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【赫絲珀HSR高鐵行旅】台中烏日高鐵住宿飯店推薦
台中住宿一晚只要988元起,記得提早線上訂房,全館免費WiFi,投幣式洗衣烘衣機和停車場,飯店提供74間客房,靠近台中烏日高鐵站。 Continue reading 【赫絲珀HSR高鐵行旅】台中烏日高鐵住宿飯店推薦
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トランプ関税で「日本は自動車関税ゼロなのか」って言ってる人が多くて気になった。 https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20250215/k10014723331000.html 自動車だけじゃないよ、日本は工業産品全て輸入関税ゼロだ! ある時期まではそれでも勝ってきたのだね。というか、勝ってきたので関税を下げていったのだ。 いつからゼロに?遥か70年代前半からだ。 誰の指導で?そりゃ勿論アメリカさ。 長ったらしいからよ結論先に書くぜ。 1.日本は工業産品関税ゼロ 2.世界的にも工業産品は関税撤廃に向けてすすんでいた 3.農産品関税撤廃で紛糾したのがグローバリズム批判の嚆矢 日本の復興と経済成長というのは相当とんでもないもので、焦土から25年くらいで世界トップレベルの工業力を持つに至った。 そうなると今度は工業の保護政策は必要ないから税率下げなさいとアメ様より指導を戴く。優等生路線に切り替えた戦後日本はそれに従い、70年代には税率ゼロになったってわけ。 この「指導」は日米貿易協定で対米関税失くせっていう要求だけじゃなくて、他の国とも貿易協定(EPA)を結んで関税無くして行きなさいというのも含むわけ。 別に毎度直接そう言われたわけじゃないが最早それが戦後の常識だったからそうやって来た。 関税の一覧は税関が公開しているんで暇な時に見るといいぜ。 https://www.customs.go.jp/tariff/2024_04_01/index.html 工業産品はあら方ゼロ。数パーセント掛かってる品もあるが、日本と良く取引があるASEAN諸国、EU、環太平洋、中韓台などは協定でゼロとなっている。 色々調べると戦車とか野戦砲とか兵器だけには高関税掛かってるのとか発見できるぞ。でも兵器買うのって国家しかいないので関税の意味無いね。 ウルグアイラウンドまで こんな風に輸入障壁は撤廃しようという流れで来て、先進国は大抵どこも工業産品関税ゼロになっている。 工業部門の障壁は撤廃出来た。それじゃ今度はITや頭脳労働などサービスと農産品の輸入障壁を撤廃して関税ゼロにしようず!となったのが、GATTウルグアイラウンドだ。WTO(世界貿易機関)もこの時の合意で出来た。 だけどウルグアイラウンドはGATT史上初のつまずきになった。農業部門などで妥結出来なかったのだね。 なんで妥結出来んかったのよ? 農業ってのは国の根幹だし付加価値が低い産業なのであんま儲からない構造の所が多いのよ。それで補助金出して買い上げたりと各国保護政策を採ってる。 それに農家ってのはどこも保守的。なので保守政党の支持層なわけだ。 その農家を不安定な状態にしてしまうと政治も不安定になるってわけ。ぶっちゃけ自由化しちゃうと個人事業主の農家が全滅して国際農業メジャーが全部かっさら��て各地の農場はプランテーション、みたいな事になりかねない。 だから各国反対で農業部門の合意は流産。これが現在までの経緯。 戦後がパックス=アメリカーナと呼ばれていたわけ 第二次大戦の原因は 1.ドイツ、日本のようなならず者国家の本質的特性にある 2.直前の保護貿易にある 連合国の総括は2.だった。1だったら日独は分割占領したままで二度と復活しないように主権を制限すればよいな。 でも2だと民生中心の工業国として立て直す支援をすべし、となる。 また戦勝国側も同じ轍を踏まないように経済のブロック化を防止しよう、という事で貿易協定を国家間のものから、多国間一般の協定にしようず、という流れになったわけだ。 ここで大事なのは、植民地争いを復活させる意図はないから産業未発達の途上国は除外された。工業未発達なのに外国製品と競争しろ!とかは言わないってこと。 人民元ってどういう意味やろな 急に話が変わるが、中国の人民元ってあるじゃん?なんで人民って付くんやろな? それは以前は旅行者用の元ってのがあったからなのだ。 社会主義では生産量も価格も国家が決めていた。そこで海外からの旅行者が勝手に通貨を使うと不安定要素になってしまう。そこで旅行者には普通の通貨と違う通貨を持たせたの。そのレートも国家が決める。 個人も会社も輸出入は独自で出来ない。輸出入出来るのは国家だけ。 ところが鄧小平以後の開放政策では市場経済を導入したので旅行者用元を発行する必要が無くなったわけ。旅行者が持ち込むカネは不安定要素じゃなくて市場の調整に任せるから。だから旅行者にも人民元持たせて法人も人民元で他国と決済出来るってなった。 脱線するが元は略字であって元は圓。日本の円も韓国のウオンもベトナムのドンも圓を各国読みしたものなんよな。人民元と日本円の通貨記号が¥で同じなのはこういうわけ。 つまり共産勢力も貿易自由化協定に参加したんだけど国家運営の都合上かなり制限があった。そして冷戦激化によって自由陣営と共産陣営の2ブロックに分れてしまっていた。 その共産陣営の方は行き詰って統制経済を放棄。自由主義陣営の旗振り役は?アメリカだ。 だから改革開放、ドイモイ、ペレストロイカでパックス=アメリカーナは決定的になったってわけ。 日本の復興と西欧の没落 日本は世界最大の鉄鋼輸出国。知ってた?日本は鉄の国なのだ。 日本の工業力が復興して急成長した原因は、朝鮮戦争の特需なんかもあるが、元々のスターターは軍港の解体なんだな。 横須賀、呉、佐世保が戦前の主な軍港だったが、その規模は今と全然違う。 例えば横須賀だと今なら街があって海の方が自衛隊と米軍の基地になっているが、戦前だと駅前から始まって全てが軍港。ドック、宿舎、軍需工場、軍需工場工員向け宿舎/飯屋、軍に関係が無いものは一切ない。 敗戦後に軍は解体されるんで軍港都市であった3港はどうするかね?って事になった。そこで海沿いの海軍基地は民間船の造船ドック、製鉄所に転換されることになったわけ。 因みにこん時に旧軍港市転換法という法律を作ってやったわけだが、施行されたばかりの日本国憲法には95条:一の地方公共団体のみに適用される特別法は住民投票での同意を必要とするって項目がある。そこでこの3市では住民投票を行ったわけや。 こういう感じで軍港を廃止して造船所と製鉄所に転用した事が起爆剤になって各地い造船所が林立。日本は一気に造船と鉄鋼の国になったわけ。鉄は工業の基礎だからな。ここを押さえておいたのは強い GHQのプロパガンダで戦艦などの兵器を溶かしてビルや鉄道などの民需品になるっていうポンチ絵があるがその通りになったてわけ。 その後家電や自動車などの民生品、エレクトロニクスといった軽薄短小産業にシフトして行って造船トップの座は韓国に移った。因みに極東アジアは韓中日と造船トップ3国が密集する異常地帯なんだな。この三国で世界の船の9割を造ってるんだぜ、いかれてるよな。 こうやって産業シフトに成功した日本は工業産品輸出量をメキメキ伸ばし、70年代初頭にはかなりとんでもないレベルになった。世界の港湾扱い量のランキングの上の方が全部日本の港って具合だ。1位横浜、2位神戸、3位門司みたいに日本の港がずらっと並びその下にアメリカのが出てくるって具合だ。日本スゴイとか嫌いなんだが、20年前は焼野原なんだぜ?イカれた復活具合だよな。 一方この頃アメリカや欧州はっていうとかなり停滞していた。アメリカは世界一の経済大国ではあったが国内が疲弊し、ベトナム戦争長期化で病んだ若者が増え、日本製品に国内産業が負けつつあった。 欧州では植民地の独立問題で揉め、労組の抵抗で産業転換が進まなかった。植民地が独立したら産業構造が変わって国内経済にダメージがあるのは当然。それを引延ばして軍事介入などを続けていたので建て直しに時間が掛かった。 一方日本は負けてとっくに植民地を手放していた���でこういう問題に拘わずに済んだ。 もう一つは吉田ドクトリン。憲法9条があるから武装できません~と紛争に一切拘わずに防衛費負担も軽く、一方で日米安保��防衛力は確保しておくという良いところ取りで全てを経済発展に注力するって算段。吉田は吉田 ヨシオじゃなくて吉田茂だぞ。ただ吉田茂は経済発展が出来た後の日本は再軍備して海洋国家として海軍力を高めるべしって考えだったけど。 同様に西ドイツも異常な発展を遂げていたので戦後は「負けるが勝ち」だったんやな��戦争を仕掛て負けたせいで信用されないという条件を奇貨としたってわけや。 で、現在 欧州の方はいつまでも停滞してグダグダやってたんやが、EUの前身のECのせいで持ち直していった。EU発足後は急成長。70~80年代の貧乏臭いヨーロッパはどっかに行ってしまった。 なんで、無関税無障壁の貿易自由化が全体の利益になるっていうのは前提なんだな。だがそのせいで国内に矛盾が出るからやり方考えた方がいいぜっていうのがちょっと前まで各国が立っていた立ち位置。 因みにEU圏内では無関税どころか税関自体がないんだが、域外からの輸入には工業産品で10%の関税を掛けている。 今のアメリカのアレは全方面でおかしいけど、関税関連で言えば、そもそもこういう前提で今まで国際社会がやってきたって事を政権中枢が判ってねえんじゃね?ってところなんだ。国益の為に関税掛けたくても、それをやると国益を棄損するからやらなかったってこと判ってるのか?ってことやな。 関税合戦になると貿易が冷え込むから巡り巡って国益に反するしアメリカの場合はパックス=アメリカーナによる国益を失うという問題もある。 いや、共和党のやつらは判ってるよ。だって対外的に先頭に立ってやってきたのだから。だが新しい共和党人士、バナナリパブリカン達はそこを判ってないから反米的な政策を国益と信じてしまうし、古いリパブリカンはパージが怖くて言えないって状態じゃね? この辺、昔オバマと対立するまで安倍さんが「戦後レジーム打破」を連呼していたのと被る。戦後政治やって作ってきたのって自民党なのに、その内容分ってないんじゃね?という疑念しかなかったな。 特に「農業産品自由化で紛糾」のところを判ってるのか?というのも疑問で、例えばイーロンマスクが全連邦政府廃止すると言ってるがそうなると農産品も市場原理で取引されて補助金は無くなる。穀物メジャーは農家より強いから買取価格も引き下げられるだろう。農業はお天気商売だから価格のバッファが必要だが資本がそれをやるつもりはないだろう。そうなると農家は窮乏して小作化するんじゃね? よくある質問 自動車関税に報復関税掛けなくていいんですか? アメ車って日本で売れてないっしょ?掛けても余り効果が無いんじゃね? そもそもこの関税のせいでアメリカの自動車メーカー潰れるんじゃないんですかね?原料費跳ね上がるわけで。 それにトランプ政権の「信用の無さ」のせいで効果が無いと思われ。関税掛けると国内産の方が価格優位性が出るから国内に工場が作られ、ラストベルトは救われるわけです。 でもさ、工業っていうのは原料を加工して利益を乗っけて売る訳だけど、工程の下の方ってその付加価値って極小なわけですよ。つまり製鉄業の利益率は低い。一方プラントは数百億円と超高額なわけで、20年くらい稼働させて元取るって感じ。 この時途中で需要が止まってしまうと投下資本が回収出来なくなって借入の場合は倒産しちゃう。だから先行き不安な件では設備投資しない。 Amazon荷物で飽和してる時、ヤマト運輸は物流拠点増やす投資しないで仕事断ったじゃないですか。あれってAmazonがいつでも他社に乗り換える可能性があるから投資出来なかったわけです。 本件でも同じで、トランプ関税がずっと続くと考える人はいないわけ。すると製鉄メーカーは新製鉄所を建てる事が出来ない。 しゃーないから関税払って同じ鋼板を2.5割増しで買うか、もっと安い地域の鋼板に切り替えるかってなる。安い鋼板に切り替えて失敗した例は70年代イタリアにあって、フィアットと新たに半国営化したアルファロメオの鋼板を安いソ連製に切り替えたら防錆処理されてなくてあっというまに車は錆で腐ってブランド価値低下となったことがある。 商売に信用が大事なのは国家も同じ。経済的信用って「履行してきた」ことで蓄積されるものでしょ?急に政策を変更する、前の政策の影響、意味を判ってるか疑問となればネットナードは騙せても商売人は無理なんじゃ? だから鉄鋼メーカー設備投資して増産出来ない→自動車メーカーコスト高解消できないって状態が続くと思います。 日本の特長っていうのは天才の芽は出にくいけど底上げされてる事ってよく言われる。文盲いないし教育程度が満遍なく高い。アメリカは高校まではかなり緩いし街中で常識問題出して何も知らないのがネタにされたりする。 自分のいる場所が社会的にどうやって構成されているか、直情的以外に利益判断できる基礎を叩き込むという思想で社会科の教育課程は作られている。 だから基礎的な社会の構造を無視して自尊心を鼓舞するような旗振りが現れた時の��性は日本の方があるんじゃないかと思うんだ。グローバリズム批判しながら農業補助金カットや農家瓦解みたいな未来を提示された時に「そっち行くわけないだろばかかお前」と言えるってことだ。野菜になっちゃう人もいるけどな。 反グローバリズムにもちゃんと意味はあるんよ。だがそれが言葉が遊離して農業保護に反する事をしようとしても気が付かずに、DSだのウォークだのというように成ったら義務教育の意味がないじゃん。 あっちは光の速さでもう26世紀を生きているが日本は順当に500年掛けて行けばいいと思うのだ。野菜の栽培にはスポーツドリンクじゃなくて水上げればいいという知識が重要なんだ。 今の工業関税率がほぼセロで農業分野で紛糾して止まってるという知識は水だ。水はつまらん飲み物だ。 だが水を大事にしないと関税競争仕掛ければ国内保護というスポーツドリンク栽培法に飛びついてしまうってこった。
関税と貿易について復習しようず
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翌日、授業が終わると浩志はそのまま浅草六区へ向かった。下宿の鍵を落としてしまったことを、みいと一緒に飲んだあの後、布団の中で気付いたのだ。勿論、見つからなければ弁償しなければならない。彼女からも、
「とりあえず合鍵は貸すけど、見つからなかったら弁償ね」
と言われたのだ。
浩志は雷門前の交番へ行き、警察官に聞いた。しかし、
「こちらでは預かってないなァ…」
と、浅草には田原町の方にも交番があると教えた。確か、「Kバー」に寄った時にはスラックスのポケットに入っていたから、恐らく藤棚の下で伸びていた時だろう。彼は念の為、浅草寺にも向かって藤棚の下を隈なく探した。確か、ここらへんでオレは寝てたよなと思い返しながらベンチの下も見たが、ない。
あとは、あの成人映画館しか思い当たるところはなかった。一応行ってみるかと、浩志は自転車に乗って六区ブロードウェイへ向かった。映画館の前に自転車を停め、鍵を付けて室内に入ると、相変わらず中年ぐらいの男たちがジロッと彼の方を見詰めた。嗚呼、この雰囲気はやっぱり嫌だなァと思いつつ、彼は発券売り場の従業員に声をかけた。しかし、その中年の女性は、
「今のところ、自転車の鍵の様なものは届いてないねぇ…」
と答えた。
嗚呼、弁償だと浩志は肩を落とした。そ���まま映画館を後にしようとその時、背後から声をかけられた。手首もつかまれ、彼は焦った。振り向くと、そこには未だ三十代前半か、灰色の背広を着た男がいた。この男が後に、浩志にとって 生涯の情人となる大原幸雄である。幸雄は前髪をブリランチンで後方に流し、まるで男優の様な整った顔立ちをしていた。彼は言った。
「…君に逢いたかった」
この言葉に浩志は何も返答できなかった。彼がオレのチ◯ポを…? しかし、つかまれた手首を振りほどこうにもできず、彼はそのままトイレに連れて行かれた。
個室に連れて行かれた浩志は、ドアに鍵をかけられるとすぐに大原に唇を奪われた。微かに、煙草の臭いを消す為か「仁丹」の匂いがした。唇から今にもこぼれそうに噴き出す唾液を、浩志は飲んだ。次第に彼は首筋や胸元も接吻され、
「あ、あん…」
と歓喜の声を上げた。濃厚でありながら激しく、彼は内腿に力が入るのを感じた。
気付くと、浩志は申又を下ろしていた。股間に顔をうずめた大原は、舌で浩志の肉棒を弄った。裏側をなぞられると、
「あ、あぁん!」
と女の様な声を上げた。そのワイシャツもたくし上げられ、彼は半ば裸をさらすことになってしまった。しかし、大原があまりに気持ちよく肉体を弄ぶので、浩志は羞恥心さえ忘れてただエクスタシーに酔い痴れた。
