達当事者会を、作り上げるでしょう。ハッタツクリェイティブハウスか、ゲンヤクハッタツダンヤク拷問ハウスを作り上げるでしょう。本人の了解なしにやれば、どのように良き意図をもってやったとしても、拷問になるのです。新しいタイプの精神科拷問課ですダンヤク拷問、ゲンヤク拷問の、登場です。我々キチガイは、古いタイプの拷問にも、新しいタイプの拷問にも殺される、ことになるのです。そして、笠医師を使いツブシタ後に、ジブンタチに同調する若手医師を確保してきて、断薬専門クリニックまで、つくりあげるかもシレマセン。そして、それらは、結局は、既存の精神医療を強化しつつ、延命させ、患者会文化を、完全に抹消シクさるでしょう。
 なぜなら、それは、当事者の自立ではなく、母親と、医師をはじめとする医療福祉サポートチームへの、徹底的な、依存を勧めるからです。拷問されながらの依存に、発達当事者は進ん��いくので��、自らね。「依存する社会復帰競争」というか「社会復帰のための依存競争」といったものになっていくでしょう。見方を替えれば「拷問されながらの依存競争」というか「依存させながらの拷問競争」とでも、いうか。依存してナニが良いのだ。クスリを増やすのも減らすのも、入院させられるのも、施設に入れられるのも、母親と精神医とサポートチームの好きなようにさせられるんですよ。モチロンうまくいった場合のハナシです、それは。ウマクはいかないと、十年以上も拷問が、続くことになる退行から、もどらないことも、ある、、、、、親子心中までも、、、ね、、もどってはこないことも、あるのです、よ。ゲンヤクが、ヂゴクのようになることも、多いのですよ。タイヘンナたいへんなコトナンデスヨ。しかも、嘘まで、言ってしまった。ハッタツしかないんだと言ってセカンドしたら先に診断名が決まっているセカンド診断だ。無茶苦茶なことを言っているんですよ。ボクの自己批判なんかでは、済まないんコトなんですよ。
❶カ条 差別箇条
差別そのものである
 まずもって、この発達障害概念ソノモノが、とてつもなく差別的ダカラである。
既存の障害概念、疾病概念に対して、徹底的に、失礼無礼の限りを尽くし、た、その上に、この障害概念が成立しているのである。特に重たい自閉症のみなさんや、知的障害者のみなさん、そしてそして、我々精神病患者に対しては、よりマシである、より軽く、より才能がある、と言い回り、知的な障害は無い、精神病などでは無いと云う宣伝を、専門職とも当事者とも、そう、言いつのっているのである。知的障害者や精神病患者に対して、ソウ言うコトがドレだけ無礼で失礼で、傲慢で、鼻持ちならない差別者だ、という事がワカッテはいないのではないか。許されることではない。しかも、世間様の風潮も、ソウなのである。しかも、それでいて、愚かしくも、当然、才能の高低や、在る無し、イロイロあるなかで、ナニかしらに『成功』した障害者がエライのだ、と云う風潮をばら撒いている、のである。ドウニカなる障害者が出てくるのは、至極とうぜんであろう。
 精神病患者のグループに比べて、発達障害者の団体は、高学歴者が、多いのだそうである。実際調査してみて、ビックリした、と云うような、コトを、福祉系の雑誌に堂々と書くアンポン譚もいる、と云うコトだ。しかも、書いた本人に当事者性もアル、と云うダカラ、念のいったアホさ加減ということであろう。ソンなに高学歴が、良いのですかいな、と想ったソンなアホな記事が掲載されていた。これほど、障害者間の能力競争と差別感を野放図に表すコトもなかろうに、、、、しかし、もはや、そんな感覚も麻痺してしまっているのか、、、酷いハナシである。
 何故、あんなにエラそうに、クスリゼロを言うのか。何故、あんなにエラそうに、発達障害だ、統失ではない、と言うのかトーシツじゃナカツタと、喜びを顔いっぱいに、目を輝かせて、言うのか。母親が、同じママ友に、満面の笑みを浮かべて、こう言う。うちの息子ね、精神病じゃなかったんダッテ、発達障害だったんダッテ、と。走ってきて、頬を紅潮させて、そんなに嬉しそうに報告すべきことだったのか。そこに、精神病に対する忌避感と侮蔑感はなかったのか。そこに、精神病患者への差別意識は、ナカッタと、言えるのか。うちの娘は、精神医療と、手が切れたんですよ、と、ソンナに鬼の首でも、取ったかのように、言うのは何故なんだい。だったら、卒業して行ってくれよ。残って、それを宣伝するから、そうはならない者たちがより、苦しむことになる。まるで、そうはならなかった者たちの努力が足りないかのようにエラソウに言う。なんということだ。差別と侮蔑の再生産をやっているダケだクスリゼロになって、うちの息子は、大検受かりましたって、、、、あーーーソウカナそうかなソウソウソウソウソウカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナナナナナうちの息子は、精神科医になりましたよあーーーソウカナソウカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナクスリゼロになって、うちの娘は、看護婦試験受かりましたって、、、、あーーーソウカナそうかなソウソウソウソウソウカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナナナナナうちの息子は、大学に入りマシたよあーーーソウカナソウカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナ
 笠陽一郎医師が、言い腐る。腐った毒殺精神医の大学の教授が、セカンドに行った母親にこう言い放ったと、書いていた。「どうしてそんなに診断にこだわるんですか精神病に対する偏見じゃないですか」ってっ、かっ。笠医師よ、おれがセカンドのママさんたちに、そしてアナタに、精神病患者に対する差別意識があったのではないかと指摘すれば、アナタはこんな腐った大学教授の話を持ち出そうとするのかい。同じようなことを言っていても、意味が違う。想いが違う。何故か。二十五年以上前の、ぼくの入院体験を、書いてみたンダ、読んでご覧ナ。これは、ほんのひとこま、のハナシさ。そのおれが、はっきりとこう言ってるんだ。セカンドに開いていた大穴とは、発達障害バンザイの精神病者に対する差別意識、忌避感情、侮蔑感だったとね。チガウかな。
 だから、何故、あんなエラそうに、家族と本人の、努力が足りない、みたいに、言うのかね。何故、ソんなエラそうに、クスリを飲んでいる患者に当たるようなことを、言うのか。さげすむように言うのか。クスリを飲んでいる精神病患者に対して、ものすごく、侮蔑感を侮辱感を、丸出しにしていると感じるのは、おれだけなのかな、、、、、くじら会のママさん達も、成功体験バックにするから・・・えらく、侮辱的だねぇーー
 あえて、言うのだが、過去の、そして現在も、今後も、ワラワラとやってくる病名変更を求めての意識的セカンド受診のママさんたちや本人たちに、精神病患者、精神病、精神症状、精神病患者のセーカツぶり、ビョーキぷりに対する忌避感、嫌悪感、差別感は、無かった、皆無である、と、言えるのであろうか。ソコの所を再考にも再考すべきであろう。発達障害宣伝活動家たちの書いたものを読んでいると陰湿な障害者差別意識と悪質な蔑視感情が根強くある、と、感じざるを得ないのである。
 だから、健常者社会からもっともモットも激しく非難され差別され続けてきた者こそが、いやーーーな気分を持って、読むことになる。我々キチガイを差別する側が、もう一つ増えるだけの様な気がするのである。すなわち、発達障害者が精神障害者を差別し見下すことである。発達障害者が精神病患者を虐待し、いい気にナル予感がするのである。
 もっとも、その発達障害者への健常者社会からの差別虐待をも、また、助長しているのではあるが。だから、この発達障害を後生大事にご使用になられている皆さんに言いたい。自らも差別されているのに、それに気づかないとは、アンポン譚極まりない。いや、気づきつつ、実は気づいているがゆえに、自らへの差別は不問に付し、自ら、より重たい、よりしんどい精神病者を、知的障害者を、自閉症患者を、差別する側に回ったのか。
 だから、それは、精神医療の根底的な破壊に繋がるハズもなく、閉鎖病棟や看護士の暴力、保護室、四肢拘束などの、電パチ、スイカ割り、ガン箱退院の意識的な無視とあいまって、結局は、ハッタツ大好き宣伝広告マン達の精神病者への差別意識と蔑視感、侮蔑感、忌避感が露呈しているのである。陰湿な障害者差別意識と悪質な蔑視感情が根強く、いい気になりながらの、我々キチガイを差別する側が、もう一つ増えるだけなのである。
 すなわち、発達障害者が精神障害者を差別し見下すことである。発達障害者が、知的な障害は無いンデスヨ、精神病などでは無いンデスヨと、言い回り走り回り言い募り、精神病患者を虐待し、いい気にナルのである。
❷カ条 ナンデもカンデも無制限拡大箇条
発達障害の概念が、範囲が、無制限に無定見に拡大していき、ついには意味不明と為ってシマッテいる、そも障害概念の定義自体がドウとでも取れるシロモノである
こう、言い換えても良い
精神医療と心理が発達障害を梃子に無定見無制限に拡大し、ウハウハに儲かる
 そもそも、ムチャクチャな意味不明な、あいまいで広すぎる障害概念ダカラである。ナンデもカンデも発達障害に為ってしまうのである。ムカシなんでもかんでも、分裂病だったが、今度はナンデモカンデモ発達障害なのである。知的障害、自閉症、精神病、奇人変人、偏屈者、ノイローゼ、神経症、不登校、引きこもり、その他モロモロをすべからく、発達障害だ、と言い切ってシマッテいるのである。過剰診断ナンて生易しいものでは無い。オソロシイことである。銭儲けの為だけに、これだけの障害者増大に次ぐ増大が成されたわけでもあるまいし、その本音を知った時には、コトは、もはや、遅いかもしれぬ。まだしも、ムカシながらのコトバの方が、マシな気がしますがね。
 大体が、精神分裂病→統合失調症→発達障害と、すすむにつれて、レッテルが、ラベルが貼りやすくなっていませんか。分裂病を貼り付け得なかった、奇人、変人、根性曲がりの偏屈じじい、靴を一足と言わず二足も三足も履いてしまっているヘンクツじいさん、変人オッサン、奇人ヘンクツゲームおたく、等々にすべからく、発達障害を貼り付けているのである。コレは、本当にオソロシイ事だと、想わないのダロウか。誰にでも貼り付けられる。恐ろしいことだ。心理と精神科が拡大してイッテイルンですがね・・・精神科→心療内科→メンタルクリニック→カウンセリングルームと、すすむにつれて受診しやすくなってはいませんか。ノンラベルやのうて、貼れるラベルが増えたダケですよ。発達障害は患者を倍にするダケですよ、いや、もっともっと、多くなるでしょう、千倍かな・・百倍かな、、、、、しかも、ナニを誤解しているのか、ジブンの方から掛かりに来る、ジブンの方から症状を増やしていく、というのか、発達障害は、才能がアルとイコールやと、でも想うのか・・・ジブンのほうからいくんですよね、、、、ソコが、精神分裂病とは、チガイますよね、オソロシイ。
 生活保護で、一人暮らしで、高齢で、精神病院から退院したことのないヨウナ病者達のことを、歴史からなかったかのようにする、ゲンヤクで苦しんでいる患者を、無かったかのように、言う、ゲンヤクに苦しんでいる患者に、寄り添ってはいないような、ゲンヤクをアキラメた患者を敗者扱いし、クスリがゼロになった患者を勝者扱いし、ゲンヤクで苦しんでいる患者に、アンタの努力が足りないからだと、説教と折伏をしてくる。そのような態度に、えばっちは今や、徹底的に笠陽一郎医師を批判すべき時が徹底的にくじら会の母親たちを批判すべき時が徹底的に発達障害概念と闘うべき時がついに、来たのだと、自己批判しながら闘うべき時がきたのだと、想い知ったのです。
 もっとも、アンポン譚な状況は、精神病は存在しない、アルのは発達障害ダケである、とまで、言いだしているのである。しかもしかも、その診断基準たるや、お粗末トシカ言いようのないモノなのである。ある医者の発達障害の診断基準を聞いたときに、腰を抜かしたのである。得々と語る、その診断基準は、ドウとでもトレれるシロモノで、なおかつ、ムカシの人格障害概念と、ソックリ同んナジモノなのである。しかも、当の精神医は、そのことに気づいてもイナい様子なのである。ナニを寝とぼけているのか、アンタは今、一人の患者を、発達障害の名のもとに人格障害である、と、診断しテシマッタたことに気づきもシナイのである。しかも、知的障害のセカイのみなさんが、セーカツとしてもウンドーとしても、営々と積み上げてきた、「暦年齢に見合った発達レベルがある」と云う「発達保障論的」な腐った概念に対する批判の数々を、アッサリ否定してしまっていることに、気づくことも出来ないでいるのである。そらおそろしく、寒々としたものが、背筋を走ってしまい、アホらしくて、その医者を批判することすら、アッケにとられてしまい、出来なかった次第である。ナサケナいハナシである。
 余りにムチヤクチャな曖昧で範囲拡大増加の概念故に、とうとうムカシながらの人格障害、精神病質、発達保障論の再復活とともに、ドンなニンゲンにでも、貼り付けられる、まことに便利な名札と化してシマッタ。腐った専門家の諸君には、まことにケッコウな重宝な名札を、監察札を手に入れたのである。心理と精神医と教育者どもは、ウハウハであろう。おっと治安監督官連中もね。だから、当然、特性理解者サポーター、サポートチームなどとは、結局のところ、精神医療と福祉と教育が発達障害方向へ拡大していくときのボロ儲けのタネになるであろう、と云うことである。クスリと電気ショ���クと四肢拘束で儲け、発達障害のミナサンへのサポートチームでも、また、ボロ儲けするのである。依存してくれるので、飯の喰いはぐれがないのである。まことに、ケッコウな、お商売なのである。精神医療と福祉は、根絶も縮小もしていかない。拡大していくのである、オソロシい。心理職の国家資格化おねだり路線を見よ。
申請神聖ハッタツ博士片岡聡のリトプごっこを見よ。NHKから金もろうて、議員様相手に、法整備、制度政策おねだり講演会、開きくさった、笠セカンドからとうとう、こんな戯けた当事者が、悪辣極まりない障害当事者が羽化を始めましたよ。バカバカしい。片岡聡のような当事者からのおねだりもアルので本当に、ぼろ儲け、していけるであろう。ハッタツ護送船団おねだりボロ儲け路線である。専門職が、今の十倍いても、発達障害者を十倍に増やせばいいだけだから、しかも、依存してくれるので、本当に、ボロい儲けを生み出すであろう。これで、精神医療を根底的に破壊できる、などと、寝ぼけたコトをいえたものだ、大魔王教主笠陽一郎大センセイよ。逆だよ、逆、精神医療と心理と、福祉は、徹底的に、拡大していけるんだよ、この発達障害をツコウてね、ぼろ儲けしながらね。ナントイウバカげたことを、アンタは、ヤッテしもうたんだろうね。
❸カ条 キチガイ患者障害者無効化箇条
障害者、病者の発言、行動に対する無効化の武器がまた一つ増えるだけである
