#今の私のストレスを書き殴ったもの
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日記(心情吐露)
ふあんふあんふあんふあんふあんふあんふあん なぜ不安?いまだに遊ばれてるかも?てかちゃんと好かれてる?こう言う時ってねぇ〜〜〜寂しい〜とさ不安〜〜〜とか送ってもいいものなのか?私が相手の立場だった場合、遊んでる時or飲み会中にこんな内容を送ってこられたら萎える。だから送らない。けど、も、わかってる。他趣味を充実させろって、でも何か違う。多分ここに書いてることが私の本当の不安や悩みやストレスじゃない。だってこんなに書いても(すでにコピー用紙2枚殴り書き済み)スッキリしない。心が鉛みたいに重い。なんで?何が原因?自分でもわからないみたい。恋ってこんなもん?思い出してみて、元彼と付き合ってすぐを、不安だったな、普通に。今と変わらず、そんなもんか、恋愛って、確か、確かだよ。不安だったか実習だったかのストレスでピアスを開けた記憶がある(今また開けようとしている)皮肉だよね。
この2年くらいでいろんな男と出会う中で絶対に幸せというより私のこと不幸にはさせないだろうなって男はたっっっっくさんいたのに結局その誰にも心から惹かれることはなかった。うまくはいかなかった。結局は自分から不幸の道、破滅の道を選んでるんだよ。しょうもない人生だな。結局感情に揺さぶられることでしか、セロトニンを生成できないし、生を実感できないんだろうな。生きていく上でかすり傷すら負いたくないって思ってるけど、かすり傷すらつけてこないような、は?笑顔でお前の性器を見れる自信なんてあるわけないだろみたいな人間的な魅力はある人を私は選ぶことができなかったんだな。人は見た目じゃない!なんてぬるま湯に浸かって愛されて生きていくのも案外いいよなんて言う君はずっと天国に憧れて生きていけばいい。きっと私は刺激と不安と快楽に溺れて己が手で地獄を選択してしまうことでしょう
DV、モラハラを一度でも経験すると今後の人生そのタイプの男しか選べないと言うのは共依存という甘い蜜を啜ったツケなのでしょう。唐突だけど、私は白色が好き。何にも染まっていない色だから、染まったらすぐわかる色だから、私の心の中はいろんな考えと不安と悩みと好きなもと色んなもので真っ黒に茶色にピンクに水色に染め上げられている。誰かが私の心をみて慰めてくれるかもしれない、誰かは芸術的!と言ってくれるかもしれない。私はただ私自身を認めてあげたい。今よりとっと、ああやっぱりまたここに帰ってきてしまう。結局全ての原因は私が私を心から認めてやれてないからかもしれない。昔よりは自分のこと好きになったけど、恋愛するとてんで自信がなくなる。恋愛スキルとか容姿とかそういうのだけじゃなく、全てが全て不安になる。私の心を無視してしまう。かといって好きな人に呼ばれたら終電も風呂もご飯を仕事だって全て放り出せるほど私は欲に忠実ではない。テルちゃんみたいに好きな人に一途に走っていけたらきっと結果がどうであれ幸せなはず。でも私はテルちゃんにはなれず、かといってようこさんにもなれない。恋愛をバカにしたり、恋愛を励みに何かを頑張るなんてこともできない。綱引きの真ん中についた目印にみたいに、本能と理性の狭間で揺れている。そらしんどいわけだよ。多分私は、彼の対応にストレスを感じているのではなく(もちろんストレス源は彼)彼の対応を通じて自分の心の未熟な、未完成なところを見てしまっているからなのだろう。彼に対してすべきこと、言うべきことは先ほど書いた通りあった時に聞く。あとは私の心の未熟さが原因だから、ストレスを感じたら飽きが来るまでこうやって書き殴る。ごちゃごちゃのぐちゃぐちゃだった頭が少し楽になった気がする。綺麗に書かなくたっていい。綺麗な感情じゃなくたっていい。これがありのままの私。
A4用紙5枚分に本音を書いても涙が出てこなくなった。本音を吐き出すのが上手になってきた。その調子だよ。私。
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4/28(月)
一昨日昨日今日とポジティブではない感情が渋滞続きでここに書き殴ろうと衝動的に開いては気をしずめて開いてはしずめてを繰り返していた。自分のきもいところが浮き彫りになるので、結果いきおいのまま書き殴らなくてよかったと思うけどやっぱりどうしても書き残しておきたいともまだどこかで思っている。13時から22時までの勤務体制の中の1時間休憩で特別に好きな漫画の新刊を読んだ。よかった。完結まですべてが本当によかった。全世界に感想を共有したい!!!と思うほどに気分が昂ぶった、けど、それを語るのは今日じゃないほうが絶対によくて、そこはきちんと理性がはたらいてよかった。認めたくないけど今日あの作品を読んだことで生まれた「大好き」にはネガティブまみれの状態から救ってくれたというベクトルの異なる価値が含まれてしまっている。今日の私は作品そのものの価値を語ることがおそらくできない。できない!!!SNSなどで昔からよく見る「〇〇さんから××してもらった。最近落ち込んでたから嬉しい!」みたいなのがはっきり言ってしまえば嫌いで、だけど自分はリアルの世界で円滑にコミュニケーションをとるために似たようなことを平気でやっているし、じゃあもしあなたが落ち込んでなかったら嬉しくないわけ?なんて捻くれたことをまさか本気で思うわけでもないし、じゃあ何が嫌いなんだろうとループに陥って、気遣いの仮面を被っただけの人間が嫌いなんだという攻撃的な結論に行き着き、だけどそれって自分のこと???となり、なにもかもだめである。まあしかし冷静に、大前提、なにかの価値を語る際に別のものを引き合いに出すのは違うよね。したくないしされたくない。
同じバス会社の運転手さんが道路ですれ違うとき手をあげてあいさつし合うのを見るのが好きだけど、いつもそれと同時に、もしすれ違ってもあいさつし合わなかったら、もしくは片方が片方を無視したらどうしようという不安が襲いその一瞬がちょっと怖かったりする。今日のように気が落ちすぎているときなんか、あいさつし合わなかった現場を見たことはないのに(まずもってバスがすれ違う瞬間ですらよく目にするわけではない)もしあいさつし合わなかったらという勝手な仮定からそこの人間関係にサイアクな不和があるという妄想が広がり、部外者もいいところなのに勝手に悲しくなってかなりのストレスを抱くことまであったりする。今自分で書いていてもなんか本気でおかしいよお前、と思う。日付はとっくに超えてしまっているが明日も同じく13時から22時の勤務で、しかしその前に朝の8時半から友だちと予定があり、遡ればその友だちに13時からのシフト(なのでちょっとしか会えないよの意)だと伝えたのに「それでもいい(から会おうよ)」と言われてこの予定ができたのだけど、今思えばそれでもいい発言には怒ってもよかったかもしれない。あなたの仕事にたとえたら、9時出勤の日に4時半から集まってそれまで遊ぼうよと言ってるのとほぼ同じじゃないか涙(あれ、合ってるよね?)はい、ここまですべて脈絡がなさすぎる。寝よう! 最後に少しだけ冒頭の話に戻ると、あと3日ほど経っても同じ気持ちだったらここにこっそりひとつずつ丁寧に吐き出してもいいかも、うーん
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兵庫県警は11月7日、別の女児殺害事件で服役中の勝田州彦容疑者(45)を殺人未遂容疑で逮捕した。勝田容疑者は2006年9月、兵庫県たつの市の路上で、学習塾から帰宅中だった小学校4年生の女児を刃物で刺し、胸などに重傷を負わせた疑い。勝田容疑者は、これまでも女児を対象とした極悪非道の犯行を重ねており、まずは「週刊新潮」の過去の記事をもとに彼の犯歴を辿ってみたい。 【1】 2000年3月、兵庫県明石市の路上で自転車に乗り、小学校から下校していた5年生の女児の腹部を殴って暴行容疑で逮捕された。当時、明石市では小学校高学年の女児が下校途中、自転車に乗った男に殴られる事件が十数件発生していた。裁判では保護観察付きの執行猶予判決。勝田容疑者は精神科に通院し、投薬治療を受けたが、途中で通院を止めた。 【2】 2009年12月、兵庫県姫路市の路上で、遊んでいた小学校1年生の女児の腹部を殴り、肝臓から出血するなど全治6カ月の重傷を負わせ、傷害容疑で逮捕された。勝田容疑者は犯行を認め「10人くらい子供を殴った」と供述。翌10年3月に神戸地裁姫路支部で懲役4年の実刑判決。 【3】 2015年5月、兵庫県姫路市の路上で、帰宅途中だった中学校3年生の女子生徒の胸や腹を刃物で刺す。兵庫県警が殺人未遂容疑で逮捕した。翌16年に神戸地裁姫路支部で開かれた裁判員裁判では、勝田容疑者が中学校3年生の頃から自分の腹を刺すなどの自傷行為を繰り返していたことも明らかになった。家庭内のストレスなどが原因だったとされ、高校生になると自傷行為に及びながら少女が血を流す様子を想像するようになったという。同年5月に懲役12年の実刑判決。その後、大阪高裁で懲役10年の実刑が確定した。 浮上した2つの殺人事件 【4】 2018年5月、岡山刑務所で服役していた勝田容疑者を、岡山県警が殺人容疑で逮捕。04年9月、岡山県津山市で当時小学校3年生の女児の自宅で首を絞め、刃物で胸や腹を複数回刺して死亡させた殺人事件が起きていたが、岡山県警は15年に姫路市で起きた殺人未遂事件との共通点に注目した。 岡山刑務所で任意の事情聴取を行ったところ、勝田容疑者は犯行を自供。2022年1月、岡山地裁で開かれた裁判員裁判は無期懲役の判決。2022年9月、広島高裁岡山支部も一審判決を支持。23年9月には最高裁も上告を棄却し、勝田容疑者に下された無期懲役の判決が確定した。 そして勝田容疑者は今回、2006年に兵庫県たつの市で発生した女児刺傷事件の容疑者としても逮捕された。さらに07年10月に兵庫県加古川市で小学校2年生の女児が刺殺された事件の関与も浮上している。 加古川市の事件は夕方に公園で遊んでいた女児が帰宅。自転車を駐輪スペースに置いたところで発生した。自宅の中にいた母親が女児の「キャー」という悲鳴を聞き、玄関に出ると女児が倒れており、血だまりができていた。 女児は胸と腹部の2カ所を刃物で刺されており、内蔵に達するほど傷は深かった。すぐに病院へ搬送され、その際に救急隊員が誰に刺されたのか質問。女児は「男」と答えた後、意識を喪失した。病院でも懸命の治療が続けられたが、午後7時過ぎに失血死による死亡が確認された。 どんな家庭環境で育ったのか? 対象が女児だったこと、腹部を刺していることなど、確かに勝田容疑者が引き起こした事件と共通点が認められる。 週刊新潮は2009年12月17日号に「受勲『元警部』のセガレだった加古川『女児殴打』通り魔」との記事を掲載した。先に勝田容疑者の犯行歴を【1】から【4】までお伝えしたが、週刊新潮が報じたのは【2】の小学1年の女児を殴打した傷害事件の詳細だった。 勝田容疑者の残酷非道としか表現しようのない犯行を知るにつれ、一体、どんな家庭環境で育つと、このような鬼畜が誕生するのか──と首を傾げた方も多いだろう。そうした疑問に答えようとしたのが、週刊新潮が09年に報じた記事だ。その全文を再録する。 改めて時系列を確認すると、逮捕容疑などが事実であれば、勝田容疑者は2006年に兵庫県たつの市で殺人未遂事件、07年に同県加古川市で殺人事件、09年に岡山県津山市で殺人事件を起こしたにもかかわらず、容疑者としては浮上していなかった。その時期に週刊新潮が報道した記事だということに注目していただきたい。(以下、当時の記事を再配信します。年齢、肩書などは当時のままです) “このおっちゃんや! 間違いない” 「親の背を見て子は育つ」 だが、その背に生涯消えることのない十字架を背負わせてしまう親不孝者も少なくはない。 12月6日、朝8時。兵庫県加古川市平岡町の主婦が朝刊を取りに出ると、家の前に1台の車が停まった。車内には、白い手袋を嵌めたスーツ姿の男が4人。彼らが向かいの家のインターホンを押すと、その家の長男が出てきた。勝田州彦、30歳。 「出てくるなり“ごめんなさい”……。手錠をかけられ、連行されました」(主婦) 4人は網干署の捜査員であった。勝田は9月19日の午後0時30分頃、自宅から約30キロ離れた姫路市網干区興浜の路上で、6歳の女児を殴った傷害の容疑で逮捕されたのだ。 その手口は非道のひと言に尽きる。捜査関係者の話。 「勝田は1人で遊んでいた女児に目をつけ、手を引っ張った。驚いた少女はその手を振りほどき、50メートルほど走って逃げたのですが、それを追いかけ、腹部を2回立て続けに殴ったのです」 被害者は肝臓から出血し、全治6カ月の重傷。現在も通院中である。この後近隣ではわずか1カ月間で同様の事件が連続して3件も発生。計4件の手口がいずれも似通っていたため、同一犯を疑う警察が前科者のデータベースを調べると、 「00年に11歳の女児を殴った容疑で、勝田が明石署に逮捕されていたのです。この時も同じ手口。そこで、勝田と今回の被害女児を街中で引き合わせ、顔を確認させると“このおっちゃんや! 間違いない”と」(同) 勝田は4件の暴行を全て認めている。 「瑞宝単光章」を受勲 この地で生まれ育った勝田は、近隣住民によれば、 「お姉さんが1人いて、10歳以上も年が離れているんです。遅くに出来た子供やから、両親は“クニちゃん、クニちゃん”言うて、目に入れても痛くないほどの可愛がりようやった」 地元中学を卒業後、進学したのは県内の私立男子校。 「水泳の強豪校として知られた学校です。彼は水泳が得意で、スポーツ推薦で入学したんよ」(住民の1人) 高校卒業後は職を転々とする。パチンコ台の組立工、運送会社の運送員、00年の事件当時は地元ショッピングセンターの現金輸送車を運転していた。 現在は大手飲料会社に期間社員として勤務しており、同僚によれば、「無遅刻無欠勤で、トラブルは一切なかった」という。 9年間大人しく暮らし続けた勝田を、近隣住民は「更生した」と思っていた。なぜならば、 「前の事件の後、お父さんが“私がきちんと監督しますから”と近所に詫びて回った。あの立派な人の言うことに間違いはないと思うやろ」(近隣住民) 立派な人――。それもそのはず。父親は元・兵庫県警の警察官なのである。 「ノンキャリで兵庫県警に入り、定年まで立派に勤め上げたんです。捜査一課の刑事やったはずやけど。定年時の階級は警部」(同) 現役時代は、勝田家の前は夜回りの記者がズラリと並んでいたそうだ。 昨年末、この父親には更に箔が付いた。「瑞宝単光章」を受勲したのだ。危険業務従事者叙勲で、警察官など危険性の高い業務に従事した者に贈られる。 「天皇陛下から贈られた勲章と、皇居での写真を見せてもらいました」(同) 父は警察官としての心得の1つ、柔道を息子に幼い頃から教えており、結果、勝田の両腕は一升瓶のように太かったそうだ。. この男は親の何を見てきたのだろうか。 デイリー新潮編集部
女児におぞましい凶行「勝田州彦」を生んだ家庭環境 父は“捜査一課の元警部”“目に入れても痛くないほどの可愛がりよう” 「加古川女児殺害」にも関与か(デイリー新潮) - Yahoo!ニュース
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401:名無し:24/09/06(金) 14:00:21 ID:7C.yl.L1 結婚していた頃、夫の暴力とモラハラと暴力が酷くて、でも実家には帰り辛いし役所とか相談するのも恥ずかしいし、 とグズグズしてた 相談に乗ってくれる友達もいたけど私があまりにもデモデモダッテ状態なので少しずつ離れていって孤立、 仕事も夫に辞めさせられたので知り合いもないし手持ちの金もない 泣きながらネットで「私はどうしたらいいんでしょう…?」という相談をしたら何件かレスがついて、 それは「勇気を出して実家に帰りましょう!」「弁護士の無料相談は?」と真っ当な内容 私はそれに「父と折り合いが悪くて…泣」「裁判なんてそんな大袈裟な…」「でも夫にも良いところはあって…」 「そんなお金ないです…」なんて返信をした気がする
そのうち「じゃあその良いところもある夫とこれからも2人で暮らしなよ! 家事手伝いと性欲処理にストレス発散サンドバッグ機能まで付いてる家政婦がいるなんて旦那が羨ましいw そこまで酷い扱い受けてるのに逃げないとか、旦那はめちゃくちゃち◯こでかいのかな。 そりゃ離れられないはずだわ〜相性抜群の似たもの夫婦ぅ〜末長くお幸せに〜〜(*^。^*)プププw」 みたいな、めちゃくちゃ口汚く煽ってくる長文レスが来た 読んだ瞬間に頭を殴られたような衝撃というか、はぁ???何言ってんのこいつ!!!と怒り心頭に発して顔真っ赤にしながら 反論してやろうとキー叩いたところでふと冷静になり いやでも実際そうなってるよな、この人の言うことが正しいよな、あいつと添い遂げる…嫌だな…私サンドバッグじゃないしな…… よし離婚だ!と目が覚めた 旦那が仕事で不在の間に貴重品や身の回りのものをまとめて、実家に連絡して事情を話してお金を振り込んでもらって 安いホテルに逃げた 料金は後払いかつ分割でもいいって弁護士さんに会えたので離婚したいことを伝えて、なんとか離婚できたのは1年後
離婚してしばらくしてから上記の自分の投稿を読んだら、あまりにも酷くて笑ってしまった こんな相談に乗ってあげたのに デモデモされたらそりゃ友達も呆れて離れていくよ 煽りレスくれた人の過去の投稿を見たら常にああいう感じの内容を書いて回っているタイプだったけど、 あのレスがなかったら今も私は「でも夫にもいいところはあるんです…夫を苛々させる私が悪いんです…でも辛くて…泣」って サンドバッグやってたかもしれない
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ドラマ『アドレセンス』感想
https://www.netflix.com/ 2025年、イギリス。Netflixドラマ。 !トリガーワーニング ネタバレ、殺人、暴力、子どもによる、子どもに対する暴力、怒鳴り声、女性差別、いじめ‥ (とても長い感想になった、ゴメンネ)
