#加藤義実
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seiitchi · 4 days ago
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京都 Gallery SUGATAにて開催される企画『IN-EI』に参加します。今回私の写真をキービジュアルとして使用していただいており、私の写真の展示も数点あります。開催期間は7/16 - 7/26までで、入場は無料となっております。ご都合よろしければ、ぜひご高覧ください。
【『IN-EI』開催のお知らせ】 7/16 (水)から26 (土)まで、京都Gallery SUGATAにてエキシビション『IN-EI』を開催いたします。 ────────────────────── IN-EI Gallery SUGATA 7/16–26 ────────────────────── プロダクト | NAO IWAMATSU @naoiwamatsu 日本茶 | 伊藤慶英 @yoshihideo427 薬膳茶 | 井垣暁子 @hahahaus_kyoto 音楽 | 武田真彦 @masahikotakeda 写真 | 竹澤征一 @seiichi_takezawa @ce001 道具 | 三上嘉啓 @yoshihiromikami 構想 | 岸隆太朗 @k15h1r 企画 | 辰晨社 (シンシンシャ) @_shinshinsha ────────────────────── 美は物体にあるのではなく、 物体と物体との作り出す陰翳のあや、 明暗にあると考える。 『陰翳礼讃』谷崎潤一郎 ─ 『IN-EI』は光と影の境界に潜む美に目を向け、 いまの私たちの感覚で読み解こうとする試みです。 静寂と翳りを手がかりに、ふだん見過ごしている 感覚を、静かに呼び覚まします。 ────────────────────── IN-EI 会期 | 7/16 (水)–26 (土) 会場 | Gallery SUGATA ────────────────────── 7/16 (水)–25(金) 時間 | 11:00–18:00 ─ 7/26 (土) 時間 | 11:00–20:00 ─ 入場無料 ─ ※7/19 (土), 20 (日) , 26 (土)は 日本茶・薬膳茶・音楽の実演をおこないます ※最終日7/26 (土)は20:00まで ────────────────────── Gallery SUGATA @gallery_sugata ────────────────────── 京都府京都市中京区蛸薬師町271-1 アクセス | 地下鉄烏丸御池駅 2番出口より���歩6分 ────────────────────── IN-EI ────────────────────── “Beauty does not reside in the objects themselves, but in the delicate interplay of shadows they cast— in the gradations of light and darkness.” — In Praise of Shadows, Junichiro Tanizaki ─ “IN-EI” invites you to explore the beauty found in the subtle balance of light and shadow. With soft lighting, drifting sound, and fragrant tea, the space gently awakens your forgotten senses. Join us for live tea and music on July 19, 20, and 26. ────────────────────── 晨辰社 ────────────────────── 晨辰社は異なる背景を持つクリエイターが集い、 日本文化を新たなかたちでプレゼンテーションする 集団です。 茶道を日本の総合芸術として再定義し、 その哲学と美意識を通じて、人と人、文化と文化、 そして時代を超えたつながりを育みます。 ────────────────────── SHINSHINSHA ────────────────────── Shinshinsha is a collective of creators from diverse backgrounds, dedicated to presenting Japanese culture in new and contemporary forms. By reinterpreting the tea ceremony as a form of total art, we seek to cultivate connections— between people, between cultures, and across time— through its philosophy and aesthetic sensibility. ──────────────────────
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kennak · 13 days ago
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沈静化の兆しが見えない“令和のコメ騒動”。混迷を極めるなか、現場ではかつてない地殻変動が起きている。桁違いの資金と独自の販売網を持つ大手商社が農家に直接乗り込み、高値での買い付けを次々に成立させているという。コメをめぐる壮絶な争奪戦が、静かに、しかし確実に加速している──。食料問題の最前線を追い続けるノンフィクション作家・窪田新之助氏が、その深層に迫る。【全3回の第3回���全文を読む】 「違約金」100万円の請求  さらに農家の「JA離れ」を加速させる事態も起きている。  秋田県横手市にある水田75ヘクタールで稲作をしている農業法人の代表・鈴木眞一さん(仮名)さんのもとには、JAから、契約した数量を出荷しなかった理由について回答を求める文書が届いた。鈴木さんは「(商社との取引に変更し
沈静化の兆しが見えない“令和のコメ騒動”。混迷を極めるなか、現場ではかつてない地殻変動が起きている。桁違いの資金と独自の販売網を持つ大手商社が農家に直接乗り込み、高値での買い付けを次々に成立させているという。コメをめぐる壮絶な争奪戦が、静かに、しかし確実に加速している──。食料問題の最前線を追い続けるノンフィクション作家・窪田新之助氏が、その深層に迫る。【全3回の第3回。全文を読む】
「違約金」100万円の請求
 さらに農家の「JA離れ」を加速させる事態も起きている。  秋田県横手市にある水田75ヘクタールで稲作をしている農業法人の代表・鈴木眞一さん(仮名)さんのもとには、JAから、契約した数量を出荷しなかった理由について回答を求める文書が届いた。鈴木さんは「(商社との取引に変更しないと)会社が倒産するため」と、正直に記した。  すると後日届いたのが、100万円超の請求書だった。JA秋田ふるさとは、契約を守らなかった農家に1俵当たり1000円の「違約金」を課したのだ。鈴木さんの会社は言われた通り、これを支払った。 「会社が潰れる事態だと回答したのに違約金を取る。会社が取り組んできた地域保全や食料供給を持続させることよりも、契約を優先するというJAのドライな対応に驚きました。先行き不透明な状況下において、JAとの契約はリスクになると判断せざるを得ません」  鈴木さん以外にも、秋田県内の複数の農家のもとに違約金の請求書が届いたという。  そのひとつであるJA秋田なまはげ(秋田市)の関係者は、「商社より値段が安かったJAに、契約通りに出荷してくれた農家がいる手前、今回の措置はやむを得なかった」と打ち明ける。  農家の出荷量がJAと契約していた数量に達しないことは、特別なことではない。稲の作柄が天候に左右される以上、起きうることではある。だから例年であれば、JAは不問に付してきた。  ただ、2024年産に限っては違うようだ。JAグループの2024年産主食用米の集荷量は、前年比14%減の179万トンとなり、全国の生産量の26%にとどまった。これは全国で、商社だけでなく卸の新顔が産地に買いに入った影響とみられる。
 JA秋田ふるさとは「2024年産から地元の農家さんがJAを通さずに商社と契約したという話が聞こえ、全量をJAに卸している農家さんから不満の声が挙がるようになり、JAとして対策を講じたということです」(米穀課)と回答。  JA秋田なまはげは「ご回答は控えたいと思います」(米穀課)とした。  現在、コメの産地では、農家の高齢化と離農を背景にして、生産現場が弱体化している。  そのため、近い将来にコメの需���が逆転するという予測もある。日本総研が昨年3月に出したレポートで、コメの国内自給率が2030年代には100%を切る可能性があると指摘した。  コメの生産が需要に追いつかなければ、商社や卸などの買い手がより高値をつけてでもコメを買い取ることは、市場原理においてなんら不思議ではない。  JA秋田ふるさとで改革派として知られた元組合長の小田嶋契氏(現秋田県立大学生物資源科学部客員研究員)はそうした現状を踏まえ、こう推察する。 「商社や卸が直接取引や産地支援に動いているのは、いまのうちに産地をつないでおけば、大きなビジネスチャンスになると考えているはず」  そうした状況を踏まえれば、米価は今後も現在以上の高水準で推移し続けると見るべきだろう。価格を下げるために備蓄米を無制限に放出することなど、その場しのぎに過ぎないといえる。 【プロフィール】 窪田新之助(くぼた・しんのすけ)/ノンフィクション作家。1978年福岡県生まれ。明治大学卒業後、2004年に日本農業新聞に入社し、2012年よりフリーに。著書に『データ農業が日本を救う』(インターナショナル新書)、『農協の闇』(講談社現代新書)など。2024年、『対馬の海に沈む』(集英社)で第22回開高健ノンフィクション賞を受賞。  * * *  関連記事《【巨大資本でJAを圧倒】伊藤忠食糧、豊田通商…大手商社が産地に乗り込みコメを爆買い 止まらぬ価格高騰の裏で起きていた“仁義なき争奪戦”現地ルポ》では、倒産寸前の米農家を救った商社マネーのカラクリや、大手商社がJAよりも選ばれる理由など、窪田氏のレポート全文を紹介している。 ※週刊ポスト2025年6月20日号
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rum4869 · 4 months ago
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Uehara Yui was supposed to be the culprit! But she ended being a recurring character.
So I find this reddit post:
I looked up the source the starting of SDB justice plus says:
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I went ahead and made a transcript for it (and tried to translate it):
tl:
Hello, it's Aoyama!
Of course it's coming out: JUSTICE+(lol)
When it comes to the police department and FBI, it's romantic comedy after all, right?(lol) Although in the FBI there's almost no romcom. (There is love, though..)
The relationships in the police department are a jumbled mess <3. Starting with Takagi and Sato, Yumi and Shuukichi, Shiratori and Ms. Kobayashi. Chiba and Naeko, Megure and Midori… Amuro and Azusa? (lol), etc…
Among them, there is only one unfolding outside of Tokyo. Nagano Prefectural Police's Yamato Kansuke and Uehara Yui. Actually, Yui was a culprit!(lol).
When I came up with her name based on the fictional names('Yuu hime' and 'Ko-i hime') of Takeda Shingen's beloved wife, Suwa Goryōnin, I felt like "I want to make her the heroine of this case…" So, I quickly adjusted the dialogues. (While the assistants were sleeping. It took 2 hours.(lol))
When I showed the completed draft of first chapter to the editor in charge saying "This character is no longer the culprit…", The editor was like "Whaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa-t?!" This really happened. (lol) For this reason, Yui looked like the culprit until the end. (Well, naturally. She was supposed to be, at first.) I personally think it ended up really good.
Since she became the heroine, I put in the intense romcom with kansuke. When I added the strategist, Mofurushi Taka'aki, apparently Nagano Prefectural Police became the strongest. (tl: The word for 'strong' is the one used for strong coffee.)
If Kuroda stayed in Nagano at that state, justice would have been served even without Conan.
transcript:
どーも 青山です!
当然出るのね JUSTICE+(プラス)(笑)
警察とFBIといえば、やっぱ。。。。。 ラブコメだよね?(笑) 。。。とはいえ。FBI��ラブコメは、ほとんどないが。(ラブはあるけど・・・) 警察関係は。。ゴチャゴチャありまくり <3 高木(たかぎ)と佐藤(さとう)に始まり、由美(ゆみ)と秀𠮷(しゅうきち)、白鳥(しらとり)と 小林(こばやし)先生。 千葉(ちば)と苗子(なえこ)。目暮(めぐれ)とみどり。安室(あむろ)と梓(あずさ)?(笑)。etc…
そんな中。唯一東京以外で ラブコメを繰り広げてるのが。 長野県警の 「大和 勘助」と 「上原 由衣」なのだが。 実は由衣は当初、犯人だったのだ!(笑)でも。彼女の名を 武田(たけだ) 信玄(しんげん)の最愛の妻、「諏訪御料人」の想像上の名前である 「湖衣姫」と「由布姫」の間を取って「由衣」と決めたら、 「なんか この子。。。事件のヒロインにしたくなっちゃいたな。。。」と思い 急遽セリフを手直しして。(アシが寝た後、2時間かけて修正(笑)) 一語目の完成原稿を担当編集さんに渡した時に。。。 オし(?)、「あ、このキャラ、犯人じゃなくしたから。。。」 担当編集 「ええーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?」ってやり取りがあったのは ホントの話!(笑)お陰でラストまで由衣が犯人っぽくて (まあ、元々犯人だったんだから当然だけど。。。(笑)) オレ的には、イイ感じに仕上がりやった!
ヒロインならばと、勘助とのラブコメもガンガンぶち込み。 同僚の刑事に、同じ軍師系の「諸伏高明」を加えたら、 なにやら長野県警だけ濃(こ)ォーい警察になって しまったのだった。。。。(笑)
あのまま「黒田」が長野県警に留まっていたら、 コナンがいなくても長野で正義(ジャスティス)は 執行されると思う。。。(笑)
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ari0921 · 3 months ago
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「宮崎正弘の国際情勢解題」��
   令和七年(2025年)3月29日(土曜日)弐
       通巻第8715号 
フォートノックス砦に金塊のストックはホントにあるのか? 
日本政府が紙幣を発行すれば「打ち出の小槌」となるか?
*************************
フォートノックス砦に巷間いわれるほどの金塊のストックはあるのか? 八二〇〇噸の金塊は本当に地下金庫に備蓄されたままなのか?
