#似顔絵教室
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自室の記録

5年前からルームシェアをしているSと一緒に引越しをしてから、3年が経った。寝室をSが、リビングを私が自室としている。私の部屋の正面には大きな窓があり、左右にもそれぞれ小窓がある。

小窓1
装身具類の置き場所。ピアスを置いている鳥のレモン絞り器は、Fさんから貰ったもの。Fさんはよく動物のものをくれる。犬の形をした栓抜きや、野営をするくまの置物も彼からのプレゼントだった。
カートリッジインクの空き容器には、ヘアピンやネックレスを入れている。私の父は吸引式の万年筆を好んでいて、父から贈られたペンもインク瓶とセットのものが多かった。実家を出て外にいる時間が増えてからは、インクを切らすことが怖く、自然と替えのインクを持ち運べるカートリッジ式の万年筆を使うようになった。それからしばらく経ち、1年前にプログラマを辞めたことを手紙で報告すると、その数日後に「励まし」とボールペンが送られてきた。以降ずっとそのペンを使っているから、手持ちの万年筆はどれもインクを抜いてある。
よく付けるピアスは窓の縁に置いていて、どこかの喫茶店で使われていたらしい伝票入れには、硝子のオーナメントやトライアングルのビーターを差している。

Hのくれたトライアングル本体は、腕時計とブレスレットを失くさないための場所として機能している。良くない使い方だと罪悪感を覚えてはクロスで磨いている。

小窓2
『陶の家』を見かけたらひとつ買うというのを続けていて、現時点で3軒が建っている。少しずつ街になっていく。家の奥には、ミナペルホネンの好きなQさんにプレゼントしたものと色違いのタイルを置いている。

小窓3
すぐぼろぼろにしてしまう指先のケア用品を置いている。H先輩に貰ったネイルオイルの磨硝子が好きだった。Fさんが動物をくれるように、この人は硝子をよくプレゼントしてくれる。硝子のオーナメントも、ステンドグラスのくまもH先輩から貰っている。

窓を開閉するハンドル(オペレーターハンドルというらしい)に紐をかけて、ケーブルや電源類をまとめている。先日Eから貰った白いカールコードのシールドもここに下げている。黒い服ばかり着ているのに、Eには乳白色のイメージがある。“誤って人間として産まれてしまった天使”だと感じさせる人と知り合うことが何度かあり、Eもその中のひとりだった。

向かって左には仕事用のシャツ、右には外套を何着か掛けている。秋冬用の服ばかりある。

机
ここに越すことが決まってから最初に選んだ家具。プログラマになったばかりの頃、メモリの重要さを机の広さに喩えて教えられた。それで机は広いほど良いものだと認識したのか、気付けば横幅のある机ばかり探していた。天板の色を��に決めて、部屋の軸に据えた。

職場で割ってしまったマグカップに無線イヤホンや保湿クリームを入れている。シャツを濡らしたまま破片を持つ私を見て、笑ってくれる会社の人たち。これ以上は無いとよく思う。
ヘアクリップ入れにしている、ままごと用のような小さな花瓶も気に入っている。渋谷の蚤の市で友人へのプレゼントを選んでから、度々その人の店でものを買うようになった。銀色のトレイやハート型の赤い缶もその人から買った。
銀色の電源タップは前の部屋から持ってきたもの。あらゆる電子機器の電力をここから供給している。

ギターをくれた友人たちが別の年の誕生日に合同出資してくれたオーディオインターフェースがモニターの下にある。未だに1-2と3-4の入力を同時にする方法が分からず、2つずつ付け替えながら使っている。これを貰ってからAudacityで曲を作り始めて、今もそのやり方をしている。会社の先輩には「システムを0と1だけで作ろうとしているみたいなものだよ」と言われたけれど、その頓馬さを含めて自分に馴染むので、Audacityをずっと使っている。キーボードがちょうど上に乗る。

モニターの横にはmicroKORGを置いている。普段は誕生日に贈り物をしないと取り決めているSだけれど、数年前に何かで手を貸した際「この恩は倍にして返します」と言い、その年の誕生日にmicroKORGをプレゼントしてくれた。このシンセサイザが部屋に来てから、自分の生活が向かうことのできる方角が増えたように感じている。大切な楽器。

microKORGには、新しい部屋で出した『野良の花壇』のマグネットを付けている。本来は冷蔵庫のために作られたマグネットだけれど、皆とスタジオにいる時にあって欲しく、ここに付けている。プリク��で来られなかった友達の似顔絵を描くような感覚。私の黒い冷蔵庫には、ピーター・ドイグの青鬼の絵と油絵の花のマグネットだけがある。

机の下に、PC・トランクケース・スーツケースを置いている。PCはSのお下がりで、MacBookしか使ったことのなかった当時の私は、こんなに大きな箱がPCだなんて、と思っていた。PCの上に付けたアンテナは狐の顔のような形をしている。
トランクケースは大学2年のころ大枚をはたいて手に入れたも���。どこか遠出をする時はこれに荷物を詰めている。畳み終えた洗濯物をSの部屋へ運ぶ時のかごや、ギターを弾く時の足置きとしても使用。頑丈さに安心する。
スーツケースはついこの間、京都に長く滞在するために買った。銀色の次に、灰がかった青が好きだと思う。

ギター・くま・本棚

ギターは高校時代の友人たちが誕生日にくれたもの。19歳になったばかりの頃、当時の交際相手と出掛けた帰り、気が付いたら楽器屋にいた。ギターを2本持ったその人に「どっちがいい」と訊かれ、指差した方を買ってくれた。私にギターを与え、弾き方を教えてくれたことにずっと感謝している。その人と別れてしばらく経ち、誕生祝いに何が欲しいかを訊かれ、ギターを頼んだのだった。友人たちは「あえて白にしてみた」と笑っていた。今思えば、このギターを貰ってから白を自分のものにすることへの抵抗が弱くなった。ギターの届いた日、触っているのが楽しくて大学を休んだのを覚えている。
YAMAHAのアンプは義兄が使っているのを見て購入した。私が真似をしていると知って嬉しそうだった、と姉から教えてもらった。

左端のくまは、元は白だったのだけれど、深い青のシーツで眠るのに付き合わせたせいで黝くなってしまった。Kの小説に「ヤニや涎で汚れてしまったのかしら」と書かれて��らは、布で包んでいる。いつかぬいぐるみ病院に連れて行きたい。隣は一度も会ったことのない人が贈ってくれた黒いくまと、高校時代の交際相手が留学先のお土産として連れてきてくれた焦げ茶のくま。誰かとビデオ通話をする時にはよくパペットのくまに代理出席してもらっている。右は、地元や旅先の雑貨屋で見つけて連れてきてしまった(“しまった”という意識がずっとある)小麦と白のくま。グレーのワゴンに小さなギャッペを敷いて、くまたちの場所としている。

低い本棚の上
蓋のない宝箱。小物たちというより、質量のある記憶群という方が実感に近い。
西荻窪にあった喫茶店の閉業を知って沈んでいると、H先輩が「お店で使っていた品物を販売しているみたいです」と教えてくれた。黒い花瓶のあるおかげで、ずっとその店を忘れずにいられる。今はEのくれた竹とんぼや、Aさんのくれた花を入れている。ポストカードをしまっておける箱のついた額縁には、Aの写真を入れている。過去、「__の写真を写真展に出してもいいですか?」と、もう搬入の終わった状態で確認の連絡が来たことがあった。Aがごく稀に見せる、こういった強引さが大好きだった。展示を了承する代わりに譲ってもらったその時の写真たちは、勾配天井の部屋に暮らしていた時に飾っていた。上京してから借りたどの部屋にもAの写真を飾っている。そのほか、江の島で拾った石や、Tさんがライブ終わりに嵌めてくれた指環、Uさんと行った犬吠埼のイルカの置物、書ききれないほどの誰かと紐付いた宝物がある。

声の依頼を受けた際、お礼にといただいた絵。額装までしてくれていた。元々この人の絵が好きだったので大喜びした。一度この絵を裏返さなければいけない時期があったので、また飾ることができて嬉しかった。

高い本棚の上
小さなギターは、Kさんと一緒にRさんの部屋でパーティをした日、中古のおもちゃ屋で買ったもの。Rさんの部屋に戻った後もご機嫌に鳴らしていて、そのあと火事が起きた。カセットコンロの火がテーブルクロスに引火して、火が早送りのように広がっていくのを見た。三人で死ぬ映像がちらついた、次の瞬間には火が消えていて、振り向くと花瓶を持って息を切らしたRさんが立っていた。チューリップを活けていた水での消火。このおもちゃが生き延びた証明になっている。このあいだのアルバムに入れたフィールドレコーディング曲にはその日の日付が付けられていて、火のはじける音やこのおもちゃギターの音が入っていた。volca keysは初めて触ったシンセサイザ。自分ひとりである程度のことができるようになりたくて、リズムマシンとマルチエフェクターを買った。
銀色のバットはひとつ前に住んでいた部屋の近くにあった台所道具の店で買ったもので、前日と翌日のあいだの時間に携帯品を置いておく場所として使っている。

Artekのスツール60を、椅子やベッドサイドテーブルとして使っている。パーティめいたことをする時には、3脚くっつけて大きなテーブルとして使う。雑貨屋でまとめて購入したので、その日で店のポイントカードが1枚分溜まった。そのカードをイッタラのキャンドルホルダーと交換してもらった。
銀色のトレイは、先述の蚤の市で知った店で買ったもの。部屋のポケットとして使っている。
“拯”の字は、精神がどうしようもなく落ちていた今年の始めに、Uさんが「書初めをしよう」と言って筆を持たせてくれたもの。翌月にまた京都を訪れた際に、国際会館のカフェスペースで焼き上がったものを渡してくれた。頭でばかり考えてはすぐに身体と疎通できなくなる私に、四肢のあることを思い出させてくれる友人。
本の上には気休めの紙魚対策として除湿剤と防虫剤を置いている。

小窓4
Fさんからの犬の栓抜きと、Hに貰ったコンクリートの置物、H先輩が分けてくれた犬の箸置き。母の好きなミニチュアを贈る際、色違いのチューリップを自分にもひとつ購入して、端に置いている。自分のために生きた花を買えない反動か、花のモチーフのものを見かけると嬉しくてつい手が伸びる。

キッチン
私の洗面台を兼ねている。私もSも、料理と呼べるような自炊は殆どしないので、調味料や調理器具が少なく、キッチンの収納部にはそれぞれの私物が仕舞われている。

Mさんが引越し祝いに買ってくれたカセットコンロ。パンを焼く時やカフェオレを淹れる時に使う。組み立てる際の動作がロボットアニメのワンシーンを思い出させるので、人前で使う時には「変身!」と言うようにしている。
隣の空き瓶は元々ジンの入っていたもので、誰かに花をいただいた時には一旦ここに活けている。

