#下前立ての芯地が見えています
Explore tagged Tumblr posts
Text
「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和七年(2025年)4月12日(土曜日)弐
通巻第8736号
『経済的に豊かになれば中国は民主化する』という根拠のない期待感は消えた
トランプの窮極の目的は中国経済の息の根を止めることにある
*************************
トランプ政権が発動した高関税措置は経済取引というより政治取引への武器化だ。
ところが、日本の議論をみていると、やれ株が暴落した、サプライチェーンが分断される、国債が上がった、さがった、金利がどうした、企業利益が脅かされたという経済のレベルである。率直に言って、エコノミックアニマル世界の議論だ。
重ねて力説しておきたいのだが、トランプの窮極の目的は中国経済の息の根を止めることにある。
中国がアメリカを超えるか、あるいは並ぶかの壮大なパワーにはさせないのだという基本戦略を了解しておかないと、この無謀ともとれる高関税政策は理解できないのである。
パンダ・ハガーだったマイケル・ピルズベリーが「我々は半世紀に亘って中国に欺されていた」と深く自省を吐露した『チャイナ 2049』の刊行は十年前の「事件」だった。
嘗てピルズベリーは「中国と軍事協力すべきだ」と主張していたのだから尚更の驚きだった。かれは『中国がいずれアメリカの同盟国になる』としたのは幻想だった。「韜光養晦」の中国を見誤ったとした。トランプ大統領は第一次政権で、このピルズベリーを評価した。そして中国政策を助言する「国防政策委員長」抜擢した。
バイデン政権の四年間は中国にかたちだけ強硬をみせながら通商、技術、金融面では大
甘、議会を手なづけるためにいくつかの中国制裁やブラックリストを作成したが、いずれもザル法だった。なぜなら最先端のハイテク技術がほとんど中国に漏れていたからだ。その典型的な例証はSMIC(中芯国際)が7ナノ半導体を自製したこと、エ���ビディアの特性半導体を輸入したディープ・シークの唐突なる登場だった。特殊半導体はシンガポールのダミー会社から迂回輸出され、中国の手に渡っていた。
つまりアメリカの技術優位性の足下が崩れ始めていたのだ。
アリカの中国に対する評価は、ニクソン時代からオバマまでの半世紀が中国成長を助ける政策、即ち『経済的に豊かになれば中国は民主化する』という根拠のない期待感であり、1989年6月4日にそうした展望は見事に
崩れ去ったのに、制裁を解除するや、ブレジンスキーなどは「G2」とかの寝言を並べていた。
オバマ政権末期から薄ぼんやりと中国の不気味な脅威を認識し始め、トランプ第一次政権以後は中国封じ込めへの転換である。右から左へ、つまり中国を甘やかす方向から、敵対し封じ込める逆方向へと転換した。
いまやアメリカの合い言葉は『中国人とみたらスパイを思え』だ。
アメリカ国民は自国の経済成長、国際貿易の優位性を過信してきた
2008年のリーマンショック以後の金融危機、19年からのコロナウイルス感染症のパンデミック、これらが中国をして決定的に劣勢に陥ったと誤認した。
ところが数年を経ずして中国は「ゼロコロナ」政策を放棄し、瞬く間に経済成長を回復させた。
一方で中国は先進国同様の若者の減少と高齢化という深厚な人口動態をかかえ、大學の新卒に職がないという失業率の高さと、爆発する債務、不動産暴落が経済活動を停滞させた。
中国は鉄鋼、太陽光パネル、EV、風力発電、ドローンなどを過剰に生産し、ダンピング輸出、ともかく死にものぐるいでドルを稼いでいた。
イェーレン前財務長官が警告したように、中国の過剰生産はとまらない。これは世界経済の攪乱要因である。
▼米国が世界GDPの七割をしめるという『アメリカの世紀』はとうに終わった。
中国が米国を追い抜くことはありえない、という楽観論がしばしアメリカ政治を支配した。いま、アメリカに溢れだすのは中国脅威論、それも軍事脅威論から技術脅威論を含む総合的な脅威論に軸足が移っている。
中国が世界貿易機関(WTO)に加盟し、わずか20年間で、世界の製造業に占める中国の割合は5倍の30%に増加した。対称的に米国のシェアは15%となりました。
米国が世界GDPの七割をしめるという『アメリカの世紀』はとうに終わった。重要な指標で、中国はすでに米国を上回っている。製造能力は米国の3倍。EVは寡占状態、特許と引用頻度の高い科学論文数も米国よりも多い。
セメントの生産量は米国の20倍、鉄鋼13倍、自動車3倍、電力2倍である。
軍事的にはいつのまにか世界最大の海軍力を保有し、米国の200倍の造船能力を誇り、夥しいICBMを保有し、極超音速能力を示した。ペンタゴンはこれを「スプートニク・ショック」に喩えた。
「中国製造2025」の目標を達成したと中国は胸をはり、世界の化学製品のほぼ半分、世界船舶の半分、電気自動車の3分の2以上、電気バッテリーの4分の3、民生用ドローンは80%、太陽電池パネルとレアアースの90%を生産している。産業用ロボットの設置数でも地球の半分を占め(米国の7倍)、第4世代原子力技術の商業化では、他国より10年先行している。くわえて次の20年で100基以上の原子炉を建設する計画である。
しかも中国は、その優位性を継続拡大するために多角的な政策を実施している。
かような認識に立つなら、トランプが中国に145%の関税をかける荒技をなぜ講じるのか、中国経済の発展が中国御軍事力を高める近未来は『アメリカファースト』、世界一の軍事大国を目ざすアメリカにとっては、たたきつぶしておかなければならないほどの脅威になったからだ。
スパルタはアテネの台頭を許せず、戦争を仕掛けた。まさに「ツキディデスの罠」が、これから再現される。
7 notes
·
View notes
Text
TEDにて
マチウ・リカール:幸せの習慣
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
幸せとは、何で、どうやったら幸せになれるのでしょうか?
生化学者から仏門を選んだマチウリカールは、我々の心を鍛えて満ち足りた状態を習慣にすることによって、心の奥底からの静かな充足を生み出すことができると言います。
これもグローバリゼーションのおかげなのでしょうね。
エベレストの山頂にコカコーラの缶、モントレーに僧侶(私はちょうど、2日前。皆さんのお招きに上がりヒマラヤ山脈から来ました。ですから、皆さんをしばらくの間。ヒマラヤ山脈に招待したいと思います)
そして、私のような修行僧がいる場所にご案内しましょう。
私はパスツール研究所の分子生物学者でしたが、山に入る道を選びました。さてと、幸福について語りましょう。私は、フランス人ですが、フランスには幸福に全く興味のない知識人が多いです。
では、幸福または満たされた状態について話しましょう。
まず、最初にフランスの知識人がなんと言おうと朝から「今日も一日苦しむだろうか」と考えながら起きる人は誰もいません!つまり、意識しようがしまいが、直接であれ間接であれ、すぐのことでも将来のことでも我々がすること。
望むこと。夢見ること。そういったこと全てが心の奥底で幸せを求めることにつながっているのです。
東洋や西洋の書物を調べれば、幸せの定義は驚くほど多彩でしょう。こう言う人がいます。「過去の記憶を信じて、将来を想像し、現在は念頭にない」こう言う人もいます。「幸せとは、今という瞬間。今という瞬間の新鮮さの度合いである」
そして、これは、フランスの哲学者アンリベルクソンにこう言わせました「すべての偉大な人文科学の思想家は、幸せを曖昧なまま残した彼らが自分達の言葉で幸せを定義できるように」
人生において幸せにそれほど関心がないならかまわないでしょう。しかし、幸せが人生のあらゆる瞬間の質を定めるものだとしたら?私たちは、それが何であるかを知り、はっきりした考えを持った方が良いでしょう。
そして、おそらく私たちが幸せについてよく知らないことが理由となって、しばしば、幸せを求め���がらそれに背を向けてしまうのでしょう。
苦しみから逃れたいのに苦しみに向って走っているかのようです。それはある種の勘違いが原因かもしれません!
喜びを、幸せと思い込む事は、よくあります。
この2つの特徴をよく見てみると喜びは、時間、目的、場所に左右されます。その本質は相対的に変わりうるものです。チョコレートケーキの最初の一切れはおいしいです。二切れ目はそれほどでもなく、三切れ目には嫌気がさします。
それが人間の欲望の本質です。
飽きが来ます。私は、昔、バッハが大好きでギターで弾いたりしました。5回聴いても飽きません。もし、24時間休みなしで聴くことになれば飽きるかもしれません。寒いとき、火のそばに近づくのは気持ちがいいです。
そして、しばらくすると少し後ろに下がります。それからすごく熱く感じます。
喜びは経験とともに消費されるかのようです。
そして、それは、あなたから発せられるものではありません。あなたが強い喜びを感じることでまわりの人が大いに苦しむこともありえます。ゲーム理論のゼロサムゲームのこと
では、幸福とはいったいなんでしょう?
幸福というとあまりにも漠然とした言葉なので満ち足りた状態と定義しましょう。
仏教徒の見解から、最もふさわしい定義は、満ち足りた状態とは、ただ楽しいという感覚ではないということです。
それは心の奥底を静かに満たすものです。
人生におけるあらゆる心の働きや喜びや悲しみにも、しみ渡ってその根底に横たわっています。皆さんは驚くかもしれません。悲しみのさなかでも満ち足りていることは、ある意味可能です。なぜなら、私たちは別のレベルの話をしているからです。
岸辺に寄せる波をごらんなさい。波の谷間にいれば、海底に当たります。
堅い岩にあたります。波の上にのっているときは意気揚揚としています。海面は上へ下へと揺れ動きます。外洋をごらんなさい。そこには鏡のように美しく穏やかな海があるかもしれません。嵐の海かもしれません。
しかし、海の深さはそこにあり変わらないのです。どういうことでしょう?それは、つかの間の感情や感覚でなく、そのものの状態です。喜びもまた幸福の源となりえますが、誰かの苦しみを喜ぶというような邪悪な喜びもあります。
ではどのように幸せを探しましょうか?
たいていは外界から探し出そうとします。「幸せ」になるためにすべての状況。すべての条件を満たせば幸せになれると考えます。すべてを得ることで幸せになる!
こんな考え方の幸福には、崩壊が待ち構えています!!すべてを持つこと。何かが欠ければそれは崩れます。
何かがうまく行かないといつも外界を修正しようとします。しかし、私たちが外に及ぼす力は限られたもの。一時のもの。錯覚かもしれません。では、内部の状況を見てください。それらはより強くありませんか?
外界から幸福や苦しみを捉えるのは心ではないですか?心の影響が強くないですか?小さなパラダイスのようなところに住んでいてもまったく不幸せなこともあるのをご存知でしょう。
ダライラマがポルトガルに行ったとき、そこでは、至る所で建設工事が行われていました。ある晩、彼は言いました「立派な建物を建てるよりも、心の中に何か築き上げるのが良いのではありませんか?」
そして、こう言いました「もし、あなたが素晴らしくモダンで居心地の良いハイテクのマンションの100階に住んでいても内面でひどく不幸だったら飛び降りるための窓を探してしまうでしょう」
では、反対に非常に厳しい状況下でも落ち着き、芯の強さ、自由、信頼を失わない人が沢山います。では、内面の条件が強ければどうか?もちろん、外部状況は影響するでしょう。
そして、健康に長生きすることや情報が得られ。教育が受けられ、旅行が出来。自由でいられることは素晴らしいことです。大変望ましいことです。
しかし、これだけでは十分ではありません。補助的な条件に過ぎないのです。
すべてに解釈を与えるのは、心の中に存在する経験です。内面の幸せの条件をどうはぐくむかと自問していくと幸せを妨げるものが自らの内面に見出されたりもします。これを解るにはいくらかの経験が必要です。
ある種の心の状態があることに気付かなければなりません!
それは、この幸せ、この満ち足りた状態につながる心の状態でギリシア人がユーダイモニアと呼んだものです。
こんな満ち足りた状態の妨げとなるものもあります。自らの経験の中から探しても怒りや憎悪、嫉妬、ごう慢、しつこいほどの欲望、執着。そんな感情にとらわれた後はあまりよい状態とはいえません。
そのうえ、それらは他人の幸せにも有害です。これらのものが心に侵入すればするほど、連鎖反応のようにますます惨めになり苦悩を感じます。憎しみの連鎖とも呼ばれてます。
逆に、誰もが知っていることですが、献身的で、寛大な行為の奥底では、遠くからであっても、他の誰に知られることがなくても、子どもの生命を救い。誰かを、幸せにすることができます。
我々は、認識されることも、感謝されることも必要としません。ただ、そうする事が、心の深みにおいて、満ち足りたものを与えます。それは、常にそうありたいと思う「姿」です。
では、生き方を変えて心の在りようを変容させることが可能でしょうか?
生まれつき心が持っていた否定的な気持ちや破壊的な感情を?我々のムードや特徴。そして、感情を変化させることは可能でしょうか?そのためにはこう尋ねなければなりません。
心の性質とは何でしょう?
経験的な観点から見れば、意識の主な性質というものは、単に事実を認識し、気付くことなのです。
意識は、すべてのイメージを映し出す鏡のようです。
醜い顔も美しい顔も鏡は気にしません。鏡は汚されず、イメージによって変質する事もありません。同様にすべての思考の背後には、ありのままの意識。純粋な認識があります。
そういう性質なのです。意識は、憎悪や嫉妬によって損なわれるようなことはありません。全体が、染料で染められても、布は布であるように、常に、意識は、そこにあります。
我々は、いつも怒っていたり、嫉妬深かったり、気前がよかったりするわけではありません。意識という布地は、純粋に認識をするというその性質において、石とは違っていて、だから、変化の可能性があります。
すべての感情は過ぎ去っていくからです。それが、心の訓練の基盤です。
心の訓練は、2つの対立する精神要因が、同時に起こり得ないという考えに基づきます。愛から憎しみへ行くことはできます。でも、同じ時間に同じもの。同じ人に対し、害悪を願いながら、善を願うことはできません。あなたは、握手しながら殴ることはできません。
我々の内面が、満ち足りようとするのを妨げる感情に対して、自然の特効薬がある!!ということです。
そこに進むべき道があります。
嫉妬に対しては、喜び。貧欲な執着に対しては、内心の自由。憎悪に対しては、慈愛あふれる親切。もちろん、それぞれの感情ごとに、特定の解毒剤が必要です。
これは、仏教の最古の経典とされる南伝パーリ語のスッタニパータにもある「貪・瞋・痴(とん・じん・ち)」の克服方法です!!
もう一つの方法は、全ての感情の特質を分析することで、対抗手段を見出そうとするものです。
通常、我々が、誰かに対し、不快や憎しみ。動揺を感じたり、何かに執着すると我々の心は、その対象のことを繰り返し考えます。その対象に思いを寄せるたびに、執着心や不快感が増します。
その過程は、際限なく膨らみ、繰り返されていきます。今、我々が見るべきなのは、外を見る代わりに、内観するということです。
「怒り」そのものを「ああっ自分は怒ってるな〜」と注視してください。それは、非常に恐ろしげに沸き立つモンスーンか雷雲のように見えます。その雲に座ることすらできそうに見えますが、近づけばただの霧にすぎません。
同様に、あなたが怒りという感情を直視すると、それは、朝日のあたった霜のように消えます!!これもブッタのプラスサムの智恵です。
何度も繰り返して、怒りの感情を直視して、解消しているうちに、怒りの繰り返しは、解消するたびに、だんだん小さくなります。そして、ついには、たとえ怒りが生じても心をかすめるのみで、空を渡る鳥のように痕跡も残さなくなります。
これが心の訓練の基本であるウィパッサナー瞑想法です!!
時間はかかります!心の欠点や性癖を積み重ねるのに、時間がかかったように、それらを解きほぐすのにも時間がかかります。
しかし、それしか方法はありません!!
心の変容こそが、瞑想の意味することろです。新しい在り方やものの受け止め方を習熟することです。そのほうがより���実であり、相互に支えあい。流れのように連続的な変化であるもの。
それが、我々の存在であり意識であるのです。それでは、認知科学との接点について、この話をする必要があります。短い限られた時間で話さなければなりません。
脳の可塑性に関して、以前は、脳の機能は不変のものと思われていました。20年ほど前までは、すべての神経の接続の総数は、成人した後には、ほとんど変化しなくなるものと考えられていました。最近では、それは大きく変化しうることが解かっています。
10,000時間。バイオリンの特訓をしたバイオリン奏者の話を聞きましたが、指の動きを制御する脳の部分は大いに変化して、シナプス接続が強化されます。人間の品位において、愛あふれる慈悲や忍耐強さ。開かれた心によっても同じことができるでしょうか?
これは、それらの偉大な瞑想家が行っていることです。ウィスコンシンのマディソン。
または、バークレーの研究室に来た達人の中には、2万から4万時間も瞑想をした人がいます。彼らは、3年間ほどの隠遁生活を送り、その間、毎日12時間、その後も毎日3-4時間瞑想します。彼らは、心の訓練の真のオリンピック勝者です。
何が明らかになったでしょうか?
さきほどの話と同じです。研究に関しては、まだお話できないのですが、この研究では、無条件の慈悲について調べました。何年も何年もかけて、心の中に慈しみをあふれるさせることができるようになった瞑想家に実験をMRIにて手伝ってもらいました。
そこに至る訓練の途上では対象として、苦しんでいる人々のこと。愛する人々のことを考えますが、やがて、慈しみがあふれて、全てを覆い尽くすことができるのです。科学的な結果の全てを述べる時間はありません。またの機会があることを期待しましょう。
肝心なことは、この実験は、サーカスのように特別なことができる人を見せようというものではなく、精神鍛錬は、重要だと言いたいのです。これは、ただの贅沢ではなく、精神のビタミン栄養剤でもありません。
これは、我々の人生のすべての瞬間の品質を決定するものです!!
皆さん。教育には、すすんで15年を費やし、ジョギングやフィットネスなど、表面上の美貌を維持するためにあらゆる事を行います。しかし、心の動かし方、心の美貌などという最も重要なことには、驚くほど無関心で訓練に時間をかけません。
それは、我々の経験の質を決定する根本的なことなのです!!
または・・・
皆さんにも、「イラっ」とした感覚が生じる瞬間があるはずです。これは、「憎しみ」と誤解して、表現する書物がたくさんある。
しかし、誤りです。ブッタによると、「憎くて憎くて、あんたが憎い!だから、私の最大の敵なんだ〜」として、「イラっという感覚」と「目の前の敵」をリンクさせたがる。
これも、誤りです。ブッタは「私は、おまえの敵ではない!おまえの敵は自分自身なのだ!」と言います。自分自身ほど手強いライバルはいないとも言います。つまり、人間の特質がそうさせる自我がライバルです!
アイ��シュタインの相対性理論によるとある時点で光が、トポロジー的に反転して、今、自分の見ている対象が、自分自身の姿として写って脳内が認識してしまう!という現象も計算で判明しており、鏡のようになってしまうこともあり得ます。
「イラっという感覚」と「他者を敵という概念」は、リンクせず、関連もない!ただ単に、自分自身の勘違いと言うこと。これが理解できれば、憎しみの連鎖は断ち切れます。他人に教えても減らないプラスサムのブッタの知恵です。
また、ネイティブアメリカンでも、「イラっ」とする感情は、慈愛、慈しみと言うらしいです。
そして、親、兄弟姉妹は、ウザいという感情表現は、最高の慈愛、慈しみを感じてるから!らしいです。最悪、感情を自分自身で消化できないなら、物理的な距離感を大事にすればいい。ということになります。
これと似た現象に、政府の陰謀?影の政府?誰かの陰謀と具体的でない言葉で発言して自分以外の責任になすりつける人物や団体には、盲点があります。
つまり、邪悪な影の政府は具体的に発信している本人自身ということ。
なぜ?言葉の定義もなく指摘も抽象的ならその人や団体自体が最も具体的だから!
自分自身が、真の影の政府になるというパラドックス
日本では、西遊記の物語にでてくる天竺(てんじく)に行く三蔵法師が有名だが、アビダンマは、根本経典である三蔵(経・律・論)の一部。
阿毘達磨とも。サンスクリット語から、漢字に翻訳するとこう書かれる。武道の達人でもあった達磨大師。ダルマ様とも呼ばれる。
数十年単位では、悪性でも数百年単位では善性という事象は多数ある!
なぜ?一神教に比べて、多神教や漢字などに概念が多いのは、お釈迦さまが膨大に構築し、先人達の蓄積したアビダンマが根本だから!
