#堀越高校
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堀越耕平 on X: "ヒロアカアニメこのあとすぐ!芦戸の必殺技「アシッドマン」は、バンドACIDMANから拝借しております。高校時代から愛聴し、僕の血肉となっている音楽の一つです。ありがとうACIDMAN https://t.co/UlCTOYKr0e" / X
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私立K高校にまつわる怪談話を、そう言えば親父から聞いたなと、貢は思い出した。理事長室の本棚にある「我が学園の歴史 ◯◯周年記念号」と節目ごとにまとめられ、今でもOBであれば購入が可能とされている記念誌を眺めながら、彼は例の事件について書かれた記載に目が留まった。その記念誌には一行ぐらいしか書かれておらず、
「まァ、都合の悪いことは書かないだろうな…」
と貢は思ったが、たまたまその隣に操が書いた日記があった。操は、その日にあった出来事をまめに記録する性格だった。「ケセラセラ」に生きてきた貢とは違っていた。
「へぇ〜、こんなの付けてたンだ」
と彼はそう思いながら、「一九七八年」とテプラで貼られたその日記の頁を開いた。事件が起きる前、何度か操は他の教師からその生徒について話を聞いている様だった。
“六月十日
校長の杉山先生から、「堀川啓介」という男子生徒がよからぬいじめを受けているとの話を聞いた。「よからぬ」とは、流石に全くの「ノンケ」である杉山先生にとってはケツの谷間を両手で覆いたくなる様なものらしい。オレにとっては逆に「おっ広げ」になりたくなるが…。
啓介君は、両親が教育熱心なのか必ず国立T大に合格させたいという思いが強く、比較的、国公立大学への進学率が良いウチに入学「させられた」様だが、オレにしてみれば馬鹿馬鹿しい。人生八十年と言われるご時世に、大学だけでその先の人生なンて決まるとは限らないと思う。
しかし、その啓介君、ウチに来たことで「ホモ」の洗礼を受けただけでなく、凌辱されることに快感を得てしまった様だと、杉山先生。ある夕方、たまたま浴室を見回った時に彼がブリーフ一丁で脱衣場の鏡の前に立っていたが、背中にあちこち鞭打たれた様な跡があり、思わず声をかけたそうだが、彼曰く、
「校長先生、父さんや母さんには黙ってて! オレ、縄で絞められるのが好きなンだ…。快感なの! これでイッちゃうの! 勉強勉強って、オレ、おかしくなっちゃうよ!」
彼はそう訴えながら杉山先生に抱きつき、号泣したらしい。
嗚呼、そんなに追い詰められるのなら、いっそのこと、新宿二丁目や上野の入谷などで男娼をしていた方が幸福なンじゃないか? オレだったら、啓介君を優しくしてあげたい”
“七月一日
たまたま、オレが寮の当直をすることになった。まァ、久しぶりに生徒らとアハハオホホとやってもイイだろう。
その二日目、ちょうど昨夜だが人気がない筈の浴室に誰かがいたのでそっとサッシを開けてみると、其処には全裸の啓介君がいた。やはり背中や胸には鞭打たれた跡があり、痛々しかった。しかも、その日は首筋に「キスマーク」もあり、余程凌辱されたのだなと思った。彼はブリーフを穿くと軟膏を手の届くところに塗り、時折首筋にできたキスマークに触れた。彼は微笑を浮かべ、
「…もっと欲しいよ」
と呟いた。まるで、情事の後に独り残された娼婦の様だった。オレは彼を好いてしまった。そんなオレに彼は気付いていたのか、サッシの方を振り向いた。
「だ、誰ッ!?」
オレは仕方なく脱衣場の中に入った。理事長だと判ると、彼は顔を赤らめながら慌ててTシャツを着た。彼は言った。
「何故、理事長先生が!?」
恐らく、始業式や終業式の時にオレは必ず挨拶をするから顔を憶えていたのだろう。まさか、理事長でさえ寮の当直をするのかと、彼は疑ったに違いない。オレは、
「大丈夫、今週だけ当直に入っただけだから。杉山校長からは、君のことは聞いているよ。縄に絞められるのが快感なンだろ?」
と聞いた。彼は不安気な表情を見せてはいたが、頷いた。
「…快感でたまらないンです」
オレは、どうかしていたのかもしれない。何故かそのまま彼を抱きしめたのだ。優しくしてあげなければならない気がしたのだ。
その夜、当直室でオレは啓介君を愛した。鞭打たれた跡に皆キスをし、そのうちに彼も涙を流しながら、
「嗚呼、愛されてる…」
と言葉を漏らした。オレは、
「凌辱だけが快感を得る手立てではないよ。君は優しく愛されたいンだ」
と唇を奪った。
次第に、彼はオレを強く求める様になり、オルガズムに達した。オレの内腿の間に下半身を挟め、愛液が二人の下腹部に跳び散った。
「…啓介君、君が好きだ」
気分は、アダムとエバの様な感覚だった。教育者とその教え子という関係を逸脱し、オレは一人の男子として彼を愛してしまったのだ。もはや後戻りはできない。このまま「世間体」と言う名の境界を越え、何処かへ逃亡しようかとも思った。彼は、
「理事長先生…」
とオレの頬に触れ、そっとキスをした。
情事は、夜明けまで続いた”
“七月二一日
この日は終業式だった。ほぼ全員の生徒が帰省していく中、啓介君だけが寮にとどまっていた。彼は怯えていた。担任の山本先生が彼の両親に事情を離したが、特に母親は猛反対していたと、電話の後に話していたっけ。
「理事長、どうしますか?」
と杉山校長が困り果てていたが、啓介君の家の事情を何も知らなかったオレは、
「じゃ、オレが一緒に送りに行くよ」
と安易な判断をした。
啓介君の家は東京のS区にあった。最寄りには私鉄O線の駅名にもなったS学園があり、所謂「高級住宅街」だった。オレは馴れない道を自ら運転しながら彼を送り届けた。本来なら理事長であるオレは動くべきではなかったのだろうが、一度彼とは肉体的に「契り」を結んでしまったから、何故か責任を感じていた。
彼は助手席に座っていたが、ずっとうつむいていた。信号待ちの合間、時折彼の手を握ってあげた。
「大丈夫、怖くないよ」
彼の家には、母親が待っていた。一見、感じのよい雰囲気ではあった。オレは自分の名前を名乗ると母親は、
「あらら、理事長先生がこんな遠くまで!? 大変ご迷惑をおかけしました」
と深々を頭を垂れた。彼はそのまま無言で家の中に入って行ったが、その間ずっとオレの姿を目で追っていた。それでも、
『これでよかったのだ』
と自分自身に言い聞かせるしかなかった”
“八月一日
杉山校長から、啓介君から電話があったと話があった。オレは書類整理をしていたが、どういう経緯かは不明だが例の鞭打たれた跡について母親が気付き、その問い合わせがあったらしい。半ばヒステリックな声だったと、彼は言っていた。オレは心配になり、
「ちょっと行って来る!」
と自分のセドリックに乗った。
夕方近くに到着したが、出迎えた母親は泣き腫らした様子だった。開口一番、
「理事長先生! どういうことですか!?」
と訴え、隣に座っていた啓介君の着ていたポロシャツをたくし上げた。彼は泣きじゃくっていた。
「う、うちの啓介、いじめに遭ってるンですか!?」
と彼女は聞いた。オレは返す言葉がなく、ただ黙っていた。
その後、母親の狂気じみた声が居間に響きわたった。オレも流石に耐えかねたが、
「母さん! もう止めてよ!」
と啓介君が突然立ち上がり、悲鳴の様な声で制止した。彼は言った。
「オレはもう嫌なンだ! ずっと『イイ学校』『イイ会社』って言われ続けながら母さんには黙っていたけど…。ただ国立T大学に入ったら何やるの!? 僕ァ、父さんの様な平凡な人生は送りたくない。ただ結婚して家庭を持って…全然夢がないじゃないか! 僕はそんな人生に価値はないと思う。今のK高校に来て、僕は気付かなかった人生を見つけたンだ…。母さん、僕は男が好きです! あのアザは僕が好きな先輩と『セッ◯ス』して出来たものです!」
これまで自己主張もせずにただ両親の���われるがままに行きてきたのだろう。オレは彼の方を見入っていた。母親は、恐らく我が息子のこの様な言動に遭ったことがないのだろう、ますます錯乱した様だった。啓介君はオレの手を持ち、
「理事長先生! 僕、寮に『帰ります』! こんな家にいた���、僕、自殺しそう!」
と訴えた。オレは彼の放った「自殺」という言葉に衝撃を受けた。
「啓介君! 生んで育ててくださったお母様��前で『自殺』という言葉はないだろう! 先生も怒るぞ!」
「否、僕は本当のことを言っているンだ! もうイヤだ…」
「…」
二人の嗚咽が居間に響き渡った。オレは、この家自体を憎んだ。一体、何がそうさせたのだろう? 性の歓びを見出し、本来の自分自身を見出した啓介君、一方で一流の大学や企業に進めば苦労しない人生が保証されるという世間の「呪縛」に囚われそれを良かれと我が子に訴えてきた母親…どちらとも悪くはない。オレは言った。
「…お母様、これまで啓介君をここまで育て上げるのに色々なご苦労をされたかとお察しします。確かに、今は一流の大学に進めば一流の企業に入れ、そのまま一生涯安泰と「年功序列」の思想が根付いています。未だ日本は成長をしていくかと思いますが、いつまでもその状況が続くとは限りません。私どもは可能な限り、その様な時代の変化に対応できる将来の人材を育成すべく教育しております。
しかし、啓介君を含め、この十六、十八歳という年齢は思春期ということもあり、自我が芽生え始める時期でもあります。彼の様に性を通じて本当の自分自身に気付くお子様も少なくありません。きっと、これまでの教育方針に対し自我の芽生えによって啓介君も葛藤をされてきたのでは…?
