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重遊「連龍洞」,深探「非遊客路線」

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先日無事にガンダムエース2月号と『新装版 機動戦士ガンダムSEED DESTINY THE EDGE Desire』1&2巻が発売されました。 既にお手にとってくださった方、ありがとうございます! ・ ガンダムエースの方はSEED FREEDOM BD&DVD発売に合わせ、FREEDOMのアスランとカガリ+インフィニットジャスティスを描かせて頂きました。 映画公開直後のガンダムエース表紙では、小笠原先生がキラ&ラクスを描かれていたので、今回はこの2人でという事で。ちょうど新装版Desire発売(EDGE���リーズの完結)に合わせて、DESTINYの先のアスランを描き残す事が出来て良かったです。 2004年の年末に連載が始まったTHE EDGE、まさかこんな長く関わらせて頂くとは思いもしませんでした。 当時から、そして今、読んでくださっている読者の皆さま、そして支えて下さった方々には感謝しかありません。 その感謝の思いと、DESTINYという作品への思いを、今回の描き下ろしに詰めて描かせて頂いたつもりです。 DESTINYってこんな話だったよねと、こんなキャラクターが生きている様に、私たちは心動かされて来たんだよね…と、確認するような執筆作業でした。 年末年始の数多のお楽しみのひとつとして、楽しんで頂けましたら幸いです!
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2024年は引越しもあり、個人的に大きな変化の年でした。 予想以上に、新生活の環境を整える事や家の事に時間を費やした1年だったなと思います。 地元へのUターン移住とはいえ20年以上離れていたのでもはや新天地。今までとは違う環境に適応するには時間がかかるということですね。 これからは家族と過ごす時間も大切にしていこうと思っています。
ではでは、 今年も作品等見てくださった皆さま、ありがとうございました。 来年もどうぞよろしくお願いいたします。 良いお年を。
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采配蘭[Saihairan] Cremastra appendiculata var. variabilis
采配[Saihai] : Baton of command
蘭[Ran] : Orchid
It is so named because the appearance of the flowers in cluster looks like a Saihai. It grows in slightly moist areas of the forest that do not receive direct sunlight. The grass is about fifty centimeters tall and often has only one long leaf on the stem. The flowers are subdued but tasteful, with a dark pink color. https://en.wikipedia.org/wiki/Saihai
Saihai also means command, order or direction, turning from the use of that baton. The following passage is about one of the warlords, 上杉 謙信[Uesugi Kenshin](1530 - 1578.)
謙信軍中に靑竹を持たれし事 謙信は長さのみ高からず。左の脚に氣腫有りて、歩む時足を引く如く見えし��なり。物の具する事は尠く、黑き木綿の胴服を著、鐵にて造りたる小き車笠を冠り、麾執る事も尠く、靑竹を三尺計にして、杖の如く提げ持ちて、士卒を下知せられけり。梁の韋叡が竹如意の遺󠄁風なりとぞ。
[Kenshin gunchū ni aodake wo motareshi koto Kenshin wa take sanomi takakarazu. Hidari no ashi ni kishu arite, ayumu toki ashi wo hiku gotoku mieshi to nari. Mono-no-gu suru koto wa sukunaku, kuroki momen no dōbuku wo ki, tetsu nite tsukuri taru chiisaki kurumagasa wo kaburi, sai toru koto mo sukunaku, aodake wo sanjaku bakari ni shite, tsue no gotoku hissage mochite, shisotsu wo gechi serare keri. Ryō no i ei ga takenyoi no ifū nari tozo.]
About that Kenshin held a green bamboo stick during battles Kenshin was not very tall. He had emphysema in his left leg, and appeared to limp when he walked. He rarely wore armor, wore a black cotton dōbuku(a kind of short overgarment) and a small iron kasa(a kind of hat,) and also rarely took saihai(command.) He ordered his soldiers with a cane made of green bamboo about ninety centimeters long. It is said to follow the custom of Wei Rui(442-520) in the Liang dynasty(502 - 557, China,) who was having a nyoi(a kind of scepter) made from bamboo. https://shosoin.kunaicho.go.jp/en-US/treasures/?id=0000014559 From 常山紀談[Jōzan kidan](What written and talked by Yuasa Jōzan) Source: https://dl.ndl.go.jp/pid/1018103/1/50
