#会津平和自動車学校
Explore tagged Tumblr posts
Text
るんぺんパリ 【RunPenParis】
【自己紹介 2024年8月3日追記 4335文字】 三重県伊賀市(旧名:上野市)出身 伊賀市(旧名:上野市)に 1976年(3歳)から 1996年(23歳)6月まで住んでいた 1976年以前の記憶と出生は不明 津市にある施設にいたと聞いた覚えがある お兄さんいるらしいがあった事は一度もない 30代の頃に一度だけ電話で話をした
伊賀市でそこそこ有名なのが 伊賀流忍者で忍者屋敷は今も昔も変わらない内容で 営業している 伊賀牛は金谷のすき焼きが有名で 森辻が新しい様相なってから焼肉を食べた 個人的には伊藤の牛丼が好きだ 上野天神祭の鬼行列も有名かな ひょろつき鬼が子供の頃は本気で怖かった 銀座通りが歩行者天国になり 的屋がならぶ 高校生の頃はリング焼きが100円ぐらいで 何個も買って食べた 松尾芭蕉は俳句で有名で伊賀出身で 小学生の頃はがっつりと俳句を作らされる 俳句はいやいや作らされたので 俳句番組は見ない 俳聖殿の中には過去の優秀な俳句が収められていたかな 上野城のお堀の高さ日本2位? 中学生の頃は上野城で体育の授業があったり クロスカントリーレースで走らされたり 高校生のデートも上野城が定番だったのか それらしき男女がイチャついていた 夜のライトアップは不気味なお城に見えた 一応、桜の名所なのかな 伊賀の街には銀座通りとか丸の内とか 東京で聞くような名称が多く使われている 地元のうわさでは東京が伊賀の真似をして 街を作ったとの話がよく出てくるから 誰か本気でテレビとかで調べてほしい気もする 2004年(平成16年)11月1日に 伊賀市に変わってから 上野市駅が忍者市駅になり 近鉄の電車だったのが伊賀鉄道になり 電車がコスプレになった 駅前には銀河鉄道999のメーテルと哲郎の銅像があり 産業会館がハイトピア伊賀になった 産業会館だった時にマルキンのパン屋が近くにあった そこのシナモンパンが子供の頃から大好きで 今はもう手に入らない もう一度���あのシナモンパンが食べてみたい 新天地もなんかおしゃれなサビれかたで 「新天地Otonari」となった 街は高校生の頃の面影は薄くなったけど 何となく残っている上野市街は今でも魅力的だ 最近は実家で一人暮らしのおかんの様子を見に よく帰省するようになったけど 若い頃は年一回も帰省しなかった 最近の伊賀でよく立ち寄るのが 「菓匠 桔梗屋織居」と 「HANAMORI COFFEE STAND」と 「岡森書店白鳳店」で 岡森書店は、Kマーホの名で出版した 「トイレの閃き」が背表紙の色が抜けた状態で 25年以上も本棚に置いてくれている これを見ると初心に戻れて まだまた創作していこうとがんばれる
市部という地区だったと思う 依那古第一保育所に5歳から6歳の2年間通った おかんは自分の送り向かいのために 自転車を乗る練習して そのおかんが運転する自転車の後ろに乗って 途中の田んぼに二人で落ちて 泥だらけになった 小学校までは上野市依那具にある 市営の城ケ丘住宅で過ごした この市営住宅はもう40年以上も その雰囲気を変えずに今でも残っている ここは伊賀市の文化遺産にしていいほどの時間が止まった場所だ いまだに汲み取り式の便所の換気の煙突が立ち並んでいる このカオスな感じは小学生の頃の不便な生活を思い出させる あの生活で暮らしたから今があるのは確かだ 小学校の通学路にある 垂園森でよく遊んだ 現在も存在しているが オバケが出そうな森 この森は当時通っていた依那古小学校の校歌の歌詞にも出て来る イメージ的には幽霊が出そうな森だけど 何か不思議な生き物が住んで居そうな森に見えた きつねも出そうだし おばけも幽霊も心霊も もしかするとタイムスリップして 小学生の頃に戻れそうな気もする森だと変な懐かしさを感じる 近くには無人駅の市部駅とにらめっこしている森 中学校から市街の上野城の 城下町で過ごした 当時はカオスな市営城ケ丘住宅から出れる事が本当にうれしかった 小学校までの友達とも飽きてしまっていたので寂しくはなかった 当時から色々な物にすぐに飽きては新しい物が好きだったので そっちのワクワク感で本当にうれしかった そして築20年以上の中古の一軒家で2階建て 自分の部屋がありトイレは汲み取り式だけど洋式で あこがれの上野の街で住める事もあって本当にうれしかった
そして近くの崇廣中学校に通う事に 中学校の3年間は 転校生という立場と 中一��足の骨折 中二で腕の骨折 どちらも遊んでいての骨折2回 中三の高校受験で いい想い出は無い
高校2年生で 小学校の時にサッカーで出会った 旧友とバンドを組んだ RCサクセションのコピーで 「雨上がりの夜空に」「トランジスタラジオ」 「ベイベー逃げるんだ」「サマーツアー」 「サントワマミー」「いけないルージュマジック」 「いいことばかりはありゃしない」 旧友が作ったオリジナル曲「ガレージの上のR&Rバンド」 一番のモテ期だった気がする ただバンドをやっている自分を見て 好意を寄せられても違うなと思った バンドをしていない時はただのバイトに明け暮れた 高校生だったから だからそういう人には興味がなかったから 冷たい感じだったかも 本当にこの時期がこれまでで一番楽しかった。
1993年 一人暮らしを始める やっと自由になった気がした 2年間ぐらいは金が無くて 通帳の残高は毎月マイナス50万 カツカツ生活 1996年7月から 2003年7月の 7年間は茨城県と千葉県の県境 利根川の近くに住んでいた この界隈を走るタクシー運転手の 態度は本当にムカつくから こっちも態度悪く乗ると 気分の悪さはお互いさまになる 関東平野は景色が無く ここでの生活は落ち着かなかった 食文化も人も気候も水も 肌に合わなかった 特にうどんの汁が濃いだけのシンプルな味は げんなりさせてもらった ただ寺原駅近くの「ふる川」はよく通った とくにカレーめちゃくちゃ美味かった
1997年から パソコンをミドリ電化で38万で購入して 作詞やネットに興味を持つ まどみちお詩集を読みだす 作詞に近い詩を書き始める 「Kマーホ」という名で 詩を書き始める 目標を300篇と決めて 詩を思いついたら メモをつけるようになる 週末は家に引きこもり 一日中、音楽を聴きながら パソコンがあるのに まだワープロで詩を清書していた
1998年から2002年まで 「Kマーホ」の名で 詩に団体に参加したり 詩の賞に応募したり 詩集を自費出版したり この当時参加していた詩の団体には もうドロドロとした 詩を書く人や あまりにも読み解けな���詩や 暴力的な人や いい人もいたけど 自分とは全然目指している方向が 違うので2年目ぐらいで辞めた それからは詩の団体に興味は無くなった それから 自費出版した詩集を 全国の小中学校や 全国の図書館へ寄贈して 活動を休止 理由は2000年に結婚してから 集中して詩を書く時間が無くなってき��から 2002年に2つの詩集を出版して 詩の事は全部段ボール箱へ入れた
2003年から2019年まで 育児に重点を置いて生活をする この時期は友達とも連絡を 切っていたので のちに死亡説や宗教説が出ていたらしい 2003年7月から 現在は静岡県在住 もう20年以上住んでいる
2019年 るんぺんパリ【RunPenParis】の名で 詩を書き始める SNSでの詩の発信を始める るんぺんパリ【RunPenParis】とは フランスはパリの街を ぺんを持って 走るという意味から 【RunPenParis】ができた 1973年8月1日生まれ(もう51歳) しし座 O型 右利き 詩・詩集・ことばをデザイン アート・写真・小説・ペン画 松尾芭蕉の生家がある伊賀市で 十代までを過ごし 俳句が幼少期から 身近に存在していた 二十代から詩を書き始めて 「Kマーホ」名で活動(1999-2002) 詩集6冊を出版して活動休止
その後 松尾芭蕉の俳句のような シンプルな言葉遊びを 詩で出来ないかと考えていた中で 令和元年(2019)に 「るんぺんパリ【RunPenParis】」の名で 活動を再開 SNSに140文字に 言葉をデザインした詩 「140文字詩」を 毎日投稿する活動を始める 2023年9月に140文字詩が 1200作品に到達した事で 「140文字詩」を全国へ さらに世界へと 俳句のように広く知られる 存在になって欲しい ◆るんぺんパリ【RunPenParis】作品一覧 【2023年】Amazonで販売 2023/12/27第2フォト集「ほちきす それでは あかんで」 2023/12/2 第1フォト集「とめても ええか ほちきすで」 2023/11/23 第16詩集「もあいの ねごとを よみとる」 2023/9/16 第15詩集「さんもじ もしくは よんもじ」 2023/9/9 第14詩集「のこりの あぶらは わるもの」 2023/9/2 第13詩集「あそびも しごとも たいふう」 2023/8/26 第12詩集「かいてきな しつどに おぼれる」 【2022年】Amazonで販売 2022/12/6 第11詩集「やくそくは よなかの おひるに」 2022/11/3 第10詩集「みさんがの ともだちの たまんご」 2022/10/7 第9詩集「くうきと さんその かつさんど」 2022/9/3 第8詩集「さついを こめた いもけんぴ」 2022/8/7 アート作品集「やさいに つめる にくえらび」 2022/2/14 アート作品集「よなかに ひかる かみぶくろ」 2022/1/1 第7詩集「みかんの むくちな きもち」 【2021年】Amazonで販売 2021/9/8 第6詩集「そんな ことばは さよなら」 2021/8/3 第5詩集「あさに おくれた なんて」 2021/6/5 第4詩集「すいかの たねの ちょうこく」 2021/5/31 第3詩集「たんぽぽの たまご ひとつで」 【2020年】Amazonで販売 2020/7/27 第2詩集「こよい こよりの そらから」 2020/3/2 詩小説「すきから あいへ おやすみ」 【2019年】Amazonで販売 2019/7/21 第1 詩集「ところで あした あいてる」 ◆Kマーホ 作品一覧(1999-2002) 【2002年】 2002/4/30 第6詩集「眠立体(ねむりったい)」 2002/4/4 第5詩集「コールサッ��」 【2000年】 2000/7/31 第4詩集「マガサス星人」 2000/1/31 第3詩集「おしりとサドルが あいますか」 【1999年】 1999/8/1 第2詩集「テレビジョン」 1999/5/1 第1詩集「トイレの閃き(ひらめき)」 【受賞】 2001年 詩「眠立体(ねむりったい)」第6回トワイライト文学賞 2000年 詩「永遠の親友」信越郵政局長賞 1999年 詩「トイレの閃き(ひらめき)」第1回万有賞 1998年 作詞「地球のウラハラ」第31回日本作詞大賞新人賞候補ノミネート
#runpenparis#art#paris#artist#artistreet#詩#vogue japan#るんぺんパリ#詩集#japan#140文字詩#アート#ペン画#伊賀出身#伊賀市#写真#自己紹介#三重県#詩小説#伊賀
3 notes
·
View notes
Quote
本項「NHKの不祥事(エヌエイチケイのふしょうじ)」では、NHK(日本放送協会)職員による業務に関わる不祥事や、業務外で行われた犯罪などのうち主なものについて記載する。また後段でNHKの組織的問題として批判を受けたものを挙げる。 目次 1 概要 2 職員による不祥事・誤報・放送事故など 2.1 2000年以前 2.1.1 「ムスタン」やらせ問題 2.2 2004年 2.2.1 番組製作費着服事件 2.3 2005年 2.4 2006年 2.5 2007年 2.6 2008年 2.6.1 インサイダー取引事件 2.7 2009年 2.8 2010年 2.9 2011年 2.10 2012年 2.11 2013年 2.12 2014年 2.12.1 「魂の旋律」事件 2.12.2 「出家詐欺」過剰演出問題 2.13 2015年 2.14 2016年 2.15 2017年 2.16 2018年 2.17 2019年 2.18 2020年 2.19 2021年 2.20 2022年 2.21 2023年 3 批判・訴訟など 3.1 2000年以前 3.2 2002年 3.3 2005年 3.3.1 NHK番組改編問題 3.4 2007年 3.5 2014年 3.6 2015年 3.7 2016年 3.8 2017年 3.8.1 記者過労死事件 3.9 2018年 3.9.1 「かんぽ生命」番組介入疑惑 3.10 2020年 3.11 2022年 3.12 2023年 4 脚注 4.1 注釈 4.2 出典 5 関連文献 6 関連項目 7 外部リンク 概要 編集 NHKの受信料制度は最高裁で合憲とする判決が確定しており、受信料納付が義務化しているが[1]、とくに2004年の番組製作費着服事件、またそれにつづく数々の不適切な経費処理の発覚で、その使途には視聴者からきわめて厳しい目が向けられるようになった。NHK側も公��処理に関する不祥事には厳格にのぞみ[2]、カラ出張やタクシー券の不正処理などの懲戒処分が素早く公開されるようになった。また職員による痴漢や軽微な窃盗なども、さまざまな情報に接しうるNHKという組織内部における規律の緩みのあらわれとして、細かく報道されるようになっている[3]。 さらにNHKは他の放送局同様、放送法によって「不偏不党」を求められており[4]、時の政府の意向と放送内容のバランスをどう取るかがつねに注目を集めるため、その判断が問題化しやすい。2005年の「NHK番組改編問題」は、その典型的なものである。 職員による不祥事・誤報・放送事故など 編集 業務外で行われた職員による不祥事等は、NHK職員・関連団体職員の事件として報道されたものに限って掲載する。 2000年以前 編集 1991年(平成3年)5月24日、松平定知アナウンサーが、泥酔してタクシーに乗車した際、運転手に対し自動車電話で殴って足蹴りするなどの暴行をしたことが報じられ、謹慎処分を受ける[5]。「ムスタン」やらせ問題 編集 1992年(平成4年)に放送された『NHKスペシャル』「奥ヒマラヤ禁断の王国・ムスタン」にやらせがあったと朝日新聞が報道、大きな問題となった。この番組では、高山病で苦しむ取材スタッフとして撮影・放送された映像が実際には演技だったなど、製作倫理上の問題が数多く指摘された。詳細は「奥ヒマラヤ禁断の王国・ムスタン」を参照 2004年 編集 番組製作費着服事件 編集 東京・渋谷にあるNHK放送センター(2016年)7月、番組制作局のチーフプロデューサーが巨額の製作費を着服していたことが『週刊文春』の報道で発覚[6]。着服額は約6200万円にのぼった。このチーフプロデューサーは1998年から2001年にかけて、知人の経営する企画会社に、実態のない業務名目で支出、それをキックバックさせて遊興費に使っていた[6][7]。NHK内部では不正を数年前に把握しながら放置していたことも発覚した。 この事件では、受信料が着服されたことや、不正の舞台に花形番組の「NHK紅白歌合戦」が含まれていたことなどから、大きな衝撃を与えた。不正を行ったチーフプロデューサーはNHKに刑事告訴され、2006年に詐欺罪で懲役5年の判決を受けて確定している。 NHKはこの事件に関して民事訴訟を3件起こし、チーフプロデューサーへの請求額は時効となったものも含め最終的に約1億4000万円にのぼった[8]。またこの事件が明るみに出た後、岡山放送局の放送部長が架空経費を着服していたことや、韓国のソウル支局長が業務発注の上乗せ請求が明らかになるなど、NHK内部のコンプライアンス違反が次々��報道された[7]。 この事件が発覚したあと視聴者からの批判は厳しさを増し、受信料の支払い保留・拒否件数は2004年から2005年3月頃までに約75万件にのぼった。収入のほとんどを受信料に依存するNHKにとって「開局以来最大の危機」とも指摘された[3]。 この着服事件に関して、9月11日、NHK総合テレビジョンとNHKラジオ第1放送で、1時間の謝罪番組が放送され、衆議院総務委員会の様子の一部が放送された他、海老沢も出演し謝罪した。また、同年12月4日放送の『NHKニュース7』でも、一連の制作費不正支出事件に関してのお詫び放送に出演した。 9月9日の衆議院総務委員会では海老沢勝二会長の参考人招致が行われたが、普段は国会中継を行うNHK総合テレビジョンが、この日だけは「編集権の問題」などとして中継せず、東京メトロポリタンテレビジョン(TOKYO MX)とテレビ神奈川が京浜地区で生中継を行った。 12月19日には『NHKに言いたい』というタイトルで、視聴者からの声を海老沢会長と外部の有識者の出演で放送。海老沢会長は、9月9日に衆議院総務委員会の参考人招致を生中継しなかったことを「判断ミスだった」と陳謝し、NHK再建に向けて取り組んでいくと表明した。しかし相次いだ不祥事で視聴者の信頼を回復できず、翌2005年1月25日にNHK会長を辞任した。2005年 編集 2月、NHKは解説主幹と国際放送局チーフプロデューサーの2名が、シンガポール支局に勤務していた際、不正な経費処理を行っていたとして、それぞれ懲戒処分にしたと発表[9]。解説主幹は1995〜1998年にかけて、チーフプロデューサーは1998〜2002年にかけて記者としてシンガポール支局に駐在。それぞれ契約カメラマンや外部スタッフの報酬を水増し処理していた[9]。NHKはチーフプロデューサーに対し、業務として使った裏付けが取れなかった262万円を弁済させた。解説主幹については、水増し額が特定できなかったが、本人が紛失したと申告していた取材費40万円の弁済をさせた[9]。 5月、「NHKニュース おはよう日本」などに出演していた放送総局の男性アナウンサーが、強制わいせつ容疑で逮捕。渋谷区富ヶ谷の路上で、女性に抱きついて胸を触るなどした疑い[10]。 5月10日に放送された『プロジェクトX〜挑戦者たち〜」の「ファイト!町工場に捧げる日本一の歌」にて、淀川工業高校元教諭高嶋昌二によるグリークラブ設立のエピソードが取り上げられたが、事実と相反する内容として批判を受け、後日NHKは学校に謝罪、同回は書籍版への掲載が見送られ、NHKオンラインからも削除された。 11月、大津放送局に所属する20代の記者が放火容疑で逮捕。同年4〜5月にかけて大津市内で発生した11件の連続放火、また6月の岸和田市内での放火事件のいずれも自分がやったと自供[11][12]。のちの捜査段階で心神耗弱と鑑定されたが、大津地裁で懲役7年の実刑判決を受けた。2006年 編集 12月、渋谷の放送センターに勤務する30代の男性職員が、千葉方面へ向かう総武線車内で男子大学生の尻をさわるなどして東京都迷惑防止条例で逮捕された[13]。2007年 編集 2月16日、NHK情報ネットワークの社員の私用パソコンがファイル共有ソフトWinnyを通じて暴露ウイルスに感染、「およそ130人分の外部の方の個人情報」(名前やメールアドレス、電話番号など)を含む取材情報が外部流出[14]。 9月16日放送の『NHK海外ネットワーク』において、インドの経済発展について特集した際、番組中で自動車を購入したとして紹介された農家の男性が、実際には購入していなかったことが発覚した。購入後に自動車で移動するシーンまで紹介されていたが、実際には販売店の指示で購入したように振舞っていただけだった。NHKは、2010年5月29日放送の同番組内で「確認が不十分だった」として、視聴者に謝罪した[15]。2008年 編集 4月、NHKがニュース番組で企業による風力発電のファンドが設立されたとの内容のニュースを放送するに当たり、札幌市在住の写真家が撮影した風車の写真を使用し放映したが、この写真使用に当たり、写真家が「写真を無断使用された」として、NHKや取材担当の記者を相手取り、札幌地方裁判所に訴訟を起こした。NHKは「事件報道では、出所表示の慣例や義務はない」と主張したが、2010年11月10日に同地裁は、「写真はファンド設立とは無関係」などとして著作権・著作者人格侵害を認定、NHKなどに対し約40万円の支払いを命じた[16]。1月30日、NHK経営委員会の菅原明子が社長を務める会社が所得隠しを指摘され[17]、経営委員職の辞意を表明。 3月28日、『ラジオ名人寄席』(ラジオ第1)で、音源の無断使用を指摘されたパーソナリティの玉置宏が降板し、番組が打ち切りとなった[18]。インサイダー取引事件 編集 1月17日、複数の職員によるインサイダー取引が発覚[19]。水戸放送局のディレクター、報道局テレビニュース部の製作記者、岐阜放送局記者の3名が、ニュース番組の制作現場で使用される局内共通の原稿端末などを利用し、特定企業に関する放送前の情報を入手、これをもとに取引を行って合計で106万円の利益を上げていた[19]。3名の職員は金融庁から課徴金を課されたほか、4月10日付で懲戒免職となった[20]。 