#台南後壁
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台南旅遊【後壁菁寮老街x俗女村】雲嘉南輕旅行「後壁發摟米 冒險Follow Me!」DIY紅龜粿+割稻飯+老街導覽+豆漿喝到飽

台南後壁菁寮老街,因為俗女養成記在這拍攝取景. 因而吸引大批遊客造訪,大家都要來訪陳嘉玲的家. 不過,除了拍攝場景金德興中藥行~ 其實,後壁商圈菁寮老街也��很多有趣玩法哦! 參加後壁菁寮商圈舉辦的老街導覽,多項體驗活動. 「後壁發摟米 冒險Follow Me!」還能獲得糧票消費. 深入了解這塊土地的歷史文化,走入巷內來曬意麵場. 自己做的紅豆紅龜粿,飽滿紅豆餡,小巧可愛又好吃. 體驗石磨豆漿和柴燒土窯,自己劈柴真的很有難度. 午餐享用花布包懷舊灶咖便當,菜色豐盛非常飽足! 來趟不一樣的農村體驗,從早玩到晚,非常充實一天.
台南旅遊「後壁菁寮老街x俗女村」雲嘉南輕旅行「創造農村新體驗」DIY紅龜粿+割稻飯+老街導覽+豆漿喝到飽

後壁發摟米 冒險Follow Me!
這次我們參加行程走讀菁寮老街. 會先每人給一個茄芷袋. 裡面有耳機、後壁糧票、活動小卡. 現場發放一人甁裝水. 戴上耳機,很輕鬆的聆聽導覽內容.
導覽與體驗行程(需預約) ●體驗名稱: 後壁發摟米 冒險Follow Me! ●體驗內容包含: 農村導覽+紅龜粿DIY+石磨現煮豆漿+石磨碾米. 最少5人即可成團,最多可收到2��人. ●預約就送: 1.後壁糧票券20元1張. 2.後壁LV茄芷袋1只.
【後壁好物質販所】 預約電話:0979-169-012

提著茄芷袋,我們去老街採購也好使用. 活動結束後,茄芷袋是可以帶回家.

天氣太熱,太陽好大. 我們戴上大斗笠逛老街. 懷舊氣氛更濃烈.

我們從呷卵灶咖cafe&meal|俗女村電力站出發. 往菁寮老街,沿途介紹後壁產業、歷史.


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閱讀全文:https://fresa58.com/houbi-travel/
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(sold)花蓮教區副主教陳春光神父的福音書皮雕聖書套
Done. 😃🙏 感謝天主 & 謝謝您~副主教-春光神父的賞識和照顧。💐🦋 此次以宗教壁畫方式表現並將中國的「四君子」梅、蘭、竹、菊所象徵之堅韌不拔、高潔典雅、正直清高、恬淡悠然的品德融入福音書的四活物,我認為與基督大善普愛的精神不謀而合;希望陳神父和本堂教友們保守信念,身體力行,真實地活出福音的精髓。以上。Lan~* (感謝溫神父友情外借福音書給我,最後釘釦才能順利完成。)
▪︎ 福音書皮雕書套:長34公分,寬21公分,厚7公分 ▪︎ 太魯閣族 以白色為主色,紅色不會成為主色(搭一點就可以),黃、綠、黑線條也可以。 ▪︎ Vangelo 四部福音:福音 gospel(聖經中的四部福音)基督的生活與教導 (one of the four descriptions in the Bible of) the life and teaching of Christ ▪︎ 四活物/默示錄 四章7節 ▪︎ 雖然"臺灣藍鵲"是臺灣原住民鄒、邵、布農等族的神鳥,鄒語稱為teofsi'za、邵語稱為fitfit、布農語稱為lalinutaz(郡社群)/qaipis,另排灣語稱tjikaikai。在南島語族共有的大洪水神話中,很久以前族人因大洪水瀕臨滅族,臺灣藍鵲犧牲自己帶回火種挽救族人(有些故事的版本則認為犧牲自己帶回火種的神鳥是紅嘴黑鵯。)但我想將神話般的神鳥精神代表台灣帶入這福音壁畫之中,神氣活現的,是吧! 哈哈哈!!! 😁 🤣 eBird:臺灣藍鵲 Urocissa caerulea
福音(你是伯多祿﹐我要將天國的鑰匙交給你。) 恭讀聖瑪竇福音 16:13-19
那時候,耶穌來到了斐理伯的凱撒勒雅境內,就問門徒說:「人們說人子是誰?」 門徒說:「有人說是洗者若翰;有人說是厄里亞;也有人說是耶肋米亞,或者先知中的一位。」 耶穌對他們說:「你們說我是誰?」 西滿伯多祿回答說:「你是默西亞,永生天主之子。」 耶穌回答他說:「約納的兒子西滿,你是有福的,因為不是肉和血啟示了你,而是我在天之父。我再給你說:你是伯多祿──磐石;我要在這磐石上,建立我的教會;陰間的門,決不能戰勝她。我要將天國的鑰匙交給你;凡你在地上所束縛的,在天上也要被束縛;凡你在地上所釋放的,在天上也要被釋放。」──上主的聖言。













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西武現實主義(Seiburealism)
/ Victor Burgin, 1989
四月的東京。在上野公園,櫻花低垂如雲,野餐席遍布其下。啤酒潑灑成水漥,載著狂歡人群的塑膠布筏子順著櫻花樹大道漂流(每艘筏邊整齊地擺放著一圈鞋子)。這些瀝青河流的兩岸擠滿觀光客,他們既為櫻花短暫盛放的美感所吸引,也沉醉於花見野餐��展現的景象——櫻花短命的綻放成了這場狂歡的道德藉口、一種死的提醒(momento mori)。櫻花影像被傳輸到西武百貨澀谷店,以環境影像的形式出現在店內各處。透過十二層樓的螢幕、交錯的手扶梯與電梯中,櫻花在商場每個角落綻放;如同富士山的影像(櫻花融化為山景,伴隨著約翰·藍儂《Imagine》的旋律);又或是街上的路人影像,被隨機捕捉,短暫地使螢幕成為千扇窗戶,讓人望向外部世界。���從外頭望上,百貨外牆橫跨數層樓的數位螢幕上,行人可能只看見巨大的魟魚,在海底悠然擺動,然後畫面轉化為像素化的動畫新聞,播報最新的人質危機。)
班雅明(Benjamin)曾視十九世紀的購物商廊為從街道過渡到百貨公司之間的中介階段。商廊——一條室內街道——白天靠天窗照明,這種大片透明玻璃得以實現,乃因為鐵架的支撐使其成為可能。抬頭望去,人們可見白日的雲朵,或夜晚的星空。在西武百貨中,這些鐵框玻璃矩形彷彿已從格子中爆裂而出;我想像它們在電腦動畫中慵懶地翻滾,變形為無所不在的視訊螢幕。在一種與時間無關的均勻冷光照射下,這些螢幕可以顯示雲朵、火星地貌,或任何可用二進位編碼定義的影像。東京位於富士山以東約百公里之處。從江戶時代(1600年)起至明治末年(1912年),富士山仍可間歇而清晰地從市內望見——成為一種固定的時空精神指標(在東京,能望見富士山之地即為「名所」)。如今,建築與空氣污染抹去了富士山的輪廓,至少在肉眼中是如此。新的參照點、新的「山」,在城市中自身誕生,成為僅能從百貨公司中看到富士山的景觀。儘管如此,觀看富士山的現象學經驗仍保留於百貨空間中——人們在穿越商場、從一處螢幕移動到另一處時,如同昔日穿越建築縫隙偶爾瞥見山景一般。
日本人稱為「立讀(tachiyomi)」的行為,是一種移動中、隨機式、斷續式的閱讀方式:翻閱漫畫與雜誌,只是路過隨手翻看,並無購買意圖;或在地鐵上從鄰座撿起報紙隨意瀏覽。安德烈・布勒東(André Breton)曾回憶戰時與賈克・瓦謝(Jacques Vaché)在南特的日子,他們的習慣是「無論正在播放什麼,都隨意走進電影院,看到哪裡算哪裡,一旦感到無聊便馬上離席,前往下一家影院,如此不斷輪替」。如今我們不斷切換電視頻道。(有段時間,在紐約某些餐廳流行「瀏覽式點餐」——這嚐一點、那吃一口。)觀光客也像這樣「套餐式」地體驗文化:在這座城市待兩天,再去另一座城市幾日(就像我如今在這區閒晃,在那區遊蕩)。而日本人不也常被說是「瀏覽」西方文化、取其所需再「本土化」的代表嗎?如果文化本身是複雜的文本,那麼它們如今已成為富裕與閒適者邊走邊翻的文本——無須承諾,只是移動中的一瞥。
在這間西武百貨的書籍部(藏書四十萬冊,我甚至找到兩本由密西根安娜堡的UMI學術出版社出版的超現實主義論文),一整面牆成為了放映螢幕,播放經典好萊塢電影的片段——以主題分類,其中之一是「戰爭」。畫面上,美國轟炸機正準備夜襲(東京曾在戰爭中遭遇毀滅性燃燒轟炸),畫外音堅定表示:「無論敵人藏在哪裡,我們都會追擊。」螢幕右側,在轟炸機飛出畫面之處,擺放著一座展示模型——燒焦的塔樓,其頂部爆炸場景正是電影《魔鬼剋星》(Ghostbusters)結尾的鏡頭之一。
(布勒東初識瓦謝是在1916年的軍方精神病院,當時布勒東是實習醫生,瓦謝是病人。其他病人中,有一人堅信所謂的「戰爭」不過是模擬場景;砲彈是道具,傷口是化妝;死者是從醫學院解剖台上帶來的屍體,��夜散佈在假的「戰場」上。)美軍轟炸機由畫面左側飛向右側,如同西方的閱讀方向。而在書區翻閱時,我又看到一部漫畫,開頭描繪的是日本轟炸機自右向左起飛。它們先摧毀珍珠港,然後轟炸美國本土。接著,日本士兵踢破美國住家的大門。一戶家庭——男子、女子與一名幼童——蜷縮在客廳中,被士兵襲擊。男子遭殺害。士兵開始撕扯女人衣服,孩子哭喊。一名日本軍官抓起孩子的腳踝,以一個橫跨雙頁的弧線將他甩向牆壁。孩子的臉部從頭顱撕裂開來,飛越畫面,拖出一道墨筆揮灑般的筆觸,讓人聯想到禪宗書法。接下來半頁畫面中,女人遭輪暴(其哀號以英文呈現),最後士兵們聚集起來,坐在倒塌自由女神像的伸展手臂上合照。下一頁,也是最終頁,我們看到裕仁天皇騎馬現身。有人說,東京之所以安全,是因為所有暴力都被收納於這些漫畫中。
布勒東在《超現實主義第二宣言》中曾寫道:「最單純的超現實主義行動,就是手持左輪手槍,走到街頭,盡你所能隨機射擊群眾。」如今,這樣的行為雖然不常見,卻也成為日常生活中的一種現象。有評論指出,第二次世界大戰的爆發令超現實主義失效,因為現實世界的暴力早已超越藝術所能預見。(盟軍登陸時,超現實主義攝影師李・米勒(Lee Miller)遊走於滿目瘡痍的街道,每扇門像是通往駭人而奇幻的風景。有次她不慎踩到一隻人手,撿起後憤怒地將其拋向街道。)但人們往往忘了,超現實主義始於第一次世界大戰,其戰間期的重要使命之一,正是將日常生活中的恐懼與失落加以昇華——轉化為幻想,特別是在性愛的範疇中。
在街頭,人群偶爾會突然分開,使人瞥見某個身影、某張臉,但那一瞬即逝,卻觸動了情慾神經。班雅明稱之為「最後一瞥的愛情(Love at last sight)」。百貨公司則提供這一現象的變體:透過那些輕薄帷幕圍成的小空間,女性離開觀眾群,成為被觀看的對象——不僅為了自己與其他女性目光的觀賞,也為那因帷幕掀開而勾引來的非法凝視所��(羅蘭・巴特曾問:「身體上最具情慾性的部分,不正是衣物掀開之處嗎?」)。我匆匆轉移視線;某些光線在鏡面空間內反射、延遲,在我視網膜上形成混亂(與其說是超現實,不如說更像立體主義),只能依靠記憶,在其中提取出一段熟悉的、被愛的身體片段。班雅明在論述超現實主義的文章中寫道:「在秘儀式的愛情中,女人本身並不重要。布勒東亦如此。他與娜佳(Nadja)親近的,不是娜佳本人,而是娜佳身邊的事物。」我們可以將這種「秘儀愛」以臨床術語命名——「戀物癖(fetishism)」。百貨公司,作為商品戀物的神殿,也召喚著佛洛伊德所言的戀物心理。男性漫遊者(flâneur)若欲前往正當之地,勢必得穿越洋裝海洋與香水濃霧的沙漠。他別無選擇,只能進入這些禁忌之地。他的藉口天衣無縫,而內心的罪惡快感則無可迴避。當他在衣架間無意識地翻看服飾時,或許以為自己在為情人挑選禮物,但同時他也正盲目地觸摸著母親的身體。某刻我在西武感到口渴,找到了飲水機,其透明上層水流覆蓋著石礫——彷彿是一段溪流被切割下來,擺放於展示台上的自然部件。
在街道層,有一家以廢墟為造型的酒吧(採用「後末日建築」風格),其立面突出一段飛機機翼,下懸的引擎艙象徵性地讓人聯想到曾夷平越南的 B-52 轟炸機。在奈傑爾・柯茲(Nigel Coates)設計的 Café Bongo 中,「內部空間」衝破與「外部空間」之間的脆弱邊界。在同一個六本木(Roppongi)地區,為時裝設計師安傑洛・塔拉齊(Angelo Tarlazzi)設計店鋪的建築師八束一(Hajime Yatsuka)曾說,他將整棟建築構思為城市的「內部」。班雅明曾評論:「對於漫遊者(flâneur)而言,街道就是他的住所;他在房屋立面間的感受,猶如市民置身於四面牆內一樣自在。」百貨公司已成為那些從榻榻米小房間逃出的富裕難民的共同居所,他們在地鐵裡入睡。在城市各處,人們沉睡的景象隨處可見。男性躺在西武百貨各樓層扶梯轉折處旁的寬大沙發上,看似專為此而設(否則用途為何?),進入沉睡。
在這家百貨公司底下的有樂町地鐵站內,年輕的女性上班族也入睡著。她們從城市邊緣通勤,來回奔波於狹窄的住處與辦公地點,週末則重返澀谷、銀座、池袋,或其他西武分店。她們購買的是三宅一生(Issey Miyake)、Comme des Garçons 等品牌的服飾,而這些品牌對歐美的同齡女性來說幾乎遙不可及。從她們狹小房間出發,搭乘約一個半小時的列車,度過一天如遊蕩者般的生活,徘徊於西武那奢華至極的空間——這些空間透過無所不在的環境影像,開啟通往無限空間的通道。作為來自英國北部工人階級家庭的流離者,我想起了那位較富裕的姑媽家中的「前廳」(frontroom)。那是一間擦得發亮、充滿蠟香的房間,平時封閉,只在打掃或有訪客來時才會開啟。來客可以看,但不能碰,只能站在敞開的門前觀看,而不能踏入其中(這間「起居室」沒人坐,這間「客廳」裡也無人交談)。這房間彷彿是一個全息投影的模擬空間,只為提供心理上的額外生活空間,如同西武百貨所帶來的慰藉一般。在西武百貨,正如其西方對應對象(至少在這方面),家具部就如同無數富人家庭的前廳;彷彿從其原始情境中抽離,再「傳送」到這座城市的樓層中——這座由無數「前廳」構成的城市,雖然沒有牆壁,卻以內部街道相互隔開,主要用途就是用來閒逛(flânerie)。
尚–盧・高達(Jean-Luc Godard)曾表示過這樣的想法:既然任何東西都可以被拍進電影,那就所有東西都應該被拍進電影。比起電影,西武百貨更是一場由異質集體所創作的組合展——包括買手、租戶精品店業者、駐場視覺藝術家、圖書管理員、旅行社人員等。這裡沒有「作者控制」或「敘事封閉」的概念(因此也不需要布勒東與瓦謝式的逃避);其組織原則早已是非整體的、務實的、機會導向的。在某種程度上,這場組合也可視為一種整體,由此構成的過程類似於超現實主義者的集體書寫實踐。
西武百貨是超現實主義於後現代階段的作品,一件無盡變奏的作品,由遊蕩者(flâneur)「自動書寫」而成,其對於商品的興趣與對所處空間的興趣無高下之分。(班雅明有句格言:「建築是在分心狀態中被欣賞的。」)
在日本,想看一場重要的藝術展覽,你有很大機率會在百貨公司,而不是美術館看到它。當西武百貨展出尚・杜布菲(Jean Dubuffet)的作品時,東京上野公園內的東京都美術館也於1988年4月開展名為《1920年代的日本》的展覽。我在那裡得知,1923年摧毀東京的關東大地震,被視為日本「機械時代」藝術的開端。布勒東的《超現實主義宣言》與《超現實主義革命》首期,也是在1924年的巴黎發表。在東京都美術館,我發現大量機械美學影響的證據,特別是包浩斯(Bauhaus)對視覺藝術——攝影、繪畫、建築、工業設計、電影、劇場設計、時尚等的深遠影響。同時也能看出德國表現主義的廣泛影響,尤其在劇場與電影領域;而隨著1920年代結束,愈來愈多政治啟發下的「寫實主義」創作開始盛行。然而我幾乎找不到任何關於超現實主義的明確跡象。並沒有理由認為當時的日本在1920年代對於超現實主義的了解會比其他歐洲美學運動來得少。1970年,瀧口修造(Shūzō Takiguchi)——在布勒東與艾呂雅所編的《簡明超現實主義辭典》中被列為「超現實主義作家」——曾寫道:「在日本,從未出現過像法國那樣的超現實主義團體。」我無法判斷超現實主義在戰間期或今日的日本意味著什麼,也無從推測它未能代表什麼;我確定的是,它的意義絕對與我自己的理解不同。許多超現實主義研究者認為,這場運動的編年史應該終結於1968年五月事件。而就在同一年,一個法國電視台團隊前往東京郊區採訪三島由紀夫。他是傳統價值的擁護者(兩年後,他將以近乎完美的切腹行動實踐他的理念),當時他住在一間宛如法國蔚藍海岸別墅的宅邸中。一樓以十八世紀法國風格裝潢,而樓上則採用現代國際風格設計。三島說道:「在這裡,只有看不見的部分才是日本的。」
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仙台城跡
伊達62万石の居城として伊達政宗が築き以後270年間仙台藩の政庁として明治の廃藩置県を迎えた。
元々天守は築かれなかったが、明治以降東北鎮台の設置により本丸等は破却され、残った建築物は仙台空襲により灰燼に帰した。
復元された大手門の脇櫓



