#墨堤通り
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昭和五十三年一月二十六日 都告示第七十五号 東京都墨田区長から、地方自治法(昭和二十二年法律第六十七号)第二百六十条第一項の規定に基づき、墨田区堤通三丁目の町の名称を廃止し、その区域の全部を別図のとおり、堤通二丁目に編入する旨の届出があつた。 右の届出に係る町区域の変更は、昭和五十三年三月一日からその効力を生ずるものとする。
町区域の新設等
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よく見ると: ライオンズマンション🦁 っぽくないけど バリアーアリーだけど いい建物だと 榎本武揚旧居跡地だったのか その名も「ライオンズマンション 言問」 なぜ「墨堤」じゃないのか言を問いたい😅 「半分青い」に「墨堤」いや「ボクテ」というニックネームの人がいた 榎本武揚といえば徳川幕府で当時最新鋭の西洋式軍艦をプロデュースしたけど五稜郭の戦いで戦う前に船底ぶつけて沈めてしまった残念な人 土方歳三の覚悟も水の泡に💦 生き残って維新側に転職 ま、才能があったか���出来たとは言えそこだけはちょっと(ワルイ)←カッコ悪い💦 ので案内板では触れられてない #東京散歩 #東京夜散歩 #tokyonightwalker #tokyowalker #旧居跡 #榎本武揚 #LM言問 #ライオンズマンション #向島 #墨堤通り #向島五丁目 #architecture #archistagram #city_explore (at Sumida, Tokyo) https://www.instagram.com/p/CCfXd9Rp1j4/?igshid=1rg18lw9okmn7
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22日は渋谷◯◯書店の店番だった。クローゼットを片付けていたら出てきたワンピースを久しぶりに着てみた。これに白いタートルを合わせるとなんかすごいガーリーだな…と、なんかこう、半ばコスプレのような気持ちで出かけた。 黒いネル地のワンピースで、腰のところからふわっと広がっている。あんまりわたしっぽくない格好なんだけど、店番で顔を合わせるのは通りすがりのようなお客さんばかりだし、なんかこういうワンピはお店屋さんぽさがあっていいかなーと思った。お店屋さんぽさって、べつにばかにしているわけではなくて、なんていうのかな…自分の中にあるイメージみたいなもの。を、上手になぞれるとなんかうれしい。仮装、擬態、ごっこ遊び…か? ちょっと肌の調子もよくなくて、あんまり化粧しない方がよさそうな日だった。気に入る顔にならないなら自分ぽくない服装をしてみるのも面白いんじゃないかなーと思った。で、せっかくなのであたまにカチューシャもつけてみたんだけど、電車に乗っているうちにあたまが締めつけられるような��じがあり外した。 ほぼ通りすがりのようなお客さんばかりと思っていたら、運営のりれたさんがいらしていてなんだか気恥ずかしい。べつに何もつっこまれないしものすごく突飛な格好をしているというわけでもないんだけど勝手に(そもそもわたしっぽくないというのも、自分でそう思うというだけで、他人から見たらたぶんふだんと変わりない)。そしてたまたまなんだけど、「初めまして、オカワダアキナといいます」みたいなあいさつする機会も多い日だった。 ○○書店の向かいのギャラリーで企画が始まるそうで、ちょっとあいさつに行った。作品の展示と販売があって、デザインフェスタみたいな感じ。この日は内覧会で、翌日からオープンとのこと。わたしはたまたま今日店番に入ってたってだけなんだけど、りれたさんにお声がけいただいたのでオープニングパーティー的なところにのこのこ出かけて行き、図々しくもビールをもらった。瓶のビール。カールスバーグだったかハートランドだったか思い出せない。ハイネケンではなかった気がする。緑の瓶だったのは確か。こういうのってぜんぜん酔っぱらわないんだけどなんでだろう(酒に強いわけではない)。 小説を書いていますとかzineを作っていますとか自己紹介し、いやほんとだからなんなんだって感じでまじで展示となんも関係ないんだけど、堂々と挨拶しちゃうと一応は名乗りとして成立してしまうので面白かった。小説の装画をお願いできる方を探していて…というような話をしてみたり。いやこれはべつに建前ってわけではなくて、ほんとにそういった気持ちはあるので、まあ来年の予定なんてぜんぜんまだなんだけども、そういう話をするのは楽しい。そういう話をしている自分がなんか面白いなーみたいなのもあった。これも擬態かもしれない。わからない。 まだ書き始めたばかりでなんにも目処はたっていないけど、体の大きな女性の話を書いていて、そうしたらたまたまお話した方がふくよかな体型の人物を描いているという方で、なんかすごい偶然でうれしくなった。前田豆コさん。もうちょっと具体的な話をできたらよかったんだけどほんとにまだ書き始めでなにもしゃべれることがなかった。そしてこういう日に限って自分ぽくない服装をしているし、化粧もちゃんとしていないしで(世間的にというよりは自分の満足度として)、しくじったなーと思った。カチューシャはずしといたのはよかったと思った。 そしてビールを飲み終わって退散し、エレベーターを降りて地下鉄の入り口にさしかかったとき、あっ店に傘を忘れてきたな…と気づいたけどどうもめんどくさい気がしてそのまま帰った。まだ改札は通ってなかったし、エレベーターですぐだから取りに戻ってもたぶん2、3分の話なんだけど、どうにもおっくうだった。傘を置き忘れたときってすぐ気づく。置き忘れた場所から離れたとたんにあっと思い出し、それなら引き返せばいいのにもういいやと思ってしまう。 これもう半年くらい前になっちゃうけど、つまずく本屋ホォルさん(深澤さん)と草加をうろうろしたときもそうで、途中立ち寄った店に傘を忘れてきたなあと、出てすぐ「あっ」と思ったけどめんどくさくて取りに行かなかった。言い出しにくかったというわけではなくて、まあいっかとなってしまった。わたしの中にある慣性の法則というか、いったん歩き出すと戻れない。なんであれ動き出したらまっすぐびゅーっといきたい。たぶんこういうところにわたしの人生のしくじりや弱点が詰まっている…とおおげさな言い方をしたくなり、たぶん帰りの千代田線が空いていて物思いにふけりやすかった。座れはしなかったけど。チョン・ミョングァンの「鯨」をちょっと読み進めたが、本が分厚いため片手で開いていたら指が痛くなり、途中であきらめた。 で、ツイッターを眺めたら、谷賢一の性的暴行の件について柳美里氏がツイートしていて、思わずリツイートした。ちょっと涙が出た。こうやってちゃんと言及してくれる人、とくに���名人がはっきり言ってくれるということ。この件についてはわたしはなんも関係ないんだけどほっとする気持ちがあった。 演劇周辺が性暴力まみれという話は、昔からみんな知っていたはずだろう。いろんな人の名前が出るたび「知ってた〜〜」って感じでしょ。何かあっても「あー○○さん女の子好きだもんね」「遊ばれちゃったね」って流されちゃいがちでしょ。関わりのある人はみんな知ってただろ。知らなかったはずないだろ。それで演劇の場を離れざるを得なかった女性がおおぜいいた(いる)こと、あんたらみんな知ってるだろ。発言力のある人、声を遠くに届ける力や手段を持った人たち、どうにかもうちょっとなんか言ってほしい。良心とか誇りを信じたい。というようなことをツイートしたら気分が悪くなり、夜遅くなってから吐いた。

23日。赤澤玉奈さんの展示を見に行った。北千住BUoY。北千住の駅から線路沿いに飲み屋街の脇を歩いて、途中ちょっと狭い住宅地に入りなんとなーく歩いていくと(目印とかなにもないんだけど素直に歩くと)墨堤通りに出て、すぐ見つかる店。地下ではちょうど演劇をやっていた。フォローしている黒澤多生さんが出演されていて、観に行きたかったんだけど、ちょっと疲労が溜まっていたのでやめておいた(風邪をひきそうな予感があった)。展示は2階のカフェ。 赤澤さんはBALMアンソロジーにご参加いただいた方で、詩と絵の展示。『波が吹いて森が引いていく』というタイトル。詩の朗読がよかった。BUoYは廃墟をリノベーションしたスペースで、2階は元ボウリング場、地下は元銭湯。がらんとした空間の壁に絵が並んでいて、ヘッドホンで朗読を聴いた。テキストを��で読むのと、人の声で聴くのと、受ける印象がちがう。目で読むときわたしはかなり読み落としているような気もした。ヘッドホンの向こうにカフェのBGMや人の話し声が聞こえてくるのもよかった。コーヒーを飲みながらえもに手紙を書いた。書くものを忘れたのでお店でペンを借りた。 『体の中から手に持てる石』という、その場で赤澤さんが石に絵を描くという企画があり、お願いした。こちらが好きな石を一つ選んで不安や悩みを語り、聞いた話をもとに赤澤さんがドローイングする…というもの。「不安や悩みを手に持って取り扱うことができるようになるような体験を目指します」とのことで、「抜いた虫歯を見るときのようにそれぞれの痛みを客観視し、」というキャプションに惹かれた。赤澤さんの「〜のように」という比喩は、詩や散文のときでもそうだなあと思うんだけど、さりげなく指差すような絶妙さがあって素敵だと思う。突拍子もないような喩えではないけど、そのように言われて初めてすとんと落ちるような、頭の上の枝にあるちょうどいい重さの果物をもいで差し出してくれたような…と、やってみようとするとなかなか上手くいかない。だから赤澤さんの「〜のように」はほんとにいいなあと思う。 悩みを話すというのがパッと出てこなくて、ものすごく卑近な話をしてしまった。口に出して話すうちに、その件それ自体とはちょっとちがうところに問題があるのかもと思い至り…というところまで丸ごと話してしまったので、ほんとにわけのわからない話になってしまった。詳しいなかみはひみつ。わたしのしゃべったことはなんだかよくわからん話になってしまったけど、それを最後まで聞いてくださり、すごくほっとした。ちょうどきのう、りれたさんからブックセラピーという人から悩みを聞いて選書するという企画に誘われ、わたしのような性格が歪んでいる意地悪な人にはとてもできないんじゃないかと、きのうもそうは言ったけども、改めて思った。 握りやすい、ちょっと砂の感触もある石で、すごく絶妙な絵、形を描いてもらえた。ああそうだったと思うような、さっきの比喩の話と同様、すとんと落ちる感じ。むかし読んだ吉本ばななの「血と水」だったかな、主人公の恋人が、木とか石とかでお守りを作る男の人…という話があって、それを思い出した。なんともいえない形だけど、相手の心になじむ形を彼はどこからかすっと取り出してきてなんでもないことのように差し出す…みたいな感じの話だった。たしか。