この事件はNHKの職員が業務で知った情報を悪用したケースとして大きく報道されたほか、他の新聞社などがもっている報道関係の職員による株取引を禁止する���業規定が、NHKには経済部などをのぞき存在しなかったことも、驚きをもって受けとめられた[21]。 NHKは全職員を対象にした実態調査を行い、この過程でさらに81人が勤務中に株取引を行っていたことが判明[20]。加えて1100名が調査協力を拒否しており、NHK組織内の規律の緩みが厳しく批判された[20]。以後NHKは報道端末を扱う職員に対して「株取引の禁止」への同意を義務づけるようになった[22]。詳細は「NHK職員によるインサイダー取引事件」を参照 2009年 編集 3月5日、『クローズアップ現代』の取材中、外部プロダクションのカメラマンが関西本線の線路からほとんど離れていない場所に三脚を立て、列車の運行を妨害した[23]。 4月、『NHKスペシャル』「日本海軍400時間の証言」の中国でのロケに参加していた映像制作会社所属の男性が、現地での中国共産党関係者が開いた宴会で、中国流の「乾杯」で、アルコール度数の極めて高い酒を何度も飲まされて泥酔状態に陥り翌日、嘔吐物を喉に詰まらせ死亡した。死亡男性の両親は、渋谷労働基準監督署に遺族補償一時金や葬儀代などの支払いを求めたが却下されたため、東京地裁に提訴。2014年3月18日に同地裁は「中国人参加者の気分を害しないようにするためには、大量の飲酒は断れなかった」として、労働災害に当たるとの判決を出した[24]。 10月8日、NHK京都放送局の記者が、Winny事件の京都地方裁判所での公判中に、被告である金子勇(のちに最高裁で無罪が確定)に対して送った手紙の内容[注 1]について、担当の壇俊光弁護士が「デスノートの『魅上』並の狂気。露骨な弁護妨害だ。」とブログで批判し[25]、NHKは「不適切だった」と謝罪した[26][27][28][29][30]。2010年 編集 7月2日、NHKの関連団体・NHKサービスセンターで派遣社員として勤務していた女性について、名目は専門業務派遣だったにもかかわらず、実際は庶務的な一般の職務に就かされていたとして、東京労働局が同サービスセンターに対し「偽装派遣である」として指導を行い、同センターが直接雇用に切り替えていたことが判明した[31]。2011年 編集 8月、40代の青少年・教育番組部チーフプロデューサーが、小田急線車内で会社員女性のスカート内をカメラ付きの携帯電話で盗撮した疑いで現行犯逮捕された[32]。 10月17日、情報番組『あさイチ』内で、東日本大震災による福島第一原子力発電所事故の影響で発生した放射性物質に関して、食事に含まれるセシウムの放射線量について、誤った数値を放送していた[33]。2012年 編集 2月16日、松山放送局が放送した『おはようえひめ』で、実際には発生していない偽事件のテロップ『窃盗の疑い 愛媛大学教授逮捕』が約2秒間流れた。職員の操作ミスによって、放送試験用の字幕が誤って放送された[34]。この事故の原因調査の過程で、同局の原稿閲覧システムをアクセス権限のないアルバイトが日常的に操作してきた疑いが出ている[35]。 3月4日、BSプレミアムで放送の『晴れ、ときどきファーム!』において、2月6日の番組収録の際、MAXのメンバー3人が軽自動車の運転席と後部座席に乗り、東京都内から千葉県内のロケ地へ向かう車内の様子を助手席から撮影していたが、この際、運転席と助手席のヘッドレストが邪魔になると番組ディレクターが判断し、外して走行した。3月26日の再放送の後、視聴者から問い合わせがあり発覚。NHKはこの件で、警視庁代々木署から道路運送車両法違反で注意を受けた[36]。 5月1日、鹿児島放送局がNHK受信料の契約業務などを委託している請負会社の契約社員が、鹿児島県の霧島市の男性の衛星放送受信契約書を偽造していたことが発覚した。男性の口座からは、半年分のデータを偽造されたNHK-BS放送が含まれた受信料を、銀行口座から引き落としていた。鹿児島放送局と委託会社が男性に謝罪し、NHK受信料は返還された[37]。 11月、放送総局に所属する40代の男性アナウンサーが電車内で女性の胸をさわったなどとして、強制わいせつの疑いで現行犯逮捕。男性はニュース番組「おはよう日本」の週末・祝日キャスターなどを務めていたため大きく報道された[38]。翌12月、東京地検は被害者側の告訴が得られなかったとして不起訴処分とするが、NHKは男性キャスターに3か月の停職処分を下した[39]。2013年 編集 名古屋放送局が、4月1日から8月19日にかけて放送した東海・北陸地区向けの天気予報において、三重県の津市と岐阜県の岐阜市の予報表示が入れ替わっていたことが明らかになった。コンピュータシステムのプログラム更新の際に設定ミスがあったことが原因だった[40]。 6月26日から7月19日にかけ、総合テレビとEテレで、EテレをPRする目的で流した映像について、1秒間につき3回までと定められている光点滅ガイドラインの基準を超える、計8回の光点滅を含む映像が計45回流された[41]。 10月16日、NHK放送技術研究所の主任研究員が音響設備会社に架空発注を行い、約280万円を振り込ませる、百数十万円相当の物品を受け取っていたなどして、同職員を懲戒免職処分とし、詐欺罪の疑いで警視庁に刑事告訴すると公表した[42]。2014年 編集 「魂の旋律」事件 編集 2月5日発売の『週刊文春』2月13日号が、当時盲目の作曲家として注目を集めていた佐村河内守を取りあげ、実際には佐村河内が視力を失っておらず、自作として発表された曲の大半も別人の作曲だったと暴露した(「全聾の作曲家はペテン師だった!」)。のちに佐村河内は会見を開いてこの事実を大筋で認め、実際の作曲を行っていたのが新垣隆であることも明らかになった。 佐村河内の人気を押し上げるきっかけの一つとなったのがNHKが前年2013年の3月に放送した「魂の旋律 音を失った作曲家」だった。この番組は佐村河内が自ら作曲を行う内容で構成されており、暴露報道によって、その大半が否定されることとなった。「魂の旋律 音を失った作曲家」はNHKオンラインから大部分が削除され、NHKオンデマンドでは映像配信が停止された。 詳細は「魂の旋律 音を失った作曲家」を参照 「出家詐欺」過剰演出問題 編集 5月に放送された『クローズアップ現代』(追跡 “出家詐欺” ~狙われる宗教法人~)で、多重債務者が出家して融資を受ける「出家詐欺」のブローカー役が出演したが、これが大阪放送局の男性記者による捏造だったと『週刊文春』が報道[43]。NHKは調査を行い、番組に「過剰な演出」があったと認めて、男性記者を停職3か月の懲戒処分とした。これを受けて『クローズアップ現代』でも当時の国谷裕子キャスターが番組内で謝罪した[43]。詳細は「クローズアップ現代#問題を指摘された事項」を参照 2015年 編集 2015年1月2日、籾井会長が私的にハイヤーでゴルフ場に出かけた際、乗車代金がNHKに請求されていたことが内部通報で明らかになった。 NHKの子会社であるNHKアイテックの本社と千葉事業所の社員計2人が、実体のない会社に対し、受信施設の工事や業務などの架空発注を繰り返し、計約2億円を着服していたことが12月17日に明らかになり[44]、2人は2016年2月に懲戒免職、2016年12月逮捕[45]、2017年1月再逮捕[46]、東京地裁で2017年4月東京地裁で懲役2年2カ月の実刑判決[47]と2018年3月懲役4年の実刑判決[48]が下った。2016年 編集 1月29日、さいたま放送局が「埼玉県警察の記者クラブに所属する記者3人が1年余りに渡り、業務用タクシーチケットを友人との会食など私的な移動に使用していた」として、31歳の記者を諭旨免職(約36万円分)、23歳の記者を停職1ヶ月(約12万円分)、29歳の記者を出勤停止5日(6,850円分)としたほか、管理・監督責任のある放送局長や放送部副部長など上司5人も3日から14日の出勤停止とした[49]。2017年 編集 1月、横浜放送局営業部に所属していた40代の男性職員が、受信料数十万円を着服していた疑いがあると発表した。職員はNHKが調査を進めていた2016年10月中旬に死亡したという。NHKによると、職員は2015~2016年、受信契約に関する架空の伝票を複数回にわたって作成。受信料を先払いしている受信契約者の個人情報を悪用し、契約を解除したように装うなどして、払戻金を着服していたとみられる。NHK広報部は、個人情報を悪用された契約者への影響は「ない」とし、今後も調査を続け被害額を確定させた上で、遺族らに弁済を求める方針である。NHKは「誠に遺憾であり、再発防止に努めてまいります」としている[50]。 2月、山形放送局に勤務する20代の男性記者が強姦致傷などの罪で逮捕された[51]。男性記者が山形、および前任��の山梨(甲府放送局)の両県で2013〜2016年に女性3人の自宅に侵入、性的暴行を加えた疑い。男性記者は逮捕後に懲戒免職され、2018年に山形地裁は「常習性が高く、反省の態度が見られない」として懲役21年を言い渡した[52]。 警視庁調布警察署は3月30日、強制わいせつ容疑でNHKが業務委託する会社の社員を逮捕した[53]。2016年11月14日、NHK受信料の契約のために訪れた調布市内のアパートで、犯行に及んだとみられる。2018年 編集 2016年及び2017年の紅白歌合戦の責任者を務めていたNHK制作局エンターテインメント番組部元部長の50代の男性職員が、女性職員にセクシャルハラスメントをしたとして、8月に停職3ヵ月の処分を受けていたことが判明した[54]。 オウム真理教の後継団体であるアレフの取材をしていた札幌放送局のディレクターが、住民らへのインタビューを録音したデータの含まれたサイトを、アレフ本部へ誤送信していたことが明らかになった[55]。 同局のバラエティ番組『テンゴちゃん』の制作の委託を受けている会社が、街頭インタビューの映像などの含まれたファイルを、誤ったメールアドレスに誤送信していたことが明らかになった[56]。 帯広放送局の51歳の技術部副部長が、単身赴任手当など524万円を不正に受け取っていたとして12月11日付で懲戒免職処分にした[57]。2019年 編集 2018年に放送したNHKワールド JAPANのドキュメンタリー番組『Inside Lens』で、家族や友人などの代役を派遣するサービスについて取り上げたが、サービスを運営する派遣会社のスタッフが利用客を装って出演していたことが明らかとなり、5月29日の記者会見で謝罪した[58]。 6月、NHKは、放送総局大型企画開発センターの40代の男性チーフ・プロデューサーが、2月に強制わいせつの疑いで逮捕されていたと発表した[59]。東京都練馬区の歩道で、徒歩で帰宅途中だった40代女性の肩をつかんで押し倒した後、わいせつな行為をした疑い。男性はAI(人工知能)を活用した特別番組を担当していた。 2019年9月18日に放送した「アッキー&ヤナギーがゆく���もっと知りたい沖縄・石垣島」において、石垣島の陸上自衛隊施設の予定地付近に、農業用水に使用されている川があることに対し、配備予定地から約1.6km離れた農業用ダムの水源の映像に併せて、石垣島の水道水の8割を賄っていると、誤った発言やテロップを流した。これに対し、沖縄県の石垣市議会は抗議決議を可決した。NHKは川が農業用水であるとを承知しており、配慮すべきだったと釈明した[60]。 2019年12月27日、NHKニュースサイトなどで「北朝鮮のミサイル 海に落下と推定」などとする誤報を流した。その後、NHKは速報を取り消し、TV放送などで訂正・謝罪した。「ミサイル発射対応訓練中に、誤って放送ボタンを操作したことによるミス」と説明された[61][62]。2020年 編集 2020年6月7日放送の「これでわかった! 世界のいま」で、���人男性が白人警察官から暴行を受け死亡した事件に端を発した2020年ミネアポリス反人種差別デモなどについて、アニメーション映像で解説が行われたが、この内容について有識者などから「差別を助長する」「問題の実態を正確に表していない」などの批判が多数寄せられ、ジョセフ・ヤング駐日米国臨時代理大使は「侮辱的で無神経」と批判した[63]。NHKはこの件について謝罪し、配信動画を削除した[64]。詳細は「これでわかった! 世界のいま#不祥事」を参照2021年 編集 2021年5月30日放送の『将棋フォーカス』において、一部コーナーで外部サイトの説明文をそのまま無断引用する形で同番組のナレーションに使用していたことが後日判明し、ホームページにて謝罪した[65]。これを受けて、同サイトの運営者はNHKを相手取り裁判を起こしていたが、東京地方裁判所は2022年9月に請求棄却の判断を出した[注 2][66][67]。 2021年12月26日にBS1スペシャル「河瀬直美が見つめた東京五輪」が放送された際、番組内のインタビューで表示された「五輪反対デモに金をもらって参加した」とする字幕について、翌2022年1月、制作した大阪放送局は誤りだったと発表して謝罪した[68][69][70][71]。この問題はのちに放送倫理・番組向上機構(BPO)の放送倫理検証委員会が制作関係者などへの聞き取りをもとに審議し、2022年9月に「重大な放送倫理違反があった」と結論づける見解を公表した[72]。委員会によると、聴き取りに対し、番組制作に関わったほぼ全員が「デモや社会活動に関心がなかった」と答え、「デモの参加者にお金が支払われることに違和感を抱かず、報道価値も感じなかった」と話したスタッフもいた[73]。委員会はNHK側の事後対応の「不誠実さ」と合わせ、「NHK全体の信頼を毀損しかねないものだった」と厳しく批判した[73]。詳細は「BS1スペシャル#不祥事」を参照2022年 編集 NHKが関連会社であるNHKテクノロジーズに対して発注した和歌山県の高野山テレビ中継放送所の更新工事を行った際に小型運搬車で資材を搬入する目的で和歌山県や高野町の許可無く、世界遺産である「紀伊山地の霊場と参詣道」構成資産の高野参詣道女人道の路肩や階段を一部破損し、文化財保護法違反にあたるとの指摘が寄せられたことを受けて、4月15日に謝罪すると同時に工事を一時中断した[74][75][76]。 6月1日、取材の移動のためだと偽って旅行会社から乗車券と特急券計120枚(販売価格計約105万円)を詐取したとして、NHKの子会社であるNHKグローバルメディアサービスの元社員が詐欺容疑で逮捕された。同様の手口を繰り返し、2017年7月~21年10月に計780回、総額約1億8千万円の不正な購入をしていたとみられている[77]。 6月8日に尾瀬国立公園において、同月19日にBSプレミアムで放送予定の番組撮影として、撮影スタッフが同公園内の木道を通行止���にした状態で撮影を行った[78]。同公園を管理する関東地方環境事務所によれば、NHK側は「ドローンの撮影がメイン」としていた[78]。 6月24日、NHKは国際放送局に所属する50代男性の管理職職員を24日付で諭旨免職にしたと会見で発表した[79]。この職員は海外特派員だったこともあり、チーフ・リードと呼ばれる管理職だった。2019年6月から22年1月にかけて、まだ公共交通機関が動いている時間帯に帰宅のためタクシー券を使ったり、日帰り旅費の電車代を虚偽の理由で請求するなど、合計70万3728円の不正を働いていた[80]。男性は不正を認め、全額弁済したと発表されている[81]。管理・監督責任で国際放送局局長など管理職5人も懲戒処分となった[82]。2023年 編集 2月20日、札幌放送局に勤務していたアナウンサー船岡久嗣が同僚女性アナウンサー邸宅への侵入容疑で警視庁に逮捕された[83]。この事件により船岡はストーカー規制法に基づく禁止命令を受けた後、不起訴となったものの、NHKは4月21日に「公共メディアの職員として社会的信用を大きく損なった責任は重い」として船岡を諭旨免職処分とした[84]。 5月15日放送の『ニュースウオッチ9』で、「新型コロナ5類移行一週間・戻りつつある日常」と題したVTRを放送。その中でインタビューに応じた患者遺族3人は、患者がいずれもコロナワクチン接種後に死亡していたにもかかわらず、そのことに関して訴える発言をカットして放送していたことが発覚。翌日の放送分で田中正良らキャスターが事実を認め、謝罪するコメントを発表した[85]。 6月13日、独ソ戦を取りあげたドキュメンタリー番組『映像の世紀 バタフライエフェクト』(5月22日放送)の中に誤りがあったとNHKが発表した[86]。発表によると、番組中でスターリンのものとして紹介した発言がまったく別人のものだったほか、複数の誤りが見つかった。放送後にSNSなどで専門家から批判が集まっていた。NHKは6月11日に誤りを修正して再放送したが、番組中では修正の有無は触れず、番組ホームページで謝罪したのみだった[87]。 6月19日、1955年に放送された、長崎県の端島炭坑(通称:軍艦島)を紹介した番組『緑なき島』を巡り、NHK幹部が自民党会合で、坑内とされる映像の撮影に使われたフィルムは放送と同じ年の30年製だったと説明したことが分かった[88][89][90]。特命委員長の有村治子参院議員によると、出席したNHKの担当者は今後この映像を使用しない方針を示したとされる[89]。韓国メディアが朝鮮半島出身者が戦時中に軍艦島で強制労働させられた証拠としていたがその根拠が崩れることとなった[90]。 8月9日、水戸放送局はかつては茨城県内で開催されていたものの、新型コロナウイルス感染対策などの観点から2022年から会場を千葉県に移して開催していた野外音楽フェス「ROCK IN JAPAN FESTIVAL」を2024年は茨城県ひたちなか市の国営ひたち海浜公園でも開催することを独自報道として報じた[91]。しかし、同イベントの総合プロデューサーである渋谷陽一はNHKに対して「公式と同時に発表することを要望していたにも関わらず、全く聞いてもらえなかった」として、同局の姿勢を批判した。同月10日、水戸放送局は「(同イベントの)開催について、関係者の皆様が様々な調整を重ねてこられた実情をくみ取り切れていなかった」として、謝罪した[92][93]。 批判・訴訟など 編集 職員の不祥事ではないがNHKの組織的問題等として報道された事件・事故、またNHKが関連する訴訟など。NHK側が問題性を否定しているものも含む。 2000年以前 編集 1969年(昭和44年)、前田義徳会長が「長い髪の毛のグループ・サウンズは出演させない」と発言し、国会で参考人招致される。 1976年(昭和51年)8月24日、小野吉郎会長がロッキード事件で逮捕された田中角栄前首相を保釈後に見舞ったことが問題となる。小野会長は、日本放送労働組合の運動などにより辞任に追い込まれた。 1981年(昭和56年)2月4日、『ニュースセンター9時』の特集「ロッキード事件5年の真実」で、三木武夫元首相の発言が島桂次報道局長の指示によりカットされ国民から批判される。 1989年(平成元年)4月、池田芳蔵会長がNHK幹部から言語不明瞭と批判されて辞任した。 1991年(平成3年)7月、島桂次会長が野中広務から国会虚偽答弁の責任を追及され、引責辞任した。同時に海老沢勝二専務理事も解任された。(海老沢は後に復帰し、副会長に就任。)2002年 編集 4月28日に放送された『NHKスペシャル』「奇跡の詩人」では、重度の脳障害を抱えた少年が文字盤にある文字を母親の補助で指すことによって他の人とコミュニケーションを図るという内容であったが、子供が居眠りをしたりしている間も正確に文字盤を指しているなど、不自然な場面が多々見られるという指摘がなされ国会でも取り上げられた[94]。NHKは釈明放送を行い、児童が自分で文字盤を指しているように見えたので児童の意思であると結論付けたが、放送終了直後関連書籍を発行した講談社とのタイアップ疑惑も指摘された[94]。この疑問を巡っては『異議あり! 「奇跡の詩人」』という批判本も出版された。詳細は「奇跡の詩人」を参照 2005年 編集 NHK番組改編問題 編集 1月、従軍慰安婦問題を扱った番組『ETV特集』(2001年1月放送)で、番組を担当したプロデューサーが会見を開き、自民党議員による政治的圧力で当初の番組内容が改変されたと告発。また同時期に朝日新聞も、この議員らが事前にNHK幹部を呼びつけて圧力をかけた結果、番組の内容がねじまげられたと報じた。両議員とNHK側は、ともに報道を完全に否定し、NHKと政治の関係をうかがわせる事件として大きな注目を集めた[95]。 番組に出演・協力した市民団体などは、当初説明されたのとは全く異なる内容が放送された���してNHK側を提訴した。控訴審では原告側の訴えを一部みとめ、NHKなどに損害賠償を命じたが、最高裁判決はこれを破棄し、原告側の敗訴が確定した[96]。一方で「放送倫理・番組向上機構(BPO)」放送倫理検証委員会は、市民団体から提議をうけてこの問題を審議し、NHKに放送倫理上の問題があったことを認めた[97]。詳細は「NHK番組改変問題」を参照 2007年 編集 2007年9月12日、NHK関連33団体の2005年度末の余剰金が、計886億8800万円に上ることが、会計検査院の調査で判明し、改善を求められた[98]。