#何度も何度も誠実的な歌を聴くと生きるはずだと思��
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syaruru · 16 days ago
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today i just felt so bitter at the world
i couldn't read or write or do anything really, could barely speak
but then... idk listening to SAD SONG by chanmina sung with the finalists of No No Girls really just... idk? made me fall in love with the world again? it's so easy to forget
my honest embarrassing feelings about japanese girlpower pop in the tags i just can't bear to be honest about that with myself in english right now
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chikuri · 2 years ago
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炎上とリスクマネジメントの専門家です。宝塚の記者会見を見ましたが、組織としてまったく誠意が感じられず、「よくこんな内容で世に出したな…」と呆然でしたね。今年世の中を騒がせた記者会見といえばビッグモーターが記憶に新しいですが、あちらは「あの会社と社長なら、あれくらいやりかねないな」というある意味想定の範囲内でした。しかし今般の宝塚は、「歴史も名声もある組織なのに、これほどまでに遵法意識に欠け、隠蔽と保身に走るのか…」という幻滅に近い印象ですね。とくに気になったのは次の点です。 ・冒頭「ご遺族の皆さまに誠心誠意対応する」と宣言しておきながら、「故人に対するいじめやハラスメントは確認できなかった」と遺族の訴えを真っ向から否定 ・劇団側の調査報告は第三者委員会方式ではなく、単一の法律事務所に依頼しており、客観性・公平性に欠ける印象 ・発表者はうつむいて報告書を一方的に棒読みしているだけ。「報告書の○ページをご確認ください」と言われても、視聴者には分からない。 ・故人がヘアアイロンを額に押し付けられてやけどを負った件について「ヘアアイロンでやけどをすることは一般的」 ・週刊誌報道にあるような「『嘘つき野郎』と面罵された」等については伝聞情報のため確認できないが、(故人に対して)嘘をついてないか何度も確認されていたことは把握している ・そもそも組織全体として、公演スケジュールが過密で、休みなく稽古に入るうえ、稽古自体も複雑化して精神的余裕が奪われがちな状況であることを把握しながら、今般の事故が起きるまで積極的な対応をしてこなかった ・記者からの「ハラスメント的な体質を見逃してきたということはないのか」との質問に対して回答がしどろもどろ  劇団側としては、今般の会見に先立っておこなわれた劇団企画室長のメディアコメント「劇団としては“いじめ”という事案があるとは考えていない。加害者も被害者もおりません」との見解と整合性をとる必要があったのかもしれませんが、とにかく責任回避と保身の姿勢があからさま過ぎました。情報の受け手からの理解は得られず、危機管理として失敗でしょう。逆に、 「劇団員とは業務委託契約とのことだが、実質的に過密なスケジュール対応を要求している。実態としては雇用契約であり、偽装請負に当たるのではないか?」 「嘘をついていないか何度も詰問される行為は、実質的に『嘘つき』認定も同然であり、それによって心理的負荷がかかっていたのであれば、精神的攻撃にあたるパワハラそのものではないか?」 「週刊誌報道が事実無根、もしくは事実と相違があるなら、劇団が週刊誌側を名誉毀損等で訴えればよいのに、そうしないということは、やはり事実だったのでは?」 「業務量の多さは昔から変わらないはずなのに、劇団として把握できていなかったというならば、職場の安全配慮義務違反として管理責任が問われるのでは?」 といった具合に、余計な(でも真っ当な)ツッコミや疑念を生じさせてしまうことになります。もし劇団側が本当にいじめやパワハラという認識がないならば、劇団側が反省の弁として述べた「ルールを見直して改善していく」という約束も怪しいものとなるでしょう。何しろ、何がいじめでパワハラなのか認識がないわけですから、認識がないところから改善などできるはずがないのです。 私自身は宝塚歌劇自体についてド素人なもので、一部の熱心なファンの方にとっては「宝塚のことを何も知らないヤツがうるさいことを言うな!」と思われるかもしれません。しかし、どんな伝統やしきたりがあったとしても、ワークルールやハラスメントの基準は共通です。至らない点は真摯に改めて頂きたいものですね。
新田 龍 / X
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kyuaoi · 5 months ago
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2025年2月9日(日)
 朝、おかわりフムス。今日は白味噌とねりごまを3杯ずつに減らしてみた。この前初めてつくったときに1人前では2杯ずつだったものを、2人前だからと倍の4杯ずつ入れて食べてみたところ、味が濃すぎたための3杯ずつだった。1人前で記されているレシピを2人前つくるとき、記されている全ての分量を倍にすればいいと思っていたが、どうやらそんな単純なことではないそうだった。『ユリイカ』の3月号の特集が自炊のようで、少しだけ気になっている。
 ふと、福尾匠さんが高校国語の教員情報誌という、東京書籍が発行している冊子に昨年エッセイを寄稿されていたことを思い出し、なぜか久しぶりにそれを読み返したくなったので読んだ。
 僕は日記を書くうえで、ひとつだけルールを決めていた。それは「今日は何もなかった」とは絶対に書かないということだ。毎日生きていれば特段書くべきことがない日のほうが多いのは当たり前だ。しかしその「書くべきこと」のなさだけが、「書くはずのなかったこと」への通路になる。そうして自分が思い込んでいた「べき」のありかたすら、不埒に変転していき、その軌跡が自分の意識の外で記録されていく。なぜか。今日の日記は昨日の日記の続きを書くわけではないし、今日書いたことを頭に置きながら明日を生きるほど、人間の頭は­——少なくとも僕の頭は——よくできていないからだ。 福尾匠「長続きしないことについて」 『「国語」vol.42(2024年秋号)』所収(東京書籍)p.13
 「書くべきこと」のなさだけが、「書くはずのなかったこと」への通路になる。そこからそう言えばみたいな感じで、未読だった『文藝 2025年春季号』の滝口さんの論考「日付を書けばいい」も読む。面白い。その後、『水平線』。面白い。あぴちゃんと何か映画を観ようとなり、Netflixで『メタモルフォーゼの縁側』を鑑賞。面白い。メタモルフォーゼってなんだろうとずっと考えていて、その意味は作中では一切語られなかった。あらすじでは、BL漫画を通して女子高生と老婦人が関係性を育んでいくような様子が描かれていたから、メタモルフォーゼというのはてっきり漫画のタイトルか何かなのかなと予想していたがそうではなく、映画が終わって調べてみると「変化、変身」とあり、なるほど、となった。古川琴音を久しぶりに見た。
 冷蔵庫にはひじきとチヂミの残りがあり、あとは主菜と汁物を一品ずつ用意すれば今日はなんとかなりそうで、葱と人参としめじと厚揚げを取り出して味噌炒めにした。あぴちゃんが味噌汁をつくってくれた。
 22時、HANAの新曲のMVを観る。赤い衣装の謎は回収されなかった。MOMOKAとMAHINAのふたりのラッパーのバランス感がいい。MOMOKAは、おそらく普段から聴いているのであろうHIPHOPの中でもこういうラップが自分は好きですという、そういう生活感みたいなものの下敷きが歌声やふとした仕草からなんとなく伝わってくる。MAHINAは、オーディションのときにちゃんみなからラップの才能に期待されていて、それまではラップを自分のアイデンティティとは認識していなかったはずなんだけど、だからこそ発露できるフレッシュな貫通力をちゃんみながプロデュースできている感じがする。
 ここ最近、K-POPの新曲ではサビに入ると何かしらの単語が繰り返される傾向があるということをあぴちゃんから聞き、おそらくマーケティングの一種というか、InstagramやTikTokでファンダムの人たちとかがそこを歌いやすく、真似しやすくしようという意志が働いていて、確かに最近よく耳にする「アーパツアパツ」がそうだった。そこまでしっかりと言葉を紡いで積み重ねられてきたメッセージの情報量がサビで一気に消えてしまう、消えてしまうことはなくとも、単純さや単調さみたいな脇道を通るのはちょっと誠実じゃないと思ってしまう。その単純さや単調さによってそれまでのメッセージに強度が与えられるならまだしも、「一旦マーケ入りま〜す」みたいな打算的な資本主義が入っちゃうと途端に気が滅入る。
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island9diary · 6 months ago
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2024年のメモ
〈読んだ本〉
三体(劉 慈欣) ひとつひとつが一作品級の想像力で、三体というゲームさえギミックのひとつに過ぎなかったのはいま思い返してもびっくり。読み終えるころにはとんでもない所まで来てしまったと思った。作中でも重要視される「責任を取ること」だが、黒暗森林で幕を閉じずに死神永生へ繋げたこと自体も、物語と登場人物への責任を取る作者の姿勢が重なり感銘を受けた。 ラブ・アセンション(十三不塔) 『2084年のSF』収録作の『至聖所』という作品が素晴らしく、その作者の新作ということで。宇宙生物×軌道エレベータ×恋愛リアリティショーの群像劇で、徐々に異能力ものの展開も見せる。『至聖所』でも感じたことだがとても映像的だと思った。キャラクターの動きがあるというよりは、構図がバチっと決まったクールなカメラ。最初にピックアップされたこともあって異相あざみさんに肩入れしてしまったし、後半の動きも嬉しかった。 ヤンキーと地元(打越正行) 文庫化にあわせて。確実にそこにあるものの、自分がこのまま生きていれば交わらない世界に興味がある。今後ももっとルポものを読んでみたい。観念としての沖縄像を崩すわけでもなく、その光が生む影にある厳しさを覗く。程度は違えども自分の人生も綺麗なアーチを描けているわけではなく、そういう自分の心をどうやって保っていくかというところに共振するところがある。 STATUS AND CURTURE(デーヴィッド・マークス) 本の情報をみて、私と無関係では無さそうだと思った。読み始めればその容赦なさに少し恥じ入ったり空しくもなったりするのだが、終盤では自己啓発のようにも読めるのではないかと思った。流行が起こり廃れていくことは世界が(一応)前転している証左であって、生きて何かしらのリアクションを取ることはその前転に加担することである。その加担の仕方が、あるジャンルでは最後尾であり、あるジャンルでは最前線であることができ、それが各々の個性なのではないか。愚かであっても歯車ではあるし、イカしていれば車輪にもなれるのかもしれない…と、割と前向きな印象で読み終えた。 〈観た映画〉 トラペジウム フックになる絵や台詞はあったものの、そういうセンセーショナルさを取り除けば、どれだけ語らないかという作品だった。語弊を恐れないまま原作の骨に近づきアニメ化という肉を与えたこのプロジェクトに本当に入れ込んだ。 関心領域 どうしても途中眠くなって、多分支障はないだろうと思って15分くらい寝つつ観た。とはいえ大きい画面と音響はしっかりと傷跡を残していって、レイトショーの劇場から出るとあたりは暗闇で、自販機のうなりや建物の水平垂直がズンと立ち上がってくる。寝たっていいしわからなくてもいいから劇場に行こう。 BanG Dream! It's MyGO!!!!! 前編 春の陽だまり、迷い猫/後編 うたう、僕らになれるうた & FILM LIVE ライブシーンが多い後編は特に胃にずしっと来るけど、フィルムライブが本当に良い。リアルライブではまだお目にかかれない、そよさんがやさぐれた状態でのライブなのが貴重。 劇場版アイカツ! メモリアルアンコール のっけから炸裂する「お疲れ様です!」「ありがとうございます!」の応酬にこの数年で失ったものを見る。諦め、受け入れた先に何があるのかわからないまま、心身の健康のために私はそういう状況に慣れていった。アイカツ!の中で誰が諦めただろう(天羽先生の厄介を被った紫吹蘭には同情する)。劇場には2度通ったが、いちごからあかりへの最後の台詞で2度とも泣いた。強者としての自覚だけでなく慈愛のある、アイカツ!らしい最高の台詞。90分ほどのコンパクトさで美月・いちご・あかり3人の機微を描きとる編集力に脱帽する。 〈聴いた音楽〉 いけない(Kaede) ミツメの活動休止は残念だが望めるならこういう楽曲提供が続くと嬉しい。2024年のベスト。 コントラスト(篠澤広 CV.川村玲奈) 令和っぽいかと思えばサビの不思議なノスタルジーに包まれる。一聴した瞬間からずっと好きな曲。 Luna say maybe(月村手毬 CV.小鹿なお) それぞれの要素はそれほど好きなものでなくても、一つのコンセプトのもとにガッチリと噛み合うことはこんなにも素晴らしい。 Reebok(柴田聡子) 柴田聡子さんについてはアルバムまるごと挙げたい。RYUTistへの提供曲も最高。 angel near you(Homecomings) もともと好きなバンドだったが、音楽性としてはドラマーが変わって好きなほうにさらに近づいた。牧歌的だったものが、骨太なドラムになることで浮遊感へとスライドした印象。 トレモロアイズ(Poppin'Party) この本格感はともすれば自身のキャラクターから脱線していそうだが、おたえがいるかぎりポピパの音楽への探求心は担保されていることを私たちは知っている。意外性と納得がメディアミックスされることで、キャラクターが生きていることを実感する。 人間になりたいうた(CRYCHIC) 歌詞ではないからフルコーラスもちゃんと短いという誠実さ。立希ちゃんのドラムが中学生とは思えない豊かな手数だが、これも祥子によるプロデュース能力によるものだとしたら?という妄想が捗る。 FUN☆FUN☆わんだふるDAYS!(石井あみ&後本萌葉) とにかく音作りの丁寧さ。テクニカルな単音が重なって粒の立った可愛らしさを演出している。ハイハットワークがすごい。 風に乗る船(MONGOL800) Salyuトリビュートアルバム素晴らしい。なかでもアレンジと大らかなメロディが合ったMONGOL800バージョン。 まちのうた(BUZZ) 2024年の曲ではないがラジオで流れて衝撃的だったのでよく聴いた。ミニマルだが開放的な展開。高橋幸宏のドラム最高。
〈買ったもの〉 PORTER×DIGAWEL ヘルメットバッグ ここ数年で最大のひとめぼれ。痛バッグをファッショナブルに展開するとこうなるのかなという。 ウエノスケ シタノスケ S 池尻のTENTで。2個一組のコップで、蓋のようにかぶせて収納、かつ埃の侵入を防ぐ。洗いやすさ、扱いやすさ、見た目最高。 立川 ピュアホワイト 05 白ペンの答え。隠ぺい性、速乾性、耐久性、書き味どれも理想的。今のところ詰まりもない。 adidas SAMBAE 刺繍で出来た漆黒のラインがコントラストがあり、カジュアル感抑え目で良い。 バンドリのペンライト 拳よりも先に頂点があり、さらにそこが光っている。演者は音で、ファンは光で、アリーナ級のコミュニケーションを実現しているのだと感動した。
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masayuki-hirahara · 7 months ago
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2024.12.12
【新CDリリースのお知らせ】
ピアノ協奏曲「宿命」
2024年7月15日に世界初演を果たしたピアノ協奏曲「宿命」をCD化。
12月18日迄に先行ご予約を頂いた方のみ、特典として、ミュージカル「レ・ミゼラブル」平原誠之ピアノ独奏版、1枚3,000円相当分を全員にプレゼントいたします。
(万が一在庫切れになりました場合は別のCDに代えさせて頂きますことをご了承願います)
ご予約枚数1枚につき特典CDを1枚お付けいたします。
ファンクラブ会員の皆さまにつきましては、今月発行の会報誌と合わせまして郵送いたしますので、来年1月まで特典期間を延長させて頂きます。
一般発売は、12月19日の平原誠之ディナー・コンサートからおこないます。皆さまのお申し込みを心よりお待ちいたしております。
このCDは、平原自身が1音1音綿密に生演奏に近付けて作り込んだコンピュータ音源になります。独自の間合い、溜め、テンポ感などを忠実に再現し、この度のCD販売用に新たに作り込んだものになります。
【お支払い方法】
銀行振込、クレジットカード、コンビニ決済、Amazon PAY、d払い、auかんたん決済、ソフトバンクまとめて支払い・ワイモバイル支払い
【特設サイト】
ピアノ協奏曲「宿命」 作曲:平原誠之
第1楽章「混沌」/重々しく、荘重に〜やや急速に〜快活に速く ニ短調
人生のターニングポイントとなった阪神・淡路大震災の経験と今までの生きてきた自身の半生を表現。壁にぶち当たることや紆余曲折は生きる上で大きな力に代えてくれることを頭では感じながらも、様々な葛藤が音の洪水となり、感情のまとまりがなく全体的に悲劇的で激情的な構成に包まれている。
第2楽章「祈り 〜ドラマティコ〜」〈感情の豊かさをもって、歌うように〉/ゆるやかに〜緩慢に〜中庸に ヘ長調
一筋の光明が差し込み、逆境を力に代えていく様子を描いている。中間部はシューベルトの「アヴェ・マリア」の副次的音型をモチーフにし、第2楽章の主旋律・主声部を優しく引き立てながら天使の世界観を表現している。
また中間部のクラリネットでは、敢えて8小節のみA管クラリネットを使用し、精神性を持った哀愁感を表現している。 劇的なメインテーマ「ドラマティコ」から、ラストは慈愛、祈りとともに静寂に終える。
第3楽章「ファンタジア 〜疾風怒濤〜」〈情熱的に、感情の豊かさをもって、波打つように〉/歩くような速度で〜中庸の速度で〜快活に〜緩慢に ヘ短調
過去の出来事を疾風のごとく転々と表現している。展開の早い演劇・ミュージカルのように、駆け抜けるような場面転換を繰り返し、舞台の演劇的要素を持って作曲をおこなっている。
ファンタジア:形式にとらわれず自由に楽想を展開し、現実離れした創造力も持ち、幻想の赴くままに作曲した作品を指す。
疾風怒濤:激しい風が吹き荒れ、大きな波が荒れ狂うさま。転じて、時代が激しく動き、大きな変化が社会に起こること。比喩的に非常に困難な状況を意味する。
第4楽章「威風堂々」〈最終楽章〉/ゆったりと荘厳に〜歩くような速度で、荘厳で、行進曲風に〜やや急速で荘厳に〜熱烈、火のように ニ長調
今までの感情の荒波からは解き放たれ、自らの意思で、未来を切り拓いていく強さ、自信、希望、威厳に満ちた華麗な���構成をもつ。交響曲的な作曲法をとり、第4楽章のみ3台ピアノ版で先ずは作曲をおこなった後にオーケストレーションをおこなう。“感性の赴くままの作曲家平原誠之”から、“緻密に推敲を重ね構築する作曲家”へと、1歩前進へと繋がった記念すべき作品となり、自身の今までの音楽人生の集大成ともいえる力作となっている。
〈楽器編成〉
【木管楽器】
ピッコロ1管編成、フルート2管編成、オーボエ2管編成、クラリネット(B♭管およびA管)2管編成、ファゴット2管編成
【金管楽器】 
