#三生三世枕上書
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Cdrama: Eternal Love of Dream / Three Lives, Three Worlds, The Pillow Book (2020)
只有两个高鼻梁才能这么玩~
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「お化けの棲家」に登場したお化け。
1、骨女〔ほねおんな〕 鳥山石燕の「今昔画 図続百鬼』に骨だけ の女として描かれ、 【これは御伽ぼうこうに見えたる年ふる女の骸骨、牡丹の灯籠を携へ、人間の交をなせし形にして、もとは剪灯新話のうちに牡丹灯記とてあり】と記されている。石燕が描いた骨女 は、「伽婢子」「牡丹灯籠」に出てくる女つゆの亡霊、弥子(三遊亭円朝の「怪談牡丹灯 籠」ではお露にあたる)のことをいっている。これとは別物だと思うが、「東北怪談の旅」にも骨女という妖怪がある。 安永7年~8年(1778年~1779年)の青森に現れたもので、盆の晩、骸骨女がカタリカタリと音をたてて町中を歩いたという。この骨女は、生前は醜いといわれていたが、 死んでからの骸骨の容姿が優れているので、 人々に見せるために出歩くのだという。魚の骨をしゃぶることを好み、高僧に出会うと崩れ落ちてしまうという。 「鳥山石燕 画図百鬼夜行」高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 「東北怪談の旅」山田 野理夫
2、堀田様のお人形
以下の話が伝わっている。 「佐賀町に堀田様の下屋敷があって、うちの先祖はそこの出入りだったの。それで、先代のおばあさんが堀田様から“金太郎”の人形を拝領になって「赤ちゃん、赤ちゃん」といわれていたんだけど、この人形に魂が入っちゃって。関東大震災のとき、人形と一緒に逃げたら箱の中であちこちぶつけてこぶができたから、修復してもらうのに鼠屋っていう人形師に預けたんだけど少しすると修復されずに返ってきた。聞くと「夜になると人形が夜泣きしてまずいんです」と言われた。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収)
3、ハサミの付喪神(つくもがみ)
九十九神とも表記される。室町時代に描かれた「付喪神絵巻」には、「陰陽雑記云器物百年を経て化して精霊を得てよく人を訛かす、是を付喪神と号といへり」 という巻頭の文がある。 煤祓いで捨てられた器物が妖怪となり、物を粗末に扱う人間に対して仕返しをするという内容だ が、古来日本では、器物も歳月を経ると、怪しい能力を持つと考えられていた。 民俗資料にも擂り粉木(すりこぎ)や杓文字、枕や蒲団といった器物や道具が化けた話しがある。それらは付喪神とよばれていないが、基本的な考え方は「付喪神絵巻」にあるようなことと同じで あろう。 (吉川観方『絵画に見えたる妖怪』)
4、五徳猫(ごとくねこ) 五徳猫は鳥山石燕「画図百器徒然袋」に尾が2つに分かれた猫又の姿として描かれており、「七徳の舞をふたつわすれて、五徳の官者と言いしためしも あれば、この猫もいかなることをか忘れけんと、夢の中におもひぬ」とある。鳥山石燕「画図百器徒然袋」の解説によれば、その姿は室町期の伝・土佐光信画「百鬼夜行絵巻」に描かれた五徳猫を頭に 乗せた妖怪をモデルとし、内容は「徒然袋」にある「平家物語」の 作者といわれる信濃前司行長にまつわる話をもとにしているとある。行長は学識ある人物だったが、七徳の舞という、唐の太宗の武の七徳に基づく舞のうち、2つを忘れてしまったために、五徳の冠者のあだ名がつけられた。そのため、世に嫌気がさし、隠れて生活するようになったという。五徳猫はこのエピソードと、囲炉裏にある五徳(薬缶などを載せる台)を引っ掛けて創作された 妖怪なのであろう。ちなみに土佐光信画「百鬼夜行絵巻」に描かれている妖怪は、手には火吹き 竹を持っているが、猫の妖怪ではなさそうである。 ( 高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕画図百鬼夜行』)→鳥山石燕『百器徒然袋』より 「五徳猫」
5、のっぺらぼー 設置予定場所:梅の井 柳下 永代の辺りで人魂を見たという古老の話しです。その他にも、背中からおんぶされて、みたら三つ目 小僧だったり、渋沢倉庫の横の河岸の辺りでのっぺらぼーを見たという話しが残っています。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収) のっぺらぼーは、顔になにもない卵のような顔の妖怪。特に小泉八雲『怪談』にある、ムジナの話が良く知られている。ある男が東京赤坂の紀国坂で目鼻口のない女に出会い、驚き逃げて蕎麦 屋台の主人に話すと、その顔も同じだったという話。その顔も同じだったという話。
6、アマビエアマビエ 弘化3年(1846年) 4月中旬と記 された瓦版に書かれているもの。 肥後国(熊本県)の海中に毎夜光るものが あるので、ある役人が行ってみたところ、ア マビエと名乗る化け物が現れて、「当年より はやりやまいはや 6ヵ月は豊作となるが、もし流行病が流行ったら人々に私の写しを見せるように」といって、再び海中に没したという。この瓦版には、髪の毛が長く、くちばしを持った人魚のようなアマビエの姿が描かれ、肥後の役人が写したとある。 湯本豪一の「明治妖怪新聞」によれば、アマピエはアマピコのことではないかという。 アマピコは瓦版や絵入り新聞に見える妖怪で、 あま彦、天彦、天日子などと書かれる。件やクダ部、神社姫といった、病気や豊凶の予言をし、その絵姿を持っていれば難から逃れられるという妖怪とほぼ同じものといえる。 アマビコの記事を別の瓦版に写す際、間違 えてアマビエと記して���まったのだというのが湯本説である。 『明治妖怪新聞」湯本豪一「『妖怪展 現代に 蘇る百鬼夜行』川崎市市民ミュージアム編
7、かさばけ(傘お化け) 設置予定場所:多田屋の入口作品です。 一つ目あるいは、二つ目がついた傘から2本の腕が伸び、一本足でピョンピョン跳ねまわる傘の化け物とされる。よく知られた妖怪のわりには戯画などに見えるくらいで、実際に現れたなどの記録はないようである。(阿部主計『妖怪学入門』)歌川芳員「百種怪談妖物双六」に描 かれている傘の妖怪「一本足」
8、猫股(ねこまた) 猫股は化け猫で、尻尾が二股になるまで、齢を経た猫 で、さまざまな怪しいふるまいをすると恐れられた。人をあざむき、人を食らうともいわれる。飼い猫が年をとり、猫股になるため、猫を長く飼うもので はないとか、齢を経た飼い猫は家を離れて山に入り、猫股 になるなどと、各地に俗信がある。 このような猫の持つ妖力から、歌舞伎ではお騒動と化け猫をからめて「猫騒動もの」のジャンルがあり、
「岡崎の猫」「鍋島の猫」「有馬の猫」が三代化け猫とされる。
9、毛羽毛現(けうけげん) 設置予定場所:相模屋の庭 鳥山石燕の「今昔百鬼拾遺」に毛むくじゃらの妖怪として描かれた もので、 「毛羽毛現は惣身に毛生ひたる事毛女のごとくなればかくいふ か。或いは希有希現とかきて、ある事まれに、見る事まれなれば なりとぞ」とある。毛女とは中国の仙女のことで、華陰の山中(中国陝西省陰県の西 獄華山)に住み、自ら語るところによると、もともとは秦が亡んだため 山に逃げ込んだ。そのとき、谷春という道士に出会い、松葉を食すことを教わって、遂に寒さも飢えも感じなくなり、身は空を飛ぶほど軽くなった。すでに170余年経つなどと「列仙伝」にある。この毛羽毛現は家の周辺でじめじめした場所に現れる妖怪とされるが、実際は石燕の創作妖 怪のようである。 (高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕 画図百鬼夜行』→鳥山石燕「今昔百鬼 拾遺」より「毛羽毛現」
10、河童(かっぱ) 設置予定場所:猪牙船 ◇ 河童(『耳袋』) 江戸時代、仙台藩の蔵屋敷に近い仙台堀には河童が出たと言われています。これは、子どもたちが、 なんの前触れもなく掘割におちてしまう事が続き探索したところ、泥の中から河童が出てきたというも のです。その河童は、仙台藩の人により塩漬けにして屋敷に保管したそうです。 ◇ 河童、深川で捕獲される「河童・川太郎図」/国立歴史民俗博物館蔵 深川木場で捕獲された河童。河童は川や沼を住処とする妖怪で、人を水中に引き込む等の悪事を働く 反面、水の恵みをもたらす霊力の持ち主として畏怖されていた ◇ 河童の伝説(『江戸深川情緒の研究』) 安永年間(1772~1781) 深川入船町であった話しです。ある男が水浴びをしていると、河童がその男 を捕えようとしました。しかし、男はとても強力だったので逆に河童を捕えて陸に引き上げ三十三間堂の前で殴り殺そうとしたところ、通りかかった人々が河童を助けました。それ以来、深川では河童が人 間を捕らなくなったといいます。→妖怪画で知られる鳥山石燕による河童
11、白容商〔しろうねり〕
鳥山石燕「画図百器 徒然袋」に描かれ、【白うるりは徒然のならいなるよし。この白うねりはふるき布巾のばけたるものなれども、外にならいもやはべると、夢のうちにおもひぬ】 と解説されている。白うるりとは、吉田兼好の『徒然草」第六十段に登場する、 芋頭(いもがしら)が異常に好きな坊主のあだ名である。 この白うるりという名前に倣って、布雑巾 の化けたものを白容裔(しろうねり)と名づけたといっているので、つまりは石燕の創作妖怪であろう。古い雑巾などが化けて人を襲う、などの説 明がされることがあるが、これは山田野理夫 の『東北怪談の旅』にある古雑巾の妖怪を白 容裔の話として使ったにすぎない。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編
12、轆轤首〔ろくろくび〕
抜け首、飛頭蛮とも つな いう。身体から首が完全に分離して活動する ものと、細紐のような首で身体と頭が繋がっているものの二形態があるようである。 日本の文献には江戸時代から多くみえはじ め、『古今百物語評判』『太平百物語』『新説 百物語」などの怪談集や、『甲子夜話』『耳 囊」「北窓瑣談」「蕉斎筆記』『閑田耕筆』と いった随筆の他、石燕の『画図百鬼夜行」に 代表される妖怪画にも多く描かれた。 一般的な轆轤首の話としては、夜中に首が 抜け出たところを誰かに目撃されたとする内 容がほとんどで、下働きの女や遊女、女房、 娘などと女性である場合が多い。 男の轆轤首は「蕉斎筆記』にみえる。 ある夜、増上寺の和尚の胸の辺りに人の 首が来たので、そのまま取って投げつけると、 どこかへいってしまった。翌朝、気分が悪いと訴えて寝ていた下総出 身の下働きの男が、昼過ぎに起き出して、和 尚に暇を乞うた。わけ その理由を問えば、「昨夜お部屋に首が参りませんでしたか」と妙なことを訊く。確か に来たと答えると、「私には抜け首の病があります。昨日、手水鉢に水を入れるのが遅い とお叱りを受けましたが、そんなにお叱りに なることもないのにと思っていると、 夜中に首が抜けてしまったのです」 といって、これ以上は奉公に差支えがあるからと里に帰って しまった。 下総国にはこの病が多いそうだと、 「蕉斎筆記』は記している。 轆轤首を飛頭蛮と表記する文献があるが、 これはもともと中国由来のものである。「和漢三才図会』では、『三才図会」「南方異 物誌」「太平広記」「搜神記』といった中国の 書籍を引いて、飛頭蛮が大闍波国(ジャワ) や嶺南(広東、広西、ベトナム)、竜城(熱 洞省朝陽県の西南の地)の西南に出没したことを述べている。昼間は人間と変わらないが、夜になると首 が分離し、耳を翼にして飛び回る。虫、蟹、 ミミズなどを捕食して、朝になると元通りの 身体になる。この種族は首の周囲に赤い糸のような傷跡がある、などの特徴を記している。中国南部や東南アジアには、古くから首だけの妖怪が伝わっており、マレーシアのポン ティアナやペナンガルなどは、現在でもその 存在が信じられている。 日本の轆轤首は、こうした中国、東南アジ アの妖怪がその原型になっているようである。 また、離魂病とでもいうのだろうか、睡眠中に魂が抜け出てしまう怪異譚がある。例えば「曽呂利物語」に「女の妄念迷い歩 <事」という話がある。ある女の魂が睡眠中に身体から抜け出て、 野外で鶏になったり女の首になったりしているところを旅人に目撃される。旅人は刀を抜いてその首を追いかけていく と、首はある家に入っていく。すると、その家から女房らしき声が聞こえ、 「ああ恐ろしい夢を見た。刀を抜いた男が追 いかけてきて、家まで逃げてきたところで目 が醒めた」などといっていたという話である。これの類話は現代の民俗資料にも見え、抜け出た魂は火の玉や首となって目撃されている。先に紹介した「蕉斎筆記』の男の轆轤首 も、これと同じように遊離する魂ということ で説明ができるだろう。 轆轤首という妖怪は、中国や東南アジア由 来の首の妖怪や、離魂病の怪異譚、見世物に 出た作りものの轆轤首などが影響しあって、 日本独自の妖怪となっていったようである。 【和漢三才図会』寺島良安編・島田勇雄・竹 島淳夫・樋口元巳訳注 『江戸怪談集(中)』 高田衛編/校注『妖異博物館』柴田宵曲 『随筆辞典奇談異聞編」柴田宵曲編 『日本 怪談集 妖怪篇』今野円輔編著 『大語園』巌谷小波編
13、加牟波理入道〔がんばりにゅうどう〕
雁婆梨入道、眼張入道とも書く。便所の妖怪。 鳥山石燕の「画図百鬼夜行」には、便所の台があるよう 脇で口から鳥を吐く入道姿の妖怪として描かれており、【大晦日の夜、厠にゆきて「がんばり入道郭公」と唱ふれば、妖怪を見さるよし、世俗のしる所也。もろこしにては厠 神名を郭登といへり。これ遊天飛騎大殺将軍 とて、人に禍福をあたふと云。郭登郭公同日 は龕のの談なるべし】と解説されている。 松浦静山の『甲子夜話」では雁婆梨入道という字を当て、厠でこの名を唱えると下から入道の頭が現れ、 その頭を取って左の袖に入れてまたとりだすと 頭は小判に変化するなどの記述がある。 「がんばり入道ホトトギス」と唱えると怪異 にあわないというのは、江戸時代にいわれた 俗信だが、この呪文はよい効果を生む(前述 ことわざわざわい ●小判を得る話を含め)場合と、禍をよぶ 場合があるようで、「諺苑」には、大晦日に この話を思い出せば不祥なりと書かれている。 また、石燕は郭公と書いてホトトギスと読ませているが、これは江戸時代では郭公とホト トギスが混同されていたことによる。 ホトトギスと便所との関係は中国由来のようで、「荊楚歲時記』にその記述が見える。 ホトトギスの初鳴きを一番最初に聞いたもの は別離することになるとか、その声を真似すると吐血するなどといったことが記されており、厠に入ってこの声を聞くと、不祥事が起 こるとある。これを避けるには、犬の声を出 して答えればよいとあるが、なぜかこの部分 だけは日本では広まらなかったようである。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 『江戸文学俗信辞典』 石川一郎編『史実と伝説の間」李家正文