明治以降も残された大手門と共に国宝に指定されていたが第二次世界大戦時の空襲により焼失。現在櫓のみ再建

道路を隔てた向かいには大手門北側の石垣と土塀、更にその先には二の丸跡


真ん中が凍り始めているお堀跡(五色沼)ここを抜けると東丸(三の丸)現在は市の博物館がある


大手門から入ると中門跡

北側の石垣は四角に加工された切石、南側の石垣は自然石や割石を使用している。また道が大きくうねる様に曲がりくねって防御を高めている



三の丸からのルートだと巽門を通る。二階建て瓦葺きの櫓門があったがここも空襲で焼失😂

城内にあった造酒屋敷跡


付近に湧水があったためにこの名がつけられた清水門跡

野面石や割石を使った石垣は地震で何度も崩落し修復されている。
山城に相応しい急峻な山道が続く😅

本丸までかなりの途上だったため2代目藩主忠宗以降は二の丸の御殿で政務が��られた

大手門からの登城路の合流地点にあった沢門跡

ここから500メートル弱でいよいよ本丸。綺麗に形どられた切石の本丸石垣北壁

本丸詰門跡から本丸に


本丸御殿の大広間跡

伊達政宗騎馬像

本丸からの景観


戦没者慰霊塔

本丸にある護國神社

本丸埋門跡。本丸だけの見学なら車でここまで登城できる。(有料の駐車場有り)