ホルン(F管)4管編成、トランペット(B♭管)2管編成、テナートロンボーン2管編成、バストロンボーン1管編成、チューバ1管編成
【打楽器・その他】
ティンパニ、コンサートバスドラム、スネアドラム、シンバル、独奏ピアノ
【弦楽器】
第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス
〈平原誠之コメント〉
誰しもが生まれながらにして幾ばくかは定まっているこの人生。人は宿命の枠の中で、人生の意義、意味、目的を探り、見つけていかなければならなく、人生は自分探しの旅ともいえます。私はなぜ音楽の道を授かったのか。私以上に技術の長けた音楽家は世界中に星の数ほどいます。やなせたかし先生の言葉に繋がってきますが、なんのために私は生まれて、何をして生きるのか。答えられない日々を沢山過ごしてきたように感じます。生きているとおそらく誰しもが、偶然の産物では片付けられない必然的な運命を感じたことがあることと思います。たった1秒でもずれていたら今のこの出逢いはなかった、ほんの僅かなタイミング差で運命の分かれ道になっていた経験も、少なからず多くの皆さまも体験していることと思います。私もまるで見えない力によって動かされているような経験を多く体感してきました。その積み重ねから、自分は音楽の道に進むべき使命を持った人間なのではないだろうかと考えるようになり、しかし私は英才教育を受けた音楽家ではありません。そう考えた時に、他とは違う、なにで世界で勝負できるかと考えた時に、いかに心を込めて真摯に音楽と向き合うことの大切さ、そして最も大切なことは、誰の真似でもない、独自の世界を貫き通すという考えに達しました。それには、14歳の時に経験した阪神・淡路大震災が大きく繋がっています。
震災が運んできた音楽の道。沢山の出逢いがあって今の私は生かされています。先祖代々繋がってきた魂をも意識しながら、天命のごとくこの「宿命」の作曲を生み出しました。皆さまのお心に寄り添うことができる作品になっていましたらこんなに嬉しいことはありません。それぞれ皆さまが今まで懸命に歩んでこられた半生を振り返りながらお聴き頂けましたら幸いです。
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tamashiinookazu · 1 year ago
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ケイト・ブッシュとグルジエフと在原業平と
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わたしは精神世界でも西洋への苦手意識があり、
普通?の人が通る道を通ってきていません。
バシャールってなに?ヘルメスってなによ?ってな具合でした。
皆さんはそんなことないのでしょうね。😃
そんなわけで
ブラヴァツキを調べていたら
なぜか、歌手のケイト・ブッシュに行き当たりました。
彼女はグルジェフの影響を受けていたミュージシャンとして名が挙がっていたからです。
久しぶりに思い出しました。そのことを書こうと思います。
その前に、脱線します。
音楽界に影響を与えてきた
ゲオルギイ・グルジェフ。
彼の書籍「注目すべき人々との出会い」はファンタジーで
映画化されています。彼の少年時代を演じている役者はとてもいい。
この映画について評価している人のブログ記事内で「山坂越えて、とうとう彼が受けるイニシエーションのシーンは圧巻だ」などと読んだものですから、
英語もわからんのについ全編見てしまいました😂
(観たらそんなことはなかったです。)
秘境に旅する姿なぞは楽しかったです。
かつてわたしもチベットで修行者だったこともあったらしいので、(あ、前世です)
この映画は絵として面白かったです。
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でもグルジェフという人は、どうも印象としてはペテン師まがいですね。
霊界から相当操作されていたみたいに思います。
Kate Bushをよく聞いていたのは
1980年代中頃です。
今から振り返ると、プレアデス星人が、音楽シーンに影響を与えていた頃で
そんな光に満ちていた音楽シーンの中で出会ってよかったなと思い返します。
エキセントリックなお方ですから。
彼女もかなり狂気の世界を彷徨った時代があったようですし、
一時期ちょっと狂気の沙汰を演じすぎていて、
ついて行けなかったものでしたが・・・・
私見ですが彼女が10代の頃に作詞作曲した曲に
美しき名曲が色々あります(後付けのMVはシュールですが)
今聴いてみると、高音で、胸から上のチャクラで歌っているというか
伝わってくるのもわたしの頭部の上側にのみ、というか、そんな感じがします。
80年代の彼女の立ち位置は魔女的でミステリアスで唯一無二。
当時はそれが好きでした。
2年前2022年にケイトの「Running Up That Hill 」がクレイジーなほど世界でリバイバル大ヒットしていたことは知りませんでした。 
BBCのインタビューに応えていて、新たなファンも増えたおかげで、
彼女の歌の誕生秘話などの古いブログ記事は検索でも簡単には出てこなくなってしまいました。
ゆえにうろ覚えですが、
Babooshkaという曲があります。
この曲を彼女がささっと作ったのが多分10代だったはずです。
「嵐が丘 Wuthering Heights」(かつて日本のバラエティTV番組、恋のから騒ぎのopeningに使われてましたね)と同時期に作ったのではなかったかな?(エミリ・ブロンテ著作の嵐が丘に題材を得た即興曲だったそうで、10代のわたしの愛読書だったこともあって、この曲もどハマりした覚えがあります)
尋常ではない天才少女です。
曲のストーリーは、
とある妻が自身の夫の忠誠心を試すためにBabooshkaという偽名で他所の女を演じ手紙のやり取りを始め、ついに実際に会ってみる段階まで持っていくのだが、皮肉なことに夫はそのやりとりの中でBabooshkaという人物にかつての自分が愛してた日々の妻の姿を見出し、そこに惹か���ていった、という寓話めいたもの。
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これは、日本の平安時代前期の古典、「伊勢物語」の中の「筒井筒」の設定を連想しました。
幼なじみでやっと結ばれた男と女。ただ、女の実家が傾いた。当時のしきたりとして、男を養うのは女親だったから、彼は別の女のところへ通う。ところが彼女は彼を文句も言わず毎日送り出す。
彼女の不貞を疑った男は、女の浮気現場を見てやろうと、出かけるふりをして植え込みに隠れて見ていると、彼女は夫の留守の間も、彼の無事を祈ってただ歌っていた。妻への愛おしさが蘇った、という話。ここにも男女の原型があります。
もちろん、アルコン操作下の分離した男女の感覚です。
異性の相手への信頼ができないで、相手を試したりするのであれば、水平インプラント除去後も、わたし達は未だ後遺症から抜け出せないでいるのでしょう。
さて、Kate Bush、
Peter Gabriel の元恋人だったわけで
ピーターによる「Don`t give up」にても、結局ケイトに勝る共演相手は見出せなかったそうです。
この二人の親和性が好きで何百回聴いたか分かりませぬ。
冒頭に上げたvideoです。
今から振り返ると
傷ついた兵士と神殿巫女の原型の
現代版の歌に思えたりします。(1986年)
◯歌詞和訳の一部
誇り高いこの国で、俺たちは強くなれといわれ
そんな風に望まれたんだ
戦って、打ち勝つんだと教え込まれた
負けるなんて思いもよらなかった
でも もう戦う気持ちも失せてしまったのさ
夢も希望も消えてしまった
顔も変え 名前も変えても
負け犬は 誰からも相手にされない
あきらめないで
友達だっているじゃない
あきらめないで
まだ終わったわけじゃない
あきらめないで
きっと うまくいくから
前置きが長すぎてすでになんか息切れしてきました〜😅
このサイトの仕様に不慣れで下書きが何度も消えたと思って書き直したりしまして。
では、
80年代当時、久しぶりに登場したケイトブッシュのMVで、面白くて好きだったものを貼り付けて終わりにいたします。
実在したMADな博士がモデルです。
気象操作マシーンを作ったために起こった悲劇。
his son が雲を吸い込んでいくシーン、
遊び心もあってワクワクします😃👍☁️☀️
博士を演じた彼はケイトのファンの一人だったかな。
手作りマシーンの不恰好な形もいいです。
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Cloudbusting
○歌詞
今でも「オルゴノン」の夢を見て
私は泣きながら目を醒ます
あなたが雨を降らすのね
手を伸ばせばあなたに届きそうなのに
あなたと眠りはわたしから逃げていく 
あなたはわたしのヨーヨー
闇の中に明るく輝く
特別で
危険な存在だった
もう土に埋めて忘れてしまわないと
雨が降るたびに
あなたのことが頭に浮かぶの
太陽が雲間から顔を出すように
ああ、わたしにはわかるの、何か良いことが起こりそう
いつかはわからないけれど
口に出すだけでなにか素敵なことが起こりそう
世界の頂上に立ち
地の果てを見渡すあなたは
彼らがやって来るのを見ていた
あなたはあまりにも小さく見えた
彼らの大きな黒い車に乗せられたあなたが
巨大権力に立ち向かうには
わたしはヨーヨーを庭に隠せたけれど
政府からあなたをかくまうことはできない
おお、神よ、ダディ、決して忘れないわ
雨が降るたびに
あなたのことが頭に浮かぶの
太陽が雲間から顔を出すように
ああ、わたしにはわかるの、何か良いことが起こりそう
いつかはわからないけれど
口に出すだけでなにか素敵なことが起こりそう
それはわたしとあなたに ダディ
それはわたしとあなたに ダディ
それはわたしとあなたに ダディ
そして雨が降るたびに
あなたのことが頭に浮かぶの
太陽が雲間からあらわれるように
あなたの息子がきっとやり遂げるでしょう
ああ、わたしにはわかるの、何か良いことが起こりそう
いつかはわからないけれど
口に出すだけでなにか素敵なことが起こりそう
口に出すだけでなにか素敵なことが起こりそう
わたしはクラウドバスティングなのよ ダディ
あなたの息子がきっとやり遂げるでしょう
あなたの息子がきっとやり遂げるでしょう
※無断転載お断りします
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onishihitsuji84 · 1 year ago
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こんにちは(爆撃機より)
 一月。僕はBig Dataの「Dangerous」を聞いている。
 ”危険”。激しい曲だ。牧歌的な幸せではなく、衝撃を聴衆に要求する音楽だ。  しかしそのリズムはテーマから離れている。始まりから、均一。決して決して焦らない。
 デ・デデデン。デデ――デデ。  デ・デデデン。デデ――デデ。
”How could you know, how could you know? That those were my eyes Peepin' through the floor, it's like they know”
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 まず、Bluetoothは耳栓だ。挿せば駅の雑踏さえもくぐもって聞こえる。 ――ボタンを押せば音楽が流れる。音量は最大で、皮膚・血液・脊椎に三原色でリズムが巡る。体が揺れる。
 交感神経に音楽が噴水のようにきらきらと溢れる。  足は人間でごった返す駅の階段を上る。
「駅構内で走るのはおやめください」
 薄汚れた階段を真っ白なスニーカーが踏みつけていく。靴底からのテクニカルな響きが、がつんがつんとリズムを作り、人ごみの中でも音楽中毒者を露にする。曲調に合わせ、力強く一段一段。
 全身の筋肉という筋肉に熱い血が駆け巡る。さあっと雲が割れるように、気持ちが明るい側へと開けていく。  あたらしい一日が始まるのがわかる。
 ☟☟☟
 洋楽を聞いていると、言葉が雨のように降り注ぐ。  アルファベット歌詞の断片がうかぶ。広告の文字がおどる。リズムを刻んで歩いてく肉体のダイナミズムが七色の熟語を産み落とす。
「レインボー」、「水は敵ではないからね」、「ソースと目玉焼き」。 「リーガルのスニーカー」、「語ることと、その言葉」。 「セックスがつむぐ運命の糸」、「試験会場」、「輪ゴム即売会」。 「全てがどんな場所でも一度に」、「鳩を撃つ」。 「もう一度ファインダー」。 「ピクチャー・イン・アメリカ」。
「アメリカの風景」。
 そう、「アメリカの風景」……
 ☟☟☟
 僕はアメリカの小説をうんとたくさん読んできた。  高校生の頃に『ロング・グッドバイ』と『ひまわりのお酒』を読んで以来ぞっこんだった。『偉大なるギャッツビー』もまた。
 そして僕は洗脳され、アメリカの小説に首ったけになった。ホーソーンからアンソニー・ドーアまで、アメリカの作家なら何でもよし。時代を問わず読み漁った。
『キリマンジャロの雪』、『ティファニーで朝食を』、『スローターハウス5』、『頼むから静かにしてくれ』。
『あしながおじさん』、『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』、『ディキンソン詩集』、『ウインドアイ』、『宇宙戦争』。
『ジーザス・サン』、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』、『オン・ザ・ロード』、『心は孤独な狩人』、『あの夕陽』、『東オレゴンの郵便局』、『賢者の贈り物』、『吠える』、『ドイツ難民』。
 何度も何度もアメリカのごつごつとした人情ドラマにときめいた。そのふくよかにして安らかなる腹に、禿頭を照らす脂に、腐臭とファストフードをしてゆらめく体臭に、心をまるごと奪われた。
 僕は『白鯨』を脇に抱えて高校までの坂を駆け上がった。黒板に並んだ公式ではなく、バナナフィッシュの読解に挑んだ。昼休みにはクラスメイトにフォークナーのリアリズムを論じた。ポール・オースターのする幽霊をひとり紐解いた。
 気づけば放課後だった。時の過ぎるは手のひらから滑り落ちる水滴がごとく素早かった。  眼は窓を見た。クラスに残っているのは一人で、夕陽もすでに隠れんとしていた。いま、文学青年の眼にはアンダーソンの文学に似た漠たる闇だけが映り込んだ。闇は太った白人女のようにさえみえた……
 実際、当時は「アメリカの小説」というラベルさえあればなんでも読めた。読むと必ず手を叩き、跳ねてまで面白いと感じていた。そんな彼の心にあったのは青年期特有の曇り。正しくは、夏の夜の冷風のようにもたらされて形無き闇。
 ぶうん……
 響く、静寂で巨大な暗闇。甘く、性的でさえある美しい深紫。 そんな闇をギザギザに裂いてしまうアメリカの小説のけばけばしい光。光、光は当然24時間無料、無料で、青年の眼球は視神経まるごと剥き出しにされ、麻薬のようにガンガンと無料、無料で、思考は麻痺して、その心には『巨大なラジオ』。
 でも、それはけして悪いことではなかった。僕はアメリカの小説と一緒で、幸せだった。
 つまり、恋をしていたんだ。それも猛烈に、刺激的に、甘く。
 LA、スプリング・フィールド、タコマ……僕のイメージはアメリカを横断した。  僕はモーテルに飛び込み、アメリカの小説とでベッドに入った。シーツの下で僕らはえんえん悲鳴に似た喘ぎ声をあげ、朝陽がみえるまでのたうち回った。  朝陽は新鮮な希望を満載して町に襲来し、東の空を陶器のように白く磨き上げる。モーテルの一室にも朝陽はそっと忍び込む。情熱に果てて眠り込む若者をも白く輝かせる。あたたかく、やさしく抱きとめる。
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 爆撃機はずっと唸る。
 ぶうん……
 ぶうん……
「大西君はどうしてアメリカの小説が好きなんだい?」 「アメリカが好きだからですね」 「どうして大西君はアメリカが好きなの?」  僕はいつもみたいにときめいて言う。 「やっぱりアメリカにはアメリカン・ドリームがあるじゃないですか。おおきな夢が、僕をうきうきさせてくれるんです!」 「でもアメリカは戦争をしているよ。人を殺している。戦争を応援している。ベトナムを焼き払っている。戦争を計画している」 「大西君は戦争は好きかい?」
 その答えは当然ノン(否)。でも、言葉は詰まって動かない。
 大学二年生のあるとき、懇意にしていた教授から僕はそう問われる。  そのときのことは一から十まで覚えている。教授の授業が終わって、いつもみたく談笑をして、爆撃機みたいなエレベーターに乗っているときだった。パーマに水牛みたいなのんびりとした顔つきをした彼は僕にそう問いた。 「アメリカの文学は戦争だ。戦争と資本主義のメカニズム、その歪を何度も何度も解釈する文学だ。悪夢を、どうやって覗くかの文学だ」 「大西君は戦争が好きなのかい?」
 リアルとは厄介だ。文章と違い、書き直すことも、一度手を放して寝かせるということもできない。  瞬間は過ぎれば過去となり、過去は改変不可能で、爆撃機式エレベーターは五階から四階へと渡った。  そして四階から三階。誰かが乗り込んでくるということもなく、扉は完全に閉じたまま。  それで、仏文学の教授は大部のファイルを両腕で抱えており、ずんぐりとして柔和な表情をこちらを向けていて、均一。崩れない。エレベーターもぶうん――ぶうんと同じ。一つの形を崩さない。
 ぶうん……
 ぶうん……
「戦争は嫌いです」 「ふうん……」  そこでエレベーターの扉がゴトゴト開く。学生がなだれ込み、その日の僕たちの話は過去になり、終わった。高校二年生から続いていた僕の米文学への忠誠もまた同様に。
 でも、それは悪いことではなかった。結果僕は仏文学や英文学、カナダ文学、ボルヘス。そしてシェイクスピア、カフカ、ドストエフスキー。新しい文学をノックすることになる。だから悪いなんてことはなかった。
 そもそも、善悪なんてものは実際には存在しない。正しさなんてものはまやかしだ。比較でしか示せないものに大した価値なんてものはあるわけがない……
 でも、僕は戦争は嫌だった。心からそう思った。  文学も、恋もそこまではごまかせなかった。
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shingoiwasaki-blog-blog · 2 years ago
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【2023-11-27】 A〜Zのタトゥー
【 zshingoの日記 】 【気まぐれ日記】
