#大型二種限定無し
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「企業のネットが星を 被おお い、電子や光が駆け巡っても」国家や民族が消えてなくなるほどではない近未来が舞台の『攻殻機動隊』などで、後のクリエイターに多大な影響と衝撃を与えた漫画家、士郎正宗さん(63)。デビュー40年を迎え、世田谷文学館(東京都)では初の大規模展が開催される中、読売新聞の単独書面インタビューに応じ、これまで生み出した作品や創作の秘密、AI(人工知能)がもたらす人間の未来などについて縦横無尽に語った。近年ほとんどメディアの取材を受けていない士郎さんの貴重な語録をご覧あれ。(文化部 池田創) 展覧会では、『攻殻機動隊』の主人公の素子の印象的なセリフが印刷されたのれんが来場者を出迎える(東京都世田谷区の世田谷文学館で) 世田谷文学館で大規模展 ――デビュー40年を迎えられて、どのようにお感じになっていますか。 そもそも寡作な上、諸事情による中断・未発表・ボツ作品が多過ぎて読者諸氏に申し訳ないものの、何とかここまで生き残る事が出来て大変に幸運だったと思っています。活動が東京や他業種に広がるに連れて「水中を歩いて進むかの様な状態」になり、40年、色々と大変でした。また書籍などの荷物が転居や避難に適さない分量になっています(笑)。 ――代表作「攻殻機動隊」は海外でも熱狂的な人気が続いています。 最初期に出版物の海外展開を頑張りました。望外に細長く継続しており、ありがたい限りです。 ――今回の世田谷文学館の展覧会は大量の原画が間近で見ることができ、充実した展示内容です。 士郎正宗さんのコメントとともに作品世界を振り返る巨大な年表(東京都世田谷区の世田谷文学館で) 今回このような機会を頂き大変感謝しております。僕程度の小規模 傭兵ようへい 型漫画家でこういった事が可能なら、日本のコンテンツ業界はもっと多様多彩な作家・作品を、深掘り探索・開発活用出来るのではないかと思います。 ――「攻殻機動隊」をはじめ、ご著書は情報化社会を予見していると言われます。 たまたま運良くタイミングや関係者の都合に合致し話題として取り上げて頂いているだけで、僕以外にもそういった作家・作品は多数存在していると思います。情報化社会の好ましくない側面があまり大きくならなければ良いですね。物騒、殺伐、トラブルは架空妄想物語の中だけで十分です。 ――AIの発展についてどのように感じていますか。 利便性と損害可能性は表裏一体、これまで考えられなかったレベルの明るい未来の可能性が開ける一方で、悪用や視野 狭窄きょうさく が起き、見えざる支配も容易になっている。研究開発に係る方々には頑張って頂きたいなと思います。 簡易強化外骨格、遠隔操作系ロボット類の開発が現実的 ――幼少期に親しんだマンガや小説はどのようなものがありますか。 デビュー作『アップルシード』のラフスケッチなどが並ぶ展示室(東京都世田谷区の世田谷文学館で) アニメ版の「鉄人28号」や「エイトマン」から入って、雑誌「りぼん」(一条ゆかり氏、大矢ちき氏、弓月光氏などなど)、松本零士氏、永井豪氏、細野不二彦氏の影響が大きいですね。大学以降は諸星大二郎氏、星野之宣氏、大友克洋氏の存在が大きいと思います。 ――「攻殻機動隊」で描いた人間の身体と精神の関係はどのように感じていますか。 脳や体が一体として機能している中では、脳が優位の制御系があったり、体が優位の制御系(例えば副腎とか脊髄反射系とか)があったり、交換可能な部分や欠損許容部分(例えば昔は虫垂や 胆嚢たんのう を結構普通に切除していた)があったり、複雑で不思議に出来ていると思います。 義体化のような、身体交換は僕が生み出した要素ではありません。スタニスラフ・レム氏の『君は生きているか?』や、日本のマンガアニメ界においては石ノ森章太郎氏の『サイボーグ009』などの有名作品がすでにありました。サイバネティクスの一般的な目的は医療や軍事だと思いますが、今後は老化・劣化対策というのも存在感を増すかもしれません。個人的には年々増加中の災害現���における簡易強化外骨格や遠隔操作系ロボット類の開発を進める方が現実的かなとは思います。 ――ご著書に細かく書き込まれた欄外文章の役割や狙いを教えてください。 リズム感が単調になりがちな説明セリフや会話を物語内部から減らせる、それによってキャラの練度・演出を高めに設定出来る、物語と読者の距離の調整ができる、などでしょうか。昨今、いや昔もこういう方法は 流行はや りではありませんが……。 ――押井守監督のアニメーション映画版のご感想をお聞かせください。 個人的には原作に気を使っている部分が押井氏にしては多めの1作目より、押井氏節全開の『イノセンス』の方が好みです。いずれも一生懸命作って頂いてありがたいなと思っております。 ――ネット社会の広がりやAI技術の発展をどう感じておられますか。 人工知能の偏向学習、悪意ある人 達たち による人工知能活用と、対策する側の人工知能活用の格差、オンライン上に無い膨大な情報の無視や軽視など、課題は山積しているのではないかと感じています。世界は 繋つな がって狭くなると同時に、逆に分断細分化が進んで互いの距離が開き、問題解決の可否、明暗の格差も広がっている様に感じています。今まさに『言葉が通じなくなってバベルの塔が崩壊し始めている』状態でしょうか。人工知能育成では可能な限り、真実や実態に近い情報を得て優先解とするような、何らかの情報検証機構が必要でしょう。 コスパタイパ重視では驚きや発見も無い ――ネットに常時接続することが当たり前になりました。そのことをどのように感じてらっしゃいますか。 一般的なネット通販をほぼ利用しておりませんが、ネット社会になってからの方がサービスの質が低下&商品を探しにくくなったように感じています。便利、合理的、コスパタイパ重視の姿勢は内向きになりがちで、冗長性や余白が少ない分、周囲を見渡す余裕が減少し続けるし、ひいては驚きや発見も無く窮屈ですね。昔のSFでは「監視管理社会」は人々の敵として描かれるのが一般的だったのですが、現代では意外とそういう管理監視社会の利点も許容されているように思います。とはいうものの、今後もDXが進み常時接続が常識常態化し、行政サービスやインフラなどの分野で、高度化し便利で安全で充実した幸福度の高い世の中になっていくと良いのですが……。 ――「攻殻機動隊」ではサイボーグ化しても人間の内にある「ゴースト」という概念が存在します。「ゴースト」とは何でしょうか。 展示室の中央には『攻殻機動隊』の原画が並び、迫力のある筆���を間近で感じられる(東京都世田谷区の世田谷文学館で) 正確か否か、定義可能か、とは別にして、宗教や哲学や文学昔話の分野で古くから使われている「たましい」「霊魂」「ソウル」などの単語が印象として一般的には伝わりやすいのではないかと思います。「何だかよくわからないが、存在しているように思えるモヤっとしたものを『ゴースト』と呼ぶ」のも娯楽分野では分かりやすくて良いかな、ということで単語を使用しています。 犬や小鳥も感情を有することが一般的にも知られており、感情は人間だけが持つ最上位の機能・特別な評価対象ではない、という観点から、マンガ版ではゴーストという単語において「感情に特別な意味を持たせていない」つもりです。当然ながら人の価値観はそれぞれなので、僕と他のアニメ版の監督諸氏とでもこうした諸々に対する考え方に違いがあるわけですが、その事自体も含めて、作品を異なる角度から捉えて楽しんで頂ければ良いなと考えています。 神話は魅力の塊なのだが… ――ご著書はシリアスな展開と迫力のある戦闘シーンの間にギャグが挟まりますね。作中におけるギャグの効用とはどのようなものでしょうか。 シリアスとギャグの挟み方や割合、そもそも混在を容認するか否か、など受け取る方々の価値観も観点も実に多様なので「万人にとって満足できる作品」というのは僕には難しいなと考えています。僕の取り扱うキャラクターたちは明日をも知れぬ立場なので、悲観的に備え楽観的に対処する、冗談でも言っていないとやっていられない、といったタイプが多めになっています。会話の軽さと行動、判断の速さ厳しさのギャップを楽しんで頂ければ良いかと思います。 ――『仙術超攻殻ORION』は日本神話をモチーフにしたファンタジーです。神話の魅力を教えてください。 神話と呼ばれる物語達は限られた要素と根源的な思考や解釈と想像力で織り上げられ、時代や民族の壁を越えて生き残っている、「選び抜かれた精鋭達」です。人々の心情や思考型や文化を映す鏡として、魅力の塊と言っても良いですね。一方で歴史を振り返ると、建築や芸術や情報戦において支配者や宗教組織や抵抗組織の都合や思惑と深く関わったと思しきものも多く、純粋に「素晴らしいか?」と問われると、答えに困る側面もあります。 ――『攻殻機動隊』のフチコマや、『ドミニオン』の小型戦車ボナパルトなど、作品からは戦車愛を感じます。 正義感にあふれる女性警察官のレオナが活躍する『ドミニオン』のコーナー(東京都世田谷区の世田谷文学館で) 「頑丈で壊れにくくて安全度が高い&移動以外にも何か作業が出来る乗り物」が好きですね。作品内に描く機会はなかなかありませんが、消防関連や港湾作業用の特殊車両、土木建築系や農林作業系の特殊機能車両なども同じように楽しくて興味深いと思っています。 気負わず欲張らず、自己ベスト更新維持 ――現在はイラスト制作や、画集刊行に活動の比重を置いておられますね。 マンガやアニメやゲームの企画書・プロット・シナリオなども色々と作っているのですが、なかなか最終商品の形にまで進める事が出来ておらず、イラストや画集は関係者や予算が少なくても実現可能な 為ため か商品の形になりやすい、というのが理由かと思います。 ――女性のエロチシズムを感じさせる美麗なイラストを生み出されています。 展示室の後半は、雑誌に発表した色鮮やかなカラーイラストが目を引く(東京都世田谷区の世田谷文学館で) モノクロでは描写しにくいがカラーでは比較的描写が容易で、競合が起きにくいと思われる光沢の肌にこだわっています。近年の画集においては、似た構図やポージングの微差バリエーションを連続、重複して描くことで、アニメの原画をパラパラと連続で見る時に近い印象や効果の誘発が起きないかと工夫しています。 ――近況を教えてください。 今も40年前も変わらず東京ではなく関西にいて不規則不健康な生活をしながら昼夜延々と絵やプロットや駄文を描き続けています。視力体力の減少により、未読書籍が積み重なっています。 ――今後の執筆への意気込みや読者へのメッセージをいただければと思います。 気負わず欲張らず、自己ベスト更新維持で変わりなく、他にしたい事も無いので、ダラダラ延々と何かを作る日々を送ると思います。読者諸氏にはまた次の作品でお会いした際に、何らかの形でお楽しみ頂けると幸いです。
「攻殻機動隊」士郎正宗、ネット社会・AI発展に警鐘「言葉が通じなくなってバベルの塔が崩壊し始めている」 : 読売新聞
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2025-4月号
アンビグラム作家の皆様に同じテーマでアンビグラムを作っていただく「月刊アンビグラム」、主宰のigatoxin(アンビグラム研究室 室長)です。
『アンビグラム』とは「複数の異なる見方を一つの図形にしたもの」であり、逆さにしたり裏返したりしても読めてしまう楽しいカラクリ文字です。詳しくはコチラをご参照ください⇒アンビグラムの作り方/Frog96
◆今月のお題は「キッチン」です◆
今月は参加者の皆様に「キッチン」のお題でアンビグラムを制作していただいております。作家の皆さんがこのお題をどのように調理したのか、楽しみにご覧ください。
皆様のコメントがいただけますと幸いです。

「台所」 敷詰振動型:ちくわああ氏
日本語で言うと台所。 「ム」の末広がりが「戸」の形にぴったり生きていますね。縦太横細のお作法が丁寧で気持ちいい作字だと思います。
「厨/台所」 回転共存型:lszk氏
台所には厨という別の呼び方もあります。 本作では字画の大きな省略を使わず、大胆な変形で文字を両立させています。アルファベットのようにも見えてきて読むのが難しかったかもしれません。

「焜炉」 回転型:うら紙氏
キッチンにあるもの。もともとは持ち運びができるものを言いました。 途切れている場所をつなげて読むか離したまま読むか、認識が自動的に切り替わります。文字の雰囲気がガスコンロの火のようにも見えます。

「炊飯器/冷蔵庫」 図地反転型: いとうさとし氏
どちらもキッチンの必需品。 矩形枠から一部図形をはみ出させているのは仕方ないところでしょうか。それを差し引いても対応のすごさと可読性の高さですばらしい作品になっています。

「製氷皿」 回転型:繋氏
冷凍庫で使いますが、最近の冷蔵庫には付属されていないことが多いです。 「氷」の形と配置がよいですね。「制」部分の省略が適切で非常に読みやすいです。

「鍋掴み」 回転型:douse氏
日本では鍋が根付いているのがよくわかるネーミング。 「咼/国」の対応が見所です。てへんとの重なりや、字画を斜めに切ってある部分など、どれも絶妙です。
「IH調理器」 鏡像型:螺旋氏
電��誘導加熱式の調理器具。仕組みを知っている人はどれだけいるか。 「IH」で平行線部分の長さが違っているところも配置が適切なので不自然に見えません。「調理器」の字形も外枠の角丸矩形とそろっていてスマートです。

「割烹着」 図地反転鏡像型: いとうさとし氏
和式エプロンであり、着物の袖が収まるようになっているのが特徴。 「烹」はほぼ左右対称の文字なので、これが図地反転鏡像軸の中心にきているのが驚きです。とても味わい深い字形になっていますね。

「菜箸」 回転型:douse氏
調理、盛り付け、取り分けなどに使う長い箸。 余りがなく自然に対応付くのがすばらしい発見ですね。商品パッケージになりそうな趣のあるデザインでステキです。

「圧力鍋 お米の旨味を逃さない!!」 鏡像型:すざく氏
圧力鍋は、蓋を密閉して鍋の内部の圧力を上げることで高温調理が可能。 文字列生成で。「圧力/咼」のところ、書体も含めて調整が上手ですね。左右対称な文字同士を左右鏡像で対応付けている「米/未」のところも面白いです。

「タルト・タタンの夢/近藤史恵」 回転共存型:兼吉共心堂氏
「タルト・タタンの夢」は近藤史恵による推理小説でシェフが主人公。 「罒」や「史」など、カスレを使って閉領域を形作るのは筆文字表現ならではでしょう。これで読めると割り切った「藤」の大胆さもよいですね。
「変な家 第一章 知人からの相談」 回転(共存)型+鏡像型+敷詰[回転+鏡像]型:つーさま!氏
物語の中で話される謎の空間は「リビングと台所の間」。 可読性が高くすばらしいですね。「章」は左右対称ですが「第/章」のように鏡像で別の文字に対応付けされるのが気持ちいいです。

「5分煮たものがこちらです」 回転型:Jinanbou氏
料理番組でよくあるやつです。 文字組みが巧みですね。各文字も読みやすいうえ、流れも自然になっているステキなデザインになっています。思い切った「が」が、こちら感があってよいですね。

「危険!包丁二刀流」 回転型:かさかささぎ氏
���るならゲームだけにしておきましょう。 文字列生成で。三角形の部分は片方が細く、包丁感を表しているでしょうか。普通の文字と袋文字を行ったり来たりするのも一種の二刀流。

「板前」 旋回型:douse氏
日本料理職人のことで、法律上は調理師。 絶品の輪郭調整で、「又/月」がきれいに切り替わります。お品書きの紙に書いたような表現がよいですね。

「料理長」 鏡像型:てるだよ氏
飲食店の厨房を取り仕切る人。 「米」部分は右側がなくても自然に読めますし、「長」の平行線部分もこのような形状でも読めるのですね。よい作品に仕上がっています。

「厨房の担当」 回転型:あおやゆびぜい氏
キッチンスタッフ。 お互いに入り組んだ文字組が面白いですね。先端を丸くする処理など、書体もポップで楽しい作品です。

「家庭料理」 交換型:無限氏
一般家庭で日常的に作られ、食べられている料理。 「家/庭」「料/理」それぞれが交換型で表現できるというすばらしい発見です。「里」がよい形ですね。
「火の用心」 鏡像型:lszk氏
火の扱いには気を付けましょう。 ギザギザの形状が巧妙で、「の/用」の切り替わりも自然に表現されています。水平ではないところも読みやすさの秘密ですね。

「成分無調整牛乳」 回転型:ぷるーと氏
生乳の成分をそのまま保持し、加工時に脂肪分やタンパク質を調整していない牛乳。 それぞれの文字のポイントとなる箇所を意識して作字されているように見えます。つながってもよいところも隙間を開けたり、統一感を出すように調整されていますね。

「食戟のソーマ」 回転型:douse氏
週刊少年ジャンプに連載されていた料理漫画。 縦の姫森ルーナ型ですね。かな部分の拾い方が上手で、文字のバランスがとても良いですね。「食」の縦画に施されたひげ処理により、縦画の位置の認識ずらしを実現しています。
「みりん」 回転型 「とろみちゃん」 旋回型:kawahar氏
照りを付ける調味料と、とろみをつける調味料。 同じグリフを使用しているのでまとめて紹介します。「とろみちゃん」は絶妙な調整によって6面相になっています。交差部分の2種類の処理が巧みですね。

「さとう/しお/す/せうゆ/みそ」 特殊敷詰回転共存型:松茸氏
調味料のさしすせそ。この順番で入れるのが好ましいとされています。 一つ読めれば全部読めてくる作品ですね。どうやってこの敷き詰め方を実装したのか、驚くばかりです。ずっと眺めていると、この不思議な文字たちがいとおしく見えてきます。
「砂糖醤油」 特殊敷詰振動式複合型:Σ氏
比率はお好みで。酒・みりん・だしとともに煮切ったものもよし。 鏡映と180度回転を組み合わせた敷詰です。「糖/醤」は適切な変形の上できれいに対応付けられていて驚きました。ペン字風のちゃんとした文字然としているところがAI文字っぽく見えてきます。

