#十和田湖であいましょう
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和六年(2024年)11月1日(金曜日)弐
通巻第8485号
■訃報■
西尾幹二氏
●●●●●
けさ(11月1日午前四時)、息を引き取られた。個人全集二十四巻、あと一巻で完結というところだった。編集は終わっており、年譜を作成中で、じつは小生もちょっとお手伝いをした。それは西尾さんがたった一度だけ三島由紀夫とあった日付けのことだった。
西尾全集はわが書架の福田恆存全集のとなりに並んでいる。よく拙著から引用され、評価していただいた。氏の特技は長電話。朝九時か十時頃にかかってくる。最低一時間のお喋りになる。
思い起こせば三十年に及ぶおつきあいのなかで、私と会うときは、話題は三島由紀夫であり、国際情勢だが、ニーチェの話は殆どしたことがない。拙著『青空の下で読むニーチェ』には、感想がなかった(苦笑)。
『江戸のダイナミズム』で出版記念会をやりませんか、と提案すると真剣に応じられ、準備状況、発言者、当日用意する冊子など、およそニケ月の準備の時間は殆ど毎日、氏の自宅や版元の会議室で膝つき合わせ、あるいは会場での打ち合わせに費やされた。当日は四月というのに小雪が舞い、出足を心配したが、会場は四百人以上の熱気で埋まった。
二次会はカラオケだった。氏は♪「湖畔の宿」を、小生は♪「紀元は二千六百年、病に伏される前まで毎年、忘年会は高円寺の居酒屋にお招きいただき、周囲構わず大声で論議風発、愉しい時間だった。大いなる刺激をいただいた。
氏が主催する「路の会」は四半世紀続いた。月に一度、保守系の論客を講師にお招きして、ああだこうだと激論を闘わせる知的昂奮の場だった。西尾氏が急用時には、小生が二回代役の司会をつとめた。田村秀男氏と中西輝政氏を招いた時だった。おわると近くの居酒屋に場所を移して、さらに激論が続き、氏は割り箸の袋にもメモを取るのである。かえりは方向が同じなのでタクシーに同乗するのだが、延々と論争の続き、耳が疲れるほどだった。
或る時、知り合いの雑誌の編集長から電話があって、カラーグラビアに「路の会」をとりあげることになり、大勢のメンバーがあつまって写真を撮った。全集の口絵に好んで使われた。
憂国忌には二度講演をお願いしたほか、出番がなくても時間が空いていれば出席された。
氏は論争が大好きで、また相手構わず激論を挑む。現場で見たのは岡崎久彦氏への面罵、そして小泉首相を「狂人宰相」と名付け、また安倍晋三首相をまるで評価しない人だった。
台湾に一緒に行く前日になって、台湾大使が「野党が西尾氏の訪台を政治利用しようと、いろいろと企んでいるので、延期して欲しい」となって、せっかくの旅行はそのまま中止となった。国内旅行は三重の長島温泉など。
氏はまた読者、ファンをあつめて西尾塾とでもいうべき「坦々塾」を主催され、二回ほど講師に呼ばれて喋った。初回は四谷のルノアールに二階を貸し切った。
次々と走馬燈のように思い出が尽きない。西尾幹二氏は不出生の論客にして思想家だった。
合掌
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「虚無への供物」中井英夫 0041
序章
4蛇神伝説
バア「アラビク」で、 久生と亜利夫、そして藍ちゃんの会話のつづきです。
この東京で、アイヌを見かけたという藍ちゃんに 久生と亜利夫は、それぞれ、サンドイッチマンや花やしきでの出し物を疑います。
日本堤を藍紋様の晴着をきたアイヌが闊歩しているのは、想像できないのでしょう。 たしかに滑稽な感じはしますね。
ところで、戦前あった日本堤が、戦後、台東区に含まれたそうで、 まさに、バア「アラビク」は、日本堤にあるということのようです。
藍紋様の晴着とは、あの独特のアイヌ紋様を指しているのでしょうが、 晴着という表現がピンときません。 一般的に、ふだんとは違うハレの日に切る服を言うのだと思いますが、 それ���着ているということは、例のアイヌ人にとって、 まさにハレの日だと言うことを言いたいのでしょうか?
単にそう表現したとも考えられますが、 やはり、何か、ハレの日にふさわしい出来事でもやったという意味にも取れますね。
しかし、藍ちゃんは、見かけたのは2度めだというし、ホヤウカムイの使いだといいます。 久生は多少興味があるようにホヤウカムイについて訪ねます。 ホヤウカムイは、洞爺湖の蛇神で、それは現実の恐怖から生まれたものでアイヌの伝説の一つだそうです。
アイヌ語でシャック・ショモ・アエップ(“夏、口にだしてはいけない”)が“怖い蛇の神様”と同じ意味に使われるくらい、 蛇を恐れているそうです。
ちょっと調べたところアイヌ語では、 シャックは“夏” ショモは“~しない” アエップは“食べ物や餌(エ)”なんかだそうです。 間違っているかもしれませんが、 大雑把に訳せば、「夏、食べない」「夏、口にしない」というところでしょうか? “夏、口にだしてはいけない”とは、少しニュアンスが違う気がしますが、そういう言い回しもあるのだと言われればそうかもしれません。
蛇の出てくるユーカラは、夏場に頼んでも、決して歌ってくれない。 ユーカラは、アイヌ語では叙事詩を指すそうですが、単に歌を指す言葉でも使われるみたいです。 蛇の出てくる歌(そんな歌があるんですね)は、決して歌わないということでしょう。
久生も興味が湧いてきたのか、北海道旅行に言ったときの友人に聞いた話をします。
夏になると、洞爺湖の饅頭(まんじゅう)島から中島へ蛇が群れになって泳いで渡る。 調べてみると、饅頭島はヘビ島と呼ばれるほどに蛇が多い島だそうです。 実際に、中島へ蛇が渡るのかどうかは知りませんが、想像すると確かに怖い光景かもしれません。
純粋なアイヌが残っているとしても、 ホヤウカムイという蛇神は、 五弦琴(トンコリ)をならし、氓び(ほろび)の歌の中にでてくる話なのだろうといいます。
アイヌと氷沼家に 因縁があると思わせてますね。
ところで、 五弦琴(トンコリ)は、樺太アイヌ起源の楽器だそうです。 ハープ等と同じく基本的には弦の数(つまり五音)しか音が出ない。 かなりシンプルな音なんでしょうね。
氓び(ほろび)の歌はアイヌの歌にあるのでしょうが、 この氓びの意味がよくわかりません。
滅びるや亡びると同じような意味だと見て取れますが、 実際に、検索してみると民としての意味合いが強いようです。
つまり、民が亡びるというような解釈すればいいのでしょうか? それは、すなわちアイヌが消滅するということに繋がつのかもしれません。
アイヌを恐れているのは、 藍ちゃんの従兄弟同士であり、 亜利夫の学校の先輩後輩に当たる氷沼蒼司の弟、紅司(こうじ)であると。
それを引き取���て、久生は、氷沼家とアイヌの因縁を探ろうとします。
アイちゃんの曽お祖父ちゃんの誠太郎(せいたろう)が、開拓使の役人で、クラーク博士の通訳をしていた。 氷沼家は曾お祖母さん��実家だとのこと。
なんと、 ここでw.s.クラーク博士の名前が出てきます。 そうです。あの“ボーイズ・ビー・アンビシャス”の人です。
明治三年(1870年)以降、アーマスト州立農業学校時代に、クラーク博士と誠太郎が知り合ったことになっています。 アーマスト州立農業学校は、厳密には、マサチューセッツ大学アマースト校のようですね。
で、同行帰朝したと『クラーク先生とその弟子たち』(大島正健著)にあるが、 これは間違いで、明治七年(1874年)に誠太郎が先に帰国し、 北海道・サハリン(樺太)の開拓のために設けられた開拓使に、出仕しています。 青山試験場勤務から、明治九年の博士の来日とともに、札幌勤務となっています。
『クラーク先生とその弟子たち』の中身までわかりませんが、同行帰朝ということは、 国命によって外国に使者として出かけたものが帰国するということなので、誠太郎は、国の仕事をしていたことになります。
そのクラーク博士が翌年明治十年(1877年)帰米したあとも、内村鑑三(うちむらかんぞう)や新渡戸稲造(にとべいなぞう)を北海道に送り込んだりと勢力的に働いていたはずなのに、 誠太郎によるアイヌ狩りともういうべき残虐な行為が、黒田清隆(くろだきよたか)の耳に届き、 長崎出張申シ付ケ候事と明治六年(1873年)に官営となった高島炭鉱へ追いやられてしまいます。
その後、誠太郎は、失踪。最後は、狂死したと言う連絡が、函館の実家に入ります。
と、 ここまで、実在の人物名を挙げて詳細に述べられると、現実の話のような気にさせられます。 うまく現実と絡めて盛り上げていますね。
その後、藍ちゃんのお祖父ちゃんの光太郎が昭和9年3月21日の函館大火でなくなったり、 長女��朱美(あけみ)が広島の原爆で、 洞爺丸の事件で長男の紫司郎と三男の薫三郎が亡くなったりと、 氷沼家では、ろくな死に方をしないと言われるようになります。
結局、目白にいるには、蒼司とその弟の紅司それに藍ちゃん それから同居人の叔父橙次郎(とうじろう)夫妻ということになります。
ここまでで、アイヌとの因縁が匂わされると、 ミスリードさせようとしてる感じがプンプンです。
あとは、主な登場人物が出てきましたね。
氷沼蒼司(ひぬまそうじ) 氷沼紅司(ひぬまこうじ) 氷沼藍司(ひぬまあいじ) 橙次郎(とうじろう)夫妻
光田亜利夫(みつだありお) 奈々村久生(ななむらひさお)
つづく。
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2023.9.29fri_yamanashi
こんにちは。マリンバ&ビブラフォン(木琴と鉄琴)奏者でシンガーソングライターとしても活動している 影山朋子といいます。
今回このような日記を書く機会を頂けてとっても嬉しい。最近文章を書いていきたいなと思っていたのでした! さて、初めに鷹取さんから日記のことでお声かけてもらったのは7月末のこと。2年前から突如ご縁ができて毎年通わせてもらっている大好きな能登半島のイベントに出演する日が候補日だったので、これは!と思い是非書かせてくださいとお返事し意気込んでいたところ、出発当日になって発熱しはじめ、抗原検査は陽性。泣く泣くイベントを欠席する事になりました。 それでも、日記は書きます!と申したものの、どんどん熱が上がり動けなくなり、コロナ舐めてましたごめんなさい!! ということでまた後日にとお願いしたのでした。
-コロナ罹患の思い出- 初めてのコロナ、3、4日寝続けるなんて何年ぶりだろう。熱が上がってだんだんと苦しくなってくるにつれて、 多分これまで何十年と溜め続けてきた、”ああ、私なんて・・” みたいな笑っちゃうほど自虐的な惨めな気持ちや不安が奥から奥からぐろぐろ出てきて( 笑 すみませ ん、、) 自分ネガティブキャンペーンがピークに達した頃、突如「あ、そういえば鬼滅の刃の新しいのまだ見てなかったな、何もできない今こそ見るのにぴったりやん」と思い立ち、 ネットフリックスで鬼滅の刃の刀鍛冶の里編を一気観したのでした。 そうしたらば、どうでしょう、最後に出てくる上弦の鬼が、それはそれはみみっちい人(鬼)格で、自分は悪くないのに何故咎められるんだろう、自分はなんて可哀想なんだろうと、ずっと泣いているのでした。人を殺めるようなことをしても「私が悪いのではないです、この手が勝手にやったのです」と泣いているそのどうしようもなさ・・。
あああ~、私にも、こういうところがあるので、鬼を見ていて自分の悪いところそ っくりだなと思っていたら、炭治郎が鬼の首を切ったところで、自分の中の鬼も成敗されて付き物が取れたかのような爽快さとともに、コロナから回復して行ったのでした。 なんだかそれが面白かった初めてのコロナ体験でした。 うちは夫と猫二匹と暮らしているのですが、夫も同時にかかったので、かかる前と後で二人ともなんか取れた(浄化された)みたいで家庭の空気もすっかり良くなった のでした。 大変な思いをされた方が沢山いらっしゃる中で、ちょっとふざけた文章でごめんなさい。今も患っていらっしゃる方、後遺症などで苦しんでおられる方のご回復をお祈りいたします。
-河口湖猫LIFE- さて、前置きが長くなりましたが、今日、9月29日の日記を書いていきたいと思います。 昨年、八王子から山梨の河口湖に引っ越しをしました。週に2、3日、夫と一緒に東京方面に行き八王子に住んでいた時にしていたお仕事 (音楽療育やマリンバのレッスンをしています)を続けながら、それ以外の日はライブなどが無ければ山梨の家 で自分の仕事(音楽の作業)などをしています。
今住んでいるお家は山の入り口辺りにあり、目を覚ますと 一日の始まりに緑が揺れる素敵な光景を見ることができます。

今日は曇りで見えませんが、ありがたいことに富士山がよく見える場所です。 最近少し涼しくなってきて嬉しいのは、起きた時、大概猫ちゃんが体の上に乗って いることです。


今日は休みの日にしては早起きして、朝近所のカフェに用事に行き、帰りに河口湖浅間神社にお参りに行きました。

こちらは杉の木が、ほんとにすごいんです、大き~な杉の木がたくさんそびえたっておられます。 神社の奥にまた立派な杉の木が並んでいます。

鎮爆の文字。この地域ならではですね。
本当はこの神社から少し登ったところに 母の白滝、父の白滝という素敵な滝があってそこまで行けばとっても気持ち良いのですが 今日は作業があるのであきらめました。