浩志は、初めて肉体を弄ばれることに慣れていなかったのか、しかし恥部を刺激されるとおのずと隆起し、勃起もし、彼は荒波の中で揉まれてゆく感覚を味わった。次第に、彼も幸雄の唇を求め、スラックスのベルトを外した。
「ほ、欲しいの…」
こうして二人は互いに愛し合い、オルガズムに達した。ドロッと粘度の強い乳白色の愛液がタイル床に飛び散った。幸雄は、丁寧にちり紙で浩志の乳房や一物を拭き、乱れて前に垂れた前髪を手ぐしで直した。彼は水色の縦縞のトランクスを穿いていた。浩志が先に個室から出ようとすると、
「外で待ってて」
と、幸雄は耳元で囁いた。
映画館を出ると、微かに空が黄昏に染まろうとしていた。後から幸雄も来て、二人は「Kバー」へ向かった。途中、浩志は公衆電話で下宿に電話をし、みいに夕食は要らない旨を伝えた。その時、
「先刻、お巡りさんが来て鍵を届けてくださったわ。田原町の交番からだって。たまたまウチの名前が入ってたからよかったけど、気を付けてね」
と、受話器越しにみいが言った。彼は安堵のため息をついた。
Kバーでは、デンキブランにもつ煮や串カツなど、この日は僕のおごりだと幸雄は浩志にご馳走をした。時折ビールも���みながら、浩志は幸雄と色々な話を交わした。幸雄は向島の方にアパートを借りているが、実家は曳舟にあると話した。有楽町の某新聞社に勤めているので帰宅が不規則だから実家に近いところに住んでいるのだそう。元々持病があるらしく兵役は免れたが、戦時中は東京ではない、父方の実家がある常陸太田に疎開していた。浩志は母方が同じ常陸太田の出身で、独身の頃はK百貨店の前身・S百貨店に勤めていたと話すと、ますます幸雄は親近感を感じた様子だった。
デンキブランのグラスを交わしながら、浩志はこれまで経験したことがない、ゆったりとした時間が流れていると感じた。嗚呼、オレはこの男(ひと)を好いているのかもしれない…。もっと彼を知りたいし、再会したい。浩志は、完全に幸雄が好きになったと認識した。
時刻は午後八時を回っていた。自転車を押しながら、言問橋の上で浩志は幸雄と別れようとした。しかし、名残惜しかった。嗚呼、相手が同性であれ好きになるとこんなに辛いものなのかと、胸が絞め付けられる感覚があった。夜空には真ん丸の満月が浮かんでいる。幸雄は浩志を抱きしめ、接吻した。
「…好きになっちゃった。離れたくない」
幸雄のこの言葉に、浩志はおのずと涙がこぼれ、すすり泣いた。彼も唇を重ね、頬を擦り寄せた。
「アンタが…好きになっちゃった」
しばらく二人は橋の上で愛し合っていた。
下宿に戻ったのは午後九時過ぎだった。玄関で靴を履き替えた浩志はフラフラと茶の間に来たが、みいは一升瓶の「菊正宗」をちゃぶ台の上に置き、独りでグラスを傾けていた。彼女は、
「…遅いンじゃない?」
と聞いた。怒っている様子はなかった。浩志は、幸雄を好いてしまったのと別れてしまったと言う気持ちが入り混じり、今にも泣き出しそうな思いだった。彼は、
「…御免、風呂入らずに寝る」
と言った。普段とは様子が異なっていると感じたみいは、
「…何か、あった?」
と聞いた。嗚呼、女の勘ってすごいなと思いつつ、
「…否、何でもない」
と逃げる様に茶の間を通り過ぎた。
部屋に入ると、浩志はドアを閉めるや力尽きた様に布団に横たわり、嗚咽を上げてながら泣いた。
「…幸雄!」
彼は、隣の正樹に聞こえぬ様に、静かにすすり泣いた。これが初恋ってものなのか? そう自問しながら、気付くとそのまま眠ってしまった。
それでも、翌朝には午前二時半に目が覚め、新聞配達に出掛けた。若いからこそできたことだった。
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婚配嫁娶的問題,三教九流,吃,喝,嫖,賭,菸,酒,草包都不會有人要,我都覺得很奇怪這些人拖過年的太自以為是,而且裡面有很多家樂福根本就全部都不用啊,拖累拖過年的,還有答每垃批灑,把別人的手機當自己的圖庫使用誰要幫你找圖庫,別人手機又不是你的硬碟辦公室騙整年的,因為手機裡太多工程師���路,草包直接複製其他人手機裡面的圖庫當作是自己的idea發想,所以那個NASA這條線才會這麼吵,折諜只是公務人員並沒有想像中這麼厲害,然後遷其他人的手機或者是電腦圖庫,當然是飆啦,所以大家停下來,誰要幫敵人的找圖庫找答案,批評假人草包,哪有這麼好事情辦公室,草包穩贏的,這麼可能不會吵,不過再說啦,政府在水庫裡面搞事,沒有過濾就全部都倒了,生活很漫長裡面是刪減人數,所以我們這條線吵上船已經很久了,我們不可能跟敵人一起住,倚敵扯住了阿罵,廟的後代也一樣,跟大家競爭,免作台語不可能,爭執滅絕施太,一路順暢有問題,沒有功德哪來的順暢,們是爭整,冷水坑批面
樓下隔壁鄰居的電動鐵門很像墓園的鐵門亞東保全,整社區顧塔專線,但是白蛇進塔不可能,閒聊迦裟扶起,渡劫難,驚訝修行衣服這麼有用,天天唸經文加持的衣服,會思考的靈魂感受家的默香
水庫沒有過濾,變相殺人,2022,23濾心一下子就操壞了,大家根本就不可能停留是因為醫師公會對面就是藥物,大家,生活就是平常,還有發現環境事物尤其是金木水火土會變,電影神通王已經播很久了寺廟應該是知道的
名字瑩,整墳,台北爭執感應器 發霉,名人節整名字,螢光色的衣服鞋子襪子都不用,遲頓久,墳的空間設計激怒很久,神景感應器吵超,2005聯芝同事姿瑩知到,我不會到耶 林整 靠她不可能??,我不知道啊,天外奇蹟的台詞,我來見我的偶像,我的偶像要了我的命,眼扯,離譜,突然想到這些電話線的起頭真的很離譜 連老闆的英文名都一樣,長相不一樣,但是台北真的超過了,每年拖過年的,每年都有天災人禍拖住了,然後每年都在講,我們如果不留下來救災的話,沒有人道考量2016地震,年年震,但是這三四年水質不好就不用了啊,水庫在搞事裡面是裁員,害濾心爆掉,害買濾心,賀眾牌飲水機店門口的濾心一堆垃圾就知道,們隱忍
還有那個沒有工作跑進來我家,站在我旁邊��這一群的垃圾用賴的,這樣就會有薪水的話,我是不會理你的,應該是各走各的路,這個整找不會,他馬的,耍賴,在家午休有妨害到你們嗎 雞掰台語
沒有人告知,全部自己想辦法,整爭每天都是自擠,東西方天空之神與陸地的人不和,查閱相關資料並仔細思考,神仙下凡修理人,不合邏輯,爭執藏砲面,大家分,分們霉分墳戎族
911的飛機,飛機上有衛星電話,是不是機師或者是飛機組員有交代,要問他們的家屬,8到10年美國已經買超過年限了,諜家和921,311地震都不用,年年災難,陰陽加裏蹲,有一年美國飛機的電話撥進來,它繼續講話,所以那個川普跟他太太是不是卡住了,除了家務事還有一個飛機的衛星電話,那個交代扯住了,所以那個空中廚房才會繼續啊,一堆的廚房用品,整吃的
還有2005年發現電話線,現在想一想喔,老師跟郭曉玲不行,整靈還有郭曉玲她媽媽的晚禮服瘀青色還有郭的大嫂切魚肉談,有經濟能力為什麼不養人,電話裡面靈桌太多了,太驚屬,警察世家與刑案的家屬,整發財,難怪彎管在講這個問題,2016臥底老闆讓匯,這裡沒有錢盤是空的,更不用說台北在養毒販,無底洞,還有一堆折諜的公帑,我們才會罵人,夠了,大家不救台北戎爭超過而且我們不知道毒販求養紅白包都超過了,吃骨頭長大的一群垃圾,其他的店家是因為家裡面有買家電產品只是在談,人的面容會因為他的行為調整,以前看起來是公益慈善家,現在臉部好像被打到,整臉,大家就不見了,比爾蓋茲夫婦檔也是一樣,他太太有做慈善事業臉部線條就比較柔和,相由心生,每一家軟體公司都一樣,多兩三個指令又變成新的版本
6 😱我們才不管台北是不是打錯了,這想耍賴,哪有那麼好事情,把我家五個人當白痴,用誣賴的可以拖超過15年,🤔突然想到國中同學的名字,裡面是罵人覺得想笑😄,難怪大家往前門逃,🐷麻豆子火鍋送菜梯,省立桃園醫院有一樣的菜梯規格,全部對面十塊遞單子,擔心太多人了,很多未知數,火飆找麻煩一堆,原來是台南的書桌有問題,我不曉得耶,🧑🍳👄但是現在想想發現被丟包了,學姊的哥哥是警察局長,學姊應該是警局眼線整刑,女生宿舍人際關係對面,太不可思議了,89年的部分錢盤是爭執,未知,沒有金錢來往的親戚全部都拖進來吵超級離譜的🌶️,那是阿嬤私底下在吵,我不知道,我還是跟黃端轉租房子,因為扣除例假日還有回家的時間租不到一年,就算了還是住下來因為沒有看到合意的房子還有房東的表妹秀慧載我們去私人俱樂部的遊泳池遊泳,當時她是用公司的發財車,🤭🍇💪學生哪有想那麼多私人俱樂部就是有錢人家的遊泳池去遊泳只是說它是用跳水的標準規格蓋的,踩不到底,你就要一直往前游,很適合訓練遊泳選手🥦🍓🍒,這是學生時代的部分,⚓🫵🦐兩年前愛買結帳員說話她說十塊也要摺嗎,你問我,我還不知道遊戲規則咧 摺什麼
這兩三年我們家路口有一個年菜的車禍,年菜是散落一地,三千的姐妹團,年菜車禍苦主,愛買營業員,省桃的護士,國泰保險的櫃台講話扯住了,大陸妹家,整姐妹團驚呀,繞圈圈,這不知道她媽媽生幾個女兒都很像,重點就是大陸人講話會有問題
批評:沒有想到郵局是欺呆喔,這不曉得有多少家庭受害了,刪減人數,不曉得有多少人,因為倒霉號碼牌,倒霉號櫃台,趕時間整付費的,難怪今天一個人都沒有,不過今天是5月26號早上9點到十點,皆斷,都不會,天庭告狀的人越來越多了,眼扯,清潔由局四員,整劫,傻瓜也壓頭分們,921大地震像這樣的問題更多,更不用說還每年各各個國家都是地震,像這種情形太多了,陰陽加裏蹲,更不用講說發生戰爭的國家,大家早就逃離這個國家,國家是空殼
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人間はそう変わらない
先月、鎌倉まで海を見に行った。ここ数年自宅が仕事場となる生活をしていて、そうなると日々の暮らしは半径300メートルで完結してしまう。リビングにあるパソコン。近所のスーパーマーケット。スマホで得る情報と、ドラッグストアのクーポン券。そんなもののあいだを行ったり来たりしてるうち、日が暮れてしまうわけだ。窮屈なのは苦にならない性格だけども、それでもときどき頭の中に真水を流し込みたくなる。進みすぎた発酵は、腐敗と見分けがつかなくなるから。そんなときは、いったん全部流し台に流してしまう。蛇口をひねれば水が出るわけで、それで洗い流してしまえばいい。そんなわけで湘南新宿ラインを乗り継ぎ、鎌倉を目指した。
普段乗り慣れない電車に乗ると、不思議なもので、乗客たちの様相がいつもとは異なって見える。顔つきや着てるもの、塾帰りの長女と連れ添う母親の風貌も、光学的にいつもと異なる風景となって映る。ここにいる彼や彼女たちにも日常があり、暮らしがあるのだろう。車窓から見える家の、あの窓の向こうには、夫婦の寝室か、子供部屋がある。そこを拠点に半径300メートルの暮らしがあるやもしれない。見知らぬこの街で、一生のほとんどを過ごす人だっているだろう。なじみのレストランが閉店してしまったり、本当に愛し合った恋人たちが別れてしまったり。そんな平常がきっとここにもある。ことによっては自分がその彼や彼女だったかもしれないと考えるとき、ぼくは彼らとの連帯を強く感じる。ぼくは即席のコミュニタリアンになってしまうわけだ。共同体主義者がたったひとり、海を目指す。これはおかしなこと。
鎌倉駅の前は人でごったがえしている。外国人観光客の密集が路地の裏まで。グローバリズムが生み出したマルチチュード=「来るべき大衆」というのは、彼らのことだろうか。ともかくその密集から離れ、海があるらしき方向に歩き出す。地元の住人であろう老人に尋ねてみた。ここから歩いて海までいけますかね?一瞬ぎょっとした目でぼくを見つめた紳士は、しばらくの呼吸停止の後、丁寧に応えてくれた。しばらく行くと大通りがあるから、そこを右折して道なりに行けば海に行けますよ、20分くらいかな。
雲のあいだから陽光が差し、海面の絨毯が光で揺れる。海だ。海を前にすると、人は天文学者になってしまう。海のさきにある広大な水平線が、日常の些末な出来事を飲み込んでしまう。だから人はそれを遠くから眺めるしかない。天文学者が望遠鏡で惑星を眺めるようにして。大好きだった人のこと。大嫌いな同僚のこと。そうした好意や反感に関連したやっかいな事情が、銀河の彼方にある無機質な恒星になる。これって不思議じゃないだろうか?だってぼくはいま海を前にしているだけで、ぼくの頭や手足の部品が交換されたわけではない。違うのは、目の前の風景だけ。でも風景が心の中を変えてしまう。情緒の変化が起こり、かかとの足音がこれまでと変わってしまう。なぜだろう。だって、ぼくは、ぼくだろ?ほんのすこし気分が変わっただけなんだろ?好きな人の前では緊張するし、通勤ラッシュの電車の中では殺伐とした気持ちになる。要するにそうした類のちょっとした気分の問題であって、ぼくの精神が耕した土、そこで実った果実が、増えたり、減ったりしたわけではないんだよね?
おそらくそうだ。なにも変わってはいない。人間はそう変わらない。少なくとも気分以外は。気分が変わることは、日常生活において十分にその意義のあること。それについて異論はない。しかし海を見て心が晴れたとて、あるいは空を見て感傷に浸ったとて、それはあなたを変えはしない。旅があなたを変える、旅��あなたのあらたな局面を切り開くとのスローガンは、羊飼いが羊を飼い慣らすためのトリックではないだろうか。広大な丘のどこにいってもいい。どこで草を食んでも、どの小川の清流を飲んでも、どこをどう駆けずってもいい。そう命じられた羊は、きっと命題としての自由を実感するだろう。だけどその自由は、あくまで羊飼いのためのもの。
これは結論とはいえない。けれども、さしあたり、いまのところ、前提条件ではある。結論を出すには時期尚早との迷いから、ぼくはそれを結論だとは見なさない。でも本当は知っているのだ。時期尚早でないどんな結論も、この世に存在しないことを。急ごしらえで生煮えの結論を、ぼくたちは生きている。そしてもちろんのこと、電車内の乗客たちはそんなのお構いなしみたいな顔をしている。蛇口をひねれば水は出るわけで、いったいなにを迷う必要がある?
ともかくこういうことだ。いつか機が熟すのを待って、然るべきときが来たなら、いざ飛び立とうなんて気でいたら、熟した柿は落ちてしまう。時のはざまへと落ちていく柿。そんなつぶれた柿の堆積こそが歴史なのかもしれない。だとするなら、ぼくの柿ももうすでに落ちてしまった後だ。だからそんな失われた時を求めて、書き始めることにしよう。ぼくは変わらない。新しい風景が、ぼくを新しくはしない。それは気分をほんの少し変えるだけ。だからといってなにも変える必要がないわけではない。ぼくはそう思っている。この同じ場所、半径300メートルをこそ、変えなければいけない。窓から見えるブロック塀を地図に見立て、そこに導線を引かなければならない。それは鉛筆で描くドローイングのようなもの。ぼくの目論見では、それらドローイングは成功も失敗もなく、すべてが傑作へと連なっていく。そしてそのために必要なのは翼で飛び立つことではない。線を引くこと。言葉を書き記すこと。失われた時を求めて、空想と現実とを散文で描き出すことなのだ。
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サイドシートの君
ゆかは旅先で呼んだコールガール。
地元が近いのと趣味が合った事がきっかけで連絡先を交換した。
そしてお盆の帰省のタイミングで会う約束を決めた。
ゆかのいる町まで車で一時間ほど。
来るか来ないかは半信半疑だった。
約束を破るような子では無いと思ってはいたけれど、連絡の返信の遅さがちょっと気になっていて、来なければ来ないでいいやと思っていた。
約束の時間の十分前に待ち合わせ場所に着いて車を停めた。
ゆかに着いた事と車の特徴を書いたメッセージを送る。
来ても遅れるだろうと思い、二十分後に発走する競馬を予想して買った。
既読が着いたのは約束の時間を二分過ぎたあたり��
あと五分くらいで着くらしい。
少し安心した。
それから十分後にメッセージ。
車のナンバーはこれですか?と来て、車の後ろを振り向くと、こちらを見ているゆかと目が合った。
手招きをして助手席に呼ぶ。
ゆかが席に乗り込んでくる。
「すみません」
「久しぶり」
「お久しぶりです」
「元気だった?」
「はい」
「ありがとね、来てくれて」
「いえいえ」
「じゃあ行こうか」
プランを二つ提案した結果、神社に行って近くにある貝出汁のラーメンを食べることにした。
近くのコンビニでコーヒーを買う。
「そうだ、さっき競馬買ってたんだよね」
「そうなんですか」
「一緒に見る?」
「見ましょう!」
一緒に見たレースは見事に的中だった。
ゆかも喜んでいた。
車を走らせる。
車内ではゆかが同棲中の彼氏に薦められて見た頭文字Dの話を熱く語っていた。
今度聖地巡礼に行くらしい。いろは坂はあのまんまだよと言っておいた。
ゆかが今日着ている服はライトなロリータ風のワンピースで、童顔の彼女にはそれがとても似合っていたので伝えた。
嬉しそうに笑うゆか。ロジータというブランドらしい。
田舎道を走っているとひまわり畑を見つけた。
下りてみると一面ひまわりが咲き誇っていて、その後方にある風力発電のプロペラがまたいい味を出していた。

