#交流の場 がっこちゃっこすべし~その18
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織田邦男先生よりシェア
<正論>平和を気取る身勝手な偽善排せ
麗澤大学特別教授、元空将・織田邦男
ロシアのウクライナ侵攻から2年が経過した。昨年10月からウクライナ東部の防衛拠点アウディーイウカで激戦が続いていたが、遂に露軍の手に落ちた。米国の軍事支援が滞っている今、同拠点のみならず全局面でウクライナ軍は苦境に立たされている。
ウクライナ支援継続、強化
「支援疲れ」もあり、「停戦」をという声もある。だが約18%の領土をロシアに占領されたまま停戦が実現すれば、軍事力による国境変更を禁じた戦後の国際規範は崩壊する。しかもプーチン露大統領のいう「停戦」は、次なる戦争への準備期間にすぎず、真の平和が訪れる保証はない。もし日本が侵略され、四国、九州、沖縄(合計で約15%)が占領されたところで、「停戦」を促されたらどう思うか。約18%の領土をあきらめるのは、ウクライナ国民にとって耐えがたいことである。
「力による現状変更」を認めないためにも日本は諸外国と連携しウクライナ支援を継続、強化しなければならない。米国に対してはウクライナ支援継続を強く訴えるべきだ。そのためにも日本自身が武器支援に踏み出す必要がある。
朝鮮戦争の際、日本は武器弾薬を輸出して国連軍に貢献した。しかしながら1967年、佐藤栄作首相が共産圏・紛争当事国などへの武器輸出禁止を決め、76年には三木武夫首相が「武器輸出を慎む」と答弁して武器輸出の全面禁止が定着した。
2014年、「防衛装備移転三原則」が閣議決定され厳格な審査を条件に武器輸出が認められた。紛争当事国へや国連安保理決議に違反する��合、輸出はできない。平和貢献・国際協力や日本の安全保障に資する場合などは認められる。現在、「救難」「輸送」「警戒」「監視」「掃海」の5類型のみ認める指針で運用されている。
ウクライナは紛争当事国だから武器弾薬支援は認められない。だがそれでいいのだろうか。ウクライナを支援するのは戦後の国際規範維持のためであり、わが国の平和のためでもある。単に「殺傷兵器だから」「紛争当事国だから」と禁止するのは教条的過ぎる。
「武器」と付くだけで拒否
万が一、日本が侵略された場合、自衛隊は国家国民を守るために敢然と立ち向かうだろう。だが武器弾薬は決定的に不足し、他国の援助に頼らざるを得ない。そんな時、諸外国が「(日本がそうしたように)武器弾薬は日本に支援しない」となることもあり得る。それだけで日本の抑止力は低下する。日本はその覚悟があるのか。
侵略に立ち向かうウクライナに武器支援をしないメリットは何か。平和を気取る、独り善がりで身勝手な偽善にすぎないのではないか。侵略を許さない国際規範を守るため、あらゆる支援を尽くしてこそ国際社会で「名誉ある地位を占める」ことができる。
防衛装備移転三原則は法律ではなく、政府の意思さえあれば変更可能だ。ウクライナ国民を守る「防空兵器」くらいは直ちに支援すべきだろう。5類型に「防空」を加えればいい。昨年末、運用指針改正でライセンス生産の地対空ミサイルを米国へ輸出することが可能になった。これをウクライナにも広げるべきだ。ウクライナに発電機、変圧器は供与しても防空兵器は供与しないというのは、国際社会に理解されないだろう。
かつて機関砲が付いた巡視艇は輸出できなかった。自衛隊のトラックも銃の懸架台があるだけで供与できなかった。「武器」と付くだけで心情的に拒否する偽善を続けている場合ではない。
国際社会で日本の孤立招くな
日本、英国、イタリアとで共同開発する次期戦闘機の第三国輸出に関する問題にも通底している。共同開発品の直接輸出を巡っては、昨年春から自民、公明両党の実務者で慎重に検討がなされてきた。昨年7月、実務者協議で容認の方向性が打ち出されたが、11月になって突然、公明党幹部が「ちゃぶ台返し」をした。この間何があったのか、ここでは触れない。
戦闘機は「殺傷兵器」ではあるが、開発装備品の輸出は「友好国を作る」「抑止力を強める」「安価になり防衛力整備に貢献」といった安全保障上のメリットが大きい。装備品は高性能化、高価格化しており、今や一国では手に負えず、共同開発が主力である。こんな時、共同開発国の日本��けが輸出できないのは、あまりにも理不尽で共同開発国からの信頼も理解も得られない。ロングボトム駐日英国大使も第三国輸出を巡り「日本が防衛装備品の輸出ルールの変更を近く実現することが重要だ」と述べ、「(日英伊の)対等なパートナーシップに関わる」と懸念を示している。
湾岸戦争では、日本だけが汗も流さず、130億ドル供与という金で済ませた結果、「小切手外交」「身勝手」「価値観共有せず」と非難され、孤立した。国際社会での孤立は、軍事小国としては致命的である。決して繰り返してはならない。武器輸出についても諸外国と価値観を共有し、国際平和実現に貢献すべきである。(おりた くにお)

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平和に生きる権利、今年こそ「平和元年」に
~きんようび通信No.742📚~
2025年3月7日
▲1954年3月1日・ビキニ環礁でのアメリカによる水爆実験によって、「第五福竜丸」をはじめとする日本の漁船が被爆した日から71年が経ちました。今年も現地で集会が開かれ、これまでの歴史に学びながら核廃絶に向けた運動を進めていく決意を確認したと報道されました
▲当時、母親は小学校6年生。港に帰って来た船の様子を伝えるラジオから「ガア・ガア…」と続く音がとても怖かったとのこと。父親の従弟の魚屋が売れ残りの鮪を持って来てくれましたが、「食べたら病気になる」と妹と一緒に大泣きして父と兄が畑に埋めたことを教えてくれました
▲核兵器禁止条約締約国会議が3日から始まりました。冒頭、国連軍縮部門トップを務める中満泉事務次長が「予測不能な状況に人々の恐怖心があおられ、核兵器が究極の安全保障の手段だという誤った考えを信じる人が増えるのではと懸念している」と述べ強い危機感を示しました
▲日本被団協が要請した締約国会議へのオブザーバー参加を日本政府は見送りました。条約には昨年9月24日現在で署名94・批准73と世界の半数近くの国が参加し大きな流れとなっています。核兵器の非人道性を一番に理解し、核廃絶の先頭に立つべきなのに強い違和感を感じます
▲さて1日に参加した「おおさか人権フェスタ(大阪弁護士会)」の中で、元ちとせのライブがありました。10年前に発表されたCDから聴く機会が増えましたが、「死んだ女の子・腰まで泥まみれ」など力の入った演奏に心が揺さぶられました。今年こそ「平和元年」にしたいです
【今日は何の日📌】
【今週の一句🔖】
酒飲み🍻🍶川柳
3月も
残り3週
えらいこっちゃ🥹
【今週の歌🎸】
・When The Levee Breaks…Muireann Bradley
3月1日のピーター・バラカンさんの番組で紹介されていました。まだ18歳とのこと。世界は広いですね。ぜひ来日して欲しいと思います😌
youtube
【今週のグルメ情報😋】
・雪印パーラー新千歳空港ゲートラウンジ店…新千歳空港内
昨年9月の鶴居村から大阪まで帰る時に乗り継ぎで立ち寄った新千歳空港で食べました。待合の時間を幸せに過ごしました😙

【追記📝】
明後日は、2年に一度の実践交流研究会(実践研)。現場での取組みをレポートにまとめ発表し、参加者で交流します。裏方ですが、少しでも現場の声に触れたいと思います😌
公開中の「名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN」、来週には観に行きたいと思っています🙃
#きんようび通信 #ビキニ環礁 #第五福竜丸 #核兵器禁止条約 #日本被団協 #元ちとせ #平和元年 #平和に生きる権利
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アジアの皮膚・白い仮面
(2024年冬春頃に書いて温めていた下書きを、自信を取り戻した2025年に修正して出しています。当時の痛々しさはなるべくそのままに。)
ブロンドヘアの女の子たちは可愛かった。どう考えても勝てないと思った。お尻が見えそうなほど短いショートパンツに、長く細くふくらはぎに筋肉がついていない華奢な足に、胸元の空きが強調されたルルレモンのトップスに、スタンリーのカップを持って、前髪をセンター分けしたウェービーな髪をなびかせて、中高時代に矯正した白いきれいな口元をにこやかに引いて、友人とすれ違って、ハーイ!と笑顔を振りまく。そんな女の子達がいっぱいいた。彼女たちをみかけるときは、いつも3,4人のグループだった。
私は何度鏡を見ても、アジア人だった。鼻は低く、歯は真っ直ぐではない。痩せていないから露出度の高い服はきたくない。なれない食生活に、体重は増えていった。ジムの鏡で自分を見るたびに泣きたくなった。
もしアメリカに来なかったら、自分がアジア人であるということをここまで自覚はしなかっただろう。会話のたびに、ほら、私は日本人だからさ、なんて前置きは言わなかっただろう。そんなアジア人であるという過剰な自覚と、インスタグラムの痩せた子たちを眺め続け、呪いにかかった19歳が戦っていたものと心の移り変わりです。
私はハーマイオニーではない
初めて自分自身をアジア人だと自覚したのはたしか15歳くらいだった、これまで自分の父も母もアジア人で、友人も先生もアジア人だということなんて考えたこともなかった。ハーマイオニーに憧れ続けた中学時代。でも私はイースタンエイジアだった。でもこの事実は、当時はそこまで私に影響しなかった。ハーマイオニーの世界はあまりに遠すぎて、自分とは比べもしなかった。
白人になりたい?
当時フランスの植民地下、カリブ海で生まれ育った精神科���であり思想家であるフランツ・ファノンは、植民地下で育つ(彼を含め)黒人は、学校で白人と同じ教育を受けるため黒人を”他者”として教わるから、自分自身を白人と同化して考えるように育っていくというふうにいっている(黒い皮膚・白い仮面)。そこで教育を受けた黒人に生まれるのは、他者という黒人のイメージだった。2023年、私は差別こそされないものの自分で差別意識を内面化し、自発的に白人化を望んでいる側面に気がついてしまう。
https://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/106_fanon/index.html
18歳で大学進学とともに初めてアメリカに来て、この国はなんとなく、なんとなく肌の色で食堂の席が分かれていると留学生が言っていたことがよくわかった。うちの大学は、約70%が白人で、10%すこしがアジア人で、おなじくらいの割合でラテン系やヒスパニックがいて、5%がアフリカン・アメリカンだ。よく観察すると、かなり人種で交流が別れているのがわかる。日本人やベトナム人、韓国人、タイ人は一緒にいるし、白人は白人、黒人は黒人、ラテン系はかなりミックスルーツなので分散している印象があるけどラテン系でスペイン語を話すし、インド人やパキスタン人やバングラデシュ人は一緒にいる。
この国で生活していると歴史が見えてくる。黒人の結びつきの強さの背景もすごくよくわかってくるし、こういう状況にいたら同じ人種で団結することが凄くパワフルで生きやすくしてくれるのも痛いほどわかり、アメリカという国家がどういうふうに形成されてきた��か感じることができる。それは日本というみんなが日本人で宗教の結びつきも薄い国とは全く違うものだ。
白人が圧倒的マジョリティなこの大学で生活するうちに、これまで日本で育ったあたしは自分が白人性を強く内面化して、白人性を通して世の中を見ていたことに気がついた。このコンプレックスは、自分は世界の中ではアジア人であるという新しく生まれた自覚と、英語が第二言語だという側面が大きく影響して揺らぎ始めた。入学直後こそ興奮してアメリカ生活を楽しんでいたものの、だんだんあたしはアメリカ人に話しかけることができなくなっていた。聞き取れなかった英語を聞き返してhuh?って怪訝な顔をされるのが嫌だったし、そんなことを繰り返すうちに自分が彼らに釣り合わない感じがしてきたからだった。私はアメリカには勉強しにきたんだ!いい成績を取りに来たんだ!と思って、勉強している時間以外は友人との交流ではなくジムに行ったりインスタやYoutube を見るようになった。それはさらに私の中で大学での疎外感を高めた。
インスタとダイエット
もうひとつ私の自信を大きく失わせた重要な要素は食事だった。Freshman15って知っているだろうか?アメリカの大学1年生は6キロ太るという言い伝え。あたしは9月から食堂でご飯を食べはじめて、太った。事前に聞いていたので絶対にFreshman15にはならないぞと思っていたのに、普通に太った。 私は関心のベクトルが自分に向きやすくて、暇な時間があったら筋トレしたり、勉強したり自分に対して時間を使うことのほうが多いので、次第にインスタで加工された細い韓国系の女の子たちや細いアメリカ人の女の子を眺めて、容姿のレベルアップを目指すようになった。もっと細くなれば、少なくともこっちに来てから増えた体重を減らすことができれば、そしてもっとおしゃれになればこの大学でもっとマジョリティにはいっていけるかなと思った。秋ごろから、食べすぎた罪悪感を消すように本格的にジムで筋トレを始めて食事制限を始めた。みんなみたいに歯を矯正したら、眉毛を濃くしたら。前髪をやめたら。
でもうまく行かなかった。図書館と寮と食堂と授業とジムの行き来を繰り返していたので閉塞感でストレスがたまって食べすぎたりして自己嫌悪になった。
自分にかけた呪い
この場所は、私の輝ける場所ではない。あのキラキラしたスポーツのできる白人たちには混ざれない。という観念が自分の中で生まれ始めて、自分自身に恐ろしい呪いをかけてしまった。
人種は生物学的なものではなく社会的に構築されたものだ。人種を通して世界を見るなんて馬鹿げている。人類学や哲学や政治を学ぶ私が一番それを知っているし勉強しているはずなのに、どうしてこんなふうに感じてしまうの?どうして白人化願望から抜け出せないの?
自分が劣っていると自分が勝手に判断して、自身をなくして自分で殻に閉じこもっている。あたしのなかに、自分の中で完成されたあこがれである白人性と、”あなたは白人化願望をもつべきではないよ!あなたはあなたでいいんだよ!”という矛盾が存在する!これは呪いだ。そんなことはわかっている。どうしてもこの思考から抜け出せない。こんな敬虔をしてるとどうして人種差別をする人がいるのか、わかってくる。自分が人種差別をしないなんて思い込みは捨てたほうがいい。だって自分自身がアジア人である自分を差別しているのだから。
けっこうあっさりとけた呪い
そんな苦しみを抱きつつ筋トレしたりファッションにこだわった私は、9月に2年に進学して意識的に人と交流するようにして、英語もうまくなってきて会話の輪に加われるようになってこの呪いはとけてきた。と同時に結局自分は自分が納得するくらい白人化することで呪いを解いたんじゃないかという気もしている。
私はわからない言葉が出てきたときに毎回笑ってごまかすんじゃなくてなにそれ?って聞くようになってから立ち回りが結��変わった。こうするとどのコミュニティでも、会話の中にこのコンテクストを知らない私がいる前提で話が進んでくれるので、途中で教えてくれるテンポになってきた。人間の関係性の中で教えてもらうポジションに付くというのはうまく行きやすくて、以前は舐められないように自分を見せることを頑張って変なことを言わないように気を張ってたけど、いまはむしろ逆。そしてそのほうがうんと中にはいっていける感じがする。
この話は、結局自分の良さに気がついて白人化の努力をやめましたという終わりはない。ある程度自分のことを認められても、私はきっといつまでも白人化を望んでしまうと思う。アメリカ人のような英語を話したいし、ルルレモンのヨガウェアをきたいし、結局白人と一緒にいることで、ああ私はアメリカでもうまくやっていけていると安心する。このジレンマとは、ずっとこれからも離れられない気がする。
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BOOKS
空は、
空は、心の鏡 自分の思いを空に見る 空は、「今」という一瞬 空の景色は毎日変わる 空は想像力の扉 雲の天使が舞い踊る
平凡で見慣れた風景でも、空の光と流れる雲のおかげで 2度と出会えない素晴らしい風景になる 「そんな風景に出会った時はいつも慌ててシャッターを切る 空が主役の写真だけを集めた最新写真集 26、5㎝×22㎝ 96ページ パイ・インターナショナル刊 ¥2,400+税 2018年11月発売
あなたに、会えてよかった
「大切な人に贈りたい、空の写真詩集」
詩人の中島未月さんと約2年の時間をかけて作り上げたコラボレーション。 6年前に作った「だから優しく、と空が言う」に続く第二弾です。 お互いが自分の意見を主張し合って、完成度の高いものを目指しました。 人と人が出会うことの奇跡を、もっと大切にしたい。 中島さんの言葉は心にしみます。 四六版 96ページ PHPエディターズグループ刊 ¥1,300+税 2016年3月発売 電子版も販売中
みんな空の下
「みんな空の下、今日も空の下、いつも空の下」
僕は写真をはじめてからいつも「あっ!」と思った瞬間にシャッッターを押してきました。 そんな空だけに限らない「あっ!」を集めてみました。 空は繋がっているのだから、みんな同じ空のしたにいる。 朝焼けの空も、青空も、夕焼けも、星空も、じつはみんな繋がっている。 そして過去も未来も繋がっている。 そしてその空の下で「あっ!」と思ったすべての瞬間が人生の宝物なのだと思う。 A4版変形 106ページ パイ・インターナショナル刊 ¥1,900+税 2015年3月発売
空は僕を誰とも比べない
「急がなくていい、無理しなくていい、ゆっくりでいい」
写真と言葉を組み合わせた写真詩集はいつのまにか僕の作風になっていました。 「雲の言葉」以来何冊作っただろう。 自分の原点が写真詩集だけに、言葉はいい加減には書けません。 空はいつの時代も、悩む自分の理解者だと思う。 「今日が土砂降りの雨でも、厚い雲が垂れ込めていても、 明日は青い空が広がっている、そう信じて生きていく」 46版 96ページ PHPエディターズ・グループ刊 ¥1、300+税 2014年8月発売 電子版も販売中
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空を巡る旅
「遠くへ、遠くへ行きたい、はじめて出会う空を見て、僕は何を思うんだろう」
旅に出て写真を撮る事にしています。 日常を離れて、初めて見えてくる事がたくさんあるからです。 偶然であった空に、思わず「わー!」と声が出るて、その気持ちを写真に封じ込める。 それが面白くて東に行ったり、西に行ったり。カメラを抱えて 、空を見上げながら、僕は今日も世界をさまよう。 A4版変形 106ページ パイ・インターナショナル刊 ¥1,600+税 2013年10月発売
空を見上げよう
「この空は物語、この空は愛、この空は希望」
パイインターナショナルの写真詩集シリーズ第3弾。 この本はとにかく空、空、空。 空を見てなにを思うか。空が伝えてくれるイメージや思いや感情や希望。 空の表情の豊かさを存分に味わってほしいです。 15㎝×18㎝ 96ページ パイ・インターナショナル刊 ¥1,280+税 2011年11月発売
空へ続く道
「旅は自由 空に夢 道には希望」
僕は車で旅しながら、気に入った雲を探し、 見つけたら周辺の何かと組み合わせて写真を撮ります。 だから空と道ばかり見ている。結果、一番多く空と組み合わせる被写体が道になりました。 美しい道、かっこいい道、想像力をかき立ててくれる道、いつかの記憶と結びついた道。 そんな道を見ると写真に撮りたくなります。 A4版変形 126ページ パイ・インターナショナル刊 ¥2、400+税 2010年3月発売
誰の上にも青空はある
「準備が整うと ラッキーが降ってくる」
未来に希望を持てない今の若者たちに、夢を持ってほしいと書いた一冊。 自分がなかなか写真家として成功できなかった頃、 悩んだ事や、夢をあきらめなかった事をベースに 「考え方ひとつで自分や世の中は変わる」そんな事を伝えたくて書きました。 文章が先で写真後で添えました。講談社で文庫化もされたロングセラーです。 13㎝×19㎝ 96ページ ヴィレッジブックス刊 ¥1200+税 2008年7月発売
海は空を映す
「海と空の真ん中で ぼくらは今日も生きている」
子供の頃から「海」という言葉は「夏休み=自由」の象徴でした。 そんな海をテーマにした写真集。 青空を映す海。夕焼けを映す海。飛び交うカモメ。水辺の人々。 HABU独自の世界観で海を表現しました。 25㎝×23㎝ ハードカバー 96ページ パイ・インターナショナル刊 ¥2、800+税 2008年2月発売
自分の物語
「本当の自分を捜す旅 綴るのは自分 演じるのも自分 いつか笑って読み返す」
「夢に向かって」と同時発売された、写真詩集第2弾。 4ヶ月後に迫る写真展のプレッシャーを抱えての2ヶ月の旅でした。 なかなか思う様な写真が撮れず、悩み落ち込む日々。 そんな時にひらめいた「今のまま��自分で撮るしかない」という思い。 目の前に延びる道を見て「自分への道」というタイトルが浮かびました。 悩み苦しんだ先にたどり着いた希望ということがテーマ。2011年に新装版発売。 15㎝×18㎝ 96ページ パイ・インターナショナル刊 ¥1,280+税 2006年10月発売
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夢に向かって
「夢を思い出せ 夢を忘れるな 夢をあきらめるな」
写真詩集という言葉を造語として作って発表した第一弾。 写真家になろうという夢を抱えて放浪していた頃の、 様々な思いを言葉として当時撮影した写真に添えました。 全体の流れでひとつの長い詩になるよう構成を考えました。 テント暮らしでオーストラリアを縦断した日々がよみがえります。 15㎝×18㎝ 96ページ パイ・インターナショナル刊 ¥1,280+税 2006年10月発売
空の模様
「空はこんなに美しい 空はこんなにかっこいい 空はこんなに懐かしい 空を見たのはいつですか」
「空の色」という写真集に対して、 雲の形をテーマにした写真集をずっと作りたいと思っていました。 「空模様」という言葉からヒントを得てまとめることができました。 この頃取材が多かったためオーストラリアのみならず、 ギリシャ、イタリア、インドネシアなど各国の雲も登場します。 もちろん日本の空も捨てたもんじゃない。 28㎝×22㎝ 96ページ パイ・インターナショナル刊 ¥2,400+税 2006年8月発売
雲を追いかけて
「雲を追いかけて 風のように あてもなく どこまでも そんな旅をしてみたかった」
長い心の旅の末、自分が撮りたいのは「空や雲」だと分かった。 以来、僕は毎年雲を追いかけるたびに出ます。 そんな様々な旅の途中で、自分の心に響いた雲の数々。 オーストラリアをメインにモロッコ、ギリシャにて撮影しました。 28㎝×22㎝ 152ページ パイ・インターナショナル刊 ¥2,800+税 2004年11月発売
あの夏
「風が吹き 夏がはじまる」
32歳の時にサラリーマンを辞めて、 人生の夏休みだと自分に言い聞かせてオーストラリアに渡りました。 ぽんこつの車を買って写真を撮るために「あの夏」をさまよいました。 あんな旅は一生に一度だと思います。 その当時撮影した写真に、それぞれ短い文章をつけました。 A4版変形 96ページ ヴィレッジブックス刊 ¥2、400+税 2003年4月発売
空の色
「忘れられない 空の歌がここにある」
はじめて作った本格的写真集。 色をテーマに、オーストラリア、バリ島、日本で撮影した作品をまとめました。 構成を考えるために、すべて六つ切りのプリントを作り、 友人のデザイナーとともに悩んで悩んで作りました。まさにHABUの原点。 28㎝×22㎝ 96ページ パイ・インターナショナル刊 ¥2,400+税 2000年11月発売
Kindle版(電子版)もこちらから
絶版写真集
雲の回廊
「頭を空っぽにして、流れていく雲を見る。 地球に生きるものたちの、ふつうのスピードを思い出す」
2012年富山県高岡市の写真専門美術館「ミュゼふくおかカメラ館」での写真展の図録を兼ねて制作しました。 今まで発表したすべての中から150点を選び、一冊にまとめました。 タイトルの「雲の回廊」は回遊型の会場のイメージ。 コンパクトな一冊ながら、HABUのすべてがぎっしりと詰まった一冊。自選ベスト150。 18㎝×15㎝ 160ページ PHP研究所刊 ¥1,400+税 2012年5月発売 電子版は継続販売中
たったひとつのもの
「空を見上げて 明日へ進もう」
平原綾香さんの名曲Jupiterの作詞家、吉元由美さんとの合作。 吉元さんが僕の写真を見てイメージした思いを文章にしてくれました。 読み込んでほしい一冊です。 46版 64ページ 経済界刊 ¥1、100+税 2012年4月発売
KLICK
空の鼓動
「VIBES 心が共鳴する、空の鼓動」
心が折れそうな時は、空に抱きしめてもらうといい。 空の鼓動に耳をすまし、自分が自然の一部だという事を思い出そう。 言葉にはしにくいけれど、心が共鳴するイメージを集めた一冊。 想像力を解き放ち、自由にイメージを膨らませてください。 A4版変形 112ページ 武田ランダムハウスジャパン ¥2,400+税 2010年6月発売
だから優しく、と空が言う
「海と空の 交わるところ 心でしか ふれられない 場所があり」
僕の写真に五行歌人の中島未月さんが言葉を添えました。 心に染み渡る様な言葉が読む人を励まし、元気づけます。 「明日、新しい空が生まれる。歩き続けなくてはならない理由。」 プレゼントにも最適なロングセラーです。 四六版 110ページ PHP研究所刊 ¥1,300+税 2009年12月発売 電子版は継続販売中
空へ
「海は空の色を映す 空は人の思いを映す」
HABUの写真集、第2弾。 26㎝×25㎝ 96ページ ピエブックス刊 ¥2,800+税 2002年3月発売
空の力
「ふと見上げた空に心が共鳴した」
フォトカードブック第2弾 ピエブックス刊 ¥1,280+税 2003年5月発売
雲の言葉
「ちょっと立ち止まって、空を見上げてごらん」
HABU初のフォトカードブック ピエブックス刊 ¥1,280+税 1999年7月発売
その他
空のとびら
「空、海、風、夢 とびらを開けよう 旅がはじまる」
空の写真家HABUとして初の書き下ろしフォトエッセイ。 四六版 152ページ PHP研究所刊 ¥1,300+税 2009年8月発売
知られざるイタリアへ
ロバート・ハリスの終わりなき旅路イタリア編/写真HABU
14㎝×21㎝ 234ページ 東京書籍刊 ¥1,800+税 2008年7月発売
モロッコ オン ザ ロード
ロバート・ハリスの終わりなき旅路モロッコ編/写真HABU
14㎝×21㎝ 288ページ 東京書籍刊 ¥1,600+税 2005年8月発売
幻の島を求めて
ロバート・ハリスの終わりなき旅路ギリシャ編/写真HABU
12㎝×18㎝ 272ページ 東京書籍刊 ¥1,400+税 2003年4月発売
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【地域交流ゾーン見学会】
会場:高円寺南3-67-1 二階レクリエーション室
魔法を体験できる親子で楽しむ♪ミニコンサートです
講師に魔法使いを実際にしてます「謎の超能力者戸田」先生を招きます
A席1,000円 B席1,000円
※小学生のみでの利用は21 :30までになります(定員:先着200人
0才〜未就学児の親子や妊婦さんも参加OK
ぜひ、知り合いの家族や親戚に勧めてください
もちもの:好きなもの