いつも行くわけではありませんが、今日はせっかくの日記の日なので、河口湖の人気のパン屋さん レイクベイクに寄ってパンを買って帰りました。なんだか優雅な気持ち。 天気が良ければパン屋の小窓から富士山が見えるみたい。
。 家に帰って、最近新しくできたルーティーン “もみ散歩” 飼い猫の���葉(もみじ)の散歩に付き添います。
これはなんだかとっても、いい すごく癒される時間です。
今のお家に引っ越してから最近まで猫ちゃんは室内飼いにしていてお外には出さないようにしていましたが、 1ヶ月ほど前に外出を解禁したのです。(前の家では自由に外に出してあげていたので二匹ともお外大好き)
二匹のうち三毛の紅葉(もみじ)は、気高くナワバリ意識が強くて、喧嘩っ早く、 紅葉の娘猫の心(ココロ)は気ままでマイペース、外の猫ちゃんに遭遇しても臆病ですぐ逃げ帰ってきます。
お外に出すようになって二日目のこと、紅葉が外の猫ちゃんと喧嘩しめちゃめちゃにやられてゼーハー言って帰ってきたのでした。 お腹と脇の下が傷だらけになってそれはそれは可哀想な状態でした。 とても心配でしたが、1日静かに寝てから動物病院に行き、抗生物質を飲ませて3日ほどすると回復し始めてもう薬を飲まなくなり、 1週間くらいで大分元気になりました。
もうお外に出すのは無理かなと思っていたら、懲りずに、、外に出たくて窓のところでドアを開けようとするのです、 傷がすっかり消えたところで、また外に出してあげる事にしました。 でも外猫ちゃんと遭遇したら、また喧嘩しかねない・・ プライドの高い紅葉はきっと・・危ないなと思い、 紅葉の散歩は毎回付き添う(というか見張るというか様子を見る)事にしました。
まずお外に出てプラプラ、日向ぼっこしてごろごろして、お気に入りの場所と縄張りを一通りパトロールして、 そして、草を食べます。(可愛い・・)

(手頃な草を探す紅葉)
( 実は、紅葉が草を食べ終わったくらいのところで、「もみちゃんそろそろおうち 戻るよ。私仕事しなくちゃいけないからね」 と言って抱っこして無理やりつれて帰ろうとしたら シャーって怒られて噛みつかれて逃げられました、、 その後に、おトイレをしてから自分で家に戻ったのでした ) ああやっぱり大人の(人間の)都合で動かそうとしたらダメなんだなぁ。 待つことや ちょっと遠目で見守ること 大事なんですね~ (人間の子どもと同じですね~)
おかげで紅葉の散歩ルーティンや行動パターンがわかってそれはよかったです。安心しました。



(お外やベランダで気ままに過ごす猫ちゃんたち) ああ可愛い。
ギターとシタール演奏のほか映像作家もやっている旦那さん(田井中圭)が、細かい 作業を手伝ってくれてめちゃくちゃ助かりました。 ありがとう!!!
家で仕事をしていると猫ちゃんたちがそばで応援してくれる時もあります。

時々ベランダに出て休憩していると見たこともない綺麗な虫たちをよく見ます。 この辺りの虫はだいだいキラキラ光っていたり、透明に透き通っていたりして、綺麗です。

そうして夕方、またお外に行きたい猫たち。

私も体がガチガチになってきたので、家の周りを一周歩いたり走ったりしにいきます。 すぐ近くに川が流れているのでそこに行くとすごくリフレッシュできます。

大分日が暮れてきました。 家には、浅間神社のコノハナサクヤヒメのお札(というのでしょうか・・?)と、 夫がインドで買ってきたサラスヴァティーと 能登半島の天日陰比咩神社のハガキを飾って(祀って)います。

