#合言葉はオヨヨ
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合言葉はオヨヨ 小林信彦 角川文庫 カバー=小林泰彦
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プレイバック・ユア・ララバイの話
ルシファーお誕生日おめでとう。生まれてきてくれてありがとう。大好きだよ! 序盤うわ〜…いやこのキャラ推しにはならないかも怖いし俺様系苦手だし悪魔服作画コストやば〜……って思ってたのに怖くなかったし俺様系じゃなかったし傲慢腹黒ドS全て大嘘のラブマン(もっといい表現なかったの?)だったから嘘みたいにべキャボキャにハマっちゃったよ。悪魔服もう見なくても描けるよ。嘘ベルト?の飾りの部分は見ないと描けない。人生何があるかわからないですね。 すっごく気落ちしていた時に江國香織の「ホリー・ガーデン」という小説を読んで面白いよ〜〜泣ってなって元気が出て、書こう! って思った話です。1月後半くらいから本腰を入れてルシファーの誕生日には間に合えーッ! ってちまちま書いてました。ギリギリ間に合いました。間に合わせたの間違いかも。 書いては全消しを繰り返しすぎて空中分解し、もはやなにが面白いね〜ん! でも書きたいって思ったはずだこういうのを〜! って必死にキーボード叩いてました。毎回そうやってものづくりに向き合えという話ではある。 「愛せない過去があったとしても、今の自分として今のあなたに出会えてよかった」を軸に据えて、どう展開しようかな〜ってねちょねちょシーン思い浮かべたりセリフ思い浮かべて混ぜてたらObey Me! Night bringer(スペル合ってる?)が発表され、そして「何度出会っても好きになる」のコピーも発表され、はーい終わった!!!! 書くのやーめっぴ!! って二週間くらい思いました。思ったんですけど書きました。書きたかったから……。 私としては相手を好きになるには出会うタイミングも大切なものだと考えているのでそのコピーに思うことはないのですが、でも何度出会っても好きになる留学生と悪魔たちもいるのだろうなあって思います。
サタンが羨ましくてしょうがない留学生を書く時に本当にサタンのことがぜんっっぜんわからなくて「わかんないな〜」って思ってたら「ルシファーのこともぜーーーんっぜんわかんない! 理解しようと思えば相手を多少は理解できるようになるという考え自体間違ってるかも! ワハハ!! 」って急に開き直りが発生しました。今も全然わかってないです。わかるわからないの話ではないことにいい加減に納得したいですね。 のでもう、二次創作だから…っ!の言い訳をフルで使って書きました。
男性留学生のターンは、ルシファーと友達になりたい! っていう気持ちを沢山込めて書きました! 兄弟たちがmc以外の人間には冷たかったらどうしよう……って思ったんですけど他人に必要以上に冷たい推し絶対見たくないので、あとこれは……夢小説なので! みんなと友達! いえーい! って感じで書きました。友達のお兄さんみたいな距離感でルシファーと接してみたい気持ちがあります。恋愛感情無しでもルシファーと楽しく過ごしたいっていう気持ちもすっごくあります。
女性留学生のターンは、こういうのが好きかも〜っていうのを詰めて書きました。技量がなさすぎて上手くまとまらなくて悔しいのですが、今の私の全力はこれです、という感じです。きっともっとしっくりくる展開や言葉や表現があると思います。でも今の限界はこれですね……。約五万文字なのですが、消した部分を合わせると大体十二万文字くらい書きました。ガッと書いてガッと消すのを繰り返しまくりました。難しいですね物語作るのって。ので、実力足りないかもなあっていう部分は諦めて手放しました。これからも頑張ろう。
これは誕生日当日にルシファーのURカードのデビグラ読んでうわ〜〜こっちで書けば良かった………!!!! って爆発した削った箇所です。

プロットの段階で消したのでもう盛り込めないですね。���〜……まあいいや。削ったところにも削ったけど好きだなっていうのを詰めたので、データを消すに消せないです。





↑これは一番最初に書いていた嘘つくのをやめられなくなってディアボロ殿下に見破られてうわーーっってなる留学生をボツにして最初から書き直しにした、サタンが懐いていた猫が死んでいたのをサタンに言わずに埋葬してしまう、という留学生のプロットです。サタンが可哀想すぎるというかサタンのヘイト小説になってるだろ!!!!! と自分をぶん殴って書き直しました。ぶっちゃけ5月の中旬くらいまでこれで書いてて、一回完成してました。ほぼ全部書き直しましたが……。

↑これはやっと今アップして���話の形へのこねくり回しがある程度止まった時に書いたけどくどいな…って思って消したやつです。勿体無いから上げちゃお。
タイトルの『プレイバック・ユア・ララバイ』は、毎日眠る前に頭の中に思い浮かべるこれまでの生涯のことが、この話で書いたルシファーや留学生たちにとって子守唄のように優しいものだといいな、そしてルシファーの生涯の傍にかつて確かにあったそれら人生が優しい思い出として思い出せるものになればいいなと思って付けました。各章のタイトルは〇〇・ユア・〇〇の形になるように頑張って考えたつもりなんですけど普通に英語出来なさすぎて難しかったですね。勉強しろ! はい。ユアは一章がルシファー→女性留学生、二章は女性留学生→ルシファー、三章は留学生たち→ルシファーへ向けたユアかな…って思いました。(思いました?)