イギリスは昨年8月から「過激な女性嫌悪(ミソジニー)」を過激主義として対策することが検討されている。過激主義をざっくり話してしまうと暴力に繋がりかねない政治思想を指す言葉だ。 この問題について日本で詳細に語っているメディアは『女オンチ。』(社会にある女性の型にはまることができない自分を「女オンチ」と称して綴られた本)を書いた深澤真紀さん解説の『大竹まことゴールデンラジオ!』のコーナー「大竹紳士交遊録」2024年9月3日の回に詳しい。時間のある時にでも、ぜひ公式Youtubeに耳を傾けてみてほしい。 深澤真紀さん登場回はフェミニズムに関して重要な話が多いので、フェミニズムの視点から世の中を振り返って考えたいときにも大変参考になる。他の回もぜひ聞いて欲しい。
大竹まことゴールデンラジオ」の大竹紳士交遊録 「イギリスでミソジニー(女性嫌悪)を「過激主義」として対策検討」【深澤真紀】
youtube
上記ラジオの中でも語られていたが、こうした過激主義に対する手当て(フェミニズムでは「ケア」と呼ぶことがある)、それが考えられている・成されようとしているだけ大変“マシ”な環境がイギリスにはある。広告に関しても第三者機関が存在しており、日本ネット上で議論になりがちな「有害且つ性的な広告」が掲載されにくい環境も整っている。全くないとは言わないが、日本よりは明らかに少ないだろう。
日本は過激主義な言葉がSNS上で飛び交っていても取り消されることは稀で、訴えても名誉棄損に対する賠償額は安く、女性支援団体に対して攻撃を行っていた人物に対して裁判の結果が出始めたのも刑事事件で起訴されたのは今年4月になってから。彼らが言っていた言葉は「虚言」であると言い切れる判決も出たが、真実の歩みは遅く、ネットの速さについていけていない。
その根っこには、今回ドラマとして見た『アドレセンス』と同じ、マノスフィア、ホモソーシャルの問題がある。 そして、だからこそ「過激な女性差別」が生み出す毒に対抗するワクチンを接種する必要を真剣に考えなければならない。私はその一つがフェミニズムだと信じているが、“万能薬ではない”とも思う。
ドラマについての感想より先に、「過激な女性嫌悪」について話をしたのは、ドラマが作られたイギリスが先進的な対策を取っている国であると認識をしていないと、女性の人権に対して た い へ ん 後進的な日本では、ドラマの中で伝えられているメッセージを歪んだ形で解釈してしまう、このドラマが持つ内容を見誤る可能性が大いにあるのではないかと思った。 実際、このドラマについて話をするいくつかの番組では、「ドラマ中で過激な女性嫌悪者」が発した言葉を補強するような発信もあり、これを大変問題視している。 このドラマは社会が「過激な女性嫌悪」を肯定することが、さまざまな悲劇と新たな孤独、沈黙を生むことを描いている。そこに異論はないと思う。 この記事を公開してから数時間後、修正と追記を行っている間に、ポリタスTVという政治中心のオンライン報道メディアで元大阪地検トップの性暴力に関する番組が放送されていて、司法から報道から社会すべてに過激な女性差別がたくさんあって辛いね。 ……辛いよぉ😿 (視聴は無理しないでください) ■ポリタスTV 検察にも第三者委員会の検証を|元大阪地検トップの性暴力を告発した被害者をゲストに、権力を利用した性暴力、検察組織による二次加害について伺います(4/16) https://youtu.be/dHP4P_QOSxw?si=ZJcudqels8CE_iDh
!以下ドラマ感想 ネタバレあり
■ドラマについて ある朝、ミラー宅に警察が乗り込み息子ジェイミーを連行する。容疑は同級生のケイティを殺害したこと。
このドラマは、逮捕→捜査→心理カウンセリング→逮捕後のミラー家、4つの構成で成る。 どの感想批評もこのドラマの「撮影すごさ」について語っている。実際カメラを止めることなく長回しで物語の流れが映されていて、移動する間のジェイミーや乗り込んだ刑事らが彼に話かけるシーンも止まることなく映る。2話ではSting「Fragile」アレンジに合わせてドローンが空を飛び、学校から事件現場へ、献花する人々を映している。
私が気になったのは2章と4章で、2章ではジェイミーとケイティが通っていた学校に、バスコム警部とフランク巡査部長の刑事二人が捜査に訪れる。バスコム警部の息子アダムもこの学校に通っている。アダムは学校内でイジメに見える扱いを受けているのだが、これを止める教師がアダムに絡む生徒フレドに「leave him alone.」と言っている。日本語吹替では「かまうな」と言っていたのだが、「ほっとけ」というニュアンスだと思う。その後、「お金が必要で」と嘯くフレドに、教師は堂々と「おまえは給食無料だろ」と言っている。 給食無料とは、イギリスで行われている家が低所得の場合、給食が無償化される人道的制度なのだが、これにより、フレドは家が低所得である事実をサラリと暴露されているのである。この学校は制服の学校なのだが、本来、制服で隠されるはずの平等性もへったくれもない。そして、それが学校中に知られていることも、そのことをサラッと話す教師の無神経さも、この後のシーンで生徒のカウンセリングを渋る学校関係者の一言も、第一章取調室で「歴史が好きだ」と語っていたジェイミーを教えている歴史教師が「ジェイミーのことをよく知らない」と言う。
「そういう蓄積!」と言いたくなる言葉や行為が居心地の悪い学校を作り上げている要因だと思わずにいられなかった。 教師の仕事量は大変多く、日本でも社会問題になっているが、イギリスでも同じ問題があるのかもしれない。 そうした蓄積を後押しする経営優先の資本主義に染まっている点でも、学校は静かにミソジニーに毒されており、案内役を務めていたフェニモア先生はジェイミーのクラスでバスコム警部の紹介はするが、フランク巡査部長の紹介を忘れていたことを思い出し、咄嗟に謝罪する場面がある(ただ、こうした失敗は私たちもやらかしてしまうことがあると思う)。不思議なことに、あのシーンは忘れていたことを謝ることでフランク巡査部長の存在が消されていたことを私たちに自覚させる。
ケイティの友人で、親友であるジェイドは、家に居場所がない孤独な生徒。ケイティを亡くしたことで社会からの居場所を失う。が、彼女はあまり注目されない。 ジェイドはケイティを殺された怒りに、ジェイミーとつるんでいた仲間の一人を殴ってしまう。殴った彼はバスコムとフランクによって逮捕された。 一方、ジェイドの未来は誰の大人の手もかからない。不透明なところがある。わかるのは彼女の孤独、悲しみは続くということだけだ。
4章はジェイミーが逮捕されてから13か月後のミラー家が映し出される。父親の誕生日、日常的に使っているバンに「レイプ魔」とラクガキされ(補足:ラクガキの言葉はスラングで「小児性愛者」という意味がある。加害者被害者ともに13歳で、犯行にレイプはない)、加害者家族として白い目(Gaze)で見られ、それに苦しみ苛立つミラー一家の姿が映し出される。この章は父親にフォーカスがあたる。
ラクガキの件や近所の視線・からかいのストレスで父親は家族にも怒りを隠さない。 実は、ジェイミーの姉リサについ注目していた。彼女は恐らくジェイミーよりも問題ある子だと認知されていたと思う。成績優秀だと言われていたジェイミーよりも鼻ピアスをして恋人(だろう)ビリーとのメッセージを隠そうとする。母マンダと娘リサ、二人はラクガキが「洗うだけで消えない」と薄っすら理解しているが、父親に言えないところがある。 何となく、ミラー家は父親のエディの発言でさまざまなものが決定されていることが示される。ホームセンターに向かう車の中で、母親は昔の思い出をペラペラと話す。おしゃべりが好きなのだと思う(ただ、父親に意見は言えない)。この時は「穏やかな家族」として見える部分もあるが、フットボーラー選手の容姿を差別するシーンがサラッと含まれている。(人種差別もあるかもしれない) ラクガキを消すために向かったホームセンターでも、一家は“視線”(Gaze)に遭う。クイントと呼ばれた店員がエディのことを「ジェイミーの父」であると気づくのだ。店員クイントはジェイミーの「無実を信じる」と語る明確なマノスフィアの一人で、ネット上に上がっていた画像を根拠に、「息子さんの無実を信じる」と第一章で“息子がケイティを刺し殺す瞬間の映像を見ているエディに向かって”話すのである。 他、タイヤチューブ売り場でクスクスと笑う人物にリサとマンダは出会う。ただし、これが二人をジェイミーの家族と気付いてか、偶然かはわからない。 その後のエディの行動は錯乱と言っても良いだろう。
帰宅後、マンダは初めて夫と向き合う。ジェイミーが有罪を認めるつもりであるという電話(ジェイミーは父にだけ話していたつもりだが)を偶然聞いたことがきっかけだろう。 このシーンでも様々思うことがある。絵を描くのが好きで、運動が苦手なジェイミーをサッカー教室やボクシング教室に入れ、パソコンを与え、その中身を見ることができない、プライバシーは大事かもしれないが、親は「何に」パソコンを使い、どのようなアプリにアクセスしているのか、把握しておいた方がよいだろう。
その後、姉のリサがきれいな服を着て部屋に来る。彼女は父親の服が母からのプレゼントであると気づく。彼女はジェイミーの姉として視線(Gaze)の被害を受けることに自覚的である。彼女は静かに気配りができるが、それは社会から押し付けられた「ケア」の役割を引き受けているようにも見える。
ジェイミーは閉じこもった部屋で、SNSのホモソーシャル性を「親」「師匠」「兄」として視て(Gaze)学んでしまった。それが悲劇を生んだ。
エディのシーンとジェイミーのシーンは感情が高ぶった時に「周囲の音が聞こえにくくなる」演出がある。第一章、ジェイミーが逮捕され、車で移送されているシーンと、形式的な対話で「朝食はコーンフレークでいいか?」と聞かれた後、留置所に移動する間、周囲の音が聞こえにくくなる。 そして第四章、ホームセンターでマノスフィアの店員クイントと対話した後、エディは周囲の音が聞こえにくくなる。 バスコムとフランクの二人が移動する間などは周りの雑音が聞こえていたので、この演出は意図的なものだと思う。
たまに「視線(Gaze)」と話をしていたのは「Male Gaze」などに使われる「視線」が重要だと思ったからだ。「Male Gaze」(男性による性的まなざし)によって私たちは「美しい体形」「痩せ」「モテ」「かわいい」「セクシー」「美人」‥と「(男社会にとっての)理想の女性像」を学んでしまっていることがある。イギリスで広告規制がある理由の一つもここにある。 視線は暴力足りえるし、その暴力を見ることで私たちは暴力を学ぶことがある。虐待を見ることで虐待を学ぶことがあるように、ハラスメントを見ることでハラスメントを学ぶことがある。そして、ハラスメントされている人を見ることでストレスも受ける。 フェミニズムはこの「暴力の再生産」も問題視しているのだが、これは「些細なこと」とされてきた。SNSの広告に関して苦言を呈する<ツイフェミ>とくくられる女性たちが受ける攻撃がまさにそれだ。
――ここまで感想を読んでくれた人は、このドラマに興味があって、「過剰な女性嫌悪」を何とかしたいと思っている人だと思う。
昨年、オーストラリアが16歳未満のSNS禁止を決定した。ブラジルでは学校にいる間、スマートフォンを預かる学校では生徒の成績が伸びたという。私はこうしてネットで記事を書き、ネットにサイトがある一人として、インターネットには大変なチャンスも、ささやかな喜びも転がっているとは思うが、一方で大変な数の暴力が再生産されている。 そして、Techコミュニティが暴力を煽っている側面がある。イギリスはこのドラマを切欠としてSNS規制への方向に舵をきっている。イギリスはEUから離脱したが、イギリスの決定を受ければ他のヨーロッパの国々も考えを変えるだろう。 アジアはどうなのだろう。中国はこうしたSNSやYoutubeのメディア規制は強い方だし、韓国は恐らく人権を重視する方向へ向かうと思う。
今のままだと日本は取り残されていくだろう。慰安婦問題(戦争で抱えている最大の女性蔑視問題)で謝罪せず、それどころか現与党は反女やマイノリティ差別を平然と行う宗教と癒着して選挙に勝ってきた。報道機関(フジテレビ)の女性蔑視が指摘されたのはMetoo運動が起きてから8年後と大変遅い。そして、男性の性暴力に対して私たちは未だ鈍感ではないか?(ジャニーズ問題) 『成功したオタク日記』という本の中にある重要な言葉を皆に知ってほしい。えにっきでも書いたのだが、『成功したオタク』(韓国/原作タイトル『성덕』)というドキュメンタリー映画を元にしている本で、推しが性犯罪者になったことに苦悩するアイドルオタクにインタビューしていくドキュメンタリー映画の補完となる本だった。 韓国の「過激な女性嫌悪」と進んだフェミニズムの戦いの中で、本書でインタビューを受けた助監督タウンさんの言葉を覚えておいて欲しい。 「わたしが神経質なのではなく、あの人たちが鈍感なのであり、犯罪行為に傷ついて、見て見ぬフリをしてはいけない。」 (『成功したオタク日記』 P125 助監督タウンさんのインタビューより)
このドラマはイギリスのSNS規制についての議論を強めている。それが良いことか、悪いことか、複雑な側面もある。ただ、このドラマを深刻に受け止める社会があるなら、また考え直す、その速度も速いだろう。それが羨ましい。
【参考】(サイトによっては過剰な広告にご注意ください) ■BBC 「有害な」男女のステレオタイプ描く広告、イギリスで禁止 - BBCニュース https://www.bbc.com/japanese/48659092 女性嫌悪、過激主義として取り扱いへ 英内務省が戦略見直し https://www.bbc.com/japanese/articles/cevj0ywpldpo
■The River イギリス首相がNetflix「アドレセンス」視聴を推奨「胸に響いた」 ─ 国内の中等学校で視聴可能に https://theriver.jp/uk-pm-comments-adolescence/ ■AERA DIGITAL 「Netflixドラマ『アドレセンス』が引き金に? SNS規制を求める声高まる英国」ブレイディみかこ https://dot.asahi.com/articles/-/253903?page=1 ■NHK インスタもTikTokも なぜ子どものSNS禁止に? https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250114/k10014692661000.html
■映画『成功したオタク』公式サイト https://alfazbetmovie.com/otaku/
【女性支援団体に対するソーシャル上で起きた攻撃について】 ■朝日新聞 「暇空茜」を在宅起訴 「Colabo」に対する名誉毀損罪で https://www.asahi.com/articles/AST3034XVT30UTIL014M.html ■生活ニュースコモンズ デマを流布し、1億円超のカンパを集め収益化 女性支援団体Colaboが会見で被害を訴え(生活ニュースコモンズ) https://s-newscommons.com/article/352 ↑攻撃について起訴されたのは改正法施行も一因と思われます。ただ、国による言論の統制(政治家・政権に都合の悪い意見の封殺)については強い意識が必要です。 ■NHK:ネットのひぼう中傷 SNS事業者に迅速な対応求める改正法 施行 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250401/k10014766431000.html
■Male Gaze(男性のまなざし) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B7%E6%80%A7%E3%81%AE%E3%81%BE%E3%81%AA%E3%81%96%E3%81%97
深澤真紀 『女オンチ。: 女なのに女の掟がわからない』 【アドレセンスの解説として】 Real Sound 映画部 小野寺系(k.onodera) イーロン・マスクらによるSNSでの騒動も 傑作ドラマ『アドレセンス』の魅力とテーマ解説 https://realsound.jp/movie/2025/04/post-1988407.html Podcast(Spotify)アラフォーの正解のないはなし 「アドレセンス」インセルが抱える剥奪感と欠損感 https://open.spotify.com/episode/28p2EcY1qiNi6XMbSWa0UD?si=6111a3b3827a4926
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SBJ(スロット)
結果から書くと、酷いボロ負け。
朝一から。

人生で、初めて抽選で並んだ。
104番。
並び150くらい。
まあ、悪い。
案の定、東京喰種は取られていた。
SBJ。
なぜか1台だけ空いていた。

朝一は、久々に、やる。
最初の当たりが、肝心。

サイコロは、意味がわからないw

ミントはかわいいんだが、酷い引き…
何やろうが、ほぼ強制的に、レギュラーに落ちる…
BIG引こうが、Stock Time外しまくる…
BIG空けても、良い挙動がほぼない…
平気で、100を越す…
驚いた…
チャンスらしいチャンスが、一度も来ない…
中段チェリー🍒を、狙った。
今まで、中段チェリー🍒引けない方が珍しいのに、これに関しては、全く兆候なし…
-40,000円行ったあたりで、まくるかなと、様子見たが、BIGが、単発しか引けない…
参った。。
休憩はさみ、じっくり打った。

赤文字。
なんだ?