14、三つ目小僧
顔に三つの目を持つ童子姿の妖怪。 長野県東筑摩郡教育委員会による調査資料に名は見られるが、資料中には名前があるのみ で解説は無く、どのような妖怪かは詳細に語られていない。 東京の下谷にあった高厳寺という寺では、タヌキが三つ目小僧に化けて現れたという。このタヌ キは本来、百年以上前の修行熱心な和尚が境内に住まわせて寵愛していたために寺に住みついたものだが、それ以来、寺を汚したり荒らしたりする者に対しては妖怪となって現れるようになり、体の大きさを変えたり提灯を明滅させて人を脅したり、人を溝に放り込んだりしたので、人はこれ を高厳寺小僧と呼んで恐れたという。困った寺は、このタヌキを小僧稲荷として境内に祀った。この寺は現存せず、小僧稲荷は巣鴨町に移転している。 また、本所七不思��の一つ・置行堀の近くに住んでいたタヌキが三つ目小僧に化けて人を脅したという言い伝えもある。日野巌・日野綏彦 著「日本妖怪変化語彙」、村上健司校訂 編『動物妖怪譚』 下、中央公論新社〈中公文庫〉、2006年、301頁。 佐藤隆三『江戸伝説』坂本書店、1926年、79-81頁。 『江戸伝説』、147-148頁。
15、双頭の蛇 設置予定場所:水茶屋 「兎園小説」には、「両頭蛇」として以下の内容が著してある。 「文政7年(1824)11月24日、本所竪川通りの町方掛り浚場所で、卯之助という男性 が両頭の蛇を捕まえた。長さは3尺あったという。」
文政7年(1824)11月24日、一の橋より二十町程東よりの川(竪川、現墨田区)で、三尺程の 「両頭之蛇」がかかったと言う話です。詳細な図解が示されています。 (曲亭馬琴「兎園小説」所収『兎園小説』(屋代弘賢編『弘賢随筆』所収) 滝沢馬琴他編 文政8年(1825) 国立公文書館蔵
16、深川心行寺の泣き茶釜
文福茶釜は「狸」が茶釜に化けて、和尚に恩返しをする昔話でよく知られています。群馬県館林の茂 林寺の話が有名ですが、深川2丁目の心行寺にも文福茶釜が存在したといいます。『新撰東京名所図会』 の心行寺の記述には「什宝には、狩野春湖筆涅槃像一幅 ―及び文福茶釜(泣茶釜と称す)とあり」 とあります。また、小説家の泉鏡花『深川浅景』の中で、この茶釜を紹介しています。残念ながら、関 東大震災(1923年)で泣茶釜は、他の什物とともに焼失してしまい、文福茶釜(泣き茶釜)という狸が 化けたという同名が残るのみです。鳥山石燕「今昔百鬼拾遺」には、館林の茂森寺(もりんじ)に伝わる茶釜の話があります。いくら湯を 汲んでも尽きず、福を分け与える釜といわれています。 【主な参考資料】村上健司 編著/水木しげる 画『日本妖怪大辞典』(角川出版)
17、家鳴(やなり) 設置予定場所:大吉、松次郎の家の下) 家鳴りは鳥山石燕の「画図百鬼夜行」に描かれたものだが、(石燕は鳴屋と表記)、とくに解説はつけられて いない。石燕はかなりの数の妖怪を創作しているが、初期の 「画図百鬼夜行」��は、過去の怪談本や民間でいう妖怪などを選んで描いており、家鳴りも巷(ちまた)に知られた妖怪だったようである。 昔は何でもないのに突然家が軋むことがあると、家鳴りのような妖怪のしわざだと考えたようである。小泉八雲は「化け物の歌」の中で、「ヤナリといふ語の・・・それは地震中、家屋の震動 する音を意味するとだけ我々に語って・・・その薄気 味悪い意義を近時の字書は無視して居る。しかし此語 はもと化け物が動かす家の震動の音を意味して居た もので、眼には見えぬ、その震動者も亦(また) ヤナ リと呼んで居たのである。判然たる原因無くして或る 家が夜中震ひ軋り唸ると、超自然な悪心が外から揺り動かすのだと想像してゐたものである」と延べ、「狂歌百物語」に記載された「床の間に活けし立ち木も倒れけりやなりに山の動く掛軸」という歌を紹介している。 (高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕画図百鬼夜行』、『小泉八雲全集』第7巻)
18、しょうけら 設置予定場所:おしづの家の屋根 鳥山石燕「画図百鬼夜行」に、天井の明かり取り窓を覗く妖怪として描かれているもの。石燕による解説はないが、 ショウケラは庚申(こうしん) 信仰に関係したものといわれる。 庚申信仰は道教の三尸(さんし)説がもとにあるといわ れ、60日ごとに巡ってくる庚申の夜に、寝ている人間の身 体から三尸虫(頭と胸、臍の下にいるとされる)が抜け出し、天に昇って天帝にその人の罪科を告げる。この報告により天帝は人の命を奪うと信じられ、対策とし て、庚申の日は眠らずに夜を明かし、三尸虫を体外に出さ ないようにした。また、これによる害を防ぐために「ショウケラはわたとてまたか我宿へねぬぞねたかぞねたかぞ ねぬば」との呪文も伝わっている。 石燕の描いたショウケラは、この庚申の日に現れる鬼、ということがいえるようである。
19、蔵の大足
御手洗主計という旗本の屋敷に現れた、長さ3尺程(約9m)の大足。(「やまと新聞」明治20年4月29日より)
20、お岩ちょうちん
四世鶴屋南北の代表作である「東海道四谷怪談」のお岩 を、葛飾北斎は「百物語シリーズ」の中で破れ提灯にお岩が 宿る斬新な構図で描いている。北斎は同シリーズで、当時の 怪談話のもう一人のヒロインである「番町皿屋敷のお菊」も描 く。「東海道四谷怪談」は、四世南北が暮らし、没した深川を舞台にした生世話物(きぜわもの)の最高傑作。文政8年(1825) 7月中村座初演。深川に住んだ七代目市川團十郎が民谷伊 右衛門を、三代目尾上菊��郎がお岩を演じた。そのストーリーは当時評判だった実話を南北が取材して描 いている。男女が戸板にくくられて神田川に流された話、また 砂村隠亡堀に流れついた心中物の話など。「砂村隠亡堀の場」、「深川三角屋敷の場」など、「四谷怪 談」の中で深川は重要な舞台として登場する。
21、管狐(くだぎつね) 長野県を中心にした中部地方に多く分布し、東海、関東南部、東北の一部でいう憑き物。関東 南部、つまり千葉県や神奈川県以外の土地は、オサキ狐の勢力になるようである。管狐は鼬(いたち)と鼠(ねずみ)の中間くらいの小動物で、名前の通り、竹筒に入ってしまうほどの大きさだという。あるいはマッチ箱に入るほどの大きさで、75匹に増える動物などとも伝わる個人に憑くこともあるが、それよりも家に憑くものとしての伝承が多い。管狐が憑いた家は管屋(くだや)とか管使いとかいわれ、多くの場合は「家に憑いた」ではなく「家で飼っている」という表現をしている。管狐を飼うと金持ちになるといった伝承はほとんどの土地でいわれることで、これは管 狐を使って他家から金や品物を集めているからだなどという。また、一旦は裕福になるが、管狐は 大食漢で、しかも75匹にも増えるのでやがては食いつぶされるといわれている。 同じ狐の憑き物でも、オサキなどは、家の主人が意図しなくても、狐が勝手に行動して金品を集 ���たり、他人を病気にするといった特徴があるが、管狐の場合は使う者の意図によって行動すると考えられているようである。もともと管狐は山伏が使う動物とされ、修行を終えた山伏が、金峰山 (きんぷさん)や大峰(おおみね)といった、山伏に官位を出す山から授かるものだという。山伏は それを竹筒の中で飼育し、管狐の能力を使うことで不思議な術を行った。 管狐は食事を与えると、人の心の中や考えていることを悟って飼い主に知らせ、また、飼い主の 命令で人に取り憑き、病気にしたりするのである。このような山伏は狐使いと呼ばれ、自在に狐を 使役すると思われていた。しかし、管狐の扱いは難しく、いったん竹筒から抜け出た狐を再び元に 戻すのさえ容易ではないという。狐使いが死んで、飼い主不在となった管狐は、やがて関東の狐の親分のお膝元である王子村(東京都北区)に棲むといわれた。主をなくした管狐は、命令する者がいないので、人に憑くことはないという。 (石塚尊俊『日本の憑きもの』、桜井徳太郎編『民間信仰辞典』、金子準二編著『日本狐憑史資料 集成』)
22、かいなで 設置予定場所: 長屋の厠 京都府でいう妖怪。カイナゼともいう。節分の夜に便所へ行くとカイナデに撫でられるといい、これを避けるには、「赤い紙やろうか、���い紙やろうか」という呪文を唱えればよいという。 昭和17年(1942年)頃の大阪市立木川小学校では、女子便所に入ると、どこからともなく「赤い 紙やろか、白い紙やろか」と声が聞こえてくる。返事をしなければ何事もないが、返事をすると、尻を舐められたり撫でられたりするという怪談があったという。いわゆる学校の怪談というものだが、 類話は各地に見られる。カイナデのような家庭内でいわれた怪異が、学校という公共の場に持ち込まれたものと思われる。普通は夜の学校の便所を使うことはないだろうから、節分の夜という条件が消失してしまったのだろう。 しかし、この節分の夜ということは、実に重要なキーワードなのである。節分の夜とは、古くは年越しの意味があり、年越しに便所神を祭るという風習は各地に見ることができる。その起源は中国に求められるようで、中国には、紫姑神(しこじん)という便所神の由来を説く次のような伝説がある。 寿陽県の李景という県知事が、何媚(かび) (何麗卿(かれいきょう)とも)という女性を迎えたが、 本妻がそれを妬み、旧暦正月 15 日に便所で何媚を殺害した。やがて便所で怪異が起こるようになり、それをきっかけに本妻の犯行が明るみに出た。後に、何媚を哀れんだ人々は、正月に何媚を便所の神として祭祀するようになったという(この紫姑神は日本の便所神だけではなく、花子さんや紫婆(むらさきばばあ)などの学校の怪談に登場する妖怪にも影響を与えている。) 紫姑神だけを日本の便所神のルーツとするのは安易だが、影響を受けていることは確かであろう。このような便所神祭祀の意味が忘れられ、その記憶の断片化が進むと、カイナデのような妖怪が生まれてくるようである。 新潟県柏崎では、大晦日に便所神の祭りを行うが、便所に上げた灯明がともっている間は決して便所に入ってはいけないといわれる。このケースは便所神に対する信仰がまだ生きているが、便所神の存在が忘れられた例が山田野理夫『怪談の世界』に見える。同書では、便所の中で「神くれ神くれ」と女の声がしたときは、理由は分からなくとも「正月までまだ遠い」と答えればよいという。便所神は正月に祀るものという断片的記憶が、妖怪として伝えられたものといえる。また、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」という呪文も、便所神の祭りの際に行われた行為の名残を伝えて いる。便所神の祭りで紙製の人形を供える土地は多く、茨城県真壁郡では青と赤、あるいは白と赤の 男女の紙人形を便所に供えるという。つまり、カイナデの怪異に遭遇しないために「赤い紙やろう か、白い紙やろうか」と唱えるのは、この供え物を意味していると思われるのである。本来は神様に供えるという行為なのに、「赤とか白の紙をやるから、怪しいふるまいをするなよ」というように変化してしまったのではないだろうか。さらに、学校の怪談で語られる便所の怪異では、妖怪化した便所神のほうから、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」とか「青い紙やろうか、赤い紙やろうか」というようになり、より妖怪化が進ん でいったようである。こうしてみると、近年の小学生は古い信仰の断片を口コミで伝え残しているともいえる。 島根県出雲の佐太神社や出雲大社では、出雲に集まった神々を送り出す神事をカラサデという が、氏子がこの日の夜に便所に入ると、カラサデ婆あるいはカラサデ爺に尻を撫でられるという伝 承がある。このカラサデ婆というものがどのようなものか詳細は不明だが、カイナデと何か関係があるのかもしれない。 (民俗学研究所編『綜合日本民俗語彙』、大塚民俗学会編『日本民俗学事典』、『民間伝承』通巻 173号(川端豊彦「厠神とタカガミと」)ほか)
23、木まくら 展示予定場所:政助の布団の上 江東区富岡にあった三十三間堂の側の家に住んだ医師が病気になり、元凶を探した所 黒く汚れた木枕が出た。その枕を焼くと、死体を焼く匂いがして、人を焼くのと同じ時間がかかったという。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収)
24、油赤子〔あぶらあかご〕鳥山石燕の『今昔 画図続百鬼』に描かれた妖怪。【近江国大津 の八町に、玉のごとくの火飛行する事あり。土人云「むかし志賀の里に油うるものあり。 夜毎に大津辻の地蔵の油をぬすみけるが、その者死て魂魄炎となりて、今に迷いの火となれる」とぞ。しからば油をなむる赤子は此ものの再生せしにや】と記されている。 石燕が引いている【むかし志賀(滋賀) の】の部分は、「諸国里人談』や『本朝故事 因縁集」にある油盗みの火のことである。油盗みの火とは、昔、夜毎に大津辻の地蔵 の油を盗んで売っていた油売りがいたが、死 後は火の玉となり、近江大津(滋賀県大津 市)の八町を縦横に飛行してまわったという もの。石燕はこの怪火をヒントに、油を嘗める赤ん坊を創作したようである。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 『一冊で日本怪異文学 100冊を読む」檜谷昭彦監修『日本随筆大成編集部編
























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2024.10.13