書いてる時に本当に自分の拙さ至らなさを実感してオヨヨʕ•̫͡•ʔになってしまったのですが、西川美和さんの「私と同じだけ時間をかけて私と同じだけ集中して毎日やれば誰でも書けます」という『ゆれる』という作品に対してのコメントに励まされていました。また、名の知れた映画監督でさえも「もっといい表現があったはずだ」と悩むことがあるのか、とちょっとした衝撃を受けたりもしました。私も物事にこれくらい全力投球したいです。がんばります。
以下は細かい趣味を詰め込んだよのやかましい話です。
出てくる「帰れのベートーヴェン」は、『ホリー・ガーデン』に出てくる「お弁当のベートーヴェン」のリスペクトです。帰れのベートーヴェンは悲愴第二楽章(ベートーヴェンの曲の中で帰るならこの曲じゃない? と思ったのでこれにしました)、お弁当のベートーヴェンは田園です。ポラロイドカメラのところもリスペクトというかこれこれこれこれをルシ留で見たいよ〜〜!!! がこの話が生まれた原点なので入れました。ドビュッシーの「月の光」は『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』の中で何度も繰り返される曲で、私はこの映画が本当に本当に良くて何回観ても号泣したので入れよう……!!って思い、男性留学生に弾いてもらいました。女性留学生の星の光へのお願い事と、男性留学生の月の光、というように対比的なものが生まれたので結果オーライ、エブリシングイズオーライ、という感じになりました。よかったです。行き当たりばったりすぎる。 また、サタンが魔界史の解説で槍を持った老人の絵画を持ち出していますが、槍の文章はディラン・トマスの「Do Not Go Gentle Into That Good Night」という詩が好きなのでそれをイメージして入れました。絵は国立西洋美術館に��る、ラ・トゥールの「聖トマス」を思い浮かべながら書きました。両方ともトマスだ! 偶然でした。聖トマスの絵は別に改革派とかの関係ある絵ではないですが、本当になんというか、静かな迫力というか一目で急に引き込まれる強さというか、言語化が難しいのですがとにかく好きです。国立西洋美術館の常設展で見られます。国立西洋美術館の常設展で好きな絵もう一つあって、グエルチーノのゴリアテの首を持つダビデの絵なのですが、他のダビデの同じシーンを描いた作品に比べ瞳が潤んでいて、若々しさというかゴリアテを倒せたことに対する内なる喜びや興奮の部分が強く表れていて好きだなあって思います。詩はインターステラーが好きで強烈に覚えていた詩です。ノーラン監督の作品の中で出てくる詩ではTENETの「こうして世界は終わる爆音ではなく啜り泣きと共に」も好きです。エリオットのなにかの詩です。忘れました。(好きなのに!?)
今年も自分への誕生日プレゼントに表紙のデザイン頑張りめの同人誌を作ろうって思ってたので、今回はこの話で同人誌作るつもりでいます。本棚の中に入れておいて数年経ったら発見して読みたい感じの本にできたらいいな。全ての本をそういう気持ちで作っている気がします。あ〜箔押しなんかもしちゃったりしたいよ〜。いま透明箔気になってて……あとサンダンスリネンとかNTストライプGAとかリベロとかの紙がずっっと気になってて使ってみたいのでこの機会に使いたい!! ぞ!!! の気持ちもあります。でもおたクラブさん以外にサンダンスリネンの取り扱いがないけど透明箔はスタブさんで………どうしよう!? とにかく野望がもりもりです。というかAdobeのライセンス買ったのでせっかくなら使わないと勿体無いし……の気持ちもあります。
やるべきことが多いのと、一旦キャラクターへの理解に距離を置きたいなって思いつつあるので、おべいみーでの二次創作はちょっとだけ休もうって思っています。手のひら大回転が日常茶飯事なので普通に書くかも知れないけど。というより書くと思うけど。でもナイトブリンガーのことどうしても心から歓迎できなくてよくわからなくなってきてるので、こう、なんか…納得できる妥協点みたいな………何かを………………(?) でも今これを書いてる瞬間に暴君かTYRANTっていうタイトルの女性留学生×ルシファーと女体化ルシファー×男性留学生の二次創作が読みたくてたまらなくなってきたので書くかもしれない���自分が一番信用できないよ!!!