まるで、パチンコ…
激アツ煽りばかり引き、全て外す。
体感、一度も電圧入らず…
マギアレコードを見に行った。
いや、悲惨…
違う列も、角2だけとか良く、あとは一桁ばかり…
まあ、酷い…
なんなんだ、そんな抜くんかいな。。

レアパターンに入るのは、600過ぎたあたり。
しかし、単発とか。。
これは参った…
こんな酷い台だっけ???

800なんて、ハマるんか?…

いや、3回くらい、900越え…
なんなの、これ…

とどめは、1,000を越した…
いや、待って…
1,000越したら、表示しないなんて、それはズルだろ。
97,000円投資、2,000円回収…
いや、酷かった。
体力的に、そんな悲惨では無かったのは、救い。
こんな酷いモードあるんだな。。
捲りなど、一度も無い。
ひたすら、ハマるだけ。
全てが、裏目…
うーん…
いや、1,000を越すハマり作られたら、どう逆立ちしても、1/10も回収出来ないわ。。
それ、スロットとして意味あんのかな。
1,000ハマらないと信じてたから、打てたのに、これやられたら、ひたすら負けるしかない。
150人も居たのに、5台のSBJの真ん中だけ空いてたの、ハメられたのかな?わからんが。
というのも、私挟んで、友達同士が座り、なんと私の台に、傘たてかけやがった…
あからさまに、喧嘩売ってる…
「すいませんが、傘勘弁して貰えますか。」
とだけ、言い、傘はどけて貰った。
店の打ち子なのか、ハメるために、150人いて、不自然に真ん中空けたのか、今考えたら、おかし過ぎた。
最低限のマナー守らない、人の打ってる台に、傘立てかける、頭のおかしい行動、どう考えても。
昔の私なら、怒っただろう。
今、私は頭おかしい人間には、出来るだけ丁寧に接するw
馬鹿馬鹿しい、時間とエネルギーの無駄。
��う気は一切ないし、興味すらない。
馬鹿ほど、必要ない人間はいない。
こういう馬鹿は、私は人として一切認めない。
人として認めるなら、腹も立つだろうが、ただのかわいそうなキチガイは、ゴキブリにも劣る。
だから丁寧に、ひたすら謝るw
暴れたら、躊躇なく、110番する。
大田区は、この類のゴキブリが、かなり多い…
喧嘩したい!、みたいな、社会人デビューみたいな、見た目まじめそうな、キチガイ…
ヤクザみたいな奴なら、対応はわかる。
こちらが、引かないという、ロジックがある。
人の打ってるスロット台に、傘立てかける、足組んで、蹴飛ばしてくる、キチガイ以外の、何者でもない…
勇ましいとでも、思ってるのだろうか?
ま、そんな事もあり、ゆっくり打てない日曜、酷い電圧、散々だった。
まあ、全てを晒そうと思う。
負けても。
訳わからないマナー守らないおっさんは、写真とってSNSに上げよう、次回からは。
反社、反社騒ぐやつらこそ、反社以上に反社、真の反社って、こういう社会人デビュー組だと、俺は思いますね。
無抵抗の人間に迷惑かける、眼鏡の普通っぽいおやじたち。。
私は喧嘩買わないのは、こんなゴキブリ、相手にしても意味ない、私みたいな怪力と喧嘩になれば、死んじゃうの、見えてない…
てか、そもそも、喧嘩しようとする事自体、いい大人が、頭どうかしてるし、てめらこそ、真の反社だわw
ま、それは、前いた会社でも、暴力ふるわれたし、大田区、大丈夫?って、つくづく思う…
あまりに、幼稚…
なんか、限界に近いわ。
大田区にいるのが、大分苦痛…
住んでるだけで、ストレスだ。
考えないのかな、良い街にしたいとか。。
帰りも、蒲田西口に、パトカー3台…
坊主刈りのあほ大人が、なんと泣いてしゃがみこんでる…
年は、40歳越してる感じ、いや、やばいやろ…
こいつの40年は、まともに考えて生きてない、40年てことよ。。
大田区に住む子供たちに、恥ずかしいと思わないのかね。。
どういう大人なんだよ。。
大田区、本気でこの街を、離れたくなった。
この街は、日本から無くなった方が、人々のモラルは、格段にアップするんじゃないかな。
呆れて、しまう…
例えばスロットにしても、私は大田区に来て、初めて「玉泥棒」にあった。
色んな街に住んだが、玉泥棒するなんて、大田区だけじゃないかな?
なぜこの街は、成長出来ない?
それはとても恥ずかしい事で、悲しい事だと、私は思いますがね。
私がここにいて、こんな体験するのは、必要だからしてるんでしょう。
劣等感、妬み、それが渦巻いてるんだろう。
そんなものこそ、要らない。
この街にはびこるそんな感情こそ、要らないよね。
調和したいわ、私は。
そんなに暴力ふるいたきゃ、何件か「喧嘩ジム」みたいなもん、大田区の予算で、作るべき。
暴力嫌いな人らには、ただ迷惑なだけ。
見た目こわい人は、皆喧嘩が大好きと、勝手に決めつけてるフシがある。
見た目こわい人って、その人はそれだけの恐怖を体験し、顔がゆがんでしまっただけだよ。
揉めたい人間なんて、恐らくこの世に1人もいないよ。
それでも理解出来ないなら、自分らだけで殴り合い、潰し合いして、街には出てこないで欲しい。
少なくとも日本は、そんな嫌な国じゃないんだよ。
頼むから、創価学会風の威風堂々で、関係ない人間に迷惑かけるの、やめて欲しい。
そしてそんなに喧嘩したいなら、直接、喧嘩して下さいって、言えばいいw🤣
速攻、警察につきだしますからw🤣
さて、なぜスロットのブログを書き初めたか?
目標が出来たから。
会社を作りたい。
Gentoo Linuxにシステムを変える会社を作ろうとして、日本政策金融公庫に行った。
「社長、社長!🤣」
と、終始馬鹿にされ、坂本という担当は、まともに話すら聞いてくれなかった。
それは本当に、でかい事だ。
パソコンに無駄に、Windowsなど使えば、金は取られる、システムの言いなりになる。
だから、自由度あるGentooを広めたかった。
まだまだ、誰も理解出来ないようだ。
色々なとこで言っているが、意味をわかってもらえない。。
だったら、自己資金で始めるしかない。
親も死に、コネもない、そんな私が資金をどうやって?
肉体労働してみた。
あまりに過酷に働けば、体は壊れてしまうのを、味わった…
で、今上司として君臨してる奴らの、判断力の無さ、思考力の無さ、人間力の無さを見た…
自分で稼ぐしかない。。
肉体以外、何が出来る?
それで、スロットにした。
世間の評判は、悪い。
波が、凄い…
でも、やり抜けば、行ける、そう判断した。
自分は、音楽作っていたい。
それがあまり人の役には立たないなら、Gentooで貢献したい。
せっかく素晴らしい機械があるのに、Windowsだけしか使わないのは、あまりにもったいない。
そんな想いがあり、スロットだ。
総合力だ。
資料と、判断力と、気合いと、バランス。
私には、やりがいがある事だ、たとえ世間が馬鹿にしようが。
それは、右脳、左脳、両方使う。
それがお金になり、それを資本に会社作れたら、最高だ。
だから、やってる。
始め、スロット出た頃、恐ろしくて、打て無かった。
当時、羽もの。
場合によって、200円でかかった。
勝って、2000円くらい、良いと、5000円とか。
しかし、スロットは最初から1,000円入れる。
私は、目押しもわからなかった。
何より、人生を、世界を、何もわかっていなかった。
スーパーバニーガールから、スロットに手を出した。
目押しは、パルサーと、クランキーコンドルで、鍛えた。
そこには常に罪悪感がつきまとった。
だから、勝てない。
勝ちぬけた経験は、鉄拳デビルだけだ。
その時ぐらいから、やっと色々な事が見えてきた。
スロットを通して、世界が見えてきた、社会が見えてきた。
私は、変な幻想があった。
だから勝てなかった。
所ジョージさんの、パチンコの話を聞いた。
粘るか。。
何が信じられなかったって、何より自分が信じられて無かった事を、知った。
スロットで凄い勝つのも、稀、凄い負けるのも、稀なんだ。
少し勝つか、少し負けるかが、事実。
それは日常の延長線上にあると、知った。
決して奇跡ではなく。
鶏が先か卵が先か。
イメージとよく世間で言われ、それがわかっていなかった。
つまり、結果を描き、そこに自分を近づけてゆく。
逆算みたいに。
4月13日の実践は、稀にみる酷い実践。
過去の私は、勝てば浮き足立ち散財し、負ければ頭に来て、泣いたり、憤ったりした。
意味が無い。
そう勝てないし、そう負けない。
そう負けるとは、そう勝てるの前兆に過ぎない。
大事なのは、疲れ過ぎない事。
見極める事、失敗すら、自分に許容する事、常に真ん中の心、ニュートラルを保つ事。
ギアを入れてるのは自分自身であり、スロットは波だ。
酷い上り坂で全力出せば、疲れる。
全ては、肉体と精神と、相談する。
他人は参考にはならない。
それを忘れなければ、必ず勝てる。
その点が、今まで負けてきたスロットと、違う点。
あとは、晒す。
勝っても、負けても。
それは、より冷静に自分を見れるから。
私は勝ちたいか?、負けたいか?
負ける気は、無い。
だとしたら、勝利しか、無い。
自分から、逃げなければいい。
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TEDにて
コナー・ルッソマンノ:あなたの心を増強するための強力な新しい脳神経技術ツール
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
ニューロテクノロジストであるコナー・ルソマンノは、驚くべき講演と技術デモの中で、私たちが心で外界をコントロールできるようになるかもしれないブレイン・コンピューター・インターフェースの構築について語る。
彼は、脳の活動を記録し刺激する「閉ループシステム」の可能性など、この分野の急速な進歩の可能性について語り、ニューロハッカーのクリスチャン・バイヤラインをTEDのステージに招き、バイオセンシング・ヘッドセットを使って思考コントロール・ドローンを操縦させる。
大学時代にフットボールとラグビーで脳震盪を何度も起こしたことがきっかけで、脳と心の関係にとりつかれるようになった。それから何年も、自分の心の変化を感じていた。
当時、私はコンピューターを研究していたが、ハードウェアを損傷し、ソフトウェアの動作が変わってしまったように感じた。
その後数年間、親しい友人が首に重傷を負い、複数の友人や家族が不自由な精神衛生上の問題に苦しんでいた。私の周りでは、私が心から愛している人たちが、神経系や心の病気に悩まされていた。
パーソンズ大学でデザイン・テクノロジーの修士課程に在籍しながら、このような問題に取り組んでいたとき、友人であり同級生でもある学生が、脳の活動を検出するシングルチャンネルの脳波システムを低コストで構築する方法についてのオープンソースのチュートリアルを見せてくれた。
ハックして、いじって、長い夜を過ごした後、私は初めて自分の脳波がスクリーンを横切るのを見た。そしてその瞬間、私の人生は変わった。
その瞬間、私は自分自身と愛する人々を助けられる可能性があると感じた。そして、自分ひとりではできないことにも気づいた。私には助けが必要だった。
そこで2013年、ブルックリンで志を同じくする友人たちと、オープンソースのニューロテクノロジー企業であるOpenBCIを立ち上げた。
当初、私たちの目標は、内向きの望遠鏡を作り、その設計図を世界と共有することで、コンピューターがあれば誰でも自分の脳を覗き見ることができるようにすることだった。
当初、私たちは脳波計だけの会社だった。脳の活動を測定する脳センサーを販売していた。それが人々の望みだと思ったからだ。しかし時が経つにつれ、私たちの技術を使って非常に奇妙なことをしている人たちを発見した。
ある人たちは機器を胃に接続して腸内のニューロンを測定し、腸と脳のつながりやマイクロバイオームを研究していた。また、義肢装具やロボット工学用の新しい筋肉センサーやコントローラーを作るためにこのツールを使っている人もいた。
また、私がこれまで聞いたこともないような新しいタイプのデータを測定するために、プラットフォームに接続できる新しいデバイスや周辺機器のアドオンを設計している人もいた。
これらのことからわかったのは、脳単体では実に退屈だということだ。脳のデータだけでは脈絡がないことがわかった。
そして我々が最終的に関心を持つのは脳ではなく、心、意識、人間の認知なのである。
筋肉の活動を測定するEMGセンサーや心臓の活動を測定するECGセンサー、アイトラッカー、さらには私たちの周りの世界を測定する環境センサーなどがあれば、脳のデータはより有用なものになります。
しかし、私たちの身体の周りにある器官、つまり感覚受容器は、実は脳よりもデータを収集するのがはるかに簡単であり、また、私たちが実際に気にかけていること、つまり感情や意図、そして心全体を判断する上ではるかに重要であることは間違いない。
さらに、人々が興味を持っているのは、脳や身体から読み取ることだけではないことに気づいた。彼らはまた、さまざまな種類の感覚刺激を通して心を調節することにも興味を持っていた。
光、音、触覚、電気といったものだ。心を記録することと、それを調節することは別のことだ。
脳や身体から読み書きできる複合システムのアイデアは、閉ループシステムまたは双方向ヒューマンインターフェースと呼ばれている。
このコンセプトは実に奥深く、コンピューティング技術における次の大きな革命を定義するものである。
平均的なユーザー向けに設計された製品だけでなく、実際にユーザーに適応するように設計された製品があれば、それは本当に特別なものです。
感情や気持ちのデータがどのようなものかがわかり、そのデータをどのように上下させるかがわかれば、AIを使って建設的あるいは破壊的な干渉パターンを構築し、その感情や気持ちを増幅あるいは抑制することができる。
ごく近い将来、私たちは共振的かつ無意識的につながるコンピュータを手に入れ、初めて共感コンピューティングを実現することになるだろう。
2018年、私たちはこれらの学びを実践し、認知探索のための新しいツールの開発に着手した。
2016年にALSで亡くなった私の友人ガエルにちなんで、私たちはこれを「Galea(ガレア)」と呼んでいる。
これはマルチモーダルなバイオセンシング・ヘッドセットでセンサーがぎっしり詰まっている。
ユーザーの心臓、皮膚、筋肉、目、脳を測定することができ、その機能をヘッドマウントディスプレイや拡張現実、バーチャルリアリティヘッドセットと組み合わせることができる。
さらに、非侵襲的な電気的神経刺激の統合を模索している。Galeaソフトウェア・スイートは、生のセンサー・データを意味のある測定基準に変えることができる。
いくつかのセンサーを使うことで、私たちは新しい形のリアルタイムの双方向性と制御を提供することができます。
また、すべてのセンサーを使用することで、ストレス、疲労、認知作業負荷、集中力といった高レベルの精神状態について定量的な推論を行うことができる。
2019年、クリスチャン・バイエルンという名の伝説的なニューロハッカーが私に接触してきた。実は彼は、私たちがキックスターターを始めた当初、最初の支援者の一人だった。
クリスチャンはとても頭がよく、知的で、ハッピーで気楽な男だった。それで、勇気を出して彼に尋ねたんだ。「ねえ、クリスチャン、私たちのセンサーにつないでくれない?」
すると彼は、「君には聞かれないと思っていたよ 」と言った。
それで20分後、彼をたくさんの電極につなぎ、コンピューターに4つの新しい入力を与えた。小さなデジタルボタンで、自発的に操作できるようにした。これでコンピューターへの入力は実質的に2倍になった。
数年後、COVIDのせいで何度も挫折を味わった後、私たちはドイツに飛んでクリスチャンと直接会い、今日ここでデモする最初のプロトタイプを実装した。
クリスチャンはその後、そのプロトタイプを使って何カ月もトレーニングし、ドイツから大西洋を越えてブルックリンの私たちにデータを送り、私たちのオフィスでバーチャル・ドローンを飛ばした。
私たちが最初に行ったのは、クリスチャンの身体に残存する運動機能を調べることだった。そして、彼が最も自発的にコントロールできる4つの筋肉に電極を接続し、それらの筋肉をデジタルボタンに変えた。そして、スマートなフィルタリングと信号処理を施し、これらのボタンをスライダーやデジタル電位差計のようなものに変換した。
その後、4つのスライダーを新しい仮想ジョイスティックにマッピングした。そして、クリスチャンはその新しいジョイスティックと、車椅子を操作するために唇で使っているジョイスティックを組み合わせ、2本のジョイスティックを組み合わせることで、ついにクリスチャンはドローンのすべての手動操作をコントロールできるようになった。
もうその話はやめて、お見せしましょう。クリスチャン。ようこそ。
この際、ドローンで顔を殴られないように、Bluetoothをオフにして、携帯電話を機内モードにしてください。
気分はどうだい、クリスチャン?