日程:7月2日火曜
イベント名:「第一火曜 魔ゼルな規犬たちの企画する日」
会場:高円寺「無力無善寺」 https://muzenji.web.fc2.com 杉並区高円寺南3-67-1

開場18時 開演18時15分 料金:千円(ドリンク代込み)
超能力人生相談:謎の超能力者戸田
LIVE(あいうえお順) 「あなるちゃんと大河もん土」 「嗚咽民」 「和水とゐ忌レと魔ゼルな規犬と自由参加」 「さのるい」 「終末亭厄丁vs野田伊佐也対決」 「むしひも」 「ルッコラ」
=お時間���分の予定===
18:15~「謎の超能力者戸田」 転換19:00~ 19:05~「終末亭厄丁vs野田伊佐也対決」 19:35~転換 19:40〜「あなるちゃんと大河もん土」 20:05〜転換 20:10 ~「和水とゐ忌レと魔ゼルな規犬と自由参加」 20:35~転換 20:40~「さのるい」 21:00~転換 21:10~「ルッコラ」 21:35~転換 21:40〜「むしひも」 22:05~転換 22:15~「嗚咽民」
==出演者さんのご紹介==
18:15~「謎の超能力者戸田」

謎の超能力者戸田です。 銀河系に住むオセロ七段。 催眠、気功、伝授できます。「催眠サークル人間失格」の代表。
19:05~「終末亭厄丁vs野田伊佐也対決」
野田伊佐也さんは 歌手・シンガーソングライター



終末亭 厄丁-迷嘔星-

テレフォンドール(@TelephoneDoll Gt/サイバーヒッピー/独学で東洋占術(四柱推命、算命術、紫微斗数、姓名判断...etc)の研究中。練習のため鑑定は無料で承ります。
誕生日: 1998年7月10日
19:40〜「あなるちゃんと大河もん土」

小川開世(大河もん土)
昭和歌謡、シャンソン、明治大正の流行歌など 主に日本の古い歌を歌います 早稲田大学文構三年 O2(新宿ゴールデン街)金曜日どうぞご贔屓に!

あなるちゃん
Fée de fleur analchang (╹◡╹)ぱふぱふフラワーあなるちゃんです。お花がいっぱいフラワーランド 。アバンギャルド労働組合東京婦人部。『車掌』編集部給食係 つちのこ学会東京支部。
20:10 ~「和水とゐ忌レと魔ゼルな規犬と自由参加」

和水(kazumi)
牛チラハンター 心眼ソングライター ソロ,the部族,和水と魔ゼルな規犬,幻想曲,にゃんにゃんブーメランwith革命Stars,LIFE,nossa casa,アイヌ沖縄歌,祈り祝詞読経
太鼓&卓球 踊り,水関連,酒,発酵食&昆虫食,餃子の王将荻窪店,時代劇(日,中華)格闘技好き'80アニオタ

ゐ忌レ
ノイズ、絵、人形制作 自主イベント「新迷信」主催 自主レーベル「夏ゴミ屋敷CD-R」 映画と音楽と絵と暗黒舞踏等が好きです 元、睡寂舞踏家、夜勤、くそリプ対応保証、自らの罪を認め贖罪をしていきます。(月)(火)休み。悪人
20:40~「さのるい」

音楽やってます。/ TOKYO VERDY・練馬緑鳥會卍 / CELTIC
TM NETWORK / BOØWY
21:10~「ルッコラ」

ダブの世界で遊んでいる自給自足農民。野菜をつくったり、読書したり、たま〜にライブをしたり、山間の田舎で静かな生活を送っています。Repost多め
https://x.com/rucola_dub
21:40〜「むしひも」

ねむねむandたべたべ←さいこう
https://1link.jp/mushinohimo
22:15~「嗚咽民」

人ガジェット即興楽団“嗚咽民(オエツミン)“| 9/20 1st Album“borderless”発売 |エヌ(gloptin 嗚咽民 原田仁) | 川サキ×嗚咽民|鼓膜殺しのピカルミニスト | ピカルミン多頭飼 |

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がっこちゃっこすべし~その18
ロングセラーのおやつの話が続いていますが、今回もその美味しさに感動したいただきものを紹介します。
それがこちらの「株式会社むつみ」の『あんみつ』。

中身のすべてがとても自然で優しくて丁度よい塩梅の味なのです。特に寒天が美味しい!「なかなかこれだけ美味しい寒天のあんみつないかも」と娘も感動していました。
材料を見ると「天草(国産)・米酢・ビートグラニュー糖、小豆、黒糖(沖縄産)」となっています。
写真を見ていただけるとわかるように「創業大正十五年」!これもまた、ぜひ今年で何年目になるか計算してみてください。
バニラアイスを乗せてクリームあんみつにしてみました。(ちなみに、これは1袋の半分の量です。)

一口食べるたびに家族で「おいしいね」と言ってました。
セルバの「北野エース」や桂の「グリーンマート」で買えるそうです。見かけたらぜひ・・・
「良いものを作り続けたい」という想いと誇りを感じると、背筋が伸びるような気がします。そんなエ��ルギーをいただきながら、暑い夏を乗り越えていけたらと思います。
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2021.4.21wed_tokyo
起きたらパンツ一丁だった。帰宅して寝巻きに着替える前に倒れて寝てしまったみたい。9時半。窓も開けっ放し。風邪ひかなくてよかったね。最近色々なことがありすぎて、呑むと大体記憶を無くしてしまう。こうやって倒れ込んで寝てしまう日が多くなってしまった。台風くらい荒れている・・・先週1週間滞在した京都では気づいたら道が分からず夜中に寺に迷い込んで、深夜に5人に電話していた。ご迷惑をおかけしております・・・・。
さて、昨日は友達4人で秩父の三嶺神社へ車で向かい、途中寄った川に到着して5分で大きな石から滑り落ちて水にぼちゃんと落ちた。おパンツも携帯もズボンもジャケットもびちょぬれになり、晴天で熱々になった石に洋服を広げて干した。ズボンが全く乾かなかったので、車の窓からズボンを出して走りながら乾かした。ちょうどもうすぐ鯉のぼりの季節だな~とか思いながら、外からみたら鯉のぼりに見えるかな?見えないか?とか考えながら、ひらひらと揺れるズボン。

運転手の山口洋佑、近藤さくらちゃん、こじまりちゃん。みんな気持ちの良い人たち。みんな表現をする人。話していて元気が出るしやる気が出る。1日過ごして、自分の話もたくさんさせてもらって、気持ちよく最後は宴が終わるまで山口家のテーブルの下で眠っていた。みんなありがとうございます。


そして、今日。起きたら数件、嬉しいメールが来ていた。大好きな友達家族が6月に長野から東京に帰ってくるという連絡。会おうね。嬉しいね。ってメールする。近況も報告。もう一つは鳥取の大好きな料理家のしろたふみこちゃんからで、急遽東京に��るので夜ご飯できないかな?って連絡。嬉しくて二つ返事で返す。
よし、やることが超絶��まっている。ような気がするだけかな。 とりあえず毎日飲んでるいちごのビネガードリンクをコップ一杯飲んでお風呂に入る。シャワーを浴びて、そのまま少しだけ半身浴をする。最近は、ふみちゃんが去年蒸留したクロモジのスプレーを数滴たらしてお湯を溜める。本当にリラックスできる自然の香りで保湿効果もあるような。ふみちゃんと会うの嬉しいな~って考えながら10分くらいで出る。 そのまま洗濯回して、洗い物と部屋の掃除。部屋の植物たちをチョンチョン触る。可愛いな。

む、洗濯の終わった音が全然ならない。最近10回に一回は最後のすすぎで止まってしまう。しょうがないからびちょぬれのまま出して、洗面台で全部絞る。絞りまくる。めっちゃ疲れる。二の腕に効いている気がするから大変だけど頑張る。無事、干せた!
お昼までにやっておきたい仕事を済ませて、お昼はネギたっぷりスープにこないだ作って冷凍しておいた筍のワンタンを投入。たっぷりわかめも。最近あんまりご飯が食べれなかったんだけど、ご飯はパワーと直結するから、ちゃんとしっかり食事も整えなければ。