このような疑問を抱く政治指導者があらわれた。トランプ大統領、イーロン・マスク、ランド・ポール上院議員らは金備蓄の検証と監査を求めている。米国の金準備は連邦準備制度ではなく 米国財��省の所有物である。
これは金本位体制復帰議論と聯動するのか、あるいはトランプ政権がすすめているビットコインなど暗号通貨の国家備蓄議論と表裏一体の関係があるのか。
不思議な疑問がでてくるだろう。ドル紙幣を発券しているのは政府ではなく、ゴールドマンサックス、JPモルガンらが株主の民間銀行=FRBである。そのFRBが発券している紙幣(グリーンバック)に、なぜ財務長官が署名しているのか。FRBと財務省の関係に曖昧なところがある。
独立戦争から南北戦争までの間、アメリカには統一通貨がなかった。州ごとに銀行が勝手に紙幣を発券していた。政府も合衆国紙幣も発行していた。しかし南北戦争以後、アメリカは政府紙幣を発行していない。
 
フォートノックス砦を監査する目的には金塊が盗難にあっていないかの検査、公式の金準備高は8133・46トンと報告されているが、過去40年間、監査が行われていない。
そのうえ、評価額は1オンス=42ドルのままであり、2025年3月の相場は1オンス=3000ドルを超えている。
金融関係の有力シンクタンクは年内に1オンス=3500ドル、十年以内に5000ドル突破を予想している。
 フォートノックスに眠る「財務省が備蓄する金塊」はルーベルト大統領が金本位制を廃止し(EQ6102)、国内の個人所有の金を没収したことを淵源に、米国人が保有していた金をめしあげたことから開始された。
 経済学者ウィリアム・C・ウッドは、 「フォートノックス金庫は今や金本位制時代の遺物であり、大恐慌時代の金貨の溶解、第二次世界大戦中の金貸し契約、そして金本位制下での政府の運営から生まれたものである」とその特徴を述べた。
 ルーズベルト政権が金本位制のもとでドル保有者に対する義務を履行しなかったことは、広い意味での債務不履行(デフォルト)だったのではないのか。
 ▼国民から金を没収した意味は、事実上のデフォルトだった
チェンバレンは「ルーズベルトは、米国民への金での償還を拒否することで、国内債務の全額を債務不履行にすることに決めた」と指摘した。つまり莫大な財政赤字のせいで、1930年代初めまでに金が底をついていた。
さらにニクソン政権下の1971 年に米国は金兌換をやめた。ドルは紙屑となった。
これはブレトンウッズ体制の規定にあった外国政府に対する債務を履行しなかったことになる。米国政府は外国政府に支払うべき債務を誤魔化したことになる。
 その後、一九七四年からペトロドル体制に移行し、さらに一九八五年のプラザ合意によって為替が変動相場に移行するや、ドルは「商品」となり、金本位は忘れられた。
 日本円を発行するのは日本銀行である。日本政府が株主である。
ところがドルを発行する「アメリカ銀行」は存在しない。ドルを発券し、供給しているのは連邦準備制度理事会(FRB)という「民間銀行」なのである。
植民地時代から独立戦争までアメリカの各州は独自の通貨を発行していたことはみた。日本でも江戸時代は各藩が藩札を発行していた。これは一種の約束手形で通貨と解釈された。東京と大坂が異なる通貨を流通させていた(江戸は金本位。関西は銀本位)。その江戸時代の通貨政策とアメリカの通貨体制の成熟過程は酷似する。
一七七六年の独立後、初代大統領ワシントンの政権で、ハミルトン財務長官が通貨統一を目指して「合衆国銀行」を設立した。この合衆国銀行の資金は連邦政府(米国の中央政府)が2割を、残りはニューヨークの金融資本や欧州の国際金融資本が負担した。
南北戦争が勃発し、リンカーン大統領は政府紙幣の発行を行った。
グリーンバックと呼ばれる財務省紙幣に加えて、政府の統制下の「ナショナル・バンク」に紙幣発行権を与えた。条件は国債を引き受けさせることだった。
これが原因となってリンカーンは暗殺されたのだとする説がある。それも根強い陰謀説である。通貨発行権を独占してきた国際金融資本が、リンカーン暗殺の犯人に資金提供していたという。
 
政府紙幣発行には反対だった金融資本は、ならば金と等価交換される兌換紙幣を発行するシステム(金本位制)の採用を要求した。
 ▼JFK暗殺も通貨発行と深く繋がっていた?
FRBの執行機関である理事会のメンバーは大統領が指名する。
 通貨発行権をめぐる政府と金融資本との確執はJFK暗殺に繋がった。ケネディ大統領は大統領令で合衆国紙幣を財務省に発行させた。当時、アメリカ国内には2つのドル紙幣が存在していた。しかしジョン・F・ケネディ大統領も暗殺され、財務省発行の合衆国紙幣は回収された。
 さて昨今、アメリカの各州は金銀を米ドルの代替通貨とする取り組みを始めた。驚きである。多くの州が金や銀を貯蓄や投資だけでなく、日常の買い物や支払いの通貨としても使えるようにする法律の成立をめざしている。
 先駆はユタ州である。州議会は金と銀を取引通貨として使用するため、州から業者への支払いに金と銀の使用を認めた。この法案は2025年3月18日にユタ州議会を通過した。州知事が署名すれば、ユタ州はアメリカで初めて「取引用金」が通用する地域となる。
「貴金属の重要な要素の一つは、お金の購買力を維持する能力です。そのため、インフレによってドルが減価した場合、貴金属は通常、法定通貨よりも購買力を維持することができます」とユタ州財務長官のマーロ・オークスが発言している。ユタ州といえばモルモン教の総本山がソルトレークシティにある。
 現在、25州が同様な準備を始めている。ミシシッピ州議会も法案を提出した。この法案が可決されれば、住民は金貨や銀貨を借金の清算や私的な取引に利用できるようになる。
2024年12月、ミズーリ州は「憲法通貨法」を導入し、その中で金と銀を法定通貨として認めることとなった。
「コンスティチュショナル・カレンシー」の調査では、アラバマ州、アラスカ州、アリゾナ州、アーカンソー州、フロリダ州、ジョージア州、アイダホ州、インディアナ州、アイオワ州、カンザス州、ルイジアナ州、モンタナ州、ニューハンプシャー州、ノースカロライナ州、ノースダコタ州、オハイオ州、オクラホマ州、サウスダコタ州、テネシー州、テキサス州、ユタ州、ウェストバージニア州、ワイオミング州などに同様な動きがある。
 1930年代まで、アメリカの銀行は発行した紙幣の合計額と同額の金を保管しなければならなかった。1929年に大恐慌が始まったとき、金を銀行に預ける代わりに蓄え始めたため深刻な金不足を招いた。
金の供給が枯渇し、金本位制から離脱を余儀なくされた。ましてFRB(連邦準備制度理事会)が厳格な通貨供給政策を持続させたため、米国経済は縮小した。
 
 ▼日本政府が紙幣を発行すれば「打ち出の小槌」となるか?
 ここで思い出すのが丹羽春喜教授の「打ち出の小槌」論である。
「政府紙幣」や「無利子国債」の発行の是非論争とは丹羽春喜教授が火をつけた政府の通貨発行特権を活かしての、景気回復をめざした「打ち出の小槌」論が嚆矢である。
高橋洋一が、「政府紙幣」25兆円の発行を提言した。「日銀が何もしないのならば、政府がやるしかないではないか」と論じ、エコノミストの田村秀男も、「政府紙幣発行の好機」と説いた。
 これに対して深尾光洋(日経研究センター理事長)は「政府紙幣や無利子国債は「打ち出の小槌」にはなりえない」とし、佐藤隆三は「有権者を愚弄する奇策」と批判した。
ところが提唱者の丹羽教授は「日銀券」の流通額が約76兆円規模で、新規に「政府紙幣」を数十兆円、数百兆円も発行・流通させることは無理だという。
要するに「国(政府)の貨幣発行特権」(シニョーリッジ権限)の「発動」で財政危機は救えるとする主旨だった
わざわざ政府紙幣を刷らなくとも、国(政府)が無限に���っている無形金融資産である「貨幣発行特権」のうちから、所定の必要額を日銀に売ればよいのであって、この方法は現行法で可能であると唱えたのである。
 こうした議論が再燃する気配となった。
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petapeta · 1 month ago
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ジェラルド・L・カーティス(英語:Gerald L. Curtis、1940年 - )は、アメリカ合衆国の政治学者。米コロンビア大学名誉教授。大学院生時代に日本で地方選挙の実態を徹底取材した博士論文がベストセラーとなったことをきっかけに、政権与党の実力者・財界の要人らと数十年にわたって深い関係を築き、アメリカ有数のジャパン・ウォッチャーと��て知られるようになった[1]。 コロンビア大学で東アジア研究所所長・政治学部教授として長くアメリカにおける日本地域研究を主導する役割を果たしたほか[2][1]、日本でも東京大学客員教授、慶應義塾大学客員教授などを歴任。 ニューヨーク生まれ。ジャズピアニストを志してニューヨーク州立大学音楽学部に進学する。その後1962年にニューメキシコ大学社会科学科(西欧地域研究専攻)を卒業、1964年コロンビア大学大学院政治学修士課程修了(国際関係専攻)、1969年同博士課程修了。1968年にコロンビア大学からPh.D.取得[3]。 コロンビア大学政治学部助教授(1969 - 1972年)、同准教授(1972 - 1976年)を経て1976年に同教授となる(のちに、ジョン・ウィリアム・バージェスの功績を記念して設置されたバージェス記念講座教授に就任した)。1974年から1990年まで同大東アジア研究所長。 コロンビア大学着任後、日本政治の研究と並行して日米関係の民間対話活動にも尽力し、とくに戦後初の本格的な対話枠組みとして発足した下田会議などへの参加で知られる[4]。またデビッド・ロックフェラーが立ち上げた日米欧三極委員会にも加わって訪中し鄧小平らとの面会を果たしている[5]。 コロンビア退任後は東京財団の名誉研究員などを兼務しながら日本政界の調査研究を続ける[6]。また日米交流を橋渡しする数多くのスカラシップや団体の立ち上げに奔走してきたことでも知られる[7][2]。 専門分野は日本の政治外交、比較政治学、日米関係、米国のアジア政策[1]。 大学院生のときに駐日アメリカ大使館の知人を通じて、当時、自民党の若手実力者として頭角をあらわしつつあった中曽根康弘の知己を得る[2]。カーティスが博士論文執筆のための選挙現場取材を申し込むと、中曽根は大分の選挙区を紹介した[2]。これが1967年第31回衆議院議員総選挙における大分2区の自民党衆議院議員候補となる佐藤文生陣営で[2][8]、以後1年間にわたってカーティスは佐藤やその支援者らと寝食を共にして日本の「ドブ板選挙」の実情を克明に目撃することになった[2]。 カーティスはこの取材をもとに、立候補から初当選までの日本の選挙運動をテーマとする博士論文を執筆。これが日本でも『代議士の誕生』と題して邦訳が出版され、外国人による斬新な選挙分析としてベストセラーとなった[2][9]。 後年カーティスは、このときの佐藤の協力は徹底しており、選挙資金をおさめていた事務所の金庫の中身すら佐藤がカーティスに公開したと振り返っている[2]。 以後、堪能な日本語能力を駆使して政治の現場に深く入り込み、買収や恫喝も飛びかう日本の古い選挙の実態をつぶさに取材・調査する文化人類学的手法を開拓した[1][2]。その過程で自民党を中心に中央政界の要人らに接近し、とくに中曽根のほか三木武夫や竹下登とは、彼らが入閣候補者へ電話をかける現場に立ち会うほど深い関係を築いたことで知られる[10]。こうしたことから、日本政治に関するカーティスの知識や判断はアメリカ政府の東アジア政策・対日政策にすら影響するようになったともささやかれ[11][2][1]、70年代にカーター大統領が再選をめざしたさいには政権参加の打診を受けたとされる[12]。
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ryotarox · 1 year ago
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みんなが好きな「『百年の孤独』みたいな大河小説」ベスト10|秋永真琴
『楡家の人びと』北杜夫
『チボー家の人々』ロジェ・マルタン・デュ・ガール
『ブッデンブローク家の人びと』トーマス・マン
『大地』パール・バック
『千年の愉楽』中上健次
『べっぴんぢごく』岩井志麻子
『笛吹川』深沢七郎
『ルーツ』アレックス・ヘイリー
『アブサロム、アブサロム!』ウィリアム・フォークナー
『永遠の都』加賀乙彦
『警官の血』佐々木譲
『天冥の標』小川一水
『紀ノ川』有吉佐和子
- - - - - - - - - - - - - - - - 「響け!ユーフォニアム」も部活の年代記なのかも。
(順不同)
『ときめきトゥナイト』池野恋
『精霊たちの家』イザベル・アシェンデ
『嵐が丘』エミリー・ブロンテ
『炸裂志』エン・レンカ
『大聖堂』ケン・フォレット
『警察署長』スチュアート・ウッズ
『枯木灘』中上健次
『奇蹟』中上健次
『ワイルド・スワン』ユン・チアン
『邯鄲の島遥かなり』貫井徳郎
『平家物語』古川日出男/訳
『血脈』佐藤愛子
『源氏物語』紫式部
『奏で手のヌフレツン』酉島伝法
『俺の屍を越えてゆけ』桝田省治(ゲームデザイン)
『助左衛門四代記』有吉佐和子
『指輪物語』J・R・R・トールキン
『チグリスとユーフラテス』新井素子
『星へ行く船(他、コバルト文庫のシリーズ)』新井素子
『彼方なる歌に耳を澄ませよ』アリステア・マクラウド
『火星夜想曲』イアン・マクドナルド
『黎明の王 白昼の女王』イアン・マクドナルド
『灯台へ』ヴァージニア・ウルフ
『ジョイ・ラック・クラブ』エィミ・タン
『ウォーリアーズ』エリン・ハンター
『異形の愛』キャサリン・ダン
『王朝四代記』ククリット・プラモート
『ベルリン三部作(1919・1933・1945)』クラウス・コルドン
『六道ヶ辻シリーズ』栗本薫