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【イベント出店】
「BOOK FAIR 古本市 in SkiiMa vol.2」
大阪市の書店「LVDB BOOKS」店主、上林翼氏キュレーションによる合同展示販売会をSkiiMa Collection Boothにて開催いたします。 昨年も好評いただいた本企画、第2弾では古書を中心とした展示となっており、様々なカルチャーに精通する上林氏ならではの9つの書店がSkiiMa SHINSAIBASHIに集結します。 心斎橋PARCOではなかなかお目にかかれない貴重な機会をぜひお見逃しなく。 概要
会期:2022年11月4日(金)- 2023年1月23日(月) 時間:心斎橋PARCOの営業時間に準ずる 場所:SkiiMa Collection Booth(心斎橋PARCO 4階) ※ワーキングスペース内にございますので、観覧ご希望の方は受付スタッフまでお声がけください。 入場料:無料
///// 出展店舗
・LVDB BOOKS 大阪市東住吉区田辺の路地の店 大阪府大阪市東住吉区田辺3丁目9-11 Instagram:@lvdbbooks Twitter:@LVDBBOOKS ・toi books 大阪・本町にある5坪の小さな本屋。文芸書を中心に���“問い”をくれる本を販売しています。 大阪府大阪市中央区久太郎町3丁目1-22 OSKビル204 Instagram:@toibooks Twitter:@toibooks ・ON THE BOOKS アートブックからサブカルチャーまで、わくわく楽しい古本と雑貨のお店です。 大阪府大阪市西区江之子島2丁目1-34 大阪府立江之子島文化芸術創造センター B1 Instagram:@onthebooks Twitter:@onthebooks ・開風社 待賢ブックセンター 本屋です。場所は京都・西陣の外れ。 あたらしい本と古い本が並んでます。 絵本と沖縄の本が多め。 京都市上京区大宮通椹木町上る菱屋町818 HP:http://kaifusha-books.com/taiken Instagram:@kaifushabooks Twitter:@kaifushabooks ・町家古本はんのき 京都の西陣にある築100年の町家で、〇〇's Den Books、空き瓶Books、古書ダンデライオンの 3軒の古本屋が共同で店舗を構えています。各店のセレクトで幅広いジャンルの古本を並べています。 京都府京都市上京区鳳瑞町225 HP:https://hannoki.jp Twitter:@MFhannoki ・ありの文庫 ありの文庫は、京都・四条烏丸に事務所を構える古本屋です。 美術・デザイン・写真等関連書籍と音楽ソフトの買取、イベント出店・通販を中心に販売活動をしております。 ・半月舎 彦根・旧城下町にある商店街で11年ほど古本屋をしています。 滋賀県彦根市中央町2-29 HP:http://hangetsusha.ready.jp Instagram:@mikosoba Twitter:@mikosoba ・オヨヨ書林 美術・工芸から、文芸・絵本まで、幅広く扱う金沢の古書店です。 2010年に東京・青山から石川・金沢市に移転。 現在は、シンタテマチ店、せせらぎ通り店の2店舗を営業中です。 シンタテマチ店:石川県金沢市新竪町3-21 せせらぎ通り店:石川県金沢市長町1-6-11 HP: http://www.oyoyoshorin.jp Instagram:@oyoyoshorin, @oyoyoshorinseseragi Twitter:@oyoyoshorin ・古本いるふ ホタルイカ漁が名物の富山・滑川(なめりかわ)から参加いたします、古本いるふです。 「いるふ」は「ふるい」の逆さ言葉で、古いの反対で新しいという意味。 古くても新しい良書をお持ちします。 富山県滑川市瀬羽町1890-1 Instagram:@furuhon_iruf Twitter:@furuhon_iruf
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未来紀行