この部屋に越した時にIがプレゼントしてくれたローズマリーの石鹸の匂いが好きで、貰った分を使い切ってからも自分で買い直している。歯磨き粉はGUM以外だと落ち着かないので旅行先にも持っていく。歯ブラシはKENTのもので、最初に使ったあとの歯の滑らかさに感動して、誰かに共感してほしいあまりSに押し売りをした。それからSも同じものを使っているので、それぞれのストックも合わせると10本近くこの歯ブラシがある。右端はリングホルダー。左手の薬指に環を嵌めるようになってから、指環が好きになった。今は5本の指環を付けている。

食器棚
H先輩のくれたくまを吊るしている。緑の石鹸はMさんのスペイン土産。ここに写っている鉄鍋も鉄フライパンも、写っていない3本の包丁も2枚のお盆も貰いもの。




ソファ
机の天板に合わせて布を選んだ、三人掛けのソファ。毎日ここで眠っている。Sの部屋にある質の良いベッドよりも、薄いマットレスを敷いたソファの方がよく眠れる。枕に近い小窓のハンドルにエジソンランプを括りつけて、普段はその光で睡眠薬が効くまでを過ごしている。

部屋のすぐ向かいには線路があり、3面の窓から電車の通る音や光が流れる。最終電車の後は、スケートボードの走る音や、酔った誰かの歌が聞こえる。この部屋で生活をしている。
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有本ゆみこ〈SINA SUIEN〉新作発表会「入口」
「入口」
入口に気付きたい
気付いたら入りたい
知らない道を歩いたり
人と話をしたり
夏の緑や、声を聞いた後は
違う気持ちになる
入り口に入ったら
関わり、まじわり、
体の内と外の動きが見えてくる
入口に気付きたい
気付いたら踏み込みたい 心から
京都にあるセレクトショップ〈コトバトフク〉にて、〈SINA SUIEN〉の新作発表会「入口」を開催いたします。
〈SINA SUIEN〉新作コレクション「入口」を展示販売するほか、写真家の佐内正史さんによる撮り下ろし写真を展示いたします。また、〈SINA SUIEN〉×〈コトバトフク〉のグッズの販売、刺繍ワークショップなどのイベントも行います。
夏の京都へお出かけの機会がございましたら是非お立ち寄りください🌻
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会期|2025年7月3日(木)-7月21日(月)
*火、水曜定休
会場|コトバトフク
京都市中京区御幸町通三条上る丸屋町315番地たけうちビル2階A号室
*地下鉄「京都市役所前」駅より徒歩5分
阪急「河原町」駅より徒歩10分
京阪「三条」駅より徒歩10分
営業時間|13:00-19:00
※都合により営業日及び営業時間が変更となる場合がありますので、念の為SNSの投稿をご確認の上、ご来店いただけますようお願いいたします。
【イベント】
①7/5(土)生命体に刺繍をしようの会

小さなプリントが施された〈SINA SUIEN〉特製の人形に刺繍を付け加えるワークショップです。
1日2回開催・各回定員5名・8,800円(税込)
1)13:30-15:00
2)16:00-17:30
②7/6(日)有本ゆみこのお絵描きSHOW in コトバトフク 2025