石はポッケに入れて帰った。ポッケの中で何度も握り、左手で握ると石のへこみのところにちょうど中指がひっかかり、石はわたしの体温で温かくなった。ポッケの中にはワイヤレスイヤホンのケースも入れていて、そういえばこのケースは歯医者で抜いた歯を持ち帰り保管しておくケースに似ているな…と思った。わたし自身は歯を抜いたことはないんだけど。ルミネの靴下屋と無印に寄り、タイツの中に履く用の五本指つま先靴下・安いノート・レトルトのコムタンを買った。 最寄駅に着いたら、ケーキの箱を抱えて歩く人や、でかい紙袋をいくつも提げた人、サンタの格好でケーキやチキンを売る人など、めちゃめちゃ「いつかのメリークリスマス」な風景だ…と思った。毎年ちゃんとクリスマスの雰囲気、年末の雰囲気になるのが不思議。夜空の感じとか。夏はもっと羊羹っぽいのが、冬はさらっとしている。これ伝わるかわかんないけど。 家に帰って夕飯の支度をしていたら、リビングの電灯が切れてしまった。脚立にのぼらないと替えられないし家にストックもない。すぐ近くのドンキで売ってるとは思うんだけど型番も大きさもなんもわからん…調べるのもめんどくさい…。暗い部屋でもそもそ食べた。好きなアイドルの配信やMリーグの中継を見ながらで、スマホの明かりの眩しさが今度は「JAM」みたいだな…と思った。イエモンのJAM。 JAMの歌詞の好きなところは、最初のサビの「素敵なものがほしいけどあんまり売ってないから好きな歌を歌う」のすぐあとに二番のAメロ「キラキラと輝く大地で君と抱き合いたい」ってくるとこ! あんまり売ってない→キラキラ、の流れ、そしてそのあとに「この世界に真っ赤なジャムを塗って」とタイトル回収…がほんともうキマりすぎてるだろ〜とむかし友だちと語った。古い歌を思い出すと友だちのことも思い出される。
24日。きのうおとといの日記を書いた。展示の流れで書きそびれたけど、「イサド住み」の感想をいただいてすごくうれしかった。毎度うまくお返事できなくてお恥ずかしいんだけど、ほんとにとても励まされています。そしておととい、○○書店で小説の成り立ちのようなことについて尋ねられ、うまく受け答えできなかった。もっかい脳内反省会をやった。 夜はクリスマスだからビーフシチューを作って、スーパーで買ってきたチキンと。チキンといっても竜田揚げなんだけど。骨なしチキンとシールが貼られていてなんか罵倒っぽいな…と思ってちょっと笑った。骨なしチキン野郎。 大根とホタテ缶のサラダ。千切り大根を塩で揉んで水気を搾り、ホタテの水煮缶と和える。マヨネーズと粗挽き胡椒。これを作るとクリスマスとか年末っぽいなあと思う。実家の母がたまに作った。たぶんお歳暮でもらう缶詰を活用したメニューで、だから年末っぽいのだろうと思うんだけど、我が家はだれからもお歳暮はもらわないのでわざわざホタテ缶を買っている。 ビーフシチューにセロリを入れ、余った葉っぱを何かに使いたいなあとレシピを検索し、セロリコスパゲッティと名付けられた、要するにバジリコスパゲッティを細かく刻んだセロリの葉で代用したもの…を作ってみた。付け合わせっぽくしたかったのでペンネ。なかなかうまくいった。セロリが好きな人は好きだと思う。わたしはかなり好きだと思った。 切れた電気はまだ替えてなくて(めんどくさくて…)、卓上ランプを天井に向けて間接照明みたいにしている。けっこういい感じだと思うことにする。ホテルの明かりっぽくもある。『シンプル・メン』という映画(監督:ハル・ハートリー)を配信で観て、途中まで観たところでちょっと疲れたので、本を読んだり小説を書いたりした。
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[大人の見学] 荒川が増水しないような仕組みがこんなに!荒川知水博物館に行ってきた![台風19号関連]
荒川放水路はなぜできた?
放水路完成以前
荒川放水路が1930年に完成する以前は、上流からの水は都心に流れ込んでおり、増水時には、三ノ輪から浅草今戸に通じる日本堤、白鬚橋から言問橋の曳舟側に作られた墨田堤でせき止め、漏斗のように水量を調節していました。
これにより、下流域の水量は一定しても、上流域は水が溜まり続けるため正常化するまでに長時間かかりました。
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放水路ができるきっかけ
明治43年の長雨により、この漏斗状の堤防が十分に機能しないことがわかり、首都東京に流れ込む直前の岩淵から22キロに渡って雨水を迂回させる放水路を建設することとなりました。
荒川に流れ込む雨はどこに降る?
ひとことで荒川、と言っても、長さ173キロメートル、流域2940キロ平米。
水域でいうとこんな感じ。
上流の方には、台風19号で放流か?と話題になった二瀬ダムも。
荒川源流点の碑、なんてものものあるんだって。
貯水機能:ダム
二瀬ダム
傾斜があり山がちな上流域は、水量調節のためにダムをおいています。
二瀬ダム、滝沢ダム、浦山ダム、玉淀ダムなどですね。
貯水機能:鴻巣の河原
鴻巣市のそばを流れる荒川流域は、日本一の川幅を誇ります。2537メートルあります。
これは上記の赤い部分を、洪水時の貯水機能として働くようにしています。赤い縁にそって堤防が作られています。
日���はコスモス畑などになっているようですが、今回の貯水により、10月26・27日に開催予定であった第21回コスモスフェスティバルについては、中止になってしまったようです。
貯水機能:荒川調整池
日頃は彩湖と呼ばれているこの湖、荒川第一調整池と言います。
水量が増すにつれて、写真の上の部分から貯水していくしくみです。
初回の稼働となった1999年のときにはこの調整池に2070万トン貯水したおかげで「荒川下流部で一番低い京成押上線荒川橋梁地点で水位を39cm下げたとされ、ここより上流での洪水調節がなかったとすると、水位は桁下まであと7cmに迫ったと考えられている」(wikipedia)とされています。
今回の台風19号で、1997年の完成以降2度めの稼働となり、3000万トンほどの貯水をしたそうです。効果については検証中とのことでした。
また、上流部に、第二第三調整池を建設中です。
貯水機能:首都圏外郭放水路
江戸川河川事務所HP
首都圏外郭放水路の機能については、こちらを参考にしてください。 荒川本流に流れ込む水を途中で地下道に流し込み、江戸川に逃がそうという機能を持ちます。 こちらは年に数回稼働している施設ですが、台風19号関連では、1秒間に25メートルプール一杯分を江戸川に流し込み続けたそうです。機能としては、いっぱいいっぱいだったようです。 以前のブログ記事でも書きましたように、今回の台風19号は岩淵水門で1日に200ミリ程度の雨が降りました。葛飾区のハザードマップでは三日間で549ミリの雨が降ることを想定していますので、台風19号並の雨が2日半降り続くこととなります。 しかし、荒川の増水を抑える、このような機能は台風19号1日だけでも「いっぱいいっぱい」でした。ハザードマップの549ミリを待つまでもなく、荒川は越水するのではないかと心配しています。 from オトカツ https://ift.tt/2VwvsZ3 via IFTTT
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デジタルかアナログか(2)
前回 堤大介 さんのブログ記事 を訳しました。 ⇒「デジタルかアナログか」 原文: Digital or traditional? Dice Tsutsumi http://www.simplestroke.com/?p=87 原文の堤さんの投稿に対するコメントの和訳です。 文中に出てきたBill Coneさん(ピクサー)のコメントが 面白く、とても共感できたので、翻訳してみます。 誤訳あるかもしれませんがあしからず。。
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ダイス(訳注:堤さんのあだ名)、
これはビールを飲みながら、それともコーヒーかな・・ゆっくり話したいね。とはいえ、とても良い質問だし、良い回答がいくつも出ているね。
君の質問: アーティストは 、アナログの昔ながらの描き方の練習をスキップできるのでしょうか。
答えは・・イエス。・・でもなんでわざわざ?たくさんある昔ながらの画材は、どれも安いし、持ち運べるし、バッテリーがいらないし、100年持つのに・・・
Craig Mullins の話には同意だね。Cragや他の素晴らしいアーティストたちは Sargent (訳注:John Singer Sargentの事かと思われる)が描く色や光に匹敵するレベルで、心に直接響くような、華麗な絵をデジタルで作り出している。それに廃墟の素晴らしい街並みとか3つ頭のエイリアンの攻撃下にあるとか、終末感のあるヴィジョンも加わっているね。 これらのものはツールやパソコンに元々備わっているものじゃないけど、ある画材を使えば、他を使うより楽に描けるという場合もあるよね。どの場合でも、どうするか一から選択を積み重ね、画材の偏りと制約を乗り越えるか、それを利点として生かすのは各個人に委ねられている。
またカリキュラムにコンピューターの授業が無い学校にも行ったことがある。 木炭や鉛筆、アイスの棒に墨汁をつけて描いたり、ガッシュや油絵の具・アクリル絵の具で色を塗ってたんだ。画材を通して見てみると、実際の物があるし、どの画材も制約がある。同時に素晴らしい表現の幅を出せる能力もあるんだ。けど、デジタルでは物的な制約が元々ない。とすると終わりはどこ?そうなると、ことごとくアーティストの能力や、そのツールを使っているアーティストの作風に依存する事になる。
制約は色々役立つんだ。実際練習に良い仕組みになっていたりするんだよね。輪郭のドローイングクラスを受けた時の事を覚えている。何か月もモデルを前にして、細い製図ペンで描くんだ。明暗の差はつけられないから、物の輪郭を学ぶ事になる。小さい細い黒ペンはそれにぴったりなんだ。もちろんこの練習は、生徒に同じ制約を課せばデジタルでも出来る。(アンドゥ無し!3ピクセルブラシ!18 x 24 白キャンバス・・・等)とはいえ、ペンと紙でやれば、画材の性質を利用して、シンプルに制約を作れるよね。
���としては、アートを学ぶときに絵の具の混ぜ方・明暗の作り方や、木炭でデッサンするのをスキップするのはあまりオススメしないね。絵の具やブラシとの物理的な繋がり、紙の上で粉になる木炭と摩擦、アクシデント、道具の趣き、それらがどう絵に影響するか?どうなってるか知りたくない人っている?これって演奏する価値がある楽器はただ一種類しかないって言ってるようなものだよ・・。一つの画材で他の画材を真似る事だってできるんだから!それで罠でドツボにはまることもあるんだけどね! ---------------------------------------------------------------------------- ↓続き デジタルかアナログか(3)