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ヨーロッパを制覇したカーリヤ、いよいよ日本上陸!
日本でのライブについて触れたインタビュー記事がアップされましたので、和訳してみました!
以下和訳⇩
すべてはユーロビジョンから…いや、正確には、10年前、フィンランドのヴァンター郊外から始まった。 「Cha Cha Cha」でヨーロッパの聴衆を沸かせ、国際的な注目を集めるコラボ曲にも参加するカーリヤは今、 日本進出を見据えている。 まったく新しいチャレンジ――日本のリスナーに、フィンランド語で、メタルの影響を受けたパーティー系EDMポップスを届ける。これ以上クレイジーなアイディアはあるだろうか? こんなクレイジーなことに挑戦できるのは、イェレ・ポウホネン=カーリヤだけだろう。そう、彼は6/12、カーリヤのアジア初となるライブのため、大阪に向かう。このライブは2025年大阪万博にて実施されるフィンランドデー、より正確には「Party like a Finn – Rock & Fashion」という夜のパーティーイベントのプログラムの一つとして開催され、カーリヤと、ヴォーカルグループTuuletarが演奏する。 とはいえ、予想以上に国際的になったカーリヤのキャリアの、次のステップとしてはこれは完全に理にかなったものだろう。ヨーロッパをは制覇した。新天地に乗り出すときが来たのだ。 「カーリヤのスーパーヒーローみたいなバイブスや、ボレロ、ボウルカットは、日本の聴衆にウケるんじゃないかとずっと考えていました。それに彼らは、ヘビーな音楽や、ほかのフィンランドの音楽も好んでいる」バーゼルからのビデオ通話で、ポウホネンはそう語った。「ずっと日本をヨーロッパの次に目指すマーケットだと考えていました。日本は巨大なマーケットで、そこで成功すれば、ずっとツアーを続けることができる。もちろん、そのためには大きな努力は必要ですが」 ストリーミング数を分析すると、アジアには成功の兆しがあった。「実は昨日、ここバーゼルで、東京から来たというファンに会ったんです。彼は僕のフィンランドのギグにも来���くれていました」そう話す彼は明らかに嬉しそうだった。 「とにかく現地に行き、ライブパフォーマンスを見せるしかない。それがKäärijäとしてずっと信じてきたことなんです。僕たちがやってることを生で見てもらえさえすれば、きっと伝わるって! それに、日本語をいくつか覚えてステージで話せるようになれば、きっと喜んでもらえると思います」
ピープルズチャンピオンの帰還
もちろん、ポウホネンはユーロビジョンのためにバーゼル入りしている。昨夜、彼は2024年のフィンランド代表エリカ・ヴィクマンとともにステージに立った。数日後には、彼は再び決勝のステージで会場を沸かせる。今回はクロアチアのベイビーラザニア(昨年の大会でファンの人気者だったアーティスト)と一緒だ。コラボ新曲「#eurodab」を、テレビで最大級の視聴者に向けて披露する。 Käärijäのワールドワイドな旅路が始まった場所がユーロビジョンだったことを考えると、これはパーフェクトな舞台だろう。2023年大会で、「Cha Cha Cha」は圧倒的視聴者票を獲得し、優勝したスウェーデンのLoreenと僅差で2位となった。 それ以降、物語は急速に動き出した。 「言うまでもなく、もし「Cha Cha Cha」がユーロビジョン関係なしにリリースされたとしたら、こんなことは起こらなかったでしょう。偶然海外の誰かがこの曲を見つけ、そこから何かは生まれたかもしれないけど、この一連のフィーバーは…ユーロビジョンのおかげですね」ポウホネンは言う。
コラボレーションの力
少し時間を戻そう。 イェレ・ポイホネンがラップに出会ったのは、フィンランド南部ヴァンターの郊外で中学校に通っていたときのことだった。 2014年ごろから、彼は自分で曲を作り始めた――EDMに、ラムシュタイン風のヘビーな要素を融合させたスタイルだ。 カーリヤの初期作品は完全にDIYだったが、やがてワーナーミュージック傘下のフィンランドの有名ヒップホップレーベル、Monsp Recordsの目に留まることとなる。 「たしか6年くらい前だったと思いますが、プロデューサーと一緒に、どうやったらドイツに売り込めるかって真剣に考えてたんです。ベルリンの街角にラジカセ持ってって、カーリヤの曲を流そうかって話までしてましたね。しかもその時点では、まだ国内でもブレイクしてなかったのに!」ポウホネンは笑う。 次の大きな課題は、「ユーロビジョン・マジック」が解けたあと、このモメンタムをどうやって維持するかということだ。 「ユーロビジョンを追いかけてない人たちも、僕の音楽を聴いてくれています。もしこれが一過性のユーロビジョンフィーバーなのだとしたら、僕たちが今もギグを完売させられるわけがない。確かに火をつけてくれたのはユーロビジョンですが、今はもうそれを超えた広がりがあるんです」 カーリヤと彼のチームはすでに、今後数年の具体的なプランを立てている。 「ヨーロッパでのツアーや、もっと規模の大きいショーの計画も立てていますし、日本には特にフォーカスしてます。もちろん、さらに先のことも考えてますよ。今後の展開についてもね」 戦略のカギとなるのは、様々な国のアーティストとのコラボレーションだ。これまでカーリヤは、クロアチアのベイビーラザニア、エストニアのトミー・キャッシュ、オランダのヨースト・クライン、そしてスウェーデンのホーヤと言った同志たちとタッグを組んできた。そして今後もさらにコラボは続く、とポウホネンはほのめかす。
すべては笑顔のために
Käärijäという名前を訳するのは難しい。文字通りの意味は「包装紙(包むもの)」となるが、フィンランド語の「“kääriä rahaa”(=あっという間に金を稼ぐ)」という表現に由来している。 この名前はアイロニックで、カーリヤは決して大金を稼ぐためにやっているわけでない。すべては楽しむためだ、とポウホネンは強調する。 「僕はこの仕事が好きだし、僕たちの生み出しが音楽すべてを愛しています。もう「Cha Cha Cha」はやりたくない、と思う日が来たとしたら、その時こそが物事を考え直すときなんだと思います」 「僕たちはただ、いいものを作り出し、楽しもうとしているだけ。僕は自分自身、そしてフィンランドの人達に、(自分のやっていることは)世界で通用するんだと証明したいんです」 ポウホネンは、フィンランド語が障壁になるとは思っていない。 「フィンランド語でいい歌を作って海外の人とつながることができれば、なんだってできるってことを、僕たちはすでに証明したと思っています」 なんだってできる――しかし、彼の一番の野望について聞くと、カーリヤはフィンランド人らしく、地に足の着いた現実的な姿勢を崩さず答えた。 「ドイツかイギリスでアリーナライブができたら、クールだと思う。まずはそこから始めようか」
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されど遠き窓
1年同棲した恋人のリリコに去られたヒロセ。
かつての遊び仲間たちとの再会を機に、自分を見つめなおしていく。
※性的描写があります。
鼓膜をつんざくようなけたたましい音で三分経過したことが告げられた��iPhoneに入っているタイマー音はどれも、うるさすぎたり間が抜けていたりで、どうもいい塩梅にいかない。かといって好きな曲を設定するというのも、気取っていてなんだか嫌だし、なんて考えている間に、麺がどんどんのびてしまう。ここ一週間食べ続けているカップラーメンの新しい味をコンビニで見かけたのでついまた買ってしまったのだった。さすがに体に悪いか、と思わなくもないけれど、仕事が繁忙期だし、怒る人ももういないし、緩やかな自傷行為はだんだんと依存性を帯びてきた。アルミの蓋をぺりぺりと開け、頼りない麺を割り箸でずるずるとすする。想像通り、うまくもまずくもない。こういうのは結局一番最初に出たプレーンな味がいちばん飽きが来ないものだ。香辛料のききすぎたスープを飲み干す気にはなれず、流しに残りを捨てた。麺の欠片や掬いきれなかった具がステンレスに散らばり、排水溝の掃除をする必要があることを思い出して煩わしくなった。ゴミの日に合わせて、明日の夜やることにしよう。ベッドでは三毛猫のミナが僕の就寝を待っているが、寝る前に一杯やりたい。食器棚からグラスを取り出そうとすると、しばらく使っていない器達が無言の圧力をかけてきたので、結局今日もまた缶ビールを開けてじかに呷ることになった。チーズを囓りながら、さっきの残像で食器を数える。ペアグラスかける幾つだ、プレートもお椀もだいたいはお揃いまたは柄違いで二の倍数分あり、だけど今僕はそれらがなくても生活できてしまっている。
一体、この大量の置き土産を、どうしたらいいのか。リリコがいなくなってから、もう三ヶ月が経とうとしている。一ヶ月めは現実と向き合うのに精一杯で気付かず、二ヶ月めは思い出に浸るために必要で、寂しいのが普通になった今やっと、やはりこのままではまずかろうと、彼女が残していったものを、たびたび眺めてみてはいる。一年も一緒に暮らしていたので、すぐには整理しきれない。リリコは料理好きで、腕をふるった品々を毎食SNSにアップしていたほどなので、食器類は特に数が多いが、それだけではない、いま僕が踏んづけている不思議な模様のラグも、天井からぶら下がっている星のかたちをしたライトもすべて、彼女のセンスで買いそろえたものだ。ぜんぶ置いてけぼりなんて、と何度目かの小さな憤りを感じた勢いで重い腰を上げかけては明日もまた仕事だと言い訳して、��っと後回しにしてきたのだ。まる二ヶ月。やらなきゃいけない、と思うほど頭と体がぼんやりしてきて、やがて逃げるように眠りについてしまう。この部屋の中のすべてが、彼女のかわりに呼吸しているーーそんな妄想は少々ロマンチック過ぎるにしても、たぶんいつかは断ち切らないといけないものだし、断ち切りたいと僕自身も願っている。ああ、だけど今夜も、五パーセントぶんの酩酊を言い訳にして、ミナの待つ寝床に向かう。
やっぱ、フリマアプリじゃないっすかねえ。心底どうでもよさそうな風情で煙とともにそう吐き出したのは、新入社員で唯一の喫煙者、塩崎くんだ。僕の若いころに輪をかけてぼーっとしていて、鬱陶しがられているかもしれないけれど、ついつい話しかけたくなってしまう。
「ていうか、広瀬さんも女にふられること、あるんすね」
「そりゃあるよ、ふったことのが少ないよ」
「女になんか全然不自由しなさそうに見えるのに」
「……不自由するかどうかはまた別の話かもね」
しまった、失言だった。話を聞く限り、塩崎くんには女性経験がないのだ。背も高いし、肌もきれいだし、顔立ちも悪くはないのに、たぶん、ぼーっとしすぎているのだ。どうフォローしようか気を揉む僕をよそに、塩崎くんは、プロの女の子、必要になったら言ってくださいね、とにやついて仕事場に戻っていった。
取引先からそのまま帰宅すると、宅配ボックスに母から荷物が届いていた。うちは農家でもなんでもないのに、定期的に野菜やら米やらが送られてくるのだ。お礼の電話をかけると、気忙しい母の声のうしろで、子供がはしゃいでいるのが聞こえた。
「まひろ、来てるの?」
「そうそう、今日は誠二が夜勤だから、うちで夕飯でもどうー、って」
誠二というのは僕の弟だ。僕が秀一、弟が誠二。彼は五年前、二十四で十年近く付き合っていたひとみさんと結婚して、三年前、まひろが生まれた。高卒で消防士になり、地元で気の利く嫁をもらい、実家の近くに住み、可愛い孫の顔まで見せた彼の方に、秀の字がついていたらよかったと思う。
「あんたはどうなの、うちに連れてくるかもって言ってた子は」
「ああ、別れた……」
「あらっ、そうなの」
数秒のあいだ沈黙があり、母のため息がきこえた気がした。
「まあねえ、おかあさん都会のことはわかんないし、元気でやってればいいのよ」
優しく慰められ、情けなくなる。両親のことを喜ばせようなどと殊勝なことを思っているわけではないが、のんべんだらりと三十路を過ぎてしまって、なんとなく申し訳ないような気持ちはある。しかし去ってしまったリリコのこと���もう、どうすることもできない。たしかに母の言うとおり、都会の三十代はまだまだ若い。正月には帰るから、みんなによろしくと言って電話を切った。ミナが足元に擦り寄ってきた。そういえばミナは、まひろとほぼ同い年だ。僕が会社に行こうとしたら、マンションの植え込みで震えて��たのだ。体調不良で、と当時勤めていた会社に嘘をつき、病院に連れていった。三毛猫のミケでは安直すぎるので、ミナにした。漢字で書いたら、三奈だ。まひろは、ひらがなでまひろだ。どちらがペットかわからない。猫はものすごく好きというわけではなかったが、一緒に暮らしてみるとこれほどいい同居相手はいないように思えた。普段はお互い負担にならない距離を保ちつつ、自分がそうしたいときには思いっきり甘えてきて、逆に僕が疲れていれば癒やしを提供してくれる。リリコとミナは最後まであまり馴染まなかったように見えた。彼女は実家でダックスフンドを飼っていると言っていたが、猫にそこまでの思い入れはないようだった。
ミナがキャットフードを食べている間、自分の夕飯を用意した。母と話したあとで不摂生をするのもなんだか悪い気がしたから、送られてきた野菜を適当に切って、冷蔵庫の隅にあったベーコンと炒めた。だけどそれでは足りなくて、結局買い置きしてあったカップ焼きそばを食べてしまった。ミナと戯れつつ食休みをし、風呂を沸かした。本当はシャワーだけでもいいのだが、リリコが置いていった高そうな入浴剤を入れてみたら案外よく、それから週末の夜はゆっくり湯船に浸かるようにしている。バスミルクやらソルトやらオイルやら、ひと揃い使い切ったら終わる習慣だろうけど。
風呂から出ると、LINEが五件届いていた。三件は公式アカウントからで、一件は塩崎くんがフリマアプリのまとめ記事を送ってくれたものだった。金曜の夜なのに、暇な男だ。ざっと目を通し、とりあえず一番利用者数の多いアプリをダウンロードした。もう一件は月子さんからだった。明日、新宿で映画を観る用事があるのでそのあとお茶でもどうかという誘いだった。看護師をやっている月子さんが土日に会おうと言ってくるのは珍しかった。確かシフト制で、平日休みのときに声がかかることが多かった。いくつか年上のこの人と、どこで知り合ったかもいまいち思い出せないが、つかず離れずで長年やってきている。リリコと別れて初めての会合だった。
伊勢丹近くの喫茶店で落ち合うことにした。雑居ビルの地下にあって、コーヒーが一杯千円もするかわり都内いち美味い。価格設定のおかげで店内が落ち着いているのもかなり気に入っているので、約束の時間よりも一時間早めに店に入った。今はナラ・レオンがかかっていて、いい具合に眠くなる。おかげで持ってきた本が全然進まなかった。あとから来た隣の席の男女がタロット占いに興じているのも、僕の気を散らした。壁側に座った髭もじゃの男が占い師らしく、ピンク色の髪をした女の子がぼそぼそと何か相談していた。髭もじゃがカードを切りはじめたころ、月子さんが現れた。とびきり短いショートカットに、真っ黒のワンピースという出で立ちだった。前に会ったときは、日本人形のように長い髪をしていた。
「髪、切ったんだね」
「そう!似合うでしょ」
「うん、すごく」
脚本はいいのに女優の演技がひどくて興ざめだった、というのが今日の映画の感想だった。月子さんは映画や舞台がとても好きだが、誘われたことは一度もない。2人ですることといえば、セックスくらいだ。十年前からそんなふうにしてきて、でも僕がリリコと付き合っている間は指一本も触れずに関係は続いていたので、結局気が合うということなんだろう。月子さんが頼んだキリマンジャロが運ばれてきたところで、恋人が置いていったものを誰かに買ってもらうってどう、と相談してみると、悪趣味、と笑われた。
「そんなの、捨てたらよくない?ぱーって」
「結構高いものが多くて、惜しい」
「じゃあそのまま使ったら」
「いろいろ思い出されて、つらい」
どんなのがあるの、と聞くので、iPhoneを手渡した。塩崎くんの指南のもと、出品用に写真を撮ってみたのだ。あとはアップロードをするだけなのだが、説明文を考えるのが面倒くさくてやめてしまった。月子さんが真剣な顔つきでフォルダを隅々まで眺めているあいだ、僕はタロット占いの結果が気になってしょうがなかった。タロットは漠然とした悩みというより、誰かとの相性を知りたいようなとき役に立つのだと、昔どこかの飲み屋のママに聞いた。