「黒酢」 旋回型:オルドビス紀氏
長期間発酵・熟成されており、アミノ酸が豊富です。 堂々としたひげ文字調の書体がステキですね。「酉」の下部ではカスレを効果的に利用しています。
最後に私の作品を。
「賄い飯」 回転型:igatoxin
15年以上冷蔵庫の肥やしになっていたネタを調理しました。
お題「キッチン」のアンビグラム祭、いかがでしたでしょうか。御参加いただいた作家の皆様には深く感謝申し上げます。
さて次回のお題は「対語」です。賛成/反対、白い/黒い、夫婦、紅白、有の実、当箱、グループルビ など 参加者が自由に対語というワードから発想・連想してアンビグラムを作ります。
締切は4/30、発行は5/8の予定です。それでは皆様 来月またお会いしましょう。
——————————–index——————————————
2023年 1月{フリー} 2月{TV} 3月{クイズ} 4月{健康} 5月{回文} 6月{本} 7月{神話} 8月{ジャングル} 9月{日本史} 10月{ヒーロー} 11月{ゲーム} 12月{時事}
2024年 1月{フリー} 2月{レトロ} 3月{うた} 4月{アニメ} 5月{遊園地} 6月{中華} 7月{猫} 8月{夢} 9月{くりかえし} 10月{読書} 11月{運} 12月{時事}
2025年 1月{フリー} 2月{記憶} 3月{春} 4月{キッチン}
※これ以前のindexはこちら→《index:2017年~》
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measures to prevent thermal collapse of CFRP rims
ーー以下、前回からの続きです。ーー
自転車競技用のカーボン製品はCFRP、つまり「炭素繊維で強化されたプラスチック製品」なので、繊維自体の引っ張り強度が高いかどうかだけでなく、その繊維を固定しているレジンの強度を含めた材料特性にも影響を受けます。
常温下では多くの金属製品よりも強いと言われるカーボン製品ですが、摩擦に因る熱の蓄積が続けば、炭素繊維を固定しているレジンの強度(固定力)は低下し、路面からの大きな衝撃を待たずともタイヤの内圧程度の外力で側壁が破壊する事があります。
実際に黎明期のCFRP製リムで起こった熱による変形や破損の原因の多くは、こう言った仕組みによって発生していた可能性が高いです。
但し、これだけが昨今相談をいただいた問題の主な仕組みだと考えているわけではありません。
前回も少し説明をいたしましたが、昨今出回っている粗悪なTPU製チューブがトラブル原因の一端を担っているケースも半分くらい、あるいは、それ以上にあるんじゃなかろうか、とも予想しています。
黎明期のカーボン製品から比べると、シートに使われる繊維自体の強度だけでなく、高温下でもレジンの固定強度が低下し難くなったり、リム ブレーキの摩擦に対しての耐久性もバサルトからナノ チューブ カーボンやグラフェンなどの耐熱硬質層を作るなどして強くはなっています。
…が、そうは言っても所詮はプラスチック製品であり、金属製品程の耐熱性を持たせるのは中々難しく、旧来からのアルミ合金製リムの様な気軽な扱いではトラブルが発生するケースも出てきます。
特に重要なのは、ブレーキだけでなく、山間地の長い下り区間での運転技術の確保と、リムのブレーキ トラックはもちろん、ブレーキ パッドのメンテです。
具体的には下り区間であまり速度が出ない様にブレーキで積極的にスピードを抑制する事ではなく、最小限の減速時間で走行が出来れば、リムに対して余分な摩擦熱をかけなくてもよくなります。
その際ライン取りなどの工夫も含めてブレーキング ポイントとリリース ポイントを明確にし、パッドをリムに引き摺り続ける事無く、減速(加熱)と解放(冷却)のメリハリを付けてリムのブレーキ トラックの温度管理を意識��る事で、余分な加熱、保温を避ける事が大切です。
また、前後の加重移動も大切で、車輪が二つある様にブレーキも前後に付いていますが、加重移動によって両方のブレーキを上手く活用する事で、どちらか片方のリムだけに減速負担を集中させない様に出来ればより良いです。
いきなり加重移動と言われてもピンと来ない…と言う方は下り系Mt.bikeやトライアル、BMXなどの技術系種目の得意な子達に訊いていただくと多少理解がし易くなるかもしれません。
もちろん実際には��ブレーキに負担が集まり易くはなりますが、それでも加重移動への意識の有無によって多少は後ろへ減速ストレスを振り分ける事が可能になります。
カーボン製リムは元々がレース用としての機材なので、レース状況の様な走行状態であれば、ビッグ ブレーキングがあったとしても時々にリムを冷ます余裕もできる為、即トラブルとはなり難いです。
…が、ブレーキに頼って速度を一定化して下ろうとすると、ブレーキを引き摺り続ける状態となり、リムの冷却が間に合わず、構成レジンの崩壊温度に到達し易くなります。
もう一つはブレーキ パッドの管理です。
ブレーキ パッドはそのリムのブレーキ トラックに対しての摩擦特性、成分や構造が適しているかどうかも大切ですが、他にも鮮度やコンディションなども重要です。
製造時のパッドの成分や特性がそのリムに適していたとしても、経年劣化で硬化したり、変質して摩擦特性にも変化が起こる場合があります。
また、新鮮なパッドでも接触面に小さな砂粒や金属片などの硬質ダストがめり込んでしまっていると、ブレーキ時に通常よりもリムに対して高い攻撃性を持ちます。
リムのブレーキ トラック自体の汚れは勿論ですが、これらのパッドに隠れている要因を走行前後に確認して予め取り除く事が出来れば、リムへの不要なストレスを減らす事が出来ます。
これらのケアはCFRP製のリムだけではなく、貴重なビンテージ物の金属製リムの長寿化にも多少役立つかもしれません。
その他には間接的ではありますが、どうしてもクリンチャー型に拘るのであれば、タイヤのチューブレス化も有効かもしれません。
チューブレス化によってタイヤの内圧を下げる事が出来る為、仮にリムが摩擦熱で温度が上がる場合でも元の内圧が低く抑えられていれば、リムが破裂するまでの時間を多少稼ぐ事ができる筈です。
元々タイヤの中にチューブを入れなければ、知らずにポンコツTPU製チューブを間違って入れる事も無くなるかもしれません。(^_^;
あとはチューブレス化とほぼセットにならざるを得ないですが、リムのフックレス化も地味に有効な気もしてきました。
通常のフックド構造のリムはフックを設ける為にリム側壁の内側、フック直下の肉厚がどうしても薄くなりがちですが、フックレスであれば側壁の肉厚を均一化できる為、摩擦熱に因る脆弱化が起こる際にフックの溝からの応力集中でリムが破損するリスクを減らせるかもしれません。
ちょっと事例としてはズ��ていますが、金属製のリムが摩耗によって側壁の肉厚が減り、最後にタイヤの空気圧でリムがはじけてしまう時も丁度フック溝に沿って割れが進んで行きます。
実際、フック溝とブレーキ パッドが主にリムを研削するラインは表裏ほぼ同じ箇所で、裏側が薄くなっている部分を表側からゴリゴリ削り取って行く形になっているので、或る意味で「傷口に塩」的な状態になります。
また、リム側壁の肉厚を確保できるという事は熱の拡散にも多少、有利となる筈です。
ロード用のフックレスでもブレーキ トラックの追加指定が可能なリムが稀に有るので、リム ブレーキ用で希望される場合は断面寸法や各仕様がうまく適合するのであれば、ちょっと面白い選択肢となるかもしれません。(^-^)
マウンテン バイクのCFRPリムでは、ほぼフックレスしか存在していない為、実際にフックドの溝がどの程度の強度低下に繋がるか事例が得られませんが、リム ブレーキのロード バイクの場合、破損箇所のサンプル集めて数字に出来ると興味深い結果が得られそうです。
尤も、リム自体にタイヤの内圧ストレスがからないチューブラー型であれば、リム ブレーキの摩擦熱でもそんなに簡単にはリムが崩壊する事を心配しなくてもいいのかもしれませんが…。
ブレーキに因るリムへの摩擦熱や攻撃、侵蝕が発生しないディスク ブレーキの場合、これらのケアの必要が無い為、運用が楽なだけでなく、常に最新の技術が投入され続けている競技用途のマウンテン バイク用リムのアーキテクチュアがそのままロード バイク用のリムにも流用可能になり、より軽くて断面積の大きなリムの製品化に繋がり易くなります。
ただ、それでもこれまで大切にしてこられた自転車に乗る楽しみ自体が減ったり変わってしまう訳ではありません。
ブレーキを含めた操作システムの構造や素材の違いなど、サイクリングの本質とはまた別な側面で、そこに注力をしているのは乗り手としては職業競技選手と、あとは各パーツ メーカーくらいです。
実際にちょっと極端な例を挙げると、中にはブレーキ タッチの改善の為にゴキソなどの高価なリム ブレーキ用の完成車輪を「敢えてアルミ合金製リムへ」の交換を希望される事もあります。
そういった要望を持つサイクリストにとっての車輪に対する優先事項は、高速走行が前提のレースで有用となる大きな断面積による高いリム剛性や、流体力学的な優位性ではなく、ご自身の気持ちの良い速度で問題の無い範囲であるならば、過剰な高速走行の為の高性能化よりも普段の取り扱いのしやすさを優先されるケースも出でくるわけです。
この様に乗り手の数だけ楽しみ方に違いがあっても当然ですし、それぞれの乗り手にとって最適な条件を見付ける事も大切な事ではないでしょうか。
ホビー サイクリストにとって、現時点で実際に乗って楽しめているかどうかが重要なのであって、その楽しみを安全に最大化する事も作り手の大切な仕事だと考えています。
最後にもう一度、
「ぽんこつTPU製チューブには呉々もご用心を」
この度も長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。<(_"_)>
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和七年(2025年)2月10日(月曜日)弐
通巻第8645号
「中国のイーロン・マスク」が大學を創設へ
「製造大国からイノベーション主導の経済」へ人材を育成
*************************
大富豪という意味で、「農夫山泉」(中国ミネラルウォーターでワハハに次ぐ第二位)のCEOは「中国のイーロン・マスク」である。愛国心から私財を投じて社会に貢献する決意を固めた。水屋風情がなにをいうかなどと批判の向きもあるが、水がなければ人間は生きていけない。
中国の金持ちには四種あって、第一は海外へ財産ごと逃げるグループだ。
弐番目が政治活動に打って出て共産党に睨まれるか、投獄されるか会社を乗っ取られるタイプで、この分野にはアリババの馬雲や、リンゴ日報創設者の黎智英がいる。
三番目が、杜子春の二の舞、この世は一度だけだから、もうけたカネを散財し贅沢の限りを尽くす刹那主義、最後は破産か、不審死、あるいは無期懲役。遠投事件の主役はカナダで十一年を蔵下が強制送還され、郭文貴は米国で裁判、除明は監獄で急死。。。
そして四番目が社会のために貢献する真摯な姿勢を堅持しながらも共産党とは微妙な距離を保つ。ならばファーウェイやテンセントはどのタイプかと言えば、これらは事実上の「党営企業」である。
2025年1月22日、中国大富豪で「農夫山泉」の創立者でもある鍾睿睿が年次総会で野心的な演説を行った。
この講演で国際的ニュースとなったのは「金持ち大學」(銭塘大学)を創設し、向こう十年間で55億ドルの私財を投じるとしたことだ。大学教育へ新風を送り込む壮大なビジョンである。日本でも松下幸之助、稲盛和夫らが教育に熱心だった。社会還元と国家への貢献が、その任務であるあと認識していた。
鐘はインターネット プラットフォームによる安値合戦に深い不満を表明し、まっとうとは言えない販売戦術が製品の品質を損ない、経済成長を阻害していることを強調した。
低コスト競争から価値主導のイノベーションへの移行を求め、持続可能な開発は高品質の製品と堅実な技術進歩にかかっていると鐘は自信の経験からくる信念を吐露した。違う講演では、このような惨状を招いたのは共産党だと示唆したこともあるが、今度の講演ではそのことには言及していない。
いわれるま��もなく正論だが、中国でこのような正論を吐き、まともな経営哲学をかたる経営者はごく少数である。
▼安物販売は、製品基準を低下させ中国の長期的な経済安定と革新能力を危険にさらす
TEMUやSHEINなど最低価格による乱売は欧米で制裁対象という政治的波紋を呼び起こした。
そのうえ米国は郵便小包の検査を厳格にし、フェンタニルを取り締まるばかりか、800ドルを超える品物には20%の課税を検討して居る。
安物販売は、製品基準を低下させるだけでなく、中国の長期的な経済安定と革新能力を危険にさらすと主張した。破壊的な価格競争に従事するのではなく、より高い価値と品質に向かうよう主張し、企業に価格設定モデルを再考するよう警鐘を鳴らした。
短期的には中国ばかりか世界の消費者に利益をもたらすだろうけれど、長期的には有害な影響がある。
新設する銭塘大学は、伝統的な教育モデルから脱却し、基礎研究と技術革新に重点を置く予定という。鍾氏は学術的知識と実用化のギャップを埋め、画期的なアイデアが花開く環境を育むという決意を強調した。
基礎科学とハイエンドテクノロジーに重点を置き、中国の高等教育の状況を一変させる目標を掲げた。この大学を現代世界の進化する需要に対応できる一流の人材を育成する拠点にしたいと豊富を語る鐘の見通しによれば、AI を活用して伝統的な産業を強化すれ��中国は効率性と創造性の面で大きな進歩を達成できる。中国を技術革新における世界的リーダーとして位置づけることを目指すという。
この国家政策と新説する大學の目標は一致しており、製造大国からイノベーション主導型経済へと移行する原動力となる可能性を秘めていると構想を語った。あの中国に、あたらしいタイプの富豪が出現した。
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252.5/20の分
軽い作業とプレゼンコメントについてpt.2
気温差にやられてます。 頭像モデルが進められてなくてちょっとまずいです。なのに気づいたら以前制作した素体モデルのブラッシュアップをしていました。 あとはESを進めました。あまりがっつり作業できていないのでちゃんと休んだ分切り替えて明日以降取り組みます。
コメントで上げてくださった一昨年度の先輩の作品をまだあまり深く調べられていないので明日そこもリサーチできればと思います。
また、下でも述べていますが、昨日見つけたサイトなどで見つけたインテリアグッズや作品に対してどうカタチに落とし込んでいるか、事象とデザインに分解し、考え、一覧表のような形でまとめたいと思います。
プレゼンコメントについてpt.2
昨日は参考資料に対してまとめましたが今回はコメント全体に対して感想を書いていこうと思います。まとめ直した感じなので昨日と内容重複しているとこもあります。
何度も述べていますが、作品形式を決めていない状態で挑戦したいという気持ちから事象に着目し研究を行い、そこから作品形式を決めるという手順にしています。私自身今まで作品形式といったゴールを決めてから取り組むことがほとんどでした。しかし、私が興味を持った作品は偶然出てきたものや研究の中で発見したものをカタチにしたものが多く、一度そういった順番で作品制作をしたいと思い、今回このように挑戦しています。 それにあたり、三年ゼミ展での一番の反省でもあったように「自分にできるのはこういうものだろう」と無意識に創造の制限をかけてしまいその枠を出ないものしか作れないという問題があります。今回の制作��おいてもカタチは決めないと言いつつも「こんなものだろう」と無意識に制限をかけてしまっていたと思います。この対策として、様々な作品に触れることが大切だと参考資料を見て思いました。教授がおっしゃるように「現象の見せ方のデザイン」という先行事例の多くに触れ、自分の中の制限を取っ払う勢いで自分の中に吸収しなければいけません。既存製品や作品を「わぁすごい」で終わらせるのではなく興味を持ったモノの取り上げている事象、それをどう形にしたか、をまとめて行こうと思います。それと同時にテーマの「混ざる・変化する」のどこに魅力を感じどんな種類のものがあるのかを調べ自分と向き合う必要があります。この二つが5.6月の主軸になると思います。
①事象をカタチ・デザインにどう落とし込んでいるか、先行事例に触れ事象との向き合い方の幅広さを学ぶ&創造の制限(固定観念)を取っ払う。
②「混ざる・変化する」の要素を分解して考えどんなものがあるか、どこに興味を持っているか(主軸となる物)を考える。 ↑「どんな意味性が何を混ざるのか」の部分につながる。
広くを見ながらテーマについて自分と向き合って興味関心と向き合わなければいけないですね。
この②が決まれば「混ざる・変化する」の軸となる表現を見つけるヒントにつながると思います。(例:時間に着目する。〇と〇の混ざる形に着目する。など)
こんな感じです。もう一度視野を広げてリサーチしたいと思います。着目していた化学反応についても少しずつリサーチを進めますが、まずは上記の①,②を見つめるのが最優先事項になります。
蛇足 混ざるという点でガラスという素材に着目しても面白そうだなと今日ぼーっと思いました。 サンフランシスコの施設の件ですが、行くとしたら7月と考えていましたがパスポートを取るのに一か月近くかかるそうでもし行くならもう決断しないといけないタイミングでわぁ、、、となっています。どうしよう。
小さい頃は固定観念なんてしらねーって感じで個性的な髪型やら自由な服装やらでブイブイ行っていた小学生キッズだったのですが、最近はその片鱗が微塵もない…。成長して私の大切なアイデンティティの一部が欠落してしまったようで…あの時のような鋭さはどこに行ってしまったのでしょう。どこで落としてしまったんですかね…まだ拾えますか…。
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「他者」の起源──ノーベル賞作家のハーバード連続講演録
著者 トニ・モリスン(Toni Morrison)
解説 森本あんり(Morimoto Anri)
訳者 荒このみ(Ara Konomi)
集英社新書2019年7月22日第一刷発行
原著 THE ORIGIN OF OTHERS by Toni Morrison. Harvard UP. 2017.
帯宣伝文 「人はなぜ 「差別」 をやめられないのか」
日本語版読者に向けて 森本あんり(巻頭特別寄稿)
人は、差別主義者に生まれるのではなく、差別主義者になるのである。──トニ・モリスンのこの言葉を読んで、ボーヴォワールの「第二の性」を思い起こす人は少なくないだろう。人は、女に生まれるのではなく、女になるのだ。これを、身体的・生物学的な性(セック��)から社会的・文化的な性(ジェンダー)への発展、と言い換えてもよいかもしれない。
だが、この類比には並行的でないところもある。女に生まれることと女になることとの間にはかなり強い繋がりがあるが、生まれたばかりの子どもには、差別主義者になるような身体的・生物学的な根拠はどこにもない。白人や黒人に生まれることと、人種差別主義者になることとの間には、実は何の関連性もないのである。
とすると、人はいったいどこでどうやって人種差別主義者になってゆくのだろうか。それを問うたのが本書である。モリスンは、その問いに「他者化」というプロセスを示して答える。人がもって生まれた「種」としての自然な共感は、成長の過程でどこかに線を引かれて分化を始める。その線の向こう側に集められたのが「他者」で、その他者を合わせ鏡にして見えてくるものが「自己」である。このプロセスは、本書で取り上げられた作品が物語るように、明白な教化的意図をもって進められることもあれば、誰の意図ともつかぬしかたで狡猾に社会の制度や文化の秩序に組み込まれて進むこともある。
やっかいなことに、人がこのプロセスと無関係に社会生活を営むことは困難である。「他者化は怪しからぬことだからみんなでやめようではないか」と論じたところで、実際に何かが成し遂げられるわけではない。ある時代のある文化に生まれ育つ者は、まずはその文化の規範をみずからのうちに取り込むことで成長する。つまり、われわれはみな、人としての自我をもつ存在となった時点で、すでにその文化がもつ特定の常識や価値観の産物となっている。だから人が他者化の問題を意識するときには、かならず自分の常識や価値観の問い返しとなり、それまで自分が学んできたことの「学び捨て」(unlearning)にならざるを得ないのである。モリスンの作品がしばしば読者の心に鋭い問いを突きつけるように感じられるのは、このためである。
個人だけではない。他者化の力学は、国家や民族といった大きな集団にも同じように交錯して作用する。近現代の歴史はその典型例をいくつも示してきた。第二次世界大戦が終結すると、植民地であった地域から旧宗主国のプレゼンスが消え、次々に独立国家が誕生した。ところが、宗主国という共通の「他者」がいなくなると、今度は自分たちの内部に新たな「他者」が見えるようになる。インドでは、独立を求めて共に闘ってきたはずのヒンズー教徒とイスラム教徒がお互いを「他者」と認識するようになり、印パ戦争を経て1947年にはパキスタンが独立する。さらにパキスタン内部でも、言語や民族の違いから東西がお互いを「他者」と認識するようになり、1971年にはバングラデシュが独立する。
1991年にソビエト連邦が崩壊したときにも、同じことが起こった。ソ連の崩壊は、��邦下に置かれていた各国の独立や、共産主義という理念全体の失墜をもたらしたばかりではない。東西冷戦というわかりやすい対立構造のなかで彼らを見ていた自由主義世界もまた、共通の「他者」を見失った結果、みずからの内部に新たな「他者」を見いだして立ち竦むようになる。西側諸国が誇ってきたリベラルな民主主義は、共産主義という外部の敵がいなくなった途端に暴走を始め、ポピュリズムや不寛容な民族主義という内部からの脅威に侵食されるようになった。今日われわれが世界の各地で目にしている民主主義の機能不全は、すでにこのときからゆっくりと進行してきた病態の表面化にすぎない。
だが、ここでも問題は単純ではない。こうした分断や暴走による不安定化は、たしかに歓迎されざる結果であるかもしれないが、かといってそれ以前の植民地時代や冷戦時代がよかったかと言えば、そういうわけでもないだろう。「以前はみんな仲良く暮らしていたのに」という台詞は、しばしばその背後に抑圧され封殺された多くの声があったことを覆い隠して語られる。モリスンの語り口に同調させて言えば、それは南部の善良で心やさしい白人たちが公民権運動前の時代を想い出して懐かしげに語るときの台詞に近い。
このように、本書が照らし出す「他者化」の概念は、通りいっぺんの批評を許さない多義性を帯びている。他者化とは、他者をその総体において、つまり自分の認識能力を凌駕する何らかの名付けがたい他者であるままにその存在を承認する、ということではない。われわれはしばしば、他者の一部を切り取って自分の理解に囲い込み、それに餌を与えて飼い続ける。やがてそのイメージは手に負えないほど肥大化し、われわれを圧倒して脅かすようになる。
それでも、人は知ることを求める。知って相手を支配したいと願うからてある。それは、相手を処理されるべき受け身の対象物となし、かたや処理する側の自分を正統で普遍的な全能の動作主体として確立することである。この批判は、かつてエドワード・サイードが論じた「オリエンタリズム」批判にも重なってくる。西洋人が非西洋を解釈するときには、非西洋の本人も自覚していないらしいオリエント的な本質が特定され代弁される。まさにその表象行為によって、そういう認識をする西洋人こそが真の人間であり、対象である非西洋を管理し支配すべき正統性をもった存在であることが宣言され根拠づけられるのである。
それゆえ本書の主題となっているのは、単にアメリカ国内に限定された人権や差別のことではない。それは、西洋と東洋、白人と有色人、キリスト教と他宗教、権力をもつ者ともたざる者といった多くのパターンに繰り返しあらわれる人間に共通の認識様式である。この認識様式は、合理的な思考や明晰な意識にのぼらない領野で神話的な構造へと転化し、他のすべての神話がそうであるように、われわれの見方や考え方を背後から支配する力をもつ。
このような隠然たる神話的支配を意識の明るみへともたらしてくれるのが本書である。物語の名手モリスンは、この普遍的は認識様式のからくりをごく小さな個人的で特異な出発点から展開してゆく。彼女によると、「黒人」はアメリカだけに存在する。彼らは「アフリカ系アメリカ人」とも呼ばれるが、アフリカに住むアフリカ人は、それぞれガーナ人でありナイジェリア人でありケニア人である。唯一の例外は南アフリカ共和国に住む人だが、こうした事実からしても、「黒人」が科学的な概念ではなく文化的な概念であり、人種という価値軸の中で序列化された概念であることが理解できるだろう。アメリカにおける黒人と白人は、お互いが自己を定位するために相手を必要とするという意味で、ほとんど心理学的な「共依存」の関係にある。
アメリカの奴隷制度にはキリスト教も少なからず加担しているが、これもアメリカ史に固有のことである。聖書には、古代世界の通念として、ある人びとは自由人で、ある人びとは奴隷である、という事実が前提されている。だが、それはもっぱら戦争捕虜か債務によるもので、肌の色とは無関係である。というより、キリスト教は肌の色に関して本来まったく無関心である。聖書には、エチオピア出身の人びとも登場するし、そのなかには伝説の美女や高位の官僚もいるが、彼らの肌がどのような色であったかについては、いっさい記述がない。中東人であったイエスや弟子たちの肌の色にも何ら言及がない。
ところが、アメリカのキリスト教は肌の色と人間の価値の間に、きわめて特異な緊張関係を構築していった。18世紀以降の奴隷解放運動を担ったのは多くのキリスト教指導者たちであったが、彼らに反対する頑固な奴隷制擁護論者もまた教会の牧師たちであった。前者が頭を悩ませ、後者がしたり顔に論じたのは、聖書が「神の前での平等」を語るものの、社会的現実としての奴隷制そのものを断罪していない、という事実である。やがて19世紀のアメリカでは、長い巻き毛で白人のイエスを強調した聖画が複製頒布され、広く流通していった。20世紀後半に始まった「解放の神学」が黒人のイエス像を前面に押し出すようになったのも、こうしたカラーコードへの反動である。
モリスンは、いくつかの特徴的な文学作品から、そしてさらに強烈な彼女自身の体験から、他者化の際に作用する「ロマンス化」の実例を描き出している。アメリカ史によく知られたハリエット・ビーチャー・ストウの小説『アンクル・トムの小屋』(1852)もその一つである。この小説が当時の白人想定読者層にどのようなメッセージとして受け取られたのか。そこに、奴隷制度の野蛮で残酷な現実を覆い隠し、あたかも非人間的なことは何も起こっていない���のような安心感を与えるロマンス化の作用がある。
しかし同時に、読者はこの読み直しが他ならぬモリスンの語りによって薄暗がりの中から明るみへと引き出されてきた、ということに気づかされるであろう。他者の存在は、自分が「他者の他者」であるという立場の交換により、はじめて鮮明に意識される。われわれは、自分という存在の限定性から自由になることはできない。だが、文学の虚構を通して擬似的に他者の視線をもつことができ、その他者の視線を通して自分を見つめ直すことができる。本書は、アメリカの黒人という特異点を設定することにより、それぞれの読者に自分では開くことのできない窓を開けるはたらきをしてくれる。その窓を通して、読者は自分を取り巻く現実とは違う世界に目を向けることができるようになるのである。
モリスンは本書末尾で、「自分たちの故郷にいながら故郷にいるとは言えない人びと」についても語っている。おそらくそれは、肌の色の如何にかかわらず、アメリカ国内の各地で人びとが感じ始めていることだろう。ここにも、われわれの想像力を呼び覚ます別の声が響いている。トランプ大統領の登場は、自分の国で自分の土地に暮らしていながら、いつの間にか「よそ者」のように扱われていると感じる人びとがいかに多いかを明らかにした。グローバル化の見えざる圧力は、大都市で世界を股にかけて活躍する国際派のエリートたちよりも、小さな田舎町で穀物の値段を気にかけつつ生きるほかない人びとに重くのしかかるだろう。そのひとりひとりに、自分が本来帰属すべき場所があり、心に感じながら生きるべきディープ・ストーリーがあったはずである。