2017.08.31 AM8:30、改札の近くで買ったアイスティーを片手に、東京駅のホームにて。 今日と明日の二日間、私たちは旅に出る。まず手始めに、かがやきと言う名の新幹線に乗る。どこまでもまぶしい名だ、と思う。ホームで待っている間、私が「新幹線は久しぶりだ」と言うと、今回一緒に旅をする彼女は、気のない声で「そうかもしれない」と言った。 AM9:00、新幹線の車内にて。 新幹線��音もなく発車してすぐに、私は鞄から本を取り出した。私は旅をするとき、いつも荷造りは本から、と決めている。移動中に読む本でその旅はがらりと変わるのだ。今回のお供は、村上春樹の「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」である。すると、それを見た彼女が「あ」と言った。昔、何かの授業が自習になったときに図書館で読んだものだったようだ。しかし彼女は〈上〉の数十ページしか読んでいないらしく、続きが気になっているらしい。気になっているなら買って読めばいいものを、とは思ったが、私は彼女に読むかどうか尋ねた。彼女が遠慮したので、私は自分にとって「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」は、最初に読んだ村上春樹の作品であるから、何回も読み直していて中身はすっかり覚えている旨を伝えた。彼女は安心したのか、本を受け取り、表紙を撫でつつ「でも読んだことのある数十ページはきちんと覚えているの。確か、そう、エレベーターに乗るのよね」と言った。その通りだ、と答え、私は〈下〉の方を開いた。大丈夫だ、すべての物語は私の記憶の中にある。村上春樹の文体は好きだ。前にも言った気がするが、彼はクッキーよりビスケットで、ベーコンよりハムで、ハムよりスモークサーモンで、シルバー・グレーではなくブルー・グレーなのである。これで伝わるかどうかは分からないが、伝わる人に伝わればよい。しばらくすると彼女は「私は眠ることにする」と宣言し、すっかり眠ってしまったが、私は気にせず読書を続けることにしようと思う。 AM10:40、これまた新幹線の車内にて。 私としたことが時間配分を間違えたようだ。「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド〈下〉」は二時間とかからずに読み終えてしまった。彼女はというと、数十分前に起きて私の貸した〈上〉を読んでいる。手持ち無沙汰なので、窓から見える景色を眺めつつ、この文章を書いている。今日の雲はなんだか薄くてひゅいっとしている。まもなく、富山に着くようだ。目的地の金沢はもうすぐ。 PM8:57、ホテルのベッドにて。 夕食を食べ終えてホテルに戻り、やっと一息ついたところ。金沢は不思議なところだと思う。駅を降りてバスに乗り、21世紀美術館がある広坂で降りると、すんと墨の香りがした。なぜだかは分からないけれど、私にはすぐにその香りが墨だと分かった。(どこからそれが来ているのかはちょっと分からなかったけど) 21世紀美術館へと足を向ける。ちょうど展示していたのは、デンマークと日本のプロダクトを展示した日々の生活展と、感情(emotion)を虫に喩えて標本にしたという川越ゆりえ氏の弱虫標本、自然とともに生きたデザイナーであるヨーガン・レールによる文明の終わり展、やくし��るえつこやデミアン・ハーストを筆頭に「命の編集」「機械との共存」「不死」等をテーマにしたコレクション展 死なない命、の四つだった。日々の生活展の中では、HOMEという展示室に書いてあった文章が良かった。「それから、朝パパかママがお弁当の用意をして」たったこれだけの文章に、私は心の底から安心した。もしママだけがお弁当の用意をしていたとしたら、私は二度と美術館を信用しなくなるだろうから。弱虫標本では、私は愛の虫の標本を見ることができた。文明の終わり展においては、正直なところ廃品プラスチックで作った灯のインスタレーションよりも、彼が川で集めた瑪瑙コレクションの方が、なんというか、私の性に合う気がした。自然に淘汰されたもの、そこから私は川のせせらぎを聴いた。死なない命では、私のアンテナにぴこんと引っかかるものは無かった。作品たちが良くなかった訳でもなく、私のアンテナの調子が良くなかった訳でもないとは思うが。でも、薄暗い部屋の真ん中に置かれた冷蔵ケースの中で微生物が延々と培養されていく中、やくしまるえつこが「止めて 止めて 進化を止めて」と歌うのはなかなか面白かった気がする。続きはシャワーを浴びてからにしよう。 AM1:09、ホテルのベッドにて。 シャワーを浴びてから、と言ったものの色々していたらこんな時間になってしまった。美術館を出た後は、近くの土産物店でよく冷えた梅サイダーを買って帰ったくらいで、特に何もしていない。