 またもや、またもやの、まことに結構な、発言や行動を無効化できる、素晴らしい、武器となるのであ。たとえば、我々精神病者は、アレがキチガイの戯言やと、アレが躁や、アレが妄想や、アレが鬱や、アレが偏執狂やと、アレが躁鬱の波や、アレが幻聴や、アレが幻覚やと、アレが人格障害や、アレが精神病質や、アレが鬱や、アレが被害妄想や、と散々に言われて、我々の言うこと為すコト、すべからく、価値がない、と、無視され、無効化されてきたのである。アレが双極性障害Ⅱ型の薬剤性やくざや、ここにきて、今度は、さらに加えて、あれが発達障害者のこだわりと云う特性やタラ、興味の持ち方の狭さやタラ、アレが人間関係の幼さやタラ、発達障害の成長の無さやタラ、タラタラタラタラと、精神医中心に散々言って無効化するのである。例えば、さぞや、このところのえばっちの文章に、対しても、言っていることであろう。そう、だから、この点を特に重宝しているのは、実は、内海聡や、幻術魔道士嶋田和子や大魔王教主笠陽一郎達と言った、発達障害や発達特性を、精神医療改革の最終結論だ、答えだと、言って良いように宣伝して広めてきた当の本人たちが、いざ逆らうようになった病者たちに、患者たちに向かって、陰ひなたなく使っているのである。大魔王教主笠陽一郎のホームページや幻術魔道士嶋田和子のブログに内海聡のブログにも、隠そうにも隠せなく、端々に、にじみ出ているのである。ああ、もちろん、くじら会のママさん達の茶飲み話にも、為っていることでしょうね。許せないことだ。さぞや、さぞや、他の医者たちや心理士や治安監督官たちにも、良いお手本に為っているだろう。
 こうやって、我々のヨウな文句言いのキチガイの言う事や書いているコトや、叫んでいることを無効化するのである。叫ぼうとしている中味を考えようとすることなど、ないのである。精神病の症状と発達特性と、の、せいにすれば、よいのだから。精神医の診察室での、心理士の相談室での、患者への無効化兵器が、一挙に倍どころか、十倍ぐらいに増えるンデスヨ、いゃああーー精神医と云うのは、カウンセラーと云うのは、まことにケッコウなお気楽なお商売ですな。我が身らの診察室や相談室を『荒らし』そうな患者に対して、無効化の手段が一挙に倍にナッタのである。精神病で無効化できなかった発言や行動に対して、今度は、発達特性で無効化するのである。特に診察室で、医者やカウンセラーやPSWや学校の先生に逆らう患者に対する無効化兵器が倍増したのである。
 いや、念のいったことに、更に兇悪なことには、発達障害特性は、最初の入門口に才能があると云う方向も宣伝シマクッテいるので、ナント有効化と無効化を、相手を選んで、医者の好きなように有効化と無効化を選択して使えるのである。コレは、恐ろしいことである。精神病では、コウはいかない。医者に逆らう非友好的患者には、精神医は発達特性故の無効化を叩きつけ、友好的患者には発達特性故の有効化して才能あると持ち上げさえ出来るのである。ソレをまた、逆転することも可能なのである。依存先の精神医と心理士と先生の思うがままに、である。コレを最も悪用してきたのが大魔王教主笠陽一郎と云う精神医なのである、と言ったら、本項❸箇条が、ハッキリすると想う。他の精神医の先生様方が、笠セカンドや大魔王教主笠陽一郎大先生様をお手本に出来る最大の点でしょうな、コレが。オソロシいことだ。で、結局は、観察法法廷や、治安監督官たちにとっても、後見人たちにとっても、いやはやまことに、ケッコウな武器でしょうな。発達障害本や発達特性本の、使い道の読み方の、新たなる一ページ、と云うか、元々の一ページでしょうな。どちらにせよ、精神分裂病や躁鬱病の病状、症状で無効化できなければ、今度は発達特性で無効化するのである。一人の人間を無効化するに、【病状症状】で、出来得なければ、【特性】でも出来る、と云うコトなのである。有り体に言って、患者を病状や症状のせいだからと、沈黙を強制しようとしても、無効化すらも出来得ないときには、『発達特性』で、無効化鎮静化できる、と云うことである。
キーサン革命の鬼ことえばっち 江端一起
えばっちのホームページ 乾坤一擲
http://ebacchihomepage.dousetsu.com/index.html
0 notes
kininaru-text · 8 years ago
Text
セックスワークについて
寺子屋ゼミで「セックスワーク」についてゼミ生から質問を受けた。 「話すと長い話になるから」ということでその場はご容赦願ったのであるが、橋下発言をめぐって��セックスワーク」についての原理的な確認をしておきたいと思って、筐底から旧稿を引き出してきた。 2003年に『岩波応用倫理学講義』(金井淑子編、岩波書店)に書いたものである。 そこでは社会学者たちの「売春擁護論」に疑問を呈した。 同じ疑問を私は今回の橋下発言をめぐる賛否のコメントについても感じている。
セックスワーク-「セックスというお仕事」と自己決定権 はじめに 最初に正直に申し上げるが、私自身は、セックスワークについて専門的に考究したこともないし、ぜひとも具申したいような個人的意見があるわけでもない。ときどき、それに関する文章を読むが、数頁(場合によっては数行)読んだだけで気持ちが沈んできて、本を閉じてしまう。 困ったものではあるが、私を蝕むこの疲労感は、必ずしも個人的なものとは思われない。 私の見るところ、この問題については、どなたの言っていることにも「一理」ある。 ただし、「一理しかない」。 異論と折り合い、より広範囲な同意の場を形成できそうな対話的な語法で自説を展開している方にはこの論争の場ではまずお目にかかることができない。 みんなだいたい「喧嘩腰」である。 経験が私に教えるのは、この種の論争では、みなさんそれぞれにもっともな言い分があり、そこに最終的解決や弁証法的止揚などを試みても益するところがないということである。 私は以下でセックスワークについて管見の及んだ限りの理説のいくつかをご紹介し、その条理について比較考量するが、そこから得られる結論は「常識」の域を一歩も出ないものになることをあらかじめお知らせしておきたい。
1・ 「セックスワーク」という言葉は価値中立的な語ではなく、それ自体明確な主張を伴った術語である(と思う。違うかもしれない)。 この言葉が日本のメディアで認知されたのは、おそらくは『セックスワーク』というタイトルの売春従事者たちの証言を集めた本が93年に刊行されて以後のことだろう。 この本には売春婦の権利のための国際委員会(ICPR International Committee for Prostitutes' Rights)憲章と世界娼婦会議(1986年)の声明草案が収録されている。セックスワーク論の基本的な考想を知るため、私たちはまず彼女たちの主張から聞いてゆきたいと思う。「憲章」は次の文言から始まる。
「個人の決断の結果としての成人による売春を全面的に非処罰化せよ。」( F・デラコステ他編、『セックスワーク』、山中登美子他訳、現代書館、1993年、386頁)   以下に続くその基幹的な主張は、 (1)「大部分の女性は経済的な依存状態にあるか、絶望的な状態にある。」 それは女性には教育と雇用の機会が不足しており、下級職以外の職業選択を構造的に閉ざされていることによる。 (2)「女性には十分な教育を受け、雇用の機会を得、売春を含むあらゆる職業で、正当な報酬と敬意が払われる権利がある。」  (3)「性に関する自己決定権には、相手(複数の場合も)や行為、目的(妊娠、快楽、経済的利益など)、自分自身の性に関する条件を決定する女性の権利が含まれる。」 以上の三つにまとめられるだろう。 その他に「強制売春・強姦の禁止」「未成年者の保護」「性的マイノリティへの差別の廃止」などもうたわれているが、それらの主張に異論を申し立てる人はまずいないだろうから、議論がありうるとすれば、この三項にかかわると予想して大過ないはずである。 ここに掲げた三項は(1)が「女性差別」をめぐる一般的状況の記述、(2)が「売春する権利」にかかわる要求、(3)が「性に関する自己決定権」の範囲について規定したものである。それぞれの含む条理について、以下で計量的な吟味を試みてみたいと思う。   2. 世界娼婦会議の主張について、私たちがまず見ておかなければならないことは、それが伝統的なフェミニズムの父権制批判とかなり齟齬するということである。 私たちになじみ深い伝統的な廃娼運動は次のような考え方をする。 女性が性を商品化しなければならないのは、男性がすべての価値を独占し、商品価値のあるもの(権力、財貨、教育、情報など)を所有することを女性に構造的に禁じているからである。女性は父権制社会においては、本質的に「性以外に売るものを持たない」プロレタリアートの地位に貶められている。売春婦はその中にあって、もっとも疎外された「抑圧のシンボル」である。それゆえ、喫緊の政治的課題は、売春婦たちをその奴隷的境涯から救出し、売春制度そのものを廃絶することである。 例えば、サラ・ウィンターはこの立場を代表して、次のように書い��いる。
「男性は、女性の体を性的利用目的のために売買する必要性と、その権利すらあることを正当化するために周到な試みをしてきた。これは売春を職業と婉曲に表現することで、ある程度は成功した。女性のおかれた不平等な立場や、売春婦にならざるをえないような前提条件などは都合よく無視して、低賃金、未熟練、単純労働に代わる、楽しめて実利的な仕事として、女性は売春をやりたがっているのだ、という神話を男性は喧伝し広めてきたのだ。(・・・)フェミニストとして私たちは、経済的従属状態や、強制された性的服従状態(私たちはこれを強姦と定義してきた)を批判し、廃するだけではなく、性的虐待および不平等な商取引である売春制度を批判し、廃していかなければならないと決意している。」(同書、322-4頁)
だが、ウィンターの威勢の良いフェミニスト的廃娼論と世界娼婦会議の主張の間には、乗り越えがたい懸隔が存在する。 ご覧の通り、世界娼婦会議に結集した売春婦たちは、彼女たちの「生業」であり「正業」である売春制度の廃絶ではなく、存続を要求しているからである。 彼女たちが求めているのは、「女性抑圧のシンボル」として扱われることではなく、労働者として認知されることである。この点で売春婦たちはフェミニストと正面から対立してしまう。 「フェミニストが売春を正当な労働と認め、かつ売春婦を働く女性として認めるのをためらい、あるいは拒絶しているために、大多数の売春婦は自分をフェミニストとは考えていない」と「憲章」は記している。  (同書、390頁) この対立について、フェミニストの主張と売春婦たちの主張を読み比べると、私は売春婦たちの訴えの方に説得力と切実さを感じてしまう。以下にその理由を述べる。
ウィンターはこの短い引用の中で二つのことを述べている。 一つは、父権制社会においてはすべての女性が男性への経済的な従属を強いられ、性を商品化することを強制されている、という父権制批判。 いま一つは、売春制度は男性の女性支配の最悪の形態である、とする売春制度批判である。 それぞれを一つずつ読めば、どこにも矛盾はないように思われる。 だが、二つを読み合わせると不整合があることに私たちは気づく。 というのは、売春婦を「より多く抑圧されている女」として「犠牲者化」することは、売春婦と一般女性のあいだにとりあえず「抑圧の程度差による序列化」を導入することに合意することだからあるが、この序列化には理論的な根拠がないのである。 売春婦を「穢れた女」、一般女性を「清らかな女」に区分する差別化はもちろんフェミニストの採るところではない。となると、売春婦が「より多く」抑圧されており、一般女性たちが「より少なく抑圧されている」という「差別」を可能にする理由は一つしかない。 それは、非売春婦たちの方が、売春婦たちよりも、「ロマンティック・ラブ」や「偕老同穴」や「貞操観念」などの近代家族幻想の延命に貢献しているという事実である。 例えば、主婦たちは、男性に性的に奉仕し、その自己複製欲望に応えて子を産み、家事労働によってその権力独占活動を支援し、父権制の延命に深くコミットしているがゆえに、この社会においては売春婦よりは「より少なく抑圧されている」ことになる。 だが、フェミニストの立場からするならば、「娼婦と比べて『高待遇』の終身雇用制となっていると思われる」  妻たちは、父権制の無自覚な共犯者に他ならない。この妻たちを、をその「経済的従属状態」と「強制された性的服従状態」(ウィンターによれば、これは「強姦」である)から「解放」する戦いもまた喫緊の政治的課題だということにはならないのだろうか。 父権制批判の立場からするならば、「主婦の解放」を「売春婦の解放」より「先送り」にする理由はない。 現に、「主婦こそは恥ずべき性的奴隷である」という指摘はすでに大正の与謝野晶子の時代からなさされてきた。菅野聡美は与謝野の立場をこう祖述している。
「与謝野晶子は『良妻賢母の実質』は『結婚の基礎であるべき恋愛を全く排斥して顧みない物質的結婚に由つて妻と呼ばれ、唯だ良人たる男子に隷属してその性欲に奉仕する妾婦となり、併せてその衣食住の日用を弁ずる台所婦人を兼ねることが謂はゆる我が国の良妻』だと言う。そして『男子に依頼して専ら家庭に徒食する婦人を奴隷の一種とし、たとへ育児と台所の雑用とに勤勉な婦人であつても、猶なにがしかの職業的能力の欠けた婦人は時代遅れの婦人として愧ぢ���習慣を作りたい』と述べている。」 (菅野聡美、「快楽と生殖のはざまで揺れるセックスワーク-大正期日本を手がかりに」、田崎英明編著、『売る身体/買う身体-セックスワーク論の射程』、青弓社、1997年、120頁)
まことに明快な理路である。そして、この論を是とし、「男子の財力をあてに」する生き方をする女性はすべて「男子の奴隷」であり、そのような生き方は否定されるべきものであるとするならば、そこから導出される結論は、父権制社会のすべての性制度の同時的廃絶であって、売春制度の選択的廃絶ではない。 ウィンターと与謝野晶子に共通する「女性=性的奴隷」論は「総論」としては文句なく正しい。 しかし、その理論に基づいて、「各論」的課題として、廃娼運動を進めようとすると、なぜ売春婦が主婦に先んじて「解放」されなければならないのかを言わねばならない。そして、そのときにもし、売春婦が主婦よりも「貧しく」「教養に欠け」「穢れた仕事に従事している」という事実をその優先性の根拠とするならば、それは「金」と「教養」と「処女性」に高い値札をつける父権制の価値観の少なくとも一部には同意したということを意味している。 父権制批判から廃娼運動を導出しうることは、常識的にはほとんど自明のことであるけれど、なお論理的架橋が困難である理由はそこにある。 私たちは父権制批判を徹底させようと思えば、廃娼運動を唱導することは断念しなければならないし、廃娼運動を優先しようと望むなら父権制批判をトーンダウンさせなければならない。 このゼロサム構造ゆえに、ラディカルな父権制批判の立場を採る論者は、ほとんど構造的に売春容認の立場を選ばざるを得ないし、売春婦を「苦界」から救出しようとするものはドミナントな性イデオロギーにある程度まで譲歩せざるを得ない。 個人的好悪とかかわりなく、論理の経済がそれを要求するのである。