お昼を食べながら、昨日、絵描きのまぐちさくらこちゃんが送ってくれたメールを見る。定期的にタロットをひいて占ってくれるんだけど、毎回本当に当たりすぎてひいてしまう。今回もすごいことを言っている。「未来に向けて年下の子達の言葉や行動を無条件に信じて、受け入れます。」これ、ずっとやっていきたいことなんだ。さくらこちゃんが大事なときにいつも背中を押してくれる。不思議な存在。先日関西で一緒にピピロッティ見て、ご飯食べて話しながら2人で泣いたことをまた想い出した。ウケるね。
午後、ハルカくんからメール。1年続けてきた日記のバトンも今日で終わり。最後の日記は音楽家のハルカナカムラくんにお願いした。最後の締めくくりとして、本当に素晴らしい文章を書いてくれたのだけど、やっぱり今の日常を書こうかなと連絡が来て、もう一度書いてくれることに。はじめにもらった文章が、私しか読めないのはもったいない気がしたけど、1年間のご褒美として、胸に留めて置くことにする。宝物。
午後からやる仕事をまずは書きだす。GWイベントの各所への連絡、あとはインタビューのリード文と文字起こしを少し、夕方までにはこれくらいできるかな。 そういえば昨日音楽家の友達から、今度「療術院ぽかん」という活動を始めるので、そのロゴを描いてくれないかと連絡が来たのだった。甲府に住むこの夫婦の家の表札をお正月に泊まりに行ったときに描いたのを気に入ってくれたみたい。嬉しい。それもやろう。ということで取り掛かる。 インタビュー1つ目は、京都の画家・ミシシッピくんが初めての画集を出すことになり、それにまつわるお話を聞かせてもらったものだ。これはちゃんと記事になって、公開される。友達のサムライが、こういう書く場所を作ってくれている。聞きたい話や、伝えたい話をこうやって形にして発表することができるなんて嬉しい。ライターやインタビューアの経験はないけれど、何事もやってみようと拙い言葉でまずはやってみている。それの絶大なるサポートをしてくれるサムライにとても感謝してる。 インタビュー2つ目は、大阪の本屋、FOLK old book storeが1年以上続けてきた企画が本になることになり(しかもFOLK初めての出版!)、先日関西に行ったときに、お話を聞かせてもらったものだ。店主・吉村とも長い付き合いになる。文字起こしはしたことがなかったのだけど、これもやってみようと思ってやってみた。意外といけるのでは。しかし、自分の声と相槌の多さにひいてしまう・・何回うんうん、言ってんだよ・・・うんうん、うるせえよ、私、おい・・・。 そんなこんなであっという間に18時、ノルマが全く終わってない。
とりあえず、夜の宴の買い物をして帰宅。話題の泡が出るビールを速攻開けるも、ものすごい勢いで吹き出して3分の1が流れたとともに、ふみちゃんが家にきた。ビールくらい色々溢れる。話したいことが止まらない。ナチュールの丹後ワインを開けて、呑みながら他のメンバーが来るまで、話しまくる。途中、宴に誘ってた男子3人から連絡が来る。みんな微妙に来れないみたい。理由とかそっちのけで、くればいいじゃんって強く言ってしまう。昔から、女子にはかなり敬意があるんだけど、仲のいい男友達には割と強くなってしまう・・・・自分のこの感じってなんだろうな。不思議だな。逆に付き合うとすごい尽くすことが最大になってしまうし、なんかもう恋愛とか向いてないのでは・・・って最近のことも考えながら、花衣ちゃんがきた。
みんなで協力してふみちゃん主導に料理をする。花衣ちゃんは山フーズのお手伝いもしていたりと、最強のサポーター。そしてかなちゃんが来る。もうすぐ永福町に「中華可菜飯店」をOPENするかなちゃんには、餃子を包んでもらう。京都の駱駝で働いてたこともあって、駱駝流の水餃子の包み方が衝撃的でみんなで感動する。かなちゃんはまだ20代。自分のお店を東京でOPENするなんて本当すごいよ、嬉しいよ。楽しみだよ。

はあ、みんながキッチンにいる景色がとっても眩しくて嬉しい。京都の家の時はしょっちゅうみんなで料理をして乾杯してたなと思い出す。そんなこんなで美味しい宴が完成した。濁酒のソーダ割りうめえ、茶碗蒸しうめえ、色々嬉しくてよくわかんない気持ちになる。そうこうしているともう夜中が来るのだ。
ふみちゃんの終電がギリギリということに気づき、1人は自転車、1人は走る、をそれぞれ交互に繰り返しながら駅まで向かう。走ってたの疲れたけどいい時間。間に合ったみたい。よかった。帰宅して、宴のままのごちゃごちゃのテーブルの上が愛おしいなと思いながら、バタンとまた顔も洗わずに寝てしまった。