曇り。午前七時過ぎ起床。テレビをつけ、顔を洗い歯を磨く。セカンドストリートで、500円で購入した無名のジャケットに、カッパのジャージパンツ(セカンドストリートで購入。セットアップで1000円。)に、バンズのスリッポンを履き、アパートを出る。今日は、「KーTATTOO」で、11:00に、TATTOOを入れる予約を入れている。腹に、アルファベットの「A〜Z」まで入れるのだ。文字の書体は、ギャング文字。デザインは、彫師さんに任せている。彫師さんは、以前、私の腕に「聖母マリア」を入れてくれた方だ。とても腕のいい彫師さんだ。つくづく、思うのが、「彫師」という職業は、「神」の力がやどっている。何故なら、「ミスの許されない職業」にも関わらず、いまだかつて、「タトゥーを入れて、彫師さんに失敗された」という話を聞いたことがないからだ。勿論、入れ終わったあとのデザインが、自分が想像していたものと違っていた、などはあると思うが。それは、あくまでも、タトゥーを入れる側の掘る前の想像していたイメージと、実際に墨が入ったあとの、イメージが違うだけであって、決して失敗ではないのだ。それに比べて、家電製品や、洋服を購入して、買ってすぐ、家電製品が動かなくなったり、買った洋服にシミや汚れが目立たない場所についていた、などの話しはよく耳にする。あと、食材も、腐っていた、裏返してみると傷んでいたなどの話も耳にする。タトゥーに関しては、私は、いまだかつて「彫師さんへのクレーム」という話を、一度も聞いたことがないのだ。これだけ、タトゥーが、全世界で一般化されているのだから、そんな話しの一つや二つあってもいいはずなのに。地下鉄で天神へ向かう。電車内、福岡市総合図書館で借りた、荻原魚雷著「書生の処世」の続きを読む。今回で三度目の再読だ。一回目、二回目に読んだときは、何も感じなかった文章が、時が経てば不思議と胸に刺さる箇所が出てくる。これはつまり、私がそれだけ、人生経験を積み、過��の自分から成長しているという証だ。本を出版する著者が、読者に対して、切実に望んでいるのは、自分が書いた本を繰り返し読んで欲しいという願望を持っている。これは、大抵の著者が願っていることである。適当に、飛ばして、流し読みされることを嫌う。勿論、村上春樹先生も。他人が書いた本を繰り返し読むという行為は、ただ単に、他人の考え、言動を「知る」ということ以外に、他人の「人生を自分の体内に入れて生きる」という行為にもつながる。文学科の大学教授が生徒に口を揃えて言う言葉は、とにかく、自分の気に入った作家の「全集」を読めと言う。いろんな作家の書いた本をちょこちょこかいつまんで読む読書も勿論、悪くはないが、それでは、一人の作家の人生を「知る」ことはできない。一人の作家の書いた「全集」をすべて読破するという行為は、その作家の人生を知ることでもあり、それプラス、その作家の「生き方」を、「自分の人生に取り入れる」という行為でもある。そう、その作家の「血肉」を自分の体内に「吸収」する行為そのものなのだ。そう、意識しなくても、一人の作家が書いた本を突き詰めて、繰り返し読んでいけば、それを書いた作家の性格に、「知らず知らず」自然と似てくるのだ。これが、書いた作家の「血肉」を「吸収する行為」と言える。私の場合、村上春樹先生の書く、小説の主人公に、「ものの考えかた」が「似ている」と自分で思っている。勿論、特に「意識」してそうなったわけではない。読み続けていくうちに、「自然」とそうなったのだ。勿論、悪い気はしない。むしろ、嬉しい。何故なら、村上春樹先生の小説に出てくる主人公は、「何一つとして、間違ったことを言っていない」からだ。つまり、これは、何を意味しているかと言うと、村上春樹先生の書く小説の主人公は、現代の「イエス・キリスト」だからだ。つまり、私のことである。(再臨)村上春樹先生の出版された本は、すべて現代版の「聖書」なのだ。あと、元、「ブランキージェットシティ」のボーカル、「浅井健一」さんの書いた曲の歌詞も、「現代版の聖書」だ。浅井健一さんの書いた「詩」には、「ヒッピー」や、「ホームレス」や、「麻薬常用者」や「売春婦」や「動物愛護団体」や「純粋な心を持った子どもたち」などの、いわゆる、社会の底辺で生きる、アウトサイダーたちが、いろんな歌詞の中に散りばめられている。そして、よく歌詞の中に「神」が登場する。そう、私にとって、村上春樹先生の書く「小説」に出てくる「主人公」や、その他の「登場人物」や、浅井健一さんの書く「詩」の中に散りばめられている「アウトサイダーたち」は、ただ単に、「詩」や「小説」の中だけの人物ではなく、生きているのだ。話を戻すと、「全集」には、小説以外に、その作家の書いた、日記、随筆、ある日、ふとひらめいた考えが、ノートの角に走り書きされた、ちょっとした内容の文章まで記されているものもある。(ただし、昔の人が書いた「全集」に限る。)比較的最近の人が書いた「全集」であれば、ノートの角に書いたちょっとした走り書きは、うまくぼかして「雑記」の中にまとめられているのだろう。ちなみに、村上春樹先生の出版されている「雑記」というタイトルの書物も面白く読ませてもらった。イラストは、もう亡くなられたが、「安西水丸」先生と、なんとか「誠」先生だ。(たしか、「椎名誠」先生という名前のイラストレーターだったような気がするのだが)村上春樹先生は、安西水丸先生と特に、仲良くされていたのが、「村上朝日堂」や「村上朝日堂の逆襲」を読めばわかる。「zshingoの日記」に話を戻す。天神に着き、少し、腹が減ったので、マクドナルドへ向かう。名前は覚えていないが、肉肉しいマクドナルドの朝メニューを食べ、SNSを閲覧、投稿する。気づいたら、十時二十五分になっていたので、KーTATTOOへ向かう。少し、早めに着いたので、KーTATTOOの裏の駐車場のアスファルトにしゃがみこんで、SNSを閲覧、投稿する。約、十分前になったので、KーTATTOOへ入る。担当の彫師さんがデザインした用紙を見せてもらい、腹に下書きのインクを転写する。インクが乾くまで、上半身裸で待機。寒い。彫師さんのスタートしましょうの合図で、ベッドへ仰向けに寝る。いざ、タトゥーマシーンの針が皮膚に刺さった瞬間、チクチクとした痛みを感じる。最初は、右腹からスタートしたのだが、腹の中央にくるにつれて痛みの強さがましてくる。痛みのあまり、終始、しかめっ面。結局、N〜Z、13このアルファベットしか入れることができずに終わる。そう、途中で、私は、彫師さんに、あまりにも痛みが強烈なので、これ以上、入れることができません。これでやめにしてくださいとお願いしたのだ。ただし、バランスよく、ヘソの上を、アルファベットがきれいにアーチするように入れてはもらった。しかし、アルファベットの枠だけで、中は黒く塗りつぶされてはいない。痛くて、とてもじゃないが、これ以上、彫り続けることができないのだ。でも、それはそれで逆にカッコいいんじゃないかという考えも浮かんできた。(昔、東京に住んでいる時に、渋谷区道玄坂のクラブエイジアで働いていた、「マサさん」という人が、アルファベットの枠だけ腹に入れているのを見て、カッコいいなと思った記憶があったため)実際に、鏡で見てみると、カッコよく仕上がっていた。勿論、アルファベットの枠だけではあるが。痛さのあまり、彫りを途中でやめてしまった私に対して、店のオーナーさんに、「しんごちゃん、一度、彫ると決めたものを、途中で断念して辞めるのは、あまりにもカッコ悪すぎるから、せめて、残りのA〜Mまでのアルファベットは、腹じゃない別の場所に入れようよ」と持ちかけられたので、次回、A〜Mまでのアルファベットのタトゥーを背中に入れることで話がまとまる。次回の予約をしてタトゥーショップをあとにする。(明後日)ブック・オフへ行き、トミーヒルフィガーのブルーのジャケットを1200円で購入。地下鉄で帰宅。電車内、荻原魚雷著「書生の処世」の続きを読む。近所のコンビニで、タルタルフィッシュバーガー、醤油味のカップラーメン、コーラ、カルピス、ポテトチップスうすしお味を購入。アパートに帰り、シャワーを浴びて、洗濯機をまわす。テレビをつけ、コンビニで購入した晩飯を食べる。食後、ポテトチップスを食べる。一袋たいらげたら、気持ち悪くなったので、胃腸薬を飲む。普段、服薬している薬も飲む。歯を磨く。YouTubeで、数年前に読んだ山本周五郎著「季節のない街」の朗読を聴く。突然、無性に「季節のない街」を調べてみたくなったのだ。そしたら、たまたま、YouTubeで朗読している動画を発見したのだ。「季節のない街」は、短編小説で、私が、どうしても、もう一度聴きたいと思う、短編小説のタイトルが思い出せなかったので、Amazonサイトの説明書きされた、タイトルでそれっぽいタイトルのものをYouTubeで、検索してみるも、なかなか出てこない。結局、5回目ぐらいでようやく見つけることができた。「プールのある家」というタイトルの短編小説だ。話しは、路上生活者である父子二人の物語。浮浪者だが、博識な父親の話に、耳を傾ける息子。しかし、息子は、路上生活者の大半がそうなるように、死ぬ。残された父親一人の描写がしばらく続くが、途中から、犬に「転生」(てんせい)した息子が父親の前に現れ、父親のあとを、ついてまわるところで、話しは終わる。「プールのある家」視聴後、あのちゃんのラジオ番組をYouTubeで視聴。洗濯物を、洗濯機の中から取り出すのを忘れて、深夜一時四十分ぐらいに眠剤を飲み就寝。取り出すのを忘れた洗濯物は、結局、次の日の夕方気づき、再度、洗濯機をまわす。菌が繁殖しているからだ。
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emi-sinema · 4 years ago
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すずは何故1人で東京に行ったのか
1)はじめに
 「竜とそばかすの姫」上映開始後からSNSやレビューサイトに投稿されている感想等を見る限り、本作の評価が分かれる最大のポイントは終盤の展開にあると言っても過言ではないだろう。
 批判の論点は個々のレビューによって若干異なるが、おおまかに言えば「なぜ、東京にわざわざすず1人で行ったのか、周囲の大人はなぜ1人で行かせたのか」だ。「まだ高校生であるすずを虐待親のもとへ1人で行かせるのは、大人としての役割を放棄しているのではないか」。
 また、「行政がまったく描かれておらず社会的な視野が欠けている、あたかも公助は助けにならないから自己責任で戦えと言っているようなものではないか」という意見もある。実際は何も問題が解決していないのに、あたかも美談のように描いている、というのである。
 これに対する反論もある。下記リンクの記事https://note.com/shimori/n/n548b50b3c30d(「SNSでの気軽な暴言と連帯表明への痛烈な批判」)はその代表的なものである。
 筆者のこもり氏は、恵の独白(助ける助ける助ける…)から、「恐らくもう何度も竜とクリオネの家庭は行政の介入を受けて」おり、それでも事態が解決しなかった、救われなかったのだろうと推測する。つまり、「一般的な正しいやり方では竜は救われてこなかった」のだと。
「よってすずは行かなければならなかった。自分自身の手で守り抜いて、抱きしめなくてはいけなかった。安全圏から通報をして終わってはいけなかったし、大人に任せてはいけなかったのだ。」「“問題が何も解決しない”ことこそが細田監督の誠意の表れだった。」と述べている。
 わたし自身の解釈は、同記事と全く同じではない(例えばわたしは、父親による暴力行為は描かれていないだけで、実際には行われていたのではないかと考える)が、同記事は本作を考える上で重要な視点を提示していると思う。
 「竜とそばかすの姫」に限らず、細田作品には「行政や福祉(いわゆる公助)に頼らずに自分で全て背負うことを美化している」という批判がたびたび寄せられるが、むしろ「公助からはじかれた人、疎外された人」にスポットライトを当てているのではないだろうか。その背景として、「公助がないがしろにされ、機能不全になった現実の世界」を、その中で生きる人の姿を、ありのままに提示しているのだ。
  一方で、同記事では、すずが合唱団の大人達を置いて、一人で東京に行ったことについては、「やや理由付けが薄いとは思う。せめて東京まで送るとか、手分けして探していたことにしてもいい。」とし「監督が訴えたいことを優先したためにやむを得ず展開が強引になってしまったのだとしても、私はその訴えに共感したのであまり気に留めていない。」と述べている。
 正直に言えば、わたし自身も、初めて本作を観た時には同じように考えていた。つまり「表現したいことを��立たせる(純度を上げると言ってもいい)ために、あえて不自然で強引な展開にしている」のだと。
 しかし、何度か本作を観直すうちに、本作の脚本、会話テキストが行き当たりばったりではなく、全体の構成を踏まえて考えられたものであることを確信するようになった。言葉で語らない、言外の描写で語る要素が多い分、切りつめられたテキストは、なくてはならない、またそのような形でなくてはならないという必然性を持っている。
 そうなると、逆に、ラストだけ訴えたいことを優先してリアリティラインを下げたとは考えられなくなった。作中で描かれてきたものを踏まえて、作品内の論理で説明できるように作られていると考えるようになったのである。
 実際、終盤に何が起こっていたのかを、わたしたちは把握できているのだろうか。たとえば、すずは何をしに東京に行ったのかを理解できているのだろうか。そこに勘違いはないだろうか。
 2)児童相談所の肩代わりをしに行ったわけではない
 すずが学校を発つまでの経緯を追ってみよう。
知と恵の兄弟が父親から虐待されていることに気づいた面々は、それぞれの知恵を出し合って、彼らが東京の大田区と川崎市の間、二つの高層ビルが見える場所であることを突き止める。
 合唱団の吉谷が児童相談所に電話をかけるが、すぐには向かえない、との返事。児相側の台詞は聴き取れないが、吉谷の相槌から考えると、ルールに従って48時間以内に確認するという趣旨なのだろう。「じゃあその間にもしものことがあったら」と、大人達がざわめく中、すずが「行かなきゃ」と飛び出し、合唱団の中井、喜多が追いかける。
 このやりとりを観ると、あたかもすずは、「児童相談所の救出が間に合わないかもしれないから、それよりも先に兄弟を助けに行った」、言いかえると「児童相談所の役目を肩代わりするために東京に行った」のだと捉えたくなる。
 確かに、着いて行った大人達2人、喜多と中井の頭の中にはそうした考えがあっただろう。だが、すずは本当にそう考えていたのだろうか。
むしろわたしは、「児相の代わりに救出に向かった」ことを前提としているために、すずが1人で東京へと発ったことが、不合理な行動に見えてしまっているのではないかと考えている。
 プロである児童相談所も、虐待が疑われる家庭を訪問する場合、基本的に1人では行かない。このことを製作陣が知らないはずはない(過去作の「おおかみ子どもの雨と雪」の序盤で、花の家を訪問する職員も2人である)。だいたい、時間がかかる児童相談所の代わりに早く兄弟を救出するという趣旨であれば、3人で手分けして探した方が良いに決まっている。兄弟の正確な居場所をすずたちはまだつきとめていないのだから。
 駅に向かう道の途上、中井はスマホの検索から飛行機が間に合わないことを告げ、車を運転している喜多は「じゃあこのまま東京?」と返している。この、「このまま東京」とは、この乗用車で東京に向かうことを想定した言い方だろう。すずをただ駅まで送るだけなら大人が2人着いてくる必要はない。少なくとも1人は一緒に東京に行くつもりだったと考えられる。
 その後、駅ですずを見送る際、喜多と中井の2人は「1人で大丈夫かな」「すずが決めたことだから」と会話している。これは、1人で行くことを決めたのはすずの意志であること、あの車内での会話から駅で見送る場面までの間に、どうやって東京に行くのか、誰が着いていくのか(ついて行かないのか)を決めるやり取りがあったことを示している。
 もちろん、すずも高校生だから、複数人で行く方が、兄弟を救出する上で合理的であることは理解しているはずだ(もちろん、いまさら、「大人達を巻き込むのは申し訳ない」といった理由で2人を置いて行ったわけでもないだろう)。
つまり、すずにとっては、そうした合理性よりも優先される動機があり、それは1人でなければ果たせないものだった、ということになる。(※1)
父親に画面を切断されて「ヤバいよ、あの子たち」「行って守ってあげなきゃ」というのは、遠くで虐待されている子どもを発見した大人達の目線であり、おそらくすずの目線とは少しずれている。児童相談所がすぐに迎えに行けないことは、すずが走り出す引き金ではあっても、東京へ向かう「動機」ではない。
思い起こしてみれば、最初に恵たちと通話した時点で、既にすずは「あなたのところに行きたい」と話しかけていた。最初からすずは恵と知の下へ行くつもりだったのである。
3)恵はすずに何をしてほしかったのか
 ここから、すずが東京に何をしに行ったのかを、竜とすず双方の視点から考えてみたい。
 本作へのよくある批判に、「結局、ラストシーンで生身の姿で会いに行くことを称揚するのであれば、ネットの世界を描いてきた意味がない」というものがある。
 しかし、この意見はラストシーンおよび、本作の趣旨を誤解していると思う。
 竜(恵)は、すずを「すず」とは一度も呼んでいない。東京の場面でも、常に「ベル」と呼んでいる。初めて画面越しに顔を合わせ、「私、ベルだよ」と言うすずを、恵は「そんなわけないだろ」と一蹴するが、あくまで「そんなわけない」であり、「そんなことどうでもいい」とは言っていない。竜にとってベルはかけがえのない存在なのである。
 すずがUの中でアンベイルされた状態で歌った後、恵は「本当にベルなのかな?僕はまだ完全に信用したわけじゃない」と言いながらも、すず側との通信を回復させている。この「完全に信用していない」とはどういうことか。「すずがベルのオリジンである」ことは先ほどのライブから明らかであり、そのことに疑いがあるわけではないだろう。だからこそ通信を復活させたのだ。
 完全に信用していない、とは「さっき画面越しに自分に話しかけてきた女」がベルのオリジン、いわゆる「中の人」であるだけでは不十分だということである。なぜ不十分なのかと言えば、往々にしてAsとオリジンには乖離があるからだ。恵自身と「竜」の関係がそうであるし、もっと言えば、彼の父親がインタビューで見せる「立派な父親像」「母親がいなくても仲良く暮らしている家族像」と家の内側での実像との乖離がそうである(本作が、Asとオリジンという概念に、単にネット上のアバターと「中の人」を超えた意味を与えていることがうかがえる)。すずがベルのオリジンだとして、すず自身の内面がベルと同じであるとは限らないのである。
 これは、駅前の場面で、しのぶが「すず、ベルだろ」「ベル、すずなんだろ」と、ひっくり返して2回言ったのとも呼応する。これは「イコール」ではなく、「矢印」の関係で捉えるとわかりやすい。しのぶは、単にベルのオリジンがすずであると言っているのではなく、「ベルがすずであり、すずはベルであるという」双方向の関係について述べているのである。
 すずの姿で歌っただけでは、一方向の関係(ベル→すず)しか恵に示せていなかった。見方を変えれば、恵にとって、ベルをベルたらしめているもの(アイデンティティ)が「歌」ではない、ということである。恵にとってベルはただの「歌姫」ではないのだ。
 しかし、恵は接続を復旧させ、すずに自分たちの居場所を教えようとする。父親に妨害され、通信を切られてしまったが、恵はすずに何を望んでいたのか(もちろん児童相談所への通報ではない)。
 ラストの再開シーンで恵が言う「来てほしかった」とは、正確に言えば「ベルに来てほしかった」である。すずの「わたしはベルだよ」「あなたのところへ行きたい」という言葉に賭けたのだ。
 つまり、すずは、ボディシェアリングも視覚の制御もない、現実の世界で「ベル」として恵の下に現れなければならなかった。
  さて、接続が復旧し、「ベル、見える?」と知が問いかけたにもかかわらず、すずは最初に仲間たちの方を振り返り、しのぶに抱きついていた。初めて本作を観た時、わたしは「喜んでいる暇があったらさっさと知に返事しろよ」とやきもきしたのを覚えている。初めから兄弟から目を離さず、返事をしていれば、居場所を聞き出すのも間に合ったのではないか、と。
 しかし、この失態ともとれる描写は、すずが皆と一緒である限り「皆に見守られているすず」という文脈から逃れられないことを示しているのではないか。友人たちや聖歌隊の大人達が見ているのはすずであり、彼(女)らにとって、恵と知は「見ず知らずの虐待されている兄弟」でしかない。
 駅へと向かう車内で、すずが1人で行く決心を告げた理由のひとつは、ここにあるのではないかと考える。「可哀想な虐待されている兄弟を、児童相談所の代わりに救い出す」という大人たちの文脈の中にいる限り、すずはベルとはなりえないのだ。
 兄弟の居場所をみんなの力で推理する間、すずは一言も発していない。この時すずは、自問していたのではないだろうか。恵が何をしてほしかったのか、自分は何をすべきだったのか、これから何をすべきか。
 児童相談所や大人達が考えている救済が、外的ないしは制度的な救い(またはその代替)であるのに対して、すず(ベル)がそれに優先して恵と知に届けたのは、ひたすらに内的な救いである。なぜそうしたのかと言えば、それが自分にできることであり、自分にしかできないことだからだ。
 恵が、すずをベルと確信したのは、すずに抱きしめられた瞬間である。「心のそばに」の中で、ベルは竜に口づけしようとするが、竜が固く目を閉じたのを見て、竜を抱きしめ、ただ頬を寄せる。侵略的でない愛、自分を尊重して寄り添ってくれる愛。それを体現するものがベルなのである。
 4)この映画の「やり直し」とは何か
 しかしここまで述べたことは、あくまで恵(竜)の望みという観点から導き出された答えであり、いわば、「すずが1人で行った意味」のA面でしかない。