3・ 論理の経済に繋縛されている「不自由な知識人たち」に比べると、「現場」の諸君はもう少しでたらめであり、自由であるように私には見える。 売春婦たちにとってみれば、極端な話、理論的整合性なんかどうでもよいからである。彼女たちは別に知的威信を賭けて語っているわけではないし、論理的に破綻があろうとなかろうと、言いたいことは一つしかない。 それは「人権を守れ」ということに尽くされる。 彼女たちは、売春婦が「すべての女性と同じように」父権制社会において不公平な扱いを受けていることについては同意するが、「他の女性より多く」差別されているという考え方には同意しない。だから、売春制度の即時廃絶にも同意しない。 彼女たちが求めているのは、「看護婦やタイピストやライターや医者などと同じように」(あるいは「妻たち」と同じように)、性的技能者として、安全と自由を保証された社会的環境の中で売春を業とする「労働する権利」である。 話の筋目を通すことより、もっと緊急なことがある。それは現実に行われている人権侵害を止めることだ。このセックスワーク論の基幹的主張には十分な説得力があると私も思う。 現に売春婦の過半は貧困な家庭や劣悪な社会環境に育ち、十分な社会的訓練や教育を受けておらず、現在も客による暴力、管理者による収奪、警官による暴行の被害にさらされている。 例えば、売春婦は裁判に訴えても、客に不払い代金を払わせることはできない。 「彼女は犯罪行為は行っていないが、売春は法が禁じているのだから、代金請求の根拠となる売春契約は違法で、公序良俗に反する契約として無効と判断される」からである。(角田由紀子、「解説」、デラコステ、前掲書、421頁) 売春婦が相手の男性のサディスティックな行為に恐怖を抱き、相手のナイフを取り上げて刺殺した87年の池袋買春男性殺人事件でも、司法は売春婦に正当防衛を認めなかった。
「地裁判決は、『見知らぬ男性の待つホテルの一室に単身赴く以上、・・・相当な危険が伴うことは十分予測し得るところである・・・いわば自ら招いた危難と言えなくもない』とし、高裁判決は『売春婦と一般婦女子との間では性的自由の度合いが異なる』と断定する。ホテトル嬢のような仕事であれば、どんな客がいるか分からない。それを仕事としている以上、性的自由の侵害への抵抗は正当防衛として認められにくいというのである。」(若尾典子、『闇の中の女の身体』、学陽書房、1997年、213頁)
しかし、例えばタクシードライバーは、「見知らぬ人間」と「個室」に閉じこもり、人気のない場所へでも「単身赴く」以上、「相当な危険が伴うことは十分予測し得る」職業であるが、運転手が強盗に遭った場合に「自ら招いた危難と言えなくもない」というようなことを口にする裁判官は存在しないであろう。 これらの事例には、売春婦に他の職業人と同じ人権を認めたくない、とするイデオロギー的なバイアスが透けて見える。一般市民においては確保されている諸権利が売春婦には認められない。この無権利状態、無保護状態においてなお売春を生業とせざるを得ない女性たちに向かって、それに代わる生業の可能性を提示することなく、「犯罪だから止めろ」「抑圧されている仕事だから止めろ」「穢れた仕事だから止めろ」と言うことはむずかしいだろう。 しかし、ここで知識人たちの多くは、「売春婦たちの人権を尊重すべきで」あるという主張にうなずくだけでは済まされず、売春を正規の労働として認知し、「売春は正しい」と主張するところにまで踏み込もうとする。私はここに「無理」があると思う。 知識人のピットフォールは「自分が同意することは『正しいこと』でなければならない」という思い込みにある。「理論的に正しくないことでも、実践的には容認する」という市井の人の生活感覚との乖離はここに生じる。 例えば、岩波書店の「女性学事典」の「セックスワーカー」の次のような説明は、知識人の困惑をよく表している。
「一般的にセックスワーカーという概念は自己決定に基づく売春の擁護に用いられることが多い。すなわち、売春を自由意志に基づくもの(自由売春)とそうではないもの(強制売春)とに分けて、前者の売春を行っている人たちをセックスワーカーと呼び、これらの人びとの売春する権利を認めるべきだとするような議論である。しかし、売春者の権利主張の力点は、このような自己決定や自由意志に基づく売春の肯定という点にではなく、売春者の自己決定権の尊重という点にあると考えられる。 買春は男の本能である、性犯罪を防止するためにはセックス産業は必要であるなどと見なされ、社会自体が売春する女性たちを必要としている。すなわち、売春は社会的に必要とされ、源に労働として行われているのである。にもかかわらず、道徳的にも法的にも許されない行為と見なされ続け、売春を行う女性たちは差別され、さまざまな権利を奪われている。そのような差別に対する抵抗が、このことばには込められている。」 (浅野千恵、「セックスワーカー」、井上輝子他編、『岩波女性学事典』、岩波書店、2003年、304頁)   意味の分かりやすい文章とはとても言えない。 それは「売春者の権利主張の力点は、このような自己決定や自由意志に基づく売春の肯定という点にではなく、売春者の自己決定権の尊重という点にあると考えられる」というセンテンスの意味が取りにくいからである。 この文が言おうとしているのは、「売春を原理的に肯定すること」ということと「現に売春をしている人間の人権を擁護すること」は水準の違う問題だから別々に扱えばよいということである(そう書けばいいのに)。 「原理の問題」と「現実の問題」は別々に扱う方がいい。 たしかに仕事はそれだけふえて面倒になるが、それは「現実と折り合うためのコスト」として引き受けるほかない。 例えば、「囚人の人権を守る」ということは「犯罪を肯定する」こととは水準の違う問題である。囚人が快適な衣食住の生活環境を保証されることを要求する人は、別にその犯罪行為が免罪されるべきだと主張しているわけではない。人権は人権、犯罪は犯罪である。 それと同じように、「売春は犯罪だが、売春婦の人権は適切に擁護されねばならない」という立論はありうると私は思っている。 しかし、多くの知識人はこういうねじれた話を好まない。まことに不思議なことだが、政治家や学者のような、社会的影響力を持つ人ほど「話を簡単にしたがる」のである。彼らは「売春は犯罪だから、売春婦に一般市民と同等の人権は認められない」という硬直した法治主義の立場に立つか、「売春婦の人権は擁護されねばならない。だから、売春は合法化されるべきである」という硬直した人権主義の立場に立つか、どちらかを選びたがる。 しかし、現実が複雑なときに、むりにこれを単純化してみせることに、いったい何の意味があるだろう。
4・ 上野千鶴子は小倉千加子との対談で、売春は女性にとって貴重な自己決定機会であるという議論を展開している。
「小倉:そしたら上野さんは、援助交際する女の子の気持ちも分かりませんか? 上野:わからないことはない。ただではやらせないという点で立派な自己決定だと思います。しかも個人的に交渉能力を持っていて、第三者の管理がないわけだから。(・・・) 援交を実際にやっていた女の子の話を聞いたことがあるんですが、みごとな発言をしていました。男から金をとるのはなぜか。『金を払ってない間は、私はあなたのものではないよ』ということをはっきりさせるためだ、と。(・・・)『私はあなたの所有物でない』ことを思い知らせるために金を取るんだ、と彼女は言うんです。」 (上野千鶴子、小倉千加子、『ザ・フェミニズム』、筑摩書房、2002年、231頁)
上野は知識人であるから「政治的に正しいこと」を言うことを義務だと感じている。だから、ここで上野は売春を単に「容認する」にとどまらず、それが端的な「父権制批判」の「みごとな」実践であることをほめ称えることになる。 自分が容認するものである以上、それは「政治的に正しい」ものでなければならない。それは上野の意思というより、上野が採用した「論理の経済」の要請するところである。 たしかに売春こそ父権制批判の冒険的実践の一部であるとみなすならば、フェミニスト廃娼論をとらえたピットフォールは回避できる。しかし、「政治的な正しさ」を求めるあまり上野は売春をあまりに「単純な」フレームの中に閉じ込めてしまってはいないか。 ��このわずか数行で上野が売春について用いているキーワードをそのまま書き出すとその「単純さ」の理由が分かる。 「自己決定」「交渉能力」「第三者」「管理」「金」「金」「所有物」「金」。 これが上野の用いたキーワードである。 ご覧の通り、ここで上野はビジネスターム「だけ」を使って売春を論じている。 上野にとって、売春はとりあえず「金」の問題なのである。「金」と「商品」の交換に際して、「売り手」が「買い手」や「問屋」に収奪されなければ、それは父権制的収奪構造への「みごとな」批判的実践となるだろう。 たしかに話はすっきりしてはいる。だが、すっきり「しすぎて」はいないだろうか。 ここでは売春について私たちが考慮しなければならない面倒な問題が看過されている。 それは「身体」の問題である。 売春する人間の「身体」はここでは単なる「商品」とみなされている。だが、身体を換金商品とみなし、そこから最大のベネフィットを引き出すのが賢明な生き方であるとするのは、私たちの時代における「ドミナントなイデオロギー」であり、上野が批判している当の父権制を基礎づけているものであることを忘れてもらっては困る。 私たちの時代においてさしあたり支配的な身体観は「身体は脳の欲望を実現するための道具である」というものである。 耳たぶや唇や舌にピアス穴を開けるのも、肌に針でタトゥーを入れるのも、見ず知らずの人間の性器を体内に迎え入れるのも、身体的には不快な経験のはずである。そのような行為が「快感」としてあるいは「政治的に正しい」実践として感知されるのは、脳がそう感じるように命じているからである。身体が先鋭な美意識やラディカルな政治的立場の表象として、あるいは「金」と交換できる商品として利用できると脳が思っているからである。 「金」をほしがるのは脳である。当たり前のことだが、身体は「金」を求めない。 身体が求めるのはもっとフィジカルなものである。やさしい手で触れられること、響きのよい言葉で語りかけられること、静かに休息すること、美味しいものを食べること、肌触りのよい服を着ること・・・身体は「金」とも「政治的正しさ」とも関係のない水準でそういう望みをひかえめに告げる。だが、脳はたいていの場合それを無視して、「金」や「政治」や「権力」や「情報」や「威信」を優先的に配慮する。 私は脳による身体のこのような中枢的な支配を「身体の政治的使用」と呼んでいる。 上野が援交少女において「自己決定」と名づけて賞賛しているのは、この少女の脳がその身体を、彼女の政治的意見を記号的に表象し、経済的欲望を実現する手段として、独占的排他的に使用している事況である。 少女はたしかにおのれの性的身体の独占使用権を「男たち」から奪還しただろう。しかし、それは身体に配慮し、そこから発信される微弱な身体信号に耳を傾け、自分の身体がほんとうに欲していることは何かを聴き取るためではなく、身体を「中間搾取ぬきで」100%利己的に搾取するためである。収奪者が代わっただけで、身体が脳に道具的に利用されているというあり方には何の変化も起こっていない。 セックスワーク論は売春の現場においては、売春婦の生身の身体を具体的でフィジカルな暴力からどうやって保護するかという緊急の課題に応えるべく語りだされたもののはずなのだが、それを「売春は正しい」という理説に接合しようとすると、とたんに「生身の身体」は「道具」の水準に貶められる。 「金を払っていないあいだはあなたのものではないよ」と宣言することは、「金をはらっているあいだはあなたのものだ」ということに他ならない。だが、それは世界娼婦会議の売春婦たちが望んでいる、「金をはらっているあいだも、はらっていないあいだも」、売春が違法であろうと合法であろうと、人間の身体に対しては無条件にそれに固有の尊厳を認められるべきだという考え方とはずいぶん狙っているところが違うような気がする。
5・ 身体を道具視した視座からのセックスワーク論は、上野に限らず、身体を政治的な権力の相克の場とみなすフーコー・クローンの知識人に共通のものだ。 次の事例はその適例である。売春容認の立場を鮮明にしている宮台真司のインタビューに対して、東大生にして売春婦でもある女性は売春の「効用」を次のように熱く語っている。
「いろいろ経験したけど、自分の選択が正しかったと今でも思います。ボロボロになっちゃったから始めたことだったけれど、いろんな男の人が見れたし、今まで信じてきたタテマエの世界とは違う、本音の現実も分かったし。あと、半年も医者とかカウンセラーとかに通って直らなかったのに、売春で直ったんですよ。(・・・)少なくとも私にとって、精神科は魂に悪かったけれど、売春は魂に良かった。(・・・)私は絶対後悔しない。誇りを売っているわけでもないし、自分を貶めているのでもない。むしろ私は誇りを回復したし、ときには優越感さえ持てるようになったんですから。」(宮台真司編『〈性の自己決定〉原論』、紀伊国屋書店、1998年、279頁 )
彼女の言う「誇り」や「優越感」はやや特殊な含意を持っている。というのは、この大学生売春婦が「優越感を感じた」のは次のようなプロセスを経てのことだからだ。
「オヤジがすごくほめてくれて。体のパーツとかですけど。それでなんか、いい感じになって。今までずっと『自分はダメじゃん』とか思っていたのが、いろいろほめられて。(・・・) 最近になればなるほど優越感を味わえるようになって、それが得たくて。オヤジが『キミのこと好きになっちゃったんだよ』とか、『キミは会ったことのない素晴らしい女性だ』とか・・・。まあ・・・いい気分になっちゃいました。(・・・) オヤジは内面とか関係なく、私の体しか見てないわけじゃないですか。『気持ち悪いんだよ、このハゲ』とか思っているのも知らずに、『キミは最高だよ』とか言ってる(笑)。」( 同書、276-7頁)
