#初代彫宇之
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wankohouse · 5 months ago
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刺青 和彫り古典 江戸の町火消で最大の神田のよ組の組頭関口紺三(=関口亀次郎=関口宏の祖��)
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よ組 組頭関口紺三(=江戸彫勇会初代会長 関口亀次郎) 初代彫宇之作 三紋龍
(上)読売新聞 大正4年(1914) 8月6日朝刊 「倶利伽羅紋々競 神田ッ兒自慢の文身」 によると、背中の龍は関口氏が12歳の時に初代彫宇之が彫った。
(下)私蔵されていた写真。右腕に龍の頭、右太腿に龍の尾が確認できる。片肌脱ぎにしている半天の襟に「第一區」、後ろの半天の襟に「澁澤」と染め抜かれている。
*紺三はよ組組頭が引継ぐ名前みたい。*第一区が神田
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wankohouse · 14 days ago
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刺青古典 和彫り
初代彫宇之
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Artist: Horiuno I
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moment-japan · 7 years ago
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千百余年の願い込め 真言密教の歩み追想(京都・醍醐寺展特集)
日本経済新聞
京都・山科盆地にある真言密教の一大拠点、醍醐寺には膨大な数の仏像、仏画や聖教(しょうぎょう=経典)が守り伝えられている。それら密教美術の至宝を紹介する特別展「京都・醍醐寺―真言密教の宇宙」が東京と福岡で開催される。開山から1100年あまり、人々が御影に祈った安寧への思いは、時を超えて今も拝む者を包み込む。
国宝「薬師如来坐像」(部分)平安時代 10世紀 醍醐寺蔵=画像提供 奈良国立博物館(佐々木 香輔撮影)
「密蔵深玄にして翰墨(かんぼく)に載せ難し。更に図画を仮(か)りて悟らざるに開示す」。唐から日本に密教を伝えた空海の言葉だ。唐での留学を終えて帰国した際、朝廷に提出した報告文「請来目録」に記してある。
「密教の教えは奥深く、言葉で表すことはむずかしいので図画を使って教える、という意味です。この言葉に従って真言密教はビジュアルを重視してきました」。寺宝管理に長年携わる同寺の公室室長、長瀬福男さんはこう語る。
寺宝122件紹介
桜の名所としても知られる醍醐寺は貞観16年(874年)、空海直系の弟子、聖宝(しょうぼう)が「醍醐味の水がわき出る」とされた笠取山��開いた。笠取山頂に広がる上醍醐と山裾に広がる下醍醐に分かれた広大な寺域には国宝6棟、重文10棟をはじめとする堂宇が立ち、約15万点もの寺宝が伝わる。
仏像や仏画、修法(すほう=儀式)の次第を記した文書、経典といった国宝は約7万6千、重要文化財は400を超す。今回の特別展は2会場合わせて39の国宝、58の重文を含む122件を紹介する。
「醍醐寺は真言密教の一大拠点。伝わった密教美術は圧倒的な質と量を誇ります。今回の展覧会では密教美術の濃厚な世界と、それらが生まれた背景を見てほしい」。サントリー美術館の佐々木康之学芸員(日本彫刻史)はこう解説する。
展覧会場でまず目をひくのが国宝「薬師如来坐像(ざぞう)」。台座を含めると高さ3メートルを超す威容を誇る。10世紀初め、醍醐天皇の発願で造営された上醍醐・薬師堂の本尊だ。堂々とした体つきにふくよかな顔、大きな鼻と分厚い唇。「大振りで男性的。平安初期の仏像ではなく、奈良時代と造形の方向性が同じです」と佐々木さんは指摘する。
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重要文化財「如意輪観音坐像」(10世紀)は頭を傾け、右手の指を頬に添えて思惟(しゆい)する体勢。膝を立てて座り上体を傾けた何とも優美な姿は、日本の如意輪観音像の代表作と呼ばれる。聖宝の弟子で座主となり、密教の重要経典「大日経」の注釈書「大日経疏(しょ)」を研究した観賢(かんげん)の思想が右手の表現などに反映されているという。
日本風の始まり
唐の影響を強く受けた平安時代前期の仏像、国風文化をまとった平安後期の仏像はそれぞれ人気が高い。それに対し平安中期、10世紀の仏像は従来あまり注目されなかった。だが「近年、再評価が進んでいます」と佐々木さん。「日本の古典に範を求めた像あり、日本の���による経典の解釈にのっとって造られた像あり。日本独自の文化が生まれつつある様子が造形からうかがえ興味深い」
一例が重要文化財「五大明王像」(10世紀)。観賢が建てた上醍醐・中院の本尊だったとみられる像だ。5体そろう五大明王像では東寺講堂に伝わるものに次いで古く、東寺の像を規範に造られたとみられるが「儀軌(儀式の規定)にのっとって改変されています」と佐々木さんは指摘する。
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異彩を放つのがアンバランスにも見える大胆なポーズだ。佐々木さんは「金剛夜叉明王像をはじめ四明王のアクロバティックともいえる表現は当時、実験的だったはずです」と強調する。重々しく緻密な造形が多い平安前期と、手足が細長く伸びやかな表現の平安後期とをつなぐポジションに位置付けられるという。
密教では現世利益の実現を重んじ、加持祈祷(かじきとう)など修法を実践する。本尊として仏画や仏像は欠かせず、鎮護国家や厄災の調伏、雨乞いなど目的別に様々な仏画・仏像が制作された。複数の顔と腕を持つ「多面多臂(ひ)」、憤怒の形相、青や赤の鮮烈な色彩。魔や怨敵を退散させ煩悩を焼き尽くすために、力強い独特の表現が採られた。
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効験高める研究
国宝「五大尊像」は12~13世紀の作。両目を見開き下唇をかむ形相が力強い筆遣いで描かれる。平安時代の画僧、円心の作品を手本にした「円心様」とされる。醍醐寺には円心の真筆や円心様の図像が複数あり、後白河法皇が同寺に行幸した際に進上した記録も残る。
「修法の効験を高めるにはどんな図像を本尊にすればよいか、宗派や流派を超えて情報を集め研究が重ねられました。祈祷を頼むスポンサーから『これでお願いする』との要望もあったはずで、円心様の仏画は人気があって重用されたのかも」。九州国立博物館の森實久美子主任研究員(仏教絵画史)は推察する。
仏像や仏画の形を墨だけで描いた白描図像はこうした研究の���果。仏像や仏画の設計図となった。森實さんは「醍醐寺に伝わる膨大な数の白描図像から、寺の権勢と宗派を超えた広い人脈がうかがえます」と指摘する。
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重要文化財「不動明王図像」(信海筆、弘安5年=1282年)は同寺の白描図像を代表する一つだ。墨の濃淡や線の太さを巧みに使い分け、荒海にそそりたつ岩に立つ不動明王を描く。あちこちに修正した跡が残り、試行錯誤した様子が見て取れる。描かれたのは2度目の蒙古襲来の翌年。元軍撃退や和平を祈願したとの説がある。
2016年、中国の上海と西安で、醍醐寺の寺宝を紹介する展覧会が開催された。長瀬さんは寺側の思いを「空海が唐で教わった密教が今も日本で守られていますよ、と中国の人々に伝えたかった」と説明する。心配もあった。「あちらが本家。きちんと評価してもらえるだろうか」。だが全くの杞憂だった。延べ80万人以上が来場し、展覧会は大成功を収めた。今回の特別展は中国展開催を記念して開かれる。
空海の「メモ」
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寺側が特に思いを込めて出展するのが国宝「大日経開題」。密教を修学していた若き空海が「大日経疏」から大事なポイントを抜き書きしたメモと考えられている。さまざまな質や寸法の紙を貼り継いであり、楷書と行書、草書が混在する。「字の間隔も書体もばらばら、気取りが全く見えません。日本の真言密教はここから始まったのです」と長瀬さんは語る。
中世以降、醍醐寺は足利将軍や豊臣秀吉ら時の権力者の帰依を受けた。華麗な文化の中心となった当時のきらびやかな品々も展示会場を彩る。
寺宝を保管する収蔵・展示施設「霊宝館」には多くの参詣者に加え国内外の研究者や僧が絶え間なく訪れ、調査や研究に取り組む。千年を超える時を超えて伝えられた品々は、現代の文化を豊かに彩��、祈りを込めて次代へと受け継がれる。
(竹内義治)
「京都・醍醐寺―真言密教の宇宙」開催概要
【東京展】  会場:サントリー美術館  会期:9月19日(水)~11月11日(日) 火曜日休館
主催:総本山醍醐寺、サントリー美術館、日本経済新聞社、テレビ東京、BSジャパン
【福岡展】  会場:九州国立博物館  会期:2019年1月29日(火)~3月24日(日) 月曜日休館
主催:総本山醍醐寺、九州国立博物館・福岡県、TVQ九州放送、西日本新聞社、日本経済新聞社、BSジャパン
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biken1946 · 3 years ago
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美研メールニュース No.1(2022.4)
美研メールニュースNo.1をお届けいたします。美研通信はNo.57で一旦お休みをいただき3年後にNo.58は再開いたします。このメールニュースはオンライン参加・不参加にかかわらず、休所扱いとなっている特待生以下メール登録者全員に配信いたします。美研通信は隔月でしたが、メールニュースは毎月の配信です。改修の情報や改修後の研究所の形、オンライン講座の情報、ジョイントセミナーのお知らせ、皆さんの活動報告、公募展や個展、グループ展の予告など細かに載せたいと思います。皆さんの活動報告・予告は研究所事務所にお知らせください。
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(片付けの終わった誰もいない教室)
第403回コンクール
第403回コンクールが3月7日(月)~12日(土)に実施されました。前期18名/後期22名/人体27名/合計67名の提出。
○研究生の在籍詳細(2022/3月時点) 前期29名 後期31名 人体32名 絵画部 9名 彫塑部 10名 合計111名
コンクール出品数は素描科在籍者92名の72.8% 現在の研究所での最後のコンクールとなりました。多くの合格を念じていましたが、研究所の伝統的な厳しいデッサンに対する見方はやはり崩せず、前期1人という結果になりました。ただこの現場では最後ですが、3年後のリニューアルからコンクールは復活いたします。
第34回ジョイントセミナー(写生会)
第34回ジョイントセミナー(写生会)は大阪市中央公会堂にて開催されました。38名と多数の参加となりました。
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「4月16日の写生会、天気になり良かったです。私も外での写生会はひさしぶりでした。やっぱり、外での写生会はいいですネ。いつも教室では、デッサンがどうのこうのと言われるのですが、そんなのどうでもいい。うまく描けなくてもいい。その日、その場の風をかんじましょう。絵を描く楽しみを味わえればいい、又みんなに会える日まで。」 (担当講師 定森 満 記)
お知らせ
●美術館企画「親子で楽しむ春のスケッチ大会」  5月3日(火・祝)に開催します。今回は親子限定での実施となります。  担当講師は中井英夫。 ●第35回ジョイントセミナー  『絵画基礎講座』を開催いたします。担当講師は森井宏青。
  7月5日(火) 14:00~16:00(受付/13:30~)  美術館地下展覧会室 参加費・お一人/1,500円  講義『古典絵画技法・材料のすべて』  油彩・テンペラ・フレスコからアクリル絵具まで。西洋絵画の様々な技法や材料についての基礎的な知識をわかりやすく解説いたします。(森井宏青)           