今回、身体に出来たアザについては他の教職員からは聞いていたものの、ご連絡しなかったことについては申し訳ありません」
これが、オレができる最大限の謝罪だった。母親は未だ冷静になれない様だった。啓介君も大粒の涙を溜めていた。オレは、今日は彼を寮に連れて行かないことにした。オレは言った。
「もし何かありましたら、私どもの方までご連絡ください。夜間でも寮に当直がおりますので、お電話いただければ対応いたします」
帰り道の車中にて、オレはこれまでにない疲労感を感じた。この夜は流石に爆睡だった”
“八月三日
杉山先生から、寮の当直をしていた山本先生から啓介君より連絡があったと話あり。やはり寮に戻りたいと訴えていたらしい。あれから両親とは話ができたのか、気掛かりで仕方がなかった。
理事長室の隅に置かれた時計が秒針を刻む音に半ば苛立ちながら、オレは情人(アマン)が来るのを待ちわびるかの様な心情に駆られた。一度は肉体同士の接触があったが、それだけでオレは彼と一心になっていた感覚でいた。もし教育者と一生徒という関係でもなければ、あ��場で彼を連れて帰っていた。母親を弁護することもなかったろう。
午後二時になり、啓介君が帰って来た。オレは直接来たのかと聞くた。彼は言った。
「…先生、会いたかった」
すると彼はオレの背中に両腕を伸ばし、抱いてきた。途端にオレの胸の中で涙を流し、やがて嗚咽も聞こえてきた。
「大丈夫、泣くのはおよしよ」
とりあえずオレは啓介君を寮に連れて行き、当直をしている山本先生に事情を話した。まずは様子を見て欲しい、と。また、一昨日彼の家に行った時のことも話した。山本先生は、
「じ、自殺!?」
と驚いていたが、今の精神状態なら大丈夫だろうと伝えた。”
“八月四日
一晩過ごしたが、山本先生からは何の連絡もなかった。オレは大丈夫だったのだろうと安堵した。
午前九時過ぎ、理事長室に啓介君がやって来た。彼はオレを抱きしめてきた。すっかり好いてしまっている様だった。オレは彼にキスをした。舌を彼の唇の隙間に忍ばせ、込み上げてくる唾液を呑み合った。彼はそれが「快」と感じたのかスラックスのベルトを外し始めた。オレは声をかけた。
「此処ではまずい」
オレは雑木林の中にある「別荘」に連れて行った。しばらく寝泊まりしていなかったからか、室内はジメジメしていた。そんな中でオレは彼のワイシャツのボタンを外した。ブリーフだけになった彼を目前に、オレもワイシャツを脱いた。ブリーフだけになると早くもチ◯ポの先端が濡れていた。こんな性衝動は初めてだった。彼をこれでもかと言うくらいにキスをし、乳房や股間を愛撫した。自殺なンて馬鹿なことは考えるなと、繰り返し心の中で叫びながら…。
気付くと二人は真っ裸になっていた。白いブリーフがベッド元に重なっている。これは身も心もさらけ出していることを意味していた。オレは彼と一体になった。
「あッ、あァ、あはァァァん…」
何度も乳房を鷲掴みにし、吸い続けた。その度に彼は歓喜の声を上げ、乱れに乱れた。ほのかにサーモンピンクへと全身が火照り、彼はオレの唇を求めた。
「…け、啓介」
いつしかオレは敬称を付けずに呼んでいた。ただ十六歳の彼をオレは愛した。全身に無数の汗が滴り、シーツが濡れた。
啓介君は、用を出すだけしか知らなかった穴をもって女の様に快感を得ることを知ってしまった。いつしか彼は激しく腰を揺さぶり、オレの身体にしがみついた。
「あ、愛してる…!」
耳元で彼はそう囁き、オルガズムに達した。オレも彼の体内に愛液を噴射させ、
「啓介!」
と激しいキスをした。
情事の後、ベッドで抱き合いながらオレは言った。
「もう『自殺』という言葉は使わないで」
すると、
「…死にたくない。こうやって愛してくれてるから」
と彼はオレにキスをした。
これで総てが終わったと思った。啓介君が愛されることで新たな人生の方向性を見出し、進んでくれるとオレは信じた。”
貢は、父・操も��た一人の生徒を愛してしまったのかと思った。オレは生徒には手を出したことがないし、そんな度胸もなければやってはいけないと、頁を進めた。しかし、日記はしばらく何も書かれておらず、急に「九月一日」まで飛んでいた。恐らく、その間に啓介が自殺をしたのだろう。
“九月一日
啓介君が雑木林の中で首吊り自殺を図り、憔悴する暇もなく両親が教育委員会に訴えると騒いだ。父親は、杉山校長に訴えた。
「国立T大学への進学率がイイと聞いて入学させたら『ホモ』にさせられた挙げ句、自殺まで追い込んで...。この悪党! 人殺し!」
父親は国家公務員だった様だ。彼は他の保護者から、お宅のお子さんは大丈夫か、「ホモ」にさせられてないかと根掘り葉掘り聴取し、何人かの生徒からその気がある様だという話を聞きつけるや、
「理事長を出せ!」
と罵った。杉山校長は流石にビビッてしまい、
「理事長! 何とかしてください!」
とすがりついた。殴り込みに来た父親に対し、オレは土下座もした。罵声を浴びさせられた挙げ句、胸ぐらもつかまれた。正直、辛かった。啓介君を愛していたのに、自ら生命を絶ってしまったのだから…。裏切りの何物でもない。
オレは父親が帰った後、雑木林の中で慟哭した。啓介君が首を吊った杉の根元にひざまずき、喉がやぶれてしまいそうなほど声を上げながら泣いた。”
この部分を読みながら、貢は高校二年だった頃を思い出した。そう言えば、両目を泣き腫らした様子で操が家に帰って来たのだ。母の茉莉子がどうしたのかと心配したが、彼は、
「…すまないが、独りにさせてくれ」
と言って部屋に籠もってしまったのである。ちょうど父の書斎の隣に貢の部屋があったのだが、壁越しに号泣する声が聞こえたのだ。しかし、何故泣いているのかを聞くことはできなかった。嗚呼、きっと啓介君のことだったのだろうと、彼は思った。
もし岩﨑の言う通りにその啓介君の声が聞こえたのだとしたら、オレに何ができるだろうと貢が考えた。
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髙橋 ひかるは、日本の女優、ファッションモデル、タレント、ラジオパーソナリティ、YouTuberである。滋賀県大津市出身。オスカープロモーション所属。 名字の「髙」の字は「はしご高」であるが、常用漢字体の「高」で表記されることも多い。 ウィキペディア
出生地: 滋賀県 大津市
生年月日: 2001年9月22日 (年齢 21歳)
身長: 167 cm
学歴: 堀越高等学校
事務所: オスカープロモーション
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高校のとき、昼飯代に婆ちゃんから毎日500円貰うとって、でも昼飯は食わずにブックオフなんかで本買うとった 時たま梅田や難波の古本屋や大型書店に行くのは祭みたいなもんで、そこでなけなしのゼニを溶かした 狭い世界に生きる高校生にとって、書店は世界の輝きそのものやった ネットでいろんなコンテンツ触れてきたけど、高校の頃通った書店ほど世界の輝きに満ちたものはない 懐古厨の呟きです 西長堀の中央図書館とか梅田の古本屋街とか、片道30分以上かけてママチャリ漕いで行きよったんです 橋で川わたる度に坂道登らなあかん、それも苦にならんほどに本のある空間は世界の輝きに満ちていた JRの大阪駅や地下鉄の駅から阪急エリアまでの数百メートルがこの世とあの世ほどの距離に感じられた あの世には知的雰囲気に満ち満ちた紀伊國屋書店とか古本屋街とか宝塚の広告とかがあって、まるでベルリンの壁を越える亡命者のように阪急エリアに行き、なけなしの身銭を溶かしていた
Xユーザーの副主席さん
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Acle / yubiori split album "under a cloud" interview
2024/2/15(木) 20:00~ 横浜某所
Acleからは、カイセイと、リョウスケ。yubioriからはジミーとハセコーの各バンド2名ずつに集まってもらい、個人的に気になっている部分を中心に、これまでの各バンドの歴史や、どういった感覚でバンド活動を行っているのか。
そういったバンドの内面や、メンバーのキャラクターが伝わるような記事に出来ればと思いインタビューを行いました!
2バンドでの全12公演の長いツアーになるので、インタビューを読んでもらい各地での公演がより一層盛り上がればと考えています。
スプリットアルバム"under a cloud"のfurther platonicsからのリリースに関しては小高も一枚噛んでいる為、僭越ながらインタビュアーとして登壇しています!
初めてのインタビューということで、加減がわからず、超大作になっていますので最後までよろしくお願いします。
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●バンド結成の経緯
小高 : yubioriからバンド結成の経緯を教えてもらえますか。
ジミー : 大学は、神奈川大学っていうところでサークルに入っていて、もともとやってたエターナル17才ってバンドがあったんですが、それが全然穿つが上がらなくて。友達とかは遊びに来てくれるけど、もう全然誰からも見向きもされないし。
基本無視されてたから、何とかなんねーかなと思っていたら、バイト先の後輩だった長谷川(ハセコー)が、いつだったかバイト終わりに "ジミーさん俺とバンドやらなかったら死ぬ時、後悔しますよ。"って言ってきて。
そうだなーと思いつつ、いつかはやりたいなと思っていたんです。

小高 : バイト先ってあのサンクス※?
※小高が当時勤務していた事業所の最寄りのサンクス。ジミーがバイトしており当時面識はなかった為、声をかけることはなかったがエターナル17歳のやつだとは思っていた。言われてみればハセコーっぽいやつを見た気がしなくもない。
ジミー : そうです。そうです。
小高 : サークルも一緒だし、バイト先も一緒��て、ジミーをすごく慕ってたってこと?
ハセコー : 別に慕ってた先輩ではなく、バイト先に無理やり入れさせられた感じです。サークルは新歓で、And Protectorのコピバンをやってて、入ろうと思った。
その後もbachoのコピバンとかやってたりして。
ジミー : 俺、大学生の時ずっとbachoのパーカー着てて。あのbacho FROM LOCAL TO WORLDって書いてあるやつ。APとか、三島で一緒にやれるし、まだ公開されてないけどbachoとも対バン決まってて。
出会いや、仲良くなるきっかけになったバンドと一緒にできるようになってきて。
小高 : 熱いね。

ジミー : で、大学1年くらいから、大学の友達が高校時代にやってたバンドでギターを弾いてた阿左美と仲良くなっていて。
お互いのバンド観に行ったり、自分のバンドをサポートしてもらったり。趣味も合ったので、阿左美とも一緒にやりたいと思っていたんです。
俺の中で、バンドは4人だったんだけど、一緒にやりたいギターが2人いるからどうしようか悩んでいて。SUMMERMANとかrem time rem timeも5人で、かっこいいバンドがいるからと思って、やるしかねえと。
最初スタジオに、俺、ハセコー、阿左美、堀田(kurayamisaka)、はっせ(ジミーの友達)の5人でオリーブ※ に入って。阿左美が作ってきたデモをコピーしたりして、楽しいねとか言って遊んでた。
これがやりたくてやったとか、特に何の野望もなく、こいつとバンドやりたいからで始まった感じです。
※ASPARAGUS, MONOEYESのDrums一瀬さんが経営する横浜天王町にあるスタジオStudio Olive。
小高 : それがいつくらい?
ジミー : yubioriやろう。ってなったのが2019年ですかね���
小高 : Acleの結成はどんな感じですか?