上野が挙げた援交少女とこの学生売春婦に共通するのは、いずれも自分を「買う男」を見下すことによって、「相対的な」誇りや優越感を得ているということである。彼女たちは彼女たちの身体を買うために金を払う男たちが、彼女たち自身よりも卑しく低劣な人間であるという事実から人格的な「浮力」を得ている。 しかし、これは人格の基礎づけとしてはあまりに脆弱だし退廃的なものだ。 私たちが知っている古典的な例はニーチェの「超人」である。 ご存知のとおり、ニーチェの「超人」は実定的な概念ではない。それは自分のそばにいる人間が「猿にしか見えない」精神状態のことを指している。だから「超人」は「笑うべき猿」、「奴隷」であるところの「賤民」を手もとに置いて、絶えずそれを嘲罵することを日課としたのである。何かを激しく嫌うあまり、そこから離れたいと切望する情動をニーチェは「距離のパトス」と呼んだ。その嫌悪感だけが人間「自己超克の熱情」を供与する。だから、「超人」へ向かう志向を賦活するためには、醜悪な「サル」がつねに傍らに居合わせて、嫌悪感をかき立ててくれることが不可欠となる。 上野の紹介する「みごとな」援交少女と宮台の紹介する「誇り高い」売春婦に共通するのは、買春する男たちが女性の身体を換金可能な「所有物」や観賞用「パーツ」としてのみ眺める「サル」であることから彼女たちが利益を得ているということである。 ニーチェの「超人」と同じく、彼女たちもまた男たちが永遠に愚劣な存在のままであり続けることを切望している。それは言い換えれば、父権制社会とその支配的な性イデオロギーの永続を切望するということである。 この学生売春婦は性を「権力関係」のタームで語り、上野の「援交少女」は「商取引」のタームで性を語る。「権力関係」も「商取引」も短期的には「ゼロサムゲーム」であり、ゲームの相手が自分より弱く愚かな人間であることはゲームの主体にとって好ましいことである。だから、彼女たちが相対的「弱者」をゲームのパートナーとして選び続けるのは合理的なことである。しかし、彼女たちは、長期的に帳面をつけると、「自分とかかわる人間がつねに自分より愚鈍で低劣であること」によって失われるものは、得られるものより多いということに気づいていない。 宮台によれば、「昨今の日本では、買う男の世代が若くなればなるほど、金を出さない限りセックスの相手を見つけられない性的弱者の割合が増える傾向にある。」 (同書、265頁) 女性が「ただではやらせない」ようになり、そのせいで男性が「金を出さない限りセックスの相手をみつけられない」という状況になれば、たしかに性的身体という「闘技場」における男の権力は相対的に「弱く」なり、性交場面において女性におのれのわびしい性幻想を投射する「オヤジ」の姿はいっそう醜悪なものとなるだろう。当然それによって「今まで信じてきたタテマエの世界」の欺瞞性が暴露される機会が増大することにもなるだろう。 だから、性的身体を「権力」の相克の場とみなす知識人たちが、売春機会(に限らず、あらゆる形態での性交機会)の増大に対して好意的であることは論理のしからしむるところなのである。 しかし、私は依然として、この戦略的見通しにあまり共感することができない。 「自分より卑しい人間」を軽蔑し憎むことで得られる相対的な「浮力」は期待されるほどには当てにできないものだからだ。 仮にもし今週一回の売春によってこの学生売春婦の優越感が担保されているとしても、加齢とともに「体のパーツ」の審美的価値が減価し、「オヤジ」の賛辞を得る機会が少なくなると、遠からず彼女は「餌場」を移動しなければならなくなる。他人を軽蔑することで優越感を得ようと望むものは、つねに「自分より卑しい人間が安定的かつ大量に供給されるような場所」への移動を繰り返す他ない。 「東電OL殺人事件」の被害者女性がなぜ最後は円山町の路上で一回2000円に値段を切り下げてまで一日四人の売春ノルマに精勤したのか、その理由はおそらく本人にもうまく説明できなかっただろう。私たちが知っているのはこの女性が「学歴」と「金」に深い固着を有��ていたということ、つまりその性的身体のすみずみまでがドミナントなイデオロギーで満たされた「身体を持たない」人間だったらしいということだけである。 これらの事例から私たちが言えることは、売春を自己決定の、あるいは自己実現の、あるいは自己救済のための機会であるとみなす人々は、そこで売り買いされている当の身体には発言権を認めていないということである。 身体には(その身体の「所有者」でさえ侵すことの許されない)固有の尊厳が備わっており、それは換金されたり、記号化されたり、道具化されたりすることによって繰り返し侵され、汚されるという考え方は、売る彼女たちにも買う男たちにも、そして彼女たちの功利的身体観を支持する知識人たちにもひとしく欠落している。 性的身体はこの人々にとってほとんど無感覚的な、神経の通わない「パーツ」として観念されており、すべすべしたプラスチックのような性的身体という「テーブル」の上で、「権力闘争」のカードだけが忙しく飛び交っている。 だが、この絵柄は私たちの社会の権力関係と商取引のつつましいミニチュア以外の何ものでもないように私には思われる。 権力闘争の場で「権力とは何か?」が問われないように、経済活動の場で「貨幣とは何か?」が問われないように、性的身体が売り買いされる場では「身体とは何か?」という問いだけが誰によっても口にされないのである。
6・
セックスワーカーたちが「安全に労働する権利」を求めることに私は同意する。
ただし、それは左翼的セックスワーク論者が言うように、売春者が社会矛盾の集約点であり、売春婦の解放こそが全社会の解放の決定的条件であると考えるからではない。またフェミニストの売春容認論者が言うように、それが「みごとな自己決定」であると思うからでもない。社会学者が言うように、性的身体を闘技場とした「権力のゼロサムゲーム」での勝利が売春婦たちに魂の救済をもたらすと信じるからでもない。そうではなくて、現実に暴力と収奪に脅かされている身体は何をおいても保護されなければならないと思うからである。
それと同時に、売春は「嫌なものだ」という考えを私は抱いている。
ただし、それは保守派の売春規制派の人々が考えているように売春が「反社会的・反秩序的」であるからではない。そうではなくて、それが徹底的に「社会的・秩序的」なもの、現実の社会関係の「矮小な陰画」に他ならないと思うからである。
身体は「脳の道具」として徹底的に政治的に利用されるべきであるとするのは、私たちの社会に伏流するイデオロギーであり、私はそのイデオロギーが「嫌い」である。
身体には固有の尊厳があると私は考えている。そして、身体の発信する微弱なメッセージを聴き取ることは私たちの生存戦略上死活的に重要であるとも信じている。
売春は身体が発する信号の受信を停止し、おのれ自身の身体との対話の回路を遮断し、「脳」の分泌する幻想を全身に瀰漫させることで成り立っている仕事である。
そのような仕事を長く続けることは「生き延びる」ために有利な選択ではない。
「売春婦は保護すべきだ」という主張と、「売春はよくない」という考えをどうやって整合させるのかといきり立つ人がいるかも知れない。だが、繰り返し言うように、現実が整合的でない以上、それについて語る理説が整合的である必要はない。「すでに」売春を業としている人々に対してはその人権の保護を、「これから」売春を業としようとしている人に対しては「やめときなさい」と忠告すること、それがこれまで市井の賢者たちがこの問題に対して取ってきた「どっちつかず」の態度であり、私は改めてこの「常識」に与するのである。
0 notes
afiri8backlog · 5 years ago
Link
https://ift.tt/eA8V8J
今回の新型コロナウイルスについて、どこからという場所の説はいくらでも出てきたのだけど、なぜ?という点についてとても辻褄があう情報がみつかり、点と線がつながったのでまとめて考察していく
武漢という土地でウイルス騒動前に起きていた事件
この記事を書く前に長編小説が書けるんじゃないか?というくらいに膨大な文章量になってしまったので、箇条書きで点と線をまとめていこうと思う
新型コロナウイルスの発生を語るのにこの理由が抜けていると全ての情報はミスリードされます
武漢で連日大規模のデモ
武漢政府が約束を破り公園建設予定地にゴミ処理施設建設を計画
武漢市民が数万人規模の反対デモを起こし、政府は警察や戦車などで武力弾圧、けが人多数発生(約7月)
武漢市でウイルス騒動が起き、患者が増えデモ騒動は終息(11月)
武漢市が感染状況を国に隠蔽する偽装工作を行い感染が広がる
武漢市一の病院、協和医院から医療従事者14人が感染
中国政府のシンクタンク「国家ハイレベル専門家グループ」が武漢市の現状視察で発覚
報告を受けて習近平が即座に「重要指示」を全国に通達
習近平が河北省と武漢政府のトップを更迭
習近平が感染拡大対策で武漢閉鎖を指示
こんな感じでまとめると、急におかしいタイミングがありますよね そう、市民と政府の対立のデモの後(もしくは最中)に起きているんですこれ
野生動物からの自然発生とか、武漢研究所のウイルスがどうとか以前に、暴動鎮圧に病気が意図的にばら撒かれたのでは?というひとつの動機が見えてきます
そんな訳ねーだろw┐(´д`)┌ヤレヤレ と楽観してる人に、なぜ感染が拡大したのか?をさらにその辺の時系列を詳しくまとめます
武漢で最大の病院に医療物資が意図的に送られない嫌がらせ
どうして武漢で爆発的に感染が広まってしまったのか?の理由は先にも言った通り、医療機関、医療従事者という治療にあたる先生や看護師がみんな先に倒れてしまったからです
その理由が恣意的とも言える誰でもわかるのがこの事実
参考一部引用:習近平緊急会議の背後に「武漢赤十字会の金銭癒着」
中国で武漢肺炎が流行りだした頃には、武漢赤十字会(中国語では紅十字会)には各地からマスクなどの医療物資や献金が集まったそうです
武漢頑張れ!と中国国内外から医療支援が多数あり、海外の華人華僑からだけでも5622.8万個のマスク、73.8万着の医療用防護服もあったらしく、そのほとんどが、湖北省、特に武漢に集中的に送られていたにも関わらず・・
感染症対策の指定病院の協和医院は新型肺炎発症以来、3000個のマスクの配給と1万2千元(1元 = 15.46円)の献金しか受けていなかったそうです
そして、その協和医院に送られた3000枚のマスクというのも個人からの寄付との事で、武漢赤十字会からのものではなかった
つまり、意図的に武漢市一の病院は省かれたという事です
これには、武漢政府が国に情報が流れないように隠蔽してたいのに、協和医院のせいでバレてしまったという腹いせ、嫌がらせとも思えます
わかりやすい結果として武漢赤十字会は武漢市の仁愛医院と天佑医院に、それぞれN95型マスク1.6万個と36万元を寄付。その他13の病院には支援物資を配布したとの記録が残ってるそうですが・・まさか武漢で一番の病院の名前がリストになかったというのは、謎を通り越して恐怖でもある話
仁愛医院の従業員は協和医院の従業員の10分の1にも満たず、また美容整形とか婦人科、不妊治療あるいは性病関係などを扱うことで名が知れた病院であって、新型肺炎治療とは何の関係もない民間病院との事で、はっきり言って武漢市政府と一部医療団体及び武漢赤十字会(中国語では紅十字会)には医療利権の繋がりがあるのだろうとしか思えないですね
とても非人道的に恐ろしい考え方ですが、実行できる権力と自己中な思考があれば容易な事でしょう
ここで市民がバタバタと倒れる事で喜ぶのは巨大ゴミ処理施設建設で反対デモを起こされていた武漢市政府であり、ここで武漢一の病院が潰れる事で嬉しいのは、自分たちに都合の良い医療施設を作れる医療団体及び関連組織
さすがに、ここまで絵に描いた三流ドラマの悪党みたいな権力者がいるんかい!って話ですが、武漢ウイルスの感染規模が拡大したのはこういう裏事情があったと考えれば納得できますね
そして、ここで運営がバトンタッチされます
習近平が河北省と武漢政府のトップを更迭
湖北省のトップ蒋超良党委員会書記が更迭
武漢市の馬国強党委書記更迭
国務院の香港マカオ事務弁公室トップも交代
中国って中国共産党で国家主席の独裁政権の一枚岩というイメージですけど、蓋を開けてみれば、地域政府レベルのトップが経済やビジネスとずぶずぶの私腹を肥やす汚職政治家だらけで、それらが何かしらの悪さをすれば、全部、中国国家主席のせい=中国の対外的なイメージの下落になっているのが実情
習近平がトランプ大統領と表向きはバチバチの貿易戦争やってた裏で起きてた事は、こういう中国内部の汚職政治家や宗教組織との癒着、談合等の黒い繋がりを断ってた事なんですが、それ自体がメディアにとって都合が悪い事だから、捻じ曲げられて報道されている訳です
米中貿易摩擦で燻し出されて何が出る?
メディアにとって習近平は悪者としてイメージ操作をされています
だから、今回のウイルス騒動も習近平の初動の重要指示は迅速であったが、武漢からの嘘の報告で発見が遅れ、感染がすでに進んでしまったがために、まずは感染拡大の抑制のために街ごと隔離せざるを得なくなってしまった訳だが
これを、中国の隠蔽体質=習近平なら隠してた! みたいな印象に置き換えて報道しているメディアの意図もしっかりと頭にいれておこう
おそらくあの状況ではどんなトップであれ、感染対策に街ごと隔離閉鎖の強行措置を取らざるを得ないと思えるのは、今でこそ「なぜ出入国前面禁止にしないのか?」と日本の政府に頼りなさを感じてる日本人ならわかるだろう
その後に行った事も時系列で箇条書きをしていく
武漢市に10日で突貫工事で肺炎治療専門病棟を建設
中国軍から兵隊や専門医療チームの派遣
現在はアビガンなどの臨床にて治療を開始武漢市に10日で突貫工事で肺炎治療専門病棟を建設
中国軍から兵隊や専門医療チームの派遣
現在はアビガンなどの臨床にて治療を開始
さて、その後を伝えるメディアの報道は不安を煽る内容ばかり
仮説病棟の作りが雑で水漏れや雨漏りがひどい
一度病棟に入ったら出られない
生きたまま袋に詰められて焼却される
軍が焼却マシンを持ってきた
症状が回復して出た患者が再び陽性
はっきり言えば、部下がやらかして隠蔽していたミスの尻ぬぐいをしてるだけなのですが、全部習近平国家主席の責任扱い(トップだからしょうがないのか・・)
あれだけのスピードと規模で行動してるにも関わらず、中国からはひとつでも希望のある話が聞こえてこないのが不思議です。ここまで一方向に情報が偏ってると、さすがに情報操作のバランス的におかしくね?と思ってしまいます(個人暴露を装ったメディアの質の劣化※youtubeにバンバン投稿できる時点でお察し)
どうしても、メディアは揚げ足取りをして、国民感情の不安を煽って習近平のせいにこじつけたいようですが、事の発端は恣意的な権力者のエゴでばら撒かれた動機があり、それをわかってて連携してる医療談合がある訳ですよね(事実として)
では、このウイルスがどこからどのように持ち込まれて使われたのか?という点ですが・・これを紐解いていくとミステリー小説級に考察が広がっていってしまうため箇条書き
武漢市政府のこっぱ役人ごときが国家で管理してる研究所のウイルスを使えるとは思えない(研究所説否定)
武漢の生鮮市場のネズミ→武漢の生鮮市場のこうもり→武漢のへび→武漢ウイルス研究所→武漢のセンザンコウ←new
武漢大学とハーバード大学教授、アメリカからウイルス持ち出しという繋がり
ビ〇・ゲ〇ツ財団 コロナウイルス特許(2015年申請2018年認可)と新薬、ワクチンの開発
米軍300人が武漢に滞在(D〇RP〇の関係者、デューク大学と武漢大学は共同研究)
武漢からのチャーター便で約200人のアメリカ人が米軍基地へ直交で隔離
クルーズ船には約400人のアメリカ人
DA〇P〇はインターネットの立ち上げに関わった重要な機関という事でビル・ゲイツ(マイクロソフト)との繋がりがないとはいえない
最後に、先日、武漢の研究所が爆破されたという動画が出回ったのを見たけれど、あれが武漢の研究所なのかどうかもわからないし、人民解放軍が爆撃したという情報のソースもない上に、今の時期なのかどうか時系列もわからないので一旦、フェイクニュース(あるいは情報操作)として保留
※映像探してみればわかるけど、買い物してるスーパーとかならわかるけど、なぜこんな外にわらわら人が集まってるのか?この感染がひどい!自宅にこもってるべき!とか武漢から情報を伝えてる人が多い中、子供連れの親子が何組も外を出歩いてるという矛盾した映像だと思います(2/13の時点でそれはない・・爆発の距離が100kmほど離れてるらしい?)
仮にこれを実際に起きた出来事だとして捉えた場合
この動画が撮影された時点で武漢研究所は爆破されていた可能性がある(過去の証拠) となると、その時点で病原菌が漏れ始めていた可能性もある
事前に撮影していた可能性をさらに絡めると・・なんらかの勢力が武漢で工作をした時の爆発をたまたま撮っていた過去の映像?