宗教の創始者たちの概念上の教え。
原本は、ものすごくパワー(「パワーかフォースか?」の本でのパワー)の高い状態であることが確認されている。
ここで言われる「Powerパワー」は(スターウォーズでのライトサイドのForceフォース)そして、「Forceフォース」は(ダークサイトの方)という前提です。
しかし、宗教概念が、二元的であればあるほど(例えば、「神と悪魔」や「法律で暴力装置をがんじがらめにしたテロリスト集団が警察機構なのに絶対に善のような先入観を強調する構造」など)
つまり、ゼロサムになると誤訳される危険性も大きくなるように思います。
ロジェカイヨワの戦争論にある「いけにえ」も似ている。
あれこれと姿は変わっても、それらは常に存在し続けてきました。
上があれば下があるように、光と闇があります。人間の心���への探求、そして、高い精神的レベルに達しようとするコミットメントは、宗教として社会的に組織化されます。
逆に、そうなることによって、最も低いエネルギーフィールドに落ちていくのです。
よく組織に入ると優秀な人が無能化するのもこの構造原理にあるためです。
なぜなら、組織化されると言う偽りが最初から伴っているからです!!
だから、マスメディアを通すと意味が反転して届き易くなる傾向があります。
世界中のさまざまな宗教の創始者たちの概念上の教えが言うように、慈愛と言うエネルギーフィールドは、一神教でいう神の恩恵への入り口です。
多神教の仏教では慈悲とも言う「悟りへの入り口」とも呼びます。「ラーマ」「道(タオ)」バージョンもあります。
これらのキャパシティを増やすことで、私たちは、誰であり、なぜ?ここにいるのかと言う最終的な気づきに導かれ。
さらに、このアトラクタフィールドの光の中では溶かされ、すべての存在の究極の源へと導かれます。
これが、この世界で自らのパワーを高める唯一の方法なのです。
そして
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三大宗教って、すべて一神教。数学の群論、トポロジーの圏論で多神教の仏教の視点で俯瞰すると、ある意味、多神教の一形態とも言えるんだよな。
インドでも似たようなのあるからね。ブラフマー神、ヴィシュヌ神、シヴァ神など。
なお、日本では、あまり知られていないヴィシュヌ神は、日々、時空を超越して、同時に姿を変えて人々を救っていたという場の量子論的な特徴があります。
その時のそれぞれの姿は化身を意味する「アヴァターラ」と定義されており、オンラインゲームなどで呼ばれる自分の分身となるキャラクター「アバター」の由来ともされています。
日本では、観自在菩薩に似ていますが、シヴァ神よりも強くて最強。宇宙を維持する役割もあるので、最新物理学では、イメージ的に不確定性原理に近く、スーパーストリング理論や陰陽五行理論も含まれています。
日本人は皆、神社にいくでしょ!
あれ神道で神社庁も公的にありますよ。
お寺にいくでしょ!あれ仏教ですよ。
お盆やお祭りや年中行事に参加するでしょ!あれ仏教ですよ。
これらに関わらない人も・・・
数%の大企業を中心にしたマスメディアやテレビなどもナショナリズムと言うカルトの定義になるんだけどね。
カルトの定義「中立的なバランスの欠けた極端な思想を対象にする少人数の狂信的な崇拝を持つ教団」に当てはまる?
カルトを論じる前にカルトの定義をしないと風評被害になります!
ご注意下さい。
お金に色がつかないように、量子にも色はつきません(数学の言葉で裏付)人間が色を定義していく。
お金に色がつかないように、量子にも色はつきません(数学の言葉で裏付)人間が色を定義していく。
お金に色がつかないように、量子にも色はつきません(数学の言葉で裏付)人間が色を定義していく。
テーラワーダ仏教では「色」も定義されていて、「色」とは「五蘊(ごうん��」の一部であり「存在する物や事を視覚で認識」すること。
「色即是空」の「色」です。
「五蘊(ごうん)」は「五根(ごこん)」という身体の感覚器官から執着が生じていると論じています。
偶然の一致か否か?不思議なことに・・・
「量子力学」という分野を開拓し、発展させた三人の物理学者「ニールス・ボーア」「ヴェルナー・ハイゼンベルグ」「エルヴィン・シュレーディンガー」たちは
とても奇妙なことに気がつきました。
素粒子の物理学を究極まで追求していくと、驚いたことに、はるか昔の東洋の賢者たちが説いた哲学に
どんどん接近してしまうのです。
これは何を意味するのでしょうか?
次に
老子の道教の徳(テー)とアリストテレスのニコマコス倫理学の徳(アリテー)が似ていることから・・・
どちらの起源が先か?調べるととても面白い仮説が出てきた。
中国の道教は紀元前750年位。古代ギリシャ末期のアリストテレスは紀元前350年位。
共に多神教。この時代の情報の伝達速度を考えるとシルクロードで相互的に交流して伝わった可能性も高い。
プラスサムな概念だから。道(タオ)が先で、アリストテレスのニコマコス倫理学の徳(アリテー)が変化して
老子の道教の徳(テー)となり、神仏習合みたいな道徳になった?アリストテレスのニコマコス倫理学の徳(アリテー)は具体的だが、道徳経ではあいまい。
当時は、西洋と東洋の最先端を統合?古代中国では、老子は仙人とも言われていたし、始皇帝もこの頃の激動の時代。
どうなのか?
バラモン教に対して創始した仏教もブッダにより誕生し、アリストテレスの時代に近い年代であることは偶然の一致だろうか?
ニコマコス倫理学に似ている仏教最高レベルの奥義が「中道」ということ。チベット経由で中国にも伝わります。そして、日本にも。
その後、古代ギリシャは300年後、多神教の古代エジプト文明を滅ぼしてローマ帝国になっています。キリスト教も誕生。
その後、国教へ。一神教が広まり紀元後が始まります。
現在のEUは、NATOがウクライナ侵攻でクローズアップされたこと。さらに、13の暦がひと回りして2000年前位の状況も含めて考えると
トルコまで領土にしたローマ帝国の民主主義版をフランス、ドイツは構築しようとしてる?
イギリスがブレグジット(Brexit)で離脱したのは、かつてのローマ帝国の過ちを回避した可能性も?
もし、以前、機運が高まった時にロシアがEUに加盟していれば、古代ローマ帝国2.0(民主主義版)が建国していたかもしれない。
大西洋を超えてアメリカ大陸からロシアを含めて、北半球に巨大なモンゴル帝国を超えた人類史上最大の領域が誕生するので・・・
今からでもロシアは遅くないので加盟したほうがいいような気がします。
真実はわからないが、そんな仮説がインスピレー���ョンとして出てきた。
仏教最高レベルの奥義が「中道」と言葉で言うのは簡単だけど、体得して実践するのは至難の業。
ピータードラッカーも言っている。
それを可能にする方法を段階を踏んで導いた最初の人が釈迦です。
初心者向けとして、アビダンマや八正道がそれに当たります。具体的な方法を体系化しています。
極端な見解にとらわれない(顚倒夢想:てんとうむそう)よう人が心の苦しみから逃れるには、八つの道を守れば良い。
正しい見かた、正しい思い、正しいことば、正しい行い、正しい生活、正しい努力、正しい判断。そして、正しい考えかたである。
ところで「正しい」とは、何をもってそう言うのだろうか?
ここでは、アリストテレス(サンデルの正義)の定義ではありません。
この場合の定義は、ブッダの説いている「中道」が「正しい」という意味です。両極端にとらわれない正しい立場(中道)が悟りへと導く唯一の道なのです。
悟りから始まり、この世は、様々な概念が重なり合うため、概念の機微や均衡点を決断できるのは、人間の倫理観が最も重要!
最初は大変だが、ドラゴンボールに登場するスーパーサイヤ人みたいに、これを大変なレベルじゃなくなるくらいに習慣化することがコツです。
参考として、フランスの哲学者であり啓蒙思想家のモンテスキュー。
法の原理として、三権分立論を提唱。フランス革命(立憲君主制とは異なり王様は処刑されました)の理念やアメリカ独立の思想に大きな影響を与え、現代においても、言葉の定義を決めつつも、再解釈されながら議論されています。
また、ジョン・ロックの「統治二論」を基礎において修正を加え、権力分立、法の規範、奴隷制度の廃止や市民的自由の保持��どの提案もしています。現代では権力分立のアイデアは「トリレンマ」「ゲーム理論の均衡状態」に似ています。概念を数値化できるかもしれません。
続きは、後ほど。倫理は強制ではなく一定のプロトコルに基づく自由権なので
アリストテレスのニコマコス倫理学には、快楽的生活、社会的生活、真理を追求する生活がある。
思考の知的な徳は、形式知の根本?
もう一つ、性格の徳は、暗黙知の根本?
アリストテレスのいう定義である悪徳の反対は、有徳。有徳に転換する努力が必要。
悪徳に似た概念として、仏教でも、具体的に邪道四つと定義されている。
テーラワーダ仏教に似ている。顚倒夢想(てんとうむそう)になるため悪行為を段階的に最小限する努力が善行為。
こうすることで「パワーか?フォースか?」の書籍でいうパワーが人類全体で平等に底上げされる。
ここで言われる「Powerパワー」は(スターウォーズでのライトサイドのForceフォース)そして、「Forceフォース」は(ダークサイドの方)という前提です
そして、ブッダの説いている「中道」は、「パワーか?フォースか?」の書籍でいう「意識のマップ」内の「中立」レベルに当たるかもしれない。
アビダンマとは異なる領域なので、うつ病、ADHD、自律神経失調症、発達障害などは、精神科医や心療内科へどうぞ。
もう少し、テーラワーダ仏教��教え伝えられている経験則を初心者向けから二、三歩、歩みを進めると「預流道心」と言われる悟りの最初の心が生まれる瞬間があります。
自力で到達するのは危険なので、お寺のお坊さんに詳しくは聞いてください。
自分の解釈では、ここに到達する感覚としては、量子力学の本質である「場の量子論」を本当に理解した瞬間が一番近い感覚です。しかし、検証できないので本当に到達したかわかりません。
テーラワーダ仏教のアビダンマでは、「預流道心」に到達すると自然と悟りの道に自動的に回帰できるようになるそうです。次に、七回生まれ変わるまでに完全に悟りの流れに乗れる。
前世で「預流道心」に到達してると子供の頃から、桁の違う天才になりやすい傾向が発現してくるそうです。
そして、六道輪廻するのは、人間界か天界のみだそうです(一神教では、天国に近い領域に似ている)他にいくつか特徴があります。
「預流道心」に到達すると「第一禅定(ぜんじょう)」状態に自動的になります。
一神教では「天国」に相当することですが、テーラワーダ仏教には、この先がありますが、ここまでにします。
厳密には違うけど、わかりやすく言うと精神領域がスーパーサイヤ人に到達するようなイメージ。しかし、すぐ心の状態は普通になります。
漫画のイメージのように身体は強くなりません。
言葉の定義として「禅(Zen)」は、ブッダが伝授された「第一禅定(ぜんじょう)」が起源。
言葉の定義として、ここでの「定」は、サマーディとも「梵天」の「梵」とも呼ばれます。
日本語ではわかりずらいけどサンスクリット語などにすると全て関連してることがわかります。
サマーディ瞑想とも深く関連していて、瞑想しすぎると「あの世」の人になってしまうので、ほどほどの八正道で「この世」の状態を維持しないと危険です。
戻ってこれなくなります。
再起不能になる可能性が高いため、本当に詳しくは、歴史あるお寺でお坊さんに聞いて下さい。
再起不能になる可能性が高いため、本当に詳しくは、歴史あるお寺でお坊さんに聞いて下さい。
再起不能になる可能性が高いため、本当に詳しくは、歴史あるお寺でお坊さんに聞いて下さい。
歴史に耐え抜いた哲学の基盤がない権力者が最も危険な存在です。
(個人的なアイデア)
2019年に日本では、元号も「令和」に変わっていくため、ここで記しておくことは、今後の人類の発展に貢献できるかもしれないためでもあります。
マインドフルネスという瞑想法が流行していますが、個人的には危険性が高いと思っています。まだ科学的とはいえ「魔境」の克服が解明されていません。
仏教は、長い年月で練られた瞑想法が確立されているので、克服法も適切な指導者にて行わないと日常生活に支障が生じる恐れがあります。
瞑想法は気軽にするものではなく、自己責任でどうぞ。警告として、記入しておきます。
続いて
2020年後半くらいから様々な占いで出てきてた時代の変わり目。それが、西洋占星術で具体的に「風」の時代という形で出てきました。
私が、感じとってたインスピレーションは、たぶんこれかな?
兆しは、世界的な金融ビックバンの1970年代、IT革命のミレニアムの前から出ていたけど。
これは、これまでの約200年間。物質やリアリティの影響力優位「土」の属性の時代から、量子コンピューター、ビットやインターネットなどといった物質ではないものに影響力が増していく「風」の属性の時代に。
そして、本格的に軌道にのっていく属性は、今後200年程続くことになるのです(2020年12月22日から、2100年当たりをピークに少しずつ衰退していく2220年まで)
<おすすめサイト>
エピソード9 Episode9 - 各宗教と政治のチェックと指標について「パワーか、フォースか 改訂版―人間のレベルを測る科学 - デヴィッド・R・ホーキンズ Amazon」
ポール・ピフ:お金の独占が人と大企業を嫌なヤツにする?
ショーン・エイカー :幸福と成功の意外な関係
バリー・シュワルツ:選択の自由パラドックスについて語る
ダン•ギルバート:私たちが幸せを感じる理由
日本テーラワーダ仏教協会
仏教と物理学
ボブ•サーマン:私たちは、だれでも仏陀になれるという話
マチウ・リカール:慈しみと愛他性(アルトルーイズム)に導かれる生き方
カイラシュ・サティーアーティ:怒りの昇華で世界に平和をもたらす方法?
<提供>
東京都北区神谷の高橋クリーニングプレゼント
独自サービス展開中!服の高橋クリーニング店は職人による手仕上げ。お手頃50ですよ。往復送料、曲Song購入可。詳細は、今すぐ電話。東京都内限定。北部、東部、渋谷区周囲。地元周辺区もOKです
東京都北区神谷高橋クリーニング店Facebook版
#マチウ#リカール#瞑想#テーラ#ワーダ#仏教#アビダンマ#慈悲#共感#脳#MRI#fMRI#量子#幸福#ダライラマ#olympics#政治#政府#ベーシック#インカム#オリンピック#哲学#NHK#zero#ニュース#発見#discover#discovery
8 notes
·
View notes
Quote
「鹿児島県警は芯から腐り切っている」 誤解を恐れずに評すれば、出来の悪い警察小説か警察ドラマの筋立てかと見紛うような、あまりにあからさまであまりに剝き出しの権力犯罪である。 だが、現実にそれは起きた。いや、現在進行形で起きている。そして一連の事態は、この国の警察組織や刑事司法の闇を照射し、同時にメディアやジャーナリズムの真価を根本から問うてもいる。 福岡市の中心部にほど近い一角に佇む築40年を超える古びたマンション。すべての端緒を切り拓き、歪んだ捜査の標的にもされたネットメディアは、この一室に拠点を置いている。ほぼ一人で運営する小メディア『HUNTER(ハンター)』の主宰者は中願寺純則(64)。編集作業に使っているという六畳ほどの狭い部屋で私と向きあった中願寺は、常に背筋を伸ばしたまま淡々と、しかし静かな怒気を端々に滲ませて口を開いた。 「鹿児島県警は完全に腐っているんだと、もはや自浄作用など期待できないから真実を知らせてほしいんだと、私たちへの情報提供者は心底憤っていました。私も同感です。鹿児島県警は芯から腐り切っている」 中願寺が一連の取材に着手する契機となった事件が起きたのは2021年の夏、世界がまだ新型コロナのパンデミックに揺れていた最中のことである。翌22年の2月になって事実関係を最初に報じた鹿児島の地元紙・南日本新聞の記事によれば、概略は次のようなものだった。 〈鹿児島県医師会の男性職員が、新型コロナウイルス感染者が療養するための宿泊施設内で、派遣された女性スタッフに対し、わいせつ行為など不適切な行為をしていたことが14日、南日本新聞の取材で分かった〉〈関係者によると、男性��員は昨年8月下旬~9月末、宿泊療養施設運営のために派遣された女性スタッフに対し、施設内でわいせつな行為などをした。(略)女性は一連の行為に関し「同意はなかった」として、管轄の警察署へ告訴状を提出した〉(2月15日付朝刊) 関係者からの情報提供もあって中願寺は取材を開始し、伝手を辿って被害女性らにも話を訊き、鹿児島県への情報公開請求なども重ね、自らが運営する『ハンター』に次々と記事を掲載した。その記事の矛先は当初、被害女性との間で「合意があった」と事実を矮小化する医師会などに向けられたが、次第に県警へも向けられるようになった。取材の結果、こんな事実が浮かんだからである。今度は中願寺が23年1月20日に『ハンター』で書いた記事の冒頭部分を引用する。 〈昨年1月、鹿児島県警鹿児島中央警察署が、性被害を訴えて助けを求めに来た女性を事実上の「門前払い」にしていたことが分かった。応対した警察官は、被害を訴える女性が持参した告訴状の受理を頑なに拒み、様々な理由を付けて「事件にはならない」と言い張ったあげく女性を追い返していた〉 そして記事はこう続く。 〈背景にあるとみられるのは、身内をかばう「警察一家」の悪しき体質と性被害への無理解。意図的な不作為が、醜悪な人権侵害につながった可能性さえある〉 どういうことか。実は女性が性被害を受けたと訴える「県医師会の男性職員」の実父が県警の警察官であり、だから県警は捜査を忌避し、事案を握りつぶそうとしているのではないか――中願寺はそう睨み、県警を指弾する記事を続々掲載した。 〈県医師会わいせつ元職員の父親は3月まで現職警官〉(23年5月15日掲載)、〈訴えられた男性職員の父親は「警部補」〉(同6月2日掲載)、〈問われる医師会と県警の責任〉(同6月12日掲載)……。 鹿児島で起きた性加害事件をめぐる県警の問題点へと果敢に斬り込む『ハンター』には間もなく、県警の内部から貴重な情報も寄せられるようになっていった。 「小メディア」の果敢な不正追及 1960年に長崎県で生まれた中願寺は、東京の大学を卒業後、政治家の秘書や信用調査会社系のメディア記者といった職を経て、2011年3月に『ハンター』を立ちあげた。サイト開設が東日本大震災の発生前日だったのは偶然だが、以後の約13年のサイト運営は決して楽ではなかった。中願寺もこう言う。 「正直言っていまも楽ではなく、私は無給状態ですが、小さいながらもメディアとしてスタートした当初はさらに厳しく、やめてしまおうと思ったことが何度もありました。ただ、何年か続けていると応援してくれる方々も現れ、だからなんとか歯を食いしばって運営を続けてきたんです」 そうやって小メディアを懸命に維持して記事を日々発信する一方、もともとの経歴もあって中願寺は地元政財界に独自の人脈を持ち、メディア記者���のほか警察当局者ともさまざまな形で接触を重ねてきた。主には刑事部門で事件捜査にあたる警官だったが、公安部門の警官が接触してきたこともある。そんな接触を通じて時には情報を交換し、時には取材中の事件に関する捜査動向の感触を探る――といった営為は、所属メディアの大小等を問わず、事件取材に奔走する記者なら誰にも経験があるだろう。かつて通信社の社会部で事件取材に携わった私も例外ではない。 また、そういった取材活動を通じて特定の事件や事案に関する記事を発信していると、当該の事件や事案の内実を知る関係者から貴重な情報や内部告発が寄せられることもある。これこそ取材という営為の醍醐味であり、鹿児島県警の不正を追及していた中願寺のもとにも幾人か情報提供者が現れた。もともとは県警の公安部門に所属し、その後は曽於署の地域課に在籍した巡査長・藤井光樹(49)はその一人だった。 そんなふうに入手した情報や資料に依拠し、中願寺はさらに追撃記事を執筆した。極北となったのが〈告訴・告発事件処理簿一覧表〉との標題がついた県警の内部文書を入手し、23年10月から展開した記事群だったろう。プライバシー等にも配慮しつつ文書の一部を画像で示し、件の性加害事件をめぐる県警対応の不審点を指摘する一方で中願寺は、こうした内部文書が大量に漏洩しながら事実を公表も謝罪もせず頬被りを決めこむ県警の態度をも厳しく指弾した。 当の県警は――ましてや上層部は、県警の内部文書を掲げて噛みつく『ハンター』に苛立ち、焦燥を深めたに違いない。しかも県警では近年、あろうことか現職警官が逮捕される不祥事が続発していた。20年以降の事案を列挙するだけでも、その惨状は目を覆わんばかりである。 ①20年2月、女子中学生を相手とする児童買春容疑で霧島署の巡査部長を逮捕、②21年7月、いちき串木野署の巡査部長が女性宅に不法侵入したとして逮捕、③22年2月、鹿児島中央署の交番勤務の巡査長が拾得物の現金を横領したとして逮捕、④23年10月、SNSで知り合った少女と性交したとして県警本部の巡査長を逮捕――。 惨憺たる状況下、県警の内部文書まで入手して噛みつく『ハンター』への苛立ちからか、内部告発者らによって他の不祥事案が発覚するのを恐れたのか、県警は信じがたいほど強引な捜査に踏み切る。今年4月8日、県警の内部資料などを『ハンター』に漏洩したとして先述した巡査長・藤井を地方公務員法違反(守秘義務違反)容疑で逮捕し、同時に中願寺が主宰する『ハンター』までをも家宅捜索したのである。 異常かつ論外の家宅捜索 その日の朝、編集作業に使っている六畳ほどの部屋には約10人もの県警捜査員が押し��けた。中願寺によれば、「令状がある」という捜査員は、それをヒラヒラと示すだけで容疑事実も仔細に説明せず、業務用のパソコンはおろか中願寺が使用している新旧のスマートホン、さらには取材用のノートやファイル、名刺類まで押収していった。 言うまでもないことだが、それらにはメディア主宰者の中願寺にとって断固秘匿すべき情報源などが刻まれていたし、なによりも業務用のパソコンを失えばサイトを更新することもできなくなってしまう。だから思わず声を荒らげ、捜査員に激しく迫った。 「おいっ、せめてパソコンはすぐに返さないと、営業妨害で訴えるからなっ!」 