参加者と会話しながら〈SINA SUIEN〉こと有本ゆみこがA4サイズの絵を1枚完成させます。似顔絵でも、ご希望のお題でも、愛するペットでも……何でも描きます。持ち込み可。
限定7名・5,500円(税込)
1)13:00-13:30
2)13:45-14:15
3)14:30-15:00
4)15:15-15:45
5)16:15-16:45
6)17:00-17:30
7)17:45-18:15
イベントのご参加受付は6月27日(金) 21:00より https://kotobatofuku.stores.jp にて開始いたします。
お問い合わせ先|[email protected] 075-744-6610 藤井
「入口」のこと
去年の12月に行った「SINA SUIEN 2025 collection -Se promener-」より半年ぶりの新作発表会「入口」を披露いたします。
日本のブランドの服やファッションに関連する書籍のセレクトショップ〈コトバトフク〉店主の藤井美代子さんにお店の場所である京都の夏やお店を慕って買い物されるお客様のことを教えてもらい、「気軽に着られて、気分を上げて、何気ない日常を鮮やかにするような服」になるよう心がけて取り組んだ新作コレクションです。
写真/佐内正史
モデル/髙宮梢、真壁遥
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滋賀県県立高校の事件についてだ。 結論から言うと、女子生徒が通う同じ学校に新年度も教諭が在籍するのはおかしいと思う。女子生徒の不安を思えば最低でも別の学校に異動させるべきだし、何なら未成年と関わる仕事に就かせるべきではない。 極端だと思う人もいるかもしれないが、私も彼女(女子生徒)と似たような経験をした人間なので長くなるが私の身の上話を聞いてほしい。 まず簡単に今の私について。私は現在大学生。性別は女。ちょっと前は女子高生だった。 そして私が彼女と似た経験をしたのは5年前。高校1年生の夏だった。 私の高校には購買があって、弁当や文房具、菓子パンなどが買えた。まあ、一般的な購買だったと思う。店主は30代半ばの男性で、自称"売店のお兄さん"。購買がある場所には休憩スペースがあって、15人くらいが飲み食い出来る椅子とテーブルがあった。お兄さんの誰にでも冗談を吹っ掛けるような軽い空気と過ごしやすいスペースのお陰で購買を溜まり場にする生徒も一定数いた。私も、友人がよくそこにいたことから購買に通っていた一人だった。 私はアニメや漫画が好きで、友人やお兄さんとその話題でよく盛り上がっていた。特に私はイラストを描くのが好きで、美術部にも所属しており、お兄さんもイラストが上手だったため描いた絵を見せ合ったりするくらい仲が良かった。友人と話しながら絵を描くのはとても楽しい時間だった。彼のことを、大人として���頼していた。 昔ながらの購買らしく決済方法は現金のみで、精算機なども特になく、お兄さん��手計算で精算を行っていた。そのため、130円のパンを買った子に対して、100円だけ受け取り30円を「いいのいいの」と言いながらお兄さんが返す光景も珍しくなかった。一応、よく購買に来る子、居る子、など彼なりの線引きをした上でのサービスのようだった。私もそんなサービスを受ける一人で、菓子パンを買ってレジに持って行くと「持ってけ」と言われて、奢ってもらっている状態の時も多かった。 私の学校では夏休みでも夏課外と呼ばれる課外授業があり、午前は課外、午後は部活という生活を夏休みに入った私は送っていた。 その日私は課外を終えた後、いつも通り美術室で絵を描こうとしていた。が、その日は美術室が施錠されてて部室に入ることが出来なかった。塾に行こうにも開校時間までまだ時間がある。手持ち無沙汰になった私は誰か駄弁れる相手はいないかと思い購買に向かった。今日部室入れなかったんだよねーみたいな事を友人と話したと思う。 話の中で、大きなスケッチブックの置き場に困っているという話をした。部室に置いて帰ろうと思っていたが入れず、教室の自分の棚に置こうにも大きすぎて入らない。そんな話を聞いていたお兄さんが「じゃあ俺が預かるよ」と言った。 購買の脇には小部屋があり、在庫を置いたりするための店主のスペースになっていた。そこで預かってくれるという話だった。それは助かると思い厚意に甘え、預かってもらうことにした。 次の日、課外を終え、スケッチブックを取りに購買へと向かった。スケッチブックを返してほしいとの旨を伝えた時、お兄さんは妙に歯切れの悪い返答をした。よくは覚えていないが「いやー、その、書いてある事なんだけどさ、あんまり気にしないでね」的なことを言われたと思う。訳は分からなかったがスケッチブックは返してもらう必要があるのでその場で受け取った。大方ふざけたラクガキでもしたのだろうと思って、美術室に戻ってページを開いた。 ページの端に小さな文字が書いてあった。 「出会った時からずっと好きでした」 次のページを捲るとまた書いてある。 「初めて見かけた時から気になっていました」 次、そのまた次にも。 「初めはおとなしい人だと思っていたけど」 「かなり表情豊かで」 「意外な面を見る度」 「声が可愛いすぎて小鳥みたい(笑)」 「ちっちゃい足」 「目がきれい」 「あなたの内と外」 「大好きでした」 全身の血の気が引いて頭がクラクラするような感覚をがした。今でも覚えている。これはどういうことかと酷く混乱した。お兄さんが?私を?好き??? 無理だ。あり得ない。 確かに私は彼と仲が良かった。親しくしていた。だが、それは親戚のおじさんと仲良くするようなもので、同級生の男の子と親しくなるようなものとはまるで違う。あの人は、私のことをそんな目で見ていたのか? 年上��男性から言い寄られて辟易する若い女性の話は私も聞いたことがあったが、そんなものは自分には無縁だと思っていた。あって社会人になってからだろうと思っていた。なのに、まさか、学校関係者から言い寄られるだなんて。 知らなかった。大人として信頼していた人間から好意を寄せられるのがこんなにも恐ろしいとは。でも、とにかく、こんな状態のスケッチブック、使える訳無い。そう思い混乱しながらも彼の元に向かった。彼は友人たちと談笑していた。 ずかずかと話の輪の中に割って入り、彼に書いたものを消すように言った。彼は「いや、本当にゴメン」とか言っていたと思う。謝るってことは多少悪い事をしたという自覚があるのか、コイツは? 謝られたせいだが何だか自分でもよく分からなかったが、涙が溢れてしまった。友人に酷く心配されてしまったのでその日はその場を離れ帰ることにした。 次の日、前日に消してと言ってスケッチブックを押し付けて帰ってしまったので、それを回収するため再び売店へと向かった。そして 「あれはどういうことなんですか?」 と彼に聞いた。 二人きりの売店の空気は重く息が詰まるようだった。 「ほんとーに申し訳ない!」とか彼は繰り返しながら 「まあ、俺が私ちゃんのこと、好きってことかもしれないねー」 と言った。 何それ。かもしれないって何だよ。 と思ったのでさらに聞くと、私のことが前から好きだった。勝手に私のものに書きこんだのは悪かったと思っている。以前から奢ったりしていたのは私が特別だったから。といった趣旨のことを言われた。そして 「この事、他の誰にも言わないでね」 と言われた。 この発言が一番意味不明だと思った。 他の人に言われたら困る、後ろ暗いことだと分かって私に思いを伝えたの??悪い事と分かっていて私にこんな事をしたの??しかも私は好きな人(勿論生徒)がいると言ってこの人に恋愛相談もしていたのに?その気持ちも無視して? とにかく以前言ったように他に好きな人がいるし、あなたの気持ちに応えることは出来ない、といった内容を伝え、断る事にした。二人きりの状況が怖くて、やんわりとした断り方しか出来なかった。 その日の晩、この事を誰かに相談しようかとても迷った。とてもショックな出来事だったし、泣いている所を見た友人たちにどう説明したものかと悩んだ。そして「他の人に言わないでね」という彼の言葉が頭の上に重くのしかかった。 とても怖かった。誰かに話してしまって気持ちを整理したい。でも、話したら彼の学校での立場は危ういものになる。告白されたぐらいで他人の仕事や立場を奪っていいのか。口止めもされている。彼がいなくなった場合、購買はどうなるのか。だからといってもう二度と彼と関わりたくない…。 迷った結果私は、私が泣いた様子を見ていた2人の友人にのみ、話すことに決めた。このことはどうか他の人には言わないでくれ、と言って。2人に具体的な内容を伝えるため、スケッチブックに書かれた文字をどうにか復元しようとした。もし今後先生��どに相談しようと考えが変わった時に、証拠になるとも思い、写真にも撮った。柔らかい紙に書かれた文字は鉛筆を薄く載せるとうっすらと浮かび上がってきた。(今回、この文章を書くに当たって実に5年ぶりにその写真を見返している。今でも読んでいて動悸が止まらない。完全に全てが復元できた訳ではなかったので、今回上に書いたものはやや不完全な文章ではある。) 2人の反応は、大変だったね、みたいなリアクションだったと思う。 そのため、この2人にのみ私が購買に来なくなった理由が伝わった状態で、私は一切彼と接触をしないようになった。購買にも極力近付かぬようにした。あの日あったこともスケッチブック書かれた文言も全て忘れたいと思いながら日々を過ごした。しばらく経った頃、最近私が購買に行っていない事について、彼が他の人に「まあ私ちゃんは、天邪鬼だからねー」などと言っていたと事情を知る友人から聞いた。吐き気がした。私の何を知っているというのだ。 1年後、クラス替えがあり掃除の担当範囲が変わった。私のクラスの担当範囲の中に購買前の廊下があった。毎日の掃除、必ず彼の顔や声を見聞きしなくてはならなくなる。「耐えられない」そう思って、悩んだものの担任に事情を話すことにした。具体的な伝えられ方などは省略し、"好意を伝えられたが断った。関わりたくないので購買前の廊下以外の場所に私を割り当ててくれないか"と打診した。この時も大事にしたくない、してはいけないのではないか、という気持ちがあったため、担任にもあまり他の人に事情は言わないでくれ、と伝えた。ありがたいことに担任は快諾してくれて、私が購買前を掃除することはなかった。 だが、この判断は今思い返すと間違っていたと思う。あの時、私がきちんと先生にすぐに報告しておけば、そして学校から彼を追い出してほしいと伝えていれば良かったと後悔している。そうすれば、未成年者に手を出す人間から後輩たちを守れたのに。そうしなかったことで、後輩たちを危険に晒してしまっている。そんな風に思えて仕方がない。 また自分が成人という立場になって改めて高校生は子どもだと強く感じるようになった。狭い世界で生きてるし、当然視野も狭い。本人としてはは一人前のつもりでも、出来ることはそう多くない。そんな弱い立場の子どもに対して、大人が自分の恋愛感情を伝えるというのは、無自覚でも相手の立場の弱さを利用した卑怯なやり方だと思う。 長々と書いたが私の主張はこうだ。 ・大人は子どもを守る存在であるべきであって、一方的な思いをぶつけて脅かすなどということはあってはならない ・それが出来ない成人は未成年と関わってはいけない なので、当該事件で女子生徒が「大変ショックでこの先生とはもう一緒にいたくない」と言ってるの��から絶対に関わることのないよう、せめて他の学校に異動させるべきだと思うのだ。 私はここまでハッキリ自分の意志を大人に伝えることが出来なかった。ショックの中、周りの大人に自分の思いや意向を伝えた女子生徒はとても勇気を振り絞ったのではないかと思う。だからどうか、彼女の学生生活が幸せなものとなるようにと祈っている。 大人に傷つけられた子どものケアが今より手厚いものになるように、自らの立場を自覚しない無責任な大人が子どもを脅かすことのないように、この文章を読んだ人だけにでも伝わればと思う。
高校教諭が生徒に交際を求めた事件について思うこと
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和五年(2023)12月27日(水曜日)参
通巻第8070号
AIは喜怒哀楽を表現できない。人間の霊的な精神の営為を超えることはない
文学の名作は豊かな情感と創造性の霊感がつくりだしたのだ
*************************
わずか五七五の十七文字で、すべてを印象的に表現できる芸術が俳句である。三十一文字に表すのが和歌である。文学の極地といってよい。
どんな新聞や雑誌にも俳句と和歌の欄があり、多くの読者を引きつけている。その魅力の源泉に、私たちはAI時代の創作のあり方を見いだせるのではないか。
「荒海や佐渡によこたう天の川」、「夏草や強者どもが夢の跡」、「無残やな甲の下の蟋蟀」、「旅に病で夢は枯野をかけ巡る」。。。。。
このような芭蕉の俳句を、AIは真似事は出来るだろうが、人の心を打つ名句をひねり出すとは考えにくい。和歌もそうだろう。
『春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣干すてふ 天香具山』(持統天皇)
皇族から庶民に至るまで日本人は深い味わいが籠もる歌を詠んだ。歌の伝統はすでにスサノオの出雲八重垣にはじまり、ヤマトタケルの「まほろば」へとうたいつがれた。
しかし人工知能(AI)の開発を米国と凌ぎを削る中国で、ついにAIが書いたSF小説が文学賞を受賞した。衝撃に近いニュースである。
生成AIで対話を繰り返し、たったの3時間で作品が完成したと『武漢晩報』(12月26日)が報じた。この作品は『機憶(機械の記憶)の地』と題され、実験の失敗で家族の記憶を失った神経工学の専門家が、AIとともに仮想空間「メタバース」を旅して自らの記憶を取り戻そうとする短編。作者は清華大でAIを研究する沈陽教授である。生成AIと66回の対話を重ね、沈教授はこの作品を「江蘇省青年SF作品大賞」に応募した。AIが生成した作品であることを予め知らされていたのは選考委員6人のうち1人だけで、委員3人がこの作品を推薦し
「2等賞」受賞となったとか。
きっと近年中に芥川賞、直木賞、谷崎賞、川端賞のほかに文学界新人賞、群像賞など新人が応募できる文学賞は中止することになるのでは? 考えようによっては、それは恐るべき時代ではないのか。
文学の名作は最初の一行が作家の精神の凝縮として呻吟から産まれるのである。
紫式部『源氏物語』の有名な書き出しはこうである。
「いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひける中に、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり」
ライバルは清少納言だった。「春は曙、やうやう白く成り行く山際すこし明かりて、紫立ちたる雲の細くたなびきたる」(清少納言『『枕草子』』
「かくありし時すぎて、世の中にいとものはかなく、とにもかくにもつかで、世に経るひとありけり」(道綱母『蜻蛉日記』)
額田女王の和歌の代表作とされるのは、愛媛の港で白村江へ向かおうとする船団の情景を齊明天王の心情に託して詠んだ。
「熟田津に 船乗りせむと月待てば 潮もかなひぬ今は漕こぎ出いでな」(『万葉集』)。
「昔、男初冠して、平城の京春日の郷に、しるよしして、狩りにいにけり。その里に、いとなまめいたる女はらから住みけり。」(『伊勢物語』)
▼中世の日本人はかくも情緒にみちていた
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶ泡沫(うたかた)はかつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」(『方丈記』)
『平家物語』の書き出しは誰もが知っている。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。 沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。 奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。 猛き者も遂にはほろびぬ、 偏(ひとへ)に風の前の塵におなじ」。
『太平記』の書き出しは「蒙(もう)竊(ひそ)かに古今の変化を探つて、安危の所由を察(み)るに、覆つて外(ほか)なきは天の徳なり」(『太平記』兵藤祐己校注、岩波文庫版)
「つれづれなるままに、日くらし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐる��しけれ」(『徒然草』)
古代から平安時代まで日本の文学は無常観を基盤としている。
江戸時代になると、文章が多彩に変わる。
井原西鶴の『好色一代男』の書き出しは「「本朝遊女のはじまり、江州の朝妻、播州の室津より事起こりて、いま国々になりぬ」
上田秋成の『雨月物語』の書き出しはこうだ。
「あふ坂の関守にゆるされてより、秋こし山の黄葉(もみぢ)見過しがたく、浜千鳥の跡ふみつくる鳴海がた、不尽(ふじ)の高嶺の煙、浮島がはら、清見が関、大磯小いその浦々」。
近代文学は文体がかわって合理性を帯びてくる。
「木曽路はすべて山の中である」(島崎藤村『夜明け前』)
「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜ぬかした事がある」(夏目漱石『坊っちゃん』)
「石炭をば早はや積み果てつ。中等室の卓つくゑのほとりはいと静にて、熾熱燈の光の晴れがましきも徒らなり。今宵は夜毎にこゝに集ひ来る骨牌カルタ仲間もホテルに宿りて、舟に残れるは余一人ひとりのみなれば」(森鴎外『舞姫』)。
描写は絵画的になり実生活の情緒が溢れる。
「国境の長いトンネルをぬけると雪国だった」(川端康成『雪国』)
谷崎潤一郎『細雪』の書き出しは写実的になる。
「『こいさん、頼むわ』。鏡の中で、廊下からうしろへ這入はいって来た妙子を見ると、自分で襟えりを塗りかけていた刷毛はけを渡して、其方は見ずに、眼の前に映っている長襦袢姿の、抜き衣紋の顔を他人の顔のように見据みすえながら、『雪子ちゃん下で何してる』と、幸子はきいた」。
「或春の日暮れです。唐の都洛陽の西の門の下に、ばんやり空を仰いでいる、一人の若者がありました」(芥川龍之介『杜子春』)
▼戦後文学はかなり変質を遂げたが。。。
戦後文学はそれぞれが独自の文体を発揮し始めた。
「朝、食堂でスウプをひとさじ吸って、お母様が『あ』と幽(かす)かな声をお挙げになった」(太宰治『斜陽』)
「その頃も旅をしていた。ある国を出て、別の国に入り、そこの首府の学生町の安い旅館で寝たり起きたりして私はその日その日をすごしていた」(開��健『夏の闇』)
「雪後庵は起伏の多い小石川の高台にあって、幸いに戦災を免れた」(三島由紀夫『宴のあと』)
和歌もかなりの変質を遂げた。
正統派の辞世は
「益荒男が 手挟む太刀の鞘鳴りに 幾とせ耐えて今日の初霜」(三島由紀夫)
「散るをいとふ 世にも人にも さきがけて 散るこそ花と 吹く小夜嵐」(同)
サラダ記念日などのような前衛は例外としても、たとえば寺山修司の和歌は
「マッチ擦る つかのま海に霧ふかし 身捨つるほどの 祖国はありや。」
わずか三十一文字のなかで総てが凝縮されている。そこから想像が拡がっていく。
こうした絶望、空虚、無常を表す人間の微細な感情は、喜怒哀楽のない機械が想像出来るとはとうてい考えられないのである。
AIは人間の霊感、霊的な精神の営みをこえることはない。
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大学のクラスメイトと3人で帰ってる時に、先輩にコムドット好きそうって言われて本当に傷ついた話をしたら、1人は最悪だね〜という反応だったのですが!!!!もう1人にもう嫌悪とか拾って傷つきに行ったり人を冷やかしたりするの俺にはできなくなったわ〜と言われました!!!!!!
はぁああ〜💢ですまじで!!!!!!!
これを言われてすかさず、だから山とか川とかの自然風景写真撮れるんだねー私には一生コンクリしか撮れないわーと言いましたムカついたので
これ言ってきた人(以下嫌悪マン)はいつも透明感を大切にして自然を撮って、人の作品にも積極的に意見しててその辺は良いと思うけど、人の作品に対して、嫌悪マンの言い方をすれば、嫌悪を拾ってくるので!!なんなんですか??💢となりました
嫌悪マンは毎日supremeやらstussyやらを着てウルフで髭生やしてるのに、なんでそんな女子大生みたいな格好なのに写真学科なの?と聞かれたこともあります!!ヘラヘラして消去法だと答えました!!!!私は総合型選抜という1番すごい入試方式で2番目に合格してるので嫌悪マンよりずっと上です!!!!消去法に負けてるぞ!!!!!!
スッキリしました
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
嫌いなものと言えば…↓これはtumblerを始める前にインスタのサブ垢に殴り書きしたやつなのですが、書いてるうちにどんどんイライラ(太鼓みたい!)してきて入力の手が止まりませんでした!!全部に理由を書いていこうと思います!一旦一覧です!激長の予感…!!!
嫌いなもの→恋とか愛とかがなんだと言うツイートばかりしてるのに何人も元カレ元カノがいる奴、デブなのに足開いて電車で座る奴(男女問わず)、デブなのに電車で端の席座る奴(男女問わず)、思いっきり待機禁止と書いてあるところで電車待ちする奴ら(老若男女)、並んでる間に十分準備できるのに会計や受付時に慌てる奴、コムドット好きそうって言ってくる奴、人気すぎて定番化したものをダサいと言うエセファッションマニア、TikTokのコメント欄、ネトフリやアマプラの勝手にOP・EDをスキップする機能、当たり屋、ピアスがゴールドシルバーバラバラな奴、ファンでもない有名人が亡くなった時にSNSで追悼する奴、犬系彼女、自称画伯、本名ベースの男みたいなあだ名でTwitterやってる女、ガルちゃんで例え話する奴、バズってるツイートの引リツで「これ嘘松ってわかっててみんな笑ってるん?」って書く奴、散歩、中肉中背のスキニーパンツ、ギャルが着るくすみカラー、理事長とアメフト問題をいまだにネタにする日大生、男尊女卑、ミスiDだけは自分の個性をわかってくれてると信じてる少し前のJロックしか効かない Twitter大好き女、小さい頃の写真をアイコンにして自分のコンプレックスをユーザーネームにしてる女��性犯罪者、感情の起伏を利用するだけでストーリーに面白みがないホラーや感動モノ、躁のときのあれだった笑、髪が長めでおとなしい男の人の髪をすぐ結びたがる女、男趣味が好きな女に対して無知呼ばわりしてくる男(カメラ時計車バイクスニーカー)、女が少しでも意見するとヒステリックと言ってくる男、整形否定派、ナンパやキャッチに返事する女、興味のない男に無視やブロックせずわざわざ返言する女
ー嫌いな理由ー
恋とか愛とかがなんだと言うツイートばかりしてるのに何人も元カレ元カノがいる奴
下手な奴が語るな黙ってろ
デブなのに足開いて電車で座る奴(男女問わず)
足開くだけでも最悪なのに太ってたら迷惑の域を越える
デブなのに電車で端の席座る奴(男女問わず)
端の席は痩せてて姿勢が良くないとその座席全体に影響を及ぼすため
思いっきり待機禁止と書いてあるところで電車待ちする奴ら(老若男女)
普通に日本人字読まなすぎじゃないですか??レジとか整列とか出入り口とか、字読めなくてもわかるように目印や絵までついててできないなら全員今の仕事クビで
並んでる間に十分準備できるのに会計や受付時に慌てる奴
普通に意味がわからない私ADHDだけど(全世界初公開、治療中)これなったことない 医者には衝動性がなく人目を気にしすぎるから出ない症状があると言われたのでその一部なのかも
コムドット好きそうって言ってくる奴
今日の話題のきっかけになったやつです そもそも、賛否分かれるものを好きそうと言ってくる神経がわからない 悪口なのだとしたらキモすぎる
人気すぎて定番化したものをダサいと言うエセファッションマニア
お前らが今キテる、アツいと言っているものもいつかオーソドックスになるし、ダサいと一蹴してるものも昔はおしゃれでしたよ
TikTokのコメント欄
例え話や漫才、映画や再現VTRの切り抜きを本当のことだと信じて批判するガキ、老害見てらんねーよ コメントを開かないモード作ってくれー
ネトフリやアマプラの勝手にOP・EDをスキップする機能
見るんだわ 次回予告もエンドロールも前回のあらすじも
当たり屋
犯罪者 早く取り締まれクソ国が
ピアスがゴールドシルバーバラバラな奴
なぜ????靴が左右で違うのと同じだと思う
ファンでもない有名人が亡くなった時にSNSで追悼する奴
これでミュートした友達たくさんいる 他人がSNS、ましてやストーリーに投稿したところで何にもらならない 心の中でやってくれ
犬系彼女
てかののちとその彼氏 普通に顔が見てらんないしカップルでSNSをやることから理解ができない その中でも犬系は別格 ブロックしてもミュートしても転載が回ってきてこちらの身を守れない
自称画伯
何も面白くない
本名ベースの男みたいなあだ名でTwitterやってる女
これでロクな女見たことない 〇〇のすけ、〇〇太郎など 女に全振りしてないことをアピールするのが名前という一番女らしい行為
ガルちゃんで例え話する奴
いらない 主の質問疑問テーマに対する意見や共感しか求めてない ここは掲示板であって会話する場所ではない
バズってるツイートの引リツで「これ嘘松ってわかっててみんな笑ってるん?」って書く奴
なぜ?????????
散歩
歩くのが苦手、景色を楽しめない、無音が嫌いで音楽を聴くと動いてしまうため変な目で見られる、買い食いをしてしまう、そもそも目的のない行為は苦手
中肉中背のスキニーパンツ
脂肪がない人が着る前提で作られていますので
ギャルが着るくすみカラー
汚い
理事長とアメフト問題をいまだにネタにする日大生
2年生?の時のグループディスカッションでこの話をされて今まででトップレベルの怒りが込み上げて、その後口を開くことはなかった ちなみに今もたくさんいる この前クラスメイトがプレゼンのスライドに日大理事たちのコラ画像を使っていて教室から走り去りたくてしょうがなかった
男尊女卑
フェミニストなので 九州出身の女の子が無意識に家事をしていたり男をがばったりしているのを見て、一番の被害はこういうところにあると気づいて衝撃だった
ミスiDだけは自分の個性をわかってくれてると信じてる少し前のJロックしか効かない Twitter大好き女
明確にモデルがいますが ミスiDは個性も見てくれるだけであって基本はミスコンなのを忘れないでください それ以外はパタエモです
小さい頃の写真をアイコンにして自分のコンプレックスをユーザーネームにしてる女
これでロクな女みたことない だいたい遊んでるか、それを真似したいちっさい女 こういう奴はまず汚い声で笑って、その後悪気もなくヘラヘラしながら目を見て人に悪口を言う コムドットが好き
性犯罪者
男が想像する以上にいる 私も数えきれないほど痴漢やストーカーにあっていて、小さい頃は誘拐されかけたり路上で写真を撮られたりした 一番衝撃的だったのは自慰をした汚いオヤジに電車内で追いかけ���れてかけられそうになったこと
感情の起伏を利用するだけでストーリーに面白みがないホラーや感動モノ
最近まであまり映画を観てなかったのはこれ 明確にこの作品で映画から遠ざかったとかはないけど、嫌なものに当たりたくないから安全策で映画を観てなかった 最近観るチャレンジしてるのでおすすめあったら教えてくださいホラーとSF以外でお願いします
躁のときのあれだった笑
絶対躁鬱じゃないやつがSNSで言う
髪が長めでおとなしい男の人の髪をすぐ結びたがる女
言語化できないキモさで溢れています 自分に反抗しない人が好きだと言う点、自分ができて相手ができないことを強制的にやろうとする点、それが髪を結ぶとかいう女ならだいたいができることだと言う点、相手が男だという点 あと普通にそれを受け入れるキモい男 など
男趣味が好きな女に対して無知呼ばわりしてくる男(カメラ時計車バイクスニーカー)
実際、写真を撮るし時計の展示会に行ったりするのでよく遭遇する カメラ屋に行くとだいたいナメられるし、何もわからない前提で話してくるし、ただの客にお嬢ちゃんこんなの使えるの?と絡まれたこともある この前新宿で夜景撮影してたら、自称写真家にずっとロバートキャパの話をされて、無視してたのに15分くらい話し続けてて本当に恐怖を感じた 写真は上手く撮れた
女が少しでも意見するとヒステリックと言ってくる男
これずっと思ってます物心ついた頃には思ってましたほんとに ジャンダーに関する本をたまに読むのですが、脳の性差は世の中のイメージとはかなり異なることが最近の研究でわかってきてるそうですねー小さい頃に遊ぶもので変わってきたりもするらしい 人間って面白いねー
整形否定派
何がダメなのかわからない こんなこと言ったら私が不利になるだけだけど、整形がダメなら筋トレも勉強もダメだろ
ナンパやキャッチに返事する女
無視一択 下に続く
興味のない男に無視やブロックせずわざわざ返言する女
無視一択 上のやつもそうなんだけどさ、何にでもかまってあげちゃうの本当に良くないと思う ナンパとかキャッチは人と思わなくていいけど、好意を持たれたり都合よく遊ばれてたりするなら無視しかないでしょ 時間の無駄
大暴れ
クリスマスイブにこんなことしてすみません私は6年間毎朝礼拝をしたキリスト教中高出身だと言うのに
昨日ももクロのライブ行けて楽しかったーー!
今日はM-1だし明日は松枝とクリスマスパーティーするよー!みんなも来る???ピザとかケーキとかあるよん
では良いクリスマスをーーー!!!!!
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虚子自選揮毫『虚子百句』を読む Ⅵ
花鳥誌2024年6月号より転載