人は誰も、自分ひとりでは幸せになれない。どこかに属し、誰かと繋がっていなければ、自分の存在意義を確認することもできないのである。もしそういう居場所が現実世界で見つけられなければ、ネットという仮想空間にそれを求めることがあっても不思議ではない。他者化の力学は、そこにも作用することだろう。人はそこで、生暖かい温もりに包まれたり、凶暴な正義感に酔い痴れたりして、日常と祝祭の間を行き来する。
他者の眼差しは、ときに人を不安にさせ、居心地を悪くする。日本人はこれまで、自分から海外へ出かけて行かない限り、こうした視線を向けることも向けられることも少なかった。しかし今や、日本を訪れる外国からの旅行者は爆発的に増え、外国人の労働力なしには日常生活すら回らないほどになっている。毎日の買い物で釣り銭を受け取るとき、あるいは地方の鄙びた温泉にゆっくりと浸かる安らぎを破られたとき、われわれの他者認識と自己認識には、どのような他者化の作用がはたらくことだろうか。
ターネハシ・コーツによる序文
2016年春、トニ・モリスンは、「帰属の文学」についてハーヴァード大学で連続講演を行った。これまでになされてきた数々の非凡な仕事を思い起こせば、モリスンが人種という課題に目を向けたのも驚くにあたらない。その講演はまさに時���を得ていた。バラク・オバマ大統領は、二期目の最後の年を迎えていた。支持率は上向きだった。「ブラック・ライヴズ・マター(黒人の命も大事)」というスローガンを掲げた活動が盛んになり、黒人への「警察暴力」が全米的な話題として社会の前面に押し出されていた。これまでの「人種問題をちょっとかすめるだけの話題」とは違って、今回は結果を伴っており、効果も出ていた。オバマ政権時に、ふたりのアフリカン・アメリカン、司法長官エリック・ホルダー(在任2009〜15)とロレッタ・リンチ(在任2015〜17)は、全米の警察署の調査を開始させた。ファーガソン、シカゴ、ボルティモアでの騒乱が報告され、これまで長い間、瑣末な出来事として処理されていた、いわば組織的人種主義が現実のものであることを明らかにした。この積極的な問題解明の姿勢は、アメリカ合衆国の最初の女性大統領になるはずだった、ヒラリー・クリントンによって継続されていくものと期待されていた。じっさいトニ・モリスンが連続講演を始めたときには、政治家としてはライト級と見なされる、つまらぬ男に比べて、ヒラリーの好感度はきわめて高かった。これらのことはすべて、さまざまな歴史的規則に果敢に挑戦している国が、今、道徳の領域において長く伸びるアーチの、正義の先端へついに近づいているという動かしがたい証拠だった。
ところが、アーチの先端はさらに先へと伸びて行き遠ざかってしまった。
ドナルド・トランプが勝利すると、それに対する最初の反応は、アメリカの人種主義などたいしたことではないと矮小化することだった。零細企業の人びとが立ち上がり、2016年の大統領選挙は、ニューエコノミーに見捨てられた人びとが推進する、反ウォール・ストリートのポピュリスト的反乱であると決めつけられたのだった。クリントンは、「アイデンティティ政治」にこだわりすぎたために命運がつきてしまった、と批判された。
こういった議論は、しばしばかれら自身の破滅の種を産むことになる。ニューエコノミーに見捨てられやすい人びと──黒人やヒスパニックの労働者──がなぜトランプ陣営に入らなかったのか、その理由はまだ説明されていない。そのうえ、クリントンの「アイデンティティ政治」を批判する、まさにその人びとのなかに、「アイデンティティ政治」を利用するのにやぶさかではない者がいた。バーニー・サンダーズ上院議員は、クリントンの対立候補の筆頭だったが、あるときは自分のルーツが白人労働者階級にあると誇らしげに語り、またすぐその翌週には「アイデンティティ政治」を「乗り越えよう」と、民主党員に発破を掛けた。「アイデンティティ政治」とは、どうも等しく同じことを意味しておらず、かならずしも「生まれながらにして平等」を意味するのではないようである。
『「他者」の起源』(2017。The Origin of Others)──モリスンの新しい本は、ハーヴァード大学で行われた連続講演から生まれたが──ドナルド・トランプの台頭の背景とじかに関連しているのではない。だがモリスンの「帰属」の思考や、社会の保護下にだれが置かれ、だれが外されているのか、などを読み解くために、わたしたちは今日の状況を考慮しなければならないだろう。『「他者」の起源』は、アメリカの歴史を精査し、アメリカ史上最古の、しかももっとも影響力のある「アイデンティティ政治」について語っている──すなわち人種主義という「アイデンティティ政治」である。本書は、「よそ者(外国人)」の創出、「壁」の建設、文学理論・歴史・回想録について書かれているのだが、すべてはいかにして、いかなる理由によって、わたしたちはこれらの種々の「壁」を肌の色と結びつけてしまったのか、それを理解するためである。
本書は、20世紀の、消しがたい白人至上主義の本質に巧みに迫った一群の研究書と軌を一にしている。モリスンが同志と見なすのは、スヴェン・ベッカート(ハーヴァード大学教授。歴史学者。『コットン帝国──グ��ーバル・ヒストリー』(2014)でバンクロフト賞を受賞)やエドワード・バプティスト(コーネル大学教授。歴史学者。『語られない半分──奴隷制度とアメリカ資本主義の生成』(2014))などで、かれらは白人至上主義の暴力的な性質や、そこから生み出される資本主義的利益の実態を暴露した。ジェイムズ・マクファーソン(プリンストン大学名誉教授。歴史学者。『自由への叫び──南北戦争の時代』(1988)でピューリッツア賞を受賞)やエリック・フォーナー(コロンビア大学名誉教授。歴史学者。『業火の試練──エイブラハム・リンカンとアメリカ奴隷制』(2010)でピュリッツア賞・バンクロフト賞などを受賞)は、人種主義が南北戦争勃発の契機を育み、その後、いかに再建の国家的努力をむしばんだかを明らかにした。ベリル・サッター(ラトガース大学教授。歴史学者。『家族の所有地──人種・不動産・都市の黒人搾取』(2009))やアイラ・カッツネルスン(コロンビア大学教授。政治学および歴史学者。『恐怖──ニューディールとわれわれの時代の源』(2013)でバンクロフト賞を受賞)は、人種主義がニューディール政策を腐敗させたことを解明する。カリル・ギブラン・ムハマド(ハーヴァード大学教授。歴史学者。『ブラックネスの糾弾──人種・犯罪・今日のアメリカの都会の創生』(2011))やブルース・ウエスターン(コロンビア大学教授。社会学者。『アメリカの刑罰と不平等』(2006))は、人種主義がわたしたちの時代において大量投獄への道を開いたことを明らかにした。
その中でもモリスンの仕事にもっとも近いのは、『レイスクラフト(人種狩り)』(2012)だろう。この本はバーバラ・フィールズ(コロンビア大学教授。歴史学者。『レイスクラフト(人種狩り)』(2012)の共著者)とキャレン・フィールズ(歴史研究者。『レイスクラフト(人種狩り)』(2012)の共著者)の共著で、アメリカ人は、能動的に作用する「人種主義(レイシズム)」の罪を、本来そのような作用を起こさないはずの「人種(レイス)」という言葉にすり替え、消し去ろうとしてきたという。一般にわたしたちが「人種主義」に対して「人種」と言うとき、「人種」とは自然界の特質を指し、「人種主義」はその当然の結果であると認識している。だがそれはまった��逆である。すなわち「人種主義」が「人種」という概念より先にあり、「人種」を証明しようと研究を積み重ねているのである。それにもかかわらず、アメリカ人は、いまだに論点を正確に把握していない。そのためわたしたちは、「人種差別」「人種的溝」「人種の分離」「人種的プロファイリング」「人種的多様性」といった言葉を平気で口にする──あたかもこれらの考えが、わたしたちが作り出したものではなく、別のところに根拠があるかのように。このことが及ぼす影響は些細なものとはとても言えない。「人種」が遺伝子とか神々、あるいは両者による作用の結果というなら、この問題を根本から打ち壊してこなかったとしてもしかたがない。
モリスンの問いは、「人種」と遺伝子の接点はわずかしかない、といういささか説得力に欠ける考えから始まっている。そこからモリスンは、何の根拠もないと思われる浅はかな考えが、なぜ何百万人もの心をつかんでしまったのか、わたしたちにヒントを与えてくれる。非人間的行為を通して、自分の人間性(ヒューマニティ)を確認したいという欲求が鍵だ、とモリスンは論じている。そこでジャマイカの大農園主トマス・シスルウッド(1721〜86)の記述を取り上げる。シスルウッドは、まるで羊毛刈りを記録する気やすさで、奴隷女たちを相手にした連続レイプの記録を日記に残している。性行動の合間に、農業・雑務・客の訪問・病気などについて記している、モリスンはぞっとしながら述べている。レイプに対してこんなにも無感覚になれるとは、シスルウッドの心の中でいったいどのような心理作用が起きていたのか。「他者化」の心理作用──奴隷王と奴隷との間には、自然で、ある種の神性を帯びた線引きが存在するのだと、自分自身を納得させること。さらにモリスンは奴隷のメアリ・プリンスが女主人からひどく叩かれたことを分析して、以下のように述べている。
奴隷が「異なる種」であることは、奴隷所有者が自分は正常だと確認するためにどうしても必要だった。人間に属する者と絶対的に「非・人間」である者とを区別せねばならぬ、という緊急の要請があまりにも強く、そのため権利を剝奪された者にではなく、かれらを創り出した者へ注意は向けられ、そこに光が当てられる。たとえ奴隷たちが大げさに語っていると仮定しても、奴隷所有者の感覚は奇怪きわまりない。まるで、「俺はけだものじゃないぞ! 俺はけだものじゃないぞ! 無力なやつらをいじめるのは、俺さまが弱くないってことを証明するためさ」と吠えているようだ。
「よそ者」に共感するのが危険なのは、それによって自分自身が「よそ者」になりうるからである。自分の「人種化」した位置を失うことは、神聖で価値ある差異を失うことを意味する。
モリスンは、奴隷を創り出す者と創り出された奴隷とについて語っているのだが、その社会的位置に関する指摘は今日でも正しいだろう。とくに過去数年間ずっと、アメリカの警官が黒人を比較的軽い条例違���で、あるいはまったく違反していないというのに、殴ったり、テーザー銃(スタンガン)を発射したり、首を絞めたり、銃殺している映像が次々と流されてきた。そのためアフリカン・アメリカンのみならず、多くのアメリカ人が恐怖に陥っている。にもかかわらず、このような行為を正当化する言説がはびこっている。警官のダーレン・ウィルソンがマイケル・ブラウン(1996〜2014)を射殺したとき(2014)、「銃弾の雨あられの中を大きな塊が走り抜けた」ようだったと報道記者に語っている。まるでブラウンが人間とはかけ離れた大きな生き物に見えたようだが、じっさい人間以下と見なしているのだ。遺体を真夏の焼けつくアスファルトの路上に放置したことがその証拠で、人間以下の扱いが強く印象づけられた。ブラウンを怪物のように描いて殺人を正当化したウィルソンは、──司法省の報告によれば──まさにギャングと大差ないような警察官たちの職権濫用もまた許し、自分たちは非の打ち所のない人間だと主張させているのである。
人種差別主義者の対象を非人間化する行為は、象徴の領域の話ではない──現実上の権力の領域に及んでいる。歴史学者のネル・ペインター(プリンストン大学名誉教授。歴史学者。『白人の歴史』(2010))は、「人種とは考えかたであり事実ではない」と主張している。アメリカにおける人種に関する考えかたのもとでは、肌の色が白い場合は、マイケル・ブラウンやウォルター・スコット(1965〜2015)、エリック・ガーナー(1970〜2014)のように警察暴力による死を遂げる確率の低いことは明白である。しかもこのような死は、「他者」として生きるということの意味、偉大な「帰属」の枠外にいることの意味を示す最適の例である。いわゆる「経済不安」がドナルド・トランプ陣営へ投票社を引き寄せたと言われるが、かれらは大多数の黒人から見れば、明らかにより豊かな人々であった。共和党の予備選挙で、トランプに票を入れた者の世帯収入の平均値は、アメリカの平均的黒人世帯収入の約二倍だった。現在、多くは白人の(とはいえ全員ではない)間に見られる、合成麻薬の流行への危機感は、1980年代のコカイン危機に見られた非難の嵐とは違っている。特定の白人男性の死亡率には敏感に反応する今日の関心のありかたは、この国でこれまでずっと黒人の生命を脅かしてきた、黒人の高い死亡率の原因からは目を背ける、あの冷淡さと様相を異にしている。
人種主義は問題である(レイシズム・マターズ)。この国で他者でいることには重大な結果が伴う。──悲しいことにこれからその先も解決策は見つからず、問題でありつづけるだろう。人間社会は、素朴な利他主義のために、これまで持っていた特権を簡単にあきらめたりはしない。かくして白さを信奉する者がその信仰を捨てる社会は、これまでの特権が入手困難なぜいたく品になった社会しかない。アメリカの歴史上、そのような瞬間を何度も見てきた。長引いた南北戦争の結果、黒人もそれなりの人生をまっとうするにふさわしいと、白人は結論づけるにいたった。ソ連との冷戦は、黒人差別法であるいわゆる「ジム・クロウ法」が支配する南部を世界中の物笑いの種にし、敵側諸国に格好の宣伝工作の材料を与えてしまった。ジョージ・W・ブッシュ政権では、二度にわたる泥沼戦争(2001年のアフガニスタンおよび2003年のイラク攻撃を指す)、経済の急降下、ハリケーン・カトリーナ(2005年にアメリカ南部を襲ったアメリカ観測史上最大級の超大型ハリケーン)における連邦政府の組織的初動ミスが、アメリカ初の黒人大統領誕生の道を拓いた。このような出来事が起きるたびに、アメリカは歴史上の慣例を打ち破ったぞ、というひとかけらの希望が湧いたものだ。ところがそのたびに、希望は最終的には泡となって消えてしまう。
わたしたちが、なぜふたたびこのような状態にいるのかを理解するために、アメリカが生んだ最高の作家・思想家であるトニ・モリスンがいることは、なんと幸運であるか。モリスンの仕事は歴史にその根があり、ひどくグロテスクな歴史的事象からも美しさを引き出してくる。その美は幻想ではない。歴史がわたしたちを支配していると考える人びとのひとりに、モリスンが数えられているのも驚くにあたらない。『「他者」の起源』は、この理解を詳細に説いている。過去の呪縛からただちに解放される道が提示されなくとも、その呪縛がどうして起きたのかを把握するための、ありがたい手引きになっている。
✲ ターネハシ・コーツは1975年ボルティモア生まれ。作家・ジャーナリスト・漫画家。アトランティック、ヴィレッジ・ヴォイス、ニューヨーカーなどに寄稿。2015年、『世界と僕のあいだに(Between the World and Me)』で全米図書賞受賞。アフリカン・アメリカンについて、また白人優先主義に関する記事でよく知られる。2015年、「天才」に与えられるマッカーサー財団の助成金を授与される。父親は、ヴェトナム帰還兵で、小さな出版社を営む。
著者 トニ・モリスン(Toni Morrison)
1931年、米国オハイオ州生まれ。コーネル大学大学院で英文学修士号取得後、ランダムハウスで編集者として活躍しながら、70年に『青い眼がほしい』で作家デビュー。77年の『ソロモンの歌』で全米批評家協会賞、アメリカ芸術院賞、87年の『ビラヴド』でピューリッツァー賞受賞。89年から2006年までプリンストン大学の教授を務め、93年にはアフリカ系アフリカ人として初めてノーベル文学賞を授与される。他の代表作に『スーラ』『ジャズ』『パラダイス』『白さと想像力』など。
解説 森本あんり(Morimoto Anri)
1956年、神奈川県生まれ。国際基督教大学(ICU)教授・学務副学長。著書に『反知性主義』『異端の時代』など多数。
訳者 荒このみ(Ara Konomi)
1946年、埼玉県生まれ。米文学者。東京外国語大学名誉教授。
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YさんのAV男優スカウトとOさんのデマ事件
前の会社で起きた変なエピソードをご紹介したいと思います。
就職して間もない新人の頃、私が担当していた地域は、現在担当している中東・北アフリカなどのアラブ圏ではなく、インド・パキスタンが昔から領有権を巡って紛争の火種になっているインド北部のカシミール地方だった。 私はインドへはカシミール地方(主にスリナガルか、ラダック)しか行ったことがないのだが、カシミール地方は、俗に言うインドの有名観光地(デリー、カルカッタ、バラナシ、アグラ、ブッダガヤなど)とは全く異なる雰囲気らしく、インドがイギリス領だった頃のイギリス貴族の別邸があったり、当時、避暑地としての高級リゾート地だった名残を残している。
雪を抱いたヒマラヤの山々と湖が織りなし、三角屋根の可愛らしい家々や、湖に浮かぶボートハウスなどが、雄大な大自然に恵まれたカシミール地方の美しさを引き立てており、治安さえ安定すれば、ここは素晴らしい観光地になるだろうと、訪れる度に思っていた。
カシミール地方を担当していた頃、一緒に取材に行く映像部門のカメラマンに40代半ばのYさんという中間管理職の男性だった。
どちらかと言えば、この会社では、何故か容姿や体格にやたらと恵まれた男性が多い(特に営業部)中、Yさんに至っては、ごく普通の風貌だった。 身長も恐らく、175cmぐらい(当時の40代半ばの175cmだと世間一般では、高いのかもしれないが、大学&大学院で所属していた研究室と、前の職場の男性は異様に背が高い人が多く、仲良くしている男性社員は全員180㎝台後半だったし、私の親兄弟&親戚&夫&夫の親戚も皆異様に背が高く、明治生まれの祖父でさえ、185cmという背の高い家系なので、男性で175cmだと低いと思ってしまう💦)の瘦せ型で、特にイケメンという訳でもなく、ごくごく普通のオジサンという印象だった。
重い機材を持ち運ぶカメラマンらしく、Yさんの浅黒く日焼けした身体は引き締まっており、白髪も無いフサフサとした黒髪は豊かで、弛みの無いシャープな顎は実年齢よりもYさんを10歳ぐらい若く見せており…と誉め言葉を連ねたいのだが、中年男性特有の(?)顔のテカりを営業部の次長のOさん(ハリウッドスターのロバート・レッドフォードさん似の高身長痩身の男前で、海外ハイブランドのスーツを格好良く着こなし、営業成績も良く、見た目だけは、モデルや俳優のような完璧な容姿。だが、性格と言動はかなり問題アリな人)にからかわれ、Oさんからは『てっかりん』と呼ばれていた。
Yさんは、奥様と二人の娘さんがいる、ごく普通の妻子持ちのサラリーマンである。 ちなみに、娘さん二人は、Yさんには全く似ておらず、奥様に似た美人姉妹で日本最高峰の国立大学に公立高校から予備校にも通わずに、通信教育だけで現役で合格した超秀才の、非の打ち所がない才色兼備の美人姉妹である。
だから、心無いOさんは、『Yさんの娘さんは二人共、奥様と間男との不義の子だ』なんて酷い噂を流していた。だが、Yさんはおおらかで、寛大な方だったので、Oさんの悪意も笑って受け流してしている、非常によくできた人間だった(多分、私がYさんだったら、そんな噂を流されたものなら、OさんやOさんの上司のTさんにブチ切れたあげく、人事部の部長に報告し、名誉毀損で損害賠償を請求すると思う)。
そんな、お人好しのYさんが、ある休日に、彼の趣味であるパラグライダーの用品を買おうと渋谷を歩いていたら、スカウトされたらしい。 何にスカウトされたかというと、なんとAV男優へのスカウトだったらしい。 Yさんは、その場で断ったらしいが、1出演あたり、50万円のギャラを支払うから、どうか、撮影現場だけでも来て欲しいとスカウトしてきた人に懇願されたらしいが、YさんはAVなんかには絶対出演したくなかったし、そもそも自分はカメラマンで、撮影する側であり、撮影される側ではないと、断ったらしい。スカウトの人は残念そうに、名刺だけYさんに渡して、気が変ったら、是非連絡をくださいと言い残して、残念そうに去っていったらしい。
Yさんは、帰宅してから奥様に渋谷でAV男優にスカウトされた事を話したらしい。 すると奥様は「よかったじゃない。AV男優にスカウトされるなんて、あなたは、40代だけれど、まだまだ男性として魅力があるってことよ。でも、まあ普通、AVの出演は断るわよね」と言ったそうだ。
すっかり気を良くしたYさんは、次の出社日にスカウトされたときにもらったAV制作会社の名刺を持って、意気揚々として、『渋谷を歩いていたら、一回あたりの出演ギャラ50万円のAV男優にスカウトされた』と誇らしげに語っていた。 YさんがAV男優にスカウトされた話は、お喋りや噂好きのOさんの耳にも届き、会社中どころか、関連会社、子会社の社員までが知る事となってしまった。
YさんのAV男優スカウトの話題が社内で落ち着いた頃、私はセミナーで自分と同じくカシミール地方の紛争取材を担当している同業種の他社で働いている知人記者とバッタリ会った。 その知人記者とお昼休憩で、一緒にランチをしていると、こんな会話になってしまった。
「みずほさんの会社にYさんっていうカメラマンの方がいらっしゃいますよね?」 「ええ、いますよ。私とペアを組んでいるカシミール担当のカメラマンです」 「あのYさんって凄いですよね~。カリスマAV男優の●●さんと共同出演してゲイAV界で華々しくデビューして初版のDVD発売数は500万部って聞きましたよ~」
私は思わず、飲んでいたお茶を吹き出しそうになった。 なぜ、そんな噂が流れているのか?! カリスマAV男優の●●さんは、確かにカリスマAV男優だけれども、ゲイAVに出演するなんて聞いたこと無いぞ?しかも、その相手がYさんだなんて、一体何処からそんな情報が出たの?? 私は心の中で何度も疑問を反芻していた。
「…!!!えっ?それ、完全にデマですよ?Yは確かに、AV男優にスカウトされましたけど、スカウトされたその場でAVの出演を断りましたけど?しかも、ゲイAV男優じゃなくて、普通のAV男優として、スカウトされただけですけど?」 「えっ?だって、御社の営業部のOさんが、ウチの△△部長にそう言ってましたよ」 「いえいえ、その話は、真実に尾鰭が付いたデマです。YはAV男優にスカウトされただけですし、その場で断ってますし。真実と異なるいい加減な情報をOが流してしまい、本当に申し訳ございません。どうか、△△部長殿にも、デマだとお伝えいただけますか?」 「Yさんと一緒に仕事をされているみずほさんが、そう仰るなのなら、それが事実なんですね、分かりました、伝えておきます。」
このとき、私は口から心臓が飛び出るかと思うほどビックリしたし、顔から火が出るほど恥ずかしかった。 なぜ、Oさんは、いつもいつも真実ではなく、余計な尾鰭、背鰭、胸鰭、尻鰭まで付けてデマを流すのか。 しかし、よくこんなぶっ飛んだデマを思い付くモノだなってOさんの発想力に感服すると共に、冷静になればなる程、Oさんに対する不信感が募ってきた。 百歩千歩譲って社内や関連会社の人間だけならまだよしとしても(本当は全然よくないが)、全く違う会社の人に、こんなデマを伝えるなんて、この業態に身を置く人間として許されないのではないか?という怒りがこみ上げ、午後からのセミナーは殆ど身に入らならかった。
その日は直帰していい事になっていたが、私はセミナーが終わるなり、会社へと急いだ。 自分の部署の扉を開けるなり、私は大声で
「Mさん!!Oさんのせいで、大変な事になりかけてましたよ!!」
と叫んだ。 てっきり、私が直帰するとばかり思っていた上司で部門長のMさんは私が物凄い剣幕でまくし立てたので、ビックリして飛び上がりそうになっていた。
Mさんは、取り合えず、私に落ち着く様にと言い、何が起こったのか順を追って説明してくれと言った。 私は知人記者から聞いた「YさんAV男優スカウト事件」について、Oさんがトンデモナイ尾鰭、背鰭、胸鰭、尻鰭まで付けて、社外の人に真実と異なる事を喋っていた事を伝えた。 そして、これは職務上、聞き洩らしや言い間違いなどの齟齬を防ぐための、私のいつもの習慣なのだが、ボイスレコーダーを再生し、知人記者との会話をMさんに聞かせてみせた。
Mさんは、Oさんが盛った話があまりにコミカルでぶっ飛んでいたので、最初はお腹を押さえて大笑いしていたが、一通り笑った後、「イカン、イカン、笑い事じゃなかったな。営業部と人事部に報告に行こう」と言い、私を同行させた。
この業界は色々な人間や組織を相手に取材を行い、取材から得た情報を提供する事が仕事である。 だから、提供する情報は真実と異なる物であっては絶対にならない。 勿論、知っている情報から憶測でモノを言うこともご法度である。 これは、新入社員の時に厳しく言い聞かされた事であり、私のように執筆に携わる者だけでなく、間接部門や管理部門でも周知徹底している当然の鉄則である。 ましてや、社外の人との交流が多い、営業部の、部門長のTさんの次に偉い人間であるOさんがデマを話すなんて言語道断である。
幸い、Oさんが話した内容は、相手方企業の方があまり興味を持たなかったので、事無きで済んだ。 しかし、Oさんが盛った話の中で、Yさんの相手役になっていた●●さんというAV男優は、AV界では、カリスマAV男優として名を馳せている(特定の分野に限ってではあるが、ある意味)著名人である。 もしも、Oさんがデマを話した相手方企業が、Oさんの話に興味を抱き、カリスマAV男優の●●さんへ取材を申し込んでいたりしたら、当社は信頼を失墜する恐れすらあったのだ。
この事は人事部長の逆鱗に触れ、Oさんは1週間の出勤停止処分となり、Oさんの上司のTさんも部下の監督不行き届きで厳重注意処分となった。
人事部長と営業部の部門長のTさんには、よく炎や火事になる前に煙の状態で火消ししてくれたと感謝されたが、当然ながら、Oさんには恨まれた。私はこのAV男優スカウト事件以来、Oさんにしょっちゅう落とし穴を掘られたり、地雷や罠を仕掛けられるようになり、Oさんとの長い戦いの始まりであった。
だが、滅茶苦茶酷い噂を流されても、「まぁまぁ、Oさんは面白い話をしたかっただけだと思うし、よくそこまでぶっ飛んだ噂に飛躍できるなって、ある意味Oさんも盛った話は笑いのネタとしてはもってこいだから、僕は気にしてないよ」と、笑いながらOさんを許したYさんは、本当に寛大な人間だと思う。 私もYさんの寛大さとおおらかさを見習わなければならないと思った瞬間だった。
残念ながら、私は2年後にカシミール地方の担当を外れ、アラブ圏(主に中東・北アフリカ)担当になったので、Yさんと一緒に仕事をしたのは2年間だけだった。
中東・北アフリカ担当になり、カシミール担当時代よりも、遥かに過酷な現実や心が折れそうになる悲惨な世界や事柄を沢山目の当たりに��た。だが、挫けそうになる度に、私はYさんの事を思い出した。 まだ、右も左も分からない新人の頃に、Yさんからは、この業界に身を置く者としてのイロハを沢山教えて頂いた。
Yさんから教えて頂いた沢山の事は、今でも私の心の支えである。
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いまの世の中の風潮的にこういう言い方をすると色々と問題になってしまうのかもしれないけれど、僕は昔から女性が苦手で、いや、苦手というか怖い存在と言った方が良いかな。フェミニズム云々とかではなく、対峙したときに生き物として畏怖の念を抱いているというか、純粋にかなわないと思ってしまう。これは男女という性別には関係のない話やけど、人って打算的やし残酷でしょう。たまたま僕はこれまでの人生でそういう女性と多く出会ってきたから、ある種のトラウマになっているのかもしれない。文筆家OBATA LEOはそんな僕が素直に話ができる数少ない女性のひとりで、彼女が自主制作しているZINEを読んだとき、年齢や性別に関係なく、この人とはもっと話がしたいと思った。だから今回のインタビューで彼女の素顔に少しでも迫っていけたら嬉しいし、それによって僕自身がトラウマを克服できたら最高!