その一喝が効いたのか、パソコンは翌日返却された。だが、内部データは間違いなく抽出され、一部の押収物は2カ月以上経った現在も返却されていない。一方、『ハンター』に情報を「漏洩」したとして逮捕された巡査長・藤井は、自らに迫る捜査の気配を察知していたのか、逮捕のしばらく前に電話で中願寺にこう語っていたという。 「私は腹を決めてやっています。ウチの組織は腐っていて、外から刺激を与えないと変わらない。そう考えてやったことですから、もし逮捕されても私に後悔などない。だから中願寺さんが悔やむ必要もありません」 だとすれば藤井は、『ハンター』というメディアにとっては「情報提供者」、あるいは「内部告発者」であり、広く社会にとっても大切な「公益通報者」だったと捉えるべきではないのか。 ならばここで、あらためて記すまでもないことをあらためて記しておく必要がある。たとえ小さくともメディア=報道機関への情報提供者を逮捕すること自体が異例であり、たとえ小さくともメディア=報道機関を強制捜査の対象とするなど極めて異常かつ論外の所業。同じことを新聞やテレビといった大手メディアに行えば、言論や報道の自由を圧殺する暴挙だと大騒ぎになるだろうし、ならなければおかしい。ましてそれが「公益通報」の色彩が濃い事案だったなら、県警の所業は一層悪質な暴走と評するしかない。 だが、県警の信じがたいような暴走はこの程度で止まらなかった。 あるジャーナリストに寄せられた内部告発 鹿児島や福岡からは直線距離で約1500キロメートルも離れた北海道の札幌市。ここを拠点にフリーランスの記者として活動する小笠原淳(55)は4月3日、市中心部にも近い雑居ビルの一階に入居する月刊誌『北方ジャーナル』の編集部にいた。 話は本筋からやや逸れるが、『北方ジャーナル』といえば、かつて北海道知事選の候補者をめぐる「中傷記事」が名誉毀損に問われ、出版物の販売差し止めを容認する最高裁判例の舞台になったことを想起する向きも多いだろう。だが、これは70~80年代の出来事であり、もとより小笠原には何の関係もない。また、現在の『北方ジャーナル』は経営母体なども代わっていて、もともとは地元紙の記者から���リーランスに転じた小笠原は、頻繁に寄稿している同誌の編集部を原稿執筆などの場として活用していただけのことだった。 あれはたしか昼過ぎだったと小笠原は記憶している。編集部に郵便物を届けにきた配達員が、小笠原宛の茶封筒を手に「どうされますか」と尋ねた。封筒の表には一般封書の規定額である84円切手が貼られていたものの、重量がオーバーしているから10円の追加料金が必要だというのだ。支払わなければ持ち帰られていたかもしれないが、小笠原は財布から10円玉を取り出して渡し、封書を受け取った。 消印は〈3月28日 鹿児島中央〉。差出人の名はない。いったいなんだろう――そう思いつつ開封した瞬間、これは内部告発だと小笠原は悟った。計10枚の文書の1枚目には〈闇をあばいてください。〉と太いフォントで印字され、2枚目には〈鹿児島県警の闇〉と題して計4件の事案が列挙され、3枚目以降は県警の内部文書とみられるものを含め、違法性の濃い不祥事の中身などが詳述されていた。一部の概要のみ記せば、次のような事案である。 ①霧島署の巡査長が女性にストーカー行為を繰り返し、しかも職務上知り得た個人情報も悪用して行為に及んだのに、処分も公表もされていない事案、②枕崎署の捜査員が職務時間中、市内の公園の女子トイレで女性を盗撮し、しかも捜査車両を使っていたのに県警が隠している事案、③県警幹部による超過勤務手当の不正請求があったのに、立件も公表もされていない事案――。 小笠原は、すぐに『ハンター』の中願寺に連絡を取った。理由はいくつもあった。なによりも札幌に居を置く小笠原にとって、はるか遠い鹿児島県警の不祥事を取材するのは物理的に難しい。また、北海道警の不祥事やその追及が甘い大手メディアも批判してきた小笠原は、警察の不正や記者クラブ問題を追及する中願寺と意気投合し、数年前からは『北方ジャーナル』などのほか『ハンター』にも寄稿するようになっていた。もちろん、中願寺と『ハンター』が鹿児島県警の不正を追及中だったことも熟知していた。 だから小笠原はその日のうちに中願寺に電話し、匿名で送られてきた10枚の告発文書もメールで送信し、中願寺と共有した。「裏取り取材に手間と時間はかかりそうだが、相当に貴重な内部告発だから、できる限り取材して記事にしていこう」。中願寺はそう応じ、小笠原も協力は惜しまないつもりだった。 元最高幹部の切実な訴え 『ハンター』が県警による捜索を受けたのは、そのわずか5日後のことだった。当然ながら、押収されたパソコンには小笠原が中願寺と共有した告発文書も保存されていた。 ここからは推測も交えるが、押収パソコンのデータを解析した県警は眼を剝いて驚愕し、焦燥を一層深めたろう。どうやら『ハンター』には、すでに逮捕した巡査長・藤井らのほかにも内部情報の提供者がいるらしい。しかもその人物は、あくまでも匿名のようだが、提供文書や情報の精度からみて現場レベルの警察官ではなく、相当に高位の立場にある県警幹部クラ���ではないか――と。 県警がその人物をいつ特定したかは定かでない。ただ、さほど時間を要さず特定したとみられ、後述するように相当周到な事前準備を施したうえ、またも信じがたい強硬手段に打って出た。5月31日にその人物を――県警主要署の署長なども歴任し、つい2カ月前までは県警最高幹部の一人である生活安全部長を務めていた本田尚志(60)を逮捕したのである。容疑はやはり国家公務員法違反(守秘義務違反)。職務上知り得た秘密を第三者に――すなわち小笠原に送った告発文書で漏らしたというものだった。 さて、この国の全国津々浦々に25万以上もの人員を配する警察には、ざっくりとわけて二つの〝種族〟がいる。一応は現在も自治体警察の装いをまとった47の都道府県警に採用され、警察官の階級として最下位の巡査からスタートする叩き上げのノンキャリア。他方、かつてなら国家公務員の上級職試験、少し前までなら一種試験、現在の総合職試験をパスし、警察庁に採用されたキャリアの警察官僚。前者は警察官の圧倒的多数を占めて都道府県警の現場を支え、圧倒的少数の後者は警察庁と都道府県警を往来しつつ出世街道をひた走る。そしてどこの都道府県警でも大同小異だが、叩き上げノンキャリアの最高到達点の一つが生活安全部長の職であり、警視正の階級まで昇り詰めて3月に定年退職したばかりの元最高幹部が逮捕される――しかも古巣の県警に逮捕されること自体、前代未聞といっていいほど異例の事態だった。 さらに本田は逮捕から5日後、鹿児島簡裁で行われた勾留理由開示請求手続きの場で、驚愕の訴えを陳述した。手元にある陳述書にはこんな言葉が刻まれている。 〈今回、職務上知り得た情報が書かれた書面を、とある記者の方にお送りしたことは間違いありません。/私がこのような行動をしたのは、鹿児島県警職員が行った犯罪行為を、野川明輝本部長が隠しようとしたことがあり、そのことが、いち警察官としてどうしても許せなかったからです〉〈この時期は、警察の不祥事が相次いでいた時期だったため、本部長としては、新たな不祥事が出ることを恐れたのだと思います〉〈私は、自分が身をささげた組織がそのような状況になっていることが、どうしても許せませんでした〉〈退職後、この不祥事をまとめた文書を、とある記者に送ることにしました〉〈マスコミが記事にしてくれることで、明るみに出なかった不祥事を、明らかにしてもらえると思っていました〉〈私としては、警察官として、信じる道を突き通したかったのです。決して自分の利益のために行ったことではありません〉(抜粋、原文ママ) 県警本部長の不可解な言い分 極めて閉鎖的で上位下達の風潮が強い警察組織において、ノンキャリアの元最高幹部がキャリアの県警トップに公然と反旗を翻すことも異例中の異例であり、と同時にその訴えが事実ならば、本���もまたメディアにとっての「情報提供者」であり、広く社会にとっての「公益通報者」であったのは明らかというべきだろう。しかも県警は、自らの不正を追及するメディアを強制捜査の対象とし、メディアにとって最重要の情報源を特定し、さらには警察が警察であるがゆえに持つ最高度の強権を行使して〝口封じ〟を謀ったことになる。 一方、本田に反旗を翻された本部長の野川は当初、地元メディアの取材にのらりくらりと対応するだけだったが、鹿児島地検が本田を起訴した6月21日にようやく正式な会見を開き、「私が隠蔽を指示した事実も県警として隠した事実もない」と反論した。本田は「公益通報者」ではないのか、という問いにも「県警としては公益通報に当たらないと考えている」と突っぱねている。本田が札幌の小笠原に送付した計10枚の文書には、被害者が公表を望んでいないストーカー事件の被害者名や年齢等が記載されていた――などというのが野川と県警側の言い分だった。 だが、その言い分はあまりに弱く、事実経過からみて素直に頷くことなどできはしない。 前述したように、本田の告発文書には複数の県警不祥事が具体的に列挙され、霧島署の巡査長によるストーカー案件のほか、枕崎署の捜査員による盗撮案件もそのひとつだった。この盗撮案件が発生したのは昨年の12月15日。直後に県警は事実を把握し、犯行時に捜査車両が使われたことも確認していたが、問題の捜査員は逮捕も処分もされないまま放置された。 ところが約5カ月も経った今年の5月13日、当該の捜査員は建造物侵入などの疑いで突如逮捕された。いったいなぜか。県警が『ハンター』を捜索してパソコンを押収したのが4月8日。これを解析して本田の告発を把握し、本田逮捕に踏み切ったのが5月31日。そのわずか半月前に盗撮捜査員を逮捕したのは、時系列的にみて本田が文書で訴えた「隠蔽」を否定し、事前に打ち消すための周到な〝準備〟であり〝工作〟ではなかったか――。 ここまでお読みになった方は、まさに鹿児島県警は「腐り切っている」と感じられただろう。私も同感だが、果たしてこれは鹿児島県警だけに特有の腐敗か。いや、そんなことはあるまい。いかに小さくとも、メディアを強制捜査の対象とする判断を県警だけで行うとはにわかに考えにくく、ましてや最高幹部だった前生活安全部長・本田の逮捕は、警察庁の裁可や指示を仰がずに独断で行われたはずがない。畢竟、その過程では本田の告発がどのように行われ、県警がそれをどう特定したかを含め、すべてを把握した上で警察庁がゴーサインを出したのは間違いなく、一連の問題からはこの国の警察組織全体に巣喰った腐臭が漂う。さらにつけ加えるなら、一連の問題からはこの国の刑事司法が抱える根深い悪弊の一端も浮かびあがる。 証拠類を「廃棄」せよとの呼びかけ 話はやや前後するが、県警を追及する過程で中願寺と『ハンター』は、別の重大な文書も入手していた。中願寺は「取材源の秘匿」を理由に入手先を明かさないが、おそらくは『ハンター』に情報を寄せていた巡査長・藤井からもたらされたのだろう。これについては一部メディアでも大きく報じられて波紋を広げているが、文書の標題は〈刑事企���課だより〉。わずか2枚の文書には漫画風のイラストも添えられ、県警捜査部門が作成して内部閲覧に供する、さして秘匿性の高くない文書と思われるが、そこにはやはり眼を剝くようなことが公然と記されていた。 〈最近の再審請求等において、裁判所から警察に対する関係書類の提出命令により、送致していなかった書類等が露呈する事例が発生しています〉〈この場合、「警察にとって都合の悪い書類だったので送致しなかったのではないか」と疑われかねないため、未送致書類であっても、不要な書類は適宜廃棄する必要があります〉〈再審や国賠請求等において、廃棄せずに保管していた捜査書類やその写しが組織的にプラスになることはありません!!〉(原文ママ) 問題点は明白であろう。現在再審公判が行われている袴田事件にせよ、布川事件や松橋事件などにせよ、いまなお数々発覚する冤罪事件の大半は、警察や検察が隠していた証拠類が再審請求の過程などで示され、ようやく罪が立証されている。なかには警察が検察に「送致」すらしていない証拠類もたしかに多く、警視庁公安部の不当捜査を受けた横浜の化学機械メーカー・大川原化工機が起こしている国賠訴訟では、公安部内に残されていたメモ類が公判の大きな焦点にもなっている。 つまり文書は、そのような事態は「組織的にプラスにならない」から、「裁判所の命令」などで「露呈」することがないよう、「不要な書類」等は「廃棄」してしまえ――と県警が内部に堂々そう呼びかけていたことを示す。このようなことを許せば、この国の刑事司法に巣喰う悪弊は一層慢性化してしまいかねず、しかもこの文書の秘匿性がさして高くないとみられることを踏まえれば、県警の勝手な判断に基づく所業だったか、との疑念がここでも湧く。警察庁あたりからそうした指示や示唆があり、だから深慮なく内部閲覧文書に明示したのではなかったのか、と。 ジャーナリズムの二重の敗北 再び福岡市にあるマンションの一室。鹿児島県警を追及し、数々の不正を明るみに出した中願寺は、「最後にこれだけは強調したい」と言って姿勢を正した。 「私が取材を始める契機となった強制性交事件の被害者は、いまも精神的に不安定なまま必死に真相解明を訴えています。また鹿児島では警官が逮捕される事件が続発し、被害者のほとんどは女性です。たしかに報道への弾圧は大問題ですが、大元にもっと眼を凝らさなくてはいけない。警官や警察一家の人間によって女性が被害を受けた事件こそが原点であり、それをすっ飛ばして報道弾圧だと訴えても、市民の共感は得られないんじゃないでしょうか」 一方、札幌を拠点にフリーランス記者として活動する小笠原は、「すべての元凶は鹿児島県警とはいえ、私に情報を寄せてくれた本田さんを守れなかったことは、いち記者として忸怩たる想いがあります」と唇を嚙みつつ、いまこんなふうに訴えている。 「いくら小さなメディアとはいえ警察がガサ入れし、情報源を暴いて逮捕してしまった。そのことに全メディアがもっと本気で怒るべきです。���さなメディアだから構わない、などという理屈を許せば、雑誌ならいいのか、スポーツ紙なら構わないのか、と対象が広がりかねない。ただでさえメディア不信が根深い昨今、このまま傍観していれば、新聞やテレビにガサが入っても誰も味方してくれなくなりかねません。本来なら新聞協会や民放連といった組織が「このような暴挙は断固許さない」といったメッセージを明確に発するべき局面でしょう」 いずれもその通りだと深く頷く。と同時に、メディア界の片隅で長年禄を食む私を含め、鹿児島県警をめぐる一連の事態からメディアやジャーナリズムに関わる者たちが一層真摯に捉え返さねばならない課題にも、最後に触れざるを得ない。『ハンター』に情報を寄せて逮捕・起訴された巡査長の藤井にせよ、小笠原に文書を送って逮捕・起訴された前生活安全部長の本田にせよ、足下の地元には大手メディアの記者も多数いたのに、なぜ貴重な情報提供先に福岡の小さなネットメディアや札幌のフリーランス記者を選んだのか――。 本田の弁護人を務める鹿児島の弁護士・永里桂太郎によれば、その理由について本田は「県警の問題に関心のある記者なら、積極的に取材してくれると思った」と話しているという。逆にいうなら、大手メディアに情報を提供しても警察の不正に関心を持たず、積極的にも取材してくれない、と告発者側に認識されてしまっていることになる。 だとすれば、大手メディアそのものが貴重な情報提供者や内部告発者からの信頼をすでに失いつつあるという、あまりに惨めな事実がここから垣間見えはしないか。そのうえに今回の事態に心底から憤らず、傍観してやりすごせば、この国の主要メディアとジャーナリズムは二重の敗北を喫することになってしまいかねない。(文中敬称・呼称略)
〈特別公開〉警察腐敗 内部告発者はなぜ逮捕されたのか(青木理) | WEB世界
5 notes
·
View notes
Text

(第一部)
衝動的に寂しくなって、夜道を誰かに声をかけられるまで、取り止めなくさまよい歩く習慣がついたのは二ヶ月前からで五回目だった。知らない街まで電車に乗って、治安の良くない場所を選んで歩く。命の危機に晒されて半死半生の目に合うこともあれば、何事もなく無事に帰って来ることもある。仕事に行き自宅に帰り、一人食事を取り寝るだけの繰り返し。誰かに求められることもなければ必要とされることもない。一度負った傷の瘡蓋を剥がす一時の甘い悦びに浸りたいだけの狂った夜間歩行。
現地でシェリー酒やブランデーの強いお酒を飲んで、ほろ酔いから次第に足取りが重くなってくるのに任せる。お酒の酔いの回りの早い私にとって、緊張する瞬間。身元のわかるものは一切持たず、頼るのは自分の意識次第だというのに、その意識すら混濁させながら、ふらふらする。街灯の点灯し始めるマジックアワーを闇に紛れながら、細い路地を歩く。袋小路になるところ、人一人しか通れないような家の隙間を選んで歩く。日中は光の差し込むだろう通路は、ただただ魑魅魍魎の通る獣道のように、鬱蒼として気味悪くなる。
白地に黒い猫の柄の入ったロングの巻きスカートに、一点もののデザイナーズセレクトの白地に赤の刺繡の入ったカットソーを着て、シルクの下着を身につける。巻きスカートの黒い猫の目は金色に光り、夜目にも輝いて見える。巻きスカートは一点もので、かつて愛した人にプレゼントされたものだった。よくこのスカートを身につけて一緒に歩いた思い出のぎっしり詰まったものだった。私は他の男性とSNSを通じてやり取りしていた事を彼に誤解されて、約束していた結婚を取りやめにされた。別れ際、愛する人に清らかな人だと思っていたのに、不潔だとまで言われて、ショックを受けた。ただメッセージのやり取りをしていて、なんの疑われる行為もしてなかったのに。彼はその数ヶ月後にSNSで知り合った人と一緒になったと聴いて、ダブルでショックを受けた。私は清らかではなく不潔な人間だというレッテルを貼られたまま、蛇の生殺しのようになって、数ヶ月泣きはらした。
誰も通らぬような通路を、ドキドキとしながら通り抜ける。空を見上げると、三日月が空に架かり、流れる雲に隠れては見え、隠れては見えする。明るい星たちから輝きだしている。知らない場所の闇の中、月の方角と光だけが頼り。既に刺すような冷たい風が吹き抜け、ただでさえ心細い私を不安にさせる。
30分ばかり歩いたろうか。後方に、私の後をつけている人を確認して、速足で歩こうとする。うまく歩を進めることのできない速足で歩くと速足になり、ゆっくりと歩くとゆっくりと歩く。私は頭が真っ白になるのと同時に、なんの目的でついてきているのか、逃げ切ることができるのか、頭をめぐらす。地の利のない場所で、自分がどこに行きつくのかも分からない通路をやみくもに歩いている愚かな自分。
この先には何があるのか、道すらもないのではないかという不安と、後ろから追いつかれて、腕を掴まれて更に人気のない場所に連れ込まれる妄想と闘いながら、ふらふらと先に進んでいく。
ふと、後ろからの気配が消える。安堵したのも束の間、カラスが群れて、泣き叫んで暴れている袋小路にたどり着く。心臓がどくどくと聞こえるぐらいに膨大な血流を全身に送り、高鳴っている。私は行き場を失い、来た道を戻るしかない。カラスはこれから起こる何かを暗示しているかのように、獰猛に暴れている。
自分が今どこにいるのかもわからない場所で、闇から闇を通り抜ける。人の気配のない場所で、月明かりだけが頼り。来た道かどうかも分からぬ不安と闘いつつ、二股に分かれている地点にたどり着いた。
どちらに進もうか立ち止まったところで、後をつけてきたと思われる男が待ち構えていて、口をタオルで覆われて、固く捕らえられた。タオルは汗臭い匂いがした。男は地の利のある場所で、一番いい場所で私を待ち構えていたのだ。抵抗する時間も与えられぬまま、竹藪の中に引きずり込まれる。腐った水の匂い、成長した竹の青臭い匂いの中に入っていく。
ちくちくと背中に痛みを覚える場所に引き倒されて、体中を弄られる。お洒落な格好も台無しで、スカートもカットソーも引きはがされて、巻きスカートの黒い猫も無惨に引き裂かれて、脱がされた。白い素肌が闇に浮かぶ。痩せた脇腹の肋骨が上下するだけで呼吸すらままならない。男は貪りつくように覆いかぶさり、欲望の限りを尽くしていく。
私は頭上で竹の葉の間で見え隠れする三日月を涙を流しながら、男の律動に突き動かされている。三日月は冴え冴えと妖しく光り、儚げに歪んでいた。快楽はどこにもない。身体の中を硬くなった虫が激しくうねり、大切な何かを剥奪された痕が残っていくだけ。なぜ私はこんなことをくり返しているのだろう?なぜ?なぜ?と自分に問うてみても、答えは返ってこない。私は私を放棄することで、自分に仕返ししているような気持ちになった。
自分を大切にできずに、汚されていく自分を俯瞰して見つめている。男は二度三度、繰り返し中で果てると、その場に私を残して立ち去って行った。私はぴくりとも動けないまま、竹藪の中で白い肌を晒している。体の芯まで冷えて、このままここで死ぬのではないかと思った。誰かが私を見つけ出して、救ってほしかった。こんな愚かな私でも大切に想って、抱き上げて介抱して、温かなスープを飲ましてくれる存在が欲��かった。しかし、そんな温もりはこの世の中にはどこにもなかった。
私は散らばった衣服をかき集めて、下着を見つけることのできないまま、震える手で身につけた。寒さと怖さで、ガタガタと歯が鳴っていた。お洒落な衣服は、泥で汚れて、竹の落ち葉が張り付き、ところどころ破られていた。巻きスカートに張り付いた猫まで無惨に足元から引き裂かれていた。金色の目には泥がこびりつき、輝きを失っていた。
私はふらふらと立ち上がり、西に傾いて地平に消えて確認できなくなった三日月を見失って、酔いが醒めて素面になって、呆然と闇の中をさまよい帰った。私は正気ではない行為をしているにも関わらず、冷静だった。汚れるだけ汚れて安堵したかった。
自宅に帰った時には0時を過ぎていた。鏡には変わり果てた私が映っていた。私は三日月のように、これから満ちて丸くなっていくのだろうか?限りなく欠けていき、空で真っ二つにぽきりと折れてどこまでも地の果てへ落下していくだけの月になってしまいそうだった。
果たして私は清らかではないのだろうか?ますます遠く離れた不潔で淫らな人間に染まる事で、人間としてのバランスを保てる気がしていた。
17 notes
·
View notes
Text
34期、あと数名の役者紹介だよ!