On the other hand, Kenshin's mortal rival, 武田 信玄[Takeda Shingen](1521 - 1573,) used 軍配[Gunbai](War fan) when commanding. https://en.wikipedia.org/wiki/Battles_of_Kawanakajima (Available until May 30 19:59 JST) https://www.youtube.com/watch?v=WScriH_ZzP0
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「鹿児島県警は芯から腐り切っている」 誤解を恐れずに評すれば、出来の悪い警察小説か警察ドラマの筋立てかと見紛うような、あまりにあからさまであまりに剝き出しの権力犯罪である。 だが、現実にそれは起きた。いや、現在進行形で起きている。そして一連の事態は、この国の警察組織や刑事司法の闇を照射し、同時にメディアやジャーナリズムの真価を根本から問うてもいる。 福岡市の中心部にほど近い一角に佇む築40年を超える古びたマンション。すべての端緒を切り拓き、歪んだ捜査の標的にもされたネットメディアは、この一室に拠点を置いている。ほぼ一人で運営する小メディア『HUNTER(ハンター)』の主宰者は中願寺純則(64)。編集作業に使っているという六畳ほどの狭い部屋で私と向きあった中願寺は、常に背筋を伸ばしたまま淡々と、しかし静かな怒気を端々に滲ませて口を開いた。 「鹿児島県警は完全に腐っているんだと、もはや自浄作用など期待できないから真実を知らせてほしいんだと、私たちへの情報提供者は心底憤っていました。私も同感です。鹿児島県警は芯から腐り切っている」 中願寺が一連の取材に着手する契機となった事件が起きたのは2021年の夏、世界がまだ新型コロナのパンデミックに揺れていた最中のことである。翌22年の2月になって事実関係を最初に報じた鹿児島の地元紙・南日本新聞の記事によれば、概略は次のようなものだった。 〈鹿児島県医師会の男性職員が、新型コロナウイルス感染者が療養するための宿泊施設内で、派遣された女性スタッフに対し、わいせつ行為など不適切な行為をしていたことが14日、南日本新聞の取材で分かった〉〈関係者によると、男性職員は昨年8月下旬~9月末、宿泊療養施設運営のために派遣された女性スタッフに対し、施設内でわいせつな行為などをした。(略)女性は一連の行為に関し「同意はなかった」として、管轄の警察署へ告訴状を提出した〉(2月15日付朝刊) 関係者からの情報提供もあって中願寺は取材を開始し、伝手を辿って被害女性らにも話を訊き、鹿児島県への情報公開請求なども重ね、自らが運営する『ハンター』に次々と記事を掲載した。その記事の矛先は当初、被害女性との間で「合意があった」と事実を矮小化する医師会などに向けられたが、次第に県警へも向けられるようになった。取材の結果、こんな事実が浮かんだからである。今度は中願寺が23年1月20日に『ハンター』で書いた記事の冒頭部分を引用する。 〈昨年1月、鹿児島県警鹿児島中央警察署が、性被害を訴えて助けを求めに来た女性を事実上の「門前払い」にしていたことが分かった。応対した警察官は、被害を訴える女性が持参した告訴状の受理を頑なに拒み、様々な理由を付けて「事件にはならない」と言い張ったあげく女性を追い返していた〉 そして記事はこう続く。 〈背景にあるとみられるのは、身内をかばう「警察一家」の悪しき体質と性被害への無理解。意図的な不作為が、醜悪��人権侵害につながった可能性さえある〉 どういうことか。実は女性が性被害を受けたと訴える「県医師会の男性職員」の実父が県警の警察官であり、だから県警は捜査を忌避し、事案を握りつぶそうとしているのではないか――中願寺はそう睨み、県警を指弾する記事を続々掲載した。 〈県医師会わいせつ元職員の父親は3月まで現職警官〉(23年5月15日掲載)、〈訴えられた男性職員の父親は「警部補」〉(同6月2日掲載)、〈問われる医師会と県警の責任〉(同6月12日掲載)……。 鹿児島で起きた性加害事件をめぐる県警の問題点へと果敢に斬り込む『ハンター』には間もなく、県警の内部から貴重な情報も寄せられるようになっていった。 「小メディア」の果敢な不正追及 1960年に長崎県で生まれた中願寺は、東京の大学を卒業後、政治家の秘書や信用調査会社系のメディア記者といった職を経て、2011年3月に『ハンター』を立ちあげた。サイト開設が東日本大震災の発生前日だったのは偶然だが、以後の約13年のサイト運営は決して楽ではなかった。中願寺もこう言う。 「正直言っていまも楽ではなく、私は無給状態ですが、小さいながらもメディアとしてスタートした当初はさらに厳しく、やめてしまおうと思ったことが何度もありました。ただ、何年か続けていると応援してくれる方々も現れ、だからなんとか歯を食いしばって運営を続けてきたんです」 そうやって小メディアを懸命に維持して記事を日々発信する一方、もともとの経歴もあって中願寺は地元政財界に独自の人脈を持ち、メディア記者らのほか警察当局者ともさまざまな形で接触を重ねてきた。主には刑事部門で事件捜査にあたる警官だったが、公安部門の警官が接触してきたこともある。そんな接触を通じて時には情報を交換し、時には取材中の事件に関する捜査動向の感触を探る――といった営為は、所属メディアの大小等を問わず、事件取材に奔走する記者なら誰にも経験があるだろう。かつて通信社の社会部で事件取材に携わった私も例外ではない。 また、そういった取材活動を通じて特定の事件や事案に関する記事を発信していると、当該の事件や事案の内実を知る関係者から貴重な情報や内部告発が寄せられることもある。