夜、旦那さんが外で草を摘んできて紅葉にあげていました。 可愛い・・

さて、もうそろそろ寝る時間です。
とても平和な1日でした。 読んでくださりどうもありがとうございました。
本当は、河口湖や富士山周辺のおすすめスポットもご紹介したかったです。 忍野八海や、樹海や、道の駅や、温泉・・ 楽しいところがいっぱいあります。
そのうち、家で自然療法(蒟蒻湿布や石の温灸やよもぎ蒸しなどでの身体のあたため)と楽器の音でのサウンドセラピーのようなことと、 山や川、河口湖周辺の散策などをするリトリート的なことをやっていきたいなと思っています。 ご興味ある方いましたら声かけてください。 まだ準備中ですが、ひっそりと、”森のおとリトリート”というインスタグラムアカウントを作りました。 https://www.instagram.com/morinootoretreat/
こちらに引っ越してから、だんだんとやりたいことが自然とできるようになってき ました。 ありがたい。 カバー動画もやっていきたいし、 音楽以外にも、やりたいことが沢山あり、デザインやグッズ制作、文章も書いてい きたくてnoteも始めようと思っています。 楽しみ。
とりあえずは!! 11/15に、マリンバの弾き語りでのセカンドアルバム(8曲入り)をリリースいたします。 ゲストミュージシャンに夫のシタールの田井中圭と、クラリネット奏者の渡邊一毅 さんを迎え一曲ずつ参加してもらいました。 よかったらこちらSENSAさんに詳しく情報掲載いただいているのでご覧ください。 https://sensa.jp/news/20230927-kageyama.html
リリースパーティは!!ゲストミュージシャンのお二人と、シンガーソングライター のkiss the gamblerちゃんを迎えて 恵比寿リキッドルーム二階のKATAで開催します。 世田谷の美味しい硴とお酒のお店 アリク が 硴めしや、炊き込みご飯などで参加してくれます!! ぜひ遊びにきてください♪ 詳細こちら https://t.livepocket.jp/e/tampopo
ええと、こんなことを書いている今。夜寝る前。 ふと見ると室内にいるはずの紅葉がベランダに・・! 窓の網戸用鍵はかけてあるのになぜ?! と思ったら、なんと網戸を破いて外に出ていました。 恐るべし・・
-プロフィール- 影山朋子 1982年6月 神戸生まれ 11年間の東京生活の後、昨年より山梨県富士河口湖町在住 マリンバ・ビブラフォン奏者、シンガーソングライター、 風と木の音楽教室主宰(八王子と河口湖でマリンバのレッスンをしています) ときどき療育のお仕事にもたずさわっています。 HP https://www.tomokokageyama.com twitter https://twitter.com/momotukituki instagram https://www.instagram.com/tomoko_kageyama632/ 風と木の音楽教室 https://kaze-to-ki-music.webnode.jp
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杉山厩舎2025年3月15,16日
3勝をプラスしてリーディング奪取!! 杉山厩舎LINEスタンプ line.me/S/sticker/13219494 #杉山厩舎 #オフィシャルだよww 3月15日(土) 中山 11R トワイライトシティ アネモネステークス 芝1600m 牝3 横山 武史 1着4人 ゲートは5分も最内を利して楽に先団のポケットのポジションを確保することができた。 すぐに折り合いもついていたし終始楽な手応え。 内々でジッと我慢して直線へ。 直線では、狭いところ割って抜け出すと最後は外から追い込んでくる2着馬の猛追を退けて1着でゴール。 新馬戦は目立った勝ち時計ではなかったが、なかなか味のある競馬でここも3着くらいはあるかと思っていたが、それ以上の走りを見せてくれた。 特に狭い間を割って抜け出す瞬間は見応え十分。 次走、桜花賞ではどんな走りを見せてくれるのか、良い走りを期待したい。 次走☆ 阪神 04R デアリングエア 3歳未勝利 芝1400m 牝3 松山 弘平 1着5人 好スタートから楽にハナへ。 単騎で非常にスムーズな競馬。 絡まれることなく終始先頭をキープしたまま直線に向かうと最後はいっぱいいっぱいになりかけたが、後続の追撃を押し切って見事勝利した。 スピード能力を活かした外連味のない逃げ。 先頭は走っていたが松山騎手は馬を抱えてしっかりと脚��溜めることが出来た。 あとは、前に馬を置いたときも同じような走れるかが今後の課題。 スピードは良いものを持っているし、クラスが上がっても好走を期待する。 次走〇 05R ロードアルディート 3歳未勝利 芝1800m 牡3 和田 竜二 9着13人 ゲートの出は良かったが控えて中団からの競馬。 ちょっと頭を上げる場面も見られたが内々で我慢させると、直線は最内を突いて脚を伸ばしたがちょっと狭い場面もあって9着。 前走と比較すると内容は悪くないし、モタれる面もだいぶマシになってきたか。 あとはいかにして良いポジションが取れるかがカギ。 まだまだこんなものじゃないし、勝ち上がるだけの能力を秘めているのは確かで、次走以降の走りに期待したい。 次走〇 05R ヴェルニッツ 3歳未勝利 芝1800m 牡3 浜中 俊 14着12人 ワンテンポ遅れて後方からの競馬。 デビュー戦の馬らしくまだ馬がレースに集中できていないような走り。 直線もこの馬なりには伸びているが後方のままで14着。 馬っぷりは悪くないし、むしろムチムチでもうひと絞りできそうな体つき。 ダートでも良さそう。 今日は回ってきただけだが、一度使ってどこまで変われるか。 変わり身に期待する。 次走▲ 09R ゲルチュタール ゆきやなぎ賞 芝2400m 牡3 坂井 瑠星 1着2人 ゲートの出は5分で出たなりで好位を確保。 坂井騎手が多少促しながらの追走で、外々を回りながらも向正面で3番手まで進出。 3角あたりから徐々にペースアップすると、早め早めの展開にはなったが4角では馬場の良い外目を通って先頭へ。 直線はそのまま先頭を譲らず、後続の追撃を振り切って1着でゴール。 体が絞れて、距離延長でスタミナ勝負になったのも良かっただろう。 やはり重賞でも通用する馬。 次走、ダービーTRで改めG1出走の権利を獲得してもらいたいものだ。 次走☆ 中京 03R ウインシャーガス 3歳未勝利 芝1800m 牝3 松若 風馬 3着3人 好スタートから先団好位を確保。 終始スムーズな走りで4角でも持ったままで良い手応え。 直線は満を持して追い出されたが、なかなか前との差は詰まらずゴール前に力つきて3着。 あの手応えであれば前を捕らえれるかと思ったが、想った以上に勝ち馬がしぶとかった。 ただ、2着馬も力のある馬だし、これなら勝つのは時間の問題か。 あとはデキを維持しつつなんとか結果を出してもらいたい。 次走〇 09R パドマ 伊良湖特別 ダ1200m 牝4 加藤 祥太 9着4人 躓きそうになりながらのスタートにはなったが、すぐに行き脚がついて中団にポジションを取った。 行きっぷりは良く、走りそのものは悪くはなかったし、スムーズな競馬。 直線では満を持して追い出されると、この馬なりには脚を使って伸びたものの9着という結果。 ペースが遅かった影響もあって最後は切れ味勝負になってしまったのはこの馬にとっては分が悪かった。 ただ、大きくは負けていないし、スタートが良ければ上位争いは可能であっただろう。 あとは持ち時計分走れさえすれば勝ち負けになるはずだ。 次走〇 11R キャプテンネキ 中京スポーツ杯 ダ1400m 牝4 松若 風馬 3着5人 ゲートの出も良く、出して行って先行。 外目の3番手で砂の被らないポジションを上手に取った。 道中はスムーズに走れていたし、直線もしっかり脚を使って力を出し切った3着。 前2頭がマイペースで逃げていた分だけ、外を回されたのが結果的に響いたか。 それでも、松若騎手の選んだ進路は間違っていなかったと思うし、外を回ったからこそ力を出し切れたとも思う。 今後も展開や流れひとつ。 引き続き、好走を期待したいところだ。 次走〇 3月16日(日) 阪神 11R アグリ 米子城ステークス 芝1600m 牡6 吉村 誠之助 6着6人 スタートは5分も行き脚イマイチで中団後方からの競馬。 もう少し前目にポジションを取りたかったが内でジックリと脚は溜めることだ出来たしロスのない競馬。 直線も上手く周りを捌きながら脚を伸ばして6着に食い込んだ。 重賞では結果が出なかったがリステッド競走で久ぶりに良い走りを見る事ができた。 元々パワータイプでもあったし、今日に関しては馬場が渋ったのが好走の要因か。 ただ、重賞勝ちの実績から考えると物足りないのは確かで、そろそろダートでの走りも見てみたいものだ。 次走☆ 2025年 芝 (11-2-4-2-4-28)51 ダ (3-2-2-2-4-18)31 障害(0-0-0-0-0-0)0 合計(11-4-6-4-8-46)82 TOTAL 芝 (178-130-114-112-108-746)1388 ダ (131-147-108-116-129-742)1373 障害(9-6-7-4-2-25)53 合計(318-283-229-232-239-1513)2814
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安倍元総理銃撃事件をきっかけに明らかになった自民党と旧統一教会との癒着。その原点はどこにあったのでしょうか? 1959年に統一教会が日本に進出して以降の岸一族との知られざる関係を、教団側の現役幹部がテレビの前で初めて証言しました。 教団側の現役幹部が初証言「関係がなかったなんて、言えないと思う」 朝日新聞が2024年9月、安倍晋三元総理と統一教会の会長らが2013年の参院選直前に自民党本部で面会していたことを報じました。 この場に同席していた教団の政治団体「国際勝共連合」の渡邊芳雄(わたなべ・よしお)副会長。 国際勝共連合 渡邊芳雄副会長 「(朝日新聞の写真を指さして)こちらです。一番端っこです」 初めて取材に応じた理由は「これまでの報道は一方的だ。教団側と自民党の関係、その真実を知ってほしい」というものでした。 国際勝共連合 渡邊副会長 「2013年の参議院議員選挙において、全国比例で特定の候補・��村経夫さん。この人を応援しようという動きになりました。それを(安倍元総理に)説明しに行ったと思います」 Q.安倍元総理はどういう反応を 「うれしいと言いましょうか、合意の言葉があったと思います」 けれど自民党は、一貫して「教団との組織的な関係はなかった」と主張してきたはず。 国際勝共連合 渡邊副会長 「『今まで組織的なつながりを持ったことがない』なんて言えないと思いますよ」 きっかけは今から60年ほど前。 (山梨県の)本栖湖の湖畔で、統一教会教祖・文鮮明(ムン・ソンミョン)氏と右翼のドンと云われた笹川良一(ささかわ・りょういち)氏が、ある合意に至ったのです。 笹川氏は、“戦後を代表する政財界のフィクサー”の異名を持ち、全国モーターボート競争会連合会の会長でもありました。 会場になったボートレーサーの養成施設は今も当時のまま。そこに招かれた文氏は、笹川氏の協力のもと「国際勝共連合」を立ち上げることを決めたのです。 笹川氏がメディアから“タブー視”されていたこともあり、統一教会との関���はほとんど報じられませんでした。 朝鮮半島を分断した戦争の記憶もまだ生々しい時期。統一教会が韓国で創立された背景には、共産主義勢力への対抗という側面もあったのです。 本栖湖での会談から遡ること8年、教団は日本に進出。 その後すぐ、笹川氏の人脈を介して反共思想の持ち主・岸信介氏に接近します。 以来、娘婿(安倍晋太郎氏)から孫の安倍晋三氏へ。関係は、あの銃撃事件によって注目されるまで、ベールに包まれていたのです。 半世紀あまりの三代にわたる、政治家一家と統一教会の絆を紐解きます。 岸・安倍三代と統一教会 “組織的関係の原点” 岸信介氏の総理就任は1957年でした。TBSには、在任中の元総理を追った貴重な映像が残っています。そこには、孫の安倍晋三氏(当時3歳)も。 岸信介元総理 「僕は?僕はいくつだ?」 「特に弟(晋三氏)の方が乱暴者で。おい、じっとしなきゃダメだ。あそこでうつりますよ」 娘婿の安倍晋太郎氏と晋三氏が遊んでいるのは、渋谷区南平台にあった岸氏の邸宅です。 この時期、日本の領域内で日米の共同防衛を可能にすることを目指していた岸元総理。1960年には日米安保条約の改定に取り組みました。 これに反発した人々は大規模なデモで「安保反対」を叫びます。デモ隊は、岸元総理の邸宅にも押し寄せました。 当時の報道 「『岸を倒せ』のデモの声が毎日毎日、南平台に続きました」 反共を掲げる岸元総理は、デモを主導する��翼の人々への嫌悪を回顧録に綴っています。 岸信介著「岸信介回顧録 保守合同と安保改定」より 「共産党員というものは、人間の誠実さとか善意の通用しない、我々の頭の中にある“人間”には当てはまらない連中だと思っていた」 新安保条約が成立すると、岸内閣は退陣。岸氏は南平台に二軒並んでいた邸宅のひとつを手放します。 そこに1964年に移転してきたのが、統一教会の日本本部でした。 岸氏や孫の晋三氏らが遊んでいた、あの庭で信者がランニングや体操にいそしむ姿がありました。 その後、急速に接近した教祖・文鮮明氏と岸氏。2人の間をなぜ、笹川氏が取り持つことができたのでしょうか。 笹川氏と岸氏は戦後、A級戦犯の容疑で、ともにスガモプリズンに収監されていました。それ以来、親交があったのです。 国際勝共連合の渡邊副会長によれば笹川氏は岸元総理に、こう語ったと言います。 国際勝共連合 渡邊芳雄副会長 「『是非、見守っていてもらいたい。あるいは時には協力してもらいたい』と笹川先生から(岸元総理に)言われたということがあって、それで岸先生が南平台の教会の本部を訪ねるようになったというのが最初です」 勝共連合の勝共とは、共産主義に打ち勝つこと。統一教会は1960年代半ばから、「勝共運動」を世界に広め始めます。 文氏が日本での拠点を作るべく、笹川氏と会合を持ったのが、あの本栖湖の施設でした。 いまもそのままに残る、第3特別室。笹川氏と文氏が日本における勝共運動の推進を誓ったのがまさにこの部屋でした。 教団側に残されていた写真からは、笹川氏や岸氏が積極的に活動に参加していたことが見て取れます。 1970年には、韓国が中心となって世界のさまざまな反共団体を組織した世界反共連盟・WACL(ワクル)の大会が日本武道館で開かれました。これを取り仕切ったのも勝共連合です。 国際勝共連合YouTubeより 「WACL大会総裁・笹川良一氏が津波のような拍手とともに登壇」 笹川良一氏 「我々は世界をいでとし、人類すべてを兄弟と考えておるものであります」 演説を目の当たりにした統一教会元幹部の記憶は、いまも鮮やかです。 元アメリカ統一教会 幹部 アレン・ウッドさん 「笹川氏は胸を叩きながら『私は文氏の犬だ』と言った。驚くべき言葉でした」 宗教団体の票を頼るようになった背景は? 大きな転機は「京都府知事選」 教団が掲げる反共の理念に賛同の意を表明した政治家に福田赳夫氏がいます。 福田赳夫大蔵大臣(当時) 「アジアに偉大なる指導者あらわる、その名は文鮮明ということである」 福田氏や安倍晋太郎氏の番記者だった政治ジャーナリスト・秋山光人さんは、福田氏が総裁選で、田中角栄氏に敗北を喫したことが宗教団体の票を頼るようになった背景にあると指摘します。 政治ジャーナリスト 秋山光人さん 「非常な金権選挙があって、集票マシーンである建設業界というのはほとんど旧田中派になびいていた。だから福田さんの政権になるまでは、ずっと冷や飯を食っていて、厳しい立場に清和会(福田派)の人は置かれていたわけですね」 Q.清和会(福田派)の議員にとっては何でも票は欲しかった? 「それは昔から今までそうじゃないですか」 統一教会の大きな転機は、1978年の京都府知事選でした。 政治家の信頼を勝ち取るべく、勝共連合が選挙支援に乗り出したのです。 28年続いていた共産党の地盤に全国の信者が集結。自民党が推薦する候補を応援しました。信者は、共産党を攻撃するビラを大量にまいたのです。 その結果、共産党候補は落選。勝共連合の組織力・集票力が政界に知れ渡ります。 彼らが爆発的な力を見せたのが、1986年の衆参ダブル選挙でした。 国際勝共連合 渡邊副会長 「中曽根政権のときの衆参ダブル選挙のときが圧倒的だったので。(選挙前に)中曽根先生とお会いし、あるいは安倍晋太郎先生とお会いして、どういうふうな選挙応援をするかというのは協議し合って動いた形ですね」 自民党と勝共連合は支援する候補者や手法まで協議していたといいます。 衆議院で300議席を獲得し、自民党圧勝に終わった選挙。 勝共連合は支援で130人を当選させたと機関誌で喧伝。政界とのパイプが新たな信者の獲得にも利用されたのです。 文鮮明氏「文鮮明先生マルスム(御言)選集」より 「(1986年の)選挙当時に日本の金で60億円以上使った。統一教会は恐ろしいです。(信者が)40人いれば1人当選させることができます」 安倍晋太郎氏、落選を経験 より一層教団側と接近へ 選挙支援のお礼を述べたことも 1986年、統一教会と自民党の関係はさらに深まります。岸・福田両元総理に連なる派閥の会長に安倍晋太郎氏が立ち、ここに安倍派が生まれました。 安倍晋太郎外務大臣(当時・1986年7月の清和会総会) 「福田精神を、福田スピリットをしっかりと継承いたしまして…」 教団側とのパイプも晋太郎氏に引き継がれます。 1958年に初当選した晋太郎氏には、落選の経験が一度だけありました。その落胆ぶりを知るのは安倍家と近しい、元共同通信の野上忠興(ただおき)さんです。 元共同通信・野上忠興さん 「自宅に戻ってきたときに、家族全員集めて土下座して『こんなことになった』と『申し訳ない』と泣きながら頭を下げた。後に私にも言っていましたけれども、あれで『俺は人が変わった』と」 1987年に行われた総裁選では、竹下登氏と宮澤喜一氏と争いましたが… 記者 「竹下!竹下!竹下!決まった決まった!」 現職の総裁が次期総裁を指名する“中曽根裁定”で政権は竹下氏に。 安倍晋太郎氏 「いや、ほんとにさっぱりし��したよ。やるべきことはやった、ベストを尽くした」 しかし、胸中には期するものがあったようです。 元共同通信・野上さん 「(衆院選挙で)1回落ちたのが結果的にこういうことになったのかなと。(その後)『やっぱり数だ』と猛烈に動き出すわけですよね。入院中、胆汁を吸い取る管をつけながら全国を回って、二十何人も新人を当選させたりして、数を増やすわけですけどね」 身をもって選挙の厳しさを感じた晋太郎氏は、より一層、教団側と接近していったのです。 勝共連合の会合で、選挙支援のお礼を堂々と述べています。 自民党 安倍晋太郎幹事長(当時) 「日本のために、そして共産主義を排除して、自由主義・民主主義を確立していくために、(勝共連合のみなさんが)働いていただいておる姿は我々いつも感銘を持って、感謝を持って受け止めておるわけです」 晋太郎氏が世を去るとパイプ消滅のように見えたが…祖父の遺志を受け継ぎ、晋三氏へ ところが1990年代に入り合同結婚式の異様さや霊感商法の悪質な実態が報じられ社会問題化しました。議員の殆どは表面上、教団と距離を置くようになります。 1991年に晋太郎氏が世を去ると、岸元総理から続いたパイプも消滅するかに見えましたが… 安倍晋三氏 「志半ばで倒れました父・安倍晋太郎の意志を受け継いで、立候補いたしました」 父の死から2年、地盤を引き継いだ晋三氏が初当選します。晋三氏の胸には、安保反対の声と戦い、新安保条約の締結を成し遂げた祖父の姿が焼き付いていました。 著書にも綴られた言葉。 「美しい国へ」安倍晋三著 「世間のごうごうたる非難を向こうに回して、その泰然とした態度には、身内ながら誇らしく思うようになっていった。間違っているのは、安保反対を叫ぶ彼らのほうではないか」 高校時代は、安保に反対する教師に対して毅然と胸を張ったことも… 安倍晋三官房長官(2006年) 「祖父が安保改定の張本人だったものですから、安保について肯定的な意見を何回か述べたことがあります。先生はじめ、皆さん黙ったんですね。そのときに反対している人たちも、こんなもんなんだなと思ったのを思い出しました」 保守を貫いた祖父を敬い、数の正義を信じた父に学んだ晋三氏。教団側との関係を引き継ぐのは当然の成り行きでした。 官房長官時代、教団関連団体のイベントに祝電を送った記録も残っています。 教団関連団体のイベント 司会者 「岸信介元総理大臣のお孫様でいらっしゃり、現内閣官房長官、衆議院議員の安倍晋三様」 2006年に総理に就任しましたが体調を崩し、1年で退陣。けれど5年後に返り咲きます。 安倍晋三総理(TBSラジオ「政策情報 官邸発」より) 「私の祖父の岸信介もよく晩年、『もう一回総理大臣やったら俺はもっとうまくやる��どね』と言っていたんですね。今こそ私は身を捨てて、もう一度挑戦すべきではないかという決意をしたのが、大体おととし(2011年)の終わり頃くらいでしょうかね」 祖父の遺志を受け継ぐ覚悟でした。そして最初の参院選に向け、統一教会幹部との面会で選挙支援について話し合ったのです。 2013年、統一教会からの選挙支援を確認したという安倍元総理。総理就任後、初の参院選でした。 政治ジャーナリスト 秋山光人さん 「本当に選挙は大好きな人だったですね。第2次安倍政権が戦後史上で最長の政権だったわけですけど、その秘訣というのは、やはり選挙に勝ったことですね。常に勝ち続けると」 飽くなき執念があったと言います。 政治ジャーナリスト 秋山さん 「もっとすごいのは、彼(晋三氏)は3期目も視野に入れていたと思いますよ。あんまり人には言ってないけど彼は。漏れ聞いたことありますね」 自民党は関係断裂宣言 一方で連合副会長は「断絶宣言を解除してもらいたい」 統一教会と、岸・安倍三代の半世紀をこえる結びつき。その延長に描いた晋三氏の野望。それを阻んだのが教団関連団体のイベントで流された映像です。 安倍晋三元総理(2021年9月) 「韓鶴子(ハン・ハクチャ)総裁をはじめ、皆様に敬意を表します」 教祖・文鮮明氏の妻にして教団のトップ、韓鶴子氏を称える安倍元総理の言葉が、信者の息子・山上徹也被告を、凶行に駆り立てました。 2022年7月8日、安倍元総理が銃撃されたのです。 事件をきっかけに、初めて大手メディアは教団と政治家との結びつきを取材し、批判的に報道。長年にわたり、教団からの支援を受けてきた自民党は、ついに彼らとの関係断絶を宣言しました。 国際勝共連合 渡邊副会長 「相当の覚悟を固めなければいけないと思いましたし、涙が出ましたね。そういう理不尽さみたいなものがこらえきれないというのはありました。早く“関係断絶宣言”を解除してもらいたいなという思いは常に持っています」 解散命令は出されるのか。一方で、支援を受けた政治家たちは、貝のように沈黙したままです。
安倍3代と統一教会 半世紀余りの“組織的関係”の原点 「信者が40人いれば1人当選させられる」【報道の日2024】 | TBS NEWS DIG (1ページ)
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できればこっそり出てってくれ
前回
青森二日目