お久しぶりです。ロキです。エジプトから失礼します。
イルル
僕自身が留学をして、彼女と同じような状況に立った今、彼女の強さがわかります。文化も言葉もことなる国で生活することはかなり大変。そんな中で、大学の勉強もありつつ演劇の世界に飛び込んだ勇気、根気、本当に尊敬するし、それを感じさせない底抜けの明るさが彼女の魅力です。
カヌレ
彼女の強みは、負けん気の強さ。それが最大限に活かされるのが舞監という仕事だったと思います。そのおかげで打てた公演はいくつもあるんです。そこで踏ん張れなかったらちゃうかの今の形も変わっていただろうなと本気で思います。以前に同じことを伝えましたが、いつも素敵な舞台を用意してくれて、ありがとう。
こたち
彼は優しい。だけど、出会ってからしばらくの間の彼の優しさは自分が嫌われないための優しさだった。だけど、ちゃうかが彼にとって大きかったんじゃないかな?彼を本当の意味で強く、優しくしたと思う。彼のおかげで、僕の送迎会はみんなで心から楽しめました。本当に感謝しています。
スチル
彼は素敵な素直さを持った人間です。自分がすごいと思ったことには、本当に目を輝かせて褒めてくれます。嬉しいね。時折子供っぽいですが、それもまた彼の可愛さ。一方で責任感も強く、チーフの中でもかなり仕事量の多い大道具チーフを最後までやりきってくれました。お疲れさま。パネルの件もありがとね笑
なすか
彼女は、最初のころ、誰よりも34期ために一人で泣いた人だったと思う。責任感が強くてすぐ自分を犠牲にしてました。でも学年が上がるにつれて周りを信じるようになって、より明るくなった気がします。彼女の後輩との接し方が、とても柔らかくて好きです。だから後輩にも慕われているのだと思います。
ナギ
オムニでは脚本も違い、話した回数も少なかったですが優しい人で���た。元気にしているでしょうか。
びび
製作チーフとして陰ながら僕らを支えてくれました。もっと話せたらよかったな。他も忙しい中、色々お疲れ様でした。ありがとう。
ふぉにゃ
人間としての負の部分を見たことがないですね。明るくて、ノリよくて、一緒にいて楽しいネキ!って感じです笑
肝も座ってて、演出時に急な変更があっても落ち着いて対応してくれた姿が懐かしい。そんなネキなら留学も大丈夫!
まっつー
僕がいうのもなんだけど、変人だと思います笑
でもそれは自分があることの裏返し。本当に強い自分を持ってる人です。日々、自己研鑽を積んでる姿にはやはり頭が上がらないです。英語専攻出身で、英語のこと聞いたらなんでも親身になって答えてくれます。またTOEIC相談お願いします🙇♂️
まほろ
まともなフリをしているが、普通に狂っててオモロい。オムニからの付き合いですが、なんやかんや2人でご飯行くことも多かった。話してて面白いんですよね。自分とは考えかが違うから。だけどその凸凹がフィットした感じがしてて、一緒にいて心地よかったんだと思います。またご飯でも行こうね。
まりお
本当に仲間思いな人で、毎公演全力投球。彼女がいると稽古場が明るくなるんです。それが演出としても、役者としてもすごく助かりました。僕の脚本は彼女なしでは完成しません。何度も彼女に助けられました。相棒だと思ってます。本当に色々お世話になりました。ありがとう。最後の公演も全力で駆け抜けてください。
らっしー
クセつよメンバーを束ねる我らが座長。34期の座長は本当にこの人しか務まらなかったとおもいます。自分はこれが好きなんだっていうのがしっかりしてて、すごく芯のある人。自分も見習いたいなって、陰ながら尊敬している。本当に人生謳歌してやろうっていうメンタリティに溢れてますね。
リコピー
同期一の飲み仲間。定期的に飲みにいっています。物事に対する達観した視点が聞いていておもしろいです。いろんな相談にも乗ってもらってます。一方で沈黙が続いても楽しめる関係性ですね。また帰ってたらいろんな話がしたいので、飲みに行きましょうね!
レプトン
何考えてるかわかんないです笑
論理的な話をしているかと思えば、無茶苦茶に論理を飛躍させることがあります。そこに彼のこだわりが見えて面白いです。ワードセンスは本当に抜群。もっと彼の脚本を読んでみたかったというのが正直なところです。言ってた三谷作品のブルーレイ、観たいからできそうなら連絡ちょうだいね。
ベガ
脚本、演出の腕を格段に上げましたね。台詞回しがすごく上手くなってる。そして何より彼の脚本は役者を信じてる。それに役者陣が十分に応えられていた。それを引き出し��演出もすごいが、何より彼は舞台という空間の中で自由だった。正直悔しいと思いました。よく演劇という表現方法を理解した彼の集大成に相応しい舞台です。
以下
エンドロールを終わらせてなかったわ…ごめん💦
苔丸
本当に黙々と演技もスタッフワークもこなすオールラウンダー。少し成果が出ただけで人に褒めてもらいたがる俺とは大違い笑
見習わねば。てか、もっとちゃうか全体で苔丸を褒めるべきだよね。後輩思いで、しっかり僕にものを言ってくれる最高の演補でした!
白子
昨年のオムニ以来の付き合いで、一番一緒にいる時間が長い後輩。可愛くて仕方ない笑
自分の情熱を人に伝染させる力がすごくて、これからもちゃうかを引っ張っていってくれると思います。彼のいろんな演技もっと見てみたいなぁ。
みそか
僕のちゃうか1番の推し女優ですね。役者としての立ち振る舞いのセンスはピカイチだと思ってる。詩の手紙のシーンはみそか様々。話してても面白い感性の持ち主。エンドロールの考察も中々鋭かったですね笑
アンサーは最後にします!
ブラン
稽古期間中もずっと自主練を続けてくれていた頑張り屋さん。ずっと僕のことをかわいいかわいいと言ってくれていたが、それを言ってるブランが一番可愛い笑
今回役者だけじゃなく、初演補お疲れ様やで!いろんな経験を経てさらに成長した姿を見せてくれるのを楽しみにしてます。
ラムダ
彼は役者としての理解力が高い。すぐにいったことを演技に反映できる役者さん。ゲネ見たけど、相変わらず演技上手いなぁ笑
今回は前回とかなり違う役だったけど、これまたしっかりものにしてましたね。これからもどんどん演技の幅を広げてほしいです。
はぜ
初脚演お疲れさん。いい舞台でしたね。自分の言いたいことを核に据えつつ、物語として面白くしてる。なかなかハードルの高いことをやってのけましたね。ところどころ僕の演出のオマージュもあって嬉しかったです🤭
番外編 香夜(書かせて…)
エリック
ほんまにいい役者になりましたね。彼がいると公演のクオリティに安心感が生まれる気がします。本当に上手😊オムニでは、ずっと観たいと思ってたエリちゃん主演が見れてマジで嬉しかったです!!あの、必死ゆえの哀愁を漂わせられる演技力、初演出をした身としては成長が嬉しすぎる笑
コン
コンちゃんもまじで上手くなったね。いや、香夜本番直前で、追い詰められて顔面蒼白だった頃が懐かしい笑
最近のはっちゃけた演技も好きだけど、懐古厨の俺からすると香夜の時の感情がゆっくりと溢れ出していく、あの繊細な演技が見てみたい笑
色んな姿が見られるのを楽しみにしてます😊
「エンドロールが終わらない」について
みそかに鋭い考察をもらったので改めて引退の言葉と兼ね��アンサーをしましょう。
「エンドロールが終わらない」ではご存じのように、選ばれなかった岡田と、一度は選ばれた多崎が対照的に描かれます。白状しますが、どちらもモデルは僕です。しかし、あの公演を観にきてくれた友達にあるとこを言われました。「お前は選ばれなかった側の気持ちの方がよくわかってる、岡田の描写の方がうまかった」って。結構確信ついてますね。
僕は脚本5回出してますが通ったのは2回。毎回毎回、自分が今書けるものの全てを出し切って書くんです。そりゃ選ばれないのは中々辛いものです。選ばれはしないけど中途半端に書けちゃう事に対する辛さもどこかにありました。多崎も言ってましたが、「夢見てしまうような中途半端な才能なんていらなかった」ってやつです。だけど、2回は選んでもらっているという事実があって、一度も選ばれずに引退していった先輩方がいる中で、自分の頑張りを否定することは失礼だって思うようになったんです。それで色々考えてみました。
世の中には悲しいかな、持つ者と、持たざる者がいます。一見、持つ者がその業界を回しているようにも見えるんです。だけど、その持つ者のポジションが価値あるものとして考えられるのは、たくさんの人がそのポジションを目指すからなんですよ。演出が凄いと思われるのも、たくさんの人が演出になりたがるからなんですよ。それを忘れてはいけない。持つ者は持たざる者へ敬意を払わなくてはならない。それは哀れみではありません。同じポジションを目指して一緒に頑張った仲間への敬意です。そう考えた時に、僕はより一層謙虚であろうと思いました。同時に自分の才能はちゃうかを面白くするために役に立っているって思えました。岡田も多崎の映画を観て同じことを感じたんでしょうね。だから「お前の作品の糧になれたんだ」ってところで自分を肯定できたんだと思います。
今回、僕たち34期は引退します。正直、各々に人に引け目を感じたことはどこかしらあったでしょう。だけど僕らのしてきたことは決して無駄じゃなかったんだってそう思ってます。そう思わせてくれた「劇団ちゃうかちゃわん」、本当に大好きです。今までありがとう。
2 notes
·
View notes
Text
2024/2/6〜

2月6日 昨日お部屋���冷やしすぎた身体を引きずって、2日連続でロキソニンを飲んでしまった。せっかくこのところ飲まない日を続けられていたのに。
朝起きると窓の外が真っ白だった。 昨晩雪の降るカーン、みたいな音と、ものすごくバキバキなる雷の音を聞きながら、冷えすぎた身体���何も味覚を感じられない状態で無味食事をした。 無味だと満たされなくて必要以上に食べ過ぎで良くない。
今住んでいる地獄だけが真っ白で、職場のある町は通常通りで拍子抜けしてしまった。 職場の方々は昨日、いつも通り帰宅できたとのこと。 今日も引き続き寒さが続いてお昼前には身体が冷えすぎて焦る以外何もできなくなってしまい、引き出しにあった賞味期限が一年切れたアマノのフリーズドライお味噌汁を飲んでしまった。 文字通りその場を凌いだだけで、後からお腹痛くなったらどうしよう。

帰り際にムーミンクッキーをプレゼントしてくださった職員さんから「あの、LINEを交換しませんか」と話しかけてもらう。全然安売りできちゃう連絡先なので、そんなに気を遣って気持ちを込めて言われてしまって面食らってしまって「こんなこと言われたら、いいですよ、以外答えられないですよね…すみません」と言わせてしまった。
結婚祝いを贈った友人のもとに品物が届いたらしく、お礼のメッセージが来ていて、彼女の言葉やテンションを思い出す文面にとても懐かしくて嬉しくなった。毎朝、毎晩一緒に通学して、朝の「おはよう」だけで相手の機嫌がわかるくらいの仲で、何曜日かの夕方は、彼女の観たいアニメに間に合うかもしれないから、と、別れ際の立ち話はせず別れて、部活の引退の文集では“ずっと仲が良さそうな2人”ランキング第1位だった私たちだった。
今週は2回東京出張がある。今は、ある、という事実だけを受け入れるしかできなくて、ついでに都内を楽しむ予定や、へとへとに倒れるのを防ぐための心得をできずにいる。
同じフロアでいつも帰るのバスが同じ職員さんが、来週から産休に入る、と聞いてとても���いて、多分私と一つくらいしか違わない。みんな人生している。

2月7日 朝、窓の外が真っ白で、今日の白は雪ではなく霜。 東京出張をして、職場よりも雪景色の東京の街でたくさん雪だるまをみた。雪があるせいか、東京もそこから冷えて寒くて、今日は1日に3回くらい身体を芯から冷やしては吐き気と眩暈を起こしていた。
午前でお仕事を終えて、池袋のデパート地下の揺れるバレンタインのお菓子売り場を眺めたり、alt_mediumへ行って展示を観て、白濱さんの同級生さんたちの会話に混ざったり、関西のギャラリーや塩釜ヤングポートフォリオのことを教えてもらったりした。 平日の昼間でも行列ができているお菓子屋さんもあり、眺めるだけの身分だと、とてもわくわく光景だった。 モロゾフでナインチェのバレンタインコフレを探してみたところ「この先の催事にあります」と店員さんが丁寧に教えてくれた。映画館でアルバイトをしていた時の同僚の、女優業をされている方にとてもよく似ていた。 職場の方々へ渡せる個包装のナインチェのハッピーボックスと、缶タイプのチョコレートを買った!ナインチェへの愛!
お家に早く帰れたので、加湿器を洗って(一部壊したり)、ちょっと床を拭くだけ…と思いつつ全床拭き上げてしまったりで、すっかり身体を冷やしてへとへとにしてしまい今日もアンコントロールラブ。
友人が投稿していた素甘の写真がとても良くて、すあまって食べたくないけれど、概念として考えがいのある存在な気がして気になっている。 すごく、ハッピー度?ポップ指数?の低い存在な気がしている。
1日を通して、ずっと職場の業務内容でない、人間関係的なことが頭の中で思考のBGM���ように流れ続けていた(特に悩んではいないはずなのに)。

2月8日 大学時代の友人のお誕生日。ひとのお誕生日をお祝いして、やっと自分のお誕生日を終えることができた気がする。
すあまのことが気になり、職場の関西出身の方に聞いてみたところ「すあま?あのニッキみたいなお菓子?」と言われ、それは、すはまかも!と言いながら写真を見てもらう。 やっぱり関東に来てから知ったそう。 そして、昨日から“すあま”と検索したところ、予測に“すはま 違い”と出てきて少しに気になっていた“すはま”について調べてみる。 昔祖母が京都土産で買ってきてくれていた三色団子の形をしたお菓子が、すはま、だったことが判明!
全然美味しくないな!と思いながら、京都えりのお土産話のお供にお茶の席で出してもらっていたすはまだんご。爪楊枝の串に刺さった三色団子が三段くらいずらっと箱に並んでいて、二枚ほど硬い食べられる(多分これもすはま)紅葉が乗っていた。
自分で京都に行く様になるまでずっと、京都といえばこのお団子のお菓子だったので、今思うともっといろんなお土産があったはずなのになんですはまだったんだろう。 それに京都のお土産コーナーにすはまだんごが当たり前に並んでいる記憶がない。
久しぶりに祖母のことを思い出した。

2月9日 都庁へ出張して、2時間半かけて職場へ移動して、一期下の方とすあまやセブンティーンアイスの話をしながら帰ってきて、とても長い1日だった。
雪が降ったり、東京出張が2回あったり、今週1週間がとても長かった。
新宿の西口の風景が様変わりしていて、何かがなくなっていたのだけれど、なんなのかがはっきりわからなくて、多分ミロードだったか小田急?京王?の建物がすっかりなくなっていた気がする。
新宿もデパートがバレンタインで見ていて楽しかった。
移動中に去年投稿したストーリーのアーカイブを眺めて、自分のことながら、よいかんじで投稿しているな、と思って、でも今は自分を満足させられる投稿を継続できる自信もなく、日記も最近更新できていなくてちょっと不安になった。
明日のフォトレビューのお知らせも来てなくて不安になっているし、そもそもレビューを通しで受けられる体力や気力もない気がしている。
一期下の方と、セブンティーンアイスのカスタードプリンがおいしかったけれど最近自販機に並んでいるのを見ないね、と話して別れた矢先、ここにはないと思っていた乗り換え駅でセブンティーンアイスの自販機を見つけ、更に右上角にカスタードプリンを見つけ、思わず写真を送ってしまった金曜日の夜。
新宿はどこの足を置いても汚物を踏んでいる気持ちになって、もういろいろ諦めてしまった。

5 notes
·
View notes
Text
シェアハウスが終わる。
2021年の4月1日から、2024年の3月31日まで、丸3年間続いた。
社会人になるはずだった自分ともう1人は来春から大学四年生で、大学生になるはずだったフリーターはフリーターのままだった。
精神と時の部屋?