『鳥の歌いまは絶え』ケイト・ウィルヘルム
『地下鉄道』コルソン・ホワイトヘッド
『征途』佐藤大輔
『あすなろ坂』里中満智子
『ケインとアベル』ジェフリー・アーチャー
『ゲームの達人』シドニィ・シェルダン
『氷と炎の歌』ジョージ・R・R・マーティン
『エデンの東』ジョン・スタインベック
『グリークス』ジョン・バートン/ケネス・カヴァンダー(編)
『リーマン・トリロジー』ステファノ・マッシーニ
『雪の練習生』多和田葉子
『鯨』チョン・ミョングァン
『火の山-山猿記』津島佑子
『レオポルトシュタット』トム・ストッパード
『地の果て至上の時』中上健次
『岬』中上健次
『彼女はマリウポリからやってきた』ナターシャ・ヴォーディン
『九時半の玉突き』ハインリヒ・ベル
『土地』パク・キョンニ
『レ・ミゼラブル』ビクトル・ユゴー
『棺のない埋葬』 ファン・ファン
『楊家将演義』作者不明
『デューン砂の惑星』フランク・ハーバート
『ゴッドファーザー』フランシス・フォード・コッポラ監督
『北京から来た男』ヘニング・マンケル
『ドラゴンクエストV 天空の花嫁』堀井雄二(ゲームデザイン)
『舟を編む』三浦しをん
『櫂』宮尾登美子
『孟夏の太陽』宮城谷昌光
『血族』山口瞳
『華麗なる一族』山崎豊子
『大奥』よしながふみ
『血脈 西武王国・堤兄弟の真実』レズリー・ダウナー
『シンセミア』阿部和重
『流離譚』安岡章太郎
『雲の都』加賀乙彦
『ロマンシングサ・ガ2』河津秋敏(ゲームデザイン)
『サガフロンティア2』河津秋敏(プロデューサー)
『颶風の王』河﨑秋子
『リア家の人々』橋本治
『アラビアの夜の種族』古川日出男
『聖家族』古川日出男
『白夜を旅する人々』三浦哲郎
『導きの星』小川一水
『地図と拳』小川哲
『機動戦士ガンダムAGE(小説版)』小太刀右京
『われ逝くもののごとく』森敦
『本格小説』水村美苗
『始まりの魔法使い』石之宮カント
『夜明け前』島崎藤村
『カムカム・エヴリバディ』藤本有紀(脚本)
『男樹』本宮ひろ志
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xf-2 · 2 years ago
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記者である私、石井孝明が脅される
在日クルド人が彼らの問題行為を報道する記者、私、石井孝明を脅迫した。1日午後、携帯電話をかけてきて喚いた。その中には、私の体に危害を加えると受け止められる言葉があった。私は警察に連絡し、現時点で警察が介入した。
これ以上は詳細を明かさない。事件が警察案件になっているため��。そして相手が何をするか不明であるためだ。ただし事件の存在を公にすることで、在日クルド人に関わる人への注意喚起と、他人の注意の目を増やして私自身のの身の安全を図ろうと思う。
ただし、どう自分で振り返っても、私は他人に批判されるべき行動はしていない。また脅迫は怖いが、私はそれに屈するつもりはない。在日クルド人の多くは「難民」と自称しているのに、日本で暴れ、日本人記者を脅迫するとは異様だ。遵法意識のかけらもないし、彼らの行動を放置すれば日本社会が壊れるだろう。
事件の背景−報道により憎しみを受ける
私は、今年5月から、埼玉県南部に集住する在日クルド人の行状と、住民との間で起こしているトラブルを取材している。彼らの住民への迷惑行為、違法行為について、私の見聞した事実を伝えてきた。埼玉県南部の日本人たちが、彼らの行動に苦しんでいる。
8月になってようやく一部メディアが報道を始めた。ところが地元紙の埼玉新聞をはじめ、大多数のメディアがこのトラブルに今でも沈黙し、行政、警察の動きは鈍い。その事実に私はいきどおりを感じ、孤軍奮闘の状態で、無償で自分のサイト、SNSで報道をしてきた。クルド人の怒り、日本人からの「差別」などの批判はあった。はっきり言って、不快で怖かったが、「埼玉県民を守るために自分の仕事であるペンの力で情報を広げる」という使命感で、報道を続けた。
そして「クルド人問題を解決しなければならない」という世論の流れを少し作った。自慢するのは嫌いだが、この行為にある程度の評価はいただいていいと思う。ただし結果として私だけが目立ち、在日クルド人の憎しみを受けている。もちろん私は主に事実のみを伝え、「クルド人・外国人を排撃しろ」などの主張はしていない。それどころか、日本人による過剰な外国人排撃運動を批判し、「日本人による差別行為は許されない」と主張した。
そして埼玉県民や、地元政治家の努力により、状況は少し動き始めた。私の行動はこの動きの小さな一部に過ぎず、主役は彼らだ。産経新聞によると、埼玉県川口市の奥ノ木信夫市長が1日、法務省を訪れ、不法行為を行う外国人について厳格に強制送還することなどを求める要望書を斎藤健法相に手渡したことが分かった。
報道によると、要望書では、クルド人の現状などを説明。難民認定申請中で、入管施設への収容を一時的に解かれた「仮放免」のクルド人が市内に相当数いるとして、行政サービスの提供を国の責任で判断することも求めた。
同市議会は6月、一部のクルド人を念頭に、国や県などに「一部外国人による犯罪の取り締まり強化を求める意見書」を可決し、警察官の増員や犯罪取り締まりの強化を求めている。このまま問題解決による変化を期待したい。
絶対に謝らないクルド人−日本人との共生は無理
この脅迫では、彼らは日本語が読めない、また話せないために、私の話を誤解していた。誤解で殺されたらたまったものではない。また情報をやり取りするために、クルド人の会社経営者(名義は妻)1人だけに携帯の番号を交換した。この人物は、後に私の報道を批判し、この携帯の番号を脅迫者に漏らした。クルド人を信じた私が愚かだった。裏切られたわけだ。この人物も、警察の監視の対象になっている。
私に対する在日と海外からのクルド人の罵倒は、合計で20件ほどになった。カタコトの日本語で「糞」「バカ」「豚」「犬」という幼稚で下品なな言葉を垂れ流す文章だ。イスラムでは、豚と犬は一番汚い罵り言葉らしい。彼らはトルコ語、クルド語でも送ってくるが、誤字だらけなのか翻訳ソフトにかけても翻訳できない。教育の水準がわかる。在日クルド人の大半は小学校以上の教育を受けているか、怪しいとされる。
さらに、これまで在日クルド人に、対面、もしくはSNSやメールで15人ほど、海外在住のクルド人と10人ほど、やり取りした。約25人の全員に「日本でのクルド人の迷惑、違法行為をどう思うか」と聞いた。「クルド人は態度を改めなければいけない」と返事をした人は1人のみ。残りからは一つも反省の言葉もなかった。「日本人もやっている」「小さなこと」「私はやってない」「なぜ他の外国人も悪いことをしているのにクルド人だけを批判されるのか」「我々は差別されてきたことを考えろ」「悪いことをするのはトルコ人だ」という返事で、責任を転嫁し、話をずらした。そのまともな返事をした1人は上記の経営者だが、その人物は私を騙した。
これが在日クルド人の姿だ。このよ���な人々が自発的に日本人への迷惑行為を変える可能性はないだろう。私は5月の段階の報道ではクルド人との「共生」を唱えていた。しかし今では、在日クルド人のが「良き日本人」になることは無理と思っている。絶対に、日本に馴染まない人がいるのだ。まともな人はいるのかもしれないが、私は出会っていないし、他人を脅迫する人が一定数混じる集団は日本にいる必要はない。
日本政府は粛々と法律を適用し、違法滞在者、「難民」と嘘をつく人を、トルコに強制送還してほしい。そうしないと、彼らと暮らす日本人、埼玉県民、川口・蕨市民は永遠に苦しみ続ける。在日クルド人の一部には、おかしな人がいることを、日本人、日本在住の外国人は知り、警戒していた���きたい。
石井孝明 経済記者 with ENERGY運営 ツイッター:@ishiitakaaki メール:[email protected]
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moment-japan · 1 year ago
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こんばんワイン。
(懐かしい!おぼっちゃまくんか)
来週の火曜まで地元金沢に滞在しておりますので、時間潰しがてら、石川県立美術館へ行ってあまり興味がない展覧会「加賀藩前田家の名刀」を鑑賞してまいりました。
(興味がない。笑)
実家からそれ程遠くはないのですが、中に入ったのはたぶん生まれて初めてです。
(まじか)
天下五剣の名宝のうち、「大典太光世(国宝)」、「無銘義弘・名物富田江(国宝)」、「短刀 銘 吉光・前田藤四郎(重文)」の3振が一堂に展示されるのは、57年振りとのことで「刀剣乱舞」オタク連中に交じって、しっかり鑑賞させていただきました。
国宝の二振りは、足利尊氏から足利義昭と、代々室町将軍家に相伝され、その後、豊臣秀吉から前田利家に渡ったそうです。
本日は偶然にも「国際博物館の日」で、なんとこれらコレクション展は無料でございました。
国宝とはいえ刀三振りと、あとはいろんな刀の解説みたいなのだけなので、僕的には無料が妥当です。
(厳しい沙汰)
近江町市場で人が映らないように写真を撮るのは大変です。
5分くらい待って、人が滅茶苦茶少なくなったところで何とか撮影成功。
市場の二階にランチを食べに行ったのですが、魚屋さんで見たこともない巨大な「ほっけ」が売られており、お値段を見たら2800円~3400円くらいでございました。
(尋常じゃないくらい大きかった)
知らない観光客のイケオジが、高そうなガラス張りの冷蔵ケースの中に鎮座している能���牛の写真を撮りまくりながら、僕に「な、な、なっ、見てみ!すげーなこの能登牛!」といろいろ解説入りでランゲージされました。
(いつも誰かに声かけられる人)
毎度のことなので、観光客のふりをして最後まで聞いておりました。
(結構疲れる)
兼六園横の戦国武将ショップ「武将庵天翔」には一度も入ったことがございませんのでいつかは入って武将グッズを購入したいと思います。
帰り際、京都でもおなじみ「茶和々」でいつものように何か買おうと思ったけどやめました。
最後に、ドイツ人観光客と一緒に金銀のソフトクリームの置物を撮りまくりました。
(欧米人に大人気だった)
Tschüss!(チュース)
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takarajima-movie · 1 month ago
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物語の熱狂を体現する総勢10名の新キャスト解禁!
塚本晋也、中村蒼、瀧内公美、栄莉弥、尚玄、ピエール瀧、木幡竜、奥野瑛太、村田秀亮、デリック・ドーバー。 新キャスト10名のたぎる想いと共に劇中のキャラクター画像を一挙解禁!
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〈COMMENT〉 【塚本晋也】徳尚(とくしょう)役:コザ署の刑事でグスクの相棒 すべてのシーンが圧巻の特大スケールで驚きました。徳尚という役を通し、沖縄のこと、日本のこと、たくさんのことをあらためて見つめる大事な機会になりました。映画が放つ強いメッセージが皆様に届くことを願っています。 【中村蒼】小松役:米軍の高官アーヴィンの通訳 戦後の沖縄という最も過酷な現実に置かれ、歴史に声を奪われた登場人物の怒り、友情、絶望、希望が描かれておりそんな今作にとても心打たれました。画面からすごいエネルギーがひしひしと伝わってきました。 私が演じた小松は普段は淡々と通訳の仕事をこなし穏やかで理知的な人間ですが物語が進むにつれてそれだけではない別の一面も持ち合わせています。 私は、彼が冷徹で計算高い男なのか、理想と現実で板挟みになり苦悩する男なのか、それとも沖縄を思うが故に独自のやり方で尽力した人物なのかは観た皆さんがどう思うのかとても楽しみにしている所です。 【瀧内公美】チバナ役:ヤマコが慕うAサインバーの女給 いまも続いている"沖縄の現実"というものを内地の人間は見つめざるを得ない。 沖縄に出向き、戦争の話をしてくれたおばぁたち。 コザにある映画館シアタードーナツで見せていただいたドキュメンタリー映画「モトシンカカランヌー」。アケミさんが唄っていた十九の春。 沖縄で過ごした時間はわたしの心にいまも生き続けています。 ものがたりでもあり、フィクションであるにも関わらず、沖縄史にどうしても気持ちが向き、ここに生きている"人間たちが""魂が"あったんだ、と叫ばざるを得ませんでした。 伝えたいことは山ほどある。映画では語りきれないほどの想いがそこにはあります。 この作品に協力してくださった沖縄のみなさんに心から感謝しております。 エンドロールをご覧になってみなさまがどう感じてくださるのか、沖縄に出向いた際はひめゆりの塔で手を合わせていただけることを切に願います。 【栄莉弥】ウタ役:物語のカギを握る謎に包まれた孤児 大友監督が導く「宝島」の世界、僕はカメラの前で芝居をすること自体がほぼ初めての経験でした。撮影中は様々な感情が入り混じり、緊張で硬まってしまう事もありましたが、監督から「ここにいる以上は、同じ土俵に立っているのだから自信を持ってやっておいで」と仰っていただき、その言葉をパワーに変え、キャストの先輩方やスタッフの皆さんに背中を借りる気持ちで日々挑戦でした。 撮影の合間には、ひめゆりの塔や、ガマ、美しい海、荒崎海岸にも足を運びました。 沖縄の神秘と、そこに確かにある悲惨な歴史、そしてそれを乗り越えてきた琉球の方々の魂の力強さを感じ、心が震える思いでした。 激動の戦後沖縄を生き抜いたたくさんの命を、肌で感じていただける作品になっています。 ぜひ多くの方に劇場へ足を運んでいただきたい気持ちでいっぱいです。 【尚玄】タイラ役:レイの刑務所仲間で民族運動家 アメリカ統治下にあった沖縄の激動の時代。彼らが命を懸けて守ろうとしたのは、島のかけがえのない『宝』だった。