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国の文化審議会は21日、弘法大師空海が修復工事に関わった国内最大級のため池「満濃池」(香川県まんのう町)など3件を新たに名勝に指定し、保護するよう柴山昌彦文部科学相に答申した。戦国大名・真田氏ゆかりの岩櫃城(いわびつじょう)跡(群馬県東吾妻町)や伊達氏梁川遺跡群(伊達市)など8件を史跡にすることも求めた。年内にも答申通り告示される。 満濃池は8世紀初めの築造とされる。讃岐山脈を背景に広大な水面をたたえ、北岸は緩やかな曲線、南岸は入り組んだ峡谷を刻むなど、古くから景勝地として知られる。田植えシーズンに水門を開放する「ゆる抜き」は初夏の風物詩だ。 岩櫃山の中腹に築かれた岩櫃城は、真田氏の拠点の一つ。堀や土塁を大規模に配置した防御性の高い構造で、上杉氏ら有力大名との攻防の舞台となった。保存状態も良く、江戸時代初期の廃城時の様子をとどめている。 文化審議会はこのほか、耶馬渓(やばけい)の景観を生かした「平田氏庭園」(大分県中津市)など3件を登録記念物に、防風林による緑豊かな住環境が特徴の「今帰仁村今泊(なきじんそんいまどまり)のフクギ屋敷林と集落景観」(沖縄県今帰仁村)を重要文化的景観とすることも求めた。 溶岩ドームが特徴的な「青野山」(島根県津和野町)は名勝と天然記念物への指定を求めた。 告示後は、史跡・名勝・天然記念物が計3280件、登録記念物112件、重要文化的景観65件となる。
伊達氏梁川遺跡群は仙台藩祖・伊達政宗ゆかりの伊達氏が1532年ごろまで本拠地とした館跡や梁川城跡、その城下で構成される。家臣のものとみられる館跡や社寺跡、庭園が良好な状態で残され、建物の様式の変遷をたどることもできる。 梁川城跡は11代持宗(1393~1469年)から14代稙宗(1488~1565年)までの本拠地。現在は学校の敷地として利用されているが、堀や土塁なども一部現存し、復元された本丸跡庭園「心字の池」が往時の姿をとどめる。 1978年に始まった発掘調査では14~18世紀の遺構が出土した。15世紀末~16世紀初め、城下などで大火があった痕跡が認められるという。 須田博行伊達市長は「遺跡群は市の誇り。地域住民と共に大切に保存し、歴史教育や観光の拠点となるよう活用の方法を検討したい」と述べた。
文化審議会の答申内容
【史跡の新指定】伊達氏梁川遺跡群(伊達市)▽岩櫃城跡(群馬県東吾妻町)▽下総佐倉油田牧跡(千葉県香取市)▽墨古沢遺跡(千葉県酒々井町)▽本ノ木・田沢遺跡群(新潟県津南町、十日町市)▽水軒堤防(和歌山市)▽若杉山辰砂採掘遺跡(徳島県阿南市)▽紫雲出山遺跡(香川県三豊市) 【名勝の新指定】西山氏庭園=青龍庭(大阪府豊中市)▽満濃池(香川県まんのう町) 【天然記念物および名勝の新指定】青野山(島根県津和野町) 【登録記念物の新登録】旧林氏庭園(愛知県一宮市)▽八束氏庭園(松山市)▽平田氏庭園(大分県中津市) 【重要文化的景観の新選定】今帰仁村今泊のフクギ屋敷林と集落景観(沖縄県今帰仁村)
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いつものお蕎麦屋でお昼にして墨堤さくらまつり。桜並木を歩きながら言問橋を通り過ぎ桜橋まで行ってぐるっと向こう岸へ。 出店を冷やかしつつまた川沿いの桜並木の下を歩く。暖かくたまに吹く風が気持ちよかった。 (二天門やぶ) https://www.instagram.com/p/Bv8jjzNAeQq/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=1669iz8hxifqu
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本日は当店の中で海鮮系がメインのご飲食店様に良くご購入頂いている人気銘柄 「墨廼江」から 特別純米の中汲みのご紹介です。 墨廼江 特別純米 中汲み(一度火入れ) 価格:1.8L 2750円(税込) 1.8Lのみの入荷となりますm(_ _)m 日本酒度:+4 酸度:1.8 精米歩合:60% 原料米:五百万石 アルコール分:16度 使用酵母:宮城酵母 蔵元:宮城県 墨廼江酒造 個人的なあれですが、このお酒みるとお寿司食いたくなるんすよね〜。 中汲み、最もバランスの良い部分のみの贅沢な特別純米酒でフレッシュでみずみずしい香り、マスカットを思わせる果実味、透明感とボディー感ある味わいで、飲み飽きしないちょい辛口。 キレ上がる余韻Goodです。 隠れた美酒・銘酒を求めて・・・ 一味違った豊富な品揃え!! 朝日屋酒店 東京都世田谷区赤堤1-14-13 Tel:03-3324-1155 営業時間 10-19:30(19:00時で留守番電話に切り替わります) 定休日:毎週水曜日 可能決済方法:せたPay・PayPy(店頭支払のみ)/世田谷券/現金/ビール券 【通販】 オフィシャルサイト http://www.asahiyasaketen.com/item.html Yahooショッピング https://store.shopping.yahoo.co.jp/asahiyasaketen/ #日本酒#宮城県墨廼江#特別純米#朝日屋酒店#お寿司#純米酒辛口 (朝日屋酒店) https://www.instagram.com/p/Cpts2WoykHu/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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縦に長い団地は、防火壁の役割を持っており、密集地からの火災を食い止める効果が期待されている。また、団地の5階部分には墨堤通りに向けて放水銃が設置されており、延焼を食い止める工夫がなされている。そのほか随所に防災拠点としての設備があり、13号・14号棟はまるごと防災備蓄庫になっている。 団地には災害時に閉鎖する防災ゲートが5つ設けられており、北から順に鐘淵門、梅若門、水神門、寺島門、白鬚橋門と名付けられている。 バルコニー側(墨堤通り側)には大火に耐えられるよう防火シャッターが装備されており、団地屋上にはオレンジ色の巨大な水タンクが設置され、火災時にシャッターに散水するための水が蓄えられている。 同時に隅田川沿いに防災機能を有した東白鬚公園が団地に寄り添うように整備され、災害時には約8万人を収容するように設計された。 延焼しにくい常緑広葉樹が植えられており、防災樹と命名されている。公園中央部には火消の象徴である纏のモニュメントが置かれている。 完成後、訓練などでは各種防災設備は作動している���、実際の災害はまだ発生していないため、本番での作動はまだ無い。
白鬚東アパート - Wikipedia
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Tokyo Skytree last night #tokyoskytree #tokyoskytreenightview #tokyonightview #towers #tower #tokyonightwalker #東京散歩 #東京夜散歩 #mukoujima #向島5丁目 #city_explore #archistagram #architecture #bokuteidori #墨堤通り#tokyonightstreetscape #tokyonightstreetview #東京スカイツリー夜景 #東京スカイツリーのある風景 #東京スカイツリー (at Sumida, Tokyo) https://www.instagram.com/p/CCb6hmOJL27/?igshid=rhfeeuvt7l83
#tokyoskytree#tokyoskytreenightview#tokyonightview#towers#tower#tokyonightwalker#東京散歩#東京夜散歩#mukoujima#向島5丁目#city_explore#archistagram#architecture#bokuteidori#墨堤通り#tokyonightstreetscape#tokyonightstreetview#東京スカイツリー夜景#東京スカイツリーのある風景#東京スカイツリー
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どこかの汽水域 あとがき
この文章は、自作短編小説集『どこかの汽水域』が刊行から二年が経過したことをふまえて書きました、あとがき、とも、解説、ともいえる蛇足的文章です。
『どこかの汽水域』他、創作小説などの本は自家通販で常時販売しております。よろしければこちらからどうぞ。
『墨夏』
『どこかの汽水域』を書くよりも五年くらい前に、川に辿り着いて昴に会うまでの描写をずっとメモアプリに残したままにしていて、その先は点々と風景は浮かぶものの霞に隠れたまま。小説の本を作ると決めて先に『いつか声は波を渡る』が出来上がってから、他に何作かあわせたいと考えた時に、かつて残したままにした冒頭が甦り、徐々に続きを繋げていきました。現在もひ��かに続けられている日記『朝の記録』の中で書いていて、日記と並行した小説を書くというのは別でやったけれども、日記の文中で小説を書いていく(実質連載)行為はたぶん今後もうやらないだろうなあと思います。そんなわけで実際に書いた時間以上に途中のまま漬けた時間が長かったので、完結まで至った時は独特の感慨深さと疲労感がありました。
途中、ひなこが、昴に憧れて自分の名前を星につけたいと考える文がありますが、ひなこは、漢字表記だと日向子という設定があります。字のごとく、太陽を重ねています。彼女自身は、誰もをまばゆく照らす、典型的な太陽らしい人間像ではないのですが、昴をはじめとして夜にちりばめられる星たちとはすれちがう存在としてのイメージをもたせています。
川辺で出会う青年とどんな交流をしていくかを考えていった時に思い出されたのが、小学校の時、夏休みの終盤に話題になった火星の大接近でした。さすがに火星で被らせるとなんだか記憶に近すぎたので金星に変えましたが、明けの明星である金星は、最後、太陽が昇って見えなくなっていくけれども消えるわけではない星たち、そしてひなこと昴の関係性を表現するには、想像の広がるモチーフだった、と思います。