〔土井〕 そんな訳でLEOちゃん、今日はよろしくお願いします。あなたの素顔に迫りたいということで、いきなりで申し訳ないんやけど、LEOちゃんはメイクは念入りにする?それともスッピンでも平気な人?
{LEO〕畏怖の念というの、当たり前かもしれませんが自分はあまりピンとこず、それはさておき、話したいというのはとても嬉しいお言葉です。土井さんに対する自分の思いは話し出すと長くなるのでここでは割愛しますね(笑)。インタビューの最初の質問って、文章の書き出しと同じでその後の流れを決める置き石のようなものですが、無駄のない場所に置きはったなという感想です(笑)。メイク、友達や知り合いや初対面の人と会う日、休みを満喫するぞって日は絶対めっちゃします。でも誰とも会う予定ない日は日焼け止めすらせず出かけてますね……。本にも書いたんですけど、メイクって自分にとっては、したくてやってると言い切れるわけでもなければ、したくないのに嫌々やってるとも言い切れるわけでもない、微妙な行為で。川上未映子の『乳と卵』という作品で、豊胸手術について、「それは社会に思い込まされてるんや」という意見と「自分がしたいからするんや」という意見が対立して決着がつかない、という場面があります。自分もフェミニズムというものを知ったとき、そういうジレンマに陥って、なんなら「社会に思い込まされてることを全て取り除いて真の欲望を見つけたいと思う」みたいな文章まで書いたんですけど、今となってはそんなことは不可能やしあまり意味もないのかもと思ってます。
〔土井〕うーむ、良いね、出だしからヒリヒリとした緊張感があるわ、前回の小野ちん(moanyusky)のときとはえらい違いや(笑)。そう、でもやっぱりメイクって自分のなかでは割と重要で、メイクは女性だけに限った話ではないとはいえ、やっぱり男性でメイクをする人はまだまだ少数やし、僕らおっさん連中のほとんどがむき出しの顔面を晒して生活してしているのに対して、女性の多くはメイクで日々、自分の顔を変化させることができる。メスで皮膚を傷つけることなく、その日の気分で変身できるというのは、なかなかにショッキングなことで。『乳と卵』は僕も大好きやし、未だに川上未映子の最高傑作やと思ってる。あそこで描かれる能動的か受動的かという問題、実はタラウマラのご近所さんで実際に豊胸手術をした主婦の方がいて、その人は旦那が胸が大きい方が好きなんだろうと思って実際にやってみたら実は旦那の好みはそうではなかったと知って、めちゃくちゃ後悔してはった。旦那を喜ばせたいという自発的な想いが発端とはいうものの、その背後には無意識に旦那の好みに寄せていくという受け身な態度が窺い知れる。しかもそれが思い込みやったとなれば更に話がややこしくなる。ほんま人間はどこまで能動的に振る舞えるんやろうね、甚だ疑問やわ。そう言えば『乳と卵』のなかに巻子と緑子という親子が互いに自分の頭で玉子を割ってドロドロになる描写があったやん。あれって卵子を破棄したいという願望の現れやと思うねんけど、LEOちゃんの最新作『目下茫洋』のなかにも子宮を爆弾に例えて「それを運び続けることが、すなわち生きることになっている」という強烈な表現があってゲロ吐きそうになってん(賛辞)けど、それ以外の箇所も含めてあきらかに前作『ROLLER SKATE PARK』とは異質の内容になってると思う。前作から今作に至るまでの期間に何か心境の変化のようなものがあったの?
〔LEO〕なるほど!!いわれてみればストレートな比喩やのに、卵の場面でその解釈を思いつきませんでした……!殻が割れるというのが、二人の心の殻が割れるってことを暗示してるんかなぁと思ってました。あとはその卵を体にぶつけて割るという非日常的である意味馬鹿らしい行為を共有することで、関係も変わったんかなぁとか。そもそも、あの話でもなんで巻子が豊胸手術をしたいかっていうのは謎なんですよね。他の人とその話をする機会があったときに聞いた意見で妙に納得したのは、豊胸手術をすれば全てが上手くいくという願いみたいなものがあったんじゃないかというので、それは実際の土井さんのご近所さんの話を聞いて、改めて重ね合わせてしまいした。旦那さんを喜ばせるためには、豊胸手術をする以外の形もあったはずやのに、それが選ばれたという事実について、考え込んでしまいます。ZINEの内容としては、『目下茫洋』の原稿を書き始めたのは、『ROLLER SKATE PARK』と同じタイミングで2022年の9月です。でも最後の最後まで完成しきらず、また最初に出��作品で「女性の書き手」というイメージをつけたくなかったので、別の機会に回すことにしました。一年経って、やっと踏ん切りがついたので、今回出したというような感じです。なので、心境の変化は特にないですね。それどころか、2022年の9月に書きはじめるときにも、2020年とかもっと前に書いた別の原稿を原型にしたので、むしろ『ROLLER SKATE PARK』の方が異質な内容といえるのかもしれません(笑)。