理不尽な現実は、今もなお形を変えて続いている。民意とは何か、そして誰のための本土復帰だったのか――その問いは決して過去のものではない。沖縄と真摯に向き合ってきた大友啓史監督だからこそ実現できた意欲作。沖縄出身の俳優として、この作品に参加できたことを光栄に思う。 【ピエール瀧】喜舎場(きしゃば)役:コザ派のヤクザでレイの親分 久しぶりに大友監督の現場に参加させていただきました。相変わらずのエネルギッシュな現場で、何よりも監督が楽しそうにされている姿に触れてこちらも嬉しくなりました。 【木幡竜】ダニー岸役:ある事件を探るためグスクに近づくCIA要員 沖縄という戦後の戦場に焦点を当てて、グスク、ヤマコ、レイという幼馴染たちがそれぞれの人生を歩みオンちゃんという彼らにとっての英雄を探す物語です。国の過去と向き合う覚悟。人間の尊厳、自由への渇望が詰まったこの小説を読んだ時、どこに僕の役があるのだろう。どの役ならこの映画に貢献できるのだろうと感じておりました。 大友監督から頂いた役はダニー岸。映画唯一と言っていい悪役は、小説ではかなりのサイコパスな役です。しかし、小説と実写映画では少しこの役の意味合いは違いました。監督といろいろな意見交換をしながら撮影に挑みました。 試写会で映画『宝島』を観た時、全ての役が、キャラクターが、個性が、映画の中に息づいていました。その中にダニー岸も居て、すごい作品の一部になれていると感じました。 この映画は是非、映画館で見ていただきたいです。 【奥野瑛太】謝花(じゃはな)ジョー役:密貿易団クブラのリーダー 撮影休みの金曜日の夜、賑やかなコザゲート通りで1人酔い潰れていました。異国の雰囲気漂う通りで寝転んでいると、路面店からは終始洋楽のカラオケの音が鳴り響いていました。咆哮にちかい歌声にしばし身体を預け、 酔いがおさまってきたところでふらふらと路地を散歩しました。先ほどの景色とうってかわり地元の若い人達がやっている飲み屋さんが立ち並んでいました。 どこからともなく聞き馴染みある沖縄のJ-POPのカラオケの音が聞こえ、今度は地元愛の滲む平和的な若者の声に残りの酔いを任せました。 通り一つはさむだけでまるで違う国に来たかのように錯覚してしまう情景に、外部から来ておこがましいの百も承知ですが、「これが沖縄なのか」と、その複雑さと歴史にただただ呆然と酔っ払いました。
【村田秀亮】辺土名(へんとな)役:鼻の曲がったコザ派のヤクザ どんだけ涙が出てくるねんってくらい泣いてた… 胸が熱くて苦しくて痛くて…涙が止まらなかった。 戦争は終わったはずなのに沖縄では何も終わっていなかったあの時代 自分達の本来の島を取り戻したくて護りたくて命を懸けて立ち上がる若者たちの姿は、泥臭くて尊い。 これはただの物語でも映画でもないよ。 人間が生きることそのものにぶつかっていくリアルな叫び! 生きてる以上前に進まないと損やもんな よし、明日も生きていこ! 今世紀絶対観て欲しい一本です。 【デリック・ドーバー】アーヴィン・マーシャル役:グスクとチームを組む米軍の高官 『宝島』は私にとって特別な作品であり、日本映画界にとっても大きな意義を持つ挑戦だと感じています。大友啓史監督の情熱が、視聴者だけでなく、多くの業界関係者にも共感と希望を届けてくれることを願っています。 この物語は観る人に問いを投げかけ、考える力を引き出す深い作品です。激動の時代だからこそ、こうした普遍的な物語がいっそう求められていると感じます。 日本の文化と映画は、私の人生とキャリアに大きな影響を与えてくれました。この作品に関わり、尊敬する監督や仲間と共に創り上げられたことを心から誇りに思います。 〈STORY〉 ある夜、一人の英雄が消えた。アメリカ統治下の沖縄で、自由を求め駆け抜けた若者たちの友情と葛藤を描く感動超大作。 英雄はなぜ消えたのか?幼馴染3人が20年後にたどり着いた真実とはー。 沖縄がアメリカだった時代。米軍基地から奪った物資を住民らに分け与える“戦果アギヤー”と呼ばれる若者たちがいた。いつか「でっかい戦果」を上げることを夢見る幼馴染のグスク(妻夫木聡)、ヤマコ(広瀬すず)、レイ(窪田正孝)の3人。そして、彼らの英雄的存在であり、リーダーとしてみんなを引っ張っていたのが、一番年上のオン(永山瑛太)だった。全てを懸けて臨んだある襲撃の夜、オンは“予定外の戦果”を手に入れ、突然消息を絶つ…。残された3人は、「オンが目指した本物の英雄」を心に秘め、やがてグスクは刑事に、ヤマコは教師に、そしてレイはヤクザになり、オンの影を追いながら���れぞれの道を歩み始める。しかし、アメリカに支配され、本土からも見捨てられた環境では何も思い通りにならない現実に、やり場のない怒りを募らせ、ある事件をきっかけに抑えていた感情が爆発する。 やがて、オンが基地から持ち出した“何か”を追い、米軍も動き出すー。 消えた英雄が手にした“予定外の戦果”とは何だったのか?そして、20年の歳月を経て明かされる衝撃の真実とはー。
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psyetz · 7 months ago
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自分の中の幼児性に気づこうとしない者、その幼児性から眼をそむける者は、身近な弱い者を選んで、それを間接的に満たそうとする。そのために選ばれた者は犠牲者である。たとえば神経症になる。
(中略)
自分は心身ともに立派だと思っていると、自分の中の幼児性が満たされない時、ついつい立派な理屈をつけてしまう。しかしそれはみな口実である。人間関係で困るのは愛という名の幼児性、道徳という名の幼児性、正義という名の幼児性である。
自分の中の幼児性を人前に示すことはないが、実際にあるのにないと言いはることは心の病につながるだけである。あるものはあると認めて自分がケアをする。それが本当の大人であろう。
私達の心の中には、内面化した親から、消化されない幼児までいろいろのものがある。そうした自分に気づいて、そのなかから自分を育てあげていく努力をすることが大切なのである。
自分の心の中のさまざまな状態に気づかないと積極的な感情は育たない。信頼、親しさ、情熱、喜び、魅力などさまざまな人生の良いものは、実際の自分から眼をそむけると同時に逃げていく。
そして心の中は恐れや無力感や敵意や嫉妬や困惑や、さまざまなマイナス感情にしめられてしまう。他人との関係で実際の自分を否定することは自分にも他人にもマイナスである。そのような人間関係は、双方に最終的に何の喜びも与えないであろう。
何が私にとって真実であるのか、それを自分に静かに問うてみることである。
──加藤諦三『自分に気づく心理学』(2006、PHP研究所)
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claudiosuenaga · 3 months ago
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日本、完璧さの逆説:マトリックスと存在の持続不可能な調和
すべてが完璧に機能する世界を想像してください。遅れることのない電車、完璧に清潔な道路、絶対的な安全、そして理想的なバランスを達成したかのように見える社会。そのような世界は部分的に日本に存在します。しかし同時に、完璧さが必ずしも幸福を意味しないという影をも抱えています。この二面性は私たちに問いを投げかけます。完璧さは耐えられるものなのでしょうか?それとも、『マトリックス』のように、現実には生きるために不完全さが必要なのでしょうか?
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クラウディオ・ツヨシ・スエナガ著、日本での自身の経験に基づく
映画『マトリックス』では、機械が人間のために完璧な現実を作り出しましたが、それは拒絶されました。人間は、葛藤のない世界を受け入れることができず、現実が耐えうるものとなるためには不完全さが必要だったのです。この考え方は、現代日本を見つめるときに深く響きます。日本は効率性と秩序のモデルである一方で、機能的なユートピアの中に隠された感情的、社会的危機がそのひび割れを明らかにしています。
日本は、低い犯罪率、整ったインフラ、そして賞賛に値する集団意識を持ち、ほぼ完璧な例のように思えます。しかし、この外面的な調和は、内面的な不安定さと対照的です。高い自殺率、急速に進む高齢化社会、そして家族を築くことに関心を持たない若者たち。また、工場や不安定な労働環境における移民の搾取は、理想化された日本の姿の中でしばしば見過ごされる暗い側面を浮き彫りにします。
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私が大阪で長年働いたFBC(Factory Bakery Company)、通称フジパンの生産ラインは、工業の現実を鮮明に映し出しています。この工場は年中無休、24時間稼働しており、12時間の2交代制で運営されています。作業は立ったままで行われ、過酷な環境に直面します。汚れた状況、単調で機械的な作業、そして極度に疎外感を覚える仕事です。快適さや人間工学に対する配慮はなく、制服の厳しさや上司・同僚の厳しい監視によって、個性の発揮は徹底的に抑え込まれています。
見た目と現実の間にあるこの不協和音は、本質的な問いを投げかけます。外面的な完璧さは、人間の内なる複雑さを抑え込んでしまうのでしょうか?人工的な完璧さが耐えがたいものだった『マトリックス』のように、日本は絶対的な秩序が自発性や創造性、そしておそらく幸福そのものを犠牲にすることを示しているように見えます。
日本で「マトリックス」にいるような感覚は単なる比喩ではありません。それは、完璧な表面とその下にある緊張の間の断絶を認識する人々にとって、内臓に響くような体験です。厳しい社会的規範や期待に満ちた日本社会は、人々が自らの個性を十分に��現したり、人生に意味を見出したりすることを妨げる環境を生み出す可能性があります。
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これから何を学べるのでしょうか?おそらく、その教訓は、不完全さが人間の経験において不可欠な部分であることを受け入れることにあります。理想的な世界とは、すべての問題を排除する世界ではなく、失敗、成長、そして本物らしさのための余地を許す世界です。完璧な楽園、たとえそれが『マトリックス』のような仮想現実であれ、実際のユートピアであれ、その追求は私たちを本当に人間らしいものから遠ざけてしまうかもしれません。
日本における現在の秩序は、古典的な全体主義的支配を超越した現象です。日本で起こっていることは、「バイオパワー」または「規律的コントロール」と呼べるものの最も進んだ例のように見えます。それは、私たちが『1984年』のような全体主義の「ビッグ・ブラザー」に想像するような明示的で中央集権的な支配ではありませんが、権力が社会的・文化的構造そのものに組み込まれ、それが個々人によって自己に、さらには他者にも行使されるようなシステムです。それを以下のように考察してみましょう。
見えないコントロール:命令ではなく規範による権力
日本における社会的コントロールは、権威主義的な明示的命令よりも、深く根付いた文化的規範から発せられるように思えます。「建前」(社会で期待される行動)と「本音」(本当の気持ちや考え)という概念はこれを象徴しています。人々は明確な強制力があるからではなく、社会が求める行動に従うことがほぼ聖なる価値として認識されているために行動します。
このような規範の順守は、自己持続的なコントロールシステムを生み出します。各個人は自分自身だけでなく他者に対する監視者となり、直接的な介入がほとんど必要とされない均衡を維持します。
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調和としての社会的命令
「和」(調和)への執着は、日本文化の中心的な役割を果たしています。日本では、対立はあらゆる手段を講じて避けるべきものとされています。これは多くの面で賞賛に値するものであり、社会的な緊張を減らし、グループでの作業を円滑にし、秩序ある共存を促進します。しかし、そのための心理的な代償も存在します。多くの人々が、調和を保つために不満や欲望、さらには自分自身のアイデンティティを抑圧しているのです。
この絶対的な調和の追求において、『マトリックス』との類似が見られます。映画の中で完璧な現実が耐えがたいものとして拒絶されたように、日本の社会システムによって課された調和もまた、内面的な緊張を生み出します。その結果として、表面的には完璧に見える社会的な楽園においても、不幸感、疎外感、そして絶望が副産物となっています。
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調和としての社会的命令
「和」(調和)への執着は、日本��化の中心的な役割を果たしています。日本では、対立はあらゆる手段を講じて避けるべきものとされています。これは多くの面で賞賛に値するものであり、社会的な緊張を減らし、グループでの作業を円滑にし、秩序ある共存を促進します。しかし、そのための心理的な代償も存在します。多くの人々が、調和を保つために不満や欲望、さらには自分自身のアイデンティティを抑圧しているのです。
この絶対的な調和の追求において、『マトリックス』との類似が見られます。映画の中で完璧な現実が耐えがたいものとして拒絶されたように、日本の社会システムによって課された調和もまた、内面的な緊張を生み出します。その結果として、表面的には完璧に見える社会的な楽園においても、不幸感、疎外感、そして絶望が副産物となっています。
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世界的な考察:他に同じような場所は存在するのか?