カイセイ : 大学1年の時に軽音部の新歓の花見があって、新入生が集められて喋るんですけど俺、マジでコミュ障で。端っこにいたら、サギが絡んできて。
オリジナルやったことある?って聞かれて。あるって言ったら俺めっちゃやりたいんだよね。って感じで組んだ感じです。
最初大学は実家から通ってたんで、その頃からずっと、サギが俺んち泊まれよ。みたいな。
ジミー : 今からすると意外だね。

カイセイ : で、スタジオ使いたい放題だからほぼ毎日2人でスタジオに入ってて。そんな仲良くなかった先輩をベースで入れて、学祭を目指して活動してました。
バンド名は部活で一番慕ってたハッシー(Runhero, Cityspeak ex.sheep_she) っていう先輩と飲んでた時にお前みたいなどうしょもないやつでも"あくる日"が来るんだよ。みたいなことを言われて。
そこから"アクル"なんですが、ローマ字でAkuruという名前でやってて。サギはダサいって言ってたけど、俺は貫き通そうと思って。
ただ大学2年でその先輩が抜けて、同期でバンド組みたいなと思って。ドラムをやってたヒデキ(元ベース)にノリでお前ベース買っちゃえ。みたな感じでベース買ってもらって。
で、その後に、リキ(元ギター)が入るんですが、音楽詳しいし、先輩とも仲良くてそもそもギターもうまいし、同期の中でもちょっとずば抜けてたんですがなんかのタイミングでリキから、Acleのスタジオ覗きに行きたいみたいな話があって三人の曲作りしてるのを見に来て、即決で入ったんですよね。
ジミー : いいなあ。そんなのなかったなあ。憧れだなあ。
カイセイ : 大学時代にOBの活動とかを見てて、音源出したりしたいなと思って。一応そこまでは在学中に出来たんですけど、その後、サギはやりたいことあって、カナダに行っ��ゃって。他のメンバーは就職したけど、サギが帰ってくる前に2人からバンド辞めたいと言われてしまい、横浜で一人号泣してました(笑)
大学の後輩入れてみたりしたけど、3か月くらいで辞めちゃって。で、今のメンバー(トウジョウ、リョウスケ)はジミーが繋いでくれたんです。
小高 : ジミーとカイセイはもうその頃から連絡とってたんだね。
ジミー : yubioriを1年くらいやってた頃に、トウジョウに俺の友達にAcleってバンドがいるんだけどスタジオ入ってみない?って聞いたら "え、やります。"って即決で。知ってたのかな。
カイセイ : とりあえず、三人で会うってなって。
渋谷で、ジミーが道玄坂でFog(Cling to The Pastという作品に収録されているAcleの曲)大熱唱しながら"これだよ!これ!お前やるんだ。これ!組め、組め!"とかって言ってw
ジミー : 友達と友達が繋がるの嬉しいと思うタイプなので。
ハセコー : トウジョウっぽいジャンルじゃないけどね。
カイセイ : で、スタジオ入った感じも良かったし、そういうジャンルはこれから教えてあげればいいかなって。
小高 : え、トウジョウはAcleが先なの?
ジミー : そうですね。
yubioriはコロナが始まったくらいの時にはっせ(結成当時のベース)とスタジオ終わりに俺がめっちゃ喧嘩して、抜けちゃって。
Littlesense※ のレコーディングが決まってて、曲も出来てるけど、弾ける人がいなくて。
Acleにプッシュした手前、声かけづらかったけど、トウジョウとカイセイに電話して。とりあえずサポートでやってもらって、リリースが終わってから正式にお願いして入ってもらった感じです。
※横浜のwithout, Kanariの近野と、Haiki, Anorak!の加藤の2人で活動している。@littlesense_jp
2021年にコンピレーションアルバム Bridgeをデジタルリリースした。yubioriはこのアルバムに"ギター"で参加。
小高 : なるほどね。Acleにリョウスケが参加した下りは?

リョウスケ : ほんとに急な話で、終演後のB.B.Streetに何となく遊びに行ったんです。そしたら、そこにべろんべろんのジミーがいて。"リョウスケさんじゃないっすか!Acleやるんすよね!?"みたいな感じで絡まれて。
ほんとに初耳で、多分これ事故ってるよ。って話したらジミーがどんどん青ざめていって。
ジミー : (笑)
リョウスケ : どうやらカイセイがジミーと萌葉(herveil) の2人にだけ、ベースに俺を誘おうかなって話していたらしく。その、2人しかいない内の1人が、本人に盛大にゲロったので、俺も事実を知り。
当時herveilは動き始めてたので、まずはメンバーに話すべきだと思い、Acleは大学の後輩だし止まってほしくなかったので、手伝うことになると思う。というのを萌葉に言ったら、それ知ってます。って言われて。
その後、満を持してカイセイからすげーかしこまったLINEが来て。 電話いいすかって。カイセイは"あのー。。。" とかって、電話ですごく言葉を選んでいて迷ってる様子だったんですけど、いや、大体知ってるからいいよ。って。
カイセイ : 一気に恥ずかしくなる(笑)
リョウスケ : 当時は俺も複数のバンドをやるっていう事自体が初めてだったから。出来るかわからないし、バンドを止めないように手伝うけど責任は取れないから、サポートで引き続きメンバーは探してほしい。って話をしたんですけど。
でも、まったくメンバー探さないんですよ。で、スタジオに入るんですけど、こいつら変なプライドがあって、身内でもサポートからスタジオ代は絶対に取らないんです。
カイセイ : それは普通でしょ。
リョウスケ : でも、目の前で金の貸し借りするんですよ。
一同 : (爆笑)
ジミー : 後輩達がな(笑)
カイセイ : それは作戦(笑) 作戦だよ。作戦。
リョウスケ : で、スタジオ終わりに、スタジオ代相当の酒をおごり。。
カイセイ : だったら入ったほうがいいんじゃないっていう(笑) 俺とサギの完全な悪ノリが出てて。
リョウスケ : メンバーも全然探さないし、じゃあもうやるよ。って押し負けるようにメンバーになりました。
カイセイ : って感じで今のメンバーが固まったんですが、当時はトウジョウは全然知らないし、リョウスケさんは普通に先輩だしで。
ジミー : 最初どう接していいかみたいな話してたよな(笑)
●メンバーを共有している部分で思う事など
小高 : メンバーを共有していることで感じている良い部分や、気になっている部分はありますか?メンバーが複数のバンドをやるということなどに関しても。
リョウスケ : バンドの規模感的にもyubioriの予定が決まってて、Acleにお誘いが来た時には"もう、その月きついっす。" ってことが結構あって。そこで俺とカイセイは結構悶々としてました。
ジミー : サラリーマンバンドのあれだよね。
カイセイ : 平日は無いようなもんだからね。
小高 : 最近はバンドを複数やってる人って多いし、世代的にもそういうのが当たり前みたいな感覚を持ってるのかなって思ってたんだけど、どう?ハセコーも別でやってる?
ハセコー : エルモア・スコッティーズってのをたまにやってます。
エルモア・スコッティーズ(@ellemoiscotties)さん / X (twitter.com)
小高 : あ、やってるんだ。バンドの比重というか、バランス感的にどうなのかね。曲作るから、ジミーや、カイセイは難しいか。
ジミー : マインド的にやりたいと思った時期もあったけど、ごっちゃになるからなあ。歌いたいことは基本的には一つで、そのが軸にあって。
それがちょっと分かれて、寄り道したりして、いろんな曲があるけど。結局、yubioriの曲を通して聴いたら、言ってることって一個だと思っていて。それを複数のバンドでやるのは無理だなあと。
音楽的にやりたいことはあんまりないから、詩を書く人として言いたいことが一個しかないから、一個しかできないんだなと自分は思いますね。
カイセイ : 俺は、もう一個組もうって話は今してて、Acleは歌詞がもうノンフィクションだから、根本はジミーと変わらないけどフィクションだったら、別のバンドもできるかもとは思っていて、それだったら面白いかなあ。と。
リョウスケ : メインでAcleがあって、ガス抜きって意味でもいいのかも?
ジミー : まあ、俺としてはまずしっかりAcleやれよって思うけどな(笑)
メンバーを共有しているという意味では、規模感的に俺らのほうが先にスケジュール決まっちゃうからそういう面では申し訳ないところはあるかな。
カイセイ : ただ、今回のスプリットに関してツアーが本当に回りやすい。
ジミー : シゲとトウジョウに頑張ってもらう感じで。
リョウスケ : 阿左美もどういうモチベーションでやってるのか聞いてみたいな。
●スプリットを出すことにした経緯
小高 : スプリットを出すことにした経緯を聞きたいんだけどそもそもバンド同士の出会いは、どうだったの?カイセイとジミーは古そうだけど、昔から親交はあった感じ?
ジミー : 関東学院と神大で、BAYSIDE CORD※っていう合同ライブをやっていて一年の時にカイセイとそこでちょっと話して、こういう人がいるんだ。ってなったんですが。
そもそも元Acleのギターのリキと俺の地元が一緒で、お互いに吹奏楽をやっていて顔見知りみたいな感じで。
※関東学院大学軽音楽部、神奈川大学ポピュラー音楽部、桜美林大学フォークソング研究会、東洋大学FFAの4大学が合同で横浜音楽シーンの活性化を目的としライブハウスで行われるイベント。
カイセイ : それもすごいよね。
ジミー : リキが中学の時にやってたバンドに俺は誘われたりしてて。吹奏楽やるからって断ったんだけど。
小高 : 繋がってるね。出会いは大学時代で、今回のスプリットはどちらから、どういうタイミングで話を持ちかけたの?
リョウスケ : それもジミーが持ちかけたんじゃない? 23年の年始? 夏?
ジミー : なんも覚えてない(笑) けど23年はありえないから22年かな?ずっと昔から口約束みたいな感じでカイセイとはスプリット出せたらいいよねって話はしてて。
俺、思ったことをすぐ口に出すから、他の人に話していたのが混同して、わけわからなくなってきて。あれ?Acleとスプリット出す話してたよな!よし、やろうになったんだと思う(笑)
まあ、やりたい気持ちはずっとあったんで。
Twitterにも書いたけど最初にAcleを見た時にすごいなと思ったし、純粋にかっこいいなと思っていて。
これ、Acleが出るべきだろっていうイベントにAcleがいないとかってのも納得できなかったし。
で、yubioriが少しづついい感じになってきた時にフックアップできないかなと思って、大好きなバンドとスプリット出すのは意味があると思って声を掛けました。
メンバーに相談したら、即決。満場一致で決まった感じです。
リョウスケ : くすぶってる俺らに、こうでもしねーとお前らやらねーだろって引っ張り上げてくれた感じ。
ジミー : ただ、この感じを上からとかって勘違いしてもらいたくないのは俺達自身が近野さん(without, Kanari)、加藤さん(Haiki, Anorak!)がLittlesenseでコンピを出すって話の中で一曲録ってくれよ。って言ってくれて録ってなければ、当然今のyubioriの活動も無くて。
そういう誰かからもらったきっかけって、誰かに返すべきで。それをAcleに渡したイメージです。
ホントに全然上からとかじゃなく。ぶっちゃけAcleのが公開後のサブスクは再生されてるんですよ(笑)
フックアップしてやるって気持ちもあるけど、普通にAcleを尊敬しているし、個人的には、あやかりたい部分もある。
小高 : カイセイはそれどう思ってたの?
ジミー : また適当なこと言ってんなって?