2014年 編集 2014年7月23日、STAP細胞論文問題の渦中にいた理化学研究所の小保方晴子を取材をした際、小保方が肩や右肘などに負傷したことが発覚した。理化学研究所は翌24日に、NHKに対し文書で抗議を行なった[99]。 2014年1月25日に会長に就任した籾井勝人が、就任記者会見において「個人的」と前置きした上で、NHKの放送内容が「日本国政府と懸け離れたものであってはならない」などと発言したと報じられた[100][101][102][103][104]。市民団体から報道機関としての役割を歪めているなどと批判を浴び、また衆議院予算委員会に2度にわたり国会に召喚される事態に発展した。外国メディアからも「NHKが国営放送・大本営発表化しつつある」などと報道された[105]。詳細は「籾井勝人#発言」を参照2014年2月、浜田健一郎経営委員長が「(経営委員は)経営委員服務準則[106]に則り節度を持って言動を行うべき」と異例の見解を出した[107]。これは2014年東京都知事選挙において、経営委員の百田尚樹が田母神俊雄を推して他候補を批判したことや、また経営委員の長谷川三千子が、活動家の野村秋介が1993年に朝日新聞東京本社を訪れて自決したことを称えて、この行為によって天皇が「再び現御神となられた」などと述べたことが念頭にあったとされる。これらの発言に関しては衆議院予算委員会で集中審議が行われたほか、NHKが駐日アメリカ大使のキャロライン・ケネディにインタビューを申し込んだところ、百田の極東国際軍事裁判や南京事件を否定する発言、籾井会長の慰安婦に関する発言を理由として、駐日アメリカ大使館が難色を示していたことも判明した[108]。詳細は「百田尚樹#政治・思想・歴史認識」および「長谷川三千子#主張」を参照 2015年 編集 NHKが、子会社9社と共に、NHK放送センター近くの渋谷区内の土地を共同購入する計画を立て、子会社が約350億円で落札したが、この計画について、NHK経営委員会に諮っていないことが新聞報道で判明[109]。経営委員から報告を求められたNHKは、計画を撤回する方針を決めた[110]。2016年 編集 2016年8月18日の『NHKニュース7』で、子どもの貧困問題をテーマとした神奈川県主催の講演会を放送、女子高校生が実名で窮状を訴える様子を伝えた[111]ところ、インターネット上で、画面に映っていた画材や携行品が「貧困」とい��には不釣り合いなため「NHKによる捏造」などとする批判が起きた。個人情報がさらされるなど広範なバッシングに発展し、参議院議員片山さつきがSNSで「NHKに説明を求める」などと発表した[112][113]。NHKは「放送内容は、すべて事実に基づくもの」[114]と捏造疑惑を否定。講演会を主催した神奈川県の担当者は「『相対的貧困』と『絶対的な貧困』の混同」と述べて片山らの動きを批判した[114][115]。2017年 編集 2017年2月10日、放送倫理・番組向上機構(BPO)の放送人権委員会は、2014年7月27日に放送された番組『NHKスペシャル 調査報告 STAP細胞 不正の深層』について、真実性・相当性の認められない疑惑の指摘と受け取られる編集になっており、申立人である小保方の名誉を毀損し人権を侵害したと認め、再発防止を勧告した[116]。これに対しNHKは、番組内容は客観的事実に留まるとして人権侵害を否定した[117]。記者過労死事件 編集 10月4日、『ニュースウオッチ9』が2013年にNHK職員が過労死していたと放送。この職員は首都圏放送センター所属の31歳の女性記者で、うっ血性心不全による過労死、2014年に労働災害に認定されていた[118][118]。東京都議会議員選挙や参議院議員通常選挙の取材に携わっていたおり、時間外労働時間は死亡直前の1か月間が159時間37分、5月下旬から1か月間が146時間57分に及んでいたという。死後4年もたってからの放送となったのは、NHK側の対応に不満をもった遺族が事実を公表したためとみられている。放送につづいて、上田良一会長が記者の両親宅を訪問して謝罪した。 放送が遅れた理由についてNHKは「遺族の要望で公表を控えていたため、報道しなかった」と説明したが、遺族は「NHKの説明は間違いである」と、厚生労働省での記者会見でさらに批判した[119]。NHKに対しては、遺族が事実を公表しなければ情報を隠蔽しつづけたのではないか、なぜ『NHKニュース7』など他の番組では放送しなかったのか、といった批判が集まった[120]。 本件により、NHKはブラック企業大賞2017年度ウェブ投票賞を受賞した[121]12月14日、女性記者の過労死事件を受けて、4月1日から記者職を対象に導入した専門業務型の裁量労働制について、渋谷労働基準監督署から指導を受けた[122]。 2018年 編集 「かんぽ生命」番組介入疑惑 編集 2018年4月に「クローズアップ現代+」で、かんぽ生命保険の不正契約問題を先んじて報じた「郵便局が保険を“押し売り”!?」を放送したところ、日本郵政グループから動画削除の申し入れなど複数回の抗議があり、同年10月にNHK経営委員会より上田良一NHK会長が議事録非公開の場で厳重注意処分を受けるとともに、インターネット上の関連動画の削除や続編放送の延期などの対応が取られたことが、2019年9月に毎日新聞のスクープ報道で明らかになった[123][124][125][126]。 NHK経営委員会の石原進委員長は厳重注意について、郵政側とのやりとりの中で番組担当者が「制作の責任は会長にはない」などと間違った説明をしたことについて会長に対応を求めたもので、番組への介入意図はないとコメントした[127]。また、処分についてNHK経営委員会の議事録に記載がなされなかった��[128]、これに関し追及を受けた森下俊三NHK経営委員長職務代行者は議事録について「内規で非公開としている」と答えた[129]。 日本郵政の長門正貢社長は同月、NHKの番組内容が事実であったことを認め、抗議や申し入れについて陳謝した[130]。一方、元総務事務次官の鈴木康雄日本郵政上級副社長はNHKを暴力団に例えて批判を続けたと報道された[131]。 2020年 編集 2020年5月6日のNHK NEWS WEBは「防衛省はイージス・アショアの秋田県新屋演習場への配備について、住宅地との距離や地元の反対を理由に事実上断念し、別の候補地を検討する方針を固めた」と読売新聞オンラインに後続して報じたが河野太郎防衛相や菅義偉官房長官は断念はしておらず、ゼロベースの検討下であるとしてこれら報道を否定し、防衛相はフェイクニュースと非難した[132][133]。6月15日、防衛省は山口県むつみ演習場内へのブースター落下が困難であることを理由として、秋田・山口両県への同システム配備プロセスの停止を発表したが、防衛相は自身のブログで、この決定と5月6日の報道は無関係であると回答している[134][135]。2022年 編集 知床遊覧船沈没事故に関し、兵庫県在住の犠牲者遺族への取材を巡り、兵庫県警記者クラブにおけるメディアスクラム防止の申し合わせに反し、幹事社であるNHKはこの遺族に対して個別取材を行い、その際に記者に遊覧船会社の遺族らに対する説明会での情報・資料を「記者クラブ全社で共有してほしい」と託されたにもかかわらず、5月5日に「独自スクープ」として報道。同記者クラブにはこの遺族からの抗議が寄せられ、NHKはこのことについての説明責任を果たそうともしなかったことから、同月27日に記者クラブの総会で「幹事社業務を怠り、遺族と報道機関との信頼を損ねた」「説明責任を尽くさず、クラブの品位を傷つけた」としてNHKの除名が決定。今後はクラブ主催・共催の記者会見に出席できなくなり、クラブ内のブースも使用できなくなる。なおNHK側は同月30日にはクラブから退去しているという[136][137]。 9月、NHKが会見を開き、首都圏放送センター(現在の首都圏局)の都庁キャップを担当していた40代の男性管理職が2019年10月に死亡し、渋谷労働基準監督署から2022年8月に労働災害認定を受けていたと発表した。過労死とみられている[138]。NHKは会見で「長時間労働による負担があった」と認めて謝罪[138]、男性の遺族は「職員の命を奪うほどの長時間労働を認める組織風土」を強く批判した[139]。2023年 編集 2022年7月頃から当時のNHK会長である前田晃伸の下でインターネット同時配信サービス「NHKプラス」の配信対象波にBS放送も加える計画を秘密裏に進め、まだ関連規則などが改正されていないにもかかわらず、2023年3月に国会にて承認された同年度のNHK予算にその関連費用が計上されていたことが発覚したため、この計画を白紙撤回すると共に謝罪した[140][141][142][143]。 脚注 編集 [脚注の使い方] 注釈 編集 ^ 「悪��がきをすればするほど、あなたの評価は下がる一方だ」「仮に有罪判決になってもインタビューに出て世間に本音をさらしたことで執行猶予がつくのは間違いない」「逆に無罪を主張し続ける限り、減刑の余地はなく、実刑になる可能性も否定できない」などと書かれていた。 ^ なお、外部サイトの運営者(原告)は人格権の侵害(精神的苦痛、名誉毀損)のみを主張し、著作権侵害については訴訟の対象として争ってはいないことに留意する必要がある。 出典 編集 ^ “最高裁大法廷,放送法の受信料制度を合憲と判断|NHK放送文化研究所”. NHK放送文化研究所. 2022年8月24日閲覧。 ^ 日本放送協会. “職員の不祥事についての公表の考え方を知りたい”. 職員の不祥事についての公表の考え方を知りたい. 2022年8月24日閲覧。 ^ a b 韓永學「NHKの危機と放送法制に関する一考察」(『北海学園大学法学研究』41 (1), 2005) ^ 日本放送協会. “「公平・公正」、「不偏不党」とは具体的にはどういうことか”. 「公平・公正」、「不偏不党」とは具体的にはどういうことか. 2022年8月24日閲覧。 ^ “プレイバック芸能スキャンダル史 元NHKアナ松平定知 タクシー運転手を暴行した“殿”のご乱心”. 日刊ゲンダイDIGITAL. 日刊現代 (2012年12月10日). 2017年8月11日閲覧。 ^ a b 「週刊文春」編集部 (2019年4月11日). “NHK紅白プロデューサーが制作費8000万円を横領していた!――「もう一度読みたい、あのスクープ」”. 週刊文春 電子版. 2022年8月22日閲覧。 ^ a b 知恵蔵. “NHK番組制作費着服事件とは”. コトバンク. 2022年8月22日閲覧。 ^ “NHK「紅白詐欺」で1・4億円請求確定 - 芸能ニュース”. nikkansports.com. 2022年8月22日閲覧。 ^ a b c 『東京新聞』2005年2月10日 ^ “産経新聞 ENAK 強制わいせつでNHKアナウンサー逮捕”. www.sankei.co.jp. 2022年8月22日閲覧。 ^ 『東京新聞』2005年11月9日 ^ “2005年の忘れられない重大事件”. TURACO、旅と日常を綴る (2011年10月28日). 2023年6月12日閲覧。 ^ “NHK職員が男子大学生に痴漢で逮捕”. J-CAST ニュース (2006年12月18日). 2022年8月24日閲覧。 ^ 報道発表。 ^ 「自動車購入農家、実は買ってなかった」NHK謝罪 3年前のインド特集で 産経新聞 2010年5月29日 ^ NHKに40万円支払い命じる…写真無断使用で 読売新聞 2010年11月10日 ^ 「NHK経営委員経営の会社が所得隠し・東京国税局指摘」日経ネット 2008年1月30日。 ^ 「NHKが音源無断使用「ラジオ名人寄席」を打ち切り」産経新聞 2008年3月28日。 ^ a b NHK広報局 「職員の株取引を巡る証券取引等監視委員会の調査について」日本放送協会、2008年1月17日。 ^ a b c (『読売新聞』2008年8月28日) ^ (『読売新聞』2008年1月18日) ^ “記者らの株取引を原則禁止/NHK、防止規程を制定”. 四国新聞社. 2022年8月28日閲覧。 ^ NHK番組撮影中、電車止める 線路から2.5メートルに三脚 産経新聞2009年3月7日 ^ 中国ロケで泥酔し死亡、労災認定 元NHKスタッフ 朝日新聞2014年3月20日 ^ 壇俊光 (2009年10月6日). “ブログとメディアと”. 2014年6月23日閲覧。 ^ NHK記者が公判中のウィニー開発者に手紙「無罪主張なら減刑ない」 ^ 無罪判決の「Winny」開発者に、NHK記者が「無罪主張は悪あがき」などと記した手紙 ^ 取材要請の手紙で「悪あがき」=NHK記者、ウィニ-開発者に ^ 「無罪主張は悪あがき」…NHK記者、ウィニー開発者に ^ NHK記者、ウィニー開発者に“不適切”な手紙 ^ 偽装専門職:NHK関連法人に派遣、労働局指導受け直接雇用 毎日新聞 2010年7月3日 ^ “NHK職員を盗撮容疑で逮捕”. 日本経済新聞 (2011年8月8日). 2022年8月24日閲覧。 ^ NHK:情報番組でも謝罪…セシウム測定ミス 毎日新聞 2011年11月25日 ^ NHK:松山放送局、字幕で誤報 毎日新聞 2012年2月16日 ^ NHK:権限のないバイト、原稿端末を操作…松山放送局 毎日新聞 2012年2月25日 ^ 車内のヘッドレスト外させ運転 NHK 「MAX」出演の番組 警視庁が注意 産経新聞 2012年4月24日 ^ NHK鹿児島の委託社員が契約書偽造し受信料を徴収 産経ニュース 2012年5月13日 15:36 ^ “NHK「おはようニッポン」森本アナ 痴漢で逮捕 - スポニチ Sponichi Annex 芸能”. スポニチ Sponichi Annex. 2022年8月22日閲覧。 ^ 『日本経済新聞』2012年12月11日 ^ NHK予報ミス:三重の少雨 岐阜との差目立たず長期化? 毎日新聞 2013年8月21日 ^ NHK、PR映像で光点滅の基準超え 産経新聞 2013年7月26日 ^ NHK主任研究員、架空発注で懲戒免職、詐欺で告訴へ 産経ニュース 2013年10月16日 ^ a b INC, SANKEI DIGITAL (2015年4月4日). “【NHKクローズアップ現代やらせ疑惑】番組登場の男性「事前に記者から演技指導された」(1/2ページ)”. 産経ニュース. 2022年8月28日閲覧。 ^ NHK 子会社社員2人が2億円着服か 刑事告訴も検討 毎日新聞 2015年12月18日 ^ NHK子会社の元社員2人逮捕 架空発注で詐欺の疑い朝日新聞 ^ NHK子会社の元社員2人を再逮捕 940万円詐取容疑朝日新聞 ^ NHK子会社元社員に実刑 東京地裁朝日新聞 ^ NHK子会社元社員に実刑 工事の架空発注詐欺で東京地裁産経新聞 ^ “<1.29ニュース>”. テレビ埼玉. (2016年1月29日). https://www.teletama.jp/news/0129.html 2016年1月29日閲覧。 ^ [1] ^ “NHK元記者「つまりやっていません」 強姦事件初公判:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル (2018年4月10日). 2022年8月24日閲覧。 ^ “元NHK記者に懲役21年 強姦致傷「反省見られない」:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル (2018年4月25日). 2022年8月24日閲覧。 ^ “強制わいせつ:NHK業務委託男逮捕 訪問先でキスの疑い”. 毎日新聞. 毎日新聞社 (2017年3月30日). 2017年3月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年3月8日閲覧。 ^ セクハラ 「紅白」責任者のNHK元部長、停職3カ月 毎日新聞 2018年9月29日 ^ NHK 取材音声データ、アレフに誤送信 毎日新聞 2018年11月2日 ^ 映像ファイルのアドレスを誤送信 NHKが発表 朝日新聞 2018年11月10日 ^ NHK副部長を懲戒免職 帯広放送局 - サンケイスポーツ、2018年12月11日配信、同日閲覧 ^ 「レンタル家族」利用客は運営会社スタッフ…NHK謝罪 読売新聞 2019年5月30日 ^ “NHK AI特番トップが強制わいせつの疑いで逮捕 - 事件・事故 : 日刊スポーツ”. nikkansports.com. 2022年8月24日閲覧。 ^ NHK「あさイチ」で釈明 石垣島の陸自配備で「説明不足」共同通信 2019年9月18日 ^ “NHK、「北朝鮮ミサイル発射」と誤報 ネットのニュース速報で”. 毎日新聞. 2022年8月27日閲覧。 ^ Hatachi, Kota. “NHK「北朝鮮ミサイル」誤報の原因は「ボタンの押し間違え」 昨年に続き2度目”. BuzzFeed. 2022年8月27日閲覧。 ^ “NHKが謝罪、動画削除 抗議デモ解説に米大使「侮辱的」”. 時事ドットコム. 時事通信社 (2020年6月9日). 2020年7月4日閲覧。 ^ “6月7日の放送についておわび”. 日本放送協会. 2020年7月4日閲覧。 ^ “NHK将棋番組、無断使用でナレーション HPで謝罪”. 朝日新聞 (2021年6月4日). 2022年10月17日閲覧。 ^ 東京地方裁判所 (2022年9月28日). “令和3年(ワ)第30051号 損害賠償請求事件”. 裁判所. 2022年10月17日閲覧。 ^ 栗原潔 (2022年10月17日). “ウェブ記事を無断流用された個人がNHKを(なぜか著作権侵害を主張せず)提訴し敗訴”. Yahoo!ニュース. 2022年10月17日閲覧。 ^ “NHK、事実確認せず不適切字幕「金もらって」「五輪反対デモ参加」”. 朝日新聞. (2022年1月9日). https://www.asahi.com/sp/articles/ASQ196WCCQ19PTFC004.html 2022年1月10日閲覧。 ^ “NHKの河瀬直美さんの五輪番組、字幕に不確かな内容 21年放送”. 毎日新聞. (2022年1月9日). https://mainichi.jp/articles/20220109/k00/00m/040/127000c ^ “NHK、番組の不適切字幕で謝罪”. 京都新聞. (2022年1月9日). https://www.kyoto-np.co.jp/articles/amp/708715 ^ “NHK、男性の「五輪反対デモ参加」確認せず放送…ドキュメンタリー番組で”. 読売新聞. (2022年1月9日). https://www.yomiuri.co.jp/culture/20220109-OYT1T50101/amp/ ^ “「重大な放送倫理違反」BPO認定 NHK「五輪反対デモ参加」字幕:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル (2022年9月9日). 2022年9月9日閲覧。 ^ a b “「半ば捏造的」「デモおとしめた」 BPO、字幕問題でNHK批判:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル (2022年9月9日). 2022年9月9日閲覧。 ^ “NHK謝罪 世界遺産の高野参詣道の一部破損「貴重な文化財を破損してしまったこと深くおわび」”. 日刊スポーツ (2022年4月15日). 2022年4月15日閲覧。 ^ “高野山の世界遺産・女人道の路肩や階段破損 NHK、中継所工事で”. 朝日新聞 (2022年4月15日). 2022年4月15日閲覧。 ^ “NHKが世界遺産「高野参詣道」で許可なく工事→路肩や階段を破損 文化財保護法���反”. デイリースポーツ (2022年4月15日). 2022年4月15日閲覧。 ^ “「クロ現」制作NHK子会社の元社員逮捕 1.8億円分不正購入か”. 朝日新聞. (2022年6月1日). https://www.asahi.com/amp/articles/ASQ61460GQ61UTIL00G.html 2022年6月2日閲覧。 ^ a b “「NHKの番組撮影中です」尾瀬の木道でスタッフが観光客を足止め SNSで情報拡散”. 弁護士ドットコムニュース (2022年6月10日). 2022年6月10日閲覧。 ^ 日本放送協会. “NHK 国際放送局管理職を諭旨免職 タクシーチケット不正使用 | NHK”. NHKニュース. 2022年8月22日閲覧。 ^ “NHK管理職 タクシー券など70万円不正利用で諭旨免職 取材や緊急と虚偽説明/デイリースポーツ online”. デイリースポーツ online. 2022年8月22日閲覧。 ^ INC, SANKEI DIGITAL (2022年6月24日). “タク券不正使用で諭旨免職 NHKの50代管理職”. 産経ニュース. 2022年8月22日閲覧。 ^ INC, SANKEI DIGITAL (2022年6月24日). “タク券不正使用で諭旨免職 NHKの50代管理職”. 