夕食を済ませた帰り道、彼女と「はやく酒が飲めるようになりたいな」という旨の話をしたくらいだと思う。私は「何かにつけて酒を飲みたい まず月が綺麗なら月見酒、風邪を引いたら卵酒」と言うと、彼女は「あなたなら曇っていても健康体でも酒を飲むでしょう」と言い返した。たぶんその通りになるとは思う。さっき時計を見たら12時ちょうどだったので、彼女に「8月終わっちゃった」と言うと、「大丈夫、今から8月32日だから」と返ってきた。明日は八時半くらいに起きる予定だ。 2017.09.01 AM8:45、ホテルの部屋にて。 起床。今日は茶屋街と兼六園に行ってみようと思う。 PM8:04、新幹線の車内にて。 東京に戻っている途中だ。しかし戻ると言うけれど、果たして東京は私にとって戻る場所なのかどうかは分からない。今のところ違うような気がするが、過ごす時間に比例して意識は変わっていくように思う。今日は私の我儘で、朝から着物(といっても夏用の薄手のもの)をお店で着付けてもらって、ひがし茶屋街と兼六園に行った。着物を着るのは初めてだったから、選ぶのはすごく楽しくて、新鮮だった。帯や帯締めの色で着物の印象が本当にがらりと変わってしまうのが面白かった。最初に茶屋街へ行き、お土産をいくつか買って、お昼に梅おろしうどんを食べた。それから歩いて兼六園へ行き、近くで氷梅��いう自家製梅ジャムをシロップ代わりにしたかき氷を食べた。なんだか梅ばかりだな、と彼女に笑われたけれど、食べたいんだから仕方がない。梅ジャムは本当に美味しくて、口の中が涼しくなった。彼女は抹茶づくしという名前の、抹茶のソフトクリームと白玉と小豆が一緒になったものを食べていて、つめたくておいしいね、さっきまでの暑さ忘れちゃったよ、とずっとふたりでにこにこしていた。それから、金沢駅へ向かう途中、新幹線で読む本を買うためにエリカさんに教えてもらったオヨヨ書林に行った。とりあえず一冊手に取って、もう一冊、講談社学術文庫の世界宗教辞典を買うかで迷ったけれど、結局最初に手に取った中村文則の「何もかもが憂鬱な夜に」だけを買うことにした。旅の終わりにしては些か暗すぎるかと思ったけれど、気にしないことにする。金沢駅に着いて、私たちの乗る新幹線は東京着が9時20分だったので駅弁を買った。しかし、さっき食べたばかりだからか、夕食代わりの駅弁は正しく消化されていない気がする。美味しかったけど、何とも言えない気分だ。携帯電話は圏外。ずっとそのまま圏外でいてくれればいいのに、とふと思う。今回の旅では、あえてインスタグラムに写真を投稿することはしなかった。私の伝えたいことは一瞬をその場から切り取っただけの写真では上手く伝わらないだろうし、��ういう風にある程度の時間をかけて編まれた文章の方が伝わるだろうと考えたからかもしれない。でも根底にあるのは、インスタ映えという言葉をただの写真映えに戻そうというすこしの反抗心と、別に私がいまどこにいて何をしているのかを色々な人に知らせる必要があるかどうか考えたときに自分の中で出た答えがノーだった、ということだ。前はSNSでもなんでも使えるものは使いたおしてやろうと思っていたけれど。ターニングポイントは分からないものの、私も変わったということなのだろうか。よく分からないけれど、私の見た目が変わろうと考え方が変わろうと私が私じゃなくなることは死ぬまでないし、死んで海に撒かれても私は私の魂を保持し続けると思う。つまり、質量は消えても存在は残り続けるということだ。ここまで書いて、あ、これって、昨日見た死なない命ってやつ?とふと気づく。こういう点と点がつながって線になる瞬間が好き。これだからアートはやめられない。大昔の人類が、きっかけがどうであれ絵を描いてくれて本当に良かったと思う。ありがとうね。もうすぐ、東京に着く。
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【15thAnniversary】vol 44 趣味レーション映画