夢中で写真を撮るゆかは無邪気な少女のようで、転んてしまわない��心配になるくらいだった。
車を再び走らせて神社へ向かう。
険しい階段を上って本殿でお参りをする。
「五円あった」ゆかが財布から硬貨を取り出す。
「俺は欲張りだから五円が十倍あるように五十円にするよ」
「なるほど!」
神様に祈ったことは今日が楽しく終わりますように。きつねの神様は俺を助けてくれるだろうか。
反対側に下りて行くと無数の赤い鳥居が並んでいる。何度来ても圧倒されるが、ゆかも同じだったようだ。
ここで少し雨が落ちてくるが気にせずに歩いていく。鳥居の中を歩いていくと横に水場がある。そこに咲く蓮の花を見つけたのでゆかに教えると鳥居から蓮にスマホを向けて撮影した。

白い花びらが水から顔を出して咲く姿は可愛らしさだけではなく強さも感じた。何となくそれはゆかの姿にも重なった。
高台から鳥居が並ぶのを眺める。

雨が本降りになってきたので木の下で雨宿り。
ゆかの持っている赤いバッグには傘が入っていな��らしい。
「折りたたみもってくればよかった」
「雨降るなんて考えてなかったよ」
「県の真ん中の方は降るって聞いてたんだけどなぁ」
「しゃあないよ、ここ真ん中じゃないし」
しばらく経ってもやまない雨。結局少し濡れながら歩くことにした。
雨降りにも関わらず別な色の蓮の花を見つけて二人で写真を撮った。
階段を上って下り、おみくじをひいた。
天然石が入ってるおみくじで、パワーストーンが好きなゆかにはぴったりだった。
昼食の時間になったので店へ向かうが、時期や時間もあって行列ができていたので、同じく貝出汁のラーメンを出している別な店で食べることにした。
運良くすぐに座れ、ゆかとあれこれ話した。
ゆかは小学校から高校まで卓球をしていたらしい。
大学ではクラゲの研究をしていて、クラゲの生態にも詳しかった。
「一応理系なんで」
確かに同人小説を書き方を聞いたら実に論理的に話を作っているなと感じていた。
そんな話をしているとラーメンが出来上がって食べた。貝の出汁とバターの風味がうまくマッチしていて絶品だった。ゆかも気に入ってくれたようだ。

店の外に出るとまたもや雨。
近くの公園にあった遊具も濡れていた。
「晴れてたらやりたかったのになぁ」
「これじゃ濡れちゃうね」
残念そうにするゆか。
ここの段階で時間は十三時をまわっていた。ゆかは十六時くらいまでならと言っていたので、次の場所を迷ったが、思い切って賭けに出ることにした。
市街地へ車を走らせる。
「あのさ」
「ん、なに?」
「夜の仕事、まだやってるの?」
「いや、しばらくやってない。昼の仕事で稼げるようになったから。このままやめようと思ってる」
「そっか、昼の仕事が順調ならいいね」
「うん、もう知らない人に会わなくてもいい」
「お疲れ様。よう頑張ったと思うよ」
「彼には絶対言えないけどね」
「体調もよさそうだね」
「うん、抗うつ剤は飲んでないし、元気になったよ」
「よかったよ」
ゆかの手に触れて握ると、握り返してくれた。
川沿いの堤防を走る。
カーステレオからは真夏の果実。
市街地にあるホテルへ入り車を停めた。
ゆかの表情は暗くて見えなかった。
「いい?」
「タダじゃ嫌」
「そっか」
その返答は予測していた。元々は金で繋がった関係だ。
「いくらくれる?」
価格交渉が始まるが、割とすぐにまとまった。
タッチパネルで安い部屋を選んで入る。横にあるシャンプーバーの香りが鼻についた。
部屋に入ってソファに座る。
唇を重ね、ゆかの胸に顔をうずめた。
その後の事は何となくしか覚えていない。何度もキスをして、何度も愛を囁いた。
そして二人並んで眠った。
ゆかの寝息を聞きながら時間を気にしていた。
リミットの時間はとうに過ぎている。
目を覚ましたゆかに聞いた。
「時間大丈夫なの?」
「ああ、うん。別に花火があるからそれまでに帰れれば。そんな花火見たいわけじゃないんだけど」
その日はゆかの住む町で祭りがあって二十時から花火が上がる日だった。
「そっかそっか。一緒に見る?」
「うーん、誰かに見られると嫌だから」
「だよな」
その後はゆかの書いた小説を読んだ。そしたら俺もゆかに自分の書いた物を見せたくなった。
「ゆかの事書いた作品があるんだけど見る?」
「えー!恥ずかしいからやだ」
「まあまあ、自分だと思って見なきゃいいからさ」
「うーん、ちょっと興味はあるんだけどね」
そしてTumblrに投稿してたコールガールを見せた。
時に笑いながら、時に考えながら読んでいた。
「この表現好き」
ゆかを花に例えた部分が気に入ったらしい。
「人の書いたもの見ると勉強になる。すごく読みやすかった」
「ありがとう」
「今日の事も書くの?」
「そうだなぁ、たぶん書く」
「めっちゃ恥ずかしい」
そんな事を話しながら、不思議な関係だなと思った。
現実で会った人にTumblrを見せたのは初めてだった。
彼女でもなければセフレでも無い。そもそも会って二回目の関係なんだから名前をつけようにもまだ難しいだろう。
それでもこの関係は何だろうと思いながら気づけば温くなった風呂に二人で入っていた。
洗面台で歯を磨くゆかに後ろから抱きついたり、服を着るのを邪魔してみたりした。
帰路につく。
夕焼けの時間だった。
この様子だとゆかの町に着くのは十九時くらいになりそうだ。
「今日さ」
「うん」
「何で来てくれたの?」
「えっ、うーん…誘われたし暇だったから」
「そっか。お金もらえるって思ってた?」
「いや、それはない。ただ会ったらするかもなとは思ってた」
「そうなんだ」
「うん」
途中の海辺で夕焼けの写真を撮った。

「すごくいいね!あとで送って」
「いいよ、今送るよ」
すぐゆかに送った。
「ありがとう」
そっとゆかの手に触れた。自然と繋ぐ。
車は海沿いの道を駆け抜けていく。
町に着くと大勢の人で賑わっていた。
「どこで下ろせばいい?」
「真ん中は嫌だから…朝会ったとこ」
そこへ向かって車を進めると、警備の人が立っていて入れなかった。
「ちょっと入れないな…」
「うーん、どうしよう」
ぐるぐると町中を周る。
「やっぱ入れないよ」
「離れたとこなら一緒に見てもいい」
「えっ、あっ、そっか。じゃあそうしよか」
「うん」
「食べ物買いに行こか」
「屋台はダメだよ。知ってる人いるかもしれないから」
「そうだな。コンビニでいいか」
その町にある唯一のコンビニで食事を買った。
その隣りにある駐車場から花火が見えそうだったので、そこに停めて見ることに決めた。
花火が始まる。
ここでもゆかは写真を撮るのに夢中。
俺も撮ってみたけれど、信号が邪魔して上手く撮れなかった。
合間に見せてくれるゆかの写真は上手に撮れていた。
プログラムの間、ひたすらゆかはスマホをいじっている。その動きが止まると俺のスマホに通知が来た。
「アルバム作った」
開いてみるとトーク画面に日付が入ったアルバムが出来ていた。花火や蓮、ひまわりの写真がたくさんおさまっていた。