これこそ取材という営為の醍醐味であり、鹿児島県警の不正を追及していた中願寺のもとにも幾人か情報提供者が現れた。もともとは県警の公安部門に所属し、その後は曽於署の地域課に在籍した巡査長・藤井光樹(49)はその一人だった。 そんなふうに入手した情報や資料に依拠し、中願寺はさらに追撃記事を執筆した。極北となったのが〈告訴・告発事件処理簿一覧表〉との標題がついた県警の内部文書を入手し、23年10月から展開した記事群だったろう。プライバシー等にも配慮しつつ文書の一部を画像で示し、件の性加害事件をめぐる県警対応の不審点を指摘する一方で中願寺は、こうした内部文書が大量に漏洩しながら事実を公表も謝罪もせず頬被りを決めこむ県警の態度をも厳しく指弾した。 当の県警は――ましてや上層部は、県警の内部文書を掲げて噛みつく『ハンター』に苛立ち、焦燥を深めたに違いない。しかも県警では近年、あろうことか現職警官が逮捕される不祥事が続発していた。20年以降の事案を列挙するだけでも、その惨状は目を覆わんばかりである。 ①20年2月、女子中学生を相手とする児童買春容疑で霧島署の巡査部長を逮捕、②21年7月、いちき串木野署の巡査部長が女性宅に不法侵入したとして逮捕、③22年2月、鹿児島中央署の交番勤務の巡査長が拾得物の現金を横領したとして逮捕、④23年10月、SNSで知り合った少女と性交したとして県警本部の巡査長を逮捕――。 惨憺たる状況下、県警の内部文書まで入手して噛みつく『ハンター』への苛立ちからか、内部告発者らによって他の不祥事案が発覚するのを恐れたのか、県警は信じがたいほど強引な捜査に踏み切る。今年4月8日、県警の内部資料などを『ハンター』に漏洩したとして先述した巡査長・藤井を地方公務員法違反(守秘義務違反)容疑で逮捕し、同時に中願寺が主宰する『ハンター』までをも家宅捜索したのである。 異常かつ論外の家宅捜索 その日の朝、編集作業に使っている六畳ほどの部屋には約10人もの県警捜査員が押しかけた。中願寺によれば、「令状がある」という捜査員は、それをヒラヒラと示すだけで容疑事実も仔細に説明せず、業務用のパソコンはおろか中願寺が使用している新旧のスマートホン、さらには取材用のノートやファイル、名刺類まで押収していった。 言うまでもないことだが、それらにはメディア主宰者の中願寺にとって断固秘匿すべき情報源などが刻まれていたし、なによりも業務用のパソコンを失えばサイトを更新することもできなくなってしまう。だから思わず声を荒らげ、捜査員に激しく迫った。 「おいっ、せめてパソコンはすぐに返さないと、営業妨害で訴えるからなっ!」 その一喝が効いたのか、パソコンは翌日返却された。だが、内部データは間違いなく抽出され、一部の押収物は2カ月以上経った現在も返却されていない。一方、『ハンター』に情報を「漏洩」したとして逮捕された巡査長・藤井は、自らに迫る捜査の気配を察知していたのか、逮捕のしばらく前に電話で中願寺にこう語っていたという。 「私は腹を決めてやっています。ウチの組織は腐っていて、外から刺激を与えないと変わらない。そう考えてやったことです���ら、もし逮捕されても私に後悔などない。だから中願寺さんが悔やむ必要もありません」 だとすれば藤井は、『ハンター』というメディアにとっては「情報提供者」、あるいは「内部告発者」であり、広く社会にとっても大切な「公益通報者」だったと捉えるべきではないのか。 ならばここで、あらためて記すまでもないことをあらためて記しておく必要がある。たとえ小さくともメディア=報道機関への情報提供者を逮捕すること自体が異例であり、たとえ小さくともメディア=報道機関を強制捜査の対象とするなど極めて異常かつ論外の所業。同じことを新聞やテレビといった大手メディアに行えば、言論や報道の自由を圧殺する暴挙だと大騒ぎになるだろうし、ならなければおかしい。ましてそれが「公益通報」の色彩が濃い事案だったなら、県警の所業は一層悪質な暴走と評するしかない。 だが、県警の信じがたいような暴走はこの程度で止まらなかった。 あるジャーナリストに寄せられた内部告発 鹿児島や福岡からは直線距離で約1500キロメートルも離れた北海道の札幌市。ここを拠点にフリーランスの記者として活動する小笠原淳(55)は4月3日、市中心部にも近い雑居ビルの一階に入居する月刊誌『北方ジャーナル』の編集部にいた。 話は本筋からやや逸れるが、『北方ジャーナル』といえば、かつて北海道知事選の候補者をめぐる「中傷記事」が名誉毀損に問われ、出版物の販売差し止めを容認する最高裁判例の舞台になったことを想起する向きも多いだろう。だが、これは70~80年代の出来事であり、もとより小笠原には何の関係もない。また、現在の『北方ジャーナル』は経営母体なども代わっていて、もともとは地元紙の記者からフリーランスに転じた小笠原は、頻繁に寄稿している同誌の編集部を原稿執筆などの場として活用していただけのことだった。 あれはたしか昼過ぎだったと小笠原は記憶している。編集部に郵便物を届けにきた配達員が、小笠原宛の茶封筒を手に「どうされますか」と尋ねた。封筒の表には一般封書の規定額である84円切手が貼られていたものの、重量がオーバーしているから10円の追加料金が必要だというのだ。支払わなければ持ち帰られていたかもしれないが、小笠原は財布から10円玉を取り出して渡し、封書を受け取った。 消印は〈3月28日 鹿児島中央〉。差出人の名はない。いったいなんだろう――そう思いつつ開封した瞬間、これは内部告発だと小笠原は悟った。計10枚の文書の1枚目には〈闇をあばいてください。〉と太いフォントで印字され、2枚目には〈鹿児島県警の闇〉と題して計4件の事案が列挙され、3枚目以降は県警の内部文書とみられるものを含め、違法性の濃い不祥事の中身などが詳述されていた。一部の概要のみ記せば、次のような事案である。 ①霧島署の巡査長が女性にストーカー行為を繰り返し、しかも職務上知り得た個人情報も悪用して行為に及んだのに、処分も公表もされていない事案、②枕崎署の捜査員が���務時間中、市内の公園の女子トイレで女性を盗撮し、しかも捜査車両を使っていたのに県警が隠している事案、③県警幹部による超過勤務手当の不正請求があったのに、立件も公表もされていない事案――。 小笠原は、すぐに『ハンター』の中願寺に連絡を取った。理由はいくつもあった。