市民デモ参加の目撃証言?によると戦車も出てたとかの情報もあるらしいが、けが人が出る暴動クラスなら何が起こっていても気づかなかったのかもね(それも計算内)※あくまでも過去の映像だった場合
わからない・・わからないが、トランプ大統領は新型コロナウイルスをぜんぜん恐れていないという背景には、アメリカにはすでに頃合いを見て出すワクチンが用意されているのだろうか・・それとも、みんなが怯えて不要なワクチン接種に逃げないように気をしっかり持て!と促しているのか・・
武漢からチャーターでアメリカに戻った時、米軍基地に直行してたので「アメリカは感染症隔離対策がしっかりとしてるな!」と感心していたのだが・・これが工作員が感染被害者を装っての帰還として考えた場合、クルーズ船と帰国部隊に分かれていたら、クルーズ船の中で菌をばら撒いて感染を拡大させる事もできる
また日本��寄港し、日本政府に日本で対応するように指示(圧力)がかかっていたとしたら、日本国内への感染の温床にもできるし、将来的には後手対応のせいだ!と国内から政府への支持をなくす糾弾を生み出す事も可能だろう。そうなれば、騒動後の安倍おろし、次の日本トップへの後押し工作もしやすい
といえば、まるで国同士が工作をしあっているという構図に置換させられるかのように見えてくるが・・途中でもいったように、トランプのアメリカにしても、習近平の中国にしても、安倍の日本にしても
組織の中に売国奴という裏切り者がいる事は確かな構図は見えてきた。そして世論を操作してその悪事の全てを国のトップになすりつけて引きずりおろそうとしているのだろう
・・という情報の捉え方もひとつのフラットな見方として大事 掘り下げるも掘り下げないも・・あなたしだいです!m9(゚∀゚)
ちなみに日本では厚労省がアビガン!って言ってはみたものの、その後の専門家会議?では一切アビガンについては触れなかった事から、あんまり期待過剰にならないほうがいい。前回薬についても調べてたみたら・・
つまんないこと聞くねぇ 新型コロナウイルス検査費?無料でしょ?
続!アインシュタインの一枚の写真からの閃き その4 ウイルス
これもまた利権絡みなのであんまり、検査やワクチンを受ける事が正しい事なのか見極めが必要になると思うが、マスク転売にトイレットペーパー買占め騒動、次は花崗岩まで商売にする輩が出てきてるから、もう指標になるものは己の心のみ
まとめ:あらゆる情報をフラットに捉えて判断しよう
今回のこの情報を探るにあたって物凄く苦労したのは、思想誘導が激しいという点。どうしても中国のせいにしたい勢力、アメリカが絡んでるという勢力、経済的な戦争の裏で、真の目的は混乱と不安に陥れ、ワクチンを接種する事で解決するかのような心理誘導
でも、本質、結果論で言えば、かからなない事、かかったとしても自己回復作用や自浄作用を高める己の体との対話、生活スタイル、食生活、精神的なメンタルケア。多くの人がおろそかになっていると思う
なんでこんな病気にかかるような弱い体になっちまったんだ?それは行き過ぎた殺菌・除菌のクリーンリームで過ごす事により、自然界に自然にある細菌が体内に入ると過敏に反応するアレルギー体質になったのも大きい
子供は風の子! というのは、外で遊ぶ事で自然界の菌をたくさん取り込んで、風邪ひいたりしながら、徐々に自然界の菌との共生をしていく事にある。だから田舎育ちは健康的な子供が多い
それを遠ざけて、自然界の食べ物も食べず、人工的に遺伝子組み換えや添加物まみれの加工食品ばかり食べてたら、そら自然界発生のただの風邪でも重病になる可能性は十分にある
という古き良き日本の伝統、医療や薬の無かった頃の昔の知恵というのも、フラットな情報の選択肢
誰かの情報に惑わされるのではなく、自分自身が納得できる行動を結果に納得しながら積み重ねていけば、それは自信になっていく(※少なくとも上記2記事は再現性がある方法なので自信もって言えます)。このウイルス騒動は全世界ひとりひとりが自分の事として捉えて、これからの社会の在り方を考えるきっかけになっているという意味では・・凄い目覚めの出来事
デマをデマと判断できる情報精査能力も磨かれる(さすがに体温よりも低い26℃のお湯を飲めば大丈夫は、頭の悪い中学生が思いついたレベルのデマ)し、実行する事にコストも危険性もないなら、試してみて、実際にやったからこそ実感する事もあれば、効果がないと思える事だってたくさんあるし、それも大事な経験
自衛できる事、予防、病気に負けない体を作るためにできる事、情報を模索してどんどん実践していこう
火呼吸での体温上昇をモニタリング サーマルカメラ実験
免疫力を上げる深い睡眠に入るコツを掴んだ話
少なくとも、この騒動が終わったら今まで通りの常識が通じる世界ではない事は確かだ
爆買いしてた富裕層の中国人のとある言葉
働いてるから欲しい物があれば気にせず借金して買った、働けばお金は入ってくるから 今は働けないからお金ははいってこないので、借金の返済を遅らせている
黙っていても借金が増え続けるので利息だけでも払おうとほとんどない貯金が減っていく それでも生きていくだけでお金は必要・・だから
私たちは資源やお金の節約を覚えなければいけない 貯金を始めなければいけな��
今回のコロナ騒動は経済的にみても大きな変化だが、中国人一人ひとりの精神的変化を引きだしたと言える。借金が回す資本経済・借金奴隷からの脱却。これからの中国人の中にバブル崩壊後の日本人のように倹約・節約ブームが起きて無駄遣いが減るだろう
中国は外向きの経済ではなく、内向きの内需の方向で発展していく。そもそも13憶人もの人数がいるんだから、国内の供給バランスを整えれば内向きの���売で十分やっていけると思う
ま、(゚∀゚)妄想妄想 (゚Д゚;)ニゲタ
社会問題・テクノロジー
0 notes
shibaracu · 5 years ago
Text
◆生と死 ◆生命 ◆命
本文を入力してください
◆生と死 ◆生命 ◆命 ペットの日記に飼っていたペットの死についてのコメントが有り 自分のことも含めて考えてみた。 ちょっと調べただけでもこんなに項目が出てくる。 生きるとは何だろうか。 誕生死は三人目の子供で経験している。 日常の中でフト立ち止まり考える時間を取ってみた。 私見は書かない。 今 心の中で 整理しきれないから。 生きる 活きる いきる そして カレか彼女かに冥福を捧げる。 昔 飼っていたペットにも。 生と死とは こんなにも考えて置かなければならないものですね。     ◆死 - Wikipedia http://bit.ly/w3CmxZ 死(し) 命がなくなること・なくなった状態、 生命活動が止まること・止まった状態、 あるいは滅ぶこと・滅んだ状態のこと。 人間の死の定義は文化圏、時代、分野などにより様々である。 近年では「不可逆的」という概念が加えられることもある。 (→「死亡の判定・定義」節を参照)。 一時的に命が無い状態になったが再び生の状態に戻った場合、 途中の死の状態を「仮死」や「仮死状態」という。 伝統的には宗教、哲学、神学が死を扱ってきた。 近年では、死生学、法学、法医学、生物学等々も死に関係している。 死の後ろに様々な言葉をつなげ、様々なニュアンスを表現している。 例えば「死亡」「死去」「死没」などがある。 組織の滅亡や、そのものがもつ本来の機能が失われることも「死」と 表現することもある。 対義語は生(せい)、命(いのち)または誕生。   ◆ペットの病気、「安楽死」というタブーの真実 言葉自体タブーかもしれないが選択肢はある   2018/07/18 村田 らむ : ライター、漫画家、カメラマン、イラストレーター https://toyokeizai.net/articles/-/227783?page=3 沖山先生の印象では、治療においておカネのことを切り出すのが苦手なのは日本人特有な性質らしい。これは飼い主にも獣医にも言える。 「たとえば欧米人は、最初にちゃんとおカネの話をしますね。いくらまでなら治療する、それ以上なら治療しない、獣医と意見が合わなければ病院を替える、と非常にはっきりしている。 日本人もおカネのことは絶対に聞くべきだと思います。それは恥ずかしいことじゃないですから。2000~3000円で済む話じゃないですからね。大変な額のおカネがかかる場合も多いです。おカネのことを聞かずに治療をはじめて『いったいいくらかかるのだろう?』と考えること自体、すごいストレスですよ」 ペットが危篤な状態になっても、おカネを積めばある程度生かし続けることはできるという。もちろんかなり高額な治療費がかかる。   ◆お知らせ - 愛護動物(犬や猫など)は責任を持って飼育しましょう http://www.city.miyazu.kyoto.jp/www/info/detail.jsp?id=4239 2019/09/03 【猫について】 ■野良猫には、むやみにエサを与えないでください  不妊・去勢をしていない猫にエサを与えると子どもを生む機会が増え、生まれた子猫の餓死や交通事故死など更に不幸な猫を増やすことになります。また、残ったエサや糞尿で周辺環境を汚したり、エサ目当ての猫が増え、周囲の住民にも多大な迷惑をかけることになります。  エサを与えるなら、不妊・去勢手術を受けさせ、糞尿の後始末、食べ残しの片付けを行い、他人に迷惑をかけないよう責任のある行動をしてください。 ■動物を遺棄・殺傷することは犯罪です  猫が飼えないからといって、無責任に捨てないでください。動物の殺傷は2年以下の懲役または200万円以下の罰金、動物の遺棄は100万円以下の罰金を科せられる場合があります。  飼い主は最後まで愛情と責任を持って飼いましょう。
■猫はできるだけ室内で飼いましょう  猫を室内で飼うことで、交通事故や感染症、望まない妊娠などから守ることができます。また、猫による近所とのトラブルを未然に防ぐことにも繋がります。  また、屋外に出てしまったことを考えて、首輪への記名や名札の装着をしましょう。   ◆ペット生体店頭販売、「売れ残った」子たちが辿る残酷な末路。「引き取り専門」業者も https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191121-00206229-hbolz-soci 2019/11/21 市場規模が1兆5000億円を上回る、大規模な日本のペット産業。基盤となっているのが、子犬や子猫を扱うペットショップだが、その裏には「動物=商品」と見なす、残酷な現実が隠されている。 前回記事では、週に2回、生後間もない子犬や子猫を「新入荷」したペットの生体展示販売店の実態をお伝えしたが、今回は「賞味期限」が切れた犬や猫の末路について衝撃的な現実をリポートする。 不用となった動物は引き取り屋で「燃えるゴミ」として処分も “賞味期限”が切れたら処分する。それが生体展示販売ビジネスの現実だ。では“不用”になった動物はどうなるのか。   ◆嘘つきと馬鹿と後始末|鷹揚 銀|note https://note.com/heraribo/n/nd118b4d91e2f まず前提としてペットショップ廃止の署名をしてない時点で動物を守る気なんてない嘘つきかペットショップを知らない馬鹿なのは自明だ。 そして彼ら彼女らはその署名とやらでいろんなものを壊して、その後の後始末はどうするんだろう。   ◆愛するペットが死んだら「燃えるゴミ」なのか | 国内経済 | 東洋経済 ... https://toyokeizai.net/articles/-/204331 2018/01/17 街中を歩くと至るところで犬と散歩する人々と出会う。 一般社団法人ペットフード協会の調査では日本の犬の飼育頭数は987万8000頭、猫は984万7000頭で、合わせて1972万5000頭もいる(2016年調査)。少子高齢化や核家族化の進展もあり、ペットを家族の一員と思う人は確実に増えている。人間同様ペットも長寿になっており、同調査では犬の平均寿命は14.36歳、猫の平均寿命は15.04歳だという。 死は必ず訪れる。 そのときにどうするかは重要な課題だろう。また、捨て犬猫、野良犬猫のエサやりによる繁殖、多頭飼育も問題となっており、所有者不明あるいは所有者不在の犬猫も社会問題化しているため、死んだ場合の対応も課題だ。   ◆命 - Wikipedia http://bit.ly/yoc8yI 命(いのち) 多様で奥深い意味を持つ概念であり、生物の生きる力・期間、 生きていく大もとの外に現れる働きのもと。 「命」は2006年の「今年の漢字」に選ばれた。   ◆生 - Wikipedia     https://ja.wikipedia.org/wiki/生 生(せい、しょう、いのち) ・生命。即ち、生きる事や生きている状態、存在する状態。    対義語の死と対比する時によく用いられる。 ・生命の発生。例:誕生、生年月日など。 ・生命の活動。例:生態、生育、生活など。 ・生きている人間。例:先生、小生、生徒。 ・ものを作り出すこと。例:生産、生成。 ・仏教で四苦・十二因縁の一つ。生 (仏教)。 ・生存 ・部首の1つ、生部。 ・男子の遜った自称。   ◆生命 - Wikipedia http://bit.ly/ym41Rh 生命(せいめい、英: life、羅(ラテン語): vitaウィータ) 文脈によってさまざまな定義がある語であるが、基本的には 生きているものと死んでいるもの、あるいは物質と生物を 区別する特徴・属性などを指す語、あるいは抽象概念である。 伝統的に、生き物が生きた状態であるという状態そのものを生命と呼んだり、 生きた状態は目に見えない何かが宿っている状態であるとして、 その宿っているものを生命、命、魂などと呼んでおり、 現在でも広く日常的にそういう用法で使われている。 現代の生物学では、代謝に代表される、自己の維持、増殖、自己と外界との 隔離など、さまざまな現象の連続性をもって生命とする場合が多い。 ここでは様々な角度から生命を扱うことにし、伝統的な概念から、 現代生物学的な生命に関する概念や理論までを、ある程度歴史に 沿って追ってゆくことにする。 伝統的な理解については命、魂も参照のこと。   ◆霊魂(魂から転送)  https://ja.wikipedia.org/wiki/霊魂 霊魂(れいこん、英:SoulもしくはSpirit、ラテン語: anima、ギリシア語: Ψυχή) は、肉体とは別に精神的実体として存在すると考えられるもの。 肉体から離れたり、死後も存続することが可能と考えられている、 体とは別にそれだけで一つの実体をもつとされる、非物質的な存在のこと。 人間が生きている間はその体内にあって、生命や精神の原動力となっている存在、 人格的・非物質的な存在。 個人の肉体や精神をつかさどる人格的存在で、感覚による認識を超えた永遠の存在。   ◆代謝 - Wikipedia http://bit.ly/xikFVg 代謝(たいしゃ、metabolism) 生命の維持のために有機体が行う一連の化学反応のことである。 これらの経路によって有機体はその成長と生殖を可能にし、 その体系を維持している。 代謝は大きく異化 (catabolism) と同化 (anabolism) の2つに区分される。 異化は有機物質を分解することによってエネルギーを得る過程であり、 例えば細胞呼吸がある。 