日本文学研究者
井上 泰至
10 思ひ川渡れば又も花の雨
初出は『ホトトギス』昭和三年七月号。「貴船奥の宮」と前書き。『五百句』には、「昭和三年四月二十三日 (西山)泊雲、(野村)泊月、(田中)王城、(田畑)比古、(同)三千女と共に鞍馬貴船に遊ぶ」と注記。
成立の事情は『ホトトギス』昭和三年九月号の、「京都の暮春の三日」なる虚子の紀行文に詳しい。二十一日夜、大阪で「花鳥諷詠」の初出とも言うべき毎日新聞社での講演の後、東山から鞍馬・貴船・大原と洛北を巡った。二十三日当日は、前日ほどの雨ではないが、天気は悪く、かなり寒かった。鞍馬から貴船に向かい、昼食の後、幸い雨もあがって貴船神社から奥の宮へと向かい、宿に戻って句会を行い、掲句は「春の雨」の形で披露されている。
本井英氏は「虚子『五百句』評釈(第五五回)」(『夏潮』)で、昭和十年三月発売の「俳句朗読」レコードに添えられた自注を紹介している。それによると、貴船神社を参詣後、貴船川という小川にそってさらに物寂しい奥の宮に着くと、ほとんど参詣する者もなく、辺りには桜がたくさん咲いており、落花もあれば老樹もあった。貴船神社でも雨だったが、しばらく降ると止み、奥の宮にゆく道にある思ひ川が貴船川に流れ込んでおり、そこでまた降り出した、という。
当初「春の雨」としたのは、京都特有の、降ったりやんだりする「春雨」を実地に体験した報告として成った、ということだろう。それが様々な桜を濡らし、花を散らして川に流す方に重心を置いて「花の雨」とした。ここで「又も」が報告に終わらず、奥山の桜の様々な姿態を想像させる、繚乱の華やかさを得るに至った。
「思ひ」は、和歌では恋の火を連想させ、貴船には恋の説話が堆積している。恋多き女、和泉式部も夫の心変わりに貴船にお参りをし、貴船川を飛ぶ蛍を見て、歌に託して祈願をしたら、ほどなく願いが叶い、夫婦仲が円満に戻ったという故事がある。
さらに、謡曲「鉄輪」では、嫉妬に狂った公卿の娘が 貴船社に詣で、鬼神にしてほしいと祈願し、明神の託宣があって、娘は髪を分け、五本の角をして、足に松明をつけ、これを口にもくわえ、頭にも火を燃���上がらせて鬼の姿に変じたという。
虚子は、こうした幾多の恋の話を面影に、一句を絢爛たる「花の雨」に転じて詠み留めたのである。
なお、田畑夫妻は祇園の真葛原でにしん料理屋を営む。吟行に侍した三千女は、かつて千賀菊の名で祇園の一力に出ていた舞妓であった。虚子の祇園を舞台にした小説『風流懺法』の三千歳のモデルである。
11 栞して山家集あり西行忌
『五百句』に「昭和五年三月十三日 七宝会。発行所」と注記。
この句については、『夏潮虚子研究号』十三号(二〇二三年初月)に私見を披露しているので、ここにそのあらましを再記する。
最近提出された岸本尚毅氏の掲句に対する解釈の要点は、以下の通りである。「山家集」と「西行忌」という、氏によれば同語反復に終始したこの句は、
「定型と季題以外何物もない」句ということになる(『高濱虚子の百句』)。そもそも膨大な数残る虚子句から、配合の句に絞って論じた所に本書の狙いがある。通常季題と季題以外の取り合わせに俳人は苦心するが、氏に拠れば、虚子にはその迷いの跡がない、と言う。その理由を探ることが本書の目的でもある、とも言う。
従って、標題句もそうした関心から選ばれ、「人の気配がない」句として解釈されるに至る。その真意は、本書の最後に置かれた「季題についての覚書」に明らかである。岸本氏によれば、虚子の配合の句は、一般のそれより季題に近いものを集めた「ありあわせ」なのだという所に落ち着く。虚子の工夫は、季題を季語らしく見せることにあり、それは季題のイメージの更新でもあった、という仮説が提示される。
ここまで確認したところで、掲句を眺めれば、「西行忌」から「山家集」を「ありあわせ」、「栞」がどの歌になされているのか、その折の情景や人物はほぼ消去されているというのが、岸本氏の解釈であろう。
ただし、岸本氏は、「おしまいにまぜっかえすようなことを」言うと断りを入れて、「句はあるがままにその句でしかない」というのも虚子の真意だったろう、と記している。
これを私なりに敷衍して述べれば、虚子にもともと二物衝撃のような俳句観は極めて希薄だったのだから、標題句のような一見すると同語反復に見える「ありあわせ」については、季題がどれで季節がいつかといった議論を無効にする句作りがなされていたことになる。したがって、「同語反復」の良否を議論することは、虚子の句の評価においては、本質的ではないことになる。
虚子の読書を題材とした句にも、標題句より取り合わせの色が多少は濃いものがある。
焼芋がこぼれて田舎源氏かな
昭和八年の作なので、標題句から詠まれた時期も遠くない。『喜���艶』の自解はこうである。
炬燵の上で田舎源氏を開きながら焼藷を食べてゐる女。光氏とか紫とかの極彩色の絵の上にこぼれた焼藷。
絵入り長編読み物の合巻『偐(にせ)紫田舎源氏』は、本来女性向けの読み物であった。白黒の活字印刷ではない。木版本で、表紙および口絵に華麗な多色摺の絵を配した。それらは、物語上の主要な人物を描くものではあるが、顔は当代人気の歌舞伎役者の似顔絵となっていた。
「読書」というより、「鑑賞」と言った方がいいこの手の本への接し方は、色気を伴う。主人公光氏は、光源氏のイメージを室町時代の出来事に仕立て直したものである。そこに食い気を配した滑稽と、冬の余り行儀のよくない、それが故に微笑ましい、旧来の読書の季節感が浮かんでくる。確かにこれから比べれば、西行忌の句は人物の影は薄いし、西行の繰り返しということにはなる。周到な岸本氏は、
去来抄柿を喰ひつつ読む夜哉
落花生喰ひつつ読むや罪と罰
など、虚子句から同じ発想のものを、「焼芋」句の評で引いてもいる。 そこで、標題句の解釈の焦点は、「栞」が「山家集」のどこにされているのかについての推論・推定に絞られてくる。まずは『山家集』中、もっとも有名な次の歌が想起されよう。
願はくは花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月の頃
西行は出来ることなら、旧暦二月の望月の頃に桜の下で死んでゆきたいと願った。『新歳時記』よりさかのぼり、標題句の成立から三年後に出された改造社版『俳諧歳時記』(昭和八年)の「西行忌」の季題解説は、虚子が書いている。この歌を引いて、その願望の通り、二月十五日か十六日に入寂したことを伝えている。従って、掲句についても、この歌と願い通りの入寂を想起するのが順当であろう。その意味で、この句は「花」の句の側面を持つことになる。
ここまでくると、一句の解釈は、読み止しにした人も、「願はくは」の歌に「栞」をした可能性が出てくる。また、仮にそうでななくとも、「西行忌」に「栞」された「山家集」からは、西行と花の奇縁を想起するのは、当然のことと言えるだろう。
花有れば西行の日とおもふべし 角川源義
例えば、この句は「西行忌」ではなく、「花」が季題だ、という事に一応はなるだろう。また、「西行の日」を「西行忌」と考えてよいのか、という問題も残る。しかし、一句は「桜を見れば、桜があれば、その日を西行入寂の日と思え」という意味であり、「西行入寂の日」の奇縁、ひいては西行歌と西行の人生全体への思いがあふれている。むしろ、「西行忌」という枠を一旦外すことを狙った、広義の意味での「西行忌」の���と言えるだろう。
逆に虚子の句は、「西行忌」に「山家集」を持ち出すことで、和歌・俳諧の徒ならば、西行の作品とともに、その生きざまに習おうとする思いは一入のはずではないか、というところに落ち着くのだろう。「栞」をした人を消すことで、逆に西行を慕った人々に連なる歌俳の心が共有される句となっているわけで、かえってここは、具体的な人物など消して、西行の人生と歌のみを焦点化した方がよかったのである。
回忌の句は、俳諧の場合、宗祖を慕いつつ、一門の経営に資する世俗性が付きまとってきた。近代俳句はそういう一門の流派を嫌った子規の書生俳句から生まれたが、皮肉なことにその死の直後から「子規忌」は季題に登録され、他ならぬ虚子自身が、大正の俳壇復帰に向けて子規十七回忌を利用した経緯もある(井上『近代俳句の誕生』Ⅳ・2)。
しかし、西行ならば、広く歌俳を親しむ人々一般に、「開かれた」忌日として価値が高い。標題句が、西行一辺倒で詠まれた理由は、西行の「古典性」「公共性」に由来していたとみてよい。標題句の同語反復に近い言葉の選択の意義は、祈りの言葉に近いものであったからで、それを正面から行わず、「栞」を媒介に『山家集』の読者を無限につなげていく「さりげなさ」こそが、虚子の意識した俳句らしさであったと見る。
『虚子百句』より虚子揮毫
11 栞して山家集あり西行忌
12 紅梅の莟は固し不言