ひなこと昴の重なる場として川が舞台となっており、彼らはそこで出会い、交流を深めています。川は、彼岸と湖岸の間を流れます。川岸に手向けられ、何度がふれられている小菊は、川に流されていった人たちへの供花でもあります。川に近づいてはいけないとお父さんの言葉がひなこの心では繰り返されていて、そうした事故が起こってきた過去を浮かばせています。お盆という時期もあって、物語の随所でお盆にまつわる描写がちりばめられています。
ひなこと昴の会話に対して家族との会話場面は地の文の中に埋め込まれながら、最後のお父さんからの「帰ろう、ひなこ」だけが鉤括弧で書いているのは、そのままおばあちゃんの家への帰宅を促す言葉であるし、彼岸より戻ってくる暗喩をこめています。
あとこの『墨夏』のすんごいのは、真島こころさんという即興ピアノ音楽をされている方が、冒頭のシーンをイメージして曲を弾いてくださったことです。いやすごい、とんでもないことです。どうぞ聴いてください。ツイートはこちらから。
『魚たちの呼吸』
耳の後ろには髪の毛が生えていない、と小中学生の時に漫画雑誌で知って、実際にさわってみると確かにそこには髪の毛がなくまっさらな肌があるだけ。驚きました。実際に自分の瞳でその密かな場所を見ることはない、この場所には一体なんの意味があるのか、いや、髪の毛が生えていてほしいわけではないのだけれど。もしかして、人間の尻尾の名残である尾てい骨のように、ここには何かあるべきものがかつて存在していて、今は閉じてしまったすべらかな跡なのかもしれません。
書いていてずっと不思議な浮遊感を抱いていた小説でした。
この小説は、他の二作を書いてから、短編集を作るにあたって最低限もう一作あると収まりがいいと、締め切りに追い立てられるようにして書き始めました。書きだす前は、前後二作が偶然夜明けで終わったので、それに合わせて夜明けで揃えるとか、逆に日没で終わらせるとか、時間的な統一感をもたせることを想定していたのですが、書きおわれば夜明けとは言いづらい薄くちぎれていくようなものになり、本としてどうまとめたものだろうと三作並べて考えていくと、そういえば水がこれらの作品に共通していると後追いで気付き、そこからは、水に由来するような自由自在にゆれるあわいの質感を大事にして全体を整えていき、のちに書く「汽水域」に繋がりました。
他作に比べるとちょっと空気感が違うので悪い意味で浮いてしまわないか心配だったのですが、川を舞台の中心に据えた『墨夏』と、東北の海を主題としている『いつか声は波を渡る』のあわい、橋渡しのような作品になったように思っています。河野という苗字。エラをもつ人間。水中を泳ぐ魚のモチーフ。そして最後、海へと向かっていく。
気に入っている文章は、62ページの、頑固として守ってきた河野の耳の裏に、一青の指が寄せられていく場面です。“髪の毛で出来た珊瑚や藻の森を抜けて魚がなめらかに泳いでくる。”という部分が好きです。それから、象徴的ではありますが、一青の、“だか��ちょっと息がしづらいんだ”も。
『いつか声は波を渡る』
『どこかの汽水域』の三作品の中では、一番初めに完成した小説です。書き始めた当時、インターネットで拾ったお題をもとに三題噺での即興小説をほとんど毎日noteに更新していて、そのお題のうちの一つ『不治の感情』と名づけられた「冷たい、昨日見た悪夢、殺したい」の言葉をもとにして浮かんだのが、冷え込んだ濁流の描写、『いつか声は波を渡る』でした。元々は二次創作での活動が主体ながら、いつか東日本大震災についての話を書こうという思いが燻り続けながら、きっかけをいただいたように思いました。書いていくうちに、これは一日だとかごく短期間で公開までもっていくような容易な物語にはしたくないなと気付き、一連の即興小説とは別で、中期的に丁寧に書いていくことにしました。出来上がってもしばらくは『不治の感情』というタイトルで、流石にお題の題を拝借し続けるのは気が引けたので、他作品『墨夏』『魚たちの呼吸』と並べた印象などもふまえて考えていった結果、『いつか声は波を渡る』に決定されました。ただ『不治の感情』という言葉自体は地の文中に残したままにしています。
3.11に関してはいつか小説なりなんなりの形にしたかった、それは自分にとってのエゴであったのは否めないと思っています。当事者とそうでない人の間には溝があって、それを越えることは難しいし、だからこそ経験していない自分が一体何を語れるのだろうとずっと思っていたし、今も思っています。だから今でもためらいがあります。それでも忘れたくはないし忘れることはない。また、書籍等を読むうちに、現地でもさまざまな考えの方がおられて、つらい震災の記憶を掘り起こさずに、復興していく・更新していく現状に注目してほしい、という方も多くおられることを知りました。ならば、当時は遠くにいてテレビで呆然と見ているしかなかった外側の自分にも、記憶を穿つように物語ることを許されるのではないかと思いました。作品は震災の日から六年後、実際に足を運んだ時に自分が抱いた印象が地盤となっています。現状にそぐわない部分もあるのだけれど、願うならば、許されたい。
喪失を受けとめる・向き合っていく過程は人によってまったく異なっていて、どんなかたちが正しいとも間違っているともいえないとは思うものの、長い年月、親友であるあーちゃんが突如として死んでしまった状況から立ち直れずにいる春香が、物語の中ではどんな結末を迎えるのか、手探りのままで書き進んでいった記憶がありますし、実際のところ終盤は決め切らなくてなかなか筆が進みませんでした。あーちゃんの生きていた証を探してもいた春香を突き動かすとすれば、あーちゃんそのものに値するなにか。
たとえば骨はどうだろうか、死んだ生き物を燃やして残った骨、あるいは灰、そうした肉体のかけらを密かにもって生活する・旅をする、といったアイデアは、生々しいけれども普遍的なものでもあって、どこかぴんとこない。そんな中でふと、まったく違う本を読んでいる時に、自然と抜ける乳歯に関する場面に出会った時に、歯だ、と繋がりました。あーちゃんとの思い出には笑顔がたくさん溢れていて、だから春香はあーちゃんの笑った顔の歯をよく見ていたはずで、あーちゃんの特徴として八重歯をちらつかせ、最後に春香が堤防で発見したかけらを「あーちゃんの歯だ」と���言する場面が浮かびました。
あーちゃんの歯だと信じる春香ですが、実際のところは歯を彷彿させる乳白色の小石や貝殻のかけら、かもしれません。夏希にとっては後者でした。もともと春香の危うさを察知していた経緯もあり、春香が妄想を吐いているとしか思えない夏希は、友人の体の一部と信じ込む姿に恐怖を覚えて引き戻そうとします。かけらが現実的にはなんなのか、というのは一つしか答えがなくても、どちらの言い分も本当、と思います。
最後の一文は、あーちゃんの歯を常に懐にしまっている、という状態を書きたくて当初は財布の中にしまっている、といった描写にしていたのですが、締めの文としてはあまりにも現実的だったので抽象化させました。
余談ですが、今、書きながら、でも、ここ数年のコロナ禍ではマスク着用が当たり前になって、会話して笑っている、「歯を見せる」といった状況は、マスクのない世界の常識なんだなあ、と今更ながら気付きました。
ここからは、刊行から二年が経過しての思いなど。
この小説が震災を扱ううえで適切な表現を突き通せたのかは、少々危ういと感じています。
フィクションという形態に甘えて安易に扱いたくないのは当然と思っていても、終盤の夏希との掛け合いや、あえて愛という言葉に収束させたこと、そして出産というかたちで、時の流れを意識した春夏秋冬の一角を二人の赤ん坊に担わせていく構成は、作り手の偏った決定権が行使されてそこに登場人物が操られていってはいないか、それはある種の偏見や思い込みをもたせてはいないか、そんなことを、ずっと考え続けています。ある程度の「わかりやすくきれいな終わり方」で装飾を施そうとしたのではないか。逃げてはいなかったか。さらっと書いたわけでもなくて、この海岸へ至ってからの終盤は模索が終わらなくて、書き直しの傷跡が無数に重なっています。それでも。震災という、傷の癒えていない現実的事象を中心に据えている以上、そしてそこで喪われた人について語る以上、簡単に逃げないと決めて書いていたものの、本当に過不足なく遂行できていたのか。でも、小説で書かれていることがすべてであることもまた確かで、読み返してみると、数多の分岐がありえた中で、この物語にはこの表現、この展開しかなかったようにも思います。けれど、それでも迷い続けている状態は忘れないようにしていたい、というよりおそらく忘れられずに続いていく。だから震災をめぐっての応答は終わってはいません。
そんなネガティブ気味に書くと、まるでこの物語を否定しているように受け止められるかもしれないのですが、決してそんなつもりではなくて、物語で春香があーちゃんを愛していたのは確かであり、その喪失と向き合う行程も、そして夏希が春香を繋ぎとめながらあーちゃんを探して海のすぐそばまで歩いていった暗い夜明けも、彼らが物語で必死に生きていた証は、何にも代えられません。いつか声は波を渡る、死んだあーちゃんの声は波となり、六年の時を経て春香の耳に届いて、筆舌しがたい情は、確かに春香の中に溢れました。必死ゆえに書いていくには迷いの渦巻く難しい物語を書き切って、世に出して良かったと思えるのは、この物語に呼応してくださった読み手の言葉に支えられているからでもあります。

『どこかの汽水域』
どこかの汽水域というタイトルの、「汽水域」は、三作品の初稿が揃ってさあタイトルどうしようという段階に、本を読んでいる際に目についた言葉です。辞書を引けば「海水と淡水とが混じり合っている塩分濃度の低い水」とある。また「汽」は湯気や水蒸気といった意味の漢字であり、そのどこか霧のようなニュアンスが今回の三作品になにか通ずるものがあるのではないかと思っています。どの作品もどこかに水が関連する場面があるということもありますし、彼岸と此岸、人と人、空と地、生と死など、どこまでいっても本当の意味では平行線のまま決して混じり合わないものが、けれどどこか混ざる瞬間があるような気がしていて、そうした瞬間が三作品には宿っているのではないかというタイトルを、私は気に入っています。
どの作品も、人によってさまざまな受け取り方があります。ここに書いたことは蛇足です。人それぞれの彩りがあってくれたら嬉しいです。
ここまで読んでくださりありがとうございました。
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東北へのまなざし 1930-1945 展 memo
シャルロットペリアン 商工省
ブルーノタウト 『探検』
タウト『アルプ��建築』の図版の枠線がゆるい
『都市の解体』では本文もカリグラフィーで出版年は1920年だがこの時代の印刷技術は??