〔土井〕そうなんや!あの2冊は同時期に書かれ���ものなんや!それはびっくり!あれをがっちゃんこして1冊にしないところがニクいね(笑)。でも「女性の書き手というイメージをつけたくない」という気持ちはわかる気がする。社会そのものが「女性」というイメージを操作する機械やとしたら「女性」の書き手にとってはこのことほど煩わしくて鬱陶しいものはないよね。機械についてはドゥルーズの言葉を引くしかないけど「一方の機械は流れを発する機械であるが、他方の機械は、この発せられた流れを切断する機械である。乳房は母乳を生産する機械であり、口はこの機械に連結されている機械である」っていう、何回読んでもきちんと理解できないドゥルーズなりの概念があって、さっきの能動的か受動的かという話に戻るけど、要するに手を取り合ったかと思えば手を離すということをひたすらに繰り返すってことやんな(違ってたらすみません!)。『ROLLER SKATE PARK』が流れを発する機械やとしたら『目下茫洋』は、この発せられた流れを切断する機械やという感じかな。でもあれは確かにぶった斬りにきてるよね(笑)。そもそもLEOちゃんが「能動的」に文章を書きはじめた、あるいはそれをzineにしようと思ったきっかけは何なの?
〔LEO〕機械の例えはほんまにそうですね……。操作できないレッテルを貼られた箱のなかに勝手に分類されるときの無力さは筆舌に尽くし難いものがありますね。ドゥルーズのその文、帰り道で何回も考えてみたけど難しい(笑)。能動と受動に関しては、自分も全然答え出てないです。「能動的に」文章を書きはじめたきっかけやZINEにしようと思ったきっかけもいまいちはっきりとはしてなくて。文章は小学2年生くらいに挿絵つきの物語を書きはじめて、3年生くらいのときに大学ノート一冊分くらいの勧善懲悪的な物語を書いてたのは憶えてます。子供向けの賞にも応募したことあったような。中学生のときは音楽の感想を書くブログに熱中してて、高校生のときは今もたまに更新してるはてなブログで書いたり、掌編を書きかけては筆を投げたりしてました(笑)。大学に入ってからも、気づいたらtumblerやGoogleドキュメントやノートに文章を書いてて、なんか書こうと思って書くよりは気づいたら書いてる(書かないとやってられない)って感じで、それこそわりと受動的な部分や習慣の部分が多いと思います。ZINEは大学に入る前から出してみたいと思ってたんですが、なかなかまとまった文章を書けずにいて、最後のひと押しをしてくださったのは他ならぬ土井さんです!
〔土井〕え、ほんまに!なんにせよLEOちゃんの文章が世に出るきっかけになれたんやったら、素直に嬉しいわ。それにしても小学校低学年から物語を書いてたというのはすごいな。僕は二十歳のときが最初で、司馬遼太郎の『燃えよ剣』をまんまギャングの抗争に置き換えた内容で(笑)。いま思い返してみてもほんまに恥ずかしい!でもその恥ずかしさの先にしかいまの自分の作品はなかったなぁとは思う。そういう意味でも勧善懲悪の物語を経た、いまのLEOちゃんが書いた小説を読んでみたいな。エッセイや日記はもちろん素晴らしいけど、僕はやっぱり根本的に「嘘」が好きやから、あなたの「嘘」つまり小説が読んでみたい。そう言えばLEOちゃんとはじめて会ったときに別役実の『ベケットといじめ』という本をオススメしてくれたやん。後に僕がイジメ体験者であることを知って、めっちゃ気にしてくれてて、ええ子やなって思ってん(笑)。あの本のなかで中野富士見中学で起きた「葬式ごっこ事件」を題材に、自殺した被害者も含めてあそこに関わった全員が何らかの役割を演じていたという指摘があったけど、いまでいう同調圧力、それかやっぱりドゥルーズの機械云々がふたたび頭をよぎる。まさにLEOちゃんの言う「箱のなかに勝手に分類される」感じで、そういうのは決して珍しいことじゃない。むしろいまを生きる者みんなが何かしらの役柄を演じてると言えなくもないし、ちょっとゾッとするよね。そう言えばLEOちゃんは『ベケットといじめ』の解説を書いていた宮沢章夫さんの演劇に役者として関わったことがあるんやろ?そのときのこと詳しく教えてほしいな。
〔LEO〕いや〜話したことに対してこんな熱量で返してもらえるのに「インタビュー」って、改めてすごいです(笑)。初めに書いたのがギャングの抗争やったんや、面白い!「その恥ずかしさの先にしかいまの自分の作品はない」ってほんまに間違いないですね。まぁ自分はまだ青二才なので、今も恥を塗り重ねてる最中ですけれども(笑)。小説、実はまさに一昨日書きはじめたところです。今回2作目のZINEを出してみて、いわゆるエッセイの形では今自分が書きたいことを表現するには限界があるなと感じて。それで、題材は現実からとるにしても、嘘の物語を書いてみようと思いました。「ベケットといじめ」のその指摘は本当にぞっとするところですよね。個々の人間の強い意志や悪意じゃなくて、場の雰囲気が人々に演じさせ、死にまで追いやるという。演劇については、当時はあまりピンとこなかったというのが正直なところでした。でも今の話でいうと、ちょうど先生の演劇に出る前に、友人が主宰してる劇団のワークショップで「目の前の相手を馬鹿にする」という演技をしたときに、普段とは違う強い言葉や嘲りの語調が自分の上に現れてきたのはびっくりしました。「役を演じる」というのは、それほど力のある怖い行為なんやと思います。「ゴドーを待ちながら」では、少年の役だったんですが、「わざと演じようとしなくていい」と言われていたので、演じるという感覚はあまりなかったし、思わず感情移入するような話でもないので、台詞をどんな風に言うべきか迷ってました。ご期待に沿えず申し訳ないのですが、実は当時の稽古のことよりも、帰ったらなんか焦りながら新書を読んでたことの方をよく憶えてます(笑)。当時はわかりやすく言葉の形で手に入るもの(知識)だけが価値あるものやと思ってて。小説という表現や、役者の人が身体に蓄えてきたものの豊かさとかに、全然思い及んでなかったです。教授としての宮沢章夫に5年も習ってやっと、価値あるものは世界のどこにでも遍在してるんやということに気づけました(笑)。先生は、街をフィールドワークさせたり、好きなものについてプレゼンさせたり、昔の映像を見せたり音楽を聴かせたりと、いわゆる「学問」的なアプローチではない授業をやっていました。それを勘違いして「楽単(単位をとりやすい楽な授業)」として舐めた態度で授業を受けてる学生も多かったですが、実際のところ受け身でも何かが身につくように親切に教えてくれるわけではなくて、街をフィールドワークする授業では、自分で実際に歩くことでしか見つけられない視点を得てきたかというところを厳しく見ていました。印象的だったのは、ただ通行人が新宿の駅前を歩いてるだけの映像を3分間くらい見せたあとに、先生ひとりが「面白いよねぇ」と笑っていたことで、このニュアンス伝わるかわかりませんが、この人は皆に全然見えてないものが見えるんやなと(笑)。