産経ニュース. 2022年8月22日閲覧。 ^ “NHKアナウンサー逮捕、女性アナのマンションに侵入容疑…逃走時に飛び降り負傷”. 読売新聞オンライン (2023年2月21日). 2023年2月25日閲覧。 ^ 職員の懲戒処分について (PDF) NHK 2023年4月21日 ^ “NHKニュースウオッチ9「取材ではワクチン接種後に亡くなった方のご遺族だと認識」 コロナ報道炎上で田中キャスターが謝罪”. 東スポWEB (2023年5月16日). 2023年5月17日閲覧。 ^ https://www.facebook.com/asahicom+(2023年6月13日).+“NHK「映像の世紀」で複数の誤り スターリンの発言→別人だった:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル. 2023年6月27日閲覧。 ^ “BS配信予算・ウオッチ9はBPO審議入り・��ターリン発言は別人…「最近のNHKは信じられないことばかり」”. 読売新聞オンライン (2023年6月17日). 2023年6月27日閲覧。 ^ NHKの軍艦島映像、フィルムは戦後製産経新聞 ^ a b NHK、軍艦島映像「今後使わぬ」 自民会合で、元島民疑義時事ドットコム ^ a b 韓国「強制労働」の主張崩れる!NHKの軍艦島映像は戦後のもの 問題の番組「緑なき島」の映像、昭和30年製フィルムを使用zakzak ^ 日本放送協会 (2023年8月9日). “「ロッキン」来年は再び国営ひたち海浜公園でも開催へ最終調整”. NHK 茨城県のニュース. NHK NEWS WEB. 2023年8月11日閲覧。 ^ “ロッキン総合P、NHK水戸放送局の報道に“強く抗議”「何度もリークはやめて欲しいとお願いしました」”. ORICON NEWS (2023年8月10日). 2023年8月11日閲覧。 ^ “ロッキン、開催場所先行報道に猛抗議 NHKは「真摯に受けとめて、今後の報道に生かす」”. 日刊スポーツ (2023年8月10日). 2023年8月11日閲覧。 ^ a b 第155回国会 決算行政監視委員会 第2号(平成14年11月14日(木曜日)) ^ 戸崎 賢二「「NHK番組改編事件」と「編集権」」(立命館産業社会論集、 45 (1), 107-116, 2009-06) ^ “放送内容への期待は保護の対象外 NHKの番組改編で最高裁判断 | 調査・研究結果 - 放送研究と調査(月報)メディアフォーカス | NHK放送文化研究所”. www.nhk.or.jp. 2022年8月27日閲覧。 ^ “BPO放送倫理検証委員会がNHK「慰安婦」番組改変について「放送倫理上の問題」を認定”. www.ajwrc.org. 2022年8月27日閲覧。 ^ NHK関連団体の剰余金886億円、検査院が改善求める 読売新聞、2007年9月12日 ^ 小保方氏けが「実験に支障」…NHKの取材で 読売新聞 2014年7月24日 ^ “NHK籾井新会長「従軍慰安婦、どこの国にもあった」”. 朝日新聞 (2014年1月25日). 2014年2月5日閲覧。 ^ “NHK:籾井会長、従軍慰安婦「どこの国にもあった」”. 毎日新聞 (2014年1月25日). 2014年2月5日閲覧。 ^ “NHK新会長、国際放送で日本の立場主張を”. 日刊スポーツ (2014年1月25日). 2014年2月5日閲覧。 ^ “NHK、領土問題「国際放送で」 就任会見で籾井会長”. 共同通信 (2014年1月25日). 2014年2月5日閲覧。 ^ “NHK会長記者会見書き起こし” (2014年1月25日). 2014年2月5日閲覧。 ^ Spitzer, Kirk (2014年1月29日). “U.S. Rejects Japanese Broadcaster’s Claim It Used ‘Comfort Women’ in World War II” (英語). Time. ISSN 0040-781X. https://world.time.com/2014/01/29/comfort-women-japan-us-wwii-katsuto-momii-nhk/ 2022年8月22日閲覧。 ^ 経営委員会委員の服務に関する準則第5条:「経営委員会委員は、日本放送協会の名誉や信用を損なうような行為をしてはならない。」 ^ NHK経営委が申し合わせ 「節度を持って行動を」 共同通信2014年2月12日 ^ 米大使館、NHK取材に難色 百田氏の発言理由に 共同通信2014年2月14日、米大使館、NHK会長発言も理由 インタビュー取材に難色 共同通信2014年2月17日 ^ 不適切土地購入計画 経営委に諮らず、350億円で子会社落札 監査委が調査 毎日新聞 2015年12月8日 ^ NHK 土地購入計画を撤回へ 経営委の検証要請後に 毎日新聞 2015年12月9日 ^ “子どもの貧困 学生たちみずからが現状訴える”. NHKニュース (日本放送協会). (2016年8月18日). オリジナルの2016年8月18日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20160818131620/http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160818/k10010641551000.html 2016年9月23日閲覧。 ^ “貧困女子高生特集、いまだにくすぶる 今度は片山さつき議員が「NHKに説明求める」”. J-CASTニュース (J-CAST). (2016年8月21日). https://www.j-cast.com/2016/08/21275698.html 2016年9月20日閲覧。 ^ 安積明子 (2016年8月26日). “片山さつき氏、NHK女子高生貧困報道に喝 ネットで出演者“豪遊情報”で炎上”. ZAKZAK (産経デジタル). https://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20160826/plt1608261550003-n1.htm 2016年9月22日閲覧。 ^ a b 仲村和代; 伊東和貴 (2016年9月14日). “「貧困たたき」の背景は? NHK報道めぐりネット炎上”. 朝日新聞 (朝日新聞社). http://www.asahi.com/articles/ASJ9954L1J99UTIL03Z.html 2016年9月20日閲覧。 ^ “片山さつきも参戦! NHK貧困JKバッシングの嫌な感じ”. 週刊朝日 (朝日新聞出版). (2016年9月9日). https://dot.asahi.com/articles/-/110316 2016年9月22日閲覧。 ^ “放送人権委員会 委員会決定 2016年度 第62号「STAP細胞報道に対する申立て」に関する委員会決定”. 放送倫理・番組向上機構 (2017年2月10日). 2017年2月14日閲覧。 ^ “BPO放送人権委員会決定を受けたコメント”. 日本放送協会 (2017年2月10日). 2017年2月14日閲覧。 ^ a b NHKの31歳女性記者が過労死 残業、月159時間 - 朝日新聞、2017年10月4日 ^ 牧内昇平 (2017年10月13日). “NHKの説明「事実ではない」 過労死記者の遺族が会見”. 朝日新聞 (朝日新聞社). https://www.asahi.com/articles/ASKBF5CN9KBFULFA02C.html 2018年7月21日閲覧。 ^ 篠田博之 (2018年2月13日). “NHK女性記者の過労死はなぜ4年間も伏せられていたのか”. 創 (Yahoo!ニュース). https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/3d2e2fe2bc865d43d687b2040252d15e89dc7d86 2018年7月21日閲覧。 ^ ブラック企業大賞 ^ NHK裁量労働制に指導=渋谷労基署時事通信 2017年12月26日 ^ NHKの自律揺るがす 経営委「統治」口実に かんぽ報道、異例の注意毎日新聞2019年9月26日 ^ 「NHK報道巡り異例「注意」 経営委、郵政抗議受け かんぽ不正、続編延期」毎日新聞2019年9月26日 ^ “「厳重注意」議事録なし 「介入」批判回避か NHK経営委”. 毎日新聞. 毎日新聞社 (2019年9月30日). 2019年10月1日閲覧。 ^ 竹中明洋 (2019年9月29日). “NHKは日本郵政の「圧力」になぜ屈したか、ウラに隠された事情”. 現代ビジネス. 講談社. 2019年10月1日閲覧。 ^ “報道巡りNHK会長を注意 郵政の抗議受け経営委”. 日本経済新聞. 日本経済新聞社 (2019年9月26日). 2019年9月28日閲覧。 ^ 会長注意、議事録に残さず=番組介入の批判意識か-NHK経営委時事通信 2019年09月30日12時07分 ^ NHK番組への圧力疑惑議事録など提出要求野党ヒアリングしんぶん赤旗 ^ “NHK抗議、郵政社長陳謝 かんぽ番組「全くその通り」”. 毎日新聞. 毎日新聞社 (2019年10月1日). 2019年10月1日閲覧。 ^ 「NHKはまるで暴力団」日本郵政副社長、記者団に語る朝日新聞デジタル2019年10月3日 ^ “河野防衛相「フェイクニュース」連呼 イージス・アショア配備先は「ゼロベース」、会見でも強調”. J-CAST ニュース (2020年5月8日). 2020年6月24日閲覧。 ^ “イージス・アショア 秋田市の候補地を事実上断念”. NHK政治マガジン. 日本放送協会 (2020年5月6日). 2020年6月24日閲覧。 ^ “イージス・アショアの配備に関する河野防衛大臣臨時会見”. 防衛省 (2020年6月15日). 2020年6月24日閲覧。 ^ “ごまめの歯ぎしり: イージス・アショア”. 衆議院議員 河野太郎公式サイト (2020年6月18日). 2020年6月24日閲覧。 ^ “NHKが兵庫県警記者クラブから“追放”された! 知床遊覧船遺族と加盟他社を激怒させた理由とは(1/2)”. デイリー新潮. 新潮社. (2022年5月30日). https://www.dailyshincho.jp/article/2022/05301643/?all=1 2022年5月30日閲覧。 ^ “NHKが兵庫県警記者クラブから“追放”された! 知床遊覧船遺族と加盟他社を激怒させた理由とは(2/2)”. デイリー新潮. 新潮社. (2022年5月30日). https://www.dailyshincho.jp/article/2022/05301643/?all=1&page=2 2022年5月30日閲覧。 ^ a b “NHK「都庁キャップ」が過労死 長時間労働解決されず”. 毎日新聞 (2022年9月2日). 2022年9月3日閲覧。 ^ “NHKの都庁キャップだった男性死亡、労災認定…「過労死ライン」上回る勤務時間”. 読売新聞オンライン (2022年9月2日). 2022年9月3日閲覧。 ^ “NHK、規則違反の予算9億円…BS番組のネット配信巡り国会承認後に撤回”. 読売新聞 (2023年5月29日). 2023年5月30日閲覧。 ^ 後藤洋平、滝沢文那 (2023年5月29日). “NHK、実施できない番組配信に予算約9億円 放送法抵触の恐れも”. 朝日新聞. 2023年5月30日閲覧。 ^ “NHK、規則違反のBS番組配信に予算9億円 発覚し白紙に”. 日本経済新聞 (2023年5月29日). 2023年5月30日閲覧。 ^ NHK広報局 (2023年5月30日). “インターネット活用業務に係る不適切な調達手続きの是正について”. 日本放送協会. 2023年5月30日閲覧。 関連文献 編集 川崎泰資『NHKと政治 : 蝕まれた公共放送』(朝日文庫, 2000) 高島秀之『NHK改革』(創成社、2008) 永田浩三『NHKと政治権力 : 番組改変事件当事者の証言』(岩波現代文庫, 2014) 飯室勝彦『NHKと政治支配 : ジャーナリズムは誰のものか』(現代書館、2014)
NHKの不祥事 - Wikipedia
2 notes
·
View notes
Text
"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキクケコガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニヌネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国会人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権心界支第産結百派点教報済書府活原先共得解名交��予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変打男基私各始島直両朝革価式確村提運終挙果西勢減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流格��疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮究育席輸訪楽起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡失移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃佐核観察整段横融型白深字答夜製票況音申様財港識注呼渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士光討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処省旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師摘材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青破編捜竹除完降超責並療従右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗冷模雄適婦鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久短油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等救執層版老令角���損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒刑坂刻底賛塚致抱繰服犯尾描布恐寺鈴盤息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮還枚属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板列露沖探逃借緩節需骨射傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓律誘紛貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕堅訳盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳毛緑尊抵脅祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯僕桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻泰賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
200K notes
·
View notes
Text
2025/5/8 19:00:14現在のニュース
東京・立川の小学校侵入 いじめ対応を巡るトラブルが背景か(毎日新聞, 2025/5/8 18:57:16) 小学校で催涙スプレー噴射 児童27人が体調不良訴え 千葉・印西(朝日新聞, 2025/5/8 18:56:12) 減税「地方にしわ寄せ、何削るか説明を」 宮城県知事、与野党に苦言(朝日新聞, 2025/5/8 18:56:12) 「自民党として国民に説明して」 ひめゆり発言で立憲が緊急会合(朝日新聞, 2025/5/8 18:56:12) 音楽を見失いかけた川谷絵音 原点回帰させた友人・米津玄師の一言:朝日新聞([B!]朝日新聞, 2025/5/8 18:54:30) 長崎平和祈念式典 全ての国・地域を招待 「本旨に立ち戻り考えた」(毎日新聞, 2025/5/8 18:50:08) 「若者減税」「消費税5%」 国民民主、参院選の重点政策案判明(毎日新聞, 2025/5/8 18:50:08) 三菱自動車、25年度は米関税影響で減益に 日産米工場で生産を検討(朝日新聞, 2025/5/8 18:48:36) トランプ関税の影響注視 利上げ前向き意見も 日銀3月会合議事要旨(朝日新聞, 2025/5/8 18:48:36) JFE、福山で高炉1基を停止へ 需要減、米国の関税が追い打ち(朝日新聞, 2025/5/8 18:48:36) 南北線・東大前駅で電車待ちの男性が刃物で襲われる 43歳の男を現行犯逮捕 取り押さえた人もケガ:東京新聞デジタル([B!]東京新聞, 2025/5/8 18:39:16) 東京メトロ東大前駅で切り付け、2人けが 殺人未遂容疑で43歳男逮捕 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2025/5/8 18:36:23) ニデック、牧野フライスへのTOB撤回 裁判所の判断受け - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2025/5/8 18:36:23) ポッドキャスト:次期ローマ教皇ってどうやって決めるの? 有力候補は?(毎日新聞, 2025/5/8 18:35:54)
0 notes
Text

コロナ禍以降、Bellevilleでの公演を抑えていましたが、久しぶりにBellevilleで公演を実施いたします。
2018年「ポラリス/熊」(原作:チェーホフ)、2019年「埋み火/鉄輪」(原作:能「鉄輪」)、2020年「かのじょは、夏」(作:藤井友紀)、2021年「キラル/抄訳 漂泊の家」(作:泉晟/原作:柳沼昭徳)、2022年「人形の家」(原作:イプセン)と、Bellevilleで公演を実施してきた、広島・舞台芸術制作室無色透明と第七劇場との若手演劇人育成事業が、3年振りにBellevilleに帰ってきます。
この2025年度公演は、はじめて既成長編現代戯曲に取り組みます。
上演するのは、京都の劇作家山岡徳喜子による長編作品「そして羽音、ひとつ」。 2023年、京都の演劇ユニット「トリコ・A」のために書き下ろされ、人間の陰影や醜悪さを繊細にかつ鋭い解像度で暴き、その歪さの深淵を抉りながらもどこか可笑しく魅力的に描きます。 第31回OMS戯曲賞受賞作品。
/
そして羽音、ひとつ
Innovative Incubation of Regional Arts 地域間新進芸術交流普及促進事業2025
舞台芸術制作室無色透明(広島)主催 合同会社第七劇場・Théâtre de Belleville 協力
/
私たち、ただこうやって、 ハトを待つの
古い一軒家。その閉ざされた小さな社会に流れる気が遠くなるほどの長い時間の中で、老女の日常は次第に調律が狂うように歪(いびつ)になってく。それに呼応するように、社会の歪みを必死で泳ぐ介入者たちが訪れる。それぞれが彼女を自分が見たいように見、扱い、勝手に関係を築いていく。生きていかねばならないぎりぎりの絶望のその終焉にもたらされるものとは。
/
作:山岡徳貴子(魚灯)
演出:鳴海康平(第七劇場)
出演: 木母千尋(第七劇場) 宮地綾 椙田航平 藤井タツキ(カクウノ劇団) 福島優菜(片隅企画)
照明:佐々木正和(舞台芸術制作室無色透明) 音響:高橋克司(東温音響) 制作:溝部めい 舞台スタッフ:坂田光平
宣伝美術:橋本デザイン室 イラスト:末田晴
プロデューサー:岩﨑きえ
上演時間:約2時間
/
舞台芸術制作室 無色透明 website 公演ページ https://engekihiroshima.wixsite.com/creative-residence/2025
/
三重公演
開演時間: 2025年 5月24日(土)14:00 / 18:30、25日(日)14:00 ※受付は開演の45分前、開場は開演20分前より ※受付前、開場前に利用できるスペース[Bellevilleライブラリ]あり ※各回終演後にトークセッション実施
会場:Théâtre de Belleville 三重県津市美里町三郷2104 ※駐車場あり