タウトもアルバムをつくりスクラップノート的なことをしている。図版には建築以外にも、スナップや海の写真がある。
仙台、銀杏と絵馬
宴席で興が乗ると色紙に絵を描いたり俳句や和歌を読んだという風習があり、タウトも仙台滞在期間多くを残している。
タウトのアルバムにめっちゃブレてる写真あるのウケすぎて、コイケが咳してた笑
和歌の印は多宇登と刻していた。後に太干徒になる。
タウトの日記は便箋を横にして、ゆるやかな筆記で書かれる。図版も文字に混ざり、豊か……。
桂離宮の画帳は墨と朱でかかれている。ここでもゆるカリグラフィーが気持ちいい。
タウト全集の第三巻の想定、表題のレタリングが秀逸、、箱のパターンの鉛筆柄??はなに? 和紙みたいだけど、ちょっときたない笑
外国の趣向に合わせた「イカモノ」
タウト『日本工芸のかたち』の原稿ではめちゃくちゃ綺麗な筆記体がかかれているが、タウトの字なのか?緩急すごい、、だとしたらゆるタイポグラフィーは意匠性をいしきしたもの?
代わって、『工芸指導所関連翻訳原稿』は日本語でもかかれている。誤字はグチャッと消して完全に本稿ではない、便箋を再び横にして、左側の6割くらいを使っているが、右は注釈用か?
柳に向けた書簡は、綺麗なカリグラフィーで描かれている。外向き用の字がやはりあるように思える。罫線が、濃紺でかわいい。
ライトスタンド1D型は根の張ったキノコを思わせる。同電球を入れ込むのか分からない。
傘の付け根の部分の隙間が小さく、どう電球を入れ込むのか分からない。銀盤と陶の相性が気持ちいい。
「イカモノ」はドイツ語のkitsch
ブルーノタウトは秋田で勝平得之の案内を受ける。
東京で作品をみたタウトが手紙を送ったことが所以だが、、 (かつひらとくし)
後に勝平の元には藤田嗣治やシャルロットペリアンも来訪している。
タウトのデッサンは細く弱い線に、水彩が使われている。右上にはA4と書いてありなにこれ?A4の紙だから??
乱獲螺鈿角形シガレットケース、カビが柄がわからんが、イカしている。意表は側面のストライプ?
竹製の取手をいくつもプロトタイピングしていて、かわいい。竹の筒と細く切ったもののコントラスト
上野伊三郎の案で勝平に手紙を出す。
陳列館ってなに?
「新しい友達、勝平さん、さよなら」
ワラグツは口の部分がほつれないよう、布が縫われているところに柄がある。甲の部分の編まれ方が三つ編みみたいでかわいいね。
ホデァギ棒って何してんのこれ……チャンバラか?
ミノボッチがかわいいので私もこういう服がほしい、冬��かにきてめかしたいが、黒い編み込みは干した井草かなにかか?ゲラもかわいかった。
タウトのたどたどしそうな日本語と、挙動、、辛口批評家とあったのでハキハキしてるかと思ったが、意外とかわいいのか? かわいい感じだからこわい?コジコジみたいな芯の強さ……
わたしも勝平のような版画をしてみたいが、割と2番目のぼやっとしたアウトラインが好きである。しかし最後のM、Kをするちゃんとさ。関係ないけど、、
タウトの勝平宛の書簡が、便箋に図版の紙をそのままはっつけてんのかわいいが、これ書き下ろしじゃなくて、版画なのでこういう扱いができるのだな。
ひとつの便箋に、自分の印鑑いっぱい押してんのかわいいな、5個押してる。
デスマスクあってビビっている。初めて人間のデスマスクを見たのがブルーノタウトになってしまった。何でできているんやろ。鼻が右に傾いているよ。
芹沢の『日本民藝地図』がまたあった。民藝の100年展では全貌が見えたが改めて素晴らしいです、芹沢先生、、3隻にわかれている
雑誌『工藝』って箱もあるんか、生地が貼ってあって古風……、表紙の各号のバリエーションとは代わって、一貫した指標を感じる。
柳『雪国の葦』(葦ではない を見て思ったが、やっぱりこの時代の表紙のグラフィックとかって、反転図版を用いたものが多い。 『現在の日本民窯』みたいなモダンな写真図版+表題みたいなのはあまりない。
表題プラス飾り罫が多いよね。
名取洋之助 日本工房は報道写真とデザイン工房として知られる。
「日本の日用品」展はほぼイコール「民藝」であり、民藝がモダニズムの文脈でみても十分に耐えうることを示したそう。
青森南部の菱刺し股引きにも反転図版のものがあった。
堤人形やポーズがかわいい、、あぐらを描いて正座するかたち、
雪兜がアシタカじゃん……ってコイケが横で呟いててたしかにすにた。アシタカの住むところってら雪降ってたっけ?
手付肥畚ってなに糞運んでたんだろうか。下痢っぽいのとか、、
そっか棟方志功も青森の生まれか。ゴッホのひまわりをみて画家になったらしい。
飴釉白流皿の柄ってどういう付け方?紐置いてみたいな、、ソースみたいなイメージの方が近いか、それがながれているから、流し皿か。
鈴木繁男って誰ですか
『て仕事の日本』の芹沢の仕事がめちゃ良い。あらゆる民芸品をアイコンというかイラストレーションっぽいが、、なにが分けてる?
なお亀倉雄作も影響をうけたそう。
柳田國男 「度の進歩及び退歩」という講演で「旅」ういもよつらいもの といい、「旅行」わ 楽しみ 新文化 と規定した。
こけしには系統があ。、顔や体のつくりがちがう。
キャプションの下に単色の図版がはいむていてよいねえ
映画『雪国』の表題とクレジットのレタリング、平筆で起こしたような字画だあるが、誰が書いたとみたいなところに匿名性があるが、わりとオーソドックスなかたちだったのではないか。
雪調 雪害調査所
トンガリ屋根は今和次郎が設計した。
今和次郎の雪国試験農家家屋の通し図よ文字がよかった。風呂やナガシの略じゃ、縁取り文字、母のメモを思わせる意匠
扉の開き寸法が30度くらいしかかいめない。
今和次郎の字形良 調べる
今和次郎 OLよ昼休みよお散歩コースや 主婦の朝食時の行動図がめちゃくちゃに良い。この時代には写真があると思うが、スケッチが魅力的、書いた方がはやいのか?
絵うますぎだろ……
今和次郎の弟、今純三も考現学のスケッチを手伝うが、元々イラストレーターとして東京に出るが関東大震災で青森に戻る。エッチングが得意?らしい
吉井忠
『東北記』にメモとスケッチがついになっている。
画面中央に全体像を描き、脇に表情や仕草のディティールを残していくような書き方が多い 最高。
く分かってない人などメモしながら進むと、個人的には特にレタリングやスケッチについた記述が多くなった。後半、今兄弟のスケッチがに魅せられてぎてメモを怠ってしまったことが悔やまれる。
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シャルロットペリアン 商工省
ブルーノタウト 『探検』
タウト『アルプス建築』の図版の枠線がゆるい
『都市の解体』では本文もカリグラフィーで出版年は1920年だがこの時代の印刷技術は??
タウトもアルバムをつくりスクラップノート的なことをしている。図版には建築以外にも、スナップや海の写真がある。
仙台、銀杏と絵馬
宴席で興が乗ると色紙に絵を描いたり俳句や和歌を読んだという風習があり、タウトも仙台滞在期間多くを残している。
タウトのアルバムにめっちゃブレてる写真あるのウケすぎて、横でコイケが咳してた笑
和歌の印は多宇登と刻していた。後に太干徒になる。
タウトの日記は便箋を横にして、ゆるやかな筆記で書かれる。図版も文字に混ざり、豊か……。
桂離宮の画帳は墨と朱でかかれている。ここでもゆるカリグラフィーが気持ちいい。
タウト全集の第三巻の想定、表題のレタリングが秀逸、、箱のパターンの鉛筆柄??はなに? 和紙みたいだけど、ちょっときたないのが非ブルジョワ感でいい。
外国の趣向に合わせた「イカモノ」
タウト『日本工芸のかたち』の原稿ではめちゃくちゃ綺麗な筆記体がかかれているが、タウトの字なのか?緩急すごい、、だとしたらゆるタイポグラフィーは意匠性をいしきして書いているもの?
代わって、『工芸指導所関連翻訳原稿』は日本語でもかかれている。誤字はグチャッと消して完全に本稿ではない、便箋を再び横にして、左側の6割くらいを使っているが、右は注釈用か?
柳に向けた書簡は、綺麗なカリグラフィーで描かれている。外向き用の字がやはりあるように思える。罫線が、濃紺でかわいい。
ライトスタンド1D型は根の張ったキノコを思わせる。同電球を入れ込むのか分からない。
傘の付け根の部分の隙間が小さく、どう電球を入れ込むのか分からない。銀盤と陶の相性が気持ちいい。
「イカモノ」はドイツ語のkitsch
ブルーノタウトは秋田で勝平得之の案内を受ける。
東京で作品をみたタウトが手紙を送ったことが所以だが、、 (かつひらとくし)
後に勝平の元には藤田嗣治やシャルロットペリアンも来訪している。
タウトのデッサンは細く弱い線に、水彩が使われている。右上にはA4と書いてありなにこれ?A4の紙だから??