「おー、いいね。ありがとう!」
「ふふっ」
ゆかはまた外にスマホを向けた。
「あの色はリンで…」
花火の色を見ながらそんな事を言っていた。
「覚えたことって言いたくなるよね」
ゆかが笑う。そうだなと俺も笑う。
あっという間に花火大会は終わった。
「帰ろっか」
「うん…」
帰りに降ろす場所を探しながら車を進めた。
「あっちに行くと公園がある」
「そこで降ろす?」
「いや、遠いからいい」
「行ってみようか?」
「うん」
公園に行くと暗くてよくわからなかったが、日中は眺めがいいだろうなと思った。
「あっちには小学校がある」
「行ってみよか」
何となくゆかの気持ちがわかった。
「あれだろ」
「なに」
「別れが惜しくなったんだろ?」
笑いながら言った。
「でも明日は友達と遊ぶから泊まれない」
「もうちょっとドライブするか」
「うん」
小学校へ入った。ゆかが通っていた小学校はかなりきつい坂の上だった。
「こんなのだからめっちゃ足腰鍛えられた」
「これは中々スパルタだな」
「でしょ」
小学校を後にして車を俺の地元方向へ走らせた。
「あれだよね」
「なに?」
「泊まっても寝ればいいじゃん」
「うーん」
「俺いびきかかないし」
「そうなんだ」
ゆかの右手に左手を重ねた。
「朝、めっちゃ早起きだよ?」
「いいよ。またここまで送るからさ」
「わかった」
「じゃあ、泊まろっか」
「親に連絡しとく」
コンビニでコンタクトの保存液とビールとほろ酔いを買った。
ホテルへ入る。今日二度目だ。
カラオケがついていたので酒を飲みながら二人で歌った。
夜は深くなっていく。
シャワーを浴びる。マシェリでゆかの髪を洗った。
洗面台でそれを乾かしてベッドへ入る。
互いに欲望のまま相手を求めあう。
眠っては起きて、キスをして、何度も何度も。
「俺に好きって言ってみてよ」
「言わない」
「いいじゃん、嘘でも言ってみなよ」
「嫌だ言わない」
「そっか」
力一杯抱きしめて、それをゆかも返した。
俺は六月にあったことを話した。
自殺未遂のことも。
「ガチで死のうとしたんだね」
「うん、そうだよ」
「生きててよかったね」
「ほんとそう思う」
「今も彼女のこと好き?」
「いーや、全然」
「そっか」
「新しい好きな人いるらしいし」
「いなきゃ好きなの?」
「いや、そういうわけでもない。俺にはあわなかった」
「切り替え早いね」
ゆかの首筋にキスをして眠りについた。
結局は予定の時間にゆかは起きれなかった。
俺も軽くは起こしたけれど、別れを早くしたくないなんてエゴが出た。
「私ほんと時間にルーズなんだよね」
と言いながら、そんなに慌てないゆかが滑稽だった。
「私と付き合わない方いいよ」
「どうして?」
「時間守れないし、好きなこと話すと止まらないし」
「時間を守れないのはよくないな。でもそれはパートナーがちゃん���してれば支え合っていけるんちゃうか?」
「うん…」
ワンピースを着ながらゆかは俺を見た。
「うしろのチャック閉める?」
「閉めよっか」
「自分でも出来るけど」
「いいよ、閉めるよ」
背中を向けたゆかの背中のファスナーを閉めた。
「上のボタンもかけて」
「はいはい」
��タンを掛けて後ろから抱き締める。
「かわいいよ」
「ふふっ」
ゆかにかわいいと言うといつも笑う。
そんなとこはあざといのかもしれない。
「友達との待ち合わせ場所まで送ってくれるんでしょ?」
「うん、送るよ」
「やったー」
「そのかわり」
「なに?」
「お金は無しな」
「えー、少しも?」
「当たり前だろ。泊まったし送るんだし」
「ふふっ、そうだよね。わかった」
「交渉成立な」
「電車代浮いたからいいや」
「なんだよそれ」
ゆかが笑った。
ホテルを出てコンビニでコーヒーと朝食を買った。
予定時刻までに着かないのはわかっていた。
友達やら予約しているカラオケに電話をしながら、車の中でアイラインを引き、ルージュを塗った。
「ちょっとはおしゃれしないと」
「昨日と同じ服だけどね」
「それはしょうがない」
「そうだな」
「そうだ、スッピンどうだった?」
「あー、うん。可愛かったよ」
「ふふっ」
相変わらず笑う。
海辺を見ながらゆかは言った。
「普段海見ないけど、やっぱりこっちの海のが好き。向こうはなんか深くて怖いから」
戻ってこいよ。なんて言おうと思ったけど、別に俺がそれを言える立場じゃ無い。
「やっぱさ、十八年見た海は特別なんだね」
「確かにそうかもな」
「今回帰ったら、次見るのは冬か」
「その時も一緒に見たい」
「うん、いいよ。あっ、あとは会いに来てくれれば会えるよ」
「行きたいなとは思ってるよ」
海辺を過ぎて内陸へ入る。
あと五分で目的地。
信号で止まった時にゆかの唇を奪った。
信号の色が変わるのを感じで離れる。
ゆかの表情はどこか寂しげだった。いや、そう思いたいからそう見えたのかもしれない。
カラオケの前で降りる間際にもキスをした。
去り際にゆかは俺を見てこう言った。
「死なないでね」
短いけど重い言葉だった。
「そっちもな」
車を大通りへと向かわせる。
何度もゆかの耳元で囁いた言葉を思い出す。
車線を変えながら車を一台二台と抜いた。
「俺って本当に」
アクセルを踏んで帰路につく。
サイドシートにマシェリの香り。
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「被照顧的傻瓜」
重打了兩次 湯不讓真的不要給我搞
總結戀愛小說的重點章節
但我還是要說為了堵他下課我站在他教室門口外三十分鐘
還有因為我弟真的跟他一樣溫柔體貼
害我很習慣被照顧
所以心臟爆擊指數從100%降到80%
但還是一樣喜歡(o^^o)
有一種好像我們早就已經在一起了的感覺
去逛校園 坐電梯的時候我還有話沒講完 但前面有人 所以我們到最後面的角落 我們靠超近然後他還低下頭聽我耳語 心跳快停止了差點忘記自己在講什麼
超喜歡坐他的摩托車! 我不會扣安全帽的扣子 叫他幫我扣 安全帽的帶子太大 他就幫我重調好幾次 每次調完就戴到我頭上扣起來 再調整帽子把我的頭往後仰(雖然我覺得玩我的成分比較大😠)
一開始坐車不太知道要抓哪就抓後面 結果綠燈的時候我一直忘記抓緊就差點往後飛
「你可以抓我」 「可以往前坐一點不用坐那麼後面」
所以我就開始抓他衣角 坐了好幾次的摩托車一點一點往裡面抓 到晚上的時候已經可以差不多環抱起來了
有次前面的車急煞 我就下意識抱緊他
但每次紅燈的時候我還是會ㄙㄨㄥˊ 就會撥頭髮把手拿開之類的 然後他每次要綠燈就會提醒我 我就會說喔 然後再抓緊他
反正我就會在他耳邊一直嘰哩呱啦 聽不清楚的時候就往前靠 好幾次靠在他肩上
兩個人靠很近 安全帽一直撞到 但我懷疑紅燈的時候是他自己偷偷往後靠才撞上
我抱著他的時候他還會偷偷用手臂夾住我的手
可以預感我以後會變成抱抱魔人 好喜歡 有夠喜歡
一起去吃冰 因為我早上跟他說我想吃冰 而且他還懂我不喜歡吃甜筒的點 好幾次我正要講他就把我的話接完了
他真的有幫我刪近百個鬧鐘 還很認真的把我的鬧鐘名稱看完 然後說會把要吃藥的鬧鐘留起來
好喜歡那個很順其自然挖對方冰的感覺
也好喜歡他滔滔不絕地跟我分享他的生活
他還特地拿出平板給我看他上的課的筆記
然後說吃冰前應該要把脈一下 看前後對比因為會不一樣
我就拿出我的手 他頓了一下 一隻手把脈 一隻手覆上我的手 快要十指緊扣的那種 其實我很常看中醫 知道把脈根本不用兩隻手
後來去勤美逛 文創感超棒 我整個笑得超開心
去上廁所 廁所旁邊有一整排的扭蛋 我其實對扭蛋沒什麼興趣
「那邊有你喜歡的帕恰狗耶」他居然有記得
地下室有幾家看起來很不錯的餐廳 但外面沒有菜單 他在查菜單的時候我坐在他旁邊的高椅 他找到菜單之後我們兩個一起看 他的頭髮碰著我的頭 那個微微搔癢的感覺直接癢到心上 但他也沒有要離開的意思
突然下大雨 我們跑去要買雨傘的街上
淋雨跑步的時候他��來還想幫我遮
有夠浪漫 但他體積也沒多大所以其實沒什麼用 但很可愛
買了一把大傘 他把我撐的好好的 明明傘真的很大 但他自己還是只撐了一半
去吃他來台中吃的第一家餐廳
我想吃鴨血但怕辣 他就點了一份讓我吃
我說我不吃蝦要給他吃
「你是不吃蝦還是不吃沒剝殼的蝦」
我笑了一下 他懂
但我只是想說請他幫忙吃掉
結果他夾走之後 剝好 兩隻都放回我的湯麵裡
我要嫁給他 瘋掉了
他是很不張揚的人
但是他還是發了一個一起吃晚餐的限動
他還主動拿上禮拜打比賽的影片給我看
笨笨的 好可愛
吃完之後的時間有點尷尬 有點長又不夠長到回中國醫
他說他不能喝酒
「如果要喝酒的話就要回中國醫喝」
然後我本來覺得大概是他在中國醫和我說再見我再搭公車之類的
「然後我陪你走回捷運站再回來」
大爆擊
「大不了晚上冷了我的外套給你穿」
早上的時候他說的 我整個人要融化了
但講座太久 他來不及回宿舍就沒拿到外套
晚上坐摩托車有點冷
我們決定去逢甲夜市買外套
『我下次會記得帶外套來』
「我下次一定會記得帶外套來給你穿 下次一定會記得」他還重複保證了一次
好喜歡這句話 有下次 有我
去買帽踢 買好了他就很順手的幫我背包包和拿袋子 穿帽踢的時候他還幫我把帽子用好
真的是好溫柔的一個人
我覺得自己根本被他當成在養女兒了
要分別的時候
真的好喜歡他用很認真的眼神看著我跟我說
「回家小心 到高鐵站的時候跟我說 上高鐵再跟我說一次」
回到家還不忘記問我到宿舍了沒
我下次前面真的不會再在見到他前就把精力都用完 我還是沒辦法玩一整天 續航力好差
但是和他在一起的時候完全不會耗能
不是大起大落的興奮快樂
而是幸福
暖暖的那種
今天還是沒有成功問出三年前的世紀之謎
但那又怎樣 根本不急
這男人我要定了 追個一年以上都不為過
慢慢來沒關係
餘生還那麼長 我想和你一起度過
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肥宅哈比人魔戒之旅-2023紐西蘭北島行(10) 生蠔自由X炸魚薯條X奧克蘭公寓式飯店賞屋

凌晨四點半左右我們披星戴月帶著鏟子來到了熱水海灘,但是走到挖洞的岩石邊才發現,這裡要挖洞製造溫泉的時機應該要在退潮的時候開始拼命挖,把海水留下來加熱,我們來得太晚了,已經開始漲潮了,而且速度比我們想像中的快,挖了兩下水已經快淹沒腳踝了,為了安全性只好果斷放棄挖溫泉,在沙灘上等待日出.所以來這裡玩必須要算準潮汐時間,而且沙灘挖洞其實也沒有想像中的輕鬆,所以這個景點其實蠻微妙的.只推薦年輕人來玩.
天亮之後拍的告示牌

只好撤退看太平洋最早的日出

這個岩岸後面的沙灘就是挖洞的地點,但是沒多久就被漲潮吞沒了

來了一個男人與一隻陪他看海的狗狗

可惜雲很厚的日出

回營區整理一下就繼續上路,沿著東海岸開回奧克蘭的旅程,這邊還是要說一下這裡住的Top10Holiday Park系列的營地,他是一個連鎖公司的營地,在各個地區和風景區經常都會有點,雖然收費相較其他營區貴一點,平均每人每晚要20~30紐幣,但是無論是公共設備或環境,都是有不錯的品質,通常不太會踩雷,而且選擇很彈性,無論是家庭小屋,或是單雙人床位,汽車旅館,營地帳篷等等都有,所以如果是開車旅行,訂這種有規劃的營地或是小木屋,也是不錯的選擇.



晚餐在營地吃的炸魚薯條

路上美麗的風景


途中我們停在一家有賣生蠔的餐廳吃午餐,這裡有賣新鮮的生蠔和青口,其實我們本來想去吃另一間有jumbo size生蠔的店,但是那間剛好因為假日沒開.這裡的生蠔只有小顆的,個頭差不多就是比較大一點的蚵仔,但是價格非常便宜.一打只要20紐幣,而且吃起來非常鮮美,一點腥味都沒有.另外也有賣一些熱食,這裡的炸魚薯條和炸蠔餅也是蠻多人推薦的.其實紐西蘭吃生蠔青口的餐廳非常多,但是城市景區裡的價位也不低,像這種離海邊產地近,價格較便宜自產自銷的小餐館也有好幾間,可以仔細找尋.
Coromandel Oyster Company



生蠔自由

自己擺盤

炸魚薯條與炸洋蔥圈,這裡的炸魚薯條很傳統英式,好吃!

很濃很濃的青口海鮮濃湯,料很多,配麵包也好好吃.