チケット料金: 一般前売 2,500円(当日3,000円) 25歳以下前売 1,000円(当日1,500円) 高校生以下(前売・当日共)500円 60歳以上(前売・当日共)2,000円
三重公演 チケット予約フォーム
/
愛媛公演
開演時間: 2025年 5月31日(土)14:00 / 18:30、6月1日(日)14:00
会場:東温アートヴィレッジセンター シアターNEST 愛媛県東温市見奈良1125 レスパスシティ/クールスモール2F
チケット料金: 一般前売 3,000円(当日3,500円) 25歳以下前売 1,500円(当日2,000円) 高校生以下(前売・当日共)500円 60歳以上(前売・当日共)2,000円
愛媛公演 チケット予約フォーム
/
配信について
期間:2025年6月10日~6月20日予定 配信チケット 1,000円
配信チケットについての詳細は舞台芸術制作室無色透明のサイトをご確認ください。
/
お問い合せ
舞台芸術制作室 無色透明 メール: [email protected]
/
主催:一般社団法人舞台芸術制作室無色透明 共催:東温アートヴィレッジセンター(愛媛公演) 協力:合同会社第七劇場、片隅企画 後援:東温市(愛媛公演) 助成:令和7年度芸術文化振興基金(予定)
/
地域間新進芸術交流普及促進事業 Innovative Incubation of Regional Arts
この企画は、2018年に、三重の第七劇場と広島の舞台芸術制作室無色透明の協働事業として、地域で演劇活動をする若手の育成を目的としたプロジェクト「地域新進演劇人育成事業 クリエイティブ・レジデンス」としてスタートしました。2017年第七劇場の鳴海氏と、「互いの地域で、地域で活動する新人俳優を起用した作品を創ってみませんか」という何気ない会話をきっかけにスタートしたこの企画は、2020年まで続きました。
2020年が明けて間もなく、突如起こった新型コロナウイルスの蔓延に伴い、当然だったはずの観客ありきで行う演劇の上演は困難となり、「オンライン」という新手法に試行錯誤・七転八倒する2年がやってきました。そんな中、特に経験の浅いアーティストたちは、公演の参加はおろか「ぶつかり稽古の中で、そして本番の経験から学び得る」という、発展途上過程での至極真っ当な機会さえ得られない状況となりました。
「若輩の時にこそだから出来る、その時しかできない経験がある」
経験が希薄な若手が増えている今こそ、この企画を途絶えさせてはならないと考え、新人アーティストの「革新」「孵化」の機会となる事を願い「Innovative Incubation of Regional Arts」と名称を改め2021年にリスタートしました。
この企画は、本番前の短期間、三重の第七劇場の本拠地「Théâtre de Belleville」という劇場にて、生活をしながら創作をする「アーティスト・イン・レジデンス」の手法で行います。経験豊富なアーティストとこれから躍進していくであろう新進アーティストたちが「ぎゅっ」とした濃密な時間の中でしか生み出せない創作作品です。
岩﨑きえ(舞台芸術制作室 無色透明・プロデューサー)
/
舞台芸術制作室 無色透明
広島を拠点に舞台芸術の創作支援、地域に根差し社会と連携した文化提携事業、人材育成事業などを自主事業としてチームで企画運営する国内でも珍しい形態の制作専門団体。
現在、舞台制作事業の他、演劇のスキルを活用した障がい・福祉分野へのアプローチ、多文化共生事業の分野との協働、豊かな少子高齢化実現のための共生社会支援事業をすでに稼働させ実績を上げている。
加えて介護福祉分野支援事業、教育現場でのドラマ教育の実施提案、企業支援の取組等の企画・準備も進めており、演劇の手法を社会や経済に頒布するとモデルケースの確立を目指している。現在日本ではまだなじみの薄い「ティーチングアーティスト」の研修に取組んでおり、地域で活動するアーティストの社会雇用の実現を目指している。
地域文化の活性化を担い、舞台芸術の発展と共に、芸術活動の認知を高め、経済活動としての演劇の盤石の基礎を築くことを志す。
舞台芸術制作室 無色透明 website
/

1 note
·
View note
Text

そして羽音、ひとつ
Innovative Incubation of Regional Arts 地域間新進芸術交流普及促進事業2025
舞台芸術制作室無色透明(広島)主催事業
/
2018年からはじまった三重(第七劇場)と広島(舞台芸術制作室無色透明)の協働による若手演劇人育成事業。2025年度は、はじめて既成長編現代戯曲に取り組みます。
京都の劇作家山岡徳喜子による長編作品「そして羽音、ひとつ」。 2023年、京都の演劇ユニット「トリコ・A」のために書き下ろされ、人間の陰影や醜悪さを繊細にかつ鋭い解像度で暴き、その歪さの深淵を抉りながらもどこか可笑しく魅力的に描く。 第31回OMS戯曲賞受賞作品。
/
私たち、ただこうやって、 ハトを待つの
古い一軒家。その閉ざされた小さな社会に流れる気が遠くなるほどの長い時間の中で、老女の日常は次第に調律が狂うように歪(いびつ)になってく。それに呼応するように、社会の歪みを必死で泳ぐ介入者たちが訪れる。それぞれが彼女を自分が見たいように見、扱い、勝手に関係を築いていく。生きていかねばならないぎりぎりの絶望のその終焉にもたらされるものとは。
/
作:山岡徳貴子(魚灯)
演出:鳴海康平(第七劇場)
出演: 木母千尋(第七劇場) 宮地綾 椙田航平 藤井タツキ(カクウノ劇団) 福島優菜(片隅企画)
照明:佐々木正和(舞台芸術制作室無色透明) 音響:高橋克司(東温音響) 制作:溝部めい 舞台スタッフ:坂田光平
宣伝美術:橋本デザイン室 イラスト:末田晴
プロデューサー:岩﨑きえ
上演時間:約2時間
/
舞台芸術制作室 無色透明 website https://engekihiroshima.wixsite.com/creative-residence/2025
/
三重公演
開演時間: 2025年 5月24日(土)14:00 / 18:30、25日(日)14:00 ※受付は開演の45分前、開場は開演20分前より ※受付前、開場前に利用できるスペース[Bellevilleライブラリ]あり ※各回終演後にトークセッション実施
会場:Théâtre de Belleville 三重県津市美里町三郷2104 ※駐車場あり
チケット料金: 一般前売 2,500円(当日3,000円) 25歳以下前売 1,000円(当日1,500円) 高校生以下(前売・当日共)500円 60歳以上(前売・当日共)2,000円
三重公演 チケット予約フォーム
/
愛媛公演
開演時間: 2025年 5月31日(土)14:00 / 18:30、6月1日(日)14:00
会場:東温アートヴィレッジセンター シアターNEST 愛媛県東温市見奈良1125 レスパスシティ/クールスモール2F
チケット料金: 一般前売 3,000円(当日3,500円) 25歳以下前売 1,500円(当日2,000円) 高校生以下(前売・当日共)500円 60歳以上(前売・当日共)2,000円
愛媛公演 チケット予約フォーム
/
配信について
期間:2025年6月10日~6月20日予定 配信チケット 1,000円
配信チケットについては後日お知らせいたします。
/
お問い合せ
舞台芸術制作室 無色透明 メール: [email protected]
/
主催:一般社団法人舞台芸術制作室無色透明 共催:東温アートヴィレッジセンター(愛媛公演) 協力:合同会社第七劇場、片隅企画 後援:東温市(愛媛公演) 助成:令和7年度芸術文化振興基金(予定)
/
地域間新進芸術交流普及促進事業 Innovative Incubation of Regional Arts
この企画は、2018年に、三重の第七劇場と広島の舞台芸術制作室無色透明の協働事業として、地域で演劇活動をする若手の育成を目的としたプロジェクト「地域新進演劇人育成事業 クリエイティブ・レジデンス」としてスタートしました。2017年第七劇場の鳴海氏と、「互いの地域で、地域で活動する新人俳優を起用した作品を創ってみませんか」という何気ない会話をきっかけにスタートしたこの企画は、2020年まで続きました。
2020年が明けて間もなく、突如起こった新型コロナウイルスの蔓延に伴い、当然だったはずの観客ありきで行う演劇の上演は困難となり、「オンライン」という新手法に試行錯誤・七転八倒する2年がやってきました。そんな中、特に経験の浅いアーティストたちは、公演の参加はおろか「ぶつかり稽古の中で、そして本番の経験から学び得る」という、発展途上過程での至極真っ当な機会さえ得られない状況となりました。
「若輩の時にこそだから出来る、その時しかできない経験がある」
経験が希薄な若手が増えている今こそ、この企画を途絶えさせてはならないと考え、新人アーティストの「革新」「孵化」の機会となる事を願い「Innovative Incubation of Regional Arts」と名称を改め2021年にリスタートしました。
この企画は、本番前の短期間、三重の第七劇場の本拠地「Théâtre de Belleville」という劇場にて、生活をしながら創作をする「アーティスト・イン・レジデンス」の手法で行います。経験豊富なアーティストとこれから躍進していくであろう新進アーティストたちが「ぎゅっ」とした濃密な時間の中でしか生み出せない創作作品です。
岩﨑きえ(無色透明・プロデューサー)
/
舞台芸術制作室 無色透明
広島を拠点に舞台芸術の創作支援、地域に根差し社会と連携した文化提携事業、人材育成事業などを自主事業としてチームで企画運営する国内でも珍しい形態の制作専門団体。
現在、舞台制作事業の他、演劇のスキルを活用した障がい・福祉分野へのアプローチ、多文化共生事業の分野との協働、豊かな少子高齢化実現のための共生社会支援事業をすでに稼働させ実績を上げている。
加えて介護福祉分野支援事業、教育現場でのドラマ教育の実施提案、企業支援の取組等の企画・準備も進めており、演劇の手法を社会や経済に頒布するとモデルケースの確立を目指している。現在日本ではまだなじみの薄い「ティーチングアーティスト」の研修に取組んでおり、地域で活動するアーティストの社会雇用の実現を目指している。
地域文化の活性化を担い、舞台芸術の発展と共に、芸術活動の認知を高め、経済活動としての演劇の盤石の基礎を築くことを志す。
無色透明 website
/

1 note
·
View note
Text
虚子自選揮毫『虚子百句』を読む ⅩⅥ
花鳥誌2025年4月号より転載

日本文学研究者
井上 泰至
30 川を見るバナナの皮は手より落ち
『ホトトギス』昭和十年一月号初出は「落つ」の形だった。『ホトトギス』同年十一月号には「落ち」の形で「十一月四日。武蔵野探勝。浜町、日本橋倶楽部。」と注記。『五百句』には「明治九年十一月四日。武蔵野探勝会。浜町、日本橋倶楽部。」と注記。 この句は、今夏の句とされているが、それは「バナナ」が夏の季語となったからで、この句そのものは最初から季感は薄い。それは日本の四季とは別枠の「熱帯季題」としての「バナナ」の句だったからである。
星野立子の句評につけば、こうある。
一人の男か女があって、ぼんやりと川の面を眺めております。その人はバナナを食べようと思って皮をむきながら手に持っております。そして失神したようにぽかんと川を見ています。バナナの皮は手から離れて下に落ち���した。そのことさえも知らぬげになお川を見ております、という句であります。
この解説に従えば、虚子は「一人の男か女」を見て詠んだことになるが、『ホトトギス』の初出では「手より落つ」とあって、バナナの皮は虚子自身の手から滑り落ちた可能性を否定できない。特に「から」でなく「より」という助詞に注目すれば、「落つ」では無論のこと、「落ち」であっても、この「バナナ」は作者自身の手から落ちた含意が読み取れる。
この句の主語の所在が問題になるのも、虚子句全体の傾向として近代的主客分離の意識が薄い句が多いことに由来する。それは連句の特徴につながる。連句はそもそも一句の独立にこだわらない散文性に特徴がある。実際「雑」と称する無季の句も必ずある。そもそも海外詠とは、日本の風土に依拠する季題を核とする虚子一門にとって、例外的存在、つまり「雑」の句に近いものであった。そこで、在地特有の季題を別にこしらえ、これを連句由来の散文的文体に載せて詠めばいいというのが、バランスのいい虚子らしい、現実的な対応だったのである。
五七五に七七を付け、さらに五七五を付けていく集団制作の文芸たる連句には、以下のような内容的分類が可能である。
「場の句」=風景の句 「人情句」=人が詠み込まれている句 「自分」が詠まれている「自の句」(主観の句) 「他人」が詠まれている「他の句」(客観の句) 「自分」と「他人」が詠まれている「自他半の句」
ここで最後に太字にした「自他半の句」こそが、虚子句の主客合一句と関連するので、現代の連句作品から例を引いてみてみよう。
「もう少し歩きたいの」と由比ヶ浜 兎弦
ソネット『久米仙人』より 平成二十年三月二十三日
この句は、女性が詠んだものとも、女性からそう言われて詠んだものとも、どちらともつかない。その主客があいまいで、どちらとも解釈できうるところが、次々と場面と転換していく連句の「変化」には有力な詠み方なのである。虚子句の一大秘鍵は、近代俳句の主役でありながら、俳句の先祖の古さを使って、自然との対話を試みる文体を得たことだったという見通しがここに得られる。
「バナナ」の句に戻れば、川を見詰め、バナナの皮を流してしまった虚子自身を見つめる、「天」の視線がこの句にはあったとも言い得るのであって、この句を英訳して、主語を「I」もしくは「He」としてしまったときに、この句に漂う放心状態で主客未分の気分というものは、翻訳によって失われてしまう。ロスト・イン・トランスレーションの陥穽が口を開けて待ち構えているのである。
昭和十一年、虚子は渡欧に際して、南方にも寄港、これを機に「熱帯季題」を提唱する。「バナナ」も当然この中に入ることになる。その背景は、日本を飛び出して活躍する邦人の多さにあった。例えば、問題のバナナ句が詠まれた昭和九年の『ホトトギス』雑詠欄を通覧すれば、高野素十や池内友次郎の欧州留学組を除いても、海外および外地詠は目立つ。シンガポール・バダビア・ビルマ・アメリカ・奉天・ハルピン・青島・上海・サイパン・パラオ・ニュージーランド・アメリカ・ブラジル等々。もはや、世界各地から送られてくる俳句への対応に迫られることになっていたのである。
虚子が、晩秋に詠んだ無国籍なバナナの句は、こうした背景抜きに語れない。アメリカでは、「バナナ共和制」という言葉がある。典型的な植民的栽培植物であるバナナを主産業や産地とする、遅れてきた民主主義を指していう。後にアメリカに吞み込まれるハワイ共和国大統領の一族が、今日のドールバナナを起こした。やがて植民地となったフィリピンでの大量生産は、日本人にもおなじみだが、日本とて台湾領有時代、同様のことは行っており、バナナは戦前から日本の食卓を賑わしたのである。バナナは今日風に言えば、グローバリズムの先駆けたる食品植物だった。(『俳句』令和六年九月号「虚子の遺産⑥」)
31 汝にやる十二単衣といふ草を
『五百五十句』注記に「(昭和十四年)六月十一日黒部峡探勝。つき来りし宿の婢に。」とある。「ホトトギス」昭和十五年六月号「句日記(昭和十四年六月)」に初出。前年七月号の「消息」には、「先月の九日の夜汽車で富山に行つて、二日ばかり同地の俳人諸君に厄介になつて帰つて来たのでありました。蓬矢知事の格別なる斡旋、普羅君はじめ辛夷社の好意、又無外君の黒部嚮導に迎の労を多としなければなりません、茲に謹んで御礼を申上げます」とある。
掲句については『喜寿艶』に次のような自句自解がある。
宇奈月の延対寺といふ旅館に泊つて、翌朝一行二十人ばかりは黒部鉄道に乗つた。美しい娘が一人宿から随いて来て何かと世話をやいた。黒部に降りて鐘釣温泉のほとりに行くとそこに鷺草のやうな可憐な草花が咲いてゐた。それは十二単衣といふ草であると案内する人が云つた。私はその一本を摘んで、貴女に上げやうと云てその婢に渡した。
現存する延対寺旅館は、明治三十三年創業。黒部の絶景が売り物で、竹久夢二・与謝野晶子・川端康成など様々な作家・文化人に愛された。接待した「蓬矢知事」とは、内務・警察官僚で、当時の富山県知事だった矢野兼三である。戦前の知事は選挙でなく、内務官僚が任命・派遣された。昭和十三年四月から県知事になっている。前田普羅を筆頭とした地元の俳人も大勢参加した。「無外君」とは吉沢庄作。魚津生まれで黒部の吉沢家に養子として入り、富山県尋常師範学校卒業後、小学校教師を経て、魚津中学校で博物学教育を担当。三、四年かけて集められた植物標本は約一七〇〇点。登山家としては、新ルートを開拓し、数々の記録的登山を成し遂げ、多くの紀行文を残した。また、黒部保勝会・黒部案内人組合等を設立し、登山環境整備を行うとともに、黒部の自然保護運動を展開し、中部山岳国立公園の指定を得るためにも貢献した(黒部市HP)。
十二単衣は、二十センチほどのシソ科の多年草で、紫の花が重なって咲く姿を、平安朝の女房の礼装の十二単衣に例えて、この名がある。一句は、その名を教えられ即興で詠んだところがポイントで、『奥の細道』の那須野で、道に迷いやすいところを、馬を引いて案内した少女に、名を問うと「かさね」と答えるので、「かさねとは八重撫子の名なるべし」と曽良が詠んだ例を彷彿とさせる。
なお、「句日記」の掲句の前後には、こうある。
六月十日。昨夜、夜汽車にて上野を発す。朝六時八分三日市着、直ちに黒部鉄道にて宇奈月に行く。延対寺泊り。
田の畦におしめ干したり田草取る 箕を脇にかかへて農婦立ち涼し 供華のため畦に芍薬つくるとか 立山の夏かげの皺凡ならず 夏山の剣といふは美(く)はし山 立山と気楼ある魚津よし 腰に籠晩涼に何をする人ぞ 六月十一日。黒部峡探勝。 黒薙川 茂みより細々と出し吊橋が 雪渓を見上げてトロの進むまま つき来たりし宿の婢に 汝にやる十二単衣といふ草を 猿飛を見て戻り急夏山路 岩の上の大夏木の根八方に 夏山やトロに命を托しつつ 雪渓の下にたぎれる黒部川 鉄板の覆したるトロ涼
一覧すると、倒置法を使って末尾を助詞で終える句が多いことに気付かされる。全体に虚子には目新しい句材多く、このような抑揚の利いた文体を選ばせたものと想像される。
『虚子百句』より虚子揮毫
31 汝にやる十二単衣といふ草を 32 山川にひとり髪洗ふ神ぞ知る

国立国会図書館デジタルコレクションより
___________________________
井上 泰至(いのうえ・やすし) 1961年京都市生まれ 日本伝統俳句協会常務理事・防衛大学校教授。 専攻、江戸文学・近代俳句
著書に 『子規の内なる江戸』(角川学芸出版) 『近代俳句の誕生』 (日本伝統俳句協会) 『改訂雨月物語』 (角川ソフィア文庫) 『恋愛小説の誕生』 (笠間書院)など 多数
0 notes
Text
デビッドボウイがロバートにやっぱ似てるなあと思って、mvを色々見てたけど、China girlのmvに出てくるこの女性とガチで一時期付き合ってたらしい。そして、アジア人差別のポーズで有名な目尻を引っ張るポーズってデヴィッドボウイが元ネタやったんか!!でもこのmv見てると全然差別感じない。ていうかこの人いうて悪いが全然美人じゃないのに、何が良かったんやろう???みたいな見てる側に不公平感さえある。だってあのデヴィッドボウイに選ばれるってすげえラッキーだよな。
吊り目ポーズやった後にこんな最高の笑顔。こんなん許す一択やろ。ていうかこの動画見て全く差別的とは感じなかった。この中華系女性は豚鼻ポーズしたあとに、デヴィッドボウイがこの吊り目ポーズで返してる感じで、変顔しあって戯れているようにしか見えないかんじ。だからもし吊り目ポーズされて差別だと感じたら豚鼻ポーズで返してみて、あんたデビッドボウイのファンか?と聞いてみてもいいかもしれん。まあ吊り目ポーズされた事ないんですけど…ていうか人種差別的なこと自体がほぼ未経験…なんかもしかしたら差別はされてたのかもだけど、鈍くて気づかず…というかんじかも。まあフランス人からは人種差別というか、ただこの人は意地悪やなあ…みたいなのはあったけど、あれは別に明らかな人種差別でもない気もする。まあフランスなんてフランス革命の時代からカオスが続いているような国ですから。そこが面白くもあるけど。あの日本人が憧れるフランスの代表とされ有名なジェーン・バーキンもそれをプロデュースしていたセルジュゲンスブールもどちらも生粋のフランス人ではない、というところからフランスはおかしな国というのがわかると思う。
話戻すが、コメント欄で「自分はゲイじゃないと思ってたのに、デヴィッドを見るとゲイかもしれんと思ってしまう」というノンケをゲイの世界に導いてしまうデヴィッドボウイの強さ…なんかどこか女性的でもあるしね。そこもロバートに似てる。歯並び悪くて、食後歯になんか食べ物が詰まってることがロバートよくあるんやけど、デヴィッドボウイもそうやったんかなと思わせる歯並びの悪さ。あとロバートもしょっちゅうゲイの人に気に入られてめっちゃ話しかけられてる。とりあえず男人気がすごい。みんな実はゲイなのか?