同化はこの逆で、エネルギーを使って有機物質を合成する過程であり、 例えばタンパク質と核酸の合成がある。   ◆異化 - Wikipedia http://bit.ly/xxJ6SG 異化(いか ロシア語: Остранение) 慣れ親��んだ日常的な事物を奇異で非日常的なものとして表現するための手法。 知覚の「自動化」を避けるためのものである。 ソ連の文学理論家であるヴィクトル・シクロフスキーによって概念化された。 これまでに「異常化」や「脱自動化」などの訳語が考えられてきた。   ◆同化 (生物学) - Wikipedia http://bit.ly/zB9yxA 同化(どうか、Anabolism) 小さな部品から分子を構成する代謝過程である。 これらの反応にはエネルギーが必要である。 代謝過程を分類する1つの方法として、 細胞、組織のレベルにおいて「同化作用」か「異化作用」かというのがある。 同化は、大きな分子を小さな部分に分解して細胞呼吸に用いる異化から 得られるエネルギーによって起こる。 このエネルギー供給は、多くの場合はアデノシン三リン酸を通じて起こる。 同化過程は、器官や組織を「組み立てる」方向に働く。 このような過程で細胞は成長、分化し、複雑な分子が構成され、個体は大きくなる。 同化の例としては、骨の成長や石化、筋肉量の増加等がある。 内分泌学者は伝統的にホルモンを同化と異化を促進するもので分類してきた。 古典的な同化ホルモンとしては、タンパク質合成を促進し、 筋肉の成長を促すアナボリックステロイドがある。 同化作用と異化作用のバランスは概日リズムによって調整されることもあり、 たとえばグルコース代謝などの過程は、日中の活動的な時間帯に最大になる。   ◆呼吸(こきゅう)〓 好気呼吸(こうきこきゅう)http://bit.ly/zGE5Mn 生物における呼吸(こきゅう)は、以下の2種類に分けられる。 1.細胞呼吸:細胞が最終電子受容体として酸素を用い、二酸化炭素 (CO2) を放出する異化代謝系。内呼吸ともいう。 2.外呼吸:多細胞生物体が外界から酸素を取り入れ、体内で消費して二酸化炭素 (CO2) を放出すること。 細胞呼吸については、広義には最終電子受容体として酸素を用いない『嫌気呼吸』もその意味合いに含まれるが、通例では呼吸とは酸素を用いる好気呼吸(こうきこきゅう)として用いる。   ◆嫌気呼吸(けんきこきゅう)http://bit.ly/ye50PU 最終電子受容体として酸素を用いない異化代謝系の総称である。 アルコール発酵など発酵過程の代謝はすべて嫌気呼吸といってよい。 ただし、好気呼吸に比べると極めて効率が悪く、生産するATPの量は格段に差がある。 また、狭義には解糖系のみを含む場合もあるが、微生物には多様な呼吸が 存在するため微生物学では上記の広範な定義が選択される場合が多い。 別名無気呼吸、嫌気的呼吸、無酸素呼吸など。   ◆微生物(びせいぶつ)http://bit.ly/xRRW5O 肉眼でその存在が判別できず、顕微鏡などによって観察できる程度以下の 大きさの生物を指す。 微生物を研究する学問分野を微生物学と言う。   ◆微生物学(びせいぶつがく、英語: microbiology)http://bit.ly/ygCGZX 微生物を対象とする生物学の一分野。 微生物とは(真正)細菌、古細菌、原生生物、真菌類など、 顕微鏡的大きさ以下の生物を指す。 しかし、微生物学という用語を用いられる場合、 主として原核生物(細菌、古細菌)をその対象とする場合が多い。 また、ウイルスをその対象に含める場合もある。 主に生化学的な解析を行う。 現在は地球科学的因子の一つとして微生物を含めた微生物生態学のような ラージスケールでの解析も行っている。   ◆概日リズム(がいじつリズム、英語: Circadian rhythmサーカディアン・リズム)http://bit.ly/y4gTJK 約24時間周期で変動する生理現象で、動物、植物、菌類、藻類など ほとんどの生物に存在している。 英名である circadian rhythm は、ラテン語の「約、概ね」を意味する circaと、「日」を意味する dies から名付けられた。 つまり「概(おおむ)ね一日」の意味である。 日、週、季節、年などの単位で経時的に変化する生物のリズムを研究する 学問を時間生物学という。 厳密な意味では、概日リズムは内在的に形成されるものであるが、 光や温度、食事など外界からの刺激によって修正される。   ◆時間生物学(じかんせいぶつがく、英:Chronobiology)http://bit.ly/zqvpZf 生物に内在する体内時計を研究する学問分野である。 太陽や月が作り出す一日、一年、潮汐などに適応する サーカリズム(circa-rhythm)を主な研究対象にする。 睡眠周期や、発生において数十分~数時間のリズムを刻む分節時計などの、 ウルトラディアンリズム(ultradian rhythm)も時間生物学に含まれる。 心拍や神経パルスような生命活動にも周期性が認められ、また寿命も生物の 持つ時計の一つであるが、これらは時間生物学ではほとんど扱われない。   ●生と死の格言1|世界傑作格言集 http://kakugen.aikotoba.jp/life&death.htm 死んでみたところでなんの役に立つのだろうか? まだ死ぬには早すぎる。せっかく自分のために生まれてきたものを全部自分のものにしもせずにあの世に旅立つなんて、果たして僕のすべきことだろうか。 by S・D・コレット   ●生と死の格言2|世界傑作格言集 http://kakugen.aikotoba.jp/life&death2.htm 話好きが暖炉に背を向けるように、人は死と背中合わせになっている。 byポール・ヴァレリー. ・もし本当に死の精髄を見たければ、生の実体に向けて心をいっぱいに開きなさい。 なぜなら、川と海が一体であるように、生と死は一体だからである。 byジブラン   ●生と死を考える会 http://www.seitosi.org/ 生と死を考える会は身近な人を失った悲しみを分かち合いだれにでも訪れる死を考え行動する開かれた場になる事を目指しています。   ●一般社団法人日本尊厳死協会 http://www.songenshi-kyokai.com/   ●◎ 性と死のホームページ ◎ http://www.mumyouan.com/   ●「誕生死」 http://angel-book.my.coocan.jp/ ~お空に逝った小さないのち~ 「誕生死」 とは 流産・死産・新生児死などを指し、 たとえおなかの中で亡くなったいのちでも、 出生後どんなに早く亡くなったいのちでも、 私たちの子どもは、確かにこの世に誕生したのだという思いを込めた、 この本のために新しく作られた造語です。   ●日本には過労死するほど仕事があり、自殺するほど仕事がない http://bit.ly/wfjd6n 「過労死、再発防止を」 企業名公開訴訟が結審 大阪地裁 大阪労働局が過去に過労死認定した企業名を開示しなかったのは不当として、「全国過労死を考える家族の会」代表、寺西笑(えみ)子(こ)さん(62)=京都市伏見区=が国に不開示処分の取り消しを求めた行政訴訟の最終口頭弁論が12日、大阪地裁(田中健治裁判長)であった。寺西さんが「公表されれば企業が猛省し、再発防止を尽くす第一歩になる」と意見陳述し、結審した。判決は11月10日。 寺西さんは平成21年3月、大阪労働局に対し、管轄する労働基準監督署が作成した過労死事案の資料にある企業名を明らかにするよう、情報公開請求した。請求したのは企業名のみで個人名を含んでいなかったが、大阪労働局は翌月、「個人を識別できる情報が含まれている」と判断して不開示を決定。寺西さんは、弁護士らでつくる「大阪過労死問題連絡会」の協力を求め、21年11月に提訴していた。 寺西さんは、15年前に飲食チェーンで店長を務めていた夫、彰さん=当時(49)=を過労自殺で亡くした。意見陳述では「過労死を出した企業の多くは労働基準法に違反しており、就職活動をする上でも企業名は重要な情報。公表することで社会に監視される仕組みが必要だ」と訴えた。   ●安楽死と尊厳ある死 http://bit.ly/wwuNCL このコンテンツは、随分前に作ったもので、今では改訂しなければならない部分を多々含んでいると思います。が、これまで多くの方に来ていただいておりましたので、削除するに忍びないところがあります。そこで、最低限の修正を加えて、新しいサイトにも当面 アップしておきます。修正が不十分で、現在の私の考えと微妙にずれる見解を含む可能性がありますことをお断りしておきます。20/sept/2007 内容インデックス    尊厳死と安楽死の概念と区分    積極的安楽死と消極的安楽死をめぐって    〈緩和死〉の導入と区分    安楽死が倫理的に正当化される条件    果たして安楽死が倫理的に正当化される場面があるか    安楽死とセデーション    無意味な生を理由とする安楽死の是非
生から死への軟着陸-延命と縮命の狭間 98年3月 緩和医療学会シンポジウム報告のスライド   ●死ぬ瞬間はこんな感じです。死ぬのはこんなに怖い 医者は本当のことは言いません  週刊現代 https://gendai.ismedia.jp/articles/-/34347?page=3 光に包まれた世界が見える  このように死の一歩手前で踏みとどまり続ける人々がいれば、医師から死亡宣告された状態から生き延びた人もいる。  バイクで走行中、信号無視の車に突っ込まれて転倒し、対抗車にも轢かれた40代男性のAさんは脳挫傷と大腿部の複雑骨折を負った。 「最初に搬送された病院では手に負えず次の病院に向かう際、ふと意識が戻り、医者が家族に『もうあきらめてください』と言っている声が聞こえ、怯えました。手術室の照明は今でも覚えています。この灯りが見えなくなったらオレは死ぬと言い聞かせて目を見開き、術中は『麻酔をしてくれ』と叫び続けたつもりなのですが、実際には声は出ておらず目も閉じていたそうです。再び意識が戻ったのは事故から3日後、集中治療室でのことでした」.....3/5   ●幸福ゆえに自死を選ぶ『生き方』はアリですか?|大坪 誠 ... - note https://note.com/mkt66gs/n/n44b65abad506 2018/07/10 注)この記事では、「自死」(≒ 自殺)について触れます。 が、ネガティブなものではなく、あくまで「生き方」としての“ポジティブ”な自死です。 決して、積極的に自殺を推奨するものではありません。 自死という生き方 今からちょうど10年前、僕が中学2年生の時だったと思います。 当時の僕は、毎朝、朝食を食べてからその日の新聞をざっと読むという、 ちょっとオッサンみたいな習慣がありました。 普段は広告などほとんど見ることはないのですが、 その日、一面の最下段にある広告欄の中の、小さく簡素な本の広告がふと目に留まりました。 必然だったとは言いません。 本との出会いは、いつも偶然なのです。 その本は、『自死という生き方』という題名でした。
0 notes
keijukita2018 · 7 years ago
Text
戦略会議 #08 作家研究 トーマス・ルフ/ 第二章ドイツ芸術の歴史 下書き
研究経過報告書ようやく完成。。。14130文字 1ヶ月間の提出期間があって、今日の13時が期限。 ギリギリ。 現状の構想では<序論><本論 四章><結論>とする予定だが、今回の経過報告では前提条件となる本論二章までを中心に書いた。 かなり時間かかった。 今後の計画も入れる必要があったので、今後に研究資料として読む本をいくつかあげて、締めた。 ほとんど哲学の本。 この1年は本当に、芸術との接点のあり方が変わってきた。 「僧侶と哲学者は死んだ、われわれはもう彼らを必要としていないのだ。なぜなら、アートが代わりにその仕事をするのだから」 論文内でも取り上げたリヒターの言葉の意味が今は少し理解できる。 これは何を必要としなくなったのか?そのことがわかってはじめて代わりになると出来る宣言だ。 僕が口にするにはもう少し時間がかかる。 以下<本論後半 第二章> 第二章 ドイツ芸術の歴史 第二章では、ドイツ芸術の歴史をスタートにベッヒャー夫妻の作品に写真の芸術的解放が起こった背景を検証する。 1. 新即物主義(ノイエ・ザハッリヒカイト) 第一章で触れたようにドイツという国の歴史は国民国家としての統一をなされないままに進んだ歴史であった。そんなドイツであったが、1871年にドイツ帝国としてプロイセンを中心とした連邦国家として市民の革命を経ないままに歴史的に初めてまとまることとなった。その後、鉄と血の宰相として知られるビスマルクの元、ドイツ帝国は経済発展をする。1914年オーストリアがドイツの後押しにより、セルビアに宣戦したことをスタートにドイツはフランス、ロシアへ宣戦をし第一次世界大戦がはじまった。 イギリスの中立を信じはじめた戦争であったが、その参戦に流れは変わり、1917年帝国議会の平和決議を経て、ロシア革命を機にロシアと休戦。1919年のヴェルサイユ条約を全面的に受け入れドイツは敗戦国家となる。敗戦後のドイツは1919年7月にドイツ国憲法(通称:ワイマル憲法)を採択し、ドイツは連邦制は維持しながらもドイツ・ワイマル共和国としてスタートをする。当時世界でもっとも民主的な憲法であったワイマル憲法のもとで民主化を進めたドイツであったが、国民に受け入れられたわけではなかった。ドイツ国民は権威主義的ではあったもののドイツを大国たらしめ、ドイツに発展をもたらしたドイツ帝国に慣れ親しんでいたのだった。 「イギリスのマルクス主義の歴史家ホブボームはその近著『二十世紀の歴史』(河合秀和訳、三省堂)のに「極端な時代」という副題を与えた。この副題は、凝縮した形でワイマル・ドイツに当てはまるであろう。」 坂井榮八郎 (2003) 『ドイツ史10講』岩波書店 というように第一次世界大戦後のドイツは極端に不安定な時代を迎えることとなる。その後右翼運動の急進派の中からヒトラーという人物が登場することとなる。そんなドイツ・ワイマルではあったが、社会文化史的には「黄金の二十年」などとも呼ばれる。前衛芸術(アバンギャルド)が盛んに活動を行い、ラジオや映画といった不特定多数を対象とするメディアを軸に、現代的都市型大衆文化が一気に広まった「ワイマル文化」の時代を迎える。 一方で、1910年代のこの時期に個人の内面を探求し、大衆に向かった主観的な表現主義に反する態度として社会の無名性や匿名性として存在する人間に対して冷徹とも言える視線を注ぎ、即物的に表現する「新即物主義(ノイエ・ザッハリヒカイト)」と呼ばれるドイツ独特の芸術表現が生まれる。「新即物主義」の考え方はL.H.サリヴァン「形態は機能に従��」という機能主義の信念のもと産業革命後の労働者の工場での機械生産に適した「デザイン」を生み出しのちにドイツを代表する芸術教育の場であるバウハウスを支えた建築家たちにも大きな影響を与えた。 最初に芸術のコンテクストにおいてドイツの写真が知られたのは、1920年代から30年代にかけて現れた、アウグスト・ザンダー、カール・ブロスフェルト、アルベルト・レンガー・パッチュなどの「新即物主義」として知られる写真家たちである。「新即物主義」の写真家たちはグループとしてまとまりを持ったものではなかったが、それぞれに構成主義的な視線をもって、ドイツ表現主義の主観主義や抽象的傾向への反発が込め作品を制作した。ザンダーは近代のドイツ人へ、パッチュは工場など多岐に渡り、ブロスフェルトは植物へと冷徹なまでの眼差しをむけた。これらの作品傾向はモホリ=ナジらのバウハウスの実験的・前衛的な写真と一緒になり、ノイエ・フォト(ドイツ新興写真)へとしてまとまっていく。 <※ウォルター・ベンヤミン『複製技術時代の芸術』を精読後追加予定>