 実際、喜多と中井がこの理由だけで納得したとは思えない。亡き友人の娘、我が子のように見守ってきた少女が、見ず知らずの子どもたちのために危険な道を選ぼうとしている。彼女の母親と同じ道をたどってしまうのではないか…と考えるのが自然ではないだろうか。
 実際、本作の感想を観ても、こうした批判は少なくない。自分がそれによって深く傷つけられ、苦しみ続けてきたはずの、母親の自己犠牲的行動をなぞらせ、それを美化しているのではないか、と。
 だがここに、本作を観た人の少なからぬ割合の人が陥っている勘違い、誤解があるとわたしは考えている。
 それは、すずは母親の行動をただなぞったわけではないということだ。
 たしかに、優しい心を持ち、今自分自身にしかできないことをしようとした、という点では、すずと母親は重なっているだろう。同じように雨が降っていることから、ラストシーンが、母親を亡くしたあの日との対比になっていると考えるのも不自然ではない。
 だが、母親が助けようとした見ず知らずの子どもと、恵と知の兄弟とを重ねて捉えることには、わたしは以前から違和感があった。
 まず、すずにとって恵と知は「見ず知らずの子ども」ではないはずだ。彼らだけの間につながる魂の交流(秘密のバラ)が確かにあったのではなかったか。
 違和感のもう一つの理由は、少しややこしい。冒頭のUを紹介するナレーションでこのように述べられていたのを思い返してみよう。
「現実はやり直せない。でもUならやり直せる」
 ここで重要なのは「Uならやり直せる」であり、「Uでなら」「Uの中なら」ではないことだ。このUは、仮想現実空間としての「U」に限定されないニュアンスがある。もしU=YOU、あなた、と捉えるなら、「Uはもう一つの現実」とは、「あなた自身の中にもう一つの現実がある」ということになる。
 さて、ここで言われている「やり直し」とは何なのか。この映画の中で、何がやり直されているのか。母親の行���をなぞったのであれば、それは単なる「くりかえし」に過ぎない。やり直すからには、前と違わなければいけないはずである。それは何か。
 結論から先に述べるなら、恵と知と重ねるべきなのは、向こうで助けを求めて泣いていたあの子どもではなく、あのとき、助けを求めることができなかった子どもである。世界そのものとのつながりに等しい存在を断ち切られた子ども、見捨てられた子ども、もっともらしい「正論」によってさらに傷を抉られ、うちのめされながら、声を上げることができなかった子ども。つまり、すず自身だ。
 考えてみれば、すずが竜のために作ったラブソングである「心のそばに」からして、すず自身の心が投影されていた。口にできない怒り、恐れ、悲しみを胸の中に隠しているのも、「一人で生きていける」と何度も自分に言い聞かせてきたのも、すず自身である。
 ベルが初めて出会った竜に心惹かれたのも、あの全てを拒絶し、凍りつかせるような竜の戦い方に、自分自身の奥にある感情を揺さぶられたからに他ならない。すず(ベル)と恵(竜)は鏡写しの関係にあるのだ。
 「鏡写し」は本作の裏のテーマである。現実と仮想空間、Asとオリジン、恵の父親とジャスティン、ルカ=太陽とすず=月、ジャスティンたちのアンベールとすず(ベル)が行う(心の)アンベール。ジャスティンが行う竜の住所特定とすずたちが兄弟の住所を突き止める過程。数え上げればきりがない。
 その割に本物の鏡が一度もモチーフとして登場しないように思えるが、まさに「心のそばに」を作曲した水面こそが「鏡」なのだと言える。なお、あの川には実在のモデルがあり、その名も「鏡川」である。
 どれだけ周囲が見守ってくれても、それ自体が直接にはすずの救済とはならなかったように、あの日のすずを救済するには、母親の気持ちを理解した自分自身が、母親の代わりに助けに行かなければいけなかった。そして、それは、他者である「虐待されている子ども」を助けに行くという、大人たちの文脈では達成できなかったのだ。
 すずが雨に濡れながら抱きしめたのは、世界とのつながりを失いひとりぼっちになったあの日のすず自身である。これがすずが一人で東京に行った意味の「B面」である。
恵の魂を救済することはすずの魂の救済であり、すずの救済は恵の救済なのである。
 5)おわりに―鏡写しについて
 こう書くと、自分の傷を他人に投影して、自分を救うために他人を守るというあり方は不健全ではないか、という考えも出てきそうだ。
しかし、本作が提示している「鏡写し」とはそうした利己主義的な意味ではなく、「他者と向き合うことは自分自身と向き合うことそのものである」、別の言い方をするなら「他者と向き合うことでしか、自分自身を見出すことはできない」という命題なのではないか。
 すずの家庭と、恵と知の家庭が鏡写しであると考えるなら、恵と知もおそらく母親を亡くしたのだろう。ふたりの父親は、おそらく自分自身の怒りや恐れ、悲しみに向き合うことも、自分と同じ傷を背負っている、恵や知のありのままの姿を受け入れることもできなかった。だからこそ彼は理想の家族、父親という「As」にすがり、やがてそのAsに自我が飲みこまれてしまっていたのではないだろうか。これは、「正義」というAsに憑りつかれて、他人を従える権威の虜となってしまったジャスティンと重なっているし、もっと言えば自分自身の暴力性を透明化するネットの暴言ともつながる。幼いすずは、母親の死という心的外傷の上に、インターネット上で匿名の相手から、「正論」という体で暴力を受けていたのである。
 ついに現実の世界で恵(竜)と対面したすず(ベル)は、「あなたは私の臆病だった心を解き放ってくれた」と告げる(※2)。すずが何に臆病だったのかといえば、他者と向きあうことであろう。最愛の存在であった母親に置いて行かれた(と感じた)精神的外傷による呪いともいえる。母親との死別以来、すずは竜と出会って初めて、自ら他者を求めることができるようになったのである。
 だから最後の対決は、Asを自らのものにしたすず=ベルによって、父親が「父親」としてのAsをアンベールされ、一人の弱い人間としてのオリジンに立ち返る形で終わったのである。
  これまで述べてきた動機を、すず自身がどれだけ自覚し、言語化できていたかはわからない。だが、すずの決心を聞いた時、喜多と中井はおそらく、「すず自身のためにこそ」それが必要である、と直感したのだと思う。「すずの幸せ」を心の底から願っていた2人だからこそ、そこに疑いがあったら、すずを一人で行かせはしなかったはずである。
 そして、もちろんそれは客観的な「正解」ではない(幸せに正解というものはない、という命題は、すずと聖歌隊の大人達との問答で既に提示されている)。
 この記事で試みたのは、すず自身がたどった道すじに、そうすべき内的な必然性があったということを、オリジンとAsの両面から示すことであった。結果として、それは作品全体をどう読み解くのか、提示されている動機をどう受け取るべきかを問われることとなり、最初に本記事を書こうと決めた時から相当な時間が経ってしまった。それでも、上映期間中に書き終えることができたのは幸いである。
 「竜とそばかすの姫」は多様な読み方を許容し、求めてくる作品である。これからもたくさんの人の読み方、解釈を見たいと思うし、読んでくださった方にとって、本記事が豊かな映画体験を支える助けに少しでもなることを願っている。
 (※1)あくまで動機としての優先順位の話であり、すずが児童相談所の役割などを軽視していたということではない。すずが恵・知と会った後、どうしたのかは具体的に描かれていないが、おそらく、高知で待機していた仲間たちに連絡を取り、大人達の助けも借りながら、児童相談所に繋げるところまではやったのではないかと推測している。
 少なくとも、一度は仲間たちに連絡を取っており、その際にすずはこちらの様子を映像として知らせたと考えられる。なぜなら、駅ですずを迎えた時、誰もすずの顔の傷に言及しないからである。送り出してから初めてすずの顔を見たのなら、顔の傷について触れないのは不自然だ。
また、川沿いを歩きながらしのぶは「あの子たちを守るすずを見て、なかなかやるなって思った」と言っているが、しのぶはすずが父親と対峙する場面を見ていないはずだ。では何を見ての発言なのかと言えば、父親との対決後に連絡をとった時の、すずの様子なのではないだろうか。
あくまで想像だが、喜多と中井は、すずを一人で行かせるかわりに、兄弟と会うことができたらこちらに連絡するように約束したのかもしれない。
(※2)なお、ここで恵が「君の立ち向かう姿を見て、はっとした。僕も立ち向かわなきゃいけないって思った」と言うのは、「一人で父親と闘う」という話ではなく、「僕が耐えさえすれば、それでいい」を止めるという意味である。
これを一種の「自己責任論」の発露として捉えてしまうのは、物語を物語として読めていないと思う。本作は、出てくるモチーフや言葉に出来合いのラベルを貼りつけるような観方をする人が「誤解」しないように、親切に作られてはいない(そういう意味では「良い脚本」ではないかもしれない)。
「立ち向かう」とは、「わたしはAsの暴力に屈しない、わたしのオリジンを否定させない」という意思の表明であり、自分というオリジンが守られるだけの価値がある存在だということを、ベルが身をもって伝えたのである。
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myaachanissocute · 4 years ago
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Today's choice
By Saito Soma
52. 堀江敏幸
title『河岸忘日抄』
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これも何度か紹介しているけれど。ひとつの理想的な生活のかたちだと思います。文章それ自体をじっくりと味わえる素敵な作品です。
53. トクマルシューゴ
title『ポート・エントロピー』
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音楽ってもっと自由で、好き勝手で、でも数式や建築物みたいに綺麗なものだと、トクマルさんを聴くといつも思います。M5『Rum Hee』をぜひ聴いていただきたいです。
54. 日渡早紀
title『ぼくの地球を守って』
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もう各所で紹介しまくっているのですが。こんなに素敵な作品にはそうそう出会えません。もうこれはここで見たのも縁ですから、ぜひ大いなる大気の巡りあわせを感じて読んでみてください。大好きなんです。
55. 松浦寿輝
title『もののたはむれ』
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ふと立ち寄った書店で見つけた1冊。思弁的なようでいてぐいぐい読ませる文体で、気づけば異界に紛れこんでいます。『花腐し』も積読ですが早く読みたいな。
56. BURGER NUDS
title『symphony』
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今でも手に入るのかはわかりませんが、ぼくの10代の音楽の間違いなく中心であったバンドです。内省的かつポップは音とことばたち。ただただ格好いい。GDHMも紹介します。
57. 浅野りん
title『PON!とキマイラ』
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いやこれを書くにあたって調べたけどやっぱりKindleないのかよ。10冊くらい買うからぜひお願いいたします。浅野先生のユーモア大好きです。清丸好きすぎですよ。偉い皆さまお願いいたします。
58. マリオ・バルガス・リョサ
title『フリアとシナリオライター』
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これは氏の作品の中ではエンタメ寄りと言えるかもしれません。日本でいうと筒井康隆さん的なマジックリアリズムとスラップスティック。すいすい読めちゃいます。
59. Good Dog Happy Men
title『Most beautiful in the world』
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素晴らしい完成度を誇るミニアルバム。すべての曲がひとつの物語を紡ぐスタイルに、「これだ!」と当時思ったものです。ファンタジックかつシニカルな歌詞にもメロディにもとても影響を受けています。
60. 日本橋ヨヲコ
title『G戦場ヘヴンズドア』
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日本橋先生の漫画にはいつもシニカルなユーモアと熱さが共存していると感じますが、中でもこの作品は「マンガ」というものに対する心からの熱を感じます。何度も読み返したいですね。
61. 多和田葉子
title『地球にちりばめられて』
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まだ読み終わっていないんですけど、序盤からすでに好きのかおりしかしません。脳が喜んでいるのを感じられるような文体。多和田さんの他の作品ももっと読んでみたいです。
62. Syrup16g
title『COPY』
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シロップを聴くと、甘いだけではないあの日々を思い出します。M3『生活』はあまりにも有名ですが、M5『デイパス』にすごく救われた気持ちになりました。音楽準備室でハミングバードを弾き語ってくれた彼、元気かなあ。
63. コナリミサト
title『珈琲いかがでしょう』
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最初に読んだコナリ先生の作品かもしれません。青山さんがとにかく格好よく、またポップな絵柄とは裏腹に静かな狂気を孕んで展開していくストーリーが大好きです。
64. 安岡章太郎
title『ガラスの靴・悪い仲間』
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いわゆる「第三の新人」の作家さんが好きなのですが、安岡さんの文章に妙に惹かれてしまいます。どこか昏い感覚をポップに書いてしまう文章力がすさまじいです。
65. The Smashing Pumpkins
title『Mellon Collie and the Infinite Sadness』
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大ボリュームかつ名曲揃いのアルバム。M2『Tonight, Tonight』M3『Thirty-Three』など、泣きの傑作も多い。歌詞もロマンチックで大好きです。
66. 三好銀
title『海辺へ行く道』
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最初は表紙に惹かれて書い、読んだけれどしばらくハマれず。数年後に再読したらめちゃくちゃ染みました。心象風景と引き算のストーリーがとても素敵です。詩情を感じますね。
67. 川島誠
title『セカンド・ショット』
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児童文学だと思って気楽に読むなかれ。『電話がなっている』の切なさとやるせなさよ。爽やかな読後感の作品もあるだけに、読み終わるまでのどきどきがたまらない1冊です。
68. 安藤裕子
title『Middle Tempo Magic』
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ポップだけどそれだけじゃない、ユニークな曲の展開と詞世界が素敵です。安藤さんの歌声も奔放かつ余裕さもあって聴き心地がよき。M5『黒い車』みたいな曲、格好いいですよね。
69. Fiona Apple
title『真実』
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現代はめちゃくちゃ長いので邦題で。声かっこよすぎ曲よすぎというすごいお方。M3『Limp』のやさぐれセクシーさんたるや。こういうキャバレーミュージック的なの大好きです。M7『Fast as You Can』も強い。
70. つげ善春
title『無能の人・日の戯れ』
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なんで好きなのかと言われてもそんなにうまくは答えられないけれど、とにかく折に触れて読み返してしまいます。つげさん的な雰囲気を持ったマンガももれなく好き。
71. 久住昌之
title『昼のセント酒』
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こういうお昼の時間をキメたいときってありますよね。ささやかで、でも贅沢な。昔スイミングスクールが終わったあとにいちごオレを飲んだときのあの感覚にも似ている気がします。
72. The Libertines
title『Up The Bracket』
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各所で言っていますがやっぱり大好きリバティーンズ。楽曲のクオリティももちろんのこと、彼らにまつわるエピソードも含めて自分の中でとても大きい存在感を持つバンドです。このアルバムならM2『Death on the Stairs』がいちばん好きだなあ。
73. panpanya
title『おむすびの転がる町』
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全部好きですがたまたま目についたのでこれを。panpanyaさんのこの、シュールなのに懐かしいかんじはなんなのだろうか。ちょっとつげ義春さんっぽさもありつつ、唯一無二の素敵さです。
74. 内田百閒
title『冥途』
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百?先生は夢のような幻想のような作風で知られていますが、中でも『冥途』『件』『サラサーテの盤』などが好きです。いつかどこかで、たしかにそんな夢を見たような。不思議な気持ちにさせてくれます。
75. 本広克行
title『サマータイムマシン・ブルース』
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夏といえばSFですよね。ヨーロッパ企画・上田誠さんによるきれっきれの台本と、ゆるーいノリがたまらない1本。ビールを飲みながらだらだら観たい、そんな作品です。
76. The World/Inferno Friendship Society
title『Red-Eyed Soul』
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なにかの雑誌で見かけたブルックリンのパンクバンド。当時日本では流通がなかったので、親を説得して初めてAmazonで買い物しました。M4『Only Anarchists Are Pretty』が最高。
77. 岩本ナオ
title『町でうわさの天狗の子』
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これも何度も言っていますが、ふと岩本先生の世界に浸りたくなるときがあります。もっと若いときに知って読んでいたかったなあ。もちろんいつ読んでも最高にハートフルなのですけどね。
78. 滝本竜彦
title『NHKにようこそ!』
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滝本先生の描く鬱屈感にすごく共感し、自分にも岬ちゃんのような人が現れてくれないだろうかと思っていたあのころの思い出です。
79. MAROON5
title『Songs About Jane』