移動中の風景はこんな感じ、山と、海と、時々人の痕跡。
この巨大な風力発電装置が立ち並ぶ風景はまるで手懐けた巨人を奴隷労働させているようで異様だ。
二日目は何しようね、あんま決めてねーや。とりあえず動く。

浅虫の黄昏、と言うにはあまりに朝。
天気良し、海も穏やか、左手には海釣り施設、そしてここ浅虫は温泉地故に道の駅で温泉に入れる、360円くらいで。
写真は休憩所からのものであるが浴場もこんな感じでいい眺め。なんか湯治旅になったな。



浅虫水族館でホタテをつつき回す。突然バクン!!と噛みつかれそうな謎の緊張感がある。
なんかちょっと時間カツカツかもしんない、移動じゃ移動。

描き直すには大きすぎる青空が今日も綺麗です。


一応脚だけほぐしておく、まぁ見てなって。
熊おらんかった。

十和田湖といえばこいつ、ヒメマスの刺し身を頂きつつ、そろそろ空港を目指す。
「こんな時間か、そろそろ帰るか。なんだ帰りたくないってまぁわいも同じだが。」
レンタカー返却、搭乗時刻を待つのみ。

300円位で売ってた謎の菓子、買えるの今だけ!!なんて仰々しく売っておりましたがなんのこっちゃと思いつつ購入、Amazonで調べたところ
なんだこの値段は、テレビで紹介されてバズったらしい、はぇ〜
まぁ空港で食べちゃいますけどね。小麦粉せんべいのごまの香ばしさと塩っけとチョコの甘みが絶妙でうまい、しかし駄菓子の域を出ない。普通に買えるようになる日がくるといいねって感じの味です。
難しいことは考えず、北へ北へと行ってみる旅。振り返れば移動移動の旅程でした。下北半島高速道路なさすぎ。
国内一人旅行で大きな意味を持つ体験をしようというのは下心が過ぎる。知らない町を、大した意味もなく走って、現地の食やら文化に触れる、それだけでも十分楽しめるじゃないか。そんな風に1泊2日一人旅のスケールの丁度良さを再確認したのであった。
おまけ
「笑い話に出来たことは多い そうじゃないことは誰もが秘めるから」
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TEDにて
ジョナサン・ロシター: 汚染物資を「食べる」ロボット
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
このトークでは、人間のように、汚物や汚水を飲み込む事で、自身を動かす為に必要な電気を生み出し、汚染物質を清掃するロボット「Row-bot」が紹介されています。
ロボット専門家、ジョナサン・ロシターは、微生物を使った燃料電池で藻類の過剰繁殖を防いだり、水面に流出した油膜を中和しながら、水中を泳ぐ特殊なマシンが登場。
どのようにして、生物分解型の、自動汚染除去ロボットの先駆けとなりうるか!!を説明しています。
こんにちは、私はエンジニアでロボットを製作しています。もちろん、皆さんはロボットがどんなものかお分かりですね。分からなければ検索してみるとはっきりします。
では、やってみます。検索するとこんな感じです。色んな種類のロボットがあるのですが、これらは主に構造上、人型ロボットになっています。
如何にもロボットという感じです。プラスチックや金属で出来ており、モーターやギア等を備えていますからね。中には結構、親しみの湧く物もあり、抱えて抱きしめたり出来そうです。
そうで��いものもあり「ターミネーター」からそのまま出てきたようです。
実際「ターミネーター」そのものでしょう。このロボットでワクワクするような凄い事が沢山出来るのです。
しかし、私は、違う種類のロボットに着目し、そんな物を作ってみたいと思っています。そこで、私は、人ではなくある物から ヒントを得ました。
それは、自然の中に存在する生き物で、私達には出来ない実に凄い事をするのです。現在あるロボットにも出来ない事を色々な事。
床を這い回ったり、菜園に入り作物を食べたり、木に登ったり、水に出入りしたり、虫を捕まえて消化したりするのです。実に、興味深い事をします。
彼らは生き、呼吸をし、死に、自然の中にある物を食します。現存するロボットは実際、そんな事をしません。
こんな特性をいくらか未来のロボットに取り込めたら、大いに関心を集める課題を解決する手助けになるかもしれませんよね?現在の環境が抱える2つの問題を見てみましょう。
その環境の下では、これらの動植物から見出したテクノロジーや技術を使う事ができ、問題解決の為にはロボットが使えるのです。
2つの環境問題を検討してみましょう。両方共、私達が作り出した物で人が環境と関わる中で、かなり不快な事態を引き起こしたと言える物です。
1つ目は、人口の増加と関連しています。世界中の人口が急増する中で農家や農場は、より多くの作物の生産を求められるようになりました。その為に農家は、農地により多くの化学物質を使うようになりました。化学肥料や硝酸塩、殺虫剤等です。
それらは全て穀物の生育を促す物ですが悪影響もあります。その一例として、農地に化学肥料を与え過ぎるとその全てが作物には行き届かず、多くが土に留まり、雨が降ると肥料は地下水面に流れ込み、そして、地下水面から流水となって湖や川に流れ込み海へと流れて行くのです。
この化学肥料(硝酸塩)の全てが、そうした環境に流れ込むと、それに影響を受ける生物がいるのです。
例えば、藻類です。藻類は、硝酸塩や化学肥料が好物なので、そうした物質を取り込み、条件が整えば、繁殖し、大量の新しい藻類が増えるでしょう。
これをブルームと言います。困った事に藻類が、こうした形で繁殖すると水中の酸素が不足するのです。この事態に陥ると即座に他の水中の生物は生き残れなくなるのです。
では、私達は何をすべきでしょう?藻類を食べ、それを消費し、安全な物にするロボットを試作しています。
それが1つ目の問題です。
2つ目の問題もやはり人が生み出した物で、石油による汚染と関わりがあります。石油は、私達が使用するエンジンやボートから流出します。
時折、タンカーのオイルタンクから海中にドッと漏れ出し、石油が海に流れ込みます。油田からの汚染を食べてしまうロボットを使って、この問題を処理できれば良いですよね?
これが私達の仕事です。汚染物質を食べるロボットを作るのです。
実際、そのロボットを作る為に、2つの生物からヒントを得ました。右側にウバザメが見えます。ウバザメは、大きな体つきをしています。
肉食ではないので一緒に泳ぐ事が出来ます。ご覧の通りです。サメは口を大きく開けて水中を泳ぎ、プランクトンを集めています。
動き回り続ける為に、その体内でエネルギーを使っているのです。そんなロボットが私達に作れないものか?海を泳ぎながら汚染物質を食べ尽くす。
ウバザメのような?出来るかどうかやってみましょう。別の生物からもヒントを得ました。ここにマツモムシの写真があります。本当に可愛らしい虫です。水中で泳ぐ時、ぺダルのような脚で前に進みます。
私達は、これら2つの生物をヒントにして、その両方を繋げ、新種のロボットを作ったのです。実際、この虫からヒントを得て、作ったのでこのロボットは水面に浮かび、水面を漕ぎます「Row(漕ぐ)- bot(ロボット)」という名前です。
漕ぐロボットなのです。どんなものでしょう?ここに何枚かRow-botの写真があります。お見せしましょう。最初に見たロボットとは、全く違っていますね。
グーグルは間違っています。ロボットは、むしろこんな感じです。
ここにRow-botを持って来ました。お見せしますね。大きさが分かるでしょうし、他のロボットとは違っていると分かるでしょう。これはプラスチックで出来ています。Row-botを構成しているパーツ。これが何故特別なのか?見てみましょう。
Row-botは、3つのパーツから出来ていて、それら3つは本当に生物の一部のようです。脳があり、体があり、胃があります。エネルギーを生み出す為には胃が必要なのです。どのRow-botにも、これら3つのパーツがありますが、それはどんな生物も同様です。
では、1つずつ見て行きましょう。プラスチックで出来た体があり、それは、水面に浮かぶのです。その側面に水かきがあります。動く手助けとなるオールです。
まるで、マツモムシのようです。体はプラスチックですが、ここには柔らかいゴム製の口が、こことここにあり、その口は2つです。
何故、口が2つあるのでしょう?1つは、食べ物を取り入れ、もう片方は、食べ物を排出するのです。つまり、口とお尻が、ある事が分かります。お尻と言うか。ロボットなので形は関係ありません。
物が出て行く場所で、正に本物の生物のようです。ウバザメにも似てきました。それは体です。
2つ目のパーツは、胃かもしれません。ロボットにエネルギーを供給し、汚染物質を処理する必要があるので、汚染物質が中に入り何かを行います。
真ん中のこの部分には、微生物燃料電池という電池があります。これを置いて燃料電池をお見せします。
これはバッテリーを装備する代わりとなり、従来の電力装置の代わりとなるものです。1つお見せしましょう。これは、ロボットの胃です。本当に胃の働きをします。
こちらの側から汚染物質という形で、エネルギーを入れる事が出来るからで、それが電気を生み出すのです。
これは何でしょう?微生物燃料電池と呼ばれるものです。少しだけ化学燃料電池に似ています。それを学校で見かけたかもしれないし、ニュースで見たかもしれません。
化学燃料電池は、水素と酸素を取り込み、反応させて電気を生み出します。技術は、十分に確立されたものでアポロ宇宙計画で使われました。
40〜50年前の事です。それより少しだけ新しいのが、微生物燃料電池です。原理は同じです。片側に酸素を入れますが、もう片側には、水素を入れる代わりにスープを少量入れます。
そのスープの中には、生きた微生物が入っています。少し有機物質を入れると、それは、廃棄物やサンドイッチの残りといった残飯かもしれませんが、そこに入れると微生物が、それを食べ、それが、電気に変わるのです。
そればかりか。適切な微生物を選べば、汚染物質を処理する為に微生物燃料電池が使えるのです。適切な微生物を選べば、微生物は藻類を食べます。
別の種類の微生物を選べば、石油溶剤や原油を食べるでしょう。この胃がどうやって汚染物質を処理する為に使われているか、だけでなく、どうやって汚染から電気を生み出すのに使われているかが分かるでしょう。
ロボットは、食べ物を胃の中に入れ、消化して電気を作り、自然環境の中で動き回る為に電気を使う行為を繰り返すのです。電気を使う行為を繰り返すのです。
Row-botを作動させると何が起こるか見てみましょう。水を漕ぐとどうなるか?ビデオを2つお見せします。最初にお見せするのは、開いた口です。
前方と後方の口が開き、十分に開ききるとロボットは前方に漕ぎ始めます。食べ物を取り込み、処理物を排出する為に水中をかき分けています。ひとしきり動き終えると止まり口を閉じます。
ゆっくりと口を閉じるのです。そして、そこに留まり食べ物を消化します。
もちろん。これは、微生物燃料電池で微生物を含んでいます。本当は出来るだけ早く、沢山のエネルギーを微生物から出したいのですが、微生物に無理は利かず、毎秒ミリワット又は、マイクロワットといったごく少量の電気しか作り出せません。これを分かりやすく説明すると
例えば、あなたのスマートフォンは、特に、新型のものでは、約1ワットが必要です。それは、微生物燃料電池と比較すると千倍、百万倍のエネルギーとなります。
それをどう使えるのでしょうか Row-botが消化を完了し、食べ物を取り入れるとすべての食物を消化するまでじっと待ちます。
それには、数時間。時には、数日かかります。典型的なRow-botのサイクルは次のようなものです。口を開け、動き、口を閉じ、その場にじっとして待つのです。
一旦、食べ物を消化すると再び同じ事をして動き回るのです。しかし、本当の生物のようだと思いませんか?
まるで私達が行なっている事のようです。土曜日の夜に外出して口を開け、腹を満たし、テレビの前に座って消化をします。十分消化したら同じ事を繰り返します。
このサイクルを繰り返すと最後には他の事が出来る程の余分なエネルギーが得られます。
最後には、他の事が出来る程の余分なエネルギーが得られます。例えば、メッセージを送ります。こんなメッセージです「最近これだけ汚染物質を食べたよ」とか「こんな食べ物に出くわしたよ」とか「僕はここにいるよ」とか。
「僕はここにいるよ」と位置情報メッセージを送る能力は、非常に重要なものです。以前、目にした油膜の事や藻類の過剰繁殖を考えると求められるのは、自然の中でRow-botを浮かべて、全ての汚染物質を食べ尽くし、その後、回収する事です。
何故でしょう?今のロボット。私がここに持って来たRow-botは、モーターやワイヤーがあり、それ自体が生物分解性でないパーツで出来ています。
現在のRow-botは、有害な電池のような物が付いています。それを自然の中に放置する事は出来ないので、それを探知する必要があり、仕事を終えてしまったら回収する必要があるのです。
従って使用出来るRow-botの数は制限されます。一方で、少しばかり生物のようなロボットであるなら、命の終焉となり朽ち果てます。だから、こんなロボットが、プラスチック製ではなく、そこらに捨てておくと生分解する別の素材で出来ていたら最高ですよね?
そうなったら、ロボットの使い方が変わります。10〜100個のロボットを自然に放ち、それらを��跡し、ロボットが生命維持活動を終えた時。
回収するのでなく、千、百万、十億個のロボットを自然環境に放つ事が出来ます。ばら撒くだけで良いのです。命の終わりには、ロボットが朽ち果てるのが分かっているので心配には及びません。
これは、ロボットに関する概念とその使い方を変えます。問題は、そんな事が可能かということです。可能だと私達は実証しました。
生物分解性のロボットを作る事は可能です。
実に、興味深い事にこのロボットを作るには、ありふれた素材が使えるのです。いくつかご紹介しましょう。驚きですよ。ゼリーからロボットが作れるのです。
現在あるモーターを付ける代わりに人工筋肉と呼ばれる物が使えるのです。人工筋肉は、スマート素材で電気をその素材に通すと収縮したり、曲がったり、捻れたりします。
本物の筋肉のようです。モーターを取り付ける代わりに、この人工筋肉を付けるのです。人工筋肉は、ゼリーから作れるのです。ゼリー少しと塩少々を用意し、少しばかり細工をすると人工筋肉が出来上がるのです。
先程、紙から微生物燃料電池の胃も作れると言いました。先程、紙から微生物燃料電池の胃も作れると言いました。生物分解性の素材からロボットの全体が出来るのです。
野外に放置するとその後、朽ち果てます。心の底からワクワクします。これは、私達のロボットに対する概念を全く変えてしまいそうです。それだけでなく、これらのロボットを使って出来る事への考え方が、実に、クリエイティブな物にもなるのです。
一例をご紹介しましょう。
ロボットを作るのにゼリーが使えたら。ゼリーを食べますよね?こんなものを作っては如何でしょう?グミベアー・ロボットです。ここにいくつか予め用意しておきました。
さあここにグミの小袋があります。レモン味です。グミベアーを食べます。この熊はロボットっぽくないですね?でもそういうふりをします。
1つ口の中に放り込みます。レモン味。美味いですね。あまり噛まないように気をつけます。ロボットですから嫌でしょうし、そして、飲み込みます。胃の中に入ります。
そこで、ロボットは動き、思考し、曲ったりくねったりします。何かをするのです。更に、腸の方まで移動して、潰瘍やがんが、あるかどうかを見極め、注射のような事をするかも知れません。
一旦、その仕事を終えたらロボットは胃で消化されたり、それを望まなければ、そのまま消化器官を通り、トイレに流され、環境の中で安全に分解されます。これは、又、私達のロボットへの概念を変えます。
はじめに汚染物質を食べるロボットをご紹介しました。次に、私達が食べられるロボットでした。これが、将来のロボットとの関わりのヒントを与えてくれると思います。
こういう新産業でイノベーションが起きるとゲーム理論でいうところのプラスサムになるから既存の産業との
戦争に発展しないため共存関係を構築できるメリットがあります。デフレスパイラルも予防できる?人間の限界を超えてることが前提だけど
しかし、独占禁止法を軽視してるわけではありませんので、既存産業の戦争を避けるため新産業だけの限定で限界を超えてください!
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ロビン・マーフィー:災害の救援に駆けつけるロボット
セバスチャン・ド・ハルー:風力船ドローンによって海に対する私たちの考え方が変わる
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20240502