申込はメールまたは電話で、6月1日(水)~30日(木)の間、受け付けます。定員は30名になり次第締め切ります。 ジョイントセミナーは8月に人物クロッキー、9月に人物固定ポーズを予定しています。
個展及びグループ展・公募展報告
●個展・グループ展 ◆アートと人生 愛そして宇宙 3月14日(月)~26日(土) ギャラリー菊/吉野芳子 ◆デッサン展 3月16日(水)~20日(日) 藤井寺美術サロン/松本かよこ ◆高槻阪急トリプル個展 6月29日(水)~7月5日(火) 高槻阪急3Fイベントスペース/羽根佐智子 ◆第9回うちょう展 5月25日(水)~31日(火) ホルベインギャラリー/花川孝二/井上勝司/森優子/木村信治/村田千代/久保美知子/牧草洋一/佐々木シュウジ ●公募展・コンクール ◆第78回関���水彩画展 3月8日(火)~13日(日)大阪市立美術館/梅嶋妙子/渋谷晴子/田村加津子/中野裕子/細井聡子/森優子/出口尚子 ◆第50回人展 3月8日(火)~13日(日)大阪市立美術館/東本光司/木村信治/鹿海由美子/時岡道代/森優子/山本君枝 ◆第27回アートムーブコンクール 5月10日(火)~15日(日) 大阪府立江之子島文化芸術創造センター/羽根佐智子
◆第66回新槐樹社展 兵庫展 3月23日(水)~27日(日) 兵庫県立美術館原田の森ギャラリー・京都展  5月17日(火)~27日(日) 京都市美術館別館/西﨑昌子 ◆第117回太平洋展 5月18日(水)~30日(月) 国立新美術館/池内正子
研究所の今
冒頭の写真、今の教室の記録です。イーゼルや椅子を片付け、何もなく寂しい空間です。他の教室も写真でお見せしたいところです。ここで75年の熱い思いが籠って時を経ていたと思いますと、何もない空間ですが、色々な想いが凝縮された濃い密度が残像として迫ります。
片付けたイーゼルや椅子やカルトンなどは、3年後3Fに移動するもの以外は廃棄する予定です。5月9日(月)・13日(金)の各11:00~12:00/13:00~14:00に研究生の方で欲しい方がおられればイーゼルなどを譲渡したいと思います。取りに来ていただける方限定です。美術館には駐車できません。石膏像については3Fに移動するもの以外は希望の方に抽選で譲渡が決まりましたが、梱包・運送は富島運輸に委託しています。イーゼルや石膏像についてご不明な点は研究所までご連絡ください。4月から始まりましたオンライン授業は現在多数寄せられている状況です。お一人の添削に当たる時間は平均して1時間を超えています。絵画作品批評などの場合はお一人5分なんて申し訳ない状況でしたが、今回の要時間は丁寧に伝えるためには必要な時間だと思います。いろんな作品が送信され、それぞれに個性があり、創造性を目的にしたガイダンスの課題が展開されています。それらの作品を皆さんに見ていただく場の設定はどうすべきか、現在進行中で議論しています。事前にお渡ししたオンラインの課題は、今年度が課題をベースにしたデッサン、次年度が提出されたデッサンをエスキースにし、3年目はそれぞれの画材で作品制作を、と考えています。このカリキュラムは、3年間の休所を無駄にしないため、また研究所の学習の結果にある制作への道を身につけてもらうために考案いたしました。
研究所のコンセプトは専門家育成です。デッサンのためのデッサンを目的にした機関ではありません。ましてや行く場所がないからと、行く場所でもありません。行く行くは研究所のすべての過程を修了して一人の孤独な制作��現場に入っていかねばなりません。まず「何を描く」から悩み、次に「どう描くか」を模索します。研究所では何を描くかの悩みはすでに準備されているので必要なく、どう描くかもその箱の中で考えれば済みました。オンラインの課題はWHATからHOWへ、一から自分で考える、今後の制作の現場に入るためのトライアルの3年間です。故に3年間の継続を念頭に置いています。疾病などのやむを得ない理由以外の退会は認められないとしたのは、継続に意味があると思ったからです。しかしそもそも魅力ある対応でなければ皆さんも興味を失うであろうことは自覚しています。マンネリにならず、毎回新鮮に取り組んでいく努力が我々に求められると思います。もし受講の方々に不満があれば改善し、また希望があればお伝えください。検討していきます。
「お知らせ」でジョイントセミナーの予定を記しました。開催は年数回の予定ですが、これに研究所展も加えていくとかなりの割合で皆さんとお顔を合わせることになります。情報収集の場としてセミナーなど、活用していただければと思います。研究所展は会場を変えて開催します。号数や点数など、詳細については来月以降のニュースでお知らせいたします。
編集後記
研究所の教室はほぼ何もない状態に片付き、これで石膏像がなくなると本当に何もない。寂しい限りですが、オンラインの添削作業、メールニュース(毎月送信)、様々な雑用、何しろ初めてのことばかりで戸惑うばかりで忙しい日々です。この分で行くと、こりゃ3年はあっという間、と感じています。(美研通信編集 中井英夫)
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kyoto-trips-blog · 5 years ago
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愛宕念仏寺の羅漢さん。 ミニヨンみたいに多い😆 天台宗。稱徳天皇開基。もとは東山の地に奈良時代に建てられた古刹。平安初期に鴨川の洪水で堂宇が流失。天台の僧「千観内供」が再興し,等覚山愛宕院と号し、比叡山の末寺となる。本堂は鎌倉中期の建立で重文。大正時代に奥嵯峨の地に移築された。内部の天井は繊細な小組格天井で、さらに本尊の位置を二重おりあげ格天井にするなど、他では見られない鎌倉様式の美しい曲線を今にとどめている。本尊は「厄除け千手観音」。地蔵堂には、霊験あらたかな火之要慎のお札で知られるあたご本地仏「火除地蔵菩薩」が祭られている。境内には参拝者の手によって彫られた、1,200躰の石造の羅漢さんが表情豊かに並び、訪れる人の心を和ませてくれています。 らしいです😅 愛宕念仏寺 = おたぎねんぶつじ 化野念仏寺 = あだしのねんぶつじ 愛宕山   = あたごやま 読み方難しいし😂😂😂 次は愛宕山登ろうかな🤒🤒🤒 (愛宕念仏寺) https://www.instagram.com/p/CCYmSjqD7kb/?igshid=swf8cb5cn42w
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nande · 5 years ago
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明けましておめでとうございます!(2度目のご挨拶) タイポグラフィの展示に参加してます! 豪華なメンツにまじって神田のTETOKAにて。 古ーい梵字不動の上に「宇宙」と書かせてもらいました。 A I U E A I U E O の五文字で宇宙の漢字を構成してます。 アイウエオが宇宙の音だと聞いたことがあります。 よろしくどうぞ! これからオープニングです! 【本日1月4日(土)より開催】 手と花では令和二年、2020年の最初の企画展「書き初めTYPOGRAPHY 展|NewYear Typography exhibition」 本日より開催いたします。 Opening Receptionは19時より。㊗️ 入り口には、文化屋雑貨店も開店です。🌟 昨日も大人気だった、神田のうどん屋ゆず屋製麺所の店主そばちゃんの美味しい江戸お雑煮や、そばちゃんのおつまみやカレーも楽しめます。😋 手と花は16時より23時までオープンです。 新年に、皆さまにお会いできることを楽しみにしています。 --------------- 昭和後半、1970年代頃まで街には地元の看板職人が制作した手描きレタリング看板があふれ、老舗商店の木彫篆刻看板や、ブリキ製箱文字看板に、企業のホーロー看板、映画ポスターのレタリング題字に、個人商店主の達筆墨書きポップなど、全ての国民が一度は書道に親しむ、カリグラフィー(装飾手描き文字)大国、日本の面目躍如の感がありました。現在、パソコンやスマホの普及により人々は文字を書かず、書道を習ったのは遠い昔。 すべての看板はパソコンの中のフォントを切り抜いた、ペラペラカッティングシートに変わりはて、看板職人の腕とセンスは必要とされなくなりました。今、都市の風景は色気なく日々更新し続け、私達は旅先の地方都市で懐かしい看板文字をスマホの中へと封印していきます。 令和二年、書き初めの風習が今も残るお正月に、新しい手描き文字を取り戻そう!デザイナーがベジェ曲線で描くタイポグラフィーは新しい手描き看板となり、アーティストの描くカリグラフィーは、新しい達筆墨書きポップとなって都市を彩る事でしょう。 ・ 【参加アーティスト】 伊藤桂司 点|ten_do_ten ALex Besikian 南出直之|NANDE 斎藤基正|NUUMOON. 嶋脇徳志 藤本正平 WABISABI|デザ院 角田 純 信濃八太郎 遠山 敦 小川 哲|5×5ZINE 小笠原 徹 沖冲.|oki-chu 大日本タイポ組合 サマタマサト|Delaware 手塚敦嗣|Tetoka 悳 祐介 野島 渓 山田道生 バンドウジロウ 吉川徹 宇宙大使館 前田 麦 念形師 家元 須永健太郎 Haruki Chino zwaaaammmmnnn Takahiko Yanagisawa 文化屋雑貨店 and more ・ 【会期中イベント】 ★‪1月4日(土)‬Opening Reception ‪19:00‬~ ★‪1月12日(日)‬新春書き初め大会 ‪14:00‬~ ピアノ演奏/小松和史 --------------- 展覧会概要 展覧会名:書き初めTYPOGRAPHY 展|NewYear Typography exhibition 会期:‪2020年1月4 日(土)~1月19日(日)‬ 営業時間:‪16:00~23:00‬ ★Opening Reception ‪1月4日(土)19:00‬~ 定休日: 水曜日 会場:TETOKA ‪東京都千代田区神田司町2-16-8‬ Tel: ‪03-5577-5309‬ http://tetoka.jp/archives/7099 #tetoka #手と花 #tetokakanda #typography #calligraphy #書物 (手と花(tetoka)) https://www.instagram.com/p/B65Hb4BjY71/?igshid=mur5oeyya76e
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hochagera · 5 years ago
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帰り道総括
いつも公演から数カ月がたつと、前回の公演を自然と振り返りたくなる。今回もそんな欲求に駆られて、前作『帰り道』の総括をいたします。
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—————————— 野外人形劇団のらぼう 夜の短い物語「帰り道」
2019年10月1日(火)- 14日(日) 毎晩20時開演(内容30分程) あがたの森公園 投げ銭制
出演 前田斜め/成田明加/白鳥達也 表題曲 水野安実と5レモネーズ「帰り道」 ――――――――――
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まずは曲の紹介  本作品は、”水野安実と5レモネーズ”の「帰り道」という曲を表題曲として起用し制作されました。この楽曲は現在、7インチレコードとなって発売中(MARKING RECORDS|〒390-0811 長野県松本市中央3-12-8|にて取り扱い)(https://www.instagram.com/p/B9--CK5hOmj/?igshid=dgisahyzi2r9)。さらにはbandcampにてネット販売もしているようです。(https://mizunoami.bandcamp.com/album/-)  ご興味ある方、また『帰り道』の公演にお越し下さった方は是非お楽しみください。聞くと確かによみがえるあの時の情景が愉しく、心地が良いです。
では総括、