国立国会図書館デジタルコレクションより
___________________________
井上 泰至(いのうえ・やすし) 1961年京都市生まれ 日本伝統俳句協会常務理事・防衛大学校教授。 専攻、江戸文学・近代俳句
著書に 『子規の内なる江戸』(角川���芸出版) 『近代俳句の誕生』 (日本伝統俳句協会) 『改訂雨月物語』 (角川ソフィア文庫) 『恋愛小説の誕生』 (笠間書院)など 多数
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月日は流れ、秋になった。県芸術祭に出展した大畠の作品が「佳作」となり、新聞の地方欄にも掲載された。
この話を一番喜んだのは仁志だった。モデルを務めたこともあるが、やはり大畠の精神的な支えにもなったことが彼の創作意欲にひと役買ったのが、この上ない喜びだった。
その作品を大樹や佐伯も観に行った。スーラの様に「点」で、淡い色調で物憂げにうつむく短髪の青年が描かれたその下には、「Sa jeunesse」とあった。
「『青春』か…」
大学時代に第二外国語で仏語を履修していた佐伯は、この単語に大畠の仁志に対する愛情の様なものを感じた。一方、英語しか知らない大樹は、
「英語じゃないよね?」
と聞いた。
「『青春』って意味だよ、仏語で」
「『青春』か…」
自分の幼なじみが、まさかこの様なかたちで描かれるとはと、大樹は仁志を羨ましく思った。大畠の眼には、恐らく仁志がこんな風に見えるのだろう。
その後、休日に今度は勇人が光代を連れて訪れた。光代は、彼女が知っている仁志と雰囲気が違っていることに、
「仁志に似てるけど、何か違うわね」
と言葉をもらした。この言葉に、
「大畠先生と言う、仁志にとってかけがえのない男(ひと)と出会ったからだろうね」
と言った。すると、光代はもしかしたら仁志も同性に目覚めたのかと、
「それって、つまりあの子も…」
と尋ねた。この言葉に勇人は、
「まァ、オレと川嶋みたいな感じだな」
と苦笑した。
「嗚呼、そんなところまで似なくてもイイのに…」
と、光代は溜め息をついた。
私立S高校では、この作品について大畠に対して仁志とはどの様な関係か問い詰める生徒や教師もいたが、そのことについて宇佐見が、
「かの有名なピカソだって、複数の女性と関係を持つ毎に作風も変わったンだ! 愛は芸術を生むんだ! 大畠先生と武田君の間に何かあっても、こんな素晴らしい作品が生まれたンだ! どうでもイイじゃないか!」
と強気に出ると、おのずと消滅していった。もし関係を知られたらと怖気づいていた大畠は、
「宇佐見先生。噂も消えてホッとはしてますが、そんな『愛』なんて…」
と話したが、
「だって、セックスしてたンでしょ!? 幸福(しあわせ)なンでしょ!? だったらイイじゃん! オレなんて『セフレ』もいなくて淋しいのに!」
と、タコの様に唇を尖らせた。
「こ、声がデカい!」
と、大畠は宇佐見のあまりに率直すぎる発言に冷や汗をかいた。
すっかり校内の「有名人」となってしまった仁志は、休みの日にモデルをしに大畠の家に来た際、こう言った。
「僕、これ以上モデルを務めると先生に迷惑をかけると思う」
内心は、大畠に対する思いは変わらず、できればずっと続けたいと願っていた。仁志は彼を愛していた。その言葉に対し、
「気にすることないよ。オレは仁志をもっと描きたい」
と大畠は言った。
絵筆を置けば、二人はベッドの上で愛し合った。仁志は身体の諸部位を愛撫サれると喘ぎ、両腕で大畠を求めた。肉体同士が重なれば乳房は隆起し、肉棒はますます反り返った。羞恥心を垣間見せるも大胆に開脚すると、大畠はその間に入り込んだ。
「…仁志、君はなんて卑猥なンだ」
孤島に押し寄せる波の様に、大畠は仁志の下半身の穴に肉棒を挿入(い)れ、抱き寄せた。
「あッ、ああん!」
この様な情事を二人は続けた。
その後も、大畠の作品はあちこちの公募展に出展し、入賞した。気付くと、季節は春になっていた。梅の花が咲き乱れる二月中旬、彼は母校であるT大学芸術学群の大学院で学ぶ為、三月いっぱいで私立S高校を退職することになった。そのことを聞いた仁志は、
「…先生、嫌だ! 辞めないで! 遠くに行かないで!」
と泣きじゃくった。大畠も涙を流しながら、
「…申し訳ない。でも、夢を追いたいンだ」
と頭を垂れた。人気ない美術室で大畠は仁志を堅く抱擁し、接吻した。込み上げてくる思いを抑えきれなかった。彼は、
「…愛してる。仁志なしでは生きられない」
と告白した。
すると、突然ドアが開く音がした。途端に二人は平然を装ったが、現れたのは宇佐見だった。彼はいつもの調子で、
「大畠先生も武田君も、君たちの愛ってそんな軟なもンなの!? 別に外国へ行っちゃうンじゃないンだし…。いつだって会えるじゃん!」
と苦笑した。
「う、宇佐見先生! 声がデカい…」
と、大畠はドアの方を気にしながら注意した。宇佐見は仁志にハンカチを渡しながら、
「武田君、愛してるンでしょ? だったら遠距離恋愛すりゃイイじゃん。つくばなら、土浦まで常磐線で行けば路線バスでちょっとだよ。泣くほどじゃないよ!」
と両肩を叩いた。
「宇佐見先生…」
「先生は、二人の愛を応援するよ!」
仁志は、これまで宇佐見を煩わしく思っていたが、実は表裏がなく気持ちが良い先生なのだなと見直した。一方、大畠は赤面していた。あまりに仁志のことが頭から離れず、自分の近くにいて当然だと思っていたのだ。よく考えてみれば、確かに茨城県内なのだし、土日祝日は茨城町に帰ればイイではないか。そんな彼を目前に、宇佐見は仁志に話した。
「武田君。『恋は盲目』の状態になるほど、大畠先生は君を愛しているンだよ」
「『Love is blind』か…。そうかもしれない」
宇佐見が話した言葉を、大畠は認めざるを得なかった。
同じ頃、嶋田は池野辺に案内されるまま、茨城町に近いカトリック教会の納骨堂へ行った。晩秋だったが、この日は小春日和で、墓参りをするには丁度良かった。
池野辺はすでに免許を返還していたので、運転は嶋田が行った。当時はニュータウンは整備されておらず、未だ雑木林のまま放置されているところが多かった。途中、とうもろこし畑と思われる耕地があちこちあり、随分寂しい場所に納骨堂があるなと嶋田は思った。
カトリック教会の納骨堂に着くと、池野辺は「墓誌」の様な御影石に指をさした。そこには、洗礼名に加えて「谷田部大輔」と刻まれてあった。彼は言った。
「大輔、嶋田君がお参りに来てくれたよ」
名前で呼んでいるのを聞き、池野辺が谷田部と切っても切れない絆に結ばれている関係になっていたと、嶋田は思った。花束を捧げ、彼は両手を合わせて黙想した。心の中で、
『谷田部先生、まさかオレが悪態をついた後、惨めな思いをされていたとは。もっと早くあなたに会って和解したかった。でも、池野辺先生があなたを愛してくれて安心しました。今、この場をもってあなたに謝罪します。申し訳ありませんでした』
と、嶋田は言葉をかけた。
背後で見ていた池野辺は、うっすらと涙を浮かべていた。彼は、元気だった谷田部との日々を思い巡らしている様だった。その場に座り込み、彼は語りかけた。
「…大輔。お前の過ちは罪であったが、その報いを再三受けてきた。でも、嶋田君もお前と同じ教師となり、今、幸福(しあわせ)に生きている。彼も赦しているし、安らかに眠ってくれ…」
隣で黙想をする池野辺が、嶋田には淋しく思えた。昔は日活スターの様に凛々しく、校内でも人気があった教師だった。しかし、齢のせいもあるかと思うが、随分小さくなった気がした。まァ、オレもそうかと思い返した。
その後、寄り道をせずに嶋田は池野辺を家まで送って行った。玄関に着くと、妻の梓が迎えてくれていた。彼女は、
「お忙しいのに、どうもすみません」
と笑顔で会釈した。
恐らく、池野辺とはもう会わないだろうと、嶋田は予感していた。梓の方は年相応に齢を重ねている様に見えたが、彼の方は老け込んで見えたからだ。谷田部と直接ではないが和解したから、これで役目を果たした感があった。
数日後、その池野辺が亡くなった。新聞の「おくやみ」欄で知り、嶋田は電話で梓に確認した。すると、
「本当、急にあの世へ逝ってしまって…。これまで大病もなく元気でしたので、枯れる様に…」
と彼女は話した。
受話器を置くと、嶋田はその場に泣き崩れた。両肩を抱えながら嗚咽を上げた。嗚呼、オレの予感は的中したと、彼は思った。池野辺と過ごした日々が流れる様に思い出される。この夜は独りプライベートバーで、再会した時に飲んだシングルモルトを片手にボトルを空けた。
告別式に嶋田はカトリック教会を訪れた。何十年ぶりかに着た礼服に袖を通し、讃美歌が聞こえてくる中、彼は頭を垂れていた。予め、妻��梓からは基督教での葬儀は仏教と違い、神の懐に還る祝福であり喜ぶべきものであると聞いていたが、内心はそう簡単にいかないと思っていた。別離は別離に変わりはない。教壇に立つ時以外は、ふと涙が出てしまっていた。
それは大樹が目前にいても同様だった。嶋田の方から声をかけ、家に招いて共に食事をした後、ベッドの上で大樹を求めた。唇を重ね、身体の諸部位に接吻しながら、時折堅く抱きしめ、
「…大樹。淋しい」
と込み上げてくる感情を露にした。大樹はそんな嶋田に応えるべく求め、慰めようと努めた。
情事の後、大樹は嶋田に尋ねた。
「池野辺って先生、そんな好きだったの?」
「あぁ、オレの恩人だった」
「でも、谷田部って先生と一緒になったンでしょ?」
「あぁ」
「…何だか複雑だなァ。好きだったのに一緒になれなかったなんて」
恐らく、自由にあちこちの男(ひと)と関係が持てる大樹には、オレに対する池野辺の思いなんて解らないだろう。嶋田は、淋しさを拭い切れないことに苛立っていた。しかし、何度思ってもそれはもはや叶わぬものだった。池野辺はすでにあの世へ逝ってしまったのだから…。
棺桶の中に横たわる池野辺の亡骸は、これまでになく穏やかな表情をしていた。カサブランカの花弁が顔の周りに覆われ、嶋田は枯れた筈の涙を流した。彼は卒業間近に告白をした時、眼鏡を外して微笑んだ、あの笑顔を思い出した。これで谷田部のいる天国(パラダイス)へ行けるのだと、心の中で己に言い聞かせた。
妻の梓によれば、池野辺が洗礼を受けると話したのは谷田部が亡くなった数日後らしかった。彼は、初めて自分がバイであったことを告白した。彼女は特に驚かなかったと言う。逆に、
「最初から、谷田部さんを愛してたことなんて判ってましたよ。あんな熱心に職を探してあげたり、住む場所も見つけてくれたり…。なんで話してくれないのかなって、かえって思ってましたよ」
と笑ったと、話していた。意外と理解があったのだなと、嶋田は思った。
告別式が終わると、火葬する為に斎場へ向かう梓は会釈をし、
「これまで主人によくしてくださり、本当にありがとうございました」
と言った。嶋田は、
「いいえ、奥様もお身体に気を付けて」
と言葉を返した。
礼拝堂の中央にあるマリア、ヨセフ、イエスの聖家族を描いたステンドグラスが、石畳に淡い色彩で照らされていた。
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2023/8/30〜