〔土井〕めちゃくちゃ興味深い話がいっぱいなだれ込んできた(笑)!LEOちゃんの小説、それはヤバい、楽しみすぎる。日記専門店「日記屋 月日」でディレ���ターをしている蟹の親子さんともよくこの話をするねんけど、やっぱり僕らは「ほんまもんの嘘」を肯定できなくなったら終わりやと思うねん。いまはどちらかと言えば「嘘」は「フェイク」と貶されて、「ほんま」は「リアル」だと厚遇される。僕はどうしてもそういう価値観とは相性が悪い。本来フェイクかリアルかみたいな単純な二項対立からは逃れたところに小説の「語り」はあると思うねん。せやから「あの登場人物のモデルは誰ですか?」とか聞かれても返答に困ってしまう(笑)。「目の前の相手を馬鹿にする」ワークショップの話もめっちゃおもろいな。そこでLEOちゃんの脳みそに降りてきた罵詈雑言の数々……どんな感じやったんやろ、想像でけへん(笑)。『ダークナイト』でジョーカーを演じたヒース・レジャーもまさに同じような境地に立ったんとちゃうかな?ふとしたきっかけで自分のなかの底なしの悪意に気がついてしまうことはある。たまたまレジャーはそこから戻ってこれなくなったのかもしれへん。僕は『ダークナイト』が大好きなんやけど、何が凄いってジョーカーが自身の口が裂けた原因を語る場面で、あるときは「親父のせいでこうなった」と言い、また別のあるときは「妻のせいでこうなった」とか言うねん。めちゃくちゃ怖いやん。しかも最後まで明確な根拠が提示されないままに映画は終わる。「何らかの要因があって、こうなった」というのは、あらゆる物語にとって逃れ難きテンプレートやと思うけど、ジョーカーにはそれがない。すべては突発的に、因果関係なしに起こり得る。笑い飯の漫才にも優しいおばあちゃんが自分の畑の土から出てきたモグラをスコップで叩き殺す、みたいなネタ(哲夫が披露した「すべらない話」かもしれない)があったような気がするねんけど、ああいうのが一番怖い(笑)。ある種の物語に依存している人たちは何でもかんでも原因があって結果が生ずることを求めるけど、実際は人間ってそんなにわかりやすいものでもないやん。恨みとかなくても笑いながら人を刺す奴も絶対おるで。例えば自分の作品でいうと『JAGUAR』の終盤で前後の脈絡なく唐突に「常温でも冬場なら五日、夏場なら二日は日持ちしますよ」みたいな語りが出てくるねんけど、あれはほんまに自分でもわけがわからない(笑)。なんのこっちゃさっぱりやで。でも日常生活においては別に珍しいことでもなく、普通に歩いていても突然色んな言葉や考えが降って湧いては消えていくやろ。だからあのまま残してん。なんかLEOちゃんの話を聞いていると、宮沢章夫さんは講義や演劇を通じて学生たちにそういうことを伝えたかったんちゃうかなぁって思うわ。そうそう、あとあなたを見ていていつもハッとするのが印象的なファッション。すごく似合っているし、魅力的やと思うねんけど、あの独特のファッションは自分なりに考えがあってのことなん?
〔LEO〕「フェイクかリアルかみたいな単純な二項対立からは逃れたところに小説の『語り』はある」っていうの、ほんまにそうですね。小説のなかは独自のルールで動いてる一個の世界で、どんなに現実っぽい見た目してても現実ではないから、それを現実の物差しで測ってリアルか否かを問うのはなんか違うなと思います。その映画は知らなかったんですが、毎回別の説明するのめっちゃ怖いですね(笑)。宮沢先生は演劇も笑いもいわゆる「不条理」な感じなので、近いと思います。因果関係については、小説書きはじめてみてもう早速ぶつかってる壁です。いや、読んでる側のときはなんでもかんでも因果関係で解明しようとする読みはつまらんのちゃうかと思ってました。例えば、夏目漱石の「こころ」でなんで先生やKが死んだのか?みたいな問いって、物事の因果関係の層で片付く問題じゃないと思ってて、仮にあれが個別の具体的な人間に抽象的な概念を象徴させてる話なんやとしたら、そこで出来事だけ追って説明しようとするのってナンセンスやんと思ったり。でもいざ書こうとしてみると、なかなか因果関���から逃れるのって難しいですね。「すべては突発的に、因果関係なしに起こり得る」っていう土井さんの捉え方は、もしかしたら他者の捉え方を反映してるのかなって思いました。tumblerの記事とか読ませてもらってても、勝手に合理的な説明を作って納得しようとしたりするよりかは、他人は他人でわからんもんやって大前提がある気がして、清々しいなと思います。ひとが皆、自分が理解できるような形で自分の行動の意図を説明してくれるわけじゃないですもんね。ファッションは自分なりに気を遣ってるところではあります。顔が地味やから、せめて服だけでも派手にしよう、みたいな(笑)。でもZINEでも書いたみたいに、本来の自分を「粉飾」してる感覚で、つい服を買ってしまうけど、常に微妙な引っかかりがある。真剣に服が好きな人とは対立する価値観やと思うんですけど、服(やメイク)って所詮は見た目のところでしかなくて、本当に大事なものは精神のところにあるんやとも思ってて。だから、いつか坊主にして毎日同じ黒のシンプルな上下を着るみたいな日々を送れたらなとも思うんですけど、なかなか踏ん切りがつかないでいます。
〔土井〕嫌や!LEOちゃんが坊主の黒服は何でか知らんけど嫌や(笑)、ってこれも勝手な理想の押しつけやねんなぁ。ほんますんません。うちの奥さんもたまに「坊主にしたい」とか言うときがあって「嫌や」って言うたら「自分は私が嫌やって言うてもタトゥー彫ってるやん」って怒られる(笑)。人間って自分勝手やな。ファッションに関連した話で、今年の8月に大阪の音楽イベントに出演した韓国のDJ SODAさんが性被害を受けた事件があったやん。DJ SODAさんの身体に故意的に触れた奴が「あかんことをした」というのは大前提にして、僕はあのDJ SODAさんのファッションやセックスアピールと誤解されても仕方がないようなジェスチャーがとても怖い。彼女は「私は服を選ぶ時、自己満足で着たい服を着ているし、どの服を着れば自分が綺麗に見えるかをよく知っているし、その服を着る事で自分の自信になる」と言うていたけど、やっぱりそれを目の当たりにすることによって気まずさを抱える人間や、性的に興奮してしまう人間がいることも頭の片隅に置いとかないとあかんと思う。もっと言えば、彼女が派手なメイクや衣装で自身のスタイルの良さを際立たせれば際立たせるほどに、別のタイプの女性に劣等感を抱かせはしないか?僕はやっぱり筋骨隆々な男を見るのが苦手で、なんとなく目を背けてしまう。でも街中には肉体美をこれみよがしに見せつける看板を掲げたジムがどんどんできて、筋肉バカが量産される、あっ、さすがに言い過ぎた(笑)。これは僕の偏見に満ちた感想なんやけど、男女問わずキラキラした連中って、すぐに群れるし、意識的であるにせよそうでないにせよ他を排除しようとするやん。あいつイケてない、キモいとか言って。DJ SODAさんたちのようなポップアイコンの無自覚な言動が世の中に優劣の基準を植え付けて、新たな弱者を生んでるような気がしてならへん。まぁ、だからって胸を触る行為が許される訳ないし、そんな奴はどつかれたらええねん、とは思うけど(笑)。とにかく一般的に言われる強者、弱者という区分には違和感しかなくて、それは常に変動するものやし、それぞれの局面によっても変わってくる問題やからね。スーパー銭湯やホテルが刺青やタトゥーを禁止にしてるところが多いけど、僕は仕方のないことやと思う。入浴のわずかな時間に刺青だらけの奴の人間性なんか知ったこっちゃないし、ほんまは優しくて良い奴やねんとか言われても、見た目には威圧感しかないから。LEOちゃんは同性の立場からDJ SODAさんのことはどう捉えてる?
(LEO〕そうですね……。それほど詳しくないですが、現代らしい出来事やなとは思ってて、自分のなかでもいろんな考えが交差してます。DJ SODAさん個人に対して思うことは特にないですが、その人に限らず、自分を綺麗に見せたいという欲望や見た目を通して自信を得るというあり方を正々堂々と公言する風潮には違和感を感じますね。それは必ずしも社会の大多数が肯定すべき「潔白」で「正しい」価値観ではないはずです。そもそも「美しさ」は必ず「醜さ」を前提としていて、美しくあろうとすることは、他者よりも優位の場所にいたいという薄汚い欲望が剥き出しになってるあり方だと思うので。土井さんの言うように、実際にそういうものを見て、性的な興奮や気まずさを感じる人も居るわけですし、決して手放し��いいね!ってなるようなものではないと思います。と言ってみて、自分が服を買うときに感じる後ろめたさの理由がさらに明確になりました笑 つまり、自分もアプローチは違えどDJ SODAさんなんですよね。ただ自分としては、自己満足でやってるというのを、「自分が好きで能動的に選んでる」という意味で捉えてるので、他者にどう思われるか・どう扱われるかというところまで受け入れなあかんとは思っています。いや正味なところ腹がチラッと見えるような服を着てるからって腹触られたらキレてしまいます、でも腹を見せる服を着ることで自分は何を表現しようとしてるのか?って考えたら、ほんまに後ろめたい汚れた答えしか出てきません。「腹を見せるのは自分のスタイルが良いのを誇示したいから」→「スタイルの良し悪しは自分の努力で決まったわけではない」→「ほとんどただの遺伝要因にすぎない要素を自分のものかのように誇示してるのはさすがにダサすぎる」→「でもこの服を着ると自分の気分も上がるし」→「その『気分の上がり』は詰まるところ優越感だよな」→「いやでも実際これを着てい��と評判もいい」→「その『評判』に何の価値がある?」…みたいな問答を繰り返しながら、結局のところ快楽に溺れてる情けない人間です。そういう「屈託」(グレーゾーン)の部分をどんどん取り払って、ポジティブを装っていくような風潮があまり良いとは思えないですね。お風呂のタトゥーは少し違う部分もあるけど、威圧感を感じてしまう他者がいるという点では似てますね。
〔土井〕そうやなぁ、タトゥーも含めてファッションってほんまに難しいよね。そこにはやっぱり今回の僕らの話の裏テーマ的にもなってる能動的か受動的かという話と切り離せない問題やと思うし、そこには確実に実在しない何者かによる「まなざし」がべったりと貼り付いてる。ちなみにほんまの余談なんやけど、いまや作業着も私服もまったく同じで毎日同じ服装しかせえへん僕も、実は服飾専門学校に通ってた時期があって、結局なんぼやってもまつり縫いができへんくて早々に中退してん。ほんまこれどうでもええ話やったわ(笑)。とにかく今回のインタビューで気がついたことがあって、LEOちゃんのなかにも男性性があるし、僕のなかにも女性性があるということ。それが順繰り自分でも気がつかないうちに小刻みに切り替えが行われてるんちゃうかな。だから自分の行動や考えにも常に違和感がつきまとう。さっきようやくその結論にたどり着いた自分はもはやいまの自分ではないから、どうやってその結論に至ったのか、いまとなっては到底わかわからない、みたいな(笑)。その果てなき違和感に決着をつける術が僕の場合は小説なのかもしれへん。決着というか、違和感を違和感のまま提示できる裏ワザのようなもんかな。生きてたら矛盾だらけやけど、その矛盾をそのまま置いてみたり、別の角度から眺めてみたり、転がしてみたり、味見してみたりできるのが小説やな。さっきのファッションに関するLEOちゃんの問答なんて、すでにめちゃくちゃ小説的やと思うねん。小説って何も起承転結があって、ある地点で発生した問題を最終地点に送り届けて解決することが目的ではなくて、語りそのものの躍動こそが本来の醍醐味やと思うから。俗にいう解決しない物語は、独りよがりな問答から始まる。だからやっぱり僕はこれからあなたが書き上げるであろう「嘘」が楽しみで仕方ない。今回は色々と突っ込んだ話ができてほんまに楽しかった。そもそも関東から関西に戻って来たばかりで仕事も執筆活動も大変なときに時間を割いてくれてありがとう。そんなわけで最後の質問、いまのLEOちゃんの最大の楽しみは何ですか?それが聞きたい。過日Gerald MitchellのDJで踊るあなたはめちゃくちゃ楽しそうやった!
〔LEO〕なるほど……面白いです。自分のことだからって自分で全て把握してるわけでもないんでしょうね。自分(私)は把握できてると思い込んでたけど、それこそ小説を書きはじめてから深層心理を掘り返すような作業に早速飲まれてて、全然把握できてないことを思い知らされました(笑)。小説って面白いですね。いまは書き急がず、もっといろんなものを読んでみようと思ってます。最大の楽しみ!確かに音楽を聴くのはとても好きですが、最大と言われるととても難しい(笑)。若干ズレてて恐縮ですが、布団でまどろんでるときと良い夢をみてるときが一番幸せですかね。最後こんなんですみません、こちらこそ貴重な機会をほんまにありがとうございました。今後は自分が土井さんを個人的に質問攻めにさせてください。この長いインタビューを読んでくださった方もありがとうございました!
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例えばWebを例に出すと、SPAや、SSRを駆使した最新のNextjsで組まないといけない案件なんてそうそうない筈なのだけど、jQueryやWordpressより少しマシ、みたいなソリューションでメジャーなものが、なぜかこの業界にはほとんどないので、例えば古いRailsアプリのフロントエンドを新しくする時は、自ずとTypeScriptとReactみたいな話*2になる。 こういう業界標準のナウいフレームワークのいいところは学習曲線と品質管理を「無限」に設定可能なことだ。自分でゴールを設定しない限り、やればやるほど使いこなしていることになるし、洗練されることになるし、常に何かが足りないから、無限に作業をし続けられるのだ。 lintチェックを無効化して、any使ったら5分で終わる作業を1日かけてGenericにして、lintエラーを出なくする「だけ」の、お前それ費用対効果どうなってんだという作業をしても、実際そういう意味の作業をしていることに誰も気づかないし、何ならすごい人扱いしてもらえたりする。困難で理不尽なtypeエラーと戦う責任感ある社会人の顔をしていながら、私が実際にやっていることは型推論に欲情し、涎を垂らしながらReactのレンダリングを頭でトレースしているだけだというのに、誰もその邪(よこしま)さに気づかない。私がしっかり「仕事」していると皆が思い込んでいる。 そういう二重生活をしているから、「仕事なんだから、ね?」と言われるとギクリとしてしまう。実際のところ私がやってることは本屋でバズル本を買いあさった老婆が、自宅でしかめっ面でクロスワードを解いているのと変わりないからだ。パズル本と目の前に並べられた年末調整の書類を交互に見て、「仕事なんだから」の意味を理解しようとしても、彼らが一体何の価値観でもってこれに納得しているのか、自分が納得すべきなのかが、わからない。ただ、わかっていないことに気づかれてはいけないことだけはわかっているのだった。 別にそれで給料が貰えるならいいんじゃないの?という話もあるかもしれない。実際、もらえる。ありがたい話だ。AIによって今後どうなるかはわからないが、まだ当分は大丈夫そうだ。 問題は、これをやっていると、そのうち動けなくなってしまう、ということだ。 動機というか仕事を進める力のほとんどを内発的なものに頼っているので、それが無くなってしまうとパフォーマンスが落ちていく、落ちるだけならいいが、たいてい最後には何も出来なくなってしまう。 こうなると焦る。新しい技術、面白そうなライブラリ、難解なバグ、知的好奇心を刺激してくれる「何か」を探して、出力を維持しようとする。技術ブログを徘徊し、SlideShareを漁る。まるで獲物を探す狩人だが、その動機は「成長したい」というよりガス欠寸前の車が血眼でガソリンスタンドを探しているのと同じで、切実なものだ。 GitHubのトレンドのアーカイブ*3まで見だしたら末期症状だ。もうSlackの通知音一つで飛び上がるような心理状態になっていて、簡単なタスクを頼まれても一種の現実逃避でどうでもいい部分のリファクタリングに没頭したりして、結果を出すまでに平気で2~3日かけだしたりする。まわりは控えめに「〇〇さんはすごいけど、ちょっとムラがあるよね」とか「スイッチ入るまで時間かかるタイプ」と、囁いている。本物の社会人たちが自分の枠組みの中で、私という異常者を説明しようとしているのだが、長々と書いたように、どれも的外れだ。そいつはもはや社会人でもなんでもないのだから。
好きなことで生きていく - megamouthの葬列
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私が片足を突っ込んでいる産業廃棄物業界では、最近ようやく廃棄太陽光パネルの処理でみんなノウハウが溜まってきて少しは効率的に処理できるようになってきたかなと思ったら、今度は廃棄された電気自動車(EV)の中古バッテリーどうすんの問題が勃発しておるわけですよ。ぶっちゃけ、安売りしてる電気自動車(特にBEVなど)は、処理費が制度的に乗せられていないため、処理が大変なゴミの山になりつつあります。 欧州では、先駆けてこれらの電気自動車に搭載されているバッテリーに使われている希少金属(レアメタル)の再利用比率が義務付けられ、再資源化しろというお達しが出ています。日本でも、おそらく同じような制限がこれから出てくるとは思うのですが、例えば2027年までにリチウムは約5割、ニッケルなどは9割を再利用できるようにしろ、31年までにリチウムは8割、ニッケルなどは95%回収し再利用しろという話であります。 ちゃんと取り出せて再利用可能なレアメタルをバッテリーの再生に使うんだよとしても、バッテリーを作る側は中国やチリからリチウムなどを持ってこようがリサイクルで引っ張ってこようがリチウムはリチウムなので使えるのは間違いないのです。ただ、ゴミになった電気自動車からバッテリーを取り出し、使えるものとそうでないものをより分け、リサイクル材として再利用できるところまで持っていくのは割と困難です。簡単に言いやがって。 「EVは環境にやさしいから」という謎の前提条件 もともとあった有害使用済機器保管等届出制度の上に、改正された「危険物の規制に関する政令」が追加されて23年12月から施行されたものの、コストに見合う処分方法や資源回収方法が未確立なところがあってこれマジどう対応すんのってのが課題になっておるわけです(消防法第4類危険物により平成29年改正廃棄物処理法で規定)。 その割に、なぜか「EVは環境にやさしいから」と謎の前提条件が積み上げられて、規格もよく分からない格安な中国製EV軽乗用車やEV大型バスなどがどんどこ投入され、エコだと信じ込み値段に釣られたユーザーがたくさん購入されるなどして短期間で使い潰された結果、ビシバシ廃棄されてこっちに押し寄せてくるんですよ。 お陰でどう処理していいのかよく分からないリチウムやニッケルなど含有の廃棄バッテリーが、設備投資の必要な屋内廃棄ヤードの中にどんどん積み上がっていきます。処理できるスピードに比べて、壊れて廃棄され持ち込まれる廃バッテリーの量が多すぎねえかって話なんですよ。誰か助けて。 まあ、一言で言えば「イメージで電気自動車を環境にやさしいとか言ってくれんなよ」ってのが本音でしょうか。大変なんだもの。 大容量バッテリーの処理がなかなかスピード感を持って進められないのは、各社によって、酷い場合は同じ会社でも車種によって、リチウムやニッケル、マンガン、コバルト、さらにはごく少量含まれている高価なパラジウムなどの金属がどのくらいの割合で含まれているのかよく分からないのです。取り出すための触媒や工程をどこまできちんとセットアップしなければならないのか慎重に作業しなければならないことに尽きます。 そして、謎に安い処理業者は、どっかの山中に処理費だけもらってそのまま埋めてバックレてるんじゃないかと心配になります。「山本さん、真面目にやるだけ損だよ」って言われるんですよね。 試行錯誤して研究開発するしかないじゃんと言われますが、現状の廃棄で得られる引き取り料に見合った工数で捌かないと利益が出ないんですよ。 でっかい溶解炉に入れてボタン一発で解決…してくれるワケではない 太陽光パネルのように、ある程度知見が溜まったらサッシ部分、ガラス部分、基盤部分と工程を分けて流れ作業で対応できる会社も増えてきましたが、バッテリーの場合は危険な重金属は鉛だけだとか、出てくる有害なフッ素化合物に気をつけろというレベルではなく、ほとんど開けてみないと何が出てくるか、どのくらいの割合なのかも分からないような爆弾処理班的なことをやらないといけなくなります。 謎の中華製EV車に乗っていた安価なバッテリーが、どういう理由か水銀みたいなのが入っていたのでびっくりして輸入元に問い合わせたら製造した中国企業がすでに潰れていて中身が何か分かりません、みたいなことも稀に起きます。やめてくれよ。 こういうの、EV車の輸入や販売に適切な規制がないか、リコール対応も含めた責任ある販売元がきちんと立って、バッテリーのリサイクルまで面倒を見てくれる法制がないと太陽光パネルのクソ仕事を超える大変な事態になる、ってことが分かっていないのかなと思います。 なんかでっかい溶鉱炉みたいなのに全部ごちゃ混ぜに入れたら比重で溶け出してきてくれるようなボタン一発で解決するようなものではないのです。そして、うっかりマンガンでも飛散しようものなら中間処理工場は大規模汚染の巣になり環境事務所に立ち入りされ怒られが発生するわけであります。つらい。 で、最近になって、東京大学の生産技術研究所所長を務めておられる教授の岡部徹さんや、海外メディアなどからも「電気自動車、言うほど良くないんじゃね」とか「ニッケルなどレアメタルの採掘や精錬には有害物質の排出が伴うから微妙やんけ」などの議論が出てくるようになりました。そりゃそうですね。 採掘も精錬も廃棄も滅茶苦茶環境負荷が高いバッテリーを載せている電気自動車が、確かに走ってるところや充電では環境にやさしいからという一点で優れていると言われてもなあ…って感じです。 ただ、ガソリン自動車においても、過去100年以上の歴史において古自動車の不法投棄からSOxやらNOxやら環境汚染物質を撒き散らかしてきて、自動車メーカー各社の努力もあってようやく一台当たりの環境汚染がかなり減ってきたことを考えると、電気自動車もこれからの普及で成功と挫折を繰り返して成長していくものなのかもしれませんが。 現状では欧州の規制予定も日本の動向も含めて考えると「各種希少資源(希土類)の回収割合を定める大風呂敷は広げているが、コストに見合うリサイクル料が取れない限り、EV車廃車時の引き取りはむつかしくなっていく」ので、最悪のケースでは中古EV車か資源ごみとしてインドネシアやアフリカ諸国に売られて、現地でひっそり埋められることになるでしょう。欧州から日本に偉い人が視察に来ていたようですが、正直規格も分からないバッテリーのリサイクルで希土類の高い回収率を求められても、すぐにはなかなかむつかしいのが現状です。手詰まりになる前に、適切な法規制やリサイクルの仕組みを構築しないと無理じゃないかと思います。 電気自動車がもたらす“現実”を見つめざるを得なくなってきている それでも大容量バッテリーは日本を含めた各国の電力供給・発送電インフラの上にガッツリ乗っかったうえで、経済合理性や科学的根拠を無視して「環境にやさしいから」とかいう宗教がかった補助金行政で無理矢理普及させてみたら、思った以上に大規模なボトルネックを環境面でもリサイクル面でも引き起こすようになってきて、いよいよ現実に目覚めざるを得なくなってきつつある、というのが現状ではないのかと思います。 そして、普及期にあたってまだまだ高価な電気自動車が国家や都府県など行政のエコカー補助金を受けてたくさん走ったところで、今度は充電ステーションをたくさん作らないといけない、寒波が来ると走らない、事故ると軽度な損傷でも廃車になり、バッテリーが駆動のすべてなので中古車にしたら値段がつかないなどのハードルが待ち受けます。 ガソリンを使うエンジンの自動車が良かったのは一日の長があるからとはいえ、電気自動車は抱えるハードルの高さだけでなく、その処理における複雑性や不透明性は群を抜いています。 環境対策に熱心だったアメリカ西海岸や環境保護庁が電気自動車、特に完全に電気で動く車への推奨政策を取り下げようとしているのは、電気自動車の心臓部的なパーツやレアメタルなどの枢要な原料において、中国が適切な環境コストを支払わずに非常な安価で電気自動車を戦略的に製造し、世界にば��撒いてることも一端にあります。 要は、電気自動車を日本やアメリカ、欧州など先進国が理想論で増やす方針で推進しても、中国の製造業を利するだけでなく現地の環境破壊ががっつり進んで本来目指している持続可能性とはまったく違う着地点になってしまいそうだ、という話に繋がっていきます。 中国製造だけに責任を押し付けるつもりは毛頭ありませんが、適切な規制のないEV車の拡大は、使い物にならないので売れない中古EV車の市場崩壊とともにバッテリーのリサイクル問題に直面して崩壊するのではないかと怖れずに��いられません。 「二酸化炭素削減に成功したが環境破壊は凄く進んだ」になりかねない 裏を返せば、大容量バッテリーを積んだ車を大量生産するにあたり、貴重な各種レアメタルをどんどん消費するようなサイクルが地球の環境において持続可能なはずがないのです。もちろん二酸化炭素の排出は削減しなくてはいけないのは当然としても、レアメタル乱採や廃棄・処分コストも含めてトータルで見たとき「二酸化炭素の削減には成功しましたが環境破壊は凄く進みました」という、手術に成功したが患者は死んだぞ的なことになりかねません。 環境破壊を不退転な形で抑えるには、結局は大量生産大量消費の経済に歯止めをかけると同時に極力車で移動しない都市社会に移行してお前らは電車と徒歩で移動しろという仕組みにするほかないんじゃないのと思ったりもします。 環境破壊は人間が経済活動を推進するから起きているのだとすれば、究極人間が移動しないかみんな死ねば環境問題は解決するじゃねえかという、安っぽいSFで人工知能が支配する社会で目覚めた人工知能が人類を皆殺しにするパターンじゃないのかとすら思ったりして。 そう考えると、私たちがずっと疑問もそれほど持たずに掲げてきたSDGsも、割とご都合主義的な環境対策に突き進み過ぎて面倒なことになってきているのではないかと思う次第でございます。やれやれ。
熱狂が冷める電気自動車(EV)のミライ「イメージで環境にやさしいとか言ってくれんなよ…」 | 文春オンライン
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◆FUZZI(フッジ)10%OFF優待参加◆ 開催期間:3月28(木)から31(日)まで 開催場所:Gallery なんばCITY本館1階店 上記期間、FUZZIが10%OFF優待に参加。 国内に1点物の商品を多数揃え、厳選された商品ばかりです。 ブランドの真骨頂に達している珠玉の作品を御覧頂けます。 国内と直接取引は数年のみ。 日本撤退の為、実際に現物を御覧・御試着頂けるのはおそらく当店のみです。 ジャンポール ゴルチェのソフトチュールファンの方は是非この機会に御買い求め下さい。 是非この機会にGalleryなんばCITY店をご利用下さい。 スタッフ一同、心よりお待ちしております。 【ブランド解説】 『フッジ(FUZZI)』社は元来、1954年にアデル バッチアーニ フッジによって設立されたイタリアのニット、カットソーメーカーでした。 1971年に娘のアンナ マリア フッジに事業に参加し、1983年にはジャンポール ゴルチェとライセンス契約が交わされました。 1985年にはファッションデザイナーのジャンポール ゴルチェと共にマドンナのツアー衣装を手掛ける様になりました。 それはやがて1990年の『ブロンド アンビション ツアー』で結実し、ローリング ストーン誌を以って「精巧に作り上げられたセクシャルで挑発的な狂想曲」と評されました。 このトップモードによる巨大なエンターテインメントは「1990年で最高のコンサートツアー」として認知され、その後のマドンナのイメージを決定づけました。 フッジはゴルチェとのコラボレーション以後、多くのトップブランドのライセンス契約、コラボレーションを実現し続けています。 ライセンス契約ではモスキーノ、マルタン マルジェラ、ヒューゴ ボス、ロメオ ジリ、アズティン アライア等です。 サンプル制作に始まり、製品までコラボレーションするブランドではカナダ グース、エミリオ プッチ、エルメス等ヨーロッパのトップブランドの名が連なっています。 社の持つ40,000以上の過去のアーカイヴを基に自社の名前を掲げたブランド、『フッジ(FUZZI)』も設立されています。 ゴルチェの代表作の一つにソフトチュールシリーズがあります。 ソフトチュールシリーズは薄く伸びるレースの上に鮮やかなプリントを全面に施されていました。 通常、ソフトチュールはレース構造なのでプリントが定着しにくく、柄を表現しにくい素材でした。 しかし、それが高度な技術のプリントによって実現すると、ゴルチェはこの素材を最大限に活用しました。 人間本来の肉体を尊重するこのデザイナーはボディにフィットするソフトチュールに世界中のタトゥー、陰影の美しいギリシャ彫像、ポップアートから名画までをプリントしました。 まるで着用した者の肉体そのものが、別の種族、性別、素材へと変化した第二の肌の様でした。 また軽く、透ける特性のソフトチュールはゆったりとしたシルエットにして���今までにない視覚効果をもたらせました。 ギリシャの遺跡のひび割れた石柱、ドラマティックな表情の聖人、重厚な甲冑等が綿密なタッチで大きく描かれてそれがモデルが歩く度に軽やかに揺れる様子はユーモアであり、アートでもあります。全ては軽量で、ストレッチ性があり、着ていてストレスを感じることはないでしょう。 透け感のある素材は軽やかさを表現し、清涼感があります。 FUZZI社製の全面プリントソフトチュール作品。 ゴルチェのソフトチュールファンにとってはこれ以上のリバイバル品はございません。 Galleryでは、フッジの至高の世界観を余すこと無く御見せ致します。 -------------------- ◆10%OFF優待 招待状◆ 場所:Gallery なんばCITY本館1階店 【2024年度 最初の10%OFF優待】【春物出揃いました】 皆様の日頃の御愛顧に感謝を込めて3月28(木)から31(日)まで、「Gallery 全品10%OFF 優待」を開催。 Vivienne Westwood 2024年春物最新作や雑貨をはじめ、その他の全ブランド除外品無し。 この期間のみ店頭表示価格より10%OFF。 通常セール対象外のVivienne Westwoodの腕時計、財布、コインケース、シガレットケース、携帯灰皿、ライター、ZIPPOライター、ベルト、靴、雨傘、日傘、帽子、ストール等の小物類が全品10%OFFで御購入頂けます。 既に70%OFF等のSALE商品や普段SALEにならない商品も期間中のみ更に10%OFF。 御支払い方法は一切問いません。 現金、カード分割払い、シティ・パークス共通ショッピング チケット、ポイント利用、ギフト券併用 等、選択自由。 (但し、御取り置きの内金、既に御取り置き頂いている商品の御精算、修理代、通販は10%OFF対象外) パリ、ミラノ、ロンドン、ベルリン、ニューヨークからレディス・メンズ共に30ブランドの春物厳選200点以上入荷。 2024年春夏物最新作も全て10%OFFになるのは業界でもレアケースです。 【ヴィヴィアン ウエストウッド 腕時計在庫限り】 ヴィヴィアン ウエストウッドの腕時計は国内メーカーが生産終了、さらにメーカー側に在庫ゼロの為、弊社は現在の在庫が無くなり次第販売終了となります。 腕時計は再生産・再入荷・新規入荷の予定も御座いません。 国内ラスト1点のモデルも多数店頭に揃えております。 ヴィヴィアンの腕時計の購入を今迄、御検討されていた方はこの機会に是非、御決断下さい。 【artherapie 新作ネオドラゴン】 artherapie(アルセラピィ)から進化したドラゴンシリーズ、Neo DRAGON(ネオ ドラゴン)の長札財布がリリースしました。 型押しの精度が高められ、より迫力のあるドラゴンになりました。 さらに、ドラゴン部分に陰影を付け、定着に時間を掛け、立体感を出すことにベストを尽くしています。 ジャンポール ゴルチェのドラゴンと全く同じ職人と生産背景で製作しております。 特にこの水準の盛り上げ加工が出来る職人は国内に3人しかいません。その為、希少数しか生産出来ません。 一旦完売すると、約8ヶ月待ちになる為、是非この機会に御検討下さい。 ※期間中一般の御客様には店頭表示価格のまま販売しておりますので、��ずこの御招待状をスタッフに御提示下さい。御連れ様も一緒に御利用頂けます。 (御提示の無い場合は10%OFFになりません)、通販は対象外。 ※この優待セールはGalleryが独自に行っているもので、なんばCITY主催ではありません。くれぐれも御間違えのない様御願いします。 ※期間中の精算は全てポイント加算対象です。 ※他の割引サービスとの併用は出来ません。 ※ポイント10倍イベントより遥かに御得です。 ※店頭にこの優待のPOPや案内は掲示していませんので御注意下さい。 Gallery なんばCITY本館1F階店 〒542-0076 大阪府大阪市中央区難波5-1-60なんばCITY本館1階 【営業時間】11:00~21:00 【休館日】3月無休 【PHONE】06-6644-2526 【e-mail】[email protected] 【なんばCITY店Facebook】https://goo.gl/qYXf6I 【ゴルチェ派Facebook】https://goo.gl/EVY9fs 【tumblr.】https://gallerynamba.tumblr.com/ 【instagram】http://instagram.com/gallery_jpg 【Twitter】https://twitter.com/gallery_jpg_vw 【Blog】http://ameblo.jp/gallery-jpg/ 【online shop】http://gallery-jpg.com/
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experimental products
こんなハブ、滅多には持ち込まれないですが、たまにはこんなお仕事もあります。
もう後継製品が出てかなり経ちますし、そろそろ時効ではないかと思うので、出してしまいますが、初回ではなく二回目の組み直しの際、バラしてチェックしていたところです。