曲から始まったプロジェクト  今回の作品作りの発端は、のらぼうとしてはそろそろ人形を使って作品を、ひいては巨大人形を使っての作品を作りたいと考えていたところ、別のアプローチから既存の曲を使って芝居が作れないかという提案があった。それが”水野安実と5レモネーズ”の「帰り道」。劇団としてはそろそろ本格的に人形に手を染めていかないと名前だけで体裁を取り繕っていてはかたじけない、と考えていただけでそれ以外に制約はほとんど無かったため、ちょうどいいというかタイミング的にも問題なかったため作品作りに”曲”の命題がつき進行していくことになった。
 そして更にもうひとつ重要だったことは、今回、この「帰り道」という曲のMVをものらぼうの創作でもって制作することになったのだ。この曲はもともと7インチレコードとしてリリース、そして配信が予定されていたためその機会に合わせて今回制作する芝居を映像化したものなどをベースにMVを制作することが目論まれた。つまり曲、そこからの芝居、そしてMVというつながりで付随した作品作りが行われることになったのである。今回はその芝居作りの総括。
 なお、MVに関しては残念ながら制作が滞っている。どうしても芝居の後にMVを仕上げようとすると、芝居の存在に引っ張られてしまいのらぼうのMVになってしまいかねない。それでいてもともとそのつもりで創作してきていたので題材を軌道変更するのは難しい。また、芝居の旨味と映像の旨味は別種であるという基本を改めて目���当たりにし、思考を凝らしたものの満足のいく結果には至らず、大変申し訳ないながらも当初の予定には間に合わずMVの公開は見送られた。
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あがたの森公園にて公演  今回の芝居のスタイルは、お馴染みの野外演劇スタイルである。松本に来てからわたくし前田斜めはこのスタイルでしか創作していないし、基本的に��かやるときはいつも野外がセットで考えるようにもう思考回路がそういうふうにできている。『野外演劇』とか『大道芸』だとか当てはめる枠はいくらかあるのだろうけれど野外演劇というほど大それたものじゃないし、大道芸というほど芸に長けたものでもない。もっと野生的な衝動で外に駆り出されているといった方が近い。単に、光が好きで風が好きで雨も好きでそれを感じていたいから、ただそれだけ。最近は「ストリート」や「路上」といってまとめられた方がしっくり来ている。なんにせよ、野外はのらぼうにとっても一番最初の衝動なのでありどんな作品ももれなく野外での公演をベースに検討される。  そんな中、今回は松本市のみぞおち(?)辺りに位置するあがたの森公園を公演地に選んだ。これまで自主公演は行ったことのない場所だったが、過去十数年前には全国各地のテント芝居など、野外演劇隆盛期ともいえる時代のその先鋭的集団がいくつも訪れ公演を行っていたと伝え聞いている。ここでの市の公園緑地課との交渉は難航することが予想されたが、今回のような持ち運びスタイルでの小規模開催の場合は苦慮することなく借りられた。まさに夜の短い物語スタイルともいうべき30分程の短い演劇を、客席なし、照明なし、舞台なしで行うということが体現できただけでも功績は大きい。大変に自由度は高いし、これくらいの時間なら立ちっぱなしでもお客さんに苦痛を強いらせない。だいいち座りたくなったら各々見繕って座ることができるし、今回は後述する”移動”が劇中に挟まっていたこともあって立ちっぱなしで30分という印象は薄かったのではないかと勝手に想像している。さらにはこれも後述するように、台詞が一切ない芝居だったことも効果は大きい。台詞がないために聞き取ろうとする必要がない。だから各々眺めたい距離で好き好きに観劇することができる。よく観たければ近くに場所を移せばいいし、なんとなく遠くからぼんやり眺めるということも今回の芝居では相性が良かったように思う。そんな情景をお客さんが個々に選択できるというのは有意義な体験であったのではないか。そんな要因がバランス良く取れた芝居だったように思う。
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 さらにこのあがたの森公園というのがまた良くできた公園である。実は次回作(2020.4月現在)もあがたの森公園にて公演しようと考えているのだが下見に行くたびに発見が絶えない。松本市市街地に位置する公園で規模としては一般的な都市にひとつはある中央公園と言うべく大きさの公園であるが、印象としては井之頭公園を彷彿とさせる鬱蒼と覆いかぶさる広大な敷地を想起する。そこは踏み入れると樹木の歴史にタイムスリップし迷い込めば1時間は優に抜け出すことができない錯覚を起こさせるが実際はそんなことはない。意識して歩いてしまえばなんのこともない規模の公園なのだが、どうしたわけか毎回誘われてしまうのだ。さらに敷地内の区分けでもデザインが行き届いておりそれも素晴らしい。令和ではおおよそ体感できない古を醸し出すヒマラヤスギの大木並木や旧制高校校舎の大正ロマンを思わせる木造建築、中世ヨーロッパを知りもしないのに感じさせる中庭、どこまでも続くはずがないのに続いているように見える芝生の広場、かと思ったら日本庭園風の池や松、そして現代アートと化した水のないプール、丘より小高い小さい丘、など。まだまだ余すことなくこの公園を使用したくなる魅力の詰まった小宇宙、それがあがたの森公園なのである。距離も抜群にいい。今後ものらぼうとしては親身にこの公園と付き合っていきたいと考えている。  なお、上演時間が20時と設定されたのは、平日休日問わずお客さんが来やすい時間でもあり、なにしろ出演者が各々の仕事を終えて集まれる時間、そして公園内にまばらに散歩する人や帰宅する人がいる時間として設定された。これは概ね想定通りであった。
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人形先行で作った内容  まさにこの芝居の主役であり名実ともにデカい存在に間違いなかったのが人形ーサミュエルである。身長3m50cm程ある72歳のおじいさんで、ひとり佇み、ステッキ片手に公園を散歩している。  今回の芝居はこの巨大人形を使う、ということがもっとも大きく掲げられた命題であった。しかし、その時はまだ巨大人形は存在していない。当たり前のことだが、作らなきゃいけない。そして作ってみてみなければその人形を使った芝居についてなんて考えられない。だからカレンダーを眺めて、ある時から人形の制作のみに舵を切ることにした。それまでは曲を聴きながら、芝居の内容を考えつつ、人形のディティールなども考えていたのだが、そんな悠長なことしてる暇などない、拉致あかない。脚本の完成を待っていては人形の完成が危ぶまれる。脚本などあとだ!というひとり強制連行で次の日から人形制作に取り掛かった。この決断があとあと功をそうした。やはり人形制作というものは時間がかかるし、ましてや初めて、更には規格外の巨大人形ともなると単純に足の長さ、手の長さ、首、頭などわからないこと、やってみて初めて気がつくことのオンパレードで予想よりもはるかに難航し時間がかかり、また、予算も大きく跳ね上がった。結果として人形の大まかな部分はわたし斜めが制作し、衣装や色塗りといったところを女性チームが制作した。真夏の倉庫でラジオから流れる甲子園を聴きながら、次第に形作られる骨格に��装や帽子などの装飾品も加わり、えてして愛おしい風合いのサミュエル人形は完成した。芝居の内容はこの完成した人形を元に作られていくことになる。
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 この人形は、立てる、歩ける、座れる、見れる(首が動かせる)、触れる(手を動かせる)、握れる、などなど、できることを列挙していった。当たり前にできそうなことでも操作性からやり辛いこともある。だからできないことは無理してやらない。もしも先に脚本を仕上げていたら無理が生じて苦悩していたかもしれないけれど、この人形でできることのみを構成していったことにより、そういった不具合は発生しなかった。そうして列挙されたサミュエルの動きから抜粋してそれぞれをつなぎ合わせてゆきひとつの流れの作品になった。だから特別な物語はなかった、と考えている。何か物語の進展や変化を提示することなく佇むということを肯定した芝居になったのではないか。  ひとつだけ、この人形は巨大ではあるものの『歩ける』ということだけは最初から大前提に掲げて制作していた。世の中には色々な手法で作られ操作される人形があるわけだけれども、実際は浮いていたり、歩いているように見えて水平移動しているだけだったりと様々だが、サミュエルは補助や土台となる台座は必要だったものの『歩ける』ということだけは最初から念頭に置いき、実際1人が人形の足元に搭乗する形で両足を操作し、しっかりと地に足をつけ、足音も鳴らせて歩くことのできる人形に仕上がった。 ※ここではロワイヤルドリュクスの巨大人形の影響を大きく受けている。その作品もさることながら作品の展開の仕方や町との関係性が大変興味深い。造船が盛んな港町でその溶接技術を活かし、職人や町そのものを巻き込んだ作品を仕上げようと始まったプロジェクトだとか。5年に1度くらいのペースで作品が発表されその規格外の大きさ、規模、技巧、人員を有した作品は完全に唯一無二。 https://www.youtube.com/watch?v=qtXyXVVssQ4 (久シブリニ映像見マシタケド比較対象ニナリマセンネ。。。コンナスバラシイセカイヲアリガトウ。。。)
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芝居中に人形とともに歩いて移動  これはもともと構想に入れてた部分ではあるが、個人的に観劇中に移動を要するとか、何かしら強制的にお客さんに強いるということには良い印象を持っていなかったので、作品の構想が固まってくるうちに後回しにされ、結果的には本番前に公園内を練り歩く通称パレードと称されて準備されていた。なんとなく30分ばかし練り歩いて所定の場所までやってきてそこで公演をやればいいのではないか?というような魂胆。しかしそれが本番の前日か前々日?のゲネで大きく変更してしまった。作品の途中で、突如として人形が立ち上がってお客さんを引き連れて歩くことができるのではないか?というイメージが湧いたのであるが、これその時とっても重要なことと思われた。
 芝居でもなんでも、何か物事を始める時の発端はいつでも入射角というのを重要に考える。地平線上に沿うように物事を出現させるのか、それとも逆行させたりせき止めたりするように物事を出現させるのか。今回の芝居ではこの入射角は非常に滑らかである必要があった。つまり、日常のあがたの森公園のその先の延長線上に劇世界がある必要があった。その”いざない”として今回の芝居では”歩く”ということが効果を発揮したと思っている。”歩く”ことが公演の前の時間に別物としてなんとなく行われるよりも、劇中にお客さんとともに確実に行われることで日常の上を歩いているはずが、いつの間にか劇世界にのめり込んで行く、さっきまでの”眺める”、”観る”という行為よりもはっきりと一緒に劇世界を体験することができたのではないか。そのことが今回の芝居の中で邪魔にならなかった要因は、まずあがたの森公園のロケーションが素晴らしかったこと。そしてその規模とサミュエル人形の大きさがマッチしたこと、さらにサミュエル人形の歩くという行為のみにおいても足音や見上げる表情など愉しむに足る時間を演出できたこと、などがあるのではないか。これなかなか人間だけの芝居ではやるのに勇気がでない。できる、のだろうとは思うけれども本作品においては巨大人形であるサミュエルの魅力が十分に発揮されてこそ成り立ったシーンであった。演っている方としてもただ歩いているだけなのに、今まで体験したことのない印象深いシーンであった。  実際に本番で歩いたのと同じ距離を歩いてみると途方もなく短く感じる。1分もあれば十分に歩いて来れる距離を、作品では10分間かけて人形とともに歩いた。 ※ここでは「老いと演劇」Oibokkeshiの”徘徊演劇”を参照した。もともとメンバーの成田明加発案で”歩く”というものがあり、紹介されたのが徘徊演劇であった。この公演自体に立ち会ったことはないけれど、そのスタイルに大きく惹かれる。しかしこの作品の場合は台詞がある。一体どうやってまともているのだろうか。しかしこんな形式でも作品が作れるとするならば、と想像するとまだまだやれる面白そうなことはごまんとあり、まさしく宝庫である。これだから路上はやめられない。 https://youtu.be/GbseDpRNza4