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世界的バンドとなったマルーン5ですが、斉藤少年も1stを聴いたときにあまりのセクシーさに腰が砕けました。リードトラック以外も隙がなく、何度聴いても乗れます。アダムさんすでに歌がうますぎる。
80. 芦奈野ひとし
title『ヨコハマ買い出し紀行』
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こういう穏やかなポストアポカリプス系になぜこんなにも心が惹かれるのか、じつのところ自分でもよくわからないのです。でも、こんな生活は間違いなく理想のひとつなんだよなあ。
81. ジャック・リッチー
title『クライム・マシン』
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切れ味鋭い短編ミステリ集。とても読みやすい上によくまとまった短編揃いなので、ちょっとした隙間にも楽しめるのがいいですね。
82. SAKANAMON
title『・・・』
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『ミュージックプランクトン』で一気に引きこまれました。このアルバムは本当にどの曲もいい。M5『SYULOVER』、M7『テヲフル』が特に好きです。ユーモアって大切。
83. -
title『学園戦記ムリョウ』
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大好きなSFアニメ。NHKさんには良作のSFアニメが多いですよね。ゆるさと壮大さのバランスが絶妙。いつかこんな世界で暮らしてみたいものです。
84. People In The Box
title『Frog Queen』
comment
ピープルさんも大好きで迷いましたが、いちばん聴いていたこれで。M7『六月の空を照らす』がとにかく格好いい。というか全部格好いい。マスロックかつポップ。歌詞も好きなんです。
85. ラズウェル細木
title『酒のほそ道』
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お酒が好きな方は必ず一度は読んだことがあるのではないでしょうか。家飲み、店飲み、どちらでもいろいろなこだわりが詰まっていてすぐに試せる。お酒のアテに最高のシリーズです。
86. 筋肉少女帯
title『SISTER STRAWBERRY』
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好きな曲がありすぎて選べませんが、M2『キノコパワー』、M6『いくじなし』が好きなのでこちらを。キーボード三柴さんの超絶技巧とオーケンさんの詩世界にトリップしたいときはこれ。ナゴムレコード万歳。
87. イトイ圭
title『花と頬』
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タイトルも想定も素敵。勝手ながら先生とは好きな音楽の趣味が合いそうな気がしております。こういう「AとB」的なタイトルでびしっと決まると本当に格好いいですよね。
88. Radiohead
title『The Bends』
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どれも好きなのですがM7『Just』が聴きたくなったので。問答無用で格好いい。こういうギターソングを自分でもやってみたいものです。M4『Fake Plastic Trees』もいい曲ですよね。
89. 畠中恵
title『しゃばけ』
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ご縁あって読みはじめたらハマりました。百鬼夜行抄や家守綺譚にも通ずる妖たちとの日々の営み。謎解き要素もあって二度美味しいですね。仁吉さん格好いい。
90. 七尾旅人
title『リトルメロディ』
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上京したてのころ偶然ライブを観たような記憶がありますが定かではありません。M5『サーカスナイト』を何回聴いたことだろう。金木犀のかおりがすると、いつもあのころを思い出します。
91. 神海英雄
title『SOUL CATCHER(S)』
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ジャンプ作品といえばとうぜん熱い名作が多いわけですが、ぼくはこの作品の熱さがいっとう好きなんです。本当にアニメ化してほしい。絶対に多くの人の心を打つと思います。
92. サンタラ
title『PORTRAIT』
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どうやって辿りついたのかは覚えていませんが、M8『バニラ』を聴いて好きになりました。M3『嘘つきレノン』もいいですね。ハーモニーとコード感にはけっこう影響を受けている気がします。
93. 水上悟志
title『惑星のさみだれ』
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『スピリットサークル』とともにけっこう各所で言及してしまったのですが、やはり外せません。泣いて笑って酒飲んで。長さも絶妙ですよね。『戦国妖狐』もがっつり泣けるのでぜひに。
94. 春野
title『CULT』
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サブスクで知りました。最初に聴いたのはたぶんM1『燃える夜』かな。今っぽいメロウでちょっと悲しくグルーヴィなトラックが素敵です。自分も打ち込みの技術を上げてこういう曲をやりたいものです。
95. 藤崎竜
title『WORLDS』
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もちろん『封神演義』も好きですが、この初期短編集はさらに濃い。ビアズリーを思わせる繊細かつ妖艶なタッチの絵でぐいぐい引きこまれます。フジリュー先生の作品はどれも思い出深いなあ。
96. 落日飛車
title『Cassa Nova』
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台湾のネオソウル/シティポップバンド。まずバンド名が格好よすぎる。最初はスタジオライブの映像を観たのですが、生で聴いたらものすごく気持ちよさそうです。
97. 吉田秋生
title『夜叉 -YASHA-』
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大名作『BANANA FISH』ともリンクする名作。吉田��生の作品は、重厚なストーリーと優しいユーモア、そして愛が通奏低音のように響いていると思います。有末静くんが好きすぎます。もいっちゃんも。
98. Dirty Pretty Things
title『Waterloo to Anywhere』
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元リバティーンズのカール・バラー氏のネクストバンド。M1『Deadwood』、M3『Bang Bang You're Dead』あたりが特に好き。ある意味リバティーンズっぽさを正当に継承しているバンドはこちらなのかもしれませんね。
99. 和久井健
title『セキセイインコ』
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大好きな『東京卍リベンジャーズ』の作者様ですが、こちらはうって変わってかなりシュールで不思議な作風です。悪夢や絵本の世界に迷い込んだような体験をぜひお試しくださいませ。
100. Babyshambles
title『Down In Albion』
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元リバティーンズのピート・ドハーティ氏のネクストバンド。当時聴いたときはそんなに響かなかったけど、やっぱりピートはすさまじいソングライターだなと思います。ギターのジャキジャキ感も格好いいですよね。
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fuckyeahabocado · 5 years ago
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2020年年間ベストアルバム
2020年の年間ベストアルバムを25枚選びました。ジャケットをクリックすると購入先へ飛びます。
1. Shoreline Mafia「Mafia Bidness」
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西海岸のラップグループ。
感情を表に出さないような冷徹なラップを、殺伐としたバンギンなものが中心のサウンドで聴かせる傑作です。ラチェットを経由した音作りながら緊張感の漂う、現行ウェッサイの音が堪能できます。メロウな曲でも抜けないハードさはG好きの方にはたまらないはず。随所で聴かせるオマージュも楽しいです。客演のカラーに合わせつつも寄りすぎないバランス感覚も見事。
03 Greedo、Duke Deuce、Drakeo The Rulerらが参加。
2. Duke Deuce「Memphis Massacre 2」
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メンフィスのラッパー。
ストリングスやピアノを使ったダークなクランクやバウンス、ブルージーな路線などを聴かせるメンフィス臭いアルバムです。Project PatにYoung Thugを足したような、いなたいラップも現行シーンの旨味とメンフィス色の最高の交点。トレードマークのアドリブ「ワタ��ァ~!」も癖になります。メンフィスG好きの方は是非。
Lil JonとJuicy J、Project Patとクラブを盛り上げるMタウンクランク「Crunk Ain't Dead (Remix)」は今年屈指の名曲です。
3. Don Toliver「Heaven or Hell」
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テキサスのラッパー。
Big MoeやChalie Boyの系譜にあるフガフガとソウルフルに歌うラップが、オルタナティヴR&Bをベースにエレクトロファンク色を強めたようなビートに溶けていく怪作です。ビートと対話するように歌ったり、ビートと声が一体化して共にエディットされたりとヴォーカルのアプローチもユニーク。生音と思しきキーボードやギターなどの多用も印象的です。
機械的なようでファンキーなサウンドと声の散らし方が凄い「After Party」がハイライト。
4. Boldy James / Sterling Toles「Manger on McNichols」
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デトロイトのラッパーとプロデューサーのタッグ作。
Mobb DeepのProdigyを思わせる低音で安定感抜群のラップが、生演奏が自由に動き回るジャジーで混沌とした音作りを支えた快作です。時にはヒップホップの枠をはみ出したような曲もありますが、クールにラップを絡めています。
ヴォコーダーも使ったPファンク風味の「Birth of Bold (the christening)」がベストトラック。
5. Kolyon「Rumors of War」
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フロリダのラッパー。
甲高い声質で感情のこもったGなラップを、哀愁漂うメロウなものが中心のサウンドで聴かせる良作です。フロリダのGなヒップホップ、というか南部Gが好きな方にはたまらないと思います。
穏やかなビートと語りかけるような優しいラップが印象的な「Sinners Prayer」がお気に入り。
6. Ramirez「THA PLAYA$ MANUAL」
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ベイのラッパー。
Rocciが全曲を制作したタッグ作です。ハードな路線はほぼなく、メロウでレイドバックした好作に仕上がっています。Kingpin Skinny Pimpあたりに通じる高音でキレのあるラップも抜群。
例の高音シンセも飛び出すGファンクの「Gold Thangs & Pinky Rangs (Da Hooptie)」がハイライト。
7. Spillage Village「Spilligion」
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アトランタのコレクティヴ。
フォークやゴスペル、Pファンクなどをミックスしてヒップホップに形成したような快作です。フリーキーなラップやソウルフルな歌も非常に強力。Dungeon Familyファンの方にもおすすめです。
メロウで落ち着いた雰囲気と多幸感のあるフックが印象的な「Shiva」がベストトラック。
8. Halsey「Manic」
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ニュージャージーのシンガー。
浮遊感のあるオルタナティヴR&Bやギターロック、アフロポップ風味など多彩なサウンドをエモーショナルで華のある歌で彩った良作です。Juice WRLDなどのエモラップが好きな方も是非。
ふわふわしたシンセと手数の多いパーカッションが効いた「Graveyard」がお気に入り。
9. D Smoke「Black Habits」
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西海岸のラッパー。
生音を多用したネオソウル系の音作りを軸に、Gファンクなどの西海岸ヒップホップ要素を注入したような充実作です。クールな詰め込みフロウも歌心のあるフロウもこなすスキルフルなラップも見事。
トークボックスとJill Scottの歌をフィーチャーしたDJ Battlecat制作のGファンク、「Sunkissed Child」がハイライト。
10. Kassa Overall「I THINK I'M GOOD」
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NYのプロデューサー兼ラッパー、ドラマー。
Kanye Westがジャズ方面に進んだような、ジャズとヒップホップがマッドなセンスで同時に鳴る快作です。生演奏の即興の魅力を活かしつつも、エディット感覚が冴え渡ったユニークな音作りが楽しめます。
生ドラムと打ち込みドラムの同居、エディットを施したピアノが凄い「The Best Of Life」がベストトラック。
11. Starlito「Paternity Leave」
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テネシーのラッパー。
哀愁も緊張感も出せる枯れた声質の燻し銀なラップを、重厚なトラップやソウルフル路線などで聴かせる作品です。後半からの哀愁路線の連打が凄まじく、オヤGの方はソファに泣き崩れ必至。
メロウなエレピと悲しそうなギターが効いた哀愁曲の「Daddy Issues」がお気に入り。
12. DeJ Loaf「Sell Sole II」
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デトロイトのラッパー。
キュートな声質でメロディアスなフロウを用いつつもストリート感のあるラップが、ダークなトラップやバンギンなどに絡む快作です。R&B寄りのメロウ曲もあり。全編通して高いラップ力に唸らされます。
42 Dugg、Sada Baby、Benny the Butcherらが参加。
13. Emily King「Sides」
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NYのシンガーソングライター。
ハスキーな声質で包容力のあるソウルフルな歌が、優しいアコースティックサウンドに絡む好作です。ソウル好きの方だけではなく、Waxahatcheeなどが好きな方にもおすすめ。
静かな力強さと美しさを感じさせる「Forgiveness」がハイライト。
14. Rucci「Midget」
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西海岸のラッパー。
Mistah F.A.B.やWebbieを思わせるアグレッシヴなラップを、現行ウェッサイらしいバンギンや哀愁系などで聴かせる充実作です。シリアスな曲が多いですが、アッパーな路線や爽やかメロウもあり。G好きの方は是非。
美しいサックスやギターが寄り添う哀愁たっぷりな「Leave Me Alone」にはオヤGの方もソファで泣き崩れるはず。
15. FMB DZ「The Gift 3」
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デトロイトのラッパー。
太く低い声質から繰り出すヒリヒリとした緊張感のあるラップが、現行デトロイト印のファンク路線やバンギンに乗るシリアスな作品です。哀愁系も抜群。G好きの方にはたまらないと思います。
Sada Baby、Helluva、Rio Da Yung OGらが参加。
16. Kem「Love Always Wins」
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ミシガンのシンガー。
生音を多用した優しいメロウ中心のサウンドで、紳士的で力み過ぎないセクシーな歌が堪能できるR&B作品です。Prince的なロック風味や四つ打ちのアップもありますが、基本はしっとりとしたミッドやスロウで聴かせます。
クワイアを導入した「Love Always Wins」のErica Campbell客演版で締めるラストは感動的。
17. Teyana Taylor「The Album」
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NYのシンガー。
90~00年代R&Bネタやオマージュも多く盛り込みつつ、トラップやレゲエ等の要素も取り入れたヒップホップソウル作品です。圧倒的な歌ヂカラの持ち主で、力強い歌もクールな歌も自在。ヒップホップ好きの方にもおすすめです。
Erykah Badu、Quavo、Kehlaniらが参加。
18. Mozzy「Beyond Bulletproof」
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ベイのラッパー。
ギラギラした凄味のある泥臭いラップを、現行ベイらしいバンギンやメロウなどで聴かせる作品です。メロウ方面が特に充実しており、G好きの方にはたまらないと思います。
歌うようなフロウも交えて寂しげにラップする「Bulletproofly」がベストトラック。
19. dvsn「A Muse In Her Feelings」
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カナダのR&Bデュオ。
スウィートでメロウなR&Bを軸にしつつも、トラップやダンスホール風味なども取り入れた遊び心が光る好作です。シルキーでセクシーな歌も魅力的で、R&Bファンなら悶絶必至な瞬間が何度も訪れます。
寂しげな雰囲気で悩ましく歌い倒す「For Us」がお気に入り。
20. DJ Fresh「The Tonite Show with Curren$y」
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ベイのプロデューサーとルイジアナのラッパーのタッグ作。
スムースでメロウなものが中心のサウンドに、リラックスしたゆるゆるなラップが絡む良作です。サウンドはルイジアナよりもベイに寄った印象ですが、Curren$yのラップも絶妙に溶け込んでいます。