アタシはファンサイトを開設するくらい、クレージーキャッツに淫する人間であります。 思えばかれこれ30年以上に渡ってこのグループを追いかけている。 しかしですな、アタシがこの摩訶不思議な存在に気づいた頃にはすでに、彼らはグループとしての活動はほぼしてなかったわけでして。 何故クレージーキャッツにハマったか、というよりは、何故1960年代を中心に活躍したこのグループを知ったか、です。 時代は1980年代前半、アタシが中学から高校にかけての頃の話なんですが、この頃までは深夜の時間帯には必ずテレビで映画を放送していたのです。それも中途半端に古いもの、そうね、だいたい15年前から20年ほど前のが多かった。 洋画でもいっぱい面白いものがあった。つか洋画の方が安定して面白かったんだけど、アタシが魅入られたのは邦画の方、とくに1960年代の東宝映画に激ハマりしたんです。 その中にクレージーキャッツ主演映画もあった。とにかく<邦画=辛気臭い>というイメージとは180度異なる、エネルギッシュな喜劇に感動すら覚えたほどでした。 本格的にクレージーキャッツにハマるのは大学に入ってからだけど、テレビの深夜映画で下地が出来たっつーかね。 クレージーキャッツに限らず、1960年代の東宝映画はアタシにとって特別なものだし、これは今現在のアタシを支配する趣味である「戦前モダニズム」への道筋だったとさえ思うわけで。 ただし1960年代の東宝映画なら何でも好きか、というと、苦手なものもあったりする。 例えば若大将シリーズ。いやね、別に加山雄三も田中邦衛もぜんぜん嫌いじゃないんですよ。なのにどうもこのシリーズがダメで。上手く言えないけど、もう「肌に合わない」としか言いようがない。 もうひとつ、まったく興味を持てないのが「ゴジラ」をはじめとする特撮モノです。 たまにスカパーとかで東宝特撮モノをやってたりするけど、これはやってたら見るんです。 って興味ないんじゃないの?ないですよ。ま、ながら見というか、まあBGV代わりでしかないんだけど。 やっぱり東宝のフィルムの色合いは好きなんですよ。だからつけておく分にはちっとも嫌じゃない。 でも特撮そのものは、まったくどうでもいい。宝田明とか夏木陽介が出てくるドラマパートですね、そこはいいんです。でも特撮シーンになると、画面を見なくなる。意識的にじゃなくて無意識に。 アタシはウルトラマン世代ではなく、仮面ライダー世代です。 「ウルトラマン」自体は円谷プロ単独製作で東宝は関与してないけど、言っても円谷英二はずっと東宝で仕事してきたし、当時は資本関係もあったし、フィルムの<色>とかはもう東宝そのもの、と言っていいと思う。 一方「仮面ライダー」は100%東映印っつーか1970年代初頭の東映でしか作れないケレン味とグロテスクさを内包している。東映は1960年代の終わり頃から石井輝男らがグロテスク映画をいっぱい撮ってたけど、子供向けの、しかも土曜日の19時半というゴールデンタイム中のゴールデンタイムに放送された「仮面ライダー」にもグロテスクが反映されているのがすごい。 アタシは完全に仮面ライダーで育った。つまりは幼少期までは東宝系人間ではなく東映系人間だったのです。 だから東宝系特撮に興味がない、円谷プロ作品を敵視している、なんてことじゃない。 たしかに東宝系特撮には興味ないけど東映であっても仮面ライダー以外にはやっぱり興味がない。それこそゴレンジャーとかの戦隊モノもぜんぜんだもんね。 しかも仮面ライダーとて厳しく言うなら1号2号編だけだし、甘めに言ってもストロンガーまで。それ以降は完全に興味ゼロです。 そんな人間が2016年に公開された「シン・ゴジラ」を観に行った。 ま、たしかにね、これは完全に大人向けだな、というのはあったし、���レビCMを見る限り、たしかに「東京にゴジラが現れた」みたいな臨場感は実現出来ているな、とは思った。 しかし「そもそも特撮に興味がない」人間には、それでは決定打にはならないんです。だってむしろ避けたいジャンルでさえあるんだから、余程の理由でないと観に行くわけがない。 アタシが「シン・ゴジラ」を観に行った最大の理由は「嫉妬」です。 といっても島本和彦みたいに「庵野よ!俺より(以下省略)」みたいな嫉妬じゃなくてね。つかそれは観た後の感想であって、観に行く理由にはならない。 嫉妬の理由、それは「シン・ゴジラ」が東宝本体で作られた、と知ったからです。 ずいぶん長い間、東宝本体で作るのは「ゴジラ」シリーズだけでした。しかし前のヤツがあまり興行成績が良くなくて、とうとう「ゴジラ」シリーズまで作らなくなった。 やれやれ、やっとアタシが興味のないゴジラから解放されたか、次はいよいよ、と思っていたら、結局ゴジラかい!と。しかも庵野秀明も樋口真嗣も、(少なくとも実写においては)結果を出していないのに。 それはともかく何がいよいよと思ったかというと、音楽喜劇ですよ。アタシにとって東宝といえば音楽喜劇の東宝ですから。エノケン映画やクレージーキャッツ映画を作ってきた東宝だから。 もちろん特撮モノも柱の一本であるのは理解している。