なによりも札幌に居を置く小笠原にとって、はるか遠い鹿児島県警の不祥事を取材するのは物理的に難しい。また、北海道警の不祥事やその追及が甘い大手メディアも批判してきた小笠原は、警察の不正や記者クラブ問題を追及する中願寺と意気投合し、数年前からは『北方ジャーナル』などのほか『ハンター』にも寄稿するようになっていた。もちろん、中願寺と『ハンター』が鹿児島県警の不正を追及中だったことも熟知していた。 だから小笠原はその日のうちに中願寺に電話し、匿名で送られてきた10枚の告発文書もメールで送信し、中願寺と共有した。「裏取り取材に手間と時間はかかりそうだが、相当に貴重な内部告発だから、できる限り取材して記事にしていこう」。中願寺はそう応じ、小笠原も協力は惜しまないつもりだった。 元最高幹部の切実な訴え 『ハンター』が県警による捜索を受けたのは、そのわずか5日後のことだった。当然ながら、押収されたパソコンには小笠原が中願寺と共有した告発文書も保存されていた。 ここからは推測も交えるが、押収パソコンのデータを解析した県警は眼を剝いて驚愕し、焦燥を一層深めたろう。どうやら『ハンター』には、すでに逮捕した巡査長・藤井らのほかにも内部情報の提供者がいるらしい。しかもその人物は、あくまでも匿名のようだが、提供文書や情報の精度からみて現場レベルの警察官ではなく、相当に高位の立場にある県警幹部クラスではないか――と。 県警がその人物をいつ特定したかは定かでない。ただ、さほど時間を要さず特定したとみられ、後述するように相当周到な事前準備を施したうえ、またも信じがたい強硬手段に打って出た。5月31日にその人物を――県警主要署の署長なども歴任し、つい2カ月前までは県警最高幹部の一人である生活安全部長を務めていた本田尚志(60)を逮捕したのである。容疑はやはり国家公務員法違反(守秘義務違反)。職務上知り得た秘密を第三者に――すなわち小笠原に送った告発文書で漏らしたというものだった。 さて、この国の全国津々浦々に25万以上もの人員を配する警察には、ざっくりとわけて二つの���種族〟がいる。一応は現在も自治体警察の装いをまとった47の都道府県警に採用され、警察官の階級として最下位の巡査からスタートする叩き上げのノンキャリア。他方、かつてなら国家公務員の上級職試験、少し前までなら一種試験、現在の総合職試験をパスし、警察庁に採用されたキャリアの警察官僚。前者は警察官の圧倒的多数を占めて都道府県警の現場を支え、圧倒的少数の後者は警察庁と都道府県警を往来しつつ出世街道をひた走る。そしてどこの都道府県警でも大同小異だが、叩き上げノンキャリアの最高到達点の一つが生活安全部長の職であり、警視正の階級まで昇り詰めて3月に定年退職したばかりの元最高幹部が逮捕される――しかも古巣の県警に逮捕されること自体、前代未聞といっていいほど異例の事態だった。 さらに本田は逮捕から5日後、鹿児島簡裁で行われた勾留理由開示請求手続きの場で、驚愕の訴えを陳述した。手元にある陳述書にはこんな言葉が刻まれている。 〈今回、職務上知り得た情報が書かれた書面を、とある記者の方にお送りしたことは間違いありません。/私がこのような行動をしたのは、鹿児島県警職員が行った犯罪行為を、野川明輝本部長が隠しようとしたことがあり、そのことが、いち警察官としてどうしても許せなかったからです〉〈この時期は、警察の不祥事が相次いでいた時期だったため、本部長としては、新たな不祥事が出ることを恐れたのだと思います〉〈私は、自分が身をささげた組織がそのような状況になっていることが、どうしても許せませんでした〉〈退職後、この不祥事をまとめた文書を、とある記者に送ることにしました〉〈マスコミが記事にしてくれることで、明るみに出なかった不祥事を、明らかにしてもらえると思っていました〉〈私としては、警察官として、信じる道を突き通したかったのです。決して自分の利益のために行ったことではありません〉(抜粋、原文ママ) 県警本部長の不可解な言い分 極めて閉鎖的で上位下達の風潮が強い警察組織において、ノンキャリアの元最高幹部がキャリアの県警トップに公然と反旗を翻すことも異例中の異例であり、と同時にその訴えが事実ならば、本田もまたメディアにとっての「情報提供者」であり、広く社会にとっての「公益通報者」であったのは明らかというべきだろう。しかも県警は、自らの不正を追及するメディアを強制捜査の対象とし、メディアにとって最重要の情報源を特定し、さらには警察が警察であるがゆえに持つ最高度の強権を行使して〝口封じ〟を謀ったことになる。 一方、本田に反旗を翻された本部長の野川は当初、地元メディアの取材にのらりくらりと対応するだけだったが、鹿児島地検が本田を起訴した6月21日にようやく正式な会見を開き、「私が隠蔽を指示した事実も県警として隠した事実もない」と反論した。本田は「公益通報者」ではないのか、という問いにも「県警としては公益通報に当たらないと考えている」と突っぱねている。本田が札幌の小笠原に送付した計10枚の文書には、被害者が公表を望んでいないストーカー事件の被害者名や年齢等が記載されていた――などというのが野川と県警側の言い分だった。 だが、その言い分はあまりに弱く、事実経過からみて素直に頷くことなどできはしない。 前述したように、本田の告発文書には複数の県警不祥事が具体的に列挙され、霧島署の巡査長によるストーカー案件のほか、枕崎署の捜査員による盗撮案件もそのひとつだった。この盗撮案件が発生したのは昨年の12月15日。直後に県警は事実を把握し、犯行時に捜査車両が使われたことも確認していたが、問題の捜査員は逮捕も処分もされないまま放置された。 ところが約5カ月も経った今年の5月13日、当該の捜査員は建造物侵入などの疑いで突如逮捕された。いったいなぜか。県警が『ハンター』を捜索してパソコンを押収したのが4月8日。これを解析して本田の告発を把握し、本田逮捕に踏み切ったのが5月31日。そのわずか半月前に盗撮捜査員を逮捕したのは、時系列的にみて本田が文書で訴えた「隠蔽」を否定し、事前に打ち消すための周到な〝準備〟であり〝工作〟ではなかったか――。 ここまでお読みになった方は、まさに鹿児島県警は「腐り切っている」と感じられただろう。私も同感だが、果たしてこれは鹿児島県警だけに特有の腐敗か。いや、そんなことはあるまい。いかに小さくとも、メディアを強制捜査の対象とする判断を県警だけで行うとはにわかに考えにくく、ましてや最高幹部だった前生活安全部長・本田の逮捕は、警察庁の裁可や指示を仰がずに独断で行われたはずがない。