Guapdad 4000、Larry June、XL Middletonらが参加。
21. Tank「While You Wait」
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DCのシンガー。
セクシーで情熱的な歌をピアノ一本で聴かせる、濃厚なR&B作品です。凝った要素を排除した、剥き出しの甘さが突き刺さってきます。路線が統一されているので、6曲という尺もちょうど良いです。
優しいピアノで誠実な歌を聴かせる「My Lovers」がハイライト。
22. City Girls「City On Lock」
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フロリダのラップデュオ。
TrinaやJackie-Oあたりのフロリダ産ラップの路線を継承しつつ、現行のトラップと結合させたような快作です。ボコボコした低音が鳴り響くバウンシーなものが中心のサウンドで、軽快な二人のラップが楽しめます。
Traxamillion制作のバウンスでYo Gottiと盛り上がる「Broke Niggas」がベストトラック。
23. Fleet Foxes「Shore」
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シアトルのインディロックバンド。
フォークロックを軸にゴスペルなどの要素も取り入れた、美しさに圧倒される良作です。優しいメロディと歌心が沁みます。重ねられたヴォーカルやコーラス、ホーンの使い方も絶妙。
優しいピアノで歌うノスタルジックな「For A Week Or Two」がお気に入り。
24. Benny the Butcher「Burden of Proof」
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NYのラッパー。
Hit-Boyが全曲を制作したタッグ作です。低めの声質の武骨なラップが、ソウルフルなブーンバップ系が中心のビートで堪能できます。時々Jay-Zを思わせる瞬間があり、全体的に00年代のRoc-A-Fella作品のような雰囲気が漂っています。
Freddie Gibbs、Lil Wayne、Dom Kennedyらが参加。
25. Haiti Babii「California Haitian」
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ベイのラッパー兼プロデューサー。
詰め込み系のラップや朗々とした歌い上げラップ、SEのような奇妙なアドリブなど、声を多彩なアプローチで使う怪作です。素っ頓狂な高音も強烈。サウンドには現行ベイらしいファンク路線やハイフィ的なスカスカのものなど。
ブヨブヨのベースが目立つビートに乗り、一人で同時に何役もこなすような「Murder Mook vs. Haiti Babii」がハイライト。
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yrkhang · 5 years ago
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「例えば」について
例えば。僕は僕が好きなもののことを実は知らない。
そんなことを言ったらまた怒られるのかなあ。
先日、久しぶりに友達と会ってつらつらと話してきた。興味深い話だった。
その人に曰く、「誰かのために文章を書くのは難しい」ということであった。僕は、「でしょうね」と応えた。
僕がそのように思った理由はいくつかあるけれど、そのもっとも大きな理由は僕自身が文章を書いているということに根差しているんだろうと思う。
人は何故文章を書くのか。
たとえ書いたところで、きちんと読んでもらえるかどうかは定かではない。
ましてや、その本意をや、とも思わずにはいられない。
文章を書くことは、無意味だと思っている。
じゃあ何故なのかな。僕は僕が文章を書く理由として、「自分が理解するため」ということを提示した。
ご理解いただけるのかどうか。はてさて。
こういうことを考える度、「きちんと伝わるのかな」みたいなことを思ってしまう。ぼくは自分の言語表現が優れているとは全く思っていないので、こういうときすぐ「分かんないかもしれないけれど」と言ってしまいがちだ。そしてそのたび「思い上がんな」と怒られてしまう。そういう意味じゃないんだけどな、言いたいことはいつもやっぱりうまく伝わらない。
言われて改めて実感するけれど、やっぱり「誰かに伝えるための文章」というのはとても難しいんですね。
もうこの話はやめましょう。大変なので。
何の話でしたっけ。
つらいね。つらいな。
みたいな話を気が緩むたびにしてしまいがちなので心を戒めている。
なんだっけ。つまり。
例えば。と言わなければならないなあと思っていて。言わずに済めば楽なんだけどなあ。
例えば。仮に提示した何等かの在り方について、自分が良いと思うかどうかということが、既にして何らかの意味を持ってしまっているのだけれども、
逆に、そのような何らかの意味を既に持ってしまっている何等かについて、思慮することは意味ある事なのかどうか。
僕らは他愛なくそんなことを日々考えたりもするけれど、当然時間は止まらない。僕らが他愛なく考えている間も、その対象たる誰かは、常に変化し続けている。
で、あるならば。そのことについて考える意味とは何か。考える価値とは何か。
考えるか否かに頼らず、常にそこに在るものはそこに在るままに変化し続けている。
そのような対象について、我々が"考える"ということの意味はなんなのだろうか。
山奥で炭を焼く狸は、ずっとそのような無意味なことを考えていた。
考えている間も世の中は常に移り変わってゆくのであった。
やがて狸の思料事は何の意味も持たなくなった。
それでも狸は考える。ここに、これが、このようにして存在していること。その意味。
僕にはいまだにわからない。
ここまで書いて寝てしまったんですけど、読み返して「なんだこいつ…」って思いました。心配ですね…
ずっとわからなくて。
みているもののことが。
なぜみているのかも、なぜ惹かれるのかもわからなくて。
どうも僕はわからないもののことが好きみたいなんですよね。
こういうところも含めて、これはドラえもんに訊かれて応えたとき初めて気づいて自分でもびっくりしたのだけど、僕は文章を書くとき、いつも、いや文章に限らずだけど、僕自身を宛先にしていたんですね。
自分でもなんなのかわからないことを、自分でわかるために書いているというか。
小学校くらいのころってめちゃめちゃ書き取りをやるじゃないですか。僕あれ大嫌いで。知ってることを書く意味なんてありますか?無駄なことさせられてんなあとずっと思っていた。
でも、じつはあれってすごく大事で、ということが大人になってはじめてわかってきたのだけれど、書くこと、というか何らかの形で出力することで、初めて自分でわかることというものがあって、それは、書いてみないと自分でも分かんなかったりするんですよね。
だから、出してみないと自分でもわからないことについて、自分が「わからない」と思っていることについて、でも確かに何かを思っているということについて、書くことでぼく自身が知りたい。
ぼくが思っているのは何なのか。みて、どう思っているのか。
すごくわがままなんだけど、こういう形でしかそういうことを僕は自分で理解できないらしくて。
だから、確か初めのころに書いておいたはずだけど、僕の文章はすごく、ひとりごとでしかなくて。
先日ドラえもんと話をしていて、「誰かのために書くってすごく思い上がりじゃないですか」みたいな話をされて、そうだなあとも思ったのだけど、自分的にはちょっと違ってもいて。
思い上がりというか、関心がなくて。僕は、僕が分かれれば単純にそれだけでよくて、その為だけに書いているから、勝手にひとりごとを拾ってくれる方たちが、それを拾ってどう思うとしても、それはその人のものでしかなくて、僕とは関係ないなとずっと思っているんです。
ずっと思っていたんですか?へえ…
こういう驚きがあるから書いてるだけなんですよね。
https://ameblo.jp/soratobsakana/entry-12613409922.html
突然オサカナの話になるんですが、山崎愛さんの書く文章というのは本当に天才的で、その瞬間に出てきた自分自身を綺麗に切り取ってそのまま形にすることができている、ように僕にはみえて、いつもすごいなあ天才だなって思っているんですけど、だからこの文章というのは或る意味ではひとりごとで、或る意味では「でも読む人がいる」ということも同時に意識された文章でもあるんですよね。
ステージ上のひとりごとというか。
オサカナのMCはいつもふゎぁっとしていて、たぶん見る人によっては好きじゃないんだろうなとも思��んだけど、個人的にはすごい好きな感じで。
その好きな感じというのは、それを見ている人がいることを、意識するでもなく、しないでもなく、すごく自然な形で自分たちの在り方として話をしている感じがする、ということで。
初めて見たとき、「全然話してくれないじゃん!」ってびっくりしてしまったことをよく覚えていて。MC全然話さないんだもんなあ。MCすきな人なので、あれは戸惑ってしまったな。
言い方を変えてしまえば単にぶきっちょという話でしかないのかもしれないけれど、個人的には、オサカナの音楽的な在り方も踏まえてみていると、どちらも共通して"在りのまま"が出されているのかなと感じているところがあって、なので、ホントはもっといろいろ話してもらえたらいいなと思ってもいるんだけど、これはこれでいいなって思っているところがあったりする。
最近はてらさんがめちゃめちゃ攻めの姿勢をみせてくれていて、名古屋以降かな、何かあったんじゃろか… わかんないけど、てらさんの聞き手しらんみたいにばーっと喋ってるのみてると元気が出るんですよね。やまさんがてらさんのこと「いざとなったら喋ってくれるんだろうけど」みたいに話してたのを聞いて「そうだろうなあ」とも思ったんだけど、このところのてらさんの感じはそういうのとは違う感じがしていて。義務感じゃなくて単純に言いたいことを言っている感じ。だから可笑しくもあるし、たまにめちゃくちゃ言っても何故かにくめない。彼女のほんとうに希少な才能のひとつだと思う。
やまさんはね… きのうお手紙聴いてるとき、聴いた後は何を話すでもなくいつもみたいに右向いたり左向いたりしてたけど、話を聴いてる間中、ずっと両手でマイクをぎゅっとしていて、そういうところが良かった。僕は面と向かってリアルタイムに話したりするの凄く苦手で(思考が遅いのでぱっと返せない)、なのでああいう感じはちょっとわかる気がしてしまう。うまく言葉が出ないけどギュっとしてしまう感じ、わかる気がしてしまうんだよな。 ブログ読んでてもやまさんに手紙はいいメディアだと思うので、書きたい相手には書いてあげてほしいなと思う。
ふかさんは、聴き終わったあとんーってなってるあみさんに自分からぎゅっとしにいったのがすごく印象的で。写真でも上がっているけれど、ふかさんは自分からいくタイプなんですよね。瞬発力があるというか、思ったことをすぐ行動に出せるタイプというか。
心が動いたとき、傍から見ていてもそれとわかるくらいはっきりとその人なりの表現が出ていて、逆に言うと普段そんな喋らないときってすごく凪いでる感じがして、特になんもないから話すことないでーすみたいな。
どうなんだろ、アイドル的にはそれじゃ困りますみたいなこともあったりするのかも知れない、僕はこっちの業界のこと知らないから分んないけどみててそう思うこともあるし、
昔から嫌なんです。なんか、無理にやってる楽しい感じ、みたいなの。元々アイドルあんまりすきじゃないのも、たぶんああいう空気感に堪えられないみたいなところがあったんだろうと思う。
感情を、無理につくる必要ないなと思っていて、人間って「そう思い込むこと」によって表現するための感情を作り上げて没頭する、みたいなところがある生き物だなとみていて感じることがよくあるんだけど、それ別になくてもいいなと思っていて。
これ舞台かな映画かな何の話だったかな、芝居をするうえで「作りすぎるのもよくない」という話があって、それはつまり、人間そんな常に喜怒哀楽が全力で出た顔してないですよ、だから、そういうものを表現しようとしすぎると逆に違和感ありますよ」っていう話なんだけど、こういう話で言えば、アイドルは芝居の必要な職業のひとつなのかもしれないんだけれど、個人的には別にそれはいらないなって感じで、無理に笑ってるのをみたりすると「大変そうだなあ」と思ってしまっ���りもするし。
だから、なんというか、歌い方も話し方も、オサカナの変につくらない感じ、笑いたいことがあれば笑うし喋りたいことがあれば喋るし、特になければさっそく次の曲です、みたいな感じは、色々話を聴きたい身からすると足りません!って感じなのだけど、同時に在り方としてはすごくいいなと思えているのかも知れない。
ちゃんと相手のためにやる、ということはイコールちゃんと自分のためにやる、ということだと思っているんだけど、そういう観点で言えば、できないときに変に形だけ取り繕うよりも、「できません」みたいにしてしまっている方が、正直というか誠実な感じがするというか。
こんなこと言ったらまたファンの人に怒られてしまう。山に帰りますね。
ただ、パフォーマンス自体はどんどん良くなってもいて、昨日で言えばアルファルドとかすごい良かった。あの曲ぜったい天井の高いとこでやったらいい響きするだろうなと思ってたから嬉しかったなあ。
嬉しかったのもあるし、響きそのものが前聴いたときよりも格段に透明度を増していて、それがすごくよかった。
ユニットで歌うとき、特にユニゾンでやるところってすごく難しいと思っていて。全然違う声を重ねるのって本当に難しいんです。同じ音程だからこそ、ちょっとぶれると音がゆがむし。
長く聴いてると、あるときふっと、ユニゾンしている歌声が、それまでそれぞれの人の声が聴こえていたのに突然聴こえなくなる瞬間というのがあって、ぼくはあの瞬間がすごくすきなんだけど、昨日のアルファルドはまさにそれだった。あれは音程の正確性というのも勿論あるんだと思うんだけど、どうもそれだけじゃない気がするんだよな。重なる声が透明になる瞬間、ユニットがほんとうにユニットになっていることを実感するし、そこに重ねられた鍛錬の足跡をみるきがして、せっかく目の前に景色があるのに、いつも両目をぎゅっと瞑ってしまう。
なんと言ったらいいのかな、
例えば、
例えらんないな。
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myonbl · 5 years ago
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第24回露新軽口噺@動楽亭
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露の新治・新幸師弟の研鑽の場「露新軽口噺」、今年2月14日の第22回の後、何度か中止を余儀なくされていました。再開されたのは6月19日、ただし、私は(私立大学教員)学生に迷惑を掛ける可能性のある行為は慎まねばならず、断念したのでした。今回は既に授業は終了、大手を振って会場到着、5か月ぶりの生落語を楽しんだことでした。
「ちりとてちん」露の新治(29分)
電話やメールではやり取りしていましたが、高座姿に接するのは2/14以来のことです。あれこれ近況報告の後、このネタに入りました。実は、私は新治さんではこれまで一度しか聴いたことがありません。「ももやま亭 春の陣(2017年4月30日)」のこと、ところが、この時は「大丸屋騒動」がネタ出しされていましたからそれに夢中。このネタについては、ほとんどメモが残っていません(笑)。
新治さんは、上野鈴本演芸場のお盆興行に出演されることで、関西よりもむしろ東京の方にファンが多いという特異な存在。最初に鈴本の定席に出られたのが2012年6月中席、翌年から昨年まで7年連続で8月中席に出演されてきました。その演目を調べてみると、8年間で6回このネタを演じておられます。まさに十八番ですね。冒頭訪れる客を「大橋さん」とするのは、三代目林家染丸師の本名に由来します。口の悪い男にカビの生えた豆腐を食べさせるというお馴染みの展開ですが、上方林家の香りを伝える貴重なネタを東京の落語ファンに披露されてきたのです。残念ながら、今年のお盆興行の出番はありませんが、その分関西で聴ける機会が増えることを期待したいと思います。
「鹿政談」露の新幸(21分)
珍しく、袴をはいての登場です。自粛期間中は、毎晩のように YouTube の「露の新幸チャンネル」で多様なパフォーマンスを配信されてきました。私もチャンネル登録していますが・・・あまり観ていません、ごめんなさい。
新幸さんの魅力は声の太さ、新治さんとは対照的なその声で師匠の得意ネタに挑みます。地方に着任した若きエリート官僚、やがてキャリアを積んで東京で重要なポストを得る。今風に言えばそんな展開となる「松野河内守」の若い頃、誤って「神鹿」を殺めてしまった善人の豆腐屋の命を救います。老獪な地元官僚に対して、なぜ餌料十分のはずの神鹿が豆腐屋の「きらず」を盗み食いするのかと、汚職摘発の可能性をちらつかせて訴状を撤回させます。年齢差と身分差をクロスさせる2人のやり取り、表現力が試される対比でもあり、演者にとってはやりがいのある場面です。大師匠・師匠と伝わった「家の芸」、今後の深化が楽しみですね。
「雪の旅笠」露の新治(18分)
「噺家の時知らず」というフレーズを紹介して、暑いときですが冬の話をと入られました。露の五郎兵衛師の作品で、「第七回露の五郎兵衛追善落語会(2016年3月30日)」において露の慎悟師(故人)の口演を聴いています。その時のメモを引用すると・・・
「雪の旅笠」露の慎悟(15分)
2番目のお弟子さん、入門が1967年、露乃五郎襲名が1968年(Wikipediaによる)ですから、やはり小春団治の時代。桂団平→露乃新五→露の慎悟、高校時代交流のあった宝塚高校落研出身(面識はありません)。ネタは師匠の作品で怪談仕立て、冬の越後の雪と波、親不知・子不知という舞台設定が効果的。おどろおどろしいストーリーと思わせて、ちゃんとオチをつけて落語として完結させるのは誠に結構。
今夜の新治さん、自身の「怖い話」をマクラで重ねてから本編に入られました。怪談風滑稽話、小品ですが佳作ですね。
「撮影タイム」(15分)
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まずは新幸さんが一人で登場、恒例の撮影タイムが始まりました。やがて新治さん登場、手にはメジャーを持って「2m」を実測、ソーシャルディスタンスを徹底します。
仲入り
「淀五郎」露の新治(48分)
歌舞伎と人形浄瑠璃には共通の狂言が沢山ありますが、落語にも同様の趣向があります。新治さんの十八番と言っていい「中村仲蔵」は歌舞伎役者を扱った代表的な作品ですが、同趣向のものが今夜の「淀五郎」。東京では、八代目正蔵・六代目圓生が得意にされ、私もCDの音源を持っています。とは言え、近頃は YouTube を検索すれば何でもありますが・・・。
江戸の話を上方に置き換えて演じる際には、やはり人物・場所ともに適切な設定をしないと「落語の嘘」を越えてしまえば客に受け入れられません。また、客の方も芝居や役者に対する基礎知識が無ければ楽しめません。今夜の新治さん、冒頭に「仮名手本忠臣蔵」の登場人物や役者の説明を手書きの資料を使って「講義」されました。実川延若の思い出など語られても私にはぴんと来ないのですが、隣のツレアイには大うけでした。
座頭・市川團蔵の引きで名代に取り立てられた沢村淀五郎、「四段目」の判官切腹の場の芝居がひどいので團蔵の大星が主君の側に近寄らない。淀五郎の方は、座頭に理由を質問するが答えて貰えない。2日目の芝居もやはりひどい出来、思いあまって死のうとするが、暇乞いに訪れた尾上多見蔵(ここが江戸なら中村仲蔵となる)に諭され教えを受ける。見事三日目の芝居には家老・大星が主君・判官の側にやって来て・・・。
私など先に落語・質屋蔵(東京では「四段目」)から入ったのですが、文楽で「仮名手本忠臣蔵」の通しを観て初めて狂言の全体像を知りました。その意味では、やはり一度は歌舞伎の通しも観てみたいですね。
「中村仲蔵」の好演で「第70回文化庁芸術祭賞優秀賞」を受賞された新治さん、今度は「淀五郎」でもうワンステップ上がって頂きたいものです。