8月30日 出張の日は少し遅く家を出られるので、世の中のみんなの通勤通学を見られる。 もう夏休みは終わっているのか、小学生が登校中で絵の具やら体操着やらを持っていた。
ただただ辛くて悲しくて泣きながらメッセージを送ってしまった友人からお返事が来ていて、わたしは彼女に救われてばかりで、彼女がかつて辛かった時のこと全然知らなくってすこし落ち込みながら元気つけてもらった。優しい社会に近づけばいいな、と思った。
まさかの私が先導を切って進めなくてはいけない現場で、なんかずっと泣きそうになりながら、お相手の先生方(20人くらいいた)と打ち合わせをした。 今思っても、え、わたしがこのまま全部仕切るんでしょうか…みたいな感じでやり切ってしまって、正直気持ちは全然追いついてない状態だったので、すっかり空元気(それほど元気でもないけど)で気持ちが分裂していた。
ふわふわしたままその後も打ち合わせをして、職場に戻ろうかと思ったけれど、池袋で1人下車して帰らせてもらった。

今月でお別れの好きな方々へ、オランダ屋でナインチェサブレとちょっとしたメッセージカードをお送りしよう!とKITTEの郵便局の物販でキツネのメッセージカードを購入。 そのまま郵便局のカウンターで習い事の先生と保健師さんにメッセージを書いた。
駅までの途中にSHIROの前を通り、そういえばマスカラほしいな〜と眺めていたら、新発売のクリームタイプのアイカラーをおすすめしてもらう。 その店員さん、前回も接客してくださった研修生バッジをつけた方で、とても良い感じだったのでよく覚えている。 ブルーのマスカラとアイカラーを買った。 これを買ったから頑張ろう!ではなくて、今まですり減った分を復活できるアイテムになるといいな。
ミッフィーサブレを買いにいくと「今日初めてPayPay払いをしたので…」とカウンターの店員さん2人があたふたしていた。システムで支払いが完了できているかを確認したり、私の支払い履歴を確認したりして、完了できたときは何だかこちらもほっとしてしまった。
その足で習い事先に行ってみる。 いつもと違う時間だし、今日はレッスンの予定はないし、突然顔を出して変じゃないか、明日にしようか、と扉の前で引き返して、でも!と伺ってみる。 入ると「もしかして…」と先生方が気づいてくださって、���事、お礼とナインチェサブレをお渡しすることができた! 少し泣きそうになってしまった。 先生は今日で最後だったらしく、引き返さなくてよかった。