釣りを始めた。
正確には再開した。
子供の頃はバス釣りブーム世代で最後に釣りをしたのは多分大学生ぐらいだったと思う。もう二十年も前の話だ。
���に帰省したはいいが暇過ぎて物置から道具を引っ張り出して夜中に釣りをした。湖面に反射する橋の街灯の明かりを狙うとブラックバスが釣れた(つか夜釣り禁止)。思えばインターネットの全面的な普及前夜、ましてiphoneもYouTubeもSNSもない世界。田舎の夜の闇には茫漠として底知れない暗さがあった。
その後実家の車に竿を入れておいたらお袋が窓に挟んでへし折り、いつしか釣りもやらなくなった。
東京時代は下宿のまん前に多摩川がありスモールマウスバスやサクラマスまで釣れるポイントだったという。ただ哀しい哉、我が身の振り方でそれどころではなかった。
その後帰郷してからこれまで10年以上、目の前に富士五湖があるにも関わらず釣りをしようという気は起こらなかったが、これはどっかで釣りをタブー視していたからだと思う。
私はギャンブルを覚えたらやばい自覚があり若い時分から一切手を出さなかった。(年末の宝くじ以外。)
なんというか釣りもそれと同じ匂いがする。あとサッカー観るのもそう。
私にとっては(強調)釣りもサッカーも技術、釣法、戦術云々よりあくまで偶然や運、カイヨワの分類でいうアレア(サイコロ遊び)の領域や属性であって退屈と興奮のフォーミュラ、その妙が重要なのだ。
それが去年ぐらいからYouTube上にある山奥の源流部まで遡上して野営しながらテンカラやルアーで岩魚を釣る動画を見ていたらだんだんと釣りが気になり始めた。
つり人社のチャンネルの動画
☞ https://www.youtube.com/watch?v=Ctgz92afs_I&t=2358s
今年になり雪山登山を解禁した流れで釣りもやってみようと思った。
いざ何を釣るかとなると加齢に伴う趣向の変化もありバス釣りってのもしっくりこない気がする。もうちょっと燻製臭さというか少し枯れた感じが欲しい。渓流釣りが理想だが実釣するまでに踏む過程が多く敷居が高い。海釣りも然り。
試しに本栖湖に行ってみてこれだと思った。
スプーン(金属製の疑似餌)の鱒釣り。
その足で湖仙荘に行って遊漁券の年券を買った。

水が栄養化した河口湖や他の湖と違って本栖湖は藻類が乾いた生臭さが一切ない。静けさの中青く透き通った水と富士山や周辺の山々を見ながら水面に糸を垂らしていると釣れなくてもそれはそれでいいという気になってくる。
聞けばデスレイク呼ばわりされるほど釣れないがそれでもハマって通う釣り人が多いのだという。

少し飽きたらお湯を沸かしてコーヒーをたてて、鳥の声や水の音を聴きながら星野道夫のエッセイ集や最近買った西川美和の短編小説を読んだ。雪化粧した山並みをぼーっと眺めている時ふいに、田舎に帰っても何もないぞと嘲りを含んだ知人の言葉を思い出す。
確かに何もなかった。
だがこれ以上の何があるというのだろう。

小学生以来に買った釣り竿とリール。
リールはバス用、竿は万が一の大物も対応できるネイティブトラウト用。共にシマノ製。下手の横好きは自認しているのでそれなりの道具で満足。いわゆるハイエンドの機種ではないが釣りに興味がない人からすれば安くもない。
兎にも角にもいっちょ前の太公望である。

本栖湖はその透明度の高さから水が青く虹鱒の背が保護色で青くなるという。誰が呼んだかブルーバック・レインボー、幸せの青い鳥ならぬ青い鱒を追うのだ。

休みの日の夕方か明け方に数時間、何日か通ってみるも噂通り、全然釣れない。何もかも手探り状態でこの釣りの最適解がわからない。
まじで釣れねえ。
釣れない釣りはどこか宗教的行為に近い。何かの到来を期して待つという部分では、リールのハンドルを回すのもチベット仏教の仏具、マニ車を回すのも特段の違いはない。
奇しくも釣れないことを俗に「ボウズ(坊主)」という。
連続ボウズ記録更新中の三月のある日の明け方、突き出た岬の中腹の辺り。日の出に合わせてティムコの赤金の10gのスプーンを投げる。ティムコってちんこみたいだなと思いながら表層を早巻きしているとゴツ…ゴツ…とアタリ。
目をこらすと黒い影がスプーンの周りをビュンビュン動いている。
ぐっと堪えて食った瞬間合わせた。
しかし久しぶりすぎて合わせが甘く何回か跳ねた後足元に手繰り寄せたとこでバラしてしまった。30cmぐらいの何らかの鱒。銀色の残像だけで噂の青い背中はわからなかった。
それから全く釣れなくなり、取り逃した魚の感触ばかりを思い返す日々。
Life is like fishing、初恋は祟る。
それからさらに経ち四月の上旬。
3時に起き毎度の国道139号線。
青木ヶ原樹海の脇を抜け明け方4時前にいつものポイントに着くと裏手の山の森でトラツグミが幽霊みたいに恨めしく鳴き、時折鹿が奇声をあげて合いの手を入れる。
空を見上げれば人工衛星かはたまたUFOか。謎の発光体が明滅もせず南東の方角へゆっくり移動していく。あれは一体何なのだろう。
遠くの浜の方から波の音が微かに聞こえてくる。
湖は風もないのに音を立てて荒れていた。

ライトで照らすと黄泉の国の入り口が浮かび上がる。
まるでタルコフスキーのソラリス。水深120mという深さと日本屈指の透明度もあり波が立つと湖全体がうねり一つの生命体に見えてきてすごく不気味だ。
東の空が白み始めるのを待って釣行を開始。まだ一投目だというのに私は一体何をしているのだろうという気持ちがすでに頭をもたげている。
今日も釣れない気がする。
あまりに釣れないことが続くとその行為の目的を問う意識が海嘯の如く内面に向かい始める。
同年代の人々は疾うに人の親になったというのに、とか。どうやら私の両親は私の子供を抱くことはない、だとか。そんな世間から押し付けられたのか、はたまた自身の先への不安や負い目なのか最早わからなくなった色んなアレコレ。それをぶん投げてとりあえずしまっといた暗い部屋。その扉の隙間からドロドロの中身が泡を立てて上がってくる。
酷かった子供時代のこと。誰かを傷つけたこと。誰かを憎んでいること。これまで飲み込んだ人の悪意、ありとあらゆる負の記憶たち。それが湖の波の形になってグニャグニャと湖面を揺らしている。
何の本で読んだか、文化人類学者の中沢新一が原始的な仏教の形が色濃く残るバリ島で呪術師に悟りについて尋ねると毎晩夜釣りに連れて行かれたという。釣りそのものに意味があるのではなく、暗闇の中の気配に意識を集中することで心の深淵に下りていくのだと。
眼前に広がるのは湖へ投射され顕現した潜在意識だ。
ヘドロの塊のようでいてどこまでも透き通っている。
思えば昔からよく水辺に行って水を眺めてきた。
釣りをやめてからは眺めるだけ。村上春樹のいうところのデタッチメント。一定の距離を保つ。
子供時代に海に連れて行ってもらったことはない。
多摩川も川岸に座ってただ眺めるだけだった。川面は光を反射し時に透過させその内側の世界を私に見せる。
釣りはその細い糸一本を通して水の中の世界との交感を試みる行為である。
気づけば再び水との境界線を越えていた。
たかだかおっさんが趣味で釣りを始めただけのくだらない話だが私にとっては何か象徴的な儀式みたいに思えた。

天子山地の向こうから山肌を舐めるようにドロドロと下りてきた雲が湖を渡り東側の富士の樹海上空にどんよりと溜まっていたが、その雲をかき分けて陽が昇り的礫と水面を照らす。

水面は朝日を反射し偏頭痛かLSDの見せるサイケデリックなビジョンみたいに幾何学的に像を結び、解ける。つか酔いそう。黒曜石の破断面のようにも見える。
前に釣りかけた時のティムコのスプーンに執着していたがパターンを捨てた。
所詮過去だ。
過去の魚は釣れない。
当たり前だが。
アワビの貝殻のキラキラが貼ってある赤金の少し小さいスプーンを直感で選ぶ。予感…、シンクロニシティが起きる直前と同じ気配がする。
朝日が照り返す辺りへ向けて50m近く遠投する。重い金属製のスプーンの釣りは根掛かりこそ多いが、かっ飛ぶので爽快だ。
着水し巻き始めた直後にゴン!とアタリ。距離かナイロンラインの特性か少し伸びる感じ。今度は確実に合わせた。
魚は針を外そうと二度水面を飛び跳ねる。慌てて竿先を水中に入れた。鱒は口が弱いらしく合わせてから取り込むまでの距離が長くてヒヤヒヤした。

手掴みで取り込む。
青い。
ランディングネットは一匹釣れるまではと用意していなかった。
弱らせないように針を外し写真を撮ってすぐ逃した。
そういえば大きさを計り忘れた。35cmぐらい。
ほんとに釣れた。
最初に釣った魚は逃がそうと何となく決めていた。
一瞬だけ交わりもう会うことはない。
私の釣ったあの鱒は今も深い湖のどこかを泳いでいる。
それを想像するとなんだか不思議な感じがする。
心の奥の森にいつしか魚のいなくなった湖がある。
そこに青い背をした魚を放した。
そんな感じ。
静かな気持ちだ。