-プロフィール- 鷹取愛 38 東京 山ト波という屋号で展示やイベントの企画をしています
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最後に
一日遅れの日記が1年経ったので、今日で終わることにしました。365人とちょっとの人に書いてもらったのです。書いていただいた人は全員知っている人です。たまに、書いてみたいと連絡が来ることがありましたが、誘う人は、そのときにちょうど連絡を取り合っていたり、突然想い出した人だったりして、現場感を大事にしていたので、初めましての人はお断りしてしまいすみませんでした。もっと書いて欲しい人がいて、ずっと続けたかったけど、いろんな転機とも重なって、終わりにすることにします。
スタートした時ははじめて緊急事態宣言が出たくらいの時で、毎日がどうなるのか不安で、ひたすら家にいた時でした。そんななかでも、友達とのやりとりで、意外とみんなちゃんと健やかに暮らしていることを知り、安心した出来事があって。こうやって誰かの日常を知ることで、誰かの未来が救われることがあるのかも。って、希望を持ってはじめてみたものでした。
毎日大変じゃない?と言われたりもしたけど、全くそんなことはなく、ご飯食べたり歯を磨いたりするくらい日常的なのもので、何より毎日だれかの日記を読むのも気持ちを知るのも楽しくて。久しぶりのみんなとの連絡も、自分のこれまでを想い出す大事な機会となりました。嬉しい時間。
今の時代に何かを残す?とか、そんな大��れたものではないのだけど、やはり何か物として形に残ることは大事だなと思っていて。これはやっぱり未来形にはしたいなーと思うので、また本になったりしたら、改めて読んでもらえたら嬉しいです。気長に待っていてくださいませ。
家が40年以上続く看板屋さんで、今でも地元の街を歩くと、もう17年前に亡くなったお父さんが描いた看板をいくつか目にすることがあって。お父さんは今だったら貴重な手書き看板職人で、絵も描けるので、映画看板を描いたりとか、いろんなお店のサインや絵を手で描いていて。最近、もういないその人の手書きの文字が、普通に歩く道に突然立っていることを不思議に思ってしまってて。”それ”があることで、感情が揺さぶられて、すごく巻き戻ったり、未来のことを考えるきかっけになったりして。17年後の私がそのお父さんのその看板の文字をなぞってみて、何かを思ったりすることの面白さというか。形として残ることは大事だなと。日記を書いてくれた人が、この今に生きていた日々を、本棚を眺めてたらふっと思い出して、未来の良いきっかけになるような本を作れればなと漠然と思いました。やっぱりこの時代はとっても不思議だし、コロナ禍の一年はいろんな人の心の変化がたくさんあった時だから、嬉しい、悲しいことも含めて、大事に留めておきたい時代の記録だなと思ってます。本当に個人的にも色々なことがあった1年。全く1年前とは違う人間だな自分。人生とはなんて波乱万丈なんだ。
1年間、何度もサイトにきて読んでくれたみなさま本当にありがとうございました。書いてくれたみんなも本当にありがとうございます。ロゴを作ってくれた尾花大輔くん、イラストを描いてくれた山口洋佑くんも本当にありがとう。
またどこかで会えますように。それではー。バイ!
鷹取愛(山ト波)
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顔のない
私には顔がない。顔がない人は人を愛することができない。顔というのはいわばアイデンティティで、それを欠いていては人に対する自分の感情に絶対の確信を持てない。揺蕩っている。故に私には愛するべき人がわからなかった。
顔がない私をまともに雇ってくれる企業などそうなく、私はただ5体満足であれば使ってくれるような日雇いを斡旋所に紹介してもらい転々と現場を渡り歩いて暮らしていた。肉体労働ばかりできついこともあったが、私が大きなマスクをすっぽり被りっぱなしで働いてもこういう職場の上司や同僚は一切干渉してこなかった。そんなある日、イベント会場のセッティングの現場で斗瀬さんと私は知り合った。
斗瀬さんは顔がない私を面白がった。
「面白いな!顔のない人間なんて、あんたの親もそんななのか?」
「いえ、私の両親も妹も普通の顔を持っています」
私は無愛想に答えた。
「突然変異ってやつか」
私は首をかしげた。かしげて、斗瀬さんにはかしげた様子がわからないことに気づいたけどどうでもよかった。
「食事はできんのか?」
「できます。普通に物を口に入れて噛んで、飲み込めます」
私はない顔の口元を指差した。私の顔は物理的に「ない」のではなくて、どうやら私含め人間には視認できない性質のもののようだ。その証拠に、他人からも触れる上、目も鼻も耳も口もあってしっかり機能しているし、呼吸も摂食も発声も発汗も泣くことも人並みにできる。しかし「ない」顔は、汗や涙よりも透明だ。
「そうか、じゃあ今日現場終わったら斡旋所で待っててくれ。俺がメシ奢ったる」
なにが「そうか」なのかわからなかった私は焦ってとっさに頷いた。しかし私の顔が見えない斗瀬さんは私が頷いたのに気づかなくて私の胸のあたりをじっと見たまま硬直していた。そしてそれに気づいた私は手でオッケーサインを出した。たまに現場で会うから断るのも気まずいし、とりあえず今回は付き合おう。斗瀬さんは「じゃ」と言って手を振りながら向こうへスキップしていった。
「愉快な人だな」と私は思った。
斗瀬さんは私より30分遅く仕事から上がり、18時過ぎに待ち合わせ場所の斡旋所にやってきた。いつの間にか外は雨だった。私は傘を忘れてきたので、斗瀬さんの傘に2人で入って歩く。アスファルトを打つ雨の匂いと、少しがに股で歩く斗瀬さんの着古したジャケットのつんとした匂いが混じってなんだか頭がふわふわする。世界の輪郭が少し、私好みに崩れた気がした。
雨は好きだ、雑踏を行き交う人々は傘で顔が隠れ匿名性が普段より増して、顔がない私でも少しだけ気後れせず街を歩くことができる。それから雨の日は人々の感情も静かで心地がいい。
「あ、あそこだよ。定食屋でもいいか?そういえば酒は飲める?」
「大丈夫です」
斗瀬さんに連れてこられたそこは駅前の商店街の「お多福」という老舗の定食屋だった。
私がなんでも食べれますよ、と伝えると、斗瀬さんはビールの大瓶と枝豆とたこわさともつ煮と鯛のかぶと煮をすらすらと注文した。
「とりあえず飲もか、ほれ」
斗瀬さんは私にコップを渡してお酌してくれた。私もお返しに斗瀬さんのコップにビールを注ぎ、乾杯して飲み干す。
「口が見えないからビールが消えたように見えて不思議だな、ああ、こういうのはデリカシーなかったな、すまん」
「いえ、大丈夫です」
私は斗瀬さんに顔がないことについて関心を持たれるのはなぜか嫌じゃなかった。他の人に突っ込まれるとああまたか、めんどくさいなあっていつもうんざりするのだけど。
「そういえば名前はなんて言うの?」
尋ねられて、名前を言ってなかったことに私も今更気がついた。
「佃 岬」
「佃って佃煮の?漢字で書くと苗字と名前のバランスが綺麗だな」
私たちは大瓶2本を空けて、シメに差し掛かっていた。私はにゅうめんで斗瀬さんはきざみうどん。斗瀬さんはあまり酒に強くないらしくて、もう赤ら顔で虚な眼をしている。
「そういえば、顔のない人は岬ちゃん以外にはいないの?」
「さあ…見たことないですね、ネットで調べても出てこないし、ただ、母によるといざってときは行政の支援も受けられるそうです。私は、あまり顔がないことに甘んじたくないのでわざとそういうのは調べないようして、一人でこういう生活をすることにしたんです。つまらない意地かもしれないけど」
「いや、つまらなくなんかない、やれるとこまでやってみようってことだよな。気に入った」
私は斗瀬さんがあまり深掘りしてこないところが好きだな、と思った。
「俺も実は産まれっていうか…家庭に反目して飛び出してきたクチでさ、そういうところ身につまされるな、まあ、一緒にすんなって思うかもしれないけど」
「そんな、とんでもない、そうだったんですね」
「少しだけ長いしつまらない身の上話になるけど俺はさ、6っつの時に母が家から出て行ってそんで12の時に父が再婚した継母に育てられてさ、そんでその継母には俺より小さい連れ子が2人いてとにかく彼女に可愛がられなかったんだよ。俺だけめし抜きとかざらだった。しかも親父は見て見ぬ振りさ、でもあのときは俺自身も仕方ないなって思ってた。それどころか、悪いのは自分だと思い込むところまできてしまってた」
独立する前の私に似ている。あの頃の私は私だけが周りと違うという理不尽をいつからか受け入れ、卑しく従ってしまっていた。そしてそれは自然なことで、どれだけ歪でも置かれた環境に適応するように生き物やその心はデザインされているのだ。でもだんだんと成長した私は、そんな摂理に抗いたくて、顔がないお前に居場所なんかない、一人で暮らせるわけないとひき止めてくる親に反発して家を飛び出してきたのだ。別にそんなことで自由が得られると信じていたわけでも、特に決定的な出来事があったわけじゃない、ただ、漠然とした不安だとかモヤモヤした気持ち、そんな灰色のものが私の中にごちゃごちゃに蓄積してついに爆発した、そんな感じ。
「親父の実家は酒造をやっていた。そしてもちろん長男の俺に継がせる気でいたんだ。親父の願い通りに高校生になった俺は学校の合間に酒蔵で働き出したよ。俺も親父は好きだったし、このまま地元で骨を埋める気でいた。でもそれは俺が18の時のときだった。継母がずっと浮気をしていたことが継母の妊娠で解ったんだ。そしてあろうことか相手は俺と殆ど歳の違わないうちの酒蔵の若い従業員だった。俺や俺の義弟ともいつも仲良くしてたやつさ。でもそれを知っても親父は何も言わなかった。先妻に捨てられたあげく、再婚した妻にも不貞を働かれたのを村の人たちに知られるとなるとたち��ち嘲笑の的だ、そして恥さらしになって、この先商売を続ける上でそれは不利になると判断したからだ。おそらく継母はそこまで計算に入れていた。女っていうのは心底恐ろしいものだね。結局親父は継母も密通の相手も責めずに、家の中だけの問題に収め、なかったことにした。そしてそういったことを目の当たりにして俺の中で何かが壊れたんだ。このままここにいてはおかしくなってしまうっぞって。そのことを実感してはじめてさ、いままで頭の隅にやってた怒りっていうか、言いようのない衝動が湧いて黙って村をおん出てきた。全く情けない話さ。それから30年間ほど日雇とかアルバイトで食い繋いでこのザマってわけ」
はじめてだ、
「私たち、はぐれものどうしですね」
斗瀬さんと私は、
「はは、そうだな」
同じように…
「岬ちゃんは、俺より多分若いだろうし自分さえ大事にできればこの先いろいろ楽しいことがあるよ」
「私今年で24です」
初めて自然に他人に私の年齢を知ってほしいと思った。顔がない女の年齢なんて男にとってはほとんど意味がないのに、あぁ、身体はどうだろう、私の身体の成長は18歳くらいでぴたと止まってしまっている。しかしそれは一般的にそういう人もいるのか、それとも顔がない人間特有のものなのかはどちらのもサンプルがないのでわからなかった。
外に出ると雨は止んでいた。私は斗瀬さんにきゅっと腕組みをした。斗瀬さんの身体は見かけよりがっしりしていて、火照っていて暖かい。
そしてそのままどちらから誘うでもなく、ホテルに入った。好きな人の前では顔がなくてよかったなと思う、これは初めて見つけた感情だ。私に顔があったら、照れて初めてデートする男に腕なんて組めなかっただろうから。
それと顔がないから、私に覆い被さって動く斗瀬さんの感じている顔を照れずにはっきりと見られる。
斗瀬さんのこめかみ、脂でつやがかって白髪が混じっている。
皺の多い唇。
豊かなまつ毛。
悩ましい表情。
まばらに生えた胸毛。
胸のしみ。
斗瀬さんの全てが、透明な私のなかへそそがれていく。
斗瀬さんには私の顔はどう映っているの。
やがて斗瀬さんは果て、私を優しく抱きしめる。私は斗瀬さんの汗ばんだ首筋に、キスをする。
「意外だな、失礼だけど、岬ちゃんは初めてだと思ってた」
「男は顔がなくても気にしない人が意外にいるんだなって独立してから気付きました」
「まぁ、そんなもんかもな」
今まで付き合った数人の男たちは、顔がない私とセックスするのに特別な興奮を覚えているだけの変態ばかりだった。私はそれにどうしても気づいてしまうのでいつもすぐ冷めてしまい、身の上話なんて彼らにはほとんどしなかった。けれど斗瀬さんは違う。私は斗瀬さんのことを知りたいし、斗瀬さんにも私のことを知ってほしい。斗瀬さんにこれからの私を見てほしい。
私は今初めて、恋を���ている。
それから私たちはたびたびデートするようになった、告白は斗瀬さんからだった。
「岬ちゃん、こんなんでよければ付き合ってくれませんか」
いつもの斡旋所の帰り道、私はオッケーサインで快諾した。
それから5ヶ月が経った。
その日、斗瀬さんはおでん屋でいつものように杯を重ねて赤ら顔になっていた。
そして、やにはにこんな話を切り出した。
「昨日の夜、むこうの俺の義弟から連絡があってさ、おやじが倒れたらしいんだ」
「えっ」
「末期の膵臓がんでね、もう長くないみたいなんだ…」
斗瀬さんの表情はいつものように口角を微かに上げた笑顔だったけれど、その変わらなさが反対に動揺を隠しているように見えた。
「それでこんなこと岬に頼むのも不躾だと思うんだけど、一緒におやじに会いに行ってくれないか」
「はあ…」
唐突なお願いに私はおずおずと返したが、正直なところ嬉しかった。私には顔がないけど斗瀬さんがいる。もう何も、怖くない。
「なんていうかさ…」
斗瀬さんはそう呟きながら首を傾げて右のこめかみをぽりぽりと掻く。私は斗瀬さんが決まりが悪い時にするおやじくさいこのしぐさが可愛くて好きだった。
「ほんっと勝手な話なんだけど正直に言うと、俺にとって岬は欠けていた一部みたいなもので、それを見つけた俺を、岬を死ぬ前に親父に見せたいっていうか…」
「なるほど」
それから私たちは無言になった、そして無言のまま2人で大瓶を一本空けた。それから私はもう一本注文した。
「いいですよ、その代わり条件がある」
「うん?」
聞きながら斗瀬さんは私に酌をする。
「私を婚約者としてお父さんに紹介して」
その言葉を言った瞬間、私の世界の全ての音が遠くなった。せっせと歩き回る店員も、向こうで宴会をしているサラリーマンたちも、みんなスローモーションになり、そして、ぼやけた私の世界に、今向かい合っている斗瀬さんだけが鮮烈に存在していた。斗瀬さんだけが、私を見ていた。
太腿がじんわりと冷たかった。石のように固まった斗瀬さんの持つ瓶から注がれぱなしになっているビールがコップから溢れて、テーブルを伝い私の脚を濡らしている。斗瀬さんは瓶を置き、私の透明な頬を流星のように流れ落ちていく涙をぴんと伸ばした震える人差し指で不器用にそっと拭う。
「岬は泣くと、顔の形が少しわかるね」
斗瀬さんのお父さんは私たちが様子を見に行ってから53日で亡くなってしまった。
実は継母とは15年前から別居かつ絶縁状態で、たまに斗瀬さんの義弟が様子を見にくる以外はほとんどお父さんは一人で過ごしていたらしい。酒造は経営不振からとっくに廃業しており、商売を畳む時に抱えていた負債は、実家とは離れた酒蔵の土地を開業医に売却することによって賄っていた。そんなもろもろを、これまで一切実家に連絡を入れなかった斗瀬さんは30年ぶりにお父さんに会って初めて知ったのだった。
斗瀬さんとお父さんは毎日これまでの時間を取り戻��ように睦まじく、たくさん話した。斗瀬さんはお父さんの実家の土地を継ぐこととなった。
そしてしばらくして、斗瀬さんの実家には籍を入れた私と斗瀬さんとで住むことになった。
私は村の郵便局の窓口でアルバイトをした。斗瀬さんは林業に従事した。
村の人たちは、印象とは違い都会の人より顔がない私に偏見を抱かず、むしろフラットに接してくれた。そしてなにより嬉しかったのは、みんな斗瀬さんが帰ってきたのを懐かしんでいるようだったことだ。その暖かさの理由には、家の事情をみんな知っていたので同情によるものもあったのかもしれない。
郵便局の横に住んでいる私の職場の先輩の日野さんの奥さんなんかは、頻繁に家に野菜をダンボールいっぱいに詰めて持ってきてくれた。私は日野さんの奥さんともすぐに打ち解け、仲良くやれた。
「岬ちゃんって寝る前ちゃんとフェイスケアしてる?顔がなくて関係がなくても、女でいるためにそういうのやっておいたほうがいいわよ?」
「女でいるために」
「そう、女でいるためにね」
私は日野さんの奥さんと軽口を叩くのが心地よかった。あっちにいた頃は、同性ともこんなに仲良くなったことはなかった。これは都会がどうとかではなく、斗瀬さんが私を見つけてくれて、2人で私たちの居場所を作ったから得られたものだ。私は村の人たちと関わるたびに、斗瀬さんと出会うことができてほんとによかったなあとしみじみ思う。
斗瀬さんの義弟たちとその家族とも私たちはうまくやれた。むしろ、ある種の蟠りがあったぶん、深い仲になれたふしもある。
斗瀬さんと私は、ゆっくりとした時間をこの村でたくさんの想いを与えたり与えられたりしながら生きた。
「親父は、最後嬉しそうだったよ」
不意に斗瀬さんは夕食の煮っ転がしをつつきながら呟いた。
縁側から秋の冷たくて寂しい風が吹き込んでくる。
身体が冷えるから、私は少しだけ開いていたガラス戸をゆっくりと閉めた。
「親父も俺と一緒で、自分の空っぽを埋めようって思いながら足掻いて生きていたのがな、俺と岬がこっちに来た時の親父と同じくらいの、この歳になってわかってなあ。そしてそれに気づかせてくれたのは岬、君なんだ。本当に感謝しているよ」
斗瀬さんの頭はもう真っ白で、頬もこけ、身体の殆どが亡くなる前のお父さんと瓜二つになっていた。
「そんな、私こそ斗瀬さんに見つけてもらえなかったら今ごろどうしてるか想像もできないよ。こちらこそ、ありがとう」
私は想いを噛み締めながら斗瀬さんに伝えた。透明な私の中にある、しっかりとした、色彩豊かな想いを。けれど、それはうまく言葉にできなかった。
私は斗瀬さんを背後からぎゅっと抱きしめた。斗瀬さんの身体は、あの日2人で傘の下で身体を寄せ合った時と違って、薄くて頼りなくてひんやりとしていた。しばらくそうしていると、じんわり目頭が熱くなってきた。
斗瀬さんは私の頭を撫でて、私の涙に応えるようにはかない声でうんうん、と微笑を浮かべて呟くと、寝室へとぼとぼと歩いて行った。この頃斗瀬さんは2��時にはもう寝てしまう。斗瀬さんはごはんもお菜も殆ど残して��た。私は食べ残しにラップをかけ、冷蔵庫に入れた。私の身体は斗瀬さんに会った時とまるで変わらない、顔がない私は老けないのだ。たぶん、脳も若いままなのだろう。冷蔵庫の前で立ち尽くしてそんなことを考えていると、たくさんの涙が、わたしからあふれてきた。
斗瀬さんが死んだのは3月の晴れた暖かい日だった。病室の窓の外では、山桜が風にふわふわと揺れていた。
葬儀には村のみんなが来てくれた。
これから大変だねえ、なんかあったら家にいつでも相談に来なよ、助けになるから。とみんな優しく私に声をかけてくれた。
とても心強かった。この村に来てよかったと私は心底思った。
私は今年で150歳になる。斗瀬さんも斗瀬さんの義弟もとっくに死んでしまい、今は斗瀬さんの義弟の兄のほうの曽孫のさらに孫夫婦とその娘さん(つまり斗瀬さんの…何になるんだろう……)や村のみんな(もうはじめ来た時とは何世代も変わってしまった)と相変わらず仲良くやっている。やはりどうやら私は顔のある人より寿命が長いらしい、もしかしたら不老不死なのかも知れない。
斗瀬さんがいなくなってから私自身について気付いたことがある。
それは、もしかしたら私のような(ほかにいるのかまだ見たことないけれど私は私と同じような人が何処かにいると信じている。特に根拠はないけれど)顔のない人は顔のある人の想いを保存する役目を負っているのかもしれないということ。私は、斗瀬さんの、斗瀬さんのお父さんの、継母さんの、義弟さんたちの、そしてこれから出会ういろいろな人の想いを、透明のなかにこぼさないように注いで行く。私は斗瀬さんや、斗瀬さんとこの村に来た時に知り合った人たちがくれた想いを今でも鮮明に思い出すことができる。そこにはたしかに戸惑いや、悲しみもあったけれど、どれも宝石のように美しく輝いている。そしてそんな人の想いが在る限り、顔のない私は歩き続けるだろう。
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全国各地の議会で通用する方法ゆえ、全力で拡散をお願いしたい。 あいちトリエンナーレの芸術監督という「実績」をもって、今後、津田氏は全国の自治体に講演を行っていく。お仕事なのだから有償なのは当然だけれども、自治体が主催する場合は、「税金から津田氏の給与」が払われることになる。つまり、貴方の街で開かれれば、貴方のお財布から津田氏の給与を払う。
まずもって議員という立場である以上、「払ってよくない」とは言わない。だが、この文章をお読みの方が「え??私は、昭和天皇の御真影を焼く映像を展示させた芸術監督を呼ぶために、私の納めた税金を使われたくない!」と思ったとすれば、それはそれで【民意】である。 私は民意に応える立場であるため、地元の市議にどのような動きをとってもらえば良いか、方法を記しておく。
この動きは、神戸市議会に属する上畠のりひろ議員(自民)の実績だ。および共に動いた外海議員(維新)の動きによるものである。
最大のポイントになる。 市議として行動するにあたり、実は「中止せよ」とは言っていない。むしろ「推進して頂きたい」という論法を用いている。内心がどうであったかは想像に任せるが、議員として地元の市行政と相対するにおいて「反対してない」「中止を求めていない」のは、実は最大のポイントだ。
何を求めたのかと言えば、「公平性の担保」である。 例えば津田氏の動画を見せた上で、極めて特定の政治色が強いことを提示し、その上で開催を要望したようだが「公平性の担保の為、有本香氏」の登壇を要請している。 また、行政とは公正明大であることが求められるゆえ「①昭和天皇の御真影を焼く映像の存在」や「②日の丸や星条旗を侮辱するような展示物(馬鹿な日本人の墓)」の存在も、神戸市のシンポでは隠さず触れるように求めた。
一部には「政治の圧力だ!」とか「弾圧だ!」という声が聴こえてきそうなので、先に書いておくが、市議らが行政や実行委員会に求めたのは中止ではない。公平性の担保であり、その意味ではむしろ開催を支援し要望する形式での動きである。 公平性を求めたところ、神戸新聞の元役員が実行委員長として中止を決定したのが経緯である。
流石だなと感じたのは、これは実行委員長名において文書で回答を得ている。 かつ、ネットにも公開しており、この手法は全国に横展開できる形となっている。
うえはたのりひろ神戸市議の動き以下、Twitterに投稿された上畠市議の発言を掲載する。
(一文にまとめて紹介するため、改行などをBlog用に修正。また”続く”不要個所のみ削除。)
維新の外海議員と共に古川専務理事と面談。津田大介氏の人選は実行委員会で企画時は各地芸術祭の責任者を呼んでシンポジウムをしようというもので、他にも瀬戸内国際芸術祭にも声をかけたりしたそうです。津田大介氏だから敢えて呼びたいとか、政治的意図は全くないとのこと。
古川専務理事と担当係長には高須先生の助言も踏まえて津田氏の宣伝となるような中止とは言わないが、行政イベントの公平性担保を確保を求め、シンポジウムには一辺倒の主張でなく、立場を異にする有本香さんをお呼びしたり、天皇陛下の写真を燃やす映像を確信的に行った発言を紹介して神戸市民にジャッジできる機会を作り、せっかくの神戸の芸術祭が津田氏のプロパガンダにならないよう申し入れました。又、動画を見せて津田氏が自身への批判者をリスト化し殺すリストを作り犯罪を示唆する人物であり、不穏当で神戸市民が殺される対象になりかねない危惧を伝えました。
古川専務理事は①〜③の外海議員と私の懸念を理解され、速やかに実行委員長の理事長に報告するとの事。これから市長とも面談するようです。週末には結論を出すとの事で再度報告頂きます。出展作品は素晴らしいものが沢山あり、芸術祭が津田氏によりケチがつかないよう成功させたいとのことです。
①維新の外海議員@sotomikaizoと共に古川専務理事と面談。津田大介氏の人選は実行委員会で企画時は各地芸術祭の責任者を呼んでシンポジウムをしようというもので、他にも瀬戸内国際芸術祭にも声をかけたりしたそうです。津田大介氏だから敢えて呼びたいとか、政治的意図は全くないとのこと。続く⇒ https://twitter.com/NorihiroUehata/status/1159036155230224384 …
愛知で確信的に昭和天皇の写真を燃やした如き映像や慰安婦像を展示させた津田大介氏を神戸市主催アートプロジェクトKOBE2019行事のシンポジウムに呼ぶとのこと。断固反対。公金によって津田氏を断じて呼んではならないと考えます。この考えの下、神戸市会議員として動きます。http://www.city.kobe.lg.jp/information/press/2019/07/20190719073003.html …
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②続き⇒古川専務理事と担当係長には高須先生の助言も踏まえて津田氏の宣伝となるような中止とは言わないが、行政イベントの公平性担保を確保を求め、シンポジウムには一辺倒の主張でなく、立場を異にする有本香さんをお呼びしたり、天皇陛下の写真を燃やす映像を確信的に行った発言を紹介して 続く⇒
③続き⇒神戸市民にジャッジできる機会を作り、せっかくの神戸の芸術祭が津田氏のプロパガンダにならないよう申し入れました。又、動画を見せて津田氏が自身への批判者をリスト化し殺すリストを作り犯罪を示唆する人物であり、不穏当で神戸市民が殺される対象になりかねない危惧を伝えました。続く⇒
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③続き⇒神戸市民にジャッジできる機会を作り、せっかくの神戸の芸術祭が津田氏のプロパガンダにならないよう申し入れました。又、動画を見せて津田氏が自身への批判者をリスト化し殺すリストを作り犯罪を示唆する人物であり、不穏当で神戸市民が殺される対象になりかねない危惧を伝えました。続く⇒