家に帰るとポストに、お願いしていた似顔絵の作品が届いていた。 その作家さんのイラストはインターネットでいつも見ていたけれど、実物の線や色やラメの乗せられ方に更に愛おしい気持ちになる。包装もとてもこだわっていた。あと作品を作る作家の他にモデルとして活動されている方で、私はしばらくお二人が同一人物だと知らずにインターネットをしていて、そういうスタンスがとてもいいな〜と勝手に羨ましく思ってます。
今月いっぱいで、のお別れと、2回目の満月が近づく月の様子で、8月が終わることを確認している日々。 自分の悲しみで全てを満たせればそれはそれで楽なのかもしれないけれど、今はまだ他にも気にしていたいことがあるのはありがたいことなのかもしれない。
応募作品のキャプション400文字以内、が、どう頑張っても500文字になってしまう。

8月31日 今日はブルームーン。2回目の満月。 教えてくれた友人から、お得ですね〜、とメッセージが来ていた。
通勤中に、昨日久しぶりに出張先で会った同期が着ていたポロシャツが気になっていたので、検索してみる。胸元にアイスクリームの刺繍…絶対何かだよね!と、調べると、なんと!吉澤嘉代子さんのグッズのポロシャツだった… 同期だけれど、プライベートな話は全くしない間柄だったので全然趣味とか見当もしたことなかった。 うーん、少し話してみたくなってしまう。 月曜日には、月曜日戦争を聴いたりしているんだろうか。それとも全く何も知らずに着ているのかな。

今日の任務は、とにかく、今日で退職される保健師さんへナインチェサブレとお手紙を渡すこと。 その方がいる建物へ朝よってみたけれど「まだ誰も来てないよ!」と清掃員さんに教えてもらう。 お昼休みに訪ねようと思った日に限って、お昼休みまで20分近く打ち合わせが入り込む。 打ち合わせの会議室から逃げるように飛び出して、保健師さんのもとへ伺うと「食事に出ています」とのこと。最終日のお昼は送迎ランチよね、と、他の方へ預けて任務完了。とにかく、多分お渡しできたはず。 午後の打ち合わせに出ている間に電話を下さっていて、でもメールを入れます、とメモが貼ってあった。電話越しに泣いてしまうと思ってかけ直せなかった。 もう一生会えないんだろうな。
それで今日はずっと忙しくて、色々追いつけなくて少し泣いてしまった。でも一期下の方と夏休み明け久しぶりにお話しできた。ガウディの展示はとっても混んでいたらしい。
昨年度までの上司から「◯◯さん(私の名前)の上司はみんな育休をとっちゃうね」と、ご自身のことも含めてお話かけてくれた。
今年入った職員さんは学生時代は神戸の大学に通っていたらしく、とっても話を聞きたくなる。武庫川女子大が近くだったとか。 私の受験戦争関西バージョンを勝手に思い描くことがあって、その中では奈良女子大を本命にしたけれど落ちてしまい武庫川女子大へ入学して建築を学んでいる。
明日できれば花火をしたい。
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日頃の自分たちの頑張りを労って家族旅行を企画した。因みに豊田道倫がパラダイス・ガラージ(PARADISE GARAGE)名義で1995年にTIME BOMBから発表した不朽の名作『ROCK'N'ROLL 1500』には「家族旅行」という美しい曲が収録されている。
(名曲「家族旅行」は29:48あたりから聴ける)
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タラウマラの定休日にあたる第3木曜日に出発するので、自ずと息子たちは小学校をズル休み。担任の先生も「楽しんでおいでや」と快く我が子の背中を押してくれた。向かった先は播州赤穂、6月に鳥羽に旅行した際、ホテルの大浴場で言葉を交わした同じ年頃の子を持つお父さんが「赤穂も良かったですよ」と教えてくれて、それを聞いた息子たちは以降ずっと「行きたい行きたい」と言っていた。ほなみんなで旅行貯金するぞってことで、この数ヶ月それぞれに頑張ってきた。親は親、子は子で楽しみや目的はあるものの、こうして親子で共有できる目標があることは幸せだと思う。和太鼓やスケボーや日々のお絵描きもそう、将来それが何かに結実することを望んでいる訳ではなくて、ただひたすらに「いま」が大事なんです。大切な「いま」を共有するために、子どもに学校を休ませる親もいる。もっと大きく言えば「世の中にはいろんな人間がいる」ということを息子たちにも伝えていきたいだけ。休むからにはやらないといけないことも多々ある訳で、安易な正攻法なんてものはどこにも転がっていない。だだっ広い敷地面積を有する赤穂海浜公園にはノスタルジーを刺激する遊具やアトラクションがいくつもあって、息子たちは大喜び。恐らくは未就学児を対象としているであろうそれらの遊具にしおんもともねも夢中だ。ふたりともめちゃくちゃに良い笑顔。パンクだなんだと偉そうなこと言うてたくせに結局はお前も綺麗事かよ、と一笑に付されるかもしれないが、この笑顔のためなら何だってできるような気がする。ふたり乗りの珍奇自転車を楽しそうに漕いでいる我が子の姿を見て、親バカながら少し泣く。どこにでもいる年の近い兄弟、そんな息子たちだって毎日、何かしらストラグルしていることを少なからず知っているから。



物心ついたときから、長男しおんは次男ともねのことをとても大切にしていて、保育園の友人たちにも自分はさておき、弟のことを褒めたり自慢したりする感じだった。「ともね、凄いやろ!」が口癖で、自分の友人にも弟のことをいつも得意気に紹介していた。やがてふたりとも小学生になり、ともねは次男特有の器量の良さで周囲を魅了し、しおんにとっては明確な比較対象となった。何をやっても「弟に劣る兄」とまわりからイジられ、やがてしおんの同級生がともねだけを遊びに誘い出すようになる。それでもしばらくは「ともね、行っておいでーや」と送り出すしおんだったが、3年生になった頃、遂に感情を爆発させた。「俺はともねが嫌いや。俺の真似ばっかりすんな」そう叫んで学校で暴れてしまうことになる。その日を境にしおんは教室で授業を受けずに、会議室でリモート授業を受けていた。それでも学校に行きたくないとは決して言わない。自宅でも兄弟喧嘩を繰り返しつつ、なんだかんだで仲良く遊んでいた。そんなふたりが、近所のゲームセンターでクレーンゲームをしていた日のこと。次々に目当てのものをゲットしていくともねに反して、しおんは失敗を重ねてとうとうゲームセンターの閉店時間まで何ひとつとして商品を掬い上げることができなかった。しおんは家族のそばから離れて柱の影で、ひとり悔し涙を流していた。それを見兼ねたスタッフのお姉さんが「お兄ちゃん、諦めたらあかんよ。最後にもう一回チャレンジしてみて」と言って、閉店作業の手を止めて、なんとクレーンゲームのぬいぐるみをほんの少しだけ取りやすい位置に移動させてくれたのだ。その場にいる全員が固唾を飲むなか、しおんは無事にぬいぐるみをゲット。みんな声を上げて喜んだ。お姉さんも目に涙を浮かべて喜んでくれた。しおんは消え入りそうな小さな声で、ありがとうございますと言い、お姉さんに頭を下げていた。帰りの道中、ともねは「やっぱりともの方が何でも上手いよな!奇跡やんな」とハッスルしていた。兄弟には親にもわからない兄弟なりの想いがあるのだと強く感じた僕は、2023年の春に『ほんまのきもち』という小説を書いた。あれは息子たちの気持ちを代弁したものではなく「見るもの」と「語るもの」の狭間に横たわる絶え間ない葛藤を、自分なりに掬い上げたものに過ぎない。だから物語の核心となる「俺」が学童の担任教師に抱えられてはじめて感情を吐露する場面では、その気持ちを言語化することを意識的に避けた。そのような作品に『ほんまのきもち』というタイトルを付けるなんて些か捻くれすぎかとも思ったが、それ自体がそもそも僕の「ほんまのきもち」なのだからどう���ようもない。
(https://wdsounds.jp/ca40/4300/p0-r-s/で購入可)