さて。
次は食う。
多分。
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三篇 下 その三
上方者は、 「ハァ、ソンナラお前のお馴染みは何屋じゃいな」 と、意地悪く問うと、 「アイ、大木屋さ」 と、弥次郎兵衛がいう。 「大木屋の誰じやいな」 と、上方者がさらに問うと、 「留之助よ」 弥次郎兵衛が答えた。 上方者が 「ハハハ、そりゃ松輪屋じゃわいな。 大木屋にそんな女郎はありもせぬもの。 コリャお前、とんとやくたいじゃ、やくたいじゃ」 (やくたい…上方言葉で、らちもない、とんでもない、よくない、など広い意味に使う)
弥次郎兵衛は、 「ハテ、あそこにもありやすよ。ナァ北八」 (大木屋は実在の大見世の扇屋のこと。松輪屋はやはり実在の松葉屋のこと。留之助は松葉屋の抱えの名妓の染之助のこと。したがってこのやり取りでは上方男の勝ち) 北八、面倒臭くなってきて、 「ええ、さっきから黙って聞いていりゃ、弥次さんおめえ聞いたふうだぜ。 女郎買いに行ったこともなくて、人の話を聞きかじって出放題ばっかり。 外聞のわるい。国者の面よごしだ」
弥次郎兵衛は、 「べらぼうめ、俺だって行くってんだ。 しかもソレ、お前を神に連れていったじゃァねえか」 (神…取り巻き、太鼓持ち。遊廓付きの本職ではなく、客が連れ込んだ遊びの取り巻き仲間。落語の野太鼓がこれである) 北八、思い出して、 「ああ、あの大家さんの葬式の時か。なんと、神に連れたとは、おおげさな。 なるほど二朱の女郎の揚げ代はおめえにおぶさったかわり、 馬道の酒屋で、浅蜊のむきみのぬたと豆腐のおから汁で飲んだ時の銭は、みんなおいらが払ったじゃねえか」 (葬式くずれで繰り込むなら安い店にきまっている。揚げ代二朱なら宿場の飯盛なみのごく安い女郎。馬道は吉原に通ずる町。そこの酒屋のぬたも汁もごく安い庶民的な食い物である)
弥次郎兵衛は、 「嘘をつくぜ」 北八も、 「嘘なもんか。しかもその時おめえ、さんまの骨をのどへ立てて、飯を五六杯、丸呑みにしたじゃねえか」 「馬鹿言え。お前が田町で、甘酒を食らって、口を火傷したこた言わずに」 「ええ、それよりか、おめえ土手で、いい紙入れが落ちていると、犬の糞をつかんだじゃねえか、恥さらしな」 (土手…吉原に入る途中の山谷堀に添った日本堤の土手八丁、金持ちなら土手八丁を四ツ手駕で飛ばし、貧乏人なら歩く、いずれも弥次郎の自慢が嘘だと、北八が暴露したかたち)
と、遣り合っている二人に、上方者が 「ハハハハハ、いや、お前方は、とんとやくたいな衆じゃわいな」 弥次郎兵衛が、 「ええ、やくたいでも、悪態でも、うっちゃっておきゃァがれ。 よくつべこべとしゃべる野郎だ」 上方者は、関わり合いにならない方がいいかと、 「ハァこりゃご免なさい。ドレお先へまいろう」 と、そうそうに挨拶して、足早に行ってしまう。 その後ろ姿をみながら、弥次郎兵衛は、 「いまいましい。うぬらに一番へこまされた。ハハハハハ」 この話の間に、三ケ野橋を渡り、大久保の坂を越えて、早くも見付の宿(磐田市)にいたる。
北八、 「アァくたびれた。馬にでも乗ろうか」 ちょうどそこへ、馬方が、 「お前っち、馬ァいらしゃいませぬか。 わしどもは助郷役に出た馬だんで、早く帰りたい。 安く行かずい。サァ乗らっしゃりまし」 (助郷…東海道の交通の確保のために、沿線の村々に幕府がかけた役務で、人馬の徴発を含めて重いものだった)
弥次郎兵衛は、 「北八乗らねえか」 と、問い掛けると、 「安くば乗るべい」 と、馬の相談が出来て、北八はここから馬に乗る。 この馬方は助郷に出た百姓なので、���売人の馬子でないから丁寧で慇懃である。
弥次郎兵衛は、 「そうだ、馬子どん。ここに天竜川の渡しへの近道があるんじゃねえかな」 と、思い出して、聞いてみると、 「アイ、そっから北の方へ上がらっしゃると、一里ばかしも近くおざるわ」 と、馬方がいう。 北八が、 「馬は通らぬか」 と、更にとうと、 「インネ、徒歩道でおざるよ」 と、ここから弥次郎は一人近道のほうにまがる。
北八は馬で本道を行くと、早くも加茂川橋を渡り、西坂の墳松の立場に着く。 茶屋女が声をかけてくる。 「お休みなさりやァし、お休みなさりやァし」 茶屋の婆も声をかけてくる。 「名物の饅頭買わしゃりまし」 馬方が、その婆様に声を掛ける。 「婆さん、おかしな日和でおざる」 「お早うございやした。いま新田の兄いが、一緒に行こうかと待っていたに。 コレコレ横須賀の伯母どんに、言いついでおくんなさい。 道楽寺さまに勧説法があるから、遊びながらおいでと言ってよう」 (道楽寺は遊びながらおいでにこじつけた架空の寺の名) 馬方は、 「アイアイ、また近うちに来るように伝えときましょう。ドウドウ」 と、いうと、また歩き出した。
「この馬は静かな馬だ」 北八は、珍しく乗りやすい馬なので、つい、そういうと、 「女馬でおざるわ」 と、馬方が、こたえる。 北八は、にんまりして、 「どうりで乗り心地がよい」 馬方が、問い掛けてきた。 「旦那は、お江戸はどこだなのし」 「江戸は日本橋の本町」 と、北が答える。 「はあ、えいとこだァ。わしらも若い時分、お殿様について行きおったが。 その本町というところは、なんでもえらく大きい商人ばかしいるところだァのし」 と、昔のことを思い出しながら、話してくる。 「オオそれよ。おいらが家も、家内七八十人ばかりの暮らしだ」 と、またまた、くちからでまかせ。 馬方もしんじているにのかいないのか、 「ソリャ御大層な。お神さまが飯を炊くも、たいていのこんではない。 アノお江戸は、米がいくらしおります」 「まあ、一升二合、よい所で一合ぐらいよ」 と、考えながら言うと、 「で、そりゃいくらに」 と、馬方は、よく分からない。 「知れたことよ、百にさ」 と、北八がいうと、 「はあ、本町の旦那が、米を百文づつ買わしゃるそうだ」 馬方は勘違いして、そういう。 北八、笑いながら、 「ナニとんだことを。車で買い込むは」 「そんだら両にはいくらします」 と、馬方。 「なに、一両にか。ああ、こうと、二一天作の八だから、二五の十、二八の十六でふみつけられて、四五の廿で帯解かぬと見れば、無間の鐘の三斗八升七合五勺ばかりもしようか」 (割り算の九九の二一天作の八は一二天作の五の間違い、途中から浄瑠璃の文句でごまかしている。米の値段も出でたらめ) と、何やら、難しそうな、計算をはじめる。 「はあ、なんだかお江戸の米屋は難しい。わしにゃァわからない」 馬方は、すっかりけむに負かれて、 「わからぬはずだ。おれにもわからねえ。ハハハハハ」 と、北八も自分でいっててわからなくなった。
この話のうちにほどなく天竜川にいたる。 この川は信州の諏訪の湖水から流れ出て、東の瀬を大天竜、西の瀬を小天竜と言う。 舟渡しの大河である。弥次郎は近道を歩いてここで北八を待ちうけ、ともにこの渡しを越えるとて、一首。
水上は 雲よりい出て 鱗ほど 浪の逆巻く 天竜の川 (水、雲、鱗、浪、逆巻く、みな竜の縁語の竜づくしが趣向)
舟からあがって立場の町にいたる。 ここは江戸へ六十里、京都へも六十里で、東海道の振り分けになるから中の町(浜松市)というそうだ。
傾城の 道中ならで 草鞋がけ 茶屋に途絶えぬ 中の町客 (ここを江戸吉原の中の町に見立てて、花魁道中の高足駄の代わりに草鞋、吉原の引き手茶屋と街道筋の茶屋、どちらも客が絶えぬと言う趣向) それより萱場、薬師新田を過ぎて、鳥居松が近くなったころ、浜松宿の宿引きが出迎えて、 「もし、あなたがたァお泊りなら、お宿をお願い申します」 と、二人の呼びかける。 北八がそれに答えて、 「女のいいのがあるなら泊りやしょう」 客引きここぞとばかりに、 「ずいぶんおざります」 と、いうと、弥次郎兵衛が、 「泊まるから飯も食わせるか」 宿引き 「あげませいで」 北八、 「コレ菜は何を食わせる」 宿引き、 「ハイ当所の名物、自然藷でもあげましょう」 「それがお平の椀か。そればかりじゃあるめえ」 「 それに推茸、慈姑のようなものをあしらいまして」 「汁が豆腐に蒟蒻の白和えか」 と、北八が、客引きとやりあっている。
弥次郎兵衛が、 「まあ、軽くしておくがいい。その代わり百ケ日には、ちと張り込まっせえ」 (ここのやり取りは、宿引きの言うのが、野菜ばかり並べた精進料理なので、死人の法要の料理だと皮肉ったのである。法要では、当初と百ケ日には料理を張り込むのがしきたり) 「これは異なことをおっしゃる。ハハハハハハ。時にもうまいりました」 「オヤもう浜松か。思いのほか早く来たわえ」 と、弥次郎兵衛、ここで一首読む。
さっさっと 歩むにつれて 旅ごろも 吹きつけられし 浜松の風 (松風の音の颯、颯と、さっさと歩くとにかけている。風に吹き送られて早く着いた意味も含む)
その横を宿ひきが駆け抜ける。
宿引きは、旅館に駆け込むと、 「サァサァお着きだよ」 と、置くに声をかける。 「お早くございました。ソレおさん、お茶とお湯だァよ」 それに、こたえて、この旅館に亭主が出てくる。 弥次郎兵衛が、 「イャそんなに足はよごれもせぬ」 と、いうと、亭主 「そんなら、すぐにお風呂にお召しなさいまし」 と、奥に案内しようとする。
つづく。
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「虚無への供物」中井英夫 0061
序章
6鱗光の館
国電の目白駅から大通りを千歳橋(ちとせばし)方角に向うと、右側には学習院、その裏手は、池袋駅を頂点に、逆三角形の広い斜面を形づくっているとあある。
今もその地形は残っているようです。 ただ、橋名板にも千登世橋となっています。 千歳橋は、通称名とかなんでしょうか?
学習院や川村女学院、目白署なんかは、名残がありますね。
戦災を免れたので、まるで迷路のように入り組んでいて、丈高い煉瓦塀が隠し、繁り合った樹木が蔽うという具合だとなっています。 外から見えないというのもこれも、伏線ですかね。
豊島区目白二丁目千六百**番地の氷沼家は、その迷路の中心に当たる部分に建てられているみたいです。 迷路という割には、番地なんですね。
これって、調べたら、もしかして、特定できたりして。 楽しいですね。
蒼司が昭和四年生まれだということがわかります。 亜利夫が、ひとつ上だから昭和三年生まれだということですね。
目白の氷沼家のことが書かれていますが、平凡さをやたら強調している気がします。 広さも、五百坪だといってます。
五百坪だと、東京ドームの30分の1です。 サッカー場だと4分の1くらい、 テニスコートだと6面くらいになります。
相当広いですね。
庭に、楢(なら)、ブナ、櫟(くぬぎ)が植えられ、昼間でも陰気に薄暗いとありますが、 いずれの木も落葉樹だから、この話の時期は、枯れ枝めいた雰囲気であったのではないでしょうか。 多少枯れた感じはしますが、 昼間でも陰気に薄暗いとは、多少ずれている感じがします。
さて、そんな屋敷にバア「アラビク」の翌日、夜に訪ねた亜利夫。 目白の氷沼家の門をようやく探し当てた亜利夫とありますから、やっぱり相当大きな屋敷なんですね。
亜利夫のことが少し書かれています。
日本橋本石町の貿易商社に勤めて、朝夕のラッシュ・アワーにもめげずスポーツ新聞を耽読し昼休みはチョッキの胸をはだけて室町界隈を回遊するサラリーマン生活。
日本橋本石町で検索すると、日本銀行が出てきますね。 日本橋一帯の町々は、東京の商業地の中心だったので、何とか持ちこたえ、戦後につながって見事に復興出来たのでしょう。 それを表すかのように、亜利夫は、日本橋の貿易商社に勤めていることになっています。
その当時も、ラッシュ・アワーはすごかったのでしょう。 それにもめげず、読んだスポーツ新聞。
日刊スポーツやスポーツニッポンが発行されています。 スポーツ報知も発行されているみたいですが、いわゆるスポーツ新聞のようにはなっていないようです。
亜利夫の心配も杞憂で、蒼司は請じ入れます。
蒼司が着ている肌に染みるほどな薩摩絣、今は、高級品ですが、当時はどうっだったのでしょう? 調べてみると、庶民の着物だったと書かれていますね。 比較的、手に入れやすかったのかもしれません。 それを生きに着こなしている蒼司ということなんでしょう。 薩摩絣には、紺地のものと白地のもがるようです。 清潔な白いシャツが覗いていると表現されているので、多分、紺薩摩でしょうね。
まるで、それが明治の書生めいたているという表現も、それに合致するようです。
澄んだ湖を思わせる奥深い瞳の印象も6年前とほとんど変わらない。
亜利夫が25歳、蒼司が24歳だと思うのですが、6年前の高校生の頃と比較しているのでしょうか? 唐突に6年前と出てきている気がしますね。
蒼司が洞爺丸の後落ち込んでいたが、最近では、雪花石膏(アラバスター)の中に灯を点すようだと表現されています。 よく知りませんでしたが、 現代では、アラバスターはパワーストーンと知られているようです。 当時は、勿論いまもですが、ランプとして、しかもかなり高価なランプとして、使われているようです。
その蒼司は、大学院の工学部応用物理科数理工学コースでフローセオリーの矛盾を追求していた。 困りました。 さっぱりわかりません。 まあ、大学院は東大のことでしょうね。 他にもあったかもしれませんが。
「フロー理論」は、「個人が完全に今行っている事に夢中になり、自己意識がない中でも自分をコントロールできている感覚がある状態」と定義されています。
の矛盾を追求してたんです。 うんそうに違いありません。
今までの話を裏付けるように、 戦争中の通年動員という中学時代、 戦後の旧制高校時代、 食糧事情の悪化から休校。 亜利夫は蒼司を見るとはなしにみていたことになります。
感傷が先にたった第一日目の氷沼家の探訪は 亜利夫も反省することになるほど生ぬるい事になります。 とはいえ、元々何をしたらいいかわからずに氷沼家に言ってるわけですから、当然かもしれません。
さて、 久生は、翌日の日曜、1954年12月12日に西荻窪(にしおぎくぼ)の南口に近い壁画荘(へきがそう)に亜利夫を呼び出します。 まだ、起こるともしれない殺人事件に大きなのぞみをかけているようですね。
電話で呼び出したとありますが、家に1台の時代ではないでしょうから、 本当に呼び出したのでしょう。 それとも、電話を引いていたのか?これも、伏線になるかも。
亜利夫は、月の話から入りますね。 しかも、屋根が蛇の鱗みたいに青くかがやいて、まるで墓場へでもいったみたい。 古い住宅街で氷沼家は、没落華族の旧家のように苔むした塀をめぐらして、云々。
いくら報告することがないからといって、流石にこれは、関係ない話だと思いますね。
セミダブルのディヴァンにもたれこみ、天井にタバコの煙をあげながら薄目になって聞いていた久生が、 「つまり高い塀があるってことでしょう」と、ホームズの口真似で一蹴します。 もう少しいたわってもいいような。
ディヴァンはソファの一種で、もともとは背もたれやひじ掛けがないもので、少し高くなった床に置かれたマットレスだそうです。 多分、ベッドの変わりにもなるのでしょう。
亜利夫の話は、まだ続きます。 門の脇に電話の番号札が光っていたので、氷沼家とわかったとありますが、 電話番号が家の外に堂々と掲げたあったのなんて、今からは想像つきません。 まあ、たしかに、田舎に行くと、玄関の上なんかに、誰が住んでるとか電話番号なんかが書いてあるのを見かけたことはありますけど。
ここで、久生が、クズみたいな話をしててもしょうがないと、 亜利夫の話を遮って、亜利夫に説教します。
「ワトソン役(亜利夫のことですね)に覚えておいてもらいたい。 殺人事件で、最初に蛇神の呪いなんてことが出てきたらそれは必ず反対にどこか身近なところに犯人がいて合理的な方法の殺人を企んでいる証拠だと」
って、これをいうかって感じです。 これが推理小説なら、まさにそんな感じになるのですから。 それを頭から否定されたら、これから一体何を読まされるのでしょうか?
しかも、亜利夫はちょっとかわいそうですね。 苦笑いしながら 「まだワトソン役を引き受けるとはいってない。 事件が起きてないのに探偵だけがしゃしゃり出るのはおかしい。」 と、精一杯の反発です。
それに久生が 「殺人を期待しているわけじゃない。 20年も前のモードなら、犯人が好きなだけ殺人をして、やおら神の如き名推理を働かす。」 と、言ってます。
この話は、昭和29年の話ですから、 指摘された小説は、昭和初期の小説でしょう。 小栗虫太郎(おぐり・むしたろう) 大下宇陀児(おおした・うだる) 久生十蘭(ひさお・じゅうらん) あたりを思いつきますけど、 個人的には、横溝正史あたりが一番しっくりきます。 ただ、横溝正史はやっぱ戦後の作家なんですよね。
実際に書かれたのが、昭和40年以降だとすると考えると、案外、しっくりくるかもしれません。
「私のような良心的な探偵はとても殺人まで待ってられない。 事件のおこる前に殺人が行われたはずだと、未来の犯人と被害者その方法と動機までくわしく指摘する」
と、久生は言い放ちます。 だから、ワトスン役の亜利夫の話が大事なのだと。
まあ、たしかに犯罪が起きなければそれに越したことはありませんが、それなら、この小説は成り立つの? まあ、全く逆なんだろうということは薄々わかりますけどね。
ちなみに “白の女王”というのが出てきますが、 ルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」の白の女王がすぐに見つかります。
「他人を喜ばせる人生など送らなくていい。云々」
犯人が罪を侵せば、探偵の久生を楽しませることになるとでもいうことでしょうか? 久生の謎解きが始まるんでしょうね。
つづく
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初東北エリア 青森の旅
旅行の後もう1ヶ月が過ぎてしまったのですが青森旅行のご報告をしたいと存じます
今さら感もございますがよろしければお付き合いください
今年の旅行先を青森に決めたのは友人のお母さんの一言でした
「以前見た青森の紅葉は素晴らしかった」となかなかの熱量で語っていたのが私の心の片隅にポッと火をつけたのです
八戸まで新幹線で移動し、レンタカーを借りて移動しな��らの3泊旅行色々見て周ってきました
今回は紅葉が第一の目的
手始めに紅葉の3段重ねです、どうぞ
こちらは奥入瀬渓流ですね
だくだくと流れております
そして穏やかな快晴の十和田湖