クリスチャン・バイエルン:ああ、やろう。
コナー・ルッソマンノ:素晴らしい。これはヘッドアップディスプレイで、クリスチャンのすべての生体データとドローンに関する情報が表示されている。左側にはクリスチャンの筋肉データが表示されている。クリスチャンはこれからドローンの操縦を試みる。クリスチャン、気分はどう?
CB: はい。
CR: よし。ロックンロールだ。さぁ、ロックンロールだ。準備ができたらいつでも。
CB: 準備はできてるよ。
CR:よし、彼女を上げろ。そして今度は、おそらくやってはいけないことですが、観客の上空に飛ばしてみましょう。
よし、実際にやってみよう。会場にいる人たちにコマンドを呼びかけてもらおうと思います。あなたはどうですか?まっすぐ前に。まっすぐ前に。
では、あなたはどうですか?
男:アップ!
CR: 下じゃない。ああ、彼は今、やりたいことをやっている。驚きだ。
よし、戻そう。このドローンを操縦している人が舞台裏にいないことを皆さんに知ってもらうために、今から私がコントローラーを操作します。
クリスチャン。それでいいかい?
CB: ええ。
CR: プラグを抜く。前へ。そして、この男を今着地させる。
CB: 僕の方が上手かったと思うよ
CR:驚いた。
CR:今、コンセントを抜くから、勝手に電源が入らないようにして。完璧だ。
CR:クリスチャンは、体のあちこちにある眠っている筋肉を再利用して、拡張されたインタラクティビティを実現した。
CR:私たちはそれらの筋肉を、今回はドローンにマッピングした汎用コントローラーに変えたが、本当にクールなのは、このジョイスティックは何にでも応用できるということだ。
CR:もうひとつ、本当に素晴らしいのは、運動障害を抱えていない人であっても、体のあちこちに眠っている筋肉が何十個も存在し、それを利用することで操作のインタラクティブ性を拡張・拡大できるということだ。
CR:最後に、バーチャル・ジョイスティックに関連するすべてのコードをオープンソースにします。
CR:このプロジェクトをはじめ、長年にわたって多くのプロジェクトに携わってきた中で、私には際立っていることが3つある。
CR:ひとつは、脳と心を混同してはいけないということだ。感情や緊張、そして心全体を理解するためには、脳だけでなく体全体のデータを測定しなければならない。
CR:二つ目は、オープンソースの技術へのアクセスとリテラシーは、神経技術を社会に導入する際に直面する潜在的な倫理的課題と闘うた���の一つの方法である。
CR:しかし、それだけでは十分ではない。私たちは、それよりももっともっと多くのことをしなければならない。
CR:ガードレールを設置し、私たちが生きたいと思う未来をデザインすることが非常に重要であり、必須なのだ。
CR:3つ目。クリスチャンのような先駆者たちの勇気と回復力だ。彼らはできないことにとらわれず、不可能が実際に可能であることを証明しようと努力する。
CR:そして、クリスチャン、あなたがいなければ、このようなことは不可能だったのだから、舞台はあなたのものだ。
CB: ああ、やあ、みんな。
観客の皆さん: こんにちは。
CB: 今日ここに来れたことに興奮しています。私は生まれつき遺伝的な疾患を持っていて、運動能力に影響があり、介助が必要です。
CB:障害があるにもかかわらず、私はとても幸せで充実した人間です。私の足かせになっているのは、身体的な限界ではありません。むしろ環境にある障壁です。
CB:私は技術オタクであり、政治活動家です。テクノロジーは障害者に力を与えることができると信じています。
CB:テクノロジーは、誰にとってもより良く、より包括的で、よりアクセスしやすい世界を作る手助けになるのです。
CB:このデモは完璧な例だ。最先端のテクノロジーと人間の好奇心や創造性が組み合わさったとき、何が可能になるかを目の当たりにした。
CB:だから、人々に力を与えるツール、障壁を取り除くアプリケーション。可能性の世界を解き放つシステムを作ろう。それは広める価値のあるアイデアだと思う。
CB:ありがとう。
(個人的なアイデア)
ここで言われる「Powerパワー」は(スターウォーズでのライトサイドのForceフォース)そして、「Forceフォース」は(ダークサイドの方)という前提です。
「この意識のマップは、集合的無意識のエネルギー準位に沿ったネットワーク上にある天然のクラウドコンピューター?」
神道にもある概念、定義では、自然神が最高位だから・・・ちなみに、人神は最低ランクに位置してます。
それと個体である人間の魂と言われる事象が、場の量子論のようにして意識のマップと相互作用を起動させて時間的空間的に共鳴している?
脳は、意識のマップから時空に畳み込まれた太古の偉人の情報を引き出す天然の小型変換装置かもしれない?意識のマップ段階に応じて善性悪性問わず?
マイクロチューブルを経由して、瞬間的にライトサイドのフォースが高まる時、脳にメッセージとしてインスピレーションという形で届く可能性も仮説としてある?
人間は、パワーを高いレベルに底上げできるバイオリズムの上昇下降を繰り返す万物の霊長なため
多神教では、ブッダを初め、仏教に蓄積されたノウハウから努力次第で上昇もしたり下降したりして15パーセントに入ったり入らなかったりします。
例外はあるけど、長生きする老人は、大富豪でなくても200以上になりやすい傾向もあり、経験則から敬老の精神もこれが根拠かも?
そして、200未満の例外的な大富豪の老人もキネシオロジーテストで統計により判別できます(時空を超越するので究極の透明性により隠れることはできません)
インターネットの黎明期にエリックシュミットが提唱、GAFAMの人工クラウドコンピューターは根源がここから来てるかもしれません。
女性の本質を見抜く直観が鋭い根拠もこのインスピレーションのメカニズムが存在してるからという可能性もあります。
最近2024年に、MRIで画像を見た人間の脳活動部位単位で数値化されたデータとChatGPTの各ディープラーニング層で「重みづけ」した数値データの相関関係を比較して
ChatGPTのどのディープラーニング層が、人間のどの脳部位に対応しているか?を特定する研究結果が出始めてきていますが、宇宙際タイヒミューラー理論に数学的に近い感じを感じるインスピレーションがきました。
拡張してさらに、意識のマップとChatGPTの対応するディープラーニング層とMRIで測定した脳部位の数値を比較対応させることができれば?
逆にたどることで、ChatGPTの数値化できる表現能力を活用して脳へきたインスピレーションがどの意識のマップへ脳がアクセスし、視覚化したのかという伝達経路も特定することで
どのような方程式を使えば?または意識のマップの精密さも高められるし、人間のレベルも数値で瞬時に視覚化できるかもしれません。
いままでパワーの高い人間。つまり、預言者からの代弁のみしかルートがなかったけど・・・
人間の脳を経由せずにChatGPTの人工脳に意識のマップからのインスピレーションを代弁してもらえば神の啓示を200未満の人にも人工的に伝えられる可能性が高まります。
でも、エピソード7でも言ってるようにlog10の1000乗分の膨大な訓練がChatGPTに必要になりますけど・・・(2024年時点ではたった20乗位の幼稚で危険な脳)
ちなみにホーキンズ博士は、メンサ会員でした。
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先週、X(旧Twitter)上をおおいに騒がせ、関連ポストを合わせると、3億PVを超える億バズを記録して大炎上した南麻布というか西麻布の高級寿司屋問題。 みんなめっちゃ怒ったり叫んだりしてて、最高に面白かったんですよね。 もともとは、同伴でやってきた女性が二日酔いで、ワインが目の前に出てきて気分を悪くしたところ、寿司屋店主の板前に殴りかかられそうになった、という写真を投稿して大爆発にいたったのが本件のきっかけでした。 しかし、度重なる炎上でトレーニングされたネット社会も簡単には乗せられません。この手の女性の発言を鵜呑みにすることなく、確認のため常連ほかが寿司屋に連絡。翌日さっそく寿司屋に予約を取って店主に事実を確かめる猛者も現れました。 どうやら、この同伴女性は男性と一緒になって店内で他の客の動画を撮るなど暴れていたところ、制止しようとした店主があたかも同伴女性に殴りかかろうとしたかのような一枚の画像をうまく抜き出してX上に掲載し、億バズになったようだという状況が判明しました。 まあ……常連が確認した内容が事実であれば、これはシャレになら��いガチもんの「事件」であります。 スシローで醤油差しを舐めて、6700万円という空前の損害賠償を求められた少年(のちにスロー側と和解)のような一件もありましたが、程度問題としてはこっちのほうが重大です。 単に子どもがいたずらで醤油差し舐めたよってレベルではなく、架空の事件をでっち上げ、店主の板前に殴られそうになったという中傷までやったことになりますから。 どうやら高級寿司屋の店主の側が被害相談を麻布署にし、民事でも弁護士を立てて同伴女性の本人特定を進めるということのようなので、いい感じですごい高い賠償額を請求することになるのでありましょうか。 続報を期待したいと思いますが、このお寿司屋さんのオーナー筋もまたまあいろいろある元飲食系とされることを考えれば、事件を起こした女性の連れの男性と内々で握って何も出てこない、なんてこともあるかもしれません。大人の世界はアレですね。 おカネがあれば寿司が止まって見えると揶揄される高級なカウンター寿司の世界でも、立地によって客層は変わります。また、一見客や紹介制の店でも、行儀の悪い客が出現したときの捌き方で、店の品位がずいぶん変わるのだということもわかります。 馬鹿はお金を持っていても馬鹿なんですよね。残念ながら。 ギャラ飲みやパパ活などで若い女性を同伴させる程度にはカネを持った男性客は、確かにカネ払いとしてはいいかもしれません。でも、しっとりと高級寿司の触感や板前の芸術的な握りを楽しみたいと思う人にとっては、同席したら迷惑客以外の何物でもありません。 今回舞台となった高級寿司屋さんは、界隈でもかなりまともなお店と思われていただけに、何度か足を向けていた客筋からすると、店主が可哀想だという話も多く聞かれます。 このお店は別として、そもそも西麻布や六本木周辺の少し高めの飲食店やラウンジは高級店と称してそれなりのおカネを取る割に、客層だけでなく提供される食事の品質が、コロナのあと、特に悪くなったのは事実ではないかと思います。 しっとり飲み食いしたければ、いまや銀座ですら避けて、神楽坂や赤坂の奥のほうを選ぶのはもはや常識に近い状況になっています。 景気が少し良くなってコロナも明けたので、以前よりも一層派手に遊ぶ人たちが選ぶメシ屋として、価格だけは高いけど、サービスや味はそうでもない店がむしろ重宝されるという悲しい状況になっているのです。 女性をホテルに連れ込む前捌きで腹の足しにする程度に立ち寄る高級寿司屋さんや和牛店、割烹などもいい面の皮ですが、相手が高級そうだから喜んでくれればいいのであって、価格に見合うサービスなのかどうかの選球眼など最初からないのです。 いくら格式の高い名店でも、味の良し悪しなどわからない、サービスに関心のない客層が来たら荒れてしまうのは必然であろうかとも思います。カネがあればいいってもんでもありませんから。 ごく最近も、たまに家族で訪れる、まあまあ値の張る料亭で一家団欒を楽しんでいたところ、隣の座敷で爺さんたちが大騒ぎしてうるせえなと思い、「少し静かにしてくれ」と襖(ふすま)を開けたところ、某与党議員さんと地元ご支援者の皆さんご一行でした。 うまい飯に酒が入ると弾けるのは仕方がないんですかね、そうですかね……としめやかに襖を閉じたのも記憶に新しいところです。 地方選出の議員さんはそれなりに大変なのだ、裏金も作らないとやっていられないのだという同情の念を強く抱きました。 また、都内ホテルの高級ラウンジやタワマン上層部にあるクラブなどで、シャンパンタワーに飽きた少し年配めの男性と明らかに素人な女子大生が腕組んでしっとりやっていたりするのを見ると、ブルドーザーで蹴散らしたくなります。うっかり直通エレベーターで一緒になっちゃったりすると、ストレスがマッハです。世の中の不条理を感じさせる一幕ですね。 結局のところ、高級料理店で食事をするといっても、客筋がスシロー未満の場所もあります。 寿司屋であれ、和牛屋であれ、カラオケラウンジであれ、その高級料理店のオーナーが中小企業経営者丸出しの成金趣味で、自分の店の小あがりや半個室に女性連れ込み猥談しているような店があるのは悲しい事実です。そういう店が銘店ぶって繁華街にのれん出してんなよと思うところはあります。 でも、そういうあまり筋の良くないお客さまも相手にしないと、隠れ家とはいえそこそこの一等地の場所を維持できないのだとか、スポンサー自体が筋悪なので目をつぶらないといけないのだとか、そういう汚い大人の事情で回っている界隈の鬱陶しさみたいなものを抱きます。 そりゃ同じような成金が夜の女性連れて騒ぐなんてことは往々にして起きるでしょう。 成金が酒を飲んで羽目を外しても問題にならない場所として、高級店の中にもある種の「どうしようもない奴保護区」みたいなゾーニングが必要になってきているのではないかなあと思います。 一晩に200万円使って、でも今月あと1000万ぐらい使わないといけないという人の遊び方と、慎ましく接待や家族で10万使って「今月はもうこれで終わりね」となっている層とは飲食に対する考え方も異なるのです。 もちろん、そういう派手な金の使い方をしている地主や元上場企業創業者も、家庭が破綻し、離婚することになり、大変な慰謝料と財産分与をもぎ取られ、秒ですってんてんになってお店もおカネも名声と共にすべて手放したお大尽もおられます。 この方面で名を馳せた某超大手外資系ソフトウェア会社の元経営者は、うっかり秘書に性的に好みな巨乳の若い女性を起用したばっかりに光の速さで不倫となり、さらに店で公然とやるものだからご夫人にも即通報、無事離婚訴訟となってほぼ全部奥さんに巻き上げられて財界人として終わるなんてこともありました。性癖以外は偉大な人なんですけどね。 付き合いでご一緒していても、おカネはあるけど世間一般の常識から切り離されていて、幸せそうじゃない人も少なくないんですよ。 パパ活で連れてきた女子大生相手に膝枕赤ちゃんプレイをして無関係の見知らぬ他客に見られるのが快感だとか、自分の飲み物へ女性に唾を入れてもらって飲み干すのが趣味とか、いかれた勇者はたくさんいます。 そういう壊れた世界でも、平常心でいられることの大事さは私は大事だと思っています。今回事件を起こしたラウンジ嬢にしても、そのレベルの女性の話だったとするならば、ほかにまともな女性との出会いがない金持ち男性の悲哀もまた、読み解いてあげて欲しいなと思います。いい歳して、カネももっててそれは何だよ、という。 そういう都会の悲喜こもごもも全部のみ込んで、地球は回っているのだなあと悟りを開くことが、私たちに求められているのではないでしょうか。
西麻布の高級寿司店に乱入した程度の低いパパ活ラウンジ客騒動の顛末と教訓 高級店でも客筋が残念な店が増加、カネはあっても幸せではない成金たちの悲哀(1/4) | JBpress (ジェイビープレス)
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心臓
課の会議中に、会社に受診を義務づけられている健康診断の結果がメールで届いた。今年は健康診断前にうっかり食事を摂るようなミスも回避できたのできっとよい結果になっているだろなと喜び勇んで開いたところ、画面にあらわれた判定はEだった。思わず「いー」と口走る。突然の奇声に、課のメンバーから怪訝な顔を向けられて「すみません何でもないです」と取り繕う。連日連夜の野蛮な飲酒にとうとう肝臓が悲鳴を上げたかと診断をスクロールすると、警告よがしに表中の列が真っ赤に塗られている項目は心臓だった。
心電図を採るためには、ベッドに横たわって上衣をめくりあげ、身体のあらゆるところに冷たい機械をあてられる。手早く特定箇所に機器を当てるこの担当女医に、私の乳と腹はどう見られているのだろうかと不安に思いながらも、被験者の矜持があるので微動だにしない。