台詞がなかった  今回の芝居は台詞なしで約30分間が構成された。それによってももたらされた効果や語ることができたことがあるということを、忘れたくない。  音楽家やダンサー、舞踏家の先輩方諸氏の作品に触れる度自分としてはどうであろうかと考えることがしばしばあり、芝居では台詞語りを多く用いることにやるせなさを感じたりもしていた。同じ時間芸術であるとして、どうして彼らは言葉がなくても表現が成立するのかということを頭でっかちに考えてみたりした。
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 いつだって衝動とそのカウンターの繰り返しで創作活動は行われるけれど、言葉ではない表現は常に憧れている部分でもあるし、それでいて、”言葉で語る”ということは僕たちが持っている身体や表情、その他の技術や小道具や音響、照明、美術といった芝居をする上で舞台上に当たり前に持っている術の一つに過ぎないのだと理解すべきだ。��からつまり、語る時は大抵の場合言葉に頼ってしまうけれど、必ずしも言葉を使って語る必要に迫られなくていい。その他の要素と鑑みて、動くか道具を使うか音楽を使うか、それとも言葉を使うのか、舞台であるがゆえに選択は様々ある。そのことが少しだけ垣間見えた公演であった。  かつてアウトサイダーアートを目の当たりにして感銘を受けた少年であった私であったが、その時も似たような感慨があった。いわゆるアウトサイダーと呼ばれる人たちがいて、その人たちはよき事業所や介助者、そして自分にあった手法に巡り合った場合、怒涛の勢いで嬉々として数々の作品を世に送り出している。彼らは、日々創作活動に打ち込んでいる、というわけではなくもっともっと初期衝動的なエネルギーを保ち続けて結晶化し、それが結果として作品に結びつき世に送り出されている。だからつまりアウトサイダーというものは、初期衝動という点では誰しもがそうなりうる可能性を平等に秘めているわけであり、しかしそのことを知ってしまってはいけないし、そこに甲乙がついたり、その存在を世の中が発見してしまってはアウトサイダーとしての定義を失ってしまうのでややこしいのだけれど、ここではそのことは一旦置いておいて、そのアウトサイダーと呼ばれる人たちの言ってしまえば『無駄』とも捉えうるような、あくなきまでの探究心とその行動に自分の『持っているものと持っていないもの』というものに関して考える機会があった。
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 どうして彼らはここまで闇雲に夢中になってとある行動(例えばひたすらに布を縫ったり、木を掘ったり、鉛筆がなくなるまで紙に擦り付けて絵を描いたり)を続けることができるのか。僕は芝居なんてものをしているものだから、それは少なくともひとつの衝動では成り立たないし、どんなに小規模でやろうとしても自分以外の要素の力が必要だし、なおかつ複数人でやる場合は他者への理解や信頼がなければ成り立たない。そんなどうにもこうにも初期衝動とは遠いところ��戦っているのに、果たしてどうしてその衝動を保っていられようか。で、今回は台詞があるのか、ないのか、なんてことに命題を置いたりしてあーでもないこーでもないと頭を悩ませており、そのこと自身が煩わしくてしょうがないのだが、この生きてく上での性ともいうべきしょうもない秩序に自分で自分を苦しめて、アウトサイダーのことを羨ましく思ったりした時期もあった。しかしそこで例えば自分で自分の持っている技をひとつ置いて、つまり自分自身を拘束してやれることを削り舞台上に上がろうとすると、それはそれであざとく白々しく映る。潔くない。健康的でない。だってアウトサーダーになろうとしてやることを削ったって(つまり『言葉を使わない』とか)、そんなアプローチをしようとした時点で残念ながらアウトライダーにはなれないのだから。アウトサイダーそんなこと考えていない。だから違うのだ。セリフがあるなしとかではないのだ。五体満足に、そして言語を有して生まれたこの存在と環境を存分に発揮して余すことなく全てをぶつけてもってして、やっと表現というものは成り立つのである。結果としてそれがある分野においてはアウトサイダーたるかもしれず、行き過ぎて専門になったり時代次第では大衆になったりする。しかしそんなこと発端のプレイヤーが考えるには及ばないのであり周りが判断すればいい。ただひたすらに闇雲に邁進する姿に憧れたのではなかったか。だから金輪際、今回の作品で僕たちは言葉を使わなかったというのではなく、無言を使った、という風に理解したい。そう考えると、台詞を有さなかったことの意義が見えてくる。無言を貫いたことで作品としては眺める人それぞれの捉え方の幅が広がり、見続けても見飽きない、また何度見ても耐えうる、そんな作品になったのではないかと思い返す。実際何度も足を運んでくれる人は多かったし、会期中必ず訪れる仕事帰りのサラリーマン風のおじさまも印象的な存在だった。もちろん子どもや外国人にも受け入れられた。この無言であるがゆえに伝えられることがあるということは今後忘れてしまいがちなことでもあるので肝に銘じたい。言葉は常に持っている。でもその効果に適切に照らし合わせて使ってもいいし使わなくてもいい。
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 そして最後に、この芝居は終始言葉がない言葉がないと言っておきながら、よく考えたらあるではないか。最後に流れる表題曲にだけは言葉があるではないかと気が付いた。これは明らかにそこにいた全員が耳にする作品中唯一こちらから提示する言葉であって、曲がここで浮き彫りになって立ち現れる。はっと聞き入る、そんなこともできるのかと改めて言葉を発露するということの意義深さを感じられた瞬間であった。
※写真は全てdig-earth yohei ito撮影
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mitenjaneeyo2525 · 5 years ago
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巫女(処女であることが前提)がトーチをかざすことで火をつけている。また、この儀式の本番は非公開とされており、テレビ等で見られる採火の場面はマスコミ向けの“公開リハーサル”である。なお男子禁制の儀式である。
注目すべき輸送手段として、1976年モントリオールオリンピックの時には、聖火を電子パルスに変換する試みがあった。このパルスをアテネから衛星を経由してカナダまで送り届け、レーザー光線で再点火が行われた。他の輸送手段としては、ネイティブアメリカンのカヌーやラクダ、コンコルドも挙げられる。
2009年3月26日、国際オリンピック委員会(IOC)は、北京オリンピックの聖火リレーが円滑に運営されなかったことを受け、今後の五輪開催に伴う聖火リレーは主催国内のみで行い、世界規模の聖火リレーを廃止することを決めた。
2016年リオデジャネイロオリンピックでは国内約270都市を経由したが資金難などで聖火リレーを辞退したり、一部で妨害などが発生した[4][5]。
2020年東京オリンピックでは、全国47都道府県で2-3kmの区間でリレーを行い、その他の区間では車で聖火を運ぶ形式で聖火が運ばれた[6]。リレーでの1人あたりの走行距離は200mとされ、2分間程度の時間で走ることが求められた。専用の衣装が用意され、伴走車とともに走る予定になっている[6]。このため1964年の東京オリンピックでは10万人以上が必要であった走者が、1万人程度と大幅に減少している[6]。なお車で運搬している時の聖火については非公開とされており、ルートも公開されていない[6]。
冬季オリンピックにおいては、最初の聖火リレーが行われたのは1952年オスロオ��ンピックだった。最初の聖火リレーの採火地はオリンピアではなく、ノルウェーのモルゲダールにある、スキースポーツの開拓者、ソンドレ・ノールハイム(英語版)の家の暖炉であった。1960年と1994年の聖火���そこで採火された。
1998年長野オリンピックではリレー用トーチの設計が悪く、特に前傾させると走行風で聖火が消えるトラブルが頻発した。火が消えないよう、垂直、あるいはやや後傾させた場合は燃料が垂れ、火傷の原因となるなど事前のテスト不足が指摘された。
2014年ソチオリンピックでは聖火が砕氷船で史上初めて北極点に運ばれた[7]。また、ソユーズTMA-11Mによってトーチが国際宇宙ステーションに運ばれ、ロシア人宇宙飛行士2名がトーチを持って宇宙遊泳を行い、史上初の宇宙空間での聖火リレーが行われた[8]。
他にも有名ではない人物が聖火台に点火したこともあるが、それはオリンピックの理想を象徴している。東京オリンピックで聖火ランナーを務めた坂井義則は広島に原爆が投下された1945年8月6日、広島県(三次市)で生まれ、坂井は第二次世界大戦後の日本の復興を象徴した。1976年モントリオールオリンピックでは二人のティーンエイジャー(一人はフランス語を話す地域の出身者、もう一人は英語を話す地域の出身者)はカナダの調和を象徴した。2012年ロンドンオリンピックでは、過去のイギリスの名選手から「次代を担う若者」として指名された10代の選手7人はイギリスの未来を象徴した。
1964年の東京オリンピックの聖火台編集
1964年東京オリンピックでは、その招致の前哨戦となる1958年の東京アジア大会の聖火台を再利用した。
大会組織委員会から、「納期3ヶ月で製作費は20万円」という条件だった。これは、同様の物を造るとなると最低でも8ヶ月かかるとされ、費用も相場の20分の1の価格であったため、大手企業から軒並み断られてしまった。組織委員会は、当時の川口市長大野元美に対し、アジア大会に間に合わせるため、聖火台の製作を依頼してきた。大野は、鋳物づくりの名工とうたわれた鈴木萬之助を指名した。だが、萬之助は第一線を退いたこともあり、萬之助の長男である鈴木幸一が「割に合わない」とこの依頼を断ったが、萬之助が「俺がやる。こういう仕事は損得を考えるな」と言って依頼を請け負った。
聖火台の製作に入った萬之助は、三男である鈴木文吾を誘い二ヶ月後に鋳型を完成させたが、湯入れ作業で爆発事故が起き、このショックと過労で8日後に萬之助は亡くなった[12][13]。しかし、納期までは1ヶ月を切っていたため、文吾は兄弟と萬之助の教えを受けた周囲の職人たちの協力のもと、不眠不休で第二の聖火台を製作して2週間の作業の後、何とか納期に間に合わせ[14]、国立競技場の南側スタンド上部へ設置された。文吾は、「もし自分まで失��したら腹を切って死ぬつもりだった」という。
この聖火台は東京アジア大会の物であるため、東京オリンピックでは新しい聖火台を製作する構想が持ち上がった。だが、鈴木父子の話を聞いた河野一郎オリンピック担当大臣の英断により、オリンピック聖火台として正式採用されることとなり、オリンピックに向けて行われた拡張工事の際に増築されたバックスタンド上部へと移設された。
聖火台は高さ2.1m、最大直径も2.1mで重さは約4トン[15]。設計・デザインは国立競技場の設計者でもある角田栄ほか4名によって行われ、20の横線は、東京アジア大会での参加国・地域の数、波模様は太平洋を表している。
この聖火台は、文吾の手により製作者名として父・萬之助の名を指す「鈴萬」の文字が彫り込まれ、国立競技場が解体されるまで置かれた。解体後、国立競技場建て替えの間は東日本大震災の被災地等に貸し出される事になった。2015年に宮城県石巻市に貸与され、石巻市総合運動公園に設置された[16]。聖火台は2019年3月まで石巻市に展示され、その後は岩手県と福島県へ貸し出しが行われ、両県内を巡回した[15]。2019年10月から、製造地である川口市に戻り、2020年3月まで川口駅東口の川口駅東口公共広場(キュポ・ラ広場)で展示される[15][17]。展示終了後は、新国立競技場の東側ゲート正面に移される予定である。
また、萬之助の聖火台も修繕を経て、2004年に川口市の青木町公園に置かれている
閉会式の入場が国別でなく、各国の選手が入り混じって一体となった形をとる初めての大会となった。
夏季オリンピック史上初めて南半球で行われた。また、メルボルンの緯度が高いこともあって結果的に北半球が冬になってからの開催となった(このため、夏季オリンピックでは開会・閉会ともに一番遅い時期に行われた大会である)。なお、44年後の2000年に開催された2000年シドニーオリンピックは9月15日から10月1日にかけて、2016年リオデジャネイロオリンピックは8月5日から21日に開催された(シドニーとブラジルのリオデジャネイロはともにメルボルンより緯度が低い。)。