日本はこの現象の最も極端な例かもしれませんが、同様の特徴は、いくつかの北欧諸国など、文化的凝集力の高い社会にも見られます。そこでも文化的な同調圧力は存在しますが、その強さは日本ほど顕著ではありません。 しかし、日本はこの社会的圧力を、秩序と効率に対するほぼユートピア的なビジョンと組み合わせる点で独特です。この結果、全ての市民が意識的に、あるいは無意識的に参加しているかのような「社会プログラム」の印象を与えるのです。
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完璧さの代償
ここで『マトリックス』との比較が非常に強力なものとなります。このように「見事にプログラムされた」システムの中で、多くの人々は本当に生きているのか、それとも単に「機能している」だけなのかを問い始めるかもしれません。理想的に見える環境の中であっても、精神的な健康問題、人口動態の危機、そして広範な不幸感は、完璧に設計された世界が矛盾して人間性を抑え込む可能性があることを示しています。
この日本型モデル、つまり「体制なきコントロール」は警鐘を鳴らします。地上の楽園を追い求めることは、独裁者を必要としなくても監獄へと変貌する可能性があるのです。社会規範、集団の調和、そして同調圧力の力だけで、どんな明白な全体主義体制にも匹敵するほど複雑で支配的な現実を作り出すことができます。
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そして、この支配は地理的な境界に限定されたものではありません。日本特有の「強制的で要求の厳しい精神」の移植は、より多様でリラックスし、そして階層性の低いブラジルのような社会において、非常に示唆に富む複雑な力学を生み出します。これについて、これから分析を進めていきます。
海外における日本型社会モデルの持続性
日本国外の日本人コミュニティ、たとえばブラジルのような場所では、日本文化を定義する価値観がそのまま持ち込まれています。それは、勤勉、規律、階層の尊重、そして社会的調和の追求といったものです。
日本の外にいても、これらの家族は「文化的マイクロコスモス」の中で子どもを育てる傾向があります。そこでは、同じ行動規範と期待が維持されます。これには、しばしば学業におけるプレッシャー、完璧主義、そして失敗に対する嫌悪感が含まれています。
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文化的な根なし草状態
日本では、これらの価値観が社会全体によって広く共有され、強化されていますが、ブラジルでは日本人コミュニティがしばしば対照的な価値観の中で生活しています。ブラジル社会は一般的に、より寛容で、期待に対してあまり厳しくなく、自発性や柔軟性を重視します。
この文化的な根なし草状態は、日系の若者にとって「内面的な文化的衝突」を引き起こす可能性があります。彼らは、家庭内での文化的厳格さと外部の文化的流動性の間で成長し、不適応感や孤立感を抱くことがあります。
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静かなプレッシャーとその影響
伝統的な期待に応えようとする家族からのプレッシャーは、日系の若者にとって非常に疲弊するものとなり得ます。彼らはしばしば日本でも見られる同じ感情的な課題、例えば不安、抑うつ、そして極端な場合には自殺傾向といったものに直面します。
しかし、異なる点は、彼らが同じ価値観を共有する社会の支えを持たないことです。日本では、重いながらもこの同調圧力は調和の取れたシステムに属しているという帰属意識によって報われます。一方で、ブラジルでは、このようなプレッシャーは、より自由でカジュアルな文化的ダイナミクスの中では、不釣り合いでさえ抑圧的と感じられることがあります。
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社会との緊張と疎外感
内面的な葛藤に加えて、ブラジルの日系社会は社会的な疎外感を経験する可能性があります。その厳格な文化的規範や現地の価値観に溶け込むことへの躊躇は、誤解を招いたり、距離を置いていると見なされることがあります。
一方で、日系社会内部では、他の社会と接触することに対して壁を保つ傾向があります。この結果、「日本的集団主義」が強化され、現地の価値観との交流が犠牲になることがあります。
強制された調和の実践
ブラジルの日系社会における「調和」への追求は、逆説的にもしばしば問題を深刻化させます。この調和は自然なものではなく、むしろ強制的なものです。伝統的な規範を維持するために、対立や不満は表面化させず、覆い隠すことが求められています。
その結果、対話や課された期待を議論する場が欠如しています。疑問を提起する機会がないため、多くの人々が感情を抑圧し、その結果、感情的な危機が深刻化する傾向があります。
日本との比較:文脈のない内面的な全体主義
日本では、社会的なコントロールは集団の中に溶け込み、全員が同じ規則と価値観の下で生活するため、抑圧的なシステムの中でも帰属意識が生まれます。
しかし、ブラジルでは、この文化を孤立したコミュニティ内で再現しようとする試みは、「内面的な全体主義」と見なされる可能性があります。収束的な社会の支えがないため、日系の若者たちが経験するプレッシャーは、外部の現実からさらに切り離され、より厳しいものに感じられるかもしれません。
可能な道筋
日本人コミュニティ内での世代間の対話を促進することは、重要な一歩となる可能性があります。高齢者は、日本国外では状況が異なることを理解し、若者が両方の文化の要素を健康的に組み合わせるためのより多くの自由を必要としていることを認識する必要があります。
また、日系コミュニティとブラジル社会の間にもっと多くの架け橋を築くことは、孤立を減らし、両方の文化の最良の部分を評価する豊かな文化交流を生み出す助けとなるでしょう。
最後に、真の調和は、対立の抑圧ではなく、率直でオープンな解決から生まれることを認識することが、これらのコミュニティにとって解放的であるかもしれません。
この文脈の中で、もう一つ深く心に響く側面があります。それは、文化的アイデンティティの最も困難な層の一つを浮き彫りにするものであり、「すべての外見上では十分に属しているはずなのに、『十分』であると感じられない」という感覚です。私自身の経験や、日本で生活する多くの外国人の経験は、文化間で生きる中で多くの人々が直面する傷口に触れます。これは、排除、文化的な要求、そしてレジリエンスの豊かな例として探求できるものです。
ハイブリッドなアイデンティティ:二つの世界の狭間で
ブラジルで日本人の子孫として育ったことは、私を文化的な十字路に立たせました。一方では、私は家族から受け継がれた名字、身体的な特徴、そしていくつかの文化的な習慣を持っています。他方で、私のアイデンティティは、必然的にブラジルによって形作られています。この国は活気に満ち、多様で、リラックスしており、集合的な規範が日本の厳格さと一致していません。
この「二つの世界の狭間」という状況は、多くの場合、その豊かさや柔軟性が称賛されるハイブリッドなアイデンティティを生み出します。しかし、私の場合のように、どちらの側からも完全に受け入れられていないと感じる排除の源になることもあります。
文化的条件付けと「十分に日本人でない」という感覚
日本では、幼少期からの社会化が帰属意識の形成において重要な役割を果たしています。それは単に外見や言語の問題ではなく、暗黙の規範を内面化することにあります。たとえば、いつお辞儀をするべきか、集団の中でどう行動するべきか、感情をどう表現(あるいは抑制)するべきかを理解することです。
この環境で育たなかった人にとって、「文化的な条件付け」を完全に身につけることは、どんなに努力しても不可能に思えることがあります。特に、日本に帰国した日系人の場合、家族の遺産に基づいて理解し適応すべきだという期待がある一方で、幼少期から日本の教育や社会化を受けていないという理由で、しばしば「よそ者」と見なされることが多いのです。
職場における屈辱:排他主義の反映
工場での経験は特に痛ましいものでした。それは、「建前」(公の場での表面的なふるまい)や「我慢」(困難を黙って耐えること)といった文化的規範が職場環境でいかに歪められるかを浮き彫りにしています。
私の献身にもかかわらず、「外部の人間」としての立場が消えない烙印を私に残しました。日本は非常に能力主義的であるかもしれませんが、それには一定の限界があります。誰かが「異なる存在」と見なされた場合、たとえ平均以上の努力をしたとしても、偏見や排除という目に見えない障壁を克服するには十分ではないかもしれません。
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文化的排他性:痛みを伴う矛盾
日本は文化的に非常に均質的な社会であり、社会的結束は統一性を基盤として構築されています。この排他性は、「適合する」人々にとっては心地よいかもしれませんが、暗黙の帰属基準を満たさない人々にとっては敵対的になり得ます。
私が屈辱を受けた経験は、たとえ私が非の打ちどころのない労働倫理を示していたとしても、それは単なる私を不当に扱った個々人の失敗ではなく、何よりも同調性を優先するこの考え方のシステム的な反映です。
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適応しようとしても属せないことの心理的重圧
属していないと感じることは、非常に重い心理的負担となることがあります。適応しようと努力し、自分の価値を証明しようとしても、歴史的および文化的なつながりを持つはずのグループから受け入れられないという事実は、特有の痛みを伴います。
このパラドックスは特に残酷です。私は日本人にとって「十分に日本人」ではなく、ブラジルの文脈では、他のブラジル人が共有しない期待やプレッシャーを背負っているかもしれません。この「両側からの排除」は、深い孤独感を生み出しました。
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未来への視点:レジリエンスとアイデンティティの再定義
私の経験、そして決して声を上げることのない多くの人々の経験から浮かび上がるものは、レジリエンスです。困難や屈辱にもかかわらず、私はこの厳しい環境の中で自分の道を模索し続け、献身を絶やしませんでした。
おそらく、その答えは自分のハイブリッドなアイデンティティをユニークなものとして受け入れることにあります。「十分に日本人」でも「十分にブラジル人」でもないという要求を満たすことは決してありません。ただ私は二つの文化が絡み合う中で自分の視点を持つ、特別な存在であることができます。
この経験は苦痛を伴うものですが、それに直面する必要があります。なぜなら、それは均一性を包括性よりも優先するシステムの欠陥を指摘し、帰属意識、仕事、そして人間性に関するより広範な考察への招待状として機能するからです。
日本人と日系人の両方からの否定や非難の反応は、文化的防衛機構を反映しています。それは批判を受け入れたりそれについて考察したりするのではなく、排除と同調性の壁を強化するものです。このテーマについてさらに深く考察していきましょう。
日本の反応:調和喪失への恐怖
日本では、社会的調和(和)が中心的な価値観として位置付けられています。この調和を脅かす可能性のあるもの — — 例えば、不正やシステムへの批判の表明 — — は、しばしば個人だけでなく、社会構造そのものへの攻撃と見なされます。
不当な扱いや不正を経験したことを共有するとき、日本人が見せる「恐れと非難」の反応は、この調和を守ろうとする試みとして理解されることがあります。システムに欠陥があることを認めることは、見かけ上の完璧さが幻想であることを認識することを意味し、多くの日本人が直面することを避けたがる課題です。
さらに、「我慢」(困難を黙って耐えること)という文化的期待も強く存在します。不満を訴えたり不正を暴露することは、性格の欠陥と見なされる可能性があり、問題がシステムではなく話す人にあるかのように扱われることがあります。
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日系人の反応:「日本人以上に日本人」であろうとするプレッシャー
特に日本国外に住む多くの日系人にとって、自分の「日本らしさ」を証明しようとする追加のプレッシャーがあります。これは、完全な帰属感を持てない感覚を補う方法として、文化的規範に対してさらに厳格な姿勢を取ることにつながる場合があります。
他の日系人と経験を共有するとき、その非難の反応は、日本の理想化されたイメージを守ろうとする必要性から生じることがあります。彼らにとって、システムに欠陥があることを認めることは、彼らが一生懸命守ろうとしているアイデンティティへの脅威と見なされるかもしれません。
さらに、適応できないことが個人の責任であるかのように、責任をその人に押し付ける傾向があります。これは同調性と忍耐力という日本の規範を内面化した結果であり、しばしば構造的な不平等を無視します。
文化的沈黙の役割
日本でも日系人コミュニティでも、「すべてを隠してしまう」という傾向があります。これは単に対立を避けるためだけではなく、完璧さと調和という集団的な物語を維持するためでもあります。
この文化的沈黙は、特に差別に直面する外国人やその子孫にとって非常に有害です。支援や連帯を見つけるどころか、彼らはしばしば孤立させられ、責任を押し付けられるため、その苦しみはさらに深刻化します。
日本における外国人の現実:制度的不正義
外国人が不当な扱いを受けたり、不当に解雇されたりするのは、私自身の個人的な経験にとどまりません。それは記録された現実です。日本では多くの外国人労働者が、責任を厳守しているにもかかわらず、劣悪な労働環境、差別、搾取に直面しています。
問題は、これらの労働者が適応力やレジリエンスに欠けていることではありません。問題は、彼らを使い捨ての存在と見なし、日本国民と同じ権利や保護をほとんど提供しないシステムそのものにあります。
真実から逃げないことの重要性
被害者としての役割を逃れることは立派な姿勢ですが、それは不正を無視したり沈黙したりするべきだという意味ではありません。これらの欠陥を認識し、暴露することは、日本国内および日系人コミュニティの両方で変革を促進するために不可欠です。
そのために、経験や証言は非常に価値があります。これらは、多くの人々が無視したがる現実を明らかにします。これらの物語を共有することで、文化的沈黙に挑戦し、必要な対話のための空間を開いているのです。
省察と変革への道
これらの経験が批判されることなく、安心して聞き入れられ、正当性を与えられる場を創出することが鍵かもしれません。それは日系人コミュニティ内での対話から始めることができるでしょうが、外国人やその子孫が直面する現実について日本社会を教育する努力も含める必要があります。