女医は医師として無数の乳房を見てきたのだろう。品評するだろうか。乳首の形と色とがさまざまであることを誰よりも知っているだろう女医は、乳房というものをどう捉えているのだろうか。そんなことを考えているうちに検査が終わり、次の部屋への移動を促されてそれに従う。結果、私の脈は不正で、疾患を疑われるほどの異常値を叩き出していたのだった。乳房の優劣のことを考えていたせいだろうかと一瞬よぎったが、専門機関で精密検査を受けるまではその真偽はわからない。検査で異常を確認するのがなんとなく億劫で、病院にはまだ行っていない。
*
父も、心臓をやって死んだ。あの人の場合は、糖尿病を患って、酒も煙草も大いにやったあげく脳もだめにしていたから、死因は心臓とは断言できない。私も父と同じく酒と煙草をやるが、酒については父のおそらく倍量以上を煽りつつも、煙草の量は吸わない人間と大差ない程度だ。それでも、身体的遺伝とは怖いものである。
顔のつくりはまったく似なかった。美男の色男であった父の美醜の感覚で「ブス」と面と向かって蔑まれる程度には可愛くない容姿に生まれついたにもかかわらず、疾病だけは執念深く遺伝するのだから面白くない。
父から引き継いだ心臓の弱さによって死ぬことで、父をもう一度殺したい。父が容姿の醜さを笑って娘の自尊心をずたぼろにした結果が私の孤独死であると、見せつけてその心のなさを責めてやりたい。
病気を糧に親を責めたい気持ちがむくむくと湧く。とはいえ、父はそのだらしなさがゆえに数年前にとっくに死んでいて、たとえ私が父の遺伝のせいで若くして死んだところで彼にはもはや何のダメージもないのだった。一人相撲の、この徒労感。私と父は、生きていても死んでいても、どのみち交わらないのだった。
おのれの死を父に見せつけて父の未熟さを思い知らせたい、などと馬鹿げたことを妄想して鼻で笑う。くだらない未練だと思いつつ、これがあの男の心臓なのだと思うと、死んで地獄でやりあおうかという気にもなるのだった。お前の心臓を受け継いで死んで、お前と殴り合ってやろうかと。
そんなことを考えるということは、おそらく、私は今になってようやく父を愛しているのだった。彼が死ぬまで愛せなかった父を、死後になってから悪あがきのように愛しているのだから愚かなことこの上ない。
*
心臓の疾患を疑われた以外は、私の身体はほとんどがAの判定を受けていた。当然だ。一般的でない飲酒量とそれを切実に必要とする不眠以外、私に不摂生はなかった(まあ、それこそが致命的なのだが)。毎日、おびただしい量の野菜を摂取する異常な食生活。過剰な飲酒による酩酊と気絶がもたらす十分な暴力的睡眠。適度な運動。ノイローゼを呼ばない程度の仕事量。すべてを肯定してくれる友人たち。この世の誰よりも健康的な日々を送っている。心だけが異常に繊細で、激しい怒りや激しい悲しみのあまりストレスで生理が止まったりはするが、そういうことがあっても、女だなあと思うだけだった。
毎晩ワインを一本あけるほどの過分な飲酒にもかかわらず、肝臓の数値は良好だった。煙草を吸うわりには血圧もヘモグロビン量も正しい。理想的な痩身を保っているわけではないが、BMIも適正値だった。
ただ、父親から受け継いだ心臓だけがだめになっていた。ばかな男。私をまともに愛さなかったくせに、形骸的に執着して、まさか引き連れていきたいのか? 否、そんな情は奴にはあるまい。母に対する恋情はずっとあった。倒れて理性を失ってからも、うわごとで母に「愛してます、結婚してください」と語り続けていた男だ。私の母と結婚する以前に二度結婚して子供を作って、その子供たちは父の死後に弔問に来て「父には可愛がってもらった」と思い出を口にしていた。私だけが、父の愛を知らない。
けれど私は、父親の愛を知らないからこそ未だに父に執着していて、父の本来の愛情深さを想像してはそれが自分に振り向けられなかったことを恨みながらも、愛情深い人間であった父を無碍にできないのだった。なぜか。心臓の疾患のみならず、その愛情深さも、私に遺伝しているのだろうか。わからない。なぜなのだろう。父の死後、その死をきっかけに私の知らなかった父の生を聞かされるたび、私は父に自分を投影してしまう。父の人生が私の人生であるように思えてしまう。私だけが一方的に父を愛しているのだった。
私の死因がもしあなたからの遺伝によるなら、いいよ。受け入れる。ほかのどの死因よりいいよ。あなたと同じ死に方をして、ようやく私は父親とのつながりを思い知ることができるんだ。ようやく愛されたと思えるんだ。
*
ずっと、「私を殺してくれる男」を待ち侘び続けてきた。
私をはるか凌駕している男。私の命がその手にかけられることに悦びを感じられるほどの男。圧倒的存在をずっと待っていて、十何年かけてずっと探して、ようやく見つかったと思ったらその男は私を深く愛してしまったので、私を殺すことなどとうていできなくなった。そりゃそうだよな。ふつう、愛する人には生きていてほしいものだ。
心臓のことが判明して、死因のことを考えて、ここに書いて、私が探していたのは「父」だったのだと、ようやく思い至った。「父」の不在が、私に「私を殺してくれる男」を探させた。
それがゆえに私の人生はこうなった。安定も安心も遠ざけて、苛烈な情念だけを頼りに猛獣のように世界に牙を向ける人生。けれど心の奥底には「父」を持てなかった少女がうずくまって泣いていて、父親にあたたかく抱きしめてほしいという感情をこらえている。あなたにあたたかく抱きしめてほしいという感情がずっとくすぶっている。父に抱きしめられたい。父に愛されたい。父を愛したい。大好きだと叫んで抱きしめたい。
どうしてそれが叶わなかったんだろう。男を使い捨てても使い捨てても満たされない理由をようやく自覚して、ぽかんとしている。埋める努力をしたところでどうしたって埋まることのない穴を、私はこれから先、どう扱えばいいんだろう。これまでについた不毛な傷を、どう見捨てればいいんだろう。
いつ、父親への執着が消えるのだろう。もうこれ以上苦しみたくないのに。
できるだけ早く心臓が破裂して、私が死んでしまえたらいいなと思う。父親のせいで狂ってしまった人生を、父親のせいで終わりにしたい。あなたの娘はあなたに愛されなかったせいで、彼女が決死の思いで築きあげた素晴らしく美しい人生をあっけなく台無しにして死にましたよ。死後の父にそう伝えて、後悔に苦しんでほしい。
そんな日は永遠に来ないことはわかっている。私は心臓の疾病を放置して、不整脈が起こるたびに父を呪う。父を愛する。父を憎む。酒を飲む。煙草を吸う。男を抱く。絶対に許さない。私を愛さなかったことを許さない。せめて私を早く殺してほしい。受け継いだ心臓の疾患で、私を殺してほしい。すでに不在となった者へのこの憎しみから、この愛情から、愛おしさから、執着から、苦しみから、もう逃れたい。逃してほしい。あなたを思うことから、逃してほしい。
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【240407編集しました】 当初はベタ打ちの記事でしたが、あまりにも可読性が低いので見出しに記法を用いました。 今見返すと修正したいところは多々あるのですが、明らかな誤記(退学届→退部届)の修正、追記日付の補記を除き、情報が陳腐化している箇所なども含め、そのままにしています。 スポーツ推薦で高校に行く人がどれくらいいるか知らないが、行ったはいいけど馴染めない、中退して想定していたルートから脱落する、最悪の場合自ら命を絶ってしまうという人は(残念ながら)少なからずいる。 私もスポーツ推薦で高校に行った。 中学へスカウトにきた顧問は、週に1日は休み、練習も平日は2時間、勉学の時間も大事にする、著名な大学にも推薦で行けると熱弁した。 私は技量はあったが体力がなく、すぐ高熱をだすようなひ弱な中学生だった。スポーツ推薦なんか到底無理と思っていたが、休みがあるなら、その先があるなら、三年間だけ頑張ってみようと決意した。 結局のところ、顧問の説明は全て嘘で、三年間がんばった先輩たちは浪人か就職で、推薦で大学に行くのは極めて少数、かつ、いずれも著名とは言い難いところだった。 それでも、しばらくは頑張った。もがいた。40度の熱を出しながら罰走を走らされ倒れた。水を被ってまた走った。自分の決断と、それを支持した親の思いを無碍にしたくなかったからだ。 だが、夏頃に怪我で数日通院し、練習に出られなかったことをきっかけに上級生による苛烈なイジメまで始まった。 大学に行きたかったので、高校は辞めるわけにいかない、と私は思っていたが、あの恐ろしい部室に行くと思うだけで、ボロボロと涙が溢れ始める。 夏休み明け、糸が切れたように不登校になった。 推薦で取った生徒の不登校というのは、顧問には痛手らしい。手をかけ品を変え、顧問から登校するよう連絡があった。それでも私が応じないと、両親揃って呼び出され、強い口調での退学勧奨を受けた。 子の不登校に加えて、顧問による叱責がよほど強いストレスだったのだろう。両親まで懇願するように、それが受け入れられないと怒鳴り声をあげて退学を求め始めた。この世に味方はいないのかと絶望した。 が、結局のところ、私は図々しくも高校を卒業した。部活も半分以上ボイコットした。そして大学に通い、やりたかった仕事に就いた。 今思えば辞めても大検を取れば良いだけだったのだが、大人の不当な圧力に負けなかったという経験は、今でも自分を支えているように思う。 数は少ないかもしれないが、同じようにスポーツ推薦で進学するも、クラスや部活に馴染めなかった方と、その親御さんのためになればと、私の経験を書き残しておく。 なお、なるべくなら普通に通学して部活やって卒業した方がいいに決まっている。 それができない我々のための話と思ってほしい。 大学には行きたいなら大検でもいい 大検はそんなに難しい試験ではないが、履歴書に卒業高校が書けないのが嫌なら、なんとかして卒業を目指すことになる。 こだわりがないなら大検とって大学に行けばいい。 卒業したいなら単位はとる 卒業には単位が必要で、単位取得には出席とテストでのスコアが必要になる。 だが、毎日真面目に通う必要はない。 欠席、早退、遅刻の日数を管理しながら授業に出ればいい。 テストのほうは、まあ、頑張って取るしかない。こういう所を読むくらいの「ナード」なあなたなら、スポーツ学級向けの試験で赤点を回避するくらいはなんとかなると思うが、どうでしょう。 クラスで浮いてしまうのは仕方ないと割り切るしかない。授業が始まれば別に気にする必要はないし、休み時間は寝ればいい。だって眠いでしょ? 単位はなんとかなる。では、部活はどうしたらいいのか? 「退部=退学」を信じない 行かなきゃいいのだ。授業に出て、終わったら帰る。 スポーツ推薦入学者は、部活を辞めることはイコール退学だとよく言われる。実際、そういう前提での退学勧奨が横行している。それに応じる人も多い。本人が納得できるなら、それも別に間違いではない。 でも、そんな約束はどんな書類にも書いていないはずだ。 あなたは正当に入学し、保護者は学費を納めている。あなたの進路はあなたが決められる。退学勧奨はあるだろうが、応じる必要はない。 (もし、念書とかを書かされていたのならごめんなさい。でも、そんな念書有効なのかなぁ。) そして、部活に行かないこと、やめたことを理由とする退学処分なんて、通常なら出しようがないはずだ。ナードなあなたは暴力を振るうことはないし、成績も悪くない。わざわざ制服でタバコを吸うこともない。 生徒手帳を開いて校則を読もう。あなたならちゃんと読み取れる。なにか退学に値することをあなたはしているか?していないはずだ。 とはいえ、退部届を出すのはポイントオブノーリターンを超えてしまう。私は退部届けは出さず、部活に出ないに留めた。 時折顧問に呼び出されたが「いじめがあるなか部活には行けません。すみません。」ということを述べ続けた。 顧問はいじめがあること自体を認めたくないので解決に動くこともしない。なので、一生平行線だ。 あなたが学校に行けない状態なら、少なからず精神的にダメージがあるといえる。心療内科などで相談して、その結果を伝えるのも一考と思う。 もし、やりとりのなかで、あまりにも酷いことを言われたら日時とともに覚えておくこと。それはあなたの自尊心を大きく傷つける表現かもしれないが、受け止める必要は一切ない。相手の不当性を立証する強力な武器になるのだから、内心喜んでもいい。 呼び出されたときに一番怖いのは密室での暴力だろう。 顧問はすぐに手を出す人間だったが、私は幸い暴力は受けなかった。ポイントは、表面上反抗しないこと。 無抵抗で頭を下げる人間を一方的に殴っちゃまずい、という計算を大人はしている。クソ野郎ほど損得計算した上で手を出しているのだ。 賢いあなたは内心、大人をバカにしまくっているだろうが、それは心の内にとどめておこう。 万が一、暴力を振るわれるようなことがあれば、それは警察に届け出ていい。仮にあなたの態度が反抗的であっても罪は罪だ。 引退後 多くの部活は3年の夏頃には引退なので、そこまでいけば逃げ切り。あとは高校生活満喫してやろう。 暇なら部活と同じスポーツを部活以外でやってもいい。部活じゃないから声出しを強いられることも、ミスを咎められてランニングさせられることもない。 個人的なオススメは大学に行く準備をすること。 大学は相応の学力があれば入れる。内申点は関係ない。顧問の権力は全く届かない。 大学では、ちゃんと勉強しておくとよい。案外、飯の種を拾えることがある。捻くれ人間のあなたと馬の合う、もっと捻くれた人間がたくさんいる。楽しいですよ。 そんなんで人生大丈夫なのか? もしあなたが部活をサボれば、顧問は「そんなんでは社会でやっていけない」「人間失格」など言いたい放題いうだろう。言われ続けるとそんな気もしてくるかもしれない。 けど、大丈夫です。私はいま、普通に暮らしている。なんなら、十分恵まれた生活を送れているくらいだ。 正直、一部のブラック企業を除けば、イかれた高校の部活のほうが「社会」よりよっぽど理不尽だ。認めたくはないが、部活で地獄を見た分、多少のことには動じない。それは一つの強みになっている。 あなたも、実はすでに一般人の平均よりも理不尽耐性が育まれているし、一度は推薦を受けるだけの身体能力ないし学習能力があり、こんな長文も読みこなせるのだから、世間からみれば優秀な人材だったりする。 あなたは社会に通用しないわけではない。むしろ活躍の機会があると思っていい。 それから、一度逃げたら逃げぐせがつく、みたいな言説もあるが、逃げぐせ、結構じゃないですか。私は激務で殺されかけたこともあったが、逃げぐせのおかげで死なずに済んだ。より良いポジションをとれた。適切なときに自分を守れるのは恥でもなんでもない。 一度死んで死にぐせがつくよりいいんじゃないですか。 最後に 小学校、中学、高校とくると、高校が世界のすべてのように感じるし、高校でうまくいかないと人生の全てがうまくいかないように感じる。私はそうだった。 でも、実際は高校なんて人生のごく一部にすぎない。思い出せば色々あるが、思い出すこと自体少ない。どうでもいいんですよ。 あなたが真っ当に部活に出なくなると、顧問をはじめ、高校側はあなたに対して色々言ってくる。でも、高校は別にあなたの人生に責任を全うするために何かを言っているわけじゃない。向こうは向こうの都合があり、そのためにあなたを退学させたり登校させたりしたいだけなのだ。 ならば、あなたはあなたの都合で行動したっていい。 正直、イージーではない。同級生に蔑まれたり、恨まれたりすることもあるだろうし、親の協力も得られないかもしれない。 でも、騙されたとはいえ自分で選んじゃった道なので、まあうまくやるしかない。何度も言うけど、高校の知り合いなんか一生会わないこともできるから、適当でもいい。 なんにせよ、スポーツ推薦が体に合わなかった人は、大変だけど、とにかく死なないことは徹底してほしい。 死ぬことに比べれば、一瞬しか関わりのない人間に嫌われるのなど無傷に等しい。常にいい人でいる必要はないんだから、高校時代まるまる、いい人を封印したっていい。 あなたの善性はイかれた部室の中でではなく、将来出会う真っ当な環境で、真っ当な仲間に対して発揮すればいい。今は図々しくあれ。サバイブすることに全力を傾けていい。頼れそうなら親に頼れ。