カイセイ : いいの?俺らで。という想いはありましたね。yubioriの知��度も出てきていたし、そんな中で半信半疑で。また言ってるよ。とは思ってた。yubioriすごいなって思ってたので、自分が相手になるのは正直自信がなかった。
まあ、そのおかげでちゃんと動き出せてる部分はあるよ。
ジミー : 確かにレコーディングの時に言ってたよね。俺らからしたら全然そんなことなかったけど。
カイセイ : それを直接言ってくれたのは救いよね。そのおかげでまたちゃんと動き出しているわけだし。
ジミー : 俺の計画どおりにいって良かったなと思った(笑)
リョウスケ : 今回、スプリットの話になって、yubioriのバンド運営を間近で見て俺はメンバー全員の同意を得てからじゃないと動けないけど、ジミーはこうするからね。で動くパワーが凄くてそういうのを目の当たりにして。全然違うなと。
ジミー : それは何かと言ったら、信頼だと思っていて。俺がメンバーのことを信頼してなかったらやるからね。なんて言えないし。
皆が俺のことを信頼してなかったら付いてこないと思うし。そこはそうするしかなくて、そうじゃないとサラリーマン5人の予定なんて合わないよ。
無理させてる部分はあるかもだけど、同じ船に乗ってしまったんだから、すまんけど頼むわ。って。
ハセコー : いやなら辞めるし、バンド辞めないからやってるけど。
ジミー : 結局みんな俺のこと好きだし、バンド好きだから辞めないっしょって。特に長谷川に関しては、こいつだけは付いてくると思ってる(笑)
ハセコー : 皆ゴルフとか、土日のカラオケとかはまりだすけど、全くホントに興味が持てない。
カイセイ : わかるよ。そうなんだよ。他に何してるかわからない。バンドか酒しかない。
ハセコー : 草野球やってる感じと変わらない。
ジミー : それを観に来てくれるお客さんがいるか、どうか。
ハセコー : 草野球をやる感覚でバンドをやってる。草野球チームにファンがいたり、サブスクで聞けるかの違いくらい。Youtube配信を見ている人がいるかとか。
みんな俺らの先輩はオリーブでやっていて、めっちゃ草野球感があって。すげー曲やってんのに、そんなに。そこで完結してる感じで、周りに仲間がいて。
ホント、オリーブの感じを広範囲的に広げていきたい。
ジミー : 良いこと言ったからもういいよ。上がっていいよ。
カイセイ : バイトかよ(笑)
リョウスケ : 東京ドームで草野球やりたい。みたいな?
ジミー : 出来ればそこは横浜スタジアムって言ってほしかったな!
ハセコー : うん。ヤジ飛ばしても、何してもいい。
●ツアー初日を終えて
小高 : ツアー初日を終えての感想はどうですか? もっと最初に聞くべきだったけど(笑)
ジミー : これ乾杯の後にいうやつっすよ(笑)
リョウスケ : とりあえず、もう一回乾杯しましょう。
小高 : じゃあ仕切り直して、どうでしたかツアー初日は。
カイセイ : 俺はねえ。(すごく溜めてから)感動したね。
リョウスケ : あっさくない?(笑)
カイセイ : 初めてあんなにたくさんの人の前でライブをして、やっててよかったなと思ってる。この8年見たら、色々あったけど、やっててよかったなあ。って、ほんと終始楽しくて笑ってたっす。
リョウスケ : (カイセイが)ずっと楽しい顔していたのが俺は結構よかった。
カイセイ : 泣くとかじゃなくて、ほんと楽しくて10代からのこれがやりたかった。が出来た。家帰ってほんとやったんだよなあ。って、寝れなかった。
ハセコー : 昼まで飲んでたから寝れるだろ(笑)
カイセイ : 家帰って、昼くらいから寝てないのよ。
ハセコー : 月曜いけたの?
カイセイ : 行ったよ。
リョウスケ : ライブは土曜で、日曜の昼12時まで打ち上げやってた。
カイセイ : 日曜夜まで寝れなかった(笑)
ハセコー : スゴ。
カイセイ : ジミーとか阿左美がツイッターに書いてたから、俺も寝れないから書いたんだけど、消しちゃった。(笑)
俺、気持ち悪いじゃんって思っちゃって。。。(笑)
ハセコー : 陰王じゃん。
ジミー : 陰キャの王で陰王す。

カイセイ : どっか知らないところで、なんか思われたらやだなって(笑)まあ、あのライブでやっぱり、やってくぞとなったっすよね。
yubioriとこう、並んでやっていきたい。正直差はあって、cinema staffとは出来ないけど。並んでやっていきたい。というのは思った。
小高 : yubiori側はどうでした?
ジミー : ああ、また始まってしまったっていう気持ちはあります。ツアーが。何かが、始まってしまった感じ。いい意味でもあるし、しんどさとか、不安もあって。
カイセイ : もう経験してるからね。
ジミー : ライブに関してはカイセイと同じく嬉しくて。ちょっと飛ばしすぎてやらかしかけてました。
リハから舞い上がっていた気はしてて、ライブ前はいつもだけど、不安でイライラもしてた。そんな感じでリハがいい感じにできなくて。
来てくれた人には申し訳ないけど、100点は付けられなかったかもしれない。ほんとお客さんに助けてもらった。
ハセコー : まだいけるというライブだった。
ジミー : 自分のライブとしてはもうちょっとできたかなと。そんなのないんだけどね。それが実力だから。
俺の好きな落合監督の言葉で、もっと出来たとかやれたとかはない。今年の成績が今の実力だ。って。
ライブもレックも同じ。
リョウスケ : yubioriのセトリが、秋燕から鳥籠で終わったよね?珍しく不気味な終わり方するなと思った。
カイセイ : なんでこのセトリにしたの?
ジミー : 悲しみを集めてを最後にやろうと思って直前にハセコーと話してAnorak!のライブ見て決めよう。やばかったらやって、負けを認めて道化です。ってやろうとおもったけど。
自分たちのやりたいことってこういうことだよ。暴れたいだけじゃないんだよ。ってのを出したかったかな。
でも当日の雰囲気みて、Acleがめちゃくちゃになった後にやったらいいかなと思って、ハセコーに相談した。けど今日はいいっす。って。
ハセコー : 俺は意地悪っす。カイセイへの。まあ、そういう終わり方をしてみたかった。大団円的な終わり方は少し飽きてきたっていうか。
お客さんと、カイセイに対しての意地悪。ワーってさせない。トリじゃないから。
リョウスケ : 人ががっつり減るの覚悟していたから、こんなにたくさん残ってくれてるって思ったし数日前に出した曲をみんなが歌ってるってのはやばかったですね。
ホントに演者しかいないところでずっとライブやってきたから。
ハセコー : 人がたくさんいるライブハウスって知らない人がいっぱいいるイメージだったけど顔見て、直接こいつは知らないけど、誰かの知り合いで、誰かの友達の友達。さっきの話だけど草野球の広がりみたいな。
パンパンのライブハウスは、こんな感じなんだな。って思いました。
ジミー : 実はAcleとyubioriは3年前にオリーブで2マンしてるんですよね。圧2※ そん時が、コロナ真っ只中で、店長の福原さんに12人しか入れれないよって言われて。12人って事前に告知してたのに、3人くらいしか取り置き来てなくて。埋められない焦りもありつつ。
※2021/12/18(土)に天王町のStudio Oliveで開催されたyubioriの自主企画 圧倒的鈍る皮膚感覚僕を忘れないでよ状態2(ツー)
小高 : 実際は何人くらい入ったの?
ジミー : 20人いかないくらいですかね。それも思い出しつつ。
リョウスケ : それが全編youtubeに上がってて※、今回収録した鳥籠、sleep tightをやってて。sleep tightは原型留めてない(笑)
スプリットのレックの中で、鳥籠聴いて、あの時の曲だみたいなのは思った。
ジミー : インタビュー見てる人にも改めて是非見てもらいたい。
※リンクはこちら
youtube
ハセコー : トウジョウのギターがそもそもチューニング狂ってんすよね。
ジミー : 最初Acleでギター弾いてるトウジョウ見ると全然足りねーなと思ってたけど最近Acleにハマってきて良いよね。
ハセコー : もともとギターうまかったですけどね。うちでベースも頑張ってほしいな。
ジミー : (リョウスケに)サポートやる?
リョウスケ : 身長的にやだ。
●further platonicから出すことになった経緯
小高 : furtherに対しての思い入れや出すことになった経緯。これは使えるかわかんないけど。最初このスプリットはRAFTで出すつもりだったんだよね?吉野好きなの?
ハセコー : 大好きです。
ジミー : もともと自分たちの1stをRAFTで出していて。Acleの1st epはRAFTだったから、Acleもいれば、without、switchblade、florenceとか、他の好きなバンドがいたからRAFTだったんですよね。
小高 : 好きな地元のバンドがいたからの部分が結構大きかったんだ。
ジミー : っていうのと、大学1年の時に、オリーブでSlugger Machineを観て。FRKっていう florence, Run Hero, Kocoroの3バンド企画に出てて、シゲと2人で観に行ったんですよね。
そこで初めて、観たんです。で、そこからthe Get up kidsとかに入ったんで、Slugger Machineがあってのエモなんすよね。Slugger Machineからそういうジャンルに入って行って。衝撃のライブで。
そういう部分での吉野さんへの憧れみたいなところがあって、出すなら当然RAFTしかないでしょ。って。1st出した時に吉野さんともこれから横浜のバンドやってこうよ。ってなってて。ただ、今回色々あって、出せなくなったんですが。
それだったら俺は別のレーベルから出したらいいんじゃないかなと思っていたんですよね。
これからAcleがやっていく時にXXX(某レーベル)がいいと思っていて。Aさん(某レーベルオーナー)はバンドのこと一番に考えてくれてて。Acleがこの後、やっていくならいいと思っていた。だから俺が最初にイメージとは全然違う形になりました。
関学の軽音のバンドはそれで終わっちゃう感じがずっとあった。furtherでやったらそれで終わっちゃうかも。っていう想いがあって。
リョウスケ : Aさんのライブに直接挨拶に行こうっていう話自体はあったんです。その直前にカイセイと2人で飲んでて、違うかもね。って話になって。Acleの単独アルバムをお願いするのであればfurtherでお願いしたいというのを豪さんに相談してたんですよね。
RAFTとの話がなくなっていく中で、知っている人とやりたいという安心感が重要だなっていう気持ちも出てきて。話をしに行くのはやめて、herveilでweaveと対バンした時にスプリットの話を豪さんにして。
カイセイ : そんなに喋ったこともなくて、知ってる人じゃないと安心感を持てなくてだめだなと思った。
ジミー : 当時は俺、ふざけんなと思ったよ。言った話と違うじゃん。勝手に話捻じ曲げんなよ。って。
小高 : ジミーからはそのレーベルにはアプローチしなかったの?
ジミー : ぶっちゃけるとRAFTが流れたのはAcleのせいなんで。
一同 : (笑)
ジミー : スプリットの最初の目的として、Acleがちゃんと機能するためには俺が全部やっちゃうんじゃなくてリリースまでの過程とか。そういうことをAcleがやる必要があると思ってたんですよ。で、Acleと話して挨拶行くわ。ってなってたのにいきなりLINE来て。豪さんに頼むことにした。って。え?ってなって。
その名前出てきちゃうとなんも言えなくなっちゃうし。相談しろよ。っていう。
リョウスケ : いや、相談ベースだったよ。そこは。
ジミー : いや、でも豪さんって名前出てきたら断れないじゃん。これはちょっと考えさせてください。は言えないよ(笑)
リョウスケ : ごめん、それ配慮足りなかったわ。言えるタイプの人間だと思ってたわ(笑)
ジミー : 言えねえよ!(笑) 豪さんとfurtherの名前出てきたら、嬉しいし。出せる!ってなっちゃうから。けど、俺達で決めたことを勝手に変えないでほしかったんだよね。
リョウスケ : ぶっちゃけると逆もあるんだよ。
小高 : 飲んでるからさ。言っちゃおう。
リョウスケ : ツアー組んでる中でこういうことになったんだよ。って事後報告ががめっちゃあるんですよ(笑)
ジミー : すみません(笑)
リョウスケ : ジミーの良さだし、決めてきてくれるからありがたいけど、お互いにそういうところがあると思ってる。けどジミーってそうだよな。ってやっぱり思うし。言わせてもらうとそれもあるからね。ってだけの話ですけど(笑)
小高 : yubioriは今後もRAFTでやっていく感じなんだね。
ジミー : RAFTは外せないですね。
ハセコー : 吉野さんをまだいじりたいので(笑)
小高 : (ジミーがタバコ休憩で離席) ジミーもいなくなったったんで聞いてみるけど、ハセコーはリリースどう思った?