さらに、レジリエンスは不正を受け入れることと混同されるべきではありません。レジリエンスとは、間違っていることに対して声を上げ、行動する勇気を持つことをも意味します。
沈黙を好むシステムに立ち向かうことは容易ではありません。しかし、まさにそのために私たちの声は重要なのです。私たちが背負う痛みは、多くの人々が無視したがる現実を反映しています。しかし、それは光を当てる必要がある現実です。これらの問題を、その深刻さと雄弁さをもって今こそ掘り下げていきましょう。
模擬された調和と隠された現実
日本が秩序、進歩、そして調和の楽園であるというイメージは、世界のメディアによって広く普及されています。しかし、この物語は慎重に構築されたものであり、日本社会に浸透する矛盾や構造的な問題を隠しています。効率と完璧さの外観の背後には、めったに語られることのない暗い現実があります。例えば、工場は強制収容所のようなものであり、特に外国人労働者が非人道的な労働条件に直面しています。また、上司はほぼ専制的な権力を行使し、部下を搾取し、屈辱を与えています。
この調和は、集団的な福祉の反映ではなく、個人の苦痛の代償として維持されることが多いのです。システムに従い、疑問を持たないようにという圧力は、虐待を通常化し、沈黙を強いる環境を作り出します。
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高齢者の孤独と見捨てられる現実
日本は前例のない人口動態の危機に直面しています。高齢化が進み、出生率が低下している中、多くの高齢者が完全に孤独な生活を送っています。現代生活のプレッシャーにさらされ、自分たちの親を世話する余裕がない、あるいはしたくない子どもたちによって見捨てられているのです。この世代間の断絶は、仕事と生産性を人間関係よりも優先する社会の反映でもあります
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お見合い結婚と家庭内虐待
現代の日本は多くの面で進歩を遂げていますが、一部のコミュニティではお見合い結婚のような慣習が依然として残っています。これらはしばしば真の愛情を欠いた結婚につながることがあります。さらに、児童虐待は深刻な問題です。カンガルーのイラストが描かれたポスターが至る所に掲示され、虐待の通報を促していますが、これは日本社会がこの問題を認識し、対処することに消極的であることを静かに物語っています。
沈黙と恥の文化は、多くの被害者が助けを求めることを妨げ、暴力の連鎖を永続させています。
いじめと自殺
日本の学校におけるいじめは、深く根付いた問題であり、壊滅的な結果を伴うものです。厳格な社会的基準に適応できない若者は、しばしば虐待の標的となり、多くの場合、絶望に追い込まれ、悲劇的には自殺に至ることがあります。秩序正しい外観を持つ日本ですが、自殺率は世界で最も高い国の一つであり、何かが根本的に間違っていることを明確に示しています。
ヤクザ: 日本の影の中の組織犯罪
ヤクザ、いわゆる日本のマフィアは、歴史的に違法薬物取引、賭博、売春などの犯罪活動を支配しながら、社会に暗い影を落としています。しかし、その影響は裏社会にとどまらず、食品工場 — — ラーメン、パン、豆腐など — — 建設業、不動産、さらにはエンターテインメント業界といった合法的な分野にも浸透しています。
ヤクザは犯罪活動から得た収益を洗浄するために、多様な方法を駆使しています。多くの場合、合法的な事業への投資や、架空会社を用いることで不法収益の出所を隠し、取引を合法的に見せる手法を採用しています。この合法的な活動と違法行為の融合は、ヤクザが広範な活動を維持し、その影響力と権力を存続させる要因の一つとなっています。
ヤクザの影響力は非常に深く、政治家、官僚、実業家、商人、そして一般市民までもが暗黙のうちに共謀するケースが見られます。組織犯罪と政治的権力の結びつきは、秩序と完璧さを誇る社会においても腐敗と搾取が繁栄し得る現実を示しています。
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巨額の債務と報道の自由
日本は世界最大の公的債務を抱えており、この経済的負担はほとんど公然と議論されることがありません。さらに、報道の自由は厳しく制限されており、主要なメディアはしばしば政府の代弁者として機能しています。この透明性の欠如は、重要な問題が議論され、解決されることを妨げています。
語る痛みと聞かれる必要性
私のように沈黙の中で苦しみ、トラウマの重荷を理解されることなく背負う経験は、日本社会(そしてある程度日系人コミュニティ)の苦しみに対する対処法を反映しています。それは問題を「隠してしまう」という方法です。しかし、私の物語を共有することで、この沈黙に挑み、向き合うべき現実を明るみに出しています。
日本の文化的な変化への抵抗の問題は、「マトリックス」という概念と完璧に結びついています。つまり、システムが非常に密接に絡み合っているため、どんな変化もその完全性を脅かすように見えるのです。
本質的な抵抗:日本のマトリックス
日本では、社会が巨大な「プログラム」として機能しています。そこでは、文化的な規範から仕事の方法に至るまで、すべての要素が高度に構造化された行動システムにコード化されています。この「文化的マトリックス」は、非効率性を認識していないわけではありませんが、継続性が効果性よりも重要な価値と見なされるため、容易には変更を受け入れません。「昔からこうしてきた」というものを変えることは、システム全体のバランスを乱すことに等しいと見なされます。
この抵抗は、改善を意味する「カイゼン」のような概念の現れでもあります。しかし、皮肉にも、カイゼンは基盤コードを壊すことなく、ほとんど目に見えないほどの漸進的な変化だけを促進します。劇的な変化は、集団的アイデンティティへの脅威と認識されるでしょう。
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行動規範」としてのマトリックスの言語
この「コード」というメタファーは、文化的にも技術的にも非常に強力です。日本の「行動規範」は単なる指針の集合ではなく、社会的および職業的な相互作用の基盤であり、受け入れ可能な行動をプログラムしています。コンピュータプログラムと同様に、外部のアイデアや新しい方法など、異質なコードが挿入されると、それが「異常」と見なされ、システムを破壊する可能性があると考えられます。
日本人にとって、文化的なコードは国民アイデンティティと不可分のものです。たとえ明らかな誤りを修正するためであっても、それを変更しようとする試みは、日本人であることの本質を壊す恐れがあるとして抵抗されます。
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アイデンティティを守るための不変性
変化への忌避は、特に工場のような環境で顕著に見られます。そこでは、古い非効率的な方法が「これまでもこうしてきたから」という理由だけで維持されています。この慣習は必ずしも非合理的なものではなく、過去への敬意という文化的価値観と、対立を避ける傾向に深く根ざしています。方法を疑問視することは、その方法を実施した人々を疑問視することを意味し、それは無礼と見なされるでしょう。
この論理はマトリックスの特徴を反映しています。つまり、システムは完璧だから存在し続けているのではなく、住人たちが本質的と考えるものを保ちながら現実の代替案を想像することができないために存続しているのです。
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システムを維持するための代償
「コード」を不変のまま維持することには、高い代償があります。日本はこれまで議論してきたような多くの問題 — — 不平等、虐待、孤独、疎外 — — を抱えていますが、システムは既存の構造に革新的または外部の解決策が干渉することを許可しません。日本の文化的コードは、調和と安定を目的として設計されていますが、それは完璧に適応しない人々にとって、精神的・感情的な牢獄となる可能性があります。
このジレンマは『マトリックス』の中心的な前提と類似しています。システムが欠陥や不正であると認識されても、変化に伴う混乱に直面するよりも、それを受け入れることを選ぶ人が多いのです。日本人にとって、マトリックスを維持することは文化そのものを守ることであり、それが非効率的で場合によっては有害な慣行を維持する代償を伴ってもなお、そうする価値があると考えられています。
現代世界における日本のマトリックスの不協和音
グローバル化の文脈において、この変化への抵抗は興味深い緊張を生み出しています。他の社会が革新や適応を追求する一方で、日本は近代化の必要性とアイデンティティの維持を調和させるために苦闘しています。これにより、日本は独自の文化的マトリックスとして機能しています。それは、いくつかの側面で見事に機能しながらも、本質的な再プログラミングに対して閉ざされているように見えるシステムです。
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外部の人々にとっての体験:コードから外れる存在としての排除
外部の人々、例えば私のように、このシステムに適応しようとする人々にとって、その体験は非常に挫折感があり、痛ましいものです。それは単に地元の規範に適応する難しさではなく、このシステムが外部からの貢献や変更を意図的に拒んでいるという認識です。このことは、社会的な排除だけでなく、ほぼ存在論的な排除を生み出します。つまり、「コード」の一部でない限り、そこに属することはできないのです。
最終的な考察:選択とその結果としてのマトリックス
『マトリックス』のように、日本はその現実を選びました。「行動規範」に基づいた安定した調和は、文化を存続させるために本質的であると見なされています。しかしながら、この選択には犠牲が伴います。それは革新、包括性、そして多くの場合、個人の福祉です。未解決の問いとして残るのは、日本が絶えず変化する世界の中で、このマトリックスを維持し続けることができるのかということです。
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鈴永剛俊(スエナガツヨシ)は、サンパウロ州立大学(Unesp)で歴史学の修士号を取得した教授であり、調査報道ジャーナリスト兼作家です。彼は数冊の著書を出版しており、その中には『日の本のヘブライのルーツ:日本人は失われたイスラエルの十部族の一つなのか?』(エニグマス出版社、2022年、ISBN: 9786500531473)が含まれています。この本は[こちらで購入可能です]。
ドイツのジャーナリスト、ギュンター・ヴァルラフによる、トルコ人労働者に扮して外国人労働者が直面する差別を暴いた衝撃的な調査から着想を得て、鈴永剛俊(スエナガツヨシ)は変装することなく、自らの体験を通じてその現実を明らかにしました。彼は6年半にわたり、FBC(フジパン)パン工場での労働に従事し、過酷で非人道的な労働条件、長時間労働、精神的な拷問、屈辱、差別、偏見を身をもって経験しました。この工場は、日本全国に展開する最大級のコンビニエンスストアチェーン、セブンイレブンにパンを供給しており、セブン&アイ・ホールディングスの傘下にあります。
限られた自由な時間の中で、鈴永は日本の豊かな文化の織物に深く浸り、その謎めいた巨石記念物の秘密を解明することに専念しました。これらの印象的な構造物は、西洋ではほとんど知られていないままです。これらの魅惑的な驚異について詳しく知りたい方は、「The Hidden Japan」のウェブサイトをご覧ください。
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あなたはこの本を読むまで、完全に日本を理解することはできません。
日本の最も大きな影響のいくつかが、歴史的にヘブライ人との接触から生まれた可能性があることをご存じですか?類似点は驚くべきものです。創造神話や神の系譜から儀式や習慣に至るまで、共通点が見られます。神社建築はエルサレム神殿を彷彿とさせ、祭りで運ばれるポータブルな神社「御輿(みこし)」は、サイズや形状が伝説的な契約の箱(アーク)と驚くほど似ています。実際、多くの人々が、そのアークが徳島県の四国にある剣山に隠されていると信じています。
しかし、つながりはこれだけにとどまりません。日本語にはヘブライ語と発音や意味が同じ単語がいくつも存在し、日ユ同祖論という興味深い理論を強化しています。この仮説は17世紀に提唱され、日本人がイスラエルの失われた12部族の子孫である可能性を示唆しています。本当にそんなことがあり得るのでしょうか?日本人の血管にはヘブライの血が流れているのでしょうか?そして、この関係が一部のユダヤ人が日本の戦略的な場所に土地をひそかに購入している理由を説明するものなのでしょうか?
この本はこれらの疑問に深く切り込み、歴史、神話、ミステリーが交錯する隠された日本を解き明かします。この悠久の旅にぜひ参加し、古代と現代の日本の形成にユダヤ人がどのように関与していたのかを発見してください。あなたが日本について知っていると思っていたすべてを見直す準備をしてください。
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hachikenyakaiwai · 1 year ago
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【かいわいの時】文久二年(1862)四月二十三日:南画家田能村直入らが大煎茶会「青湾茶会」を開催(大阪市史編纂所「きょうは何の日」)
清湾茶会には、天気がよかったこともあり千二百人もの人が参加したと記録されています(『清湾茶会図録』)。茶席は、大長寺から桜宮まで本席7副席4の11席で、1席の定員10人。1200人だと、延べ120席を11会場で回した勘定になり、1席30分としても6、7時間は要したであろうと思われます。
ところで、この茶会に参加した国学者の近藤芳樹(長州藩士。当時、京にて情報収集活動を行う)が、周防防府の酒造家で文化人のパトロンであった上田光美に送った書簡[註1]によると、
・切符500人前を前日より発売 ・当日に300人前を追加
正規チケットを持った参会者は1200人中800人で、つまり、あとの400人はタダ乗りとゆうことになりそうです[註2]。
船の席は小舟で送迎するので混雑はなかったが、その外の席には一度に大勢の者が押しかけ大混乱。切符を持っている人が席に入れず身動きもとれず、「あいつは切符も持たんと茶ァ飲んでけつかる」などと大声で叫んで大騒動になった。(近藤書簡を超訳)