畢竟、その過程では本田の告発がどのように行われ、県警がそれをどう特定したかを含め、すべてを把握した上で警察庁がゴーサインを出したのは間違いなく、一連の問題からはこの国の警察組織全体に巣喰った腐臭が漂う。さらにつけ加えるなら、一連の問題からはこの国の刑事司法が抱える根深い悪弊の一端も浮かびあがる。 証拠類を「廃棄」せよとの呼びかけ 話はやや前後するが、県警を追及する過程で中願寺と『ハンター』は、別の重大な文書も入手していた。中願寺は「取材源の秘匿」を理由に入手先を明かさないが、おそらくは『ハンター』に情報を寄せていた巡査長・藤井からもたらされたのだろう。これについては一部メディアでも大きく報じられて波紋を広げているが、文書の標題は〈刑事企画課だより〉。わずか2枚の文書には漫画風のイラストも添えられ、県警捜査部門が作成して内部閲覧に供する、さして秘匿性の高くない文書と思われるが、そこにはやはり眼を剝くようなことが公然と記されていた。 〈最近の再審請求等において、裁判所から警察に対する関係書類の提出命令により、送致していなかった書類等が露呈する事例が発生しています〉〈この場合、「警察にとって都合の悪い書類だったので送致しなかったのではないか」と疑われかねないため、未送致書類であっても、不要な書類は適宜廃棄する必要があります〉〈再審や国賠請求等において、廃棄せずに保管していた捜査書類やその写しが組織的にプラスになることはありません!!〉(原文ママ) 問題点は明白であろう。現在再審公判が行われている袴田事件にせよ、布川事件や松橋事件などにせよ、いまなお数々発覚する冤罪事件の大半は、警察や検察が隠していた証拠類が再審請求の過程などで示され、ようやく罪が立証されている。なかには警察が検察に「送致」すらしていない証拠類もたしかに多く、警視庁公安部の不当捜査を受けた横浜の化学機械メーカー・大川原化工機が起こしている国賠訴訟では、公安部内に残されていたメモ類が公判の大きな焦点にもなっている。 つまり文書は、そのような事態は「組織的にプラスにならない」から、「裁判所の命令」などで「露呈」することがないよう、「不要な書類」等は「廃棄」してしまえ――と県警が内部に堂々そう呼びかけていたことを示す。このようなことを許せば、この国の刑事司法に巣喰う悪弊は一層慢性化してしまいかねず、しかもこの文書の秘匿性がさして高くないとみられることを踏まえれば、県警の勝手な判断に基づく所業だったか、との疑念がここでも湧く。警察庁あたりからそうした指示や示唆があり、だから深慮なく内部閲覧文書に明示したのではなかったのか、と。 ジャーナリズムの二重の敗北 再び福岡市にあるマンションの一室。鹿児島県警を追及し、数々の不正を明るみに出した中願寺は、「最後にこれだけは強調したい」と言って姿勢を正した。 「私が取材を始める契機となった強制性交事件の被害者は、いまも精神的に不安定なまま必死に真相解明を訴えています。また鹿児島では警官が逮捕される事件が続発し、被害者のほとんどは女性です。たしかに報道への弾圧は大問題ですが、大元にもっと眼を凝らさなくてはいけない。警官や警察一家の人間によって女性が被害を受けた事件こそが原点であり、それをすっ飛ばして報道弾圧だと訴えても、市民の共感は得られないんじゃないでしょうか」 一方、札幌を拠点にフリーランス記者として活動する小笠原は、「すべての元凶は鹿児島県警とはいえ、私に情報を寄せてくれた本田さんを守れなかったことは、いち記者として忸怩たる想いがあります」と唇を嚙みつつ、いまこんなふうに訴えている。 「いくら小さなメディアとはいえ警察がガサ入れし、情報源を暴いて逮捕してしまった。そのことに全メディアがもっと本気で怒るべきです。小さなメディアだから構わない、などという理屈を許せば、雑誌ならいいのか、スポーツ紙なら構わないのか、と対象が広がりかねない。ただでさえメディア不信が根深い昨今、このまま傍観していれば、新聞やテレビにガサが入っても誰も味方してくれなくなりかねません。本来なら新聞協会や民放連といった組織が「このような暴挙は断固許さない」といったメッセージを明確に発するべき局面でしょう」 いずれもその通りだ��深く頷く。と同時に、メディア界の片隅で長年禄を食む私を含め、鹿児島県警をめぐる一連の事態からメディアやジャーナリズムに関わる者たちが一層真摯に捉え返さねばならない課題にも、最後に触れざるを得ない。『ハンター』に情報を寄せて逮捕・起訴された巡査長の藤井にせよ、小笠原に文書を送って逮捕・起訴された前生活安全部長の本田にせよ、足下の地元には大手メディアの記者も多数いたのに、なぜ貴重な情報提供先に福岡の小さなネットメディアや札幌のフリーランス記者を選んだのか――。 本田の弁護人を務める鹿児島の弁護士・永里桂太郎によれば、その理由について本田は「県警の問題に関心のある記者なら、積極的に取材してくれると思った」と話しているという。逆にいうなら、大手メディアに情報を提供しても警察の不正に関心を持たず、積極的にも取材してくれない、と告発者側に認識されてしまっていることになる。 だとすれば、大手メディアそのものが貴重な情報提供者や内部告発者からの信頼をすでに失いつつあるという、あまりに惨めな事実がここから垣間見えはしないか。そのうえに今回の事態に心底から憤らず、傍観してやりすごせば、この国の主要メディアとジャーナリズムは二重の敗北を喫することになってしまいかねない。(文中敬称・呼称略)
〈特別公開〉警察腐敗 内部告発者はなぜ逮捕されたのか(青木理) | WEB世界
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Watch "美歐進一步制裁!中國太陽能板產業全面崩塌!大片執笠潮來襲!分析背後數據印證國家政策有多蠢《蕭若元:理論蕭析》2024-05-24" on YouTube
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【 黒執事 × 社交ダンス 】『Cantarella』踊ってみた /三笠宮杯チャンピオン大西兄妹と夢のコラボレーション!FanArt Under...
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戒除殺心