乱獲螺鈿角形シガレットケース、カビか柄がわからんが、上面がイカしている。意匠としては側面のストライプ?
竹製の取手をいくつもプロトタイピングしていて、かわいい。竹の筒と細く切ったもののコントラスト
上野伊三郎の案で勝平に手紙を出す。
陳列館ってなに?
「新しい友達、勝平さん、さよなら」
ワラグツは口の部分がほつれないよう、布が縫われているところに柄がある。甲の部分の編まれ方が三つ編みみたいでかわいいね。
ホデァギ棒って何してんのこれ……チャンバラか?
ミノボッチがかわいいので私もこういう服がほしい、冬とかにきてめかしたいが、黒い編み込みは干した井草かなにかか?ゲラもかわいかった。
タウトのたどたどしそうな日本語と、挙動、、辛口批評家と聞くのでコミュニケーション、ハキハキしてるかと思ったが、意外とかわいいのか? そういうかわいい感じだからこわい?
わたしも勝平のような版画をしてみたいが、割と2番目のぼやっとしたアウトラインが好きである。しかし最後のM、Kをするちゃんとさ。ちょっと関係ないけど、、
タウトの勝平宛の書簡が、便箋に図版の紙をそのままはっつけてんのかわいいが、これ書き下ろしじゃなくて、版画なのでこういう扱いができるのだな。
ひとつの便箋に、自分の印鑑いっぱい押してんのかわいいな、5個押してる。
デスマスクあってビビっている。初めて人間のデスマスクを見たのがブルーノタウトになってしまった。鉄でできてる。鼻が右に傾いている。
芹沢の『日本民藝地図』がまたあった。民藝の100年展では全貌が見えたが改めて素晴らしいです、芹沢先生、、3隻にわかれている
雑誌『工藝』って箱もあるんか、生地が貼ってあって古風……、表紙の各号のバリエーションとは代わって、一貫した指標を感じる。
柳『雪国の葦』(葦ではない を見て思ったが、やっぱりこの時代の表紙のグラフィックとかって、反転図版を用いたものが多い。 『現在の日本民窯』みたいなモダンな写真図版+表題みたいなのはあまりない。
表題プラス飾り罫が多いよね。
名取洋之助 日本工房は報道写真とデザイン工房として知られる。
「日本の日用品」展はほぼイコール「民藝」であり、民藝がモダニズムの文脈でみても十分に耐えうることを示したそう。
青森南部の菱刺し股引きにも反転図版のものがあった。
堤人形やポーズがかわいい、、あぐらを描いて正座するかたち、
雪兜がアシタカじゃん……ってコイケが横で呟いててたしかにすにた。アシタカの住むところって雪降ってたっけ?
手付肥畚ってなに糞運んでたんだろうか。下痢っぽいのとかさ、、
そっか棟方志功も青森の生まれか。ゴッホのひまわりをみて画家になったらしい。
飴釉白流皿の柄ってどういう付け方?紐置いてみたいな、、ソースみたいなイメージの方が近いか、それがながれているから、流し皿か。
鈴木繁男
『手仕事の日本』の芹沢の仕事がめちゃ良い。あらゆる民芸品をアイコンというかイラストレーションっぽいが、、なにが分けてる?
なおこれには亀倉雄作も影響をうけたそう。
柳田國男 「度の進歩及び退歩」という講演で「旅」ういもよつらいもの といい、「旅行」わ 楽しみ 新文化 と規定した。
こけしには系統があ。、顔や体のつくりがちがう。
キャプションの下に単色の図版がはいむていてよいねえ
映画『雪国』の表題とクレジットのレタリング、平筆で起こしたような字画だあるが、誰が書いたとみたいなところに匿名性があるが、わりとオーソドックスなかたちだったのではないか。
雪調 雪害調査所
トンガリ屋根は今和次郎が設計した。
今和次郎の雪国試験農家家屋の通し図よ文字がよかった。風呂やナガシの略じゃ、縁取り文字、母のメモを思わせる意匠
扉の開き寸法が30度くらいしかかいめない。
今和次郎の字形良 調べる
今和次郎 OLよ昼休みよお散歩コースや 主婦の朝食時の行動図がめちゃくちゃに良い。この時代には写真があると思うが、スケッチが魅力的、書いた方がはやいのか?
絵うますぎだろ……
今和次郎の弟、今純三も考現学のスケッチを手伝うが、元々イラストレーターとして東京に出るが関東大震災で青森に戻る。エッチングが得意?らしい
吉井忠
『東北記』にメモとスケッチがついになっている。
画面中央に全体像を描き、脇に表情や仕草のディティールを残していくような書き方が多い 最高。
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脳内moving
5/20
次住むなら、どんな部屋でどんな街かなあと考えることが好き。 というか、引っ越しが好き。かれこれ家を出てから6回か7回引っ越している。
とりあえず、次引っ越すならこんな部屋!ということは決まっていて、幹線道路沿いの10階建てとかの細長くて古いマンションのなるべく高層階に住みたい。 幹線道路沿いの、という条件を加えているのは、うるさいところが好きなわけではなく、そういうところじゃないと、大きいマンションが建てられないからだ。 理由はすごく単純で、やっぱり見晴らしがいい家は気持ちいいんじゃないかと思うからだ。 3年前くらいに内見で、青梅街道沿いのマンションの8階くらいを見に行ったとき、すごく眺めが良くて、夕日がとてもキレイで、1日の始まりと終わりに、こんな朝日や夕日を見ることができる日常って豊かだなあ、と思った。その時のことを、最近よく思い出す。
次住みたい街はいくつかあって、ひとつは下高井戸。 ���によく知らないけど、何回か行った時の印象がいいし、甲州街道沿いのデカマンションが狙えそう。月見湯温泉やたつみがあるところもgood。 最近知った神田川沿いの感じもとても魅力的だし、知らない飲食店のdigができそう。
あとは、世田谷代田〜明大前あたりのエリア。こちらは環七沿いのデカマンション狙い。あと最近やっぱりなんだかんだ下北が好きなんだなあ、と思うことが多いから。 10階建てまで行かないけど、ちょっと足を伸ばして梅ヶ丘周辺の赤堤通りとか警察署の通りにある、5,6階建てくらいのマンションもアツい。梅ヶ丘という街が好きだし、何よりあの辺は謎にイケてるマンションが多い。素敵である。
あとは、思い切って東に振って浅草。一番気になるし、違う人生を送れそう。 ちなみに西荻まで何分?と調べたけど、意外と全然40分なんだ!全然いけるな... どうせ睡眠を駆逐しようとしているライフスタイルだし、ある程度通勤時間あってもいいかもな〜。こことかまあまあアツい。https://suumo.jp/chintai/jnc_000072832116/?bc=100269055645 もうちょっとボロくて狭くて7階以上とかがいいな〜笑 3回だけど、ここもアツい。https://suumo.jp/chintai/bc_100279330747/
中野も住んでみたいけど、流石に中央線はもういいかな笑
好きな街と好きなメシは多い方が絶対楽しい。 青春ポインツ、まだまだ貯めていきたいのだ。 おすすめの街、どこかあったらおせーてください。
おわり
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散策研究会 Cadavre K 「徘徊する観察者 Vacant Lot」
散策研究会 Cadavre Kによる展覧会
「徘徊する観察者 Vacant Lot」
をTABULAEで開催いたします。
※散策研究会 Cadavre Kとは、2011年から開始された、美術家北川裕二によるプロジェクトの名称です
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|会場|
TABULAE (墨田区向島 5-48-4)
|会期|
2018/11/24 (土) - 12/16 (日)の金土日
- 金 15:00 - 20:00
- 土、日 14:00 - 20:00
※曜日によって開場時間が異なりますのでご注意ください
オープニングレセプション
11/24(土)18:00 - 20:00
|イベント|
第5回 漂流教室 「まわり道してTABULAEに向かう」
12/8(土)14:00 - 17:00(終了時刻は前後する場合があります)
集合場所 東武スカイツリーライン/東武亀戸線 曳舟駅改札口付近
定員 5名
参加費 無料(要予約 参加申込み締切12月6日)
東武曳舟駅に集合し、3時間ほどかけて墨田区京島、向島エリアを散策しながらTABULAEに向かいます(台風・雷雨・地震・大雪など災害級の天候以外は、雨天でも決行します)。
>漂流教室について
※こちらのイベントは定員に達したためご予約の受付を終了いたしました
アーティストトーク
12/15(土)18:00 - 19:00
ゲスト 沢山遼(美術批評)
定員 15名
参加費 1000円(要予約 参加申込み締切12月14日)
美術批評家の沢山遼氏をゲストに迎え、アーティストトークを行います。ゴードン・マッタ=クラーク展図録に掲載された沢山氏の論考「都市の否定的なものたち ニューヨーク、東京、1972年」を参照しながら、都市、写真、散策と介入といったトピックについて議論します。
沢山遼 1982年生まれ。美術批評。武蔵野美術大学大学院造形研究科修士課程修了。2010年「レイバー・ワーク──カール・アンドレにおける制作の概念」で『美術手帖』第14回芸術評論募集、第一席。主な論文に「ニューマンのパラドクス」田中正之編『ニューヨーク 錯乱する都市の夢と現実(西洋近代の都市と芸術7)』竹林舎、2017年。「ウォーホルと時間」『NACT Review 国立新美術館研究紀要』第4号、2018年。「都市の否定的なものたち ニューヨーク、東京、1972年」『ゴードン・マッタ=クラーク展』(東京国立近代美術館、2018年)など。
※両イベントは予約制となっております。参加をご希望される方は、件名を「漂流教室予約」または「トーク予約」とし、①お名前②ご連絡先③希望日時④人数 をご記入の上、[email protected]までメールをお送りください。
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『徘徊する観察者 Vacant Lot』開催にあたって|散策研究会 Cadavre K
散策研究会 Cadavre Kとは、2011年3月11日の東日本大震災に強烈な衝撃を受けたアーティスト北川裕二によって、同じ2011年から開始されたプロジェクトの名称です。今回のTABULAEでの新作展が、散策研究会 Cadavre Kとしては初の個展になります。あれから8年が経ったとはいえ、むろん福島第一原子力発電所は「収束」などまったくしておらず、同じように大地も揺れ続けています。したがって今回展示される作品は、そのどれもが3.11以後に制作されたものであるとしても、 むしろ“3.11下”のそれであるといってよいでしょう。