元々コロナ禍に「会えないなら一緒に住んでしまえばいい」と突発的に計画された家だった。安井がセンター利用で横国に行くって決まったのが3月頭だった気がするから、そこから物件探しだの契約だの家具だの探して急ピッチに横浜に流れ着いた。
横浜のことが好きになったかと言われたらそりゃもちろん好きだが、これからも住みたいかと言われたらわからない。実家にちょくちょく帰っていたこと、そして終わりが絶対に来ることを知っていたから、横浜に対��てはは最後まで余所者としての視点を忘れなかった気がする。生活者でありつつ、どこまでも観光客のままだった。生活者と観光客は両立する。とりあえず、一通り知った気にはなった。生活者ではなくなった今、わざわざ横浜くんだりまで行く頻度は圧倒的に下がるだろう。くんだりって上から下への移動にしか使わないらしいよ。
シェアハウスは家、だったのかも、またまわからない。拠点、にすぎなかったのだろうか。結局東京に実家があって、シェアハウスがあるという構造は変わらなかった。家、と呼ぶべきなのか、逃げ場所、と呼ぶべきなのかわからない。ただ大体家は逃げ場にならんよねーと思い、あの3ldkを逃げ場所と呼んでしまったらすなわちシェアハウスのことを家と呼べなくなってしまう気がして怖くなった。
シェアハウスはすごくうまく機能したと思う。これ以外の「勝ち筋」を想像できない。ゆっくりと外へ向いていく。外に向いていって、ここが内なんだと気づく。家かはわからないけど、内であるとは思う。皆ここ以外に別のコミュニティがあって、一時代を築いた高校同期というコミュニティが有形として存在する。コミュニケーションの優先順位を保ちつつ、ある程度下げても罪悪感が湧かない場所。線で見えるかのようにコミュニティが存在していることの保証。勝手に深まっていく理解。あくまで他者であるということの理解。そしてその上で、という理解。
これから自分はどうしたいのだろうか。補助輪が外れたみたいだ。会うためには、会わなきゃいけない。
3年間で成長したのか、と言われてもわからない。成長したよ、とか言われたいわけではないし、まあ強いて言えば互いに成長したよね、って言われたい。そんな理解者を司ろうとするなら、対等の目線でいてほしい。
高校の時排他性の極みみたいな人間だったが、別に他者に寛容になれたわけでもない。嫌いなものは嫌いなままだし嫌いな人は嫌いなままだ。他人に一緒だと思われるのも苦手だ。他人に似たところを探さなくはなったなと思った。そんなことをしなくても人のことは好きになれると思った。というか自分視点なら自分と似た奴、嫌だけど。
人に好かれるために媚びるのも無理があるなと思った。媚びたとて!媚びたとてこれですよ 周りから愛される人間が羨ましいのは変わらないけれど、愛される理由はもう手に入れられないものだという諦念もある。その代わり優しくありたいとは思っている。立場やコミュニティに合わせてキャラが変わるのは当たり前だけど、思想や発言の芯まで変える必要はない。
自分の何が良いところなのかはまだわからない。多分指摘されても信じないし、信じることは今後もないと思う。受け取るし、喜ぶけど、自分がそういう人間なんだとは思わない。そう見えたんだな、と素直に嬉しくは思う。あなたの前で優しくても、よその前では普通に人を傷つけている。自分より優しい人間も面白い人間も明るい人間も賢い人間も山ほどいるのにな、と思う。ただ人間関係ってそういう軸で構築されるものではないんだろうなとも思う。相性なんだろう。とは気づいた。
本当は暗いけど明るいふりができる人も、明るいが印象が暗い人、どちらも普通に好きだ。
暗いとか明るいとか二極化する必要も実は一切ない。
最近の毎日は楽しい。いやなこともむかつくこともあるけど、楽しいことを純粋に増やしてもらった。増やす方法も教えてもらった。
ここまで書いてみても、書く必要は見つからなかった。何も気にしない方が良いなって思った。文章は今の生活から楽しい話題だけを抽出するためにあればいい。文章を書くということに関して何の才もないことを知るまでに時間がかかった。自分のための文章を心置きなく書ける。
展覧会は疲れた。熱量を持っていたかもわからないけど、今後漠然と熱量を持つのはやめる。会全体を良くしたい!過程を楽しみたい!だなんて思わないようにする。堂々自分のメンツと卒プロ協力者と負担がかかってしまった誰かのために動く。
研究会は楽しいといい。暗さと辛気臭さは違う。明るさと馬鹿っぽさも違う。正直何の一端も担いたくないけど、目の前の世話になった人たちのために何かできればいいなと思っている。3年生だから下級生と近しく接することができたと思う。4年生��なって、属性で発言に説得力が出てしまうのもあれだからもうちょっと後ろの方で見ることにする。
仲良くなる必要なんてない。仲良くなれそうならなればいい。嫌いになる必要もない。
面白さは基準じゃない。そう、面白さは基準じゃない。嫌いになる基準ではない。でも仲良くなる基準ではあった。まかり通っていた傲慢で身勝手な物差しへの自覚と、それを肯定も否定もせず受容することができた。
あなたたちのまなざしはすごい 俺のはぜんぜんだめ だから真似したくなっちゃった だけど無理だった あと自分のまなざしは真似できます そこらへんに転がってます どうぞ だから多分心のどこかでもう諦めちゃったんだと思う 表現者でいることとか
この研究会向いてなかったのにおだてられてここまできちゃった なんで続けられたんだろう あの人がやめて俺がいる意味がわからない すっからかんなの見透かしてるなら首切ってほしかった もうばれてるかもしれない嘘を突き通しながら地に足つけていくしかないね がんばろ まあ辞めてないから向いてるのかもしれない
手法とか、学問を超えて答えを提示してくるところは、いやだとちゃんと言っていきたい
元気ですよ 雑感
2 notes
·
View notes
Photo
Hinge presents an anthology of love stories almost never told. Read more on https://no-ordinary-love.co
320 notes
·
View notes
Text
毎月1日は安いのでレイトショーで映画マラソンした。決算なんちゃら金をもらったから。9万もらって支払い終わって残り5000円。給油と映画で終わり。コンクリート・ユートピアと、あの花が咲く丘で、君とまた出会えたらを見た。
あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら
もう初めから母の愛を無碍にする高校生!って感じで若すぎて怒。恵まれすぎてる。そういう視点からもう私は母側なのを悟ってしにゃしにゃ。あの感じ、懐かしい。微笑んでいるだけの意固地なロマンチスト。佐久間さんの目線がうっとおしい。アキラ、ゆり。いい名前だ。浩平くんが隣にいたら陽気なのに芯の通った石丸さんを見て「薩長土肥の男はいつの時代もみんなああなのか」と辟易したあと耳を軽く抓ってきそうだと思うと、変な感じがした。いないのに。3分狩り。私の時代はブリキに入ったキャラメルがあったけど、大戦中は「軍粮精(ぐんろうせい)」と呼んでいたなんて知らなかった。無意味な言葉狩りだと思った。神風特攻隊。「生き神様」なんて大層な概念だと思った。いつの時代も警察のポジションに座る公的な権力が邪悪な場合が多い。託された人形。石丸さんの別れ、寂しかったなあ。86歳まで生きて語り継いだ板倉さん。あんなペラッペラな飛行機で本当に飛んだんだろうか。飛んだから今まで語り継がれてるんだよなあ。さつまいも。燃える街。子供が死ぬことに涙する女。鶴さんが終始最高の女すぎる。最高人間。今回のMVPじゃ。不思議だ。冬なのに夏の映画を見ている。焦げ付くような暑さがわからないことが悔やまれる。佐久間さんは体躯がとてもいいなと思った。過去と地続きの今生で、百合ちゃんと出逢えたらいいね。
コンクリート・ユートピア
唐突に始まって、それから徐々に「理解」させられていく構図がかなり気持ちいい映画だった。韓国ってそんなに寒いんだろうか。雪国の生まれじゃないから想像できない。「緊急時に迅速に復旧すべきは営みの“システム”、それを運用する形式」みたいなセリフがあって、かなり納得した。金切り声おばさん、自分のない青年。私は男性じゃないからわからないけど、男性だったらあの「群れの長に認められている感じ」に陶酔していく様子は骨身に染みて理解できるんだろうなあ。殺人。クーラーボックスに収まった本人。日本人のおばあちゃん。エゲツない男尊女卑。兵役。アパートの購入戦争。なんかそういう根本からの国籍の違いを見せつけられてきもちよかった。あれだけ風土も文化も違うのに人類としての根幹にある「強きをくじき弱きを助くる」みたいな気丈さが同じなの面白い。多分アレは動物的な本能に近いんだろうね。とんでも設定だと思ってたけど、めちゃくちゃに現実だった。あ、あと代表が一声目を放つ時にメガホンがピヨーみたいな音立てて全然入らないの、クスッときてしまった。多分それは私の心情が裏切られたからだ。主人公の男(もう名前忘れちゃった。ミンソク?ヒロインはずっとオッパって呼んでた。海外の人の名前覚えられながち)が死んだシーン、かなり芸術点高かった。上から2人を見下ろす構図、中に誰もいませんよとおなじじゃん!と思った。光。オレンジ。日の光。みんな必死だった。代表も、みんなも。苦しい。現実と同じすぎた人間関係だったなあ。黄色い花畑の中の一軒家。私もその幸せが欲しい。
「私と一緒に逃げて」ができたカップルとできなかったカップル、どちらも女だけが生き残っていた。終演時間は23:30。霧雨が降ってる。そういえばこのモールは一つの街のようだと思っていた。帰りの車、むくみがひどくてお尻の下に引いてた右手に線が走っているのを気づいた。赤点滅の交差点。寒すぎて。明日も仕事。血便が止まらないから本当に病気なのかな。血。生きている証拠。愛。記憶が混線しないうちに眠る。何も思い出さない。あめ。
2 notes
·
View notes
Text
ハロー(´ー∀ー`)2024.1.28
最近見たいYouTube動画がなくて、ずっと前から観たいと思っていた海外ドラマ『スーパーナチュラル』をシーズン1から見始めました笑
だいぶん昔にシーズン4くらいまで観てたのですが途中離脱した為、今回は頑張って最後まで…(何年かかるのだろう😇)という気持ちでスパナチュスタートしました←
このドラマは全15シーズンで完結しているらしいです。調べてみたらシーズン1は2005年に始まったらしく…今から19年も前になるんですね!?
もうそんなに年月経ってたの?←
怖い😇😇😇
当時はディーン役のジェンセン・アクレスさんにほの字な乙女だった私も、今ではすっかりしっかりババアとなってしまいました←
そんなに続いていた事にも驚きですが、やっぱ続けてくれることって本当ありがたいですよね。
人間って病気したり別の仕事あったり周りの環境も変わりながら移り変わりゆくことを常とする生き物なので、、そんな中で同じ俳優さんでずっと続けてくれたことはとても素晴らしく尊い事だと思います。
(全部観てから言え←
スパナチュは兄弟が行方不明になった父親を探すべく悪魔退治したり都市伝説的なモンスターと戦ったりするお話です。幼い頃に何者かにおよそ人の仕業ではないやり方で母親を殺されており、父親もその一件から悪魔退治の道へと進んだ訳ですが父親役の人を見て
「あれ…?ニーガン?」
ってなって調べてみたらやっぱりジェフリーディーンモーガンさんでした😂
ウォーキングデッドよりも前にお会いしてた😂
そして2話目がゲーム「アンティルドーン」に出てきたウェンディゴの話だった😂
全く覚えてなかった。
アンティルドーンは2015年発売だったのでスパナチュから10年後にこのゲームが出てるんですね。
10年も経ってたらそりゃ忘れるか←
急がずのんびり追いかけようと思います!
そして全然関係ないのですが、スーパーマリオブラザーズワンダーの激ムズコースを1番上の姉がしていた時に「タイルが2個のとこ無理」って言ってたんですよね。
タイルて🤣🤣🤣🤣🤣🤣🤣🤣🤣
ブロックだろ←
久々の姉ネタでした(怒られる
そういえば、Switchのセールで『ときめきメモリアルガールズサイド4』を半額でようやく購入しました。
まだ少しも手をつけていませんが、いつかしたいなぁ。配信もオッケーみたいなので気が向いたら配信でしようと思います。
(ただ私は暴言失言だらけになりそうなので悩みどころ←
みんながキュン🫰なところでキモッとなる人間なのでね…たまにその「キモい」が褒め言葉になる時もあるんだけど(どんな時だよ)
キャラクターに対して否定的になりそうなので配信はしない方がいいかもなとか思います。
私としてはゲームに対して否定的だったりキャラクターに対して否定的だったり、それは個人の感性・好み・考え方それぞれ違うのは仕方のない事だと思います。
色んな感想を持つ配信者がいてもいいと思うし、嫌なら見なければいいだけの事だとも思う。
ただ、とあるキャラクターのファンの人が一部不快になったり傷つくような事ももしかしたらそんな発言もしてしまうかもしれないとも思うのよね。
でも私が配信するとしたら、ときメモの世界観やキャラクターを否定して貶める事を楽しみとしてプレイする訳でも何でもないし純粋にゲームを楽しみたいだけなんだけども、受取る人によってはそれが許せなかったり誤解したり不快な気持ちになったり…そういう事を気にしなければいけないジャンルではあるなぁとちょっとめんどくさいよね←
たかがゲームじゃん!楽しんでなんぼ!
って考える人もいれば、めちゃくちゃキャラクターが好きで恋してる人もいるんだと思う。
私は真面目なのでそういう部分めちゃくちゃ考えてしまって結局やめたりする。
(過去に恋愛ゲームの動画上げてかなり低評価きたことあるだけに慎重になったりする)
ま!そんな人は私のチャンネルは見ないと思うんだけども( ^ω^ )配信やるなら評価無し設定でしたりコメントオフもいいのかもしれません。
常々考えるのですが←
年齢を重ねるごとに何に対しても否定的になってしまう自分を発見しました←
周りの人みてても思うんだけど、年配の人とか私が嫌いなクソババーという人種とか他人が話すことや内容にまず否定から入る人いませんか?
私が思うにそういう人達は自分中心で地球が回ってると勘違いしている人間です。(断言したw
まず否定から入る人は、他人の考えや新しい流れなどを受け入れようとしない自分基準で自己中心的な人間と言えると思います。
最近の自分の言動とかを思い起こすと、なんか自分否定的に捉えすぎじゃね?となりました←
今の時代の流れについていけてないのよね←
今って男と女の垣根なくしたり入籍しないとか新しい形だとか今までにない事が色々起こって変革の時代なんだとは感じているけど。
私のように古い人間は新しいこととか今までのやり方を変える柔軟性とか自分の中にない選択肢の受け入れとかが結構難しいと感じたりするんだよねってこと。
(既に否定的w
かと言って周りの言ってるままに流される気もなくて。「自分を持ってて芯がしっかりしてる人」と「自分基準の自己中心的な人」の境目が曖昧になって見失っているのが否定的な人間かなと思ったりします。
なので周りに流されて意見は変えませんよ、自分の主観は大切にしたいよって私は思っているんだけどそれが自己中心的になっていないだろうか…
とか考えてしまうのですよね。
私が言いたい事は、否定から入る事をなるべくなくそうということです←
これが2024年の私の目標です。
(多分、元日にこの目標は崩れ去った気もする←
自分の中にない物の見方や考え方と出会った時に、それを否定するのではなくそんな考え方もある、と一度認める。その訓練をしてみようかと思います。
受け入れる必要はないと思うんですよ。自分の意志と異なる部分を受け入れたり従ったりする事はかなりの負担や労力がかかる事があると思うからです。
あくまで自分の考え方優先で、そこは崩さずに別の考え方もある、と軽くその近くにポンと置いておくだけでもいいと思うのです。
自分の考えを述べる時って必ず反発したり賛同されない部分があったり否定的な意見を投げてくる人が出てくるものですよね。
そこを気にすると本当に何も言えなくなるんですよ。
何も言えない人生より、なるべく息苦しくない人生を送りたい…😭
何の話でしょうか…←
話題かえて。
先日ついに!!!最後の親知らずを抜いてきましたーーー。私の親知らずが全て無事にいなくなりました!
下の抜歯だったけど腫れることもなく、順調ににいけば3週間くらいでご飯も普通に食べれると思います。
ただね…
麻酔も抜歯も痛くはなかったんだけど、その歯科は抜歯後縫合するタイプの先生でね。
(過去の歯科は縫合しなかった)
その縫合がめっちゃ痛かった←
奥だから縫合しづらいのは分かるんだけどさ、私の口角裂ける勢いで糸を引っ張る訳。
その日、丁度口角炎になってた私はまじで口裂け女誕生の瞬間か?となりました←
色んなタイプの歯科があるということですね😌
ここまででも結構長くなってしまったんだけども、まだ書きたい事があるのよね←
まずディズニーとヒグチユウコさんのコラボグッズ第三弾が1/16に発売されました。
1弾はピノキオのフィガロ、2弾はバンビのとんすけ、3弾がシンデレラのルシファーでした。
ルシファーは飼い猫のアリスみたいだなと思ってたのですが笑
2番目の姉がルシファーグッズ狙ってるという事で
よーーーし!仕事休み取ってオンラインショップ張り付くぜえええええ!!!
と気合い十分だった私。
(次女の誕プレにしようと目論んでいました
いざスマホとiPadの二段構えで販売スタート時間前にスタンバイ。
[にっくきクソ転売ヤー共お願い死んで]との対決です!!!
(転売ヤーだけじゃないけど
フォオオオーーーン
(ホラ貝の音
ものの10分で狙っていた商品全て完売←
1人一点までという縛りがあった為、私はトートバッグとトレーナーをまず購入し、2回目にトレーナーのみ購入しました。
そしてトレーナーは1番上の姉が「3人でお揃いにしよう!!!」となんと誕プレとして買ってくれるって事だったのでそのためにも頑張りました〜笑
2回目購入してまたページ戻ったら既にもう商品ほぼ完売状態でこんな争奪戦なんや……と驚きました。
ヒグチユウコさんのイラストめちゃくちゃかわいいし大人気だからそうだよねぇ、と。
3つ目は買えなかったーーー��ってガックシなったんだけども、一方その頃2番目の姉がディズニーストアに突撃してたんだけども「来店予約してる人しか購入できないらしい!!!」とオコのLINEがきて←
そして怒りの別店舗へ行ったらなんと奇跡的にトレーナーがあったということで、無事に三姉妹でお揃いにできました🤣🤣
神様ありがとう←
こうして白熱の争奪戦は幕を閉じました。
ほんでメルカリ見て大激怒よね←
まじで転売する奴死ねばいいと思ってしまう。
本当に欲しい人が定価で買えないのが心の底から腹立つ。転売について本気で国が対策をしてほしい。
不適正価格での転売を違法にしてほしい。
だってさ販売スタートしてすぐにメルカリにその商品並ぶのよ。しかも定価以上の価格で。なんなんこれなるもん。こいつら…ってなる。
それで利益を得るとか私は許せない。
許さない。
許すな!転売!
滅びろ!転売!
(スローガン的に
そして次に。
ゲームアプリ【恋と深空】を始めてみました。
綺麗な男の子達がいる!と思ってすぐ事前登録してました←
昨今のFFに出てくるようなホストみたいな男子です←
3人いるんだけどね、顔がタイプなのはホムラだけど性格はセイヤかなー
(何様やねん
やっぱさ、セイヤの眉毛が綺麗すぎるのもちょっと気持ち悪いのよね←
自然な眉毛の形がいい。それと眉毛上がりすぎなレイの顔が1番タイプじゃない←
(眉毛に厳しい
そんでさ、レイの喋る時の鼻息?吐息?が私は無理😭鼻息とか吐息系はまじ苦手なんですねぇ。
なんかホムラが私の分身となる主人公女性キャラの手を頬擦りしまくってハァハァいってる動画みたけどまじキモかった😭
(このゲームすんな←
もっとストーリー進めたらラブラブイチャイチャできるモード解放されると思うんだけど、とにかく戦闘が以外と本格的でめんどくさい←
そしてストーリースキップ←
(まじでゲームアンインストールせえ←
ただの恋愛だけでよかったけど、そう簡単には恋愛させてくれない←
これだけ文句ばっか言っといてなんだけど、映像はとっても綺麗なんですよね。
そして何よりBGMが最高すぎる😭
映像美とBGMが合わさって切なさ漂う雰囲気が私は1番好き。
だからBGM聞く為にアプリ開いてる感じ←
なのでレベルアップも遅いしストーリーもほぼ進まないのよ。ログインボーナス色々もらって、音楽聞いてやめる😂
(カス
最後に、、、
アリスを動物病院に連れて行きました。
2ヶ月前くらいから異常なくらい水を飲むようになって、尿量も増えお腹を見せて寝転んだりする事がなくなってどことなく変化を感じたので獣医さんに診てもらいました。
腎臓か糖尿病かな…と思っていたけど血液検査の結果、やはり腎臓の数値が上がっておりました。
血糖値も高いけれどそこまで気にしなくて大丈夫と言われました。エコーもしてもらい、片方の腎臓に浮腫みがあり尿管に結石がありますとのこと。
ただこの結石が悪さをしているという訳でもなさそうにみえるので今後は2ヶ月毎とかに定期的に検査して経過観察するのがいいでしょうとの事でした。
(5年以上前に尿管結石と診断された事があったのでその頃から石があるのかもしれない…
腎臓は悪くなったら良くなる事はないと人間のお医者さんに聞いた事があるので、猫も同じだと思います。これ以上悪くならないように腎臓ケアのカリカリやサプリを取り入れて生活するほかなさそうです。
腎臓ケアのカリカリサンプルをたくさんいただいたので食べてもらえるものがあったらそれを買おうかなと思います。
トータルで約2時間半アリたんは頑張ってくれましたが、最後の最後でキャリーバッグの中でお漏らししてしまいました💦アリたんは頑張ったよ🥹本当に偉くて良い子でした〜
そんなこんなで近況報告はおしまいです。


4 notes
·
View notes
Text
231212 EXTRA
素直さを手に入れよう。オスは暗に明に人柱や生贄のポジションを期待されている。
生贄や人柱はその自己犠牲によって誰かを救うという点において「親」である。
オスは我儘な非オスの親である。本来強さは弱い仲間を護る為に行使されるべきもの。
だからオスの強さはより弱いものに食い物にされる為に備わっている。
自分はいずれ、いや遠からず娘からも空気扱い、ムカつくインフラストラクチャー扱いされるようになるだろう。親サイドがどんなに歩み寄ろうとも親が親ロールを引き受けている限りは子供は親の脛を骨までかじる。
スネをひとくちもかじらせないのが毒親。僕のスネは既に早くも白骨だ。弱いな。
食いでのない親だ。ハズレだな。
役立たずな生贄。敬うに値しない犠牲。
やば、コスり損しかない感情。
損だよこの感情フォーカス。畜生バカ脳。
いや、いやいやいや待て、今こそチャンス!