すべて見終わった月子さんは、彼女、センスのいい人だったんだね、と感心した。さらに精査したあと、寝室に置いてあるスタンドライトの写真を指差して、これ生で見たい、と言った。じゃあ見にきてよ、と店を出た。新宿三丁目から、都営地下鉄に乗る。
「ヒロセの家、久しぶり」
「そうだね」
「呼んでくれなくなっちゃったもんね」
「そりゃ、呼べないよね」
リリコとの同棲は、僕のマンションに彼女がやってくる形で始まった。子供のいない裕福な叔父から譲り受けた、4LDKの部屋だ。付き合って二ヶ月ほどで、リリコの側から、将来のことを考えるためにまずは一緒に暮らしたい、という申し出があったのだった。そう、僕はお試し期間をクリアできず、持ち家というアドバンテージをもってしても捨てられてしまったのだった。
三十分ほど電車に揺られて、最寄り駅に到着した。月子さんは懐かしい、と言いながら駅からの道をゆっくり歩き、玄関に入るなり、ああ、と感嘆の声を漏らした。
「これは、女がいる家」
「でもいないんだ」
「かわいそうにねえ」
月子さんは上がり框に座り込んで、金具がいっぱいついた靴を脱いだ。ぴったりとしたスカートがあまりに短く、黒いストッキングに下着が透けそうでどきまぎした。ねぼけまなこのミナが僕を出迎えにやってきたが、月子さんの姿を認めると固まり、必死に記憶の糸を手繰りよせていた。月子さんがミナちゃん久しぶり、やっぱり美人さんだね~、と話しかけると、声で思いだしたのか、上機嫌でしっぽを震わせてこちらに寄ってきたばかりか、久しぶりの客人に背中を撫でさせた。
お茶でも出そうかと思ったが、さっきまで飲んでたしいいと断られたので、さっそくお目当ての品のもとへ案内した。このライトはアンティークで、びっくりするほど重いので部屋の外に運ぶのが億劫だったのだ。
「ああ、やっぱり欲しいこれ」
ダブルベッドの傍らに置いてあるそれは、傘のところがステンドグラスでできていて、他のところの作りもいちいち凝っていて高級感があって、実際かなりの値段がしたらしいので、捨てるのが惜しいものの筆頭だった。役所に粗大ごみとして引き取りにきてもらう連絡をするのもこの上なく面倒くさかった。
「もらってくれるなら嬉しいよ」
「本当にタダでいいの?さすがに悪い気がする」
「じゃあ、五百円くらいで」
なかなか食い下がらないので、気が済むようにして、などと言っていたら、月子さんはてきぱきと僕のうしろのドアを閉め、カーテンを下ろし、かわりにステンドグラスのライトをつけた。長い爪を赤く塗った指先がスイッチの紐を引っ張ったのが、妙になまめかしかった。色とりどりのガラスの下に、赤みがかった光が灯る。
「すっごい、ムーディ」
「そう、寝室にしか置けないんだ」
「いつもこうして、してたの?彼女と」
「まあそういうこともあったような」
「久々にしよっか」
マック行こっか、くらいの軽さで月子さんはそう呟いた。体で払う、ってことか。僕としてももちろん吝かではなく、僕達はまぐわった。薄ぼんやりとした明かりの中で、かつて散々貪ったはずの月子さんの体は天女みたいに神々しく見え、リリコに操を立てる前の数々の奔放な日々を思い出した。会えば挨拶みたいに体を重ねた。おっきい、と途切れる声で言う月子さんのヴァギナと僕のペニスの相性は相変わらずとてもよく、リリコとの性生活で少しずつ積み重なった消化不良に気付かされた。月子さんの細くしなやかな腰を掴み、後ろから責め立てているとき、なめらかで美しいリリコのうなじを思った。月子さんのうなじには、短く整えられた襟足の延長のように細かい産毛がびっしりと生えていて、だけどそれが生命力の強さの、淫蕩さの証に見えて、僕をますます昂らせるのだった。月子さんは僕を煽るのも上手くて、まだ足りないというように自分の性器を弄ったり、卑猥な言葉で強請ったり、この時間を最大限愉しむための努力を、決して惜しまないでいてくれる。リリコが寝転がって僕が前から入る、コ��ドーム越しの、正しさのかたまりみたいなセックスしか、僕たちはしなかった。リリコがそれを望んでいたから。だけど月子さんは、獣のように喘ぐ。僕も、獣のように求める。本能に駆り立てられるような行為は本当にしばらくぶりで、吐精しながらも力がみなぎってくるのを感じた。
アキラさんのところに行こう。少し眠ったあと、月子さんが唐突に言い出した。性欲をすっかり発散させてしまったあとの変わり身の早さも、僕が月子さんを好ましく思うところのひとつだった。アキラさん。懐かしい名だった。僕たちが夜遊びばかりしていた頃知り合ったその人は、ある日突然、東京から去っていったのだった。たぶん二年くらい前のこと。僕とリリコが出会う前のこと。きれいで優しい男だった。久々に、声を聞きたい。 「いつ?」 「いまから」 「急に行って、迷惑じゃないの」 「あたしはどのみち今日、行く約束してたの」 一瞬で食べ尽くされてしまうことはわかりながら、ミナの夕飯のために置き餌をしてやり、車を出してくれると言う月子さんのマンションへ向かった。地下鉄で二駅だったので歩くことにした。こんなに近くに住んでたんだね、といまさら笑い合った。月子さんの家でしたことも、数えきれないほどあるのに。空は薄紫色で、呼気は白く曇り、冷たい空気が情事と昼寝のあとの惚けた頭をちょうど良く刺激した。日が落ちる前でも、だいぶ気温が低くなってきた。リリコが出ていったのは、夏の終わりだった。残暑が長かったから、暦の上では秋の始め、と言ってもいいかもしれないけれど。
初めて見る月子さんの愛車は、真っ赤な外車だった。シャコタン、というのか、車体がものすごく地面に近く、こんなに華奢な女の人がオーナーだとは思えなかった。あたし運転がヘタな男大嫌いなんだよね、と言うからこわくなって、任せることにした。といっても、そもそもこれはマニュアル車らしいから僕には運転できなかった。
「看護師ってね、だいたい働きだしてすぐ高い車買うのよ」
「どうして」 「しんどい仕事やめないぞ、っていう、誓いみたいなもん」
「ローンで自分を律してるってこと?」
「そう」
「払い終わったらどうなるの?」
月子さんはそれには答えず、ため息のような笑いを漏らした。下道でもそんな遠くなさそうだけど、もう遅いから高速で行こうね、と手慣れた様子でカーナビを操作する月子さんに、アキラさんはどこに住んでるんだっけ、と訊ねると、千葉の、山と海がある町らしい、という答えが返ってきた。地元と東京以外の地理に、僕はあまり明るくない。
初台から首都高に乗った。到着予定時刻は十九時四十五分。なんとなく流していたラジオがあまり面白くなくて、月子さんがspotifyで音楽をかけだした。九十年代ポップスをとりあえずのBGMに、仕事の話の続きが始まった。
「ヒロセは今もまだ、自販機売ってるんだっけ」
「それは前の前で、今は太陽光発電の会社にいる」
「バナナ売ってたのはいつだっけ?」
「青果卸ね、自販機の後だよ」
ふうん、と興味なさげに月子さんは言い、なんだかもう話すこともあまりなくなった。もともとそんなに話が弾むふたりでもないのだ。丁寧な運転のせいでだんだん睡魔の波が押し寄せてきたので、一眠りしようと目を閉じた。途切れ途切れ、薄い夢を見たが、途中で月子さんが呟いたのは、多分夢ではなかった。
なんでこう急にいろんなことがどん詰まっちゃうんだろうな。
聞いてはいけないような気がしてじっとしていたらまた深く眠ってしまって、次に目が覚めると、車は千葉県の国道を走っていた。何度も塗り替えた跡が見えるスーパーの看板が現れ、ああ、田舎の都会だ、と思った。僕の故郷も、こういう街だった。沿道にはチェーンの飲食店やディスカウントストアがまばらにあった。古ぼけたラブホテルもちらほら営業していて、カタカナやアルファベットをかたどったネオンが粗野に光った。シルクロードって名前のラブホテルは、全国にいくつあるんだろう。食事はどうするのかたずねようとした��に、急に流していた音楽が途切れて、ちゃらちゃらと電話の着信音が流れた。
「え、なに」
Bluetoothだよ、さっきまで音楽飛ばしてたでしょ、と月子さんは僕を笑い、僕に通話ボタンをタップさせた。スピーカーにして、というのでその通りにした。相手はアキラさんだった。懐かしい、懐かしい声だった。低く、優しいトーンで、ゆったりと話す。
「広瀬くんも、いるの」
「あ、います」
「久々に会えるね」
たった一言アキラさんと言葉を交わしたら、こんなに便利な道具があるのに一度も連絡を取っていなかったことが急に薄情に思えた。だけどそれを咎めるような気色が全くなかったことにほっとした。そういうところが、アキラさんらしいのだ。
あと五分で着くよ、と月子さんは電話を終え、次の信号で細い道に折れた。国道から離れるにつれ、民家が増え、車は住宅地に入った。「あれかな」
月子さんが指さした先には団地が数棟立ち並んでいた。隣には打ちっ放しのゴルフ場の緑のネットが見え、まだ煌々と営業中のライトが光っていた。建物が近づいてきたのでスピードを落として進んでいると、駐車場の入り口とおぼしき辺りに背の高い男の姿があった。少し猫背で、足が長い。
僕たちに手を振るアキラさんは、東京で最後に会った時より少し、線が細くなったように見えた。 ここ空いてるから、今日だけなら大丈夫、という言葉を信じ、白い線で区切られた駐車場の一角に車を駐めた。アキラさんはリノベーションされたこの団地の一室を買ったのだそうだ。最近は古い団地の再利用が流行っているそうで、確かに共用部分も新築のようにきれいになっていた。おれ一人ならほんとこのくらいの広さで十分、という十畳ほどのリビングには必要最低限の家具しかなく、よく整頓されていた。荻窪に住んでいた頃の部屋もいつもすっきりとしていたのを、思い出した。
夕食には宅配のピザを取っていてくれて、酒も一通り用意されていた。パーティーじゃん、と月子さんは大喜びした。アキラさんは紙皿と紙コップを配りながら、洗うのめんどくさいからごめん、と笑っていたが、身軽な暮らしに憧れ、自分の部屋で待っている大量の食器のことを考え、うんざりした。
酒もあまり回らないうちから、月子さんはけっこう荒れていた。仕事を辞めた、という薄々気付いていた話と、不倫をしていた、という完全に初耳の話とを、かなりの序盤で打ち明けられた。初耳ではあったが、そこまで意外ではなかった。月子さんには、動物みたいなところがあるから。僕の同棲解消については、冒頭で少し話題に上がったもののどこかに消え、まあそれはいいとしてもアキラさんの近況は聞いておきたかった。僕が彼の方を見ると目が合ってしまって、逸らせず、やけに緊張した。彼は面白がるように僕を見ていた。とりあえず月子さんに吠えたいだけ吠えさせようと、頷き合った。
「何回かやっただけの上司の奥さんが職場に乗り込んできたの」
それで居づらくなって、もう十年勤めたし、疲れてしまったし、依願退職した、と話す月子さんは珍しく泣いていた。
「その医者のことそんなに好きだったの?」
「ううん別に、出来心みたいなもん」
「割に合わないね」
「それが腹立たしいのほんと!!」
そしてわっと大泣きしてはまた愚痴り、というのを間欠泉のように繰り返し、それをアキラさんが宥めていた。いつの間にか煙草を吸っていた。前もよく吸っていた銘柄だった。月子さんの支離滅裂な話から、医者のセックスがよかったということだけはわかったので、せめてもの救いだね、と慰めたつもりだったが、ものすごい目で睨まれた。月子さんが僕一人には甘えてくれないことを、当たり前だと思うとともに、少し情けなく感じた。僕はちびちびウイスキーを飲みながら、相槌を打った。
泣き疲れて、酔い潰れて、月子さんはテーブルに突っ伏して眠ってしまった。実質アキラさんと二人、という状態になって、ようやくゆっくり話せそうだった。
「……アキラさん、いまはなにやってるの」
「昔のツテでデザインの仕事もらったり、FXやったり、あとはまあ、切り詰めて」
田舎だからそんなにお金はかからない、家族も今後できることないし。淡々と話すアキラさんは十代の頃、年上の男の恋人に連れられて上京した。地元は宮城で、親は厳しくて、勘当寸前で、学校とか通ってこっちで仕事には就けたけど、その時の男とはすぐ別れちゃって、そんなことを寝物語に聞いたような気がする。
「おれもう、期待したくなくてこっち引っ越したんだ」
「期待?」
「東京、夢あるけど、夢見るのも疲れるからねえ」
僕はアキラさんともセックスまがいのことをしていた時期があった。好奇心なんかでは全くなかった。常連の店でいつも穏やかに店員と談笑していたこの男を、気づけば目で追ってしまっていた。仕立て���いいスーツに包まれた身体から滲み出る、どうしようもない諦めの空気が、僕を惹きつけて、不安にさせて、夢中にさせた。月子さんと3人で何度か会ったあと、僕の方から2人で会いたいと言った。やがて恋人同士のような関係になった。自分より体の大きな男に慈しまれると、言いしれぬ安心感と興奮を覚えた。僕たちは、同じ体で愛し合った。だけど男女でするようにはっきりと繋がったことはなかった。それはアキラさんの予防線だったと、今ならわかる。不誠実な僕は、そうしている一方で月子さんをはじめとする女の体を抱くこともあったから。月子さんは僕とアキラさんのことに気付いていたように思うが、だからといって関係が変わることはなかった。なにか言われたことも、詮索されたこともない。僕はあの頃から、自分のことがよくわからなくなっていた。恋ではない、とわかりながらも他人と肌を重ねることで、なにかがすり減っているような気もしていた。アキラさんもそうだったかもしれない。でも、その気持ちを分かち合ってどうにかするような2人にはなれなかったのだ。
「広瀬くんは彼女と別れたって聞いたけど」
アキラさんがなんでもないことのように言うので、僕もなんでもないことのように話し始めた。こういうとき、リリコとの破局で実はさして傷ついてはいない自分に気づいて、辟易する。
「三十過ぎて、なんか焦って、婚活とかしてみたりしてさ」
しっかりしなきゃ、と漠然と考えていた当初、運良く出会ったのがリリコだった。僕史上、いちばん礼儀正しく、理性的な交際のはじまりだった。いわゆる普通のおつきあいをうまくやれていると思っていて、自分もようやくそういう流れに乗れるのだと感慨すら抱きながら、給料三ヶ月ぶんには少し届かない指輪を買ってプロポーズもしたが、あなたと家庭を作ることは考えられない、という残酷な答えが返ってきた。数ヶ月の猶予ののちに同棲は解消され、僕たちは正式に別れた。彼女が持ち物を置いていったのは意外だったけれど、すぐに謎は解けて、そのあとわりとすぐ大企業のサラリーマンと婚約したと風の便りで聞いた。
「そういうのがいいならなんで僕と付き合ったのか不思議で」
「ふらふらしてる人の色気ってあるからねえ」
俺もちょっとやられてたかも、とアキラさんは僕の方を悪戯っぽく見た。アキラさんのほうこそ、ちょっと痩せた肩とか、煙草を弄る長い指とか、相変わらずどうしてなかなか、と思ったけれど言わなかった。今のアキラさんに僕が触れることは失礼な気がした。
「念のため聞くけど、おれと寝てたせいじゃないよね」
「え?」
「別れたって」
「いや全然関係ないよ、知りもしないと思うし、そもそもかぶってないし」
でも、見透かされてたんだと思う。アキラさんとっていうか、月子さんみたいな女の人たちとつるんでいたこととか、それどころか、やりまくってたこととか、職が続かないこととか、それらをそんなに駄目だと思っていないこととか、ただ自分が安心したいだけで、ほんとうはちっともリリコ自身のことなんか見ていなかったこととか。いつの間にか起きていた月子さんが、ヒロセ、いい人きっと見つかるよ、とまた泣きながら絡んできた。煙草を燻らせながらアキラさんは、人生相談室だな、きょうは、と可笑しそうに呟いた。ちょっと酔いが冷めてから順番でシャワーを借りた。月子さんは客間で、僕はソファで寝かせてもらった。アキラさんは自分の寝室に引き上げていった。
夜中に肌寒くて目が覚め、体を起こすとベランダで一服するアキラさんのシルエットが見えた。窓を開けて、隣に立った。アルミの手すりと床板がひんやりと冷たかった。
「ねえ、煙草吸いすぎじゃない?」
「前と変わんないよ」
「前も減らしなよって言ってたじゃん」
「唯一の楽しみなんだって」
「……早死にしちゃうよ」
いいんだよ、べつに。そう呟くアキラさんの横顔は東京にいた頃のままだった。あなたはいったい、あそこに何を捨てて来たの。