散策研究会 Cadavre Kは、以来、痙攣するこの世界を継続的に観察・記録しつづけてきました。しかし、その観察対象は福島県や岩手・宮城県などではなく、意外にもいま私たちが立っているこの場所でありました。観察対象への姿勢は当初、何よりもまず、直立二足歩行する私たちの、この足元の地面への関心から始ったのです。そのうえに築かれたあらゆるものは幻想なのではないか。であるとするならば、幻想はいかにして自然との関係を取り結んでいるのか。対立関係にあるものどもの、相反する構造(システム)と構造(システム)が、���が応でも接せざるをえない境界線、エッジが、あるいは「構造(システム)」の回収し得ない外部的なものが、観察対象として注目されました。
ほとんどの散策は、日中のほぼ一日をかけて台地や低地をひたすら歩いて横断していくというものでした。“下町”と呼ばれる沖積低地、“山の手”と呼ばれる洪積台地、あるいは武蔵野平野、奥多摩山間地など。地形学の地形区分に従っていえば、 多摩面(T面)、下末吉面(S面)、武蔵野面(M面)、立川面(Tc面)の特徴と、それらが接する際に発生する崖線等の境界線や河川についての知識が事前に取り入れられもしました。定点観測ならぬ、歩行による動線観察が何度もくりかえされ、各地域・エリアにそれぞれ漂う特有のアトモスフィア、ムードは、散策者の心理状態の変化に影響を及ぼすことが確認されました。そうして、しだいに「東京の自然史」(貝塚爽平)が把握されていったのです。散策研究会としての散策は、これまでに123回を数えます。
また、同時に、踏み固められた地面の上に存在するあらゆるもの、すなわち植生・気象・家屋との関連全般が観察対象となり、写真に記録されていきました。散策またその写真記録は、当初、アートとしてはまったく考えられてはいなかった。むしろ、3.11の衝撃は、自然災害においてのみならず、政治的・文化的にもアートの「創造」的な「表現」による「生産」を不可能にしたように思えたからです。したがって、今回の展示においても、それへの疑いが根底にはあることを記しておきます。
地形・植生・気象・家屋の全般を観察対象にするということは、いかなる些細な事象も見落とすことなく全体を知覚・認識するということ。世界のすべてを対象にするということです。生態学的に言えば、個体のみならず、個体群、群集といった階層を異にするもの全般を、そしてまた、位階秩序の異なるそれらの影響関係をも観察・記録対象にするということでもあります。身の回りの環境や社会、つまりは生活を成り立たせているアレコレは、そのようにアレやコレやソレとして一括りにされて、記憶・記録から排除されてもきました。散策研究会が関心をもったのは、まさにそのような無数のアレやコレでありました。衝撃とは、近代化の名の下に隠蔽・排除されたものどもが、「原発震災」(石橋克彦)によって再び私たちの世界に回帰してきた、そのことにあったというわけです。
写真というメディアは、このような研究にはうってつけの道具でした。なぜなら、カメラの眼は原理的にいって、ヒトの眼と違い、“すべてのものを等価なもの”として扱うことができたからです。眼で見ていたときには見えなかったものが写真には写りこんでいたというのは、カメラのこの等価性、すなわちあらゆるものを平等なものとして、なんでも選ばず記録してしまう、このアナーキーな機能によるところのものではないでしょうか。
本展は、こうしたカメラ・写真の可能性を再び抽出しようとする試みでもあります。そこには、“すべてのものが等価なもの”として記録されている。しかし、そうであるがゆえに、その可能性は、他方で、ブレもピンボケもなく構図もしっかり撮れているにもかかわらず、“誰が、いかなる目的をもって、誰のために撮影したのか、皆目見当のつかない、まったく不明なる写真”という、実に奇妙に倒錯した(不)可能性の窓をも同時に開いてしまうのではないでしょうか。この点に、写真の機能が孕む矛盾が見てとれます。そこに提示されているのは、いわば世界の「無名性」のことにほかなりません。実現しているかどうかはさておき、このような写真の(不)可能性を本展では模索しています。
セレクトされた写真と映像は、昨年から今年にかけて撮影されたものに限られています。撮影箇所は主に武蔵野面(M面)の東端であり、区としては、中野区にあたります。中野区の同じエリア、環境をくりかえし何度も徘徊する。そのようなことはこれまでに一度も試みたことがありませんでした。
そしてこのことは、先程「武蔵野面(M面)の東端」と書きましたが、本展においては、地形的特徴への関心が次第に後方へと退き(薄らいだわけではありません)、かわって植生(主にヒト)と家屋、そして何よりも気象への関心が全体に配されてくるものへと推移してきたことと関連しています。くりかえし同じエリアをおとずれる散策スタイルは、写真の機能をより自覚的に操作しようということに、何らかの影響を与えていると感じています。
本展のコアとなる作品群は四部構成となる予定です。 ①独立した1点ものの「写真作品」 数点 ②数点の写真が組み合わされた「写真作品」 数点 ③液晶ディスプレイもしくはプロジェクターで鑑賞する「スライド作品」 ④液晶ディスプレイもしくはプロジェクターで鑑賞する「映像作品」 ①~④の作品にはシリーズとしてのメインタイトルと、各作品としてのサブタイトルが付されています。各メインタイトルは、①Survey Point (測量点) ②Photogrammetry(写真測量法) ③Voronoi Diagram(ボロノイ図) ④Skid Movie(横滑りの映画)となっています。また、参考資料として、本展の作品に関係する散策ルートを図解したパネルも展示する予定です。
また、本展覧会としてのメインタイトルとなった“Vacant Lot”ですが、これは日本語では空閑地のことです。一時的に未使用になった空き地。英語名にしたのは、“Vacant Lot”という言葉に興味をもったからです。この“Lot”には、くじ、運、運命という意味があるようで、それが一時的に空き地となった区画を指す言葉にも使用されているというのがおもしろかった。“偶々割り当てられたもの”としての空閑地。文字通りに訳せば、“空っぽの運命”です。
これは、今年国立近代美術館で回顧展が開かれたゴードン・マッタ=クラークの仕事を想起させます。カタログに掲載された美術批評家沢山遼氏の論文にマッタ=クラークの発言が引用されていて、瞠目しました。以下、孫引きですが引用させていただきます。
「グリーン通り112番地でやったアナーキテクチャーの展覧会は[…中略…]なんらかの強い形式性によって固定されることのない、固定化した建築的ヴォキャブラリーの外部にあるものについてのものだった。[…中略…]ぼくたちが考えていたのは、隠喩的なヴォイド、空隙、残余的空間、未発展的な場についてだった。[…中略…]たとえばそれは、立ち止まって靴紐を結び直すような、日常的な動作がふと遮られるような場だ。そのような場は、知覚的な重要性を帯びていると思う。なぜならそこで人は動的な空間に触れているんだ。」 (「ゴードン・マッタ=クラーク展」カタログ p.265)
つまり、“Vacant Lot”とは、この解けた靴紐のことなのかもしれません。紐が解けて固定された意味が一時的に宙吊りとなる時。場所。その瞬間はおそらく、九鬼周造のいう偶然性のごとく「現実性へスルリと滑ってくる推移のスピード」を持っているに違いない。“無”が偶然性によってもたらされるということ。環境、生活、世界への認識を深め、未来を洞察するにも、このような人と自然の接するエッジに現象するささやかな出来事に対する認識をさらに深めていく必要がありそうです。今回の展覧会がそのような世界への見方、感じ方、考え方に寄与できれば幸いです。
最後に、Cadavre KのCadavreはフランス語で、日本語では死骸のことです。したがって、Cadavre Kは、死骸キとなります。“キ”とはキタガワの“キ”のことです。3.11以後のプロジェクトにそう名付けたのは、このプロジェクトがそれまでの作品とはまったく異なることもありましたが、同時に、3.11以後、偶々生き残った=生き延びているという感覚を今も持ち続けているからにほかなりません。それは、どこか幽霊的に仮構された作者名といえるでしょう。
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散策研究会 Cadavre K
2011年から開始された、美術家北川裕二によるプロジェクト
漂流教室
第一回 霊岸島から埋立地へ (2015/milkyeast) http://ur2.link/N8ZH 第二回 河岸と下町低地(2015/milkyeast) http://urx.red/N901 第三回 山の手の<むらぎも>を巡る(2016/路地と人) https://rojitohito.exblog.jp/22767074/ 第四回 崖線上のカフカ──中野区を歩く(2017/路地と人) https://rojitohito.exblog.jp/23871177/
散策研究会 これまでの主な散策エリア
001 2011_06_11 新宿御苑 002 2011_06_18 等々力渓谷 003 2011_06_25 赤坂見附 004 2011_06_29 丸の内線・四ッ谷駅 005 2011_07_02 下末吉台 006 2011_07_06 迎賓館・明治公園 007 2011_07_09 市ヶ谷・飯田橋 008 2011_07_16 お茶の水・神田川・隅田川 009 2011_07_22 野川 010 2011_08_06 新木場 011 2011_08_11 高尾山 012 2011_08_20 隅田川・スカイツリー 013 2011_08_25 菊名・獅子ケ谷・下末吉台 014 2011_09_02 渋谷川 015 2011_09_08 皇居・日本青年館 016 2011_09_11 新宿・原発やめろデモ 017 2011_09_17 渋谷川・古川 018 2011_09_19 さようなら原発・渋谷川 019 2011_09_24 赤坂 020 2011_10_01 善福寺川 021 2011_10_07 港の見える丘公園 022 2011_10_13 山手 023 2011_10_22 宇田川跡 024 2011_11_03 御岳山・ロックガーデン 025 2011_11_09 巣鴨・田町・谷中 026 2011_11_12 神田川・小日向台 027 2011_11_17 都電荒川線・王子・荒川 028 2011_12_03 愛宕山 029 2011_12_14 上野・根津・谷中 030 2011_12_15 弘明寺 031 2011_12_21 荏原台 032 2011_12_30 立川段丘 033 2012_01_01 狭山丘陵 034 2012_01_05 三殿台遺跡 035 2012_01_12 目黒自然教育園 036 2012_01_19 明治神宮 037 2012_01_26 清瀬 038 2012_02_04 深大寺・府中 