夕暮れの中野もみじ山

きれいな場所ももちろんあったのですが時期はもう少し遅かったらパーフェクトだったのかなといった印象でした
今年はやっぱり紅葉が遅かったようです
旅のもう一つの目的はアートめぐり
十和田現代美術館、青森県立美術館、弘前レンガ倉庫美術館と3つの美術館を見てきました







そして最後はせっかく来たのだからの弘前城

まさかの小ささで、なんと可愛らしいお城でしょう
初めての青森でしたが、青森かなり気に入ってしまいました
美味しい食べ物と自然とアートお腹いっぱいの旅行でした
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銀座の小さな春画展(前期)

ギャラリーアートハウスで「銀座の小さな春画展」の前期展示を見る。公開されることの少ない春画に特化した、小規模ながら貴重な企画展である。チラシ等にメインで使われている北斎の「喜能会之故真通」は通期展示とのこと。

チラシ裏面に載っているのは、勝川春潮「好色図会十二候」および「男女色交合之絲」。春潮の男女は、やたらほっこり幸せそうに見え、爛れた関係などではない、おだやかな和合を連想させる。

展示作品は男女の交合を描いた作品が主だが、中には男1人と女2人の組み合わせ、女2人の組み合わせ、牡犬と人間の女の組み合わせのようなものもあった。以下、いくつかの作品について簡単に触れる。番号は展示リストに拠る。
7. 磯田湖龍斎「女夫まねゑもん」。鈴木春信のまねゑもんシリーズに倣ったものと思われる。まねゑもんは、仙薬を飲んで小さくなり、好色修行をするという設定。
8. 磯田湖龍斎「色道取組十二番」。女が手紙か何かを書いていたところへ男がやってきたようだが、交合中も女は筆を持っており、手紙を書いていた紙が墨で汚れてしまっている。筆とか墨とかに隠喩があったりするのだろうか。
9. 北尾重政「笑本 春の曙」。「腎虚せぬ人」と読める文字が書いてあるので男はおそらく絶倫で、急に女といたしたくなった模様。床には春画らしきものが広げて置いてある。
10. 北尾重政「好女 談合柱」。男は「そのようにせっつくな」などと言っているが、女は「ぐっとだきしめて下さんせ」と男に迫っている。
12. 勝川春章「拝開よぶこどり」。左下に、欠伸しながらそっぽ向いてどこかへ行こうとしている猫がいる。猫のセリフがきっと面白いだろうと思うのだが、自分には読めず。
13. 喜多川歌麿「願ひの糸ぐち」。鏡に女のつま先だけが映っている構図がちょっとなまめかしいかもしれない。
14. 勝川春潮「好色図会十二候」。上のチラシ裏面参照。春潮の、男女が最高に幸せそうに見えるやつ。
16. 勝川春潮「男女色交合之絲」。くしゃくしゃになった使用済懐紙がリアル。他にも使用済懐紙を描きこんだ作品がいくつもあるので、定番のモチーフだったのか。
18. 喜多川歌麿「絵本笑上戸」。部屋の外に食器が置いてある。何を食べたのか気になる。
19. 喜多川歌麿「絵本笑上戸」。交合中、女が男の上で三味線を弾いている。エキセントリックなプレイだな……。
21. 歌川国貞「吾妻源氏」。ネコの交尾を貴族風男女が眺めている図。
22. 歌川国貞「吾妻源氏」。男女の交合の場面に子どもが居合わせる図。服装からして女は花魁。男は客か間夫か。子どもは禿(かむろ)であろうか。
23. 歌川国貞「吾妻源氏」。男女の接合部から稲光のようなギザギザが発生している。
24. 鳥橋斎栄里「婦美の清書」。女は日本人のようだが男は灰色の肌にとんがり爪をした西洋人風。右下に香炉のようなものも見えるので、異国情緒を表現したものか。
25. 鳥橋斎栄里「婦美の清書」。女2人の交合。1人が黒い張形を腰に装着し、もう1人はそれを待ち構えている模様。
27. 歌川派「扇面男女図」。女の尻のラインが少し立体的に加工してある。全体に使用済懐紙が描き込まれている。
34. 葛飾北斎「喜能会之故真通」。あまりにも有名な北斎の海女と蛸。カタカナで書かれた擬音がおもしろい。「ヨウヨウサァデヱハアハア」みたいな感じ。
35. 葛飾北斎「万福和合神」。右下にネズミが3匹。
36. 葛飾北斎「万福和合神」。左下にある食べ物が気になる。何らかの煮物?
37. 葛飾北斎「多満佳津良」。行水中の女と事に及ぶ図。行水桶の脇にあるのはぬか袋か何かだろうか?
38. 溪斎英泉「笑本戀ひの糸竹」。女のセリフ「エヽモウはやくいれるともどうともしておくれよウ」(←たぶん少し不正確)。
撮影可の作品が5点あったので、最後にそれに触れる。ただしTumblrのガイドライン的にNGをくらったため画像は載せ��れない。
歌川国芳「逢見八景」より3点。「逢見」は「近江」と掛けてあり、名所図会風である。1枚目は男女の接合部に何らかの体液があからさまに描かれている。2枚目は春画を見ながら交合しているように見える。3枚目には男性器は描かれず。
歌川国虎「センリキヤウ」2点。何部屋もある広い室内に多数の人物がいる画が1点、その中で人目を忍んで交合する男女を拡大して描いた画が1点。
それにしても、自分がくずし字を読む能力に欠けているのがつくづく残念だった。文字のない絵だけの作品もあるし、絵を見るだけでもじゅうぶん楽しめるのだが、文章が添えてある作品も多く、読めるところだけ読むと思わず笑ってしまいそうな面白おかしさがあったので、もし全部読めたらどんなによかっただろうと考えずにはいられなかった。
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夕食を佐伯の家で済ませた大樹は、明日学校があると自宅に戻った。佐伯も、明日は仕事があるので授業の準備があると、今夜は酒を付けなかった。
大樹が帰ったことで、再び独りになった佐伯は授業の準備を自分の部屋でした。終わったのは午後十一時だった。
さて、一杯だけ飲もうかと佐伯は階下の応接間に来て、昨夜同様、シーバスリーガルのボトルをサイドボードから取り出した���レコードも、浩志が好きだったファンダリエンソのタンゴアルヘンティーノを聞いた。
シャンデリアが室内を橙色に照らしていた。この部屋で浩志は酒を飲むのを愉しみにしていた。タンゴアルヘンティーノは、浩志が大学時代に出逢った情人(アマン)が好きで聴いていた。その情人は当時、有楽町にあった新聞社で働いていた。神田駿河台にある私立M大学に通っていた浩志は、時折浅草に行ってはよく酒を飲んでいた。たまたま立ち寄ったストリップ劇場のトイレでその男に下半身を弄られ、目覚めてしまったのだ。
そんな過去を浩志は妻子に平然と話した。妻・満代は苦笑しながら、
「あなた、未だ美津雄や浩二には早いですよ!」
と注意したが、
「男と寝るのも女と同じくらいイイぞ〜!」
と、酒で顔を赤くさせながら話した。美津雄は、
「オヤジは馬鹿だよ! オレは絶対に男色はしねぇよ!」
と呆れていたが、佐伯は違った。
彼は、中学二年の時に偶然、市内の書店に置いてあったゲイ雑誌を手に取り、性衝動を覚えたのだ。生唾を飲み、下半身も熱くなり、彼は書店のトイレで自慰をした。初めて尿ではない方を出した時、彼は罪責感を覚えつつあの雑誌がどうしても欲しいと、後日制服を着ていない時に買いに行った。
兄から頼まれた少年漫画の雑誌を上に重ねていたが、恐らく三十代後半だろう、応対したその男性店員がしばらくじっと、『アドン』と書かれた雑誌を見つめながら、
「君、この雑誌は…否、売ってあげる」
と言った。
その後も、必ずその男性店員がいる時に佐伯は来店し、『アドン』や『薔薇族』などを買った。次第に、彼も他の店員に知られてはいけないと、
「定期購読すれば、わざわざ来なくても大丈夫だよ」
と教えてくれた。
或る日、別件で書店を訪れた時にその男性店員が声をかけた。
「ねぇ、君」
「は、はい…」
「今日の七時に、バス停のあたりで会ってくれないかな?」
佐伯は突然の展開に戸惑ったが、見た目は悪そうには見えなかったので、
「…い、イイですよ」
と答えた。
午後七時になり、いったん自宅に帰って制服を脱いで普段着に着替えた佐伯は、男性店員が待つT書店の前まで行った。約束通り、その男性店員は待っていた。
「大丈夫、遅くはならないよ」
彼は、佐伯を連れて五軒町の自宅まで連れて行った。五軒町は、佐伯の自宅がある備前町から十分程度である。昔は、K百貨店の旧店の裏に小学校があった。専売公社の支社もあり、飲食街も近かった。
その男性店員の家で、佐伯は抱擁され、接吻も重ねた。唇が熱く感じ、口角から唾液がこぼれるほど噴き出し、おのずと一物が硬くなった。
男性店員は、長谷川洋一と呼んだ。長谷川はスポーツ刈りで、背丈も百七十センチを超えていた。毎朝、千波湖をジョギングしていたからか、筋肉質だった。ワイシャツを脱ぎ、テントの様に突き上げたブリーフも下げ、彼は性の目覚めを迎えたばかりの佐伯の肉体を貪った。
「嗚呼、かわいい…」
長谷川の両腕に抱かれながら、佐伯は微かに「匂う」彼の腋臭に酔った。これが男の肉体なのか…。次第に佐伯も長谷川の背中を弄り、時折けいれんするその背部を愛おしく思った。
晩秋だったが、六畳の和室は熱気で満ちていた。首筋から乳房にかけて接吻をされ、乳房の片方を長谷川の舌が突くと佐伯は、
「あ、あん…」
と歓喜した。恍惚な表情をみせると、
「かわいい、かわいいよ…」
と長谷川は喜んだ。
絶頂は佐伯の方が早かった。紅潮した肉棒の先を包皮から覗かせながら、彼は全身を強ばらせた。そして、
「あ、あんッ、あッ、あん、ああんッ!」
と、頻りに熱くねっとりした愛液を跳ばした。一部は黒々とした彼の茂みに絡みつき、その他は長谷川の下腹部を汚した。間もなく、長谷川も同様に、
「あッ、イク! イッちゃうぅぅぅ…」と、佐伯の顔を目がけて愛液を跳ばした。
「あんッ、あッ、あん!」
と、何故か佐伯は開口した。栗の花に似た「匂い」を放ちながら、彼は初めて愛液を呑んだ。卵白の様にヌルッとしていた。
こうして佐伯は童貞を喪失した。同時に、初めて長谷川と言う、父親でも兄弟でもない、赤の他人である男を知ったのだ。
情事を終えた佐伯は、狭い洗面台にお湯を貯めて手拭いで身体を拭いた。その間、長谷川は畳に散乱したちり紙を拾いながら、黙々と帰り支度をする佐伯を気にしていた。彼を傷つけてしまっただろうか? しかし、長谷川はもう一度彼に会いたいと思っていた。
ランニングシャツにブリーフと言う格好で、長谷川は上がり框で靴を履く佐伯を見送った。情事を終えてからずっと沈黙し続けているので、長谷川は言った。
「ちょっとした出来心だったンだ、申し訳ない…」
その言葉に、佐伯は急に涙を流した。嗚咽を上げ、長谷川の胸に顔をうずめた。彼は、
「…辛かった。あの雑誌を初めて立ち読みした時、オレ、ドキドキしちゃって…。男に興味があること、誰にも話せなかったから…。オナニーする度に辛くて…。でも、おじさんが優しくしてくれたから…」
と吐露した。彼は続けた。
「…おじさん、また会いたい。会って、また抱いて…」
声を上げて泣き続ける佐伯に、長谷川は両腕で彼を包み込む様に抱擁し、そっと接吻した。
「解った、解ったから…泣くのはおよしよ。いつでも慰めてあげるから…」
長谷川との「密会」は、佐伯が高校を卒業するまで続いた。その間に、浩志は息子が年上の男と肉体関係を持っていると勘づき、問うたことはあったが、
「お前の、男しか愛せない気持ちにそっと寄り添ってくれたンだ。感謝しなきゃな」
と理解を示した。
高校を卒業して間もなく、長谷川は家業を継ぐ為にT書店を辞め、実家のある茨城町に帰った。その後、彼とは会っていない。
オールドファッションドグラスの中できらめく琥珀色を眺めながら、佐伯は長谷川のことを想った。
「洋一さん、元気かなァ…」
今夜は思い出に浸りたいと、彼はシーバスリーガルのボトルを傾けた。
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随分と御無沙汰であった。前回は、日本への帰路はヘルシンキ経由だったが、なんだか、ぐったり疲れていて、NoaとIsabelとの旅行の後には、何も書いていなかったのか。。。と気付く。
七月中旬に帰国し、八月下旬に帰独。一ヶ月半滞在した日本は、異様に暑く。七月中旬まで、ドイツでもそれなりにバタバタしていたのもあり、帰国して立教や東大に行ったりとバタバタした後は、疲れて倒れていたように思う。山中湖は涼しく過ごしやすかったが、思わず何事にも全力投球して夢中になる私は、甥っ子と彼の犬、礼緒と過ごした後は、AI哲学研究会で東京に出た以外は、また山中湖で倒れてしまう。そして論文を書いた後も、ほぼ機能不全になっていた。母が付き添ってくれていたものの、疲れのせいか、体調不良のせいか、山中湖で倒れていた日々の記憶が断片的だ。
夏の成果は、オニヤンマを甥っ子と作って、石割山登山して、報湖祭の花火を見た事と、甥っ子滞在中に今学期の履修学生達の成績をつけた事。OISTの研究者に誘われた言語についての論文は、なんとか書き上げた事。また、五年目に入ったカスリス先生の日本哲学小史という大著の翻訳に、一応の目処を立てた事かな。そう。ハンブルグでは、日本の聖武天皇、聖徳太子の十七条憲法から鎌倉に至るまでの長い章を、ひたすら訳していた。帰国してからは、道元と西田を終わらせたかった。。。