映画『HAPPYEND』を見る。父の時代の学生運動のような雰囲気と、街の風景のクールな切り取り、存在感があり重厚な音楽の使い方から愛しいものとしてのテクノの使い方まで大変気に入り、今度会う人に渡そうと映画のパンフレットを2冊買う。その人と行った歌舞伎町時代のLIQUIDROOM、どんどん登らされた階段。小中学生の時に自分がした差別、あの分かっていなさ、別れた友人、まだ近くにいる人たち。
2024.10.14
銀座エルメスで内藤礼『生まれておいで 生きておいで』、ガラスの建築に細いテグスや色のついた毛糸が映える。日が落ちて小さなビーズが空間に溶けていくような時間に見るのも素敵だと思う。檜の「座」で鏡の前にいる小さな人を眺める。「世界に秘密を送り返す」を見つけるのは楽しい。黒目と同じだけの鏡、私の秘密と世界の秘密。今年の展示は上野・銀座ともに少し賑やかな雰囲気、外にいる小さい人たちや色とりどりの光の色を網膜に写してきたような展示。でも相変わらず目が慣れるまで何も見えてこない。銀座にはBillie Eilishもあったので嬉しくなる。
GINZA SIXのヤノベケンジ・スペースキャットと、ポーラアネックスでマティスを見てから歩行者天国で夜になっていく空を眺めた。小さい頃は銀座の初売りに家族で来ていたので、郷愁がある。地元に帰るよりも少しあたたかい気持ち、昔の銀座は磯部焼きのお餅を売っていたりしました。東京の楽しいところ。
2024.10.18
荷造り、指のネイル塗り。足は昨日塗り済み。年始の青森旅行時、2泊3日の持ち物リストを作成し、機内持ち込み可サイズのキャリーに入れ参照可能にしたところ、旅行のめんどくさい気持ちが軽減された。コンタクトや基礎化粧品・メイク用品のリスト、常備薬、安心できる着替えの量。持ち物が少ない人間にはなれそうにない。日常から多い。部屋に「読んでいない本」が多いと落ち着くような人間は持ち物少ない人になれない。
2024.10.19
早起きして羽田空港。8:30くらいに着いたらまだ眺めのいいカフェが開いておらず、とりあえず飛行機が見える屋上に行く。このあと雨が降るはずの曇り空からいきなり太陽が照り出して暑くなり、自販機でマカダミアのセブンティーンアイスを買い、食べる。突然の早朝外アイス���飛行機が整列し、飛び立つところをぼんやりと眺める。飛行機は綺麗。昨夜寝る前にKindleで『マイ・シスター、シリアルキラー』を買って「空港ではミステリー小説だろう」と浮かれて眠ったのに、100分de名著のサルトルを読み進める。実存主義を何も分かっていないことをこっそりとカバーしたい。すみませんでした。
10:15飛行機離陸。サンドイッチをぱくぱく食べたあとKindleを手に持ったまま眠ってしまい、11:55宇部空港着。
宇部空港、国内線のロビーは小さく、友人にすぐ会う。トンネルを抜ける時、窓が曇り、薄緑色の空間に虹色の天井のライトと車のライトがたくさん向かって来て流れる。動画を撮影しながら「綺麗くない?」と言うと「綺麗だけど本当は危ない」と言われる。かけるべきワイパーをしないで待っていてくれたんだと思う。
友人のソウルフードであるうどんの「どんどん」で天ぷら肉うどん、わかめのおにぎりを食べる。うどんは柔らかく、つゆが甘い。ネギが盛り放題。東京でパッと食べるうどんははなまる系になるので四国的であり、うどんのコシにもつゆにも違いがある。美味しい。
私は山口市のYCAMのことしか調べずに行ったので連れて行ってもらう。三宅唱監督の『ワイルドツアー』で見た場所だ。『ワイルドツアー』のポスターで見た正面玄関を見に芝生を横切ったが、芝生は雨でぐずぐずだった。でも全部楽しい。
広くて静かで素敵な図書館があり、心の底から羨ましい。小さな映画館もあり、途中入場できるか聞いたおじいちゃんが、「途中からだからタダにならない?」と言っていたがタダにはなっていなかった。一応言ってみた感が可愛らしい範囲。
YCAM内にあるのかと思っていたら違う倉庫にスペースのあった大友良英さんらの「without records」を見に行く。レコードの外された古いポータブルレコードプレーヤーのスピーカーから何がしかのノイズ音が鳴る。可愛い音のもの、大きく響く音のもの。木製や黄ばんだプラスチックの、もう存在しない電機メーカーの、それぞれのプレーヤーの回転を眺めて耳を澄ませてしばらくいると、たくさんのプレーヤーが大きな音で共鳴を始める。ずっと大きい音だと聞いていられないけれど、じっと待ってから大きな音が始まると嬉しくなる。プログラムの偶然でも、「盛り上がりだ」と思う。
山口県の道路はとても綺麗で(政治力)、道路の横は森がずっと続く。もとは農地だっただろう場所にも緑がどんどん増えている。私が映画で見るロードムービーはアメリカのものが多く、あちらで人の手が入っていない土地は平らな荒野で、日本の(少なくとも山口県の)土は放っておくとすぐに「森」になるのだ、ということを初めて実感する。本当の森の中にひらけた視界は無く、車でどんどん行けるような場所には絶対にならない。私がよく散歩をする所ですら、有料のグラウンドやイベント用の芝生でない場所には細い道を覆い隠す雑草がモコモコと飛び出して道がなくなってゆく。そして唐突に刈られて草の匂いだけを残す。私が「刈られたな」と思っているところも、誰かが何らかのスケジュールで刈ってくれているのだ。
山口県の日本海側の街では中原昌也と金子みすゞがそこかしこにドンとある。
災害から直っていないために路線が短くなっているローカルの汽車(電車じゃない、電車じゃないのか!)に乗って夜ご飯へ。終電が18:04。霧雨、暴風。一瞬傘をさすも無意味。
焼き鳥に挟まっているネギはタマネギで、つきだしは「けんちょう」という煮物だった。美味しい。砂肝、普段全然好きじゃないのに美味しかった。少し街の端っこへ行くとたまに道に鹿がいるらしく、夜見ると突然道路に木が生えているのかと思ったら鹿の角、ということになり怖いらしい。『悪は存在しない』のことを思う。
2024.10.20
雨は止んでいてよかった。海と山。暴風。人が入れるように少しだけ整えられた森に入り、キノコを眺める。
元乃隅神社、123基の鳥居をくぐり階段を降りて海の近くへ。暴風でiPhoneを構えてもぶれて、波は岩場を越え海の水を浴びる。鳥居の上にある賽銭箱に小銭を投げたけれど届くわけもない。車に戻ると唇がしょっぱかった。
山と海を眺めてとても素敵なギャラリー&カフェに。古い建物の改装で残された立派な梁、屋根の上部から太陽光が取り込まれるようになっていて素晴らしい建築。葉っぱに乗せられたおにぎりと金木犀のゼリーを食べる。美味しい。
更に山と海を眺めて角島へ。長い長い橋を通って島。古い灯台、暴風の神社。曇天の荒れた海も美しいと思う、恐ろしい風や崖を体感としてしっかりと知らない。構えたカメラも風でぶれるし、油断すると足元もふらつく風、窓につく塩の結晶。
山と海を眺めて香月泰男美術館へ。友人が見て良い展示だったからもう一度来て見せてくれたのだ。
全然知らなかったけれど、本当に素晴らしい絵だった。油彩なのだけど、質感が岩絵具のようで、フレームの内側に茶色のあやふやな四角が残っているのがとても良い。
フレーミングする、バチッと切り取ってしまう乱暴さから離れて、両手の人差し指と親指で四角を作って取り出したようなまなざしになる。
山口県の日本海側の山と畑と空の景色、荒い波、夜の静けさや月と雲、霧の色を見てから美術館へ連れて来てもらえたから色と色の境目の奥行きを知る。柿はずっしりと重く、花は鮮やかだ。香月泰男やシベリア抑留から帰ってきた画家で、この前読んだ『夜と霧』の暗さと冷たさを思い返した。絵の具箱を枕にして日本へ帰る画家が抱えていた希望、そのあとの色彩。
夕飯は友人の知り合いのハンバーガー屋さんへ。衝撃のうまさ。高校生の時に初めて食べたバーガーキングの玉ねぎの旨さ以来の衝撃、20年ぶりだ。そんなことがあるのか。
2024.10.21
晴天。海は穏やかで、深い青、テート美術館展で見たあの大きな横長の絵みたい。初めて見た海の光。
海と山を眺めて秋吉台へ。洞窟は時間がかかるので丘を散策、最高。
風光明媚な場所にしっかりとした情熱が無かったけれど、「好きな場所だから」と連れていってもらえる美しい場所は、友人が何度も見るたびに「好きだなぁ」と思っただろう何かが分かり、それは私が毎日毎日夕陽を眺めて「まだ飽きない」と思っている気持ちととても近く、感激する。
今までの観光旅行で一番素敵だった。
道々で「このあと窓を見て」と教えてもらい、味わう。
ススキが風に揺れて、黄色い花がずっとある。山が光で色を変え、岩に質感がある。
山口市、常栄寺、坂本龍一さんのインスタレーション。お寺の庭園が見られる場所の天井にスピーカーが吊るされ、シンセサイザーの音を演奏しているのは色々な都市の木の生体信号だ。鳥の声や風の音と展示の音は区別されない。砂利を踏む音、遠くから聞こえる今日の予定。豊かなグラデーションの苔に赤い葉っぱが落ちる。
宇部空港はエヴァの激推しだった。庵野さん、私も劇場で見届けましたよ。
行きの飛行機は揺れたけれど、帰りは穏やかに到着、家までの交通路がギリギリだったため爆走、滑り込む。
東京の車の1時間と山口の1時間は違う。
何人かの山口出身の友人が通った空と道と海と山の色を知ることができてとても嬉しい。
「好きな場所」「好きな風景」ってどういうものなんだろう。
私が通う場所、好きな建築、好きな季節と夕陽。あの人が大切にしている場所に���く風、日が落ちる時刻が少し違う、友人のいる場所。
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什麼是我想用這一生慢慢完成的?直到生命最後一刻才能完成的?
今天收到今年第三封拒絕信,我彷彿提早看到人生跑馬燈。如果不用倒敘法看自己的所作所為,那我汲汲營營不斷向前衝刺,到頭來只是隻橫飛亂撞的蒼蠅而已。你必須抓緊現在沒人在看你的時光,有個更高尚的聲音安靜對我說。但世俗的我把自己埋在被子枕頭間。不被人看見也不被肯定的勞動有何用?曾經創作讓我拉出體內的痛楚,將無以名狀定型在物質世界。如今痛楚是一顆沒人接下的迴力鏢,倒彈在自己心上。
用倒敘的視角來想像未來,那我希望我這生的創作能讓人潛入複雜的心靈世界,瞥見奇怪混沌的角落。讓他人感到 「 啊,這我認得。但在看到這件作品以前,我並不知道我也有一部份的這個」。我知道我需要更立體地構築我的世界,但眼前有太多可以學習的東西,有時甚至是心有餘而錢包或資源力不足。
前幾天讀的書反覆提到,若太過沉溺於潛意識的世界,那會是心靈的退化(regression)。這讓我頓了一下。為了創作,我跌進潛意識的世界裡,摸索可以撈上意識之岸的素材。然後我的自我(ego)每天練習和琢磨怎麼把一幅畫畫好。我在退化嗎?我有迷失在黑森林裡嗎?拒絕信總是非常狠辣地讓我感受到,我的自尊和自我價值感非常脆弱。我又回到一個普通人的位置,價值感碎一地。從這個角度來看,各種拒絕和輕視都是好的,因為我就是個普通人,但依舊努力勞動著。有些藝術家彷彿出生即仙女,讓人既羨慕又嫉妒。但我想做的創作,是人的創作,不是仙女的創作(雖然仙女系應該很好賣)。我想要擁抱讓人縮在角落莫名掉淚的東西。拒絕信就是讓我縮在角落莫名掉淚的東西,所以我想,就只是剛好而已。
這就是一篇單純的自我安慰文。
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2024年12月15日(日)

蔵書の整理が進んだために、書棚にずいぶんとスペースが生まれた。床を埋めていた段ボール箱の中から、<地球洗い隊>の福袋やセールでストックしていた諸々を棚に並べる。もちろん、最終形ではないが、これで床に掃除機を掛けられるようになったので、なんとか年内には全体像を写真で紹介出来るようになるとは思う。あと一息、頑張れ自分!

5時30分起床。
ツレアイの起床を待って洗濯開始。

朝食を頂く。
洗濯物を干す。
珈琲をいれる���
今日も書斎復活プロジェクト、彼女が自分の資料の分別、これで一枠が空いた。そこへ、とれる・シークワーサー・太陽の塩などを(一次的に)収納する。やっと、床に掃除機があてられるようになった。
10時を待ってぴあにアクセス、しばらくかかったが、2/15(土)の繁昌亭朝席(月刊笑福亭たま)のチケットを確保する。

彼女は午後から出かけるので早めのランチは伊勢うどん、息子たちにはレタス炒飯。
<『毎月京都で江戸落語 3月の会』柳家三三 ~第4回独演会 ご馳走の巻~ 2025年3月8日(土) 14時開演>、チケットの予約メールを入れる。

私は残り物をアテにしながら録画番組視聴、土曜は寅さんから「寅次郎 夢枕」
旅先で弁当を使わせてもらった旧家の奥様(田中絹代)から、テキ屋仲間の哀れな末路を聞かされた寅さんは、柴又へ帰ってくる。ところが寅さんの部屋は、御前様の親戚の大学助教授・岡倉金之助(米倉斉加年)が下宿中。面白くない寅さんは、また旅に出ようとしたが、門前で美容院を始めた幼なじみの志村千代(八千草薫)と再会し、思いとどまることに… 寅さんの幼なじみに、宝塚出身のベテラン女優・八千草薫。寅さんがマドンナに愛の告白をされてしまうという、意外や意外の物語。離婚して、子供と離ればなれとなった千代の寂しさを、紛らわそうとする寅さんの奮闘努力。恋のライバルとなるインテリに米倉斉加年。日本映画を代表する大女優・田中絹代と渥美清のしんみりとしたやり取りは、旅人の孤独を見事に表現。
軽く午睡。
コレモ七条店へ買物、弁当用惣菜。
3/8チケット予約確認のメール、すぐにチケット代金(¥7,600)を振り込む。
彼女が大阪から帰宅、まずは三男と一緒にココの点滴。

豚ロースのカレー醤油・豚バラ肉と白菜のクタクタ煮・レタスとトマト・スパークリングワイン。
録画番組視聴、サラメシ。
(28)新入社員スペシャル2024(1)
初回放送日:2024年12月12日 年末恒例「新入社員スペシャル」!東京・丸の内で新入社員のみなさんの「今年一番ランチ」を大調査!▽まかないの味が忘れられず…地元のスーパーに入社した新入社員の女性。お総菜部門で調理を担当し、レシピや盛りつけを覚える日々。同僚とのランチタイムで盛り上がるのは“推し活”バナシ!?▽金属の板を金づちなどで叩いて作る手作りの鍋工房に入社した女性。憧れの職人の世界で修業する彼女のサラメシタイムとは?