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本来なら、今日が最後となるはずだったこの会も、残り3回となりました。新治の70席、見事満願叶いますように。
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kaerenakunatta · 5 years ago
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ぼくは元気
 外出禁止令が出てぼくが部屋から出なくなってからかれこれ10年のときがたった。テレビでは相変わらずマスクを購入するために長蛇の列ができている様子が映されているし、トイレットペーパー類も品切れが続いているらしい。スーパーマーケットの店員が怒鳴られたり暴行を受けたりと言ったニュースも月に一度は必ず見る、毎月20日にだ。
 自己紹介がまだだったね。ぼくはいま30歳で、10年前は20歳だった。当たり前か。きみもそうだろ、10年前はいまの年齢から10引いた歳だった。
 ぼくは、居酒屋というものに行ったことがない。ぼくがお酒を飲めるようになる年齢になったのとほぼ同時に外出禁止令が出され、居酒屋は閉店してしまったり、お酒やおつまみ類の通販販売のみに切り替えて営業していたりする。そんなぼくをかわいそうに思ったのか、実家の父が『居酒屋大全』という昔から父が愛読しているという文庫本を送ってくれた。消毒済みの印が押してある。だいたい5年前くらいからこうなんだ。郵便物は一度、衛生管理局の消毒科に預けられ、しっかり消毒された後でそれぞれの宛先に配達される。「消毒済み」の印は、この『居酒屋大全』はきみの父親の手から衛生管理局の消毒科に渡り、そこで丁寧な消毒をされて真空パックにされた後、配達員の手に渡り、それでやっときみの手に届いたんだよ、ひとつのものが配達されるにはこうして多くの人が関わっているんだよ、きみは長いあいだ部屋でひとりで過ごしているかもしれないけれど、決してひとりぼっちでも孤独でもないんだよと、そんな意味も含まれているのだ。
 ぼくのひとりきりの生活は、こうしてたくさんのひとと関わることによって成り立っている。
 本はすごく面白かったよ。ぼくも赤提灯の店に入ってみたいなと思った。それで周りの常連客の会話にかき消されないくらい大声で言うんだ「ホッピーセット、白で」ってね。
 ぼくはwebライターの仕事をしている。10年前からずっとね。いま流行の、というかもう10年前から流行の疫病の記事を、10年前から書き続けている。疫病についてはかなり詳しくなったと思うよ。自分でできる対策はすべて行っているし、最近発売された、予防に効果があるとされているサプリメントも注文済みだ。届くのは半年後だってさ。それまでできるのはやっぱり、手洗いうがいくらいだろうか。10年前と変わらずに。
 頻繁に手を洗うから、ぼくの手には指紋がほとんど残っていない。そのためスマートフォンの指紋認証が使えなくなり、スマートフォンを使うときはもっぱら暗証番号入力だ。
 ぼくの疫病に対する知識は、そこらの専門家よりも確かだという自負もある。なんせ10年間、土日祝以外は毎日4記事ずつ流行りの疫病に関する記事をひたすら書いてきたのだからね。平日だけじゃない、仕事のために休日もネットや通販で購入した資料で疫病について学んでいる。いわば疫病対策のプロ一般市民だ。
 そんなぼくの立場から言わせてもらうけれど、一昨日の昼の情報番組に出ていた疫病科の伊師葉医師。彼は良くないと思う。あんな言い方をしたら国民の不安を煽るだけだ。10年経ってもまだ「あの疫病には380度の熱湯が効く。380度以上であれば20ccでもじゅうぶんに殺菌できる。熱湯を飲んでください」だなんて馬鹿げたことを言う医師が存在するなんて驚きだ。
 彼はこの10年のあいだになぜ医師免許を剥奪されなかったのだろう。あれじゃ伊師葉医師というより医師廃止だ。と冗談めいた怒りを抱いていたら、それもそのはず。人物名のテロップをよく見ると【伊師葉意思】と書いてある。つまりこの伊師葉氏は、自らの意思を伝えるためだけにお昼の情報番組に出演した、意志の強い一般の方なのだ。意思を伝えるだけにとどまらず、デマまで伝えてご満悦だ。くそったれ。紛らわしい名前をいますぐ変えちまってくれよ。
 テレビもラジオもネットニュースも、ぼくは10年間、例の疫病に関するものしか見聞きしていない。できるだけ多くの情報を得るため、専門家の意見だけでなくデマのようなニュースもバズっているだけでソースの無い情報も同じように一旦自分の中で咀嚼するようにしている。情報というのは、その正確性はもちろん重要だが、それを受け取る自分自身が与えられた情報に対して疑問を持つことのほうが重要だ。たとえそれが専門家や国から与えられた情報であっても。
「メディアのデマに踊らされるな」とよく言われているし、「メディアのデマに踊らされないためには」という記事もよく見かける。ぼくは、メディアに踊らされるなという文言もメディアに踊らされないためには���いうメディア批判を含んだ記事も、まったく同じ"メディア"からの情報であると考え、そのどちらに対しても同じ態度を取ることに決めている。
 その内容を同じ知識と感情を以て理解し、疑問を持つことだ。そしてその疑問について自分なりに情報を集め、集めた情報に対しても疑問を持つ。考えるのをやめないことが、メディアに対する誠意ある向き合い方だとぼくは考えている。
 最近は「もうすぐ完全なワクチンができる」ともっぱらの噂だ。この類の噂は10年前から年に1度、秋ごろに出回る。毎年初出は10月10日だ。今年もそうだった。これまでの経験からして、99%の確率でワクチンは出来上がらないだろう。なぜ99%なのか、10年間毎年出来上がらないのだから100%だろうと思うかもしれないけれど、残りの1%はぼくの願いであり希望だ。希望くらい持ってもいいだろう。希望があってもいいだろう。希望に賭けてもいいだろう。希望を持つことはこの10年、禁じられていない。国民が希望を持つようにと、希望法という法律がつくられたのも事実だ。何の効果も持たない法律だが、希望を持つことが国から推奨されている。
 ヘアカットも上達したんだよ。鏡を見なくても襟足を上手に揃えられる。最初の頃はボウルをかぶって、ボウルの縁に沿って切っていたものだからおぼっちゃまくんのようなヘアスタイルしかできなかったが、月に1回のセルフカットを10年だ。国家資格も取れるだろう。ぼくはセルフカットの達人。バスルームでひとりきり大暴れしていた20代前半も過ぎ、いまじゃ分別もついて歳をとった。ツーブロックだってお手のものだよ。SNSにセルフカットの様子をアップロードすると「#外出禁止から生まれた神セルフカットマン」というタグが必ずつけられる。神と髪がかかっていて面白いよね。いまのぼくのヘアスタイルはちょっとアンニュイで神経質な感じだ。あまり日光に当たらないので肌の色も白く、近眼のため眼鏡をかけているから、"何か知っていそう"な感じの見た目をしているんじゃないかな。
 SNSのコメント欄には「最近読んだ面白い本や素敵な音楽を教えてください」とよく書き込まれるが、ごめんね、ぼくは疫病に関する資料しか読まないし、音楽はそもそも興味が無い。
 ほんとはぼくはもう気付いているんだ。この一連の世の中の動き、疫病のこと、それらがぼくだけに起きていることだってね。ニュースもラジオもネットニュースもSNSも、ぼくだけに他のみんなと違う、疫病だけの情報を与えてくる。
 外では普通に10年前と変わらない生活が(もしかするとそれより便利になった生活が)送られている。たのしいことに溢れている。セルフカットなんてせず、代官山あたりのおしゃれなサロンで素敵なスタイルに仕上げてもらってる。マスクの行列もないし、キャンディを落としてもすぐに拾えば余裕で食べられる。若者も年寄りもカラオケで歌いまくるし、ラブホテルだって満員だ。もちろん衛生管理局の消毒科なんて存在しない。父は健在だが、下戸で大の酒嫌いだ。そんな父が『居酒屋大全』なんて愛読していたはずがないし、赤提灯の店は毎晩その提灯にあかりをつけ、客がひっきりなしに出入りしている。
 ぼくの働く職場の10畳ほどの会議室では毎週お弁当を配られながら6〜7人ほどの役員が集まってぼくに関する会議をしているし、ぼくの疫病に関する記事は公開されていない。ぼくのパソコンのぼくのネット環境からしか見ることができなんだろ。最初から分かってたんだ。10年前、ぼくが新入社員だった頃、ぼくの勤める会社がとんでもないデマを記事にしてバズらせようとしていた。そこには大きな額のお金が絡んでいて、新入社員であるぼくは鉄砲玉のような役割を担わせられてしまった。そこからだ、おかしくなったのは。
 10年半前くらいにちょっとした胃腸炎が流行ったのは事実だが、それは一過性の流行だったため3ヶ月も経たないうちに収まったし、症状も軽く、重傷者や死者はもちろん出なかった。
 それまではぼくの部屋のテレビではお笑い番組も音楽番組も放送されていたし、動物園でキリンの赤ちゃんが生まれてすくすく育っているよというニュースものほほんと流れていた。
 しかし、あの鉄砲玉事件以来、ぼくの生活は一変した。すべてが疫病中心になった。会社はぼくを疫病の外に出さないようにした。ありもしない疫病の情報以外のすべての情報が、会社の機密に大きく関わるものだからだ。つまり、世の中すべての情報──キリンの赤ちゃんが生まれてすくすく育っているということまで──が、会社がぼくに隠したいことだったのだ。
 それはなぜか。簡単なことだ、会社はぼくという新入社員を利用して精神実験・人体実験を行っている。10年間欠かさずに。人畜無害の新入社員だったぼく。面接では趣味は散歩と答えたぼく。大学時代はボランティア活動に力を入れていたと答えたぼく。魅力的な会社なのでどうしても入社したい思いが募り、ここではもう正直になろうと思い、「友達と呼べる方はいませんが御社の"真の友情は真の労働から"という社訓に惹かれ、御社での成長を通して生涯の友人と呼べるひとと出会いたいです」と熱弁してしまったぼくは、模範的な人畜無害だったのだろう。
 会社はぼくの模範的な毎日を監視し、ライター業は平日のみだが、被監視業は平日も休日も問わず25時まで行われている。ぼくだけの情報番組やぼくだけの新聞、ぼくだけのラジオ番組、ぼくだけのSNS、ぼくだけの政府、ぼくだけの法律、ぼくだけのネット記事をでっちあげて。
 ぼくたちはみんな嘘つきだ。散歩なんて死んでもしたくない。時給の発生しないボランティア活動に興味は無い。友達なんてほしくない。ぼくは嘘つきで人畜有害だ。セルフカットの腕前だけはほんとだよ。
 だけどぼくはありとあらゆる嘘を信じているふりをしている。なぜって、これがぼくの世間に対するもっとも小さくてもっとも攻撃的な抵抗だからだ。抜かりなく騙せよ。一切の手を抜くな。ぼくにすべてを信じさせてみろ。ぼくは全力で信じるふりをしてみせる。
ぼくは疫病に関するものにしか興味が無いと前述したが、あれはもちろん大嘘だ。まったく興味が無い。インフルエンザの予防接種も怖くて受けたことがない。
 バーボンと濃い目のコークハイとナッツとラムレーズンのハーゲンダッツとナパームデスが大好きだ。ハタチ前には赤提灯の飲み屋の常連になっていた。俺はハイライトを愛煙し、焼き鳥はカシラが大好きなんだよ。
 毎晩、会社からの監視が切れる25時から壊れたように酒を飲み、When All Is Said And Done を聴いて踊り狂ってる。監視カメラにはガムテープでフタをする。誰も俺を見るな。俺はこうして嘘をつく。ちゃんと騙され続けろよ。
 俺からしてみれば、"When all is said and done, this is such a bad idea at all for me."ってことだよ。全部わかってんだよ、ボケ頭。
 ほんとの嘘つきは俺とお前、どっちだろうな? ロクデナシの嘘つき野郎。とっととまとめて全員くたばっちまえよ。希望もクソも無え。
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otonakodomo1007 · 5 years ago
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2019年見たものまとめ
1.歌舞伎
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今年はとにかく歌舞伎にずぶずぶ沈んでいった年だった。24年生きて、色々齧ってきて、まだこんなに熱中できるものがあるなんて人生足りないよ!まだまだ沈んでいけるので、楽しかったし楽しいな〜!!という感じが歌舞伎のおかげでここ数ヶ月ずっと続いている、嬉しいな〜〜るんるん
歌舞伎座に通ったおかげでようやく現役の歌舞伎俳優が分かり始めて、そこから上の世代や下の世代にも興味が出てきて、二度目の演目も少しずつ増えてきたので、
来年は引き続き新しい演目に加えて過去の映像見て、演目同士の違いを見て、地方公演にも手を出したいな〜あ〜〜たのしみだ!!
3月 夜の部(盛綱陣屋・雷船頭・弁天娘男白波)
5月 シネマ歌舞伎「スーパー歌舞伎ワンピース」
5月 オフシアター歌舞伎「女殺油地獄」
6月 YJKT3スペシャルトーク
6月 スーパー歌舞伎 NARUTO
6月 三谷かぶき月光露針路日本風雲児たち
6月 コクーン歌舞伎「三人吉三」
7月 夜の部(通し狂言星合十三團成田千本桜 市川海老蔵十三役早替り宙乗り相勤め申し候)
7月 丑之助襲名 絵本牛若丸
7月 昼の部(高時・西郷と豚姫・素襖落とし・歌舞伎十八番の内外郎売 堀越勸玄早口言い立て相勤め申し候)
8月 八月南座超歌舞伎「今昔饗宴千本桜」
8月 第一部(先代萩御殿床下・闇梅百物語)
8月 第二部(東海道中膝栗毛 松本幸四郎 市川猿之助宙乗り相勤め申し候)
9月 南座九月花形歌舞伎「通し狂言東海道四谷怪談」
10月 夜の部(三人吉三巴白波・二人静)
10月 シネマ歌舞伎「スーパー歌舞伎ヤマトタケル」
11月 KAWAII歌舞伎〜ハローキティー座の桃太郎〜
12月 七之助特別舞踊公演「隅田川千種濡事」
12月 昼の部(たぬき・保名・壇浦兜軍記阿古屋)
12月 夜の部(神霊矢口渡 頓兵衛住家の場・本朝白雪姫譚話)
12月 盛綱陣屋・蝙蝠の安さん
12月 コクーン歌舞伎「佐倉義民傳」
12月 2014年六月大歌舞伎「お祭り」(片岡仁左衛門)
12月 コクーン歌舞伎「東海道四谷怪談北番」
今年見たものの中ではコクーン歌舞伎「三人吉三」がダントツで好きだった、というか今まで見た歌舞伎の中で1番好きだ コクーン歌舞伎についてはその内ちゃんと書きたい
あとは我慢出来ずに急遽幕見に並んで観に行った勸玄くんの外郎売が本当に痺れたなぁ あんなに将来が楽しみになるこどもちゃんいる?才能に圧倒されてしまったかわいいなんて感想は1ミリも出なかった 海老蔵パパ頼むからちゃんと育ててくれよ〜〜〜と祈らずには居られないね
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2.ゲーム実況
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ついに結成3周年を迎え、4年目に突入した男たち! 
毎週土曜日22時からのch生放送に何回笑顔を貰ったか……本当にだいすきだ!!!!この歳になって声出して涙が滲むほど爆笑できることってなかなか無くて、彼らのおかげでどれだけ元気になれたか計り知れない。老人ホームに入っても配信してほしい。
今年はナポリ展の開催・Youtubeへの進出もあって新しいこともどんどん挑戦していて、追いかけがいのあるグループ��よとしみじみしていた 年末になってからなんだか全員関東に引っ越したような感じだし、来年は来年で新しいことを色々考えているみたいなのでワクワクだ〜どんどん新しいことをやって欲しい、そして応援させてくれ!!!!ラブ!!!
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今年の4月あたりから、オススメしてもらって見始めて、気がついたら多分数百本の動画を見ていた…食わず嫌いって本当に良くないなと思いました。
14人もいる〜〜〜!!!??って初めは思ってたけど、本人達が意識してキャラクターを作っているだけあって漫画のようにキャラクターが濃いので今じゃ覚えられないて思ってたのが嘘のようだ
類をみない多人数の実況グループゆえの企画力・組織力が圧倒的で、知れば知るほどスゲ〜〜〜となっている Youtubeへの毎日動画投稿・週3回の生放送(マイクラ建築を視聴者と行うトントンと作ろう・雑談とおたよりコーナーを行うわれしゃべ国営放送・クイズに答えるワレオネア)・毎日交代でのメンバーのブロマガ・夏コミ冬コミでのマガジン発行ってどうなってるんだ本当に!
動画もただの実況ではなくて、Hoiのような歴史戦争ゲーム・マイクラ人狼や鬼ごっこケイドロ等の試合企画もの・メンバーをネタにしたTRPG・大喜利大会のしょーてん・科学実験を行う実写動画・時事問題を扱う政治動画と多岐に渡りまくっているので見ても見ても飽きない
あとはほぼ全員コテコテ関西人なので、全体的にやかましく明るい 個人的に笑いのツボではないからナポリほど爆笑することはないけど、楽しく見れるので少年漫画読んでるのと同じ気分で見ている
ハマってから見ても見ても見切れないほど動画があって、それに物凄い供給が現在進行形であってめちゃくちゃ楽しいので、今年本当にハマって良かった〜〜〜!!!
ナポリも我々だも、めちゃくちゃ色々作って活動して物語を作って見せてくれているけど普段はみんな働いている社会人で、そこがすごく個人的には勇気づけられるというか、個人的に「有名人じゃなくても創作上のキャラクターじゃなくてもわたしたちにもきっと物語というものは作っていける」と信じさせてくれる存在で、負けずと自分のための創作をしたいってメラメラさせてくれる存在で、そういう所も心の支えになっている らぶいぜ!!来年も追いかけるのがたのしみだ!!!!
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3.ナマモノ
1月 罪と罰
3月 世界は一人
5月 よみらくご
6月 キネマと恋人
7月 恋のヴェネチア狂騒曲
7月 末廣亭 落語
7月 宝塚 ポーの一族
8月 ヨーロッパ企画「ギョエー!旧校舎の77不思議」
10月 渋谷能第六夜「船弁慶 白波之伝」
10月 オイディプス
12月 配置された落下
12月 Q
こうして見ると今年は歌舞伎に行った分あんまり行かなかったな〜 あと今年こそは落語もたくさん見たいって毎年毎年思ってるね、だめだも〜!
特に印象に残っているのは渋谷能とオイディプスで、やっぱり古典とそのリミックスが好きなんだな。お金と時間は有限なので、そこらへんに絞っていってもいい気がしてきている
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4.美術展
1月 イケガミヨリユキさん個展
2月 藝大の卒展
2月 アアルト展
4月 クリムト 展
4月 ウィリアムモリス展
4月 ラファエル前派の軌跡展
4月 イケガミヨリユキさん個展
4月 トルコの至宝展
4月 ウィーンモダン展
4月 佐藤オオキ×サントリー美術展
6月 メリヤスぬいぐるみ展
6月 ナポリ展
6月 Pixarのひみつ展
7月 松方コレクション展
7月 りぼん展
7月 SONY ウォークマン展
7月 ポーの一族展
7月 クリスチャン・ボルタンスキー展
8月 原田治展
8月 井上涼展
10月 名勝八景展
10月 根津美術館常設展
10月 東京国立博物館常設展
11月 岡本太郎美術館
11月 不思議の国のアリス展
11月 きたしまたくやさん個展
12月 コートールド美術館展
12月 つづく展
12月 ダムタイプ展
12月 東京都現代美術館常設展
12月 アジアのイメージ展
12月 カルティエ展
12月 みえないかかわり展
12月 SONY 共生するロボティクス
12月 未来と芸術展
12月 ㊙︎展
美術展も案外行けてないな〜身体と時間が足りなさすぎる
特に印象に残っているのは佐藤オオキ×サン美のやつと、コートールド美術館展、ミナペルホネンのつづく展。やっぱり新しい切り込みと、綺麗に整頓された展示は脳みそに気持ちが良いよねぇ
12月、目の展示に行けなかったことが本当に心残り、ぐう!!