ハセコー : あ、furtherいいじゃん。って感じでしたね(笑) 知ってるし。っていう。(笑)
●バンドの在り方について
小高 : 目指すバンドの在り方とかありますか?
ジミー : 始めた時はあんまり考えてなくて。周りにちゃんと尊敬する先輩がいて。その一番はwithout, Kanariの近野さんなんですけど。
働きながらシーンを持って、自分のやりたいことを音楽を通してやる。っていうのをほんとにかっこいいと思っているしメロディと歌詞が大好きで、とても影響を受けた先輩。
近野さんみたいになりたいって想いはあって、近野さんみたいになるってのはどういうことか。って考えると地元でバンドをやって。たまに遠く行って。音源をリリースして、地元で企画を打つ。
その繰り返しができればいいなって。目標に思っています。
小高 : そこに対して、実現出来てきている部分だったり、手ごたえはある?逆にブレてるなとか。
ジミー : 続けて、ありがたいことに聴いてくれる人も増えてきたことで、誘われるライブも増えるし。 語弊があるかもしれないけど、自分達のやりたいことだけやれるわけでもなくなってそこに悩みはありますけど。
その時に思ったのは、自分たちがやりたいこと。を一番にしないといけない。と思いました。
小高 : ライブ本数が多くなると自主企画とかじゃなくて、誘われたライブが軸になっちゃうから、そこがあるよね。
ジミー : しかもめちゃくちゃありがたい事に誘われるライブがやべーライブばっかりなので、ずっと聴いてきた人たちと出来るとか。
CITTA'とかLIQUIDROOMとか、でかい会場で出来るとか。
去年MORETHANのサトシさんとwithoutのウルシさんと飲んだ時に言われたんですけど今年は企画をやるか悩んでるって言ったら、絶対やったほうがいい。それやらないとダメだよ。って言われて。
でmy name is...を呼んでの自主企画をやったんですよね。今後も年一ではやりたいって思っています。
小高 : Acleは理想とするバンド像、バンドの在り方とかはありますか?
カイセイ : ジミーと一緒ですね。大学の時に聴いてきたバンドと対バンしたいっていう。
ジミー : 対バンに聴いてほしいのか。お客さんに聴いてほしいのか。自分がその人たちと同じ空間に入れればいいのか。
ハセコー : 全部でしょ。
一同 : そうだね(笑)
リョウスケ : バンドの状態としては横浜にはAcleがいる。ってところを目指したいですね。そう思う根っこの部分として、思うようにバンドを動かせなかった時にSNSで見るライブの告知に対してそこに自分達がいるべきだなと思う経験をたくさんしてきたから、そこにちゃんといれるようにしたいですね。
●スタジオワークについて
小高 : いつもスタジオはどこを使って、どんな感じで入ってる?
ハセコー : いつも横浜北口のクラウドナインで、ほんとはオリーブ使いたいとか思いますけど。
ジミー : メンバー三人が徒歩圏内なので、元々は土曜の朝、10時 - 13時の3時間で入ってて。
小高 : スタジオ終わりのルーチンとかあるの?練習してメンバーで飯行くみたいな。
ジミー : 終わった後は俺の家で昼から酒飲みながら魔界村をやる。みたいな。一人死んだら交代して、ずっと夜まで魔界村やって。鍋して解散。
最近はライブが増えて、週末忙しいのでスタジオは平日、水木どっちかで。20時 - 22時でやってます。昨日も入りました。
小高 : Acleは?
カイセイ : 新丸子のスタジオミュジックです。
小高 : ミュージック?
ジミー : ミュジック。マジックとミュージックかけてる?絶対そうでしょ(笑)
リョウスケ : みんなの中間と言いつつ、サポートだった自分に気を使ったんだと思います。で、なんだかんだそこを使ってて、平日の20時 - 22時で2時間くらい。
俺らはしっかりルーチンがあって、終わったらセブンでロング缶を買って、隣の武蔵小杉まで歩き、終電まで武蔵小杉の駅の喫煙所で管巻いてる。サギは帰ります。(笑)
●曲作りの流れについて
小高 : 曲作りの流れについて教えてください。歌詞を書くタイミング だったり。オケ先行、後からメロ乗せとか。
ジミー : 世の中の潮流的にはPC1台で作っちゃう感じだと思うのですが、俺はそういうの全然出来ないのでiPhoneのボイスメモで弾き語りを録って。おめーら何とかしてこい。でやってます。
小高 : 歌まで作る感じ?
ジミー : 俺は歌詞とメロとコードを全部同じタイミングで作ります。なので、出来る時は曲の長さと同じ時間で曲が作れます。歌詞書きながらメロも作る。あとはみんなが好きにつけて行って、長谷川があーだこーだ言いながら。
基本的にアレンジは全部、長谷川がやってます。
小高 : トリプルギターでの棲み分けで意識している部分ってある?
ハセコー : 誰かが好きなフレーズを弾き出したらそれに合わせるみたいな。
小高 : 足し算、引き算の感覚というか。足し算でやりたいことだけやると��つかっちゃうけど。
ハセコー : そこだけ、日本人ぽくて忖度して譲ってます。これ、こいつめっちゃ弾いてるなあ。ってなったら譲ります。自然と。
ジミー : たまにこうしてくれはありますけど基本は任せちゃう。でも、毎回スタジオの度にああ、かっこいいなあ。と思っています。
カイセイ : センスある関係性だよね。支え合ってる。
小高 : Acleは?
リョウスケ : 共通してるのはある程度作り込んできてみたいなのは全く出来ないです。
カイセイ : いや、作ってきたこともあるんですけど弾き語りみたいになっちゃうんですよね。
リョウスケ : そのレベルの話をしてるんだよ。ジミーの話聞いてなかったかもしれないけど。
カイセイ : 厳しくないっすか?(笑)
ジミー : 出来ないってのもあるし、絶対メンバーに任せたほうがおもろいと思うから。
カイセイ : Acleの良さじゃなくなっちゃうし。やっぱり、バンドなのよ。良さを出すためには、セッションとかから来てて。
ハセコー : セッションするの?
カイセイ : セッションっていうか、コードだけ持ってきて。俺はもう、偽英語でバーッと適当に歌う。そうなると、ノってくるわけですよ。で、家に帰って、しこしこ歌詞を書き上げていくんですけど。合わない合わない。とか言いながら。
で持っていくとダサいと言われる。(笑)
一同 : (笑)
カイセイ : で、家で弾き語りでやってたらまたメロが弾き語りっぽくなってきちゃって。それを繰り返してて。やっぱり触りだけ持っていって。みんなでガッとやる感じですね。
小高 : 触りはリフ?メロ?
カイセイ : アルペジオの時もあるし、進行だったりも。
ジミー : 誰かが我を出さないと、なあなあになったり作り切れないと思うけど、Acleだと誰がそこは出すの?
リョウスケ : 結構これ難しくて、俺以外かもしれない。
カイセイ : 確かに。いや、でもリョウスケさんもあるよ。幅は違うけど、全員言うかな。トウジョウもすごいしね。ジェスチャーしながら、それダサいです。って。
ジミー : こっち(yubiori)ではわりと大人しくしてるよ。
カイセイ : 気使われてるんじゃない?(笑)
ハセコー : トウジョウは俺だけを悪者にしようとしている。
ジミー : リンペイ(阿左美)もスタジオ終わった後に"あれはジミーが正しいと思うよ。"を俺だけに言う。(笑) ふざけんなよ!あん時スタジオで助けてくれよって。(笑)
ハセコー : あん時、泣かなくて済んだのに(笑)
リョウスケ : 今までだとサギとトウジョウが揉めてることが多かったかなあ。真反対過ぎて。
カイセイ : サギがそれを俺に言って来たり。トウジョウが俺に言って来たり。
リョウスケ : けどたまに合致してカイセイをボコる時がある(笑)
カイセイ : それは言い返せなくて俺のストレスが溜まる。。
●ジャケットについて
小高 : 今回、金沢八景をジャケットにした理由はありますか?
俺もすごく思い入れがある場所で。全体的に八景の写真が多いけれど。

ジミー : これも俺が提案してて。そもそも生まれた病院が関東学院の裏にある南共済病院で。
ガキの頃に母さんの自転車の後ろに乗って関東学院の幼稚園に通ったり。追浜のプール。横須賀スタジアムで茂みの間から二軍戦見たりっていうガキの頃の記憶、そういう原体験があるんです。で、Acleといえば八景、というところですんなり決まった。
リョウスケ : お互いに結構思い入れがある場所だし、カイセイとジミーがよく遊んでた場所。
カイセイ : ただ音楽の話して飲んでただけだけど。
ハセコー : 白楽にはあんなにバエるところないよね。(笑)
ジミー : 海、欲しいよね。
●ツアーに向けて
小高 : ツアーで楽しみにしていることとかはありますか?