あたりは真っ暗で、ぽつぽつと窓の明かりが見えた。こんな夜更けに活動している人間がいるのだ。風向きが変わるのか、時折、国道から車の走行音がきこえる。僕たちは黙ったまま、並んで立っている。離れていた数年をどうにかして埋めたい衝動がせり上がってきて、でもどうしたってできないから、アキラさんの左肩に、そっと凭れた。アキラさんが、囁くように僕の下の名前を呼んで、呼び終わらないうちに、やめてしまった。ためらいが、愛おしかった。
「アキラさんのこと、すごく好きだったよ」
「……わかってるよ」
煙草を持っていない方の手が、僕の頬を撫でた。掌はすべすべしていて、冷たくて、泣けてきた。アキラさんが少しだけ身体を屈めてきて、煙たい匂いが鼻を掠めたかと思うと、かさついた唇が一瞬だけ触れた。目の前には、あの諦めたような優しい笑顔があった。
翌朝は三人とも九時前にきちんと起きて、目が覚めちゃうなんてなんか年取った感じするな、と言いながらファミレスでモーニングセットを食べた。僕は食器のカチャカチャいう音を聞きながら、肝心のことを相談し忘れていたことを思い出した。
「恋人の置いてったものって、どうしたらいいと思う?」
月子さんは、あたしは一個もらってあげるの、と恩着せがましくアキラさんに報告した。アキラさんは少し考えたあと、おれなら、と前置きして、こう続けた。
全部捨てる。一回全部きれいにしてあげないと、なかなか成仏してくれないとと思うから、残留思念みたいなもんが。
帰りもまた、月子さんが運転することになった。昨日よくわかんなかったけど、車イケてるね、とアキラさんが褒めた。乗る前にすればいいのに、乗り込んだ後で窓を開けて別れを惜しんだ。出発した後、僕たちが曲がるまでずっと手を振ってくれていたアキラさんを見て、月子さんがまた来ようね、と言った。僕は頷いた。僕だけに向けられているんじゃないとわかっていながらも、またいつでもおいで、という帰り際の彼の言葉に、甘えてしまいそうだと思った。
日曜日の高速道路はそこそこ混んでいて、痺れを切らした月子さんの判断により途中で降りて下道を走った。
「そういえばライト、持って帰る?」
「……やっぱいいや、知らない女のザンリューシネン要らないし」
「だよねえ……あれって粗大ゴミかな」
「そりゃそうでしょ、でかいもん」
めんどいなあ、とぼやく僕に、月子さんは、めんどいけど、向き合わなきゃだめってことでしょ、と自分にも言い聞かせるように口にした。それはたしかに人生を前に進めるために必要なステップなんだろうけど、いまの僕にとってはリリコとの二年間より、この二日間のあらゆる場面の方がつよく胸に迫ってくるのだった。
十五時前に家に着いた。一日空けた部屋は静まりかえって、知らない匂いがした。ミナはソファのクッションの上で丸くなって寝ており、僕がただいまを言うと片方の目だけ開けてまた眠ってしまった。飼い主が一晩いないくらい、どうってことないらしい。冷蔵庫の横に貼ってあるゴミの日カレンダーを見た。年始にもらったっきり、ほとんど使っていなかった。燃えないゴミ、火金。危険ゴミ、隔週水曜。粗大ゴミ、市役所に連絡。ため息。とりあえず窓を開け、空気を入れ換える。コーヒーでも飲みたくな���て、お湯を湧かす。待っている間に、アキラさんからお裾分けに持たせてくれた蜜柑をざくざく剥く。皮を受け皿に、白い筋がたくさんついたままふた房頬張った。リリコは夕食後、必ず果物を出してくれた。重たいガラスのボウルに、冷たくてきれいな水で洗って一粒ずつしっかり拭いた葡萄、その正しさは誇らしくて面白かったけれど、僕はそんなこと、ちっとも望んじゃいなかったと思う。
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和六年(2024年)8月25日(日曜日)
通巻第8380号 <前日発行>
ゾンビ中国、泥沼から這い上がろうと責任を他人に押しつける手口
習近平「ふたつのすり替え」=『反日』と『トウ小平』
*************************
中国経済は泥沼陥落である。住宅はさっぱり売れず、半額セールの「保障制住宅」(公営住宅)を建設する等と唱えている。しかし土地の価格が下がると銀行の不良債権が急拡大する。
ようするに大手術を回避して小手先の措置を続けると、状況はさらに悪化する。不動産関連の不良債権が、信用機構を脅かすことになる。
ところが習近平の周りに経済ブレーンが不在で、バブル破産は不動産業界と金融機関の「不始末」によって引き起されたという誤った認識しか持っていない。
本格的な対策を考える思考力もない。西側経済学をマスターした開明派のブレーン達は居なくなって、毛沢東理論とマルクス経済学しか知らない人たちが、経済政策の舵取りをしているのである。
中央政府は、地方政府と大手国有銀行を含む国有企業の「隠れ債務」を隠蔽してきたため、泥沼が底なしになった。不良債権とは有利子負債のこと、この天文学的債務は膨らみ続ける。たとえば全土にがむしゃらに造成した新幹線だが、累積赤字は100兆円を軽く越えた。
8月22日はトウ小平生誕120年の記念日だった。
習近平国家主席は、突如、何かに衝かれたかのように、あれほど嫌ったトウ小平を「顕著な貢献をした、中国の特色ある社会主義の推進を促した偉大な指導者」と言い出した。
「トウ小平の業績は歴史に永遠に刻まれ、常に後世にインスピレーションを与えるだろう。トウ小平は党中央集団指導部の第二世代の中核であり、中国の社会主義改革、開放、現代化の主要な設計者であり、中国の特色ある社会主義の先駆者だった。世界の平和と発展に多大な貢献をした偉大な国際主義者でもあった」と付け加えた。
泉下のトウ小平も聞いてびっくりだっただろう。
習のトウ小平礼賛はさらにオクターブがあがり「中国がマルクス主義を状況に適応させるという新たな突破口を開き、社会主義現代化で新境地を開き、国の完全な統一への正しい道を切り開くよう促した。その歴史的業績は包括的かつ画期的で、中国と世界の両方に深く永続的な影響を与えた。彼の偉大な歴史的業績を永遠に記憶し、彼の崇高な革命的行為を永遠に尊敬する」
そのうえ「中国の完全な統一を実現することは、毛沢東、トウ小平、その他の古い世代の革命家たちの長年の願望である」と台湾統一にも言及した。
庶民は「改革開放」の環境の下、すこしばかりの自由化があったトウ小平、江沢民、胡錦濤の時代を懐かしんでいる。かなり自由は雰囲気が、あの時代の中国にあった。事態がまずくなると江沢民は「反日」を政治武器として活用した。中国全土、108ヶ所に反日を主眼の歴史記念館を建てた。
▼「愛国無罪」とは便利は方法だ
「愛国無罪」とならば、狼藉もしたい放題となる。暇な若者は今日は暴れてもお咎め無しとなれば、数万がネットの呼びかけで集まる。日本大使館に卵の嵐、壁は黄色くなった。日本食レストランから、走行中の日本車まで襲撃された。反日はガス抜き、自分たちの不手際を日本に転化するのだ。
アステラス製薬の北京駐在員の不当拘束、靖国神社鳥居への落書きは二回。そしてNHKのラジオ国際放送で中国籍の男性が「沖縄県の尖閣諸島を「中国の領土」と発言し、さらに英語で「南京大虐殺を忘れるな」などと原稿にない反日発言を繰り返した。
この一連の反日はどこかで通底している。
習近平も、現在のゾンビ経済という泥沼から這い上がり、責任を他人に押しつける手口としてトウ小平を持ち上げ、つぎに反日を利用する。習近平「ふたつのすり替え」は『反日』と『トウ小平』である。
日本政府は正々堂々と反論し、中国の理不尽な遣り方を世界に告示、歴史の真実を述べるべきである。
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【台南共同】台湾の気象当局によると、21日午前0時17分(日本時間同1時17分)ごろ、台湾南部・嘉義県を震源とするマグニチュード(M)6・4の地震があった。嘉義県で震度6弱、台南市や高雄市で震度5弱を観測するなど台湾の広い地域で揺れを感じた。消防当局によると、台湾全土で27人が負傷した。震源の深さは9・7キロ。その後も余震が続いた。 台南市楠西区の平屋が並ぶ地区では多数の建物が倒壊。閉じ込められるなどした11人が救出され、うち3人が病院に搬送された。同地区の里長(町内会長に相当)によると、100世帯程度の住宅が壊れたとみられ、一部で停電や断水が続いた。 楠西区の自由業、林政隆さん(51)の自宅は外壁が崩れ落ち、室内には割れたガラスが散乱。「これからどうすればよいのか」と途方に暮れていた。公民館に設置された避難所に身を寄せた1人暮らしの無職、黄鐘汝さん(87)も「余震が続いて怖い。家には戻りたくない」と話した。
台湾南部の地震、けが27人に|全国海外|神戸新聞NEXT
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百老匯的貓
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此刻,我坐在空蕩蕩的台北家中,距離出發只剩下倒數二十八天。
車子收走最後一箱回收,三十坪的的老房,頓時像剪掉多年長髮的少婦,輪廓活靈活現,展露最原始的模樣。回憶如老照片被翻出,熱戀的歡愉,熟稔的默契,爭執的苦語,新生的喜悅,呱呱墜地的女兒溫溫,際遇如候鳥過境,隨著即將而來的遷徙,沾了邊又得離去。
「喵喵,你也要離開我了嗎?」肥肥的肚腩,在我大腿間形成一顆抱枕,接著掙脫,跳了下去。
大概是低估了紐約租房市場的險惡,以及租客間的競爭火熱。這幾個月,每天早上醒來,我就像緊咬股市開盤的投機客,杵在電腦前,看好目標,下好離手。剪下貼上剪下貼上,有時一口氣連發十幾封郵件和私訊,不小心把開頭的房東人名給貼錯,也是常有的事。
例行公事,我打開收件夾,畫面好似當機:
Inquiry about rental in New York
Inquiry about rental in New York
Inquiry about rental in New York
每封信標題內容都大同小異,不外乎身家背景介紹,幾歲哪裡人什麼職業,不煙不酒品行良好,搞得跟相親一樣,最後的最後才會提到我有一個可愛又文靜的一歲半女兒,會跟著我們一起前行。心想說篇幅這麼少,房東應該不會介意吧。事實證明是我想太多。
一個人找房,深諳室友之道,想離曼哈頓近一點不是難事;兩個人找房,下點功夫還是能找到合租公寓,當起二房東的大有人在;三個人找房,已讀不回是常態,歉聲連連說房子太小不適合,建議我們自己租個1B1B好區套房,人生就此飛黃騰達。偏偏,我沒那個錢,也不求飛黃到哪,只想尋個短暫停留的家,得在兩個人找房的預算間,找出三個人的各種可能。
一天一天過去,那些可能,隨著我的Inquiry們,一同消失在茫茫網海裡。
♦
『沒有室友就是爽!三四月曼哈頓套房短租。』
我被這則發文的豪邁給吸引住。 「······我們找房好一段時間了······衷心希望有機會入住您的套房。」
雖然依舊是剪下貼上,但文字背後的焦慮無助,或多或少成功傳遞到銀幕外的另一個空間去了。同一時間,我正糾結於三四個物件當中,短租的日期該如何兜湊,才能無縫接軌這半年;森林小丘上課要通勤一個小時,曼哈頓一樓要擔心老鼠和醉漢入侵,威廉斯堡房租要六個月全付會不會是詐騙,我像童話故事裡撿石頭不能往回走的女孩,再��下去可是一顆石頭都沒有了。距離出發還有兩個多禮拜。 「小孩我是沒問題,只是我家在四樓沒有電梯,你們會不會不方便?」 莎拉簡短的答應,讓我想起她發文時的爽朗用字。「住很重要!我會幫你們打點好,請好好享受我的公寓。」這麼一句話,彷彿給我吞了顆定心丸,安撫行前騷動的思緒。搭機前一晚,包袱所剩不多,不安盡拋腦後,心情輕鬆的不可思議。我看著逐漸縮小的地表樓房,龐雜的台北城,我的故鄉,想著哪天我會不會愛上這輕飄飄的感覺。 於是,我們擁有了第一個結尾是New York的地址,位於曼哈頓百老匯區。
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「早知道不要租四樓了!」西恩氣喘吁吁,將最後一個三十公斤重的行李箱拖上樓,一進房門就癱坐在地。「下次搬家可不可以找一樓的。」「我盡量囉。」想到三個禮拜後又要再將所有家當搬下樓,我不禁打了個冷顫。一回生二回熟,我一邊安慰西恩,順手從行李箱拿出一小包烏龍茶,轉頭尋找廚房裡的熱水壺。
十二點十分,東部標準時間。與台北相隔十二個小時的曼哈頓午夜。從甘迺迪機場搭上華人計程車,行駛在平板無憂的快速道路上,兩旁盡是皇后區黝黑大遠景,此時還感覺不到紐約的形貌。空氣粒子旋轉收縮,直到出了中城隧道,我們隨著車流,一舉穿進曼哈頓的心臟。高樓百窗,霓虹街燈鼓譟,打亮了巨大看板上的秀顏,女明星眼眸深邃,企圖引人犯罪。三十七街經過第五大道,塞車的步調,讓我用慢動作欣賞了帝國大廈,那棟建築是你一看到就會認得,不需贅述的經典,這不是夢,卻像夢遊迷幻沈醉,我正在電影場景裡。 夜深,暖氣徐徐放送,驅散我體內的累積疲倦,遠方傳來救護車的高頻呼喊與零星槍響。我閉上雙眼,腦海不由地響起《計程車司機》中憂鬱的薩克斯風,寂寞都顯得立體。喝完母奶的溫溫被西恩抱在懷裡,早在柔軟大床上睡去,只留我與這城,遲遲捨不得入眠。 ♦
初春的光,灑進十坪米的套房,我吸進一口冰涼,清醒地環視四周。對我來說,到一個落腳處,第一件事就是確認廚房。烤箱冰箱洗碗機,醬油麻油中西調味料,麻雀雖小五臟俱全,滿意極了。房子中央擺著一張小巧的鵝黃色木桌,波浪弧形的斑駁桌腳,想必是古董老件吧,突然想起莎拉是學藝術的,牆上掛滿湖水藍綠的動物畫像,獨角獸的尖角孤傲揚起,擠得扁扁的壓克力顏料罐則充滿了生活的氣息。紐約的氣息。
溫溫的雙手扶在起霧的窗上,留下不完整的掌痕,熊熊圖案的米白睡袍還穿在身上,模樣甚是可愛,繼續在窗上拍了幾個小手印,看來她很喜歡這裡,一切如此新鮮有趣。
簡單梳洗,我們輕裝上街。地底白煙卷卷升起,南北向的道,費里尼電影般的靜止車陣,幾何玻璃帷幕,抬頭讚歎資本主義的雄偉;東西往的街,消防梯鏽得煙灰,鷹架層層堆疊,衰敗與生長同時交織成紐約的血肉。小販高聲兜售自由女神,芭蕾女伶頂著包頭,黑衣曲線魚貫沒入窄門,三件式西裝的俊俏男子,用力咬了手上的貝果,一步作兩步橫越馬路。 售票亭外熱熱鬧鬧,我和巷口的《貓》四目交接,黑底黃目如紐約客犀利,這貓名氣響亮,而我竟然一次也沒走進去過;徘徊中城一圈,在Wholefoods超市採購生鮮、酒足飯飽後,金黃燈光齊下,十字路口變成大型伸展台,時髦男女自信耀眼,提著大包小包的我們硬生生穿過《芝加哥》滿溢的開演人潮,美腿包圍爵士樂,上一秒還沈浸在感官享受,下個轉身就被《西方壞女巫》的綠臉紅唇給嚇個正著,衛生紙差點從紙袋裡滾了出來。
♦
開學在即,除了扮演觀光客,還有正事要辦。郵件傳來,通知我去中國城的廚藝用品店,領取已經繡好名字的制服,還得試穿廚師鞋。
「你好了嗎?」西恩熟稔地將溫溫裝在背巾裡,露出兩隻小腿晃呀晃。
「都好了,我查一下。等等可以在附近找個中菜館。」我穿上鞋,低頭盯著手機推開房門。
「打不開!」我大力扭轉把手,門還是一動也不動。
「怎麼可能,你的鑰匙咧?」西恩接手開門,我摸摸外套牛仔褲口袋,脫了鞋在地上裡翻找包包。
「看來我們被反鎖了,你打給房東吧。」西恩將溫溫放下,開冰箱裝了杯柳橙汁。
我打給莎拉求救,太過緊張以致於忘了她在地球的另一端,好在莎拉接了起來,給了我Super的電話號碼,說是管理員會幫忙,要我別擔心。許久沒說英文的我,要打給陌生人,還真有點語言障礙。不管了。電話接通,我的心跳也跟著嘟嘟響。
「我是莎拉的房客,曼哈頓八大道,我們房門被鎖起來,你能來開門嗎?」第一句話順暢說完,我輕鬆許多,等待對方回應。
「我在長島······放假······再見。」這個Super大概是拉丁裔,捲舌音吃掉了話中好多字,我只聽到幾個令人崩潰的重點,接著是一陣沈默。莫名其妙被掛電話後,我也不好再打擾莎拉,決定打給附近的鎖匠碰碰運氣。殊不知,鎖匠在電話那頭嘰哩咕嚕一長串,我一個字也沒聽懂,濃郁口音令人費解。西恩和溫溫坐在餐桌喝果汁吃餅乾,彷彿看我在演哪一齣鬧劇。
我用力敲了房門幾下,宣洩怨氣,金色門把都快被我轉鬆。此時,我聽見開門聲從隔壁傳來,像是轉開保險箱的勝利喀噠聲。
「哈囉,請幫我開門,嘿嘿!」我一邊拍門,試圖將聲音穿透金屬門板傳送到外。所幸,鄰居老先生正要外出,把插在大門上的鑰匙取下,解救了我們。一出家門,熟悉的《貓》埋伏街角,琥珀雙眼大膽直視初來乍到又莽撞的我,這回連貓都在取笑,笑問我準備好了沒有,迎接紐約這場大戲。
走著走著,在百老匯,我們的新家,歌詞的最後一句悠揚地唱著。
A new day has begun. 明天又有什麼等著我呢? 寫在2017年.春
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ぐだぐだ