だけれども特撮だけになるのはどうしても納得できなかった。 頼むから音楽喜劇も作ってくれよ!とね。 んで、映画を観た感想です。 これで音楽喜劇はさらに遠のいてしまったな、と。これ、最上級の褒め言葉なんですがね。 アタシ的にはかなりイマイチと思った「踊る大捜査線 THE MOVIE」(映画第1作)を観た東宝のエラい人が「ウチはなんでああいう面白い映画が作れないんだ!」と怒鳴ったといいます。 「踊る」シリーズは製作はフジテレビ、配給が東宝でした。だから気持ちはわかるけど、いやいや、あんたんところゴジラしか作らないじゃん、と思ったものです。 正直「踊る」の映画版シリーズと「シン・ゴジラ」は比較にすらなりません。もちろん「シン・ゴジラ」の方がはるか彼方に「上」です。 少なくともアタシがリアルタイムで劇場で(つまり封切り上映で)観た、ここ30年くらいの邦画の中では一番面白かった。こんな面白いものを作られたら、島本和彦じゃないけど「庵野よ!東宝本体で音楽喜劇が作られる可能性を潰すんじゃない!」と言いたくなりますよ。 さて、ここからはアタシのように「特撮映画なんかに興味がない」なんて人に向けて書きます。 はっきりいって、この映画を特撮映画に分類するのは、非常に馬鹿馬鹿しい。強いていえば「特撮入り」映画です。劇中にCGが使われてる映画なんか腐るほどあるけど、別にCG映画とか言わないでしょ。人間以外フルCGといわれる「ジャングル・ブック」でさえ言われていない。 もちろん怪獣映画でもない。怪獣は出てくるけど、あくまでこの映画でのゴジラの扱いは「得体の知れない<何か>」であり、謎の生物の解明こそが肝になっているからです。 じゃ何なんだ、となりますが、こ���はシミュレーション映画です。いや、徹底的に「好み」で事象を絞ってるから、やっぱ<趣味>レーションか。 「もし東京にゴジラが現れたら・・・」(大勢の人が指摘している通り、「ゴジラ」を「原発事故」に置き換えられるように、というか嫌が上でも喚起させる構成にしてある)というシミュレーションを、大真面目に、かつ緻密にやっているのですが、アタシが感心したのは「大真面目に、かつ緻密に」やってる閣僚の動きがすべてギャグになっているのです。 作戦会議のシーンは真面目なんですよ。でもそれがまるまる「閣僚あるある」になってる。ああ、もう、この感じ、他のどの国でもない、まさしく日本!というか永田町!と。 だからさっき「もし東京にゴジラが現れたら・・・」と書いたけど、正確には 「もしも〜!東京にぃ〜!ゴジラが現れたらぁ〜!聞いてんのかさんまちゃん!オヨヨ!!」と書いた方がニュアンスが伝わる。 ヒーローなんて誰もいない。主人公演じる長谷川博己だって、別にヒーローなんかじゃない。でも悪人じゃない。真面目なんだけど、本当の意味で全体を掌握できる人なんかいない。 全員が全員、不器用で、一所懸命で、ひとりじゃ何にもできない人しか出てこない。 これはね、<正しく>王道の展開なんですよ。 「弱者が力を合わせて困難に立ち向かい、目標を達成する」という王道展開がありますが「シン・ゴジラ」はまさしくこれに当てはまる。もちろん閣僚が「弱者」に見えるように、ゴジラが絶対的強者に見える描写があればこそ、なんだけどね。そしてちゃんと絶望なほど強いってのを表現しきれてるのが凄いのです。 つまりは正しい形で「王道」を利用しているわけで、万人が観て面白く感じるようにはじめからきちんと作っているんですね。 とまあ、ここまで絶賛気味に書いてきたけど、もちろん不満もあった。と言っても公開当時によく言われた「まるでルー大柴」のような石原さとみの扱いじゃない。個人的にはあれはあれでいいと思うんだけどね。 アタシがものすごく不満に感じたのはエンディングです。 なるべくネタバレなしで書きますが、ま、すったもんだがあって、一応は解決みたいな風になってね、それはいい。つか何らかの決着をつけなきゃフィクションとして成立しないし。 問題はその後です。いわばラストシーンといってもいい場面で、あれ、何で語らせちゃうかなぁ。せっかくすべての状況を「画」と「会話の応酬」で見せておいて、最後の最後に結局心情を語らせてしまう。 何かこれをやるから「ったく。だから日本映画はダメなんだ。これがハリウッドだったら」なんて言われちゃうんだと思うんです。 え?あれは某映画のオマージュ?んなことは1ミリも関係ない。大半の観客は某映画みたい、じゃなくて、船越英一郎と片平なぎさみたい、と思うんじゃないかと。