リョウスケ : Acleはきっとノーマークだから、そこは楽しみです。
カイセイ : 全員にAcleいいね。って思わせたいよね。
リョウスケ : 俺は逆境で上がるタイプではあるので、yubioriを楽しみで来たんでしょうの状態を楽しみにしてる。
ハセコー : トッパー的な気持ちというか。
リョウスケ : そういう部分もありますが、ツアーは各地の内容が本当に良いので、楽しみです。
ジミー : 俺は北海道が楽しみ。地元凱旋だし。
カイセイ : (唐突に)AP楽しみだなあ(笑)
●編集後記 & おまけ
いかがでしたでしょうか。Acle / yubioriのロングインタビュー。
私としても今回後輩からリリースを頼まれた手前、俺がやらないければ!という想いが強くあり、初めてインタビューをしてみた結果、すごいボリュームになってしまいました。
普段ライブハウスで会うと酔っぱらって、じっくり話す時間もないので気になることを改めて聞いて、仲間のことを理解するのは自分を見つめ直すきっかけにもなるなと思いました。
まあ、すごく楽しく出来たので、気が向いたら今後もインタビュー記事を投稿していきたいと思います。
インタビューの録音起こしから、各メンバのチェック���挟む間に小高の仕事が阿保ほど忙しくなり、weave企画も近づいてきたので慌てて仕事用ではないPCに向かいだす始末。両バンドには申し訳なかったです。
ということで、もう彼らのツアーも中盤戦ですが、この後も2バンドのツアーは続きますので引き続き、各地盛り上がっていきましょう。
曲に込めた想いはその場で拾いきれなかったので各バンドの作詞担当に後日メールインタビューでもらったテキストを最後に掲載しておきます。では。
weave / 小高 豪

Acle
曲紹介文を書いてみます。 とだかいせいです。よろしくお願いします。
sleep tightについて
この曲は割と昔からあってイントロのリフ・Aメロ・ Aメロの歌詞、メロディーは大学でて、社会人になってすぐくらいにはできてました。5、6年前から元はあります。 自分の手ぐせのリフでそこに歌詞を載せてみたらいいんじゃないの。と自分でなってバンドとして作り始めた感じです。 でも、バンドとして全然形にならなくて散々遠回りさせてしまい、今回やっとレコーディング終えゴールインって感じです。遠かったな。
歌詞は、大学を卒業して特にやりたい仕事も無く流されるままなんとなく就職して社会に放り出され、毎日が消化されてくだけだなと思ってた時に書いた曲です。(いまではそこまで思わなくなったけど) ちょうどAcleはその時メンバー脱退の都合で止まっていて、でも曲を作り続けていればバンドがまたすぐ動けるかなとか思いながら書いていました。 理想の自分と現実の自分の葛藤を書いた気がします。
理想を夢見て過ごすのか、やりたくないことばかりだけど堅実に過ごしていくのかどっちが幸せなんでしょうかね。 僕はお笑いというジャンル全般が好きなんですけど、 シャウト部分は、���きな落語の「芝浜」のオチをシャウトしてます。シャウトの部分はレコーディングの時、当日付け加えました。 僕はですけど、夢を見て、うだうだ言うより 目の前のことをまず頑張らなきゃダメだと思ったんですかね。
youtube
幕間について
yubioriジミーと大学一年生の時に、 サークルの他大学合同ライブがきっかけで出会ってからの縁で、今回スプリットを出させてもらいました。 当時、ちょくちょく八景に現れるジミーと俺の家でバンドの音源聴きながら飲んだりギター弾いたりしたことを思い出しながら書いた曲ですね。 なかなかみんな仕事や家庭で忙しいから会える機会も少なくなってくよね。 でもたまにタイミングよく会えたら昔と同じような感じで話しができる関係性でいれたらいいなって思って書いた気がします。
色々言ったけど 歌詞の解釈なんて人それぞれでよくて自分も他人の歌詞を見る時、 自分の今を勝手に重ねたりしちゃったりするので その時、その人にあったように捉えてくれたらいいと思います。誰かが言ってたけど音楽は誰かのBGMになれればいいなと思う。ほんとはね。 引き続きyubiori、Acleをよろしくたのんます!
yubiori
おばんです。ジミーです。後日、インタビューで聞ききれなかった内容を文章で書いております。
僕らの1曲目は「放射冷却」。タイトルは後付けですが、寒い地方の冬は晴れれば晴れるほど寒いんです。雲があるときは地熱が宇宙に逃げて行ってしまうので。ファズは突き刺す寒さみたいですね。
歌詞は凄く説明するのが難しい!
僕は、思ってることと正反対の事を歌って「察せよ。」みたいなことを頻繁にやるのですが、この曲においてはそれを自分で解説するのは違うと思ったので、歌詞解説はやめておきます・・・
大好きな周りのみんなにずっと元気でいてほしいという気持ちが一番ですね。
そういう曲です。てか、そういう曲しかない。
特にで言えば、かいせいと、さっT(kurayamisaka)に宛てて書いた曲です。
2曲目は「鳥籠」。数年前、情緒不安定だった時期に書きましたが、悩んでいることや考え方はこの曲を作った時から変わっていないのかも。ただ、折り合いを付けるのは上手になりました。それがまたとても悲しいです。
昔、yubiori初期メンのはっせに、「田村はバンドが売れて、出世して、家族に恵まれても、きっと毎日何かで深刻に悩んでるよ」って言われたことがずっと忘れられなくて。当時その言葉を聞いて僕も「その通り��な。」と思ってしまったし、今もそう思います。
多分そうじゃなくなったらもう歌詞なんてかけないと思います。
switchbladeの歌詞で、「歌を終わらせるのは理想の暮らしさ」という一説があり、これはマジだな、と思いましたね。
僕の身体は1つしか無いので、1つのことしかできないですが、誰かのことを祈ることはいつでもできると思ってます。そういう曲です。
みんなーーー!!!元気でいてくれーーー!!!
ほんでたまに俺のことを思い出してくれ~
以上。ジミさんが曲に込めた思いの解説でした。
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【チャリを交通の主役に 魅力発信、片山右京の挑戦 疾走チャリノミクス(1)】 - 日本経済新聞 : https://www.nikkei.com/article/DGXZQOFK132ME0T10C21A2000000/ : https://archive.is/XQzTa 2021年3月21日 2:00 (2021年3月22日 2:00更新)
環境に優しく、健康によく、密も避けられる夢の乗り物――。脱炭素や新型コロナウイルス禍で改めて脚光を浴びる自転車。チャリンコと侮るなかれ。IT(情報技術)などの最新テクノロジーを取り込み、自転車経済圏は国内外で広がる。競技から開発、安全対策までそれぞれのフィールドを全速力で走るチャリダー(自転車乗り)を追う。
■《自転車競技の中心にカミカゼ右京》 東京五輪の競技運営責任者に、新設するプロリーグのチェアマン――。いま日本の自転車競技界の中心には、元F1レーサーの片山右京(57)がいる。かつて怖い物知らずの走りから「カミカゼ・ウキョウ」と呼ばれた男だ。
{{ 図版 1 : 東京五輪の自転車競技スポーツマネジャーも務める片山 }}
「あなたの街へ興奮と感動を届けます」。こんなうたい文句で3月27日にシーズン1年目の幕を開ける自転車ロードレースのプロリーグ、ジャパンサイクルリーグ。新設に汗をかいた一人が片山だ。チェアマンとして組織体制作りやスポンサーの獲得に奔走。メインスポンサーには不動産大手の三菱地所が就いた。「多くの人たちが自転車に関心を持ち、スポーツとして応援しようとしてくれている」
人生最初の挑戦は小学校5年生の時、三重県から神奈川県の自宅まで走破した自転車旅行だったという。いったん遠ざかったが、F1レーサー時代、体力トレーニングで再び自転車に乗るようになった。引退後はその魅力に取りつかれ、数々の市民ロードレースに参加。2012年には自らロードレースチームを立ち上げた。「40代半ばから本格的に始めても、毎年記録が上がったり、200キロメートル以上走れたりする。頑張った分だけ確実に力がつき、生きてるという感覚をもらえる」
■《登山で環境破壊に危機感》
自転車に託すのは競技への思い入れだけではない。F1引退後、自転車とともに登山にのめり込み、キリマンジャロなど世界6大陸の最高峰登頂に成功した。だが、そこで見たのは消えゆく氷河やプラスチックゴミなどの環境破壊だった。
人力でペダルをこいで進む自転車は二酸化炭素(CO2)を一切出さない。脱炭素への意識が世界的に高まるなか、究極のクリーンモビリティとして注目され始めた。片山は「今後30年で公共交通の構造が変わり、自転車はその中心の一つになる。皆が自転車に乗って動き回るようになれば、自動車が入りにくい裏通りの価値も変わる」と訴える。
■《日本の自転車利用、拡大の余地》
特定の移動手段の利用頻度から算出した「交通分担率」をみると、日本の自転車は13%。最も高いのは自動車の48%だが、国土交通省の調査によると、自動車の移動距離は5キロメートル未満がうち43%を占める。同省は「短距離の移動で今後、自動車から自転車へ交通手段がシフトする可能性がある」(道路局)とみている。
{{ 図版 2 : 日本の交通分担率の内訳 主要国の交通における自転車分担率 }}
■《車椅子に乗る15歳の社長》
「自転車産業はITとの融合でもっともっと成長する」。シェアサイクル事業、チャリチャリを展開するneuet(ニュート、東京・港)の社長、家本賢太郎(39)は、真っ赤な自転車が並ぶ本社内のガレー��で力を込める。家本は15歳でネット関連のコンサルティング企業、クララオンライン(同)を立ち上げた異色の経歴を持つ。
{{ 図版 3 : クララオンラインとニュート社長を兼務する家本(東京・港) }}
脳腫瘍の手術の後遺症で14歳から18歳まで車椅子生活を送った。電車など公共交通機関での移動に大変な不便を感じ、「移動に選択肢があることは幸せと感じるようになった」。特に羨望のまなざしで見たのは、自らの力だけで自由に移動できる自転車だ。
車椅子生活を終えた後、自転車は家本の趣味になる。そしてITを武器にアジアへ事業を拡大した際、中国で目の当たりにしたのはシェアサイクル事業の勃興だ。鍵となっていたのが、あらゆるモノがネットにつながるIoTだ。ITに精通した家本は「これなら自分にもできる」と思い立つ。
■《ITからシェア自転車に》
17年秋には福岡市でシェアサイクル事業を展開しようとしていたメルカリから「一緒にやりませんか」と声がかかり、IoT関連のサポートなど裏方仕事に携わった。そして19年夏、「ここから先は僕にリスクを取らせてほしい」と事業譲渡を持ちかけ、チャリチャリとして再スタート。今は名古屋、東京と事業を広げ、専用駐輪場(ポート)は430カ所、保有台数は2000台に達した。
{{ 図版 4 : シェアサイクル「チャリチャリ」の専用駐輪場は430カ所に達した }}
チャリチャリはITの塊だ。利用者はまずスマートフォンにアプリをダウンロードし、付近のポートにある自転車を探す。見つけたらサドルの下にあるQRコードをアプリで読み取り、解錠。利用後は近くのポートに駐輪し、施錠する。料金は1分4円で、アプリに登録したクレジットカードに課金される。24時間365日利用できる。
全地球測位システム(GPS)が搭載されているため、万が一ポート以外に放置されても、すぐに見つけ出せる。買い物や通勤などの短距離移動はシェアサイクル、サイクリングなどの遠出は自分の自転車と住み分けが進めば、「日本が長年抱える放置自転車の解決につながる」。
日本のシェアサイクル事業は地方自治体が関わっていることが多いが、チャリチャリは行政から補助金を一切貰っていない。自立には利用率の向上が必須で、昼間人口の多さや人口密度の高さに加え、公共交通機関の乗り換えが不便な場所などを狙ってポートの候補地を探す。「シェアサイクルが日本でちゃんと事業として成り立つことをみんなに見せたい」
■《環境派市長「パリをつくり替える」》
チャリノミクスは国境を越える。「環境保護を進めるため、今すぐパリをつくり変えなければいけない」。市長のアンヌ・イダルゴ(61)は自転車でパリ中心部を疾走する。優��レーンを作るなどして、全ての道で24年までに危険なく自転車を利用できるようにする目標を掲げる。
{{ 図版 5 : イダルゴ市長は環境保護のため、市民に自転車の利用を呼びかけている(パリ)=ロイター }}
14年に就任したイダルゴは環境派として、セーヌ川沿岸の一部を自動車進入禁止にするなどの政策を取ってきた。コロナ禍で人との接触を避ける動きが強まったのをきっかけに自転車の利用を一層促す。20年には自転車用レーンを60キロメートル分延ばすと表明した。
かつて自動車で混雑していたルーヴル美術館前の有名なリボリ通りはいまや、自転車で混み合うほどの様変わりだ。「大気汚染や騒音が著しく減っている」。イダルゴは胸を張る。
フランス政府も自転車の利用を後押しする。コロナ発生後、自転車の修理費を50ユーロ(約6500円)まで補助すると発表した。一時は数カ月待たないと予約が入らないほど修理業者がにぎわった。市場は爆発的に拡大している。仏テレビLCIによると、20年の仏自転車販売台数は330万台と19年比3割近く増えた。
■《自転車経済、年7%で成長》