高校と関係ない友達を大事にしろ。 健闘を祈る。 親御さんへ お子さんの状況に心を痛めているのではないかと思います。思うようにいかない毎日に強いストレスを感じていることでしょう。 私も今は二人の子の父親です。親御さんのお気持ちも今となっては察することができているつもりです。 大変ななか心苦しいのですが、ひとつだけお願いがあります。お子さんの人格や将来を否定するような言葉だけは止めてください。 私はいま、十分に幸せな生活を送っていますが、不登校時代、高校を辞めさせたくなった父が絶叫した「お前の人生はもう終わってんだよ!」という言葉が忘れられません。 私が学校に行けず、さりとて辞めることもできなかったのは、私自身が人生をどう打開すべきか、悩み続けていたからです。 そんなことを知ってか知らず投げつけられたその言葉はかなりのショックでした。親に叱られることこそあれ、将来を否定されることなど想定もしていなかったからです。 私は全くの無意識に「いつか必ずお前を殺す」と口走りました。 口から出た言葉が己の耳に入った瞬間、私は後悔しましたが、謝罪なり撤回なりの言葉を紡ぐ前に、父は「おう、そうしろよ!やってみろよ!もうとっくにお前は終わってんだよ!」と叫び続けました。 私のなかで父への信頼、敬愛が全く失われたことをよく覚えています。 このやり取りを思い出すたび、未だに激しい怒りに身を任せそうになります。 子供を連れて実家に帰るとき、父は人生が終わったはずの息子が連れてきた孫を心から歓迎して、膝に乗せておしゃべりをしています。 父の心底幸せそうな顔を見ると、今この瞬間、父を殴りつけてあのやり取りを思い出させ、徹底的に謝らせて、痛めつけた挙句に殺めれば、いくらか救われるだろうと思う自分がいます。 こんな頭のおかしな妄想に浸りたくはありません。 しかし、父の笑顔を見るたびに、お前のいうとおりにしてやるよ、と告げたくなるのです。おそらく、私は父が死ぬまで、父を殺す機会をうかがい続けることでしょう。 父と会わなければよいわけでもないのです。 子供たちはしょうもない私に対して無償の愛を向けてくれます。この子達のように率直に父を愛せたのならどれだけ気楽だったのだろうと考えてしまいます。そして、あの日の怒りを思い出してしまうのです。 ベビーベッド、バウンサー、公園の砂場、保育園の帰り道、アイスを食べながら休むベンチ、初めてのランドセル。幸せに満ちているはずの至る所に父への殺意が頭を顔を覗かせるのです。 そして、いずれ私自身が父のように、子供を否定する日が来るのかもしれないと怯え続けています。 結局のところ、私の傷は社会に受け入れられても癒えることがありませんでした。20年近く前の親の一言で、私の人生の一部は壊れてしまっているのです。 親も人である以上、感情も衝動もあります。 しかしながら、どうか、どうか、お子様の人格と将来を否定しないでください。 長文、乱筆失礼しました。 以下追記(240405) (なんかうまくいかず、再投稿してしまっていたようです、ごめんなさい。こちらに改めて記載します。) このような長文、悪文にも関わらず、想定を遥かに超える反応をいただき、驚いています。読んでくださった皆様、ありがとうございます。 疑問点もあると思いますが、身バレはしたくないのでこれ以上の説明は避けます。 スポーツ推薦で入ってもサボれば大丈夫? 温かいコメントや反応が多いことはとても嬉しいのですが、想定外でした。 ここまで好意的な意見が多いと、私の手法がみんなに支持される、定石や必勝法のように思う人(特に危険なのは中学三年生)が出てくるのではないかと、少し不安になってきました。 その点について、もう少し書かせてください。 私の対応はあくまで緊急避難であって正攻法ではありません。私のパーソナリティ、顧問の間抜けさ、高校の意外な寛大さが合わさったという偶然の部分が大いにあります。 また、同じようにスポーツ推薦で入学し、日々理不尽と闘う同級生、先輩後輩からすれば、私のような立ち回りをする奴は完全なクソです。皆さんが顧問に対して抱いてくださった反感と似たような感情をぶつけられる対象になるのが普通です。 必勝法でもなければ、周囲に褒められるやり方でもないのです。 「とりあえずスポーツで行って、ダメならサボればいいか」というのは絶対にやめたほうがいいです。実力で行ける高校に行きましょう。 もしあなたが極限状態にあるなら、私は何度でも「自分本位と言われてもいいからサバイブしてね」と伝えます。これは全くの本音です。大人に迷惑をかけてもいい。生きましょう。一般社会より厳しい世界をあなたは知っている。あなたは人に優しくなれる。あなたの優しさを、まともな世界にまで運びましょう。 でも、あなたがまだ選択の余地を残しているのであれば、最初からこんなことを狙っちゃダメだ。 父とのこと ここで文章にしたことで、少し整理ができた部分があります。 愚かで幼稚な父のために、私と子供達の幸せが犠牲になるなんて絶対におかしい。 高校時代の出来事など、人生のうちの一瞬のことに過ぎない。俺自身、そう書いたではないか。 許すことはできなくても、忘れること、思い出さないことは努力できるんじゃないか。 というところです。話し合いは正直怖いんですよ。年老いた父は幼い孫たちには優しいですが、母や私のきょうだいにはますます頑迷になっていて、本当に手をかける結果になりかねない。 もう一度、最後に 心配してくださったみなさん、労ってくれたみなさん、本当にありがとうございます。 この文章が、必要とする人に届いて、悩む学生さんが希望する進路へ進む契機や、良好な親子関係の構築の一助になれたとすれば、これに勝る喜びはありません。
スポーツ推薦で入学したけど失敗したな、という人と、その親御さんへ
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16 January
一旦、殴り書き!
私は、何のために、仕事をして、生きていくんだろう
今幸せ?
一生懸命、お金を使っている気がする
→なんで?
いつか死ぬ、と思ったから
今使えるお金を、今使おうって
それとも、ただのストレス?
結婚したら幸せ?
結婚してもひとりで生きていく覚悟がないとだめ
今のモヤモヤなんだろう
・仕事は楽しいけど、何を目指してるのか、分からなくなっていること
好きな人がいたら幸せとか、
彼氏がいたら幸せとか、
結婚してたら幸せとか、
仕事の成功が幸せとか、今まで描いてきた、目指してた、ありきたりの、当たり前みたいな幸せ理想像が壊れまくってて、何を目指していいのか分からなくなっちゃった
だから、とりあえず焦って、
欲しいものがあったらそれはすぐに買って解決して、ストレスないようにして
友達との予定がスケジュールになったり、
1人で過ごす時間が大好きだったり、
ずっと独身でいるつもり?に涙が出ちゃったのは共感とかそんなことじゃなくて
毎日不安を感じて生きてるのが楽しいの?って聞かれてるように感じちゃったから
何をしていいか分からなくなっちゃった
楽しいのになあ、仕事
あとは、この気持ちを、誰に、何を、話していいか分からないし、
人は孤独って気づいた今年だからだろうな、
ワクワクもせずに死ぬのかな、どうしよう
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ここ1週間で人生的に色々ありすぎて、いまだに情緒も状況も落ち着かない。
恋人とお付き合いすることになった。勤務地レストランが変わった。2大変化。
今も恋人が隣ですやすやと寝ているが僕は全く眠りにつけず、こうしてTumblrにだらだらと書き殴ってるわけ。
どうしようもなくメンタルがぐちゃぐちゃになって、シェフに辞めますって言ったけど、会社の役員に引き留められて現状1番フィットできるお店に配属させてもらった。迷惑をかけた前の店舗にはちゃんと謝罪にも行けてないし(面会を拒絶された)、その事へのストレスも酷くて、表面上クリアになった環境下でまた別のストレスに苦しんでいる。完全に料理を辞めて別のやりたい仕事に就くはずだったし、どうしてこんな流れになったのかも僕ですらわからないんだから、困ったもんだ。意思がないわけじゃない。でも、まあ多分流されたのだろう。今の店舗では、前の店舗で培ってきた料理人としてのポテンシャルが開花して、なんだかとても活躍してしまっている。それも何だか、不服と言うか、何にこんなに不穏な感じを抱いているのか僕もよくわからない。多分こんな感じのことをトランス状態とでも言うのであろう。全く嫌になる。
そんな中支えてくれたのは恋人であるわけなのだが、1年も想ってくれてた様で何というか、とても嬉しかった。とは言え僕は最近の事。まあ結果オーライ!何だけどね。女性との関わりは全てにおいて勘違いするな。を前提にしているか本当に何にも気付かないし、気付こうともしない。あからさまなのも見て見ぬふり。そんな態度を取り続けた結果のこんな、女友達沢山だけど女っ気がない男が爆誕するわけなのです。こちらから好意を抱いたり、気になったりすると勘違いから始める。勘違いで良いや、どうなっても良いって若干自暴自棄になる。負け戦をしない感じね。そんなこんなでこのメンタル絶望時期に、寂しいであろうと言う事で来てくれた恋人に、完全にどっぷり浸かってしまうわけ。何だかやられた感じもするけど、それはそれで良いやって感じ。とても幸せを感じる。もっとも恋人はそんなこと思ってない、純粋な気持ちで接してきてくれたわけです。本当に感謝しかない、そう思う。
ただ、こんなにも好きな人が近くにいて頑張ろうって気持ちになっているのに、めちゃめちゃ情緒不安定だし、仕事も大してやる気が出ない。もう何か僕の根本的な何かが変わってしまったんだなあってのはわかっている。相変わらず眠れないし、恋人と自分を照らし合わせるたびに自己肯定感は下がっていく。私が上げてあげるって言ってくれたけど、本当にお願いしたい。何でもするからってね。横で恋人がすやすや眠ってこんなにも幸せな感じなのに、何処か空っぽで虚無感を覚える。何か。何かアクションを、しなきゃなのかな。
地に足がついてない、宙に浮いて何処にも進み出せない、気持ち悪い状況。さっさと抜け出すか終わりにしたい。
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手綱 (2016)
「パート社員になれないか」
上司は開口一番私にこう言った。私は、やっぱりそうか、と思った。私の頭がおかしいからだ。
事の始まりは大学一年生の時だった。人混みにいると「バカ」「くせーよ」等の悪口が聞こえるようになり、たまらず精神病院に駆け込んだ。
「あんたは病気です」
医師からあっさり太鼓判を押された。何種類か薬を処方される。それらを飲み続け、はや五年になる。
そういうわけで仕事中も私の疳の虫はてんで落ち着かない。体のどこかに暴れ馬が住んでいるのではないかと錯覚するくらいだ。
私は突然どこかに向かって飛び出そうとするし、実際に飛び出したりもする。先輩に連れ戻され、パンを買い与えられ、同情からの貰い泣きまでされてしまう。
また前ぶれなく涙腺が崩壊する。涙が止まるまでの三十分間、業務そっちのけでトイレに引きこもる。
朝、憂鬱で体が強ばり、片道徒歩十五分の通勤に四十分もかかってしまった。医者に相談するとマジかよと漢方を処方されるが、その対処法だけではやはり限界があるようだ。私の暴れ馬の手綱はどこへいってしまったのか。
というわけで私は自分が会社のお荷物だと知っていた。ポンコツをここまで使っていただいたのだから、むしろ感謝しなければなるまい。己の使えなさを自覚しているのにも関わらず図々しく居座るとは、全く迷惑な社員である。そんなわけで私のノーミソはクールにクビ宣告を受け止めた。かっくいい。
だがしかし。アパートのドアをくぐった瞬間、私はぶっ壊れてしまった。腕を切り刻むのがやめられなくなってしまったのだ。暴走する体に反し、頭は冷静だった。この状況を馬鹿馬鹿しいと俯瞰する余裕があるくらいだ。いつもそうなのだ。唐突に私の体は突拍子もないことを始めやがるのだ。このドス黒い暴れ馬、こんちくしょうめ。
右手が頑なにカッターを放そうとしないので、たまらず病院に駆け込んだ。ふらふらして椅子に座っていられない。そういえば七日間ほど物を食べていないような気がする。看護師に具合が悪いので寝かせてほしい旨を伝えると、優しくベッドまで案内してくれた。真っ白な布団に寝転がる。すぐに見知らぬ顔の男性医師がやってきて、カーテンを閉められた。穏やかな声で質問される。
「どこを切ったの?」
「お腹と腕と太腿です」
「見せてもらうね」
あっさり服をめくられた。腕をまじまじと観察され、恥ずかしさがこみ上げた。誰かにリストカットの傷を見せるのは初めてだ。
「結構ひどいね」
と医師は言った。
嘘だろう。ネットに転がっていた画像で、私より深い傷をこしらえた人々を嫌というほど見た。自傷というワードで検索をかけると、全世界の目立ちたがり屋が血液を搾り出しているところを容易く見物できる。本気で苦しむ彼らに比べて、私は甘えている。私は演技をしている。本当は辛くなんてないはずなのに、同情を買うためにパフォーマンスをしている。だから私は傷跡を隠す。自分の卑怯さを誰かに見られないように。十代の娘でもあるまいし、この年になって自傷しているなんて情けない。この程度の生活など皆容易くこなしているのだから、私も追いつかなくてはならない。私は不登校をして、ただでさえスタートダッシュに遅れているのだから、倍速で走らなければならないのだ。けれど、と私は思う。私が走った分だけ、皆は先に進んでしまう。私は一生彼らに追いつけない。それって、まるでアキレスと亀ではないか。
医師は私を見た。悲しげな眼差しだった。そんな目で見ないでくれ。自分がいかに哀れか思い知りたくない。
「入院ですね」
と告げられた。
「どうしてだ」
と私は思った。私の頭頂部のコックピットの操縦士がケロッと言い放った。
「まだ大丈夫でしょ」
私の心の声が反発する。
「いや大丈夫じゃないだろ、正気か。また体調を崩すぞ」
「甘ったれたこと言って。そんなんじゃ今に社会に適応できなくなるよ」
「もうなってるよ。それに仕事に戻ってまた腕を切り刻むはめになるのなんてごめんだね」
「自分の体よりも常識的に暮らす方が大事でしょ! だから今までガンガンいこうぜモードで運転してきたんじゃん。やっと人間のふりが板についてきたというのに、その努力を無駄にするの?」
自分同士が問答している。全く私の操縦者は信用ならないやつだ。放っておいたらどこまでも無理をしようとする。だから私は医師に従った。これで私も完全なるキチガイだ。
サインバルタ、メイラックス、ラミクタールにレクサプロ。そのような薬を飲み続けてもまだ大丈夫だろうと思っていた。自分のおかれている状況を説明することができたし、暴れ馬が顔を出しても誘因を突き止めようと頭を絞ってきた。使える手段なら何でも使った。本を読み、過去を分析し、自分の感情を書き出して整理し、思いの丈をぶちまけた動画を撮り何度も見返した。
手に取った��神医学の本には、情緒不安定には少なからず親の愛情不足が影響していると書いてあった。何百回も読み返し考えたが最終的に出た結論は「アホか」。それだけである。過去はどうしようもないのだ。消えようのない記憶を突っつき回したところでどうなる。親を許そうとすればするほど憎らしくなるだけだった。精神医学者は揃いも揃って私に親殺しを勧めたいらしい。
自己カウンセリングなどといううさん臭い儀式も一応試した。「心の中でヨウショウキの自分を抱きしめてあげましょう」? できるか! そんなものただの茶番だ。抱きしめたところでどうなるというのだろう。イメージした幼い私には表情がなく、手触りもない。今の私と同じで「だからといって何なのだ」と呆れているようにも見える。お前が私の馬をギャロップさせるのか?可愛い悪魔め。
幾ら「客観的に」分析しようが、元の認知が歪んでいては意味がない。お手上げだ、と本を放り投げる。私一人ではどうしようもない。私は何とか自分を説明する術を手に入れた。暴れ馬に手綱を付けさえすれば完璧に手懐けられると思い込んでいたのだ。しかしそれは錯覚だった。手綱は、手綱はどこにある。
緊急病棟に入れられた。割腹のいい主治医は、
「自主入院という扱いになるから、あんたがもう大丈夫だと思ったら退院していいからな」