馬術競技は畜産が大きな産業であるオーストラリアの検疫が非常に厳しく、検疫期間が6���月と長期にわたるため1956年6月10日から6月17日まで、スウェーデンのストックホルムで先行して行われた。シドニーオリンピックにおいては技術が進歩し2週間に短縮することが可能になったことにより、オーストラリア国内での開催が可能になっている。
商業五輪編集
この大会は1セントも税金を使わずに行われた。スタジアムも1932年ロサンゼルスオリンピック時のものを使っている。それまでの大会は、スタジアムの建設や環境整備などで開催都市が多額の費用を負担し、赤字続きで大きなダメージを残したこともあり、1984年大会の開催都市立候補はロサンゼルス市だけ[1]、とオリンピック開催は不人気だった。
開催するために必要な費用は、以下の4本柱を立てて賄った。
テレビ放映料:テレビ放映権は、それまでの常識を超える金額を最低価格として提示、アメリカ4大ネットワークのうちで一番高い金額を示したABCと約450億円で契約。放映権料を前払いとして、利息を稼ぐ徹底ぶりだった。
スポンサー協賛金:それまで多くのスポンサー企業がマークを使用し、多種多様な活動をしたが、スポンサー数があまりにも多すぎたので、メリットが半減していると判断し、スポンサーは1業種1社、合計で30社と数を減らして価値を高めた。ロサンゼルス五輪のマークを自由に使える、というのが条件だった。コカ・コーラとペプシが激しいスポンサー争いを演じ、他業種もスポンサーに次々に名乗りを上げ、高額の協賛金が集まった。
入場料収入
記念グッズの売上
かくして最終的にはこの大会は、およそ400億円の黒字で終了かつ成功し、その全額がアメリカの青少年の振興とスポーツのために寄付された。この大会の成功が、その後の五輪に影響を与える商業主義の発端となった
大会委員長のピーター・ユベロスは一般市民の聖火ランナーからも、参加費用を徴収しようと計画。一緒にオリンピックを作る一員として、聖火ランナーに参加してくれる人なら、資金的な協力もしてくれる、というのがユベロスの考えだったのだが、聖火を運ぶのは、もともとギリシャ委員会の管轄で、ギリシャ委員会は「聖火を商品化するとは五輪を冒涜する行為」と待ったを掛けてきた。
しかし結局、ユベロスがギリシャ委員会を説得して有料聖火ランナーは実施された。この時には1936年のベルリンオリンピックで、日本代表でマラソン競技に優勝した孫基禎も聖火ランナーの一員として走っている
「女子選手には危険過ぎる」との理由で長年開催されていなかった女子マラソンがこの大会から公式競技となったが、8月開催の大会のため酷暑の中でのレースとなり、温度を下げるためにコース中にシャワーを設置するなど対策を行ったものの、ガブリエラ・アンデルセン(スイス)が脱水症状により千鳥足でゴールする事となった。
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wankohouse · 4 months ago
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刺青を母地とした有棘細胞癌およびred tattoo reactions
*色を入れた後、一部の色の部分が他の色の部分より炎症がきついと言う事は、現在でも普通にある。初代彫宇之時代以後、日本の刺青はカラフルになったが、それ迄は墨を摺った黒と一部に使う朱色だけだった。その朱色に水銀が含まれていて、年を経ると皮膚が崩れて来た。つまり癌だ。色素については、墨を入れるなら十分に考えておかれるべきだ。(個人的には、間違いないのは墨を摺った物だけかも知れないと思うが…)以下はGoogleレンズによる文字起こし。誤字の可能性がある。
創傷 15(4): 114-117,2024 ←引用元で原文と図解を確認
<症例報告>
刺青を母地とした有棘細胞癌およびred tattoo reactions
田邉裕美”,美原留奈*
Key Words:刺青,有棘細胞癌,red tattoo reaction
序文
刺青は装飾的な意味をもち、欧米では多くの若年層に浸透している。刺青にはさまざまな物質からの色素が用いられてきた。副反応としてアレルギー性皮膚炎が最も多く、その他感染、サルコイドーシスなどの肉芽腫病変があるが、刺青を母地とした悪性腫瘍発症についても報告が散見される。われわれは30年以上前に入れた背部刺青上に発症した有棘細胞癌を経験した。本症例では腫瘍以外にも赤色刺青部に限局して慢性皮膚炎を生じており、それぞれの病変組織の元素についても検索した。
患者:70歳,男性。
症例
主訴:背部皮膚腫瘍,慢性皮膚炎。
既往歴:C型肝炎。
現病歴:30代前半に刺青を入れたが、その後ほどなくして以降、長期にわたり皮膚のかさつき、掻痒感は自覚していた。半年��ど前から一部が疣贅状に隆起して増大、自壊してきたため受診した。
初診時所見:右背部に径6.5×8cm大,潰瘍を伴う隆起性皮膚腫瘍、その周囲の赤色刺青に一致して浅いびらんや苔癬化傾向をもつ皮膚炎を認めた(図1a, b)。
治療経過:腫瘍病変の生検結果は有棘細胞癌であった。水平方向は腫瘍より2cmの辺縁切除、垂直方向は腫瘍直下の広背筋を含めた拡大切除術、および大腿より網状分層植皮術を行った(図2a)。センチネルリンパ節生検術を併施したところ、腋窩リンパ節には黒色の色素沈着を認めた (図2b)。皮膚炎を生じている赤色刺青部は辺縁切除し縫合した。リンパ節転移は認めず、病期は T2N0M0 ステージⅡ (UICC7版)であった。術後5年以上経過したが再発、転移を認めていない(図2c)。 組織学的所見: 腫瘍部分は不規則な乳頭状增殖,核異型、癌真珠を認め、角化が明瞭な高分化型有棘細胞癌の所見であった(図3a)。赤色刺青の皮膚炎については表皮の菲薄化,真皮血管周囲に炎症細胞浸潤を伴った色素貪食細胞を認めた(図3b,c)。また腋窩のセンチネルリンパ節にもマクロファージの色素貪食像が見られた(図3d,e)。 元素分析:慢性炎症を呈する赤色刺青皮膚とセンチネルリンパ節のHE染色標本で、色素沈着を有する範囲、および腫瘍内部について、走査型電子顕微鏡(S-4500/EMAX-7000, Hitachi High-Technologies Corporation, Tokyo) による元素分析を施行した。その結果、センチネルリンパ節と慢性炎症の色素貪食像を認めた部分には水銀が特に多く含まれることが確認された(図4a, b) ほか、チタンやタンタルが同定された。一方、腫瘍組織内にはカルシウム、リン、マグネシウムなど人体の必須微量元素が検出されたが、刺青特有の元素は同定されなかった(図4c)。
考察
刺青は法規制などもなく、古くから文化、装飾として社会に根付いている。色により各顔料に含まれる金属が異なるが、古典的には黒色にはさまざまな炭化水素やニッケル、緑にはクロミウム、黄色にはカドミウム、赤には水銀のほかシアン化物などが用いられた歴史がある1~3)。
今回、赤色刺青の皮膚には水銀が多く含まれていることが示された。赤や朱色の刺青に使われてきた硫化水銀は、自然界に存在する辰砂といわれる鉱石鉱物である。刺青による皮膚炎の報告は赤色で生じるものが過半数を占めると報告され, red tattoo reactions と称される 4.5)。Red tattoo reactions は刺青後数週間~ 数年後に発症し、腫脹、紅斑、掻痒感などを伴う遅発性アレルギー反応と考えられる。現在欧米では、 安全性の観点から鉱物を含まないインクが使用されるようになり、原材料についても明示されているため、安全性はある程度向上している。しかしアレルギー反応の発症については、近年の報告でも30~50%と高率である。また、明確な法規制がないわが国の現状の詳細については把握困難である。
一方刺青を母地とした皮膚悪性腫瘍についてもこれまでに数十例報告され、悪性黒色腫,有棘細胞癌,基底細胞腫、その他肉腫などが含まれる8~12)。皮膚癌の発症部位は体幹よりも四肢に多いことから、色素の光反応の関与も示唆される。ニッケルやカドミウムなど発癌性を高める金属の存在に加え、軽微な外傷や紫外線などの刺激が重なり発症に至ることが示唆される。悪性黒色腫と基底細胞腫が黒や青などの暗色系の色が母地になっていることが多いのに比し、有棘細胞癌については赤色刺青からの発症が過半数と多いのが特徴であり、水銀による慢性炎症が要因となる頻度が高い可能性が示唆される。
自験例ではまず、長年にわたり red tattoo reactionsに起因する症状を生じていた。初診時すでに腫瘍サイあったが、腫瘍が生じた部位は掻爬や日光曝露も自覚しており、水銀に対する慢性皮膚炎に紫外線や物理的刺激が加わって有棘細胞癌の発症誘因になった可能性が高い。刺青を母地とした有棘細胞癌の治療方針についてはまだ報告数も少なく明確な指針がないため、一般的な有棘細胞癌として治療することが妥当と思われる。今回リンパ節転移は認めなかったが、リンパ節も水銀を含む色素沈着により黒色を呈していた。また組織学的にマクロファージによる貪食像を認め、色素に対する反応性変化と考えられた。過去にも石灰化など、 刺青がリンパ節の性状に影響を与えた症例が報告されており 13), 所属リンパ節転移を精査する際には刺青による修飾がありうることも留意すべきである。
色が褪せるから日に曝すなと言われるが、あまり曝さない方が安全なんかも。と言って、安全の為に生きるのでは本末転倒やから適当に、かな。墨を入れたいと思う事はあるが、単純なファッションだとは考えてないし、見せて脅す積りも無いし、自分に意味のある絵柄に巡り合わない限り実行しないよ。
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meitukong · 8 years ago
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近日,一代女神瞿穎被拍與新男友戀情甜蜜,還與 7 歲女童挽手而行,關系十分融洽,疑似走出昔日感情陰影。
其實早在去年她就被拍到和新男友一起出游,這一次被拍似乎讓這段關系有了實錘。但不得不說,離開張亞東,粉絲都為她拍手稱快。
說到瞿穎,可能有許多年輕人會感到陌生。可是在瞿穎正當紅的 90 年代,她的光芒絲毫不遜色於現在的範冰冰,還被稱為 ” 中國第一美女。”(講真她的氣質蠻好,至於美貌,見仁見智)
曾是中國第一超糢
當年的她,影、視、歌全面發展,還是中國第一名糢,成為了第一個登上國際雜志《VOGUE》和《時尚 COSMO》封面的中國女明星。
那時有 ” 北瞿穎,南周迅 ” 的說法。在掛历糢特最當紅的年代,她與周迅齊名,頻頻出現在掛历封面上,是最當紅的時尚糢特,美得不可方物。
掛历糢特就是在掛历上放糢特寫真照片
瞿穎的掛历寫真
20 歲的時候,她就憑借出眾氣質與高挑身材,一舉奪得美國超級糢特大賽中國十大名糢的亞軍,與現在的國際超糢劉雯、奚夢瑤等人可是不相上下的呀。
同年她又被導演琪琴高娃相中,出演電影《不要問我從哪里來》並擔任女一號,初露鋒芒。
在電影里,她飾演青春靚麗又有文藝氣質的 ” 紫羅蘭 “,清純得有種讓人無法忽略的美。
其實瞿穎從小就長得很討喜。高挺的鼻梁,一雙水靈的大眼睛,配上逆天長腿,走到哪,都是人群里矚目的存在。
而因為出身文藝世家,她也繼承父母衣缽,走上了話劇之路。從藝校畢業後,她直接進了湖南省話劇團當演員。
只是長得高在這時候反而成為了她的短板,身高 175CM 的她找不到男演員搭戲,遺憾錯失了很多機會。
迷茫不是沒有,她也曾考慮轉型,並開始涉足廣告和影視劇。雖然大部分反嚮平平,但璀璨的明珠不怕被掩埋,19 歲那一年,她等來了人生的轉機。
一次偶然,瞿穎的廣告片被北京服裝表演隊的人註意到了。他們發現這個女孩不僅容貌與身材鶴立雞群,而且難得的是氣質卓然,便向她拋來橄欖枝。就這樣,19 歲的瞿穎踏上了自己的北漂之旅。
她仿佛是天生吃糢特這碗飯的。在北京發展的第二年,便奪得中國十大糢特的亞軍;第三年,獲得首��中華糢特的季軍。
不僅糢特事業一路暢通無阻,影視上的機會也頻頻光臨。25 歲這一年,她被張藝謀相中,出演新片《有話好好說》的女主——安紅。
片中,安紅一身超短牛仔裙,搖曳的風姿引得薑文飾演的 ” 趙小帥 ” 狂追,一句 ” 安紅,我想你,想你想得想睡覺 ” 至今仍烙印在多少人的回憶里啊!