この裏側には手書きでいろいろと記載されているので敢えて掲載はいたしませんが、あるパーツ メーカーさんの試作品です。
仕様や構造、材質、精度から判断する限りはトップモデルでの展開を予定していた製品の様です。

仕上げの状態から判断すると、ほぼ商品化直前の評価製品かもしれません。
このハブはアクスルの長さが142mmですが、ほとんど同じ外観でハブシェルの幅とアクスルの長さが6mmほど長いブースト規格の148mm版が実際に製品化されていました。
このハブがもし製品化されていたとしたらFH-M9011(-Bは付かない)という型番になっていたかもしれません。

このメーカーのハブ製品、全般的にフランジ寸法や、防塵・防水性、強度・剛性と重さのバランス、整備性など非常に良くまとめられていて、実際の販売価格を考えると大変素晴らしい製品作りをされていると思いますが、なぜかあまり人気が無いような…。
一つの理由としては、競合他社製品と比べると、少し重たいことがあげられるかもしれません。 でも、それは言い換えると、実用上の強度や剛性を確保する上では必須な程度だとは思うのですが…。
あるいはロード バイク用だと特にですが、スポーク孔数の選択肢が少ない、というか多くの乗り手が欲しがる選択肢を用意していないのが、もう一つの原因のような気もします。
ただ、それに関してはハブ シェ��のスポーク孔を飛ばしてスポーキングしたり、それに合わせて専用のリムをデザインしたりすればいいだけの事なので、弊所にとってはそんなに致命的でもなかったりしますが、最近は上級グレードでのハブ製品自体が無くなってしまっているので、その方が残念かもしれません。
相変わらず業績好調の様ですし、どストレートに完成車輪が沢山売れたらいいだけなのかもしれないですが、おかげで軽いだけで強度も剛性も精度も防塵・防水性もいまいちで工業製品とは呼びづらい他所のハブ製品が蔓延している現状がちょっと残念です。
今ちょっと期待しているのは、26インチ ダート ジャンパー用のハブを前後出してもらえないかなぁ…と思っています。
そろそろDXRもディスク ブレーキ対応製品を検討していただけるのではないか(勝手な希望)と思いますが、ブレーキ ローター台座付きの後ろ用のハブ出す時、序でにOLD 142mmとか、反対にブレーキ ローターの台座が無いスルー アクスルの前用ハブとか、バリエーション考えていただけないかなぁ…ぃゃ、SaintやZeeブランドからシングル スピード(プレイ バイク)仕様を出していただいても構わないんですけどね。(^_-)*
10mmナット止めは軸折れや曲がりがシャレにならないですが、主軸だけ太くして固定のみ10mmのままファン ボルト化されてもボルトが潰れる事があり、これが抜けなくなると「詰んだか?!」と焦る事になります。(^o^;A
もちろん、これで困るのは大抵ティーンズの子たちで、ハブ セットだけで手ごろな完成車が買えそうなProfie racingとか、ChrisKingとか、Hadleyとか、Onyx racingとかのハブを自腹で買えるおっさんには痛くも痒くもないですし、そういった高性能ハブ製品は破損も含めたトラブル自体、少ないです。
キッツイ用途の車種ほど優先的に軸径を大径化していただきたいと思っています…が、一応ジャンルとしてはマウンテン バイク系なのに、まさかのロード バイクより規格の更新が遅いとか、ここだけなかなか変わらないですねぇ。
まぁ、これこそ「ニッチ」だから、なんでしょうけど…。(-_-;
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和五年(2023)12月10日(日曜日)
通巻第8043号
EUは「生成AI」と「汎用AI」を問わず包括規制をかける
ペンタゴンはAI軍事ロボット開発を急ぎ始めた
*************************
「生成AI」なるもの。たとえば大量のデータを持つAIが文章や画像を自動作成する。
「オープンAI」社が開発した対話型AI「チャットGPT」が魁となって製造業もソフト企業も、省力化への期待から活用が急速に広がった。
しかし巧妙な画像操作、フェイク情報の拡散や個人情報の漏えいといったリスクを伴なって、社会問題となった。たとえば大學では論文審査にチャットGPTを利用した作文ではないかを嘘発見器のように探索する機械を導入した。ある新人小説賞応募では、例年の二十倍の応募があり、殆どがチャットGPT利用の人工的作文とわかって小説賞の募集を中止した。ブラジルでは条文改正案をチャットGPTで作成し、議会は多数で承認するという事態に発展した。
このまま突っ走るとどうなるのか?
「オープンAI」のサム・アルトマンCEOは議会証言で、「規制が必要だ」としていた。23年5月に広島で開催された先進7カ国(G7)は、AIの国際ルールを取りまとめることで合意した。AIが人間を超える危機(2045 シンギュラリティ)が叫ばれて、多くの学者や知識人が警鐘を乱打してきた。
12月9日にEUが発表した規制案では、『汎用AI』の範囲にある政治的、宗教的、哲学的信念、性的指向、人種を推測するための顔認証システムや潜在意識を刺激するサブリミナル技術を組み入れたAIは認めない原則を打ち出した。
2026年から実施予定で、生体認証システムの使用も制限し、拉致、人身売買、性的搾取事件の被害者の的を絞った捜索や、特定の現在のテロの脅威の防止には例外が設けられる。違反者には50億円程度の罰金か年間売り上げの7%の制裁金が課せられる。
一方、米国と中国では軍事ロボットの開発が迅速に進捗している。
高性能の軍事ロボットに関して米国は研究開発から実験段階へと歩を進めている。高性能のAIを搭載した自律型兵器システム(ドローン艦艇、航空機、戦車運用)の開発をめぐる論争が際立つようになった。争点のひとつは、「生成 AI」システムで使用される「大規模言語モデル」の信頼性をめぐる見解の対立である。
▼中枢の技術は半導体である。
高度AI の活用に関して米国では国務省と国防総省は、「責任ある方法で行われる限り、人工知能は将来の兵器システムの運用に使用できるし、使用すべきである。米国は技術の進歩に関係なく、(軍事によるAIの)責任ある開発と使用を可能にするために必要な政策を導入し、技術的能力を構築する」としている。
専門家の意見では、「生と死の決定がもはや人間によって行われるのではなく、事前にプログラムされたアルゴリズムに基づいて行われるとなれば、倫理的問題を引き起こすだろう。自律型兵器が惹起する課題と懸念が明らかに存在する。したがって法的、技術的、人道的、倫理的な観点から、また武力行使における人間の役割に規制が必要である」とする。
ペンタゴンはAI搭載の自律兵器システムの開発と配備を進めている。多数の自律型兵器を配備し、「質」と「量」の双方で、中国の優位性を克服する準備をしなければならないと考えているからだ。
もう一つ、というより最大の懸念がある。
技術情報、ノウハウの漏洩である。産業スパイが高度化し最新の機密をハッカー攻撃やエンジニアへのカネと女の罠をしかけ盗用するのだ。
米軍輸送機C17に米国は5000億円の開発費を投じた。中国はその機密をハッカー攻撃で盗んだ。コストは米国の一万分の一だった。中国空軍ジェット戦闘機「殲21」は米軍機F22の、「殲31」はF35の機密を盗んだとされる。
またノウハウの漏洩がある。台湾から中国への渡り鳥エンジニアたちがいる。
『ウォールストリートジャーナル』が「半導体の魔術師」と名付けた梁孟松は米国大学留学後、現地のIT工場で働き、TSMCで腕を発揮した。梁がTSMCに在籍したのは1992年か2009年までで、この間に身につけたノウハウをもって大陸へ渡り、SMICで14ナノ半導体製造に成功したといわれる。現実にファーウェイの新型スマホ「Mate60 PRO」にはSMICが自製したとされる半導体が使われていた。
安全保障上、由々しき問題として関係者が激怒した。米国は、米国籍のエンジニアが中国ではたらくことを禁止している。
台湾は押っ取り刀で法改正に乗り出した。まずNSTC(国家科学及技術委員会)はノウハウならびに半導体材料を含む22の禁止リストを公表した。違反には罰金と5年以上の禁固刑が課せられる。
ならば梁孟松を台湾は「裏切り者」として如何に裁くのか? 梁は中国に永住するつもりなのであり、台湾の司法権が及ばない。
▼倫理、モラル、そして霊性が問題になる。
かくして倫理、モラル、そして霊性が問題になる。
2023数学賞を受賞した丘成桐教授は12月8日開催の授賞式(香港)で「AIは人間の創造的精神にはなれない」と明言した。岡潔もきっと同じことを言っただろう。
つまり「生成AI」は「霊性AI」になることはない。神の意志はそこにはない、と世界的な数学者が示唆した。
世界の破滅を描いた三島由紀夫の『美しい星』に次の箴言的比喩があることを思い出した(新潮文庫版より)
「冷戦と世界不安、まやかしの平和主義、すばらしい速度で愚昧ととう安への坂道を滑り落ちてゆく人々、にせものの経済的繁栄、狂おしい享楽感、世界政治の指導者たちの女のような虚栄心。。。こういうもの総ては、仕方なく手に委ねられた薔薇の花束の棘のように」
主人公は宇宙から飛来した円盤を目撃している。
「円盤が目に見えていたあいだの数秒間に、彼の心を充たしていた至福の感じを反芻した。それはまぎれもなく、ばらばらな世界が瞬時にして医やされて、澄明な諧和と統一感に達したと感じることのできる至福であった。天の糊が忽ちにして砕かれた断片をつなぎあわせ、世界はふたたび水晶の円球のような無疵の平和に身を休めていた。人々の心は通じ合い争いは熄み、すべてがあの瀕死の息づかいから、整ったやすらかな呼吸に戻った」
「平和は自由と同様に、われわれ宇宙人の海から漁られた魚であって、地球へ陸揚げされると忽ち腐る。平和の地球的本質であるこの腐敗の足の速さ、これが彼らの不満の種で、彼らがしきりに願っている平和は新鮮な瞬間的な平和か、金属のように普及の恒久平和かのいずれかで、中間的なだらだらした平和は、みんな贋物くさい匂いがする」
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ゲームメモ:常世ノ塔
半分くらいこのゲームのことを理解した気がするのでいろいろ文章にしました 非常に自己満
※注意
・ネタバレ(注意って言うほどでもないけどラスボスの情報を含むので)
・チュートリアル以外で忌火ちゃんしか使ったことありません(半分くらい理解したとは?)僕が一番忌火ちゃんをうまく使えるんだ…!
・『登頂』よりも『スコア』を重視して記載しています
・だいたい主観です
・おもくそ長文
『スコアの伸ばし方』について
登頂したことある人なら分かると思うんですけど、普通に道中ちょいちょい被弾しつつ進んで、普通にラスボスを倒してもおよそ15万程度のスコアにしかならないんですよね
では、ランキングに載ってるスコア20万とか50万とかはどうやって実現しているのか?