以下一位有緣人分享:
晚上回家時,看到馬路中間有隻小刺蝟,呆呆地原地不動。我很擔心牠會被車撞到,於是停下車,小心翼翼地把牠推到安全路段後,才轉身離開。最近在路上,看到很多被碾壓至死的小動物,感到很可憐,不禁心生哀憐。所以,有機會幫忙牠們躲避危險,總會心生愉悅。
有次上洗手間,看到一隻蒼蠅飛來飛去,不小心掉入便池。看到牠急促掙扎想要逃脫困境,身陷骯髒地,苦難不由己。感覺牠再多掙扎一秒,就快要被淹死。當時,眼疾手快,趕快為牠遞過去一根手指,小心地把牠從髒池撈出來,緩緩為牠吹乾身體,輕輕安撫,看到牠搧動翅膀飛走時,當下心生愉悅和愧疚。
愧疚自己心中那一分惡念,因為感覺便池特別髒,自己多少有點嫌棄感,但好在內心多生了一份憐憫心,實在不忍看到牠活活被淹死,而沒有猶豫地及時護生,堅持救下牠。這讓我想到,善護心念真的很重要。
廣欽老和尚和他的弟子有則故事,也是在教導大眾善護心念。由廣欽老和尚的徒孫道證法師講述,如下:
有一天,我的恩師和大眾去出坡,到野外做工作,她把斗笠放在地上,有一隻蜈蚣爬到斗笠裡面,當時我的恩師還不知道,要戴斗笠之前,必須先敲敲打打再戴,她一戴上就被蜈蚣咬了一下,不但又紅又痛,而且整個頭都腫起來。
但是因為每一個人都有執事工作,雖然傷口很痛,也得忍耐去做,後來痛到站不穩,就去向老和尚報告。老和尚完全沒有問她到底傷口如何,是不是要緊,只有問:「那蜈蚣呢?」我的恩師回答說:「當時被咬到,一痛,還沒看清楚,就把斗笠丟了!」老和尚說:「那蜈蚣被你一扔,不知道有沒有摔傷啊?」
有的人可能會感覺很奇怪,為什麼老和尚對弟子受傷這麼沒有關懷心呢?實在講,老和尚對真正要修行的弟子,是照顧弟子的起心動念和法身慧命,勝過照顧身體。
因為我們在六道輪迴中,一定是隨時都有身體,只是每一生換的身體不一樣而已,有時候是用「人」的身體,有時候換成「動物」的身體,變成豬、牛,甚至餓鬼的身體。身體是一定會���在,只是好壞大小不一樣罷了。主要是由我們的心念,決定我們有哪一種身體。臨終一念生氣,就會換到地獄痛苦的身體,一念唸佛,也可以換來佛的金色身。
我們平常只會照顧身體,執著身體,反而不知道該照顧我們的起心動念。老和尚很慈悲,提醒弟子,即使被蜈蚣咬到,忽然間很痛苦的時候,也要保持慈悲的心,照顧蜈蚣,不是照顧自己、憐惜自己。
當我們能夠發出對眾生慈悲的心,當下一念就不會感覺自己痛苦,就等於由我們的「身見」執著中走出來,得到自在解脫。如果人一生中都發射這種佛菩薩般慈悲的心念電波,必定投影出佛菩薩的相,換得佛菩薩之身。(故事結束)
我的心得是善護心念勝過關懷自己身體,心念決定身體的變換。身體所現諸相,是心念和業力的變化。學習斷除分別心,因為本來無定相,而是完全由業力和心念做主。
學習佛法後,開始對一切蚊蟲、螞蟻菩薩尊重,斷除殺心。用自己最真誠、溫柔、慈悲的心平等對待,逐漸照破自身的分別、執著和傲慢心念,一切平等對待,無有分別。對動物尚且做到真正真誠,那麼對他人的心量,應該更加地寬容和仁厚。
很慚愧,末學小時候經常喜歡殺生,真的不知道尊重和愛惜物命,好在中學期間遇到佛法,明白因果觀念後,學著斷除殺業。如今學習六年多,現在已經不敢再有殺心惡念,逐漸茹素和護生,愛惜物命。遵照佛菩薩的教誨,諸惡莫作,依教奉行。
(分享完畢)
有緣人在保護刺蝟與解救蒼蠅的行為中,實踐了「不忍眾生苦」的菩薩心行。任何動物都有靈性,不能小看,人類要尊重牠們的生命。動物過去世也是人,是因愚痴而做錯事情,墮落到畜生道。有緣人護生的行為,是以慈悲智慧結善緣。更重要的是,有緣人能在心生嫌惡時察覺,轉而提起慈悲,這便是「轉念即道場」的實踐。
《梵網經》云:「一切男子是我父,一切女人是我母,我生生無不從之受生,故六道眾生皆是我父母。而殺而食者,即殺我父母,亦殺我故身。」在輪迴的旅程中,有緣相遇的動物們,或許也曾做過我們的親人。有緣人一念憐惜,是一種深遠的福德布施。戒殺之人得長壽、少病、多福。護生之人,將來得人天果報,或值佛聞法、脫離輪迴。
有緣人提到,自己從小有殺生習氣,因學佛後發起懺悔心,開始茹素、護生、轉化心念,「逐漸照破自身的分別、執著和傲慢心念,一切平等對待,無有分別」。有緣人說得好,戒殺的「根本功夫」,從斷「分別心、傲慢心」下手。殺心,常根源於「我高你低、我淨你穢、我對你錯」的分別。戒除殺心,不只是手不動刀槍,而是從心底淡化、戒除「輕視物命」的習氣。
蒼蠅、刺蝟、蚊蟲皆具佛性,不因形貌、氣味而有高低貴賤。對牠們伸出援手,便是尊重萬法平等,是對「佛性無差別」之體會。戒殺不僅是對生命的保護,也是對心性的淨化。《楞嚴經》云:「若不斷殺,修禪定者,皆成魔道。」可見,殺心不除,即使外表看似修行,仍難得清淨正果。
修行不離世間相,廣欽老和尚的故事「不問你受傷,問蜈蚣可好」這則公案中,老和尚並非忽略弟子的痛,弟子頭頂被咬的痛,只是肉身受苦,但若因此起嗔念、殺心,則造下殺業,牽動生死業報,損害的反而是法身慧命。老和尚不只是慈悲,更是要弟子突破「我執」與「身見」,體會到「護念眾生」比「自憐受苦」更為重要。
我們現代人常會說:「我是受害者,我有理由不慈悲。」但從佛法角度來說,若因痛苦而怨恨、因受苦而傷害他人,那是將現在一時的痛苦延伸成更多的痛苦。本來承受這個苦痛果報,可以消除一些業障,但是因為受報而起瞋恨心,又起殺機、結樑子、造惡業,陷入痛苦的無限循環。廣欽老和尚的故事點醒我們,你可以痛,但不要殺;可以痛,但不要失去慈悲。照顧好起心動念,維持法身慧命的清淨,才是修行的關鍵。
痛時不嗔,苦時不怨,是戒殺的真正功夫。身體會壞,傷會癒合,但念念造作不可不察。戒殺不僅是不造行為上的惡業,更是斷除內心的驕慢與分別。祝願我們都能戒除殺心,菩提增長。南無本師釋迦牟尼佛。南無藥師琉璃光如來。南無阿彌陀佛。
南無本師釋迦牟尼佛
南無藥師琉璃光如來
南無阿彌陀佛
南無大悲觀世音菩薩
南無大願地藏王菩薩
南無韋馱菩薩
南無伽藍菩薩
南無十方一切諸佛菩薩摩訶薩
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強積金對沖取消:權貴漠視民生,再逼企業走。
MPF對沖取消 中小企老闆呻窮 「唔敢再喺香港請人」 政策混亂恐釀裁員結業潮?
強積金對沖機制取消咗,原意係想保障打工仔權益,點知搞到好多中小企老闆出嚟大呻經營成本「百上加斤」,仲話以後唔敢再喺香港請人,甚至考慮將業務搬上大陸。政策係咪真係未諗清諗楚就推?搞到勞資關係緊張,係咪又一次反映咗當權者脫離現實,漠視民生嘅困境?