2. バウハウスの芸術 ドイツ芸術の歴史の中で、もっともよく知られるのはバウハウスであろう。 バウハウスも産業革命後に起こった社会の変化に応答したものであった。先行したアーツ・アンド・クラフツ運動や他の多くのアール・ヌーヴォーや分離派と同じく、歴史主義に基づいた機械生産による過剰な装飾へ芸術の力をもって抵抗することを試みた。重要な点は過剰な装飾への抵抗の考え方の違いであって、機械生産そのものに抵抗したものではなかった点である。バウハウスが目指したものは
「歴史主義を明確な形態言語によって克服し、芸術と手工作と産業の新しい統一を実現する」
トーマス・ハウフェ
  『近代から現代までのデザイン史入門―1750‐2000年』2007,p.68
ということであり開校当初、バウハウスも他の多くのアール・ヌーヴォー運動と同じくその改革への道を中世への回帰に求めた。しかし、この装飾という領域において長く続いてきた、芸術と産業、美的理論と社会的観点という問題にバウハウスも向き合い続けることとなった。ロシア構成主義、デ・スティルの影響を受ける中から、デザインを要素的で機能的な形態言語へと導き、理論化し最終的に教育として結実させた。それは結果として産業革命後の多くの運動の目指したことの答えを導きだすこととなった。「デザインはどうあるべきなのか?」という問いに、機械生産に合わせた規格化を助け、安定に生産、供給するために必要なもので、その形態は機能から生まれるものであると「デザインそのものの役割を定義づけたこと」がバウハウスが現代に到るまでの影響を及ぼした最大の功績であると考える。
ハンガリー生まれの画家で、グラフィックアーティストであったラースロー・モホリ=ナギは1923年から28年までバウハウスにて金属工房で指導者となる。彼は造形の教育の中に積極的に新素材と写真を取り入れていった。新即物主義の伝統を受け継ぐ形で実験的で前衛的なノイエ・フォト(ドイツ新興写真)として発展させていく。
3.0. デュッセルドルフ・アート・アカデミー 歴史と変遷 デュッセルドルフ派からデュッセルドルフ・アート・ミラクルへ
・〜第一次世界大戦前 ー「デュッセルドルフ派」ー デュッセルドルフ芸術アカデミー (Düsseldorf Art Academy) は、画家のラムベルト・クラーエ(Lambert Krahe: 1712-1790)が1762年ころに設立した絵画学校が1773年に「プファルツ選帝侯領絵画、彫刻、建築アカデミー」(Kurfürstlich-Pfälzische Academie der Maler, Bildhauer- und Baukunst)を前身とし、1800年ごろにデュッセルドルフ美術アカデミー(Akademie der schönen Künste zu Düsseldorf)と改名されはじまった。1810年代にナポレオン戦争を経験し、デュッセルドルフ地域は荒廃し、美術院も一時閉鎖状態にあったが、ペーター・フォン・コルネリアスとその後継者であるフリードリッヒ・ヴィルヘルム・フォン・シャドーによって1819年から1859年の間に立て直し現在へ繋がる体制を整えた。宗教画、ロマン派絵画にはじまり、1850年代以降、風景画や風俗画がアメリカなど海外で高い評価を受け、重要な輸出品となった。1820年代から第一次世界大戦前まで、デュッセルドルフで訓練を受けた画家は「デュッセルドルフ派」と呼ばれるまでなった。
・1950年代〜60年代ー「デュッセルドルフ・アート・ミラクル」 1950年代から60年代にかけて、デュッセルドルフ芸術アカデミーは国際的に評価をされ、尊敬をあつめる芸術教育の中心地としての地位を回復する。それ以来、カール・オットー・ゲッツ、ヨーゼフ・ボイス、ゲルハルト・リヒター、ベルント・ベッヒャーなどが講師として教鞭をとり、多くの著名な芸術家を輩出する教育機関となった。それは芸術の世界において「デュッセルドルフ・アート・ミラクル」と呼ばれるブームであった。また、デュッセルドルフはフクルサスの活動が盛んに行われるなど、芸術において芸術教育だけでなく重要な都市として定着していく。ドイツ芸術において、バウハウス以来よく知られる世界の芸術の中心地となる。
3.1. ヨーゼフ・ボイスと社会彫刻 社会と芸術を繋ぐ芸術家
「社会彫刻」でのちに有名になるヨーゼフ・ボイス(Joseph Beuys)が1947年から51年にかけてデュッセルドルフ芸術アカデミーで彫刻を学び、61年から同校にて教鞭をとりはじめた50-60年代にデュッセルドルフ芸術アカデミーは芸術の世界における美術教育の地位を回復していた。ヨーゼフ・ボイスは人類は誰もが芸術家であり、自分たちの未来は彫刻のように削り出すものだという「社会彫刻」という概念に基づき、彫刻そのものの概念を広げていった芸術家である。一時的にはフルクサスのメンバーでもあり、ナム・ジュン・パイクとの親交も知られる。そのため、フルクサスはデュッセルドルフで盛んに活動を行った。
1972年にアカデミーと衝突して解雇されるまでに、彼の授業を受けた中からその後のドイツ芸術を代表するゲルハルト・リヒター、シグマー・ポルケ、アンゼルム・キーファーなど多くの優秀な画家たちが輩出された。
ボイスは第二次世界大戦前には「ヒトラー・ユーゲント」に加入し、戦後の東西ドイツ分断後はNATO、東側の両方を拒否する中立国家の統一を目指するなど、社会は一つの偉大な芸術的な総体であるべきだと信じ、芸術と社会を関係させる思想をもっていた。その思想は今日まで多くの芸術家に影響を与えている。
3.2. 東ドイツの芸術家 ゲルハルト・リヒター、シグマー・ポルケ 資本主義リアリズム、抽象表現主義、ミニマルアートの行き詰まりとポップアート
<※今後の研究で追加> デュッセルドルフ・アート・アカデミーを世界の芸術教育としての地位確立に至る部分と1976年スタートの写真コースの芸術家たちへ与えたであろう影響などをヨーゼフ・ボイスのパートと合わせ今後追加。 3.3. ベルント・ベッヒャーの仕事 無名の彫刻、写真の芸術的解放「写真表現1.0」の達成
「新即物主義」の作家たち以降、バウハウスのノイエ・フォト(ドイツ新興写真)ののち、ナチスの芸術への介入、プロバガンダによる写真の利用を経て、ドイツの写真が再び芸術として再発見されるまでは長い時間と努力をを要した。1950年代にドイツ エッセンではFolkwang-SchuleのOtto Steinertに率いられた写真家たちが「主観的写真(Subjective photography)」として様々な実験的アプローチを通じて写真の芸術表現への挑戦を続けた。しかし、彼らの作品は50年代、60年代という時代には対応していたものの芸術的な議論の中では有益な選択肢として取り上げられることはなかった。 しかし、ドイツ写真はの芸術的解放はウォルター・ベンヤミンの書籍<※ウォルター・ベンヤミン『複製技術時代の芸術』を精読後追加予定>と70年代に長く忘れ去られ再発見された何人かの写真家たち、そして新即物主義として知られる前述のアウグスト・ザンダー、カール・ブロスフェルト、アルベルト・レンガー・パッチュという写真家たちの功績によりはじまることとなる。当時の時代をアメリカの芸術の重要性を遡及的に評価したヒラ・ベッヒャーは下記のように述べている。 'After conceptual art, it became possible for photography to impose itself as an art form. Performances were held and every possible medium was tried. Abstract art had gone into its third generation of students, and had become boring and imitative.' In another interview, the Bechers emphasized art's increasing interest in everyday things, as manifested in pop art, for instance, and in this connection they also mentioned the revival of 'New Objectivity' and metaphysical art. STEFAN GRONERT (2009).   『THE DÜSSELDORF SCHOOL OF PHOTOGRAPHY』p17 コンセプチュアルアートを経て、写真表現が芸術形態としての責任を果たすことが可能になってきた。また、アメリカの抽象表現主義の行き詰まりとポップアートが明らかにしたアートが内包する日常への関心を新即物主義と形而上学的な芸術のリバイバルに関連させて言及したのだった。 当時、ドイツで流行していた「主観的写真」と比べ、ベッヒャー夫妻の作品は非常にシンプルなものであった。工場用の建物および機械、冷却用の給水塔、巻き上げ塔など近代ドイツの産業遺産を均一なグレーの空の下、均一な光の中で設定され撮影されたもので、それらの主題は写真内において可能な限り他の外界から隔離されるため、鑑賞者は主題に集中する。そして���別なデザインの欠如をもってしたとしても「匿名の彫刻」としての基本的な条件を維持したものとなった。1969年7月デュッセルドルフ美術館で「Objective Photography」の展示において 彼らは 'Anonymous Sculptures: Comparative Forms of Industrial Buildings'(匿名の彫刻:工業建築の形態比較)という名前を使用した。その展示において、複数のイメージがグリッド状に展示された「タイポロジー(類型学)」と呼ばれるこの形式のプレゼンテーションが行われた。鑑賞者の視線をフレームをまたいで比較することを強要させ、それは単一のマスターピースの塾考からはじまっていた写真表現を個々の作品の表現力を相対化することに成功した。 しかし、本論文において筆者は彼らの作品におけるもっとも重要な点はタイポロジーというプレゼンテーション形態であったことに言及されることを避けたいと考える。 重要な点は 'Anonymous Sculptures: Comparative Forms of Industrial Buildings'に対し彼ら自身は消えゆく時代の保存のための記録としての写真として向き合っていたことであり、当初は当時の芸術(主観的な表現主義)に対しての反芸術的な自己評価であったという。 'People say that a documentary approach is not artistic. But who decides? Ultimately it has to be posterity. There is no way to pinpoint the criteria. Everything connected with making pictures can be artistic'.
Hilla Becher STEFAN GRONERT (2009).   『THE DÜSSELDORF SCHOOL OF PHOTOGRAPHY』p13 その後、戦後ドイツの復興のシンボルとして5年に一度カッセルで行われているDocumenta5、6への2回の出展を経て世界へ知られることとなる。特にDocumenta5はヨーロッパでの芸術写真の認知に向けた最初の決定的なステップであった。写真というメディアは本来的に批評性を持ったメディアである。しかしそれが発揮されるのは1970年代の芸術的解放以前の「記録としての写真」においてのみであり、「表現としての写真」においては認められないものであった。
彼らの功績のひとつは主観的写真の流行るドイツにおいて、「新即物主義」の写真家たちと同じ視点をもって望んだドキュメンタリー写真の復活である。未来ばかりを見ていた表現主義とは一線を画すコンセプトを持って過去のリバイバルを行なったことは芸術表現におけるコンテクストを接続することを意味する。ドキュメンタリー写真という記録写真をリバイバルし、表現の領域にまで高めたことが「批評性」を伴った表現となり芸術としての評価を経て芸術的解放を獲得したのだと考える。
0 notes
takahashicleaning · 4 years ago
Link
TEDにて
モーリス・コンティ: 直感?を持った人工知能が生み出すすごい発明
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
デザインツールにデジタル神経系を与えたら何ができるでしょう?
コンピューターが我々の思考力や想像力を高め、ロボットシステムが橋や車やドローンなどの画期的な新しいデザインを自分で考え出し、構築するのです。
未来学者のモーリス・コンティといっしょに「拡張の時代」へと旅し、人にもロボットにも単独では作り得ないようなものが共同で作り上げられる世界を垣間見てみましょう。
しかし、膨大なビックデータや膨大な機械学習の訓練が必要です。
この中で創造的なことをしている人。デザイナー、エンジニア、起業家、アーティスト。あるいは、単に想像力が豊かという人はどれくらいいますか?手を挙げてください。
ほとんどがそうですね。そういう人にお知らせすることがあります。これからの20年で私たちの仕事の仕方は、これまでの2千年間における変化よりも大きく変わるでしょう(新型コロナウイルスのパンデミックで判明した規制しなければいけないストーカーアルゴリズム以外の活用で)
私たちは人類史の新時代に差し掛かっていると思います(新型コロナウイルスのパンデミックで判明した規制しなければいけないストーカーアルゴリズム以外の活用で)
人類史には、仕事の仕方に応じて大きく4つの時代がありました。狩猟採集時代が、数百万年続き、それから数千年の農耕時代があり、2百年ほどの工業化時代があり、現在の情報化時代がほんの数十年です。
そして、今、私たちは人類にとって新しく大きな時代の始まりにいます(新型コロナウイルスのパンデミックで判明した規制しなければいけないストーカーアルゴリズム以外の活用で)
「拡張の時代」へようこそ!
この新時代においては、人間の自然な能力が拡張されることになるでしょう。計算システムが、人間の思考を補助し、ロボットシステムが、作業を助け、デジタル神経系が、生来の感覚を大きく越えて、私たちを世界へと繋げます。認識力拡張の話から 始めましょう。
強化サイボーグだという方は、どれくらいいらっしゃいますか?