今後も世界的に自転車市場の拡大は続きそうだ。英調査会社テクナビオによると、20年の世界の自転車市場は約540億ドル(約5兆9000億円)で、25年まで年平均7%で成長するという。
{{ 図版 6 : スポーツ自転車が大きく伸びている(1店舗あたりの国内販売台数の前年比) }}
日本国内の20年の自転車市場規模(国内生産と輸入の合計)は約1300億円。最近では特にスポーツ自転車の伸びが大きい。野村証券チーフエコノミストの美和卓(53)は「スポーツ車は単価が高いだけでなく、ヘルメットやライトなどを追加購入しないと走れない。アパレルや付属品など周辺市場の広がりに期待できる」と話す。自身も約15万円でロードバイクを購入し、本体以上のお金をかけてギアやホイールを好みの部品に取り替えた。
{{ 図版 7 : ロードバイクで通勤をする野村証券チーフエコノミストの美和(東京・千代田) }}
前日のニューヨーク市況のチェックから始まる美和の朝は早い。西東京市の自宅から東京・大手町の職場まではロードバイクで1時間半。夜の喧噪の名残ある新宿の繁華街を抜け、大手町が近づくころには皇居のお堀に反射する荘厳な朝日が見えてくる。6時過ぎに会社近くの駐輪場に愛車を止め、サイクルジャージからジャケットに着替えると、今日も美和の一日が始まる。
=敬称略、つづく
(生田弦己、松本萌、福井環、パリ=白石透冴)
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキクケコガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニヌネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国会人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権心界支第産結百派点教報済書府活原先共得解名交資予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変打男基私各始島直両朝革価式確村提運終挙果西勢減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流格有疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮究育席輸訪楽起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡失移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃佐核観察整段横融型白深字答夜製票況音申様財港識注呼渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士光討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処省旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師摘材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青破編捜竹除完降超責並療従右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗冷模雄適婦鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久短油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等救執層版老令角絡損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒刑坂刻底賛塚致抱繰服犯尾描布恐寺鈴盤息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮還枚属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板列露沖探逃借緩節需骨射傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓律誘紛貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕堅訳盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳毛緑尊抵脅祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯���桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻泰賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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K(ブラック/墨)の欠損した印刷と比べられるなんて贅沢だなー そしてKの意味を知る🔑!🐈⬛


高校生の時この作れない(発色良い的な認識しかなかった)ピンクのアクリル絵の具に はまっていた(先生がこんなのあるよって勧めてくれたのだと思う)。。ライトマゼンタとかも混合のニュアンスは似てそうだな CMYKがプロセスインキ/カラーと呼ばれている活躍の仕方の展示であった。。 見ても分からないことは残るんだけど、モアレはほんと〜神秘。計算と科学ではあるのだろうけども ドット配置の角度ね。。その通りすぎる理屈で結果あの円とかなみなみに見えるということか。。





↑ 手動の機械(名称を記憶せず..)でしおりサイズの版を刷る。黒インキマンの肖像少し掠れた 2階ロビーに活版文字型のベンチ 何かもまた色たちの中のバリエーションだと感じて知識な気がしてくると、忘れたらいけないものに思えてしまう気がするし、でも塵のように処理しなければいけない気がするし、なんだろな自分ってとふと

坂が入り組む。高低差すごい。住宅の前とかにさりげなくある階段が存在感あった 下はtimes一帯DNP敷地ビル

窓越しじゃないけど依然人工物にも思えた釣り堀🎣
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無題
真のエリートは貴族という形をとりうる。トマ・ピケティが「21世紀の資本」で予言したように。それは資本や教養と関係を持つエリートネスであると同時に離接的総合化作用でもある。「あるいは」という言葉がしめすもの。堀越高校だ。堀越高校が離接的なのだ、と、今さら気��いた。私は遅れてきた。私は遅れてきた。それとも、人生ではじめて絵本を発見しただけだろうか、「推しの子」よ。
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2025/4/1 8:00:26現在のニュース
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【高校生企画】 体験ワークショップ&説明会
「つち浦々まちなか演劇めぐり2025」では、学校の枠を越えて一緒に作品作りをする高校生を募集し、短い演劇作品を上演します!
この企画をもっと知ってもらうために、5月18日(日)に、体験ワークショップと説明会を開催!ワークショップだけの参加もOKです!
日程:2025年5月18日(日)13時半~16時半 会場:県南生涯学習センター 中講座室2 (茨城県土浦市大和町9−1 ウララビル内)
参加費:無料
講師: ��保庭尚子(俳優、つち浦々まちなか演劇めぐり実行委員会委員長) 志賀亮史(百景社代表・演出家) 新堀浩司(劇作家、鉾田第一高校演劇部コーチ)
申込み期間:2025年4月1日(火)~ 5月16日(土)12時〆切
申込み方法:こちらのフォームからお申込みください。 https://forms.gle/q4X1vtYZar43hqrT8

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禁止事項と私
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生まれたのは中央区築地ですが育った江東区は区境にある隅田川、荒川を初めとして区内にも小名木川、仙台堀川、平久川、越中島川など東西南北に川が流れておりました。
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子供の頃には貯木場のある新木場まで筏を引く船の姿をよく見ましたし同級生の家が材木屋さんもおり、帰りの学級会では「筏に乗って遊ばない」なんて復唱したものです。
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地元の同級生と高校時代に行ったカラオケで安く済ませたくコンビニで買った飲み物を持ち込み店員さんに怒られたりしたものですが、この店はどうなんでしょうね?
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というわけで本日のランチはメニューのソフトドリンクは400円であるのに店内にある自販機では80円からソフトドリンクを買える #金城庵 #金城庵本館 です。
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母親の実家がある高田馬場に向かう途中いつも車で通っていて気になっていた店に初めて訪れてみました。頼んだのは #カツ丼 #天丼 のセットと #カレー南蛮そば です。
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土曜日の13時過ぎですが、店内はほぼ満席。早稲田大学の学生?と思しき人や地元の人たちと客層は様々。流石1919年創業の歴史あるお店です。
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注文をしてから蕎麦茶を啜って美味しいなと思っている8分後に運ばれて来ました。まずは #カツ丼 を頂きます。甘めの煮汁と卵でとじられたカツが食感も含めていいですね。
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セットの温かい #そば は香りが良いツユが印象的。少し柔めの #蕎麦 ですが啜ると香りもいいですね。続いての天丼は甘辛い濃いめの味付けが印象的。
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ドス黒いのはごま油で揚げたからなのでしょうか?しっかりとした味わいの #天ぷら は衣も含めていい味を出しております。エビ、イカ、ナス全てが絶妙な揚げ具合です。
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#カレー南蛮 は大好きな #蕎麦屋のカレー 普通のカレーと違って、蕎麦のカエシで伸ばしたトロミのついた優しい味わいとネギの甘さが印象的な絶品です。
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#カレー にはご飯もついているので、たっぷりのツユを投入して #カレーライス ならぬ #カレー雑炊 で頂くのは最高の美味しさです。
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お会計前にトイレに行った時に店内に自動販売機があったのが非常に気になったのですが、こちらを買って席で飲むことの是非を聞けなかったので次回は聞いてみたいです。
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#早稲田ランチ #早稲田グルメ #早稲田蕎麦 #早稲田そば #早稲田和食 #早稲田定食 #早稲田丼 #麺スタグラム #とa2cg
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翌日、午前十時過ぎに美津雄と小百合が水戸に着いた。浩二は、慌ただしく家内を片付けていた。今年は昨年より暑さが厳しく、冷房をつけていない部屋では大粒の汗が流れた。
浩志の亡骸が収められた棺は、すでに堀町の斎場の方に搬入されていた。それでも最期の別離に来る訪問者は絶えず、浩二はお茶出しと挨拶に追われた。昔は母・満代が祖父母が亡くなった時にはテキパキとこなし、時折何もしない浩志を罵倒しながら応対していたっけ。元々、私立S高校の保健室に勤めていたが実家は葬儀屋を営んでいたから、段取りも彼女が全部決めていたのだ。何故、あんな父を母は生涯のパートナーとして選んだのか? 浩二は未だに不思議に思っていた。
美津雄と小百合が来ると、ようやく浩二は落ち着いて座ることができた。小百合は台所で昼食の準備を始めた、美津雄は予め浩二が決めた焼香の順番を書いたメモを確認した。喪主は美津雄である。今回は質素に行いたいと斎場には小葬儀場を予約したが、遠方からも来るので、もしかしたら立見になる可能性もあると思った。
「まァ、学校関係については特に席は設けなくてイイだろう」
と定年からかなり歳月が流れているし、イイだろうと言った。