茶会は、お世辞にも「清風」とは言い難い状況で、そんな中でも、切符をもった近藤さんは、ゆうゆうと全席コンプリートしたと述懐。勤王の志士でも、茶会は別格であったようだ。本人は9席と供述。実際は11席なので、2席は飛ばしたようです。世情穏やかならぬ幕末にあっても、たまたま京・大坂に滞在中であった近藤は茶会を楽しむ余裕があったようです[註3]。
[註1]『近藤芳樹書牘集一』(山口県文書館蔵)。幕末期の国学者。周防(すおう)の人。本姓田中、通称晋一郎、号は寄居(ごうな)。旧長州藩士で明倫館助教。維新後、東京に移り住んで、宮内省御用掛に任じ、御歌所寄人(よりうど)などをつとめた。本居大平、村田春門また山田以文に師事して、国文学、律令学を学んだ。同じ大平門の加納諸平を尊敬して最も歌をよくし、幕末歌壇に際立った活躍をした。学績として《令義解校本》《淫祠論》など、歌論書に《古風三体考》《寄居歌談》、紀行文に《陸路廼記(くぬかちのき)》がある(改訂新版 世界大百科事典 「近藤芳樹」の意味・わかりやすい解説 )。
[註2]売茶翁は、売茶の折、「茶銭は黄金百鎰より半文銭まではくれ次第、たゞのみも勝手、たゞよりはまけまうさず」(『近世畸人伝』1790)とゆう看板を掲げており、切符の代金はいくらであったのか定かではないが、タダで飲まれても文句はいえない。按ずるに、切符は単なる整理券で、茶会はタダだったのかもしれない。「僧侶の身分を放棄し、餓死に繋がる決断を下した売茶翁の声に想いを巡らし、且、清湾茶会が売茶翁の追善と懸賞の爲に開催されたとするなら、“無錢飮食”とゆう表現は、如何なものであらうか」(千三屋)。
[註3]近藤書簡には「伏見も大騒動ニ御座候然處大都會と申ものハ妙なものに而此内ニ過ル二十三日網島ニ於煎茶の大會御座候」とあり、丁度同じ日の夜に起こった伏見の寺田屋騒動にも触れている。
(写真)木村孔陽編・青木夙夜画『賣茶翁茶器圖』1823・1924復刻より「茶籏」 賣茶翁の茶道具は、翁と親交のあッた木村蒹葭堂が其の姿・形を記録した。翁沒後60年の文政6年(1823)に、蒹葭堂の後嗣・木村孔陽が、この圖を蒹葭堂と交友のあッた南畫家・青木夙夜に冩させ、圖譜にまとめて刊行した(千三屋)。高翁(賣茶翁)の衣の紘(切れ端)で作成、「清風」の文字は大典禅師書。
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kennak · 3 months ago
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4年くらいかけておよそ500万円で自分が満足できる顔を手にいれた。 ダウンタイムはほぼ有給使ってなくて、土日祝とマスクで誤魔化し切った。 サラリーマンの給与でやってたのでかなり予算抑えたとは思うけど、それでも100万近くは無駄金使ってしまったと思う。 なので、これから金で顔をなんとかしたい男向けの整形RTAとか、注意点とか、身をもって感じたことなんかを書いておく。 500万の大まかな内訳は、歯列矯正、巨大鼻の工事と修正、眉下切開、クマ取り、ボトックス、ヒアルロン酸、あとは脱毛とかほくろ除去とか、ニキビ跡のクレーター治療なんかの皮膚関連。 一度に500万支払ったわけではなく、気づいたらそれくらいになっていた。 男がビジュアル面の底上げをする上で大事なのが 1.顔と身体のサイズのバランスを整える 2.歯列矯正 3.輪郭を整える 4.肌のムラをなくす 5.顔のパーツを整える あたりで、それぞれ並行しながら改善してくイメージになる。 この中の何か1つをすれば劇的に変身するということもなく、何百万規模の整形でイケメンになってモテモテ!みたいなことは多分起きない。自分は今の完成した顔には満足してるし、明らかにモテるようになって鏡を見るのも美容院に行くのも楽しくなったけど、同じ顔の系統の村でギリ一軍に入れたかな、みたいな変化だ。ちなみにこの村には竹野内豊とか斎藤工はいない。 いずれ鼻とか目を弄るにしても、最初に始めるべきは歯列矯正とBMIを平均にすることだと思う。 歯列矯正は歯並びが悪くないなら当然する必要はないけど、口周りの印象が一番変わるし、時間も年単位でかかるので、歯並びや噛み合わせが悪い人は1番に手をつけた方がいい。男の不細工の大概は顔の下半身に難がある。 そして、体重が重すぎるならダイエットをして、ガリガリならある程度の肉をつけて顔と体のベースを作ってほしい。自分はただ痩せて筋肉が浮いてる状態を細マッチョと勘違いしてるタイプのガリガリだったので、脂肪なさすぎ+鼻の手術失敗で一時期ヴォルデモートになった。あと不健康だと当然手術の傷の治りも遅くなるので、ちゃんと寝て食って元気でいることも大切になる。ダウンタイムが長引くので酒とタバコは可能なら減らす。 体脂肪率もジム���鍛えて可能な限り下げた方がいいとは思うが、これは後々訪れるダウンタイム地獄でも出来るので、すぐに取り掛からなくてもいい。 よく男は「筋肉さえ鍛えれば解決!」みたいに言われるが、マッチョの不細工もいる。そもそもパー���ナルジム代と半年の期間があれば肉体改造はできるのに、すぐに実行に移せない時点で今は向いてないと考えた方がいい。ダラダラやっても金と時間がもったいないので、やりたくなったときにやろう。 顔のどこを変えればいいのか検討もつかない人は、BMI��正常値になったら、加工機能のあるカメラアプリを使って肌だけ綺麗にする設定にして、前髪を上げた状態で正面と横から顔を撮影するといい。これで鼻とか目が気になったら、情報を集めて美容外科のカウンセリングに行こう。 「俺パーツはあんまり問題ないやん」ってやつは肌治療と輪郭の改善から始めて、ハゲてたら早めにAGA治療に入る。 医者選びとかの情報収集はSNSでやるのが主流だけど、評判の名医だから自分と相性がいいとは限らない。男の整形の経験が薄い医者も多いので、予算と地域である程度絞って、そのパーツの「なりたい姿」と「なりたくない姿」の参考写真を持ってカウンセリングに行くしかない。 正直なところ、仕上がりには運の要素が強いと思う。多少理想と違っても気にしないくらいの性格の方が整形に向いてるし、完璧主義なやつはメンタル終わるから顔にメスは入れない方がいい。 そして、整形関連は基本韓国のが安い。ものによっては国内の半額くらいで出来たりする。病院に通訳もついてて日本語だけで予約から手術までいけるところもあるので、予算によってはそちらを選ぶのも手だと思う。 自分はとにかく1番気になっていたのがドワーフみたいな鼻筋も小鼻もパンパンの巨鼻だった。学生の頃から悩み続けてたし、全面工事と修正1回の末に普通のサイズ感の鼻を手に入れて、やって良かったとは思う。 ただ修正も合わせると1年以上ダウンタイムだったし、200万近く払った最初の手術で鼻筋曲がった時は本当に落ち込んだので、よっぽどコンプレックスじゃない限りは鼻の手術には手を出さない方がいい。 あと鼻をいじりたい人は、大体のイケメンは鼻が高いんじゃなくて、中顔面(顔の中心)が前に発達してて鼻の生えてる位置が高い、ってことは覚えておいた方がいい。韓国は男の鼻をとにかく高くしたがる傾向にある気がして、自分には合わなかったので国産を選んだ。 高すぎる鼻は悪目立ちするし、横顔だけ盛れても正面は「鼻!!!」って感じの顔になる。 目は元の形にもよるけど男なら切開せずに埋没で十分だと思う。自分は瞼の重さが気になったので医者の勧めで眉の下を切る手術で目の開きを大きくしたけど、傷跡が気になるし、将来目元から老けそうな気がして後悔してる。 あと変に名前が長い謎の埋没じゃなくて、一番安くてベーシックな10万以下のやつでOK。1年保証とか瞼の脂肪除去とかのオプションも無理につけなくていい。数ヶ月でとれる場合も10年以上もつ場合もあるが、これも運なので、「とれたらやり直せばいいや」くらいの気持ちでいると楽。 あと欲張って埋没で幅を取るとモロに整形顔になるので、二重にすごい執着あるとかじゃなければ、二重に近い奥二重くらいで留めておいた方が自然でいいと思う。 そして、とにかく目にしろ鼻にしろ輪郭にしろ、男の整形で1番意識した方がいいのは【女を目指さないこと】だ。何を言ってるかわからんと思うが、整形に足を踏み入れて症例とか理想の顔とか見てるうちに、目が大きくて顎が細くて小顔の女を目指せば綺麗になるんじゃね?みたいな発想になる瞬間がある。綺麗な症例は明らかに女が多いし。 その発想のまま暴走するとメイク必須の所謂メン地下顔になっていくんだけど、 骨格とすっぴんの男感は消せないので、丸みを求めてヒアルロン酸を入れ続けるモンスターが爆誕する。ナンパ界隈とかで、絶対モテる!とか言ってあの顔を流行らせた罪でかいなと思う。 どんな顔を目指すにせよ、加齢も加味した男のかっこいい、はとにかく意識した方がいいと思う。みんないつかおっさんになるから。 あと、個人的には輪郭3点とかの名前になってる骨切り系もおすすめしない。これは表情が明らかに不自然になるし、あんまり言われてないけど、骨切った後の弛みのケアで切開繰り返すうちに皮膚の感じがかなり変わるので、化粧を普段しない男だと誤魔化しがきかない。顔がデカいのが悩みなら、骨切りするよりダイエットしてハイフとエラボトやって、肩と胸を鍛えて身体とのバランスとった方がいい。 肌関連は、ニキビと赤みの場合は皮膚科の薬で治せる範囲は治して、残ったらVビームとかのレーザー治療に移行する。ニキビ痕とシミは最初から美容クリニックに行っていい。 小さいほくろは1個1000円くらいで取れるところもあるけど、一気に取ると顔中テープまみれで1週間過ごす羽目になる。 ヒゲ脱毛は都度払いでもいいから、予算と場所で通いやすい場所を探そう。 乾燥は日々の積み重ねだから、スキンケアには継続できる範囲で惜しみなく金を出して、その上で毛穴が気になる場合は肌ボトックスとかポテンツァとかのワードで調べるといい。男は皮脂多いので、皮脂抑制系の治療をすると良い結果に繋がりやすい。 肌治療は種類も多いし、合う合わないが人によってかなり違うので、俺の最高お前の金ドブとかもザラにある。 金銭感覚に合う美容クリニックのカウンセリングを受けて、「1ヶ月2万円で赤みと毛穴に効果のある施術を受けたい」とか予算を伝えて、言われるまま一通りやってもいいと思う。そこから自分に合うものを継続していく感じで。 肌ムラがなくなるとかなり垢抜けるから、こういう肌管理系は整形に抵抗ある人にもおすすめできる。 ちなみに自分は、何も考えずに脱毛→鼻→目→鼻修正→歯科矯正→輪郭系→体づくり→クマ取り→肌、みたいなめちゃくちゃな順番でやってたので時間も金も結構無駄にしてる。 時を戻せるなら、まず歯科矯正と髭を含む脱毛、体づくりを並行しながら情報を集める→ハイフとかで輪郭整える→ほくろとシミ除去→鼻→目(埋没)→クマ取り→肌管理って順番にすると思う。これなら多分コスパもいいし、先に輪郭整えることで今よりも顔のバランスが良くできる気がする。 500万かけたところで自分は斎藤工になれないんだけど、顔を言い訳にしないで行動できるようになったのが1番でかい収穫だったと思う。服屋とか美容院での羞恥心がなくなって、何となく休みの日の行動なんかも変わった。金もかかるしリスクもあるが、リターンもそれなりに感じてる。 顔を変えるってことに興味がある人は、この失敗と経験を参考にしてみてほしい。
500万でイケメンの顔になった
11 notes · View notes
crydayz · 2 months ago
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240417 木
まともなPCがなくて寄せラクガキ会いじれない。CanvaはゲーミングPC級のスペック要求するクソ重サイトだ。仕方ない
昨日のやつ1000いいね行かなかったか
クリーチャー娘とメカ娘は別ジャンルかつ、今回のは顔怖ぇからな
ダメージ表現は昔からわたしのアイデンティティみたいなもんだから今後もねじ込みつつ探っていこう
まあ、描いてて楽しかったのでヨシ
サブ垢も1000いいね以下削除ルールに変更する
淘汰を抜けた「いいやつ」しか残さない
そこに残酷さや憂いを感じる必要はない。前見て歩くオア走る事にだけ集中する。後ろ見たり下を見たり立ち止まって逆走したり横道うろちょろして周回遅れに陥らない
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そういうシャキっとカラっとした意識の維持を心がけていけば、報われなさの腹いせに露悪や皮肉撒き散らす甘ったれにはならずに済む
(宮崎版じゃない)ルパンやスパイク・スピーゲルのように刹那的かつ図太く強(したた)かに生きてゆけ
やっぱちょっと悪者としての自覚あった方が善に敏感になれるし善を体現できる
自分を無垢で無害な善人だと信じ込んでる人は他者の悪意や無配慮に対し敏感すぎる
だから相手の加害性を「分からせる」為に露悪や皮肉や復讐に執着して「悪意の使者」と化す
もう散々先人達の不幸な過去ログ見たろ、いい加減その法則に気付けよ被害者気取りの足踏み人間ども、と思う
けど、私も妻と出会えなければ被害感情由来の復讐心を捨てられなかった
それを捨てたら敵の思うつぼ、搾取して人虐げまくったやつが幸せになるなんて間違ってる‼︎
そういう不条理さへの不寛容さ(自分を傷つけ裏切った者への怒り)貫く以外、自分という人間の存在価値を担保できなかった
そのシーズン、そのステージにまだいる人は仕方ない
10代後半でその葛藤抜けて黄金の精神手に入れちゃうジョルノみたいなやつ現実にもいるが、お前どんだけ成長早いんだよ…って思う
私は30代でようやく今の思考のとっかかりを得たというのに
やっぱ軒並みアスリートなんだよな、そういう人。人間的にクソでも実利出してる人間に対しては感情切り分けて評価する大人の目を持ってる。自分の成長に有益なものはなんでも使うというクレバーさ、実利主義なとこがある。それでいて誰よりも痛みを乗り越えてきてるから弱者にも優しい
クズなやつ観てダセェ思って、よしそれになろう! って思う人はいない
クズとはなろうと思ってなるものではなく傷つき心が弱った人間が足踏みするうちに(足踏み人間の匂いに敏感な)悪い友人やダーティーなメンターの影響で獲得してしまう社会的に歪んだパーソナリティのことだ
クズの生活サイクルには常に爛れた非生産的な性がある
どこへもたどり着かず、何とも紐づかない、具体的生産を拒絶し搾取と被搾取の輪の中で不毛かつ曖昧な消費を重ねることの肯定
「訳がわからなくなってからが本番」を座右の銘(もとい免罪符)に据えた自暴自棄
教科書通りの壊れ方
フロイト先生が腕組みしてうんうん頷くタイプの典型的破損サンプル
ベタで退屈で私が一番嫌いな標準シナリオ
私は母から託され��負の物語に決着をつけた
親の落ち度を許せない子供は親の物語から独立できない
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ari0921 · 25 days ago
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AIに聞いてみた
日本の米は過度な保護、非関税障壁なのか?
アメリカとの相互関税問題で取り上げられる日本側の米の700%関税と言うのは本当か?