抵達奧克蘭之後,我們入住了Adina Apartment Hotel Auckland Britomart,因為我們人數多,所以訂了三間房型,一間三房一廳,一間兩房一廳,一間就是一般的雙人床房,一進去雖然訂房時已經看過圖片,但實際上感受真的出乎意料的寬敞,這裡三晚一個人是五千多台幣,一個人一個晚上平均不到2000台幣,以我們當時算是旅遊旺季快要結束,加上地點位於市中心,離火車站和知名的皇后街走路只要15分鐘,這個價格算是相當划算,以我在訂房過程中的比較和搜尋,奧克蘭市中心的住宿如果要是旅館,通常至少2000台幣起跳,再往下通常就是青旅類型的.總之還蠻推薦這間.
Adina Apartment Hotel Auckland Britomart
三房一廳樓中樓房型




兩房一廳房型





晚上吃了一間飯店附近的華人餐館西安飯莊,眾所周知奧克蘭是一個非常多華人移民的地方,這間主要賣得是道地的西安麵食,與台灣習慣清燉或醬油豆瓣的紅燒口味不一樣,這種澆滿一層紅油的牛肉麵,吃起來不是很辣但紅油非常香,羊肉湯麵也是湯濃馥郁,果然用這裡當地盛產新鮮的牛羊肉做出來的中菜,味道也不會太差.
Xi'An Food Bar 西安饭庄


吃飽飯逛個超市,散步回旅館,就結束這個吃吃喝喝拉車的一天,到這裡,露營車的旅程就告一段落,從這天開始,我們就會待在奧克蘭探險這個紐西蘭北島最大的城市啦!
待續
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考えてみる、サバイバル
今年は元日に突然携帯の地震を知らせるアラームが鳴り出し、ギョッとなった。まもなく、能登で大きな地震があったことを知った。本当にいつどこで地震に遭うのかわからない今日この頃だ。日頃の備えが大事というが、どんな備えをすればいいのだろうか。どうすれば、自分や家族や周りの人の命や財産を守れるのだろうか。
「サバイバルファミリー」という映画を観た。どういう話かというと、主人公は東京のマンションに住む、中年の夫婦と高校生の息子と娘の一家。お父さんは平凡なサラリーマンで、会社から帰れば、晩酌しながらテレビをみている。息子と娘は親に関心がなく、勝手なものを食べている。お母さんはひとり台所で、実家の鹿児島から送られてきた大きな丸一匹の魚を捌こうと格闘しているけれど、誰も手伝わないし、食べたがらない。
そんなある日朝、突然電気という電気がみな停まってしまう。電気ばかりでなく、乾電池や車のバッテリーも全く働らかなくなる。お父さんと子どもたちは、文句を言いながらとりあえず会社や学校に向かう。自分のマンションだけでなく、かなり広範囲に停電していることがわかってくる。スマホで検索しようと思っても、画面には何も映らない。お母さんがスーパーに行くと、みな買い出しに来ているが、レジが動かずそろばんで計算するので、長蛇の列となる。
三日ぐらいは、ロウソクとカセットコンロとレトルト食品で凌いでいるが、水道からの水も出なくなり、会社や学校も休みとなり、多くの人がだんだんと東京脱出を始める。大勢の人が家族を伴って、ガラガラとスーツケースを引いていく。この一家はお父さんがうまく調達したおかげで、一人一台自転車がある。途中の商店では、ペットボトルの水が一本2500円の高値で売りに出されている。この家族も高値承知でありったけを買い占め、旅を始める。お母さんの実家の鹿児島を目指して。途中のお米屋さんでは、水や食べ物を持って行くと、お米一合と交換してくれる。そこにロレックスや高級車の鍵を持って交換に来る人物が現れるが、「そんなもの食えるかい! 」と突き返される。
「大阪から先の関西では電気が来ているらしい」という噂が飛び交い、今や車の走らない東名高速道路を大勢の人が歩いたり、自転車だったり、中には荷車を引く人も、西に向かう。途中のサービスエリアで野宿。寒い季節ではないのが、まだよかった。寝ている間に、水を一本盗まれて、息子がすぐに追いかけるのだが、盗んだ家族には赤ちゃんがいて、取り返すのをやめる。
脱出から16日目高速道路を降りて、川で洗濯をする。水が一見きれいだからと飲んだお父さんが下痢をする。強風に煽られて転倒し、自転車やお母さんのメガネが壊れる。次に通りかかったちょっと大きい街の無人のホームセンターを覗くと、食べ物はとうに無いが、キャットフード、精製水( コンタクトレンズに使うもの? )、自転車の修理材料などを手に入れる。火おこししようとしたもできないお父さんを横目で見つつ、おいしくないキャットフードを食べる。
さらに高速道路を走り続ける。長いトンネルの入り口で報酬と引き換えに、トンネルの案内を買って出る盲目のお婆さんたち。無視してトンネルに入るも、真っ暗な中、停まっている車や障害物に阻まれて進めなくなり、盲目のお婆さんに手引きしてもらう。
次はいやに元気な家族と遭遇する。彼らは日頃サイクリングしながらキャンプをしているらしく、装備も揃っていて、みなで楽しそうに食事をしている。「食料や水はどうしているんですか」と尋ねると、山の中の岩場の間から湧き出ている水は、周りに苔が生えていればそれは安全な証拠なのでそういう水を汲んだり、地面から直に生えているオオバコのような植物は食べられますよ、セミなどもおいしいですよ、と教えてくれる。
43日目、やっと大阪に到着。電気は来ていない。通天閣のタワーの入り口には、たくさんのメモ紙が貼ってある。「岡山のおじさんのところに行く。◯◯」などの伝言が。娘がブチ切れて「もう嫌だ! お父さんが大阪に来ればなんとかなるって言ったよね?」「そんなこと俺いったか? 」「ほら、そうやってまたいつもの責任のがれ」「親に向かってなんだ、その口の聞き方は! 」すると息子が「親らしいことしてくれたことあったかよ! 」今度はお母さんが、「いい加減にして! そんなこととっくにわかっているじゃないの、お父さんがそういう人だってこと」ここでお父さんはがっくりとなってしゃがみ込んでしまう。水族館の前で、飼っている魚を調理した炊き出しの列に並ぶも、自分たちの前で終わってしまった。お父さんは調理していた人に、土下座をして「せめてこの子たちだけにでも何か食べ物を」と懇願するが、「無いものは無い」と断られる。
67日目、食料も水も無くなり、岡山あたりの田舎道をとぼとぼ歩いている。と、一頭の豚が目の前を通り過ぎていく。えっ、となり夢中で追いかける。四人でやっと捕まえてみたものの、どうやってとどめを刺すのと手間取っているところ、後ろから「うちの豚に何をする! 」とお爺さんの怒鳴り声。お爺さんのうちの電気柵が働かなくなり、豚たちが逃げ出したのだった。お爺さんが、持っていたナイフで手早くとどめを刺し、豚を運ぶのを手伝い、そのお爺さんの家に。庭先の井戸水を汲ませてもらい、ごくごく飲む。久しぶりの白いご飯に、卵や野菜のおかずに豚肉の燻製。近所のお婆さんがキャベツや大根を届けてくれる。「あれまあ、お客さん? お孫さんたちが帰っているのかと思った」お爺さんの家族はアメリカにいて、連絡もつかないのだ。
ご飯の後は、さっきの豚の解体を手伝う。バラバラにした肉に塩をすり込む。一週間ほど熟成させてから燻製にするのだそうだ。逃げた他の豚も、みんなで追いかけ回して捕まえる。井戸水をバケツで汲んでは、お風呂に運び薪でお風呂を沸かす。何十日ぶりのお風呂に入り、夜はお孫さんたちが着る予定だった新しい寝巻きを貸してもらい、これまた久しぶりの布団に横になる。
毎日薪割りしたり、洗濯をしたり、お爺さんの手伝いをして過ごす。一週間後、豚肉を燻製にしながらお爺さんが語る。「お前さんたちさえよければ、ここにずーっと住んでもいいんじゃぞ。わしも年取って、一人で車も洗濯機も使えない生活では大変でなぁ・・」と誘われるが、この一家は鹿児島にいるお母さんの実家のお父さんの安否も気になっていて、結局お爺さんの申し出を断り、たくさんの食料をもらって、また自転車の旅を続ける。
そのあともいろいろあって、命の危険にも晒されて、奇跡的に誰かが動かしてくれたSLに拾われて、ようやく108日目に鹿児島のお祖父ちゃんの家にたどり着く。お祖父ちゃんは元気だった! お祖父ちゃんは浜で魚釣りをしていた。それからは村人同士助け合って、魚を捕りに行ったり、畑をしたり、鶏の世話をしたり、お婆さんに機織りを教えてもらったりして、みんなで元気に楽しく一生懸命に暮らし始める。
それから、2年と126日目の朝、突然村のスピーカーから埴生の宿のメロディーが流れてくる。みんなが驚いて家を出てみると、街灯が次々と点き始めた。すっかり忘れていた電気が戻ってきたのだ。そして場面は変わって、東京の一家のマンション。日常を取り戻し、以前の生活に戻る。テレビからは、「世界同時停電の原因は、太陽フレアか彗星の異常接近ではないかと、専門家からは語っている。サイバーテロの疑いはなくなったとのことです・・」停電前はそれぞれ勝手に心もばらばらに生きていた家族だったのが、思いやりのある温かい家族になっていた。
とまあ、そういう話であったが、いろいろといいヒントがあった。非常時にはアナログが強いこと。キャンプ生活などに慣れておくこと。北杜市に住んでいて、地震などで自分の家が壊れていない限りは、ここにいた方が湧き水もそばにあるし、薪や焚き木を燃やして暖を取ったり煮炊きすることもできる。むしろここは、首都圏からの避難地域となるだろう。今できることといったら、いつでも人を迎えられるように、家の中を整えておくこと、食料や薪を備蓄しておくこと?
もうひとつ気になるのが、「年長者としての知恵」のようなもの。年長者はパソコンやスマホに弱く、操作方法などは若者に訊かないとわからないことばかり。でももしパソコンやスマホが一切使えない世の中になった時に、どこまで年長者がサバイバルの知恵を出せるだろうか。本当に長く生きた分だけいい知恵があればいいけど。
さっきの映画の話では、最初はばらばらだった家族の気持ちもだんだんとひとつになり、お互いにかけがいのない家族として心が結ばれる。停電が終わり東京に戻るのだけど、本当に戻る必要はあったのかなぁ。鹿児島にいた二年半は、みなで漁をしたり、畑をしたり、はた織りしたりして、お金も介在せずに生きていたわけだ。これからこの地震や災害の多い日本で生き抜くには、都会を出て地方でコミュニティを作って、いろんな年齢の人が、各々出せる力を合わせて生きていく以外の得策は無いのではないかしら。
2024年1月
映画「サバイバルファミリー」は、2017年2月に公開された。監督 矢口史靖。
主演 小日向文世、深津絵里、泉澤祐希、葵わかな
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【日光溫泉會館.花見西餐廳】台中大坑住宿親子景點推薦