根據傳媒報道,有做展覽貿易生意嘅老闆Angel,公司有十幾人。佢話而家香港個市本身已經唔好景,燈油火蠟樣樣都係錢,取消埋對沖,僱主負擔仲重。佢最驚係,萬一真係生意唔掂要裁員,到時點樣攞幾十萬出嚟賠?「公司都可能執笠喇,我點攞幾十萬出嚟?」呢句說話,相信唔少中小企老闆都有共鳴。喺經濟下行、政治環境越趨不明朗嘅今日香港,做生意已經唔容易,再加多條咁嘅數,對好多掙扎求存嘅公司嚟講,可能真係最後一根稻草。
為咗慳皮,啲老闆諗緊乜計仔?Angel提到,可能會將底薪壓到最低,靠佣金或者獎金出糧;又或者將部分職位外判;甚至有啲可能會諗「左手交右手」,開間B公司請返A公司啲人,合約條款寫得更加「靈活」。呢啲所謂「對策」,聽落係幫老闆慳咗錢,但對打工仔嚟講意味住乜?係咪變相剝削?底薪低,收入無保障;外判化,隨時飯碗不保;轉公司,年資、福利點計?所謂「彈性合約」,會唔會變成隨時可以炒人嘅「無王管合約」?呢啲做法,唔單止可能令打工仔權益受損,長遠嚟講,亦都會搞彎晒個就業市場生態。
��一邊廂,有開咗幾十年餐廳嘅老闆Ray亦都好頭痕。佢間餐廳有成三十人,當中唔少係做咗十年八年嘅老臣子。佢話,最煩係轉制之後,遣散費點計,政府所謂嘅補貼又可以拎到幾多,好多嘢都係一頭霧水。佢參加過兩次勞工處搞嘅網上簡介會,但到真係要「埋單計數」嗰陣,依然係「考起佢」。究竟係轉制前年資用舊制計,轉制後用新制計?政府補貼點申請?申請咗幾時批?批幾多?一大堆問號,反映咗政策執行上嘅混亂同埋支援不足。
政府推行政策,口口聲聲話為市民好,但如果連最基本嘅解說、指引、配套都做唔足,搞到業界無所適從,怨聲載道,咁同「好心做壞事」有乜分別?僱主因為計唔掂數、驚負擔唔起,而唔敢請人,甚至諗縮數、裁員、執笠,最終受害嘅,除咗係老闆自己,仲有千千萬萬等住開飯嘅打工仔。到時失業率飆升,經濟雪上加霜,呢個責任邊個孭?
取消對沖嘅原意,係回應多年嚟勞工界對強積金「食咗」遣散費同長期服務金嘅不滿,本質上係想加強對僱員嘅保障。呢個方向,理論上係符合保障公民權利嘅原則。但問題係,點樣喺保障勞方權益同維持資方生存空間之間攞到平衡?尤其係喺經濟環境差、好多中小企已經吊緊鹽水嘅時候,任何增加經營成本嘅政策,都必須要小心處理,提供足夠嘅緩衝同支援。
而家睇嚟,政府似乎又一次展示咗佢哋嘅「離地」。一方面,政策細節含糊不清,令僱主無所適從;另一方面,所謂嘅支援措施,例如補貼計劃,似乎未能有效紓解僱主嘅疑慮同實際困難。僱主揚言唔再喺香港請人,考慮北上發展,呢個唔單止係個別公司嘅決定,亦都可能係一個警號,反映香港營商環境可能真係越嚟越差,人才同資金可能加速外流。呢種情況,同官方日日夜夜唱好香港經濟嘅論調,形成強烈嘅諷刺。
歸根究底,一個政策嘅成敗,唔係睇佢個名有幾好聽,或者口號有幾響亮,而係睇佢嘅執行效果,同埋能唔能夠真正解決問題,同時兼顧各方利益。今次取消對沖搞出咁多風波,正正暴露咗當權者喺制訂同推行政策時,可能存在考慮不周、溝通不足、支援不力嘅問題。喺一個連基本營商信心都備受考驗嘅時勢,咁樣嘅管治表現,只會令社會矛盾加劇,令香港嘅前景更加黯淡。
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2.
那年芒草特別早開,蘇梨回到了台中舊家,陪外婆過中秋。外婆家的牆是咕咾石砌成的,還留著一座年久失修的三合院,最中間那扇紅門已褪色,卻還掛著三十年前春節時貼上的春聯:「敬天愛人」。
她帶著兩本書,《台灣民間信仰誌》與鍾理和的《原鄉人》,還有一本筆記本,準備重訪她兒時聽過卻從未深究的那些神祕故事:媽祖繞境、王爺船、虎爺戴墨鏡的傳說。
夜裡,外婆泡了一壺金萱茶,問她:「妳不是在台北編書嗎?這回怎麼想起回來了?」
蘇梨沒有馬上回答。她望著廳堂上方那尊土地公像,那是外婆堅持留下的「家神」,每年清明前都會重新上香換花。
「我最近覺得,城市裡的文化都是翻譯過的。很漂亮,但總是隔一層。」她說。
她開始寫一個企劃:「土身土語」,她想整理台灣各地的傳說、信仰、古老生活方式,與當代女性的自我經驗做連結。她不再只畫圖或寫詩,而是把這些神話、土地與語言,當作一種有重量的線,重新縫合斷裂的日常。
有次她在鹿港訪談一位雕花老師傅,對方說:「這些圖騰是有意思的,不是裝飾。是讓人記得自己是哪裡來的。」
這句話像雷聲一樣在她腦子裡繞了好幾圈。
27歲,是她開始願意慢下來、聽別人說話的年紀。她不再執著要成為「怎樣的創作者」,而是更關心:「自己能為這塊土地說出什麼」。
她寫信給出版社:
「我想出一本關於台灣土地記憶的書。
不是導覽,也不是學術,是一個27歲女子,在各種文化邊界徘徊後,選擇返土的紀錄。
我不確定會不會賣,但我知道這是我必須完成的作品。」
這封信沒有華麗句子,卻有一股緩慢的力量。
而蘇梨,穿著亞麻長裙、戴著斗笠在曬地圖,像一位時代錯置的民俗學徒,靜靜地走進一條沒什麼人走過的路。
她不想做主角,只想讓故事重生。
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忙盲茫的代名詞
H:「忙」字是個「豎心」加個「亡」字,就是「心死」,小吃店也取「師傅很忙。不想名利,也被忙到唱夜茫茫。不管怎麼忙,不忘快樂活著,一切尚可期待,人走了雖功德圓滿,事事皆已了無痕!20250227W4
網路字典
營營役役
忙碌,奔逐名利。如:「你終日營營役役,所為何事啊?」
人心惶惶
一天都無法過下去。形容心中恐慌不安。如:「人心惶惶,不可終日。」
惶惶不可终日 詞語解釋
解釋
形容心中惶急,覺得一天也過不下去。
© 漢典
惶惶不可终日 成語解釋
惶惶不可終日
【解釋】驚慌地連一天都過不下去。形容驚恐不安到了極點。