而瞿穎也不負所望,傳神地演繹出一個有點物質���幾分冷清的都市麗人形象,被譽為 ” 最時尚的謀女郎 “。劇中安紅的穿衣打扮,可是當年街頭巷尾一度熱議的話題呢!
只是劇中的瞿穎女神範十足,劇外的她倒是大大咧咧,率性直爽。
當時正處於事業上升期的瞿穎,常常需要在片場與商業拍攝中來回奔走。於是每次戲一拍完,瞿穎就火急火燎地要走,壓根沒想過要與名導套個近乎。
直到朋友提點,不是每一個人都有機會成為謀女郎的呀!她才如夢初醒般,原來自己手中��握著的機會是千載難逢的。
她問張藝謀下一部戲拍什麼,他說是農邨題材的戲,不符你的氣質。她便大喇喇地說:” 難道他們就沒有城里的親戚嗎?” 引得眾人都開懷大笑。
了解瞿穎的人都知道,她就是一個野心不強的人,同樣的資源,別人都想著如何上位,她倒是兩袖清風,隨緣而來,緣散則瀟灑離去。
但這股率性更為她增添光彩,她的演藝之路也是一片光明前景。
1999 年,與當時紅得發紫的劉德華搭戲,在《愛情命運號》中,兩人飾演一對情侶,男帥女美,分外養眼。
集齊男神系列,在 2004 年的《千機變之花都大戰》中,與吳彥祖合作,戲里也是濃情蜜意的情侶。
最讓人難以忘懷的當屬《真情告白》里,飾演的新人白領許諾與胡兵飾演的高積安,這一對國民 CP 曾讓多少人念念不忘啊!
奈何這只是一對現實版的 ” 李大仁與程又青 “,兩人至今仍維持好友關系。雖然胡兵多次對瞿穎表明心意,但是郎有情妾無意,兩人的愛戀止步於熒屏之外。
而這些年,���穎情路坎坷,也總有他相伴身旁,才能稍稍緩解失戀失意滋味。
感情坎坷,愛而無果
瞿穎長得很有氣質,為人仗義,自然追求者眾多。
與歌手羅中旭地下戀時,男方曾出過一場車禍。她二話不說飛奔去照顧他,擦拭身子、端尿盆這種事情都親力親為,沒有一絲怨言。
只是這段戀情並沒有維持很久,痊愈後的羅中旭去韓國工作,因為花邊新聞太多,眼里揉不得沙子的瞿穎當即與之分手。
幾年後,羅中旭為紀念她出歌《你醒來我醒來》,遭瞿穎霸氣回應:” 我從來不聽他的歌。”
之後她仍舊全力去愛,遇見的每一個人,她都毫無保留,對對方赤誠相待,卻始終無法一起走到最後。
身為女子,事業上,她可能如人所講,缺了一根筋,連對長輩敬酒這種事都不會主動做。但是感情上,她從來不會無心,她有自己要遵循的底線,那就是 ” 對變心之人,決絕地說再見 “。
羅中旭之後,她遇見了傷她最深的男人——李亞鵬。此時,她火得如日中天,而他仍是籍籍無名的一個小演員,她不在乎,無論外界如何不看好這段愛情,她都誓與他在一起。
從 1998 年相識相戀,到 2000 年瞿穎去探班李亞鵬,爆出戀情,他們愛得高調。瞿穎喊他 ” 老公 “,為他推掉戲約,李亞鵬則表示自己願意為了瞿穎退出娛樂圈。
可是就在 2001 這一年,拍攝《射彫英雄傳》的李亞鵬和周迅傳出了沸沸揚揚的 ” 靖蓉戀 “。
瞿穎不信,一個人千里迢迢來到片場,看到李亞鵬的那一刻,就什麼都明白了。她一邊哭一邊上了的士,花了 2000 塊車費,從浙江到上海找胡兵哭訴。
自然是分了手,以後再見便是陌路。她不信奉 ” 分手後仍可做朋友 ” 的理論,一個人如此傷你,你還要不計前嫌與之一笑泯恩仇?
愛憎分明的瞿穎做不到,哪怕與情敵都可相見甚歡,但是遭遇相愛之人的背叛,她做不到笑臉相迎。
” 我依然會敢愛敢恨的,但讓我愛的一定是敢作敢當的男人。” 她已將過去拋諸腦後,決定往前追尋新的幸福。
與張亞鵬分手之後,瞿穎漸漸淡出觀眾視野,但並沒有就此頹廢,她將更多心思放在了音樂上。
2003 年,一張專輯《加速度》橫空出世,讓世人再一次驚嘆瞿穎的才華。其實瞿穎在做糢特、演員之前,初心是歌手。
兩年後,瞿穎又捧著親力親為的新專輯《連鎖反應》歸來。這一次,她不僅親自作詞作曲,還參與專輯概念制作,獲得海泉、吳克群等音樂人的認可!
事業開花的同時,她再一次迎來愛情。2006 年,瞿穎與因專輯制作結識的張亞東走在了一起。
張亞東是著名音樂制作人,也是典型的情場浪子。不僅娶過竇唯的妹妹竇穎,而且和高圓圓、徐靜蕾、莫文蔚等女星都糾扯不清。
這樣一個萬花叢中走過的人,卻能與瞿穎細水長流 11 年,想來也是奇妙。不過浪子難馴,相愛期間,張亞東依然緋聞纏身,而且十幾年連個名分都不給,讓很多人為她都感到不值。
如今當她挽著新人重新出現時,網友都紛紛為女神獻上祝福:分得好!
一路走來,瞿穎的情路相當坎坷,她飛蛾撲火般義無反顧投入每一場愛戀,但結果似乎都難遂人心意。但她一直都是敢愛敢恨、豁達大氣的性格,要麼愛,要麼分的徹底,這就是她的態度。
於她而言,愛情比婚姻更重要,她可以不要任何承諾,但卻不能接受另一半對感情的不忠,更不會讓自己在愛情里迷失,失去了獨立與判斷力。
多面女神,隨性而活
曾作為一代女神的瞿穎,熒幕上多是 ” 文藝女神氣質 “。可真實的瞿穎卻是形象百變的。
就在去年,她一身紅衣現身《蒙面歌王》,與張碧晨合作演繹一首《滾滾紅塵》,給觀眾帶來不少驚喜。
2012 年在《百變大咖秀》中,她扔掉偶像包袱,不懼扮醜,扮演龔琳娜、毛寧、劉德華等人,全然不顧昔日女神形象。
” 這兩年歲數都這麼大了,上綜藝節目,糢仿各種不同的人,別人就覺得,哎呀,我居然豁出去了。其實,那才是真的我!”
那一年,她拿到《百變大咖秀》的全國總冠軍。
一秒從 ” 女神 ” 切換到 ” 女神經 “,是熒屏外的觀眾對瞿穎的定義。可是真實的瞿穎,本就是一個真實坦率愛喜劇、愛大笑的人啊。
而且她靠自己的實力三次登上春晚,還搭檔賈玲登上春晚舞台表演小品《喜樂街》。對曾合作過的吳彥祖放話:” 彥祖啊,大過年的,我們分個手吧!” 她在台上游刃有餘,引得人捧腹不止。
在生活中,她也是一個簡單隨性的人。
退居熒屏的幾年里,常常有人拍到她素顏的照片,身材走樣,皮膚狀態也不好。
可女漢子瞿穎壓根不甚在意,” 上電視你化兩個小時妝,平日里還要化個大濃妝,這還是生活嗎?”
經常和家人朋友去旅行,常常都是素顏狀態,但並不影嚮她的自然美。
她還熱愛運動,最愛的是網球,一雙標致的大長腿充滿著線條之美。
她是一個總是精力充沛的人,與朋友聚會,只要有她在,就一定充滿著歡聲笑語。
因為性格大大咧咧,為人真誠,人際關系挺好,和賈玲、馬天宇、黃綺珊都是很好的朋友。
多年來熱心公益,許多慈善活動都會出現她的身影。
經历諸多,面對名利浮華她早已看開。有人會問她為什麼突然就不紅了?她卻不乏幽默地說:” 我覺得自己一直挺紅的 “。
對她來說,愛自己想愛的人,做自己想做的事,人生便足以,自己本就是個沒有多大野心的人。
那些逝去的愛戀消耗了她太多的青春時光,但她卻從未放棄追尋自己的幸福。
而幸福有很多糢樣,從一而終的愛戀是圓滿,但看遍萬千風景才確定的人,或許更有一份踏實感。希望這一次,她能真正遇上那個註定要和她攜手的人。
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oniwastagram · 6 years ago
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\おにわさん更新情報📸/ ‪[ 京都市左京区 ] 国立京都国際会館庭園 Kyoto International Conference Center Garden, Kyoto の写真・記事を更新しました。 ーーDOCOMOMO JAPAN選定。#大谷幸夫 によるモダニズム建築と、#中村外二 と #川崎幸次郎 による茶室・宝松庵。 ・・・・・・・・ 国立京都国際会館は1966年(昭和41年)に開館した #国際会議場 。建築及び日本庭園の設計は昭和の建築家・大谷幸夫が手掛けました。 その #モダニズム建築 は《DOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築》にも選定されています。 建物内及び日本庭園は会議・イベントや施設見学会への参加で見学可能ですが、茶室“宝松庵”は通常非公開。 観光ではなかなか訪れる機会がなかった京都国際会館ですが…例年春・秋に行われている茶会『宝松庵茶会』🍵と、また別のタイミングで施設見学会でこの秋初めて訪れました。 余談ですがそれが人生初のお茶会の参加。“茶の湯が分かると庭園のことがより分かるよ”という口車に乗せられて行って――作法もわかっていないので緊張したのですがw、あのゆったりとした時間の中で、全身でその空間・露地・お茶を楽しまれる――なるほどこれはすごい“遊び”だ。貴重な体験でした。今後も機会あれば参加したいし学びたい。 まずその特徴的な建築の話から。設計を手がけた大谷幸夫さんは若い頃は #丹下健三 さんの下で学び、広島『平和記念公園』にも携わりました。 日本の国としては初の“コンペ”で最優秀作に選ばれたこの建築は――宇宙船や戦艦🛳のような外観であり、内装も当時の“近未来的”なデザインが様々な意匠から見られる。京都という伝統的なものが重んじられる土地に、これだけ挑戦的なデザインが選ばれたというのがすごく面白い。 ただ決して“伝統的なもの”が無視されている訳では全くない。この台形を組合せた外観のデザインは“茅葺屋根”や“合掌造り”を現代風に表現したもの。 庭園を回遊しながらその建物を見ると、場面場面で比叡山⛰が借景にバチッとハマる。ああ、この建築は決して自然の中に“異様”なものを配したのではなく“この山に溶け込む”ように設計されたんだ、ということがわかります。 それを表現した大谷幸夫さんもスゴいけど、それを読み取った側もスゴい。 また建物内部は建築の意匠のみならずインテリアもモダン。担当したのは近代日本の世界的インテリアデザイナー #剣持勇 。絨毯の色・模様も“枯山水の砂紋”や“苔庭”を表現したものとなっているそう。 絵画🖼やステンドグラス、レリーフなど様々な美術品も見られ、これらは当時このために結成された美術家集団、A・A・A(Association des Artistes pour l’Architecture)によるもの。元祖 #トリプルエー 。庭園内にも #細川宗英 、 #霜田大次郎 さんの彫刻が配されています。 その日本庭園は“幸ヶ池”を中心とした池泉回遊式庭園――建築との組合せから #現代日本庭園 といった感じではありますが、その植栽や(先に書いた通り)周囲の山々を借景に取り込む点などあくまで“日本庭園”をこの時代らしく追求したもの。今回の季節にはちょうど山々の紅葉も美しかった! 更には建築見学の際に建物の上層から眺めた時には、隣接する宝が池公園と一体となっていて――より大きな池泉式庭園という風にも捉えられる。 その池の畔にある茶室『宝松庵』は京都国際会館の初代理事長 #松下幸之助 から寄贈されたもの。 その施工は京都の数寄屋建築の名工・中村外二、茶庭は松下真々庵の庭園も手掛けたとされる川崎幸次郎によるもの。 正に紅葉🍁が見頃な中でのお茶会でした。そのような由緒ある場所で初のお茶会を体験できたことはとても嬉しい。 さて。今日これを更新しようと思ったのは、昨日新国立競技場のこけら落としイベントが行われ――それを機に『ザハの方が良かった』という声が再度盛り上がっているのを見て思うことがあったので――メインは庭の紹介ですが、建築の話もしたくなった。 これまでも菊竹清訓建築『東光園』の日本庭園も紹介しているので、結局自分は建築も好きなんすよね…DDなんです… で、その近代建築の話が…SNS投稿文字数に収まらなかったので、明日に続きますw 〜〜〜〜〜〜〜〜 ‪🔗おにわさん記事URL:‬ https://oniwa.garden/kyoto-international-conference-%e5%9b%bd%e7%ab%8b%e4%ba%ac%e9%83%bd%e5%9b%bd%e9%9a%9b%e4%bc%9a%e9%a4%a8/ ーーーーーーーー ‪#庭園 #日本庭園 ‪#garden #japanesegarden #japanesegardens #kyotogarden #京都 #京都市 #京都府 #kyoto #京都建築 #近代建築 #japanarchitecture #modernarchitecture #conferencecenter #docomomo #docomomojapan #おにわさん (Kyoto International Conference Center) https://www.instagram.com/p/B6YK9ZBgR-F/?igshid=qxyyz6sttgyy
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kachoushi · 4 years ago
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各地句会報
花鳥誌 令和3年4月号
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坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和3年1月6日 立待花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