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5.映像作品
1月 AKIRA
1月 OTGW
2月 ゆるキャン(アニメ)
2月 ニューシネマパラダイス
2月 LEON
2月 メリーポピンズ
2月 メリーポピンズリターンズ
2月 ケムリクサ(アニメ)
3月 ビューティフルマインド
3月 ドラえもん 月面探査記
4月 スパイダーバース
4月 バンブルビー
5月 舟を編む
5月 名探偵ピカチュウ
5月 居眠り磐音
5月 パラレルワールドラブストーリー
6月 プロメア
6月 グレートビューティ
6月 ウィーアーリトルゾンビーズ
7月 シャイニング
7月 俺たちは天使じゃない
7月 プリンセスと魔法のキス
7月 レディバード
8月 かもめ食堂
8月 クァ・アイ シーズン4の1
8月 ディリリとパリの時間旅行
9月 ロケットマン
9月 モンスターズユニバーシティ
9月 マイ・インターン
10月 アートのお値段
10月 バチェラー第3シーズン
相変わらず本当に映画やドラマを見れない。理由は色々あるけど、やっぱり数時間で物語が完結してしまうことで置いてきぼりにされ、呆然としてしまうというのが大きい気がする。あれだけ感情移入したのに、置いていかないで!!となって疲れてしまうんだなぁ
そろそろ不適合を認めるべきかもしれないけど、絶対必要な栄養素な気もするので諦めきれず…。
アニメはケムリクサが本当に良かった たつき監督、けものフレンズであんなことになった後にもぐちぐち言わずに静かに誠意を込めて作品を作って、才能で殴りにきたのが心底痺れた!大好きだ!来年に来るぽい次回作が心の底から楽しみ
映画は何よりもメリーポピンズリターンズという素晴らしすぎる作品が誕生してくれたのと、春休みに久しぶりに見た耳をすませばに救われたな わたしのやりたいことってこういうことよねと再確認させられた 頑張ろう
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6.読み物
1月 海街diary(漫画)
2月 Drスランプ(漫画)
2月 火の鳥
7月 乙女文藝ハッカソン
7月 岩田さん
7月 ルーヴルの猫
8月 全てがFになる
8月 渋澤龍彦のイタリア紀行
8月 家守奇譚
8月 ヤマザキマリ「パスタ嫌い」
8月 全てがFになる
8月 澁澤龍彦のイタリア紀行
9月 鬼滅の刃
読まないねぇ!!!!!漫画も本も時間がかかる・場所を選ぶものは本当に読めなくなってきた〜だめだ〜基礎体力が落ちている…。
ずっと読みたかったルーブルの猫をパリ旅行を契機に読んで本当に良かった!ピンポンに並んで、画集みたいで読み始めた瞬間から宝物になったよ〜松本大洋は天才だ
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こうやって見ると就活の割には色々見れたと思うべきか、学生の割には見れてないというべきか微妙なラインだな〜でもたのしかった〜!人生時間と身体が足りないぜ
来年は2月3月学生のうちに消化したいリストをひたすら潰すことに使う予定で、
4月以降は色々とやりたいことはあるけど、引き続き好きなものは追いかけつつ、インプットのメインはゲームと脚本と日本美術がテーマかな〜と思っている
社会人になってもアウトプットを諦めないというのも目標です!がんばろう!!!
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tohoku-youth-orchestra · 5 years ago
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TYO第5期リモート卒団式
新型コロナウイルスの感染拡大防止のために、第5期の公演は中止となりました。 中止決定の連絡を受け、涙を流した団員もいたと聞いております。
そして公演だけではなく、毎年の演奏会終了後に行われる「卒団生セレモニー」もまた、団員達や事務局スタッフにとって大切な時間となっていました。
団員達が集まれない状況ではありますが、 今期を締め括り、卒団生を見送る機会を何とかをつくりたいと考え、 福島公演をやるはずだった3月29日に、ビデオ会議ツールを利用した「リモート卒団式」を行いました。
このレポートでは、式次第に沿って卒団式の様子をお伝えしたいと思います。
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東北ユースオーケストラ第5期卒団式 式次第
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1.開式の辞
TYO東京事務局の田中宏和事務局長が卒団式の司会を務めました。
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2.第5期卒団員紹介
大学を卒業し、4月から社会人になる5名の卒団生の紹介がありました。
阿部秀捷(チェロ) 磯貝雛子(ホルン) 大波さくら(トロンボーン) 狩野諒也(ホルン) 筒井温之(トロンボーン)
の5名が卒団となります。
3.押木正人代表理事式辞
一般社団法人東北ユースオーケストラ 押木正人代表取締役社長に式辞を頂きました。
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「東北ユースオーケストラ第5期107名の皆さん、1年間活動大変お疲れ様でした。 2011年の3月に発生した東日本大震災の復興のために立ち上がった東北ユースオーケストラの活動が 今回は、コロナウイルスという目に見えない脅威にさらされて、 ここまで練習をしてきた成果である3つのコンサートができなくなってしまったこと、本当に残念に思っています。
在団の皆さん、今日は本当に笑顔で出てきて頂いていますけれど、 どんな思いで今日を迎えていらっしゃるのかと思うと、堪えられない気持ちです。 これまで東日本大震災を乗り越えてきた皆さんですので、 この1年間努力したことがこんな形で終わる悔しさを是非バネにして頂き、 明日に向かう力に変えていって頂きたいと思っています。
小学校4年生~大学生まで、12歳のひらきがあるメンバー、 小学生、中学生、高校生、大学生が一緒に活動する経験は、通常の学校生活では経験できないことだと思います。 ユースオケという集団活動で、小学生の人が20代の大学生が学ぶことはもちろんのこと、大学生も、小学生を生活や演奏面でサポートすることで、学ぶことも多くあったかと思います。 毎月の練習、また夏合宿を通じて、幅広い年齢層の皆さんが1つになれたことは各個人にとって、生涯忘れることのできない経験になると確信しています。
今年は皆さんの若々しい力の満ちた演奏を、東京・福島の大ホールで聴いてはもらえませんでしたが、
理事になって頂いております岩手日報社、河北新報社、福島民報社、各社の新聞に多数の記事を掲載頂き、 また熊本ユースシンフォニーオーケストラとの共演は、NHK BSでの特集で取り上げられ、 他、婦人画報等の雑誌など、マスコミにも多く取り上げられたことで、 皆さんが今年も元気に活動されていることは、被災地の皆様にも伝わったのではと思います。 日本や世界で、東日本大震災をいつまでも記憶に留め風化させない役割と 将来を担う若い世代が音楽を通じて創造性を発揮し世界に発信するという、 東北ユースオーケストラの目的は十分に果たせたのではないかと思います。
また今年は、日本青少年文化センター様から、青少年の文化の発展に貢献した人や団体を表彰する、 59年も続いている歴史ある「久留島武彦賞」を頂きました。 震災直後から立ち上げた「子どもの音楽再生基金」をスタートに、 今日まで長きにわたり復興支援に努めてきた坂本龍一さん、栁澤寿男さん、事務局・関係者の皆様、 活動を支えて頂いたスポンサーの皆様の貢献、団員を陰でサポート頂きました保護者の皆様、卒業した団員も含め、多くの方の活動が世間に認められたことと大変うれしく思っています。
今日で卒業される5人の皆さん、長い間お疲れ様でした。 これで東北ユースオーケストラの活動からは離れますが、私からのお願いは、 音楽を通じた人と結びつくことの意義、大切さを忘れず、 楽器演奏を今後も是非続けていって欲しいと思います。 また、6期も続ける皆さんは、今年度練習した曲にさらに磨きをかけて2021年に演奏できるように新年度も継続して練習していきましょう。
本日の卒団式で、皆さんで今回の活動を振り返って、親睦を深められたらと思っております。1年間の活動本当にお疲れ様でした。」
4.坂本龍一代表・監督祝辞
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「今日のこの時間、福島公演をしているはずでしたよね。本当に残念です。 早くこの活動を再開できる日が来れば良いと思っています。」
「卒業する5名の皆さん、おめでとうございます。 これまで貴重な経験をしたと思うので、是非ここで得た経験をこれからの長い人生に生かしてほしい。そして、音楽をずっと忘れないで生きていって欲しいです。」
「第九はもちろん、5年かかってやっとできた僕の新曲を皆が演奏しているのを聴けなかったこともとても残念です。 来年は実現できるようにしたいと思っていますので、卒業する5人も聴きに来てほしい。時間が合えば是非一緒に参加してください。」
「将来世界史的な事件になるであろう、今のこの時間を 皆さんが生きていることは本当に特別なことだと思うので、無駄に過ごしてほしくない。どうやって生きるべきか考えて過ごして欲しいと思います。」
5.祝辞(指揮者:栁澤寿男)
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「第5期東北ユースオーケストラ卒団生の皆さん、卒団おめでとうございます。 直接皆さんにお会いできないことを本当にさみしく思っています。 我々の原点である東日本大震災に続いて、 これもまた我々の世代が体験する人類上危機の最大級のものかと思っています。
東北ユースオーケストラで何度もお伝えしたように オーケストラは共同作業です。1人1人が責任を果たさないと成立しません。 世代を超えて培った東北ユースオーケストラの活動が、皆さんが社会に出たときに少しでも役に立つことを願っています。 会社や組織で見知らぬ人たちと、世代を超えて協調していくことはとても大変だと思います。 私自身も国内・海外で、その場に協調していくことに苦労し、悩みぬいた時期もありました。 そんな時は音楽を聴いてみてください。心穏やかに、冷静さを取り戻してみてください。 それから、東北ユースオーケストラのメンバーや、大人たちにも是非相談してみてください。 我々はいつでも東北ユースオーケストラにいます。 いつか皆さんと会える日を、そして一緒にハーモニーを奏でられる日があることを楽しみにしています。」
6.関係各社様からのメッセージ紹介
関係各社の皆様から頂いたメッセージを、田中宏和事務局長が代読しました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ■デジタルガレージさま
凹んだボールは元に戻る。 怪我をした傷はいずれ癒える。 震災を乗り越え生まれた、東北ユースオーケストラは 若くしなやかな感性と、美しい音楽の力が、 心の復興に大きな力を与えてくれることを 私たちに教えてくれました。 これからもますます、東北を、日本を、世界を 元気にしていって欲しい。
デジタルガレージは、 東北ユールオーケストラを応援しています。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ■JA共済連全国本部さま
このたびは、ご卒団誠におめでとうございます。 東日本大震災から9年、復興はまだ道半ばではありますが、 これまで皆さんが東北ユースオーケストラの活動を通して見せてくれたひたむきな姿に、 心励まされた方がたくさんいると思います。 「助け合い」は、誰かの手が差し伸べられるのを待つだけでは実現されません。 皆さんが東北ユースオーケストラの活動を通して得たすべての経験が、 次なる世界でも大いに発揮されるとともに、「誰かを想う」気持ちの輪が広がっていくことを私たちJA共済も願っています。 そして何より、ご卒団される皆さんのこれからの人生が輝かしいものとなることを心よりお祈りしております。
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■JA共済連福島さま
東北ユースオーケストラ団員の皆さま、ご卒団誠におめでとうございます。 今般、演奏会が中止となり、皆さま方は大変悔しい思いをしていることと存じますし、心中察するに余りあります。
しかしながら、この一年間、団員の皆さんは、この活動を通して多くのことを学び、そして成長したことと存じます。いつか、皆さんの音楽表現を通じて、東北の人々に思いを届ける機会があることを、関係者としましても望むところです。 どうか、気を落とすことなく、そして、負けることなく、それぞれの道をお進みいただくことを切に願っております。 今後の、皆さま方のご健勝を祈念いたしまして、お祝いの言葉とさせていただきます。
JA共済連福島 本部長 服部道夫
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■福島トヨペットさま
卒団される皆様の長年の音楽 活動に心から敬意を表します。 この貴重な体験を、今後の人生に おおいに役立ててくださいますよう、 心から祈念申し上げます。 団員の皆様、来春の福島公演を 心待ちにしております。 福島トヨペット株式会社 代表取締役社長 佐藤修朗
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■福島民報社さま
卒団される皆様のこれまでのご苦労に 心からの敬意を表します。お疲れさまでした。 今回の公演中止で、団員の皆様は誠につらい思いをされたことでしょう。 しかし、皆さんならこの試練を受け止め、 音楽活動への思いを新たにされたことと思います。 坂本監督、栁澤さんのアドバイスのもと、 いっそう飛躍されますよう祈念いたします。 来春の公演はぜひぜひ、成功させましょう。 福島民報社は全面的に応援させていただきます。
福島民報社代表取締役社長 高橋雅行 東北ユースオーケストラ理事兼福島民報社 取締役郡山本社代表 荒木英幸
7.送辞(第5期キャプテン)田嶋詩織
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「卒団される皆様、卒団、そしてご卒業おめでとうございます。 今回卒団式がこのような形になり、直接お祝い出来悲しく思います。
皆さんと活動した時間はとても楽しく、また刺激的であり毎回の練習が待ち遠しく感じていました。 今回取り組んだ第九でも1年前から坂本監督が被災地を繋ぐ演奏会の開催を大きく掲げ、実現できるのかという不安を感じた事もありました。しかし5期の活動が始まりメキメキと成長し今までには無いくらいの速さで完成が見えました。 また東北ユースオーケストラの特色でもある世代の広さを越え、交流を深める姿を目の当たりにし東北ユースオーケストラのあるべき姿を強く実感しました。
このように東北ユースオーケストラが成長できたのも皆さんが今までの経験を生かし年長者として見守り、支えてくださったからこその成長です。 私たちも皆さんの姿を忘れず、今後の東北ユースオーケストラの活動が充実したものになるよう努力して参ります。
本番は中止になってしまいましたが、皆さんと一つの目標にむかって頑張った事や、全員で楽しく活動できたという事実は決して無くならないと思います。 また皆さんと共に、5期のメンバーでの演奏が実現できる事を心待ちにしております。 最後になりますが卒団される皆様のこれからのご活躍を団員一同お祈り申し上げます。
第5期キャプテン・田嶋詩織」
8.答辞(第3・4期キャプテン)磯貝雛子
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「本日は事務局の皆様をはじめ、多くの団員の皆さん、OBOGの皆さん、押木代表理事、柳沢さん、そして、坂本龍一監督のご臨席の元、この様な卒団式を催して頂いたことに、卒団生一同、心より御礼申し上げます。また、キャプテンの田嶋詩織ちゃんの送辞のお言葉を賜りましたことに、重ねて御礼申し上げます。 
この数年間、東北ユースオーケストラでの時間は瞬く間に過ぎて行きました。入団したばかりの頃はみんなに馴染んでいけるか不安で、練習に行く前日は不安になる時もありました。しかし、卒団されていった先輩方や団員の皆さんが暖かく接して下さったので、いつの間にか練習に行く事が楽しみになっていました。
東北ユースオーケストラの活動の中で特に印象に残っているのは、有志演奏会です。地元の会津若松市以外の、写真やテレビでしか見た事がなかった被災地の様子を見て、東北の今を知る事ができました。悲しい事があったにも関わらず前を見て進んでいく方々を見て、私も日常があるという事に感謝して日々を過ごしたいと強く思いました。
時には、音楽性のすれ違いで衝突し合う事もありましたね。でもそれは、今思えば音楽に対して全力でぶつかっていたからなのだと思います。皆さんの熱い思いと柳澤さんのご指導があったから今までの演奏会はエネルギーに溢れ人の心を動かしていたのだと感じます。
そして、私はこの東北ユースオーケストラで得た宝物があります。それは友達です。私達は東北ユースオーケストラがなければ恐らく出会う事はなかったでしょう。毎月の練習、温泉合宿や直前合宿、東京公演、地方公演は一生忘れられません。多くの方から差し入れを頂き、みんなでタピオカを飲みながらお菓子を食べましたね。坂本龍一監督を囲み、みんなでBBQをした事は本当に大切な思い出です。
今年はコロナウィルスによって残念ながら本番がなくなってしまい、悔しい涙を流しました。来年はこの事態が収まり、演奏会ができて欲しいと祈っております。その時はぜひお手伝いに行かせてくださいね。
在団する皆さん、今まで私たちを支えてくださり本当にありがとうございました。皆さんと過ごした日々はかけがえのない思い出となっています。いつまでもこのオーケストラで音楽が出来るような気がしてしまいますが、卒団はあっという間です。毎回の練習を大切に日々過ごして下さい。あと、音楽に没頭しすぎると、勉強が疎かになってしまう人もいるようです。単位と相談しながら音楽に励んで下さい。
最後になりましたが、私達をサポートしてくださった押木代表理事を始めとする関係者の皆様、OBOGの皆さん、指揮の柳澤寿男さん、事務局の皆様、坂本龍一監督に卒団生を代表しまして厚く御礼申し上げます。本当にありがとうございました。 これから私達はそれぞれの進路に向かって一歩一歩自分の足で歩いていきます。もしこの先大きな壁にぶつかったとしてもこの東北ユースオーケストラで得た多くの思い出、学び、誇りを人生の糧とし力強くいきていきます。本当にありがとうございました。東北ユースオーケストラの益々の発展を心より祈念して答辞と致します。
令和2年 3月29日 磯貝 雛子」
9.閉会の辞
田中宏和事務局長から閉会の辞があり、卒団式が終了。
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そしてそのまま、リモート卒団式の後は、リモート懇親会を行いました。
ここからは卒団生以外の団員もビデオをONにして参加です。
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懇親会の中では、坂本監督から団員達へ、今の時期にふれてほしい本や映画の推薦リストが共有されました。
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坂本龍一代表・監督推薦。
今だから味わいたい、本と映画。
<本> 工藤進「日本語はどこから生まれたか」 福岡伸一「新版 動的平衡」 ロヴェッリ「時間は存在しない」 マルクス・ガブリエル、マイケル・ハート、ポール・メイソン(斎藤幸平・編)「資本主義の終わりか、人間の終焉か? 未来への大分岐」 斎藤成也「日本人の起源」 エンデ「モモ」 カーソン「沈黙の春」 手塚治虫「火の鳥」 リルケ「ドゥイノの悲歌」 島泰三「はだかの起源」 カミュ「異邦人」 カフカ「審判」 <映画> 小津安二郎「東京物語」 フェリーニ「道」 黒澤明「デルスウザーラ」 タルコフスキー「ストーカー」 https://www.youtube.com/watch?v=TGRDYpCmMcM 侯孝賢「非情城市」 宮崎駿「風の谷のナウシカ」
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家の中にいる今のうちにたくさんインプットをして音楽の肥やしにしてほしいと思います。
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そして、画面越しの5本締めでリモート懇親会が終了しました。
この状況が落ち着き、また東北ユースオーケストラ皆で集える時を待ちたいと思います。
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