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29/07/23
会社の近くペルシャ料理屋があって、そこへいくと必ず幸福な気持ちになれる。店内にある大きなタンドールが放つ熱で店内がほかほか暖められていて(背中向かいの席では熱いくらい)、照明は薄暗くて、食事はおいしくて、なんだか居心地がよくて眠くなっちゃう感じ。ワンプレートメニューが大半だが、基本的な組み合わせとしては、バスマティライス、チキンorラムor両方の炭火串焼き、サラダ、焼きトマト、一欠片のバター、が盛り付けられている。若干酢にくぐらせたような風味のする、炭火で焼かれたチキンがお気に入りで毎回それを頼んでいたが、こないだはものすごくラムを食べたい気持ちになって、ラムはあまり好んで食べないけど美味しく食べられるのか心配半分、ラムが美味しいということになったならばそれはさぞかし美味しいだろうという楽しみ半分で店へ向かい、いつものチキンと、ラム(ミンチにしたラムを小さく成形した、ラム苦手な人にとって一番難易度低そうなやつ)が両方乗っているプレートをお願いして、食べたら、ラムが...とっても美味しかった..!
美容師の友だちに髪の毛を切ってもらうようになってから3ヶ月経つ。今回は彼女のお家にお邪魔して、髪を切ってもらって、ビールとおつまみをいただいた。ヘアカット中のBGMは千と千尋で、おつまみは彼女のシェアメイトが作った夕飯の残り物で、ああいう時間がもっと人生の中にあればいいなと思った。またすぐね。
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金曜日に有給を取って3連休を作り、マルタへ旅行した。イギリスは秋みたいに寒いけど、ヨーロッパには記録的な熱波がやってきており、マルタも例外ではなく、空港を出たら暑すぎて、いっぱい歩くのはやめよう..と危険を感じた。マルタには電車がなくて、移動手段はバスだから、3日間で15回くらいバスに乗った。前回のオスロ旅行で、自分の興味関心に基づいて行きたいところをいくつか選んでおくべきだという教訓を得たため、ワイナリーとかレストランとか色々ピックアップしておいたのに、バスが来なくて閉館時間に間に合わないみたいな理由で立てた予定はほとんど全て崩れ、行きたかったところの9割は行ってない。
立てた予定が全て崩れて向かったバスの終点には、イムディーナという静まり返った美しい城塞都市があった。後から調べてみたらマルタ最古の都市で、かつてはマルタの首都だったらしい。なんか普通のマルタの街に到着したなと思ってぷらぷら歩いていたら、お堀じゃないけどお堀みたいな高低差のある場所へ出て、中へ入るととっても別世界だった。旅をしている時(文字通りの旅ではなく、その場に意識があってその場に集中してわくわくしながら歩いている時)は自分の足音が聞こえる、とポールオースターの友だちが言ってたが、わたしは匂いもする。暑すぎるのか、痩せた雀が何羽か道端に転がって死んでいた。馬車馬は装飾のついた口輪と目隠しをされ、頭頂部には長い鳥の羽飾りが付けられていた。御者がヒーハー!と言いながら馬を走らせた。とにかく暑かった。
ほとんど熱中症の状態で夕食を求め入ったレストランで、ちょっとだけ..と飲んだ、キンキンに冷えた小瓶のチスク(マルタのローカル大衆ビール)が美味しくて椅子からころげ落ちた。熱中症なりかけで飲む冷たいビール、どんな夏の瞬間のビールよりうまい。
安いホステルにはエアコン設備などもちろんついていない。さらに、風力強の扇風機が2台回っている4人部屋の、私が寝た2段ベッドの上段だけ空気の溜まり場になっていた。明け方に頭からシャワーを浴びてさらさらになって、そのまま二度寝する。隣のベッドのイタリアから来たかわいらしい女の子2人組が夜遊びから帰ってきて、わたしは出がけに、部屋で少し話す。8年前に来たコミノ島はプライベートビーチのようで素晴らしかったけど、昨日行ったらツーリズム化されていて悲しかった。耳の裏に日焼け止めを塗り忘れて痛くなっちゃったから、あなたは忘れないように。わたしたち今ちょっとおかしいのよ、と言いながらドレスも脱がずにそのままベッドの上で眠ってしまった彼女は天使か何かみたいだった。扇風機をつけたまま部屋を出て行く。
地面がつるつると滑る。
砂のような色をした街並みが広がるマルタにもイケてるコーヒー屋は存在する。これも近代化・画一化の一途かと思うと、微妙な気持ちにもなるが、こういう場所へ来ると息が深く吸えるので有り難くもある。
マルタは3つの主要な島から成る。そのうちのゴゾ島へ行く。首都のバレッタから港までバスで1時間強、フェリーで20分。
フェリーほどいい乗り物はない。売店でビールとクリスプスを買って、デッキへ出て、なるべく人がいない場所で海を眺める。乗船案内と音楽が止んで、フェリーが作る波と風の音しかしない中に佇むと、これでいいような気がしてくる。ビールはあってもなくてもいいけど、フェリーのデッキで飲むビールの味というのがあって、それはめちゃくちゃうまい。
ゴゾ島へ降り立つと、足音と匂いがした。適当に道路沿いを歩いていたら、また別世界に続きそうな脇道があって、進んだらやっぱり別世界だった。ディズニーランドのトムソーヤ島で遊んでる時みたいな気持ちで謎の小屋へ入り、人で満杯のhop on hop offバスを眺めやりながら、人懐こすぎる砂色の猫と涼む。港とは反対側の海辺へ行きたかったのでバスを待つものの、一生来ないため、バス停近くのローカルスーパーを覗く。これといった面白いものは置かれていなくて、見たことある商品ばかりが並んでいた。バスは一生来ない。
バスを降り、水と涼しさを求めて入った地中海レストランは目と鼻の先に浜があり、今回の旅は下調べなしの出会いが素敵だなあとしみじみする。カルパッチョと白身魚のライススープ、プロセッコと、プロセッコの10倍あるでっかい水(笑)。カルパッチョは、生ハムのような薄切りの鮪が敷かれた上に生牡蠣、茹で蛸、海老が盛られていた。鮪は日本で食べるのと同じ味がした。カルパッチョは旨く、プロセッコはぬるく、ライススープは想像と違った。パンに添えられたバターは外気温のせいで分離していた。水が一番おいしかった。
おいしいものとお酒が好きで楽しい。
ヨーロッパ人の色気の正体ってなんなんだろう?アジア人が同じ格好をしてもああはならない。胸��がはだけていてもスカートが風で捲れてもはしたないと全く感じない。むしろロメール作品のようにさえ見える。そもそも'はしたない'という概念がアジア(少なくとも日本)にしか存在しないのではないか?色気って品かと思ってたけどそれは日本だけかもしれない。
地元料理が食べられるワインレストランを夕食に予約してみたらコース一択だった。お昼食べ過ぎてあんまりお腹空いてなかったからちょっと小走りで向かってみる。ラザニア、ムール貝と魚のスープ、うさぎの煮込みなど。人ん家の料理みたいな美味しさだった。マルタのワインはほとんどが島内で消費されるらしい。ゴゾ島の白ワインの感想:暑い村、お絵描きアプリのペンの一番太い線(色はグレーがかった白で透過度50)。食後のグリーンティーは、TWININGSのティーバッグで、お砂糖をいれる選択肢が与えられて、洋風の装飾がたっぷりついた受け皿付きの薄いカップと共にポットで提供された。カップの底に描かれた静物画のような果物が綺麗でうっとりした。
どこにでもあるような早朝からやってるスタンドでドーナツとオレンジジュースとコーヒー。扇風機に当たり続けていたいが荷物をまとめて宿を出る。行きたい街へ向かうバスが一生来ないため、行きたい街に名前が似てる街が行き先に表示されているバスに適当に乗ったら、行きたい街より30度北へ行くバスだった。でもやっぱり行きたい街へ行きたかったので、30度北の街へほとんど到着してからバスを乗り換え行きたい街へ向かったが、Googleマップの示すバス停へは行かず、行きたい街を通過してしまったため、行きたい街から30度南の街に降り立つこととなった。海辺でチスクを飲みながらメカジキを食べた。暑すぎて肌着1枚だった。店先のガラスに映る自分��目をやると、いわゆるバックパッカーの様相をしていた。
空港行きのバスだけは遅延なくスムーズに来て着く。肌着状態からシャツを身につけ普段の姿(?)に戻ると、途端に具合が悪くなった。日に当たりすぎたみたい。お土産を買ってセキュリティを通過し、充電スポットの近くに座って搭乗を待っていたら、すぐそばにグランドピアノがあることに気がついた。誰か上手な人が演奏しないかしらと思っていたら、青年によるリサイタルが始まった。父親が彼を呼びにやってくるまで、クラシックからビートルズまで5-6曲。思わぬ良い時間だった。
都市に住むと、旅行から帰ってくる時安心する。
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会社の人たち語録 ・やりたいことたくさんあるけど、今はやりたくないです。 ・返事がないのはいい知らせではないので。 ・Are you alright? まあまあ、ぼちぼち。
夕方、商店街へ買い出しに行く時がすごく幸せ。食べたいと思うものしか買わなかった時は特に幸せ。ぱつっと瑞々しい野菜、ちょっといいパスタ、ジャケ買いしたクラフトビール、好きな板チョコ。そんでキッチン飲酒しながらご飯作る。ビールを開けて一口目を飲むまでの間だけは音楽を止めるというのにはまっていて、そういえばフェリーのデッキで乗船案内とBGMが止んだ時の感じに似ていなくもない。フラットメイトが、夜中3時まで友人とリビングで遊んでいたり、土曜の夜にパーティへ出かけたりしているのと比較して、わたしが幸せ感じてるポイントは内向的だ。
やりたいことが浮かぶ。それをやる前に、比較対象の選択肢や判断軸を不必要なほど増やしてしまいがちだが、最適な選択を選び取ることよりも、やりたいと思う気持ちを満たすことの方が幸せなんじゃないか?
色々比べて悩んじゃったら「朝から決めてたことだから」って言うとスッと選び取れる!
食材の買い出しで1週間くらいはもつかなと感じるくらいたくさん買っても実際3日もすれば冷蔵庫空になるやつ、悲しさというかやるせなさを覚えるんだけど、こないだ500gパックの美味しそうなミニトマト買った時に、長く保ち続けること(終わりを迎えないようにする、終わりを想像しないようにすること)よりも、きちんと消費する(終わりを気持ちよく迎えること)を考えるようにしたら明るくなれてよかった。終わりって何事にもやってくるもんね。
食の話ばっかり回。
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキクケコガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニヌネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国会人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権心界支第産結百派点教報済書府活原先共得解名交資予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変打男基私各始島直両朝革価式確村提運終挙果西勢減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流格有疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮究育席輸訪楽起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡失移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃佐核観察整段横融型白深字答夜製票況音申様財港識注呼渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士光討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処省旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師摘材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青破編捜竹除完降超責並療従右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗冷模雄適婦鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久���油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等救執層版老令角絡損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒刑坂刻底賛塚致抱繰服犯尾描布恐寺鈴盤息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮還枚属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板列露沖探逃借緩節需骨射傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓律誘紛貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕堅訳盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳毛緑尊抵脅祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯僕桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻泰賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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全部都是禍從口出惹的禍,整錢整色,只有到阿嬤的喪禮達人出口成章的審議,人都嗝屁了,出口成章有個屁用,他她也聽不到了,或許我們想的跟一般神子跑出來講的不一樣,他們正在聽,因為觀音亭實在太吵了,也難怪那個夢到家人,每個人反應不一樣,阿嬤是很安靜這是穿的全身黑,老媽是在大廳講話,是大家不用,至於那個小雲神可能是因為摺紙的高跟鞋,老媽有收到了蠻炫的紫色高跟鞋啊銀色靴子啊用不一樣紙張的材質,折給她的,我在猜應該是收到了所以那個連那個神子都趨之若鶩之類的,還有搞這麼多的事情怎麼可能不會抗議,抗議很多年了,就是一開始房子勉強只有住一年,這麼恐怖的房子一年已經很勉強了,她很兇悍,是把我們趕走,我爸也不知道去哪裡,找到宮廟廣澤尊王真的很厲害在媽祖廟旁邊的一個大樓裡面的小廟,她會怕,不過說實在的這個房子本來就是她家,我們幹嘛去請神去壓她,那是因為這一棟風水屋是裁員,後來才發現的風水不行而且她會影響到我們的生活作息,不得不去找宮廟幫忙,非常煩人,日本經過311大地震這樣的房子實在是太多了,921也是一樣,年糕,還有愛買廣場的收音機大陸奶娘唱歌,她說過什麼年,黑白年糕喔,烤燉鍋,我們還以為是紅白年糕呢,紅白繼續,所以那個愛買的門口啊帳篷實在是太久了,根本就不曉得有宮廟症候群的現象,止食症,超級不可思議的,這是什麼現象,全家就像調查局一樣,感覺像是免費的減肥門診,吃飯不再,暴飲暴食了,吃東西要思考食物的屬性,不要隨便亂吃
踩房子,踩休息,全家我們為什麼要聽你的,整團臭男生垃圾團,發現芹菜可以用,芹菜未必會幫你,阿罵😤男的是色,女的是錢,魯蛋霉友,不會耶,我們家看起來像中央銀行嗎 還有天外來一筆那個北方麵食館的北北在講話喔,惡魔不可能提拔,男女都一樣,講得很大聲,根本就不能拔,腦袋三條線,外省阿伯在罵人,聽扯,還有神奇香店,真的有神,結帳聞到濃濃檀香味,超不可思議陰陽兩界影響浮出檯面,房止多年吵散惹,菜市場香店,歸零,整知止驚,多少庭爭藏煩,佈逞離子
如果社會活動停止,大家都stand by,那種大工程就不用請人啊,大家停,思考,臭味大樓作息男生魂果然臭,魚肉動物,類似日出而作,日落而息的生活模式循環,大樓社區三年,泳池梗圖,89年台南學校還有一見跳水池的線,那是私人俱樂部的泳池,在遊泳池踩不到底啊,潛水下去看發現是深度極深跳水池,滿驚訝的,可訓練游泳,游仰式,自由式,不過電話爭,可能有不少人在跳水池溺水,就再也不去遊泳,我媽是水性還蠻好的,她都游蛙式,那只是家裡面講說睡飽一點比較重要,老爸說,早上去游泳耗體能,然後才在家裡睡覺,客人叫才包衣服,誇張是店主媽,媽後來很少去游了,她去年有提曾在泳池溺水,未知,我想起有一次顧店顧到9點就是等我媽,怎麼還沒回來她說大概8點或8點半就會來開店,大概就是那一天出狀況,不管怎樣後續,她就再也很少去游了,有一次我陪我媽去遊泳然後她有講說還有幾個遊泳的朋友是癌症病患,阿姨有來游看她的身材很好,讓我想到是不是吉得堡的家屬,瘦巴巴的身形都很像,日子就是這樣,平凡生活
😱大笑食物配,開心吃到掛,臭味相投大發現,四物丸加香菜,四物湯只能單天單吃
有沒有搞錯米奇也算人頭,米奇真的是找麻煩,造成困擾,現在還有一家四口的米奇還在我家呢,小隻拿走發現瘦巴巴鼠,還有一組米奇夫妻檔母鼠胖,公鼠瘦,還在家晃,這真是太離譜了,光每年掃墓季節就很怪,每次回南部老爸是當天來回直接省旅費還有買麻油跟傳統大餅,就很怪,鐘樓怪人,雲林水林寡婦村傳奇?怪發霉村落,現在老了,看大家還有沒有這樣來回跑
婚配嫁娶的問題,三教九流,吃,喝,嫖,賭,菸,酒,草包都不會有人要,我都覺得很奇怪這些人拖過年的太自以為是,而且裡面有很多家樂福根本就全部都不用啊,拖累拖過年的,還有答每垃批灑,把別人的手機當自己的圖庫使用誰要幫你找圖庫,別人手機又不是你的硬碟辦公室騙整年的,因為手機裡太多工程師擋路,草包直接複製其他人手機裡面的圖庫當作是自己的idea發想,所以那個NASA這條線才會這麼吵,折諜只是公務人員並沒有想像中這麼厲害,然後遷其他人的手機或者是電腦圖庫,當然是飆啦,所以大家停下來,誰要幫敵人的找圖庫找答案,批評假人草包,哪有這麼好事情辦公室,草包穩贏的,這麼可能不會吵,不過再說啦,政府在水庫裡面搞事,沒有過濾就全部都倒了,生活很漫長裡面是刪減人數,所以我們這條線吵上船已經很久了,我們不可能跟敵人一起住,倚敵扯住了阿罵,廟的後代也一樣,跟大家競爭,免作台語不可能,爭執滅絕施太,一路順暢有問題,沒有功德哪來的順暢,們是爭整,冷水坑批面
樓下隔壁鄰居的電動鐵門很像墓園的鐵門亞東保全,整社區顧塔專線,但是白蛇進塔不可能,閒聊迦裟扶起,渡劫難,驚訝修行衣服這麼有用,天天唸經文加持的衣服,會思考的靈魂感受家的默香
水庫沒有過濾,變相殺人,2022,23濾心一下子就操壞了,大家根本就不可能停留是因為醫師公會對面就是藥物,大家,生活就是平常,還有發現環境事物尤其是金木水火土會變,電影神通王已經播很久了寺廟應該是知道的
名字瑩,整墳,台北爭執感應器 發霉,名人節整名字,螢光色的衣服鞋子襪子都不用,遲頓久,墳的空間設計激怒很久,神景感應器吵超,2005聯芝同事姿瑩知到,我不會到耶 林整 靠她不可能??,我不知道啊,天外奇蹟的台詞,我來見我的偶像,我的偶像要了我的命,眼扯,離譜,突然想到這些電話線的起頭真的很離譜 連老闆的英文名都一樣,長相不一樣,但是台北真的超過了,每年拖過年的,每年都有天災人禍拖住了,然後每年都在講,我們如果不留下來救災的話,沒有人道考量2016地震,年年震,但是這三四年水質不好就不用了啊,水庫在搞事裡面是裁員,害濾心爆掉,害買濾心,賀眾牌飲水機店門口的濾心一堆垃圾就知道,們隱忍
還有那個沒有工作跑進來我家,站在我旁邊的這一群的垃圾用賴的,這樣就會有薪水的話,我是不會理你的,應該是各走各的路,這個整找不會,他馬的,耍賴,在家午休有妨害到你們嗎 雞掰台語
沒有人告知,全部自己想辦法,整爭每天都是自擠,東西方天空之神與陸地的人不和,查閱相關資料並仔細思考,神仙下凡修理人,不合邏輯,爭執藏砲面,大家分,分們霉分墳戎族
911的飛機,飛機上有衛星電話,是不是機師或者是飛機組員有交代,要問他們的家屬,8到10年美國已經買超過年限了,諜家和921,311地震都不用,年年災難,陰陽加裏蹲,有一年美國飛機的電話撥進來,它繼續講話,所以那個川普跟他太太是不是卡住了,除了家務事還有一個飛機的衛星電話,那個交代扯住了,所以那個空中廚房才會繼續啊,一堆的廚房用品,整吃的
還有2005年發現電話線,現在想一想喔,老師跟郭曉玲不行,整靈還有郭曉玲她媽媽的晚禮服瘀青色還有郭的大嫂切魚肉談,有經濟能力為什麼不養人,電話裡面靈桌太多了,太驚屬,警察世家與刑案的家屬,整發財,難怪彎管在講這個問題,2016臥底老闆讓匯,這裡沒有錢盤是空的,更不用說台北在養毒販,無底洞,還有一堆折諜的公帑,我們才會罵人,夠了,大家不救台北戎爭超過而且我們不知道毒販求養紅白包都超過了,吃骨頭長大的一群垃圾,其他的店家是因為家裡面有買家電產品只是在談,人的面容會因為他的行為調整,以前看起來是公益慈善家,現在臉部好像被打到,整臉,大家就不見了,比爾蓋茲夫婦檔也是一樣,他太太有做慈善事業臉部線條就比較柔和,相由心生,每一家軟體公司都一樣,多兩三個指令又變成新的版本
6 😱我們才不管台北是不是打錯了,這想耍賴,哪有那麼好事情,把我家五個人當白痴,用誣賴的可以拖超過15年,🤔突然想到國中同學的名字,裡面是罵人覺得想笑😄,難怪大家往前門逃,🐷麻豆子火鍋送菜梯,省立桃園醫院有一樣的菜梯規格,全部對面十塊遞單子,擔心太多人了,很多未知數,火飆找麻煩一堆,原來是台南的書桌有問題,我不曉得耶,🧑🍳👄但是現在想想發現被丟包了,學姊的哥哥是警察局長,學姊應該是警局眼線整刑,女生宿舍人際關係對面,太不可思議了,89年的部分錢盤是爭執,未知,沒有金錢來往的親戚全部都拖進來吵超級離譜的🌶️,那是阿嬤私底下在吵,我不知道,我還是跟黃端轉租房子,因為扣除例假日還有回家的時間租不到一年,就算了還是住下來因為沒有看到合意的房子還有房東的表妹秀慧載我們去私人俱樂部的遊泳池遊泳,當時她是用公司的發財車,🤭🍇💪學生哪有想那麼多私人俱樂部就是有錢人家的遊泳池去遊泳只是說它是用跳水的標準規格蓋的,踩不到底,你就要一直往前游,很適合訓練遊泳選手🥦🍓🍒,這是學生時代的部分,⚓🫵🦐兩年前愛買結帳員說話她說十塊也要摺嗎,你問我,我還不知道遊戲規則咧 摺什麼
這兩三年我們家路口有一個年菜的車禍,年菜是散落一地,三千的姐妹團,年菜車禍苦主,愛買營業員,省桃的護士,國泰保險的櫃台講話扯住了,大陸妹家,整姐妹團驚呀,繞圈圈,這不知道她媽媽生幾個女兒都很像,重點就是大陸人講話會有問題
批評:沒有想到郵局是欺呆喔,這不曉得有多少家庭受害了,刪減人數,不曉得有多少人,因為倒霉號碼牌,倒霉號櫃台,趕時間整付費的,難怪今天一個人都沒有,不過今天是5月26號早上9點到十點,皆斷,都不會,天庭告狀的人越來越多了,眼扯,清潔由局四員,整劫,傻瓜也壓頭分們,921大地震像這樣的問題更多,更不用說還每年各各個國家都是地震,像這種情形太多了,陰陽加裏蹲,更不用講說發生戰爭的國家,大家早就逃離這個國家,國家是空殼
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獅球嶺怎麼走?
在台灣的山林間,有一處隱秘而美麗的景點——獅球嶺。這裡不僅擁有壯麗的自然風光,還是許多登山健行愛好者心中的秘境。想像一下,當你踏上這條小徑,四周環繞著青翠的樹木,耳邊傳來鳥兒的歌唱,心靈瞬間被洗滌。可是,獅球嶺該怎麼走呢? 首先,從台北出發,你可以搭乘火車或客運前往新北市的三峽區,然後轉乘當地的公車,直達獅球嶺的登山口。沿途的風景會讓你忍不住停下腳步,拍下美麗的瞬間。抵達登山口後,跟隨清晰的步道標示,沿著蜿蜒的小徑向上攀登。這裡的步道雖然有些挑戰,但每一步都將帶你更接近那壯觀的山景。 獅球嶺的魅力不僅在於它的自然美,更在於它帶給人的心靈啟發。走進這片土地,讓自己與大自然融為一體,感受生命的脈動。無論你是登山新手還是老手,獅球嶺都會讓你留下難忘的回憶。快來探索這片秘境,讓獅球嶺成為你心靈的歸宿! 文章目錄 獅球嶺健行全攻略:在地人的私房路線與秘境探索 獅球嶺交通指南:輕鬆抵達,暢遊基隆山…
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2015年 05月 27日
「学校 前期 3回目」とJAZZシンガー
今朝も早起きだった。寝巻きは少し汗ばんでいた。最近コーヒーは一杯目は挽いた豆でコーヒーを淹れるけど2杯目からはインスタントコーヒーにしている。いつも買っていたコーヒー豆の値段が上がったからだ。お陰でコーヒー豆を買う頻度は減った。よって節約になるってわけだ。
6時過ぎのバスに乗り東京へ。東名は東京に近くなると混み始めた。 迷ったけど用賀パーキングエリアでは降りずに東京駅まで。バスから降りると小走りでJRの改札口まで。そしてとにかく学校まで急いだんだ。授業の数分前に学校に着いた。ギリギリセーフってやつだった。余裕がないのはちょっと怖い。改善しなきゃと思う。改善とは前日入りをするか30分早い御殿場初のバスに切り替えるかなんだけどね。
今日は授業3回目。学年末制作作品のプレゼンを前半にして後半にZINEを閲覧する予定だったが、既に学生の何人かが用意してあったZINEを興味深かそうに見ていたので授業の進行を逆にした。いつものレジャーシートは僕が用意しなくても学生たちが既に敷いてくれていた。僕は、嬉しかったのでお礼を伝えた。そして背負って来たディパックの中から乾いた雑巾を取り出した。早速水に濡らしてもらいレジャーシートを雑巾がけをしてもらう。汚れた雑巾はまたアトリエに持ち帰って洗っておくんだ。次回使う時に気持ち良く使えるように。今日は、昨日の内に買っておいた筆記ボードも13人分持って来た。今学期からデビューする松谷ゼミの備品だ。昨年度まではレジャーシートの上で直接書いてもらってたからね。
過去、卒業した学生たちが残してくれたZINE。そのアーカイブがたくさん図書室に保管してある。今日のクラスの学生は11人。2人欠席。一通りZINEを閲覧してもらって、気に入ったZINEの感想を述べてもらい、そのZINEは持ち帰ってもらった。後半は、学年末制作作品のプレゼンを1人2分でしてもらい、全員終わった後、学生1人1人人気に入った作品の作者に質問質問するという進行にした。それで2コマの授業はいっぱいだった。ここでも時間配分に改善が必要だ。
授業が終わってから後片付けをし、食堂で豚カツを400円で買って屋上で食べた。先週お世話になったI先生が僕の座っていたベンチの横に来た。僕は先週のお礼を伝え、最近の就職事情や学生の意識について話し合った。I先生は話しやすい。
図書室で落ち着いたのは1時半。授業が終わって1時間が経過していた。図書室のSさんとおしゃべりしながら、今日クラスの学生たちが持って来た学年末制作作品を改めてみたんだ。未完成の作品げ多かった。でも毎年卒業制作作品になると格段とクオリティが上がる。学生たちは日々自己の向上を務めている。図書室でのZINEコーナーの新たなる設置をSさんと相談もしたよ。
4時になって学校を離れ総武線に乗り四ツ谷駅で中央線に乗り換えて吉祥寺に向かった。そしたら吉祥寺駅を通り過ぎて三鷹駅まで来てしまった。おー中央特快に乗ったようだ。キャイ〜ン!階段を上り別のホームに移り上り電車に乗り換える。そしてしばらくするとまた吉祥寺駅を通り過ぎてる!次の停車駅は中野駅じゃないか!こりぁなんて快速なんだ?中野駅で降りた僕は、歯医者に電話して『15分ほど遅れます』と連絡し普通の快速に乗って吉祥寺駅に行き、井の頭線に乗り換えて三鷹台駅まで。忙しくしてるとこういうヘマをしてしまう。キャイ〜ン!
歯医者の治療はひとまず今日で終了。歯医者さんが僕の時計に興味を持った。アメリカのアンティーク時計なんだけど赤い皮のベルトにしてるのも目を引いたじゃないかな。時計を腕から外して歯医者さんに渡す。『古い時計好きなんだよな』と歯医者さん。着ている洋服にしてもワードローブにしても何か反応してもらうのは嬉しいことだね。
元々の予定は、8時40分発のバスで帰るはずだったけど、話は尽きなかったので僕は東京駅10時発のバスに変更することにしたんだ。それでもう少し話をしてカフェを後にして一緒に新宿駅まで歩いた。歩きながらも話続けているとKさんは、『私が東京駅まで一緒に行きます』と言ってくれた。Kさんは埼玉に住んでいると聞いたけど、機転の働く女性だなと感心した。僕は同じ様なことは進んでする方だけど女性でこういう機転が働く人って珍しいと思ったよ。
それて、Kさんと東京駅でお別れしてさ、バスに乗って静岡に帰った。今夜の運転手は感じいい。僕は"特等席"に座ったよ。バスの中で日記を書き始めたんだけどiPhoneのバッテリーが少なくて途中で断念。でもさ、疲れでうとうと眠っちゃったよ。無理もないよな、昨日今日フルタイムで忙しくしてたからね。
日付が変わってバスが静岡に着いてアトリエに戻るとさ、疲れで身動き出来ない。僕はシャワーをする元気もなく服を着替える気力もなく布団に入って撃沈さ。
AND SO THE DANCE GOES ON ・・・ ダンスは続く。
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[2025][Egypt. Luxor] 盧克索,法老之墓。