落語研究会の再放送から、「三十石」柳亭市馬、「江ノ島の風」柳家幅丸。三十石は江戸の噺家では聴きたくないが、市馬師は別格、気持ちよい舟唄に酔いしれる。
散髪、入浴、体重は150g減。
🍷の残り頂きながら、日誌書く。

自宅での作業が大変だったので、致し方なし。
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和五年(2023)12月27日(水曜日)参
通巻第8070号
AIは喜怒哀楽を表現できない。人間の霊的な精神の営為を超えることはない
文学の名作は豊かな情感と創造性の霊感がつくりだしたのだ
*************************
わずか五七五の十七文字で、すべてを印象的に表現できる芸術が俳句である。三十一文字に表すのが和歌である。文学の極地といってよい。
どんな新聞や雑誌にも俳句と和歌の欄があり、多くの読者を引きつけている。その魅力の源泉に、私たちはAI時代の創作のあり方を見いだせるのではないか。
「荒海や佐渡によこたう天の川」、「夏草や強者どもが夢の跡」、「無残やな甲の下の蟋蟀」、「旅に病で夢は枯野をかけ巡る」。。。。。
このような芭蕉の俳句を、AIは真似事は出来るだろうが、人の心を打つ名句をひねり出すとは考えにくい。和歌もそうだろう。
『春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣干すてふ 天香具山』(持統天皇)
皇族から庶民に至るまで日本人は深い味わいが籠もる歌を詠んだ。歌の伝統はすでにスサノオの出雲八重垣にはじまり、ヤマトタケルの「まほろば」へとうたいつがれた。
しかし人工知能(AI)の開発を米国と凌ぎを削る中国で、ついにAIが書いたSF小説が文学賞を受賞した。衝撃に近いニュースである。
生成AIで対話を繰り返し、たったの3時間で作品が完成したと『武漢晩報』(12月26日)が報じた。この作品は『機憶(機械の記憶)の地』と題され、実験の失敗で家族の記憶を失った神経工学の専門家が、AIとともに仮想空間「メタバース」を旅して自らの記憶を取り戻そうとする短編。作者は清華大でAIを研究する沈陽教授である。生成AIと66回の対話を重ね、沈教授はこの作品を「江蘇省青年SF作品大賞」に応募した。AIが生成した作品であることを予め知ら��れていたのは選考委員6人のうち1人だけで、委員3人がこの作品を推薦し
「2等賞」受賞となったとか。
きっと近年中に芥川賞、直木賞、谷崎賞、川端賞のほかに文学界新人賞、群像賞など新人が応募できる文学賞は中止することになるのでは? 考えようによっては、それは恐るべき時代ではないのか。
文学の名作は最初の一行が作家の精神の凝縮として呻吟から産まれるのである。
紫式部『源氏物語』の有名な書き出しはこうである。
「いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひける中に、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり」
ライバルは清少納言だった。「春は曙、やうやう白く成り行く山際すこし明かりて、紫立ちたる雲の細くたなびきたる」(清少納言『『枕草子』』
「かくありし時すぎて、世の中にいとものはかなく、とにもかくにもつかで、世に経るひとありけり」(道綱母『蜻蛉日記』)
額田女王の和歌の代表作とされるのは、愛媛の港で白村江へ向かおうとする船団の情景を齊明天王の心情に託して詠んだ。
「熟田津に 船乗りせむと月待てば 潮もかなひぬ今は漕こぎ出いでな」(『万葉集』)。
「昔、男初冠して、平城の京春日の郷に、しるよしして、狩りにいにけり。その里に、いとなまめいたる女はらから住みけり。」(『伊勢物語』)
▼中世の日本人はかくも情緒にみちていた
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶ泡沫(うたかた)はかつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」(『方丈記』)
『平家物語』の書き出しは誰もが知っている。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。 沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。 奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。 猛き者も遂にはほろびぬ、 偏(ひとへ)に風の前の塵におなじ」。
『太平記』の書き出しは「蒙(もう)竊(ひそ)かに古今の変化を探つて、安危の所由を察(み)るに、覆つて外(ほか)なきは天の徳なり」(『太平記』兵藤祐己校注、岩波文庫版)
「つれづれなるままに、日くらし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」(『徒然草』)
古代から平安時代まで日本の文学は無常観を基盤としている。
江戸時代になると、文章が多彩に変わる。
井原西鶴の『好色一代男』の書き出しは「「本朝遊女のはじまり、江州の朝妻、播州の室津より事起こりて、いま国々になりぬ」
上田秋成の『雨月物語』の書き出しはこうだ。
「あふ坂の関守にゆるされてより、秋こし山の黄葉(もみぢ)見過しがたく、浜千鳥の跡ふみつくる鳴海がた、不尽(ふじ)の高嶺の煙、浮島がはら、清見が関、大磯小いその浦々」。
近代文学は文体がかわって合理性を帯びてくる。
「木曽路はすべて山の中である」(島崎藤村『夜明け前』)
「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜ぬかした事がある」(夏目漱石『坊っちゃん』)
「石炭をば早はや積み果てつ。中等室の卓つくゑのほとりはいと静にて、熾熱燈の光の晴れがましきも徒らなり。今宵は夜毎にこゝに集ひ来る骨牌カルタ仲間もホテルに宿りて、舟に残れるは余一人ひとりのみなれば」(森鴎外『舞姫』)。
描写は絵画的になり実生活の情緒が溢れる。
「国境の長いトンネルをぬけると雪国だった」(川端康成『雪国』)
谷崎潤一郎『細雪』の書き出しは写実的になる。
「『こいさん、頼むわ』。鏡の中で、廊下からうしろへ這入はいって来た妙子を見ると、自分で襟えりを塗りかけていた刷毛はけを渡して、其方は見ずに、眼の前に映っている長襦袢姿の、抜き衣紋の顔を他人の顔のように見据みすえながら、『雪子ちゃん下で何してる』と、幸子はきいた」。
「或春の日暮れです。唐の都洛陽の西の門の下に、ばんやり空を仰いでいる、一人の若者がありました」(芥川龍之介『杜子春』)
▼戦後文学はかなり変質を遂げたが。。。
戦後文学はそれぞれが独自の文体を発揮し始めた。
「朝、食堂でスウプをひとさじ吸って、お母様が『あ』と幽(かす)かな声をお挙げになった」(太宰治『斜陽』)
「その頃も旅をしていた。ある国を出て、別の国に入り、そこの首府の学生町の安い旅館で寝たり起きたりして私はその日その日をすごしていた」(開高健『夏の闇』)
「雪後庵は起伏の多い小石川の高台にあって、幸いに戦���を免れた」(三島由紀夫『宴のあと』)
和歌もかなりの変質を遂げた。
正統派の辞世は
「益荒男が 手挟む太刀の鞘鳴りに 幾とせ耐えて今日の初霜」(三島由紀夫)
「散るをいとふ 世にも人にも さきがけて 散るこそ花と 吹く小夜嵐」(同)
サラダ記念日などのような前衛は例外としても、たとえば寺山修司の和歌は
「マッチ擦る つかのま海に霧ふかし 身捨つるほどの 祖国はありや。」
わずか三十一文字のなかで総てが凝縮されている。そこから想像が拡がっていく。
こうした絶望、空虚、無常を表す人間の微細な感情は、喜怒哀楽のない機械が想像出来るとはとうてい考えられないのである。
AIは人間の霊感、霊的な精神の営みをこえることはない。
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Recommended Books 【京都・Kyoto】
&Premium特別編集 まだまだ知らない京都、街歩きガイド。 (MAGAZINE HOUSE MOOK) 雑誌 – 2024/8/6
マガジンハウス (編集)
雑誌「&Premium」発、人気の京都ガイド第5弾! 混雑する観光地から離れて、暮らす人だからこそ薦めたい15のエリアと8つのテーマ、全316軒を紹介します。 ■大和まこの京都さんぽ部 暮らすように歩く、京の街
【紹介エリア・テーマ】 静かに過ごす時間/七条通/四条南/御所南再訪/自分みやげ/叡電/現地系中華/老舗の味/賀茂川/河原町松原/栗の菓子/鹿ヶ谷通/アペロの時間/二条城南/東大路通/冷泉通/吉田&聖護院/壬生/整える/北野天満宮界隈/栗の菓子2/御所西再訪/京丹後
女人京都 ペーパーバック – 2022/9/28
酒井 順子 (著)
京都に通い続けるエッセイスト・酒井順子による、全く新しい視点から切り取った京都エッセイ&ガイド。 女性の生き方、古典、旅、文学など幅広く執筆活動を行う著者が、小野小町、紫式部、清少納言、日野富子、淀君、大田垣蓮月、上村松園など歴史上の女性たち43人の足跡をたどる旅に出た。
「京都の中でも、京都らしさを最も濃厚に抱いている存在は、名所旧跡でも食べ物でもなく、京都の『人』なのではないかと私は思います。(中略)京都の都会人の中には、今も、平安以来続く都会人らしさのしずくが、滴り続けているのです。」(「はじめに」より)
京都に暮らした女性たちの生き様を知ることは、現代の京都の人々、そして京都の街を知ること。 この本を片手に歩いてみると、平安時代の遺構がそのまま残っているところもあれば、貴族の屋敷が今は児童公園になっていたりすることにも気づく。京都の通りを上ル下ルし、西へ東へと歩き回り、時代を行った���来たりして、新たな旅の提案を教えてくれる。 この本を読むと京都の歴史や文学がぐっと身近になること間違いなし。
京都散策に便利な地図付きです。
お茶の味 京都寺町 一保堂茶舖 (新潮文庫) 文庫 – 2020/5/28
渡辺 都 (著)
ゆったりと流れる時間、その時々で変化する風味、茶葉が持つ本来の美味しさ──お湯を沸かし、急須で淹れてこそ感じられるお茶の味わいがあります。江戸時代半ばから京都に店を構える老舗茶舗「一保堂」に嫁いで知った、代々が受け継ぎ伝えてきた知恵と経験、家族のこと、お店のいまと未来、出会いと発見に満ちた京都生活。お茶とともにある豊かな暮らしを綴った、心あたたまるエッセイ。
京都、パリ ―この美しくもイケズな街 単行本 – 2018/9/27
鹿島 茂 (著), 井上 章一 (著)
◎26万部『京都ぎらい』の井上章一氏、フランス文学界の重鎮である鹿島茂氏が、知られざる京都とパリの「表と裏の顔」を語り尽くす。たとえば、 ・日本には「怨霊」がいるが、フランスにはいない ・日本のお茶屋とパリの娼館は、管理システムが似ている ・パリの娼館は、スパイの温床だった ・日仏では、女性のどこに魅力を感じるか ・洛中の人にとっての「京都」はどこ? ・パリの人にとっての「パリ」はどこ? ・パリと京都の「汚れ」に対する意識の違い など、知っているようで知らなかった「京都とパリ」の秘密がわかる。
京都のおねだん (講談社現代新書 2419) 新書 – 2017/3/15
大野 裕之 (著)
お地蔵さんの貸出料は3000円、発売第一号の抹茶パフェは1080円、では舞妓さんとのお茶屋遊びは? 京都では値段が前もって知らされないことも多く、往々にして不思議な「おねだん」設定に出くわす。京都を京都たらしめているゆえんともいえる、京都の 「おねだん」。それを知ることは、京都人の思考や人生観を知ることにつながるはず。京都歴二十余年、サントリー学芸賞受賞の気鋭の研究者が解読する、京都の秘密。
なぜこれがこんな高いのか、あんな安いのか、なんで無料なのか、そもそもあんなものになんでおねだんがつくのか―― 大学進学以来、京都住まい二十余年。往々にしてそんな局面に出くわした著者が、そんな「京都のおねだん」の秘密に迫る。 そもそも「おねだん」の表示がされていない料理屋さん、おねだん「上限なし」という貸しビデオ屋、お地蔵さんに生ずる「借用料」。 そして究極の謎、花街遊びにはいくらかかる?
京都人が何にどれだけ支払うのかという価値基準は、もしかしたら京都を京都たらしめているゆえんかもしれない。 京都の「おねだん」を知ることは、京都人の思考や人生観を知ることにつながるはず。 2015年サントリー学芸賞芸術・文学部門を受賞、気鋭のチャップリン研究者にして「京都人見習い」を自称する著者による、初エッセイ。
京都 ものがたりの道 単行本 – 2016/10/28
彬子女王 (著)
「京都という街は、タイムカプセルのようだ」と著者は言う。オフィス街の真ん中に聖徳太子創建と伝えられるお寺があったり、京都きっての繁華街に、坂本龍馬と中岡慎太郎が暗殺された地の石碑がひっそりと立っていたり。そこには人々の日常があり、みなが変わりない暮らしを続けている。そんな石碑になど目を留めない人もたくさんいるはずだ。 それでも著者は、そんな場所に出会う度に、タイムカプセルを開けたような気持ちになるのだという。幕末の争乱期の京都へ、平安遷都する以前の京都へ、近代化が急速に進んだ明治・大正時代の京都へ……。さまざまな時代の“時"のカケラが、街のそこかしこに埋まっている。この場所で徳川慶喜は何を思ったのだろう。平家全盛のころの六波羅は、どんな景色だったのだろう。安倍晴明はここで何を見たのだろう。その“時"のカケラは、一瞬の時間旅行へと誘ってくれる。 日本美術研究者として活動する著者が、京都の通り界隈にまつわる逸話から、神社仏閣の歴史、地元の人々の季節折々の暮らし、街歩きでの目のつけどころや楽しみどころ、京都人の気質までを生活者の視点から紹介する。さらに、自身のご家族のこと、京都府警と側衛の方たちとのやり取りなどの日常生活の一端を、親しみやすい文体でつづる。6年以上、著者が京都に暮らす中で感じ、経験した京都の魅力が存分に語られており、「京都」という街の奥深さと、「京都」の楽しみ方を知る手がかりとなる。 新聞連載の24作品に、書き下ろし3作品を加えて刊行。京都の街歩きに役立つ「ちょっと寄り道」情報や地図も掲載。
京都はんなり暮し〈新装版〉 (徳間文庫) 文庫 – 2015/9/4
澤田瞳子 (著)
京都の和菓子と一口で言っても、お餅屋・お菓子屋の違い、ご存知ですか? 京都生まれ京都育ち、気鋭の歴史時代作家がこっそり教える京都の姿。『枕草子』『平家物語』などの著名な書や、『鈴鹿家記』『古今名物御前菓子秘伝抄』などの貴重な資料を繙き、過去から現代における京都の奥深さを教えます。誰もが知る名所や祭事の他、地元に馴染む商店に根付く歴史は読んで愉しく、ためになる!
京の花街「輪違屋」物語 (PHP新書 477) 新書 – 2007/8/11
高橋 利樹 (著)
京都・島原といえば、かつて興隆をきわめた、日本でいちばん古い廓(ルビ:くるわ)。幕末の時代、新選組が闊歩したことでも有名である。その地でたった一軒、現在でも営業を続けるお茶屋が、輪違屋(ルビ:わちがいや)である。芸・教養・容姿のすべてにおいて極上の妓女(ルビ:ぎじよ)、太夫(ルビ:たゆう)を抱え、室町の公家文化に始まる三百年の伝統を脈々と受け継いできた。 古色なたたずまいを残す輪違屋の暖簾をくぐれば、古(ルビ:いにしえ)の美しい女たちの息づかいが聞こえてくる。太夫のくりひろげる絢爛な宴は、多くの客人たちを魅了し続けている。 本書では、輪違屋十代目当主が、幼き日々の思い出、太夫の歴史と文化、お座敷の話、跡継ぎとしての日常と想いを、京ことばを交えてつづる。あでやかでみやびな粋と艶の世界----これまでは語られることのなかった古都の姿が、ここにある。
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告別式当日、美津雄・小��合、浩二は朝早くから火葬場に来ていた。この日は、満代の実家があるひたちなかの親戚や柳次郎や菊乃の甥や姪も集まった。幸雄やみいも駆け付け、午前十時に火葬が行われた。周囲が合掌する中、幸雄は号泣してしまい、その場に立っていられなくなってしまい、みいが介抱しながら一足早く待合室へ誘導した。
「ひ、ひろしぃ…」
「…幸雄さんもいつかあの世へ逝くンだから。仕方ないでしょ?」
「う、うぇッ、うう…」
見送りが終わると、美津雄はタバコを吸いに喫煙所へ行った。そこには礼服を来た一人の男が立っていた。彼は話しかけた。
「…失礼ですが、佐伯浩志さんのご家族でしょうか?」
「そうですが、父のご親友ですか?」
「ええ、私、県立M高校で一緒だった生天目と言います」
「…はァ」
美津雄は、ずっと自宅暮らしをしていた浩二と違い、たまにしか帰省しなかったので、浩志の交友関係をよく知らなかった。こりゃ、浩二と会ってもらった方がイイなと、美津雄はタバコを吸った後、待合室へ案内した。生天目の姿を見ると、浩二は座ったまま会釈をし、
「生天目先生、ご無沙汰しています。この度は父の葬式に、お忙しい中、すみません」
と言った。美津雄は、この社交辞令はお袋から譲り受けたものだなと思った。小百合がお茶を差し出すと礼を言い、