身籠れる夫人に雪の道険し 世詩明 豪雪や掲げ忘れし日章旗 ただし みどり屋の看板古りし虎落笛 同 磨いても拭いても卒寿初鏡 清女 退屈が玻璃磨きゐる三日かな 同 きゆつきゆつと鳴き砂のごと雪を踏む 誠 ゆき高く積んで機関車入線す 同 神一人大忙しや初天神 秋子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年1月7日 うづら三日の月 坊城俊樹選 特選句
幾年をやさしき夫と福寿草 由季子 病む母の風呂敷仕度やぶ入りか さとみ どんど焼き煙にまかれて守られて 同 少しでも化ける手立てを初鏡 同 初夢や遊女のお練り思案橋 都
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年1月7日 さゞれ会 坊城俊樹選 特選句
行く年の音ならざるは一つとて 雪 宝引きで遊んでくれし父今も 同 待春の声と聞きゐる鳥語かな かづを 虚子永久に心に生きん去年今年 同 祝事も忌事も経て去年今年 匠 お精舎の銅鑼打ち入る初句会 千代子 お降りの止みて神慮と詣でけり 希 柚子湯して柚子と戯れ童歌 笑 元朝や我を見据ゑる一仏 天空
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年1月8日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
お飾りの稲穂で燥ぐ雀かな 宇太郎 仏花とて寺の水仙切りがたし すみ子 冬帝の微笑めきし薄日抱く 都 藁筵敷く藩廟の年用意 悦子 陽を抱けば枇杷の花とは朗らかに 都 獣岩に跳ねる怒濤や初景色 益恵 青々と松にお降り光りゐる 立子 目の端で合はす柏手初詣 宇太郎 雪明り会釈せし人誰ならん 佐代子 初雪と雖も根雪伯耆富士 益恵 高空をいよよ引き締め寒の月 史子 拳ほど大戸を開けて初諷経 すみ子 鉄瓶と囲碁の石音五日かな 宇太郎
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年1月9日 零の会 坊城俊樹選 特選句
耳たぶの産毛光らせ日脚伸ぶ 小鳥 ひときはにギリシャ神話の冬の星 美紀 群衆が嚏ひとつを遠ざける 光子 初夢ゆ「金閣を焼かなければならぬ」 公世 しまく夜は足を搦めて眠りけり 光子 囁きの耳から耳へゆきほたる 伊豫 楪の鬱蒼として女系とか 要 雪しまき張り切つて居る馬の尻 公世 御慶述ぶ浅草正ちやん牛煮込 荘吉 マフラーを巻いて密に夜の耳 伊豫 葉牡丹の鉢を並べて閉店す 小鳥
岡田順子選 特選句
冬服の短き袖の父叫ぶ 和子 雪しまき記憶のなかの三国歩す 三郎 溜息の出るほど生きて粥柱 瑠璃 美少女の耳霜焼けてロック座へ 俊樹 月光の鎮めてゆけり雪しまき 千種 濯ぎ物竿もろともにしまかれし 美智子 楪の鬱蒼として女系とか 要 貨物機はアラスカを発ち鰤起こし いづみ 去年今年アンモナイトは目覚めざる 光子 雪うさぎ人来るまでに耳落す 千種
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年1月9日 札幌花鳥会 坊城俊樹選 特選句
連れ歩く影にも寒さありにけり 美江 年の夜瞑目といふ別れあり 同 煮凝やふる里山河かがやきぬ 同 消灯の後の病棟雪女 清 ねぢ巻きの柱時計や去年今年 晶子 序に戻り繰りし歳時記日脚伸ぶ 同 畳打つ音凄まじや板歌留多 同 髪濡れしままで茹でたる晦日蕎麦 のりこ 鳶職の寒九の空を足場とす 岬月 寒紅の残りし猪口や夜の席 同 唇の凍て付く夜のプロポーズ 同 絵馬に射す日のやはらかし冬の空 慧子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年1月9日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
寒晴や真白き嶺の彫深し 時江 吹く風の千両万両隔てなく 同 対座する阿吽狛犬雪二尺 三四郎 負けるのは何時も婆なり歌留多取 みす枝 雛壇の古りし調度や鬢鏡 時江 降りしきる中を除雪車昼も夜も みす枝 父似とて謝して大きなくさめかな 清女 短日や遠眼差しのからす居て 上嶋昭子 正信偈唱へて雪に籠りをり 清女 人肌の燗して男ひとり酌む 上嶋昭子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年1月16日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
泣初と言へど涙は笑ひたる 紀子 大本山坦坦と降る雪の音 あけみ 参道や誘はれ落つるしづり雪 みえこ 門番の貫禄ありて雪だるま 裕子 双六やサイコロの目の運試し 同 どこからか風餠花のやゝ揺れて 令子 猫の写真ばかりを捲る初暦 紀子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………���……
令和3年1月16日 伊藤柏翠俳句記念館 坊城俊樹選 特選句
舫舟列なし河口春を待つ 清女 雪解けて火袋見えて来し灯籠 同 二度三度問ひ返す耳春を待つ 同 本棚に百書の黙や去年今年 雪 残菊に残菊の色雨そぼつ 同 きらきらと輝く雪の魔者めく 和子 雪しまく九頭竜の黙深めつつ かづを 古稀は逝き卒寿は残り松の内 玲子 雪しまき車掘り出す男達 たけし 丑紅やいつしか胸に泣き黒子 世詩明
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年1月19日 萩花鳥句会
老の幸孫より来たるお年玉 祐子 三代の嫁の宴や小正月 三恵子 萩大井春の珍事ぞマナヅル来 健雄 リモートで体気遣ふ年賀かな 吉之 大橋に朝日まばゆき四日かな 陽子 泣初や夫似の孫を抱きあげて ゆかり わが顔を写し鏡や福笑ひ 明子 初空や六島なべて平らなる 克弘
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令和3年1月17日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
はぐれてふ流氷の着く海辺かな 佑天 月冴ゆる宇宙船など探す癖 炳子 ブランコを少し揺らして���年かな 幸子 句碑は今冬夕焼けの中にあり 佑天 方錘にメタセコイヤの冱つる朝 久子 出窓より雪の香をきく朝ぼらけ 眞理子 初夢を初夢らしく語り合ふ 和子 餅花の荒神様と向き合へり 久子 観音の一重瞼や寒の雨 政江
栗林圭魚選 特選句
黒豆を静かに寝かす除夜の鐘 慶月 木の匙を唇に添へ小豆粥 久 雪雲の車窓に揺るる缶珈琲 ゆう子 風花やスレート葺きの屋根続く 同 寝酒にはワイン読むのは「藝十夜」 佑天 神の森高きに鳴ける初鴉 ます江 万両の見事なるかな大地主 慶月 凜然と寒気に映ゆる母の塔 幸風 粕汁や子ら巣立ちたる二人膳 眞理子 寂として大寒に坐す年尾句碑 三無
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年1月20日 福井花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
去年今年いつもの場所の古時計 千加江 二人降り一人の客に雪のバス 清女 八方に話題飛び散る初笑 泰俊 雪籠金の蒔絵の硯箱 雪 気乗りせぬ顔で並びて初写真 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年1月21日 鯖江花鳥俳句會 坊城俊樹選 特選句
三日月の匕首の如くに寒に入る 雪 祟るとて斧を入れざる大冬木 同 凍星のまたたくは我がまたたくか 同 春待てど木の葉の如く逝きし人 信子 冬の蝶何も語らず女逝く 同 取り合ひし歌留多の女の文いまも 一涓 一人住む媼にまたも垂り雪 同 寒柝の音に推敲の灯を消しぬ 同 天空へ返すごとくに雪を掻く 同 寒の月蒼き雫を零しけり みす枝 豪雪や背丈の違ふ六地蔵 たゞし 垂直に伸びる太陽柱凍てる 同 雪だるまオラフも並び子等燥く 紀代美 裸婦像の凍ることなく在しけり 世詩明
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
九州花鳥会 坊城俊樹選 特選句
銀の鍵もてあます手の悴みて かおり ひとすぢの光つかみし冬木の芽 成子 風神の袋大きく寒の入 千代 初夢や光源氏に膝枕 喜和 大濠の光の礫なべて鴨 孝子 無機質な街に浮かみて寒の月 かおり 日向ぼこ光の先に母在せり 睦子 野良猫の闇を貫く虎落笛 喜和 大根干す小さき母の爪立ちて 朝子 寒夕焼の光に溺る浚渫船 志津子 紅の春著の光る一と間かな 成子 すらすらと呆けし母の手毬唄 孝子 底冷の町に荷を置く露天商 かおり 去年今年一億年の火山岩 勝利 寒紅や嘘にわづかに真混ぜ 光子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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atsushi-toyama · 6 years ago
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手と花では令和二年、2020年の最初の企画展「書き初めTYPOGRAPHY 展|NewYear Typography exhibition」を1月4日(土)より開催いたします。 昭和後半、1970年代頃まで街には地元の看板職人が制作した手描きレタリング看板があふれ、老舗商店の木彫篆刻看板や、ブリキ製箱文字看板に、企業のホーロー看板、映画ポスターのレタリング題字に、個人商店主の達筆墨書きポップなど、全ての国民が一度は書道に親しむ、カリグラフィー(装飾手描き文字)大国、日本の面目躍如の感がありました。現在、パソコンやスマホの普及により人々は文字を書かず、書道を習ったのは遠い昔。 すべての看板はパソコンの中のフォントを切り抜いた、ペラペラカッティングシートに変わりはて、看板職人の腕とセンスは必要とされなくなりました。今、都市の風景は色気なく日々更新し続け、私達は旅先の地方都市で懐かしい看板文字をスマホの中へと封印していきます。 令和二年、書き初めの風習が今も残るお正月に、新しい手描き文字を取り戻そう!デザイナーがベジェ曲線で描くタイポグラフィーは新しい手描き看板となり、アーティストの描くカリグラフィーは、新しい達筆墨書きポップとなって都市を彩る事でしょう。 ・ 【参加アーティスト】 伊藤桂司 点|ten_do_ten ALex Besikian 南出直之|NANDE 斎藤基正|NUUMOON. 嶋脇徳志 藤本正平 WABISABI|デザ院 角田 純 信濃八太郎 遠山 敦 小川 哲|5×5ZINE 小笠原 徹 沖冲.|oki-chu 大日本タイポ組合 サマタマサト|Delaware 手塚敦嗣|Tetoka 悳 祐介 野島 渓 山田道生 バンドウジロウ 吉川徹 宇宙大使館 前田 麦 念形師 家元 須永健太郎 and more ・ 【会期中イベント】 ★‪1月4日(土)‬Opening Reception ‪19:00‬~ ★‪1月12日(日)‬新春書き初め大会 ‪14:00‬~ --------------- 展覧会概要 展覧会名:書き初めTYPOGRAPHY 展|NewYear Typography exhibition 会期:‪2020年1月4 日(土)~1月19日(日)‬ 営業時間:‪16:00~23:00‬ ★Opening Reception ‪1月4日(土)19:00‬~ 定休日: 水曜日 会場:TETOKA ‪東京都千代田区神田司町2-16-8‬ Tel: ‪03-5577-5309‬
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hakko319 · 6 years ago
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石原岳 5月スケジュール
★2019年5月18日(土)@国立地球屋
ブルーズロックバンド、石井明夫 バンドオブバクシーにギターで参加します。
●石井明夫 Band Of Baksis
●ダブルマンダラ ●杉野森KAZと仲間達
Open 19:00 Start 20:00 Charge ¥1,000+1Drink
★2019年5月28日(火)@SOUND & BAR HOWL
『高江音楽祭→東京編 2019 初夏』
渋さ知らズ、不破大輔&玉井夕海が毎週火曜日に主催しているイベント『東京湾ホエールズ』で高江音楽祭をします。
石原岳g,vo 玉井夕海vo,pf 不破大輔b
open 19:00  start 19:30 ¥2500(1drink付) ☆30歳以下の方は¥1000 1drink付! ☆ホステルゲストチャージ無料!