と言った。何じゃそりゃ。あっさりしたものだ。
「とりあえず今週末まで居とくか?」
「じゃ、そうします」
「分かった、手続きしておく。⋯⋯もう絶対に自分を傷つけるな。傷つけたくなったら看護士に声をかけるんだぞ。いいな。これは忠告じゃない。約束だ」
どうしてだろう。どうして人は口を揃えて自傷をやめろと言うのだろう。私は「やめます」と微笑みながら首を傾げ続けた。自ら死ぬのは悪いこと。自分を粗末にするのは悪いこと。言葉の意味は理解している。けれど感覚として分からないのだ。
誰かと会話をし、笑顔で家に帰る。ドアがバタンと閉まった瞬間、私の何かが爆発する。狂ったように酒を飲み、ぶっ倒れゲロを吐き、またはカッターで腕を切り始める。翌日、何事もなかったかのように同じ相手と談笑をする。私は皆の笑顔を壊さぬために自分を傷つけていた。ストレスを自分にぶつけて発散していれば誰も傷つけずに済むからだ。私は自己犠牲的な精神を誇りさえした。思慮深い思いやりのつもりだった。だが私の心がけは、どうやら愛ではなかったようなのだ。私はいつの間にか間違った方法で人を愛そうとしていたらしい。
「お前、またやっちまったなァ」
私の天使が頭上をひらひら飛び回り、笑う。悪魔は黙っている。もう笑い疲れたんだろう。
自傷をしない。やればできるとたかを括っていた。ところがどっこい、すぐに切りたくて仕方がなくなり頓服をもらうはめになった。漢方だ。苦いくせに全然効かない。
二日目、見えない手が私の頭を撫でる。気持ち悪くてライブ会場さながらにヘッドバンキングをする。看護士が頓服を持ってきてくれる。ホリゾンと書いてある。
三日目、野獣のように唸りながら転げ回る。腕を切る以外の怒りの発散方法が分からない。ベッドを殴る。壁に這いつくばって拳を叩き付ける。天使が「クソくらえ!」と叫ぶ。随分口が悪い。冷静な私が部屋の片隅で「あーあ、外に聞こえちゃうかもな」と溜め息をついている。私が粉々だ。
四日目、医師が診断書を持ってくる。「重篤な障害がある」と書いてある。「イカれちまった!」うるせぇ、三月兎はディズニーの中に引っ込んでろ。
五日目、ようやく落ち着くものの、休む暇もなく色欲まみれのオヤジ、いや失礼、年配の男性患者に付きまとわれる。気安く名前で呼ぶな、と思いながら柔らかな笑顔で追い払う。病室のベッドでぼーっとしていると、
「ねえ!開けてよ!開けてよ!」
とドアをバンバン叩かれた。恐ろしくなって看護師に相談する。すぐに対応してくれたらしくオヤジの姿が消えた。主治医がやってきて、
「何があってもぜっっっったいに扉を開けるなよ」
と言い残し去っていった。もし鍵をかけ忘れていたらどうなっていたのだろう。私、結構ピンチだったのでは。ゾーッと鳥肌が立った。
夜、どこかの部屋の婆さんが声を張り上げて泣き始める。何がそんなに悲しいのだろう。遠吠えのような悲鳴の中、私は睡眠薬漬けの眠りに沈んでゆく。
六日目。外出申請の書類を記入する。ここでは書類を提出し許可が降りなければ外出できない。病棟の入り口に鍵がかかっているのだ。以前から知識として知ってはいたけれど、実際に体験してみるとひどい閉塞感だ。無事外出を許されたのでアパートに帰り、シャワーを浴び、パソコンを申し訳程度に触って病院に戻る。外出時間は一時間だけなので大したことはできない。
消灯時間になっても眠れず、窓枠に腰掛け景色を眺めた。下方を車のライトがきらきらと駆け抜けてゆく。あれらはどこからやってきて、どこへ向かうのだろう。私はどうしてここにいるのだろう。私の人生はどこへ向かっているのだろう。健康体であるはずなのに、わざわざ薬を飲み腕を切り入院までしている。許可が出なければ外出すらできない。私は閉じ込められている。どこに。どこだろう。私の馬は、忘れようと押しやった私の痛みそのものなのだろうか。存在を思い出してほしいがため、何度も暴れるのだろうか。
入院中、私は一度も泣かなかった。泣くような出来事は何一つ起こらなかった。私は不味い昼食を口に運びながら「仕事辞めよう」と思った。
何日目か数えるのをやめる。ここでは食べ物しか娯楽がない。昼食にオレンジが出る。かぶりつくと爽やかな香りが口内に広がり、甘酸っぱさに舌がキュウキュウと悦ぶ。私は果実を見つめる。何てきれいな色なんだろう。じんわりと黄色い幸福に包まれる。ふいに、子供の頃オレンジをよく食べたことを思い出す。今では皮を剥く面倒さが先立ち手をつけなくなってしまった。私は青い匂いを嗅ぎながらふと「海に行きたい」と思った。それから花を見たいと思った。大きな大きな木の下で寝そべりたい。どこまでも続く草原に佇み、ざわめきに耳を傾けていたい。それか湖でもいい。凪いだ水面に滲む杉の木を見つめていたい。私はどうしてこんなところにいて、どうでもいいものに囚われているのか。
大切な人々を戸惑わせてしまう、言うことをきかない私の体。本当は薬を飲みたくなんかない。体を傷つけたくなんかない。自室で腕を切る度に思うのだ。誰かあのドアを開けて入ってきて。カッターを取り上げて、暴れる私を思い切り抱きしめて。誰か私の血の、魂の流れ落ちるのを止めてほしい。この傷跡にキスをしてほしい。当然ながらそれが叶ったことは一度もない。
私の天使が言う。
「問題を片付けるのはさァ、自分なんだからネ」
そうっすね。
「最後に頼れるのはお前自身なんだって。分かってるんだろ」
悪魔が言う。そうっすね。そうですよね。
SOSの旗をあげたとする。だがここは海のど真ん中だ。船の航路からは外れている、誰にも気付かれやしない。泳いで陸まで辿り着くしかないのだ。あるいはここは地中深いトンネルだ。私のいる場所がどの地点かなんて自分にしか分からない。ここがどこなのか分からなくても、歩き続けなければならないのだ。どこかに辿り着くために。生きてゆくために。長い道のりだったように感じていたけれど、まだ人生の半分も歩いていなかったなんてね。
病室を移される。同じ年頃の女性と同室になる。彼女の手首にも規則正しく傷が並んでいる。
最終日、何となく話をする。
「どこかに行っちゃいたいなあ。何もかも捨ててさ」
彼女は薬でもつれる舌で言った。私は頷く。
「ああ、分かります。私も出社する道すがらよく考えました。このままバスに飛び乗れば、二時間で東京に行ける。このまま引き返して車に乗れば、三時間で海に行けるって。そうして、できればいなくなってしまいたいんです」
どうしてだろう?
降っては上がる雨、途切れ途切れのトンネル、夏の台風、たまに鳴る電話、寄せては返す波、私の不健康な心臓、ころころ変わる処方。四季が一ヶ月に六十回やってきて、私はめくるめく美しさと乱暴さにすっかり目を回してしまう。どこにでも行ける。けれどどこに行っても、世間体と、金と、自分の体からは逃れられない。私の体は私の檻だ。私は、私の体と手を繫ぎたい。彼女は、私は、一体どこに歩いてゆこうとしているのだろう?
机と椅子だけが置かれた、がらんとした診察室。浅黒く熟したエネルギーのカタマリが私に問いかける。
「いけるか?」
私は主治医に頷いてみせる。
「いけます」
先生は忙しくカルテをめくり、
「退院予定日は今日だよな。じゃ、午後には出ていいよ」
と言った。やっぱりあっけない。
荷物をまとめる。同室の女性から退院祝いをもらった。ブルボンのプチチョコチップクッキーだった。私達は手を振り合って別れた。どこにも行かないで、と私は彼女に念じた。どこかに行っても、どこかで生きていて。
天使が内臓の壁に寄りかかり、もの憂げにこちらを見ている。
「自分の体にどこにも行くなと言えるようになることが、あんたの馬の手綱なんじゃないの?」
私は荷物をガサガサ言わせながら返事をする。
「分かってる」
「分かってないよ」
私は、そうだよな、と思う。今まで形ばかりの「分かってる」を繰り返してきた。今回も本当にそれを理解しているのかと問いただされたら、怪しい。
でも、分かりたい。
外は暑かった。蝉が鳴いていた。車はキーを回せばたやすく走り出す。私はどこにでも行ける。けれど、今はとりあえず家に帰ろう。
空に、狂いもなく正確な夏が来ている。
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原稿に取り掛かろうとするも、前段階の書写で、とくに身を入れずに2時間くらい……今日はまったく文字のある場所までたどり着けないな(なぜなら疲れているから)と諦め、ぼうっとしながらなんとなくアプリをながめて、クラブハウスを久しぶりに開いて、いくつか聴きながら、知らぬ世界を眺める。ここはライフがワークな人、もしくはワークがライフな人が公的な名前で社交するというか、個人ラジオをやる媒体であって、私は完全に門外漢。かつ、興味のあるコンテンツがまだまだ全然充実していないので、クラブハウス人口が爆増する日を待つ。そうなったらいわゆる今の、「ボーナスタイム」は終わり、フォロワーを(仕事として)獲得したい方々は「あーあ」って感じになるのだと思いますが、私はそういう「強者」に向かってなにか仕事したい訳では無いので、そもそもクラブハウスの側を向くこと自体自分にとってはおかしなことだなと思います。いつでも弱者および殴られる側およびほうほうのていで生きている(最近こうした人たちもマイノリティと言えなくなってきましたが)人人に対して私はことばを掛けたいのであって、でもそういう人の流入を今のところクラブハウスの運営は拒んでいるはずなので逆行ですね。それでも魅力を感じてしまうのは、おそらく私がものすごく「喋る」のが好きだからだと思います。別に上手くはないのですが、喋る時の遊びの部分、といいますか、余裕を持たせて、バッファを取っておくみたいな、相手からの言葉を措定しないである程度の遊びをつけて受け取っておいて、あくまで仮定で話を進めながら、相手のバックグラウンドを想定してある程度言葉を選ぶので、コミュニケーションは取りやすい(相手にとって)方だと思います。コミュニケーションをとりたいコンテンツが私に備わっているかどうかはさておいて。というか、かなりニッチな需要である自覚はあります。かなりニッチであるが、需要はたしかにゼロではないというか、ゼロではない需要のために私はいるので、それはそうなんだけど…。あとクラブハウス本名だからな。弱い部分をさらけ出す用の場所じゃないんだよな。それを考えるとやはりワークはワークでも福祉系のワークというかNPOの土台みたいなものをここで作るのは無理なのかもしれない。すこし夢想していたのだけれど。たとえば「親に殺されそうになっている18歳以上の逃げ場のない子の逃げ場を作りたい」という思いに賛同する人をここで見つけることはできるだろうか。と少し考えた。18〜22歳くらいの女の子のクッションとなれるような場所作りを考えていて、う〜〜ん……でもこれは、やはりこの目的のためではなく、別で知り合った人達にご助力を願うのが良い気がする。ある程度基本の組織を作った上で協賛者を募るのはありかもしれないけれど。まあなんにせよ夢物語ではなくて、自分が今やっていてそれなりの成果を出しているコンテンツがないと、クラブハウスでは発信側にはなれないですね。ラジオやりたいなら、ラジオトークで録音して、それを流すだけのTwitterアカウントを作るとかでも良い気がするなあ。ラジオトークか、それよりはまあ30分枠のツイ���ャスか。でもクラブハウスのよいところは、オーディエンスを登壇させることができる、なので、今まさに迫害を受けているとか悩みを相談したいとかの「リスナー」の方と会話できるんですよね。でもクラブハウスは本名なんだよなあ……もし苦しんでいる人がいても、そんな所で本名と顔写真と声を晒して虐待を受けていますなんて告白できないよなあ…。難しいけれど、ハコ(施設)を作る前に、SNS上でそうした相談機関みたいなのを作って、実績が上がったら物理的なものの設立に動く、というのがやはり私の声が届いてほしい層への訴求としては一番いい気がするので、SNSの活用の仕方というものを色々と思考しています。
いちばんいいのは私がよい小説を書いてたくさんのフォロワー(元の意味)を得て、小説の活動の枠を超えて実際的に誰かをレスキューできることだと思うのですが…。二次創作もまあ、その一助になれば(書くことのあらゆる角度からの練習という意味でも)とは思うけれど、二次創作は完全に自分の欲望ですね。でもよい小説(オリジナル)を書くのは、自分の楽しみのためではなくて、明確な目的があります。死にそうになっている子を死なせない。それだけなのですが。そのためには技術も情熱も体力も何もかも足りなくて、本気ならもっと努力しろよと思う。なんでこんなに思いは溢れているのに体に無理がきかないんだろう。でも組織を作るのであれば、やはり一度はきちんと組織に属して、社会経験をもう少し(少しでいい)積みたいなあとも思う。小説はひきこもっていても書けるけれど、NPOの運営は動かないと学べないものね。それにしても東京にはたくましい人しかいないなと感じる。なんらかの問題をかかえて生まれ育った人でも、そんなことはままあることだ、とそれをおくびにも出さずに美しく、賢く生きている。私が見る限り、みな体が弱い。それでも昼に夜にと働いている子ばかりだった。彼女達の労働時間(昼の仕事+水商売)を足せば、一日に15時間を超える日もあるだろう。現に私もそういう生活の時期があった。それでも絶望などしている子は誰一人としておらず、自分のかかえる理不尽などないかのごとく楽しく喋り、動き、働いている。立派だと思う。病気でそれができなくなってしまった子もいる。ぎりぎりの場所にいる子もいるだろう。私の周りは、前向きな子が多く、眩しい陽の場所だったのだと思う。
東京での仕事というのは、基本的に過酷かもしれないと思った。まずだれもが、自分の時間は一秒でも無駄にしたくないと思っている。時間の流れる速さが地方とは違う。そして、少しでも質の高いものを享受し、その為にはあたらしいものを受け入れることが使命だと思っている。お金は限られているのだから、同じお金で質の高い選択ができるように、つねに情報に敏感でいようとする。それによるストレスもおそらく地方の人間よりもかなり多く、負荷がかかっていると思う。東京の人間は、限界状態の人が多いから、あわや一触即発、という危険性が日常の多くの場所にある。東京で暮らす人達は、他の人のそうした部分を刺激しないように、お互い限界の表面張力を感じながら、気を遣って爆発させない(自分もしない)ようにしている。ということで、都心でのサービス業にはかなりのクオリティが求められる。ホスピタリティは当然のこと、正確さ、速さ、応対の際のその人(ケース)にあった正しいコミュニケーション、提供する質の高さと値段との釣り合いで文句を言われないように、というプレッシャーは、地方のサービス業の何倍かにはなるだろう。私はすくなくとも地方でも都心でも書店員として勤めた結果、その「圧力」の違いを体感した。単価が低い業種ほどこの圧が高い。当然のところ。単価が高ければ、客にも従業員にもゆとりが出る。それはもう持てるお金の多寡の違い。ただし、単価が高い場所でも、高いなりにそのプレッシャー(値段に見合う質をよこせ)は相当なものとなる。東京の人はとにかく時間が無い。睡眠時間が少ない。食事を疎かにする。そうまでして何をしているのかというと仕事だ。仕事をしないと家族を養えない。そこまでしないと子供を私立に入れられない。ここまでくるともう「体面」「体裁」「世間体」という要素も入ってくるとは思うが、とにかくこの競争社会では、気を抜くと下にはすぐ貧困が待っていて、それを恐れるのは落伍者にきびしいお国柄(政治的にも、文化的にも)だからだと思う。親がおそろしいほどのプレッシャーやストレスに晒された結果、子供が歪み、その子供に育てられた子供がいま多方面で命の危機に瀕している。社会は繋がっているので、変えるべきは政治や社会システムなのだろうと見当がついてはいる。それはとても大変な事だが、まずは「知ってもらう」、そして当事者には生き延びて、救う側に回ってもらうことで、社会を少しずつ変えるということしか、私個人にはできそうにない。コロナ禍で、多くの精神疾患者が調子を崩し、職を失い、健康と思われる人も病気になるということも起きている。社会全体にプレッシャーがかかった時、まっさきに死ぬのはもともとの弱者であるので、私は弱者、とくに親子で言うと子の側として迫害されていて、さらに女の子、このゾーンを担当したい。なぜ男の子を助けられないのかというと、単純に、私の助けたい(死んでほしくない)という思いは私の欲望であり、聖人君子ではないからです。性別が男というだけで、もうほとんど感情移入できない。根深い憎しみの、実際的な効果がこれです。こういうことも、各人の身の上にあまり起きて欲しくないことだなあと思います。