④⇒古川専務理事は①〜③の外海議員と私の懸念を理解され、速やかに実行委員長の理事長に報告するとの事。これから市長とも面談するようです。週末には結論を出すとの事で再度報告頂きます。出展作品は素晴らしいものが沢山あり、芸術祭が津田氏によりケチがつかないよう成功させたいとのことです。
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維新の外海開三・神戸市議
昨日上畠議員@NorihiroUehata と共に面談させていただいた「アート・プロジェクト KOBE 2019 :TRANS-シンポジウム」の開催中止がさきほど発表されました。関係各局ならびに実行委員会事務局においては苦渋の決断であったと思いますが支持させていただいたます。
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非常に、うまい部分
各地方議会において、現場を戦う議員からすると「お!」という部分が何か所かある。
例えば、綾瀬市の笠間昇市議とも本件について話したのだけれど、話の通し方については絶賛し���いた。私も同じ感想である。
この部分を少し大きくクローズアップしておきたいのは、ネットの反応がよくわからない部分もあって、援護したいという思いもあったため。 恐らくネット保守論壇からすると「中止を求めてくれ!」とか「反対だ!!」って言って欲しいという部分はあると思う。
けれど、それを正面からやりにくいルールの下で議員は活動している。 気持ちよく言って、言うだけ言って終わりならば、それでもいい。 だが、きっちり成果をあげようと思うと、ちゃんとルールの下で動く必要がある。
実は、上畠議員は『KOBE2019行事のシンポジウムに呼ぶとのこと。断固反対。公金によって津田氏を断じて呼んではならないと考えます。この考えの下、神戸市会議員として動きます。』と、事前に投稿してはいる。
けれども、市議として市行政と相対するに、「事業の中止は求めていない」のがポイントだ。議員個人の思惑は”呼んではならない”であってとしても、実際の活動はそうはなっていない。 ここに上手さがある。
また、中止の決定は行政側の責任で実施されており、 かつ文書でとっている点��上手い。
愛知で確信的に昭和天皇の写真を燃やした如き映像や慰安婦像を展示させた津田大介氏を神戸市主催アートプロジェクトKOBE2019行事のシンポジウムに呼ぶとのこと。断固反対。公金によって津田氏を断じて呼んではならないと考えます。この考えの下、神戸市会議員として動きます。http://www.city.kobe.lg.jp/information/press/2019/07/20190719073003.html …
神戸市:シンポジウム「2019年‐2020年、アートは異物を受け入れるのか」開催のご案内
今秋、神戸市の新開地エリア、兵庫港エリア、新長田エリアを中心に開催されるアート・プロジェクトKOBE
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まずお伝えしたいのは、市議個人には中止する権限はない。 議員とは立法分野に属しており、三権分立のうち立法・行政・司法という区分けのうち、この権限を持つのは行政である。議員ではない。
行政のトップは市長である。 では議員が何をするかと言えば、市長が提案してきた予算案に対し、賛成・反対を議会の議決と言う形で承認を与え、もしくは否決する権限を持つ。 認定された事業を(議会に報告した通りに)執行するのが行政の役割なのだが、その事業を執行する・中止するかは、行政側の判断にかかってくる。
ならば、議員はどう動くのか。 「中止だ!」と声高に叫べばいいのか? それも一つの手法だけれども、単純にそれが答えとは思わない。
私たち議員が、「事業の中止を!」と声高に叫んだとしよう。 そして中止になった場合、どうなるか。 それこそ「政治による弾圧だ!」とか、「検閲だ」等の論拠を与える糸口になる。
だからこそ、中止を願っていたとしても(そのために行動したとしても)中止自体は求めていない。 この部分はメディアの方もしっかりと確認したほうがいい。「市議として何を申し入れたか」が全てだ。
最大の部分は、公平性の担保。
立場を異にする有本香さんを呼ぶことを提案。 また、行政イベントゆえの透明性の確保からだろう、「天皇陛下の写真を燃やす映像を確信的に行った発言を紹介」を提案。 その論拠として、神戸市民にジャッジできる機会を与えることを提案。
行間に滲み出るのは、「神戸市議として」、「神戸芸術祭」に対する愛である。津田氏個人の政治活動というか、プロパガンダにならないよう、という部分。
これは、誰も否定できない。
かつ、維新の外海議員と同席で行っている点も上手い。 笠間議員ともこの部分を高く評価した。上畠議員は自民党の党籍を有するが、自民のみの手柄としているわけではなく、維新とも共闘歩調をとる。
この部分は(自民・維新がセットという部分)ネット保守も批判すべきではないと思っており、私は維新と距離のある立場だけれども、高く評価する。
神戸市議会の議会構成は以下。 定数69に対し、自民は19議席のみ。 市政与党は41議席。公明(12)や市民連合(8)、共創・国民民主(2)と与党を組む。
野党陣営は、維新(10)、共産党(9)、つなぐ(5)。 他、無所属が4という構成。
この申し入れが自民党を代表したものかはわからないが、自民・維新がセットで動いた場合、市長サイドには極めて厳しい数字が待ち受ける。 仮に「まったく未対応」となった場合、自民がブチ切れて市長と敵対関係になったと仮定する。
その場合は、市政与党41から自民19を引いて22議席に減少。 自民・維新がタッグを組んだ場合には、自民19と維新10を合算して、29議席になる。 こうなった場合、市長は安定した議会運営ができない。
ゆえに、この申し入れについて、市は真剣に考える必要がある。 正直、議会の数の力を背景にした政治力学の話であり、過半数を絶対に維持せねばならない市行政サイドとの「高度な交渉」の一つ。 具体的に、中止は申し入れてはないけれど、市は検討せねばならない。津田大介氏個人のために、神戸市が停止するような政治闘争に発展してしまっては、たまったものではないからだ。
けれども、そこは前面には出さない。 これが議員の戦い方だ。
維新と一緒に出す。 中止の決定がなされた最大の理由だとは思う。
書くのは簡単だし、説明されれば納得だろうが、関西圏において「さぁ、一緒に行きましょう」といってスムーズに行ったのかというのは疑問もある。手を取り合うことを思いついたこと、実行に移したことは、実は凄い政治才覚だと思う。
外海議員は極めて保守色が強く、上畠議員は絶賛していたけれども、上畠議員とは同じ選挙区。つまりライバルにあたる。自分にとってもライバルの存在に対し、さらっとこういうことができるのは凄いと思う。本当に。
お気づきでしょうか、投稿においては「外海議員の名前を冒頭」に持ってきております。書き出しは”私、上畠のりひろは~”で始まるのではなく、徹底的に外海議員を立てて書いている。 このあたりは、本人の性格が良いのか、それとも大企業の管理職であった経験から鍛えられた部分なのかはわからないけれども、外部から見ていて気持ちのよい部分です。
呼んだらどうか?と提案されていた、有本さんも以下のように投稿している。 これは見ていて、非常に気持ちのよい流れ。
うえはた先生、お疲れ様です。今回の件ではぜひとも、自民・維新という党派の違いを超えて、心ある議員方が連携していたたげればと存じます。津田さん個人の問題というより、今回の件で問われているのは、行政はいかなる良識をもって文化向上のための助成にあたるか、ということだと思います。 https://twitter.com/NorihiroUehata/status/1159342965384368128 …
@arimoto_kaori 有本さん、ありがとうございました。本日、維新の外海議員と津田大介氏を招くシンポジウムの件で専務理事と面談しました。まとめておりますのでご高覧下さい。https://twitter.com/NorihiroUehata/status/1159278681052737536?s=19 …
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繰り返しになるが、議員は「中止を求めていない」点は強く書いておく。 それは政治事実ではない。
あくまで公平性の担保であり、根底には神戸の芸術祭への愛がある。 そこに共通の理解が生じたゆえに、中止の決定を実行委員会(広義の行政サイド)が下したのだ。
議員によって中止に追い込まれたイベントなどではない。
※ 余談になるが、川崎の事例などで私たちが介入しずらかった理由も察して頂きたい。こういう動きが次回以降とれなくなるからだ。かと言って、ガンガンやる人を全否定もしない。ただ、一緒にはやりにくい状況になる場合があることもわかって欲しい。
行政が中止に至るまで。実行委員会方式でやっておりますが、これは広義での行政サイドとして扱います。
今回、中止の決定を下したのは行政側の判断です。
神戸市議の上畠のりひろ氏に伺ったところによると「実行委員長は、元神戸新聞の常務であるため、表現の自由にも最大限に配慮して判断して頂けると思う」と当該実行委員会事務局の財団専務理事(神戸市外郭団体)から回答を得ているとのこと。神戸市から出向している担当局長からの回答であり、議員間で得た情報ゆえ公式のものとして取り扱います。
つまり、実行委員長である神戸新聞の元役員が「表現の自由に最大限に配慮した結果」が中止であったということは触れておきたい。 これが議会側が公正性の担保を求めた際の、行政側や実行委員会側の判断であったという事実が浮き彫りとなった。
求めたのは中止ではなく、公平性の担保であり、 「市民にジャッジの機会を与える」など建設的な提案であった。
言い換えれば、改善を受け入れて頂き、「むしろ推進」というスタンスである。 議員本人の内心は別にあったとしても、政治事実としては「有本さんも登壇して頂き、是非、やりましょう!」という動きである。
議員側は「やりましょう」と言っているのに、行政が中止した、と。 それが政治事実である。
【正式発表:神戸市主催 津田大介氏参加シンポジウムは中止】維新 外海議員・私上畠とシンポジウムの公平性の担保を求めていた件について続報です。既に報じられていますが津田大介氏参加のシンポジウムは、実行委員会(委員長 元神戸新聞常務取締役 服部孝司)の判断により中止となりました。
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組織的な援護体制
上畠議員には、脅迫犯まがいの投稿がなされた。 速攻で警察に行く。そして、議会はそれを守る。
メディアも集中砲火をかけようとする。 まさに神戸新聞が動き始める。 上畠議員は、記者名を公開して牽制を試みる。 どこかで見た手法だと感じないだろうか。
後述するが、上畠議員は赤旗撲滅作戦で共に行動した同志。 超初期メンバーで、一部からは赤旗一期生と呼ばれる。党本部通達が出たり、禁止の風潮が出る前に身体を張って戦った議員たち。 私の爆破予告の一見や、それ以降、行橋市議会が刻まれた「テロに屈したバカ議会」という動きも把握していると想定される。 (他、関西圏だと伊丹市の佐藤議員、いまは議長。綾瀬市の笠間昇議員も赤旗一期生。)
党本部も含め、ちょっと特殊な扱いを受ける存在であり、初期段階での議員個人のリスクが高すぎたため、援護を受けている。詳しくは書かない。 初期に赤旗を取り上げた議員は、皆それぞれに痛い目にもあっており、戦闘ノウハウが豊富。経験値が桁違いと言ってもいい。
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市役所爆破予告、言論弾圧の前例となった行橋市議会に対しての各会からのコメント【もはや議会の名に値しない】
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では、動きを見てみよう。
上畠議員が警察に。
@Misaka9830 しばくとは、殴る・蹴るなど暴力をふるう言葉ですね。(http://zokugo-dict.com/12si/sibaku.htm )。ましてや議員をできんくなるレベルにしばきあげるとまで宣言。私も妻子がいる身です。明日、身辺の安全の為にも東灘警察署に行ってきます。 https://twitter.com/Misaka9830/status/1159818097940807680 …
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@Misaka9830 こちらの件で東灘警察署に参りました。 https://twitter.com/NorihiroUehata/status/1159822673049837569 …
@Misaka9830 しばくとは、殴る・蹴るなど暴力をふるう言葉ですね。(http://zokugo-dict.com/12si/sibaku.htm )。ましてや議員をできんくなるレベルにしばきあげるとまで宣言。私も妻子がいる身です。明日、身辺の安全の為にも東灘警察署に行ってきます。 https://twitter.com/Misaka9830/status/1159818097940807680 …
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同じ神戸市議会の岡田ゆうじ市議が援護のtweet。
#津田大介 の「殺すリスト」といい、#津田の取り巻き の「しばき上げ宣言」といい、 政治家として筋を通すことは本当に大変という実例。 どうか御身ご大事に。 https://twitter.com/NorihiroUehata/status/1160086964952977408 …
@Misaka9830 こちらの件で東灘警察署に参りました。 https://twitter.com/NorihiroUehata/status/1159822673049837569 …
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かつ、明確にスタンスを示す。 これは心強いだろう。
怖い怖い 上畠議員にSPを付ける必要があるのでは… 批判者「殺すリスト」なんかを作ってる人物を 文化事業の総責任者に据えるとは、 愛知県の人選はどうなっているんでしょう… 神戸市では絶対に通らないと思います 我々がいますから https://twitter.com/NorihiroUehata/status/1160002507625549824 …
「殺すリスト」作成と批判 上畠市議、津田氏を https://www.sankei.com/life/news/190809/lif1908090048-n1.html … @Sankei_newsから
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メディアへの牽制。
私が「牽制」と感じただけで、上畠議員が牽制を意図したものかはわからない。だが、実際その効果はあるだろう。
神戸新聞 #上杉順子 記者は記事中で私と外海議員が財団側に「8日に登壇者の見直しなどを直接要請していた。」と書き、まるで津田氏の差し替えを求めているように読めますがそれは違います。津田氏と立場を異にする登壇者も追加して意見の多様性と公平性担保を求めたのです。 https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/201908/sp/0012594237.shtml …
「アートは異物を受け入れるのか」テーマだった 津田大介氏出席シンポ中止
「表現の自由」を問う企画展が中止された国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」(愛知県で開催中)の芸術監督・津田大介さんを招き、神戸市内で18日に予定
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事実として、上記の神戸新聞の記事は「歪んでいる」との評価を受けるような状況にある。 上畠議員らが申し入れたのは、中止ではない点は、焦点からはずしている。 結論部分には、以下のように記される。
「登壇すると愛知の件ばかり注目される」津田大介氏出席シンポ中止
(前略)
藤野一夫・神戸大教授(文化政策)は、シンポジウム中止の決定について「このようなドミノ現象を恐れていたが実際に起きてしまった。全国に波及し、自己検閲や自粛が相次げば、居心地の悪い、息苦しい社会となってしまうだろう。市議による政治的圧力の影響があったとすれば、憲法違反であり、大変遺憾なことだ」と話した。
(後略)
www.kobe-np.co.jp神戸新聞NEXT
https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/201908/0012594237.html
どうにかこうにか、メディア側の論調で「津田は悪くない!神戸市議会がおかしい!」と持っていきたいようだ。 政治弾圧などがあり、その被害者に仕立てたいのだろう。
私が言いたいのは、ドミノ現象が起きるのはこれからだ、という点。 なぜならば神戸の事例を、他の自治体も踏襲するだろうし、そのノウハウを私がまとめ、読者がそれを地元の市議らに配布するからだ。
自己検閲が行われたわけでもない。
岡田議員の主張は、地方議員としての当然の職責について言及したものである。
「政治家は黙っておれ 公費は俺達『芸術ムラ』の人間が好きなように使う 口をはさむなら 『検閲』『憲法違反』『表現の自由の弾圧』として お前の政治生命を消し去るぞ」 という芸術ムラ、御用マスコミ、暇なプロ市民の 三大スクラムに 絶 対 に 負 け ま せ ん か ら
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【所見】公共事業を批判・検証するのが民主政の大前提。 その中で、なぜ芸術事業だけが無批判、無謬となるのか。 「芸術無罪」「芸術無謬」は民主政に対する挑戦。その方が憲法違反。 あらゆる公費の使途を厳密に審査する義務が政治家にはあり、一方私費の芸術祭に我々は何の影響力も持たない。
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公費が適切か否かを議論するべきは、議会である。議決をもって税は支出されるものであり、それを決めるのはメディアでも芸術家でもない。
表現であろうと、道路工事であろうと、それが何であろうと税の支出は議会を通す。それが三権分立であり、民主主義。
この動きに過敏に反応している者たちは、根本的な部分で履き違えている。
これは税の執行と議会の話であって、表現の自由とかそういう次元の話ではない。 そっちはそっちで話せばいいが、税が絡む以上は、こちらはこちらのルールがある。
私個人の意見として、彼らに言いたいことは、「(そっちのルールとか)知らんがな」である。
ようは、税金つかって、公共の看板つかって、 好きなようにプロパガンダやって、公金でウマウマして、議会とかから指摘は受けたくないよーん!が、”彼らの言う表現の自由”なのだとしたらだが、
そんなの知ったこっちゃないが、こちらはこちらで税の使途をしっかり調査するという、普通の職責を果たすだけと答えるよりない。根本的な部分でズレている。
神戸市が守ったもの、それは芸術
あいちトリエンナーレの炎上は、まだ収束していない。
県知事の動きも謎であるし、例えば津田大介氏が芸術監督を降りるなどの引責もない。 県議会の動きも、良いとは思えない。地域を代表する企業の動きも緩慢だ。
ゆえに、愛知については批判的な書き方となることはご了承いただきたい。
自由民主党 参議院議員の加田裕乃先生の投稿。 これは心強いだろう。地方議員出身の先生です。
人を貶めて「表現」や「アート」をはき違えて語る津田大介氏に、アートプロジェクトを語る資格は無い絶対反対です https://twitter.com/norihirouehata/status/1159036155230224384 …
愛知で確信的に昭和天皇の写真を燃やした如き映像や慰安婦像を展示させた津田大介氏を神戸市主催アートプロジェクトKOBE2019行事のシンポジウムに呼ぶとのこと。断固反対。公金によって津田氏を断じて呼んではならないと考えます。この考えの下、神戸市会議員として動きます。http://www.city.kobe.lg.jp/information/press/2019/07/20190719073003.html …
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さて、神戸市が守ったものが何か、です。
ここは私が上畠議員と話していて感じたものでありますが、「神戸芸術祭を守りたい」という一点です。 神戸には芸術を専門とする学校があり、芸術祭に対して本当に熱心に活動しているそうです。
ここで津田大介氏を呼び、彼らに悲しい思いをさせたくなかった、 それが中止の判断を下した行政と、上畠議員らとの共通の思いです。
愛知の場合。
あいトリのボランティアをしているけど、予めこの作品を展示する事を知らされていたら、携わるか否かすごく考えたと思う。同じボランティアの友達みんなも同様に言ってる。#あいちトリエンナーレ#表現の不自由展
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あいトリのボランティアをしているけど、予めこの作品を展示する事を知らされていたら、携わるか否かすごく考えたと思う。同じボランティアの友達みんなも同様に言ってる。#あいちトリエンナーレ#表現の不自由展
作品と津田さんに関する調べが浅かった責任は私達にもあるけど、「あの作品の展示を予め知った上でこの活動に参加しているんだね。反日感情があるの?」と勘違いされることが多々あって、本当に心苦しい。#あいちトリエンナーレ#表現の不自由展
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作品と津田さんに関する調べが浅かった責任は私達にもあるけど、「あの作品の展示を予め知った上でこの活動に参加しているんだね。反日感情があるの?」と勘違いされることが多々あって、本当に心苦しい。#あいちトリエンナーレ#表現の不自由展
1200人もが研修期間を経て運営や団体向けのガイドツアーなどに無償奉仕しているのに、あまりに無責任すぎない?今回の作品に関して、事前に伝える義務があったはずと思う。#あいちトリエンナーレ#表現の不自由展
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あいちトリエンナーレは、あの展示により「ただの政治プロパガンダ」になりさがった。 それをプロパガンダと判断するかどうかは個々人の判断だが、色がついたことで悲しんでいる者もいる。
神戸市の動きは、愛知県と対比すべきもの。
兵庫県の国会議員も、神戸市の市議たちも、党派を超えて守ったんだ��� 市行政も率先して動き、それぞれの立場で守ったんだ。
これが明確な差であり、はっきり言えば愛知の政治は、今回は大失態だ。 官房長官まで巻き込み、大臣が出てきて、地元企業には迷惑をかけ、 下手すれば日米関係の経済問題で「失点」として取り上げられるようなことがあり、
それでも「臭いものにふた」とばかりに、なかったことにしようとする。 そういう及び腰な姿勢が、実際に芸術に希望を持った学生を傷つけているではないか。 私はその一点において、あいちトリエンナーレを強く批判する。
神戸市が何を守ったのか、なぜ中止と言う決定を行政が下したのか。 それは極論すれば、市議が動いたからではなくて、神戸芸術祭を守りたかったからだ。 もっと言えば、芸術祭の参加を守りたかったからだ。
その共通理解のもと、勇気を出した政治家が先鞭をつけ、 議会や国会議員という地域の政治組織も呼応したからこそ、こういう結果につながったんだ。
そのことを絶対に忘れてはならない。
全国で使える前例
津田大介氏は、「あいちトリエンナーレ」の芸術監督という肩書を活かし、地方行政での講演活動などを狙っていたのだろう。 それが事実かどうかは知らないが、以下のような投稿はしている。
神戸の件、僕は出演するつもりだったんですが、昨日の夜突然聞かされて僕も驚いてる(これが全国ニュースになるのか……)ところです。
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神戸の件、僕は出演するつもりだったんですが、昨日の夜突然聞かされて僕も驚いてる(これが全国ニュースになるのか……)ところです。
まず、現場の混乱を招いたことを申し訳なく思います。他方で、行政が行う文化事業のあり方が危機に瀕しており、このような時期だからこそオープンな場で表現の自由や芸術イベントのあり方について話したかったとも思います。安全・円滑な管理という点での現場の判断は支持しますが、中止は遺憾です。
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津田氏に関わらず、行政の文化事業において「そっち系の人」が登用される事例は多々ある。 例えば共産党の支持母体と言っても過言ではない団体が、行政に名義後援を打診し、公共性を看板にプロパガンダをやる等はどこの自治体でも見受けられる行為。
また、文化振興公社(図書館などを運営する自治体の三セクの一般的な名称)などで主催する事業で、色の強い人を呼ぶ等。ちなみに、原資は税金であるが三セクを経由されると、議会にはそのままはあがってこない。
三セクに対する全体の予算のみが計上される場合があり、個別の事業が明確化されないからだ。議員サイドがよっぽど注意していない限り、意図せずに通過する場合もある。これは市の公務員も把握が漏れるときがあり、三セクの担当職員クラスのみで決まっていることもあるようだ。
神戸の前例は、このあたりにも一石を投じる前例。