私たちは既に増強されていると言えると思います、パーティで誰かに知らないことを聞かれたところを想像してください。こういうものを持っていれば数秒で答えが分かります(コミュニケーションは楽しめませんが)でも、これはまだ原始的な始まりでしかありません。あのSiriでさえ、ただの受け身のツールです。
実際、過去350万年の間。人類の道具はずっと完全に受け身のものでした。指示した通りのことだけをし、それ以上のことはしませんが、基本的人権に配慮しているので着実に向上はしています。
人類最初の道具は、打ち付けた場所を切るだけでした。のみは彫刻家が指定したところを削るだけです。最も先進的なツールでさえ、明示的な指示なしには何もしません。これは、私がよくフラストレーションを感じることですが、道具にこちらの意向を指示する必要によって我々は制限されてきました。
コンピューターがあっても文字通り手を使って指示する必要があります。しかし、私はスタートレックのスコッティみたいな人間です。コンピューターと会話がしたいんです。
「コンピューター。車をデザインしよう」と言ったら、コンピューターが車を出して見せます「もっと速そうな感じでドイツっぽくなくしてくれ」と言うとコンピューターが、基本的人権に配慮しながら注文通りにしてくれるんです。
この会話はまだ先の話ですが、皆さんが考えるほど遠くはなく、私たちは既に取り組んでいます。道具は受け身のものから生成するものへと飛躍しつつあります。デザイン生成ツールは、コンピューターとアルゴリズムを使って形状を合成し、自分で新しいデザインを作り出します。必要なのは目標と制約だけです。
例をお見せしましょう。これはドローン用のフレームの例ですが、こちらがするのは必要なことを伝えるだけ。4つのプロペラがあるとか。出来るだけ軽くとか。空力的な効率を良くしろとか。すると与えられた条件を満たすあらゆる可能な解の全体。何百万通りという解をコンピューターが探索します。
これには大型のコンピューターが必要になりますが、私たち自身が考えも付かないようなデザインが生まれます。コンピューターは自分だけで答えを出します。誰かが何か描いてやることはなく、何もないところからデザインを始めるのです。ちなみに、このドローンのフレームがムササビの骨盤に似ているのは偶然ではありません。
このアルゴリズムは進化と同じように働くようデザインされているからです。
この技術を世の中で実際に目にするようになってワクワクしています。この2年。オートデスク社は、エアバス社と協力して未来の飛行機のコンセプトモデルに取り組んできました。まだ、先は長いですが、デザイン生成AIを使って最近こんなものを作り出しました。
これは、3D印刷された客室の隔壁ですがコンピューターがデザインしたものです。元の半分の重量でより高い強度を持ち、年内にエアバスA320で使われ始める予定です。明確に定義された問題に対してコンピューターは今や自力で独自の解を生み出せるんです。
しかし、直感的とは言えません。毎回。1から始める必要があります。学習しないからです。うちの犬のマギーとは違います。
マギーは実際、最先端のデザインツールよりも賢いんです。どういう意味かというと飼い主がリードを手にしていたらそれは、かなりの確率で散歩を意味するとマギーは理解しています。どうやってそう学んだのでしょう?飼い主がリードを手に取るたびに散歩に出たからです。そこでマギーは3つのことをしていました。注意を払うこと。何が起きたか覚えていること。心の中にパターンを作って概念を保持することです。
興味深いことに、これはまさにコンピューター科学者達が過去60年の間。人工知能にさせようと試み続けてきたことです。
1952年に三目並べができるコンピューターが作られました。大したことでした。45年後の1997���。ディープブルーは、チェス王者カスパロフを破りました。2011年。ワトソンはクイズ番組ジェパディで歷代チャンピオン2人に勝ちました。これは、コンピューターにはチェスよりもずっと難しいことです。
定められた手順に従ってやる代わりにワトソンは、人間の対戦相手に勝つために推論をする必要がありました。そして、2週間前。ディープマインド社のAlphaGoが最も難しいゲームとされる碁で世界最強の碁指しを破りました。碁には、宇宙の原子の総数よりも多くの手があります。勝つためにAlphaGoは直感力を発達させる必要がありました。実際、AlphaGoがなぜそうしたのか開発者自身にも分からないことがありました。
物事はとても速く進んでいます。人の一生の時間のうちにコンピューターにできることが、子供の遊びから最高度の戦略的思考にまで進歩したのです。ここで起きているのは、スポックのようだったコンピューターが、カークみたいになったということです。
純粋な論理から直感へという変化です。みなさん。この橋を渡ろうと思いますか?多くの人は「まさか!」と言うでしょう。
コンマ何秒でそういう判断をするのです。この橋は安全でないと知っていたかのようです。今やディープラーニングシステムが、そのような直感を獲得しつつあります。近い将来。皆さんは自分の作ったものやデザインしたものをコンピューターに見せて意見してもらえるようになるでしょう。
「相棒。こりゃ駄目だよ。やり直しだね」あるいは「みんなこの歌を気に入ってくれるだろうか?」とか「この新しい味のアイスは受けるか?」とか聞けるでしょう。さらに重要なのは、概念が数値化できれば、これまで直面したことのない問題にコンピューターで取り組めるようになることです。
たとえば、気候変動です。これは多くの概念が必要です。
人類はあまり上手く対処できていないので、どんな助けでもありがたいことでしょう。それが私のお話ししていることです。テクノロジーが人間の認知能力を増強し、拡張されていない素の人間には、単に手の届かなかったものを思い描き、デザインできるようになるということです。
では、我々が発明しデザインしようとしているそういう新しいクレージーなものは、どうやって製造するのか?人類拡張の時代は、仮想的・知的な領域だけでなく、物質的世界にも関わるものです。テクノロジーはいかに人間を拡張するのか?物質的世界ではロボットシステムによってです。
人間の仕事がロボットに奪われる怖れは、確かにあってある種の領域(基本的人権を侵害する)では実際そうなるでしょう。
でも、私がもっと興味があるのは、基本的人権を尊重し、一緒に働く人間とロボットが互いを拡張し合って新しい領域を切り開く というアイデアです。
これはサンフランシスコにある我々の応用技術研究所です。その主要な研究領域の1つが先進ロボット工学。特に、人間とロボットの基本的人権に配慮した共同作業です。これは、我々のロボットBishopです。繰り返し作業のある建築現場で作業者を手伝うよう実験的にセットアップしてあります。壁にコンセントや電灯スイッチのための穴を開けるといった作業です。
人間のパートナーが、単純な言葉やシンプルな手振りでやることを示します。犬に話かけるみたいにBishopは指示されたことを完璧な正確さで実行します。人間には、人間の得意なことをしてもらいます。認識とか。知覚とか。倫理に基づく多数の概念的な意志決定です。
ロボットには、ロボットの得意なことをさせます。精密な反復作業です。これはBishopがやった別の面白いプロジェクトです。このHIVEという名のプロジェクトでは、人間とコンピューターとロボットが共同して、非常に複雑な設計問題を解決するという体験を試行しています。
人間は、労働者として働きます。建築現場を動き回り竹素材を扱います。
ちなみに、形状の異なる竹は、ロボットには扱うのが非常に難しい素材です。ロボットは、このファイバーを張る作業をします。人間にはほとんど不可能なことです。そして、人工知能(新型コロナウイルスのパンデミックで判明した規制しなければいけないストーカーアルゴリズム以外の活用で)が全体の制御をしています。
人間とロボットにそれぞれの作業を指示し、何千という要素を管理します。これが興味深いのはこのパビリオンの構築は、人間とロボットと人工知能が補い合って取り組まねば不可能だったということです。
もう1つプロジェクトをご紹介しましょう。ちょっとクレージーなものです。アムステルダムを中心に活動するヨリス・ラーマンとMX3Dのチームとともに世界初の自律的に建設する橋をデザイン生成とロボットによる3D印刷で作ろうというものです。
今、まさにアムステルダムでヨリスと人工知能が橋をデザインしています。デザインが完成し実行を指示するとロボットがステンレスで橋を3D印刷し始めます。そして、橋が出来るまで人の手助けなしに自律的に印刷を続けます。
コンピューターが新しいものを想像しデザインする。人間の能力を拡張し、ロボットシステムが以前には作り得なかったものを 製造・建設する手助けをしてくれます。そういったものを感じ制御する能力についてはどうでしょう?我々の作る物の神経系はどうか?
人間の神経系は、周囲で起きているあらゆることを伝えてくれます。
しかし、我々の作る物の神経系はごく原始的なものです。例えば、車が街中の交差点で道路に開いた穴を踏んでも、自分で市道路局に連絡することはありません。建物は、中に入った人たちが気に入ってくれているか設計家に伝えることはありません。おもちゃメーカーは、おもちゃが実際に遊ばれているか。どこでどう使われているか。楽しまれているかどうか。知りません。
もし、知ったとしたら基本的人権の侵害になります!
新型コロナウイルスのパンデミックで判明した規制しなければいけないストーカーアルゴリズムの悪用が推測できるからです!
バービー人形のデザイナーは、自分の人形にこのようなライフスタイルを想像していたことでしょう。でも、本当はバービーが すごく孤独だったとしたら?孤独という概念が、孤独アルゴリズムで数値化されていないのでわかりませんが。
もし、自分のデザインしたものについて、実際にどんなことが起きているかデザイナーに分かれば、道路にせよ。建物にせよ。バービーにせよ。その知識を生かして利用者にとって、より良い体験を生み出すことができるでしょう。
欠けているのは、基本的人権を保護するため、我々がデザインし、作り、使うもの、すべてと我々を繋ぐ神経系です。世に出した自分の作品からそのような情報が流れてくるとしたらどうでしょう?まぁ、基本的人権を侵害してしまう危険性は高いですが、自分の作ったものを、人々が買ってくれるよう説得するために、我々は膨大なお金と労力を費やしています。
昨年は2兆ドルという規模でした。もし、デザインし、作ったものに対し、世に出した後。販売された後。公開された後にそのような繋がりを持てたなら、基本的人権を保護するため、本人の許可は必須です。また、ビジネスのやり方も変わるでしょう。
作った商品を人々が欲しくなるよう仕向けるのでなく、人々がそもそも欲しいと思うものを基本的人権を保護するため、本人の許可を認識させてから作るのです。
良い知らせは、デザインしたものと繋がるデジタル神経系に我々は既に取り組んでいるということです。あるプロジェクトで私たちは、ロサンゼルスのバンディート・ブラザーズに属する2人と組んで作業しています。彼らのやっていることの1つは、とんでもないことをする。とんでもない車を作るということです。ほんとうにクレージーな連中です。
いい意味で、我々がやっているのは従来のレーシングカーの車体に神経系を組み込むということです。
何十というセンサーを取り付け、世界第一級のドライバーに運転してもらい、砂漠を1週間。狂ったように走り回るのです。車の神経系が車に起きたことをすべて捕らえます。データポイントの数は40億にもなります。車が受けたあらゆる力を記録しています。それからクレージーなことをしました。
人間ではないので、そうやって得たデータをDreamcatcherというデザイン生成AIに入力します。
デザインツールに神経系を与えて究極の車体を作れと言ったら何ができるのでしょう?こんなものが得られます。これは人間には決してデザインできないようなものです。デザイン生成AIとデジタル神経系で拡張された人間によって、デザインされたものでロボットで実際に製造することができます。
そういう「拡張の時代」が、我々の未来であり、人間が知的・肉体的・認知的に拡張されるのだとしたら、いったいどんなことになるのか?そのおとぎの国はどんな風になるのでしょう?
来る世界では物は製造されるより、栽培されるようになるでしょう。建築されるよりは育てられるようになるでしょう。孤立したものから繋がったものへと採掘から集積へと変わるでしょう。服従を求めるより自律を尊ぶようになるでしょう。
拡張された能力によって世界は劇的に変わるでしょう。世界はもっと多様で繋がっていて、ダイナミックで複雑で適応的で。そして、もちろんより美しいものになります。未来に現れるものの姿は見たこともないものになるでしょう。
なぜなら、それらを形作るのはテクノロジーと自然と人間による新しい基本的人権を根底にした共同関係だからです。それは、楽しみに待つ価値のある未来に思えます。
ありがとうございました。
ヨーロッパでの一般データ保護規則(GDPR)でも言うように・・・
年収の低い個人(中央値で600万円以下)から集めたデータほど金銭同様に経済的に高い価値を持ち、独占禁止法の適用対象にしていくことで、高価格にし抑止力を持たせるアイデア。
自分自身のデータを渡す個人も各社の取引先に当たりデータに関しては優越的地位の乱用を年収の低い個人(中央値で600万円以下)に行う場合は厳しく適用していく。
こういう新産業でイノベーションが起きるとゲーム理論でいうところのプラスサムになるから既存の産業との
戦争に発展しないため共存関係を構築できるメリットがあります。デフレスパイラルも予防できる?人間の限界を超えてることが前提だけど
しかし、独占禁止法を軽視してるわけではありませんので、既存産業の戦争を避けるため新産業だけの限定で限界を超えてください!
(個人的なアイデア)
さらに・・・
勝手に警察が拡大解釈してしまうと・・・
こんな恐ろしいことが・・・
日本の警察は、2020年3月から防犯カメラやSNSの画像を顔認証システムで本人の許可なく照合していた!
憲法に完全違反!即刻停止措置をみんなで要求せよ。
日本の警察の悪用が酷いので、EUに合わせてストーカーアルゴリズムを規制しろ!
2021年に、EU、警察への初のAI規制案!公共空間の顔認証「原則禁止」
EUのAI規制は、リスクを四段階に分類制限!
禁止項目は、行動や人格的特性に基づき警察や政府が弱者個人の信頼性をスコア化や法執行を目的とする公共空間での顔認識を含む生体認証。
人間の行動、意思決定、または意見を有害な方向へ操るために設計されたAIシステム(ダークパターン設計のUIなど)も禁止対象にしている。
禁止対象の根拠は「人工知能が、特別に有害な新たな操作的、中毒的、社会統制的、および、無差別な監視プラクティスを生みかねないことは、一般に認知されるべきことである」
「これらのプラクティスは、人間の尊厳、自由、民主主義、法の支配、そして、基本的人権の尊重を重視する基準と矛盾しており、禁止されるべきである」
具体的には、人とやり取りをする目的で使用されるAIシステム(ボイスAI、チャットボットなど)
さらには、画像、オーディオ、または動画コンテンツを生成または操作する目的で使用されるAIシステム(ディープフェイク)について「透明性確保のための調和的な規定」を提案している。
高リスク項目は、法人の採用活動での利用など違反は刑事罰の罰金を売上高にかける。
など。他、多数で警察の規制を強化しています。
前提として、公人、有名人、俳優、著名人は知名度と言う概念での優越的地位の乱用を防止するため徹底追跡可能にしておくこと。
人間自体を、追跡すると基本的人権からプライバシーの侵害やセキュリティ上の問題から絶対に不可能です!!
これは、基本的人権がないと権力者が悪逆非道の限りを尽くしてしまうことは、先の第二次大戦で白日の元にさらされたのは、記憶に新しいことです。
マンハッタン計画、ヒットラーのテクノロジー、拷問、奴隷や人体実験など、権力者の思うままに任せるとこうなるという真の男女平等弱肉強食の究極が白日の元にさらされ、戦争の負の遺産に。
基本的人権がないがしろにされたことを教訓に、人権に対して厳しく権力者を監視したり、カントの思想などを源流にした国際連合を創設します。他にもあります。
参考として、フランスの哲学者であり啓蒙思想家のモンテスキュー。
法の原理として、三権分立論を提唱。フランス革命(立憲君主制とは異なり王様は処刑されました)の理念やアメリカ独立の思想に大きな影響を与え、現代においても、言葉の定義を決めつつも、再解釈されながら議論されています。
また、ジョン・ロックの「統治二論」を基礎において修正を加え、権力分立、法の規範、奴隷制度の廃止や市民的自由の保持などの提案もしています。現代では権力分立のアイデアは「トリレンマ」「ゲーム理論の均衡状態」に似ています。概念を数値化できるかもしれません。
権限が分離されていても、各権力を実行する人間が、同一人物であれば権力分立は意味をなさない。
そのため、権力の分離の一つの要素として兼職の禁止が挙げられるが、その他、法律上、日本ではどうなのか?権力者を縛るための日本国憲法側には書いてない。
モンテスキューの「法の精神」からのバランス上、法律側なのか不明。
立法と行政の関係においては、アメリカ型の限定的な独裁である大統領制において、相互の抑制均衡を重視し、厳格な分立をとるのに対し、イギリス、日本などの議院内閣制は、相互の協働関係を重んじるため、ゆるい権力分立にとどまる。
アメリカ型の限定的な独裁である大統領制は、立法権と行政権を厳格に独立させるもので、行政権をつかさどる大統領選挙と立法権をつかさどる議員選挙を、別々に選出する政治制度となっている。
通常の「プロトコル」の定義は、独占禁止法の優越的地位の乱用、基本的人権の尊重に深く関わってきます。
通信に特化した通信プロトコルとは違います。言葉に特化した言葉プロトコル。またの名を、言論の自由ともいわれますがこれとも異なります。
基本的人権がないと科学者やエンジニア(ここでは、サイエンスプロトコルと定義します)はどうなるかは、歴史が証明している!独占独裁君主に口封じに形を変えつつ処刑される!確実に!これでも人権に無関係といえますか?だから、マスメディアも含めた権力者を厳しくファクトチェックし説明責任、透明性を高めて監視しないといけない。
今回、未知のウイルス。新型コロナウイルス2020では、様々な概念が重なり合うため、均衡点を決断できるのは、人間の倫理観が最も重要!人間の概念を数値化できないストーカー人工知能では、不可能!と判明した。
複数概念をざっくりと瞬時に数値化できるのは、人間の倫理観だ。
そして、サンデルやマルクスガブリエルも言うように、哲学の善悪を判別し、格差原理、功利主義も考慮した善性側に相対的にでかい影響力を持たせるため、弱者側の視点で、XAI(説明可能なAI)、インターネット、マスメディアができるだけ透明な議論をしてコンピューターのアルゴリズムをファクトチェックする必要があります。
<おすすめサイト>
ロジェカイヨワ戦争論と日本の神仏習合との偶然の一致について2019
すべて電動で動く人間が乗れるマルチコプター
アンバー・ケイス:誰もがすでにサイボーグ
バスティアン・シェーファー:3Dプリンターで作るジャンボ・ジェット飛行機?
ユバル・ノア・ハラーリ:人類の台頭はいかにして起こったか?
<提供>
東京都北区神谷の高橋クリーニングプレゼント
独自サービス展開中!服の高橋クリーニング店は職人による手仕上げ。お手頃50ですよ。往復送料、曲Song購入可。詳細は、今すぐ電話。東京都内限定。北部、東部、渋谷区周囲。地元周辺区もOKです
東京都北区神谷のハイブリッドな直送ウェブサービス(Hybrid Synergy Service)高橋クリーニングFacebook版
1 note · View note