2025年2月 新こしが池(堺市) iPhone11
2月24日(月)(振替休日)は、新こしが池に行ってきました。往路で雪が積もった車を数台見て雪国から帰ってきたのかなと思いましたが、泉北(旧和泉国北部で新こしが池のあたり)は明け方まで降雪で雪が積もってたんですね。泉北1号線を降りたら家々の屋根や田畑に雪が積もってました。なので、新こしが池の3号桟橋もこの通り。新こしが池の桟橋は濡れてると滑りやすいんですが、この日は雪の下が凍っててツルツルでした。マジ、危ねえ(汗)。

2025年2月 新こしが池(堺市) iPhone11
新こしが池はマットレスが常備してあるので、荷物が濡れないようにマットを敷きます。なお、このマットは予約席の証でもあるので、誰もいない席にマットが置いてあったら予約済みってことです。長竿枡をいつも予約している常連さんがいらっしゃるのですが、先日珍しく1号桟橋に入ってたことがあって、その日はビジターが予約席であることに気づかずに座ってしまったので、退けともいえず1号桟橋に入ったとか。

2025年2月 新こしが池(堺市) iPhone11
さて、今日のお題は「夢坊」で釣るです。尺上が大助扱いされた昭和のヘラ竹竿の調子。この竿ではまだ1枚しか釣ってないので、長竿が振れる新こしが池の1号桟橋、3号桟橋狙いでした。西池でも良かったんですが、予約でいっぱいになってることあるからなあ。

2025年2月 新こしが池(堺市) iPhone11
浮子は、「夢(伊吹)」のウドン浮子の12番。

2025年2月 新こしが池(堺市) iPhone11
もっと多いと思ってたし、雪が積もってたのは意外やったけど、先客1名は1号桟橋のSさんで、3号桟橋は僕とhowellsさんで貸切。Sさんも竹竿が好きでかっこいい15尺の竹竿を振ってはりました。あとから1人来たのでその人は知らんけど、この時点では全員が竹竿を振ってました。

2025年2月 新こしが池(堺市) iPhone11
朝食の準備もできたし…

2025年2月 新こしが池(堺市) iPhone11
打ち方始め〜!
今日は新こしが池なので喫茶店に行ってから来るつもりだったので目覚ましをかけずにこんな時間。厳冬期をなめたらアカンと思って喫茶店はやめにしました。

2025年2月 新こしが池(堺市) iPhone11
howellsさんはいつも通りサクッと1枚釣ってんのに僕はなかなか釣れず。つ〜か、ぐだぐだでした。エサ落ち目盛を決めて「床立て」して釣ってんのになじみがおかしい。初心者じゃあるまいし。右が深いのはわかってるんだが、底に穴でもあるんか?深なじみになったり、浮子の肩が水面に出てきたり。どうなってんの?やっと浮子が動いてアワセたらアワセ切れ2回。せっせと鉤を結んで釣りに復帰すると、今度はアワセでヨリモドシのところで道糸が切れる…(╬☉д⊙) 。道糸の長さは足りてるので、手っ取り早くヨリモドシと鉤2本を結んでシズ合わせからやり直して床立てして釣りに復帰すると、またアワセでヨリモドシのところで切れる(#゚Д゚)ゴルァ!!。仕掛けが古いんや…今度は仕掛けを作り直し。またシズ合わせ、トンボ糸を結んで床立てとか。釣りに復帰してスコープを覗いていると、サワリからツンと入ってボウズ脱出を疑わなかったが、まさかのアッパー。
お前なあ。

2025年2月 新こしが池(堺市) iPhone11
まさかの午前中ボウズw。いや、1月3日に久しぶりにボウズを喰らっているのでまさかでもないか。

2025年2月 新こしが池(堺市) iPhone11
仕掛けを作り直してからは特にトラブルはなかったかな?アワセ切れ、道糸切れ連発で鉤を何本も無くしたので、間違えて買った0.3号ハリス付きの新改良スレ2号が無くなったので、ハリスは0.4号に戻せました。安心感が違いますね。グダグダでしたが、浮子はまだ動いているので、やっと釣れた〜。ボウズ脱出!
(´▽`) ホッとしましたわ。
そや、床立てに悩んだので、長竿枡を捨てて隣の枡に移動してました。壁が斜めになってますが、近い方で13尺でいっぱいかな?14尺も振れるかな?

2025年2月 新こしが池(堺市) iPhone11
僕が北に寄ってhowellsさんが南に寄ったので間がこんなに離れていますw。今日は来場者4人だけでした。

2025年2月 新こしが池(堺市) iPhone11
両目が開いたと思ったら、またアッパー。僕、アッパーの使い手やねん。

2025年2月 新こしが池(堺市) iPhone11
やっと両目が開きました。ヘラブナを釣りたいんだけどマブナ。痩せてないだけマシか。新こしが池が直近の放流が純ベラで2号桟橋東向きはヘラブナがよく釣れたけど、3号桟橋東向きはマブナが多いみたい。
2025年2月 新こしが池(堺市) iPhone11
午後は雪が断続的に降ってめちゃ寒いんだが。

2025年2月 新こしが池(堺市) iPhone11
「上がりベラ」になった4枚目。いつもの新こしが池のフナです。せめて肥えてればw。3枚目もマブナでした。

2025年2月 新こしが池(堺市) iPhone11
ということで、2月24日はフナ4枚だけでした。howellsさんは前日の中セ池に続いてヘラブナの40上を釣ったりして「つ抜け」て12枚。1号桟橋のSさんは10枚釣ったそう。たまには「つ抜け」たいなあ。
精進精進。
では、また。
#streetphotography#osaka#大阪#snapshot#写真好きな人と繋がりたい#japan#ファインダー越しの私の世界#釣り好きな人と繋がりたい#ヘラブナ#釣り#へら釣り#ヘラ釣り#新こしが池#こしが池
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#おでかけ #南宮大社
南宮大社大鳥居。さすがの迫力です。
車が楽にすれ違えるぐらいの道幅の道路を跨いで立っているわけで、とにかく大きい。ちなみに人間(私)が隣に立つと、大体土台部分のコンクリートぐらいの高さになります。
この大鳥居、南宮大社の境内からは少し離れていて、車で移動した方が良い距離です。しかし車で鳥居の下をくぐるというのは何とも妙な感じがします。地元の方はもう慣れたものなん��しょうけど……。

後ろを新幹線の高架が通っているので、新幹線と鳥居を撮ろう!と言っていたら防音壁で隠れてほとんど見えないではないか……。新幹線からはこの鳥居は見えるんでしょうか?

間近で見るとこんな感じです。でかい。
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【かいわいの時】天正十六年(1588)二月十六日:出雲大社の巫女、大坂天満宮で神歌・小歌踊りを演じる(大阪市史編纂所「今日は何の日」)。
京博本の「阿国歌舞伎図屏風」は、昭和三十年代に、山本発次郎コレクションとして、しばしば観照する機会を得た。出光本と違って、芝居小屋の内部描写を主題に、役者と観客の交歓を描く。その人物描写(姿・形・配置) や小屋の外の松の姿形に長谷川派の筆を感じたが、拙著『桃山の風俗画』(平凡社、昭和四十二年十月刊)ではなお町絵師出身の逸名の風俗画名手の筆と逃げた。華やかな阿国歌舞伎の図としては、すべてに出光本より適切な表現を見せると言えよう。とくに登場人物が出光本より有機的な関連をもち、見物と舞台が一つに融け合うさまは秀れている。その後、やはり長谷川派の筆だと考え、近稿の「宗宅研究」ではいずれ筆者を特定したいと書いた。もとより、長谷川派でもっとも風俗画に熱意をもつ等学を意識していたのである。
これより、判定の過程を省略して、もっぱら私が等秀や等学と考える風俗画 (歴史画も含める)について述べたい。 まず宗宅の風俗画に触れると、さきの秀吉の醍醐花見図屏風以外では、同じく秀吉が宮中で貴族たちや南蛮人と 一緒に能楽を見る「観能図屏風」(八曲一隻、紙本著色、神戸市立博物館蔵)が同筆と思われる。宗宅は秀吉関係の風俗図だけを描いたのかもしれない。等秀となると、出光本の「阿国歌舞伎図」一点で、ほかには見出せない。地味な等秀は、派手な風俗画には不適と自認していたのであろう。
つぎもすぐ風俗画とは言い難い変った屏風絵だが、「誰が袖美人図屏風」(六曲一双、金地著色、根津美術館蔵)(挿図七八) を取り上げたい。左隻はいわゆる誰が袖屏風に美人図を組み合わせたもので、中央に派手な小袖を着た兵庫髷ふっくらした女性と三味線を左手に持つ禿姿の童女が静かに対峙し、その右方と背後に衣桁・屏風・衣桁を配す《略》ここでさきの等学唯一の署名をもつ帝鑑図を想起したい。それは正面向きの古風な宮殿を奥へ重ねたものだったが、これは最新流行の誰が袖図と扇面散図屏風による知的な構成である。人の女性の姿態や配置は京博本阿国歌舞伎図屏風にも現われているもの。さらに右隻の桜や杉の描法や構図は、前出の「太閤花見図屏風」や等学の妙蓮寺の松・桜・杉図絵などに類似する。以上からこの「誰が袖美人図屏風」が等学筆であるのは納得されると思う。その制作年代は慶長十年ごろの京博本の「阿国歌舞伎図屏風」より後で、サントリー本の「東山・吉野遊楽図屏風」より前であろう。一応、慶長十年代とみておく。コメント欄に写真。
以上、主として等学の風俗画について、彼の金障壁画より得た画風の特徴を基礎に、もっぱら直観による大胆な想定をなしてきた。ここに至ると、理論的にも妥当な等学を京博本「阿国歌舞伎図屏風」の筆者と判定することに、これ以上躊躇する必要もなかろう(山根有三)。「長谷川等秀・等学研究」『国華 第1228号』1998より、抜粋して編集。
(写真)「阿国歌舞伎図屏風」1605頃(京都国立博物館蔵)より 舞台上を見ると、刀を肩にかけたかぶき者、柱のそばに坐す茶屋のかか、頬かむりをした道化役の猿若がおり、これは阿国歌舞伎の代表的演目である「茶屋遊び」が演じられていることを示す。出雲の阿国が北野社の能舞台を代用して「歌舞伎踊り」を始めたのは慶長8年(1603)、本図はその舞台を描いたもので、制作もそれからさほど降らぬ頃と考えられる。囃座も三味線などなく、笛、小鼓、大鼓、太鼓ばかりで、いかにも初期的様相を示す。図中に印象的に配された松の表現が、たとえば妙蓮寺障壁画中のそれと通有する性格を有しており、長谷川派による風俗画の一例とする有力な説がある(e国宝=画像も)。
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大江健三郎 - 後退青年研究所(1960)