この心理状態から再び信頼感を高速で取り戻す技見つけたら孤独解消テクとして紹介できるじゃん。
ヒスは回避しろ。ひとつひとつの手続きの積み重ねが大事だぞ。
愛情コスト注いだものが自分を谷底に突き落としてきた、でもオッケイ! 自分飛べるし不死だし、的な結果オーライ汝ら罪なしテンション。でもそれバレたら民衆はガンガン自分を谷底に蹴り込む(それも弱さなので仕方ないし許すべきだ)から、復活後は名前変えて別人気取るのはどうだ?
なんか悪い方向にしか事態が転がらん気がするぞ。
自分が護ろうとしている子供的存在の頭が悪いと無限に悪辣ムーブ繰り返す。これは自分が子の立場になった際にそのままブーメランとして刺さる言葉だ。
くそ、バカ。レンダリングしろ身勝手に。理想の愛着対象を。その際現実の身勝手で自分をすぐ食い物にする弱い命とひもづけるな。理想は一緒に弱者に喰われてくれる親仲間、人柱仲間。
あ、そっか。お互いが「別の弱者に喰われ続ける」事で繋がり信じあえる仲もあるか。え、それ被搾取者同士が集まって傷の舐め合いする駄サイクルそのものじゃあ…
ま、いいじゃん。そこにある温みが本物ならさ。ハプバーだってハッテン場だってゆきずりの恋だってそこにある温みは本…
堕ちてる! 120%自傷入ってる‼︎
抜けられん、レベルがまだ低い。徳が低い徳が低い徳が低い
この状態で特定の温みにすがるとその対象に依存してしまう。それはセルフコントロールを失うリスク。だから分散依存を試みる。
複数ジャンルのエンタメやスポーツ的なものを用いてネガティブな甘えを上書きする。何はともあれ食事して散歩だろ。
快楽と信頼のコンボ切れたら食事して散歩。
暫くはリアル他者介さず過去の心地よいアーカイブと本から栄養摂取。
次に動物動画を手続き的に観る。ナショジオ的弱肉強食ネイチャー動画は観ない。途方もない気持ちになったらアウト。カメラを上空に上げすぎるな、SF的思考に逃げるな。
人間介した刹那的温み摂取は楽しいけどお金と時間かかるしリスキー。畜生それだとディスコのVCはハードルくそ高いって事に…
いや、自鯖作れよな、自サイトのように。まずはテリトリー作りだろ。これが精神安定の基盤作る上で必須の手続き。そこに人を呼べるようになりゃむっちゃ強い。
そう、自分もイラストカルチャーに居場所失ったと感じた時USTに城を作った。リアルに居場所がないと感じた時にこの日記を書き始め、FANBOX始動の準備とした。
そしてFANBOXでの交流を拡張する為のディスコ鯖を作り精神安定の基盤にした。
だいぶちゃんとやってるな。刹那的温みに逃げず、積み上げタイプの信頼築いてる思うよ我ながら。
やれる範囲でやれる事やってる。マネタイズできてなくとも格安で他者との建設的コミュニケーションする為のインフラ整えてる。各々が自分主導でそれをやればいい���
40過ぎて消費オンリーだと核家族化進んだ都市社会においては孤独が増すばかり。お隣の国と比べ親や年寄りは敬うものではなく貶すもの、という文化だからな日本は。
心の中に、揺るぎない芯を持とう。加齢や能力低下に左右されないしなやかで丈夫な
1 note
·
View note
Text
2025年6月21日 #アーティスティックスイミング オンラインパーソナルレッスン備忘録
オンラインパーソナルレッスン1時間
巻き肩解消も兼ねた椅子に座ってのストレッチなど
骨盤可動域拡張ストレッチ
前後方向
椅子に浅く腰掛ける
上半身をそのまま動かさず、腰のあたりだけを動かす意識で
膝をちょっと前に出す
お尻の穴を後ろにして、お腹の前とモモを近づける
次に恥骨をおへそに入れる意識で回す
座ってる時に8回~10回くらい
ゆっくりでも早くでもOK
左右方向
尾てい骨を椅子につける意識でちょっと反ったままやる
右の骨盤を脇の下に近づける意識
このときも上半身は止めたままでお尻を上げる
足を組んで骨盤を緩める動き
かかとのあたりを膝の上に置く
背骨は後ろに行っちゃいがちなので、意識して立てる
片手が空いているなら膝をグーッと推して胸を開いてみてもよい
左右ともやりましょう
※監視業務時の眠気避けにめっちゃ効きそう
脚を更に深くくんで骨盤を緩める動き
組んだ上の膝、下の膝、下のくるぶしをまっすぐの位置に置く
背骨を立てる
膝を押す
肩の可動域拡張ストレッチ
首の位置だけを後ろにする。ちょっと顎を上げる感じ
身体はしっかりコアを締めておく
肩が上に行って、下に行ってという感じで回すように動かす
前から後ろ、後ろから前両方動かす
これが背泳ぎとかクロールの芯がしっかりした状態で動かすことにつながっていく
肩甲骨可動域拡張ストレッチ
肩甲骨で動かす
肩が前に行ったときは肩甲骨が開く
そのまま上に行く
後ろに行くときは肩甲骨を閉じてホチキスで留める意識
そのまま下ろす
前に行くところから繰り返し
お祈りストレッチ(首~僧帽筋のストレッチ)
顎の下に中指を置く
中指を真上に押す
中指が押すから上を向く意識で
姿勢はまっすぐのまま
続けて姿勢は正したまま頭の後ろに手を置いて手の重さだけで下を向く
このときに胸を張る
デコルテのあたりを斜め後ろに押す
そのまま自分がロールケーキになった意識で頭の先からクルクルと丸めていく
丸めたっらロールが1個ずつ戻ってくるようにしたから戻していく
耳に手を置いて、姿勢が良いまま反対の手で椅子の座面裏の横を掴む
そのまま手を置いた手の重さで首を横に倒す
何秒かやったらちょっと顎を引いて斜め下
真横に戻ってから反対側もやる
つま先延ばし
かかとが後ろに行かないように注意
かかとを前に出すように
軸をまっすぐにする意識でやりましょう
昨日のスイムレッスンからのフィードバック
息継ぎが上手くいかない件
サイドキックの動きを思い出そう
顔は半分出てれば呼吸できることを思い出そう
頭をしっかり下にして水上に乗る感じで行こう
3回に1回両方で息継ぎするのはすごい大事
両方できないとバランスが取れないから
考え方と他の人の泳ぎを参考にする話
水をコントロールしようとするのではなく、水に順応しましょう
他の人の泳ぎ、特に初心者のどんなところができてないかを観測して自分に当てはめることで学びになるので、回りに教える立場で見てみて自分に適用してみよう
選手クラスの泳ぎはclean(確立されている)ので、現状の私のレベルではあまり参考にしないほうがいい
時間が合うなら初心者クラスやキッズクラスを参考にしてみよう
ディープストレッチ
ランジからのストレッチ(更に細かい意識版)
片脚を前に出してランジのポジション
お尻を前に回してから、上半身を前に持って行く
そのときに前の膝を気にする。つま先・かかと・膝の内側がまっすぐ入っているか確認しよう
重心は後ろ脚側の前側、前モモというか付け根のあたりに重心を置く
次にお尻を並べたまま前の膝を伸ばす
上体を倒すのが目的ではなく、フレックスで膝を伸ばすのが目的
もう一度前の膝を曲げる
お尻を回す
おしりを並べたまま膝を伸ばす
次は前の脚を内側に折る
後ろ脚側の付け根の前を床に付ける意識
ヨガブロックを膝の左右真横において、床方向にグーッと押す
押して胸を開いて反る感じで
上半身の重心は後ろ脚側に置く
反ったらお尻を回す
戻ってから後ろ脚側の付け根を床に付けたまま、足先を持って前モモを伸ばす
このとき付け根がぴたーっと床に着くのが最終目標
前に倒れたのを戻すときに、付け根から順番にお尻を回す意識を忘れないように
椅子を使った膝伸ばし
椅子の前に立って椅子の座面の端っこにかかとを置いてフレックス
まっすぐ立って、骨盤が横にずれないように
床に付けてる側の膝を前に押してグッと伸ばす
お尻を回す
姿勢を伸ばしたまま、腰を伸ばしたまま前に倒れる
腰は丸めず腰を反ったまま、両方のお尻を揃えたまま後ろに引く感じ
お尻を回す意識のさらなる分解
何も考えずにレッグレイズをやってみよう
どこに来た?
下腹とお尻と腰
あっ、腰に来るやべぇやつだ
腰に来るということは前モモを使ってる
お尻を回す意識再インストール
まずストレッチ
お尻の下に足の裏を置く。外側に逃げないように
もう片方の足は伸ばしておく
そのまま腰が反ってるのでおへそを床に付けるようにお尻を回す
このとき膝がパカーっと浮いてるので膝を床に付ける意識をしてみよう
息をフーッと吐きながら背骨を全部床に付けるようにしていく
息を吐いた時に身体全部が床に埋もれる意識
お尻の確認
膝を立てる
親指を上にして骨盤を持つ
グルリーンと上に回して、お尻の穴を上に持っていく意識
肩から膝がまっすぐになるようにする
確認できたらゆっくりと背骨1個1個を上から下ろしていく
最後におしりを元に戻す
次に同じプロセスをやっていって、最後お尻を緩めない
そのまま両脚を上げる
つま先を伸ばす
膝を伸ばす
お尻を緩めないまま脚を下ろす
脚を上げる
脚の上げ下ろしを3回やってみよう
現状の話
お尻を回す意識を覚えていくプロセスの中で、今がちょっと大きな山場
身体が覚えるまで地道にやるしかない
今は意識していろんなものをチェックしてチェックして、それでやっとできるようになる段階
できるまでのプロセスが少なくなっていって、意識したらクッとお尻がまわるようになるまで、地道にやりましょう
0 notes
Text
「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和六年(2024)1月29日(月曜日)
通巻第8110号
量子コンピュータで注目は、データ盗聴が不可能な「量子暗号通信」
日本の理化学研究所は3台の国産機を稼働させたが
*************************
「日常感覚からはかけ離れた量子物理の原理を用いて、現在のスーパーコンピュータにも不可能な計算を行い、社会の課題を解いてくれると期待される次世代計算基盤、量子コンピュータ。世界で開発競争が激化する中、日本の量子コンピュータ研究を牽引(けんいん)する理化学研究所は昨年、相次いで3台の国産機を稼働させた」(「産経新聞」、2024年1月28日)。
量子コンピュータ開発の基礎は物理学のもっとも難しいとされる量子力学である。世界最大の研究センターは、じつは米国でも欧州でもなく、まして日本でもない。中国安徽省合肥にある。中国が国を挙げて力をいれている。
スパコンを超える量子コンピュータ技術だが、とりわけ注目されるのは、データ盗聴が不可能な「量子暗号通信」だ。
量子コンピュータとスーパーコンピュータ(以下『スパコン』)の違いは、計算方法にある。量子コンピュータは重ね合わせた状態を利用して並列計算を行い、高速化が可能。スパコは0と1という従来の計算方法である。すなわちスパコンはCPU(中央演算処理装置)とGPU(画像処理半導体)を使って計算を行うからCPUとGPUを多く繋いで処理速度を上げる。対して量子コンピュータは0と1のその中間的な状態を取ったりして、0の状態と1の状態を同時に取ることができる。処理のアプローチが全く異なる。
量子コンピュータの特許ランキングはIBM、マイクロソフト、Dウェイブ、インテル、グーグルが五傑、日本国内での特許はIBM、NTT、日立の順番となっている。
量子コンピュータの市場規模を「グローバル・インフォメーション」(調査会社)の予測に従うと、2026年に17億6500万米ドルの規模に成長する。
一方、スパコンの市場規模予測は、2021年から2025年の間に125億1000万米ドルに成長する。日本のスパコン「富岳」は世界一の称号を持つ。つまり市場規模だけをみると、当面はスパコン優位である。
そしてスパコンの百倍以上とも千倍以上とも言われる高速で量子コンピュータは威力を発揮する。たとえばミサイルの発射速度、着弾地点、その時刻を即座に計算し、防御態勢を組む。反撃ミサイルの目標、速度、チャン地点を即座に決める。
これらの技術はAIとセットだが、中枢部品が2ナノ半導体になる。日本のラピダスが2027年に予定している千歳工場で、この2ナノに挑むのである。
量子物理学とは人間の身体がそうであるように、すべての物質は原子から成り立ってい、その「量子」は、原子、電子、陽子、中性子、さらに小さなニュートリノやクォークなど粒子を意味する。物理学の中で最も難しい分野だ。
量子暗号装置の大手はスイス企業「アイディー・クオンティーク」(IDQ)社で、2001年にジュネーブ大の科学者らが創業し、韓国企業も加わった。韓国では48の政府機関が量子暗号通信網で構築され世界トップクラスとされるが、中国の実態が不明。
中国は既に全長4600キロにも及ぶ量子暗号通信網の構築に成功し、人工衛星と地上間で暗号鍵を送信する実験に成功したという。
中国や欧州が次世代の通信網の整備を急ぐ理由は米国主導だったインターネット通信網からの脱却である。米中欧と韓国を加えた次世代通信基盤整備は、国家安全保障戦略と直截に繋がっている。
▼コロンブスより前にアメリカ大陸を発見したのは中国だ???