東京湾ホエールズ https://tokyoonewhales.com
アクセス https://tokyoonewhales.com/info
東京都中央区八丁堀3-22-9 B1F Tel 03-5541-2960 東京メトロ日比谷線・JR京葉線「八丁堀駅」 B1またはA1出口徒歩30秒。
★2019年5月31日(金)@上野水上音楽堂 上野恩賜公園野外ステージ
渋さ知らズオーケストラに参加します。沖縄からも素晴らしい演奏者が来ます。ぜひおいでください。
時間:開場14:30 / 開演15:00料 金:前売4000円 / 当日4500円(整理番号付 全自由席) 小学生以下無料(要保護者同伴)
出演者:●Live 古謝美佐子・佐原一哉/海勢頭豊/マルチーズロック(もりと vo.g/糸満あかね sax.key/ホールズ g/竹内新悟 ds/上地gacha一也 ba)/むぎ(猫)/梅津和時 as/白崎映美 vo/上里堯vo.g/世持桜vo.三線/華村灰太郎 vo.g/巨大人形と愉快な仲間/高円寺抱瓶
渋さ知らズオーケストラ(北陽一郎tp/石渡岬tp/辰巳光英tp/松本卓也ss/川口義之as/立花秀輝as/松原慎之介as/纐纈雅代as/登敬三ts/鬼頭哲bs/RIObs/石渡明廣g/ファンテイルg/太田惠資vil/小林真理子b/山口コーイチkey/石原岳g/藤掛正隆ds/関根真理per.vo/玉井夕海vo&mc/渡部真一vo&mcMC/柴崎仁志per/さやか/ペロ/東洋/若林淳/すがこ/あすか/不破大輔) ●芝居 『陸奥の運玉義留』(みちのくのうんたまぎるー) 作・演出:翠羅臼 出演:さすらい姉妹(千代次/臼井星絢/高橋明歩/七ツ森左門/秋浜立/増田千珠/石井理加/風兄宇内)/大久保鷹(友情出演)/金城実(特別出演) 音響:淺野雅英 協力:居原田遥 ●アピール 山城博治(沖縄平和運動センター議長、予定) 稲葉博(沖縄平和サポート代表) 金城実(彫刻家)予約・問合せ:●お問い合わせ 戦場ぬ止み音楽祭実行委員会 TEL 080-3410-7001 ●チケット 「イープラス」 https://eplus.jp/sf/detail/2883580001-P0030001P021001?P1=0817 「ローソンチケット」 0570-084-003 (Lコード:71393) https://l-tike.com/order/?gLcode=71393
●上野水上音楽堂 上野恩賜公園野外ステージ
東京都台東区上野公園5-20
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space-orbit · 6 years ago
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【Eveninng Time】 * 平成最後のPARTY、30回目、5年目を迎えた平成最後の檄遅空間のんびり宇宙探検クルージング!!!! 是非ご参加下さい!!!! * 下北沢と三軒茶屋、そして中目黒を繋ぐ、世田谷発、月面行き. * 2019年最初のSPACE PROJECT ♫ 世界中から東京に集まったアーティストによるロングセットでたっぷりのLIVEとDJに加え、今回も彫作之ことKENNY RMRによる飛び込み大歓迎のLIVE TATOO、大好評ウディットのインディアンフード、もちろん中目黒に新たに出来たシーシャプレイスNANCY STILL WAITINGより、 水タバコ吸い放題でおもてなし致します♪そして今回からは更にアフターチルパーティー”VISITING LUNA"を継続開催!!!踊るも座るも寝っ転がるも自由自在なアートスペース三茶ORBITにて遊びましょう!!!! * The monthly meeting that connects Shimokita and Sangenjaya in the coolest of at home atmosphere venue. * A gathering going for more than 4 years, today too on Sunday daytime with artists from around the world, and with a chilled and long session of live djing and music playing, this time also with Horisano's live tattooing available for an on the spot tattoo, and of course with the Shisha crew and free smoking Shisha !!! You're welcome to smoke Shisha, dance, enjoy the art on the venue, get tattooed, chill or just b at home and have a good night amongst friendly people ♪ * =============== * SPACE PROJECT #30 VISITING LUNA (afterhours) * 3.30.sat 15:00-23:00 / 23:00-27:00 (Chill Time) Entrance: 1000yen (Free Shisha) * ▪︎BEAT LIVE jvno genthee You got Yasushi chemicl rare sea gai * ▪︎LIVE ドウオカタケシと縄文時代 Santa Dharma (Tomo&Holly) * ▪︎DJ JOHNNY NAO (AUS/eleven tigers) FLAG アメリ KRIS ROCHE (DJ SET) 丸林くりす Sadamasa Yamanaka TOSS GOLDWATER Autumn Rice Field GO (GOSH) OTO (GATOSANO / Brainjack) BLACKMAMBA (Gajah Stamp) PAST LAST SUMMER aka taiga kenja Bandura (eleven tigers,from UK) and more!!!!! * ▪️LIVE TATOO 彫作之aka.KENNY RMR * ▪️FREE SHISHA NANCY STILL WAITING * ▪️FOOD Udit Gupta * ▪️VJ/cover kenken * 【Shisha Lounge】 * spaceproject30#spaceorbit#sangenjaya#dj#music#party#freeshisha#shisha#nakameguro#shimokitazawa#tokyo#2019#house#beats#hiphop#tehcno#dub#soul#jazz#indianfood#live#livetatoo#tatoo#international#starwars#saturday#holiday#シーシャ #nancystillwaiting#chillout #lounge #relaxtime😎 (Space orbit) https://www.instagram.com/p/BvnPgpaDgUT/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=1aepxzxb36cvc
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nande · 5 years ago
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こんな感じになってます! 9年ほど前につくった日本天土大調和のシルクスクリーンも出してまーす! 金色の丸が 日 の字で 鳳凰的な鳥が 本 の字です。 本の字は 首が天 真ん中の尾羽が土の字です。 胴体には大調和 天地が大きく調和する日本!!! 押忍! 【本日1月4日(土)より開催】 手と花では令和二年、2020年の最初の企画展「書き初めTYPOGRAPHY 展|NewYear Typography exhibition」 本日より開催いたします。 Opening Receptionは19時より。㊗️ 入り口には、文化屋雑貨店も開店です。🌟 昨日も大人気だった、神田のうどん屋ゆず屋製麺所の店主そばちゃんの美味しい江戸お雑煮や、そばちゃんのおつまみやカレーも楽しめます。😋 手と花は16時より23時までオープンです。 新年に、皆さまにお会いできることを楽しみにしています。 --------------- 昭和後半、1970年代頃まで街には地元の看板職人が制作した手描きレタリング看板があふれ、老舗商店の木彫篆刻看板や、ブリキ製箱文字看板に、企業のホーロー看板、映画ポスターのレタリング題字に、個人商店主の達筆墨書きポップなど、全ての国民が一度は書道に親しむ、カリグラフィー(装飾手描き文字)大国、日本の面目躍如の感がありました。現在、パソコンやスマホの普及により人々は文字を書かず、書道を習ったのは遠い昔。 すべての看板はパソコンの中のフォントを切り抜いた、ペラペラカッティングシートに変わりはて、看板職人の腕とセンスは必要とされなくなりました。今、都市の風景は色気なく日々更新し続け、私達は旅先の地方都市で懐かしい看板文字をスマホの中へと封印していきます。 令和二年、書き初めの風習が今も残るお正月に、新しい手描き文字を取り戻そう!デザイナーがベジェ曲線で描くタイポグラフィーは新しい手描き看板となり、アーティストの描くカリグラフィーは、新しい達筆墨書きポップとなって都市を彩る事でしょう。 ・ 【参加アーティスト】 伊藤桂司 点|ten_do_ten ALex Besikian 南出直之|NANDE 斎藤基正|NUUMOON. 嶋脇徳志 藤本正平 WABISABI|デザ院 角田 純 信濃八太郎 遠山 敦 小川 哲|5×5ZINE 小笠原 徹 沖冲.|oki-chu 大日本タイポ組合 サマタマサト|Delaware 手塚敦嗣|Tetoka 悳 祐介 野島 渓 山田道生 バンドウジロウ 吉川徹 宇宙大使館 前田 麦 念形師 家元 須永健太郎 Haruki Chino zwaaaammmmnnn Takahiko Yanagisawa 文化屋雑貨店 and more ・ 【会期中イベント】 ★‪1月4日(土)‬Opening Reception ‪19:00‬~ ★‪1月12日(日)‬新春書き初め大会 ‪14:00‬~ ピアノ演奏/小松和史 --------------- 展覧会概要 展覧会名:書き初めTYPOGRAPHY 展|NewYear Typography exhibition 会期:‪2020年1月4 日(土)~1月19日(日)‬ 営業時間:‪16:00~23:00‬ ★Opening Reception ‪1月4日(土)19:00‬~ 定休日: 水曜日 会場:TETOKA ‪東京都千代田区神田司町2-16-8‬ Tel: ‪03-5577-5309‬ http://tetoka.jp/archives/7099 #tetoka #手と花 #tetokakanda #typography #calligraphy #書物 (手と花(tetoka)) https://www.instagram.com/p/B65dSAujXpM/?igshid=iwble5iummn9
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