でも、職場で男の子の生徒さんを担当する時、やはり、その子にも大きな情をもって接しますから、目の前で助けを求める男の子がいたら無視はできないとは思う。ただ、私が責任をもって助けられるゾーンは女の子(精神的に女の子であれば体が男の子でも女の子)まで。この線引きは相手のためにしています。自分の領域はここまで、と決めてそれに専心することはある程度効率や効果を高める。貧困層の子供を誰でも助ける訳ではなくて、生きたいという意志があり、まじめに生きていく覚悟があるやつ、それは話してみればわかるので、楽して生きていきたいみたいな人を助けるつもりはないです。さらに絞って、家庭内で生き延びるのが難しい子、さらに、もう児相にも助けてもらえない年齢の子、かつ、精神疾患があり就労が難しい子、そういう子はもう「詰み」なんですよね。でも詰まないように、クッションというか、立て直すための安全な場所、思考できるようになるまで落ち着ける場所を作りたい。まだまだwant toのままですが、願いは口に出した方が実現しやすいので、折に触れてこの夢の話をしてしまいます。
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ここのところ、自分の身の回りに起きたことばかりに囚われ続けていて、同じような日記を繰り返し書いてばかりいたね。
親が死んで天涯孤独になろうと、好きな人に好かれず恋に敗れようと、仕事や住居を失おうと、それでも人生は続く。
どうしようもなくなったら死ねばいいやと思って生きてるけど、まだ死ねない。なんで死ねないのかはよくわからない。他人に迷惑を掛けない死に方について考えてるうちは、まだたぶん死なない。
どんな状況であれ、何かを食べて寝て起きる。生活をする。つまらない日常なんてクソ食らえと呟いてみても、そんなこと呟いてしまう自分がクソだ。
性欲については脱線するのでひとまず置いといて、食欲睡眠欲と同等の位置においておきたいぐらい、生きていくのに欠かせないのが趣味だ。
興味の幅がそんなに広い訳でもないのにやりたいことはとっ散らかっていて、年々集中力の衰えも著しく、更に増してとっ散らかってきている。
これがなければ生きていけないと、ひとつに絞ることが出来ない。しかし身はひとつしかなく、金銭的にも時間的にも制限はあるし、やれることに限りはある。
死にたい夜を救ってくれたのは、そのとき夢中になってた何かであったりする訳で、いつかまた救われるときが来るはず。なんの生産性もなかったとしても趣味は捨てられない。
いまは出来なくなってしまったことのひとつ。
それは絵を描くこと。
これをやるのが好きだと一番最初に意識したのが、絵だった。
幼少期には絵の上手いおねえちゃんが近所に住んでいて、一緒にお絵描きをしたり、りぼんの回し読みなかんかをしていた。踵がぴったりとくっついた、ドレスを着たやたらと目がキラキラした女の子なんかを描いたりしていた。
小学校高学年ぐらいに、世の中に自費出版で自分の書いた漫画を本にして出す人々の世界を知り、自分もいつかそこに交じりたいと、田舎の片隅で投稿雑誌のハガキ職人を夢見ていた。もっと具体的にいうと、ヒカルの碁の伊角さんが初恋の人で、スミ×ワヤかワヤ×スミかの論争を繰り広げていた。いやな女子小学生だな。
初めて同人イベントに参加したのは中学二年とかそこらだったかと思う。年上のおねいさんと。
そうじゃないのも沢山描いてたけど、数学の先生とクラスメイトの男子を題材にしたホモ漫画を、周りに回し読みさせていた。
今のようにインターネットがそこまで身近ではなかったし、当たり前に処女でしたから、見様見真似で描いたセックスの描写は笑っちゃうぐらい稚拙でした。それを保健室の先生にまで見せてたから、マジでほんとうにどうにかしてた。
クソポエムを作ったり、それに絵を添えてみたりして、保健室の壁に貼ったりしていた。
当時世間では326が全盛期で、先輩たちの描いた明るく夢が溢れた世界観の絵が貼ってあたりするなか、私の中では当時多重人格探偵サイコが全盛期だったりして、世界がもし100人の村だったらのルーシー・モノストーンver.を貼り出したりなどしていた。
その頃エヴァを一気見したりなどして、どっぷりと厨二病を患っていた。
中学生の頃は不登校だったりした。
幾つかの歯車が狂った結果、教室へ行くのを拒否するようになっていた。友達と上手くいかなくなり、部活でいる場所がなくなった。クラス替えしたあとの空気が耐えられなくて、ずっと家にいるようになった頃に親は新興宗教にハマり出し、家のポストにヤバい封書が入ってたりして、なんかもう毎日死にたかった。
昼間起きていても面白いことが何もないし、生活リズムを親とずらしたくて昼夜逆転になった。
そんなときにいちばん夢中になっていたのが、絵を描くことだった。
精神病を患ったひとの治療法に絵を描くこともあるけど、あの頃の私にとって絵は、排泄行為と同じぐらいなくてはならないものだった。
親と衝突してはウンザリして、自分はなぜこんなところに生まれてしまったのかと嘆き、学校に少し行けば部活や勉学に励む同級生を見てまた更に死にたくなった。
毎日毎日何かに対して怒りや悲しみを抱えて、そしてそういうものの捌け口に出来たのが、絵だった。
これは色んなことに当てはまるんだけど、いつも下手なヤツよりは上手くて、上手いヤツより下手。絵もそんな感じ。
本当に腕のある人には同い年でも全く敵わなかったけど、写生会なんかは「努力しなくても絵が上手いからいいよね」などと、もと同じ部活だった女子生徒に陰口を叩かれていた。
沢山描くから上手くなるのであって、授業のときしか絵筆を握らないお前らと一緒にすんなよ、と言えないから思ったりしていた。しかし運動音痴な私は、駆け足の早いやつらを妬み嫉んでいた。全く体を動かさないくせに。どんぐりの背比べだねって、今なら笑えるんだけど。
あるときテレビのニュースで、腐女子の生態なるものが流れたのだがそれは偏見に満ちたものであった。二次元の男性にしか恋が出来ない、30歳になっても処女の女たちを見て、私はこうなりたくないとゾッとした。
高校生になったバイトしてお金を稼いで同人誌を作るつもりでいたのに、そこら辺で足を洗った。(精神的なところでは洗えていない)
高校では一応美術部に入ったけど、まあ忙しくて幽霊部員だった。夜間制に通っていたんだが、部活は全日制の生徒に合わせた時間で行われるので、大体バイトで行けなかった。
たぶん人生のうち一番忙しかったのは高校生の頃だったと思うんだけど、それでも時間を見つけては、授業中だったりとか、せっせと落描きをしていた。
いやな地元から離れて楽しい高校生活だったはずなんだけどそれでもなんかしらのストレス抱えたりなんかはしていて、それをペンだか鉛筆だかで紙に走らせていた。
絵はいつだってストレスの捌け口だった。
その、絵を描き続けるモチベーションは二十代前半までは続いた。
今もストレスがない訳ではもちろんないんだけど、自分の中から出てくるものが何もない。
いつまでも絵を描き続けていたかったけど、他のストレス発散方法を知り過ぎた。酒とか。
かつては、こたつに入りながらだけど、真冬にTシャツ一枚でも絵を描いていれば全く寒くなかった。
夢中になっていれば何日も眠らず描いてた日もあった。
そういう自分でいたかった。
たまにリハビリと思いながら描き出してみるんだけど、描けるものと描きたいものが違い過ぎるのと、中学生の頃から殆ど進歩がないことにウンザリして描くのを途中でやめてしまう。
他に昔から続けてる趣味はいくつかあるけど、一番エネルギー使うのは絵だと思う。もう今は出来なくなってしまった。
だから、今も、描き続けられる人が羨ましい。
なにかしらの形で自分を表現したいという気持ちはいつまでも捨てきれないので、こうしてインターネットに文章書き殴ってみたり、写真撮ってはクソポエム添えてアップしたり、そういうのは続けていくと思う。
紙媒体だといつか消えてしまうので、自分の生み出したものはすべて大好きだから、ネットに保管しておく。
中学生の頃に描き溜めた絵が、親の家からゴッソリなくなってた喪失感を未だに引きずってる
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映画 はちどり 鑑賞
ついったーで長々と感想を連投するのは気が引けたので、こちらに書き残す。なんせ明るい感想が書けそうにない。
☆☆☆超ネタバレです、注意!⚠
本作の主題は「女であることで抑圧されている世界に生きる女たち」かと思う。また、主人公の少女はその世界に気づき始めているところ。
舞台は94年のソウル。今わたしたちがイメージするソウルより、もっと、全然昔っぽい。てかもっと混沌としてて発展前っぽい。私が初めてソウルを訪れたとき、ほぼ10年前だったけどその頃よりもっと全然「今から」って感じ。ソウルは訪れる度に過去最高に「都市ー!」を更新していると感じるけど、その同じ速度で昔に逆回ししたら、まぁそんくらいかな…と思った。
そのまま変わんないな、というところもある。少女の家はトック(韓国の筒を斜めに切ったようなお餅)屋。商店街の中に構える店の様子は、今でも地下鉄1号線とか2号線の古くからある駅の地下構内で見かける風景に似ている。まぁそれも段々少なくなっている気はする。8号線とか9号線など主に江南側の新しい駅には無い。
少女の家は団地。高層階だけど、現在それこそ江南側に立ち並ぶ超高層マンション(高級)のやつじゃなくて、インチョンから高速バスでソウル市内に入るときに途中で見かけるような、郊外の判で押したように同じ巨大なコンクリートの四角が並んでる、たぶんあれに近い。日本で近い景色といえば昭和の市営住宅をもっと大規模に並べた感じかなぁ。
少女は勉強が得意なわけではない。漫画を書くことが得意で好き。授業中もノートに落書きしちゃう。不意打ちで当てられて、うまく英語が朗読できない。そしてクラスメイトに陰口を言われる。「あの子みたいに勉強ができない子は、大学も行けずに家政婦になるしかないのよ」
少女の母は、その兄(夜中に突然押しかけてきて非常識)から「昔は賢くて勉強がよくできた。大学にさえ行かせてあげられてたら今頃はなぁ」と言われている。横でそれを聞かされる少女の父。義理の兄ゆえ、夜中に押しかけてこられようが力関係が下なので何も言えず平身低頭で話を聞く。が、義理兄=少女の母の兄が帰った瞬間に「お前の兄さん頭がおかしいんじゃないのか!?今何時だと思ってるんだ!」暴言。その人の妹である自分の妻に。妻は何も言わず黙っている。←を見ている子どもたち。
少女は「恋愛にうつつを抜かし」ている。学校ではそのことで不良認定される。彼氏とはラブラブだったけど、数日後、母の兄(前出の少女の伯父)が亡くなったときに連絡が取れなくなる。後にそれは彼氏が他の女の子と付き合いだしたからだと知る。でも少女は何も言わない。黙って引き下がる。
この彼氏は後に少女の元へいったん戻ってくる。しかしデート中に彼氏の母が現れ、「餅屋の娘」として蔑まれて引き離される。彼氏の家は医者の家だ。
少女は兄から殴られる。「両親にみっともない思いをさせるな」と。食卓で、勇気を出して「兄に殴られた」と両親に言うが「ケンカするんじゃない」とあっさり。少女が殴られることは「その程度のこと」だ。
少女には姉がいる。姉は夜な夜な遊び歩いている。ついに父に見つかり激怒される。一緒に怒られる母。母は次第に理不尽に対して抗議し始める。さらに炎上する。ついに母はガラスランプを手に父に抵抗。大怪我をする。翌朝、父母は隣同士に座って同じテレビを見て笑っている。
少女自身も不良まがいのことをしてみたりする。親友とタバコを吸ってみたり、クラブに行ってみたり。万引きしてみたり。万引きが見つかったとき、親友は少女のことを裏切って差し出す。友情に亀裂。
後にこのとき親友が少女を裏切って差し出してしまったのは「殴られるかと思って怖かった」からだとわかる。親友の家は両親が離婚間近で親友はよく父に殴られていた。万引きで見つかったときに怒って責める店主は男の人だった。大声で怒鳴っていた。
少女と親友は漢文の塾に通っている。新しい先生は若い女の先生だ。ソウル大に通っている。(休学中だけど)
先生は漢文から、少女にいろんなことを「考えさせる」。たくさんじゃなくて、エッセンスを少しだけ混ぜるような。
少女にいろんなことが起きる間も授業は続く。
少女が親友と友情に亀裂を生じさせたとき。先生は授業をやめてうたを歌った。家に居づらいとき、少しだけ教室に居させてくれた。
少女は先生と帰る道すがら、たくさんの疑問に思ったことを質問していく。「どうしてここの人たちは立ち退かないんですか?」「家を取られるから」「かわいそう。家も寒そうだし」「勝手に決めつけたらだめ。私たちはその状況にないのだから、本当にかわいそうか、わからない」一つひとつ、先生は丁寧に答えてくれる。「自分が嫌いになったことありますか?」「たくさん」
「自分が何もできないと思ったら、指を見るの。両手の指を動かしてみる。何もできないと思っても、私は指を動かすことができているって確認するの」
少女は耳の下のしこりを取るのに手術をすることになった。簡単な手術でほとんどあり得ないが数%の確率で顔が麻痺するかも?傷跡は残ります。この医師に言葉に声を上げて泣く父親。「姉にも傷跡が残ったのに、お前にまで残るなんて」女の子なのに。ね。
先生がお見舞いに来てくれた。少女は言う「家に居るより病院に居る方が落ち着く」。それを聞いて先生は決意したように強く言う。「私たちは殴られたら抵抗してもいい。声を上げないといけない。約束して」
退院後。ある朝学校に着いたらソウル市内の立派な橋が崩落したニュース。少女の姉がいつも乗る路線バスが漢江に落ちてたくさんの生徒が亡くなったという。慌てて家族に連絡を取る少女。姉は偶然1つ遅いバスに乗っていて無事。だったけど、翌日の食卓で、兄が号泣する。妹が、あと少しのところで失われるかもしれなかった、と言って。妹を殴るのに。
先生が漢文の塾を辞めた。数日後、少女の元に先生から小包が届く。スケッチブックのプレゼントだった。トックを持って、先生の家にお礼に伺う少女。お手紙を書いた。「先生を今度漫画に登場させたい。先生みたいなキャラクターが出たら読者に愛されるでしょう」「私もいつか、輝く人生を送ることができるでしょうか」。中から出てきた女性(先生の母)は少女の訪ねてきた理由を聞いて泣く。先生はあの橋の崩落事故で亡くなったという。
少女は家で先生からの小包に入っていた手紙を読み返す。「突然塾を辞めてごめんね。いろんなことを、次会ったときに話すね」。
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この映画に出てくる女たちは皆抑圧されている。それに気づいても諦めてどうしようもない人が少女の周りではほとんどだ。それか本質には気づいてないか。
先生は違った。でも、ラストあたりで少女が訪ねた先生の家、とても立派な家だった。少女とは環境が違っただろう。勉強に集中できそうな部屋と机。先生はソウル大に通っている。
先生は「気づいている」側の人だ。気づいて、変えられることも知っている。変えるにはどうしていけばいいのか。でも先生は周囲から「変わった人」だと言われている。
少女がその環境から抜け出すことは可能だけど、先生よりもっと厳しい。でも、「気づいた」彼女はこれからどう生きていくのだろう。
94年のソウルが舞台だけど、今のそれも日本で、どのくらい状況が変わっただろうか。本質は何も変わってないんじゃないだろうか。
劇中何度も出てくる
「女のくせに」「女の子なのに」
怒鳴り力で押さえつける男たち
その男たちは男たちの中の序列で押さえつけられている。そのストレスのはけ口がさらに「下の」女たちに向かうのだ。
今も似たような話は幾度となく聞くし、実際わたしもこれまでの人生で何度もぶち当たってきている。疑問を呈すれば「変わった子」だ。
どうしていこうね。
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