039 2012_02_08 江戸前島 040 2012_02_15 江戸前島 041 2012_02_24 浜離宮 042 2012_03_03 吉見百穴 043 2012_03_15 江東区・運河 044 2012_03_17 江東区・運河 045 2012_04_07 神楽坂 046 2012_04_14 渋谷川・明治神宮 047 2012_04_20 町田・自由民権資料館 048 2012_04_28 市ヶ谷・早稲田 049 2012_05_17 町田・自由民権資料館 050 2012_05_26 江東区・戦災センター 051 2012_06_07 全生園・滝山団地 052 2012_06_14 清瀬 053 2012_06_16 京島 054 2012_06_23 玉川上水・首相官邸前 055 2012_06_29 首相官邸前 056 2012_07_12 神田 057 2012_07_13 首相官邸前 058 2012_07_16 代々木・さよなら原発 059 2012_07_02 新富町 060 2012_08_08 六郷土手 061 2012_08_12 日野 062 2012_09_08 本郷台地 063 2012_09_15 東京湾・葛西臨海公園 064 2012_10_06 生田緑地 065 2012_11_10 青梅・横田基地 066 2012_12_01 大山 067 2013_01_12 渋谷・元麻布・六本木 068 2013_01_14 獅子ケ谷 069 2013_04_13 日本橋川 070 2013_04_27 小平・玉川上水 071 2013_05_25 赤坂・六本木 072 2013_06_06 代官山 073 2013_07_07 東京駅地下通路 074 2013_07_13 王子・吉原・スカイツリー 075 2013_07_27 多摩丘陵・百草団地他 076 2013_08_17 中央防波堤埋立地 077 2013_08_24 仙川 078 2013_08_26 谷中墓地 079 2013_10_26 渋谷・地下道 080 2013_11_09 京島 081 2013_12_28 山手 082 2014_04_24 池袋 083 2014_05_17 高田馬場・神田川・淀橋 084 2014_06_27 駒込・田端 085 2014_07_13 平林寺 086 2014_09_06 秩父 087 2015_05_16 湾岸埋立地 088 2015_07_20 白山 089 2015_11_22 深川 090 2015_12_11 武蔵五日市 091 2015_12_12 武蔵五日市・城山 092 2015_12_18 戸山公園 093 2015_12_26 板橋・赤塚 094 2016_01_06 深川・森下 095 2016_02_02 国分寺崖線 096 2016_02_26 立川段丘 097 2016_04_03 日立研究所 098 2016_05_31 水道橋・小石川・白山 099 2016_10_18 神楽坂・近美・湯島 100 2016_12_06 佐伯祐三・熊谷守一美術館 101 2016_12_13 南青山 102 2016_12_20 原宿・渋谷 103 2016_12_23 戸山公園 104 2017_04_04 野方 105 2017_04_07 江古田 106 2017_05_12 上高田 107 2017_06_09 上高田・野方 108 2017_08_15 池尻大橋 109 2017_08_17 池の上・高円寺 110 2017_08_29 桃園川 111 2017_09_15 中野区南台 112 2017_09_20 新宿住吉町 113 2017_09_22 所沢 114 2017_10_10 中野区中野台地 115 2017_10_20 野方 116 2017_10_27 新宿末吉町 117 2017_12_15 沼袋 118 2018_04_24 鷺宮 119 2018_05_29 中野区中心エリア 120 2018_06_12 野方・沼袋 121 2018_06_15 杉並・堀の内 122 2018_07_06 野方・中野区中心エリア 123 2018_09_11 野方
北川裕二
1963 東京に生まれる
主な個展
1990『形のローカリズム』 ギャラリー現(東京) 1991『A PALASITE/READY-MADE SUIT MIX』 ルナミ画廊(東京) 1992『短絡的接合体』 モリス・ギャラリー(東京) 1992『分裂機械としての身体』 ルナミ画廊(東京) 1992『暮らしの変換』 モリス・ギャラリー(東京) 1993『格子/闘争』 MARS GALLERY(東京) 1993『歴史改造パズル』 GALLERY・GEN(埼玉) 1996『What is a hole?/Make a revision of…』 SHIKI FUJIMORI GALLERY(東京) 2005『Random Open Textured』 MARU GALLERY(東京) 2006『Dust passes through the window』 GALLERY OBJECTIVE CORRELATIVE (東京)
主なグループ展
1990『Bゼミ展』 横浜市民ギャラリー(神奈川) 1992『Project for O.T』 ギャラリー・サージ(東京) 1993『In Between』 FLOATING GALLERY(東京) 1993『CONSTRUCTION IN PROCESS』 ARTIST'S MUSIUM(ウッジ、ポーランド) 1994『身体美術感』 ハラ・ミュージアム・アーク(群馬) 1995『The Age of Anxiety』 The Power Plant(トロント、カナダ) 1996『ATOPIC SITE(On Camp/Off Base)』 東京ビッグサイト(東京) 1996~98『Maniacs of Disappearance』 国立美術館(ブエノスアイレス、アルゼンチン)、Austrian Musium of Applied Arts (ウィーン、オーストリア)、その他オランダ、イタリアなど巡回 1999『第34回今日の作家展 APPROACHING REALITY』 横浜市民ギャラリー(神奈川) 2010『City Beats + Live explosions』 BankART1929(神奈川) 2015『無条件修復—UNCONDITIONAL RESTORATION』 milkyeast(東京)
散策研究会──地殻を近くで知覚する
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▼バイデン大統領 米軍のウクライナ派遣を否定「そうすれば世界大戦になる」
プーチンにウクライナをどうぞ召し上がれと言ってる。
こういうことを大統領が口にしたらどうなるのか、このボケ老人はわかっているのだろうか?それとも湾岸戦争のときみたいにわざと呼び水にしてロシアとの大戦争をおっぱじめるつもりなのだろうか?
古い同様の事例を使って説明すると、1990年のイラクのクェート侵攻の直前に、イラクはクウェートと油田や国境やイライラ戦争の戦費の借款返済問題で揉めていた。
イラクのフセイン大統領は7月24日、クウェート国境に3万人の兵力を集結させた。これに対してフセイン大統領と会談を行ったアメリカのエイプリル・グラスピー駐イラク特命全権大使は、7/25に「アメリカはイラクとクウェートの領土問題に関係がない」といってこの問題に対しての不介入を表明した。
その結果何が起きたかと言うと、イラクは軍をクウェートに進めてクウェートを併合してもアメリカは何もしないと考えて更に軍の国境への集結を進めた。イラクの立場からすれば、アメリカはイランを脅威に感じているはずである。なにしろ大使館人質事件いらい、アメリカとイランは犬猿の仲だ。イライラ戦争を通じて我がイラクはアメリカの石油資本が利権を持つスンニ派産油国を守るためにシーア―派のイスラム革命からの防波堤になってきたのだからという自負があるわけである。だからアメリカから関知しないといわれたのはフセインの脳内ではクウェート侵攻のお墨付きが得られたも同然だったのだ。
そしてイラクは8/2にクウェートに侵攻を開始して、同日中に全土を制圧したのだった。
これに対して米帝が何をしたのかというと多国籍軍を編成して全世界(そこには冷戦でアメリカに敗北しつつあったソビエトも含まれる)注視の中でソ連製の兵器も大量に使用しているイラクをフルボッコにすることであった。例えば米帝の主力戦車であるM1A1は800両以上のイラク軍戦車(その中にはT72などの当時のソ連製の最新モデルも含まれる)を撃破したのに対し、米帝側の損害は2両だけという一方的なものであった。戦車戦に限ってもキルレシオは400対1だ。この戦争でアメリカは戦車戦に限らずあらゆる戦闘でほんとうにイラクのソ連製兵器をフルボッコで一方的に破壊したのだ。イラク軍はイライラ戦争で充分な実戦経験を積んでいる中東最強の軍隊なのにである。いくらモンキーモデルの兵器相手でもこれは酷すぎる損害比である。これを見たソビエトの赤軍参謀本部がどれほどの衝撃を受けたか考えて欲しい。もうどんな戦争を仕掛けても欧州で通常兵器ではNATOには勝てないと思ったに違いないのである。
その結果が1991年のソ連崩壊につながっていくわけだが、今回バイデンが単純にボケているのか。中の人の戦略家がわざと言わせているのかによって、この後の展開は大きく異なったものになっていく。
なぜなら状況がイラクのクウェート侵攻前と酷似しすぎているからだ。
イラクもロシアも産油国であり、ロシアは本当に自分たちを中共側に追いやってしまっていいのか?アメリカの主敵は中共であってロシアではないのでは?という思いを持っているからだ。
であるならアメリカが軍を派遣しないというなら、ウクライナから戦場が拡大しなければ問題ないだろうと考えるだろ?
もしバイデンがわざと言ったなら、ロシアにウクライナ侵攻をさせることによって、ロシアを多国籍軍で叩き潰すという展開になるだろうけど、今回は最終目的は間接的に中共を平和的に解体することである。そして、そのためにはアメリカは強大なロシア軍とウクライナで戦って核戦争にせずに短期間で決定的な勝利を得ることができる新兵器その他の確信を持っていなければならない。
もしそうしたものもなく、単純ボケた爺さんが言ってしまったことなら、ロシアはまたたく間にウクライナを併合してそれに対して西側は何もできないまま右往左往して経済制裁。その流れで中共の台湾侵攻などが起きて、結果第三次世界大戦ということになりかねない。
https://chinkokayuirv.blogspot.com/2022_02_11_archive.html
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