Why Luxor?
Luxor (盧克索) 是埃及一個不可錯過的景點。我很慶幸自己最後決定把這三天的行程都安排在盧克索慢慢玩。說到埃及,原本的我只知道在開羅附近最有名的金字塔。老實說,我決定要去埃及時,壓根沒聽過盧克索。事實上,盧克索的確是到埃及必去的地點。不是城市本身,而是城市附近的景點非常值得一遊,得到的體驗是金字塔無法取代的。金字塔是埃及古王國時代的產物。過了那個時期以後,埃及人不再建造這麼大型的金字塔當作法老陵寢,而是直接在沙漠山谷地底下挖墓穴,作為國王死後通往死後世界前的重要過度安息地。這時期在盧克索附近的帝王谷墓穴中,埃及人才普遍開始在牆上寫上大量的精美象形文字和畫上美麗又神秘的壁畫。這麼精細的壁畫和墓穴是在金字塔看不到的。

時間:2025,五月底。三天三夜。
住宿: 飯店 Steigenberger Resort Achti, 55 euro / night ★★★☆☆ 沒有很推,但的確也不太貴。缺點是,雖然是一個想做成度假村的概念,但因為規格很小,設備不到位,而且房間都有點陳舊。我最不滿意的是一開始給我一個爛房間,不是我訂的房型,有被坑的感覺。優點是在尼羅河畔,可以有河景的房間、餐廳、游泳池。
景點:
西岸 — Vally of the Kings (帝王谷) ★★★★★ :看到法老們畫滿精美壁畫的繁華墓室,超級酷。埃及必去! Medinet Habu (哈布城) ★★★★★ :這個遺跡是我這輩子為止在地球上看過的最屌的遺跡(ok 可能跟Giza金字塔並列)。 Temple of Hatshepsut (哈斯普蘇神廟) ★★★★☆:矗立在荒壁山腳下,建築本身很大器。而且知道它原本是破碎散落的石塊,從1817開始開採直到2017一塊一塊才全部重建完成,對這宮殿更加佩服了。 Valley of the Queens (皇后谷) ★★★☆☆:看完Vally of the Kings,其他的貴族的墓穴已經沒有很多感覺,可能有點墓室麻痺 XD Valley of the Artisans / Deir el-Medina (工匠谷) ★★★★☆:但工匠的墓穴我覺得很不賴,因為跟帝王墓穴走一個不同風格,有不同的感受。工匠墓穴小小的但是可以跟貼近的看,遊客也比較少看得更爽。壁畫畫的東西也跟帝王墓穴裡的不太一樣,有更貼近平民生活的描繪,很有趣。 Colossi of Memnon (門農巨像) ★★☆☆☆:這個遺址就只剩下兩座大神像而已,沒有太多可看的。 東岸 — Karnak Temple (卡納克神廟) ★★★★★:比Medinet Habu差一點,但是也很漂亮。 Luxor Temple (盧克索神廟) ★★★★☆:比卡納克的美麗程度差了一點,還有看了三個神廟我已經神廟麻痺。
行程團:
東岸+西岸一日: Full Day Tour to East and West Banks of Luxor ☠︎☠︎☠︎☠︎☠︎:很遺憾,雖然我選了評價不錯的團,但是我的經���極爛,我的導遊極爛:講解內容貧乏且有誤,英文很爛聽,不尊重我們的需求,態度愛理不理,講一些讓我不舒服的話,還有不舒服的肢體接觸。我們行程走到一半就不想繼續下去,壞了整個心情,直接結束回飯店。 西岸一日: Luxor Day Tour: Explore Valley of Kings, Queens, Hatshepsut& More ★★★★★:導遊講解得很不錯,物超所值。尤其跟另一團比起來,這一團的導遊好太多了,真的有比較才知道什麼是好。 Felucca 風帆船游尼羅河 ★★★★★:意外的很喜歡。我是聯繫在小紅書有人推的船夫。船夫和善真誠,大推。如果兩人坐船我覺得不用透過Getyourguide等等的平台,平台貴5倍欸,也差太多!可能是船比較大吧?但是兩三人坐小船就很舒服。
剛抵達,已心累
我一個人抵達埃及。剛出盧克索機場,就被計程車敲了一比。這個是我做了好幾個月的功課卻沒有料到的,想不到連好好叫個Uber都還要被哄抬價格,有夠煩。司機是年輕的男生,氣質還算和善,但是盧我要多付一筆比機場『停車費』,足足比車資多出三倍。最後除了app上已經明訂的收份,我強硬又心軟給了他額外1/3價格的這筆『停車費』,都不知道自己還是到底被坑了,還是苦了司機?但被這樣搞得有點心煩。
到了飯店,check in了以後,發現房間設備有夠老舊,跟記憶中照片看到的樣子不太一樣,而且要洗澡的時候蓮蓬頭水量還超少、水又冷,根本洗不了。老娘衣服都脫了,還搞這一齣。我失望之餘,再check一次我訂的房型,燈愣!發現他們給我的房間根本跟我訂的房型根本就不同間。這個沒有景觀的老舊雙人房,明顯比我訂的『獨棟小屋』低階了許多。
還好我精明,到樓下去找櫃檯反應,櫃檯人員居然睜眼說瞎話:『我們免費讓你升級了啊,有city view。』哪有什麼view,明明只看得到一個醜到爆的沒水的噴水池和冷清的商店街。這麼爛的房間,說是升級… 我也是沒那麼好唬爛。我生氣是生氣,但保持冷靜表示『我不喜歡這個房間,而且如果真的是「升級」的話,他們也完全沒問過我,怎麼可以這樣呢?』櫃檯沒有歉意地表示:『好的,那你可以收拾行李下來,我們給你換房間。』經過半小時折騰,才把我帶到那個我真正訂的房型。這個房間明顯比我原來的房型高級且大了許多,是一個在泳池邊的小屋,這才有渡假的氛圍嘛。這才是我要的住宿啊!一抵達埃及就被司機和飯店這樣折騰,真的有夠累人。
盧克索西岸
第二天的行程是我的單獨行程,遊盧克索西岸。胖胖的導遊到飯店接我,導遊有埃及人棕色的皮膚,但是眼睛卻是淺淺的琥珀色。從我東岸在市區的飯店到第一站的帝王谷,需要大概半小時以上的時間。這段路途導遊就已經認真的跟我講解埃及的歷史了。我也很認真的聽,連想滑個手機看看地圖也被導遊關切,分心不得 lol
帝王谷 (Vally of the Kings) 是在盧克索西岸的一大片荒漠山谷,一根草、一搓灌木叢也沒有。 當初古埃及人就是看中它偏遠的特質,才選定把帝王墓穴藏在這裡的。怎麼能想像這一片荒蕪中,考古學家可以找出六十幾個大大小小的法老墓穴,而現在還有挖掘工作還繼續在進行之中,新的墓穴近年還持續地被發現。

導遊先跟我解釋墓穴中會看到圖騰、象形文字,還有它們的意義,然後他就讓我自己進入墓穴之中了,導遊們是不被允許進入墓穴的。我往下走入彷彿通往地心走道,第一次看到古埃及象形文字和圖案被刻畫在墓穴走道牆上有些不真實感。這些色彩鮮豔、線條清晰的雕刻,真的是四千年前、四千年前(!!) 刻畫的嗎?