んなことがやりたければ、冗談でも何でもなく、主役は全部船越英一郎にやってもらえばいいんです。いやマジでさ。 さっき「王道の重要性」について書いたばっかりだけど、クライマックスで心情をベラベラ語るのは王道じゃない。単に火曜サスペンス劇場とか土曜ワイ��劇場のお約束です。 本当、そこだけがメチャクチャもったいない。あれさえなければアタシ的な評価は倍ほど上がったのに。アタシの評価なんかクソの役にも立たんけどさ。 それでもね、どうも、単にアタシが捻くれているだけかもしんないけど、ここまで指摘したような「王道をちゃんと活用している」だとか「土曜ワイドの下手な真似事をすんなよ」みたいなことを書いてる人が本当にいなくてさ。 別に他人の評価なんてどうでもいいけど、さっき書いたような「某映画のオマージュ」とか、そんなのばっかりだったんですよ。 アタシがとくに引っかかったのが「シン・ゴジラ」の論評にやたら「アイロニカル」って言葉が出てくることでして。マジで全員おんなじ人が書いてるんじゃないかと思ったくらい。 だいたい何だよアイロニカルって。吉野家コピペじゃないけど、本当にアイロニカルって言葉でないと言い表せないのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。 お前アイロニカルって言いたいだけちゃうんかと。 というか、こういう言葉を使いたがるのはオタクの典型で、過去の「ゴジラ」シリーズとか「ガメラ」シリーズと比較して、「シン・ゴジラ」は何故ウケたか、みたいな視点しかないんです。 あのなぁ、関係なさすぎるだろ、としか思えないんですよ。これは「踊る大捜査線」がブームになった時も思ったけど、いくら小ネタを詰め込んだとしても、それと観客動員とは1ミリも関係ないんですよ。 小ネタは所詮小ネタ。いわば劇場まで足を運んでくれた人へのサービスなんです。でも問題は、どうやって劇場まで足を運ばせるかがでしょうが。 「シン・ゴジラ」が何故人気を呼んだか、これはかなり単純なんです。 さっき書いた通り、まず子供向けじゃなさそうだったから。これがひとつ。もうひとつがCGが自然で本当に東京の街並みにゴジラが出てきた雰囲気が出てたから。 これくらいしかない。でもこのふたつはちゃんと予告編でわかるようになっていた。これが重要なんです。 「あ?んなこと当たり前だろ、俺らはもっと深い分析をしてんだよ!」と言い返されるかもしれませんが、当たり前のことをまず指摘しないってどういう了見?別にブログなら構わないけど、カネもらって書いてるクセに、そこを無視しちゃダメでしょ。 そもそも本当に「深い分析」なのかも怪しい。どうもマニアックなことを書けば深い分析みたいに勘違いしている輩が多いけど、「あのシーンは○○という映画のオマージュ」とか「アンノの過去の作品の傾向からして」みたいなのが「深い分析」なの? なんかね、ただの知識自慢にしか見えないんだけど。 「シン・ゴジラ」は歴史に残る大傑作かどうかはともかく、佳作であるのは間違いない。もちろんさっき指摘したような欠点もあるけど、それは傑作と呼ばれる映画でも欠点はありますから。 少なくとも「シン・ゴジラ」のおかげでアタシの中にくすぶっていた「特撮モノへの苦手意識」は若干和らいだ。んでアタシが渇望する��かつてのクレージーキャッツ映画のような音楽喜劇が作られないってのも納得出来た。 ただ同時に強烈な「特撮オタクへの苦手意識」も芽生えた。つか特撮に限らずオタクは視野が狭すぎるわ。 あー、やだやだ。オタクなんてロクなもんじゃないね。ってそれって同族嫌悪じゃなくて?と問われたら何も言い返せないのですが。 (初稿 2014年08月12日更新「興味ありそで興味ない、というか持てないもの」、2016年9月5日更新「趣味レーション映画」、2016年9月12日更新「ンモー!最後に語らせるなよ!」、2016年10月3日更新「アイロニカルって、何?」、2018年09月25〜29日更新「徹底解剖・仮面ライダー」他・改稿 2019年4月22日)
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合言葉はオヨヨ 小林信彦 朝日新聞社 装幀=平野甲賀、さしえ=小林泰彦
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合言葉はオヨヨ 小林信彦 角川文庫 カバー=小林泰彦
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