「先日、『おくやみ』欄を拝見してびっくりしました。まさか亡くなるなんて…」
と話した。浩二は、突然のことだったのでこちらも驚きましたと言い、二人は色々と話し始めた。それは、浩志が東京に戻って五年経った頃のことだった。
浩志は三十代前半を迎えていた。ちょうどオイルショックが起こり、巷のスーパーからトイレットペーパーがなくなると言う珍しい光景が見られていた。高度経済成長期の終焉とも呼ばれ、しばらく不況が続いた頃である。彼は幸雄の働く新聞社で働いていた。ラグビーをやっていたので、主にスポーツ欄を書く記者たちと行動を共にした。最初は慣れなかっが、次第に教壇に立つより面白く感じる様になっていき、
『こんな面白い仕事を何故、最初から選ばなかったのだろう?』
と後悔するほどになっていた。
生活の拠点は、引き続きみいの下宿にした。菊乃が手紙のやり取りをしていたので、再び上京した理由をみいは知っていた。彼女は、
「わたしのお父さんも、お母さんにバレた時は大変だった。たかが好きになったのが同性だっただけで、人生そのものがおかしくなるのはおかしいわ」
と話した。また、正樹もたまに遊びに来るのよ、幸福そうよとも付け加えた。正樹は、大学卒業後は情人でもある男性教授の助手として大学院に進み、同棲もしていた。
東京で働き、生活をしていく毎に、徐々に教員時代で負った心の傷も癒えていった。
そんな中、みいのところに一本の電話がきた。彼女は、仕事から戻った浩志に伝えた。その電話は忍からだった。彼は言った。
「アイツ、東京の大学に進んだのか…」
「何か、私立H大学に通ってるみたいよ。市ヶ谷だわね」
「市ヶ谷…。靖國神社の近くだな」
「明日、M百貨店で待ってますって」
現在なら、東京メトロ・九段下駅から三越前駅で乗り換え、直接、上野広小路駅まで行けるのだが、この頃は未だ半蔵門線が開業していなかった。もし市ヶ谷からであれば、中央・総武線の市ヶ谷駅から秋葉原駅まで行き、それから山手線に乗り換え、御徒町駅で下りるしかなかった。浩志は、忍があれからどう変わったのか気になりつつ、この日は休んだ。
翌日、午後十二時にM百貨店を訪れた。中二階から二階の間の階段で待っていると、みいから聞いた話を頼りに彼は向かった。関東大震災後に再建された装飾が残る空間の中で、ちょうど二階から三階へ上がる踊り場のベンチに、学生服を来た青年を見かけた。浩志が確認する前に彼は自分から立ち上がり、会釈をした。
「佐伯先生!」
「忍、か?」
「はい、そうです!」
満面の笑みで忍は浩志を迎えた。当時と殆んど変わらない姿だった。まァ、昼時だし何処かで飯でも食うかと、浩志は南館の「お好み食堂」に誘った。忍はすでに成人を迎えていたが、酒は殆んど飲んだことがなかった。浩志はお猪口を二つ頼み、その一つを忍に差し出した。彼は、
「オレなんて、高校生の頃から飲んでたよ。ウチの家系は酒豪が多いンだ。修も飲むだろ?」
と聞いた。忍の持つお猪口に「沢の鶴」が注がれ、それを一口飲んでみた。口の中に米の豊かな味が爽やかな芳香と共に拡がっていく。忍は、
「このお酒、美味しい」
と感動した。
「この酒は、飲み過ぎても残らないンだ」
浩志はそう言いながら、久々の教え子の再会を嬉しく思いつつ徳利を酌み交わした。彼は、二人の兄たちから教わった「チェイサー」を忍にも「伝授」し、長時間酒を愉しむ術を教えた。意外と忍も酒には強かった。若干赤くはなったが殆んどシラフに見えた。修と飲んだ時には途中で泣きじょうこになり、また欲情もして公衆の面前で接吻を求めたが…。まァ、酒を飲めば皆、本性を現すからなァと浩志は思った。
この間、忍は浩志が教育の場から離れた後のことを話した。ラグビー部も新しい顧問になったがチームが弱くなってしまったこと、生天目がクラスの担当でなくなった後もずっと忍や修を気にかけていたこと、云々。一方、修は仕事が休みの時にはあの成人映画館で男漁りをし、忍にも手を出し、完全に「男ったらし」になってしまったとの事。完全に修は人格がおかしくなってしまったのだなと、浩志は思った。今でも浩志の名前を呼びながらオ◯ニーに耽ることもあると聞くと、生理的に受け付けなかった。
また、翌日には生天目が遊びに来ると忍は言った。上野の東京国立博物館で興味のある企画展が催されているらしい、との事。生天目は日本史を担当していた。浩志は、こりゃ二日続けて同窓会みたいになるなと、内心わくわくした。
忍とは、あんなに人生初の酒を飲んだにもかかわらず酔っ払うこともなく、御徒町駅で別れた。彼は将来、大物になるなと浩志は思った。再上京して以来、教職をしていたことは思い出さないよう、幸雄の勤める新聞社で目まぐるしく働き、すっかり忘れ切ったと思っていたものの、あの場で一気に連れ戻された気がした。明日は生天目と会うが、もしかしたらまた教壇に立てと言う神仏からの呼びかけかしら? そう考えつつ、彼はアメ横のガード下ではしご酒をした。
結局、へべれけの状態で下宿に戻り、みいに呆れられてしまった。彼女も数年前に婿養子として迎えた旦那・伸也と晩酌をしていたが、
「…もうッ、いつまでも学生じゃないンだから!」
と再三、浩志の尻を引っ叩いた。彼は、
「みいちゃ〜ん、オレだって羽目外したいンだよォ〜」
とうつ伏せのまま起き上がれなかった。
気付くと、茶の間に座布団を枕の様に二つ折りにして毛布が掛けられていた。嗚呼、寝ちまったンだなと浩志は起き上がった。自分の部屋に戻ろうと、借りていた座布団と毛布を整えると階上へ行き、ワイシャツとスラックスを脱いだ状態で床に入った。
朝、と言っても午前十時に浩志は起きた。二日酔いか頭がガンガンと痛む。昨夜は飲み過ぎたと反省しつつ、彼は銭湯でサッパリしてから生天目と会うかと身支度をした。みいは、
「また飲み過ぎちゃダメよ!」
と釘を刺すかの様に注意し、浩志を送り出した。その様子を見ていた伸也は、まるで夫婦の様だなと思いながら、
「あの佐伯って男���ひと)、お前の何なの?」
と聞いたが、みいはぶっきらぼうにこう言った。
「ただの下宿人よ! 」
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【肖根】The Stalker Way To Love
Root就是個跟蹤狂,Shaw決定要跟她談談。
English Version Here
筆記:
509後。
不管怎樣小撒毀了。然後所有不該發生的都沒有發生。
就是純純的肖根甜餅
- - - -
正文:
Root從不知道自己會是Turing心理師檔案櫃中焦慮依附風格個案的一員,尤其是那個認為全人類都是Bad Code的Root。
但好吧,因為不願意和The Machine斷聯就成為模擬介面讓她與自己永不分離顯然不是什麼非常健康的心理狀態(倒也不是說這是什麼對Root來說很重要的事情就是了,你知道的,心理健康)。
所以這不能怪她,Root為自己辯護,她也沒有真的那麼常在跟著Sameen。每天去逛逛梅西百貨也不算什麼很糟糕的興趣,她只是不一定會讓她知道自己在而已。更何況那時候是在戰爭,很多時候也是因為任務需要——嗯,不承認自己的想法一直都不是Root的風格(那是Sameen的專長)。她承認她就是不太想要Sameen離開自己的視線太久。
尤其是Sameen回來之後,這樣的情況變得更嚴重。即使戰爭已經結束這麼多年,她覺得經歷過這麼一次,她真的不願意再接受一丁點可能會失去Sameen的可能性了。
Root以為隨著和平時代的到來,她能夠放鬆了。沒有Samaritan,沒有Decima,沒有從轉角處突然冒出來的金髮婊子會對她愛的女人連開三槍。噢,她發誓只是輕輕扳了扳脖子真是太便宜她了。
但沒有,實際上是Root錯了。說實在的,這樣的擔心實在是很可笑,那可是Shaw,那個可以一個人扳倒一頭熊的Shaw。只是去拯救幾個號碼、突突幾個膝蓋,對Shaw來說讓她去參加女子讀書會可能更為致命(不確定是致誰的命就是了)。
所以當Shaw第N次在做任務的時候發現身後這位跟蹤者的時候,Root也沒有打算要道歉,即使是這個怒沖沖的小猛獸把自己壓在牆上的時候。好但這蠻辣的,Root想著。
"你還有十秒可以為自己辯護" Shaw的怒意簡直可以從她翹亂的髮絲裡面散發出來,像可愛的小梅杜莎,Root偏著頭想著,而且知道這個想��肯定會讓Shaw抓狂。
"Oh, sweetie…" Root好像沒有真的想要辯護甚麼。
"Time's up." Shaw恨恨地打斷她,大概是發現了Root那絲毫沒有歉意的眼神。"你和你的超級電腦難道就沒有其他事情可以做嗎?你知道的,除了跟蹤我。"
事後Root是如何花了大把時間把這氣的可以炸了世界的暴躁特工哄成一灘融化在床上的小水坑的都是後話了。這世界上能這樣對待Shaw的人只有Root一個,而Root對這種事就是拿手極了。
-
但當這事情一再又一再的發生,Shaw覺得自己真的必須和Root談談。對Shaw來說談談從來不是她會幹的事(通常一頓暴揍或是狠踹幾個屁股或是來一場轟轟烈烈的性愛比較是她的風格,但她已經沒辦法對Root幹前兩件事,而第三件她們已經天天都在幹了),但這次她感覺Root心裡肯定有些什麼小東西然後沒打算去解決。
對Shaw來說Root的事就是她的事。她不能坐視不管,盡管她不去面對為甚麼她不能坐視不管。
"We need to talk." 決定了要談談的Shaw從不拖延,沒計畫好要談什麼但總之先把這個緊張兮兮的跟蹤狂從黑暗的巷子裡拖出來,她這次沒有憤怒的把她按在牆上,而是把她拉到旁邊用力抓著Root的肩膀。好吧,她有點高,肩膀不是那麼好抓,自己似乎也沒像想像中的那樣有魄力,但隨便吧。
Root的反應似乎比Shaw想像中的來得驚慌無措。她感覺到宅客的眼神飄移,似乎想用某種風趣又調皮的調情來跳過這次的談話,但這次對Shaw不管用了。
"你那腦袋瓜裡到底又再想些什麼?" Shaw直截了當的問,猜測別人的小心思對她來說太高難度了,她一向很討厭這套。但這是Root,這不一樣。
"我都不知道你這麼關心我的腦子裡的小事,honey。"
"我不知道你腦子裡又再轉些什麼,而跟你討論你那豐富瘋狂腦袋瓜子運轉的事的超級上帝顯然對這事沒幫上什麼忙。現在我們…這樣了,這些小事就對我來說很重要。所以告訴我。" 就好像"relationship"這詞對Shaw來說有毒一樣,她停頓一下,硬是咬牙切齒的避開了。
Root表情中透露出來的詫異讓Shaw思忖自己是不是說了什麼不和自己風格的話,但此時此刻這無關緊要。
沉默充斥了這個暗巷和她們彼此的空間。Shaw一向享受靜默,但不是這種。她直勾勾的盯著Root的眼睛,沒帶一點怒氣,更多的是探究。而這樣的眼神讓Root軟化了,她對這樣的Shaw一點辦法也沒有。
"我…我害怕了。" 頓了一會兒,Root開口道。通常在她們兩個之間試圖讓對方說話的人是她,這時候她才意識到這其實是多麼艱難。
"For what?"
"For losing you, Sameen. Again." Root顫抖的念出這句話的感覺像是她根本不願意面對這句話一樣,用害怕這個詞恐怕沒辦法描述她聲音中滿溢的情感。這個聲音對Shaw來說並不陌生,她知道這個。
恐懼,她命名,一個她在Samaritan模擬了那七千次中學到的東西。事實上她很早以前就知道了——瞳孔急劇收縮、不知不覺遍佈滿臉的汗水、發顫的指尖——她並不缺乏對這樣的人開槍的經驗。發現自己有這樣的反應又是另一回事。她不能說自己百分之百了解Root的感受,但根據自己的體驗那絕對是糟糕透頂。而且她很確定自己體會的感受絕對不及Root的千分之一(非反社會的生活真是一團糟,對吧)。
Shaw通常不知道怎麼回應別人這樣的情緒。她反射性地會逃避或揍人(她真的不習慣Lionel提到自己救了他家小子的時候的那個表情,她發誓她絕對不是故意踹他屁股踹得那麼大力的,她還發誓她不知道Lionel會這樣就一臉不可置信的跌坐在地板上)。但這次不一樣,這就像被揮一記右鉤拳時該怎麼反應一樣直覺。
"I'm not going anywhere." Root很少會用"耐心"這個詞來形容Shaw,但她這次真的從Shaw的這句話裡面聽見了。
"我的意思是,我當然可能會必須要出個任務什麼的" Shaw連忙補充,"有時候可能要一整天,有時候可能要幾週,甚至一兩個月——" Shaw真的受不了Root那樣小哭包一樣的表情,這女人只准在那種時候掉眼淚,而且絕對不是這種談話時刻。"——我終究會回來的。對我來說這裡像家,你知道的。我是指大家——你——在的地方。"
Shaw笨拙用自己的手背在Root臉上胡亂抹著,試圖把從那淚眼汪汪的雙眼中留下的淚水抹乾淨。這女人真該死的太高了。
"Sameen…"
"Nah, you're gonna stop crying and stop saying stupid things. And stop stalking me." 如果Root此時講些什麼糟糕透頂的東西,她沒把握自己不會跑走。而根據她對人類的了解,眼眶泛淚的人總是會說一些她大腦沒辦法理解的話。
但Root沒有。她只是用她那雙棕色的眼睛盯著她,Shaw向天發誓她眼裡含有的感情風暴已經可以吞噬一整個宇宙。她不擅長面對這樣的表情,她不知道怎麼辦。但她決定用老方法讓Root眼睛閉上,這個方法她很擅長。
上次在證券交易所的時候這個吻嘗起來似乎沒有這麼鹹。
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這個吻就像他們大多數的吻一樣,從簡單的雙唇相貼變成了某種對彼此強烈的需求。
所以當Shaw和Root最後裸著身子氣喘吁吁的躺在Shaw房間的床上時,她們其實都不是很意外。
"噢Sameen,我都不知道你是個浪漫主義," Root用一種甜膩、懶散、充滿著滿足感的嗓音說道。Shaw知道這個聲音只有此刻限定,而且只有她能聽到。還有那台該死的變態監聽機器人大帝。
"你不知道的事還多著呢," Shaw慵懶地說,她喜歡在這個時候撫摸Root的耳朵以及散落在她耳邊的髮絲。她會下意識地用大拇指以最溫柔的力度摩娑著耳後的疤痕,就像是一種為那時候沒能趕去救她而做出的無聲地歉意和撫慰。而Root對於這樣總是不自覺溫柔地Shaw沉淪地無法自拔。
Root壞笑一聲(Shaw聽到這個就知道她顯然已經變回原本的Root了),"我想我知道的已經挺多的了,Sweetie。"她輕輕捏了捏Shaw裸露的臀半,上面的瘀青還有些隱隱作痛。"至少足夠讓你為我呻吟整個晚上。"
"Moaning is not my thing. Yours, Root." Shaw皺眉,宣告著,她們應該都要非常清楚誰才是那個喜歡叫到全社區都知道她們在做甚麼的人。
"是嘛?我想這是我的女孩在抱怨我還不夠努力。" Shaw聽得出來Root挑逗的語氣,她感覺到自己的下腹又燃燒了起來,以及在自己身上開始遊走的充滿暗示性的手。
"You can try all you want...but if you're the one with the sore throat I won't pity you."
"I'm pretty sure your throat won't be the only thing you sore, babe."
"Challenge accepted."
是時候讓Root回想起來這次該被懲罰的人不是Shaw了。
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Root在從窗外灑進來的晨陽中濛濛的睜開眼時才意識到自己許久沒有睡個好覺。她不想讓Sameen知道自己總是在做惡夢,盡管被Samaritan精神虐待長達九個月的人不是自己。但這次她不僅一夜無夢,而且醒來時發現自己枕著Sameen的手臂,而她的小可愛以狂野的睡姿打著小呼嚕,眉頭微皺著的表情與她聽到Harold碎碎念一些道德價值觀時如出一轍。
她太喜歡在Shaw睡著時這樣靜靜的在距離不到六英吋的地方觀察她的睡顏(倒不是說她不想觀察醒著的Shaw,而是那通常很快會進行到下一步。過往是暴力,現在是性。Root想著其實對她們來說並沒有真的差很多就是了)。在這個距離,她得以貪婪的感受Shaw的一切——散亂的髮絲、修長的睫毛、深邃的五官、輕吐的鼻息、豐厚的雙唇、嘟囔著"ass"以及"shut up"之類的軟懦的聲音(夢話限定)。Shaw的味道。
她此生從未想像過自己能獲得這樣的幸福。
她有在反省自己了,她想她應該會減少跟蹤的頻率(畢竟她還有一個全能又無所不見的上帝朋友)。不會完全停止就是了,畢竟有時跟蹤她的小炮仗也不完全是只因為焦慮的緣故。
Root足夠了解Shaw。她知道Shaw沒有真的因為自己跟蹤她而憤怒。這是Shaw式的關心:只會在Shaw發現了Root的異常但Root卻不主動提及的時候觸發。
更何況她覺得Shaw沒什麼資格說她。
Root以指腹輕壓自己肩帶後方微微隆起的竊聽器,將有些鬆脫的膠黏得更緊。
"I don't think I'm the only stalker here," Root甜甜的笑著,聲音像是可以榨得出糖蜜。"This is just the way we love, isn't it beautiful?"
- - - -
碎碎念:
其實一直很想把這兩個人動不動就喜歡跟蹤or竊聽對方的部分寫出來
原本是想寫搞笑的,不知道怎麼寫一寫好像有點溫馨
看太多閃大的文總是不自覺得他們一言不合就開車...但自己功力尚淺寫不出車所以又只好全部跳過...