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ウラシマビル 404
名古屋、栄「MtK Satellite」 にて開催中のグループ展「ウラシマビル 404」。9/3(日)までです、是非ご覧ください。
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古い雑居ビル、あるいは現れては消える「アート」の話
水本剛廣
就職活動とは実際に何をすることなのかも知らぬまま、四人が学生生活に別れを告げたのは、バブル 崩壊が騒がれた1990年代初頭。昼も夜もない寮生活にすっかり染まりきっていた四人は「皆で古い 雑居ビルをアトリエ兼住居として借りて、また共同生活を!」と夢想していた。無論、そんな計画は 実現するはずもなく、四人も他の学生同様、右も左もわからぬまま社会へ放り出されることとなる。
あれから三十年あまり。ある者は画家、またある者はミュージシャンとして活動、ある者は職を転々 とし、またある者は教職に就いた。ある者は移住し、ある者は家庭を持ち、またある者は旅に出た。 四人はときに接近し、ときに距離をとり、相互に影響を及ぼしながら異なる人生を歩んできた。芸術 に対する姿勢も異なる四人が、それぞれの道程で見つけたものをいま再び持ち寄り、展覧会を行う。
ほぼ平成年間と重なり合うこの三十数年の間に、日本社会は多くの面で停滞の様相を呈した。日本の 美術界でも、僅かな例外を除いて構造的変革は起こらず仕舞いだった。にもかかわらず、世間では 「アート」という言葉だけが氾濫。工芸品も、似顔絵も、手芸も書道も奇抜なファッションも、あら ゆる鑑賞物が「アート」と呼ばれるようになった。今では「アート作品」と名乗りさえすれば、その 芸術性が厳しく議論されることはない、という摩訶不思議な状況に至りつつあるように見える。
共同生活の夢は実現しなかったが、四人は今でも架空の雑居ビルを想い描く。都会の片隅、商店街が 商店街でなくなるあたり、電線の蜘蛛の巣にからまれるようにその小さなビルは建つ。地階は閑古鳥 の鳴くラーメン屋、二階から上の各階に芸術家が一人ずつ住みつく。室内でも靴を履いたまま生活 し、壁は好みの色に塗られ、夏は屋上でビール、楽器の爆音演奏にも苦情なし。実際にはそんな物件 が都市の容赦なき「スクラップ・アンド・ビルド」を生き抜くことは難しい。夢の跡地に建てられる のは、疑似レンガに覆われた効率一辺倒のマンションや虚飾的で短命な商業施設たち。「ルネサン ス」「メゾン・ド・ソレイユ」「ヴィラ・アーバンライフ」「ペアシティ・アネックス」・・・それ らは思想を欠いた片仮名アートの濫用と同様に、中身のないネーミングで人々を思考停止へと誘う。
四人と共に学生生活を送った徳富満は、藝大の寮では珍しく自室の窓にブラインドを設えていた。卒 業の直前、彼は転居先として愛用のブラインドの似合う雑居ビルの一室を探し求め、不動産業者を訪 ね歩いたという。理想のビルと理想の部屋を熱く語る彼に向かって、ある不動産屋の主人はぞんざい に言い放った。「あんた、テレビの見過ぎだよ!」
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7/3 1:15
最近はまたゼルダばかりやっていて昨日やっとのことガノンを倒しエンディングを迎えた。新作の動画が頻繁にTLに流れてきてやんわりと把握しつつあり、嫌だけど、悔しくて6年前とかに配信されていた追加パッケージを買った。こうやって半端に網羅率を上げたがって、追うものも追わずにばかりいる気がする。追加の試練はいきなり難しくて、何にも考えないで殴りかかりにいくゲームスタイルも無精だなあと思う(脳死で という言葉まだ使いそうになるけど、本当に嫌だよなあ、と思って使わないようにしようと思った 先月)
仕事、自分が何をできているのかがわからなくて怖い。言語を学ぶって本当に言語をやっている感じがする、テンプレートをとりあえずはめていって、応答にだけ慣れて、読めるけど書けない不安でうっすらと笑顔、うっすらと吐きそう。留学してた一月の気持ちを少し思い出す。でもあれは英語ができないというより高校を思い出す教室のかたちへの恐怖だった。
昨日はものすごく本を読む、嵐のようなほとんど初対面の女の子がなぜか3時間近く来るかもしれない私たちのことを待っていてくれたみたいで、2度目に会って、意味のわからない勢いでわたしの親になるかもしれなかった(?)ひと?の話で盛り上がって、意味がわからなかった。本当に可愛い赤い服を買ってショートパンツと白いソックスで揃えて、折田と一緒に花枝の働いているお店で飲んだ。可愛い格好ができてずっと嬉しく良い日だったけど、一瞬なぜかすごく具合が悪くなってけろっと吐いた。思っているより酔っ払っていたみたい。最近はすごく呆然としたまま慌てて��と会いまくっていて、映画をたくさん観たり、新居に行ったり来てもらったり、シャボン玉を飛ばしたり、慌ただしくしていてうれしい。反面けっこう焦っている。
今日はもうたぶん会わないと思った友だちと会って、そんなに変わらず、意外と大学を卒業して就職していた。案の定というべきか近い業界の、少し検討したもののやめた会社に彼女は就職していて、近いものもあれどものを選ぶ根本が違うなあと改めて思う。在宅がいい、やりたいことは定まっていて、うまくやっているらしい。ひとの執念するところとか融通の効かなさを特に魅力だと思うのは、自傷的というとやりすぎだけど被スポイル的なのは自覚していて、私の飽きっぽさとか染まりたがりなところにプライドを移行できることはあるんだろうか。私は逃げたいだけ。字には出来るけど心底は思えない、というのを、「頭ではわかるんだけど」って言い方ばかりしてしまって、分かってるって言うんだろうけど笑、といわれることがある。そうです。でも分からないというよりそちら側を書ける、読める私のほうが、努力はしてませんか?、とかいうと線引きしてるって事実自体が絶望的みたいに言う人もいる(わたしのヒステリー)。でも本当にわたしは分かったフリで逃げたいし、人の気持ちの心底のところを分かりたくないのかもなあ、と最近思って結構へこむ。
ひとつジャンルを選んでその会話に終始することは楽しいけどそれ以外のすべを無くすな、とネットの友だちと会うと思っていたことを、やっぱり今は逆サイドで思う。共通に選びとった目的以外のことをうまく話せないこと、これは言語とは違うけど似た感覚で、高校のときはめちゃくちゃ恐怖していた。特筆すべきこともないまま続くものと、思っちゃってる時点で良くないのかなあ。昔の人たちと会っている?、という会話の一つも糸口がないから何だか私だけ?を浮かべてへ〜と聞いてる、たくさん人がいたみたいだなあと他人事みたいに思う。たくさんの人と話せる形にはなりたい。話せない人とこそ話せる人になりたい。輪郭がわかりたいよー。
スパイダーバースはすごく面白くてやっぱり3秒間に今できるアニメーション画法を10個詰め込むね、みたいなハイカロリーさでもの凄かった。体のラインが本当に綺麗で、カットインがそんなのやっていいのかいいよね、の繰り返しで絵が描きたくなった。マルチバースのそれ自体を扱ってくれちゃうの嬉しいけど、ますますやることがなくなっちゃうじゃん、と思った。だれ? マーベルにハマりたいなあ。
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキクケコガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニヌネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国会人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権心界支第産結百派点教報済書府活原先共得解名交資予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変打男基私各始島直両朝革価式確村提運終挙果西勢減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流格有疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮究育席輸訪楽起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡失移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃佐核観察整段横融型白深字答夜製票況音申様財港識注呼渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士光討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処省旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師摘材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青破編捜竹除完降超責並療従右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗冷模雄適婦鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久短油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等救執層版老令角絡損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒刑坂刻底賛塚致抱繰服犯尾描布恐寺鈴盤息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮還枚属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板列露沖探逃借緩節需骨射傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓律誘紛貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕堅訳盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳毛緑尊抵脅祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯僕桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻泰賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 ���� 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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有本ゆみこ〈SINA SUIEN〉新作発表会「入口」
「入口」
入口に気付きたい
気付いたら入りたい
知らない道を歩いたり
人と話をしたり
夏の緑や、声を聞いた後は
違う気持ちになる
入り口に入ったら
関わり、まじわり、
体の内と外の動きが見えてくる
入口に気付きたい
気付いたら踏み込みたい 心から

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
〈SINA SUIEN〉の新作発表会「入口」を開催いたします。
〈SINA SUIEN〉新作コレクション「入口」を展示販売するほか、写真家の佐内正史さんによる撮り下ろし写真を展示いたします。
また、〈SINA SUIEN〉×〈コトバトフク〉のグッズの販売、刺繍ワークショップなどのイベントも行います。
御媒体でのご取材やご紹介につきましてご検討いただけましたら幸いです。
また、会期中に関西へお出かけの機会がございましたら是非お立ち寄りください。どうぞよろしくお願いいたします。
―
会期|2025年7月3日(木)-7月21日(月)
*火、水曜定休
会場|コトバトフク
京都市中京区御幸町通三条上る丸屋町315番地たけうちビル2階A号室
*地下鉄「京都市役所前」駅より徒歩5分
阪急「河原町」駅より徒歩10分
京阪「三条」駅より徒歩10分
営業時間|13:00-19:00
※都合により営業日及び営業時間が変更となる場合がありますので、念の為SNSの投稿をご確認の上、ご来店いただけますようお願いいたします。
【イベント】
①7/5(土)生命体に刺繍をしようの会
小さなプリントが施された〈SINA SUIEN〉特製の人形に刺繍を付け加えるワークショップです。
1日2回開催・各回定員5名・8,800円(税込)
1)13:30-15:00
2)16:00-17:30


②7/6(日)有本ゆみこのお絵描きSHOW in コトバトフク 2025
参加者と会話しながら〈SINA SUIEN〉こと有本ゆみこがA4サイズの絵を1枚完成させます。似顔絵でも、ご希望のお題でも、愛するペットでも……何でも描きます。持ち込み可。
限定7名・5,500円(税込)
1)13:00-13:30
2)13:45-14:15
3)14:30-15:00
4)15:15-15:45
5)16:15-16:45
6)17:00-17:30
7)17:45-18:15

イベントのご参加受付は6月27日(金) 21:00より https://kotobatofuku.stores.jp にて開始いたします。
お問い合わせ先|[email protected] 075-744-6610 藤井
「入口」のこと
去年の12月に行った「SINA SUIEN 2025 collection -Se promener-」より半年ぶりの新作発表会「入口」を披露いたします。
日本のブランドの服やファッションに関連する書籍のセレクトショップ〈コトバトフク〉店主の藤井美代子さんにお店の場所である京都の夏やお店を慕って買い物されるお客様のことを教えてもらい、「気軽に着られて、気分を上げて、何気ない日常を鮮やかにするような服」になるよう心がけて取り組んだ新作コレクションです。
告知写真クレジット
写真/佐内正史
モデル/髙宮梢、真壁遥






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20250601
推敲を読む。焚き木の話。私の小学校では雪が降った日のうちの1つの授業は無しで、外で雪遊びするというのがあった。だいたいは担任の先生が受け持つ授業を外遊びに変えていた、と思う。雪の日に手袋を忘れた私と同じように手袋を忘れた友人で簡単な雪だるまをつくり、手袋を忘れた手が真っ赤になったから、早々に引き上げて教室のストーブの前で駄弁ったことを思い出した。なんの話をしていたかほぼ覚えていないが、明日には霜焼けで辛くなりそうみたいなことを話したのを覚えている。
逃げ出しても結局オーストリアの陰鬱とした環境から逃れることができず最終的に自殺する、生きている私は逃げ出すのが上手いだけで結局は、みたいな話が面白い。犯罪者は社会に病んだ人なだけで、社会というのも自分が自分であることに病んでしまった人の集まり、とロイトハマーが言うが、共感できる。ベルンハルトの考えは基本的に共感できるものばかり。
マリーナの三十番目の恋人を読む。共産主義に陶酔したロシア大好きな男と出会う。凄い文量だ。今までの展開はすべてどうでもいいです!と言わんばかりの大回転に満足。
騎士団長殺しを読む。村上春樹作品に登場する悪の存在が登場していないことに気づく。強いていうなら雨田具彦を陥れたナチズム、具彦を陥れた南京虐殺や戦争、まりえの父がカモにされている胡散臭い宗教?私の心に深く根ざした首絞めという行為?絵のモデルになるとき、何かを渡し何かを得るとまりえは語っていた。これはモデルになることだけでなく、もっと日常に普遍したものでもそうだと思う。自分は相手から何かを得ることはあっても、何かを与えられているのか不安だ。だからいつも感謝の気持ちだけは伝えるようにしている。
ドトールに行く。コーヒーを受け取るときにお辞儀をしたが、そのときに胸にかかった名札が目に入った。それはイニシャルが書かれていた。プライバシーの関係で本名をわからないようにしてあるのだと思うが、とてもかっこよかった。エド・オブライエンのソロ名義がEOBと初めて知ったときと同じくらいの衝撃を受けた。エド・オブライエンは身長が196cmもある。レディオヘッドのかっこよさは、彼の身長が高いおかげでバンドメンバー全員が並んだ時の構図がよくなることが要素の一つだと思う。
sebadohとSepulturaを聴く。この2つは名前の響きが似ていて、片方を思い出すともう片方が自然と脳裏によぎる。音楽性は似ていないし、アメリカとブラジルで国境も違うけど、どちらもかっこいい。あとはgigi masinを聴いた。素晴らしいミュージシャンに間違いないが、なにより笑顔が素敵!
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