四千年前的人長得就是這個樣子嗎?他們穿的夾腳涼鞋就長這樣嗎? (好時髦喔,想買 lol)

牆壁上這些獸頭人身的神明,長得怎麼如此無比魔幻?

我參觀了三個免費墓穴,另外加購了兩個墓穴,分別是圖坦卡門 (Tutankhamun) 與賽提一世 (Seti I) 的墓穴。
圖坦卡門墓穴其實沒有太厲害的壁畫和雕刻,也看不到當初的陪葬品寶物們,規模也很小。

但他有名是在於它是唯一一座在近代考古學家到來之前,從未經盜墓者摧殘的墓穴,所以當初找到的時候,法老的寶藏都好好在裡面,成就了埃及考古史上所找到最厲害的寶藏 — 黏在圖坦卡蒙的木乃伊上的黃金面具,也才使得這位法老這麼著名。在墓穴裡看不到這個黃金面具,它早就從木乃伊上拔下來,連同其他寶藏全被移到開羅的博物館裡。他的木乃伊令我意外地沒有被放進博物館,所以進墓穴裡看得到。

木乃伊小小一隻,因為這個法老十九歲就意外過世了。圖坦卡門其實也不是什麼史上偉大的君王,他原本的陵墓都還沒挖好,因為去世的太快,所以就把一個原本給其他貴族的墓穴挪給他用,因此這個墓穴比其他法老的墓穴都小的很多,也意外地沒有受到盜墓者的注意。原本的最外層的石棺還在墓穴裡,裡面是空的。木乃伊本身放在墓穴的另一隅,玻璃罩保護起來。石棺裡其實原本被發現時還有兩層棺材,扒開兩層以後裡面才看到木乃伊。這兩層內部棺材都是裝飾華麗、鑲滿寶石的精美藝術品,但也要在開羅博物館才看得到了。因為我出發前看了好多圖坦卡門的紀錄片,所以雖然是個小墓穴,也非要親自瞧一眼不可,才額外花錢進來,也是很滿足。
賽提一世 (Seti I) 的墓穴裡最大最漂亮的一個,但加收的門票錢比門票還其他墓穴要高出很多,看一個墓穴要1000台幣,嚇死。

但是嘛出去玩的門票錢,不管他們收得多高,有時候還是省不了了。這個墓穴比較沒有那麼多考古故事,但是它最漂亮,有好幾層,每面牆上都刻畫滿滿的壁畫和文字,色彩保存的很鮮豔。原本放木乃伊的墓室應該有兩層樓挑高,屋頂畫上一個很大的蒼穹,紀錄了日升日落與人前往死後世界的旅程。貴是貴,但是很值得。

第三的收費的墓穴是拉美西斯六世 (Ramesses VI)的墓室,因為不想花太多錢所以放棄了,但我聽說是比賽提一世的墓穴小一點,但是也十分漂亮,但是價格低許多,大家說是比賽提一世更划算的一間。
西岸的第二個景點是Temple of Hatshepsut (哈斯普蘇神廟)。

哈斯普蘇,還有的網站翻成『哈特謝普蘇特』,有事嗎?有夠難記。導遊說:她名字就是:Hat, ship, soup (帽子、船、湯)。這樣講我就記得起來了!Hatshepsut是誰?『Who is he?』我問。導遊說:『She. It is a “she”.』『喔?我以為他是一個國王誒。』『她是國王,她是神,她也是一個皇后』『嗯?什麼意思?』導遊解釋:她是女人,他是法老的皇后。法老死後,法老的繼承王子還是個小孩,所以Hatshepsut繼續代理新的法老統治埃及帝國。但是到後來,她稱自己為法老,她也是古埃及少數得到法老稱號的女人。她為了強調自己統治帝國的正當性,幫自己創造了一個故事:她的媽媽被阿蒙神隔空受孕(?),產下了她,所以她是神的女兒。莫非聖母瑪莉亞無性受孕的故事是受到她的啟發?總之,她又是王,又是后,又是神。Hatshepsut保留下來的雕刻都是以男性的形象出現,參觀Hatshepsut神廟的時候,可以在牆壁上的壁畫看到這樣的形象。神廟牆上還可以看到對她神性出身故事的雕刻,當然這都要謝謝導遊幫忙解說才看得出來。

最後有趣的故事,就是Hatshepsut神廟裡,很多Hatshepsut的臉的描繪和名號的文字雕刻都被毀壞了。那考古學家怎麼判斷這座神廟原本是Hatshepsut法老的廟呢?正是因為神廟的裡的牆壁上,對於那位繼承Hatshepsut王位的年經法老的描繪都沒有被破壞,單單對於Hatshepsut女性的刻畫都被破壞了,這是很奇怪的事。所以考古學家推測,Hatshepsut之後的法老,可能對Hatshepsut是女人統治埃及有所不滿,毀壞了她女性的形象,然後把自己的名字後來加刻在廟宇各處。

這座神廟在1817年被考古學家挖掘到時,還是散落的石塊。從那時起,一直要到2017年,才被一塊一塊的全部重建完成,太不容易了。參觀這個如此壯闊的大殿,更要對這我們女性統治者附上敬意和喜愛。當然多了導覽,這座法老廟更值得參觀了。
最後想提的景點是哈布城 (Medinet Habu) 。

哈布城是城牆包圍的建築群,但Menidet這什麼字呀太難記,我都管它叫Habu Temple。這個建築群內有不同用途的遺跡,但是最令人印象深刻的部分是神廟的美麗神柱和天花板,向上仰望就敬意油生,我活到今天累積去過40個國家的經驗,就數這座遺跡是我看過最古老又最漂亮的了,非常震撼。(在埃及我只去了三個神廟,大概它就是三個裡面排名第一)

我覺得馬丘比丘遺跡已經被Habu Temple打敗了。對不起,雖然在秘魯生活過一年號稱太陽神女兒的我 (? 憑什麼) 對印加帝國有特別的情感,但是情感最終敵不過Habu Temple給我的震撼。Habu Temple壁畫保存的相對完整,色彩鮮明奪目。
它牆柱上的文字雕刻特別深,刻出這麼深邃的文字要花多少力氣令人難以想像。

導遊說這是後世的法老借鏡Hatshepsut神廟的中慘案所作出的改變,因為Hatshepsut的名號在廟宇中被後世鑿掉了,之後的法老可不想自己被這樣對待,於是把自己的名號在廟宇中刻的深邃,嵌在高聳的天花板上,看了更有威嚴。
哈布城相對比較少人去,這又讓參觀的體驗昇華到一個不同的層次。在安靜的神殿中漫步,午後的斜陽照在石柱上,印照出柔和的光影,試著感受四千年前的靈魂環繞。導遊在這裡我真的要大力讚揚,因為我這時候是一個人獨旅,還好有他幫���拍出絕世短片。身為東亞洲死觀光客,遇到會拍照和運鏡的導遊就覺得自己燒到好香,馬上幫他再加20分,希望他好人有好報大家都去找他當導遊。
盧克索東岸
這是我在Luxor的第二個整天,參觀東岸的兩個大廟。
盧克索神廟 (Luxor Temple)

神廟口原本有兩個方尖碑,對稱的。但是今天來到神廟口前,卻只剩一座了。另一座到哪了呢?

在巴黎協和廣場啦!這裏居然是我經過好幾次的方尖碑失散多年的partner... 吼!還給人家啦!
卡納克神廟 (Karnak Temple)

比盧克索保留得更完整,廟柱色彩更鮮明,很漂亮。

這兩座神廟都離市區很近,不像西岸的大山大漠,這些景點從市區的飯店開車去都只要十分鐘就到了。今天我的專屬攝影師A先生終於加入我了,但是可惜A的第一遊就沒有經好的經驗。今天的導遊非常爛。因為我下午要回飯店工作的關係,我需要在早上就把這兩個景點跑完,下午就讓導遊帶A去我昨天去過的西岸景點。從導遊來飯店接我們的第一眼,就感受到跟他溝通的困難。我們表明了早上想去卡納克神廟和盧克索神廟的意願,但是他說要把盧克索神廟放在最後一站,卻給不出什麼理由。我心裡想說這個人是怎樣,聽不懂我的要求嗎?我好聲好氣的解釋說我需要早上看完這兩個景點的理由,他也不管,繼續堅持要放到下午。我再說了一次我不能下午去的理由,理性問他,他堅持下午去有什麼原因嗎?他也答不出來。最後才說好,那就早上先去盧克索神廟。接著,我們去神廟參觀,他的講解非常淺薄,完全不像昨天我的導遊,會給我一個概括的背景知識,講一些特別的故事。他只會到一個壁畫前,跟我們說這是哪個法老,跟哪個名字的神,像背書一樣講了名字就結束。還有他的英文很爛,我聽不太懂他在說什麼,而且因為講的不好,他句子講得很慢,內容東西很少,在等他講句子等得都沒耐心了。問他問題他也答得很隨便,感覺知識不太足夠,還被我發現年代講錯,因為跟昨天的導遊講得不一樣,跟景點標示寫得也不一樣,我雇用他幹嘛?看現場的標示還比較有用。我們參觀途中想要拍照,他還不讓我們拍,說要他講解完再給我們自由時間拍照。聽他花那麼久時間講那麼無聊的導覽以後,還規定我們自由時間參觀時間只有十分鐘。我們聘請私人導遊,就是需要他配合我們的需求和參觀步調,但是他卻是以他私人利益為優先。參觀完第一座神廟以後,他又再度說『沒時間了,要去西岸了。』我真的火大,他到底有什麼問題?後來參觀完市區內兩座廟以後,午餐他說要帶我們去遙遠的西岸吃飯。西岸都是遠離市區的偏僻小鎮,去那邊吃飯的人都是遊客,價格比較貴、選擇比較少。到底安什麼心?總之這東岸導覽心情被他毀了一半。我們堅持在市區吃完午餐,之後根本不想下午繼續這個旅程,叫他帶我們回飯店休息,小費自然是一毛也沒有給。
卡納克神廟和盧克索神廟還是值得去的,老實說也蠻漂亮的。但是我看完哈布城以後,覺得它們都沒有後者厲害,而且也托爛導遊的福,又沒聽到什麼有趣得故事,所以興致就大減了。
風帆船遊尼羅河

搭乘 Felucca風帆船在夕陽時分游尼羅河,是一個很受歡迎的行程。原本我看著照片是沒有很感興趣的,但是Lonely Planet和參考網路上的遊記中大家的推薦,這個活動剛好可以排在我下午工作完以後的夕陽時分,所以就預定了。
我直接聯繫在小紅書有人推的船夫,我前一週聯繫他的時候,他直接跟我確認okay,順利到我都有點害怕。一週後我們果真如其會合了。 船夫是一個真誠有誠信的人,安靜但相處起來很舒服,thank god。不透過平台而是直接與船夫定行程,價格差了五倍,也太划算了吧,而且經驗很棒。在上午爛導遊摧殘以後,遇見這位船夫真的謝天謝地。

風帆船從古埃及時代就有了,所以在文化的意義上非凡。而尼羅河又是孕育人類古文明的重要命脈,更擴展了這趟體驗的生命力。船夫還有一位幫手,就兩位替我們駕駛這艘小船。船頭的旗子有著Bob Marley的頭像,看來是艘帶著嬉皮靈魂的小船。我們上了船,鞋子一脱,赤腳盤腿坐在座椅上,看著船夫大哥和他的助手熟練地在小船上展開大大的風帆,船緩緩地開始在尼羅河上漫遊。

接近夕陽時分,天氣已經不像白天那樣炙熱。陽光變得柔和,船駛得緩慢,因為今天風不大。在小船上感受得到微微的涼風。天空變成漸層的橙色,河面上也陸續出現其他的風帆船,一片一片的帆船裝飾著被夕陽染成淡橘色的水面。船夫大哥在小船的一隅拿出水和小瓦斯爐煮茶,給了我一小杯玫瑰洛神茶。


喝著茶,遠離了吵雜的城市車水馬龍,心境都變了。風帆船不用馬達,所以很安靜。A在經過一早上的折騰,和前一晚坐半夜班機睡不夠的一天,本來一直要跟我吵架鬧脾氣,現在他的表情已經緩和下來,有笑顏了,真是欠揍 XD。

就這樣到太陽整個下山,原本的說好的一個半小時遊船,回到港口也差不多有兩個小時的時間了,船夫真的很慷慨。

差不多我們在盧克索兩個整天做的事情就是這樣,在埃及旅遊才兩天就被搞得心累。我的結論就是,埃及不是沒有好人,但是碰到好人的機率只有一半。一半的時間都在argue、擔心自己有沒有被坑。另一半的時間遇到好人,就真的特別感激。我們在盧克索的行程其實很硬,我半夜還要工作,有點睡眠不足,還要應付當地人。但同時又看到世界上留存下來古老的遺跡之一。一邊累個半死,一邊讚嘆埃及遺跡的神奇。
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