仮に津田大介氏の登壇を、「税金で」求めた場合だけれども、 それが貴方の住む街の事業だとすれば、貴方のお財布から津田氏の給料を支払う形になる。
それが嫌だなと思ったならば、このBlogでもいいし、上畠議員のTwitterなどでもいい。地元の市区町村議に送って欲しい。
地元の議員は、察するだろう。 「是非、開催してください。ただし、公平性の担保はお願いします。例えば有本香さんも同席させたり、百田尚樹さんや高須院長もいいですね。」と、そんな主張をするだろう。
結果は、たぶん津田氏を登壇させることを中止すると思う。 それが行政の決定になるはずだ。別に私費でやるのは構わないのだけれども、税を使う以上は地方議員は議論すべきだ。市民も、ガンガン声をあげていい。
実際、開いてしまってもいいんじゃないかな。
有本香さんと津田大介氏が、同じ壇上で共に討論する。 お金を払っても私は見たいけどな。呼んでくれるなら、私も登壇しましょうか?
テーマの中で「昭和天皇の御真影を焼く映像を展示した芸術監督として、どう思っているの?」とか聴かれるかもしれないが、それはちゃんと答えて頂きたい。
神戸市議達は、神戸の芸術祭を守った。
真剣に取り組んできた芸術家たちの努力を守るために
神戸は戦った。
その上で得られた前例だ。
今回、神戸市が作った前例とは、
「貴方の街で、貴方のお財布から津田氏の講演料を支出しなくて済む方策」
としても活用できるように思う。
貴方がすることは簡単だ。
神戸市の活躍をネットで拡散して欲しいのが一点と
地元の市区町村議に「開催しないで欲しい」と
「是非、神戸の動きを念頭に、前例のある中止だ」というのを
貴方の住む街の行政に活かすべく、地元議員に連絡をすること。
この手法とロジックが伝わっていくと
税を原資とした文化事業に「巣食う者たち」は、非常に困るように思う。
だから私たちはやらねばならない。
前例が得られた以上、なすべきことは、
そんなに高いハードルではない。
あとは、やるかやらないかだ。
昭和天皇の御真影を焼く映像を展示した芸術監督である、津田大介氏の講演料を貴方の街の税金で支出したくないと思った方は、FBでのイイネ・シェア、Twitterでの拡散をお願いします。
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「すこしでも水みたいな部屋にすみたくてさ」 窓が大きい 普通の部屋より 1.5倍くらい窓が大きい 西側と北側に全部で四枚 「窓を開けておくと 水の匂いが 部屋の隅々まで満ちていくんだよ」 耳を澄ませなくても 湖の音が聞こえる 何かを引きずっているような? それよりももう少し落ち着いた 湖の音は 海とは違って ずっと静かで 「いい部屋」 「これで家賃いくらだと思う?」 「え~……」 部屋の中に灯りはなく あくまで外からはいってくる明かりだけが かろうじてニカの顔を照らす のを クワノは目を細めて 確認するように 目や鼻や 口を 部品ごとに点検していって そんな様子をニカは いぶかしげに茶化して 「家賃、いくらだと思うかって」 「5万」―――「よりもうちょっと高い」 唇が結ばれ 目は閉ざされた ためて「5.7k!」 「お~なるほど」 思っていたよりも 高かった この部屋にニカが住むことになると 思うと なんだか不思議な感じがする 一人暮らしなんて とクワノは少し心配で それでもこうやってニカが大丈夫になっていくのを 祝えるように 微笑んでみてから この部屋の暗さにも もうだいぶ目が慣れてきているのに気付く 「今日はそろそろ帰ろうか」 「うん でも もうすこし」 例によって大きな窓から 月?なのか 妙な明かりが 影の間をステッチするようにして 差し込み ニカはまるで静かな湖の様子を 真剣にみつめていた ポケットの中で なにかがじゃれて これから始まるはずの 生活が 少しでも穏やかなものでありますようにと クワノは祈った そうして時間が経っても まだ部屋の中は 明るかった /
🛋️
ニカは疲れてしまって 車の中では 一言二言 言葉を交わした後は もうずっと 左に傾き 車が揺れると それに合わせてニカも揺れるのだった Bluetoothでつなげた 車のオーディオから 前日に作ったプレイリストの3周目が流れている もうBGMになって久しいフランク・オーシャンが もごもごなにか足早に口ずさむのが 風や摩擦や 振動の音にかき消されていく 「ねむ」 ハンドルはしっかり握ったまま 前の車のナンバーから 外の景色に目を移す 完全な抽象画 そのうち色遣いを間違えた都市がだんだん見えてくるはずだ /
🥡
クワノは今月で22になる 18の時に普通車の運転免許をとってから 交通事故は一回も起こしてない 親のフォルクスワーゲンゴルフを乗り継いで 今年で三年目の 夏が迫っているのを クワノはあっという間だと 当然思う ニカは免許を持っていない 教習所へは通っていたがしかし 途中で諦めて 「私は車 運転するより 乗るほうが好きだったことに気づいてね やめた通うの」といった 「そっかそっか」 「だからさあ これからもクワノのごーふに乗せてね」 「ごーふ?」 「名前 この子の」 車に名前を付ける人を見るのは はじめてだったから うまく物が言えなかった 「ごーふね!」 とクワノは まるで前から知っていた名前みたいに 知らない名前で自分の車を呼んだ 「ごーふ」なんてもう 最近は呼ばない たいていさ 愛着がつくにつれて もともとの名前は雲みたいにかわっていくもので いまニカは「ビジー」と呼んでいる 理由はわからない クワノは「アルバトロス」 ゴルフにちなんでいるし かっこいいから クワノは男にみえるけど女のような女で 髪は長いし いいにおいもする 背は 家屋のへりよりも もう少し高い ニカのことがちゃんと好きで 同じくらい音楽も好きだ でも 映画は全く見ない 一時間も二時間もジッとして 画面を観続けるというのが性に合わないし 退屈におもえる そこにある作品的な意義とか 美的な応酬が 理解できない 出自は複雑で 東京に生まれたかとおもうと 岐阜に籍を移し そのあとまたすぐに神奈川に籍を移した なんでそんなことになったのか そのせいで いまは東京に住んでいるにもかかわらず 本籍は神奈川のままだ クワノは その理由を 何度も両親に訊いてみて そのたびに「風水」と答えられてはみるが まだうまく納得できていない 車を運転するのはいい 自分が動かす限り いつまでも動く 景色は常に変わり 抽象画が繰り返されるのは 永い美術館にいるみたいで 素敵な気持ちだ 音楽も聴ける たいてい気になった新譜は 車で聴くことになる 距離がうまくとれるような気がするから 家だと環境が良すぎたりする /
📼
「そういうことってない?」 コンビニの駐車場で ニカは目を覚ましてトイレに行き ホットスナックのポテトを二個買って 帰ってきてほとんど一人で食べているので クワノはなるべくもらえるよう�� 手を伸ばすが そのたびにニカは背を丸め 顔を隠して食べつづけた 「……まあ わかるけどね」 「映画も 映画館で観ると だいたいの作品くらっちゃうんだけど うちで観ると そうでもないことがある 場にあてられないと まともに文化を受け取れたりする」 もぐついているニカは 背をむけたままで クワノはいった 「ソレ くれるつもりないわけ」 「いいよ」 まるまる一個 手渡され 「もともとあげるつもり」 笑って 油にまみれた口を 舌で拭った クワノはあきれて 笑った 「でも場も含めて文化だというヤツも」 「まあねえ」 「でも距離をとらないと、まともになれない」 「それはたしか」 「だよねえ」 クワノは肩をすぼめ シートに深く腰掛ける 「ポテトうま」 「うまい」 「ミニストップのホットスナックって あまり食べないけど」 「うまい」 「あとどれくらいだっけ?」 「逗子まで?」 うなずくニカ もうポテトは手にない 「50min」 クワノの 英語の発音がいいのは 小さいころに 情操的な教育をされた名残で あまりいいことだとは思っていないクワノに反して ニカは英語の発音のいいクワノが好きだった 「ポテト、もう一個買ってくる」 「アセロラジュースも!」 「OKラジャ」 ニカはスカートをたくしあげて走っていった ドアは静かにしまって また車内に独特の あの沈黙がやってきて ニュージーンズのAttentionが その上に色を塗りたくるみたいに 流れるだけの時間を クワノは目を閉じて息を止める やり過ごすことにした /
🐘
「水みたいな部屋だったでしょ」 「うん まさか湖の近くとは思わなかった」 クワノは本当に報らされていなかった 彼女が来月から 県外の博物館で働くことにして 部屋を探している間 ニカはクワノにその話をしなかった これまでは なんだって話してきたのに 「だって水みたいな部屋なんて言ったら反対されそうだったから」 反対するのだろうか するような気がして なんで?と思う 別にいいような気もする 「病気ひどかったとき よく水の中にある部屋のことを 考えてたんだよ そこは静かで 良くて」 頷くクワノ 「そこでは 濃い水の匂いがするんだよ 海だと潮の匂いが強いし 川だとあまりに薄い 流れてるからかなあ 湖がちょうどよかったんだ」 クワノには「濃い水の匂い」がわからない そもそも水に匂いがあることも わからない でもニカには感じ取れるのだろうなと そういう気遣いで聞き続ける話が クワノは嫌いじゃない 「湖畔の静けさは質が高い」 「そんな気がするよね」 喫茶店のブラインドは半分下がって 陽を遮って 影が切れているのを 机の上でなぞってみた アイスココアが ガムシロップで甘さを調節するタイプの アイスココアで コレを出すのは この辺だとここしかない 名前は「スキップ」とか「ホップ」とか ニカはここでジャーマンポテトドックしか食べない 「逃げれなくなった」と語った ジャガイモが好きなの? いやそういうわけでもないんだけど…… 再来週から ニカは湖のほとりにある 街へ行く そこにある水みたいな部屋に住む 水の濃い匂いがする 水みたいに静かな部屋で 博物館の事務員として 暮らす 「手紙かくよ」 「消印はうちの近くがいい」 「わかった」 そうしてニカは旅立っていった その日はやけに曇った水曜日で なんか嫌だった /
⛰️
六月 梅雨になるまえに 手紙を書いておこうと クワノは 駅前の文房具屋まで 足を延ばして 思っていたより強い日差しに サングラスの下の目を細めている 妙に落ち着いた街なのだ 海へは少し遠い それもあってのんびりとした空気が しらけたグルーブを生んでいた 店の中に入ると 若い女が店番をしていた 文具のほかに適当な雑誌が いくつかおいてあった 地方放送局のラジオともう何年も売れていない鉛筆削り器 そういう店だ 「いらっしゃいませ」 どうもこんにちは 心の中でクワノは応えた ポパイが置いてある 手でめくると 紙のこすれる音が 手に伝わってくる 汗 拭う間もなく流れる 便箋を探しにきたんだった 上等な紙だと プリントに耐えないから クワノは手紙を手で書かない 必ずパソコンかスマートフォンで打ち込んで それをプリントアウトして 丁寧に封筒へ入れる 上等な封筒を選ぶ 手で書かなくたって気持ちはこもると 本気でそう思っている 淡い黄色がいいだろうか 封筒の大きさは? ああでもないこうでもないと 選ぶ時間があることが素晴らしい 世間において 過程はしばしば美化される傾向にあるが 手紙については 反論のしようがない プロセスがあまりに美しい時間の費やし方なのだと思う 大体どれくらい選んでいたのだろうか その間に客といえば腰の曲がりすぎたおばあさんと 近くに住む三毛猫ぐらいだった 店番の女は青色のスツールに座って ジッと珍しい地下甲虫の観察でもするみたいにして 午前中のテレビ番組を眺め続けている ラジオとの兼ね合いで 店の中ではテレビの音量が極めて小さく定められ トーキーの映画をみているみたいに ワイドショーが流れ CMが流れ 時々 番組なんだかCMなんだかわからないような ネットショッピングのCMが流れた クワノは便箋と封筒を決めた ようやく決まった封筒はうすーく伸びた水色のやつ 便箋はコピーが可能なきちっと白いものにした あ・り・が・と・う・ご・ざ・い・ま・し・た とハッキリ 1音ずつ聞こえるように 女はお礼を言ってから お辞儀をした 湿度を保って���気がまず 足元を焼くようにすると 太陽の地道な熱さが服ごしに背中を焼く音がする クワノはうんざりしながら帰る /
🪞
「手紙ありがとうございました また手書きではなかったので ガッカリでしたが 消印があなたの街の郵便局のものだったので 安心しました こういう言い方はよくないのかもしれませんが あなたがあの街で あの声で そこにいる誰かと話していることが ここにいる私のことを なぜか落ち着かせるのです どうかそういうことを笑わないでくださいね さて こちらは忙しい日々を送っています と書くと心配するかもしれませんが 忙しいことは本当です しかしながらそれは悪いことではないかもしれません 働くということは もちろん働くことなのですが それ以外の複合的な意義を持つ営為でもあるのです 他者があり 自己があり そこに起こる会話や交渉 場の雰囲気やある種のトラブルが 私には まるっきり人生の縮図のように思えるのです 働くということは つまるところ人生を 自分自身の人生を小さく送ることに他ならない と近頃思っています あなたはまだ働くということに上手くリアクションできていないけれど そんなに悲観的になる必要はないのかもしれません 職場では ミネヤマさんという 事務の女の人によくしてもらっています 彼女はアイロンビーズがとても上手で 私に時々キツネやイルカのビーズ作品を作ってきてくれます bitの粗いビーズでできているのに ミネヤマさんの作るアイロンビーズは妙なリアリティがあるのです 生き物が持つ生命の質感が みごとに実現されているような気がします おこがましくもいつかあなたにも作ってもらおうと画策しています 短いですが今回はこの辺で 最近はダウ90000のラジオを聴いています 何を言ってるのかは ほとんど分からないけれど 面白いと思います」 明らかにニカの文字で書かれた ニカの手紙が届いたのはクワノが手紙を出してから二か月が経った頃だと思う 消印は湖のある あの街のものだった 手紙の最後には 秋にはまたここへ来てくださいとつづってあり クワノは秋のことを考えようにも 今 暑くて仕方のない 夏の終わりを肌で感じ取るしか能のない 動物になっていた 汗が止まらない こけたほほを撫でてみる この夏はろくに食事を摂らなかった 気づかないと三日間 食べないこともあった でもそんなものではないですか 夏なんて 食べなくたって生きていけるように できているような気がしませんか 困らないならしたくないことはしなくていい歳になったと クワノは思って 大人ってそういうことなのかもと考えて 夏の風がまだ残っているうちに 外に出よう さあ! オーラリーとニューバランスの2002RDは 暑くてもうはかなくなった夏は ビルケンシュトックの名前もしらないサンダルを履きつぶしそうな勢いで 繰り返し履くのだった これを買ったのはいつだったっけ 家を出て駅へ向かう道をまっすぐ歩くと すぐに2LDKほどの公園が見える 公園には申し訳程度の鉄棒 そして青色の豚のスプリング遊具が二匹 木はないが 蹴ればたちまち崩れそうな花壇が情けないながらも 入口に位置している
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和三年(2021)8月13日(金曜日)
通巻第7012号
新任の秦剛(駐米中国大使)がワシントンで話し合いを始めた
イエーレン米国財務長官が近く訪中の観測
**************************
イエーレン米国財務長官が訪中する予定という。
8月12日にブルームバーグが報じたが、財務省のリリー・アダムズ報道官は、「イエーレン長官が秋に中国を訪問する計画はない」と否定した。もし訪中となれば、現職閣僚だから、バイデン政権では最高位の訪問となる。
情報通が解説するには「長官訪中の場合、気候変動対策など米中共通の課題のほか、貿易などの協議が目的となる」とし、対談相手は劉鶴副首相だろうとした。
しかし、先のシェルマン国務副長官の訪中は中国側が罵倒を繰り返し、天津に留め置いて、文句ばかりを並べて追い返した。米国は相当の不快感を抱いたが、同時に中国はまったく譲歩する姿勢にないことを掌握した。
イエーレン米国財務省官はFRB議長を務めた金融、財務のベテランであり、現在のバイデン政権が進めているバラマキ路線の中枢にいる。
彼女が中国���行って知りたいことは、第一にデジタル人民元の本気度と、その可能性、そして米国はいかに対応するべきかのヒントを得ることだろう。というのもブレトンウッズ体制下のドル覇権が何時まで維持できるかという米国の戦略に絡むからだ。
第二に中国企業のウォール街への上場がピタリ止んでいることと、中国企業の社債償還、株式市場の下落予測などの参考となる実態を把握することだろう。二年以内に230兆円の償還がくる中国の債券市場はパニックを回避できるか、どうか。
第三に中国共産党は教育産業の予備校や、ゲーム産業は不健全として市場介入を間接的に行ったが、この悪影響が中国国内ばかりか、すでに日本のソフトバンクGや楽天に甚大な悪影響が出ており、市場の今後の予測に繋がる。
中国は世界に先駈けて「デジタル人民元」を普及せんと実験を繰り返している。そのうえで、潜在的な阻害要因を駆除しており、例えば、ビットコインなどの暗号通貨の取引所を閉��した。
中国人はビットコインに集中的に投機してきたため、世界シェアは80%にも及び、同時にビットコイン現金化闇市場も出現した。顧客のなかにはハッカーで稼ぐ北朝鮮の集団があった。また電力消費が膨大なため、国内取引所を畳み、米国テキサス州へ移動する「業者」も目立つようになった。
またアリババ、テンセントのモバイル決済は国民から支持されており、最初は奨励してきた中国共産党だったが、データ管理とデータ流失に問題があるとして、規制を強化した。デジタル人民元を世界市場に普及させ、国家がそのデータを管理すると中国の全体主義体制は、管理監査が完璧となる。しかし、そうした中国の目標は可能なのか、どうか。
デジタル通貨は国際的流通性を獲得すれば、当該国の通貨管理、すなわち通貨発行という主権はどうなるか。
仮想通貨は、ドル基軸の世銀IMF体制と、どういう整合性を取るのか、デジタル人民元などの仮想通貨は、どうやってドルと交換できるのかという問題だ。こうした重要な問題で米中は突っ込んだ話し合いをしていない。
▼二年以内の中国国有企業の社債償還は230兆円
昨秋から噂されたデベロッパー大手の「恒大集団」が債務危機に陥って中国の不動産業界は青ざめた。香港では開発中のマンション販売に関して、主幹事のHSBCは住宅ローンを停止した。広東省では広発銀行の要請により二軒のマンション開発販売を停止した。
恒大集団は全物件を30%割引で販売して手元現金をかき集めた。償還の迫った社債のために急いだが恒大の社債は金利が14%に跳ね上がった。
恒大集団の倒産が秒読みだということではなく、GDP躍進の基軸だった不動産ビジネスが本当に危殆に瀕しているのであり、値崩れのあと住宅ローン、個人破産のラッシュとなるだろう。
すでに北京大学系の方正集団や、鳴り物入り国策企業だった紫光集団が外貨建て社債をデフォルト(13億元)。王岐山系といわれる海南集団は事実上倒産している。
ほかにも華夏幸福基業(157億元の債務不履行だった)、天津地産が社債デフォルト。
2021年第一四半期だけでも格力電器などがデフォルトをやらかし、前期比で24・3%の増加、合計で61社の社債が紙くずとなった(2020年は通年で142社の社債が紙くずに化けた。このペースだと、今年は240社以上になる)。
このため新規に社債の起債もしくはCP(コマーシャルペーパー)の発行を予定していた248社が社債発行を見送った。
国有企業大手も債務不履行危機が近いとされ、国家鉄路集団が900億元、国家電網が140億元の社債残高を抱えるなど公的企業の債務は、6000億元とされる。
23年までに償還時期が来る債務は邦貨換算で230兆円。このうちドル建て社債は1720億ドル(19兆円)で全体の8・3%。西側投資家の杞憂は後者のデフォルトだ。
▼ウォール街の関心事は中国の株価の行方だ
イエーレンはFRB議長と財務省との格差をわきまえている。財務省はドル札を印刷し、そのグリーンバックにサインをするのは大統領ではなく財務長官の特権である。
米国の投資家やファンド筋は、これまでにも中国株式で大いに潤ってきた。とくにゴールドマンサックスなど証券会社は、上場の主幹事となることで、巨額の手数料を稼いできた。だからこそ中国の最近の動きが気になるのだ。
滴滴(DIDI)は6月30日にNY市場に上場し、予定価格14ドルのところ、初値が18ドル。時価総額はいきなり7兆5700億円となった。
四日後、中国はDIDIの審査に入ったため株価は暴落した。7月9日の時価総額はピークから2兆3000億円ほど減らして、5兆2000億円ほどになった。
ついで7月26日、学習塾規制強化により、香港株式市場で中国教育銘柄の株価が半値以下に暴落した。新東方教育科技などはオンライン個別指導で業績を伸ばしたが、いきなり47%下落した。四日間続いた続落で中国の株式市場から6兆3000億円弱が蒸発した。
中国当局は学習塾、補習斑、家庭教師センターなど「教育産業は利益追求であってはならない」とし、「免許交付を新ルールにかえる」とした。
中国の教育産業界は大学進学率の急上昇(ことしの大卒は909万人)に伴い、たとえば、宿題アプリで急発展してきた「猿輔導」は、時価総額1・6兆円。昨年に猿輔導が上場した折には、2300億円をかき集めた。教育補習など広く利用されるアプリゆえに利用者は四億人を超えたという。
この当局の措置により、大手のTAL(米国でも上場)の株価は71%の暴落、「GAOTU TECHEDU」が53%、新東方教育が41%の下落と、いずれも土石流被害は甚大。付帯して校舎賃貸オーナーから参考書出版社、流通など、猛烈な被害がでるが、じつは出資側のほうの被害がもっと大きい。
補習産業の急伸ぶりをみてアリババ、テンセント、バイトダンスなど中国の大手ベンチャーはファンドを通じて教育産業に投資した。2020年だけで、この業界には100億ドルもの巨額が雪崩れ込んで、まるでマネーゲーム。教育者としてはふさわしくない行為に目が眩んでいたことも事実ではある。
そして中国はセキュリティ安全法の観点から新規海外上場を規制するとした。上場に際して幹事行となると、膨大な手数料を手中にできるのが、ゴールドマンサックス、JPモルガンなどのウォール街の禿鷹金融軍団だから、錬金術の手伝いが出来ないとなれば、また次の手口を考えなければならなくなる。
ラッキン珈琲の不正経理、水増し決算による上場は、投資家が大損をしたと言われ、中国企業への不信感の増大、中国企業の社債格付けの劣化などから、ファンドの投資マインド後退とともに、中国企業そのものが上場を延期、もしくは取りやめも目立つ。
中国の習近平にとってみれば、中国のエクサレントカンパニィが、そろいもそろって自国では上場せず、中国を避けてNY市場で資金調達する行為そのものが、共産党統治を馬鹿にしている証拠だといきり立っている。しかしながら、それこそが中国の金融への国際的評価であり、客観的状況だといえる。中国側からみると、海外へ中国の情報が漏洩する安全保障上のリスクがあるとも考える。NY上場の中国企業は400社、これからの運命は?
7月29日、米上院議員らSECにNY上場のすべての中国企業を調査せよと要求した。
正反対の動きがある。
第一に米国企業の中国への直接投資は増えている。1160億ドルに対して中国の米国への直接投資は376億ドル。差引き874億ドルが米国からの流失だ。
第二に証券投資はバランスが逆で、中国の米国再建保有は1兆960億ドル、米国のそれは3000億ドルである。
第三に中国の対米貿易黒字は依然として2850億ドルである。最近とくに目立つ手口は「変動持ち分事業体(VIE)を通じておこなう「迂回上場」という巧妙なやり方で、アリババ、ピンドウドウ、京東集団、ネットイーズ、百度、滴滴などが採用した。
▼「宗教はアヘンだ」じゃなかった「ゲームはアヘンだ」
ついで中国共産党は「ゲームは精神のアヘンだ」として規制に乗り出した。
宗教はアヘンと早くから共産党は唱えて来たが、文字通りに受け取る向きは少なく、ようするに共産党独裁そのものが一神教だから、ほかのカルトの存在は認めない、抹殺の対象である、と宣言していたことになる。
8月3日、共産党御用達の国営通信社・新華社系の『経済参考報』が「子どものオンラインゲーム中毒の蔓延に苦言を呈し、「ゲームの有害性が高まっている。まさに『精神のアヘン』、『電子薬物』という批判があるが、どのような産業であれ、スポーツであれ、社会をむしばむような発展は望ましくない」としたのだ。
これによって中国最大のゲームソフト企業テンセントの株価が暴落、日本のゲーム業界の株価にも波及した。日本のゲーム大手はソニー、任天堂、バンダイナムコなどで、この業界の規模は5・3兆円(ほぼ日本の防衛予算に匹敵)、9・7%の成長率を誇った。地下鉄や電車に乗ると分かるが、90%近い乗客はスマホを見ている。その半分近くがゲームをしている。精神の荒廃が、ここまで来ている暗黒は、中国に限った現象ではない。
テンセントは三月に日本企業「楽天」への出資をしている。「テンセント・リスク」と大騒ぎになった。楽天へ日本郵政が8・32%、テンセントは3・65%を出資したのだが、楽天の幹部は「なにも問題はない」と言い切った。ところが、市場では楽天の社債格付けがドカンとさげられてことに懸念が拡がった。
8月12日、新任の秦剛(駐米中国大使)はワシントンで国務省高官らとの話し合いを始めた
#新人の駐米中国大使が話し合いを始めた#イエーレン米国財務長官が訪中予定#デジタル人民元の本気度#中国の社債償還期限に向けて#ビットコイン市場の停止#2年以内の国有企業の社債償還230兆円#ウォール街の関心事は中国株価の行方#ゲーム業界への弾圧#ゲームは精神を蝕むアヘンだ#宮崎正弘の国際情勢解題#宮崎正弘の国際問題早読み#宮崎正弘の国際問題速読み#宮崎正弘の国際問題先読み
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2022年12月20日