黑暗的深淵在這個世界到處張著大口保持沉默。現實世界向遍布各處的深淵漏斗狀地傾斜,所以對傾斜敏感的人會不知不覺或者有意識地順首傾斜滑下去,墜入深淵黑暗的沉默之中,從而體驗現實世界裡的地獄。
我曾經像地獄把關人站在一個黑暗的深淵邊上,我所體會的對滑入深淵的漏斗狀傾斜的敏感,是指那些在政治或思想上道受過挫折的青年、心靈受到創傷的青年。當然,他們中的許多人在肉體上也有傷痕。
現實世界的一座地獄,即稱之為黑暗的深淵的話,就在大學旁邊不動產公司大樓三樓,房間總是亮堂堂的(啊,人為什麼自古以來就如此熱心努力使自己的周圍照得光明亮堂呢?人為什麼比野獸更強烈地討厭黑暗呢?我只是一個日本青年,不是基督教徒,對這些不感興趣,但每次一想到人對黑暗的恐懼,就想起「原罪」這個詞)。地上鋪著漆布,油光閃亮,不鏽鋼的辦公桌椅顯得清爽氣派,而且具有高效率,等待著合適能幹的主人。
但是,當我目送從走廊推門而入的挫折青年在回答我為了登記卡上的必要事項提出的、僅僅是卡片未曾明確記載但又必須記入卡片的簡單問題後,走進隔壁房間的時候,還是感覺到這間明亮的辦公室是地獄的一個入口。
隔壁房間有鬼嗎?有美國東郊的大學受過非常好的高等教育的嶄露頭角的年輕心理學家戈爾遜先生和擔任翻譯的東京女子大學學生在等待著。在思想或政治上受到挫折的青年邁出憂鬱的一步踏進這個房間,他們滿腦子苦惱,準備談談心裡話。我的大學同學把這間房間稱為「後退青年研究所」。其實正式名稱叫「戈爾遜訪談室」,英文縮寫為GIO。但沒有人稱呼它的正式名稱。結果戈爾遜先生的問題只提一個:「你為什麼後退了?」因為大家都是來談「自己為什麼年紀輕輕就後退了」的。
那個時期,是韓戰結束後相對穩定的時期,是學生運動處於如氣潭中間四陷的波谷時期。學生對社會的關懷表現在合唱俄羅斯民歌,在兩三年激烈動蕩的學生運動中受到創傷的學生重新回到學校,變得憂鬱苦悶,暗自舔著自己的傷口消磨時光。
於是,一個美國國籍的年輕學者就在東京大學旁創立了這家以遭受創傷的學生運動家為主要調查對象的研究所。它每天吸引不少所謂的後退學生。開始它只在校刊上刊登一則《戈爾遜先生恭候先前的學生運動活動家光臨!》的廣告,結果學生絡繹不絕。
我是在這兒打工的學生,今年剛剛二十歲,對青年神情憂鬱、臉色充滿抹不掉的髒垢的陰影般的苦悶可以說漠不關心,因此大概不會懷有同情之心。但如果GIO是對日本人炫耀優越者傲慢的那種研究所,我也不會接受接待戰戰兢兢地前來訴說自己內心陰暗的皺襞深處殘留的思想疙瘩的同胞這種工作,也許自己也會成為一個憂鬱症「病人」低垂頭把帽子貼在胸前排在長長的學生隊伍後面。
戈爾遜是��標準的開朗的美國人,雖然留著油煙色的短唇鬍,其實還不到三十歲,所以我在他這裡工作不覺得什麼強烈的自卑感。來日本的美國知識分子似乎要不是目空一切旁若無人或和藹可親寬厚溫敦,我們稱之為戈爾遜先生的這位芝加哥出生的社會心理學家可以說溫良敦厚的典型代表。
我現在還說不清楚戈爾遜先生為什麼跑到日本來調查受創傷學生的精神傾向,廣義地說,是否不少美國人在韓戰結束後很快就對日本學生的挫折心態發生興趣? 用美國社會心理學的方法調查日本學生,結果對美國人有什麼用?
一般認為,美國人的調查是為了加強在遠東地區進行反共宣傳的基礎的一項工作。這種看法多少令人信服,但就我所在的GIO來看,至少戈爾遜先生從未給我與反共宣傳有關的印象。
戈爾遜調查室每個月都把調查結果報回本國,但接收單位是不知道他業已畢業還是尚在就學的美國東部某大學研究所,好像與美國國務院、議會並沒有直接的聯繫。當然,我在這辦公室工作期間,出於一種自我厭惡的情緒,本來就對辦公室的性質、目的十分冷淡,也不想深入了解。我坐在辦公室裡,也和來訪的學生一樣,心情極其鬱悶,但出了大學教室門,會無緣無故地朝氣蓬勃、輕鬆愉快,有一種充滿希望的解放感。
我想擔任戈爾遜先生的翻譯兼打字員的女大學生也是如此的吧。在辦公室裡,我從未見過這個高挑細瘦的女大學生一絲平靜輕鬆的表情,但偶然在東京大學和東京女子大學共同舉辦的歌舞聯歡會上時看到她時,這位憂慮愁悶的我的同事簡直判若兩人,兩頰緋艷動人,興高采烈,歡聲笑語,像鳥鳴一樣尖聲歡笑。第二天,我懷著某種期待和莫名其妙害羞上班,出現在我面前的仍然是像內分泌失調似地愁眉苦臉的女大學生。
GIO的工作性質本身就極為憂鬱。 有一次戈爾遜先生說,日本的工作告一段落後打算去台灣或南韓從事同樣的工作,熱情動員我跟他一起去。那時候我很想試一試,甚至夢見自己在南韓調查受挫折的朝鮮青年,我不僅把戈爾遜先生的所有工作包攬下來,還手執鞭子像對待奴隸一樣抽打前來傾訴衷腸的青年,想來實在可笑。這也許是GIO表面上像穩重平靜的調查室,其實潛藏著將手指插進青年的傷口使勁摳攪脂肪、肉體的冷酷的一面的緣故,感覺在我的潛意識裡、在夢中重現出來。
我的工作是調查接受前來訪談的學生的履歷和訪談結束後付給學生報酬。酬金是採訪一小時五百日元。戈爾遜先生通常在發票上都寫採訪兩個小時,本來學生上學都有月票,無需交通費,但還是根據現住所到這兒的距離支付交通費,這對學生來說,是筆不壞的打工收入。但是,除了特殊情況外,這樣的「打工」只能申請一次,而且不是前不久積極參與學生運動後來倒退的這樣在思想上發生戲劇性轉變的人不要。因此,雖然不是想像的那麼難,確實比一般的打工不容易。
在GIO工作幾個月後,來訪的學生開始明顯減少,有時我的卡片上一天也沒登記一個學生的名字,戈爾遜先生無所事事,皺著眉頭像狗熊一樣悲傷地在屋裡轉來轉去。在這成績不佳的日子裡,只有翻譯兼打字員的女大學生絕不心慌意亂急躁氣惱,板板正正地端坐在桌前,閱讀袖珍本的《矛盾論》、《實踐論》。這不會讓別人覺得她思想上有所共鳴,因為那個時期,在女大學生中,毛澤東的書和羅曼羅蘭的書一樣風行。
沒有學生來的時候,戈爾遜先生就到傳達室和我聊天。他不和女大學生交談。她非常不愛說話,幾乎從不發表意見(這種徹底的沉默寡言使人覺得不正常,好像向戈爾遜先生發表見解自己也就成了前來訴說精神挫折的學生),戈爾遜先生對 她也有幾分發怵。我們一邊從辦公室窗子望著本鄉(本鄉,地名。東京大學位於此地一譯註)的大學裡高大的樹木,一邊盡量避開商業、日漸減少的後退青年的話題,漫無目的、天南海北地神聊起來。
透過這種無拘無束的漫談,我知道這個家庭一貧如洗的白人兒子靠獎學金上的大學,說不上天資聰穎才華橫溢,卻對日本的挫折青年極感興趣。一個二十八、九歲的美國青年選擇這個問題作為研究課題來到日本成立調查所,這本身就令人覺得他的精神構造不可思議有悖常規。我開始感覺到戈爾遜先生不是深淵的擁有者,而是被吸進這個現實世界的深淵裡的第一個墜落者。於是很自然地聯想到自己,我在自己的學生同胞前來訴說陰暗的情緒崩潰的外國人事務所裡工作,覺得有點近乎賣良為娼的人口販子、老鴇這樣卑鄙下賤,想起少年時光,雖然那時還是戰爭年代,對自己二十歲這個年紀依然懷抱著玫瑰色的幻想。但如今已經二十歲,而且是在和平時期,卻幹這種不清不白不三不四的差事,心頭充滿難以言狀的苦澀和自我厭惡。
可以跟我互相交流自我厭惡情緒的應該說是那個同樣打工的女大學生,但她整天愁容滿面,一有空就全神貫注地鑽進毛澤東的書裡,從不到我的屋子來走動。我一到裡屋,就不得不面對那些登記卡,被憂傷鬱悶的學生的形象擠壓得喘不過氣來,所以絕不會從我這邊推開女大學生房間的門,於是只好愁眉苦臉地和同樣愁眉苦臉的戈爾遜先生漫無邊際地神聊。啊,GIO簡直就是一座無比憂鬱的地獄!
正是在這種閒聊中,戈爾遜先生動員我在日本的工作結束後跟他一起去台灣或者韓國,也正是在這種倦怠鬱悶的時間裡,我從他不經意的動作的細微處覺察出 同性戀的傾向。他談到美國東部的鄉村小鎮,語調那麼親切眷戀,卻不遠萬裡跑到東方來,說不定是被流放到日本來的呢。外國人到大學的課餘打工科要求介紹擔任陪同聊天的人、導遊、翻譯的學生,大多都想藉此名義發展成同性戀對象。 外國人的這種別有用心現在已經變成常識了。我的一個朋友透過打工和一個外國貿易商搞上了同性戀,後來被貿易商拋棄,因此自殺。「被拋棄」這三個字是他寫在遺書裡的。這也是韓戰結束後那一陣子的事。
我和戈爾遜先生用低得能聽見隔壁翻書響動的聲音斷斷續續地聊長天,但雙方的心並沒有互相靠攏貼近。我用半瓶醋的英文跟美國人聊白開水淡而無味的閒天,覺得著急,深深地感嘆自已為什麼會在這裡幹這種事。我現在大體能體會到與美國人一起工作的日本人、尤其三十歲左右的婦女為什麼一天到晚裝模作樣矯揉造作大聲叫嚷的秘密。那些戴著很講究很派頭的眼鏡抹著大紅嘴唇以痙攣性地強調突出臉龐的女大學生們即將埋沒自己的空虛乏味的恍惚。她們和舊式婦女一樣,自我要求對工作奴隸般地逆來順受。
就我自己而言,當我看著和我相對而坐自由交談的這個美國人玻璃般透明而遲鈍呆滯的眼睛、像在果子凍上灑一層麵粉一樣發喧的胖臉和手背的皮膚、當細小的高鼻子、突然發出怪聲的嘴唇時,甚至神經質地想如果為了深入了解對方的思想情緒、為了在對方的臉上恢復人的統一感,簡單地說,如果為了發現我和對方之間人與人的聯繫,可以發展到同性戀關係。
我剛剛二十歲,從這個世界的幾乎一切追尋人與人的關係。而對年輕人來說,無論正常或變態的性關係,都是盲目地沉溺在令人感覺怪誕無序的他在之中的行為,都是賦予意義、制定秩序、變成如自己身體的一部分���樣親密的行為。如果我每天都和戈爾遜先生進行這樣百無聊賴的持續不斷的談話,我很可能要麼神經發作地和他同性戀,要麽神經發作地和他大吵一通辭去GIO的工作。
但是,在某月月初,由於上個月報回國內的調查數據實在缺少內容,本國給戈爾遜先生發來一封信指責他工作消極怠惰,信的措辭相當嚴厲。他早晨上班看了這封信後,一整個早上都在房間裡心煩意躁地急步轉圈。下午,戈爾遜先生終於下了決心,對全所人員,除清掃女工外、即我、女大學生及他本人就當前的困境發表演說。
戈爾遜先生的論點簡潔明快,本國要求他今後每個月提供上個月三倍資訊量的調查數據,如果不能保證這個基數,將解除他遠東研究員的職務。因此,我們必須提高效率。
怎麼提高效率?是在校刊上登更大的廣告,還是在校園貼廣告?《戈爾遜先生恭侯先前的學生運動活動家光臨!》
我針對戈爾遜先生的提問,發表意見說不能指望廣告的方法可以使狀況發生根本性的好轉,因為戈爾遜先生的後退青年研究所在學生中已經出名,即使出廣告,也不會有更多的精神挫折的新學生前來。
翻譯兼打字員的女大學生基本上同意我的意見,她認為即使我們在校內張貼廣告,再到處尋找可能會前來訴說自己精神受到創傷的青年,也不會像GIO調查初期那麼多。歸根究底,社會上並沒有存在很多「精神受創」的青年,並不是有無數的在學生運動中有過挫折體驗的青年在等待著GIO的召喚。大概已經見底了吧。
戈爾遜先生、��、翻譯兼打字員的女大學生心情憂鬱地討論了很久。戈爾遜先生不想現在離開日本,工作半途而廢回到美國意味著在大學裡謀不到一個好位置。 另外,我和女大學生都不想過早失去這份又安穩收入又可觀的打工。
越討論越覺得前途渺茫,大家陷於一籌莫展的時候,戈爾遜先生提出了妥協的方案。他說,下個月一個月大家好好幹,把成績提上去,全力以赴,做出好成績,就可以向國內提出報告說日本學生的調查已大體結束,這樣就會批准調到其他地方去。如果在成績惡劣、遭受批評的風頭上提出調任請求,會立即被炒魷魚,南韓與台灣就是別人的美差了。
我和女大學生覺得不是立刻丟掉飯碗,還有一個月的時間可以找別的打工。於是三個人一致決定大幹一個月全力進行調查提出高品質的工作報告。
但是,不找到幾個後退青年,我們連一張調查卡也填不了,寫報告更無從談起。 這時,我突然心血來潮,一個主意浮上心頭:我們可以製造後退青年、即心靈遭受創傷前來訴說苦惱的青年,簡單地說,就是隨心所欲地把一般青年當做後退青年,編造他們前來GIO訴說精神苦惱的假報告。說起來,這麼好的主意為什麼以前就沒想出來。我們以前聽過積極參與學生運動或黨的活動、後來遭受政治思想上的挫折的「心靈受創青年」訴說自己的真實感受。至少我和翻譯兼打字員的女大學生都聽過。「心靈受創青年」的訴說,連我們的心靈都感受到痛苦。「心靈受創青年」主動到GIO來訴說自己的內傷不僅僅要忍受痛苦,更是克服了巨大的心理障礙。其實,後退青年到GI0來本身就是極不正常的非人性的行為。
根據我的主意,只需要一般學生稍微做些表演就好。我目送這些青年走進隔壁房間接受調查時,不會覺得他們掉進黑暗的深淵而心頭難過,也不會從調查完畢出來的青年臉上看到遭受打擊一蹶不振的印象,或者由於說得太多而疲憊興奮得通紅的肌膚上出現後悔、自我厭惡這些陰暗憂鬱的污垢。因為這一切全是演戲。他們不是「心靈受創青年」。
於是我向戈爾遜先生保證我明天去大學找幾個調查應徵者來,一定是幾年前學生運動的積極分子、典型的後退青年。
第二天,我跑了一間又一間教室,還去研究室和課外小組活動室,說明我的宗旨。說是一般學生,其實對兩三年前的學生運動也很了解,而且全身都給人一種體驗過精神挫折的印象。應徵者很多,我從中挑了十個。他們都知道GIO。他們和我一樣,對後退青年研究所把他們演戲的錯誤數據信以真感到愉快。我們興高采烈七嘴八舌討論說,美國人以為能把自己的手指插進日本真正的「心靈受創青年」的傷口裡使勁摳攪,完全打錯了算盤,我們信口雌黃的遊戲奠定了他們學問的基礎。當天晚上,這十個學生去GIO的日期以及各自扮演的角色都安排妥當。
從下一周開始,GIO每天都是開業以來從未有過的充實豐富。戈爾遜先生情緒極佳,幾乎天天說終於採訪到了一直想見的典型的後退青年。我只是輕鬆地把巧妙玩弄訴說把戲的青年送進隔壁的房裡,心情十分舒暢。
但是,令我稍感不滿的是,翻譯兼打字員的女大學生出人意外地突然辭去工作,戈爾遜先生決定停止調查,立即整理報告。結果我預約的兩位表演者未能上場。
戈爾遜先生也寫了一份日本工作業結束,GIO現已關閉,待命調往他地的報告,隨同本月的統計報表送回。他也答應把女大學生的工作日期算到GIO關閉為止向國內申請特殊津貼。戈爾遜先生對這個月成功的調查充滿信心,相信他的報告將一鳴驚人,博得滿堂喝采。
戈爾遜先生最得意的是我的第七個表演者,這個學生個子矮小臉色淺黑長著猴子般的額頭。我對他說不上了解,但戈爾遜先生一採訪,立刻認定他是最典型的後退青年。後來才知道,翻譯兼打字員的女大學生也因為這第七個表演者才下定決心辭去工作的。
報告空郵出去以後,GIO立即關閉。那天晚上,我們三人小聚,戈爾遜先生問女大學生為什麼要辭去GIO的工作,她回答說實在不願意看見那種厚顏無恥的日本青年。我從容不迫地看著女大學生第一次展現的深切焦慮與悲哀,覺得很可笑。戈爾遜先生一臉困惑,但沒有平時那種難以捉摸的異常感覺,而是一個不諳世故的平凡普通的學者即將發作時的不悅表情。我甚至想知道那個猴子額頭的第七個學生是怎麼表演的。
我是在另一個完全出乎意外的地方知道第七個表演者的伎倆的。GIO關閉一星期後,我從日本發行量最大的報紙上讀到有關第七個表演者的文章,也刊登了他的照片。照片排在介紹GIO活動情況的文章中,戈爾遜先生笑嘻嘻地站在第七個表演者旁邊。這一定是採訪結束後翻譯兼打字員的女大學生照的。報紙說戈爾遜先生認為第七個學生、即A君是典型的後退青年,發現他是GIO調查的最大收穫。報紙引用調查卡的記載這樣報道A君成為後退青年的經過。
A是日本共產黨東京大學支部的成員,但被懷疑為特務,慘遭監禁拷打,小手指頭第二關節被切斷,最後被開除出黨,戀人也離他而去。於是他主動向富士警署的某警察提供情報。但是他已經離開學生運動,情報沒有太大價值,當特務也沒資格。現在他非常孤獨。他恨先前的夥伴,是他們使他遭受巨大的挫折,但他的特務嫌疑問題似乎是一個背叛的同夥告的密。戈爾遜先生把A視為日本左翼學生後退的一個典型。
我覺得絕望的黑暗深淵正吞沒照片上與戈爾遜先生並排站立的、猴子一樣微笑著的第七個學生。我的身體開始顫抖,渴望確認自己在第七個學生不幸之外。我使勁從黑暗熱昏的腦子裡把女大學生的「那種厚顏無恥的日本青年⋯⋯」驅逐出去。
冬天。第五堂課結束時,整個大學籠罩著寒氣逼人的蒼茫暮色。我彎腰縮脖地走出大門,突然看見一個躲在電線桿後面的矮小男人用手套遮著側臉朝我走來。我們默默地沿著大學的磚牆在昏黑中並肩走著。
「本來打算鬧著玩的。」第七個學生萎靡不振地說,「我隨口胡編亂造,沒想到報上登出來了。」
「我也沒想到。」我陷入束手無策的困境,說,「向戈爾遜先生提抗議去。」
「已經提抗議了,我要求他撤回報道,但他不同意。他說報紙報道的內容,既有錄音又有證人,不能撤回。我說那是我鬧著玩的,是信口開河、胡說八道。 但他說不管你鬧著玩也好,胡說八道也好,你說的內容很有意義。」
戈爾遜先生淡灰色的明亮的眼睛、細小的高鼻樑、胖乎乎的粉紅色皮膚立刻統一成一個傲慢的形象浮現在我的眼前,冷酷無情地把一籌莫展驚恐害怕的猴額頭青年猛力推開。我把自己融化在戈爾遜先生傲慢的形象後面,突然變得從容��漠。
「其實報上的照片很模糊,能認出是你的不就是幾個親近的人嗎?既然是十分親近的人,對他們解釋這是一場玩鬧,大家哈哈一笑不就過去了嗎?」
「不行呀。就說我的戀人吧,看了報紙以後看我的眼神都不對了。」猴額頭的小個子把他的左手伸過來。
我看見他小手指第二關節被切斷了。我一陣難過,停下腳步。他像受欺負的小孩一樣眼睛直勾勾地盯著我,左手戳在我的眼前。 我看著馬路上過來的公車,準備上車。
「戈爾遜先生答應一個月以後在報上發表更正啟事,而且把錄音帶還給我。你也幫我記著。好嗎?我幹嘛說那麼多呢?莫名其妙。」
汽車停下來,我上了車。我擔心他跟上來,但似乎他只是在黑暗中看著我離去。 我終於鬆了一口氣,但我也不明白他為什麼要說那麼多。我至今也沒弄清楚。一個月後,戈爾遜先生的報告受到高度評價被調任為歐洲研究所。即使他在報紙上發表「內容與事實不符」的更正啟事,也毫不影響他前往歐洲赴任。但是他並沒有發表更正啟事,在我和女大學生的送行下,從羽田機場飛走了,因為第七個學生一個月後沒有再去找他。戈爾遜先生託我把錄音帶還給第七個學生,但至今仍保存在我這裡。我想起戈爾遜先生把錄音帶交給我的時候說的一句註釋性的話:「他是一個典型的後退青年!」
於是,我感覺到身邊的現實世界到處都是滑入默默張著大嘴的黑暗深淵的漏斗狀斜面。
(鄭民欽 譯)
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婚配嫁娶的問題,三教九流,吃,喝,嫖,賭,菸,酒,草包都不會有人要,我都覺得很奇怪這些人拖過年的太自以為是,而且裡面有很多家樂福根本就全部都不用啊,拖累拖過年的,還有答每垃批灑,把別人的手機當自己的圖庫使用誰要幫你找圖庫,別人手機又不是你的硬碟辦公室騙整年的,因為手機裡太多工程師擋路,草包直接複製其他人手機裡面的圖庫當作是自己的idea發想,所以那個NASA這條線才會這麼吵,折諜只是公務人員並沒有想像中這麼厲害,然後遷其他人的手機或者是電腦圖庫,當然是飆啦,所以大家停下來,誰要幫敵人的找圖庫找答案,批評假人草包,哪有這麼好事情辦公室,草包穩贏的,這麼可能不會吵,不過再說啦,政府在水庫裡面搞事,沒有過濾就全部都倒了,生活很漫長裡面是刪減人數,所以我們這條線吵上船已經很久了,我們不可能跟敵人一起住,倚敵扯住了阿罵,廟的後代也一樣,跟大家競爭,免作台語不可能,爭執滅絕施太,一路順暢有問題,沒有功德哪來的順暢,們是爭整,冷水坑批面
樓下隔壁鄰居的電動鐵門很像墓園的鐵門亞東保全,整社區顧塔專線,但是白蛇進塔不可能,閒聊迦裟扶起,渡劫難,驚訝修行衣服這麼有用,天天唸經文加持的衣服,會思考的靈魂感受家的默香
水庫沒有過濾,變相殺人,2022,23濾心一下子就操壞了,大家根本就不可能停留是因為醫師公會對面就是藥物,大家,生活就是平常,還有發現環境事物尤其是金木水火土會變,電影神通王已經播很久了寺廟應該是知道的
名字瑩,整墳,台北爭執感應器 發霉,名人節整名字,螢光色的衣服鞋子襪子都不用,遲頓久,墳的空間設計激怒很久,神景感應器吵超,2005聯芝同事姿瑩知到,我不會到耶 林整 靠她不可能??,我不知道啊,天外奇蹟的台詞,我來見我的偶像,我的偶像要了我的命,眼扯,離譜,突然想到這些電話線的起頭真的很離譜 連老闆的���文名都一樣,長相不一樣,但是台北真的超過了,每年拖過年的,每年都有天災人禍拖住了,然後每年都在講,我們如果不留下來救災的話,沒有人道考量2016地震,年年震,但是這三四年水質不好就不用了啊,水庫在搞事裡面是裁員,害濾心爆掉,害買濾心,賀眾牌飲水機店門口的濾心一堆垃圾就知道,們隱忍
還有那個沒有工作跑進來我家,站在我旁邊的這一群的垃圾用賴的,這樣就會有薪水的話,我是不會理你的,應該是各走各的路,這個整找不會,他馬的,耍賴,在家午休有妨害到你們嗎 雞掰台語
沒有人告知,全部自己想辦法,整爭每天都是自擠,東西方天空之神與陸地的人不和,查閱相關資料並仔細思考,神仙下凡修理人,不合邏輯,爭執藏砲面,大家分,分們霉分墳戎族
911的飛機,飛機上有衛星電話,是不是機師或者是飛機組員有交代,要問他們的家屬,8到10年美國已經買超過年限了,諜家和921,311地震都不用,年年災難,陰陽加裏蹲,有一年美國飛機的電話撥進來,它繼續講話,所以那個川普跟他太太是不是卡住了,除了家務事還有一個飛機的衛星電話,那個交代扯住了,所以那個空中廚房才會繼續啊,一堆的廚房用品,整吃的
還有2005年發現電話線,現在想一想喔,老師跟郭曉玲不行,整靈還有郭曉玲她媽媽的晚禮服瘀青色還有郭的大嫂切魚肉談,有經濟能力為什麼不養人,電話裡面靈桌太多了,太驚屬,警察世家與刑案的家屬,整發財,��怪彎管在講這個問題,2016臥底老闆讓匯,這裡沒有錢盤是空的,更不用說台北在養毒販,無底洞,還有一堆折諜的公帑,我們才會罵人,夠了,大家不救台北戎爭超過而且我們不知道毒販求養紅白包都超過了,吃骨頭長大的一群垃圾,其他的店家是因為家裡面有買家電產品只是在談,人的面容會因為他的行為調整,以前看起來是公益慈善家,現在臉部好像被打到,整臉,大家就不見了,比爾蓋茲夫婦檔也是一樣,他太太有做慈善事業臉部線條就比較柔和,相由心生,每一家軟體公司都一樣,多兩三個指令又變成新的版本