一方、特急「スーパーひたち」で水戸へむかっているみいと幸雄は、片手にワンカップ大関を持ち、浩志について色々と話していた。幸雄は仏前に備えてもらいたいとKバーで「デンキブラン」を買い、それが入った紙袋を隣に乗せていた。幸雄もみいに劣らず酒豪である。彼は言った。
「しかし、浩志がオレより先に逝くなンて…信じられない」
「以前から血圧が高いと薬は欠かせなかったみたいよ。それでも、浩志なりに気を付けてた様だけど」
「まァ、『イク』のも早かったしなァ…」
「幸雄さん! アタシ、一応『女』よ!」
「みいちゃん、お父さんも『ゲイ』だったンでしょ?」
「まァね。ハワイで捕虜をやってた時に覚えたみたい」
「さぞかし、あちらの男のチ◯ポはデカいンだろうなァ〜」
「あらあら、幸雄さん。未だ酔っ払うには早いわよ」
「えぇ? オレ、未だ『シラフ』だよ」
「シラフ」のうちから下の話が止まらないのは、高齢になり恥じらいと言うものがなくなったからだった。幸雄は、柿の種を掌にのせてポリポリと噛んだ。一応、彼は両前歯にブリッジの義歯はあるが未だ自歯は残っていた。髪も昔からほぼ変わらずフサフサしており、白髪ではあるがブリランチンで後方に流していた。背筋もピンッと曲がっておらず、ほぼ、浩志と付き合っていた頃と変わらなかった。そんな���雄の姿を、天井からずっと眺めていた浩志は懐かしく感じた。確かにオレは「イク」のが早かった。それは彼があまりに巧く、腰が抜けるほどに気持ちよかったからだ。未だに月イチはオ◯ニーをし、本当に元気だなと思った。嗚呼、幸雄のチ◯ポが欲しいと浩志はスラックス越しに弄ぼうと手を伸ばし、股間の方から触ろうとしたが通り抜けてしまう。何度も試みるがやっぱりできない。だが、幸雄は股間を急に押さえ、恥ずかしそうに周囲を見渡した。みいは、
「何? トイレ行きたいの?」
と聞いた。幸雄は、
「何か、いきなりチ◯ポがモゾモゾとして…。昨日、抜いたンだけど…」
と言った。みいはクスクス笑いながら、
「本当に、エロじじいだわ!」
と口を押さえた。
午後四時になり、浩二は美津雄と小百合をホンダのシビックに乗せ、堀町の斎場へ向かった。未だ誰も参列者はおらず、F祭典のスタッフと美津雄は打ち合わせをする傍ら、浩二と小百合は祭壇周辺を確認していた。すでに棺は釘打ちがされ、浩志の顔の周りには彼が好きだったグロリオサの花びらが散りばめられていた。スカーレットの様な冴えた赤色を彼は愛していた。小百合は目頭をハンカチで押さえながら、
「嗚呼、こうなっちゃうと何か淋しいわね…」
と呟いた。浩二も、明日火葬されると思うと心苦しかった。一緒に朝夕の食事を摂り、時折ウィスキーのグラスも傾け、何だかんだとな仲が良かったなと思った。
そんな中、正樹が葬儀場に姿を見せた。白髪まじりの角刈りで、スラッと背が高かったが、真っ先に浩志の棺の方に駆けて行った。小窓から覗くや、声を上げて泣き崩れた。浩二は慌てて彼の身体を支えたが、
「浩志ッ! 僕より先に逝っちゃうなンて…」
と両手で顔を覆い、自力では立ち上がれない様子だった。小百合も正樹の身体を支え、二人がかりで待合室へ連れて行った。
「う、うぇッ! うぇッ! うぇぇぇ!」
ティッシュを何枚も重ねて涙を拭きながら、正樹は泣きじゃくった。浩二は声をかけるのも申し訳なく思ったが、
「…あ、あの、父のご友人の?」
と聞いた。すると、何とか正樹は頷くことだけはできた。
「…ひ、蛭田です。浩志君とは、下宿で一緒でした」
「下宿って、荒川みいさんの?」
「…はい。僕の方からみいさんには話をしました」
「それは遠いところから…すみません」
「御免なさい。まさか浩志君が亡くなるなンて…」
「我々もそうなンです。仕方ないですよ」
正樹はお茶を一口飲むと、こちらをご仏前にとM百貨店の包装紙で包んだ箱を差し出した。そんなお気遣いなくと小百合は断りつつ預かったが、何やら菓子折りではない様だった。もしかしたら、酒かもしれない。彼女は、義兄は余程酒が好きだったのだなと思った。
その後、午後五時を回るとみいと幸雄、克也と斎場に到着し、幸雄は棺にしがみつきながら号泣した。克也も声を上げて泣き、その場に座り込んでしまった。彼は、
「先生、 未だ死ぬの早いよォォォォォ〜!」
と床に両手を付きながら、大粒の涙をこぼした。打ち合わせを終えた美津雄が待合室に戻って来ると、
「ど、どうしたンだ!?」
と小百合に驚いた表情で聞いた。彼女が事情を話すと、
「…何か、こんな連中ばかりが来ると思うと気が重いなァ」
とため息をついた。
結局、通夜には私立S高校時代の関係者や教え子などが参列し、中葬儀場に入り切れず立見になるほどであった。これも浩志の社交的な性格の故かと、美津雄も浩二も呆然とした。その中でも、やはり浩志の「妾」であった幸雄はみいに背中を擦られながら泣き続け、焼香の時には付き添いが必要だった。余程、父さんを愛していたのだなと浩二は思った。
午後七時半に通夜は終わり、最後まで残ったのはみいと幸雄、正樹だった。克也も名残惜しそうではあったが、後日、線香をあげに伺うと伝え、帰って行った。美津雄は明日の告別式の為、その日はF祭典が用意した宿泊施設に泊まることになり、小百合と浩二は市街の飲食店で三人を連れて行った。JR水戸駅前の炉端焼きで、五人はお猪口を交わし合った。流石に、幸雄も正樹も酒が入ると陽気になり、浩志と過ごした日々を「下ネタ」混じりに話した。���いていたみいも笑いが絶えず、小百合も浩二は呆気にとられた。こりゃ、朝までこの勢いで飲んでは語るなァ…と、浩二は午後十時には「お開き」とした。明日は火葬と告別式があると、クタクタになりながら小百合と浩二は家路に着いた。
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杉本 愛里は、日本のファッションモデル、女優。大阪府出身。浅井企画所属。 ウィキペディア
生年月日: 2000年12月21日 (年齢 23歳)
出生地: 大阪府 大阪市
身長: 162 cm
学歴: 堀越高等学校
モデル内容: 一般
他の活動: 女優
血液型: O型
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ジャニーズ事務所の創業者・ジャニー喜多川氏(2019年死去、享年87)の性加害問題を巡り、8月29日、事務所が設置した「再発防止特別チーム」が記者会見を開いた。約3カ月に及ぶ調査の結果、ジャニー氏による性加害があったことを認定。被害者への救済策を打ち出すこと、ガバナンス強化のため藤島ジュリー景子社長(57)の辞任などを提言した。 ジャニー氏の性加害問題については、とりわけ日本では「週刊文春」が率先して報じてきた。世間の流れを変えるきっかけとなった記事を期間限定で特別に無料公開する。(初出:週刊文春 2023年6月15日号 年齢・肩書きは掲載当時のまま) ◆◆◆ 現社長が「知らなかった」と語った、創業者の性加害。だが実際にはスタッフがジュニアたちをホテルに送るなど、事務所ぐるみで行われていた。さらに今回、スタッフもタレントに手を出していたことが発覚したのだった。 「自分がそこの中にいると勘違いするんだよね。これ、犯罪的な話ね」 小誌記者の前で重い口を開くのは、現在50代の男性X氏。かつてジャニーズ事務所に、マネージャーとして籍を置いていた人物である――。 ジャニー氏の性加害には事務所やスタッフの関与もあった 裁かれることのなかったジャニー氏 ジャニーズ事務所の創業者・ジャニー喜多川氏から性加害を受けたタレントたちの告発は、とどまるところを知らない。 この問題を巡って、現社長の藤島ジュリー景子氏は5月14日、「知りませんでした」などと弁明した。同事務所では、ジャニー氏と姉のメリー喜多川氏があらゆることを決定。“異常な経営”状況が続いており、〈本件を含め、会社運営に関わるような重要な情報は、2人以外には知ることの出来ない状態が恒常化していました〉というのだ。 だが小誌はこれまで、複数の元ジュニアや事務所関係者に取材。性加害はジャニー氏1人だけで完結するものではなく、事務所やスタッフの関与もあったという証言を得ている。 1996年から約2年間ジュニアとして在籍し、六本木の東京全日空ホテル(現・ANAインターコンチネンタルホテル東京)で、ジャニー氏による性加害を受けたという二本樹顕理(にほんぎあきまさ)氏はこう語っている。 「レッスン場でジャニーさんがマネージャーに、『今日、このジュニアは泊りだから』と告げていました。ジャニーさんが仕事で送迎できない場合や、ジャニーさんと離れた場所で仕事をしているジュニアを、マネージャーが迎えに行ったりしていたのだと思います。私も全日空ホテルの建物の前で降ろされました」 「『チャンスなんだから』とジュニアを諭すスタッフも」 また、2000年代にジャニーズ事務所に勤務していた元スタッフの男性は、次のように証言した。 「タブーではありましたが、多くのスタッフが知っていました。ジュニアの子をジャニーさんが待つ全日空ホテルに届けるスタッフもいました。中には、『ただ寝てればいい。チャンスなんだから』とジュニアを諭すスタッフもいた」 小誌は彼らを取材するたびに、当時のジュニア担当スタッフの名前を訊ねた。そこで複数から名前が挙がったのが、ジュニア担当のマネージャーのX氏だ。 さらに、X氏については驚くべき証言があった。 「Xさんもジャニーさんみたいに、ジュニアの子に手を出していた。やはりジャニーさんのように、お金を渡していたそうです」(元ジュニア) ジャニー氏のそばで働くマネージャーも、性加害を行っていたというのだ。 そこで現在はジャニーズ事務所を離れているX氏に連絡を取った。すると彼は、取材に応じたのだった。 X氏は90年代前半、20歳の時にジャニーズ事務所に入社している。もともと彼は、ジャニーズの人気グループのメンバーAの熱心な追っかけだった。堀越高校に通っていたAの登校時の“警備”を自主的に行っていたという。すると事務所からスタッフにならないかと声がかかった。 Aのグループや別グループのマネージャーを経験。その後、ジャニー氏の下、2000年頃までジュニア担当のマネージャーを1人で務めた。X氏が言う。 「基本的に全部、自分がジュニアに連絡しないといけなかったんです。平日の番組、ドラマ、取材。1日40人電話をかけなきゃいけない。もう気が狂いそうなほど忙しかった」 ジュニアの仕事の差配など、これまでジャニー氏の専権事項だと思われていたことも、X氏はある程度は決めることが出来た。 「(芸能界は)ちょっと神経が図太くないといけない。すごく良い子がいたけれど、学校のテストで1カ月休んだときに辞めてもらったことがある。ここでスレていくより、まともな人生を送ってほしいときは、次の仕事の連絡を入れない。気になる子はジャニーさん、また連絡するだろうし」(同前) 冒頭の言葉のように、X氏が「勘違い」するきっかけは、次のような話を聞いたことだった。 「六本木で食事をしているとき、グァムでメンバー同士で性行為をしたという話を聞いて衝撃を受けて。でもタレントさんて、やたらめったら(外で)できないから、きっと大変なんだろうなと。あとカッコイイ人は女性に追いかけられていて大変だから、かえって男の人とのほうが楽なのかなとも思った」(同前) そしてジュニアの担当になったとき、X氏の欲望は、担当する10代の少年たちに向かったのだった。 10代のジュニアに口腔性交「『いいじゃん、いいじゃん』という感じで」 「毎日、気の狂いそうなぐらい忙しい中、そういう人たちの集団という風に見えて。デビュー前の横並びの人たちと(仕事を)しているから、歳は離れていても、感覚的に一緒に感じたこともある。それで仲良く喋っているときに、本当に自分が悪いんだよ、自分が犯した罪なんだけども、『エッチしよう』と言った」(同前) 以降、ハードルは下がっていき、10代のジュニアを誘って、口腔性交をすることに、躊躇がなくなったという。 「『いいじゃん、いいじゃん』という感じで、6人くらいとそういうことをした。一緒に東京ディズニーランドに行ったりした子もいる。そのうち、3人に『お金ちょうだい』と言われて、3000円とか5000円を渡していました」(同前) 相手は高校生ぐらいのジュニアが多かった。もちろん、時には「嫌です」と断られることもあったという。だがX氏は彼らのマネージャーであり、ジャニー氏からジュニアの仕事の差配をある程度、任されていた存在だ。立場を利用した性加害と言えるだろう。 そのうち、ジュニアの中でも、X氏のことが噂になっていったという。当時のX氏に罪の意識はあったのだろうか。 「もちろんあったよ。だからあるジュニアに『ちょっと、やりすぎじゃない?』と言われ、それからは二度としませんでした。その子には感謝しています」(同前) X氏の行為について、性被害問題に詳しい川本瑞紀弁護士が解説する。 「当時の法律でも、児童に淫行をさせることを禁じる、児童福祉法34条1項6号違反にあたります。罰則は10年以下の懲役、もしくは300万円以下の罰金か、その両方です。少なくとも、児童買春・児童ポルノ禁止法に当たる可能性が濃厚です」
《ジャニーズ性加害問題》「6人くらいとした」男性マネージャーもジュニアに性加害していた「ジュリーさんは‟知らなかった”と言ってたけど…」【ジュリー氏退任で新社長へ】(文春オンライン) - Yahoo!ニュース
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