【出處】郭沫若《我怎樣寫〈青銅時代〉和〈十批判書〉》:“在這桂柳相繼淪陷,敵人還有西進的模樣,一般人都有惶惶不可終日的情形。”
【近義詞】驚惶失措、驚恐萬狀、聞風喪膽
【反義詞】處之泰然、臨危不懼、無所畏懼
【語法】偏正式;作謂語、賓語;含貶義,形容擔心害怕到了極點
© 漢典
惶惶不可终日 網路解釋
百度百科
惶惶不可終日
惶惶不可終日, 惶惶,亦作“皇皇”,急躁、慌亂、心神不定的樣子。詞語指心慌意亂,神不守舍,一天也過不下去了,出自郭沫若《我怎樣寫<青銅時代>和<十批判書>》:“敵人還有西進的模樣,一般人都有惶惶不可終日的情形。”
歐·亨利《二十年以後》:“一個人在紐約可以墨守成規,過過舒服日子,在西部就像刀架在脖子上,惶惶不可終日。”
形容擔心害怕到了極點, 含貶義。
© 漢典
詞語解釋成语解释網路解釋網友討論
輕度焦慮可提高人的行動能力,長期受焦慮情緒困擾時,就要警惕是否患上了焦慮症。
焦慮是一種常見的情緒反應,如果只是偶爾焦慮,就不用過於緊張,但焦慮症則是某種情緒引發的心理疾病。
解方:考慮自己做事的方式方法是否得當,找出事情沒有做好的原因,積極改變做事方法、提高做事效率、增強自信心。
凡事先做好最壞的打算,只要能承受最壞的結果,也就無需擔心,隻需放手去做。
濟公活佛勸世詞
問世人忙什麼?都為三餐忙不休。
問世人求什麼?都為名利日憂愁。
問世人迷什麼?都為情愛身消瘦。
問世人想什麼?都為妄念昏了頭。
問世人做什麼?傷天害理怎可走。
問世人得什麼?生忙至死空雙手。
問世人淫什麼?妻女被淫恨風流。
問世人等什麼?回頭是岸向道修。
問世人修什麼?出泥不染任遨遊。
問世人遊什麼?同登慈航樂悠悠。
《滿���芳 歎名利》
【原文】
利惹心猿,名牽意馬,無晝無夜奔馳。波波劫劫,來往沒休期。一向貪饕越煞,心勞役、形苦神疲。休迷執,一個口裡,插得幾張匙。堪嗟虛幻事,妻男走骨,自己行屍。又何須相愛,相戀相隨。好把輪迴趨躲,早參禪、訪道尋師。長生話,有些微妙,端的上天梯。
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司馬遷在《史記·貨殖列傳》:「天下熙熙,皆為利來﹔天下壤壤,皆為利往。」
林清玄
一條是因為慈悲。一條是為了智慧。
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若人欲拿金碧峰,
除非鐵鍊鎖虛空;
虛空若能鎖得住,
再來拿我金碧峰。
──元‧金碧峰
贈質上人·杜荀鶴
枿坐雲遊出世塵,兼無瓶缽可隨身。逢人不說人間事,便是人間無事人。
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羲之頓首。快雪時晴。佳想安善。未果���結。力不次。王羲之頓首。山陰張侯。
文昌岩聯
清代:待考
左手秉筆,右手持金,名利都歸把握,前腳踢天,後腳踩地,文章何論高低。
自古名利誰願休,從來心嘴不對頭。
官在朝堂博生死,商為白銀用計謀。
農夫五更田中走,工人四點趕車流。
舞台戲子多露肉,廟裡和尚磕破頭。
都說繁華皆是空,世人追他不輕鬆。
莫笑風塵名利客,只願身在股市。
俗話說:「心安茅屋穩,性定菜根香。」
儒家也說:「萬物靜觀皆自得。」
「公案」是中國佛教禪宗常用的名詞,原指官府判決是非的案例,後為禪宗借用,以古代禪師開悟的故事、非邏輯的言行,作為參禪時思惟的內容。這類的故事或言行,稱為公案。
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Quote
厳格だった。神様みたいな人だった―。 磁気治療器販売会社「ジャパンライフ」の創業者、山口隆祥(たかよし)(78)の印象を、消費者庁元課長補佐の男性はそんなふうに覚えている。 男性は2015年7月に、同社に天下りした。夏でも白のワイシャツとネクタイが欠かせない社風で、山口の前では、社員は直立不動になったという。 ジャパンライフは1975年、群馬県伊勢崎市で産声を上げた。山口は「健康革命」と称して羽毛布団販売を手掛けたが、83年に脱税の疑いで国税庁から告発され、翌年4月に起訴、同8月に懲役2年(執行猶予4年)の有罪判決を受けた。 ◆脱税告発見越して?元警察官僚ら大勢引き抜き 告発の数カ月前、自らは社長を退き、後任に警察庁で「ねずみ講」捜査の陣頭指揮を執っていた元警察官僚を迎えた。他に10数人の警察官僚や署長を引き抜き、ジャパンライフ代理店(営業所)の指導係に据えた。 社史には「大組織を作り上げたプロを放っておく手はない」と記されている。だが、山口の幼なじみの男性(89)は「脱税もしていたし、捜査の追及のお目こぼしを受けるためではないか、と地元では言われていた」と明かす。 それだけではない。山口は社長辞任の数日前に、政治団体「健康産業政治連盟」を設立。官報によると、83年度の収入は1億8100万円、84年度は2億2400万円で、元首相の田中角栄の政治団体「越山会(えつざんかい)」を上回った。 ◆顧客から吸い上げた資金は政治家へ 中曽根康弘や亀井静香、石原慎太郎、森喜朗…。当時影響力があった政治家の名が献金先として記載されており、顧客から得た資金の一部が流れていたとみられる。 献金を受け取っていた元労働相の山口敏夫は「もしもの時に政治家を利用したかったのだろう」と語る。政治家人脈の1人には前首相の安倍晋三の父、晋太郎の名も残る。85年に日本武道館で開かれた創立10周年記念パーティーに祝電を送っていた。
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