6 😱我們才不管台北是不是打錯了,這想耍賴,哪有那麼好事情,把我家五個人當白痴,用誣賴的可以拖超過15年,🤔突然想到國中同學的名字,裡面是罵人覺得想笑😄,難怪大家往前門逃,🐷麻豆子火鍋送菜梯,省立桃園醫院有一樣的菜梯規格,全部對面十塊遞單子,擔心太多人了,很多未知數,火飆找麻煩一堆,原來是台南的書桌有問題,我不曉得耶,🧑🍳👄但是現在想想發現被丟包了,學姊的哥哥是警察局長,學姊應該是警局眼線整刑,女生宿舍人際關係對面,太不可思議了,89年的部分錢盤是爭執,未知,沒有金錢來往的親戚全部都拖進來吵超級離譜的🌶️,那是阿嬤私底下在吵,我不知道,我還是跟黃端轉租房子,因為扣除例假日還有回家的時間租不到一年,就算了還是住下來因為沒有看到合意的房子還有房東的表妹秀慧載我們去私人俱樂部的遊泳池遊泳,當時她是用公司的發財車,🤭🍇💪學生哪有想那麼多私人俱樂部就是有錢人家的遊泳池去遊泳只是說它是用跳水的標準規格蓋的,踩不到底,你就要一直往前游,很適合訓練遊泳選手🥦🍓🍒,這是學生時代的部分,⚓🫵🦐兩年前愛買結帳員說話她說十塊也要摺嗎,你問我,我還不知道遊戲規則咧 摺什麼
這兩三年我們家路口有一個年菜的車禍,年菜是散落一地,三千的姐妹團,年菜車禍苦主,愛買營業員,省桃的護士,國泰保險的櫃台講話扯住了,大陸妹家,整姐妹團驚呀,繞圈圈,這不知道她媽媽生幾個女兒都很像,重點就是大陸人講話會有問題
批評:沒有想到郵局是欺呆喔,這不曉得有多少家庭受害了,刪減人數,不曉得有多少人,因為倒霉號碼牌,倒霉號櫃台,趕時間整付費的,難怪今天一個人都沒有,不過今天是5月26號早上9點到十點,皆斷,都不會,天庭告狀的人越來越多了,眼扯,清潔由局四員,整劫,傻瓜也壓頭分們,921大地震像這樣的問題更多,更不用說還每年各各個國家都是地震,像這種情形太多了,陰陽加裏蹲,更不用講說發生戰爭的國家,大家早就逃離這個國家,國家是空殼
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遺骨、酸初、初夏、夏至、我博、臨床、先客、那波区、東海、雲海、雲水、初楽、飼養、規律、滅法、頑丈、撃破化、内板、飼養、機咲州、分癖、蛾妙、頌栄、丼爆発、濃彩、恋欠、名瀬、徒歩機、歌詞役、素市、癌滅、元凶、願文、文座、同發、長門、至極、極美、呵責、端午、併合、奈落、底癖、幕府、某尺、尊式、検疫、未除、路側、柑橘、脂溶、瑛人、冠水、豪材、剤枠、土岐、駄泊、検尺、漏洩、破裂無言、任期、崩説、全滅、壊滅、開幕、統帥、頭数、水湿、冠水、抹消、網滅、馬脚、財冠水、風隙、来妙、勤学、餞別、名判、名盤、観客、衆院、才覚、無能、果餓死、損初、波脈、釋迦、損失、片脚、那古、可物、筋層、真骨、存廃、破格、名湯、今季、写楽、苦況、罪責、孫覇、全滅、今父、奈落、旋盤、秒読、読破、名物、貨客、泉質、随想、滅却、監理、素質、遡行、文滅、菜根、無端、庄屋、破壊、客率、合併、豪式、続発、泣塔、透析、頑迷、場脈、野張、船室、乾物、吐瀉分裂、戒行、噛砕、爾、晩別、海苔、西明、縁月、花月、独歩の大蛇、再発、納言、遺言、残債、背角、破壊、忠膵癌、統帥、馬車、下劣、火災、乱尺、毒妙、縫製、貨坂城、歳発、富低落、菜初、命式、山賊、海剤、激武者、瓦礫、破水、分裂、賀露、屠畜、能月、見激、破壊、破戒、採石、屈託、門別、皆来、家来、千四、我楽、夏楽、無慈悲、壊滅、破棄、損勤学、外鰓、長水、瑛人、永久、旋律、斑紋、財年、場滅、甘露、舐めけり、真靭、察作、論祭、乾裂、薩長、泣塔、室見、川縁、岩石、言後、荷火災、防爆、鋒鋩、体制、貨車、顎脚、刺客、坐楽、損益、脳系、文才、分合、合壁、啓発、萌姫、島内、監修、真木、合理、独房、雑居、紋発、乱射、雑念、五輪、三振、欄居、托鉢、紋腹、画狂、欠年、射殺、殺傷、脳初、目車、濫用、懸念、學年、身者、卓越、餓死、軟卵、場者、童空、我作、滅法、涅槃、抹殺、怒気、燃焼、略奪、宰相、馬腹、刳発、南山、活発、沙羅、割腹、殺戮、循環、奈良、菜道、紗脚、残雑、颯和、和歌、東風、南富、背面、焼却、四季、同發、博羅、無償、透明、明闇、雲海、陶酔、溺愛、泊雑、湖畔、花車、小雑、蘭風、雑魚寝、逆発、罵詈、検遇、明細、鳥羽、無数、飾西、涼感、割烹、面��、略発、明暗、御覧、絶滅、名者、焼却、野版、絶筆、数界、洒落、羈絆、四索、敏捷、旋律、脚絆、安行、軽安、難産、伊賀、消滅、生滅、巡数、水災、万華、論発、処住、崇拝、年月、画鋲、我流、剣率、草庵、律年、雑魚、規約、貨車、蒸発、重大、錯乱、蓮妙、奈良、坐楽、延宝、財年、爆発、龍翔、日向、塁側、席園、座札、風評、財年、何発、旋律、画狂、論券、戦法、尊師、大概、二者、那波、麺期、演説、合邦、放射、雑律、貨客、選別、燕順、考慮、試薬初、財源、富、符号、井原、若榴、清涼、無數、才覚、絶望、奈落、奔放、有識、台東、詮索、懸念、病状、設楽、宴客、怠慢、時期、同部、弁解、冊立、立案、前略、妄動、侮蔑、廃絶、間髪、図解、経略、発泡、者発、立案、滅鬼、自利、論酒、桜蘭、五月雨、垓年、処理、短髪、散乱、絶滅、命日、庵客、実庵、龍翔、派閥、同盟、連峰、焼殺、勝中、割裂、残虐、故事、量発、敗残、花夢里、面月、原氏、雑考、推理、焼殺、膵癌、導風、千脚、砂漠、漁師、活滅、放射、洋蘭、舞妓、邪武、涅槃、毛髪、白藍、他式、民会、参謀、廃車、逆発、峻峰、桜蘭、殺戮、銘客、随分、刺死、脳犯、我版、論旨、無垢、血潮、風泊、益城、拝観、舘察、懺悔、空隙、髭白、模試、散乱、投射、破滅、壊滅、下痢、他殺、改札、寿司、葉式、魔雑、渾身、等式、命日、安泰、白藍、良志久、中須、掻敷、北方、監視、血式、血流、詐欺、加刷、販社、壊滅、坐楽、白那、苫小牧、欄物、演説、開脚、摩擦、欠史、宰相、掻敷、飾西、近隣、可能、刺自虐、崑崙、独歩、良案、隔絶、菜作、妄動、犬歯、核別、概要、立案、破格、殺戮、良案、快絶、防止、那古、風別、焼安泰、独庵、囲炉裏、壊滅、外傷、刃角、視覚、耳鼻、下顎骨、子孫、剥奪、憂鬱、優越、液状、先端、焼子孫、兵法、那波、安楽、最短、数式、絶句、庵杭、雅樂、動乱、者妙、垓年、独初、前報、奈落、数道、弓道、拝観、俯瞰、散乱、男爵、害面、炎上、抹殺、破棄、分別、額欄、学雑、宴客、体面、村落、柿区、害初、告発、欄式、体罰、侮蔑、浄光、情動、差額、君子、何発、兵式、童子、飾西、各滅、我札、審議、半旗、普遍、動脈、外傷、無償、木別、別格、名皿部、京脚、破棄、試薬、絶滅、学札、清涼、爆発、組織、壊滅、ここに、名もなき詩を、記す。風水、万別、他国、先式、続発、非力、産別、嘉門、神興、撃易、弊社、紋別、座泊、画狂、式典、胞子、画力、座敷、学舎、論別、閉域、爆風、万歩、博識、残忍、非道、望岳、死骸、残骸、符合、壊滅、匍匐、弄舌癖、死者、分別、砂漠、白藍、模写、服役、奈落、忖度、符尾、同盟、田式、左派、具癖、退役、蛇路、素白、昆北、北摂、写経、文武、択液、図解、挫折、根塊、道厳、視野別、奈落、鳥羽、グリシャ・イェーガー、粗利、惨殺、学癖、優遇、陶器、場作、土壌、粉砕、餓鬼、草履、羅列、門泊、戸癖、山系、学閥、座枠、忠膵癌、視野別、脳族、監視、佐伯、釋迦、敏捷、遇歴、佐渡、名張、紀伊市、名刺、干瓢、夏至、楽節、蘇遇、列挙、間髪、風脚、滅法、呪水、遇説、死骸、爆発、山荘、塀楽、茗荷、谷底、愚者、妄動、還魂、色別、最座、雑載、論客、名足、死期、近隣、名張、迷鳥、呑水、飛脚、晩別、獄卒、殺傷、視覚、乱脈、鉱毒、財閥、漢詩、死語、諸富、能生、那波、合理、血中、根菜、明初、鹿楽、宮札、度劇、臥風、粋玄、我馬、洞察、今季、爾脈、羅猿、激園、葉激、風車、風格、道明、激案、合祀、坐楽、土地油、力別、焼殺、年配、念波、郭式、遊戯、富部区、奈脈、落札、合祀、寒白、都山、額札、風雷、運説、害名、亡命、闘劇、羅沙莉、砂利、夢中、淘汰、噴水、楽章、農場、葉激、際泊、手裏、合併、模等部、トラップ、落着、御身、学習、零、概要、各初、千四、何匹、笘篠、熊本、京駅、東葛、土量、腹水、活潑、酢酸、数語、隠語、漢語、俗語、羽子、豚皮、刃角、醪、能登、半年、餓鬼、泣塔、用紙、喜悦、山荘、元相、炭層、破裂、腹水、薔薇、該当、懐石、討滅、報復、船室、壊滅、回族、先負、嗚咽、暁闇の、立ち居所、餞別、乾式、財閥、独居、乱立、差脈、桜蘭、龍風、抹殺、虐案、某尺、無銭、漏洩、北方領土、白山、脱却、幻滅、御身、私利私欲、支離滅裂、分解、体壁、脈、落札、合祀、寒白、都山、額札、風雷、運説、害名、亡命、闘劇、羅沙莉、砂利、夢中、淘汰、噴水、楽章、農場、葉激、際泊、手裏、合併、模等部、トラップ、落着、御身、学習、零、概要、各初、千四、何匹、笘篠、熊本、京駅、東葛、土量、腹水、活潑、酢酸、数語、隠語、漢語、俗語、羽子、豚皮、刃角、醪、能登、半年、餓鬼、泣塔、用紙、喜悦、山荘、元相、炭層、破裂、腹水、薔薇、該当、土脈、桜蘭、郎乱、乱立、派閥、別癖、恩給、泣き所、弁別、達者、異口同音、残骸、紛争、薔薇、下界、雑石、雑草、破戒、今滅、梵論、乱発、人脈、壊滅、孤独、格律、戦法、破戒、残席、独居、毒僕、媒概念、突破、山乱発、合癖、塹壕、場技、極楽、動脈、破裂、残債、防壁、額道央、奈良市の独歩、下界残滓、泣き顎脚、朗唱、草庵、場滅、乖離、鋭利、破戒、幕府、網羅、乱脈、千部、土場、契合、月夕、東美、番號、虎破戒、在留、恥辱、嗚咽、完封、摩擦、何百、操船、無限、開発、同尺、金蔵寺、誤字、脱却、老廃、滅法、涅槃、脱却、鯉散乱、立哨、安保、発足、撃退、学別、憎悪、破裂無痕、磁石、咀嚼、郎名、簿記、道具雨、壊滅、下落、吐瀉、文別、銘文、安胎、譲歩、剛性、剣率、社販、薙刀、喝滅、解釈、村風、罵詈雑言、旋風、末脚、模索、村立、開村、撃退、激癖、元祖、明智用、到来、孟冬、藻石、端午の贅室、癌客、到来、未知道具雨、寒風、最壁、豪族、現代、開脚、諸富、下火、海日、殺傷、摩擦、喃楽、続落、解脱、無毒、名毒、戒脈、心脈、低層、破棄、罵詈、深海、琴別府、誠、生楽、養生、制裁、完封、排泄、虐殺、南京、妄撮、豚平、八食、豪鬼、実積、回避、答弁、弁論、徘徊、妄説、怒気、波言後、節楽、未開、投射、体者、破滅、損保、名水、諸味、透析、灰毛、界外、土偶、忌避、遺品、万別、噛砕、剣率、戒行、一脚、快哉、提訴、復刻、現世、来世、混成、吐瀉、場滅、経絡、身洋蘭、舞踏、近発、遊戯、男爵、最上、最適、破裂、改名、痕跡、戸杓、分髪、笠木、路地、戳脚、快晴、野会、対岸、彼岸、眞田、有事、紀伊路、八朔、減殺、盗撮、無札、無賃、無宿、龍梅、塩梅、海抜、田式、土産、端的、発端、背側、陣営、戒脈、母子、摩擦、錯覚、展開、星屑、砂鉄、鋼鉄、破滅、懐石、桟橋、古事記、戸杓、媒概、豚鶏、墓椎名、顎舌骨筋、豚海、砂漠、放射、解説、海月、蜜月、満期、万橋、反響、雑摺、油脂、巧妙、
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属性による平等をやりすぎると、分断が生じる
「被害者ポジション」をめぐって、争っている人たちについて。 | Books&Apps
例えばハーバード大学の合格最低点は黒人とアジア・白人系とでは全く異なるものとなっており、それが加速した今現在、願書にアジア系民族と書かれているだけで合格難易度が桁違いにあがる。
具体的にいえば「高校の成績は常にトップクラス。討論や数学の全国、州の大会で何度も入賞した。それなのにハーバードを含めた上位30校全てが入学を認めなかった」という事例もあるのだそうだ。*後述:マイケル・ワン
結果の平等によって努力が否定されたことは、正義なのか?(逆差別)
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平均点を引き上げられた”普通の人”が、被害者ポジションを作ることで元の評価に引き下げようとする運動が起きてしまう懸念。
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アファーマティブアクション最大の問題点は、過去の問題を現在/未来の人が被ること。若年時の学や職(キャリア)は人生を左右するため補償できる問題ではない。
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応募者全員が”下駄枠”の場合、機会の平等に戻るのか?
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・南川文里『アファーマティブ・アクション』(中公新書) 8点 : 山下ゆの新書ランキング Blogスタイル第2期
序章 なぜアファーマティブ・アクションが必要だったのか 第1章 いかに始まったのか―連邦政府による差別是正政策 第2章 それは「逆差別」なのか―転換点としてのバッキ裁判 第3章 反発はいかに広がったのか―「文化戦争」のなかの後退 第4章 いかに生き残ったのか―二一世紀の多様性革命 第5章 なぜ廃止されたのか―アジア系差別と多様性の限界 終章 どのように人種平等を追求するのか
それでも黒人の雇用が少ないのは能力に基づいた結果だという主張がありましたが、それに楔を打ち込んだのが1971年の合衆国最高裁判所によるグリッグス対デューク・パワー社判決でした。デューク・パワー社は公民権法の成立とともに卒業証明に代えて昇進試験を導入しましたが、このやり方でも黒人が昇進できない状況は変わりませんでした。最高裁は「現状を『凍結』する」ような制度だとしてこれを差別だと認定したのです。こうして過去の差別の補償のために政府が積極的に介入すべきだという「補償的正義」の考えが確立していきます。 こうした中でAAが導入されていくことになり、女性にも対象を拡大させながら進んでいくことになります。
論争で焦点となったのは、カラー・ブラインド(人種を意識しない)か、それともカラー・コンシャス(人種を意識する)というものです。
この裁判で注目されたのは成績優秀でSATで満点近い成績を取りながらアイビーリーグの大学にことごとく不合格になったマイケル・ワンであり、また、公民権政策の停止をライフワークとしてきた白人活動家のエドワード・ブラムでした。 この裁判はメリトクラシーを信じるアジア系エリート移民と、白人優位の社会を維持しようとするバックラッシュ運動の利害の一致によって進められたのです。
合衆国最高裁は、「人種」を考慮するステップを含んだハーバード大とノースカロライナ大の入試は、憲法に違反していると結論付けました。最高裁の多数意見は両大学の入試が人種という「疑わしい区分」を用いてまで実現しなくてはならない利益があるのか。といった点を指摘し、さらにAAは目的達成のための一時的手段のはずなのにAAを終了する具体的なポイントを設定してないことも問題視しました。 *平等の基準値不在なので不平等解消時期が設定できない。
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【統計の悪用】男性の多い一次産業を引き合いに『女性管理職が多い職場のほうが生産性が高い』という理屈をメディアスクラムで作ってくるのでは?という予測 - Togetter [トゥギャッター]
Sato_海外の経営者から見た日本@hetare_keieisha
これね凄い嫌な予感というか、 いまのうちに予言しておきたいことがあるんですどね。 日本をディスする目的でよく使われる生産性と同じ理論を使ってくると思っている。 結論からいうと 女性管理職が多い職場のほうが生産性が高いという理屈をメディアスクラムで作ってくると思う。
まず傾向として男性が多い職場はインフラ系・機械系とか一次産業だと思います。 次に傾向として女性が多い職場はWEB系とかデザイン系とかだと思います。
このとき当たり前なんだけど前者はそもそも利益率が低めの基幹産業なわけです(原価も高い) 後者は利益率が高めに出ます。
労働生産性なんてものは 日本みたいな産業立国では低めに出るのは当たり前なのですが、
元ポストの方の想像通り女性が多い職場のほうが女性管理職が多いですよって形になると思います。
連中もそう思っていると思います。
したがって労働生産性を引き合いに出して、
女性管理職が多い会社のほうが労働生産性が高い、だから女性管理職を増やせ、
という報道をメディアと関連する左翼インフルエンサーが一斉に言い始めると思います。 そして何らか立法で罰則だとか規制を作ろうとするでしょう。
しかし本質としては そもそも男性が多い職場は基幹産業だったり一次産業だったりで労働生産性という評価軸では高く出てきません。
したがって彼らはそれを悪用して上記のような主張をしてくると思います。 ということで今の内に予言を置いておきますね。
かわなんとか(カワナ=N=トーカ) @kawananikasann *労働生産性は虚業ほど高く計上されるので注意 例:) カタギの農家で稼ぐ男 VS 膣土方でアブク銭つかむズベタ(売春女)
単純な生産性で言えばそりゃ、後者のほうが高くなるんだよね
株ちゃむ @owakon888 中卒の詐欺師が運営してるマルチビジネスの方が
東大or海外大卒が運営するマッキンゼーより
ROEもROICも高いので
中卒の詐欺師が労働生産性を高めます!!
日本の大手企業は前科持ちを社外取締役に据え置くべきだ!!
デジタルおちゃらけ @netagire111 @hetare_keieisha 社員一人あたりの生産性が高いから女性を多く抱えておけるっていう本末転倒な話になってくる気がする
山の手@Yamano_te
日本の男女差の傾向として、女性のほうが男性よりもキャリア志向を持つ人が少ないんですね。本来はここをどうにかしなきゃならない。アファーマティブアクションってのは大義(男女比や人種比の是正)の為に個を無視して属性ごとに一律処理ってやつなので、実はフェミニズムの唱える「個人差は性差を凌駕する」(個々の努力、特性が大事である)とは思想的には食い合わせが悪いです。
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人種を考慮した入学選考は違憲 米連邦最高裁、従来の判断覆す - BBCニュース
アファーマティブ・アクションは違法
ジョン・ロバーツ最高裁長官は「多くの大学があまりにも長い間、個人のアイデンティティーを測るのは、克服した課題でも、築き上げたスキルでも、学んだ教訓でもなく、肌の色だと間違って結論づけてきた」との見解を示した。
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この画像は「平等(Equality)」と「公正(Equity)」の概念的違いを野球観戦の場面で視覚的に説明した教育的イラストです。
📊 翻訳内容
左側 - Equality(平等)
タイトル: "Equality = SAMENESS"(平等 = 同一性)
説明文: "Equality is about SAMENESS, it promotes fairness and justice by giving everyone the same thing."
(平等とは同一性に関するもので、全員に同じものを与えることで公平性と正義を促進する)
注意書き: "BUT it can only work IF everyone starts from the SAME place, in this example equality only works if everyone is the same height."
(しかし、全員が同じ場所からスタートする場合にのみ機能する。この例では、全員が同じ身長の場合にのみ平等は機能する)
右側 - Equity(公正)
タイトル: "Equity = FAIRNESS"(公正 = 公平性)
説明文: "EQUITY is about FAIRNESS, it's about making sure people get access to the same opportunities."
(公正とは公平性に関するもので、人々が同じ機会にアクセスできるようにすることである)
注意書き: "Sometimes our differences and/or history, can create barriers to participation, so we must FIRST ensure EQUITY before we can enjoy equality."
(時として私たちの違いや歴史が参加への障壁を作り出すため、平等を享受する前にまず公正を確保しなければならない)
💡 概念解説
ℹ️ポイント
平等(Equality): 全員に同じリソースや機会を提供する
公正(Equity): 個人の状況や必要性に応じて異なるサポートを提供し、同じ結果にアクセスできるようにする
🔰 実例での理解
左の画像: 全員に同じ高さの台を提供(平等)→ 身長差により結果が不平等
右の画像: 個人の身長に応じて台の高さを調整(公正)→ 全員が同じように試合を観戦可能
💡 着眼点 この概念は組織運営、教育政策、社会制度設計において重要な指針となり、真の公平性を実現するためには個別のニーズに対応したアプローチが必要であることを示しています。
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平等と公平の画像
父親の日常としては3箱で長身が座り、長男を膝に乗せ、ヒモ固定後に次男をおんぶor肩車してあげる。(全員座れる解決策)
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アファーマティブ・アクション,下駄,結果の平等,対等,平等,公平,左翼,左派,フェミニスト,フェミニズム,ジェンダーギャップ指数,管理職,キャリア,外国人,
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