なにしろコロンブスより前にアメリカ大陸を発見したのは中国だと主張している国である。発想の基点は中華思想。したがって世界の基軸通貨も米ドルにかわって人民元が通貨は券を握るのだとする中華優位の発想に短絡するのだ。
科学技術振興機構のブリテン(2024年1月10日)に拠れば、「中国安徽省量子計算工程研究センターと量子計算チップ安徽省重点実験室はこのほど、中国が独自開発した第3世代超伝導量子コンピュータ『本源悟空』が本源量子計算科技(合肥)有限公司で稼働したと明らかにした。同コンピュータは独自開発した72ビット超伝導量子チップ『悟空芯』を搭載し、先進的なプログラマビリティを持つ。研究者によると、超伝導量子コンピュータは超伝導電気回路量子チップに基づく量子コンピュータで、世界的にはIBMとグーグルの量子コンピュータがいずれも超伝導
技術ロードマップを採用している」としている。
量子暗号による通信網の整備? 日本にはそんな発想さえなく、ハッカーにさんざん襲撃されてから、当該政府部内にハッカー対策本部を立ち上げるなどと対策がのろくて鈍い上に泥縄式である。
ビッグサイトで開催されたロボット展覧会を見学したが、なるほど日本のロボティックス技術は「産業」「工業」「工程処理」などの分野にしか視点がなく合理化 省力化 省エネ、その機能性、便利性を追い求め、生産現場ならびに医療、遠隔手術、看病・介護の補助ロボットなどに向けられている。
見学商談会を覗いても、機械のデモンストレーションをみても、日本のロボティックス開発に安全保障の視点がない。軍事ロボット開発の展示はゼロだった。
イーロン・マスクは「テスラ・ボット」を発表しロボット業界へ殴り込みを宣言した。日本はうかうかしていると、後発組に先を越されるだろう。
3 notes
·
View notes
Quote
名古屋市で2018年、市立中学1年の斎藤華子さん(当時13)が自殺したのは、学校側がいじめを放置したのが原因だとして、遺族が市を相手取り損害賠償を求めた裁判の控訴審判決が12月20日、名古屋高裁であった。 吉田彩裁判長は「いじめは具体的に予見、認識できなかった」として、請求を棄却した1審判決���支持し、原告の控訴を退ける判決を下した。原告側は判決を不服として、上告する方針だ。 華子さんの父・信太郎さん(52)は、市教育委員会との話し合いや裁判など、7年の「闘い」を途中であきらめかけたこともあるという。もし生きていれば、華子さんは次の成人式に出るはずだった。これまでの経緯と娘への思いを聞いた(ライター・渋井哲也) ●「娘には『ごめんね』と言うしかない」 控訴審判決などによると、華子さんは2017年9月、大阪府から名古屋の市立中学校に転校。この年の11月下旬から、部活の生徒から無視されるなどのいじめを受けた。部活の合宿が予定されていた2018年1月5日朝、自宅のあるマンションから飛び降りて亡くなった。 市教育委員会が設置した調査委員会は2019年4月、「いじめはなかった」とした判断したが、市長部局が設置した再調査委は2021年7月、いじめを含むさまざまな要因が複合した結果、自殺に至ったと認定した。 生前、華子さんは学校の「こころのSOSアンケート」で「言われて悲しかった言葉」を複数記載していたほか、「心理テスト」(hyper-QU)で「学級生活不満足群」に該当する結果が出ていた。 しかし、1審・名古屋地裁に続いて、2審・名古屋高裁は、特に配慮を要する状態であったものの、いじめ発生時期より前であるため、いじめの存在を示唆したものとは言えず、教員がいじめを具体的に認識できなかったとして、安全配慮義務違反にはあたらないと判断した。 信太郎さんは、筆者の電話取材に対して「華子には『ごめんね』と言うしかない」「司法に恐怖を感じました。これだったら、子どもが何人亡くなっても司法は救わない、死んだら人権がない、守れないという話になってしまう。そのことに裁判所は気付いてほしい」と語った。 ●「裁判が始まったら、名古屋市は態度を変えた」 実は、1審・名古屋地裁でも、控訴審・名古屋高裁でも和解協議があった。いずれも遺族側が賠償を放棄した内容だったが、市側は和解案を拒否して不成立となっていた。そして、判決を迎えた。 「当時の河村たかし市長が『どうせ名古屋市が負けるんだから裁判してくれ』と言ってきたのです。市が負けたほうが(いじめ問題の対策に対して)動きやすいという話が出たみたいで、その意味では、市を助けるつもりで始めたんです。 しかし、裁判が始まったら、市は態度を変えて、マスコミの取材に対しても、河村市長は『裁判になると、予見可能性がない、と言うしかなくなるんだよ』と答えていました。はめられたと思いました」 ●「楽しい思い出の写真が遺影になるとは」 控訴審判決を前にした12月13日、信太郎さんは、日本体育大学の「学校・部活動における重大事件・事故から学ぶ研修会」に登壇した。 日体大は2013年に「反体罰・反暴力」を宣言」。これは前年、大阪市立桜宮高校(現在は府立)のバスケットボール部のキャプテンが、部活顧問(日体大OB)の体罰と暴言によって自殺した事件を受けたものだ。2016年からは上記の「研修会」を開いている。 信太郎さんは、日体大生やOBの前で、華子さんの話をした。もし生きていれば、今年20歳になるので、ちょうど目の前にいる学生と同じ年代となる。 「間もなく、7年が経過しようとしていますが、市は娘の死と向き合おうとはせず、責任回避の一途を続けています。なぜ娘は死なねばならなかったのか。いまだその答えは出ないままです。問題の原因追及どころか、再発防止すらたどり着けていません」 研修会では、華子さんの人物像について生前の写真を交えて語ったが、架空の人物ではなく、実在の人物であることを記憶してほしいためだ。 「もともと単身赴任の予定でしたが、子どもたちに決めさせたところ、家族一緒がいいとなり、家族そろって名古屋に引っ越すことになりました。 大阪での最後の思い出作りにと、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンに行きました。娘はミニオンのぬいぐるみが景品で当たり、とても喜んでいました。 このときの写真がのちに遺影になるとは家族の誰もが思っていませんでした」 ●「娘は努力家で芯の強い子でした」 信太郎さんは華子さんが亡くなってすぐに学校側と話し合い、市教委の調査委員会が設置された。しかし、いじめがあったことは認められなかった。その後も市教委と話し合い、市長部局の再調査委が設置された。その再調査報告書では「いじめがあり、自殺の一因になった」と判断された。 再調査報告書を受けて、名古屋市では「学校でのいじめによる自死防止対策検討プロジェクトチーム」が2021年10月、当時の河村市長の肝いりで立ち上がった。座長は広沢一郎副市長(当時/現在の名古屋市長)。遺族は、Zoomを通じて意見を表明したことがあるが、会議は3回で終了した。 2022年6月には検証委員会が設置された。遺族は名古屋市に要望書を出していたが、期待する検証委員会ではなかった。国会でも取り上げられて、参議院決算委員会で岸田文雄総理(当時)が「ご遺族の事実関係を明らかにしたい、何があったのかを知りたい、こうした切実な思い、これを理解し、ご遺族に寄り添い対応に当たることはきわめて重要な姿勢であると認識しています」と答弁した。 その後、裁判外紛争解決手続き(ADR)も実現せず、市を相手に裁判を起こすなど、信太郎さんは仕事しながら、闘い続けた。 「娘は努力家で、できないことがあると、できるまでやり続ける芯の強い子でした。趣味は読書で、時間があればいつも本を読んでいました。また、習字で『継続は力なり』と書き残しています。今、私がこの場にいることも、この書の言葉通り諦めず、闘い続けてきたからです。書は日に日に色褪せてきますが、この言葉を忘れたことはありません」 ●「娘の未来が楽しみで仕方がありませんでした」 華子さんの身に何があったのか。2017年9月の転校後、華子さんはソフトテニス部に入った。その際にはルーズリーフで手書きの詳細なルールを渡されていた。その中には、病気やケガで休んだとしても、1日あたりグランド3周を走る「罰則」が記されていた。 そのため、休みにくい雰囲気があり、退部した生徒もいる。さらに、あいさつが他の部活よりも厳しく、後輩は先輩が気づくまでにあいさつしなければならないなど、「ブラック規則」も書かれていた。 11月後半に入って、華子さんが部員に練習相手を頼んだが、無視された。この部員以外も華子さんの練習を手伝わなかった。 「強豪校とは聞いていましたが、やりすぎなのではと思いました。華子に聞いたことがあります。『いつ休むの? しんどかったら休んでいいんだよ』と。すると、華子は『大丈夫。それに休んだらグラウンドを3周走らないといけないから嫌なんだ』と言っていました。このときに無理にでも、やめさせておけばよかったかもしれません」 亡くなる前日、華子さんは届いたばかりのユニフォームにゼッケンをつけていた。 「新垣結衣さん主演の『逃げ恥』の再放送を見ながら踊ったり、おせち料理を堪能したり、お餅を焼いて食べたり、いつものお正月、普段のお正月でした。スケッチブックのデザインを作る冬休みの宿題もありました。一緒に作った親子で最後のものです。楽しい時間でした。 テレビのニュースでは、成人式のことが流れており、成人式の着物の色や柄の話をしていました。私は成人式を迎えた娘を想像して、どんな大人になっていくのか、華子の未来が楽しみで仕方がありませんでした」 ●「これまで多くのものを失ってきました」 翌日の早朝、部活の顧問から「華子さんがまだ(合宿の)集合場所に来ていないのですが」と一本の電話があった。 「顧問からは『(待ち合わせ場所は)学校ではなく病院の駐車場ですが…』と返答が返ってきました。華子は正しい待ち合わせ場所を教えてもらっていなかった可能性があります。急いで着替え、私たちも華子を探しに家を出ました。 家を出た途端です。階段には黄色い規制線が張られており、下を覗き込むと大勢の警察が来ていました。急いでエレベーターで下に降り、警察官に話しかけました。『何かあったんですか?』と」 その後は、警察の対応が変わり、病院へ行くように促された。医師は華子さんの死亡を告げた。 「これまで多くのものを失ってきました。時間、未来、健康。そして得たものは、苦しみ、悲しみ、憎しみ、怒り、不信、およそ人の負の感情のすべてです。遺族になるということは、得るものはすべてマイナスです。もう7年、これを味わい続けています。 (闘うことを)もうやめようと思ったことがあります。そんなとき、華子のあの書を思い出します。『継続は力なり』。そして、華子が最後に立った場所に行きます。最後に見た景色です。一体、何を思って立っていたのでしょうか。 何があったの。何が辛かったの。何から逃げたかったの。問いかけます。答えは当然返ってきません。だからこそ、私がやらねばと思い、闘いを始めるのです。少しでいいです。関心をまず持っていただきたい」
「もし生きていれば成人式だった」 名古屋市いじめ自殺訴訟、遺族側は上告へ…努力家だった亡き娘への思い - 弁護士ドット���ム
2 notes
·
View notes
Text
日々あれこれ#183
2025年5月26日 分かっていても くりかえす どこにでもある話 不安にやられ ドラッグに沈む 目の前に見えるのは 瞳の真中のライン 半分程度の酒の水位 溺れてはいないが 沈むだけ すべてを手に入れている代償に 夜でも昼でも串刺しローラーが迫る こころ 支配され 怖ろしさだけ 振り返ることもできずに
2025年5月27日 キラキラ光って美しい ガラスや石の破片をね 集めて固めたその中 入ってしまえば安住の 外の世界と遮断の壁 誰もここを知らないから 安心 それでも不安は煙のように 破片の隙間 出ていって 誰かが気がついて壁を割り 手を差し伸べる なにも分からず拒否だらけ 偽りと動揺 涙 止まらずに

2025年5月29日 こころの底から孤独 芯から冷たく止まっていても 本当のことは分からない 孤独を知らないのなら そのほうがいいと そんなことを言えるひと 強い芯の具現 置き換えてみたとして 孤独なんて 大した問題でもないなと 仮初に 強くなったハリボテ鋼のボディ 流れ出るのはこころ 形すら保てずに
2025年5月30日 この広い世界の中で たったひとりになったから ずっと分からない 探している ぼくの意味 ここにいるからぼくではなくて つながりが稀薄な縦糸の ほころび ほぐれたより糸の最後の一本が切れてしまえば 風の中 手を伸ばし別れを分からないぼくと縦糸 掴みたい光景 そんな幻想を 思い出す
2025年5月31日 深い谷を発見したなら 覗いてみて どこまでも深く 底が見えなくても 旅を始めるなら 降りなければならぬ衝動 義務に支配され 第一歩を踏み出すため 覗く 気持ちだけでは足は出ず 切り立った淵 考える嚥下 回廊の高い天井から 飛べよ と聞こえれば 誰の声 なんの音 空を見ながら落ちる
2025年6月1日 零の刹那 世界の裏返り 意識するのはあのとき 何事もなく 暑く うるさい 繰り返しの中にいると ひんやりした午前 静かで 何も変わらない呼吸 スウ ハア 時計の針は動いてしまう 零 カチリ 記憶は残らずに すべて剥ぎ取られた地上 あるのものはなく すべて新しい汚泥に変わる 裏返る
0 notes
Text
最後の役者紹介
こんにちは。もう引退らしいですよ。信じられない。ホバことAru=Rです。気がつけば早くも引退の舞台を迎えます。早くない?華幻の月、及び33期の役者紹介をしていきます。最期であると言う事に感慨深くなりながら。
複数日程に分けて深夜に書いたりしたのをキメラの様に合成しているので文が変だったり語弊がある表現があったり文量が偏ってたりそもそも素の国語力が不足してたりするかもしれませんが、許してください。少なくとも私はちゃうかの人がみんな好きです。
35期の後輩から。
近未来ミイラ
演出補佐様。オムニの時から適度に関わりがある後輩。言葉選びのセンスがすごい。じっくり考えて出すならまだしも、��件反射のようにスラスラ出てくる。いつも楽しく聞いております。これからも応援してる!
苔丸
オムニでイメージが確立されたと思ったら外公でイメージが壊れ、そして今回共演してオムニの時のイメージに戻ってきた。やっぱ達観してませんか?同じ人科だし、共演する部分が多いという事で接点が多くて、いっぱい話せて嬉しかった。脚本上での関係性はどんな感じだろうと言うのを2人で相談して試行錯誤しながら作れてとても楽しかった。結構頼っちゃったけど。ありがとう。
ミル鍋
オムニの頃からキャラが強くて良いねぇとずっと思ってる。パワーがある。パッションとは違うかも。今の演技プランだと、私との演技での会話がとてもアレですが、実際は全然そんなじゃないですよ。多分。
しょこら
発声をオムニの時からいっぱい叩き込んだ気がします…何で?偶然です。最初の頃からすごく伸びたので教えた身としては嬉しい限りです。しょこらは物事に真摯に取り組んで、色々吸収するのが早いなぁと見てて思います。この調子でドンドン成長してくれると信じています。今回の役も、最初の頃からの変化が大きくて、稽古中に感動してました。無茶はしないでね!
黒井白子
直接話す機会こそ全然なかったものの、演技のうまさ、真摯に取り組むその様子、それは少なからず周りに良い影響を与えていたんじゃないかなと思います。少なくとも僕はやる気をもらっていました。今回の演技もとても好きです。ガンバ!
コン
なんか、20歳っていうより、もうちょい大人な男性の演技が上手いイメージ。声量がデカくてびっくりする。
めっちゃ周り見れてるのびっくりした。僕の演技もコンのアドバイスで良くなった部分もたくさんあります。凄すぎ。ありがとう。
34期の方々
統括のフォーニャー
今回は演技見てもらったりもした。ありがとう。お陰でとても良くなった。役としては芯が通ってて強そう。演出の都合上、同じ場には立つもののこちら視点からはsound onlyなんですが、それでもかっこいい。多分立ち姿も含めるともっとカッコいい。
アリリ・オルタネイト
去年殺陣やったりしたぶりに共演…今回セリフを交わしてる判定なんかな。こちらも私視点ではsound onlyなので、立ち姿は想像してる。持ち前の英語力を発揮できてて、台詞だけでカッコいいので、カッコいいこと間違いなしです。
フォーニャーと似てる事書いてるけど、カッコよさの感じは2人では違うと思ってます。残念ながら私の国語力では上手くいえないけど。
見光一雲
前までも合宿で酒入った状態で会話したイメージが強かったせいで酒のイメージが強かったけど、今回別に飲みに行ったわけでもないのによりイメージ強くなったねぇ。今回の役のキャラ、前半と後半で別の良さがあって好き。ところでこの芸名の読み方is 何。
たぴおか太郎
仕込みでお世話になっております。いや、そんなかしこまる必要ないんだけど、やっぱ仕込みで幕の仕事やったイメージが強すぎますね。今回も爆発力のある演技、好きです。楽しんでる感じが伝わってきて。タスクの抱え込みすぎには気をつけて!
水琴冬雪
演出様。今年のオムニと今回と、連続でお世話になっております。僕個人として脚本好きだし、稽古方針とかが好きでとてもやりやすかったし、稽古場の雰囲気もすごく居心地良かったです。正直今年がちゃうかで1番楽しくて、それは間違いなくベガのおかげです。ありがとう。
とてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもお手数をおかけしました。しかし、最初はヘッポコだった私の演技も良くなりました。本当にありがとう。そしてこんな私に素晴らしい役を当ててくださってありがとうございます。最後まで全うします。
33期編
同じ脚本の人から書くけど脚本内の並びは適当だよ!
梅本潤
帰り道がかなり一緒という意味で、一緒にいる時間がめっちゃ長かった。いつも僕に何かしらで正論パンチをしているイメージあるけど、そのハッキリした立ち振る舞いは憧れです。(語弊しかない気がするのでイジられそうだ…)正論パンチ、無いとデカいやらかしに繋がるのでとてもありがたい存在でした。それとは別に、関わりの長さから、なんだかんだである種の友情はちゃんと作れたんじゃないかなと勝手に思ってます。常に私が下な気はするけど、一生かけても私が上になることはないでしょう。
今回何気に共演初めて?舞台上では仲悪そうですが、実際はそんな事ないんだ。頼りにしてます。自分の演技でめちゃくちゃ迷惑をかけたと思います。これ書いてる時点でついに光明が見えました。共に最高の舞台を作るぞ!
佐々木モモ
座長様。帰り道とかで接点多かったですね。マリオやヨッシーに狂っ��いるイメージ。
明るい顔をしてることがほとんどではあるものの、衣装を始めかなり沢山の仕事をこなしているイメージ。抱え込みには気をつけて欲しい。(本日2回目)それでも楽しんでる感じがして、見てるこっちも元気をもらったりしてる。座長様って書いたけど、親しみやすくて3年間友達として仲良くできて良かったと思ってます。ありがとう。
ベジはむの残留思念体
いつのまにか残留思念体になっとる!!!!????それでもポジティブさと演技のパワーは健在!良かったね!(?)新人の時も今回も、割と僕がメンタル的に追い詰められてる時に演技を褒めてくれて、とても助かったというのがあって、多分思ってる以上に僕からの感謝が大きいです。ありがとう。またしばらくしてこっちの金欠解消されたら飲みに行くか。
すふれ
直接の接点ねぇなとか思ってたら僕の名前を忘れてた去年の一件、なんだかんだで大好き。ホバです。よろしくお願いします。その一件より後、去年の秋に舞台上で殺陣をしたりしましたね。懐かしい。第一印象の時と全然違う演技も出来て、引き出しの多さにビックリさせれてます。今回は第一印象に近い演技が見れて、王道って感じがして好き。
握飯子
人科の同期1人目。ゼミも一緒になった。なんだかんだで舞台上で言葉を交わしてない…?どちらかと言うと授業での関わりの方が多い?けど、最初にオンラインでちゃうかの体験稽古に一緒に参加したのは覚えてる。その時から演技凄いなぁと思ってたけど、その後役者としてだけじゃなくて、脚本家としてもセンスがあって、尊敬してます。ゼミも、一緒に頑張ろう!
黍
割と毎回「オムニで共演してたのに遠くに行っちまったなぁ。追いかけるぜ!」って旨のことを役者紹介で書いてた気がする。気がするだけであってほしい。今回は、だいぶ追い付けた気がします。着いた先は全然違うわけだけど、役者のレベル(?)みたいなのはだいぶ追いつけたと勝手に思ってます。
ところで、僕らが1回生の時のオムニの鎌倉ナンバーのくだり、大好きなんだよなぁ。知らん人からしたら何???ってなる文面。結局直接舞台上で関わるってのはそれが最初で最後だったわけだけど、前のオムニでは黍の脚本にちょっとだけでも出れて嬉しかった。
坪井涼
33期で家1番近い。という事で帰り道でよく話しました。ってだけじゃなくて趣味があう相手でもあったし、ボケのセンスがあって会話が超楽しかった。僕のおうむ返し状態だったツッコミも改善されたんかね。最近そういう会話してないだけか?…って書いたら多分次会った時にボケが飛んでくるので頑張ってつっこもうかな。成長、見せてやんよ(フラグ)
ところで、オムニの時から結局カラオケに行けてないのは何故?呪い?
君安飛那太
超頼りになるイケメン。新人で共演出来たの嬉しかった。コルクが作るキャスパカッコよくて好き。むずいけどできる様になった時の達成感が大きくてやり甲斐がある。
時々見せる小中学生の男子みたいな純粋な感じで遊んだりしてる姿好き。最近だと、ベイブレード楽しかった。前一緒に遊びに行ったのがだいぶ前なのでもう一回遊びに行きたい。
えどいん
癖強い演技がめっちゃ上手い。他の人じゃ出せない独自性があって、凄いなぁと思います。語彙力が…演技だけじゃなくて、スタッフワークもめちゃくちゃ優秀。スゲェ。写真とか、最初のイメージとは違ったけど今ではえどいんと言えばみたいなことになってること多くて、本当に良いキャラだなぁと思ってます。
田中かほ
人科の同期2人目。新人で共演したのしか舞台上での接点はなかったものの、授業が一緒になったりなんなりで関わりは多かった。
サークル外で色々と頼りました。かなり重い相談にも乗ってくれてありがとう。自分の意見をハッキリ貫いたり、自分の立てた目標やしたいことに対してひたむきに努力している姿は憧れです。
今回のゆるあの脚本、好きです。今回の演出、最後まで応援してる!
ハク
最近会ってねぇなぁ!個人的には新人の脚本であの役を当ててくれたのが本当に嬉しかった。帰り道がかなり一緒なのに関わらず、大体どっちかが満身創痍で会話出来てなかったのも、懐かしい。新歓以降ほぼ会えてないけど、なんか忙しそうにしてる気がする。頑張れ!無茶はしないでくれよ。
Ω
舞台上での接点は、新人の殺陣とかで関わったのだけらしい。嘘だろ。もっと関わったろ。夏休み中俺が完璧に溶けていた頃に留学に行ってしまった。元気してるか?βは頼れる兄貴って感じの雰囲気してて、憧れだった。なんだかんだで後輩からイジられるネタがあ��たのもお茶目で好き。
最近、少しウィスキー飲める気がしてきたので、帰国後にβおすすめのウィスキーをチョコっと飲みたい。本当にチョコっとな???
トロン
去年のオムニで俺が吹っ飛ばされたイメージ強すぎる!とにかくアドリブの破壊力が高すぎる。あまり来ないもののその破壊力で全てを持っていく様はまさにdestroyerと言ったところか。もう一回、アドリブ見たいよーーー!!!ゲネ日の写真撮影のときに姿を見れて良かった。
Aru=R
自分。ホバとも名乗る。メガネをかけた男子大学生オタク。色々あって一人称が不安定。最後に色々書き連ねようと思います。縦書きとかで隠しメッセージとか仕込もうと思って2日くらい粘ったけど書けませんでした。文才、欲しい。
最後にしてとても大きな役を貰いました。今までも決して手を抜いたわけではありませんが、今回はその全力をもってしても難しく、演出様や多く共演するしあらにめちゃくちゃ言われながら稽古をしてきました。実はここまで演出をつけてもらうのは初めてなので、とても充実しています。
そうした稽古を通して、今までの自分って演技下手だったんだなぁと今回実感しました。察してはいたものの、ここまでとは思わなかった。しかし、稽古を通してめちゃくちゃ伸びました。センスも無い、体力も多くはない。演技のバリエーションも多くない。なんなら事故ると肺を破る。そんな自分でもこういう演技が出来るんだと、自分で自分にビックリしています。贅沢を言うなら、もう少し早くこの事に気づきたかった。でも、気づけて良かった。知らぬまま引退していたら、どんな気分になっていたんだろう。
これまでの私が上手い下手関係なく楽しく演技できたのは、これまで関わった演出様を始めとする、ちゃうかの仲間たちみんなのおかげです。と言いつつ、実際の私は影、あるいはファントムのようで、周りから少し離れて一人寂しくしていた事も多くて、集団の中で上手く馴染めてなかったかもしれない。私のことを腫れ物のように見ていた人もいたかもしれない。それでも、私は仲間がいないなんて事もなかったし、楽しかった。ちゃうかで演技ができてよかった。
笑っても泣いても、この舞台を持って引退になる事実は変わらなくて、余命宣告のように今も本番が近づいている。引退後はちゃうかの人と一生会わなくなるかもしれない。そうしたことを考えるとやはり感傷的になってしまう。しかし、演劇が人に見せるものである以上、舞台上でそんなことを考えてられない。最期に魂を燃やして全力の演技をする。そしてここに私が、ホバやAru=Rと呼ばれたこの存在が、生きた証を残す。長々と書いたわりに、結論はこれだけだ。最後くらい、俺も見ろ。
2 notes
·
View notes
Text
TEDにて
ブライアン・ゴールドマン: 医師も失敗する。そのことを語ってもよいだろうか?
(表示されない場合は上記リンクからどうぞ)
はじめに前提として、日本には、国民皆保険がありますが、アメリカには制度がまだありません。
現在進行中の「移民による移民のための社会実験国家」がアメリカです。
現在進行中の「移民による移民のための社会実験国家」がアメリカです。
現在進行中の「移民による移民のための社会実験国家」がアメリカです。
どんな医師も失敗することがあります。
それなのに、医療の文化は、失敗を恥ずべきものと否定してしまうため、医師は失敗について語ることも、そこから学ぶことも改善することもできない!!