やべえ。ロバートのこと、正直あんまりイケメンだと思ってこなかったんだけど、やっぱイケメンなんやなってやっと気づいた…7年も一緒にいて今更だけど。デヴィッドボウイ見てると気付かされる。やっぱめっちゃ似てるし。動きとか仕草も似てる。デヴィッドボウイがウインクした時、ロバートがパンツにうんこつけてるのを妹に見られてキモがられた時にこんな感じでウインクしてたなって思い出したし😉デヴィッドボウイ全然好きじゃなくて興味なかったけどめっちゃ興味出てきた。
なんかロバートの写真を人に見せたりするたびに、イケメンやなあ、かっこいいなあと8割の確率で言われてて、みんな外国人見慣れてないからカッコよく見えてるんだろうなという感じでお世辞だと思い、全然間に受けてなかった。まあブサイクではないもんね。ロバートって何気にめっちゃハイスペやな。バブル時代の3高に加えイケメンだとスパダリというらしいが、まさにスパダリ。まあ高齢者でもあるわけだがwそれで-100万点でプラマイゼロみたいな感じ。でも掃除してくれるタイプやからそこも良いよな。まず働かずとも暮らせるという金持ちであるというところに惹かれたが、一番いいなと思ったのはホテルで泊まってるのに掃除するところ。見た目じゃなく中身で完全に選んだので、見た目は気にしてないという体になっているが、やっぱり見た目も良かったんやな…まあ高齢者だから、別に誰にも羨ましく思われるはずないと思っていたけど、それでも、やっぱり好条件すぎるよな。
ていうか私歴代付き合った人、やっぱイケメンしかおらんな…今まで一目惚れされ、ストーカーっぽい行動取ってきた人も男女共に美男美女しかいない。私のこと好きな人は美男美女です。でも私が美女か?というとそこまででもないだろwて感じだけども。
小学生の頃、隣に座る男子に必ずと言っていいほど嫌がらせされてきたの思い出す。他の子は何もされてないのに。私ばっかり授業中に消しゴムとか筆箱の中身を取り上げられて、取り返すため奮闘してたら、遊んでると思われ先生に注意され…みたいな感じで私ばっかり損してる気分だった。女子の友達と話してるのに、謎にセーラームーン好きなんやろ!とか言って絡んできてうざかったし、とにかく私に構わないでください…って感じだった。班になった時、全員にプリント普通に渡してるのに、私にだけくれなくて嘘泣きしてどうにかもらったり。まじで小学校低学年は男子の嫌がらせが多すぎて苦労してた。好きな子に嫌がらせしてしまう的なことだったのかもしれないが、明らかに私より可愛い子や綺麗な子には普通に接していたので、小学生の好みなんて見た目が全てだから、私のような昭和初期のおかっぱヘアしたキモい奴はいじめられて当然なのかもしれないと思っていた。でも家の近いもの同士で班を組むときとか、好きな人同士で自由に班を決めていい時とかは謎に男子に人気で、紅一点の班になったりしてた。子供の頃は大人しく、余計な意見とか言わずに人の言う事をなんでも受け入れるところがあったから、それで色々とやりやすいから好かれてたのかもしれん。まあとにかく実際のところモテていたわけではないが、やたらと男子に絡まれやすく、男子に選ばれやすいから、他の女子からは「ぶりっ子!」とずっと言われてた。夏休みに家に男子ばかりが家に来て、親も何でこの子は男の子とばっかり…と言われてたし、男っぽくならないよう、電車やミニ四駆とかの男の子っぽい遊びは禁止で、当時めちゃくちゃ興味あったけど買ってもらえず。ポケモン出た時は男の子のゲームだったけど、あれは典型的な男の子のゲームではないから普通に買ってもらえた。初代ポケモンは自分が男子になった気分を味わえてよかったなあ…子供の頃はめっちゃ男子になりたかった。当時は男子の方がおもろい遊び多いし。ゲームも男の子向けっぽいのが主流だった。少女漫画も好きやったけど、私が子供の頃はセーラームーンやレイアースなど、女の子が戦う系のやつが多くて少女漫画しすぎてなかったから、そこが良かったのかも。恋愛もよくわかてなかったが、別に嫌いではなかったし、なんか恋愛してみたいと憧れは人一倍強かった。友達が好きな男子の話するのとか、羨ましく聞いてたかも。友達が○くんのことが好きやけど、好きな子おる?と聞いてきて、特にいないけど…強いていうならクラスで誰が一番マシ?と聞かれて、まあとりあえず自分のことをいじめてこない害のない男子を選んだが、別にその人のことは全然好きじゃなく、しかもそれを言った後にその男子がなんかやたらと構ってくるようになったし、睨んできたりするので、結局苦手になった。正直男子とは誰とも仲良くできないなと思った。とにかく男子が苦手というのは高校時代まで続き、大学時代にやっと男友達が少しずつできて、大人になってからは普通に男友達がいるという感じ。
子供時代、なんか図工や美術、家庭科、国語の課題などでやたらと高評価をもらい、いつも私の作品が選ばれ、展示されるようになった。大したもんじゃないからあんま晒しものにしたくないんだけど、まあどうせ子供の作品なんてじっくり見ないだろうからどうでもいい、母も喜ぶだろうし、とか思ってた。でも母は別にこのことを特別褒めるでもなく、基本的に無反応だった。私は特別に器用な方ではないと思っていたし、選ばれていない友達の作品の方が私のよりよっぽどいい作品に見えるのだけど、なぜだろう?とずっと思っていた。大人になってからも、ニュースサイトで私の記事を何本も書いてもらったりして、なぜかクオリティはわりと低いのにも関わらず結構選ばれている。そういう何をしてても一挙一動が目立つ星に生まれたのだろうか。
たしかに、なぜこの人を選んだんだろう?みたいなことってよくある。私はその典型なのかもしれない。
ᙏ̤̫͚
友達とおととい会ってきたんだが、友達の推しの阪神の佐藤が友達の旦那さんに激似で驚いた。なんか今の時代、野球選手のアクスタまであるんやな。ジャニーズとかちゃんとしたアイドル系のやつしかないと思ってたわ。友達は謎に旦那でアクスタ作って持ってるのかと思ったほど似ててびびった。旦那に似てる人をちゃんと好きになるというのが面白い。ダイアンの津田も好きらしく、職場の人がどこかでダイアン津田の似顔絵素材を手に入れて作ってくれた巾着袋を使っていたが、そのダイアン津田の絵も友達の旦那かと思った。とにかく似てる…
友達は全然違うやん!というが、こうして比較すると顔の系統一緒すぎへん?


並べると親戚ですって言っても通用するくらい似てる…阪神佐藤の方が若いし、眉毛がしっかりしていて整っている感はあるけど��眉毛整えてなければかなり顔の系統は近い。ていうか阪神の佐藤は将来的に眉毛がどんどん薄くなり、ダイアン津田に寄っていきそうな顔してる。
アジア人なのに、アジア人の顔の区別がつかなくて絶望した。これ、全部友達の旦那さんにも見えて怖いwちゃんと旦那と似た人を推しているという顔の好みの安定感が羨ましく感じる。私の好みは割と色々分かれていてここまで系統が同じではないから。
ていうか、別に美男でなくてもこうやってファンはいるんだよなあ。つくづく、顔じゃない。
0 notes
Text
【〈千年村〉研究ゼミ】 前期活動報告⑹〜韓国調査篇
韓国千年村調査3日目(8月23日)
中谷研究室学部4年の小谷さくらです。韓国調査3日目の様子をお伝えします! 今日からいよいよ千年村比定地の集落調査が始まります~
<8月23日のスケジュール> 09:00 燕山郡燕岐県 調査 10:30 比豊郡赤鳥県 調査 12:00 昼食 13:00 熊津山城 見学 14:00 扶餘郡悦城県① 調査 15:30 扶餘郡悦城県② 調査 16:00 国立扶餘博物館 18:00 ロッテリゾートホテル到着 19:30 夕食 / 調査の振り返り
7時15分に起床。3日目ともなると朝の準備も手早く終えられるようになります。
ホテル内のレストランで朝食をとり、8時にバスに乗りこんで調査に向かいます~!
9:00- 燕山郡燕岐県 集落調査
図1 燕岐郷校(撮影:2024/08/23 碓井颯)
朝一番で韓国初の集落、燕山郡燕岐県にて調査です!
山と河川に挟まれ、まさに背山臨水の地形に展開されたその集落には李氏朝鮮時代に儒教の学校として各郷に置かれていた郷校がありました。
門が閉まっていて入ることはできませんが、威厳のある朱色の門と立派な建造物は、当時の人々が儒教教育を大変重要視していたことが分かります。 門は3つの扉から構成されていますが、向かって右が入口、左が出口、そして真ん中は祖先や先代の先生方などが通る扉として普段は閉め切られ、祭事などの際に開かれるようです。
燕岐郷校を基点に3グループほどに分かれて集落調査を行いました。
途中で幼稚園に出会ったのですが、石垣を模した塀で囲まれていました。昔ながらの韓国住宅は石垣で囲われていますから、石垣が韓国建築におけるアイデンティティであるという意識がある程度現地の方々の中にあるのではないかと推測してみたり、、 ちなみにこの塀のデザインは、この後様々な集落や都市で目にすることになるので次第に慣れていくのですが、普遍的であることに気づく前の自由な想像も楽しいものですね!
図2 幼稚園の石垣(撮影:2024/08/23 小谷さくら)
少し経って、幼稚園から西北方向へ同行していただいた早稲田大学文学部の植田先生と韓先生が、これは寺院ではないかと立ち止まられたのです。しかし私たちの目には民家にしか見えません。しかしよく見ると神社の屋根に確かに「卍」がありました。事前調査でもこの場所に寺院があると記されています。
図3 100年の歴史を持つ寺院(撮影:2024/08/23 戸田剣) 日本でよく目にするような建物ではなく、人々が日常生活の中で気軽に足を運べそうですね!
���然お坊さんらしき方が通ったので聞いてみたところ、この建物はなんと100年ほどの歴史を持つようです。
寺院付近の住宅は比較的新しいものが多く、道もまっすぐ整理されているので近年形成された住宅地だと推測できます。 玄関扉に以下のような煌びやかな装飾が施されている家が多くありました。先生方によるとこのデザインは近年の流行りだそうです(^^)
図4 新興住宅の玄関扉(撮影:2024/08/23 小谷さくら)
大通り沿いは郷校や寺院の周辺とは異なり、陸屋根の民家や3,4階建てのアパートばかりでした。陸屋根は60年代にブームとなりましたが、結局雨漏りなど不備が多くさらに切妻屋根をかけているそうで、、
図5 大通り沿いの景観(撮影:2024/08/23 戸田剣)
また、村(マウル)の入り口を示す石碑が2つほど見つかったため、少なくとも二つ以上の村が集落内に存在していることが分かります。石碑がつくられた年代にばらつきがあり、一斉に造られたわけではなさそうです。
図6 村の入り口を示す石碑(撮影:2024/08/23 口石直道)
10:30- 比豊郡赤鳥県 調査 小学校の北側の山際に展開された集落です。一つ目の集落と同様に私は植田先生と韓先生とご一緒させていただいておりました。
お二人が東屋で立ち止まって何やらお話されていたのでどうも気になるのですが学生はとりあえず歩いてみようということで、航空写真で発見できた集落の境のため池まで歩くことにしました。
日本の千年村調査あるあるとして犬に吠えられるということがありますが韓国でもそれは変わらないようです。犬の良く吠える村は良い村だと先生がおっしゃっていたのでまあいいかと思いながら歩みを進めていると時折り古い蔵があったり、集落の端には樹齢年の大樹を発 見したり。
図7 民家の様子(撮影:2024/08/23 戸田剣)
図8 村の端に位置する大樹(撮影:2024/08/23 小谷さくら)
時間になってしまったので急いでバスへ戻ると、植田先生と韓先生が比定のデーターベースが間違っていたとおっしゃっていました。すべてを信用できるデータというのはないものですね。
韓国千年村研究、なかなかに道のりは険しい、、、(T_T)
燕山郡燕岐県の集落をあとにして次なる目的地、熊津山城へ向かいます。
12:00- 昼食
正午を回っていたので熊津山城のふもとで昼食をとることに。韓先生も以前いらしたことのあるお店だそう。前菜が8種類ほどテーブルに並び、いざ食べようと思いきや前菜の後にメイン料理がくるそうでそのボリュームに日本勢は圧倒されてしまいました笑メイン料理は白身魚と緑茶のお茶漬け。和食と変わらないように思えますが、中には味付けが独特なものも。
図9 昼食のお茶漬け(撮影:2024/08/23 碓井颯)
12:30- 熊津山城 たらふく食べてエネルギー補給をしたのでいよいよ熊津山城へ。
前日に見学した上党山城とは異なり、山の頂上を囲むような形で築かれた山城です。
図10 下から見上げた熊津山城(撮影:2024/08/23 小谷さくら)
頂上には王宮址だとされる発掘現場があり、ふもとから見上げた山城の姿と王宮址から眼下に臨める景観は、当時の山城の威厳を十分に想像し得るものでありました。
14:00- 扶餘郡悦城県① 集落調査 熊津山城を後にして本日3回目の集落調査へ。 牛小屋やため池、寺院を示す標識など様々な構造物を発見。しかしそれらのつながりや村の構造をいまいち掴めないという声があがりました。
図11 集落の景観(撮影:2024/08/23 碓井颯)
千年村ではないのだろうか、、少し気を落としながらバスの停車の場所まで歩いていきましたが、バスが停車する前の村役場に集っていた地域の方から暑いからと招き入れていただき飲み物や村史をいただきました。現地の人々の暖かさを体験できました(^-^)
図12 村役場でおもてなしを受けている調査メンバー(撮影:2024/08/23 碓井颯)
15:00- 扶餘郡悦城県② 調査 その後、協議をした上で直ぐ近くに位置する郷校のある集落に向かうことになりました。ここでも郷校を基点に集落を調査しました。
しかし、1番初めに向かった集落より規模が小さく、山と大通りの距離が短かったのでより近代化がみられる集落でした。
図13 郷校の横にそびえたつ大樹(撮影:2024/08/23 小谷さくら)
郷校から少し登ったところには古い家が多くありました。
図14 郷校に近い民家(撮影:2024/08/23 戸田剣)
郷校の隣には現在の小学校が建てられており、この位置関係は様々な集落で普遍的にみられるようです。
図15 郷校の隣に建てられた小学校(撮影:2024/08/23 戸田剣)
郷校の横には樹齢年ほどの大樹が位置していて、関係性が考察できました。大樹の先にはお墓が位置していて、典型的な韓国集落の構成要素が実際にどのように配置されているかを体験できた集落でした。
扶余邑を走るバスの車窓からは、広大な錦江の景観が臨めました!川幅はもちろんのこと、河川敷のスケールも日本とは大違いで思わず見惚れてしまいました。
図16 車窓から臨む錦江(撮影:2024/08/23 碓氷創平)
16:00- 国立扶餘博物館 国立扶餘博物館に到着し、解説を聞きながら鑑賞しました。扶余で出土し、韓国の国宝として各地で様々なモチーフに使用されている「百済金剛大香炉」も目にすることができました。
当時の人が残したものを見るだけでもその技術や使われ方にまで想いを馳せれば当時の生活景を鮮やかに思い描くことができますね。
図16 百済金剛大香炉(撮影:2024/08/23 口石直道)
18:00- ロッテリゾートホテル扶余
博物館を後にして、本日の宿泊場所へ。ロッテリゾートホテル扶余は今回の調査に同行していただいているguga都市建築の趙先生が設計されています!
図17 ロッテリゾートホテル扶余(撮影:2024/08/23 碓井颯)
19:30にホテルの地下にあるフードコートで調査チーム全員で夕食を食べながら今日の調査の振り返りをしました。
同行していただいた先生方から様々なご意見、アドバイスをいただき、明日以降の調査の方針、そして今後の韓国千年村の在り方について再考する機会となりました。
夕食後、部屋に戻って韓先生に絵地図の見方を教えていただきました!(^^)
日記を書いたり、調査資料を修正したり、コインランドリーに奔走したりしているとあれもうこんな時間?となり、あたふたと3日目が終わっていきました。
以上、韓国調査3日目、8月23日の日記でした!
明日は今日の反省を生かして引き続き集落調査です!4日目となろうともやはり異国の地です。目に映るものは何もかもが新鮮です。
待ち構えているであろう新たな発見が楽しみですね!
0 notes
Text
「虚無への供物」中井英夫 5581
終章
58 五月は喪服の季(とき)
蒼司の告白後の世俗なんかが語られますが、正直この後になんの話があるのでしょう。
その頃の風俗や事件などが羅列され、現実味を与えています。 が、それほどの効果があるのでしょうか
プロレスブームは、1954年(昭和29年)の力道山vsシャープ兄弟から始まったみたいですね。 その後、力道山がアジア王者になったり世界タッグ王座になったりでその勢いに拍車がかかったみたいです。
ボディビルのブームは、昭和31年に日本ボディビル協会が設立されたのを基に始まったみたいです。
M+W時代というのは、男性度(M)女性度(W)を示すぐらいの意味で、映画『青春怪談』(獅子文六原作、日活版、新東宝版の2作が同時に公開された)から広まったようです。従来の男性像、女性像に対する見方が変わり、社会的に性差に対するこだわりが少なくなってきたことを反映したようです。
トニー谷の愛児誘拐事件は、1955年7月15日、人気芸人トニー谷の長男が下校途中に誘拐されたものです。
女学生の火だるま自殺は、わかりませんでした。
森永ヒ素ミルク中毒事件は、1955年6月頃から主に西日本を中心として起きた、ヒ素の混入した森永乳業製の粉ミルクを飲用した乳幼児に、多数の死者・ヒ素中毒患者を出した毒物混入事件です。
紫雲丸事故は、1955年(昭和30年)5月11日06時56分、香川県高松港沖合において日本国有鉄道(国鉄)の宇高連絡船の紫雲丸と第三宇高丸とが衝突し、紫雲丸が沈没して乗客乗員168人が死亡・行方不明になり、その多くが修学旅行中の小中学生や婦女子であったという事故です。
橋北中学校水難事件は、1955年(昭和30年)7月28日に三重県津市の津市立橋北中学校の女子生徒36人が、同市中河原海岸(文化村海岸)で水泳訓練中に溺死した水難事故です。
原爆投下後10年でいくつかの出来事があったみたいです。 1955年8月、 中区中島町1番(相生橋南)に原爆供養塔、納骨堂が改築させられた 中区中島町1番(原爆供養塔南)の平和の石燈 中区基町6番77号に電信電話職員原爆犠牲者慰霊碑 中区基町22番(三篠橋東詰南、本川河岸緑地)の広島陸軍病院原爆慰霊碑 中区小町1番(三井ガーデンホテル広島南東、平和大通り緑地帯)の移動演劇さくら隊原爆殉難碑 なんかが上がっています。
花火工場が相次いで爆発しとありますが、しっくりくる事故は、墨田区花火問屋爆発事故くらいです。
十日詣ともいわれる四万六千日(観世音菩薩の縁日)が、今年も7月10日行われたことが、 そして、今年のパリ祭は7月14日に行われることが、さり気なく挿入されています。 これだけの事件事故があっても催事は行われるということなんでしょか?
また、ボートネックの若者たちが氾濫した太陽族やカリプソとシスターボーイそれから狂熱のロカビリー、 ファンキー族が避暑地にたむろしてドドンパツイストからボサノバまでと風俗が描かれます。 太陽族は、石原慎太郎の小説に由来する風俗ですね。
季節は初夏になっていて、 下落合の牟礼田の家で、久生と亜利夫と藍ちゃんの四人が会っています。 何を考えたのか、久生は結婚の延期を主張して譲らず牟礼田はまたひとりでパリに帰ることになり、 この日は送別のために集まったのです。
蒼司はあれ以来、腰越にもあらわれず、牟礼田にも何の連絡もないという。
黙っていた牟礼田がつぶやきます。 自分が犯人な筈はないのに、���人の要素を持つというわけかと。
つづく
0 notes
Text
【国際】在日「多くの日本人が無意識のうちに差別に加担しているように感じる」 ★3 [8/3] [昆虫図鑑★
16<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん2021/08/03(火) 12:29:36.72ID:mDbQsVUN>>24>>26>>27>>28>>36>>37>>39>>43>>45>>47>>60
在日何が悪いって言うんだよ
お前ら在日の悪いところ思いつくか?