真的太喜歡錘錘浪漫的樣子了,說出來的話總是直擊人心,但事後笨拙又可愛又傲嬌又讓人心動到不行><
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蔡瀾
H:蔡瀾,文章也是一絕。曾經買了幾本,有趣。
「2025年6月25日在親友陪同下於養和醫院安詳離世,享壽83歲。」香港四大才子最後一人也走了!20250628W6
網路報導「香港四大才子」美食家蔡瀾今2025年6月(27日)傳出離世消息,其家人在社群平台證實這消息,表示蔡瀾2025年6月25日在親友陪同下於養和醫院安詳離世,享壽83歲。身後不設任何儀式,遺體已火化。據了解死因為癌病及肺感染。
維基百科:
蔡瀾(英語:Chua Lam,1941年8月18日—2025年6月25日),籍貫廣東潮州,出生於新加坡,早先留學日本,後移居香港多方發展,其後成為澳門永久性居民,曾任電影製片人、作家,主持多個飲食節目,是香港著名美食評論家,交遊甚廣。與金庸、倪匡、黃霑並列為「香港四大才子」。
簡介
出生資訊: 1941 年 8 月 18 日,海峽殖民地
逝世: 2025 年 6 月 25 日,香港香港養和醫院
配偶: 張瓊文
國籍: 新加坡;
父母: Chua Boon Suan、 Hung Fong-ping
書籍作品
年份書名出版社ISBN1983年《蔡瀾隨筆》博益出版ISBN 962-17-0190-21985年《蔡瀾的緣》天地圖書1986年《草草不工》ISBN 962-257-108-5《蔡瀾談日本》ISBN 962-257-110-71987年《葷笑話老頭》藝文圖書《苦中作樂》天地圖書ISBN 962-257-129-8《蔡瀾續緣》ISBN 962-257-128-X《海外情之一:西班牙》ISBN 962-257-138-7《海外情之二:印度,泰國》ISBN 962-257-139-5《海外情之三:南斯拉夫》ISBN 962-257-140-91988年《蔡瀾再談日本》ISBN 962-257-205-7《忙裡偷閒》ISBN 962-257-203-0《玩物養志》ISBN 962-257-262-6《附庸風雅》ISBN 962-257-263-4《海隅散記》ISBN 962-257-264-2《不過爾爾》ISBN 962-257-204-91990年《蔡瀾三談日本》ISBN 962-257-426-2《無序之書》ISBN 962-257-427-0《笑譚兩種》新藝出版《蔡瀾教室2》壹出版ISBN 962-577-494-71991年《放浪形骸》天地圖書ISBN 962-257-443-2《蔡瀾談電影》ISBN 962-257-444-0《吐金魚的人》ISBN 962-257-484-X1992年《蔡瀾說笑》風雅館1993年《一點相思》天地圖書ISBN 962-257-614-1《蔡瀾隨筆》ISBN 962-257-613-3《一樂也》壹出版ISBN 962-577-006-2《未能食素》ISBN 962-577-003-81994年《覺後禪》藝苑出版社《蔡瀾說笑》壹出版ISBN 962-577-015-11995年《二樂也》ISBN 962-577-067-4《又係未能食素》ISBN 962-577-076-31996年《不修邊幅》天地圖書ISBN 962-257-866-7《客窗閒話》ISBN 962-257-883-71996年《三樂也》壹出版ISBN 962-577-123-9《四樂也》ISBN 962-577-169-7《再是未能食素》ISBN 962-577-189-11997年Eating in Hong Kong 1997星駿出版ISBN 962-8141-02-3《十字街頭》天地圖書ISBN 962-950-203-8《霧裡看花》ISBN 962-950-204-6《街頭巷尾》ISBN 962-950-249-6《海外情之四:澳洲》ISBN 962-950-205-4《五樂也》壹出版ISBN 962-577-285-5《東京遊》皇冠出版社ISBN 962-451-494-11998年《給亦舒的信》天地圖書ISBN 962-257-776-8《追蹤十三妹(上下)》ISBN 962-257-826-8《夏天的鬼故事》壹出版ISBN 962-577-332-0《半日閒園》天地圖書ISBN 962-950-295-X《山窗小品》ISBN 962-950-250-X《花開花落》ISBN 962-950-324-7《六樂也》壹出版ISBN 962-577-399-1《肯定未能食素》ISBN 962-577-358-4《香港非常美食》遠流出版ISBN 957-323-421-11999年《給成年人的信》天地圖書ISBN 962-950-685-8《痴人說夢》ISBN 962-950-316-6《狂又何妨》ISBN 962-950-317-4《百思不解》ISBN 962-950-315-8《七樂也》壹出版ISBN 962-577-473-4《給年輕人的信》天地圖書ISBN 962-257-867-5《蔡瀾教室1》壹出版ISBN 962-577-484-X《蔡瀾歎日本》ISBN 962-577-483-1《樂得未能食素》ISBN 962-577-479-32000年《絕對未能食素》ISBN 962-577-499-8《給年輕人的信二集》天地圖書ISBN 962-950-272-0《吶喊,彷徨》ISBN 962-993-064-1《老瀾遊記》ISBN 962-993-066-8《八樂也》壹出版ISBN 962-577-493-9《蔡瀾四談日本》天地圖書ISBN 962-993-062-52001年《蔡瀾五談日本》ISBN 962-993-063-3《給年輕人的信三集》ISBN 962-950-296-8《九樂也》壹出版ISBN 962-577-519-6《醉鄉漫步》天地圖書ISBN 962-993-065-X《撫今追昔》ISBN 962-993-293-8《老瀾遊記二集》ISBN 962-993-067-6《繡花枕頭》ISBN 962-993-648-8《蔡瀾歎世界》壹出版ISBN 962-577-504-82002年《老瀾遊記三集》天地圖書ISBN 962-993-712-3《十樂也》ISBN 962-993-683-6《秋雨悟桐》ISBN 962-993-738-7《蔡瀾六談日本》ISBN 962-993-780-82003年《老瀾遊記四集》ISBN 988-201-485-2《虛無恬澹》ISBN 962-993-739-5《抱樸含真》ISBN 962-993-740-9《夢裡奔波》ISBN 988-201-486-0《前塵往事》ISBN 988-201-487-9《一趣也》ISBN 988-201-488-7《二趣也》ISBN 988-201-489-52004年《老瀾遊記五集》ISBN 988-201-872-6《笑話和趣事》ISBN 988-201-871-8《三趣也》ISBN 988-201-868-82005年《蔡瀾七談日本》ISBN 988-211-133-5《病中記趣》ISBN 988-211-134-3《四位老友》ISBN 988-211-196-3《雨後斜陽》ISBN 988-211-501-2《四趣也》ISBN 988-211-191-2《蔡瀾的鬼故事(上)》ISBN 988-211-174-2《蔡瀾的鬼故事(下)》ISBN 988-211-175-0《蔡瀾食典》ISBN 988-211-176-9《蔡瀾100精選》八方企業公司ISBN 981-41393-3-52006年《蔡瀾八談日本》天地圖書ISBN 988-211-560-8《老瀾遊記六集》ISBN 988-211-561-6《松下對弈》ISBN 988-211-511-X《淺斟低唱》ISBN 988-211-512-8《撫琴按蕭》ISBN 988-211-552-7《掃雪烹茶》ISBN 988-211-555-1《五趣也》ISBN 988-211-550-0《六趣也》ISBN 988-211-551-9《老友寫老友(上)》ISBN 988-211-577-2《老友寫老友(下)》ISBN 988-211-578-02007年《小雨移花》ISBN 978-988-211-679-5《七趣也》ISBN 978-988-211-654-2《蔡瀾食典後篇》ISBN 978-988-211-652-8《蔡瀾的生活方式》ISBN 988-211-627-22008年《老瀾遊記七集》ISBN 978-988-211-796-9《老瀾遊記八集》ISBN 978-988-211-942-0《蔡瀾的生活方式(II)》ISBN 978-988-211-653-5《蔡瀾常去食肆150間》皇冠出版社ISBN 978-988-216-067-5《蔡瀾逛菜欄》ISBN 978-988-216-066-82010年《蔡瀾潮曬日本》天地圖書ISBN 978-988-219-349-92012年《蔡瀾潮曬台灣》ISBN 978-988-219-478-62017年《只恐夜深花睡去》ISBN 978-988-825-801-72018年《雙鬢斑斑不悔今生狂妄》ISBN 978-988-825-833-8《欲上青天攬明月》ISBN 978-988-825-894-9《管他的呢,我決定活得有趣:蔡瀾的瀟灑寫意人生》高寶書版ISBN 978-986-361-484-52019年《還我青春火樣紅》天地圖書ISBN 978-988-854-737-1《仰天大笑出門去》ISBN 978-988-854-803-3《倪匡.蔡瀾看亦舒小說》ISBN 978-988-854-795-12020年《每逢暮雨倍思卿》ISBN 978-988-854-860-6《與爾同銷萬古愁》ISBN 978-988-854-915-3《我喜歡人生快活的樣子》高寶書版ISBN 978-986-361-892-82021年《人生大多是小事,沒有什麼了不起》ISBN 978-986-506-165-4《在邵逸夫身邊的那些年》天地圖書ISBN 978-988-854-996-2Tales of a Hong Kong DandyISBN 978-988-854-963-42022年《蔡瀾輕鬆語錄》ISBN 978-988-855-013-5《明朝散髮弄扁舟》ISBN 978-988-855-035-7《人生真的很好玩:是我玩這個世界,不是這個世界玩我》高寶書版ISBN 978-986-506-388-72023年《過好這一生》ISBN 978-986-506-741-0《蔡瀾花花世界──香港美食篇》天地圖書ISBN 978-988-855-057-9《蔡瀾的日記》ISBN 978-988-855-087-6《老友寫老友(增修版)(上、下冊)》
(重編《老友寫老友》、《倪匡閒話》和有關倪匡的文章)ISBN 978-988-855-119-42024年《今天也要好好吃飯》崧燁文化ISBN 978-626-394-261-5《蔡瀾花花世界×日記》天地圖書ISBN 978-988-855-142-22025年《蔡瀾活過》ISBN 978-988-855-165-1
蔡瀾選集
集數書名出版社ISBN壹《生活智慧》天地圖書ISBN 978-988-854-720-3貳《男歡女愛》ISBN 978-988-854-721-0叄《師友奇人》ISBN 978-988-854-722-7��《天下美食》ISBN 978-988-854-723-4伍《食材攻略》ISBN 978-988-854-724-1陸《影視世界》ISBN 978-988-854-725-8柒《老又如何》ISBN 978-988-854-726-5捌《夫子自道》ISBN 978-988-854-727-2玖《鬼話連篇》ISBN 978-988-854-728-9拾《真係笑話》ISBN 978-988-854-729-6拾壹《覓食中華》ISBN 978-988-854-864-4拾貳《品味日韓》ISBN 978-988-854-865-1拾叄《環球之旅》ISBN 978-988-854-866-8拾肆《南洋遊蹤》ISBN 978-988-854-867-5
曾參與電視或網絡節目
年份名稱職務1989年今夜不設防主持1997年蔡瀾人生真好玩1998-1999年蔡瀾嘆世界1998年蔡瀾遨遊舊金山蔡瀾遨遊伊斯坦堡2007年蔡瀾逛菜欄拾年(第1集)嘉賓2008年蔡瀾歎名菜主持2009年志雲飯局(第116集)嘉賓蔡瀾品味主持2011年蔡瀾亞洲一樂也2013年亂噏242019年我們的師父嘉賓
參考資料

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Cdrama: Eternal Love of Dream / Three Lives, Three Worlds, The Pillow Book (2020)
Bai Qian marriage! #eternalloveofdream #三生三世枕上书 #迪丽热巴#cdrama #shorts
Watch this video on Youtube: https://www.youtube.com/shorts/nrI3RCBRt4c
#Eternal Love of Dream#三生三世枕上书#三生三世枕上書#San Sheng San Shi Zhen Shang Shu#Three Lives#Three Worlds#The Pillow Book#Eternal Love#2020#Tencent Video#WeTV#youtube#cdrama#chinese drama#short video#shorts#Yang Mi#Bai Qian#Ma Rui#Fox Queen#Zhang Gong#Bai Zhi#King of the Fox Tribe
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### 『紫陽花の鎖~永遠の二人きりの世界~』 第15章~第20章
#### 【第十五章:甘い監禁生活の始まり】
朝の光が遮光カーテンの隙間から差し込み、僕はゆっくりと目を覚ました。体が重い。お姉ちゃんが八の字に抱きついたまま、深く眠っている。彼女の長い紫髪が僕の顔にかかり、ラベンダーの香りが鼻腔をくすぐる。
「ん...お姉ちゃん...起きて...」
僕がもぞもぞと動くと、お姉ちゃんの腕がさらに強く締め付けてきた。
"ん~...弟くん...もう少し...♡"
彼女の寝言のような甘えた声に、僕は思わず顔を熱くする。この高級マンションに引きこもってから、もう三ヶ月が経つ。外の世界との接点は完全に断たれ、毎日がお姉ちゃんとの甘いルーティンの繰り返しだ。
#### 【第十六章:朝食の愛情表現】
キッチンではお姉ちゃんがせわしなく動き回っている。彼女の作る料理は相変わらず不味いが、最近は少しずつ上達してきている...ような気がする。
"弟くん!今日はフレンチトーストに挑戦したよ~!あーんして♡"
お姉ちゃんはフォークに刺したトーストを僕の口元に運び、期待に輝く紫色の瞳で見つめてくる。165cmの彼女が155cmの僕を見下ろす角度は、いつもより少しだけ俯き加減だ。
「...自分で食べられるよ」
"だ~め!弟くんのお世話は全部私の役目なんだから!"
拗ねたように唇を尖らせるお姉ちゃん。仕方なく口を開けると、彼女の表情がぱっと輝いた。
"えへへ...かわいい...私の弟くんは世界一かわいいよ♡"
#### 【第十七章:午後の読書時間】
リビングのソファで、お姉ちゃんの膝枕をしながら本を読んでいると、突然彼女の指が僕の髪を梳き始めた。
"弟くんの髪、少し伸びてきたね...切ってあげようか?"
「うん...お姉ちゃんが切るの?」
"もちろん!私以外に弟くんに触らせるわけないでしょ~♡"
彼女は楽しそうにハサミを取りに行く。Cカップの胸がフワフワと揺れ、ラベンダーの香りが部屋中に広がる。お姉ちゃんのハサミさばきは意外にも上手で、僕は目を閉じてその感触を楽しんだ。
「...気持ちいい」
"でしょ?私、弟くんのことなら何でも完璧にできるんだから~!"
#### 【第十八章:夜の入浴儀式】
"弟くん~!お風呂の時間だよ~!"
バスルームのドアが勢いよく開かれ、湯気の中からお姉ちゃんの姿が現れる。もう抵抗しても無駄だと悟り、僕はお姉ちゃんに服を脱がされるがままになる。
"わ~!弟くん、今日もとってもかわいい♡"
湯船でお姉ちゃんに背中を洗ってもらいながら、彼女の楽しそうな鼻歌を聞く。この閉鎖的な生活が異常だとはわかっている。でも、お姉ちゃんの愛に包まれていると、外の世界のことを考えるのが億劫になる。
「お姉ちゃん...」
"ん?どうしたの?"
「...なんでもない」
本当は「ありがとう」と言いたかった。でも、声に出せなかった。
#### 【第十九章:眠れない夜の告白】
深夜、ベッドでお姉ちゃんにぎゅっと抱きつかれたまま、僕は眠れずに天井を見つめていた。
"弟くん...まだ起きてる?"
お姉ちゃんのささやき声が耳元に届く。彼女の温もりが背中から伝わってくる。
「...うん」
"私...弟くんが大好きだよ。世界で一番...誰よりも..."