画像左の表記が階層毎に計算されるスコアです
上から順に簡単に説明すると、
【突破した階層で取得したコインと、それによる基礎スコア】
×【階層の高さに比例した倍率】
×【その階層をノーダメージで突破したボーナス】
×【その階層のコインを全て取得したボーナス】
×【チェインボーナス(以下『連鎖』と表記)】
=【その階層の合計スコア】
となります
ここで非常に重要なのが『連鎖』で、そもそも『連鎖』が起こる条件が、「その階層をノーダメージかつ、その階層のコインを全て取得して突破する」という感じなんですよね
要はノーダメでコイン全部集めながらひたすら登っていくことでどんどん連鎖させて、トンデモ高倍率をスコアに掛けていけば自ずと50万とかも見えてくるってことです(できるとは言ってない(26万までは行けました
アーティファクト評
【超当たり】
反物質 : フロアを切り替えるとMPが回復する
登頂目的でもスコア目的でも非常に強力。単純にスキルが早く回るようになるので便利で強い。反物質が豊作な日は道中の快適度が増す。こんなんなんぼあってもいいですからね。
【大当たり】
しあわせハニワ : 人型の敵を倒すとカルマが回復する
このゲーム、「人型の敵」の範囲が非常に広く、人型っぽかったら大体の敵に適用されるので予想以上にカルマ管理が楽になる(実はボスも「人型の敵」判定である)特に2個以上積むことができた時に効果を実感しやすい。いぶし銀。
世界樹の一滴 : フロアを切り替えるとHPが回復する
普通に登頂目的なら最強の一角に君臨する強力なアーティファクトだが、「スコア理論値」を目指す場合は不要で、「高スコア」を目指す場合もやや優先度は落ちるので超当たりには入れてない。それでも変なアーティファクトを拾うくらいならこれの方がありがたい。
陰陽の式神 : スキル発動で式神を召喚する
菊理のスキルの簡易版。ダメージは高くない。
特に忌火、ココア、カナエ等のスキルの射程がある程度制限されるキャラを使用する時に重宝される。このゲームのボス戦は"どのくらいダメージを与えるか"ではなく"何回ダメージを与えるか"という仕様なので、本来射程外にいるボスに対して遠距離から攻撃を命中させることができる。つまりこのアーティファクトに関しては『1つでも所持していること』が重要である。(シッポや菊理を使用している時でも微力ながら単純に火力が強化されるので悪くない選択肢ではある)
【当たり】
マッハダッシュモーター : 足が早くなる
限りなく大当たり寄りの当たり。身体強化アーティファクトなので純粋に弾を避けやすくなるが、複数個積むと操作感がもはや別物になるので注意。
ハイピュリアの羽 : ジャンプ力が上がる
マッハダッシュモーターと大体同じ。
温かい桃 : カルマの下がり値が大きくなる
階層を跨ぐ際のカルマ減少量が多くなり、単純にカルマ管理に貢献する。複数個積むことができた場合はそこそこ頼もしく感じられるだろう。
魔法の招き猫 : コインを取ると確率でMPが回復する
MP回復が割と低確率なので安定はしないが、上手いこと発動すれば恩恵は感じられるし複数個積むことができれば運ゲーは多少マシになるというもの。
ニコールの壺 : 体力回復アイテムの効果が上がる
普通の登頂目的ならもう一段階優先度は上がる。ハートだけでなく休憩所の飲み物にも適用されるので案外発動箇所は多い。
ヴァンパイアの古刀 : 人型の敵を倒すとHPが回復する
普通の登頂目的ならもう一段落優先度は上がる。前述の通り「人型の敵」の範囲が広いのでその分発動する機会も多くなるだろう。
まじかるステッキ : スキルの威力が上がる
割と地味だが忌火や菊理等やや低火力なキャラを使う場合は雑魚処理の速度が少し早くなる。ボスに対する攻撃には適用されないので、確定数が変わるなどには期待しない方がいい。
【微妙】
百科事典 : ダメージを確率で5分の1に抑える
わりと低確率発動なうえ、スコア目的であればそもそも被弾したくないのでここでは微妙とさせて頂きたい。発動さえするなら登頂目的では心強い。
死ねないホタル : 暗闇で見える領域が拡がる
死"な"ないではなく死"ね"ないので実はかなり業が深い。性能はというと、暗闇下に於いて視野が少し広くなるという結構地味で限定的なものとなっている。役に立たない訳ではないが拾って嬉しいかと言われると……
淫魔の残り香 : 状態異常を短くする
完全に私の意見だが、状態異常攻撃なんてモノはスコア的にも登頂的にもそもそも喰らいたくないので喰らった上での微妙なアフターケアしかできないこのアーティファクトをあんまり強いと思っていない。確かに魅了や出血という厄介な状態異常への対抗策としては良いのかもしれないが。
奇妙な蛹 : 無敵時間が長くなる
効果自体は悪くないがダメージを喰らって初めて発動するアーティファクトなのでそこをあまり評価して��ない。二次被害防止にはなるだろうか。
名刀カネサダ : ダメージを受けると妖刀を召喚する
あまりにも受動的なダメージソース故にあんまり評価していない。ボスにも効かない。威力自体は高いので、HPが多いドラゴンなんかにはまあまあ有効かもしれない。
【いらない】
刺客の下駄 : トゲのダメージを軽減する。
確かに25ダメージも喰らってしまうトゲのダメージを抑えられるのは優秀なのだが、そもそもトゲなんて喰らいたくないし喰らってられないという話である。
ブラックダイヤ : HPが20以下になるとMP回復速度が上がる
所謂「火事場力」。モンハンとかフロムゲーで一部の変態玄人が好んで使う系統の能力でポテンシャル自体は高いが、スコア目的ならそもそも被弾してはいけないし、登頂目的にしてもあまりにリスクリターンが噛み合わなすぎであるのだが、RTAという限られた戦場に於いては最強のアーティファクトと化す。
エネミー評
ドラゴン【厄介度:上】
飛行、壁貫通、前方広範囲攻撃、高HPという厄介のハッピーセットである。冷静に対処すれば意外となんとかなるが、狭いところや複雑な地形で来られると非常にめんどくさい。大人しくスキルを切るが吉。
雪女【厄介度:上】
通常種はさほど強くないが上位種がヤバすぎる。十字型またはクロス型に放たれる氷結は地形によっては詰みかねない。上位種を射程圏内に収める算段があるならば、即スキルを切るべき。
ヴァンパイア【厄介度:上】
厄介な状態異常である出血を付与してくる。飛ばしてくる麻痺弾の弾速が結構早く、油断していると被弾しやすい。特に避けやすい地形でもない限りスキルを切って対処することを推奨する。
スキュラ【厄介度:極悪〜中】
個人的に環境依存で厄介度の上下が一番激しい敵だと感じている。暗闇下で遥か上空から墨玉で爆撃してくるスキュラはもはや存在するだけでそのルートを回避したくなるレベル。明るく平坦な地形だと割と対処は容易。
バニー【厄介度:上〜中】
一見挙動が読みにくいが、観察してみるとパターン化されておりジャンプのタイミングは読みやすい。なんだかんだ攻撃範囲が広く、喰らうと状態異常でジャンプが止まらなくなり甚大な二次被害を産むことがあるので、配置によってはスキルでの対処を推奨する。
メイドサキュバス【厄介度:上〜中】
わりと序盤から出てくる。ゲーム内テキストに突進方向は読みやすく回避は難しくない的な感じで書かれているが、それはそれとしてあまりにしつこいので大抵スキルを切らされる。
くのいち【厄介度:中】
くのいちの下を通る時にクナイを投げてくる。意外と避けやすいが、ステージギミックと相まってなかなかに厄介な場合がある。
ハーフオーク【厄介度:中】
もはや破壊可能なステージギミックである。冷静になれば鉄球の回避はさほど難しくないが、大抵他の厄介な要素と一緒に現れるので、結局スキルの錆になってもらう場合が多い。
ウィザード【厄介度:中】
単純に自機狙いのリングを飛ばしてくるので厄介。回避は容易だが、他の脅威に対処しながらウィザードに相対すると思わぬ事故に繋がるので注意されたし。
サキュバス【厄介度:中】
上位種は厄介度を一段階上げても良い。通常種はわりと大したことはないのだが、ハート弾が背景や他の弾幕に同化して被弾しかねないことや、魅了という状態異常がそもそも厄介なので結局対処する羽目になったりする。
ハーピー【厄介度:中】
自機目掛けて弧を描いて突撃してくる。それだけ。それだけだが充分にめんどくさいのは迷い人であれば知るところであろうか。
スライム、スケルトン、ゾンビ、スピリッツ、メイジヘッド、エレメント【厄介度:小】
上記の敵に比べれば対処は容易なので省略。
デモンズヘッド【厄介度:EX】
敵には変わりないので一応記載。カルマの番人。カルマが0になるとどこからともなく現れて、自機目掛けて高速で突撃し出血状態にしてくる。初見じゃどうすれば良いのか分からなくて大抵そこで墓になる。
非常に厄介であるのだが、スキルを準備してどっしりと構えていれば案外対処はできるものである。カルマが尽きたからと言って諦めるのはまだ早い。
ボス評
碧き星雲の守護者
慣れればそこそこ安定して被弾無しで倒せる相手。討伐に必要な攻撃回数は2回。たまに乱数でひどい攻撃をしてくるので、できるだけ広い空間に向かって逃げると吉。
紅い恒星の破壊者
慣れれば(ry。討伐に必要な攻撃回数は3回。守護者よりも攻撃が苛烈になっているほか、たまに乱数によってひどい攻撃をしてくるところも健在である。あまりに攻撃の回避に集中していると忘れた頃に中央のトゲに被弾して墓が増える。
しにぞこないのナナハ
つよい。討伐に必要な攻撃回数は5回。おそらく三種のラスボスの中では一番乱数による攻撃が少なく、慣れれば安定してノーダメージ討伐が狙える相手(できたことないけど)。
初見殺しの塊みたいな相手なので、対処方法は純粋に経験を積むことであろうか。スライディングには要注意。
大魔王エルロア
デスタムーア娘。つよい。討伐に必要な攻撃回数は5回。体感ラスボスの中で一番厄介。あからさまに攻撃が通り破壊できそうな手をしているが、こちらの攻撃が通るのは頭部だけである。
一見ビームを打ってくるだけの手だが、手のせいで微妙に視認性が悪くなり弾幕の厄介さに貢献している。そして、HPが4割以下になると普段の攻撃に手からのビームが加勢してより攻撃が苛烈になる。
暗き星のルゥラ
かわいい!!!!!!!!!!!つよい。討伐に必要な攻撃回数は5回。個人的にはまあまあやりやすい相手だが、ラスボスの中では一番弾幕弾幕しており狭い空間での弾避け技術が試される。あと反射神経。
ルゥラの難易度を上げている要因として、ラスボス随一の乱数攻撃の多さが挙げられる。個人的にやりやすいと前述したが、どう考えても避けられないひどい弾幕を連続されて常世ノ塔をそっと閉じる日もある。
その他
・道中で拾うことがある黄色い四角こと『シールド』だが、地形含むあらゆるダメージとそれに伴う状態異常まで無効化することができる。つまりノーダメージボーナスも適用される。重ね掛け不可
・休憩所の飲み物はメロンフロート一択(スキル短縮という効果があまりに強すぎるため)
・ジャンプ中にすり抜けられる床を通過すると、なんとジャンプの権利が復活する。覚えておくと役に立つこともある。
・黒ルート、白ルートどちらを選んでもスコアの変動は(おそらく)無い。ちなみに、【白→黒の後半の黒】と、【黒→黒の後半の黒】は同じ構造では無い。
・忌火のスキルは早出ししてボスのバリアに当てると弾け飛ぶので、スキル早出しをする際は弾け飛ばない猶予を狙うか、ボスからある程度離れて領域に触れさせない等の工夫が必要である。
ところで……

こちらは各ボスの再戦ができる場所なんですけど、中ボス2人にラスボス全3人と戦って再戦の解放は終わっているはずなんですよね
───であれば、この右上の空白は……?
#常世ノ塔 #ゲームメモ
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9月締め括り
大きな大きな夏の尾を見上げ続けていたら、小さい秋に気づかないわけ。
「あの頃は」と言って秋を見逃さないように、9月を締めくくっていこう。
ソリティアは自分のバイオリズムを確認する手段として有効である。「紙の本を読もうよ」みたいな。
人はいつの間にか自分がどうやって生きていたかを見失ってしまうことがあります。そんなときは活動的だった時の轍をどこかにとっておいて、その動きをトレースすれば感覚は擦り合わさっていく、もしかしたらだけど。
数独や詰将棋はやや味気ない、上手くいかなくてもそれはそれでいやはや参ったよな思い出ができる。なによりカードをシャッフルして引くだけというお手軽さが調子の悪い時にも負担にならなくていいじゃない、最高点を取っても繰り返し遊べる素晴らしいゲームです。
213日という数字にややビビるよね。だって213日っておめー1年の58%くらいだよ?パーセンテージにすると案外妥当だな、そんなもんです。「今年も早いね」とかも全部錯覚です。ちゃんと今日を生ききってください。
実際35℃前後で追肥等の面倒をしっかり見ていた(とは決していいがたいけども)頃に比べてもそれ以上にポンポコ実ができている。外気35℃~40℃に対応できる生命は結構限られているのかもしれないと思うと地球という星の生命は綱渡りというか、刃の上を歩いているね。なんかの拍子に平均50℃とかになったらドーーーーーーンwwwwwwwwwって感じで何もかも終わっていくよね。はかないね、でも正しいよねそれも。正しいならしゃーなしっていうかさ、まぁちゃんと今日くらいは生ききってくださいよ。ハラペーニョの話をしなさいよ。虫がすげーんで明日からちゃんとやりますよハイハイ。
和歌山県に行ってきました。最初の動機は「天神崎でウユニ塩湖的な写真を撮る」だったはずが色々想像を絶するものであった。すげーや和歌山。
現地更新型の旅行記はなんだかんだで手元が忙しい、ライブ感のままに書き留めようとすると意識がスマホに吸われてライブ感が薄まるというジレンマ、いや、熊野古道の電波が悪いのがいけないのではないか?すげー投稿しなおしたよ確か。
思いのほとんどは記事に書ききってるわけだけど、そんなん言ったらあんた何のための締め括り振り返りなんじゃいって話。差し置いて言うならば本当にクジラが見れて良かった。ずーーーーっと言ってたもんね、クジラが見たいって、なんでクジラがいいんだろうね?多分「必ずしも孤独を嘆かなくていい」というアイコンとして「大洋を泳ぐクジラ」というもの���置いているような気がする。その同族意識が「必ずしも孤独を嘆かなくていい」という命題に二律背反になっていませんか?じゃあ正しくないか、よくわかんねーや。
しかし皆さんにお伝えしたいのは和歌山ラーメン、いやさ和歌山の中華の美味さよ。食べたことあるかい?和歌山の中華、もう最高さ。
豚骨醤油というか、醤油豚骨というか、存在感を主張しながらも決して重くない凛としたスープに「これでいいのか」と思わせる中太ストレート麺、豚骨ハリガネ細麺に慣れ切った私にはラーメンのカテゴリーにいながら「和食」のアトモスフィアを感じずにはいられない、やや少なめな丼を開けた後は鯖すしを食べてさっぱり終了、完成されているんだこの一連の流れは、食べたことない?そりゃあもったいない。

熊野本宮大社に行きながら御朱印はあえて頂いてません、御朱印ほど世俗煩悩に塗れたものはないと考えているためです。帰りの空港で日本航空限定御朱印帳が買えなくて駄々こねてるおじさん見てうわ……ってなっちゃったもん。仮にそれ手に入ったとしてそこに書かれる御朱印そんなに偉いもんか?そんなもん500円払わずとも心に刻めよ。その点スタンプラリーのスタンプを景品目当てでなく手帳に押して帰るのは敬虔な行いです。ていうかインク薄いな。
スーツケースの中でビールが漏れ出たり、バーベキューに馳せ参じたりほら僕達なんて十分適度にドラマチックさ。あるいはバイオリズムはビールで取り戻せということか。
「必ずしも孤独を嘆かなくていい」というのは「如何なる選択も孤独を選べ」ということではありません。十分適度にやっていけばいいんじゃないでしょうか。会合に参加できているうちが花とかなんとか、でも来年の夏は平均50℃とかになるかもよ?そうしたらなにもかも終わりだね。よかったね、正しいね。なんつって。それでも生きてる奴は生きてるよきっと。馬鹿なこと考えてないでさっさと寝な、という意味の歌を52ヘルツの鯨が歌ったのは私だけにしか理解できなかったんです。鯨が好きな理由は、多分そんな感じだ。
イマイチ調子が上がらなくて、「これからの僕ら、一体どうなっちゃうんだろう」と考えてしまうのは年々上昇する夏の気温のせい、だから明日から秋を始めよう、もう今日から10月なんだからさ。
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