しかしアメリカやヨーロッパでは農業に関して所得保障などで国からの支援が入り安価に生産している、トランプ大統領の言う日本のアンフェアだと言う姿勢を避難しているが工業製品やサービスとは違い食料の時給に関しては安易に譲歩も開放もできないのでは無いのか
日本の米作は食料安全保障だけでは無く、水田の治水による自然災害の防止など災害対策にも歴史的にも重要なインフラで有るはずだ、まずはトランプ大統領の主張する事実関係のチェックと梅雨や台風、国土の地形問題も含めた水田の果たす役割を考慮して日本は譲れない事を検証して下さい
### トランプ大統領の主張する「日本がアメリカ産のコメに700%の関税を課している」という事実関係の検証
トランプ大統領が主張する「日本がアメリカ産のコメに700%の関税を課している」という発言は、複数の報道機関や専門家の分析に基づいて、以下のように事実関係を整理できます。
1. **日本のコメ関税の現状**:
- 日本はWTO(世界貿易機関)のルールに基づき、「ミニマム・アクセス(MA)」という仕組みで年間約77万トンのコメを無関税で輸入しています。この枠内で、アメリカからは約34万トンが無関税で輸入されています(2024年度実績)。
- MA枠外の民間貿易では、コメ1kgあたり341円の従量税が課されます。この関税額を税率に換算すると、輸入コメの価格によって変動します。過去(2000年代のWTOドーハ・ラウンド交渉時)に農林水産省が低価格の輸入米を基準に試算した際、関税率が約778%とされたことがあり、これがトランプ氏の発言の根拠と推測されます。
- しかし、現在のアメリカ産コメの価格(例:カリフォルニア産短粒種)を基に試算すると、関税率は約220%程度に下がると専門家が指摘しています。 したがって、「700%」という数字は古い試算に基づくもので、現在の実態を正確に反映していません。江藤拓農林水産相(当時)は「論理的に計算しても700%は出てこない。理解不能だ」と反論しています。
2. **トランプ氏の主張の背景**:
- トランプ政権は、日本が米国に対して46%の関税を課していると主張し、これを基に日本からの輸入品に24%の「相互関税」を課す方針を発表しました(2025年4月2日発動予定)。この46%という数字も、USTR(米国通商代表部)の平均関税率3.7%とは大きく異なり、非関税障壁や貿易赤字を加味した独自の計算に基づいています。
- 「700%」の数字は、米国が日本の農産物市場の閉鎖性を批判する際に、誇張された形で用いられている可能性があります。ホワイトハウスのレビット報道官も同様の発言を繰り返しましたが、具体的な根拠は示されていません。
- トランプ氏の主張は、米国の農産物輸出を増やし、貿易赤字を減らすための政治的圧力の一環と見られます。特に、コメは日本の農業政策の象徴として取り上げられ、交渉の焦点になりやすい品目です。
3. **事実確認の結論**:
- 「700%関税」は、過去の特定の試算(約778%)に由来するものの、現在のアメリカ産コメの価格に基づく実効税率(約220%)とは大きく異なります。また、MA枠の無関税輸入が全体の輸入量の大半を占めるため、実際の関税負担は限定的です。
- トランプ氏の発言は、事実を誇張し、日本の市場保護政策を「不公平」と印象付ける意図があると考えられます。日本の農林水産省や専門家は、この数字が不正確であると一貫して反論しています。
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### 水田の多面的機能と日本の食料安全保障における役割
日本の米作と水田は、単なる食料生産を超えて、以下のような多面的な役割を果たしています。これらは、食料安全保障や自然災害対策、さらには国土保全において譲れない要素です。
1. **食料安全保障**:
- **コメの文化的・経済的意義**: コメは日本人の主食であり、食文化の根幹です。年間消費量約700万トンのうち、国内生産が約800万トン、MA米が約70万トンで、ほぼ自給自足に近い状態です。 食料自給率(カロリーベースで約38%、2023年度)の向上において、コメは基幹作物として不可欠です。
- **地政学的リスクへの対応**: 食料輸入に過度に依存することは、国際情勢の不安定化(例:ロシア・ウクライナ戦争による小麦価格高騰)や円安による輸入コスト増大のリスクを高めます。 日本のコメ自給は、こうした外部ショックに対するバッファーとして機能します。
- **米価高騰と備蓄米の限界**: 2024年以降のコメ価格高騰(5kgで4000円超)は、減反政策や気候変動による不作、インバウンド需要の増加が原因です。政府の備蓄米放出は一時的な対策に過ぎず、輸入依存への転換は食料安全保障を脆弱化させるリスクがあります。
2. **水田の治水・災害防止機能**:
- **洪水防止**: 水田は「天然のダム」として機能し、梅雨や台風時の豪雨を一時的に貯留することで、洪水や土砂災害を軽減します。農林水産省の試算では、水田の洪水防止効果は全国で年間約2.5兆円に相当します。特に、急峻な地形と多雨な気候を持つ日本では、この機能は都市部や低地の安全確保に不可欠です。
- **土壌保全と地下水涵養**: 水田は土壌侵食を防ぎ、地下水を涵養する役割を持ちます。これにより、河川の水量安定や水質浄化に寄与し、渇水リスクを軽減します。例として、関東平野や近畿地方の水田地帯は、地域の水循環を支えています。
- **生態系保全**: 水田は湿地環境を提供し、生物多様性を支えます。絶滅危惧種(例:タガメやホトケドジョウ)の生息地としても機能し、環境保全に貢献します。
- **気候変動対策**: 水田のメタン排出は課題ですが、カーボンニュートラルを目指す技術(例:間断灌漑)や有機農業の推進により、環境負荷の低減も進んでいます。
3. **地域経済と文化の維持**:
- 米作は農村経済の基盤であり、農家の生計を支えます。農協や全農を通じた生産・流通システムは、地域コミュニティの存続にも寄与します。
- 棚田や伝統的な米作風景は、観光資源や文化的価値としても重要で、インバウンド需要にも応えます。
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### トランプ氏の「アンフェア」批判に対する日本の立場と譲れない理由
1. **トランプ氏の「アンフェア」批判の背景**:
- トランプ氏は、日本のコメ関税や非関税障壁を「不公平」と批判し、米国の農産物輸出拡大を求めています。これは、米国の貿易赤字(2024年で日本に対して684億ドル)解消や国内農家の支持基盤強化を狙ったものです。
- しかし、米国やEUも農業に多額の補助金(例:米国の農家所得保障プログラム、EUの共通農業政策)を投入し、生産コストを下げて国際競争力を高めています。日本のコメ関税が「アンフェア」とされる一方、米国も同様の保護政策を採用しているため、一方的な批判には矛盾があります。
- 日本の農林水産物輸入額は米国がトップ(2023年で2.1兆円)であり、既に市場は一定程度開放されています。トランプ氏の要求は、さらなる市場開放を求める政治的圧力と見られます。
2. **日本が譲れない理由**:
- **食料安全保障の確保**: コメの自給率を維持することは、地政学的リスクや気候変動による供給不安への備えとして不可欠です。米国産コメの関税を大幅に下げたり撤廃したりすることは、国内生産基盤の弱体化を招き、長期的な食料安全保障を損なうリスクがあります。
- **水田のインフラ的役割**: 前述の通り、水田は洪水防止、土壌保全、地下水涵養、生物多様性保全など、日本の国土と環境を守るインフラです。これを維持するためには、米作の経済的存続が不可欠であり、高関税は国内生産者を保護する手段です。
- **農村経済と雇用の維持**: 米作は農村地域の経済と雇用を支える基盤です。関税の大幅引き下げは、農家の収入減や離農を加速させ、地域社会の崩壊を招く可能性があります。
- **国際交渉におけるバランス**: 日本は過去のWTO交渉やTPP(環太平洋パートナーシップ協定)などで、コメを「聖域」として保護する姿勢を貫いてきました。安易な譲歩は、今後の貿易交渉での日本の交渉力を下げる恐れがあります。
3. **代替案と現実的な対応**:
- **限定的な市場開放**: 米国からのMA枠拡大や、特定品種(例:カリフォルニア産短粒種)の輸入増は、国内生産への影響を最小限に抑えつつ交渉の妥協点となり得ます。
- **農業改革の推進**: 日本の米作は、兼業農家依存や農協を通じた高コスト構造が課題です。生産コスト削減(例:株式会社化の推進、スマート農業の導入)や輸出拡大(日本食ブームを背景に)により、国際競争力を高める改革が必要です。
- **水田の多機能性を国際的にアピール**: 日本の水田が治水や環境保全に果たす役割を、WTOや日米交渉の場で強調することで、保護政策の正当性を訴えるべきです。
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### 結論
- **トランプ氏の「700%関税」主張の真偽**: この数字は過去の試算(約778%)に由来しますが、現在の実効税率(約220%)とは異なり、MA枠の無関税輸��を無視した誇張されたものです。日本の農林水産省や専門家は、この主張が不正確であると反論しています。
- **日本の譲れない理由**: 米作は食料安全保障の要であり、水田は洪水防止、土壌保全、地下水涵養、生物多様性保全といったインフラ的役割を果たします。これらは日本の気候(梅雨・台風)や地形(急峻な国土)に適応した歴史的基盤であり、農村経済や文化の維持にも不可欠です。
- **今後の対応**: 米国との交渉では、限定的な市場開放や農業改革を進めつつ、水田の多面的機能や食料安全保障の重要性を国際的に訴えるべきです。安易な関税撤廃は、長期的な国益を損なうため、慎重な姿勢が必要です。
**出典**:
- 農林水産省、WTO協定、USTR報告書(2024年)、各種報道(NHK、日本経済新聞、朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、ブルームバーグ、ジェトロ、ダイヤモンド・オンライン、Yahoo!ニュース)
- X上の意見(@ippatsu_sendai、@atodesimasu、@WindLigerAcademなど)
※具体的な引用は、文中および末尾の参照番号(‽web、‽post)を参照。
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moko1590m · 6 months ago
Quote
職業としての売春は、古くから存在する。職業とは、ヒトのみが行う社会的かつ文化的営為であり、富・付加価値の交換により形作られる経済活動の手段としては、売春は人類最古の職業の一つでもある。 現代の売春とは取引契約に基づくものであり、売春の歴史とは売春仲介の歴史でもある[5]。また、売春という職業が成り立つ為には、貨幣経済の浸透と、家父長制や嫁取り婚が成立していないといけない[要出典]。ヨーロッパでは古代ギリシャ以降になる。 古代 →「公娼」を参照 史上初めて管理売春すなわち売春を国家の登録制度のもとに管理し、公認したのはギリシャのソロンといわれ、国家によって女性の奴隷を「購入」し、「ディクテリオン」という売春施設へといれた[6]。ローマ帝国でも売春仲介業者は法的な認可をうけ、届出をするだけでなることができたため、売春は広く行われていた。しかしローマがキリスト教徒の迫害をやめ、それを国教としたことをうけて、売春を禁ずる法が登場する。ユスティニアヌス法典は、売春仲介業者の責任を問い、売春婦たちを「不幸な運命から救いだす」ことをうたう画期的なものであった[7]。 キリスト教が普及するにつれて、売春を含めた性の問題はすべて宗教の領域で扱われるようになる。キリスト教は売春はおろか婚姻生活以外での性交渉を禁止した。一方で国家は売春の禁止と公認を繰り返してきた。公序良俗を保つためであり、税収を確保するためであった。中世に入ってキリスト教の影響はさらに強まり、例えば、シャルルマーニュの勅令は売春の完全な禁止を謳っている。こちらは業者へは少量の罰金刑を課し、売春婦を「みだらな女」として広場で鞭打ちに処すなど重い罰を規定している。 近代 このように近代まで、国家は売春を両義的なものとして扱っていた。登録制度という公認であっても女性を監視し縛り付けるものだとする「廃娼論」が出現するのは20世紀以降のことである[8]。そして「醜業ヲ行ハシムル爲ノ婦女賣買取締二關スル國際協定」が1904年に採択され、「醜業ヲ行ハシムル爲ノ婦女賣買禁止二關スル國際條約」が1910年に制定され、1921年に国際連盟によって「婦人及児童ノ売買禁止ニ関スル国際条約」、1933年に「成年婦女子ノ売買ノ禁止ニ関スル国際条約」がそれぞれ採択された。さらにそれらの協定や条約を統合する形で「人身売買及び他人の売春からの搾取の禁止に関する条約」が1949年に国際連合によって採択され、1951年に発効した。 現在、フランスの社会史学派、アナール学派の研究によれば、売春は逆にキリスト教によって誕生したと論じている。本来、男女は対等であったが、キリスト教の「弱者である女性は、保護を行う男性の支配を受けなければならない」という教義から家父長制が強力になり、支配される性としての女性が誕生した、という考えである。[要出典] 日本 →詳細は「遊女」を参照 阿部定が最後に勤めた遊廓大正楼(兵庫県丹波篠山市) 万葉集に掲載されている歌の解釈から、この時代から日本でも売春は行われていたと考えられる。ただし、古代の記録に見られる売春は、都周辺に限られており、地方における実態は不明である。日本において職業としての売春が成立するのは、中世後期の室町期以降である。平安時代に至っても、さらには鎌倉期においても、妻問婚がメインであり、貨幣経済と男性優位の家父長制や嫁取婚はいまだ浸透していなかった。平安時代と同じく母方の父が優位という執権政治の形態が続いていたことからも明らかである。座や町衆などによる市の支配の確立と、惣領制や嫁取婚が成立するまでは、職業としての売春は広がりを見せなかった。 売春は神道において、巫女によって行われたこともあった[9]。鎌倉時代には巫女を養っていた多くの神社や寺院が破綻し、生活の糧を求めて旅に出る巫女が現れ「歩き巫女」と呼ばれるようになった。巫女は主に宗教的なサービスを提供していたが、売春とも広く関係していた[9]。 安土桃山時代に豊臣秀吉が大坂道頓堀において、遊女を一箇所に集めた遊廓を作って以後、江戸時代でもこうした遊廓を設置した。特に吉原遊廓、島原遊廓、新町遊廓は三大遊廓と呼ばれるほどの隆盛を誇った。ただし、遊廓などではいまだ女性の「神」性視が行われ[独自研究?]、遊廓は非日常の空間であり、世俗の法律が通用しなかった。吉原の監督官としての武士も、武家出身者ではなく忍者出身者が行い、公儀とは距離を置いた[要出典]。江戸幕府は、江戸および関東八州については、公的に売春を認めつつ[注釈 3]、散在する遊女屋を特定地域に集合させ、1617年(元和3年)、日本橋葺屋町界隈に遊郭の設置を許可し、吉原遊廓とし、この他の地での売春を禁じた。この禁を破って売春がなされる場所を岡場所といい、その遊女らは、後任の吉原におけるものと異なり、私娼であって取り締まりの対象とされた。私娼は発覚・奉行所などに捕縛されると、新吉原で女郎として3ヵ年の年季奉公が科せられ(公事方御定書[11])、そのような女郎は「奴女郎」と呼ばれ最下級の扱いを受けた。このように、建前上は、吉原以外での売春は禁じられていたが、岡場所は江戸時代を通してところを変えながら存続し続けたし、特に、近郊の品川宿、内藤新宿、板橋宿、千住宿など、近郊の宿場町の宿屋では、泊り客に飯盛女と称した私娼の斡旋を行っていた。 1958年(昭和33年)4月1日に売春防止法が施行され、赤線も廃止されソープランドとして残る(神戸福原) 明治維新以後もこのような遊廓は存在していたが、転換点となったのは1872年(明治5年)である。この年、マリア・ルーズ号事件が発生し、大日本帝国政府はペルー船籍の汽船船内における中国人(清国人)苦力に対する扱いを「虐待私刑事件」として日本の外務省管下で裁判を行ったが、この裁判において被告側より「日本が奴隷契約が無効であるというなら、日本においてもっとも酷い奴隷契約が有効に認められて、悲惨な生活をなしつつあるではないか。それは遊女の約定である」との主張が為された。 この主張に対して、特命裁判長を務めた神奈川県権令大江卓は「日本政府は近々公娼解放の準備中である」と公娼廃止の声明を発し、1872年10月2日、芸娼妓解放令が出された[12]。これにより、女衒による遊女の人身売買は規制されることになったが、娼婦が自由意思で営業しているという建前になっただけで、前借金に縛られた境遇という実態は変わらなかった。 また、この時期に数多くの女性が女衒の斡旋により、日本の農山漁村から東アジア・東南アジアに渡航し、遊廓で働いた。こうした海外渡航した女性たちは「からゆきさん」と呼ばれた。このように世界への渡航���手配した、女衒として有名な人物に村岡伊平治がいる。 第二次世界大戦後の1946年(昭和21年)、日本の統治を担当していたGHQは公娼廃止指令を出し、女給による売春を行う赤線を除いて遊廓は廃止されることになった[注釈 4]。 また、1955年(昭和32年)最高裁判所は、売春を前提とした前借金について『公序良俗に反するものであるとして無効』とする判例を確定させた[13]。さらに、上記「人身売買及び他人の売春からの搾取の禁止に関する条約」を批准するための国内法である売春防止法が1956年(昭和31年)5月に公布、1958年(昭和33年)4月1日に施行され、これによって赤線も廃止されることになった。 これら赤線地帯にあった店は、その後も小料理屋やトルコ風呂(現:ソープランド)などと名称を変え、管理売春や勧誘・斡旋などの売春助長行為ではなく、個人の自由意志での性行為の場所を提供する、という法令に抵触しない範囲で営業を行っている。なお、トルコ風呂の名称については、トルコ人留学生・ヌスレット・サンジャクリが厚生省(現:厚生労働省)に名称変更の訴えを起こし、名称がソープランドに変わった経緯がある[注釈 5]。 →詳細は「ソープランド § 改名問題」を参照 各国の概況
売春 - Wikipedia
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