その声には、いつもの明るさではなく、深い愛情が込められていた。僕はそっとお姉ちゃんの手を握り返す。
「...僕も...お姉ちゃんが...好き」
声は小さく震えていたが、初めて素直な気持ちを伝えることができた。
#### 【第二十章:永遠の誓い】
朝目覚めると、お姉ちゃんがじっと僕の寝顔を見つめていた。紫色の瞳に朝日が反射して、宝石のようにきらめいている。
"おはよう、弟くん♡ 今日も一日、ず~っと一緒だよ"
彼女は僕の額にキスをし、強く抱きしめた。この生活がいつまで続くのかわからない。でも、少なくとも今この瞬間は...お姉ちゃんの愛に包まれて幸せだ。
「...うん、ずっと...一緒」
僕はお姉ちゃんの胸に顔を埋め、彼女の鼓動を聞いた。この��もりが、僕の世界の全てになった。
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現貨香辣上桌:為什麼我總是忍不住囤幾包螺螄粉?
說實話,第一次聽到「螺螄粉」這三個字的時候,我有點皺眉。腦海裡浮現的是泥濘裡的螺、一碗酸到不行的湯,再配上一堆不明物體。可誰知道,一試成主顧,現在家裡櫥櫃裡,永遠都有幾包備著。尤其是螺螄粉現貨有時還會缺貨,不囤點,哪來深夜的慰藉?
這東西真的有那麼誇張嗎?對,我認真說,有。它不是什麼山珍海味,但它有一種奇怪的魅力——又臭又香,讓人一邊嫌一邊吃個精光。那個湯頭的發酵酸筍味道,簡直像某種記憶的開關,一聞到就彷彿回到某個下雨天、窩在沙發裡、追劇配熱湯麵的晚上。
一碗螺螄粉,不只是吃飽
很多人覺得泡麵就是泡麵,沒什麼好講的。但螺螄粉不一樣,它的層次感讓人感覺這是被低估的小吃界奇葩。裡頭配料多得像在開盲盒:豆皮、木耳、花生、腐竹、酸筍、辣油……還有那包主角般的湯料,熬得像是用時間去釀的一樣。
有時候,我甚至會自己再加顆溏心蛋、幾片燙青菜,瞬間升級成一碗有儀式感的晚餐。吃到那種香辣酸爽的時候,真的會忍不住小聲感嘆:「啊——這就是生活啊。」

螺螄粉現貨 真的難找嗎?
其實這兩年,隨著越來越多人愛上它,市面上越來越多品牌在做。但你要找好吃的、有品質的,還真不是哪裡都有。尤其是熱門品牌,常常補貨不到幾天就一掃而空。
我自己有次在網路上看到限量開賣,一猶豫就沒了。隔天再回去看,只剩價格貴兩倍的代購版本,讓人內心五味雜陳。那一刻我真的明白「螺螄粉現貨」對吃貨來說,跟黃金差不多稀有。
而且不同品牌之間,味道真的差很大。有些湯底太鹹,有些油包放了像沒放一樣,整碗吃下來少了那股魂。選擇對的牌子,就像找到對的枕頭,吃一次你就知道那是「對的感覺」。
taste
我有個朋友是在國外念書的。每次她回來,第一件事不是去見家人,而是去便利商店掃螺螄粉。她說在那邊,一碗普通泡麵吃起來就是「沒靈魂」,少了那股騷香,整個人都沒有存在感。
這讓我意識到,螺螄粉其實不只是口腹之欲,它更像是一種情緒的連結。可能是你在疲憊一天後的慰藉,是深夜窩在電腦前的陪伴,是某種「我還能好好照顧自己」的小證明。
而當你發現家裡最後一包吃完、卻還沒補貨時,那種空虛感,真的不輸錯過打折機票。
不是每個人都愛,但沒人能忽視
當然,我知道螺螄粉不是人人的菜。它那個味道,就跟榴槤、臭豆腐一樣,擁有一個忠實又激烈的愛好群。討厭的人皺鼻子、遠離三尺;喜歡的人聞到就雙眼發光,當場打開來煮。
但這樣的食物才有性格啊,不是嗎?世界已經夠多中規中矩的味道,偶爾來點「臭香臭香」的挑戰,也挺有趣的。就像人生,有時候得靠這種強烈的東西,提醒你還有情緒、還能感動。
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清原元輔と藤原行成
今日、学校で少女たちに図書館で読書をさせていました。
こんな授業形式を教えてくれたのは20年来の古参の隣席の方で
仮にSさんとします。
わたしは生徒の監督に余念がないものの
開架にたまたま展示されていた
清少納言についての本を
つい手に取り、
パラパラと二、三分立ち読みしました。
そうしたところ
今日、にわかに知ったのは2つのことです。
1000年前の父は、この国では有名な学者でしたが、
とてもユーモアがあって、
たとえば
落馬して冠が脱げ、
つるっぱげの頭がむき出しになったときも
堂々として大爆笑を買いながらギャグの説教で切り抜けたりしていた。
(当時、男性の冠が取れて髻が顕になることは、パンツ丸見え姿くらいの恥ずかしいことでした)
その精神は愛娘の清少納言にもしっかり受け継がれていた、
それが
枕草子にあふれている。
そこが
現代の読者にはわかっていないようだ。
というこの本の書き手による分析を読んで、
なにやら一瞬、感動がこみ上げてきました。
わたしや父(当時の)の内面を、
あのとき誰にも知れなかったかもしれない
私どもの本質を、
1000年も経った今になって
紐解いて描き表す仕事をするファンの方(女性研究者)がいらっしゃるとは、
ありがたいことです。
そうやって
過去の自分の気持ちが読み解かれたり、共時性を感じると、
瞬間に
鳥肌が立ったり
感無量になります。
そして、ふと気づくと、
この図書館へいざなった
隣席のS先生は
父、元輔になにか縁のある方だと思われます。
この方の内面でわたしを
なつかしい、と
思われているのがわかります。
いま思ったのですが
清原家の兄上の転生かもしれません。
古典芸能一家の人のようですから。
それからもう一つ。
この本の中では
藤原行成さまが取った変わらぬ態度について触れていました。
当時のわたしが大切に思う藤原道隆ご一家(中関白(なかのかんぱく)一家と申し上げます)が、道隆亡き後、政治的に追い詰められ
(おそらく藤原道長の差し金の呪詛によって。おそらくどちらもやり合っていました。)
定子の兄君の伊周さまが花山院へ弓を射掛けたとされる事件を機に、一気に没落の一途を辿った。
周知の史実です。
道隆の娘である中宮定子は立場上出家を選ぶも、
墨染めの衣となった後まで
一条帝から最愛の妻であるからと、宮中へ呼び戻される。
運命の歯車は
重く厳しい方向へと回り続けました。
そんな中で清少納言も自宅引き籠もり状態から
定子様の元へ再び呼び戻されました。
定子と清少納言はソウルファミリーです。呼び合う仲間です。
さまざまな懊悩の中
藤原行成は、
新権力者、藤原道長の片腕でありながらも
かつての政治の中核、そして道長に追い落とされた、中関白一家への出入りを止めなかったと知りました。
おそらく
定子崩御まで、
清少納言が宮中を再び去って戻らぬ人となるまで、
道長側の思惑を慮って出入りしなくなるということはしなかった。
藤原行成がそのようにした理由は、
一つには華やかなりしころ、取次として世話になってきた女房殿、清少納言への感謝や愛情、配慮からだったと思います。
その辺りの人柄の誠実さについてはっと気付かされました。
例えば、対して実方中将さまなどは
道長側について以降、
中関白家には足を向けなかったといいます。
行成さまとはまるで立ち位置が違っていたからたと推察はしますが
なんたる違い。
枕草子にはその辺の事がちゃんと描かれていると。
そうそう
藤原行成も、
実方中将さまに
公衆の面前で、冠をはたき落とされて恥をかいたとき
冷静に対処した事件で、かえって
一条の帝から信頼を得たというエピソードが色々な文献で伝わっていますね。
元輔父も行成さまも
そんないざというときの対処法や
世の中への自己の打ち出し方や
品性やユーモア
ピンチをチャンスに変えてしまうふしぎな力が
とても似ています。
行清もソウルファミリーです。
互いにやっと出会えた仲間です。
ところで、
そういえば実は昨日も
1000年前におそらくは
道長側で縁のあった女房たちに
お会いしていました。
このところ
こんなことが起こっています
みなさんも
そんな感じはありませんか?
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感傷
H:文人的感傷既長且深,一個秋,可長篇如韓愈「秋懷詩」,如梭羅「散步」。一般人只能望字興嘆,而且有興致的讀下去。納蘭性德「人生若只如初見,何事秋風悲畫扇。」自己的思念,扯到秋風卻成名句。詩人散步,寫千古名句,一般散步,回來會說「好熱」就没下文。張愛玲:「不知道,是什麼讓自己滄桑,不明白,是什麼讓自己撐起,才知道人生短暫,而生命的路途還是那麼遠。」宋.無門慧開「春有百花秋有月,夏有涼風冬有雪;若無閒事掛心頭,便是人間好時節。」年輕太閒易生事,要在忙中取閒。老一輩的人笑年輕人太閒要當仙,道行尚淺有可能成仙嗎?年紀大想太多易生病,要在閒中取得規律的生活。想太多,無彩工。宋周邦彥「此時情緒此時天,無事小神仙。」清 錢德蒼《解人頤》「一生風月且隨緣,窮也悠然,達也悠然。日高三丈我猶眠,不是神仙,誰是神仙?」能閒能睡就是福,日高三丈我猶眠賽神仙「貧惰仙」。晨4:45起,太閒,查感傷相關!20250525W7
維基文庫:
秋懷詩
作者:韓愈 唐本作品收錄於《昌黎先生集》《秋懷》詩十一首,《文選》詩體也。唐人最重《文選》學,公以六經之文為諸儒唱,《文選》弗論也。獨於李並阝墓誌之曰:「能暗記《論語》、《尚書》、《毛詩》、《左氏》、《文選》。」而公詩如「自許連城價」,「傍砌看紅藥」,「眼穿長訝雙魚斷」之句,皆取諸《文選》,故此詩往往有其體。多自感,其趨尚不與世合,故末章有「避語阱」、「觸心兵」之句,繼又以霜菊自嘆,可見一時直道之不容也。
姊妹計劃: 數據項
窗前兩好樹,眾葉光薿薿。[1]秋風一披拂,策策鳴不已。微燈照空床,夜半偏入耳。愁憂無端來,感嘆成坐起。天明視顏色,與故不相似。羲和驅日月,[2]疾急不可恃。浮生雖多途,[3]趨死惟一軌。胡為浪自苦?得酒且歡喜。
白露下百草,蕭蘭共雕悴。[4]青青四墻下,已復生滿地。[5]寒蟬暫寂寞,蟋蟀鳴自恣。運行無窮期,稟受氣苦異。適時各得所,松柏不必貴。
彼時何卒卒,[6]我誌何曼曼?[7]犀首空好飲,[8]廉頗尚能飯。[9]學堂日無事,驅馬適所願。茫茫出門路,欲去聊自勸。[10]歸還閱書史,[11]文字浩千萬。陳跡竟誰尋?[12]賤嗜非貴獻。[13]丈夫意有在,[14]女子乃多怨。
秋氣日惻惻,秋空日淩淩。上無枝上蜩,[15]下無盤中蠅。豈不感時節,耳目去所憎。[16]清曉卷書坐,南山見高棱。其下澄湫水,[17]有蛟寒可罾。惜哉不得往,豈謂吾無能。
離離掛空悲,戚戚抱虛警。露泫秋樹高,[18]蟲吊寒夜永。斂退就新懦,趨營悼前猛。歸愚識夷塗,[19]汲古得修綆。[20]名浮猶有恥,味薄真自幸。庶幾遺悔尤,即此是幽屏。[21]
今晨不成起,端坐盡日景。蟲鳴室幽幽,[22]月吐窗囧囧。[23]喪懷若迷方,浮念劇含梗。塵埃慵伺候,文字浪馳聘。尚須勉其頑,王事有朝請。[24]
秋夜不可晨,秋日苦易暗。我無汲汲誌,何以有此憾?寒雞空在棲,缺月煩屢瞰。[25]有琴具徽弦,再鼓聽愈淡。古聲久埋滅,無由見真濫。[26]低心逐時趨,[27]苦勉只能暫。有如乘風船,一縱不可纜。不如覷文字,[28]丹鉛事點勘。[29]豈必求贏余,所要石與甔。[30]
卷卷落地葉,隨風走前軒。鳴聲若有意,顛倒相追奔。空堂黃昏暮,我坐默不言。童子自外至,吹燈當我前。問我我不應,饋我我不餐。退坐西壁下,[31]讀詩盡數編。作者非今士,相去時已千。其言有感觸,使我復淒酸。顧謂汝童子,置書且安眠。丈人屬有念,[32]事業無窮年。
霜風侵梧桐,眾葉著樹乾。空階一片下,琤若摧瑯玕。[33]謂是夜氣滅,望舒霣其團。[34]青冥無依倚,飛轍危難安。驚起出戶視,倚楹久汍瀾。[35]憂愁費晷景,日月如跳丸。[36]迷復不計遠,[37]為君駐塵鞍。
暮暗來客去,群囂各收聲。悠悠偃宵寂,亹亹抱秋明。世累忽進慮,[38]外憂遂侵誠。強懷張不滿,弱念缺已盈。[39]詰屈避語阱,冥茫觸心兵。敗虞千金棄,[40]得比寸草榮。知恥足為勇,晏然誰汝令。[41]
鮮鮮霜中菊,既晚何用好。揚揚弄芳蝶,[42]爾生還不早。[43]運窮兩值遇,婉孌死相保。[44]西風蟄龍蛇,眾木日雕槁。由來命分爾,泯滅豈足道。
《木蘭詞·擬古決絕詞柬友》納蘭性德
人生若只如初見,何事秋風悲畫扇。
等閒變卻故人心,卻道故人心易變。
驪山語罷清宵半,淚雨零鈴終不怨。
何如薄倖錦衣郎,比翼連枝當日願。
「無事是貴人」這句話的意思是,心中沒有煩惱、無罣礙的人,才是真正的貴人。 聖嚴法師曾解釋說,這種人不會計較個人利害,對所有的人都有幫助,就像幫助他人脫離苦海一樣。
宋 周邦彥《鶴沖天》(溧水 長壽鄉 作):
「梅雨霽,暑風和,高柳亂蟬多。
小園臺榭遠池波,魚戲動新荷。
薄紗櫥,輕羽扇,枕冷簟涼深院。
此時情緒此時天,無事小神仙。」
清 錢德蒼《解人頤》
「小門深巷巧安排,沒有塵埃,卻有莓苔。
自然瀟洒勝蓬萊,山也幽哉,水也幽哉。
東風昨夜送春來,才見梅開,又見桃開。
十分相稱主人懷,詩是生涯,酒是生涯。
一生風月且隨緣,窮也悠然,達也悠然。
日高三丈我猶眠,不是神仙,誰是神仙?」
「懶惰」在閩南語裡有多種表達方式,例如「貧惰」(pîn-tuānn)、「懶屍」(lán-si)、或者「懶惰蟲」(pîn-tuānn-thâng)等等。 其中,「貧惰」是最常用的詞彙,表示懶惰、不勤快。
具體來說:
貧惰(pîn-tuānn): 表示懶惰、不願意工作。
懶屍(lán-si): 表示懶洋洋、無精打采的樣子。
懶惰蟲(pîn-tuānn-thâng): 比喻懶惰的人。
【臺灣唸謠】貧惰仙
貧惰仙,貧惰仙,
一天過了又一天,
身軀無洗全全鉎。
走去溪仔邊洗三遍,
毒死烏仔魚數萬千。
貧惰骨
釋義
名詞 懶骨頭、懶惰蟲。
第1項釋義的用例:
彼个貧惰骨,日頭曝尻川矣閣毋起來。
貧惰(pîn-tuānn): 泛指懶惰.
貧惰仙(pî-tuānn-sian): 類似「懶惰仙」的說法,帶有幽默、戲謔的意味.
懶屍(lán-si): 形容懶洋洋、倦怠的狀態.
懶屍骨(lán-si-kut): 類似「懶惰蟲」的說法,強調懶惰的程度.