言語についての拙論は、詰めが甘いようにも思うが、言語を使って考えるということはどういうことなのか。習慣的思考と言語の関係について、考えてみたかった。言語の限界が世界の限界といったヴィトゲンシュタインを研究した大森荘蔵が展開した、言霊論の重層性に関心を抱き、日本の近代言語学の祖でもありソシュール批判をした時枝誠記、Yale言語学のSapir-Worf仮説などや、現代のAIの祖を築くNorm Chomskyの生成文法を概観しつつ、彼らが言語の何を解き明かそうとしたのかをまとめた。空海の声字実相義やデリダのエクリチュールとパロールの問題にまでは展開できなかった。まぁ今後のネタの一つかな。言語を巡るアンソロジーにはなりそうだ。
先人達の試みを簡単にまとめると、言語を構造的とみたいのか、意味的とみたいのかの両極に別れる。言語の見方の差異を過去の研究者達を追うことで浮き彫りにした。両者のアプローチはスイングしつつ発展しゆく。ChatGPTで解明された事は、言語構造に偏り過ぎてもダメという言語の不思議を改めて確認した作業だったように思う。重層性が言語に内在するものであるならば、思考にも重層性が自ずとあるだろう。言語操作を通した概念操作でしか、人間が新しい発想を具体化できないのであれば、言語の貧弱は思考や発想の貧困化を表す。
どおりで、現代日本社会の言説は陳腐。知識層を自認する者たちは、目立つ奇抜な論を展開し、適当に和製英語を散りばめて煙に巻く事を好み、そして大衆も、そうした陳腐を好む。今年は高校野球は塾高大活躍だったが、彼らへの妬みや誹りもひどいものだ。桐蔭、智弁、日大や早稲田なら良いのに、何故��慶應義塾だと叩くのか。若き血の応援スタイルが無いからって、やっかみも甚だしい。伝統は一日にして作れるものではない。昨今の言論分野を見ても、高校野球を見ても、福沢諭吉の次の言葉を沁み沁み思う。曰く、愚民の上に辛き政治あり。批判ポイントの論点がズレているところで批判されても、相手をするだけ無駄だ。多様性の時代、画一的な価値観の押し付け合いは、ますます無駄になっていくだろう。
上げ足を取られないように、馬鹿な癖に言いがかりをつけてくる相手をひたすら尊重し、口先だけに理解を示す戦法しか無いのが、現代のリベラリズムだ。つまり、永遠に平行線でいきましょうという態度だ。子供に意見を求めて、心の中で子供の意見を馬鹿にしている癖に、子供の意見に理解を示すエセ教育の結果でもある。馬鹿な大人に育ち上がった元子供たちは、自分の吐く意見がどれだけ適切なものか省みる能力が無い大人になっただけ。道理で言論がどんどん陳腐になる。
9月末までに、まだまだ3本ほど論文の締め切りを抱えているが、その内の一本は熊沢蕃山という江戸前期の陽明学者。神道と儒教の融合を体現すべく実���を重んじた儒学者。幕末水戸学は熊沢蕃山から多くのヒントを得ているだろうが、彼らが重視したのは朱子学。陽明学の実践的なものといえば、私のYaleでの恩師Tucker先生がコロンビアで研究していた貝原益軒。いずれ、実践的儒教と、仏教、神道の相互浸透性について、何か考えることができればと思っている。
しかし、今の時代は、蕃山のような混ぜこぜの良いとこ取りを理論体系が無いとして取り上げない。南方熊楠があまり評価されていないのと同じだ。西田と何が違うのか。私には、世俗的権威主義しか感じられない。在野した者は評価に値せず、新井白石や西田みたいに時の権力の傍にいた者が、それだけで評価されているのか。疑問はつきない。つまり、容易な事を難解に言った者は勝という権威主義と、民衆に交じり実践を重んじた者、在野主義は無視されるという、そういう構造なのだと思う。兎に角、他人から尊敬され、立派だと言われたかった人々だけが異様に注目されているだけのようだ。
バカが東大でハダカ踊りしていても、東大だから許される。むしろ東大の癖に凄いと尊敬されたりする。それなのに、日大でハダカ踊りしても、別に誰からも良い意味では注目されず、返って、世間を騒がせたと謝罪させられる。こういう民衆の意識構造とは何か。これこそ、ポランニーの群集心理を再度、再読する必要を感じさせる事態だ。ファシズムを回避するための活発な言説は、返って、新たなファシズムを助長しているというパラドクスなのだから。
。。。とつらつら、ヘルシンキ空港のラウンジで思いを馳せる。ヘルシンキ経由にして良かった。ロンドンは管制塔コンピュータの故障で混乱の極みらしく、多くの客がヘルシンキ経由を利用している。BAとのコードシェア便だから。来月のアイルランド、エディンバラ行きは、都度、ロンドン経由なんだけどなぁ。。。そして、日本も、今は先人達のお陰様でなんとか頑張っているけれど、今から十年も経たない間に、インフラが崩壊していくんだろうな。
若い人々を教えるようになって、六年目。今夏、コロナ前に教えた、顔に見覚えのある学生さんが、社会人になって働いているレストランで偶然再会した。彼女は私にとってはいつまでも二年生。真面目な頑張り屋さんだった学生。バイトなの?って聞いた私も不用意だったが、就職したんですと教えてもらい、大きくなったんだなぁと感慨深かった。彼女は地味で、しっかりと社会を支える小さき市井の人々の代表のような方。
丸山眞男が重視した、市井の小さき人々が、これからますます、踏ん張らされていく。日本の衰退は著しい。一億総中流を実現し、八割型の国民は、現状に満足しきっているのだろう。勉強しなくても、なんとか食っていける。向上心なんて、そんなもん無くったってなんとかなる時代だ。夢を語るだけで尊敬され、夢が無い事を嘆き、夢を追いかけなくても、口先だけで夢を語れば許され、夢がある事を異様に褒める時代だ。つまり、夢なんか抱かない位、満たされている時代という事だ。失われた三十年は、成長していない事ばかりが注目されるが、底上げが浸透し、高卒は当たり前、大卒も普通になった底上げバブル時代の継続でもある。必死に生きる事なんて、命を繋いで生きるなんて事、とっくに忘却されているのだ。そんな時代に、真剣になれ、とか責任をもって、なんて多くの人にとって、白々しくしか聞こえないのだろう。
残念ながら身体が弱い私は、思うように身体を使えない。そして悔し涙ばかりする。身体の弱さ売りをしてサボる怠惰な人々と私の間にあるのは、元気だったらあーしたいこ~したいという気の焦りと苛立ちだけなのだろう。自分が動きたいほどには動けない時、私は苛立つ。苛立たず怠惰にできる人はサボっているんだなぁって思う。でも、他人は他人。私にできるのは、私も私なりに微力ながらに懸命に生きている不器用でブザマな姿を、見せ続ける事だけかもしれない。そこから、私の破天荒さに勇気を貰えたって同僚から言ってもらえたり、先生の授業楽しかったって振り返ってくれる学生がいるから。他者あっての私。お陰様で、ヘルシンキまで辿り着いています。
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