とブライアン・ゴールドマン医師は述べます。医師としての長い経歴のなかからエピソードを語り、失敗について語ることを始めようと医師達に呼びかけます。
透明性が高く悪意もなければ、医師のミスも患者自身の寿命の範囲内と概念を定義することで、人間には、寿命があることを患者に伝えることも重要。
医療の文化には改めるべき点があり、何か手を打つべきだと考えています。一人の医師から始まることなら、まず私から始めます。長いこと医師をやってきたので長年積み重ねた評判の一部を犠牲にしても、その一助としたいと考えます。
話の本題の前に少し野球の話をさせてください。かまわないですか?シーズンも終盤、ワールドシリーズ目前です。みなさんも野球はお好きでしょう?野球に関しては面白い統計がたくさんあります。何百というデータがあります。
データ野球がテーマの「マネー・ボール」もこの当時は公開間近です。データを活用して強いチームを作る映画です。
ここではみなさんも聞いたことがあるはずのデータの一つに絞ってお話しします。打率と呼ばれるものです。3割打者と言えばヒットが3割の選手です。この選手が10回打席に立つと3回はヒットを打って出塁するのです。ボールが外野まで飛んで捕球されずに転がれば、そのボールが一塁に投げられてもボールより先に着けば打者はセーフです。
10打席で3回です。メジャーリーグで3割打者が、何と呼ばれるかわかりますか?好打者、オールスター級の好打者です。4割打者が何と呼ばれるかわかりますか?10回打席に立つと4回安打を打つ選手のことです。伝説の名手、テッド・ウィリアムス以来、メジャーリーグの選手でシーズンを4割で終えた者はいません。
さて、医療の話に戻りましょう。
私にとって断然話しやすい話題です。ただこれからする話のことも考えると少し居心地が悪くなります。さて、虫垂炎の患者を担当する外科医の虫垂切除の成功率が4割だったらどうでしょう?これはまずいですね。
もしもあなたがどこか、とても辺鄙な所に暮らしていて大事なご家族の2本ある冠動脈に閉塞が生じてかかりつけの医師から紹介された心臓外科医の血管形成手術の成功率が2割だったらどうでしょう?いや、でも、いいお知らせです。今季は好調で、みごと復活を遂げて2割5分7厘まで良くなっています。
???あり��ないことです。
では、禁断の質問をします。
心臓外科医や上級看護師、整形外科医や産婦人科医や救急救命士の平均の成績はどれほどだと思いますか?10割!!とてもいい答えです。
ただ、実際のところ外科医や内科医や救急救命士の成功率がどれぐらいなら優秀といえるのか?医療に携わる誰一人として知りません。それでも、私も含めた一人ひとりは完璧であれという忠告とともに世の中に送り出されます。
「絶対に絶対に失敗するな、細部に気を配れ、失敗の前兆に気を配れ」と。そうですよね。
医科大学にいるときには、こんなことを学びました。私は完璧主義の学生でした。高校の時には同級生からこう言われました。血液テストのためにテスト勉強しそうだ。そんな学生でした。この近くにあるトロント総合病院の看護師寮の屋根裏の小さな自室で勉強しました。
何もかも暗記しました。解剖学の授業では、すべての筋肉を端から端まで覚え、大動脈から分かれる全ての動脈の名前や鑑別診断の難しいものから簡単なものまで覚え、尿細管性アシドーシスの種類を見分ける鑑別診断も覚えました。こうしてどんどん学んで、より多くの知識を身につけました。
私は頑張って、賞をもらえる優秀な成績で卒業しました。医学部を卒業したとき、私はこう思いました。少なくとも可能な限り全てを覚え、可能な限り全てを知っていれば、ワクチンも効いて失敗しなくなるだろう。実際しばらくは順調でしたが、やがてドラッカーさんに出会いました。
トロントで研修医として勤めていた病院の救急外来にドラッカーさんは、運び込まれて来ました。当時、私は循環器科に所属し、当直にあたっていました。救急の担当者から循環器科へ依頼があったら、患者を診察し指導医に報告するのが私の仕事でした。
ドラッカーさんを診察すると息もできず、ゼーゼーと音をたてています。胸に聴診器をあててみると両側からピチピチという音が聞こえ、うっ血性心不全だと分かりました。これは心臓に問題が生じて血液を全部送り出すことができずに肺に逆流した結果、肺が血液で一杯の状態です。それで彼女は呼吸が苦しくなったのです。
この診断を下すことは難しくはありませんでした。診断を下すと私は処置を開始しました。アスピリンを与え、心臓の緊張を解く薬を投与しました。利尿剤を与えて体内の水分の排泄を促すようにしました。一時間半から二時間もすると患者は回復し始めたので、私は手応えを感じていました。
そして、そのとき、私は最初の間違いを犯しました。彼女を帰宅させたのです。おまけに、さらに2つの失敗を重ねました。私の指導医に知らせることなく、彼女を帰宅させました。指導医に電話して経過説明するという私の役割を果たさなかったのです。そうすれば、指導医は自ら診察したはずです。
指導医は患者のことを知っていたので、その情報を貰えたはずでした。私が、良かれと思ってやったことでした。私は、手のかかる研修医にはなりたくはなく、見事にやり遂げて、診療を任されることを望んでいました。指導医の患者であっても彼に相談することすらせずに治療が、できるようになりたかったのでした。
功を焦っていたわけです(マイケルサンデルの言うメリトクラシーの弊害です)
2つ目の失敗はさらにひどいものです。彼女を帰らせるときに心の底の小さなつぶやきに耳を傾けなかったのです「ゴールドマン、まずいよ、やめよう」自分でもまったく自信がなかったのでドラッカーさんの手当をしていた看護師にこう尋ねたのでした「家に帰して大丈夫だと思うかい?」
看護師は少し考えて平然と答えました「大丈夫だと思う」このやりとりを昨日のことのように覚えています。退院の書類にサインして救急車が着くと、救急隊員が来て彼女を帰しました。私は病棟の仕事に戻りました。その後、一日中、午後ずっと、胃のあたりが落ち着かない感じでした。
でも仕事を続けていました。一日が終わると帰るために荷物をまとめ、自分の車の停めてある駐車場まで歩いていく途中に普段とは違うことをしました。帰り道に救急部に立ち寄ったのです。
救急部では別の看護師が、さきほどドラッカーさんの手当をしていたのとは別の看護師が、こんな一言を口にしました。私が知る救急医は全員、この一言を恐れます。
医療に関わる者は皆、この一言を恐れますが、救急医療ではさらに特別な一言です。なぜなら次から次へと患者を診るからです。
こんな一言です「覚えていますか?」「帰宅させた患者さんのことを覚えていますか?」
別の看護師は淡々と尋ねました「また運ばれてきました」同じ口調で続けました。
戻ってきたのはともかくとして瀕死の状態で戻ってきたのです。病院から帰されて家に帰っておよそ一時間すると、彼女は倒れて家族が救急通報しました。
救急隊員が彼女を救急病棟に連れてくると血圧が50しかなく、つまり深刻なショック状態でした。息も絶え絶えで真っ青になり、救急のチームは全力を尽くしました。血圧を上げる薬を与え、酸素吸入を行いました。
私はショックで、体が芯から震えました。
降りられないジェットコースターです。彼女は容態が安定すると集中治療室に送られました。彼女の回復だけが、私の一縷の望みでした。二、三日経つともう彼女が、起き上がれないことがはっきりしました。脳の損傷は回復不能でした。
家族が集まり、その日から九日の間の病状を見ているうちに家族の方も覚悟を決めて九日目に彼女は亡くなりました。ドラッカーさんは、妻であり、母であり、祖母でありました。
死んだ患者の名前は忘れないと言います。これを実感したのは、このときが初めてでした。
そのあと数週間にわたって、私は自分をさいなみ続け、そのとき初めて感じたのですが、医療の文化の中にある恥の感覚は健全な物ではありません。そのとき、私は一人で孤立してしまい、普通なら感じる健全な恥を覚えられませんでした。
そのことを同僚と話せなかったからです。
健全な恥の感覚とは、親友が絶対に守れといった秘密を裏切ってしまいそれがばれて親友に目の前で非難されてろくな弁解もできず、でも最後には、すまなかったと思う気持ちからこんな失敗は二度としないと誓うようなもの。
お詫びをして二度と失敗は繰り返さないのです。こういう恥の感覚からは教訓が得られます。
私の言っている恥の不健全さは、人を精神的に追い込みます。思い詰めたこんな心の声です「君のしたことが悪かったのではない。君が最悪なんだ」私はそんなことばかり考えていました。私の指導医のせいではありません。
良心の呵責。
彼は面倒見よく、遺族と話して問題をうまく収め、私が訴えられないようにしてくれました。私はこんなふうに自問し続けました。なぜ指導医に聞かなかったのか?なぜ帰らせたのか?最悪のときにはこう思っていました。どうしてあんな愚かな失敗をしたのか?なんで医学の道に進んだのか?
人間は完璧ではありません。
ゆっくりとしかし着実にこの感覚は和らいでいきました。私は少しずつ前向きになり始めました。ある曇った日のことでした。雲の隙間から日が射し始めたとき、私はふとやり直せるかもしれないと思いました。
私は自分自身とこんな約束をしました「完璧であるための努力を倍増させて、もう決して過ちは犯さないから、心の声よ黙ってくれないか」すると声は止みました。
私は仕事に復帰しました、そして、また失敗をしてしまいました。
2年後のこと、私はトロントの北に接する地域病院で救急部に配属されました。喉の痛みを訴える25歳の男性を診察しました。忙しい日で、私も気が急いていました。彼はずっと喉を指差していました。喉を見ると赤みを帯びていました。ペニシリンの処方を出して彼を帰しました。彼は診察室を出るときにも喉が気になるようで、まだ指差していました。
2日後に次の救急シフトが巡って来ました。話があるから来てほしいと救急医療部長に言われました。
部長は例のひとことを言いました「覚えていますか?」喉が痛いと言った患者を診察したことは覚えていますか?結局、咽頭炎ではなかったのです。
命に関わる危険もある喉頭蓋炎という病気だったのです。グーグルで調べればわかります。これは感染症でノドではなく上気道の病気です。気道を塞いでしまうことがあります。幸いにも彼は亡くなりませんでした。抗生物質の静脈投与を受け、そのあと数日で回復しました。
そして私は再び恥と自己批判の時期を過ごし、��れを何とか振り切って仕事に復帰しました。そのサイクルを何度も繰り返しました。
一度の救急シフトのうちに虫垂炎を2例見逃したこともあります。これは何か手を打たなければいけません。勤務先の病院に一晩で14人もの急患が運び込まれるようならなおさらです。でも今度は二人とも帰らせはしませんでした。
手当に落ち度があったとは思いません。一人は腎臓結石を疑いました。X線検査では異常がないと分かった頃に、再び患者を診察した同僚が、右下腹部に圧痛を見つけて外科医を呼びました。もう一人はひどい下痢だったので水分補給の輸液点滴を指示した上で、同僚にもう一度診察を頼んだのでした。
彼は患者を診察すると右下腹部に圧痛を見つけて外科医を呼びました。どちらの患者も手術が行われ、無事に治癒しました。しかし、毎回、例の声が私をさいなみ悩ませました。
多くの同僚たちと同じように最悪の失敗は最初の5年間のうちに済ませた。と言いたいのですが、それは大嘘です。ここ5年でも、私は手痛いミスを幾つかやらかしています。孤独で、恥ずかしく、支援もありません。
これが問題なのです。
���し、自分の失敗の話を白状することができなかったり、何が起きていたのかを告げるささやき声に気づけないとしたら、どうして同僚に伝えられるでしょうか?同じ失敗を繰り返させないために周りに経験をどう伝えていけば良いでしょうか?
今日のように、どこかで人を集めてこんな話をしたらみなさんにどう受け止められるでしょうか。
誰かがこんな失敗に次ぐ失敗の話をするのを聞いたことはありますか?
たしかに、カクテルパーティーの場でなら、ひどい医者の話を聞くかもしれません。でもそれは自分がした失敗の話ではありません。部屋いっぱいの医師達の前に出向き、こんな活動を支援してほしいと訴え、まさに今日のような話をしようとしても二つ目のエピソードの途中ぐらいで医師達は不愉快に感じ始め、誰かがジョークを飛ばして話題を変えてしまい、何も変わりません。
整形外科の同僚が反対の足の方を切断してしまったと知ったら、私も同僚たちもその医師に対して目を合わせるのも辛くなることでしょう。
我々のシステムはそういうものです。
失敗は完全に否定されるのです。
このシステムでは、人は2種類に分類されます。失敗する人間と失敗しない人間です。睡眠不足に耐えられる人と耐えられない人。お粗末な結果を出す人とすばらしい結果を出す人に分かれます。
まるで政治的な先入観のようであり、抗体が守るべき体を攻撃し始めるようなものです。我々はこんな考えをもっています。
失敗を繰り返す人を医療の世界から追放すれば、後には安全な人だけのシステムが残るという塩梅です。
この考えには2つの問題があります。
医学系の放送とジャーナリズムに20年ほど関わってきた中で医療過誤と医療ミスについて、個人的にできる限りの研究をしてきました。トロント・スター紙の記事を手始めに「白衣と黒魔術」という番組も作ってきました。
私が学んだことは、誤りは実にいたるところにあるということです。
我々が働いているシステムでは、毎日のように間違いが発生し、病院で渡される10の薬剤のうち一つは、渡された薬が間違っているか投与量が間違っています。院内感染の発生件数はうなぎのぼりで猛威をふるい、死亡事故さえ生じています。
カナダ国内では、2万4千人の国民が回避可能な医療過誤で亡くなりました。医学研究所によれば、アメリカでは10万人が犠牲者とされます。どちらの数字も全くの過小見積もりでしょう。
なぜなら、表沙汰になるべき問題も隠されたままだからです。
こういう問題もあります。病院という仕組み自体が、2-3年ごとに倍増する医学の知識に追いつけないのです。
医師の睡眠不足も至る所で見られますが、それを避けることができません。認知のバイアスもあります。胸の痛みを訴える患者の病歴を完全に把握できるとしましょう。
しかし同じ患者でも胸の痛みを訴えるときに、泣きながらくどくどと説明し、患者の息が少しアルコール臭かったら、軽蔑の念が病歴の理解に混ざり、病歴の把握が同じようにはできません。
私はロボットではないのです。仕事のやり方はいつも同じとは限りません。
そして患者達は自動車とは違います。
症状の説明もいつも同じではありません。こういったすべての理由で、間違いは回避できません。私が教わってきたシステムに従って、失敗をした医療従事者を排除していくと誰もいなくなってしまうでしょう。
そんな職業においては、人々は自分の最悪の失敗について話したくないのです。
私の番組「白衣と黒魔術」では、「これが私の最悪の失敗です」といつも誰にでも伝えていました。救急隊員にも心臓外科長にも自分の最悪の失敗の経験を話した上で「あなたの失敗は?」とマイクを向けるのです。
すると彼らは目を見開いてたじろいだようになったり、うつむいて、ごくりとつばを飲み込むと自分の失敗について語り始めます。語りたかったし、聞いて欲しかったのです。こう言えたらいいと思っていたのです
「いいか、おなじ失敗をするんじゃない」
そういうことのできる環境が必要なのです。医療の文化を改める必要があるのです。医師一人ずつが変わることから始まります。
再定義された医師は人間であり、人間としての自分を知って受け入れ、失敗を自慢には思わないが、起こしてしまったことから何か一つでも学ぼうとし、それを他の人にも教えようとします。
自分の経験を他の人に伝えます。他の人が自分の失敗を話すときには励まします。他人の失敗も指摘します。
見逃さないということではなく、誠実な支援の想いがあれば、誰にとってもメリットが生じます。そんな医師が働いている文化では、システムを動かしているのは、人間であることに気付き人間がシステムを動かすなら間違えることもあると認めます。
そうすることでシステムは進化していって仕組みができ上がります。人間がどうしても起こしてしまう間違いを気づきやすいものにします。
また、誠実な支援の心のある場を育みます。医療システムに目の届く誰もが間違いがおきる可能性がある事柄を指摘することができて、そういう指摘が報われるような場です。
とりわけ、実際に失敗したときに、私のようにそれを告白した人が報われる場です。
私の名前はブライアン・ゴールドマン。定義し直されたこんな医師です。人間であり間違えることもあります。申し訳なく思いますが、間違いから得た教訓を他の人に伝えようと努力している医師です。
皆さんが私をどのように思われたかわかりませんが後悔はしません。
私の最後のひとことです、私は覚えています。
(個人的なアイデア)
根本的に、一神教では、存在しない概念かもしれないが、多神教では・・・
透明性が高く悪意もなければ、医師のミスも患者自身の「寿命の範囲内」と概念を定義することで、人間には、「寿命」があることを患者に伝えることも重要。
個人的に「寿命」の定義とは、ジョンロックの言う社会システムのない状態での平均寿命を基準にすれば・・・
ドラッカーがいうテクノロジーの恩恵から限界の克服により、時系列的に長いスパンで平均寿命が伸びたことを幸福に感じる前提を構築できるかもしれません。
各国の寿命の長さを競って誇ることよりも重要な気がします。
メジャーリーグの透明性の高いセイバーメトリックスのような打率ではなく、デットボール率を医者の成功率としてあてはめ指標とするのは、倫理的に難しい。
多神教では、慎重に経過を観て「仏の顔も三度まで」という言葉のように余裕も大事です。
しかし、極端に失敗してしまう医師の兆候を判別して統計的に人工知能で予測し、自浄作用として罪に問う方法としては、検討の余地がある。人間は完璧ではないので、恩赦の仕組みも必要。
専門外なので、他の方法があればベストです。
その他には、拡張現実や3Dシミュレーターも失敗予防には良いかもしれません。
医師や看護師をはじめとした医療従事者には、厳格な守秘義務が課されています。
医師や看護師をはじめとした医療従事者には、厳格な守秘義務が課されています。
医師や看護師をはじめとした医療従事者には、厳格な守秘義務が課されています。
内閣府の「マイナンバー制度の定義」は「マイナンバーは社会保障、税、災害対策の3分野で複数の機関に存在する個人の情報が同一人の情報であることを確認するために活用されます」
一神教ではなく、概念の多様な多神教の日本では、基本的人権侵害にならないことも重要です。
経済学には「死重損失」という物的資本のみに適用される経済的非効率の指標があります。
人的資本は、基本的人権の尊重から経済的非効率を一部認め、この領域を「投資」と見なすことで公助とし業種の垣根を外し
統合することで行政府が特別会計経由からも一律給付金で底上げし、低年収者に還流すれば好循環が生まれる。
たとえ、増税しても、それ以上の金額を投資分として低年収者に還流すれば良いことが計算上からも理解できる。
合成の誤謬も生じない可能性は高い。
ケイド・クロックフォードの教訓は必見です。
新型コロナウイルスのパンデミックで日本では令状なしで悪用されています。
前提として、公人、有名人、俳優、著名人は知名度と言う概念での優越的地位の乱用を防止するため徹底追跡可能にしておくこと。
<おすすめサイト>
Apple Vision Pro 2024
グレッグ・ブロックマン:ChatGPTの驚くべき可能性の裏話
エリック・トポル:AIは医師が見逃しているものをキャッチできますか?
マイケル・サンデル:メリトクラシー(能力主義)の横暴
ニルス・ヴァン・ナーメン:自宅が未来の介護病院になる?
ピーター・ワインストック: 手術の安全性を高める本物のような3Dシミュレーター
アレックス・キップマン:HoloLensホログラム時代の未来にあるもの
ナディーン・ハッシャシュ=ハラーム: 拡張現実が変える手術の未来
ケイド・クロックフォード:顔認証による大衆監視について知る必要のあること!
<提供>
東京都北区神谷の高橋クリーニングプレゼント
独自サービス展開中!服の高橋クリーニング店は職人による手仕上げ。お手頃50ですよ。往復送料、曲Song購入可。詳細は、今すぐ電話。東京都内限定。北部、東部、渋��区周囲。地元周辺区もOKです
東京都北区神谷高橋クリーニング店Facebook版
#ブライアン#ゴールドマン#医師#外科#手術#AR#VR#vision#Hololens#キップマン#データ#サンデル#メリトクラシー#倫理#哲学#寿命#セキュリティ#NHK#zero#ニュース#発見#discover#discovery#Apple#watch
0 notes
Photo
Hinge presents an anthology of love stories almost never told. Read more on https://no-ordinary-love.co
488 notes
·
View notes