思いつくならあげてみろ
あげれるものならな
悪いと思ってるのはただのネットの刷り込み効果なんだよ
27Prisma Licht☆Illyasviel Von Einzbern ◆Illya.eEm.JP 2021/08/03(火) 12:30:28.07ID:Me/EVY/q>>65
>>16
冫(゚Д゚) はいはい
・朴烈事件(大正12年):民潭創設者・朴烈が起こした天皇暗殺未遂テロ
・直江津駅リンチ殺人事件(昭和20年):満員列車で起きた在日による日本人リンチ殺害
・大阿仁村事件(昭和20年):在日鉱山労働者が栗林に無断侵入&警官と乱闘
・生田警察署襲撃事件(昭和20,21年):山口組成長のきっかけとなった在日による警察署占拠事件
・首相官邸デモ事件(昭和21年):生活物資の優先配給を求めた在日が暴徒化
・坂町事件(昭和21年):闇市の取締りに反発した在日による暴力事件
・新潟日報社襲撃事件(昭和21年):坂町事件の記事の撤回謝罪を要求した在日による暴行
・富山駅前派出所襲撃事件(昭和21年):犯罪人解放を狙った在日による警官襲撃
・長崎警察署襲撃事件(昭和21年):犯罪人釈放を目的とした在日集団テロ
・富坂警察署襲撃事件(昭和21年):犯罪人逃亡を企てた在日による警察署占拠
・尾花沢派出所襲撃事件(昭和22年):闇米を摘発された在日が派出所を襲う
・阪神教育事件(昭和23年):GHQが戦後初めて非常事態宣言を布告した大規模テロ
・評定河原事件(昭和23年):北朝鮮国旗掲揚を巡った在日と米軍憲兵との乱闘
・宇部事件(昭和23年):山口県宇部市における在日による生活保護要求テロ
・益田事件(昭和24年):密輸入物資隠匿で摘発された在日を巡る襲撃テロ
・枝川事件(昭和24年):集団窃盗犯逮捕に絡んで起こった在日による警察官暴行拉致事件
・高田ドブロク事件(昭和24年):密造酒醸造犯による脅迫暴行デモ
・本郷事件(昭和24年):朝鮮人地区の地図作成に対する在日の集団暴行
・下関事件(昭和24年):韓国政府の在外国民登録に反発した在日が暴徒化
・台東会館事件(昭和25年):朝連解散&朝連会館接収を拒否した在日が起こした公安事件
・連島町事件(昭和25年):朝鮮解放5周年集会に集まった在日による暴動
・長田区役所襲撃事件(昭和25年):在日が生活保護を要求して襲撃
・四日市事件(昭和26年):朝連支部接収に反対した在日が起こしたバイオテロ
・王子朝鮮人学校事件(昭和26年):東京朝鮮学校による違法印刷物を巡った在日の暴動
・神奈川事件(昭和26年):神奈川県朝鮮人学校PTAによる暴力事件
・下里村役場集団恐喝事件(昭和26年):生活保護と強制送還阻止を求めた在日が村役場を占拠
・東成警察署催涙ガス投擲事件(昭和26年):警察が同胞を殺したとデマを流し暴徒化した在日によるテロ
・軍需品製造工場襲撃事件(昭和26年):東成署事件の追悼集会で在日が再び暴徒化
・半田一宮事件(昭和26年):密造酒取締に抵抗した在日が警察署を占拠
・日野事件(昭和26年):在日朝鮮統一民主戦線や祖国防衛隊による違法デモ&暴動
・万来町事件(昭和27年):生活保護増額を却下された在日が集団で福祉事務所を襲撃
・木造地区警察署襲撃事件(昭和27年):日本共産党の指示で在日が起こした襲撃事件
・姫路事件(昭和27年):民潭と総連間の抗争事件
・血のメーデー事件(昭和27年):左翼団体と在日による皇居外苑における騒乱事件
・上郡事件(昭和27年):日本の公立学校入学を巡った在日の内ゲバ暴行事件
・八坂神社事件(昭和27年):在日デモ隊が大阪東成・八坂神社に無断侵入
・宇治事件(昭和27年):在日による複数の派出所占拠
・多奈川町事件(昭和27年):密造酒一斉摘発に抵抗した在日が集団暴徒化
・田川事件(昭和27年):日本人花見客と在日グループとの争いで死亡者が出た暴行事件
・大村収容所事件(昭和27年):韓国が強制送還引取拒否した在日犯罪者達が収容所内で暴徒化
・広島地裁被疑者奪回事件(昭和27年):裁判中に在日放火犯を奪還し逃走
・桜井町事件(昭和27年):旧朝連系在日よる民潭系在日への襲撃事件
・奈良警察官宅襲撃事件(昭和27年):桜井町事件検挙に反発した在日が警官宅を襲撃
・高田事件(昭和27年):旧朝連系在日による民潭&派出所襲撃事件
【昭和27年10月、陸上自衛隊"保安隊"発足で犯罪が激減】
・靖国爆破事件(平成27年) :韓国人が靖国南門のトイレで時限爆弾を爆破させた無差別爆弾テロ
・稲荷神社御神体破壊事件(平成28年):福島市周辺で韓国人が神社仏閣の石像、仏像を100体以上も破壊した宗教テロ
・世田谷区女性殺害未遂事件(平成29年):コンビニ前で、店を出た女性が金輝俊に首をナイフで切り付けられる事件、ツイッターに「日本人を大量虐殺する」
・MKタクシー社長による個人タクシー暴行事件(平成29年):東京都港区でMK社長で韓国籍のユ・チャンワン容疑者が予約客待ちのタクシーの運転手を暴行
43 notes
·
View notes
Text
るんぺんパリ 【RunPenParis】
自己紹介 2024年12月7日(大雪)追記 7642文字】 三重県伊賀市(旧名:上野市)出身 伊賀市(旧名:上野市)に 1976年(3歳)から 1996年(23歳)6月まで住んでいた 1976年以前の記憶と出生は不明 津市にある施設にいたと聞いた覚えがある 3歳のときに養子として育てられることになり 伊賀市へ突然連れてこられた 5世帯がつながった集合住宅の一番端っこお家で 四畳半と六畳の和室の二部屋 三畳の台所 トイレはくみ取り式 お風呂は深底のホーローでガス釜式 冬は寒くて よくしもやけになった 三重県亀山市に二つか三つ年上のお兄さんいるらしいが あった事は一度もない 30代の頃に一度だけ電話で話をした 父方に引き取られたお兄さんに 母親の事を聞いた 母親は別の人と再婚し離婚して 娘さんと一緒に暮らしているらしい 名古屋に近い三重県に住んでいるという話だった気がする 父親は再婚して自分と同じぐらい娘さんがいるらしい お兄さんはおじいさんの事を尊敬していて 中国語を勉強してるらしい あとは色々と聞いたけど 覚えているのはそれぐらいの内容で もう二度と話す事はないだろうと その時に思ったけど お兄さんの顔がどんな顔なのかは 見てみたい気持ちは今でも少しはある
伊賀市でそこそこ有名なのが 「伊賀流忍者」で「忍者屋敷」は 今も昔も変わらない内容で 営業している それは昨年(2023年)の夏休みに 末っ子を連れていったから確認済 外観はただの古い家だけど 中に入ると意外と見応えはある 「上野城」ならぶ観光施設 伊賀牛は「金谷」のすき焼きが有名で 「森辻」が新しい様相なってから焼肉を食べた 個人的には「伊藤」の牛丼が好きだ 油が多い感じのお肉だから 100gも食べれば満足感がある 「伊賀上野天神祭」の鬼行列も有名かな ひょろつき鬼が子供の頃は本気で怖かった 銀座通りが歩行者天国になり 的屋がならぶ 高校生の頃はリング焼きが100円ぐらいで 何個も買って食べた 2024年は10月18日・19日・20日(金土日)がお祭り 19日(土)は久しぶりに一人で一日中 お祭りを楽しむ予定だったけど 昼前から雨が降ってきて鬼行列は中止 午前中は親戚を3件まわって、おみやげを渡した 午後に実家によって車を駐車して 歩いて「伊賀上野天神祭」へと向かった いつも泊まる「伊賀上野シティホテル」は1泊10000円以上も高い 16800円だった。この日は駐車場も使えなかった 19日(土)の夜は19時から 同級生のお店「クワトロNo.4」に初めていった 30年ぶりにちゃんと会ったオーナーの 「ガキさん」は すぐに気がついてくれた 居心地がよかったので開店から閉店の1時までの 6時間でカクテルを8杯ぐらい呑んだかな 意外と安くて8200円だった 次の日の20(日)は「伊賀上野天神祭」に参加している 同級生の「オデ」に会って 鬼行列の準備風景を写真に撮って 上野天神さんの近く「紅梅屋」でおみやげを結構買って 「桔梗屋」で上生菓子とお茶を飲んで 静岡へ帰った 「松尾芭蕉」は俳句が有名で伊賀出身 小学生の頃はがっつりと俳句を作らされた 俳句はいやいや作らされたので 俳句番組は絶対見ない 「上野公園」に行くと「俳聖殿」という建物はある 「俳聖殿」の中には過去の優秀な俳句が収められていたかな 普段はこれといって何もないけど 「俳聖殿」のたたずまいは何か「The Haiku」という感じ 「上野城」のお堀の高さ日本2位? 一時期は日本1位説もあった 中学生の頃は「上野城」のまわりで体育の授業があったり クロスカントリーレースで走らされたり 高校生のデートも「上野城」が定番だったのか それらしき男女がイチャついていた 夜のライトアップは不気味なお城に見えた 一応、桜の名所なのかな 高校生の頃に一つ年下の子とつきあっていた頃は よく「上野城」をさんぽした 帰りはその子の家の近くまで送っていった その子はとても純粋な子で 自分にはもったいない子だった 半年もつきあっていないが 今でも純粋で幸せになっているかなと思い出す事もある もう向こうは忘れているだろうけど 伊賀の街には「銀座通り」とか「丸の内」とか 東京で聞くような名称が多く使われている 地元のうわさでは東京が伊賀の真似をして 街を作ったとの話がよく出てくるから 誰か本気でテレビとかで調べてほしい気もする いまだに東京が伊賀のマネをした説を 親戚がまじめな顔でいいだす時があるから 本当に真実が知りたいけど 自分が調べるほどは興味がない 2004年(平成16年)11月1日に 「上野市」から「伊賀市」名称が変わってから 「上野市駅」が「忍者市駅」になり 「近鉄」の電車だったのが「伊賀鉄道」になり 電車がコスプレになった 駅前には「銀河鉄道999」のメーテルと哲郎の銅像があり 「産業会館」が「ハイトピア伊賀」になった 「産業会館」だった時に「マルキン」のパン屋が近くにあった そこのシナモンパンが子供の頃から大好きで 今はもう手に入らない もう一度、あのシナモンパンが食べてみたい あと小さなパチンコ店「マルト」があった 「フルーツパンチ」という機種で勝った覚えがある あと「麻雀物語」もあったかな 「海物語」という機種が記憶の最終機かな 上野で住んでいた時期に一日で20万近く負けて それからパチンコは完全に辞めた じつはその後もたまにしたが 本当に気晴らし程度で その内にきっぱりとやめた スロットが主流になったら なおさら興味すらなくなった 「新天地」もなんかおしゃれなサビれかたで 「新天地Otonari」となった 街は自分が高校生の頃の面影は薄くなったけど 何となく残っている上野市街は今でも魅力的だ 「新天地」には映画館もあった気がする 当時は賑やかな商店街だった 当時からあった「喫茶店フランセ」は今もある 「伊賀上野天神祭」を見に帰省したときに ドリアを食べたが 素朴ないい感じの仕上がりの味に 古い喫茶店をぐっと感じる事ができた 「新天地」のとなりの大きな化粧品店は 更地になっていた 高校の時の同級生が「クワトロNo.4」という バーを経営している場所もこの「新天地」にある となりにダーツバーもあり 常連っぽい人たちのたまり場っぽいイメージで 気楽には入れなさそうな雰囲気はある 一度だけ朝方にお店の扉までいったけど ダーツバーの扉って感じで雰囲気はあった ここ数年は実家で一人暮らしの おかんの様子を見に よく帰省するようになったけど 若い頃は年一回も帰省しなかった 最近の伊賀でよく立ち寄るのが 「菓匠 桔梗屋織居」と 「HANAMORI COFFEE STAND」と 「岡森書店白鳳店」で 岡森書店は、「Kマーホ」の名で活動して 出版した「トイレの閃き」が背表紙の色が 抜けた状態で25年以上も 岡森書店の本棚に置いてくれている これを見ると初心に戻れて まだまた創作していこうとがんばれる この岡森書店の店長さんは従姉の同級生で 小学校の先輩の同級生でもあり この店長の妹さんは自分と同年代で そんなつながりが それにしても伊賀市は狭いなと感じる
幼稚園の頃の事で 「市部(いちべ)」という地区だったと思う 近くに「市部駅」という無人駅があり その近くの依那古第一保育所に 5歳から6歳の2年間通った おかんは自分の送り向かいのために 自転車を乗る練習して そのおかんが運転する自転車の後ろに乗って 途中の田んぼに二人で落ちて 泥だらけになった おかんは去年の年末まで 81歳でまだ自転車に乗って 実家近くの小田町の坂を下っていたらしい いまは親戚から危ないからと 自転車は召し上げられ 手押し車ででかけている 小学校6年生の卒業までは 上野市依那具にある 市営の「城ケ丘住宅」で過ごした この市営住宅はもう40年以上も その雰囲気を変えずに今でも残っている ここは伊賀市の文化遺産にしていいほどの 時間が止まった場所だ いまだに汲み取り式の便所の換気の煙突が立ち並んでいる このカオスな感じは小学生の頃の不便な生活を思い出させる あの生活で暮らしたから今があるのは確かだ 小学校の通学路にある 垂園森(たれそのもり)でよく遊んだ 現在も存在しているが オバケが出そうな森 この森は当時通っていた「依那古小学校」の 校歌の歌詞にも出て来る イメージ的には幽霊が出そうな森だけど 何か不思議な生き物が住んで居そうな森に見えた きつねも出そうだし おばけも幽霊も心霊も もしかするとタイムスリップして 小学生の頃に戻れそうな気もする森だと 変な懐かしさを感じる 近くには無人駅の「市部駅」と 毎日にらめっこしている森 垂園森(たれそのもり) 中学校からは上野市街の「上野城」の 城下町で過ごした 引っ越しをしました 当時はカオスな「市営城ケ丘住宅」から出れる事が 本当にうれしかった 小学校までの友達とも 見飽きてしまっていたので 寂しくはなかった 当時から色々な物にすぐに飽きては 新しい物が好きだったので そっちのワクワク感で本当にうれしかった そして引っ越ししたお家は 築20年以上���中古の一軒家で2階建て 自分だけの部屋があり トイレは汲み取り式だけど洋式で あこがれの上野の街で住める事もあって 本当にうれしかった
そして近くの「崇���中学校」に通う事に 中学校の3年間は 転校生という立場と 中一のときに足のかかとを骨折 バスケ部の試合で となり町の「名張市(なばりし)」の 体育館で遊んでいて 二階から飛び降りたら 右足のかかとの骨にヒビが入った
完治した その夏にはバスケ部をクビになり 陶芸部に入った バスケ部とは違い まろやかな陶芸部の部長は 本当にやさしい部長さんだった 中二で左腕を骨折 中一の右足かかとの骨折 どちらも遊んでいての骨折を二年連続してしまい この二年間の体育の成績は最低だった そして中三の高校受験に突入して この「崇廣中学校」では いい想い出は ひとつも無い
そして高校生となって 高校1年生で やっと自由になれた気がした まずは毎日 カッコつけて髪型をきめて その次は彼女を作りたいと 手当たり次第に告白したら 全滅した その数は20数人はいたと思う そしてあらゆる所で 告白しすぎて 変な奴として顔が広まってしまいそうになってきた 高校1年の後半はおとなしく 過ごしていた
高校2年生で 小学校の時にサッカーで出会った 旧友とバンドを組んだ RCサクセションのコピーバンドで 代表曲の 「雨上がりの夜空に」「トランジスタラジオ」 「ベイベー逃げるんだ」「サマーツアー」 「サントワマミー」「いけないルージュマジック」 「いいことばかりはありゃしない」 「どかどかうるさいR&Rバンド」をコピー 旧友が作ったオリジナル曲「ガレージの上のR&Rバンド」 も歌って一年で6回ぐらいライブをしていた 一番のモテ期だった気がする ただバンドをやっている自分を見て 好意を寄せられても違うなと思った バンドをしていない時は ただのバイトに明け暮れた 高校生だったから バンドマン目線で近づいてくる そういう女子には興味がなかったから 冷たい感じの男だったかも 本当にこの高校2年の時期が いままで生きてきた中で一番楽しかった。 高校2年後半の頃は またたくさんの恋をしたが 自分が不器用だったので 自分が好きだった人からは つきあえてもすぐにフラれた それから人を好きになることに 迷走し始めて 最終的に好きになる事はやめて なんとなくいいか別に という感情で奥手で過ごしていった そのせいか、 他校の女子からゲイだとか ウワサされる事もあった なぜそうなるか不思議だったけど 当時はそんなうわさも 楽しければなんでもよかった
1993年の20歳になるころ 家を勝手に出て 一人暮らしを始める やっと自由になった気がした 2年間ぐらいは お金が無くて 通帳の残高は毎月マイナス50万の カツカツでぎりぎりの生活 家賃と車のローンがきつかった 1996年7月(23歳)から 2003年7月(30歳)の 7年間は茨城県と千葉県の県境の 利根川の近く取手市に住んでいた この取手駅界隈を走るタクシー運転手の 態度は本当にムカつくから こっちも態度悪く乗ると 気分の悪さはお互いさまになった 関東平野は景色が無く ここでの生活は なんとなく落ち着かなかった 食文化も人も気候も水も 肌に合わなかった 特にうどんの汁が濃いだけのシンプルな味は げんなりさせてもらった ただ寺原駅近くの「ふる川」はよく通った とくに「カレー」がめちゃくちゃ美味かった 夕食時はのれんが出される前の時間に 駐車場で待機して開店と同時に 店に入っていたので お店の人には顔を覚えられていた この「ふる川」は今もやっている 当時はお店の子供で 小学生の女の子が手伝っていた 夫婦だけで運営していて 素朴な店内で 週3回ぐらいは夕飯でお世話になった 「さば定食」もよく食べた気がする
1997年(24歳)から パソコンを近くの「ミドリ電化」 というお店で38万で購入して 作詞やネットに興味を持ちだした 「まどみちお詩集」を読みだし 作詞に近い詩を書き始めた 「Kマーホ」という名で活動を開始し メインの詩を書き始める 創作の目標をまず詩300篇と決めて 詩を思いついたら メモをつけるようになった 週末はいつも家に引きこもり 朝起きて寝るまでの一日中 音楽を聴きながら 38万円のパソコンを買ったのに まだ「ワープロ」で 手書きの詩を清書して プリントしていた
1998年(25歳)から2002年(29歳)まで 「Kマーホ」の名で活動して 詩に団体に参加したり 詩の賞に応募したり 詩集を自費出版したりと やりたい事にお金も時間も好きなだけ 使ってすごしていた この時期に参加していた詩の団体(万有)には もうドロドロとした 詩を書く人や あまりにも読み解けない詩や 暴力的な詩を書いたり そんな態度の人や いい人も数人はいたけど 自分とは全然目指している方向が 違うので2年目ぐらいで辞めた それからは詩の団体に興味は無くなった それから 自費出版した詩集「トイレの閃き」約2000部を 全国の小中学校や 全国の図書館へ寄贈して 本棚に置いて欲しいとお手紙をそえた 返送されたり お礼のお手紙を頂いたりと 色々と反応を感じながら 2002年の29歳の時に 詩を創作する活動を休止した これで「Kマーホ(けいまーほ)」での 活動は終わった 理由は2000年(27歳)に結婚してから 集中して詩を書く時間が無くなってきたから 2002年に2つの詩集を出版して 詩の事は全部段ボール箱へ入れた
2003年(30歳)から2019年(46歳)まで 育児に家族を重点を置いて生活をする この時期の16年間は友達とも連絡を 切っていたので のちに死亡説や宗教説が出ていたらしい 2003年7月(30歳)から 子育てを重視するために 景色のいい静岡県に引っ越し もう20年以上住んでいる
2019年1月(45歳から46歳になる年) 「平成」から「令和」に変わる年に 「るんぺんパリ【RunPenParis】」の名で 創作活動を再開する 1998年(25歳)から2002年(29歳)の 「Kマーホ(けいまーほ)」の頃とは 全然ちがう方向性で詩を書き始める そしてSNSを活用して まずは詩の発信を始める 「るんぺんパリ【RunPenParis】」という名前の由来は フランスはパリの街を ぺんを持って 走りながら創作するというイメージから 【RunPenParis】ができた 1973年8月1日生まれ(現在は51歳で2025年は52歳) しし座 O型 右利き 詩・詩集・ことばをデザイン アート・写真・小説・ペン画 松尾芭蕉の生家がある伊賀市で 十代までを過ごし 俳句が幼少期から 身近に存在していた 二十代から詩を書き始めて 「Kマーホ」名で活動(1999-2002) 詩集6冊を出版して活動休止
その後 松尾芭蕉の俳句のような シンプルな言葉遊びを 詩で出来ないかと考えていた中で 令和元年(2019)に 「るんぺんパリ【RunPenParis】」の名で 活動を再開 SNSに140文字に 言葉をデザインした詩 「140文字詩」を 毎日投稿する活動を始める 2023年9月に140文字詩が 1200作品に到達した 「140文字詩」が広く浸透できればと 創作を続けている ◆るんぺんパリ【RunPenParis】作品一覧(2019年~) 【2024年(51歳)】Amazonで販売 2024年11月17日 第17詩集「もんもん もんもんで もんだろ」 【2023年(50歳)】Amazonで販売 2023年12月27日 第2フォト集「ほちきす それでは あかんで」 2023年12月2日 第1フォト集「とめても ええか ほちきすで」 2023年11月23日 第16詩集「もあいの ねごとを よみとる」 2023年9月16日 第15詩集「さんもじ もしくは よんもじ」 2023年9月9日 第14詩集「のこりの あぶらは わるもの」 2023年9月2日 第13詩集「あそびも しごとも たいふう」 2023年8月26日 第12詩集「かいてきな しつどに おぼれる」 【2022年(49歳)】Amazonで販売 2022年12月6日 第11詩集「やくそくは よなかの おひるに」 2022年11月3日 第10詩集「みさんがの ともだちの たまんご」 2022年10月7日 第9詩集「くうきと さんその かつさんど」 2022年9月3日 第8詩集「さついを こめた いもけんぴ」 2022年8年7日 第1アート作品集「やさいに つめる にくえらび」 2022年2年14日 第2アート作品集「よなかに ひかる かみぶくろ」 2022年1年1日 第7詩集「みかんの むくちな きもち」 【2021年(48歳)】Amazonで販売 2021年9月8日 第6詩集「そんな ことばは さよなら」 2021年8月3日 第5詩集「あさに おくれた なんて」 2021年6月5日 第4詩集「すいかの たねの ちょうこく」 2021年5月31日 第3詩集「たんぽぽの たまご ひとつで」 【2020年(47歳)】Amazonで販売 2020年7月27日 第2詩集「こよい こよりの そらから」 2020年3月2日 詩小説「すきから あいへ おやすみ」 【2019年(46歳)】Amazonで販売 2019年7月21日 第1 詩集「ところで あした あいてる」 ◆Kマーホ 作品一覧(1999年~2002年) 【2002年(29歳)】 2002年4月30日 第6詩集「眠立体(ねむりったい)」発行部数不明 2002年4月4日 第5詩集「コールサック」100部発行 【2000年(27歳)】 2000年7月31日 第4詩集「マガサス星人」500部発行 2000年1月31日 第3詩集「おしりとサドルが あいますか」500部発行 【1999年(26歳)】 1999年8月1日 第2詩集「テレビジョン」100部発行 1999年5月1日 第1詩集「トイレの閃き(ひらめき)」2000部発行 【受賞】 2001年(28歳) 詩「眠立体(ねむりったい)」第6回トワイライト文学賞 2000年(27歳) 詩「永遠の親友」信越郵政局長賞 1999年(26歳) 詩「トイレの閃き(ひらめき)」第1回万有賞 1998年(25歳) 作詞「地球のウラハラ」第31回日本作詞大賞新人賞候補ノミネート
#自己紹介#るんぺんパリ#RunPenParis#詩#詩集#140文字詩#ことばをデザイン#詩小説#アート#写真#ぺん画#ペン画#art#paris#artist#artistreet#vogue japan#japan#伊賀市#伊賀#伊賀出身#伊賀詩人#japanese#life in japan#tokyo#japan photos
0 notes
Text
「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和四年(2022)1月3日(月曜日)
通巻7177号
ウイグル書記に「栄転」した馬興瑞は、なぜ次期政治局人事で注目されるのか?