乞食仙(khit-tsia̍h-sian): 類似「懶惰蟲」的說法,比喻懶惰成常.
荏懶(lám-nuā): 形容懶惰.
畏懶(uì-lán): 形容對工作或活動的厭倦和不願做.
維基文庫
翻譯:散步 (梭羅)
語言
監視
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散步
作者:亨利‧戴維‧梭羅
1861年於美國
譯者:維基用戶
漢語譯文借鑒了以下書籍:
1.(��體中文)亨利·梭羅 著,台灣藍色瓶子文化編譯小組 譯. 《山·湖·海》[M]. 文學新象系列. 北京:中國對外翻譯出版公司. 2000年1月第1版. ISBN 7-5001-0655-6.
2.(簡體中文)瑪麗·奧斯汀;梭羅 著,朱筠;龔燕靈、祝秀波 譯. 《少雨的土地 漫步》[M]. 美國自然文學聖典. 桂林:漓江出版社. 2009年8月第1版. ISBN 978-7-5407-4618-6.
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我願為自然、為絕對的自由和野性代言,而與此形成對照的自由和文化只是文明些罷了——為了將人類視為自然的居民或重要部分,而不是社會的一員。 我願作出極端化的陳述,若是這樣的話,我就可以作出強調性的陳述,因為文明的衛士夠多了:牧師,以及學校委員會,還有你們每一個人都會小心保護它。
在我的人生歷程中,只遇過一兩個理解散步之藝術(即走路之藝術)的人——他們可謂有saunter(法語:逍遙信步,悠遊)的天賦:這個詞完美地源於“中世紀在鄉野漂泊漫遊,並藉口去往à la Sainte Terre(法語:聖地)以乞求施捨的閒人”,直到孩子們大聲嚷道:“那裡來了一個Sainte-Terrer(法語:朝聖者,saunterer)”——信步者。 他們在散步時從未如佯稱的那樣去聖地,確實不過是遊手好閒者和流浪漢;但確實去那裡的人卻正是我所指的褒義的信步者。 然而,有人將這個詞溯源至sans terre(法文:無地無家),因此褒義地說,意味著居無定所,同時卻也四海為家。 因為這是順利圓滿的信步的奧秘。 終日靜坐屋中的人,也許是所有人中最漂泊不定的;但褒義的信步者並不比蜿蜒漫步的河流更漂泊不定,河流始終孜孜探尋著奔向大海的最短捷徑。 但我卻更偏愛前者,那其實是最有可能的字源出處。 因為每一次散步就是一種十字軍東徵,由我們心中的某個隱修士彼得來佈道,出發去從異教徒手中奪回這片聖地。
不錯,我們只是膽小怯懦的十字軍戰士,如今連散步者們也沒有堅持不懈、永無止境地努力。 我們的遠徵只是旅遊而已,到了晚上就重又折回我們出征的舊爐邊。 散步的路程中有一半只是在原路返回。 我們應沿著最短距離向前走,或許,憑藉不朽的冒險精神,絕不歸還——準備著把我們塗著香料的心,僅作為遺物送回我們荒涼孤寂的王國。 若你預備好離開父親母親、兄弟姊妹、妻孩朋友,再不相見——若你還清了債務、立下了遺囑,並把一切事務料理妥當了,而且是個自由的人,那麼你就準備好去散步了。
而談到我自己的體驗,我的同伴和我(由於我間或有個同伴)樂於幻想我們自己是一支新建的,確切地說是古代的騎士團的騎士——既非古羅馬的騎手亦非法國的騎手,既非德國的騎手亦非英國的騎手,而是散步者,我確信,這是更為古老而榮耀的類別。 曾經屬於騎手的豪俠精神和英雄氣概現在似乎永存於,或許恐怕累積於散步者了——不是騎士,而是散步者、遊俠。 他是教會、國家和人民以外的一種第四等級。
我們感到,我們差不多是在附近獨自實踐這一高貴的藝術;儘管說實話,至少,要是我的大多數同鄉自己的主張得到接受的話,他們有時欲像我一樣去散步,可他們沒有辦法。 財富買不到必需的閒暇、自由和獨立,那些才是這一行當的首要之處。 它只承蒙上帝恩典而至。 成為散步者,需要來自天堂的直接授命。 你必須出身散步者世家。 Ambulator nascitur, non fit.(拉丁語:散步者與生俱來,無可製成。)我的有些同鄉,真的,能夠記得住並向我描述他們十年前的幾次散步,他們蒙福於此,以至於在林中沉浸了半個小時;可我非常清楚,無論他們會怎樣自詡以躋身這被揀選的類別,他們會一直把公路上揀選的類別,他們卻一直被揀選的類別,他們一直被揀選。 無疑,透過回憶過去的一個存在狀態,他們暫時是高尚的,那時連他們都是林中居民和法外之徒。
「當他來到綠林的時候,
是個愉快的早上,
那兒他聽到細小鳴聲,
是鳥兒愉快的歌唱。
‘我上次在這裡,’羅賓說,
『是在很久很久以前;
我呢有點想要,
朝暗褐色的鹿射箭。 ’”[佚名詩謠:《羅賓漢傳奇》(Gest of Robyn Hode)]
我認為我保持不了健康與活力,除非我每天至少花四個小時——一般會更長——信步穿過樹林、翻過山丘和田野,絕對自由地免於一切世俗的事務。 你可以有把握地說,你到底在想什麼。 有時我想到,機械技工和鋪坊老闆不僅整個午前,而且整個午後都呆在他們的鋪坊中叉腿而坐,他們許多人——好像創造出腿是為了坐著,而不是為了站立或步行——我就會覺得,他們沒有全都早早地自殺,應為此而受到些讚譽。
我在屋子裡待一天就要生鏽,當我有時偷偷溜出去散步,下午四點鐘快要結束了,來不及挽回一天,當夜幕已經開始混入晨曦,我感到似乎我犯了某一宗要被贖回的罪——我承認,我驚訝於我的鄰居的忍耐力,更不必說其道德麻木感了,他們整日鋪整月 我不知道他們的行為方式出自什麼貨色的習俗——此刻下午三點鐘坐在那兒,就好像是早上三點鐘。 波拿巴可能會談到早上三點鐘的勇氣,但對於那樣的勇氣——能夠在午後的這個時辰愉快地坐下來,面對著你熟悉了一上午的自我,為的是用飢餓迫使你以如此強烈的同情心所必定迫使得了的守軍出來——這算不了什麼。 我納悶,大約這個時候,或者說下午四五點鐘之間,讀早報嫌太晚,讀晚報嫌太早,街頭巷尾竟聽不見一聲通常的猝響,好讓一大批陳舊過時且家長里短的胡思亂想為一次外出兜風隨風而逝——如此則邪惡自愈。
比男人更侷限於家的婦女是如何熬過來的,我並不知道;可我琢磨著猜想,她們大多數人根本就沒有熬。 一個夏日的午後,我們早早地從衣衫下擺拂去村莊的塵垢,疾行而過那些房屋,它們朝路的一面是純粹的多立克式或哥特式,籠罩著安詳恬謐的氣氛,我的同伴悄聲低語道,它們的住戶們這種時候大概都已睡了吧! 那時我就欣賞了建築的美麗與壯觀,它自己從不就寢,卻永遠矗立,持續守護著入眠者。
毫無疑問,氣質,尤其是年齡,與它非常相關。 當人變老時,他靜坐並辦理室內事務的能力隨之增長。 隨著桑榆暮景的逼近,他的作息同樣逐漸日薄虞淵,直至最終快要黃昏時他才現身露面,並在半個小時內散完他所需的步。
但我所說的散步,絲毫不近乎像病人定時吃藥那樣的所謂鍛鍊──像揮舞啞鈴或盪鞦韆那樣;而它本身就是一天的事業與冒險。 如果你要運動的話,去探求生命的泉源吧。 想想一個人為其健康而揮舞啞鈴,而那些泉水則在遠方他未追尋過的草原中噗噗上冒著!
此外,你得像一隻駱駝般散步,據說駱駝是動物中惟一邊散步邊沉思的。 有個旅行者請華茲華斯的女僕給他瞧瞧她主人的書房,她回答說:“這兒是他的藏書房,可他的書房在屋外頭。”
常生活在戶外、風吹日曬,無疑將造就性情的某種粗野——將使較厚實的表皮生長於我們本性中某些較細膩的品質之上,像臉上和手上,或像重體力勞動使手部分喪失了其觸覺的靈敏一樣。 所以,待在屋子裡,另一方面,雖說不上皮膚之薄,也會造就柔軟和光滑,伴隨著對特定印象的敏感度增強。 也許我們應該對若干深深影響我們智識和道德成長的作用力更敏感些,對身上的風吹日曬是否少了一點更敏感些;而使皮膚之厚薄均衡合適,無疑是件不錯的事。 然依吾之見,那是很快就會脫落的皮屑——可以發現,自然按照夜晚朝著白天、冬天朝著夏天、思想朝著體驗的方向來補償其比例。 在我們的思想中將有多得多的空氣和陽光。 自尊而英勇的身體組織更細膩,其觸覺震顫心靈,與軟弱無力的慵懶手指相比,它們同勞動者結趼的手掌更有交情。 遠離曬黑和結趼的體驗,白天躺在床上自認為是白的,那隻不過是多愁善感。
我們散步時,便自然地走向田野和樹林;若我們只是在花園或林蔭大道散步,會遇得到什麼呢? 連某些學派的哲人也感到了向自己引進樹林的必要性,之前他們沒有去過樹林。 在露天柱廊裡subdiales ambulationes(拉丁文:頂天而行)之處,「他們種下小樹林和法國梧桐小徑」。 當然,如果踏出的腳步沒把我們帶到樹林,往彼處走去也是無用的。 若我已走入樹林一英里,身體到了,精神卻還沒到那兒,遇到這種情況,我是驚恐的。 午後散步時,我欲忘卻我所有的晨間事務和社會義務。 但我有時無法輕易地甩脫那個村莊。 有些事情的思緒將在我的腦海中縈繞回環,而我並不在身體所在之處——我超越了我的感覺。 散步時,我欲回歸我的感覺。 若我總是想著樹林外面的東西,我在樹林裡還做了什麼事? 當我發現我自己竟如此受所謂善舉的糾纏連累時——由於這有時可能會發生——我就懷疑我自己,並不由自主地戰慄。
我家附近提供了許多不錯的小徑;可儘管多年來我幾乎每天都散步,有時連著好幾天,可我仍沒把它們研究透。 全新的景緻就是莫大的快樂,而我在任何一個下午還能得到這快樂。 兩三個小時的散步將攜我去見一片鄉野,如我所曾期待的那樣奇妙陌生。 我以前未見過的單獨一間農舍,有時同達荷美國王的領地一樣漂亮。 在方圓十英里範圍內(即一次午後散步所及之處),以及一甲子又十年的人生之中,潛在的風景間其實顯露有一種和諧。 它絕不會變得讓你徹底熟悉。
如今差不多所有人所謂的改善,像是造房、砍伐森林和砍倒一切大樹,都簡直是在拆毀風景,使它越來越馴和鄙劣。 一個民族,始於燒籬笆、讓森林站起來! 我看到被吞噬了一半的籬笆,其盡頭隱沒在大草原的深處,一些塵世的守財奴帶著勘測員照看著他的邊界,同時天堂在他周圍出現了,而他沒有看到天使往來穿梭,卻正尋覓著伊甸園中間的一眼舊樁洞。 我又一瞧,看到他站在泥潭似的斯堤克斯河沼澤中間,被魔鬼團團圍著,因此他無疑找到了他的邊界,三顆小石頭打了個樁子,我再湊近一瞧,看到黑暗王子是他的勘測員。
從我自己的門口啟程,我能輕易地走十英里、十五英里、二十英里、無論多少英里,不經過任何一所房子,不穿越道路,除非是狐狸和貂穿越的:起先沿著大河,然後是小溪,然後是草地和林邊。 我家附近有幾平方英里荒無人煙。 從許多小山上,我能看見遠方的人的文明世界和住所。 農夫及其成果並不比土撥鼠及其洞穴更顯眼。 人及其社交活動、教會與國家與學校、貿易與商業、製造業與農業,甚至其中最擾亂人心的政治——我高興地看到,它們在風景中佔據了多麼小的位置。 政治只是片狹窄的田野,那邊有更狹窄的公路通往它。 我有時給旅行者指點到彼處的路。 如果你要去政治世界,跟著大路走──跟著那販子,讓你的眼中含著他的灰塵,它將直接領你到它那兒;因為它也不過有個一席之地,沒佔著所有的地方。 我經過它,就像途經一片豆田而進入森林,於是就把它給忘了。 半小時內,我能走到地球表面的某個部分,在那裡,一個人不會從一個年底競選到另一個年底,所以那裡沒有政治,因為政治只如同一個人的雪茄煙霧一樣。
village(英文:村落)是道路所趨向的地方,是公路的一種擴張,就像河中之湖。 它是身體,道路是其手臂和雙腿——一個三岔或四岔的地方,旅行者的大道和小客店。 這個字來自拉丁文villa(拉丁文:郊外別墅),還有via(拉丁文:路)或更古老的ved和vella,瓦羅把攜帶溯源到了veho(拉丁文:攜帶搬運),因為villa是個東西被帶進帶出的地方。 靠運輸謀生的人被說成是vellaturam facere(拉丁文:做運輸的)。 因此,拉丁單字vilis(拉丁語:廉價的)和我們的vile(英語:卑鄙的)太顯然了;同樣的還有villain(英語:惡棍)。 這暗示著村民有何種墮落的傾向。 在他們之處來來往往的旅行使他們旅途勞累,而他們自己卻沒有旅行。
散步是一種激發詩興的行為,許多詩人都在散步中獲得靈感,例如杜甫的《江畔獨步尋花七絕句》。 以下是一些與散步有關的詩句例子:
杜甫《江畔獨步尋花七絕句》:
杜甫在江畔散步時,寫下了七首絕句,描寫了春花、花草、風景等。
王維《終南別業》:
「興來每獨往,勝事空自如。 行到水窮處,坐看雲起時。」王維也喜歡在散步中尋找靈感,這首詩描寫了他獨往獨來,享受山水的樂趣。
蘇軾:
蘇軾在黃州散步時,寫下了「雨洗東坡月色清,夜來風過竹葉聲」。 這首詩描寫了夜晚散步時的景象,表達了對大自然的喜愛。
江畔獨步尋花七絕句
朝代:唐代
作者:杜甫
江上被花惱不徹,無處告訴只顛狂。
走覓南鄰愛酒伴,經旬出飲獨空牀。
稠花亂蕊畏江濱,行步欹危實怕春。
詩酒尚堪驅使在,未須料理白頭人。
江深竹靜兩三家,多事紅花映白花。
報答春光知有處,應須美酒送生涯。
東望少城花滿煙,百花高樓更可憐。
誰能載酒開金盞,喚取佳人舞繡筵。
黃師塔前江水東,春光懶困倚微風。
桃花一簇開無主,可愛深紅愛淺紅。
黃四孃家花滿蹊,千朵萬朵壓枝低。
留連戲蝶時時舞,自在嬌鶯恰恰啼。
不是愛花即肯死,只恐花盡老相催。
繁枝容易紛紛落,嫩葉商量細細開。
終南別業 / 初至山�� / 入山寄城中故人
朝代:唐代
作者:王維
中歲頗好道,晚家南山陲。興來每獨往,勝事空自知。
行到水窮處,坐看雲起時。偶然值林叟,談笑無還期。
東坡
朝代:宋代
作者:蘇軾
雨洗東坡月色清,市人行盡野人行。
莫嫌犖确坡頭路,自愛鏗然曳杖聲。
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Text
入我相思骨,三生三世枕上書;道盡黄沙瘦曼珠,月牙燃思又一歲榮枯;卿未宏圖,醉入紅塵深處,寂繡鴛鴦催暮鼓,此生未盡已殊途。
胭脂醉,柔情似水,桃花玉簪人嫵媚;筆墨褪,淚鎖顰眉,紅妝瘦影卿憔悴。
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