2023シーズンユニフォーム発表会見
「星」4つです サンフレッチェ広島 来季ユニホーム発表(RCCニュース)
サンフレッチェ広島は、来シーズン、着用する新たなユニホームを発表しました。
20日、広島市内で行われた新たなユニホームのお披露目には、モデルとして川村拓夢と棚田遼の両選手が登場しました。
ホーム用は、過去、タイトルを獲得した際に着用していた▽2012年のチェック柄、▽2013年のボーダー、▽2015年のストライプの3つのユニホームからヒントを得てデザインされたもので、斜めのラインは矢が鋭く速く飛ぶ様を表現しています。

川村拓夢 選手 「デザインがかっこ良くて、(リーグ戦優勝時の)過去のユニホームからいいところを取り入れた印象」
棚田遼 選手 「着心地は軽い素材で動きやすい印象」
そして、胸元には3度のリーグ優勝に加え、ことしのルヴァンカップの優勝で1つ増え、4つになった「星」が誇らしげに輝きます。

この新たなユニホームで迎える来シーズン、サンフレッチェはさらなる高みを目指します。
川村拓夢 選手 「ことしはルヴァン杯で優勝できたが リーグ戦天皇杯はくやしい思いをした来シーズンはリベンジして 5つ目の「星」をとりたい」
ユニホームの発表に先立ち、19日、チームの来シーズンのスローガンが、「ぶちあつ!2023」と発表されました。
今シーズンの「ぶちあつ!」を踏襲し、攻守両面において、さらに「ぶちあつ」く、アグレッシブに戦う意思を込めたこのスローガン…。
そして、新ユニホームのもと、2024年の新スタジアム開業を控え、エディオンスタジアム最後の年となる来シーズン、2015年以来の4度目のリーグ制覇と初の天皇杯優勝、ルヴァンカップ連覇の三冠達成を目指してほしいです。

2時間待ちも… マイナカードの窓口 混雑 広島市 ポイント付与の申請期限は延長(RCCニュース)
最大で2万円分のポイントが付与されるマイナンバーカードの新規取得。申請期限は、ひとまず今月末とされていました。広島市の申請や交付窓口では、混雑が続いています。

広島市が開催しているマイナンバーカード申請の出張サポート会場です。こちらでは、先週末の3日間、申請を受け付けました。
予約不要で、「QRコード付きの交付申請書」か、「通知カード」を持参すれば、写真撮影も無料で、簡単に登録できるということで、多くの人が利用しています。
今月に入り、駆け込み申請が増えてきたそうです。
出張サポートスタッフ 藤崎順次郎さん 「12月からは平日も増えてきていまして、150人から200人平均で来られています。1人の方も多いですが、家族連れやご夫婦が全体的には多いですね」

これまでに多いときには1日で200人を超える日もあったそうです。

赤ちゃんがご機嫌ななめで、なかなかうまく撮らせてくれません。家族とスタッフが、あの手この手で写真撮影に臨んでいました。

広島県のマイナンバーカードの交付率は57.1%で、全国で6番目となっています。

広島市は57.8%で、政令指定都市20都市の中では4番目に高い交付率となっています。
広島市 区政課 荒木英貴 課長 「土曜日とか日曜日、大型商業施設で申請サポートをして実施したり、8区役所とか出張所の方にも申請の支援窓口を設けておりまして」
幅広い申請支援が、交付率向上につながったようです。
荒木 課長 「6月から(キャンペーンが)始まり、申請いただきまして、交付までだいたい1か月から2か月ぐらいかかりますので。7月終わりぐらいから徐々に混雑、交付の方が多くなった」
中区役所を訪ねました。
1階には1日70人が訪れるマイナンバーカード申請受付や、150人から200人が交付を受ける窓口に加え、マイナポ���ント申し込みの特設コーナーが設けられていました。こちらでは、1日130人ほど対応するそうです。
窓口では多いときに2時間待ちということもあったそうで、今月から窓口人員を増やして、混雑の解消にあたっています。

交付に関しては、およそ10分ほどで終わるのですが、マイナポイトがもらえる健康保険証としての利用申し込みや口座の登録などは個人情報を取り扱うために時間がかかります。
その影響もあり、窓口が混雑しているようです。
荒木 課長 「曜日で言いますと、特に多いのが月曜日です。1日の時間帯では午前10時から午後2時ぐらいまでが混雑しておりますので、お越しいただくときは時間に余裕を持っていただければと思います」
広島市での出張サポートは、今週末23日から25日にも開催されます。
― いわば、「駆け込みラッシュ」でしたが、20日、新しい動きもありました。総務省は、申請の期限を来年2月末まで延長すると発表しました。

SPY×FAMILYキャンペーン開始!

【新型コロナ 広島県の取り組み】(広島県)

症状の軽い人が対象 抗原検査キット 無料配布へ 広島県「外来医療のひっ迫避けるため」(RCCニュース)
20日、広島県の湯崎 知事は、外来医療のひっ迫を避けるためとして、症状が軽い人を対象に新型コロナの抗原検査キットを無料で配布すると発表しました。
広島県 湯崎英彦 知事 「外来医療のひっ迫をさけるために26日から発熱など症状がある方を対象に抗原定性検査キットを無料配布します」

20日の記者会見で湯崎知事は、県内の感染者数は増加傾向が継続していると指摘しました。そして、外来医療のひっ迫を避けるため、症状が軽い人に対しては26日から抗原検査キットを無料配布することを明らかにしました。
対象は、2歳以上65歳未満で、このうち40歳以上は重症化リスクとなる疾患がない人などとしています。
インターネットで申し込み、最寄りの登録薬局で受け取ることができるということです。
年末年始については、薬局が休業などしていて、キットの受け取りができない場合に限り、自宅への配送もするとしています。
湯崎知事は、「今後、インフルエンザの流行と重なると、外来医療がさらにひっ迫する。そうなる前の対策だ」と説明しました。

【本日(12/20)の広島県内の感染状況】(広島県)
新型コロナ 20日 6344人感染 9人死亡(NHKニュース)
広島県では20日、新たに6344人が新型コロナウイルスに感染していることが確認され、9人が亡くなったと発表されました。6000人を超えるのはおよそ4か月ぶりです。
感染が確認されたのは、広島市で2632人、福山市で1391人、呉市で443人、東広島市で392人、尾道市で344人、廿日市市で239人、三原市で158人、府中町で91人、三次市で77人、府中市と庄原市でそれぞれ73人、安芸高田市で65人、大竹市と海田町でそれぞれ59人、竹原市で53人、熊野町で38人、坂町で35人、神石高原町で27人、世羅町で26人、安芸太田町で20人、北広島町で19人、江田島市で16人、大崎上島町で14人のあわせて6344人で、1週間前の火曜日より828人多くなっています。
6000人を超えるのはこと��8月25日以来、およそ4か月ぶりです。

一方、福山市は18日発表した1人について取り下げました。これで県内での感染確認はのべ61万1733人となりました。
また、県内では患者9人が亡くなったと発表されました。県内で新型コロナウイルスに感染し、その後死亡した人は967人となりました。
新型コロナ 県内の病床使用率 62.7%(19日時点)(NHKニュース)
19日時点で病床の使用率は62.7%です。(確保病床数805床、入院患者505人)。
このうち重症患者用の病床使用率は16.0%です。(確保重症病床50床、重症の入院患者8人)。
軽症の人や症状がない人が入る宿泊療養施設は1228室を確保し、354人が過ごしています。(利用率28.8%)。
直近1週間の人口10万人あたりの新規感染者数は1077.80人です。
現在、広島県の感染レベルは、1から4の4段階のうち発熱外来を受診する患者が増えるなど、保健医療の体制への負荷が高まり始めていることを示す「レベル2」です。
【新型コロナ 厚労省まとめ】231人死亡 18万5694人感染 (20日)(NHKニュース)
厚生労働省によりますと、20日に発表した国内の新たな感染者は、空港の検疫などを含め18万5694人となっています。また、国内で亡くなった人は231人で、累計5万3730人となっています。
東京都 新型コロナ14人死亡2万513人感染確認 15日連続前週比増(NHKニュース)
大阪府 新型コロナ 8人死亡 新たに1万2068人感染確認(NHKニュース)大阪府内の感染者の累計は243万1408人となりました。府内で感染して亡くなった人は合わせて6941人となっています。
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【8月20日はペペロッソが濃い濃いマルケ色に染まります!イベント参加者大募集!】 マルケ州モンテフェルトロを中心とした伝統工芸や食文化を発信する体験型のオリジナルの旅を提案することで有名な”ラファエロの丘から”の主宰【林 由紀子さん】の一時帰国が8月に叶いました!! 林さんのマルケ州でのご活躍や”フリーマガジンイタリア好き”の執筆記事を日本で拝見していてめちゃくちゃ大ファンでした 自分がマルケに行く際には絶対林さんにお願いしようと思って密かに思いを馳せておりました 池ノ上にペペロッソを移転する際の工事期間を利用してマルケに行けることとなり真っ先に連絡させていただいたのがもちろん林さん 念願叶って私たちがマルケ州に滞在した際にも大変大変お世話になった御恩のある林さん 私たちがオープン当初から愛用し続けている錆染のエプロンは林さんにお繋ぎいただいたマルケの職人さんに作っていただいたものです トイレの洗面台になっているアンティークのポレンタ用の銅鍋もマルケから林さんに送っていただいたもの 今ではすっかりペペロッソの顔となった愛らしい豚のテラコッタもマルケで林さんにお繋ぎいただいた生産者さんのもの ペペロッソのいたるところに林さんのマルケ製品がございます 私たちがイタリアから帰国しても今でもちょくちょくお世話になっている林さん そんなペペロッソにとってご縁のありまくる林さんとイベントをさせていただけることとなりました イベントの内容はと言いますと、林さんがイタリアの山で出会った宝物のような人や自然 楽しい仲間たちと珍道中の日々 そんな毎日のマルケでの暮らしの様子や、林さんのライフワークである陶芸や薬草の勉強などについてお話していただきながら、私たちは林さんと共に体験した思い出のマルケの郷土料理をご用意させていただきます ア��リティフでは夏のイタリアらしく爽やかなドリンクとおつまみで皆さんと交流しながら気軽におしゃべりを楽しみ、そのあとのディナーでは、山で採集したハーブや、自家製のリキュールなどもテーブルに登場し、マルケでの暮らしの空気を少しでもお持ちできたらと思っています 当日会場では選りすぐった林さんのお仲間たちの工芸品や、マルケで蒸留されたエッセンシャルオイル、ハーブ製品や美味しいアレコレなど、思い入れのあるあれこれを少しずつですが販売する予定です 販売会ですが、マルケ好きの方にはたまらないい内容となりそうです ご都合が合うようでしたらお運びいただければ大変嬉しいです 皆様のお越しを、心よりお待ちしております 林 由紀子&ペペロッソ 🍃日時🍃 8月20日(土) アペリティフ 18:00から ディナー 19:30/20:00から 🍃場所🍃 ペペロッソ 東京都世田谷区代沢2丁目46-7エクセル桃井1階 🍃アクセス🍃 京王井の頭線 池ノ上駅 徒歩0分 小田急線 東北沢駅 徒歩7分 下北沢駅 徒歩8分 🍃参加費🍃2コースございます コース① アペリティフ(ドリンク1,おつまみ)+フルコースディナー(ドリンクはアラカルトにて別途料金)・・・8500円 コース② アペリティフ(ドリンク1,おつまみ)+フルコースディナー+各料理にドリンクのペアリング付き・・・12500円 ※ディナーからのみ参加の方は、それぞれの料金から1500円引きになります 🍃お申込み🍃 林さん(プロフィールYukiko Hayashi)のMessengerにご連絡をいただくか、ペペロッソにお電話もしくはこのインスタグラムにDMにてご連絡くださいませ。 ペペロッソ Tel 03-6407-8998 #ラファエロの丘から (ペペロッソ 池ノ上 イタリアン cucina italiana) https://www.instagram.com/p/Cf8DL_UvTvI/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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基地建設進む石垣島 沖縄
米軍に土地も家も奪われ ここに次は自衛隊か…
2022年6月17日【1面】
現地ルポ
米中が軍事衝突し、日本が参戦したら、真っ先に戦場になるのが沖縄です。77年前の沖縄戦と同様、住民は“捨て石”にされかねません。自衛隊のミサイル基地建設が強行されている石垣島を訪れました。(斎藤和紀)
石垣島中央部の平得大俣(ひらえおおまた)地区。於茂登(おもと)岳の麓の森が切り開かれ、15台以上のクレーンが並んでいます。岩を削る音が鳥の鳴き声をかき消し、ダンプカーなどの工事車両が頻繁に出入りしています。防衛省は、中国艦船を想定した地対艦・地対空ミサイル部隊や警備部隊など約570人の配備を計画。2019年から工事に着手し、22年度中の完成を狙っています。
「米軍に土地も家も全て奪われてここに来た。次は自衛隊か」。於茂登地区の元公民館館長の嶺井善(まさる)さん(56)は声を震わせます。同地区は、沖縄本島にある米軍嘉手納基地などを造るために土地家屋を強制接収された人たちが開拓した地域です。「集落に住む人の3分の2は嘉手納基地に土地を全部とられた」(嶺井さん)といいます。
(1面のつづき)
「台湾有事」起きたら 石垣住民5万 避難不可能
戦場にしない外交を
集落の入り口にたつ「開拓之碑」には、最初の開拓民の一人である嶺井善さんの父親の名が刻まれています。20代前半で南���市から単身で移住。手作業で木を切り倒し、大きな石は水牛に引かせて取り除き、家を建てました。生活は苦しく野菜やお茶、パイナップルなど何でも作りました。
父親が入植してから約7年後に嶺井さんが誕生。朝5時から野菜の収穫を手伝い、学校から帰宅した後は、畑の石拾いやヤギの世話などをしました。おなかをすかせることが多く「あの時は生活が苦しいのが当たり前だった」と振り返ります。
自衛隊配備は、住民にとって青天のへきれきでした。米軍に追われ、苦労を重ねて開拓した住民は軍への抵抗感は強く、近隣の於茂登、開南、川原、嵩田(たけだ)の4地区は反対決議をあげました。しかし、防衛省は住民の声を無視し、建設を強行しています。
日米共同基地に
日本政府は「島しょ防衛」と称して、鹿児島沖から奄美、沖縄本島、宮古、石垣、与那国にいたる南西諸島に、自衛隊のミサイル部隊配備を進めています(図)。その背景には「第1列島線」に日米のミサイル網を配備して中国を抑止するという米国の戦略があります。
米海兵隊は、中国の沿岸地域に臨時の戦闘拠点を設け、地対艦ミサイルで中国を抑止する「遠征前進基地作戦」(EABO)の具体化を加速。念頭に置くのは台湾有事です。
米軍と自衛隊が台湾有事を想定した日米共同作戦計画の原案を策定したと共同通信が報じました。それによると、中台間で戦闘が起き、日本政府が安保法制に基づき、「重要影響事態」と認定した場合に、南西諸島が米海兵隊の臨時拠点となり、日米で中国艦艇を排除するとしています。
22年1月の日米安全保障協議委員会(2プラス2)の共同声明には、台湾有事を念頭に、「南西諸島での自衛隊の体制を強化し、日米の施設の共同使用を増加させる」と明記。日米共同基地化が鮮明となりました。
そうなれば南西諸島は軍事攻撃の標的となります。石垣市の人口は約5万人で、全員避難させることは不可能です。石垣や宮古島など先島全体では人口11万人にのぼります。加えて、台湾からの避難民も想定され、大混乱は必至です。
避難計画示さず
政府は、国民保護法に基づき、自治体に「国民保護計画」の策定を義務づけ、「有事」において住民避難などを行うとしています。
石垣市の国民保護計画によると、観光シーズンや混雑の発生状況などに応じて「複数の避難実施要領のパターン」を事前に作成すると明記。しかし内容は「非公開」(担当者)です。弾道ミサイルを想定した住民参加の避難訓練も石垣市で実施されたことはなく、住民からも「どれだけ上等な計画が作成されても、計画を事前に知らせずに5万人を避難させるのは無理だ」との声が上がります。
弾道ミサイルや航空機による攻撃があった場合にはコンクリート造りの頑丈な施設や地下施設に避難すると明記。しかし、市の担当者はそうした施設について、「対象施設の指定はしてないが、そんなにないと思う」と述べました。
また、基本指針には本土から遠い沖縄県の離島での避難には「国が特段の配慮をする」としており、内閣官房や国土交通省は航空機や船舶などの運送手段の「確保に努める」としています。しかし、石垣島で全住民を避難させるための運送手段の確保について、内閣官房は「有事の対処に支障をきたしかねないので答えられない」と回答を避けました。
マグロ漁師の座波(ざは)幸次さん(61)は、「有事の際に船で逃げるのは現実的じゃない。島に大人数を運べる船はないし、漁船は遅いから真っ先に狙われる。戦争が始まればどこにも出られない」と危惧します。
また、自衛隊に住民を保護する考えはないことが分かっています。日本共産党の赤嶺政賢衆院議員が18年に暴露した防衛省の内部文書「機動展開構想概案」(12年3月29日付)では、石垣島に敵が侵攻した場合、「(敵・味方の)どちらかの残存率が30%になるまで戦闘」という凄惨(せいさん)なシナリオを想定。しかし、「国民保護」は「自衛隊が主担任ではない」としています。「軍隊は住民を守らない」―。沖縄戦で住民が体験した冷厳な事実です。
逃げ場のない島
住民からも懸念の声が相次いでいます。
嶺井さんは、「ウクライナでも軍事基地や人が集まる場所が真っ先に攻撃された。有事になれば島に逃げ場はない。沖縄戦のように、空を見上げて『自分に当たりませんように』って祈るしかない。そうならないための外交ではないのか」と訴えます。「私たちは6年前から『有事になったらどこに逃げるのか』と問い続けたが、市や国は避難計画の内容は秘密だと言う。それでは避難なんてできない。石垣には地下もないし、そんな非常識な話があるか」
ミサイルの弾薬庫から約400メートルしか離れていない開南地区の小林丙次・元公民館長(60)は、火薬庫が攻撃されれば住民が巻き添えになると懸念。「基地がなければここは戦場にならない。政府は『国を守るため』と言うが、私たちも国民の一人だ」と憤ります。
住民の約9割が農家である川原地区の具志堅正・元公民館長(60)は、急ピッチに工事が進む現状に不安を抱きます。「戦争が起きてからでは遅い。日中交流を進めてほしい」と言います。「ここは農業や畜産をするなら一等地だ。基地の近くは島の飲料水や農業用水の水源地で、農作物にも影響が出る」と危機感をにじませます。
基地建設は住民の民意を踏みにじって進められました。賛否で住民が分断させられる中、若者を中心に「石垣市住民投票を求める会」を結成し、18年に基地建設の賛否を問う住民投票の実施を求める署名を、有権者の約4割から集めました。市自治基本条例に基づき実施を求めましたが、推進派の中山義隆市政は拒否。現在、那覇地裁で係争中です。同会の宮良麻奈美さん(29)は、「市や国は、住民は『いないもの』として配備を決めた。それなら有事も住民を『いないもの』として扱うでしょう」と懸念します。
岸田文雄政権は、ロシアのウクライナ侵略に便乗して、敵基地攻撃能力の保有や軍事費倍増など「力には力」で対抗する軍拡路線に突き進んでいます。軍事で対抗すれば軍拡の悪循環に陥り、偶発的な紛争を招く危険性が高まります。
「石垣島に軍事基地をつくらせない市民連絡会」共同代表で医師の上原秀政さんは、「ウクライナ侵略で明らかなように、基地が標的にされ、住民は避難する暇もなく巻き込まれる。絶対に戦争は起こさせてはいけない」と指摘しました。
沖縄戦の最中、石垣島は海と空が閉鎖されたことで食料などの物資が届かず、住民は飢餓に襲われたと紹介。旧日本軍が住民を山奥に強制避難させたためマラリアが蔓延(まんえん)し、石垣島で約2500人が亡くなったとして、「直接攻撃されなくても、島に閉じ込められるだけで恐ろしい事態になる」とも危惧します。上原さんは、琉球王国は日本や中国をつなぐ「平和の島」だったとし、「琉球では寝床に刀を飾らず三線を置いていたという。武力ではなく文化や音楽を通じた国際交流が大事だ」と訴えました。
(4面) (しんぶん赤旗)
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信濃 追分散策。
連休中、中山道六十九次、二十番目の宿場である追分へ。
昨年の、坂本宿経由碓氷峠越えに続く、中山道宿場シリーズ第二弾、今回は軽井沢から自転車でのぼる。