宇宙航空ミサイル分野の花形「哈爾浜工業大学」教授、副学長を経験した実績
**************************
唐突に深セン書記から新卿ウイグル自治区党委員会書記に「栄転」した馬興瑞は、なぜ次記政治局人事で注目されるのか?
第一に彼は宇宙航空ミサイル分野で、軍の花形となった戦略ミサイル部隊に直結する哈爾浜工業大学教授、副学長を経験しているからだ。
第二に中国にシリコンバレーとして経済発展のめざましい深センの書記兼広東省省長だった。このポジションは歴代がそうであったように無言裡の躍進が約束されている。
鍵は深センという急発展の都会にある。
最初に深センを「見た」のは1970年代央、香港のホンハム駅からのんびりと汽車で行く(特急も新幹線もなかった)。国境の羅府のひとつ手前の駅からタクシー運転手が乗り込んできた「国境展望台まで安く行くから」とセールス。双眼鏡が設置されていた。中国は未だ鎖国していた。
(嗚呼、あれがレッドチャイナか)という感じだった。遠景にはみすぼらしい風景が展開していた。
80年代初頭だったと記憶するが、実際に深センに足を踏み入れたのは香港から旅行代理店が斡旋する日帰りツアーで、別刷のヴィザが日帰りなのに必要だった。写真二枚。外国人ツアーに紛れ込んだ。香港の波止場から蛇口港へ、揺れるフェリーに乗って。当時は広東省宝安県で、人口は2万人程度だった。ガイドが当方の服装、靴、時計に異様な興味を持っていることが分かった。
およそ文明化に遅れ、冷蔵庫は普及しておらず、もちろんエアコンはない。肉を天日のもと、屋台で売っていてビールもぬるい。時代遅れの電化製品と古着屋、貧しい漁村だった。歩道は舗装されておらず、行き交う車は滅法少なかった。
広州市までバスに揺られ、花園ホテルのバアで休憩。「あんた日本人か。所属する単位は何か?」と聞かれ、職業は自由に選べると答えると信じられない顔つきだった。広州市は中国一先進的な都会だが、当時、外国人が宿泊できるのは花園ホテルと中国飯店、東方飯店くらいだった。いまは無数の高層ホテルがあり、広州は中国一の所得を誇る。広州の繁華街をあるくと「ここは銀座か」と錯覚するほどに繁栄している。
トウ小平の南巡講話があり、先富論が叫ばれ、勝手気ままな投資も認められ、香港華僑、ついで台湾華僑が本格進出を始める。窓口は深センで、国境の橋にあった旅行代理店で、日本円で26000円を支払い、半年有効の数字ヴィザが取得できた。ものの20分だった。東京の中国大使館で不愉快な思いをしてヴィザを取得する必要がなくなった。
改革開放が本格化し、のっぽビルが建つようになると、深セン駅前には闇両替、妖しげなポルノ、薬屋には「長生きできる妙薬」とか。「80歳でも大丈夫」とか。電機部品の秋葉原のような安普請のデパートがあった。スマホどころが、電話機が並んでいて、旅行客は貸し電話屋に飛びこんであちこちに電話をかけていた。甲高い音響というより壮大な雑音が町中に響き渡った。
町はまだ普請中、道路は囚人が工事をしていた。何かハリウッド映画のスタジオを拡大したような風景で駅突き当たりのシャングリラホテルの最上階レストランから市内の全景が見渡せた。町辻のテントでは、横流しのセータやネクタイが山となって信じられないほど安い値段で売られていた。
以後、所要で香港へ行くたびに、深センに足を延ばし、何回か通っている裡に高層ビルが競うように林立し、地下鉄が縦横に、そして日本人向けのナイトクラブに妖しげなホテル。筆者の定宿は駅前のボロ旅館で一泊3000円前後だった。
いまとは逆で香港の中間階層のサラリーマンは、香港のマンションが高くて手が出ないので、深センでマンションを買い、毎日、およそ35万人が香港へ通勤していた。三洋電機の深セン工場を取材したこともあった。
いまの深センは中国のシリコンバレー、ハイテク企業が蝟集し、テンセント、ファーウェイ、鴻海精密等々。日本人学校もある。人口は1760万人。高層ビルは350棟以上。飛行場は二つ。株式市場もできた。新幹線は武漢とも、上海とも繋がった。広州市経済圏とはマカオ対岸の珠海、仏山、中山、東莞と広州市までの沿線衛星都市が急発展し、メガロポリスの人口は1800万人くらいだろうか、広州市経済圏と深センを併せると上海メガロポリスを超える経済力がある。
だからこそ広州市、深セン市、そして広東省の書記に誰がなるかが、北京、上海と並んで注目を集めるのである。
広東は革命元帥のひとり葉剣英とその一族が長く治め、下放されたトウ小平を梅県で匿った。剣英の子、葉選平を説得して北京へ呼び寄せ、ようやく広東の経済力を手にしたトウ小平は、広東省書記、広州市書記を中央から任命した。だから広東省書記を経験した李長春、張徳生、王洋が政治局常務委員となり、同書記経験組の胡春華(副首相)に次期人事のスポットがあたり、中央の大幹部への確実な階段となる。
しかもシリコンバレーで繁栄を築いた深セン特別市の書記を経験すると、さらに早い出世階段を駆け上る。
近年、張高麗、李鴻忠、そして先月、深セン市書記兼務広東省長の馬興瑞が、新彊ウイグル自治区書記に移動し、「悪代官」と呼ばれる陳全国と交替することになった。前者ふたりは政治局常務委員に上り詰めた。したがって馬興瑞の政治局入りは確実である。
張高麗はテニスの女王との不倫関係がばらされ、スケベジジィとして有名になったが、天津特別市書記からトップセブン入りした。そのあとの李鴻忠も2016年以来、天津市党委員会書記である。
5 notes
·
View notes
Text
10日くらいの日記、もう年末ですね


20201220
朝の9時過ぎ、バスを待ちながら今日はなんだか暖かいなと思って気温計を見たら-4℃だった。暖かいのは気のせいだったのかもしれない。
20201221
仕事が忙しくって残業をして帰る。いろいろと思うところがあり、ぐぬぬぬぬぬ!!!となりながら巷で評判の良い「命の母 ホワイト」を飲んだ。ていうか単に疲れてるのか。
前の職場の上司から、来年のカレンダーのお歳暮が届く。飲みに行こうぜーと再三誘われていたのだが、不精をしていたのに、気を使っていただいてとても恐縮である。職場に電話したが不在だったので、メールを送る。手紙も書こう。
カレンダーは、私が大好きな米津祐介のものだった。好きなことを覚えててくださったこと、それがいちばん嬉しい。心があったかくなる。
冬至。柚子湯に入って、早めに眠った。
20201222
父の四十九日法要を行う。本当は来年の1月8日が四十九日なのだが、微妙に松が取れたり取れなかったりする頃なので早い目に行うことにしていた。
隣の市にあるお寺にお世話になる。懸念していた雪も、とりあえず大きな道路にはない感じで助かる。朝から兄夫婦といっしょにお寺に行って、ご住職に位牌に魂を入れていただく。実は位牌を見るのはこの日が初めてで(カタログ見て注文してそのままだった)、いい感じの仕上がりにみんなで盛り上がった。父の葬儀の相談から長いことお世話になってた生協の方とも、とりあえずはこれでおしまい。丁重に挨拶をした。本当にお世話になった。
兄夫婦と別れて、その足で農協へ向かい、車の自賠責保険の名義を変更してくる。そして家へ一度帰ってお昼を食べ、午後は別の金融機関へ行って講座の解約。ちょっと場所的にも遠くて手がかかるところだったので、済ませてしまってよかったよかった。帰り道、ドラッグストアに寄って買い物をする。よく行くチェーンの普段行かない店舗に行くのは、ちょっとパラレル感があって楽しい。
夜は四十九日が終わり一区切り、ということで、魚屋さんからお寿司を買って母と食べた。
20201223
今日祝日なのにバス混むなあ?と思いながら出勤したら、なんと平日だった。そうか、もう令和か……。
お借りしていた「鬼滅の刃」最終巻を読み終わる。余韻が凄すぎて、最終巻だけでもむしろ欲しい。鬼滅ではぼんやり冨岡さん推しだったのだけど、最終巻を読んでその気持ちを確固足るものにした。鬼滅の推しは冨岡さんです!!!!(突然の宣言) キーホルダーとか超欲しい。カバンに着けたい。そのうちアニメイトに行くか……。
20201224
クリスマス・イブ。
クリスマスは大好きな行事のひとつだけど、今年は年末年始の休暇を目標にいろいろと頑張っているせいか、どうも影が薄くなっちゃっている。ツリーも飾ったんだけどな。
仏壇の下に置くチェストがニトリから届く日。我が家にはそもそも仏壇がなかったので(ついでに言うと墓もない)、父のことは仏壇を買うところから始まったのだが、チェストの上に仏壇を重ねるという「立って拝む」スタイルにしようということで、ニトリに仏壇とチェストを注文していたのだった。納期の関係で仏壇は以前に届いていて、チェストがあとからようやっと届いた次第。私が仕事だったために兄が駆けつけてくれて、設置をしてくれたのでとてもありがたい。「お父さんに立派なクリスマスプレゼントになったね!」とみんなでひとしきりはしゃいだが、よくよく考えると、キリストの誕生日に仏壇(の設置)がプレゼントっていうのはどうなんだろうな……。しかし立派なチェストで、仏壇にもいい感じに雰囲気が合い、いい感じだ。お値段以上、ニトリ。
20201225
クリスマス。メリークリスマス!兼ねてより準備していたプレゼントを、知人に渡すなどする。ついでにすごく面白かった「さよたんてい」の本も貸す。
前から予約していた福祉バンクが来てくれて、父の使っていたものをいくつか持ってくれていったようだ。応対してくれた母と「誰かの役に立って欲しいね」という話をした。これはどうなんだろうな……?と思っていたものも引き取っていただき、とてもありがたい。
仕事は混迷を極めていたが、こないだ残業したので今回はサラッと帰宅した。巷はクリスマスに溢れかえっているけれど、私は26日がお休みなので、その日にクリスマスするつもり。しかしとりあえず、メリークリスマス。
20201226
ということでクリスマス(実質)。父が入院して以来、かなり久しぶりの何も予定のない休日だ。
ということで、27日に閉幕してしまう、岩手県立美術館の「東山魁夷展」に行く。混んでるだろーなーーと思って危惧していたのだけど、とりあえずまだなんとかなるレベルの混み具合だった。フライヤーなどに使われている海の絵が最初の目当てだったのだけれど、後半に展示されていた水墨画がとても印象に残った。柳の木が縦横無尽に動くような空気が良い。
美術館を出て、近くのイオンに寄ってケンタッキーを買い、これまた近くのケーキ屋さんに寄ってケーキを買って帰った。メリークリスマス!ツリーはまだ出したままにしてある。
夕方には県外の高校に進学している姪っ子が遊びに来てくれた。元気そうでよかった。お土産をいただいてしまい、叔母ちゃんは恐縮です。
20201227
はちゃめちゃに眠い1日。もう少しで年始年末休み!!ということだけを考えて仕事をする。
20201228
今日で無事に仕事納め。というか朝から午後までずーーーっと会議会議で仕事はまだまだこれから、むしろ来年が本番なんだけれども、とりあえず納めてきた。押し込めてきた。帰ってから食べるあっつい鍋焼きうどんが染みる……。明日から休みだ!しかしなんというか、いろいろと忙しかったためなのか、なんだか年末感が薄いなあ。おもちに備えて、くるみを割った。
クリスマスツリーは明日片付けよう。
20201229
……という流れで駆け抜けて、今日。いや、むしろ昨日。
待ちに待っていた年末年始の休みにようやっと入り、とりあえずは一息ついた感じ。朝から今年最後の燃えるゴミを出して、とりあえず買い物へ向かう。お雑煮やお煮しめ、夜更かし用のお菓子などを買い込んで、お昼までは昨日割って中身を取り出したくるみのゴミ取りをする(殻の細かい破片などが入っちゃっているので)。
午後は大掃除だね~と前から予定を決めてはいたものの、母と二人ともなんだかぐったり疲れてしまい、予定を返上してのんびりうたた寝などをする。疲れていたのだな……。年末年始の様子を伝えるニュースを見ながら、夕飯に煮込みハンバーグとポタトサラダを作った。
夜はお風呂に入りつつ扇風機(サーキュレーターぽく暖房と併用している)の部品を洗った。かなりスッキリして、何となく吹く風が心地よくなった気さえする。さて、明日こそ大掃除だ。雪はどれくらい積もるのか���あ……。
4 notes
·
View notes
Text
2025/3/13 16:00:18現在のニュース
読売記者が取材資料を一時紛失 大阪府警の広報文など6枚 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2025/3/13 15:57:30) 韓国保守、再建の道は 与党が真っ二つ…重鎮は「尹氏詣で」、若手議員は「決別」主張([B!]産経新聞, 2025/3/13 15:54:10) 米国版「はやぶさ」が挙げた成果 NASA研究者が「失望した」理由 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2025/3/13 15:51:10) 春闘明暗 医療、介護の組合は賃上げなしのゼロ回答続出 全国でスト | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2025/3/13 15:51:10) 斎王歴博 退職する榎村学芸員35年のおススメ作品展:朝日新聞([B!]朝日新聞, 2025/3/13 15:48:29) <正論>今こそ経済成長への具体論示せ 元慶応義塾塾長・安西祐一郎([B!]産経新聞, 2025/3/13 15:48:17) 東日本大震災から学ぶ津波防災 拓殖大学特任教授・防災教育研究センター長 濱口和久([B!]産経新聞, 2025/3/13 15:48:17) パート賃上げ率、過去最高6.53%に UAゼンセン加盟組合平均(毎日新聞, 2025/3/13 15:47:40) インテルCEOに半導体のプロ 設計・製造くすぶる分割論 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2025/3/13 15:45:32) <正論>大空襲の史実もって犠牲者偲ぶ ノンフィクション作家・早坂隆([B!]産経新聞, 2025/3/13 15:42:21) 大気汚染ランキング 上位をインドの都市独占 国別ワーストは?(毎日新聞, 2025/3/13 15:40:23) 今日も惑いて日が暮れる:脱退王とのつきあい方=吉井理記 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2025/3/13 15:39:07) 牛・豚用ワクチンの入札で談合、公取委が2社に排除命令 課徴金も(朝日新聞, 2025/3/13 15:38:08) <主張>大阪万博 関心高める工夫をこらせ 社説([B!]産経新聞, 2025/3/13 15:36:35) ラマダンの風景 人と人のつながりの大切さ実感 千夜一夜([B!]産経新聞, 2025/3/13 15:36:35) 学校部活動を継続 子どもの活動機会維持へ、地域事情から導いた結論:朝日新聞([B!]朝日新聞, 2025/3/13 15:36:17) 閉館迫る俳優座劇場 消える「現代演劇の拠点」が問うものとは:朝日新聞([B!]朝日新聞, 2025/3/13 15:36:17) 夜、妻の首を絞める男たち 「死の鉄道」「地獄船」生存者の心の傷:朝日新聞([B!]朝日新聞, 2025/3/13 15:36:17) 気候・環境政策を覆すトランプ政権 さらなる解体の始まりか:朝日新聞([B!]朝日新聞, 2025/3/13 15:36:17) 新1万円札を家庭用プリンターで偽造してコンビニで使用…27歳の男を偽造通貨行使容疑で逮捕([B!]読売新聞, 2025/3/13 15:33:55) 日本国債、投資家は買い場探り 英ブルーベイは売り終了 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2025/3/13 15:33:24) 今日も惑いて日が暮れる:感謝を強いる人たち=吉井理記 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2025/3/13 15:33:23) 小島剛一さんがトルコで辞典出版「ラズ語」はこんな言葉 複雑な概念を動詞1語で…日本での講演内容(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2025/3/13 15:33:13) 同志社大ラグビー部、脱低迷へ 「マイ便器制度」で磨く自立心(毎日新聞, 2025/3/13 15:33:11) 山形の豚熱ワクチン談合 公取委が2社に排除措置命令 独禁法違反(毎日新聞, 2025/3/13 15:33:06) 同志社大ラグビー部、脱低迷へ 「マイ便器制度」で磨く自立心(毎日新聞, 2025/3/13 15:33:06) 「次郎右衛門」でGO!! 銚子電鉄、観光列車に改修した車両披露(毎日新聞, 2025/3/13 15:33:06)
0 notes