まず追分郷土資料館へ。

軽井沢は、鳥獣や果実・球根類が豊富で縄文時代から高原一帯に広く人が住んでいた、とか、街道としての歴史は古く飛鳥〜平安時代に整備された、関東内陸から北に抜ける東山道から始まっている、とか、どこぞのお殿様に出したお膳の献立とか、色々な『へえ〜』に出会えます。
すぐ隣には、浅間神社。

宿場の東の入り口には、江戸時代から残る常夜灯。

まだ残っている桜と遠くには中央アルプスが見える。

堀辰雄記念館の入り口は、かつての本陣の門が移設されたもの。

徳川家康が制定した宿駅伝馬制度によって、中山道の宿場となった追分は、北国街道との分岐点として、大変栄えたそうです。
こちら、脇本陣だった油屋。10年前に『信濃追分文化磁場油や』としてアート・クラフト・古本などの展示会場、イベント会場として生まれ変わりました。

明治17年に碓氷新道(現在の国道旧18号線)が開通し、明治21年に軽井沢〜直江津が開通すると中山道の宿場町は廃れていきましたが、明治末期から堀辰雄や立原道造など文人が数多く逗留したそうです。

中に入る。

旅館のころの趣のまま、ギャラリーや店舗が並ぶ。

2階は宿泊できます。

かわいいキノコグッズがあったのでマスキングテープを選んで、お会計をお願いしたら『以前はきのこ祭りがあって、きのこ汁をふるまったりしていたのですけど、2011年の震災後、ここがホットスポットなので、町ではきのこは食べないようになって・・・』とお話をしてくださいました。
詳しい方だったら、と思い、この建物の経緯を質問すると、いろいろ詳しく教えてくださって『私は隣の本屋が本拠地なんですが・・・』とおっしゃるので『追分コロニーの?もしかして斎藤さんですか?』とたずねると『そうです』と。雑誌やネットで拝見していた追分再生の発起人である斎藤夫妻の奥様ご本人でした。
油やは、15年前までは旅館として営業していましたが、おかみが体調を崩して他界されたあとしばらくして売りにでていた、なんとか建物を残したいという思いもあったし、最初はこんなに人が来るとも思わなかったので、本の倉庫にしようと思っていた。それが、周囲からの声もあって、協力者があらわれ、ギャラリーや店舗として貸す形になり、営業していない期間に少しずつ手を加えて10年目を迎えているとのこと。当初、建物の状態は悪く、新館と旧館のつなぎ目の雨漏りや、浅間山麓の伏流水が流れる地盤のため下からの湿気もあり、修繕は大変だったとのことですが、古い趣を残しながら、素敵に再生していました。
(2012年に「NPO油やプロジェクト」が設立され、「油屋旅館」建物の保全と有効活用を行いつつ「文化磁場油や」として、本とアートによる町おこしを行なっています)

12時になって、斎藤さんの本拠地の追分コロニーもオープンしたので、そちらへ。


中に入ると、いろいろなジャンルの本がびっしりと並んでいました。油やのほうにも本がたくさん並んでいましたが、読みたい本を探しながら楽しめます。
さらに宿場街道を進む。こちらの蔦屋さんは、追分に江戸時代から残る3軒のうちの1軒だそう。

その先に泉洞寺。

「堀辰雄が愛した石仏」で、「樹下」という作品にも登場する、歯痛の仏様だそう。

そして、宿場の西の端までくる。江戸時代から残る3軒のうちの一軒、つがるや。

徳川家光の時代から実施された参勤交代で大勢の人が泊まるため、本陣、脇本陣というものが設置され、警備のために宿場の入口には枡形の道と土手を築いたそう。(直角の道で見通しがきかず容易に攻め込めない)
その道沿いにあったため、枡形の茶屋と呼ばれる。

その先に、中山道と北国街道の分かれ道の道しるべとなった「追分の分去れ」
右が左が中山道、右が北国街道。

来た道を引き返しながら、追分公民館。

追分にいってみようと思い立ったきっかけの立原道造。軽井沢で名をきく立原道造をずっと詩人だと思っていました。卒業設計の「追分の芸術家コロニー」のことを雑誌で目にして、建築家だったということを知った次第。
立原道三は、24歳の若さで亡くなりますが、縁のあった人たちの思いを受けて、立原道造と同僚であった建築家の武基雄が設計して建てられたもの。


帰りの18号沿いに一里塚。江戸へ39里、京都へ91里14町の地点。

軽井沢までだいぶくだって浅間山、綺麗でした。

また行ってみたい追分、こんどは石尊山に登ってみようと思います。
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百田尚樹『殉愛』の真実・裁判篇⑫
さくらの再度の猛烈な”会いたいメール”に、百田はまだ当惑していた。『殉愛』にその心境を次のようにつづっている。
<今回のメールは前以上に熱かった。私は嬉しく思う半面、少々戸惑った。
会場ではほんの数分話しただけなのに、ここまで積極的に近付いてこられる理由がわからない。いかに亡き夫がファンだったとはいえ、ほとんど面識のない男に、自宅に招待とか、食事を一緒にというのは、少し解せない気がした>
確かに一度会って数分だけ会話した男に、自宅に招待したり、食事に誘ったりするのは、不気味ではある。何か思惑があるに違いないーーそう考えるのが妥当だ。
不審に思いながらも百田は<たかじんが私について書き残したというメモは見てみたい気持ちもあった>という。明らかに百田は、じらされている。それを狙った作戦であろう。
メモを見せたいというだけなら、さくらが、たかじんを偲ぶ会に持参していれば済むだけの話である。出席予定者は把握していたはずだ。当日が無理なら、後日メールに貼り付けることも、コピーを郵送することも可能だった。
言葉は悪いが、さくらはたかじん”直筆メモ”を餌にして、百田を取り込もうとしていたのではないか? 疑り深いノンフィクションライターの私は、そう考える。
何よりも百田にとって、やしきたかじんはビッグネームであった。20年来の付き合いがあった砂野信(読売テレビ「たかじんのそこまで言って委員会」のチーフディレクター)に、さくらの人物像を聞いている。
「かわいい人です。でも、とてもしっかりした人です。そして素晴らしい女性です」
砂野のさくら評は、大絶賛であった。ただ、具体的にそれが何を指すのかは、書かれていない。百田は彼の言葉を信じ、さくらに会うことにした。
□ □ □
場所は、たかじんを偲ぶ会がおこなわれた、リーガロイヤルホテルのラウンジ。たかじんが晩年に住み、さくらがその後に居住したマンションから、徒歩10分以内の距離にある。いわば、さくらの自陣であった。
ちなみに、たかじんが母校・桃山学院高校に1億円の寄付を遺言に残したことに対し、さくらが当時の校長に遺贈の放棄を迫ったのも、同じ場所である。
ホテルのラウンジで、さくらがあらためて会談の目的について口を開いた。
「やしきが百田さんの大ファンでした。生前、何度も百田さんのお話は伺いました。やしきが残したメモの中に、百田さんについて書かれたものを見つけて、是非ともお目にかけたいと思い、メールいたしました」
真偽はともかく、たかじんが百田の大ファンであること、彼が百田についてメモを残していることをさくらが本人に伝えるのは、これで3度目である。メッセージは簡潔で、反復することが重要だ。
さくらはバッグからA5サイズのノートを取り出し、たかじんが書いたとされるメモを見せた。黒のボールペンを使い<かわいいとも形容できる文字>で、横書きされていた。<ページの裏表に書くのではなく、すべて片面だけを使っていた>という。
片面だけ書くのは、どう考えても不自然である。他のメモも同じなのだろうか。ただ、書き損じを考慮すれば、片面だけを使うほうが無難ではある。
百田はこの不自然さを<インクが裏面に透けるのを嫌ったのかもしれない>と分析している。ボールペンが裏面に透けるほど薄い紙を使ったノートだったのだろうか。それとも、裏面に滲みるほどインクの量が多いボールペンだったのだろうか。
百田はこの時点で、ノートの片面への筆記を不可解に思わず、現物にあわせて解釈している。
「きっちりした文章にはなっていません。いつも、その時々の思いをメモに走り書きしていましたから」
さくらがそう念を押した。執筆者のたかじんが闘病中であったことは、百田もわかっている。なぜ、そんなことをわざわざ言う必要があったのだろうか。
□ □ □
メモは2ページあった。最初のページには、以下の文章がつづられていた。( )内は引用者の註である。
<百田に委員会(前出の「たかじんのそこまで言って委員会」)で喋らせる。おもろい。本間(原文ママ)にテレビが好きやないとナイトスクープ(百田が構成を手がけるテレビ番組「探偵! ナイトスクープ」)はできん。テレビを悪くしていく人間やスタッフが多い中、本物のテレビマンであり、ジャーナリストであり、作家でもある。もっと一緒に仕事をすればよかった! 昔の秋元と一緒で、もっと早くのばせていたら。しゃべりもこのままでやっていけるし、間違いない。気持ちええくらい正しい。強い。
こういう人間をなくしたら、日本の報道もテレビもくさる。これ以上つまらん世界はあかん。久々の逸材。マスコミがテレビとジャーナリズムを下げて首をしめてる>
いかにも素人っぽい文章である。特に最後の<マスコミがテレビとジャーナリズムを下げて首をしめてる>は、日本語になっていない。いくら「走り書き」(さくら談)とはいえ、こんな奇妙な文章を本当にたかじんが書いたのだろうか。
百田に対しては、本物のテレビマン、ジャーナリスト、作家・・・と、べた褒めである。最上級の褒め言葉を、自著に引用する神経を疑うが、例によって何が本物なのか、具体的な記述は一切ない。
前回述べたように「秋元」は、作詞家でプロデューサーの秋元康である。約40年前、たかじんが東京のラジオ番組のDJを務めていたとき、秋元は二十歳を過ぎたばか��の若者で、番組の構成を担当していた。作詞家として売れる前である。歌詞を書いて感想を求めたが、たかじんはその才能を見抜けず、作詞家には向いていないとアドバイスしたーー。後にたかじんが、自分の番組で好んで語る十八番ネタである。
あくまでも視聴者・リスナーの笑いを誘うネタだ。なぜなら、そのこ���秋元は、作詞については素人同然の駆け出しだったからである。これは秋元を貶めているのではなく、よほどの早熟の天才でない限り、二十歳前後の若造は、どの業界であっても何者でもない。
秋元と並べて百田についても「もっと早くのばせていたら」と書くのは、奇異である。1998年に、たかじんが司会を務める大阪のテレビ番組で、百田は構成を担当したが、両者が交わることはなかった。百田に光るものがなかったか、ふたりの感性が合わなかったか、どちらかであろう。
<本物のテレビマンであり、ジャーナリストであり、作家でもある。もっと一緒に仕事をすればよかった!>
自分の番組で他の番組や出演者を批判し、毒舌を売りにしていた、たかじんが、いくら病を得て以前のように尖らなくなったとはいえ、ここまで人を褒めるだろうか。
□ □ □
<私はこのメモを見て非常に驚いた。たかじんがまったく親交のない私をここまで高く買ってくれているとは夢にも思っていなかったからだ>
たかじんが書いたとされるメモを見て、百田は『殉愛』にそう記している。たかじんとの交流について、百田の記述は、同書のプロローグだけで次のように表現が変わっている。
<私はたかじんとの面識はほとんどない>(6ページ)
<生前、親交のなかったたかじんさんが・・・>(10ページ)
<たかじんがまったく親交のない私を・・・>(18ページ)
<友人でもなく話したこともない私を・・・>(19ページ)
わずか10数㌻で淡い関係が、無関係になっている。1月の裁判で百田は「私もたかじんさんとは仕事を何度もしたことはあります」と証言している。『殉愛』では、淡い関係が皆無になり、裁判では親密といわんばかりの関係に変わっている。その場その場で関係が自在に変化するようだ。
”たかじんメモ”の1ページ目で、自分を高く評価してくれていることに驚いた百田だったが、次のページを読んで、胸が詰まり、いたく感動する。<2018・9・8>
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